1 :
コテ藩:
島津藩、毛利藩あるいは鹿児島藩、山口藩という言い方があります。
これは、主家名か城地名でどこの藩にも適用できます。
が、
薩摩藩、長州藩と普通言いますが、薩州藩や長門藩とはあまり言いません。
紀州藩と紀伊藩はどちらも使いますが、同じ御三家でも尾張藩という言い方は尾州藩よりはるかに一般的です。
加賀藩も同様です。
国持ち大名の藩名には何か慣例的な言い方がある様です。
こういった慣例はいつごろ固まったのでしょうか。
2 :
日本@名無史さん:2001/06/23(土) 23:52
尾州藩は結構つかうような・・・・
3 :
日本@名無史さん:2001/06/24(日) 00:16
スレの死まであと半日か・・・・
4 :
日本@名無史さん:2001/06/24(日) 00:26
そういえば、芸州藩というけど安芸藩なんて言わねえな
5 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:31
何々藩って呼ばれたのは明治以降なんだろう?
6 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:35
長州藩は萩藩とその分家が集まって集合体で長州藩
7 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:39
>長州藩は萩藩とその分家が集まって集合体で長州藩
だったら長州藩の表向きの石高が37万石というのはおかしいね。
萩藩だけで表向き37万石だったからね。
支藩も含めればもっとあった筈でしょ。
8 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:40
そういえばおかしいね。
9 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:43
いや、単に呼称が、って事でしょう。
10 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:54
>>5 何言いたいのかわからん。「(国名)藩」「(藩主)藩」どちら?
11 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 01:59
何々(藩主の苗字)家でしょ?
12 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:01
5
>>10 11氏が書いてるとおり。毛利家中とか島津家中と呼ばれていて、
長州藩だの薩摩藩だのとは呼ばれなかったわけでしょう?
13 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:03
正式には藩の所在地で呼ぶんでしょ。
長州藩は萩藩、薩摩藩は鹿児島藩、尾張藩は名古屋藩っていう風に。
14 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:06
いや、江戸時代には「藩」って呼称自体がほとんど使われなかった
んでしょう?
15 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:09
公式にはね。
16 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:17
え?むしろ非公式の場でこそ、○○家中としか呼ばれなかったんじゃないのか?
17 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:21
でなぜ長門じゃなくて長州なの?
18 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:24
長門藩より言いやすいじゃん
19 :
キチガイ:2001/06/25(月) 02:33
マジ
藩名は幕末に決められたのでこれが正しいというのはない。
20 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:33
言いやすいってあんた・・・
21 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 18:14
どれが正解なんだ?詳しい人いないの?
22 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 18:58
藩名は領主が居住する城または陣屋のあった地名で呼ぶのが正式。
だから、松前藩と言うのは間違いで、正しくは福山藩(明治元年から館藩)。
南部藩→盛岡藩、伊達藩→仙台藩、相馬藩→中村藩が正しい。
ただし、久保田藩は明治4年に正式に秋田藩と改称している。
23 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 19:05
毛利家が藩庁を萩から山口に移したのは慶応元年だが、
正式に山口への移転を届け出たのは明治2年なので、
この間も引き続き萩藩と言うべきだが、山口藩と呼ぶ例が多く、
もっと大雑把に長州藩と呼ぶ方が普通。
幕府による遠征も「長州征伐」だし、正式と一般には違いがある。
24 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 19:29
結論
藩という呼称が定着したのは明治以降。
知藩事がおかれた時点で決定された。
江戸時代は藩という呼称は新井白石が称したが一般的ではなく、
普通は何々家、何々家中と呼んだ。
25 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 22:45
>24
本当にこれが結論なのか?
26 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 22:53
じゃあさ、江戸屋敷とかの表札にはなんて書いてあったの?
時代劇では何々藩上屋敷とかだけど・・・
27 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 22:59
あのねえ、表札なんて時代劇の中にしかないんだよ。
28 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 23:00
>>25 本当だ。
忠臣蔵の頃、藩主や藩という言い方はしていない。
その翌年に新井白石が「藩翰譜」で初めて用いるのだ。が、藩というのが公称で用いられるのは大政奉還のあと。
どちらかというと、なぜ家中のままで、藩が用いられなかったのか、のほうに興味があるが、
慣習だったといわれれば、まあそうだろうな、と納得できる。
29 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 23:02
>>26 何も書いていない。
地図だけが頼りだ。
南町奉行所もない。
時代考証家のうちの何人かは、看板ではなくテロップにしろ! とずいぶん意気込んでいたが果たせなかったようだ。
30 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 07:53
地図がたよりって言っても、その地図のランドマークにも表札も何にも無いんじゃ
まじなんだか分からんね。
31 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 07:56
>>24 何々家じゃなく何々領だろ。(氏でなく本拠地の郷名でいう)
32 :
名無しさん:2001/06/26(火) 09:52
>>17-18
同様の例
紀伊藩→紀州藩
安芸藩→芸州藩
因幡藩→因州藩
33 :
>>1:2001/06/26(火) 11:50
島津藩とか伊達藩とかいうか?それでは、鹿児島と佐土原の島津、
仙台と宇和島の伊達(もっとたくさんあるし)をどうやって区別
するの?それどころか、松平なんてゴロゴロいて、区別できない
でしょ。官職名でもつけてたの?上にもあるが名字と官職をつけて
から家中でしょ。
34 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 11:56
24、27、28、29、33の言うとおり。
31も間違ってはいない。領土のことはそういう。
でもいわゆる「藩政府」のことは「家中」。
>>30 地図には家紋、名字、官職名が付いていたし、近所に行ってその辺の誰かに聞けば分かる仕組みになっていた。
35 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 15:14
>33
佐土原と宇和島は島津家と伊達家だけど、
鹿児島の島津家と仙台の伊達家は松平家だよ。
36 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 17:02
>近所に行ってその辺の誰かに聞けば分かる仕組みになっていた。
でも大名屋敷街みたいなところに、その「誰か」適当な人っていたのだろうか?
道案内してくれるような人。
37 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 17:44
辻番はいるね。
38 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 18:49
>36
切絵図があるじゃん。
39 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 20:03
切りえずって何?
江戸初期には、武士は大名個人の家臣であるという考えで通っていたので、○○家中という言い方をしていたが、時代が下ってくるにつれて、藩は大名の所有物ではなく、法人のようなものであるという考えが浸透し、幕末ごろには武士自身も「○○藩士の某でござる」と名乗るようになっていたそうな。
ばい司馬史観。
41 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 22:02
司馬か……せめて小説でも随筆でもタイトルは書いておいてくれ。
42 :
40:2001/06/26(火) 23:27
>>41 スマソ。
多分「世に棲む日々」か「この国のかたち」のどっちかかどっちもにあるかと。
つうか、おそらく司馬と井沢はソース明確にせんでもいいと思う。どの本でも同じ事しか言ってないし。
43 :
33だが:2001/06/26(火) 23:34
>>35 確かに松平姓をもらっていたね。では島津や伊達、浅野の
分家の大名などは家名だけでは区別がつかずに、ついでの本家の
本姓(ここでの姓は氏の方)とも区別が付かないよ。とします。
44 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 13:36
>39
武鑑のように市販されていた地図。
家割などがわかる。江戸の町を各町ごとに地図にしたもの。
大名・旗本の屋敷が当主の名とともにわかる。
尾張屋などが有名。
45 :
31:2001/06/27(水) 13:55
島津藩とか薩摩藩とかいうのはすべて誤り。正しくは「鹿児島領」だyo!
46 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 14:11
>45
現在はOK
47 :
33だが:2001/06/27(水) 16:01
>>46 でもまともな本で島津藩と書いてあるものあるか?
薩摩藩とか鹿児島藩は明治のことがあるのでいいと思う
けど。国持ち大名なら国名で判るから薩州鹿児島藩を
薩摩藩でよいと思う。でも、池田家は国持ち大名家が2つ
あるから池田藩では現在でもどっちか判らないよね。
だから島津藩とか伊達藩とか書いてある時代小説は書いて
いる作家があまりにもひどい。
48 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 16:29
>>47 そう。
資料をあさっていれば、わりに早い段階で気がつくことなんだけどな。
架空戦国ものなんかもかなり怪しい。最近苦笑したのは、信長が藤吉郎に「伊達ではないな」と賞賛した、というもの。
そのくせ、密偵の呼び名にはやたらとこだわったりして、奇妙也奇妙也。
49 :
33だが:2001/06/27(水) 17:41
>>47 伊達政宗よりも前から、「伊達者」という言葉が
存在したとNHKの「伊達政宗」のオープニングの解説で
いっていた記憶があるが。
50 :
名無しさん:2001/06/27(水) 18:33
>>49 東北における伊達家の存在感は、政宗以前から格別だったからね。
51 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 19:36
>だから島津藩とか伊達藩とか書いてある時代小説は書いて
いる作家があまりにもひどい。
薩摩藩・鹿児島藩はいいの?
島津家中・島津嶺が正解じゃなかったのか?
52 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 19:37
嶺ではなく領ね
53 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 19:41
>47
でも薩摩藩も島津藩も正式な名ではないからどっちもどっち。
>>44 松平○○○(官途名)殿御家中、みたいに主君の官途名で区別が付く、はず。
官途のない(元服以前の)大名なら幼名だが。
55 :
54:2001/06/28(木) 01:40
56 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 11:15
伊達者の語源は、正宗じゃないのか……
57 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 12:33
>>56 政宗だよ。
ハデ好きでいつも目立ってたから、
派手→色鮮やかなもの→変わったもの→粋なもの→カッコイイ
これが全部伊達者って意味でしょ。
伊達巻(卵焼きの)も伊達がかんでるらしいし。
58 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 18:01
>57
独眼竜の方じゃない。
59 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:44
60 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 00:19
同姓の人間の官名は絶対ダブらないようになってたの?
幕閣の上層部の官名とダブると遠慮して改名したという話はきくが・・・。
61 :
薩摩人:2001/06/30(土) 00:53
鹿児島藩などと言うか!ぼけなすのあんぽんたん。
62 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 10:50
フィーリングで喋ってはいけませんね、なあおいどん君?
63 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 14:10
薩摩人は薩摩スレ以外には書き込まないでくれよ。スレが荒れるから。
どうしても書き込みたいなら、名無しで挑発的な態度はやめて書け。
あんたに迷惑してる人間は多いと思うぞ。
>>61 落ち着けよ。維新後に正式に「鹿児島藩」となっただろ?
本当に薩摩の人間なのか?
薩摩人を騙って薩摩のイメージを悪くしようという魂胆かもな
66 :
それより:2001/06/30(土) 19:22
琉球王国→琉球藩→沖縄県
って、王国名を明治以降に急いで江戸時代の藩称に変えて、
廃藩置県につなげたんですか。鹿児島県の一郡にするのは駄
目だったのか?
67 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 19:39
>>7 >だったら長州藩の表向きの石高が37万石というのはおかしいね。
>萩藩だけで表向き37万石だったからね。
>支藩も含めればもっとあった筈でしょ。
それは間違い。毛利家の場合は、防長2ヶ国37万石を毛利宗家が受領し、支藩の石高は宗家の内から出したもの。
だから初代秀就が幕府から賦役を課せられたときに長府支藩の秀元や、徳山支藩の就隆に
「防長2ヶ国37万石に対する賦役だから、支藩も人と金を出せ。」と言ったのだが、支藩主はみんな
「宗家に対して行われた賦役だから俺たちは関係ない。」と言い返し、喧嘩になった。
まあ裏高は1610年で54万石、1625年に66万石あったわけだが、6ヶ国返租で財政はきつかった。
68 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 19:39
「藩」「県」の語源というか、
この名称はどこから持ってきたの?
やっぱ大陸からかな。
69 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 19:47
「藩」は「藩屏」から。「皇室の藩屏」など。
「県」はCHINAの行政区分だがあちらでは「県」は「郡」の下位にある。「○○郡○○県」
70 :
68:2001/06/30(土) 21:39
>>69 どもです。なるほど「藩屏」ですか。神社とかにありますね。
「県」はやはり大陸からですか。
71 :
1:2001/06/30(土) 23:06
>33
いまさらですが・・・・。
よく目にします。時代劇でも言っていることが多々あります。
遅レスすま。
72 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 09:44
鹿児島藩、萩藩の内なのに、大隅と周防って、薩摩と長州に隠れて影が薄い感じですね。
73 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 10:31
>>68 国も州も郡も使ってるから紛らわしいだろ。県っていうしかないじゃん。
74 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 14:37
旧国名を残してもよかったのにね。
うちに昭和の初め頃の郵便が残っていて、
宛名が「○○国○○町」って旧国名で書いてあるのがある。
75 :
日本@名無史さん:2001/07/03(火) 12:33
>74
今でもその宛名でなんとか届きますよ
「武蔵國文京区どこそこ」とか
76 :
>75:2001/07/03(火) 17:59
郵便屋さんは内心むかついていると思われ。
77 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 00:33
>>72 山口ではわりと昔から「防長」(周防と長門)という
言葉は流布しているよね。
つーか、いま一発で「防長」と変換できた(w
78 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 00:56
>>77 「防長バス」ってあるよね。広島でも「芸備」ってよく言われて、「芸備バス」もある。
79 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 00:58
>>77 だね。長州藩の幕末正史のタイトルは『防長回天史』だしね。
80 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 00:21
薩摩藩の幕末正史ってあるんですか?
81 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 00:24
>>80 『島津久光公実記』じゃないかな、一応。
薩摩人が詳しいんじゃないか?
82 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 00:28
>>77 武蔵と相模を合わせて「武相」って云い方もしますね。
83 :
>78:2001/07/05(木) 02:20
吉備の国→備前・備中・備後で、のちに備前→備前・美作
ですよね。で、明治以降に
備前・美作・備中→岡山県
備後+安芸→広島県
ですが広島は広島としてまとまっていて、備後の人は岡山にあまり馴染みはないのでしょうか。
84 :
日本@名無史さん:2001/07/06(金) 19:35
豊臣藩
85 :
二国合わせシリーズ:2001/07/07(土) 01:14
>武蔵と相模を合わせて「武相」って云い方もしますね。
下総と武蔵で「総武」ですか?
86 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:20
>85
「総武」って言い方は昔はあまりしなかったんじゃないかな。
今はJRの総武線があるので「総武」はよく使うけどね。
やっぱり下総と武蔵の間には隅田川(荒川)や江戸川が流れていて、
地形的に一体感に乏しかったからではないかな。
それに対して、武蔵の相模の間には高い山や大河などの地形的に目立つものがなかったので、
両国を合わせて「武相」ってしばしば言ったんじゃないかな。
87 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:22
>>81 どこから出版されているのかな?>『島津久光公実記』
88 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:22
陸奥+出羽=奥羽
旧国名をくっつけた中で、一番でかい地域名か?
89 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 02:24
島津久光公実記 全3巻 東京大学出版会
90 :
87:2001/07/07(土) 02:30
>>89 どうもありがとう。図書館で探してみるよ。
91 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 04:34
藩
92 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 11:13
領
93 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 22:00
奥羽、常磐、甲信、房総、総武、濃尾、三丹、芸備、防長、筑豊って明治以後の言い方ですか?
他にも二つ三つくっつけたのあったかなあ?
94 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 22:02
>86
それに対して、武蔵の相模の間には高い山や大河などの地形的に目立つものがなかったので、
境目は多摩川ですか?
95 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 22:40
多摩川のもっと西に境川ってのがあります。
それが武相国境です。
96 :
日本@名無史さん:2001/07/07(土) 22:50
突然ですみません。
斗南藩の語源となった「北斗以南皆帝州・・・・」という漢詩について
どなたかご存知でしたら教えて下さい。
いくら探しても見つからないもので・・・・m(_ _)m
97 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 02:52
東京都町田市と神奈川県横浜市(瀬谷区・泉区・戸塚区・栄区をのぞく)
までが武蔵だと思えばいいよ。
98 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 02:59
唐のテキ(荻からクサカンムリを取った字)仁傑という人の
詩だというが、手元に「全唐詩」がないので確認できない。
99 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:16
>>93 旧国鉄の線名(現在も残ってるが)にやたらあったよな。
例えば九州だったら、
豊肥線(豊後−肥後間)とか、肥薩線(肥後−薩摩間)とか。
100 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 16:27
例えば四国だったら、
予讃線(伊予−讃岐)とか、土讃線(土佐−讃岐)とか、
予土線(伊予−土佐)とか。
少し気になるのは、2つの旧国名をくっつけるときの順序。
語呂のいいほうを選んだの?
101 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 19:15
>100
四国は伊予=予州、讃岐=讃州、土佐=土州なのでそれからでは。
102 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 19:16
あ、順序ってなぜ予讃であって、讃予でないかって意味ですか?
103 :
名無し:2001/07/08(日) 19:18
104 :
100:2001/07/08(日) 22:34
105 :
栃木群馬:2001/07/08(日) 22:47
特殊な例に両毛があります。
106 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:21
105>>
群馬(下野)の古い呼び方が上毛で、
栃木(下野)の古い呼び方が下毛ですよね。
上毛の「上」と下毛の「毛」で「上毛」でも
下毛の「下」と上毛の「毛」で「下毛」でも
まずいので「両毛」とか?
107 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:34
古い呼び方は「上つ毛野」「下つ毛野」だろ。
108 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 03:30
やっぱり、同じ旧国内の旧藩領って、なんとなく対抗意識があるのでしょうか?
会津と二本松とか。前橋と高崎とか。
109 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 06:30
>>107 これの略称が群馬が上州で栃木が野州ってのもよくわからんな
やっぱ下州じゃ字面がよくないせいかねえ
110 :
米一俵:2001/07/09(月) 07:08
戦前まで、有能な人物は旧大藩から出ている例が多いですよね。
特に政界、官界以外の学会、軍人。
やはり、藩校以来の教育機関がしっかりしていた為でしょうか。
111 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 07:15
旧制高校は意識的に旧大藩においたがです。
112 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 09:47
嗚呼 学閥の始り……
113 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 13:28
> 栃木が野州ってのもよくわからんな
やっぱ下州じゃ字面がよくないせいかねえ
読みも、げしゅう、しもしゅう、かしゅう
どれも印象良くないですね。
渡辺ミッチーやガッツ石松を産んだ昔から上品な土地柄ですし。
114 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 14:00
上総は上州?総州?
下総は下州?総州?
115 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 15:24
陳儀子藩
116 :
>114:2001/07/09(月) 17:16
共に総州。
言いわける時は南総、北総。
安房も上総から分かれたので、南総の一部です。房州とも言います。
117 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 17:31
越後は?
越中は?
越前は?
備前は?
備中は?
備後は?
筑前は?
筑後は?
豊前は?
豊後は?
肥前は?
肥後は?
118 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 17:47
まとめて越州、備州、筑州、豊州、肥州だよ
119 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 17:53
120 :
日本@名無史さん:2001/07/10(火) 16:04
>118
まとめてって、あんた・・・。
121 :
日本@名無史さん:2001/07/12(木) 09:13
肥前藩って佐賀藩のことですか?
122 :
日本@名無史さん:2001/07/12(木) 10:22
124 :
日本@名無史さん:2001/07/12(木) 15:07
>123
>まとめるしかないだろ
じゃあ何で上州と野州は分けたんだよ。
125 :
日本@名無史さん:2001/07/13(金) 14:40
>じゃあ何で上州と野州は分けたんだよ。
そもそも上下と前(中)後で、何か分け方に違いがあるのかしら?
東山道、東海道だけ上下か?
126 :
日本@名無史さん:2001/07/14(土) 06:37
>>124 語感じゃないかな
漢文や漢語混じりの文を書くときに越前や肥後とかだったら
違和感ないでしょ。上州の場合、正式には上野(こうずけ)だ
からね。漢詩書くときにこんな和語いれたくないよな。
で、おなじ和語の上総(かずさ)下総(しもうさ) は南総、北総
と読んだということじゃないか。
127 :
日本@名無史さん:2001/07/14(土) 11:03
>126
124の書いた文をよく読んでみ
128 :
126:2001/07/15(日) 06:29
>>127 いやだからさ文脈で判る場合は越州で、区別する場合はそのまま
越後で十分だということなんだが
上野(こうずけ)は和語だから、そのままじゃ漢文ではつかえないから
上州といういいかたが普及したんじゃないかということなんだが。
でその結果、上州と野州だけ区別しているような事になったと。群馬
だけ上州と野州の二つの言い方があるのも変だからね。
同じ和語の上総、下総が南総、北総なのは房総半島という地理的に
一体性の強い地域を別けた国だからだろうな。
129 :
日本@名無史さん:2001/07/15(日) 11:17
越の国を前中後に分けたのはいつですか。大宝律令の時?
130 :
日本@名無史さん:2001/07/15(日) 17:22
>126
その論法でいくと、訓読みの地名は全て漢詩漢文に入れられない事になるよね。
ホントにそうかあ??
131 :
日本@名無史さん:2001/07/15(日) 17:34
○州といふいひかたはただの略称であります
132 :
真相はかうだ!:2001/07/15(日) 17:40
奈良時代になると国名は漢字2字で表記するように統一されます。上毛野国と下毛野国はそれぞれ「上野国」と「下野国」に名称が変わります。こ
の時公式に「毛の国」がなくなります。読みは「かみつけ・しもつけ」だったのかと想像しますが、平安時代には京都風の音便で「こうずけ」と発音
されるようになり後世にいたります。江戸時代になってからの略称はおなじみの「上州・野州」です。「上毛」の呼称は群馬県を指しますが、使われ
るようになったのは明治以降でしょうか。王政復古の気分の影響があるのかもしれません。栃木県のことは「下毛」とは言いません。しかし上毛があ
るから群馬・栃木両県を両毛と言うようになったのでしょう。根拠となる資料はありませんが、両毛鉄道(現JR両毛線)の敷設がこの呼称の普及に
寄与したといえるのではないでしょうか。今では両毛地区は漠然とした両毛線沿線ではなく、桐生市・太田市・館林市・山田郡・新田郡・邑楽郡(群
馬県)と足利市・佐野市・安蘇郡(栃木県)を指すれっきとした地名になりました。(「共育つうしん」54号、2000年10月掲載)
133 :
日本@名無史さん:2001/07/15(日) 17:48
つまり江戸時代になつてから上州野州といひはじめたのであります
漢詩漢文に使へぬからうんぬんかんぬんといふなら
もつと昔の奈良朝以前のころからのおはなしでないと変なのであります
134 :
131:2001/07/15(日) 17:55
旧陸軍で使われた「何々であります」って、長州弁だって本当ですか
と自分でしつこくいつといて今更伺うのも変なのですが、お尋ねしたいのであります
135 :
日本@名無史さん:2001/07/15(日) 18:00
大洲は「御花藩」であります。
そうです、陸軍の言葉は萩弁が主流であります。
宮中の言葉は、戦時中まで京都弁であらしゃりました。
じゃどん、なして海軍の言葉ば、薩摩ん言葉にならかったんか言うと、
ごく早いころに山本さあが一種の隼人パージばやりんしゃって、
海軍語がかごっまの言葉にならんかったんでごわんど。
まっこと肝のふとか山本さあのおかげでん、標準語ばいまん言葉に
なりもした。
136 :
日本@名無史さん:2001/07/15(日) 21:31
木曽地域って、美濃→信濃に移ったってホント?
137 :
日本@名無史さん:2001/07/15(日) 22:16
134>>
俺は山口県出身ですが、確かに年寄りは使ってた。(萩弁かどうかは知らん)
例えば、
今日はえろう暑うありますのんた。(=今日はたいへん暑いですね)
138 :
131:2001/07/16(月) 04:26
135さん137さんどうもであります
やはり陸軍創設に長州関係者が多いですからね
海援隊は土州弁で話してたのか気になるぜよ
139 :
日本@名無史さん:2001/07/17(火) 11:17
>137
のんた
って、のほほんっとしていてなんか良いですねであります。
140 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 07:58
金田一博士の研究では、同じ旧国内でも藩が違うと方言の言い回しが微妙に異なるそうです。
距離的に遠くても同じ藩内の村と村は似ており、小川一本へだてた隣村でも領主が違うとちょっと差が出て来るらしいです。
みなさんの周りにそんな実例はありますか?
141 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 19:26
隣接する山口県岩国市と広島県大竹市は山口弁・広島弁と完全に違う。
どちらも県境で160kmもはなれた岩国市と下関市は同じ山口弁。
142 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 21:28
関東の方言って、どんなの?
143 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 22:26
周防国っていつも歴史上で長門の陰に隠れているな。
かわいそう。
144 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 22:41
145 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 22:42
146 :
日本@名無史さん:2001/07/25(水) 06:07
周防国っていつも歴史上で長門の陰に隠れているな。
かわいそう。
大隅国っていつも歴史上で薩摩の陰に隠れているな。
かわいそう。
石見国っていつも歴史上で出雲の陰に隠れているな。
かわいそう。
志摩国っていつも歴史上で伊勢の陰に隠れているな。
かわいそう。
147 :
日本@名無史さん:2001/07/25(水) 06:12
能登国っていつも歴史上で加賀の陰に隠れているな。
かわいそう。
遠江国っていつも歴史上で駿河・三河の陰に隠れているな。
かわいそう。
韓国っていつも歴史上で日本の陰に隠れているな。
かわいそう。
148 :
日本@名無史さん:2001/07/25(水) 06:48
だっちゃ、ってどこの方言だっちゃ?
149 :
>:2001/07/25(水) 09:21
ラムちゃんの星の方言じゃないの
リンかけの菊姉もつかってた。。。
150 :
日本@名無史さん:2001/07/25(水) 11:08
151 :
日本@名無史さん:2001/07/26(木) 20:38
>>150 うそうぉー??まじですか。
仙台じゃん???
152 :
日本@名無史さん:2001/07/26(木) 20:44
>151
新潟って言ってるけど。
153 :
ハーハーハッハー:2001/07/26(木) 20:47
>>151 だから、高橋留美子は新潟型出身だっちゃ。
154 :
日本@名無史さん:2001/07/27(金) 22:37
山口の歌(山口きらら博テーマソングもどき) 作詞:小林亜☆
周防人「僕の名前はすぉうぼう→小坊」
長門人「僕の名前はちょうぼう→中坊」
二人合わせてドキュソ坊だ
君とボクとでドキュソ坊だ
巌流島もみなドキュソ 壇ノ浦もみなドキュソ
高杉晋作 人間ポンプ みんなあわせてみなドキュソ
大内の変から 小五郎逐電まで
(歴史を)動かす力だ ドキュソ山口
155 :
日本@名無史さん:2001/07/28(土) 09:07
154さんは、会津/斗南出身の方ですか?
156 :
日本@名無史さん:2001/07/28(土) 09:54
>>154 わかった ヤンボーマーボーのパクリか?
それはそうと人間ポンプって何よ?
157 :
日本@名無史さん:2001/08/01(水) 19:18
>>154 全部長門国の出来事じゃん
周防は関係ないがな
158 :
日本@名無史さん:2001/08/04(土) 13:49
八ツ墓村って、岡山県の内の美作国にあるんですか??
159 :
日本@名無史さん:2001/08/22(水) 03:02
ん?実在するの?
160 :
日本@名無史さん:01/08/27 12:50 ID:u/v.h4Ig
勿論、八ツ墓村は小説ですが、なんかモデルになった事件は昭和の初め頃に
あったんですよね。津山三十何人殺しとかいう・・・・。
161 :
日本@名無史さん:01/09/08 14:06
膳所藩ってなんて読む?
162 :
日本@名無史さん:01/09/08 14:08
ぜぜ
163 :
日本@名無史さん:01/09/24 00:04
zeze
164 :
日本@名無史さん:01/09/24 00:28
「藩名」という呼び方の場合は、殿様の苗字で呼ぶのは間違い。
土地の名前で呼ぶ。薩摩藩・桑名藩など。
しかし、江戸時代の実際の言い方は「何々藩士」ではなく「何々家中」。
このへんガイシュツだよね。
んで、「廃藩置県」とはいうけれど、今の県の枠組みがそのまま旧藩
かというとそうではないし、また、延喜式に定める国名とも必ずしも
一致しないんだ。勘違いしないでね。
一般に「国」より「藩」の方が小さいね。同等はあっても逆はない。
「県」は明治期に再編して減らしたので「国」規模だけど、必ずしも
一致しない。3つの「国」で1つの「県」だったり、1つの「国」が
2つの「県」に分かれていたり、その両方だったり。
ま、そういうことだねー。
165 :
日本@名無史さん:01/09/24 00:29
延喜式に定める国と県が綺麗に一致しているのは四国ぐらいじゃないかなあ。
166 :
日本@名無史さん:01/09/24 01:09
>>137 懐かしいなその長州弁
昔、NHKで「国語元年」というドラマをやっていて主人公(川谷拓三)は正に
そういう風に話していた
167 :
日本@名無史さん:01/09/24 13:50
>>164 徳川時代の人々が、「藩」という言い方をしなかったのはよく分かります。
一般的に用いられるようになったのは、正確にはいつ頃からなのでしょうか。
「藩」に違和感を覚えるのは、蕃書調所・左京諸蕃のごとくに、外国や異民族
を示す用例が多い文字を、諸大名の所領の呼称として用いるだろうかという点です。
同時代の清朝では、外藩という制度が存在していましたし、その影響でしょうか。
インドなどでも、ムガール藩王国という言い方をしたりしますね。
168 :
日本@名無史さん:01/10/01 04:40
>>164 |一般に「国」より「藩」の方が小さいね。同等はあっても逆はない。
逆なんかあるだろ。鹿児島藩→薩摩、大隈の二カ国と日向の一群
萩藩→長門、周防二カ国。
他にもまだあるだろ。
169 :
日本@名無史さん:01/10/10 20:32
まあ、「一般に」ていうのならば分かるが、「逆はない」って断言するのはね
170 :
日本@名無史さん:01/10/28 15:30
ん?
171 :
日本@名無史さん:01/10/28 23:21
>140
大阪でも地域によって微妙にイントネイションが違うように思います。
泉州の言葉は和歌山弁に近いですし、河内の人は吉野言葉も使います。
北摂では、語尾に「し」をつけたり京都弁ににてるような気がします。
もちろん皆がそうとはかぎりませんが。それから、前々から思っているん
ですけど、和歌山弁と土佐弁て何となく似てません?
172 :
日本@名無史さん:01/11/05 00:54
>土地の名前で呼ぶ。薩摩藩・桑名藩など。
そういう名称自体がほとんど使われなかったって話じゃなかったのか?
173 :
日本@名無史さん:01/11/11 02:13
sou
174 :
日本@名無史さん:01/11/12 15:40
s
175 :
日本@名無史さん:01/11/25 14:23
薩摩琉球藩
176 :
日本@名無史さん:01/11/29 03:46
樺太藩
台湾藩
朝鮮藩
支那藩
177 :
日本@名無史さん:01/12/02 13:40
隅田川以東の現東京都って下総国だったの?
178 :
日本@名無史さん:01/12/02 13:51
>177
で、武蔵、下総の両国にかかる橋が「両国橋」。
179 :
日本@名無史さん:01/12/02 13:55
ちなみに本当の両国はいまは「東日本橋」というふうに
地名を改悪されている。国技館のある方、つまり今の両国は
昔は「東両国」と呼んでいた。
180 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:01/12/02 13:55
武蔵国に編入されたのは江戸中期?
181 :
日本@名無史さん:01/12/11 03:40
なんとしても家中とよばないとだめということなのか?
182 :
日本@名無史さん:01/12/15 21:13
というか「藩」なんて呼称は「E電」とかと同じぐらいマイナーだったと
いうことでは?
183 :
日本@名無史さん:01/12/18 05:59
それは鉄ヲタ的意見でしょう。
184 :
日本@名無史さん:02/01/02 16:03
いや歴史ヲタであって鉄ヲタではない。
185 :
日本@名無史さん:02/01/13 00:45
「藩」って言葉の初見はなにかね?
186 :
日本@名無史さん:02/02/03 02:46
そう藩ってだれが最初にいったの?
187 :
日本@名無史さん:02/02/03 03:14
南部の者です、外様に多いけど国替えもなく古くから
その土地を支配して徳川期に大名になった大名は氏姓名を藩名
として使っていました。
徳川後期に幕府の命令で地名を名乗るように、と言われて
南部藩も盛岡藩になりました。
幕府の気持ちとしては、古くから住んでから自分の土地だと
思うなよ、いつでも国替えできるぞ。という気持ちだと思います。
ちなみに藩名が明治からというのはどんな文献に拠るのだろう。
188 :
日本@名無史さん:02/02/03 07:18
>>153 「だっちゃ」は正確には佐渡ヶ島の方言だよ。
ちなみに石川・富山では「やちゃ」という。
189 :
日本@名無史さん:02/02/04 14:35
190 :
日本@名無史さん:02/02/17 16:40
191 :
日本@名無史さん:02/02/17 17:27
>藩という名称は意外や意外。かなり後になって使用されたそうですね。
192 :
日本@名無史さん:02/02/25 14:35
○○藩の○○にあたる部分は誰が考えたの?これも新井白石なのか?
193 :
日本@名無史さん:02/02/25 14:37
明治時代に定まった。
大隅国って何藩なの?
196 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:16
ダサツマ
197 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:22
江戸時代は、藩は通称。
198 :
日本@名無史さん:02/03/21 14:46
藩って居酒屋じゃないの?
199 :
日本@名無史さん:02/03/29 23:40
あれって居酒屋なのか?昼間もやってるよね?
200
201 :
日本@名無史さん:02/04/13 23:53
202 :
戸栗六之進:02/04/17 01:10
甲州にゃ藩が無い…(あったけど無くなった)
test
204 :
日本@名無史さん:02/04/27 21:57
205 :
日本@名無史さん:02/05/04 16:56
当時は家中名で呼び合っていたのだとすると、藩名を考えたのは
誰なわけ?
206 :
日本@名無史さん:02/05/04 18:06
>205
藩名を考えたのは、それぞれの藩のその時の重臣たちではないかと。
ただし、小倉藩・浜田藩(長州に占領され飛び地に避難していたため)掛
川藩・浜松藩など(徳川家が駿河・遠江へ移動し、房総半島へ転封したた
め)会津藩(下北半島に移されたため)というのは存在しないのだな。
また、仙台藩も普通言われている宮城・岩手県南どころか現在の宮城県よ
りも狭いものとなっている。
正式な藩名は新政府が考えたんだよ。
208 :
日本@名無史さん:02/05/09 23:06
ふ〜ん。なるほど
209 :
日本@名無史さん:02/05/19 14:53
「藩史事典」などを読むと、江戸時代に中絶した藩にも名前はついているけど
ああいう新政府が名前をつける必要性がない藩の名前は後世の学者がつけたの?
210 :
日本@名無史さん:02/05/19 14:58
藩名は明治になってから付けたとか言ってるDQNへ。
新井白石の「藩翰譜」をどう説明するつもりだ。
会津藩だってちゃんとあるぞ。
211 :
伊達遠江守家中:02/05/19 15:34
>209
概ね藩庁所在地名を用い、分知大名で本家の城下町の屋敷に住んでる者は
「○○新田」っていうように便宜上つけているかと。
だいたいこれでほとんどカバーできるはずだが、『藩史大事典』掘って来る
のが面倒なので、例外があったら書いておいてください。
>210
>28・>40・>69を読んでから書いた? この辺が正解。がいしゅつだわさ。
あなたがDQN。
212 :
日本@名無史さん:02/05/19 15:40
説明ですが、「藩」という漢字は「まがき」「さかい」「まもり」を意味し、
中国周代には地方を鎮めて王室の守りとなる諸侯、諸侯の国をいう
用語に転訛(広漢和大辞典)、藩屏、藩翰、藩補などと称しました。
江戸時代にはその先例によって将軍家と主従関係を結んだ大名を
諸侯といい、幕府として公称されたことはありませんが、儒者の間に
大名の領地や組織を指称して藩という習わしもあらわれ、江戸中期、
新井白石の『藩翰譜』があり、文化6年(1809)から編纂事業が進んだ
『徳川実紀』の中にも「藩」の用例は随所に散見します。公称用語と
なったのは、明治新政府が慶應4年(1868)閏4月21日に旧幕府領を
府県、旧大名の領国を藩と改められた時から、明治4年7月14日に
廃藩置県が行なわれた時までの期間のことです。
それ迄の公称は「国」や「家」でした。旗本の「知行所」に対して、
大名領は「領分」「領国」「分国」と呼ばれ、大名の家臣団は「家中」
と称しておりました。
213 :
日本@名無史さん:02/06/01 11:03
諸藩それ自体の政庁が残した文書の中に「藩」という言葉の用例は
認められているのでしょうか?
214 :
日本@名無史さん:02/06/06 12:06
明治以降はあるでしょ。
215 :
日本@名無史さん:02/06/22 18:23
明治以前でおながいします
216 :
日本@名無史さん:02/07/11 22:16
218 :
日本@名無史さん:02/07/27 20:40
219 :
日本@名無史さん:02/07/27 20:56
ざけんなゴラ
廃藩置県てしっとるけ!
地租改正を5文字以内で説明しる!>ファック
>>155
220 :
日本@名無史さん:02/08/11 17:47
あいうえお
221 :
日本@名無史さん:02/08/20 18:59
222 :
日本@名無史さん: