★新撰組関連統一スレ★

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1日本@名無史さん
新撰組に関する事はここで聞きましょう
2日本@名無史さん:2001/06/15(金) 16:36
「知ってるつもり」によると、
新選組が内部粛正以外で殺した人数は十数人。
3日本@名無史さん:2001/06/15(金) 16:48
このスレ前にもあったよねえ…
埋もれた?
ガイドラインちゃんと読んでね
4日本@名無史さん:2001/06/16(土) 11:09
倉庫逝きになりました
>>3
5薩摩人:2001/06/16(土) 11:20
新撰組より志士達の方が圧倒的であり
最終的な勝利者は鹿児島である!
6日本@名無史さん:2001/06/16(土) 11:31
新選組は素人剣隙集団。

あるいは5.6人の強い剣士と雑魚の集団。
7名無し→しりとり:2001/06/16(土) 12:33
当2ちゃんねる日本史板では「新選組関係」は荒れる要素が大きいので

************終了*******************
8日本@名無史さん:2001/06/16(土) 12:40
>>6

ほほ〜
素人に毛が生えた集団に浪士どもは倒されたのか?
士道不覚悟だな(藁)
9日本@名無史さん:2001/06/16(土) 13:39
藤田五郎と杉村義衛どっちが強いのですか?
10日本@名無史さん:2001/06/16(土) 19:55
>>5
戦後しばらく経つまで殺人鬼扱い、薩長土肥は元勲だったのが
真の姿が知られる様になっただけでも
新撰組の勝ちだね
11日本@名無史さん:2001/06/16(土) 20:19
>>8
新選組はそこそこの腕はあったろうけど、
日本最強クラスの剣士が集まった「最強の剣客集団」だのいうのは根拠なし、
たいした相手を斬ったわけでもないし、
それに新選組最強は沖田でも斎藤でもなく服部武雄だよ。
12日本@名無史さん:2001/06/16(土) 22:25
荒れるだろうなぁ。

不妊どきゅんばかり。
13日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:19
>>11
>それに新選組最強は沖田でも斎藤でもなく服部武雄だよ。

根拠ないですよ、それ。服部は死に際の奮迅が目覚ましかった
というだけで、べつに「最強」としている文献は無いですが。
14薩摩人:2001/06/17(日) 00:40
戦後の新撰組の美化は捏造。
戦後、いわゆるブサヨクが日本を近代化してきた薩摩出資者を
貶めるために新撰組を悪戯に持ち上げた虚像に過ぎぬ。
新撰組の本質は暗殺集団である。
京都の警護などという名目で池田屋などを襲撃し
数多くの浪士を残虐な拷問を加えた不逞の輩どもである!

やれ沖田は薄幸の美少年剣士だの
トシ様素敵だの
斎藤一は流浪に剣心でしぶいよね
といった糞同人女がいかにもな妄想を繰り広げているが
全て虚構じゃ!
まどわされるではない!
15日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:50
服部武雄は新選組隊士でありながら
隊の方向に疑問を抱き伊東甲子太郎とともに新選組を出て勤王活動を
行った立派な人
伊東甲子太郎も同じく新選組を出て勤王に尽した立派な人
百姓上がりの人や食い詰め浪人の集団で組織された新選組に
愛想を尽かした気高い人

だから彼らが新選組から出てったように伊東ファン服部ファンも
新選組ファンから出ていってくれ
お前等うざいんだよ勤王志士のサイトとか行ってくれよ
桂とか西郷とか高杉なんかのところに行け
16日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:50
明治以来の薩長の礼賛は捏造。
明治以来、いわゆる皇国史観論者が徳川幕府が作り上げた太平を
貶めるために薩長を悪戯に持ち上げた虚像に過ぎぬ。
薩長の本質は帝国主義侵略者である。
列強の脅威から日本を守るなどという名目でアジアを侵略し
数多くの罪もないアジアの人々を殺戮した悪党どもである!

やれ高杉は先覚者だの
西郷は傑物だの
木戸は維新の偉人だの
といった糞ウヨクがいかにもな妄想を繰り広げているが
全て虚構じゃ!
まどわされるではない!
17日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:54
>伊東甲子太郎も同じく新選組を出て勤王に尽した立派な人

伊東甲子太郎は裏切り者。
東国人でありながら時勢に動かされて変節した卑怯者。
奴の唱えた「勤皇」は自らの裏切り行為を正当化する為の方便に過ぎぬ。
18日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:58
>>12
新選組ファンが史実と小説(フィクション)の違いを
わきまえた上で論じてくれることを希望。あと、もう
少し幕末史全般に関する知識を持って臨んでほしいです。
19日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:02
>>17
>東国人でありながら時勢に動かされて変節した卑怯者。

だからそれは小説なんだってば。実際は公武合体論者。
20薩摩人:2001/06/17(日) 01:08
>>16は馬鹿丸だし。
明治時代の日清、日露の対外戦争は司馬遼太郎のような左翼系文人
ですら自衛戦争の側面が非常につよいと述べているがのう!
そして大正、昭和初期の軍部は藩閥政治は解消される方向にすすみ
明治の元勲といえば山縣有朋ぐらいのもの。
奴は国賊で皇位をないがしろにしている事は宮中某重大事件で明らかだ。
つまり明治時代の日本軍と大正以降はまったくの別物。
作戦も稚拙化が目立ち、すでに明治時代の自由な空気は失われている。

江戸時代の太平とやらもその実態は農本主義による百姓層からの
収奪を経済の基盤とした封建社会であった。
広く海外に眼を向けると遥かに進んでいるのに日本は
すでに将軍の実権は失われ当事者能力は無かった。
幕府の実権は無能な譜代大名が幕閣を形成して日本の植民地は
遠からず必死の情勢である。
このままでは国は滅びる。
幕府に期待は出来ぬ。国をまとめるには天皇を中心にまとめていくしか
当時は考えられぬ。
そうした考えをもった下級武士達が新時代を切り開いたのだ!
高杉、西郷、木戸、いずれも日本の重大なピースであろう。
ひるがえって新撰組のごときテロニズムが何か建設的な事を
もたらしたというのか!断じてそれはありえぬ。
彼らは幕政の混乱にのし上がろうと京にあがり立身出世を剣で
立てる事を画策した時代おくれの暗殺集団に過ぎない。
200年、300年前なら使い様もあっただろうが、所詮は時代の
仇花に過ぎない。

21山口弘道:2001/06/17(日) 01:20
俺は永倉が好きだ!
22日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:23
>>20
西郷や木戸はともかく、高杉晋作に

>幕府に期待は出来ぬ。国をまとめるには天皇を中心にまとめていくしか
>当時は考えられぬ。

という明確な考えがあったのだろうか?
23日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:26
>>22自己補足
つまり、高杉は自藩の保守派に対しては反対の姿勢を示しては
いたけど・・・という事で
24日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:28
>20
明治と大正以降を区別するのが薩長礼賛者の常套手段なんだよ。
そうすることで維新時の薩長をアジア侵略から免責にしようとしている。
だいたい何で明治と大正以降を区切って考えるのか理解に苦しむ。
明治国家は1875年の江華島事件以来、アジア侵略に邁進した。
その後、日清戦争、北清事変、日露戦争、韓国併合、第一次世界大戦、シベリア出兵、
山東出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、一貫して対外侵略の道を暴走。
確かに明治期には列強の脅威からの国土を防衛するという要素があったこと
は認めるが、それも日露戦争の勝利で一応解消した。
しかし明治国家はその直後に韓国を併合。
やはり維新当初から明治国家は自発的なアジア侵略の野望を秘めていた
と見るべきだろう。
どう言い逃れようとも薩長がアジア侵略の元凶であった事実は否定できないのである。
25日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:39
>江戸時代の太平とやらもその実態は農本主義による百姓層からの
>収奪を経済の基盤とした封建社会であった。

薩長礼賛者=天皇制ブサヨクらしい攻撃が始まったな(藁。
たとえ封建体制で百姓は搾取されまくりでも、
明治国家体制下の庶民みたいに侵略戦争に駆り出されて死ぬよりはいいんじゃないの。
26薩摩人:2001/06/17(日) 01:59
たとえ封建体制で百姓は搾取されまくりでも、
明治国家体制下の庶民みたいに侵略戦争に駆り出されて死ぬよりはいいんじゃないの。
>
またもや馬鹿丸だしが性懲りもなくきおったか!
日本が近代国家になる過程において兵制改革は不可欠。
幕末まで存在していた士分など戊辰戦争などで糞の役にも立たなかった。
欧米では総力戦の時代を迎えている。
フランスが絶対王制から国民国家(欺瞞が多いがな)なるものへ移行する
仮定で総動員率も大幅に上昇するなかで
日本のみがまともな動員も掛けられぬような軍制を作ってどうしようというのか?
侵略戦争?ブサヨクなるものがよく中国板やハングル板や政治思想板で
散々論破されているので今更論議するまでも無い。
27薩摩人:2001/06/17(日) 02:09
明治と大正以降を区別するのが薩長礼賛者の常套手段なんだよ

事実藩閥政治の解消で次第に薩長の影響力は薄れていく。
事実なんだからどう他にいい様があるというのだろうか?

明治国家は〜どさくさにまぎれて明治以降の対外戦争や事変を
さりげなく挿入するな! どこまで卑劣なのか・・・
韓国併合か? 反対派だった伊藤博文を暗殺したのはテロリスト
安重恨だぞ。
韓国は自分自身の手で自国の未来を閉ざしておる。
ついでに述べておくが韓国との併合は韓国政府自身が承認し
国際的にも問題が無い。
侵略がどうかについても散々他の板で議論されておる。

シベリア出兵の一方で尼港事件を知って折るのか?
日本中が憤激していたがなぜそのことに言及しないのか不思議だな。
また赤軍の脅威を感じていたのは隣国である日本でもある。
暗殺されたニコライ2世は皇太子時代に来日している縁もある。
不届き者がどえらい事をしでかしおったがな!
いずれにせよ新撰組に生じてスレ違いの糞レスはいただけん脳。

28薩摩人:2001/06/17(日) 02:17
そもそも天皇制天皇制とうるさいが
江戸時代はいわゆる被差別民が人間扱いされていない時代で
きさまらの主張する太平とは無縁の時代であった。
彼らの由来については諸説あるようであるが、
いずれにせよ徳川政権下で教化された事は事実。
得心できなげれば白斗三平の「カムイ伝」あたり読むが良かろう。
明治になってそれらの民も平等となった。
無論、まだまだ難しいものがあったであろうが、反論も碌にゆるされなかった
江戸時代に萌芽が芽生えた事はたしかじゃ。
無論華族や貴族は存在したが、江戸期よりはるかにましな時代であった
といえるがな。

第一、鉄道やガス灯など徐々にではあるが基本的なインフラを整えたのは
明治政府の功績だろうが!

いずれにせよスレ違いの回答はこれで終わりだ。
ここではあくまで新撰組スレだからな!

随分とログを流したが暗殺集団の反論に何一つなっていないぞ。
連中は日本にどんな貢献をしたんだ!
テロニズムにすぎぬ!!
29日本@名無史さん:2001/06/17(日) 06:30
まあ、実際に新選組が手を下した暗殺事件というと芹沢鴨
とか伊東甲子太郎とか、せいぜいそのくらいだよね。
でも日本(の近代化)に貢献したとは、べつに誰も思って
いないのじゃないか。
30日本@名無史さん:2001/06/17(日) 06:35
>>28
つーか、「テロニズム」っていうの?
「テロリズム」だと思ってたけど
まじだったらゴメソ
31日本@名無史さん:2001/06/17(日) 18:01
age
32日本@名無史さん:2001/06/17(日) 20:32
薩摩人さん、逝ってください。字を読むのも苦痛です。
33日本@名無史さん:2001/06/17(日) 22:23
苦痛というほどではないが、文章はもう少し簡潔に。
あと、やっぱ「テロリズム」だと思う>テロニズム
34日本@名無史さん:2001/06/17(日) 22:25
薩長がわるいからといって、新撰組がいいということにはならない
35日本@名無史さん:2001/06/17(日) 22:34
薩摩人は薩長が右翼と思っているようだが
孝明天皇を暗殺したのは維新の志士と呼ばれる人達だと知らんようだ
36日本@名無史さん:2001/06/17(日) 23:51
他の幕末スレで、
「山南と土方が仲が良かったということは研究者の間では常識」
という意見があったんだけど、本当のこと?
根拠は何なのだろう。

「好きな幕末維新の志士ってだれ?」スレ↓
114がその意見。その後、反対意見が少し出る。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=992010232
37薩摩人:2001/06/18(月) 00:10
薩摩人は薩長が右翼と思っているようだが
孝明天皇を暗殺したのは維新の志士と呼ばれる人達だと知らんようだ

悪質なデマだろ。
38日本@名無史さん:2001/06/18(月) 01:07
>>33
テロニズム? 「テロリズム」が正しいだろ。
「テロリスト」とは言うが「テロニスト」とは言わんだろう。
39日本@名無史さん:2001/06/18(月) 01:21
>>38
だが、それにしちゃあ>>28は自信満々に「テロニズム」と言い放っている
じゃないか。かなりまじめに書いているようだから「テロニズム」の方が
正しいのかもしれんぞ。よく確かめたほうがいいぞ。
40日本@名無史さん:2001/06/18(月) 01:23
>>37
岩倉具視一派の説が有力
孝明天皇は京都守護職会津松平と親友関係
新撰組は
その京都守護職預かり
勤皇攘夷派が何がしたかったのか解るよな?

41日本@名無史さん:2001/06/18(月) 01:37
>韓国併合か? 反対派だった伊藤博文を暗殺したのはテロリスト
>安重恨だぞ。

1910年の日韓併合条約の前提となった第二次日韓協約を、
韓国閣僚を恫喝して推し付けたのが伊藤博文だろが。
この条約で日本は韓国の外交権を剥奪している。
伊藤は韓国の完全併合には反対でも、第二次日韓協約を推しつけた以上、
韓国の植民地化に重大な責任がある。

>ついでに述べておくが韓国との併合は韓国政府自身が承認し
>国際的にも問題が無い。

日韓併合は日本の傀儡政権の首班李完用が承認したものであっても、
その前提となった第二次日韓協約が日本による強引な押し付けである以上、
国際的には問題がないとは言えない。
史実の歪曲は許されない。

>シベリア出兵の一方で尼港事件を知って折るのか?

1920年にニコライエフスクでパルチザン軍に日本軍約600人と在留民間人100人以上が
惨殺された事件だろ。
そもそも事件はパルチザン軍による武装解除を日本軍が拒絶し、無謀にも反撃を試みた
結果引き起こされたものだ。
だから事件の原因を作ったのはシベリア出兵を行っていた日本軍だと断言してよい。
この事件で民衆は愚かな排外主義に熱狂させられ、また軍部は民衆の悲憤を悪用し、
日本の軍国化に拍車をかけたのだった。
自分達で事件の原因を作っておいて、事件が起こると真相を隠蔽し、民衆の排外主義を煽る馬鹿ども
薩長ドキュンが創った排外主義的な明治国家の馬鹿さ加減を象徴するような出来事だな(藁。
まさに孝明天皇を殺した薩長が創った明治国家の正体、これに見たり。
42日本@名無史さん:2001/06/18(月) 01:43
うーん、言いたいことはわかるけど、スレのテーマと
離れるのでできれば他所でやってほしい。
43日本@名無史さん:2001/06/18(月) 01:44
>江戸時代はいわゆる被差別民が人間扱いされていない時代で
>きさまらの主張する太平とは無縁の時代であった。

今日に残る被差別部落は平安期の関西で発生した。
だから江戸期の身分制度がその発生起源ではない。
その証拠に今日でも部落差別が激しいのが、関西、中国、四国などの西日本。
それに比べ東日本は差別が緩やかであり、そもそも東北には被差別部落は存在しない。
徳川幕府が起源といく悪質なデマを流しているのは徳川嫌いの西日本のサヨクだ。
その西日本のサヨクのデマに乗せられている薩摩人って一体何者なの?
44日本@名無史さん:2001/06/18(月) 01:50
>第一、鉄道やガス灯など徐々にではあるが基本的なインフラを整えたのは
>明治政府の功績だろうが!

文明開化なんてどっちにしろ来るものだろ。
明治になってから元新選組の永倉新八もそう言っているぞ。
だいたい尊皇「攘夷」と称して幕府の「開国」方針に反対していた連中が創った明治国家が、
近代化の業績を独占するのはとんだ茶番だな(藁。
45日本@名無史さん:2001/06/18(月) 04:07
>>40
>孝明天皇は京都守護職会津松平と親友関係

……「親友関係」? 容保が天皇の信任を得ていたことは
知っていたが、親友同士だったとは知らなかった。

>勤皇攘夷派が何がしたかったのか解るよな?

帝とタメ口きいてんじゃねえよ肥後守、ということか?
つーか、親友ってマジ!?
46日本@名無史さん:2001/06/18(月) 04:09
>>45
「信頼関係」の間違いだろ。
47日本@名無史さん:2001/06/18(月) 04:11
薩長が江戸を侵略して江戸城を乗っ取り、
ヤスクニ神社を建てて江戸市民を洗脳したことは、
それだけで悪いことだ!
テイコクシュギ者薩長を許すな!(ワラワラ
48日本@名無史さん:2001/06/18(月) 04:16
>>45
>「信頼関係」の間違いだろ。

そうなのか?>>40
天皇と容保の親友関係を示す史料を独自に入手したんじゃないのか?
491だが:2001/06/18(月) 07:34
まともに議論しておるな
結構結構
50日本@名無史さん:2001/06/18(月) 09:10
薩摩人が場違いなスレで喚いているな。
流石に岩倉具視とつるんで孝明天皇を殺した連中だけのことはある。
自己中心的で傲慢さの極み。
511だが:2001/06/18(月) 10:13
>>50
どうせ
アズマだろ
アズマ死寝
52日本@名無史さん:2001/06/18(月) 12:47
>シベリア出兵の一方で尼港事件を知って折るのか?
>日本中が憤激していたがなぜそのことに言及しないのか不思議だな。

尼港事件の真相はこうだ。
1920年3月、パルチザン側とシベリア出兵で同地を占領中の日本軍との間で休戦協定が成立。
パルチザン側は休戦協定に従って日本軍に対し24時間以内の武装解除を要求。
いったんは日本軍はその要求を受け入れ、武装解除に応じる姿勢を見せたが、
日本軍は突如休戦協定を破って反撃を敢行。
その結果、日本軍は600人以上が惨殺された。
さらに5月日本軍の救援部隊が尼港に近づくと、同月22日捕虜になっていた日本軍民
122人がパルチザン側に殺害された。
こうして見ると事件の原因は、1918年以来シベリアへの干渉戦争を続けて来た日本側にある。
だが、当時この「尼港の悲劇」は、休戦協定を破っての奇襲の結果の自爆的惨劇である
との真相は国民には知らされず、国民の排外主義を煽る為に軍部によって徹底的に利用されたのであった。
未だに事件の真相を知らない薩摩人って一体何者なの?(藁
53日本@名無史さん:2001/06/18(月) 13:29
左翼の捏造がまた始まった。
54薩摩人:2001/06/18(月) 15:19
ソースを出さずに捏造か・・・・
じゃあこれは?
尼港事件
http://ww1.m78.com/sib/nikolayevsk%20misery.html
3月11日、無政府共産主義連隊を名乗るトリアチピンとその情婦レベデワが率いる赤軍部隊約2000人は駐留している日本軍2個中隊(第14師団歩兵第2連隊第3大隊石川正雅少佐)に攻撃をかけた。この時ニコライエフスクには帝政ロシア軍の砲4門が郊外に隠匿されており、赤軍はそれを発見し砲撃をかけたという。

 ただ赤軍と称してはいるが、トリアチピンは一旗上げ組にすぎないと思われる。ハバロフスクにいた赤軍本軍との連絡も希だった。当時地方の権力を握りたいため突然赤軍を名乗ることは珍しくなかった。ソビエトがない所では赤軍のお墨付きで何とも名乗れた時代だった。また二人は後の極東共和国政権が言うようにただの狂人であったのかもしれない。

この攻撃により2個中隊は全滅し民間人など生き残り122人が抑留された。浦塩軍司令部は陸海軍合同による救出部隊、2個連隊(1万人)を組織した。

救出部隊が迫る頃、5月24日赤軍は突然無差別の殺戮を開始した。武装解除事件を3・11尼港事件が原因だと錯覚し救出隊により報復を受けると恐れたためであるという。合計で、将兵318人、民間人358人の日本人が犠牲になった。またニコライエフスク撤退に当たり全ての木造建物を焼却したうえ市民1000人以上(5000人という説がある)を虐殺した。7月、指揮官のトリアチピンとレベデワは赤軍ではなく匪賊の頭領だとして処刑された。
55薩摩人:2001/06/18(月) 15:20
5・24虐殺は統制違反だったと思われる。すなわち3月の攻撃については孤立した日本軍を狙ったものだが、5月の虐殺については赤軍本軍の了解なしで主として財産目当てで行われたと推定される。

この時ザバイカル州を除いてシベリアに既に白軍は存在しなかった。武装勢力は赤軍だけだから日本軍の武装解除方針も強く反対する必要がなくむしろ休戦のほうに力がはいった。そして現地軍の段階ではソビエト側は日本の撤兵を要求しなかった。また日本も駐留地区のソビエトの施政を妨害しなかったから双方無害とみたのだろう。むしろ市街戦などの混乱の際は介入しただろうからソビエトの施政権を承認したとすら言える。そして現地軍の参謀が見通したように、デーニキン・ウランゲリ軍が敗北した段階で白軍勝利の目はすでになくなっていた。

と書いておるのう。
ブサヨクは嘘ばかりつくのう
56薩摩人:2001/06/18(月) 15:26
薩摩人が場違いなスレで喚いているな。
流石に岩倉具視とつるんで孝明天皇を殺した連中だけのことはある。

あのね。
>>14で新撰組に対するレスをまともに返しているだろう。
それを粘着質な連中が幕末以降の事を粘着質に持論とやらを
展開しているだけだろう。
いっておくが、俺は
いずれにせよ新撰組に生じてスレ違いの糞レスはいただけん脳。
>>27できちんと主張しているず。
どちらに理があるか論ずるまでも無い。
ついでながら孝明天皇が暗殺されたと主張する輩がちらほらみかけるが
それとてそんな風評が当時たった(しかし確証は無い)というだけの
話をさも事実であるようにこのスレで喧伝しただけの事でないか。
馬鹿馬鹿しい。
57薩摩人:2001/06/18(月) 15:31
文明開化なんてどっちにしろ来るものだろ。
明治になってから元新選組の永倉新八もそう言っているぞ。
だいたい尊皇「攘夷」と称して幕府の「開国」方針に反対していた連中が創った明治国家が、
近代化の業績を独占するのはとんだ茶番だな(藁。

お前、譜代中心の幕閣たちが文明開化に代表される洋文化を
積極的に取り入れていくと本気で信じているのか?
幕府軍の兵制改革はともかく
一般庶民に利用可能なインフラを施工する壮大なビジョンを俯瞰できる
人材といえば100歩譲って勝ぐらいだろう。
幕府の人材は大部分無能。
どのみち崩壊すべき前時代の遺物にすぎぬ。
58薩摩人:2001/06/18(月) 15:41
今日に残る被差別部落は平安期の関西で発生した。
だから江戸期の身分制度がその発生起源ではない。
その証拠に今日でも部落差別が激しいのが、関西、中国、四国などの西日本。
それに比べ東日本は差別が緩やかであり、そもそも東北には被差別部落は存在しない。
徳川幕府が起源といく悪質なデマを流しているのは徳川嫌いの西日本のサヨクだ。
その西日本のサヨクのデマに乗せられている薩摩人って一体何者なの?

>>28でこのように書いている。

彼らの由来については諸説あるようであるが、
いずれにせよ徳川政権下で強化された事は事実。

わしは同和の起源を問題にしているのではなく
徳川政権下で被差別民に対する差別をもって政権強化に利用した
事実を指摘したまでだ。
どこにおかしい所があるか。
無論>>28のその後で
明治になってそれらの民も平等となった。
無論、まだまだ難しいものがあったであろうが、反論も碌にゆるされなかった
江戸時代に萌芽が芽生えた事はたしかじゃ。
無論華族や貴族は存在したが、江戸期よりはるかにましな時代であった
といえるがな。

と締めているのが読めないのか?
まあカムイ伝ぐらいを全巻読んでから出なおしてくるんだな。

再三繰り返すようだが、新鮮組スレッドで脱線行為を行うのは意図的な
ものであろう。
話題を逸らさずにテロリスト新撰組について正しく認識しろ!
そもそも近藤勇は朝敵として首を切られてほりだされておるぞ。
素晴らしい最後じゃのう。
59江戸っ子:2001/06/18(月) 15:44
時代に取り残された、西郷、大久保もまたある時点を境に
無能な人材になったとも言えますな。
特に、薩摩人は責任を押し付けながら討幕を乗り越えただけの事。
西郷一人の人格が薩摩の人気に繋がった。それだけのことよ。
6035、37:2001/06/18(月) 20:39
>>35 >>37 の者だけど
孝明天皇の容保の事
親友関係というのは言い過ぎました。ただ、孝明天皇は親友だと思ってた様です。
「朕の唯一無二の親友じゃ」という言葉が残っており、こんな御製が有る。
角書”たやすからざる世の武士の忠誠の心をよろこびて詠める”
 和らくもたけき心も相生の
 ま津の落葉のあらず栄え舞
 武士の心あはしていはほをも
 つらぬきてまし世々のおもひて
孝明天皇は完全に公武合体の考えだった。このままでは都合が悪い→幼少天皇を担ぎ上げろ
(偽勅出し放題)→孝明天皇暗殺という流れ
大政奉還しているのに討幕の密勅が出てるのは、おかしいと思いません?
当時幼少の明治天皇の真意はどこにあったのか
これは新撰組を評価する上でも意味有る事だと思うが
61日本@名無史さん:2001/06/18(月) 20:51
>>61
>大政奉還しているのに討幕の密勅が出てるのは、おかしいと思いません?

いえ、その点については、べつに謎でもなんでもなく
当時薩摩と岩倉が朝廷を牛耳っていたということは
維新史学の定説だと思いますよ。
6261:2001/06/18(月) 20:56
失礼、61は>>60の方へのレスです。
ちなみに
>「朕の唯一無二の親友じゃ」
という言葉の出典は何でしょうか?
63薩摩人:2001/06/18(月) 20:56
牛耳っていたといい方は不適当。
薩摩の真摯な滅私奉公が陛下の御心を動かしたのだ。
その証拠に陛下は長じて後も薩長を否定しておられぬ。
しかも名君の誉れ高い明治帝である。
薩長の傀儡であったならば長じて後に薩長を討伐していたはず。
新撰組とは関係ないのでsage!


6435、37:2001/06/18(月) 21:22
薩摩人さんあなたの意見面白いが
歴史には裏と表が有る 勝者が都合の悪い事は隠すのは世の常

>譜代中心の幕閣たちが文明開化に代表される洋文化を
積極的に取り入れていくと本気で信じているのか?
 これ質問の答えになってないと思うが..

開国したのは幕府、攘夷をスローガンに幕府と対立したのは維新の志士達だ
異人切りをしてまで。 いざ幕府が倒れると文明開化と称し馬車に山高帽。
攘夷で幕府を倒したんならおかしいですよね?

こんな話が有る
河上彦斎(開国論者佐久間象山を切った男)が「わが神州を蔑視恫喝する外夷を討つべし」
と元同士の閣僚達に迫ったのだが、痛い所をつかれたところを木戸孝允がなだめた。
「さばけん奴っちゃなあ、攘夷ちゅうてもありゃ討幕の手段じゃったけんに
天下をとった以上攘夷は忘れちょれ、面倒をおこさんすな」
彦斎「この外道め!」と木戸の鼻をつまみねじる
結局過激な攘夷論者の烙印を押され斬首
彦斎は三条実美の攘夷決行の誓詞を持っていた。彼の存在が都合が悪い。
死刑宣告した島本伸蔵判事が後に語った
「長州の大先輩が、この際思い切って極刑にせよ と言われたので
やむなく死刑にした」
これどうよ?
65日本@名無史さん:2001/06/18(月) 21:26
>>54

http://ww1.m78.com/sib/nikolayevsk%20misery.html

これには日本軍が休戦協定を破ってパルチザン軍に対して自爆的な攻撃を仕掛けた
ことが全く書かれていない。
故に全く信用するに足らず。
事件は日本軍の判断の誤りに最大の原因がある。
当時、軍部はその判断処置の誤りであったことはひたすら隠蔽し、
軍の威信を低下させないようにした。
未だに当時の国内の論調を間に受けている薩摩人にはホントと呆れるぜ(わら。
66日本@名無史さん:2001/06/18(月) 21:39
>>57
>一般庶民に利用可能なインフラを施工する壮大なビジョンを俯瞰できる
>人材といえば100歩譲って勝ぐらいだろう。
>幕府の人材は大部分無能。

幕末の幕府には小栗忠順という有能な人材がいたことを知らないのか。
明治政府がやった諸改革はすべて小栗が最初に計画したことなんだよ。

いずれにしても開国をしたのは幕府。
それに対して倒幕派が攘夷を主張した。
だから近代化、文明開化の業績を倒幕派に帰すことは出来まい。
物事は結果だけで見ては絶対にいけない。
67日本@名無史さん:2001/06/18(月) 21:46
>>64
うわー、河上と木戸のその話は誤解だっ。しかも流布されている
話よりも少しセリフがオーバーになっている。
スマソ、私は河上のことに昔から関心があって調べているので
それだけちょっと訂正させてくれ。
(新選組と関係なくてごめんね。次回からはちゃんとテーマに
沿ったことを書きます)

河上を狂信的な攘夷論者と決め付けている人は多いけれども
実際は開国の方針を認めていた。ただ、旧幕府が諸外国と締結
した条約はかなり日本に不利な内容だったので(まあ当然だが)、
それを一旦白紙に戻し、明治政府なりの新たな条約を結ぶべし
という意見を持っていたんだよ。

それとても誕生したばかりの維新政府の課題としては、即座に
実現することは困難なので木戸は迷惑に思ったわけだが・・・

でも、この逸話を例示した64の気持ちはよく分かるよ。
68日本@名無史さん:2001/06/18(月) 22:04
 西郷隆盛は、薩長簒奪政府がアズマ徳川正統政府から戊辰戦争(1868〜1869)で
政権を簒奪したときの指導者であり、薩長簒奪政権の首領であった。ヤマトにとっては
建国の偉人である。しかし戦争に敗れて東国という郷土を失ったアズマにとっては、
必ずしも偉人ではない。いや郷土を蹂躙し、アズマから不当に政権を奪った強盗団の
親分ですらあるのだ。
 歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かも知れない。国の数だけ歴史があって
も、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は
動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるであろう。
だが、だからこそ歴史を学ぶのだといえる。
 歴史を固定的に、動かないもののように考えるのはやめよう。歴史に善悪を当て
はめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることも止めよう。歴史を自由な、とらわれの
ない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめることにしよう。
 そうすれば、おのずと歴史の面白さが心に伝わってくるようになるだろう。

 以上の趣旨で、皇国史観で東日本人を侮辱するなスレは立ち上げられた。ヤマトに
ヤマトの歴史の見方があるように、アズマにはアズマの歴史の見方がある。歴史とは
数多くの見方を重ねることに意義があり、新しい歴史教科書のように現在の日本
ナショナリズム思想で歴史を見ることは一方的見方にすぎるのである。

6964:2001/06/18(月) 23:20
>>67
逸話だったの?THANKS
薩摩人さんにも申し訳ない
かなり詳しく調べたつもりでこれか...

70日本@名無史さん:2001/06/18(月) 23:35
>得心できなげれば白斗三平の「カムイ伝」あたり読むが良かろう。

薩摩人さん、あなたはマンガが大好きらしいが、ここは歴史板だ。
マンガで仕込んだ程度の知識を振り回したいならマンガ板に逝け。
71>26:2001/06/18(月) 23:53
全ての国民国家が侵略戦争をやってるわけではない。
兵制改革と侵略戦争を直結させ、必然視するのは
侵略的薩摩人の特異性。
72>63:2001/06/18(月) 23:58
ケッ、まったく笑わせるぜ!
薩長の操り人形のどこが名君だ。
名君だと言うなら具体的に何をしたんだ?
73日本@名無史さん:2001/06/19(火) 00:00
薩摩人は豊臣秀吉の朝鮮出兵に加担した戦国大名島津氏の末裔。
それだけに朝鮮を手始めにアジアを侵略しようという願望はことのほか強かった。
なかでも300年前の祖先が果たせなかった朝鮮征服の野望を実現しようとした
のが明治のゲンクン西郷隆盛。
この男は征韓論を主唱し後の時代に多大な悪影響を及ぼした。
侵略的な薩摩人が権力の中枢に入ったことが、アジア侵略へと暴走し、
やがて破局に至った明治国家の悲劇の大きな要因だろう。
74日本@名無史さん:2001/06/19(火) 00:07
薩摩に限らず、明治国家の中枢を担った長州、土佐(勤皇党の下級武士)、肥前の各藩は、
いずれも豊臣秀吉の朝鮮出兵に加担した毛利氏、長宗我部氏、鍋島氏の各藩士の末裔。
こういう連中が近代日本の舵取りをしたのだから、日本がアジア侵略へと暴走したのも無理もない。
我々は明治国家のアジアへの異様な野心は、豊臣秀吉の朝鮮出兵にあったことを知っておくべきであろう。
75日本@名無史さん:2001/06/19(火) 00:08
ここで、新撰組の話題に戻ります。

第一の功績は池田屋事件でしょう。

京都の市中に放火を企んでいたテロリストを一網打尽にしました。
7667:2001/06/19(火) 02:05
>>69
あっ、いえいえ、べつに史実ではないと言っているのではありません。
そういうエピソードも確かに古い伝記に伝わっていますからね。
ただ、河上彦斎はいわゆる鎖国攘夷を主張していたわけではない
ということをお伝えしたかっただけで・・・
むしろマイナーな話をよくご存知だなあ、と驚きました。
7767:2001/06/19(火) 02:13
いちおう新選組つながりの話をしなくちゃね。
少年マンガの『るろうに某』の主人公のモデルは河上彦斎ですが、
新選組と河上彦斎というと、実際はマンガのように斬り合ったという
話はとくに伝わっていないようです。たぶん斎藤一との因縁もナシ(笑

ただ、彦斎によって運命を変えられた新選組隊士として
佐久間象山の遺児・三浦敬之助がいますね。
781だが:2001/06/19(火) 08:30
チェストー!!
79牙突:2001/06/19(火) 13:34
伊東甲子太郎と近藤勇 どっちが、新選組の本来の職務を遂行したか?
80日本@名無史さん :2001/06/19(火) 19:15
そりゃ、近藤でしょう
伊東の真意は勤皇だったので結局対立、粛清へとなる訳ですし

新撰組スレってあまり清河八郎の話が出ないね
81日本@名無史さん:2001/06/19(火) 22:36
>>80
だから、佐幕と勤王(勤皇)は対立概念にはならないんだってば。
小説以外の本も読んで欲しい。
近藤にも会津藩にも勤王思想はある。
ちなみに伊東に討幕の意志があったことは史実としては確認されない。
82日本@名無史さん:2001/06/19(火) 23:17
>>75
志士達が京都市中に放火しようとしていたということも小説。
近年、新選組による古高俊太郎の訊問供述書が国会図書館で
発見されたが、べつにそんな計画はなかった。
ただし、実際の計画以上にオーバーな噂が市中に流れたことは
事実。新選組から報告を受けた守護職が意図的にそのように触れ
回ったのかは不明。
83日本@名無史さん:2001/06/19(火) 23:25
当時の情勢からみても尊攘派が京都に放火したって意味ないんだよね。
志士達の目的は中川宮と京都守護職だったわけで。
ただし、古高が捕縛されたことにより、当初の計画を
変更し襲撃目標を壬生屯所にしたふしもあるね。
84日本@名無史さん:2001/06/19(火) 23:57
>80
ま、そうなんだけどね
簡単に佐幕VS勤皇とは言えない勤皇佐幕、佐幕攘夷って奴もいた
その一番解りやすいのが新撰組 天皇から政治を任されている幕府に
京を守護する会津に遣える事で勤皇でもあるって事でしょ?
上の質問に関係無いと思ったんで書かなかったんだが
伊東はその行動が勤皇過激派に通ずるとこが有ったのでは?
その辺どうっすか?

85日本@名無史さん:2001/06/20(水) 00:08
近藤勇はとても熱心な尊皇思想家だったのにね。
彼が書いた書簡などを読んでみるとそれはよく分かる。
自身で「皇国衛士」なんて称していたくらいだからね。
近藤にとってはイデオロギーとしての尊皇思想と、
実行動としての佐幕主義は決して矛盾するものではなかったんだよね。
何故なら徳川幕府は天皇に任命された征夷大将軍が開いているものだからね。
明治政府も近藤を皇国史観で朝敵逆賊と叩かずに、尊皇思想家として積極的に評価してやればよかったのにね。
ホント明治政府って度量がないよな。
8681:2001/06/20(水) 00:21
>>84
なにも、天皇に信任されている守護職に仕えているから近藤も勤王、
という単純な色分けではなくて、近藤勇自身にも勤王思想はあったよ。

他のスレでも書いたけど、維新後政府高官の田中光顕(宮内大臣)が
近藤勇の建白草案を読んで、
 「これは我々と同じ道を進むべき同志だったはずだ」
と認識を新たにしたという話がある。幕末の頃は田中自身も新選組に
追われていた志士だった(陸援隊副長)。
87日本@名無史さん:2001/06/20(水) 00:45
>>85
そう度量が無い。というか明治新政府を作った人達にとって
勤皇攘夷は単なる建前だったのではと思われる
天下を薩長土肥で頂く為の
近藤に切腹を許さず斬首にし、さらしたのも仲間を切られた復讐心だろう
>>86
田中はドキュソだからなあ...
8886:2001/06/20(水) 01:04
>>87
>近藤に切腹を許さず斬首にし、さらしたのも仲間を切られた復讐心だろう

「復讐心だろう」というほどあいまいなものではなくて、ほぼ私怨に
よる処置であることは明らか。近藤の処刑については当時新政府内部
からも批判の声があがっている。

>田中はドキュソだからなあ...

ゴメソ、意味がよく分からない。田中がドキュソというのは?
2ちゃんで通用されている意味とは違うのかな。
89日本@名無史さん:2001/06/20(水) 02:09
そのままの意味です
お前が言うなって感じです
田中光顕
土佐、武市半平太の子分 天誅組の生き残り
明治政府で会計検察官、西南戦争時征伐軍会計部長
後、宮内大臣
明治31年に山県有朋が二度目の首相になった時、憲政党に工作資金
百万円が宮内省と明治天皇から入る(現在の価値で60億ぐらい?)
山県が受け取り、憲政党に振り込まれたのがなんと八万円あまり
二十万あまりを田中が横領、残りは山県
この事がうわさになり田中は失脚
関係無いのでsageとく
90日本@名無史さん:2001/06/20(水) 02:46
田中の経歴やスキャンダルのことは知っていますが、それと
ドキュンとどういう関係があるのでしょうか・・・?

それから、如上のように典型的な維新政府官僚の田中が近藤を
認めたという話に貴方が不満を持つのはどういう点で?
91日本@名無史さん:2001/06/20(水) 02:48
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
92日本@名無史さん:2001/06/20(水) 07:45
すんごい基本的なこと訊いていいっスか?
新撰組って幕軍の中でどのくらいの位置にいたんですか?(戊辰戦争の時)

近藤勇が捕まった後、副長の土方は新撰組本隊と別行動しますよね?
2千人くらいの幕軍に手勢6人?で参加して、
何でいきなり参謀とかになっちゃうんスか?
そんなに有名だったの? それとも他がしょぼかったとか。
93名無しさん@1周年:2001/06/20(水) 07:48
>>90
これを読んで分かるんだが、薩長ヲタは近藤を絶対に「尊皇思想家」とは認めたく
ないらしいね。
なんでそこまで近藤が憎いのか理解に苦しむ。
近藤に好意を寄せていた田中光顕のことを盛んにスキャンダルを上げて難じているが、
そのスキャンダルと、田中光顕が所謂勤皇の志士で後の維新政府でそれなりの地位に
あったことと何の関係にあると言うのか。
スキャンダルなら「元勲」山県有朋や伊藤博文の方がずっと性質が悪いのに。
「ドキュソ」の田中のいうことなど信用出来ないとでも言いたいのか。
結局こういう奴が未だに両派の対立を煽っているんだろうな。
こういう奴がいるからそれを格好の材料にアズマの連中が暴れ回るんだよ。
94日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:13
>>90
信用できんし、腹が立つ
真の意味で勤皇は新撰組
志士達の勤皇は大義名分
だから
>>93
おっしゃっている意味が解らん
95日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:23
>>94
そんな簡単に区別するのは変でしょう
新選組は天皇と遠い位置にいたから暗殺とかは出来なかったけど、
薩摩藩のような立場にいたら同じことをしていたかもしれません
立場が違っただけだと思います
96日本@名無史さん:2001/06/21(木) 00:02
日本@名無史さん
9790:2001/06/21(木) 00:11
>>93
いや、>>89は、いわゆる薩長支持派ではなく、むしろ新選組を擁護する
立場で書いているので、「近藤を勤王家とは認めたくない」なんてこと
はないんですよ。
ただ、それだけに私としては維新志士出身の田中が近藤を評価したと
すれば、89は立場上喜ぶのではないかと思っていたのだけど何か不満
のようなんですよね。

>>94=89だと思うんだけど、つまり汚職歴のある田中は信用できない
ので、そんな男から近藤を評価してもらっても嬉しくないということ
なのかな?
98日本@名無史さん:2001/06/21(木) 12:23
age
99日本@名無史さん:2001/06/21(木) 14:25
あげ
100日本@名無史さん:2001/06/21(木) 14:25
100(゚д゚)ウマー
101:2001/06/21(木) 14:29
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
あと、田中は天誅組の生き残りではないよ。
102日本@名無史さん:2001/06/21(木) 17:01
>>97
>94=89だと思うんだけど、つまり汚職歴のある田中は信用できない
ので、そんな男から近藤を評価してもらっても嬉しくないということ
なのかな?

あー、そうなんです90さんのおっしゃってる通りです。
偏向的だと思いますが、心情はそうです。
田中伯爵(だったっけ?)のファンというか尊敬してる人もいるので、
悪いとは思うんですが。
田中は天誅組というのは私の勘違いですね、すみません。
彼の足取りで十津川の方へ行ったりで混同しました。
103日本@名無史さん:2001/06/21(木) 18:59
薩長ヲタとしては、近藤が尊皇思想家だったとは絶対に認めたくないのだろう。
何故なら近藤を尊皇思想家と認めてしまうと、皇国史観で薩長などの維新の志士
の相対的な評価が下がってしまうからだろう。
しかし、薩長ヲタが近藤の尊皇思想を認めず、あくまでも近藤を朝敵逆賊と叩けば、
新撰組などの佐幕派シンパのごく一部が暴走して、アズマのような反天皇主義者が
登場してしまうんだよね。
だから結局は薩長ヲタの我侭は天皇家にとって害毒にしかならないんだ。
そうしたことの分からない薩長ヲタには本当に困ったものだよ。
104日本@名無史さん:2001/06/21(木) 23:39
新撰組のスレってここだけ??
105日本@名無史さん:2001/06/22(金) 08:00
>>104
そうです
何か質問でも?
106104:2001/06/22(金) 12:39
>>105
いや、何かあんまりみんな新撰組に関心ないのかなぁと思いまして
107日本@名無史さん:2001/06/22(金) 12:43
>106
新撰組のスレって薩長好きの人にしばしば荒らされるんですよ。
それでどうしても話題が新撰組そのものとはずれる傾向にあるんです。
関心がある人は潜在的に結構多いと思います。
108尽忠報国の士:2001/06/22(金) 12:50
芹沢鴨ってどんな人?
「鴨」って名前が気になってしょうがない。
109日本@名無史さん:2001/06/22(金) 12:53
>108
一言でいって無頼漢って感じかな。
110日本@名無史さん:2001/06/22(金) 16:09
オレのイメージでは安岡力也みたいな
111日本@名無史さん:2001/06/22(金) 21:27
清川八郎はどう思う?
11297=86,88,90,91:2001/06/22(金) 21:28
>102
まあ田中への個人的好悪は別として、考えようによっては
そんなダーティーな政府高官でさえ最終的に近藤を認めた
ということだから、結構なことではないかな。
この場合むしろ汚職とは無縁の、公正で清潔な政治家に評価
してもらうよりもね。

ちなみに私は田中光顕の志士としての経歴には関心があるけど、
べつに尊敬しているわけではないよ。
113日本@名無史さん:2001/06/23(土) 00:47
age
114日本@名無史さん:2001/06/23(土) 01:09
一般向け歴史雑誌は、いいかげん沖田や土方ばかり
取り上げないで近藤や伊東甲子太郎を検証すべきと思う。
115日本@名無史さん:2001/06/23(土) 01:28
>114
それでは雑誌が売れないだろ。
沖田や土方の特集なら確実に売れるからどうしてもその二人を取り上げることになる。
特に女性が買うそうだ。
116日本@名無史さん:2001/06/23(土) 01:34
>>115
たぶんその通りだろうけど、いいかげん土方・沖田特集は
新選組ファンの私でも食傷気味だよ。数年置かずに特集を
組むから内容が薄くなってきたように思う。
117日本@名無史さん:2001/06/23(土) 02:22
なんか現在書店に土方が表紙の雑誌が二点ほどあるね。
「再現日本史」ともう一つ。
118日本@名無史さん:2001/06/23(土) 02:40
新撰組と聞くと菅野直率いる戦闘三〇一飛行隊を思い浮かべるのは
自分だけ? 源田実の剣部隊ね
119日本@名無史さん:2001/06/23(土) 04:06
>>115
思いっきり硬派な装丁にしても
新選組関連の本って女性ファンしか買わないの?
だとしたら新選組の未来は暗いね…
120日本@名無史さん:2001/06/23(土) 06:47
>>119
やっぱり歴史雑誌だから全体的に見れば男の方が圧倒的に多いんじゃないかな。
ただ新撰組特集の場合、購読者に占める女性の率がやや高いんじゃない。
121日本@名無史さん:2001/06/24(日) 00:17
今月の『歴史読本』も幕末特集で、近藤や土方の写真が
表紙に載っているね。
122日本@名無史さん:2001/06/24(日) 02:32
沖田より土方より原田のほうがマスクよかったんだよね〜。
沖田はモー娘゜の後藤のような、ひらめ顔。
123日本@名無史さん:2001/06/24(日) 02:35
藤堂平助も美男だったつーことだ。
たしか当時の薩摩の記録か何かにしるされている。
124日本@名無史さん:2001/06/24(日) 02:48
でも、まぁ、キムタク嫌いって女の子もいますよー。だからー!
新選組は皆美男子と、いうことで!!
125日本@名無史さん:2001/06/24(日) 03:59
鹿児島で美男の烙印を押されるということは...
126123:2001/06/24(日) 04:04
>>125
ゴメソ、鳥取藩だったかも知れない。
詳しい人、お願い。
127日本@名無史さん:2001/06/24(日) 07:05
といっても原田と藤堂は写真が残ってないからなぁ…
土方が美男っていうのは実物があるからそうなんだろうけど
128日本@名無史さん:2001/06/25(月) 03:15
土方の写真って美男?ですか??あれが???うーん私は、変わって留
から、近藤さん好きですよ。
129何故美男談義?:2001/06/25(月) 05:33
うん。近藤の腕組んでない方の写真はかっこいいと思うよ。
土方は髪が特長だったんじゃないの?
よく「漆のやうな〜」とか言われてんじゃん。
あの頃は頭が禿げ上がったように見える人が多いから、
真っ黒でフサフサだと、お〜美男、みたいな。
130ていうか写真談義?:2001/06/25(月) 09:23
土方の写真って、微妙にバリエーションがあるようだけど、
結局何種類あるんだろ。
んで、一番よく見かけるバストアップの写真って、顔、修正してない?
眼とか、なんか不自然な気がするけど。
どっかで見た、同じ(ような)ポーズの写真だと、もっと細い眼で、
見た感じ「高中正義に似てるな」って印象があったんだけど。

詳しい人教えていただけませんか?
131日本@名無史さん:2001/06/25(月) 15:57
『うにこおる』ってなんなんですか?わかる人教えて下さい根付
みたいなもの?としか知らないので。
132日本@名無史さん:2001/06/25(月) 22:24
>>131
ユニコーンのことじゃないですか?一角獣。
「イッカク」という鯨の角っていうか歯?が
根付として流通していたのでは?
133日本@名無史さん:2001/06/27(水) 16:26
132さん、ありがとうございました!!感謝します!芹沢さん
が持っていると聞いてから気になってたのて!!
134日本@名無史さん:2001/06/27(水) 16:31
近藤勇の写真って、月代剃っていないよね。
ありゃ、なんで?
幕臣が剃らないのは、礼儀に反するのではないのか?
135日本@名無史さん:2001/07/01(日) 01:53
でも、たとえば勝海舟も大久保一翁も写真を見る限り総髪だよ?
他の幕臣にもそんな写真なかったかな?
136日本@名無史さん:2001/07/01(日) 03:14
>>130
細目がオリジナルで、もう一方はおっしゃる通り修正されてます。
137日本@名無史さん:2001/07/01(日) 04:12
土方歳三イコール栗塚旭
近藤勇イコール舟橋元
沖田総司イコール島田順司
斎藤一イコール左右田一平
ってことで

実際の土方はともかく
栗塚旭演じた土方はかっこいいのです
138日本@名無史さん:2001/07/01(日) 07:13
土方は修正されてなくてもあの顔は美男と言っていいと思うけどな
近藤も美男ではないけど渋くていい顔をしてる
剣を振るう時はやっぱり鬼のような表情になったんだろうな…
139日本@名無史さん:2001/07/01(日) 20:44
近藤はトミーズ雅だ。
140日本@名無史さん:2001/07/03(火) 13:13
定期的にあげ
141日本@名無史さん:2001/07/03(火) 14:33
>>136
八木為三郎という人がナマ土方を見た印象として
目がぱっちりしてた云々って言ってたそうだけど・・・

あの時代に写真を修整する技術なんてあったの?
142日本@名無史さん:2001/07/03(火) 22:28
>>141
つーか現存する土方の二種類の写真見比べるとぜんぜん
違うのが分かるでしょ? よく公開される函館博物館のが
修正済みのもの。
143日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:24
やっぱ函館のがかっこいいもんね
144日本@名無史さん:2001/07/04(水) 02:54
>>130、141
詳しくお知りになりたければこちらを。。。ただすでに絶版になってるかと。。
最寄りの図書館でリクエストして他の図書館にあれば取り寄せてもらうと
いいと思います。新人物往来社「歴史読本クロニクル1・土方歳三の35年」です。
数ページさいて写真の検証をとりあげています。
145名無しさんの主張:2001/07/04(水) 03:40
しかし土方はどうして生き方といい
戦争のしかたといい、容姿といい
あんなにドラマになるような人なんだろうな。
大体、歴史上の人物は実像をさぐればガクッとくるのが多いのに。
146日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:34
そうですね、本当に。みんなできない生き方ということでしょうか?
いや、近くまではできてもあそこまで徹底的にはできないでしょうね。
147日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:22
>>145
というか最近ちょっとマイルドな土方像が流布しているような
感じがするよ。もう少し苛烈な実像も知られた方がいいと思う。
148日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:41
年末時代劇で、土方=近藤正臣が配役ハマりすぎてて
ショックを受けたことがあった
149日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:45
>>148
近藤正臣の土方はけっこう人気があるよね。
新選組のドラマ専門スレは別にあるので
そちらでよろしくね。
150日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:55
ビッグコミックスピリッツで新選組が主役っぽい漫画が…
151日本@名無史さん:2001/07/10(火) 23:14
ビックコミック連載の森秀樹の「天狗」じゃない?鞍馬天狗の話だが、面白いよ。新撰組も準主役ででてくる。
152150:2001/07/11(水) 20:33
>>151
いや、最新号で連載開始してるやつです
もはや幕末ものではないですけど…
153日本@名無史さん:2001/07/13(金) 01:57
土方さんの写真の事ですが、
新人物往来社「新選組写真集」で

152Pに市村鉄之助にが土方より、
日野佐藤家へ託された写真

153Pに土方家所蔵の写真、

どっちが
154153:2001/07/13(金) 02:14
スマソ続き↓
修正物なんですか?

以下自己レス
他スレでこんな物見つけました
http://www-user.interq.or.jp/sohjiro/toshizo.gif
これが噂のバストアップ修正写真・・・・・かな?

資料と見比べてみましたが目と眉(?)が
違うと思いました
本に載っている写真はバストアップではなくて
両方とも椅子に座ってるのが判る状態です
155日本@名無史さん:2001/07/13(金) 02:26
土方の実家は土豪と言うべき分限者で、
家業の石田散薬作りには100人近い臨時雇いを使った。
多摩川の河原に生えた薬草の採取から黒焼き、
丸薬作りまで1日でこなしたそうだ。
土方は少年の頃からこれらの指揮に当たり、
人使いの要諦を学んだものと思われる。
156日本@名無史さん:2001/07/13(金) 02:56
俺は井上さんが好きだな
157日本@名無史さん:2001/07/13(金) 15:34
>>144
これね。
ttp://www.jinbutsu.co.jp/rekidoku/zoukan/9812/hijikata.htm
まぁ、あくまで推測ってことで。

当時は一枚撮るのに長時間露光のもと、
ジーッと我慢してないとならなかったそうで、
自然と表情が険しくなることもあったようです。
写真って意外とあてにならないっすよ。
私も証明用をわざわざ写真屋で撮ってもらったのに
全然違うじゃんって言われる。
もちろん修正も整形もしとらん。
現代の写真技術をもってしてもこうなんですから。
土方は敵味方関係なく美男だー、いい男だーと言われてたところをみると(捏造でなければ)
やはり実物はかなり男前だったんじゃないかと思います。
158日本@名無史さん:2001/07/13(金) 15:51
>>155
土方の生家についてそれ以上ふみこまないほうがいい
159日本@名無史さん:2001/07/13(金) 20:25
なんだよ。やっぱり半村良がサンカとして描いていたのは
元になる事実があったんじゃん。
160日本@名無史さん:2001/07/13(金) 21:15
薬の行商をしていたというのはサンカっぽい。
161日本@名無史さん:2001/07/13(金) 21:25
靖国神社なんて薩長のいも侍が建てたもんだろが。
江戸は徳川公方様のお膝元なんだよ。
公方様の為に忠節を尽くして死んだ新選組、彰義隊、会津藩士、長岡藩士こそ
慰霊の対象でなければならない筈だ。
靖国神社なんかさっさと天コロの町京都へでも移転しな。
162日本@名無史さん
仙台に、宮城県に遷都したとき、そこらへんは見ものだな。
10年以来にやらんかな、遷都。
富士山が噴火するまえにな! (三宅島の惨状をみると、のんきにかまえていていいのか富士山近県とも!