従軍慰安婦はいなかった

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1日本@名無史さん
日本軍による連行の事実はありません。
2日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:23
もうその議論はいいよ。飽きた。
3日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:24
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。る
4日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:33
軍司令部による大量徴発的連行

一九四四年五月三○日、「日本軍天津防衛司令部」は天津特別市政府
警察局にあてて、次のように通告した。@河南へ軍人慰労のため「妓
女」一五○人を出せ、A期限は一力月、G借金などはすべて取り消し
自由の身にする、C速やかにことを進めて、二、三日のうちに出発させよ。これを受けて
警察局保安科は、売春業者の集まりである「天津特別市楽戸連合会」を召集し、「妓女」
を勧誘させた。日本軍司令部の指示のもと、軍と現地警察局と民間業者が一体となって軍
慰安婦の徴達、徴発的連行にあたっていることが明らかである。
勧誘の結果、一三九人が「自発的に応募」して性病検査を受けたが、逃亡するものなど
が多く、八六人が軍慰安婦として選ぱれた。日本軍は、防衛司令部の曹長が兵士一○人と
ともにトラック四台で迎えにいった。しかし八六人のうち半数の四二人が逃亡したという。
このように多数の逃亡者がいることは、「自発的に応募」が文書上の偽装であることを示
している(『朝日新聞』一九九九年三月三○日)。
一九四四年に、軍司令部が先頭にたってこのように大規模な徴発的連行を性急に行った
のは、藤原彰氏が言われるとおり、日本陸軍の大陸打通作戦、すなわち海上交通が不可能
になったため、朝鮮−満州−中国大陸を通って、タイ、マレー、シンガポールにいたる連
絡路をつくろうとする大規模な作戦計画を進めていたことに関連していよう。このために
河南に大部隊が動員され、軍慰安婦の派遣が強請(ごうせい)されたのである。
5日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:34
東南アジア・南太平洋における徴達・連行

東南アジア諸国や南太平洋の地域においては、これまで見てきた朝鮮
や中国における徴達・連行のさまざまの形態が出そろっていると一言え
る。
まず詐欺的連行であるが、インド洋カールニコバル島の海軍軍属であ
った河東三郎は、同島へ内地から来た軍慰安婦について、「かの女ら慰安婦の多くは、戦
地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされてきたのだそうだ。かの女らは看護婦にな
るつもりで、戦地に従軍してきたらしい」と仄聞(そくぶん)している(『ある軍属の物語』思想の科学
社、一九八九年)。
6日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:35
また、カリマンタン・タラカンの輜重兵(しちょうへい)第三二連隊の戦中記には、次
のように記されている(「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」)。
慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源氏名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十
八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。
彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガ
レラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。
彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装
で、メナド人はミナハサ族といって色自で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。
彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。
このように東南アジアでも、徴達された現地で使役されるのではなく、セレベス島から
カリマンタン島へ連行されている事例のあることを知り得る。
なお、敗戦後にセレベス民政部第二復員班長によって作成された「南部セレベス売淫施
設(慰安所)調書」によれば(『資料集』83)、「実際上婦女の募集並(ならび)に雇傭契約は主とし
て民政部嘱託■■■■■■(氏名抹消)(帰還)及(および)実業団員■■■■■■(氏名抹消)(帰還)之(これ)を行ひ、
各地方施設に配置したり」とあり、詐欺的連行者を含めて、「雇傭契約」「配置」は純然た
る民間業者ではなく、軍の監督下にある者が行っていた。
7日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:36
徴発的連行には、『高野部隊ミンダナオ島戦記』(一九八九年)に、「邦人通訳の森山さ
んの紹介を得て、武石主計少尉が内地から持参した女性用のワンピースの布を持参して、
ダバオのボスを訪問し、『慰安婦』六、七名の斡旋を依頼した。一週間後に、ダバオのボス
が指定した場所に、食肉受領の帰途、私達のトラックが立寄り、六人の現地人女性を連れ
て来た」とある。また、インドネシアに帰化した元日本兵タイラ・テイゾウは、インドネ
シアの週刊誌『テンポ』記者に次のように語っている(大村哲夫「『現地調達』された女性
たち」『世界』一九九三年七月)。
インドネシア人女性が日本軍によって強制的に集められたと言う人がいたら、それ
は間運っています。彼女たちは普通、現地の村役人を通じて行われた通達によって集
められたんです。まず集められて、それから日本軍の司令部へ連れて行かれたんです。
ですから、もし強制があったとすれば、それはインドネシア人自身によって実行され
たことになります。(一九九二年八月八日号)
これは日本軍弁護論として語られているのであるが、「現地の村役人」を通じての徴発
がかなり普遍的に行われていた事実を明らかにしている。ただこうした事態が、日本軍に
よる現地村役人への事実上の命令・強制なしには行われないであろうことを、タイラは見
落としている。
8日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:37
暴力的連行――フィリピン

東南アジア諸国では暴力的連行、しかもそれは日本軍による直接的な
暴力的連行も盛んに行われていた。プロローグでも度々紹介したフィ
リピンのマリア・ロサ・L・へンソンさんも暴力的に連行された一人
である。しかも彼女は暴力的に連行される以前に、生理もまだない一四歳の時、日本軍の
将校と兵士から二度も強姦されている。その後彼女は抗日ゲリラ組織フクバラハップ団に
参加し、一九四三年四月のある日、組織の指示があって男性ゲリラニ人と一緒に近くの町
へ行くことになり、検問所を無事通過したが、しかし検問所を通り過ぎると彼女だけが戻
ってくるように合図され、警備兵によって日本軍の司令部兼駐屯地に転用されていた建物
の二階に連行された。その夜は何も起こらなかった。
その翌日、自分がたくさんの兵隊たちに性の相手をしなければならないのだと知り
ました。最初に一二人の兵隊がたてつづけにレイプしました。それから三○分くらい
間があり、またもや一二人の兵隊です。私はひどく出血し、身体がめちゃめちゃに傷
つけられたと感じました。翌朝には、立ち上がることすらできませんでした。
一人の少女が朝食を運んでくれました。彼女に質問したかったのですが、警備兵が
さえぎり、言葉さえ交わせません。食事は喉を通りません。性器が腫れ上がっている
のでしょう、痛くてたまりません。ひとり、泣いて泣いて泣き続け、母の名を呼ぴま
した。日本軍に殺されるかもしれません。抵抗しようがありませんでした。
昼の二時から夜の一○時まで兵隊たちが行列をつくって私をレイプする日々が始ま
りました。他の六人の少女の部屋にも、兵隊たちが行列をつくっていました。
9日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:38
彼女の監禁されていた慰安所は、後述する強姦所に含まれるのかもしれないが、週一回
の日本人医師による検診があった。その医師も検診した後レイプしたのだが。
レメディオス・ヴァレンシアさんもヘンソンさん同様、偶発的に暴力的連行にあい、同
じような扱いを受けた一人である。証言を聞こう(『証言』V)。
一九四三年の十月ごろ、マニラのパコ市の市場で魚を売っていたとき、三人の日本
軍兵士に手を引っぱられて抱きかかえるようなかっこうで、近くの空き家に連行され
ました。そこはニッパヤシで造ったような建物で、十二平方メートルくらいの広さの
家でした。一人の兵士が何か言った後、他の兵士は外に出ていきました。そこで、一
人の兵士に強かんされました。そのとき、市場で働いていて別の兵士グループに連行
された女性もいました。
その後、うしろに堅い座席のあるトラックで、マニラ市内のダコタ地区にある大き
な家に連れていかれました。その家は二階建てで、一階は大きな応接間で三十平方メ
ートルくらいあり、二階は、ベッドを一つおけばあまり余裕もないくらいの部屋が四
つありました。そこには、テルミという名前の日本人女性がおり、四人の若いフィリ
ピン女性もいました。テルミは、二十八歳くらいで、私より少し背が高く一五五セン
チメートルくらいで、その家の一階に住み、食事の世話や医者を連れてくるなど、そ
の家を管理していました。また、日中は、民間の日本人男性が二人ほどいて、私たち
を監視していました。家には鍵がかかっていましたが、部屋にはかかっていませんで
した。その家があった場所は、現在マニラ動物園構内の入り日付近です。そこでは、
毎日のように、一日六人から多いときは十五人くらい、兵士の性行為の相手をさせら
れました。食事のときだけ下の部屋に行き、あとは、大体二階にいました。他の四人
のフィリピン女性も同様でした。性行為に対してはお金や物をもらったことはありま
せんが、医師による性病検査が毎週土曜日にありました。兵士たちはほとんどコンド
ームをつけていなかったのです。あるとき、兵士が外に連れだそうとしたので抵抗し
たところ、銃剣で右足のすねの部分を刺されました。今でもそのあとが残っています。
10日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:39
元日本軍兵士の回想記の中にも、このような暴力的連行があったことが知られる。除野
信道「ミッドウェーの以前と以後」(『戦争体験記・部隊史にみる「従軍慰安婦」』)には、次
のように記されている。ニューブリテン島ラバウル郊外のカビエンでのことである。
(一九四三年)二月五日、慰安所の店開きをするからという案内が設営隊からあっ
た。招かれた者は駐留各隊の幹部士官。丘の上に無造作につくられた建物に集まった。
その中には命からがらラエから退いてきた呉第三特別陸戦隊の崎谷武男もいた。女性
は三十人弱。大部分は水商売の前歴者であったが、「こんな前線に出されるとは……」
とこぼしていた(彼女らに恩給支給すべしとの提案を期待する)。なかには朝鮮から
回されてきた者もあった。また日本語が喋れない小娘もいた。英語と中国語を交互に
使って事情を聞くと、「ペナンで夕方の外出禁止命令を知らずに街を歩いていたら、
逮捕されここに入れられた」と涙をこぼした。良家の子女のようだったが、戦争の爪
跡はこういうところにも及んでいるかと思うと、酒も不味(まず)くなった。
11日本@名無史さん:2001/08/12(日) 13:24
従軍慰安婦は無かった。だが、従軍慰安夫はいた。
1のような愛国心に燃えるコヴァ諸氏は、自らその臀部をていして
軍神に奉仕してくれタマエ。
12米国人:2001/08/12(日) 13:27
広島原爆もなかった!
普通の爆弾だったよ。
せいぜいジャップ300人しか死ななかった。
13日本@名無史さん:2001/08/12(日) 13:45
>>12

「1984」だね、どっちもこっちも。
14日本@名無史さん:2001/08/12(日) 14:03
不思議に思いませんか。まあもし本当のことだったら当人にとっては
屈辱的な事だし口にするのもやな事でしょうからこれまで黙っていた
のかも知れませんが、それにしても「なんで今ごろになって」という
感は否めません。
それに元従軍慰安婦の証言とかいってもそれが正しいかどうかを証明
する事は出来ない。証明のしようがない。
またなんで彼女らは日本に直接この話をねじ込んでくるだけで、国レ
ベル、例えば韓国政府に訴えて外交で何とか解決を図ろうとしないの
か。それは難しいからやらないんだ言えばそれまでだが、そうする事
が一番のすじでしょ。彼女らは日本に謝罪しろと要求しているんだか
ら。
こんなことから考えると一部の人たちが言っている「金目当て」に来
ているんではないかと言われてもしょうがない。

彼女らの話を聞いてると、連行されたことが即、「従軍慰安婦」と言
っている人もいるが、その中の何人かの人の話の詳細を聞くとそうじ
ゃなくて、例えばどこかの軍需工場に連行されてそこで性的な奉仕を
強要されたと言っていて、明らかに「従軍慰安婦」じゃ無いじゃんっ
ていうのがいくつかある。それともあっしの解釈の間違いで「従軍」
っていうのは軍に関係のことなら全てそうなってしまんでしょうかね
え〜。
まあ連行され性的奉仕を強要された事が即ち「従軍慰安婦」だと訴え
る方が日本政府を攻撃しやすかったり、マスコミにも訴えやすいと言
えばそれまでですが、なんかこれって危ういことですね。
1514:2001/08/12(日) 14:07
>>14
ここ最近十数年、なんでこの問題がでてきたんでしょうか?

一番最初に上記の文を付け足して読んでください。
16日本@名無史さん:2001/08/12(日) 14:44
自分にレスつけんなボケ。
17日本@名無史さん:2001/08/13(月) 02:43
>>16
そらすまんこってす。
18日本@名無史さん:2001/08/13(月) 02:50
昔は向こうから帰ってきた兵隊さん達が、俺は何人やったとか自慢げに話してたけどなあ。
もちろんそれでも全然だれも問題にしなかったよ。女の人も学者も。
何か変な世の中になったもんだなあ。
19日本@名無史さん:2001/08/13(月) 03:26
>>18
少しはまともになってきたんだろうよ
20日本@名無史さん:2001/08/13(月) 06:14
やつらの処女膜は1億2000万円<w
これじゃ金目当てでしょ
21日本@名無史さん:2001/08/13(月) 06:46
>20
根拠は?
22日本@名無史さん:2001/08/13(月) 06:53
日本がどこかに占領されて日本人女子が慰安婦になったとしても、
後から賠償請求するようなことはないよな。
23 :2001/08/13(月) 06:57
>>4-10
論点がずれてます。

ほんと詰まらんね。どうでもいい。
24日本@名無史さん:2001/08/13(月) 07:00
>>22
米国に占領されただろ。
大勢の日本女性が米兵米軍属に強姦されただろ。
25日本@名無史さん:2001/08/13(月) 07:25
囲われたり、すてられたりもしてたな。
26ageya@:2001/08/17(金) 05:10
age
27 :2001/08/17(金) 06:10
×従軍慰安婦
○追行売春婦
28日本@名無史さん:2001/08/17(金) 06:27
○従軍援助交際
29 :2001/08/17(金) 07:10
>>28
交際ぢゃないだらう
30日本@名無史さん:2001/08/17(金) 07:30
完全に職業売春婦だったとしても、労働条件が過酷すぎたのは確か。
体を壊したり、子供ができたり、それを手放したり。
敗戦で、貰った賃金=軍票が紙切れになったとも聞く。
訴えるとしたらどこは訴えたらいいの?
31日本@名無史さん:2001/08/17(金) 07:35
>労働条件が過酷過ぎ
管理責任の過失を問うのなら、私も賛成ですが、強制連行を国策で
やってたと問われると、『それはやってません』と言うしかありません。
32日本@名無史さん:2001/08/17(金) 09:18
擁護派っつーのは言葉の問題やトップからの指示だったかどうか
ってことだけを言ってるのね。アホらしい。
たしかに>>14の書いてるとおり、「従軍」慰安婦ってのはなかったかもな。
あってもほんとに局所的なもので。
天皇や大臣が「女は現地調達せよ」とはそりゃ言わんだろうさ。
だが、社員の独断の悪行に会社として責任はないのかね。同じじゃない。

勝ってる国、勝った国がムチャクチャやるのは戦のならいだよな。
野蛮な時代の戦争ならな。あ、>>19も言ってるな。

彼女らが全員カネ目当てでない、とも言い切れんけどさ、
みんな傷ついてなんかいなかったとでも言いたいのかな。

>>30
てか賃金自体もらってなかった場合がほとんどなんじゃ。
33日本@名無史さん:2001/08/17(金) 10:19
結局線引きが難しいので、なんたら基金とか、交流会館設立とかで、
一旦国家間で解決したように見えるのに、また吹き出してきますね。
私なんか補償してあげたらとは思うんだが、実際きりがない。
彼女らは実際にすっきり解決できる落とし所というか、
ビジョンを持って無いかのようです。
韓国政府抜きで直接こっちへ来るし…向こうの政府は何の役割も
果たす気が無いのでしょうか?
34日本@名無史さん:2001/08/17(金) 10:30
旧日本軍は【補給】の重要性を過小評価していた感があったそうで、戦線に兵士を送り出しても
基本的に欧米のように【休暇による帰還】がなかったらしいですね。
だから、【戦場に連れて行く】という発想になったらしいです。
でも、軍による強制連行は適切な表現ではないでしょうね。
軍が、移動手段の手助けをしただけで….
35日本@名無史さん:2001/08/17(金) 10:30
>>>30
>てか賃金自体もらってなかった場合がほとんどなんじゃ。

妄想で嘘つくなよ。
36日本@名無史さん:2001/08/17(金) 10:43
なんか、あいまいな人がえんえん訴えにくる感じがして恐怖を感じる。
日本側があいまいな態度なのもそういう事でしょう?
実際問題、政府同志で賠償のやり取りをして、向こうで公正に配分してもらうのが
現実的では?なんでこういうことになってんの?
3730:2001/08/17(金) 10:44

「日本人捕虜尋問報告 第49号」

  米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
 らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

   女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の
  前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
  る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月
  に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]

   慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
  泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
  は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

   慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
  終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この史料によると、慰安婦はその過酷な労働にかかわらず、一般兵士の40〜70倍
程度の賃金しかもらっていなかったことになる。

 平成4年に日本で郵便貯金返還訴訟をうった慰安婦の貯金額は当時の金で家を25
軒たてられる程度しかなかった。そのことは国側の記録と慰安婦自身の保持していた
郵便証書によって裏づけられている。

 チョパーリはまったくもって強欲であるとしか言いようがない。
 さっそく謝罪と賠償を要求するニダ。
38日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:08
>>32
>だが、社員の独断の悪行に会社として責任はないのかね。同じじゃない。
気ィ狂ってますな…。
『独断』ならその一兵士を罰すればいいだろ。
賠償請求は本人にするべき。
会社としては社員を懲戒処分にして、遺憾の意を示せばOK。
39日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:39
>>37
あのね、それは「日本人」の経営者からも話を聞いているのですがー
実際その中から借金引かれ、生活費そのた諸々ひかれてた。
40日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:43
さんざんやってるので、以下のスレッドを全部読んでから書いて下さい。
http://mentai.2ch.net/history/kako/987/987321269.html
http://mentai.2ch.net/history/kako/971/971986222.html
4139:2001/08/17(金) 11:45
ああ、それから>>30の書いたように「軍票」だったということも加えておくか。
4230(木者) :2001/08/17(金) 11:49
>平成4年に日本で郵便貯金返還訴訟をうった慰安婦の貯金額は当時の金で家を25
>軒たてられる程度しかなかった。そのことは国側の記録と慰安婦自身の保持していた
>郵便証書によって裏づけられている。

>>39の言うとおりニダ。

その結果、慰安婦の方が家を25軒に立てられる程度の金しか稼げ
なかったというのは悲しい歴史的事実なのニダ。
文さんが郵便証書を偽造したとかいう愚かなプチうよもいるが、その
郵便証書は決して捏造されたものではなく、日本の郵便居間の側との
記録ともピタリと一致したニダ。

アイゴー、アイゴー。

もっと金をよこすニダ。卑劣なチョパーリに謝罪と賠償を要求するニダ。
良心的な日本人よ、協力を感謝してやるニダ。
43日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:52
またコヴァがわいてるよ(藁
44日本@名無史さん:2001/08/17(金) 12:00
借金返し終えても働いていたのならお金は貯められたかも知れないが
それでも待遇とかどういう状況だったかの話は何もでずに、お金の話
だけがでるのはどういうこと?なんでそれまで引き下ろすことが出来
なかったかの事情は?家を25軒て、どういう基準で言ってるの?
45日本@名無史さん:2001/08/17(金) 12:06
幾ら欲しいのさ!
46日本@名無史さん:2001/08/17(金) 12:12
>>37
>>39に補足すれば、その史料は慰安所の雇い主である者と慰安婦と両方に
聞いている話だから、史料一枚で矛盾している点が多々あるのはご存じのことですね?
それでも重要な情報はたくさんある。
こんなことも書いてあるはずだよね。
・・・・・・・・
「慰安婦」とは、将兵のために日本軍に所属している売春婦、つまり
「従軍売春婦」にほかならない。
・・・・・・・・
 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服
された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集
するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、
それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に
言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債
を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――にお
ける新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多
くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。
 これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわ
っていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。
彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金
額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の
楼主」のための役務に束縛した。
・・・・・・・・・
 「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦が、契約を結んだ時点でどの
程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの
総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これは、慰安婦が普通
の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、
「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、そ
の他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女
たちは生活困難に陥った。



その史料の読み方はこちらで教わりましょう。
http://members.tripod.co.jp/ash_28/ca_i02.html
4730(木者) :2001/08/17(金) 12:15
待遇といえば、日本軍のクリスマス休暇(w)中は大変だったそうニダ。
慰安婦の方の証言ニダ。
愚かなウヨの中にはクリスマス休暇など日本軍にはなかったという者も
いるが、良心的な日本人であれば、どちらを信じるべきかどうか明らか
ニダ。
ハルモニ、うそを言わない。

売国奴的な在日の「つかこうへい」が「娘に語る祖国〜満州駅伝〜」
などを書いているが、あれに書かれている慰安婦像し、歴史の捏造
ニダ。

良心的な日本人は決して見ていないニダ。

韓国政府が日本にまとめて個人の分も払ってくれと主張したので、
日本は一括して政府に払ったと主張しているニダ。

それでもって、今、韓国内では、韓国政府に請求する運動も始まっ
ているが、日本も払ってくれるというのであれば、もっと嬉しいと
いうものニダ。

当時の物価に換算すると、家を25軒ほど建てられる程度の金額しか
稼げなかったけれども、政府への賠償と個人への賠償は別ニダ。

ヤクザでも組に金を渡しても、組員が納得していないということもあるニダ。

わかったら、チョパーリ、さっさと金を払うニダ。

良心的日本人の応援、マンセー。
48日本@名無史さん:2001/08/17(金) 12:17
しかし兵達の料金などを計算すれば、月1500円稼ぐこともかなりキツイことがわかる。
この史料の読み方は↓でも解説してくれている。
ttp://members.tripod.co.jp/ash_28/ca_i02.html
4930(木者):2001/08/17(金) 12:26
アイゴー。

卑劣なチョパーリが慰安婦のもっている郵便証書を捏造だと騒いでいるニダ!

こんな卑劣なセカンド・レイプは、世界有数のレイプ大国であるウリナラでも
聞いたことないニダ。

さっさく、謝罪と賠償を要求するリレー・ハンストを行ってやるニダ!
50日本@名無史さん:2001/08/17(金) 13:21
いろいろ、解説ありがとうございました。
追加の補償をもしするにしても、ぼろぼろこっちに来られても困るんで、
韓国政府が把握して政府を通しての方がよいように思います。
そしてそれ以降は決着、と。
向こうの政府がばしっと仕切ってくれないと…こう、無制御不統一に、
要求が日本に向かってるのって、恥に思わないんだろうか…。
51日本@名無史さん:2001/08/17(金) 17:17
>>50
韓国政府としては慰安婦個人の日本への裁判は認めない、としてますよ。
52日本@名無史さん:2001/08/17(金) 17:54
>>35
「なにもなかった」よりはありえると思われ。
53日本@名無史さん:2001/08/17(金) 23:39
悪名高い東京裁判でも
この慰安婦の件は出てこなかったって本当ですか?
54日本@名無史さん:2001/08/18(土) 01:33
>>38
>『独断』ならその一兵士を罰すればいいだろ。
>賠償請求は本人にするべき。
>会社としては社員を懲戒処分にして、遺憾の意を示せばOK。
日本が一度でも「社員を懲戒処分にして、遺憾の意を示」したことがあったか?
気ィ狂ってますな。
55日本@名無史さん:2001/08/18(土) 17:39
いたにきまってるだろ。
南京大虐殺もあったし。
731部隊もいたよ。
それが何故悪い。
作る会の連中が一生懸命無かったことにしようとするのが腹立つ。
皇軍の輝かしい功績・軍功を何故否定するのか。
むしろ世界に誇るべきである。
56日本@名無史さん:2001/08/18(土) 17:50
三国人の捏造話だ
57日本@名無史さん:2001/08/18(土) 17:51
>>55
いいかげんなこと言うな!
58日本@名無史さん:2001/08/18(土) 18:15
韓国政府の問題です、日本の賠償は全て終ってます。終了
59日本@名無史さん:2001/08/18(土) 18:33
>>55は支那人だから気にするな。

チベット・ウイグルで200万人虐殺し、大躍進・文化大革命で2000万人
殺しておいて「やってない」と言い張る中国共産党のおっしゃることだもの…
60日本@名無史さん:2001/08/18(土) 18:36
>55
慰安婦だったら今でも韓国にいるじゃないか(藁)
61日本@名無史さん:2001/08/18(土) 18:56
いない
62日本@名無史さん:2001/08/18(土) 19:02
>>55
怖い。
63日本@名無史さん:2001/08/19(日) 16:06
少なくとも当時「従軍慰安婦」とゆう呼称は無かったと記憶しております。
「朝鮮ピー」とか「ピー」とか呼んでました。「ピー」とは女性の「お尻」
の事です。一杯稼いで帰国した方もいたそうですが、騙されて無理矢理やらされてた
とゆう話は聴いた事はないです。中にはあったかも知れません。でもそれが全部だ
とゆうのは可笑しいです。
64日本@名無史さん:2001/08/19(日) 16:08
物資豊富な米軍はどうしてたんやろね?
缶詰と一緒に送ったってゆう話は聞いた事がないけんど。
65日本@名無史さん:2001/08/19(日) 17:34
米軍では定期的に休暇を与える制度をとっていました。
同時に歓楽地をつくらせることもやります。
66日本@名無史さん
>>54
あらら…。
白馬事件も知らない人がこの板にいるのか?