1 :
日本@名無史さん:
大津皇子が持統天皇に殺されたのは大津皇子が正妃に山辺皇女を据えたからである。
なぜならば山辺皇女は持統天皇の祖父の仇、赤兄の血を引いているからである。
赤兄の血を引く山辺皇女が皇后になるのを持統天皇は許さなかったためである。
2 :
日本@名無史さん:2001/07/23(月) 13:28
漫画の読みすぎ。
3 :
日本@名無史さん:2001/07/23(月) 13:35
あんたも結構知ってるね。
4 :
日本@名無史さん:2001/07/23(月) 14:52
>1
有間皇子の仇のほうがまだ説得力があるよ。
あの漫画を非難する気はまったくないんだが、
大津皇子と山辺皇女の結婚で赤兄の名前を持ち出してたのに、
紀皇女が軽皇子の年上女房だったなんて説(つうか妄想)
を採用してしまうとはね〜
6 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 11:26
>5
年上女房説は妄想とは言い切れないかもよ。
軽皇子に皇族出身の妃がいないのは不自然だということで
当時の皇女を消去法で調べていくと
妃候補として紀皇女が残るらしい。
漫画の展開は不倫がばれて妃の身分剥奪・公式の資料からも抹消
よって軽皇子には皇族出身の妃がいないというのがオチかなと思うけど
実際は藤原氏の陰謀だったりしてね。
>>6 いや、あの漫画の中で・・・山辺皇女は赤兄の血をひくから嫌と描いたのに、
紀皇女だってそうじゃん、という。しかも、もっと大事な自分の孫の相手。
もっとも、複数の説を混ぜて描いていくんだから、仕方ないと思うけど。
あと、妄想というのは言い過ぎたかもしれないけど>紀皇女=軽皇子妃説。
万葉集の弓削皇子の歌の内容によれば、誰かとは結婚してたと思われるけど、
これまた万葉集の記述を信じれば、但馬皇女は高市、穂積と異母兄(?)を
相手にしてるんで、紀皇女も異母兄弟と結婚した可能性もあるのではと。
紀皇女との年齢の釣り合いを考えたら、磯城皇子でもいい。
ただこれはちょっと、磯城皇子が資料に出てこないんで・・・。
あるいは、長皇子。すると弓削は自分の兄嫁に恋したことになるが。
いずれにせよ、軽皇子に皇女の妃がいたはずというより、結論が先にありき、
の推測って感じするんですよね。弓削皇子につなげるための。
もちろん、否定する材料もないですが。
8 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 16:43
>7
確かにそういう意味ではどちらも赤兄の孫じゃんと思ったけれど、
紀皇女は愛する天武の娘ということで勝手に納得してしまいました。
軽皇子の妃については、紀皇女だったかどうかは別として
存在していた可能性が高いと思っています。
紀の娘や石川の娘が追放されたように難癖をつけられて
公式の記録から完全に消されてしまったと思っています。
確かに、石川氏と紀氏の娘は藤原氏の陰謀で妃の地位を追われたと思う。
ただ、この2人がもとは文武の後宮にあって、元明朝において妃の地位を
失ったということは、書紀で特筆(?)されているように見える。
存在ごと消し去るというのは尋常じゃないですね。
もっとも、自分も、軽皇子にこれ以外の妃がいた可能性はあるとは思う。
ただ、それが持統天皇が生きている時で、彼女の意志が働いていたとすれば、
少なくとも紀皇女へは行かないような気が・・・。
結婚させるなら、むしろ高市皇子の娘、つまり、長屋王の姉妹とか。
(高市の子供は詳細不確実だし、皇女じゃないという問題がありますが)
ま、どっちにしろ憶測ですけどね〜。
10 :
日本@名無史さん:2001/07/25(水) 12:22
>9
言葉が足りませんでしたが、存在そのものを消すというより
経歴を消すという意味です。
軽皇子の妃については必ずしも皇女でなくても皇孫でもよかったと思っています。
確か天智の皇后の倭姫王は皇孫だったと思いますが。
長屋王の姉妹ってありじゃないですか。
特に母親が御名部ならいうことないと思いますよ。
あ、そうですね。倭姫王もそうですし、遡れば皇極天皇も皇女じゃない。
> 特に母親が御名部ならいうことないと思いますよ。
自分もこう思ったんですが・・・
持統天皇は他の皇族(他の天武の皇子)との婚姻関係は避けたかもしれない。
皇后になったりしたら、皇位がその親戚にいく可能性もありますから。
ただ、長屋王家は別かな・・・とも思ったんです。が。
万が一そんな血筋の妃がいたら、皇后になるという話があって当然、
藤原氏でも廃するのは難しい気もしますね。石川や紀氏の娘ならともかく。
経歴を消すというより、そういう皇族の妃を持たないよう画策をしたかも。
なーんて、后妃の話が本格化する前に文武天皇が死んじゃった、
というのが現実かもしれませんけど。いや、殺しちゃったとか(恐)。
12 :
日本@名無史さん:2001/07/25(水) 23:20
不比等は天智帝の息子だったという説もありますから
それが事実なら宮子は皇孫ということになり
めでたし、めでたし・・・・・かな?
無実の罪で長屋王追い落としに成功した藤原氏のことですから
影でいろんなことを画策していたのでしょうね。
大田皇女が長生きしていれば・・・、大津皇子が生きていれば・・・。
13 :
日本@名無史さん:2001/07/26(木) 16:06
「あの漫画」ってどの漫画なの?
教えて。せめてひんとでも。
14 :
日本@名無史さん:2001/07/26(木) 16:27
>13
ひんとでいいの?
里中作品です。
これでいい?
15 :
日本@名無史さん:2001/07/26(木) 23:27
宮子って長我子(長屋王妃)と同母姉妹ってことになってますね。
ほんと色んなトコに嫁がせて、抜け目無いよ>不比等
大田皇女が長生きで、皇后になっていたら・・・
歴史の大きな流れは違わないとしても、細部は違うでしょうね。
結婚相手も違うかもしれません。山辺じゃなかったかもしれない。
17 :
日本@名無史さん:2001/07/28(土) 10:27
>14
不正ピロシキ食べてて返事遅くなりやした。
里中ね。ありがとお。下手投げはもうダメなのかねぇ。
18 :
日本@名無史さん:2001/07/28(土) 11:11
>17
女房役のリード次第じゃない。
19 :
日本@名無史さん:2001/07/28(土) 14:46
>18
古田ならどう?
20 :
日本@名無史さん:2001/07/28(土) 15:10
>19
やっぱり香川(古い?)でしょう。
21 :
日本@名無史さん:2001/07/30(月) 15:03
誰もついてこれないぞ。
22 :
日本@名無史さん:2001/07/30(月) 15:19
スマソ。
ところで、大津皇子に子孫がいるのはなぜ?
23 :
日本@名無史さん:2001/08/03(金) 22:46
age
24 :
日本@名無史さん:2001/08/03(金) 22:57
>>22 本当ですか??初めて聞きました(マジ)。
できればソースを・・・・
25 :
日本@名無史さん:2001/08/03(金) 23:46
>>24 粟津王が大津皇子の子孫で、後に豊浦姓を名乗る
と記憶しているけど、いますぐ文献名が出てこない。スマソ
26 :
日本@名無史さん:2001/08/04(土) 00:31
>>25さん
24です。
レスありがとうございます。
さっそく明日図書館探してみます。
27 :
日本@名無史さん:2001/08/04(土) 02:16
粟津王は尊卑分脈に見えるが
大津ー粟津ー公連というのは仮冒。
豊原氏は諸蕃。
28 :
25:2001/08/05(日) 01:03
>>27 っと。そうですか。半端な知識で書いてしまいました
29 :
日本@名無史さん:2001/08/06(月) 16:07
30 :
1:2001/08/06(月) 16:23
今の天皇家を否定するわけではないが私は藤原氏が嫌い。
不比等は宮子を文武に嫁がせ、自分と三千代の娘光明子と聖武を結婚させて、
藤原の血を受け継ぐものが初めて皇后の座に座った。
それまでは、蘇我の血を引く者が天皇の妻であり母であった。
蘇我の血は元正天皇で絶えてしまった。
31 :
日本@名無史さん:2001/08/06(月) 16:48
>30
嫌いな理由がわからない。
母系が蘇我から藤原に移っただけでは。
文武だって蘇我の血をひいてるけど。
32 :
1:2001/08/06(月) 17:07
聖武は蘇我の血と藤原の血を引いていて純潔な蘇我の血は引いていない。
33 :
日本@名無史さん:2001/08/06(月) 17:16
>32
蘇我に思い入れがあるようですが
藤原を嫌う理由は何ですか?
34 :
名:2001/08/06(月) 18:39
そりゃ、漫画の読み過ぎでしょう。
それか小説ね。『美貌の女帝』あたり?
35 :
日本@名無史さん:2001/08/07(火) 11:24
蘇我腹皇族VS藤原腹皇族ってほんとにあり?
36 :
27:2001/08/08(水) 01:58
粟津はもちろん仮冒。
公連は確実な在世者から代を溯って推算すると平安初期ぐらい
になるが、このあと代々連の字が続くのは仮冒の可能性が高く
(父子通字は早くとも10・11世紀。この頃は兄弟通字)公連も仮冒だろう。
系図に見える人名では10世紀半ばの有秋くらいから存在が確認できる。
37 :
日本@名無史さん:2001/08/09(木) 13:02
>36
大津皇子には伝えられる確かな子はいなかったということですね。
38 :
日本@名無史さん:2001/08/23(木) 23:33
あげとく。
39 :
日本@名無史さん:2001/08/24(金) 00:04
大津皇子 朱鳥元年薨去 子孫は見えず
40 :
日本@名無史さん:01/09/12 00:31
ピンチ
41 :
日本@名無史さん :01/09/13 19:34
物部氏が好きな人は蘇我氏が嫌いだろうなあ。それをいったら葛城氏とか
色々きりがないか・・・。
「美貌の女帝」好きだけど、藤原氏の凄さの方がかっこよかったぞ。
42 :
日本@名無史さん:01/09/13 20:17
井沢元彦が怒るぞ。
43 :
日本@名無史さん:01/09/22 09:38
山辺皇女が子供を産んであげればよかったのに‥
44 :
日本@名無史さん:01/09/22 09:55
>43
???
45 :
日本@名無史さん:01/09/26 01:25
ところで、草壁皇子・大津皇子・石川郎女の三角関係はどのように考えますか?
私は、天皇になれないと悟った大津皇子が、草壁皇子が片想いをしている石川郎女に接近して奪い取ったのではないか・・・
と考えてしまうのですが。
結局は、大津皇子の遊びだったのではないかと。
46 :
日本@名無史さん:01/09/26 12:35
大津皇子と石川郎女の間に草壁皇子が無理やり入り込み
石川郎女を奪っていったと考えています。
「遊び」って本来、否定的な言葉ではないと思うけど・・・。
47 :
日本@名無史さん:01/09/30 02:19
女帝女系を認めることになったとして、世論はどうなるの?
A. 女帝の夫は日本人でなくてもOK
B. 女帝の夫は日本人ならだれでもOK
C. 女帝の夫は男系で確実につながってる人ならだれでもOK
D. 女帝の夫は男系で確実につながってる人のうち最も近い人々の誰かならOK
E. 女帝の夫は旧皇族の男系ならばOK
F. 女帝の夫は現皇族であるか独身であるべし
みなさんはどれなのでしょうか?
48 :
日本@名無史さん:01/09/30 18:42
大津皇子は草壁皇子より年長だったってホント?
49 :
日本@名無史さん:01/10/11 03:01
早死にしなければなああ
50 :
日本@名無史さん:01/10/11 05:07
天上の虹 ですよね?
51 :
日本@名無史さん:01/10/21 04:04
アニメ化されてます?
52 :
日本@名無史さん:01/11/04 03:36
講談社なの?みつからないよー
53 :
日本@名無史さん:01/11/09 18:48
ここは一つ、皇女が天皇を継承するところを見てみたい
54 :
日本@名無史さん:01/11/13 14:42
現在の日本国にはこういう方々がおられるようです。
秋篠宮佳子(かこ)内親王殿下 平成6.12.29生
秋篠宮眞子(まこ)内親王殿下 平成3.10.23生
高円宮絢子(あやこ)女王殿下 平成2.9.15生
高円宮典子(のりこ)女王殿下 昭和63.7.22生
高円宮承子(つぐこ)女王殿下 昭和61.3.8生
三笠宮瑶子(ようこ)女王殿下 昭和58.10.25生
三笠宮彬子(あきこ)女王殿下 昭和56.12.20生
残念ながら若い男子の方はおられないようです。
55 :
日本@名無史さん:01/11/17 21:48
全員、蘇我の血を受け継いでるらしい。
56 :
日本@名無史さん:01/11/23 16:31
57 :
日本@名無史さん:01/11/23 19:05
天上の虹はCDドラマ化されてるだけじゃなかったっけか
58 :
日本@名無史さん:01/11/29 00:13
大津皇子の墓は二上山上にはありません。
あれはただの城跡です。
59 :
日本@名無史さん:01/11/30 21:55
がああああん
60 :
日本@名無史さん:01/12/04 19:13
持統による皆殺し計画
今考えても恐いものがある
61 :
日本@名無史さん:01/12/05 17:22
不比等による一族以外の皆殺しの方が恐ろしい・・・。
62 :
日本@名無史さん:01/12/09 03:55
結局のところ、持統の血って最後まで残ったの?
63 :
日本@名無史さん:01/12/11 19:28
持統の血は井上内親王の息子のだれだっけ、あそこで天皇になっていれば!!
64 :
日本@名無史さん:01/12/11 19:52
どこまでも卑劣なアズマを断罪せよ!!
65 :
日本@名無史さん:01/12/11 19:59
66 :
日本@名無史さん:01/12/15 23:51
他戸親王が天皇になって天武天智合併できていれば、これほど日本史板も荒れずに‥
67 :
日本@名無史さん:01/12/20 11:18
他戸親王のほうが血統もいいのになんで山部親王なんかが天皇に!?
68 :
日本@名無史さん:01/12/20 11:45
>>67 陰謀にまき込まれて母親ともども暗殺されちゃったからよ。
69 :
日本@名無史さん:01/12/23 10:44
持統天皇から脈々と受け継がれてきた蘇我の血は他戸親王で絶えたのか‥
70 :
日本@名無史さん:01/12/23 11:44
歴史の表舞台からは消え去ったけど血は残ってるかも・・・
71 :
日本@名無史さん:01/12/28 19:06
持統天皇の血って、別系統で生き残ったんでしたっけ?
72 :
日本@名無史さん:02/01/03 06:38
あそこで白壁王でなく他戸親王が皇位につけばよかったのだと思う。
どうして他戸親王が皇位につけなかったのかを小1時間問いつめたい。
73 :
日本@名無史さん:02/01/03 11:08
天武天皇の皇子たちで、ほとんどは「〜皇子」なのに
なんで舎人親王など「親王」がまざってるのはなんで?
74 :
日本@名無史さん:02/01/08 20:16
天武天皇の息子はぜーいん親王だったと思います。
皇子というのはその場の流れでの呼び名では?
孫になるとかなり立場によって違いますね。
大宝令施行で親王という称号が定められるまで生き残っていたか否かの
違いだけだってば<ときどき親王が
76 :
日本@名無史さん:02/01/10 16:38
77 :
日本@名無史さん:02/01/17 17:02
78 :
日本@名無史さん:02/01/18 09:19
79 :
日本@名無史さん:02/01/22 16:38
呪われた聖武4姉妹。
阿倍内親王
井上内親王
不破内親王
小家内親王
80 :
日本@名無史さん:02/01/22 17:22
すまんが小家内親王だけ知らん
どういう人か教えて下さい
81 :
日本@名無史さん:02/01/22 17:35
772(宝亀3)年菅生王と姦通し除名された小家内親王(斎宮記には「孝謙皇女、在任七年、750(天平勝宝2)年」とある)
82 :
日本@名無史さん:02/01/23 11:27
孝謙皇女って??
孝謙皇女?んなのいないよ。この人、誰か分かってないんだよね。
それよか、天智天皇の子孫の白壁王が父だから、桓武にも蘇我の血はあるよ。
かなり遠いけど。天智の母の斉明天皇は吉備姫王の娘だから。
吉備姫王は推古の同母弟の桜井皇子の子だし。
しかしこじつけだな。
「美貌の女帝」好きだわさ。
84 :
日本@名無史さん:02/01/28 11:24
孝謙皇女は存在しないから聖武皇女の間違いでは?といいたいのでは。
蘇我の血ではなく持統の血なのだけれど・・・。
85 :
日本@名無史さん:02/01/28 11:51
聖武の異母兄弟で臣下に落とされた皇子がいたけど、
その子孫はどうなったのかな。
86 :
日本@名無史さん:02/01/29 11:31
不明。
87 :
日本@名無史さん:02/02/05 16:52
この時代は盛り上がらないのね。
聖武の異母弟って広世ともう一人、名前忘れたけどいたよな。
母は石川刀自子郎女でさ。臣下に落とされた後、
高円姓名乗ってたってほんと?
んでどうなったの?
89 :
日本@名無史さん:02/02/06 16:57
子孫は高円宮承子女王殿下
90 :
世界@名無史さん:02/02/06 16:59
91 :
日本@名無史さん:02/02/07 21:49
小家内親王というのは、詳細不明ではない?
小宅女王(舎人親王の孫)かという推測もあるけど。
この時代は似たような名前いっぱいあるからねぇ・・・。
「孝謙皇女」と記した文献もある、ということで。
92 :
世界@名無史さん:02/02/14 19:56
age
93 :
日本@名無史さん:02/02/19 18:25
孝謙皇女とは、孝謙の皇女という意味ですか?
94 :
日本@名無史さん:02/02/19 19:10
道鏡と女帝の話だったら小説で読みたいな。永井さん書いてくれないかな。
95 :
世界@名無史さん:02/02/19 20:28
>>94 黒岩重吾氏のならあるよね、「弓削道鏡」
でも確かに、女性の立場から解釈した作品、小説で読みたい。
里中先生のは道鏡若過ぎだ...
96 :
日本@名無史さん:02/02/24 00:30
本当は何歳なの?
97 :
日本@名無史さん:02/03/01 03:35
阿部ちゃん7歳
98 :
日本@名無史さん:02/03/05 20:16
鵜野ちゃん4歳
99 :
日本@名無史さん:02/03/05 21:13
俺、二上山好きだな。近所だし100回は墓参りしたかな、ガキの頃は意味知らず
手合わせてた
100げっとズサー
101 :
日本@名無史さん:02/03/08 16:26
102 :
日本@名無史さん:02/03/18 19:45
持統天皇って、本当はなにを着ていたの?
天皇の存在は日本を封建社会に繋ぎ止めてしまう癌である。
ポツダム宣言を受諾し降伏した日本は占領軍の指導の元に
民主主義体制が実現されるはずであった。しかし朝鮮戦争
の勃発により民主主義体制への移行は頓挫し、制度として
の民主主義に留まった。
またマッカーサーの命による帝国憲法の抜本的見直しによ
る日本国憲法は、当時の日本の権力者の思惑が重視され民
衆の声が届くのを待たずに制定された。
そのために天皇というシーラカンス同様の生き化石の保存
を盛り込み、国民主権とは名ばかりの状態が現出した。
国会議員は曲がりなりにも国民の代表ではあるが、天皇一
族は国民の代表ではない。天皇が政治家と同様に任期制で
ありかつ誰もが立候補でき公務員としての規定の報酬を得
ているのならまだしも、世襲制の天皇は独自の位置を未来
永劫的にを保ち「国民の血税をただ消費する」だけの穀潰し
にほかならない。
現在の日本は経済不況により倒産及び失業者が増大している。
104 :
日本@名無史さん:02/03/24 04:18
105 :
日本@名無史さん:02/04/08 12:50
十二単を本当に着ていたのか??
それが通るならばキャミソールでもなんでもありだと思うが。
106 :
日本@名無史さん:02/04/22 18:14
えーっと質問です
初めてスカートをはいたのは何時代の頃なのでしょう
107 :
日本@名無史さん:02/05/01 15:14
大津皇子の失脚の原因はなんだったのでしょう?
108 :
日本@名無史さん:
冤罪でしょ
持統が殺したも同然