親戚が歴史上の事件に関与した!(近現代編)

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1日本@名無史さん
親戚が近現代史上の事件に関与した、
もしくはそれを目撃した、という方いたら、
エピソードもまじえて書き込んでちょ。
例)祖父が8月15日に皇居に乱入した近衛師団の一員だった。
例)祖母が下山事件の際、日本橋の三越の店員で、下山さんらしき人を目撃した。
例)父が天皇で、聖断を下した。
2日本@名無史さん:2001/04/17(火) 16:58
うちの先祖はなんと幕府に年貢を納めていました!!
3日本@名無史さん:2001/04/17(火) 16:59
それは天領だったってこと?普通は藩だよね?
4日本@名無史さん:2001/04/17(火) 17:10
僕が幼稚園の時、友人の叔母が「ばんだい号」事件で亡くなりました。
札幌の雪祭へ行く途中だったそうです。
5日本@名無史さん:2001/04/17(火) 17:12
うちの祖先はなんと租庸調を収めていました!!
6日本@名無史さん:2001/04/17(火) 17:15
>2
ご先祖さまは天領に住んでおられたのですね
7日本@名無史さん:2001/04/17(火) 17:20
>6
別に珍しいことではないだろ?
8日本@名無史さん:2001/04/17(火) 17:26
俺はなんと税金を納めています!!
9ばい菌国家日本:2001/04/17(火) 17:29
私の祖父は2.26事件の主要決起将校の1人です。
2.26事件に関心のある人なら誰でも知っています。
事件後、軍法会議にかけられて銃殺されました。
10日本@名無史さん:2001/04/17(火) 17:31
>9
マジ?結婚して子供がいた人ってことは・・
11日本@名無史さん:2001/04/17(火) 17:34
俺のひいじいさん(多分)は近所に飛んできた
徳川大尉に感激して、飛行機を三機だったか
献納したらしい。ちなみに長崎ね。大村に
飛来したらしい。
12日本@名無史さん:2001/04/17(火) 18:04
長田鉄山を斬殺した相沢三郎中佐は祖父の遠い縁戚だった。
祖父は貴族院の書記官だったのでこの話はタブーだったらしい。
また、祖母の義弟の縁戚には5.15事件の時、犬養首相の
応急手当をした耳鼻科のお医者さんがいる。たまたま首相官邸に
往診に来ていて事件を目撃したそうだ。
ちなみに祖父は大学生の時分(多分大正時代)、
犬養先生のご高論を承ろうと、
友人と別荘まで押しかけていったことがあるらしい、
犬養さんは気さくな方だったらしく、
みんなでぞろぞろ散歩へ出て行った時の写真が
我が家に現存している。
13日本@名無史さん:2001/04/17(火) 19:11
昭和11年関東軍大演習の時、戦闘機の低空飛行に天皇の名馬白雪が
ビックリしいななき天皇の軍帽が落ちたのを警備してたじいさんが
拾って手渡したところ後で不敬の極みだと謹慎処分になったが
しばらくして陛下もお喜びであった。との事で謹慎解除になったさうです。
14日本@名無史さん:2001/04/17(火) 19:22
あんたら何者?
15日本@名無史さん:2001/04/17(火) 20:18
いや、面白いと思う。誰も知らない日本史続出。
16日本@名無史さん:2001/04/17(火) 21:44
父が25年位前、東京駅で電車を待っていたら、近くで「ドーン」という
大きい音がしたそうです。「三菱重工ビル爆破事件」でした。
17日本@名無史さん:2001/04/17(火) 21:47
>16
やったのは東アジア反日武装戦線だったっけ?
18日本@名無史さん:2001/04/17(火) 21:48
「大地の牙」と記憶しているが...
19日本@名無史さん:2001/04/17(火) 21:49
これって=なのかな?
ちなみに私はこのニュースを床屋さんでききました。
確か夏休みの最後の日だったと記憶している。
20日本@名無史さん:2001/04/17(火) 21:52
祖母が幼少の頃聞いた話、祖母の実家は仙台なのだが、
官軍がやってきて、祖母の家は宿舎に使われてしまいました。
連中は畳を全てひっくりかえして、家を土足で使用していたそうです。
その上、家にある鶏を全て食っちまったそうです。
21日本@名無史さん:2001/04/17(火) 22:02
こういうニアミスあり?
2年前に成田空港から香港へ向けて離陸した
同時刻に例の羽田発の日航機ハイジャック事件が起こっていた。
22佐藤C作:2001/04/17(火) 22:09
加藤三郎 (爆弾テロの大物)
が逮捕された時、潜伏していた場所は、下宿の目の前だった。
餃子の王将が、
”爆弾犯人もビックリの安さ” って
キャッチコピーを出したのには笑えた。
23日本@名無史さん:2001/04/17(火) 22:10
>>22 面白いっ!座布団2枚。
24日本@名無史さん:2001/04/17(火) 22:13
>>9さん、もしかして祖母がTVに出演してませんでしたか?
25日本@名無史さん:2001/04/17(火) 22:15
>>24 ごめん、敬語めちゃくちゃ。やりなおし。
>>9さん、おばあさまがTVに出演されていませんでしたか?多分NHK特集か何か。
26日本@名無史さん:2001/04/18(水) 00:38
叔母が某銀行某支店(大阪方面)の事件で人質になりました。
27日本@名無史さん:2001/04/18(水) 00:52
関東大震災とか広島被爆とかは無し?
28【^▽^】ジョーカー:2001/04/18(水) 00:54
父方の祖母方の遠い親戚が、虎の門事件を
起こした。
29【^▽^】ジョーカー:2001/04/18(水) 00:56
その一方、甘粕も遠い親戚。
30【^▽^】ジョーカー:2001/04/18(水) 00:59
>26さん
済みません!梅川昭美は、私の遠い親戚なのですよ。
31【^▽^】ジョーカー:2001/04/18(水) 01:01
大久保清も遠い親戚に当たるらしい。
32日本@名無史さん:2001/04/18(水) 01:12
私の曾祖父は、台湾製糖の創立者の一人だそうです。でも、具
体的に何をしたのか良くわからん。
その息子である祖父は新聞記者で、関東大震災の際に撮ったカ
ラー写真が残っています。
33【^▽^】ジョーカー:2001/04/18(水) 01:14
大津事件の津田三蔵も遠い親戚らしい。
34【^▽^】ジョーカー:2001/04/18(水) 01:18
三菱商事爆破事件(丸の内ビル爆破事件)で有名な
東アジア反日武装戦線の大道寺綾子も遠い親戚です。
35吾輩は名無しである:2001/04/18(水) 01:18
つまらなくなってきたな・・・
36【^▽^】ジョーカー:2001/04/18(水) 01:24
児玉誉士夫も笹川良一も小佐野賢治も田中清玄も
私の遠い親戚です。
37日本@名無史さん:2001/04/18(水) 02:10
厨房は無視。
38日本@名無史さん:2001/04/18(水) 02:11
>>32 着色でなくて本当のカラーだったら価値ある。
39日本@名無史さん:2001/04/18(水) 02:19
俺のアルバイトしていた先に、九条さんという人がいて、
摂家の末裔だったのだが、仕事が半人前なので
「四畳半」とあだ名されていた。
40日本@名無史さん:2001/04/18(水) 02:22
そんでもって俺の祖父が、戦時中通信社に勤めていた時、
早朝定時に各支社から連絡が入るのだが、
昭和20年8月6日に限って
広島の中国支社から連絡が入らず、
「ははぁ、広島で何かあったな」と
思ったそうだ。
41日本@名無史さん:2001/04/18(水) 02:43
>38
着色ではなく、本物のカラーだと聞きましたが、そっちの知識
が無いので、真偽はわかりません。

今更ながらワラタ。
>例)父が天皇で、聖断を下した。
42日本@名無史さん:2001/04/18(水) 10:04
日本最初の銀板写真を撮った
43日本@名無史さん:2001/04/18(水) 14:04
僕の母の男親は大戦中、近衛兵でした。昭和天皇の顔を見てはいけなかったらしいです
44ジョーカー:2001/04/18(水) 15:12
私の母方の祖母の従兄は、中央大法科時代から共産党員で、
卒業後、横浜の市電の事務局に勤め(当時の横浜市電は
労働運動の牙城、左翼の巣窟で、運動の為に入ったらしい)、
共産党が壊滅した後は、労農党の左派に加わり活動を
続けていたが、何度もガサ入れ&御縄の末、
特高に殺された。
これは日本近現代史上の事件でも何でも無いが、
本当―難波だ、甘粕だ、梅川だ、大久保だ、大道寺だ、
の話と違い―。
45日本@名無史さん:2001/04/18(水) 17:47
私の祖父(と言っても私の生まれる前に死んだので、私は知らないのですが)は
宇都宮で開業医をしていましたが、関東大震災の際、消防団(自警団のことか?)が
医院を取り囲み「入院中の朝鮮人を出せ!いることは分かってるんだ!」と脅した
そうです。祖父は「無念だ!実は昨日退院させてしまった!」と凄い形相をして悔
しがると、彼等は祖父に同情してその場を去ってしまったそうです。
関東大震災の時の事件は東京近辺の話だけかと思っていましたが、北関東にも流言
の類が及んでいたことは意外だったし、病院にまで押し寄せてきたのは凄いもんだ
と思った。因みにその時、退院させたというのは真赤なウソで、朝鮮人は二人程
入院したままだった。以上、10年前に亡くなった伯母から聞いた話です。
46日本@名無史さん:2001/04/18(水) 17:52
爺が楯の会の会員。
47日本@名無史さん:2001/04/18(水) 18:55
うちのひいじいさんは地方都市の水道局長だった。
48ジョーカー:2001/04/18(水) 21:59
>45
立派な方だったのですね。
私は、そういう人こそ最も尊敬に値する人間だと思います。
49日本@名無史さん:2001/04/18(水) 22:03
いとこが地下鉄サリンの被害者になりました。
ピリピリしたといってました。
ちなみにピンピンしてます。
50日本@名無史さん:2001/04/19(木) 02:24
>>45 朝鮮人であろうとなかろうと、そうやって命を張ってバクチを打った
お爺さんは素晴らしい人だと思います。
51日本@名無史さん:2001/04/19(木) 02:29
僕の妻の祖父は、昭和天皇の御大典の時、京都の近衛師団におり、
馬で先導をしたらしい。残念なことに、太平洋戦争の時応召され、
最後シベリアに抑留されて亡くなってしまったそうです。
ところで疑問なのですが、京都に近衛師団があったという事は
本当なのでしょうか?僕は東京の竹橋の師団しか知らないので。
その祖父の事を調べてみたいと思っているんです。
詳しいことご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい。
52日本@名無史さん:2001/04/19(木) 02:47
>51

俺の先祖も京都の近衛兵で、昭和天皇の御大典の時そこにいた、と聞いた
53日本@名無史さん:2001/04/19(木) 08:42
うちの父は4年前に80代で亡くなったが、今は歴史となったリアルな話の宝庫
だった。226事件のときは地方大学の学生だったが、ある朝遅れて講義にいくと
中止になっており、教室が騒然としていた。「何かあったのか?」と学友に聞くと
「東京で革命が起こった!俺たちも学問してる場合じゃないぞ!」と言われたそう。
また、夏休みに旅行して、連絡船にのったがどうも視線を感じる。そのまま旅行を
続け列車に乗り変える改札で男に呼び止められ、持ち物すべて調べられた。特高だった。
「あのとき暇な時読もうと自然科学の本を入れていた。あれが社会科学の本だったら
そのまま検挙され小林多喜二みたいになってただろう。」といっていた。
戦時中はずっとソ満国境の部隊にいたが、終戦の年の7月、奉天に呼び戻された。部隊
は8月9日のソ連参戦で最前線となり玉砕した。「あのままいたら今ごろは九段にいただろう。」
といっていた。命は助かったが、ソ連軍に武装解除されシベリアに抑留され4年間働かされた。
その他、部隊に視察にきた東條英機や辻正信の印象やら、近代史の副読本のようだった。
54日本@名無史さん:2001/04/19(木) 16:09
母方の曾祖父は、明治天皇(多分)の近衛兵だったそうです。
どこの師団とか、ぜんぜん分からないんですが。(本家の方では知ってるかも)
なんでも、近衛兵は、その地区(県?)から1人しか選抜されないから
スゴイことなんだぞー、と祖母は言ってたんですけど、本当なんでしょうか?
で、乃木大将のことなんか(家で)呼び捨てにしてたんだって。
「乃木が」「乃木のヤツが」とか。

晩年は、孫(私の母)たちが悪さをすると、足が悪いのに、ハエタタキを振り上げて
「コラ〜〜〜〜〜ッ!!!」と追いかけ回してたそーです。
55日本@名無史さん:2001/04/19(木) 23:32
>>52 51です。あまりまじまじと探したことはありませんが、
御大典は当時のフィルムや写真が膨大に残っているので
図書館などで見ることができるものもあります。
一回祖父の姿を探してみるの一興かもしれませんね。
56山田十:2001/04/20(金) 03:23
>>42
興味ある。詳しくきぼん。
薩摩の島津斉彬を撮った市来四郎他の末裔?
57日本@名無史さん:2001/04/20(金) 09:48
私の祖父は日露戦争の203高地で高崎連隊に従軍してました。
罪の無いロシア人を殺した事を戦後かなり悔やんでいたそうです。
58日本@名無史さん:2001/04/20(金) 17:25
すごいね。
59 :2001/04/20(金) 17:46
阪神大震災で飛び起きたんですが、ダメ?
60日本@名無史さん:2001/04/21(土) 08:23
いいよ
61名無しさん@1周年:2001/04/21(土) 10:56
神戸の大震災の日、私は神戸に出張で行っていた。朝早く目がさめてクソタレ中に大地震、尻を拭くのを忘れて逃げ出したのは私です。
62日本@名無史さん:2001/04/21(土) 12:05
鉄は熱いうちに打て
ケツは温いうちに拭け

鉄則です・・・・。
63名無しさん:2001/04/21(土) 14:01
>61
ウンがツイテタ証です。
64日本@名無史さん:2001/04/21(土) 14:25
俺はその時京都にいた。脚の手術をした翌々日、
病院のベッドの上、全く身動き取れない状況で震度
5の地震を味わった。本気で「こりゃあ死ぬな」と
思った。
65日本@名無史さん:2001/04/21(土) 16:23
空港島の重みで岩盤がずれたとか・・。だとしたら人災。

66日本@名無史さん:2001/04/21(土) 22:28
確かに近現代だけど生々しすぎる。
67王翦:2001/04/21(土) 23:26
>>57

 高崎第15聯隊で生き残ったということだけでも凄いことだ。

 そういう祖父を持つほどの年齢であるにも関わらず、ここで書き込み
してるというのも凄いことだ。
68名無しさん:2001/04/21(土) 23:44
阪神大震災を経験した人いる?
69日本@名無史さん:2001/04/21(土) 23:55
家の曾祖父はただの民だが桜田門の前を通りかかった時
ちょうど井伊直弼が急襲される場面に出くわして腰を抜
かしたと当時をよく振り返っていた。
70山田十:2001/04/22(日) 14:17
おもろいなぁ・・・
このスレは人の集まる2ちゃんだからできたんだろなぁ・・・
71日本@名無史さん:2001/04/22(日) 22:37
>57 67
祖父が50過ぎてオヤジを生み、おやじが40過ぎて私を生むと私は
40代前半なんですよ。
72日本@名無史さん:2001/04/23(月) 10:34
私の祖父は昭和27年ごろ米国商業運輸の実態視察....まあい
わゆる官僚の「アメション」なんですが...ぞろぞろとアメリカ
へ行きました。
大屋晋三(帝人会長で運輸大臣)と政子(おとーちぁーん)夫妻
も一緒だったんですが、大屋政子さんは、何かにつけマイペースで
飛行機の中に荷物を忘れたりして、大変だったそうです。
当時ハリウッドの撮影所を訪れた時に撮った写真には、
ビング・クロスビー、ハンフリー・ボガード、ルーシー・ポール
なんかとそれぞれ一緒に撮ったものが残っています。
73日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:45
>>69
これはすごい。形なき家宝の公開。
聞く人が聞けば、泣いて喜びたいくらいなのでは。
井伊直弼が急襲の第三者目撃談なんて初耳中の初耳。
現場の空気が伝わってくる様。
74日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:50
短い文章ながら、
今までに見たどの文献・資料・評文
よりも生々しい映像が目の前に浮かぶ。
75日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:53
>>72
私の曽祖父もその頃アメリカに行ったらしい。
野球場でコーラを見て「アメリカ人はオイルを飲むのか」と思ったらしい。
76日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:54
>>73
井伊直弼襲撃はけっこう多数の町人に目撃されてたはず・・・
うどん屋だったか傘屋だったかの目撃談もあったと思います。
77日本@名無史さん:2001/04/23(月) 15:52
そうなのか!聞くは一時の恥。
78日本@名無史さん:2001/04/24(火) 01:11
軍医だった曽祖父は、八甲田山の雪中遭難事件で有名な
青森5連隊に大正の初め頃に勤務していました。
「雪の凄い夜など、八甲田の方から帰隊のラッパが聞こえてきた。
そして、ザクッ、ザクッと雪を踏んで進軍する足音が聞こえてくるのだ。
おかげでそういう日は当直をいやがったものだ。」
と生前語っていたそうです。
後日、新田次郎の小説だったかは忘れましたが、
これと同じ話を知り、(そこでは連隊長が剣を抜いて迷える霊に対し
「進軍!八甲田山」と命令する。)
曽祖父の話にリアリティを感じたものです。


79日本@名無史さん:2001/04/24(火) 12:16
age
8042:2001/04/24(火) 12:24
>>56
そうです。
81>78:2001/04/24(火) 14:31
あそこらへんは確かにそうした系統の話が多いみたいね。幽霊話の本で
もちょくちょく見かけるし。
82日本@名無史さん:2001/04/24(火) 20:35
青森5連隊に限らず、そういう怪談話は必ず連隊跡地と言える場所にはあるね。
83日本@名無史さん:2001/04/25(水) 22:15
age
84日本@名無史さん:2001/05/07(月) 10:12
遠い親戚が「欧州情勢複雑怪奇」と言って、総辞職したそうだ。
宇津田氏脳・・・
85日本@名無史さん:2001/05/07(月) 13:56
>>69
私の曽祖父の母は、桜田門外の変の直後に外出先から藩邸に帰る途中、現場を通った。
籠や死骸は井伊家の人々がいち早く収容したが、指や耳たぶがいっぱい落ちていたという。
86日本@名無史さん:2001/05/07(月) 17:53
引き続き井伊家関連。
うちのじいちゃんのじいちゃん(曽祖父の父)は彦根藩の家老の一人で,
最初に「願えりましょう」と進言した人物だと聞いている。

が,桜田門の仇を討たなかった&最後に寝返ってしまったせいで,
士族となった明治大正も「井伊の腰抜け侍」と言われ続けたそうだ。
結局,曾爺ちゃんの代に熊本まで流れてきたんだけどね。
87日本@名無史さん:2001/05/07(月) 18:06
>>84
すると現・経済産業大臣とも遠い親せきにあたるわけね。
8884:2001/05/07(月) 18:33
>>87
そうらしいっす。
89別に歴史上の事件ではないが:2001/05/07(月) 19:24
自分でいうのもナンだが、俺の親父はドキュソもいいところの人間だ。
その親父が終戦後の一時期、(ガキのくせに)進駐軍の小間使いみたいなことをやって
米軍から金をもらっていたそうだ。正規の職員なわけはないので、どうせ
残飯くわせてもらって、将校から小遣いもらったくらいの話だと思うが…。
かわいがってくれた将校のジープにのせてもらって、港に船を見に行った
ことを嬉しそうに話してた。「英語で船のことを『ウォーシップ』って言うんだ。」
そりゃ、軍艦のことだろ、親父…。それでも片言で意思の疎通はできてたということだ。
ところで、親父は当時、仲の良かった友達と一緒に進駐軍に出入りしてたらしいのだが、
ある日、その友達が大事件を起こしたそうだ。コマンダー(本当にそんな大物かよ?)が、
お気に入りにしてた娼婦と、その友達がデキていたことがばれたそうな。その二人は逃げた。
しかし、男の方はMPのジープに街中追い掛け回されたあげく、親父の目の前で機関銃で
うちころされたとさ。女の方は聞いてない。歴史上の事件にもならん話だが。
本当かどうかは俺にもわからん。ただ、今度、親父に仲の良かった将校たちの名前を
聞き出して、いつか自分で検証してみようかと、このレスを書きながらちょっと、思った。
90細野晴臣:2001/05/07(月) 22:38
私の祖父はタイタニック号の生存者です
91日本@名無史さん:2001/05/07(月) 23:29
私の父親の知り合い(故人)は南京大虐殺に参加した。
92日本@名無史さん:2001/05/07(月) 23:36
私の先祖に鍋島藩化け猫騒動の時に活躍した女中がいるらしい。
93日本@名無史さん:2001/05/08(火) 00:19
私の父の出身地は金沢の金石というところで、そこの銭屋という回船問屋で先祖が働いていた
そうだ。その銭屋という店は鎖国中にもかかわらずロシアと藩公認で密貿易をしており
そのせいかどうかしらないが、古い置時計やワイングラスなどが蔵にあった。
94日本@名無史さん:2001/05/08(火) 01:49

      ∧ ∧ 逝ってよし!!
      ( ゜Д゜)           (( 〃)
     (     l ヽ        ≠=≠≠
      |\ \| |      / // /
      |  \ \.|     /_/~/ /ヽ
    _」    (__ )) 彡((p;d) _ ノ |^ つ
   |┌───┐|\\彡 / /  ノ /
  ⊂ 」      L⊃ \\( (   ´/
           __ \|  ̄  ̄
          ( _ A _ )
           U ̄U


95名無しさん:2001/05/08(火) 12:54
うちの親戚はエキストラで、勝新の息子が撮影で真剣を使っていて
それで斬り殺されました。許すまじ。
96日本@名無史さん:2001/05/08(火) 13:26
私の親戚は太平洋戦争に、日本軍兵士として参加したことがあるそうです
97日本@名無史さん:2001/05/14(月) 15:18
age
98日本@名無史さん:2001/05/14(月) 15:59
私の親戚は西南戦争に参加し、敗れ死んだそうです。
詳しい事はわかりません。
99日本@名無史さん:2001/05/14(月) 16:05
曾祖父の弟は明治の初めに巡査になり、西南戦争の時、警備の名目で出動させられたが、田原坂のあたりで行方不明とされ、それっきり。
維新政府はお金がなかったんだろうなぁ…
100日本@名無史さん:2001/05/14(月) 16:11
それから、曾祖父の妻(つまり曾祖母)の姉妹は自由党、といっても小澤一郎とかではなくて、明治はじめの過激派だけど、
その地方幹部の未亡人だったとか。
夫は獄死したと。
101日本@名無史さん:2001/05/14(月) 16:25
その明治自由党地方幹部の未亡人と曾祖母は旗本の娘で、父と兄は彰義隊に参加、薩摩兵の生首を庭に埋めるのを見たと。
まるで首狩り族のようですよね。
だいぶ古い話だから、そろそろ書いときますが、あしからず。
102日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:14
>>101 あなたそうとう年配の方とお見受けしましたが....
それにもしかして、高知県のご出身ですか?

さて、私の父ですが、戦後間もない頃、自転車で中野から千代田区の第一生命ビルまで行って、
マッカーサーの出待ちをやったらしい。「本人見れたよ」と言っていました。
父は岡山に疎開していた時、水島(コンビナート?)の爆撃を遠目に見たらしいですが、
B29のキラキラした機体からパラパラと爆弾が落ちてくるのが、大変美しかった反面、
10キロ程度離れた場所から見物しているにもかかわらず、死を感じたそうです。
103名無し:2001/05/17(木) 22:21
>101 日本人は首狩り族です。日本人南方起源説の一つです。
104日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:31
>98
俺のひいじいさんも西南戦争に薩摩方として参加したらしい。
単なる一兵卒だけど、西郷が軍を解散するまではついていったらしい。
ちなみに城山に篭城したのは、軍を解散後に西郷に付き添った少数の側近だけだそうな。
105日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:36
>>89
当時の進駐軍は殺人もレイプもやりたい放題。
日本の警察は手を出せないし、MPも日本人に何しようがお咎めなしだった。
特にレイプは多かったようだ。直接知る世代ではないがその手の話は大人たちからよく聞かされた。
106日本@名無史さん:2001/05/17(木) 23:07
今日、横浜の放送ライブラリーへ行って、
昭和43年の歴史ドキュメンタリーを見たのだが、
甘露路受長(当時明治神宮宮司)というおじいちゃんが出ていて、
10歳の時から明治天皇、大正天皇、昭和天皇のおそばに仕えてきた
人だった。
「明治天皇は体格のがっしりした方で、自分の子供たちが遊ぶのを、
遠くから椅子に腰掛けてニコニコしながら眺めてましたよ」という
話をしていた。
そうか、昭和43年ごろにはまだまだ「明治」をこんな風に生々しく
語れる人がいたんだな、と当たり前のような感慨に襲われた。
そう言えば私の子供時代には「日露戦争」に従軍したという人がTVに
出演していた記憶があるし、私の祖母は今年で91になるが、殆ど明治の
末期の生まれだ。
あと10年もしたら「明治生まれ」自体が殆どいなくなってしまうだろう。
今のうちに色々聞いておかなけりゃなと、改めて思った。
107日本@名無史さん:2001/05/18(金) 03:16
うちの祖父は中野正剛とおつきあいがあったらしいが、なんもきいとらんなあ。
108日本@名無史さん:2001/05/18(金) 20:46
曾祖母(京都育ち)が、新選組は怖かったと祖父に語ったと言う。
109日本@名無史さん:2001/05/26(土) 21:30
甘露寺でしょ?
110日本@名無史さん:2001/05/26(土) 21:42
うちのじいさんは昭和20年8月6日に広島にいたそうだ。
ものすごい光がしたと思ったら空が一面紫色になったらしい。
翌日から遺体回収を数日間したと言ってた。ちなみにまだ生きてます。
111名無しさんの花園:2001/05/28(月) 21:19
       
112日本@名無史さん:2001/05/29(火) 22:59
告知

荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。

 <規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。

日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059
113日本@名無史さん:2001/05/31(木) 05:26
106です。甘露寺の間違いでした。
114日本@名無史さん:2001/05/31(木) 09:36
祖父が東京大空襲の翌日、親戚の見舞いに鶯谷に行ったら、
道一面から湯気だか煙のようなものが立ち込めてて、
道一杯に焼けた木のようなものが散乱していて、近寄ってみたら焼けて縮んだ焼死体だった、
と言っていた。
115日本@名無史さん :2001/05/31(木) 10:51
祖父の妹(現在そろそろ80代?)は若い頃満州に行ってたんだけど、
その近辺ではロシア兵が来て悪さしてたそうな。
ある日とうとう彼女のいる所にもロシア兵が来たが、彼女は覚悟を決めて
三つ指ついて出迎えたところ、妙な迫力を発していたのか、
ロシア兵は何も取らず、何もせずに帰ったそうです。親戚中の語り草。
ずっと独身を通して、今は老人ホームで静かに余生を送っています。
116115:2001/05/31(木) 10:53
歴史上の事件って訳じゃないな…スマソ。
117日本@名無史さん:2001/06/05(火) 11:22
118日本@名無史さん:2001/06/06(水) 00:11
お歯黒が印象的だった曾祖母の語る、笛の音につられてついて行ったら官軍じゃった、
海辺でゴロゴロと雷が鳴っとたのはバルチック艦隊の襲来じゃった、など幕末に始まる
想いで話は子ども心に面白かった記憶が・・・。ちなみにお歯黒は浮気防止のため曾祖
父から続けるよう命じられていたそうです。
119熊本@名無史さん:2001/06/06(水) 22:15
祖父様の兄貴が真珠湾で戦死したそうです。最後は敵の倉庫に
突っ込んだと聞きました。
祖父様は陸軍士官で戦時中は中国の北の方にいたそうです。
幼年学校?と士官学校の卒業写真等が残っています。
120千葉@名無史さん:2001/06/06(水) 22:48
うちの先祖は浅野内匠頭の侍医だったらしい。
しかしあの殿中の刃傷事件により失業、
東に流れ別の大名に召し抱えられたそうだ。
で、子孫の俺は今千葉に住んでる。
121日本@名無史さん:2001/06/07(木) 16:52
うちの祖父はシベリア抑留を体験しています。
朝起きたら隣の人が死んでたって笑いながら話してましたー
122七瀬:2001/06/08(金) 00:40
わたしのおじいちゃんは第二次大戦の時
飛行機の管理をする技師でした。
戦わなかったけど、シンガポールでマラリアに掛かって帰国した。
捕虜になっていたので、高熱でガタガタ震えていたけど
手当てしてもらえなかったと言っていました。
帰国しても病状がしばらく良くならず
働けなかったので
おばあちゃんがジャガイモを背負って売りに行って
生活していたらしいです。
2年前亡くなりました。
123日本@名無史さん:2001/06/10(日) 23:13
俺、電気工事やってんだけど、一昨年の夏に
クーラー設置した家の爺さんが元少将だった。
124日本@名無史さん:2001/06/13(水) 09:16
俺の88になる祖母は岡山のお米屋の娘なのだが、米騒動の時は怖くて姉妹
と一緒に押し入れの中でブルブル震えていたそうだ。
祖父は戦時中列車に乗っていて、グラマンの機銃掃射に襲われた。
乗客の子供が撃ち殺され、半狂乱になった母親を取り押さえて
スーツが血まみれになったらしい。

125出来 心:2001/06/15(金) 03:46
うちは曾祖母が大和郡山の柳沢(吉保)家出身だから、さしずめ浅野処分かな!?
126日本@名無史さん:2001/06/22(金) 17:35
>>120
どこの大名に仕官したの?
127日本@名無史さん:2001/06/24(日) 17:23
列車を飛行機が爆撃したことなんて日本であったのかあ。
128日本@名無史さん:2001/06/25(月) 16:29
>>99
うちの先祖とほとんど同じ経歴だよ。
129日本@名無史さん:2001/06/25(月) 17:07
うちの曽祖父は自由民権運動をやっていて
板垣退助が刺されたとき、そばにいて、医者を呼びに逝ったそうです
130実話:2001/06/25(月) 23:26
131日本@名無史さん:2001/06/26(火) 01:43
私の大伯父は秩父事件で死刑になりました。
132日本@名無史さん:2001/06/26(火) 02:20
私の曽祖父はドイツ人で、ナチスの親衛隊だったそうです。戦後すぐに
亡くなったそうですが、詳しいことは知りません。
133日本@名無史さん:2001/06/26(火) 15:25
私の曽祖父は日本人で、関東軍だったそうです。戦後すぐに
亡くなったそうですが、詳しいことは知りません。
134日本@名無史さん:2001/06/26(火) 15:26
私の曽祖父はアメリカ人で、騎兵隊だったそうです。戦後すぐに
亡くなったそうですが、詳しいことは知りません。
135日本@名無史さん:2001/06/26(火) 16:32
俺のばーさんは広島に住んでて結婚して高松に来た早々、高松空襲の中を
産まれたばかりの親父を背負って逃げ惑い
「高松みたいな田舎に来るんじゃなかった!!!」と心底後悔したが
それから、しばらくして広島に原爆が落ち、親戚一同亡くなったという事を聞いた時は
「高松にこしてきて良かった!!!」と心底喜んだらしい
人生万事塞翁が馬
136日本@名無史さん:2001/06/26(火) 16:38
私の曽祖父は同人で、さくらの親衛隊だったそうです。戦後すぐに
亡くなったそうですが、詳しいことは知りません。
137日本@名無史さん:2001/06/26(火) 16:46
>>136
では広島で亡くなったのかな?
138日本@名無史さん:2001/06/26(火) 16:48
>>127
昭和20年の夏頃だと日常茶飯事だよ。
対空がないから昼間に悠々と爆撃。
護衛の戦闘機は暇だから列車を機銃掃射してたんだよ。
139日本@名無史さん:2001/06/30(土) 07:31
へえ、汽車に乗るのも命がけですな
140日本@名無史さん:2001/06/30(土) 08:00
私の祖父は海軍大佐でした。
141日本@名無史さん:2001/07/14(土) 12:45
142日本@名無史さん:2001/07/15(日) 02:43
>>138
中学生のとき、映像教材(8ミリ)で列車に機銃掃射しているフィルムを見た。
むしょうにハラがたったのをおぼえている。
143日本@名無史さん:2001/07/18(水) 01:19
名スレなのであげ
144日本@名無史さん:2001/07/18(水) 01:30
>>127
B29は警報があったので行動が予測できたが、グラマンなどの艦載機やP51ムスタングは神出鬼没で、列車や学校をよく狙ったという。
終戦の一週間ほど前に、中央本線の新宿発長野行きの普通列車がグラマン1機に襲撃され、乗客が50人近く死亡、数百人が負傷する惨事があった。
本題にもどると、俺は「なぜだ!」の故岡田茂三越元社長のかなり遠縁にあたるが、会ったことない。
145日本@名無史さん:2001/07/27(金) 00:21
146日本@名無史さん :2001/07/30(月) 10:15
私の祖母は、戦前、東京へ嫁いだが、朝日新聞の某記者(結構エライ人らしい。3文字の苗字)
から宇垣一成へ、人力車に乗って書簡を渡しに行ったことがあるらしい。手紙は執事に渡した
らしいが。
「宇垣一成書簡集」だったかにも、確かにやり取りが確認できたので、たぶんホント。
147日本@名無史さん:2001/07/30(月) 10:32
うちのじーさんは、戦争中司馬遼太郎と同じ部隊だった。
当時の事を書いた司馬遼太郎の本をなつかしそうに読んでいたのが印象的。
…でも今はボケてしまったが。
148日本@名無史さん:2001/07/30(月) 11:12
私のじいさんは戦前人民戦線事件で鈴木茂三郎たちと一緒に巣鴨にぶちこまれた。
高校の教科書クラスには名前は出ていないが、参考書には出ている。
で、ばあさんが毎日差し入れをしてたそうだ。
親戚の集まりの時は必ず、夫婦の美談ということで、1時間延々と聞かされた。
149日本@名無史さん:2001/07/30(月) 12:13
私の義理の伯父は、台湾でチャンドラ・ボースと飛行機に
乗って墜落しました。
幸い九死に一生を得ましたが、ご存知の通りボースはこの事故で死亡。
150日本@名無史さん:2001/08/03(金) 02:14
私の母方は、岸信介総理(安保闘争が有名)の直系の家。
因みに岸信介と佐藤栄作は兄弟にあたる家系だったらしい。
初めて聞いた時、歴史上で悪者が親戚かと落胆。
151日本@名無史さん:2001/08/03(金) 02:31
>150
岸の親類なら、もそっと調べてやったら?(マジかよ)
岸と佐藤が兄弟なんて常識。
152日本@名無史さん:2001/08/03(金) 02:34
>150
>岸信介総理の直系の家。
ご先祖が岸信介ってことかよ?
153日本@名無史さん:2001/08/03(金) 02:36
僕の母方の祖母の義弟の祖父(ややこしくてすみません)
は水戸浪士で、雪の桜田門で
井伊直弼に太刀を付けました。
154日本@名無史さん:2001/08/03(金) 05:13
母方の先祖が坂本竜馬暗殺犯の一人を自称していたそうですが
僕は信じていません。(藁
155日本@名無史さん:2001/08/03(金) 15:41
うちの父方の祖父、祖母が広島で被爆してます。
8時15分(だったかな?)に投下されたらしいですが、
祖父はその15分前に投下地点を出勤途中で通過してたらしいです。

この時、父は生まれてないんでもし祖父が寝坊してたら僕は今、
この世にいません(藁。そう思うと歴史もリアルに感じられます。
156日本@名無史さん:2001/08/03(金) 16:15
曽祖父が大正の米騒動の時、大杉栄と一緒に活動したらしい。
その方面の歴史書に名前も出ている。
157日本@名無史さん:2001/08/05(日) 09:26
第二次世界大戦に関与
158日本@名無史さん:2001/08/05(日) 09:47
>>157

どうせ軍属だろ
159157:2001/08/05(日) 09:49
>>158
生産活動に勤しみました。
160日本@名無史さん:2001/08/05(日) 10:40
生めよ、殖やせよ! XXXするのも国のため(藁
161日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:11
>>150
すぐバレるようなウソつくなよ。
162日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:26
ご先祖は、本能寺に明智方で参加。

山崎の合戦でまけてから丹波で郷士しとりました。
163日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:51
漏れの直系のご先祖は光栄のゲーム、「信長の野望」に覇王伝からレギュラー出演してます。
「信長の野望 天翔記」のご先祖のMAX戦闘力は150あります。MAX戦闘力最高が前田慶次の198だから、けっこう強い。
164日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:59
>>146
おそらく「美土路」氏ですね(漢字間違ってるかも)
記者というより、朝日の経営面で有名な方です。戦後は全日空の社長。
宇垣一成と関係が深かったので、信用性高いです。
1652・26事件:2001/08/24(金) 03:04
俺の祖父のいとこがインパール作戦に参加したらしい。
なんとか戻ってきたが、精神に異常をきたして精神病院に収容されて、結局そのまま亡くなった。
祖父いわく、「よっぽどひどい光景を見てきたんだろな・・・」

ちなみに祖父は海軍の職業軍人で参謀だった。特攻隊に反対してあえなく予備役に。
166名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 03:05
俺のじいちゃんが王と同級生(早実)
167日本@名無史さん:2001/08/24(金) 03:14
>165
参謀って若手エリートだろ、戦局たけなわの時に
左遷じゃなくて予備?
168日本@名無史さん:2001/08/24(金) 03:16
うちのおじいちゃんは旧制台北高校の時の李登輝氏と同級生。一緒に写ってる写真も見せてもらった。
李登輝氏って、昔から背が高くて顔が長かったんやね。
169165:2001/08/24(金) 03:19
そう言ってたぞ。俺も実はそれを聞きたかったんだが、聞く前に急死してしまった。
170日本@名無史さん:2001/08/24(金) 03:38
大ばあちゃんが婦人参政権を市川房江女史らと一緒に勝ち取りました。
大じいちゃんとおじいちゃんは近衛で、現人神の後ろに続いて馬に乗ってました。
大伯父さんは、旧朝香宮邸で働いてアール・デコの内装のことでヨーロッパに出張したらしいです。

>>150
岸家の直系でいらっしゃると、今も選挙の時期は大変でしょ?
佐藤と兄弟らしい、とか言ってないでね。
うちの実家、選挙のたびにお宅の親戚に動員かけられて大変なんだから!
171日本@名無史さん:2001/08/24(金) 03:39
親戚じゃないんだが・・・

うちの隣の家のおじいちゃんが2・26事件の時に警視庁の当直だったらしくて、決起軍に囲まれて
怖い思いをしたらしい。俺は家を出て行ってるんだが、実家からのリポートだとおじいちゃんはモウロクしたのか、口を開けばこの話ばっかするらしい。
よっぽどトラウマになってるのかな?そうだったら警官なのに情けない!?
172鹿児島人:2001/08/24(金) 03:41
うちの先祖
・黒船来航時、薩摩から浦賀まで警備に逝った。
・鳥羽伏見の戦いに参加。
・西南戦争時は、薩摩軍の徴兵を逃れるため、息子に夜逃げをさせる。
173日本@名無史さん:2001/08/24(金) 03:46
>>166
あんた年いくつよ?
爺さんが王と同級生?王ってまだ60歳ぐらいのはずだが。
174日本@名無史さん:2001/08/24(金) 04:02
西鉄バスジャック事件がおきたとき、2chを見ていた。
大教大附属池田小事件がおきたときも、2chを見ていた。

鬱だ氏のう。
175日本@名無史さん:2001/08/26(5) 29:00
うちの父方の爺さんの母方の祖父が、内村鑑三を教えていたそうだ。
札幌農学校じゃないよ。
176日本@名無史さん:01/08/27 23:09 ID:hp7tnH3I
age
177日本@名無史さん:01/08/30 16:34 ID:PIzpogNk
叔父が警視庁公安部で三島自決のとき、
真っ先に幕僚長室に入って転がった首をつかんだ。
178日本@名無史さん:01/08/30 18:08 ID:yx44MZa2
俺の祖父さんは、小泉内閣メールマガジンを愛読している。
179日本@名無史さん:01/08/30 18:13 ID:wRdoyd6s
親戚(故人)が昭和25年、巨人VS西日本戦で藤本英雄の日本初の完全試合
をバックネット後でフィルム撮影していました。そのビデオはゴミと一緒に
もうこの世に存在しません
180日本@名無史さん:01/08/30 18:20 ID:VYZrWxgI
うちの先祖は天照大神。
181日本@名無史さん:01/09/09 18:56
age
182日本@名無史さん:01/09/09 18:59
遠い親戚がおもいっきりTVの『今日は何の日』で特集されてた。
183日本@名無史さん:01/09/09 19:05
>>182
いったい誰なんだYO! 気になるだろー、その書き方・・・
184日本@名無史さん:01/09/09 19:11
昔祖父が満州に勝手に攻めてきたロスケどもの捕虜になってました。
あと、先祖は太宰府に関係アリです。。。
185日本@名無史さん:01/09/09 19:16
叔母がうちに入ってきた野良猫をぶち殺して
裏山の空き地に埋めてるところを目撃してしまった・・・
186日本@名無史さん:01/09/10 03:14
母が子供頃、疎開にきていた近所の横溝正史からよく飴をもらっていたらしい。
で、書いていたのが「八墓村」?
その曾祖母は、進軍中の長州軍の赤髪から「世直し饅頭」なるものをもらっていたらしい。
で、覚えた歌が「馬さん馬さん、おんまのまーえでぶらぶらするものなんじゃいな」(藁
187日本@名無史さん:01/09/10 05:10
で、貰うばかりじゃ情けないので、こんなことまずいかもしれんがーー
ハシリュウ本家の数代前にウチから嫁いだが、主人が飲んだくれで
かなり借金をさせられたらしい。その息子はそれが嫌で上京し、アサヒビール
を起こして成功、その息子が吉田茂にじか談判して戦後軍人恩給制度を
つくった車椅子の大臣、橋本龍伍。だから、ハシリュウんちは結構骨太だよ
彼のNYにいる孫は、1歳でPCゲームでハシリュウに勝ったらしい!
188日本@名無しさん:01/09/10 05:32
祖父は共産党が悪の典型のように言う特高警察の名刑事だった。
主に尋問でサヨを転向させるのが仕事で、拷問を一度もしなかった
のが自慢だったらしい。当時から戦後に至るまで、転向した人が
しょっちゅう祖父を訪ねてきたそうです。恨むわけでなく、
感謝していたそうです。

その祖父が生前まとめた特高警察の資料を父が自費出版したら、
伊藤教授が「素晴らしい資料的価値がある」と絶賛したそうです。
伊藤教授をご存知の方は訊いてみて下さい。たぶん誰のことか
すぐわかるでしょう。

でも名前を書き込まないで下さいよ。ヨロシクね。
189日本@名無史さん:01/09/10 08:31
>>182です。ヒント;今年の8月中に特集されてた。
190へっぽこ医者:01/09/10 12:26
親戚じゃないのだが・・
俺が昔勤めていた病院で担当した患者さんは、戦艦大和の生き残りだった。
肺癌の末期だったけど、「あの時から50年も生きられたんだから」とさばさばしていたのが印象的だった。
ほかにも、レントゲンを撮ったら頭の中に手榴弾の破片があった爺さんとか、中野学校出身で目つきの
やばかった爺さんとかいろいろいました。
かれら往年の勇者たちも、今はボケボケでおむつのお世話。
盛者必衰を肌で感じます。
191日本@名無史さん:01/09/10 12:53
188=
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  | ソフハトッコウダッタ!!    タ、タスケテー   |
  |シリョウテキカチガアリアリ!          |
  |     ◎---◎    ウワァァァァァン! |
  |     (∴)3(∴)      ヽ( `Д´)ノ |
  | 三  ( コヴァ)     三  (   )   |
  | 三 ι一U J     三 ノ ヽ    |
  |  `'`""~`'`'`""~`'`'~`'~`'~`'`""~`'`'~ |
  \______________/
             O
              o
               ゚
             iTTTTTi   ウーン
           ヽ(`Д´;)ノ   ウーン
           / ̄ ̄⌒/||
           /    /
          .||' ̄ ̄`||    コヴァガウザぃょぅ・・・・・
192日本@名無史さん:01/09/10 15:28
私の祖父の兄弟が、「和歌山県下ではじめて行われたテニス大会」に出てる。写真記録もあり。
193日本@名無史さん:01/09/11 17:04
私の祖母の妹の旦那さんは
予科連の教官をやっていた。
昭和天皇の戦争責任を許さないといっていた。
194日本@名無史さん:01/09/13 13:49
母ちゃんの遠縁がテニスの沢松奈々子の一家らしい…。かろうじて有名人(?)
戦争中に奈々子のばあちゃんが疎開してきて、みんなモンペで畑とか
耕してるのに、すげぇ派手なワンピースを着て、縁がわに座ってタバコ
吹かしてたって母ちゃんが言ってた。でも子どもの目からみても美人だった
そ〜だ。
195日本@名無史さん
大伯父が南京攻略戦に従軍した。
南京に入ってから、ゲリラだか敗残兵だかがウヨウヨしていてあっちこっちで
ドンバチやっていたって。それでも入城三日目にはほぼ鎮圧されて、
投降した連中は、一旦清涼山、玄武湖などに集められて、尋問したら、
ほとんどが南京郊外の農民だったそうな。

南京にはキリスト教教会がいくつもあるが、ちゃんと聖誕祭も開催され、
「正月は家で迎えさせてやれ」という上層部からのお達しで、
大晦日までにはほとんど釈放したとか。
で翌年の旧正月・・・・、かなり盛大に盛りあがったらしく、
爆竹があちこちでパンパンなってすごいうるさかったらしい。
それで駐留軍の方が「便衣兵の大規模蜂起か!」と勘違いして
南京の全城門を封鎖し、駐留軍が出動する騒ぎが起きたそうな。
マヌケじゃの〜(笑)。