邪馬台国=北九州説は左の説?

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1日本@名無史さん
それから大和朝廷=渡来人の政権説も左の説なのでしょうか?
2日本@名無史さん:2001/08/22(水) 08:41
最近の北九州説ってば、神武天皇は実在だとか欠史8代は史実だとか超右じゃん
3日本@名無史さん:2001/08/22(水) 10:58
『古事記』『日本書紀』には、天照大神が天の岩戸に隠れる物語を記録している。
アマテラスはスサノオの乱暴に怒り(或いはその為に機織りの道具で怪我をし、
病気になって)、天石窟(あまのいわや)に籠もり隠れるというものである。
この物語が一体何を意味しているのかについて、古来より論議されてきた。
死去説・火山説・冬至説・日食説等がある。この内日食説について、
実際卑弥呼が死んだとされている年(西暦248年、正始8年)と
その前年(同247年)に北九州で皆既日食が観察されている、という説が現れた。
日食説そのものは、江戸時代の儒学者荻生狙來(おぎゅうそらい)が言い出した
ものだというが、1995年7月25日付毎日新聞(大阪版)朝刊と
8月5日毎日新聞朝刊(大阪版)に、この記事が載った。
東京理科大学勤務コンピュータ工学の橘高章氏、産能大学教授で数理歴史学の安本美典氏
が検証の上、西暦247年と248年に2度も続けて皆既日食が北九州地方で
観測されたという。」と伝えている。この意味する所はこうである。
卑弥呼が死んだのは西暦248年と考えられている。その前年に皆既日食があった。
卑弥呼の死はその後だから、日食のため卑弥呼が殺されたという見方も出来る。
そしてその後もう一度日食が来る。人々は畏れおののき、卑弥呼の一族から
再び女王として台与を選ぶ。日食は治まり、人々はその伝承を後世に残す。
しかし、記録として残っているのは卑弥呼ではなく、天照大神である。
だとすれば、卑弥呼=天照大神という等式が成立する。
また、その検証結果では、この2年続いて起こった皆既日食は北九州を中心に
観測可能で、近畿地方では部分日食として現れ、人々の目を奪うほどの効果は
無かったと言う。とすれば明らかに天照大神の活躍していた高天原は北九州と
いう事になり、高天原=邪馬台国という等式も成立する。卑弥呼=天照大神の
死は、強く人々の心に残り、やがて文字で記録する事が出来るようになると、
卑弥呼ではなく天照大神の物語として人々に伝えられていった。・・・・・・
以上がこの皆既日食説の大筋である。
4日本@名無史さん:2001/08/22(水) 11:03
皇族の遠い先祖が朝鮮系であることは常識です。
5日本@名無史さん:2001/08/22(水) 11:14
日本の文化は7世紀以降のものだけ考えても十分誇りを持って
我ら独自のものと主張できるが、それが大陸のものより優れている
彼等が劣っているなどという主張は、反日論者が好んで語る
中華4000年の歴史の猿真似とか、韓国を経由したのだから
我らの後追いであるといった主張と同様に虚しいものだ。

ルーツを語り出せばミトコンドリア・イブまで遡ることになるし、
アフリカ起源説をとるなら猿を崇め奉れという話になるのか。
6日本@名無史さん
>>5
禿同。

第一昔がだめだったとしても今の日本は周りが真似するくらいにまで
発展した文化を持ってると思うぞ。
今がいいんだからそれでいいと思うけどね。