「武士=職業的殺し屋」説ってどうよ?

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1日本@名無史さん
最近、一部のサヨ系日本史学者の間で、「武士=職業的殺し屋」説
てのが唱えられています。正確に言うと、従来は武士の地方の開発領主
から発生したとされてきたのに対し、武士は都から発生したものであり、
発生期の武士は殺しを家職とする貴族やその他の民衆からも恐れられた
職業的殺し屋であり、暴力団のような存在だったということを強調して
ます。

内容はおいといて、これ唱えているサヨ系歴史家は、「戦争、軍事は
いけない」「平和が第一」というイデオロギーから、武力の担い手
としての武士は卑しむべき存在でなけれなばならないと考え、
まるで当時の貴族のような差別感情丸出しで、「武士=職業的
殺し屋=卑しい存在」というキャンペーンを行なってるように
感じられます。サヨ系歴史家いやがるだろうけど、こういう
貴族の優美な世界の観点から武士を卑しむというの、昔の(
右翼と言われる)亀井勝一郎とかもやてたんですけどね、

皆様どう思われます?
2日本@名無史さん:2001/06/24(日) 17:46
どう思うも何も、基地外じみてるとしか思わん。
31:2001/06/24(日) 19:24
>>基地外じみてる
と思われるでしょうが、これ最近のは武士論の中では結構有力な説なんですよ。
野口実とか、高橋昌明とか著名な歴史学者がこういう立場です。
下のページも見てください。

http://www.iijnet.or.jp/sakaiprt/LFR_HTML/lfr_13.html
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/teiki9.html
http://www.ipcs.chuo-u.ac.jp/~hagizawa/WWW/Books/Genpeikassennokyzou.htm
4日本@名無史さん:2001/06/24(日) 19:28
じゃあ江戸時代はヤ〇ザが治めてたのか(ワラ
でも江戸時代の平和は世界中の史学者が驚くほどだというがな。
5αジョーカーω:2001/06/24(日) 19:31
武士が、屠児之輩(山地狩猟民)やゴロツキで、
それが都市では公家に
雇われるヒットマン、地方では国司や開発領主に
雇われるガードマンや徴税請負人だった、という説?
6αジョーカーω:2001/06/24(日) 19:33
土方(どかた)暴力団或いは山賊⇒武士団という軍閥
という具合なのかな?
7日本@名無史さん:2001/06/24(日) 20:12
>>4
あながち否定できないぞ。
十手持ちがそうだろが。
8日本@名無史さん:2001/06/24(日) 20:21
時代劇の都貴族が悪人役にされるのは、
戦後の左翼的歴史観の影響のおかげだろ。
もし、かりに彼等が政治的意図をもって
武士=職業的殺し屋説を唱えているとしなら
その標的が変わっただけだろな。
9日本@名無史さん:2001/06/24(日) 20:23
1の主張はしょうしょう感情的だぞ。
まあ、いつものことだがな(藁
10日本@名無史さん:2001/06/24(日) 21:29
勃興期の武士は確かにアウトローだったと思うが、
自分たちで「ロー」を作り、それに従うようになった鎌倉以後の武士は
もはやアウトローとは言えないだろう。(悪党は除く
11日本@名無史さん:2001/06/24(日) 21:34
ちょっとーオーバだってばー
江戸時代までそういう人達が武士だやってたなんて、いってないじゃないのよー
まったくー
まあ2chらしいといえばらしいかねー
だからあんま専門的な人が書き込まなくなるのよん
12日本@名無史さん:2001/06/24(日) 21:34

日常生活でも、常に刀を差していた、不思議な存在ではある。
軍人、兵士として考えても
奇妙だろう。
13日本@名無史さん:2001/06/24(日) 21:37
武士が現代でいえば暴力団とガードマンの中間的存在にあたる存在に起源があると
いうならわかる。

しかし、そもそも暴力団=職業的殺し屋じゃない。
職業的殺し屋ってゴルゴ13かよ(ぷぷ
その説を唱えている「先生」は暴力団を知らなすぎる。
「殺し」でメシ食ってる暴力団がいったいどこにいるっていうんだ。
14日本@名無史さん:2001/06/24(日) 21:39
そもそもサヨは非暴力主義なのか?
もともとは暴力革命を唱えていたのではなかったっけ?
15日本@名無史さん:2001/06/24(日) 21:54
サヨウヨのレッテル貼りは意味ないね
16日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:01
>14
かつてのサヨクは非暴力のためならどんな暴力をふるうこもともいとわなかった。
健康のためならどんな不健康なことでもする爺さん婆さんと一緒。
17日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:03
あーんたねー
暴力団なんて名前でそのまんまのことしてた人達が、当時いたとおもってんのー
暴力団てなにするから暴力団ていわれるのよー
不法行為するだけならただの犯罪者だよー
あははは
18緒邪留麿:2001/06/24(日) 22:06
武士は人を殺す穢れた存在であらっしゃいます。
19日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:10
西欧貴族=殺生○ 姦淫×
日本貴族=殺生× 姦淫○ 
20日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:18
>>19
西欧貴族も姦淫はバンバンやってるよ。
21日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:20
落ちぶれて地方にやられた都人とその私兵達だろ。
22ブサヨクヒッキー:2001/06/24(日) 22:40
>>1
この見解は、近年ではすっかり定着した職能的武士論の流れから
出てきたものですね。職能的武士論では、武士が残忍で殺生と暴
力を専らにする罪業深い存在を職業的殺し屋であることを強調
する傾向があるのは確かです。
しかしながら、これは武士を中世の開拓者として美化してきた
在地領主制論に対するアンチテーゼでもあり、在地領主制論の
中心的論者であった石母田正さんの立場を考えれば、サヨが政治
的意図で・・・・という議論は、あまり意味を持たないでしょう。
勿論、武士職能論を強調する唱える人の中に「左翼」がいること
は否定しませんけどね。
それから、職能的武士論においては、必ずしも武士が都から発生
したとされているわけではなく、そうした見解はむしろ少数派か
もしれません。武士の発生を各地の国衙との関わり合いで論じる
方が主流・・・・なのかな?

私は単なる歴史ヲタで、見当外れのことを言っているかもしれま
せんので、できたらプロの方のご見解を伺いたいところです・・・・
なんて言ってもいらっしゃらないかな。
23日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:45
広域暴力団源組など嫌いだ。
24日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:52
広域暴力団桜田門一家よりマシだろ
25日本@名無史さん:2001/06/24(日) 23:11
TVでみたけどマル暴の連中は捕まえられている
暴力団員よりもどうみてもコワイね。
26日本@名無史さん:2001/06/24(日) 23:15
>25
同感。
マジこわい。
あんな顔で「おめえがやったんだろ!」
とか言われたら、やってなくてもやってます。って言っちゃうよね
27日本@名無史さん:2001/06/25(月) 00:53
>>22さんがおっしゃるとおりですね。わたしも10年ほど前に史学科を卒業して以来、学界からは遠ざかっていますのであまり詳しくはありませんが。やはりみなさん誤解なさっているようで、「武士=殺傷を生業とする職能人」という説は、「武士=芸能人論」を極端に言い表したものです。この説は石母田正氏の「武士=在地領主」説に対するアンチテーゼとして唱えられています。石母田氏は在地領主論は武士を律令制の破壊者、地方からの革命としてとらえ、成立時の武士は有力農民が古代中央政府の圧政から自己防衛するために武装したものが起源とされ、それらが中央からドロップアウトした京下りの下級貴族と結びついて武士団となったとするものです。其れに対し、武士と貴族の結びつきがもっとあるとして登場したのが「武士=芸能人論」説です。それは戸田芳実氏が唱えた「武士=地方軍事貴族説」から派生したもので、後に軍事貴族説を領がする支持を受ける。それは中央貴族=退廃しきった打倒されるべき存在、武士=新興の進歩的・革新的存在といった戦前からの常識を徹底的に批判したもので、佐藤進一氏あたりが唱えはじめたものです。
28>>27:2001/06/25(月) 00:54
かいつまんで言うと武士=在地領主ではない。武士は古代地方社会の有力者が武装したり軍事貴族が「家職」としたもので、農民ではない。彼らは領民支配を法によって理論的に行ったのではなく、武の力で領民を支配し、他者から自分の権利を守った。と言うものです。室町期に成立した「職能歌合わせ」(だったと思う)に様々な職業が描いてあり、その中にも「武士」という項目がある。というのがよく引き合いに出されます。東北大の入間田宣夫氏が集英社の「日本歴史」『武者の世に』にを著してからややセンセーショナルに取り上げられ「武士の棟梁=広域暴力団組長」などと言われるようになったものです。今学会では旧来の在地領主説と芸能人説が有力ですが、最近ですとNHKブックス「武士の誕生」で関幸彦学習院大教授が軍事貴族説にたち両説を批判しております。また講談社「日本の歴史07 武士の成長と院政」で広島大学の下向井龍彦さんも「軍事貴族説」で書いています。これら新しい「新軍事貴族説」は律令国家の「兵」(つわもの)と武士をまるで別な物として、律令国家崩壊後の王朝国家の軍制として「武士」が誕生とし、その構成員は受領層よりさらに下層の貴族であるとするものです。関氏の著書は学史の流れもよくわかりお薦めです。
29日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:15
視点としては面白いけど、ネーミングがヤヴァイね。

冷静な分析というよりは過激なスローガンに感じるのは
やはり戦後の一般社会の運動と切り離せないんじゃないかな。
つまり、片方では戦前もてはやされた武士道精神と軍隊をひきずり下ろし、
もう片方では被差別民と武士は出自的には殺生をなりわいとした穢れた
存在として同等ではないか、だから差別の根拠がないという主張が背景に
あったんだと思う。

しかし、武士を特別に称揚しなくなった現在において武士はもともと殺し屋で
あり穢れた存在だと主張してしまうと、被差別民に対する差別をも根拠づけて
しまいかねない。
政治的立場から学問をやる危険性を示していると思う。
30日本@名無史さん:2001/06/25(月) 11:28
つまり、地方の支配者が法では治められなくなったから、
武力による実力支配を強化した結果、武士団が誕生した
という考え方でいいんですかね?
31日本@名無史さん:2001/06/25(月) 13:01
石母田氏==初期の武士に、来るべき(来なかったけど)共産主義革
命の前衛という幻影を投影していた。

野口実・高橋昌氏ら==武士的なライフスタイルに、近代以降のアジ
ア侵略者にして加害者である日本人の原型を見出している

という感じでしょうか?
ちょっと(というかかなり)乱暴な想像ですが。それにしても
歴史学者も、その時代と自らの拠って立つ思想によって見方も
変わってくるものだなあと思います。
32Cipher:2001/06/25(月) 13:28
戦国時代の戦いは暴力団の縄張り争いに似たものがあるしなあ。
ヤクザが指つめたりするのも起源は侍の作法からきてるんだし。
33日本@名無史さん:2001/06/25(月) 13:34
>>32
え、そうなんすか?
私はたしか指詰めは遊女のやっていたのが
起源だと聞いていたのですが。
よかったら詳しく教えてください。
34Cipher:2001/06/25(月) 13:48
>>33
乱戦になった時、間違えて味方を討ち取った罰として小指を
落としたって聞いたけど?
351:2001/06/25(月) 14:23
マジレスあったので真面目に

>>22
>>27
>職能武士論、武士芸能人論
これの拠り所は、武士は戦闘を家職とする「兵の家」の者、
「家を継ぎたる兵」であり、そうでなければ当時は武士と
みなされなかったいうことにあります。これ自体は
歴史的事実であると言ってよいでしょう。私が1で言及
したような研究では、都の四位、五位クラスの軍事貴族
や六位クラスの衛府の官人が元々の武士であり、都が
武士の発生地ということになります。
ただ、この説を取った場合には、鎌倉時代の「沙汰未練書」

「御家人トハ、往昔以来為開発領主、賜武家御下文人事也」
とあるように、昔からの在地領主であることが
武士であることの必要条件であると(現代ではなく)
鎌倉時代においてさえみなされていたという事実と
整合的な説明を与えなければならない問題があります。
詳しい説明を省きますが、どうも、武士の起源として
都を重視するタイプの「武士職能説」はこれに説得的
な説明を与えるのを失敗している気がします。
下向井龍彦さんの天慶以降の反乱鎮圧・治安維持の
ための軍団を重視する「国衙軍制論」の方が説得的な説明を
与えているように思います。
36ななし:2001/06/25(月) 14:43
ヨーロッパの貴族や騎士は職業的殺し屋なんでしょうか?
中世期は常に帯剣してましたが・・・
ちなみに貴族・王族は元を正せば、最も強い海賊・山賊だったという説もありますね。
3722:2001/06/25(月) 14:56
煽るような名前でしたので、変更いたします。
どうもすみません。

>>35=1さん
高橋昌明氏が仰るには、侍という出生身分・武士という職業身分・
御家人という帰属身分の、身分類型上の区別と関連を把握すれば
氷解する問題とのことです。高橋氏が仰るには、武士とは社会的
分業が家業の形態をとる歴史段階において成立する職業身分の
一つということです。

私の理解には未熟なところがあるので、できたらプロの方の説明を
希望します・・・・。
3827:2001/06/25(月) 18:53
>>1さんがおっしゃるように、下向井さんの説にたてば、武士身分が戦を生業とする人々と言う定義と「沙汰未練書」にある在地領主であるという定義に合致します。ただ、王朝国家では土地の私有が公認されていたわけで、下級貴族であった初期武士が地方に狭いながらも所領を所有していたのはまるっきり自然なことで、逆に所領を持たない人が例外だったように思いますがいかがでしょうか。
39日本@名無史さん:2001/06/25(月) 23:05
幕臣 藩士と、武士をごっちゃに
考えていては
いけない。
401:2001/06/26(火) 18:29
>>37
>侍という出生身分・武士という職業身分・
>御家人という帰属身分の、身分類型上の区別と関連を把握すれば
>氷解する問題とのことです。
正直言うと、(日本の)歴史家のこういう発言はスローガンのようなものだと
思います。

>>27
>下級貴族であった初期武士が地方に狭いながらも所領を所有していた
多くの場合そうでしょう。問題なのは下級貴族ではない在地領主ですね。
いわゆる「職能武士論」でも、治承・寿永の内乱期(いわゆる源平合戦
の時期)に参加した「武士」の多くは地方の在地領主であり、「職能武士論」
で武士とされている、都の衛府の官人や中下級貴族は少数派であること
は認めています。「職能武士」論者は内乱の大規模化により、動員兵力が
膨大となり、本来の武士、元々の武士ではない在地領主までが兵士として
動員されたのだと主張しています。このため、鎌倉期においては、
在地領主=武士であるとみなされるようになったと訳です。
このへんの史料の扱い、論証に強引なところが目立ち、説得力を
弱めているように思います。
4122:2001/06/26(火) 19:14
>>40
なるほど、治承・寿永の内乱期における武士概念の
転換という主張については、論証に問題あり、という
わけですか。この問題高橋氏の身分論にやについては、
私ももっと論文を読み込んでいこうかと思います。
42日本@名無史さん:2001/07/02(月) 00:07
優良スレッド
age
43日本@名無史さん:2001/07/02(月) 01:03
>1
>内容はおいといて、これ唱えているサヨ系歴史家は、「戦争、軍事は
>いけない」「平和が第一」というイデオロギーから、武力の担い手
>としての武士は卑しむべき存在でなけれなばならないと考え、

これは井沢元彦氏も同じような説を唱えているよ。
しかし、彼の意見の根拠は、
「武士は、死や血の存在に近い物だから穢れている。
だから敬遠された」というものなんだけどね。

身を守るための軍事力は必要なのにも関わらず、
現在の自衛隊が(政府や一般社会から見て)日陰者扱いみたいな
状況というのは、鎌倉時代以前の武士の扱いと
似たようなもんだと思うよ。
44日本@名無史さん:2001/07/02(月) 01:42
地頭なんて荘園領主や領民にとってだいぶ暴力団的なんじゃない?ズカズカ入ってくると領民を酷使して館を築き、その周辺を自領化してったんでしょ?
45日本@名無史さん:2001/07/02(月) 10:39
二者択一の問題じゃないだろ。
46田中清玄研究家:2001/07/02(月) 20:00
大西巨人「神聖喜劇」の中で武士道の二つの側面を論じて
近世随筆の中からそれについての言及をたくさん引用して
ましたなあ。(やあい、読んでないだろ…自慢)「武士道
は犬とも言え畜生とも言え」っていう面の言及自体は昔か
らあったと思いますが。折口信夫の「ごろつきの話」なん
てのもそのバリエーションだし。ちなみに伝奇小説好きの
私には高橋昌明先生の殺し屋武士イメージがカッチョよく
て大好き。野口実先生のジェノサイドな義家像はバイオレ
ンスもののテイストかな。
47日本@名無史さん:2001/07/02(月) 20:06
八幡太郎は恐ろしや
ですね。前九年・後三年の役はひどいですね。
48田中清玄研究家:2001/07/03(火) 11:26
八幡太郎はぜひ、昔の…最初のバイオレンス・ジャック描いてた
ころの永井豪先生に描いてもらいたかった…スレ違いになりそう
なので、とってつけたように、川合康先生の治承・寿永内乱史研
究が具体的な合戦のバトル方法の分析からずれちゃったのが残念
でーす!
49日本@名無史さん:2001/07/03(火) 12:28
結局、都落ちした源氏が飼っていたごろつきどもが武士の起源なんだろ。
50日本@名無史さん:2001/07/03(火) 13:55
バカものどもよ、つまらぬ話はもうやめよ。
もう少し建設的にね。
51田中清玄研究家:2001/07/03(火) 14:14
↑てめえの無知をたなにあげて
「バカもの」よばわりのクソ。
ウザイんだよ。建設的にしたけりゃ
てめえでまず学んでこいや。
52田中清玄研究家:2001/07/03(火) 14:21
↑すいません、私自身暴力的なもんで
暴力的な武士大好きなんです。
武士の非暴力化絶対反対ーィ!
53日本@名無史さん:2001/07/03(火) 14:26
↑ばか発見
54日本@名無史さん:2001/07/03(火) 14:40
今さら遅いツッコミかもしれんけど、
「職業的殺し屋」って表現変じゃない?
だって殺し屋って職業でしょ?
そう言うなら
「階級的殺し屋」と言ったほうがしっくりこない?
55えーちゃん:2001/07/03(火) 15:43
武士=軍人。侍=公務員、サラリーマン。
浪人=懲戒免職された公務員、リストラされたサラリーマン。じゃないの?
56日本@名無史さん:2001/07/03(火) 15:49
軍人も公務員だぞ?
57日本@名無史さん:2001/07/03(火) 17:46
職業的殺し屋というのは武士発生から中世前期ぐらいの話だよ。
58日本@名無史さん:2001/07/03(火) 18:23
まあ合法的殺し屋が世界中どこでも一番偉いのよ。歴史を通じてね。
59田中清玄研究家:2001/07/03(火) 18:29
軍人、機動隊、警察官、警備員、殺し屋…
どれでもいいけど、公務員だけは勘弁!
60日本@名無史さん:2001/07/03(火) 19:24
だから都落ちした不良貴族が抱えこんでいた用心棒だろ。
61日本@名無史さん:2001/07/03(火) 19:50
>>59
藩士、幕臣は、公務員でしょう。
出世や生活基盤の確保が大事、でも生産はしない。
公務をとりしきる官僚。
62田中清玄研究家:2001/07/04(水) 06:11
「公務員」っていうのと「殺し屋」っていうのと
どっちが武士を侮辱してるんだろう…。
63日本@名無史さん:2001/07/04(水) 10:26
だから、殺し屋じゃなくて用心棒って言えばいいんだよ
64日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:51
私兵
65日本@名無史さん:2001/07/04(水) 13:12
>一部のサヨ系日本史学者の間で、「武士=職業的殺し屋」説てのが唱えられています。

ソースも出さず妄想を書き連ねるコヴァ(ワラ
そんなのはコヴァの脳内サヨク
66田中清玄研究家:2001/07/05(木) 19:38
>>63 「用心棒」っていうと世界中の人が故ミフネ
を思いうかべるが、あれは「リオ・ブラボー」あた
りの西部劇イメージ。もっとも蝦夷をインディアン
に見立て、アテルイ対田村麻呂を開拓地舞台の西部
劇風に描いた小説もあった。
67日本@名無史さん:2001/07/05(木) 20:20
「天皇=職業的ドキュソ」って説はどうよ?
68日本@名無史さん:2001/07/05(木) 20:39
>>59
おいおい、機動隊、警察官、警備員は殺したらいかんだろ。
69日本@名無史さん:2001/07/05(木) 20:42
>>66
五稜郭陥落直後の北海道を舞台にした和製西部劇もある。
共和国残党=南軍残党
新政府軍=騎兵隊
アイヌ=インディアン
屯田兵=開拓者
70日本@名無史さん:2001/07/05(木) 23:45
>>65
ソースも何も、ちょっと大きい本屋の中世史コーナーに行けば
>>1で言うような本はいっぱい置いてありますよ。
中世に興味ある人なら誰でも知っている話。
それとも「サヨ」と書かれたのが気に入らなかったのですか?
71日本@名無史さん:2001/07/06(金) 14:27
武芸をこととする職能民でもあり領主でもあるだろ。
72日本@名無史さん:2001/07/06(金) 14:36
職能民の概念が広いからねえ、中世は。
両面あるわけよ。
大体、「職(しき)」ってのは土地等に関する収入を伴う権利(ちょっと自己流の解釈だけど)な訳でしょ?
当時は商人も職工民も基本的には供御人として、どっかに「職」を持って固定収入にしていたりする訳だし。
武芸をもって奉仕する職能民が、院、天皇、摂関、寺社等に奉仕する過程で、その給料がわりとして、どっかの土地からのアガリの一定割合を取る権利が与えられる。
それは、領主としての側面を持つのでは?
元々領主なんていっても、当時、今のような所有権概念はなかったんだし、本家が院で領家が大臣家で、その荘司として武士がいたりするんだから。
73日本@名無史さん:2001/07/06(金) 14:37
>>71
かぶった。スマソ。
74日本@名無史さん:2001/07/06(金) 14:46
武芸をこととする職能民でもあり領主でもあるってことなんだけど
ドキュン学者が自分の思い入れで
鎌倉武士を公家(封建貴族)に対して立ち上がった国民として美化したり
破壊的な殺人集団や暴力団として貶めたり、要するにヒッキーな自慰行為をしているだけだ。
倫理的なことをいえば、武士だろうがなんだろうが、いい面もわるい面もあるってそれだけ。
75田中清玄研究家:2001/07/06(金) 15:42
破壊的・暴力的な殺人集団として
誉めよう、美化しよう!
76日本@名無史さん:2001/07/06(金) 18:04
武士=軍人だど思っていた漏れは逝ってよかですか?
77田中清玄研究家:2001/07/06(金) 21:52
エーッ、いいんじゃないの…
「殺して分捕る」のが戦争({神聖喜劇」)
なんだから…
78日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:10
ところで、ところで…
鎌倉時代あたりで、在地領主といわれる階層の人たちで、鎧・兜も
持っていなくて、弓も刀も持っていなくて、もちろんそれを扱うこ
ともできない、という人はいたのでしょうか?
戦国時代まで行けば、村落に居る領主というか豪族という層の人た
ちは、みな武具・甲冑を所持し、一定の軍役を負っていると思って
いますが。ここまで行けば武士=職能民とはいえませんよね。
ここで問題になっているのは、鎌倉以前の武士だとしたら、ちょっと
場違いかも知れませんが。
79田中清玄研究家:2001/07/07(土) 14:52
>>69 それ面白そうですな。作品名教えてください。
ちなみにアテルイ対田村麻呂は豊田有恒「陸奥の対決」
シリーズ。「企画はいいんだけどねえ…」風ですが、全部
は読んでないので断言できず。
あと、映画で「蝦夷館の対決」というのも面白かったス。
80日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:47
あくまでも、各国司・守護から武士と認められないと武士じゃないんだよ。武士だと戦があると国司や守護から動員がかかる。掛からないのは武士と認められていないこと。ただの武装集団。
81田中清玄研究家:2001/07/09(月) 09:43
法外な料金を要求するモグリの天才武士…
82日本@名無史さん:2001/07/09(月) 10:49
「あ、あんたが黒太郎か?頼みがある」
「言っておくが、俺は高いぜ」
83日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:37
御留護十三なんちゃってね
84日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:46
おとめ・ごじゅうさん?
85日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:42
国司・守護が、ある誰かを武士と認定するかどうかは、そいつが領地をもっているかどうかじゃないの?
でも公家侍とか、領地をもたない雇われ武士も、国司や守護から動員がかからないだけで
いちよう武士は武士なんでは?
86日本@名無史さん:2001/07/11(水) 17:30
それは郎党・所従と言って、武士階級の下に当たる。武士ではない。
87日本@名無史さん:2001/07/12(木) 15:39
>86
郎党だって武士だぜ。
88日本@名無史さん:2001/07/12(木) 15:39
>86
足軽だって武士だぜ。
89日本@名無史さん:2001/07/12(木) 19:21
だから、中世では守護や将軍から直接書状をもらって動員を掛けられるのが武士階級なんだぞ。
90日本@名無史さん:2001/07/12(木) 21:25
足軽は南北朝期に発生したもの。当時は武士ではない。雑兵である。明治維新の時も武士と認められずに卒族になった。もともと戦の時だけの臨時雇い。戦を求めて全国廻ったりした。藤木久の「雑兵たちの戦場」は面白いぞ。読む価値あり。
91日本@名無史さん:2001/07/13(金) 03:41
なるほど。たしかに百姓町人でも剣術の腕がたつキャラってのはありうるわけだし。
「武」とか「士」という当て字じたいに自立・自営の地主というニュアンスがあったのかな。
ただ、職能民として語る場合は、とくにその「起源」という視点からいう場合が多いと思うので、
「中世の武士=領主」というテーゼを保持したままでも、
「古代の武士=職能民」という側面が完全に否定されることはないと思われメ。
92日本@名無史さん:2001/07/15(日) 23:54
有料あげ
93日本@名無史さん:2001/07/16(月) 16:54
>91
>「武」とか「士」という当て字じたいに自立・自営の地主というニュアンスがあったのかな。

なにほざいてんの?
94日本@名無史さん:2001/07/16(月) 19:49
>なにほざいてんの?

たわごとほざいてるのッ!
95日本@名無史さん:2001/07/17(火) 15:05
やっぱり
96日本@名無史さん:2001/07/17(火) 18:37
優良レスが100まで続いたためし無し
97日本@名無史さん