昔の人に男色家が多かった理由は?

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1実習生さん
科学的に説明できる方いません?
2日本@名無史さん:2001/04/02(月) 23:00
逆。何で、現代は、少ない(ってことになってる)かが問題。
3日本@名無史さん:2001/04/02(月) 23:03
やっぱ戦国大名も小姓の珍ポくわえてたのかなー?
4日本@名無史さん:2001/04/02(月) 23:27
気色悪い話題だな・・・・・
科学的小話をいくつか

母親に強いストレスがかかると、母胎中の胎児に
ホルモンの供給がうまくいかず、女性化するとのこと
検証済み

ホモ原因遺伝子も特定されています
でもホモだったら、子孫残しそうもないな

社会的要因が強いと思う
社会的なタブーが薄ければもっと目につくかもな
欧米、特にプロテスタント系が多い所では、その教義が
ホモをタブー視している
日本では、明治にはいり軍国主義になってから
軍隊でホモでは統制がとりにくいでしょ?
5日本@名無史さん:2001/04/02(月) 23:37
>>4

なるほど、ホモをタブーにした欧米と近代日本にとりあえず感謝。
6Nanashi_et_al.:2001/04/03(火) 01:03
>>3
ん?それって西洋起源だと思ってた。
普遍的にあったの?
7日本@名無史さん:2001/04/03(火) 01:11
明治・大正時代の大学生は
普通に男色してたらしいです。
8日本@名無史さん:2001/04/03(火) 06:54
6が知りたいのはふぇらが普遍的か…ということでしょ?
9日本@名無史さん:2001/04/03(火) 07:09
日本では非常に男色が盛んでした。
真言宗の改組、弘法大師が始祖と言われていて、相手の美少年に対するラブレターまで残っています。
ようするに仏教者は女色が戒められていたため、かわりに暖色をしたというわけです。
現代の観念からは女色が汚らわしいが暖色なら良いというのは理解しがたいかもしれませんが・・・・

さらに仏教関係者ばかりではなく武士の間でも大流行というか、ほとんど武士のたしなみ・甲斐性のようにされていました。
織田信長などは露骨に小姓と言わず「小性」と呼び、どうどうと戦場でも森蘭丸などとやっていました。
前田利家との関係も有名です。
ほかにほとんどの大名はやっていて、武田信玄なども高坂弾上に浮気を謝罪するラブレターを送っています。
上杉謙信もやってたようです。
10:2001/04/03(火) 07:18
ただ、ここで注意しなくてはならないのは
戦国時代などでは男色は堂々とした明るいもので、世間で女色以上に好意的なものとされ、
時には名誉な行為とされていたことです。
織田信長が前田利家に他の名だたる武将たちの前で
「そちとは昔、やったものよな」という発言に見守る武将たちは皆「おお」と羨ましがり、
前田利家も感激のあまり泣いたそうです。

なんというか戦国時代の武士では男の友情がこうじて男色に発展するケースもあるようようです。
現在のヤオイ女の世界ですね。
11:2001/04/03(火) 07:25
そういえば、上杉景勝と直江兼次も少年時代からの男色関係ですが
わかるような期がする。
関ヶ原の合戦のあと、上杉家が直江の方針で120万石から30万石に減封されたときも、
景次は直江になんの罰も与えないどころか返って心配し、土地を手配したというのですが、

この二人は友情を越えた夫婦も同然の関係だったんですね。
景次には直江にバツを与えるという概念そのものがなかったようです。
12日本@名無史さん:2001/04/03(火) 10:18
まさしく炎のミラジュネ
13横須賀:2001/04/03(火) 10:52
男色、同性愛行為が悪徳視されるようになったのは明治以降でしょう。
おそらくキリスト教の影響。ほら、あっちの宗教じゃ、「子供つくる
気のないセックスは神に対する裏切り」って考えがあるから(いわゆ
る、生み栄えよ)。
それまでは同性愛を悪いと考える人はあまりいなかったと思います。
西鶴の「好色一代男」でも、主人公が男とつきあったことを自慢する
シーンがあるくらいだから。
三島由紀夫も、おもしろいことを言ってる。たしか「不道徳講座」か
「軟弱柔弱たるべし」だったと思いますが、同性愛者のほうが男らし
いのではないか、という趣旨だったと思います。
あと、西郷隆盛の美少年好きも有名ですね。

昔の日本人には「同性愛行為をやってる男のほうが強くなれる」って
考えがあったように思われます。おそらく西郷隆盛はその典型で、上
杉謙信も似たようなものではないでしょうか。謙信と同時代(少し前)
の管領・細川政元も、一生涯女性を近づけなかったといわれています
が(当時の修験道の影響らしい)、その代わり少年を愛人にしていた
ようです。
14:2001/04/03(火) 11:35
>>13
キリスト教や西洋文化の影響もあったでしょうね。
しかし、もっと単純に「坊さんが結婚できようになったから」というのが大きいのではないしょうか?

昔、テレビでタイで少年が出家する時、中年の女性を見つめ合って、泣きあってるシーンがありました。
何でも、タイ仏教では一度出家すると生涯、女性に触ってはならないそうなのです。
それゆえ、実の母親にも二度と触れられないと泣いてたわけですが、
でも・・・・だとするとタイ仏教でも理論的に男色は可能なのではないでしょうか?
まあ、厳格なタイ仏教では無理でしょうけど、大乗仏教では男色が女色の代用品となったようです。

もっとも、昔でも坊さんは実は女性を囲っている場合も多く、男色で我慢するのはむしろ真面目な坊さんだったようです。
そういう意味でも男色が好意的に見られたのかも。
明治以降、坊さんの結婚が認められたのが、男色がすたれた大きな原因ではないでしょうか?
15:2001/04/03(火) 11:42
三島由起夫、西郷隆盛、細川政元は有名ですね。
ほかに水戸黄門、芭蕉も有名ですね。

ほかに新選組でも武田観柳斎だけではなく、
近藤や土方や沖田などがおたがい、男色だったなんて言い出す人がいますが、
これは、もはや何の確証もないヤオイの世界ですね。

というか我々はヤオイをバカにしがちですけど、
実は長い歴史を持った、立派な文学体系のようですね。
16日本@名無史さん:2001/04/03(火) 11:53
平安時代も天皇や上皇も皆男色を好んでいたりする。
しかも家臣の方は側近になって力持つことができるから
けっこう皆必死だったと思われる。
藤原頼長は堂々と日記に書いてたよな。
でも後白河と隆房(だっけ?)の関係については
九条兼実は批判していたような・・・
風流なたしなみとして貴族は皆好んでいた、とは何かで読んだけど。
科学的にはわかんないや。
17日本@名無史さん:2001/04/03(火) 11:56
やおいっつーのはホモ、またはホモでも何でもない人を
勝手にカップリングして自分たちで勝手に喜んでいる輩の
ことをいうのでは・・・
歴史的事実とやおいの世界は違うと考えたい。
18Nanashi_et_al.:2001/04/03(火) 12:01
>>1
科学的に説明しろってどういうこと?遺伝子がどーとか?出来るかっ!

群書に収録されてるから周知の資料だけど文明年間に作られた「若気勧進帳」は男色讃美。
一方、伝一條兼良作『若気嘲弄物語』はアンチ男色。
室町期は前者の方がむろん世相に合ってたと思うけど、後者のような考えも存在していた。
>>9の弘法説話は両者で引かれてるけど、天台では慈円の説話もある。すなわち日吉十禅師権現が稚児と変じて慈円に通ったという(叡山文庫蔵『廊御子記』)。
この文化は深いのだ。オレは立川流支持者だけど。
19Nanashi_et_al.:2001/04/03(火) 12:10
>>16
頼長の男色については五味さんの著書にも書かれてるけど、国文畑でも神田龍身『偽装の言説』(森話社)に論じられてるよ。
院−近臣・近臣−近臣間の関係を読み解いている。
20日本@名無史さん:2001/04/03(火) 13:09
歴史はすべてヤオイで解明できる。ヤオイ史観以外はすべてデタラメ。
21日本@名無史さん:2001/04/03(火) 13:21
20年くらい前に常陸宮(だったと思う)のインタビューで
「皇室は何故変わることなく続いているんでしょうか?」という質問に
「『変わることなく』ではありません。変わったから続いたのです」
と答えていた。
2221:2001/04/03(火) 13:26
すみません。スレ間違えました。鬱だ氏のう。
23日本@名無史さん:2001/04/03(火) 15:08
>>21-22
えっ、いますごいタイミングで爆弾発言しましたよ
皇室は男色を辞めたから続いたのですよね?
24日本@名無史さん:2001/04/03(火) 15:09
>>17
違います。
25日本@名無史さん:2001/04/03(火) 15:37
>>21-23
ウケた(笑)
一瞬納得したよ。

>>24
違うのか?
26日本@名無史さん:2001/04/03(火) 15:43
27日本@名無史さん:2001/04/03(火) 15:46
>>26はブラクラ?
28p1069.ssctnet.or.jp:2001/04/03(火) 15:47
テストさせて
2922:2001/04/03(火) 16:57
>>23
>>25
じゃ前言撤回、このスレでいいです。
30日本@名無史さん:2001/04/03(火) 17:26
ちょっと見ぬ間に随分書き込まれたと思ったら、あまり関係ないものばかりだなあ。
中世のこと、とくに教えてくだされい。
31@名無しさん:2001/04/03(火) 19:21
男色は任侠道と同一視されてたからね
いわゆる義兄弟の意味も兼ねてた
江戸時代も会津藩で横恋慕により青年グループ同士のトラブル
になっていたが武士道と紙一重の所があるため、
家中の大人達が困惑していると云った日記が残っている
32日本@名無史さん:2001/04/03(火) 22:34
能も歌舞伎も連歌も俳句も仮名草子も、
ゲイのコミュニケーション手段としてハッテンしてきた文化だから。
古典がヤオイなのは、しょおがない。
33日本@名無史さん:2001/04/03(火) 22:44
これだけ押しも押されぬ日本の伝統なのに、
ここ数十年のメディアでは「日本も欧米の影響でホモが増えた・・・」っちゅうような
言説がまかり通っているのは、不思議。
なんでだろね。
考えたくないことは何でも外国のせいにしたいんだろうか?
(類似モノに「最近の女はメリケンの影響で強くなった」・・・もう言わんか)
34横須賀:2001/04/03(火) 22:50
だから、あいでしょ?
昔の日本人にとっては「男も女も愛せる(当然、本人も愛される)」ってことが
いい男の証明だったわけでしょう。源氏物語には光源氏の同性愛シーンはなかっ
たと思いますが、昔の日本人はけっこうオープンに自分のホモ体験を他人に話し
ていたみたいですね。
でも不思議な気がするのは、チャイコフスキーやグッチなんて典型ですが、ホモ
の人ってわりと品がいい文化を作りません?
グッチが死んだ時、どっかのおばさん(日本人)が「どうしてホモの人があんな
すばらしいものを造れるんでしょ?」って言ってたのが印象的だった。
僕みたいに、女色大好き人間には無理だなあ。
35横須賀:2001/04/03(火) 22:55
でも近年の日本人には、ホモっていうと男専門で女には興味ない、って
思ってる人が多いのが問題じゃなかなあ?
実際には「どっちもオッケー」って人が多いんですよね。
僕の友人でホモのやつなんてその典型だし(僕はホモじゃないよ)。
今、世間で有名なやつが「女には不能(不感?)」てイメージを
まきちらしているような気がする。
36日本@名無史さん:2001/04/03(火) 23:23
どっちもオッケーは両刀です。ほもに非ず。
37雲母:2001/04/03(火) 23:24
神道の政治的地位の高まりと男色の退潮には相関がある。
五穀豊穣を旨とする神道は子どもを作らない男色を容認しない。
素朴な信仰からガチガチの政治原理へ神道が変遷していった
という内部的要因の方に因子を求めるべきだ。
38日本@名無史さん:2001/04/03(火) 23:47
>>14
スレに直接関係ない話なのでsageで書きますけど、
この間、タイの田舎の僧院で同性愛行為が発覚して問題になってました。
あと、お坊さんがカツラかぶってディスコ(……)に行ったとか。
タイ仏教界でも風紀の乱れが問題になり始めているようですよ。
なーむー。
39日本@名無史さん:2001/04/04(水) 01:55
鹿児島って明治頃でもホモが盛んだったらしいね。七高の寮なんか入るとアブナイってうわさがあったらしい。
40日本@名無史さん:2001/04/04(水) 04:41
>>37
横溝正史の犬神家の一族に
神主の男色の話しがあったけどな。
41世界@名無史さん:2001/04/04(水) 04:43
>>40
子供の頃、「犬神家の一族」読んで
「ねえ。おかあさん。<衆道の契り>って、なーに?」
と尋ねた記憶あり
42日本@名無史さん:2001/04/04(水) 04:46
>>34
光源氏は空蝉の弟の少年を抱いているよ
43日本@名無史さん:2001/04/04(水) 05:16
戦後の東京で最初のゲイバーを開いた人は陸軍に徴兵されてたとき男色を覚えてきたと昔雑誌で読んだことがある。アメリカだと軍隊内でのホモはリンチされたりして最近やっと認められるようになってきたらしいが、日本じゃ軍隊がホモに目覚めるところだったのか。
44与六:2001/04/04(水) 09:12
井伊直政の赤備えを見て家康は、「愛い奴じゃのう」なんて戦場で思っていたのかな? 四天王の中で井伊隊の軍律が一番厳しかったようだから、家臣は大変だったと思います。
45日本@名無史さん:2001/04/04(水) 12:02
>>43
同性だけを一箇所に集めて隔離し異性を遠ざけると、同性同士で発情するそうだ。
刑務所にもゲイは多いというではないか。
46名無し:2001/04/04(水) 22:14
八丈島とかの流刑者の実態はどーだったの?
>>45みたいだったのかなあ。
47日本@名無史さん:2001/04/04(水) 22:19
流刑地は別に隔離しとらんだろ
48日本@名無史さん:2001/04/04(水) 22:38
三島由起夫、西郷隆盛、細川政元は有名ですね。
ほかに水戸黄門、芭蕉も有名ですね。

新解釈が多い例の番組で

水戸「肛門」になる日も近いね。
助さんや格さんと3Pですか?
うっかりはちべえはいなくなったしねえ。

石坂浩二の熱演にとっても期待age!!

49日本@名無史さん:2001/04/04(水) 22:41
同性だけを一箇所に集めて隔離し異性を遠ざけると、同性同士で発情するそうだ。
刑務所にもゲイは多いというではないか。

刑務所はすごいらしいよ。
刑務所内にも病院があってね。
具合がわるくなったじいさんのむっちりした白い尻をみて
釜ほってやれと浴場したそうな。
後ろからズブリと掘ったら
じいさんがひきつけ起こして
思わず逝っちゃいそうになったんだって

いっておくけどネタじゃないんよ。
マジでそういう話があるんよ。
50日本@名無史さん :2001/04/04(水) 23:10
なんかどんどんキモイ話になってきた…。
>>1よ、責任とって四つん這いになれ。
51日本@名無史さん:2001/04/04(水) 23:48
最近、ほもねたスレ多いね。
いや全然かまわんけど。
52日本@名無史さん:2001/04/05(木) 11:03
同性だけを一箇所に集めて隔離し異性を遠ざけると、同性同士で発情するそうだ。
刑務所にもゲイは多いというではないか

アンコという隠語が刑務所の受刑囚の間にあります。
つまり、自慰すら禁止されている刑務所内で
溜まりにたまった欲望の吐け口を受け止める人の事を指すのですが、

初犯の若い子がよく狙われるんです。
大学のサークルと同じで先輩がいそいそと世話をやいてくれるわけです。
警戒心がゆるんで、気を許すようになった頃に食うわけですね。
つまり、ああ、この人になら俺の尻を捧げてもいいなと思わせる
心理状態にもっていくわけです。

なかにはアンコづくりの名人といわれる人もいまして
ヤクザの組長や右翼の大親分も受けをした人が
たくさんいますよ。
53日本@名無史さん:2001/04/05(木) 17:04
まあ、将来的にまたホモが奨励される時代が来るかも分からんし(たしかそんなSFがあったな)、
今のうちから積極的に慣れ親しんでおけ、という結論で良いな?
54日本@名無史さん:2001/04/05(木) 17:52
>>53
んむ、ほもは日本の輝かしき伝統(?)だし(笑)

するとやおい女たちは日本の伝統の正当な守護者なんか(笑)
55日本@名無史さん:2001/04/05(木) 18:19
科学的に…となると、
肛門科関係や、衛生面や、免疫力が落ちる(エイズってことじゃないよ)など、
ホモの方が不健康になっちゃう要素が多いので、
連綿と栄えて来てるのはナゾです。
56日本@名無史さん:2001/04/05(木) 18:53
男色は密教の奥義です。
江戸時代までは男色は常識。
政界の一部では今でもその伝統が生きています。
国会中継とかをよく見ればわかるかも。
57【^▽^】ジョーカー:2001/04/05(木) 19:31
男色のはじまりは中国。
去勢された宦官があらたに見出した性的喜びでした。
58日本@名無しさん:2001/04/05(木) 19:42
偽ジョーカーうざ過ぎ
59日本@名無史さん:2001/04/05(木) 21:08
ここって男色好き多いんだね。
日本史好きはホモ。
60日本@名無史さん:2001/04/05(木) 22:43
>>16
>でも後白河と隆房(だっけ?)の関係については
>九条兼実は批判していたような・・・

それ基通です。
61:2001/04/06(金) 01:38
え、男色って口でやってたんじゃないんですか?(マジで
62日本@名無史さん:2001/04/06(金) 02:37
中国はおクチ専門の色子がいたって山上たつひこの『金餅梅』に書いてあったなぁ。
別の歴史関係の本には、中国では尺八がメインだったけど、日本では尻の穴も使ってやる、
みたいなことが書いてあった。
でも、日本も尺八「も」やってただろう、当然(笑)
63吾輩は名無しである:2001/04/06(金) 03:05
懐かしいな。山上たつひこの『金餅梅』。

色子だな。
それにしても原作『金餅梅』はすごいよ。
上田秋成の「菊花の契り」なんて、やおい本。
『金餅梅』はオランダの無修正ポルノだ
64日本@名無史さん:2001/04/06(金) 03:51
>63
『金餅梅』読んでないけど、何だか納得してしまった。
65日本@名無史さん:2001/04/06(金) 07:44
古代・中世なんて、ぜーんぜん関係ないのに、学生の頃、ついコピーしてしまった論文がある。
1980年頃の『ヒストリア』に載ってた「藤原頼長の男色関係−王朝貴族のヴィタ・セクスアリス」とかっていうやつ。
名論文でした。まじで。読みが深くて実感籠もっててよかった。
66日本@名無史さん:2001/04/06(金) 14:01
やおい本て何?
UFO屋甥から来てるの?
67日本@名無史さん:2001/04/06(金) 14:20
そもそもプラットニックラブというのも男色の愛のことだからね。
同性愛と罪悪視するのはキリスト教からきてるんじゃないかな
68日本@名無史さん:2001/04/06(金) 17:58
山なし、オチ無し、意味無し、のマンガってのが語源>やおい
今は大体、ホモ関係を憶測して描いた、パロディ同人漫画のコトをさす。
作者は女の子が多い。
63で「菊花の契り」なんて、やおい本、と言ってるのは、
情緒的で、表現がソフトだっていう意味だろう。
69日本@名無史さん:2001/04/07(土) 20:51
『近世美少年録』
タイトル・内容ともに、日本やおい史上にかがやく金字塔ですな。
70Nanashi_et_al.:2001/04/08(日) 12:43
>>67
>>18参照されたし。
『若気嘲哢物語』では、今日(宝徳2年)天災しげく、人民不和の所以を「かゝる曲事」すなわち「若道」を持て囃すことに対する仏神の咎であると説いている。
そこでは三教(神・儒・仏)、歌道それぞれの分野で若道批判がなされているのであって、ここに切支丹の入る余地はない。
つまり特定の宗教のドグマを超えた問題なんだと思う。
71日本@名無史さん:2001/04/09(月) 10:34
>>17
というかある種の研究家や小説家にいきすぎた男色カップリングの推測があることをいってるの。
たしかに信長と蘭丸や上杉景勝と直江兼次、信玄と高坂、大内義隆とスエハルカタなど
有名な男色カップリングがあるのも事実だけど、
新鮮組の面々とか秀吉と光成とか義経と弁慶とか家安と正純とか
とにかく、男が二人並んでいれば男色と決めつけるような史観があるわけ。

そういうのをヤオイだと言ったわけだ。
72日本@名無史さん:2001/04/09(月) 17:25
あげ
73日本@名無史さん:2001/04/09(月) 19:37
あげ
74日本@名無史さん:2001/04/09(月) 22:53
>71
そうですねえ。記録に残って無いのに、変な憶測はひかえたい。
弁慶なんて、キャラ的には空想の人格だし。
75与六:2001/04/10(火) 00:46
ライトノベルつーかミラージュモナー。
76日本@名無史さん:2001/04/10(火) 04:51
>>71
秀吉と三成? 家康と正純か
77日本@名無史さん:2001/04/10(火) 15:04
在原業平も男色趣味があったってホントかい?
78日本@名無史さん:2001/04/16(月) 00:46
そいえばむかし、イケダ某って殿様の愛する小姓のワタナベ某に横恋慕したカワイ某が
ワタナベ某に言い寄ったのにワタナベ某につれなくされて怒ったカワイ某がワタナベ某を
ぶち殺して逐電してぶち殺されたワタナベ某の兄のワタナベ某兄がワタナベ某姉の旦那の
アラキ某と一緒に某鍵屋の辻でカワイ某やサクライ某を惨殺したって事があったよね。
なかった?
79匿名希望さん:2001/04/16(月) 03:04
>>42
光源氏と頭の中将(葵の兄ちゃん)の仲もあやしいと思うんだけど、どう?
80日本@名無史さん:2001/04/16(月) 03:22
あやしい=やってた
と安易に結びつけるのはどうかと。
81日本@名無史さん:2001/04/16(月) 06:39
昔のホモは美少年型もマッチヨ型も両方盛んだったみたいね。
一説には森蘭丸は実際は森乱丸と言われていて、
筋骨隆々の大男のマッチョ型説があるんだよね。
82日本@名無史さん
男色派と女色派が論争する古典小説「田夫物語」では双方譲らぬ議論を
戦わせるが、結局男色は不自然なものとして論破されてた。