1 :
名無しさん:
原氏の『大正天皇』をめぐって、雑誌『便座』じゃなかった『論座』紙上で激しいバトルが繰り広げられていますね。みなさん、このバトル、どっちに軍配を上げますか?みなさんのご意見をお聞かせください。
2 :
日本@名無史さん:2001/05/22(火) 18:05
原の反論は論点のすり替えで反論になってない。
「断定」でなく「推測」だからいいってもんじゃないだろう。
そりゃあんまりに安易な考えだ。
いくら「正しい」歴史がないとはいえ、
それは解釈の恣意性を許すものではない。
3 :
日本@名無史さん:2001/05/22(火) 18:10
だいたい、原武史って『原敬日記』刊本しか見てないんだから笑っちゃうよ。
原本にある大正天皇に関する都合の悪い記述はすべて刊本では削られてるのにさ。
はっきりいって、「客観的に正しい歴史」はないなどと、偉そうなことぬかすなら、
現在存在している史料がいかなる性質のものなのか、「なぜ存在するのか」ぐらいちゃんと把握しろよ。
そういった作業を行わないで、史料を盲目的に使ったって駄目駄目。
結局彼も歴史=物語論に安住して、自分の歴史解釈を特権化してるだけ。
本当は、歴史=物語になってしまうからこそ、現存する史料に対する厳密な批判的検討が必要なのに。
あの安易な史料使用はそういうことが全然わかってないって証拠だね。
4 :
日本@名無史さん:2001/05/22(火) 18:39
原ってだいたい歴史家じゃないだろ。
5 :
日本@名無史さん:2001/05/22(火) 19:05
どういう経歴の人?
6 :
日本@名無史さん:2001/05/22(火) 19:59
原典に当たらないのなら史料の引用とも言えないのでは?
原武史=サヨク
古川隆久=キチガイ
8 :
目のつけ所が名無しさん:2001/05/22(火) 23:50
>>7 論拠をかいてくれ
ちなみに、原を左翼というが、宮内庁はあの本を「よくできてる」と高く評価してるらしいぞ。馬鹿を「賢君」にしてくれたのがうれしかったのかな?
>>3 >だいたい、原武史って『原敬日記』刊本しか見てないんだから笑っちゃうよ。
そうそう、これにはマジ笑った。
しかも福村から出てる奴じゃなくて、それより古いボロ版からの引用だろ。おかしくて腹こじれたよ。
10 :
名無しです:2001/05/22(火) 23:59
刊本で削除された記述
どんなものがあるのか知りたい。
1=2=3=4=8=9
ごくろーさん。
12 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:02
>>11 なんか言いたいなら妄想より先に反論書けば?
13 :
名無しです:2001/05/23(水) 00:02
原典は無論全国で1部しかないよね?
どうやったら読めるのですか?
14 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:03
(1)電波トンデモ言説を自信満々にわめく。
↓
(2)その言説を冷静だが毒のある者からからかわれる。
↓
(3)サヨクは、からかわれているのに理解できず、
反論だと思い込んでキレる。
↓
(4)サヨクは、彼をからかった相手を右翼と思い込む。
↓
(5)サヨクは、元々の自らのトンデモ発言には触れず、
右翼(特に旧式右翼)の類型化した批判で反撃する。
↓
(6)からかったほうは、別に右翼でもなんでもないので、
右翼批判を以て反撃されても苦笑するしかない。
↓
(7)サヨク、勝手に勝利宣言。
ふたたび自分の内なる世界に戻り、(1)へ繰り返し
診断)コミュニケーションの不在
15 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:08
>>13 原敬日記は原本の影印版が出てて、そこらの図書館で簡単にみれるんだよ。日本近代史かじってる人なら知ってると思うけど。
そんな簡単に見れるものすら見てないってこと、原武史は。
16 :
名無しです:2001/05/23(水) 00:10
刊本が原典から恣意的に削除しているというなら
それはそれで大きな問題だと思うけど。
自分のような一般人は確かめる術がないから
知ってる人はその箇所とかを紹介したら
ここの展開も面白くなるんじゃないかな。
17 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:10
うわはははは!
13はマジでいってんの?無知をさらけだしてますな!
18 :
名無しです:2001/05/23(水) 00:13
>15
そうなの?
でも読んだことない。
>そこらの図書館で
県庁所在地クラスの大都市市立図書館ならありますか?
今度探してみよう。
19 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:13
>>16 恣意的削除っていうか、
刊本にする際の条件だったんだよ。
原圭一郎という原本所持者が、大正天皇関係と、原家の内情関係の記事は差し止めてくれって。
だから、影印本みると、原圭一郎が大きくバッテンつけてる場所があったりすんのさ。
そこがつまり完本で抜かれてるところね。
実際引用すりゃいいんだけど、今手元に無いし、探すのも面倒なので、誰か頼む。
20 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:15
>1
>雑誌『便座』
さりげなく入れてるな。
笑ったよ。
21 :
名無しです:2001/05/23(水) 00:15
無知だよ。そういう無知な人間でも
興味があることについて素人なりに話せるのが
2ちゃんだと思うけど。
>>17 少なくとも厨房まがいの無礼ではなく、
丁寧に質問してるのだから、そういうこといわないの!
23 :
名無しです:2001/05/23(水) 00:20
原典=筆者がじかに書いたもの
ではなくて、それを写真版で写した物も
原典と呼ばれるんですか。
24 :
17:2001/05/23(水) 00:22
25 :
転載:2001/05/23(水) 00:27
大正天皇について誰でも思い浮かべる逸話は、議会での「遠眼鏡事件」である。開院式に出かけた天皇が詔勅(しょうちょく)を読んだ後、くるくると巻いた詔書を透かして眺めた仕種がまるで遠眼鏡で覗(のぞ)いたように見えたという。
しかし、原氏はこの逸話にはどうも信憑性(しんぴょうせい)が乏しいと斥(しりぞ)ける。それどころか、大正天皇にまつわる事件は、ためにする話題が多い。自由闊達な天皇に危惧を抱いた山県有朋など元老たちが、明治天皇をモデルに裕仁皇太子(後の昭和天皇)を輔育するために大正天皇の「髄膜炎」をことさらに強調したのでは、というのだ。明治と昭和という二つの時代の幕間として目立たない大正の歴史相を考える上でも、あるいは天皇制の歴史的意味を分析する上でも、重厚な書物が出されたものである。
原氏は、明宮(はるのみや)と呼ばれた大正天皇が自分の言葉で意志をはっきりと示す人物だったと主張する。明宮は、体力が優れないにもかかわらず地方巡啓をいとわず、沖縄を除く日本全土をほぼ歴訪し、病院では不幸な患者に言葉をかけ、陸軍演習の見学から抜け出し突然旧友を訪れた。
妃として迎えた九条節子(後の貞明皇后)と琴瑟(きんしつ)相和して、明宮が順調に体力や精神を回復していくプロセスも感動的に描かれる。妃のピアノ演奏に合わせて子どもたちと一緒に唱歌を楽しむ光景などは、平成人の家庭よりもはるかに円満な風情を感じさせるほどだ。また、朝鮮語も熱心に学習し、李王家にも思いやりを示すなど、人としての優しい心根も月並ではない。
しかし、この明宮が何故に天皇になってストレスをつのらせたのであろうか。著者は、市民たちと自由に交歓することで気分転換をはかり、気質の上でやや不安定な精神の回復をはかっていた点を強調する。天皇に即位すれば、もはや一般市民はもとより高官とも普通の会話ができなくなる。しかも、周りには朋友有栖川宮、大隈重信や原敬といった寵臣がおらず、山県などウマの合わない重臣が明治天皇をしきりに理想化する。これでは、ストレスがこうじるのも当然であったろう。
しかも、むごいのは元老や近臣たちが大正天皇の病弱ぶりをしきりに流したことである。原敬暗殺の直後、一九二一年十一月の宮内省発表は、「御脳力の衰退は御幼少の時御悩み遊ばされたる御脳病に原因する」と、現代人の感覚でも相当な人権の無視を平気でおこなう。裕仁皇太子の摂政への道を準備するとはいえ、あまりにも露骨な表現であろう。政務が難しくなったとはいえ、天皇の意思を無視して侍従長が印鑑を持ち去る光景は、痛ましくなるほどだ。
原氏は、大正天皇という不幸な人物を等身大で描こうとしたのだろう。天皇制の賛否を論じようとせず、また善悪といった価値判断でもなく、歴史における個人の資質と役割について深いレベルで幅広い史料を渉猟(しょうりょう)しながら本書をまとめたのである。原氏は、大正天皇の死後、貞明皇太后が朝夕必ず天皇の画像を安置した部屋に入った事実を紹介する。秩父宮は、皇太后が午前中の大部分をこの部屋で「生ける人に仕えるように……」過ごしたと証言していた。こうして皇太后は、昭和になってからの約二十五年を生き抜いた。原氏は、「皇太后の頑ななまでの態度の中に、世間にすっかり定着した大正天皇の評価に対する、静かな、しかし毅然とした抵抗の意志が、まぎれもなく現れている」と結んでいる。あるいは、それこそ夫の早世を招いたシステムへの抵抗だったのかもしれない。
(毎日新聞2000年12月17日東京朝刊から)
26 :
それへの批判の転載:2001/05/23(水) 00:30
まず第一に、本書が巡啓を重要視し、それをこなした大正天皇を、健康であったと評価する点である。著者は皇太子時代の巡啓を殊更に強調して、大正天皇健康説、人間的な天皇説を述べているが、本当に巡啓の様子だけを検討することだけで、そのような説を主張することができるのだろうか。巡啓の様子は、所詮は大正天皇の旅のエピソードにすぎない。本書においては、東京での皇太子の様子について、家庭生活についての言及はあるが、日常的な公務・政務に関する記述は全くないように思われる。大正天皇に関しては、この日常的なものが問題となっているのではないだろうか。これに関する検討がない限り、大正天皇についての今までの言説を覆す事はできないと思われる。また巡啓に関しても、途中で、皇太子が病気になってしまい、巡啓期間を短くしているのであり、著者の言うような「転地療養」の意味が本当になったのか疑問が残る。
27 :
それへの批判の転載2:2001/05/23(水) 00:30
疑問の第二として、見える天皇と見えない天皇に関する解釈である。著者は大正天皇の行幸の様子が写真付きで報道されることについて、「生身の姿がマス・メディアを通じて伝えられ……多くの人がそれを知るようになった」「明治天皇とは異なる大正天皇の意向」と評価しているのに対し、行幸において一般市民と実際に接触する機会を失ったことに関しては、「大正天皇の身体を直接見えなくすることで、政治的権威をいっそう確立させる」「天皇個人の自由な意思が受け入れられることはなかった」と評価している。こうして見ると、著者は場面ごとで、都合良く見える天皇、見えない天皇を使い分けていないだろうか。いったいこの時期、天皇をどのように「見せよう」「見えないようにしよう」としていたのだろうか。著者には、この頃のマス・メディアの発達とも関連させて、もっと大局的に、深く検討して欲しかった。
28 :
それへの批判の転載3:2001/05/23(水) 00:31
最後の疑問として、大正天皇の政治的行為の問題である。本書は、安田浩氏の指摘した、大正政変に関しての、天皇の絶対的権威の低下については触れられていないように思われる。(安田浩『天皇の政治史』1998)こうした天皇「権威」の問題や天皇の政治行為の問題について、本書でもっと触れてほしかったと思う。研究史においては、飛鳥井雅道氏は、明治後期より天皇の「機関」化が進んでいたとし、大正天皇の登場はその流れをより押し進めたとしている。(飛鳥井雅道「近代天皇像の展開」『日本通史』第17巻1994)また、増田知子氏は、1900年体制という天皇主権と国家主権の並立状態において、大正天皇の登場は、君主の意思に頼ることなく、大権を一元的に運用するかという問題を生みだしたとしている。それが、美濃部達吉の「大臣責任論」「天皇機関説」へと発展していった。(増田知子『天皇制と国家』1999)このように、従来の研究史において、その「機関」としての役割が指摘されている天皇が、なぜ「押し込め」られなければならなかったのか。著者に述べて欲しかったところである。
29 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:34
内容に憶測・飛躍が散見されたのは、その切り口が面白かっただけに残念であった。。しかも、事実をならべる中に、「おそらくこう思っていたのではあるまいか」という筆者の勝手な思いを交じり込ませるあたりは、常識ある歴史家なら避ける筆の運び方であり、あまり感心しない。ジャーナリズムではなく、たんなるデマゴーグにすぎない日本のマスコミそっくりだ。とおもったら、あとがきを読むとこの筆者、元日経新聞の記者であることが分かった。三つ子の魂百まで。職業変えても昔の癖はそのままのこってしまうんだなあ。
30 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:37
◆病弱で無能は虚像 象徴制の原型見る◆
歴史研究者の使命とは何かを考える時、決まって思い出すのは名著『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の著者、津田左右吉の言葉である。
「学問は決まつてゐることを決まつてゐるとほりに学び知るのではなく、だれにも知られなかつたこと、わからなかつたこと、考へられなかつたことを新に知り、考へ、きわめてゆくのであります」
「大帝」「名君」と呼ばれた明治天皇と国民から敬愛された昭和天皇の谷間にあって、真の姿を「だれにも知られなかった」大正天皇の実像を掘り起こした本書は、その見本と言っていい。
大正天皇といえば、帝国議会の開院式で詔書をくるくる巻いて遠眼鏡(とおめがね)のようにして議員席を見回したという「遠眼鏡事件」に代表されるように、病弱で無能の君主というイメージのみが流布されている。しかし、『原敬日記』などをもとに著者が“復元”した大正天皇像はまったく異なる。
溌剌(はつらつ)として全国を巡幸、家族の団欒(だんらん)を大切にし、きさくで人間味に溢(あふ)れていた。戦後の象徴天皇制の原型がそこにはあった。しかも大正天皇は「現人神(あらひとがみ)」としてカリスマ的権威を持った厳格な君主たる明治天皇への違和感をしばしば漏らした。
こうした言動は、牧野伸顕ら宮内官僚からみれば、近代天皇制の根幹を揺るがす危険性をはらんでいた。病弱のイメージのみを残し、真の姿が封印されたのは各国君主制の相次ぐ崩壊を目の当たりにした宮内官僚が、強い天皇を求めて強制的に「押し込め」たからにほかならない――というのが著者の結論だ。
大正天皇亡きあと貞明皇后は、朝夕多摩陵に向かって遙拝(ようはい)し、長い時間をかけて亡き天皇に祈り続ける習慣を一日も欠かさなかったという。
その姿に世間に定着した大正天皇評価への「静かで毅然(きぜん)とした抵抗の意志」をみる著者に、私たちは悲劇の天皇への溢れるばかりの思いを感じる。大正天皇論のパラダイム転換であり、大正研究史に新たな一ページが加わった。(朝日選書、1300円)評者・橋本 五郎(テレビキャスター)
◇はら・たけし=一九六二年、東京都生まれ。明治学院大学助教授。著書に『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社)など。
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/20001210iii2.htm
31 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:39
32 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:40
33 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:46
グリフィスの『ミカド』やベルツの『ベルツ日記』
読もうね。両方とも岩波だから貴方も信用できるでしょ?
おまけに外国人の著作だし。
大正天皇は精神の病に罹られたのであって
決して暗愚な方ではない。
34 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 00:52
>19
どうもすみません。所有者が拒んだ以上
自分で×印の部分を読解する以外ないわけか・・・。
>17
もう気にしませんので。
ただ最後に一つだけ余計な事だと承知で。
ここには学者や専攻の人も大勢来ているだろうけど
学生や院生ならともかく、プロの教官クラスなら
余り素人を馬鹿にしない方がいいと思いますよ。
素人より物を知ってるからプロ。というか知っていてくれなきゃ困る。
そんな当たり前の事で相手が教え子ならともかくただの一般人を嘲笑しても
逆に滑稽にすら見えます。学生時代、時折そういう思いで
教官を見ていました。すみません。
>>26 1900年の九州巡啓の後、ベルツは日記でこう書いている。
「もともと東宮は、幼時のご病気以来おちついて一つのことに
専念するのを好まれない性質なのだが、近頃はこれが旅行好きの形を
とって現れてきた。特に東京を嫌われるのであるが、実のところ、
次代の天皇が一年のうち少しの期間ぐらい首都ですごされるのは、
なんといっても、当然の話と思う。」
地方巡啓から帰れば、3人の子供(親王)にお土産をもって帰るなど、
家庭的な父親であった。ベルツはこう記している。
「皇子たちに対する東宮の、父親としての満悦ぶりには胸うたれる。」と。
36 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 01:11
>>35 その引用で何を言いたいの?もちっと説明して。
37 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 01:47
大正天皇の評価は、大正デモクラシーという時代的な風潮の中で、どう君主として振る舞ったかでしょう。
大正の政変で、天皇の果たした役割は何だったのか。ただ桂太郎の擁護・用心棒でしかなかった。つぎの、米騒動の時はどうであったか。ただ、寺内の軍隊出動にコケにされる暗君でしかなかった。
要するに、大正デモクラシーにおけるドンキホーテですな。一体、この評価に反対する人って、確固たる根拠があって言っているのかな。
38 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 07:40
久しぶりにおもろかった〜
このスレに感謝。
39 :
日本@名無史さん:2001/05/23(水) 23:41
学んだね
40 :
日本@名無史さん:2001/05/25(金) 01:38
原擁護はいないのねん?
原叩いてるの1だけじゃん。
42 :
さん:2001/05/25(金) 23:29
43 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 23:27
もう終了か?
44 :
名無しさんの花園:2001/05/28(月) 21:18
45 :
日本@名無史さん:2001/06/08(金) 14:08
age
46 :
日本@名無史さん:2001/06/08(金) 14:20
∧_∧ ∧_∧
ち下さい ( ・∀・) そのままマターリでお待ち下さい ( ・∀・) そのままマターリでお待
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47 :
日本@名無史さん:2001/06/11(月) 20:28
age
48 :
日本@名無史さん:2001/06/12(火) 13:08
けっこうスキ
49 :
日本@名無史さん:2001/06/12(火) 13:12
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50 :
日本@名無史さん:2001/06/12(火) 23:15
出版された時に買おうかどうか迷ったんだけど,
どう? 買って読むべき本かい?
かってはいけない。図書館で読め