1 :
日本@名無史さん:
鉄資源をめぐる争い?
2 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 00:08
翡翠だろ
3 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 00:12
まだその頃は制動機文化だったんじゃないの??
4 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 00:19
鉄資源ってゆっと、当時だと、出雲王朝が握ってたんすかねえ
5 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 00:19
いや、電動機文化だろう。
6 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 22:59
倭国大乱なんて無いよ。
7 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 23:11
倭国なんて無いよ。
8 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 23:19
倭国はあるだろう、倭国は。
9 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 00:12
倭国大乱はなかった事にしないと
九州は2世紀末〜3世紀に戦乱の痕がないので
邪馬台国九州説としては困る。
だからなかったコトにする。−−>歴史捏造−−>九州説はトンデモ
10 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 00:26
弥生時代の戦乱の痕って、要するに高地性集落とか環濠集落とかのことなの?
11 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 00:38
考古学から、当時になんらかの戦乱情況があったと主張するのは、それはかまわないだろう。
しかし「倭国大乱」は後漢書でしょう。
文献と考古学という異質なもの両面からすりあわせて歴史像を作ることは大切だろうけど、
文献方面と考古学方面は別な体系をもっているわけで、安直な付会であってはならない。
「倭国大乱」とは別のネーミングを望む。
ちなみに私は別のスレッドで「倭国大乱は大規模な乱の意味ではなく
王位をめぐる乱の意味で、規模が大きかったかどうかは別問題であり
魏志にしるされた倭国の経緯を後漢書が要約した結果でてきた表現にすぎない」
という意味のことを書いた者です。
12 :
6:2001/03/04(日) 00:39
おれは畿内説なんだけど …先走んないでくれい。
13 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 01:03
ネーミングは西日本戦争でどうでしょうか?
14 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 01:27
「倭国乱、相攻伐歴年」でじゅうぶん大乱といえると思うよ。
少なくとも卑弥呼が死んだ後の「国中不服、更相誅殺」を大乱と呼ぶほど
不正確じゃない。(そう言う人は実在する)
15 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 10:15
神武東征
16 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 12:40
神武が 東征したというのは唐古/鍵からマキムクに移動した事実の反映
17 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 12:52
瀬戸内勢力が旧大和勢力を圧倒して纏向に入ったことの反映ってのはあるかも
18 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 17:23
>9
大和には大乱の痕跡は残っている?
19 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 17:27
そりゃもういっぱい
20 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 04:47
>>14 無根拠。まあろくに漢文のよめない学者もよくいるからな。
21 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 06:47
22 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 07:36
>19
特に顕著な例は?
23 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 17:07
age
24 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 17:45
大乱の痕跡は吉野ケ里の墓域にある。
25 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 18:11
age
26 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 19:40
27 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 20:57
>>22 最近の話題じゃ、椿井天上山なんかどう? 大和じゃないか…
28 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 21:16
酸性土壌の日本では骨が残らぬから確かな痕跡はないのでは、
そりゃもいぱいの大和説もまぼろし?
29 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 21:28
骨が残る九州で損傷人骨が紀元前のものばかりということは
それと同質の戦乱は2世紀末には無かったという確かな痕跡ですね。
まぼろしは九州説でした。
30 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 22:37
骨が残る九州?阿蘇山は今も噴火しているし酸性度では。
大和説はいっぱい痕跡があったというのは、はったり?
31 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 23:20
九州に残る大乱の痕跡とか言って、あげる例はみんな紀元前じゃん。うそつき。
32 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 23:41
忌部山、千塚山、上ノ山、千塚
巨勢山境谷、中谷、八伏
引ノ山
なんてあたりの高地性集落はどうでしょう。
畿内中枢部での社会的緊張の高まりが見て取れます。
33 :
日本@名無史さん:2001/03/06(火) 18:38
高地性集落が痕跡?無理矢理畿内ですか?
まあ>11が正解でしょう、魏志の要約が拙かった。
34 :
11:2001/03/06(火) 18:50
ムム、俺は畿内説なんだけど …とりあえず賛同ありがとう。>33
35 :
日本@名無史さん:2001/03/08(木) 14:18
魏志の詳細にこだわりすぎると、イスラム教みたいになっちゃうとおもう
日本語の不自由な九州説論者が混じってるな
37 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:24
だから「倭国大乱」なんて無いんだっての。
38 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:31
根拠は?
39 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:40
40 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:45
がいしゅつではありません。
「倭国乱、相攻伐歴年」を「大乱」と呼べない理由が質問されていますが
ずっ〜と未回答です。
41 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 23:10
それは編集ミスだって他のスレに出てたよ
42 :
日本@名無史さん:2001/03/10(土) 08:42
それは倭人伝に書かれている「倭国乱、相攻伐歴年」を「大乱」と呼べない理由じゃなくて
倭人伝に書かれているのは「倭国乱」だから後漢書の「大乱」は間違いだ
編集ミスだという決め付けでしょ?
聞いているのは「おたがい攻伐する状態が歴年つづくような倭国乱」を
「大乱」と呼んじゃいけない理由だよ。
ずっ〜と未回答です。
43 :
日本@名無史さん:2001/03/10(土) 18:31
「大乱」じゃないからだろ。
何年も続いたなら「長年の乱」とはいえても
「広域戦争」かどうかはその記述からはなんともいえない。
にもかかわらずあえて「大乱」とよぶのは
余計な先入観をふりまき誤解しやすい用語になる。
「大乱」にこだわる連中は弥生時代の戦争状態に合致するような気がするからだろ。
安直な付会にほかならない。
44 :
日本@名無史さん:2001/03/10(土) 18:54
「倭国大乱」って結果から言ってるんじゃないの?
それまで独立して争ってた三十ヶ国が連合して、卑弥呼を女王として
祭り上げた。自分たちより上の存在として。
そこまでの状況に各国を追い込んだほどの戦争だから「大乱」・・・。
戦争の規模はともかく、当時の生産力から言って数年も戦争が続けば
民衆が生活していけない状態になったのは間違いない。
略奪なんかも当時のことだから当然あっただろうし。
取りあえず、古代日本の転機になった戦争なのは間違いない。
45 :
日本@名無史さん:2001/03/10(土) 22:35
>>43 ”大乱じゃないから大乱じゃないんだ”では何の説明にもなっていませんね。
魏志は「倭国乱」という。
後漢書は「倭国大乱」という。
後者が間違いだと主張するならば、局地的な戦いでしかないと証明する必要があります。
魏志によれば「倭国」の「乱」で「相攻伐」状態が「歴年」続き
その結果、もと男王がいたけれども存続できず
「一女子」が王として「共立」されたわけです。
大乱とは何か?司馬彪はいう。
「若君亡君之威、臣亡臣之儀、上替下陵、此謂大乱」
つまり下克上状態です。上記を范曄が「大乱」と形容してなんら不都合はないでしょう。
46 :
日本@名無史さん:2001/03/12(月) 06:27
べつに下克上じゃないだろ?
47 :
日本@名無史さん:2001/03/12(月) 08:28
もと男王がいたけれども存続できず「一女子」が王として「共立」された
「上替下陵」に相当。
48 :
日本@名無史さん:2001/03/12(月) 10:40
倭国淫乱は確かにあった。
資料も現存しているからレンタルビデオ屋に逝ってこい。
根拠を聞かれても答えない。
しつこく聞かれるとようやく珍妙な回答。
さらに問い詰められると
>>48 みたいなスレ汚しが返ってくる。
おげれつだな。
50 :
日本@名無史さん:2001/03/13(火) 06:42
答えに詰まると沈黙か…
51 :
日本@名無史さん:2001/03/14(水) 20:51
>>44-45
結局日本の場合は圧倒的な力を持った者が完全に支配するという形態よりも、
その勢力バランスに応じての最終的には共同統治なわけであり、
その場合の全体を束ねるための者として女王なり大王なりがいただけではないですか。
52 :
日本@名無史さん:2001/03/17(土) 09:04
権威の象徴って感じですかね‥
53 :
日本@名無史さん:2001/03/17(土) 09:20
しかし一度そういうカタチが出来あがると、
圧倒的な強者はおらずとも
「ナカマ」と「ナカマハズレ」と「ヨソモノ」の違いが出てくる。
だから一大率が畏れ憚られるわけでしょう。
54 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 07:10
>>53 >しかし一度そういうカタチが出来あがると、
>圧倒的な強者はおらずとも
>「ナカマ」と「ナカマハズレ」と「ヨソモノ」の違いが出てくる。
>だから一大率が畏れ憚られるわけでしょう。
それは現代人の国民性からの類推であろう。邪道だと思う。
55 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 07:17
>>47 >もと男王がいたけれども存続できず「一女子」が王として「共立」された
>「上替下陵」に相当。
「一女子」が王族の一員かどうかはわからない。
無関係のヨソモノが女王になったのなら
「上替下陵」でも下克上でもいいだろう。
56 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 07:35
魏志の曖昧な記述に対する後漢書の解釈が「大乱」なのであり、
必ず「大乱」と呼ぶべき積極的な理由がない限り
後漢書ではなく魏志にしたがうべきことは史料の扱い上、当然である。
事実上の敗北宣言ですな
58 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 09:43
59 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 16:16
倭国淫乱は確かにあった。
資料も現存しているからレンタルビデオ屋に逝ってこい。
完全な敗北宣言ですな
61 :
解決黒頭巾:2001/03/18(日) 20:01
「倭国大乱」とは、神武天皇(百済の王でもあった扶余王、仇台のこと)が朝鮮半島の帯方郡から九州に上陸して「邪馬台国」を建てたことをいう。
それで卑弥呼はフェニキア人なのか?(藁)
63 :
¥:2001/03/18(日) 22:36
64 :
あ〜あ:2001/03/20(火) 02:17
65 :
:2001/03/20(火) 10:28
66 :
日本@名無史さん:2001/03/20(火) 18:37
それじゃ、倭国大乱で別に構わないということで再開再開!
67 :
日本@名無史さん:2001/03/20(火) 19:11
范曄は、後漢の霊帝死後の状況を随処で「大乱」と形容しているが
「大乱」という用語は、権力体制の構造的変化を表現するのに適切であろう。
まさしく「倭国大乱」は陳寿の
「其国本亦以男子為王、住七八十年、倭国乱、相攻伐歴年。乃共立一女子為王。」
という記述を范曄が的確に表現したものと言えると思う。
68 :
日本@名無史さん:2001/03/20(火) 19:15
69 :
日本@名無史さん:2001/03/20(火) 19:21
銅鐸が消え、環濠が埋没し、高地性集落が廃絶される画期ではないですか?
70 :
日本@名無史さん:2001/03/20(火) 19:25
黒頭巾に振るなよ
71 :
日本@名無史さん:2001/03/24(土) 08:36
72 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 13:30
銅鐸を中心に考えても本質を見失わないでいられる?
73 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 20:24
また意味不明な!
74 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 20:35
銅鐸の消滅=弥生の終わりって理解でいいのかな。
75 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 21:34
生産終了と埋納時期は区別しなきゃ。
76 :
日本@名無史さん:2001/03/28(水) 14:48
銅鐸の巨大化がカギを握ってると思います
77 :
日本@名無史さん:2001/03/31(土) 14:02
巨大化は日本が先進国であったことの象徴
78 :
日本@名無史さん:2001/03/31(土) 14:42
79 :
日本@名無史さん:2001/04/01(日) 03:12
なっちももやま時代( ● ´ ー ` ● )
80 :
日本@名無史さん:2001/04/06(金) 20:35
銅鐸の巨大化は日本独特の現象だろ
さいしょに発明したところよりも改良してしまう
現代に通じる
81 :
日本@名無史さん:2001/04/07(土) 00:38
元々、邪馬台国は一つだったけど、周りの国が名前パクったんDAYO!
82 :
日本@名無史さん:2001/04/13(金) 15:48
邪馬台=ヤマトが、当時は名称の使い方が拡大して、
九州も含む全体を表わす言葉になっていたのでは?
83 :
日本@名無史さん:2001/04/20(金) 04:12
倭奴=ヤマト
84 :
日本@名無史さん:2001/04/28(土) 18:27
倭奴国ってのは、ヤマトだというのは、みんなが知ってるけど言えない真実でしょ。
85 :
名無しさん:2001/04/30(月) 03:29
何の史書か忘れたが、倭国大乱を霊帝の光和年間だと明言している文献があったと思う。
86 :
名無しさん:2001/04/30(月) 03:31
隋書倭国伝には、倭国の都の「ヤマト」とは、魏志の「邪馬台」のことだと書かれている。
87 :
B-777:2001/05/01(火) 01:27
未だに弥生時代の範囲が固まっていないので
銅鐸の巨大化が即先進国とは限らないと思います
仮定の話ですが、先進国が他の国に朝貢などすると思いますか?
今でいうところのアメリカがインドに朝貢するようなものですよ
簡単に考えれば、食料及び土地の奪い合いなのだから生産力のあった
九州地方に邪馬台国があった方が無理がないのでは
あと日本書紀を読んで繋げるほうが判り易いかもしれません
88 :
B-777:2001/05/01(火) 01:34
未だに弥生時代の範囲が固まっていないので
銅鐸の巨大化が即先進国とは限らないと思います
仮定の話ですが、先進国が他の国に朝貢などすると思いますか?
今でいうところのアメリカがインドに朝貢するようなものですよ
簡単に考えれば、食料及び土地の奪い合いなのだから生産力のあった
九州地方に邪馬台国があった方が無理がないのでは
あと日本書紀を読んで繋げるほうが判り易いかもしれません
89 :
日本@名無史さん:2001/05/20(日) 02:27
当時の漢民族は既に滅んでしまったわけで。
90 :
日本@名無史さん:2001/05/20(日) 19:19
倭奴=ヤマトなわけ?
やっぱりそうなわけ?
91 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 04:31
>>90 それが正しいんだけど、いまの日本の学会ではねぇ。。
92 :
日本@名無史さん:2001/05/28(月) 03:58
倭奴国王=ヤマトの王
93 :
日本@名無史さん:2001/05/28(月) 21:24
94 :
日本@名無史さん:2001/06/01(金) 13:32
95 :
日本@名無史さん:2001/06/05(火) 10:06
『わのなのこくおう』と歪んで読む人がなぜか多数派になってる。
96 :
日本@名無史さん:2001/06/05(火) 11:58
漢委奴国王=アイヌ国王
97 :
日本@名無史さん:2001/06/09(土) 07:01
江戸時代の偽造品だよ
98 :
日本@名無史さん:
范曄は、後漢の霊帝死後の状況を随処で「大乱」と形容しているが
「大乱」という用語は、権力体制の構造的変化を表現するのに適切であろう。
まさしく「倭国大乱」は陳寿の
「其国本亦以男子為王、住七八十年、倭国乱、相攻伐歴年。乃共立一女子為王。」
という記述を范曄が的確に表現したものと言えると思う。