記紀と三国史記

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1日本@名無史さん
の記述が一致している部分というのは、あるのでしょうか?
新羅の王の名とか全然一致してないと聞いているのですが。
2名無しさん:2001/05/07(月) 18:31
三国史記は11世紀だからなあ。
高麗王朝が前の王朝のことを書いたもんだし、
素直に信じるのはちょっとね。
3日本@名無史さん:2001/05/07(月) 18:36
新羅王の名とか一致してるっぽいところはなくはないよ。
逆に、まったく不一致なとこもないと思う。
4日本@名無史さん:2001/05/07(月) 18:59
似てる発音だったりするから、表記の問題なんじゃないの?
あと、三国史記は中国の史書と矛盾しないようにバイアスがかかっているから、要注意。
5名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 19:07
>>2
1145年だから12世紀だよ。
6日本@名無史さん:2001/05/07(月) 20:47
天日矛は?
新羅王家に名があるの?
7日本@名無史さん:2001/05/08(火) 03:29
まあ天日矛はちがうけどね。それ以外なら。
8日本@名無史さん:2001/05/08(火) 04:26
最近は、ヒガミ鮮人どもは電波たれてねえのかよ。つまんねえな。
9日本@名無史さん:2001/05/08(火) 17:36
なんで、日本書紀は実際の百済の歴史と
2,3百年くらいさば読んでるの?
10日本@名無史さん:2001/05/08(火) 21:17
神功皇后の新羅征伐の記事って
三国史記にはないよな。
該当王らしきものはあるのに(名は忘れた)、
倭人の話でてこなかった。


具体的な議論はできないのかな、
そもそも日本書紀と三国史記を読み比べている人いないしね。
11日本@名無史さん:2001/05/08(火) 22:01
>>9
2,3百年じゃなくて120年だよ。
もともと干支しかなかったのを、後になって適当な年代に当てはめたってことではどっちも同じ。
「三国史記が正しく日本書紀がさばよんでる」ってことではない。と井上秀雄がいってる。

>>10
日本書紀の神功皇后の新羅征伐の記事に「波沙(はさ)ム錦」とあるのが
三国史記の「婆娑(ばさ)尼師今」のことだな。
婆娑尼師今の在位期間は神功皇后の新羅征伐より約90年も前のことだが
日本書紀の年代設定は信頼性がおちるが、三国史記の年代設定もこのへん(前半の方)は
神話伝説的で、同じく信頼性がおちるので、これぐらいのズレはまあしかたあるまい。
ただ新羅に倭が侵攻した記事は多いのに婆娑尼師今の治世にはそれがないのがやや不自然ではある。
12日本@名無史さん:2001/05/09(水) 16:46
>11
婆娑尼師今に関しては、日本書紀には
別の表記もあったのが不審だと思うんだけど。
三国史記のほうが、倭に大勝したとか頻繁に出てるけど
結構怪しいものがあるよ。
たいてい新羅王は倭に王子を人質や朝貢出してるし。
逆に倭が朝貢したとも書かれているね。
当時のことは正しくわかることは不可能だけれども。
日本書紀も似たようなものなんだけどね。
13日本@名無史さん:2001/05/09(水) 20:32
>>12
>婆娑尼師今に関しては、日本書紀には 別の表記もあったのが不審だと思うんだけど。

それは宇流曽富利智加(うるそほりちか。漢字はちょっと違ってるかもゴメン)でしょ。
三国史記の「于老」のことだと推定される。婆娑と于老じゃ時代がちがいすぎるけど、
情報が錯綜してるんだろう。
14日本@名無史さん:2001/05/10(木) 16:37
age
15日本@名無史さん:2001/05/11(金) 18:55
age
16日本@名無史さん:2001/05/11(金) 19:11
まあ記紀にしても8Cにできたものだからなあ。
昔の話に事実性を期待するのはどだい無理な話。
要は言い伝えや伝説を集めて、それと中国の歴史書を集めて
作ったわけでしょ。その中に史実があっても
5W1Hが全て一致している可能性は限りなく低い。
紀元400年や500年頃の話に現実味はないよな。
17日本@名無史さん:2001/05/11(金) 19:56
「于老」は王族でも王にはなってなかったから、
少し問題あるかな。倭人によって
殺害されたとあるし。その辺何か匂うものあるのですが。
日本書紀に出てくる「呉国」は中国の南朝でよいのですかな。
18日本@名無史さん:2001/05/12(土) 17:04
age
19日本@名無史さん:2001/05/13(日) 02:46
>>16賛成。あなた偉い。
20日本@名無史さん:2001/05/13(日) 17:37
age
21日本@名無史さん:2001/05/14(月) 16:47
age
22日本@名無史さん:2001/05/15(火) 16:51
age
23日本@名無史さん:2001/05/16(水) 16:29
age
24日本@名無史さん:2001/05/17(木) 16:34
古代の国力(継体以前)

高句麗=日本>>>>>(蝦夷)>>>新羅>>>>百済
いちおう国ではないが、蝦夷いれてみました。
25日本@名無史さん:2001/05/17(木) 19:17
>>24
携体以前に、蝦夷をその位置に入れる根拠をきぼーん
26日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:47
古事記・日本書紀の古い時代が引き伸ばされてるってのは有名だが、
人物の寿命は最高でも200歳に届かず、長生きした人で120歳くらい。
魏略の「倭人は正歳を知らず。春耕秋収をもって年紀となす」から唱えられた
2倍年暦論が説得力を持つ。皇室でやってる大祓は1年の厄を祓うんだと思うが、
水無月と師走と2回あるからな。盆と正月も本来同じものだと思う。
2倍年暦と1倍年暦の境は、おそらく継体だ。年齢が古事記と日本書紀で
倍近く違うから。やはりあそこで王朝が代わっている。

朝鮮半島もAD3世紀までは三韓時代のはずなのに、三国史記が三国の発祥を
BC1世紀にしているのは、途中まで2倍年暦だったからだと思うぞ。
年代のバイアスをかけて読めばいろいろわかるんじゃないかな。
2倍年暦は珍しくない。パラオやギニアにある。聖書も最初の頃は1000歳
くらいで死んでる。これは新月から満月までを1歳とする20倍年暦だろう。
それから500歳くらいで死ぬ時代、100歳くらいで死ぬ時代があって、
キリストの頃にやっと50歳くらいで死ぬようになる。
27日本@名無史さん:2001/05/18(金) 22:02
age
28日本@名無史さん:2001/05/18(金) 22:27
>24

一説には、蝦夷は中国の書からみると
結構国力のある国だったらしい。
29日本@名無史さん:2001/05/19(土) 01:13
>>28
中国の何書だ?
30名無しさん:2001/05/19(土) 16:29
>>26
その説は、俺も聞いたことがある。
しかし、2倍をやめた時期については諸説紛々。
31日本@名無史さん:2001/05/20(日) 15:22
age
32日本@名無史さん:2001/05/21(月) 16:40
>29

毛人って旧唐書だったかかいてある
33日本@名無史さん:2001/05/22(火) 16:30
age
34日本@名無史さん:2001/05/23(水) 18:18
あげ
35世界@名無史さん:2001/05/23(水) 20:05
日本国使に従って蝦夷国使も朝貢したことが書いてあるよ。
36日本@名無史さん:2001/05/24(木) 14:37
age
37日本@名無史さん:2001/05/25(金) 18:52
age
38日本@名無史さん:2001/05/26(土) 16:21
age
39日本@名無史さん:2001/05/27(日) 10:43
age
40日本@名無史さん:2001/06/02(土) 05:13
蝦夷国使ってなによ?
41日本@名無史さん:2001/06/02(土) 19:59
あげ
42日本@名無史さん:2001/06/06(水) 20:33
五王はでっちあげ
矛盾しすぎ
43凸(`ー゚)Danke!!:2001/06/20(水) 17:19
44凸(`ー゚) yes!!:2001/06/20(水) 17:19
45凸(`ー゚) nice!!:2001/06/20(水) 17:20
46日本@名無史さん :2001/06/20(水) 17:20
47世界@名無史さん :2001/06/20(水) 17:21
48日本@名無史さん:2001/06/21(木) 00:50
>>42
五王はでっちあげって・・・宋書がでっちあげたのか???
49日本@名無史さん:2001/06/26(火) 01:57
日本の王なのになんで一字ばかりなんだろうね
50名無しさん:2001/06/27(水) 19:03
>49
さあ?
51日本@名無史さん:2001/06/27(水) 19:06
>49
一番個性的な部分を採ったんじゃないの。
武がワカタケルのタケルの部分とか。
52日本@名無史さん:2001/07/02(月) 10:01
「武」は上表文の主旨からとったんだろう。
53名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 11:17
新羅の始祖の重臣についての話で、三国史記の記述は以下の通り。
「瓠公はその出身の氏族名を明らかにしていない。瓠公はもともと倭人で、
むかし瓠を腰にさげ、海を渡って来た。それで瓠公と称したのである。」

しかし、これはよく読むと瓠公の「瓠」がPakakないしPakであるので
その主人にして始祖王である朴赫居世干とじつは本来は同一人物であったのでは
ないのかという見方が出来るのである。

始祖王、朴赫居世干に対する記述が神話的で曖昧であるのに対し、
倭人の瓠公の記録はひじょうに具体的で、しかも分量も多い。
「瓠公」が「ホコ」とも読めることにも注目。(天日槍)
54日本@名無史さん :2001/07/02(月) 11:32
三国史記のソースって何なの?
秀吉が燃やしたっての以外でそのソースが残ってない理由って?
55日本@名無史さん:2001/07/02(月) 18:14
>>54
三国史記と秀吉だって時代が違いすぎるのに、
三国史記のソースってったらさらにその前だろ。
なに逝ってんだろね、この人は・・・
56日本@名無史さん:2001/07/03(火) 19:05
記紀では、二倍年暦の関係で、国外との関係は同じ事件が二度に
わたってかかれていることがあると言うのを読んだことがある。
国内伝承での「天皇」の時と、国外記録の干支の一致する時の二回。
それで事件の前後関係がおかしくなったり、つじつまあわせの文章
が入ったりして、流れがわかりにくいということらしい。

そもそも、日本側の見方と高麗側の見方が違うから、例えば戦争
でも勝った側は大勝と書いても、負けた側は無視するとかあるで
しょうから、全ての記述に矛盾が無いということはありえないでしょ
う。ただ何らかの示唆する記述はあるかもしれませんが。
57日本@名無史さん:2001/07/04(水) 01:51
あほか。
二倍年暦なんて仮説の域から一歩もでてないし、
そんなうまいこと整合してたら暦年の解明なんかとっくに安直に終わってるだろうがよ。
58日本@名無史さん:2001/07/04(水) 02:18
アホはお前だ。
2倍年暦が古代史の年代のズレを最もよく
解釈できる方法論であることは確実。
倭だけじゃないぞ。
三国史記だって当然4世紀に成立した新羅や百済を
BC1世紀建国のように書いてるだろうが。
あれも2倍年暦で考えた方が合理的だ。
59名無しさん:2001/07/04(水) 02:27
2倍年暦の可能性は否定できないが、その場合、いつの時代までが2倍年暦なのかの見極めが難しい。
60日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:27
なにが確実だって? 笑わせるなヨ、厨房が。

4世紀以前は伝説だろ。べつに2倍歴もってこなきゃならない必然性はない。
そもそも2倍歴なんてトンデモ信者の頭の中だけにあって
当時の東アジアにそんなものがあったという傍証はまったくなし。
まだまだひとつの仮説にすぎないんだよ。おぼえとけ。
61>26:2001/07/04(水) 12:35
最後の「やはりあそこで王朝が代わっている」
て結論は急ぎすぎ。
62日本@名無史さん:2001/07/06(金) 18:03
>>60
皇甫謐曰く「堯、即位九十八年、舜の摂を通じて二十八年なり。凡そ年百一十七歳」(史記)
63日本@名無史さん:2001/07/06(金) 18:31
>>53
瓠公の「公」は、水戸光圀公の「公」と同じでは。
64日本@名無史さん:2001/07/06(金) 19:49
二倍暦は胡散臭い仮説以上のものではないよ。
説明はそれなりにつくが、証明は不可能だしね。
65日本@名無史さん :2001/07/07(土) 11:28
寿一百五十八歳(王)、寿一百五十七歳(后)。(三国遺事、駕絡国記)
其の人の寿考。或いは百年、或いは八,九十年。
其の国、本亦男子を以て王と為し、住まること七,八十年。
魏略曰く、その俗は正歳四節を知らず、ただ春耕秋収を記して年紀となす。(魏志倭人伝)
多くは寿考、百余歳に至る者甚だ多し。(後漢書倭伝)
66日本@名無史さん:2001/07/07(土) 11:47
>>65
>其の国、本亦男子を以て王と為し、住まること七,八十年。

なんでこれが二倍年歴なんだよ

>魏略曰く、その俗は正歳四節を知らず、ただ春耕秋収を記して年紀となす。(魏志倭人伝)

これはよくある誤解だなぁ。しかも、原文に忠実でない。

原文>其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀

原文は「記す」ではなく「計る」。

ここの言わんとしていることは一年を春夏秋冬と四つに分けて扱うのではなく、
春の耕作と秋の収穫で二つにわけているという意味でしかないんだが。
67日本@名無史さん:2001/07/07(土) 12:11
そのとおりだ。
つーか年中行事の農作業の一巡で年月の移り変わりを知るってぐらいの意味だろ。
こんな文章から二倍年歴なんで妄想かきたてるのは、かなり電波入ってないと無理。
6865:2001/07/07(土) 12:30
>>66
>これはよくある誤解だなぁ。しかも、原文に忠実でない
わたしも、「記す」ではなく「計る」だと思っています。
春耕と秋收の時点を計測して、それぞれを年紀(としのくぎり)とする。
魏略曰其俗不知正歳四(節)但(計)春耕秋收爲年紀(南宋の紹興本、紹煕本)
魏略曰其俗不知正歳四(時)但(記)春耕秋收爲年紀(清朝欽定、四書全書本,乾隆四年校刊本)
69日本@名無史さん:2001/07/07(土) 13:44
二倍年歴をつかったら倭の五王の比定もすんなりできるのかな?
70日本@名無史さん:2001/07/07(土) 15:26
>>55
>三国史記と秀吉だって時代が違いすぎるのに、
>三国史記のソースってったらさらにその前だろ。
>なに逝ってんだろね、この人は・・・

いや、>>54が悪いんじゃなくって朝鮮の学会では
三国史記の元となった、新羅史、高句麗史、百済史というのが
秀吉の時代まできちんと存在していて、秀吉によって焼かれてしまった
という電波を真面目に唱える学者が主流のようです。
在日朝鮮人に向かって「朝鮮は初めての正史が12世紀編纂ですね。」
といってみると判ると思う。基本的に朝鮮は自国に無いものはすべて
秀吉に焼かれたことになってる。昔の朝鮮は世界で最も文化、科学技術の進んだ
国で、今の朝鮮が、文献もなければ文化財も少ないのは、すべて秀吉に焼かれたからだそうだ。
71日本@名無史さん:2001/07/07(土) 15:37
韓国を旅行すると文化財の安っぽいのに驚く。
結局説明は「壬申倭乱で失われた」になるんだが、
老人に聞くと「昔は朝鮮戦争で焼かれたと言ってた」と言うんだな。
朝鮮戦争ってのも昔は金日成が仕掛けたとされてたが、
今はロシアの命令でってことになってるらしい。
どこまでもウリナラは悪くないってわけね。
72日本@名無史さん:2001/07/07(土) 20:18
>>71
韓国に行くと古刹って仏国寺ぐらいしかないのね。
しかもへぼい寺で殆ど再建してあるんで歴史的価値も無いんだよね
それでやっぱり仏国寺は、秀吉によって焼かれた、それまでは原形をとどめていた
ってガイドブックにかいてある。でもこれは嘘。歴史上何度も焼かれているし
しかも文禄慶長の役で寺に火をつけたのは朝鮮の民衆だった。
どうしてあそこまで嘘をつけるのか不思議だね。
73日本@名無史さん:2001/07/07(土) 20:24
韓国では、骨董屋を覗くと首のない仏像が売られていることが多い。李朝の斥仏政策のもとで、仏像の首が切り落とされたからである。それに今日でも韓国では、平地に仏教の寺がない。寺をたずねようとしたら、山を奥深く分け入ってゆかねばならない。
李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。仏教は目の敵とされた。李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年〜18年)の治世になると、仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったというのに、寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。
その後も、仏教へのパンチが次々と繰り出された。仏教はよろめき続け、ついにマットに沈んだ。四代目の国王の世宗(在位1418年〜50年)は、全宗派を禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残して、他の寺を廃した。世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかった。
儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。九代目の成宗(在位1469年〜94年)は、出家することを全面的に禁じた。
李朝時代は、そのまま仏教を苛めた歴史であるといってよい。十一代目の中宗(在位1506年〜44年)は、全国にわたって仏像を没収して、溶かしたうえで武器に鋳造した。また僧侶を土木工事に使うようになった。僧侶は使役されるとき以外は、漢城(ソウル)に出入りを禁じられるようになった。仏教は、山のなかに逃げ込んで細々と命脈を保った。僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられた。
74日本@名無史さん:2001/07/07(土) 21:06
>>73
できれば適度に改行するとか、一行あけるとかお願いね。
せっかくの長文だから。
75日本@名無史さん:2001/07/07(土) 21:09
>70
>三国史記の元となった、新羅史、高句麗史、百済史というのが
>秀吉の時代まできちんと存在していて、秀吉によって焼かれてしまった
>という電波を真面目に唱える学者が主流のようです。

どうでもいいが適当なことばっかぬかすのはやめれ。
三国史記の元ネタになった書物の存在を肯定するのは何も韓国の学者だ
けじゃなく、日本でも否定してる学者の方がまれ。
それと、高句麗の国史が焼失したのは高句麗滅亡時というのが韓国でも
通説だ。なんでもかんでも秀吉に焼かれたなんていってねえぞ。

ちなみに朝鮮は全土が戦火に包まれることが多かったから特に史書等の
保存には意を尽くしていた。高麗大蔵経なんか4つ複製して東西南北の
各要害に一つずつおいてるほど。
それでも秀吉に攻められたときに残ったのはわずか一つだけ。
秀吉のせいで多くの文化財が焼失したことだけは事実だろうな。
76日本@名無史さん:2001/07/07(土) 21:33
>それでも秀吉に攻められたときに残ったのはわずか一つだけ。
>秀吉のせいで多くの文化財が焼失したことだけは事実だろうな。

ハイハイ、朝鮮スレになると電波を飛ばしに来るチョンが
またこりもせずに来たね。
秀吉は古刹は焼いてません。そもそも、当時の武士の戦いというのは
なるべく、戦火の被害が及ばないように、郊外で戦うなどの配慮があり
だからこそ100年以上続いた戦乱でも多くの寺社が戦乱を免れたのです。
秀吉の略奪というのは、朝鮮人が自国の歴史を元に
強い軍隊なら当然略奪するだろうという考えのもとに考えた捏造です。
歴史書を紐解いても文禄慶長の役での焼失というのは殆どが
朝鮮民衆によるもの。秀吉が焼いたと当時の一次資料に残ってるのは
ありません。

「龍を気取る中国 虎の威を借る韓国」 黄文雄より

景福宮などの焼失は、大部分の韓国の観光案内板によれば、
「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の兵によるもの」と書かれているが、
それは嘘だ。李恒福の『白沙集』によれば、
秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、
宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、
奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。
それが歴史の史実だ。
77日本@名無史さん:2001/07/07(土) 21:41
>三国史記の元ネタになった書物の存在を肯定するのは何も韓国の
>学者だけじゃなく、日本でも否定してる学者の方がまれ。

つーかそこまで否定してる学者なんていないでしょ?
問題は三国史記の原資料となった書物が秀吉の時代まで
存在してたかどうかでしょう。
78【注意】【注意】:2001/07/07(土) 21:49
>>77-76
75は何度も朝鮮スレッドで朝鮮電波史観をぶち上げる
確信犯の基地外です。相手にしないようにしましょう。

参考スレッド
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=982861726
ここで三国史記の正当性についてぶち上げるも見事に惨敗
上げ荒らしで逃げた馬鹿。
79日本@名無史さん:2001/07/07(土) 22:20
>>78
気持ちはわかるが、あまり過剰に反応しないほうがいいよ。
戦後教育を受けた世代には、かえって逆効果のおそれもある。
80日本@名無史さん:2001/07/07(土) 22:43
朝鮮は仏教だけでなく固有の民俗信仰も徹底して壊してるよ。
山の中にうらぶれたお社があったりするけど、既に信仰はない。
ハングルなんてどう見てもパーリ語かサンスクリット語の影響。
仏僧が考案したに違いないと思うけどね。
81日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:03
>78
何をそんなに過敏に反応してるんだ?
75は別にデタラメ書いてるわけじゃなかろう。
少なくとも4つ有った李朝の史庫のうち3つが焼失し、一つしか残らなかったとい
うのは有名な話だ。
それに朝鮮の寺が燃えなかったのは当たり前。戦場にならない山の中にしかなかっ
たんだから。
はっきりいって76みたいに黄文雄の著作を盲信してる奴の方が電波だと思うぞ(藁
まあ景福宮の焼失が日本軍入京以前に生じてたってとこは事実だけどね。
82日本@名無史さん:2001/07/08(日) 04:41
>>81
おいおいてめえの言ってることは矛盾してるぞ。

>それでも秀吉に攻められたときに残ったのはわずか一つだけ。
>秀吉のせいで多くの文化財が焼失したことだけは事実だろうな。
とお前は、書いただろ。具体的に秀吉が焼いたとされる文化財をあげてみろよ。
李朝の史庫を焼いたのは朝鮮人自身だろ。この嘘つき野郎が。

>それに朝鮮の寺が燃えなかったのは当たり前。戦場にならない山の中にしかなかっ
>たんだから。
朝鮮の寺が山の中にしかなかったんじゃない。李朝の弾圧で
殆どが壊されて、山の中にわずかに残っただけだったんだろ。
これをみても、韓国に文化財がないのが秀吉のせいでないのは明白。
そうやって、歴史の捏造ばっかりしてるなよ。
8381:2001/07/08(日) 17:56
>82
はいはい、いい子だから興奮しないでね(藁
だいたい俺は75じゃないぞ。いきなり嘘つき野郎とは無礼千万だろう(藁

で、史庫の話ね。「懲ひ録」によると日本軍が燃やしたと書いてあるって言っても
どうせ納得しないんだろうから、状況証拠。当時の史庫は漢城、忠州、星州、全州
の四カ所にあったんだが、燃えなかったのは全州の史庫のみ。このうち日本軍の侵
入を許していないのも全州のみ。
それに日本軍は大量の「朝鮮本」を日本に持ち帰ってて朝鮮に残ってない本が日本
に現存してたりする。このじき「活字」も日本に持ち込まれてるが、こういうのは
朝鮮人が全部燃やしてたんだとしたらいつ入手したんだろうねえ(藁

ちなみに君はどうして李朝の史庫を焼いたのが朝鮮人自身だと確信してるのかな?
ソースは?人を嘘つき呼ばわりするぐらいだからよっぽどすごいソースが有るんだ
ろうな(藁

それと誰も朝鮮に寺がないのは秀吉のせいだなんて言ってないだろうが。
頭大丈夫か?俺は日本軍は寺を燃やしてないって書いてるんじゃないか。
なんでもかんでもかみつけばいいってもんじゃないだろ、恥ずかしい奴・・・
84日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:30
なんでもいいけど、秀吉の頃はもう三国史記の原資料なんて残ってなかったろ。
85日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:36
>>70
昔の日本人なら焼かずに研究のために日本に持ち帰ったと思うが。
86日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:43
>>83
>「懲ひ録」によると日本軍が燃やしたと書いてある
>それに日本軍は大量の「朝鮮本」を日本に持ち帰ってて
秀吉軍は韓国の書物を燃やしたの?大量に強奪していったの?
どっち?
矛盾してるよ。
87日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:49
>86
自分たちにとって値打ちのありそうなものは奪って、あとは燃やしたっ
てことじゃない。別に矛盾してないと思われ
88日本@名無史さん:2001/07/08(日) 21:01
>86
景福宮が燃えたのが日本軍入京前だったから史庫など他への放火も全部
朝鮮人の放火だったとするのはどう考えても電波でしょう。
秀吉のせいで朝鮮の文化財が大きな損失を受けたことを否定してる学者
なんて聞いたことないです。
黄文雄の本は読んだこと無いんだけどそんなこと書いてあるのかな?
89日本@名無史さん:2001/07/08(日) 21:19
>それに日本軍は大量の「朝鮮本」を日本に持ち帰ってて朝鮮に残ってない本が日本
>に現存してたりする。このじき「活字」も日本に持ち込まれてるが、こういうのは
>朝鮮人が全部燃やしてたんだとしたらいつ入手したんだろうねえ(藁

朝鮮中国に残ってない史料が日本に残ってることなど珍しくない。
日本に現存する古文書は、朝鮮、中国に現存する書籍をあわせたより多い。
なぜなら専制君主の権力だけで国家が保たれている儒教文化圏
では、動乱のたびに徹底的に下層階級による略奪が行われるからだ。
この時期に日本軍が持ち帰ったとされる朝鮮本など
日本に現存する史料全部からすればほんのわずかに過ぎない。
だいたい16世紀の戦争で持って帰れるものを、もって帰るのは当たり前だろ?
それが何で史庫を焼いた証拠になるんだ?
そもそも当時、李朝は国家政策で儒教を勧めるため出版に力を入れていた。
朝鮮は文化的に遅れた国だが、そのせいで儒学本だけは、大量に存在したことを忘れないように。
もって帰ったのなんて、朝鮮本と、結局役に立たなかった朝鮮活字
後は、朝鮮磁器ぐらいだろ。どれもたいした価値のあるものでない。
ちなみに徳川家康は、姜に師事した林羅山に侍講を命じ、
また持ち帰った大量の朝鮮本を活用したのだが、これが官学の衰退のもとになった。
姜、林羅山の朱子学理解はまったく凡庸であり、(丸山真男【近世儒教における徂徠の特質並にその国学との関連】より)
後に明の亡命学者、朱舜水が日本に亡命してくると各地の儒者は争ってそちらの方に流れた。
後に、朱舜水の影響を受けた水戸学が、日本の政治思想で大きな潮流をなし
正統な官学であったはずの林羅山の朱子学が、まったく衰退してしまったのは
朝鮮儒教の思想的価値の低さゆえであろう。




90日本@名無史さん:2001/07/08(日) 21:34
>>87
確かに本当にそうなら理解できるのですが、
89をみてもらえば判るとおり、当時日本に大量に入ってきた
朝鮮本でたいした価値のあるのは無いんですね。
ただ当時、日本の儒学のレベルは低く、なかなか朱喜の原典を理解できるまでには行かなかった。
朝鮮では李退渓学が盛んでしたのでレベルの低い日本の儒学者には
朝鮮本の存在は丁度良かったんです。つまり当時の日本に入って来たのは
元々は朝鮮の地方官吏のために配られた参考書的な本なのです。
これは、それこそ厳重に保管されている書庫から略奪するようなレベルで無くって、
何処にでもあった類の書籍なんです。かの国の人々は
朝鮮には重要な書物がいっぱいあって、すべて秀吉が燃やしたというのですが
実際、一次史料では殆どが朝鮮民衆の略奪行為を伝えていますし
日本に入って来た書物も大量印刷された参考書的テキストばっかりなんですよ。
91日本@名無史さん:2001/07/08(日) 22:00
>>90

なるほど、理解できるね。そもそも秀吉軍にとって
わざわざ官庫を焼く意味は、戦略的にも見出せないはずですものね。
残しておけば後の支配に役立つと考える方が普通だろうしね。
逆に奴婢などの朝鮮の下層階級にとっては、身分台帳を
破棄することができるかどうかは、死活問題でしょう。
92日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:13
age
93日本@名無史さん:2001/07/09(月) 11:48
>91
史庫って普通都城の中にあるのが普通でしょ。
戦火で燃える蓋然性は普通に考えて高いんじゃないの?
戦国期の城攻めでも盛んに火攻めは行われてたわけだし。

それと後になって朝鮮から持ってきたものはどれも価値が低いものだったなんて
いうのはどうでしょ。当時の大名達は血眼になって価値のあるものさらってるん
だから。何しろ茶器一つが国一つと同価値だった時代ですよ。
純粋に文化面で考えたら朝鮮の方が日本よりも進んでるし。
94日本@名無史さん:2001/07/09(月) 12:13
結局日本軍が焼いた文化財もあれば朝鮮民衆が焼いた文化財もあったっ
てとこが無難でしょうね。
まあぶっちゃけた話、秀吉が攻めてさえ来なければ文化財が焼失するこ
とはなかったわけだから、秀吉が責められても仕方がないとは思います。
仮に元寇で日本全土が戦火に包まれて貴重な文化財が多数焼失したとし
たら、その直接的な原因が何であれ「フビライのせいで燃えた」と言い
たくなりますから(笑
95日本@名無史さん:2001/07/09(月) 16:38
>>93
>何しろ茶器一つが国一つと同価値だった時代ですよ。

茶器が、高い価値をもつのは利休や織部によって
名器であると権威付けられた茶器だけですよ。
あれは一種のエキゾチズムであって
だからこそ元々東南アジアにおける庶民向けの陶器であった宗胡録が
高い値段がついたりするんです。
当時の朝鮮と日本の技術文化が懸絶していたから
李朝磁器に高い値段がついたわけではありません。
そもそも日本でも鎌倉時代から釉薬をかけた陶器は既に作られているしね。

>純粋に文化面で考えたら朝鮮の方が日本よりも進んでるし。
意味不明のウリナラマンセー思想。朝鮮の方が文化面で優れているのはせいぜい儒教と活版印刷と
磁器ぐらい。当時の仏教美術、工芸技術、識字率、農業技術など
どれをとっても日本のほうがずっと上。
当時の諸侯が持って帰れた価値のあるものがせいぜい朝鮮本、活字、磁器ぐらいだった。
それを朝鮮人が誇大に言ってるだけ。
96日本@名無史さん:2001/07/09(月) 16:59
ちなみに当時日本に入ってきた3つの文化の末路

活字=家康が朝鮮活字を元に活字を作り駿河本をつくるも
以降使われることはなかった。同時期にリスボンからも印刷技術が入っているのだが
そちらも衰退。当時日本には優れた木版技術があり、多色刷り、挿絵などの
市場の要請に朝鮮活字ではこたえられなかったことが原因

儒教=朝鮮儒学の影響を受けた林羅山が侍講となり朱子学が官学となる。
しかしあえなく衰退。
日本の儒教で後に大きな影響を及ぼしたのは古学や陽明学
朱子学で後の世に大きな影響を及ぼしたのは朱舜水の影響を受けた
水戸学。

朝鮮陶器=萩、薩摩、有田などで盛んとなる。後に世界的な名声を得て
日本の代表的輸出品となる。

要するに、朝鮮から来た文化で役立ったのは陶磁器のみ
しかも、国際的に高い評価を得たのは
伊万里の赤絵など日本の独自技術であった。
逆に李朝磁器は衰退した。
97日本@名無史さん:2001/07/10(火) 01:42
>意味不明のウリナラマンセー思想。朝鮮の方が文化面で優れているのはせいぜい儒教と活版印刷と
>磁器ぐらい。当時の仏教美術、工芸技術、識字率、農業技術など
>どれをとっても日本のほうがずっと上。

おいおい・・・
戦国時代の農民の識字率が高かったわきゃねえだろ、教育機関なんか未整備なんだから。
江戸時代と戦国(含安土桃山)時代とを混同するな。
こういうイルボンマンセー君も十分痛いのでsage
98日本@名無史さん:2001/07/10(火) 09:47
>戦国時代の農民の識字率が高かったわきゃねえだろ、教育機関なんか未整備なんだから。

無知なチョンの妄言。ザビエルのスペインへの報告に国民の多くが読み書きできる事実が
報告されている。チョンのウリナラマンセー史観と違って
第三者の客観的な歴史観にもとづいてます。(ワラ
99日本@名無史さん:2001/07/10(火) 19:14
>98
ザビエルが見て回ったのはいったいどこら辺一帯だったのかをもう一度考えて見ろ
よ。ザビエルが農村部を見て回ったのか?違うだろ。
ザビエルが見てたのはあくまで都市部。朝鮮だって都市部には書堂があり、一般子
弟にハングルが教えられていました。出来の良い奴は漢文も。
電波な引用してまで自国史を誇ろうとすんなよ、コヴァコヴァくん。
100日本@名無史さん:2001/07/10(火) 21:22
平和な江戸時代ならともかく、戦国時代じゃぁね
101日本@名無史さん:2001/07/10(火) 21:33
>>96
活字が廃れたのは日本も朝鮮も漢字を使ってたせい。
アルファベットなら26種類あれば事足りるが、漢字は何千種類も必要。
そんな活字を常時在庫として置いておくのは不経済、それくらいなら版木で一枚彫りのほうがコストが安く保存しやすい。
よって活字はすぐに廃れた。
江戸時代に出版された英和辞典(ハルマ和解)ではそのほうがコストがかからないのでアルファベット部分にのみ活字が復活してる。
102日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:11
>ザビエルが農村部を見て回ったのか?違うだろ。
ぶはは、せめてザビエルが何処を回ったかぐらい
調べてから書け。当然農村部にも行ってる。

このスレッドのチョンは痛すぎ。
相変わらず無知と思い込みと妄想のみでレスをつけてる。

鎌倉後期以降の日本の識字率の高さについて網野善彦『日本論の視座』
から引用しよう。

「平仮名交りの文書は鎌倉期まででも、
われわれの想像を大きく上回る量に達することは間違いないところであり、
文字の普及もさきにふれた通り、十三世紀後半には、侍の下層はもとより、
平民百姓の上層まで、すでに及びつつあったと見てよかろう。そして、
南北朝から室町期にかけて、それが爆発的といってもよいほどの増加、
普及を見せることは、前述した太良荘、新見荘の関係文書によっても、
おおよそ推測できる。」
103日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:15
世界的高僧であるザビエルの言ったことですら信じられない。
「ウリナラの歴史以外はすべて捏造ニダ。」
キチガイチョンのために、朝鮮人の引用

1443年に室町幕府を訪れた、自らも訓民正音の制定に関わった
申叔舟の『海東諸国紀』(岩波文庫)には、日本の国俗として、
“男女と無く皆其の国字を習う。国字は加多干那と号す。凡そ四十七文字なり。
唯僧徒は経書を読み漢字を知る。”と報告しています。
104日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:22
ちなみに日韓併合の時点で
朝鮮半島における識字率は1%以下
朝鮮半島におけるハングルの古文書など
殆ど無く、しかも日本人の研究者が行くと
見せることすら断られます。
大抵が年代をごまかしたもので
年代推定により自分達の嘘がばれるのを恐れるのです。
105日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:22
>102
網野なんか引用して勝ち誇ってるなんて痛すぎる・・・
106日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:25
>104
だからデマばっか流すなって・・・

いい加減三国史記と記紀の話に戻そうよ・・・
107アイゴーウリナラの出版文化はチョッパリに負けるニダ:2001/07/10(火) 22:26
申維翰『日本聞見雑録』

国内の書籍は、我が国から往ったものが
百をもって数え、南京から海商たちが持って来るものが千をもって数える。
古今の異書、百家の文集にして書肆で刊行されたものは、我が国に比べて
十倍どころではない。”と、日本の出版文化の圧倒的な拡がりを記載しています。
108日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:28
>>102

は?網野がダメなのか?
判った。北チョンのキチガイ電波学者以外は学者と認められないのね。
109日本@名無史さん:2001/07/10(火) 22:31
>>106
三国史記と記紀の話はここを参照

【朝鮮の歴史についてお勧めの本はありませんか】
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=982861726
それで結論は三国史記はインチキ本
朝鮮の歴史本は殆ど捏造
110負けチョンの遠吠え:2001/07/10(火) 23:36
>>105
>網野なんか引用して勝ち誇ってるなんて痛すぎる・・・

フハハハ、論破されたからって痛いねえ(ワラワラ
111日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:38
網野だって、けっこう当たってること書くことは多いと思うが?
金正日だって池田大作だってたまにはいいこというだろ?
112日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:42
>>99
書道でハングルなんて教えてないよ。
科挙試験に訳にたたないじゃん。
教えられてたのは漢文。
113日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:51
>>106
じゃあ、識字率はどのくらいよ?

http://mk-iccs.cool.ne.jp/hangul.htm
>また、ハングルが存在するにもかかわらず、
>識字率は朝鮮朝末期まで非常に低い水準に
>とどまっていました。しかも、漢字・漢文が正字、
>あるいは真書とされ重んじられたのに対し、
>オムムンと呼ばれさげすまれていました。
>ハングルが公用文として用いられるようになるには
>甲午改革(1894年)まで待たなくてはなりませんでした。
>また、〈ハングル〉という名称は朝鮮が日本統治下に
>入ってから考案されました。〈大いなる文字〉という意味です。
>しかし、それでも、大いなる文字、ハングルの地位は依然として
>オムムンのままでした。
 
114日本@名無史さん:2001/07/11(水) 12:29
>112
ここでも誤解がまかり通ってるなあ・・・
書堂って両班の子弟だけが勉強したたんじゃなくて常民の子とかも勉強してたわけ
よ。彼らは別に科挙を受けるために勉強するわけじゃないから、ハングルを学んで
たわけさね。確か宮嶋博史とかの本にも書いてあったはず。

>113
識字率が何パーセントかなんて数字はさすがにわからないけど(誰かが統計とって
るわけでもなし)、少なくとも秀吉の朝鮮侵攻時にはそこそこの識字率はあったと
考えられてる。
というのも、義兵が興ったとき、山賊・野盗の類ではなく朝廷に認められた義兵だ
ということを証明するために義兵軍は陣頭にお墨付き(漢文)を掲げて進軍したん
だけど、この時一緒にお墨付きのハングル訳を陣頭に掲げたと言う史料が多数残っ
てるんだよ。
民衆にハングル読める人間が全然いなかったらわざわざこんなことしないはずでしょ。

>111
不覚にもちょっと笑ってしまった(苦笑)
115名無しさん:2001/07/11(水) 17:38
ハングルなんてものは ようするに愚民ようの文字だったのだから
愚民を組織したときに形式的にハングルで書いたのは当然。
ましてそれを領民が理解していたかなどということはこのことからは論証不可能な
ことだね。
116日本@名無史さん:2001/07/11(水) 17:58
>115
まるで義兵が農民だけで構成されてるかのような書き方だけど・・・
もう少し勉強して書き込んだ方がいいと思うよ。
117名無しさん:2001/07/11(水) 18:02
>>116

君の頭の中はようするに 愚民=農民
という差別的な構造を持ってるようだね
その差別的な構造をどうにかしてから社会復帰してね
118日本@名無史さん:2001/07/11(水) 18:06
>117
それじゃあ在地両班が愚民だったとでも?
彼らは十二分に漢文を操りますが?
さむいことばっか言ってる暇あったらハングル板から出直してきてよ。
119日本@名無史さん:2001/07/11(水) 18:09
>>117
何が言いたいの?
じゃあ愚民はどんな人を指してるの?
120名無しさん:2001/07/11(水) 18:10
>>118

義兵の
両班と農民の比率はいかほどだったのでしょうね
121119:2001/07/11(水) 18:11
118氏とかぶっちゃったよ、スマソ。
122日本@名無史さん:2001/07/11(水) 18:17
>120
何を議論したがってるのかが不明。
朝廷から発行されてる義兵のお墨付きは「愚民」によって構成されてい
る義兵に対してのものでもすべて漢文で書いてあるよ。正式文書だからね。

問題はそれをわざわざ訳して陣頭に掲げたってとこ。
朝鮮の農民が文盲ばっかだったらどうしてわざわざそんなことやるの?
読めないなら漢文でもハングルでも一緒でしょ?

ちなみに義兵の司令官の大多数は在地両班で、常民・僧侶らによるもの
と比べても数は圧倒的です。
123名無しさん:2001/07/11(水) 18:24
>>122

論理的に理解できない
ハングル掲げただけでなぜそれを皆理解できることになるわけ
124名無しさん:2001/07/11(水) 18:29
>>122

ようするに
正式(支配者の)文書は漢字
奴隷用の文書は ハングル
という区別があったわけだ

みんなに漢字を教えてやればいいのにね
差別的な国だね。
125日本@名無史さん:2001/07/11(水) 18:37
>123
皆理解できたなんて言ってないでしょ?読解力は大丈夫?
少なくともハングル訳を掲げることで効果を期待できる程度のハングル
理解者がいたということは言えるでしょうが。
それすらも言えないと?
126日本@名無史さん:2001/07/11(水) 18:44
>124
誤解だよ(苦笑)。
当時の朝鮮の一般的な会話は「吏読」という朝鮮独自の言葉だったんだ
けど、ハングル発明までは書くときはこれに漢字を当てていた。
でも漢字をマスターするのは大変だし、実際の言葉との乖離が激しい。
そこでハングルを作り、日常の用はこれですむようにしたわけ。
一方公文書は儒教を国是とする国だから、もとから漢文で書かれてた。
「吏読」じゃないからそもそもハングルの出番はないわけです。

それに書堂(私塾)ではハングルをマスターした出来の良い生徒には漢
文を教えたりしてるから、とりあえずハングル、余力があれば漢文って
感じだったわけ。
差別どころかここまで考えてハングルを作らせた世宗は名君でしょう。
127名無しさん:2001/07/11(水) 18:49
じゃぜんぶ
吏読
にすればよいだけの話じゃん
儒教ってのは差別思想
そのものなんだけど。
128日本@名無史さん:2001/07/11(水) 18:57
>>126

>一般的な会話は「吏読」という朝鮮独自の言葉だったんだ

会話に「吏読」だと? オマエハ アホカ?
「吏読」ってのは「朝鮮語」を漢字で表記する為の手法だよ!
129日本@名無史さん:2001/07/11(水) 18:57
>127
そんなこと言い出したら帝国、王国の類は身分制度がある以上全部差別的って事に
なるんじゃないかい?
ところで125へのレスもきちんとしてくれ、待ってるよ。
130日本@名無史さん:2001/07/11(水) 19:00
>128
すまん。確かに書き方がおかしかったな。
言いたかったのは「吏読」の代用としてハングルが作られたって事。
131名無しさん:2001/07/11(水) 19:05
>ハングル訳を掲げることで効果を期待できる程度のハングル
>理解者

これもヨウわからん
漢字理解よりはってことでしょ?
2%の2倍はしょせん4%ぐらいなんですけど。
132日本@名無史さん:2001/07/11(水) 19:17
>131
一般的にはハングル訳を掲げるようになった後の義兵への領民の態度の大きな変化
などから一定の識字率にあったと言われてるんだけど、疲れたからこれ以上書きま
せん。統計とってるわけじゃないからきちんとした数字までは示せないしね。
まあ102の網野氏の著書と同様「おおよそ推測できる」以上の論証は無理でしょう。
まあ軽く書き足すとしたらハングル文学の存在とかですか。
133名無しさん :2001/07/11(水) 19:23
>>132

論理の飛躍
>ハングル訳を掲げるようになった後の義兵への領民の態度の大きな変化

いったい朝鮮にはコミュニケーションというものが存在しなかったのでしょうか
ホントは一部の人が読めたくらい
でしょ?
>一定の識字率
ってなんですか?
134日本@名無史さん:2001/07/11(水) 19:32
ところで当時の日本の識字率ってどのくらいだったの?
135名無しさん:2001/07/11(水) 19:33
>>132

>一般的にはハングル訳を掲げるようになった後の義兵への領民の態度の大きな変化

ここから導き出せる結論があるとすれば
支配者の言語(漢字)
被支配者の言語(ハングル)という厳密な区別があったということでしょ
漢字をまったく理解できないことはわかるが
ハングルの識字率があった例にはならないじゃん論理的に
136102:2001/07/11(水) 22:32
1日たったらすごいレスがついてるな。

ちなみに、かなとハングルの使用率の違いは、
現存する文書の多さの違いからも明らかです。
ちなみに、ここでの電波チョンが挙げている
文禄慶長の役での、ハングル使用うんぬんは
ウリナラマンセー史観のやつが
ハングルの使用率について疑念を挟まれると必ず挙げる例なのですが、
まったくの電波にしか過ぎません。
つまりは、必ずこの例を挙げるのはほかに例がないから。
しかも、ハングルを使用したという記述が史書に残っている。
というかなりあいまいなものです。
それで、ハングルの識字率をうんぬんするなどはまったくのデムパ。
朝鮮学者のレベルの低さを明確に表すものです。

>まあ102の網野氏の著書と同様「おおよそ推測できる」以上の論証は無理でしょう。

などと、間違っても網野の研究と比較できるようなものではない。
網野は実際に残された古文書を証拠として、鎌倉室町の
識字率の広がりを推測してる。
ちなみに日本では10世紀に国主藤原元命の暴政を訴える百姓の
直訴状が残っています。しかし網野はこれをもとに10世紀には
日本の百姓の間で読み書きができた。などといってません。
実際に、大量に関係文書が現存する、鎌倉後期以降に、
識字率が高かったと推測してるのです。
137102:2001/07/11(水) 22:40
網野

10世紀に百姓自身が書いた直訴状が残ってる。=識字率は不明
鎌倉後期以降の史料は大量に残っている=識字率は高かったのではと推定

電波朝鮮学者
16世紀に当時の支配者がハングルを領民向けに使ったという記述が残ってる
=ウリナラでは当時から識字率が高かったことが証明されたニダ。

冷静に考えれば朝鮮のハングル使用の証拠などは、日本の10世紀の例より
あいまいなのではないでしょうか。
「領民」が書いたわけでなければ「現存」もしないのですから。
これをみるに、網野のやっていることは「推定」ですが
チョン学者のやってることは「妄想」だとしかいえません。
138102:2001/07/11(水) 23:01
ちなみに日本人の識字率の高さというのは
15世紀の朝鮮学者や
16世紀のスペイン・ポルトガル宣教師
19世紀のイギリス外国商人などあらゆる時代のあらゆる外国の人々が
一様に驚嘆して記述していることであって、
日本人の文明度の高さを賞賛した外国人の中には、カソリックの偉人
フランシスコ・ザビエル(ザビエルは日本だけで有名だと思ってる人がいるが実はカソリック側における宗教改革の聖人でビックネームです。)
トロイ遺跡を発掘した世界的学者シュリーマンなどの
世界的有名人も含まれています。
なのに、識字率の高さは日本人の妄想などとケチをつけるチョンの僻みは痛い。
ちなみに、朝鮮を訪問した外国人は一様に、一般庶民が恐ろしいほどの無知蒙昧であったことを
嫌悪の年を持って記述するのです。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html
139102:2001/07/11(水) 23:10
もちろんその人々の中に朝鮮と日本を両方訪れた人もいます。

イザベラバードの日本(米沢)に対する記述
 南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉
場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕し
たというより、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、と
うもろこし、煙草、麻、藍、大豆、抑子、くるみ、水瓜、
きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊
かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)で
ある。自力で栄えるこの豊沃な大地は、すべて、それを耕
作している人びとの所有するところのものである。・・・・・・
美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。山に
囲まれ、明るく輝く松川に灌漑されている。どこを見渡し
ても豊かで美しい農村である

同女史の朝鮮(ソウル)に関する記述

「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし
、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
礼節上2階建ての家は建てられず…」

かたや、アジアの理想郷、かたや世界最低の都市・・・・
140日本@名無史さん:2001/07/12(木) 00:39
識字率
日本>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>韓国
で決定。
いいですね。みなさん。
では話を元に戻しましょうか。
141日本@名無史さん:2001/07/12(木) 02:49
俺は日本総督府の資料をまとめた大学院生の論文を見たことがあるが
1910年の段階で識字率が20%位だったように覚えがある。
もちろん女性は数%、男性が40%くらいで平均すると20%くらいだが。
142日本@名無史さん:2001/07/12(木) 13:03
自虐史観の網野でさえ日本は識字率が高かった
と言っているのだから。
143日本@名無史さん:2001/07/12(木) 20:43
>139
でも北京の方がひどいんだろ。最低じゃないじゃん(藁
144日本@名無史さん:2001/07/12(木) 20:49
現存する文書云々とか言う話になると朝鮮は可哀想。
日本は全土に戦火が及んだ事なんてあんまない。
色々なものが燃えちゃったとすれば空襲くらい。
海に囲まれてるって幸せだなあ(w
145日本@名無史さん:2001/07/12(木) 21:02
>>139
北京は漢字オンリーだからな、かなやハングルのある日朝のほうが識字率では有利だろ。
146日本@名無史さん:2001/07/12(木) 21:40
ところでここは日本史板なんだからどうせなら日本の識字率を高い高い
と騒いでるだけじゃなく、もうちょっと詳しく検討してみないか?
仮名があったせいで日本は大分得してると思うんだけど。
147日本@名無史さん:2001/07/12(木) 23:06
>>146

仮名があったせいで日本は大分得してると思うんだけど。

意味不明じゃない?
大抵の国には表音文字がある。アルファベットの方が文字数少ないし
それでも中世ヨーロッパの識字率はアラブや日本より低かったよ。
中国はそもそも場所によって言葉が違うから表音文字が普及しなかっただけだし
朝鮮は文化的に遅れていたから文字が普及しなかった。
148日本@名無史さん:2001/07/13(金) 14:07
>147
文化的に遅れていたから文字が普及しなかった???
何が言いたいの?因果関係がめちゃくちゃだよ。
149名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 16:45
日本の識字率について、網野善彦『日本論の視座』(小学館ライブラリー)
「第五章 日本の文字社会の特質」に、以下のような記述があります。

国内資料については、網野さんは“平仮名交りの文書は鎌倉期まででも、
われわれの想像を大きく上回る量に達することは間違いないところであり、
文字の普及もさきにふれた通り、十三世紀後半には、侍の下層はもとより、
平民百姓の上層まで、すでに及びつつあったと見てよかろう。そして、
南北朝から室町期にかけて、それが爆発的といってもよいほどの増加、
普及を見せることは、前述した太良荘、新見荘の関係文書によっても、
おおよそ推測できる。”と述べています。

幕末維新の外国人の記述については、
“1874年(明治7)から翌年まで日本に滞在したレフ・イリイッチ・メーチニコフは、
その回想記で日本語の複雑さについて興味深いさまざまな指摘をしているが、
とくに識字率の高さに注目し、それが「ロシアや西欧のラテン系諸国」に比べて
きわめて高いと見ており、人力車の車夫、馬の口取りの別当、茶屋の召使いの娘などが、
「例外なく何冊もの手垢にまみれた本を持っており、暇さえあればそれをむさぼり
読んでいた」と驚異の目をみはっている。”と紹介しています。
150名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 16:45
次に朝鮮からの公式使節の記述を紹介します。

1443年に室町幕府を訪れた、自らも訓民正音の制定に関わった
申叔舟の『海東諸国紀』(岩波文庫)には、日本の国俗として、
“男女と無く皆其の国字を習う。国字は加多干那と号す。凡そ四十七文字なり。
唯僧徒は経書を読み漢字を知る。”と報告しています。

江戸時代では、将軍吉宗の1719年に来日した、申維翰『海游録』(東洋文庫)は、
大坂の出版状況に驚きを示しています。
「そのなかに書林や書屋があり、膀をかかげて、曰く柳枝軒、玉樹堂などなど。
古今百家の文籍を蓄え、またそれを復刻して販売し、貨に転じてこれを蓄える。
中国の書、我が朝の諸賢の撰集も、あらざるはない。」と、出版が経済的に成り立って
いることも記し、「大坂の書籍の盛んなること、じつに天下の壮観である。」
と評しています。
付篇の『日本聞見雑録』には、「国内の書籍は、我が国から往ったものが
百をもって数え、南京から海商たちが持って来るものが千をもって数える。
古今の異書、百家の文集にして書肆で刊行されたものは、我が国に比べて
十倍どころではない。」と、日本の出版文化の圧倒的な拡がりを記載しています。
151名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 16:46
朝鮮民衆文字「訓民正音」を作らせた、李氏朝鮮世宗の前書きの言葉は以下の通り。
「国之語音、異乎中国、與文字不相流通、故愚民有所欲言、而終不得伸其情者多矣、
予為此憫然新制二八字、欲使人人易習、便於日用矣」

(訳:我が国の言語は中国と異なり、文字も上手く通じない。だから愚民は
言いたいことがあっても自分の意見を言うことができない。私はこれを可哀想に
思って二八字を新たに定めた。人々が簡単に勉強できて、日常生活に便利に
なることを願ってのことだ)

電波な朝鮮人が言う、「民族意識の高揚に呼応するように」作ったものではない。
あくまで「愚民」の「日用」の為のもので、両班の高級な生活の為のものではなく、
訓民正音(ハングル)を蔑視し、公文書や支配層の文書では、絶対に用いなかった
152名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 16:47
「くずのような民族」の朝鮮人に、日本がインフラ整備、教育などを付けたのである
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html
1.イザベラ・バード著、時岡敬子訳『朝鮮紀行』講談社学術文庫1998年
ロシア国境部のロシア側を旅行して 307頁

「朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのはくずのような民族で、その状態は望みなしと
考えていた。処が沿海州ではその考えを大いに修正しなければならなかった。自らを
裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から、勤勉で品行方正
だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なので
もないのである。彼らは大半が飢饉から逃げ出してきた飢えた人々であった。そういった
彼らの裕福さや品行の良さは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、
人々は徐々にまっとうな人間となりうるのではないかという望みを私に抱かせる。」
153名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 16:47
「大日本史番外編朝鮮の巻」を読むと、朝鮮人の日本絡みの歴史捏造が良く分かる。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/

1905年・日露戦争当時の米ジャーナリストのジョージ・ケナンによる報告

「日本から朝鮮に行った旅人がまず驚くことは、日本の清潔、秩序、勤勉、繁栄に
対して、朝鮮の不潔、混乱、怠惰、荒廃とのあいだの著しい差異である。
(朝鮮の統治者は)子どものように無分別で、ブール人のように頑固で、
中国人のように無知で、ホッテントットのようにうぬぼれが強く・・・
妖術師、魔女、女占い師、まじない師を重用し、たえず彼らに国事を相談している。」
154名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 16:47
日本の植民地経営については、ひがみ朝鮮人とは違って、台湾人は正当に評価しており、
台湾の歴史教科書の翻訳本があり、それを見れば台湾人の歴史教育が分かる。

台湾独立派HPの台湾史より↓
http://www.taiwandc.org/hst-1624.htm
(訳)日本時代
日本の占領は過酷だったが、少なくとも日本人は堕落していなかった。
教育システムを、日本と同じレベルに作り上げ、インフラ・鉄道・道路・産業などを、
著しく発展させた。日本時代に関する優れた学問的研究としては、ジョージ・カーの
"Formosan Home Rule Movement."がある。

台湾の歴史教科書『認識台湾』の日本時代の記述
1) http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1890/110.html
2) http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1891/113.html
3) http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1892/113.html
4) http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1893/113.html
5) http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1894/113.html
6) http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1895/113.html
155考える名無しさん:2001/07/13(金) 17:35
朝鮮には江戸時代みたいに
民衆が書いた文章ってないんですか
156日本@名無史さん:2001/07/13(金) 17:51
>>155
江戸時代の民衆文学といったらあっち方面だな。
男と女がセックスばっかして駄洒落や下ネタの宝庫。
そういえば膝栗毛の弥次喜多はホモなんだよね。
日本の文学は進んでいたなあ。

煽りなんかじゃなくてほんとにすごいと思う。
157日本@名無史さん
>文化的に遅れていたから文字が普及しなかった???
>何が言いたいの?因果関係がめちゃくちゃだよ。

痛いチョンの僻み。
何処をどう取っても劣等国の朝鮮で文字が普及しないのは当然。