1 :
中大兄皇子:
中公新書に書いてある。
白村江での戦いは確かに一戦として敗れたが、
先の対戦で米国に破れ今日の敗戦国があるかのごときものではなく、
なお、唐新羅とパワーゲームを継続していた「倭」は健在だった。
戦前「皇国不敗」を謳っていたのは間違いではない。
2 :
>1:2001/04/30(月) 01:10
あれは百済と高句麗の貴族どもの力を吸収し、
なおかつ中華圏の外に、はっきりと自らを
位置づけるという意味では成功だったかもよ。
まああとずけかもしれないけどね。
天皇制の始まりが白村江敗戦以降だから、皇国不敗。
4 :
日本@名無史さん:2001/04/30(月) 17:39
しかし、あの時代の日本がよく唐なんかと
戦やる気おこしたよなあ。
それなりに軍事大国だったわけだ。
5 :
日本@名無史さん:2001/04/30(月) 18:33
>>4 兵力ではむしろ唐・新羅連合軍よりも多かったらしい。けど、
戦略・戦術がダメで大敗…。
7 :
名無しさん┃】【┃Dolby:2001/04/30(月) 19:33
>>6 そのとおり。秀吉の朝鮮の役と違って既得権益を失っても
いるんだし、完全なる敗戦でしょう。
8 :
日本@名無史さん:2001/04/30(月) 21:37
あれ以来、半島の権益や領土などを失ってしまった。
9 :
日本@名無史さん:2001/05/02(水) 01:05
7,8
うう…説得力が
10 :
:2001/05/02(水) 09:53
11 :
日本@名無史さん:2001/05/13(日) 19:47
再挑戦しましょう
>>3は 良いことをいった
ただし、非国民
ま、継体天皇とかあのあたりも血統は怪しいけどね
13 :
日本@名無史さん:2001/05/13(日) 20:34
白村江で唐・新羅の連合軍に負けたヤマトはドキュソ集団。
14 :
世界@名無史さん:2001/05/13(日) 20:38
>5
平和ボケしていたのでしょうか?
15 :
日本@名無史さん:2001/05/13(日) 20:40
ヤマトのボケナスどものやることは所詮この程度だ。
16 :
日本@名無史さん:2001/05/13(日) 21:06
ヤマトの酋長天智には何の軍略も戦略もなかったことは明かだな。
それが白村江の悲劇に繋がった。
また、戦後唐・新羅の連合軍の侵攻に備えて、東国の農民を防人として
九州北岸に多数赴かせたのも厳しく非難されねばならない。
郷土東国の大地を見ることなく死んでいった人も多かったのだから・・・。
結局ヤマト王権は東国人にとって何一ついいことはなかったのである。
17 :
日本@名無史さん:2001/05/14(月) 01:48
ここで立つスレって結局こうなるのね。
18 :
日本@名無史さん:2001/05/14(月) 13:42
じゃぁもし白村江で勝ってたらどーよ?
唐の海軍は壊滅、人的被害が洒落にならんため唐王朝は
しばらく半島から手を引く。
その隙に新羅を滅ぼして、半島は親日国家百済が統一って感じで。
19 :
日本@名無史さん:2001/05/14(月) 13:51
ウリナラの教科書にはない。捏造だろう。
よって勝ち負けなし!
20 :
日本@名無史さん:2001/05/14(月) 14:31
>19
韓国の教科書に白村江自体は載っているけど、日本軍に関する記述が出てこないんじゃなかったっけ?
21 :
日本@名無史さん:2001/05/14(月) 18:03
この白村江の戦前後は結構不可解なことが多いよね。
・斉明天皇の九州での急逝。
・突然出てきた余豊璋と20年間の人質生活。
・余豊璋と福信の確執と福信惨殺。
・170艘の唐軍に1000艘の倭軍が400艘も焼かれて惨敗。
・しかし倭軍の諸将は誰も戦死した形跡なし。
・余豊璋は戦後行方不明。
・中大兄皇子は戦後も称制を敷き5年後に即位。
・その後、日本からの遣いによると、日本は倭国とは別種であると称している。
・この時期何をしていたのかよくわからない大海人皇子。
本当に大和朝廷は白村江で戦ったのでしょうか?
22 :
はいはい:2001/05/14(月) 18:23
在日君は寝ろ。
この国は常勝不敗なんだよ!
24 :
日本@名無史さん:2001/05/14(月) 20:43
>>21 昔も今も日本人は同じ。部下に責任押しつけて尻に帆を掛けて毅然逃亡した関東軍指導部。
ちなみに、天皇制という言葉は 50年ぐらい前に どっかのバカサヨが
作った言葉よ
26 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 00:55
>>1 どうでもいいが1の内容が書いてあるのは中公新書ではなく、
講談社新書ではないのか?
27 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 01:04
百済一辺倒の外交政策で超大国唐を相手に戦争をやり、
敗戦で亡国の危機をもたらした天智天皇は、
無謀な太平洋戦争に突入した昭和期の指導層とイメージがダブルね。
28 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 01:07
>26=1
そうだったかもしれん。
29 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 03:21
>>20 新羅・唐連合軍に、百済の遺臣が惨敗したとの記述は韓国の教科書に載っているが、
遺臣がこともあろうに「倭奴」どもに救援を仰いだことは抜いている。
「白村江」という地名も韓国では死語。
そのかわり、百済滅亡後に倭に渡った人々のおかげで、律令制度や奈良時代の文化が開花したと、
恩着せがましく特筆している。日本が自律的に文化を創造したことは一切認めていない。
飛鳥文化もメイド・イン・コリアといわんばかり。
高麗文化も鎌倉仏教以上の恩恵があったといわんばかり。
朝鮮通信使は多いに啓蒙的役割を与え、野蛮な倭奴を文化的にしてやったといわんばかり。
明治維新はアジアの災厄と暗にほのめかしている。
バルチック艦隊、勝てばよかったのに残念でした。
>>29 その教科書で勉強してしまう子供達が可哀相だな…
韓国の教師にもサヨがいて、そんな教科書を使わないで授業する人もいるのかな?
31 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 11:08
敗戦でもいいけど、韓国の教科書に記述が無いってのは
酷いな。読んでみたいや
>バルチック艦隊、勝てばよかったのに残念でした。
どうでもいいが、
韓国の国民感情は日露戦争当時に関しては、
日本に対して好意的であったはず。
感情が再び悪化したのは後の貨幣改鋳から。
ほんと。満州はともかく朝鮮半島はロシアに譲ればよかったね。
きっと朝鮮人はみんな中央アジアに移住させられて
同士キムスキーとか同士パクニコフとかになってだだろうに。
34 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 23:29
>>32当時はともかく、いまの韓国人はそう考えているよ。
ロシア人に支配されても、レーニンの革命で独立でき、わずか13年の植民地支配になったはずだとぬかす。
35 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 23:40
そうだすか・・・
36 :
日本@名無史さん:2001/05/15(火) 23:45
そうだす
37 :
はいはい:2001/05/16(水) 00:28
韓国人はロシア革命で実際に独立させてくれた国は
フィンランドだけで他の民族運動やどさくさに出来た国が再び赤軍に
吸収された史実を無視しているんですね。
ロシア人なんかケツの毛までむしるというのにねー
ソ連崩壊後、独立した国々を見てみなよ。
どこもかしこもめちゃくちゃだよ。
カザフスタンは国全体が放射能汚染され、
ウクライナはチェルノブイリですっかりダメだというのにねー。
第一、連中はソ連国内の朝鮮族がスターリンによって中央アジアに
飛ばされて辛酸を舐めた事を忘れているぞ。
あの国は少数民族は江戸時代の転封のようにクルド人やドイツ人ら多くの民族が
縁もゆかりもない中央アジアへ飛ばされているのにな。
アメリカの奴隷制度のように綿花畑で農奴状態に置かれていた事を
しっているのだろうか?
38 :
はいはい:2001/05/16(水) 00:34
辛酸を舐めたお蔭である程度の経済力がついて中央アジアでは
結構裕福なほうだとは聞くけどね。
ただ、樺太の朝鮮族はどうなんだろうか?
あれは強制連行?自主的に来てソ連侵攻後、帰国できなかっただけ?
日本は戦後、民衆をドミニカやブラジルに移住政策をとったりして
棄民政策をとっていた時期があるけど、
樺太の朝鮮族の実態を誰か知らないか?
ペレストロイカ時代のソ連の特集で樺太の実情が紹介されていたときに
現地の人は日本は恨んでいないが、強制連行で使役されて、終戦後、
日本人だけが帰国できたのは忘れないと言っていたのは印象に残っている。
死ぬまでに祖国の地を踏みたいが、この年(当時80過ぎ)では
無理かも知れないとTVで語っていた爺さんには同情したんだけどな。
39 :
日本@名無史さん:2001/05/16(水) 01:09
>>38 朝鮮人残留はソ連が決定したのであり、日本がどうこう言える立場にはなかった。
日本が樺太まで連行しなければ、こんなことにならなかった、といいたいのだろう。
また戦後、北朝鮮より移住してきた朝鮮人も多数いる。
40 :
ウエドム:2001/05/16(水) 11:04
41 :
日本@名無史さん:2001/05/16(水) 12:22
643に倭に来た「余豊璋」と
百済滅亡に際して登場する「余豊璋」が同一人物かも気になるな…
この時代の前後100年ぐらいが一番無茶苦茶だと思う。記紀がデタラメすぎる。
年代がはっきり書いてある分、神話時代よりもたちが悪い。
日本の歴史上で超重要な時期なのに…
43 :
日本@名無史さん:2001/05/17(木) 14:12
白村江の戦いの後に新羅から二千人規模の
使節団が来てるよね。
それで、日本占領説を唱えている人もいたよ。
44 :
日本@名無史さん:2001/05/17(木) 15:36
新羅じゃなくて唐だよ。2千人が2回来たから4千人。
45 :
日本@名無史さん:2001/05/17(木) 15:39
46 :
日本@名無史さん:2001/05/17(木) 15:41
しかし、四千人とは。
やはり、ただごとではない。
本当に占領したのなら堂々とその旨宣伝してるよ(笑)
48 :
日本@名無史さん:2001/05/17(木) 17:57
>44
鈴木治著の「白村江」だろ?
トンデモだよ。
>>47 同化政策とか。懐柔策で。
あと年代が下るに従って室町公方と関東公方のような対立関係になったてのもアリ。
“と”につきsage
50 :
日本@名無史さん:2001/05/17(木) 19:13
倭国は日本に占領され併合されました。
51 :
日本@名無史さん:2001/05/18(金) 11:33
しかし、そもそもなぜ四千人もひきつれてきたのかな?
52 :
はいはい:2001/05/18(金) 12:43
当時の未熟な航海技術で4千人もよく辿りつけたね。
つーか、嘘臭いな。
53 :
日本@名無史さん:2001/05/18(金) 12:51
>当時の未熟な航海技術で4千人もよく辿りつけたね。
あんたそれを言っちゃあ、
唐も倭も白村江まで、戦う余力を残してたどり着けないんじゃない?
54 :
日本@名無史さん:2001/05/19(土) 21:04
中大兄皇子が5年間、即位しなかったのは
唐の捕虜になっていたからじゃないの?
55 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 04:30
おもいもつかなかったするどい意見かも‥
それを言ったら、入鹿ぶっ殺した時点で即位しなかったのも…
57 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 14:47
>>56 入鹿ぶっ殺した時点っていうのは中大兄皇子は、
まだ無名に近かったんじゃないかなあ。
イメージ的に、大河ドラマの平頼綱みたいな感じ。
58 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 17:06
石川麻呂が「鞍作(入鹿)が韓人(中大兄皇子?)に殺された」と言った
という話を聞いたことがあるけど、原典は何に書いてあるんだろ?
59 :
日本@名無史さん:2001/05/29(火) 04:05
告知
荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。
<規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。
日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059
61 :
日本@名無史さん:2001/05/29(火) 22:54
告知
荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。
<規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。
日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059
62 :
日本@名無史さん:2001/06/03(日) 23:43
確かに称制はあやしい。即位してたんじゃないのか?
そんな強力な政権ではなかっただろうに、
しかも九州など大和朝廷に従順な場所でないだろうに、なぜに即位せんのだ?
こんな状況での称制はかえって混乱の元になると思われるが…
63 :
日本@名無史さん:2001/06/07(木) 11:10
中大兄皇子は実際に即位していたとしたらなぜ史実は違うの?
64 :
日本@名無史さん:2001/06/15(金) 11:00
白村江は無かった。
シナ人の妄想です。
65 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 20:15
>>57 平頼綱→ 長崎平左衛門尉頼綱、つまり長崎頼綱。
66 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 23:11
揚げ
67 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 23:28
蘇我入鹿の親新羅政策を続行していたら
朝鮮半島での権益も認められていたかな?
でも対外的にうまく行ったせいで
ひきこもり日記の日本書紀や古事記も
編纂されるのが遅くなったかもネ
68 :
真正アジア主義者:2001/06/18(月) 23:40
>>48 トンデモだけどやつぱり鈴木治「白村江」(学生社)は必読で
しょう。えーと、要するに白村江で負けた日本は唐に占領されて、ち
ょうどGHQに言われて日本国憲法つくったみたいに大宝律令つくり、
戦後のアメリカかぶれみたいに何もかも唐かぶれの平城京時代になる
って話だよね。少なくともアメリカから金もらって「南京虐殺はなか
った」とか「大東亜共栄圏は正しかった」とか言ってアジア連帯をさ
またげている売国奴のみなさんはきちんと読んだ方がよいぞ。
69 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 23:48
「カンネーの戦い」を敗戦と言わないが如し
70 :
日本@名無史さん:2001/06/19(火) 01:07
>68
ドキュソ発見!
71 :
真正アジア主義者:2001/06/19(火) 01:44
ドキュソ感想文
72 :
日本@名無史さん:2001/06/19(火) 01:57
ドキュソ不可侵条約
73 :
日本@名無史さん:2001/06/19(火) 01:58
ドキュソー丸 古いなーっ。
74 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 16:09
age
75 :
日本@名無史さん:2001/06/28(木) 18:08
昨日の、NHKの白村江に関する番組、
コメントしてたやつのドキュソ振りが大いに失笑をかった。
あの朝鮮征伐の敗戦以後、日本は明を見習って国づくりした
とかほざいていたけど、明はすぐに滅びるのでそんなに見習う
もので当時すでになっているし、当の豊臣家は失墜して徳川の世にすぐになるので、
関係のない徳川家が見習う筈も無い。
もしそれが本当でも、
徳川家が見習ってあの体制では豊臣家より保守的で、
非常に古い体制だということは簡単に理解できるので、
日本にマイナス影響を見習ったことによって与えたことになる。
76 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:33
age
77 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:42
>>75 大胆なバカだな……
しかも文章もバカだ。
ところで、件の番組は、今晩再放送ですな。
78 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:49
>77
お主が正真正銘の馬鹿。
>>75 は言ってることは非常にまともです。
79 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:49
>>75 そういうのを「後出しジャンケン」っていうんだよ
80 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 21:46
鎖国政策は明を見習って始めたんだよ。
81 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:12
ほんとに?
そもそも鎖国政策というほど鎖国だったわけじゃない
82 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:19
実際には、家光の「鎖国」以後の貿易量はそれ以前より
増えています。
「鎖国」というよりも私貿易を禁止し、幕府が貿易を独占しただけです。
実際、対馬では朝鮮と、長崎では清、蘭と、
密貿易ですが薩摩では琉球とそれを中継にした貿易してました。
さらに北ではアイヌとの交易がありましたが、実際にはそこで清との密貿易を
やっていたようです。事実、蝦夷錦と呼ばれるものは清の高官のきていた衣服です。
83 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 01:14
>鎖国政策は明を見習って始めたんだよ。
また電波が一人。
白村江の戦いって
>>68 とか九州起きた大海皇子の叛乱とかいろいろ説があるみたいだけど、
他にもいろいろ珍説あるの?
85 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:37
敗戦だろ、どう考えたって。
でも一部の珍説デンパみたいに立ち直れないほどボロ負けしたわけでもない。
白村江で壊滅したのは海軍=おもに西国兵。国内にはまだ東国兵団からなる陸軍が健在だった。
だから半島へ向けての逆襲は無理でも、攻め込まれた場合に備えて国内の軍事的な整備をしたわけ。
大海人皇子の謀叛が成功したのもこの東国兵を掌握できたから。
86 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:46
ウリナラの教科書には、ペクソンガンの戦いなど出ていない。
偉大なる韓民族が倭奴の支援など請うはずはないから史実ではない。
勝ちも負けもない。
87 :
放送大学見て思ったけど。:2001/07/04(水) 12:47
川勝平太の講義は面白かった。目からうろこって感じだったよ。
文明の海洋史観いいよ。
88 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:49
>>82 スレ違いは承知
しかし、文化技術交流がなかったのは「鎖国」だろうが?
89 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:50
唐に敗戦したから朝廷が近江に逃げたのでしょう。
ところで中大兄皇子より大海人皇子のほうが歳が上
という話は今どうなっているのかな。トンデモ扱い?
90 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 15:12
>88
スレ違いは承知
でも、それは「鎖国」の問題より一部の時期を除く
幕府の蘭学排斥の問題でしょう。
あくまでも幕府内の話だけであって、
諸藩では例えば火打ち式の銃など勝手に次第に配備し始めていたようです。
91 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 20:36
安倍比羅夫など歴戦の勇将など、
将軍のレベルでは誰も戦死していないとすると、
全滅というレベルの敗戦ではなく、
追い払われたというレベルの敗戦だったのでは?
92 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:03
>91
確か安倍比羅夫は遠征軍からはずされてたはず。戦死しないのは当たり前。
93 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 15:48
age
>>86 つまんえんだよ、痴呆か。もう少しシャレのきいたことでも書けや。
95 :
:2001/07/05(木) 20:07
すべて共産中国の謀略・宣伝。
96 :
質問:2001/07/06(金) 01:41
「はくすきのえ」という読み方は、朝鮮語読みですか?
97 :
日本@名無史さん:2001/07/06(金) 08:54
百済語でしょ。
今の韓国では三国史記だったか唐書だったかに従って「白江」っていってるんじゃない?
白江の読みはパクカンかな?
98 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:03
新羅を『しらぎ』と呼ぶのは何語(あるいは何語と何語)ですか??
99 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:05
完敗だよ
100 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:06
100もらい
101 :
日本@名無史さん:2001/07/10(火) 17:46
しらぎ=しんらのアホ(の意味)
102 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:16
なんでも朝鮮の金達寿センセイの本でも読みなよ。
百済(ペクチェ)がクダラなのは、クン(偉大なる)ナラ(国)だそうだ。
くだらない、も「百済ではない」との仰せ。
103 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:20
白村江は侵略戦争で敗戦だ。
104 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:24
>>103 白村江のどこが侵略戦争なのか、
明確に説明せよ。
105 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:25
くだらないの語源は江戸期の、上方からくだらない、だ。
106 :
補足:2001/07/11(水) 00:31
くだりものでない→くだらない
107 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:52
>>101 >しらぎ=しんらのアホ(の意味)
「シラギ」は、ただの蔑称じゃないの?
ジャパニーズ(日本人)を「ジャップ」、
朝鮮人を「チョン」というが如く。
イルボンノムを日本奴という如し。>>>107
109 :
日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:33
「シラギ」を蔑称だというのは
古代朝鮮語が明らかになっているという妄想があってはじめて成り立つ俗説。
ほんとはよくわからない。「き」は城で「しらき」は「新羅城」とする説もあるがこれもいまいち根拠薄弱。
でもなにか古い由来があることだろう。
蔑称だとする根拠はまったくない。尊称とも限らないけど。
110 :
日本@名無史さん:2001/07/31(火) 14:02
>>109は古代朝鮮語なんていう言葉を出すとは当時の情勢を理解していないのか?
当時は倭国勢力下以外にも、高句麗、百済、新羅、耽羅など多くの国々が
乱立していたというのが朝鮮半島の状況。さらに、少なくとも高句麗・百済・新羅の
言語はそれぞれ異なっていると記述されている。高句麗地理誌からの高句麗語の
発音の復元調査では、判明した数詞についてはすべて日本語と酷似(ただし、
これをもって同系の言語かどうかは確定できない。)
111 :
日本@名無史さん:
そりゃ違う。
「『古代朝鮮語が明らかになっている』という妄想」と言ってるんだから
「当時の情勢を理解していない」人々がもてあそぶ古代朝鮮語という概念も
含めて、妄想と批判してるわけだろ?