雅子様は処女じゃなかったの事実だが、皇太子殿下の前に何人の男性と肉体関係を持っていたのか?
♀の少ないエリート層(ハーバード大、東大、外務省)の中で、従エリート慰安婦としての快楽はいかほどのものであったのか?
皇太子殿下が『不能』に悩んでいるのも、雅子様の下半身がかなり汚れていらっしゃった事実が原因ではないだろうか?
日本国民全員に今こそ呼びかける!
1:カタログ調達の弊害=皇太子殿下を苦しめた雅子様の性交遍歴を明らかにせよ!
2:再婚相手にふさわしい純潔の処女を皇太子殿下に提供せよ!
2 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 17:27
>1
ブサヨクの駄スレだね
3 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 17:28
>>1 また雅子ストーカーかよ。
君もしつこいね。
>1
デマ流すな。
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
◆両家そろって夕食会
記者会見をすませたお二人は、午後三時二十分から、常陸宮さま、秋篠宮さまなどの各宮邸を同じ車で回り、婚約のあいさつをされた。
その後、同七時からは赤坂御所で約三時間にわたり、秋篠宮ご夫妻、紀宮さま、雅子さんの妹二人も交え、両家全員がそろって内輪の夕食会が開かれた。
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/93/93n1c.htm
毎日新聞特集記事(94年)
雅子妃のもっとも身近にいた人物に会った。小和田家のお手伝い、皆川薫さん(43)。
「今の雅子さまが、本来の雅子さまだと思います。おっとりした方です。キャリアウーマンは、
マスコミが作り上げたイメージに過ぎません」。結婚後、雅子妃の母優美子さん(58)は
「外務省で仕事をするより、結婚を選んだことはあの子にとって良かった」と話していたと明かす。
皆川さんによると、雅子妃はお忍びを含めてこれまで東京・目黒の小和田家に5回ほど里帰りした。
うち2回は皇太子さまも一緒だったという。「かいがいしい感じで……。殿下に私が料理を出す時も
手を添えてくれたり、普通の新婚さんですよ。何かを変えようとして皇室に入ったわけじゃないんです。
皆さんが期待され過ぎている」と語る。
控えめな性格については、周囲の見方もほぼ一致する。
皇室会議の日のロイヤルイエローのドレスを作り、今も雅子さまの洋服作りを手掛ける
ファッションデザイナー、角田明美さん(65)は「初めから静かで優しく、とてもバリバリの
キャリアウーマンという感じではなかった。おばあちゃまとまるで子供のように、コロコロと笑って
話されるのよ」と振り返る。
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
雅子さまはこれまで、誕生日に宮内記者会の質問に文書で回答を寄せていたほか、皇太子さまの会見に同席されたことはあるが、一人での会見は初めて。
まず、この一年を振り返って「北海道のトンネル崩落事故ですとか、夏以降、全国的に発生いたしました病原性大腸菌による被害など痛ましい出来事がいくつかございました。そのほかにも、薬害エイズ問題、沖縄の基地問題ですとか、重い課題の多い一年だったのでは」と述べられた。
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
そしてまた、国民の皆さまからも大勢
15 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 17:33
>1
いつもの横恋慕嫉妬オヤジのストーカー行為だな。
やってることは桶川のストーカーと同じだぞ。
雅子妃は「かごの中の鳥」ではない(文芸春秋2000年1月号)
『元級友が明かす知られざる素顔』
「東京大学から外務省に入ったキャリアウーマンが皇室の
因習の中で・・・でも私が見た雅子さまの実像は全然違う」
工藤雪枝(キャスター・ジャーナリスト)
●友人が妃殿下になった日
1993(平成5)年の一月初旬、当時の小和田雅子さんが皇太子妃に内定したというニュースが発表となった日、私の家の留守番電話はパンク状態となってしまった。たまたまその日は、私は地方に出かけており、「内定」のニュースさえも気づかないでいた。そんな中、家に戻ってくると、日本のテレビ各局、また様々な新聞社、雑誌社からのメッセージが入っていた。
どれも「もう既にご存知でしょうが、今回の件について、コメントをいただきたい」という非常にあいまいなものだったので、何だろうと思いつつテレビをつけて、私は大学時代の仲のよい友人が皇太子妃に内定したというニュースを知ったのだった。
そのとき、既にテレビのキャスターとして、またジャーナリストとして仕事をしていた私にとって、職業的理由を鑑みても、その日を境に、これまでの「友人」は、もうお会いできない存在となった。またもちろん、現雅子妃殿下にとっては、その日を境に、自らの一挙手一投足が、世間の注目を浴びることになった。友人として、その幸せなニュースを心から祝福すると同時に、その日から、雅子妃殿下と私はもう気軽にお話ししたり、お会いできなくなるのかと一抹の寂しさを感じた日だった。
雅子妃殿下と私がはじめて出会ったのは、86(昭和61)年、私が東大の法学部の学生だった頃、雅子さまが米国のハーバード大学を卒業されて、東大の法学部に学士入学されたのがきっかけだった。当時の私の親友が、学士入学組で、雅子さまと同じ系列の学校に高校まで通っていたこともあり、我々三人、また時にはもう一人加わって四人で食事をしたりしていた。その頃は、雅子様が皇太子妃になられるという噂さえ出ていなかった。雅子様は既に外交官試験に合格されたばかりだった。
私達は雅子さまのことを、「オワ」というニックネームで呼んでいたのだが、外交官試験に受かって外交官として、様々な土地に赴任していくであろう彼女の結婚相手を心配して、「外交官になったら、やはり芸術家と結婚するしかないんじゃない。もし相手が作家とか画家だったら、オワの赴任するところに、どこにでもついてきてくれるわよ。」などと、今から考えると大変失礼極まりない「提言」までしていた。オワはそんな私達の提案を「そうね」といいながら、半ば面白そうに、微笑みながら聞かれていたのを思い出す。
その後、オワが雅子妃殿下になられてから、大変な量の情報がメディアによって流された。私自身も、当時はテレビ朝日でフリーのキャスターとして仕事をしていたこともあり、テレビ朝日の皇室関係の特番やご成婚の際のニュース番組など数多くの番組の取材を受けたり、友人として出演もした。他の民放はもちろんのこと、海外のメディアでもアメリカの三大ネットワークのCBS、NBCをはじめ英国のBBSの取材を受けた。他にもニューズウィークの国際版が「静かなプリンセス」(原題「サイレントプリンセス」)という特集を組んだときにも、文章を寄稿した。しかし、雅子妃殿下に関する報道や記事を目にしたり、自分自身が取材される中で、次第に疑問に感じるようになったのは、雅子妃殿下の本当の姿がマスコミの都合で歪められていることだ。
私自身は、たとえ短い期間であったとはいえ、親密なお付き合いを通じて、雅子妃殿下のお人柄や、本当の姿にいろいろな形で触れることができた。ところが、日本の、そしてまた海外のマスメディアは彼女の本当の姿を知らずに、多くの面で勝手に誤解し、また造られたイメージに振り回されているように思う。私自身、そういった面を少しでも是正できたらと考えて、これまで数多くのメディアの取材に応えてきた。メディアを通して伝えられる雅子妃殿下の情報が少しでも正確なものになるようにと、自分なりに使命感のようなものを感じて、できるだけそのような依頼に応じてきたつもりだ。
しかし、テレビの場合でも、また活字の場合でも、私自身が言いたいこと、雅子妃殿下の人となりといったものが、「編集」という作業を経てみると、歪んで伝えられるということを身をもって体験するようになった。事実に近いことを話せば話す程、その部分は編集でカットされ、「不幸せで、かわいそうなプリンセス」というマスコミの望むイメージにそったコメントが部分的に使われるということを、嫌と言うほど経験した。
たとえば、某民放の取材を受けたときなども、「雅子妃殿下はお幸せだと思いますか?」という問いに対して、私は「お会いしていないので、詳しいことは分かりませんが、いろいろな方から伺うところによると、お幸せだということですよ」と答えた。しかし、結局、番組で使われていたのは、「お会いしていないので、詳しいことは分かりません」というパートだけだった。その後の場面は、「友人にも会えない妃殿下、友人達も、妃殿下の今の生活がお幸せかどうか分からない」といった流れで作られた。
私が結婚後の妃殿下にお会いしていないのは、自分がジャーナリストであることからこちらからご遠慮しているのが一つ。また宮内庁記者クラブの「慣習」で、マスコミ一社が代表して皇族に会うことは許されないという制約があるからで、決して、今の妃殿下が友人にも会えない閉ざされた環境にいらっしゃるということではない。
そういう点も含めて、少なからず雅子妃殿下の素顔を見知った者として、また数多くのマスメディアの取材を受けてきた者として、我々日本人が、否、世界の人々が雅子妃殿下に対して抱いている幻想や誤解を少しでも改めるべく、この文章を書くことを決意した。雅子妃殿下を擁護するための文章を書こうとしている積りはなく、妃殿下に関する報道のあり方に疑問を感じる一ジャーナリストとして、様々な報道と事実の違いを明らかにしたいという一心から筆を執った次第である。
●ご結婚に至るプロセス
多くのメディアの論調に見られるものだが(特に海外のメディアに多いような気がするが)、雅子妃殿下が「不幸」である理由の一つとして、そもそもご結婚にいたるプロセス自体が、周りからお膳立てされたもので、雅子妃ご自身の意志を無視したものではないか、ということを挙げている。
皇太子殿下と雅子妃殿下との関係が結婚へと発展していくにあたっては、外務省関係者など、いわゆる「仲人」のような方々の存在があったことは、事実である。
しかし、たとえそのような状況から始まったご関係であっても、雅子妃殿下は、「皇族の方に求婚されて断れないから」という理由で、ご結婚を決められたわけでは決してない。ご自分の意志でお断りしてもかまわないということは、最後まで自覚しておられた。プロポーズをお受けするにあたっては、周りのプレッシャーから決められたのではなく、あくまでご自身の意志で決断された。
そもそも、雅子妃殿下が、皇太子殿下とのご結婚を承諾されたのは、92年12月12日のことだとうかがっている。その直前の11月、共通の友人の結婚式で、私と雅子さまとは席が隣同士となり、久々に、ゆっくりとお話することができた。
その日は丁度アメリカの大統領選挙の結果が出る日と重なっており、二人で「クリントンが勝つとどうなるか?」などと話をしたのを覚えている。私が気軽な気持ちで、「オワは結婚はどうするの?」などと質問を差し向けると、「私はまだまだよ」などと屈託なく答えておられた。
でも、あとでうかがったところでは、雅子様にはその半年ほど前から、皇太子殿下からプロポーズの意志が表明されていたという。それから半年程の間に、雅子さまは皇太子殿下の誠実なお気持ちに対して、ご自身も誠実にお応えしようという気持ちに次第になっていかれたとのことだ。
学生時代から、雅子さまはどちらかというと、積極的に、あるいは自分から主体的に行動するタイプではなく、周りから何かを望まれて行動に出るとか、周囲の期待にご自身の気持ちを協調させていくというタイプの方だった。おそらく殿下の心からのお気持ちに応えるように、ご自身の気持ちを熟成されていかれたのだと思う。短いながらもしっかりとした殿下とのお付き合いを通して、雅子様の心の中に殿下に対する深い尊敬と信頼の念が芽生えたともうかがっている。
正直なところ、私も突然の「内定報道」には、「オワの女性としての気持ちはどうなのだろう?」などと心配したこともあった。
でも、実際、結婚のご内定が明らかになり、報道陣の前に姿を見せた雅子様は、私達友人がこれまで見たこともないような、幸福な女性でなければ見せられないすばらしい笑みを浮かべていた。それを見て、私は、「オワは本当に幸せなんだな」とホッとしたのを今でもよく覚えている。また、ご成婚の時のパレードでも、雅子妃殿下は本当に輝いていた。今、お二人の、仲睦まじいご様子をテレビなどで見るにつけても、お二人の気持ちはしっかり繋がれていると確信している。雅子妃殿下は、皇室の中での振る舞いその他のことでも、皇太子殿下の適切なアドバイスを最も頼りにされており、折りにふれ相談されていると聞く。
●「キャリアウーマン志望」は間違い
これも多くのメディアで語られていることだが、雅子様は外務省のキャリア外交官としての華々しいキャリアをお持ちでありながら、もったいないことにそれを捨てて皇室に入ったという、彼女の「職業上の選択」を嘆く(?)議論がある。
私は、この点で、マスメディアも、そして一般の人々も最も大きな誤解があると思う。多くのテレビ映像や、写真で報道された颯爽としたキャリアウーマンの雅子様は、キャリア指向の強い、バリバリの働く女性としての印象を与えたかもしれない。でも、私が知る実際の雅子様は、一般に流布している、いわゆる「男勝りのキャリアウーマン的資質」を、ほとんど持ち合わせていない。
こう書くと、外務省時代の雅子さまに対して失礼かもしれないが、大学時代から、雅子様ほど、今では化石となってしまった感がある「大和なでしこ」のような方はいないというのが、友人達皆の意見だった。私達が数人で、お茶を飲んでいる時も、いつも話をしているのは私かもう一人の友人で、ご自分のほうから何か話をされるということはあまりなかった。雅子様ほどの聞き上手はいないというくらい、どちらかというと大変おっとりして、のんびりしたタイプの女性だった。
雅子様は、世界各地で教育を受けた国際人でありながら、「自分はやはり日本人として、日本のために生きたい」と考えて、帰国を決意されたと聞く。私が見るかぎりでも、自分の考えを胸の中でしっかりと捉えて、表面的に大騒ぎしたりしない安定感を持っておられたという印象が強い。当時の東大の女子学生はキャリア指向を強く持ち、自分を全面的に打ち出していくようなタイプの女性が多かった中で、雅子さまはとても自然体だった。キャリアウーマンというよりも、いい母親になるのではという感じさえ私は持っていた。同時にどんな環境にも自然に馴染む柔軟性を持っていらした。
そんな雅子様の資質を考えると、外務省のバリバリ外交官よりも、むしろ皇太子妃のほうがあっていらっしゃるように思える。流れる水のごとくどんなシステムにも、自分を合わせていく類まれなる資質をお持ちだったからだ。人を押しのけるようなアグレッシブな面とか我の強さといったことは、全くといっていいほど持っておられなかったので、私たちは雅子さまとお話ししていると、自然な安らぎを感じられた。外務省のキャリアを捨てたのがもったいないという感覚は、私たち友人には当時も今も基本的にない。
また私の友人等から聞いた話では、何よりもご本人が、外務省の仕事に関しては、このまま続けていくと、体力的にも精神的にも疲れてしまうのではないかという気持ちを持たれていた時期もあったという。そういった意味でも、雅子妃殿下ご自身の後悔はないと確信している。東大法学部から外務省=キャリアウーマン志向というマスコミの見方は、あまりに短絡的ではあるまいか。別の見方をすれば、皇太子妃という「仕事」のスケールの大きさを考えると、雅子様は外務官僚以上の、重大な仕事につかれた訳でもある。
大学時代から、雅子様は不思議なオーラをお持ちで、ほんの短時間しか彼女とお話ししたことのない人をも、あっというまに魅了する素晴らしい能力をお持ちだった。その資質は、むしろ皇太子妃として、よく生かされるのではないかとも考えている。彼女が教室にいらっしゃっただけでも、雅子様を取り囲む空気は何となくよそと違っているような存在感があったと記憶している。
私は、当時から、雅子様は将来何か凄いことをしてくれるに違いないと、心の中で何となく確信していた。皇太子妃になられるとは予想していなかったが、今から振りかえって考えると、雅子様は初めからそう運命付けられていたのではないかという気もするくらいだ。
●ハーバード大学と日本の皇室
これは主にアメリカのメディアを中心として海外のメディアが指摘することであるが、何故ハーバード大学まで卒業した才媛が、日本の皇室のように伝統的な、そして外からみると不可解な世界に入るのかという疑問がある。
この疑問の背景には、皇室自体を何か神秘的でミステリアスで合理的でないものとする、一種、エキゾティズムの上に乗っかった思想があると思う。こうした議論をする人々にとって、ハーバード大学は、自由、合理性、そして西洋的なものの象徴であり、一方日本の皇室は、不自由、非合理性、そして東洋的なものの象徴なのである。
さまざまな伝統やしきたり、そして独自の文化など、海外メディアにとって、日本の皇室というのは、「わけのわからない日本」の象徴として格好の材料になっている感がある。その理由として、皇室や日本についての知識の欠如が挙げられる。
たとえば、アメリカのCBSが製作した世界の皇室や王室を取材する特別企画の「シックスティ・ミニッツ」の中で、アメリカ人特派員が、皇太子ご夫妻がお住まいの赤坂御所ではなく、お堀の前で皇居のほうを指差しながら、「この多くの緑と塀に囲まれた敷地の中で、いったい雅子妃殿下は何をしているのか、我々には少しも窺い知ることはできません。」という、事実誤認の記者リポートを行なっていた。
加えて、これがまさにアメリカ的価値観であると思うのだが、事実がすべてクリスタルのようにクリアーでなければ、問題を感じるという「情報開示の国」アメリカと、一方、物事はすべてを明らかにするところに本質があるわけではないとする「隠しの美学」を持つ国日本のカルチャーギャップがある。
海外メディアの多くが、ハーバード大学まで出た女性が、どういう理由か、何の価値もない生活に自分の身を置いているという発送で、今の雅子妃殿下を捉える。日本の皇室に対する、変な意味での神秘主義、そして実態がわかっていないのに、自分たちの価値観でだけそれを捉えようとする態度が感じられる。
実際、皇太子妃というのは、インテリジェンスと感受性を必要とする職掌であると考える私にしてみれば、ハーバード大学を出たからこそ、皇室に嫁ぐというのももっともだという意見の一つぐらいあってもいい気がするのだが・・・。
●「かごの中の鳥」は本当か?
ニューズウィークが大々的に雅子妃殿下の特集を組んだときにも、「かごの中の鳥」という言葉が比喩として使われていた。「かごの中の鳥」論は内外両方のメディアによってなされている議論で、雅子妃殿下は自由に買い物をしたり、赤坂御所の外に出たりすることができない、それが可哀相であり、雅子様ご自身も不自由に思っていらっしゃるに違いないというのである。
このような報道は、私にはマスメディアの無責任さが感じられるところだ。故ダイアナ妃の場合は少し違ったかもしれないが、たとえば、英国王室のメンバーが自由に外出したり、また99年6月に結婚したエドワード王子やその妻ソフィーのようにそれぞれが職業を持つというのは、王室をある一定の距離を持って見つめるという、成熟したマスコミと一般国民の存在を前提にしていると思う。果たして、日本のワイドショーなどのメディアを見ていると、そうしたいい意味での皇室への「距離感」が可能であるかどうかは、はなはだ疑問である。
ニューズウィークがとりあげた「沈黙するプリンセス」というテーマにしても、そうした状況を作り上げたのは、宮内庁もさることながら、今のマスメディアにも責任があるのではないだろうか。
たとえば、お二人が、ご結婚内定後、初めて開いた記者会見の中で、雅子さまが、わずか数十秒ながら皇太子殿下よりも長くお話しになったというので、批判を受けたということがあった。こうしたことにもっと寛容にならなくては、皇室のドアは、我々に向けてますます閉じられてしまうだろう。
もう一つ疑問なのは、雅子妃殿下ご自身が、こうした状況にフラストレーションを感じておられるかのような論調である。大学時代以降に私が知っている妃殿下のご性格を考えると、マスコミが言うような不自由さを妃殿下が感じておられるとは私には思えない。雅子様は皇室に入る際に、さまざまな制約があることを十分理解して、ご結婚を承諾されたはずだし、「沈黙」といってももともと自ら積極的にお話しされるご性格でもない。
現在の雅子妃殿下はご自身の妃殿下としての立場を全うしようと尽くされておられるとうかがっている。そこは、英国の故ダイアナ妃が、二十歳という若さで、王室のメンバーになることの責任と自覚の欠けたまま結婚し、後になって「こんなはずはなかったのに」とがっかりされたのとは、全く異なっている。妃殿下は責任と義務のためには、自分の自由を犠牲にして尽くすことを潔く行える方だと思う。
たとえのレベルが違うかもしれないが、雅子さまが、まだ小学生だった頃、クラスの「動物係」に選ばれたことがあった。その際、雅子さまは毎日誰よりも朝はやく学校に出かけては、動物の面倒を熱心に見ていたという。また、その後、大学時代も、外交官試験に受かってからは、私達と一緒によくお茶を飲んだり食事をしたりされていたが、私よりも歳が上で早く試験を受けられる状況にあったので、試験が済むまでは、お茶などに立ち寄ることなく毎日、授業が終わるとすぐに自宅に戻られて勉強をされていた。そうした意味でも、責任感と達成意欲の大変高い方であると常々思っていた。
雅子さまはちょっと不思議なところというか、浮世離れしたところがあって、当時から、私や友人が語る大学の授業やシステムに対する不満なども全く感じない、いい意味での鈍感さをお持ちだった。普通、人間は誰でも、自分の置かれている環境に対して、「これがもっとこうだったらいいのに」とか、「これはこうあるべきだ」という考えを持つものだ。
だが、雅子妃殿下の場合は、どんな理不尽なことが起ころうとも「柳に風」とばかりに、サラリと受け止めるという能力を持っておられた。最初に雅子様が妃殿下に内定したというニュースを聞いたとき、私ともう一人の「仲良しグループ」の友人は「大丈夫かしら?」と心配した。しかし、二人で考えれば考えるほど、雅子様の「柳に風」スタイルは、日本の皇室の妃殿下という難しい立場にお成りになるのに相応しいのではないかという結論に達したのだった。
そのような雅子妃殿下の性格をよく表しているのが、これほど多くの報道がされているにもかかわらず、妃殿下はご自身に関する記事をほとんどお読みにならないということだ。故ダイアナ妃が、マスコミの取材対象となることを嫌がりながらも、一方で自分のことを扱った記事や新聞をチェックし、また時には自分の書いて欲しいことを書いてもらえるように、マスコミや友人に情報をリークしたり、新聞の記者やテレビのプロデューサー達をケンジントン宮殿に招いていたのとは大きな違いだと思う。
日本の皇室でも美智子皇后は、ご自分の記事や番組をご覧になり、またご友人達にもご自身の気持ちをよくお話しになっているという。そのことで、美智子様のご様子が我々国民に比較的伝わりやすいということもあるようだ。
しかし、幸か不幸か、雅子妃殿下にはそうした「欲」のようなものが一切ない。それがマスメディアや一般の国民からすると「不自由な、外界との接触が断たれた環境にいる」ように見えてしまう。
そこに一般の人々が想像する「雅子妃殿下」像と実像との、大いなるギャップがあるのではないか。また、雅子妃殿下をよく知る方のお話によると、妃殿下は自分の妃殿下としての任務と責任を果たすことに懸命で、不自由や窮屈を感じるようなメンタリティではないとのことだ。
●お世継ぎ誕生のプレッシャー
最近の女性週刊誌などは、皇室の「お世継ぎ問題」を抜きには存在しないというようなありさまだ。
このテーマから抜け出せないところに、「キャリアウーマン」出身の妃殿下が、皇室に革命的な変革をもたらすことを期待しながら、一方で日本古来の家族制度的価値観から抜け出せないという、マスメディアの自己矛盾を感じる。
お二人の間にお子様がまだ生まれていないことで、「もしかして夫婦として仲がよくないのでは?」という疑問を差し挟む向きもあるようだが、お二人に実際にお会いしている人々から話をきくと、雅子妃殿下は心から殿下のことをご尊敬しているし、お二人が一緒に(公の席ではなく、プライベートに)いらっしゃるときも、大変仲睦まじいご様子であるという。
現在の雅子様は、カメラ、音楽、テニス、山登りなどを殿下と共に愉しむというご様子で、お二人にお会いしている方の話によれば、「ご結婚前は、充分時間があってしょっちゅうお会いしていたお二人というわけにはいかなかった分、ご結婚生活の中で恋愛感情をお育てになっている」とのことだった。そうした意味でも、ご結婚されて数年間はお子様がいないお二人の生活の中で、お二人の関係をさらに育んでいかれているのは、むしろ望ましいことで、夫婦仲のよろしいことの証左ではないか。
ただ、お子様のことについては、雅子妃殿下ご自身もプレッシャーを感じておられるようだ。宮内庁関係者によると、天皇・皇后両陛下もお子様を早くと期待されている。また、宮内庁でも、お世継ぎができるまでは、外国訪問の行事は入れにくい空気があるらしい。
実際に外務省には海外から招聘の申し込みが数多く届いているようなのだが、宮内庁にまわってきた段階で、なるべく控えるという結論を出さざるをえないという。たとえば99年は、ドイツで「ドイツにおける日本年」という国をあげてのイベントが始まっている。その名誉総裁でいらっしゃるのが皇太子殿下なのだが、そうした背景があってか、ドイツの招きを受けて、9月の開会式典に出席されたのは秋篠宮殿下だった。
こうしたことは、日本にとってもまた諸外国にとってももったいないことであろう。いっそのこと、お世継ぎが生まれるまでという考えを改めて、積極的に外国訪問を行っていってはいかがだろう。
皇太子殿下と妃殿下の魅力と資質をもってすれば、素晴らしい仕事をされると思うし、お二人ともまだ若く体力もおありになるのだから、以前にも行かれた中東だけでなく、いわゆる発展途上国にも行かれて、日本の皇室外交を充実していただきたいと願うものである。
●皇室の在り方
最後に皇室の在り方について思うところを述べさせていただきたい。それは、いわゆる先例主義を廃止して、新しい皇室像を作り上げるために、皇太子殿下と妃殿下という若いカップルの資質をもっと生かしていくべきではないかということだ。
今の皇室では、さまざまなことが、先例主義で規定され、先例がないものはなかなか実現にいたらないと宮内庁関係者から聞いた。
確かに先例では、お子様を生む前に積極的に外国訪問に出るべきではないということになるのかもしれない。
しかし、世の中は刻々と変化している。たとえば夫婦が共に仕事を持ち、あえて子供をつくらないという人々も確実に増えている。国全体でいえば、そうした夫婦の増加が少子化傾向に拍車をかけるという問題点はある。しかし、だからといって、若いカップルがお世継ぎ問題のことばかりクローズアップされるのはお気の毒である。常に国民と共にありたいと願う皇室を実現していくのであれば、皇室の有する価値観も過去の歴史にばかりとらわれるのではなく、同時に将来も見据えていく必要がある。
皇太子殿下、妃殿下については、新しい時代に合った新しい価値観を作り上げる役割を担っている方々であると、私は認識しているし、マスメディアそして国民もそうした意味で彼らを暖かく見守っていくべきではないだろうか。
私が、特に妃殿下にご期待申しあげるのは、たとえ地味でも構わないから、ご公務のなかからご自分が共感できるテーマを見つけられて、それと共に歩んでいっていただきたいということだ。今の、「お子様ができるまでは……」といった風潮の中では、難しいことなのかもしれないが、雅子様の人間的器の大きさを知る者として、大いに期待したいところだ。
雅子様は、婚約後の記者会見の中で、「後悔のない、良かったと思える人生にしたい」とおっしゃった。果たしてそのために妃殿下は何を突き詰めていくのか、具体的に何を追及していかれるのか、もし私が雅子様にインタビューできるとしたら、その点をぜひうかがってみたい。
単に家柄がいいなどの理由ではなく、雅子様のお人柄、そしてご自分で努力して手にいれたキャリア等を皇太子殿下が誰よりも評価したからこそ、お二人はご結婚されたと思う。そうした意味で、お二人のご結婚は日本人の意識を大きく変革したといえよう。今後も、皇太子殿下そして妃殿下の生きる姿勢が我々を勇気づけ、意識を共有しあえるものであってほしいと心からご期待申しあげたい。
雅子さまの処女膜を破ったの誰だろう? 暗殺恐れずに名乗り出てよ!
>25
ヒロノミヤ
> 25
ハーバード大学時代の同棲相手:John Rosenthalクン(ロースクール卒業:大手法律事務所勤務)
今のサヨク天皇家を侮辱するのは、コヴァに決まってる
女の雅子を攻撃するのは、女性蔑視のウヨに決まってる
雅子さまの流産はネタで、実は宮内庁による強制堕胎だった。
実は胎児のDNA鑑定の結果から、皇太子殿下の御精子ではないことが判明。騒ぎが大きくなる前に、堕胎させた。お相手は不明だが、外務省時代の恋人の存在がクローズアップされている。
31 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 01:09
>27
またストーカーオヤジは
わけわからん名前つくって。(藁
寮に女性のルームメイトと住んで同棲か?
すぐにばれるデマ流すなよ。
32 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 01:10
>1=25=27=28=29=30
33 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 01:12
>30
ほんとにおまえって雅子ストーカーだな。
必ず皇室スレや雅子スレに出てくるな。
毎日そうやって嫉妬に苦しんでるのか?
皇太子夫妻の仲睦まじい様子にイラついてるクチだろう(藁
34 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 01:15
横恋慕嫉妬オヤジの狂いっぷりには笑えるな。
>28、29
女の雅子に横恋慕して、デマ流してるのは、嫉妬オヤジに決まってる(藁
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
◆両家そろって夕食会
記者会見をすませたお二人は、午後三時二十分から、常陸宮さま、秋篠宮さまなどの各宮邸を同じ車で回り、婚約のあいさつをされた。
その後、同七時からは赤坂御所で約三時間にわたり、秋篠宮ご夫妻、紀宮さま、雅子さんの妹二人も交え、両家全員がそろって内輪の夕食会が開かれた。
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/93/93n1c.htm
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
雅子さまはこれまで、誕生日に宮内記者会の質問に文書で回答を寄せていたほか、皇太子さまの会見に同席されたことはあるが、一人での会見は初めて。
まず、この一年を振り返って「北海道のトンネル崩落事故ですとか、夏以降、全国的に発生いたしました病原性大腸菌による被害など痛ましい出来事がいくつかございました。そのほかにも、薬害エイズ問題、沖縄の基地問題ですとか、重い課題の多い一年だったのでは」と述べられた。
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
毎日新聞特集記事(94年)
雅子妃のもっとも身近にいた人物に会った。小和田家のお手伝い、皆川薫さん(43)。
「今の雅子さまが、本来の雅子さまだと思います。おっとりした方です。キャリアウーマンは、
マスコミが作り上げたイメージに過ぎません」。結婚後、雅子妃の母優美子さん(58)は
「外務省で仕事をするより、結婚を選んだことはあの子にとって良かった」と話していたと明かす。
皆川さんによると、雅子妃はお忍びを含めてこれまで東京・目黒の小和田家に5回ほど里帰りした。
うち2回は皇太子さまも一緒だったという。「かいがいしい感じで……。殿下に私が料理を出す時も
手を添えてくれたり、普通の新婚さんですよ。何かを変えようとして皇室に入ったわけじゃないんです。
皆さんが期待され過ぎている」と語る。
控えめな性格については、周囲の見方もほぼ一致する。
皇室会議の日のロイヤルイエローのドレスを作り、今も雅子さまの洋服作りを手掛ける
ファッションデザイナー、角田明美さん(65)は「初めから静かで優しく、とてもバリバリの
キャリアウーマンという感じではなかった。おばあちゃまとまるで子供のように、コロコロと笑って
話されるのよ」と振り返る。
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
そしてまた、国民の皆さまからも大勢お便りをいただきましたり、温かい励ましをいただきましたことも、忘れられないことでございます。どれほど多くの方々の善意に支えられて自分があるのかということを身に染みて感じました。国民の皆さんの温かいお気持ちにこの場をお借りして、深くお礼を申し上げたいと思います。
雅子さんは38歳かよ。そろそろ更年期障害になるんだろ!
童貞だった皇太子クンは熟練テクの雅子さんしか♀を知らないんだろう?早く25歳未満の処女と再婚させろ!
47 :
↑:2001/02/26(月) 01:53
童貞で結婚もできないブサヨク発見!(藁
48 :
日本@名無史さん:2001/03/13(火) 22:06
側室が必要だね
49 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 12:28
現在に民法では側室は持てないよ。
さらに御落胤は皇族になれない。
50 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 13:52
ここの大量コピペもアライなのか?
52 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 14:03
元良親王(890-943)は陽成天皇の第一皇子ですが、陽成天皇が退位(884)した
後に生まれた皇子で、その時は既に皇位ははるか遠縁の光孝天皇−宇多天皇
といった系統に移っていましたので、天皇の位は望むべくもない立場でした。
しかし家柄の良さは申し分なく、かなり女性にもてたようでプレイボーイと
して名を馳せていました。この歌は実は宇多天皇の后である京極御息所との
情事がばれてしまい、謹慎をくらっている時に、全くこりもせずに、その御
息所への思いを歌ったものです。
(平安時代の日本というのは、在原業平などの例にも見るように、天皇の后
と関係を持っても、命を取られるような罪には問われない。おおらかな社会
であった。)
歌の意味は良いでしょうか。
この歌の主題は「身を尽くしても会はむとぞ思ふ」この身の全てに代えても
あなたとお会いしたい。むろん「会う」は表現上は顔を見るということです
が、内容的には当然Hしたいという意味で、プレイボーイならでは許される
表現です。
「身を尽くし」が澪標(みをつくし,水脈つ串)との掛詞になっています。
澪標というのは、水脈(みを)を航行する船に報せる為に海に立ててある杭の
ことで、「難波の海に立っている澪標」という形で「身を尽くし」を導いて
いることになります。
そういう訳で、通して解釈するとこういうことになるでしょうか。
あなたのことを思い、また世間の噂に苦しみ、日々辛い思いをしております。
しかし、もう人に知れてしまった以上同じことですから、できたら難波の海
に立っている澪標の名のように、私も身を尽くして、あなたとお会いしたい。
そんなことをどうしても考えてしまいます。
京極御息所なんて今でいえば第7夫人ぐらいの存在。
というより夫人ともよべない妾の存在で、皇后でも女御でもない。
子供が皇位につくことはありえないからな。
それでもそういう情事はばれるということ。
100代も続いて、天皇と関係をもった女性など数千数万といるだろう
まあ、探せばあるだろ。
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
皇太子妃雅子さまは9日、37歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。昨年末の流産について「国民の皆さんの期待もある中で、結果は残念に思っています」と感想を述べられた。その上で「非常に早い段階から報道が過熱したことについては、戸惑いを覚えたのも事実です」と報道の在り方に疑問を投げかけた。一方「皇太子殿下は常に深い思いやりで私を包み支えてくださいました」と振り返り「国民の皆さんの温かいお気持ちに深くお礼を申し上げたい」と、同じ体験を持つ多くの人から励ましの手紙が届けられたことを明らかにした。
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html
天皇の夫人は貞操堅固(皇統は潔白)が持論の新井が
>>52のレスを
流そうとして、52でちょこっと反論を試みたあと、53〜63まで
大量コピペを展開。わかりやすい人だね。彼は今、「天皇家が存続できた理由」
スレでも活動中の模様。
わかりやすいのは↑の新井。
皇統に関わりのない
しょーもない例(しかも天皇の正式な夫人ではない)を
必死にコピペしたりしてるんだからね。
また、敵を同一人物にするやり方もかわってないようだけど。
66 :
64:2001/03/21(水) 15:50
>また、敵を同一人物にするやり方もかわってないようだけど。
その言葉はあんた(新井)にお返しするよ。
52さんは俺とは別人。52の話は俺は正直知らなかった。
元祖新井君は別人を装うのも得意らしいね。
自分は相手を同一人物にするらしいけど。
>>65 >必死にコピペしたりしてるんだからね。
54〜63までこれだけコピペをしたことについてはどう
思ってんの?これも自分ではないとでも?
新井君の自作自演のログ流ししてるね。
70 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:31
いにしえの貴公子たちの雅びな色好みの心が,いかに素晴らしいものだったかは
>>51の元良親王の和歌からも十分にうかがえますね.
いまどきのあさましい皇族どもの和歌もどき(
>>45)なぞとならべるのは,興ざめ
としかいいようがないが.
71 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:38
雅子記事の大量コピペ犯(こいつもある意味ストーカー)って
アライとは別人の異常者のような気がしていたのですが…
(まあコピペだけじゃキャラまではオモテに出ないからね…)
いつだったか別のスレで、このコピペ犯を追及したら
「鮮人サヨク」といういつものアライ用語をつかって反論してきたので
そのときに、雅子コピペも新井くんのしわざだということが判明した次第です。
72 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:40
なんなんだよこのスレ。
日本史板のスレではないだろ。
というより削除されてもおかしくないぞ。
1は不真面目すぎる。
73 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:42
他人の言葉を借りたり、真似ることは2ちゃんではよくあることでしょ。
何でも一緒にするのはよくないよ。
74 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:43
そうか.こいつも新井だったのか.
考えてみれば,
語彙の貧困さ(例…「嫉妬オヤジの顔が真っ赤」)とか
元祖新井くんのカキコミと似ている点は,いろいろあったよね.
75 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:45
新井自作自演のログ流しか。
76 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:50
1が新井君なんでしょ。
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
皇太子妃雅子さまは9日、37歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。昨年末の流産について「国民の皆さんの期待もある中で、結果は残念に思っています」と感想を述べられた。その上で「非常に早い段階から報道が過熱したことについては、戸惑いを覚えたのも事実です」と報道の在り方に疑問を投げかけた。一方「皇太子殿下は常に深い思いやりで私を包み支えてくださいました」と振り返り「国民の皆さんの温かいお気持ちに深くお礼を申し上げたい」と、同じ体験を持つ多くの人から励ましの手紙が届けられたことを明らかにした。
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html
87 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 16:54
もうやめろよ。新井。
ログ流しであることはもはや誰の目にも明らかだな。
古代天皇系スレ(女帝含む)でまともに議論してるのは、彼らと別なので、
同じに扱わないで欲しい。
彼らの特徴は、体制や右翼左翼、および、上記に色々あるようなコピペと、
互いにか自作自演かわからないが、ののしりあいの書き込み。
言動は明らかに違うのに巻き込まれて困っている。
90 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 19:58
>>53 京極御息所・藤原褒子は,左大臣・藤原時平の娘.宇多帝の女御.
>>90 女御だっけか?子を産んで女御に格上げしたのかな。
まあ、いずれにしても7番夫人くらいだろ。
皇太后を追贈された藤原胤子や、皇太夫人となった藤原温子とは違う。
92 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 20:06
ということは,醍醐帝の母(内大臣・高藤の娘)よりも有力な家の娘だったのだよ.
すでに醍醐帝が幼少で即位していたから,醍醐帝が夭折しないかぎりは
皇位がそっちに伝わる可能性は少なかっただろうけれど.
>90
てゆーか、藤原褒子が宇多の愛人になったのは、
天皇を退いた後の話。藤原時平は、藤原褒子を宇多の息子の
醍醐天皇に嫁がせようとしたが、父親の宇多がかっさらった。
ちなみに藤原時平の他の娘は宇多帝の息子とも結婚してる。
ようするに皇統が定まった後の話。
>92
醍醐帝の母は藤原胤子だろうが。
ようするに京極御息所は天皇の妃ではないと言うこと。
元天皇の愛人のような存在だろ。
96 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 20:28
胤子は藤原高藤の娘ですな
52はわざと天皇の妃と嘘を書いたのかな。
98 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 20:29
>92
有力な家の娘でも、
もはや退位して皇統が定まった後の法皇の愛人。
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
スポニチ
皇太子妃雅子さまは9日、37歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。昨年末の流産について「国民の皆さんの期待もある中で、結果は残念に思っています」と感想を述べられた。その上で「非常に早い段階から報道が過熱したことについては、戸惑いを覚えたのも事実です」と報道の在り方に疑問を投げかけた。一方「皇太子殿下は常に深い思いやりで私を包み支えてくださいました」と振り返り「国民の皆さんの温かいお気持ちに深くお礼を申し上げたい」と、同じ体験を持つ多くの人から励ましの手紙が届けられたことを明らかにした。
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html
109 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 23:12
またログ流すし。何がやりたいんだ?
110 :
日本@名無史さん:2001/03/21(水) 23:17
上げ荒らしも同じ。
111 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 00:05
あれほど言ったのに、まだそんなカキコするですか!もう許さんです!
あんたを許すわけにはいかんです!こんなカキコでレスたくさん付くとでも
思ってるなんて頭おかしーよです!あんたみたいなバカ初めて見たです!
あんたみたいなバカ、ゴキブリ以下です!あんたみたいなバカ、ウジ虫以下です!
あんたは絶対に許されないです!勘違いしたバカを許すわけにはいかんのです!
面白半分にいい加減なカキコするヤツなど許さんです!
キャラメルコーンのピーナッツをケツの穴に詰めて死ねよです!!!
今まであんたがどんな生き方してきたか知らんけど、
どーせひどい生き様だったと想像出来るです!
あんたのカキコから読みとれるです!バカ特有の匂いがするです!
あんたのことが全く理解出来んです!あんたは絶対許さんです!
死んでも許さんです!地獄で苦しめよです!それでも足らんくらいです!
豆腐の角に頭ぶつけて死ねよです!!!
あんたもっと現実を知れよです!
いつまでも引きこもってネクラなことしてる場合じゃないよです!
でも、もー手遅れです!あんたは何をやってもダメです!
この世に生まれてきたことを後悔してもダメです!
あんたは生まれ変わってもどうせダメ人間に決まってるです!
絶対許さんです!絶対許さんです!絶対許さんです!
あんたみたいなヤツは絶対許さんです!早く消えろです!
いつまでも勘違いしたまま生きていけると思ったら大間違いだよです!
誰がコピペの犯人なのか、誰が真の新井なのか、バレバレのスレだな。
発言した前後に、自分の立場を補強するつもりだかなんだか、都合の悪い
レス流しの記事を大量に貼り付けている。新井は世界史板にも出入りして
いるようだね。迷惑を蒙っている人がいるんじゃないかな?
皇統が定まった(?)後ならどんな風紀紊乱があっても構わない、という
ご都合主義の論法を新井は繰り返しているようだが、宇多天皇の父・光孝天皇の
ように何代も遡って親族が天皇に即位した例もある、ということを新井は知らないのか?
少なくとも、中世の皇室の女性は新井が望むような性的に徹底管理された人々
とは限らないのは明らかだな。
新井って何だよ。気に入らない奴みんなに勝手にレッテル貼ってるのか?
そもそもご都合主義はそちらだろう。
例外をわざわざもってきても、それは天皇の妃ではないということを指摘したまで。
またそれは皇統が定まった後ということを説明しただけ。
血統主義であれば、疑いのあるものは皇位につかそうとはしないのは自然でしょ。
光孝天皇に疑いがあったのかね。光孝天皇は退位した後にできた子ではないし、
父親が皇太子時代の子で、皇統も定まってない時期である。
それと、皇室に関わるすべての女性の性を徹底的に管理してたとはいってない。
あくまでも皇統に関わるところの管理はあっただろうと言ってる。また一部の女性に不倫が
あったからといって全体がおかしいとはいえないはず。皇統が変わったという疑いがあるなら、
ソースを出して具体的に指摘しなければ妄想に過ぎないということ。
114 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 08:38
>>112 あのー.コピペ犯は新井のしわざだと思いますが(ほぼ断定),
「皇統が定まった後なら云々」のひとは,新井じゃないと思います.
つーか奴には,そういう筋道だったレスはできないでしょう(笑).
「皇統が定まった後」だから後宮の性の管理が緩くなった,ということが
ありうるのでしょうか?(113でいってるのはそういうことですよね)
たとえば醍醐帝が子をなさないうちに夭折したら,皇統のゆくえはどうなるのか?
というのは,比較的予見可能な事態だと思いますけれど.
宇多帝は,まだ三十三歳くらいの若さで譲位したのだし,
醍醐帝は(数えで)十四歳じゃなかったかな?
115 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 12:40
敦仁親王(醍醐帝)の生年は885年.
父の宇多天皇は,884年4月に源氏を賜って(名は定省)
光孝天皇が病を得た887年秋に,親王に戻されている.
ということは,醍醐天皇は皇子として出生したのではなく
源定省の子として出生したことになる.
すなわち,醍醐帝は皇統を守るための特別な環境の中で
生まれたわけではないのは明らか.
(念のためにいうが,醍醐帝の血統を疑問視しているわけではない.
「皇統を守るための特別な環境」の効果を疑問視しているのである)
>114
新井とかそうじゃないとか一人で勝手に言ってろって感じだね。
>「皇統が定まった後」だから後宮の性の管理が緩くなった,
そんなことは言ってない。状況を説明しただけ。
>たとえば醍醐帝が子をなさないうちに夭折したら,皇統のゆくえはどうなるのか?
藤原胤子の男子(同母弟)が何人もいるだろう。普通に考えれば、
よっぽど困らない限り、あやしいと疑われるようなところにはいかないだろ。
といっても、不倫相手と噂されるのはしょせん皇統に属するものだけどね。
>115
異例であったのは事実だが、
だから疑わしいという具体的なものはなにもないだろう。
疑わしければ、そこを他の勢力に追求されかねない。
「皇統を守るための特別な環境」というのは、
血統主義に基づく以上、全体から見て一般論として言ってるまで。
例外などをいくらもってきたところで、具体的に皇統が変わったという
ことを、ソースを出してと問わなければ、しょせん妄想のたぐいであり、
議論にならない。
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
スポニチ
皇太子妃雅子さまは9日、37歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。昨年末の流産について「国民の皆さんの期待もある中で、結果は残念に思っています」と感想を述べられた。その上で「非常に早い段階から報道が過熱したことについては、戸惑いを覚えたのも事実です」と報道の在り方に疑問を投げかけた。一方「皇太子殿下は常に深い思いやりで私を包み支えてくださいました」と振り返り「国民の皆さんの温かいお気持ちに深くお礼を申し上げたい」と、同じ体験を持つ多くの人から励ましの手紙が届けられたことを明らかにした。
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html
128 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 14:43
>>116 >そんなことは言ってない。状況を説明しただけ。
言ってるじゃないの。
113の言い分によれば、「皇統が定まる」前と後とでは、血統の確からしさが違うんだろ?
129 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 15:25
宇多天皇の生年は867年だが,当時は清和天皇が健在であった.
つまり,彼の出生の時点で,将来,光孝・宇多の系統に皇位が移ると
いうことは,当時のひとはまったく予想できなかったはずである.
(基経が陽成帝を廃したとき,皇族たちの中でマトモなひとはいないか…ともろもろ
物色したあげくに白羽の矢が立ったのが光孝帝.時に54歳であった)
「皇統が定まる前と後とでは,云々」という誰かさんの理論からいえば,
皇統の管理がユルユルな状況で,宇多帝は生まれたことになるが...
(いいかげん,その理論はひっこめたほうがいいんじゃない?)
>128
だからその例の状況を説明し、また基本を説明しただけ。
>129
だから何?としか言いようがないよ。
直系の皇統が途絶えることは当然ありうるわけで、
途絶えればしかるべき皇子に皇統が移るだろう。
皇統の管理とは血統主義である以上、いい加減にはできないだろうという
基本を言ってる。皇統が途絶えれば、しかるべきところの皇統に
変わるわけだが、わざわざ出自がおかしいと疑われてるところに行くのか?ということ。
(ちなみに宇多帝の母は、桓武天皇の皇子、仲野親王の娘、班子女王。)
理論も何も、もともと100%どうとか、そういう主張はしてないだろ。
あんたが皇統が変わったと主張するなら、どこからそうなのか、
具体例とソースを出して説明しなければ議論にならないよ。
ただ、なんとなく疑わしいというなら、そう思ってればいいんじゃない。
DNA鑑定しなければ、絶対に信じないという人もいるようだし。
>彼の出生の時点で,将来,光孝・宇多の系統に皇位が移ると
>いうことは,当時のひとはまったく予想できなかったはずである.
少なくとも、光孝帝が生まれた時点では父親(仁明帝)は皇太子であった。
また、宇多のように一度臣籍降下した後、即位するのは極めて異例なことだろう。
たしかに宇多が出生した時点で、宇多が将来皇位を継ぐ立場とは考えられてない。
臣籍降下した人間が即位するという宇多の例は、皇統の歴史でも異例中の異例だからね。
だから宇多の出自が疑わしいというのであれば、その論拠を記してもらいたい。
DNA鑑定しない限り、歴史上の人物のすべての親子関係は疑わしいという立場なら
どうぞご勝手にそう思っててくださいということです。
132 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 16:51
>具体例とソースを出して説明しなければ議論にならないよ。
115で「念のためにいうが…」以下を読んだかね?
オレは,宇多や醍醐の血統が怪しいという主張をしているのではないのだよ.
あんたの考え方の枠組みが,論理としておかしいということを述べているのだが.
どうして,わからないかな?
133 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:00
113も130も新井だよ。コピペの時間とかレスの時間とか、
スレの展開とかいろいろ見ればわかること。
134 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:02
新井レッテル貼りが、実のところ新井のわけだろ。
もともと実態がないんだからね。
135 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:04
>新井って何だよ。気に入らない奴みんなに勝手にレッテル貼ってるのか?
レッテル貼りはそもそもおまえの十八番じゃないか。
笑止だね。
136 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:05
>新井レッテル貼りが、実のところ新井のわけだろ。
そうそう、だからおまえが新井。紛れもなく本物のね。
137 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:08
>132
だから、基本を言ってるのであって、すべてそうだと言ってないのに、
異例をもってこられて、どうだと言われても困るだろう。
138 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:09
まあ、新井レッテル貼りは無視しましょう。
イタイだけだから。
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
スポニチ
皇太子妃雅子さまは9日、37歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。昨年末の流産について「国民の皆さんの期待もある中で、結果は残念に思っています」と感想を述べられた。その上で「非常に早い段階から報道が過熱したことについては、戸惑いを覚えたのも事実です」と報道の在り方に疑問を投げかけた。一方「皇太子殿下は常に深い思いやりで私を包み支えてくださいました」と振り返り「国民の皆さんの温かいお気持ちに深くお礼を申し上げたい」と、同じ体験を持つ多くの人から励ましの手紙が届けられたことを明らかにした。
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html
新井のコピペが始まったよ。
>149
自作自演ウザイ
>150
はあ?おまえがやったくせになに言ってるんだよ。
自作自演にしたいんならもう少し時間の間隔あけて出てこいよ。
頭使え、低脳。
新井くんもコピペばっかりやってないで,議論に参加したらどうだい(藁
>>133 >113も130も新井だよ。コピペの時間とかレスの時間とか、
>スレの展開とかいろいろ見ればわかること。
いやー,オレも一瞬それを疑ってしまったんだが,それだけで新井と断定しちゃダメよ.
153 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:21
新井は自らコピペを貼って、今度はそれを反新井側の新井潰しに
見せかけようとしてるわけだね。
113や130とコピペ犯は同一人物だろうよ。
レスとコピペの時間を見てみなよ。
>>153 それはもしそうだとしたら,かなり無謀だなあ.
新井以外にこんなアホなコピペするやつがいるなんて,誰も思うまい.
156 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:28
何でも「新井」とレッテル貼ることで
その人のストレスが解消するなら
気がすむまでやらせてあげればいいじゃない。
そのうち馬鹿馬鹿しいことに気づくよ。
まあ、俺も多分「新井」とレッテル貼られるんだろうな。
別にいいけど。
157 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:29
>>155 そうなんだけど、150はそういうことを企図した新井のレス
だと思うよ。そういうこと平気でやるよ、彼は。
158 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:29
>レスとコピペの時間を見てみなよ。
149もコピペの二分後。
自作自演と疑われても仕方あるまい。
159 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:29
>156
おまえ以外には貼らないから安心しろ。別人を装ってもすぐわかる(藁
わかりやすい腹話が続くね。
161 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:31
>158
罠にひっかけたつもりで150のレスをつけたわけね。
162 :
156:2001/03/22(木) 17:31
>>159 はいはい、私も「新井」です。
気がすんだ?
163 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:32
腹話という表現を使うあんたが一番わかりやすいよ。
>162
君だけが新井。「も」は余計。
165 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:33
新井新井とうぜーよ。
150は俺だよ。だからなんだ?
ウザイからウザイと言ったんだよ。
勝手にやってろ!バーカ!
166 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:33
新井を複数にして矛先をかわそうという算段ですか>156
167 :
156:2001/03/22(木) 17:34
>>164 はあ、私だけが「新井」ですか。(笑
ではそうしときましょう。
気がすみましたか?
誰かさんの頭の中では、敵はみんな「新井」となってるようだな。
>167
気が済む済まないの問題じゃない。わかる人にはわかる。
君が新井。
>169
>わかる人にはわかる。
わかる人=新井 (ワラ
171 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:38
誰でも無差別に「新井」よばわりすることによって
いちばん利益を得ているのは当の「新井」自身だ.
新井自身が,さいきんやってるのをみてもわかるね.
「新井」というレッテル張りの効果を薄めるのが彼の狙い.
だから,「新井」であることに確信をもてないうちは,
疑わしくても「新井」のレッテルを貼るべきではないだろう.
新井の乱発は,本物の新井が喜ぶだけ.
172 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:38
どうせこのあたりで新井の自作自演レス・アンド・コピペが
また始まるんだろ。
173 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:39
俺は新井だっーー!!
文句あっか。
>171
そのとおりなんだけど、170とかはやはり新井だと思うよ。
どう考えても。
>新井の乱発は,本物の新井が喜ぶだけ.
ネット上で本物の新井など特定しようがないだろ
新井とレッテル貼る奴が、実のところ新井なんだよ
176 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:42
新井君は腹話が好き。
177 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:42
やあ、新井だぜ。
みんな元気か?
>175
まあネット上で特定しようがない、ってのは一見真実っぽいんだけど、
君のレスはすごくわかりやすいんだよ。もうちょっと研究したら?
「腹話」術。
179 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:44
新井とレッテル貼ることで意味があるのは、
一人か二人だけ。普通の奴は呆れてる。
180 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:46
>178
新井レッテル貼りのがはるかにわかりやすい。
だって「あいつは新井だ」と自ら名乗ってるからね。(ワラ
>新井とレッテル貼る奴が、実のところ新井なんだよ
ものすごく強引な論理だね。バカと言ったやつが一番バカとかいうのと
同じで、まったく意味がない。
182 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:47
新井よりも新井嫌いの無根拠左翼のほうが問題。
183 :
156:2001/03/22(木) 17:47
勝手にやらしときゃいいんだよ。
そのうち馬鹿馬鹿しさに気づくって。
184 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:47
>180
それをやってるのは一人だって思ってるんだろうけど、
一人じゃないんだよ、これが。君は目立ちすぎたね。
>181
いや、しょせん実態のないものだろ。
だから「新井」という言葉を言い出したやつが新井なんだよ。
180=182=183
典型的新井の「腹話」術
>>175 新井が他人をよそおったレスを見破るのが難しいのと同様に,
正常人が新井をよそおうのも,難しい.
アライ語のモノマネを試みることはできても,ネイティブの新井のように流暢なアライ語を
あやつるのは正常人にはムリだろう.
あの隔絶した言語センスと思考形式そのままに,アライになりすますことは不可能なのだ.
…ということで,新井はその意味で特定可能.
188 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:50
>185
>だから「新井」という言葉を言い出したやつが新井なんだよ。
自分の中では論理性のある台詞のつもりなのかも知れないけど、
新井くん以外の平常人の頭では理解できない論理だよ(笑)
189 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:50
>184
そうやって同一視する君が一番痛いんだよ。
190 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:52
まあ、わかったことは「新井レッテル貼り」が暇人ということだね。
191 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:53
>>189 ネットじゃ人間を特定できないはずなのに、自分のレスを悉く
名指しされて驚いてるのは君(新井)自身なんじゃないか?
本当にわかりやすいんだよ。
192 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:54
もっと「新井」と呼ばせてやれ。(藁
彼のキティ害ぶりはなかなかおもしろいよ。
193 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 17:56
>191
馬鹿みたいに「新井」「新井」と騒いでるからだよ。
普通の感覚からは異常としかいいようがない。
で、また新井とレッテル貼るのか?
勝手にしろよ。
194 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 18:17
世の中には「新井」と自分しかいないと思ってるんだろ?
192=193=194=新井
196 :
日本@名無史さん:2001/03/25(日) 13:40
新新井もおるで
197 :
日本@名無史さん:2001/03/25(日) 14:32
196さんは、新井(本人)ですか?
それとも、偽新井(新井のふりをして面白がる人)ですか?
どっちにしても迷惑このうえないが。
sage 忘れた。鬱だ。
雅子妃は「かごの中の鳥」ではない(文芸春秋2000年1月号)
『元級友が明かす知られざる素顔』
「東京大学から外務省に入ったキャリアウーマンが皇室の
因習の中で・・・でも私が見た雅子さまの実像は全然違う」
工藤雪枝(キャスター・ジャーナリスト)
●友人が妃殿下になった日
1993(平成5)年の一月初旬、当時の小和田雅子さんが皇太子妃に内定したというニュースが発表となった日、私の家の留守番電話はパンク状態となってしまった。たまたまその日は、私は地方に出かけており、「内定」のニュースさえも気づかないでいた。そんな中、家に戻ってくると、日本のテレビ各局、また様々な新聞社、雑誌社からのメッセージが入っていた。
どれも「もう既にご存知でしょうが、今回の件について、コメントをいただきたい」という非常にあいまいなものだったので、何だろうと思いつつテレビをつけて、私は大学時代の仲のよい友人が皇太子妃に内定したというニュースを知ったのだった。
そのとき、既にテレビのキャスターとして、またジャーナリストとして仕事をしていた私にとって、職業的理由を鑑みても、その日を境に、これまでの「友人」は、もうお会いできない存在となった。またもちろん、現雅子妃殿下にとっては、その日を境に、自らの一挙手一投足が、世間の注目を浴びることになった。友人として、その幸せなニュースを心から祝福すると同時に、その日から、雅子妃殿下と私はもう気軽にお話ししたり、お会いできなくなるのかと一抹の寂しさを感じた日だった。
雅子妃殿下と私がはじめて出会ったのは、86(昭和61)年、私が東大の法学部の学生だった頃、雅子さまが米国のハーバード大学を卒業されて、東大の法学部に学士入学されたのがきっかけだった。当時の私の親友が、学士入学組で、雅子さまと同じ系列の学校に高校まで通っていたこともあり、我々三人、また時にはもう一人加わって四人で食事をしたりしていた。その頃は、雅子様が皇太子妃になられるという噂さえ出ていなかった。雅子様は既に外交官試験に合格されたばかりだった。
私達は雅子さまのことを、「オワ」というニックネームで呼んでいたのだが、外交官試験に受かって外交官として、様々な土地に赴任していくであろう彼女の結婚相手を心配して、「外交官になったら、やはり芸術家と結婚するしかないんじゃない。もし相手が作家とか画家だったら、オワの赴任するところに、どこにでもついてきてくれるわよ。」などと、今から考えると大変失礼極まりない「提言」までしていた。オワはそんな私達の提案を「そうね」といいながら、半ば面白そうに、微笑みながら聞かれていたのを思い出す。
その後、オワが雅子妃殿下になられてから、大変な量の情報がメディアによって流された。私自身も、当時はテレビ朝日でフリーのキャスターとして仕事をしていたこともあり、テレビ朝日の皇室関係の特番やご成婚の際のニュース番組など数多くの番組の取材を受けたり、友人として出演もした。他の民放はもちろんのこと、海外のメディアでもアメリカの三大ネットワークのCBS、NBCをはじめ英国のBBSの取材を受けた。他にもニューズウィークの国際版が「静かなプリンセス」(原題「サイレントプリンセス」)という特集を組んだときにも、文章を寄稿した。しかし、雅子妃殿下に関する報道や記事を目にしたり、自分自身が取材される中で、次第に疑問に感じるようになったのは、雅子妃殿下の本当の姿がマスコミの都合で歪められていることだ。
私自身は、たとえ短い期間であったとはいえ、親密なお付き合いを通じて、雅子妃殿下のお人柄や、本当の姿にいろいろな形で触れることができた。ところが、日本の、そしてまた海外のマスメディアは彼女の本当の姿を知らずに、多くの面で勝手に誤解し、また造られたイメージに振り回されているように思う。私自身、そういった面を少しでも是正できたらと考えて、これまで数多くのメディアの取材に応えてきた。メディアを通して伝えられる雅子妃殿下の情報が少しでも正確なものになるようにと、自分なりに使命感のようなものを感じて、できるだけそのような依頼に応じてきたつもりだ。
しかし、テレビの場合でも、また活字の場合でも、私自身が言いたいこと、雅子妃殿下の人となりといったものが、「編集」という作業を経てみると、歪んで伝えられるということを身をもって体験するようになった。事実に近いことを話せば話す程、その部分は編集でカットされ、「不幸せで、かわいそうなプリンセス」というマスコミの望むイメージにそったコメントが部分的に使われるということを、嫌と言うほど経験した。
たとえば、某民放の取材を受けたときなども、「雅子妃殿下はお幸せだと思いますか?」という問いに対して、私は「お会いしていないので、詳しいことは分かりませんが、いろいろな方から伺うところによると、お幸せだということですよ」と答えた。しかし、結局、番組で使われていたのは、「お会いしていないので、詳しいことは分かりません」というパートだけだった。その後の場面は、「友人にも会えない妃殿下、友人達も、妃殿下の今の生活がお幸せかどうか分からない」といった流れで作られた。
私が結婚後の妃殿下にお会いしていないのは、自分がジャーナリストであることからこちらからご遠慮しているのが一つ。また宮内庁記者クラブの「慣習」で、マスコミ一社が代表して皇族に会うことは許されないという制約があるからで、決して、今の妃殿下が友人にも会えない閉ざされた環境にいらっしゃるということではない。
そういう点も含めて、少なからず雅子妃殿下の素顔を見知った者として、また数多くのマスメディアの取材を受けてきた者として、我々日本人が、否、世界の人々が雅子妃殿下に対して抱いている幻想や誤解を少しでも改めるべく、この文章を書くことを決意した。雅子妃殿下を擁護するための文章を書こうとしている積りはなく、妃殿下に関する報道のあり方に疑問を感じる一ジャーナリストとして、様々な報道と事実の違いを明らかにしたいという一心から筆を執った次第である。
●ご結婚に至るプロセス
多くのメディアの論調に見られるものだが(特に海外のメディアに多いような気がするが)、雅子妃殿下が「不幸」である理由の一つとして、そもそもご結婚にいたるプロセス自体が、周りからお膳立てされたもので、雅子妃ご自身の意志を無視したものではないか、ということを挙げている。
皇太子殿下と雅子妃殿下との関係が結婚へと発展していくにあたっては、外務省関係者など、いわゆる「仲人」のような方々の存在があったことは、事実である。
しかし、たとえそのような状況から始まったご関係であっても、雅子妃殿下は、「皇族の方に求婚されて断れないから」という理由で、ご結婚を決められたわけでは決してない。ご自分の意志でお断りしてもかまわないということは、最後まで自覚しておられた。プロポーズをお受けするにあたっては、周りのプレッシャーから決められたのではなく、あくまでご自身の意志で決断された。
そもそも、雅子妃殿下が、皇太子殿下とのご結婚を承諾されたのは、92年12月12日のことだとうかがっている。その直前の11月、共通の友人の結婚式で、私と雅子さまとは席が隣同士となり、久々に、ゆっくりとお話することができた。
その日は丁度アメリカの大統領選挙の結果が出る日と重なっており、二人で「クリントンが勝つとどうなるか?」などと話をしたのを覚えている。私が気軽な気持ちで、「オワは結婚はどうするの?」などと質問を差し向けると、「私はまだまだよ」などと屈託なく答えておられた。
でも、あとでうかがったところでは、雅子様にはその半年ほど前から、皇太子殿下からプロポーズの意志が表明されていたという。それから半年程の間に、雅子さまは皇太子殿下の誠実なお気持ちに対して、ご自身も誠実にお応えしようという気持ちに次第になっていかれたとのことだ。
学生時代から、雅子さまはどちらかというと、積極的に、あるいは自分から主体的に行動するタイプではなく、周りから何かを望まれて行動に出るとか、周囲の期待にご自身の気持ちを協調させていくというタイプの方だった。おそらく殿下の心からのお気持ちに応えるように、ご自身の気持ちを熟成されていかれたのだと思う。短いながらもしっかりとした殿下とのお付き合いを通して、雅子様の心の中に殿下に対する深い尊敬と信頼の念が芽生えたともうかがっている。
正直なところ、私も突然の「内定報道」には、「オワの女性としての気持ちはどうなのだろう?」などと心配したこともあった。
でも、実際、結婚のご内定が明らかになり、報道陣の前に姿を見せた雅子様は、私達友人がこれまで見たこともないような、幸福な女性でなければ見せられないすばらしい笑みを浮かべていた。それを見て、私は、「オワは本当に幸せなんだな」とホッとしたのを今でもよく覚えている。また、ご成婚の時のパレードでも、雅子妃殿下は本当に輝いていた。今、お二人の、仲睦まじいご様子をテレビなどで見るにつけても、お二人の気持ちはしっかり繋がれていると確信している。雅子妃殿下は、皇室の中での振る舞いその他のことでも、皇太子殿下の適切なアドバイスを最も頼りにされており、折りにふれ相談されていると聞く。
●「キャリアウーマン志望」は間違い
これも多くのメディアで語られていることだが、雅子様は外務省のキャリア外交官としての華々しいキャリアをお持ちでありながら、もったいないことにそれを捨てて皇室に入ったという、彼女の「職業上の選択」を嘆く(?)議論がある。
私は、この点で、マスメディアも、そして一般の人々も最も大きな誤解があると思う。多くのテレビ映像や、写真で報道された颯爽としたキャリアウーマンの雅子様は、キャリア指向の強い、バリバリの働く女性としての印象を与えたかもしれない。でも、私が知る実際の雅子様は、一般に流布している、いわゆる「男勝りのキャリアウーマン的資質」を、ほとんど持ち合わせていない。
こう書くと、外務省時代の雅子さまに対して失礼かもしれないが、大学時代から、雅子様ほど、今では化石となってしまった感がある「大和なでしこ」のような方はいないというのが、友人達皆の意見だった。私達が数人で、お茶を飲んでいる時も、いつも話をしているのは私かもう一人の友人で、ご自分のほうから何か話をされるということはあまりなかった。雅子様ほどの聞き上手はいないというくらい、どちらかというと大変おっとりして、のんびりしたタイプの女性だった。
雅子様は、世界各地で教育を受けた国際人でありながら、「自分はやはり日本人として、日本のために生きたい」と考えて、帰国を決意されたと聞く。私が見るかぎりでも、自分の考えを胸の中でしっかりと捉えて、表面的に大騒ぎしたりしない安定感を持っておられたという印象が強い。当時の東大の女子学生はキャリア指向を強く持ち、自分を全面的に打ち出していくようなタイプの女性が多かった中で、雅子さまはとても自然体だった。キャリアウーマンというよりも、いい母親になるのではという感じさえ私は持っていた。同時にどんな環境にも自然に馴染む柔軟性を持っていらした。
そんな雅子様の資質を考えると、外務省のバリバリ外交官よりも、むしろ皇太子妃のほうがあっていらっしゃるように思える。流れる水のごとくどんなシステムにも、自分を合わせていく類まれなる資質をお持ちだったからだ。人を押しのけるようなアグレッシブな面とか我の強さといったことは、全くといっていいほど持っておられなかったので、私たちは雅子さまとお話ししていると、自然な安らぎを感じられた。外務省のキャリアを捨てたのがもったいないという感覚は、私たち友人には当時も今も基本的にない。
また私の友人等から聞いた話では、何よりもご本人が、外務省の仕事に関しては、このまま続けていくと、体力的にも精神的にも疲れてしまうのではないかという気持ちを持たれていた時期もあったという。そういった意味でも、雅子妃殿下ご自身の後悔はないと確信している。東大法学部から外務省=キャリアウーマン志向というマスコミの見方は、あまりに短絡的ではあるまいか。別の見方をすれば、皇太子妃という「仕事」のスケールの大きさを考えると、雅子様は外務官僚以上の、重大な仕事につかれた訳でもある。
大学時代から、雅子様は不思議なオーラをお持ちで、ほんの短時間しか彼女とお話ししたことのない人をも、あっというまに魅了する素晴らしい能力をお持ちだった。その資質は、むしろ皇太子妃として、よく生かされるのではないかとも考えている。彼女が教室にいらっしゃっただけでも、雅子様を取り囲む空気は何となくよそと違っているような存在感があったと記憶している。
私は、当時から、雅子様は将来何か凄いことをしてくれるに違いないと、心の中で何となく確信していた。皇太子妃になられるとは予想していなかったが、今から振りかえって考えると、雅子様は初めからそう運命付けられていたのではないかという気もするくらいだ。
●ハーバード大学と日本の皇室
これは主にアメリカのメディアを中心として海外のメディアが指摘することであるが、何故ハーバード大学まで卒業した才媛が、日本の皇室のように伝統的な、そして外からみると不可解な世界に入るのかという疑問がある。
この疑問の背景には、皇室自体を何か神秘的でミステリアスで合理的でないものとする、一種、エキゾティズムの上に乗っかった思想があると思う。こうした議論をする人々にとって、ハーバード大学は、自由、合理性、そして西洋的なものの象徴であり、一方日本の皇室は、不自由、非合理性、そして東洋的なものの象徴なのである。
さまざまな伝統やしきたり、そして独自の文化など、海外メディアにとって、日本の皇室というのは、「わけのわからない日本」の象徴として格好の材料になっている感がある。その理由として、皇室や日本についての知識の欠如が挙げられる。
たとえば、アメリカのCBSが製作した世界の皇室や王室を取材する特別企画の「シックスティ・ミニッツ」の中で、アメリカ人特派員が、皇太子ご夫妻がお住まいの赤坂御所ではなく、お堀の前で皇居のほうを指差しながら、「この多くの緑と塀に囲まれた敷地の中で、いったい雅子妃殿下は何をしているのか、我々には少しも窺い知ることはできません。」という、事実誤認の記者リポートを行なっていた。
加えて、これがまさにアメリカ的価値観であると思うのだが、事実がすべてクリスタルのようにクリアーでなければ、問題を感じるという「情報開示の国」アメリカと、一方、物事はすべてを明らかにするところに本質があるわけではないとする「隠しの美学」を持つ国日本のカルチャーギャップがある。
海外メディアの多くが、ハーバード大学まで出た女性が、どういう理由か、何の価値もない生活に自分の身を置いているという発送で、今の雅子妃殿下を捉える。日本の皇室に対する、変な意味での神秘主義、そして実態がわかっていないのに、自分たちの価値観でだけそれを捉えようとする態度が感じられる。
実際、皇太子妃というのは、インテリジェンスと感受性を必要とする職掌であると考える私にしてみれば、ハーバード大学を出たからこそ、皇室に嫁ぐというのももっともだという意見の一つぐらいあってもいい気がするのだが・・・。
●「かごの中の鳥」は本当か?
ニューズウィークが大々的に雅子妃殿下の特集を組んだときにも、「かごの中の鳥」という言葉が比喩として使われていた。「かごの中の鳥」論は内外両方のメディアによってなされている議論で、雅子妃殿下は自由に買い物をしたり、赤坂御所の外に出たりすることができない、それが可哀相であり、雅子様ご自身も不自由に思っていらっしゃるに違いないというのである。
このような報道は、私にはマスメディアの無責任さが感じられるところだ。故ダイアナ妃の場合は少し違ったかもしれないが、たとえば、英国王室のメンバーが自由に外出したり、また99年6月に結婚したエドワード王子やその妻ソフィーのようにそれぞれが職業を持つというのは、王室をある一定の距離を持って見つめるという、成熟したマスコミと一般国民の存在を前提にしていると思う。果たして、日本のワイドショーなどのメディアを見ていると、そうしたいい意味での皇室への「距離感」が可能であるかどうかは、はなはだ疑問である。
ニューズウィークがとりあげた「沈黙するプリンセス」というテーマにしても、そうした状況を作り上げたのは、宮内庁もさることながら、今のマスメディアにも責任があるのではないだろうか。
たとえば、お二人が、ご結婚内定後、初めて開いた記者会見の中で、雅子さまが、わずか数十秒ながら皇太子殿下よりも長くお話しになったというので、批判を受けたということがあった。こうしたことにもっと寛容にならなくては、皇室のドアは、我々に向けてますます閉じられてしまうだろう。
もう一つ疑問なのは、雅子妃殿下ご自身が、こうした状況にフラストレーションを感じておられるかのような論調である。大学時代以降に私が知っている妃殿下のご性格を考えると、マスコミが言うような不自由さを妃殿下が感じておられるとは私には思えない。雅子様は皇室に入る際に、さまざまな制約があることを十分理解して、ご結婚を承諾されたはずだし、「沈黙」といってももともと自ら積極的にお話しされるご性格でもない。
現在の雅子妃殿下はご自身の妃殿下としての立場を全うしようと尽くされておられるとうかがっている。そこは、英国の故ダイアナ妃が、二十歳という若さで、王室のメンバーになることの責任と自覚の欠けたまま結婚し、後になって「こんなはずはなかったのに」とがっかりされたのとは、全く異なっている。妃殿下は責任と義務のためには、自分の自由を犠牲にして尽くすことを潔く行える方だと思う。
たとえのレベルが違うかもしれないが、雅子さまが、まだ小学生だった頃、クラスの「動物係」に選ばれたことがあった。その際、雅子さまは毎日誰よりも朝はやく学校に出かけては、動物の面倒を熱心に見ていたという。また、その後、大学時代も、外交官試験に受かってからは、私達と一緒によくお茶を飲んだり食事をしたりされていたが、私よりも歳が上で早く試験を受けられる状況にあったので、試験が済むまでは、お茶などに立ち寄ることなく毎日、授業が終わるとすぐに自宅に戻られて勉強をされていた。そうした意味でも、責任感と達成意欲の大変高い方であると常々思っていた。
雅子さまはちょっと不思議なところというか、浮世離れしたところがあって、当時から、私や友人が語る大学の授業やシステムに対する不満なども全く感じない、いい意味での鈍感さをお持ちだった。普通、人間は誰でも、自分の置かれている環境に対して、「これがもっとこうだったらいいのに」とか、「これはこうあるべきだ」という考えを持つものだ。
だが、雅子妃殿下の場合は、どんな理不尽なことが起ころうとも「柳に風」とばかりに、サラリと受け止めるという能力を持っておられた。最初に雅子様が妃殿下に内定したというニュースを聞いたとき、私ともう一人の「仲良しグループ」の友人は「大丈夫かしら?」と心配した。しかし、二人で考えれば考えるほど、雅子様の「柳に風」スタイルは、日本の皇室の妃殿下という難しい立場にお成りになるのに相応しいのではないかという結論に達したのだった。
そのような雅子妃殿下の性格をよく表しているのが、これほど多くの報道がされているにもかかわらず、妃殿下はご自身に関する記事をほとんどお読みにならないということだ。故ダイアナ妃が、マスコミの取材対象となることを嫌がりながらも、一方で自分のことを扱った記事や新聞をチェックし、また時には自分の書いて欲しいことを書いてもらえるように、マスコミや友人に情報をリークしたり、新聞の記者やテレビのプロデューサー達をケンジントン宮殿に招いていたのとは大きな違いだと思う。
日本の皇室でも美智子皇后は、ご自分の記事や番組をご覧になり、またご友人達にもご自身の気持ちをよくお話しになっているという。そのことで、美智子様のご様子が我々国民に比較的伝わりやすいということもあるようだ。
しかし、幸か不幸か、雅子妃殿下にはそうした「欲」のようなものが一切ない。それがマスメディアや一般の国民からすると「不自由な、外界との接触が断たれた環境にいる」ように見えてしまう。
そこに一般の人々が想像する「雅子妃殿下」像と実像との、大いなるギャップがあるのではないか。また、雅子妃殿下をよく知る方のお話によると、妃殿下は自分の妃殿下としての任務と責任を果たすことに懸命で、不自由や窮屈を感じるようなメンタリティではないとのことだ。
●お世継ぎ誕生のプレッシャー
最近の女性週刊誌などは、皇室の「お世継ぎ問題」を抜きには存在しないというようなありさまだ。
このテーマから抜け出せないところに、「キャリアウーマン」出身の妃殿下が、皇室に革命的な変革をもたらすことを期待しながら、一方で日本古来の家族制度的価値観から抜け出せないという、マスメディアの自己矛盾を感じる。
お二人の間にお子様がまだ生まれていないことで、「もしかして夫婦として仲がよくないのでは?」という疑問を差し挟む向きもあるようだが、お二人に実際にお会いしている人々から話をきくと、雅子妃殿下は心から殿下のことをご尊敬しているし、お二人が一緒に(公の席ではなく、プライベートに)いらっしゃるときも、大変仲睦まじいご様子であるという。
現在の雅子様は、カメラ、音楽、テニス、山登りなどを殿下と共に愉しむというご様子で、お二人にお会いしている方の話によれば、「ご結婚前は、充分時間があってしょっちゅうお会いしていたお二人というわけにはいかなかった分、ご結婚生活の中で恋愛感情をお育てになっている」とのことだった。そうした意味でも、ご結婚されて数年間はお子様がいないお二人の生活の中で、お二人の関係をさらに育んでいかれているのは、むしろ望ましいことで、夫婦仲のよろしいことの証左ではないか。
ただ、お子様のことについては、雅子妃殿下ご自身もプレッシャーを感じておられるようだ。宮内庁関係者によると、天皇・皇后両陛下もお子様を早くと期待されている。また、宮内庁でも、お世継ぎができるまでは、外国訪問の行事は入れにくい空気があるらしい。
実際に外務省には海外から招聘の申し込みが数多く届いているようなのだが、宮内庁にまわってきた段階で、なるべく控えるという結論を出さざるをえないという。たとえば99年は、ドイツで「ドイツにおける日本年」という国をあげてのイベントが始まっている。その名誉総裁でいらっしゃるのが皇太子殿下なのだが、そうした背景があってか、ドイツの招きを受けて、9月の開会式典に出席されたのは秋篠宮殿下だった。
こうしたことは、日本にとってもまた諸外国にとってももったいないことであろう。いっそのこと、お世継ぎが生まれるまでという考えを改めて、積極的に外国訪問を行っていってはいかがだろう。
皇太子殿下と妃殿下の魅力と資質をもってすれば、素晴らしい仕事をされると思うし、お二人ともまだ若く体力もおありになるのだから、以前にも行かれた中東だけでなく、いわゆる発展途上国にも行かれて、日本の皇室外交を充実していただきたいと願うものである。
●皇室の在り方
最後に皇室の在り方について思うところを述べさせていただきたい。それは、いわゆる先例主義を廃止して、新しい皇室像を作り上げるために、皇太子殿下と妃殿下という若いカップルの資質をもっと生かしていくべきではないかということだ。
今の皇室では、さまざまなことが、先例主義で規定され、先例がないものはなかなか実現にいたらないと宮内庁関係者から聞いた。
確かに先例では、お子様を生む前に積極的に外国訪問に出るべきではないということになるのかもしれない。
しかし、世の中は刻々と変化している。たとえば夫婦が共に仕事を持ち、あえて子供をつくらないという人々も確実に増えている。国全体でいえば、そうした夫婦の増加が少子化傾向に拍車をかけるという問題点はある。しかし、だからといって、若いカップルがお世継ぎ問題のことばかりクローズアップされるのはお気の毒である。常に国民と共にありたいと願う皇室を実現していくのであれば、皇室の有する価値観も過去の歴史にばかりとらわれるのではなく、同時に将来も見据えていく必要がある。
皇太子殿下、妃殿下については、新しい時代に合った新しい価値観を作り上げる役割を担っている方々であると、私は認識しているし、マスメディアそして国民もそうした意味で彼らを暖かく見守っていくべきではないだろうか。
私が、特に妃殿下にご期待申しあげるのは、たとえ地味でも構わないから、ご公務のなかからご自分が共感できるテーマを見つけられて、それと共に歩んでいっていただきたいということだ。今の、「お子様ができるまでは……」といった風潮の中では、難しいことなのかもしれないが、雅子様の人間的器の大きさを知る者として、大いに期待したいところだ。
雅子様は、婚約後の記者会見の中で、「後悔のない、良かったと思える人生にしたい」とおっしゃった。果たしてそのために妃殿下は何を突き詰めていくのか、具体的に何を追及していかれるのか、もし私が雅子様にインタビューできるとしたら、その点をぜひうかがってみたい。
単に家柄がいいなどの理由ではなく、雅子様のお人柄、そしてご自分で努力して手にいれたキャリア等を皇太子殿下が誰よりも評価したからこそ、お二人はご結婚されたと思う。そうした意味で、お二人のご結婚は日本人の意識を大きく変革したといえよう。今後も、皇太子殿下そして妃殿下の生きる姿勢が我々を勇気づけ、意識を共有しあえるものであってほしいと心からご期待申しあげたい。
208 :
日本@名無史さん:2001/03/25(日) 16:38
雅子コピペあらしさんは、新井(本人)ですか?
それとも、偽新井(新井のふりをして面白がる人)ですか?
どっちにしても迷惑このうえないが。
209 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 23:29
誤 爆 警 報 発 令
210 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 23:30
誤 漠 警 報 発 令
泣いてごらん Cuckoo きれいな声で
ぼくのことを愛していると
いとおしい小鳥 きみはぼくだけの
いつもそばで 歌っておくれ
やさしくささやく あなたの声が
今も確かに きこえるけれど
それは海からの風が運んだ
どこにもいない人の幻
長い長い孤独の時
帰らぬ人を 待ちつづけて
わたしはわたしを ここに閉じこめた
柳の枝で編んだ鳥籠
もう誰もわたしの 背中のねじを
巻いてくれる人もいないのに
泣いてごらん Cuckoo きれいな声で
ぼくのことを愛していると
できるならきみを この籠の中
鍵をかけて 閉じこめたいよ
あなたの願いはどんなことでも
すべてかなえてあげたかったの
だけど願いだけ ここに残して
あなたは消えた 永久(とわ)の旅へと
海の見える 丘の家に
時間だけが 静かに積もる
わたしはわたしを ここに閉じこめた
柳の枝で編んだ鳥籠
わたしを作ったあなたの海に
帰るその日を ひとり待ちながら
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行
◆悩み、迷いを乗り越え
皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起
皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
雅子妃35歳誕生日会見
Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。
A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。
A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。
それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。
A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。
それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。
それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html
雅子妃36歳誕生日記者会見
問3 ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。
皇太子妃殿下 確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
問4 今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。
皇太子妃殿下 今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)
問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
答 国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
スポニチ
皇太子妃雅子さまは9日、37歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。昨年末の流産について「国民の皆さんの期待もある中で、結果は残念に思っています」と感想を述べられた。その上で「非常に早い段階から報道が過熱したことについては、戸惑いを覚えたのも事実です」と報道の在り方に疑問を投げかけた。一方「皇太子殿下は常に深い思いやりで私を包み支えてくださいました」と振り返り「国民の皆さんの温かいお気持ちに深くお礼を申し上げたい」と、同じ体験を持つ多くの人から励ましの手紙が届けられたことを明らかにした。
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html
223 :
日本@名無史さん:2001/03/28(水) 07:16
新井の醜いコピペ晒し上げ。
224 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 22:32
そういえばもうすぐ御誕生日だそうです
みなさんおいわいしましょう
225 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 23:03
お祝いしましょう。誕生日はそれだけ棺おけに近づくということだからね。
もちろん妊娠・受胎の可能性も減るしね。めでたいことだよ。
226 :
日本@名無史さん:2001/04/03(火) 20:09
ところで誰の誕生日なのよ?
227 :
日本@名無史さん:2001/04/12(木) 04:03
さーや?
中年女相手じゃ、チンポも立たんだろ(わら
229 :
日本@名無史さん:2001/04/18(水) 19:51
だいじょうぶですよ
愛が結晶を育んだのです
230 :
日本@名無史さん:2001/04/27(金) 21:29
231 :
日本@名無史さん:2001/05/18(金) 17:53
まだ中年ではなく青春まっただなかだと思うぞ
232 :
日本@名無史さん:2001/05/18(金) 18:02
まあ中年ではないけどさ。
233 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 21:15
貰い手ないの?
234 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 22:32
そういや、紀宮女帝の可能性を説くと色をなして反論し、
あげくのはては、サーヤの話題を振るやつはブサヨク(わら)
って、きめつけるやつがいたなあ。
だれって? それはここのコピペ魔のことだよ。
新井くんのこと?
236 :
日本@名無史さん:2001/05/28(月) 03:11
会見とかで自分がアニヲタだってことはカミングアウトしてんの?
237 :
日本@名無史さん:2001/05/28(月) 03:39
北条家の家臣大道寺繁の子孫は、末子が津軽藩の家老職として奉職。
以後維新まで続く。
鍋島家の子孫は、現在有田焼を一手に扱う商社の社長。
伊予大洲の加藤家も、蜂須賀家と同じ最後の当主が女性で嗣子無し。
現在東京赤坂在住。
筑後久留米の有馬家の子孫有馬頼寧(よりやす)は、戦後JRAの理事長となり、
「中山でもダービーを!」と中山グランプリなるレースを創設。
昭和32年に急逝後、同レースを「有馬記念」と改名した。
その子、頼義(よりちか)は、昭和29年「終身未決囚」で直木賞を受賞。
以後、松本清張とならぶ社会派推理小説の第一人者として活躍。昭和55年没。
238 :
日本@名無史さん:2001/05/28(月) 03:40
>237
わり、スレ違い。逝ってきマス・・・(;´д`)
雅子様誤解人と言っても2度目は人工授精で入江の子ダネなんでしょ!
241 :
日本@名無史さん:2001/06/02(土) 04:06
女の子だったら婿入りします!
242 :
日本@名無史さん:2001/06/02(土) 05:27
243 :
日本@名無史さん:2001/06/02(土) 07:50
入江って誰?
適当に言ってるだけ。
245 :
日本@名無史さん:2001/06/05(火) 10:58
朝鮮時代からずっと万世一系です。
246 :
日本@名無史さん:2001/06/07(木) 21:34
マジ?
川端川三三
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________
‖|‖ 、 ---, |〜 ヤマト / >おーる
川川‖ 3 ヽ〜 < でたな、この横恋慕オヤジ!!
端川 \ д /〜 \東京新聞の記事。アインシュタイン皇室を語る____
薫川 | 0 | く天皇陛下万歳!!
盗川‖ クサ〜 / 21世紀は眞子女帝の時代 \__/‖
奇化端/ \継体天皇は女系天皇__
/| キ| 差 __ ニンニク
SM| |ム | 別 ロリ 腹話 自爆
朝 / |チ |_ 変態 三国人=西国人 同和 ヒキコモリ
鮮| \__⊃ コヴァ 外省人 アンチ中田 無職
ウリナリマンセ〜マンセ〜マンセ〜マンセ〜 大河ドラマヲタ
川端川三三
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________
‖|‖ 、 ---, |〜 ルーシー〜 / >おーる 空白コピペでも食らえ!! 試験管ベビーである!!
川川‖ 3 ヽ〜 < 俺が横恋慕オヤジ!!アインシュタイン皇室を語るは困る!!
端川 \ д /〜 \____
薫川 臭吉 | 0 | く天皇制反対!! 21世紀はアズマの時代!
盗川‖ クサ〜 / 妄想大好き! 明治天皇は大室寅之祐!
川聴川川\__/‖味方がいないので一人3役
奇化端/ \__
/| キ| 差サ __ ニンニク
SM| |ム | 別ヨ ロリ 腹話 自爆 鹿島ヲタ
朝 / |チ |_ 変態 三国人=西国人 同和 ヒキコモリ
鮮| \__⊃ アズマ 外省人 アンチ中田 無職
ウリナリマンセ〜マンセ〜マンセ〜マンセ〜 大河ドラマヲタ 自作自演
あーそう
弥生人が大陸から渡ったのではないですよ。
大陸・半島から渡来人が、やってきまして、先住民の縄文人との間で混血が進み
その上で弥生人が発生してきたと申し上げているのです。
ちなみに三王朝交代説の継体天皇から現在まで脈々と続く天皇家は、渡来人系の
可能性はあると思いますよ。
今でこそ日本は太平洋側が発展し、日本海側は未発達のイメージがありますが、
歴史的経緯から見れば、渡来人は朝鮮半島・大陸経由で渡ってくるのですから
長崎の有明海・福岡・島根県(出雲大社あり)そして福井県若狭の名田庄・小
浜という土地は仏教に由来のある場所ですし、大陸から渡来する人々の重要ル
ートでしょう。一説に仏教は百済から小浜・名田庄を経て近江−奈良に入って
きたとも言われています。
半島から海を渡れば日本海側の何れかの土地に漂着するのは自然でしょうね。
また、継体天皇は現在の福井県の三国町の出身と言われていますし、渡来人が
現在の三国港にたどり着き住み着くというケースは考えられると思いますよ。
騎馬民族襲来説は個人的には受容できません。
もっと長い年月をかけて縄文人との混血が進み弥生人が生まれてきたと考えております。
ただ、天皇陛下が朝鮮系だとか、そういうことはどうでも良いですよ。
なにしろ千年以上も前の話でしょう。
たとえば有田焼=伊万里焼など北九州の焼き物のルーツは、秀吉の朝
鮮出兵のおりに半島から連れてこられた陶工陶工の李参平(りさんぺい)
にルーツがあるのですから、現代の窯元の先祖は云々という話にもなり
かねませんしね。
唐津焼きのように、ルーツは室町時代の日本人にあっても、文禄・慶長の役以降に
同じく朝鮮から連れてこられた陶工によって発展したものもありますし。
以下参考までにエンサイクロペディアから転載しました。名田庄村について
若狭国でもっとも京都に近い村であり、奈良時代から1600年(慶長5)まで、
土御門家(つちみかどけ:安倍家)が管領する泰山府君(たいざんふくん)の
神領地であり(→ 陰陽師)、朝廷と幕府の庇護のもとにあったという。村内
の暦会館には、古暦や陰陽道、土御門家に関する資料が展示されており、
安倍晴明(あべのせいめい)画像などがある。
251 :
日本@名無史さん:2001/06/21(木) 21:50
皇統は怪しいですね
252 :
日本@名無史さん:2001/06/24(日) 16:44
新井がコピペ貼ってるなあ。
253 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 06:08
また新井かあ
254 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 21:26
朝鮮王朝マンセー!
255 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 01:14
強力な将門新皇あげ
256 :
日本@名無史さん:2001/07/20(金) 03:33