★任那日本府説ついに決着!!★

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1No More Korea
http://www.asahi.com/national/update/0702/003.html

「今春の検定に合格した中学歴史教科書への韓国、中国の修正要求
について検討していた文部科学省は、今週中にも結論を出す方向
で調整に入った。古代朝鮮史の部分などは学界の通説と異なると
認めるが、要求の多くを占める近現代部分の大半は「歴史解釈、
表現上の問題」と判断することになりそうだ。首相官邸や外務省
と調整の上、早ければ8日に予定される与党3党幹事長の両国訪
問の前にも公表する見込みだ。

文科省は5月、両国から扶桑社版の教科書を中心にした修正要求
を受け、古代朝鮮史の専門学者らの意見を聞くなど学問的に要求
内容を検討した。

韓国は、扶桑社版が朝鮮半島南部に大和朝廷が築いたと記述した
拠点(任那日本府)の存在は研究上認められないとしたほか、同
社の高句麗、新羅、百済の3国関係の記述に誤りがあると指摘し
ていた。文科省側は、こうした古代朝鮮史に関する部分は指摘の
通り、学界の通説と異なると判断する見込みだ。

だが、近現代部分の韓国併合や植民地政策などのほとんどは、解
釈や表現上の問題だと判断しそうだ。韓国の修正要求35項目、
中国の同8項目の多くはこれに含まれる。

文科省は、事実関係の誤りについては教科書会社に知らせ、自主
的な訂正を待つ方針だ。文科相が自主訂正を勧告する制度もある。
ただ、一度合格した教科書を文科省として修正させることはでき
ず、慰安婦など記述が欠けているという指摘についても、加筆は
求められないという姿勢だ。

一方、韓国、中国とも日本政府としての修正などの措置を求めて
おり、文科省の結論に反発も予想される。(03:13)」


政府見解は彼の国では決定事項なのは従軍慰安婦で証明済み。
また身内による歴史歪曲に振り回されるのか。
扶桑社が修正に応じなくとも勧告を出すだけでアウトだ。

通説の主流とすべきものを・・。なんてこったい。

止めさせなければ!!

文部科学省
http://www.mext.go.jp/
[email protected]

首相官邸
http://www.iijnet.or.jp/cao/kantei/jp/comment_m.html
2  :2001/07/02(月) 07:47
従軍慰安婦の時といい、政府はバカなことをするね。
任那日本府説なんて戦後の左翼学界が勝手に否定しただけだろ。
3日本@名無史さん:2001/07/02(月) 07:50
 任那をめぐり、かつての学悦を見直し、倭の影響力を小さく見る話を書いてきた。だからといって、日本列島と朝鮮半島が疎遠だったというのではない。想像を超えて密接だった実態を考えたい。
 古代の両者を結ぶキーワードは、第一に「鉄」だ。劣等は弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)には鉄器時代に入っている。しかし、当時はもちろん、少なくとも古墳時代の5世紀までは、確実な製鉄の跡が国内にはない。列島の鉄は加耶地域に当たる半島の東南部から入手していたのだ。双方の地で全く同じ鉄てい(鉄の延べ板)が出土していることからも裏付けられる。
 問題は、日本列島のどの勢力がこの鉄を手に入れたかだ。
 「弥生時代の終わりから、後の大和政権につながる広域の政治連合ができてくる。その契機は朝鮮半島の鉄資源の入手ルートをめぐる確執ではなかったか」と、国立歴史民族博物館の白石太一郎教授は推測する。列島の政治的統合が進むきっかけは、対半島交渉の主導権争いだったというのである。
 鉄資源は初め、玄界灘沿岸の北九州地区が独占してきた。しかし、それより東の勢力もぜひ欲しい。そこで、瀬戸内海沿岸・畿内地域の諸国が鉄入手を目的に結束したのが「邪馬台国連合」だと白石教授は見る。そして、3世紀初め、邪馬台国側が北九州勢を破ったと推測する。この時期、中国鏡の一つ「画文帯神獣鏡」が急に畿内で増えるのがその根拠という。
 キーワード2は「馬」だ。4世紀末から5世紀初めにかけて高句麗が巨大化し、朝鮮半島を南下した。百済、新羅、加耶諸国は国家存亡の危機を迎える。そこで、百済は倭に援助を求める道を選んだ。倭自身も、鉄という最重要資源を依存する地域の紛争である以上、積極的に関与していった。
 この時、高句麗の強力な騎馬軍団と戦うため、馬の生産や飼育、馬具の製作技術などの馬文化が列島に初めて導入された。百済の援助の下、国家的事業といえる規模で行われたらしい。さらに、窯で焼く硬質の陶器である須恵器の製法、鉄製品の高度な加工技術、メッキや象眼の技法も伝えられ、文字の使用が本格化したのもこの時期だという。倭が一気に文明化したのである。そのきっかけが半島動乱だった。
 ただ、列島の国家形成や文明化を強力に促すほど半島との関係が密接だったことは分かっても、未解明部分がまた多い。倭が鉄に代表される先進文明を取り入れる場合、見返りは何だったか、というのもその一つだ。後には軍事力という有力な売り物があったが、3、4世紀ごろ、半島が欲しがるものが列島にあったのか。米説、労働力(奴隷)説などがあるが、資料不足で何ともいえない。
 また、半島では南西部だけで見付かっている前方後円墳の謎も大きい。倭との関系が最も濃いのは半島南東部とされれてきた通説に反する。被葬者の疑問もある。列島の古墳とは副葬品が違い、大和王権から派遣された将軍ら倭人の墓だとは言いがたいらしい。だが、それなら誰がどんな理由で倭の墓の形を取り入れたのか。説得力のある説明は出ていない。
 「日本書紀の任那像に代わる具体的な姿は、まだ描けてはいない」(白石教授)というのが実情なのだろう。

2001年7月1日毎日新聞朝刊深読み日本史
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どうなの?
4日本@名無史さん:2001/07/02(月) 09:13
ばかやろう! 類似スレ乱立させるなよ。ただでさえ超線スレは肩身狭いのに。

任那って日本領だったんですか? part2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=976659863&ls

任那って倭国領だったんですか?パート2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=974989450&ls
51234:2001/07/02(月) 09:35
緊急事態なのでよいと思われ。
6>3:2001/07/02(月) 11:17
>倭が鉄に代表される先進文明を取り入れる場合、見返りは何だったか
>半島では南西部だけで見付かっている前方後円墳の謎も大きい。
倭は朝鮮半島南部を支配していたからだろ。なんで史跡や史料を素直
に解釈しないんだ?
7はげ:2001/07/02(月) 11:20
「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。」
8日本@名無史さん:2001/07/02(月) 11:20
現在の政治情勢や思想の違いによって過去の歴史解釈が変わるのは常なるかな。
されど、行き過ぎの解釈はいずれ是正されるのであろうや?
9名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 11:20
>>半島では南西部だけで見付かっている前方後円墳の謎も大きい。倭との関系が最も濃いのは半島南東部とされれてきた通説に反する。

こいつはヴァカか、半島南東部にもあるじゃないか

朱塗り石室が韓国にも、日本様式初の確認 (2000年10月2日15:34):読売ニュース

 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、内部を赤色顔料で朱塗りした
横穴式石室(六世紀前半)が、同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認されたのは初めて。日本の須恵器も
出土していることから、日本の古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や
朝鮮半島から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝えていたことを
示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二メートル、高さ一・四五〜
一・五八メートル。天井や床、壁がベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に
塗られていた。

 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望を反映したものと
考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見されていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と紹介し、日本独自と
されていた前方後円墳のルーツではないかと論争になった。

 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜六世紀半ば)が
あったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がかかわったとも
考えられる」と話している。
101234:2001/07/02(月) 11:41
論争よりもまず文部科学省に抗議だろ!緊急事態だぞ!

勧告は韓国の思うつぼだぞ!
11はげ:2001/07/02(月) 11:45
勧告は韓国の思うつぼだぞ! 勧告は韓国の思うつぼだぞ!
勧告は韓国の思うつぼだぞ! 勧告は韓国の思うつぼだぞ!
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12日本@名無史さん:2001/07/02(月) 12:13
なんにせよ、政治の学問への介入には反対!!!
皇国史観だろうと階級史観だろうと。
13ニュース速報版よりのコピペ:2001/07/02(月) 12:57
17 名前:ななしさん 投稿日:2001/07/02(月) 12:24 ID:Ekg.VDCU
ろくに文献の残ってない国の言葉を鵜呑みにして
日本書紀、広開土王碑文、宋書、漢書、魏誌など
証拠が数多くあるのを完全否定ですか。
文部科学省は確かに糞ですな。
14こりあ:2001/07/02(月) 13:02
>12
賛成。

だいたい修正させるほどのもんじゃない。むしろ有力な説の一つ。
15日本@名無史さん:2001/07/02(月) 14:30
 「任那日本府」説検証の過程で、その根拠になっていた史料の評価が見直されつつある。
 その代表は「広開土王(好太王)碑」だろう。4世紀から5世紀にかけて高句麗の盛期を築いた広開土王の業績をたたえた碑だ。1883年、日本の軍人が模写本を持ち帰り、世に出た。以来、注目されてきたのは、「辛卯年条」と呼ばれる次のくだりである。
 ・・・・・・百残(百済)、新羅は元々高句麗の属民だった。しかし、倭が海を渡ってやって来て百残、新羅を破り、臣民にしてしまった・・・・・・
 この後、広開土王が自ら出陣し倭を打ち破ることにはなるが、この記述こそ、倭の朝鮮半島南部支配の動かぬ証拠とみなされた。
 戦後、韓国や北朝鮮の研究者らから反論が出た。「臣民とする」の主語を倭ではなく高句麗と読むのがその一つだ。また、碑文そのものを旧日本軍の改ざんだとする説もでた。ただ、現在、これらの説は否定されている。碑文は戦前と同じに読めば良いのである。
 だが、その内容が事実かといえば話は別だ。再検討案として有力なのが「前置き文説」である。
 碑文には一つの特徴がある。国が危機に陥ると、王は何度も戦いを起こす。この戦いに至る原因を描いた部分が「前置き文」で、高句麗不利の状況が必ず強調される。王の偉大さを印象づけるための手法なのだが、「辛卯年条」もまさに前置き文の位置にある。
 「王の敵が弱くては困るから、倭を過大に評価するのは文脈上、むしろ必要なことだったのではないか」。李成市・早稲田大教授もこう解釈する一人だ。「倭が臣民とした」は誇張で、言葉通り受け取れる根拠はない、というのである。倭は一見すると最大の悪役のようだが、実際はあくまでも引き立て役にすぎないという。碑文の主役はもちろん高句麗だが、その敵役は倭ではなく、百済なのだ。「百残」(百済の残りカス)というおとしめられた表記からも、そのことはうかがえる。
 もっとも、「前置き文」という碑文の構造を重視する研究者も、倭軍が来なかったなどとは言っていない。むしろ、碑に登場しても不審を招かないほどの侮れない勢力だったとみる。ただ、現在、研究者の多くは「辛卯年条」の一文だけを前後の文脈から切り離し、倭の朝鮮半島南部支配の根拠とするような解釈はとっていない。
 このほか、5世紀の「倭の五王」の活動を記した中国の史書「宋書」の解釈も変わってきている。宋書によれば、倭の王が日本列島から朝鮮半島にかけての軍政権(対高句麗戦の指揮権)を認めるよう宋の皇帝に要請していることがわかる。その代表例が倭王の武(雄略天皇)の上表文で、「先祖の代から戦争に明け暮れて朝鮮半島を平らげ・・・・・・ところが、わが辺境の隷属国である百済を高句麗が攻撃した」などと書かれている。
 かつては、こうした記述も事実と受け止められ、倭の朝鮮半島支配の根拠とされることがあった。しかし、現在では、宋の皇帝は現実の支配が行われていなくても要請に従って将軍などの称号を与える場合があることも明らかにされ、倭の半島支配の根拠とはみなされなくなっている。

平成13年6月24日毎日新聞朝刊深読み日本史 伊藤和史
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どう?
16kopipe:2001/07/02(月) 14:41
臣にはたしかに君に対する意味での臣もありますが臣それ自体に
「家来」の意味があります。ですから「百殘新羅舊是屬民 由來
朝貢而倭以辛卯年來渡海破百殘□□新羅以爲臣民」は百済・新羅
は属民でそれゆえ(高句麗に)朝貢してきていたが倭が辛卯年
(391年)に海を渡り百済・新羅を家来と為したと解釈して
問題ありません。
しかも続く「以六年丙申王躬率水軍討科殘國軍」でもともとの
属民を取り返す為広開土王が百済に攻めこみ「百殘王困逼獻出男
女生口一千人細布千匝歸王自誓從今以降永爲奴客」百済王(阿華王)
は屈服し奴隷や布を献上し今後高句麗の奴客となる事を誓ったとき
ざまれ全く文意に不自然なところはありません。
17kopipe:2001/07/02(月) 14:42
その後「九年己亥百殘違誓與倭和 通王巡下平穰而新羅遣使白王云
倭人滿其國境潰破城池以奴客爲」百済が約束を破り倭と通じたので
広開土王は平壌まで軍を進めると新羅が使いをよこし新羅王の文に
は倭人が国境に満ち溢れ新羅の城や溜池を破壊し倭の
奴とされたと書かれてあったとあります。
さらに「十年庚子教遣歩騎五萬住救新羅從男居城至新羅城倭滿其中」
広開土王は5万の軍を率いて新羅にいってみると新羅城のなかに倭が
満ちていた、つまり占領されていたと刻まれているのです。
ですから碑文は倭が百済・新羅を破って家来にしたの意味でまちがい
有りません。
18>15:2001/07/02(月) 14:47
倭の朝鮮支配は中国、朝鮮、日本の古文書にその記事が残っている
だけでなく、墓やヒスイの勾玉からも明らかなんだがねえ・・・
李成市・早稲田大教授はなんで好太王碑文だけを持ち出して歴史を
語ろうとするのかねえ・・・
1919:2001/07/02(月) 14:51
>18
チョンだから。
20日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:00
>>18
朝日新聞もな。
通説らしいから・・・
21日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:02
朝鮮の正史三国史記にも新羅の首都が倭に落とされる記事が
あるが、それもうそだってのか?
22名無し:2001/07/02(月) 15:02
韓国人は魏志韓伝をもう一度よく読め。
「韓国は東西は海を以って限りとなし、南は倭と接す」
海を隔てて接しているなんてアホをさらすんじゃない。
23kopipe:2001/07/02(月) 15:04
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土(高句麗の旧領では稀)し、
戦前の日本の考古学者は、倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房なサヨク似非学者もいました。
朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。

こう言った科学的研究や、考古学の編年研究の進歩で、徐々に韓国学者のニュアンスは
変わってきたようです。だから、今回のような研究発表となったのでしょう。
でも、電波な韓国の歴史教科書で習っている一般民衆は厨房のままだろうけど。
24kopipe:2001/07/02(月) 15:06
朝日新聞ニュース
 前方後円墳に寄せる韓国の関心は高く、八〇年代後半からこれまでに五基が発掘
された。現在、確実な前方後円墳は九基で、いずれも韓国南西部の全羅南道にある。
このうち光州市の月桂洞1号墳と2号墳は復元整備されている。柳沢一男・宮崎大学
教授は「八、九月にも一基発掘され、韓国国立中央博物館のホームページで成果が
公開されている。調査の継続と公開に敬意を表したい」と述べた。

 西谷正・九州大学教授によると、韓国では伝統楽器の長鼓に似ているので「長鼓形
古墳」とか「前方後円形古墳」などとも呼ばれている。九基の規模は、最大で全長
七十七メートル、最小で三十五メートル。日本では中、小型だが、韓国の古墳の中では
比較的大きい。時期は五世紀後半から六世紀前半というのが大方の見方。三世紀後半に
出現する日本の前方後円墳の方が古いことは、韓国の学界でも共通した認識になって
いるという。
25名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 15:10
>>24
こう言った報道で韓国南東部にある前方後円墳が無視されているのは
古代日本の任那支配を揉み消したいからだろうな

朱塗り石室が韓国にも、日本様式初の確認 (2000年10月2日15:34):読売ニュース

 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、内部を赤色顔料で朱塗りした
横穴式石室(六世紀前半)が、同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認されたのは初めて。日本の須恵器も
出土していることから、日本の古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や
朝鮮半島から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝えていたことを
示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二メートル、高さ一・四五〜
一・五八メートル。天井や床、壁がベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に
塗られていた。

 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望を反映したものと
考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見されていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と紹介し、日本独自と
されていた前方後円墳のルーツではないかと論争になった。

 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜六世紀半ば)が
あったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がかかわったとも
考えられる」と話している。
26日本@名無史さん:2001/07/02(月) 15:33
「ヒットラーのヨーロッパ支配に利用されたので、ゲルマン人が
古代〜中世ヨーロッパでいろんな地域に拡散して活躍していたと
いう史実は教えないことにします」

みたいな話になってきちゃったね
27名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 15:54
ヴァカちょんのウソに迎合するエセ学者と文部省は売国奴だ!
28日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:15
>朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず
おいおい、この文が日本書紀と整合しないのがわからんかね。
糸魚川はどこの国だ?
越=高志=高麗だろう。
越がヤマトだとかバカなことをいうなよ(藁
29日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:26
>>28

?????
30日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:43
 鉄資源は初め、玄界灘沿岸の北九州地区が独占してきた。しかし、それより東の勢力もぜひ欲しい。そこで、瀬戸内海沿岸・畿内地域の諸国が鉄入手を目的に結束したのが「邪馬台国連合」だと白石教授は見る。そして、3世紀初め、邪馬台国側が北九州勢を破ったと推測する。この時期、中国鏡の一つ「画文帯神獣鏡」が急に畿内で増えるのがその根拠という。


さりげなく邪馬台国畿内説を織り交ぜてるところが白石の確信犯
31>28:2001/07/02(月) 21:57
糸魚川ってのは新潟の糸魚川市のことだよ。
32日本@名無史さん:2001/07/02(月) 22:15
富士川糸魚川構造線=フォッサマグナで有名な糸魚川を知らない>>28
は厨房か(藁?
33日本@名無史さん:2001/07/02(月) 22:45
31、32はイタイぞ。
古代、新潟なんていう国があるわけないだろ。
28の言うとおり、糸魚川は越の国。
34日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:19
イタイのは33
35日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:10
↑どこが? 事実じゃん。
36nanasi:2001/07/03(火) 00:49
一応メール送っといたぞ。
37日本@名無史さん:2001/07/03(火) 01:45
だめだこりゃ
3828:2001/07/03(火) 02:15
33。レス、サンキュー。
奴奈川姫、建御名方を研究しているが、そうか、糸魚川って新潟県だったんだ。
そりゃどうも(藁。
レベル低過ぎるんで書きこまないよ。足柄図。
3932:2001/07/03(火) 02:24
>28
スマン。
31だけを読んで書き込みしてしまった。
一応古代の越の国なら知っていたよ。
今の北陸地方だね。
40日本@名無史さん:2001/07/03(火) 06:08
越の国と呼ばれているだけで大和圏外だと思っているやつは
どうしようもない馬鹿だな。一地方にすぎない地域をなになに国
と呼ぶ習慣が日本にはあることを知らないらしい。
41日本@名無史さん:2001/07/03(火) 09:14
そのとおり。
しかも何だよ、「越=高志“=高麗”」って。真正ドキュンだな。
42日本@名無史さん:2001/07/03(火) 11:22
お、ヴァカどものおでましだな。
43日本@名無史さん:2001/07/03(火) 11:48
>>39
越の国は新潟県も入るよ。越前、越中、越後(新潟県)。
44日本@名無史さん:2001/07/03(火) 13:36
28=33は、越=高志=高麗と言いたいらしい。
だが、高麗は、もっと後世の国だし、その語源となった高句麗の勢力圏では糸魚川の翡翠がほとんどみつかっていないのを知らないと見える。
糸魚川の翡翠が見つかっているのは、23の言うとおり主に半島南部と列島部だ。
越が新羅と関係が深いというならまだしも高麗と言うあたりが真性ドキュソ。
ま、もっと後世なら渤海と越との関係もあったらしいから高麗と越=高志が関係が深いって言ってもいいけど、勾玉の話をしている時に、その時代背景と出土状況を無視して変なトンデモ説唱えても痛いだけだよ。
45名無しさん@1周年:2001/07/03(火) 15:21
古代東アジアにおいては日本がヒスイの唯一の産出国で
縄文時代前期からヒスイ大珠は付加価値の高い祭祀品として流通しており
硬いヒスイの加工技術が進んだ縄文時代晩期になって勾玉の形となった
魏志倭人伝で台与からの貢献品の中の青大句珠はヒスイ勾玉と考えられています
そうそう朝鮮半島でもヒスイ勾玉が多く見つかるのは
新羅・百済・任那の故地で高句麗領では殆ど見つからない
日本書紀に九州の島に親が人質になっている時に生まれたと記される百済武寧王の
墓の棺は日本特産のコウヤマキ製で王冠にはヒスイ勾玉が付いている
新羅の墓から出土する豪華な冠にもヒスイ勾玉は多く付いている
ヒスイ祭祀に関係のない高句麗を出してきた時点で北朝鮮の電波決定(w
4644:2001/07/03(火) 16:24
どうせ朝鮮中心史観でものを言うなら、せめて新羅の(と言うか辰韓かな?)の影響下にあった越の糸魚川産出の翡翠で辰韓の高度な石加工技術で作成された勾玉が、倭、百済、新羅、加羅において流通したと言った方が説得力があるぞ>28
って、何マジにレスしてんだ、俺…宇都山車野烏
47日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:13
>>28
奴奈川姫、建御名方を研究しているのなら、どうして新潟県の糸魚川を
知らないんですか?それから、日本書紀より古事記を勧めるよ。
48考える名無しさん:2001/07/03(火) 17:33
そもそもいつごろから
位置的に新潟のあたりを
越というようになったのですか
>>28
49日本@名無史さん:2001/07/03(火) 18:49
>>48
最初から新潟は越のくにですよ。越を高麗とは初耳だ。
50日本@名無史さん:2001/07/04(水) 02:32
現在の文部科学省の関係者は、100年後には笑い者になるだろう。
51日本@名無史さん:2001/07/04(水) 03:06
何人で書いてるの、このスレ。3人くらい?
52日本@名無史さん:2001/07/04(水) 03:43

す〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っごいバカが>>28に・・・
53日本@名無史さん:2001/07/04(水) 04:13
なんだか扱ってるテーマが竜頭蛇尾なスレだな。
ところで、それで俺らにどうしろと?>>1
54日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:15
早く沈むスレだな。結論だけが先にあるというのが良く分かる。
55日本@名無史さん:2001/07/05(木) 16:56
左翼とアズマが結託して日本の過去を書き換えようとしてるのがミエミエ
56    :2001/07/05(木) 17:13
日本書紀みると日本と新羅がなんであんなに中が悪いのか分からん
っていうか貢物持ってこなかったぐらいで日本もいちいち怒るなよ
57日本@名無史さん:2001/07/06(金) 00:48
>文科省側は、こうした古代朝鮮史に関する部分は指摘の
>通り、学界の通説と異なると判断する見込みだ。

やはり、↑が問題なんじゃないの?
何時の間に通説が変わったのかとか?
58日本@名無史さん:2001/07/06(金) 06:14
NHKの報道では、任那日本府の記述は「誤り」の対象ではないみたい。
59日本@名無史さん:2001/07/06(金) 08:44
べつに「学界の通説がいつも正しい」と学界の“外側”が思い込む必要はないわけだけど。
でもすくなくとも学界の通説が何かは学界のドキュン学者どもが決めることであって
煽り厨房のマスコミや文科省の木っ端役人どもが決めることじゃあねえわな。
60日本@名無史さん:2001/07/07(土) 11:35
>>56
新羅が任那を併合したことを最終的に黙認してしまったのは、
(新羅征伐計画や任那復興計画はなんだかんだでウヤムヤになった)
新羅が形式的な任那からの使者ってのを立てて、新羅からの使者がこれを同伴し、
自国の分の貢物と任那からの分の貢物を両方負担したんで、
つまり倭国の利権を侵犯しないように気を使ったからなんだよ。
それが途中からなくなったんだから倭国がおこるのは(感情的には)当たり前だろ。
61日本@名無史さん:2001/07/09(月) 07:22
ようするに貢物が来ていることが、実利的にも形式的にも重要だったのね。
新羅にだまされた感じで後味よくない感じですね。
62日本@名無史さん:2001/07/10(火) 20:10
そう。だまされたんだよ。
63日本@名無史さん:2001/07/27(金) 00:00
64日本@名無史さん:2001/07/27(金) 14:31
あげ
65日本@名無史さん:2001/08/01(水) 16:31
新羅が任那を併合したときに実効支配が移ったとすると、
それまでの実効支配は倭と百済とどっちがしていたのでしょう?
66日本@名無史さん:2001/08/04(土) 02:41
>>65
直前の情況では、百済が加羅諸国に「軍主」という駐在武官を置いて実質支配していた。
対新羅政策においては倭国の本国の朝廷の態度と現地の任那日本府の行動がちぐはぐで、
これに危機感を覚え業を煮やした百済が強行したらしい。
ところが加羅諸国にしてみれば百済に征服されるのも新羅に征服されるのも
同じなので、百済の行動は当然ながら加羅諸国の反感を買っていたと思われ。
そこで新羅は加羅諸国の盟主である金官加羅の王家に
旧領すべてを安堵するという好条件を提示して内部分裂させることに成功した。
金官加羅の最後の王は兄弟で親倭国派の兄・仇衝と親新羅派の弟・仇亥が対立していた。
(同一人物説も有力だが)
67世界@名無史さん:2001/08/04(土) 04:17
任那は日本領だよ。
68日本@名無史さん:2001/08/05(日) 23:58
>>67
>任那は日本領だよ。

任那の西半分(全羅南北道、一説に忠清全羅両道の内陸部)にあたる四県二郡の地は
百済に割譲される以前は国司(みこともち=宰)が派遣される直轄地だったもよう。
なので倭国領だったとはいえる。
任那の東半分(慶尚道西南部)にあたる加羅諸国は、
日本府卿・倭大臣・日本府行軍元帥・倭国使臣などと表記される派遣官がいただけで、
倭の属国ではあっても、日本領だったとはいえない。
69日本@名無史さん:2001/08/23(木) 05:34
で?
70日本@名無史さん:01/08/29 16:17 ID:UnygjymE
百済についても、民族大移動で日本へ渡って(当時倭国)、
そして一緒になって日本国を作りわげたわけだから、日本の故地ともいえる。
71日本@名無史さん:01/09/01 02:04 ID:LqMUQiew
半島と列島だけの視点で論ずるのはどうか?
百済は中継点で、大陸や西域から、斉やら秦やら漢の王族末裔が
わらわらと3〜8世紀にかけてのべ数十万人もきてるだろ
任那どころか、倭人自体が大陸南部から半島全域に2世紀以前には
いたんじゃねえ〜の?
新羅系の出雲王朝をおいだして倭人(隼人)+ 秦(遠征)+物部分派(新羅系)
が九州から東征したのが、『大和連合朝廷』のはじまりだよ
365年には応神天皇の招きで弓月王(秦15世)一族2万人までが天山のホータン
から集団移民できて、突然の古墳巨大化技術や都市開発をもたらしてるし。
(京都自体が弓月王の開墾地で、子孫が長岡京から平安京迄開発)
で、広い意味ですべて中国(三国志時代の魏〜五湖十六国時代)の軍事
支配圏のなかのはなしで、日本書記時代の参考文献も、北部中華を統括
していた前秦(ペルシャ系)時代のものも多いわけだし、アジアごちゃまぜ
文化が日本の始まりなんだよ。(藁
半島はそのころ、北部新羅は大和と休戦中で、百済、加羅は300年くらいは
大和連合の保護地区では?
随(北部遊牧民族系)がたって、太子の頃はじめて日本人という概念もうまれ
るんだしさ、それ以前には日本という概念はあまりないと思われ
72maru:01/09/01 03:12 ID:ctWicbUw
聖徳太子も実在しなかったのでしょ!
百済の王、威徳王晶が新羅に抵抗して宗教の自由を求めたことが伝説化して和のイデオロギー=聖徳太子のイメージ
として定着し、鎌倉時代に作られた人物なんでしょ。
73日本@名無史さん:01/09/01 04:44 ID:DD9j6dnc
>>71
>新羅系の出雲王朝をおいだして倭人(隼人)+ 秦(遠征)+物部分派(新羅系)
>前秦(ペルシャ系)

脳みそ腐ってなあい?

>>72
とんでも野郎はウザイから来るな
74日本@名無史さん:01/09/01 23:09 ID:ydwnf5rE
>>73
別にいいんじゃないの、いろんな見方があって
間違いがあるなら専門化が指摘してやれよ
71は面白いじゃない、詳しくは知らんが
7571:01/09/02 00:20 ID:71cMDO.U
>>73
ああ、まちがってたよ
北部中国の覇者、前秦(ペルシャ系)はチベット系に訂正
テイ王のフケンがペルシャ、鮮卑、匈奴、北インド部族らの民族融合政策をして
いたので ペルシャ系としてしまった。弓月王の2万人移動は、前秦 のフケンが
あばれまくっていた時期(前秦 が前燕を倒すのが370年)だから、
秦族ファミリー(弓月王の父、頭満王はその前に大和に公式訪問している)
ま、いまの華僑ネットの結束で亡命したんだろ

+ 秦(遠征)〜これは魏志倭人伝の狗奴国が秦2世の末裔に統率されている
という「・・・その南に狗奴国あり、男子を王となす。その官に*狗古智卑狗あり。女王に属せず。郡より女王国にいたる万二千里。」(魏志倭人伝)
古智(こち)=新撰姓氏録には「己智(こち)。秦太子胡亥之後なり」とある。胡亥(こがい)は秦の二世皇帝..
狗奴国がその後の東征中核戦闘軍団とすれば、この説は面白いと思っているだけ(藁
7671:01/09/02 00:48 ID:71cMDO.U
思うんだけどさ、専門バカはカルチャスタディズができてなくて、
神武とか皇孫降臨、大和朝廷成立とかというと、えらい古い神話
時代をイメージしちゃうけど、歴史上存在確認ができてる天皇は
応神からで、彼の治世に秦一族が高度文化を生存のため持参して
きてるのは、史実だぜ。
360年代ていえば、南京に逃げた東晋の漢人の文化人サロン全盛で、
「書聖」王義之がオタク道に走りまくっていた頃だよ(藁
武装シルクロード商人が列島迄きて、亡命新政権に売り込みやっ
てて、全然おかしくはない。
多分、仏教、道教、初期キリスト教、儒教、シルクロード文献も
当然のように移植されている、ていか普通に考えれば当たり前の
はなし。

初期天皇綾を早く公開調査すりゃ、シルクロードアートのオンパレード
と思われ..(藁

聖徳太子の馬厨戸王子伝説なんて、どうみても聖書のパクリじゃん(藁
77日本@名無史さん:01/09/02 00:50 ID:DNYYpGAY
>>71
具体的に、どこの学者の説をネタにしてるわけ?
いや、煽ってるわけじゃなくて、面白いと思うけど、
出典が分かんないと、素人にはすげー怪しく感じる。
7871:01/09/02 01:11 ID:71cMDO.U
あと、卑弥呼の時代より8世紀迄は日本は名目的とはいえ、中国の
行政区分をうけいれてるでしょ。中国の一部だったんだよ(藁
「女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。
諸国これを畏憚(いたん)す。つねに伊都国に治す。」(魏志倭人伝)
くだって、雄略天皇にも言えることは、そもそも倭王は「使持節都
督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将
軍、倭王」と上表文に自らの称号を冠していた。つまり、
わたしは七ヶ国の倭王のワカタケノミコトですと言った。
それが、代々の中国皇帝から認められていた。(宗書倭国伝/五世紀)
ヤマト倭王は、”安東大将軍”として、ほぼ東アジアの全域の支配者だったが、政治的な独立はしてなかった(藁
79日本@名無史さん:01/09/06 06:28 ID:1tmlAHrY
完全に独立したのがいつだろう
日唐戦争での敗北後?
80日本@名無史さん:01/09/16 15:27
倭は半島の植民地を失い、同盟の百済は新羅(のちの朝鮮)に滅ぼされ、悲惨
81日本@名無史さん:01/09/16 15:58
何気にアブナイ人達しかいない。
82日本@名無史さん:01/09/23 18:46
承子たんハァハァ・・・
83日本@名無史さん:01/09/30 01:49
百済の要人のほとんどが日本(当時は倭)に移住したことを考えると、
百済の後継国は日本ではないですか?

多数派の倭人と少数派の百済人が一緒になって日本民族を形成したようなもの。
84日本@名無史さん:01/09/30 01:59
最近は日本も随分素直になったと思います。
昔は韓国への劣等感の裏返しともいえる韓国差別をずっと繰り返していましたが、
近年になってようやく韓国の文化に関心を持つ人達が増え、マスコミにおいても
韓国関連の番組を放送する機会が増えました。
ようやく日本はかつて韓国から文化を授けてもらったという歴史的事実を認め、
素直に韓国の高尚な文化が自分達の文化の源流だということを認識できるように
なってきたということでしょうか。
まぁ私の知る限りはっきりいって日本が必死で韓国を無視しようとしているのと
比べ、韓国は冷静なものです、日本の醜態を苦笑しながらも暖かく見守ってくれていますから。
国家の黎明期から隣国に世話になりっぱなしの国と情けない隣国を暖かい心を持って
世話をし続けてくれた国の余裕の違いとでもいうべきものでしょうか。
「お隣りの国、韓国」という表現がようやく使えるほど日本は韓国に対する劣等感
を克服することができつつあるということでしょう。
まあ古代遺跡の捏造やら自国中心主義の教科書をありがたがる動きなどとにかく
韓国を意識した劣等感丸出しな行いがいまだくすぶっているのも事実ですが(苦笑)
85 :01/09/30 04:21
韓国発祥の文化なんてあるの?
中国のもんだろ。
中国で生まれ、日本で花開いた。
韓国はその通路に過ぎない。
韓国のような野蛮な地では花を咲かせることなどできはしなかった。
だが、遣随使以降、日本は中国から直接とり入れるようになったので、
韓国は中継地点でさえなくなった。
何もない韓国。何一つまともに成就できない愚か者の集まる国。
86日本@名無史さん:01/09/30 04:24
71=76=78=「アズマ人」。
87日本@名無史さん:01/10/08 21:43
そもそも韓国には古代の文献が一つもない
本当に文化を伝えたのかどうかあやしい
88日本優越さん:01/10/09 17:58
任那日本府は歴史的事実。
再び、栄光の時代を!!
89日本@名無史さん:01/10/09 17:59
任那日本府は歴史的事実。
再び、栄光の時代を!!
90日本@名無史さん:01/10/09 18:21
というか、教科書や参考書から任那という地名を
無理に消そうとしているのを何とかしてほしいよ。
任那は日本がかってに命名して日本しか通じないものだと
弟がバカなことを学校で教え込まれて困っている。
91あああああ:01/10/09 20:12
古代(Ac550〜600年頃)の関東人の容貌
http://www.evam.ne.jp/niouson/haniwa-musee.html
あれっ、自称縄文人の末裔じゃなかったの?(藁
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=140/27/17.089&scl=500000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/40/05.950&size=500,500

                                 
92日本@名無史さん:01/10/09 20:21
任那は本当にあったのに・・
こうして歴史は抹消されていくのだね
93日本@名無史さん:01/10/18 21:02
念のために上げ
94日本@名無史さん:01/10/31 21:13
任那の領地を奪った新羅が憎い。
95日本@名無史さん:01/11/07 17:37
百済には任那の領地をわけてあげたんだけどさ、
その甲斐なく滅ぼされちゃうんだもんねえ。

百済を滅ぼした新羅が憎い。
96日本@名無史さん:01/11/07 18:12
新羅だけなら倭国が救ってあげてたんだけど、新羅が唐を引き込んだから救えなかった。
ゴメンね。。。恨むなら唐も恨んでチョウ。
97日本@名無史さん:01/11/09 09:51
「ついに決着!!」って・・・もともと決着してるのに姦コックがわめいてるだけじゃん
98日本@名無史さん:01/11/12 10:29
昨日の夜のNHKスペシャルでもやってたけど、
朝鮮半島の南部には縄文式土器がいっぱい見られるって。

そして、南部以外のところでは土器の様式が違うので、
明らかに縄文文化が朝鮮半島南部にも存在していたことを意味してるって。

時代は違えど、魏志倭人伝での記述における、
倭が半島の南部の狗邪韓國を北限とする記述と一致するね。
99日本@名無史さん:01/11/12 19:43
これで任那日本府があったとする説明にみんなも納得
100日本@名無史さん:01/11/12 19:49
昨日の説は重しろ渇多
101日本@名無史さん:01/11/15 14:52
縄文式土器が朝鮮半島南部で発見されていて、
もちろん日本本土での方が縄文式土器は早い。
そして、朝鮮半島の南部以外では縄文式土器は発見されていない。つまり、
日本に住んでいた人々(縄文人)が朝鮮半島南部にも進出していたことを示す。
102日本@名無史さん:01/11/16 00:20
耽羅は現在の韓国済州島に興った国なわけですが、
耽羅の建国神話には、耽羅を建国した3人の王は、
日本の王女とされる3名の女性を妻にしたとしていますし、
日本書紀には、特に天武天皇の時代、多くの王子が来日した事が記されています。
103日本@名無史さん:01/11/16 18:34
昔は半島への日本の影響力が大きかったのね。

>>101
当時はそういう概念ないかもしれないけど領有していたのかも。
104日本@名無史さん:01/11/22 13:55
結局のところ、縄文時代から縄文人は半島南部にも分布していたわけだ。
弥生時代や古墳時代にも弥生人や倭人が半島南部に分布していてもおかしくない。
105日本@名無史さん:01/11/27 22:10
済州島も倭人系ですね。
朝鮮がようやく済州島を征服した頃にも異民族だったと記録がある
106日本@名無史さん:01/11/29 16:16
韓国内での済州島への差別っていつ頃まで続いていたの?
107日本@名無史さん:01/12/03 17:07
今でも差別されてるよ。ハン板できいてみれば?
108日本@名無史さん:01/12/09 00:43
済州島のひとたちがかわいそうになってきたの。
日本の仲間にいれてあげましょうよ。
109日本@名無史さん:01/12/11 19:26
任那日本府のあったころは済州島は独立国だよね。
そのあとで済州島の王子が日本の大王家から嫁をとっていたような。
110日本@名無史さん:01/12/12 12:47
・阪神大震災の第一報見出しが「天罰だ!」だったというあの国
・天皇陛下に包丁を送りつけたヤツのいるあの国
・娘のお見合いの時、母娘揃って整形受けるのが当たり前という奇天烈な風習を持ったあの国
・アイドル歌手が盗撮されて、その写真がネット上でばら撒かれると言う事件の起きたあの国
・レイプ犯罪率世界3位、殺人事件が日本の3倍、暴力事件に至っては日本の100倍以上起きるというあの国
・レイプ殺人・織原城二の祖国であるあの国
・中田英寿は在日三世と紙面に堂々と載せて、あとで中田側からクレームがついて、噂で書きましたと謝罪した新聞のある国
・もしかして教科書問題について先生から聞かれると「日本を攻め滅ぼしてやればいい」と答える学生のいる国
・しかもそれを諌める先生が、「日本に攻め込めば、ウリナラ(我々=韓国人)にも被害が出てしまうでしょ?」と、自国の被害の事しか頭に無い、あの国
・剣道の話題が載るときは必ず「剣道は日本の侍のイメージがあるが 実際にはわが国こそが剣道の起源である」という一文が入る、あの国
・チャットをしていると「日本はアジアの嫌われ者!」と叫びまくる女性がおり、「それなら韓国の友好国をあげて見て」と言うと、中々挙げることが出来ず何とかごまかそうとする。そこで、更に追求してみた所、つぶやくように「・・・日本」としか言えなかったという、あの国。
・自国のコインを10倍の値打ちにして日本で不法使用する、あの国
・日本人が事故にあうと、警察がロクに相手にしてくれない、あの国
・「日本のしたことの中には良い事もあった」と言う主張のHPを作った人が告訴される、あの国。
・日王(天皇)賛美のHPを作った高校生がイキナリ逮捕される、あの国。
111日本@名無史さん:01/12/12 13:55
任那日本府は任那日本府があったときは何と呼ばれていたんですか?
112日本@名無史さん:01/12/12 16:52
任那総督府です。
113 :01/12/12 17:05
本家
114日本@名無史さん:01/12/16 01:11
つまり、まとめると、少なくとも縄文式土器が多数半島南部に存在することにより、
縄文時代から日本列島の人々(縄文人)は半島南部を勢力圏においていた。

さらに文献が残る時代(日本での古い分類だと弥生時代及び以降)においても、
日本列島の人々の勢力の半島への影響が複数の文献・史跡で同様に見られる。

そして日本列島の人々が最後に半島への影響力を失ったのが白村江の戦い。
このとき、鮮卑民族が作った唐により倭+百済は破れ去った。

その後、百済の知識人/技術人や王族/貴族は日本列島へ移住。
そして倭人と協力して日本国を作り上げていくことになる。
115日本@名無史さん:01/12/17 07:47
>>111
>任那日本府は任那日本府があったときは何と呼ばれていたんですか?

任那倭宰(やまとのみこともち)
116日本@名無史さん:01/12/21 20:16
倭を「にほん」と呼んでる?
117日本@名無史さん:01/12/25 17:47
「府」はどっからきたんだろ
118日本@名無史さん:01/12/30 21:48
宰を府とするのは不自然だな
119日本@名無史さん:01/12/30 21:57
任那倭宰なら使節という意味のほうが強いよね。
「府」とつけば政治機関のように思えるが。
120日本@名無史さん:01/12/30 21:57
素人ですが任那の任の字は任(まか)せるという意味で
しょうか。んなら委任統治領みたいなものでしょうか。
121日本@名無史さん:01/12/30 22:07
>>119
素人目には「宰」の字は宰相、宰領といった、取り仕切るイメージが出てくるのですが?
122日本@名無史さん:01/12/30 22:11
宰=みこともち=御言持

ってことで、天皇の使者を指すというのが一般的な解釈かと。
123日本@名無史さん:01/12/30 22:21
>>122
使者というより、代理人という方が近い気がしますがどうでしょう?
124日本@名無史さん:02/01/02 10:32
「府」の字は政治機関という意味もあるけど、どちらかというと軍事施設という意味のほうが優先。

「みこともち」は代理人でも使者でもいいけど、帯びている使命の内容によって、
「府」とか「国司」とか漢字を使い分けたのは7世紀くらいから。
その前はすべて「宰」と書いていた。
125日本@名無史さん:02/01/08 15:19
使い分けをするようになった時代に『府』と書かれたわけですね。

しかし過去の資料が使い分け前の『宰』ということは、
その文献資料だけではどちらの意味かわからないのではないでしょうか?
126日本@名無史さん:02/01/14 10:56
しかし肝心なことが抜けている。

当時(2000-1500年前)の朝鮮半島にいた民族と、
今朝鮮半島にいる民族は異なることを。

この事実をちゃんと認識して、
そのうえで当時朝鮮半島にいた民族のうちの一つの子孫ならば、
そんなに間違ってはいない。
127日本@名無史さん:02/01/14 11:51
今の朝鮮半島にいる民族は南満州のツングース系の民族だ。

当時の朝鮮半島南部の民族は、倭人ということ。

その証拠に、半島北部と異なり半島南部には、日本列島特有

の縄文土器が大量に発掘されているし、5から6世紀には前

方後円墳が見つかっている。
128日本@名無史さん:02/01/14 11:57
どうでもいいが、百済王の柩には、当地では採れない日本産出の高野槙が
使われていることはどう見るんだろうか?
129日本@名無史さん:02/01/14 12:12
日韓古代史は、共同で調査しているのか?
諸説混同していてもおかしくないものを、
一方的主観で、更に推しつけてくるとは言語道断。
130日本@名無史さん:02/01/14 12:54
>>128
百済は日本に朝貢しているし、
百済王子によっては日本で育っているから不思議はないよ。
131日本@名無史さん:02/01/27 03:14
百済や新羅の王子は日本にたびたび来ているけど、
日本の王子はどうだったんだろう?
132日本@名無史さん:02/01/27 03:19
朝鮮人は、古代に倭国に支配されていた事を、感情的に嫌う所がある。
歴史を捏造しているのは、そっち。
133日本@名無史さん:02/01/27 15:49
>>130
そんな事実があったら三国史記が得意げに大書してるだろうよ(w
134133:02/01/27 15:51
>>133

すまん。>>130じゃなくて>>131だった
135日本@名無史さん:02/01/29 00:11
がいしゅつかも知れないけど
 「日本書紀」雄略天皇7年
某臣を 任那の国司として送り出したとあるが
この任那は ここで論じられている任那なのか?
だとしたら、当時任那は日本国の一部?

136日本@名無史さん:02/01/29 01:09
任那の東半分(慶尚道)は加羅諸国でここは属国であって直轄領地ではない。
任那の西半分(全羅道)が倭国の直轄領地で、こっちに国司(=宰=みこともち)が派遣されていた。
137日本@名無史さん:02/01/29 03:54
>>136
素人ですみません。その根拠となる史料は何ですか。
もしよかったら、教えてください。
138日本@名無史さん:02/01/29 07:17
ぶっちゃけた話、現在の尺度というか、国境を意識して考えると混乱するね。
話をまとめてみると、朝鮮半島南部から九州北部にまたがり興った倭が、次第に
南下を繰り返し、やがて列島土着の民族と融合と抗争を繰り返し、日本の元と
なったということですよね。
139日本@名無史さん:02/01/29 07:25
任那は日本の植民地だったんだよ。
140日本@名無史さん:02/01/30 06:00
アホ。
任那は日本の行政区の1つだったんだよ。
カスはカスらしくもっと勉強しろ。
141日本@名無史さん:02/01/30 07:02
>138
それって分かり易く言うと半島からは追い出されたってことね。
つまり倭は本来の勢力圏の半分は失ったわけだ。
かわりに日本列島を東上してアイヌの土地を奪った。
この玉突き衝突の加害者は朝鮮人で被害者はアイヌ、倭人はたまたま間にはさまっただけ。
142日本@名無史さん:02/01/30 15:43
>>137
日本書紀だろ?
143日本@名無史さん:02/02/02 02:57
>>141
被害者は、樺太先住者じゃないの。アイヌは、樺太に進出したよ。
144日本@名無史さん:02/02/02 05:46
樺太先住者ってのがアイヌだよ。
145日本@名無史さん:02/02/02 06:22
某国営放送見ていて思ったんだけど、
倭人つうか弥生人は山東半島出て朝鮮半島南端経由で、北九州到達
したんだろ? 半島南端に「倭地」があってもおかしくない。
それがしだい縮小して、朝廷がなんとか出来たころ
「半島最後の拠点」として日本府になったんじゃないのか?
そこを出先機関にして交易、外交行ったと思う。
146日本@名無史さん:02/02/02 06:57
>>145
いや、だから縄文式が…
147日本@名無史さん:02/02/02 09:39
>>144は間違ってるね。>>143が正しい。
アイヌの発祥地は北海道。樺太アイヌや千島アイヌはかなり後になって北海道から渡っていった子孫。
148日本@名無史さん:02/02/09 00:07
アイヌの形成って12世紀でなかったか?
149147:02/02/09 05:41
>>148
そのとおり。
150日本@名無史さん:02/02/10 02:00
学研マンガの日本の歴史読めよ
わかりやすいぞ
151日本@名無史さん:02/02/15 21:03
縄文人から12世紀まで長すぎて、
縄文人とアイヌ人は関係があるのかどうかすら分かっていない。
152分家の末裔の領地:02/02/17 01:56
あんのー日本書紀だけじゃくて、隋書倭人伝とか史記とかにも、秦氏、漢氏子孫が3世紀から
数万人単位で日本に波状的に何度も渡来したと書いてありますし、一気に巨大化する応神、仁徳稜が
彼らの仕事であることは常識。8世紀以前の朝廷を含む有力者全てが渡来系氏族である
なら、そろそろ半島経営の有無という次元でなく、天皇氏族がどこからきたのかやって
もらえませんか?当時の末子相続でいえば、大和からたのまれ吉備が運営していた任那
とかは、分家の末裔の領地なわけで、どうでもいい通過地でしょ。
半島の秦韓出身なら秦氏で皇室の三笠宮のいう故地はシルクロードもありだし、山東半島なら
漢人、五湖十六国の割拠する大陸から旧大和朝廷を押しのけてきたのが現皇室始祖ならば
何人かどうでもよくなるけどね、案外当時最強のチベット系だったりして。
153152:02/02/17 02:02
訂正
史記とかにでてくるのは、もっと古い時代の渡来のはなし
154  :02/02/17 02:09
 
155これ以降アイヌネタ禁止:02/02/17 08:51
アイヌネタは他でやれ。
それ以前にアイヌが形成されたのが12世紀だとか、デムパな妄想もやめとけ。
アイヌに対する記録が、12世紀以降から多くなってるだけのこと。
それ以前からアイヌは蝦夷地に住んでいたぞ。
156日本@名無史さん:02/02/17 13:38
>>155は文化と人種とごちゃごちゃにしていると思われ。

でも確かにアイヌネタは他でやるべき。
157日本@名無史さん:02/02/21 21:24
百済はともかく、新羅にだましとられたのが手痛い。
158日本@名無史さん:02/02/24 23:56
新羅も当初は奪った領土の分を上乗せして朝貢してたのでは?
159日本@名無史さん:02/02/27 20:11
>>158
そうだよ。
つーか新羅からの朝貢使は、任那からの朝貢使をつれだって2人組で倭国に朝貢してた。
160日本@名無史さん:02/03/04 09:36
んじゃ、新羅に領土(属国?)を取られたからといって、
実質的な被害はなかったのね。名より実を重視?
161日本@名無史さん:02/03/04 10:20
新羅が任那を併合したというのは、
実質には金官加羅(今の釜山)の旱岐(王様みたいなもの)を臣下にしたというだけ。
金官の旱岐は新羅で最高の位につき、領地も全部安堵されていた。だから独立は失っても滅亡したわけじゃない。
それを滅亡だと騒いで倭国の朝廷をけしかけたのは百済。
倭国としても新羅を責めようという気はあり、実際に派兵する話も何度もあったが、
任那が滅亡したわけではないぐらいは知っていたので対応がトロすぎた。
倭国は新羅にナメられていたとも言える。
162日本@名無史さん:02/03/07 08:04
>>161
金官加羅はそうだけど加羅諸国によっていろいろ。
163日本@名無史さん:02/03/18 18:27
>>161
んじゃ、百済に割譲したほうについてはどうなのよ?
164転載君:02/03/18 20:07
百花総咲。

『日本版Newsweek編集部に対する抗議へとの呼び掛け』

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/1189/media_top.html
165天皇を処刑せよ:02/03/18 20:08
国民主権そのものとは別の話し。

象徴としてでも据え置いておくの
は「天皇を神輿に乗せて」担ごうと
いう者達を闊歩させる元になってし
まうので、担ぐべき神輿を無くして
しまうしかないというだけ。先の君が
代と日章旗を国歌・国旗として制定す
るという動きは、今言った「天皇を神
輿に乗せよう」という者達の策略の結果です。

だから君が代の斉唱と共に日章旗ならぬ「
天皇を旗竿で絞首刑に処」せば、彼らに冷水
を効果的に浴びせられるのは勿論、内外に君
が代と天皇の関わりを効果的に植え付けできるでしょう。

つまり、君が代が斉唱される中、天皇の首が旗竿の紐で括られて絞首刑と
されたまま、静々と旗竿の頂点に上がって行く様はブラックユーモア的情
景としての絵になるであろう。(^_^)              
 
166日本@名無史さん:02/03/19 22:59
>>163
明らかな形では記録には残ってないが、
おそらく割譲された土地から倭国が得ていた分を、百済からの貢納に水増ししたものと思われ。
なにしろ割譲してもらえたのは倭国からの恩恵なのだから当然それぐらいしたろう。
167日本@名無史さん:02/03/24 04:16
倭国はどうしてそんな余裕の大人の態度を当時はとれたのですか?
168日本@名無史さん:02/03/27 04:04
>>167
逆に自信がなかったんじゃないかと思うけど。
「属国のわがままは大目に見てやらないと離反されるかも」という本末転倒な発想。
いかにも日本人の穏健派が考えそうでしょ。日本では今も昔も強硬派はきらわれる。
169日本@名無史さん:02/04/08 20:44
いまでも、韓国にたいして、大人の態度で接するべきなんですかね?
170日本@名無史さん:02/04/08 21:49
100年くらいたったら、
「日韓併合も嘘だった」とか言い出すのかな?
171日本@名無史さん:02/04/10 06:15
高句麗長寿王の死後、高句麗の南下圧力が消えたから百済と新羅は
倭の軍事的支援は必要がなくなった。
172日本@名無史さん:02/04/10 06:48
高句麗からの圧力が消えたというより
「高句麗vs南韓諸国」の図が「高句麗vs百済vs新羅」にかわったってことじゃないの?
173日本@名無史さん:02/04/23 04:08
はるかむかしには、高句麗と日本は同族なのに、
いつから戦うようになったのだろう。
174日本@名無史さん:02/04/23 06:38
高句麗長寿王の死後、高句麗内部の政治的混乱で百済、新羅にたいする
軍事的脅威が低下した。だから、任那=(半島内の倭の軍事力)による
軍事的支援は百済・新羅にとって不要なものとなった。
175日本@名無史さん:02/04/23 09:34
>>173
313年、高句麗は、晋のどさくさにまぎれて強奪していた楽浪郡を強奪。
これで晋の同盟国(のつもり)であった倭国と対立関係に。

高句麗は建国以来300年間、遼東半島や満洲平原といった西方進出をめざしていた。
しかし鮮卑が勃興してからますます難しくなり、
342年、高句麗が前燕(鮮卑)に大敗すると方向転換して西を諦め
楽浪郡跡地を足がかりに南下政策に転じ、
南韓諸国はこれに抵抗するため百済・新羅を興し、かつ倭国を引き入れて
高句麗に対抗。これで広開土王碑にある一連の戦いになる。
しかしその後は、全般的にいい関係だったといえる。
とくに隋が興ってからはとくに友好的。
176日本@名無史さん:02/05/02 02:40
高句麗と大和言葉の数詞が一緒だったところにすごく興味があります。
177名無し:02/05/02 02:47
古代南朝鮮に高天原があった
178日本@名無史さん:02/05/02 03:29
 ここは最近、この板と似た議論をしてる。

 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1008331480/l50ここスレは最近、ここの議論と似たことをやってる。
179日本@名無史さん:02/05/02 03:37
>>173
 高句麗はツングース系、日本人にもいくらかは入ってるだろうけどやはりめいんではなかろう。

 にしても、従軍慰安婦は歴史的事実だが、わざわざ歴史の教科書に書くようなことか?
どうかしてるぜ!文部省。日本国民パープリン化政策推進の一環か?

 サッカー賭博導入時の炎の意志にくらべて、本業に対する熱意がなさすぎる!
180日本@名無史さん:02/05/02 09:20
>高句麗はツングース系

言語系統が? 人種が? なにがツングースなんだ?
181日本@名無史さん:02/05/02 11:23
>>173
「慰安婦」は歴史的事実だが、「強制連行」は事実ではありません。

それから、どこの軍隊にも慰安婦はいます。(米軍にも・・。当然当局も、検診や場所提供など、ばりばりに関わっている)
182日本@名無史さん:02/05/02 11:51
>>181
ここは、日本史板の任那日本府スレなので、
当時の倭・任那・伽耶・新羅・百済・高句麗あたりの話しまでに絞ってください。
183日本@名無史さん:02/05/02 11:57
「4世紀後半、大和朝廷は海を渡って朝鮮に出兵した。大和朝廷は、半島南部
の任那(加羅)という地点に拠点を築いたと考えられる。」扶桑社歴史教科書

倭は半島南部と列島西日本部の自然生活圏だった。
倭が半島に行って、(日本府)任那を築いたのではなく、半島南部と列島西部は
もともと一つの未成熟な「国」だった。
加羅は相対的にまだ国家としては未成熟な地域だったので、新羅・百済の勢力
向上とともに、圧迫を受けて、消滅した。

これを、大和朝廷の植民地経営と読めるような文体で書くから批判される。
もっとも、著作者は確信犯と思えるが。
この小単元4ページに「任那」と6回でてくる。文脈からは、大和朝廷の服属地
としての「任那」と読み取れる。
いきなり「日本軍」という単語も飛び込んでいる。

冷静な学者・研究者に教科書を書いてもらいたいものだ。
ちなみに、私は韓国教科書の「歴史おおげさ化」にも異議があることを付け加え
ておく。
184日本@名無史さん:02/05/02 21:33
ああ、そう。
185日本@名無史さん:02/05/09 15:24
ようするに、出兵というよりは、
むか〜しから半島にも倭人がいたっていう理解でええかな?
186日本@名無史さん:02/05/09 16:51
半島南部にね。誤解を恐れずに言えば、それでいいと思います。
ただ、それは、倭人であって、日本人とも朝鮮人ともいえない、
「西日本から半島南部にいたんだもんね人」かな。
187:02/05/09 18:29
188日本@名無史さん:02/05/09 19:56
アイヌネタは他ですべきだが、それ以前の問題として
>>148>>155-156の応答は用語にふりまわされて話が
噛みあってない。アイヌ語はおそらくかなり古くから
北海道で話されていた。「12世紀に成立」というのは
「12世紀以降文化的に大きな変化がない」というだけ。
「日本は明治に成立した」って言ってるようなもんだ。
でもって話をもどすと、任那日本府云々が日本と韓国
の双方で問題になる、という事自体が面白いと思う。
両国ともそのあたりに自らのアイデンティティを求め
ているわけだ。確かにそれ以降は海が実質上の国境に
なるわけだし。
189日本@名無史さん:02/05/12 10:57
>>186
魏志倭人伝に書いてある狗邪韓国も倭人の国ですからね。
190日本@名無史さん:02/05/19 23:10
>>188
「12世紀に成立」はアイヌ語じゃなくてアイヌ文化(考古学の)。
それ以前は擦文文化やオホーツク文化になるわけだから
「12世紀に成立」でまったく問題ない。

アイヌ語は12世紀どころか近代以降しかわからない。
191月光仮面:02/05/25 03:54
>>189
狗邪韓国は、朝鮮半島南部と九州北半部にあった。
このことを理解していないと、魏志倭人伝を正しく読めない。

狗邪韓国は駕洛とも金官加羅ともいう。
192?A:02/06/04 20:28
>>191
九州にはないだろっ
193日本@名無史さん:02/06/04 20:43
貸間だから仕方がない。
194日本@名無史さん:02/06/16 16:25
age
195日本@名無史さん:02/06/29 01:40
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196日本@名無史さん:02/06/29 01:44
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197日本@名無史さん:02/06/29 01:45
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198日本@名無史さん:02/06/29 01:48
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199日本@名無史さん:02/06/30 06:58
↑なんだ?

 ̄¨ ̄ミー-―r--、
`i ツ ⌒ヽir== y´ヽ
 :|   :  |  : :lー┴-―┬--―〜ー- ..
 :l|   l: ll   ::l     ミ、          __,へ.       , ィ
ニ_i   i: il   ミL -‐'''  ̄ ̄¨ ー--- ッ ' ´ ̄    lrヘヽ.―――vツ
  ヾ、    レ‐''´ "          イ       l L_ィ`′    /{
    ト、 ノ   i:    ソ              l  |      / __|
   イ  フ    l|:    i        ノ      l|  i| 、ィテ、 ソ __イ
  /"'ー } i::   |ト、  i:  i:      i     i  il| i|  ^ー´ ミゝ、.∠} 
∠__. -‐┤ {ii::  ||ト、 l:  l:  l:  :  il     i   il| il  ヽrヘ====(ソ
     {  ヾii: ||||i ヘ、li: l: l:  i  il    li:.   ヽ、ゝ、_  ¨ヽ:::i::ノ
     }  ソi:  ||/⌒てヽ、li l: l  l人 、 _. -=三ミ、   /¨ T¨ ̄
 `::..''、::;ソ  lii:  /  '::、)// ーッ、_|l l: ト、l´    ヾ} .∠-‐' ソ
゙'::、 ::、..,,,} l|||||ll/ ::、 : //////   ̄¨''ーf/  ミミ}^L}三彡 /
::.、 ‐=三} l||||||{三ミ、 .〈〈〈///       ゝ/  ( ソ'⌒ ソ
::、 ::、 ミ{ l||||||||}三三三ミヽヽ〈..        ヽlir⌒ソ {=- /
:::::、:、 ミノ l/ il||{三三三ミミ、ヽ ヽ:、::、 :、     }ir⌒}. {、__ {
、 :、 :.、ソ/  l||{三三三三ミハーr‐ヽミ、 ::、  、: 、}レ⌒{. }三 }
 :、::、ム、ニ三__}三三三三三三三三三三三ミムレへ V l l ヽ
:::: 、:: 、:: ::; ::; ̄ ̄''=三三三三三三三三ミ'ー--ヲト ┴┴┘
201日本@名無史さん:02/07/08 13:10
>>200
ワラタ。つなぎ放題にせよ。
202日本@名無史さん:02/07/18 21:07
荒らし対策age
203日本@名無史さん
古代史素人なんだけど、要するに
古代、日本=倭は韓国=新羅に侵略されていた
・・・と言うことでよろしいのですか?