安土桃山時代の日本の人口と戦力

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1乱世LOVE
どのくらいたんでしょうね?
太閤検地だと日本の総石高は1800万石。
米1石が一人が1年間で食べる量だから、
単純計算すれば1800万人ってことになるけど
みなが米食えたわけじゃないし、検地もあいまいなとこ多いし。
いったい何万人くらいいたんでしょうね?
2日本@名無史さん:2001/08/19(日) 00:37
で、それ知ってどうすんの?
3日本@名無史さん:2001/08/19(日) 00:47
>>2
んなこと言ったら歴史を考証する意義もなくなっちまう。
4乱世LOVE:2001/08/19(日) 00:52
2>ちょっと興味があってね。それだけだけど。
3>いいこといいますね。
5日本酒:2001/08/19(日) 00:54
いやいや、重大なことだと思うよ。
ただ、人口については、詳しく調べられ尽くしているのでは
ないのかな?

戦力についてもかなり調査が進んでいるものと思う。
日本と言う国と、当時世界に打って出た各国の人口・戦力も
あわせて考えれば、語り尽くすに足る内容になりうると思うが。
62:2001/08/19(日) 01:02
1800万人でしょ。
で、戦力って?
40万人〜50万人。
鉄砲数は全ヨーロッパより多い。
軍事大国ですが。
7乱世LOVE:2001/08/19(日) 01:13
とすると単純計算で男性人口が900万人。
当事の平均寿命が50〜60で
戦闘適齢期の年齢が18〜40くらいとすると、
18〜40の人口は300万人
50/300で6人に一人は兵士か〜。
それは多いのかな?
8日本@名無史さん:2001/08/19(日) 01:25
>>6
海軍力というか造船技術ではどうだろう。
倭寇の評判のわりに朝鮮の役で弱かった気が。
>>7
完全に兵農分離が成されていたわけではないから
多いとは言えないと思う、具体的根拠はないけど。
9日本@名無史さん:2001/08/19(日) 02:07
後当時の平均年齢は多分50歳くらいだから18〜40の人口はもっと
多いかも。
10日本@名無史さん:2001/08/19(日) 02:22
1万石で250人の軍役。でも、あくまで平均値。
旧陸軍参謀本部による。
実際、農閑期に隣国へ攻め込むのと、
海外派兵(藁するのでは、数が変わるはずと思う
11日本@名無史さん:2001/08/19(日) 02:24
>>8
倭寇は海戦は余り得意じゃないよ。
陸で荒して、すぐに海に出ていただけ。
瀬戸内の海賊とは違うみたいだよ。
朝鮮役も輸送船を除いた部隊は屁タレじゃないよ。
12日本@名無史さん:2001/08/19(日) 04:04
石高って言っても、穀物ばかり食べてたわけではない
だろうし、とくに戦国時代は徳川時代に比べて獣肉類
とか気軽に食べてる人も多かったんじゃない?
何%くらい上乗せできるかな?
13日本@名無史さん:2001/08/19(日) 04:38

        ____________________
       ∩;;:    ⊂⊃ ヽ
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    ∩   ∪   ⊂⊃   ::::ヽ
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   ∪ // ∩   ⊂_ ⊃ _;;;;;|
  |  ∪ //         ⊂_二)
  | (//);;;∪    ⊂二二つ ;;;:;:;;;|
  //(∩;;:;          ⊂二つ;|
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  ヽヽ| |;;T「・]\~~~//__;;;;;;;;;∩;;|
  ヽ| |ヽ\ヽー’’;// ::::/「・」ヽ//∩>
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    \  //    //∪///;;//\_____
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  ∩  ヽヽ       _/ ∩   ∩|;;;;;;:::;;..       ;;;|
  ヽヽ  ヽヽ         //   ///;;;;;;::..  オアシス ;:/
 
  
14日本@名無史さん:2001/08/19(日) 07:19
2500〜3000万人ほどですよ。
15日本@名無史さん:2001/08/19(日) 23:19
>>5  日本と言う国と、当時世界に打って出た各国の人口・戦力も
  あわせて考えれば、語り尽くすに足る内容になりうると思うが。

 戦国版のほうのとあるスレにレスつけるために調べたのですが、
1590年代のヨーロッパ主要国の総兵力は、
 スペイン……20万人   ユトレヒト同盟(オランダ)……2万人
 フランス……8万人            イギリス……3万人
人口はイギリスが400万人ぐらいだったと思いますが、正確な数値はわかりません。

>>6
 確かに当時の日本の鉄砲の数は多いのですが、ヨーロッパは大砲がけた違いです。
以下も別スレに書いたことですが、


アルマダの海戦(1588年)のときの英西両国の軍備は、

     スペイン               イギリス

兵力     8050人(水兵)           15292人
      約19000人(陸兵)

船    ガレオン艦20隻            ガレオン艦98隻
     (内・大型6隻)           (内・大型2隻)
     武装ガレオン艦補助艦102隻       武装商船99隻
     ガレアス艦4隻
     ガレー船4隻

大砲     ペリエ砲326門             ペリエ砲 43門
      キャノン砲163門            キャノン砲 55門
     カルバリン砲635門           カルバリン砲1874門


 大砲の射程距離は、ペリエ(短距離)・キャノン(中距離)・カルバリン(長距離)。
結果は長距離砲を多用したイギリスが勝ちました。
 1隻あたりの大砲搭載数は船の型により違うので、詳しいことはわからないのですが、
だいたい少ないので5門、多いので40門前後のようです。ただし、搭載数が多いのは
船足が遅いそうです。
16日本@名無史さん:2001/08/21(火) 09:42
17日本@名無史さん:2001/08/21(火) 12:11
<<15
アルマダは、嵐に遭っただけと聞いたが。
スレチガイなのでsage
18日本@名無史さん:2001/08/21(火) 13:00
あの当時アジアの国力は他を、圧倒していたから、(米のおかげ)
アジアの国家は軒並み、列強だと思われ。
1915:2001/08/21(火) 13:23
>>17
スペインはイギリスに負けて逃げる途中で嵐に遭いました。
勝敗自体は大砲と船の差、作戦とかで決まりました。
もちろん嵐で被害が拡大したのは間違いありませんが。
2017:2001/08/21(火) 13:30
ありがとう
21日本@名無史さん:2001/08/21(火) 13:51
>>2
そんなに鉄砲があったとは。
やっぱり信長はすごいねえ。
それだけ早くから西洋に目を向けてたんだから。

当時の中国はどうなんだろう?
日本だけ?そんなに鉄砲を持ってたのは。
22日本@名無史さん:2001/08/21(火) 21:43
やっぱり大砲なしじゃ勝てないでしょ。
朝鮮でもそれで苦戦したし。
しかし大砲のコストパフォーマンスってどうなのかな?
23日本酒:2001/08/21(火) 23:27
人口の方だけど、

日本の人口は、江戸時代を通じて、約3000万人とされますね。
安土桃山時代はその直前の時代だから、似たりよったりかと。
2000万〜2500万程度かな?
中国でも、1660年あたりの人口が1億人を切る程度、と考えられて
いるわけだから、日本の国力はかなり大きなものだったといってよいのでは。


>>1 のように、石高のみでの類推もイイ線いってるよね。
へたすりゃほとんどドンぴしゃだし。
国力を石高で表わしていたというのも、当時としては
かなりセンスのよい考え方だったと思えるね。

軍事力としても、安土桃山時代というの日本は、世界最先端と
考えてよい、とするのが定説かとおもいますが、海軍力、
銃火器、兵士数といったものを、当時の一流国と
比べなければなりませんね。

当時の先進国ってどことどこだろう?

中国は誰も異存はないと思うけど。
西ヨーロッパ、中東、小アジアあたり?
24日本@名無史さん:2001/08/21(火) 23:33
米のエネルギーてすごいね・・・
25日本@名無史さん:2001/08/21(火) 23:48
明は6000万以上だから、それほど差は無い。(約三倍)
経済力の観点から見ると、商業の発達や、
世界有数の鉱山国だったのだから、かなり裕福だろう。

当時最強はオスマンなどかな、
西欧全部=オスマンぐらいじゃないかな。
2615:2001/08/21(火) 23:49
 人口および兵士数はいつの時代でもアジア諸国が圧倒的です。
米と麦の差は大きいね。一応ヨーロッパも人口が増加している時期では
ありますが、1千万人前後いそうなのはスペイン・フランスぐらいでしょう。
その分、日本の一人当たりの面積って……とはしみじみ考えてしまいますが。

 ただ海軍力と大砲の差は大きい。日本の地形の都合上、大砲の効率があまり良くなく
発展しなかったのでしょうが、海戦では銃撃戦に入る前に大砲で撃沈されてしまいます。
数千メートル飛ぶ大砲もでてきています。
27日本@名無史さん:2001/08/22(水) 00:14
人口が石高とぴったしというより、
石高で人口の概数を出してるのではないのでしょうか? 確か。
完全自給自足だから、食い物の量に人口は左右されますから。
慶長年間の太閤検地で1800万石。
ちなみに、江戸末期は2700万石。
確か鎌倉時代は600万から700万人ではなかったかなあ。
一度、資料を見た記憶では……。
28日本@名無史さん:2001/08/22(水) 00:44
>>26
武器の発達は地形条件を諸に受けるからな〜
日本の国土条件では、
騎馬隊、大砲、カタパルトなどの大型機械、
これらは、どれも使えない何処で戦争するかによるな。
瀬戸内の海賊の戦闘は、小型のボート(こはや?)で接近し乗り込むか、(かなり速いらしい)
火矢や焙烙で火攻めだから、外洋での海戦には向かないね。
小島の多い瀬戸内なら、勝てるだろうけど。
日本なら日本勝利、
外国なら外国勝利か、なんか詰らんな。
29日本@名無史さん:2001/08/22(水) 00:58
>>23
>当時の先進国
北インドも先進地域じゃないかな?
ムガール帝国がでかくなっていく途中の時期だし。
30日本@名無史さん:2001/08/22(水) 01:29
>>22
苦戦と言っても、日本の攻城戦で死傷者がほぼ同等だぞ。
白兵戦ではいうに及ばず。
まあ地形条件が日本に近いのも有利だったけどな。
31日本@名無史さん:2001/08/22(水) 01:35
 朝鮮出兵の死因は餓死や病死が多いかも。
作戦・補給のミスでしょう。人事も問題ありだね。
3222:2001/08/22(水) 01:40
>>30
朝鮮で白兵戦などほとんどなかった。
逃げた敵を追撃するのは「白兵戦」ではないよ。
誰だか忘れたが「鉄砲意外の武器は無用。鉄砲のみ送れ」
と国許に手紙を出した武将もいる。
3322:2001/08/22(水) 01:42
すまない、「鉄砲以外」のまちがいね。
3430:2001/08/22(水) 16:17
ゴメンナサイ白兵戦と野戦を混同してました。
野戦を白兵戦と表記しました。
だが、均衡が崩れての追撃戦も白兵戦ではないのですか?
35日本@名無史さん:2001/08/22(水) 17:04
朝鮮の亀甲船に鉄砲が効かなかったってのはほんとなの?
それで海戦に負けたとか。
36日本@名無史さん:2001/08/22(水) 17:26
亀甲船がどういう船か正確にわかっていません。
どっちにしろ鉄砲何かでは、日本の船も沈みません。
日本の戦術は、乗り込んで白兵戦か(勿論飛び道具OK)
火攻めだったので、この二つを無効に出来る船の可能性が高いですね。
それに正規の討伐隊は、殆ど負けてないかと。
李舜臣は補給船などを狙って、艦隊戦をしていました。
艦隊戦専用の艦隊からは、逃げていました。(この当りが名将だと思います)
最小の被害で、最大の被害を出した名将ですね。
日本の海軍が一方的に遣られていたと言うのは、言い過ぎですね。
慶長の役の時は、重要な補給線を奪えませんでしたし、
最終的には、李舜臣も討ち取っていますから。
3722:2001/08/24(金) 02:20
>>30
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=994041107&ls=50
こちらのスレッドでは「白兵戦」は「鑓合わせ」すなわち
鑓や刀など手持ちの武器を持った軍隊が正面から突撃し合うことを示すようです。
3822:2001/08/25(土) 00:36
http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/1997/199705.htm
ヨーロッパと日本の播種量について
39日本@名無史さん:2001/08/25(土) 00:50
>>38
アジアには、あの時代勝てんな。
印度がもしかしたら最強かも。
40日本@名無史さん:2001/08/25(土) 01:34
>>36
李舜臣って戦後も生き残ってなかったっけ?
41日本@名無史さん:2001/08/25(土) 01:39
>>40
慶長の役の最後、日本軍が朝鮮を撤退する際、
これを追撃しようとして、島津軍かどこかの軍の銃弾に当たって
戦死したと思います。
42日本@名無史さん:2001/08/25(土) 01:42
……
日本は狭いのぉ。
集合住宅がなかったにもかかわらず、この人口。プライバシーの概念が育たないわけだわ。
43日本@名無史さん:2001/08/25(土) 01:42
それにしても、当時の朝鮮海軍って、なんでそんなに強かったんですかね?
別に朝鮮が海軍国っていうイメージは全くないし。
当時の日本は、当時の西欧諸国には劣るにしろ、
多少は東南アジアとかに貿易船を出したりして、航海技術の水準は
そこまで悪くなかったと思うんだが。
44日本@名無史さん:2001/08/25(土) 01:42
李舜臣はタイミングが余りに良かったので、
暗殺説もあったような?
45日本@名無史さん:2001/08/25(土) 01:45
>>43
遠洋航海技術は無かったもよう。
それと李舜臣だから勝てたのでは、他の司令官では、
箸にも棒にも掛らなかったからね〜
46日本酒:01/08/27 06:00 ID:hIMJ/KnQ
1600年頃 1800万人(吉田東伍説)、1227万人(速水融)
47日本@名無史さん:01/08/27 11:18 ID://9vLxKw
1598年
18、999、558石(私が足して検算してないので多少下の位がおかしいかも)
歴史群像シリーズより。

この数字+隠し田や漁業や畑作なども当然ある。
実質2000万石クラスの国力は有るのではないだろうか?
ほぼ食料は自給していたので、2000万近くいたのでは?
少なくとも、1227万人ではないだろう。

動員兵力は50万軽く行くなあ。
装備や士気も十分高いだろうから、かなりの国力にならないかな。
48雄まん:01/08/27 11:59 ID:2H3CXOAc
>>25
オスマン帝国が当時の世界最強国でしょう。
大砲を採用して連戦戦勝を続け、広大な地域を征服。
このため西欧にも大砲が広がりました。
小銃しかなかった日本は朝鮮にも負けてしまった。
49U-名無しさん :01/08/27 14:57 ID:.AjAc4/c
戦国時代で人口減りまくるから想定よりも低く見積もった方が良いのでは?
50日本@名無史さん:01/08/27 18:08 ID://mKJnLM
>>49
あの当時は子供十人は軽く産んでました。
勿論幼児死亡率も高かったですが、人口は軽く増えます。
高齢者のの人口が少なく、子供の人口比率がかなり高かったでしょうから、
成長期以外大人よりも少ない、カロリーで済みますから、
石高以上に人口が居る可能性のほうが、高いと推測できます。

>>48
日本にも大筒は有りました。
大友氏等が保有していました。
ただ費用対効果を見る限り、小銃の方があの当時は有効でした。
それと日本軍は陸戦では、殆ど負けてません。
優秀な小銃の御蔭です。
51雄まん:01/08/29 06:56 ID:fuN7OCag
>>50
オスマン帝国の大砲開発は15世紀半ばに始まるから、日本より100年は進んでいたでしょう。
17世紀末ごろまでは陸戦では無敵で、西欧諸国はまったく歯が立ちませんでした。
日本でもまったく歯が立たなかったでしょう。
52日本@名無史さん:01/08/29 07:44 ID:fqRudV..
秀吉の死後に軍隊がちゃんと帰国できたのだから
制海権は日本側が概ね握っていたのだろう
53日本@名無史さん:01/08/29 08:13 ID:JfymvfjQ
>>52
そりゃ、そうでしょう。
慶長の役では李舜臣が位階戦功を剥奪されてて、その間
王朝水軍は一時壊滅状態になってたしね。

日本軍が撤退できたりも、ノリヤン海戦で大惨害を
受けながらもかろうじて、小西等が撤退できたに
すぎないんだしね。
李舜臣を倒したのもマグレに近いです(でも、彼も先頭の船のてっぺんで太鼓を叩いてれば狙撃されると思うんだけど)
54さち子:01/08/29 08:30 ID:loylVnHM
>>49
日本の戦国時代はむしろ、人口が急増した
時期なんですよ。
やはり、職が増えて日本の国内戦は非戦闘員に被害が出る
事が少ないからでしょうね。
5550:01/08/29 11:02 ID:NYXy.Y6c
俺は>>25だがら,
オスマン最強だと思うが、
費用対効果を考えると、あの当時はそれ程有効とは思えないが、
大砲一門作る費用で、何丁鉄砲が作れることやら。
そう言えば、大砲が炸裂式に成ったのは何年なのかな?
(当時の日本や明は、まだ炸裂式では無かった)

私がオスマンを押したのは、軍事力より経済力であり、国力なんだ、
レパントの海戦に破れても、それを回復できる国力はすさまじい。
第二次大戦のアメリカみたいなもんだ。
56日本@名無史さん:01/08/29 22:25 ID:pm0zMJ3A
とりあえず、
経済力>軍事力
日本の経済力は、どれほどの物なのか?
57雄まん:01/08/30 01:24 ID:wtQEWuDY
>>55
1514年にセリム率いるオスマン軍が、チャルディランの戦いでイスマーイール率いるサファビー朝の不敗の騎馬軍団を破り、
三大陸にまたがる大帝国への道を開きました。数万のサファビー軍が騎馬軍団だったのに対し、12万ともいわれるオスマン軍は
騎馬隊のほかに小銃隊・砲兵隊からなっていて、集中砲火を浴びせたといいます。長篠の戦いより60年も前のことです。
(小銃・大砲の正確な数は知りませんが)


>経済力・国力
もちろん経済力があって、常備軍を整備できたからこそ最強になれたんでしょうね。
西欧の兵がイェニチェリの太鼓の音を聞いただけで恐怖感を覚えたということですが。
58雄まん:01/08/30 01:50 ID:wtQEWuDY
http://www.ucalgary.ca/HIST/tutor/islam/empires/safavid/chaldiran.html

↑によるとオスマン軍:サファビー軍=10万:4万で、
オスマン軍はマスケット銃のほかに、カノン砲200門・臼砲100門・その他の野戦砲を備えていたようです。
59      :01/08/30 02:46 ID:hXB/Wj2M
戦国時代末期から関が原にかけての日本は世界最強。
徳川幕府が鎖国をしなければ、今ごろオーストラリアとアメリカ大陸は日本の領土。
秀吉でなく信長だったら、常識的に考えてごく短期間のうちに
朝鮮・明をほろぼしてヨーロッパまで制圧していただろう。

と某有名な歴史学者(大学教授9)が司馬遼太郎との対談で
言ったとゆう話をこの間、本で読みました。
60日本@名無史さん:01/08/30 02:53 ID:tv7wl37c
>>59
過ぎ去った夢だね
多分日本はこのままジリ貧で江沢民の言うように二十年後は滅びてチベットみたいになってるんだろうな
61日本@名無史さん:01/08/30 11:00 ID:xrDsvEPU
>>58
見れないのですが???
62日本@名無史さん:01/08/31 00:53 ID:ZXzUeH2s
>>57
信長の長篠でやったのは、三段撃ちではなくトーチカ戦術に近い戦術だったもよう。
戦国最大の鉄砲大名(?)は鈴木かな。
一人一丁分は所持し、射撃は鉄砲の方を何人かで弾込めし連続射撃したもよう。
この上記の二つは学説に過ぎないので、間違いの可能性があります。
大砲の費用対効果は分からないが、どちらも十分有効だったと見るべきかな。
どちらの場合も兵数にかなりの差が有るので、断言は出来ないが。

おそらく日本で大砲が受け入れられなかったのは、地勢条件が大きいでしょうね。
日本野山がちな土地では、大砲の運用が出来なかったのでしょう、
それと後は、鉄の使用量だと100倍は掛るのではないかな。
鉄の産出量はかなりあるから問題は無いが。
まだ新兵器に過ぎなかったのを、
どちらの国も大量運用し近隣諸国を圧倒したと見るべきかな。

日本の国力は中々有るようだ。
前出だが鉱山大国だからね。
石見銀山のみで、銀の産出量を最盛期には、全世界の3割も占めていたらしい。
それ以外の鉱山も多くあるので、恐ろしい財力だろう。
もう少し貨幣経済が、近隣諸国で流通していれば、為替相場で破滅させられる。
アヘン戦争みたいだな。
63日本@名無史さん:01/08/31 04:12 ID:NagOJo.E
>>50
>あの当時は子供十人は軽く産んでました。

大名や、その宿老級はともかく、普通の武士や足軽・農民層がそんなに子沢山
だったとはちょっと思えないんだが。
割と信用に足ると思われる、武士の家系図からの推測だけど・・・。
「子供十人は軽く産んでいた」というのは何か根拠があるのだろうか?
64日本@名無史さん:01/08/31 13:13 ID:1CSwU23U
>>子供十人は軽く産んでいた

これは嘘だと思うよ。だって産褥の数が物凄い。子供を産むってのは
当時すごい危険な行為だった。10人生む女がいる一方、初産で
死ぬ女も多かったのだから、平均でそんないくわけないよ。
65日本@名無史さん:01/08/31 13:47 ID:MD7Rkybs
流石に平均ではないです。
40〜50歳まで生きた人は、このくらい生んでいたって事です。
勿論生まれた子供の約3割は、すぐに死んでしまいますが。

≫武士の家系図からの推測だけど・・・。

農民のは、江戸末期からの情報しかないですね。
その時の情報では、偶然の一致かもしれませんが、
十人以上生んでいます。
初産で死んでしまった人の家系図などは、後妻の人の家系図になり、
残りませんから、そうなったと思います。

平均して10人行くかどうか分かりませんが、
三男、四男居るのはそんなに可笑しくありません。
女子も当然ほぼ同数居ます。
幼児死亡率も江戸期でも、2、3割はあったので、逆算すると10人前後いきます。
あの時代は、日本の戦後と同じで、産めよ増やせよの時代なので、
子沢山は、可笑しくありません。
66日本@名無史さん:01/08/31 19:24 ID:RdLnLwFQ
>>65

でも、それだけ生む気があった、てのはホントとして、それをサポートする
生産性があったのかな?

俺の父親の実家は群馬県だが、昭和になっても!!、新生児の間引きは
公然の秘密だった、と言ってたよ。つまり、生まれても生産性が低くて
育てられないわけで、公権力もしかたないので見てみぬ振り。

江戸中期までには開墾ラッシュとかあって生産性は上がったが、
それ以前の時代で、万人が10人も子供作ってそれを土地が食わせられるか
疑問な気もする。半分ぐらい死ぬことを見越して、って事なら判るが、
その場合、結局「平均して4、5人」という方が実情にあってる気もするし。

ま、素人考えなので、強くは論じないけど・・
67日本@名無史さん:01/08/31 19:54 ID:5q484N5U
>>2
なっちももやま時代のスレに書くんじゃない?
68日本@名無史さん:01/09/01 00:42 ID:BnUeT84w
>>66
≫新生児の間引きは
姥捨て山やこの手の事は有ったと思います。
今に比べて避妊思想も余りありませんでしたから、生んでからどうしょうかと、
悩むケースの方が多かったと思います。
食わせられたら育てる。
出来なければ、年寄りか新生児を処分する。
今から考えるとかなり危険思想ですね。

≫江戸中期までには開墾ラッシュとかあって生産性は上がったが

開発ラッシュが始まったのは、安土桃山時代からですよ。
太閤検地と、慶長の検地では大分、石高の増加が見られます。

≫その場合、結局「平均して4、5人」という方が実情にあってる気もするし。

実際に40〜50まで生きたのは、そのぐらいでしょうね。

それと人口増加は、生物の種族の保存本能に、近いのではないかとも思っている。
生活に危機意識が合ったほうが、人口が増加すると、私は睨んでいる。
疲れマラ見たいな感じかな。
69雄まん:01/09/02 00:56 ID:f7Kew8cQ
>>61
すみません。googleで見つけたので古いアドレスのままだったようです。
↓で見れます。
http://www.ucalgary.ca/applied_history/tutor/islam/empires/safavid/chaldiran.html

>59の大学教授は漫画の読みすぎですか(笑。
日本人にとって西欧以外が盲点になるのは仕方のないことですが。井の中の蛙ですね。
西欧がオスマンに歯が立たなかったからこそ、喜望峰の迂回航路を"発見"してアジアに到達したんですけどね。
7063:01/09/02 01:16 ID:zH3pzDV2
>>63
>流石に平均ではないです。
40〜50歳まで生きた人は、このくらい生んでいたって事です。

戦国時代に?
だから出典がなんなのか教えてくださいよ。
江戸時代末期と戦国期が同程度の出産率だと考えてるわけ?
だったらその根拠も言ってもらわないと・・・。
ちなみに知りうる限り、江戸時代末期でも、武士階層でも農民層でも出産数が
10人に及ぶようなことはむしろ稀だったと思うよ。
維新期の世帯別人数なんか見ても、大抵4〜5人ぐらいだもの。
老人と同居であった当時の家族事情を考えれば、(たとえ老人に早死にが多く、
乳幼児死亡率が高かったことを考慮に入れても)子供はせいぜい2〜4人が
ほとんどではないかと思う。
極端な多産になったのは明治以後でしょう。
71日本@名無史さん:01/09/02 02:05 ID:V5jmyBHE
もし、戦国時代に火縄銃型の大筒に使う
玉が鉄球じゃなく火薬の玉だったら
もう、それこそ地球最強だっただろうな。 
72雄まん:01/09/02 02:29 ID:f7Kew8cQ
↑漫画の読みすぎ
73雄まん:01/09/02 02:41 ID:f7Kew8cQ
>>71
それって、ただの「花火」では(w
7471:01/09/02 02:59 ID:kUzrLjXA
でも火縄銃型の大筒はあったでしょ。
鉄球も実際、城攻めに使ってたというし、
江戸時代にはたくさんの流派も発生した。
火薬の玉が作られていたらバズーカ砲の
ように使われて、数ですごい戦力になった
と思うのだが。持ち運びにも楽だし。
75日本@名無史さん:01/09/02 06:10 ID:1.CkE1hM
>>71,74
それって、火薬の使用量と敵兵への命中率を考えたら、単なる「火薬の無駄遣い」では?
76さち子:01/09/02 07:55 ID:Rr2lwm96
ですから、このサイトを見ていたたければ、わかるように、
戦国期の日本の人口ならびに食料生産は倍増というくらい
に急増しています。
原因は戦国大名の一円支配や富国強兵策もさることながら
、民衆レベルでも非常に活気と上向き試行があり、活性化
していたのが原因ですね。
77日本@名無史さん:01/09/02 08:14 ID:75p6pvAE
>上向き試行

上昇志向ってこと?何によってそういう志向があったと証明される
わけですか?
言うまでもなく、そういう人間がいたかどうかではなく、人口激増の原因に
なるようなレベルで、一般民衆の中にそういう志向があったという、その証拠
がなになのかお訊きしているわけです。
78さち子:01/09/02 08:16 ID:Rr2lwm96
戦国期に日本がこれだけ人口が急増し経済成長した原因はですね。
時代が変化して、それまで守護大名や荘園制など土地に
縛りつけられていた、農民でも職人や商人、そして
何よりも足軽になってのし上がることができる点ですね。
伝承とはいえ、秀吉など貧農からのし上がったことになってますし。

さらに、当時の大名の両国経営には経済成長が不可分で、
土木工事や開墾などは必須で仕事が多量にあったわけです。
それと、合戦による多種多量な産業の発展です。
まあ、人がいくら居ても足りない程の状況だったわけです。
79さち子:01/09/02 08:18 ID:Rr2lwm96
あっ、すいません。
肝心のサイトを書き忘れです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~saql/saql/2.76.005.htm
80さち子:01/09/02 08:25 ID:Rr2lwm96
>>77
「上向き試行」はたしかに誤字です。
そのように解釈してください。
それと、わたしは記名以外では書いてません。
8177:01/09/02 08:58 ID:W4rPClfw
いや、下克上だの秀吉の出世だのはもちろん知ってますけど、
それが人口増加と結びついている(といっているわけだから)、その理由を
訊いているわけですよ。解釈もなにも、理由・根拠が述べられていないじゃないですか。
思い込みでモノを言ってませんか?
82日本@名無史さん:01/09/02 09:58 ID:aqY4uU9s
身近な参照例 戦後の組織の抜本的改革と朝鮮戦争による
内需拡大。人口も増加しましたし、経済も発展しましたな。

 歴史を学んでいる人間ならこういう事例はかなり見つけられるよ。
8377:01/09/02 10:32 ID:Kh5MRtec
別に否定はしてないんですよ。
ただ、いったい史書のどこにそんなことが書いてあるのかと思ってね。
ほかの時代がどうだから、というのはまた別の話でしょう。
下克上や秀吉の出世が人口増加の原因だったという理由をしりたいだけです。
昭和時代に下克上があったわけでもないし・・・。
84日本@名無史さん:01/09/02 11:17 ID:6KPJQH3w
>>70
この文章は少しというか大分おかしいね。
戦国時代当時の医療水準では子供の数が2〜4人では人口急増はおろか、維持すらおぼつかないでしょうな。
やはり、5.6人は産んでいたのではない?

>>83
あなたが70さんと同じ人かは知らないが
あなたのツッコミは少しズレているんじゃないですか?
そういう、おかしな受け取り方をしなくても、
ようするに戦国時代は社会が活性化して、働き手の要求が増えたから人口が増えたというような意味でしょうな。
江戸時代に人口が停滞したのは
百姓が子供を産んでも働き口がなく、負担になるばかりなので間引きされたのでは?
8584:01/09/02 11:22 ID:6KPJQH3w
>>83
ついでに言うと、こういうのは
「この史書の何ページにこう書いてありました」
とかいうのではなく「研究」の部分でないの?
8677:01/09/02 11:41 ID:oFvLtfv.
>>84
70さんとは違いますが、あなたは10人説を唱えてる人?
5〜6人でもいいけど、江戸時代末期を以ってうんぬん、という考え方のほうが
よほどおかしいでしょう。他の時代を持ち出してどうして戦国時代の事象が
証明できるのか???
で、私の言ってることがなんでズレてるんですか?受け取り方がおかしいのでは
なくて、それは話の摩り替えでしょう?「さち子」さんは人口急増の原因として
たしかに下克上や秀吉の出世の影響をあげているのであり、そこにツッコミを
入れるのがどうして「ズレている」ことや「おかしな受け取り方」になるのか?
「ようするに」なんて手前勝手な総括はやめてくださいよ。「さち子」さんでも
ないのに・・・。憶測でモノを言ってるだけなんでしょ。
江戸時代だって260数年すべてを同列には論じられないし、いわんや江戸時代
や昭和の事象から戦国を論ずるなんて横暴にすぎると思うが?
8768:01/09/02 11:59 ID:ft.Myn.U
>>70
江戸中期や後期の出生率はそんなもんだと思いますが、
江戸末期や明治期の出生率は40〜50歳まで生存していれば10人前後生んでいた。
人口の低下している、江戸中期から江戸末期までの資料で論じていません。

人口の増加とは必ず要因があります。
都市や農村では深刻な労働力不足ですので、人口の増加は歓迎されます。
またある意味最も進んだ地方分権なので、自分の領土の国力増加にどの大名も、
躍起になっています。中央集中の国家と違うところです。
なお石高の増加等を見ると分かる通り、
江戸中期までに、石高は1、5倍に増加しております。

日本では戦国期や、その動乱からの復興期、この時代に人口とは爆発的に増えて行きます。
というより、この時代のみに人口増加の殆どは有る、と見た方が普通ぐらいです。

≫ほかの時代がどうだから、というのはまた別の話でしょう。

大名など家系図などをお持ちなら、戦国期に10何人も子供がいたのに、
江戸中期から江戸後期に掛けての、出生率の低下に、気が付くはずです。
それと同じ、曲線を描くと考えております。

ですから他の時代との対比の、説明が普通ではないですか、
人という性質は、そう簡単には変わらないと思います。
身に危険があれば、子供を多く産む、
危険が無くなれば、子供の産む量が低下する。
この認識は、何も日本だけの事でもないような気がします。
中世では中国も、安定期にはそれ程の人口増加はありません。
争乱が、終わった後に爆発的に増えています。
(資料の正確性に疑問も有るので、断言は出来ません)

私の私見も入っていますが、争乱の末期、争乱からの復興期
この二つの時代は人口増加が、必ずあります。
これは、歴史的よりも生物的かもしれません。
ひょっとしたら、今の時代は開拓期かもしれませんね。
88日本@名無史さん:01/09/02 12:04 ID:yrf6EQIQ
戦国時代の人口統計ってどれくらい信憑性あるの?
戦国時代でも時期によってとか方法によってとか数字なんてかなり変わってくるん
じゃないの?

実例で言えば、後漢の頃の人口推移などは群雄割拠になってから激減している。
これを素直に受け取れば激しい戦乱状態だったといえるんだろうけどただたんに
全国単位統一規格での短期集計がとれなかっただけともいえる。
また朝鮮総督府の人口調査も初期の頃は交通事情などにより信憑性が低いとされて
るよね?
89日本@名無史さん:01/09/02 12:14 ID:n2.W41Ew
しかし、なんで、「伏見大阪時代」でなくて「安土桃山時代」なんだろう?
9068:01/09/02 12:15 ID:ft.Myn.U
>>88
日本の戦国時代の人口統計あるんですか?
石高なら大体有るんですが。

中国の戦国時代なら、動乱期調査の信憑性は有りませんね。
ですかその後の、安定期に入っても人口増加は余りありません。
私は動乱期の資料は余り当てにしていません。
安定期なら、ある程度の信頼をしていますが。
ですから、断わっています。
91日本@名無史さん:01/09/02 12:16 ID:HcaEsmaU
明治以降は、東京時代になるのかね?
9268:01/09/02 12:32 ID:ft.Myn.U
う〜ん思い付いたまま書いてるから、
後から見ると、日本語が変でスイマセン。

取り合いず私は、10人前後産んで、成人するまでに2、3人死んで、
50までに更に、2、3人死んで最終的には4、5人しか生き残らない。
こんな考えを持っています。
93日本@名無しさん:01/09/02 17:43 ID:3wrG4YG2
>>89
伏見大阪って・・・信長を忘れてるの?
信長の時代の象徴が安土城、秀吉の時代の象徴が桃山城。
安土大坂時代というなら意見としてまだわかるが。
ひょっとして、桃山城が伏見城の事だって知らないとか?
94日本@名無史さん:01/09/02 18:07 ID:yrf6EQIQ
人口調査とかで話はそれてしまいそうですが、江戸時代の人口の資料として
お寺の台帳を元にしているという話をどこかで聞いたと思いますがどなたかご存知
ですか?

私のうろ覚えが正しいとして、それって戦国時代にはなかったんですかね?
95さち子:01/09/02 18:58 ID:rHx2e0Po
秀吉とか下克上という言葉は勇み足でしたね。すいません。

ただ、わたしが言いたかったのは人口が増えたのは
為政者の政策や要求だけではなく、民衆の間でも、
必要とされたからだということです。
96     :01/09/02 20:24 ID:w3BfYdsY
97日本@名無史さん:01/09/02 22:01 ID:FjlhLaDI
98日本@名無史さん:01/09/02 23:24 ID:Yat.7jAc
仮に安土桃山から平均で4−5人の子供が生まれつづけた、と
仮定すると、単純な計算でも日本の人口は一世代ごとに大幅増、江戸時代
末期には膨大な人口問題を抱えていた計算になる。ネズミ算みたいなもん。

事実はしからず、なので(幕藩制の停滞で人口減が起こっているところも多かった)
出典がどうこう、以前に初等数学的に疑問があると思うんだが。

ただ、農民に8−10人の子供、みたいな現象があったのはその通りだから、
その裏に膨大な独身人口、産褥死、病死、早世、などなどがあった、という
ことなんじゃないか。
99日本@名無史さん:01/09/02 23:34 ID:MweBvVig
>97
これは茨城県の歴史好きにはメジャーなページだね。

それと>>93さん。
知ったかぶりで人を馬鹿にしてはいけない。
安土桃山時代は後世に作られた言葉・概念です。
89さんは「安土時代」が果たしてそれまでの戦国・室町時代と
一線を画して論じられるべき時代であるのか、
という疑問を投げかけているのかもしれない。
実際安土が日本の政治・経済・文化の中心地として
機能したかといえば、微妙なところなのではないか。
伏見や大坂なら文句無しだが。

以下は引用。
http://www.hpmix.com/home/southyama/C12_2.htm
5 『桃山時代』の不思議
「桃山」というのは、太閤秀吉の伏見城趾(木幡山)に
木を植えたことから後世についた名前です。
鎌倉・安土・江戸というように、
その当時の政治・文化の中心地を名称にするなら
桃山時代・桃山文化ではなくて
伏見時代・伏見文化というべきではないでしょうか?
歴史の教科書や年代表もみんな伏見に直していただきたい!
10070:01/09/03 00:40 ID:EYKShMJY
>>84
2〜4人というのは、戦国期の話ではなく、幕末・維新時の話(平均・・・それも
個人的な推定)です。曲解です。

>>85
>江戸末期や明治期の出生率は40〜50歳まで生存していれば10人前後生んでいた。

前述したとおり、江戸末期の庶民において、10人前後も産んだ家庭が少なからずあったとは
ちょっと考えられません。維新時の世帯別家族数が決して多くないのだから、そんなに
産んではいなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか?
40〜50まで生きるのが稀であったならば、家族数の平均値を押し上げることもない、という
理屈も成り立ちましょうが、事実としては、乳幼児死亡率が平均寿命を低くしていたという面が
大きく、成人まで生きていれば、多くの人が40〜50歳まで生きていたのではないでしょうか。

>大名など家系図などをお持ちなら、戦国期に10何人も子供がいたのに、
江戸中期から江戸後期に掛けての、出生率の低下に、気が付くはずです。

いや、それこそ、江戸中・後期でも、大名が40〜50歳まで存命であれば
10数人の子女をもうけた例は決して少なくありません。「寛政譜」などを
見て言っておられるのかもしれませんが、あそこには記載されてない子女というのも
多いのです。大名家相伝の系図などと比較検討すればわかることですが。

>それと同じ、曲線を描くと考えております。

大名などの特殊な階層は、一時代の人口の変遷を調査する上での資料としては
適切ではないと思います。経済背景がまるで違うわけですから。

>ですから他の時代との対比の、説明が普通ではないですか、
人という性質は、そう簡単には変わらないと思います。

そういう、雰囲気だけで発言されただけなのですね。何かの統計的根拠が
あるわけではなく・・・。別の時代との対比で説明がつく、というなら、
そのこと自体の統計学的証明が必要でしょう。
101さち子:01/09/03 08:12 ID:915IoNCw
少し恥ずかしい話題ですが・・・
女性が十人程も「出産」したというのはまんざら
ウソという事はないのかもしれませんね。
というのは当時は間引きが非常に多かったんですね。
そして、夫婦の営みが現代(週二回とか)とは比べものにならない程、盛んでした。
それは単に当時は娯楽がなかったのと夜は光源も高価だったし、
日が暮れたら寝てしまうのが普通だったわけです。
当然、貧乏人の子だくさんになってしまうわけですね。

回数が少なく避妊の発達した現代ですら、
女性の四人に一人は中絶経験者だというんだから当時の間引きは相当なものだったでしょう。
それで、当時も怪しげな堕胎薬もあったそうですが、大概は間引きだそうです。
フロイスの記録によると「日本では堕胎はきわめて普通のことで、なかには二十回も堕ろした女性がいるほどである」
と示しています。
方法も具体的に記していて「みんな喉の上に足をのせて殺してしまう」んだそうです。
102日本@名無史さん:01/09/03 18:17 ID:czPyFNBI
なるほど
103日本@名無史さん:01/09/03 18:22 ID:1OGIO5Bc
>>101
説明不足。
104日本@名無史さん:01/09/03 18:44 ID:czPyFNBI
>>103
具体的に説明できないでしょ。
こういう事は
105日本@名無史さん:01/09/03 21:43 ID:krbj09Sg
ヨーロッパでは近代まで庶民のセックスは
昼間に行われるのが普通だったらしいですね。
理由は当時はひとつのベッドの上に
家族全員で寝るのが珍しくなかったからだそうです。
寝台が空いているうちに・・・ってことですね。
だから
>夫婦の営みが現代(週二回とか)とは比べものにならない程、盛んでした。
>それは単に当時は娯楽がなかったのと夜は光源も高価だったし、
>日が暮れたら寝てしまうのが普通だったわけです。
ほんとうですか、これ?(w
106日本@名無史さん:01/09/03 22:12 ID:Q5K5QzbQ
人口は穀物の総生産量の分だけ増える。それだけのこと。
当時は穀物を輸出しないから国内だけで消費していたからね。
戦国から江戸時代初期にかけて耕作地が倍増して、同時に人口も倍に
なっている。
出生率はあんまり関係ないです。隣国の朝鮮なんぞ李氏朝鮮時代は
1000万いなかったのに100年後の今は南北合わせて6000万半ばだ。
10768:01/09/03 22:21 ID:MGvmUcNA
>夫婦の営みが現代(週二回とか)とは比べものにならない程、盛んでした。
>それは単に当時は娯楽がなかったのと夜は光源も高価だったし、
>日が暮れたら寝てしまうのが普通だったわけです。
ほんとうですか、これ?(w

曾爺さんや曾婆さんに聞いたら、同じ事言うと思うよ。
全てではないが、田舎の家ではそんな感じの家がが多い。
108938:01/09/04 00:15 ID:gMNrl1k2
秀吉は朝鮮と明を四国や九州と変わらんと考えてたそこが敗因、信長は明を別格みたいに思い憧れてた天守閣のある城は元々明をモチーフにしたしね、「天下を統一したら艦隊を明に派遣したい」とまで言ってる、秀吉みたいに攻める事は無かったろうな。関係無いのでさげとく
109日本@名無史さん:01/09/04 01:43 ID:yZr9tnMM
だからさあ、下剋上の風土のために庶民にも子供をたくさん産む意欲があった
というのと同じで、夫婦の営みがさかんだった、というのも一見もっともっぽい
んだけど、なにを根拠に言ってるのかわからないんだよねえ、さち子さんの話は。

>というのは当時は間引きが非常に多かったんですね。
そして、夫婦の営みが現代(週二回とか)とは比べものにならない程、盛んでした。

教員免許を持ってるからかなんか知らないけど、さも当然のように断定的な書き方を
してくれているわけだけど、根拠を示しなさいよ。

107(68)は、また同じことを書いてるね。

>曾爺さんや曾婆さんに聞いたら、同じ事言うと思うよ。

戦前や明治・大正の事情が戦国期にもそのまま敷衍しうる、と当然のように
きめてかかっているわけだけど、そういう論理構造の杜撰さについては
既に指摘されてるのに、まだわからんのかね、この人は。

当時の資料によって判断するのが当然だろう。そうでないのなら、自分の推測・
妄想だと断って書けよ、断定的に書きなさんな。
110日本@名無史さん:01/09/04 02:33 ID:0jUx2LqA
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422
立命の星、これが田中洸人
111日本@名無史さん:01/09/04 04:01 ID:Lj7WS.3M
>>109
今回はルイス・フロイスの記録という
根拠を示しているのでは?
それと間引きの記録や伝承は日本全国にありますよ。
今回ばかりは貴方の論旨がおかしいですね。
112日本@名無史さん:01/09/04 04:56 ID:yZr9tnMM
>>111
俺が疑義を呈している(というか根拠は何なのか聞いている)のは夫婦の
セックスの回数に関する断定的な発言に関して。
間引きそのものならフロイス以外でもいくらでも記録は残っているし、
そんなものを否定するはずがないだろうよ。常識で考えろ。
ただ、間引きの存在は、性交渉の回数の多さと必ずしも正の相関を示さないはず。
回数少なくたって子供は産まれるだろうに。
つまりフロイスの記録なんぞはセックスの回数の証明にはならないだろう。
113日本@名無史さん:01/09/04 06:48 ID:K9vdtCFk
>>112
今回は貴方がおかしいと思うよ。
娯楽の無い時代や地域ではセックス回数が増えるのは
良く言われる事だし、少なくともさち子さんの論理は
今回は筋が通ってるよ。
下克上(論理的説明ができない)
性交回数(論理的に筋が通ってる)
二つは全く、別のものだよ。この意見は一つの意見として
拝聴すべきだろ。それを下克上とか古傷を持ち出して非難
するのはどうかな?
あと、間引き回数は性交の多さにある程度、比例するとは
思うけど?

それと、さち子さんは色眼鏡かけられてるみたいだし、
もう、コテハンは使わない方がいいよ。
114日本@名無史さん:01/09/04 07:05 ID:K9vdtCFk
それと、このスレを読見直してみて「出生率の少ない主
張側」の戦法が良くわかったよ(彼らが意識してるかは知
らないが)。
「出生率が多い側」は保守的な定説だし、決定的でない
までも、いくつか論拠や資料を示しているのに対して、
「少ない側」はそれらの論理や不備を批判してるだけ(はぁ〜)

例えば
明治の状況や他の発展事例ー必ずしも同一視できない
戦国時代に人口が倍増した−資料価値が低い
娯楽が無く夜が長かったなどの論理−論理への批判

あのさ、批判とか荒探しなんて簡単なんだよね。彼ら
に抵抗したいんだったら自分達もはっきりした出生率
が少なかった史書とか、人口が増えて無かった史書と
か示さないと対等でもなんでもないんだよ。
それを憶測とか妄想なんて偉そうに自分を持ち上げ相
手を非難するのは大誤りですね。
あなた方方が十倍は憶測や妄想だと思いますが?

というわけで、現時点である程度の論拠を持ち、論理
性がある「出生率の多い側」圧倒的優勢ですな。
次回からは必ずあなた方の資料を示してください。
そうして論議しましょう。
そうで無い限り「多い側」の圧倒的勝利で終了ですな。
115日本@名無史さん:01/09/04 07:29 ID:CQYQhEZE
さち子さんの意見に反論する人間のほうが色眼鏡で見られているとしか思えんね。
擁護するのなら論理的な擁護をしなさいよ。

>娯楽の無い時代や地域ではセックス回数が増えるのは
良く言われる事だし、

そういうことがありえないとは言っていないんだよ。ただ、この人は
「そして、夫婦の営みが現代(週二回とか)とは比べものにならない程、盛んでした」
とまで、つまり見てきたかのような断言をしているわけだ。その自信の根拠は
なんなのか?(このレスに限らず)と聞いているわけだよ。
あなたが言ってるような一般論(しかもその一般論は果たしてどこまで根拠の
あるものなのか?)からだけでは、こんな断言はできないだろう?
下剋上が古傷(きのう一昨日の真新しい傷のはずだが)だというが、同じ構造の
思い込みなのではないかと疑問を持ったので聞いてみたいだけなのだよ。
もし、性交渉が盛んだった事実が本当なら興味深いから出典を教えて欲しいしね。
間引きの多さと性交の多さは比例する?だったら納得できるような説明をしてくれ。

それと、少なくとも俺は、「出生率の少ない主張側」なんかではないぞ。
あえて言うなら「そんなこと軽軽しく決め付けられないだろう派」(藁)だよ。
論拠や資料を出してる?出してないから文句を言ってるんだろうが。
俺はなにも断言なんかしていないのだぜ。証拠もなく断言している人間を
批判しているだけで。「圧倒的勝利」だ?お笑いだね。
あんたみたいなのを被害妄想と言うのだよ。
116日本@名無史さん:01/09/04 09:14 ID:J.8ubDOE
>>115
二十回も子供を堕ろしたのなら、当然やりまくりだなあ、
あまり、やってないのに二十回も堕ろしたとは思いにくい
です。
それに、百姓たちが子供が産まれるからセックスを控えよ
うと思ったりするとは思いにくいです。
昔の娯楽もない長い夜ではやりまくりと考えるのが自然で
すね。
明治の証言もありますしね。
ただ、たしかに絶対的証拠まではいかないですね。
さち子さんもそうだろうけど。

しかし、
戦国時代−石高・人口が増えた
間引きが多く、出生率が高い
平均寿命にすれば三十程度といったことを考えれば
出生率が少ないというのはあまりにも非論理的です。
当時の医学水準では2〜4人では人口維持も無理で
しょう。
往来の説どおり、5.6人くらいが合理的に考えら
れますね。

あと、歴史には推論や論理も必要ですよ。
断定口調もいけないでしょうが。
117うーむ:01/09/04 10:35 ID:c2wxJoxU
娯楽がなく、夜にすぐ寝てしまう時代や地域ではセックス回数が増えるのは
わりと、良く聞く論理だ。
私も、高校時代に途上国の人口の質問で教師に話された。
また、フロイスの記録や戦国の人口増加の話を聞く限りでは、説得力のある意見・説だとは思う。
しかし、当時の夫婦週平均セックス回数の記録なんてのがあるわけもなく、
その部分では確定証拠はないと思う。

>>夫婦の営みが現代(週二回とか)とは比べものにならない程、盛んでした。

ただ、このくだりそのものは、ほぼ絶対正しいでしょうね。
現代の性行為を検索で調べると、日本の週平均回数は夫婦でも1.28
全体では年に38回と欧米の三分の一以下、結婚や子作りが当たり前だった、
日本の昔がこんなに少ないとも思えんしね。
「盛んだった」はセーフでしょう。
ただ、最近の日本のセックスレスの風潮は時代的、世界的に見ても
異常だから、比べるのもおかしいかもしれんが。
118うーむ:01/09/04 10:40 ID:c2wxJoxU
それと、話しが段々きわどくなって来た。
自分で言い出した話しとはいえ、
29歳処女(恋愛体験も無し)のさち子さんに
配慮してやれよ。
119日本@名無史さん:01/09/04 11:02 ID:wKJYr7M.
>>往来の説どおり、5.6人くらいが合理的に考えら
  れますね。

10人って話はどこにいった?それに2〜4人というのは戦国の話
ではなく、江戸時代の話だと書いてあるんじゃないのか?
120うーむ:01/09/04 11:07 ID:c2wxJoxU
私は>>117で初登場ですがね。
十人って言ってる人は>>116は別の人なのでは?
それと、江戸時代で2〜4人は人口維持に苦しいのでは?
もっとも、間引きや乳幼児の死を省くならわかるんだが。
121日本@名無史さん:01/09/04 11:58 ID:S4/ymymo
間引きを出産に入れるかどうかが問題ですね。
コンドームも無い時代に自然で小数の子に抑えるのは
難しいし、かなりあったんでしょうね。

あと、疑問があるので誰か答えて欲しいですよ。

問い 間引きは農民のイメージがありますが、庶民や下級武士にもあったんですか?
122日本@名無史さん:01/09/04 12:03 ID:S4/ymymo
庶民っておかしいな・・・
町人(商人・職人など)のことです。
あるいは被差別民や旅芸人、隠れて女性を囲っていたと
言われる宗教者は間引きをしてたのか?
知りたいです。
123日本@名無史さん:01/09/04 15:23 ID:qa2ano6c
間引き・堕胎を出産に勘定したところで、そんなのどれぐらいあったか
わからないんだから、意味ないんじゃないの?
10人産んだと言ってる人も間引きまで含めた数字じゃないんだろう?
というか、含んでいるのだとしたら、どうやって算出したんだ?
124日本@名無史さん:01/09/04 15:43 ID:t66we3t6
>>123
あなたはあまりに懐疑的なんですよね。
残念ながら、戦国の人口増や出生率には確実性がない、
しかし、状況証拠や乏しめの資料から
推測するのも大切なんじゃないの?
それにあなたは前にも言われた通り、
他者の根拠や論理を批判するばかりで自分の意見を
なんら、述べてない。

ようするに、あなたの言いたいことは
どうせ、確実にわからないから、どうこう言うな
と言いたいのかな?
125日本@名無史さん:01/09/04 15:54 ID:t66we3t6
>>79のHPを見る限りでは、
戦国初期から江戸初期にかけて
日本の人口・耕地面積は三倍増したんじゃないの?
だったら、戦国時代だったことや平均寿命の短さ
もあいまって、多産は納得できます。
126日本@名無史さん:01/09/04 16:17 ID:Zf.cXbPw
うーん、このHPの数字はオーバーでは?
17世紀の人口は3000万まではいなかったと記憶してます。
16世紀は1000万台ではあっただろうけど、せいぜい倍増では
ないでしょうか?
12768:01/09/04 21:33 ID:9pUYnBrs
>>123
私の考えは間引きまで含みません。
ただし、育てられない時は容赦無く、処分していたのではないかという事です。
おそらく産んでから考えたか、妊娠してから堕胎させたかだと思います。
初産ではなかったら、前者の方が安全ですから前者ではないかと思います。
少なくとも避妊思想は無かったと思います。

当時の正確な資料が無い以上、私のは推測に過ぎません。
推測の根拠は、
あの当時の農民の娯楽は、性交であった可能性が高く、
まだ50年ぐらい前までは、2日もしくは3日に一回はやっていたと聞きました。
(比喩かもしれませんが毎日と聞いた事も有ります。この手の話題が好きな人一杯います)
勿論避妊はしていません。私の聞いた限りなので例外は有ると思います、
ですが娯楽の少なかった当時、避妊はともかく性交は日常的な娯楽の可能性が高いと思います。

その当時の大名などは特に多産。
戦乱の時代なので、労働力不足の可能性が高い。
石高の上昇期なので、それだけ養う事が可能。
生存の危機に遭った状態は、多産の可能性が高い。(種族の保存本能のようなものが、働いたのか?)
今現在も発展途上国は、10人は逝かないまでも、かなり多産である。

私はとりあえず、この事を根拠にしています。
勿論全て戦国時代と、結びつけるのは困難です。
だがこれらの事は、似た事情の事も多数ありますから、多少関係は有ると見て良いでしょう。
似た複数の事象から、割り出した推測に過ぎませんが、
それ以上の推測か、推測になる情報を知りません。
ですから私の判断は、10人前後で3割はすぐ死亡し、子孫をちゃんと残せるのは、
4、5人ではないかと思っています。
128105:01/09/04 23:20 ID:q1Eq5E6Y
そもそも娯楽という発想が
近代のもののように思えるのですが。
一体当時の人は、今の人のように娯楽を欲したでしょうか?
証拠も何もない憶測なのでsageます。
129日本@名無史さん:01/09/04 23:38 ID:/xQr.A8g
>>128
無理がありますね。
昔の人も今の人も同じホモ・サピエンスでしょうが。
何にもしなければ暇でしょう。
昔から遊びやゲームは結構ありましたよ。
それに一年中発情しているのは人間の特徴、機会があれば
性行為は増えるでしょう。冬なんかは暖房にもなりますしね。

同じ人間なのに証拠も何も無いなんて、
かなり無理が出てきましたね。
昔の人はボッとしてても平気だったんですか?
彼らは宇宙人でも異生物でもありません。
たかだか、数百年前の人間なんですよ。
130日本@名無史さん:01/09/04 23:48 ID:/xQr.A8g
娯楽の概念が
近代のものねえ、双六や歌留多や花札はどうなるの。
ほかにも田楽とか舞とか茶道とか鷹狩りとか道楽は
昔から、たくさんありましたよね。

戦の時でも
暇な時、兵士は相撲を取ったり、賭事をして遊んだでしょ。
そして何より御陣女郎ですね。
小田原の陣でも秀吉は兵士の長期滞在の気分をまぎらす
ために茶会や相撲大会を開いたり、武将たちの
妻妾を呼び寄せたのはなに?
131日本@名無史さん:01/09/05 00:03 ID:M3ArLzUY
積極的な産児制限って概念はなくとも、
避妊や避妊法の知識くらいあったのでは。
知識もなしに娯楽として閉経まで愉しんじゃったら
皆、10人どころの騒ぎじゃないと思われ。
初産の年齢が早いのは間違いない所だしね。
そーすっと娯楽説も根拠が薄弱になると思うが。
132日本@名無史さん:01/09/05 00:07 ID:Y4MtUll.
>>131
根拠がない主張ですね。
133日本@名無史さん:01/09/05 00:23 ID:M3ArLzUY
>132
文献としての根拠はないけど、
医学的には真っ当なこと言ってるつもりだけど?
13422,99,105,128:01/09/05 01:10 ID:pPgGYwJk
>>129 >>130
なぜ、こんなに煽られねばならないのかとちょっと怒りましたが
冷静に見ると私の
>証拠も何もない憶測
という言葉が誤解を招いているようですね。
これは自分の「当時の人は今ほど娯楽に関心を持たなかったのでは?」
という推察のことを指しています。
この考えは、以前読んだギリシャの近代化に関する本から得ました。
テレビの普及にしたがって羊飼い達の意識が変化し、
退屈な労働を厭うようになったのですが
実は彼らは、自分達の毎日が変化がなく退屈な物であったことに
テレビを見ることによってはじめて気が付いたのです。
彼らはそれまで近代的な「退屈」を知らなかった。
そして一度気が付くと、人間は退屈を紛らわさずにはいられなくなるのです。

私は経営学を学ぶ歴史や民俗学・哲学が大好きな男ですが
娯楽的要素を経営学の専門用語で言うと、「経験価値」といいます。
要するに「楽しさ」や「良い気分」を与える商品のことです。
近年、経験価値を持たない商品は全く売れなくなりました。
逆にディズニーランドやPS2の売れ行きは凄まじい。
この傾向は年々強まりを見せ、その原因としては生命の危険から遠ざかったこと、
人々の意識を縛っていた宗教や共同体の崩壊、などが挙げられています。
13522,99,105,128:01/09/05 01:11 ID:pPgGYwJk
[続き]

そんなわけで戦国の遺風が残る時代の人々は
今の人のように暇つぶしの娯楽に狂奔することは稀だったろうと思われます。
連歌や茶や蹴鞠のキチガイはいっぱいいただろう、と
言われる方もいらっしゃるでしょうが
あれは生命の不安や明日への不安に狂いそうになる自分を抑える
という精神平衡を保つ意味合いがあり断じて暇つぶしではない、とお答えします。

で、娯楽とは当時は宗教儀式と不可分なもので、田楽・相撲、セックスもそうです。
これから戦場に出かける武士と女郎のセックスは
衝動任せでかつ、生命の確認という儀式的意味合いを持っていました。
私の想像では「ターミネーター」で追われる二人がするようなセックスです。
あれは娯楽っぽくないでしょう?
小田原の陣は戦場でささくれ立つ将兵の気分を穏やかにする目的の方が強いでしょう。
娯楽が宗教と分かれ、今のかたちに成立したのは江戸の平和な時代に入ってからです。
遊郭、人形浄瑠璃、貸し本、歌舞伎etc

>昔の人はボッとしてても平気だったんですか?

これはイエスです。あくまで比較的に、ですけどね。
長文失礼しました。
13670:01/09/05 01:41 ID:5CQDu2to
>>127
>ですから私の判断は、10人前後で3割はすぐ死亡し、子孫をちゃんと残せるのは、
4、5人ではないかと思っています。

10マイナス3は7ですね。そうすると、子孫を残しえた4〜5人と
その7人との差、2〜3人はどこに消えたのでしょう?
仮に、4〜5人が子孫を残しえた、という意見を受け入れましょうか。
そうすると、一世代で人口が2倍以上に増える計算になります。
100年間では約4世代だから2の4乗で16倍、16世紀初めから
17世紀末というのを150年ととらえれば2の6乗で64倍、
200年と見積もれば2の8乗で256倍になる道理です。
でも実際には、どう多く見積もっても、人口増加は3倍(たぶん
事実は2倍か2.5倍でしょう。)。計算が合いません。
すでに指摘がありますが、大名の家系図の子沢山などは、
なんの参考にもなりません。子沢山派の人でもこのことは
判る人もいるのではないでしょうか?ナンセンスにもほどがあります。
13768:01/09/05 01:48 ID:vMJxtu66
≫22,99,105,128
これからの事は完全に私の私見です。根拠もたいしてありません。

人間にとって争いとは、最高の娯楽なのではないかと思っています。
おそらく性交と並ぶほどのね。
遊びや文化的な物の発展は、平和な時期に発展しています。
戦争という娯楽が無いために、変わりの娯楽を求めたのではないかと思っています。
戦乱の時代というのは、ある意味生き生きとした時代です。
生きる事の意味、生きる事を実感できる時代といいましょうか。
そんな時代ですから、大して他の遊戯が産まれなかったのではないかと思っています。

≫要するに「楽しさ」や「良い気分」を与える商品のことで
性交はこの条件を満たしませんか?
私はその物だと思います。昔からあり今なお人気の娯楽だと思います。
人によっては、この遊びさえ出来れば、他は何もいらないという人も大勢います。
特に桃山期は戦争が終わり、新たな遊びの文化がまだ十分ではなく、
性交しか十分な遊びは、無かったのではないでしょうか?
特に農村には、十分な娯楽はありません。性交に耽っても仕方ないでしょう。

ついでに娯楽とは、現実逃避の面も占めていると思います。
戦争というある意味の娯楽を楽しめない人の、現実逃避に成ったのではないかと思います。
全然関係無くなったのでsageます。
13868:01/09/05 01:56 ID:vMJxtu66
≫10マイナス3は7ですね。そうすると、子孫を残しえた4〜5人と
その7人との差、2〜3人はどこに消えたのでしょう?

正確に書きませんでしたね。
幼児期の死亡以外に、死ぬ可能性は無いのですか?
戦乱の時代ですよ、今と違い疫病でもかかれば一家全滅も少なくないんですよ。
50歳まで生きれたのは、4、5人でも多いと思います。
139日本史@名無しさん:01/09/05 02:02 ID:MWfYq5Go
>>134
横レスです 日本史板だから横槍ですか
近代化が人類に変化をもたらしたのは分かるけど

>そもそも娯楽という発想が近代のもののように思えるのですが。
>「当時の人は今ほど娯楽に関心を持たなかったのでは?」
近代化を経て人類にとって娯楽の意味が変化したのでは

>娯楽とは当時は宗教儀式と不可分なもので
祭りなどは宗教に名を借りて娯楽を楽しんだ部分もあったはず
140換骨奪胎:01/09/05 02:07 ID:hxuSy8xs
否定している人は、「娯楽」や「セックス」の文化的な意味が、
現代とくらべて(あるいは自分達の固定概念)あまりにかけはなれて
いるので、「ほんとかよ」と思っているだけですよ。(実際、産まれた
子を足蹴にして殺す(間引く)なんてのは、想像だにしたくない。その頃の
人には家族愛とかあったのか? とか思ってしまう)
でも、今の日本の十代の性白書とか見ていると、相変わらず避妊は少数派だし
虐待死の事件は後をたたないし、あんまし変わってないようにもおもうのですが。
14168:01/09/05 02:08 ID:LD1GChxY
≫仮に、4〜5人が子孫を残しえた、という意見を受け入れましょうか。
そうすると、一世代で人口が2倍以上に増える計算になります

私は何も平均して生んでいるとは、言ってないのですがね。
私の過去レスに平均ではないと言ってるんですが。
50まで生きることが出来れば、10人産んでも可笑しくないと言ってるのですけど。

人口は2倍じゃないですかね。100年チョットで。
ついでに言わしてもらえば、男の全てが嫁を貰えた訳ではないですよ。
小作人?に成る男も多いと思います。
分家はかなり裕福でないと、出来ないと思います。
土地を増やせた家のみ分家し、嫁を貰い家を創れたのです。
14270:01/09/05 02:12 ID:5CQDu2to
>>138
あなたが思っているほど、死亡率は高くはないと思いますが
(あくまで家系図等の史料を閲覧した上での実感として)
まあそれはいいでしょう。4〜5人とした場合でも倍・倍に
増えていくということと、現実との不整合について答えてくださいよ。
143日本@名無史さん:01/09/05 02:18 ID:M3ArLzUY
>男の全てが嫁を貰えた訳ではないですよ。
>小作人?に成る男も多いと思います。
家督のない男は嫁を貰えなかったという文献があるのですね。
144日本@名無史さん:01/09/05 02:23 ID:M3ArLzUY
ちなみに後進国での子沢山は、
老後の面倒を見てくれる家庭を多くつくることによって
リスクを回避するという意味合いも強いそうだが。
14568:01/09/05 02:28 ID:3DcPndIA
≫家督のない男は嫁を貰えなかったという文献があるのですね

小作人?の家系図持ってるんですか?
14670:01/09/05 02:28 ID:5CQDu2to
>>141
書き込んでる間にレスをいただいていたようです。

>50まで生きることが出来れば、10人産んでも可笑しくないと言ってるのですけど。

40〜50歳なんでしょう?40歳というのを削ったことに作為を
感じます。(>>138の「50歳まで生きれたのは、4、5人でも多いと思います」
同様。自分の出した数字には責任を持ちましょう。)
10人兄弟がいて、そのうち4〜5人は40〜50歳までは生きた
のではないんですか?4〜5人というのは20歳で死んだような人を
含んでいるんですか?いったい10人中何人が40〜50歳まで
生きたと考えているんですか?

>>50はあなたですよね?
>あの当時は子供十人は軽く産んでました。
勿論幼児死亡率も高かったですが、人口は軽く増えます。

「産んでも可笑しくない」なんて言い始めてますが、そんなことを
言ったら現代だって10人兄弟はいますよ。「軽く産んで」いた
んでしょう?

>人口は2倍じゃないですかね。100年チョットで。

「人口は軽く増えます」じゃなかったんですか?「100年チョット」
(200年近くではないのですか?)で2倍、というのと「軽く増えます」
との落差も疑問です。ちょっとずつ摩り替えて逃げをうってますね。
14770:01/09/05 02:30 ID:5CQDu2to
>>145
143さんではないですが、
>小作人?の家系図持ってるんですか?

持っているとすればあなたのほうでしょう?何言ってるんですか?
14868:01/09/05 02:53 ID:e4a9Thxg
≫40〜50歳なんでしょう?40歳というのを削ったことに作為を
めんどくさかったんで削りました。
コテハン使ってるんだから、分かるでしょう。
同じ事を何度も書くのは、誰だっていやでしょう。何のためにコテハン使ってるんだか。
大体不利な数字に意図的に変えますか。

≫勿論幼児死亡率も高かったですが、人口は軽く増えます。
私です。50まで生き、養えれば産んでたと思っています。
今は養えても、10人も産む人はまれです。

≫「人口は軽く増えます」じゃなかったんですか?「100年チョット」
私の考えでは、1、5倍から2倍だと思っています。
感覚の違いですかね。
当時に2倍近くに百年チョットで増えるのは、かなり異常な増加だと思いますけど。
近代は別にすれば、日本史上最大の増加ではないですか?

≫ちょっとずつ摩り替えて逃げをうってますね。
逃げるんなら、コテハン使いません。
大体同じ説明を3回もする人はいないと思いますけど。、
14968:01/09/05 03:00 ID:e4a9Thxg
≫持っているとすればあなたのほうでしょう?何言ってるんですか?

普通に考えたら、残ってる可能性が低いんですけどね。
家系が創れなかった家に、家計図が残ってる訳無いと思うんですけど。

自分の食い扶持しか、稼げない亭主に嫁は先ず来ないと思うんですが。
勿論全然無いとは思いませんが、人口影響を与える程は無かったと思います。
15068:01/09/05 03:02 ID:e4a9Thxg
そろそろ寝ます。
朝起きれないかもしれませんので。
151日本@名無史さん:01/09/05 03:11 ID:M3ArLzUY
あのさあ、農村の事話してるんでしょ?」
名主レベル未満の人達に家系図を残す必然がないじゃないですか。
まさか家系図のない家庭は文献的に検証できないから存在しないと
仮定して良いなんて思ってるんじゃないでしょうね。
私が>>143で訊いたのは、あなたの憶測(小作は家庭を持たない)
を裏付ける史料的根拠なんですけどね。
そんなの家系図じゃなくたって、当時の風俗を書いた文献で
いくらでも拾えそうなものですが。
15270:01/09/05 03:25 ID:5CQDu2to
>大体不利な数字に意図的に変えますか。

はあ?不利な数字ではなく、有利な数字に変えたわけでしょう。
40代まで生きれば「十人は軽く産んでました」と言っていたのに、
50歳まで生きた人だけが十人産んだ、と改竄していると取られても
仕方がないのでは?

とにかく、矛盾を指摘されると自分の都合のいいように都合のいいように
数字を誤魔化してるわけですけど、結局、何を根拠に言ってるわけなんですか?
10人産んだ人も稀にはいた、という話なら、私は否定しませんよ。
ただ、「十人は軽く産んでました」と言ってるわけだから、かなりの人が
10人産んでいた(あるいはそれ以上?)ということなのでしょう?
それなら、やはり、乳幼児死亡率や不慮の夭折者が多いことを勘案しても、
5世代も6世代も重ねれば、1.5倍から2倍どころではない数字に
増えるのが道理で、やはりそこのところは計算が合わないのではないでしょうか。

>普通に考えたら、残ってる可能性が低いんですけどね。

そんなことは知ったこっちゃないですよ。あなたが問われてるわけでしょう?
「文献はあるのですね」って。それに対して、「家系図持ってるんですか?」
って相手に聞いてどうするんですか。あなたが何を根拠に言ったのか、
問われているわけでしょうが。

>自分の食い扶持しか、稼げない亭主に嫁は先ず来ないと思うんですが。

嫁を貰えない階層があったことは私も否定しませんよ。しかし、人口激増派?
の話の肝として、米の増産が図られ、それとともに人口が増える余裕が
できた、という展開だったわけでしょう?(その逆かもしれませんが。)
食い扶持がなくて嫁ももらえない(イコール子孫を増やせない)という話
と矛盾してくるんじゃないんですか?農家の次男三男が新たに一家を
構えられるような「食い扶持」が存在することで、初めて人口が増えていく
わけでしょう?
153日本@名無史さん:01/09/05 06:37 ID:PNfDMo.s
傍から見てるとすごっく下らなくて面白いね、この論争(?)・・
154日本@名無史さん:01/09/05 06:48 ID:t2vpCMcM
なんだか、学術板らしからぬ、泥試合になってますね。
しかし前にも書いた人がいる通り、「多産派」はある程度、根拠を示しているのに対して、
「小産派」は相手の理論へのほころび批判と憶測ばかりなのでこの辺りに関してはすでに勝負はついたと思います。

ただ、68さんの意見でどうかと思う点は「10人」とはっきりした数字を書いてしまってる点ですね。
この辺は数字的根拠は無いと思うので譲歩されてはどうですか?
でも、ようするに68さんの意見はようするに昔の人は多数の子供を産んだという事でしょうし、
「10人」の数字的根拠を示せとかいうのも、揚げ足っぽくて不粋に思えますね。
155日本@名無史さん:01/09/05 07:11 ID:t2vpCMcM
もっとも、漠然と
「戦国時代から江戸初期までに人口増加があり、昔は平均寿命も短かかったので、わりと多めの出産数だった」
だったら、従来から言われている、当たり前のことで論争にすら至らなかったでしょうけどね。
「10人」という具体的数字は混乱の原因になりましたね。
15670:01/09/05 11:12 ID:5CQDu2to
>>154
>しかし前にも書いた人がいる通り、「多産派」はある程度、根拠を示しているのに対して、
「小産派」は相手の理論へのほころび批判と憶測ばかりなのでこの辺りに関してはすでに勝負はついたと思います。

無意味な勝利宣言ばかりを繰り返しているようですが、「ある程度」の「根拠」とは
いったいなにをさしているのでしょうか?上で私は、単純に極端な多産(軽く10人)
はありえない旨、数字をあげて否定しているのに、それは「ある程度」の「根拠」とは
一向に見なさず、論理的な反論もしてこないのはどうしてなのですかね?
数字をあげて早く私の口をふさいで、その上で(ウソではなく)真の勝利宣言を
してみたらどうですか?

>でも、ようするに68さんの意見はようするに昔の人は多数の子供を産んだという事でしょうし、

全然話が違うでしょう。現代に比べて多産であったことを否定している人など
一人もいないと思いますが?人を勝手に「少産派」にしてしないでくださいよ。
「夫婦の営みが現代(週二回とか)とは比べものにならない程、盛んでした」とか、
「あの当時は子供十人は軽く産んでました」とか、そういう何の典拠もないらしい
発言(ヨタ話)を臆面もなく繰り返す、そうした姿勢を批難しているだけの話です。
学術板らしくないのはいったいどっちか?

>「10人」の数字的根拠を示せとかいうのも、揚げ足っぽくて不粋に思えますね。

「昔の人は多数の子供を産んだ」と「十人は軽く産んでました」ではまったく話が
違うでしょう。どこが揚げ足なのか?そういうズルをしてまで勝利宣言したいんですか?
157日本@名無史さん:01/09/05 12:42 ID:uB6e8W6Q
少しは歩み寄りが見えましたね。
根拠は明治の証言やフロイスの記録(二十回も間引きしたという)や戦国の人口増や論理的推測などです。
ただ、私も「十人は軽く産んでました」はどうかと思います。

あと「夫婦の営みが今(現代?)とは比べものにならないほど盛んでした」に関しては
>>117の書き込みを見る限りでは「一応」間違いないように思えますね。
158日本@名無史さん:01/09/05 12:50 ID:uB6e8W6Q
>>ちょっとずつ刷り替えて、逃げを打ってる

良いんじゃないでしょうか?
皆さんの意見を聞き入れて歩み寄ってるわけですから。
それと、戦国〜江戸初期の人口増加(2.3倍)期と
それ以降の人口安定期をごっちゃにしている意見が見られますね。
15970:01/09/05 13:18 ID:5CQDu2to
歩みよりも何も、現代並かそれ以上に少産傾向だった、などとは初めから誰も
言ってないのではないですか?幕末・維新期の子供の数が案外少なかった
(今よりは多かったが、戦前の日本等と比べると格段に少なかった)という
私の指摘を、戦国期に対してのそれだと勘違いした人はいたようだけど。
既出ですが他の時代の話が戦国期に応用できる、というからには、ある時代Aと
別の時代Bの間にこれこれこういう数学的・統計学的相関が認められる。
ゆえにこの問題においても、それが応用できる、とかなんとか、言ってくれれば
まだしも納得しますが(学術的とは取りも直さずそういうことでしょう?)
ただ適当に持ち出されても、根拠になんかなりうるわけがないじゃないですか。
どうして明治の話で戦国が説明しおおせるんですか?あまりのアホらしさに
呆れるばかりです。
フロイスの話に関しては(「日本史」のどこにそういう記述があるのか知りませんが)
そういうケースがあったから、全体傾向まで包括しているのかどうか判然としないと
しかいいようがありません。例えば彼の発言として知られているもののなかに、
「人々は天皇をほとんど神のごとく尊崇せり」といったニュアンスのものがありますが、
あれなども、当時の平均的日本人が本当にそんな意識をもっていたかというと大いに
疑わしく、多分に彼は、局所的なことで全体を語ってしまう、バランスに欠ける癖の
あった人物ではないかと思われ、客観的観察者としてそんなに信用していいものかどうか、
という問題があると感じます。
16070:01/09/05 13:22 ID:5CQDu2to
>良いんじゃないでしょうか?
皆さんの意見を聞き入れて歩み寄ってるわけですから。

間違いを認めているなら良いのですが、誤魔化しているとしか思えない
んですよ。誤魔化してるくせに勝利宣言だけは立派に繰り返すし・・・。
161なあんし:01/09/05 14:52 ID:wYfLKofM
どちらの意見でもない人が
はたから見て感想を言っているだけなのに
70にとっては無意味な勝利宣言とか
被害者妄想として写るんですね

ある意味面白い
16270:01/09/05 15:06 ID:5CQDu2to
へんな日本語使ってるのは一人だけだから、自作自演してもバレますよ。
163なあんし:01/09/05 15:17 ID:wYfLKofM
残念別人です
被害妄想君には否定的なこと言う人すべて
同一人物に見えるのかもしれませんがね
16470:01/09/05 15:28 ID:5CQDu2to
理屈が通ったことを言ってくれれば、すぐに引き下がると言ってるじゃないですか。
いくら早世が多かったからと言って、軽く十人も子供を産んだにしては
人口増加が緩慢すぎる、ということは既に指摘しました。
それでも、なおかつそちらの言い分に合理性がある、というなら数字的・
史料的根拠を示してください。それですべてカタがつきますよ。
165日本酒:01/09/05 18:35 ID:kbv9TEHA
あらら、ちょっと見ない間にスレ育ってますね。
とりあえず、一般論から。
人口は、食物の量にほぼ比例します。
ですから、石高=人口、と考える立場もそれほど間違ってはいません。

実際には、食物>=人口になります。人口を抑制するパラメータは
いろいろあるので、置いときますが。

当時の人たちが、平均何人産んだのか、私にはわからないので、
コメントは差し控えます。
166さち子:01/09/05 19:33 ID:IFLdN1KI
>>70
憶測は変えませんが見てきたようにものを言ったのは
反省します。 今後、気をつけます。

>>68
現在、出生率最多の発展途上国でも出生率は7.5人程度ですよ。
「あの当時は十人は軽く産んでました」と言われますが、
仮に同じ性環境でも子供なんてのは多算型の人もいれば、
あまり産まない人、身体が悪くて全く産めない人もいます。
それに運の要素もありますよね?
例えば、北条氏康正室のように十二人も産んだ人も
いればおねのような人もいるんです。
「十人は軽く産んでた」は難しいと思います。
167さち子:01/09/05 19:49 ID:IFLdN1KI
>>68さん
戦国大名の家系図を調べても、一人で十人も産んでいる、女性はなかなか探せないですね。
あなたの言う、「あの当時は十人は軽く産んでた」という意味は
「(当主が)十人は軽く(複数の女性に)産ませていた」という意味ですか?
それであれば大名とか裕福な家なら理解できます。
しかし、人口の大多数を占める農民などが多数の女性を囲えたとは思えず、
十人も(軽く)産ませるのはむずかしいです。
16868:01/09/05 19:57 ID:QBlvG2nU
≫70 さてどれから答えようかな、
≫はあ?不利な数字ではなく、有利な数字に変えたわけでしょう。

不利な数字なんですけどね。貴方はそんなに死亡率が高くないという考えなんでしょう。
40まで生きるのと、50まで生きるのとでは50の方が不利ですから。
大体40歳以上でそんなに、ポンポン産んでたとは思いません。
殆ど40歳までで産んでいると思います。ですからそんなに問題があるとは思っていません。
何が矛盾なんでしょうかね?

≫かなりの人が10人産んでいた
私はそう思っています。
ですが、>>68で言ってるとおり、産んだからといって、育てていたとは言ってません。
>>50では石高よりも人口が少ない可能性は、低いと言っているんです。

≫1.5倍から2倍どころではない数字に増えるのが道理で
石高以上は養えませんから、どうしても限界はあります。

≫「文献はあるのですね」って。それに対して、「家系図持ってるんですか?」
家系図が残る可能性が、低いというか無いと思っています。
無い事の証明を求められてるんですか?

≫米の増産が図られ、それとともに人口が増える余裕ができた、という展開だったわけでしょう?
何かゴッチャにしてません?
石高を増加出来た家は分家し、家を創りました。
石高は増加していましたが、人口の増加に比べれば増加量は低いです。確かどの学者か忘れましたが、
「食料生産は1、2、3、4としか増えないが、人口は1、2、4、8と増える」と言ってました
増えた分だけ、家を増やし人口を増やしました。
3人兄弟なら、二人は家を持てたが3人目は持てなかったんです。

子供を十人以上産める可能性は、否定しないでしょう。
石高の増加も否定しないでしょう。
ですから石高の限界までは、すぐに増加出来るという考えなんです。
169日本酒:01/09/05 20:08 ID:kbv9TEHA
>>166
私、「コメントは差し控えます」と言ってしまいましたが、前言撤回して、
参戦させてください(w

齢構成も分かればいいんですけどね。そうすれば、かなり確実な類推ができます。

まず、
(1) 何人生まなければ増えないのか?
(2) 何人生めるのか?
を考えてみましょうか。

(1) 何人生まなければ増えないのか?
繁殖年齢になるまでの死亡率を、仮に30%とします。
親が2人ですから、繁殖年齢に達する子供が2人以下は論外です。
死亡率30%とすると、子供2人が成人するためには、3人は生まれなければ
なりません。
成人以降、生殖可能年齢の上限に達するまでに死亡する例もありますから、
3.5もしくは4人と考えるとよいでしょうか。

(2) 何人生めるのか?
女性の生殖可能年齢を30年と仮定します。通常、生殖に費やされる時間は
そのうち、20年程度でしょうか。
妊娠が10ヶ月、次の妊娠まで2ヶ月(計算が楽なので・・・)とすると、20年で
20人生むことが可能ですね(双子は考慮してません)。

(1)の4人、(2)の20人、その間に真実があるとして、
5人程度、とする立場は、人口変動を必要としない、いわゆる「安定期」の数だと
思います。
とすると、平均は6人以上でしょうか。
「口減らし」が行われていたと考えるならば、その数も入れなければなりませんね。
(「口減らし」が、「死亡率」の外であると仮定しての話ですが・・・)
となれば、平均7人程度。
多い家庭、少ない家庭はありますから、10人の子供がいる家庭も当時は
多かったのではないのでしょうか?

・・・あくまでも、数字上のお遊びですけど・・・
17068:01/09/05 20:10 ID:O8t7hEM2
≫間違いを認めているなら良いのですが、誤魔化しているとしか思えない
んですよ。誤魔化してるくせに勝利宣言だけは立派に繰り返すし・・・。

私は勝利宣言は一度も言ってないんですが。
ついでに自作自演もしていません。「なあんし」サンとも別人です。
私も十人以上は言い過ぎで、十人前後にしたのは認めますけど。

その失礼な言い方と、自分の敵は自作自演だみたいな、決め付けた考えはやめた方が良いですね。
貴方の相手を一日住できる訳は無いんですから。

変な日本語なのはスイマセンでした。
思いつく順番に書いていて、推敲していませんでした。
17168:01/09/05 20:24 ID:4uy8qaiE
≫「(当主が)十人は軽く(複数の女性に)産ませていた」という意味ですか?
それであれば大名とか裕福な家なら理解できます

私は基本的に家単位で考えていますから、そう思って結構です。
後妻を貰ったケース等がありますから。

≫人口の大多数を占める農民などが多数の女性を囲えたとは思えず
何度これを書いた事やら、
産む事と(妊娠する事)=育てる事 では無いと何度書いら良いんですかね。
扶養力があれば育てるし、無ければ殺す(堕胎もOK)
扶養力の限界まで、子供を養っていた。
養える量からの逆算ではありません。
産んでから養うかどうかなんです。
これが私の考えです。
例外も勿論あるでしょうが、過半数はこんなもんだと思っています。
172名無し:01/09/05 20:52 ID:c12HihQo
すいません、うちの高校の日本史の教師が
「種子島に漂着したポルトガル人は
日本人に火縄銃を売りつけたが
その当時ポルトガル人は六連式のリボルバーみたいなやつを
持っていて、日本人に旧型の銃を売りつけてもうけていた」
とかいってたんですが、本当なのですか?
その先生は坂本龍馬は河原でおそわれて
「俺は絶対に背中をみせーん!!」
とか言って仰向けになって死んだとかいってました
私の記憶では坂本龍馬は池田屋で見回り組に
おそわれたんだと思うんですが・・・。どうなんでしょうか?
長くてすみません
173日本@名無史さん:01/09/05 21:03 ID:4uy8qaiE
>>172
どちらも初耳です。
日本に大量に売り付けていたのかな。
最初の2丁以外にも有るらしいけど、大量に売って儲けていた訳は無いだろう。
それに地球を半周して貿易しても、貴重品だけしか儲からない。
だぶん間違いでと思います。
詳しい人に聞いてください。
174名無し:01/09/05 21:19 ID:c12HihQo
っていうか一番気になってるのは
あの当時南蛮人が
リボルバーみたいな六連式の銃を持っていたかってことなんです
あの先生の話ってなんか信用できないんだよなぁ
前は九龍に行って後ろから銃を突きつけられてお金を取られたとか
言ってたし。九龍なんかいくなよ
175日本@名無史さん:01/09/05 22:19 ID:3wlQ5TUs
色々調べましたが、六連式のリボルバーはその当時有ったか、確認できませんでした。
ですが銃砲の数が、弾の数に比例し増えて行く、形式のなら見つかりました。
これの事を勘違いしているものと推測します。

リボルバーでなければ、拳銃は12世紀には有りました。
17670:01/09/06 02:03 ID:CR/9v/y6
>>168
>不利な数字なんですけどね。(中略)何が矛盾なんでしょうかね?

おかしい、おかしい、と思ってきましたが、今日のレスを見て、あなたの知性
のレベルに決定的な疑問を感じました。小学生でもわかることだと思うのですが・・・。
今一度だけ言いますが、40〜50歳まで生きることが十人産む条件だったはずなのに、
50歳としたというのは10歳年齢を引き上げた、つまり条件を厳しくした(あなたに
とって厳しくではなく、あなたの反対者にとって厳しく)ということでしょう。
というのは、40代で死んだ女性は10人産んだとは言っていない、という屁理屈が
成り立つからです。それは当然、あなたにとって、不利ではなく、有利なはずです。
こんなこともわからないのでしょうか?

>私はそう思っています。
ですが、>>68で言ってるとおり、産んだからといって、育てていたとは言ってません。

だから、何を根拠にそう思ったのかが問われているわけです。推測なら推測で
論理的推測をしてもらわなければ困ります。あなたの推測に論理性は感じられません。
これは感覚の問題等ではないです。意地悪をしているわけではない。妥当なことを
言ってくれれば、いつでも引き下がるということは前にも述べました。

>家系図が残る可能性が、低いというか無いと思っています。
無い事の証明を求められてるんですか?

143さんの>>151のレスを読みましたか?フザケているのか?知性の問題なのか、
ほとほと困った人ですね。あなたが出した推測に対して、文献的根拠はなんなのか
質問されているわけでしょう?それに対して、あなたが質問者に文献(史料)的
根拠を求めるのはおかしいというのがわからないんですか?
家系図じゃなくてもなにを根拠に言っているのか、あなたが答えるべきなんですよ。

>「食料生産は1、2、3、4としか増えないが、人口は1、2、4、8と増える」と言ってました

それは、食糧の増産以上のペースで人口が増えるということですか?食糧が4倍に
なったときに人口は8倍増えるということもありうるという意味ですか?
信じがたいです。具体的な出典を出してもらわなければ話になりません。

それより肝心な>>136で私が掲げた数字的批判に対して、論理的に答えてくださいよ。
重要なことほど言及がなされていませんね。
17770:01/09/06 02:27 ID:CR/9v/y6
>>169
68さんなどより遥かにまともで論理的なお答えをいただいていると
思います。彼(彼女)にもこういう反論を望んでいたのですが・・・。

>(1) 何人生まなければ増えないのか?

これについてはほぼ賛同いたします。ただ、3.5人で充分現状維持を
図ることが可能だと思いますが。0.5なんて大した数字ではないと
考えられるかもしれませんが、0.1しか違わなくても、100年それ以上の
単位で見れば、ずいぶん人口の増減に影響を与えるはずです。

>(2) 何人生めるのか?

これはそのまま首肯いたします。

さて結論のところですが、
>5人程度、とする立場は、人口変動を必要としない、いわゆる「安定期」の数だと
思います。

ここがおかしいです。4人でも疑問なのにどうして、ここで1人(たった一人ではなく
一人も)増えてしまうのか。安定期の数は3.5人、譲って4人でしょう?

>とすると、平均は6人以上でしょうか。

いや、4.5人でも人口は充分に増えるはずです。100年から200年の期間に
1.5倍から2倍という話なのですから。
子供を産まない家庭も当然あるでしょうが、10人産む家庭だって当然ある
平均値で6人というのは多すぎるぐらいだと思います。

>「口減らし」が行われていたと考えるならば、その数も入れなければなりませんね。

ここはたしかに問題です。しかし、間引き率など誰にもわからないのだから、プラス1
してみても意味がないと思います。まあ、でも積極的に否定する材料の持ち合わせは
ありません。

というように考えると、「十人は軽く産んでました」に説得力は感じないわけです。
軽く産んでいたというからには、相当程度の人が10人産んでいたわけでしょう。
だったらもっと人口は増えたはずです。
17870:01/09/06 02:41 ID:CR/9v/y6
>>171
>私は基本的に家単位で考えていますから、そう思って結構です。
後妻を貰ったケース等がありますから。

大名の夫人で10人も産んだケースというのはあるにはある、といった程度で
稀です。5人10人の妾がいて、たくさんの子女がいたというケースが
ほとんどです。
>>87でこう書いてますけれど、

>大名など家系図などをお持ちなら、戦国期に10何人も子供がいたのに、
江戸中期から江戸後期に掛けての、出生率の低下に、気が付くはずです。
それと同じ、曲線を描くと考えております。

大名の家系図を見ても、そんなことには気づきません。江戸中期から後期でも
10人の子女がいた大名はいくらでもいた(ほとんどは一人ではなく多くの
女性に産ませていた)ように感じます。出生率の低下を示す家系図を2・3
例示してくれませんか?
17970:01/09/06 02:49 ID:CR/9v/y6
>>171
>産んでから養うかどうかなんです。
これが私の考えです。
例外も勿論あるでしょうが、過半数はこんなもんだと思っています。

過半数が間引きだと言うんですか?でもあなたは>>92でこう書いてる
じゃないですか。

>取り合いず私は、10人前後産んで、成人するまでに2、3人死んで、
50までに更に、2、3人死んで最終的には4、5人しか生き残らない。
こんな考えを持っています。

都合のいいように話をコロコロ変えてるというのはこういうところなんですよ。
こういうズルばかりなのに、68さんが勝利している、というのはいったい
どういうことなんですか?客観的第三者を名乗っている方、「客観的」に
説明してください。
18022:01/09/06 03:59 ID:TPWkbYdg
>>137 >>139
ほとんど賛成です。
ただし、>>140さんのいうことはちょっと違う。
>否定している人は、「娯楽」や「セックス」の文化的な意味が、
>現代とくらべて(あるいは自分達の固定概念)あまりにかけはなれて
>いるので、「ほんとかよ」と思っているだけですよ。
私は経済現象として納得が行かない点があるのです。
ちょっと後日説明しますね。

それから後半、
>(産まれた子を足蹴にして殺す(間引く)なんてのは、想像だにしたくない。
> その頃の人には家族愛とかあったのか? とか思ってしまう)
>でも、今の日本の十代の性白書とか見ていると、相変わらず避妊は少数派だし
>虐待死の事件は後をたたないし、あんまし変わってないようにもおもうのですが。
これは70さんの>>176にも繋がっていることですが
実際その頃の人は平気で自分の産んだ子どもや、老いた両親を殺したり
山に捨てたりしたそうです。
その風潮は徳川時代まで続き、ついにそれを憂えた将軍綱吉によって
子殺し、親殺しなどを禁止する一連の法令が出されました。
それが史上悪名高い「生類憐れみの令」です。
蚊を殺した武士が罰を受けたり、市中で野良犬が徘徊したりと、
悪い側面ばかりが強調されますが、実際は人命軽視の風潮を平和な時代らしいものに
改めようとするごく真っ当な視点から生まれた法律です。
庶民は何が困ったかって、犬の害よりも、役に立たない年寄や
余計に生まれた子供を乏しい収入で養わねばならなくなったことです。
だから綱吉の政治は庶民の悪罵を呼んだのです。
ここら辺は大石慎三郎が一連の著書で再評価しているのをそのまま書きました。

それから、68さんの言う
「食料生産は1、2、3、4としか増えないが、人口は1、2、4、8と増える」
これのもとネタはマルサスの人口論という超有名な古典です。
ダーウィンの進化論の着想の元にもなりました。
論旨は、人口の増加のレートは必ず食料増加のレートを上回り、
よって相対的に少ない食料をめぐって生存闘争が起こる、というものです。
要するに食料が増産されるたびにイス取りゲームが起きるのです。
そして椅子を取れなかったものは死にます。
人口は倍の早さで増えるのであって、人口が倍になるのではありません。
ですから>>168にはおかしなことは書いてないと思いますよ。
181日本@名無しさん:01/09/06 05:21 ID:dx03Mgwk
>>172
誰もツッコまないので書いときますが、
竜馬が河原で息絶えるシーンは戦前の映画にあったそうです。
それを踏襲してアニメ「巨人の星」の中にもそういう
シーンが出てきます。
その先生はたぶんそのことを言っているのでは。

それと龍馬は池田屋では襲われておりません。
彼が襲われたのは寺田屋で幕吏にと、近江屋で刺客に
の2度です。
みんな知ってると思うし、このスレとは関係ないが、
念のため。ピストルで応戦したのは寺田屋です。
182さち子:01/09/06 06:57 ID:bIEv1CGc
>>68さん
>>171
産んでから、養うかどうかなんです。
>>127
私の考えでは間引きは含みません。
ただし、育てられない時は容赦無く、処分していたと思います。

それを普通は「間引き」というのでは?
>>127の「私の考えでは間引きまでは含みません」
という言葉の意味が、わたしには不可解なので解説をお願いします。

わたし自身の考えは>>123で書いたとおり「間引きも含めれ
ば、女性が十人程も出産したのは考えられる」ですが。
183日本@名無史さん:01/09/06 07:27 ID:EDFmZ.7M
この二人見てると、しみじみ、日本は平和なんだなぁ・・
と思う・・
184日本@名無史さん:01/09/06 07:37 ID:EDFmZ.7M
>>あの当時南蛮人が
>>リボルバーみたいな六連式の銃を持っていたかってことなんです

持ってない持ってない。アンタの先生はちょっと問題アリ。
旧式銃を売りつけたうんぬんは、幕末と勘違いをしているようですね。
185さち子:01/09/06 09:42 ID:AOw0hy8o
>>182のわたしの書き込み、変でしたね。
修正します。

>>68さん
>>171
>>産んでから、養うがどうかなんです。
>>127
>>私の考えでは間引きまでは含みません。
>>ただし、育てられない時は容赦無く、処分していたのではないかということです。

それを普通は「間引き」というのでは?
>>127の「私の考えでは間引きまでは含めません」
の意味がわたしには不可解なので補足説明をお願いします。

わたし自身の憶測では、>>123で書いたとおり、
間引きまで含めれば、女性が十人程出産していたのは考えられます。
186日本酒:01/09/06 19:59 ID:a.HlYu7M
>>170
70さん、レスありがとうございます。
さらにレスいたします・・・

> 4人でも疑問なのにどうして、ここで1人(たった一人ではなく
> 一人も)増えてしまうのか。安定期の数は3.5人、譲って4人でしょう?

言わんとするところは分かります。私も書き込み時に「プラス1は多すぎかな?」とも
考えたのですが、「おかしかったら反論してちょ!」という気分で、深く考えず、
えいや、と送信ボタンを押しました(汗
ただ、プラスを1以上とする立場もあるのではないかとも思ってます。理由は後述。

> というように考えると、「十人は軽く産んでました」に説得力は感じないわけです。
> 軽く産んでいたというからには、相当程度の人が10人産んでいたわけでしょう。
> だったらもっと人口は増えたはずです。
最後の、「もっと人口は増えたはずです」の部分に意見します(10人云々問題、私には
判断材料が不足してます)。

70さんの意見は、人口増減において、再生産数を重視する、いわば「核となる」理論に
重きをおいているわけですね。

人口の制限要因は多数ありますが、まず第一義的には、私はそれが「食料」だと考えています。
つまり、10人生もうが20人生もうが、食べさせられなければ意味がないわけです。
合計特殊出生率が20人を超えていても、必ず淘汰圧がかかり、その結果人口が
決定されると考えています。

当時も、人間は食物連鎖の中で最上位と考えて差し支えないと思いますが、
生んで、食わせられるかどうか、が現実的な間引き負荷として
かかっていた(もちろん、餓死オンリーで計算してもかまいませんが)と考えます。
また、社会制度的な間引き負荷もあったでしょう。
この、「社会制度的間引き負荷」が、私の知識を超えてたくさんありそうなので・・・
結局、プラス1してみて、「誰かその辺り、教えてくれないかな?」と
考えた次第です。
例えば、子供を生める、健康な女性であっても、「三行半」が
なければ再婚できないような規制があって、離婚率は結構高く、再婚率が低かった、とか。
こういった社会的淘汰圧を明確にしてきできるような知識が私にあればよいのですが、
いかんせん、その辺は弱いので(w
18768:01/09/06 20:02 ID:eeRDh7lA
昨日は早く寝たんで、レス付けられなくてスンマセン。

≫40〜50歳まで生きることが十人産む条件だったはずなのに、
私は40でも十分に出来たと思います。
50を入れたのは、40以上でも生む人が稀にいるから入れただけです。
当時は大体15で結婚しているので、十分可能でしょう。
40歳まで25年もあるのですからね。これだけ言えば厳しくないと分かってくれます?
そんなに拘る事ですかね〜。

≫だから、何を根拠にそう思ったのかが問われているわけです
貴方が何人説を唱えているのか知りませんが、とりあいず私は10人説です。
ですから、人口増加力よりも、石高の増加力は低いですから、
石高の増加量以上は、養えませんから産まれていた(来る子供でも可)
子供を処分しなければ生きて行けません。
その分をどうしたかと推測しますと、新生児を殺す、もしくは老人を殺さないと生きて行けません。
飢饉の時などがあれば、この2種類以外の人も処分された可能性が高いと思います。
新生児から処分されますが、飢饉などの時は新生児に限らないと思います。
身売りなども当然含みます。
これはさち子サンの質問に、対するする答えでもあります。

≫まさか家系図のない家庭は文献的に検証できないから存在しないと
土地を担保で、家族で小作人に成った人はともかく、
食い詰めて小作人になった人は、家族を養うほどの扶養力は無かったと思われます。
まさかこんな事も文献無しでは、想像つかないのですか?
家系図がない=存在しない これは思っていませんが、人口に影響を与えるほどはないと思っています。
貴方は存在する筈のない、資料の証明を求められるのですか?
中々難しい事の証明を求められますね。

≫私が掲げた数字的批判に対して、論理的に答えてくださいよ
これは下記の記述事こそ、意見が説明なんですけどね。
これが理解できないとは、自分の説明能力がイヤになりますね。

≫「食料生産は1、2、3、4としか増えないが、人口は1、2、4、8と増える」
 >>180サン私の足りない説明の、解説ありがとうございます。

誤字脱字については、ここで謝ります。
18868:01/09/06 20:17 ID:Yc1IKFfc
>>178
江戸時代の、「末子養子の禁」によってどれだけ家が潰れたと思ってるんですか?
戦国時代でも、子供がいなく養子よって家を守った件は多数あるが、
数が違うでしょう。
それに江戸初期と、この法が廃止(緩められた?)される前ではその数が違うでしょう.

≫これは下記の記述の事こそ、この意見が説明なんですけどね。
日本語になっていないので、これに訂正します。
18968:01/09/06 20:31
>取り合いず私は、10人前後産んで、成人するまでに2、3人死んで、
50までに更に、2、3人死んで最終的には4、5人しか生き残らない。
こんな考えを持っています。

そう思っていますが?
何で問題になるんでしょうね。
これは養う力がある場合、これだけは生き残る可能性を述べているんですよ。
そして扶養力が低下すれば処分するという意見なんですけどね。

さち子サンも分かってくれましたか?
>>187の意見と同じ事を言ってますね。sageとこ
190日本@名無史さん:01/09/06 20:45
>土地を担保で、家族で小作人に成った人はともかく、
>食い詰めて小作人になった人は、家族を養うほどの扶養力は無かったと思われます。
>まさかこんな事も文献無しでは、想像つかないのですか?
想像つきませんね(笑)
小作人一代限り説ですか、初聞ですよ、そんな説は。
水呑百姓階級は子孫を残せなかったとは想像し難いです。
家督の相続の出来ない次男、三男の多くは
それこそ商家に奉公にでたり、足軽になったりしたんじゃないのですか?
彼等は妻や子をもうけられなかったとでも?
>貴方は存在する筈のない、
>資料の証明を求められるのですか?
家系図を持ち出して、それに勝手に限定してるのはあなたですよ。
別に往時の風俗を描写した史料でもなんでもいいです。
あなたの断定的な憶測に史料の裏付けがあるのか訊いているのですから。
無ければ無い、そう言えば良いだけの話でしょうに。
191日本@名無史さん:01/09/06 21:04
あなたの説を総合すると・・・
当時、農村で女性が10人程度の出産をする事は当たり前であった。
しかし、家督を分割できるほどの家はまれであり、
多くの男性は小作となり妻を持たず一代でその生を終えた。

これ、社会としてかなり歪じゃないですか?
ほぼ同数生まれてくる筈の女性はどうなるのでしょう。
労働力にならないから間引かれたと言うのでしょうか?
(まあ、女児は間引かれやすいとの話は聞いたことがありますが)
192日本@名無史さん:01/09/06 21:21
>>191
逆です。
男子の方が間引かれやすいんですよ。
193日本@名無史さん:01/09/06 21:29
>>68
その説を肯定するにしろ、根拠がなさすぎですよ。
だいたい、どこから「十人」なんてはっきりした数字が出てくるんでしょうか?
19468:01/09/06 21:31
≫それに江戸初期と、この法が廃止(緩められた?)
やはり間違っていました。
末期養子の禁は緩和でした。
漢字も間違ってらスマソ。
19568:01/09/06 21:57
≫小作人一代限り説ですか、初聞ですよ、そんな説は。

別に子孫を残してはいないとは、思ってないんですけどね。
勿論子孫を残せなかった、小作人が多かったとは思いますけどね。

私は「人口に大して影響がなかった」こう言ってるんですけどね。
これはこのスレの話題なので、分かると思いますが人口増の事ですよ。
人口増がなかった=小作人子孫を残さないではないでしょ。
(この意味わかります?)

≫それこそ商家に奉公にでたり、足軽になったりしたんじゃないのですか?
これは否定しません。成人した状態の人達はそうしていたと思います。
(成人していなかった人達には、可哀想ですけどね)
ですか人口増に寄与するほどの、子供を育てられたのは一部でしょう。

人口増に寄与したのは、殆ど小作人ではないと思います。
貧乏子沢山を否定しませんが、養えるのが最低条件です。

≫無ければ無い、そう言えば良いだけの話でしょうに。
何処にもないと思いますよ。少なくとも私はありませんな。>家系図

≫どこから「十人」なんてはっきりした数字が出てくるんでしょうか?

流石にはっきりと規定してないと思いますがね、
それにその後十人前後と改めていますが。
コテハン使ってるので、過去の事を持ち出されてもOKですが、
途中のレス見てくださいね。
196日本@名無史さん:01/09/06 21:58
ジャガイモでアイルランドも人口増えたし。
生産の増加=人口の増加で俺も良いと思う。
ところで、16世紀頃西洋の人口少なかったのは黒死病は関係無いのかな?
197日本@名無史さん:01/09/06 22:31
>これはこのスレの話題なので、
>分かると思いますが人口増の事ですよ。
その通りですね(笑)
≫小作人一代限り説ですか、初聞ですよ、そんな説は。
>男の全てが嫁を貰えた訳ではないですよ。
>小作人?に成る男も多いと思います。
>土地を増やせた家のみ分家し
>嫁を貰い家を創れたのです。
"これ"は"あなた"が
>4〜5人とした場合でも倍・倍に
>増えていくということと、現実との不整合について答えてくださいよ。
という、人口増に対する論議の傍証として
持ち出した話ではないのですか?
>人口増がなかった=小作人子孫を残さないではないでしょ。
そんなことは言ってないですよね?私もあなたも。
わたしはあなたが断定的に言い放った話に
史料的な裏付けを求めてるだけなのですが?
(言ってる意味わかります?)
198日本@名無史さん:01/09/06 22:42
>≫無ければ無い、そう言えば良いだけの話でしょうに。
>何処にもないと思いますよ。少なくとも私はありませんな。>家系図
あのー、2度までも他の物でも良いから何か裏付ける史料は
ありませんかとお聞きしたのですが・・・
もちろん
"あなたの断定的に言い放った小作人は家庭を持たないのが一般的!"
関る物ですけどね。
何も無いのですね。
そう言えば良いだけの話なのですがね。
何故に家系図のみに拘るのですかね?
単なる推測だから悪いとは私は言ってませんが。
19968:01/09/06 22:58
"これ"は"あなた"が
>4〜5人とした場合でも倍・倍に
>増えていくということと、現実との不整合について答えてくださいよ。
という、人口増に対する論議の傍証として
持ち出した話ではないのですか?

とりあえず現実との整合性に付いては、分かりましたね。
≫「食料生産は1、2、3、4としか増えないが、人口は1、2、4、8と増える」
これで説明はつきます。
この例は食えなかった人達のその後の一例を書いたんですけどね。

≫人口増がなかった=小作人子孫を残さないではないでしょ
そんなことは言ってないですよね?私もあなたも。
これは
≫小作人一代限り説ですか、初聞ですよ、そんな説は。
こんな事書いていたので、誤解しているのかと思ったんです。

≫史料的な裏付けを求めてるだけなのですが?
資料が残ってないからこそ、ここで議論しているんではないのですか?
資料があるのなら、その場で終わっていると思います。
私の推測の根拠は述べましたね。
貴方の推測の根拠は、何なんですか?
推測を断定的に書いたのは、間違っていたと思いますけどね。
20068:01/09/06 23:08
≫単なる推測だから悪いとは私は言ってませんが。

資料がない以上、推測しか無いと思うのですが?

江戸時代中期以降のある程度裕福な状態ならともかく、
戦国時代の食い詰め者が、十分に養えたとは思えないのですがね。
これについても文献など無いのだから、推測に過ぎません。
貴方も説得力のある推測で、納得させてくださいね。

小作農の話はスレチガイかなsageとこ
201日本@名無史さん:01/09/06 23:29
>貴方の推測の根拠は、何なんですか
私はここに推測を書いたことはないのですよ。
あなたが素っ頓狂と(思われる)説を断定的に言われたから、
史料の裏付けがあるのか興味をもっただけです。
厳密に言えばスレ違いですがね。
20268:01/09/06 23:37
≫あなたが素っ頓狂と(思われる)説を断定的に言われたから、

素っ頓狂ですか、
≫江戸時代中期以降のある程度裕福な状態ならともかく、
戦国時代の食い詰め者が、十分に養えたとは思えないのですがね。

この意見の何処が素っ頓狂なんでしょうね。
203日本@名無史さん:01/09/06 23:55
ふむ、小作人の話ね・・労働力安定的確保の面
(農業は女・子供も貴重な労働力&階級的固定化)
や生活へのモチベーションの面
(流人化して夜盗になった方がマシでは困る)
といった観点から見ても
小作人に妻子を扶養させれない報酬しか払わないのはかなり不合理
な話だと思いませんですかかね?
それに、日本では大規模農園はありませんから、任せた田畑で
夫婦単位で働かせて収穫の何割といったシステムを採った方が、
通いで日当を払う方法より合理的かと思います。
実際に知ってる例としては、
ロシアの農奴や琉球の砂糖黍奴隷の人達は、
ちゃんと妻帯していましたよ(もちろん時代は違いますがね)
農業は夫婦単位でやった方が効率は良いようですな。
204日本@名無史さん:01/09/06 23:58
小作人=赤貧 ならともかく
小作人=食い詰め者 って発想がそもそも間違ってませんかね?
(飢饉時以外)
205日本@名無史さん:01/09/07 00:06
あなた、何人子供が生き残るって主張でしたっけ?
仮に、4人として相続できるのは1人。
女児が半数として、男女2人が余るわけですよね。
男が小作で妻帯できないとして、もう1人の女は何処へ行くのでしょう。
遊女とかの需要がそんなに多いとは思えませんがね。
20668:01/09/07 00:06
>>203 >>204
≫土地を担保で、家族で小作人に成った人はともかく、
食い詰めて小作人になった人は、家族を養うほどの扶養力は無かったと思われます。

いちよ別にに考えてるんですけどね。
20768:01/09/07 00:08
>>203 >>204
≫土地を担保で、家族で小作人に成った人はともかく、
食い詰めて小作人になった人は、家族を養うほどの扶養力は無かったと思われます。

いちよ別で考えてるんですけどね。
20868:01/09/07 00:09
二重カキコになってる、スマソ
20968:01/09/07 00:19
>>205
一夫多妻そんなに少なかったでしょうかね。
別に武士だけではないでしょ。
それに全て妻帯者無しとは私も思っていませんから、そんなもんではないですかな。
21070:01/09/07 07:27
>>186(日本酒氏)
ご返答ありがとうございます。論理的なお答えだと思います。
ただ、私は、これも前に少し書きましたが、名も無い諸藩の武士の家系図を
相当数、閲覧してきている経験上、少なくとも江戸時代草創期においては、
武士の子女の数は、そのおのおのの経済力にかなりきれいに正比例していて、
その数は決してずば抜けて多くはない(10人前後の子供がいるというのは、
そうありふれた風景ではないという程度の意味)という実感をもっております。
下級の武士の家庭に10人の子がいることは、かなり稀だったと思われます。
なおかつ、私が知りうるかぎりでは、調査した系図の登場人物であるところの
彼ら下級武士一家達に「間引き」の風習が蔓延していたとはおよそ思えない
ところから結論して、当時においても、一応のバースコントロールは働いていた
と考えております。
さらに言えば、当時は江戸時代中期以後とは違って、兵農分離してまもなく、
下級武士と農民のあいだにモラルや経済力でそれほどの格差があったとは思えず、
ゆえに農民の家庭事情も下級武士のそれとかなり酷似していたのではないかと
類推する次第です。
ですから、

>つまり、10人生もうが20人生もうが、食べさせられなければ意味がないわけです。
合計特殊出生率が20人を超えていても、必ず淘汰圧がかかり、その結果人口が
決定されると考えています。

おっしゃるような、沢山の子供が生まれて、膨大な淘汰の結果、なおかつ人口が
増えた、というような状況は、ちょっと信じがたいのです。
「間引き」の風習があったことを否定するものではありませんが、それはここで
言われているほど多いものでは決してなかったのではないか、フロイスの発言を
鵜呑みにするのは大いに考え物だと思う次第です。
211日本@名無史さん:01/09/07 07:35
http://hawaiijoho.net/essay/Population.html
こんなのもあったよ。『人口論』
21270:01/09/07 07:43
>>187
>40歳まで25年もあるのですからね。これだけ言えば厳しくないと分かってくれます?
そんなに拘る事ですかね〜。

やはり意味をお判りでないようですね。ちょっと呆れます。拘るうんぬんではなく、
あなたの言ってることがおかしいということを理解してもらおうとしただけなのですが、
諦めます。

>貴方が何人説を唱えているのか知りませんが、とりあいず私は10人説です。

何人説、なんて安易なことは言えませんが、10人も子供がいるのがありふれていた
というような説には到底同意しません(という程度の人数です。)
武士の家系図の閲覧調査の経験に基づいて言っています。
あなたが10人説でもいいんですが、だからそれはなにに基づいていっているわけですか?
何度も聞いていますがお答えがありません。
21370:01/09/07 08:32
>江戸時代の、「末子養子の禁」によってどれだけ家が潰れたと思ってるんですか?

かなり厳しい制度だったから潰れただけの話でしょう?戦国時代は制度そのものが
なかったわけだから潰れるわけもない。
それに大名取り潰しが多かったのは、後期よりもむしろ前期(人口増加期)
でしょう。ただしそれは幕府の施策上の問題が大きいと思いますが。
21470:01/09/07 08:39
>>189
だから、その数字どおりなら、わずか一世代で人口が倍以上になるじゃないですか。
おかしいことがなぜわからないんですか?
21570:01/09/07 08:43
>>189
少し勘違いしました。やはり間引き(あるいは育てない)がかなりあるというんですね。
いったいどれぐらい間引きがあったと考えているわけですか?
216日本@名無史さん:01/09/07 09:37
>>210
>>下級武士と農民の間でモラルや経済力でそれほど格差があったとは思えず、
>>ゆえに農民の家庭事情も下級武士のそれとかなりと酷似していたのではないか

このあなたの意見は証拠によるものではなく、
憶測としても、あまり論理的に思えませんけどね。
217さち子:01/09/07 10:31
>>216はわたしですよ。

やはり兵農分離前でも、下級武士と普通の農民は
経済格差は大きかったでしょう?
例えば戦国期の下級武士は原則として農村に住み、自分の
田畑を持ちながらも、わずかながら領地を持ってました。
全然、違います。
また武田信玄は自分の農民を完全な農民(年貢、全て負担)
と半農半武(戦闘に参加して年貢の一部免除)に分類してますよ。
妙法寺記によりますと、武田領では
毎年(飢饉でもないのに)、多数の餓死者が出たそうですが、餓死したのは「完全な農民」であったと思われますね。
21870:01/09/07 10:41
私の調べた地方(一つではなく複数)ではそういう実態だったと
察せられるのですが、さすがにここでこれ以上詳細に説明するのは
労力的にも難しいです。
ただ、異時代の状況からのわけのわからない類推が、論理的だと見なされ、
私がなにか言うとおかしい、といわれたのでは、さすがに萎えますね。
はじめに答えありきで、そちらが勝利者であるという前提でしか
受け止められないようなので・・・。
68さんは私などよりはるかに非論理的、ほとんど無茶苦茶なことを
言っているとしか思えないのに、そのことへの指摘はほとんどないし・・・。
どうなっているのか・・・。
219さち子:01/09/07 10:45
間引きについては具体的な数はわかりません。
ただ、育てきれない分を間引くのでしょうね。
ですから、個人差があるでしょう。
子供が産まれるのが怖くて避妊や性行為抑制などを
したとは思えませんね。

もう一つ、言うと地域差があったそうです。
間引きは東北地方で盛んだったそうで、佐渡の嬰児を
生きたまま海岸の岩穴に放りこんで殺した伝承(おばりよん、という妖怪の発祥)
やコケシの発祥にまつわる伝承もあります。
ただ、フロイスは「特に九州で盛んだった」と別のことも言ってますが。
22070:01/09/07 10:50
>子供が産まれるのが怖くて避妊や性行為抑制などを
したとは思えませんね。

すると、武士階級で経済格差によって子供の数が違うという事実
(信じてもらうしかないですが)は、どう解釈しますか?
221さち子:01/09/07 10:59
わたしも68さんの発言に非論理的なところはあると思います。
「とりあえず、わたしは10人説をとります」という
「説」の立てかたと論旨がわからないんです。

しかし、70さんの「間引きは多くなかった」という説も
証拠もなく論理的にも納得できず、承伏しがたいんです。
単純に「昔は人工中絶もできず、満足な避妊方法が
なかった」という事実からだけでも、
「間引きは多かった」と考えるのが「普通の思考」だと思います。
ただし「普通の思考」が正解とは限りませんが、証拠もないので、
「普通の思考」から来る往来の説をわたしはを指示します。
さらに、間引きの伝承は多いですし、信用性に疑問が
出されたとはいえ、フロイスの記述もありますしね。
222日本@名無史さん:01/09/07 11:11
>>220
武士の経済力による子数の差ですね?

まず、妻の数の差は考慮に入れてますか?
他に下級武士の間ではやはり、間引きが「恥」とされて、
堕胎用の薬を使っていたか、隠れて間引いてた可能性
があります。
憶測になりますけどね。
223さち子:01/09/07 11:43
>>70さん
>>222はわたしです。
クルクル意見を変えるようで、申し訳ありませんが、
調べてみますと、あなたの言う「間引きは言われていたものより少なかった」
という意見に真実味がでてきました。

しかし、あなたの想像する意味とは違うかもしれません。
というのは、昔も中絶まがいの事があったようなんです。
例えば妊娠した女性の腹部圧迫やホウヅキ・フキ・ゴボウ
の枝や茎、あるいは針による、ちつ内挿入による嬰児掻破
や毒性のある、堕胎薬が使われていたそうです。
昔でも、そういう堕胎技術もあったという意味では
「間引きは言われていたものより少なかった」
というのは正解かもしれません。

PS こういう話しはやはり、辛いですよね・・・
22470:01/09/07 12:01
>>221
>「普通の思考」から来る往来の説をわたしはを指示します。

間引きが多かったというのが「普通の思考」や「往来の説」だった
という典拠はなんでしょう?私も間引きが絶無だったなどとは
もちろん思っていませんが、間引きが当たり前のようにどこでも
行われていた、というような「説」は寡聞にしてしりませんので・・・。
教えてください。

>>222
私が調べたのは数万石〜10万石未満の小藩ばかりです。
そのような藩では知りうるかぎり、家老級といえども妾をもつことは
ほとんどなかったようです。家老が妻を早くに失って、下級武士の
娘を正妻ではなく妾として迎えた例は何例か知っていますが、
一時に複数の妻がいたという例はないようです。
避妊については、尾篭な話になりますが、和紙を噛み砕いて女陰に
入れておく、というやり方があったようです。もちろん完全なものでは
ありませんが、吉原の遊女などもみなこれをやっていたのは事実です。
22570:01/09/07 12:04
上記224は>>223を見ずに書きました。
226日本@名無史さん:01/09/07 12:49
ところで70さんは正式に安土桃山時代の研究をされている方なのですか?
22770:01/09/07 15:17
>>190
>家系図を持ち出して、それに勝手に限定してるのはあなたですよ。
別に往時の風俗を描写した史料でもなんでもいいです。
あなたの断定的な憶測に史料の裏付けがあるのか訊いているのですから。
無ければ無い、そう言えば良いだけの話でしょうに。

まったくおっしゃる通りで・・・。私も噛んで含めるように説明したつもりなのですが、
一向にゲンがないというか・・・。故意ですっとぼけるような悪い人には見えないので
天然なのか・・・。不可解極まりないです。
22870:01/09/07 15:29
>>199
>とりあえず現実との整合性に付いては、分かりましたね。
≫「食料生産は1、2、3、4としか増えないが、人口は1、2、4、8と増える」
これで説明はつきます。
この例は食えなかった人達のその後の一例を書いたんですけどね。

わかりませんよ。その話とあなたの言ってることとはまったく別の話でしょう?
40〜50まで生きたような人は10人前後子供を産んだんでしょう?
そして10人兄弟のうち、4〜5人は40〜50歳まで生きたんでしょう?
さらにいえば、40歳未満まで生きたけれども早死にした成人が2〜3人いて、
彼らにも子供が数人いた可能性は十分あるわけですよね?
ならば、戦争・病気・不慮の事故等猛烈な淘汰があったことを前提にしても
わずか一世代で人口は倍増以上になってしまう計算です。
それは現実に合致していないでしょう?
だからおかしいと言ってるわけですよ。なぜわからないかなあ?
22970:01/09/07 15:32
>>199
>私の推測の根拠は述べましたね。

え?どれが根拠なんですか?本当にわからないんですが、何番のレスですか?
23070:01/09/07 15:40
>>209
>一夫多妻そんなに少なかったでしょうかね。

少ないです。武士でも妾がいる人間などごくごく限られます。(これは絶対に
1パーセントもいなかったはずです。)武士以外の身分では、富商とか、
天皇とか、ごく一部の上級公家衆とか、そんなところではないですか?
人口比で言えば、限りなくゼロに近いはずです、一夫多妻は。
23170:01/09/07 15:42
>>226
専門家でもなんでもありません。ただ、江戸時代のとある地方の
地方史に関しては、おそらく現在は私ぐらいしか研究していないと思います。
そういう極めてミニマムな分野に関しては専門といえばいえなくもないですが・・・。
232日本@名無史さん:01/09/07 18:14
妊婦の女性器にごぼうを入れて、胎児を始末した話しは
なんとなく聞いた事がある。
そういうの武士とかもしてたんですか?

簡単そうだし、しててもオカシクは無いが・・・・・
23372:01/09/07 19:44
>>70さん
今貴方の書きこみ見ていたら思ったんですけど、貴方勘違いしていません?
戦国時代末期の人口増加と、江戸時代の中期までの人口増加の要因は別ですよ。

戦国時代は国高(食料生産量)よりも人口が少なく、石高の限界まではすぐに増加しました。
食料自給量の半分しか人口がいない場合、人口は一世代で2倍までまで増えても、可笑しくありません。
(勿論実際には荒れた、田畑の再建に人手を取られるのでそこまでの増加は無理でしょうけどね)

それに対して江戸期の人口増加の理由は、新たに開墾して石高(食料生産)を上げることにより、
人口を増加させてきました、この人口増加石高の増加に縛られます。

ゲームで言うと、「石高が=最大HP」 「人口=現在のHP」になりますかな。
宿屋で一晩寝れば、「人口=現在のHP」は直に回復します。
ですが「石高が=最大HP」これはレベルが増加しないと増えません。
この違いなんですよ。
これで分かって頂けますか?

ついでに多少訂正させて下さい。
生命の危険の無い江戸期は、多少出生率が下がってると思います。
十人前後は戦国期とその後10年前後ぐらいに訂正いたします。
23472:01/09/07 19:59
>>213
「末期養子の禁」によって大名の多くが潰されたのは、
確か緩和される前までが、ピークだと思います。
(今手元に資料が無いのですが、各時代ごとの改易理由の統計を見たことがあります)
最初のころは、加藤清正のような理由で潰されていました。
出るかどうか分かりませんが、ネット上で検索してみます。

句読点の位置がおかしかったですね。スイマセン。
23572:01/09/07 20:03
≫やはり意味をお判りでないようですね。ちょっと呆れます。拘るうんぬんではなく、
あなたの言ってることがおかしいということを理解してもらおうとしただけなのですが、
諦めます。

言いたい事は分かりますが、面度くさくて省略したのがそんなに問題ですかね。
実際40まで生きれば、十分だと思いますけどね。
23672:01/09/07 20:12
≫あなたが10人説でもいいんですが、だからそれはなにに基づいていっているわけですか?
何度も聞いていますがお答えがありません。

何度も書いてるんですが???
>>127
でとりあえず述べています。
これと今までのレスの総合で考えて下さい。
これからも、思いつけば根拠のある推測を増やして行きます。
23768:01/09/07 20:15
コテハン変え忘れていました。スイマセン。
23868:01/09/07 20:24
≫68さんは私などよりはるかに非論理的、ほとんど無茶苦茶なことを
言っているとしか思えないのに

どの変が否論理的で、素っ頓狂何でしょうか?
詳しい説明お願いします。
資料の無い時代だから推測で述べているので、可笑しい点もあると思いますが、
ここまで言われるとわね。
貴方の論理的で、素っ頓狂では無い仮設をお願いしますね。
この行動をして初めて、他人を罵倒できると思います。
23968=72:01/09/07 20:32
名前: 68=72
E-mail:
内容:
>家系図を持ち出して、それに勝手に限定してるのはあなたですよ。
別に往時の風俗を描写した史料でもなんでもいいです。
あなたの断定的な憶測に史料の裏付けがあるのか訊いているのですから。
無ければ無い、そう言えば良いだけの話でしょうに。

まったくおっしゃる通りで・・・。私も噛んで含めるように説明したつもりなのですが、
一向にゲンがないというか・・・。故意ですっとぼけるような悪い人には見えないので
天然なのか・・・。不可解極まりないです。

≫何処にもないと思いますよ。少なくとも私はありませんな。>家系図
これでは足りませんか?
戦国時代の小作農などの、生活の実態を調査した文献なんかあるのでしょうか?
江戸時代中期以降なら、その当時の書物などの何処かに記載されている可能性も有るかもしれませんが。
24068=72:01/09/07 20:59
≫少ないです。武士でも妾がいる人間などごくごく限られます。(これは絶対に
1パーセントもいなかったはずです。)武士以外の身分では、富商とか、
天皇とか、ごく一部の上級公家衆とか、そんなところではないですか?
人口比で言えば、限りなくゼロに近いはずです、一夫多妻は。

かなり少なかったのですか。スレチガイの質問ですみませんが、
豪農等も持ってなかったんでしょうか?

江戸時代になると、奉公に上がる女の人も多くいたみたいですが、
戦国時代には、まだ都市化も進んでないし、領主等にに奉公に上がる人も少なかったと見るべきかな。

戦国時代は個人レベルでの遊女も多数存在したようですが、
人口比率的にはそんなに行かないでしょうから、
小作などの嫁の来てが、私の推測より多かったと見るべきかな。

結構豊か江戸時代中頃になると、かなり農民は裕福な生活をしていたようなので、
十分に可能性は有ると思います。
ついでに小作人もこの時代からは、小作+別の仕事をする事で、かなり裕福であったみたいですね。
江戸期はスレチガイなのでsage
24168=72:01/09/07 21:11
これで大体答えましたかな。
まだあれば、お願いします。
昼の間に物凄く付いていたので、答えるだけで大変でした。

読みにくい私の文章に付き合っていただき、ありがとうございます。
242日本酒:01/09/07 21:49
この論争、もう少し見守ります。
匿名掲示板、これが醍醐味!!
24370:01/09/08 03:44
>>233
>戦国時代は国高(食料生産量)よりも人口が少なく、石高の限界まではすぐに増加しました。
食料自給量の半分しか人口がいない場合、人口は一世代で2倍までまで増えても、可笑しくありません。

だから、現実問題として、国内の米の総生産量が、人口の2倍以上あった時期なんて
存在しないでしょう。それなのに、あなたは2倍以上人口が増えるような家族モデルを
唱えているわけなのです。おかしいじゃないですか?

>ついでに多少訂正させて下さい。
生命の危険の無い江戸期は、多少出生率が下がってると思います。
十人前後は戦国期とその後10年前後ぐらいに訂正いたします。

あんまり気分次第で書かないでくださいよ。「戦国期とその後10年」?
関ヶ原・大坂の陣あたりまでということで想像しているだけでしょう?
私が江戸時代の武士の系図の話を持ち出したから、適当に戦線縮小している
だけにしかどう見ても見えませんよ。
よしんば戦国期のほうが若干子沢山だったことを認めたとしましょう。
でも10人前後という数字がどこから来るのか、私以外の人もわからない
と言い始めているじゃないですか?
24470:01/09/08 03:57
>>234
>「末期養子の禁」によって大名の多くが潰されたのは、
確か緩和される前までが、ピークだと思います。

だから、大名の改易に関しては、幕府のそのときどきの匙加減というものが
大きく影響しているわけで、大名の子女数の動向の傍証にはおよそなりえない
じゃないですか。ナンセンスですよ。
嗣子が無い場合以外の改易にしたところで、江戸時代を通じてその件数が
均一にちらばっていたということではないのですから。わかります?

>>235
>言いたい事は分かりますが、面度くさくて省略したのがそんなに問題ですかね。

いや、まるで分かってませんね。でもこの話はやめにしましょう。あなたに
理解してもらうのは無理です。
24570:01/09/08 04:05
>>236

>>127を見ると・・・

>少なくとも避妊思想は無かったと思います。

>あの当時の農民の娯楽は、性交であった可能性が高く、
まだ50年ぐらい前までは、2日もしくは3日に一回はやっていたと聞きました。

>その当時の大名などは特に多産。

>戦乱の時代なので、労働力不足の可能性が高い。

>石高の上昇期なので、それだけ養う事が可能。

>生存の危機に遭った状態は、多産の可能性が高い。(種族の保存本能のようなものが、働いたのか?)
今現在も発展途上国は、10人は逝かないまでも、かなり多産である。

というようなところですか?(次につづく)
24670:01/09/08 04:11
まず、避妊の方法は一応あったようです。>>224で書きました。

あと、大名の子供の数などは、なんの意味ももたないということはすでに述べました。
たぶん意味を理解していないでしょうが。

それ以外のことに関しては疑問は大いにありますが面倒なので一応認めましょうか?
しかし、だからと言って、これと10人前後という数字とどこがどう結びつくのです?
10という数字(9でも11でもいいですが)がどこからはじき出されたのか
皆目わかりません。
24770:01/09/08 04:20
>>238
>どの変が否論理的で、素っ頓狂何でしょうか?

上に書いたように根拠(?)と数字の結びつきに論理性がないから非論理的なのです。
「素っ頓狂」というのは私が使った表現ではないです。私以外の方の中にも
あなたの非論理性を看破した人がいるということではないでしょうか。

>貴方の論理的で、素っ頓狂では無い仮設をお願いしますね。

あなたよりは論理的なつもりです。算術の問題として10人前後などという多産は
おかしいということを数字をあげて話しましたし、経済力の無い武士の家系図の
例からそれほどの多産が恒常的にあったようには思えない旨話しました。
24870:01/09/08 04:27
>>239
>戦国時代の小作農などの、生活の実態を調査した文献なんかあるのでしょうか?

無いなら、小作農の妻帯率や子女の数などわからないじゃないですか。わからないはずの
ことをあまりにも不用意にきめつけているということが批判されているんです。
(しかし、ここまで説明しなきゃいかんのか・・・)

>>240
>豪農等も持ってなかったんでしょうか?

それほどの豪農がいったい日本に何人いたかという問題があるでしょう。
人口に明らかな影響を与えるほど、妾をもった豪農がいたとは到底思えません。
249日本@名無史さん:01/09/08 07:22
妾を持っていた人は1%未満?
うーん、それも信じがたいな。
通いの愛人とその子供とかくらいはいたと思う。
あと、避妊についても、成功率が高い避妊ではなかったでしょうな。
25070:01/09/08 08:25
愛人や私生児というようなものも確かにいたでしょうね。
そこまで含めれば1パーセント未満ということはないのかなあ。
私の念頭にあったのは家系図に載っているような子供の母としての女性です。
本宅に妻妾同居であったり、別宅であっても正妻公認(黙認?)であるような
お妾さん。でなければ系図に記載されるようなことはないでしょうから・・・。
ただ、お妾さんの経済面まで見てやれる(養ってやれる)武士、となると、
武士の総人口の1パーセントもいなかったという見解にはかわりませんが・・・。
いずれにしろ、人口に影響を与えるような、男性一人あたりの子供の数の平均値に
0コンマ1たりとも影響を与えるようなレベルでそういう関係が存在していたとは
思えませんが?
251日本@名無史さん:01/09/08 09:55
やはり、間引きよりは中絶のほうが圧倒的に多かったんじゃなかろうか。
たくさん生んで何人も間引くというのは、山奥の村とかの光景では?
252日本@名無史さん:01/09/08 12:43
日本が世界の人口Top10に入ったのはいつごろから?
253日本@名無史さん:01/09/08 12:47
大昔でも結構上位だったんじゃない?
254日本@名無史さん:01/09/08 12:56
昔はアメリカやブラジルもなかったからな。
25568=72:01/09/08 21:16
≫だから、現実問題として、国内の米の総生産量が、人口の2倍以上あった時期なんて
存在しないでしょう。それなのに、あなたは2倍以上人口が増えるような家族モデルを
唱えているわけなのです。おかしいじゃないですか?

人口増加と、その足かせに付いては理解できますね。
それが理解できて、なぜ理解でしないのか理解できませんね。
これは足かせの無い場合の、モデルですよ。
実際戦国時代なら、10人産まれても半分は食料以外の要因で死亡する可能性が高い述べているんです。

≫あんまり気分次第で書かないでくださいよ。「戦国期とその後10年」?
関ヶ原・大坂の陣あたりまでということで想像しているだけでしょう?

自分の推論も述べていない人に、そんな事は言われたくは無いが、
江戸時代の中頃までは、自分の推論の条件に合わない面もありますから、訂正しました。
別に武士の家系図で変更したわけではありません。

何故かと言うと、武士の生活と農民の生活を一緒にするのは、間違いでしょう。
戦国時代の話を、江戸時代の武士の文献から判断するだけで、貴方の主張と矛盾しません?

それに江戸時代の武士階級は、それ程多産であったとは思えません。
子供の養育には武士階級は金がかかります。
教育制度が行き届くと養育費がかかる所為もありますが、殆ど例外無く出生率は低下しています。
サラリーマンに近く教育が必要な武士階級と、労働力が必要な農民階級を一緒にしては不味いと思います。
江戸後期の農民は、結構教育にも熱心なので江戸初期までですけどね。

それに武士全体の収入の増加は殆どありません。
検地の数が江戸時代全体で、2回しかない所もありますから、
収入の増加が見込めないので、武士階級の人口の増加は殆ど有得ないので、
武士の家系図を根拠に述べるのは、見当違いだと思います。
256日本@名無史さん:01/09/08 21:43
≫だから、大名の改易に関しては、幕府のそのときどきの匙加減というものが
大きく影響しているわけで、大名の子女数の動向の傍証にはおよそなりえない
じゃないですか。ナンセンスですよ。
嗣子が無い場合以外の改易にしたところで、江戸時代を通じてその件数が
均一にちらばっていたということではないのですから。わかります?

戦国時代の子供が出来なくて、養子を迎えた件は結構少ないですよ。
兄や当主が夭折した為に、養子に迎えられた件や、
干渉によって無理やり養子になった件、
戦死やお家騒動によってなった件などが殆どです。
当主の夭折で家が潰れた件は、江戸時代にもありますが、
先細りになった事は否定できないと思います。
初期は殆どが城の増改築などですが、緩められる前は末期養子の禁で改易にされています。
少なくとも戦国時代の出産率よりも、多い事は無いでしょう。
257日本酒:01/09/08 21:46
「10人生むのが多かった?」への意見ですが。

結局は、ソース持ってるかどうか、が大きいですね。

70氏は、ソースを持って話をしているわけだし、さち子氏も、自分の説に不備があれば
訂正できるだけの柔軟性をもってますね。(70氏の場合、個人情報の保護の観点
からすると、「又聞きソース」とできればよかったと思う。ただ、「又聞きソース」に
できないソースを持っていたのが、70氏の難しい点だったのかな、とは思う)

私はかえって、70氏の
>武士の子女の数は、そのおのおのの経済力にかなりきれいに正比例していて、
>その数は決してずば抜けて多くはない(10人前後の子供がいるというのは、
>そうありふれた風景ではないという程度の意味)という実感をもっております。
という発言あたりに興味をそそられます。
このあたりをきれいに説明するような議論(もちろん、史実の積み上げによる
支えがあって、のことですが)を希望しております。
25868=72:01/09/08 21:53
あと、大名の子供の数などは、なんの意味ももたないということはすでに述べました。
たぶん意味を理解していないでしょうが。

それ以外のことに関しては疑問は大いにありますが面倒なので一応認めましょうか?
しかし、だからと言って、これと10人前後という数字とどこがどう結びつくのです?
10という数字(9でも11でもいいですが)がどこからはじき出されたのか
皆目わかりません。

大名と別は理解できますが、それほど確実な避妊方法だったんですか?
経験上「オギノシキ」?に近い事を、知っていた可能性はありますが、
それにしても、それほど避妊が一般的だとは思えません。
どのぐらい避妊思想を持っていたか、当時の資料をおもちなんですか?
25968=72:01/09/08 21:59
≫まず、避妊の方法は一応あったようです。>>224で書きました。

あと、大名の子供の数などは、なんの意味ももたないということはすでに述べました。
たぶん意味を理解していないでしょうが。

それ以外のことに関しては疑問は大いにありますが面倒なので一応認めましょうか?
しかし、だからと言って、これと10人前後という数字とどこがどう結びつくのです?
10という数字(9でも11でもいいですが)がどこからはじき出されたのか
皆目わかりません。

大名と別は理解できますが、それほど確実な避妊方法だったんですか?
経験上「オギノシキ」?に近い事を、知っていた可能性はありますが、
それにしても、それほど避妊が一般的だとは思えません。
どのぐらい避妊思想を持っていたか、当時の資料をおもちなんですか?

肝心の所をコピペしていなかった、これに訂正しますスマソ。
26068=72:01/09/08 22:22
日本酒サンへ

そうですね私が十人説がぽんと出たのは、
40まで生きた人が、
明治期や昭和期に十人以上生んでいる人達が多く、
少ない人でも5人ぐらいでした。
平均で8人ぐらいだったと思います。
(乳幼児入ってなかったと思います)
ついでに自分の聞いた曾婆さんや、その母親などは10人以上は産んでいました。

人という物の本質は変わらないと思いますから、同じ分だけ子供を産んだと考えました。
農村では医療技術などは進歩しましたが、生活のレベルはそれ程の変化はありませんでしたから、
同じだけもしくは、教育などに力を入れないのなら、それ以上の出産は有得ると考えました。
261日本酒:01/09/08 23:14
>>260
私の両親も、兄弟姉妹の数が多かったので、
今のご時世と照らし考え、興味を持ってるわけなんですよ。

ただ、何人なのか、これは難しい議論だな、と思ってます。
社会的に安定している時代ならば、少なくとも2人を成人させれば
いいわけです。
2人では不安だから、3人としましょうか。
であれば、4人目以降は、何らかの理由で死ぬか、子孫を残しえない
立場にならなければなりません。

言えないような理由で戸籍には残らなかった出産もあったでしょう。
また、戸籍の外で生き抜かざるを得ない人生を選択した人たちも
あったことでしょう。

ただし、そういった人たちの存在を証明できなければならない、と
いうのが、近現代的学問のスタイルです。

「文言に残るのは7人までだが、あと3人の存在をこの仮説で証明できる」と
いうのもありだとは思います。

かく言う私も、それが知りたくて、へたくそなやり方で調べてみたりしてます。
根拠のない、感覚的なもので、「5人なら少ないな。10人なら多いな」とか
思ったりはしてますが、いかんせん、裏づけがないもので・・・

68さんの、実生活上での数字も理解できますし、70さんの、貴重なソースも
得がたい資料だと思っとります。

数字を挙げておきます。
私の両親の兄弟姉妹の平均値は、6人です。
262日本@名無史さん:01/09/08 23:26
>私の両親の兄弟姉妹の平均値は、6人です
そりゃすごいですね。
私の場合は2人いってないです。
26368=72:01/09/09 00:05
>>261
私の両親の兄弟はどちらも3人ですが、その親の兄弟は今生きているだけで、平均で5,6人です。
職場の同僚に親父の兄弟だけで、7人その全て存命中の人がいました。
その子供達の正月はお年玉が大変で、かなり困っていました。
26470:01/09/09 07:17
>>255
>これは足かせの無い場合の、モデルですよ。
実際戦国時代なら、10人産まれても半分は食料以外の要因で死亡する可能性が高い述べているんです。

だから10人も生まれたら、「半分は食料以外の要因で死亡」しても、一世代で
倍以上になってしまうじゃないですか。半分も死ぬほどの足枷が仮にあったとして、
それでもなおかつ多すぎる人数だと言っているわけですよ。言葉でわからないのなら
紙に図でも書いて、2・3世代分計算してみたらいいじゃないですか。

>自分の推論も述べていない人に、そんな事は言われたくは無いが、

そんなこと、推論を述べてしまえるほうがおかしいんですよ。人口統計がある時代でも
ないのに、戦国期の「その後の十年」なんてピンポイントの推論をしてしまうほうが
おかしい。あなたの立場はなんの史料的裏付けがなくても、言い値で具体的な「推論」
をしてしまえるという立場なんでしょう?それと同じ出鱈目をやらなければ「自分の
推論も述べていない人」にされてしまうのですか?

>戦国時代の話を、江戸時代の武士の文献から判断するだけで、貴方の主張と矛盾しません?

そもそもこの議論の発端は、戦国時代だけでなく、16世紀から17世紀末までで人口が
1.5倍から2倍に増えていたという議論(つまり江戸時代初期も含んでいる)だったと理解
しているのですが・・・。それに、江戸時代草創期の武士というのは当然、戦国時代生まれ
なわけで、私の書き方にも誤解を与える部分があったのかもしれませんが、私が見た史料
には少なくとも戦国時代後半生まれの人間の記述が多く載っています。
26570:01/09/09 07:35
>>255
>それに江戸時代の武士階級は、それ程多産であったとは思えません。

でも、あなたの立場は基本的にバースコントロールをほとんど否定しているわけでしょう?
だったら、現代と比べれば格段に娯楽が少ないという事情は同じなのでしょうから、
避妊も効果を示さない、間引きもやらないとなれば、下級武士も子沢山になるのでは
ないでしょうか?

>教育制度が行き届くと養育費がかかる所為もありますが、殆ど例外無く出生率は低下しています。

江戸時代初期の時点では、武士もそんなに教育熱心じゃないと思いますよ。
各藩の藩校ができたのはもっと後の時代がほとんど(あなたの言う、農民も結構教育熱心に
なった時代と同じころじゃないかな?)で、それ以前にも私塾のようなものは多数
ありましたけど、少なくとも江戸時代のごく初期は、後期とはおよそ違うはずです。

>>256
>当主の夭折で家が潰れた件は、江戸時代にもありますが、
先細りになった事は否定できないと思います。

当主の夭折以外の事情で、嗣子がいなくて廃絶になった大名なんていったいどれだけ
ありますか?私の知っているかぎり、江戸時代と戦国時代とで大名の子女数に明らか
な変化(先細り)等は見られないですが・・・。
266さち子:01/09/09 07:42
正直、避妊の思想はあまり浸透してなかったと思うし、あっても、成功率の低い避妊でしょう。
それよりも、間引きもある程度あったでしょうけど、中絶が多かったと思います。

間引きより中絶の有利な点として、
妊娠中、妊婦は・・・
・労働力が低下する。
・栄養を多く必要とする。
・出産で体を痛める危険性がある。
・性行為ができない
などですね。

ただ、当時の中絶は胎児の死体の摘出をしたのかしら?
しなくても、大概は母体に吸収されますが、妊娠中毒症を起こす危険性もありますね。
わたしの調べた限りでは「掻破」としか書かれてないので、気になります。
彼岸花の根などで作る堕胎薬も、どういう具合になるのか、良くわかりませんね。
26770:01/09/09 07:44
>>257
>このあたりをきれいに説明するような議論(もちろん、史実の積み上げによる
支えがあって、のことですが)を希望しております。

そうなのでしょうね。ただ労力その他の問題で、難しいですが・・・。
私の持っている史料をお見せすることができれば、もう少し納得していただけるのかも
しれませんが・・・。公刊されているようなものではまったくないですし、
読んでおられる方からすれば雲をつかむような話になっているかもしれません。
268日本@名無史さん:01/09/09 07:53
そんな事より、70さんの口調が何故、
途中から、変わったかの方が気になる・・・
「俺」とか「だろうな」「書けよ」とか書いてた人と
同一人物とは思えない。
26970:01/09/09 07:58
>>259
>大名と別は理解できますが、

でも>>87で・・・
>大名など家系図などをお持ちなら、戦国期に10何人も子供がいたのに、
江戸中期から江戸後期に掛けての、出生率の低下に、気が付くはずです。
それと同じ、曲線を描くと考えております。

と言っておられますが?「同じ、曲線」は誤りであったと認めるわけですかね?

>それほど確実な避妊方法だったんですか?

当然、現在のものほど確実ではなかったでしょう。ただ、まったく無意味であれば
毎日のように客の相手をする可能性もある吉原の遊女が使いつづけたとも思えないので、
それなりの効験はあったのではないかと思うのですが、科学的根拠はありません。
一般にどれだけ浸透していたかは文書では確認できていません。ただ、吉原とは
遠く離れた九州の某県の地方史家から、その地方でも同様のことをやっていたという
話を聞いたことはありますが・・・。
27070:01/09/09 08:14
>>260
>人という物の本質は変わらないと思いますから、同じ分だけ子供を産んだと考えました。

でも、明治維新から戦前までのわずか60〜70年のあいだに、人口が3倍以上に
なっていたと記憶していますがね?違いましたか?
戦国期の人口増加などより遥かに早いスピードでしょう?
この時期は乳幼児死亡率もかなり高かったはずだし。
それに、この時代にしたって、「10人は軽く産んだ」とはいえないと思いますよ。
10人産んだ人はたくさんいたでしょうが、子供を産まない人もいれば、3〜4人の
人も多かっただろうし。10人産んだという話をよく聞くから、多くの女性が
軽く10人産んだような錯覚をもっちゃうだけではないでしょうか。
軽く産んだというからには、少なくとも健康かつ長寿をまっとうした女性の半分以上は
10人産んでなければおかしいと思いますが、そんな状況は戦前にもなかったのでは
ないかな?
27168=72:01/09/09 19:57
>>264
≫だから10人も生まれたら、「半分は食料以外の要因で死亡」しても、一世代で
倍以上になってしまうじゃないですか。半分も死ぬほどの足枷が仮にあったとして、
それでもなおかつ多すぎる人数だと言っているわけですよ

私が言っている足かせは、食料の自給率ですよ。
5人生き残っても食料が4人分しかなければ、その食料の足りない人は、
自立できる年齢なら、家を離れて他の職業を見つけることも出来るだろうが、
子供や年寄り等の自立できない人達は、処分の可能性が高いのです。

≫そもそもこの議論の発端は、戦国時代だけでなく、16世紀から17世紀末までで人口が
1.5倍から2倍に増えていたという議論(つまり江戸時代初期も含んでいる)だったと理解
しているのですが・・・。それに、江戸時代草創期の武士というのは当然、戦国時代生まれ
なわけで、私の書き方にも誤解を与える部分があったのかもしれませんが、私が見た史料
には少なくとも戦国時代後半生まれの人間の記述が多く載っています。

多少誤解していました、江戸時代の武士の家系図と言われましたので、
江戸時代限定と誤解しました。

≫でも、あなたの立場は基本的にバースコントロールをほとんど否定しているわけでしょう?
だったら、現代と比べれば格段に娯楽が少ないという事情は同じなのでしょうから、
避妊も効果を示さない、間引きもやらないとなれば、下級武士も子沢山になるのではないでしょうか?

出産制限は余りしてないと思いますね。
半農の武士等は、農民と生活環境が近いので、
同じぐらい子供を産んだ可能性は高いと思います。
ただし、俸禄のみで暮らしていた武士は、ある程度の教養や教育もあるでしょうから、
それ程の多産とは思えません。
27268=72:01/09/09 20:23
>>269
≫「同じ、曲線」は誤りであったと認めるわけですかね?

いや間違いとは思っていません。
江戸時代のが夭折かどうかは、私の持っている資料からは分かりません。
戦国時代の、長生きし、子供が出来ない状態で養子に頼ったのは、
有名所では、毛利輝元、小早川隆景、立花道雪
(この人は歩けない状態なのでどうかな)だけでした。
今ざっと見た200家中3家しかありませんでした。
「毛利の血筋に多し」

で、取り下げた理由は俸禄だけで暮らしていた武士と同じで、
人口の過半数占める、農民の生活と余りに違うので排除しました。
27368=72:01/09/09 20:45
>>265
≫江戸時代初期の時点では、武士もそんなに教育熱心じゃないと思いますよ。
各藩の藩校ができたのはもっと後の時代がほとんど(あなたの言う、農民も結構教育熱心に
なった時代と同じころじゃないかな?)で、それ以前にも私塾のようなものは多数
ありましたけど、少なくとも江戸時代のごく初期は、後期とはおよそ違うはずです

江戸の初期はまだ戦国期の人達がまだ現役なので、入れるべきではないと思います。
戦国期の人達もある程度教育に熱心でしょうが、ほぼ官僚制と化した江戸時代中期?
(50年も経っていないなで中期とは言いがたい)
この時代にはもう教育がないと出世できないと思います。
それに戦国期も文盲の人が出世は難しかったようです。
それと日本は戦国期でも町民は、余り文盲がいないので生活的には武士に近いとおもいます。

>>270
明治期の人口増加の理由の一つは、出産された人の死亡率の低さと、
食料の生産高の増加増加だと思います。
朝鮮なんか資料の不備を見込んでも、4倍は100年足らずで増加しています。
食料さえ足りれば人口増加は、それ程可笑しくないと思います。

ふと思ったのですが、明治期の農民の生活と戦国期の下級武士の生活、
どちらがより、戦国期の農民の生活に近いと思いますか?
27468=72:01/09/09 20:48
≫食料の生産高の増加だと思います。
これに訂正します。
間違いが多くて、すみません。
27570:01/09/10 17:28
>>271
>5人生き残っても食料が4人分しかなければ、その食料の足りない人は、
自立できる年齢なら、家を離れて他の職業を見つけることも出来るだろうが、
子供や年寄り等の自立できない人達は、処分の可能性が高いのです。

え?そういう食糧不足も含めた淘汰の果てに10人中4〜5人は40〜50歳
まで生きる、という話じゃないんですか?「処分の可能性が高いのです」って
だから何を根拠に言ってるんですか。もうさっぱりわけがわからない。
どこから出して来た数字なのか。適当に想像だけで言っているのなら、そういう
断言めいた言い方はやめて、もっと謙虚になったらどうなんですか?

>出産制限は余りしてないと思いますね。
半農の武士等は、農民と生活環境が近いので、
同じぐらい子供を産んだ可能性は高いと思います。

俸禄のみでは生活が成り立たないような微禄の武士の戦国時代から江戸時代
初期にかけての子供の数が、私の知っているかぎり、決して多くはない
(10人兄弟はかなり稀という意味)のです。
半農の武士は農民と生活環境が近い、というのはその通りだと思います。
だから、農民の子もあなたが想像しているほど多くはなかったと私は
推測しているわけです。
27670:01/09/10 17:49
>>272
>いや間違いとは思っていません。

でも、「人口の過半数占める、農民の生活と余りに違うので排除しました」
と認めているわけでしょう?それはつまり「同じ、曲線」は誤りであった
(間違いであった)ということじゃないですか?

>江戸時代のが夭折かどうかは、私の持っている資料からは分かりません。

わからなくてなぜ、江戸時代(後期?)の大名の子供の数が戦国時代等と
比べて少ない、ということだけはわかるんですか?ほとんど滅茶苦茶を
言ってますよ。

>戦国時代の、長生きし、子供が出来ない状態で養子に頼ったのは、
有名所では、毛利輝元、小早川隆景、立花道雪
(この人は歩けない状態なのでどうかな)だけでした。

長生きというほどではないが、上杉謙信もいるし、あと島津義久だとか、
前田利長なんかもかなり生きたのに男児に恵まれなかったと記憶していますが?
というより、確率が問題なわけでしょう。本当に確率的に時代によって変化が
あるんですか?調べてもいないのなら適当なことを普通は言えないはずですが?
27770:01/09/10 18:04
>>273
>江戸の初期はまだ戦国期の人達がまだ現役なので、入れるべきではないと思います。

だってここで話題にしているのは戦国時代と、それとともに江戸時代初期にかけてまでが
人口増加期だった、という話でしょう?それで江戸時代初期は入れるべきではないとは
どういう話ですか。(と一応書いておきますが、たぶん意味わかっていないでしょうね・・・)

>ふと思ったのですが、明治期の農民の生活と戦国期の下級武士の生活、
どちらがより、戦国期の農民の生活に近いと思いますか?

当然、戦国期の下級武士の生活のほうが、戦国期の農民の生活に近いでしょう。
下級武士という定義があいまいだけど、俸禄だけでは食えないような武士も
(当然上級武士ではないのだから)下級武士ですよね。そういう人はほとんど
農民と生活レベルは大差ありませんよ。(あなた自身>>271で「半農の武士等は、
農民と生活環境が近いので」と言っているじゃないですか。)
というか、農民の上級層は最下級の武士などよりよほど豊かだったと思いますよ。
278日本@名無史さん:01/09/10 20:29
sage進行ですか?>70
>>275
≫え?そういう食糧不足も含めた淘汰の果てに10人中4〜5人は40〜50歳
まで生きる、という話じゃないんですか?「処分の可能性が高いのです」って
だから何を根拠に言ってるんですか。もうさっぱりわけがわからない。
どこから出して来た数字なのか。適当に想像だけで言っているのなら、そういう
断言めいた言い方はやめて、もっと謙虚になったらどうなんですか?

私は最初からそのつもりで言ってるんですけど・・・
「処分の可能性が高いのです」これはそんなに断言的ですか?
ついでにそれ以外で生きる可能性が無いので、食料が足りなければ、
その選択肢を選ばざるをえないと思います。

≫俸禄のみでは生活が成り立たないような微禄の武士の戦国時代から江戸時代
初期にかけての子供の数が、私の知っているかぎり、決して多くはない
(10人兄弟はかなり稀という意味)のです。
半農の武士は農民と生活環境が近い、というのはその通りだと思います。

ここまでは同意です。おそらくここからの事で、分かれているんだと思います。

≫農民の子もあなたが想像しているほど多くはなかったと私は推測しているわけです。

この資料の無い時代の推測で判断が分かれています。
子供が労働力としている農民と、武士を一緒にするのは違うという考えなんです。
27968=72:01/09/10 20:57
>>278も私です。
>>276
≫でも、「人口の過半数占める、農民の生活と余りに違うので排除しました」
と認めているわけでしょう?それはつまり「同じ、曲線」は誤りであった
(間違いであった)ということじゃないですか?

出産数の低下は否定しませんが、これを根拠にしたのは誤りだと認めます。

≫わからなくてなぜ、江戸時代(後期?)の大名の子供の数が戦国時代等と
比べて少ない、ということだけはわかるんですか?ほとんど滅茶苦茶を言ってますよ。

死亡年齢と家督の譲られた理由が、江戸期は無かったので判断できなかった。
(戦国期は家系図の解説があり、いろんな本で知った)

≫長生きというほどではないが、上杉謙信もいるし、あと島津義久だとか、
前田利長なんかもかなり生きたのに男児に恵まれなかったと記憶していますが?

上杉謙信は、その〜何というか、ホモオンリーなんで外しました。
前田利長は、戦国武将かなと迷ったので、止めときますた。
島津義久は、完全に忘れてました。スイマセン。指摘ありがとうございます。

末期養子の禁は、兄弟全滅の時でしたよね。
この状態ですから、前田と島津はセーフになりますから、かなりの以上事大だと思うのですが。
(毛利はアウトかな)
28068=72:01/09/10 21:29
≫だってここで話題にしているのは戦国時代と、それとともに江戸時代初期にかけてまでが
人口増加期だった、という話でしょう?それで江戸時代初期は入れるべきではないとは
どういう話ですか。(と一応書いておきますが、たぶん意味わかっていないでしょうね・・・)

おそらく初期の年数の違いだと思います。

≫当然、戦国期の下級武士の生活のほうが、戦国期の農民の生活に近いでしょう。
下級武士という定義があいまいだけど、俸禄だけでは食えないような武士も
(当然上級武士ではないのだから)下級武士ですよね。そういう人はほとんど
農民と生活レベルは大差ありませんよ。(あなた自身>>271で「半農の武士等は、
農民と生活環境が近いので」と言っているじゃないですか。)
というか、農民の上級層は最下級の武士などよりよほど豊かだったと思いますよ。

おそらくここの判断の違いです。
最後の一行は同意しますが、戦国期の半農の武士以外は生活レベルは近くとも、
その生活をするための条件が違います。

武士は下級でも(この言い方でイイかな)教育が必要で、子供を養うのに農民より遥かに手間がかかる。
江戸期は個人的レベルでは、生活レベルを上げる事は可能ですが、
武士全体では収入の増加が殆ど無いので、武士全体の人口増加は有得ません。

農民は上級以外はそれ程教育も必要とせず、何よりも労働力重視なので多産に武士ほど抵抗が無い。
検地も対してないので、開墾した土地分だけ食料の生産量が増えますので、人口が増えます。

明治期も私は市民に近い武士の生活よりも、同じ農民である方が近いと思いました。
あくまで同時期の武士より、明治期の農民の方が近いと思っているんですよ。
28170:01/09/11 16:27
>>278
>ついでにそれ以外で生きる可能性が無いので、食料が足りなければ、
その選択肢を選ばざるをえないと思います。

そういう食糧事情等によって淘汰される数というのは、成人にいたらない
3〜4人、成人しても早死にしてしまう2〜3人(10人兄弟中の)に
含まれるんじゃないんですか?

>子供が労働力としている農民と、武士を一緒にするのは違うという考えなんです。

労働力と言いますが、労働力にもたしかになるけど、それ以前の問題として
決して多いとは言えない食糧を食う存在にも当然なるわけですよね、子供は。
多産にはそういう負の側面もあるわけで、そうしたマイナスを飛び越えて
なおかつ、武士の世帯の子供の平均を著しく超えて子供をつくる、というような
ことが本当にありうるのでしょうか?
武士だって下級は半農半武同然だし、ならば労働力が必要なのは同じでしょう。
そういう家の子供が決して多くはない、という話を再三持ち出しているわけですが・・・。
28270:01/09/11 16:38
>>279
>出産数の低下は否定しませんが、これを根拠にしたのは誤りだと認めます。

誤りを認めたのは結構ですが、出産数の低下も証拠がないでしょう?
大体、江戸時代の大名の没年がわかる史料がない、ということを自分で発言して
いるわけで、ならば出産数の低下が真実であったかどうかわからないでしょう?
夭折した大名の子供が少なくても当たり前なわけで、そういう例を見て
誤解して言っているだけじゃないですか?このスレの本題とこの問題とはちょっと
ズレますけど、普通に考えて江戸時代になったからといって大名の子息が減る
ような事情というのは考えにくいんじゃないですか?
私の知っているかぎり、子沢山な大名は江戸時代でも多いですよ。

>死亡年齢と家督の譲られた理由が、江戸期は無かったので判断できなかった。

だから、それなら江戸時代の大名の子供が少ないとは即断できないはずでしょう?

>末期養子の禁は、兄弟全滅の時でしたよね。
この状態ですから、前田と島津はセーフになりますから、かなりの以上事大だと思うのですが。

だから確率の問題で結論を出さないと・・・。何例中何例が各々の時代によって
子供がいなかった、という話じゃないと意味がないでしょう?
28370:01/09/11 16:49
>>280
>武士全体では収入の増加が殆ど無いので、武士全体の人口増加は有得ません。

そんなこともないですよ。というのは階級移動も(それほど多くはないが)
ありますから。そこそこの武士(徒士以上)の次男三男が足軽として新規に
取り立てられて一家を構えたり、足軽の次男三男は扶持がないので帰農したり、
というようにね。あとは坊主になったり医者になったり商人になったり・・・。
武士の家の子孫が増える可能性はそれなりにあります。
数字を持っているわけじゃないので確実なことはいえませんが、農民のほうが
人口を増やしやすい事情にあった(と思っているわけですよね?)とは
言えないと思いますが?
28468=72:01/09/12 20:20
昨日今日とマウスの調子が悪いので、(と言うより動かない)
書きこみにくいから、明日新しいマウス買って来ますから、
明日の夜まで反論待ってください。

待たせてスイマセンでした。
28568=72:01/09/13 19:59
≫そういう食糧事情等によって淘汰される数というのは、成人にいたらない
3〜4人、成人しても早死にしてしまう2〜3人(10人兄弟中の)に
含まれるんじゃないんですか?

江戸期はともかく、戦国時代で、戦場が日本ですから、
50(40でも可)まで生きるのは、半分が限界だと思いませんか?

≫労働力と言いますが、労働力にもたしかになるけど、それ以前の問題として
決して多いとは言えない食糧を食う存在にも当然なるわけですよね

そうだと思います、食料の自給が最低条件ですからね。
だが石高の増加期ですから、一世代前よりは食料の生産量が多いので、
1人か二人は養う事は可能だと思いますし、
戦国期ですから、成人していた人もいきなり死んでしまう事もあります。
その場合、それほど荒れてない田畑が親族などに手に入ります。
石高は変わらないのに、人口の低下が起こる訳です。
その場合、労働力がとにかく必要になります。
他所からの移動もあるでしょうが、自分の子供がその役割を果たす事の方が多いと思います。

≫武士だって下級は半農半武同然だし、ならば労働力が必要なのは同じでしょう。
そういう家の子供が決して多くはない、という話を再三持ち出しているわけですが・・・。

出来れば具体例をあげてくれませんか?
チョット農民と同じ生活環境で、出産数が少ないとは思えませんので。
28668=72:01/09/13 20:33
>>282
確率を出すのは難しいですね、全ての大名の没年は知りませんから。
戦国期ならある程度はわかりますが、江戸期は半分も知りません。
例え出しても、余り人口とは関係無さそうですしね。

私が見た限りでは、ある程度の差があったんですが、
確率で表す事は出来ませんので、信憑性がありませんね。
28768=72:01/09/13 20:44
≫というのは階級移動も(それほど多くはないが)
ありますから。そこそこの武士(徒士以上)の次男三男が足軽として新規に
取り立てられて一家を構えたり、足軽の次男三男は扶持がないので帰農したり、
というようにね。あとは坊主になったり医者になったり商人になったり・・・。
武士の家の子孫が増える可能性はそれなりにあります。

武士としてやっていくのが難しい時代なんでしょ。
そんなに間違った事は言ってないと思いますが?
それに人口比で武士達は1割程度だし、
更にその一部が人口にどれほどの影響を与えかな。

≫数字を持っているわけじゃないので確実なことはいえませんが、農民のほうが
人口を増やしやすい事情にあった(と思っているわけですよね?)とは
言えないと思いますが?

私も数字は持っていませんから、確実な事は言えませんが、
武士の人口増加より、増加要因が多いので、
それほど信憑性の無い推測とは思っていません。
288日本@名無史さん:01/09/17 22:33
アゲとこう
289日本@名無史さん:01/09/19 21:43
70さん居られませんか?
29070:01/09/20 14:59
諸々忙しくて・・・。週末に書くようにします。
291日本酒:01/09/22 03:57
68さんと70さんの議論は楽しく読ませていただいてます。
・・・ここんとこサボってましたが、まとめ読み。

ちょっと気にかかったんですが、ひにんの技術はどうだったんでしょう?
地方によって、ひにん技術に対する理解度に差があったのかどうか。

ひにんは、人の生死に関わりますので、どの地方においても、共有知識と
して、保存されていたのではないのかな、と思います。
言葉巧みにタブーを伝えるのは世の常ですが、何度か出産経験のある
夫婦が、ひにんにつながるタブーを理解することはありうると思います。

そのあたりのタブー(言い伝え、ことわざ)など、現代に伝えられてない
ものなのでしょうか?

「ふこくきょうへい」「うめよふやせよ」の中で、忘れ去られてしまったのでしょうか?
292日本@名無史さん:01/09/27 15:42
agありますか?
29370:01/09/27 23:34
>>285
>50(40でも可)まで生きるのは、半分が限界だと思いませんか?

さあ、どうだかはっきりしたことはわかりませんが、半分「も」生き残って
その半分は(40歳まで生きるということは)10人前後子供を産んでしまう
(その半分がまた40歳まで生きて10人前後産んでしまう)のだから、
それだけで充分にネズミ算式に人口は増えてしまいますね。
10人産むのだとしたら、半分生き残る前提でも人口は増えすぎるのでは
ないでしょうか?

>江戸期はともかく、戦国時代で、戦場が日本ですから、

意外に戦死って多くないんですよ。第二次大戦なんかでは人口の数十パーセントが
減ったと記憶していますが、戦国時代の戦闘は例外はありますが、戦争の規模・
頻度から考えれば、戦死は少なすぎるぐらい少ないようです。

>出来れば具体例をあげてくれませんか?

どういう風に挙げればいいのでしょう?まさか系図等をここに筆写するわけにも
いかないしね。
29470:01/09/27 23:44
>>286
>確率を出すのは難しいですね、全ての大名の没年は知りませんから。

でも大名の数なんて武士の数と比べれば極めて少数(有限)なんだから
確率は出そうと思えば出せそうですが・・・?
出さなくてもいいですけど、大名の没年・確率等がまったくわからないので
あれば、江戸期の大名の子女が少ない、などという発言はやはり控えられる
べきでしょう(根拠がないのだから)。
確率がわからなくても、それこそ個別に具体例を挙げてくれれば(大名の系図
なら私にも取り寄せることは可能だから)、納得することもありえると思うの
ですが?どの史料を見て江戸時代の大名の子女が少ない、と思ったんですかね?

>>287
>それに人口比で武士達は1割程度だし、
更にその一部が人口にどれほどの影響を与えかな。

いや、全体にどれだけ影響を与えたかを述べたいのではなく、武士の
家庭・その子孫の人口の増減がほとんどない、というあなたの考えに
対する反論です。

>武士の人口増加より、増加要因が多いので、

だから、そこのところがわからないんです。武士より農民のほうが
増加要因が多いということの根拠が・・・。

レスが遅れてすみませんでした。
295日本酒:01/09/28 16:20
ちょっと話は戻るんですが、「避妊」について。

「妊娠」「出産」の因果関係は、それほど難しいものではないですよネ。
何人か子供を産んで、経験が豊富になってくるにつれ、どうすれば
「避妊」が可能かは、学べるのではないでしょうか?
もちろん、現代の技術には及ばわけで、確率は低くなるとは思います。

年長者、若年者取り揃えた井戸端会議なんかでも開かれた日には、
「最近の暮し向き、きついわねえ」
「うちなんか子供多いから、めっちゃ大変よ」
「そういえば、あんたんとこ子供少ないわね。なんか秘訣あるの???」
てな具合で、知識(あやしい迷信も多かったでしょうけど)が広まってゆく
ものなんではないのでしょうか?

もっとも、「20歳の女性の出産は平均0.2人であり、30歳の女性の出産率は平均
0.1人である」というようなデータが出てこない限りは立証が難しい
わけではありますが・・・
296日本@名無史さん:01/09/29 00:18
人口から読む日本の歴史 鬼頭 宏著  講談社学術文庫を読みましょう。

同書では、戦国期から江戸初期の人口増加の要因を、

貨幣経済の進展等により、荘園制以来の傍系親族と隷属農民(晩婚あるいは生涯独身
であるものが多かった)に依存する大規模名主経営から、家族労働を主体とする小農民
経営に変化したためとしている。
297日本@名無史さん:01/10/06 14:05
age
298日本@名無史さん:01/10/06 20:00
安土桃山時代の戦力は世界最強って話を読んだことがあるが。
「鉄砲と日本人」という書籍だった。

それによると、戦闘に利用できるまともなヨーロッパ式の鉄砲を
世界で唯一日本が量産化に成功したために、当時戦国時代だ
った日本で爆発的に普及したので、世界全体の鉄砲の数より
多い鉄砲が日本に存在してたらしい。

対朝鮮・明戦争も日本側の士気の問題で普通に戦闘していれ
ば勝っていたと思われる。
299夏侯操:01/10/06 21:08
いつも戦国板にいるのですが。
日本の鉄砲は性能と強度がいいんです。刀を作るように鉄をたたいて作ります。ヨーロッパでは鋳型をつくり鉄を流し込むだけなので量産は効きますが、性能が劣ります。日本の火縄銃はヨーロッパで以外と人気だったそうですよ。
300日本@名無史さん:01/10/08 11:17
イングランドでは出生届と死亡届、結婚届を教会に提出する義務が
あったらしく、それを研究すると、当時の大家計図がほぼ
完璧な形で再現できると聞いた。
産業革命以前の出生率は、驚くことに、現在の近代社会のように
低く、女一人につき、2〜3人だったらしい。
家族も親と一緒に住むという考えは薄く、核家族が普通。
30168=72:01/10/08 23:03
すいません、何時レスが付いたのか気が付きませんでした。
>>293
≫それだけで充分にネズミ算式に人口は増えてしまいますね。
10人産むのだとしたら、半分生き残る前提でも人口は増えすぎるのではないでしょうか?

人口とはネズミ算的に増えていくと思っていますが、それは外部から食料が輸入できたり、
食料が自給に対して、大く上待っている場合に限ると思います。
食料が自給を上回っていない限り、すぐ頭打ちになると思います。

≫意外に戦死って多くないんですよ。

ええそれは知っています。大規模な合戦でも1割死亡する事は中々ない。
1割が死亡するという事は、その3倍以上の負傷者がいるので戦闘の継続が出来ないそうです。
だが、その3倍以上の負傷者が問題です。
医療の発展していない当時、破傷風や体力の低下から来る病気により、
その負傷者の何割かは、死亡してしまうそうです。

≫どういう風に挙げればいいのでしょう?まさか系図等をここに筆写するわけにも
いかないしね。

出来れば出版物等が良いです。
図書館等にある物なら、自分で調べます。
30268=72:01/10/08 23:40
>>294
≫どの史料を見て江戸時代の大名の子女が少ない、と思ったんですかね?

私の親の書庫に有った、戦国大名家および、江戸時代の大名家に関する本。
自分で買った物も有る。宿老クラス殆どは有りません。
本家および分家くらいまでしか書いてありません。
明治期から昭和期は、私の親戚や職場などですね。
たまたまかもしれませんが、かなりの多産です。

≫だから、そこのところがわからないんです。武士より農民のほうが
増加要因が多いということの根拠が・・・。

江戸時代の大名家の武士は、武士全体での収入の増加は中々望めません。
検地も無い所は殆ど無かったみたいなので、新たな産業を起こしたりしない限り、
収入の増加は殆ど有りません。(例外は有る)

下級の武士等は、子供をこの俸禄でどうやって養っているのかと思うくらいの経済状況です。
その上出世する為には、子供の量ではなく、子供の質が重要で、
多産では多くの子供を養う事は事実上不可能です。

ですが、農民は経済状態は一緒でも、検地が無い間に、
村ごとに開墾し、または水利の整備や、肥料を変えるなどの生産性の増加させ、
収穫量の大幅な増加が見込めます。
勿論大規模な開墾や治水などは、藩や幕府が介入して収穫量を増加させた事例も有ります。
この場合は、勿論年貢が増加します。

庄屋などはともかく、普通の農民は質よりも量が必要です。
優秀な一人より、多数の人手が要ります。
教育レベルの上昇による、出産数の低下などもあるでしょうが、
私が主としているのは、人手が必要という要因があるからです。
30368=72:01/10/08 23:43
>>300
小麦と米の違いですかね。
私の説が大間違いでも、4、5人いないと人口の増加が無いでしょうから。
304日本@名無史さん:01/10/10 00:42
江戸時代は飢饉の度に飢餓でえらい人数が死んでるよ。
>>東北のある藩では人口が半分になったケースもあるとか。

出産人数は昭和初期と同程度と考えてもいいんじゃないか?
要するに、戦死なんて考えなくても江戸時代の生産量だと食料不足でしんじゃうんだよ。
今の価値基準で判断するなよ。
305ちゃん:01/10/12 22:44
江戸時代の一番簡単な避妊は外出しです。
「こらえ性がなくって中に出すから子沢山」みたいな川柳だか狂歌だかを見たことがあります。
避妊知識は少なく、セックスは娯楽だったでしょうが、精子を中に出すと子供ができるという知識は無学な農民にもあったでしょう。
完全な避妊法ではないにしても、これでバースコントロールはしてたんじゃないでしょうか?
ちなみに私は妻との間は2人の子供をもうけて以来コンドームですが、つきあって5年目の愛人との間は外出しor口の中に出すのだけで避妊しています。
306日本@名無史さん:01/10/13 07:59
>>305
ほかに間引きと中絶ですね。
307  :01/10/13 13:35
日本で最初に人口調査を行ったのは徳川吉宗で、その時の人口は2655万人(間違ってたらスマソ)
308日本酒:01/10/17 17:34
ageます。

簡単に日本の人口を挙げておきますね。

奈良時代 約600万人
1600年頃 1800万人(吉田東伍説)、1227万人(速水融)
1721 約3100万人(調査人口2607万人、調査漏れ500万人)

1872 34,806
1900 43,847
1920 55,473
1940 71,933
1950 83,200
1960 93,419
1967 100,196
1970 103,720
1980 117,060
1990 123,611
1999 126,686
309日本@名無史さん:01/10/17 17:49
調査漏れが500万人いるというのはどうして(どのような調査で?)
わかったんだろうか?
310日本@名無史さん:01/10/17 20:07
>309
たぶん、「えいや」という気合とともに決めたと思われ。
311日本@名無史さん:01/10/28 15:45
やっぱり?
312日本@名無史さん:01/11/05 00:10
奈良時代から戦国時代まで1000年近くで倍ぐらいにしかなってないね
313juju:01/11/05 01:24
調査人口には武士は含まれていないのでは?
したがって2600万+260万=2860万プラスアルファで約3000万。
314日本@名無史さん:01/11/11 01:04
明治初期の人口から考えて、3000万もいなかったのでは?
315日本@名無史さん:01/11/11 01:25
>314
明治初期の人口って、いくらです?
316日本@名無史さん:01/11/22 09:54
317日本@名無史さん:01/11/29 20:57
2835万人
318日本@名無史さん:01/11/29 20:58
>>317
( ´_ゝ`)フーン
319日本@名無史さん:01/11/30 08:37
中世も、戦国時代も飢饉がすーごかったんだよ。
でも、「七度の餓死にあうより一度の戦争にあうな」という諺があって
それが昔から実感をもって言われていたことは史料からわかるらしい

藤木久志の本おもしれーなー
320日本@名無史さん:01/12/02 14:51
作物を作っても武士に収奪されてしまったから飢饉になったんでしょうか?
321日本@名無史さん:01/12/11 08:10
age
322日本@名無史さん:01/12/11 10:14
飢饉の多くは,自然的原因と社会的要因の複合で発生するものだからね.

近代でも,同じ(というか,なおさらか).
アイルランドでは,19世紀の半ばになっても主食の
ジャガイモ凶作による大飢饉による数十万人規模の餓死者を出していた.

穀物は,飢饉の間もイギリスに輸出しているにもかかわらず,である.
323日本@名無史さん:01/12/11 11:13
>>322
「飢餓輸出」は近代どころか現代でも行われてるよ。
スターリンは国内の食料不足から餓死者が出ても
大量の食料を外貨獲得のために輸出したし、
チャウチェスクも国民に配給制にし食料制限を行いながら、食料輸出を行った。
さらに今、現在でも食料の不足して餓死者が出ている
アフリカ諸国から欧米に大量の食料が輸出されるシステムになっている。
324日本@名無史さん:01/12/11 12:37
>藤木久志の本おもしれーなー

禿同
325 :01/12/11 14:12
んで 結論は?(笑)
326日本@名無史さん:01/12/16 16:34
なんの結論?
327日本@名無史さん:01/12/27 18:19
328日本@名無史さん:01/12/27 19:02
>>324
本は幅広くもっと多く読みましょう。
329日本@名無史さん:02/01/04 02:37
関ヶ原の合戦の兵数って天下分け目と呼ばれるわりには少ないようにいつも
思うのですが?
330   :02/01/04 04:09
>>329
両軍合計20万と昔は言われていたが、最近は15万数千といわれているそのことですね。
1)厳密に考証がなされている(らしい)こと。
2)予備を含めると数は膨らむこと(例:秀忠遅参3万5千が含まれていない)
3)全国大名がすべて参上しているわけではないこと(例:上杉)
331日本@名無史さん:02/01/12 17:53
秀忠軍って3万5千人もいたんだ。
332日本@名無史さん:02/01/12 17:56
関が原に参加している大名など本分もいないと思われ。
全国津々浦々で戦争があったのだから、全兵力を導入しているわけがない。
333日本@名無史さん:02/01/12 18:06
本分→半分
訂正。
何で間違えたのだろう????
334日本@名無史さん:02/01/12 18:41
>>329
ハルマゲドンみたいに日本中の軍隊が集まるわけない。
ちなみに鳥羽・伏見の戦いは幕末の関ヶ原みたいなものだが、
こちらはもっと極端で、
各藩が少しでも、この戦いに人員を出したくないとばかり。
何百人、何十人といった小単位で兵を送っている。
335日本@名無史さん:02/01/14 04:31
ところで戦国時代の男女の人口構成比はどんなもんよ?
女が男の2倍以上いたって言う人もいるけど。
336日本@名無史さん:02/01/14 06:28
>>335
そんなわきゃないだろ。
337日本@名無史さん:02/01/14 06:35
>>335
普通に考えて半々だろうけど、
第二次大戦で二千万の死傷者(主に男子)ソビエトでは
戦後、結婚できない女性が頻出した。
日本も戦国だから、女性はやや多かったかもしれない。
しかし、城攻めや一族滅亡では女も死ぬわけだし、
そんなに変わらないと思う。
338337:02/01/14 06:36
訂正
二千万の死者を出したソビエト
339日本@名無史さん:02/01/14 08:25
>>330
関ヶ原での徳川軍の兵数だけど家康が3万2千、秀忠が3万8千って
よくいわれるけど、さらに上杉軍に対して兵力を残してきていることを
考えると多すぎないかな?
340日本酒:02/01/14 19:35
68氏と70氏。
両氏の激論、ワクワクして読めたあの頃が懐かしい・・・
341日本@名無史さん:02/01/16 21:12
兵器の話題、なくなっちゃったね。
342日本@名無史さん:02/01/16 21:18
戦国、三国志板では、
人口の一割は動員できたとかいわれてますがどうなんでしょう。
もし可能なら、日本は120〜180万は動員できる事になる。
343日本@名無史さん:02/01/16 23:02
歴史上、人口の一割を動員した国の例は何例かある。
ソ・フィン戦争のフィンランドがそうだ。
ただし、それは攻めこまれた側だから、そうできたのと、
補給部隊なども含んでの話しだ。

遠征させるための部隊はどうだろうか?
344日本@名無史さん:02/01/18 03:50
応仁の乱から関ヶ原までの100年強で人口が2倍、GNPが3倍
その後の関ヶ原から元禄までの100年でまた人口が2倍、GNPが3倍
てーのを何かで見た覚えがある。
345日本@名無史さん:02/01/18 23:20
良スレage
346日本@名無史さん:02/01/19 05:03
>>172 恐レススマソ
すいません、うちの高校の日本史の教師が
「種子島に漂着したポルトガル人は
日本人に火縄銃を売りつけたが
その当時ポルトガル人は六連式のリボルバーみたいなやつを
持っていて、日本人に旧型の銃を売りつけてもうけていた」

このようなことがかいてあった本は見たことがあります。
それを見ていったのかもしれませんね。
小学生向けの漫画で読む日本史のようなのでしたが・・・
347日本@名無史さん:02/02/02 22:19
>>344
当時のGNPなんてどうやって算出するの?
348日本@名無史さん:02/02/04 08:23
>>346
当時そんな拳銃があるわけない。
349日本@名無史さん:02/02/14 23:42
拳銃自体があったのか?
350日本@名無史さん:02/02/14 23:50
>>349
拳銃自体はありました。
351日本@名無史さん:02/02/15 00:44
ようやく論破合戦がおわったね…
本来の本題に期待age…
352日本@名無史さん:02/02/23 01:43
本題ってなによ?
353日本@名無史さん:02/02/23 03:43
>>352
スレ題読め!
ボケが…
354日本@名無史さん:02/03/03 00:06
論破合戦のほうが楽しいよ。
355日本@名無史さん:02/03/16 02:02
um
356日本@名無史さん:02/03/21 16:51
鎌倉・室町ごろの日本の人口って誰かわかる?
357日本@名無史さん:02/03/29 23:52
古代から室町ごろまではあんまり増えなかったんやろ
358日本@名無史さん:02/03/30 01:44
>>357
平安時代の石高の試算はあるけどね。
359日本@名無史さん:02/04/13 11:20
>>358
どれぐらいだったの?
360日本@名無史さん:02/04/13 12:58
人口ね。
古代からはじまって、江戸中期まではまあ順調に増えたはずだよ。
律令時代は一応戸籍があったわけだし、その後の時代も石高の資料などを付き合わせれば
上2桁ぐらいまでの概算なら出せる。
江戸初期までは、農業経済国としては大国。人口は世界でもかなり多いほう。
江戸鎖国で経済伸長が停頓してる間にヨーロッパは農業経済からの質的脱却をしたわけで。
江戸期の人口の推移は研究がよほど進んでいて、1720年代には人口成長率がゼロになることがわかっている。
あきらかな停滞。
この人口グラフがまた右肩上がりに伸び出すのが明治初年から。
あきらかな好転。

ちなみに、江戸後期日本はゼロ成長と言いつつも、長州、サツマ等、西国藩はプラス成長。
東国諸藩がマイナス成長のプラマイゼロという内訳になってます。
幕府が倒れるのも西国諸藩が活性化するのもうなずける。
このあたりは板倉聖宣の著書にくわしい。書名は失念。失敬。
361日本@名無史さん:02/04/20 16:20
東国は飢饉で人口減ったの?
362日本@名無史さん:02/04/20 16:32
>>359
日本全国で416万3984石
363日本@名無史さん:02/04/20 17:16
>>361
それはやや文学的な言い方。
江戸初期と同じ人口を養うだけの生産力が無かった、というほうが正しい。
364日本@名無史さん:02/04/20 17:19
奈良時代から鎌倉時代までは、大雑把で西暦に10000を掛けたくらいの人口だったとか。
365日本@名無史さん:02/04/20 17:21
鎌倉中期あたりから農業改革が進んで、人口が2000万人強まで膨らんでくるらしい。
366日本@名無史さん:02/04/20 17:24
伸び率で言えばむしろ、平安中〜末期から鎌倉初期の方が高いと思うのだが、実際どうなのだろう?
次第に実力を持ち始めた地主層がとうとう鎌倉において政権を持った、と考えれば。
367日本@名無史さん:02/04/20 17:29
>>366
平安末期は、どっちかというと貴族が弱くなっていく構造だったから、在地の生産力云々はあまり関係なかったのでは?
368日本@名無史さん:02/04/21 11:48
age
369日本@名無史さん:02/04/21 11:52
江戸時代後期からは寒冷期に日本が入っていたから、
東北地方は苦しかっただろうね。
370日本@名無史さん:02/04/27 00:06
それだけが理由なのか?
371日本@名無史さん:02/04/27 00:25
まさか。
一元的に解明できてしまうほど歴史や社会は単純じゃないよ。
太平洋戦争についての議論とか、すごく思うんだけど、
すぐ一元的な理由を求めたがるのは悪いクセだよ。
372日本@名無史さん:02/05/04 14:24
だから一元的でない他の要素とはどういうものなの?
373日本@名無史さん:02/05/04 14:58
ハァ?何について?太平洋戦争についてか?
374日本@名無史さん:02/05/08 00:04
いや、江戸後期の東北の人口について
375日本@名無史さん:02/05/08 00:16
>>369
そういう話をよく聞くが、科学的根拠はあるのか?
376日本@名無史さん:02/05/08 02:00
>>375
http://www.nhk.or.jp/sch/junior/yougo23.html
【マウンダー極小期】
 ブリッスル・コーンパインの年輪から、過去1000年の間に3回の太陽活動の
低下があったことが知られています。これらは西暦1300年前後のウォルフ極小期、
1400年代の大半にあたるシュペーラー極小期、そして1645年〜1715年頃にかけて
のマウンダー極小期です。マウンダー極小期の太陽活動低下は、全世界的な寒冷化
を引き起こしたと考えられます。

http://members.tripod.co.jp/imamuram/bunsyo/maunder.htm
 1600年代の初めに、ガリレオなどが、太陽の表面に黒点を発見しました。
ガリレオの書いた太陽のスケッチには、たくさんの黒点が描かれています。ところ
が、そのあと70年以上にわたって太陽の上からほとんど黒点が消えてしまったの
です。(1645〜1715頃)このことは、太陽表面の観測だけでなく、氷河や
木の年輪や、オーロラの記録からも裏づけられています。この太陽活動が低下した
時期のことを、発見者であるイギリスの天文学者にちなんで「マウンダー極小期」
といいます。

377日本@名無史さん:02/05/08 02:03
ただ、日本では暖流である黒潮が近かったことと、その地理的な位置からその影響はそれほどでもなかったようです。


らしいぞ
378日本@名無史さん:02/05/08 02:04
ヨーロッパは基本的に緯度は凄く高いのにメキシコ湾流の
おかげで温帯なわけでさ・・・
379日本@名無史さん:02/05/08 04:00
>>336
生物学的には男は弱くて、よく死ぬからなあ。
2倍はともかく1,5倍くらいは女が多そうだな。
380日本@名無史さん:02/05/19 14:56
そういう時代はいいね
381日本@名無史さん:02/05/20 05:59
380みたいなモテナイ君にはいい時代かもね!
382日本@名無史さん:02/05/28 00:33
383日本@名無史さん:02/05/28 01:15
>>379
しかし当時の食事風景の記述なんかを見ると、
当時は「男の方が偉い」というわけで、
男の方が多くの食料を、あるいは良いものを食べてたわけで、
そんな簡単な比較はできないだろうね。
384日本@名無史さん:02/05/28 01:28
>>381
ハッキリしたソースは忘れたが
江戸時代の記述に生涯独身の女性の活躍とかが書いてあった。
お稽古事の先生になったり、一人で開墾を行って(人を雇ったりはしたかもしれないが)生活する女性がいたそうだ。
つまり、現代の女性や、一昔前の欧州では教養ある女性が生涯結婚せず好きなことをやったりする傾向があるが、
日本でも、少ないかもしれないが、そういう傾向もあったらしい。
実際、少なくとも天皇の皇子、皇女は多くは生涯独身だったのだし。
ただ、欧米の独身女性のような「純潔思想」があったかどうかはわからない(尼僧を除いて)な。
385384:02/05/28 01:34
まあ、江戸期以前にも、
松姫とか大伯皇女のような生涯独身の女性はいたんだし、江戸期の豊臣秀頼の娘や後桜町天皇の事例もある。
ただ、昔の日本の生涯独身女性に欧米の生涯独身女性のような「純潔思想」があったかはわからない。

そのへんは詳しい人がいたら教えて欲しい。
386日本@名無史さん:02/05/28 01:57
>>379
生物的にはオスのほうが弱いけど、生れてくる数はオスのほうが多いから、
結局は釣り合いが取れるとか読んだことがあるような……
現代の人類は乳幼児死亡率が低いから、結果男が余るのは必然とか。
ただ戦国時代はどうしても男の死亡率が高そうだから、女が多かったかもしれない。
387日本@名無史さん:02/05/28 07:23
>>386
そりゃ違うと思うよ。
男の方が多いのは意図的なものだと思われる、本当は半々だろう。
ちなみに昔は間引きも多かったので、産まれてから性別を見て育てるか間引くか決められるしね。
昔は男児の方が跡取りとして大切にされたと思われる。
実際、密教などの祈祷に男児出産の祈祷法まであるほどなんだけどね。
男児が産まれないのに悩む、現代の天皇家でも、そういう祈祷法は行われてるのだろうか?
388 :02/05/28 09:59
>>387
生物学的なことを言ってるのに、
社会学的な問題を出すあなたはどうかしていると思うが。
389【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/05/28 10:23
>387
間引きなどない今の日本も男性(男子)の方が多いです。
390日本@名無史さん:02/05/28 18:32
ペストが流行った時
ヨーロッパでは人口の3分の1が死んだって話聞いたけど
日本では伝染病が流行った時どれぐらい死んだの?
391 :02/05/28 21:33
>>390
ヨーロッパのようにクソを町じゅうに垂れ流し、
よどんだ川に、にごった飲み水しかない瘴癘の地と異なり、
水清く、緑豊かで、汚わいは肥料となした日本では、
そのような未開な伝染病で大量死することはなかった。
392日本@名無史さん:02/05/30 02:28
医学的根拠が全くない治療や、貧困すぎる生活で大量死>ハポン

子捨てなんか日常茶飯事ですからなー
393日本@名無史さん:02/06/15 16:29
うるへえ
394日本@名無史さん:02/06/15 19:56
>390 >391
日本でもかなりの人数がペストでやられた可能性も。
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1010/10102/1010226992.html
395日本@名無史さん
↑のスレの35くらいの書き込み参照。