神風連の乱と陽明学の思想

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1目のつけ所が名無しさん
三島由紀夫が熱心に研究していた神風連について詳しく知りたい。
太田黒伴雄とはいかなる人物?
2日本@名無史さん:2001/06/13(水) 10:04
おお、いいスレだ。
電線の下を通るときに扇をかざして通った
というのは彼等だろ。
3日本@名無史さん:2001/06/13(水) 10:15
何事もくじ引きでございます。
4日本@名無史さん:2001/06/13(水) 10:25
そのとうりでございます。
5日本@名無史さん:2001/06/13(水) 10:44
かしこ かしこ
6日本@名無史さん:2001/06/13(水) 10:53
熊本のローカル芸人で太田黒っていたぞ。
ヤツは不敬だな。
7目のつけ所が名無しさん:2001/06/13(水) 11:08
時代錯誤の集団と思われがちだが、この上ない美学があった。
三島の思想に大きな影響を与えたのが事実なら、
その破滅的な最期も分かる気がする。
陽明学者ってシャレが通じなそうでコワイ。
8日本@名無史さん:2001/06/13(水) 11:12
陽明学って結果を問わずに目的重視の
考え方なんですよね。
9日本@名無史さん:2001/06/13(水) 12:11
結果を問わず行動重視
10日本@名無史さん:2001/06/13(水) 13:16
「天照す神をいはい現身の世の長人と吾は成りなむ」
太田黒伴雄の歌。
三島由紀夫の少年時代の精神上の師だった国文学者の蓮田善明が
陸軍中尉として最後の出征をする際に高吟したと伝えられている。
11日本@名無史さん:2001/06/13(水) 13:49
12日本@名無史さん:2001/06/13(水) 13:54
奔馬はほんまにおもろいなあ
13日本@名無史さん:2001/06/13(水) 14:11
>>10
蓮田善明はいいねぇ。
雅な古今的世界に深い理解を示しながら陸軍中尉として自決したね。
戦後は、彼を無視し続けているが、蓮田を無視した日本は三島には許せなかったんだろう。
14日本@名無史さん:2001/06/14(木) 02:41
>>2
>電線の下を通るときに扇をかざして通った

んーと、それは一部の志士(たしか富永万喜)の奇行が
オーバーに伝わったもの。

神風連は現在も誤解されているんだけど(じつは私も誤解
していたんだけど)、むやみに西洋文明を忌み嫌ったわけ
ではなく、蘭学に通じる者もいた(斎藤求三郎、上野堅五ら)。
というより、彼らの師である林桜園自身、蘭書の講義もしていた。
15日本@名無史さん:2001/06/14(木) 02:51
そうそう、大切なことなんだけど、「神風連」の読みは
 「シンプレン」
ね。
 「ジンプウレン」
ではありません。大半の出版物の読みが間違って
いるけど、熊本では昔から「シンプウレン」と読んでい
ました。子孫の方も「シンプウレン」と読んでいます。
16日本@名無史さん:2001/06/14(木) 03:01
太田黒伴雄も、加屋霽堅(神風連副将)も、幕末の頃は
肥後勤王党の中堅格として活躍していた。太田黒伴雄は
若手の中でも特に人格的に優れ、勤王党盟主の宮部鼎蔵
(池田屋事件で自刃)も太田黒だけは同格扱いにしていた。
17日本@名無史さん:2001/06/14(木) 14:50
もっと知りたいのでage
18日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:20
神風連の思想的基盤って、神道とか国学じゃないの?
陽明学も学んでいた人もいたんですか? >>1
19日本@名無史さん:2001/06/15(金) 00:00
三島の『奔馬』作中に登場する『神風連史話』という書籍は、
実際には存在しないのでしょうね。
201:2001/06/15(金) 10:17
江戸時代に陽明学を学ぶことは禁止されていたそうですね。
やっぱり思想的に激しすぎるから、太平の世には向かなかったのかな?
>18
王陽明の説く「致良知説」を実践したことによって、神風連も陽明学者
として名を連ねることになったんだと思います。
当時、太田黒は自らを陽明学者として自認してたんですかね?

蛇足ですが、江戸初期の陽明学者である中江藤樹について。
ttp://www.biwa.ne.jp/~adogawa/nakaetouzyu/nakae-index.htm
21日本@名無史さん:2001/06/15(金) 10:19
敬神党です
22日本@名無史さん :2001/06/15(金) 10:21
敬神党って神を敬う人たち?
そのまんまやん。
23日本@名無史さん:2001/06/15(金) 23:23
神風連は、幕末の「肥後勤王党」の流れをくむ人々。
肥後勤王党は宮部鼎蔵を盟主とし、桂小五郎・久坂玄瑞ら
長州の人々と共に幕末の京都で尊皇攘夷運動をリードしていた。

(宮部鼎蔵は、桂・久坂らの師である吉田松陰の無二の親友だった)
24日本@名無史さん:2001/06/15(金) 23:24
維新の動乱の中で肥後勤王党の主要志士の大半は落命し
(宮部鼎蔵・松田重助ら)、生き残った人々のうち、維新政府
に仕官する者と、熊本(肥後)に留まる者とに分かれ、後者が
のちに神風連となった。
25日本@名無史さん:2001/06/15(金) 23:42
林桜園の門下で正統と言った存在は
太田黒と河上の二人でしょ。
宮部は倒幕からも佐幕からも持ち上げられただけ。
神風連の乱の時の太田黒の神鏡を首から下げた、いでたちは
なんかキョンシーを思い起こさせる。
26日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:04
>>25
尊攘派の宮部鼎蔵が佐幕陣営から持ち上げられたというのは
具体的にはどのようなことでしょうか。
27日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:08
>>26
こんな大物やったよ、と言う事です。

28日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:22
太田黒は神鏡を首にかけていたんですか?
軍神八幡宮の霊代を背負っていたということは知っていますが。
もっとも「八幡宮の霊代」とはどのようなものか、私は神道に
疎いので分からないのですが・・・
29日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:30
「八幡宮の霊代」これは知らなかったです。
自分は奈良本辰也氏の幕末もので神鏡を下げて出陣というのを
読んだのですが「八幡宮の霊代」とはどんな物なんでしょうかね。
30考える名無しさん:2001/06/16(土) 01:10
>20
ありがちな勘違いの典型。
江戸時代に陽明学禁止って?わら。
31日本@名無史さん:2001/06/16(土) 11:03
>>29
御神輿と同じで中は空だったと思います。
その中に神がよりつくんですね。
32日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:11
維新後、政府に仕官せず熊本に留まった肥後勤王党の幹部のうち、
とくに

 河上彦斎(かわかみ・げんさい)
 太田黒伴雄(おおたぐろ・ともお)
 加屋霽堅(かや・はるかた)

の三名は同志から「三強」と称され指導的立場にあった。
河上はのちに維新政府により反乱容疑で処刑され(ほぼ冤罪)、
太田黒と加屋が神風連の首領となった。
33日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:16
宮部鼎蔵は元来、肥後藩(細川家)の軍学師範で、
勤王党のメンバーも大半が宮部の門下生でした。
河上・太田黒・加屋も宮部鼎蔵の弟子。

さらに>>25の方のご指摘の通り、宮部以下全員が
国学者・林桜園の門人でした。
(修学期間の長さは各人異なる)
34日本@名無史さん:2001/06/17(日) 06:50
>>6
>熊本のローカル芸人で太田黒っていたぞ。
>ヤツは不敬だな。

「太田黒」という姓は熊本にまれにあるので、その芸人も
べつに神風連とは関係ないだろう。
なにしろ神風連の襲撃対象の一人にも太田黒という人物が
いたくらい(県民会議長)。神風連の首領と同じ姓なので
ややこしいが。
35日本@名無史さん:2001/06/17(日) 17:36
>>14自己レス訂正
電線の下を通るときに扇子をかざしたとされるのは
富永万喜ではなく、野口知雄という男だった。

野口は神風連一の潔癖家といわれる(熊本城中で戦死)。
神風連の人々の西洋文物に対する対応は様々で、べつに
拒否症状のない人もいたし、すべての人士がこういう扇子を
かざすような行為をしていたわけではないよ。
36日本@名無史さん:2001/06/18(月) 00:41
>>29
私が読んだ本は熊本の郷土史家・荒木精之の『神風連実記』です。
この人は戦前から神風連について研究していた人です(故人)。
決起当日の太田黒のいでたちとして、とくに神鏡には触れて
いませんでした。もっと調べてみようと思います。

奈良本辰也(先頃亡くなりましたね)も神風連を手がけていたんですか。
よかったら書名を教えてください。歴史書というより小説ですか?

>>31
前掲の荒木の著作によれば、その霊代(たましろ)は太田黒の師の
林桜園から譲り受けたものだそうです。残念ながら具体的な形態
については記述がないのですが・・・
37世界@名無史さん:2001/06/18(月) 11:24
>>20
>江戸時代に陽明学を学ぶことは禁止されていたそうですね。
>やっぱり思想的に激しすぎるから、太平の世には向かなかったのかな?

別に禁止されてたわけではない、朱子学みたいに官学として重要視されてなかっただけ。
蘭学みたいに弾圧があったわけでもない。
381:2001/06/18(月) 14:02
>37
私はてっきり大塩平八郎の乱によって危険思想とみなされたことと、
朱子学を否定(?)する陽明学はタブー視されていたと考えてました。
39日本@名無史さん:2001/06/19(火) 02:33
>>3
>何事もくじ引きでございます。

神風連が行った神事は「宇気比(うけひ)」と呼ばれるんだけど、
これは、いわゆる神社のおみくじとは違う。
むしろ、行動を実行に移せるほど自分達に気が充実しているか
それを一党の首領格の人間が確認する行為だと捉えた方がいい。
誰もがこの神事を行えるのではなく、祭祀者には人格的な資質が
求められた。

一般には神風連はなんでもおみくじで自分達の運命を決めていた
という、いかにも主体性の無いような印象があるんだけど、それは
ちょっと誤解なんだよね。まあ宗教色は拭えないけどね。
40日本@名無史さん:2001/06/19(火) 13:39
三島由紀夫が影響を受けたのは神風連の「滅びの美学」なんでしょうか?
41日本@名無史さん:2001/06/19(火) 22:29
>>36
神風連ものと言う訳ではなく幕末維新全体を書いたものです。
書名は覚えてないんですよね・・
タイトルは幕末とか維新とかが付いていました。
奈良本氏の幕末本は多いので、ちょっと思い出せません。
でも神風連専門書籍を読まれているのなら、そちらの方が
確かだと思います。


42日本@名無史さん:2001/06/24(日) 00:15
>>40
たしか三島は『ロンドンタイムズ』に神風連を紹介する
長文の記事を寄稿しているよ。よっぽど傾倒していた
ようだね。英国人が理解できたかどうかは不明だけど。
43日本@名無史さん:2001/06/27(水) 00:22
自分で英文で書いたのかな?
44日本@名無史さん:2001/06/27(水) 00:43
神風連の乱などは西洋の人々にはとうてい理解できまいと思って
いたのだけど、ある面、清教徒革命に通じるものがあるらしい。
45日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:04
『切腹の話』という本に
神風連の切腹が細かに記載されてますね。
臍上何センチを深さどのくらいに切ってた・・・・とか。
46日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:13
出版はどこですか?
47日本@名無史さん:2001/07/04(水) 01:44
ちょっと忘れた。
48日本@名無史さん:2001/07/04(水) 01:49
講談社現代新書に千葉徳爾著『切腹の話 日本人はなぜハラを切るか』
というのがあるけど、この本のことかな?
49日本@名無史さん:2001/07/04(水) 21:07
神風連のハラキリについては、
(切腹、悲愴美の世界)でした。
ごめんなさい
50日本@名無史さん:2001/07/05(木) 01:11
司馬遼太郎は太田黒伴雄のことが気になっていたみたいだね。
『翔ぶが如く』を読む限りでは。
51日本@名無史さん:2001/07/05(木) 04:46
神風連で18歳の青年が腹切ってますね。
52日本@名無史さん:2001/07/09(月) 01:51
どんな切腹だったんですか?
53日本@名無史さん:2001/07/10(火) 02:19
図書館で調べてみて・・・・。
54日本@名無史さん:2001/07/11(水) 03:34
あげ
55日本@名無史さん:2001/07/12(木) 00:44
sage!
56日本@名無史さん:2001/07/12(木) 23:04
神風連ってなんって読むの??
57日本@名無史さん:2001/07/13(金) 03:55
しんぷれん。。。。
58日本@名無史さん:2001/07/13(金) 06:18
かみふうれん
59日本@名無史さん:2001/07/14(土) 04:09
しんぷうれん、です
60日本@名無史さん:2001/07/14(土) 06:12
神風連・・あれは、宗教的結社でしょう。

神前占いで、決起日を決定したり、わざと近代兵器を用いず、
鎧甲に弓・刀・槍だけで戦ったりした。
「陽明学」では説明がつかない、と思う。
61日本@名無史さん:2001/07/14(土) 06:12
正式名称
「神戸風疹予防連絡会議」
62日本@名無史さん:2001/07/15(日) 13:05
age
63日本@名無史さん:2001/07/16(月) 06:24
あげとこう
64目のつけ所が名無しさん:2001/07/16(月) 09:09
神風連は西洋化する日本に対する最後の保守の意地を感じる。
なんか悲哀を感じるな。
65日本@名無史さん:2001/07/16(月) 13:48
俺も神風連と一緒に腹を切ってみたかったもんだ。
66日本@名無史さん:2001/07/17(火) 16:33
age
67日本@名無史さん:2001/07/17(火) 20:50
熊本の市内に資料館がありますよ。
黒髪だったかな。いってみることを
お勧めします。
68日本@名無史さん:2001/07/19(木) 02:32
age
69日本@名無史さん:2001/07/19(木) 19:17
sage
70日本@名無史さん:2001/07/22(日) 11:16
age
71日本@名無史さん:2001/07/22(日) 11:17
なむなむ
72日本@名無史さん:2001/07/24(火) 03:30
何のはなしかさっぱり・…。
73日本@名無史さん:2001/07/25(水) 02:21
age
74日本@名無史さん:2001/07/25(水) 02:55
ほーほけきょ
75日本@名無史さん:2001/07/25(水) 03:58
なんだか奥深いスレだな
76日本@名無史さん:2001/07/25(水) 22:28
age
77日本@名無史さん:2001/07/26(木) 23:57
奥深くねーよー
78日本@名無史さん:2001/07/27(金) 10:12
太田黒ほどの聡明な人物が、旧式の兵器だけで武装した軍で新
政府に勝てるとは考えてなかったと思う。
負けると分かっている戦をあえて仕掛けた神風連の人たちは、
日本国民に何を訴えたかったのか?
きっと、三島はそこに気づいたんだろう。
79日本@名無史さん:2001/07/27(金) 18:33
そんなの無意味だよ。
彼らは死にたかったの?
80日本@名無史さん:2001/08/01(水) 08:37
誰だって死なずに済むのなら、死にたくないだろう。
81日本@名無史さん:2001/08/02(木) 00:49
じゃ、なぜ?
別に死ななくても他に方法はあった。
82日本@名無史さん:2001/08/02(木) 10:10
それは今だから言えること。
当時の彼らは、死ぬことで思想を完結した。
三島由紀夫は、神風連の思想に共感して死ぬことを決意した。
83日本@名無史さん:2001/08/04(土) 05:38
三島(とくに晩年)はかなり神風連に傾倒していたようだね
84日本@名無史さん:2001/08/05(日) 11:32
age
85日本@名無史さん:2001/08/09(木) 05:50
宮部鼎蔵と神風連には関わりがあるそうだけど
どのようなものなの?
86日本@名無史さん:2001/08/10(金) 03:18
わかりません・・・
87日本@名無史さん:2001/08/10(金) 03:26
鉄扇会も神風連が電線の下をくぐる時に
その頭を鉄扇で覆い隠したという挿話から
その名前をつけたとの事。

http://www.tetsusenkai.net/
88日本@名無史さん:2001/08/10(金) 03:54
>>87
うーん、でもそういう行為をとったのは一部の志士
だけなのに……
誤解されているなぁ、神風連。
89日本@名無史さん:2001/08/10(金) 04:15
>>85
神風連の主立った志士はだいたい宮部鼎蔵の門下生(山鹿流兵学)で、
また宮部をリーダーとする「肥後勤王党」のメンバーだったんだよ。
神風連首領の太田黒伴雄も、副将の加屋霽堅(はるかた)も。
90日本@名無史さん:2001/08/10(金) 09:35
神風連の乱が特攻の源流に位置づけされてるって
聞いたことあるんですけど。
カミカゼの名前の由来もこれだとか。
ホントなんでしょうか??
91日本@名無史さん:2001/08/10(金) 09:46
ウソです。
元寇の時の神風が起源。
92日本@名無史さん:2001/08/10(金) 18:38
それも嘘です。
93日本@名無史さん:2001/08/11(土) 03:52
特攻の名の由来は神風連(しんぷうれん)じゃなくて、やはり元寇だろうね。
ちなみに「神風連」という呼称は自分達で唱えたものではなくて、やや揶揄が
込められた他称。
自分達では「勤王党」とか、単に「同志の方々」と呼び合っていた。
94日本@名無史さん:2001/08/11(土) 17:34
そうだったけ??
95日本@名無史さん:2001/08/12(日) 05:39
あげ
96日本@名無史さん:2001/08/13(月) 04:20
sage
97日本@名無史さん:2001/08/13(月) 06:18
>>89
宮部鼎蔵って池田屋で新選組に殺された人?
98日本@名無史さん:2001/08/13(月) 17:58
誰か教えてよ!
99日本@名無史さん:2001/08/14(火) 01:43
誰も知らないみたいですねーー
100日本@名無史さん:2001/08/14(火) 02:37
宮部鼎蔵は池田屋で殺されました。
一人を斬り殺しましたが池田屋が会津藩士にとりかこまれ
てるのを知って、その場で自分のノドを掻き切ったとか。
45才でした。
なお池田屋の前日には鼎蔵の常宿「桝屋」に新選組が押入り
ましたが鼎蔵は不在でした。
101日本@名無史さん:2001/08/14(火) 03:25
>>100
>一人を斬り殺しましたが

それって初耳なんですけど・・・
宮部鼎蔵が新選組隊士を一人斬ったことを伝える資料は何でしょうか。
なにかの小説?
102日本@名無史さん:2001/08/15(水) 03:33
>>101
俺も聞いたことがない。あと宮部が「自刃」したことは諸書に書かれているけど
「ノドを掻き切った」ということも聞いたことがない。
100の典拠はなに?
103100です:2001/08/15(水) 04:28
>>100 >>101 失礼しました!
家にあった「熊本城」(川村 晃・成美堂)という本(物語?)の
うろおぼえでした。
探してもっかい読んでみたら「・・宮部は一人を斬り倒すが・・・」
というふうに書かれてました。殺したとは書かれてませんでした・・。
「喉を掻っきって」はそのように書かれていました。
不正確ですみませんでした・・・。
104日本@名無史さん:2001/08/16(木) 04:27
宮部鼎蔵は切腹したと思っていたよ。
105日本@名無史さん:2001/08/16(木) 16:42
切腹っていたそう・・・・。
106日本@名無史さん:2001/08/17(金) 01:31
内臓がドバッ・・・・
107日本@名無史さん:2001/08/17(金) 03:46
近藤勇と一騎打ちしたというのは本当かな?
108日本@名無史さん:2001/08/17(金) 21:45
腸があふれでて・・・・
109日本@名無史さん:2001/08/18(土) 15:55
前のめりになっていく・・・。
110日本@名無史さん:2001/08/19(日) 10:51
萌え〜
111日本@名無史さん:2001/08/20(月) 01:00
切腹萎え〜
112日本@名無史さん:2001/08/22(水) 17:38
切腹萌え〜
113日本@名無史さん:2001/08/23(木) 00:15
なんで神風連に宮部鼎蔵?
幕末に池田屋で死んでるよ?
114日本@名無史さん:2001/08/23(木) 01:28
宮部鼎蔵って何をした人?
115日本@名無史さん:2001/08/23(木) 02:17
朝倉正兵衛は?
116日本@名無史さん:2001/08/23(木) 02:22
>>115
神風連の志士?>朝倉正兵衛
117日本@名無史さん:2001/08/23(木) 05:38
??
118日本@名無史さん:2001/08/23(木) 23:59
朝倉正兵衛って神風連でどういう役割にあった人ですか?
119日本@名無史さん:2001/08/24(金) 01:17
????
120日本@名無史さん:2001/08/24(金) 01:42
神風連の全メンバーってどうやって調べればいいんですか?
121日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:05
メンバーなんて全員わかるの?
122日本@名無史さん:2001/08/24(金) 18:34
切腹に興味あるんだけど。>>神風連の
123日本@名無史さん:2001/08/25(土) 18:31
本で探してみよう。
124日本@名無史さん:2001/08/26(日) 02:14
>>120
俺も知りたい。誰か教えてくれ。
125日本@名無史さん:01/08/27 20:42 ID:P3tMDOo2
県立図書館くらいに行けば分かるよ。
126日本@名無史さん:01/08/28 03:17 ID:A7hhZRCc
>>125
熊本県人なら、ってことだろう?
127日本@名無史さん:01/08/28 22:56 ID:FW4oZjaI
どこでもあるでしょ。
128日本@名無史さん:01/08/29 00:25 ID:4tU3z1xw
>>127
全メンバーの名前が判明する神風連の文献が、ってこと?
俺は地元(熊本)の郷土資料室のような所を想像していたんだが。
129日本@名無史さん:01/08/29 23:53 ID:9QRWezVY
>>127
たとえばどういう資料のこと?
130日本@名無史さん:01/08/30 23:54 ID:AgcmiSiU
>>127
どんな本ですか?
教えてください。
131日本@名無史さん:01/08/31 09:22 ID:MtyLkymY
書籍は無いと思う。
熊本の資料館へ行けば何かあるかも。
132日本@名無史さん:01/08/31 23:55 ID:hJIc582k
>>131

だが>>127は、神風連の全人員の名前が掲載された本を読んだことがあるんだろ? 違うのか?
133日本@名無史さん:01/09/01 23:32 ID:yAIhcEOA
具体的な書名を教えてくれよ>>127
134日本@名無史さん:01/09/06 23:35
>>127は、神風連について別に詳しくもなく、ただ適当に言っただけだろう。
135日本@名無史さん:01/09/07 00:43
>>134
そうなん? 誰かいい文献教えてくれないかな。
136日本@名無史さん:01/09/07 01:00
>>135
荒木精之著『神風連実記』を読むべし。
137日本@名無史さん:01/09/11 23:46
>>136
その本知らない。今も売っているの?出版社とかは?
138日本@名無史さん:01/09/27 03:10
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の何巻かに神風連が詳しく出ているね。
139日本@名無史さん:01/09/27 18:04
溝口健二に「神風連」という作品があったそうな。
当時の批評では一部の評論家が絶賛した以外はボロクソに言われたが、
本人は大のお気に入り作品だったそうな。
見てみたい・・・・
140日本@名無史さん:01/09/27 23:25
石光真清「城下の人」中公文庫
でも当時の神風連観を知ることができる。
林桜園がオランダ語に堪能であったことを此れで知った。
141日本@名無史さん:01/09/28 00:30
>>139
おお、溝口健二が。それはぜひ観てみたい。
なぜ彼が神風連を?
でもビデオ化されてないんだろうね・・
142日本@名無史さん:01/09/28 02:20
神風連の映画とかドラマのビデオってありますか?
143日本@名無史さん:01/09/28 10:34
>>141
残念ながらフィルムは失われた模様。
144日本@名無史さん:01/09/28 13:15
>>141
溝口には明治趣味というのがあって、
明治情緒に溢れた作品を量産していた時期があったそうな。
おそらくその一環だと思われ。
「神風連」は内容は知らないけど>143の言うように
フィルムが火事だか何かで失われてもう見ることは出来ないらしい。
板違いsage
145日本@名無史さん:01/10/01 02:20
>>143-144
おお、情報ありがとう。そうかー、現存しないのか。残念だね。
溝口健二の作品なら観てみたかったね……

ちなみに漏れも『翔ぶが如く』で、神風連観がやや改まった。
ちょっと面白い存在だと思う。単なる時代遅れのアナクロ集団では
なかったみたいだね。
146日本@名無史さん:01/10/02 10:43
俺は三島の『奔馬』で神風連の詳細を知った。
あの作品中に描かれている神風連の模様って、史実的に正確なの?
147日本@名無史さん:01/10/03 01:04
>>146
ほぼ正確。三島は熊本にまで取材旅行に来た。
ずいぶん神風連に関心を持っていたらしい。
イギリスの新聞にも神風連を紹介する小論文(英文)を寄稿している。
148146:01/10/03 01:16
>147
おお、そうか。ありがとう!
149147:01/10/03 01:28
>>148
ただし、作中に登場する山尾綱紀著『神風連史話』という本は、架空のもの。
恐らく三島が依拠した文献は、石原醜男(いしはら・しこお)著『神風連血涙史』だと思われる。
神風連幹部の遺児による、神風連研究の原典的著作ね。
150日本@名無史さん:01/10/04 00:10
その本ってまだ売っていますか?
151日本@名無史さん:01/10/07 03:11
>>150
大正時代くらいに刊行されたものではなかったけ。
でも戦後一度復刻されていたと思う。
152日本@名無史さん:01/10/07 23:31
出版社を教えてください。
153日本@名無史さん:01/10/08 01:34
>>152

 【元版】
神風連血涙史 / 石原醜男著 : 大日社, 1935

 【復刻版】
神風連血涙史 / 石原醜男著 : 大和学芸図書, 1977

600ページ近くある大著だ。巻末に参考書類目録あり。
復刻版は神田古書店街でたまに見かける。
154日本@名無史さん:01/10/16 02:20
>>153
その本、図書館で探したけど無かったよぉ……
残念。国会に頼るしかないのか
155【^▽^】ジョーカー:01/10/16 21:57
加屋はる堅はゲイでした。
156日本@名無史さん
>>155
そうなん? 出典は?