1 :
ahoo! JAPAN:
家康は世良田元信と言える勇気を持とう。
(どうして家康は隠居後、岡崎に住まず幼少のころ人質として嫌な思いした駿府にわざわざ城を構え、そこでのんびりと暮らしたのだろうか?)
{静岡出身の江田松本坊の息子某と家康はすりかわっ他のだろうか?}
『松平親氏は自分の父江田松本坊のこと?』
2 :
日本@名無史さん:2001/06/21(木) 16:21
>>1 括弧の使い方がなっておらん。
もっと勉強せい。
3 :
日本@名無史さん:2001/06/21(木) 19:55
家康は大坂の陣で討ち死にしている。
それを否定している電波ドキュンが一人で暴れてるがな(藁
4 :
日本@名無史さん:2001/06/22(金) 00:06
1のかっこの使い方の乱れようは何なんだ?
スレの内容より気にかかる。
5 :
日本@名無史さん:2001/06/22(金) 00:29
八切日本史?
6 :
αジョーカーω:2001/06/22(金) 00:45
家康=世良田元信説、家康=討死説、
天海=明智光秀説
秀頼=非秀吉実子説
明治天皇=大室説
この内、学界でも論議の的になっているものはどれ?
7 :
日本@名無史さん:2001/06/22(金) 00:45
『史疑徳川家康』といえば村岡のほうでじゃないの。
八切のは、これを基に色付けした説。
隆の影武者の元ネタという事で去年、完全復刻版
が出たね。
8 :
ahoo! JAPAN:2001/06/22(金) 01:34
>>7 そうなんです。だからスレ立てさせてもらいました。
>>3 大坂の陣討ち死に説だけど家康戦死後、本多正信が1年くらい家康の身代わりになって、政治を動かしたという説。(タヌキ親父は家康ではなく家康の身代わりとなった本多正信のイメージ)
>>4 PC初心者...
9 :
ahoo! JAPAN:2001/06/22(金) 01:45
あと太田牛一の「ペンで倒した400年〜」も参考になされ!
10 :
αジョーカーω:2001/06/22(金) 02:39
気になって眠れず、
家康=世良田次郎三郎説と明治天皇=大室寅之祐説を
検索して調べてみた。
確かに、史料は、体制に都合の良い歪曲や嘘が多いが、
両説共、余りにドキュン過ぎるような気がして、
信用出来ない。
11 :
ahoo! JAPAN:2001/06/22(金) 03:20
家康は本当に松平家の貴公子なのか。?
この時代は成り上がり者の時代(戦国時代)ではないのか。
大室スレにも関連するがわが国日本においては、300年に1度貴賎が交代(革命が起こる)するのではないか。
家康が晩年銭xxカンで売り飛ばされたと家臣に語ったエピソードは?
真実をみんなで語り合おう!!!
12 :
αジョーカーω:2001/06/22(金) 03:23
いや、家康は世良田出身の穢多で、
元康とは全くの別人。
明治天皇も、孝明天皇の息子などではなく、
長州の大室寅之祐。
13 :
ahoo! JAPAN:2001/06/22(金) 03:45
実は日本史の中でみんなが、一番興味ある人物は、1明治天皇と2徳川家康なんだよ。
14 :
αジョーカーω:2001/06/22(金) 16:44
うむ。明治天皇と徳川家康の実像に光を当てよう!
15 :
日本@名無史さん:2001/06/22(金) 18:42
織豊徳は詐称の嵐
荒らされそうだからsage
荒らさないから,括弧の使い方覚えようね。
それぞれの括弧には意味があるんだから。
18 :
日本@名無史さん:2001/06/23(土) 00:55
age
19 :
ahoo! JAPAN:2001/06/23(土) 03:07
カッコウ!いいから・・・
20 :
ahoo! JAPAN:2001/06/23(土) 04:26
第一章 序論
第二章 家康公の幼時駿府の寓居地及び祖母尼公の身柄
第三章 家康公の誕生及び其の父母の身柄
第四章 家康公幼少期の境遇及び其の業務
第五章 家康公活動の初期及び親族故旧の厄難
第六章 家康公の飛躍奮搏
第七章 家康公震天撼地の大活動
第八章 家康公と岡崎三郎信康及び関口氏との関係
第九章 家康公の性格論 (現代語訳版目次より)
毎日新聞 4月9日付朝刊「本と出会う―批評と紹介」より
(評者は丸谷才一氏)
村岡素一郎の『史疑』は壮大な仮説の書。徳川家康はニセモノで、家康になりすませた男は願人坊主(市中を徘徊して門付をしたり、人に代って水垢離を取ったりする乞食僧)あがりの世良田元信であった、というものである。南条範夫も、榛葉英治も、隆慶一郎も、この本に刺戟されて小説を書いた。
『史疑』は、明治三十五年、民友社から刊行されたが、すぐに姿を消し、増刷されなかった(第二次大戦後、南条が発見し、今は「明治文学全集」77で読むことができる)。
この本がなぜ広く読まれなかったかについては、在来、徳川家が買い占めたという説がなされていた。著者はそれに反対する。
『史疑』は家康伝の新解釈でありながら、実は貴賤交替史観が主題で、当時の要人、伊藤博文と山縣有朋の出自に当てつけている。
この二人は維新前、中間で、武士ではない。「下級武士」と呼ぶのも無理。政府はこの文脈を察知し、版元(社長は徳富蘇峰)の善処を求めたのだろう。
奇書の本質を衝く洞察の書。史眼がギラリと光る。
21 :
ahoo! JAPAN:2001/06/23(土) 04:34
もう一つの戦国時代〈上巻〉
徳川家康をペンで倒した戦国の名将
・太田牛一、四百四十年間の闘い
いのうえ つとむ
井上 力
本体1600円 四六判 446頁
発行年月日:2000年12月15日
ISBN4-87601-534-1
目次 はじめに
第一章 桶狭間の深層
一 ここから始まる
二 主役の登場
三 時、来る
四 大作戦
五 尊敬する大先輩
六 徳川の桶狭間
七 人物論
八 六人目の疾駆
第二章 断腸の譜
一 信長だったらどうする
二 巨星落つ
第三章 踊り出た人物
一 則天武后の登場
二 徳川家康の登場
三 日本の中世的なものを打破し、近世を切り開いた人物の行動
第四章 嗚呼本能寺
一 古今稀に見る人
二 本能寺前夜
付録・巻末資料〈甫庵旅日記〉より
内容紹介
信長を殺したのは誰だ!
戦国の世を駆け抜けた四人の天下人達への、いまなお残る数多くの謎と疑問。
その全てを信長家臣・太田牛一が各文献にちりばめた二重三重の暗号が語っていた。
前作「もう一つの桶狭間」を越えるスケールで、多数文献を詳細に比較検証して浮かび上がった、意外な人物達の神なき所行と、恐るべき謀略の数々。
440年間の時を経て、いままで誰も読み取れなかった驚愕の事実で通説を打ち破る、まったく新しい真説戦国史。
日本史をひっくり返す問題作、堂々刊行!
22 :
ahoo! JAPAN:2001/06/23(土) 04:37
もう一つの戦国時代〈下巻〉
徳川家康をペンで倒した戦国の名将
・太田牛一、四百四十年間の闘い
いのうえ つとむ
井上 力
本体1600円 四六判 504頁
発行年月日:2000年12月15日
ISBN4-87601-535-X
目次
--------------------------------------------------------------------------------
第五章 お前もか!
一 腹背の敵
二 手先
三 推理想像の英雄
四 敵は二条城にあり
五 森乱丸
六 厄災の芽
七 昭和二十年の宰相
八 安土の城炎上
第六章 コピー人間
一 踊り出た人物(2)
二 代表取締役会長と代表取締役社長
第七章 必殺の一撃
一 〈たいかうさまくんきのうち〉の世界
二 三英雄記
第八章 真田山の主
一 冷徹な観察者
二 コピー人間(その二)
第九章 自画像
一 養子
二 仮面の人
三 隠れていた人物
第十章 天道なきを証明せよ
一 創られたもの
二 天道なきを証明せよ
三 遺言・巨大なるメッセージ
四 終わりにあたって
付録・巻末資料〈当代記〉〈甫庵信長記〉より
あとがき
内容紹介
--------------------------------------------------------------------------------
家康よ、お前は一体誰なのだ?
戦国の世を駆け抜けた四人の天下人達への、いまなお残る数多くの謎と疑問。
その全てを信長家臣・太田牛一が各文献にちりばめた二重三重の暗号が語っていた。
前作「もう一つの桶狭間」を越えるスケールで、多数文献を詳細に比較検証して浮かび上がった、
意外な人物達の神なき所行と、恐るべき謀略の数々。
440年間の時を経て、いままで誰も読み取れなかった驚愕の事実で通説を打ち破る、まったく新しい真説戦国史。
歴史を変える問題作、いよいよ完結!
はぁ
久しぶりに日本史板に来たぞ
皆の衆覚えておるか?
(覚えてないか・・・・)
24 :
日本@名無史さん:2001/06/23(土) 15:12
江戸時代尾張藩(たしか宗春くらいの時)あたりで
出版された大名の出自の暴露本について知ってる人
いるか?
25 :
日本@名無史さん:2001/06/23(土) 15:13
>23
少し覚えている
26 :
日本@名無史さん:2001/06/23(土) 15:18
家康は秀吉の影武者という衝撃の事実を発見しました!
27 :
fff:2001/06/24(日) 00:19
あげ
28 :
日本@名無史さん:2001/06/24(日) 00:19
秀吉は家康の息子だった。
29 :
日本@名無史さん:2001/06/24(日) 01:34
あほ
30 :
日本@名無史さん:2001/06/24(日) 01:40
家康は実は今でも生きている。
この事は国家機密デス。
31 :
日本@名無史さん:2001/06/24(日) 01:53
ばかか
32 :
24:2001/06/24(日) 13:31
おかしいな。
誰も知らないのか?
俺の記憶違いなのかな?
33 :
αジョーカーω:2001/06/24(日) 13:37
世良田元信説はともかく、
親氏(やそれに該当する人物)は、
家系図と異なり、
家康の曾祖父だとも言われているよね。
その息子が祖父の清康、と。
34 :
スレ:2001/06/26(火) 20:47
清康すらあやしい
35 :
kajima:2001/06/27(水) 04:25
sage
36 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 05:02
清康=家康説もあったよな。
37 :
日本@名無史さん:2001/07/03(火) 19:53
正直家康の3代前すらわかりませんえん。
38 :
日本@名無史さん :2001/07/03(火) 19:57
スレ違いだけど、戦国時代の武将はみんなホモだったってほんと??
ちなみに織田信長の相手は森蘭丸らしいけど・・・。
39 :
日本@名無史さん:2001/07/03(火) 20:51
homo でないと精神的に戦国武将やってられまへん。(戦いの後は男色パーティー)
40 :
日本@名無史さん:2001/07/03(火) 21:08
専門的な人がどんどん減っていってる。
こういうスレばかりだからいなくなっていくんだな。
41 :
真相を追求する歴史家:2001/07/04(水) 02:48
徳川家康は世良田次郎三郎っていうのは本当のこと。
どこだかの百科事典にも系図が載っていたのでは。
42 :
真相を追求する歴史家:2001/07/04(水) 02:56
長男の信康は家康の実の子供ではない。
松平元康の子供である。
信長の命令っていうのは、真っ赤なウソ。
殺したかったのは、家康自身。
長男の信康に三河の国を譲ると、信長との同盟のとき約束
してしまい、その三河を信康に渡すのが惜しくなったこと。
43 :
真相を追求する歴史家:2001/07/04(水) 03:04
徳川家康の生まれ故郷は駿河の国であって、三河で無い。
松平元康の家臣で、徳川家康への改名後に偉くなった人はいない。
44 :
真相を追究する歴史家:2001/07/04(水) 03:46
家康が本能寺の変に加担していたのは事実だが、積極的に、また能動的に加担して
いたのではない。 自分の身に危険が迫り、自分の命を守るために行ったこと。
一つ疑問として、武田勝頼滅亡の後、駿河の国を信長より賜り、そのお礼として
なぜ、3千両もの大金を信長に献上したのか。
当時の常識として、黄金3千枚はお礼として献上するには過大すぎるのではないか。
45 :
真相を追究する歴史家:2001/07/04(水) 04:02
なぜ今になっても家康の実態が明らかにならないのは、全て、戦国時代
最大の謎というより、日本史最大の闇と言って良い「本能寺の変」に
行き着くものと思われ。
日本の歴史は、時の権力者に都合の良いように書き換えられるもので
あって、ヨーロッパのように真実の追究ではないということ。
元禄時代から享保の時代にかけて、権現様に都合の悪いことは
だいたい書き換えられた模様。
尾張徳川藩の徳川宗春が蟄居を命ぜられたのも、権現家康様の
真相を暴こうとしたことによるもの。
この書物は祖先が今でも持っているらしく、松平元康と徳川家康の
顔かたちの違いまで書かれているとのこと。
46 :
横からすいません:2001/07/04(水) 11:42
33>>
松平氏の2代目までは、架空の人物であるというのが、
地元郷土史家たちの意見です。
4代目から実在です。
ちなみに葵の紋も元々松平氏のものではなく、
縁があった加茂氏のものだと言われています。
神社の紋らしいです。
47 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:03
3代目はどうなるんだ?
ここでも大暴れ。
馬鹿だね、まったく。
異端説は好きだけどさ、全然説得力ないのよね。
嘘だとわかっててロマン感じて研究するのと、トンデモ野郎の妄言信じてるのとは大違いだよ。
自分で研究してみな。
じゃあ君に質問だが
家康から5代以上前の松平親氏の略歴がリアルにわかるのはなぜ?・せいぜい親か祖父の代くらいまでしか詳細にわからないはず。
それに君は家康の矛盾に鋭く考察していない点では夢見る処女(童貞)(家康様は松平家の貴公子)とかわらないんだよ。
権力者が自分の都合の言いように歴史を書き換えない確率は書き換える確率より低いのか、高いのか。
ソレが判らないようではここで議論するレベルにまだまだ値しないな。もう少し日本史勉強してからコイ。
>>48 あほか
神武天皇から126代ツズいてる立派なやんごとなきキチ家も160歳生きてしまう仁徳天皇もウソだとわかってロマン感じるのだろう。こんな王朝世界中見渡しても日本だけ。
本当に100代以上血筋つながっているならトンデモもいい所。神武神話の妄言信じてアジア人虐殺したあげくに昭和天皇の戦争責任とらせないからこんなざま。世界の歴史と日本の歴史は大違いなんだよ。
もっと自分の頭で考えてみな。
51 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:28
これって「八切止夫」ってやつですか?
それとも「明石散人」?
興味があるので参考文献などをおしえて下さい。
「影武者 徳川家康」は読んだ事あります。
52 :
日本@名無史:2001/07/04(水) 19:40
>>48 じゃあ君なにをもって徳川史観が正しいといえるのか説明してみろよ。大日本史なんて矛盾だらけだろ。立証も考証もせず偉そうな口たたくな!!!
お前こそ自分の頭で研究してみろ。歴史はただ本読んで信じるだけではなく疑って自分なりに研究するものだろう。ソレが出来ないならサルと同じレベルだろう。チュー坊は引っ込んデロ!!
53 :
本の紹介:2001/07/04(水) 19:43
もう一つの戦国時代〈下巻〉
徳川家康をペンで倒した戦国の名将
・太田牛一、四百四十年間の闘い
いのうえ つとむ
井上 力
本体1600円 四六判 504頁
発行年月日:2000年12月15日
ISBN4-87601-535-X
目次
--------------------------------------------------------------------------------
第五章 お前もか!
一 腹背の敵
二 手先
三 推理想像の英雄
四 敵は二条城にあり
五 森乱丸
六 厄災の芽
七 昭和二十年の宰相
八 安土の城炎上
第六章 コピー人間
一 踊り出た人物(2)
二 代表取締役会長と代表取締役社長
第七章 必殺の一撃
一 〈たいかうさまくんきのうち〉の世界
二 三英雄記
第八章 真田山の主
一 冷徹な観察者
二 コピー人間(その二)
第九章 自画像
一 養子
二 仮面の人
三 隠れていた人物
第十章 天道なきを証明せよ
一 創られたもの
二 天道なきを証明せよ
三 遺言・巨大なるメッセージ
四 終わりにあたって
付録・巻末資料〈当代記〉〈甫庵信長記〉より
あとがき
内容紹介
--------------------------------------------------------------------------------
家康よ、お前は一体誰なのだ?
戦国の世を駆け抜けた四人の天下人達への、いまなお残る数多くの謎と疑問。
その全てを信長家臣・太田牛一が各文献にちりばめた二重三重の暗号が語っていた。
前作「もう一つの桶狭間」を越えるスケールで、多数文献を詳細に比較検証して浮かび上がった、
意外な人物達の神なき所行と、恐るべき謀略の数々。
440年間の時を経て、いままで誰も読み取れなかった驚愕の事実で通説を打ち破る、まったく新しい真説戦国史。
歴史を変える問題作、いよいよ完結!
54 :
f:2001/07/04(水) 19:53
あげお市
55 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 20:06
つまらん
俺は徳川史観が正しいなんて思ってないよ。
で、こいつらは何を考証したの?
史疑徳川家康事跡から一歩も進んでないんだろ。
せいぜい鋭く考察してくれ。
妄言の域は出られないけどな。
57 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 01:14
58 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 02:12
>>1 世良田がどうのこうのというのは俺はよく知らんが、家康は駿府では大事にされた
のでいい思い出になってるんだろう 食いもの・着るもの・住むところはきちんと
保証されたし、最高級の教育を受けさせてもらったし(雪舟)、同盟国にふさわ
しい家格の嫁ももらったし、気候は温暖だし、景色も最高にいい 北に富士山・
南に駿河湾もあるしなぁ 水戸の隠居は西山荘程度だが、徳川宗家の創業者の
隠居ともなると駿府にでっかい城を建てることができたわけだ
それにしても、「松平家の貴公子」ってなんかハズしてないか? しょせん田舎の
土豪の息子だぞ
59 :
真相を追究する歴史家:2001/07/05(木) 03:43
もう一度ここの皆さんに考えてもらいたい。
「常識で物事を考えよう。」
「世の中は常識以上にはならない。」
この2つを守ってもらえれば、おのずと答えが出てくるはずです。
辻褄の合わないことは、やはり後でこじつけた証拠です。
それから繰り返しになりますが、日本の歴史は真実の追及ではない。
都合の良い様に書き換えられる側面があることを念頭に置いて下さい。
60 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 03:49
>>58 これ、全て出典は村岡で僕が言い出したのではございません
61 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 05:46
あのなぁ。
わからないことはわからないって書けばいいんだよ。
「研究中」でいいじゃん。
推論を断定調で書くからおかしなことになる。
>辻褄の合わないことは、やはり後でこじつけた証拠です。
これなんかまさに、村岡側にあてはまる言葉だろ。
先祖の経歴がわからない。
家康の出自もはっきりとしない。
と、ここまではいいんだ。
その先がつながらない。
だって、現存資料じゃわからないだろ。
話は面白いんだけどな。
62 :
バカ キチ外 宮崎勤をムショへ:2001/07/05(木) 06:28
――――――――――――――――――
マスター、徳仁と雅子様を宮内庁が必要以上に囲うのはなぜ???・・・
__ __ .r――――――――――――――――――
∨ | 明治天皇は1年で40センチ背丈がのびた???・・・
日 凸 U | ______
≡≡≡≡≡| /〃∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
U ∩ [] ∨%(´∀` ) < ソレはネ、秋篠宮様(北朝)とちがい徳仁は大室家(南朝)から岸が養子にしたから
宮内庁の役人も政治家(橋本、麻生太郎も)もいつこのことが国民にばれるのか
__ ∧ ∧__∧_∧___)_ | ヒヤヒヤしているからサッ!!!。
( ,,)日( .)□ \______________
― / | ― ( )――― .
\(__.ノ ━┳━)
━┳━ └ ┃―・゛
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄ ̄
age
>>62 セリフが長過ぎるんだよ。サルだな。
もっとスマートに書けよ。
65 :
常識とバランス感覚:2001/07/08(日) 09:39
>>61 なぜ多くの歴史家や小説家がたくさん採り上げられており、散々語り尽くされて
いるはずの徳川家康について、こんなスレがたったのだろうか。
誰が書いた歴史小説であっても、途中で辻褄が合わないことがあまりのも多い。
じゃなぜ、辻褄の合わないことがよくでてくるのか。
その前に日本の社会はどういうものか、今一度見直してもらいたい。
66 :
常識とバランス感覚:2001/07/08(日) 09:41
2つの大きな疑問
1.家康はなぜ、駿府に隠居したのか?
2.家康はなぜ、松平から徳川に改姓したのか?
上記の疑問にきっちりと答えた人がいない。
67 :
常識とバランス感覚:2001/07/08(日) 09:44
家康はなぜ、駿府に隠居したのか?
駿府には今川氏に人質になっているときに優遇され、良い思い出が
有るから駿府で余生を過ごした。
冗談じゃない!
定年後のサラリーマンが余生を過ごすのとは訳が違う。
68 :
常識とバランス感覚:2001/07/08(日) 09:47
三河の名門大名(有力豪族)がご先祖様をないがしろにした例が
当時あるだろうか?
父親の広忠、祖父の清康の祭り方があまりにも貧弱でないのか。
なぜ、家康は自分のことを「初代」と高らかに宣言したのか?
もう一度当時の常識を調べてもらいたい。
これぐらいなら、本屋にでも行けば分かるはず。
ハンドルと内容に齟齬が見える。
しかも他人の発言聞いちゃいないし。
駿府は暖かくていいところだよ。
海道筋は戦略上も重要だし。
改姓はいろいろ説明されてるな。
組織編成の一環っていう視点も外せないし。
要素は様々あったと思うけど、常識とバランス感覚があれば、
少なくとも「すりかわった」とは言えないよな。
70 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 17:00
>常識とバランス感覚
それで何が言いたいの?
71 :
日本@名無史さん:2001/07/09(月) 17:13
べつにない
72 :
地元岡崎市民:2001/07/09(月) 20:35
>家康はなぜ、駿府に隠居したのか?
地元岡崎では、かつて一向一揆で、
自分の元家臣達と闘った忌わしい記憶が残る為、
生まれ故郷の岡崎ではなく、駿府へ隠居したと言われています。
73 :
https://mokorikomo.2ch.net/:2001/07/09(月) 20:41
東京都渋谷区千駄ヶ谷 30 男
74 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:46
>>72 そんなこじつけが通るわけが無い。
家康はもともと、駿府出身だから。
三河とは縁もゆかりも無い人。
家臣で三河出身で出世した人はいない。
75 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:47
>>73 こいつはバカ!
裏2チャンネルなんてありゃしないのに。
76 :
はあ?:2001/07/11(水) 09:14
72>証拠は?それこそ、こじつけじゃん。
77 :
ごめん:2001/07/11(水) 09:14
74へだった
78 :
:日本@名無史さん:2001/07/11(水) 09:35
だからさ 結局、こういうこと
1、豊臣秀吉の豊臣家が清和源氏新田氏族豊臣家
2、後北条家が(北条早雲家)が、清和源氏新田氏族北条家
3、斉藤道三の斉藤家も名門
(4、徳川家康は江田松本坊の息子(コジキ上がり)(成り上がり者))
※ただし、徳川家が滅ぼされて仮に豊臣幕府が明治維新までつずき、斉藤家も後北条家も豊臣政権の譜代大名として、明治維新まで存続したと仮定した場合。
79 :
:日本@名無史さん:2001/07/11(水) 09:41
勝てば官軍(勝てば名門)
負ければ地獄(負ければ成り上がり者)
戦国大名なんてほぼ全員成り上がりもの>>系図は金で公家から作ってもらうもの
80 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 14:04
>78
ばかだろ?
>>74 地図も見てみれば?
水戸、江戸、駿府、名古屋って、結構バランスよく配置されてるから。
紀伊も含めると、さらにバランスいいかも。
あれがもし岡崎だったら、海道筋のど真ん中に穴があいちまう。
まあ、そんなの親藩一家置けばよかっただけかもしれないけど。
三河出身で出世した人はいない?
組織も様変わりしてるからなあ。
適材適所なのでは?
そもそも、幕府枢要の地位の家臣は、総じて小身だしね。
もうつまらんからいいよ。
断言するほどの証拠もないのに、なんでこだわってるの?
これも鹿島某の妄言?
大室スレと展開がそっくりなんだよな。
82 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 20:18
だだだだからね徳川史観には徳川に都合のいいようにお化粧されてるのワカル?坊や?・
通史なら何もこんな所に書き込まなくても本屋に行けば!腐るほどおいてあるから。御用学者にみんなもうウンザリなんだよ。ワカル?坊や!!
83 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 20:21
>>81 戦国時代は成りあがりものの時代なの。家系図なんていくらでもカネつめばかえるの。ワカル?
84 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 20:27
>>78 徳川の敵になった武将の家系を飾ったところで、何の意味もございませんね。
これは大化の改新で朝敵にされた蘇我家が馬子と入鹿足してバカになるようなものですね。
>>81 お前、そろそろトンデモから卒業しろよ。自分の力で研究してみろ。人の本頼るからトンマなこといってるだろ。
アタマがあるなら少しは考える脳力あるだろう。
>>81 お前、そろそろトンデモから卒業しろよ。自分の力で研究してみろ。人の本頼るからトンマなこといってるだろ。
アタマがあるなら少しは考える脳力あるだろう。
アホ〜
もっと徳川家の矛盾を鋭く考察できる奴いないのかねえ〜
89 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 21:00
>自分の力で研究してみろ。人の本頼るからトンマなこといってるだろ
なるほど、納得しました。
>>85が妄想描いてるだけだってことですね。
だって、資料にもあたらずに書いてるんでしょ。
これで疑問が解けました。
ありがとうございました。
90 :
日本@名無史さん:2001/07/12(木) 15:20
はいはい
91 :
https://mokorikomo.2ch.net/:2001/07/16(月) 19:32
佐 下
92 :
日本@名無史さん:2001/07/16(月) 19:36
>89
よかったね
93 :
日本@名無史さん :2001/07/16(月) 20:00
三河に住んでるけど、松平家関連の寺は立派だし、
先祖も家康含みで祭られてるよ。
家光が建てた寺とかもあるしね。
岡崎だって今は豊田市のお陰でそこそこ発展してるけど、
一昔前まではホント山ばっかだったって言うし、
天下を取った人間が住むとこじゃないと思う。
海からも結構離れてるから、旨い魚も食えないだろうし。
それでも、家康には良くしてもらったって思ってるみたいだし、
家康を悪く言う人もあんまいないよ。
94 :
日本@名無史さん:2001/07/17(火) 01:34
.
95 :
日本@名無史さん:2001/07/17(火) 15:00
>93
何がいいたいの?
>>78 豊臣家は源氏の子孫?
大河ドラマによると、秀吉は征夷大将軍になりたくて、足利義昭の養子になろうとして断られたシーンがあったけど。
97 :
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