289 :
九州王朝大好き:
消えるようで消えないこのスレに敬意を表して、再掲。
下記の自説は風水にもあうのですね。
究極の遷都理由は水です。水が不足したからです。
藤原京も水の豊かな都でした。平安京は現代でも地下水の豊かな土地です。
平城京も長岡京も豊かな地下水がありません。長岡京は桂川はありますが、豊富な地下水はありません。
平城京は、京都市中心部から南へ桂川宇治川木津川合流地点にかけての巨大地下湖の上に、浮いているのです。
だから、地下水には事欠きません。池・井戸を掘ればきれいな水がすぐに手に入れることができるのです。
平安京は何度も遷都しましたが、それは一時的なものでした。
水の面で平安京に優る土地がなかったからだと推定します。
京都市の南部、宇治市の西方に地上の巨大湖の残骸(巨椋池)があったのは半世紀前まででした。
平安京の水上運送については文献に見られますが、それを理解する為には次のように考えるとよいでしょう。
@平安京は港湾都市であった。
A大阪湾から琵琶湖への途中にある、今は存在しない湖(巨椋池がその痕跡)の北岸に平城京がありました。
B平城京が建設された当時は九条通りの南方は、湖(巨椋池がその痕跡)とそれにつながる沼沢地でした。