1 :
日本@名無史さん :
2001/03/19(月) 09:06 開戦は御前会議で決まった。 当時の御前会議では慣例として天皇は 一切発言をしないんだ。なんせ民主主義だから。 天皇が色々口だししたら独裁になる。 で、まあ前出の戦争反対の歌など詠んで 抵抗してたんだが、止められなかったんだ。 いったい誰に対する責任なんだ。 それを明らかにしてくれ。
2 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 09:54
>1 ヒロヒトが平和愛好家で非戦論者だったというのは、戦後に創られた虚像に過ぎない。 実際のヒロヒトはお前の言うようなただのお飾り人形では、 侵略戦争の指導に深く関与していたことが今日明かにされている。 俺が考える「戦争責任」とは、日米戦争だけではなく日中戦争も含む。 ヒロヒトが最終的に同意して引き起こされた侵略戦争で、 多くの犠牲者が出たことに対する責任だ。
3 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 09:57
2を一部訂正。 ヒロヒトが平和愛好家で非戦論者だったというのは、戦後に創られた虚像に過ぎない。 実際のヒロヒトはお前の言うようなただのお飾り人形ではなく、 侵略戦争の指導に深く関与していたことが今日では明かにされている。 俺が考える「戦争責任」とは、日米戦争だけではなく日中戦争も含む。 ヒロヒトが最終的に同意して引き起こされたその侵略戦争で、 多くの犠牲者が出たことに対する責任だ。
4 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 10:27
ある側近に裕仁さんは「人生で後悔することは何?」と訊かれこう答えたそうです。 「悔いることは二つ。一つは2.26事件鎮圧に自ら乗り出したこと。もうひとつは、敗戦を決断したこと」 なぜ大東亜戦争の開戦ではなく終戦を決断したことになるか、と言えば(>1)さんの言う通り、民主主義的な意識を強くもっていたためです。 裕仁さんは祖父明治天皇の意志を継承することをとても重視していた。天皇を専制君主ではなく、民主主義の国家運営が憲法のもと公正にとりおこなわせるための監視役として位置付ける立憲君主国たらんという意志です。開戦は「みんな」が合議の末決断してやったものだが、2.26事件鎮圧と終戦宣言は、裕仁さんの独断でやったことだから、明治憲法を無視した専制であって、ゆえに後悔するわけですね。おそらく当時の日本人でこれだけ高い法の精神持っていた人は稀だったのではないでしょうか。 「責任」というものはただ名目上地位が高ければ大きな責任を負わねばならないという図式的な方法では厳正に判定することはできません。「責任」というものは「自由」というものとコインの裏表の関係にあるもので、当時の「天皇」という地位は、裕仁さん個人の自由意志でなれたものでもなく辞めることができたものでもない。実質、奴隷と一緒ですから、彼個人に責任を負わせる合理的な条件がない。 自らの意志で立身出世し、「天皇」という名と権威を利用して自由意思で自己実現してきた国家や軍の上層部の「権力者」やそれに自らの自由意志で「従属」していた「臣民」たち。その「権力」-「従属」というヘゲモニー構造を自ら支えてきた双方こそが「戦争責任」を負うべきであって、裕仁さん個人に責任を負わせることで無罪放免になってしまう連中が生じてくる。そっちのほうが現実問題として害が大きい。よって裕仁さん「最高戦争責任者説」には歴史学的にも、現実問題としても価値がない、というのが私の見解です。
こういう全面的称賛って、 やればやるほど 普通の人は萎えるんだがな。
6 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 10:36
「戦争責任」を負うべきと、あの戦争を否定的に捉えながら、 「大東亜戦争」などと呼ぶのはダブスタだな。
7 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 10:38
気に入らないやつは誰でも叩け、では普通の人は人間が腐るぞ。
8 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 10:42
>7 「大東亜戦争」と書けば、即ウヨクだ、叩け!という安直な図式頭どうにかならん? それを阿呆の言葉狩り、という。
9 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 10:43
失敬! >6 「大東亜戦争」と書けば、即ウヨクだ、叩け!という安直な図式頭どうにかならん? それを阿呆の言葉狩り、という。
10 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 10:55
昭和天皇が開戦に乗り気じゃなかったとしたら、 「聖戦」を支持していなかったことになるぞ。 そんなら昭和天皇は欧米の手先の売国奴だな。
11 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 10:58
売国奴のヒロヒトさらしあげ
12 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 11:01
>10 だからぁ〜、感情とかそんな瑣末なレベルの話ではなくて、「責任能力」の問題だって。 ちょっとは勉強してから発言するように。 まず書いてあることをそのまま理解する言語理解能力が必要です。
>>8 悪いとか良いとかにしか頭の向かない(頭がついてればがけど)「終身教育復活待望論者」がここにもいるのか。
14 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 11:11
それ、ちゃうやろ? 昭和天皇は個人的に戦争が悪だと思っていた訳じゃなく 勝てる戦争じゃないって思っていたから反対した訳で、 平和主義とは言えないけど15年戦争自体には反対だったってこと。
15 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 11:17
>13 ウヨクにもサヨクにも、図式しか頭にない痛い奴がいるものだが、あんた相当イタイぞ。 ステロタイプのゴミ捨て場が「知識」ではありません。 考える能力を養いましょう。
16 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 11:21
「戦争責任」て何だ?
日本史板のレベルも地に落ちたな。 同じネタで他の板でされてる議論のほうが、はるかに高いレベルで話してるぞ。
18 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 11:39
まあ史料を丹念に読んでいけば14のような結論になるよねえ。
19 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 12:28
昭和天皇は親英派でもあり、 欧米の手先の売国奴でした。
戦争責任という言葉で何を議論しているのか始めに明確にしなければ議論すること自体意味がないだろう。17も言うようにレベルの低さは相当だな。
21 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 12:38
てゆうか永野や杉山とのやりとりをみると 天皇は、戦争が早期に片づくかどうかに非常に注意をはらっていたと思うね。 開戦反対というより、開戦慎重派だったのだろう。 やるなら短期決戦で決着をというのは天皇も軍部の指導層も同じ考えだ。 ただ天皇は、ほんとうに戦争が早期に終結するかどうかについて軍部の連中ほど楽観的ではなかったが。
22 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 12:41
聖戦をためらった罪です。 しかも裕仁帝は、勝手に終戦を決め込み、 この聖戦を途中で投げ出してしまいました。 アジアへの背信の罪は重いです。
23 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 12:58
欧米の手先・昭和天皇をさらしあげ
24 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 13:17
詳しい=レベルが高い、と思っている人間もそうとうイッテいると思う。 詳しく詳しく、とっても恥ずかしいこと言っているのがここには多いからね。 サイトにもそのようなのがある。例えば、南京虐殺は嘘だ、といいつつ、写真とか視覚資料ばかり批判しているのとか。
25 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 13:32
>4はレベル高いじゃん。 ヘゲモニーつうたらアントニオ・グラムシやI・ウォーラステインの「近代世界システム」あたりと関連して、歴史学専攻している人間にとってはいまや標準の方法論と視座ですね。そこをちゃんと踏まえているのだから、この掲示板で一番レベル高いんじゃない?
26 :
天皇の「聖断」 :2001/03/19(月) 13:53
さきの大戦を終結させる決断をくだしたのは天皇だという誤解がひろまっていますが それはまったくの俗説です. 1945年8月9日の御前会議に先立って早朝に行われた会議では,ポツダム宣言受諾は すでに既定の方針になっていて,それに条件をつけるかつけないか,つけるとしたら どんな条件をつけるか議論されたのでした. 午後からの会議では,皇室の安泰だけを条件として降伏すべしとする東郷外相案と 戦争犯罪人の処理は日本側で行う・武装解除は自主的に行う・保障占領は行わない…の 3条件をあわせた4条件を主張した阿南陸相案とが対立.意見がまとまらず,会議は 決着がつかなかった. 深夜からの天皇臨席の御前会議は,天皇の「聖断」によって決着をつけるための会議 であり,翌10日午前2時すぎに,天皇は外相案を支持するという「ご聖断」を下した のである.
27 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 13:58
>26 だからぁ、例外的な決断で戦争終わらせた、というのは事実で、それを本人が悔いている、ということでしょう?
28 :
わがみかわいやホトトギス :2001/03/19(月) 13:59
天皇は「朕ノ股肱タル軍人ヨリ武器ヲ取リ上ゲ、又朕ノ臣下ヲ戦争責任者トシテ引キ渡スコトハ之ヲ忍ビザルモ」といっておきながら,皇室の存続・天皇の地位の安泰だけにしぼった条件で降伏することを決断したのである.それが「ご聖断」の内容であった.
29 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 14:06
>>27 事実じゃないですよ.
天皇の裁可は,阿南陸相案を斥け,東郷外相案を採択する,というもの.
どちらの案でも,戦争は終結したんですから,天皇の決断が戦争を終わらした
ことにはなりませんよ.
30 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 14:08
こんな記述がありますが。 「二回だけ、自分は立憲君主としての道を踏みまちがえた。2.26のときは岡田啓介総理大臣がいきているか、死んでいるか分からないので、自分が進んで態度を決めるよう指導した。終戦の時は、鈴木貫太郎総理大臣が『どうしようか』と聞くから、『早くやめろ』といった」 と側近の侍従に(昭和天皇は)お話になっている。(現代史研究家、松崎明一氏の記述より抜粋)
31 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 14:14
>30 これが全くの俗説でしょうか? 俗説なら、松崎明一さんに「俗説を言うな」と批判文送りましょう。
32 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 14:35
「一億玉砕」になっても戦争を継続する方針を決めた6月6日の御前会議以後には 天皇や木戸は急に戦争終結に熱心になるんですよ.天皇の態度がなぜこの時期に 急変したのかは,よくわからない点もあるんですけれどね. その少し前くらいまでは,天皇はまだまだやれると思ってたのは,例の近衛の講和の 上奏に対して「いったん敵をたたいてから」と答えていることからも,わかると 思いますが.
33 :
名無しさん :2001/03/19(月) 14:38
>>4 >>30 昭和天皇が、立憲君主としての慣例を破って政治的な決定に介入したことは、2.26事件、終戦のほかにもう1回あります。
それは、張作霖爆殺事件です。
このとき、天皇は、自分の一言で田中義一内閣が総辞職してしまったことを後々までとても後悔していたようです。
そして、それ以後は、できる限り政府の決定に反対しないと言う姿勢を鮮明にするようになったようです。
ちなみに、天皇にこういった立憲君主としてのあるべき姿を教えたのは、天皇が皇太子時代にイギリスを訪問した際に会った当時のイギリス国王ジョージ5世だったと言われています。
34 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 14:40
>>30 昭和天皇が悔いていたのは2.26事件と田中義一への叱責の件だというのを読んだ。
確か「若気の至りで〜」のようなことを喋っていたと思うが違ってたのか?
終戦の聖断のことだったのか。俺の記憶違いか?
ちょっと待てよ。 4の言ってること変だろ? 誰も大東亜戦争(あるいはその敗戦)の責任は すべて裕仁にあり、なんて言ってねーぞ。 4の否定したのは『裕仁さん「最高戦争責任者説」』であってさ んじゃあB級だったらどうなのよ?っつーか 「裕仁には戦争責任が微塵もないか?」 ってことにはまったく答えてないじゃないか。 スレのタイトルよめよ。 それに4の言ってることは、なんか自己矛盾してねーか? 「天皇を専制君主ではなく、民主主義の国家運営が憲法のもと公正にとりおこなわせるための監視役」 と裕仁が認識してたとしてもだ、 「おそらく当時の日本人でこれだけ高い法の精神持っていた人は稀だったのではないでしょうか。 」 ってことは、監視役という認識はごく僅かの少数派だったことになるよな? これって逆に言えば、大多数の臣民に「天皇は専制君主であって監視役ではなかった」と認識されていた、 ってことになるだろ。 裕仁が4の言うように「民主主義的な意識を強くもっていた」とすれば、 その「民主主義的な意識」によって、裕仁は自身が専制君主であることを認めざるを得なかった、 と。 いいのかよ?そーゆー風に解釈させてもらって。
36 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 15:27
何言おうが国で一番偉かったんだからな 「我々は陛下の開戦の詔勅を信じて、命をかけて戦った。 陛下に戦争責任があるのは当然だ。」 坂井氏のこの言葉が明快かつ一番納得できる。 ここで吠えてる戦後生まれよりはね コピペ
37 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 16:17
常識的に考えて責任くらいあるだろう。 まさか無責任でいいってことにはなるまい。
38 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:11
対立する人間のなかとって中庸で、すこしゃ責任あるだろ、てな稚拙なこと云わないでね。 例えば、英国の王家では、10歳やそこらで国王になったのがいますが、その場合政治決断はすべて宰相がやっていた。それで戦争して負けたからて10歳の王に責任負わせられるか? なぜ負わせられないか、といえば、「責任能力」がないと判断されるからです。国民が王を絶対と崇拝していて、王のために戦ったと思っている人間が多数いようがどうであろうが、責任能力がなかったら問えないわけ。分かる?
39 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:30
>36 坂井とかいうのが何者かしらんが、あまりオツムのよい人ではないでしょうなぁ。 誰によって信じ込まされたか、というところが問題だろ。天皇が直接「私は現人神であるがゆえに信じなさい」て教えたわけじゃないんだからな。 それを信じ込ませた人間のトップで、かつ自分の身分について自由意志で辞めることのできたのが最高責任者だろ? それは天皇じゃないわな。直属の上司責めたら自分の立場がないから、会ったこともない名誉会長責めてりゃ誰も責任とらずに済むからそうしとこ、てサラリーマンの発想だぞそれじゃ。
別に天皇だけに責任を押し付けてる人はいないと思うが。 逆に天皇だけは責任追及から守らねばと思ってる人はいるみたいだがね。
41 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:37
>39 海軍の撃墜王だよ、陸軍の航空士官学校主席卒だっけ? 知らないの?pupupu
42 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:38
>>41 なんで陸軍の航空学校なんだよ(w
いずれにせよ有名人なんだけど
43 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:41
坂井のデータ 日本のもっとも著名な零戟工一ス、坂井三郎氏は「自らの最大の功績とは60機以上の敵機 を撃墜したことてはなく200回に及ぶ空中戦で一度として列機を失わなかったことだ。」と述べて いる。操練を首席で卒業、恩賜の銀時計を授与された氏は抜群の操縦で敵機を撃墜し笹井 中隊の先任搭乗員として中隊員達に空戦の技術を仕込んだ。その多くの者達が後にエース となる。この頃の有名なエピソードとしてこんなものがある。 17年5月のある日のポートモレスビー攻撃の後、敵飛行場を旋回する一機の零戦があっ た。坂井一飛曹である。彼は内心きするとこがあった。それというのも、今日たいした空戦に ならなかったら待っているので後で来いと西澤、太田に約束してあったのだ。彼らはここで編 隊宙返りをやろうというのだ。約束通り来た2機はピタリと編隊を組み、適地上空でまんまと 素晴らしい編隊宙返りをやってのけたのである。不思議とこの時、高射砲は打ちあげてこな かったという。後日敵から、「先日の宙返りのパイロット素晴らしかった、今度来るときは緑色 のマフラーをつけてこられたし。」という手紙が届いた。しかし、「こんなことはやくざみたいだ」 と言って、笹井中尉が破って捨ててしまったという。 1942年8月7日のガタルカナルへの長距離作戦飛行に出撃する。その日はいつもの坂井らし くなく、のどの渇きから上空でサイダーを暴発させるというミスをおかし、それをふき取るため に思わぬ所で神経をつかうことになり、これがあとあと思わぬ事件を起こす原因になる。ガダル 上空で2機のF4Fを撃墜した後、はるか前方に8機の機影を認めた。この時坂井氏は攻撃機 はいないものときめつけていた。しかし実際後上方攻撃に入ると戦闘機ではなく攻撃機であっ た。そのため16丁の機銃にねらわれ被弾し、瀕死の重傷をおった。8時間の飛行の後何とか ラバウルに帰還したものの、右目はほぼ失明の状態であった。 その後本土に帰還し一時大村航空隊で教員任務についた後、横空に移り硫黄島での戦闘 をへて、源田大佐率いる343空の教員となる。終戦は横須賀航空隊でむかえている。
44 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:48
>4の理屈から云うと、こういうことになるな。 裕仁氏無罪。今、南京大虐殺は嘘だ、とか、東京裁判やりなおせ、とか言っている連中は有罪!!
45 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:49
>44 その通り!
46 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:52
この板はウヨサヨ共に生息しているので サヨが少ない軍事板のほうが冷静でまともな 議論をかわしている。
47 :
35 :2001/03/19(月) 17:53
なんかえらくすれちがってる気もするが。
>>38 は
責任能力が裕仁にはなかった、と言いたいのか?
>>4 の言う
『実質、奴隷と一緒ですから、彼個人に責任を負わせる合理的な条件がない。 』
ってことか?
立憲君主には政治責任ないってことかよ?
>>39 問題ズレテないか?
(1)
誰も裕仁が最高責任者だったかどうか、なんて問題にしてねーだろ。
(2)
自分の身分について自由意志で止めることができたかどうかは
「天皇であることの責任」であって、それは誰も責めちゃいないだろ?(ここでは)
問題は、このスレでやたら語られてるように(後悔したにせよ)自分の意志で
大東亜戦争を終戦に導くこともできた裕仁に、戦争そのものへの責任はないのか?
ってことだろ。責任能力はあったが、指導能力はあった、とかそういうことか?
別にオレは、裕仁に責任があったと言う結論になっても、なかったと言う結論になっても構わんが、
自分の国の起こした戦争に責任のない君主って、あまりに情けなくねーか?
サヨが少ないというより、 観念的に歴史を語ると軍事理論ですぐ破綻してしまうだけ。 だからあっちでは大日本帝国マンセーな人間も徹底的に叩かれる。
49 :
35 :2001/03/19(月) 17:56
>> 47 ×責任能力はあったが、指導能力はあった、とかそういうことか? ○責任能力はなかったが、指導能力はあった、とかそういうことか? ださださ、スマソ。
50 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:57
「自らの最大の功績とは60機以上の敵機を撃墜したことてはなく200回に及ぶ空中戦で一度として列機を失わなかったことだ」と自慢してるの? 莫迦な奴。名前通り、イタイやつだな。 ということはこの板井つうやつは、国民学校世代ではないわけだ。 天皇の名のもとに挙国一致で戦争を始めたのが昭和16年で、この年から「国民学校制」が始まってるからその教育受けた人間は、戦争には強制されて賛同したという権利があるが、板井という人にはそれがない、ということだな。 裕仁氏無罪、で、イタイ人有罪。 板井さんよ〜、責任転嫁するなよな、ほんまに撃墜王か?
51 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 18:01
>>50 お前バカか?
僚機を失わなかったということは戦友を
失わなかったということだ。
恩賜の銀時計もらってる凄さがわからんで
よくこの板にいるよ
52 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 18:02
>50 お前よりは100万年光年マシ
53 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 18:04
1916(大正5)年8月〜2000(平成12)年9月 1916(大正5)年8月26日佐賀市で生まれる。青山学院大学を中退して1933年志願兵として佐世保海兵隊入り(4等水兵)、1937(昭和12)年戦闘機乗り(パイロット)となる。 太平洋戦争中、主に戦闘機「零戦」(三菱航空(現重工)製作「零式艦上戦闘機」)で200回以上の空中戦に出撃し、敵機64機を撃墜したうえに、その間、戦死した部下を1人も出さなかったことで有名。最後の階級は中尉だったが、海軍での経歴は、旧海軍兵学校卒のエリート士官とは違う、いわゆる“たたきあげ”の道のりであった。 戦後、米国のAP通信が「最も多くの連合国機を撃墜した日本パイロット=ゼロファイターのサカイ」と紹介したのがきっかけで坂井さんは、「日本の撃墜王」と呼ばれた。また、1953(昭和28)年に当時東京の印刷屋であった坂井さんが出版した「坂井三郎空戦記録」は、「サムライ」の題名で英訳され、海外でもベストセラーになった。以後、米・英・ニュージーランドなど国外に持ち出された返還運動を推進した。 坂井さんは、戦後(25回以上渡米)、「こんなに大きな、資源があり余る国と戦って勝てると、なんで思ったのか。なぜ、海軍上層部は、『勝てません』と、はっきり言わなかったのか。戦略、戦術以前の問題…。あまりにもばかばかしくて…」と、あらためて旧海軍首脳への怒りと悔しさを痛感したという。 91年5月9日には、日米開戦50周年を記念したニミッツ提督財団・米海軍協会などの軍属団体主催のシンポジウム『1941年12月7日』が、オースチンのテキサス大オースチン校で行われ、坂井さんもパネラー(日米10人の旧軍人)として参加した。 また坂井さんは、94年11月25日、東京・有楽町の外国人記者クラブで講演、記者の質問に答える形で、「天皇制は必要」「国民統合のために天皇がおられることが良いと思う」との前提をおきながら、「軍人から言うと、天皇の責任はもちろんある。最高指揮官であり、私たちは開戦の詔勅を信じて命をかけて戦った。命令した人に責任がないなどということはありえない」と、昭和天皇の戦争責任を肯定する発言をした。 次女を米国の大学に進学させ、米国人の孫を持つ坂井さんが、「太平洋戦争の歴史は、とかく、かつての上層部の人々が語る記憶なり、残した記録によって作られていることが多い。しかし、特務士官、准士官、下士官・兵として戦ったわれわれが語る歴史もまた真実である」(『零戦の真実』)との視点から書き表した著書は、「大空のサムライ」ほか、92年の『零戦の真実』、94年の『零戦の運命』等、12冊にもぼる。 なお、坂井さんは、00年9月22日、米軍のパーティーに出席した帰りに突然倒れ、午後11時50分、急性心不全のため、神奈川県綾瀬市の病院で死亡した(享年84歳)。
54 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 18:08
「天皇制」というシステムに欠陥があったのでしょう。それとそのシステム運用する人間の能力に。そのなかに囚われた奴隷に責任おっかぶせるのはやめたほうがいいでしょう。 具体的なこと云いますが、裕仁さんが天皇になった年齢と、大日本帝国憲法に規定された被選挙権獲得年齢を比べてみるように。被選挙権獲得年齢とは、政治家になる、立候補することが許される年齢ということ。多分、ですが、現日本国憲法でも被選挙権が与えられない年齢で天皇になっているはずです。 そんな特別な能力、裕仁さんにあったはずがないのであって、当初は能力がなかったと言ってよいでしょうね。立憲君主政、法の精神に関する高度な知識と意識はあってもねえ、それだけじゃ一国の元首は務まらないでしょう。 終戦のころになると流石に能力も身についてきたでしょうが、それで決断できたことは「戦争をやめる」という政治判断だけですね。それに育ってきた環境がすでに「天皇制」の檻のなかだし、これで「少しは責任がある」などということが常識の国に、私は住みたくなかったりするのですが。いかが?
http://mirai.atclub.co.jp/miraimedia/newsmakerssakai.htm 「まさに末期的な状況です。これを見ても、太平洋戦争には結末がついていない、と断定できます。国際的な戦略・戦術がなっていない」
「戦後、あの戦争は勝手な軍人がやったもので、という批判がなされました。これは、あんまりではないか、と憤りました。日本は立派な立憲君主国だったのですから、日本の軍隊もシビリアン・コントロールのもとにあったのです。戦争遂行については、衆議院と貴族院が議決し、つまり政府が認めた行為でした。国の意思決定の中で、軍隊は戦場に赴き、いちばん命の危ない戦闘行為に従事したのです。後方の生産・輸送は、民間人が担当。われわれは、あくまでも兄弟姉妹と郷土を守るため、戦場に向かいました。軍隊が暴走したというのは、虚妄です。暴走したのは軍閥であり、その戦略性の欠除から、われわれは負けるべくして負けた戦争で戦闘遂行を余儀なくされたのです」
明治の革命では、欧米列挙に伍するべく、殖産興業・富国強兵政策を貫徹、陸海空軍の創設を行なっている。陸軍はフランスとドイツ、海軍はイギリスをお手本にしてつくった。明治15年、「軍人勅諭」が発布される。
「小学校6年生の時から、学校で軍人勅諭を丸暗記させられたものです」
56 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 18:13
道義的責任 法的責任 これ、ぜんぜん別個の概念なり。天皇に責任を問うて法的に制裁を加えうるものは クーデターの論理のみ。 昭和天皇が「道義的な責任」を感じていたかは不明。
57 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 18:16
>53 あなたの個人的趣味で、イタイ人崇拝するのは勝手だが、崇拝する人が仕方なしにする「責任転嫁」まで受け売りするのは、イタイ人本人もさぞ迷惑なことでしょう。 >51 おめえこそ馬鹿だろ? 崇拝するのはあんたの勝手ですて。 戦争で優秀だった人間崇拝するなら、フランスにでもゆけば? あそこには傭兵で作られた外人部隊があるから、あんたが口だけの人間じゃなかったら日本人でも受け入れてもらえますぜ。ま、無理だろうけどな。
まぁ吠えるな、お前のイタサにはかなわないから
59 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 18:28
坂井=まぁ当時の人間としては普通の人でしょう ナチがまったく合法的に政権とったのと同じようにね 全体主義だからねぇ
60 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 19:27
今頃
>>50 =
>>57 は、自分が坂井を板井と読み間違えて
「名前通り、イタイやつだな」なんていう、永く語り継がれるであろう
発言を得意満面でしてしまったことに気付き、
どうすれば「ネタだった」と言って逃げられるかを必死で考えていることだろう。
61 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 19:33
62 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 19:36
昭和大帝と大日本帝国の栄光について話し合いをしよう。
63 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 19:47
>>62 大して仕事もしてない奴がそんなに偉いのか?
64 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:24
65 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:25
66 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:30
67 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:34
50=62だな(wwwww
68 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:35
今となっては50の痛さよ 「自らの最大の功績とは60機以上の敵機を撃墜したことてはなく200回に及ぶ空中戦で一度として列機を失わなかったことだ」と自慢してるの? 莫迦な奴。名前通り、イタイやつだな。 ということはこの板井つうやつは、国民学校世代ではないわけだ。 天皇の名のもとに挙国一致で戦争を始めたのが昭和16年で、この年から「国民学校制」が始まってるからその教育受けた人間は、戦争には強制されて賛同したという権利があるが、板井という人にはそれがない、ということだな。 裕仁氏無罪、で、イタイ人有罪。 板井さんよ〜、責任転嫁するなよな、ほんまに撃墜王か?
69 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:35
>>64 それは正確ではない。憲法一条では「この(天皇の)地位は主権の存す
る日本国民の総意に基づく」となっているので、憲法的に言うと天皇は
偉くないことになっている。ま戦前の地位は別だろうが…
70 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:36
板井三郎=50の本名です
71 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:41
20世紀で最も影響力のあるアジア人として、 ガンジーと裕仁天皇がギネスに掲載されたって 本当かな?
72 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:41
50=63=66 イタイ
73 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:45
50=63=66 イタイ
74 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:49
たぶん
>>50 は「列機」の意味すらわかっていなかったと思われ
75 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:51
>>50 の言う権利が意味不明だ
こいつウヨ・サヨどっちかもわからん
76 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:53
いや撃墜王の意味すらわかってない
77 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 20:57
「戦争には強制されて賛同したという権利」
↓
「戦争には強制されて賛同した、と言う(主張する)権利」
と言いたいんじゃないの?
別にこんなバカを擁護したくはないんだが。
それにつけても
>>50 の痛さよ
78 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 21:17
50でてこいよ、ロムるのは体にわりーぜ(W
79 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 21:19
>>1 誰に対する責任って、決ってんじゃないか。債権者だよ。
80 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 21:20
>自分が坂井を板井と読み間違えて >「名前通り、イタイやつだな」なんていう、永く語り継がれるであろう 1999年度流行語大賞 受賞作品です おめでとう50、反論しろやヴォケ
81 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 21:25
50召還age
82 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 21:28
痛いサブロウage
83 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 22:40
でてきて50さん
84 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 22:41
50は天皇の戦争責任については反論したい所のようだが 天然白痴であることが漏れてしまい、プライド的問題で カキコできずにいる。 そんな50に合掌
85 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 22:42
86 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 22:42
坂井三郎を知らないウヨはいないだろうから50は民青同盟員だな
87 :
名無しさん :2001/03/19(月) 22:54
立憲君主はそもそも政治的には無責任であり、立憲君主を裁判にかけて敗戦の責任をとらせたような例は、世界中探しても一例もない。
道義的な責任については別かもしれないが、それはあくまで君主本人の問題である。
>>56 の言うとおり、法的な責任と道義的な責任をごっちゃにした議論は根本的に無意味である。
(まあ、この2つをあえてごっちゃにして、皇室や反対派を批判・攻撃するのはサヨクの常套手段ではあるが)
88 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 23:00
坂井氏の外国人記者クラブでの発言の後、街宣車は坂井宅へ向かったの?
89 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 23:04
ばかちゃう? 天皇に責任があるのは、アジア解放の聖戦を投げ出したからだ。 あの戦争の本質も見極められないおまえがサヨクだ。
90 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 23:07
おお50登場、2chより漢字ドリルやれよ
91 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 23:29
ばかちゃう? 天皇に責任があるのは、アジア解放の聖戦の美名の下に侵略戦争をやったからだ。 あの戦争の本質も見極められないおまえがウヨクだ。
92 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 23:37
大日本帝国憲法曰く「天皇は神聖にして犯すべからず」だから、改憲前の天皇の言動を、 日本の国内法で裁くのは無理であろう。国際的には、東京裁判で決着しており、無罪。 法的には刑事責任は無かろう。 昔、左翼と天皇の戦争責任について議論していたとき、 刑事責任・民事責任・道義的責任のどれだ?と聞いたが、答えなかったな。 とにかく、「大日本帝国、万世一系の天皇これを統治す」だから、天皇に責任があるの一点張り。
93 :
王翦 :2001/03/19(月) 23:42
>29 阿南陸相らの4条件案だと、付加された3条件はポツダム宣言に抵触するので事実上 の戦争継続を意味すると思う。 国体護持のみを条件としたからこそワシントン時間10日朝9時の緊急会議で概ね了 承された。もっともバーンズ起草の回答文はかなり意地の悪い作文ではあるが。 そのバーンズ回答を受けての2度目の聖断で阿南、梅津、豊田らの再照会論を退けて いるわけだが、再照会はすなわち、それだけ戦争を長引かせ犠牲者を増やすのみなら ず、バーンズ国務長官が強硬論を唱え国体護持のみを条件に受諾という案すらままな らず、無条件降伏するまで攻撃されたであろう。
94 :
35 :2001/03/20(火) 00:08
>>92 >>1 、よく読めよ。
『いったい誰に対する責任なんだ。 』
なんて情緒的なこと言ってんだから、
少なくとも1の言ってんのは道義的責任だろ。
95 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 00:13
道義的責任ねえ、じゃあ俺は戦後生まれだから、天皇には責任なしだな。 あの戦争が無ければ、俺自身生まれていなかったかも知れんものな。
96 :
35 :2001/03/20(火) 00:13
ス、スマン。
>>94 >>92 っつーより、
>>87 だ。
だが、
ウヨでもサヨでもどっちでもいーが、
92も87も、裕仁には道義的責任もねーってことか?
帝国の現人神は、そんな情けねーもんだったのかよ?
ごちゃごちゃ分類すんなら、
そのそれぞれに責任あんのかないのか
はっきり言え
97 :
92 = 95 :2001/03/20(火) 00:24
>>96 道義的責任とやらは、個人の立場によって変わるからな。
お前があると思えば、お前にとっては、あるのだろうよ。
俺にとっては無し。バカバカしい、議論にもならんわ。
98 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 00:25
50はもう来てるな、ふふ
99 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 00:38
>96 なに顔を真っ赤にしてんだよ。 怒りで震えてるのかい?(プ ネットをやってもいいから、 24時間家にヒキコモッてないで、 たまには外の空気でも吸ってこいよ。(藁藁
100 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 00:45
我々日本ナチス党青年団は、敗戦後アメリカ=ユダヤ傀儡国家と手を握り 民族の魂を売り渡した売国奴ヒロヒトを弾劾する。 戦後になってヒロヒトは戦争で死んだ数多の英霊を裏切り、変節し、 アメリカ=ユダヤの手先に成り下がった。 その罪、万死に値する。 民族の裏切り者ヒロヒトとその一味を断固殲滅することを 我々はここに宣言する。
>>100 日本人をサル視していたナチに賛同するオマエラが板井
102 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 00:58
戦前からアングロサクソンの手先だよ。
103 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 01:01
ナチと同盟を結んだのは誰だっけ?
>>103 101に書かれてる事を知らずにな
我が闘争の日本に関する部分削除版が軍人の間でベストセラー
バカだよな
この現実がわかる現代でナチに憧れる連中は板井
105 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 01:11
>>97 = 92 = 95
個人の立場っつーのが
裕仁のことを指して言ってるのか、論じる側のことを言ってるのか
よくわからんが。
はじめっから情緒的な責任論をネタに振ってるスレで
刑事だの民事だの空イバリしたあげく
「バカバカしい、議論にもならん」とか言ってて恥ずかしくないか?
>>99 助言ありがとう。
ヒッキーにすっか、吉外穴秋親父にすっか、
キャラ決めかねてたんだ。
>>105 昔御茶ノ水でカナダ人と乱闘さわぎ起こしたのは彼らかな?
108 :
99 :2001/03/20(火) 01:22
>106 なかなかやるな。 よって前言撤回。
109 :
95 :2001/03/20(火) 01:31
>>106 じゃあ、ご自分の天皇に対する恨みつらみをお書きになれば?
私はそんな、自慰発言見たくも無いので、おさらばするよ。あほらし。
神に責任なんて無い。 大地震が起こって、誰に責任があるんだ!?って言ってるのと同じ。 火山が噴火したのは、自民党や天皇に責任がある!とか 貧乏な家に生まれたのは、自民党や天皇や権力者に責任がある!! って言ってるのは、キチ○イだけ。(藁
現人神としての責任の取り方が、人間宣言なんだろう。
>>109 = 95
じゃあはよ逝ね
つーかもう逝った?
誰が裕仁を恨んでるつってんだよ、
人の書いたもん、ちゃんと読めや。
113 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 02:25
「戦争責任」という言葉は、戦争を対等な主権国家間の利害の衝突と考えるより、一方(敗戦国)の“犯罪”と考える傾向のある、アメリカの戦争観に基づいている。(共産主義国も類似の思考様式をもっている。)だからこそ「戦争責任」と言えば即ち日本の戦争責任、日本の指導者の戦争責任なのであって、アメリカの戦争責任や中国の戦争責任やルーズベルトの戦争責任ではない、というよりそれはそもそも有り得ないことが自明の前提とされている。そういうことを自覚しないで「戦争責任」について、あいまいに議論している例が、特に日本では多すぎる気がする。
114 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 02:39
>4は、極めて新しく、かつ歴史学では常識になりつつある解釈ですよ。 読んでいて滑稽なのは、「お前は右か左のどっちだ!」とどっちに分類していいのかわからなくて、言葉の小さな間違いあげつらっている人がいるところだね。右か左かどっちだ?てな冷戦期の古いイデオロギー対決に固執しているのが多いところだねえ。ミギもしくはヒダリ叩きやっている人若いの? おやぢなの?どっち?
115 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 02:43
>114 そうそう、だから恥ずかしいのよ日本人として。 この恥ずかしさは「自虐史観」によって洗脳されたからでは決してございません。
116 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 02:45
>114 新しいことが頭のなかに入らないのだから、年齢が若くても頭のなか老人でしょう。若年寄りとでも呼びますか。
117 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 02:52
>114 ううむ。きっとワカモノがそうなったのは、中学や高校の社会科教師が莫迦だったからでしょうね。 終戦記念日といえば、戦争劇の「ドラマ」生徒に演じさせて「みんな」で感動する。それが教育だ、と勘違いしている教師の責任。 夢と感動のドラマ、で世の中平和にはならないということですね、こんなのいっぱい育ててるんだから。
いいねぇ50復活だな誰とは言わんが
>>114 - 116
読んでいて滑稽なのは「お前は若いのか、おやぢなのか」とどっちに分類していいかわからなくて、
板だか坂だかの間違いあげつらわれて、誰も問題にしてない「最高戦争責任者説」を否定して得意気になってる奴らだねぇ。
っつーか、ひとりでやってんのか?
なるほどね。
120 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:03
>119 得意になってますよ。悪い?(笑)
121 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:05
>119 つうかさ〜、法律論的には責任はないが、道義的責任はある、てえのが意味不明なのよね。 そんなの、外国で通用するの? そっちのほうが滑稽に思えないお前が滑稽。
>>120 いえいえ、楽しませていただいてますよ、存分に。
124 :
見習い国士くん2001 :2001/03/20(火) 03:09
昭和天皇の名前で戦争が行われた以上、昭和天皇に戦争責任はある。
ていうかよ、レスの付け方学んでくれる?
例えばよ、半角で"
>>16 "とか入れれば、青く反転されるんで。
中卒でもわかる事だからさ、覚えてくれる?
125 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:10
>114 話脇道に逸らして悪いけど、同感ですね。 プロスポーツの「夢と感動のドラマ」とか、家族愛、夫婦愛、動物と人間の愛情物語とか、最近やたらテレビで目につくが、これって戦前戦中とよくにてるのよね。九軍神の美談、てあったでしょう。それによくにてる気がするわ。今は戦後ではなく「戦前」である、ということ大正世代がで言う人いるけど、なるほどと思います。
126 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:13
>>124 そうだそうだ!ルールは弁えろ。
議論が高度で理解できなかったら、重箱の隅つついて攻撃するに限る。
127 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:16
バカがなにやってんのか、読み直す気もしないからわからんぞ。 騙りもあるみたいだしな。 ともあれ、 昭和天皇の罪は、欧米の手先として アジア解放の聖戦になかなかゴーサインを出さなかったこと。 それに加えて、勝手に戦争を終わらせて、聖戦を放棄したこと。 これに尽きるな。
128 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:17
>>121 そうそう、そうしたらストレス感じずに済むからね。
ここはストレス解消の場であって、真面目に議論してるやつなんかいねーよ。
他人と真正面から議論できないからここに書き込んでんの。
>>121 分かった?
129 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:18
124の揚げ足取りは笑えるので、おれの揚げ足もとってくれ。
130 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:23
131 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:27
127=129=130 ちぇ、いたずらしてみたのに、みんな寝ちゃったみたいだ。 つまんね。おれも寝よ。
132 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 03:29
50きぼ〜ん
133 :
イクラちゃん :2001/03/20(火) 03:31
明治・大正・昭和の天皇が、議会で一度決まったことをくつがえしたことは 一度もない。今もそうだけど。
こういう議論つまらんのよね。sage
天皇制だから戦争が起こった(始めた)という考えは戦後長く左翼を中心に当たり前のように語られてきたがかなり問題がある。 1)天皇制でなければ戦争は起こらなかったという論拠が弱い。 2)戦争は日本だけの意志で始めることも避けることもできたかのような前提は説得力をもたない。
天皇を家父長とする家族国家だったから、 個人の自由が制限されやすかった。 で、大正デモクラシーが容易く崩壊したのではという仮説もあるぞ。 崩してみ>135
135の論の最大の欠陥は、話を戦争だけに矮小化してる点だな。 (と、「矮小化」などとこいつが嫌いそうな言葉を使って煽ってみる)
個人の権利が確立していたアメリカなんかでは、 デモクラシーは容易にはぶっつぶれないという見方と 比較したりする。
臣民である限り、アメリカのような権利意識は芽生えないだろうと 書いてみたりする。
140 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 04:50
天皇の(天皇だけとは限らんけど)「戦争責任」って、 具体的にはどれを指すの? 1)(いかなる理由があっても、戦争を行うことは悪である という考えの基に)戦争そのものを行った責任。 2)戦争の勝算が無かったにも関わらず、 勝算があるとアナウンスし国民を騙し、戦線へ送った罪。 3)勝機は有ったにも関わらず、戦術等の作戦に失敗し 結果として負けてしまった。その作戦指揮のヘマを問う責任。 #なんか戦争責任についての議論って、 いつも上記3つがゴッチャになってる気がする。
別にアメリカ型民主主義を至上のものとするわけではないが、 こういう考え方もあるぞと書いて、逃げを打ちつつ そろそろ寝ようと思う。
142 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 05:35
寝てた。つーかまた寝るが。
>>130 天皇制だから戦争が起こった→戦争責任が天皇にある、
って、ここで誰がそんな話してる?
>>140 責任即ち「悪」、「罪」、「失敗」、「ヘマ」としか考えられんかのお。
それじゃぁ厨房より中坊っぽくねーか?
143 :
140 :2001/03/20(火) 05:58
大辞林 第二版によると「せきにん 【責任】」とは
> (1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。
> 「―を果たす」「保護者としての―」
> (2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
> 「―をとって辞職する」「だれの―でもない」「―の所在」「―転嫁」
> (3)〔法〕 法律上の不利益または制裁を負わされること。
> 狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。
の3つあるね。
天皇の戦争責任を追及する議論って、
上記の(2)についてやってるんでしょう?
で、その
>結果に対して負う義務や償い。
ってのは私が
>>140 で書いた1)、2)、3)に分類できると思うんだが。
>>142 俺が書いてることの何処がおかしいのか、指摘をお願いします。
>>143 についてはその通りだと思うがそれを三つに分けた
>>140 はどうも意味不明ですね。
>>143 の(2)だけで充分じゃないでしょうか?
組織があって、その組織がした加害、もしくは組織が蒙った被害いずれかについて、その意志決定に最も大きく関与した人が「責任者」、ということで論議すればよろしいかと。
つまり企業組織の不祥事とか、それの「責任」は誰にあるのか、と考えるのと同じでしょう。
>>144 の続きですが、例えば、南京大虐殺は嘘である、という主張をする人は
>>143 の(2)と(3)ごっちゃにしている人が多いので主張が意味不明になるのでしょう。法律上「民亊責任」や「刑事責任」というものは事後処理的な感覚であって、再発防止という課題意識をもとから含んでいないものでしょう。歴史学の仕事というのは主として再発防止ということを念頭に事実を俯瞰してみてゆこうという姿勢ですから、法廷闘争的な事柄に拘泥すると問題が矮小化して価値を喪失するのですよね。歴史学でなくなってしまう。
146 :
140 :2001/03/20(火) 06:30
144さん、レスありがとう。
>つまり企業組織の不祥事とか、それの「責任」は誰にあるのか、と考えるのと同じでしょう。
でも、私はこの議論における“不祥事”というのが
具体的には何なのかよく解らないんですよ。
不祥事の内容を明らかにしなくても、責任というのは問えるんですか?
私が
>>140 で書いた3つのことを纏めて問うという行為は
ムチャだと思うのですが。
>>146 三つとも問題の立て方に納得できないところあるね。
2)と3)は、前提が歴史研究の対象ですからね。
1)は、戦争=悪というステロタイプが乱暴で、戦争の再発を防ぐための研究と書いたら即「戦争=悪と認識しているのだ。戦争は当時の国際法では合法だった」というありきたりの議論に勝手にもっていかれそうだからな。
戦争というものはそもそも国家間の紛争解決の最終手段であって、出来れば避けたいことが戦争であるという前提のもとに国際法は作られている。戦争がよいものだ、とは書かれていないからね。どうせ戦争でしか解決できないならば、このようなルールを遵守して公生にやりましょう、というやり方のルールが当時の国際法であって、そのルールに則っているかどうかが合法か違法かの分岐点であって、戦争是非論とは時限が違う。そもそも前提の「戦争でなければ紛争を解決できないならば」というところがなんとかならないものか、ということで再発防止という課題意識を言っても、即「あ、戦争=悪と言っているのだ」と理解されちゃあ、新しい議論なにもできないもんね。どう思う?
>>147 何となく分かる話です。なんとなくですが。
どのような目的をもってして「責任」を論じるか、で全く違いますもんね。例えば旧革新系イデオロギーによる歴史観では、どうやったってどうしても最も重い責任を天皇に負わせないと気が済まないようなのですけど、それってどっちかというと事後処理的な要求であって、再発防止という目的をもっていないですからね。再発防止の方策を考えるならもっと広く別の捉え方をしないといけない。逆の立場の主張として、東京裁判は駄目だ、として、じゃあ他に可能な処理方法が現実問題としてあったか、と考えたらないですもんね。ナチスドイツが台頭してきたのは第一次大戦の敗戦国に対して多額の賠償金を課した結果、ドイツの経済が壊滅状態になった。その最悪の状況のもので台頭するのが可能になったのがヒトラーなのであって、政治経済学者ケインズも、当初戦勝国が敗戦国へ多額の賠償を科すという戦後処理方法がよくないと考えてヒトラーに同情的な態度とっていた。どのような戦後処理が妥当なのか、議論紛々で統一見解すら作れない段階ですでに15年戦争や第2次大戦は始まってしまいましたからね。賠償金を科すという最悪の方法以外はどうやったって罪刑法定主義の原則に反するのですからね。現実に他の方法がなかったということの瑕疵を論って勝者が敗者を裁いた不当な裁判といってみたって、現実的な対案提示できなかったらしようがない。
歴史評価というのは善か悪か、もしくは法律論的な議論として有罪か無罪かを結論づけるためにやるものでもない。国民としての自尊心を回復するため、という歴史研究も最初からどうにも胡散臭い。そのような非現実的な議論になるのは、何を目的にして歴史を研究するか、という原初的な点に問題がありそうです。再発防止の課題意識、と書いてありますけど、その課題意識というものの妥当性と公共性がどれだ高いか、ということで議論も、責任という考え方も変わってきますね。課題意識を精査して、方法論を確立する、ということが細部の史実に詳しくなるより先に必要なことなんじゃないかな。と、思うのでした。
149 :
名無しさん :2001/03/20(火) 16:30
こういう議論は、日本史板でやってる限り、結局ウヨサヨ論争に終始するな。
>>149 他の板でやってもそうなる。いやもっとひどくなるかもしれない。
ここは、これでもまだましなほう。
151 :
世界@名無史さん :2001/03/20(火) 18:46
旧日本軍の話題だ出るときまって荒れる。でも2ちゃんねるは匿名だから何言われても平気。
152 :
日本@無名史 :2001/03/20(火) 19:23
「天皇は陸海軍を統率する」 「大元帥陛下」 「天皇の軍隊」 天皇が戦争回避できなかったのには責任ある。 しかし天皇にはその力が無かった。 終戦の時「退位」して故事に倣って出家しても良かったのでは?
153 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 19:55
そもそも天皇に責任とか力とかを求める自体 日本の歴史から言って無理があると思う。 天皇は存在自体が文化であり、 日本人の精神の支えだったわけで、 天皇に責任云々という議論は、終戦から60年間の つい最近の価値観による考え方でしかない。 白村江の敗戦で天智天皇が責任追及されたなんて話は 聞いたことがない。 ウヨサヨ以前に日本が天皇という存在を持った文化を基に考えたほうが。
154 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 19:58
>白村江の敗戦で天智天皇が責任追及されたなんて話は >聞いたことがない。 壬申の乱はその余波じゃないの?
155 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 20:07
ここでも、古風なヤマトゴキブリの発想が。
157 :
140 :2001/03/20(火) 23:13
>>147 -148
>147さん、148さん
「再発防止」という言葉を使用されていますが、
それは「“無謀な”戦争の再発防止」という認識でよろしいのでしょうか?
(じゃあ、無謀ではない戦争、つまり十分な勝算がある戦争については
どうなのかという議論はとりあえず横に置いときます)
ご指摘の通り、私が
>>140 で書いた1)と2),3)の次元の違い
という点は承知しています。
ただ、何度も言うようですが、この手の議論を眺めていると
これらの3つが混在しているように見えるのです。
#念のため書きますが、
私は、「いかなる戦争も悪」という考え方は持っていません。
158 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 00:09
>>156 は
歴史を帯にして時代別に色分けして
ハイ○○年から○○時代ね
としか考えきれない厨(以下省略)
思想板でやりなさい。
思想板でお願いします。
162 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 00:56
(゚∀゚)ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!
>>153 んー、ちょっと違うかもよ。天皇中心にした文化体系じたいが明治以降はじまったもので、それ以前は必ずしも天皇は日本人の意識に存在したものではない。天皇を中心にした「国家」ということじたいが欧米列強に対抗するために作られた極めて新しい考え方だからね。「西欧にはキリスト教の唯一絶対の神がいる。それに対抗するためには天皇を唯一絶対のものとした政治体制をつくるべきだ」というような主旨の発想で明治憲法はつくられてきた。そのあたりの経緯については伊藤博文がどこかに書き残していたね。文化という側面に注意を払うべきだというのは賛成ですが。
>>153 存在が文化とはどういう状態を言うのか説明してみろ。
それに「日本人の精神の支えだったわけで」って、
それだって明確にそうだった時期って、歴史で言えば
明治以降のたった100数十年の話だぞ。
> 天皇に責任云々という議論は、終戦から60年間の
> つい最近の価値観による考え方でしかない。
じゃあ、あんた自身はいつの時代の価値観で考えてんだよ?
白村江とか言ってるってことは飛鳥時代からタイムスリップでもしてきたか?
> ウヨサヨ以前に日本が天皇という存在を持った文化を基に考えたほうが。
この文章は意味がわからん。
誰か、飛鳥時代の言葉詳しい人、翻訳してくれませんか?
>>140 言いっ放しでほっといて申し訳なかった。
だいたいのとこは
>>147 が言ってたようだが。
(再発防止っつーのはどうかと思うぞ、causeとeffectとかで語れよ。)
要は、大東亜共栄圏の大義をかかげて
15年かけて臣民に数百万の死者を出すことになったあの戦争について
裕仁は当事者であったかどうか、とゆーことだよ。
裕仁が国家或いは軍閥の奴隷だったっつー主張( >> 4 )が通れば、
裕仁は当事者として不十分だし、責任もあるわけねーな。
若しくは
裕仁が、あの戦争の開戦、継続、終戦いずれかに関して
なんらかの能力をもっていてそれを発揮したか、或いは怠ったのが明白なら、
裕仁は当事者として、あの戦争に関わったわけだよな?
> ただ、何度も言うようですが、この手の議論を眺めていると
> これらの3つが混在しているように見えるのです。
『この手の議論』とか一般論に逃げてないで
3つの分類とやらにそんなに拘るなら、
このスレのどのレスが混在させてんのか言えばいいだろ?
166 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 02:23
明治維新の時、日本がピンチなんで 平和に暮らしてた天皇家を引っ張り出してきて 元首と統帥権をおしつけた。 太平洋戦争は国民がやりたくってしかたのない 戦だったんだろう? 思いっきりやれて良かったじゃないか。 そんな事よりも天皇に対して国民は 責任があるぞ。みんな「負けて、ごめんね」ぐらい いったらどうなんだ。
167 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 02:32
思想板でお願いします。
169 :
153ですが :2001/03/21(水) 11:14
>>163 さん
んー、僕が言いたかったのは天皇中心の文化体系ということじゃなくて
天皇が存在する日本の文化と言いたかったんです。
確かに天皇中心は明治になって始まった(というよりも志士達がドグマの必要性をさがす中で
思い出したように復活させた)わけですが、
これは庶民にまで天皇の存在と価値を認知させられたという点で江戸以前とは違うかもしれない。
しかし平安以来の為政者は天皇家と深くかかわりをもつことにより立場と権力を維持し、
時には天皇御謀反といった本末転倒の言葉さえ生まれたほど為政者にとっては
武装勢力と同じぐらいあるいはそれ以上に重要なキーパーソンだったことに変わりはない。
隣国の項羽みたいに天皇に「とって代わる」と考える権力者がいなかったという日本の文化
(とって代わるよりも利用したほうが、という考え方も含めて)を思うと、
明治以前も以降も基本的には天皇のあり様は変わらないと思うのです。
そして、先の大戦で日本が負けたことの責任が天皇にという話になると、
僕はどうしても天皇ってそういう存在だったの?と思いたくなるのです。
乱暴に言ってしまうと
>>166 さんみたいになっちゃいますが。
170 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 12:39
>>166 特に朝日新聞は戦争やりたくてやりたくてたまんない状態だった。
国民をめちゃめちゃ煽ったもんな。
171 :
世界@名無史さん :2001/03/21(水) 12:43
朝日はソ連のために,全力を挙げて日米開戦をぶったと思う。
172 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 12:51
>>169 >乱暴に言ってしまうと
>>166 さんみたいになっちゃいますが。
それがウヨの帝国主義じゃないのか
173 :
153=169 :2001/03/21(水) 12:57
>>172 なんだかなあ、(微藁(苦藁
どなたかお願いします。
174 :
名無しさん :2001/03/21(水) 13:13
一番の責任者は当時の”内閣”、天皇は内閣の上奏を承認するだけ。 責任は職権の存在する所にのみ存在する という様なことを井沢か小室の どちらかが雑誌に載せていたな・・・ 俺もそう思う。 形式的には全く責任は無い。起訴されなかった人物に責任が存在すれば司法は 消滅するしかない。(例え政治的な理由があったとしても)
175 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 13:46
>174 そうなんだよね。 日本は古来から二権分立の国家だったんだ。 現代の三権分立と趣が異なり天皇家は 冠位認定権、司祭権があった。 かたや国を制した実力者には権力があっても 位がなければ人心が集まらなかった。 それが日本人よ。明治になっても「征夷大将軍」 が首相に代わっただけさ。
>>169 「負けたことの責任が天皇にという話になると」
このスレ、そんな話になってるか?
敗戦責任に限定してんのは誰だよ。
それから、どうも気になるのだが、
天皇一人に責任があるわけではない
イコール天皇に責任はない、
ってことにはなんないんじゃないか?
逆に、天皇に責任がある、がそのまま
天皇一人に責任がある、でもないが。
で
>>166 だが
> 平和に暮らしてた天皇家を引っ張り出してきて
> 元首と統帥権をおしつけた。
強制してか?
拒否することさえ不可能だった、って言う意味か?
> みんな「負けて 、ごめんね」ぐらいいったらどうなんだ。
みんなって誰だよ?
具体的に言えよ。
オレにも謝れってか?
うちの祖父さんは死ぬまで謝ってたが。
>>169 ウヨサヨ論争にもってかないように(教育的指導)
>>165 >要は、大東亜共栄圏の大義をかかげて
>15年かけて臣民に数百万の死者を出すことになったあの戦争について
>裕仁は当事者であったかどうか、とゆーことだよ。
>裕仁が、あの戦争の開戦、継続、終戦いずれかに関して
>なんらかの能力をもっていてそれを発揮したか、或いは怠ったのが明白なら、
つまり、こまかい罪状なんかどうでもいいんだよな。
「天皇はあの戦争に関わり合いがある。当事者だ!有罪だ! 処刑せよ!!」
って方向にもっていければいいんだもんな。
180 :
169 :2001/03/21(水) 16:39
>>176 >「負けたことの責任が天皇にという話になると」
>このスレ、そんな話になってるか?
>敗戦責任に限定してんのは誰だよ。
そうでした。勘違いでごめんなさい。
戦争を含めた政治責任と訂正します。
>それから、どうも気になるのだが、
>天皇一人に責任があるわけではない
>イコール天皇に責任はない、
>ってことにはなんないんじゃないか?
>逆に、天皇に責任がある、がそのまま
>天皇一人に責任がある、でもないが。
というよりも
天皇に責任を問うても仕方がないんじゃないかと。
>>176 >天皇に責任を問うても仕方がないんじゃないかと。
というより、天皇の責任、というからよくないのであって、因数分解するほうがよいようです。
天皇制、という政治システムと、裕仁という個人に分けて考えてみましょう。
文化、とか伝統とかというものの責任問うてもしゃあないからね。
182 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 17:00
でも国益の争いだから、戦争は避けられなかったんじゃないかな。
>>179 そんなこと書いてないと思うぞ。
あなたこそが、細かいことどうでもいい、という生き方しているのではないか。
折角「責任」ということに関して
>>143 で、(1)と(3)ではなく(2)であると絞って、話がすすみつつあるところに、排除したはずの、
(3)〔法〕 法律上の不利益または制裁を負わされること。
狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある
の責任論もちこまないように。法律論ではなく、歴史評価として論じましょう。
184 :
169 :2001/03/21(水) 18:32
>>181 そんなの分けれるわけないよ。
皇室の存在自体が文化とか伝統そのもので
それを取っ払った丸裸の天皇個人にさほどの意味はない。
とにかく70年ぶりに元のミカドに戻れてホッとした
というのが本音じゃないかな。
>>184 =
>>169 =
>>153 だから、「存在自体が文化」というヒジョーにブンガク的な物言いが
意味するところを、説明しろっつーの。
「分けれるわけないよ」なんて駄々こねないで。
お前がここまで書いた「天皇という存在を持った文化」、「天皇が存在する日本の文化」って
上の物言いで置き換えれば、「文化を持った文化」、「文化が存在する日本の文化」ってなるぞ?
ずいぶん洒落てるねー。
>>181 その線でいーよ。
でも
>>184 は思考停止中だから、これ以上言ってもムダかもな。
>>184 分けられますよ。明治憲法によって政治システムとしての天皇制は作られたのだから、それ以前とそれ以後では性質が違いますからね。戦争という行為の責任云々についても明治以前の天皇についてまで問うようなものではないと思いますし。
もとい。「明治より前の天皇」でした。以前つうと明治まではいってしまうわ。
188 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 20:11
天皇が無罪なら、戦犯全員無罪。 天皇が有罪なら親、祖父含めて戦争に加担した日本人全員有罪。 太平洋戦争の死傷者2,533,025名に合掌。
189 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 23:29
>176 おじいさんは物がやく分ってるりっぱな人だ。 当時の選挙権を有す国民が責任がある。 天皇が維新時に引っ張り出されるのを拒否したら 内乱ー列強の干渉ー植民地化へ続く。 大久保あたりに、こんこんと言い含められたんじゃないか? 明治政府の正体は権威なし、金なし、力なしの 悲しい政府であった。政府内にも野心いっぱいの あぶないやつばっかりだ。 へたに軍部を任せるとそのままクーデターを起す 危険がはらんでた。 統帥権は人の好い天皇陛下にお任せするしか なかった。(能力があろうとなかろうと)
190 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 23:40
>当時の選挙権を有す国民が責任がある。 行政府の責任云々の話なら、国民には内閣総理大臣を間接的にさえ選ぶ 権利はありません。現代とは違います。首相は2.26事件後まで、元老 (実質西園寺公望一人)の諮問に基づき首相が任命されていました。
191 :
王翦 :2001/03/21(水) 23:50
戦争継続に必要な臨時費を議会は一度たりとも否決していない。 その議会は選挙で選ばれている。
192 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 00:22
そうだね、内閣は戦争反対。 国民はイケイケだもんな〜
193 :
名無しさん@1周年 :2001/03/22(木) 00:47
天皇はキリスト教世界の法王みたいな存在だしねえ。 アメリカ人はドイツのカイゼルと同じだと思いこんでるから責任責任言うが、 ちょっと違うよねえ。
194 :
市川房枝 :2001/03/22(木) 00:53
国民!国民!ってねえ… あたし達には選挙権がないのよ!!
195 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 01:09
アズマ人の祈り :::: :::::::::.... .... .. .:::::. ... ..:※彡←ミール:::: . ..:::::::::::::::::゜::::::::::::::::::::::゜:::::::::::::::::::. ::::::::::::::::::::::::::::::::::: . . . ..::::::::::::::: . . . ..::::::::::::::::。:::::::::::::::........ . .::: ::::::...゜ . .::::::::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::::。:::::::::::::::::.... .... .. .:::::::::::::::::::::: . .... . .:::∧∧ :::::........ . .:::::::::::::::::::........ ..:::::::::::::::::::::::::: ..::::: . ..:::::::::::: . . ...:: ( ) .::. ∧_∧ ..::.アレが皇居に落下しますように.... . .. ...:: / | ::: ( )::::::: :::::::::.... .... .. .::::::::::. ... ..:::::  ̄|〜(___ノ ̄| ̄(____) ̄| ̄| ̄| ̄| ̄| ̄||||::: :::::.. .... .. .::::. .  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|:::::::::::::::...... .:::::...
196 :
184 :2001/03/22(木) 11:13
>>185 僕が言う文化とはその民族や地域で培われて保存されてきた
非合理的な伝統といった意味合いです。
非合理的だけどもその文化に参加してる人にとっては
安心や安らぎをおぼえることができます。
何も不安定な2本の棒で食べなくともしゃもじのほうが簡単にご飯をかきこめる、
玄関で靴を脱がなくてもそのままベッドに横になるほうが手っ取り早い、
皇室などという浪費するだけの存在があるより
頼朝や尊氏がさっさと皇帝になったほうがわかりやすいしスッキリする。
でもそうしなかったことが日本の文化だと言いたいのです。
御所なんかは要塞でも城でもないただのただっ広いおうちです。ここに600年住んでました。
応仁の大乱で京都が焼け野原になっても兵の一人も持たない御所は残りました。
これも非合理的です。
天皇の本質は誰よりも無力でお人よし(言葉よくないかな)だと思います。
その無力の天皇が明治国家の要請で憲法上の権力を持たされたことで
天皇の本質が変わったことが、天皇にとって非常に不幸だったのではないかと思うのです。
時の天皇陛下という個人は存在しても、
天皇自体は歴史的に見ても抽象的な存在に過ぎません。
その中から○仁さんを取り出して「あなたは・・・」
なんて言うことにどれだけの意味があるのでしょうか。
197 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 11:20
>国民はイケイケだもんな〜 そうはいっても大多数の国民は真実を知らされていなかった。 真実を隠蔽した軍部の方が責任は重い。
198 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 11:22
>国民はイケイケだもんな〜 そうはいっても大多数の国民は真実を知らされていなかった。 真実を隠蔽した軍部の方が責任は重い。 また、国民がそうなったのも、明治以来の洗脳教育の結果だ。
199 :
184 :2001/03/22(木) 11:39
国家として列強と互すためにドイツ皇帝みたいな存在が必要だったので
ほとんど忘れかけていた天皇を思い出し、ドイツ憲法を翻訳して帝国憲法とし、
防衛戦や植民地争奪戦を経て、台頭勢力どうしの殴り合いの末潰された。
日本の国民としてはどこにも天皇に責任を問う場面はないし、
戦勝国が戦争責任を糾弾するにしても、
>>193 さんが言うようにドイツのカイゼルとはまったく違うし、
それが解ったから東京裁判という茶番の舞台にさえ引っ張り出せなかった。
もし戦争責任という言葉があるとするなら、
外交としての一手段を用いた為政者の責任としか言いようがない。
中国との戦闘で、 最初は軍の独走を叱るが、すぐに是認するというパターンを繰り返した。 勝ちさえすれば、喜んで誉めるんだよね、このヒト。 で、そんなことをやってるうちに国際的に孤立。 やけくそで真珠湾攻撃か。
>>196 ( =
>>184 )
天皇制度が非合理的な伝統ということか?
(それでも「存在自体が文化」という物言いに結びつく気はせんが)
『頼朝や尊氏がさっさと皇帝になったほうがわかりやすいしスッキリする。』
って言うのがその理由か?、それ小学生の理屈だぞ。
他の例からいけば、
習熟に時間はかかっても箸ほど和食を食うのに便利な道具はないし、
靴ぬぐことで屋内も清潔に保たれ、床にも座れるし寝転がりもできる。
不器用な奴には使いづらい、愚か者にはわかり辛い、では非合理的とは言わないよ。
で本題の天皇制だが、オレは合理的だと思うよ、統治者にとって。
伝統の権威を担ぐか、新たな権威になるか、の選択では、
一度、古事記日本書紀で神に祭り上げてあんだから、
伝統の権威を担ぐほうが効率よかろう。
権威はあっても力はなし、ほとんど骨抜きなわけだし。
(そういう意味では、天皇が真の最高責任者になれるわけないのだがな)
だがな、たとえ殆ど『無力』な『お人よし』で
『明治国家の要請で憲法上の権力を持たされ』たとしても、
その国家の運営になんらかの影響力を発揮し得たなら、
それは決して抽象的な存在ではないだろ?
たとえばこのスレの前の方で、
「最終的に大東亜戦争を止めたのは聖断だ」
ってやってたが、それが真実なら、
それって具体的な力じゃないか。
その場合には、善悪はぬきして、天皇は当事者として関わった、としか言いようがない。
担がれた側にも、神輿に乗った者としての責任があると言うことだ。
ただし。明治からの3天皇をいっしょくたに語ってないか?
今ここで話してるのは、裕仁のことだよ。
202 :
音速の名無しさん :2001/03/22(木) 14:03
>>198 明治以来の洗脳教育、というのは正確ではない。軍国主義の洗脳教育は昭和16年以降であって、それ以前は「自由主義教育」もしくは「立身出世主義教育」ですね。
軍部の事実隠蔽体質、というのは陸軍の軍隊組織システムがそうなってしまうようにできていた。陸軍参謀(佐官クラス)には指揮権があって、大本営の支持命令を待たずに現地で勝手に作った作戦行動を実行に移す権限をもっていた。事後に「自衛のため」というもっともらしい理由つけて報告すれば簡単に追認してもらえたのでした。勝手な行動→報告→追認。この繰り返しだったので、追認されるに障害のある事実というのは報告されなかったということですね。日本軍の徹底的な証拠隠滅の習性も、この軍のシステムがあったればこそできあがったものでしょう。南京での虐殺の物証が残っていないのも、東京裁判ではじめて知らされたというのも、当然といえば当然の帰結ですわね。
>>199 ( =
>>196 ,
>>184 )
お前の文章には、常に根拠が欠けている。
「日本の国民としてはどこにも天皇に責任を問う場面はない」
その根拠をここまで説明できてないだろうが。
なんでここでやりあってるか、わかってないのか?
責任あるなしって結果以前に、なぜ責任を問えるのか、問えないのか、
をやりあってんだろ?
繰り返しになるが、
利用された側にも、完全にその意志の発揮が制限された場合を除いて
その責任は多少なりともある、というのがオレの言ってることだ。
臣民それぞれに責任があるとしてもいい。
だがその時、裕仁ただ一人がその責任から逃れ得るのか?
『戦勝国が戦争責任を糾弾するにしても』
お前、誰と話してんだよ?
その話は終わったよ。
>>196 皇室が日本の文化であり伝統だ、という一点張りの主張ばかりしないでほしいな。
天皇が文化なら文化でいいのですよ。重要無形文化財としてだけ存在してくれれば、議論する必要もないし、こんなところにスレも立たないの。
問題は憲法という極めて政治的なものに、象徴とかなんとかいう曖昧な言葉で天皇が登場するでしょう? 百歩譲ってそれはいいとしても、明治憲法では立憲君主国の君主として歴然と天皇というのは政治的な存在だったし、そこへ戻せという勢力も今沢山いるでしょう?だから、あんたのように文化だからいいじゃねえかとばかり言えないの。あんた個人の思い入れだけのために皇室というのがあるわけじゃないのだからね。わかった?り
>>199 ( =
>>196 ,
>>184 )
今気づいたが、お前、
>>181 の
『天皇制、という政治システムと、裕仁という個人に分けて考えてみましょう』
に対して
『 そんなの分けれるわけないよ。』(
>>184 )
とか答えておきながら、 で
『時の天皇陛下という個人は存在しても、
天皇自体は歴史的に見ても抽象的な存在に過ぎません。』(
>>196 )
ってちゃんと分けて考えられるようになってるじゃん。
素晴らしいよ、お前!
だけどお前の言う、「天皇の本質」って何だ?
「誰よりも無力でお人よし」って本質じゃなくって人柄だろうが。
(お前、明治天皇を指してこう言ってんのか?気をつけたほうがいいぞ)
まあ、じゃあこれも一つに括ってやろうか?
天皇=存在自体が文化=誰よりも無力でお人よし
ということになるよな?
しかし、お前の言い方によれば、明治になって
「誰よりも無力でお人よし」で「存在自体が文化」であるところの天皇は、
「憲法上の権力持たされたことで」その「天皇の本質」を変えられた、
ということになる。
つまり「誰よりも無力でお人よし」でも「存在自体が文化」でもなくなった、
ということになる。
じゃあ、何だったんだよ、明治以降の天皇は?
言葉の力もよくわからんで、
「本質」とか「存在自体」とか言ってると
恥かくだけじゃすまねーぞ。
206 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 16:50
もっとご高説を賜りたいのでage
207 :
down :2001/03/22(木) 20:34
とにかくぅ
208 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 22:26
>203 もちろん責任あるよ。ただ当時の日本国民レベルで。 たいした責任はないな。 それよっきゃ日本に対する貢献度は遥かに高い。 だから責任、責任なんて日本人が言ちゃあおしまいよ。 責任転嫁もいいとこで日本人がヒロヒト天皇を 裁く事なんてナンセンス。 連合国側から見れば多少違ってくるだろうが あの大茶番、東京裁判で無罪なんだろう?
>>207 ぁあ〜ぁ
ニッポンは いい クニだなぁ〜。
>>208 相殺ってか?
なぜ、そこまでして裕仁を責任から遠ざけたい?
責任はあった、貢献もあった、
それで終いだろーが。
211 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 23:49
終戦の御聖断をこの上なく評価してる。 あれがなきゃ、北日本と南日本で今ごろ ギンギン睨み合ってる。
>>210 裕仁くんに責任あり、としたら免責されるのがいっぱいでてくるので、そっち取り逃がしたくないので、私はそうする。免責されたのはそのまま平然と生きつづけて、同じ種類の人間再生産したりするし。天皇の責任糾弾するよりよほど重要なのととの認識より。
戦後の貢献の大きさは文句なし、ですけど、それと戦争責任の議論は別に考えます。
>>208 >あの大茶番、東京裁判で無罪なんだろう?
この感覚がいいねぇ〜。「あの大茶番で無罪なんだから、それでいいじゃねぇか」ってのが最も分かりやすいね。東京裁判だって、ほかにやりようないからしゃあねえからやっちまえ裁判だったもんね。
>>212 スマソが『私はそうする』が何するって意味かわかんないよ。
明朝アルコールぬけてからでいいから、説明してくれ。
>>213 あんたもよくわからんが、毛唐の裁判は関係ねーだろ。
てめーは何人だ。
215 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 06:58
age
216 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 07:40
あんたらバカですか 最も重要な戦争犯罪人を法廷の場で裁けなかったことが 茶番の茶番たるゆえんでしょう
217 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 07:44
彼を法廷の場に引きずり出すことがことが出来さえすれば 被告の内の何人かの命は救えたのではないかな
218 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 08:46
>216 おめ〜が言うセリフじゃない。
219 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 09:19
なんか一人吼えくまくってますなあ。
221 :
210 :2001/03/23(金) 11:28
>>216 『裁けなかった』だと?
毛唐の茶番でお茶濁した国の人間が、『裁けなかった』とはちゃんちゃらおかしーわ。
分わきまえて毛唐様に『裁いてもらえなかった』ぐらい言っとけ、このウスラ××。
『東京裁判』が戦勝国が敗戦国に一方的に罪を問うた茶番だってことは、
てめーに言われるまでもなく知らんヤツは誰もいねーって。
てめーみたいなヤツらが毛等の茶番に、赤ペン憲法で、
「我々の日本国は生まれ変わりました」なんて調子ぶっこいてるから、
後世に禍根を残して、今さら裕仁の責任は?なんてやる羽目になんだよ。
>>220 このスレで「てめー」っつてんのはオレだけみたいだが、219はオレじゃないよ。
>>220 「吼えくまくって」ると言われてるのが、オレのことかも知れんが。いいね「吼えクマ喰ってる」、いただいとくか。
223 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守 :2001/03/23(金) 13:18
昭和天皇は進んで沖縄をアメリカに売り渡した売国奴。 中曽根や金丸と同じ穴の狢。 抗米復日!滅皇興民!
もー、このスレを憂さ晴らしに使わないでね、けっこういい線いってたのに、穏やかに理知的になりかけたのに。 ま、バトルになりやすいテーマだけどさ。 こんなバトルロワイヤルの場になりがちなのでageないでね。(^ε^)チュッ!
225 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 18:22
>>199 の言う天皇は、まるでお座敷の仏壇みたいな存在だね。
おれ仏壇に時々手を合わせるけど、責任取れとは言ったことないもんな。
でも、固有の文化の側面から見る必要というのはおれも賛成。
>>224 おれも穏やかで理知的な展開になってほしい。
だから穏やかにage
このスレは変な学者が書いた本を読むより参考になります。 もっといろんな人が意見を書き込める雰囲気であってほしいです。 ROMに戻ります。
穏やかで理知的でない奴は、おそらくオレでもあると思われるので、
ひとまず極力穏当に、ここまでの論点の整理から。
最終的な課題は
「昭和天皇に戦争責任はあるか?」
「あるとすればその責任は誰(あるいは何)に対するものか?」
昭和天皇については
・天皇制に問題があったとしても制度そのもの責任は問えない。裕仁個人に特定して考える必要あり。
戦争責任については
・法的責任と道義的責任はわけて考える必要あり。
・『戦争責任』という考え方じたい、敗戦国の犯罪という考え方に基づいている、との意見あり。
まず以下の3論により、法的責任を問うのは困難と思えるがどうだろうか?
これに異論がなければ、道義的責任にしぼっての論議をしましょう。
(法的責任なしに道義的責任を問うのは無理との指摘があったが、その具体的根拠が示されていないので)
道義的責任を問うには、おそらくその責任能力の有無が論点になってくると思われます。
1.天皇は神聖にして犯すべからず故に国内では責任を問えない
>>92 2.国際的には東京裁判で決着済み
>>92 3.立憲君主はそもそも政治的には無責任
>>87
228 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 03:51
殻age
229 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 06:08
>2.国際的には東京裁判で決着済み
>>92 ヒロヒトは東京裁判にかけられなかった。
故にヒロヒトの戦争責任の問題は、東京裁判では決着していない。
>3.立憲君主はそもそも政治的には無責任
>>87 天皇主権を定めた明治憲法下の天皇が、本当の意味での「立憲君主」かよ。
「立憲君主」とは名ばかりで、実態は「絶対君主」じゃねーか。
よく明治憲法を読んでみろよ。
「立憲君主」だから責任を問えないという論法は、ヒロヒトを免責にする為の方便に過ぎない。
230 :
名無しさん :2001/03/24(土) 06:11
帝国憲法は絶対君主的な性格を持つ憲法なのにも関わらず、 昭和天皇(に限らず明治帝、大正帝も)が立憲君主的な運用を指向した (統帥権があるにも関わらず、行使しようとしなかった) したため、軍部の暴走を抑えられる者は誰もいなくなってしまった。 よって昭和天皇は憲法違反、法的にも道義的にも戦争責任あり、っていうのはどうですか?
231 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 06:12
ヒロヒトを免責にして侵略戦争の責任を問わなかったことがGHQの占領政策における最大の汚点。 トルーマンとマッカーサーは後世の歴史家から厳しく糾弾されることになろう。
232 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 06:18
>(統帥権があるにも関わらず、行使しようとしなかった) 2.26事件の際には、ヒロヒトは統帥権を行使したと言えるのでは。 勿論、速やかに反乱軍を鎮圧せよという指示は英断だったが。 2.26事件の当時、あれほど英明だったヒロヒトが、 日中戦争や太平洋戦争時に、軍部のただの操り人形に過ぎなかったとは俺にはとても思えない。
233 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 06:21
>>231 230ものレスを無にするようなことを書き込むなよ。。。
234 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 06:37
>>230 >>232 2.26事件のときのヒロヒトの行動は,統帥権の行使ではなく
(ヒロヒトの考える)「立憲君主」の枠を越えた非立憲的行動だった,
というべきだろう.
ヒロヒト自身は,非立憲的行動が20年のうちに3回あったとカウントしている.
(残りの2回は,田中義一を辞任に追い込んだことと終戦時の「聖断」)
235 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 06:45
>>234 それはヒロヒトの言い逃れじゃないの(w?
少なくとも天皇ヒロヒトが、絶対権力者であったにもかかわらず
侵略戦争を積極的に止めようとした形跡がない以上、
「何もしなかった罪」は問われねばならない。
236 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 06:50
ヒロヒトの考える「立憲君主制」とは, 「国政の最終決定には君主が実質的には関わらないようにすること」 とくに「君主が重臣たちの決定には従うこと」 であった.つまり,伝統的な意味でいうところの立憲主義に立脚したものではなかったのである. (昭和天皇の考えていた「立憲君主」なるものが,形式的にしか立憲性を備えておらず 実質的には非立憲的だったということが,そもそも指摘されねばならない. この点が気になるひとは「外見的立憲主義」という比較憲法学の用語をWeb検索などで しらべてみることをおすすめする)
237 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 07:01
昭和天皇はせっかくイギリスにまで遊学しながら かの国の立憲主義をはき違えて帰国したことになるね。 それはあの方の限界だろうな。 歴代天皇の中では聡明な資質をもったほうなんだろうけれど。
238 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 07:04
>>235 不作為の罪については,ヒロヒトに限った問題じゃないよ.
大本営会議に出席しておきながら,いうべきことがあると思いつつ
いうべきことをいわなかった大官たちは,天皇を含めて
すべて(法的な話ではなく)不誠実さを問われるべきだろう.
239 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 07:21
ヒロヒトが大本営連絡会議(連絡懇談会)などの席で国策を左右するような 積極的な発言をほとんどしていないのは,236で述べたような「立憲君主」 の役割をヒロヒトが演じようとしていたからである. ヒロヒトの意識の中では,大元帥としての統帥権の行使は,国策を左右するような ものではないので,個別に重臣たちを呼びつけては,大元帥としての意向を伝達 していたのである.「立憲君主」としての役割と「大元帥」としての役割は別だ とヒロヒトは考えていたのではないか.彼の立憲君主としての不作為(消極的行為) 大元帥としての作為(積極的行為)との間には,かなりのギャップがあったことを 知るべきであろう.
240 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 08:13
>>230 というわけで,ヒロヒトは「統帥権を行使しなかった」どころか
バリバリに行使しまくっていますよ.
241 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 08:14
>239 じゃあ、ヒロヒトは「大元帥」として侵略戦争の遂行に積極的に関与しんたんだね。
242 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 08:19
結論。 ヒロヒトには侵略戦争の責任あり。
243 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 08:28
>>241 日米開戦についていっているのなら,天皇は「積極的」とはいえないだろうね.
勝算のある戦争かどうか懐疑的だったのは確かだろうから.
といっても,もちろん何も天皇が行動しなかったと意味ではないのだが.
御前会議の前日や当日に,重臣たちを個別に呼びつけて,自分の意志を伝達している
のだから,ただの操り人形だったなどとはいえまい.
国政をきめるシステムに対して,能動的に行動していたといえるだろう.
>>239 >>240 >>241 >>242 最初のほうにあった論点落しちゃだめよ。「責任能力」ということ。
10歳の子供で戦争ごっこ好きってのは沢山いる。英断に統帥権行使しますよ。でも責任は問えない。なぜでしょう?それをまず考えましょう。
>>227 道義的責任と法的責任を分けて考える、というのが「判例絶対主義」裁判的で好きではないな。
結論がでない泥仕合になりそう。歴史評価の方法としてはあまり妥当ではないのは?
>天皇制に問題があったとしても制度そのもの責任は問えない。裕仁個人に特定して考える必要あり。
というのはそうでもない。
・裕仁くんに責任能力がありかつ責任を負うべき行為をしたのなら「罪」に問う、
・天皇制という制度に責任があるならば、システムの機能を精査して「改革をする」
というのが「責任を問う」という道筋になります。
よって天皇制の責任論はやってよいと思われます。
時後処理的な感覚で言えば、
245 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:07
>>244 刑法でいうところの責任能力と同じ意味ですか?
だったら,昭和天皇には責任能力あったと考えるのが当然でしょう.
それが論点になるというなら,刑法でいう責任能力とは別な概念でいっているわけでしょうから
あなたのいう責任能力の意義を明確に示してもらわないと.
もっとも,わたしは昭和天皇の戦争責任というテーマには,気乗りしないんですがね.
ひとつには「いまさら」という感があることですが,第二に,
昭和天皇が戦争にどのように関与したかということについて事実解明的アプローチで議論することすら十分にやろうとせずに,責任追及すべきか否かという規範的なアプローチの議論にしか関心をもとうとしないこのスレの1から230までの(全部とはいいませんが)の人たちには,違和感を感じます.
246 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:24
>>93 遅レススマソ.
>>29 でいおうとしたのは,天皇の「聖断」が,降伏(それは聖断があろうとなかろうと
既定方針だった)を決めたのではない,という趣旨でした.
たしかに阿南案ではすぐに戦争が終結しなかったと考えれます.
昭和天皇も,この時期に至っては1日でもはやく戦争を終わらせたかったはずで
阿南案では終戦交渉が成立しないだろうことも,天皇は認識していたでしょう.
彼が阿南案を斥け東郷案を採ったのは当然なのです.
結果的にではありますが,天皇の「聖断」は終戦の日付を早めたことになるといってよいでしょう.
>>244 責任能力、というのはいくつものレベルがあります。
民法上の行為能力、刑法上の責任能力もそのいくつかのレベルなのですが、裕仁さんの場合「政治判断能力」についての責任能力とお考えください。
>>54 にそのことについて若干かいてあるものが存在しています。
45年6月後半から、ようやく終戦に傾いた天ちゃん。 ドイツだってとっくに降伏してるのに、遅すぎるのは明らか。 この年はじめに、近衛らの終戦勧告を無視した罪は消えないな。
249 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 16:39
>>248 近衛の奏上を受けたときの天皇のことばがふるっていて
「いちど敵を叩いてから」とこたえているからねえ…
(いったいこの男は何を考えていたんだろうか?)
250 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 16:48
3月の空襲で東京が丸焼けになっても、 終戦工作を抑制してたもんな>天皇 どういう神経してたの?
>>248 >>249 >>250 裕仁くんに伝わる情報がどのようなものだったかで判断もかわるからね。
部下のした軍事行動を追認してもらえるだけの情報しか報告していないんだったら誰もまともな政治判断はできないでしょう。そのあたりが「責任能力」を欠く要因だね。
だいたい軍高級官僚というのは明治天皇の世で教育受けてきた連中だから、孫の裕仁さんを非常に舐めていたところがある。こんな若造に判断できねえだろう、という侮りが強かった。裏で「天ちゃん」と呼ぶ将校たちも沢山いたからね。だから適当に言いくるめて、いい加減な情報だけ与え続けたということがあるでしょう。裕仁さんは極めて頭のいい人だったようだけど、あの風貌と、世襲君主のぼんぼん、という印象は拭えなかったですからね。そのあたりも考慮しつつ、議論をつづけてください。
絞死刑見れば… あ、関係ないね。 ただ、日本はアジア諸国に対して、大いなる犯罪を犯したのは間違いない。
253 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 21:04
昭和天皇ヒロヒトの名の下で行われた侵略戦争で、 アジア太平洋地域で2千万人以上の死者が出たことだけは確かですね。 その事実についてあの男は一体どう考えていたのか、俺はたいへん興味があります。
254 :
ZU :2001/03/24(土) 21:15
私は軍事掲示板メインの者です。 あっちでも同じようなことやってるけど、こっちのほうがずっと濃い ですね。
255 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 21:42
>>247 田中義一の件や226事件のときの話など考えると,とくに若い頃そうなのだが
昭和天皇は,理知的というよりは,気が短く直情径行タイプの人柄だったようだね.
その未熟な性格のまま,天皇でありつづけて戦争をおっぱじめたというんだったら,
ドキュンな少年犯罪を責任能力がないから刑事罰を科さないのと同じ論理で
天皇に責任能力なし…ということになるのかな(笑).
実際は,年を経るにつれて短気さは陰をひそめ円熟したと思うけれどね.
256 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 22:40
>>251 近衛の上奏のときの「敵をたたいてから」ってのは,
細川護貞『天皇に情報達せず』という書名をみればいいたいことがわかる本(笑)
の中にも出てくる話なんだね.
しかし,正確な情報が天皇に届いてなかったから戦争が長期化したというのなら,
6月以降に天皇が急に終戦工作に傾くのは,急に正確な情報が届くようにでもなったからなのかよ?
…と反論をしてみたくなる.
(もちろん,現場の軍人とはギャップがあっただろうし,戦況の見通しも甘かっただろうけれど)
実際には天皇はそれなりに正確な情報を入手しうる立場にいたのではないかな.
257 :
昭和天皇は :2001/03/24(土) 23:03
258 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 23:24
>257 しょうがないよ。天皇家自体が大陸からの外来魚だもん。 自分たちの正当性が証明したくて、外来のお魚まいちゃったんだろ(藁
259 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 23:45
260 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 23:53
キレた。>★★終了★★ 貴様、真性厨房だろ。何も知らないヴァカが!! 2chはな、IPをしっかり記録しているんだぜ? んなこたぁ常識だ! クズ! 初心者板か削除板へ逝ってみろ。ここが「匿名掲示板」などではないと判るから。 俺が「あるルート」から貴様のIPを入手したらどうするか。 メールを偽造してやるよ。 あたかも貴様がFROM欄を偽造して、俺宛てに卑猥なメール、 またはウィルスを送信したが、貴様のIPが記録されてたって感じのヤツをな。 串刺してようが関係ねえ。どこのサーバー管理者もISPもトラブルはゴメンだし、 匿名を笠に着て好き放題する 貴 様 みたいなガキが大嫌いときている。 喜んでサーバーログを提供してくれるだろうよ。 さて、貴様の素性が判ったらどうするか? プロバイダに連絡してアカウントを取り消す……なんて幼稚な事はしねえ。 貴様んちの周辺で張り込む。そして貴様の醜い姿をデジカメで撮る。 それを適当な「無料ホームページ」にアップロードし、 貴様の大好きな 2 ち ゃ ん ね る の各板に貼り付けてやる。 氏名、年齢、住所、電話番号などと一緒にな。 そして知っての通り、2chにはごく僅かだが本物の狂人がいる。 今から作業を始める。 簡単ではないし、時間もかかるだろう。俺自身へのリスクもある。 だが俺は本気だ。地の果てまでも足跡を辿り、 とことん貴様を追い詰めてやるからな! 貴様の末路をasahi.comの社会欄で読むのが、今の俺の最大の望みだ。
なんだか、また活発に意見がではじめたようですし、
しばらくは穏当路線でいってみようかと思う「吼えくまくって」たとおぼしき者です。
さて戦争責任という語の解釈について提案です。
責任という語からは、通常「罪」「悪」と言うものを連想しがちであり、
>>143 にひかれた辞書からも、それが読み取れます。
これは日本の文化が、物事が失敗した時のみにResponsibilityが問題とされる
傾向が強い事によるのだと思います。
しかし、物事の責任者というのは、実際には
その遂行の中においては功罪をひっくるめて責任を持っているわけですから、
戦争責任すなわち罪、という認識は一度排除し、
あの戦争と、そこから持たされた結果についての
Responsibilityとして捉えるべきなのではないか、と思います。
『再発防止』という一面的な考え方ではなく、まず天皇と大日本帝国の功罪両面をきちんと評価した上で、
その成果をいかにこれからの日本に生かすのか、という視点に立たなければ
今われわれがこの議論をする意味がないと思います。
そしてその議論の出発点は、日本人それぞれがあの戦争の当事者であり、
天皇の責任を問う場合も、決して日本人それぞれの責任から免れ得ない、と言う認識だと思います
これは勿論、功罪ひっくるめてのResponsibilityという意味での責任なのですが。
>>261 の立場にたって、私の意見を述べれば、
政策や任官にも大きな影響力を持ち、それを発揮することで
戦前の日本国の運営に大きな力を果たした裕仁の業績を
『戦争責任』という罪(があるにせよ、ないにせよ)の回避のために、
否定・隠蔽してしまうことはあってはならない、と思います。
それこそ日本の国民として無責任である、という気がしてなりません。
ですから、
>>245 が言うように、
>昭和天皇が戦争にどのように関与したかということについて事実解明的アプローチ
が必要という考え方には賛成ですし、この後、私はそういう視点で意見を述べていこうと思います。
>>262 で言っている『』つきの戦争責任は、
>>261 で言う功罪ひっくるめた意味で使っているのではないことを、
いちおう補足しときます。
264 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 00:27
あの戦争が聖戦だったと言いながら、 天皇が戦争に消極的だったと言って称えようとするウヨはダブスタだな。
265 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 00:47
>264 俺もそう思っていた。 あの戦争がアジア解放の聖戦だったと主張するなら、 昭和天皇ヒロヒトはあの戦争に積極的に関与したと主張すべきだ。 そう言わないウヨはまさにダブスタ。
>>264 >>265 ここはウヨサヨ論争はしていません。もしそれをなさりたければ、別にスレッド立ててやりませう。
歴史研究というのは政争の具ではないので、ダブスタなどという言葉がそもそも無用です。
>>260 この人誰に切れてるのでしょう? ま、いいか。
>>261 吼えクマさんの提案には概ね賛成なのですが、どのような研究にも全くの客観的ということは不可能なもので(ゆえに厳密な意味で社会科学は科学たりえないのですが)、ある程度目標とか基本姿勢というものを持つことが不可欠というか不可避ですので、そのようなものがひとつ念頭に必要と思います。それがないとずるずる軌道逸した方向にいってしまいかねません。もしくは単なる「歴史趣味」というか「歴史小説好き」の娯楽になってしまう。その根本的な研究者の姿勢というものを問うておく必要がある。それが「課題意識」の公共性と正当性を問い質すという作業ですね。これは研究者自身が常に自問自答しつづけないといけないことです。(これはれっきとした歴史学研究者の間で言われていること)その「課題意識」というものの一例として「再発防止」はひとつ有効なものでしょう。それだけに限らなければならない、ということも勿論ありません。それぞれが持つ課題化的認識に通じるものがあれば色々な絞り方があるでしょうね。
>>252 アジアに対する多いなる罪、ということは結論から言えばそうだと思います。が、半面、その「罪」というものが当時の国際法上名文化されていなかったというのも事実で、そこが論争のひとつのポイントになっていますね。
当時の国際法では戦争そのものは「罪」とは明記されていなかった。雰囲気としては「戦争はやって得するようなものではないからやめたほうがいいね」という議論が特に西欧諸国で大きくなってきていたが法制化までは至っていなかったという状況でしょう。なぜ「戦争は悪いことだ」という認識が生まれてきたか、といえば第一次大戦の経験知ですね。勝つための兵器開発合戦がどんどんエスカレートしてしまった。最初は塹壕戦で(日露戦争のように)敵が掘った塹壕に乗り込んでいって刀で切りあうような形態(もちろん大砲や銃は主力兵器でしたが)から戦車が登場し塹壕戦を征した。こんどはその戦車に勝つために戦闘機が登場したり毒ガス科学兵器が開発される。いたちごっこのようにどんどん大量殺戮が可能になってしまった。兵士の間に恐怖のあまり精神・神経疾患も多数でた。「これは大変だ。戦争はとんでもない災いしかもたらさないものになった」という共通認識は第一次大戦で戦場になった国家地域には自然と生じてきていた。けれども、この戦術の目覚しい発達に法律=国際法のほうがまったく追いつかなかった。
このあたりのことは
>>148 にも別の側面から少し書きましたが。
ドイツで軍事裁判(ニュルンベルグ)に関して「裁判そものものが罪刑法定主義違反だ」(東京裁判清瀬一郎による管轄権に関する動議)ということがさほど大きな争点にならなかったのは、人種とか文化習慣の差異というよりは、むしろ第一次大戦の戦場に自国がなったという経験知が一般にかなり醸成していたからでしょう。しかしながら日本がその「経験」をするのは太平洋戦争の末期の本土空襲でようやく自国が戦場になることによって得るわけで日本では西欧にはすでに醸成していた「意識」が、時間が早すぎて形成しておらず、なんで戦争することが罪なのか、という反発が極東国際軍事裁判ででたのも無理からぬところがありますね。英国なんかは憲法をもっていなくて、慣習法のもとで政治をおこなっているからむしろ日本の厳格な罪刑法定主義には違和感覚えたかもしれません。英国の慣習法的民主主義の精神から言えば、必ずしも「戦争犯罪」ということを第二次大戦の戦後処理として持ち出すことは別に悪いことではないでしょう。共通認識としてあればそれでも可でしょうからね。英語圏の研究者や東京裁判に参加した英国圏の判事・弁護士が東京裁判の瑕疵を正直に告白したり批判したりするのは、日本人の「東京裁判批判論」と論点とはかなり違っていて、アメリカのやり方の圧し付けが甚だしかった点ですね。そのことは踏まえておかないといけないでしょう。
もちろん私は歴史としてこれを見ますので吼えるクマさんの言うような
>>261 「責任論」を主として論じたいと思います。
>>256 その反論ついては
>>202 こちらも参照していただきたいと思います。
私が言う「責任能力」がないとする決定的な要素は、充分な情報を持って裕仁さんが政治判断したのかどうか、ではありません。それもひとつの要素ですけど、あまり大きなものではない。極端な話すべての情報が正しく伝わっていたとしても(もしそうなら裕仁さんより先に内閣と陸海軍のほうから「とんでもないことだ。即刻戦争やめましょう」と言い始めていただろうとは思いますけど)「責任能力」がなかったという見解は変わりません。
根拠は、
>>54 にくわえて、天皇という「身分」です。
責任を問うためには、意志の自由というものが必要です。子供の頃に即位してそのまま年食って憲法に規定された被選挙権取得年齢に達したとしても、それ以後の政治判断に責任を問うためには「辞職権」というものをもっていないといけない。つまり「私には判断できないから天皇やめます」という自由がないといけないということです。責任能力のない年齢での意志で天皇になり、辞める権利がない以上、そのすべての政治判断の責任については、即位時の年齢をもって判断しなければならない。内容如何を問わず「年齢」という要素で、責任能力なし、が決まってしまう、ということです。
これは法律の専門家の方にとってはわりと分かり易い論理ではないかと思いますよ。
269 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 12:37
なんだかさっぱり分らんぞ。 実際の歴史といがうんじゃないか? 天皇が戦争推進してると言う人間は どんな根拠で言ってるのだ?
270 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 12:47
さあ、被告人死亡でもヒロヒトを国際法廷で裁判にかけよう。 おそらく判決は「死刑相当」になるだろう。
271 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 12:51
近衛文麿が1945年の頭に和平を持ち出したのを、 敵を「どこかでぴしゃりと」叩いてからにしろと言って潰した件じゃねえのか? おれもうろ覚えだが、これくらいは知ってる。
情報が正しく伝わっていたか以前に、裕仁個人の人格として責任能力があったかという点について
>>268 でおっしゃれていることを要約すれば
(1)責任能力のない年齢での意志で天皇になった
(2)辞職権がない
∴裕仁のすべての政治判断の責任については、即位時の年齢をもって判断しなければならない。
ということになりますか?
では年齢問題。まず参政権について。
まず、
>>268 さんは、参政権の獲得齢が憲法に規定されていると理解されているようですが、
戦前・戦後とも憲法ではなく選挙法によって規定されています。
戦前(1890〜)選挙権:25歳、被選挙権:30歳
戦後(1945〜)選挙権:20歳、被選挙権:25歳(衆院)30歳(参院)
では裕仁の年齢について。
1901:誕生(0:満)
1926:着位(25)
1929:田中義一内閣総辞職(28)
1931:満州事変(30)
1936:二二六事件(35)
1941:日米開戦(40)
1945:ポツダム宣言受諾(44)
(1)について、当時の被選挙権を持たない年齢で天皇になったと言うことはできると思います。
まあ、
>>54 でおっしゃられている「現日本国憲法」においては、被選挙権を獲得していますが。
しかし、
>>268 さんの主張するところを肯定すれば、被選挙権を持たない裕仁を天皇の着位が
大日本帝国憲法で定めたるところの天皇の職責をまっとうするに充分でない、と解釈しなければならない。
つまり昭和天皇の着位そのものが違法ということになってしまいますよね。そこから論じるべきなのでしょうか?
1931年以前の業績については(当時の)被選挙権獲得齢に達していないので、責任能力を問うのは酷、という話ならまだ議論の余地あると思いますが。
では(2)の辞職の権利があったか?ということですが、少なくとも裕仁自身は辞職権がないと認識していたとは思えません。
時代が少し後になりますけど、終戦時の有名な発言
「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだらうか」木戸日記など
は、その時は木戸幸一らの説得で退位にまで至りませんが、逆に木戸の日記を読めば木戸らの論旨には、退位に権限がないとは一言もなく、不安定な国状を考えて今は言うべき時でない、という読み方が正しいと思われます。つまり裕仁も大臣らも、裕仁の辞職権そのものは否定していない。
(後の木戸日記には、ポツダム宣言履行時には裕仁は退位すべきだ、と述べている箇所もあるようです)
また東久邇宮の、自身の皇籍離脱・裕仁の退位という発言が報道された折、裕仁は
「又、御退位につきては、それは退位したほうが自分は楽になるであろう。今日の様な苦境を味わわぬですむであろうが、秩父宮は病気であり、高松宮は開戦論者でかつ当時軍の中枢部に居た関係上摂政には不向き。三笠宮は若くて経験に乏しいとの仰せ。東久邇宮の今度の軽挙を残念に思召さる。東久邇宮さんはこんな事情は少しも考えぬのであろうとの仰せ。」木下道雄『側近日誌』
とされています。ここからは裕仁は辞職権がないという認識は読み取りようがない。他に適当な後継がいないから、自分がやらねばならぬのだ、という意思表示と読むべきでしょう。
というわけで、「着位時の年齢でその後の責任能力の有無が決まる」という論は疑問です。
>>268 さんの言う「法律の専門家の方にとってはわりと分かり易い論理」というのが、
少なくとも私は法律の専門家ではないですし、ここも法律板ではないので、専門家以外にもわかるよう
ご説明いただけませんか?
↑あまりに慣れない言葉づかいをしたもんで、てにをは滅茶苦茶だわ。ご勘弁。
>>272
>>267 さんへ
課題意識が不可欠という認識は、同感です。
その一例としての「再発防止」というのは、個々人の意識としてはあってよいと思います。
ただ、私が言いたかったのは、ちょっと無謀かも知れませんが、「再発防止」という課題意識の者と
たとえば「王政復古」という課題意識の者が、語り合うということができないか?
ということなのです。例も極端であり、あまりに理想主義的な思いかもしれませんが、
できる限り、日本国民総体としての決着、というところへ持っていきたい、という願いをこめ、
「再発防止」をあえて一面的、といったわけです。
むぼーかなぁ。
275 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 15:16
>271 それは公式発言か? 近衛はわりかしインチキくさい人間だぞ。
276 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 15:33
いちばん分らんのは当時のマスコミ、言論人。 なぜ、この連中が裁かれないんだ? で、そうした世論を背景に指導者たちが いろんな場面でどう決断したか、それは 間違っていないか?検証してはじめて天皇の 責任問題がでてくるんだ。当時の状況と 今とでは全く時代が違う。 現在の社会情勢、法律でなにが裁けるのか?
277 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 15:47
>276 おんなじ名前で今も発売されてるってえのが 不思議。 日本は元々なんかあっても責任の所在はっきり させないのが文化じゃないの?
278 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 15:52
国民の総意とか言う抽象的なものに 権威があると思いこんでいるのは滑稽ですね。 なぜなら天皇の御意志が国民の総意になるからです。 これが曲玉の持つ神力です。 よく先の大戦がなぜ起こったかという問いに マスコミが戦争を煽ったせいだという人がいますが、 とんでもない間違いですね。 天皇が軍馬に乗るようなことをして戦争を煽るから マスコミはあのような論調になったのであって、 戦争責任はひとえに裕仁と軍部にあります。 もし天皇が姦国逝ってよしといえば、 明日から朝日新聞はサピオのようになるでしょう。
279 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 16:01
>277 うん、そうなの。もと共産党員で後に田中角栄秘書の 早坂茂三氏も怒っておった。 文士の阿川だったかな?当時の文人に言及して 「あいつらが悪い」みたいなこと言っておる。
>>258 そんなつもりで書いたんじゃないんだけど
281 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 16:13
>278 それは天皇親王制として明治憲法を解釈した場合。 現実には天皇機関説的に運用されてた。 なぜなら親王制説は天皇に責任のすべてがあるから。 軍法違反を平気でやる軍人、やっても裁かれない 官僚的かばいあい体質。テロにおびえる文官。 戦争をあおるマスコミ。 こんな状況で誰が親王制でやるか。
282 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 16:30
>278 じゃあ戦争責任は白馬「白雪」にあったのか? 馬に責任押し付けちゃうのもねえ。
283 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 16:34
コピペにレスしてどうするのだ しかも…
284 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 16:46
>>275 1945年1月13日に、天皇は木戸内大臣に「重臣の意向が聞きたい」という言葉を告げる。
2月7日、平沼騏一郎参内。食料増産と官吏の綱紀是正を強調。
2月9日、広田弘毅参内。対ソ外交を積極化し、「大戦果」を上げてそれをきっかけに
してのソ連を仲介とした和平を献策。
2月11日、近衛文麿参内。最悪の事態は必至であることを述べる。
その後は共産主義者の脅威を強調。以下は要旨↓
満州事変から太平洋戦争に至るまで日本を引きずってきたのは軍部の革新分子、
すなわち共産主義者である。米英には徹底交戦すると言っておきながら、
ソ連や中国共産党と握手しようという軍部の姿勢は、明らかに共産主義者の
ものである。敗戦は避けられないものであるから、その後の国体維持を
図るには、軍部内からこれら共産主義者を一掃しなければならないし、
成功すれば米英も態度を緩和してくるかもしれない。それには陸軍の反主流派
である小畑・石原・宇垣・阿南・山下・真崎・香月らを起用すべきである。
ここで天皇は、「事態の転換をはかるのは、もう一度大戦果をあげてからに
なるのではないか」と質問。近衛は「そういう時期がございましょうか。
半年、一年先では役には立つまいと思います」と返答。
285 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 17:50
近衛ねぇ・・・。 田原氏に言わすと「ヒットラーを目指して挫折した男」 になるが、近衛をかわいがってた最後の元老 西園寺ですら「右翼、左翼のナマナマしい連中が つきすぎ」と評してるな。
286 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 19:17
統制経済に導いた張本人ともいえる近衛に そもそも日本の共産化を心配する資格があるのか …と皮肉のひとつもいいたくなる. しかも陸軍統制派の連中(かつて近衛をかついだ連中) を「共産主義」と同視しているしね.
287 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 19:25
288 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 19:37
1945年2月14日 「陛下 我国体について、近衛の考えと異なり、軍部では米国は日本の国体変革までも考えていると観測しているようである。その点はどう思うか。 近衛 軍部は国民の戦意を昂揚させるために、強く表現しているもので、グルー次官らの本心は左に非ずと信じます。グルー氏が駐日大使として離任の際、秩父宮の御使に対する大使夫妻の態度、言葉よりみても、我皇室に対しては十分な敬意と認識とをもっていると信じます。ただし米国は世論の国ゆえ、今後の戦局の発展如何によっては、将来変化がないとは断言できませぬ。この点が、戦争終結の策を至急に講ずる要ありと考うる重要な点であります。 陛下 先ほどの語に軍部の粛正が必要だといったが、何を目標として粛軍せよというのか。 近衛 一つの思想がございます。これを目標と致します。 陛下 人事の問題に、結局なるが、近衛はどう考えておるか。 近衛 それは、陛下の御考え……。 陛下 近衛にも判らないようでは、なかなか難しいと思う。 近衛 従来、軍は永く一つの思想によって推進し来ったのでありますが、これに対しては又常に反対の立場をとってきた者もありますので、この方を起用して粛軍せしむるのも一方策と考えられます。これには宇垣、香月、真崎、小畑、石原の流れがございます。これらを起用すれば当然摩擦を増大いたします。考えようによっては、何時かは摩擦を生ずるものならば、この際これを避くることなく断行するのも一つでございますが、もし敵前にこれを断行する危険を考えれば、阿南、山下両大将のうちから起用するも一案でございましょう。先日、平沼、岡田氏らと会合した際にも、この話はありました。賀陽宮は軍の建て直しには山下大将が最適任との御考えのようでございます。 陛下 もう一度、戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う。 近衛 そういう戦果があがれば、誠に結構と思われますが、そういう時期がございましょうか。それも近い将来でなくてはならず、半年、一年先では役に立たぬでございましょう」 (藤田尚徳『侍従長の拭想』)
289 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 19:39
「十四日、……三時、近衛公と吉田茂邸にて会見、公は今朝参内、重臣として単独拝謁し、意見を言上し、正午首相官邸にて重臣会議に出席、その帰途なり。上奏の内容は公自筆のものにして、主としてソヴィエットの欧洲に於ける行き方を述べ、我国に対してソ聯がとることあるべき方針を考へ、未だ国力を出し尽さゞる前に、外交によりて戦争を終結せしむべしとの大意にて、終始赤化の脅威を説きたるものなり。是に対し御上より、米国は我皇室を抹殺せんと云ひ居る由なるも其の点如何との御下問あり、公はグルー及び米国首脳部の考へ方を見るに、其処迄は行かぬ様思ひますと言上、陛下は、梅津は米国が皇室抹殺論をゆるめざるを以て、徹底抗戦すべしと云ひ居るも、自分も其の点には疑問を持つて居ると仰せあり。又栴津及び海軍は、今度は台湾に敵を誘導し得ればたゝき得ると言つて居るし、その上で外交手段に訴へてもいゝと思ふと仰せありたりと」 (細川護貞『細川日記』)
290 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 20:14
>289 勉強になった。ありがとう。 でも日中戦争を拡大させた近衛元首相が なに言ってんのかねぇ。 だいたいその時期に和平を叫んでも 間違いなくポシャルと思う。 8月でもたいへんだったんだから・・・
291 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 20:29
しかも上奏を受けて,天皇がまっさきにした質問ってのが 「米国は我皇室を抹殺せんと云ひ居る由なるも其の点如何」 なんだからね(あーあ). そのあとで「敵をいちどたたいてから」「外交手段に訴える」という 話になる. 結局,近衛や天皇がいちばん心配してたのは,敗戦後も国体が維持されるか ということ.国民本位の政治という考え方からもっとも遠いところにいた人たち だったという評価は甘受しなければならないだろう.
292 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 20:45
>291 人間ちゅのはそお言うもんだ。 ロシア皇帝みたいになったら嫌だモンな。 ご先祖さまに顔むけができん。 しかも、やりたくもない戦争で・・・ しかし8月にはこの身どうなろうとの覚悟で 終戦にしてくれたぞ。
293 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 21:30
この手の議論がでるといつも思うのが 天皇は「鉄男にかつがれた大覚アキラ様」みたいなひと。 天皇は超能力は持ってないけどそれに比肩する神格性を持っていた。 あの瓦礫の椅子にちょこんと腰掛けたアキラにひざまずく鉄男が 当時の軍部や政治家のようで。 こういうのってダメですか、やっぱ?
294 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 21:41
いいんじゃない? いまでいうなら、宗教法人「神道」の宗家。 天皇家って神主の親分なんだもん。 別にそれで食えるしなぁ。 けっして皇帝じゃなかった。 それを明治維新の時権威が欲しい政府に ひっぱられてきたんだ。いい迷惑だよな。
295 :
199 :2001/03/25(日) 22:13
吠えクマさんに散々怒鳴られて萎縮してたけど
>>294 さんのカキコ見て、僕もその通りだと思います。
少なくとも庶民は神主の親分だと思ってたんです。
帝国憲法発布の時に庶民は
「天皇さんが絹の法被を下さるそうだ」と本気で思ってたみたいだし、
庶民にとってもそれくらいの存在だったのが
いきなり国家元首だもんね。
そして日清日露で「天皇陛下バンザーイ!」
太平洋戦争で「裕仁の責任は?!」
僕は変だと思うけどなあ。
296 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 22:28
ヒロヒトのアジアの犠牲者に対する責任を明確にせよ。
297 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 22:32
298 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 23:42
ヒロヒトは侵略戦争の最高責任者。 アジアに対する責任を明確にするのが当然。
299 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 00:22
>>293 >天皇は「鉄男にかつがれた大覚アキラ様」みたいなひと。
日本史板で知ってる人がいくらいると思う?
300 :
名無しさん@1周年 :2001/03/26(月) 01:40
>>298 あじあってどこよ。チョンコロだろおまえ(藁
301 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 01:46
>298 最高責任は軍部、荷担した政治家だ。 次に議会、あおったマスコミ その次ぐらいに天皇、国民となる。
>>272 繰り返しになりますが、私は歴史評価をやっているのであって法廷闘争の真似事をしているのではありません。もしも本気で法廷論争をやるならば裕仁さんが死んですでにいない以上、維持することが不可能ですので。
私は被選挙権というものを引き合いにだすのは、現実に裕仁という人物に責任能力があったかどうかを測るためです。法律に資格が定められるのは、その能力があるだろうという現実というか慣習を定位名文化するためにやるものであって、そもそも法律に書かれた資格要件が、現実に責任能力を持たせるに合理的でなかったら、法律が間違っているわけです。そのあたりを議論したいと考えます。
天皇は大日本帝国憲法が規定する「臣民」には全く属しません。皇室典範によってその身分が規定される。そこには18歳をもって成人とするというふうになっているし、一般とは違う規定がなされている。その天皇家一族という身分の規定にそもそも合理性がない。すなわちそれに現実の政治に対する責任能力を付与することがそもそも合理性を欠くと考えています。
裕仁さんが終戦に際して自分が退位すればどうだ、と言ったことについても、それは便法もしくは言葉のあやであるに過ぎず、到底実行できるようなものではなかったと考えるのが妥当でしょう。それを責任能力の根拠にするには、大日本帝国憲法や皇室典範であまりにも厳然と身分不可侵が歌われすぎています。皇族としての「欠格事由」については旧皇室典範に書いてありますが、自分の意志でその資格や身分、退位などを決める自由については一切書かれていない。逆に万世一系の天皇によって統治する、というようなことは一貫して書かれている。その憲法下で宮→皇太子として教育を受けていた以上、天皇を自らの意志で退位するなどということは考えることすら不可能だったのではないかと考えます。すなわち、裕仁という人は限りなく「無能力者」(民法に書いているような意味ですが)に近い政治責任能力の欠けた人物であったと考えざるをえないというわけです。
国民が敬愛し尊敬し敬うのは自由ですが、統治者としての能力面では天皇というものは全く合理性をもたないものであるということですね。
303 :
名無しさん@1周年 :2001/03/26(月) 03:10
ヒロヒトさらしあげ。
304 :
永田鉄山 :2001/03/26(月) 03:31
大元帥だ。もちろん責任は取る
305 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 06:10
うんうん、わかったわかった。 責任というから話がおかしくなるのであって(それは閻魔大王さまにまかせとけ) ようするに歴史的評価の問題なんでしょう?
>>302 責任の評価については『即位時の年齢をもって判断しなければならない。』
とおっしゃっていた点を撤回されたようですので、結構だと思います。要は、
『裕仁という人は限りなく「無能力者」に近い政治責任能力の欠けた人物であった』
『統治者としての能力面では天皇というものは全く合理性をもたないものである』
故に責任を問うことができない、ということですね?
せひとも、おっしゃられる裕仁無能力者説を、具体的な事象をあげ論証していただきたいと思います。
また、辞任権については、あなたから反証が出ていないと認識しています。
憲法や皇室典範には書いていないから、とおっしゃられるけれども、
あなたは実際の運用については推測の域を出ていない。
あなたの論法では、たとえば
「憲法に『万世一系の天皇の統治す』と書かれているから主権は天皇にあった」と言う
「憲法に書かれているから」を論拠とする主張に対し、何ら効力を持ち得ない。
今回このスレでとても驚いたのは、
『天皇は無能力者だった』『天皇は無力なお人好しだった』という主張が、おそらく複数の方から出てきた点です。
私は今までこうした主張に一度も出会ったことがありませんでした。
正直言って、天皇を尊敬する人物としての教育を僅かなりとも受けた人間としては、
強い衝撃と興味を感じます。
その主張が証明され得るなら、日本人の天皇認識や国の捉え方にとって大きな転換点となると思います。
証明されるのならの話ですが。
>>295 (
>>199 )
という訳で、あなたの主張にそれなりの興味をもって「吠えくまくって」たわけですが、
何度も言うけれども、あなたの主張には論拠がない。
主張というよりも個人的感慨を述べているにすぎない。
きちんと具体的事象をあげて論証されるのであれば、きちんとした対応するつもりですが、
>>295 のように自分の発言に無責任なまま感慨を垂れ流すだけであれば、
あなたの主張を例えば
>>278 などと同列に扱い声としては無視する、ということも出来るし、
或いは、また何時でも「吼えくまく」る準備はありますよ。
どう?
>>306 あなたの「感慨」は結構ですから、根拠がないという根拠しめせば?
>>306 法律上の「無能力」ということから勉強したほうがいいようだね。
民法の主たる部分は戦前から同じだから口語の民法買って来て読んでください。
煽られてんのかなぁ。
>>307 ま、じゃ簡単に。(199、恨むなら307にいっとくれ)
>>295 >少なくとも庶民は神主の親分だと思ってたんです。
庶民とは誰か。明確に定義せよ。
また、定義された庶民が「神主の親分だと思ってた」具体的事象を示せ。
ま、ほかにも「天皇の存在自体が文化」
>>153 とか「天皇制度が非合理的な伝統」
>>196 とか、
の根拠についても答えていただいてないです。
っつーのが、「根拠がないといってる根拠」です。
絹縫の法被っつうのは笑わせてもらったが。
法的な論争したいわけじゃないんだけど、 > 裕仁さんが天皇になった年齢と、大日本帝国憲法に規定された被選挙権獲得年齢を比べてみるように。 とか > 多分、ですが、現日本国憲法でも被選挙権が与えられない年齢で天皇になっているはずです。 とかおっしゃってたんで調べてみたまで。 日本史板来て、民法読め!とまで言われるか。 人使いあらいねー。 まあいいよ、勉強になるから。あとで本屋行ってくるよ。 でそのあと大事なのは、民法上の「無能力」っつー状態に裕仁があたるかどうか、なんで、 そのへんご準備お願いいたしますよ。 つーかそっちは、ここじゃなくって法律板でやります?
あのねえ、吼えクマさん、ちゃんと頭のなか整理したほうがいいよ。
>>1 とか
>>199 とか
>>307 とか
>>308 は全く別人で別の主張だからね。
私は
>>302 とか
>>308 を書いた人物です。
もちろん上記みっつとは別人です。
いっときますが「無能力」というのは法律上の資格要件が能力者として認められない人、ということであって、決して「お人よし」などという人格的・性格的な意味ではありません。それを同列に並べるのは法律を知らなさ過ぎる証拠です。
法律論やるなら、法律に「基礎知識」ぐらいはもっておいてくださいね。お願いしておきます。
>>312 ああ、そっちのほうの話ね。
こういう主張にはじめて出会った、って言った。
たしかに『無力でお人好し』と『無能力』ってのを同列に並べたのは強引でしたね。
ご立腹ならすんまそん。
頭整理しろって言われてるようですけど、
勿論、
>>1 とか
>>199 とか
>>307 とか
>>308 がそれぞれ別の人だろうとは思ってますが。
>>312 さんは
>>302 >308 ですよね、で、
>>202 >>268 も一緒の人?
あと
>>251 >>54 も一緒かも知れないけど違うかも知れないなぁ、と。
>>268 さんの発言では、「法律の専門家の方にとってはわりと分かり易い論理」とおっしゃられていた点について
あなたの
>>308 では、「口語の民法買って来て読んでください」と言われ、まあ納得しましたけど、
同じあなたから
>>312 では「法律に「基礎知識」ぐらいはもっておいてくださいね」と言われる。
これ、ぜんぶ「無能力」に関することだったと思いますけど、
このスレの主旨には関係ないけど、
いちおう「専門家の方にとってはわりとわかり易い論理」なのか「基礎知識」なのか、お教えいただければうれしいです。
ちなみに
>>272 でも書いたように、私は法律の専門家ではありません。
法律の専門家は法律の基礎知識もってるでしょ? だからそれをもとに考えていただければ理解しやすいことだ、ということです。 国語の勉強もしないといけないのかな。 ま、食って掛かるというのは、手におえないもの前にして逃げる、というより進歩もあるからよいこととは思うが。
「無能力」という考え方は、法律の知識の、基礎中の基礎です。
私のしている議論は、その法律の専門家のする法廷闘争的な議論(つまり法律の運用にかかわる法律解釈論)という狭い議論ではありません。ともうしあげている。法律そのもの妥当性ということまで議論がいっています。だから法律の専門家でも少しばかり烈しい議論しないと通じないまもしれないようなことを、できるだけ誰にでも分かるような言葉に変換しつつ書いているつもりです。
単に、罪刑法定主義の精神に則り、当時施行されていた法律に基づいて合憲か違憲か、合法か違法かを論じるなら極めて簡単な議論になる。
>>272 に書いてある東久邇宮発言や木戸日記の記述、裕仁さん自身がした退位についての発言は、正真正銘の憲法違反です。大日本帝国憲法に照らして判定するなら違憲です。
ただ違憲だ、というだけならいいのだが木戸がこれを公然と言ったとすれば、平時ならば、クーデター未遂犯として治安維持法違反で拷問にかけられても仕方がないようなことですね。事実共産党員は治安維持法で拷問にかけられて死んだりしています。2、26事件の青年将校たちは内閣の人間を悉く殺しましたが、天皇の退位などということは掲げていないから、木戸より罪が軽いということになります。天皇の退位云々というようなことを言えたのは、敗戦が決まり、憲法どころか国家そのものが消滅する危機状態、天皇が処刑されてしまうかもしれないというきわめて特殊状況下だったから許されたわけで、いわば緊急非難的な発言なわけで、それをもってして平時と同じ意識だったとするのは合理性が全く欠けているとしか言いようがない。私はそのような狭閉な議論をしようとしているのではない、ということです。
>>314 なるほど。専門家なら基礎知識も詳しいと意味において、
2つの発言がつながるわけですね。
ありがとうございました。
無能力者(現行の民法における制限能力者)については、今勉強中です。
昭和天皇が民法言うところの無能力者であったという、
天皇制度の運用の面についても具体的なお話しが出るのを楽しみにしています。
314さんが312さんなのかわからないけど、
>>312 さんが
>>302 で言っている
『私は歴史評価をやっているのであって法廷闘争の真似事をしているのではありません。』
と言うのは、私も似たような考え方です。
ですから
>>262 のような発言(特に後段)をしているわけです。
法的に定めらていたこと、いなかったことは勿論、前提と成りますが、
では実際にどのような運用がなされたか、というのを検証していくことが
歴史評価として意味がある、と考えています。
>>315 たしかに戦後と戦中の認識を同列に並べることには無理があるのは私にもわかります。
しかし、当時の資料を欠いている論議の中では参考にはなり得るかも知れないと思い
具体的な資料をあげつつも、
「少なくとも裕仁自身は辞職権がないと認識していたとは思えません。」
と言ってるわけで、
「裕仁には辞職権があった」
と主張しているわけではないことはご理解いただきたいです。。
「裕仁には辞職権がなかった」と断定するには疑問がある、と申し上げたかったわけです。
言葉不足であれば申し訳ない。
ですから、私の疑問を氷解させるような「辞職権がなかった」と証明するような資料・事象が示されれば、
少なくとも「辞職権」については
>>268 さんの主張を認めるほかありませんし、
となれば、昭和天皇の責任の範囲(戦争に限らず)と言うのも、大幅に狭めて考えなければならないと思っています。
あと木戸日記のポツダム宣言履行時に云々とカッコ内に書いているのは、
ちょっとズルかったですねオレ。あれは昭和二十六年十月十七日だそうです。
それから私も、違法・違憲ということをここで細かくやっていきたい、と考えているわけではありません。
>>316 『専門家なら基礎知識も詳しいと意味において』って『〜も詳しいという意味において』ですね。
すんまソん。だから『国語の勉強もしないといけないのかな。』と言われても何も胃炎。
318 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 20:46
無能の真意はあれだ。立場の問題で孤立と 言い換えても言い。政治と天皇をむすびつけるものは 何か?元老であった。明治はこれがよく機能してた。 ところが憲法にも載ってない元老制。 改めて制度化することなく立ち消えてしまった。 (西園寺は残ってたが、なんか無力) 明治は維新の生き残り(つまり現実的な判断に優れたる人) が強力なブレーンとなって天皇を支えてくれた。 腹が据わってて権威もある、それが元老であった。
>>308 さん
民法読んでみました。勉強になったよ。
ほんとどうも有難う。
>>268 さんは、条件に合致する、って言ったわけではないし、
民法に沿った取り扱いをしなければならない、と言ったわけでもなくて
天皇が民法上の無能力者(制限能力者)に似ている、って言っただけだから、
あんまし意味はないってことですね、そこに拘っても。
320 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 02:10
天皇は禁治産者のようなもんだから責任かぶせちゃ可哀想って話をいくらしても あまり実り多い議論には発展しないような気がするが. 歴史家として天皇の行動を叙述する立場であれば,無能力者かどうかということを きめる必要もないのではないかと思う. そもそも法とは,なんらかの具体的な紛争を解決するための手段である. 法があるから紛争や裁判があるのはなく,紛争や裁判があるから法があるのである. 無能力を主張するのも,紛争の当事者やその代理人が自らの利益のために主張する から意味があるのである.もし,天皇を被告人として仮想法廷を設置するなら 天皇役のひとか天皇の弁護人役のひとが,無能力を主張するだろう.それはわかる. だが,このスレの趣旨はむしろ,天皇の戦争関与を歴史家の視点で評価することであって 法的な意味での紛争を解決する場ではないのではないだと思う.
321 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 02:20
わざわざスレあげるほどのことでもなかったな. 302氏も責任の話ではなく歴史評価をやるのだ,とはっきり言ってるんだし.
>>320 私は天皇が「禁治産者」のようなものだ、ともいっていないし、「可哀相だ」とも書いていない。責任能力がない、と書いているのです。どうも、情緒的な話にしないと気がすまない人が多いですね。無能力というのは植物人間のような「禁治産」もありますが、人格障害などに起因する浪費癖がなおらなくて自己の財産を処分する能力が欠ける「準禁治産」もあれば、まだそのための能力がみについていない、未熟であるという「未成年者」も含んでいるということはお忘れのないように。
この部分だけをみてどうこうおっしゃらないようにお願いしておきます。大日本帝国憲法下で「天皇」という位につく人間には統治者としての能力が身につかない。能力者になるための合理的なシステムがないから誰が天皇になっても政治(統治するという政治ですが)無能力にしかならない、ということを論じることは歴史的にとても重要なことと認識します。政治システムとして欠陥があって有効ではないということですからね。
323 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:23
>322 同意
324 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 10:24
そうね.はじめからいってるように,わたしは天皇の責任ということには もともと関心がないんですよ.だから余計に無能力者の喩えは不要に思ったんだけれど. 322氏がいうように,天皇個人の問題じゃなくて天皇制というシステムの問題を中心に 考えるのが,たしかに歴史的には意味のある議論になると思う. 天皇を考える場合に,昭和天皇は立派だったとか大正天皇は病気だったとか,そういう 天皇ごとのパーソナリティは二義的な問題で,天皇として持続しているもの/ことと とらえるほうがはるかに重要でしょう.歴史事実の中に天皇がでてくるときは つねに一人の人格としての天皇として出てくるわけで,天皇がが関与した事実について 語るとき,表面的には天皇個人を責めているようにみえるかもしれないが,それは いちいちいわないけれども政治システムとしての天皇制に帰着すべき話として 言っているのだということで,いいんじゃないかな.
325 :
目のつけ所が名無しさん :2001/03/27(火) 10:38
というよりも。 逆にトップの天皇に内外に対しての責任を押っ被せるのが そもそもの天皇制というシステムのの意義だったのでは ないかと。 意思決定はすべて臣下がやるが責任の帰属主体はすべて天皇. この場合彼は無能力でも構わない。もともと無能力者に替 って裁量及び意思決定をし、彼自身が及ばぬ能力を補充拡大 するのが代表とか代理の意味. しかし全くのパーという意味の無能力でなく、小学生程度の 事理の弁識能力があるのなら、単に責任の帰属主体というだけ でなくて、やっぱりそれに乗りそれを許した個人としての責任 もあるわな。
326 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 13:18
たとえ例にしても民法を引っ張ってきた人が迂闊。
以下が民法における無能力者の主な考え方。(定義は
>>322 に既出)
・行為能力のないものAが相手方Bとの間にした契約について、Aは一方的に取り消すことができる。
・相手方Bは、Aに対し一定期間の猶予をおいて契約を取り消すかどうか、返答を求めることができる。
・AがBに対し、Aは行為能力があると信じさせるために詐術を用いた場合は、契約を取り消すことができない。
比喩にしても遠すぎる。
327 :
>1 :2001/03/27(火) 13:24
GHQは天皇に責任を取らせなかった よって ==============第一章・完==============
328 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 13:29
出たよ吉慨が。
>>324 はじめからいってるように、って名無しで言うか
おお,スマソ.
>>245 でいってるようにってことね.
ずっと数人だけでレスまわしてたから
その間でしか通じない言い方してしまった.
指摘ありがと.
>>328
330 :
目のつけ所が名無しさん :2001/03/27(火) 14:29
民法が定義している能力にも色々ある. 権利能力 生きてから死ぬまで誰でも持っている 権利義務帰属主体としての地位 意思能力 意思を表示し法律行為を行える(契約を結ぶなど)能力 少なくとも小学校就学以上の知能を要するが、 行為の内容にもより異なり一律ではない。 欠く者の意思表示(すなわち契約締結などの法律行為)は無効 行為能力(制限能力) それでは実際の訴訟の際の立証の問題などが発生し、 本人保護も十分ではなく相手方の取引安全も害するゆえ 要件を一律に規定し公示も行うようにした。 処理としては制限能力者の行った法律行為は有効だが 取り消し可能な行為となる。 意思能力の補助的な位置づけであり、二重効としての 主張も可能。 なお昨年の改正により成年被後見・被補助等の審判の 請求原因は精神的障害に限定された。 不法行為の責任能力 おおむね小学校高学年から。 自らの行った不法行為の損害賠償は自らが負う。 もうひとつ過失相殺をうける事理弁識能力 小学生下級生以上の者が道路に飛び出して怪我をした場合 不法行為の損害賠償を算定する際にその者の過失が相殺される
もう民法論議やめませんか?
>>322 さん(おそらく302さん)の言ってるところも
厳密な意味で「民法上の無能力者」って言ったわけではないとしか思えないし。
まあ
>>320 さんの「禁治産者のようなもんだから」を引いて、
いや他にもあるのを「お忘れなく」って言っちゃう
>>322 さんも大人気ない気がするけど、
要は、責任能力を問えない制度だったんじゃないか、って論旨から外れて
「可哀想」とか情緒的な意味に解釈してくれるな、ってことなんだから。
332 :
目のつけ所が名無しさん :2001/03/27(火) 14:58
そうかな。 対外的な裁量・意思決定を下のものが行うシステムだったから と言って、権利や義務・責任を負う主体としての地位がそちら に移転するわけではない. そればかりか、その代理人や代表者には権利義務が帰属する訳 ではないから、もし彼らがまちがった事や恣意的な濫用を行った としても彼らは原則として何らその責任を負うわけではない. その後本人との間で内部的な責任追求が行われ得るだけだが、 その本人が代理人のいいなりに左右されて行動してたのであ ればそれも難しかろう. そこらのからくりを理解するうえで民法の法律構成の アナロジーを使用する事は有効かつとても面白いと思う のだが.
大人気ないのは2chでは当たり前。正常人を相手してると思うな
朕は原因において自由な天皇だ! 文句あっか!
>>332 アナロジーとして全員が意識して使うならいいけど、その時は、
アナロジーでの理屈がそのまま対象に適応できないことを踏まえていなくてはなりません。
この問題の場合、アナロジーと論拠をとても混同しやすいと思うから(私も混同したし)、
やめとこーよ、と言う提案です。いかがでしょうか?
私は随分前に書いたけど
>>227 、最終的に歴史評価が出た後裕仁に責任を問うことができるとしても、
それは道義的責任でしか有り得ないのではないか、と考えています。
その道義を考える上での参照点として民法の考え方はたいへん面白かったけれども。
336 :
目のつけ所が名無しさん :2001/03/27(火) 15:40
代理人・対外的代表者にこそ「固有の利益はない」。 だから、故意過失・騙した騙されたといった事情は 代理人に即して考えるが、しかし悪意だったからといって 対外的にその責任を問われる事は「ない」。 与えられた権限と全然関係のない事をした場合、 それも単に相手保護の観点から「それじゃオマエがやれ」 と言われるだけで、もしその代理人に無能力原因があれば 却って彼は保護されてしまう. (>無能力者でも代理人になる事は出来る) 他にも、代理人の責任追求にはその代理人自身の同意が必要と 法律構成されてしまう事案があったりする. つまり逆にそれだけ本人の結果責任は重い. それを無効として逃れ得るとしたら、激しい脅迫を受け意思能 力を失うような状況で代理人の選任を余儀なくされた・罷免す る方法も全くなく、その後もそうせざるを得なかったかったの ならともかく、といったところか。 大体、欧州大陸法の民法典を参考に日本の法が作られた その本場に行って厳しい事を言われて来たりするのは 当り前とも言える. だから今の皇室は政治的なものから極力距離を取り、祭り 上げられるのを避けている.
337 :
目のつけ所が名無しさん :2001/03/27(火) 15:59
民法の法律構成は一つの概念装置であり、モデルにすぎない というのは確かに聞こえは良いが、 しかし一方これも法律学者が恣意的に作ったようなものでも ない. 逆にこれに当てはめてみる事で得られる理解や評価・結論も 一つの有用な、すなわち単に日本の戦前戦後というスパンで なく近代以来の財産や人と人・その集団との関係・取引関係 というものの社会一般のありかたや常識によって成り立つ、 その意味で妥当性を持った理解であると言える。 従って問題はこういう理解が成り立ちうる事に対する疑念ではなく、 (そんな事は無力無意味であろう) 当然の蓋然性をもって既に成り立っていると考えるべき この世間一般の理解に対して、如何に反証などあげて肉づけし、 部分的にせよ覆せるのかどうか、に止まるのではないのか。 あの時はそうだったと言ってみたり、あまつさえそこに別の/ 日本独自の?価値観を持ってきてどうのこうのといえる余地は 多分ほとんど無いだろう・・と私は思う.
338 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 16:11
あのう、すんごい物知らずな質問ですいません。。。 昭和天皇って神武から数えると何代目なんですか?
339 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 16:20
なんで3ch?
341 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 17:24
「目のつけ所…さん」は,完全にイッちゃってる人ですね. さすが,2ちゃん.
342 :
村淳 :2001/03/28(水) 00:31
ごちゃごちゃいわんの。できるだけ多くの人に観て欲しい。なぁ今日子ぉ、あなたもそう思うしょ。
ズイブン燃え上がってるよーだし、オレもあっち側いってみよっかなー。 つーか 責任能力がなくて民法で言うところの無能力者みたいなもんだったっつー論証はまだ? 辞職権がなかったっつー論証はまだ? 忘れず資料だせよ!
345 :
日本@名無史さん :2001/03/28(水) 03:30
明治以降、天皇の存命中の退位はなくなったけど、 俺は、それは規則によりそうなったものだと思ってた。 ホントは、明文化された規則はないのかな? #存命中に退位すると、退位した元天皇が 反体制派に担がれたりする可能性があるため、 それらのトラブル防止の一環として、 存命中の退位を禁ずる規則が明治期に出来たと思ってた。
346 :
日本@名無史さん :2001/03/28(水) 04:23
347 :
吼えクマ喰う? :2001/03/28(水) 22:48
>>346 すばらしい資料!拝見しました。
となってくると、退位を言い出すことが違憲・違法って言うのはちょっと???ですよね、
東久邇宮や裕仁自身の場合。
348 :
346 :2001/03/29(木) 06:52
>>347 吼えクマ喰う?さん
>退位を言い出すことが違憲・違法
必要とあれば皇族会議で必要な条文の追加、改正は出来ると思います。
(第六十二条 将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ
皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ)
改正したうえでの退位ならば法的には問題ないと思います。
>>348 「ボク辞める」といって辞められない、ということですよね。
それって退位する権利じゃないでしょう。条文を付加する権利ですね。それもって退位権があったというのは強引でしょう。
反論のための反論やめません? 共産党みたいだし。
>>348 たとえば、現憲法では軍隊もつのは禁止されてるけど憲法改正する権利はありますね。だから軍隊は違憲じゃない、と言っているようなものですよ。
腰を折ってすみませんが、以前に明治憲法発布のときに 「庶民は天皇が絹の法被を下さる・・・」 という書き込みがありましたが、わたしも読んだことがあります。 たしか、司馬遼太郎の随筆じゃなかったかな。 もちろん一次資料は明らかではありませんが・・・ 面白かったので記憶に残ってます。
352 :
吼えクマ喰う? :2001/03/29(木) 10:22
あはは、なんか知らぬ間に吼えクマ多発してますね。
私は
>>335 の吼えクマですけど、楽しく読ませていただいておりますですよ。
>>350 さんの理屈は
「法律で禁止されてる→反すれば違法」
と言うのと
「法律に記載がない→記載ないことすれば違法」
という謎の理屈を
同列にしちゃってて、ちょっと強引ですね。
まあ誰かが摂政に立つ、ってのもありますよね、大正時代のように。
事実上の退位、とまで言っていいかどうかはわかりませんが。
>>268 言うところの裕仁無責任論の論拠
(1)参政権がない年齢だった。
(2)辞職権がない。言い出すことじたい違憲・違法。
その後の経緯
(1)
>>272 馬鹿正直な厨房の調査で瓦解
(2)
>>346 旧皇室典範の提出にうろたえ厨房の名を騙る。
厨房相手に「民法読め」とまで言って
その体たらくか。
354 :
日本@名無史さん :2001/03/29(木) 23:24
殻age
355 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 01:23
まず明治来の天皇制にはの2つの解釈があります。 1.天皇機関説、立憲君主説 「天皇は法人たる国家の最高機関であり日本の主権者ではない」 2.天皇親政説、天皇主権説 「国家の統治権は神聖不可侵の天皇にある。」 経緯としては ・明治期には穂積八束帝大教授らによる天皇主権説が主流であった。 ・大正期に美濃部達吉帝大教授らの天皇機関説がおこる。 ・機関説は、主権説派の批判をうけながらも殆ど「国家公認」の学説になったらしい。 ・昭和十年(1935)、貴族院本会議をきっかけに機関説排撃運動が起こる。 ・政府は国体明徴決議案を可決、美濃部著書を発禁処分、機関説を公式に否定。 ・昭和十二年(1937)、文部省「国体の本義」を発布、 日本を天皇を中心とする一大家族国家であると規定、天皇への絶対随順を説く。 裕仁は、美濃部の論を聞き「機関でもいいのではないか」と言っていたという話はあります。 「器官と置き換えればいいではないか」とか。実はちょっと違うらしいですけど器官と機関では。 しかし日米開戦時には既に天皇機関説は否定され、公式には、 主権者であるところの天皇という職務を規定されたわけです。 戦後の日本国の立場は、 大日本帝国憲法は、天皇主権説と天皇機関説という2面性をもって解釈されうるように 近代国家の憲法としては不完全なものであるし、 機関説の公式否定(発禁処分、「国体の本義」発布)によって 臣民統治の面では「天皇主権」の誤解をうけるような運用のされ方を許してしまったが、 実際の戦争遂行という面においては「天皇に実権はないものとして運用されていた」 よって「天皇には何ら政治的責任がない」というものだと思います。 こうした主張は木戸幸一を中心とした当時の天皇周辺の人々の共通の主張で、 現在に至るまで、「昭和天皇には政治責任を問えない」と言う場合の主な論拠となっています。
356 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 14:43
木戸日記での退位に関する記述ってこれでしょ? 別スレでみっけたんでコピペしとく -- 235 名前: 木戸の予想が当たったね 投稿日: 2000/11/26(日) 01:25 「陛下に御別れ申上たる祭にも言上し置きたるが、今度の敗戦については何としても陛下 に御責任あることなれば、ポツダム宣言を完全に御履行になりたる時、換言すれば講和条 約の成立したる時、皇祖皇宗に対し、又国民に対し、責任をおとり被遊(あそばされ)、 御退位被遊が至当なりと思ふ。今日の趨勢より見れば、或は之は難しき問題なるやも知れ ざれど、而し現在表面に顕はれたる過渡的の動きや、米国其他の諸国の思惑等は度外視し、 真理の示すところに従ひ、御行動になるが至当にして、これにより戦没、戦傷者の遺家族、 未帰還者、戦犯者の家族は何か報いられたるが如き慰(なぐさめ)を感じ、皇室を中心と して国家的団結に資することは頗(すこぶ)る大なるべしと思わる。もしかくのごとくせ ざれば、皇室だけが遂に責任をおとりにならぬことになり、何か割り切れぬ空気を残し、 永久の禍根となるにあらざるやを虞(おそ)れる」 (『木戸幸一尋問調書』(大月書店)より 木戸幸一の日記・昭和二十六年十月十七日付けから) 「臣茂」とか言ってご満悦の奴隷根性にどっぷり浸ってるどっかのオッチョコチョイよりも、 さすがに玉を担ぎ出した連中の孫とか裏天皇家の当主とかの分析は冷静で当を得てるな。 -- 祭は際?それとも昔はこう書いたのかな?
357 :
『マッカーサ一回想記-下-』より :2001/03/30(金) 14:48
私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不忠正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よくわかっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。 ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんなことをすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇が戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられることにでもなれば、日本中に軍政をしかねばならなくなり、ゲリラ戦がはじまることは、まず間違いないと私はみていた。 けっきょく天皇の名は、リストからはずされたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。 「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」 私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。
358 :
戦前の天皇制 :2001/03/30(金) 14:54
◇読んで痛ましい等身大の肖像
大正天皇について誰でも思い浮かべる逸話は、議会での「遠眼鏡事件」である。開院式に出かけた天皇が詔勅(しょうちょく)を読んだ後、くるくると巻いた詔書を透かして眺めた仕種がまるで遠眼鏡で覗(のぞ)いたように見えたという。
しかし、原氏はこの逸話にはどうも信憑性(しんぴょうせい)が乏しいと斥(しりぞ)ける。それどころか、大正天皇にまつわる事件は、ためにする話題が多い。自由闊達な天皇に危惧を抱いた山県有朋など元老たちが、明治天皇をモデルに裕仁皇太子(後の昭和天皇)を輔育するために大正天皇の「髄膜炎」をことさらに強調したのでは、というのだ。明治と昭和という二つの時代の幕間として目立たない大正の歴史相を考える上でも、あるいは天皇制の歴史的意味を分析する上でも、重厚な書物が出されたものである。
原氏は、明宮(はるのみや)と呼ばれた大正天皇が自分の言葉で意志をはっきりと示す人物だったと主張する。明宮は、体力が優れないにもかかわらず地方巡啓をいとわず、沖縄を除く日本全土をほぼ歴訪し、病院では不幸な患者に言葉をかけ、陸軍演習の見学から抜け出し突然旧友を訪れた。
妃として迎えた九条節子(後の貞明皇后)と琴瑟(きんしつ)相和して、明宮が順調に体力や精神を回復していくプロセスも感動的に描かれる。妃のピアノ演奏に合わせて子どもたちと一緒に唱歌を楽しむ光景などは、平成人の家庭よりもはるかに円満な風情を感じさせるほどだ。また、朝鮮語も熱心に学習し、李王家にも思いやりを示すなど、人としての優しい心根も月並ではない。
しかし、この明宮が何故に天皇になってストレスをつのらせたのであろうか。著者は、市民たちと自由に交歓することで気分転換をはかり、気質の上でやや不安定な精神の回復をはかっていた点を強調する。天皇に即位すれば、もはや一般市民はもとより高官とも普通の会話ができなくなる。しかも、周りには朋友有栖川宮、大隈重信や原敬といった寵臣がおらず、山県などウマの合わない重臣が明治天皇をしきりに理想化する。これでは、ストレスがこうじるのも当然であったろう。
しかも、むごいのは元老や近臣たちが大正天皇の病弱ぶりをしきりに流したことである。原敬暗殺の直後、一九二一年十一月の宮内省発表は、「御脳力の衰退は御幼少の時御悩み遊ばされたる御脳病に原因する」と、現代人の感覚でも相当な人権の無視を平気でおこなう。裕仁皇太子の摂政への道を準備するとはいえ、あまりにも露骨な表現であろう。政務が難しくなったとはいえ、天皇の意思を無視して侍従長が印鑑を持ち去る光景は、痛ましくなるほどだ。
原氏は、大正天皇という不幸な人物を等身大で描こうとしたのだろう。天皇制の賛否を論じようとせず、また善悪といった価値判断でもなく、歴史における個人の資質と役割について深いレベルで幅広い史料を渉猟(しょうりょう)しながら本書をまとめたのである。原氏は、大正天皇の死後、貞明皇太后が朝夕必ず天皇の画像を安置した部屋に入った事実を紹介する。秩父宮は、皇太后が午前中の大部分をこの部屋で「生ける人に仕えるように……」過ごしたと証言していた。こうして皇太后は、昭和になってからの約二十五年を生き抜いた。原氏は、「皇太后の頑ななまでの態度の中に、世間にすっかり定着した大正天皇の評価に対する、静かな、しかし毅然とした抵抗の意志が、まぎれもなく現れている」と結んでいる。あるいは、それこそ夫の早世を招いたシステムへの抵抗だったのかもしれない。
(毎日新聞2000年12月17日東京朝刊から)
http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2000/1217/05.html
359 :
戦前の天皇制 :2001/03/30(金) 14:54
歴史研究者の使命とは何かを考える時、決まって思い出すのは名著『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の著者、津田左右吉の言葉である。
「学問は決まつてゐることを決まつてゐるとほりに学び知るのではなく、だれにも知られなかつたこと、わからなかつたこと、考へられなかつたことを新に知り、考へ、きわめてゆくのであります」
「大帝」「名君」と呼ばれた明治天皇と国民から敬愛された昭和天皇の谷間にあって、真の姿を「だれにも知られなかった」大正天皇の実像を掘り起こした本書は、その見本と言っていい。
大正天皇といえば、帝国議会の開院式で詔書をくるくる巻いて遠眼鏡(とおめがね)のようにして議員席を見回したという「遠眼鏡事件」に代表されるように、病弱で無能の君主というイメージのみが流布されている。しかし、『原敬日記』などをもとに著者が“復元”した大正天皇像はまったく異なる。
溌剌(はつらつ)として全国を巡幸、家族の団欒(だんらん)を大切にし、きさくで人間味に溢(あふ)れていた。戦後の象徴天皇制の原型がそこにはあった。しかも大正天皇は「現人神(あらひとがみ)」としてカリスマ的権威を持った厳格な君主たる明治天皇への違和感をしばしば漏らした。
こうした言動は、牧野伸顕ら宮内官僚からみれば、近代天皇制の根幹を揺るがす危険性をはらんでいた。病弱のイメージのみを残し、真の姿が封印されたのは各国君主制の相次ぐ崩壊を目の当たりにした宮内官僚が、強い天皇を求めて強制的に「押し込め」たからにほかならない――というのが著者の結論だ。
大正天皇亡きあと貞明皇后は、朝夕多摩陵に向かって遙拝(ようはい)し、長い時間をかけて亡き天皇に祈り続ける習慣を一日も欠かさなかったという。
その姿に世間に定着した大正天皇評価への「静かで毅然(きぜん)とした抵抗の意志」をみる著者に、私たちは悲劇の天皇への溢れるばかりの思いを感じる。大正天皇論のパラダイム転換であり、大正研究史に新たな一ページが加わった。(朝日選書、1300円)評者・橋本 五郎(テレビキャスター)
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/20001210iii2.htm
360 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 15:06
なんでいきなり大正天皇なのかよくわかんないスけど(天皇制の話かな)、 こないだ新聞に載ってた(朝日だったか?)おつきの人の話によると、 遠眼鏡事件などと言われるが、あれは 丸められた文書のどちらが上かを確かめるために覗いた、ということらしい。 それを、新人議員が、面白おかしく言いふらした、と。
361 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 15:09
この天皇については、本書も指摘しているとおり、普通の日本人は「遠めがね事件」しかしらない。忘暮楼もこれしか知らない。そして、昔の日本人はすべてこの事件を知っていた。ところがこれがいつのことだったかというと塗炭にあやふやになる。大正9年40歳のときだという説もあれば、大正12年44歳の時のことだという説もあるが、公式の記録がなく軍配の上げようがない。しかも、詔書をくるくると巻いて「遠めがね」を作ったのは、気が触れていてではないらしい。著者は、 開院式に臨御された陛下が、詔書を朗読されたあと、それを丸めて、紫の袱紗をおいた三宝の上にお置きになったのですがね。どうも陛下は病気が進まれてからは指先が不器用になっておられたし、うまく詔書がまけなった。……それをそのままにして打っちゃっておけばよかったのですがね」 陛下は、うまく巻けたか、どうかと、もう一度それを手にとられた。やはり心配だったのだ。そして、ちょっとすかしてご覧になり、すぐに元の位置に戻された。 この何気ない一瞬の仕種が、下段の議員席から見上げると、まるで遠眼鏡で陛下が覗かれたように目に映ったのである。 というはなしを紹介している。どうも。このあたりが実際だったらしい。 実際、我々の持つイメージ(根拠はこの「遠めがね」)とは違って、嘉仁皇太子は相当行動的でかつ自由闊達な人物であったらしい。
362 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 17:35
>実際、我々の持つイメージ(根拠はこの「遠めがね」)とは違って、嘉仁皇太子は相当行動的でかつ自由闊達な人物であったらしい。 軍歌を大変お好みになられてご機嫌の良い日などはよく歌われたとか。 摂政を置くことに最後まで抵抗を示されたと聞いたことがあります。
363 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 19:39
天皇がたくさんいたんなら、能力に上下があって当たり前。 全員美化する右翼はバカ。
364 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 20:17
大正天皇・嘉仁が実は問題を抱えた人ではなく
「押し込め」られて実質上の退位に至ったという見方があることは、
昭和天皇・裕仁も、諸般の事情が揃えば「押し込め」が可能だった、ということになる。
だから少なくとも上の話がこのスレで出てくる文脈は、ウヨサヨとは関係ないと思うよ。どう?
>>363
365 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 21:26
行動的でかつ自由闊達な人物とは見事な人物像ですな。 小学生ん時のクラスメートの障害児、 まこと行動的でかつ自由闊達な人物でありました。
366 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 21:28
山下清みたいな感じでしょうか?
367 :
日本@名無史さん :2001/03/30(金) 23:31
大正天皇って、やっぱダメ?
368 :
王翦 :2001/03/31(土) 00:39
>358 「明治天皇記」を参考にすると誕生の際より全身に発疹があり、23日間 それが治癒せず、治癒した翌日には頸部にけいれんを起こし胸郭を衝逆す る発作がつづき養育担当の中山侯爵は「今後のこと甚だ恐懼に堪へず」と 報告する始末。 この発作は12月まで続く。この後も病気に関する記述がいっぱい。 この発作について大正10年10月4日の宮内省発表では「御降 誕後三週目を出でざるに脳膜炎様の御疾患に罹せられ、且つ御生長の時期 より御成年後に於いてもしばしば御大患を御経過遊ばされ・・・」とある が、それまで3回在った発表では糖尿、坐骨神経痛、疲労と発表されてお り、それも快方に向かいつつあると発表している。 その後の発表は天皇は病気であっても政務を親裁されていると、その 御聖徳を讃えている。 それゆえ、11月25日の「すべて御脳力の衰退に原因し、御脳力の 衰退はご幼少の時・・・」云々の発表に侍従武官四竈大佐は変節と表現 の露骨さに激怒している。(「芙蓉書房刊「侍従武官日記」参照) >358 の文を読む限りでは、原氏の元老、近臣観には賛同し難いな。 ましてや「現代人の感覚でも」に至っては論外。人権団体や言葉狩り政党 が跳梁跋扈する現代の感覚で過去を推し量っても不毛だと思う。
369 :
吼えクマ :2001/03/31(土) 01:45
王翦さん
>>368 >>368 は、毎日の書評になんだから恣意的に書いてあるのかも知れないですよね。
朝日選書の実物を読んでみないと、原氏の元老、近親観を云々するのは尚早なんじゃ?
オレも明日、本屋行って見ようと思うけど
370 :
日本@名無史さん :2001/04/01(日) 02:41
かつage
371 :
日本@名無史さん :2001/04/01(日) 02:47
後白河法皇や後鳥羽上皇、後醍醐天皇など、 日本では、天皇が戦争責任をとらないのが伝統だ! 部下が必死に戦って死んでいるのに、敗戦後ものうのうと生きている 戦争指導者なんてクソだ!
372 :
日本@名無史さん :2001/04/01(日) 04:06
訴 状 原告 徳 川 宗 家 東京都××区××1−2−3 被告 皇 室 代表者 明 仁 東京都千代田区1−1 請求趣旨)1.被告は原告に対し、その不法占拠する土地を返還せよ 2.返還に至るまでの地代相当の不当利得の賠償をせよ との判決をもとめる 請求原因)被告は西暦1867年、不法にも武力をもって本件原告の 所有する土地(被告所在地に同じ)を脅迫・恫喝のうえに 占拠し、事後不逞の輩を多数集来せしめ、新興宗教までぁ ゃιげに開立しはじめており、原告の利用・占有をまった く不可能ならしめている状態が今日に至るまで継続している。 よって、本件につき係争土地の所有権に基づく返還、 利用料相当額1200億円を請求する。
373 :
日本@名無史さん :2001/04/06(金) 15:31
週末だしageてみるか
374 :
【^▽^】ペンギン :2001/04/06(金) 15:33
昭和天皇は平和主義者でした。
375 :
日本@名無史さん :2001/04/06(金) 22:26
前にresponsibillityというのが出てきたが、 accountabillity(責任:説明責任)と捉えてみてはどうか?
376 :
日本@名無史さん :2001/04/06(金) 22:34
昭和天皇は「欧米本位の平和主義」者でした。 すなわち反日売国奴でした。
377 :
日本@名無史さん :2001/04/06(金) 23:02
昭和天皇…英国留学で欧米かぶれと化した南蛮風売国奴 明仁天皇…バイニング夫人に洗脳された護憲売国奴 皇太子…キャリアウーマンの奥さんの尻にしかれるフェミ売国奴 秋篠宮…皇籍離脱も辞さないサンジカリスト売国奴
378 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 00:19
天皇をもって売国奴とか言う奴の気がしれん。 我々は天皇の赤子であることに変わりはないのだから。 陛下の思召しであれば、国体が護持されるのであれば (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
379 :
名無し組 :2001/04/07(土) 00:31
日本は神の国じゃ
380 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 00:33
近衛文麿「主上、このあたりでそろそろ・・・」 主上「特攻隊も頑張っているみたいだから、もう少し戦果をあげてから・・・」 結果 沖縄、広島、長崎、シベリア まともな情勢判断が出来ない国家指導者をいただいた国民ほど悲惨なものはない。 でも、「御一人」や「国体」は安泰だったから、一銭五厘の価値しかない虫けら どもが数万のたれ死んでもいいか・・・
381 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 00:34
382 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 00:38
ヒロヒトはムッソリーニと同じようにパルチザンに処刑されるべきだった。
383 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 00:40
384 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 00:44
385 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 02:54
どっちにしても明治以降の天皇は欧米の手先だよ(藁
386 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 03:04
昭和天皇は、親英派で大東亜解放戦争の発起をためらった上、 勝手に聖戦を投げ出したアングロサクソンの手先。 その弟の秩父宮も、欧米の手先の蒋介石と妥協しようとした。 売国奴兄弟は日本から出ていけ!!!
387 :
ダイコクテンマオウ :2001/04/07(土) 03:07
あkcjsk。fはえSIUHFうL>KASfuck
388 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 03:19
日本は神の国だから天皇には神罰がくだるのです
389 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 06:29
八百万の神の怒りが、 欧米に魂を売った天皇を直撃するわけか。 いやいや、それに加えて、攘夷主義だった孝明天皇の怒りも、 その志に背いた子孫にくだるだろう。
390 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 07:46
皇祖皇宗の御意志に逆らった 売国奴の昭和天皇をさらしあげ。
391 :
軍部が悪 :2001/04/07(土) 07:51
一番悪いのは、正しい情報を伝えなかった東条英機をトップ とする日本の軍部でしょう。 昭和天皇が、ムッソリーニやヒトラーの様に自ら独裁者として 対米・対中戦争を煽ったというなら別ですが。 形としては当時は立憲君主制だったわけですし。統帥権、軍人勅 諭や教育勅語による天皇の現人神化は、軍部とそれに結びついた 一部政治家の責任ではないでしょうか。
392 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:01
正しい情報は把握してたんだって。 それはもう常識よ。
393 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:03
個人的には好きな学者ではないが、 吉田裕なり山田朗の本を読んでみなはれや。 この2人は、天皇を悪く言い過ぎだが、 情報を正確に把握していたことは論証されている。
394 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:31
>形としては当時は立憲君主制だったわけですし。 当時は立憲君主制とは名ばかりの絶対君主制だった。 明治憲法では主権は天皇にあり、陸海軍の統帥権も天皇にあった。 故にヒロヒトこそ侵略戦争の最高責任者であるのは明白だ。
395 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:33
アメリカ人はよくヒロシマ・ナガサキの原爆のおかげで 戦争終結が早まったと信じているけれど それは全然根拠無いよね
396 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:40
広島・長崎のおかげでヒロヒトは命拾いした。 もし広島・長崎がなければ、日本は戦争をやめるタイミングがなく、 本土決戦に突入しただろう。 そうなれば米軍の戦死者もさらに多数に上り、 戦後米国内の世論は絶対にヒロヒト免責を許さず命もなかった筈だ。 まさにヒロヒトにとって原爆は天の恵みだった。
397 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:47
新型爆弾(原子爆弾)が広島に落とされたことについては 迅速かつ詳細な報告を天皇は受けている。 だがそれにもかかわらず いわゆる「ご聖断」の会議で天皇が述べた理由の中には 原爆の話はでてこない。 天皇があげている理由のもっとも大きなものは 本土決戦にそなえて九十九里浜に建設中の要塞の建築が遅れているから これ以上戦えないというものであった。 まさか要塞の建築さえ順調にすすんでいさえすれば彼は本土決戦をやる気で いたとは思えないが(赤色革命が起こり退位させられるかもしれないと いうことを天皇はもっとも危惧していたので、本土決戦など論外であろう)。
398 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:48
天皇にとっては原爆は戦争をやめる理由にはならなかったのだよ。 これは彼の発言からも裏付けられている。
399 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:55
天皇の意志はともかく軍部が「ご聖断」を容認したのは、 原爆投下があったからでしょ。 原爆に対する恐怖がなければ、軍部はあくまで本土決戦を主張し、 「ご聖断」を認めなかったでしょう。 やはり結果として原爆は天皇の命を救ったのである。
400 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 08:58
昭和天皇は国民本位のものの見方がまったくできないひとだった。 しかし山田の本が指摘するように、軍事的・戦略的才能にはめぐまれていた。 自分本位で国民のことをかえりみない性格の男が、狡知にはたけていたから 国民はたまったものではない。欠徳の君主をいただいてしまった国民ほど 不幸なものはない。
401 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 09:09
>400 そうだとしたら、あの男はとんでもない奴だな。 俺は益々あの男が嫌いになったよ。
402 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 09:14
幼少の時から「あなたは神様なのよ」とおだてられて育てられれば、 人間は誰でも常人では理解出来ないような感覚の持ち主になるでしょう。 昭和天皇が人格欠陥者になってしまったのは、やむを得なかったのかもしれない。
403 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 10:13
自作自演は疲れる。ま、もうちょっとがんばるか。
404 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 16:52
日本が降伏したのは最期の頼みの綱だったソ連が参戦したからだろ?原爆で何人死のうがどうでもいいことだよ。 講和の仲介者(日本だけの妄想だったが)いなくなったからポツダム宣言受諾したんだ
>>404 そのとうりだよ。原爆投下を正当化させる為の米国の言い分を
まにうけてはいけません。
406 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 00:03
どうやらヒロヒトが人格欠陥者だったのは間違いないようだな。
昭和天皇は,御前会議で,阿南陸相案を斥け東郷外相案を支持する決定をくだした. いわゆる「ご聖断」である.そのとき彼が述べた理由は,つぎのとおり. 「従来勝利獲得ノ自身アリト聞イテヰルガ今迄計画ト実行トガ一致シナイ、 又陸軍大臣ノ言フトコロニヨレバ九十九里浜ノ築城ガ八月中旬ニ出来上ル トノコトデアッタガ未ダ出来上ガッテヰナイ、又新設師団ガ出来テモ之ニ 渡スベキ兵器ハ整ッテヰナイトノコトダ。コレデハアノ機械力ヲ誇ル米英 軍ニ対シ勝算ノ見込ミナシ。」 天皇が心配したのは関東平野に米軍が上陸することであり原子爆弾ではなかった. 大元帥としては,この判断は,これでもいい. だが…君主の発言としては,なにか大切なものが欠落しているように思えてならない…
408 :
王翦 :2001/04/08(日) 01:52
>>407 外務省編纂「終戦史録」に収録されている保科メモだとその部分だけ
しか理由が記されてないけど、原書房刊「大東亜戦争秘史」という保科
中将の回想記にはもっと詳しくメモが引用されていたりする。
「朕は連合国への回答については外相と同一の考え方である。朕は皇
室と人民と国土とが残っておれば国家生存の根基は残る。是れ以上望み
なき戦争を継続することは元も子もなくなる虞れが多い。我彼の物力、
内外諸般の情勢を勘案するにわれに勝算はない。」
このあとに >407 で紹介されている文章が来て、さらにその
あとに
「朕の股肱たる軍人より武器を取り上げ又戦争犯罪人として連合国
に引き渡すことは誠に忍びないが、明治天皇の三国干渉時の御決断に
ならい大局上忍び難きを忍び人民を破局より救い世界人類の幸福のた
めかく決心する」
と続きます。
原爆もソ連参戦も「内外の諸般の情勢」に含まれていると思います。
409 :
王翦 :2001/04/08(日) 01:53
>>407 外務省編纂「終戦史録」に収録されている保科メモだとその部分だけ
しか理由が記されてないけど、原書房刊「大東亜戦争秘史」という保科
中将の回想記にはもっと詳しくメモが引用されていたりする。
「朕は連合国への回答については外相と同一の考え方である。朕は皇
室と人民と国土とが残っておれば国家生存の根基は残る。是れ以上望み
なき戦争を継続することは元も子もなくなる虞れが多い。我彼の物力、
内外諸般の情勢を勘案するにわれに勝算はない。」
このあとに >407 で紹介されている文章が来て、さらにその
あとに
「朕の股肱たる軍人より武器を取り上げ又戦争犯罪人として連合国
に引き渡すことは誠に忍びないが、明治天皇の三国干渉時の御決断に
ならい大局上忍び難きを忍び人民を破局より救い世界人類の幸福のた
めかく決心する」
と続きます。
原爆もソ連参戦も「内外の諸般の情勢」に含まれていると思います。
410 :
王翦 :2001/04/08(日) 03:09
多重送信になってしまった・・・(陳謝) >407 で紹介されてるあのくだりだが、陸軍軍務局の「機密終戦日誌」(参謀本部所蔵 「敗戦の記録」原書房刊)ではまったくふれられていない。 わかりやすいよう平仮名と新字で引用すると 「ここに於いて 陛下は原案に同意せられ、我彼の戦力の懸隔上、この上戦争を 継続するも、いたずらに無辜(むこ)を苦しめ文化を破壊し、国家を滅亡に導くも のにして、特に原子爆弾の出現はこれを甚だしくす、依って終戦とする。」 このあとに戦争犯罪人として引き渡すのは忍びない云々が続きます。 海軍軍務局長たる保科中将のメモではふれている九十九里浜の築城の不備の 指摘を陸軍軍務局長の吉積中将は記したくなかったのでしょうか? そもそも、裕仁陛下のあの指摘は、あの会議に於いて阿南陸相が「充分戦い をなし得る自信あり。米国に対しても本土決戦の自信あり」と主張し、それに 対し梅津参謀総長が「陸相の所見に全然同様の所見なり。本土決戦に対しては 準備は出来ている」と主張していたので、あの二人を説得するために殊更とり あげたのだと思う。
411 :
Cipher :2001/04/08(日) 13:32
言葉の一部を自分の都合の良いように抜粋して使うのは情報操作の基本
412 :
【^▽^】ジョーカー :2001/04/08(日) 14:51
我々はまだ、昭和天皇の事ではメンタルブロックされてんだよ。 下血騒動の危篤状態の時は笑ったが、崩御した時は泣いたからな。
413 :
吼えクマ喰う? :2001/04/08(日) 15:54
しばらく来ない間に、また違う雰囲気になってて楽しませていただきました。 なかなか面白そうなので、また暫く「吼えくまく」わずに言ってみたいと思います。 さて。 少なくとも終戦時までの裕仁には、 ・日本という国土、三種の神器、臣民は、皇祖より代々受け継いできた天皇家の資産である。 ・自分はこの資産を、自分の子孫たる将来の天皇たちに守り継ぐ義務を負っている。 と言う裕仁の一貫した意志が読み取れる。 こうした意志の基づき、裕仁は天皇という曖昧な位置から 出来得る範囲・手法を模索しながら、かなり積極的に政治に関わろうとしていた、 ということは、たとえば「昭和天皇独白録」を読むだけでも、明白にあらわれている。 裕仁が「べトー」を決して言わなかった/言ってはいけない、と考えていた、と言う言説があるが、 こうした上秦の手前には、きちんと内秦を経るというシステムが機能していた。 内秦そのものは、下問という質問の形でしか行われなかったにせよ、 それはディテールへの言及のみならず非常に根本的な上秦・内秦内容への疑問提示が行われていたことから、 閣僚たちへの「圧力」として十二分に機能していたと言わねばならない。 また閣議そのものへのベトーを言わなかったにせよ、 組閣などの人事に関しては、西園寺や木戸らの側近と諮りながらではあるが、 非常に大きな発言権を持っていたと言わねばならないだろう。 こうした現実は、決して裕仁による専制政治という結論には結びつき得ないから、 戦争の責任を全て裕仁に負わせようとする主張は無意味である。 が同時に、裕仁を全ての責任から免責するという結論にも結びつき難い。 そもそも大日本帝国憲法下においては、日本国民として天皇たる裕仁の責任を問うことじたい不可能であり違憲である。 これに対し、天皇制度や憲法そのものが誤っていたのだから天皇に責任を問える/問えない、と言う立場でものを言う人もあるが、 実際には憲法および天皇制度は、日本国民が変更しなかったと言う意味において、日本国民自身の選択によるものであるから 問題のすりかえ、自分自身の責任からの逃避に他ならないだろう。 戦後の日本国憲法においても同様で、たとえ連合国側から押し付けられた象徴天皇制、憲法であろうとも、 押し付けられたこと自体で、「これは日本国民の選択によるものではない」という責任回避の主張は、既に時効を過ぎた。 よって我々は、この憲法と象徴天皇制を選択したことを出発点として、あらためてここまでの問題を捉えなおさなければならない。 つまり、裁きや法的責任という枠組みの中ではなく、あの戦争、そしてあの/この国家の構成員としての責任を背負った上で 人間としての裕仁の業績や行いを捉えなおし、彼がそのresponsibillityやaccountabillityを果たしたか、と言う議論が、 我々が象徴として位置付けている天皇を通して、日本がこれからあるべき道、我々個々の行うべき道を導きだすことになると思う。 今日、すでに戦後の第3世代が誕生しはじめ、それこそ彼らに現在の巨大借金財政のツケが回されかねない状況において、 未だに戦争補償問題が解決していないという状況がある。 これは単純に金を払っていない、と言う意味ではなく、払うべきでない要求があれば、 その根拠をきちんと説明できる言説を、これまでの世代が形成し得なかったということである。 私自身、戦後の第2世代にあたるので、こうした状況はほとんど「寝耳に水」に等しいが、 このままこの状況を、私たちの子孫に引き渡してしまうような無責任があってはならない、と思う。
414 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 00:31
ああいう雲の上の人たちが我々下々の者のことを考えてるなんて大ウソだよ。後醍醐しかり後鳥羽しかり。 自分の身が危なくなると周りのものに責任を押しつけて「朕は知らぬ、奴らに騙されていたのだ」と繰り返すだけ。
415 :
【^▽^】ジョーカー :2001/04/09(月) 00:35
天皇陛下は神様です。
416 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 01:15
>>413 おもしろい。まあおおむねそのとおりだと思う。
天皇は車の持ち主が自分の車を可愛がるのと同様に、
天皇制を持つ日本という国と、その国民のことを案じていた。
しかし、それをその程度だったといって非難することは難しい。
なにせ、国民から試験で選ばれたエリートである陸海軍幹部は
自分の組織の論理のために、国家と国民を滅亡に追い込もうとしたのだから。
成り上がりの責任感は所詮自分の一生の努力に対してのもの。
天皇家が背負っている千数百年の伝統はそれよりはるかに重い。
417 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 03:24
age
418 :
【^▽^】ジョーカー :2001/04/09(月) 14:38
日本は天皇の国なのだから、天皇の自由だろうが。
419 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 14:53
うむ。実際ヒロヒトはそう思っていたのだろうね。
420 :
【^▽^】ジョーカー :2001/04/09(月) 15:04
418の補足:それが気に入らない者が外国に行くなり、 黄泉の国に逝くなりする事もまた自由。
421 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 15:46
がんばれ葦原将軍!!
422 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 16:15
戦争をおっぽりだした責任だろ? 裏切り者だよな、死刑相当だろうよ。
423 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 21:19
424 :
【^▽^】ジョーカー :2001/04/09(月) 21:23
裕仁は少なくとも退位すべきであった。
425 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 21:27
戦没者を裏切りアメリカに媚を売った売国奴ヒロヒト。
ジョーカーさんって何人かいるわけ?それとも多重人格な方?
こうなりま〜す
428 :
日本@名無史さん :2001/04/10(火) 21:47
わかんないや。
429 :
日本@名無史さん :2001/04/11(水) 22:52
わちきも読みすぎてるからな。
>>413 吉田 裕の説はいいよ、お主はどうなんだ!!
みなの衆、
>>413 なんてのは
昭和天皇の終戦史 吉田 裕著 岩波新書
の剽窃だぞ。
シッタカしてんじゃね〜よ。
430 :
日本@名無史さん :2001/04/11(水) 23:00
>429 読んだけど、気持ち悪いくらいのこじつけが多い。
431 :
日本@名無史さん :2001/04/11(水) 23:37
>>429 同感だな。
シッタカ厨房が多い。
もっとも、ここにそれ以上を求めることが間違いなんだろうけど。
どこかのスレに、文献の引用を附してるのがあったけど、それが当然なんだけどね。
まあいいか。
432 :
吼えクマ喰う? :2001/04/11(水) 23:42
ごめんよ
>>429 オレ、それ読んでないよ。明日買って読むよ。
でもこじつけ多いんだろ
>>430 ? やだなぁ。
なんか、天皇とか戦争とかの本ばっか買うんで、
本屋でへんな目で見られんだよ、最近。
で、読みすぎてる「わちき」さん、
あんたの説はどうなのよ。
聞かせてくれんだろ〜ね?
吉田裕って極左過激派の集会とかに出る人。 あの連合赤軍の永田も「昭和天皇の終戦史」を 獄中で読んでるそうだ。
吉田裕って極左過激派の集会とかに出る人。 あの連合赤軍の永田も「昭和天皇の終戦史」を 獄中で読んでるそうだ。
435 :
吼えクマ食ってる? :2001/04/12(木) 02:08
読みすぎの「わちき」さん、もう寝てらっしゃるかしら?
>>429 さっきはムチャ逝ってすみまそん。(
>>432 )
コピペでかまいませんので、ぜひ、
あなたのっぽい説をよろしく、です。
あなたの説みたいな説でも、一向に構わないのココロ。
>>433 永田って、あの恐い女の人っすよね?
436 :
わちき :2001/04/12(木) 07:28
Ken Kaikouではないが「知る悲しみ」っていうやつだな。 結論guiltyだな。 戦争関与という意味合いにおいてだ。 どんなに明治御製をひこうが、そうだ。 但し、ポイントを少しずらせば、それも脆弱なものだ。
437 :
日本@名無史さん :2001/04/12(木) 09:18
ギルティーはママの味。
438 :
相互リンクちゃん :2001/04/12(木) 10:40
439 :
吼えクマ食ってる? :2001/04/12(木) 15:11
>>436 え、それだけ? あそ。
吉田裕「昭和天皇の終戦史」買ったよ。
まだ斜め読みだけど、この人、
『独白録』は史料というより天皇に責任はないことを
後付けで言い訳しようとしたもの、って言いたいの?
どこに
>>413 が『剽窃』してる箇所が出てくんのかなぁ。
ちょっと教えてよ、読みすぎさん。
何読みすぎてんの、ところで。
吼えクマさん、また厨房煽る癖でてますよ
441 :
ヨシフ :2001/04/12(木) 16:56
天皇の戦争責任はあるだろう。 っていうか2・26事件をつぶした責任があると思う。 2・26のクーデターが成功していれば、日本はずっと良かったと思う。 秩父宮の方が、英明だったんじゃない。
442 :
: :2001/04/12(木) 17:11
443 :
ヨシフ :2001/04/12(木) 19:16
戦争責任って、やっぱ日本の歴史に対する責任じゃない? 日本@名無しさん。 大体、戦争が悪とか正義とかいう議論はくだらねぇし、俺興味ないけど、負け戦には責任があるだろうよ。 そりゃ、アメリカと同じ程度には日本にも言い分があって、正義もあったっていっても、戦争は勝たなきゃ意味が無い。 300万人も同朋が死んで、それで以って一度も外国の支配を受けたことの無かった万邦無比の日本の歴史に、初めてアメリカ軍の占領という泥を塗って、今もって米軍基地があちこちにあってろくに独立もせず、ってろくでもない状況を生み出した責任は、先帝も当時の元老重臣もすっげーあると思う。 石原莞爾や北一輝という、日本が勝つためにどうすればいいかということを考え抜いてた人々を、疎んじたり処刑したりして、んで、東条みたいな小人を重用したところに、先帝の責任はやっぱあるんじゃねぇか?
444 :
ヨシフ :2001/04/13(金) 15:15
おいおい、誰か俺の意見にもレスくれ!
445 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 17:24
>>444 それじゃお言葉に甘えて。
つまり、会社がつぶれた時や野球監督が負けて辞めるなどのいわゆる一般的な社会
的責任のようなものかなあ。ただ「負け戦」自体の責任を問題にすると、今度は
外国を刺激するんじゃないからかなあ。
つまり「何で負けたんだ!責任者を処分しろ、で、反省して…それで今度は勝とう」
という話になるからでは?
446 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 23:25
失礼だがヨシフ氏は石原と北を 過大評価し過ぎだ。 二人とも独創的な思想家の面があったのは認める。 一種の英傑ではあったが、石原は満州事変を引き起こした 犯罪人だ。石原、板垣らは 天皇の統帥大権を侵した罪で極刑に処すべきであった。 ここで踏み止まっていれば、まだ何とかなった。 政府が最後に事後追認してしまってから 全てがおかしくなった。それに石原の最終戦争論は 米英と戦うは歴史の必然との雰囲気を醸成する一因となった (と私は思っている)。 北も同じ。石原と同じく法華経懸かりの 独断的な主張で青年将校達を煽った。 2・26では事件発生後反乱軍を陰で支援 憲法秩序を破壊するのに一役買った。 東條が「小物」というのは同意だが 石原や北を以て東條に代えるべきだとは思えない。 従ってこの点に関しては昭和天皇に責任なし。 石原が敗れたのは陸軍官僚組織内の問題であり 天皇は無関係。死刑の判決が妥当かどうかはともかく 北は自ら支援した反乱の罪を法により問われたに過ぎない。 これまた先帝とは無関係。
447 :
ヨシフ :2001/04/14(土) 03:19
>>446 ありがとう。 確かにそうかとも思う。 でも、やっぱ東条よりはマシだったんじゃない? 陸軍官僚組織内の問題ってのもその通りなんだけど、先帝が東条を信頼してて、石原を警戒してたのは、独白録からも言えるんじゃない? 石原が中国の反日ナショナリズムを軽視してたことは認める。 でも、満州国には、一刀両断に切り捨てられない複雑な事情があるんじゃない?すでに日本人が20万人ほど満蒙に住んでたわけだし。 それに、アメリカとの戦争はどこまで避けられたんだろうか? そりゃ、避けれたんなら避けた方がいいに決まってるが・・・。 また、北は、やっぱあの時代に、治安維持法の網の目をかいくぐって、農地改革と財閥解体を主張してたのはすごいと思うんだけど。法華経がかりと、簡単には切り捨てられないんじゃない?
アメリカってモンロー主義だよ、基本的には。 この基本的性格を否定するのは難しいっしょ。 第二次大戦を経て自らの力に気付き、いろいろ介入するようになったけどね。 が、それまでは孤立主義・不干渉主義。 第二次大戦後も中国の内戦には参加してない。
449 :
ヨシフ :2001/04/16(月) 12:50
>448 なるほど、基本的にモンロー主義ってのは納得。 しかし、セオドア・ルーズベルト以来、日本を仮想敵国にしてたのは事実でしょ。 毎年、対日軍事作戦を練ってたわけだし。 それに、フロンティア消滅後、日本を敵視し、排日移民法をつくってきてたのも事実でしょ。 日英同盟を破棄させたりもしたし。 やっぱ、日本を潰すつもりもあったんじゃない?
>>440 マジっすか?すまんです。
ちょっと別のスレにハマってたですが、またそのうち戻るつもりなんで、ヨロシクです。
読みすぎさんも。
>>439 ってまた煽ってみたり
451 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 22:19
選挙のある国で国民がその気にならなきゃ 戦争なんてできっこない。 昭和16年の翼賛会選挙で選挙民がこぞって 反戦議員を当選させれば戦争になる訳なかろう。 天皇の責任がどこにあるんだ?
452 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 22:24
昭和16年の翼賛会選挙に出馬した反戦議員って誰?
>>451
453 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 22:26
>451 昭和16年の翼賛選挙が民主主義的な選挙と言えるわけないだろ。 すでに治安維持法で特高が国民の思想信条を厳しく監視していた。 そんな状況下の選挙で反戦議員が当選出来る筈がない。
454 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 22:35
>選挙のある国で国民がその気にならなきゃ >戦争なんてできっこない。 完全に民主主義的な選挙、即ち言論の自由、思想信条の自由、結社の自由、 などが保証された上での選挙なら、あなたの言う通りだけど、 昭和16年の翼賛選挙はこうしたことが一切認められていなかった。 やはり戦争に至った責任は軍部とヒロヒトにある。
455 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 22:49
違う、戦争は国民の意思だ。 それは国民が戦争したかっただけだ。 本当にいやなら選挙民全部棄権すればよい。 多数決でそうならなかった。
456 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 23:09
>>455 君は世間を全部敵にしても自分の意志を通せるか?君の家族は非国民の家族になると泣いているぞ!
ほら、特高が盗聴してる。近所の白い目に耐えられるか?
457 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 23:35
それは、国民の意思は戦争賛成って証拠なの。 そんな証拠を挙げられてもなぁ・・・ もし逆の状態(戦争反対が国民の多くを占めるなら) 特高は戦争賛成派を検挙する。
458 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 23:43
特高って誰の指示で動いてたか知ってるの?
>>457
459 :
日本@名無史さん :2001/04/16(月) 23:44
ほんとに民主主義だったと思ってるのかなぁ、この人?
460 :
王翦 :2001/04/16(月) 23:44
>>453 昭和17年4月30日の翼賛選挙において翼賛政治体制協議会の推薦
を受けていない尾崎行雄が露骨な圧力にも関わらず当選しています。
尾崎は選挙運動に於いて「売家と唐様で書く三代目」という川柳を引
用し過去を回顧しながら立憲政治の本旨を説いたのだけれど、三代目が
裕仁天皇を指し不敬であると投票日1週間前に取り調べを受け留置。翌
日釈放されたけど、不敬罪で起訴されている。
このいわゆる翼賛選挙は翼賛政治体制協議会非推薦候補に対し、内務
省、憲兵隊のみならず、翼賛壮年団、在郷軍人会、警防団などが激しい
選挙妨害を行い、当選者のうち非推薦候補は20%に満たなかった。
抑圧は主に特高を中心とした内務省系統によるもので、憲兵によると
されるはっきりした事例は親軍的候補への資金援助と芦田均への圧力ぐ
らいとされる。
逆に言えば、親軍的でない候補が居たということだな、これは。
出典 第一法規出版刊 三宅正樹、秦郁彦、藤村道生、義井博 編
「昭和史の軍部と政治」第4巻
461 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 00:12
私は日本人の特徴に事大主義をあげたい。 大につかえるんだ。 勝ち馬に乗るというか・・・ 当時の勝ち馬は戦争推進派だった。 そして多くの国民がそれにおもねた。 天皇の責任より国民の責任が大きい。
462 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 00:20
>>461 国民がおもねった事大主義はいいけどさ、
天皇の責任より国民の責任が重い根拠になってないよ、
電波く〜ん!
463 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 00:22
>それは、国民の意思は戦争賛成って証拠なの。 >当時の勝ち馬は戦争推進派だった。 >そして多くの国民がそれにおもねた。 >天皇の責任より国民の責任が大きい。 そうは言っても、国民は明治以来の歴史洗脳教育、 即ち神功皇后の三韓征伐、豊臣秀吉の朝鮮征伐などを通じて、 アジア蔑視の侵略思想を吹き込まれていたからね。 近代国民国家形成の為に明治政府は、幕末以来の尊皇攘夷思想、即ち排他的な排外思想を煽ったんだろ。 江戸期の庶民層にはそんな侵略思想やアジア蔑視思想などはなかったのにね。 それを考えると、やはり国民よりも天皇を中心とした政府や軍部の責任が重いと思うよ。
そんなこと言ってると吼えクマがでるぞー
>>461 -462
465 :
王翦 :2001/04/17(火) 00:39
>>458 昭和17年の翼賛選挙に関して言うならば、選挙公示前の準備段階時
の内務大臣は東條英機首相が兼任していました。
2月17日をもって内務次官の湯沢三千男が内務大臣となり、選挙の
際の特高の最高責任者となっています。
東條メモによると「・・・来る可き総選挙に於て翼賛選挙の実を発揮する
如く措置する為には専任内相を置くを適当と認めたるに依る」とあります。
「選挙後の政治結集」を目的とした東條首相の布石の一つとみて良いでし
ょう、この内相人事は。
466 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 00:40
しかしね政府や軍を含む役人は国民で構成されてるの。 天皇じきじきに国民を洗脳したの? 違うでしょ。戦争反対のヒロヒト天皇の東條起用は 最後の賭けだった。その東條のもとへ 「戦争やれやれ」の手紙が何千通と届く。 困っちまうわなぁ・・・
467 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 00:58
>しかしね政府や軍を含む役人は国民で構成されてるの。 >天皇じきじきに国民を洗脳したの? 政府の指導層にいた連中と一般国民をいっしょにすべきではないだろ。 戦争責任のある軍部や高級官僚は、一般国民とは言えない。 なお、選挙についていえば、当時は女性には参政権はなかった。
468 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 01:11
いや、この論議は国民と天皇とどちらの 責任が重いかというものである以上指導者も 国民側が妥当。能力さえあれば一庶民が 将官になれる。帝大を卒業して高級官僚になれる。 おっしゃる通り、女性はその限りでないので除外。
469 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 01:16
蛇足ながら、当時の軍人は選挙権はない。
470 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 01:28
>468 「国民」を一括りには出来ないだろ。 政府の中枢にいて戦争指導に直接関わった軍部や高級官僚もいれば、 侵略戦争に反対して特高に検挙された無産政党員もいた。 つまり「国民」にもさまざまな立場の奴がいたのに、 戦争責任は天皇より「国民」の方が重いとは一概に言えない。
471 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 01:32
>468 だいたい、なんで天皇と国民に二元化して考えるわけ? 天皇も一人の人間として、あるいは一人の日本人として議論すべきではないか。 誰が責任が重いかを考えるのに、「天皇」と「国民」とに分けて考える必然性はない。
472 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 01:50
洗脳教育って表現、どうにかならないかい? 教育ってそもそも洗脳だ。 国の税金で行われ、国が教育方針を決める。 その国は、国民の代表者によって形成されてた。(疑問もあるが、形式的に) その教育が嫌なら、親自身で再教育すれば言い訳だしね。 やっぱり、中道左派や中道右派が極左扱いされた ことが一番の問題だと思う。 それと、切腹哲学も。
473 :
ヨシフ :2001/04/17(火) 13:46
いや、だからさぁ、俺は日米戦争は避けられなかったと思うわけね。 で、勝つために最善を尽くせなかったってことが、天皇や当時の指導者の責任と思う。 国民に責任ってのは、ないと思う。 むしろ、天皇が中途半端に新英米的な態度を固守しつづけ、断固たる国内改革と対外戦争を準備しなかったのが問題なのではないか?
474 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 13:55
日米戦、戦えば必ず負けだろ。
えらい厨房だな。田原の同類か? しかも愛嬌がないので相手したくないな、誰かさん。
476 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 14:18
徳川慶喜の罪は重い。
477 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 15:07
薩長の罪はもっと重い。
478 :
ヨシフ :2001/04/17(火) 15:56
>474 必ず負けるって、戦い方にもよるだろうよ。 それに、負けるにしても、あんな壊滅的な戦い方ではなく、他にましな戦い方がなかったか考察するのは意味があるんじゃない? 空軍を昭和11年の段階で2・26の将校が言うようにつくって、増強していれば、ミッドウェーも楽勝だったと思うよ。
479 :
日本@名無史さん :2001/04/17(火) 22:16
>470 まあ、おしゃる通り。ただミクロの議論は迷宮に 入りこんでしまうので、遠くから眺めた話が 解り易い。(例えば原爆はアメリカ国内で使用反対 の人もいた訳だが、国家の意思としてアメリカは 原爆を投下したとしたい)
480 :
名無し :2001/04/17(火) 23:06
戦争責任は戦争関係者全員にある。喧嘩両成敗だ。 米国も中国も責任がある。 天皇陛下は日本国民と一体である。だから 天皇陛下に戦争の責任をかぶせようと言うのは, 日本人を分離しようという占領軍の陰謀だ。 ということで、戦争責任は関係国全員にある。 日本もあるが,それは国家国民全体であり,天皇陛下個人とは 関係がない。
>>480 日本にもある戦争責任って、
一億人が日の丸のもとに手を繋げば、そこに責任はある。
手を離した一億の個人個人には責任がない。(よって天皇陛下個人にもない。)
ってこと?
482 :
481 :2001/04/17(火) 23:13
さげちゃった。ageます。
483 :
名無し :2001/04/18(水) 23:29
全員に責任があるということは,全員に責任がないということと同じだ。 だから戦争責任と言う言葉の定義から入らないと行けない。 戦争の原因と言うと一杯ある。 シナ事変は中国の戦略で始まった。これも戦争責任だ。 ABCD包囲戦略も戦争を起こした原因だろう。
久しぶりに見たがあいかわらずアホがいる。
>>484 踊るアホォに見るアホォ、とも言うね。
別に踊らなくても損はしないから踊らないでね、君の場合は。
486 :
日本@名無史さん :2001/04/19(木) 07:39
>>484 他人をアホ呼ばわりする前に自分を見つめ直しなさい(合掌
487 :
日本@名無史さん :2001/04/19(木) 07:53
>全員に責任があるということは,全員に責任がないということと同じだ これを誰か具体的に言って貰えませんか? 責任がある=責任がないってよく分からないんですが
488 :
日本@名無史さん :2001/04/19(木) 11:57
>>487 483では勿論ないが。
483のココロに、
誰かに集中的に責任を被せ、
それ以外の免責された人の立場でその誰かを断罪したい
という前提があるから、全員に責任があるなんてことになると、
それじゃ、断罪する側もされる側もなくなっちゃって
欲求不満になっちゃうよボクチン
ということだろう。
ガキの時に学級会とかで、問題を誰か個人のせいにしようとして、先生に
「いいえ●●クン一人が悪いんじゃありません、みんなの責任です。」
と言われて、教室中が無言になってた記憶ないか?
たとえば全員に責任はあるけど、その中でも特にコイツの責任は重い、と
いうふうには考えられない人=483ということになるだろうな。
で、あんま賢くないみたいだね。483。
いきなり開戦責任に話を絞り込んでるしね。
489 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 20:40
サヨク氏ねよ。つーかお前らに発言権はねーよ。 ここをどこだと思ってるんだよ?
>>489 >ここをどこだと思ってるんだよ?
2ちゃんねる。
確かに保守・右派の巣屈と言われりゃそうかも知れないが
お前のような電波のいるべき場所でもない。
491 :
日本@名無史さん :2001/04/22(日) 02:07
ん?
>>489 が誰に言ってるのかもわからんが、
>>490 が何故いきなり反応してるのかもわからんな。
電波に相手したら、自分もかわらんぞ。
492 :
名無し :2001/04/22(日) 20:54
敗戦国で,戦勝側が国民に旧指導者を糾弾させると言うのは良くある戦術だ。 国民を全部糾弾すると抵抗するからこれを分断する。 共産党が農民を集めて地主を糾弾して,殺す。人民裁判だ。分断して相手を 弱らせ、そのあとみんなやつけると言うのは昔からあるやり方だ。 だから戦争責任と言う言葉自体が、古臭い宣伝用語だ。 天皇陛下に責任をかぶせた形にして,実際に狙っているのは日本国民全体だ。 図星だろう。
493 :
ヨシフ :2001/04/24(火) 17:20
>492 おいおい、それは違うんじゃない? それに、敗戦から50年以上経った今日は、そういう戦勝国のマインドコントロールからは自由に、あの戦争の責任の所在を考察することができるはずだ。 そして、未だにはっきりしない先帝の歴史的な評価は、今こそイデオロギーから自由に行われるべきだ。
494 :
名無し :2001/04/24(火) 22:08
戦争責任と言う言葉自体が宣伝文句だと思う。 日本が国民皆兵になるまで歴史の評価はお預けだ。
なんだ、国民皆兵って? ばか?
496 :
日本@名無史さん :2001/05/02(水) 15:05
あ、そ
497 :
名無しさんの主張 :2001/05/02(水) 18:31
要はあれだ 赤軍が帝都にまで侵攻して 同志スターリンがヒロヒトを捕らえていれば、こんな問題が起きなかった。
>>1 日清・日露の責任は興味ないの?
勝ったらお咎めなし?
499 :
>498 :2001/05/02(水) 21:57
第一次世界大戦で、国際社会の仕組みが変わったんです。 1929年には不戦条約も締結されましたし。
500 :
名無し :2001/05/02(水) 22:14
戦争責任というのは宣伝用語で,国際法上は存在しない言葉です。 空言妄語に躍らされないようにしましょう。 一般的な意味では,関係国全部に責任があります。 日本だけに責任を求めるのは理屈に合いません。 したがって拒否となります。
ふむふむ、じゃ戦争責任を追及する裁判ってものを開いて それを信じた人達はかなりドキュンですな。
502 :
日本@名無史さん :2001/05/03(木) 18:48
そうなるかな。そもそも戦争と言うものは 外交の一形態にすぎない。 勝ったほうは、いろいろ要求できるんだが それまでお互いに殺し合いをやって来てる。 勝った方とて、りっぱな人殺しだ。 東京裁判は、はっきり茶番劇なのは周知の通り。
茶番でも負けは負けでしょ。同じ日本人がハングル版でアメリカの論理使ってるんじゃないんですか?負ければお仕舞い。いくら終戦と言っても敗戦は敗戦。うだうだ言っても負けは負け。原爆も正義の鉄槌になるのよ。今の北鮮って帝国日本のコピーなんだから。よけいに嫌悪感感じるんじゃなーい。
勝ったから敗者に何をしてもよいというのは単なる復讐。 いつまでも勝者の復讐をただひたすら正義だとうけいれることは無い。
505 :
日本@名無史さん :2001/05/04(金) 06:09
戦争が外交の延長だとか一形態というのは極論すぎ。 開戦の決断は他の外交手段よりも遥かに重大な 責任が問われることを認識すべき。
506 :
日本@名無史さん :2001/05/04(金) 15:50
たとえば今の不況は誰の責任だとかそういう議論はあるでしょ。 それと同じであの戦争での責任は誰にあるのかということも議論の対象になりうる。
507 :
にょ :2001/05/04(金) 16:25
508 :
名無しさんMS :2001/05/04(金) 16:45
1945年8月15日、帝国は消滅した。 世界大戦で無条件降伏した帝国の天皇にもはや権威もクソもない。 オーストリア・ハンガリー帝国、ドイツ帝国、オスマン・トルコ帝国、 ロマノフ王朝、ドイツ第三帝国・・
509 :
日本@名無史さん :2001/05/04(金) 23:21
つーか、天皇を必要以上に敬っている人達ってなんなの? 同じ人間じゃん。 ああいう人達って金正日を本気で奉ってる北朝鮮の人を笑えないと思う。
510 :
日本@名無史さん :2001/05/05(土) 00:00
>>509 同感!
つい数十年前までは北朝鮮異常にトンデモな国だったんだよね、日本って。
511 :
世界@名無史さん :2001/05/05(土) 09:27
>>510 北朝鮮並とは言えても北朝鮮以上とは言えないだろ
>510 ホントにそう思うの? なんとか丸出しだよ。
513 :
日本@名無史さん :2001/05/08(火) 20:14
消えそうだからageとくよ
514 :
売国奴 :2001/05/08(火) 22:26
国家主義者ならびに右翼の諸君、 三島が、戦争責任をとらない昭和天皇に あれほど激しい嫌悪感を隠さなかったことが、 すべてです. しかし、ほんとうに戦争責任を感じていたのは天皇ヒロヒトその人 かもしれない。
>514 三島が正しかったのか.. そのハンドルはネタですか。
516 :
日本@名無史さん :2001/05/09(水) 02:59
>>511 北朝鮮はトンデモな国だが真珠湾攻撃をするほどバカじゃないようだ。
517 :
日本@名無史さん :2001/05/09(水) 03:31
>>516 そりゃちがうだろ。戦前の日本と今の北朝鮮はアバウトにいって同じ境遇にある。
一か八かに賭けるか、じり貧かってこと。日本は前者を選んだが、
北朝鮮は日本という手本(反面教師)があるから前者を選べないってこと。
このことが戦前日本よりマシな未来を北朝鮮にもたらすかどうかは疑問だがね。
518 :
日本@名無史さん :2001/05/09(水) 03:43
>>516 そりゃそうです。北には空母も艦載機もありませんから。
519 :
日本@名無史さん :2001/05/10(木) 14:57
520 :
日本@名無史さん :2001/05/10(木) 17:31
北にとってパールハーバーとわ東京湾のことだったのか
>>520 じゃあ「ムクゲの花が咲きました」みたいなことになるんですか
522 :
名無しさんの主張 :2001/05/12(土) 03:00
戦争責任派は天皇の名で徴兵の命令書(赤紙)も来たし戦争も行われたから責任は明白と言うが、今の叙勲も 叙勲対象者全部の経歴を天皇が把握してるわけないじゃん。その部門の担当者のすすめによって行うだけで これで責任負うのは気の毒な気がする。赤紙や開戦もこれと同じだと思う それに対米戦争反対派の米内光政が首相になったとき対米戦争推進の意見が強い陸軍大臣に昭和天皇自ら 「米内に協力するように」お言葉をかけられた。このような政治的発言でさえ天皇主権といわれた当時でも 異例のことだった。 おれは特別に天皇や天皇家を賛美したりする気はないが、昭和天皇はそれなりに立派な見識を持っていた人だと思うよ。
523 :
日本@名無史さん :2001/05/12(土) 04:04
むしろ昭和天皇は進んで名君になろうとした恐れがある。 周囲の意見を取り入れ、議会の意見を聞き、国民のことを考えた結果が 戦争突入であったのは間違い無い。 国民に選ばれた議会が戦争に賛同し、軍部もやむなしと考え マスコミは戦争を煽り、世論は戦争に賛同する意見が大勢を占めていた。 この上で天皇が独自の判断で戦争を反対して止めさせるならば ただの独裁者に過ぎない。
524 :
日本@名無史さん :2001/05/20(日) 21:31
>>522 今上天皇と、戦前中の昭和天皇を同じ理屈で論じられるとは
ずいぶん時代錯誤な奴だな。国の惨状、ここに極まれり。
立派な見識をもっていた昭和天皇が
為しうることを為さなかったかどうかが、
為すべきでないことを為したかどうかが、
今、昭和天皇のResponsibillityを語る源となっているのだ。
525 :
日本@名無史さん :2001/05/21(月) 00:41
>524 戦前の天皇主権と戦後の象徴天皇の違いを言っているの? 戦前も天皇は実質的に象徴に近かったと俺は考えてるんだけど。
526 :
「軍部もやむなしと考え」(爆笑) :2001/05/21(月) 07:18
527 :
日本@名無史さん :2001/05/21(月) 08:34
>>525 当時元帥だった天皇が単なる象徴?
戦前の天皇が象徴だったことなど誰だって否定しない事実。
国家元首は象徴なのだから。
528 :
名無しさん@1周年 :2001/05/21(月) 09:11
戦前の昭和天皇は主権者であり、国策決定に大きく関与していた。 また陸海軍の大元帥として侵略戦争の指揮にあたった。 これでも戦争責任がないというのはただの妄想。
529 :
日本@名無史さん :2001/05/21(月) 23:07
天皇は日本国民を代表し、マッカーサーに土下座して許しを請ったんでしょ。 だったらそれで戦争責任は果たしてるじゃん。
天皇の戦争責任は統治権、統帥権、武装権の3権を 日本国憲法から剥奪されたこと。以上。
531 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 00:45
>527 俺の言ってるのは戦前も天皇は実権がない象徴ということ。文面から想像つくだろ。揚げ足取りはやめろ。 >528,530 元号法(年号法だったか)を知ってる? 年号が新しく変わる際に新天皇の許可がいる法律。年号が平成に変わる際にも適用された法律です。 平成の年号発案者は本人の希望により公表されたいないが、東洋史に詳しい学者といわれている。 ちなみに新年号には、他国で使われた年号や国王の宮殿名として使われたものはダメとかいろいろ制約がある。 これらの条件をクリアして(年号発案者も相当苦労したはず)、なおかつ大臣全員が承認願いの署名をした後に 天皇が承認の署名をして新年号が成立する。 俺が言いたいのは天皇に最終決定権があるとはいえ、現場の担当者や政府の意見を無視したら独裁者になるということ。 仮に平成の署名を天皇が拒否したら、それでもあなたたちは法律上の権利を行使しただけで問題はないと考えるの? 戦争についても同じ、政府が「戦争やむなし」と判断すれば、天皇は「朕個人としては反対」とはいえないわけ。
532 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 00:47
>527,528,530 元号法(年号法だったか)を知ってる? 年号が新しく変わる際に新天皇の許可がいる法律。年号が平成に変わる際にも適用された法律です。 平成の年号発案者は本人の希望により公表されたいないが、東洋史に詳しい学者といわれている。 ちなみに新年号には、他国で使われた年号や国王の宮殿名として使われたものはダメとかいろいろ制約がある。 これらの条件をクリアして(年号発案者も相当苦労したはず)、なおかつ大臣全員が承認願いの署名をした後に 天皇が承認の署名をして新年号が成立する。 俺が言いたいのは天皇に最終決定権があるとはいえ、現場の担当者や政府の意見を無視したら独裁者になるということ。 仮に平成の署名を天皇が拒否したら、それでもあなたたちは法律上の権利を行使しただけで問題はないと考えるの? 戦争についても同じ、政府が「戦争やむなし」と判断すれば、天皇は「朕個人としては反対」とはいえないわけ。
533 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 00:47
おまえそれ受け売りじゃん。
534 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 00:48
なんだよ何度も。コピペ大将か?
535 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 00:53
531は失敗。 >533 受け売りってどの部分? あなたがみた出典元はどこにあるか教えてくれ。
>>531 、
>>532 実権なき象徴をいうのであれば、それは国務大臣の
補弼のある立法行政判断だけ。
大元帥としては当然、戦争の統帥責任がある。
以上は制度上の責任である。
天皇は神聖にして侵すべからず
このことばだけで天皇の威信は絶大だった。
537 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 01:17
>536 法律の条文や役職名よりも現実の組織の機能面に注目すべきだと思う。 あなたがあくまで法律が前提と考えているとしたら、平成の年号を今の天皇が拒否しても、それは当然の行為だとあなたは考えるの?
538 :
日本史好き :2001/05/22(火) 15:13
539 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 15:22
どうでもいいが、元号法に天皇の許可がいるなんて どこにも書いてないぞ。 俺は皇室のことは好きだが。
540 :
KAKAKA :2001/05/22(火) 21:50
戦争責任という日本語は意味不明なところがある。戦争を始めた責任のことか、戦争に負けた責任のことか、それとも他に何か責任あるのか。 いずれにしても、ヒロヒトに何の責任もないということは出来ない。
541 :
日本@名無史さん :2001/05/22(火) 23:53
>>540 最後の一言根拠無いよ。俺も心情的にはそうなんだけど。
やっぱり一国の元首としてもう少し頑張って欲しかったと思う。
結果から逆算しての事だから酷かもしれないけどさ。
これも結果論に近いが、
敗戦後に退位(天皇制廃止でなく譲位)するべきではなかったかと思うがどうよ。
心機一転してやり直した方が良かったのかもしれない。
542 :
てつ :2001/05/23(水) 17:28
昭和天皇には責任が大いにある! いろいろな本で昭和天皇がすごくいい人のように書かれているけど それを全て信じるのはどうかと思いますよ。 当時の人はみんな昭和天皇をかばっているからね。
>>541 確かにねー。東京裁判の終わった後か、
サンフランシスコ講和条約あたりの時期に
「私は裁かれなかったが、私自身道義的な責任は
あると感じている。」みたいな感じで、退位して
皇太子に譲位すればまだ格好がついたと思われるのだが。
もっとも戦後の人間宣言や地方巡幸など、占領政策の
円滑な実施の為に天皇の権威が利用されたフシもあるので、
マッカーサーやリッジウェイがまず
退位を許しはしなかっただろうけどね。
544 :
日本@名無史さん :2001/05/25(金) 09:45
>>542 だから何の責任なのか明確にして欲しい(笑
結果からの逆算で責任うんぬん言われてるだけって意見には同意
545 :
名無しさん@1周年 :2001/05/25(金) 09:49
>>544 いまいいこと言った
天皇が負うべきなのは戦争に負けた責任だろ
いわゆる「戦争犯罪」の責任じゃない
戦争犯罪なんてアメリカがでっちあげた糞
546 :
日本@名無史さん :2001/05/25(金) 09:54
>>524 戦争を反対する立場に立てたのに立たなかったのが責任だとするならば
国民にも議会にも軍部にも責任は生じるが如何に?
それぞれ反対する立場に立てたし立てなかったとは思えないが
547 :
日本@名無史さん :2001/05/25(金) 15:45
「日本国天皇制の取り扱い」(SWNCC二〇九/一 1946年3月7日付け)に おいて「米国政府は、天皇制廃止=共和政体に賛成であるが、日本国民 の大多数にその意思がないので最高司令官は廃止の主張をすべきでな く、天皇制を立憲君主制に変えようとする同国民の努力を助長すべきで あり、この問題に時間をかけることとし、最高司令官は、天皇制の究極 的役割について即時決定するよう日本国民に強制すべきではない」と結論づけた。 ちなみに1945年8月13日午後4時のサンフランシスコ放送で、 「最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に遵い日本国国民の自由に 表明する意思により決定せらるべきものとす」という声明が出ております。 (tha ultimate form of govanment of japan=最終的の日本国の政府の形態) #昭和天皇在位はまさに「日本国国民の自由に表明する意思」だったんだよ。
548 :
日本@名無史さん :2001/05/26(土) 23:20
「保科善四郎手記」『終戦史録』によれば八月十日の御前会議で天皇曰く、 「朕の股肱たる軍人より武器を取り上げ、又朕の臣を戦争責任者として 引き渡すことは之を忍びざるも、大局上明治天皇の三国干渉の 御決断の例に倣い、忍び難きを忍び、人民を破局より救い、 世界人類の幸福の為に斯く決心したのである。」
549 :
てつ :2001/05/26(土) 23:21
天皇は当時の最高権力をもっていたわけでしょ。 その人が戦争が終わった後も天皇の座にいたっていうのは・・・。 少なくとも退位すべきだったのでは。 まあ昭和天皇としてはそれを望んでいたかもしれない。
550 :
日本@名無史さん :2001/06/03(日) 12:00
A級戦犯が絞首刑になったのに、のうのうと生きていた昭和天皇は 人間として尊敬できないな。
551 :
日本@名無史さん :2001/06/10(日) 16:48
ue
552 :
日本@名無史さん :2001/06/25(月) 05:16
昭和天皇はたしかに無責任だね
553 :
日本@名無史さん :2001/06/25(月) 05:21
>>544 ヒロヒトの責任は侵略戦争を引き起こした責任に決まってるだろ。
奴がA級戦犯として処刑されなかったのはヒロヒトを日本占領統治に
利用したいアメリカの思惑。
ホント奴は悪運の強い男だよな。
554 :
日本@名無史さん :2001/06/27(水) 21:40
相撲なんか見物してる場合か
555 :
> :2001/06/27(水) 22:21
>>553 あのなあ、昭和天皇も道楽で戦争しとった
わけではないんだわ。当時の状況見てみて
戦争に踏み切ったことが、単なる、昭和天
皇の道楽すぎんかったかどうだか、証拠で
もあんの?アバウトなんでもいいから、出
してみれ。
556 :
日本@名無史さん :2001/06/29(金) 21:27
2ちゃんねるは匿名だから妄言妄想の吐きまくりだぜ、荒れろ荒れろ。 でもおまえらおれさまがだれかをとくていすることはふかのうだブハハハハハハ!
557 :
日本@名無史さん :2001/06/29(金) 21:37
>>555 お前こそ道楽でないという証拠出してみ。
558 :
疑問@名無史さん :2001/06/29(金) 21:49
昭和天皇は政府の決定に対して拒否権を持っていたのですか?
559 :
日本@名無史さん :2001/06/29(金) 21:53
天皇の戦争責任を追及しなかったのは米占領軍だから、 責任追及はそっちに行おう。象徴天皇制も元凶はアメリカ。
560 :
日本@名無史さん :2001/06/29(金) 22:20
天皇、子供のころ働かなくて食べていける人で嫌いだってけど 人間的にかわいそうじゃない? 好きな事出来ないし、24時間監視されてるし、買い物にも いけない。ドライブだって暗殺の危険があるから必ずガード マンと一緒。 戦争責任の時だって、自殺したくても出来ない。 裕仁天皇は、軍部に利用されただけじゃないのかな?
561 :
日本@名無史さん :2001/06/30(土) 00:54
天皇は戦争中けっこう活発にいろいろ発言しているし その影響力は絶大だった。軍部に利用されたという点を 全て否定はしないが、利用されていただけとは到底考えられない。
562 :
日本@名無史さん :2001/07/04(水) 19:00
age
563 :
名無しさん :2001/07/14(土) 11:28
564 :
日本@名無史さん :2001/07/14(土) 23:26
昭和天皇は有罪でしょう。明治以降の天皇教が昭和天皇を救っただけのこと。 ワーテルローに敗れた皇帝ナポレオンが共和制の大統領にはなれなかったでしょ。 これが、世界の常識。
565 :
日本@名無史さん :2001/07/14(土) 23:45
可哀想だったなんて言われて良いねえ、昭和天皇。 おれなら喜んで替わってやるぞえ
566 :
日本@名無史さん :2001/07/14(土) 23:51
567 :
名無しさん :2001/07/16(月) 12:23
なんにしろ本人は天寿をまっとうしたからなにをいわれても平気だな。 白か黒かなどこの際どーでもいい。
568 :
那賀須泥毘古 :2001/07/20(金) 22:02
ヒロヒトハ、ユルサナイヨ!♪(・∀・)〆
569 :
帝國海軍兵学校生徒 :
2001/07/24(火) 18:50 先帝陛下に戦争責任などない。 いや、戦争責任という言葉自体おかしい