合戦は想像していたものとは違うものだった

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1【^▲^】アズマ@"管直人"
合戦は斬りあいなどほとんどしない。
遠くからの矢の打ち合い。石の投げ合いがほとんどだって。
乗馬しての斬りあいなんて嘘八百。馬はたんなる移動手段。
目的地についたらよっこらしょって馬からおりて、
矢をうったり、石を投げたりしてたんだよ。
刀?そんなの使うのは相手の首切る時だけ。
使ってもせいぜい槍だよ。でも槍もほとんど使えないよ。
だって、矢でいられたらそれで終わりじゃん。
2日本@名無史さん:2001/07/02(月) 11:36
コイツはいったい何がいいたいのか。
時代すらわからん。
もしかしたら現代の合戦か?
すまん、そういうものだったのか。
3日本@名無史さん:2001/07/02(月) 11:38
さるかに合戦
4【^▲^】アズマ@"管直人":2001/07/02(月) 11:53
おりょ?
知らないのでござるか?
日本刀は一人斬ったらもう切れないのでござるよ。
だいたい離れて攻撃したほうが怖くないでごじゃろう。
5【^▲^】ヤマト@管直入:2001/07/02(月) 11:56
戦いに望むときはたいてい騎馬からは降りてたって言うし。
騎馬での一騎打ちのエピソードもあるけど、それは珍しかったから
話題になったのでしょう
6【^▲^】ヤマト@管直入:2001/07/02(月) 11:58
合戦(どの時代かってのも論点になるんだろうけど)での騎馬の活躍方法
としては、今の戦車にあたるものじゃないかな?そういう意味での活躍と
いうのであれば納得。

流鏑馬は今でも残っているが、一騎打ち法なんて残ってないものね
7日本@名無史さん:2001/07/02(月) 12:45
>>1
残念ですが、それはちがいます。
確かに刀での斬り合いはあまりありませんでしたが
主武器は槍です。
私の資料では
戦国前期の負傷原因は
1位槍傷 2位鉄砲傷 3位矢傷  4位刀傷

騎馬武者もいますし、
馬から降りて戦うのは馬が負傷した場合ですよ。
刀が一回、人を斬ったら斬れなくなるということもありません。
何人か斬ると斬れなくはなりますが
8日本@名無史さん:2001/07/02(月) 12:53
1は無知だよ。
こういうのは相手にしないほうがいい。
一応、1の言ってることは少しは当たってるが
それを過剰に解釈しすぎだよ。
9日本@名無史さん:2001/07/02(月) 12:53
ばーか。これを見ろ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582850367/249-9343100-4968322

>出版社/著者からの内容紹介
>日本刀は本当に戦場の武器として使われたのか。戦国時代の合戦資料をもとに刀の役割と特異な風習である首取りの意味を解き明かし、作り上げられ
>た合戦のイメージを打ち破る。

>内容(「BOOK」データベースより)
>戦国時代の合戦場、馬上で白刃を振るう武将、刀で渡り合う武士というイメージは後世に作られたものだった。では、戦場で日本刀はどのような役割を果
>たしたのか。日本人が白兵戦を嫌い、「飛び道具」志向であったことを明らかにし、特異な風習「首取り」の意味と刀との関わりを解明する。日本刀への幻
>想を振り払い、戦国合戦の実像が浮かび上がる。
10あやしぃアズマ:2001/07/02(月) 12:58
作られたイメージというとこでは皇国史観と一緒だな
結局ヤマトの売国奴どもは、合戦が勇猛に戦われた
ことにして、軍国主義を煽りたかったんだろう。
まさか、サムライ達が子供の石合戦みたいなことしてた
なんて言ったら士気に関わるからな
11日本@名無史さん:2001/07/02(月) 13:02
>>9
たしかに「刀」は戦場でほとんど使われなかったよ。
でも槍は使われたよ。
特に長槍は戦国の新兵器だ。

その本の説は一つの説として検討すべきだとは思うよ。
ただ、全面的に事実として取り上げるのはどうだろうか
たしかに小競り合いや攻城戦の守備側などは
飛び道具ばかり使ったろうけど
でも、史書には白兵戦の記録がいくらでもあるの。
12日本@名無史さん:2001/07/02(月) 13:03
>>10
だから、それはその本の説だよ。
13日本@名無史さん:2001/07/02(月) 13:13
14あずま:2001/07/02(月) 13:35
合戦が白兵戦が主体だと思っているのは皇国史観や講談の影響だな。
もう一つはヨーロッパでは白兵戦が主体の時代があったので、それに影響された日本のバカ学者が日本も一緒だと思っているだけ。
西洋崇拝の学者さんの学説のせいなんだそうだ。明治人造国家の学者のやりそうなことだ。
飛び道具を嫌ったのは武士でなく騎士。
15これもな:2001/07/02(月) 13:37
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/reviews/-/books/4480085769/249-3778049-1177916#books

わが国への鉄砲伝来は、本当に種子島が最初だったのか?信長の天下統一
に鉄砲がはたした役割は?戦国合戦譚になぜ鉄砲が登場しないのか?
江戸時代の鉄砲軽視の風潮の理由は?旧来の歴史観が作り上げた俗説
とも呼ぶべき「鉄砲神話」を、豊富な史料と痛快なまでの論理で、次々と
くつがえしてゆく型破りな鉄砲論。日本人は、この500年間、鉄砲と
どう付き合ってきたのか
16皇国史観は嘘だらけ:2001/07/02(月) 14:06
「武田騎馬隊」は有名である。その突撃は絶大な破壊力を持ち恐れられたといわれる。しかしこれは真実であろうか?

 実を言うと「騎馬隊」なるものは日本には存在しない。西洋で言うところの「騎馬隊」はありえないのだ。なぜなら日本の馬は小さく(体長140cm、体高120cm程度)、また平地の少ない日本の地形には騎馬戦術は向かないからだ。
 さらに馬に乗ったほうが足軽に比べて圧倒的に不利である。まず標的になりやすい。馬に乗って背が高くなった分、槍や鉄砲の的になりやすくなってしまう。
 そして武器を扱うときの不利。馬に乗って振るう槍は短いものにせざるを得ない。長くては乗馬しながら振るうのは無理があるからだ。しかし足軽は長槍を使える。つまり騎馬武者の間合いの外から相手を突くことが出来る。また集団で槍ぶすまを作ればそこに突撃するのは容易ではない。
 それに武器の使う範囲が狭くなる。右利きならばもっぱら右側に敵を置いて攻撃することになるが、左側は馬の首が邪魔をして著しく戦いにくい。
 鉄砲にしても激しく揺れる馬上で弾込め・発射は無理である。また、馬は臆病な動物でちょっとのことでも驚いてしまうから、鉄砲などを撃とうものならその音に驚き、たちまち暴れ出して乗り手を振り落としてしまうだろう
17皇国史観は嘘だらけ:2001/07/02(月) 14:08
当時、武田の軍制というものはもっとも発達していて、整然とした陣形から合図ひとつで変幻自在に変化し、状況に適した攻撃方法を取ることが出来た。ゆえに常に絶大な破壊力を誇ることが出来たのだ。そしてその陣容は極めて合理的で、各兵種がバランスよく配備されていた。もちろん鉄砲隊もいた。鉄砲隊といえば信長がもっとも活用したかに言われるが、実はどこの大名もかなり活用していて武田家など長篠合戦時、1500丁もの鉄砲を使用している。馬はもっぱら移動手段として使われており、戦闘時には馬を下り、馬牽きが馬をまとめて後方につないでおいた。
 では騎馬隊というものがまったくいなかったのかと言えばそうではなくて、部隊をすばやく移動させ敵側背を突かせたり、敗走する敵の追撃、残敵掃討など機動力を必要とする作戦には、騎馬武者が投入された。
 また、命令を部隊に伝える使番、部隊を統括する武将は、後方の戦場全体が見渡せる位置で馬に乗って観戦する。そして状況に応じてすばやく命令を伝えた。

 ルイス・フロイスは「我らにおいては馬上で戦う。日本人は戦わねばならぬときには、馬から下りる」と記している。「甲陽軍鑑」には「武田軍の大将や役人は、一備え(千人程度)の中の七人か八人が馬に乗り、残りはみな馬を後ろに曳かせ、槍をとって攻撃した」とある。
 つまり「武田騎馬隊」というのは空想の産物であり、戦いのときは馬を下り、徒歩で戦ったということだ。武田軍の強さというのは、騎馬戦術が優れていたからではなく、優れた軍制と指揮系統、それによってもたらされる変幻自在の陣形というところにあり、ゆえに野戦で無類の強さを誇ったのである
18日本@名無史さん:2001/07/02(月) 14:12
なんか秋山好古の騎馬隊の用兵に近いね
1917:2001/07/02(月) 14:16

      /~~⌒~⌒~⌒~ヾ
     /            )
    (   /~⌒⌒⌒ヽ )   ♪
     (  ξ    、  , |ノ 皇国史観は嘘だらけニダ!
      (6ξ--―●-●|      日本人ならチェチェ思想をお勉強するニダ
      > 、   ) ‥ )    _____  
       \ヽ_ _ ー=_ノ    |  | ̄ ̄\ \
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20皇国史観は嘘だらけ:2001/07/02(月) 14:18

      /~~⌒~⌒~⌒~ヾ
     /            )
    (   /~⌒⌒⌒ヽ )   ♪
     (  ξ    、  , |ノ  おっと、ニダを消さなければ
      (6ξ--―●-●|      ならないニダ。正体バレル
      > 、   ) ‥ )    _____      ニダ。
       \ヽ_ _ ー=_ノ    |  | ̄ ̄\ \
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21日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:08
和弓は難易度が高く、専門職(武士)しか扱えなかったと聞いたが?
22日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:28
>>17
少なくとも、
武田軍が長篠で千五百もの鉄砲を使ったのは事実ではないです。
織田軍ですら千丁というのが近年の定説なのに・・・
さらに長篠の武田勢は一万五千ではなく八千だったというのが近年の定説ですよ。
さらに武田軍が鉄砲を使えなかったのは
鉄砲には国内で使えない硝石は国内では取れなかったからですがね。
23日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:29
>>21
そうそう、だから足軽には
扱いの簡単な槍を持たせんだよね。
24日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:33
1は割合的に大多数を占める
足軽がみんな弓を持って戦ってたとでも思ってたのか?
私の地元は一向一揆の地元だけど、
残ってる武器はみんな「槍」ばかりだよ。
足軽は槍ですよ。
25日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:34
>>16
なんで武田騎馬軍団神話=皇国史観になるんでしょう?
武田騎馬軍団神話が生まれたのは江戸時代だし。
26日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:34
馬で行軍するのがステータスだったのだよ。
今でもヒラはエコノミー、管理職はビジネス、役員はファーストクラスだろ。
それと同じだ。
27日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:39
騎馬武者もいたよ、
その場合は足軽がとり囲んでガードするよう突撃するのだ。
それと北条が河越の夜戦で騎馬武者だけ
数百人を集めて突撃攻撃を行ったのは有名な話し。

>>24
鉄砲足軽や弓矢足軽もいたけど彼らは一部にすぎず、
しかも足軽の那珂でも上位の存在だが。
28日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:44
ヨーロッパの馬が小さい?
ヨーロッパの馬も中世、アラブ馬を導入するまで、
日本馬なみだったんだけど・・・

それと日本馬では突撃できないって、
現に現代、流鏑馬の時、日本馬(あの馬がアラブ系だとでも思ってたの?)を使い、
50キロの鎧を来た武者をのせて疾走してるじゃない?
目をごまかすことなど不可能だよ。
29日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:50
50キロは大袈裟な。
そんなん持ち運びもできないじゃん。
30日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:55
遠距離からの弓矢による攻撃と印字打ちのことが言いたいんだろうけど、それだけがすべてってわけじゃなかろうが。
今時、時代劇みたいに甲冑つけて太刀で斬りあいしてたなんて信じてる馬鹿はいないだろ。
少なくともこの板には。
矢で射白ませて足軽前進させてガチンコってパターンでしょ。
騎馬隊も存在しただろうね。
聞いたところによると、掛け違いに太刀合わせるのだけで一苦労だったらしいけど。
どっちにしろ、半農の時代の足軽の根性から考えたら、騎馬武者が突撃してきたら避けただろうな。
下手に怪我したら、その後食っていけなくなるもん。
戦力としてどうこうってのは議論の余地もあるだろうけど、華だったのは確かだろう。
31さち子:2001/07/02(月) 16:06
横レスですが
29さん、慎重に発言した方がいいですよ。
このサイトの対州馬のところを見てください。
小柄に対州馬ですら、こうなんですよ。

http://www.uma.nu/~iron/johba/hinshu.htm

それと日本の馬はズングリとして、
スピードには欠けます(といっても、あくまでアラブ系統の馬と比較しての話、流鏑馬ほとのスピードは出せる)
が耐久力や積載力はあります。

当時の日本人の男子平均身長が156cmですから、
突撃は可能でしょう。
3230:2001/07/02(月) 16:12
×掛け
○駆け
33日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:28
甲陽軍鑑を根拠に論じようとしているトンデモない輩が混じってるな。
空想科学読本とか好きなやつだろうな。
34日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:34
50kgの甲冑を身に着けたら人間の方が先に根を上げそうだが・・・
35日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:52
検索してみたけどね
日本の鎧兜の総重量は40キロ程度だよ。
ちなみに西洋のはもっと重くて60キロぐらいだって。
36日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:57
源平の頃が最も重装備で、戦国の頃になると
機能性(運動性?)重視になったと習いました。
37日本@名無史さん:2001/07/02(月) 17:11
誰も三国志みたいに馬上で剣を振り回したなんて
思ってる人はいない。
騎馬武者は槍が武器、
本多忠勝は馬上で蜻蛉切という6mもある
長槍を振り回したという。
38日本@名無史さん:2001/07/02(月) 17:13
>>31
前田慶次の松風は?
39日本@名無史さん:2001/07/02(月) 17:40
>>38
「松風」って実在なの?
「谷風」って記述も目にすることがあるし。
それはともかく、加藤清正の帝釈栗毛は馬鹿でかい馬だった。

ところで、蜻蛉切を馬上で振るったっていう話はあるの?
彼の持ち槍だったのは事実だろうけど、馬上じゃ振るうことできないと思うぞ、長すぎて。
40日本@名無史さん:2001/07/02(月) 18:18
まあ、人間にも身長2メートル、
ギネスクラスになると2.5メートルなんて人もいるし、
サラブレッド並に巨大に日本馬がいてもおかしくはないわな

>>39
蜻蛉切を馬上で振り回したという話しは
「信長の野望烈風伝マニアックス」のP323に書いてあった。
4139:2001/07/02(月) 19:06
>>40
本当だ・・・・・・
ってオイ。
まぁ、烈風伝マニアックス持ってる俺も人のことはいえないか。
多分あれもきちんとした出典あるんだろうな。
逸話だとは思うけど。
42日本@名無史さん:2001/07/02(月) 19:27
>たしたのか。日本人が白兵戦を嫌い、「飛び道具」志向であったことを明らかにし、特異な風習「首取り」の意味と刀との関わりを解明する。日本刀への幻 >

自分がそうだからといって、昔の日本人もそうだったと想像するのは
どうだかなあ。
43>42:2001/07/02(月) 19:45
紹介文だけで、「自分がそうだから…」と想像するのは
どうだかなあ?
44また皇国史観ヲタどもが:2001/07/02(月) 21:36
>>28
明治後に品種改良した馬だろ。
明治の時に日本の馬は使えないって結論でてるんだよ。
んな馬で行軍して突撃なんてできたとでも思うのか?
この薩長の犬め。
45また皇国史観ヲタどもが:2001/07/02(月) 21:42
刀より槍。槍より弓。弓より鉄砲だ。
んなこともわからんのか。
皇国史観に洗脳されすぎだな。
大部分の合戦は遠距離から弓打ったり、
石投げたりで終わりなんだよ。
白兵戦になることなんてほんとに数えるほどしかねえんだよ。
46日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:50
>>44
そりゃ、違うぞ。
根拠のない事言わないでください。
明治の外国馬導入はスピードとか外国崇拝とか別の理由ですよ。
47日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:54
馬の突撃は
現に屋島の戦いとか、
大昔から行われていた流鏑馬とかいくらでも根拠ありますよ。
それと明治以降の日本馬も基本的には変わりませんよ。
陸軍が外国馬を導入したのは外国のデカイ
馬でないとダメだという思いこみからです。
48日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:56
純日本馬は馬体重300kg程度だったそうです。
現代の競馬場を疾駆するサラブレッドのだいたい5分の3ぐらいですね。
49日本@名無史さん:2001/07/02(月) 22:17
>>48
でも、日本の馬はずんぐりとした力馬なので、
重たいものも乗せられたよ。
それと研究によると日本馬は蒙古馬に近いらしいよ。
50名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 22:48
 戦の様式なんて世界中どこも大差ないと思われ。
馬があればどこの国でも奇襲なり機動戦なり行ったろうし、その時々で使う武器が変わるのも当たり前。
大体石や矢の届く範囲で戦っていて、白兵戦だけ起きなかったなんて考えられない。
 確かに矢戦だけでその場の優劣がつく場合もあるだろうが、で負けた方は静々と軍勢をまとめて引き下がり、勝った方はそれを整然と見守って戦が終わり。
なんて考えられん。陣形が崩れればそこへ兵を投入するだろうし、当然白兵戦が発生しただろうことは想像に難くないが。
51日本@名無史さん:2001/07/02(月) 22:59
>>45
矢戦と印字打ちで終わる戦って、ごく小規模の野戦だけだろ。
しかも、合戦の最初だけだし。
52謙信:2001/07/02(月) 23:06
俺が天下獲れなかったのは、雪のせいで石が拾えなかったからだ。
夏の間にたくさん拾っておけば・・・
53日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:17
>50さん
想像だけで話してるな。
54日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:47
これは皇国史観もアズマも関係ないよ。

徳川家康は大阪の陣で
「本当の槍合せ(白兵戦)など10回のいくさに1回も起こらないものだ」
と述べています。
また長宗我部元親は
「我が軍は鉄砲の保有率・錬度が高いので
 いくさは銃撃戦のみで勝負がつき、槍を持って突撃することもない」
と自慢しています。
ちなみに当時の武将たちの間では、鉄砲と旧来武器との戦力差は
「鉄砲は同数の弓矢の5倍、槍の10倍にあたる」
と言われていました。
さしずめ太刀の20倍といったところでしょう。

補足:
蛤御門の変での会津兵の戦死原因
計31名死亡:内訳
   被弾    ・・・ 22名 (71%)
被弾後に斬られる ・・・ 5名 (16%)
純粋な斬撃    ・・・ 4名 (13%)
55また皇国史観ヲタどもが:2001/07/03(火) 00:00
だから、騎馬武者による勇壮な突撃などのイメージは
皇国史観と同じく意図的に作られたものなんだよ。
だいたい、合戦の兵力なんて多少大げさに書いてあるの
なんて常識だろ。
ほんとの合戦ってのせこせここそこそしてたんだよ。
白兵戦になる時は完全な不意打ちか敵が総崩れになった
時くらいだろ。
まさか、先祖がこんなせこい戦い方をしていたという
事実を認めたくないやつらが、江戸時代から勇壮な合戦
イメージをつくりだし、それを明治人造国家が侵略戦争に
利用したんだよ。
ほんとは闇討ちが得意な薩長の田舎侍なのにな。
5654:2001/07/03(火) 00:20
>55
まあまあ、古今東西、戦争に英雄話は付き物です。
そうでもしなきゃ怖くて戦争などやってられませんよ。
若い侍はいくさ場で目立って女の子にもてたかったでしょうし。
57日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:21
>>55
この板もこういうアホばかりなのか。
58日本@名無史さん:2001/07/03(火) 02:57
突撃にしろ
白兵戦少ないにしろ
実例を
あげて
語れ。
59日本@名無史さん:2001/07/03(火) 03:20
ということは外国の戦も飛び道具中心だったんだろうな。
そうでないと辻褄があわん。日本人だけ白兵戦しなかったなんてことありえるか。
60日本@名無史さん:2001/07/03(火) 04:47
死傷者が全戦力の1割もでれば大敗の部類にはいるというのを聞いたことがるよ。

お互い全力でぶつかり合うような戦は実際少なかったんだろうと思う。
61日本@名無史さん:2001/07/03(火) 10:23
>>54

長い間そう言われていましたが、以前、古戦場近くにある
戦国時代の無縁仏の埋葬場所(要するに大半は戦死者)
を発掘調査したところ、かなりの割合で、被葬者の頭蓋骨に
打撃による陥没痕が発見されました。
このことから、戦場での死因の第一は、槍や鉄砲や弓といった
武器による戦闘よりも、むしろ両軍の間で突発的に起こる
石の投げ合いの方が死傷率が高かったという事実が浮かんできています。
62名無しさん:2001/07/03(火) 10:28
>むしろ両軍の間で突発的に起こる
>石の投げ合いの方が死傷率が高かったという事実が浮かんできています。

ああ、夢を壊さないで〜
63日本@名無史さん:2001/07/03(火) 12:07
>>44
そりゃ19世紀も中葉になったら欧州ではアラブやサラブレッドの
改良が急速に進んで、今までの馬種より遥かに優秀になってしまっていた
のだから、前近代から進歩していない日本の在来馬が淘汰されたのは当然。
単に「19世紀の段階では相対的に使えなくなっていた」だけであり、
それをもって「近世以前の日本在来馬が合戦で使えない」とは言えまい。
64日本@名無史さん:2001/07/03(火) 12:18
家康「おのれ、信玄。俺の石を受けてみろ〜!」

信玄「む、あのフォームはもしや・・!」

忠勝「おお、あれこそまさにメリケン渡来の大リーグボール!
    殿、一体いつの間に!」
65日本@名無史さん:2001/07/03(火) 12:39
しかし、元込め式のライフルを用いた西南戦争でも
抜刀した武士達はかなり活躍していたというが。
火縄銃や石投げでは抜刀した精強な武士達に突撃されたら
ひとたまりもないのでは?
66日本@名無史さん:2001/07/03(火) 13:22
太刀しかもいわゆる業物じゃなく、厚重ねの剛刀でひっぱたけば、頭蓋骨も陥没するだろうな。
兜を唐竹割にできることなんか滅多になさそうだからさ。
67日本@名無史さん:2001/07/03(火) 14:23
>>64
川中島で単騎突進した謙信の馬上からの大リーグボールを
信玄が軍配で打ち返すシーンなんかも想像してて藁える。
68日本@名無史さん:2001/07/03(火) 14:35
信長が石山攻めで苦戦したのは、PL野球部員の先祖がたくさんいたから。
暴力好きで肩が強い(藁
69日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:00
論文を読んでみたいな。
石合戦が中心だったって説、どんなセンセが唱えてるの?
でまかせじゃなけりゃ教えてくれ。
70日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:12
>>65
ドリームすぎ・・・
刀がライフルに勝てるわきゃないだろう。
るろうにとかルパン三世の見すぎだよ、あんた
71日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:15
石の落ちてないとこで
戦闘が起こったらどうすんだ。
だいたい石合戦なんて、
幼少のころの信長や家康が好んだ遊びだぞ(エピソードは知ってるよな)
そんなもんで人が死んだら、
子供の石合戦なんて死者だらけだ。
72日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:19
昔の合戦は実際石がたくさんあるところでよく発生したらしい。
73名無しさん:2001/07/03(火) 15:20
元込め銃VS刀じゃ勝ち目はないけど、
先込め銃が相手なら勝てなくはない。
74日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:21
>>71
あそぶ時は手加減するだろうし
それに子供の力でしょ?スピードは小さいだろうし石も軽いだろう。

合戦の時は大人が容赦なく投げるんだから
全然威力が違うと思うのですが。

71氏は想像力が乏しいですな
75日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:21
そんなに死んだら農業生産は壊滅だべ。
記録的な大いくさでも死者は100人程度なんだよ。
76日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:25
どうりでアメリカの次に野球が広まったわけだ。
7777:2001/07/03(火) 15:35
どうも、このスレッドの意見は極端過ぎますね。ま、いいけど。
大きないくさともなれば、両軍がいくつもの「備え」(軍団)を
作戦陣形に配して戦ったわけですよね。その中で、足軽の部隊と
いえば槍・弓・鉄砲です。たしかに鉄砲>弓>槍の順で強力という
言い方も可能でしょうが、地形や天候、あるいは昼夜ということも
考えないといけません。つまり、その時点その時点でもっとも有効
な武器で攻撃するのは当然のことでしょう。

石投げのことを書かれていますが、石を投げるよりは鉄砲や弓の
ほうがいいのでは?(^_^;)
攻城戦の場合、寄せ手に対して城兵が大石や材木などを落下させて
殺傷するというのはごく一般に用いられた戦法ですね。
戦死者の頭蓋骨の打撲が多いのは、そういう攻城戦だったからでし
ょう。
78日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:35
島原の乱で、武蔵が石を脚に受けて逃げ帰ったのと同じようなショックがじんわりと。

>>73
おい……
79日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:36
>>77
技術がいらん。石は投げるだけ。
80陳民明:2001/07/03(火) 15:52
 大坂夏の陣において敗色濃厚となるや、秀頼は、真田大助らとともに九州へと落ちた。
その後、島津氏の助けを借り、琉球から明へ向かった。
しかし、明朝も衰退のさなかでありやむなく秀頼一行は、シルクロードを西へと向かい、オスマン=トルコに入った。
秀頼はヨルダン川西岸近辺に居を構え、ひそかにその一生を終えたという。
 インティファーダにおけるパレスチナ住民の投石は、秀頼らが伝えた印字打ちの技術が起源であることは言うまでもない。

民明書房刊「戦国ロック」
8177:2001/07/03(火) 15:58
平原などでの戦闘においては、まず鉄砲や弓を打ちかける前哨戦から
始まるのが常だったようです。その後、攻勢をかける側がまず槍足軽
に突撃をさせます。その場合の槍はほとんど長槍ですね。大体4〜5
mあるいは5.5mというものもあったようです。そういう長い槍を
持った足軽がずらっと横に並ぶわけです。いわゆる「槍ぶすま」です
ね。で、突撃して相手の陣形が崩れたところをみはからって、騎馬武
者たちが追撃を行ないます。騎馬はそのスピードを生かして、追撃や
急襲戦に使われました。騎馬隊は足軽ではないですね。
「馬上本分」といって、まあ大雑把にいって、200石以上程度で
徒(かち)より上の地位にある武士たちですね。
足軽部隊を統率する部将を「足軽大将」と呼びましたが、騎馬隊を
統率するのは「侍大将」でした。
騎馬武者の武器といえば、もちろん槍ですね。これは前述の足軽が
持つ長槍ではなく、短い槍です。戦いやすいように十文字だとかが
多かったようです。
あと、大坂の陣(夏か冬か度忘れしました)では伊達の軍勢が
新戦法として騎馬鉄砲隊を繰り出しました。でも、揺られる馬上
からでは命中率は悪かったようですよ。
8277:2001/07/03(火) 16:01
>>79
でも、人間の石投げなんてせいぜい100m程度まででしょ?
それ以上離れたら当たりませんね。まあ遠投投石器のようなもの
はあったみたいですが・・。

大体、石投げだけでいくさが終るならば、なんで槍や騎馬の部隊を
用意する必要があったのでしょうか?遠投力のある兵士を集めれば
よいだけではありませんか。
8377:2001/07/03(火) 16:03
あと、名だたる武将であれば兜を被っていましたから、、本当に石つぶて程度で効果が
あったかどうか疑問ですね。
84日本@名無史さん:2001/07/03(火) 16:09
別に石投げて大将討ちとろうってんじゃないでしょ。
たとえば、軍勢が睨み合って動かないとき、挑発するために雑兵に投げさせたとか。
鉄砲や矢に混じって使ったんじゃないと思うが…
85日本@名無史さん:2001/07/03(火) 16:12
石投げて終わりってヴァカがいるんだもん。
記録的な大いくさでも死者は100人程度っていうヴァカがいるんだもん。
どの戦だよ、それ。
86日本@名無史さん:2001/07/03(火) 16:16
>>71
戦国にどうだったかは知らないが、鎌倉〜室町頃の庶民の騒擾ってのは基本的に投石が中心。
実際に大の大人がやっているし、死人も沢山出ている。
87日本@名無史さん:2001/07/03(火) 16:26
>>85
と、いいながら、主要戦の死傷者の数を知らないし、調べるつもりないんでしょ?
88日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:12
>でも、人間の石投げなんてせいぜい100m程度まででしょ?
>それ以上離れたら当たりませんね。まあ遠投投石器のようなもの
>はあったみたいですが・・。

ほんとにお前らって笑えるなあ。
石ころが落ちているところで育ったこともないくせに、
どうして「石投げ」のことが分かるのだい?
「石のたくさんあるところが戦場に選ばれた」
なんてのはフントに腹を抱えて笑った。
手ごろな投げやすい石なんてそうそう転がってしないのだよ。
実際石投げで喧嘩したこともないやつらが言うのだからなお笑える。

戦争のやり方も知らない素人学者の妄想を、
例の日本史矮小化を目的とした新手のドキュソ説で塗り固めようとしている
アホばかり。
89日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:20
朝鮮の役で日本軍はさんざん中国人や朝鮮人を
戦場で切りまくって凱旋したが、
あれも石投げで勝ったというのかね?
向こうの史料でも、日本人の剣技にたけたところを
警戒したものは残っていても、
「石投げ」がうまかったなんてのは、一言もないぜ。

「石投げ」で数十人規模の死者の出る戦しかしない日本人が
どうして朝鮮で何十万人もの戦争損害を相手に与えたのかな?
相手が相当にヘタレだったということだろう。
まったくドキュソ研究をすれば功名となる最近の風潮は
どうにかならんか。
9077:2001/07/03(火) 17:23
矢にしても、逆向きに削られて抜けないようにするとか、毒を塗る
とか・・。それくらいしても敵首をとるというのは大変なことだっ
たのに、なんで石ころくらいで人が殺せますか?
そりゃあ手のひら大の石が飛んできて、頭に当たったら打ち所悪く
て死ぬこともあるでしょうよ。でも、そんなもので合戦などと言え
ますか?

ところで88さんは、私の文章を引用されていますが、貴方の意見
と私の意見はほぼ同じですよ。ちなみに、私は石ころがゴロゴロあ
る田舎で育ちました。石投げも雪合戦もしたことがあります。
雪合戦のときにわざわざ「雪の中に石入れるの禁止な」とか言い合
ったくらいですから、当たれば痛かったのですが、よほど大きな石
でない限りは死ぬほどのことはありませんよ。まあ、運が悪けりゃ
失明くらいはするかもしれませんが。(笑)
私も、雪の中に混じっていた直径3cmくらいの石が胸に当たった
ことがありますよ。その瞬間は息ができなかったですね。
一週間くらいは息すると痛かったなあ。
91日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:27
みんな言ってることがめちゃくちゃだな。

合戦の大小、状況によって違うんだから、肯定派も否定派も具体例をだせよ。
たしかにイメージされるような壮絶な白兵戦がそうそうなかったというのは家康の話からも明らかだが、
だからと言って関が原の合戦が石投げで終わるわけ無いし。
9277:2001/07/03(火) 17:28
朝鮮では、日本軍は首をとるのはやめて主に耳を切りとって日本に
送って戦功の印としたようです。首だと船での運搬が大変だった
からでしょう。耳は塩漬けにされていたようですね。

残酷だとは思いますが、彼らにとってはそれによってその後の
知行や地位が決まるのだから必死でしょう。セールスマンが
契約書を血眼になってとってくる感覚と変わらなかったでしょ
うね。まあ、美化するつもりは毛頭ないですが、それが戦国時代
の日本の真実の姿でしょう。
93日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:33
>>92
そのくらいの事は皆、知ってるよ。
それよりも、戦国板にある「加藤清正について」という
スレを読んでみそ。
おもろい事がわかるぞ
94日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:35
>>90
>でも、そんなもので合戦などと言え
ますか?

ここにロマンチシズムがひそんでいないか?
95日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:36
>>90
>私も、雪の中に混じっていた直径3cmくらいの石が胸に当たった
ことがありますよ。その瞬間は息ができなかったですね。
一週間くらいは息すると痛かったなあ。

これが大事なんだよ。これで充分なんだ。
96足軽某:2001/07/03(火) 17:48
>>90
甲冑着てるから全然痛くねーよ。
オレ達合戦の「プロ」だぜ?
合戦に従事することを「稼ぐ」っていってたぐらいだぜ?
なめんな!
97武田君:2001/07/03(火) 18:10
騎馬軍団=騎兵だけで編成された部隊。際立った機動力がその主眼。
遠方の敵部隊に奇襲をかける。敵が大部隊のときは進出鬼没の攪乱戦法をとる。
勝機を掴むと密集突撃を敢行する。

武田の騎馬隊は上記のものとは違っていた。というより他の戦国大名に近かった。
簡単に言うと(どなたかが既に詳しく述べておられたので)、騎乗の武者は身分の高い者に
限られ、それに従う数人の郎従が騎乗の武者を取巻いていた。つまり騎馬武者とそれを取巻く
歩卒が一つの単位となっていたわけで、スピードも従卒以上のものではなかった。
仮に騎馬武者だけの集団が突撃をすれば、軍団の中の大多数を占める従卒が四散してしまい。
戦にならなくなる。
つまり、「戦国最強の武田騎馬隊」=騎馬武者を使った部隊の運用、白兵戦に長じていた。

長篠の合戦において、武田騎馬隊の突進が8時間に及んだのは、そのせいだろう。
一進一退の攻防が柵を挟んで八時間続き、武器と兵力の差で武田方が崩れたというのが真相だろう。
というのも、突進の際に馬防柵付近で戦死したのは、土屋昌次だけで、他の将領は敗戦の最中
に戦死しているからだ。(従って、勝頼に失望した将領達が信玄に殉ずるために自殺的突撃を
行なったという説は出鱈目だと思う。武田軍は必勝の信念を持って闘ったというのが普通の見方だろう)

石投げ部隊が戦の際に大きな役割を果したのは確か。
有名な「水股の者」も、単なる囮部隊と見るより、よく訓練された精鋭部隊と
見る方が正確。
ただし、「水股の者」の存在は武田軍の軍制改革の遅れを象徴するものでもあった。
98日本@名無史さん:2001/07/03(火) 18:18
>>96
石がふってきたら、逃げて、怪我もせずに生き残るがプロ。
生きていればまた戦える、と。
99日本@名無史さん:2001/07/03(火) 18:27
石投げで合戦が終始したって言うんなら、戦国の軍隊の石投げ部隊の
比率とかを記述した資料とかあるんでしょうな。
それとそんな当たり前の戦術だったら、なんで武田の石投げ隊とか、
ことさら取り上げられてたりするんだ?
100日本@名無史さん:2001/07/03(火) 18:37
石投げ部隊たってな・・・・・・。
足軽が槍を地面において投げたとかそゆのじゃないのか。
101武田君:2001/07/03(火) 18:40
>>99
終始したとは書いてないが・・・
珍しくはないだろうという意味だ。
当時の(武田家以外の)戦功記録にも「石庇一ヶ所左腕」とか「石庇一ヶ所腰」とかいった
記載が散見できらしい。
少なくとも、「石投げ」が特殊な攻撃だったら戦功として記載される筈はなく・・・
102武田君:2001/07/03(火) 18:43
>>101
>「石庇一ヶ所左腕」とか「石庇一ヶ所腰」
名誉の負傷といったところだろうか・・・
103武田君:2001/07/03(火) 18:52
>>98
>また戦える
=落ち武者狩り、戦場狩り
ではないのかね・・・
104日本@名無史さん:2001/07/03(火) 19:03

それこそ雑兵物語、ではどう書かれているんだ?
105日本@名無史さん:2001/07/04(水) 00:59
>104
そうそう、雑兵物語ね。
記憶にないな、石投げの話なぞ。
むしろ白兵戦の話のほうが多かったぞ。
106日本@名無史さん:2001/07/04(水) 10:23
「落穂集」によれば合戦の時の人数の千人のうち、
侍は百人から百五十人で、あとはかりだされた農民、下人だという。
上杉や徳川などは一村の15から60までの男を一人残らず動員する。
後北条にいたっては70歳までを動員させていたそうだ。
このような素人集団に本職の侍が突撃すればたちまち総崩れとなる。
戦国武将の鬼神のような活躍は決して嘘や誇張ではない。
107日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:54
やっぱり極端なんだよ。
石投げで勝敗のついた戦もあったし、
肉薄する白兵戦でケリのついた戦もあった。
一つの合戦の様式が
全ての戦場で再現されつづけるわけじゃないんだからさー。

騎馬に関しては、ケリをつけてほしい……
108日本@名無史さん:2001/07/04(水) 14:06
じゃ、この先は騎馬武者の話だな。
下馬して戦ったって話はみつけた。
ただし、鉄砲が普及した後。
的になりやすいからだってさ。
ただ、必ず下馬したかどうかは不明。
戦況によるんだろう。
109日本@名無史さん:2001/07/04(水) 14:33
馬を先に攻撃しないのはなぜなんだろう。
110日本@名無史さん:2001/07/04(水) 16:10
>>109
馬を奪えないから。
111日本@名無史さん:2001/07/04(水) 16:23
うはは。
一理あるな。
112日本@名無史さん:2001/07/04(水) 16:35
確かに馬を戦利品として獲れるにこしたことはない。
113日本@名無史さん:2001/07/04(水) 18:46
読み終わったと思ったら石の話し終わっちゃったのかぁ・・・
114日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:21
「印地打ち」で検索したら
>武田信玄は、先手に数百人の投石兵を配置し、
>白兵戦の直前に印地打ちを行なわせるのが、常であった。
というのを発見。
http://www.jidai-show.com/i/kotoba/ai_005.html
津本陽の小説からの引用らしいく、あれなんだけど…
元ネタがありそうだけど、分かる人いないかな?

他では「神事」とか「悪党」とか系のがひっかかけど、戦国期の合戦は見当たらなかった。
115日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:25
>>109
そのために足軽とかがついてんだろ
116日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:33
df
117日本@名無史さん:2001/07/05(木) 04:06
乱戦の最中に、半端に馬を傷つけてみろ。
暴れちゃって大混乱だ。
暴れ馬をつくってどうする。
118日本@名無史さん:2001/07/05(木) 10:34
なるほど
119日本@名無史さん:2001/07/06(金) 18:45
矢というのは、角度によってはまったくダメージを与えない。
120日本@名無史さん:2001/07/06(金) 18:54
先祖が井伊直正に使えていて、先祖が記載した書物が
残っているのだが、確かに最初は1の言うような戦いが
メインだが、それも時間の問題。手柄狙いと高揚してきた連中が
乗り込み最終的には混戦。井伊家が家臣共々に赤い鎧に身を包んでいた
のも混戦の中敵味方を見分けるため。特に火縄銃の煙は凄く、その中でも
目立つようになっているため。
121日本@名無史さん:2001/07/06(金) 21:12
だいたい、
「調査の結果、やり傷、鉄砲傷、矢傷が多くて刀傷は少なかった」
という事自体怪しいのと違うんかい?
サンプルがどのくらいで、どういう人達が調べたのか、信憑性に問題が
あるんではないんかい?
今の歴史学会というのは信用ならないからな。
このたびの教科書問題でうごめいた学者らのキチガイ沙汰を見たりすると
そう思わざるを得ない。
122日本@名無史さん:2001/07/06(金) 21:20
>>114
その話(武田の石合戦部隊)を思い出すたびに、
「日本は遠戦を好み白兵戦は好まなかった」
と「新発見」流す学者の説がインチキくさく覚えられる。
なぜなら石合戦は遠戦にはまったく役の立たないものであり、
白兵戦の直前にしか効果を発揮しないからだ。
(石の遠投は矢盾で簡単に防げるから)
白兵戦で接近した直前、専門の石投げ部隊が用意した効果的な
石を一人当たり10発でも投げれば、決定的とは行かないにせよ、
心理的な意味もこめて、それなりのダメージを与えるのではないか。
123日本@名無史さん:2001/07/06(金) 21:28
石田三成が朝鮮の役で負傷したことがある。
朝鮮の山城を攻めたときであるが、あれは石傷ではなかったか。
石投げの戦争をやっていたのは日本ではなく朝鮮で盛んであった、
というのが正解ではないか?
124日本@名無史さん :2001/07/06(金) 23:22
甲陽軍艦も、疑わしいからな。
125日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:23
石傷というのは鉄砲傷のことをさしてたような気が…
まあ、面と向かって石を弓矢鉄砲がわりに使ってたとも思えないが、城の防衛戦や野戦での挑発程度には使われたと思われ。

>>121
>調査の結果、やり傷、鉄砲傷、矢傷が多くて刀傷は少なかった
信憑性を置いといて話をしちゃうと(w、これはあながち近いとこだと思う。
首を取る瞬間をのぞけば、鎧を着込んでいる武者に怪我させるには「切る」というより「刺す」という形で無いと鎧で防がれてしまう。
致命傷を与えるには刺さなくてはだめで、忠臣蔵のとき、浅野が「切り」つけたために吉良を殺せずに「士道不覚悟」といわれている。
だから戦国初期まで見られた薙刀や長巻は後期になって鎧が進化していくと数が減っていっている。
勿論リーチの差もあるし…
これらのことから考えて、刀はあまりメインの武器ではなかったのでは?
126日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:42
クリストファー・ソーンだったかな。
127日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:44
「日本は遠戦を好み白兵戦は好まなかった」
というのは表現が悪いのではないか。
信長以降になると鉄砲の威力が戦場を支配するようになり、
野戦では最初、鉄砲の掛け合いがかなり
長時間続いていたのではないか。
つまり近代戦とさして変わらなかった。
それに対して最も有効なのは集団的な騎馬隊の突撃だろうが、
生憎それに適した地形が戦場とならないのが日本の特徴。
弓は矢盾や鎧、陣笠などで防御しやすいから鉄砲の有効射程以内
(100メートル)でないと使えない。
ころあいを見て槍隊が突撃するというのが想像できるパターン。
つまり、「遠戦」は今と同様の火力の戦争に進化してきた
からと考えると辻褄が合う。
128名無しさんの主張:2001/07/07(土) 01:46
攻城戦のときには、石投げだけでなく
城中にたまったウンコや小便を釜でゆでてブレンドしたやつを
上からぶっかけたりしたらしい。
129日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:53
弓矢ってなぜか弱そうなイメージがあるんだね。
ファミコンゲームでも(よくしらないが)
剣が一番強くて槍がその次、ずっと下がって弓、
下手すりゃ素手より弱いって構造なんでしょう?
でもよくよく考えてみれば
てこの原理を応用した弓矢の方が、
手で直接振り回す刀や槍の何倍もの打撃力・貫通力があることは自明。
熟練した弓手が使えば具足を貫通するんだよ。
刀槍で鎧をブチ抜けると思っている人はいないよね?
完全武装の敵を刀槍で倒すのは至難の技。
130日本@名無史さん:2001/07/07(土) 02:29
>>129
そう。槍は第一に馬上から敵の頭をぶん殴るなど、叩きつけて使うのがメイン。
131129:2001/07/08(日) 00:41
もう一つついでに言っておくと、皆さん投石の威力をなめ過ぎ。
投げるのは小石じゃない。
暴動で石を投げる市民には完全武装の機動隊ですら近づけない。
あれを普段から投石に習熟した兵士が組織的にやるんだよ。
投石術(印字打ちという)の達人は猫を一撃で殺したという。
猫と人間は日本刀を持ってはじめて互角と言われるのにね。
投石はやすやすと頭蓋骨を陥没させることが出来る。
破壊力において刀槍に遜色ない。
だから戦場で投石が最も使われた武器だったのは何もおかしいことではないよ。
なにしろ原始時代にはそれでマンモスを殺したぐらいだ。
それから鉄砲の普及以前の軍役においては
弓足軽と槍足軽が1:4〜7の割合で配備されたが
槍足軽は手ごろな石を詰めた袋を携行した場合が多かったそうだ。
132日本@名無史さん:2001/07/08(日) 01:48
>>131
うむ。投石の威力は認めよう。
ただ、それが鎧や兜にまで効力を発揮するか、というところが争点の一つでな。
混乱をさせるため、という点では有効だろうが、はたして、それ以上のものであったかどうか……
133日本@名無史さん:2001/07/08(日) 01:53
>131
>槍足軽は手ごろな石を詰めた袋を携行した場合が多かったそうだ

まさに、それは白兵戦ですね。

しかし、機動隊が投石に対して近づけないことはありません。
完全武装の機動隊はいつでも投石をほしいままにする暴徒を
制圧することが出来ます。前盾と天蓋、そして時には網を上部に
覆って完全防御です。
前進しないのは、包囲網が完成されてないから。前進しても
暴徒は蜘蛛の子を散らすように散り散りに逃げるだけ。
交差点を押さえて包囲した後、前進するのです。
あとは包囲殲滅の袋叩き。

ですから暴徒の投石はおもちゃ。
やはり暴徒としては火炎瓶攻撃しか機動隊を震撼させえなかったのです。
切り札は鉄パイプなどによる白兵突撃になるはずですが、
鍛えられた機動隊の前に暴徒は制圧される戦例が、
1970年代に確立され、やがて正面激突は放棄され、ゲリラ戦へと傾斜
するのです。
戦国の世においても、投石とは緒戦補助手段でしかありませんでした。
ましてや鉄砲の登場した安土桃山期における高度な戦争段階においては。
134日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:49

首級のあげられない遠距離戦が、推奨されたり、認められたりはしにくい。
135日本@名無史さん:2001/07/08(日) 05:23
>>4
合戦についての歴史的な話は門外漢なので首を突っ込まないが、
居合を嗜む者の一人として、
> 日本刀は一人斬ったらもう切れないのでござるよ。
についての反論を。

実際に日本刀で据え物斬りを験した事があれば誰でもわかるが、
素人ががむしゃらに斬り付ければ、竹を斬っても簡単に刃毀れする。
だが、修練を積みさえすれば自然石をも両断でき、刃毀れ一つしない。

おそらくは刃の侵入角とタイミング、スピード、軌跡などが関係するのだろうが、
まぁこれは修練を積む事で体で覚えるもので、
いざ斬る時には本人にそんな計算やコントロールの自覚は無いんだが。(笑)

つまり、何の素地も修練も持たぬ素人の方が力任せに叩きつければ
確かに刀は簡単に刃毀れするし折れる事もあるが、
修練を積んだ者が振るえば、そうそう簡単になまくらになるような事は無い。

おそらくその
> 日本刀は一人斬ったらもう切れないのでござるよ。
と主張された方は、剣の心得の無い方かと。
136日本@名無史さん:2001/07/08(日) 05:24
>>134
遠距離戦によって崩れたところを追撃されたり、倒れた武者の首を取るということが多かったようだ。
大久保忠世が鉄砲で倒れた武者の首を取ることについて、「あんなものは冷首だ」という言い方をしている。
昔かたぎの武将にとっては手柄のうちに入らないという感覚だったのかも。
137日本@名無史さん:2001/07/08(日) 05:30
>>135
多分戦国時代には刀そのものがそういう使い方をされていないと思われ。
切りつけ合うというより、槍を放して組み合ったときに鎧の隙間から突き刺したり、
打ち倒した敵の首を切り離すのに使われたのでは?
一人切ったら〜のところについては同意ですが。
138日本@名無史さん:2001/07/08(日) 05:53
>>137
昔の合戦の仕方や甲冑の知識が無いので見当外れの事を言っていたらご容赦願いたい。
昔の戦で使った甲冑の胴丸の素材は何だったのだろう。

私などは腕に覚えがあるとはくちはばったくも言えないし、
もちろん自然石斬りなどは到底できないが、
古畳、巻藁、自転車の車輪のスポークを束ねたものなどで試し斬りを行った経験がある。
使った刀はほとんどが現代刀で、なかには幕末頃の細身の無銘の短刀もあった。
寸の足りない短刀の試切は長い柄をつけて薙刀のようにして行うのだが、
実はこれが一番切れた。
腕に覚えのない者にとっては、遠心力を増す柄の長いものが有利であることがよく分かった。
薙刀は非力な女性用といわれるゆえんだろう。

では職業軍人である侍が、その武人の膂力をもって薙刀をふるったらどれほどの破壊力があったのか。
刀でさえ達人が振るえば自然石をも断つ事は先に書いた。
昔の鎧の胴丸が分厚い金属製でなく、皮や木などの素材であったなら、
柄の長い薙刀であれば胴丸ごと人間を横一文字に両断できたのではあるまいか。
139日本@名無史さん:2001/07/08(日) 07:20
弓矢の威力をあなどっている人が多いけど、
弓の威力は実は相当なものなんだけどな。
ボウガンとか見ればいかに危険なものかわかる。
ボウガンや石弓はちがうって?

でもないよ、戦闘用の和弓の威力もたいへんなものだ。
ましてや源為朝の使った5人かがりでないと引けない、
弓なら鎧ぐらい突き破るだろうね。
140日本@名無史さん:2001/07/08(日) 07:46
弓矢や鉄砲のほうが威力があるのは当たり前、
でも装備率や習熟率から礫のほうがより一般的だったのは明らか。
141日本@名無史さん:2001/07/08(日) 09:08
銃や弓矢は点の打撃だろ

それに比べて剣やなぎなたは線の打撃だ

実効制圧力では刃物系の方が上
142日本@名無史さん:2001/07/08(日) 09:27
>>141
人を殺すには点で十分だけど、
それにせんよりも点の方が防具をつらぬくのに有利
143常識とバランス感覚:2001/07/08(日) 10:08
もう十分に議論されており、答えが出ているのではないか。
これ以上のカキコは無駄と思われ。
144日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:13
>143
まだ発展の余地はあるだろ。
そうやって話しの腰を折りなさるな
145日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:16
>>138
146日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:17
思うんだけどこれってヨーロッパでも全く一緒じゃない?
147日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:27
ヨーロッパに比べて、鉄の産地が少なかったので、鎧兜で全部鉄で
覆うのは難しかったのでは。
148日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:28
大筋は大体理解できたね。
後は詳細を煮詰めるものだね。
149日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:38
>>147
足軽の鎧は簡素ですね。
150日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:40
竹に蝋を塗ったり油を塗るだけで鋼のような強靭な鎧になります。
151日本@名無史さん:2001/07/08(日) 12:19

宅間守氏(37)に包丁で殺された小学校の児童8名は
 エタ・ヒニンであることが明らかになりました。
 これにより宅間氏は国民栄誉賞を受賞することを
 正式に小泉首相が発表しました。

 「包丁一本でよく頑張った!!感動した!!!ありがとう!!!
  これからもエタ・ヒニンを処分して欲しい!!!!」

 感極まった小泉首相と宅間氏は固い握手をしたそうです。
 宅間氏の勇気ある行動に感動した国民から出張依頼も殺到しており
 年内の宅間氏による小学校訪問予定は一杯とのこと
152日本@名無史さん:2001/07/08(日) 12:20
わけ     わか     らん♪
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153日本@名無史さん:2001/07/08(日) 12:27
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154日本@名無史さん:2001/07/08(日) 12:27
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155日本@名無史さん:2001/07/08(日) 13:21
http://www.wasurena.sakura.ne.jp/~tana00/arisa0.JPG

野望100は程c食人@お腹いっぱいの口に強引に手を突っ込むと両方に引っ張った。醜悪な程c食人@お腹いっぱいの顔が更に醜くゆがむ。
「うげええっ!!」

ひき潰されたケモノのような声を出し、程c食人@お腹いっぱいがうめいた。
頬をとめどなく涙が流れた。しかし、その涙も次々にぶちまけられる大便に覆い尽くされていく。

べちょおおぉっ!!

「うぶうううっ!?もがっ!ほげえええっ!!」

だが、野望100はそのまま程c食人@お腹いっぱいの顔を大きく肛門を開いた霜台の肉尻の間に押さえつけた。たちまち程c食人@お腹いっぱいの口の中に排泄器官から直送された生ぬるい泥便が大量に流し込まれる。

「おげええっ!げえぅうぇぇえっ!おもおっ!んごっ!んぐうっ!うぐっ!うぷぷっ!んぐううっ!んぐっ、んぐっ、んごおおぉっ、んぐぐううっ!!」
舌の上を走り抜け、喉の奥に直接ぶつかり、食道へ流れ落ちてくる腐食した下痢便。それは不味いなどというものを超越した不可解な味。少なくとも程c食人@お腹いっぱいの味覚はそれを判別することが出来なかった。

「おおおううっ!程c食人@お腹いっぱいがっ!おれの、おれのウンチ汁を飲んでらああぁっ!おおうっ!し、幸せだあっ!ウンコ飲めえっ!もっと、ゴクゴク飲めっ!!お腹いっぱいおれのウンコで、柔らかいウンコでたっぷり埋め尽くしてやるからよっ!噛めえっ!啜えぇっ!唾液で、胃液で、腸液でおれのウンコを溶かせぇっ!おおおうっ!いまっ!今程c食人@お腹いっぱいのお腹の中でいれのウンコが消化されてらあっ!程c食人@お腹いっぱいのウンコはおれのウンコで出来てるんだぁっ!!程c食人@お腹いっぱいのお口便器最高うぅっ!最高の生便器だぜえぇぇえっ!!」

プツン

程c食人@お腹いっぱいの中でキリキリと引き絞られていた一本の線が小さな音を立てて切れた。

(のんでる・・・あああぁぁ・・・なんだっけ、これ・・・ウンコ・・ウンコ・・ウンコって・・何だっけ・・・便器・・・おれ・・・そんな・・名前だっけ・・・ウンコか・・・これ・・・飲めばいいんだっけ・・・食べればいいのか?ウンコ?ウンコ?なあんだ・・おれ、ウンコ食べてるんだ・・・)

ぐびっ!ごぼぼぉぉぉっ!ぐぶうっ!ごぶっ、ごぶっぐびっ!ごくんっ、ごくっ!ごくっ!ぐちゅ、ぬりゅううっ!ぢゅるぢゅるぢゅるううぅっ!!

大量に流れ出す大便は余すことなく程c食人@お腹いっぱいの口腔を犯しぬく。排泄物に犯されているのは口だけではない。鼻の奥まで流れ込んだ泥便は、鼻水と交じり合いながら程c食人@お腹いっぱいの鼻腔から絶え間なく流れ出し、頬を伝って首筋に伝い落ちていく。

「程c食人@お腹いっぱい。解かるか?そろそろ霜台が糞をひりだしながらイクぜ。程c食人@お腹いっぱいを自分の便器にしたことでかなり頭がヤラレちまってるみたいだからなぁ。ククク・・・ほおら、腹の中が汁便でいっぱいになるまで飲めよ。残したらその糞まみれの恰好のまま長安の街中に放り込んでやるからな。」

「うううううっ!ウンコでイクうっ!程c食人@お腹いっぱいの唇がウンチまみれの肛門をヌリュヌリュ舐めてらあっ、吸ってらああぁっ!おれのウンチジュースを程c食人@お腹いっぱいが、程c食人@お腹いっぱいが赤ちゃんみたいにチュウチュウ吸ってらああぁぁっ!程c食人@お腹いっぱいの変態っ!ヘンタイいいいィッ!うんこ出るぜぇっ!おれのウンコ、程c食人@お腹いっぱいの口便器に、ウンコ袋にぃぃっ!!程c食人@お腹いっぱいの変態便器いぃっ!!おはああああっ!ダメだあっ!生グソ便器にウンコこーもん、ビラビラのこーもんのお肉舐められていっちまうぅっ!いっちまうううっっ!!あひゃああははああああああっ!!」

びちゅぶうううっ!!ぶびっ!!ぷふうううーーーっ、ぶひっ!ぼぶっ、にゅるにゅるにゅるにゅる・・・・

「ぐ・・・・えぇぇ・・・・おごっ・・んぶっ・・ん・・んごっ・・・んごっ・・・おふっ・・・・」

グチョ・・ブチュ・・・ヂュル・ズビッ・ゴクン・・ゴクン・・・グチュゥ・・ニチャ・・ニチュウゥ・・・

程c食人@お腹いっぱいの耳には野望100の低い声も絶頂を迎えた霜台の嬌声も届いてはいなかった。聞こえるのはただ自分の口と鼻の中を暴れまわり、果てしなく喉の奥に流し込まれる大便の音だけだった。
156日本@名無史さん:2001/07/08(日) 13:36
なんで、このスレを荒らすのか…今日も暑いなあ…
157日本@名無史さん:2001/07/08(日) 13:44
>>138
たとえば、剣道の防具を着た人間と、剣や長巻に円熟した達人が対決した場合、
防具を着た人間が走り回って、攻撃をしてきている状況でも
一刀両断にできるものでしょうか。
158奈良麻呂@橘:2001/07/08(日) 15:21
はっきり言えることは、大河ドラマの合戦シーンは間違いが多いということ。
完全武装の重装歩兵には刀では立ち向かえない。鎧や兜のすきまを槍で突くという感じ。
それに足軽を殺しても何の功にもなりません。槍などでたたき、追い払っていた。
159日本@名無史さん:2001/07/08(日) 15:30
時代考証やってる教授が、
「正確に再現するとつまらなくなるから」って言ってた。
今のじゃないけどね。
ドラマの合戦シーンはおいとこうよ。
現実と視覚効果の板ばさみなんだから。
160日本@名無史さん 投:2001/07/08(日) 16:24
結論
日本刀は首切り包丁でした。
161日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:55
飛び込んで来てすみません
みなさん時代物にはお詳しいと思いまして・・
慶長年間が舞台の小説なのですが
水戸松平家の、岡田 竹右衛門の家紋という事で出て来るのですが・・
「ニ葉松紋」の読みを教えて下さい 。

家紋の一覧表を見ても載っていなくて・・
点訳をしているのですが読みが解らず点訳出来なくて困っています
失礼は重々承知なのですが助けて下さい。
162名無しさんの主張:2001/07/08(日) 22:02
石投げの話ですが、野球のボールみたいに手ごろな石を投げる物と思っている
人が多いみたいだ。
武田信玄配下の小山田信茂の石投げ隊はゴツゴツした拳大の石何個かを
布でくるんで、ハンマー投げの要領で体を回転しながら十分な遠心力をつけて
飛ばしたそうです。命中率も高かったそうです。
これは当たればたまらないな。
163日本@名無史さん:2001/07/08(日) 22:23
>>161
残念ながらスレッド違いです。
「くだらない質問はここに書け」スレッドに書き込んでください。
またその際には、小説のタイトル・筆者名なども記載しておくといいでしょう。
点訳がんばってください。
164日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:40
机上の空論を積み重ねる大学教授の論文より
実際に剣の力を肌身に感じて知っている居合の人の言葉の方が説得力あるな。
165日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:52
弓のことなら弓道五段の私になんでもどうぞ。
166日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:56
>>165様。
矢の飛ぶ速度って、一般的にどの程度なんでしょうか?
個人差があるだろうことは想像できますけども。
弓道やっててもわからないかな。
くだらない質問ですいません。
167日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:57
マトや藁束相手の弓道家や居合家の経験談より、
キャットキラーや小学生斬殺犯の言葉の方が説得力あるな。(藁
168日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:00
あ、でも市販の包丁でも小学生を何人も切れたんだから、
最初から人斬り用に考案された日本刀が
2〜3人切ったら切れなくなるなんて無茶なヨタ話だってのはわかるな。
169日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:04
速度は弓のs数にもよりますが、源平期の弓を40sとし射程距離を500mとすると
初速は80ほど出ると思われます。ただし、射手の弓を握る左手の形が悪いと
飛翔力、貫通力、命中率などに大きな影響が出てしまいますので、あるレベルに達して
いない射手の放った矢は400mで30ほどに落ちてしまうのではないでしょうか。
170日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:07
動く的に当てることはできんの?よく合戦じゃ馬に乗ってる武将が殺られますが。
171日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:07
>>131
> 猫と人間は日本刀を持ってはじめて互角と言われるのにね。

これはキャットキラー・ネオむぎ茶に失礼なホラ話だな(藁
                       γ___
                      /      \
                     /        ヽ
                     ( ((|__|____|__||_| ))
                     ( ((  □━□  )
                     (6    J  |)
   .;".;":               .ヽ  ∀ ノ
         .;".;":             - ′     Λ
.;   ″: .;".;"         /⌒` ┘  └⌒ヽ.、│)\ +   .;".;
                   /    \\ / /   │) │
                  /    人  .\‖/   . │) ノ
               ΛΛ- ⌒ /|  ;  ‖;* ′((~ξ)   .;".;
               (。 。 ))ノ  l*  . ‖・ ,イ  ー
               ∪∪|  |;   ‖   |      .;".;":
                .|;|  |   *‖   │.;".;   .;".;":
 ゴオ ォ    ォ ォ   .|・|  l     ‖ .;".;": オォ     オ
      オ ォ    ォ  ∪∪   l    /″: .;".;"″: . オ ォ".;": ".;
     .;".  : .;″: .;".;"″: .       .;".;
.;″: .;".;": .;   ″: .;".;"″: .  .;".;":       .;".;
.;″: .;".;":
172166:2001/07/09(月) 00:12
回答ありがとうございます。
>>169
500mも飛びますか?
「とすると」って書いてあるから仮定なんでしょうけども。
そもそも現代の和弓(っていうのかな)の最大飛距離はどの程度なんでしょう?
173日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:16
動く物体に中てることは遠距離では難しいものです。30m離れた小さな移動物体に中てるのでも
相当な洞察力と技術が必要です。合戦では個々の兵士を狙うようなことはしなかったはずで、
敵集団を大きな目標して射撃したものと思われます。ただ、軍記などを読むと、
平将門や新田義貞の額や和田義盛が奥州藤原一族の将を狙って矢を放ったという記述から
命が懸かっていた当時の武士の技量は恐るべきものと言うしかありません。
174日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:22
現代の弓道で使用する弓はだいたい20〜10kgあたりです。それで最大射程を求めると
仰角を取らねばなりませんが、無風を考えると学生や一般男子の15kgで250mがいいところ
だと思います。水平に放つならもう少し伸びると思いますが。
175日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:24
ひさびさにイイ奴が登場(藁
176166:2001/07/09(月) 00:27
重ねがさねありがとうございます。
想像以上に飛ぶものなんですね。
177日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:27
>>173
父祖代々、幼時から職業として人を殺す術を鍛錬し、
人を殺す事で生き、死んでいった武士の人殺しに関する技量は、
現代に生きる我々と同列には考えられないと思うよ。

現代人の能力で戦国の武人の能力を推し量り、
「そんな芸当は物理的に不可能だ」という歴史学者は愚かというほか無いね。
『昔の人間は現代人より劣っている』という思い込みが根底にあるんだろうけど。
178日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:36
はぁ?氏ねばぁ?クズはなにしたってクズ。
179日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:39
武道なんかやる奴はドキュソ。マシンガンでいちころだろ。ちがうか?
だいたい、昔の合戦なんかの戦術調べたって何の役にもたたねーよ。

武道はチョン起源!戦術ヲタは第9条違反!
180日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:50
あああ・・・
優良スレだったのに。
>>178-179みたいなドキュソが湧いてきたらココももうオシマイだな。
181日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:52
>>177
うへ。過去人への幻想まるだし。名前の残った武将の成功話しか耳に入らないのかー。かんらかんら!
物理は不変。根性論感情論で、「だって古文書に書いてあるもーん」か? こうようぐんかん信じて芋喰って寝ろ。
182日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:53
>>161

家紋について語ろう。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=989589910&ls=50

があがってきました。
そちらで聞かれてはいかかでしょうか?
183日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:05
>>181お前はバカか?なんで古人へ敬意を示すことが悪いんだよ!たしかに
誇張の書物もあるけども歴史ってのはロマンというのも大きな要素だろ!

情緒不足で、「だってそんなの理論的にムリだもーん」か?クソ学者信じて芋喰って寝ろ。
184日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:05
>>181
誰が名のある武将の話をしてるんだ?
勝手に勘違いするんじゃない。

物理は不変だよ。
物理を知った気になってるイタイ歴史学者や、
現代人のデータを基に『ありえない』と言ってるバカ教授がイタイと言ってるんだよ。

細身の日本刀で厚さ3cmの大理石を一刀両断する試技を見て、
『物理的にありえない!トリックだ!』と叫ぶ馬鹿学者は、
実は物理なんか知らない。
大理石は硬いものという漠然とした自分の先入観で言ってるだけ。

加速度、空気抵抗、素材耐久性、侵入角度、素材抵抗、負荷限界
面積あたりの荷重や剪断抵抗などなど、
本当に物理学的に考えれば、鉄兜や大理石くらい切れて当然だという事を知らない馬鹿なんだよ。
185日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:11
〜夢の中へ〜

晒し者は>>181ですか?
救い難いアホですか?
他のスレにも 他の板にも
晒したけれどまだやめないのね

まだまだ起きる気ですか?
それなら>>181を叩きませんか?
>>181のカキコ >>181のカキコ
「逝ってよし」だと思いませんか?

ウフフ ウフフ ウフフ
晒す

叩く事も許されず 煽る事は止められて
我慢をして 我慢をして
一体何が2ちゃんというのか?

晒すのをやめた時
増長するのよくある話で
叩きましょう >>181のカキコ
「逝ってよし」だと思いませんか?

ウフフ(消えろ馬鹿め)
ウフフ(消えろ馬鹿め)
ウフフ

晒す
186日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:19
お願いだからやめてくれ。
なかなか有意義なスレになりつつあったのに。
187日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:26
さっき弓の話が出てたけど弓隊って切り込まれたらケームオーバーなんじゃねーの?
188日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:33
ゲームじゃないから、軍勢は有機的に動ける。
それに、弓だけ抱えてるわけじゃないし。
189日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:34
腰に佩刀してりゃ、
接近されたら弓捨てて剣で応戦するよな。
190176:2001/07/09(月) 01:42
>>187
たしかに飛び道具である以上接近戦には脆いはずです。なので源平期あたりでは馬と組み合わせて
機動力をつけたのでしょうか?(騎馬の機能性には諸説ありますが)戦国期ではもはや弓は主役を
鉄砲などに譲っていましたが足軽などには弓組があったようです。「斬り込まれたら」とありますが
この時代は後方に布陣させられていたのでは?それでも接近戦になった時の備えとして名前は忘れて
しまいましたが、弓の先に脇差のようなものを取り付け槍のようにして戦う技が開発され江戸期を
通して今日までその流派が残っています。
191日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:43
つーか、みんな甲陽軍鑑に反発するあまり、
剣や槍や薙刀の恐ろしさを軽く見過ぎてるきらいがあるな。

現代では日本刀持った相手と喧嘩するなんてシチュエーションはまず無いから
あんまり実感わかないせいかな。

喧嘩で刃渡り5cm程度のバタフライナイフ出されただけで腰がひけるのに、
実際にヌラリと光る抜き身の日本刀を目の前にしたら、
普通は誰でも小便チビルと思うぞ。
なんたって人斬り包丁なんだからな。
薙刀や槍なんか出されてみろ、もう反則モンだよ。

意外性のある新説や奇をてらった論文に魅力があるのは確かだが、
机上の空論を全部真に受けるのは
甲陽軍鑑を丸ごと真実として真に受けるのと変わらんぞ。
192日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:44
>>187-189
その近づく間が想像以上に怖い。
近づけば近づくほど弓の狙いは正確になり
貫通力も加速度的に上がる。
乱戦ならともかく
弓を刀に持ちかえる必要は特にない。
193日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:50
剣、槍、鉄砲、弓、石投げ
このなかで武道として最も発展したのはどれだ。
精神論とか士道とか儒教の「道」がまだ良く残ってるをオレはやってみるつもり。
194日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:53
>>192
倒しても倒しきれないで囲まれたらどーするよ。アポー。
195日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:54

190で書いてあるじゃん
196アズマ党:2001/07/09(月) 02:07
弓隊が切り込まれたらゲームオーバーというのは理屈であって
実戦ではありません。
弓隊は切り込まれないように逆茂木というのを並べて待ってます。
突進してきた敵の騎馬はここでもたもたしているところを射られます。
弓隊には弓隊の隊長がいます。隊長には当然馬廻りの足軽が付きます。
逆茂木をすり抜けてきた徒歩の兵はこの足軽が相手にします。
弓兵自身も短い脇差しを差していて、最後はこれで戦います。
197けん:2001/07/09(月) 02:15
どこの国でも、いつの時代も戦は同じようなもんよ。
映画のようにカッコヨクないさ。
映画のように、本当に死ぬ気で戦いを遂行したのは
特攻隊ぐらいだよ。
198日本@名無史さん:2001/07/09(月) 02:22
>>197
あと、報奨金がもらえないと後が無い
飢饉で荒廃した村の水飲み百姓とかな。
199日本@名無史さん:2001/07/09(月) 03:12
>時代考証やってる教授が、
>「正確に再現するとつまらなくなるから」って言ってた。

どういう教授か知らないが、今やそういった権威には誰も承伏しない。
時代考証をやっているからって、その人が真実を知る人とは誰も
思わないから。
授業を受けるなら(大学生くらいなら)批判的に聴こうね。
200日本@名無史さん:2001/07/09(月) 03:50
イエイ!200!
201日本@名無史さん:2001/07/09(月) 05:22
弓隊が斬りこまれたら終りっていうけど、至近距離でも逃げながら撃つとかいろ
いろあるだろ。それに名の有る対象が射殺された例ってのは、ほとんど近距離
戦で弓で狙われてひとたまりも無くやられたんだぞ。弓で対処出来ないほど大
勢の敵に囲まれたらどうするんだって言われても、そんな状況なったら槍でも刀
でもアウトじゃねーか!機関銃でもあるなら別だが。
202161:2001/07/09(月) 06:15
>>163.182
ありがとうございました。
203日本@名無史さん:2001/07/09(月) 16:14
>>199
はぁ・・・
言わずもがななことは書かなくていいよ。
「大河ドラマの合戦シーンには間違いが多い」に対する発言なんだからさ。
間違いじゃなくて、わざと効果を狙う場合もあるってこと。
具体的に合戦シーンについて言ってた訳じゃないんだけどね。
俺が勝手に言葉変えたから、全然違う意味に受け取られちゃってる。
正確にどうだったかなんてわからないんだから。
ああいうニュアンスのこと言ってたってことです。
204日本@名無史さん:2001/07/09(月) 20:20
投石の技術は百済のサウラビがつたえました。
205日本@名無史さん:2001/07/09(月) 20:32
やれやれ、相も変わらずくだらん話しをしとるな。

合戦の順序
・鉄砲の撃ちかけ
・弓矢の飛ばしあい
・槍部隊の交戦
・白兵戦(刀もあり)
・騎馬武者の突撃
これが定石だろ。
常識だろが。
206奈良麻呂@橘:2001/07/09(月) 21:03
戦の相手が刀を持っていても、それより長い武器を持てば全然怖くないよ。
一度やってみたら。さらによろいカブトを着用すれば、まずやられる事はないよ。
207古流:2001/07/09(月) 21:24
ふっ、たしかに刀の扱いは難しいが熟練すれば槍以上の得物じゃぞ。
ま、素人諸君には槍のが無難であろうな。
208日本@名無史さん:2001/07/09(月) 21:50
槍の穂先を切り落とされたらすごく焦るぞ。
ま、やったことないやつにゃ合戦の難しさなんぞわからんだろけど。
209日本@名無史さん:2001/07/10(火) 00:09
>>207-208
つまり槍の熟練者>剣豪
210日本@名無史さん:2001/07/10(火) 01:15
長槍は集団で攻めてなんぼ。独りでつっこんで一撃目を外したら後が無い。
211日本@名無史さん:2001/07/10(火) 01:54
だーら戦国期に太刀の名人がいるなら、あげてみろってんだつーの

>>205
古くさい定石だっつーの
212日本@名無史さん:2001/07/10(火) 07:41
>>211
じゃあお前は長槍、槍、弓、鉄砲、投石の名人を挙げれるのか間抜け。
そしたら教えてやるよちんぽ野郎。
213日本@名無史さん:2001/07/10(火) 10:53
七本槍は、槍がメインウェポンだったか、とね。
214奈良麻呂@橘:2001/07/10(火) 17:08
刀って刃こぼれするじゃん。それに人間を一人でも斬ったら脂肪が巻いて切れ味が落ちるよ。
215日本@名無史さん:2001/07/10(火) 19:07
>>214
アホか。宅間守でも包丁一本で頑張ったんだ。やってやれんことないだろ。
斬るんじゃない、突くんだ!
216奈良麻呂@橘:2001/07/10(火) 19:12
やはり突くんだったら、短槍の方がいいですよ。
刀ってすぐに中折れしそうです。
217名無しさん@道民:2001/07/10(火) 19:28
樺太連盟に関して素朴な疑問とドイツの例と比較して言っただけ。
フィンランドにもカレリア同盟というカレリア奪還を叫ぶ圧力団体は
存在しているわけで。
>>503は右とか左とか両極端でしかモノがみえないのでは。
例えば中国も社会主義とか狭いイデオロギーという意味だけで考えるのではなく
現在は中華人民共和国という王朝なのだと考えれば対日政策とかでも色々な心理が
見えてくるというものである。
218名無しさん@道民:2001/07/10(火) 19:29
間違えました。すみません。
219日本@名無史さん:2001/07/11(水) 01:55
>>214
日本刀が、人間ひとり斬っただけで切れなくなるぅ?
お前は人間を何人斬った事があるのか言ってみろ。

まったくどこからそんなヨタ話を仕入れてくるんだよ・・・。
220日本@名無史さん:2001/07/11(水) 02:05
( ´∀`)肉屋さんが肉ひときれ切るたびに包丁洗ってたら大変なのれす。
221日本@名無史さん:2001/07/11(水) 02:23
肉屋さんは、肉だけ切るけど、戦いでは骨も切るし、斬れるのは十人以内では?
「7人の侍」でも竹千代が何本も刀を用意してたね。
222名無しさんの主張:2001/07/11(水) 02:31
将軍足利義輝も
最後は何本も用意しています。
全部畳に突き刺して、刃がボロボロになるたんびに交換。
かっこいいな
223日本@名無史さん :2001/07/11(水) 03:23
槍でも刀でも、全ての攻撃において一撃で殺そうなんて思って攻撃しないだろ。
戦闘能力が落ちる、敗走する、それで十分。
戦は向かい合ったものの一方が確実に死ぬものではない。
224日本@名無史さん:2001/07/11(水) 03:27
アホかおまえら。1回の合戦で刀で10人も斬るか。ゲームや漫画の読みすぎ!
225日本@名無史さん:2001/07/11(水) 03:32
その10人という数字はどこからきたんだっつーの。
226日本@名無史さん:2001/07/11(水) 03:37
>>224
だから刀は例え一人も殺せなくても
有効な武器なんだよ。
機動隊の警防といっしょだ。
227日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:07
実戦剣法って、けっこう足とかも攻撃するよね。
戦えなくすればオッケー。
228日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:22
刀の横薙ぎで首がぽーんと飛ぶのは漫画的。
たがやの首は落語(庶民の願望)
229奈良麻呂@橘:2001/07/11(水) 15:48
刀は一人斬ると脂がまいて斬れにくくなるのは本当ですよ。
全く斬れないとは言ってません。
包丁でも脂身の所を切ってごらんなさい。
切った後包丁の脂分をとらないと、だんだん切れなくなります。

実戦剣法はなんでもありでした。相手の足や小手ばっかりねらう剣法もあったぐらいです。
230日本@名無史さん:2001/07/27(金) 00:01
231日本@名無史さん:2001/07/27(金) 11:39
おまえら本当に合戦のこと知らないんだな。
合戦の主流は組討ちだろが。
弓だ槍だとか言ってるやつらは何を根拠にそんなこと言ってるんだ?
甲冑つけてたら弓や槍の効力は当然半減されるよな。
確実に相手をしとめようとしたら組み討ちにならざるを得ないんだよ。
だから実際の合戦というのは大規模な柔道の仕合が行われていたような
もんだな。
232日本@名無史さん:2001/07/27(金) 11:41
>228
なにを根拠にそんなこと言ってんだ。
この厨房野郎。
首切ったら血圧で首は飛ぶんだよ。
医学的根拠があるんだ
233日本@名無史さん:2001/07/27(金) 11:44
>>231
ラグビーじゃないんだから(藁
組討ち運動会だったら、戦場絵巻は壮絶だな。
234日本@名無史さん:2001/07/27(金) 11:48
>233
じゃあ、どうやってしとめるんだよ。
相手を負傷させても首刈る時に必然的に
組み討ちになるだろ
235日本@名無史さん:2001/07/27(金) 11:49
>>233
戦場はキミ達が想像してる以上に壮絶なものなのだよ
236日本@名無史さん:2001/07/27(金) 12:04
槍傷をうけてくずれた相手に、組討術を使用するのか。
そりゃー壮絶だな。
で、組討術は、誰がどれだけ教えるんで?
流派名は?
237日本@名無史さん:2001/07/27(金) 12:07
劣等感が強い奴ほど、二言めには戦場は壮絶だと言うもんだ。
238日本@名無史さん:2001/07/27(金) 12:11
あーあ、ほんとに知らないんだな。
そりゃ、毎日家にこもってれば実際の
戦いがどんなのかなんて知らないだろな。

流派?
はぁ?そんなもん江戸時代に入ってからだろ。
少しは調べろよ。
武士は平安時代末から相撲によって組み討ちの稽古して
たんだよ。そんなことも知らないで合戦を語るな。
239日本@名無史さん:2001/07/27(金) 12:58
黙っちゃったね。
240236:2001/07/27(金) 22:31
いや、まじでしらねえ。これは興味深いや、ソース希望だ。
241日本@名無史さん:2001/07/28(土) 01:15
なんかみんな言うことが極端に走ってない?
遠戦だって言ったり組み打ちだって言ったり…
そもそもどっちかで事が済めばかたっぽの武器いらんだろ?両方使われてたってのは、弓・鉄砲・長槍なんかでの遠戦→手槍や刀での格闘って流れだったってことでしょ?
その中で鉄砲打ち合っただけで相手が崩れたり、壮絶な格闘戦が起こったりということがあったわけで。

>>238
あんた合戦出たことあるの?
242日本@名無史さん:2001/07/28(土) 03:12
石で狙いつけようとしたら、20メートルぐらいが限界だよ、鎧も着てるし。
遠投なら倍は飛ぶけど、避けやすい、密集してないと意味が無い。
鎧着ても、50メートルぐらいなら十秒ぐらいでしょ、ただ投げるだけでも、
2.3個投げられればいい方、それに大声出して突撃している中、武器も持たずに、
石は投げつつけるのは不可能、正面の敵を倒しても次の敵に殺されるだけ。
精神的に無理がある、小山田隊のように組織化していれば別なのだが。
一般の戦闘で遠距離武器だけで決着がつくのなら、盾が進化していたはずだが、
刀や槍が進化しているのを考えると、ある程度鉄砲の数が揃うまでは、
始まった時の挨拶に近かったのではないか。よって接近戦の方が多かったのではないか。
243日本@名無史さん:2001/07/28(土) 03:13
要は
足軽は、槍と石

武士は、刀と槍と馬と弓

大名は、小性のアナールということで
244日本@名無史さん:2001/07/28(土) 03:59
>密集してないと意味が無い。
投石派の人々はさんざん密集戦術においての
遠戦武器の優位について語っていたはずですが。
>鎧も着てるし
>盾が進化していたはず
部隊の最前線には木楯と仕寄を置いて
投石・弓矢・鉄砲弾を防ぎました。
足軽の陣笠が発達したのは投石を防ぐためと考えるのが妥当です。
革とこざねを繋ぎ合わせた鎧は刺突や斬撃に対して強力です。
逆に打撃にたいする防御力はありません。
>刀や槍が進化している
長柄ができた程度で、それこそ鎌倉・南北朝から変わってませんよ。
>精神的に無理がある
突撃など全滅を覚悟した場合しか起こりません。
その場合は長島一向一揆など甚大な被害を与えました。
孫子にあるように、兵は敵を見れば逃げるもの、臆病なものです。
弓矢や石で待ち構える敵陣に突撃するのは自殺行為です。
245日本@名無史さん:2001/07/28(土) 12:59

図説・日本戦陣作法事典 笹間良彦 柏書房

これを基準。
合戦の始まりから終わりまでを、順を追って解説している。
これを読んでいないやつは、
語る資格なし。
246日本@名無史さん:2001/07/28(土) 18:22
>245
それこそ江戸時代にできた
戦場を知らない軍学者が、厳めしく見えることを重視してつくったもの。
247日本@名無史さん:2001/07/28(土) 21:42
>>246
ナニカ他の本とカンチガイしてないか?
248日本@名無史さん:2001/07/29(日) 11:55
戦国時期の相撲か……凄そうだな
249日本@名無史さん:2001/07/29(日) 14:02
>>244
>弓矢や石で待ち構える敵陣に突撃するのは自殺行為です

ま、まさか合戦が弓矢と石投げだけでほとんど
戦われていたのでとも?
250日本@名無史さん:2001/07/29(日) 15:32
軟弱なアズマ君には組み討ちは無理だろ(w
251日本@名無史さん:2001/07/29(日) 22:22
合戦の始りは弓矢による遠隔攻撃からはじまって
次第に距離を詰め、白兵戦に。
そのような乱戦になれば当然単なる斬り合いだけで
済むはずもなく、つかみあって投げ合いの
壮絶な修羅場と化すのである。
武器だなんだと言っても最後は己の肉体が武器となるのである。
252名無しさんの主張:2001/07/29(日) 23:03
同じ組討に持ちこむのなら
その前に遠くから散々ダメージを与えておいて
敵さん連携を壊し、傷を負わしてから襲い掛かった方が
いいにきまってる。
石投げには、一部隊を挑発して敵の足並みを乱す目的も
あったのでは。
253日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:16
いや、別にはなから組み討ちにもって
いこうなんて思ってたやつはいないでしょ。
鉄砲、弓矢や槍でしとめられたらそれにこした
ことはないもんね。
ただ、相手もそう簡単にやられてくれないから
必然的に組み討ちになることが多かったんだろね。
254日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:21
合戦における組み討ちの起源は古く、それは日本の国技である
相撲そのものの歴史を知ることでもある。

皇祖天照大神が、葦原中津国を皇孫邇邇芸命に支配させんとし、そこを領有して支配していた大国主命を帰服せしめようとするが、大国主命は肯わず、天照大神は建御雷神を派遣して説得させる。大国主命は帰順の意嚮を示し、息子の言代主神もこれを勧めた。ところが建御名方神は納得しない、そればかりか建御雷神に力比べを挑み、先に手を取らせろと言い放った。こうして互いに手を取り合ったが、建御名方神は手もなく(「若葦を取るが如」(古事記))捻られ投げ捨てられてしまったのである。建御名方神は逃亡するが、建御雷神はこれを追い、「科野国須羽」、つまり信濃国諏訪で遂に建御名方神は降る。建御名方神は諏訪社に祀られ、葦原中津国は邇邇芸命のものとなった。
255日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:22
人間同士の相撲の起源はつぎの通り

大和国當麻村に蹶速という「勇み悍き士」(日本書紀)がいて、人々に「四方に求めむに、豈我が力に比ぶ者有らむや。何して強力者に遇して、死生を期はずして、頓に争力せむ」(日本書紀)、つまり、周りには俺と同等の力を持つものなどいまい、どうかして骨のある奴に出会って、力を比べたいものだと公言して憚らなかった。垂仁天皇 7年( 300) 7月 7日、噂が天皇の耳に達し、天皇が「當麻蹶速は無双の力士(優れた力を持った人)だと聞いた。これに太刀打ちできる者はおらぬか」と下問する。或臣が、「出雲の国に勇士がおります。野見宿禰と申します。試しに召し出して當麻蹶速と対戦させましょうか」と応える。その日に野見宿禰を召し、當麻蹶速と戦わせた。向かい合い、互いに足を上げて蹴り合った。そのうちに、野見宿禰が當麻蹶速の肋骨を折り、挙句には腰まで踏み挫き、殺したのであった。天皇は當麻蹶速の所領をすべて野見宿禰に与えた。その地は「腰折田」の名で呼ばれるようになった。野見宿禰は、そのまま天皇に仕えた。
256日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:24
上に挙げたように日本の格闘技の歴史は古く
皇室の歴史とも密接に結びついている。

日本の武芸家が皇室や神道を崇敬しているのは
このこととも関係している。
257日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:28
この日本古来の格闘技である相撲は「相撲節」として
宮中行事にもとりこまれ、また平安末に台頭してきた
武士達も鍛錬のためにこの相撲をよくした。
それは当時の鎧武者の一騎討ちの戦いの中で実際に
組み討ちになることが珍しくなかったからでもある。
258244:2001/07/29(日) 23:29
組討至上主義者の人ってさ、
ひょっとしたら年に何回かある陣ぶれで他領に攻め込んだ時は
必ず遭遇戦や城攻めを行うとは思ってないよね・・・。
戦国板の人じゃあるまいし・・・まさかね。
当時の出陣は略奪するために行い、
相手が反攻の体勢を整えれば和議を結んで撤兵した。
たとえ戦闘に勝っても自国の領民を失えば
それだけ国力が弱まり第三国に漁夫の利を突かれてしまう。
戦闘は最後の手段で大博打だった。
259日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:30
「吾妻鏡」所載の相撲の記事を眺めると、鶴岡八幡宮において放生会などの祭礼に奉納される相撲の記事が目につく。頼朝の臨席もあり、その頼朝が武士や相撲人を召しては相撲見物を楽しんだという記事もある。例として、
−−−
 建久二年
   三月小
三日、辛亥、鶴丘宮の法会、童舞十人箱根の垂髪、有り、又臨時祭、馬長(あげうま)十騎、流鏑馬十六騎、相撲十六番、幕下御参宮…(巻十一)
 建永元年
   六月小
二十一日、辛未、御所の南庭に於て相撲を覧る、相州、大官令等候せらる、南面の御簾を上ぐ、其後各庭の中央に進みて、勝負を決す、朝光之を奉行す、向後相撲の事を奉行す可き由と云々
 一番  三浦高井太郎   三毛大蔵三郎鎮西の住人
 二番  持波多野五郎義景   大野藤八
 三番  広瀬四郎助広相州の侍   石井次郎義盛の近臣の侍、
禄物有り、兼ねて廊根の妻戸の間に置かる、羽、色革、砂金等之を積む、事終りて後、左右に之を賜はる、勝負を論ぜず、悉く以て之を下さる、負方逐電すと雖も、之を召し返さると云々、(巻十八)
260日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:32
>>258
そんなケースはこのスレでは取り扱っていない。
実際に「合戦」になった時はどうだったかという
スレだろ。
それともその火事場泥棒みたいなことも「合戦」
と呼ぶわけか?
261日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:41
まあ、あとはご存知だと思うがこの
合戦における組み討ちのための鍛錬であった
当時の相撲が今私達が知っている相撲となり、
またその傍流は柔術となりそこから柔道、合気道
などの現代日本武道が発展していったのである。
日本武道はこの合戦における組み討ちをもとに
したきわめて実戦的な格闘技なのである。
262日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:44
八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                宮
263日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:44
             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                宮
264日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:48
>>263
日本の武芸家達が崇敬してきた三柱である。
これは皇国史観でも右翼思想でもなんでもない。
神代からはじまる日本の戦いの歴史そのもの
が戦士達にこれらの神を崇めさせてきたのである。
265日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:51
およそ思想とはかけ離れたところにある
武道界にこのような伝統が残っていることは
日本本来の本当の姿というのを私達に考えさせて
くれるものである。
なんでもかんでも、やれ皇国史観だの右翼思想だのと
わめきちらすチビっこ達は一度このことをよく考えて
みて欲しい。
266日本@名無史さん:2001/07/29(日) 23:55

   ∧/Y∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (() ゚Д゚ )< よい子の皆はサヨの
  ()彡Yミ()  \_デマを信じてはダメだぞ
  |E◎ヨ |
  (__)_)
267日本@名無史さん:2001/07/30(月) 02:00
お、アギトじゃん
268日本@名無史さん:2001/07/30(月) 02:02
武器すてて組み付いてるやつは、
ここぞとばかりに、槍や刀で、やあ!
269日本@名無史さん:2001/07/30(月) 05:47
腹がへっては戦はできぬといいますが
大軍で遠征した時は食料とかどうしてたんですかね。
米俵もいっしょにもってんたんですか。
ど素人ですいません。
270日本@名無史さん:2001/07/30(月) 05:52
干し柿とか腰にくくりつけてたんじゃなかったっけ?
271日本@名無史さん:2001/07/30(月) 06:00
>>270レスありがとうございます。
いやなんせ何万もの大軍がずっと
歩いていったら合戦の前に食料がなくなってのたれ死に
しそうな気がして。やっぱり途中の農村で食料調達したり
したのかな。敵国の村なら強奪したんでしょうか。
詳しい方おしえてください。
272アズマノイド:2001/07/30(月) 06:59
>>270-271
古くは兵士が米袋を担いで戦争に行きました。
当然短期決戦以外の戦争は出来ません。
兵士自身農民ですから戦争自体が農閑期の副業だったのです。
略奪も作戦の一部です。
食料を奪うだけでなく村ごと焼きます。
田畑は青刈りして敵に経済的打撃を与えます。

信長は兵農分離を進めると同時に補給部隊も専業化して長期戦を可能にしました。
天下統一を狙うなら、一時的な略奪ではなく恒久的な占領が必要になりますから、
作戦の変更が必要になったのですね。
273日本@名無史さん:2001/07/30(月) 07:09
でも単純に考えたら兵農分離した場合、
動員可能兵力って減るんじゃないですか?
逆に利点として農繁期にも出兵できると思うけど。

信長は兵農分離の改革ってすんなり出来たんだろうか?
?ばっかりですいません。
274さち子:2001/07/30(月) 07:19
>>269 >>271
いえ、日本の戦国時代をあまり馬鹿にしない方がいいですよ^^;;
ちゃんとした軍隊ですから、きちっと計画が建てられ
兵糧や物資は輸送されます。小荷駄隊という部隊が輸送するわけです。
それに加えて自弁ですね(短中の合戦は自弁だけで済む)
腰に打違袋という物を下げて持って行きます。

それと日本では略奪に関してはあまり行われませんでした。
合戦で勝利した場合、その土地を治めにくくなるだけではなく、、
日本の農家は半農半武ですから、うかつに
略奪なんかすると恨みを買い、マズイのです。
275さち子:2001/07/30(月) 07:22
>>273
動員可能兵力は減りますが
兵士はプロの兵士になりますから兵が強くなりますし、
農民も農作業に専念できるわけです。

信長でもそんなに兵農分離は
すんなりとはできませんでしたよ。
276273:2001/07/30(月) 07:26
さち子タン、ありがとう。
277さち子:2001/07/30(月) 07:30
>>273
あと、兵農分離の最大の利点は実は「一揆」を防止です。
戦国時代以前の一揆は江戸時代以降の一揆とは全く性質が違います。
江戸時代の一揆は領主の圧制に耐えかねて、農民たちがやむにやまれず起こすものですが

戦国時代の一揆は指導者が純粋な農民とはいえない、
半農半武の地侍・土豪・野伏と言った者たちで、
言わば反乱のようなものだったからです。
それを兵農分離する事によって、あやふやな武士と農民の
区別をキチッとつけて防ごうとしたわけです。
278さち子:2001/07/30(月) 07:34
>>276
どうも^^
焼き働きや狩り働きはわたしも知ってますよ。
オカルト板を追い出されたので、ここで書いて精神を落ち着けてます。
それとわたしは塾講師なのでこういう話しをするの好きですね
279備前中納言:2001/07/30(月) 08:01
さち子タン。
273/276です。
戦国板でもたまに話しましたね。こっち大概名無しだけど。
さち子タン、歴史詳しいので勉強させてもらってます。
どっかのスレで29才って年書いてあったけど、僕も28なんで
話しやすいのかな。
2チャンネルまだ初心者だけどよろしくね。
個人的レス・・すいません。
280日本@名無史さん :2001/07/30(月) 09:58
>>279
うむ。馴れ合いといわれて、けっきょく誰のためにもならねえからな。慎め。
281名無しさんの主張:2001/07/30(月) 10:42
戦国時代の軍隊はきちっとした軍隊じゃありません。
きちっと計画を立てられることはまれで
ほとんどの戦では、兵の動員は行き当たりばったりです。敵地に侵攻する場合や
あらかじめ集結を予想されている敵とぶつかる場合や
軍の規模が大量に膨れ上がる場合に、戦闘に必要のない物資を後方に
小荷駄隊という形でまとめるだけです。ちなみに小荷駄隊は部隊ですらありません。
それと戦国の初期から後期まで一貫してすべての武器食料は自弁です。
ただそれぞれが自弁した野営の為の帳や暖を取る道具などは大きくかさんでしまうので
後方に回し、その膨大な数を管理する為一人の武将などが責任を持って統率するのが
小荷駄隊というものですね。
282さちよ:2001/07/30(月) 10:49
>>279
あんた騙されてるわよ。
さちこはネカマ。
ごつい話し方見ればわかるでしょ。
283さち子:2001/07/30(月) 11:17
>>279
ありがとうございます。
そうやって、励ましてくれるのはありがたいです。
でも、わたしは今、そういうのが怖いんです。

>>281
そうですか? あなたの説には反論もありますが
今のわたしには論争したりするのが怖いのであまり、
大きくは突っ込みません。
しかし、西暦にして1600年代に日本ほど、
先進的な国の軍隊がちゃんとした軍隊でないという事はないでしよう。

軍約というのは実に細かくきっちりと決められてますよ。
例えば、ある例では軍約、石高十万石について人員二千百五十人
の配置が細かく定められ。
さらにその中の約三分の一が非戦闘員で
鎧持ち、箕箱、鋏箱、雨具、沓箱、玉箱矢箱、弁当などの運搬人夫や
医者、文者、勘定役、大工、金掘りなどまでいました。
まあ、ただこの例はわりと時代が下ってからの話ですが。
284さち子:2001/07/30(月) 11:24
>>282
ネカマじゃないですよ。
なんでも、昔、わたしの戦国板の文章を勝手にコピペして、
男だとか言い張った人がいるらしいですね。
わたしはドリームキャストでネットしているので
難しい漢字やコピペはできません。

>>281
追加ですが、まあたしかに戦国前中期は
食料物資は大概、兵の自弁ですが
長期の滞陣などでそれが不可能な時は輸送せざるやおえなかったのです。
後期になりますが朝鮮の役や小田原の陣などが典型です。
285さち子:2001/07/30(月) 11:29
>>279
すいません。キツイ事言って、読み返したらキツイ文でした。
わたしは今、書き込むのが怖いんですよ。
論争などでも、わたしを何かはめようとしてるんじゃないかしら?
と警戒してしまいます。
オカ板でハメられてしまったので・・・^^;
286281:2001/07/30(月) 12:05
別にはめることはかんがえてないので、純粋な論争をしてるだけです。
私の提起したのは戦国時代の軍についてだけです。
1600年以降はもう戦国ではありません。
ちなみに江戸期以降も武器食料その他の物資は自弁です。
与えられた領地や俸禄の中から自分でやりくりして持参するのです。
長期滞陣で輸送する時ですら追加物資を調達するのは個々に委ねられたのです。
輸送するのは何々藩であらかじめ決められた役割の人がおこなっても、輸送する
品物や輸送費用は当人が負担しなくてはいけません。
というかこの時代は近代の様に個人個人の上に乗っかった中央政府のようなものは
ありません。あるのは衆議する為の評定所程度のものです。
そのため、徴収した税金から軍隊を運営するという形態を取らない為、物資を
配布するということはありません。
287さち子:2001/07/30(月) 12:30
1600年代というのは単純な書き損じです。
1500年代と書くつもりでした(キーボード打つのが苦手なので)

そういう意味でしたか。
それなら、ほぼ、あなたの言われる通りですね。
納得しました。
288奈々資産:2001/07/30(月) 20:44
ここで良く出てきた投石って、世界中で使われた投石器とかつかってたのかな?
289日本@名無史さん:2001/07/30(月) 21:26
日本人は首刈り族だからね


      クビヅカアラスナヨ
       ∧ ∧
       ( ゚Д゚)
            ||
 .       ┃
    q∧ ∧. ┃
    ("゚∀゚) ┃ウチトッタリ!
    .(っ||y||ρ
   ,ソノヽゞ,ヽ、
ムカデタイジヨリラクダッタヨ
290日本@名無史さん:2001/07/30(月) 23:14
>>288
使ってませんでした。
すべて人が投げてました。
291日本@名無史さん:2001/07/30(月) 23:59
>>288
いや、使われていたらしいですよ。
前レスにありました。探してください。
292スリングではなく、カタパルトが?:2001/07/31(火) 09:21
>>291
では、ここで待ち構えていますから
前スレを書き込んでみてください。
293291:2001/07/31(火) 23:24
>>292
不精者ですなあ。(w

162 名前:名無しさんの主張 投稿日:2001/07/08(日) 22:02
石投げの話ですが、野球のボールみたいに手ごろな石を投げる物と思っている
人が多いみたいだ。
武田信玄配下の小山田信茂の石投げ隊はゴツゴツした拳大の石何個かを
布でくるんで、ハンマー投げの要領で体を回転しながら十分な遠心力をつけて
飛ばしたそうです。命中率も高かったそうです。
これは当たればたまらないな。
294日本@名無史さん:2001/08/02(木) 23:35
食料について質問した269です。遅くなりましたが
レスくださった方々ありがとうございました。
参考にさせていただきます。
295日本@名無史さん:2001/08/03(金) 00:01
どちらかの陣営が突撃開始すれば白兵戦にならざるを得ない。
槍で刺しつつ組み討ちで倒して刀でとどめをし、首狩り。
これが首狩り族日本人の戦闘法。
おっとろしい話しですな。
296日本@名無史さん:2001/08/03(金) 00:33
>>295
首狩は世界中で広く行われていましたよ。
殺した相手がお化けになって復讐しに来るのを
防ぐという魔除け・呪術の意味もあるそうです。
297日本@名無史さん:2001/08/03(金) 00:54
 そういえば以前の大河ドラマ「信長」では宣教師のルイス・フロイスからの
視点で描かれていたと記憶してますが、そのときに面白いことを言ってました。

「聞くところによると、日本での合戦のほとんどは戦う前に勝敗が
決まっていて、実際に戦うのは勝敗を形にするためであるそうです。
日本人というのは形式にこだわるようです」

ってなことだったと思います。
 ここのスレッドを読んで、そんなことを思い出しました(^_^)。
298日本@名無史さん:2001/08/03(金) 01:00
>>297
本当に?
そういえばあのドラマのフロイスは何度も
「かたちの国、日本」って繰り返してましたね。
フロイスの手記が読める媒体ってあるかな?
299日本@名無史さん:2001/08/03(金) 01:05
『日本史』
300日本@名無史さん:2001/08/03(金) 01:06
普通に手に入りますか?
301日本@名無史さん:2001/08/03(金) 01:31
毛利の合戦でも「投石」を盛んにつかっていたという古文書あり。

でも今手元にない。
302日本@名無史さん:2001/08/03(金) 09:43
投石はあったろうけど、んなもんで戦の勝敗は決するわけねえよ。
首狩りができねえと恩賞もらえねえべよ。
投石だけでどうやって首狩りするんだ?
303日本@名無史さん:2001/08/03(金) 13:31
んだ、んだ。
首さ取らねば何にもなんね。
304この説だと。:2001/08/03(金) 14:17
暴れん坊将軍はフィクションだったと?
305日本@名無史さん:2001/08/03(金) 14:50
講釈師、見てきたように、物をいい。
講釈師、聞いた話を、繰り返し。
講釈師、創作しては、悦に入り。

現代日本って平和だなーー。
306日本@名無史さん:2001/08/04(土) 00:07
>>302
一方が形勢不利になって陣が崩れ、
逃げ始まったらようやく槍組の出番です。
後ろから追いすがって、殴り倒し、組み伏せて首を掻く。
このいくさの均衡が破れた時に、
いわゆる白兵戦が起こったと考えられますね。
でも追撃戦で討ち取った首は「追い首」と呼ばれて
高い評価は得られなかったそうです。
307日本@名無史さん:2001/08/04(土) 00:20
308日本@名無史さん:2001/08/04(土) 00:23
>>306
ちげーよ。
弓矢や投石の投げ合いで均衡が崩れるわけねーじゃん。
白兵戦こそが本戦に決まってるだろ。
309日本@名無史さん:2001/08/04(土) 00:38
白兵戦=おまけ・残務処理
310日本@名無史さん:2001/08/04(土) 00:40
>>309
そこに
+雑兵のラッキーチャンス
311日本@名無史さん:2001/08/04(土) 01:12
>>298

 えぇ、主旨はその通りでした。

 それで思ったんだけど、太平洋戦争でも負けるってことは薄々気
がついていながらも、原爆を落とされないと負けを自覚できなかっ
たのと共通点があるのかなぁなんて。

 そんなわけで、しっかりと記憶に焼き付いてしまったんですけどね。

 まぁ、このスレッドの話題とはちょっとズレました(^_^;)
312日本@名無史さん:2001/08/04(土) 01:35
昔の人ってさ、現代人みたいに上手く石投げれたのかな?
今の人なら野球をやったり見たりしているから効果的な投石が出来そうだけど。
どんな投げ方してたんだろ?女投げみたいだったりして。
313日本@名無史さん:2001/08/04(土) 02:08
現代人の体力測定は
遠投が随分落ちてきてるよね。
昔はいっつも物投げて遊んだからだろう。
室町当時、石合戦はメジャーな遊びだったから
みんな得意だったと思うよ。
314日本@名無史さん:2001/08/04(土) 04:05
投石出来る距離まで入って留まるのは、より飛距離のある
弓矢に対するリスクがある。
315日本@名無史さん:2001/08/04(土) 04:07
矢を射続ければ無敵。そうかもしれない。
ただし、近づかせないように弓を射つづけることは不可能。
筋肉がいかれる。矢種が尽きる。馬鹿でもわかるな。
316日本@名無史さん:2001/08/04(土) 04:10
柵張れば、馬は攻め込めない。
けど、そこから動かないで専守防衛するのだろうか。
317日本@名無史さん:2001/08/04(土) 04:15
槍も隊列が崩れた時には刀に対して有利とは言えないのではないか。
それこそマケドニアの長槍よりローマの短剣というように。
318日本@名無史さん:2001/08/05(日) 09:58
雨が降ると戦わなかったとか。
319日本@名無史さん:2001/08/05(日) 10:06
お昼には休憩入れてたってホント?
320:2001/08/05(日) 10:07
>318
桶狭間は?
321日本@名無史さん:2001/08/05(日) 10:21
>317
そうそう、槍はあくまで白兵戦の序盤の時のみの
メインウェポン。
乱戦になったら当然刀の出番は増えてくる。
なんてったって鎧着てんだからね。
昔の戦で相手を殺すのはなかなか大変なのだよ。
322日本@名無史さん:2001/08/05(日) 10:28
>>315
石 対 矢 どっちが多く携帯できるか?(石は殺傷力があるもの)
石 対 矢 どっちが的中率が高いか?
石 対 矢 どっちが殺傷力があるか?
石 対 矢 どっちが発射労力を要するか?(熟練を要するか)
石 対 矢 どっちが準備しやすいか?

人間(猟師)が狩猟を行うに際して。。。
石→投槍→弓矢→鉄砲 と携行道具を変えてきた。そこには必然性が在
った筈だ。戦争においても同じことだよ!
投石隊というのは、やはり窮余(次善)の策でしかないと言うことだよ!
323日本@名無史さん:2001/08/05(日) 11:18
兵器・兵装・兵法ってのは、戦時においてはまさに生きるか死ぬか、自
己の栄枯盛衰に直結するものだ! だから戦国時代の覇者となったもの
は、最も合目的的にこれを選択した。

この時代を通じて、あれだけ急速に火縄銃が普及したのは、メリット・
デメリットを総合的に判断して、それが勝利を勝ち取るために最も有効
だったからに他ならない。この視点を欠いた議論は空理空論に過ぎない
んじゃないのかな?
324日本@名無史さん:2001/08/05(日) 11:22
桶狭間は反則
325さいたまkitty:2001/08/05(日) 11:32
・石
・投槍
・弓矢
・鉄砲

接近戦では、石が一番強そうだな・・・
326日本@名無史さん:2001/08/05(日) 11:35
この合目的的選択を歪めるのは、結局は既成概念に拘り改革を怠る「官
僚的発想」だろう。
最高指揮官(戦国時代ならば戦国大名)の有能無能は、この選択の的確
さとそれを断行するリーダーシップが重要なポイントになるだろう。
そのポイントにおいて、誰がもっとも有能だったか。。。。?
327日本@名無史さん:2001/08/05(日) 11:55
>>325
仮にそうだとしても(そうは思わんが)、あんたが接近戦に持ち込む前
に、鉄砲隊と弓矢隊で潰走させてみせるよ! 後は掃討戦になるが、騎馬
隊で包囲して槍と刀で殲滅してみせる(藁

石投げが一番強いのなら、誰が高い費用をかけて鉄砲や弓矢を装備する
か。。。頭があるなら良く考えてみなよ!
328日本@名無史さん:2001/08/05(日) 12:02
>>327

つかこうへいの芝居、初級革命講座、飛龍伝、てので、
アメリカの原潜を撃沈する投石用の石(=飛龍)が
出てくるよ。そういう石なら、鉄砲弓矢より強いと思います。
329日本@名無史さん:2001/08/05(日) 16:08
>>328
なるほど良く分かった。その「飛龍」とやらを信長か信玄に教えてやれよ!
「そこな虚け者めが」ってんで、笠の台が空に舞うだろうぜ(藁
330日本@名無史さん:2001/08/06(月) 00:47
石投げだってさ(w
んなもんが効くなら誰も苦労して
鎧着てる相手と接近戦なんかするわけねーだろ。
331印字打ち愛好家:2001/08/06(月) 01:32
>>330
だからその通りですよ。(w
もう何度も言ってます。
332日本@名無史さん:2001/08/06(月) 14:06
印字打ちに関しては所論意見が分かれるところですが、私は印字打ちに関しては
使用はされたでしょうが、戦死原因の主たる理由になるほどはならない程度の
戦法だったように思います。その理由として
1 投石方法に創意工夫がなされていない
2 戦没者の死因判断が安易で正確とは言えない
があげられます。
1の投石に創意工夫がなされていないというのは、スリング(投石器)が使われていない
という点にあります。素手で投石した場合、射程は30メートルぐらいが限界で、殺傷力
をあげるにはより近づいて投石しなければなりません。スリングを使った場合、射程
100メートル、殺傷力は素手で投げたものより比較にならないほど強力です。青銅の巨人
ゴリアテをダビデが撃ち殺したのもこの武器ですし、中東史、ケルト神話等において、
その威力が強力であったことが記録に残っています。しかしながら、日本にもスリングと
同等のものが無かったわけではありません。文献によると、室町時代には印字打ちに
スリングが使われていたようであり、印字打ちも実践で頻繁に使われていたようです。
しかし、鉄砲伝来、戦の技術の変化により印字打ちは廃れてしまいました。石を相手に
投げつけて致命傷を負わせるということよりも、鉄砲や弓矢のほうが簡単だからです。
私は試しに20メートル離れて拳大の石を木を的にして投げつけてみましたが、恐ろしく
効率が悪く、とても弓や鉄砲に勝るような威力は得られませんでした。
パレスチナのガザ地区の紛争を見ても、戦国時代で石投げが主戦法に使われたとは思えません。
2の戦没者の死因に問題があるという点は、400年ほど前の骨を陥没痕があるがゆえに
石投げによる死亡と考えるのは解剖学的見地から見て甚だ疑問です
333日本@名無史さん:2001/08/06(月) 20:13
合戦のメインウェポンは日本刀!
これで決まり!
334日本@名無史さん:2001/08/09(木) 00:01
遠距離攻撃で勝負が決まると錯覚してる連中は
現代でも歩兵による突撃があることをどう考えているんだ?
まして、遠距離用の武器がたいした威力をもたなかった
当時においては白兵戦こそが雌雄を決する戦いに
決まっているだろ。
335日本@名無史さん:2001/08/09(木) 00:56
>>334
単細胞ですか!? 日露戦争当時。。。
野砲にて敵の陣形を壊しつ、小銃射程距離に迫る。的確なる射撃により
て、敵に重大な打撃を与えつつ更に接近す。
敵の怯みたる時こそ、突撃の好機なりて前進前進また前進、肉弾とどく
ところに至りて白兵戦にて敵に壊滅的打撃を与え勝利を不動のものとす。

第一次大戦までの陸戦は遠砲、中銃、近剣の組み合わせが必要だったの。
モンゴル軍は、軽装遠距離騎馬射撃で、重装長槍騎馬突撃の騎士団を殺
戮しつくしただろう?
戦は臨機応変が肝心で、白兵戦こそなんて言ってたんでは勝てないんじ
ゃないの?
336印字打ち愛好家:2001/08/09(木) 03:32
>>334
どんなに勇敢な百戦錬磨の兵士であっても
敵を目の前にすれば自然、逃げ出そうとするものである。
兵卒に守勢にまわったという印象を与えれば軍は逃げ腰となる。
そのため将はいかに兵の戦場心理を操り、敵に向かわせるかに心を砕いた。
その答えのひとつが突撃で兵の心理を糾合し、恐怖を忘れさせることである。
実は、現代戦(ベトナム)では死傷者の85%以上が
砲撃の飛び散った破片によるもので、小銃弾は戦闘の趨勢を司るほどの力を持たない。
突撃はもっぱら心理的な効果を狙ったものなのだ。
337日本@名無史さん:2001/08/10(金) 09:53
>突撃はもっぱら心理的な効果を狙ったものなのだ

ほんとかよ。
だったら突撃の必要なんてねーじゃん。
もっともらしいこと並べてウソばっか言ってんじゃねーよ。
338日本@名無史さん:2001/08/10(金) 10:21
>実は、現代戦(ベトナム)では死傷者の85%以上が 砲撃の飛び散った破片によるもので、

真実なら、米軍が圧倒的勝利で終わるのでは・・・・
339日本@名無史さん:2001/08/10(金) 10:53
>>338
同感。
>>336 はなぜ米軍が負けたのか説明せよ
340日本@名無史さん:2001/08/10(金) 18:53
「別冊宝島 戦国!武将列伝」
見た人いるか?
またも2ちゃんねるの妄言が引用されてるよ。

一、刀はほとんど使われない。槍が使えないほどの接近戦か、
 敵の首を切り落とすときにだけ使用される。
(*戦場だぜ。乱戦になれば槍が使えないほどの乱戦なんて
 ざらにあるだろが。ほとんど使わないなんて断言できるのか?)

一、騎馬というのは身分の高い人間が乗るお飾り的存在。
 戦うのはそのまわりの人間で、騎馬に乗っている人は戦わない。
 速度もそれほど速くない。
(*おいおい、五月人形扱いかよ。戦わないならなんで戦場にいるんだよ)
341日本@名無史さん:2001/08/10(金) 18:55
他にも「武田騎馬軍団は存在していなかった!」
などお笑い記事が目白押し。
342日本@名無史さん:2001/08/10(金) 19:00
「武田信玄が有名になったのは江戸時代から」
だって、なんかサヨどもの
「江戸時代には天皇の存在なんて誰も知らなかった」
ってデマを彷彿とさせてくれたよ(w
343日本@名無史さん:2001/08/10(金) 20:08
>一、刀はほとんど使われない。槍が使えないほどの接近戦か、
 敵の首を切り落とすときにだけ使用される。

やぱり、刀 VS 槍では、腕が同等な場合、槍が有利。
刀で人を切るにはそれなりの鍛錬が必要だが、槍は素人でも射すだけで
相手に致命傷を与えることができる。

合戦のメインウェポン、槍に一票!
344日本@名無史さん:2001/08/10(金) 20:11
足軽のような戦の素人には槍がぴったりだろうが、
槍はふところにはいられたら、どうしようもないぞ。
とくに百姓から徴兵したにわか兵どもでは
もはや死んだも同然だろう。
345日本@名無史さん:2001/08/10(金) 20:16
合戦がほとんど槍で戦われたと
思ってる連中はNHKのような
きれいな合戦を思い描いているんだろな。
現実はそんな甘かねえよ。
346三村(さまぁ〜ず):2001/08/10(金) 20:21
現実かよ!
347日本@名無史さん:2001/08/10(金) 21:15
まだ武田騎馬軍団を信じたいアホがいるみたいだな。
騎馬軍団が存在したという根拠示してみろよ。
言っとくが軍記ものは話にならんぞ。
まあ武田の強さが当時から鳴り響いていたのは事実だけどな。
348日本@名無史さん:2001/08/10(金) 21:19
>>347
挙証責任って知ってるか?
あえて否定するおまえのほうが
根拠となる証拠を示す責任が
あるんだよ。
349日本@名無史さん:2001/08/10(金) 21:28
>>348
挙証責任知ってるか、その言葉はおまえの方にそのまま返すよ。
大田牛一の信長公記には騎馬武者の奮闘ぶりは書いてあるが
どこにも騎馬軍団は出てこないじゃないか。
後世になって作られた軍記小説なんて出すなよ。
甲陽軍艦も問題外だぞ。
もともと資料には記載されてなかったものを想像で作り出した
のが騎馬軍団じゃないか。証明するのは信じてる方だろう。
350日本@名無史さん:2001/08/10(金) 22:11
>足軽のような戦の素人には槍がぴったりだろうが、

足軽は一応、兵卒扱いじゃないの?
戦の素人=初陣の人??

>槍はふところにはいられたら、どうしようもないぞ。

槍をもった相手の懐に飛び込む腕があればの話。
試しに「長い棒」と「短い棒」をもってチャンバラごっこやって
みれば長い棒をもった方がリーチという点で有利でしょ。
切るより突く方がダメージは小さいかもしれないが、簡単に相手
に傷を負わすことができる。

>とくに百姓から徴兵したにわか兵どもでは

例えば、北条氏(後北条)の直臣は役500人足らずで、その直臣の
配下を含めて常時(守備兵力も含め)兵力は9000人程度だったらしいぞ。
つまりそれ以外の兵力は、村支配を行う上で年貢の代わりに兵役を
課せられていた村民もあったはずだ、
だから、百姓=にわか兵とはならんと思うが・・・・。
351日本@名無史さん:2001/08/10(金) 22:16
>槍をもった相手の懐に飛び込む腕があればの話

だからそう言ってるだろ。
おまえみたいな田舎ッぺは長い棒きれ振り回してる
のがお似合いだよ。
で、簡単に相手に傷を負わすことができるって書いてるけど
一応防具つけてること忘れるなよ。
長いほうが細かい隙間狙って刺すのが難しいのはわかるよな?
352日本@名無史さん:2001/08/10(金) 22:23
>もともと資料には記載されてなかったものを想像で作り出した
のが騎馬軍団じゃないか。

同感。

家臣団において馬に乗れる兵士が多かったのかね?
でも、当時の慣例でいけば給金に対し、兵種の割合はきめられて
いるだろうから、どうなんだろう?
353日本@名無史さん:2001/08/10(金) 22:42
>一応防具つけてること忘れるなよ。

足軽などの軽装歩兵をイメージしてたんだが・・・・
身分の高い侍がつけるいわゆる甲冑具足なら、それなりの防御力はあったと
思うが。

>長いほうが細かい隙間狙って刺すのが難しいのはわかるよな?

それは同感。
関係ないけど、あなたも剣道や居合道などの経験者?
354日本@名無史さん:2001/08/10(金) 22:50
>353
あんたもって
あんたもかい!

ちなみに、竹刀剣道じゃ人は斬れないぜ。
355日本@名無史さん:2001/08/10(金) 23:38
>354

そうですねん。

>ちなみに、竹刀剣道じゃ人は斬れないぜ。

それは重々承知の上ですねん。
356332:2001/08/11(土) 01:50
そもそもメインウェポンとかいう概念はおかしいのではないでしょうか?
何が主要武器だったとかいう考え方ではなく、どういう状況ならどういう武器が
使われていたかという考え方が大切だと思います。長距離なら弓・鉄砲。陣形を
とった接近戦なら長槍。敵味方入り乱れての乱戦なら刀。鉄砲隊だけでも、槍兵
だけでも、刀を持った兵だけでも戦は勝てないと思います…
357日本@名無史さん:2001/08/11(土) 02:36
>>351
兜や陣笠の上からぶん殴られたら脳震盪起こすだろうが。
358日本@名無史さん:2001/08/11(土) 02:53
このスレの元になっている(と思われる)「刀と首取り」を読みました。
確かに説得力がある本ではある。

しかし結局のところ、合戦の規模・参加している集団・時代によって状況はかなり変わってくるというのが、実際のところでは?
ただし接近戦なら、刀よりも槍の方が多く用いられたでしょう。
359日本@名無史さん:2001/08/11(土) 03:22
>>358
接近戦なら刀より弓というのは、正面でのぶつかり
あいしか想定してないから。
360日本@名無史さん:2001/08/11(土) 03:22
間違い…刀より弓でなく、刀より槍
361358です:2001/08/11(土) 03:28
おっしゃるとおりです。
ただ、多人数同士の戦いになればなるほど、正面からしかぶつかれない「雑兵」の割合が増えてくるので。
362358です:2001/08/11(土) 03:41
つまり、刀を持って斬り込んでいく「つわもの」よりも、槍を持ち、集団で固まって正面から「バシバシ」殴り合っていた「雑兵」の方が圧倒的に多かったのでは?ということをいいたかったのです。
363日本@名無史さん:2001/08/11(土) 03:49
>>361-362
隊列を乱さないのはよほど訓練されて忠誠心の高い軍団である
ことのあかしで、雑兵はそれこそ半農がほとんどで、そうそう死ぬ
わけにはいかないのです。
よって、味方の兵が脇で倒れるのを平静な気持ちで受け止めな
がらの整然とした進軍は期待できず、ぶつかると混戦へとかわり
ます。
364358です:2001/08/11(土) 03:59
混戦状態、つまり刀を使わざるをえない状況になったら、「雑兵」は四散、もしくは数名で固まって逃げるのでは?
365358です:2001/08/11(土) 04:03
片方が崩れて逃げ出し、もう一方が調子づいて後ろから槍など、比較的相手と自分の距離がとれる「安全な」武器で討ち取ろうとするのでは?
366358です:2001/08/11(土) 04:11
「雑兵物語」などから覗われる、大多数の「稼ぎは欲しいが命も欲しい」雑兵の戦いでは、そんなところに落ち着くと思うのです。

ただ私も、一向宗徒や、関ケ原の大谷軍の「雑兵」なら逃げたりせずに、踏みとどまって「混戦状態」になったと思います。
そのような場合には、刀の使用頻度が高かったでしょう。
367日本@名無史さん:2001/08/11(土) 05:01
鈴木 真哉って作者はひねくれ者っぽいね。
出してる本を見てみると、新説大好きって、そんな感じする。
それがこの作者の持ち味なんだろうけれど。
368日本@名無史さん:2001/08/25(土) 05:13
あの人の言ってることってどのぐらい正しいの?
369日本@名無史さん:2001/08/25(土) 08:38
>>1はネタだろ、どうせ。嘘を言って自分が注目されたいのさ。
370日本@名無史さん:2001/08/25(土) 08:38
>>1-1000
371日本@名無史さん:2001/08/25(土) 08:47
石の投げ合いは鎌倉時代末期。
372日本@名無史さん:2001/08/25(土) 08:59
石投げの石の大きさは50cmぐらいだと思われる。十分殺傷能力アリ。
楠木正成が城に立て篭もった時でもワラ人形で敵をおびきよせ、上から大石を落とす戦法。
ただしこれは山城である。つまり平地では刀・槍・鉄砲・騎馬、山岳では石だと思われ。
373日本@名無史さん:2001/08/25(土) 09:39
熟練した兵士なら素人の槍をかいくぐって
懐に入って刀でしとめるのはたやすいことだよ。
374日本@名無史さん:2001/08/25(土) 17:12
熟練した兵士なら槍や刀を構えた足軽を
投石で昏倒させるのはたやすいことだよ。
375歴史@時輔:01/08/26 14:12
某は>>1に質問状を叩き付ける!!!
1、蒙古襲来時の絵巻みたいな物があるな?竹崎殿の。そこに描かれている竹崎殿は馬に乗っておるぞ?実戦だから馬から下りるんじゃないか?降りてないぞ???しかも負傷した『暴れ馬』を乗りこなしておる。
2、武田騎馬隊がないのなら長篠の戦いで信長殿が使った戦術は嘘という事になるぞ???
376歴史@時輔:01/08/26 14:18
まあ、石でも外国の『ウォーウルフ』を輸入すれば現代の爆弾並の威力を持てると思われ。(w
377一合@名無史さん:01/08/26 17:11
>>375
1じゃないけど解答
1.鎌倉武士は、騎乗した状態での弓射撃を得意(?)としたはず。
  鐙でふんばって、騎乗した状態で斬りあうというようなほとんどなかった。
2.あなたが考えている「長篠の戦い」像が嘘であることは、この板では
  激しくがいしゅつだと思うのだが・・・。
378一合@名無史さん:01/08/26 17:26
(誤)斬りあうというようなほとんどなかった。
(正)斬りあうというようなことはほとんどなかった。
鬱だ・・・。
379日本@名無史さん:01/08/26 17:52
>>377
375じゃないが、長篠の合戦がウソだと
言ってるのは一部のサヨ史家だけだろ。
それもトンデモ説で注目されたいから。
380日本@名無史さん:01/08/26 18:13
だから、刀の斬り合いがほとんどなかったのはたしかですよ。
>>1の主張の「投石」に関してはわたしも反対ですが
戦国のメインウェポンが鉄砲と槍、次いで弓で刀はたいして使われなかったのは明白です。

関ヶ原合戦の死傷原因は
1 鉄砲傷
2 槍傷
3 弓傷
4 刀傷
です。

石傷なんて入ってないですし、刀傷も4位でしかありません。
381一合@名無史さん:01/08/26 18:20
>>379
>「長篠の戦い」像が
誰も長篠の合戦がなかった、なんていってないよ。
どうかんがえても、>>375 のいう
>信長殿が使った戦術
っていうのは、騎馬突撃を敢行する武田騎馬軍団を、信長が鉄砲の
三段撃ちで壊滅した、という通説のことだろうから、乗馬したままの
騎馬突撃はなかった、という意味で「「長篠の戦い」像が嘘」っていう
書き方をしたんだけどな・・・。
どうでもいいけど、ウヨサヨつけないと日本史を語れないのかね、チミは(嘲
382歴史@時輔:01/08/26 18:27 ID:UwzizxBQ
また疑問。
長篠で突撃を防止する為に柵を張ったのではないか?
なら柵は何の為に・・・・
383さち子:01/08/26 18:46 ID:.RTDqdXE
>>382
あの、突撃というのは騎馬の専売特許ではなく、
「歩兵の突撃」というのも当然あるでしょう。
真田幸村の夏の陣での最後の突撃も歩兵の突撃でしょ。

当然、柵を張れば歩兵の突撃の邪魔できます。
384さち子:01/08/26 18:47 ID:.RTDqdXE
あらっ・・・、
ID制になったのですね。
385日本@名無史さん:01/08/26 19:17 ID:gGLCj5ec
>>328
陣地構築でしょ。敵歩兵の突撃阻止。

ところで盾ってどうなの?<ALL

あったらあったでいろいろ役に立ちそうだけど、
実際役に立ち難いから発展しなかったのかな?
386日本@名無史さん:01/08/26 19:18 ID:gGLCj5ec
テスト
387名無しさん:01/08/26 22:20 ID:8w3Y/x56
武田騎馬軍団があったと信じているアホがしぶとく粘っているな。
武田騎馬軍団があったという、文献資料を示せよ。
小説は×。
388歴史@時輔:01/08/27 08:24 ID:/D4jD2Qw
389日本@名無史さん:01/08/27 08:56 ID:EGJPPusQ
てすと
390歴史@時輔:01/09/03 17:56 ID:1OGIO5Bc
いた(藁
こんなsagaっちゃって・・・
391 :01/09/07 01:22
さあ。
392日本@名無史さん:01/09/07 01:26
文献資料がなかったら、ないって事にはならんだろ
俺は素朴に信じてます。武田騎馬軍団
393日本@名無史さん:01/09/07 06:01
失礼だが君は
カルト教団の教義の誤まりを指摘され、逃げ場がなくなって
「私は信じたいんだから構わないでしょ!」
って絶叫する信者と同種の人に見える。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=996789015&ls=50
394さち子:01/09/07 06:59
>>392
当時の軍編成かからして、騎馬軍団は無理ですね。
せいぜい、騎馬武者の比率が高いか低いかの問題です。
395日本@名無しさん:01/09/07 07:21
武田騎馬隊伝説というのは、小幡勘兵衛ら徳川家に仕えた
武田の遺臣が吹聴して広く伝わったもの。

武田の遺臣たちからすれば、徳川家において三河武士達に
舐められないために、あるいは武田を滅ぼした信長軍団ゆかりの
大名たちや他地域の大名に舐められないためにも、
武田の強さを誇張してでも知らせる必要があっただろう。
(むろん三河武士達は武田の強さを身をもって三方が原などで
体験しているから、文句のつけようがない)
家康にしても、武田の強さを宣伝することはその遺臣を多く召抱えた
徳川の強さを宣伝することにもなるし、喜んで奨励した。
396日本@名無史さん:01/09/07 08:15
でも、当時の合戦絵だと割とみんな騎乗してるでないの。

で、馬上槍、とかいうものがあったからには馬の上で戦うことも
あったと思うし。
あと、源平の頃は騎射戦が多かったのはホントでしょ?
そういう発想が後々に完全消えさって、戦場につくと皆で下馬した、
てのも極端な意見、という気もするけど?

こう感じた俺もカルト信者?
397日本@名無しさん:01/09/07 08:29
いや、カルトじゃないよ。
騎射や馬上槍があったのは事実。

問題なのは映画や漫画やドラマで、騎馬武者だけの
疾走しての突撃シーンがあること。

騎馬武者にはちゃんと足軽らがついており、彼らを置いて
全力疾走なんて出来ないし、馬もサラブレッドじゃないから
あんなに速く走れないし。

武田が馬を輸送力、機動力などで有効に活用したことは
確かだろうし、木曽駒など、いい馬を多く持っていたことは
言えるけどね。まるで騎兵のように考えてはいけない。
398日本@名無史さん:01/09/07 10:38
>>395
そうかな。
むしろ逆だろ。
当時から伝説となっていた武田軍に
真っ向勝負を挑んだからこそ、
のちに海道一の弓取りとして恐れられる
ようになり、諸大名からも一目置かれる
ようになったんじゃないのか?

遺臣の昔自慢に戦国の猛者どもがいちいち
反応するもんかなあ?
399日本@名無しさん:01/09/08 17:18
小幡が甲陽軍鑑を書いた頃にはもう実戦経験なんてせいぜい関ヶ原と
大坂の陣ぐらいでしょ。
ましてや武田と戦った経験のある人なんてほとんどいなかったと思うよ。

もちろん家康が敢然と三方が原で信玄に戦いを挑んだことが彼の評価を
高めたという点はあるけどね。
ただ、武田軍団の強さが当時よりも後世の方がオーバーに伝えられている
部分はあると思うよ。
当時においては武田と上杉は互角の強さと見られていただろうが、
謙信に関しては彼の名将ぶりは讃えられても、上杉軍団云々なんて伝説は
武田に比べればあまりに少ない。
400日本@名無史さん:01/09/10 04:34
ドラマ北条時宗で昔の戦争は一騎討ちだったと書いてあったが、
平家物語でたしか、どこかの谷にたくさん平家の武士が落ちたと
いうのがあったが、あれは大量に一気にころしたのではないかな。
なぜ一騎討ちなら、富士川の戦いで、平家が羽音をきいただけで
逃げ出したんだろう。一騎討ちなら、途中で白旗を出して負けても
いいだろうに。(白旗はいつから降伏のしるしになったんですか?)
401日本@名無しさん:01/09/10 05:44
>>400
その時代の武士は皆一騎討ちで戦っていた。
蒙古との戦いでは名乗りをいちいちあげてられないために、
後の論功行賞が難航した。
竹崎季長の苦労も当然だろう。

義経は普通の武士の中で育ったわけでないから、その武士の作法から
開放された発想が出来た。
彼の戦法は作法を無視した集団戦術(機動力と奇襲)にあり、
奇襲には名乗りはない。

白旗が降伏のしるしというのは欧米の風習であり、
ペリー来航によって日本に伝わった。
402日本@名無史さん:01/09/10 13:43
ペリーが伝えたのか?
伝わったのはそのあたりの時期なのはたしかだが。
403日本@名無史さん:01/09/10 13:48
>>399
大坂の陣と関ヶ原の経験があれば充分なのでは?

信長が信玄や謙信をおそれていたっていうのも
創り話しなのか?
404日本@名無史さん:01/09/10 13:54
当時より後世のほうがオーバーってのは
わからん話しでもないが、当時の気持ちを
忠実に伝えんがためにオーバーになって
しまうということも充分にある。
たとえば冷戦時代のソ連の脅威なんてのは
今の若者にはわからんだろな。
当時のアメリカ大統領は映画スターヲーズ
のたとえを出して「悪の帝国」と呼んだんだぞ。

戦時下に敵のイメージ像がその恐怖心からその実態
以上に巨大で恐ろしいものになるのはよくあること。
武田の孫子の旗が当時から伝説化していたというのは
あながちウソでもない。
405日本@名無史さん:01/09/10 20:49
騎馬隊うんぬんはともかく、武田信玄が当時から
怖れられていたのは事実。
後世の誇張とか言うが、彼の正統派源氏の血統や
天台座主という地位、諏訪大社、孫子の兵法など、当時の
人々が怖れるにたるあらうる要素をもっている。
現代人の感覚で理解できないからと言ってなんでも後世の
創作だとか誇張だとか決めつけるのはどうかな?
出雲大社の教訓を生かして欲しいものだ。
406日本@名無しさん:01/09/10 22:56
戦闘における純粋な強さなら、信玄より謙信の方が恐れられていた
と思うけどな。
>>405
戦国のこの時期ともなれば、信玄のそういう呪術的権威がどれだけ
通用したかは疑問。もちろん通用した人もいるだろうが。
少なくとも信長や秀吉や松永弾正は全く意に介していなかったろうね。

信長は合理主義者だから、兵農分離が出来ていないために
長期対陣ができない信玄や謙信に対しては、籠城して退却するのを待つ、
という合理的戦法を考えたのではなかろうか。
三方が原のときに、家康に浜松籠城を勧めたのもそういうことであって、
震え上がるほど怖れていた、とは思わないんだが。
もちろん、真正面からでは勝てない、とは思っていただろう。
そのために鉄砲の活用とか情報戦とかいろいろ策を練ったんだから。

それに戦国における強さとは戦闘の強さだけではない。
信長は圧倒的な経済力を持っていた。
信玄や謙信に対してはまともに戦わなければ最終的には勝てるという
見通しが信長にはあったはずだ。
長篠のような有利な条件がなかったらさっさと彼は退却していただろう。
407日本@名無しさん:01/09/10 22:57
戦闘における純粋な強さなら、信玄より謙信の方が恐れられていた
と思うけどな。
>>405
戦国のこの時期ともなれば、信玄のそういう呪術的権威がどれだけ
通用したかは疑問。もちろん通用した人もいるだろうが。
少なくとも信長や秀吉や松永弾正は全く意に介していなかったろうね。

信長は合理主義者だから、兵農分離が出来ていないために
長期対陣ができない信玄や謙信に対しては、籠城して退却するのを待つ、
という合理的戦法を考えたのではなかろうか。
三方が原のときに、家康に浜松籠城を勧めたのもそういうことであって、
震え上がるほど怖れていた、とは思わないんだが。
もちろん、真正面からでは勝てない、とは思っていただろう。
そのために鉄砲の活用とか情報戦とかいろいろ策を練ったんだから。

それに戦国における強さとは戦闘の強さだけではない。
信長は圧倒的な経済力を持っていた。
信玄や謙信に対してはまともに戦わなければ最終的には勝てるという
見通しが信長にはあったはずだ。
長篠のような有利な条件がなかったらさっさと彼は退却していただろう。
408 :01/09/11 03:00
戦国の合戦では流鏑馬のようなスタイルで奇襲攻撃をする部隊
はいなかっただろうか?
俺には流鏑馬は合戦とは全く関係が無いとは思えない。
もしかして武田の騎馬軍団の中にもこんな部隊がいたかも。
409日本@名無史さん:01/09/11 03:28
ない、です。
ただ流鏑馬の的がおもいっきり近いところにあるのは分かるよね。
騎馬射撃術はできる限り接近して射るのが基本。
和弓で走りながらではそれが精一杯。
相手も同じ戦法を執ってくれた時代ならともかく
戦国時代では矢玉のいい的でしかない。
それから部隊としてヒットアンドアウェイの動きができるかどうか。
答えは、無理だ。
410日本@名無史さん:01/09/11 14:08
信長が信玄や謙信を怖れてなかっというなら
なんで一生懸命もの贈ったり、同盟結ぼうと
したりしてたんでしょうか?
411日本@名無しさん:01/09/11 15:47
>>410
その時はまだ小大名だったからです。
412名無しさん:01/09/11 16:05
>>411
でもさあ
信長は尾張、美濃をおさめて
南近江を席巻したあともゴマスリやっていたような気が。
この時の信長の所領は、大体
尾張58万石、美濃56万石、南近江約40万石
合計、150万石以上で、圧倒的じゃん。
この頃の信玄は、せいぜい70万石くらいだろう。
413日本@名無しさん:01/09/11 16:12
>>412
単独では兵一人当たりの強さ、当時は長篠ほどの圧倒的な火力
がなかったことなどを考えればほぼ互角かも。
ただ、信長は周りにいっぱい敵がいたからね。
浅井、朝倉、一向一揆、三好三人衆、六角、などなど。
その上に信玄に出てこられたらたまらんから、
上杉や北条を抱き込もうとしたり、政略結婚をしようとしたり
したんじゃないかな。
上洛前か後かによって情勢は違ってくるけどね。
414日本@名無史さん:01/09/11 18:25
>この頃の信玄は、せいぜい70万石くらいだろう。

ココが気になるんだけど、信濃だけでかなり石高なかったっけ?
甲斐・駿河や間接的に影響下にある飛騨、越中や金山の経済力を考えるとかなりのものだと思うんだけど。
勝頼時代に使いすぎてジリ貧になったけどね。
415名無しさん:01/09/11 18:41
>>414

信濃の石高が上がるのはたしか川中島の開発が進んだ江戸中期
の話だったと思うよ。
じつは70万石もあったか疑問だけど。
秀吉の検地では信濃40万8千石、甲斐22万7千石
その他を少しいれても65万石くらいのような気がする。
416日本@名無史さん:01/09/13 22:03
キミ達戦場心理ってのをよくわかってないね。
石高だとかそんな話しをしてるうちは当時の
武田軍の恐ろしさはわからないでしょうね
417日本@名無しさん:01/09/13 23:18
>>416
君は戦場経験者か?
自分だけが戦場心理を理解しているような言い方は気に入らんな。
418日本@名無史さん:01/09/16 10:34
戦場では兵の心理的作用が戦況を大きく左右するのは事実ですね。
まして当時の地理的感覚でいくと隣りの国といえば異国のようなもの。
イメージが先走りして武田信玄が想像以上に恐れられていたという
ことはあり得ないことではないでしょう。
419日本@名無史さん:01/09/16 10:41
さて、合戦はイメージとは違うものと言えば
古武道の甲冑兵法の技などを見ると、やはり
我々が時代劇や歴史ドラマで見ているものと
ちょっと違うようですね。

甲冑着た鎧武者が相手に蹴りいれてましたよ。
豪快です。
420日本@名無史さん:01/09/16 14:13
>>418
は? 言ってることが矛盾してない?
当時の隣国は異国のようなものだから、
イメージが先走りしすぎて、恐れられていたという論理ならわかるんだけど・・・・
421日本@名無史さん:01/09/16 14:19
>420
422名無しさん:01/09/16 14:38
まあ兵個人の素質でいえば
臨時雇い足軽を除いた将士は信長軍もかなりの強さだと思う。
浅井に裏切られ、朽木谷の撤退での活躍もあったことだし。
長篠の3千丁の鉄砲数や3段戦術が怪しいのはそろそろわかってきたから
信長の戦法の革新ということもできない。
そういうわけで、現代から見る場合に一番確からしいのは
生産力くらいなものじゃないかな。
423日本@名無史さん:01/09/29 20:50
鈴木真哉最新作
「謎とき日本合戦史」発売記念age
424日本@名無史さん:01/09/29 21:14
結論
>>1はこのスレの中で一番カンチガイ
425日本@名無史さん:01/09/30 08:43
石投なんだけど、日本人やアメリカ人のようにボールをビシッとまっすぐ
強く投げられるのは、小さいころから、そういう遊びや訓練をしていない
と不可能なそうな。始球式などで女がボールを投げるところを見てみ。
肩の強さはあるけど、フォームも変だし、ひょろっとした玉しか行かない。
野球が盛んでないヨーロッパ人も、日本人のようにスマートなフォームで
上手く投げることはできないそうだ。
傾斜のある山の上からの10`以上もある石の投石、接近戦になってからの
石での攻撃などパターンが限られているだろうよ。
426日本@名無史さん:01/09/30 09:04
5`ぐらいの石を野球の投げ方で投げると肩壊すぞ。
重い石は谷啓のガチョーン投げでなきゃ肩壊す。
砲丸投げが見本。そうなると飛ぶ距離も限られる。
ハンマー投げの投げ方も、農民が多数の占める戦国の軍隊で
どこまでそういう投げ方ができるやつがいたか。
墓掘って石つぶてによる死者が多数てのは、
その死者が、山城での攻城戦の攻める側の死者だったりするのでは?
427日本@名無史さん:01/09/30 09:13
戦国の関が原みたいに大群が対峙したときの戦の仕方、陣形は
聞いたことがある。
鉄砲隊、弓隊、槍隊、騎馬武者隊
この順に並べて。まず鉄砲隊と弓隊が遠距離攻撃。
間が縮まってきたら槍隊が槍ぶすまつくって突撃。
そのあと、かろうじて残った兵を騎馬隊が踏み潰すように
攻撃、逃げる兵を追撃。
428日本@名無史さん:01/09/30 09:22
まあ、戦も、規模、時、場所、目的・・・によっていろいろ
なもんだ。>>1のような戦もあっただろうよ。
広い荒野で100人VS100人だったとして、まず、一箇所に
100人が集まることはないもんな。
裏をつこうと走り回ったり、相手の攻撃の及ばない地点からの
攻撃を考えたり、鬼ごっこや警察ごっこのような感じになると想う。
429日本@名無史さん:01/09/30 09:54
ひとつ言えるのは文系日本刀ヲタ達が
活躍できるような幕末の暗殺テロとは
違って飛び道具をかいくぐっての白兵戦で
場合によっては組み討ちも行わなければならない
肉弾戦だったってことだな。
430日本@名無史さん
5キロもある石を投げる必要はないと思う。
1キロでも十分殺傷力あるよ。
つーか石や矢だって放物線を描いて飛ぶものばかりじゃないのに
429さんのような人は
当時の兵士は一体どうやって敵味方の両陣から
雨霰と降り注ぐ矢石を『掻い潜った』と考えてるの?
鎧を着て匍匐前進でもしたと?