1 :
日本@名無史さん :
2001/02/24(土) 23:50 続きです。
2 :
日本@名無史さん :2001/02/24(土) 23:57
ジャワ島です。
3 :
日本@名無史さん :2001/02/24(土) 23:58
畿内説としては 難波→桜井のコースを辿った人間の記録が最終的に「陸行一月」と記述されうるか というシミュレーションをしてみる。 魏使の残した記録が、隋書に書かれた裴世清の行程の部分に似た記述で なおかつ「達於海岸」や「既至彼都」に日付がついていた場合 洛陽の史官がその日程を「陸行1月」と理解することはありうる。 ゆえに、答えは「ありうる」だ。 従って「『陸行一月』であるがゆえに大和ではあり得ない」は成り立たない。
4 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:01
九州説の「水行十日陸行一月」の解釈を聞こう。 具体的な地名を挙げながら説明してくれ。
5 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:02
>>3 それはただのこじつけ。
仮定を積み重ねた上に確定は成り立たない。
よって全く意味無し。
6 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:04
>>4 その辺ふらふらしてあちこち見物しながら行ったんだよ。
3が成り立つならこれも成り立つ。
7 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:13
>>5 ある種の条件が重なると発生しうる事態だと言うことだから
「あり得ない」が成り立たないことが明白となった。
倭国王を任命に行く人間がその辺ふらふらしてあちこち見物しながら行くことはないので却下。
8 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:16
どこからどこに水行して、どこからどこに陸行したのか 仮説すら出せない九州説がいいかげんなものであることは自明
9 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:16
>>7 同盟各国でもてなされてたんだよ。
所であんたも
>>3 が成り立つと思ってるのか?
10 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:17
結局、九州説と言うのは
>>6 のようないい加減なものだという事だ。
11 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:18
>>6 つうか、魏の使節は、伊都国及び不弥国までしか行っていなくて、
不弥国以降の道程は倭側からの伝聞てのが一番有力な説なんだけど。
12 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:20
>>9 当然成り立つよ。
それでは
九州説の「水行十日陸行一月」の解釈を聞こう。
具体的な地名を挙げながら説明してくれ。
13 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:21
14 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:26
>>12 成り立つか。
本気で馬鹿だろお前。
畿内説であろうが九州説であろうがお前の言ってることはおかしい。
15 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:29
>>14 成り立たない理由を論理的に述べよ。
あわせて、九州説の「水行十日陸行一月」の具体的な地名を含む解釈を述べよ。
16 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:32
世田谷に邪馬台国あったよ
17 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:33
18 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:35
九州説は常に理由を述べる事が出来ない。
19 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:36
>>15 当たり前。成り立つ理由を述べろ。
成り立つのならばそのことを「陸行一月」と記したか
そのように移動するのが当たり前だったかを証明しろ。
20 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:38
21 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:40
>>19 成り立たない理由を論理的に述べよ。
あわせて、九州説の「水行十日陸行一月」の具体的な地名を含む解釈を述べよ。
22 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:42
>>21 本気で馬鹿だったのか・・・
時間の無駄みたいだな。
お前みたいな奴が畿内説だとこっちまで胡散臭く見られるから
九州説にでも転向してくれ。
23 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:43
答えるわけないだろ! 九州説はばかだから何か質問されると絶対にまともに答えず 逆に質問してうやむや化を狙う。
24 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:48
>>22 演技はいいかげんにしたまへ
自分の主張の理由を説明できない人間なんて
九州説に決まってるじゃないか。
でなきゃ、どうして理由を一切説明できないんだ?
25 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:51
>>22 >本気で馬鹿だったのか・・・
そりゃそうだよ。大阪湾から飛鳥までマジで1か月かかっていたと思ってたやつだもん。
九州説派もつつしんでお返しします(笑)
九州説だと名乗ると、九州説ではどう解釈するんだと聞かれるが 答えられない。だから、じぶんは畿内説だとウソをついて畿内説を攻撃する。 …変な人…
27 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:53
>>24 理由は19に書いてある。
あれを証明できなければあんたの主張には何の意味もない。
あんたの言ってることはただの想像だろ。
妄想もいいかげんにしとけ。
28 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:56
>>25 九州説は嘘が好き。
誰もそんなこと言ってないだろ?
嘘じゃないなら原文のママ引用してみ
29 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:57
>>26 俺は九州説だなんて名乗ってないぞ。
あの説が明らかに狂ってるから突っ込みをいれてるだけだ。
あんたもまさかあれが正しいと思ってるんじゃないだろうな?
あれが成り立つのなら全く同じ理屈で
時間の許す限りどこでも行けることになる。
30 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:58
>>24 >>19 に理由なんか書いてないでしょ?
「当たり前」って書いただけじゃん。
ばか?
31 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 00:59
32 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:00
>>30 >成り立つのならばそのことを「陸行一月」と記したか
>そのように移動するのが当たり前だったかを証明しろ。
これが成り立たなければ成り立たない。
やっぱり馬鹿だろ本気で。
自分の説が否定されるのがそんなに気に入らないのか?
33 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:03
>>31 理由はってどこどこで滞在したことにしとけば
距離を縮める事なんてどうとでも出来るだろうに。
34 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:05
>>30 なぜ
>成り立つのならばそのことを「陸行一月」と記したか
>そのように移動するのが当たり前だったかを証明しろ。
が成り立たなければ
>難波→桜井のコースを辿った人間の記録が最終的に「陸行一月」と記述されうる
が成り立たないかを論理的に述べよ。
35 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:12
>>34 当たり前。
説は証明できなければ成り立たない。
具体的にそのようなケースでそのような記述が成されることが
それなりの頻度で起こりうることを示せ。
後、それ間にもう一個痛い仮定があっただろ?
それを飛ばすのはわざとか?
36 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:12
>>33 「水行十日陸行一月」に該当する場所は「水行10日ののち陸行して1ヶ月」と読む以上
「上陸地点から1ヶ月以内で行けるところならどこでもいい」という結論だ。
行程記事の拘束力はその程度だと言う説になにか問題がある?
37 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:14
>>35 あいかわらず「当たり前」しか言えないの?
論理的に述べよ。
38 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:16
>>36 つまりどうでもいいと?
でもそれでは近畿説の証明にはならんぞ。
それこそ九州でも良くなってしまうんだから。
39 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:17
>>37 当たり前の後ろに書いてある。
読めないのか?
40 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:18
>>25 あーあ、あんまり恥ずかしいんでなかったことにしたいみたいだけど、
残念ながらちゃんと残ってるんだよね(笑)
>831 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/23(金) 16:28
> >あんたは、マジで、大阪湾から箸墓までのたいして険しくもない40kmほどの
> >道のりの陸行に、1か月もかかったと思っているのかい?(笑)
>
> 日本書紀には、隋の使者が難波津に着いたのが4月、都に入ったのが6月16日と書かれています。
> 防衛上か何らかの理由で、時間を掛けて都に入れています。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1か月かかった理由が「接待を受けてた」とか「物見遊山してた」とかじゃなくて
「時間を掛けて入れられた」だもんね。
41 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:18
論理的でない。
42 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:21
>>38 九州でもいいんだよ。ぼくは畿内説の証明なんてしてないぞ。
桜井まで行った結果として妥当な数字だと言ってるだけ。
43 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:24
>>40 「防衛上か何らかの理由で、時間を掛けて都に入れています」
と言うと
「大阪湾から飛鳥までマジで1か月かかっていたと思ってたやつ」
なのか?歪曲じゃないか。
44 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:24
45 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:28
繰り返す。 畿内説としては 難波→桜井のコースを辿った人間の記録が最終的に「陸行一月」と記述されうるか というシミュレーションをしてみる。 魏使の残した記録が、隋書に書かれた裴世清の行程の部分に似た記述で なおかつ「達於海岸」や「既至彼都」に日付がついていた場合 洛陽の史官がその日程を「陸行1月」と理解することはありうる。 ゆえに、答えは「ありうる」だ。 従って「『陸行一月』であるがゆえに大和ではあり得ない」は成り立たない。
46 :
40>43 :2001/02/25(日) 01:31
なんのために引用の部分から引用してると思ってるの? >> の部分の「大阪湾から飛鳥までマジで1か月かかったと思ってるの?」に対して、 > の部分で、「はいそうです。」って言ってるわけじゃん。 いまさら何言ったっておそいよ(笑)
47 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:33
大和である必要もない。 よって近畿説の補強ともならない。 ついでにそれがあり得ると言うなら可能性を出してほしいものだな。 滅多なことでなければ可能性があるのは当たり前だ。
48 :
繰り返すな :2001/02/25(日) 01:36
>>45 難波→桜井は船で1日か2日だ。
これが「陸行一月」と書かれる可能性をさぐるのは、
いかにでたらめが書かれるかの可能性をさぐるに等しい。
そんなもん調べても無意味だ。
49 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:39
>>46 「お前は馬鹿か?」って聞かれて
「俺は馬でも鹿でもない」って答えたら
「はいそうです。」って言ったことになるのか?
「大阪湾から飛鳥までマジで1か月かかったと思ってるの?」
に対して
「防衛上か何らかの理由で、時間を掛けて都に入れています」
と答えたんだから
「大阪湾から飛鳥までマジで1か月かかったと思ってる」
わけないだろ。
「マジで1か月」ではなく「防衛上か何らかの理由」だと答えてるんだから。
俺がじゃないけどね。
50 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:42
>>47 九州説はその可能性もあるまい。
だから具体的な地名を一切言えないんだろう?
51 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:45
>>50 いくつか仮定を織り交ぜれば無理ではない。
彼みたいにね。
例えば倭人伝に記載されてることはハッタリを
真に受けたためと仮定してみるとか。
52 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:46
>>49 >俺がじゃないけどね。
白状しちゃえよ。
49=831だろ。ほんとはマジで1か月かかったと思ってたんだろ?(笑)
かわいいね(プ
53 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:47
具体的な地名を入れて説明してくれよ。
54 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:49
>>52 現代人の文章をこれだけ誤読していては倭人伝の解釈は無理だね。
55 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 01:56
さて、ぼくはもう寝ますよ。 具体的な地名入りの九州説の解釈、よろしくね。 何人のひと(こっちは2人かな)に何度もも要求されているのに返答なしでは 九州説としては解釈不能なんだと見なさざるを得ませんよ。 じゃね。
56 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 02:00
>>52 だから「マジで1か月」?と聞かれて
「防衛上か何らかの理由」だと答えてるんだから
Noという意味に決まってるだろ!
57 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 02:00
>>55 本気で話をしたいみたいだから教えて上げよう。
ここでまともな事言ってた人たちはみんなあるサイトに移住しました。
ここに残ってるのはまともな人も居ますが基本的にはカスです。
58 :
56 :2001/02/25(日) 02:05
どこ?俺もいこ。
59 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 02:15
みんなネタか!?
60 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 02:49
>>58 忘れた。前の
邪馬台国はどこにあるの?part3(2かも?)ってスレッドのどこかに書いてあると思う。
61 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 05:20
パート1で煽ってた人がいましたが、伊勢説はどこらへんがトンデモ なんでしょうか?
62 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 05:54
やっぱ、邪馬台国は海沿いにあるような気がする。 海女の風習があるのは北九州と出雲と伊勢志摩、あと東北に例外が あるだけ。 こんなことで伊勢説に興味あるのですが、自作自演で鏡やら印を埋 めないと相手にもされそうにないですね・・・。
63 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 07:08
3を攻撃してる人の言ってることは支離滅裂でよくわからないね。 あれでいいと思う。 「マジで1か月」って攻撃してる人はもっと支離滅裂。ひどい難癖だ。
64 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 07:10
伊勢って遺跡ある?
65 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 07:17
66 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 08:32
どっちにしても「魏志」倭人伝でいう南は東のマチガイであることはほぼ確定だから、邪馬台国九州説はありえないでしょう。
67 :
近畿説(投馬国=出雲説)の里程 :2001/02/25(日) 11:12
伊都国→糸島半島、奴国→福岡市東部、不弥国→宗像郡 そこから瀬戸内海に入るのではなく、日本海沿岸(山陰地方)を東に向かい、 (水行20日)投馬国→出雲地方 (水行10日)丹後半島に上陸(邪馬台国の領域とする) (陸行1月)山陰道を通り、山城の国から奈良に入る。 という説はいかがでしょうか。 <根拠1>渤海使が丹後半島に上陸し、この経路で大和に入っていた。 <根拠2>丹後地方は絹織物の産地であり、古代から進んだ技術を持っていた。この地方には 網野銚子山古墳(墳丘長198m)神明山古墳(墳丘長190m)と京都府下1・2位の古墳をはじめ、 50m以上の古墳が19ある。前期のものも多い。 <根拠3>椿井大塚山古墳がこの経路にあたり、三角縁神獣鏡を配布したと思われる有力首長の 所在地の説明がつきやすい。 瀬戸内海を通らなかった理由としては、潮の流れが早い難所がいくつかあることや、 投馬国=出雲への訪問が欠かせなかったことが上げられます。 投馬国を吉備に比定しないのは、邪馬台国の成立に吉備勢力(瀬戸内海東部勢力)が 大きくかかわったと見られる(纒向の出土土器・前方後円墳の成立過程などから)ので、 吉備は邪馬台国の範囲内と捉えられるからです。
68 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 11:14
だから渋谷にあるって。
69 :
近畿説(投馬国=出雲説)の里程 :2001/02/25(日) 11:30
>>67 補足
一応次のような疑問点にも対応しているつもりであります。
<疑問1>何故倭人伝に上陸地点が明記されていないのか?
→上陸地点が邪馬台国の領域だったから。
<疑問2>上陸後1ヶ月も陸行しなければいけない地域は細長い日本には少ない。
→丹後半島から大和ならその少ない例に当てはまる。
(私見ですが、九州説であれば陸行1月は九重や阿蘇、高千穂など山岳地帯になる
可能性が高いので、邪馬台国=7万戸と合わせて考えると苦しいのでは?)
70 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 12:29
七万戸は簡単さ。 戦争に勝つためには、魏からの有力な支援が必要だろ? 邪馬台国側が魏の役人に賄賂を送って 自国のことを立派に報告してもらったのさ。 見栄っ張りなのは倭人の古来からの習性ってことなんだよ。 わかったあ?
71 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 12:50
素朴な疑問です。 畿内(奈良盆地)に邪馬台国があって、 西の瀬戸内海〜九州までが息のかかった地域なら どうして、東海道や関東平野は息がかかってないのでしょうか? せめて静岡ぐらいまでは、温暖で物成りも良さそうなので 押さえておきたいと思うのですが・・・?
72 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 13:18
>>71 卑弥呼の時代には、琵琶湖のほとりを中心とした、大和の勢力とは対立していた
勢力があったことが証明されています。
近畿地方、しかも目と鼻の先の地域も制圧できていなかった勢力に、そんな
遥か彼方の地域の制圧を望むのは酷でしょう。
73 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 13:34
目と鼻の先という問題ではなく、その勢力は東山道の入り口で東への物流を押さえていた。 畿内の勢力は伊勢経由で太平洋岸の交易ルートで利益を得ていたから、両者は陰湿に対立したり、冷戦になったり、雪解けになったり、本当に戦争したりしていたんでしょう。 結局、琵琶湖のほとりの勢力の方が屈したようですが。
74 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 14:01
>>67 その線は大いにあり得ますね。
弥生後期中葉以降の鉄器の副葬刀剣数量は丹後が一番で、次が筑前、越前、播磨の順です。
産地は半島南部ですから、日本海沿交易ルートの重要性が数字に出ていると言うことでしょう。
弥生の終末ごろに投馬国と邪馬台国が協調することで北部九州が貿易を独占できる体制が崩れたから、古墳時代に畿内が突出してくるということでしょう。
75 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/02/25(日) 14:27
>>70 ご意見というより煽りと受け取ります。反論不可能。
>>74 ご賛同ありがとうございます。
この地域は越の国(ヒスイ)朝鮮半島(鉄)の文物などを邪馬台国に運び入れる
外港的存在ではなかったかと思います。
76 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 17:24
ところで、鏡についてはどうよ?>近畿説の人 かなり強引でねぇーかい?
77 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 20:11
2〜3世紀の後漢鏡は九州では少ないので邪馬台国は畿内。
78 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 21:48
邪馬台国=クマソ 狗奴国=大和政権 説が浮上!してないか。
79 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 21:52
それだと「「南」は東の間違い」が確定。
80 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 22:25
水行陸行の話しは単純に考えれば太平洋に出てしまうわけで、 これをなんとか日本列島内におさめようとすることでは 九州説も畿内説も似たようなもの。結果からいえば解釈次第で伸縮自在な概念であり これは決定的な根拠にはなりえない。 もう水行陸行はいいから、そろそろ別な視点から論争してくだされ。
81 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 23:39
そうではあるが、博多湾沿岸とか絶対無理な場所もあるわけで まるきり無視可にしてしまうと電波言い放題組が狂喜乱舞してしまう。 やはり「間違い得るのはどこか」は押さえておかないと。
82 :
日本@名無史さん :2001/02/25(日) 23:46
>>80 だから内田吟風の「ジャワ・スマトラ説」が正しい。
83 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 00:03
やっぱり俺は畿内で、ルートは日本海側だった、に一票かなあ それでも狗奴国はクマソ。 で、邪馬台国は大和政権ではなく出雲王朝。 ・・はい。いじめて下さい。
84 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 00:08
>>83 あれ? 3行目のぞくとなんかふつうだねえ?
85 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 00:53
結局、九州説での水行と陸行1ヶ月の説明は出なかった。
86 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 01:10
>85 それはよくわかったから、ひっぱるなっつーの!
87 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 01:14
86は、話題を逸らしたい九州説の電波(藁
88 :
86そして80でもある :2001/02/26(月) 01:20
おれは畿内説だよ。 でも水行陸行はもういいっての。 べつに畿内説にも特別有利でもないだろ。 九州説にも関係ないし。 つまんねーんだよ、この粘着野郎が。
89 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 01:39
九州説の88は、相変わらず話を逸らそうと必死(藁
91 :
88 :2001/02/26(月) 01:59
>89 はいはい。じゃ好きなように話を続けてちょ。 魏志の水行陸行は、それでどうなのよ?
92 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/02/26(月) 07:47
>>76 強引ですか。私は三角縁神獣鏡=魏鏡=卑弥呼の鏡説です。
記年鏡の存在、鏡の出来、道教中心の文様などから、そのように考えています。
日本で作成したとすれば、この後技術の伝達がまったくない(倣製鏡とレベルが違う)
のが不自然です。ただし、踏み返しなどで幾つかは日本で鋳造した可能性もあると思います。
(やや文様画像が不鮮明な鏡も存在するため)
史書に記されているものより数が多いのは、この踏み返し鏡か、記されていない範囲での
下賜品であると考えられます。(←この辺が強引か)
>>80 =
>>86 =
>>88 =
>>91 道程の話は九州説の方から「近畿説どうなってんの?」という疑問が出たので、一説として
私が合理的だなと考えている説を紹介してみました。逆に九州説の方も聞きたいと思います。
有利不利は別にして、考え方の違いを見るのもおもしろいかも。
>>81 のような意見もあることだし。
近畿説からの反論もお聞きしたい。たいていの方は瀬戸内海行程でしょう?
>近畿説からの反論もお聞きしたい。たいていの方は瀬戸内海行程でしょう? おれは日本海航行説だよ、「投馬国=但馬」説だけど、 まあ出雲かも知れないなあ。 「三角縁神獣鏡=魏鏡=卑弥呼の鏡」はアウトだと思ってる。 ところで、まだしばらくは道程論をやるたがってる人(85,87)がいるようなので おいらは議論に参加せずしばらく引っ込んで見守っておりますだよ。
94 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 22:50
私は魏鏡でほぼ間違いないと思います。 文様を動態的に追っていくとそういう結論にならざるを得ません。 とうぜん国産の踏み返しはあるでしょうし、萩原鏡のような楽浪での踏み返しも 考えに入れておく必要はあると思います。 史書に記された数しか日本に無いはずだというなら、九州から前漢鏡が出るはずがなくなってしまいます。
95 :
日本@名無史さん :2001/02/26(月) 23:18
>近畿説からの反論もお聞きしたい。たいていの方は瀬戸内海行程でしょう? 前に紹介したように、後世の紀行記録を見ても、水行は瀬戸内海と考えるのが妥当でしょう。 それに、邪馬台国の7万戸に次ぐ、投馬国の5万戸は、吉備の方が妥当でしょう。 吉備には、弥生時代最大の墳墓である楯築墳丘墓があるし、埴輪の発祥の地であるし、 古墳時代にも、全国4位の造山古墳、9位の作山古墳と、畿内に対抗する巨大古墳を作っており、 弥生時代後期から古墳時代中期に掛けては、重要な地位にあったと見られます。
96 :
80,88,93 :2001/02/27(火) 05:36
>>94 ,95
ちょっと待ってよ、道程論が先でしょ。
>>85 ,87、早く出て来いよー
(「投馬国=但馬」説はまだまだ捨てないけどそんなに執着もない、
出雲でも吉備でもまあいいだろう。)
97 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/02/27(火) 06:54
>>96 粘着君は気にしない方がいい。藁とか言うわりに自分の意見を言わないし明らかに煽りだ。
ただ道程論でちょっと九州説の批判をさせてもらうと、
1.「方角は間違い様がない」という割に末盧國→伊都國が実際は東北なのに東南と記してある
(末盧國=佐賀県松浦市、伊都國=福岡県前原市に比定)のは批判しないのか。
2.放射説を取る取らないにかかわらず、北九州近辺から「南」に「水行」して
投馬国、邪馬台国へ行くのは不自然ではないか。
→北九州では南に水行できない。一旦東か西へ(西から来たのだから現実的には東へ)
いくはずだが、そのことにはふれていない。冒頭で「循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、
到其北岸狗邪韓國」と正確に書いているのに。
再度の主張になるが、
3.九州で「陸行1月」はかなり内陸の山岳地帯となり、現在でもそうだが、農業が
未発達の時代では7万戸(およそ30万人)といわれる人口が維持できない。
>>70 の言うようにカモフラージュだったとしたら、人口が少ないのにどうやって多くの
国を従い得たのかお聞きしたい。
などが挙げられます。もちろん皆さんも知っているとおり、道程論では近畿説も
格別有利でもない。現在まで論争が続いているのがその証拠。なんせ道程論では
ムー大陸まで出てきますからね。
98 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/02/27(火) 07:20
>>95 この時代では大和周辺よりも吉備(瀬戸内海東部)の方がでかいんじゃないかというのが私の
疑問なんです。あまりにも吉備の影響が強いので、邪馬台国と吉備の違いが魏使の目に
付いたのか?と。
99 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 07:41
投馬国=但馬説だけど執着しないといったのは、 道程論ほど極端じゃないけど投馬国の比定も確定的なことはいいにくいからよ。 畿内に次ぐ大勢力としては吉備か出雲か但馬か、 まあそのへんのどこかとしか言えないでしょう。 あとは細かい議論はごちゃごちゃあるにせよ、印象論の混入した見解は 水掛け論を呼ぶし、匿名掲示板じゃやりたくない。 とりあえず確定的なことはここまでいえる、という議論のしぼり方を望みます。 そういう意味では投馬国論も中国地方のどこかってことで 棚上げしといてお互い避けましょうよ。その間もっと別な有意義な議論を…
100 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 07:51
>畿内に次ぐ大勢力としては吉備か出雲か但馬か、 水行は瀬戸内海と考えるのが妥当で、それからすると畿内と並ぶ大きな勢力としては、 吉備しか考えられないように思います。 出雲は、弥生時代後期は四隅突出型墳丘墓、古墳時代前期はその流れを汲む方墳体制と、 畿内とは異なった墓制を採っており、密接さを欠いているようです。 一方、纏向石塚古墳など、最初期の前方後円墳には、埴輪は並べられていませんが、 卑弥呼の墓説が有力な箸墓古墳にいたって、吉備の特殊器台(埴輪の原型)が並べられるなど、 畿内=吉備連合の成立を示唆するものとされています。 やはり、投馬国は吉備を想定するのが、行程・規模・遺物から見て、最有力でしょう。
101 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 08:00
はいはい。もういいよ。じゃ次ぎいこう!
102 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 09:41
九州説の水行10日、陸行一月は 郡を船で発って韓半島東海岸を数日水行し、再び韓半島に上陸して 半島内を25日位歩いて金海について船に乗り換え、海を渡るのに 数日掛かってマツラ国に到着、また数日陸行して女王国に到着と言うのが 主流。
103 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 11:42
つまり九州説は漢文を読めない人が主流。なさけなや。
104 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 11:49
はい。道程論は終わりました。 ありがとう102,103。じゃ次ぎいこう。 次ぎは何? 神獣鏡か? なんでもいいけど投馬国の位置比定はくれぐれも棚上げしてくれよ。
105 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/02/27(火) 12:42
何でそんなに急いでいるんだか。
>>104 この辺の議論はどうどう巡りになりそうだからまあいいけど。
>>99 の言う通りかな。
106 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 12:52
104は悪態ばかり付いていた九州説の電波じゃないの?
107 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 13:06
>>105 だからそれが煽りだっつの。
俺は99=104だよ。ほんとにもう…
ごめん、上の107の発言は 105に向けたものではなく106に向けたものです。スマン。
109 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 14:23
>>104 なぜ、投馬国の位置比定の議論を棚上げする必要があるのだ?
当時の日本列島での勢力関係を理解する上で、重要なことだと思う。
>>109 そんなこたあ、文脈の中でおのずから表れればいいの。
わざわざレスにすなっ
これだから厨房はヤだよ
111 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 17:24
古田武彦氏がすべてお見通しです
112 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 19:27
荒らしは シッ シッ
113 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/02/27(火) 19:39
>>99 「もっと別な有意義な議論」というのがいまいち判らないんですが、とりあえず
もう一つ問題提起をさせていただきます。
それは卑弥呼が葬られたとされる「墓」についてです。
倭人伝には「大作冢、徑百餘歩、jun[扁犬旁旬]葬者奴婢百餘人」とあります。
近畿説ではこれを「古墳の始まり」と捉え、最初期の大型古墳「箸墓古墳」に比定する
方が多いと思います。これに対しては箸墓が立ち入り調査できないため、データが少ないのですが、
幾つかの反論が見られます。
1.「徑」と付いているからには円墳であるはずだ。
2.「冢」は「墳」にくらべて低い墓(弥生墳丘墓のような)に使う漢字だ。
3.殉葬者が見られない。
4.時代がやや新しいのではないか。(壹與の墓に当てる説もある)
皆さんのお考えはいかがでしょうか。
九州説ではこれに比定するべき古墳は明確ではなく、未調査のオサホ古墳(宮崎県
西都原古墳群:定説では5世紀頃とされる)または古墳と認定されていない宇佐神宮の
境内としている人が多いと思われますが、箸墓ほどの状況証拠がない状態です。
114 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 20:35
>113 みなさんresしないでくださいね。都合も悪いレスには返事 が帰ってきたためしはありませんから(苦笑)。彼(女)は精神 病を患っておられるBlack Hoodと言う可哀想なかたです。 優しい目で見てあげてくださいね。
115 :
日本@名無史さん :2001/02/27(火) 20:53
>>114 意味不明
>>113 1.円でないものでも「徑」で大きさを表現する事はある。
中国人が彼女の墓の大きさや形状を正確に把握していたかどうか疑問。
2.「冢」は「墳」にくらべて低いというのは全く根拠が無い。
3.倭人伝には殉葬者がどこに葬られたか書かれていない。
4.倭人伝の記述は彼女の死後に築造が始まったと読めるのでやや新しいくらいでよい。
116 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 02:35
>>113 以前に話題になったように、吉備の古墳には、特殊器台を棺桶として使っている例があります。
特殊器台や初期の円筒埴輪は、極めて巨大なもので、人を入れることが出来ます。
箸墓には、吉備発祥の特殊器台が並べられており、ここに殉葬者が葬られたとする説があります。
原田大六氏は、平原弥生古墳に殉葬らしい構造があると指摘していますし、
日本書紀・三国志が揃って、殉葬を記述しているのに、頑迷な考古学者達が、
殉葬の風習を認めたくないがために、充分な検証もせずに否定している疑いが強いと思う。
117 :
通りすがり :2001/02/28(水) 04:51
卑弥呼の墓について盛り上がってますが、
「魏志倭人伝」の記載から、その所在地を検討することは
方法論的には極めて困難かもしれません。
まず第1に、「魏志倭人伝」と考古資料の対比の問題。
「文献資料」と「考古資料」はそもそも等価に検討する
ことは危険です。
「魏志倭人伝」に記載されている年代に関して、日本列島に
同時代的文献資料が今のところないこと。
つまり、「魏志倭人伝」を直接的に史料批判することが
不可能であることが最大の問題です。
卑弥呼の墓に関する「魏志倭人伝」の記載に対して、
解釈が分かれるのも、「魏志倭人伝」の史料批判が
不十分であることが最大の要因であると考えます。
また、考古資料から卑弥呼の墓(あるいは邪馬台国の所在地)
を検討するにしても、後代のヤマト政権の所在地からの
結果論的な解釈にすぎないわけです。
方法的には、考古学的にAD3世紀に「政治的中心」が
日本列島西半部のいずこに所在したかをまず検討する必要
があるでしょう。
もっとも「政治的中心」を考古学的にいかに立証するかという
問題もあるわけですが。
>>116 さん
「殉葬らしい構造」とはいったい?
「殉葬」概念をまず吟味する必要があるのでは。
老婆心ですが、原田大六氏に関しては
リージョナリズムの見地から批判を受ける記載が
あるので、あまり鵜呑みにしないほうがよいですよ。
長文失礼しました。
118 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 05:02
沖縄
119 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 05:34
>>117 思わずコピーしたくなるいい文章が時々あるよなあ、2チャン。
ありがとうございます。
120 :
世界@名無史さん :2001/02/28(水) 06:09
>「文献資料」と「考古資料」はそもそも等価に検討する 言葉のお遊びで意味不明。 >卑弥呼の墓に関する「魏志倭人伝」の記載に対して、 中文や尺貫法の理解が足らない連中の、電波な発言は無視すればよろしい。 >もっとも「政治的中心」を考古学的にいかに立証するかという 世界有数の巨大な古墳は、動員力の大きさを示すもので、重要である。 >「殉葬らしい構造」とはいったい? 原田大六「実在した神話−平原弥生古墳」(学生社)が再版されており、 この本に書いてあります。 >リージョナリズムの見地から批判を受ける記載が そう言う傾向も感じられるが、戦後に共産主義にかぶれたり、朝鮮の歴史捏造に迎合した、 頭の悪いエセ学者よりは、その本を読むと頭脳明晰だと思う。
121 :
通りすがり :2001/02/28(水) 06:53
どもども。寝る前にお返事しますね。
>>120 =116 さん
レスの仕方に失礼があったかもしれませんね。
気分を害されたなら謝ります。すいません。
>言葉のお遊びで意味不明。
う〜ん。文献資料と考古資料の対比の問題について
述べたのですが、補足しますね。
つまりですね。
「魏志倭人伝」を「素直」に読めば、邪馬台国の所在地は
九州地方付近(もっとも海の中ですが)になり、
考古資料中心に解釈すれば、畿内地方(?)に
なるわけですよ。
そもそも性格の全く異なる文献資料と考古資料を
つきあわせると大きな矛盾が生じてしまうわけですね。
文献資料:同時代人の視点からの解釈
考古資料:現代人の視点からの解釈
また、「魏志倭人伝」の記載に対する吟味も、現状では
極めて難しい部分があるわけです(史料批判の点で)。
>世界有数の巨大な古墳は、動員力の大きさを示すもので、重要である。
「動員力の大きさ」=政治権力という構図はいかがなものでしょうか。
いわゆる「政治権力」が成立していない(であろう)社会で、
巨大建造物を建設している地域は世界的に数多く存在します。
たとえば北米大陸の北西海岸インディアンなどを例に挙げることが
できるかもしれません。
また「政治的中心」を、はたして我々が想起しやすい「国家」あるいは
「政治権力」とイコール視することは妥当なのでしょうか。
考古学の研究者のなかでも、AD3−6世紀を「国家」とするか
否かは見解が分かれているようですよ。
つまるところ、遠い過去に生きた人びとの活動を解釈するには、
いかにして現代人の我々が「現代的」な概念を客観視できるか、
という問題に収斂されると考えます。
というわけで「エセ学者」のかたわれからのコメントでした。
長文・乱文失礼しました。
122 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/02/28(水) 06:55
いきなり
>>114 のレスだったのでびっくりしました。コピペをスレ違いしたかな?(と思いたい)
>>115 模範的回答をありがとう。きっと学校の成績も良い方でしょうね。
>>116 そうすると箸墓の周りには人骨散乱?(もっとも溶けているでしょうけれど)
>>117 難しいことをおっしゃいますね。いかに論理的に議論しようと、この件に関して
意見を述べることは根拠の無い主張を繰り返す「電波」と大して変わらない
ということでしょうか。(穿った見方で失礼。主旨は理解してるつもりですよ)
>方法的には、考古学的にAD3世紀に「政治的中心」が
>日本列島西半部のいずこに所在したかをまず検討する必要
>があるでしょう。
>もっとも「政治的中心」を考古学的にいかに立証するかという
>問題もあるわけですが。
より根源的な疑問ですね。「卑弥呼の墓」ほどロマンチシズムはあまり刺激されませんが
より重要でしかも解明しきれていないことは間違いない。
この時代の近畿の中心的遺跡とされる「纏向遺跡」は巨大な運河と祭祀遺構、
多くの地方からの土器流入などからその「政治的中心」性が喧伝されています。
近畿説からはこれを邪馬台国とする意見の方が圧倒的多数だと思いますが、
これについて異論のある方はどうでしょうか。
「土器流入」に関しては幾人かの考古学者の方が、他の地方の中心遺跡と
比較しても流入の度合いが多いとはいえないと批判されているようですが。
123 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 20:23
歯黒国の位置比定についてはどうよ?
124 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 21:29
>122 >「土器流入」に関しては幾人かの考古学者の方が、他の地方の中心遺跡と >比較しても流入の度合いが多いとはいえないと批判されているようですが。 特定地域からの移住をどーんと受け入れた中心集落などが 搬入土器の割合が高いのは当たり前で、珍しくもありません。 纒向の特殊性は、搬入土器の出自が南九州から関東まで広がっていることで これは愕くべきことでしょう。
125 :
通りすがり :2001/02/28(水) 23:00
どもども。
>>122 さん
「電波」についてはともかくとして(考古学自体が電波みたいなもんです)、
>難しいことをおっしゃいますね。いかに論理的に議論しようと、この件に関して
>意見を述べることは根拠の無い主張を繰り返す「電波」と大して変わらない
>ということでしょうか。(穿った見方で失礼。主旨は理解してるつもりですよ)
お話の内容自体は、大変興味を持ちました。
仮にですよ(あくまでも「仮に」)、邪馬台国をめぐる言説を「根拠のない
主張」の集合であったとした場合、邪馬台国論争がこれほどまでに、
皆さんの関心を呼ぶ要因とはいったいなんなのでしょうね。
122さんが図らずも「ロマンチシズム」と表現されてましたが、
皆さんは邪馬台国に関するあれこれについて、どういった
「ロマンチシズム」を感じてらっしゃるのでしょうか?
大変興味があります。
ではでは。
126 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 23:04
文献資料的にも考古資料的にも裸国だけは確定済
127 :
通りすがり :2001/02/28(水) 23:21
↑ 絵画資料からの検討では、ネット上に候補地がありすぎて 議論を呼ぶところですな。
128 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 23:28
129 :
通りすがり :2001/02/28(水) 23:39
許してつかぁさい
130 :
日本@名無史さん :2001/02/28(水) 23:45
>>128 邪馬台国と裸国の位置関係をちゃんと見直せばわかるよ
131 :
日本@名無史さん :2001/03/01(木) 04:51
裸国とか黒歯国とかはどうでもいいんじゃないの? どうせハワイとかそのへんだろ。 それよりシュジュ国どーよ。(漢字わすれた)
132 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/03/01(木) 07:33
>>124 たしかに他遺跡よりも範囲が広いですね。批判していた考古学者たちの著作は、
まだ遺跡調査が進んでいない時代のもののようですし。(そのころ西は山口県が限界だった)
いまでは朝鮮式の無紋土器も見られるとのことですからね。
>>125 私が感じる「ロマンチシズム」について。適当に箇条書きしてみる。
1.日本の原初がそこにある
2.「卑弥呼」などの(固有?名詞をもった)祖先への敬慕
3.純粋に「推理」を楽しむ余地がある。つまり『「魏志倭人伝」を直接的に史料批判することが
不可能である』ことが逆におもしろい要因でもある訳です。
>>132 侏儒國はアイヌの伝説コロボックルか?(by鯨 統一郎)
日本書紀で「土蜘蛛」と称されたまつろわぬ人々が低身長ではなかったでしょうか。
何にせよこの辺は情報が少なすぎて判りません。
弥生人と縄文人では結構身長差があったみたいだから、縄文人の形質を
強く残した地域があったのでは?(東北か北海道あたり)
133 :
通りすがり :2001/03/01(木) 08:23
どもども。
>>132 さん
「ロマンチシズム」について
>1.日本の原初がそこにある
>2.「卑弥呼」などの(固有?名詞をもった)祖先への敬慕
>3.純粋に「推理」を楽しむ余地がある。つまり『「魏志倭人伝」を直接的に史料批判することが
>不可能である』ことが逆におもしろい要因でもある訳です。
我が祖国「日本」のまほろばたる「卑弥呼」への敬慕、ということですね。
なるほど。。。
>侏儒國はアイヌの伝説コロボックルか?(by鯨 統一郎)
>日本書紀で「土蜘蛛」と称されたまつろわぬ人々が低身長ではなかったでしょうか。
>何にせよこの辺は情報が少なすぎて判りません。 (以下略)
「卑弥呼」と同時代の中国王朝の「世界観」を考慮に入れたうえで、
「倭のクニグニ」を検討されてはいかがでしょうか。
「倭=王朝の周辺地域(辺境)という世界観」の魏志倭人伝の地理記載に
対する影響を考慮に入れる必要があると考えますが、いかがでしょう。
例として、大航海時代の西欧人の「辺境」に対する認識が参考になると
思います。
纒向遺跡について話が進んでいるようですね。
たしかに当該時期の畿内地方では、纒向遺跡はかなり規模の大きな遺跡であるようです。
ただ、同じ時期に中河内地域(大阪府)に纒向遺跡に匹敵する規模の遺跡群
が確認されてますし、北部九州地方でも「比恵・那珂遺跡」や「三雲遺跡」などは
纒向遺跡に匹敵するか、あるいは凌駕する規模の遺跡群が「面的」に
確認されています。
さらに中河内地域の遺跡群、比恵・那珂遺跡、三雲遺跡などからも
纒向遺跡と同様に、他地域系譜の土器が大量に出土していますし、
朝鮮半島の土器に「類似した」土器も、それこそザクザク出土しています。
いま検討すべきは遺跡の規模といった「量的問題」ではなく「質的問題」
ではないでしょうか。
規模を比較対象にするかぎりにおいては、たとえば三内丸山遺跡も
「クニ」の都になってしまいますね(極論ですが)。
はたして「都」とはいったいどのような性格の遺跡として、我々の前に
姿を見せる(見せている)のでしょうか?
つまるところ、魏志倭人伝の「クニ」とはいったいなんだろう?
上記のような問題設定が可能ではないでしょうか。
取り急ぎお返事しました。
長文乱文ひらにご容赦。
#ちなみに私の個人的な感想ですが、邪馬台国はおそらく
#畿内にあったんだろうなあ。。としかいえません。
#そう考えた方が、話がつながりやすいだけですが。
うっ、テレホ終わってる!
134 :
日本@名無史さん :2001/03/01(木) 14:45
最古級の前方後方墳だった 滋賀・熊野本の1基
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001mar/01/05.html 滋賀県高島郡新旭町教委は二十八日、同町熊野本の熊野本古墳群にある前方後方墳一基が全国最古級の三世紀前半に、また、前方後円墳一基が三世紀中ごろに築造されたことが分かった、と発表した。隣接する県内最大規模の高地性集落である熊野本遺跡(弥生時代中―後期)では弥生時代後期の墳丘墓がすでに確認されており、同町教委は「継続的に首長墓群として営まれていたことが明らかになった。古墳の形態の成立過程を検証する上で重要な資料」としている。
(中略)
石野博信・徳島文理大教授(考古学)の話 この地域も邪馬台国時代のクニの一つとして重要な役割を果たしていた可能性が高い。前方後円墳はヤマト、前方後方墳は近江や濃尾発祥と考えれば、熊野本はそれら両者と連携し日本海への湖北西岸ルートを確保していた豪族とも考えられる。
135 :
日本@名無史さん :2001/03/01(木) 15:15
前方後方墳のお膝元の中日新聞は、もうちょっと慎重な表現です。
http://news.yahoo.co.jp/headlines/cnc/010301/loc_news/10560000_cncnws004.html 「最古級の古墳の可能性」 新旭町熊野本古墳群の前方後方墳 (中日新聞)
前方部頂上付近の盛り土の中から、弥生時代後期(二、三世紀)の近江地方特有の受口状口縁甕(うけぐちじょうこうえんかめ)の破片が、ほぼ一個分見つかった。同じ層上の近い場所で焼けた土も確認、甕は祭しの際に壊された可能性があるという。
前方後方墳から出土した土器片は一個分。しかも小片ばかりで、現地を見た和田晴吾・立命館大教授(考古学)は「三世紀前半の可能性はあるが、今の時点で年代を特定するのは危険」とするが、「古墳と呼ぶか弥生時代の墳丘墓の仲間とするかは研究者によって異なるが、弥生時代から古墳時代への過渡期の墓であることは間違いなく、保存状態もよくて、過渡期の墓を考える上で貴重な資料になる」と話す。
136 :
日本@名無史さん :2001/03/02(金) 00:28
>>131 裸国と黒歯国をハワイにするってのは無茶苦茶だ‥
137 :
Henton :2001/03/02(金) 01:22
>>134 一部の考古学の一派による古代史捏造だ。
やっていることは藤村と変わらない。
だいたい、弥生時代後期の土器一個見つかったぐらいで
「三世紀前半であることが分かった」とか怪しすぎる。
138 :
近畿説(投馬国=出雲説) :2001/03/02(金) 07:58
>>133 >いま検討すべきは遺跡の規模といった「量的問題」ではなく「質的問題」
>ではないでしょうか。(中略)
>つまるところ、魏志倭人伝の「クニ」とはいったいなんだろう?
ますます難しい問題で、本質的ではあるのだろうけれども、それが邪馬台国の
位置比定につながるとは思えませんね。もっとも考古学でも歴史学でも、
位置比定などはたくさんある研究分野のホンの一部に過ぎず、こういったことを
考えていかなければならない学問なんでしょうけれど、素人研究者にはロマンの方が
大事だったりする。(自嘲)
倭人伝だけではなく、東夷伝全体を読んでみると、国には2つのレベルがあるように
思えるのですがどうでしょうか。
1.国=(環濠)集落(及びその周辺)
2.国=ある程度の面を支配した政体
位置比定がある程度できている北九州の国は古代の郡1〜2個分とされていますよね。
倭人は30国に分かれていて、卑弥呼を共立したと書かれている段階では1のレベルかと
受け取られますが、中国に朝貢している段階では2のように受け取られます。
これは時間的差異なのか、中国人の捉えかたでこうなったのか・・・?
>>137 考古学ってそんなもんです。出土品を信じるしかない。
3世紀前半の土器が見つかればそれは3世紀前半の遺跡と判断するだけでしょう。
もし矛盾を感じ、論理的反駁が出来るならそうした方が良い。
藤村の事件が発覚する前にも、そういう反論をしていた人はいる。
安易に「捏造」といったり「怪しい」と印象を述べたりすると、単に煽りとしか
取られないでしょう。(というか煽りか?)
139 :
日本@名無史さん :2001/03/02(金) 08:20
Henton=変なトンデモ
>>139 いいハンドルネームだね。私も替えようかな。
>>140 「日本@名無しさん」は名前を入れずに書き込むとそうなるこの板のデフォルトの名前ですよ。
例えば世界史板だと「世界@名無しさん」になります。
>>141 あ、「Henton」がですよ。日本@名無史さんが一人でたくさん書き込みしている
訳ではないことは知っています。(笑
2chを知ってからもう半年ぐらいにはなりますので。
近畿説のなかのトンデモで「kinton」にしようかな。
じゃおれは、とんでも+電波で「トン電兵」にするか。
> 137 名前:Henton投稿日:2001/03/02(金) 01:22 > 一部の考古学の一派による古代史捏造だ。 > 138 名前:近畿説(投馬国=出雲説)投稿日:2001/03/02(金) 07:58 > 考古学ってそんなもんです。出土品を信じるしかない。 > 3世紀前半の土器が見つかればそれは3世紀前半の遺跡と判断するだけでしょう。 137と138。どっちもどっちのお馬鹿だ。二人まとめて消えてくれ。
145 :
日本@名無史さん :2001/03/03(土) 02:10
投馬国なんかよりも裸国の位置比定をちゃんと議論しようぜ
146 :
日本@名無史さん :2001/03/03(土) 02:48
石器を捏造した藤村は在日。
裸国はどこだ。。。。
148 :
通りすがり :2001/03/03(土) 05:47
熊野本遺跡が話題に出ていますね。
まだ詳しい情報は入ってきてないですが、
新聞報道を読む限り、年代観についてはまだ
何ともいえないですね。
「盛土中出土」という出土状況に対する評価が難しく、具体的な出土状況
がわからない限り、私自身の年代観についての判断は保留中です。
和田さんもその辺は、ご発言に含みを持たせていますね。
#石野さんは以前、纒向石塚でも吹いたからなあ。。。
弥生後期にこのような規模の墳丘墓が近江にあっても
全く不思議ではないのですが。
近江地方は面白いですよ。
最近まで、データの空白地域に近かったですから、これからも
いろいろなモノが出てくるでしょう。
というよりも、我々が視野に入れてなかっただけですが。。。
ひとついえるのは、「畿内説=日本列島西半部を支配した邪馬台国」という
教科書的理解からは、近江地方、東海地方西部などの状況に対する解釈が
困難であるということですね。
我々が思っている以上に、地域的多元性が豊かであったということでしょうか。
むしろ個人的には、邪馬台国論争を通じて上記のような地域的多元性が捨象される
印象さえ受けます。
邪馬台国ないしは卑弥呼を我々「日本人」共通の淵源、祖先といった観点からすると、
当該時期の日本列島の多元性が視野の中から追い出されてしまう可能性があるので
はないでしょうか。(あっ、
>>133 さんに対する個人的批判ではないですよ。 為念)。
#裸国はどこだ。。。
149 :
世界@名無史さん :2001/03/03(土) 07:52
>>148 2世紀に西日本が統一されていたなんてのは世界史板では一笑されておしまいでした。
当時、若狭湾沿岸にはまた別の勢力があったようですしね。
そして、裸国ですが、これはマジでペルーとかチリあたりなんじゃないでしょうか。
実際、南アメリカから縄文式土器が出土していますからね。
一万年前は現在よりも海面が低かったため、冠太平洋もかなりの部分が地続きで、
ムー大陸ではありませんが、冠太平洋一帯が同じ文化圏にあったのではないかと
いう説があり、同時に、海面上昇のため土地を失して、移り住んできた人々が
日本人のルーツ(の1つ)なのではないかと言われています。
そういった人々が、太平洋の向こうにも国があることや、彼らの先祖はその
国々も支配していたということを知っていたのではないでしょうか?
150 :
通りすがり :2001/03/03(土) 07:58
今度は環太平洋共栄圏ですか。。。
151 :
日本@名無史さん :2001/03/03(土) 08:12
環太平洋共栄圏マンセ−!!!
152 :
148 :2001/03/03(土) 10:56
153 :
結局 :2001/03/03(土) 11:58
いわゆる「聖書考古学」と同じで、推測の科学(?)っていう奴で しょうか?頼れる(こじつけ)文献は倭人伝、或いは記紀。発掘は そりゃ聖書の砂漠地帯の保存レベルには遥かに劣るし。一生やってろ ってとこですかね?少なくともグローバル・スタンダードでは勝手 にしろ!ですね。
154 :
日本@名無史さん :2001/03/03(土) 15:12
まぁどっちにしても、シュジュ国まで何千里とか数字が入ってると言うことはだ! 「何里か書いてある国は魏使が行った所で、何日かしか書いてない邪馬台国には行ってない」 って理屈が成り立たないってことだよね。
155 :
日本@名無史さん :2001/03/03(土) 18:33
>>154 「何日しか書いてない」って、「女王国(邪馬台国)は郡(帯方郡)から一万二千里」って
書いてあるじゃん。
まあ、ちなみに、倭人伝には、正始元年(西暦240年)に帯方郡からの使いが倭王(卑弥呼)に
会ったという記述はあるから、魏の使いが全く邪馬台国に行っていないというのはありえ
ないんだけど、伊都国以降の記述が全然違うところを見ると、伊都国までの道程を記録した
従者は邪馬台国までは行っていないと見るのが妥当なんじゃないかな。
156 :
日本@名無史さん :2001/03/03(土) 18:55
伊都国からか不弥国からか知らないけど、そこから邪馬台国まで何里かは 書いてなくて日にちだけでしょ? なぜ合計だけが書いてあると思う?
裸国に住民票を移したいんだけど、 区役所のどこに行けばいいの?
>>144 なんだか嫌なレスだね。おっしゃるとおり消えますよ。
所詮素人レベルなんだからそんなに馬鹿にしなくても・・・。
それでは今後の議論に期待してROMに戻ります。
159 :
通りすがり :2001/03/04(日) 15:36
遅レスですが。。。
>>137 さん
>一部の考古学の一派による古代史捏造だ。
>やっていることは藤村と変わらない。
捏造ですか。
石野博信さんの「日本海への湖北西岸ルートを確保していた豪族..」云々の話
(根拠はいったいなんだ?)はともかくとして、
>だいたい、弥生時代後期の土器一個見つかったぐらいで
>「三世紀前半であることが分かった」とか怪しすぎる。
そうですね。ぁゃしいですね。
主体部の調査結果を待ちましょう。
#藤村さん事件(?)は非常に興味深いですね。
#日本考古学の抱える病巣を、藤村さんが一手に引き受けたような
#観があります。理論(=お話)で勝負できない人は、「発見主義」に
#流れてしまうのも仕方のないことかもしれませんね。
#まあ、藤村さんを弁護する気持ちは「一切」ありませんが。。
#自業自得といったら言い過ぎですかね。
>>138 さん
>倭人伝だけではなく、東夷伝全体を読んでみると、国には2つのレベルがあるように
>思えるのですがどうでしょうか。
>1.国=(環濠)集落(及びその周辺)
>2.国=ある程度の面を支配した政体
すいません、「東夷伝」のどういった記載から上記2つのレベルの解釈を
導いたのでしょうか。具体的にご教示下されると幸いです。
「東夷伝」をきちんと読んでいないもので。。。
>>149 さん
>そういった人々が、太平洋の向こうにも国があることや、彼らの先祖はその
>国々も支配していたということを知っていたのではないでしょうか?
上記の論法は、戦前の日本やナチスドイツで侵略を正当化するために
多用されましたね。。
日本が「大東亜共栄圏」、ナチスが「大ゲルマン主義」を構築するのに
どれほどの考古学者が動員され、協力したことか。。
現在でもイスラエルや北朝鮮などの国家が、支配基盤を構築するために
考古学をフルに活用してますね。
#「壇君の墓」発見!!には大いに笑かしてもらいました。
#なんでも「楽浪郡」は存在しなかったそうです。
#まあ、日本も「任那日本府は存在した!!」とか言ってる人もいるし、
#同じ穴のムジナかもしれませんね。
ほとんど茶々のレスですね。
気分を害された方がいらしたら、ごめんなさい。
>>158 さん
まあまあ、そんなに気にしなくても。。。
煽り煽られは2chの名物ですから。
牛乳飲んで落ち着きましょう。
>#「壇君の墓」発見!!には大いに笑かしてもらいました。 >#なんでも「楽浪郡」は存在しなかったそうです。 >#まあ、日本も「任那日本府は存在した!!」とか言ってる人もいるし、 ヲイ、前のふたつと三つ目はいっしょにすんなよ 日本書紀がいう『任那日本府』に相当するもの(「倭宰」もしくは「倭国使臣」)が 存在したというのは通説定説だぞ。 任那日本府という文字の字づらがリアルタイムで存在したとか主張してる奴なんか居ねーよ。 「まあ、日本も「任那日本府は存在した!!」とか言ってる人もいるし」 って誰のことだ、いったい? 名前あげてみろ。
162 :
Henton :2001/03/04(日) 22:03
>日本書紀がいう『任那日本府』に相当するもの(「倭宰」もしくは「倭国使臣」)が >存在したというのは通説定説だぞ。 その通り。韓国の「トンデモでない」学者も認めています。
163 :
日本@名無史さん :2001/03/04(日) 22:16
159は中立を装ったヒガミ鮮人の雰囲気作り。
164 :
日本@名無史さん :2001/03/04(日) 22:41
きたきゅうしゅう
165 :
通りすがり :2001/03/04(日) 22:46
って誰のことだ、いったい? 名前あげてみろ。
困ったな。。。
>>161 さん
お願いですから、「任那日本府」と「倭宰」(「倭国使臣」)それぞれの
用語規定を「明確」に提示していただけますか?
お話はそれからです。
まあ、これだけじゃなんですから、レスしますか。
俺って優しいなあ。。
>日本書紀がいう『任那日本府』に相当するもの(「倭宰」もしくは「倭国使臣」)が
>存在したというのは通説定説だぞ。
この「『任那日本府』に相当するもの(「倭宰」もしくは「倭国使臣」)」という
表現が意味する内容をご理解されてますか?
倭国がAD4−6世紀に伽耶地域(朝鮮半島南部の一部)を領域支配していたと
お考えなのですか?
さらにいえば、「神功皇后」が「征伐」したのも事実だと?
「定説」ですか。。。
申し訳ございませんが、どこの「定説」ですか?
不勉強につき、ぜひご教示くださいますようお願い申し上げます。
「任那日本府」と「倭宰」、それぞれの意味内容を「正確」にご理解いただきたい。
「相当するもの」という表現は、私の日本語読解力では理解できません。
「任那日本府」と「倭宰」の語句が意味する内容が、似て非なることを
認識してくださいませ。
そりゃ、AD4-6世紀の期間中に倭国が伽耶地域と交換活動を営んでいたことからすると、
倭国の人間が当該地域に在留していた蓋然性は極めて高いと私も考えます。
ただ、その在留行為と「任那日本府」は全く意味する内容が異なることは
ご理解できますか?
>>161 さんによれば、アメリカ合衆国の日本大使館は合衆国を
支配しているのですね。これは驚いた。
>>161 さんが頭の不自由な方でない限り、どうかご自分の「頭」で
熟考されるよう期待しています。
>って誰のことだ、いったい? 名前あげてみろ。
たとえば君。
>>162 さん
知人の「トンデモなくない」韓国人研究者達からは
そのような話を聞いたことはありません。
私の交友関係が狭いのかな?
#ごめん、デムパにマジレスしちったよ。。。
#許してね >All (Except for 161 and 162)
やっぱ2chはこうでないと。 ヘイ、カモンカモン!
167 :
Henton :2001/03/04(日) 23:01
>そりゃ、AD4-6世紀の期間中に倭国が伽耶地域と交換活動を営んでいたことからすると、
>倭国の人間が当該地域に在留していた蓋然性は極めて高いと私も考えます。
>ただ、その在留行為と「任那日本府」は全く意味する内容が異なることは
>ご理解できますか?
在留していたらその地を支配していたと考えてもおかしくない。
>>161 さんによれば、アメリカ合衆国の日本大使館は合衆国を
支配しているのですね。これは驚いた。
現代ではあるまいし、日本大使館にたとえるのは適当でない。
もっとも、大使館内は治外法権なので、日本大使館内は日本が支配していると言う
表現は妥当である。
>ごめん、デムパにマジレスしちったよ。。。
デンパ扱いするな。
お前がおかしい。
168 :
Henton :2001/03/04(日) 23:05
魏志倭人伝を読めば分かるとおり、古くから朝鮮半島内の狗邪韓国(伽耶地域) に倭人がいたのは事実である。
169 :
Henton :2001/03/04(日) 23:07
だいたい、古代の朝鮮に現代の大使館のようなものがあったと思う方が デンパ。
170 :
通りすがり :2001/03/04(日) 23:10
来た来たあ!
>>167 さん
>在留していたらその地を支配していたと考えてもおかしくない。
???
すいません。おっしゃる意味がよくわかりません。
現代国家の領域支配概念を、過去(先史、原史時代)に対しても
同様に適用されるのはどうかと思いますよ。
>現代ではあるまいし、日本大使館にたとえるのは適当でない。
そうですね。迂闊でした。
>デンパ扱いするな。
>お前がおかしい。
そうですね。私がおかしいです。
なんかトピずれしてっぞ!
172 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 00:47
ヤマトによる任那支配を認めたくないのは、ひがみ鮮人とその手先だろ。 任那は畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれている。
ピラミッドが有ればそこはエジプトらしい。
エジプトだろ?
175 :
通りすがり :2001/03/05(月) 02:22
>>173 さん
あなた今いいこと言った。
ちょっとスレッドの趣旨から逸脱してましたね。
すいません。
マターリといきましょう。
176 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 02:32
ひがみ鮮人の175は必死だな
177 :
通りすがり :2001/03/05(月) 02:37
本当にこれで最後。
>>172 さん
前方後円墳体制という概念は「畿内発祥」でもないし、
ましてや「任那」は体制下に組み込まれてはいないですよ。
もう少しお勉強してから、もいちどおいで。
<参考文献>
都出比呂志 1991 「日本古代の国家形成論序説 −前方後円墳体制の提唱−」
『日本史研究』 343 日本史研究会
岡内三眞編 1996 『韓国の前方後円形墳』 早稲田大学韓国考古学学術調査研究報告
雄山閣
178 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 02:41
鮮人の177は歴史捏造に必死だな 朱塗り石室が韓国にも、日本様式初の確認 (2000年10月2日15:34):読売ニュース 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認されたのは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝えていたことを示す重要な成果として注目される。 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁がベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見されていなかった。 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと論争になった。 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)」と呼ばれる。 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がかかわったとも考えられる」と話している。
179 :
通りすがり :2001/03/05(月) 02:56
だ・か・ら!
>>177 に挙げた参考文献は読んでいただけましたか?
読んでからコメントしようね。
ちなみに、私は松鶴洞1号墳について現地で状況を確認してます。
あなたも1次資料をもとにお話ししましょうね。
#「国粋的」発想は、一種のファッションとして流通してるのでしょうか?
#それとも現代の共通意識として所持されているのだろうか。
#ファッションだったら笑い話にもならないなあ。
#気になるので明日、研究室でディスカッションしてみます。
う〜ん、気になって眠れない。 2chでの異常とも思える「国粋的」言説の流通は、どの程度世論を 反映しているのでしょうか。 発言者のドキュン・レベルがそのまま反映されているは 間違いないにしても、やはり一種のファッションとして流通している のだろうか。 発言者のボキャブラリーが極端に貧困であることから察して、 ある種の流行と捉えたいところです。国粋的発言をすることで、 他者との差異化を図っているだろう。 いや、もっと根深いかも。。。 第2次大戦後、50年以上経ての状況ならジョークしては笑えない。 「戦後民主主義」の結末が逆位相の形をとって表出しているようですね。 というわけで、この話題は個人的には終わります。 お騒がせして申し訳ありませんでした。 マターリ、マターリ。
181 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 03:45
>「戦後民主主義」の結末が逆位相の形をとって表出しているようですね。 何を寝言を。鮮人工作員による歴史捏造のペテンが暴かれただけだ。
182 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 04:06
>通りすがりさん >前方後円墳体制という概念は「畿内発祥」でもないし、 本を読めというんでは掲示板の面白みがなくなるよ。 できれば畿内発祥でない根拠を挙げてくれんか。多くでなくていい。 ましてや「任那」は体制下に組み込まれてはいないですよ 組み込まれてたとは言えない、は分かるけど、組み込んでいないと積極的に否定はできるんですか。
183 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 04:45
考古学はあくまで「補助」 なにかが「あった」という証拠は出せるが なにかが「なかった」という主張には肯定も否定もできない。
184 :
通りすがり :2001/03/05(月) 04:54
>>182 さん
どもども。
遅くまでつきあっていただいて、恐縮です。
まず先に、「前方後円墳体制」とは、
古墳時代に日本列島の広範囲にわたり成立した政治体制
として、大阪大学の都出比呂志さんに提唱された概念です。
具体的には、古墳時代の日本列島(少なくとも西半部)に
墓制(規模、墳形、副葬品など)、集落構造などに
階級秩序が存在することを指摘したわけです。
そして、上記の階級秩序を畿内の大王を頂点とするある種の
「国家」として認めてはよいのではないか、という概念です。
本来、都出さんは集落構造についての分析からこの概念に至った
のですが、「前方後円墳体制」という名称から、多くの研究者が
墓制のみの階級秩序として認識している状況です。
さて前置きが長くなりましたが、
>できれば畿内発祥でない根拠を挙げてくれんか。多くでなくていい。
こと墓制に限った話をしますと、「前方後円墳」の成立には、瀬戸内西部地方
の影響(特殊器台形埴輪など)、北部九州地方の影響(副葬品など)といった
畿内地方以外の地方からの影響が大きく作用しております。
むしろ、前方後円墳に限れば、畿内的要素って何? という感さえあります。
上記のことから、私は「前方後円墳体制はいちがいに畿内発祥とはいえないよ」と
述べたわけです。むしろ畿内地方を含めた日本列島西半部(+ 東海地方)全体の
様相を踏まえて、古墳時代の成立を考えたいわけです。
さらに。。
>組み込まれてたとは言えない、は分かるけど、
>組み込んでいないと積極的に否定はできるんですか。
上述したように、「前方後円墳体制」とは墓制、集落構造など多元的要素にみられる
階級秩序を意味します。
ひるがえって伽耶地域の様相ですが、まず「前方後円墳」の分布主体は
伽耶地域(朝鮮半島東南部、慶尚南道)ではなく、朝鮮半島西南部の
栄山江流域(全羅南道)です。
あくまでも現状での分布ですが、大きく分布状況が変化することはないと考えて
よいと思います。
また朝鮮半島の「前方後円墳」ですが、日本列島の前方後円墳とは
似て非なるものと考えて良いかと思います(語弊はありますが)。
墳形、埴輪、埋葬主体、副葬品などに関して、前方後円墳とは大きく相違点が存在
します。
#朝鮮半島の「前方後円墳」出土の「埴輪」は面白いですよ。
#現地の陶質土器の技術を応用して製作されてますから。
なにより、前方後円墳体制とは古墳時代の日本列島において、
墓制、集落構造などに総体的な階級秩序が認められることから
設定された概念です。
朝鮮半島においては、伽耶地域はもちろんとして栄山江流域にも
日本列島の畿内地方の大王を頂点とするような階級秩序は現在までのところ
確認されていませんし、これからもないと予測します。
岡内三眞さんはこの意味で、朝鮮半島の「前方後円墳」を前方後円「形」墳
と呼称することを提唱しています。朝鮮半島の「前方後円墳」は日本列島の
前方後円墳とは似て非なるモノということですね。
#前方後円墳体制の概念自体に対する吟味は、また次の機会にでも。
以上の説明でご理解いただけたでしょうか。
ご質問などあれば、お気軽に。。。
畑違いですが、こちらがわかる範囲でお答えします。
>>183 さん
>考古学はあくまで「補助」
>なにかが「あった」という証拠は出せるが
>なにかが「なかった」という主張には肯定も否定もできない。
まあ、そうおっしゃらずに。
考古学とは「理論・概念の集合体」ですから可能な場合も多々ありますよ。
電波系の私がいうことですから、説得力は一切ありませんけど。。長文・乱文ひらにご容赦。
しまった、ますます眠れん!!
185 :
通りすがり :2001/03/05(月) 05:13
補足。。。
もし「前方後円墳体制」に興味を持たれた方は、
>>177 に挙げた、都出1991文献のほかに、下記の文献を
参照されるとよいかもしれません。
都出比呂志 1989 『日本農耕社会の成立過程』 岩波書店
利根川章彦 1996 「「前方後円墳体制=初期国家」論の諸問題」
『土曜考古』20 土曜考古学研究会
岩永省三 1991 「日本における階級社会形成に関する学説史的検討序説」
『古文化談叢』24 九州古文化研究会
ほいじゃあ。
ってスレ違いも甚だしいですね。 鬱田氏脳。。。
187 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 06:04
いや〜。 受信感度の優れた人たちが怖いです。
というわけで。 「任那」関係の話題は、控えます。 お騒がせしました。 いったん退散します。 ご質問orご批判がございましたら、お呼びください。 んでは。
いや、素人の私にも分かりやすいもので勉強になりました。 ありがとうございます。 そうなんですか。前方後円墳と前方後円形墳 やっぱり写真か実物を見るしかないですね。 どこかに載ってればいいんですが。
191 :
通りすがり :2001/03/05(月) 07:32
>>190 =182 さん
(岡内編1996文献)に写真図版が多用されてますよ。
紀伊国屋や三省堂などの大型書店に行けば、入手できると思います。
ちなみに定価5974円(ISBN4-639-01367-1 C3022)です。
とりあえず立ち読みしてはいかがでしょうか。
それから伽耶の考古学についての手ほどきは以下の文献がお勧めです。
東潮・田中俊明編 1989 『韓国の古代遺跡』 2 百済・伽耶編 中央公論社
定価2200円(ISBN4-12-001691-9 C0022)
古本屋街をまめに歩けば、両方とも安く入手できるでしょう。
それでは。
192 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 12:47
>通りすがりさん 通りすがりのはずがすっかり居着いちゃいましたね(笑) さて、実は私には、昔から1つの疑問があります。よく帝国の支配者は、その権力を示すために、 一般庶民には、そのシンボルの使用を禁じています。日本でも、徳川家以外の者は葵の紋が使えない といった例がありますね。 ところが、よく、古墳時代には、近畿発祥の前方後円墳が全国に見られるから近畿の勢力が全国を 支配していたのだという人がいますが、これっておかしいと思いませんか? 全国の前方後円墳が、全国津々浦々に派遣された近畿の権力者の子孫の墓だというなら問題ないの ですが、どうも、そうではなく、地方の権力者が勝手に似たような墓を作っていたような気がします。 これって、前方後円墳が近畿の権力者のシンボルであるなら、地方の権力者は、近畿の支配者を なめていたと言えるのではないかと思うのですが、どうでしょうか? もちろん、正解はわからないと思いますので感想だけでもどうぞ。
193 :
通りすがり :2001/03/05(月) 13:45
どもども。
ある意味ヒッキーの通りすがりです。
>>192 さん
古墳の分布に対する解釈として。。。
>これって、前方後円墳が近畿の権力者のシンボルであるなら、
>地方の権力者は、近畿の支配者を なめていたと言えるのでは
>ないかと思うのですが、どうでしょうか?
Good Question!!
そうですね。
まず前方後円墳に代表される古墳の分布状況について考えてみましょう。
古墳の分布は墳形が類似したモノが単に分布しているわけではありません。
墳形の他にも、副葬品、埋葬主体部の構造、葺石や埴輪などの外表施設など
、古墳を構成する要素は日本列島規模で高い類似性を示しています。
また古墳の構成要素を個々に分析すると、それぞれ畿内を中心とした地域に
分布の中心が求められます。三角縁神獣鏡や石製品などが代表的ですね。
さらに瀬戸内海沿岸地域(+大和地方)に古墳が成立した後、極めて短期間の
うちに日本列島の広範囲にわたって分布が拡大しています。
上記の3点から、古墳の分布を単に「真似た / 真似られた」と解釈
するよりも、むしろ積極的に古墳の分布を拡大させた「何か」が作用していた
と考えることができるのではないでしょうか。
そして、その「何か」が畿内地方を中心としたヤマト政権であると多くの
考古学の研究者は考えているわけです。
畿内以外の地方が畿内地方と共通の墓制を採用する「メリット」があるからこそ、
古墳の採用が進展したと言い換えることができるかもしれません。
その「メリット」とは大陸からの鉄資源かもしれませんし、あるいはもっと
抽象的な「権威」と呼べるモノが畿内から他地方に供給されることにあった
のだろうと多くの研究者は考えています。
また、フケ・カユミを抑えることが「メリット」であったかもしれせん。
ただ、以上の説明では
>>192 さんの疑問を満たすことは、なかなか難しい
かもしれませんね。
私個人的には、「古墳時代に多くの地方が、畿内を中心としたヤマト政権の
政治的影響下のもっとにあった」という前提仮説が、多くの研究者の解釈に
ア・プリオリに介在しているような気がします。
「政治権力」という甚だ曖昧模糊とした概念が、考古資料の様相にどのようして
表象されているか、という問題設定に対して研究者の多くが明確な
回答を有していないことが最大の問題と考えます。
>>192 さんの疑問もこうした考古学の「怠慢」に起因しているのかなと、自戒を
含めて考えています。
こんな説明でいかがでしょうか?
他にもご質問、ご批判なんかありましたら、どーぞご遠慮なく。
んでは。
#ああ、ますますスレから遠ざかっていく。。。。
#2chということで、大目に見てね > All
194 :
193 :2001/03/05(月) 13:53
補足です。 下記の文献が参考になると思います。 都出比呂志編 1989 『古墳時代の王と民衆』 古代史復元6 講談社 ほいでは。
195 :
>159 :2001/03/05(月) 17:28
196 :
日本@名無史さん :2001/03/05(月) 18:21
軍事展開のダイナミックを無視した、間の抜けた話じゃどうしようもない。 古墳時代の初期は、西日本は畿内発祥の前方後円墳に吉備発祥の埴輪を並べた古墳が拡がり、 それに対して、東日本は東海発祥の前方後方墳に東海様式の壺を並べた古墳が対峙していた。 土器編年の精緻化により、こう言う事実が明らかになってきたのに、 いつまでも、前方後円墳>前方後方墳の序列を主張する都出氏は、 事実を無視して、単に自説に固執する痛い態度である。 そして、東日本も前方後円墳体制に組み込んだ後、朝鮮半島に大々的な軍事行動に出て、 百済・新羅を臣民として、任那も前方後円墳体制に組み込んである。 こう言う経緯を見ると、前方後円墳体制は軍事・経済的に纏まった組織が想定される。 それなのに、朝鮮人の歴史捏造工作に迎合・加担するエセ学者の妄説は、お話にならない。
197 :
通りすがり :2001/03/05(月) 19:54
>>195 さん
どもども。
ものすごおく眠いので、意味不明かもしれませんが
お返事します。
「特集 日本海鉄器ルート もう一つの邪馬台国時代」
http://www.ultra-k.com/kodai/jyo/old/tokusyu/tokusyu.html 日本海沿岸地域、北近畿、琵琶湖周辺地域における出土鉄器の
ありかたから、畿内を含む瀬戸内沿岸地域とはべつの勢力を
日本海沿岸地域に検討すべきでは、という趣旨でよろしいですね?
たしかに弥生時代〜古墳時代を通じて、日本海沿岸地域の分析が
畿内を含む瀬戸内沿岸地域および北部九州地方に比べ進んでおらず、
今後研究の進展が期待されるところです。
う〜ん。難しい問題ですね。
弥生時代の鉄器については、今現在でもよくわからないのが
現状でして、たとえば鉄器生産(製錬段階)を朝鮮半島で
行っていたのか、あるいは日本列島内で行っていたのかも
はっきりとしないのです。研究者により見解が分かれるところです。
記事執筆者の坪井恒彦さんは、鉄器の出土量の多寡から日本海沿岸地域に
注目していますね。たしかに畿内を含む瀬戸内沿岸地域は日本海沿岸地域
に比べ鉄器の出土量は少ないかもしれませんね。
ただ、木製品などの製作工程を分析すると鉄器の使用痕が確認できます。
また、弥生後期の日本列島規模での石器出土量の激減から鉄器の使用の
増大が想定されています。
視点を変えてみましょう。
<鉄器が遺跡で出土するまでの道のり>
鉄資源採掘(原産地) → 鉄素材入手・製品製作(製作地)→ 流通 →
消費(消費地)→ 廃棄・埋没(遺跡)
遺跡から鉄器が出土するまでには、上記のプロセスが介在します。
鉄器の多量出土遺跡は、あくまでも「鉄器が多く廃棄され埋没した地点」を
意味するにすぎないわけです。また自然作用を考慮に入れると、鉄器が廃棄
された地点と、埋没(出土)した地点は異なる場合もあります。
ひるがえって、記事内容を検討しますと、執筆者の坪井さんは「日本海ルート」
という語を使用して、瀬戸内沿岸地域以外で鉄器が多量に出土した地域は、
大陸と独自に交渉していた可能性があると述べていますね。
仮に「日本海ルート」が存在したとして、日本海沿岸地域における鉄器入手・
使用・廃棄までのプロセスはいかなる形をとっていたのでしょうか。
日本海沿岸地域の「独自性」云々の話は、上記のプロセスに対する説明を
前提として進められるべきと考えます。
鉄器出土量の多寡をもって大陸との独自交渉を語ることは、こと日本海沿岸地域
に関してはなかなか難しいのではないでしょうか。
#「出た」「出ない」の不毛な論議になってしまいますし。。
私自身は記事内容に対して、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
としかいえません。
記事の字数制限の関係もありますからなんともいえませんが、ちょっと
論証不足かな。。と思います。
駆け足となりましたが、以上が私の記事を読んでの感想です。
乱筆ひらにご容赦。
ちなみに、弥生時代の鉄器について興味を持たれた方は下記の文献が
参考になると思います。
川越哲志 1993 『弥生時代の鉄器文化』雄山閣
松井和幸 1986 「鉄生産の問題」
『論争・学説 日本の考古学』4 弥生時代 雄山閣
ほいでは。
>>196 さん
今日は受信感度が悪いので、後日また改めて
問題を提起していただけますか?
199 :
198 :2001/03/05(月) 20:04
まあ↑だけではなんなので。。。 「軍事展開のダイナミック」とはなんでしょうか。 よくわかりません。 当時の集落人口、成人男女比率、生業カレンダーの分析をもとに、 最適化された「軍事展開」をご説明されない限り、説得力が 欠けますよ。 そんなあなたには下記の文献が参考になると 思います。 根本敬・村崎百郎 1996 『電波系』 太田出版 (ISBN4-87233-305-5) ほいでは。
200 :
>197 :2001/03/05(月) 20:37
もとは「根拠は何だ・・・」に反応したものです。 URLの最後の#toku2を忘れないでくださいね。 ここの「日本海鉄器ルート◆2」には、話題のの熊野本遺跡に付いて言及されていて、 それによれば、弥生後期(邪馬台国より一つ前)に 熊野本では多量の鉄器・鉄素材が見つかり、何がしかのルートで鉄器がもたらされていた。 出土土器は近江7割日本海側3割 日本海側土器の特徴は、丹後から若狭にかけて分布するもの とあります。これを考えれば、丹後−熊野本のルートを考えることはほぼ必然で(決まりとは言いませんよ)、石野さんのいう >「日本海への湖北西岸ルートを確保していた豪族..」云々の話 も十分に裏付けのある話ではなかろうか?ってことです。 で、鉄器のはなしですが、少なくとも(九州を経由するにしても)半島から 丹後までの日本海ルートがあったことはほぼ間違いないわけで、 山陰はもっと真面目に考えにゃいかんでしょうな。 少なくとも、ある方面の方々が金科玉条のように言う「北部九州が鉄器を独占していた」という話は、 弥生後期についていえばすでに瓦解しています。 まだ、九州の方がいくらか上まわっているようですが、 下手をしたらここ10年以内ぐらいに山陰が九州を逆転するかも。 今の段階でも、鉄剣に関しては、すでに丹後が九州を含む他地域を圧倒している。 >川越哲志 1993 『弥生時代の鉄器文化』雄山閣 >松井和幸 1986 「鉄生産の問題」 申し訳ないですが、古過ぎます。奈具岡もまだ見つかってないでしょう?この年代では。
201 :
通りすがり :2001/03/06(火) 05:27
>>200 さん
どもども早速のお返事ありがとうございます。
う〜ん。私が述べたいことはですね、「日本海ルート」が
「存在した / していない」という論議ではないんですよ。。
ある / なしのお話は堂々巡りに終始しますから。
朝鮮半島から丹後までの「日本海ルート」が存在していたとしても、
その間の交換プロセスが仮説として提示されない限り、お話としては
成立し得ないことを述べたかったのですね。
出土量の多寡を前提とした仮説構築ではなく、「どのようにして鉄器が
出土するに至ったか」というプロセスを解釈した方が、弥生時代の
社会構造を総体的に理解できるのではないかと考えるわけです。
私が提示した文献が古かろうと新しかろうと、問題ではないのです。
大事なのは、「日本海への湖北西岸ルートを確保していた豪族」という
結論を導くまでの論証過程を問題にしているわけです。
鉄剣出土遺跡についても、鉄剣が製作され入手されるまでのプロセスを
考えていこうじゃないかと述べているのですね。
さらに、鉄剣製作から入手に至る心理的プロセスとして「需要」の
問題があるわけです。また副葬品に関しては、各地域間の「序列」パターン
が存在するわけです。
たとえば、北部九州においては、鉄剣が副葬品の主体を占める埋葬遺構は
福岡平野の周辺地域に限られるわけです。
鉄剣が多量に出土したことが、必ずしも地域間の優劣を語る上での決定的な
論拠にはならない場合も多々あるのですね。
大事なことは、朝鮮半島を含めた日本列島全体の社会構造のなかで、個々の
出土遺物を考えることではないでしょうか。それ抜きにして、「出た / 出ない」
の話をされてもちょっと。。。というのが正直な感想です。
それゆえ私は、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」と
述べたわけです。
ここで参考となる文献を。。
酒井龍一 1984 「弥生時代中期・畿内社会の構造とセトルメントシステム」
『文化財学報』3 奈良大学文学部文化財学科
Earle, Timothy, K. Ericson, Jonathon E. 1977.
Exchange Systems in Archaeological Perspective. Exchange Systems in Prehistory.
Academic Press.
植木等編 1996 『国家の形成 人類学・考古学からのアプローチ』三一書房
最も重要な要件は、論証過程なのです。。。
んでは。
202 :
日本@名無史さん :2001/03/06(火) 07:48
>>199 まともに反論できずに、捨て台詞で逃げるところがバカ丸出しだな。
お前のような思考能力の低い奴が、朝鮮の歴史捏造に丸め込まれるってことだ。
事実を反映していない、都出氏の前方後円墳>前方後方墳の序列とか、ナンセンスだぞ。
ってゆーか、都出の弟子だろ。紹介する本、都出のばっか。院の教科書なのかな。
前方後円墳体制の話をしているのだから、 都出さんの論文が多いのはしかたないでしょうが。。。
205 :
通りすがり :2001/03/06(火) 08:00
>>202 さん
>>199 で私がお話しした、
>当時の集落人口、成人男女比率、生業カレンダーの分析をもとに、
>最適化された「軍事展開」をご説明されない限り、説得力が
>欠けますよ。
上記の問題提起に対するご回答がない限り、
なんともお答えのしようがないです。。。
んじゃ。
206 :
無責任男 :2001/03/06(火) 14:03
>201 焦点を絞りましょ。 今焦点としたいのは、熊野本−丹後間のルート−石野のいう「日本海への湖北西岸ルート」−の可能性。 >その間の交換プロセスが仮説として提示されない限り、 >成立し得ないことを述べたかったのですね。 じゃあ、どうすんの? 物が熊野本で出土してるのは事実だけど、それはどうするのさ。 熊野本で材料を近所で調達して精練してたっていう証拠でもあるの。 あんたの話ってさ、一般論としてははそれでいいんだけど、具体的なものが何もないんだよね。上すべりしてる。 もうちょっと具体的な話をしてよ。 あとどういうものがあれば、熊野本−丹後間のルートの可能性を認めるのか、具体的な条件を出してくんないかな。 >出土量の多寡を前提とした仮説構築ではなく、「どのようにして鉄器が >出土するに至ったか」というプロセスを解釈した方が、弥生時代の >社会構造を総体的に理解できるのではないかと考えるわけです。 オイオイ。大学の指導教官が学生に指導してるんじゃないんだからさ。 この基準を適用して熊野本遺跡を具体的に論じてくれよ。 それとも具体的なデータは何ひとつ持ってないのを一般論で煙に巻こうっていう姑息な手段? >私が提示した文献が古かろうと新しかろうと、問題ではないのです。 新しいデータに基づいた議論をしないと化石化するよ。もうしてる? 分からないって逝ってるだけで前向きな議論をする気がないなら、 いくら化石化しても大丈夫だけどね。まさに象牙の塔! >植木等編 1996 『国家の形成 人類学・考古学からのアプローチ』三一書房 むふふ・・。こんな名前の人がいるのね。肩身が狭かっただろうなぁ。
207 :
日本@名無史さん :2001/03/06(火) 14:22
>>205 >当時の集落人口、成人男女比率、生業カレンダーの分析をもとに、
>最適化された「軍事展開」をご説明されない限り、説得力が
戸籍が完備していた奈良時代でないと、正確な人口なんて分からないぞ。
そんな不定なことを質問にするあたりが、不誠実の極みだ。
「事実を反映していない、都出氏の前方後円墳>前方後方墳の序列とか、ナンセンスだぞ。」
に対して反論して見ろ。
208 :
日本@名無史さん :2001/03/06(火) 14:24
>私が提示した文献が古かろうと新しかろうと、問題ではないのです。 例えば、都出氏の前方後円墳>前方後方墳の序列は、土器編年の精緻化で 破綻した好例だろ。シーラカンスな頭に、カビの生えたデータじゃダメだな。
209 :
通りすがり :2001/03/06(火) 17:16
>>206 さん
どもども。
ご批判ありがとうございます。
早速ですがお返事しますね。
>あんたの話ってさ、一般論としてははそれでいいんだけど、
>具体的なものが何もないんだよね。上すべりしてる。
>もうちょっと具体的な話をしてよ。
確かに私の展開したお話は「一般論」に終始しているの
かもしれませんね。
しかしですね。。。
>あとどういうものがあれば、熊野本−丹後間のルートの可能性を認めるのか、
>具体的な条件を出してくんないかな。
そう、その「具体的な条件」というのが現状では不足しているのですね。
「熊野本-丹後間ルート」を立証しようにも、私はそれを可能にする
具体的なデータを持ち合わせておりません。ご期待に添えなくて残念です。
あえていうならば、弥生時代後期末葉〜古墳時代にかけての湖北地域と
丹後地方の交換活動を傍証するような資料が存在すれば、とりわけ
首長墓と評価可能な遺跡から手がかりとなる資料が出土していれば
ある程度、両地域間の関係について解釈が可能になると思います。
さらに。。。
>新しいデータに基づいた議論をしないと化石化するよ。もうしてる?
>分からないって逝ってるだけで前向きな議論をする気がないなら、
>いくら化石化しても大丈夫だけどね。まさに象牙の塔!
なるほど「象牙の塔」ですか。。。
しかしですね、新たなデータが出土するたびに、解釈の変更を迫られるような
仮説・理論は果たして必要でしょうか?
必要なことは、多様なデータの特性を総合的に説明しうる仮説・理論構築
だと考えますが、いかがでしょう。
>>206 さんがおっしゃった「一般論」なるものの構築こそが、考古学おいては
最重要課題として要請されているのです。
#「一般論」という語には語弊がありますが。。。
ちなみに、議論が化石化するとしたら、問題に対してより「説得力のある」
仮説・理論が提示された時と考えます。
お話のテーマである、「熊野本-丹後間ルート」に関していえば、
「現状では、「熊野本-丹後間ルート」が存在していた可能性を積極的に
肯定できる段階にない。今後の資料の増加を待ちたい。
しかし、これまでの朝鮮半島-北部九州-瀬戸内沿岸地域を中心とした
鉄器の交換経路については、より周辺地域を視野に入れたうえで再検討される
必要があろう。」
としか私は言いようがないです。
おもしろくないですね。
すいません、非力で。。。
#あっそれから、「植木等さん」は「植木武さん」のタイプミスでした。
#ご指摘ありがとうございました。
210 :
通りすがり :2001/03/06(火) 17:17
>>207 さん
どもども。
>戸籍が完備していた奈良時代でないと、正確な人口なんて分からないぞ。
>そんな不定なことを質問にするあたりが、不誠実の極みだ。
ええ、おっしゃるとおりです。
前提仮説が
>>207 さんがおっしゃる「不定なこと」に依拠している以上、
「軍事展開」に関するお話の蓋然性は心許ないと申し上げたのです。
>「事実を反映していない、都出氏の前方後円墳>前方後方墳の序列とか、
>ナンセンスだぞ。」 に対して反論して見ろ。
そうですね。ある意味、都出さんの「前方後円墳体制」はナンセンスだと
私も考えます。
「畿内の大王」の優越性がア・プリオリに規定されている感があります。
都出さんの理論に従えば、日本列島の本土は古墳時代を通じて、
「畿内の大王」が政治的優越を維持し続けたことになってしまいます。
畿内中心主義ですね。
結局、「天皇家の万世一系」を考古学的に換骨奪脂したに過ぎない、
とはいいすぎでしょうか。
前方後円墳体制は理論的にも多々問題はありますが(たとえば新進化主義
に由来する初期国家論に依拠するため、「文明」に対する社会的指向性
が前提として潜在していること)、思想的には上記に挙げた問題がもっとも
大きいような気がします。
#ああ、また「嵐」の予感。。。
てなわけで、私自身は上に挙げた問題点から、前方後円墳体制論に対して
やや批判的な見方をしています。
ただ。。。
>例えば、都出氏の前方後円墳>前方後方墳の序列は、土器編年の精緻化で
>破綻した好例だろ。シーラカンスな頭に、カビの生えたデータじゃダメだな。
このご発言に関してですが、「土器編年の精緻化により破綻した
前方後円墳 > 前方後方墳の序列」とはどういった意味でしょうか。
前方後円墳 > 前方後方墳の序列を、それぞれの成立の時間的先後関係
と混同されている気がします。
それに、前方後方墳(前方後方形墳丘墓)の成立期は、前方後円墳体制論が
問題としている時期とは異なると認識しておりますが、私の記憶違いでしょうか?
前方後方墳(前方後方形墳丘墓)の成立期に関して、都出さんは前方後円墳の
優位性を説いてはいなかった気がしますが。。。
今一度、ご確認ください。
ほいでは。
211 :
日本@名無史さん :2001/03/06(火) 20:27
簡潔さに欠ける。
212 :
日本@名無史さん :2001/03/06(火) 21:03
>210 >そうですね。ある意味、都出さんの「前方後円墳体制」はナンセンスだと >私も考えます。 おいおい、都出説を批判した本意が分かってないだろ。 土器編年が精緻化して、古墳時代初期の北関東や東北南部には、 前方後円墳は見られず、いずれも前方後方墳ばかりであり、 この時代には、畿内発祥の前方後円墳(+吉備発祥の埴輪)体制と 東海発祥の前方後方墳(+東海様式の壺)体制が対峙していたと見る人が多い。 それなのに、前方後方墳の時代がハッキリ分かっていなかった頃の発想のまま、 前方後円墳>前方後方墳と言う上下関係を想定するのは、明らかにおかしいと言うこと。 >都出さんの理論に従えば、日本列島の本土は古墳時代を通じて、 >「畿内の大王」が政治的優越を維持し続けたことになってしまいます。 こちらについては、古墳時代中期には、吉備にも巨大古墳があると言う事実も 認識した上であれば、「畿内の大王」の政治的優越の評価は、その通りであろう。 日本書紀には、雄略天皇の前後で、吉備勢力が関わった内乱と敗退の記述があり、 一方で、吉備の古墳を見ると、古墳時代後期になると、一気に群集墳ばかりと、 弱体化が窺われる状況であり、日本書紀の記述と調和的なことが指摘されている。
>212 もっと読みやすく
214 :
通りすがり :2001/03/06(火) 22:27
>>211 さん
>簡潔さに欠ける。
全くおっしゃるとおりです。ご批判を真摯に受け止めます。
しかし、また長くなる気が。。。
許してつかぁさい。
>>212 さん
>おいおい、都出説を批判した本意が分かってないだろ。
>(中略)前方後方墳の時代がハッキリ分かっていなかった頃の
>発想のまま、前方後円墳>前方後方墳と言う上下関係を想定するのは、
>明らかにおかしいと言うこと。
ご批判の趣旨がようやく理解できました。
理解が遅くなり申し訳ありません。
ただ、土器編年設定の進展により、遺跡間の年代的序列が再検討されたのは、
おもに弥生時代終末期の様相ではなかったかな?
私の勘違いでしたらごめんなさい。
また、古墳編年のクロス・デイティングに土器編年を話題の中心に
持ち出すのは、いささか不適当な気がします。
#茶々はこれぐらいにして。。。
しかしどうでしょう、墳形と外表施設(埴輪)の差異をもって、
畿内と日本列島東半部の「対峙」と簡単に述べて良いものかどうか。。
主体部の構造や三角縁神獣鏡、石製品などの副葬品に関する共通性
については、どう説明なさるおつもりでしょうか?
たとえば「前方後方形」という墳形を採用しつつ、三角縁神獣鏡を
多量に副葬した東之宮古墳(愛知県)もありますし。。
ある特徴的要素から全体的なお話を展開する場合、かならず
上記に述べたような個別論的な批判が出てしまいますよ。
さらに「対峙」という語の具体的な概念内容についても
いささか気になるところです。
少なくとも考古学の研究者の多くは、墳形の違いから短絡的に
両地域間の「対峙」を考えてはいないと思いますが。。
(って誰よ? というのはナシね。ご自身でご確認ください)
地域間の「対峙」を主張する場合、最低限、「対峙」の要因と
「対峙」解消のプロセスを提示する必要があると考えます。
さらに前方後円墳体制論からみた、古墳時代前期の日本列島東半部に
関する評価ですが、「日本列島東半部は古墳時代前期後葉にいたり
前方後円墳体制に組み込まれた」と言い抜けできますね。
もっとも前方後円墳体制論とは
>>184 で述べたように、墓制のみならず
集落構造などに関しても、序列が存在すると解釈することから提示さ
れた概念です。
ゆえに、墓制の地域差のみから前方後円墳体制論を
批判した場合、「木を見て森を見ず」的な陥穽に陥ると考えますが
いかがでしょう。
むしろ、前方後円墳体制論について批判すべき点は、
>>210 で
述べたような理論的また思想的な問題にあると私は考えます。
個々の資料に関する経験的レベルからの批判は、前方後円墳体制論の
論理的可塑性により十分に反駁し得るはずですから。。。
できるだけ簡潔にまとめてみました。
ほいでは。
スレタイトルをよく見ろって? ごめんなさい。。。。。
216 :
失われた無責任男 :2001/03/06(火) 22:35
>そう、その「具体的な条件」というのが現状では不足しているのですね。 あのね、具体的な条件っていうのは、あなたが設定すべきものでしょう。 まずあなたが具体的な条件を設定し、現在あるデータがそれに合致するかどうかが判断基準でしょうに。 >あえていうならば、弥生時代後期末葉〜古墳時代にかけての湖北地域と >丹後地方の交換活動を傍証するような資料が存在すれば、とりわけ 出土土器の3割が、外来性の丹後〜若狭系統の土器なんですが。 後期で外来性が3割っていうのは尋常じゃないですよ。 でも、これじゃ不足だって言うんでしょ? あといったい何があればいいんです?具体的に教えて下さいな。 それから、熊野本は湖北じゃないですよ。 >現状では、「熊野本-丹後間ルート」が存在していた可能性を積極的に肯定できる段階にない。 こう判断できる、具体的な理由をおたずねしてるんですが。 「肯定できる段階にない」と断言される以上は具体的な出土遺物の検討をした結果のはずでしょう? その一端をご開帳願いたいんですがねぇ。 >#あっそれから、「植木等さん」は「植木武さん」のタイプミスでした。 なんだ、そうなんですか。ちょっとがっかり。
217 :
通りすがり :2001/03/06(火) 23:15
>>216 さん
どもども。
こんばんは。
>あのね、具体的な条件っていうのは、あなたが設定すべきものでしょう。
>まずあなたが具体的な条件を設定し、現在あるデータがそれに合致するか
>どうかが判断基準でしょうに。
ふむふむ。確かにおっしゃるとおりですね。
具体的な条件として、琵琶湖西岸地域〜丹後地方〜山陰地方〜朝鮮半島
の交換ネットワークが説明できれば、「日本海ルート」を論証する際の
最低限の要件を満たすと思います。
山陰地方に関しては麦木晩田遺跡(鳥取県)で鉄製品が
大量に出土していますね。
朝鮮半島との独自の交換活動となるとどうでしょうねえ。。
>出土土器の3割が、外来性の丹後〜若狭系統の土器なんですが。
>後期で外来性が3割っていうのは尋常じゃないですよ。
>でも、これじゃ不足だって言うんでしょ?
>あといったい何があればいいんです?具体的に教えて下さいな。
「北陸系土器群」の数量比からいえば、両地域間のなにがしかの
交換活動を認めることは可能でしょう。丹後地方に「近江系土器」
の出土がどの程度確認されているのでしょうか?
しかし、土器群の移動の背景には通婚、交易など様々な交換活動が
想定可能であり、またその交換活動に鉄製品の交換が含まれたかどうかは
また別の問題です。
>肯定できる段階にない」と断言される以上は具体的な出土遺物の検討をした結果
>のはずでしょう? その一端をご開帳願いたいんですがねぇ。
意地が悪いですね。
単純に、「知らない」と言ったら怒りますか?
誠に遺憾ながら、日本海ルートを立証しうるデータを私自身
持ち合わせておりませんので、今のところ洞ヶ峠を決め込んでいる
次第です。後日、改めてお話しできればよいですね。
って本当に分からないだけなんですけどね。
んじゃ。
218 :
日本@名無史さん :2001/03/07(水) 00:15
オマヘハウナギカ?
うなぎだろ。
隠していたんですが。。。 浜名湖に逝ってきます。
221 :
日本@名無史さん :2001/03/07(水) 00:59
だめだよ!「ボクハウナギダ」って答えなきゃ。
そうか。。。 ますます鬱だ。
223 :
宙に浮いた無責任男 :2001/03/07(水) 01:15
>朝鮮半島との独自の交換活動となるとどうでしょうねえ。。 これは私も? ちょっと前に木島平で加耶製鉄剣が出土しましたが、これなんかがもうちょっと事例が増えて 日本海側でしか出土しないってことにでもなれば別ですけどね。 >単純に、「知らない」と言ったら怒りますか? いや、怒りはしないですが、はやく言ってくれれば無駄な煽りもせずに済んだのに。 >意地が悪いですね。 それが2ch。
224 :
日本@名無史さん :2001/03/07(水) 02:20
>>214 >ご批判の趣旨がようやく理解できました。
>理解が遅くなり申し訳ありません。
今や常識的な、東国の前方後方墳体制も知らないとは、カビの生えた知識のシーラカンス人間だな。
>また、古墳編年のクロス・デイティングに土器編年を話題の中心に
>持ち出すのは、いささか不適当な気がします。
意味不明。論拠の提示も無しに、否定しようとするのは厨房だぞ。
他の人へのレスでは、追求されて言葉に窮して、以下のように白状していたのは宜しい。
「単純に、「知らない」と言ったら怒りますか? 」
具体性を欠いた不毛な抽象論に走っても、何の意味もないことを自覚すべきでしょう。
225 :
通りすがり :2001/03/07(水) 07:30
みなさんおはようございます。
>>223 さん
どもども。
納得していただけたようで、なによりです。
よかったよかった。
結局、私が述べたかったのは、
熊野本遺跡の事例を含め、どれだけの人が過去の社会全体を総体的に
視野に含めて論を展開しているだろうか?
という問題提起ですね。
どこそこからの特徴的な資料の出土から、直接的に
社会全体まで敷衍した議論がやや多すぎるような気がします。
過去に実際に生きて死んでいった人びとの多種多様な諸活動が、
我々の解釈の手のひらからこぼれおちてしまいます。
過去の人びとも、現代の我々とは違った形かもしれないが
複雑で多様であった「だろう」と認識することの必要性ですね。
それはまさに、過去の人びとに対するある種の「敬意」の
問題ともいえますが。。。
決して「考古資料=過去の人間」ではないのです。。。
>それが2ch。
ははは。
>>224 さん
どーも。
>今や常識的な、東国の前方後方墳体制も知らないとは、
>カビの生えた知識のシーラカンス人間だな。
。。。う〜ん(苦笑)。
「東国の前方後方墳体制」が常識的とは何ですが、
「前方後方墳体制」(←富山大の宇野隆夫さんが出典ですか?)と
いうからには、古墳時代前期の日本列島東半部に、墓制や集落構造などに
関して日本列島西半部とは異なった序列が存在したと評価できるのですか。
繰り返しになりますが(ちょっと疲れた)、「前方後円墳体制論」とは
墓制のみならず(!!!)、集落構造などに関しても社会全体に階層序列が
存在したことを認めての概念提示です。
その点をどうかどうかどーか、ご理解しください。お願いします。
>意味不明。論拠の提示も無しに、否定しようとするのは厨房だぞ。
古墳からは埋葬主体部・副葬品というまさしく「一括資料」が出土することが、
資料的特性としてあるわけで、 古墳編年のクロス・デイティングには
まず埋葬主体部・副葬品の年代的比較が先決であると申し上げたわけです。
>具体性を欠いた不毛な抽象論に走っても、
>何の意味もないことを自覚すべきでしょう。
考古資料という経験レベルから仮説・理論という抽象レベルの解釈の間に、
存在する解釈過程の重要性をくどくどとご説明したのですが。。
いわゆる中位理論の検討抜きに高位の抽象論を展開しても、理論・仮説の
蓋然性が伴わないことを指摘しました。
#建設的な議論を期待して。
#ちょっと(かなり)疲れました。。。。
んでは。
>考古資料という経験レベルから仮説・理論という抽象レベルの解釈の間に、 >存在する解釈過程の重要性をくどくどとご説明したのですが。。 >いわゆる中位理論の検討抜きに高位の抽象論を展開しても、理論・仮説の >蓋然性が伴わないことを指摘しました。 そういうのは暗黙の前提ではないか。 結局、なにがいいたいのか?
227 :
日本@名無史さん :2001/03/07(水) 18:32
>>226 >そういうのは暗黙の前提ではないか。
>結局、なにがいいたいのか?
通りすがりさんは、独り善がりな自己陶酔に陥っているのでしょう
考古学界の底辺にいる土掘り院生、さぞかし鬱憤もたまってるだろ。
229 :
日本@名無史さん :2001/03/07(水) 21:55
「邪馬台国」は「エジプト」です。 「卑弥呼」は「クレオパトラ」の事です。
230 :
日本@名無史さん :2001/03/07(水) 21:58
「邪馬台国」は「M78星雲」です。 「卑弥呼」は「ウルトラの母」の事です。
お願いだから、文章をきちんと読んでください。。。 んじゃ。
232 :
日本@名無史さん :2001/03/08(木) 05:41
読みました。で、要するに短くいうとなに?
233 :
日本@名無史さん :2001/03/08(木) 07:31
>通りすがりさん なるほど勉強になりました。考古学の講義をただで聴けた気分です。 文章が長くて読みにくいとか、簡潔に言ってくれとか言ってる人たちは 単に読解力に欠ける人だからほっといてもいいでしょう。相手するだけで 疲れそうだ。(結局理解しそうに無いし。) もっともこのスレで議論している人は(私も含めて)「中位理論の検討抜きに 高位の抽象論を展開」しようとしている人が多いので、あなたの指摘は耳に痛い とはいえ、それほど真摯に受け取るとは思えませんね。もっともみんな「抽象論」 ではなくあくまでも「具体的推論」(早く言えば「邪馬台国は○○だった!」)を 言ってるつもりなのでさらに始末が悪いですが。(自戒) 結局通りすがりさんのおっしゃることを要約すれば、文献が少なくて資料批判できないし、 考古学でも資料が限られてるのに、推論ならともかくあれこれ結論付けるようなことを言うのは おかしいですよ、ということでしょうか。 「結局判らないのなら判ったようなレスをするな!」というのが今のスレの雰囲気のような? 見てきたようなことを言う古田武彦や安本美典、井沢元彦なんかが(一般的な)人気があるのは なんとなく理解できますね。 スレの主題に戻って「邪馬台国論争」で、あなたの目から見て明らかにおかしい 議論の展開などを指摘してもらえれば、ちょっと興味が湧くかな。
234 :
日本@名無史さん :2001/03/09(金) 04:41
>なるほど勉強になりました。考古学の講義をただで聴けた気分です。 >文章が長くて読みにくいとか、簡潔に言ってくれとか言ってる人たちは >単に読解力に欠ける人だからほっといてもいいでしょう。相手するだけで >疲れそうだ。(結局理解しそうに無いし。) なにいってやがる。そんなこたあBBSの形式によるだろう。 長文投稿じたい「読んでくれなくていいけどね」というメッセージなんだよ。 ま、おれも今回長文だけどな。 >もっともこのスレで議論している人は(私も含めて)「中位理論の検討抜きに >高位の抽象論を展開」しようとしている人が多いので、あなたの指摘は耳に痛い >とはいえ、それほど真摯に受け取るとは思えませんね。 おや? 「中位理論の検討抜きに高位の抽象論を展開しようとしている人」 それを2ちゃんでは「ドキュソ」というのではありませんかね、難しくいうと。 (ただややこしい言い方をしてるだけで奥が深いわけじゃねえけどな) >もっともみんな「抽象論」 >ではなくあくまでも「具体的推論」(早く言えば「邪馬台国は○○だった!」)を >言ってるつもりなのでさらに始末が悪いですが。(自戒) そのへんの二重構造を理解できてないウスッペライ人(たとえば「通りすがり」とか233とか) を2ちゃんでは「厨房」というのではありませんかね。 >結局通りすがりさんのおっしゃることを要約すれば、文献が少なくて資料批判できないし、 >考古学でも資料が限られてるのに、推論ならともかくあれこれ結論付けるようなことを言うのは >おかしいですよ、ということでしょうか。 ちがうだろ。だったら最初にそういったはず。 >「結局判らないのなら判ったようなレスをするな!」というのが今のスレの雰囲気のような? 当たり前だろ。「結局わからない」となぜ先に言わない? どうも、厨房、消防につづいて「陰性」という用語も必要なようだな(藁 たいして中身もないのに、もったいつけてウンザリするような ゴタクをきかせたいだけじゃないか。そんな演説はお前の師匠に向かって言え。 >見てきたようなことを言う古田武彦や安本美典、井沢元彦なんかが(一般的な)人気があるのは >なんとなく理解できますね。 彼らの説にはまったく賛同しないが、 システムに守られている(=保守できる利権をもつ)ある層よりは マーケティングの才能があることは認めなければならない。 >スレの主題に戻って「邪馬台国論争」で、あなたの目から見て明らかにおかしい >議論の展開などを指摘してもらえれば、ちょっと興味が湧くかな。 ただ顰蹙のみ。 それで喜ぶような奴はそもそも2ちゃんなんかうろつかない。 「通りすがり」に共感する233のような手合いは ネットで遊んでるヒマがあったら勉強でもしてろ。
235 :
日本@名無史さん :2001/03/09(金) 07:32
で、邪馬台国はどこですか?
236 :
日本@名無史さん :2001/03/09(金) 14:12
現状では纒向が第一候補でいいんじゃない?
237 :
日本@名無史さん :2001/03/12(月) 01:53
>通りすがりさんへ 一連のレス おもしろく拝見させていただきました。 一部に変なレスをつける人もいますが,2chということで笑ってすませましょう。 233さんの「明らかにおかしい議論の展開などを指摘してもらえれば、」 というのは同感です よろしくお願いします >通りすがりさん
238 :
日本@名無史さん :2001/03/14(水) 20:43
裸国がトンガっていう説はどうよ?
239 :
日本@名無史さん :2001/03/14(水) 22:51
トンガでも説
240 :
日本@名無史さん :2001/03/17(土) 22:33
結局、畿内でほぼ決まりってことで、いいですね?
241 :
実習生さん :2001/03/17(土) 23:52
まだ畿内説を言ってる馬鹿がいるな。 とっくに論破されただろうが。
242 :
日本史@名無氏 :2001/03/17(土) 23:56
九州から機内へ移動した。とゆうのはもう出ましたか?
243 :
日本@名無史さん :2001/03/18(日) 01:11
>>241 だれが、いつ、どこで?
決して具体的な事実は答えないのが「おばかな九州説者」略して「おば九」
244 :
\ :2001/03/18(日) 22:40
yahoo!の日本史板で
『邪馬台国の所在地はすでに明らかにされていますよ。
もういい加減に所在地論争はやめて建設的な議論をしませんか?』
と堂々と語る人のHP
↓
http://www1.gateway.ne.jp/~kojin/ ちなみに、邪馬台国の所在地を南九州(宮崎県)だとして、
また、その『ヤマタイ』という発音は邪馬台国に参加した各集落名の
頭文字を連結したものである、と主張している
また、宮崎県という時点で当然ながら
天皇家は邪馬台国出身である、と説いている
245 :
:2001/03/18(日) 23:32
ウソも百回言えば本当になる!
247 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 01:14
>244 信憑性はともかく、あの断言調はスゴイね しかも、一切の根拠説明はなし(爆) でも、すべてをクリアにしているので 一瞬、『おっ?』と思わせるサイトではある
248 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 01:23
理由を言わない結論連呼マンとか 村おこし突撃確信犯とか 「歴史はダジャレで解明できる」主義者とか 偽書礼賛者とか 漢文読めない無学文盲“自称”古代史研究家とか いまどきもう純九州論者はドキュンしか残ってないのかね
>>248 九州説はどうせあと2〜3年で消滅するんだろうから
大目に見てあげようよ。かくいう私も転向組。
250 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 15:04
狗奴国はどこですか。
251 :
実習生さん :2001/03/19(月) 15:22
魏志倭人伝のどこをど読めば畿内説になるんだよ、アホーども。
252 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 17:33
253 :
名無しさん@1周年 :2001/03/19(月) 21:57
>>252 君はー?
もう前に畿内説を論破しちゃったでしょう。目覚ませよ、ボケ。
254 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 21:59
241=251 理由を言わない結論連呼マンだろう。
255 :
名無しさん@1周年 :2001/03/19(月) 22:06
>>254 前にきっちり論破しただろうが。もうアホは駆逐されたと思ったが。
256 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 22:17
と、臆面もなくまたウソを書くが、何番のレスかすらも示すことが出来ない。 事実を捏造するのは得意ワザ。 九州説にはモラルがない。
257 :
日本@名無史さん :2001/03/19(月) 22:50
「おばかな九州説者」は不道徳なので、絶対に具体的な事実は答えない。 それが「自分自身が、いつ、何を言った」という明白な事実でさえも答えられない。
258 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 11:14
どうせ255はせいぜい「邪馬台国は九州に決まってるだろ、ボケ。」とか書いただけで 理由を聞かれたら今回のように沈黙したんだろ 問い詰められると貝のように口を閉ざして死んだ振りするが ほとぼりが冷めると出てきて、また「九州に決まってる」とか言い出す 「決まってる」「決まってる」「畿内なはずがない」しかいわない
最近はもっと質が悪くなったんじゃない? 「論破した」っていいはじめたよ。
261 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 13:12
262 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 13:33
その当時に大和に大きな勢力があったという可能性は高い、 というだけで、それが邪馬台国だと決めるのはまだ早い。
263 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 13:42
ホームお気に入りのコミュニティヘルプ 日本古代史の会 今すぐ参加 アルバム ホーム ページ 掲示板 コレクション チャット ルーム ●「魏志倭人伝」原文(作成中) ●「魏志倭人伝」読み下し文(作成中) ■魏志倭人伝への疑問 ツール 「魏志倭人伝」原文 (朝日新聞文芸部著「邪馬台国」の新読み下し文より) <作成中>-------------------------------------------------------------------------------- @倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見物者、今使譯所通三十國。 A從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里、始度一海、千餘里至對馬国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百餘里、土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴。 B又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國、官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里、多竹林叢林、有三千許家、差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。 C又渡一海、千餘里至末盧國、有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。東南陸行五百里、到伊キ國、官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。 D東南至奴國百里、官曰★馬觚、副曰卑奴母離、有二萬餘戸。 E東行至不彌國百里、官曰多模、副曰卑奴母離、有千餘家。 F南至投馬國、水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。 G南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳★、可七萬餘戸。. H自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 I次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。 J男女無大小皆黥面分身。自古以来、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子封於會稽文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍為飾。諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。 K計其道里、當在會稽・東冶之東。 L其風俗不淫、男子皆露★、以木緜招頭。其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人被髪屈★、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。種禾稻・紵麻、蠶桑・緝績、出細紵・★ チャンネル -------------------------------------------------------------------------------- ニュース 天気予報 地図と路線 ゲーム ホロスコープ コンピュータ クイック リンク -------------------------------------------------------------------------------- 世界の MSN マイクロソフト コミュニティ ヘルプ スタッフ募集 カービュー &copy;2000 Microsoft Corporation. All rights reserved. 使用条件 プライバシー
264 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 13:48
九州説の方に質問。狗奴国はどこですか。
>>261 事実上はね。
でも地位と利権が懸かってる奴はもう後戻りできないんだよ(藁
266 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 14:15
>>262 それが九州説シンパの比較的まともな人々の最後の拠りどころ
267 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 15:03
MSNに開設してるってとこからしてすでにまともな神経とは思えねぇな。 中身は知らんが、重すぎてとても見れたモンじゃネェ
269 :
名無しさん@1周年 :2001/03/20(火) 17:21
前スレで論破された事をすっかり忘れてるらしい、畿内説の馬鹿ドモ
270 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 17:26
どうやら大和説が最有力の様ですな。
>>269 2chで論破しても何も変わりません。
九州説シンパは哀れですな。
271 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 17:33
どこだかNoを明記できないところがもっと哀れ。
272 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 17:44
>>270 どうせ「そんなことない。ないないない!あるわけない。俺は認めない!」とか言った程度のことを
「論破したー!」「論破したー!」と大本営発で連呼してるんだろ!
知能の低いやつのやりそうなことだ。
273 :
名無しさん@1周年 :2001/03/20(火) 18:14
スレの1を見ろよ、ボケ。
274 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 18:19
「バカ!」「バカ!」「当たり前!」って連呼してるだけじゃん。 あんたの論破って、そういうこと?
275 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 18:44
バカ!ボケ!連発して、相手が嫌気がさして居なくなると勝利宣言ってか? せこいねー
276 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 19:06
ちょっと話変えていい? 日本書紀の、あの神宮皇后のところの付け足しは最初からあったものなの? どなたか教えて下さいまし。
277 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 19:17
本注論争ですか。むずかしいですねー。 日本書紀じたいが何段階にもわたって順次書き加え、書き換えを経てきたと思われます。 どうでしょう?私は否定的です。 倭の五王の話は最初の段階では日本書紀に書かれていたがカットされたのではないかというのが私の考えです。 日本が中国に朝貢した事実はカットしたかった。 が、その意図を理解せずにまた注をつけてしまったのではないだろうか。 PS 神宮ちゃうで。
278 :
好奇心 :2001/03/20(火) 19:48
全然関係ないですが、北條芳隆・溝口孝司・村上恭通『古墳時代像を見直す』青木書店って、どんなものなんでしょ?
279 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 19:54
若手の考古学者にはかなりの反響のようですね。 このスレにも影響を受けてるらしいひとが来てるみたい。 初期大和政権は求心的集約で形成されたとか 北條っぽい用語を使ってましたね。
280 :
好奇心 :2001/03/20(火) 20:45
考古学の専門家とお見受けしました。脳みその単純なわたくしめには、やたら難しいのですが、どこをどんなに読めばよいでしょうか。あ、古墳時代像を見直すのことです。教えてください。
281 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 21:12
どこぞの本に東北説が書いてありました 読んでて結構納得できるものがありました ただ、その本の名前がわかんないっす まぁ、これこそ本当の机上の空論ですが
282 :
日本@名無史さん :2001/03/20(火) 22:48
>>280 前方後円墳の総体としての統一性とは何かっていう視点から
その統一性を透かしてはっきり見て取れる地域性を自律性と見たてて
その統一性の起源を政治的な求心的集約と総括した…と言ったら、ずれてるかな。
倭人伝に出てくる「共立」とも共鳴するあり方のように思えるのだけれど。
詳しいことは本人に聞いてみれば?
283 :
サヨぶりっこ :2001/03/21(水) 00:09
1.畿内に大きな集落がありました。 2.後の大和政権は畿内中心です。 考古学的に確かなのはこれだけだろ? 中国の文書が指し示している邪馬台国とは、「冬でも温暖・東に海をはさんでまた国」 ってあるからには「畿内の集落」じゃないことだけは確かだろ?風俗も南方系だし。 たとえば、東京から徳川の刀や秀吉が天皇から受領した刀がみつかったとしても徳川 発祥の地が江戸で豊臣政権も江戸にあったとの確証にはならんだろ?持っていった場合 と、権力者が富を集める場合があるだけだ。 ちなみに、距離が示されているところまでが実際に行ったか把握できた範囲だと思うな。それから日にちだけなのは「(船だと…歩くと…ぐらい)南の遠くのほう」ぐらいの伝 聞事項だろ?できるだけ大きな国が朝貢してきたことにしたいのは、呉への牽制かもし れんが。 船に乗って来たあとかなり陸行してまた別の船にのるなんて推測は不自然だ と思わないのかなぁ。
284 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 01:47
285 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 01:49
3.同じ時代にありました。 4.集落じゃなくて国がありました。 5.そこから中国のものが出ています。 6.そこは九州を含む西日本広域と交流がありました。
286 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 01:57
邪馬台国とは「冬でも温暖」とは書かれていません。 「東に海をはさんでまた国」は中国人が行ったはずがないのに「千余里」と数字が明らかで不自然。 「距離が示されているところまでが実際に行ったか把握できた範囲」と矛盾。 この部分、記事そのものに信憑性がない。 行程はべつに魏使がたどった道とは限らないので 「船に乗って来たあとかなり陸行してまた別の船にのるなんて推測」 は特にする必要もなし。
287 :
サヨぶりっこ :2001/03/21(水) 03:58
>墓をわざわざ遠方に作るかなあ・・・ ??特定できてましたっけ? なんで読んだか忘れたけど、平城京造成のとき、そこに あったお墓を気にしてないので、近畿にある古いタイプのお墓は大和朝廷の先祖とは 無縁なのでは? 皇統断絶の危機に際して宇佐八幡にお伺いをたてたことからみると、 大本は九州っぽいし。神武東遷移の伝説は、あんがい史実の脚色かもしれないし。い づれにせよ大和が近畿で自然発生したわけでもないので、半島経由→近畿の集落? 大陸(水稲地帯)海から→九州→近畿 あたりがマアマアの線では? >3.同じ時代にありました。 >4.集落じゃなくて国がありました。 >5.そこから中国のものが出ています。 >6.そこは九州を含む西日本広域と交流がありました。 これは矛盾しませんよね? 近畿にも国と呼ばれるほどの集落があっても。
288 :
サヨぶりっこ :2001/03/21(水) 03:59
>邪馬台国とは「冬でも温暖」とは書かれていません。 倭の地は温暖で、冬でも夏でも生野菜が食える。とあるので、当時の中国が認識してい た倭の範囲というのがこのアタリってことでしょ?だから、あくまで中国から見た邪馬 台国っていうのが近畿地方の国をさしていたんじゃないでしょ? >「東に海をはさんでまた国」は中国人が行ったはずがないのに「千余里」と数字が明ら >かで不自然。 「距離が示されているところまでが実際に行ったか把握できた範囲」と >矛盾。 この部分、記事そのものに信憑性がない。 魏使の行程と土地説明は視点が別でもよいのでは? 行程のなかで急にアバウトになる から、ここから南にずっと遠いんだよということで行かなかったいいわけかもしれない んだし。後者は、邪馬台国の使者の説明だとすると、前者と整合性がとれていなくても ヨイでしょ?わざわざ都合がつかないことを南→東って歪曲する必要の合理性もとわれ ないし。 >行程はべつに魏使がたどった道とは限らないので … ??…まぁ色々な読み方があるにしても、自分のなかで整合性があればそれでイイと思 うな。
289 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 20:03
>>287 >これは矛盾しませんよね?
矛盾って、何と?
>考古学的に確かなのはこれだけだろ?
って言うから、それじだけじゃないと言ってるだけだけど。
それに「国と呼ばれるほどの集落」って感覚、古いよ。
もう集落に毛の生えたようなものが国と呼ばれる時代じゃないことは
交流域の広がりからも倭人伝の戸数からも確かでしょう。
畿内から当時の中国本土の遺物が北部九州からより多く出てる以上は
やはり畿内が邪馬台国ですよ。
290 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 20:52
>>289 おいおい、遺物が多く出てるから決まりだなんて、
歴史は多数決で決めるもんじゃないぞ(藁
291 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 20:59
>>290 だが重要な要素である事に否定はできんぞ(藁
292 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 21:00
決めるもんだよ
293 :
日本@名無史さん :2001/03/21(水) 21:04
多数決というのは人の多寡で決めることですよね。 ここで言っているのは証拠物件の分布の問題、ものの多寡ですから、それでいいんです。 でなきゃ統計の意味がないでしょう?
294 :
名無しさん@1周年 :2001/03/21(水) 22:26
>>289 >畿内から当時の中国本土の遺物が北部九州からより多く出てる以上は
>やはり畿内が邪馬台国ですよ。
キミ、ばか? どういう論理? 歴史関係者にはこういうアホーがいるんだよな。
で、いつまでたっても真実がわからない。
295 :
サヨぶりっこ :2001/03/21(水) 23:26
>289 ふぅ。だから、同時期の畿内に九州地方より大きな勢力があっても別に矛盾してい ないでしょ?あくまで邪馬台国というのは中国側からの認識で、その資料からは畿 内の地理・風俗とは考えられないし、日本列島一の勢力だとも言っていないんだし。 どういう比較検討で、(倭人伝の)特定の個所が誤りだというストーリーが出せる のでしょうか。 (奴の規模ぐらいでも王の認印ぐらい貰えるんだし。) それに、貴重な宝物は最終的に統一政権たる大和朝廷に集まったんだろうから、問 題は「邪馬台国と大和朝廷の関わりについて」でしょ? 「あるいは言う。日本はもと小国で…」
296 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 01:15
かいけいとうやの東にあるんだしょ?
なんだか堂々回りのような… たぶん一巡一周ごとに議論の当事者は入れ替わってるんだろうなあ。
298 :
サヨぶりっこ :2001/03/22(木) 15:42
>297 …そうですか…、ってことは、今までも堂堂巡りで合理性のある落しどころには落ち 着かないってことですね…。全部のスレを読んだ訳でもなかったので失礼しました。 そうなると労力の無駄なので、発言はこれでおわりにします。 このスレを眺めたとき、他の2CH板でもよくみかける「罵倒・悪意あるレッテル貼」 が畿内派の支持者に多く感じられたものですから、他例と同様にコレはサヨク的イデオ ロギーに偏向した(おそらく天皇制を貶める隠れた意図)人の学説がおおいのかなぁと 思いました。私の今までの常識では、事実の探求より目的の合理化が優先するタイプの 方が相対化思考が苦手で間違っている場合が多かったので、九州南部を取り上げました ちなみに、合理的判断が苦手な、人文(科学とは言いたくない)学者に多いんですが、 数学的な統計的処理が有意となる前提にあまりにも無神経です。自然科学における比較 対照の訓練がないのでしかたがありませんが…せっかく多変量解析を駆使してるのに… 今回の場合に限っても、「征服・強奪・寄贈・地震など想定されるのに、同じ確率で発 掘できる根拠は?」とか「全国一定割合で公平な遺跡発掘ができているの?」とかを考 慮できず、数が多いほうが統計的に…なんて…。 少しの間でしたが、付き合ってくださった方ありがとうございました。
299 :
サヨぶりっこ :2001/03/22(木) 15:56
あっ、忘れてた。 >296 中国側の視点と邪馬台国使者側の視点の違い、及び常識的に推測する過大表現の意図、 両者の測量技術の格差及び実際の航海ルートの有無、地球の観念と地図の歴史に思い を馳せていただければ幸いです。
300 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 16:14
>>298 298に事実でないことが3つ書いてあります。
何でしょうか?
そのまま書き逃げする?
301 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 17:21
>>298 > 他の2CH板でもよくみかける「罵倒・悪意あるレッテル貼」が
> 畿内派の支持者に多く感じられたものですから
ちがうな。
理由も書かずに「ばか」「アホー」と書く
>>294 みたなのがそうだろ。
九州説の支持者に多い。
302 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 17:49
隋書「倭国」 都於邪[マ]堆則魏志所謂邪馬[台]者也 というわけで大和だと思うのは間違い??
303 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 19:41
>>298 は私がこの3ヶ月間に見た、いちばん奇妙な投稿です。
>「罵倒・悪意あるレッテル貼」が畿内派の支持者に多く感じられた
>コレはサヨク的イデオロギーに偏向した(おそらく天皇制を貶める
>隠れた意図)人の学説がおおいのかなぁと思いました。
なんで畿内派とサヨク的イデオロギーが結び付くのかわかりません。
つまり根拠不明な断定で行動したわけです。
しかし自分の方がなんか「天皇制を貶める隠れた意図」とか
イデオロギーっぽいわけで
>私の今までの常識では、事実の探求より目的の合理化が優先するタイプの
>方が相対化思考が苦手で間違っている場合が多かったので、九州南部を取り上げました
つまり相手が「事実の探求より目的の合理化が優先するタイプ」であると
「レッテル貼」りした結果、「事実の探求」とは関係なく
「九州南部を取り上げ」ちゃって、つまり
「事実の探求より目的の合理化」を「優先」させちゃってるんですんね。
非難してる行為を実践してるわけだ。
304 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 19:42
そして >合理的判断が苦手な、人文(科学とは言いたくない)学者に多い と、「自然科学における比較対照の訓練がない」と断定して 人文科学を科学と言いたくないと「罵倒・悪意あるレッテル貼」りして そのあげく 「征服・強奪・寄贈・地震など想定されるのに、同じ確率で発掘できる根拠は?」とか「全国一定割合で公平な遺跡発掘ができているの?」とかの議論を まだ一切していないのに >今回の場合に限っても、「征服・強奪・寄贈・地震など想定されるのに、同じ確率で発 掘できる根拠は?」とか「全国一定割合で公平な遺跡発掘ができているの?」とかを考 慮できず 「考慮できず」とこれも根拠なく断定するわけだ。 そして >少しの間でしたが、付き合ってくださった方ありがとうございました。 と「反論受けつけず」宣言を残して去って行く。 奇妙な投稿でした。
305 :
名無しさん@1周年 :2001/03/22(木) 19:59
畿内派の発言態度に問題があるのは、誰が見たって明らか。
306 :
訂正 :2001/03/22(木) 20:06
307 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 20:52
九州説側の書く「バカ」「ボケ」「アホー」が見えなくなるのは 倭人伝の中の九州説に都合の悪い部分が見えなくなる症状と同じ。
308 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 21:02
>>298 の、人文を科学とは言いたくないという発言は
すべての文系に対する罵倒で、そうとう発言態度に問題があるんじゃないか?
309 :
日本@名無史さん :2001/03/22(木) 21:39
ちょっと離れた疑問なんだけど、当時の船ってどんな船なの? 当時の海上ルートってどんな感じなんだろう? 一か月あれば何処でも行けたのだろうか?
310 :
世界@名無史さん :2001/03/22(木) 21:49
商船大の先生の説では一日20〜23kmとのこと。 渤海湾を横断できるような中国船でも、夜は航海できないので同じか。
311 :
世界@名無史さん :2001/03/23(金) 00:36
摂津とか丹後とか、出雲とか、出土する鉄器の件数が多い臨海部をプロットしてみると おぼろげながら往時の海上ルートが見えてくるようです。 山陰−北陸の交通量が予想以上に大きいのではないか。
312 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 06:11
畿内で、3世紀の中国で作られた遺物が3世紀半ばに埋められているという 事実が明かになっているのに、いまだに九州説を捨てない人がいるのは 不思議でしかないですよ。
313 :
サヨぶりっこ :2001/03/23(金) 17:46
>303 ただの決め付け罵倒より、説得力があるかのようなアオリのほうが相手を議論に 引き込む手かもしれません。さよなら…といったのにという批判にはゴメン。 私の文章中で、畿内をことさら否定的に表現した動機を書いたものです。当然こ の動機は表現に影響しても論考にはあまり関係ありません。よって、注意深く…と 感じました。…と思いました…との印象に留めたのですが、論考と等価な決め付け のダブスタにされてしまいました。元ニフ物なので発言者がわからない非コテハン 相手の論考は不慣れですみません。(反応によって疑念が深まりはしましたが) …ということで。(いい?)当時の中国が認識していた邪馬台国というのは中国側 の文章が示す風土・風俗・国の四方 からでは畿内はなりたちようがありません。 これに反対するには、 1:当時の気候は今と違って畿内も温暖であり、植生も…である。また南方風俗の 痕跡もコレである。(東の海は東海道…?) 2:そもそも魏志倭人伝とは信用がおけない書物であり、自説に都合が悪い部分のみ 誤記・間違いだという態度はとらない。よって邪馬台国という表現も使うのをや めプレ大和国とでも…。 3:すでに畿内勢力は九州も勢力下においており、九州のヤマト国とは後の大宰府み たいな出先機関がなかば独立勢力と化したものに近い。 …ぐらいかな?行程の問題はすでに九州を念頭において推測を試みましたが、畿内の 場合でも、航海技術を持った魏の使者が急に途中からアバウトな表現にかわる説明を していただけると助かります。 >302 勢力拡大によって(ヤマト中心の)倭と認識された範囲に畿内も入った結果だと思い ますが、どうかな?
314 :
サヨぶりっこ :2001/03/23(金) 17:47
>308 これは暴論でした。すみません。根拠に「統計的に…」を持ち出されてついムッとし て偏見を書き込んでしまいました。ピカソの絵を判別する鳥の心理学実験なんていう のを見た印象が尾を引いていました。 で、感情を抑えた一般論としては、「科学的手法は、影響する要素が特定できない 対象には向かない」っていうのが正直なところです。よって、「性格・文学・精神分 析・社会学などに無神経に適用して権威づけをするな。独立事象なのかどうかも対照 実験によって考慮してないくせに」というのがエスカレートしました。個人的にはラ カンの数式など擬似科学だと思っています。経済学でも期待値に対するリスク計 算などは数学としてマトモですが…。 議論が期待した方向に進まないので、2CH的には捨て台詞として煽ってみるもんか な?との甘い認識でした。
315 :
サヨぶりっこ :2001/03/23(金) 17:48
>312 >畿内で、3世紀の中国で作られた遺物が3世紀半ばに埋められているという >事実が明かになっているのに、いまだに九州説を捨てない人がいるのは >不思議でしかないですよ。 いや、だから私が知りたいのは…ちょっと不正確なたとえ話になりますが…。 中国側の文章からは九州連合(仮定ですよ)の長である島津家との関係を示して いるようにしか思えないのに、なんで徳川を持ち出すの? といった感じです。もちろん徳川も中国と交易をおこなっていて、大きな勢力ですが 徳川(もしくは後の明治政府)を島津と誤認しているんじゃないという根拠は何処に? (他の発言の言葉尻ではなく、ココに反応してくれぇー 心の叫び)
316 :
あばたもえくぼ :2001/03/23(金) 18:27
>中国側の文章からは九州連合(仮定ですよ)の長である島津家との関係を示して いるようにしか思えないのに、 これを世間では、思ぃ込みといふ。 >(他の発言の言葉尻ではなく、ココに反応してくれぇー 心の叫び) なんでこんな思い込みをするようになったのか、 もうちょっと具体的に書いてもらわないと、反応のしようもない。
317 :
302 :2001/03/23(金) 18:55
>>313 隋書には
都於邪[マ]堆則魏志所謂邪馬[台]者也
のあと
自魏至干斉梁代輿中国相通
となりその前に漢の時代に朝貢したのは奴国とあることから
邪馬台国から隋に朝貢した推古朝は同じクニと考えていたのでは
ないかと思われます。
倭地温暖冬夏食生菜
については中国の洛陽や長安または楽浪郡などと比べると
確かに日本の地は温暖だったと思われますがいかがなものでしょうか?
318 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 19:32
>>313 >当時の中国が認識していた邪馬台国というのは中国側
>の文章が示す風土・風俗・国の四方 からでは
>畿内はなりたちようがありません。
というようなことを九州説の人はえてして漠然とした印象として
言うのですが、きちんと出典と論拠を示す人をあまり見ません。
具体的に列挙してもらえますか?
していただいてから個々に問題点を明らかにしましょう。
319 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 19:46
>>313 >…と感じました。…と思いました…との印象に留めた
というのは逆に問題じゃありませんか?
そういう「印象を受けた」ということは、事実でなくとも、論拠を挙げろと
要求も出来なければ反証も出来ないのです。
最初から逃げ道を用意した非常にアンフェアな誹謗だと思いませんか?
結局、戦略的な意味で「注意深く」そういう表現に留めたということは
真意は決め付けで、動機は天誅ですから、やはりダブスタではありませんか?
320 :
サヨぶりっこ :2001/03/23(金) 21:01
>317 なるほど、有意義なレスありがとうございます。 >都於邪[マ]堆則魏志所謂邪馬[台]者也 自魏至干斉梁代輿中国相通 私も同じクニと考えていますが、戦前の皇国史観を全否定するあまり、正史のヤマト 東遷まで証拠もなく否定しなくてもヨイのでは?という考えです。だいたいの感じは 最初の発言に述べましたが、天武系の菩提とむらいの扱い→旧畿内勢力の墓の扱いか ら畿内は別勢力(ヤマト)に征服されたのではと思いました(弱い!) つまり、推定しかできない場合は、歴史上繰り返し起こったこと(九州の勢力→列島 中央を打倒して統一)から類推しているわけですが、倭の勢力範囲が拡大して大倭と なってもヤマトと慣習的に呼ばれた説明がつき気に入っています。 (魏の権威付けの目的も、万博に薩摩独自の出品をしたのと同様な動機を感じたせい もありますが…。もともと畿内発祥だと大和をダイワとよばずヤマトと呼ぶ腑に落 ちる説明が見当たらないもので。) たとえの場合、島津が徳川を倒し、大統一政権を樹立し、徳川の本拠地にあらたな政 権をかまえて、大日本と称しても薩長政府と呼ばれたりしますよね? 時間的な流れでも、奴の覇権を奪い・・・畿内征服とまぁいいかなと。「日本はも 小国」という異説も気に入っています。ニュアンスとして誤解を承知でかけば、 「この度久しぶりに朝貢してきたヤマトなる国は、すなわち魏志の時代(倭ほぼ九州) のあの邪馬台国なり。(同じ読みでも支配地がことなり違う政権かと誤解されやす いのでワザワザこう表記しとくよ)」 …(かなり妄想が入りました) >倭地温暖冬夏食生菜 中国と比較すればたしかにそうなのですが、イレズミ・頭のせ等の風俗をみてもすなお に南方系だと感じられるんですよ。そうすると水稲あたりとともにマレー雲南あたりの 民族が海流に乗って…。かつて弥生文化の象徴といわれた「高床式建物」のイメージが 強すぎるのかもしれませんが。大分あたりだと東に海・南に強そうなヤツがいそうで。 (大分を大倭と言うならトンデモですが (^O^)) P.S 「繰り返し」といっておきながら薩摩しか例示しませんでしたが、足利尊氏の九 州からのリターンなど、あと九州は海外の最新技術導入に有利な位置ですから…。
321 :
サヨぶりっこ :2001/03/23(金) 21:07
前もって書いた「想定される反応」へのレスをコピペします。(ちょっと自意識過剰) まとはずれなとこにはご勘弁。 >??? だからー、論考に対してではなく、動機・人柄・思想に対して反応して論考の信用性 を貶めようとするがいわゆるサヨクに多く見られる言説だと思ってるわけ。 それに、他人の言行不一致。ダブスタに関して反論するには、自分もコテハンを名 乗るのが最低限のフェアな態度では?同様な切返しができないし。 どの発言を ヤジとして無視したらいいのかわかんないよー。
322 :
サヨぶりっこ :2001/03/23(金) 21:43
>318 九州南部でもとりあえずの説明はつくのでは?というカウンターのつもりで発言しま した。スレ内では、あまりにも畿内が絶対かのような発言を多く見たので、なぜ?と いう単純な判官贔屓の動機です。とりあえず魏志倭人伝は九州でもOKで、資料の間違 いを想定しなくてもOK、遺跡の意義も色々考えられるでしょ?と説明してきたつもり なんですが…。おまけに左翼史観で切り捨てられた日本側の資料とも矛盾しないし。 だから、逆にそこまで考古学界で圧倒的?で、九州を信じる物はバカな証拠をしりた いんですよ。私自身九州にこだわっているわけではなく、そういえば…と気軽に覗い たスレでの畿内派の物の言い様に反発しているだけですから。
323 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 22:24
>>318 それでは具体的にまとめてあげよう。反論よろしく。
まず、魏志倭人伝の全文と日本語訳は以下に詳しい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2091/wajin.html 1.距離
a)帯方郡から狗邪韓国(釜山)までは水行で7000里(約500km)。
b)狗邪韓国から末盧國(対馬海峡)は3000里(約200km)。
c)末盧國から不弥国まで600里。
d)帯方郡(ソウル近郊)から邪馬台国までは12000里。
a),b)から1里=約70mと計算される。
a)〜d)から、不弥国から邪馬台国までは1400里=約100kmと計算できる。
e)倭の領土は一周5000里である。
離島などまでの距離は無視されていると考えられる。
1里=約70mから、倭国は一周400km弱と計算できる。これは九州の半分程度。
324 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 22:25
2.地理 a)倭は島国。 当時、東日本は蝦夷が支配していたはずだが、邪馬台国が畿内だった場合、 倭人は本州が大陸につながっていないことを確認できたのか疑問。 b)女王国の南に女王に従わない狗奴国がある。 畿内説では、南が東の誤りであるとしているのはご承知の通り。 c)倭から東に1000里(70km)海を渡ったところに倭人と同じ人種の別の国がある。 d)また、その国の南に小人の国がある。 畿内説では意味不明。九州説では四国の南北の国だと解釈できる。
325 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 22:26
3.風土 a)倭国は温暖。 b)冬も生野菜が食べられる。 c)倭人は四季があることを知らないと言われている。 d)倭にはくすのき、とち、くぬぎ..などの木がはえている。 見るからに温帯地方の説明で、あげられている木の名前も西日本によく見られる 広葉樹ばかり。当時の奈良盆地は、杉や松などの針葉樹が多かったことがわかって いるが、これらの木の名前はあげられていない。
326 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 22:26
4.風俗 a)倭人は入れ墨をしている。 b)倭人は呉国の末裔だと言っている。 c)倭人は水に潜って魚や貝を取る。 いかにも南方系の移民の説明になっている。 d)倭人は酒が好き。 関西人には下戸が多い。 e)倭からは真珠、翡翠、朱丹(水銀朱)が出る。 f)倭人は朱丹を体に塗る。 翡翠は糸魚川近郊でしか取れない。「取れる」ではなく「出る」とされているのが キーポイントか?真珠は伊勢が有名だが、佐賀県や大分県でも取れる。朱丹は近畿でも 取れるが、体に塗る風習があったのは東北と九州だけだと言われている。
327 :
日本@名無史さん :2001/03/23(金) 23:40
1 中国で実在しない「1里」の単位を想定するのは非現実的。 2 倭は島国という出典は不明。狗奴国は東海に否定して矛盾が無い。 3 邪馬台国がそうだとは言っていないので 倭国の中にそのような該当地域が在れば可である。 4 それらはすべて畿内でも見られる風習である。 九州で硬玉翡翠は「出」ない。 真珠は水銀朱とするのが定説で、当時の九州では産しない。
328 :
サヨぶりっこ :2001/03/24(土) 01:28
>327 324-さんみたいな知識がないので、「日本と中国でよくあること」を類推の 根拠にして判断するしかないのですが…。 >1 中国で実在しない「1里」の単位を想定するのは非現実的。 こういう断定のレベルが相対的に調和しているかが気になるんですよ。 たとえば、航海技術を持っている(磁石も?)中国の使者が東→南と 間違える想定の非現実度と比べてこの想定はどのくらいの非現実度なの? どっちもダメなら相殺されるの?私の(航海を支える技術レベル)常識で は、何日もかかる重要な方位を90度も間違えるのが最大級で、方位が間違 いならそもそも魏志倭人伝の内容は、気候・風俗くらいしか使えないんでは? >2 東海を渡ったところに国がないでしょ?記述と矛盾がない?記述が間 違いなのが定説でしょうか? …いかんヤッパリ反発的な表現になっちゃう。 >3 邪馬台国がそうだとは言っていないので、倭国の中にそのような該当 地域が在れば可である。 こういう判断レベルでOKであるなら、「そこで掘り出したと言っていない ので、中国では見られない(交易ルートを通じて入手した)翡翠・真珠を 倭人がもっていたので出ると記述した。」というレベルの言い訳も乱暴で はないでしょ? 当時の倭人が住む範囲として(実情とは異なっていても) 中国側が認識していた文章があればいいのですが。(後世の文章では倭の 範囲が拡大しているだろうから。←九州説)
329 :
わりこみ :2001/03/24(土) 01:42
南国をイメージさせる記述が多いというのは確かだと 思います。 ただ、「(風俗は)・・朱崖と同じ」(でしたっけ?) というところが、なんだか、会稽東冶の東なんだから そうであるべきだ、という思いこみから書いてしまって るような気がする。 で、私は「彼等は邪馬台国には行ってない」派なんですが。 おじゃましました。
330 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 01:42
>>327 318さんの反論ですか?説得力ないですなぁ。
ちなみに、2.a)は、
>參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
>倭地を調べてみると、遠く離れた海の中の島々であり、ある部分は離れ、またある部分は近く、一周五千余里程である。
です。原文のリンクも貼ってあるんだからよく読んでから反論してね。
331 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 01:50
>たとえば、航海技術を持っている(磁石も?)中国の使者が東→南と 間違える想定の非現実度 それでは末盧国から伊都国の方角はどちらですか? >2 東海を渡ったところに国がないでしょ? ありますよ。伊勢湾を渡って東海地方に着きます。 >こういう判断レベルでOKであるなら、「そこで掘り出したと言っていない ので、中国では見られない(交易ルートを通じて入手した)翡翠・真珠を 倭人がもっていたので出ると記述した。」というレベルの言い訳も乱暴で はないでしょ? まったく異質です。 倭国から「出」ていると書いてあるのだから 女王に屬する国々の中に産出国がなければおかしい。 逆に、女王に屬する国々の中にそういう気候、風俗の国があって なおかつ魏からきた人々の目に触れやすい地域であれば 「倭地とはこういうところだ」と書かれておかしくない。 違いますか?
332 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 02:10
>>330 原文ぐらい暗記してますよ。「依山島爲國邑」なんですから。
出典が不明というのは、倭人伝のその記述の出典が不明ということです。
どうも九州説のみなさんは魏使の情報がすべてのような考え方をしているように
みうけられますが、おおくの畿内説論者は2世紀代の古い情報も
混在していると考えています。
つまり伊都国が倭の中心であった頃の情報です。
行程の記事は、がんらい伊都国に行くための記述であったものに
女王国へいく部分を付け加えたのではないかという考え方ですっきり説明できます。
これは文体の違いの分析から得られた仮説です。
333 :
サヨぶりっこ :2001/03/24(土) 04:12
>331 指摘した論理に対する有効な反論にしてよ。 この場合、何日もかかる行程を90度間違える非現実性より大きな矛盾をもってくる のが有効な反論でしょ? その方向矛盾は90度より大きいの?(ちなみに海上だと この方向に進むってできるけど、道に沿っての歩きはそうでもないでしょ?) >「伊勢湾を渡って東海地方に着きます」というのがそぐわないと感じるのは、現代 的な印象ですから、ここは判断保留に訂正します。ただ、はるか九州も勢力下におい ている倭連合のすぐ隣で陸続きの倭種の国が…。 >3 倭国は「温暖」とかかれている→倭女王に屬する国々の中に温暖な国があればOK。 倭国から「出」ていると書いてある→倭女王に屬する国々の産出品と思わればOK。 まったく質的に違うというほど乱暴な違いはないと思いますが…。あなたが「違い ますか?」と発した判断が依拠しているのが「魏からきた人々の目に触れやすい 地域であれば」ですよね?…私が「使者は女王国まで行っていないと思うな→行 程中急にアバウトになるのは視点が異なる伝聞がある…」と最初に述べたのを見 落としていますよ。せっかくコテハンで書いてもコレだと、私の方は無記名の前 発言を追えないので以後対応レベルを下げますが。
334 :
実習生さん :2001/03/24(土) 08:50
魏使も倭人も何度も郡との間を往復している。 方角を間違える事などありえない。 実際玄海灘を渡るときには正しい方位だ。畿内のはずがないだろう。
335 :
実習生さん :2001/03/24(土) 08:51
魏使が女王国まで行っていないと思っているバカがいるとは。
336 :
331 :2001/03/24(土) 09:23
>>333 >その方向矛盾は90度より大きいの?
末盧国から伊都国は「東南」、比定地の唐津から前原は北東です。
壱岐から松浦半島までは東南だが魏志は「南」。
海を渡ってくればもう日は傾いているから、渡海に適した夏季なら
太陽を背側にしていて、なおさら間違いにくいはず。
>あなたが「違いますか?」と発した判断が依拠しているのが
>「魏からきた人々の目に触れやすい地域であれば」ですよね?…
>私が「使者は女王国まで行っていないと思うな→行程中急に
>アバウトになるのは視点が異なる伝聞がある…」と
>最初に述べたのを見落としていますよ。
見落としていませんよ。
同じ九州説の「実習生さん」から「サヨぶりっこ 」さんが
「魏使が女王国まで行っていないと思っているバカ」と呼ばれたのは皮肉なことですが
伊都国が「郡使往來常所駐」であるのに対し、女王にまで逢いに行ったのは
たぶん梯儁と張政の2回だけでしょう。かれらは勅使ですから、それ以外の
北部九州止まりの交渉もあり滞在期間も長いと解釈できます。
加えて、北部九州は前漢以来中国と交渉を持っていますから
その時代の情報の蓄積があるはずです。九州に関する情報量が多くて当然ということです。
>行程の記事は、がんらい伊都国に行くための記述であったものに
>女王国へいく部分を付け加えたのではないかという考え方ですっきり説明できます。
と書いたのはそういうことを含んでいます。
337 :
名無しさん@GOBANDB :2001/03/24(土) 09:45
>>331 ヒスイが北陸出だとして、それでどうして畿内説になるわけ?
北陸、出雲方面は九州と交流があったのは確かですよ。
また、伊都国の場所を勝手に決め付けて、方位の間違いの可能性を
書いているけど、根拠になりません。
伊都国の場所は内陸かもしれない、また、仮に糸島半島付近だとしても、
最初の行程の方位は東南ということはありうる。
こういうほとんど不確定な前提で方位の間違いを考えるのはアホー。
338 :
名無しさん@GOBANDB :2001/03/24(土) 09:46
瀬戸内海方面に国が1つか2つしかないなんて、有り得ない想定だ。 畿内説の成り立つ余地は無し。
339 :
名無しさん@GOBANDB :2001/03/24(土) 09:50
その余の傍国は遠絶、なんだから、女王国は九州にあったほうが自然。 畿内まで行ったのなら、傍国は東日本方面になってしまう。
340 :
331 :2001/03/24(土) 10:12
>>337 「出」ると明記されているのだから、交流で手に入れたのではなく
女王国に属する範囲から「出」なければおかしいですね。
>最初の行程の方位は東南
それなら「下関から周防灘を南下するから南だ」でもいいのですか?
呼子あたりから加夫里湾は真東に見えているのだからおかしいですね。
>瀬戸内海方面に国が1つか2つしかないなんて、有り得ない想定だ。
総戸数5万戸の連合国ひとつで十分でしょう。
播磨より東は邪馬台国で良いと思います。
>傍国は東日本方面
人口も道里も不詳なのですから、そう特定するのはおかしいですね。
東日本にいくつかの傍国があることは不自然ではありませんが。
341 :
名無しさん@GOBANDB :2001/03/24(土) 10:54
>>331 だから北陸も邪馬台国連合の中にいたんでしょ?
下関とは何? そこはなんという国ですか? 途中の方位を書いたのなら、
方位を各意味なんてないでしょう? あんたバカ?
最初の行程方向か、直線方向かどちらかでしょう。
連合国とは何? 妄想が根拠ですか? 四国もあるんだよ。
あれほどの長大な領域が、1、2国であるはずないでしょ?
九州北部と違いすぎるでしょうが。
畿内にあったのなら、西日本のかなりの地域が行程から近いところになる。
遠絶というからにはそうなるでしょ?
342 :
302 :2001/03/24(土) 11:18
正始元年 太守弓遵、建中校尉[テイシュン]。 正始元年 塞曹[エン]史張政 が邪馬台国にやってきており正始元年の使者は 女王に会っているようだ。
343 :
Henton :2001/03/24(土) 11:26
>>?340 >>瀬戸内海方面に国が1つか2つしかないなんて、有り得ない想定だ。 >総戸数5万戸の連合国ひとつで十分でしょう。 >播磨より東は邪馬台国で良いと思います。 何故そう言い切れる? 根拠は? 単なる妄想?
344 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 12:05
「あるはずない」「有り得ない」に根拠が示されていないので おなじレベルの返答をしただけですよ。 ところで「サヨぶりっこ」さん。 1時間程度のあいだに「バカ」「アホー」と3度も書きこむ九州説の人は 態度に問題はないのですか?
345 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 12:19
>>342 それは帯方郡、つまり朝鮮の使節であって、彼らは数年後に魏本国に報告に行っています。
結局、魏本国にとって、伊都国以降の道程はまた聞きでしかないのです。
魏志倭人伝は、中国から佐賀に流れ着いてそこで国をおこしたという徐福伝説が影響を
与えているのは明らかです。1世紀頃最も栄えていたのは、ちょうどその徐福がいたと
される佐賀の吉野ヶ里でした。吉野ヶ里は、末盧国だと言われる松浦半島からは東南に
40km程度。末盧国から伊都国まで東南に500里という記述に距離も方向も合います。
また、中国側が、倭を同じ中国人の末裔の国とみなしていたと考えれば、魏以外の国の
人間がことごとく獣扱いされている東夷伝の中で、倭だけが倭人と人扱いされている
のも納得できます。
中国の使節は代々、必ず伊都国に立ち寄ったという記述がある通り、結局、魏にとって
重要なのは、伊都国であって邪馬台国ではなかったのです。
346 :
331(畿内派) :2001/03/24(土) 12:25
>>345 なんか言ってる意味がよくわかりません。
九州説のかたですか?
(追伸:331=344)
347 :
名無しさん :2001/03/24(土) 12:28
>>344 何言ってんのやら。瀬戸内海一帯が1、2国だったなんてのは、
北九州の状況からして、そうである蓋然性は無い、と言ってよい。
はっきりした根拠を要求するのなら、畿内説にはそんなものは全く無い。
348 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 12:36
卑弥呼は人と会わないって。 それは行かなかったことの弁明では。
349 :
331(畿内派) :2001/03/24(土) 12:39
博多湾岸にある国の戸数は、末盧国、伊都国、奴国を合算しても投馬国の半分です。 平野部の少ない当時の山陽に5万戸を想定するなら、海岸に沿った東西に長い国でしょう。 遺跡の分布からは、海上交易を掌握した首長国邑群があったと思われます。 交易国邑であれば角逐していては存立できません。 したがって、航路にそった寄港地を網羅する連合国が成立する下地があります。 土器の分布から見ても、吉備を首班とする中西部瀬戸内地域の連合体が 投馬国の有力候補と言えるのではないでしょうか。
350 :
331(畿内派) :2001/03/24(土) 12:42
>>348 見たものが少ないと書いてあるのであって
少ないということは会った人はいるということでしょう。
会わなければ倭国王に任命できませんよ。
351 :
331(畿内派) :2001/03/24(土) 12:44
>>347 その「北九州の状況」とは?どんな状況ですか?
自分がまずハッキリした根拠を言うことですね。
352 :
331(畿内派) :2001/03/24(土) 12:57
混乱する前に、九州説の皆さん。 それぞれ末盧国と伊都国の比定地が現在の何県何市のどのあたりか 具体的に聞かせてください。行程の話をするのはその次です。 途中の重要なポイントの具体的な比定地がないのでは会話が成り立たないでしょう? それじゃ私は夕方まで外出しますんで。書きこんでおいてくださいね。
353 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 13:12
そうだね。邪馬台国がどこだと思ってるかも具体的に書くといいよ。 ちなみにぼくは マツロ=唐津、伊都=三雲、投馬=出雲で、卑弥呼が居たのは巻向。
354 :
名無しさん :2001/03/24(土) 13:16
>>349 平野部の少ない山陽とは?
山陽だけが地殻変動起こしたんでしょうか。
>>352 伊都国の比定地なんて分かるわけないでしょ?
あんたわかってんの?
問題は、勝手に糸島半島に決めて、だから方位が狂ってる、という
あんたの論理にあるんだけど。方位が狂ってるとは断定できない、
ということ。むしろ、当時の頻繁な往復状況や普通の人間感覚から言って、
90度もずれるはずは無いの。そんなにずれるんなら方位を書く意味なんて
ないよ。太陽の方向が分かる程度の能力で方位はわかる。
355 :
名無しさん :2001/03/24(土) 13:20
>>351 だから、小規模の国が並存した状況だよ。
ツマ国が大きかったからといって、瀬戸内海一帯が1、2国だったという根拠には
まったくならない。
>遺跡の分布からは、海上交易を掌握した首長国邑群があったと思われます。
>交易国邑であれば角逐していては存立できません。
あんたの妄想でしょ。交易をいうのなら北九州だって同じ。
356 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 13:49
そら地金が出たな 間違うはずがなーいの一点張りで根拠なし 間違うはずがないって信念でイト国=前原って定説を認めないわけだ 頻繁な往復状況も根拠なし >はっきりした根拠を要求するのなら、畿内説にはそんなものは全く無い。 って自分のことじゃん
357 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:17
>>354 >伊都国の比定地なんて分かるわけないでしょ?
?? それでよく邪馬台国がどこだとかいうなあ(憫笑)
358 :
名無しさん :2001/03/24(土) 14:18
>>356 はあ?
普通の人間だったら間違えるはずないでしょ?
勿論、君は除くね(w
東と南間違える奴っているのかよ。30日以上も滞在して。
こういったものは、絶対的な根拠なんて必要ないのよ。
最も可能性が高いのを考えればいいの。バカの相手は疲れるよ。
きみ、おバカさん、方位を間違ったという根拠挙げなさい。
瀬戸内海が隅々まで一国だった証拠を挙げなさい。
休みになると厨房が増えるのは確かだな(w
359 :
名無しさん :2001/03/24(土) 14:20
>>377 またバカが一匹。北九州西部のどこかでしょ。それで悪いかい?
あんた、じゃあ、根拠を挙げて、何県何市まで言ってみな。
360 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:45
>>356 >間違うはずがないって信念でイト国=前原って定説を認めないわけだ
なんで古田説を定説って言うかなぁ?安本じいさんでさえ伊都国は佐賀だって言ってる。
あなたバリバリの古田派ですか?
それとも、古田説を信じ込んでいたのが偽書云々でケチつけられて、「だまされてたー!」
ってなったかわいさ余って憎さ100倍の口ですか?
361 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:49
つまりあれか。やっぱり 「九州説は具体的なことは絶対言わない」 「九州説はちゃんとした根拠は絶対言わない」 って書いてあったのは本当だったんだなあ 瀬戸内海が隅々まで一国だったなんて誰かいってた? 通った国のことしか書いてないんだから、脇に寄港しなかった小国はあるでしょ? 末盧は松浦川下流の両岸 伊都国は前原市三雲あたり中心の一帯 根拠は遺跡の集中と中国製品の発見。それに古くからの地名の一致。 定説でしょ?
362 :
名無しさん :2001/03/24(土) 14:55
>>361 バカ出現。1月以上かかっててか? 全部1国か?
しかも東西に長い瀬戸内海を移動していて、東に向かっている事が
わからないような人間は、361以外にはこの世にいない。
363 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:55
>>361 >定説でしょ?
違います。もっと勉強してください。
364 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:56
>>360 え? 伊都国=前原が定説じゃないって?
あなた、本読んだことある?本って、紙が何枚もとじてあって字が書いてあるやつ。
365 :
名無しさん :2001/03/24(土) 14:57
>>361 その余の傍国は遠絶って書いてあるのが読めんのか、ボケ。
366 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 14:58
>>363 じゃ、違う場所を主張してる学者を10人挙げてください。
367 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 15:00
>>365 邪馬台国より遠絶だなんて書いてないじゃん
368 :
名無しさん :2001/03/24(土) 15:25
369 :
サヨぶりっこ :2001/03/24(土) 15:27
♪●思わずニガ笑いを誘う「アオリ」シリーズ●♪ →畿内説(目のカタキにしてゴメン) 「九州にやっと覇権を確立した段階なら、離れた伝聞だけの島にファンタジーを膨らま せてもイイけど、遥か九州も勢力下においている畿内政権のすぐ隣で、陸続きの倭種 の国に小人が住んでるって魏使者に伝えるのはさすがにマズイだろ?コ・ビ・トが」
370 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 15:31
>陸続きの倭種の国に小人が住んでるって なにに書いてあるの?
371 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 15:39
アオるつもりが自爆してやんの。 また口の悪いのに「史料歪曲は九州説のお家芸」とか言われるよ。
372 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 15:53
>>368 戸数・道里が不詳なんだから、通らなかった其の他の周辺国が邪馬台国より遠いか近いかなんてわからないでしょ。
373 :
サヨぶりっこ :2001/03/24(土) 15:57
>371 ううっ、論考に関係ない罵倒が混じりだしたのを沈静化するお笑いスレをはじめよう としたんですが…。あの表現をネタだと気づいてもらえないほどヒートアップしてい たようです。(ぐすん) これが、いわゆる指摘された「堂堂巡り」なんですね。ここで、私が望む結論とい うのは、 1、お互い決定打はマダなので、根拠なく罵倒するのヤメ、知識を深めましょ。 2、政治倫理を問うているんでもないので、レッテル貼・ダブスタ反論無用(論考の 手順がOKなら性格・思想・信条関係無し)
374 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 15:59
じゃ、まず同じ九州仲間のバカバカ言う人をたしなめてよ。
375 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 16:07
>>373 それなら
>>366 みたいに具体的なことを聞くと急に沈黙する体質は問題じゃないの?
いいたかないけど、ちゃんと理由をいわないのは九州説の人に多いよ。圧倒的に。
九州説の人はまだ一人もどこがマツロ国だイト国だって答えないよね。
376 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 16:16
これじゃ「九州説は都合のわるい話題は徹底して無視する」ってレッテル貼られても仕方ないだろ?
377 :
名無しさん :2001/03/24(土) 16:57
>>372 君、バカ?
よく読めよ。通過地域に他の国があったなら、遠絶なんて書くか?
378 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 18:35
>まず、魏志倭人伝の全文と日本語訳は以下に詳しい。 心配せずとも、倭人伝ぐらいみんな持ってるって。 >1.距離 >d)帯方郡(ソウル近郊)から邪馬台国までは12000里。 >a)〜d)から、不弥国から邪馬台国までは1400里=約100kmと計算できる。 この12000里をどのようにして算出したか明らかにならない限りは、引き算は意味がない。 >e)倭の領土は一周5000里である。 これも実測とは思えず、算出過程が明らかにならないと意味なし。 >2.地理 >b)女王国の南に女王に従わない狗奴国がある。 >畿内説では、南が東の誤りであるとしているのはご承知の通り。 それはその通りだが、途中の行程(特に末廬−伊都)も、目的地(邪馬台)の位置も、 全く提示できないヤツに言われたくはないな。 畿内説が方角がおかしいって言うなら、邪馬台までの経路をまずは明示し、 それが方角に一切手を加えていないということを明らかとすべし。 もっとも、この問いはこれまで数限りなく出ているが、今まで返答が帰ってきたためしがない。 >c)倭から東に1000里(70km)海を渡ったところに倭人と同じ人種の別の国がある。 この1000里も実測とは思えず、意味なし。 >d)また、その国の南に小人の国がある。 >畿内説では意味不明。九州説では四国の南北の国だと解釈できる。 小人国までは女王国から4000里。 女王国から1000里の『皆倭種』の国のすぐ南にあったら4000里にはなるまいに。 この後に、はだか国とお歯黒国があり、もともと信憑性の極めて薄いところ。 小人国以後は無理に比定する要なし。 >3.風土 >a)倭国は温暖。 >b)冬も生野菜が食べられる。 東京も福岡も、平均では1℃ぐらいしか変わらんだろ。 つまり、北部九州も倭国には含まれないってことか? >c)倭人は四季があることを知らないと言われている。 倭の気候が四季がない常夏の国だとしたら、もはや沖縄以外の日本ではありえんな。 これは、裴注の魏略逸文だが、一年を四つの季節に分けることを知らないって意味。 >4.風俗 >a)倭人は入れ墨をしている。 入墨が描かれた土器は日本中で出土してるね。なぜ九州に限るのかな。 >b)倭人は呉国の末裔だと言っている。 これがなぜ九州説に結びつくのか、理解できん。 なぜこういう記録が残っているのかを探るのは、面白いテーマだとは思うな。 >c)倭人は水に潜って魚や貝を取る。 つまり、九州以外の海辺の民は、潜水して魚や貝を採っていなかったと。 とてもじゃないが、ついていけない理屈だ。 >d)倭人は酒が好き。 >関西人には下戸が多い。 関西人には酒好きが多いぞ。 しかし、まあ、誰が書いているか、すぐにわかってしまふ。こんなことを言うのはあの方以外にはおられぬ。 ネタのわかってる手品のようで面白くないな。
379 :
名無しさん :2001/03/24(土) 18:49
>>378 こらこら、身勝手な議論してんじゃないよ。
そんなこと言っておまえは、畿内説を完全に説明できるのか。
方位が違う以上、できないのは初めから分かっているが(w
最も妥当な所、普通の理性で妥協できるところで考えるしかないんだよ。
で、取りあえず、瀬戸内海を航行してて(しかも往復)、東西方向を
間違えるなんてありえない、通常の知性の持ち主なら。
よって畿内説は論外だ。以上。
380 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 19:18
>で、取りあえず、瀬戸内海を航行してて(しかも往復)、東西方向を >間違えるなんてありえない、通常の知性の持ち主なら。 結局これだけなのねン。 >畿内説が方角がおかしいって言うなら、邪馬台までの経路をまずは明示し、 >それが方角に一切手を加えていないということを明らかとすべし。 やっぱりこれには答えてくれないのねン。 せめて、邪馬台、末廬、伊都だけでも教えてちょ。
381 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 19:21
>>戸数・道里が不詳なんだから、通らなかった其の他の周辺国が >>邪馬台国より遠いか近いかなんてわからないでしょ。 >君、バカ? >よく読めよ。通過地域に他の国があったなら、遠絶なんて書くか? バカバカいうキミ! 「よく読めよ」はキミだな。 「通らなかった其の他の周辺国」が「通過地域」にあるのか?
382 :
名無しさん :2001/03/24(土) 19:30
>>380 これしかない、ということではなくて、それが畿内説には致命的ってことだよ、ボケ。
>>381 オマエは何言ってんの?
これは、その前の361の
>瀬戸内海が隅々まで一国だったなんて誰かいってた?
>通った国のことしか書いてないんだから、脇に寄港しなかった小国はあるでしょ?
のことだよ。寄航しなかった国が「遠絶」なわけないだろうって話だよ、ボケ。
383 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 19:31
ところで「瀬戸内海を航行してて(しかも往復)、東西方向を間違え」たなんて いったい畿内説の誰が主張してるんだ? 誰も言ってないことを批判しても畿内説批判にはならないぞ。
384 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 20:09
>>382 つまり、通過して知ってたら遠絶なんて書かないだろうと言ってるんだろう?
ところが、道里がわからない其の他の国と書いてあるんだから、どこにあるのか不明ってことだ。
つまり魏の使者は知らないのさ。
当然だ。通らなかった国で、脇にある、寄港しなかった場所ならね。
385 :
名無しさん :2001/03/24(土) 20:45
>>383 はあん?
じゃあ、どうやて行ったの? 水行10日てのは何? 途中のツマ国
が吉備なら水行20日がプラスされるぞ。
仮に陸行だったとしても、ほとんどいつも太陽が昇る方向を見てることになるぞ。
畿内説には、こういう頭のイカレタ奴が多いんだよな。
>>384 また、アホーが出て来た。
>道里がわからない其の他の国と書いてあるんだから、
何読んでんのやら。
遠絶だから、戸数、道里はつまびらかに出来ないって趣旨だよ、バカが。
「女王国より以北(90度回転のお馬鹿説なら以西だ)」は略載可って見えないのか、アホーが。
大体、九州北部で細かく立ち寄ったのに、瀬戸内海を1ッカ月以上かけて行きながら、途中の国に立ち寄らないはずがなかろう。
倭国側が出迎えるはずだ。
386 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 20:58
>>385 だから、「瀬戸内海を航行してて(しかも往復)、東西方向を間違え」たなんて
いったい畿内説の誰が主張してるんだ?
事実をいいたまえよ。
387 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 21:10
>>385 おりょ?
九州北部で細かく立ち寄ったって、何故そんなことがわかるの?
388 :
馬鹿で結構 :2001/03/24(土) 21:16
1回の投稿であほよーばかよと3回も言うマナーのない君! じゃ、投馬国は邪馬台国より北にあるんだよね? きみの考える投馬国と邪馬台国が現在のどこか 地名を聞かせてくれよ。九州のどこだい?
389 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 21:50
>>385 >遠絶だから、戸数、道里はつまびらかに出来ないって趣旨だよ、バカが。
どこから遠絶なんでしょうか?
女王に屬している旁国が邪馬台国から遠絶なわけはないのだから、中華世界から遠絶ということになる。
倭人の国は遠絶だから、確認できた一部の国しか戸数・道里はつまびらかに出来ないってこと。
女王国以北はこれまで通ってきたところは情報がある。
しかし通らなかったところは実際は邪馬台国より北か南かもわからないわけだ。
だから記事を書いた人間の認識いかんにかかわらず、実態は旁国は邪馬台国よりも北にもあったと理解すべきでしょう。
390 :
331 :2001/03/24(土) 22:06
あれあれ、九州説のみなさん。随分書きこみはあったのに 「末盧国と伊都国の比定地が現在の何県何市のどのあたりか?」 は誰も返答なしですか。 この質問は、そんなに困るんですか?答えられないんですか?
391 :
名無しさん :2001/03/24(土) 22:14
>>389 「以北」じゃないから、遠絶なんだろうよ。
「以北」は略載できるって書いてあるだろ?
日本語が分からない君は退場せよ。
392 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 22:30
中国語だよ。
393 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 22:35
>>391 それじゃ、邪馬台国は遠絶じゃなくて邪馬台国の隣りの国は遠絶?
そんなに巨大なんだ!
なら瀬戸内海は投馬国と邪馬台国の2つだけでじゅうぶんかな?
394 :
385 :2001/03/24(土) 22:37
>>391 ワタシ アナタノニポンゴワカリマセ〜ン
タイジヨウシマ〜ス。
395 :
389 :2001/03/24(土) 22:40
マチガイマイター ワタシ389ネ デパサヨウナラ パカポケサン
396 :
名無しさん :2001/03/24(土) 22:43
>>392 はあ、あれを中国語でよんでるんですか、君は。
音写してもらえます、全部。当時の音で。
わたしゃ、てっきり日本語で読んでるんだと思ってたけど。
>>393 邪馬台国は巨大でしょうねえ、多分。戸数が多いからね。小さくはないだろうね。
君、巨大=瀬戸内海の半分ですか? それは何語ですか? でむぱ語?
397 :
日本@名無史さん :2001/03/24(土) 22:52
魏使が到着した場所から国のはじっこまでで遠絶になっちゃうんなら巨大だよ。 投馬国はその国の5/7の大きさだから、投馬国を横断して邪馬台国の中心まで まるまる2か月かかってもなんの不思議もないねえ! これで解決じゃない!
398 :
馬鹿で結構 :2001/03/24(土) 23:00
>>396 以北にある投馬国は現在のどこだい?
邪馬台国はどこだい??
きみの考える投馬国と邪馬台国が現在のどこか地名を聞かせてくれよ。
九州のどこだい?
>>390 みなさんじゃないよ。
最初から最後まで一人だよ(w
400 :
素人 :2001/03/25(日) 09:35
ココの書きこみを読む限りでは九州説は不利みたいですね 添う言えば、以前プレイボーイ誌で四国説ってのが載っていたのを思い出しました。 四国って研究家の間ではどのような位置付けなんでしょうか?
401 :
世界@名無史さん :2001/03/25(日) 09:50
トンデモ説。でも池田町のホームページにはかわいい卑弥呼が出てきてほほえましい。
402 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 10:09
「邪馬台国はどこですか」ってスレに、どこだか答えられないんだから これはやっぱり九州説不利なんでしょうね。
403 :
サヨぶりっこ :2001/03/25(日) 16:19
♪●「ここが邪馬台国だ!」●♪ 西暦6199年7月26日付 アサヒメール見出し 国際平和琉球大学のキムラ教授率いる海底遺跡調査チームは、九州南方沖の海底遺跡 より「大和」なる文字が書かれたネームプレートを発見したこと発表した。 :教授談話 「これは魏志倭人伝での位置と完全に一致し、長年の邪馬台国論争に終止符が打たれ、 沖縄ーヤマトに広がる壮大な古代文明の存在が立証されることになるだろう。」
404 :
サヨぶりっこ :2001/03/25(日) 16:20
罵倒の感想です。 1畿内「いまごろ九州説を信じるものはバカ」 2九州「○○をどう説明するんだ、ボケ」 3畿内「だったら、××の根拠を示せ、厨房」 4畿内「やっぱり、できんだろうが、消防」」(ダブスタ指摘が入るコト多し) …だいたい、こんな感じですよね? 1の自信の根拠となっているのが、多分近年の遺跡発掘でしょう。個人的には、 科学で扱う化石と違って、遺跡は(流通・流行・贈与などの)人間活動の痕跡なの で、より慎重に考察すべきかなと考えています。それに、遺跡が出るたびに、千q をあっちこっちに飛ぶのなら、それまでの研究は何なの?という気持ちでした。 2・3 は、どちらがより証明価値基準が上かで判断し、その基準も妥当かどうか 議論していくしかありません。 …で、たぶん、(私の場合ですが)九州愛好家(私は島根生ですが)は、あまり、 その他の国の特定を重要視してなくて、博多辺りでゴチャゴチャ動いて南下したぐ らいの認識です。なにしろ大体の方向距離・気候・風俗といった上位価値基準が有 利なのですから。 これに対し、畿内派は不利だったので(邪馬台はヤマトと読めるというスナオな 気持ちが原点?)、自説構築のため、緻密な国の特定と距離方角の問題をつきつめ ていったわけです。それが遺跡によって有利になった最近、3の罵倒として利用さ れるのですが、とうぜん(本質的な問題だと思っていないので)緻密な考察をして いないタイプの九州派は答えられません。へたに答えると簡単に論破され、全体の 価値否定まで結びつけられるのを恐れているからです。 …というカンジなので、この構造を批判・罵倒に利用するのではなく、(愛好家の 立場では死活問題でもないので)自分がどのパターンを踏襲しているかを認識して、 建設的な議論に結びつく罵倒にちょっと変えてもらうと…。ちなみにダブスタを使 う場合、等価値かどうかを…。
405 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 17:18
末盧=唐津、伊都=前原が定説じゃないって言い張ってる人はどうよ? 実際どうかじゃなくて定説かどうかなんだから これは素直に事実は認めてはどうなの?
406 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 17:32
>>404 >…だいたい、こんな感じですよね?
相対化しすぎじゃない?
「バカ」「ボケ」「厨房」といったボキャブラリーを使った回数が
畿内説、九州説別にどう分布しているか実証的に示してみ
圧倒的に九州説もののものでないの?
407 :
名無しさん :2001/03/25(日) 18:25
>>404 畿内説なんて、倭人伝からは全く導くことはできません。
あらゆる条件が畿内説と矛盾します。
特に瀬戸内海関係の条件は致命的です。
遺跡があっても、それはそこに何らかの中心があったというだけで、
邪馬台国であるという根拠にはならないんですね。
ここに巣食っているバカは、学会で近畿が有利だという風潮を見て、
付和雷同しているだけですから、何の反論もできていません。
そのうち、学会で九州説が有利になったらさっさと鞍替えするにちがいありません。
相手にする価値はありませんよ。
408 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 18:50
末盧国と伊都国の比定地も答えられない人が何でそんな断定できるの? 「致命的」って、どう致命的かも説明できないのに?
409 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 19:00
威勢の良いことだけ書いて理由が説明できない人が多いね、九州説は!
末盧=唐津、伊都=前原が定説じゃないって言い張ってる
>>363 >違います。もっと勉強してください。
って、言うことは偉そうだけど
>>366 の
>じゃ、違う場所を主張してる学者を10人挙げてください。
に回答なしだよ!嘘かいて、問い詰められると逃げるのかな?
410 :
サヨぶりっこ :2001/03/25(日) 19:52
>406 ううう…(数の多寡はさておき)といれるべきだったのでしょうね。 (最近、議論することにたいして弱気) 1のタイプの罵倒は、2.3.4流れの罵倒が個々の項目の判断にたいするもので あるのと異なり、(個々の問題を一括した)全否定なわけですよ。 ちなみに、古くからの畿内派は論客が残っているのに対して、九州派は裾野が広いの で、2タイプを書き逃げする人の割合が多く、3,4のながれになって結局1にもど るのがアレですが…。
411 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 19:58
マツロ国やイト国がどこかさえ誰も答えられないんじゃ1になるでしょ?
412 :
馬鹿で結構 :2001/03/25(日) 20:24
>>410 >ううう…(数の多寡はさておき)といれるべきだったのでしょうね。
事実はどうか?
邪馬台国はどこですか2 で「馬鹿」「バカ」「ボケ」「アホ」と罵倒された人間は
全員畿内説である。
(多寡はさておき)ではなく事実関係そのものが違うのでは?
反論待つ!
413 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 20:36
407みたいな無責任な書き逃げをするのは九州説の人ばかり。
414 :
コピペマン :2001/03/25(日) 20:48
>>407 九州説なんて、倭人伝からは全く導くことはできません。
あらゆる条件が九州説と矛盾します。
特に日数関係の条件は致命的です。
遺跡すらなく、そこに何らかの中心があったという候補すら
示せず、邪馬台国があったという根拠がまったくないですね。
ここに巣食っているバカは、学会で近畿が有利だという風潮に反発
しているだけですから、何の反論もできていません。
仮に学会で九州説が有利であったらさっさと鞍替えする
にちがいありません。 相手にする価値はありませんよ。
415 :
名無しさん :2001/03/25(日) 21:00
イト国の比定地がどうこういってるバカがいるが、糸島半島や前原 にあったという根拠があるのか? 魏使が止まった証拠でも出てきたのか? 妄想を根拠にして、どうして畿内説になるのやら。 今のところ、北九州のどこか、ということしかいえない。 別に糸島でも前原でもいいが、そこにあったとしても、 畿内説には有利にはならない。 マツロ国からの行程の最初が東南方向であたというだけで十分。 これで、方向が狂ったなどと、それは自分のレベルの低さに合わしているだけ。 ほんと、バカのスクツ。
416 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 21:10
どうも
>>414 は
>>412 で指摘されたので畿内説を装って作ったニセ事実のようだ。
414=415と違うか?
417 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 21:14
>>415 あなたは末盧=唐津、伊都=前原が定説じゃないって言い張ってる
>>363 だね?
違う場所を主張してる学者を10人挙げてください。
418 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 21:52
>>415 宇木汲田から前原にいく行程の最初がどうして東南方向であたというか説明きぼーん
419 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 21:56
宇佐八幡が邪馬台国だと思ってたよ
420 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 23:34
>>417 私は363ではないが君は相当イタイね。
「定説」というのは、とんでも説も出て来れないほど事実として確認されていることをさす。
翻って伊都国の比定地については、邪馬台国を熊本以南の南九州だとする者の多くを初め、
福岡県内の甘木市だとしている安本美典も、吉野ケ里遺跡の近郊だとしている。ご存知の通り
安本氏は九州説の第一人者であり、その影響力を考えただけでも伊都国=前原説が定説には
なっていないことが言える。
さらに言えば、魏志倭人伝に登場する地名は、帯方郡や一支国でさえ諸説あり、どの比定地も
定説にはなっていない。しかし、帯方郡はソウル近郊、一支国は壱岐とするのが普通であり、
それは「通説」と呼ばれる。伊都国=前原説は「通説」ではあるが「定説」ではない。
421 :
日本@名無史さん :2001/03/25(日) 23:59
ばかじゃないの? 安本はトンデモだろ!結局その一人しかあげられないんだよな。
422 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 00:49
つまり邪馬台国が畿内じゃないと言う事は 伊都国が前原じゃないと言うのと同程度の事なのだ。 深く納得!
423 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 02:41
>今のところ、北九州のどこか、ということしかいえない。 根拠など一切ない信仰であることを自白して、自爆。ご愁傷さま。 それにしても、これを九州説の仲間に入れといていいのか、その他九州説の諸君? そうそう、これは南九州説への明らかなる挑戦だぞ。これでいいのか、その他九州説の諸君? 阿蘇説が一名いたはずだが、何か言いたいことはないか?
424 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 05:51
安本に影響力なんてないよ。 >その影響力を考えただけでも伊都国=前原説が定説にはなっていないことが言える。 ワラタ
425 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 06:45
結局よりどころが「南」のひとことだけだから マツロ国とイト国が定説どおりじゃ困るだけでしょ そうやってどんどん世間の常識から遠ざかって行くわけだ
426 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 11:48
>404 >で、より慎重に考察すべきかなと考えています。それに、遺跡が出るたびに、千q >をあっちこっちに飛ぶのなら、それまでの研究は何なの?という気持ちでした。 報道はね。 実際は、遺跡が出るたびにあっちこっちに飛ぶなんて言うことはない。 >その他の国の特定を重要視してなくて、博多辺りでゴチャゴチャ動いて南下したぐ >らいの認識です。 これで九州説をひとくくりにしたら悪いだろ。 こんないいかげんなのは、あの人だけだよ。 >なにしろ大体の方向距離・気候・風俗といった上位価値基準が有 >利なのですから。 方向以外は、まったくのデマ。 まずは畿内説への反感から入り、 畿内説に対する事実に基づかない断定調のデマに酔い、(九州説への反論は耳 に入らず、) 裏付けもとらずに盲信して九州説にのめり込んでいく、 という典型的パターン。 本人大真面目で、しかも、正義感にあふれて悪を斬るみたいなつもりでいるから、始末に悪い。 九州説っていうのは結局、高地性集落の年代を150〜200年ほど見誤っていた頃に支持されていた鬼子。 このズレた年代観では、九州が有利である証拠はずいぶんあった。 しかし、この年代のズレが修正された結果、九州説有利の根拠のほぼ全てが失われ、 “南”だけが残ったと言うわけだ。 404はもう少し研究史を勉強してから出直すこと。あまりにひどい。
427 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 11:54
現ユニバーサルの下あたりです・・・ という内容の史料が出てきたらどうする? やっぱり掘るのかなあ?
428 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 12:04
一応九州説に固執している者ですが 最近の研究成果を勉強すればするほど 純粋九州説からは離れていっちゃいます(笑) 今は西日本連合の成立が倭国大乱ころ、 東の都がまきむくで、西の都が宇佐。 宇佐はどっちかっていうと副都的存在なのだが 対北九州、大陸、半島の政策上、女王常駐と考えています。 これじゃあ大和氏説に近いなあ(笑)
429 :
426 :2001/03/26(月) 13:54
>方向以外は、まったくのデマ。 >“南”だけが残ったと言うわけだ。 この書き方は良くないな。 畿内説にとって方角が難点なのは確かだが、じゃあ、九州説が有利かっていうとそうでもない。 方角を完全にクリアできる九州説っていうのは、南九州説しかなく、その支持者は極めて少数。 なぜなら、その他の状況からほとんどありえないから。 結局、方向は九州説有利っていうのも幻想で、どこかで方向を修正しないことには、 どこに邪馬台国をもっていくにしても、説得力のある説にはなり得ない。 以上、訂正というか補足。 そういえば、404は以前、南九州説をぶち上げていたようだが、 それは、415によって一刀両断に切り捨てられた。 それに対して何か意見はないのか?
>ほんと、バカのスクツ。 ひょっとして、巣窟をスクツと読んでるのか?
431 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 13:57
これは八方矛盾が出ないね。話がうますぎるくらい。
>>430 「“がいしゅつ”と同じ2ちゃん用語だバーカ」
と開き直るに5ペリカ
巣窟をスクツというのは、 既出をがいしゅつといったり支那を支邦をかいたり する2ちゃんねる用語として認めてやりたい気がするな。 こうして外部からは2ちゃんねるがいかにもバカのスクツであるように演出すれば、 世の中の人々が2ちゃんねるのせいで判断を誤ることもなかろうて。
434 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 14:13
家屋はカヤ
世界絶滅動物辞典 九州説論者【kyuusyuusetu mousouensis】 20世紀後半〜20世紀末にマルクス諸島フルタ島に生息。 周りを絶海に囲まれていた同島では天敵らしい天敵も存在しなかったため 大脳新皮質が退化しているのがこの種の最大の特徴である。 一時は年代測定の誤りもあって島全体で繁栄していたが、 大陸と同島の接続が復活したため洗練された捕食者である畿内説が陸路を伝って やってきてしまったため滅亡。 アホバカマヌケと相手を罵倒することしかできずに、邪馬台国が九州のどこかさえ答えられない九州説を 鋭い論証と証拠を武器とする畿内説がたやすく餌食にできるのは ごく当然のことであっただろう。 そのためつい最近まで、絶滅したと考えられていたが、 近年2ちゃんねるにおいて一個体を確認。 同様にして大論争でも2〜3個体が確認され、韓国政府の保護のもと 繁殖計画が進められている。
436 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 15:35
「大論争」ねえ。 そういえばあそこもレベルがちょっとひどすぎるよな。 って、たまに書きにいってるけど(藁
437 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 15:57
レベル引き下げに?
438 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 17:51
くだらん茶化しするな。自分で逝ってみてくりゃいいだろ。
439 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 17:54
ついでにニフの歴史フォーラム日本史館の古代史部屋も 一時ひどかったけどな。 最近はぜんぜん逝ってないので情況は知らん。
440 :
日本@名無史さん :2001/03/26(月) 20:23
みてきたみてきた。 大和は高句麗人が作った国だとか富士山はど−だとか 珍説マンが続々登場してたぞ。 ありゃ低レベルだ・・・ さすがに袋叩きにあってたけどね。
よくわからないけどとりあえず日向説だと思いたい。 想像としては当時の日本には連合国があって 有力な国(一族)には役割があったのではないだろうか? 要するに地方分権みたいなもので もしかしたら幕府と朝廷の関係みたいなものが このころからあったのかもしれないし 取り敢えず南の国に巫女が居たってことでいいんじゃないの? 持ち回りでだしてたのかもしれないし。
443 :
サヨぶりっこ :2001/03/26(月) 23:06
>426 >これで九州説をひとくくりにしたら悪いだろ。 (私の場合ですが)、…タイプの って誤解無いように書いているのに…、念のため そのあとレスでも補足しているのに…。典型的なパターンが多いから1タイプの罵倒 によって議論を不毛化させるのはよしましょっていうお願いなのに。 文脈から切り離した相手の語句で、歪曲した意図にみせるっていう手法にはもう ウンザリです。日本語が読めないのでは無いんでしょうから、なにか意図を持って 曲解しているとしか理解できないんですよ。発言に責任をもってコテハンを続ける ことに嫌気がさしてきました。(…デマっていう決め付けは気に入りました。) ----------------------------------------------------- …で、何度も繰り返しているように、 「ヤマト勢力が畿内を征服するまでは、そこは「ニギハヤ君他」の勢力が支配してい ました」って、わざわざ大和王権正史に「ヤマトと畿内勢力は別だよん」と念を押し ているのはマア話半分としても「大和王朝確立以前の遺物=邪馬台」ってする理由を 教えてください。 知りたいのはコレダケです。
原文 >(私の場合ですが)九州愛好家(私は島根生ですが)は、あまり、 >その他の国の特定を重要視してなくて、 ()は注記だから除くと、 >九州愛好家は、あまり、その他の国の特定を重要視してなくて、 じゃない。()内の意味わかんなかったよ。自分のことだけなら 「私は、あまり、その他の国の特定を重要視してなくて、」 って書けばいいじゃない。何いってんだろ。
445 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 02:53
>「大和王朝確立以前の遺物=邪馬台」 「大和王朝=邪馬台」だと何かまずいの?
446 :
サヨぶりっこ :2001/03/27(火) 04:08
>444 段落の開け方のクセからだと、どうやらツッカカッテくるのは最初から同じ人のよう ですね。 「…タイプの九州派」ってことわっているでしょ。それなのに >これで九州説をひとくくりにしたら悪いだろ。 ってゆー判断をした事実をごまかすために、また文脈を汲まない部分引用しましたね。 さすがに度重なると論法の卑怯さにあきれます。あとレスで「裾野が広いので」と念 まで押したのですが。全体の文意取り違えについては、もうなにも期待していません。 そのタイプに自分も含めているよっていう意味での注記ですが、論理への反論ではなく て、書き方指導ありがとうございます。 なにか(メンツ?)傷つけたのならすみません。鬱陶しいのでできるだけ無視しました が、アノ素朴な疑問に答えてくれれば満足して去りますので。
447 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 04:14
448 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 05:02
3世紀前半以降に、ある地域に大きな勢力があって 南九州から東国までひろく交流していた形跡があって 中国本土や楽浪とも交流していたという事実があったら これを邪馬台国の候補に入れない理由を聞きたい。
449 :
サヨぶりっこ :2001/03/27(火) 07:06
>448 >これを邪馬台国の候補に入れない理由を聞きたい。 いや、まさにこの発言が聞きたかったんですよ。 「有力な候補」と認識されて議論が進むのにはまったく異議はありませんよ。 理系技術屋のサガってやつで、理論の証明に慎重すぎるきらいはありますが、 断定・決め付け・絶対っていうものに反発して、カウンター発言をしていたわけ ですから。誠実な姿勢をありがとうございます。
450 :
本当の話し :2001/03/27(火) 08:43
1、剣道は韓国発祥 2、合気道は韓国発祥 3、ソニーの創業者は韓国人 4、竹刀は韓国人が発明 5、ホンダの創業者は韓国人 6、日本刀は韓国の刀 7、日本の忍者は韓国人だった 8、日本の桜は韓国が起源 9、ひらがなかたかなも韓国起源 10、湯川秀樹は在日 11、“侍”は韓国語の“サウラビ”が起源 12、鮨は韓国発祥 13、茶道は韓国発祥 14、華道は韓国発祥 15、花札は韓国発祥 16、ポケモンは韓国発祥 17、盆栽は韓国文化 18、ウリナラの歴史は半万年 19、ウォークマンの発明者は韓国人 20、インスタントラーメンの発明者は韓国人
451 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:38
野球もサッカーも韓国発祥
452 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:39
かつあげは韓国発祥
453 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:48
すき焼き店を始めたのは韓国人
454 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:48
仮面ライダーは韓国発祥
455 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:49
戦艦大和は韓国製
456 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:49
ゼロ戦の発明者は韓国人
457 :
日本@名無史さん :2001/03/27(火) 09:51
ジンギスカン(テムジン)は韓国人
>「…タイプの九州派」ってことわっているでしょ。それなのに 原文 >…で、たぶん、(私の場合ですが)九州愛好家(私は島根生ですが)は、あまり、 >その他の国の特定を重要視してなくて、博多辺りでゴチャゴチャ動いて南下したぐ >らいの認識です。なにしろ大体の方向距離・気候・風俗といった上位価値基準が有 >利なのですから。 これで段落終了。「…タイプの九州派」って、どこにあるんだい。 >ってゆー判断をした事実をごまかすために、 ごまかしてないよ。あんたの文章にはそう書いてあるって言ってんだ。 >書き方指導ありがとうございます。 いやあ、感謝されちゃった。 あんた本当に読み方・書き方勉強したほうがいいぜ。 論考とか論理とかいうのは、それからだ。
>段落の開け方のクセからだと、どうやらツッカカッテくるのは最初から同じ人のようですね。
敵は一人だと思い込みたい気持ちは分からんではないが、
>>426 、
>>429 、
>>444 、
>>458 以外はオラ知らんよ。
まあ、にちゃんでこんなこと言っても信用度0だがね。
公平なフリして(イヤ、本人は公平のつもりなのかもしれないが)あまりにひどい一方的な決めつけたもの言いに腹を据え兼ねて
>>426 を書いただけだ。
なんだかめんどくさい人たちだね。 ギャラリーとして言わせてもらえば議論の段取りなんかどうでもいいよ。組み手やってるわけじゃねえんだぞ。 ここじゃ近畿説VS九州説ではおもしろいカードが組めそうもないから、話題かえたら? 狗奴国はどこだとか、卑弥呼は誰だとか、一大率はなんだとか、神獣鏡は魏鏡か国産かとか いくらでも面白そうな話題はあるでしょ。 個人的には「大倭ってなに?」をきぼーんぬ。
461 :
日本@名無史さん :2001/03/28(水) 00:09
一大率は近所には置かんだろう。邪馬台国は伊都国からは遠い。
462 :
日本@名無史さん :2001/03/28(水) 15:48
しかし、一番ムカつくのは倭人伝だよな。もっとちゃんと書けよってかんじ。
463 :
日本@名無史さん :2001/03/28(水) 15:50
いやいや、卑弥呼以後の人達もだよ。 自分んとこのご先祖様のことぐらい、正しく後世に伝えろよ。
九州説VS九州説、近畿説VS近畿説のバトルきぼ〜ん。 宇佐と日向の手が上がってたから、とりあえず、日向VS宇佐でどう。
465 :
日本@名無史さん :2001/03/29(木) 00:30
確かに、どこにあったかというより、当時のこの土地はどういう情勢で あったかを話した方が、どうどうめぐりは避けられるかもです。
466 :
日本@名無史さん :2001/03/31(土) 08:19
どうどうめぐりを避けようって、全然めぐらなくなったじゃないか! どないすんねん!
467 :
通りすがり :2001/04/01(日) 06:24
久しぶりだ・・・
亀レスですが、
>>233 さん
>>237 さん
>スレの主題に戻って「邪馬台国論争」で、あなたの目から見て明らかにおかしい
>議論の展開などを指摘してもらえれば、ちょっと興味が湧くかな。
文献資料と考古資料に関する議論は分けたほうが
よいかなあ。
「邪馬台国」と「ヤマト政権」は論理次元的には「別物」と
して扱う方が健全な議論が望めるかも。
>>234 さん
「システムに守られている(=保守できる利権をもつ)ある層」
↑
非常に興味深いですね。いや別に皮肉でなく。
「利権」の内容が気になるところです。
日本在住の職業的研究者の多くが、教育委員会などの
行政システムのもとで活動している現状を踏まえると、
色々と考えさせられます。
「邪馬台国論争」によりある種の「利権」を意識的・無意識的に
享受している層が存在する現状は全く否定できないと
私も考えます。
んじゃ。
#1ヶ月前のご発言に対するレスですいません。
468 :
日本@名無史さん :2001/04/01(日) 06:52
佐○○教○委○○とかかな?
>>468 さん
個々の組織というよりも、日本の社会構造としてです。
さらにいうなら、考古学自体の存在意義ですね。
んじゃ。
470 :
通りすがり :2001/04/01(日) 07:36
邪馬台国論争の内容自体に関してですが、 文献史の人の意見が聴きたいですね。 私自身が興味ある事項は、 1.「魏志倭人伝」の成立過程 2.『三国志』の全体的な記載内容を踏まえた 「魏志倭人伝」の内容吟味。 上記の2点です。 参考文献の列挙でも良いので、 誰か教えてくださいな。 ほいでは。
>>468 あんまりいぢめちゃだめだよ。
スポンサーの親方日の丸が遺跡の価値をまるで理解してないんだから。
472 :
日本@名無史さん :2001/04/01(日) 13:18
遺跡は土建屋の敵だからなぁ
473 :
日本@名無史さん :2001/04/01(日) 13:31
「魏志倭人伝」を盲信してる奴はいるのか?
474 :
日本@名無史さん :2001/04/01(日) 13:37
いるぞ!ここに!
475 :
日本@名無史さん :2001/04/02(月) 23:45
>参考文献の列挙でも良いので、 陳寿 著 魏書・蜀書・呉書 全65巻 発行 280〜290年頃 2の答が欲しけりゃ、これが一番はやいとおもいやすぜ。 興味があるなら自分で調べて結論を出すってのが筋ってもんじゃねぇですかねぇ、先生。
>>475 さん
いやあ、ネタふりのつもりだったんだけどなあ。
引き続き、文献史の人のご意見をお願いします。
んでは。
477 :
日本@名無史さん :2001/04/03(火) 06:49
そんな論文が書けるようなネタふられても困るんで、個別の話題でないと分量的にむりですよ。 少なくとも、あれがぜんぶ魏使のもたらした正始ころの情報だという思い込みがある人には読解は無理だとだけ申し上げておきましょう。
478 :
通りすがり :2001/04/03(火) 07:03
>>477 さん
おぉ!!
レスどうも。
>少なくとも、あれがぜんぶ魏使のもたらした正始ころの情報だ
>という思い込みがある人には読解は無理だとだけ申し上げておきましょう。
「魏志倭人伝」の記載内容に関する史料批判の問題と
捉えてよろしいですか?
上記の問題に関しては、
1.事実情報に基づいた記載内容
2.当該時期の中国王朝が有した「世界観」に基づく記載内容
上記の2点に分別できると考えます。
>>477 さんによる問題提起は、このうち1の「事実情報」に関する
ものと受け取ってよろしいですか?
引き続き、レスお願いします。
お時間が取れたときでよいので・・・
>>478 での問題提起では散漫なので、
スレッド名に即して、
「倭」地域の中国王朝からみた位置関係の
問題に絞りましょうか。
無論、「倭国」、「邪馬台国などのクニグニ」の
位置関係も含まれます。
この問題に関して、
>>478 に挙げた、
1.事実情報に基づいた記載内容
2.当該時期の中国王朝が有した「世界観」に基づく記載内容
の2点を踏まえて、レスをいただけるとありがたいです。
もちろん、他の問題提起でも結構です。
ほいでは。
480 :
夜郎自大 :2001/04/03(火) 11:39
まあ、このての話は、
>>323 -
>>327 あたりと遊んでもらうのがよかろうて。
ところで、
>1.事実情報に基づいた記載内容
記載内容が『事実情報に基づい』ているかいないかの判定法
>2.当該時期の中国王朝が有した「世界観」に基づく記載内容
記載内容が『当該時期の中国王朝が有した「世界観」に基づ』いているかいないかの判定法
を教えて下さりませ、大先生様。
さらに、それらの判定法によるあなた様の模範解答も書いていただけますれば、幸甚至極にござりまする。
>>480 さん
>記載内容が『事実情報に基づい』ているかいないかの判定法
(中略)
>記載内容が『当該時期の中国王朝が有した「世界観」に基づ』い
>ているかいないかの判定法
>>477 さんによる問題提起は、
「魏志倭人伝」の記載内容が「事実情報」あるいは「世界観」に
「基づいているか否か」に対する判定法云々ではないと思いますが・・・
んでは。
482 :
歴史博士 :2001/04/03(火) 18:08
日本の真実の歴史 イスラエル10部族がシナにいきそこでB.C250年頃蓁の始皇帝となる。 家来の徐福不老長寿の仙薬をもとめるという名目で日本にたつ。船団3000艘 これは民族の大移動である。日本についた船団は淡路島に上陸、ついで四国征服 ここに日本征服の秘密拠点をつくる。契約の箱は剣山に隠蔽・聖書も隠蔽。聖書 の民を隠す。次にユダヤ大王スメラミコトは九州征伐のためタカマノハラ戸命名 初代カムヤマトスメラミコトとなのる。これが真相です。時がくるまでユダヤ 10部族は日本にいんぺいされた。天皇はユダヤの世界大王なのです。これが 日本人野秘密です。
「ユダヤの世界大王」 ワラタ!
484 :
夜郎自大 :2001/04/03(火) 23:48
>>481 この上なくご尊敬申し上げる通りすがり大先生からレスがいただけるなんて、夢のようでがす。ありがとうござんした。
が、あっしが無学で日本語もろくに書けねぇんで、先生にゃあいらぬ誤解を与えちまったらしい。
あっしあ、477どんがどうこういってんじゃねぇえんだ。
先生、お書きなすったじゃねぇか、1、2の二点を踏まえてレスしたらありがてえってさ。
他ならぬ先生のカキコだ、あっしもねぇ知恵を絞って考えてみたんでさぁ。
ところがどうにもわかんねぇ。どうやって踏まえたらいいのか。
『事実情報に基づ』くとか、『「世界観」に基づ』くってのを踏まえるにゃあどうすりゃいいんで。
それで、大先生におねげぇしてぇんだ。
あっしのような無学のもんのために、その二点を踏まえた模範解答ってやつを、ここはひとつ示してやっておくんなさい。
おねげぇいたしやす。
あっしゃあ是非ともご尊敬申し上げる先生の模範解答が見てぇんで。
さあ
486 :
日本@名無史さん :2001/04/04(水) 00:40
めぐらすには。 3世紀のこの国はどんなだったですか、みたいな スレを立ててみるとか?
487 :
日本@名無史さん :2001/04/04(水) 00:42
めぐらすには。 3世紀のこの国はどんなだったですか、みたいなスレを 立ててみるとか?倭国大乱がなんだったかっていうのは あったな・・
>>484 さん
どもども。
手短にお答えします。
>ところがどうにもわかんねぇ。どうやって踏まえたらいいのか。
>『事実情報に基づ』くとか、『「世界観」に基づ』くってのを
>踏まえるにゃあどうすりゃいいんで。
>それで、大先生におねげぇしてぇんだ。
1.「事実情報」の問題に関して
「魏志倭人伝」に含まれる「倭国」に関する地理記載の
資料成立過程の問題です。
換言すれば、「倭国」に関する地理記載を考える上で、
「魏志倭人伝」の成立に寄与した資料群を分析することの
必要性ですね。
2.「世界観」の問題に関して
上記の「事実情報」に関する問題と重複する部分もありますが、
「魏志倭人伝」の地理記載に対して、実際の伝聞情報に加えて、
当該時期の中国王朝の有した「王朝の辺境地域」に対する観念の
影響の問題です。
「魏志倭人伝」の地理記載を分析する際には、以上の2点の問題を
一種の「解釈フィルター」して捉える必要があるのでは?
という私の問題提起です。
ほいでは
#文献史の人にとっては自明の理なのだろうけど・・・
訂正 20行目 (誤)「解釈フィルター」して → (正)「解釈フィルター」として
490 :
夜郎自大 :2001/04/04(水) 18:03
>>488 通りすがり大先生、どうもありがとうごぜぇやす。
丁寧なご返事、感激いたしやしたぜ。
だがね、先生、無学のあっしにゃあ難し過ぎらぁ。
どう読んでも、長く小難しくなっただけで同じことを言ってるとしか見えねぇんだ。
おっと、怒りなすんなよ。 こりゃあ、多分、あっしが無学で日本語をろくによめねぇせいだぁ。
>以上の2点の問題を一種の「解釈フィルター」して捉える必要があるのでは?
あっしゃあときどき、近所のくそじじい、おっといけねぇ、ご隠居に相談にのってもらってるんでやすがね、
ご隠居がいうにゃあ、こんなこたあ、当たりめえだっていうんでさあ。
ところが、それぞれのお人が勝手に「解釈フィルター」ッてぇヤツを発明するもんだから、
どうにも収拾がつかなくなっちまってるらしいんで。
おっと、おこらねぇでくだせえましよ。あっしが無学で日本語がうまくはなせねぇもんだから、
ご隠居に先生のすばらしいかんげぇが伝わってねぇだけだと思うんだ。
だからね、先生、使わなきゃいけねぇ「解釈フィルター」ってやつは、
万人が納得するもんじゃねぇえと意味がねぇんじゃねぇかって思うんでさあ。
それがどうにもわからねぇんでげすよ。どうやったらそんなもんが出来るのか。
あっしゃあ、思うんだ。普通のお人にゃあこんなこたあできっこねえんだが、
通りすがり大先生のようなすばらしい大先生なら、きっと出来るにちげぇねぇ。
いや、きっとすでにすばらしい腹案をお持ちだってね。
そうでなけりゃあ、こんな『問題提議』なぞしなさるはずはねぇや。
ご隠居の言うことにゃあ、これまでにイヤってェほど繰り返されてきた、
誰もが飽き飽きしてる話らしいでやすからね。
先生、ここは一つあっしのような無学のもんを哀れと思って、
先生のすばらしいお考えを披露しちゃあいただけやせんか。
先生のことだ、さぞかし緻密な分析で万人が納得する「解釈フィルター」を見つけなすったにちげぇねぇんだ。
>>490 さん
どーも。
>ご隠居がいうにゃあ、こんなこたあ、当たりめえだっていうんでさあ。
なるほど、そうですか。
文献史ではやはり自明の理なのですね。
>ところが、それぞれのお人が勝手に「解釈フィルター」ッてぇヤツを発明
>するもんだから、 どうにも収拾がつかなくなっちまってるらしいんで。
>ご隠居の言うことにゃあ、これまでにイヤってェほど繰り返されてきた、
>誰もが飽き飽きしてる話らしいでやすからね。
上記の「収拾がつかなくなっている」状況について、
具体的な現状分析をお願いしてもよろしいでしょうか?
>>490 さんが「ご隠居」に伺ったお話でも構いません。
できれば、
>>490 さんご自身の分析がこの場には
ふさわしいと思いますが・・・
「飽き飽きしている話」と放り投げられても、門外漢には
なんのことかさっぱり・・・・
>さぞかし緻密な分析で万人が納得する「解釈フィルター」を
>見つけなすったにちげぇねぇんだ。
問題提起がすなわち、「万人が納得する」回答を
見いだしていることにはつながりませんね。
それではー。
>夜郎自大 煽るのなら、せめて建設的に煽れやゴルァ!!! >通りすがり あんた大人だね
493 :
日本@名無史さん :2001/04/05(木) 07:08
倭人伝は政治面の記述はおおかたは信用できるが気候、地理 の方は信用できない(書いた人間がバラバラだし昔の資料= 九州の風俗を記録したモノが多い=を使っている。あるいは 意識的に、会稽東冶の東に大きな国があって魏の味方でした、 とする必要もあった)。 日本書紀を編纂した時代にはおそらく卑弥呼の頃のことは詳 細に伝わっていない。でも編者は倭人伝を読んでいたろうか ら、戸惑って、アマテラスとかヤマトトナントカヒメとかトヨ スキとか神功とか、卑弥呼候補者がいっぱい出来てしまった。 あるいは一系を証明するためにごちゃごちゃになってしまった。 考古学的には、 3世紀初頭に九州(衰えはじめている)、吉備(元気)、 出雲(畿内に食い込んでる)、濃尾平野以東(新しい)に それぞれ勢力があって統合、連合の機運に向かっている。 (とりあえず喧嘩はやめてやりくりするにはどこに首都を おいたらいいか、なんてことを相談していたんではないか) で、卑弥呼の時代に纒向に都市が出現している。 (しかし箸墓を卑弥呼さんのだとするのは焦りすぎで、せいぜい 崇神の墓ではないか) というようなことでどうなんでしょうか。 卑弥呼さんは九州北部、吉備、出雲の血縁の人。 東の狗奴国はそれが不満でした、みたいな。 だから邪馬台国が大和朝廷の元なんだ、と断定出来ないし、 それが延々続いているというわけでもない(その後も首都は 畿内の中でいろいろ動いている)ので目くじらたてる必要も ない。 女王を擁立するというのは九州の人間もよくやっていたこと なので、その意見が取り入れられたのかもしれない。卑弥呼が 職業名ならば九州にも卑弥呼は大勢いた。
494 :
493 :2001/04/05(木) 07:16
あほなこと書いちゃったかな?
で、
>>488 で通りすがりさんが書いた1,2を
考えていけばいいのではないか。
495 :
通りすがり :2001/04/05(木) 07:32
>>493 -494さん
どもども。
このレスは
>>493 -494さんへの批判ではないことを先に・・・
このスレをごらんになっている皆さんへの私からの趣旨説明です。
(仕切り屋というご批判は甘受します)
私が
>>478 -479と
>>488 で問題提起した趣旨は、
「邪馬台国」論は、考古資料に基づいた議論の前に、
まず文献資料に基づいた議論が前提として進められる
べきではないか、というものです。
「邪馬台国」という固有名詞が記載されている以上、
文献資料に基づく議論のほうがより健全な議論成果が
望めると考えます。
しかし、「魏志倭人伝」を直接的に読解する限り、「邪馬台国」の位置は
九州島の南方海上になってしまうわけです。
ゆえに「魏志倭人伝」の史料批判が議論の前提条件として
要請されるわけですね。
このあたりは
>>490 さんがおっしゃったように、文献史プロパーの方には
自明の理としてあるようですが・・・
(続く)
496 :
通りすがり :2001/04/05(木) 07:45
(続き)
というわけで、
>>494 さんのご発言の
>で、
>>488 で通りすがりさんが書いた1,2を
>考えていけばいいのではないか。
ですが、私としてはやはり文献資料の検討が考古資料よりも先に
進められるべきではないか、と考えるわけです。
そんなわけで、
>>493 さん
>倭人伝は政治面の記述はおおかたは信用できるが気候、地理
>の方は信用できない(書いた人間がバラバラだし昔の資料=
>九州の風俗を記録したモノが多い=を使っている。あるいは
>意識的に、会稽東冶の東に大きな国があって魏の味方でした、
>とする必要もあった)。
まさに
>>493 さんの上記のご発言こそが私の求めていた部分
でありまして、このご発言をまとめると、
「魏志倭人伝」について
1.政治面の記述はおおかた使用できる
2.気候、地理に関する記載は?である(理由:記述者の不統一、
「魏志倭人伝」成立以前の資料群の影響)
3.2の問題の補足として、三国時代の政治情勢の記載に対する影響。
以上の3点にまとめることが可能と考えます。
>>493 さん、もしよろしければ上記の3点の問題について、コメントを
いただけると幸いです。
個人的に、「魏使倭人伝」の成立過程に関心があります。
#なお、私は論文執筆の際に、皆さんのコメントを流用する
#「邪念」はないことをお断りしておきます。
#現在、弥生終末期-古墳時代初頭に関する論文は予定しておりません。
#あくまで、好奇心ということでご勘弁くださいませ。
長文失礼しました。
訂正 最後から5行目 (誤)「魏使倭人伝」 →(正) 「魏志倭人伝」 失礼しました。
498 :
日本@名無史さん :2001/04/05(木) 19:34
>>496 そんなの常識ジャン…って、それがわかってないのが九州支持者なんだよね。
>>498 さん
まあそういわずに・・・
>>466 さんが、
>どうどうめぐりを避けようって、全然めぐらなくなったじゃないか!
>どないすんねん!
とおっしゃったので、じゃあどうすればよいのかなと。
建設的にいきましょう。
みなさま、長い間ご愛顧ありがとうございました。 ここでの邪馬台国論争は終了いたしました。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 終 了 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 今日からここは、邪馬台国論争入門講座になります。
ぜひお願いします。
502 :
日本@名無史さん :2001/04/05(木) 23:18
漏れも入門講座きぼーん
入門講座マンセー!!
504 :
502 :2001/04/06(金) 00:23
漏れは結論連呼野郎や電波野郎、
それに
>>490 のような粘着厨房が垂れ流す糞を喰らうぐらいなら、
「通りすがり」の野郎のような議論を聴いていたいと思うが、どうよ?
>>501 さん
私のHNを騙らんでください・・・・
まあでも普通名詞に近いしなあ。
>>505 「通りすがり」は捨てハンで結構使われるからねえ。
fusianasanでも使えば?
508 :
日本@名無史さん :2001/04/06(金) 20:00
509 :
1917 :2001/04/06(金) 23:20
魏志倭人伝には、倭人は鉄のヤジリを使うとかいてある。これは、弥生時代の福岡県からは 171個出土し、奈良県からは2個しか出ていない。 だから、邪馬台国は福岡県。
時空を飛び越える、九州説。いや、おみごと!
魏志倭人伝には、倭人は入れ墨をするとかいてある。 だから、卑弥呼はヤクザ。
512 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 05:16
>>509 みたいな大昔の知識ととんちんかんな推理が今の九州説を支えているんだね。
514 :
日本@名無史さん :2001/04/07(土) 05:30
オマエモノー
しかし、船頭が一人でも船頭が船の操り方を知らなければ、船は漂流するだけ。 きっと、考古学会っていうのは私は門外漢で何もわかりませんが・・・っていうおっさんが座長をしているのであろう。 結果、旧石器発掘捏造問題で漂流してしまったと。ものすごく、なっとく。
>>515 独りで納得したのはいいが、
意味が全く通じてないぞ。
515 =490 =粘着厨房と思われ(藁
518 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 00:41
自作自演カコワルイ
519 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 02:07
>>515 って、考古学を否定したいけど考古学ってなんだか知らない人間の発言かな?
520 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 06:30
521 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 06:56
515、頭わるそう・・・
522 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 10:09
九州説は情報が古い。
523 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 19:27
畿内説は新しく捏造された。
524 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 19:49
522は事実だから反論できまい。 523は中傷。事実を指摘できまい。 九州説のレベルはこんなもの。 一言でいえば“ウソツキ”
525 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 19:50
難波説もある。
ループしてる。
回ってるね。
528 :
日本@名無史さん :2001/04/08(日) 22:48
脳たりんの九州説支持者がいつまでも事実を認めずに話を振り出しに戻すのさ
頭の悪い、粘着厨房でござんす。 515があっしの書込みってのは、ほとんど自明のことかと思いやしたがそうでもないんでやすねぇ。 519のだんな、こりゃあ単なる嫌味でやすよ。マジにとらねぇでくだせえ。 しかし、こんなことまで説明せにゃならんとは、興醒めでやすねえ。もちっと粋にいきやしょうや。 あっしゃあ、調べりゃ30分でわかることをその手間を惜しんでグダグダ言ってるヤツがでぇっきれぇなんで。
530 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 07:10
>>529 わかったわかった。君はもういいから。
中学に上がって大変だねえ。
月曜日は君の嫌いな持久走か?
仮病で学校休むなよ(藁
>>529 =
>>515 さん
どーも。
>あっしゃあ、調べりゃ30分でわかることをその手間を惜しんで
>グダグダ言ってるヤツがでぇっきれぇなんで。
あなたには言われたくないなあ。
執拗に「教えて君」になっていたのは、どちら様でしたっけ?
自作自演までして、可哀想に。
追いつめられちゃったんですね。
で、あなたの「現状分析」は?
30分で調べてくださいな。
気長に待ってますから、中学の授業が終わった後にでも
ご返答お願いしますね。
>通りすがり 厨房の相手はやめとけって!!
533 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 16:27
岡田英弘の倭人伝解釈ってのはもう出たの? 通りすがり氏の言う 「3.2の問題の補足として、三国時代の政治情勢の記載に対する影響」 のひとつの答えだと思うが。
ど〜も、先生。ご無沙汰いたしておりやす。 嫌われもんの、頭の悪い粘着厨房でやす。 >執拗に「教えて君」になっていたのは、どちら様でしたっけ? あいかわらずピントがズレているお人でやすねぇ。 あっしゃあ、調べて分かることじゃなく、先生のお考えをおたずねしていたんですぜ。 こいつぁ、先生が口を開いてくださらねぇことにはどうにもなりやせんや。 おっと、時間だ。これから嫌な持久走でやんす。 仮病つかったんでやすがね、おっかあに見破られやした。 それじゃあ、先生、あっしゃあ、先生のすばらしいお説が読める日を気長に待っていやすぜ。
536 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 19:57
ああ言ったのこう言ったのという議論の段取りは要らないっつーの。 空手道場の組み手やってんじゃないんだからさ。 どうでもいいうっとうしい話が多すぎねえ? 各自がそれぞれ淡々と自分の説を語れ。もしくは純粋に質問だけしろ。
535=自作自演厨房は放置決定でよろしいか?
538=535
マターリしようや
542 :
日本@名無史さん :2001/04/09(月) 23:15
で、邪馬台国はどこ?
☆ λ / :。 < ゜-゜>ρ ‥ σ( ) ・` 。・ ; ’ 、∴ ゚ ,・・` 。・ : ’ ∵、‘。‥ ゚ ,・・` 。∴ 、’. υυ 、’ ・゚ ・ 535って不思議!! ‘. 。: 作:ファンシー乙女 ; … `。 ; 535って不思議!能も無いのにいばってばかり 。 ‘ ∵ ‘. ・ その自信は何を拠り所にしてるのかしら? ,‘. `。 。 ‘. 535って不思議!苦し紛れに嘘ばかり。 ‘. 。: ; … その妄言の発想はどこから来るのかしら? `。 ` ; ゚ ・ ` ; アイゴー、アイゴーと壊れたラジオのようね :・ ’。 ‥ ‘・∴ 。’∵ 、 ; 。…. ・ ” ,・` 。・ ; ’ 、∴ ・・ ゚、 ,` : ’
544 :
日本@名無史さん :2001/04/10(火) 06:31
関係ないことかくなよ!
545 :
通りすがり :2001/04/10(火) 12:47
>>533 さん
どもども。
岡田英弘さんによる倭人伝解釈についての
詳しい紹介をお願いできますか?
議論の叩き台にしましょう。
よろしくお願いします。
んでは。
546 :
日本@名無史さん :2001/04/11(水) 03:43
ありゃ解釈なんてもんじゃないでしょ? ただの偏見!
547 :
通りすがり :2001/04/11(水) 08:50
>>546 さん
岡田さんの解釈について、どのあたりを
ただの偏見とお考えですか?
548 :
日本@名無史さん :2001/04/11(水) 11:26
じゃ。「岡田さんの解釈」って何?
549 :
通りすがり :2001/04/11(水) 11:37
>>548 さん
私は岡田英弘さんの関連論文を読んでないので、
>>546 さんに対して、ご説明を求めただけですよ。
煽りはやめてね (´ー`)y-~~
550 :
日本@名無史さん :2001/04/11(水) 12:01
読めよ
>>550 さん
それをいっちゃあおしまいよ。
スレとして盛り上がらないよね。
552 :
日本@名無史さん :2001/04/11(水) 12:54
書けよ (聞かれてることを)
↑ 放置決定でよろしいか?
___________________________________ ∧_∧ / ( ´∀`)< 厨房は相手にしないモナー ( ) \____________________________________ | | | (__)_)
しまった。ズレた・・・・
556 :
日本@名無史さん :2001/04/12(木) 15:30
邪馬台国論争に一石 纒向遺跡 古墳造営 実験の舞台か ホケノ山古墳が弥生時代と古墳時代をつなぐ最初期の古墳と分かるなど、邪馬台国の最有力地・纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の古墳群が注 目を集めている中、最古級の古墳がもう一基増えそうなことが分かった。邪馬台国論争にも影響を与えることは必至だろう。 纒向遺跡は、卑弥呼が王位に就いた直後とみられる三世紀初めごろに突然出現、一般集落と様子が異なるため、畿内説論者はみな、ここを邪馬台国と している。 そこで注目されるのが、同遺跡内にあり、最初の大型前方後円墳・箸墓(はしはか)古墳(三世紀後半〜末)より古いとみられる纒向石塚古墳など。 これらが造られたのは、卑弥呼や後継の壱与(いよ)の時代ということになる。 新時代にふさわしい墓のプランが、ホケノ山や纒向石塚で実験を重ねられ、箸墓で前方後円墳として完成、全国に伝わった−。こんな筋書きを想定す る学者も少なくない。 今回の「古墳」の年代、墳形などが分かれば、試行錯誤の様子がはっきりし、邪馬台国をめぐる問題や、弥生の王が大王(天皇)に変わる課程が明ら かになっていくだろう。 付近にはかつて「塚」と付く地名が点々とあったというから、墳丘を削り取られて消えた最古級古墳がいつまた見つかるかもしれない。纒向遺跡から は目が離せないようだ。(共同通信)
557 :
アルツ :2001/04/13(金) 02:29
こうやってむちゃくちゃになるからな、 あえて「仕切屋」を買って出る「通りすがり」を俺は指示するよ。 岡田氏の意見はあまりに既出だろうから恥ずかしいけど簡単に言えば、 魏→西晋という国を強く見せるために、同盟国であった西のクシャナ 王国と同じように、東の邪馬台国を大きく書いた、その必要があった という説だすね。 そして敵の「呉」を包囲するには、東の7まんこの邪馬台国が「会稽 東冶の東」に位置していなければいけなかった、というわけだ。 倭人伝にそういう作為があったのかどうかってことをまず語り合ってみた いな、あなた達と。岡田氏の論はあまりに大胆で排他的すぎるというのも わかっているが、中国の歴史書に「春秋の筆法」があるというのもやはり 確かだろうから。
558 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 02:42
タイムマシーンでも開発しない限り 永久にわからんぞ! ばーか!
559 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 02:56
ばーかとか言うなよおまえ
560 :
アルツ :2001/04/13(金) 03:11
わからんから面白いのよ。それと指示と支持を間違えたな
>>557 さん
岡田さんの解釈についての議論はきしゅつでしたか・・・
ごめんなさい。スレッドを読み直します。
>倭人伝にそういう作為があったのかどうかってことを
>まず語り合ってみた いな、あなた達と。
まったく同感です。
自らの解釈について、結論部分のみを応酬するだけでは
なかなか議論は進展しませんからね・・・・
562 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 13:44
畿内説・・・どうやら纏向に収斂してきた。 弱み・・・魏志倭人伝の記述に一致するところがほとんどない。 九州説・・・相変わらず九州のどこか確定できず。 弱み・・・見合うだけの遺跡が無い。 と言った所だね。 だけど古墳の築造年代誤魔化してまで畿内に持っていこうなんて 記内接の奴等は情けないね。 古墳いくら古く見積もっても倭人伝とあまりにも違う着ないの様子は 救いようがないけどね。
↑ お前はまず日本語の勉強から やりなおせ
564 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 15:01
565 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 15:22
わざと出しょ?
566 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 15:27
だから畿内説を言うには、魏志倭人伝に作為があった、 とするか、編者の記憶と情報が曖昧であったとするしか ないのですな。まあ九州でもそうなんだけど。
567 :
日本@名無史さん :2001/04/13(金) 17:57
倭人伝よんだことあるの? どう読んでも畿内でしょ?
>>567 普通に読むと、畿内にも九州にもならないでしょ。
ガリバー旅行記の世界だし。
569 :
日本@名無史さん :2001/04/14(土) 16:55
えらそうなこと言うくせに古典に暗いひとが多いんだよね。 多少距離や方角に間違いがあるだけで、その程度のミスは中国史書じゃ珍しくない。 こびとの国とかは古くからあるネタでしょ。
>>569 さん
どーも。
面白いご発言ですね。
>多少距離や方角に間違いがあるだけで、
>その程度のミスは中国史書じゃ珍しくない。
「その程度のミス」の内容に興味があります。
1. 記述についての明らかな事実誤認
2. 書き写しのミス
3. 「世界はこうである」という認識(=世界観)から
生じるミス
4. クライアントの要求からのミス(政治的要因が記述与えた影響)
上記に列挙した要素は重複する部分もありますが、
「ミス」が生じた過程を検討する価値はありそうですね。
>こびとの国とかは古くからあるネタでしょ。
3に挙げた「世界観」に関する問題と考えます。
『山海経』や『淮南子』など、古代中国の地理観・世界観
を記載した文献の検討が必要でしょうね。
いずれにせよ、「倭人伝」の記載内容を検討する上で、
色々と考えなければならない問題があるようですね。
それでは(´ー`)y-~~~
邪馬台国という名称が、三国時代の中国語では、どう発音されていたかわかれば、 邪馬台国の解明に大きく前進するのでは?
572 :
通りすがり :2001/04/14(土) 20:36
>>571 さん
どーも。
>邪馬台国という名称が、三国時代の中国語では、
>どう発音されていたかわかれば、
>邪馬台国の解明に大きく前進するのでは?
うーん、どうでしょう。
三国時代の発音を仮に復元できたとしても、
それが位置比定などの問題と直接的に関連付けられるか
どうか。難しいところだと思います。
ただ発音の問題に関してですが、
『隋書』や『旧唐書』の記載から、後代の中国王朝は
7世紀以降の倭国の首都と3世紀後葉の「倭国のミヤコ」を
同一視していたと考えることができそうです。
ほいでは。
いまから晩ご飯です ヽ(´Д`)ノ
573 :
日本@名無史さん :2001/04/14(土) 22:15
>>570 こびとの国や裸国、黒歯国は山海経にでてくるはず。
古くからのお伽噺を付け足しただけだから、実際にどこだとか言うのはナンセンスでしょ。
574 :
日本@名無史さん :2001/04/14(土) 22:21
普通に読むとエジプトかローマ帝国までいっちゃうけど、 日本国内だったら1箇所じゃなくて複数の国をひとつに書いてんじゃあ ないのでしょうか?
575 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 01:09
age
576 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 07:31
邪馬台国をどう読むか。 普通「ジャマダイ」と読むでしょ。
577 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 07:45
タイムマシーン開発しないかぎり 永遠にわかるはずがないことは 小学生にでもわかるはずだが・・・。 脳は大丈夫でしょうか? 逝ってません?あなたたちの脳。
578 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 09:34
>>576 じゃ琅邪はなんて読むの?
狗邪韓国はなんて読むの?
579 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 12:19
>>577 その「小学生」の教科書には邪馬台国論争についての
記述があるよな?
580 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 12:35
小学生の教科書もってへんぞー。 あんた、今手元にもってんの。
581 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 12:37
よちよち。577たん。小学生のボクにはちょっとむつかしかったかなぁー?
582 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 12:43
論争することあらへんやん。 やまたい=やまと 台=と と、発音可能や。 迷う事あらへん。 津軽外三郡誌でも大和にあったとなっとる。 日向族が攻めてきた=神武東征 つじつまあうやないけー
583 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 12:46
581へ そうだよなー小学生のきみの脳では無理だよ。 いや小学生並みの脳としておこう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ∫ −−煽られたときは−−−− ∫ ∫ 汝、反応するなかれ。平然と粛々と普段の生活を続けるべし。 ∫ ∫ 汝、煽ることなかれ。低次元の問答は、おのれの次元も下げる。 ∫ ∫ 汝、熱くなるなかれ。友が煽られていても冷静さと平常心で助け合うべし。 ∫ ∫ そして、混乱の極みではわれらが友、削除十字軍の救援を要請すべし。 ∫ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ∧S∧ ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (・∀・ ) < 皆、これをよく覚えておくように! .[888888] \___________ /::::::|S|::::::ヽ |:::::::|=|:::::::| /::::::/∧ヽ:::::ヽ /::::::/_)(_\:::\
ツクシノシマのヒムカのタケルちゃんがイソシキシマにミヤを移したのは 一体いつの話なの?
587 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 18:31
イソは余計か
588 :
日本@名無史さん :2001/04/15(日) 18:40
伊蘇って伊勢の事だよな。
589 :
無 :2001/04/17(火) 23:35
>倭地温暖冬夏食生菜 菜=料理 基本的なことに気づかなかった・・・
590 :
日本@名無史さん :2001/04/18(水) 01:24
生菜は加熱処理しない植物性の食物。つけものも入るかも(?) ちなみにカシミール地方でも生菜を食すと書かれている。 「南方の証明」にはならんだろう。 凍土の北朝鮮からきた帯方の役人には日本列島はさぞ温暖に思えたろう。
>>590 さん
>生菜は加熱処理しない植物性の食物。つけものも入るかも(?)
残念ながら、当該期の料理を伺わせる考古資料は
まだまだ少ないですね(とくに非加熱の料理)。
ただ、鴻臚館遺跡(福岡市)などのトイレ遺構出土の人糞資料
から多くの寄生虫が検出されています。
分析資料自体の帰属年代は「倭人伝」に記述された時期とは
異なりますが、「倭人」が生野菜や魚介類などを加熱せずに
食していた情景を伺わせますね。
ただ一方で、「倭人伝」の記述者は「倭」地域を「南方」と
認識していた蓋然性も高く、そのような認識が記載に影響を
与えた可能性を否定できません。
難しいところです。
592 :
無 :2001/04/18(水) 22:08
刺身なんかはどうでしょうかね? あるいはタタキとか。 タタキなら当時の刃物でも作れたかもしれません。 それを葉などにくるんで食べていたかも・・ 生ものを食すということで中国人などには 驚きの目で見られたのではないかと思う。 寄生虫は昭和時代までいました。
593 :
日本@名無史さん :2001/04/18(水) 22:13
>592 川魚には今もいますよ。ご注意を(藁
個人的な思い出ですが、 私は小学校高学年まで寄生虫を体中に飼育しておりました。 たまに捕獲して、手のひらの上で遊ばせたものでした・・・・
595 :
日本@名無史さん :2001/04/19(木) 00:56
邪馬台国=ヤマトノクニ(大和之国) 卑弥呼=ヒノミコ(日之皇子) なんじゃないの。 それだったら「邪馬台国」がどこだったかはっきりしないのも納得できるが。
>>595 あんた単純でいいね。
きっと悩みとか全くないんだろうなあ。
うらやましいよ、ある意味。
>>592 中国人も昔は、なますとか食ってなかった?
宋だか唐だかの時代に疫病が大流行したから
必ず火を通すようになったんだと思うけど…
598 :
日本@名無史さん :2001/04/19(木) 04:17
中国のなますは発酵食品だよ。
599 :
595 :2001/04/19(木) 15:27
>>597 それが一番わかりやすいんだよ!!
偽史倭人伝なんてしんじちゃいけまへん。
お前はあぼーんだ。
600 :
日本@名無史さん :2001/04/19(木) 17:01
601 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 06:34
同じ魏志倭人伝でも、信用の置ける部分とあやしい部分ははっきりと在る。 あやしい部分だけつまみ食いするのがトンデモ説。
602 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 12:08
つうかさあ擬史倭人伝そのものがかなりいかがわしくないか?
603 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 12:58
ま、シナの文献なんて、全部いかがわしいよ。
>>601 が正しい。はっきりわかるかどうか別として。
602,603は言ってること自体はへんじゃないが、ツッコミとしては文脈上よろしくない。
文献を一から十まで真に受けたり、逆に一から十までデタラメとするのなら
こんなラクなことはない。が、それは学問とはいわないだろう。
で結局、誰も「通りすがり」の問題提起に反応できないのか 悲しいが、このスレのレベルを物語っているな
606 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 19:50
そうじゃなくって岡田説支持者がいねーだけだよ。 つまり問題提起になってなかったってこと。
607 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 20:35
あまりに長大な里程をどう考えるかということでしょう。 古田の魏晋短里説やそのバリエーションである倭韓局所短里説をとらないとすると、 意図的に誇張した経緯があるはずだ、という理屈になる。 岡田説には全面的には依拠できないが、部分的にはアリだと思う。 古田説は論外としても、岡田説をもとらないとするなら、 魏志倭人伝の「誇張された里程」を説明する別の理屈がほしくなるが…
608 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 20:48
そうじゃなくて、岡田説は「理由」がおかしいの。 誇張の理由が司馬氏への阿諛っていう理由がね。
>>606 読んだ限り、「通りすがり」は岡田説を肯定も否定もしてないようだが?
なんで問題提起になってないのかよくわからん・・・・・
岡田説を含めて魏志倭人伝の内容を批判的に吟味しようという
問題提起だろ?
どーでもいーよ
611 :
通りすがり :2001/04/20(金) 22:54
どーも。
>>606 さん
>そうじゃなくって岡田説支持者がいねーだけだよ。
>つまり問題提起になってなかったってこと。
先に
>>609 さんがフォローしてますが、私は岡田英弘さんの解釈に対して、肯
定も批判もしてません。岡田さんの解釈に問題があるならば、むしろそれに対す
るご意見を皆さんに伺いたいと考えただけですね。
#岡田さんの解釈に対する支持者がいないという事実と
#私の発言が問題提起になっていないというご発言の間の因果関係が
#正直言ってよく理解できないのですが・・・・
>>607 さん
>魏志倭人伝の「誇張された里程」を説明する別の理屈がほしくなるが…
「倭人伝」記載の里程に関する私個人の考えとしては、政治情勢もさることなが
ら、むしろ当該期の中国王朝の有した「世界観」あるいは「地理観」を重視しま
す。その意味で、岡田さんの解釈の発想はやや「現代的」すぎるかな、という印
象を私は抱いています。
もちろん「世界観」といっても漠然とした意味なので、『山海経』や『淮南子』
などの古代中国の地理観を記述した文献や、『魏略』(魚豢撰)や『魏書』(王
深撰)などの「倭人伝」の底本となった文献に関する分析が最重要課題となって
きますね。
それでは。
訂正 最後から3行目 (誤)王深撰 →(正)王沈撰 失礼しました。
613 :
日本@名無史さん :2001/04/20(金) 23:37
>>611 考えてもみろよ。
岡田支持者がいなきゃ代弁者がいないだろ?
代弁者がいないところで批判側が
「岡田説なんてこんなもんだ」とか言ったって欠席裁判でフェアじゃないし
言いっぱなしで議論にもならない。
だから「岡田説はどうよ?」って菊竹蛇問題提起になんないのよ。
指示するなり批判するなり、具体的なこと言わないとね。
>>613 さん
どーも
どうも誤解されているようで、私は岡田さんの解釈云々について
問題提起をしているわけではないです・・・・
>>495 と
>>496 で書いたように、私は「倭人伝」の成立過程について
様々な点から検討してみようじゃないか、と発言したのです。
その後、岡田さんの解釈に関してレス(
>>533 )があり、それじゃあ
ひとまず岡田さんを議論の叩き台にしますか?となったわけですね。
#結局、感情的なレスしか返ってこなかったわけですが・・・・
ちなみに私からの問題提起は
>>495 >>496 >>570 上記のレスをご参照ください。
(このようなとき「かちゅ〜しゃ」は便利ですね)
そこで岡田さんの解釈に関する議論ですが、
>岡田支持者がいなきゃ代弁者がいないだろ?
>代弁者がいないところで批判側が
>「岡田説なんてこんなもんだ」とか言ったって欠席裁判で
>フェアじゃないし 言いっぱなしで議論にもならない。
上記のご発言の趣旨は理解できますが、
「叩き台」として岡田さんの解釈は利用できると考えます。
岡田さんの解釈に拘る必要性は全くないですが、少なくとも
「倭人伝」の地理記載(あるいは里程論)に関して、議論が
可能になると考えますが、いかがでしょうか?
もっとも、私の立場としては、中国王朝の有した「世界観」や
「地理観」を検討することが議論の前提課題として必要と考えています。
#できれば感情的なレスの応酬ではなく、
#論理的階梯を経た議論が望ましいですね。
長文失礼しました。
615 :
日本@名無史さん :2001/04/23(月) 20:56
>>608 608氏は、里程が誇張されてる理由をどのように考えておられるのでしょうか?
616 :
法師 :2001/04/23(月) 22:27
このスレッドで続けていいんでしょうか? 「里程」:当時において、陸上ならともかく、海上の距離を 正確に測定できたという根拠はないはずなので、現代の正確 な地図に比して云々するのは外れてると思います。まして、 使節団は測量しに行ったわけじゃないですから。
617 :
日本@名無史さん :2001/04/23(月) 22:33
それは正論だ。使節団が報告したと言う根拠も無い。
>>616 さん
議論の大前提として、念頭に置く必要がある
ご発言内容と私も思います。
>>616 さんのご発言を踏まえた上でなお、問題となるのは
「方位」の大きなズレでしょうね。
619 :
法師 :2001/04/24(火) 01:06
>>618 (通りすがりさんでよろしいでしょうか?)
「方位のズレ」:その点に関しては、各々の国を具体的に
どこに比定するかによって話が違うわけですが、基本的に
は「方向音痴では航海はできない」ということで、元々の
データは、相当程度に正確に把握されていたと考えて大過
ないと思います。
もちろん、原本までに発生した誤伝とか、以後の写本での
誤記も、もちろんあり得るわけですが。
620 :
通りすがり :2001/04/24(火) 01:42
>>619 さん
レスありがとうございます。
各のクニグニの位置比定の問題もさることながら、
「倭人伝」の記載をそのまま読解すれば、「邪馬台国」が
実際の日本列島からは逸脱して位置することになります。
そこで、その逸脱の要因はなにか? という問題が議論の俎上に
挙げられているわけですね。
>もちろん、原本までに発生した誤伝とか、以後の写本での
>誤記も、もちろんあり得るわけですが。
当然、写本の過程での誤記も可能性として考えられますね。
また「倭人伝」の底本がおそらく複数存在するため、
編纂時の情報錯綜も考えることができます。
いっぽう私がこのスレで主に考えている問題は、
「倭人伝」の編纂者、さらには古代中国王朝が有した
世界観・地理観です。
「邪馬台国」が実際どこにあったか? という問題と並んで、
「邪馬台国」の所在が「いかに考えられていたか?」と考えて
みてはどうか、という問題提起です。
上記を整理すれば、
1.写本の問題
2.「倭人伝」の情報源(底本)が複数存在したことに由来する
情報錯綜の問題
3.古代中国王朝の世界観、地理観に関する問題
以上の3点をひとまずこの場で挙げることできます。
また、3点の問題は、それぞれ別次元の問題として考えなければ
ならないでしょう。
まずは議論の交通整理も含めてレスしました。
長文・乱文をお許しくださいませ。
621 :
司馬ぽん :2001/04/24(火) 02:04
女子高生 ヒミコ 〜 第1和 素敵な出会い突然に 〜 ヒミコ(以下、ヒ)「いってきますぅ〜」 母「ヒミコー?朝ご飯はー?」 ヒ「もう、時間がないからいらなーいってキャー!遅刻しちゃう」 今年、入学したばかりのヒミコは15歳の高校一年生。 今日も遅刻しそうになって学校まで全速ダッシュだ! 息をはずませながら、 ヒミコがなだらかな坂道をかけおりていると・・・ ヒ「キャー!キャー!どぉいてぇー!」 謎の美青年王(以下、王)「えっ?」 ごっつ〜ん!(←おとがいの頭がぶつかる音)・・・ 王「うーん、きみ!?大丈夫?」 ヒ「あ、はい!(ちょっと、このお兄さんかっこいい)」 王「ケガはないかい?」 ヒ「はい!大丈夫です!お兄さんこそ大丈夫ですか?」 王「ああ、僕もだいじょ・・(な、なんだこの子のこの霊力は?!)」 謎の美青年が話終わる途中、急にヒミコはきりだした。 ヒ「あっ!遅刻しちゃーう!お兄さんそれじゃーね!」 王「えっ・・・」 春風の様なあたたかな微笑みを残して走りさっていく ヒミコの後ろ姿を見つめながら、謎の美青年王は、 もしや、あの娘こそ自分達を導いてくれる ”日の巫女(ヒノミコ)”なのではと心の中で感じて いるのであった。 コーヒーブレイクスレ。関係ないのでさげつつ(^^;
あげちゃった。スマソデス。
625 :
日本@名無史さん :2001/04/24(火) 19:54
>古代中国王朝が有した 世界観・地理観です。 具体的にいうとどういうこと? いや、中国人なりの 世界観・地理観ってのはあったろうけど 邪馬台国の方角・里程と具体的にどのようにかかわるわけ?
626 :
日本@名無史さん :2001/04/24(火) 20:15
大地は平らだから世界の果て近くまで東に行くと太陽は南から昇るって説があるぜ。
627 :
法師 :2001/04/24(火) 21:53
[卑弥呼] の読み 古代の中国語による表記なんだから、現代日本語の発音と同 じでないのは、まあ、当たり前ですが、少なくとも「ヒミコ」 ではありえないです。 陳寿先生が表記のときに想定した音が、上古音なのか中古音 なのか、異論がありますし、実際の発声からして日本語とは 根本的に違うはずですが、あえてカタカナで書くなら、「ピ エッ ミエー(ミエ) ハ(ホ)」みたいな具合になるはず です。 あと、これまた当然のことですが、倭人がそういう表記で申 告したわけじゃなくて、中国人が聞き取って写したはずなの で、「元々どういう発音をしたのか?」は、よく分からない というのがホントのところですね。 でも、陳寿先生のパトロンみたいな人が、当時の日本と交流 が深かったそうなので、appleのことをアップルなんて具合 に原形をとどめない滅茶苦茶な読みをするほどには、デタラ メではなかったと考えてかまわないんじゃないかと思います。
>>625 さん
どーも。
少しわかりにくかったですね。ごめんなさい。
私の発言における「世界観」・「地理観」とは、
中国王朝が「倭国」および「邪馬台国」の位置関係に
関して「概念的に」有していた認識です。
つまり、中国王朝が抱いていた「王朝の周辺世界」に
関する認識です。
言葉を換えれば、中国王朝による「世界地図」とも
いえるでしょう。
「倭人伝」成立以前の史料(e.g. 『論衡』)や、奴国王金印の
蛇鈕などの資料から、すくなくとも後漢の時期には
中国王朝は「倭」地域を「南方」と認識していた蓋然性が
高いことを指摘できます。
さらに、
>>626 さんが指摘されたような、「神話的世界観」も
記載に影響を与えたかもしれませんね。
「倭人伝」の地理記載を、上記のような「世界観」から敷衍された
内容として検討してみてはいかがでしょうか。
すいません。
>>628 の発言は「通りすがり」によるものです。
630 :
日本@名無史さん :2001/04/24(火) 23:51
つまり中国人は、なんらかの理由で「倭国は南方にある」と固く信じていた、と。 だから使節が往来して情報を持ち帰っても、この信念は容易に変化せず、 魏志倭人伝の記述でも全体的な方位を「南」向きに書かれることになったのだ、と。 こういうことでいいですか? 個人的にはそうかも知れないなとは思うけど、漏れの力量では判断むずかしいね。 誰か、賛成、反対、立場を問わず、注釈いれてくれ。
631 :
法師 :2001/04/24(火) 23:57
>>628 う〜〜〜ん、当時の国交関係から考えて、もっと散文的に
把握してもかまわないんじゃないかと思いますが。
>>630 さん
どーも。
自己レスですが、「世界観」といっても非常に抽象的であり、
あくまで「倭人伝」を読解する際の一種の「フィルター」程度に
認識して、あまり深く突っ込まない方が議論が建設的に
なりうるかもしれませんね・・・・
「侏儒国」などのクニグニを語呂合わせ的に比定しよう
とするような、無理な解釈に対する戒め程度に認識していただければ
幸いです。あくまで、「倭人伝」に対する史料批判の一環として
提起しました。
633 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 00:03
通説どおり末盧国が唐津で伊都国が前原なら 唐津→前原は北東方向だけど 倭人伝は東南と書いてる。 ここですでに方角は90度狂ってるわけだ。
>>631 さん
どーも。
>う〜〜〜ん、当時の国交関係から考えて、もっと散文的に
>把握してもかまわないんじゃないかと思いますが。
なるほど・・・・
私は「倭人伝」の史料批判の一環として、まず「世界観」の問題を
提起しました。
いっぽうで、当該期の政治情勢などの観点から「倭人伝」の記載
に関して有効な説明が可能ならば、むしろ具体的な把握が
望めますね。
よろしければ、
>>631 さんに国交関係を含めた当該期の政治情勢に
関するガイダンスをお願いしてもよろしいですか?
そのうえで再度、「倭人伝」の記載を様々な観点から検証して
みましょう。
#議論が建設的な方向に向かっているようで嬉しいです。
#このスレッドを参照するのが楽しみになってきました。
635 :
法師 :2001/04/25(水) 00:13
>>633 誤伝とかの可能性はとりあえず別問題として、方位の記述には、
基本的に誤りはないと仮定するなら、「通説」の比定が間違っ
ているというだけのことになりますね。
>>635 さん
ある意味、非常に正論を捉えていると思います。
なにはともあれ、まずはテクストを第一に尊重すべきでしょうね・・・
637 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 00:30
中国史書の地理の方位や距離がまことに正確でないという実態を いやというほど知っている文献方面の人間は、逆にテクストを第一には 考えませんよ。それは尊重ではなく偏重です。
638 :
法師 :2001/04/25(水) 00:43
>>637 宮崎先生とかも述懐しておられるとおりですが、このス
レッドは、取りあえず「魏志のいう邪馬台国とはどこの
ことか?」という話でよろしいのでは?
また、半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいとい
うのは、単なる偶然以上と考えてもよろしいんじゃない
でしょうか。
さらに、陳寿先生に関しては、通じでおられたであろう
特別な事情もありますし。
639 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 00:47
>>635 方位に誤りが無いと"仮定”するわけだから、「通説」の比定が間違っていると"仮定”するというだけのことになりますね。
すると、その"仮定”のもとで適切な否定地が見出せなければ、"仮定”を再検討する必要がありますね?
従来の九州説のひとは、その"仮定”をアプリオリに決定事項にしてしまったことで生産的な議論から脱落したのではないでしょうか。
640 :
法師 :2001/04/25(水) 00:53
>>634 済みません、それはちょっとご勘弁のほどを。
取りあえず、これまでのところとは違って、
「どういった事柄については、ある程度は信
憑性がありうる(あるじゃないです)」とい
った具合で行ってみたいと思いますが、如何
でしょうか。
641 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 00:54
>>638 半島→対馬→壱岐→九州の間隔は等しくないでしょう?
壱岐→九州がかなり短くなります。
また、対馬自体が南北にかなり長いので、半島→対馬→壱岐は等しいと言うのも
実は“等しい”はずだという結論から、対馬の中継点を等しくなる位置に設定しているに過ぎないのではないでしょうか?
つまり循環しているのです。
>>637 さん
どーも。
反論です。
「文献方面の人間」の方々は、「倭人伝」に関する数々の史料批判
の過程(すなわち研究史)を踏まえて、「倭人伝」というテクストを
検討しているわけです(そうですよね?)。
いっぽう、このスレッドの参加者は全て文献史プロパーでは
ありません(私も含めて)。文献史プロパーの方々が自明の理として
認識する問題についても、再度検討する必要があると私は考えます。
逆に
>>637 さんにお尋ねします。
「テクストを第一に考えていない」のならば、なにをもって
検討の材料とすればよろしいのでしょうか?
文献史の方法論については、熟知しているわけではないので
お尋ねいたします。
>>638 さん
>「魏志のいう邪馬台国とはどこのことか?」
上記のご発言は全く言い得て妙ですね。
あくまで「倭人伝」記載の問題として検討すべきでしょう。
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいとい
>うのは、単なる偶然以上と考えてもよろしいんじゃない
>でしょうか。
興味深い問題提起ですね。
「半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しい」という
問題に対するお考えをさらに伺いたいです。
>>640 さん
どーもどーも!
>「どういった事柄については、ある程度は信
>憑性がありうる(あるじゃないです)」とい
>った具合で行ってみたいと思いますが、如何
>でしょうか。
大賛成です!!
スレッドでも話題に上っているので、
ひとまず地理記載についてやりましょうか。
それとも
>>640 さんご自身の問題提起でも構いません。
どんどんやりましょう。
>>639 さん
どーも。
おっしゃることは理解できます。
ただ、「比定地論議」が所与の問題として大きく捉えられすぎている
ような感が私にはします。
「九州説」や「畿内説」といった議論の分別はひとまず置いて、
「倭人伝」の記載「それ自体」を検討してはいかがでしょうか?
「倭人伝」から得られる情報は、なにも「邪馬台国」の位置に関するもの
だけではないのですから・・・・
645 :
応援団 :2001/04/25(水) 01:29
面白いのでAgeます >法師さん 文献史ならではの視点が垣間見えて勉強になります。 >通りすがりさん 仲間ができて嬉しそうですね(笑) 考古学の話題になったら、また「講義」をお願いしますね。 春休みが終わったんだな、とこのスレを見て 実感します。。。 私もネタがあったら議論に参加しますので、 そのときはよろしく。
646 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 06:31
>>644 それは気のせいです。
私は、“仮定”が所与の条件に摩り替わる危険性を指摘しただけです。
覚えておいて頂けますか?
この段階で方位に誤りが無いと"仮定”されたことを!
そして、検証を経ないまま所与の条件として使われたら
639の言っていたことを思い出して頂きたい。
それだけです。
>>646 さん
どーもおはようございます。
>それは気のせいです。
うーん、私の読解力が足りないのかもしれませんが、
やはり「比定地論議」に若干とらわれているような気が・・・
言い方を変えれば、記載「それ自体」から「先にある解釈」に
話が及んでいる気がします(誤読だったらスイマセン)。
「法師」さんによるご発言の意図を私なりに解釈すれば、
仮に方位記載が実際の地理と矛盾したとしても、
その矛盾自体を含めて「記載」である、と。
記載に対する我々の「現代的な」解釈より先にまず、
記載「それ自体」の検討が必要であることを「法師」さんは
指摘されたのではないでしょうか?
方位記載に「誤り」があるかどうかはさておき、
少なくとも「倭人伝」には「そのように」記載されている。
まずはこの事実から議論を始めるべきではないでしょうか。
「法師」さんの「仮定」論は、記載「それ自体」に対する
検討をおなざりにしがちな議論に対する警鐘と私は
受け取っています。その例として「仮定」の話を持ち出された
のではないでしょうか。
648 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 11:47
>>647 さん
>やはり「比定地論議」に若干とらわれているような気が・・・
トピ名をもう一度読み返して下さい。
>仮に方位記載が実際の地理と矛盾したとしても、
>その矛盾自体を含めて「記載」である、と。
それは史料事実と解釈の区別に敏感な文献史学では当然のことです。そこから先に進まないことを正当化しません。
649 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 11:48
>>647 さん
>記載に対する我々の「現代的な」解釈より先にまず、
>記載「それ自体」の検討が必要であることを「法師」さんは
>指摘されたのではないでしょうか?
記載と考古学上の成果を照合することこそ記載「それ自体」の検討の一つではありませんか。
方位に誤りが無いと"仮定”してその"仮定”を検証しなかったら、記載「それ自体」の検討を放棄しているということでしょう? だから、その"仮定”のもとで適切な比定地が見出せるのかと聞いているのです。
記載のみから比定地を割り出すことも、現実的な比定地を考慮しないことも、他の記載を矛盾が生じないか検討しないことも、記載「それ自体」の検討の放棄にほかなりません。
検証を拒否する「仮定」を寝言といいます。
650 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 11:49
>>647 さん
>「法師」さんの「仮定」論は、記載「それ自体」に対する検討をおなざりにしがちな議論に対する警鐘と私は受け取っています。
正反対ではありませんか?記載「それ自体」に対する検討を「なおざり」にしようという提案と受け取りました。
あなたもこの問題を「なおざり」に「おなざり」たいなら、
「方位記載に「誤り」があるかどうかはさておき」と、「おざなり」に問題を先送りなさって下さい。
ハワイです。 終わり
652 :
木村鷹太郎 :2001/04/25(水) 20:57
初めてここに来たが、初心にかえって倭人伝を一から見直そうという姿勢、 まことに結構である。そもそも、倭人伝をまともに読めば日本国内には永 遠にたどり着かないということは自明のことであり、皆がそれを自覚しつ つも一致点を見いだし得ないという現状は、皆の頭の中に頑迷に巣くった 先入観のなせる業である。これを打破し、この問題を正しい解決に導くた めには、倭人伝を一から見直すということが何より肝要である。 さっそくだが、はじめから行こう。倭人伝の冒頭はこうだ。 倭人は帯方の東南大海中にあり さて、ここで朝鮮半島の地図を広げて欲しい。帯方とはどこか。通説では、 ソウル付近かピョンヤンの南のサリウォン付近とされている。どちらでも いい。そこを起点にして東南に線を引いてみて欲しい。そこに海はあるだ ろうか。答は簡単だ。ない。つまり、倭人伝にいう帯方とはそのどちらで もないのだ。これまでの邪馬台国論争は、帯方と言えば後漢末に公孫氏が 作った帯方郡のことであるとあたり前のように思ってきた。それがそもそ もの間違いなのである。出発点が間違っているのだから、正しい答に行き 着くはずはない。このような簡単な理屈をなぜ今までだれも悟らなかった のか、非常に不思議である。これまでに邪馬台国論争はほとんど無尽蔵と もいうべき論考を産み出してきたが、この極めて当たり前の発見によって 全ては歴史の闇の中に消える運命となったのだ。これまでの論考は全て牽 強付会とでもいうべきものであり、甚だしき無学を表す記念としてのみ残 るであろう。諸君。もう邪馬台国論争は終った。これからは、わしの提唱 する『新史学』の時代である。日本人は太古欧亜の中央を占めていたので あり、現在でいうところの極東に限定した議論がそもそもの間違いなので ある。 では、帯方とはどこか、正しい答を教えよう。帯方の帯とはギリシア語で はケレトであり、これが語源となってケルト人のケルトが生まれた。つま り帯方とはケルトの国を示しているのだ。そして、現在でいうところのベ ネチア付近がまさに帯方なのである。諸君。嘘だと思うなら、地中海の地 図をながめながら魏志倭人伝を読んで欲しい。ベネチアを起点とすれば、 全ての疑問が氷解する。倭人伝に一切の手を加えることなく邪馬台国にた どり着けるのである。 邪馬台国はどこか、エジプトである。
653 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 21:36
あほ
654 :
法師 :2001/04/25(水) 22:06
>>639 どのメッセージがどなたのなのかサッパリ分からないので、ハンド
ル=自称のニックネームを決めておいていただけませんか。
正におっしゃるとおりですね。
九州説なら九州のどこ/畿内説なら畿内のどこという具合に「具体
的などこを比定するか "だけ" 」が先走ってしまって、結果として、
決めつけの応酬にしかならなくなっている…ということでしょう。
特に、こういった1問1答式のボードだと、とかく、「目先の文字
列」に目を奪われて、話が、枝葉のほうへ枝葉のほうへと入り込ん
でしまいやすい…という重大な問題点がありますね。注意しないと
いけないですね。
655 :
法師 :2001/04/25(水) 22:08
畿内にも九州にも、「邪馬台国」の当時に、国家と呼ぶに足りるで あろう勢力が存在したことは、残されている遺物から考えて、肯定 するほうが矛盾がないであろうことは動かないです。 一方、「邪馬台国」よりも何百年か後に、畿内に「ヤマト」という 勢力が存在していて、それが、日本を席巻したことも、肯定するほ うが矛盾がないであろうことは動かないです。 また、「邪馬台国」という表記は、「千何百年も後の外国での発音 (=現代日本での発音)」などお呼びでないから問題外として、当 時の本来の発音(推定)から考えても、「ヤマト」に酷似しており、 「他人の空似」ではないであろうことも確かです。 しかし、だからといって、双方をそのまま短絡させて「邪馬台国= 畿内のヤマトのこと」と断定してもかまわないのか? 何か矛盾は 生じないか? その点を検討するために、まず、元々の記述のどれ(どういった部 分)がどの程度に信頼しうるのかを検討してみようということです。 如何でしょうか?
656 :
法師 :2001/04/25(水) 22:11
>>641 >?さん
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔は等しくないでしょう?
当方は、「等しい」とは申しておりません。お読み返しください。
また、ここで「等しくない」とおっしゃるのは、現代の正確な地図
を見ての上の話ではありませんか?
>壱岐→九州がかなり短くなります。
その点も、現代の正確な地図を見ての上の話ではありませんか?
ただ、重要なポイントとして、「九州のどこ」なのかによって計算
が異なりますね。
自分自身が航海するとしたら、「どこでもいいから最短距離」など
意識しません。「到達することが意味をなす地点」を重点的に意識
します。
魏志の時点での人の意識も似たようなものだとしたら、魏志のいう
「壱岐→九州」の「九州における最初の地点」は、「半島→対馬→
壱岐の各々の間隔とほぼ等しい辺り」と考えることができますね。
※ここんとこの方位が問題なんですよね〜 ジッサイの話。おそら
く、海流の関係とか、渡航に適した季節の風向などを確認すれば、
どっちへ流される確率のほうが高い…とかが判明するんじゃない
かと思いますが…。
>また、対馬自体が南北にかなり長いので、半島→対馬→壱岐は等しいと言うのも
>実は“等しい”はずだという結論から、対馬の中継点を等しくなる位置に設定し
>ているに過ぎないのではないでしょうか?
※繰り返しますが、当方は「等しい」とは申しておりません。
ちょっとご主旨が分かりにくいのですが、「等しいはずだ」と考え
る主体は、当時において実際に航海された方々のことですか?
その意味であるなら、現代的な地図の上で検討するのではなくて、
「当時においてもっとも切実な問題になったであろう外洋の航行距
離」について検討するのが妥当と考えます。
その上で翻って見るなら、「各々の航行間隔に関する記述」は、偶
然以上に事実に合致していると思います。
※現代でも、当時と同じ「航行器具」を使用するなら、基本的に海
流に流されつつ、風任せでしか動けないに等しい状況は、ほとん
ど全く同じですね。現代の黒船では、海流や風は、それほど問題
にしないですが、強い海流や強い風は、強力なエンジンや安定の
良い船体をもってしても、完全には無視できないです。燃費に大
きく響くし、危ないですから。
657 :
日本@名無史さん :2001/04/25(水) 22:54
>>656 >「等しいはずだ」と考える主体は、当時において実際に航海された方々のことですか?
いいえ。あなたのことです。
対馬の基点が佐須奈でも府中でも、半島→対馬→壱岐は「ほぼ」等しくなりません。
逆に、半島→対馬→壱岐は「ほぼ」等しくなる地点を対馬の中から選んでいるだけではありませんか?
つまり「半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいというのは、単なる偶然以上」ではなくて
あなたがほぼ等しい位置を選んでいるだけにすぎないということです。
658 :
早蝿=657 :2001/04/25(水) 23:08
>>655 だから各論で、まず方位が信頼するに足らないと申し上げているわけです。
659 :
早蝿 :2001/04/25(水) 23:18
>>645 具体的な比定地を明確にしなければ地に足の付いた論議にならないし
検証を経ない「仮定」が一人歩きするばかりではありませんか。
660 :
法師 :2001/04/25(水) 23:41
>>657 >早縄さん
>対馬の基点が佐須奈でも府中でも、半島→対馬→壱岐は「ほぼ」
>等しくなりません。
そうおっしゃるのは、現代の正確な地図を見ながらの話ではない
かと思いますが。
>逆に、半島→対馬→壱岐は「ほぼ」等しくなる地点を対馬の中から
>選んでいるだけではありませんか?
各々の間の「航行距離」であれば、「著しく違う」と表現するの
が妥当なほど隔絶してはいないと思いますが。
>つまり「半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいというのは、
>単なる偶然以上」ではなくて あなたがほぼ等しい位置を選んでい
>るだけにすぎないということです。
そうすると、仮に当時の航海者が実際に航行したならば、どのよ
うな記述になったとお考えですか?
661 :
法師 :2001/04/25(水) 23:46
>>658 >早縄さん
すいません。「各論で」とおっしゃるのは、どちらのスレッドのど
のメッセージのことでしょうか? 早縄さんのご発言がどれなのか、
全く分からないのですが。
ついでながら、当方の発言はこのハンドルのものだけです。
662 :
通りすがり :2001/04/25(水) 23:49
どーもこんばんは。
>>648 -
>>649 -
>>650 -
>>651 さん
レスありがとうございます。
私と
>>648 (省略)さんの議論には、問題としている論証過程に
段階差があるようですね。
私は「仮定」を定立するまでの論証過程を問題とし、
>>648 さんは「仮定」
定立後の論証過程を問題にしているように感じますが、いかかですか?
この差が議論をかみ合わせてないように思えます。
ただ、
>>648 さんのご主旨は結論的には私も同意します。
>それは史料事実と解釈の区別に敏感な文献史学では当然のことです。そこか
>ら先に進まないことを正当化しません。
上記のご発言がこのスレッドでの議論の前提条件となることを
願ってやみません。
もっとも、考古学では「史料事実と解釈の区別」が若干渾然となる
傾向はありますが・・・・
>ハワイです。
異国からどうも。
なんとなく個人が特定できそうですね(笑)
それはともかく。
これからもよろしくお願いします。
お時間がありましたら、議論にもご参加ください。
663 :
法師 :2001/04/25(水) 23:52
>>658 あれ? すいません、ひょっとして「日本@名無史」
がハンドルだったわけですか。それならどうも失礼を。
ただ、「各論で」は、まだどのメッセージか分から
ないです。。。
664 :
通りすがり :2001/04/26(木) 00:01
>法師さん >早縄さん お二人の議論を傍観する限り、 法師さんは「記載」を基に、早縄さんは「現代の地図(あるいは想定される 「比定地」)を基に方位を議論されているように感じます。 私個人としては、それぞれの主張が別次元に属している以上、 なかなか建設的な方向には進むようには思えません。 まずは面倒とは思いますが、論拠とする具体的な記載をそれぞれ 明示して、議論を勧められてはいかがでしょうか? ご一考をお願いします。
665 :
法師 :2001/04/26(木) 00:03
>>659 >早縄さん
>具体的な比定地を明確にしなければ地に足の付いた論議にならないし
>検証を経ない「仮定」が一人歩きするばかりではありませんか。
逆に、「具体的な比定地が先にあって、倭人伝の記述をその都合
に合わせて読み替える」という弊害が生じていると思います。
当方の主張の眼目は、倭人伝の記述の内で、どれがどこまで信頼
できるか確認しながら、たどってみたらどうなるか?ということ
です。何も新しい試みなんかではないわけですが。
>法師さん 「日本@名無史」は掲示板のデフォルト・ハンドルです。 名前欄が空白な場合、適用されます。 たしかに、レスごとの発言が区別しにくいですね。
667 :
日本@名無史さん :2001/04/26(木) 00:14
マキムク石塚の被葬者は紀記に出ている人ですか?
>>667 さん
わかりません。
纒向石塚の年代観自体が論議となってますから。
669 :
通りすがり :2001/04/26(木) 00:24
>>655 =法師さん
>逆に、「具体的な比定地が先にあって、倭人伝の記述をその都合
>に合わせて読み替える」という弊害が生じていると思います。
このスレッド全体を概観する限り、ご発言にある「弊害」は
否めませんね。
>当方の主張の眼目は、倭人伝の記述の内で、どれがどこまで信頼
>できるか確認しながら、たどってみたらどうなるか?ということです。
私個人としては、上記の問題提起に基づいた議論を期待しています。
早縄さんとの「議論」に目処が付き次第、進展させたい問題提起
ですね。
670 :
法師 :2001/04/26(木) 00:47
>>666 >通りすがりさん
あ そうでしたか。
気軽に書き込めるというメリットはあるにしても、
とにもかくにも分かりにくいですね。。。
671 :
法師 :2001/04/26(木) 00:56
>>644 >通りすがりさん
当時と現在で、世界地図レベルでの位置関係が大きく
違っているということはないはずなので、当方も、現
代の地図はもちろん見ていますが、現代の正確な地図
など存在しなかった当時の事情を探るのに、現代の地
図にとらわれすぎるべきではないと思います。
あれ? 「論拠とする具体的な記載」とは、原文につ
いて逐条的に検討するという話ですか? あれれ?
672 :
ニップスж :2001/04/26(木) 00:59
(`Σ´)アーマーギィ ○→○→○→●→○→○→………… ニッショク
673 :
日本@名無史さん :2001/04/26(木) 01:00
マキムクの5つの古墳と箸墓の被葬者は関係があると思います。 このあたりからマキムクの小古墳の被葬者を推定している 文献ってどこかにないですかね?
674 :
通りすがり :2001/04/26(木) 01:19
>>671 =法師さん
レスどーも。
私が
>>669 で申し上げた趣旨は、朝鮮半島・対馬・壱岐・九州島の
位置関係を議論する場合、ある程度、原文記載のどの箇所を参照
しているかを明示した方がよいかな、というものでした。
ただ逐条的な検討は、議論を些末な方向に誘導することが(容易に)
予想されるので、2chの性格上避けるべきなのでしょうが・・・・
>>673 さん
纒向石塚などの「古墳」と箸墓古墳の被葬者間に
「なんらかの」関係があったことは否定しませんが、
具体的な被葬者像となるとちょっと・・・・
たしか、近藤義郎さんが箸墓古墳などの「盟主墳」と
その他の中小古墳の被葬者間の関係を職掌組織として
解釈した文献があった気がしますが、手元にないので
わかりません。(纒向古墳群に関する解釈じゃなかったかな? あれ?)
纒向地域での各「古墳」に関する年代観がはっきりしない以上、
なんともコメントのしようがない問題であることは確かです。
675 :
673 :2001/04/26(木) 01:36
素人意見ですみません。自分的には卑弥呼=箸墓、纒向=邪馬台国 でイメージも固まっているんですが、その前の楯築とか石塚とか 石背尾あたりの倭国大乱のメインキャスト達に一番興味があります。まあ勝手に妄想しているだけなんですけど、近藤義郎さんの 本ですね探してみます。あの人はたしか岡山の方でしたっけ? 箸墓をゲリラ発掘して逮捕されたら懲役何年くらいですかね? 俺がやってみてもいいですよ。
>>675 さん
>箸墓をゲリラ発掘して逮捕されたら懲役何年くらいですかね?
>俺がやってみてもいいですよ。
それだけはご勘弁を・・・・・
踏査ぐらいなら、夕方が狙い目です(←オイ!)。
ただし、くれぐれも「掘らない」ように!!!!
遺跡保存からすれば、掘らないのが一番です。
なお私は犯罪行為を助長しようとする意図は
全くございません。念のため。
677 :
日本@名無史さん :2001/04/26(木) 18:21
>>655 >畿内にも九州にも、「邪馬台国」の当時に、国家と呼ぶに足りるで
>あろう勢力が存在したことは、残されている遺物から考えて、肯定
>するほうが矛盾がないであろうことは動かないです。
九州にあったはずの国家と呼ぶにたる勢力って具体的にどこ?
オレが思うに、残された遺物から考えるなら、福岡〜前原という玄海灘沿岸しかないのだが。
678 :
名無しさん脚 :2001/04/26(木) 18:31
それは奴国と伊都国だろ
679 :
日本@名無史さん :2001/04/26(木) 19:38
だとしたら、他にはどこ?ってことなんだが。 玄海灘沿岸以外の九州に『国家と呼ぶに足りるであろう勢力が存在した』のなら、 日本中、ほとんどいたるところ、『国家と呼ぶに足りるであろう勢力が存在』するんじゃないの? で、オレはどういうつもりで書いたのか法師殿の考えが聞きたい。
>>679 さん
どーも。横レスお許しください。
たしかに法師さん(
>>655 )による下記のご発言は
私も?をつけてました。
>畿内にも九州にも、「邪馬台国」の当時に、国家と呼ぶに足りるで
>あろう勢力が存在したことは、残されている遺物から考えて、肯定
>するほうが矛盾がないであろうことは動かないです。
ちょっとご発言が不用意だった気がしますね >法師さん
「国家と呼ぶに足りるであろう勢力」についてのご説明が
欲しいところです。考古学的には非常に微妙な問題なので・・・
かりに、「都市的」特徴を有する遺跡を検討材料にいれるならば、
大和地方および玄界灘沿岸地域の北部九州地方がその候補に
挙がりますが、「国家」そのものの概念規定を「法師」さんから
伺わない限りなんともいえませんね。
>>679 さんによる下記の疑問。
>玄海灘沿岸以外の九州に『国家と呼ぶに足りるであろう勢力が
>存在した』のなら、 日本中、ほとんどいたるところ、『国家と呼ぶに
>足りるであろう勢力が存在』するんじゃないの?
正当な疑問と私も思います。
それではー。
681 :
法師 :2001/04/26(木) 23:05
>>679 おっと、お手数を。現代の意味ではなくて、「百余国」のレベルで
す。
>玄海灘沿岸以外の九州に『国家と呼ぶに足りるであろう勢力が存在
>した』のなら、日本中、ほとんどいたるところ、『国家と呼ぶに足
>りるであろう勢力が存在』するんじゃないの?
結果として正にそうであったと思います。当時の日本でいう国は、
基本的には、そんなもんだと思います。
682 :
日本@名無史さん :2001/04/26(木) 23:09
う〜ん。だとすると >肯定するほうが矛盾がないであろうことは動かないです。 が?マーク。全然意味が通りません。矛盾がないとはどういう意味ですか。
683 :
通りすがり :2001/04/26(木) 23:11
>法師さん(
>>681 )
>現代の意味ではなくて、「百余国」のレベルです。
すいません。まだちょっと分かりにくいです・・
現代的な意味での国家ではないは確かですが、
「百余国」のレベルとおっしゃる意味についてもう少し
ご説明願えますか?
むろん、「倭人伝」記載者の念頭にある「国」なのでしょうけど・・
私が疑問に感じる点は、
>残されている遺物から考えて
という
>>655 のご発言です。
あくまで、「倭人伝」に記載された「国」というご意図であるなら、
ここであえて考古資料を引き合いに出す必要はないと考えますが
いかかでしょうか?
685 :
法師 :2001/04/26(木) 23:34
>>683 重ね重ねすいません。「国家」というより「集落に毛が
生えた」ようなもの…というくらいの趣旨です。
686 :
法師 :2001/04/26(木) 23:48
>>684 >通りすがりさん
説明不足ですいません。
邪馬台国が具体的にどこに存在したのか?は取りあえず棚上げにし
ての話です。で、邪馬台国が存在したとされる時代とその前後に、
各地に存在した遺物から考えるなら、当時の概念において国家と呼
ぶに足りるであろう勢力は、畿内のみならず、九州にも存在したと
考えてかまわないだろう…ということです。
>法師さん(
>>686 )
確認です。
「当時の概念」とは「倭人伝」記載者を主体として考えて
よろしいですね?
>法師さん(
>>686 )
確認です。
「当時の概念」とは「倭人伝」記載者を主体として考えて
よろしいですね?
すいません。 重複投稿でした。
690 :
通りすがり :2001/04/27(金) 00:12
倭のクニグニの社会構造に関する記載について、 個人的に興味がわく問題でもあるので、「大人・下戸」記載などと 併せて、今後の検討材料のひとつとして取り上げたいですね。 文献史的な解釈からのご発言をお待ちしています。
691 :
日本@名無史さん :2001/04/27(金) 01:39
集落と国家に厳密な線引きは可能か否か。 あるいは、是か否かにかかわらずその線引きはどのようなものであるべきか。 集落に毛がはえたようなものが国家でもいいだろうが、その場合の毛とはなんぞ。 曖昧なイメージだけで集落にすぎないの国家があったのといってもしょうがないだろう。
>>691 横レスで失礼します。
>集落と国家に厳密な線引きは可能か否か。
>あるいは、是か否かにかかわらずその線引きは
>どのようなものであるべきか。
考古学、人類学、歴史学(文献史学)その他様々な分野からの
概念規定が必要でしょうね。深化させていきたい問題です。
ちなみに私からのこの問題に関するコメント(考古学)は、
>>133 (「国家」概念に関する考古学の問題点について言及)
>>184 (都出比呂志さんによる「国家」概念の考古学的解釈を紹介)
上記のレスをご参照ください。
ただ、法師さんがおっしゃるところの「国家」とは、
あくまで史料に記載された語としての「国」であり、
概念規定とは少々別次元の問題でしょうか。
(
>>692 からの続き)
しかし、その一方で法師さんは
>各地に存在した遺物から考えるなら、当時の概念において国家と呼
>ぶに足りるであろう勢力は、畿内のみならず、九州にも存在したと
>考えてかまわないだろう…
とおっしゃっている以上、考古資料を念頭に「国家」を語っている
感もあります。文献記載の「国」と「国家」概念規定が若干混同されて
いるかな、と思います。このあたり、
>>691 さんが疑問をお感じになる
余地はありますね。
ひとまず、問題の切り分けが必要でしょう。
694 :
法師 :2001/04/27(金) 19:10
どわっとっとお! 早縄さん→早蝿さん 「早蝿」さん、ハンドルを間違えて、どうも失礼を。
695 :
法師 :2001/04/27(金) 19:11
>>687 >通りすがりさん
>「当時の概念」とは「倭人伝」記載者を主体として考えて
>よろしいですね?
その点に関しては、オリジナルは、陳寿先生ではなくて、記述の
本元となった報告者を想定しますが、文責者である陳寿先生も、
何らかの理由で訂正の余地があったなら、自ら書き直しているは
ずですから、結果として、認識は同じ…ということになると思い
ます。
696 :
法師 :2001/04/27(金) 19:11
>>690 >通りすがりさん
「大人・下戸」
とりあえず・・・・
「大人」:これは「身分が高い」で、特に異論はないと思います。
「戸」:必ずしも「家(1家族)」という意味ではなくて、「個々
の人間の1人1人」という可能性もあります。
「戸数が何千何万」というのは、「人口が何千何万」という可能性
もあるということです。
697 :
法師 :2001/04/27(金) 19:12
>>691 >?さん
>集落と国家に厳密な線引きは可能か否か。
>あるいは、是か否かにかかわらずその線引きはどのようなものであるべきか。
そうですね。一つの決め手ともいうべき重大な問題ですね。
>集落に毛がはえたようなものが国家でもいいだろうが、その場合の毛とはなんぞ。
>曖昧なイメージだけで集落にすぎないの国家があったのといってもしょうがないだろう。
はい、そうですね。当方が何を主張したいのか、薄々はお分かり
かもしれないですが、話が飛びすぎるので、取りあえず保留とさ
せていただきます。
698 :
法師 :2001/04/27(金) 19:12
>>693 >通りすがりさん
…といったわけで、ちょっと保留とさせていただきます。悪しからず。
699 :
日本@名無史さん :2001/04/27(金) 19:29
>「戸」:必ずしも「家(1家族)」という意味ではなくて、「個々 >の人間の1人1人」という可能性もあります。 >「戸数が何千何万」というのは、「人口が何千何万」という可能性 もあるということです。 ハァ? そんな解釈どっから出てくるんだ?
700 :
法師 :2001/04/27(金) 23:47
>>699 >?さん
倭人伝て何語で書いてあるか分かりますか?
701 :
早蝿 :2001/04/27(金) 23:53
古代中国語でしょ? 「戸数が何千何万」というのは、「人口が何千何万」という可能性 もあるという根拠はなんですか?
702 :
通りすがり :2001/04/28(土) 00:26
あのー皆さん。 「感情的な発言の応酬」は控えましょう。 この場で法師さんを「つるし上げる」ことが、議論成果に 何か寄与するのですか? 違うでしょう? せっかく、このスレで議論が建設的な方向に向かおうと しているのです。場の空気を読みましょう。 「厨房」扱いは嫌でしょう?
703 :
日本@名無史さん :2001/04/28(土) 00:33
ハァ? それじゃこのスレは厨房法師さんをやさしく育てるスレなんですか? おかしなことを言ってる奴に「それはおかしい」って言って何が悪い? そんなナイーブな奴は2ちゃんねるに来ないで、 ニフティーの歴史フォーラムにでもいって「いいこ、いいこ」してもらってろ。 氏ね! ヴァカ!
704 :
早蝿 :2001/04/28(土) 00:41
「つるし上げる」? なにを言ってるんですか? 自分の言ったことの根拠を聞かれてるだけでしょう? さっさと答えればいいだけの話じゃないですか? ひょっとして一番場の空気がわかっていないのはあなたじゃないですか?
705 :
法師 :2001/04/28(土) 00:44
>>701 >早蝿さん
中国語の辞典を見てみてください。
706 :
早蝿 :2001/04/28(土) 00:47
建設的って何ですか? 問題点を棚上げ棚上げで避けて通ることですか? 私ゃヴァカって言うのは嫌いだが、内容の無い慇懃無礼も嫌いです。
707 :
法師 :2001/04/28(土) 00:48
>>703 >?さん
>それじゃこのスレは厨房法師さんをやさしく育てるスレなんですか?
そうです。
なんてね。
>おかしなことを言ってる奴に「それはおかしい」って言って何が悪い?
え? 「おかしなことを言ってる奴」ってワシのことですか?
だとすると、「それはおかしい」とは、どのご発言のことです
か?
708 :
早蝿 :2001/04/28(土) 00:52
辞書がどうこうのレベルじゃありません。 戸数いくら、人口いくらと書くのが史書の通例なんだから ここだけ戸数=人口という使い方はおかしいでしょう?
709 :
日本@名無史さん :2001/04/28(土) 00:53
さあ。「通りすがり」っていうふざけたハンドルの土掘り陰性にでも聞いてみれば?
710 :
法師 :2001/04/28(土) 00:54
>>706 >早蝿さん
>問題点を棚上げ棚上げで避けて通ることですか?
え? 「問題点を棚上げ棚上げ」とは、どの問題のことですか?
>私ゃヴァカって言うのは嫌いだが・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ、そういった方もいらっしゃいますね、世の中。
>・・・・・・・・・・・・・・・・内容の無い慇懃無礼も嫌いです。
そうですね。全く仰るとおりです。
709だが。 709のカキコは707へのレスじゃい。念のため。
あーーーーもう!!
以下に「厨房」の条件を示します。
ご発言に際し、ご参考くださいませ。
1.論拠を示さず、結論を連呼する
2.揚げ足取りが大好き!
3.被害妄想が強く、自身の発言に対するレスに対して
過剰に反応する傾向がある。
極力、「厨房」へのレスは避けましょう。
つまり、「厨房」は放置ということです。
議論に成果をもたらすことはありません。
>早蠅さん
ちなみに、私は早蠅さんを「厨房」とは全く思ってはいませんよ。
むしろ、ややかみ合わなかったとはいえ、早縄さんと
法師さんの議論を興味深く拝見しておりました。
どちらかというと、
>>699 や
>>703 のレスを念頭に「厨房」を
定義しました。
これからゴールデン・ウィークに入り、真性厨房の増加が
予想されます。皆様じゅうぶんにご注意くださいますよう
お願い申し上げます。
713 :
早蝿 :2001/04/28(土) 01:02
じゃ、漢和辞典を引きましょう。 いま手元に諸橋大漢和ほか4種類ありますから確認します。 あなたの何という辞書になんと書いてあり、どんな用例が載っていますか? 二万戸と書いてあったら人口二万人と解釈できるのだと言う根拠になる記述があったら 具体的に書いてください。
ヲイヲイ。 その定義ならまさしく法師が厨房やんけ。 通りすがりは慇懃無礼に法師をからかって(遠回しに馬鹿にして)遊んでるわけか? さすが学界の底辺で経験つんでるだけあって厨房より邪悪だな。学内政治の練習か?
>早蠅さん(
>>713 )
なるべく法師さんへの揚げ足取りにならない方向での
議論を希望します。
それはさておき・・・
たしかに私も戸数記載に関する法師さんの解釈に
対して、コメントを法師さん自身からお聞きしたい一人です。
ただ、訓古学的な説明もさることながら、
戸数記載全般について、
>まず、元々の記述のどれ(どういった部分)がどの程度に
>信頼しうるのかを検討してみようということです。
>如何でしょうか?
上記の法師さんの問題提起(
>>655 )を踏まえた議論が
望ましいとも考えています。
#以前、中国史専門の研究者から、
#具体的な数値記載は疑ったほうがよいと聴きました。
#なんでも、古代中国の文献には、「数」に対する
#マジカルな意味合いが強い「らしい」ですね。
716 :
早蝿 :2001/04/28(土) 01:25
正直言って、わたしはそういう情報源を明らかにしない におわす言い方が大嫌いです。
>>714 さん
あまり厨房の相手はしたくないですが、
法師さんの名誉にかかわることですから少しだけ。
>通りすがりは慇懃無礼に法師をからかって
>(遠回しに馬鹿にして)遊んでるわけか?
私のレスをお読みになれば分かりますね?
まずは日本語の読解力をつけましょう。
誠に遺憾ながら、今後私はあなたを「放置」することに
決定しました。いやあ、本当に残念ですね(w
あっ、それから厨房の条件を追加します。
4.日本語能力が「著しく」欠如する
5.粘着(たぶん被害妄想が強いのでしょう。可哀想に)
基本的に、厨房は「可哀想な」存在です。
先天的あるいは後天的な理由で「頭が若干不自由な」人たちです。
なま暖かい眼差しで、彼らを見守ってやりましょう。
それが厨房を社会復帰させる一番の方法です。
718 :
早蝿 :2001/04/28(土) 01:31
いいですか。 私は一貫して「検証しろ」「突合せよ」「根拠を明白にせよ」という趣旨のことを 言っているつもりです。 史料は証言と同じですから、裏を取るのが文献批判でしょう? それを、なぜ棚上げしようとしたり、言い渋ったりするのでしょうか?
>早縄さん(
>>716 )
>正直言って、わたしはそういう情報源を明らかにしない
>におわす言い方が大嫌いです。
うーん、そうかもしれませんね。
ちょっと法師さんに「アンフェア」な部分もあると私も思います。
いくら匿名掲示板とはいえ、いやむしろ匿名掲示板だからこそ
自身に対する説明責任は重く発言者にのしかかってくるのでは
ないでしょうか・・・
法師さんとの議論が建設的になりうるだけに残念です。
私は法師さんとの議論を大変楽しみしている一人ですので、
あえて苦言を呈しました。
というわけで、
法師さん、カムバック!!!!
720 :
日本@名無史さん :2001/04/28(土) 01:36
>以前、中国史専門の研究者から、 具体的な数値記載は疑ったほうがよいと聴きました。 >なんでも、古代中国の文献には、「数」に対する マジカルな意味合いが強い「らしい」ですね。 通りすがりよ。テメエふざけたことぬかしてんじゃねーぞコラ。 正史の地理志にそれこそ1の位まで詳細に郡ごとの戸数と口数が載ってるが あれは「マジカルな意味合いが強い」らしいのか? 「疑ったほうがよい」のか? そんなこと逝ってる「中国史専門の研究者」ってどこの誰なんだ? ついでにいうと魏志倭人伝に載ってるのは 「具体的な数値記載」じゃなくて千単位、万単位の概数だから、 こちらは信ずるに足るってことか? それとも尚更信じられないってことか? それがほんとなら、学界における古代中国史の多岐にわたる研究成果は ほとんど壊滅だろう。バカバカしくて相手にならん。 おまえほんとに学界の底辺にぶらさがってる奴か? アマチュアのオタクなんだろ?
721 :
早蝿 :2001/04/28(土) 01:38
とはいえ。もう皆な睡眠の時間です。 今はすぐ返事が無くともアンフェアとは思いません。
722 :
早蝿 :2001/04/28(土) 01:43
じゃ、私も今夜はこれで。
>>720 さん
言葉は汚いですが、もっともな疑問なのでご返答します。
「数」に対する思想ついては、『元朝秘史』についての
コメントとしてその方からお聞きしました。
#飲み会の席だったので、その方のお名前は失念しました。
#ゴメンナサイ。
どちらかというと、私自身が皆さんにお聞きしたいですね。
とくに、法師さん、早蠅さんいかがですか?
>おまえほんとに学界の底辺にぶらさがってる奴か?
>アマチュアのオタクなんだろ?
16才の女子高校生です&hearts;
ただ、
>>720 さん
あなたは「文献批判」という語の意味をもう少し正確に
ご理解なさったほうが良いですよ。老婆心ながら。
それでは私も今夜はこれで。
>>720 まったくもう。厨房の通りすがりをかまうな。無視しろ、無視。
目にするのはウザイが、毒にも薬にもならん。
>>725 通りすがりのどこが厨房なの?
まずは自分の姿を鏡で見たら?
>>726 おおかた、
>>725 は通りすがりに論破された奴の
泣き言だろ。負け犬の遠吠えってやつだな(w
法師さんも厨房に惑わされず、これからも 書き込み下さいね。
729 :
早蝿 :2001/04/28(土) 09:27
結局、数字でもなんでも 「書いてあるとおり正しいに決まってる」じゃダーメ! 「オレの説に都合悪いし、イイカゲンに決まってる」でもダーメ! 同じ史料の中で整合性があるか? ほかの史料でどう言っているか? 考古学や人類学のほうの成果と合うか? という具合に他の情報と突合せないでいたら 循環論法の中で川の流れの淀みのように腐っていくだけよ。
730 :
日本@名無史さん :2001/04/29(日) 12:03
731 :
通りすがり :2001/04/29(日) 13:07
>>730 さん
どーも。
リンクのWebサイトについて一通り目を通しました。
問題が多岐にわたるようなので、
>>730 さんがリンク中で
疑問に思われる箇所を挙げてくださいますか?
あるいは、スレで取り上げて欲しい箇所でも結構です。
#ちょっと長い文章が掲載されているので・・・・・
よろしくお願いします。
>>731 のレスだけでは失礼なので、
せっかくネタ振りをいただいたからには、私の感想めいたものを。
結果的に、批判的な内容になってしまいましたが、お許しください。
<感想>
著者さんの知識量はすごいですね!「倭人伝」の現代語訳
も掲載されており、著者さんの研究熱心さがこちらにも伝わって
くるようです。
ただ、文章全体にいえることですが、「倭人伝」記載に対して
十分な史料批判または読解を経ずして、著者さんの解釈が
先行している傾向が強いように思えます。とくに「倭人伝」記載の地名
を具体的に比定する箇所や、「倭人伝」以外の文献を援用する
箇所に関してその傾向があるように思えます。。
「倭人伝」の成立過程について、著者さんがかなり勉強されている
だけに残念に思いました。
さらに、考古資料の解釈に関してですが、基礎的情報の
誤認識がやや多い気がします。考古資料など、文献以外の
資料を援用するときには、充分に情報を収集した上で、なおかつ
慎重な態度で望むべきでしょう。
<展望>
著者さんは「倭人伝」の現代語訳を掲載するなど、「邪馬台国
論争」に関して非常に勉強されています。関連知識も豊富に備えて
らっしゃるようで、私としても頭が下がる思いです。
ただ、感想で述べましたが、著者さんの解釈が先行する傾向に
あり、第三者の私には理解しにくい箇所もあります。
著者さんの今後の課題としては、ご自身の解釈・結論に至るまでの
論証過程を熟成させることでしょう。
なんか論文指導みたいですね。
偉そうに書いてスイマセン。
長文・乱文失礼しました。
733 :
早蝿 :2001/04/29(日) 14:58
>考古資料の解釈に関してですが、基礎的情報の誤認識がやや多い気がします。 「気がします」ではいけないと思います。具体的に例示しないと。
734 :
730 :2001/04/29(日) 16:54
私も感想程度しか申せませんが、 考古学側からの視点を もう少し増やしてほしいと思いますね。
735 :
早蝿 :2001/04/29(日) 17:20
感想は感想でよいのですが、いかに具体的な情報を提供してやれるかが 優しさだと思うのです。 わからなければ、わからないなりに、どこが疑問なのか どの箇所のどういう記述に疑義があるか、論理の飛躍を感じるかを言うべきだし きちんと引用して箇所を明示して誤解の無いように配慮して 具体的に言うのが礼儀であり、真摯な態度だと思います。 具体的なことを言うと、ズバズバ言ってキツいように思うかも知れませんが 遠まわしな言い方は実は逆に言われた者の信用をじわじわ堕としますし 言われた本人も不快なものです。
736 :
法師 :2001/04/29(日) 20:48
>>708 >早蝿さん
>戸数いくら、人口いくらと書くのが史書の通例なんだから
>ここだけ戸数=人口という使い方はおかしいでしょう?
そうですね。截然たるご説明、有り難うございます。
そうすると、なぜ、戸と家が混在しているのか、理由が分かりに
くくなりますが、邪馬台国の位置を探るという肝心のポイントに
重大な影響が及ぶことはなさそうなので、取りあえず取り下げと
します。
737 :
法師 :2001/04/29(日) 20:49
>>718 >早蝿さん
>それを、なぜ棚上げしようとしたり、言い渋ったりするのでしょうか?
そうですか。では、話を戻します。
>>658 :早蝿さん
>だから各論で、まず方位が信頼するに足らないと申し上げているわけです。
くり返しになります。方位の記述は、いうまでもなく重要なポイ
ントですが、ご主張の具体的な内容が全く分かりません。「各論」
とは、どのスレッドのどのメッセージのことですか?
738 :
早蝿 :2001/04/29(日) 22:32
「戸数が何千何万」というのは、「人口が何千何万」という可能性 もあるという主張を
根拠も示さず、撤回もしないで、「取りあえず取り下げ」というのが
私の指摘している「棚上げ」なのです。
>>633 のひとの
末盧国=唐津、伊都国=前原
唐津→前原は北東方向
という主張を支持して
>>637 で他の方に反論したのが私です。
これらを定点として考えて史料批判に資すべきと考えます。
739 :
法師 :2001/04/30(月) 00:04
夜遅くスイマセン。
>早蠅さん(
>>735 )
>>734 =730さん
レスありがとうございます。
それでは、おもに考古学からの視点で具体的な指摘を
行いましょう。
多少、キツイ批判も含まれることをご了承ください。
1.「狗邪韓国」について
・「7.『魏志韓伝』を読んで」『『魏志倭人伝』解読・高坂説』
http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/Rekishi/earlyjapan/Yamatai/gi-read.html#Anchor解読7 >つまり朝鮮半島南部に倭の一部があったということだ。
>『倭人伝』の中からこれに相当するのは狗邪韓国だけである。
>従って、狗邪韓国が唯一半島南部における倭国の領土であった
>ことがわかる。
「倭人伝」にはは、帯方郡〜狗邪韓国と対馬国〜の記載内容の
関して、明確な相違が存在します。具体的には、対馬国以後の
は風土、社会組織などについて詳細に記載されており、なにより
狗邪韓国には「韓国」の語が含まれることは見逃してはならないでしょう。
著者は、狗邪韓国の記載に関して、
>南は倭と接していることがわかる。
>海を以て限りと為していないのだ。
と述べていますが、「倭人伝」のいずれの箇所を読解すれば
上記の解釈につながるか理解に苦しむところです。
(続く)
なお、「倭人伝」の読解に際しては下記の文献を 参考にしています。 石原道博編 1985 『新訂 魏志倭人伝 他三編』 -中国正史日本伝(1)- 岩波文庫 岩波書店 東京
(続き)
2.北部九州の墓制に関して
「北部九州から大和へ」『結論!邪馬臺國』
http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/Rekishi/earlyjapan/Yamatai/yamatai.html >考古学の成果から、当時の北部九州にある特徴が見られます。
>伊都国周辺域には銅矛を副葬する甕棺墓が見られるのに対し、
>それ以外の地域では相変わらず箱式石棺墓です。
当該時期(AD3世紀中葉〜後葉)の銅矛(広形銅矛)は
埋葬施設には基本的に副葬されてはおりません。
また、広形銅矛などの大型青銅器は集落域の縁辺部から
出土する傾向にあります。
さらに、甕棺墓制自体が当該時期には衰退する傾向が
強いです
3.遺跡の帰属年代に関して
「伊都国の立場」『結論!邪馬臺國』
ttp://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/Rekishi/earlyjapan/Yamatai/yamatai.html >伊都国の遺跡に比定されている三雲遺跡の豪華さ、
>幅広さは2世紀の列島随一と言われています。
引用で参照されている三雲遺跡(おそらく三雲南小路1、2号墓)は
副葬品の検討から、帰属年代が弥生時代中期後半に位置づけ
ることができます。実年代については、研究者ごとに意見が分かれる
点ではありますが、すくなくともAD2世紀よりは確実に遡るでしょう。
著者は、
>この伊都国が諸般の理由により列島の宗主国を
>遠く離れた大和の地に成立させました。
と述べていることから、「伊都国」の首長墓を「列島随一」と
解釈したいようですが、三雲南小路遺跡とならんで副葬品の
「豪華さ」が目立つ須玖岡本D地点墓の帰属年代は、
三雲南小路遺跡と同じ弥生時代中期後半であることを
認識すべきでしょう。
また、「奴国」の中心的遺跡である比恵・那珂遺跡は
弥生時代中期後半〜後期末葉にかけて、北部九州地方で
最大級の規模であることが確認されており、
この点も留意すべき点と考えます。
(続く)
以上、考古資料の援用を中心に雑感めいた指摘を行いました。 考古資料の援用に関する問題も含め、、リンク元の「論文」に ついてもっとも大きな問題は、資料操作の点にあると考えます。 リンク元には著者の解釈を援用する際に、頻繁に『記紀』が 参照されてますが、「倭人伝」と『記紀』は成立年代や編纂意図など、 コンテクストが全く異なる資料であることを当然認識すべきでしょう。 リンク元を読む限り、「倭人伝」に対し充分な検討を踏まえる前に、 『記紀』などのその他の資料を援用する傾向が極めて強いことを 看取できます。 さらに、「国家」、「領土」、「宗主国」などの概念規定が不十分であり、 それぞれの語が現代的解釈に沿って「一人歩き」している感が強い ことも大きな問題です。「倭人伝」はあくまで、陳寿を中心に「古代 中国王朝」により編纂された史料であることを認識すべきであり、 そのコンテクストを踏まえた上での資料検討が強く望まれるところです。 極めて厳しい評価になりましたが、以上が私の雑感です。 長文・乱文失礼しました。
>法師さん
>早縄さん
お二人の議論を今一度整理されてはいかがでしょうか。
ひとまず、方位記載に関してならば、今一度それぞれご主張を
簡潔に提示していただけると第三者的にありがたいです。
>法師さん(
>>736 )
>邪馬台国の位置を探るという肝心のポイントに
>重大な影響が及ぶことはなさそうなので、
>取りあえず取り下げと します。
たしかにスレッド名は「邪馬台国はどこですか」ですが、
位置比定以外の問題について、そのたびにスレッドを
立てると煩雑になってしまいます。
ですので、このスレッドは「倭人伝」に関する諸問題を
扱う場として考えてもよいと私は考えます。
745 :
早蝿 :2001/04/30(月) 06:47
>>744 >著者は、狗邪韓国の記載に関して、
>> 南は倭と接していることがわかる。
>> 海を以て限りと為していないのだ。
>と述べていますが、「倭人伝」のいずれの箇所を読解すれば
>上記の解釈につながるか理解に苦しむところです。
これは倭人伝ではなく、魏志韓伝の
>韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接
による解釈です。
また、弥生遺跡については、安本美典氏などが弥生終末期を4世紀とするような年代観を一般向けに積極的に流しているような事情もあり、100年くらい狂いのある絶対年代が流布しているようです。これは、考古学をよくご存知の方がネット上で慎重すぎることの弊害とも言えるでしょう。
746 :
通りすがり :2001/04/30(月) 06:56
>早縄さん(
>>745 )
早速のレスどーも。
>これは倭人伝ではなく、魏志韓伝の
>>韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接
>による解釈です。
なるほどそうでしたか。
狗邪韓国が「倭国の領土」とする文に関して、
早蠅さんご自身のご意見を伺ってもよろしいですか?
>これは、考古学をよくご存知の方がネット上で慎重すぎる
>ことの弊害とも言えるでしょう。
おっしゃるとおりかもしれません。
考古学の研究者による社会に対する情報還元は
私自身のなかでも大きなテーマとなっています。
Web媒体を含め、考古学に従事するもの全てが真剣に
考えなければならない問題でしょうね。
#じつはご指摘の問題について、私自身、論文を予定して
#いるのです。
747 :
早蝿 :2001/04/30(月) 07:35
>>746 半島南岸に倭人の住んでいた集落は無数にあったでしょうが
九州北部に韓人の住んでいた集落も無数にあったでしょう。
史料から、女王に属する倭人の国が海峡の北にあったとは読めないと考えます。
問題になっている「北岸」はこの文章を書いた者が「循海岸水行」で視点が海の上にあったので「北岸」としたのではないかと思います。
この二文字は魏略逸文の方にはありませんし。
748 :
通りすがり :2001/04/30(月) 07:39
>早蠅さん(
>>747 )
なるほど参考になりました。
>この二文字は魏略逸文の方にはありませんし。
上記のご発言に対し、補足説明があるとありがたいです。
749 :
日本@名無史さん :2001/04/30(月) 13:55
件のページのあるじを弁護したいわけではないのだが・・・ >>伊都国周辺域には銅矛を副葬する甕棺墓が見られるのに対し、 それ以 >>外の地域では相変わらず箱式石棺墓です。 玄海灘沿岸でも福岡などに比して糸島平野では比較的遅くまで甕棺墓が残るということを言いたいのだと思うのだが。 >>伊都国の遺跡に比定されている三雲遺跡の豪華さ、 >>幅広さは2世紀の列島随一と言われています。 文脈から考えれば、おそらく三雲南小路ではなくあの辺り一帯に広がる遺跡群のことだろう。 墓とは一言も書いてない。 三雲南小路を二世紀とする年代観では、結論が大和になることはないと思う。 まあ、本人に確認をとらないとどうにもならないことではある。 しかし、趣味でやってるページを本人がいないところでどうこう言わないほうがいいんじゃないか?いるかな? やるなら、一般的な形にして各論でやったほうがいいと思うが。
750 :
通りすがり :2001/04/30(月) 15:25
>>749 さん
どーも。
>玄海灘沿岸でも福岡などに比して糸島平野では
>比較的遅くまで甕棺墓が残るということを言いたいのだと思うのだが。
「銅矛を副葬する甕棺墓」自体が当該時期には
確認されておりません。
甕棺自体は埋葬主体として採用される例もありますが、
首長墓クラスの遺跡ではどうでしょうか。
AD3世紀に属する首長墓の確認例が北部九州地方で
希なため難しい問題ではありますが。
#平原遺跡については年代観の問題もあり、
#保留とさせていただきます。
>文脈から考えれば、おそらく三雲南小路ではなくあの辺り
>一帯に広がる遺跡群のことだろう。 墓とは一言も書いてない。
「三雲遺跡の豪華さ、幅広さ」という一文をどう解釈したらよいか
悩みましたが、伊都国の首長が文全体の主語となっているようなの
で、首長墓として「三雲遺跡」を解釈しました。
三雲遺跡群として「三雲遺跡」を解釈した場合、「豪華さ、幅広さ」の
内容をいかに読んだらよいか難しいところです。
>しかし、趣味でやってるページを本人がいないところで
>どうこう言わないほうがいいんじゃないか?いるかな?
万人の目に触れるWeb媒体として掲載された以上、通常の論文
と同様な扱いを受けてしかるべきだと考えます。
>やるなら、一般的な形にして各論でやったほうがいいと思うが。
リンク元自体が長文であり、また内容も多岐にわたることから、
各論について討議したいですね。
#リンク元の著者に対して失礼ながら、
#じつのところ、リンク元の「論文」に関しては
#これ以上触れたくないなあ、というのが正直な気持ちです。
751 :
早蝿 :2001/04/30(月) 15:54
記紀にあまり触りたくない立場としては「これ以上触れたくないなあ」というのは解ります。 倭人伝より成立が早い(もしくは同時期)といわれる魏略の逸文については 岩波(誤植もあり注意)で確認して頂けば判ると思いますが 「從帯方至倭、循海岸水行、暦韓國到拘耶韓國七十餘里、始度一海・・・」 となっていて「北岸」の記述はありません。 ただ、ごらんの通り写本は粗悪ですし、両者が参照した原史料に「北岸」が無かったのか 写本の脱漏なのか断じがたいところです。 言えるのは、ほかの部分は2人の』目撃者の証言があるが 「北岸」については1人しか証言していないということです。
752 :
Minstrel :2001/04/30(月) 17:18
こんにちは。
http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/ のサイトの作者です。ここで私の文章に対する意見交換がされていると
教えてもらって来ました。かなり驚きました。(全く知らないところで議論が成されていたので)
私は考古学者でも歴史学者でもないので、論文ではなく「こんなふうに思う」
という感じになってしまいます。充分に煮詰めきれてない点もあると思っています。
特に邪馬台国関連の話題を総合的に判断するようなことを述べると、
かなり膨大で難解になりがちなので、極力シンプルにしようとしなければならず、
どうしても(私のレベルでは)あんな感じになってしまいます。
そのために掲示板も作って、多くの人の意見を頂いています。
ここは今初めて来たもので、誰がどれに対する意見なのかを把握するだけで
時間がかかってしまいますので、何かご意見があったら、私の掲示板に書いて
頂けるとありがたいです。
とりあえず、読んでいただいたことにお礼申し上げます。
753 :
通りすがり :2001/05/01(火) 03:28
>早蠅さん(
>>751 )
補足説明ありがとうございます。
>倭人伝より成立が早い(もしくは同時期)といわれる魏略の逸文については
>岩波(誤植もあり注意)で確認して頂けば判ると思いますが
>「從帯方至倭、循海岸水行、暦韓國到拘耶韓國七十餘里、始度一海・・・」
>となっていて「北岸」の記述はありません。
了解しました。
「倭人伝」自体の成立過程も、『魏略』や『魏書』(王沈撰)などの底本
の検討を含めて、今後の議題としたいですね。
それでは。
補足です。
下記の私の発言(
>>753 )は、
>「倭人伝」自体の成立過程も、『魏略』や『魏書』(王沈撰)などの底本
>の検討を含めて、今後の議題としたいですね。
法師さんによる(
>>655 )、
>まず、元々の記述のどれ(どういった部分)が
>どの程度に信頼しうるのかを検討してみようということです。
という問題提起を踏まえたものです。
>Minstrelさん(
>>752 )
ご本人自らご足労いただきありがとうございます。
>何かご意見があったら、私の掲示板に書いて
>頂けるとありがたいです。
機会がありましたら、貴Webサイト掲示板に
書き込みたいと思います。
ただ、
>>750 で申し上げたとおり、いったんWebサイトという
万人の目に触れる場に論文が掲載された以上、
他の場所でMinsterlさんの論文が話題にのぼることは
お覚悟のうえご了承ください。
ちなみに、Minsterlさんの論文が話題に上った発言は、
>>730 以降のレスをご参照ください。
>私は考古学者でも歴史学者でもないので、
>論文ではなく「こんなふうに思う」 という感じになってしまいます。
「考古学者」や「歴史学者」はなにも職業的に研究に従事している
者だけではありません。重要である要件は、
「考え、他者に理解させる技術」を備えているかどうかです。
偉そうなことを書き連ねてしまいましたが、どうかお気を悪くされ
ないようお願い申し上げます。
Minstrelさんも機会がありましたら、是非このスレッドにご発言下さい。
それでは。
756 :
日本@名無史さん :2001/05/02(水) 12:50
757 :
日本@名無史さん :2001/05/02(水) 14:24
758 :
日本@名無史さん :2001/05/03(木) 06:26
保守あげ
759 :
早蝿 :2001/05/03(木) 12:56
>>まず、元々の記述のどれ(どういった部分)が >>どの程度に信頼しうるのかを検討してみようということです。 >という問題提起を踏まえたものです。 残念ながら、掛け声ばかりで、誰も乗ってきてくれないのですがね。 そういう検討をされたら都合が悪いとはっきり言ってもらった方がすっきりするのですが(皮肉)
760 :
通りすがり :2001/05/03(木) 14:49
>早蠅さん(
>>759 )
>残念ながら、掛け声ばかりで、誰も乗ってきてくれないのですがね。
>そういう検討をされたら都合が悪いとはっきり言ってもらった方がすっきりするのですが(皮肉)
ん?
上記のご発言は私に対する「皮肉」ですか?
なるほど、ではより具体的な提案をしましょう。
ひとまず、倭人伝の地理記載について法師さんの問題提起
に基づいて検討しましょうか。
それとも、早蠅さんご自身が何か他にご提案ございますか?
>早蠅さん
正直、「皮肉」をおっしゃる前に、具体的なご提案があるほうが
建設的な態度と思いますが、いかかでしょう。
ご本人の性格的な問題もありますから一概にはいえませんが、
スレが沈滞気味とお感じになったら、まずご自身がネタ振りを
されてはいかかですか?
761 :
早蝿 :2001/05/03(木) 15:41
あなたへの皮肉じゃなくて法師さんへの皮肉です。挑発とも言いましょうか? 問題提起した本人なのに検証に消極的だからです。 では、せっかく「倭人伝の地理記載」という話になったので、ひとつひとつ行きましょう。 もうひとつのスレッドで話題にしたことですが 「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」という文章の信憑性が劣ることの検証をしたいと思います。 その、東の名も知らぬ国まで中国人が行っていないことは明らかであろうから 「千餘里」という数字が明示されていることに疑義が生じます。 私は、この部分が舞文であろうと考えます。
762 :
法師 :2001/05/03(木) 19:03
>>761 >早蝿さん
おおっと!
>>759 は「当方への(皮肉)」ですか。ふ〜む、なる
ほど。勉強になります。
また、
>>761 で明言されたとおり「挑発」という意図もおありなわ
けですね。なるほど。早蝿さんの基本的な姿勢というものが明確に
分かるメッセージです。
当方は、「皮肉」には、特に対応する意志はないですし、「挑発」
という言葉から一般に推論されるであろう事柄にも、特に興味はな
いので、とりあえず、まあご自由にどうぞとしか申し上げられませ
ん。ただし、ご自身のご発言は、ログとして明確に保存されている
ことを、改めてご認識ください。
>問題提起した本人なのに検証に消極的だからです。
はい、おっしゃるとおりです。当方が提起した問題に関して、早
蝿さんが、何か不思議な具合に誤読しておられる点があるので、
話の続けようがないから詰まっているのですが。
そのことと関連して、
>>641 は、話の続き具合から見て、早蝿さ
んのメッセージですよね。そうではない別の方のばあいにはお知
らせください。
これは別の問題ですが、何でも、ここのシステムだと、800メ
ッセージを越えると(?)何か問題があるとか? その点、ご存
じの方、如何でしょうか?
763 :
早蝿 :2001/05/03(木) 19:57
「基本的な姿勢」じゃなくて、あなたの回答がないから「じれて」いるだけです。
>>641 は私ですよ。
で、どう誤読なのですか?
764 :
法師 :2001/05/03(木) 21:38
>>763 >早蝿さん
当方は
>>638 で、「半島→対馬→壱岐→九州の間隔はほぼ等しい」
と申しております。
それに対して早蝿さんは
>>641 で…
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔は等しくないでしょう?
…と、元メッセージ番号を明記の上で主張しておられます。
すなわち、早蝿さんは、元の文章に「ほぼ等しい」と書いてある事
柄について、「ほぼ」の部分は何らかの理由で除去して、「等しい」
と同一視し、それに対するメッセージにおいて、「等しくない」と
主張しておられるわけですね。
文章でも何でもそうですが、相手の意図を正確に把握することは、
非常に重要な大前提となります。その点に関して、残念ながら遺憾
な点があると申し上げざるを得ません。充分に留意されるようお勧
めします。
>>729 でご自身が…
> 同じ史料の中で整合性があるか?
> ほかの史料でどう言っているか?
…確認が必要であると主張しておられますが、それ以前の問題で
すね。「文書は正確に読むこと」が先決なわけです。
それと関連して、なぜそういう話が出てくるのか意味が分からな
い点があります。
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔は等しくないでしょう?
倭人伝の、それらの間隔を示していると思われる記述に、「距離
数値が等しい」と書いてありますか? 書いてないはずです。書
いてあるとしたら、どの部分ですか。
書いてないとしたら、「元々等しいとは書いてない部分について、
等しいと断定しているわけではない論旨に対して、なぜか、等し
くないと主張された」ということになりますね。
いかがですか? 事実誤認等があるなら、ご指摘ください。
765 :
通りすがり :2001/05/03(木) 22:16
>早蠅さん どーも。 >「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」という文章の信憑性が >劣ることの検証をしたいと思います。 了解しました。 おもにツッコミ役として議論に参加させていただきます。 >東の名も知らぬ国まで中国人が行っていないことは明らかであろうから >「千餘里」という数字が明示されていることに疑義が生じます。 「又有侏儒国、在其南。人長三四尺、去女王四千餘里。」の文章内の 「四千餘里」という記載についても同様でしょうか? また、「千餘里」あるいは「四千餘里」という「実数」が記載された 理由についてもご説明があると、議論がより広がると思います。
法師さん(
>>762 )
>これは別の問題ですが、何でも、ここのシステムだと、800メ
>ッセージを越えると(?)何か問題があるとか? その点、ご存
>じの方、如何でしょうか?
1000レスを超えた時点で、スレッドに書き込めなくなるようです。
例外も多々あるようですが。
よって、900レスぐらいで新スレッドを立てるべきでしょうね。
ちなみに私は新スレッドの名称については、
「倭人伝を読む (旧 邪馬台国はどこですか)」
を推薦します。
767 :
早蝿 :2001/05/03(木) 22:34
>>637 の
>中国史書の地理の方位や距離がまことに正確でない
に対して
>>638 で
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいというのは、単なる偶然以上
と答えておられますね?これに対し、私は
>>641 で
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔は等しくないでしょう?
>壱岐→九州がかなり短くなります。
と反問しました。これを「ほぼ」を省略したから相手の意図を正確に把握しておらず
非常に重要な大前提から逸脱していると言うなら、どういう違いがあるか説明してください。
「ほぼ」があるから壱岐→九州がかなり短かいことが許容範囲に入るということですか?
>倭人伝の、それらの間隔を示していると思われる記述に、「距離数値が等しい」と書いてありますか?
これは3つとも「千餘里」だから「餘里」があるので等しいとは書いてないという意味ですか?
「元々等しいとは書いてない部分について、等しいと断定しているわけではない」
のなら「半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しい」ことが「単なる偶然以上」という主張はどういう意味なのですか?
768 :
通りすがり :2001/05/03(木) 22:51
>法師さん
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいとい
>うのは、単なる偶然以上と考えてもよろしいんじゃない
>でしょうか。 (
>>638 )
上記のご発言の続きが気になるのですが・・・
朝鮮半島から九州島までの各地点間の距離が「ほぼ等しい」
として、それが具体的にはなにを意味するのでしょうか?
お考えをお聞かせ下さい。
769 :
法師 :2001/05/03(木) 23:11
>>767 >早蝿さん
はい、けっこうです。早蝿さんは、「ほぼ等しい」という記述と、
「等しい」という記述の違いを、明確に認識しておられないわけで
すね。
>「ほぼ」があるから壱岐→九州がかなり短かいことが許容範囲に入るということですか?
拙文を読んでおられないわけですね。まず、読んでみてください。
770 :
法師 :2001/05/03(木) 23:25
>>768 >通りすがりさん
>朝鮮半島から九州島までの各地点間の距離が「ほぼ等しい」
>として、それが具体的にはなにを意味するのでしょうか?
その件は、ちょっとお待ちいただけると幸いです。
>法師さん(
>>770 )
了解しました。
待ちましょう。
772 :
早蝿 :2001/05/03(木) 23:35
>>769 >「ほぼ等しい」という記述と、「等しい」という記述の違いを、明確に認識しておられないわけで
すね。
違いを実例に即して説明してください。
「ほぼ等しい」と言われて「いや、等しくない」と答えることが
それほど重大な誤解であるかを具体的に解説してください。
>拙文を読んでおられないわけですね。まず、読んでみてください。
箇所を明示してください。
773 :
早蝿 :2001/05/03(木) 23:54
繰り返します 「半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しい」 の反論に 「半島→対馬→壱岐→九州の間隔は等しくない」 とあったら、その意味をあなたは 1:ほぼ等しいが、厳密には等しくない 2:ほぼ等しいとはいえない のどちらに解するのですか?
774 :
法師 :2001/05/04(金) 00:23
>>772 >早蝿さん
>それほど重大な誤解であるかを具体的に解説してください。
重ねて「説明」とおっしゃるわけなので、早蝿さんは、「ほぼ等
しい」という記述と、 「等しい」という記述の違いは、明確に認
識しておられないという事実が補強されたわけですね。
>箇所を明示してください。
なるほど、ご自身で番号を示した上でRESを付けられたメッセ
ージの内容についても、改めて問い返すことが必要なわけですね。
なるほど。
775 :
法師 :2001/05/04(金) 00:45
>>773 >早蝿さん
>「半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しい」
>の反論に
>「半島→対馬→壱岐→九州の間隔は等しくない」
>とあったら、その意味をあなたは
> 1:ほぼ等しいが、厳密には等しくない
> 2:ほぼ等しいとはいえない
>のどちらに解するのですか?
なるほど。「ほぼ等しい」という言葉を織り込んだ選択肢からの
2者択一ですか? 当然の帰結として、当方がいずれかを選択す
ると考えておられるわけですね。なるほど。
776 :
早蝿 :2001/05/04(金) 00:46
説明も明示もできないということですか?
>>774 に回答してください。
777 :
早蝿 :2001/05/04(金) 00:57
つまり、回答できないのですね?
778 :
早蝿 :2001/05/04(金) 01:06
まだ
>>701 も回答ありません。
すべてはぐらかすのですか?
779 :
法師 :2001/05/04(金) 17:39
780 :
法師 :2001/05/04(金) 17:49
>>777 >早蝿さん
>つまり、回答できないのですね?
「自分自身のメッセージに対して回答」を求めておられるわけで
すね? それならば、回答できないですが?
781 :
早蝿 :2001/05/04(金) 18:28
>>774 にはあなたのメッセージ以外に私の質問が再掲されていますので、回答可能です。
回答してください。
なお「自分自身のメッセージに対して」は「回答」ではなく「恥じること」をお求めしたいと思います。
782 :
早蝿 :2001/05/04(金) 18:30
783 :
通りすがり :2001/05/04(金) 22:22
>早蠅さん >法師さん この二日間ほど、議論が全く進展していないように 感じるのは私だけでしょうか。 そろそろお二人で議論の妥協点を探ってみては いかがですか? このスレッドはお二方の専有物ではないのですから。 #君達いいかげんにせい!! というのが正直な心境です。 通りすがり@禁煙コールドターキー でした。
784 :
通りすがり(提案) :2001/05/04(金) 22:40
>法師さん 「朝鮮半島から九州島までの各地点間の距離がほぼ等しい」という 命題上に構築された仮説を、法師さんご自身が披露しない限り 議論は進展しないと考えます。 一度、話を先に進められてはいかがでしょうか。 >早蠅さん 早蠅さんの法師さんに対するご発言を傍観していると、 「太陽と風」の寓話を思い出します。 そういえば「太陽政策」という言葉もありますね。
785 :
法師 :2001/05/05(土) 00:11
>>784 >通りすがりさん
いやはやどうも、誠にお恥ずかしい次第です。
>「朝鮮半島から九州島までの各地点間の距離がほぼ等しい」という
>命題上に構築された仮説を、法師さんご自身が披露しない限り
>議論は進展しないと考えます。
はい、おっしゃるとおりです。では話を進めます。
1:現代のように、海上の距離を正確に計測する方法が存在しなか
ったはずの当時において、距離の絶対値ではない比率について、
意外に正確に把握されていた可能性を考える余地もある。
※いうまでもなく各々をどこに比定するかによって話が違います。
各々の距離が等しいなんていってないですよ、念のため。
2:九州の最初の地点については、そこまでの各々の間隔とほぼ等
しい辺りを想定してみる価値がある
※ここで重要な問題があって、対馬→壱岐 と来た次の末盧國につ
いて、どっちへ進んだか、書いてないんですよね。その点に関し
て異論大ありだと思います。
といったわけで、話が延々と逸れましたが、とりあえず、何とか
海峡を渡ることができたと。
786 :
通りすがり :2001/05/05(土) 00:40
>法師さん(
>>785 )
レスありがとうございます。
>1:現代のように、海上の距離を正確に計測する方法が存在しなか
> ったはずの当時において、距離の絶対値ではない比率について、
> 意外に正確に把握されていた可能性を考える余地もある。
「距離間が意外に正確に把握されていた可能性」についてですが、
具体的な比定地が前提として法師さんにより想定されている
ように私は感じます。
「正確に把握されていた可能性」というからには、距離間隔の基準となる
地点が前提として必要となるのではないでしょうか。
私の疑問はおそらく、早蠅さんの疑問と同様なものと思います。
>2:九州の最初の地点については、そこまでの各々の間隔とほぼ等
> しい辺りを想定してみる価値がある
朝鮮半島〜九州島までの距離に関する記載について、
「倭人伝」の記載全体のなかで占める意味合いを考えない限り、
「九州の最初の地点については、そこまでの各々の間隔とほぼ等 しい
辺りを想定してみる価値がある」と考えることは難しいと思います。
「九州の最初の地点については、そこまでの各々の間隔とほぼ等 しい
辺りを想定してみる価値がある」とするには、該当箇所の距離に関する
記載が「現代的な意味」で正確であるとする前提が必要なのでは
ないでしょうか。
>※ここで重要な問題があって、対馬→壱岐 と来た次の末盧國につ
> いて、どっちへ進んだか、書いてないんですよね。その点に関し
> て異論大ありだと思います。
「末盧国について、どっちへ進んだか」というのは、壱岐から末盧国への
方位が記載されていないということでしょうか?
(゚∀゚)
788 :
日本@名無史さん :2001/05/05(土) 16:59
私は邪馬台国に興味を持ち始めて20数年になりますが、 魏志倭人伝には全く興味をそそられません。もちろん 原文を読んだりひととおりの議論や解釈は試みましたが、 実際の遺物や遺構みたいに血沸き肉踊ることがありません。 ところが邪馬台国の話になると魏志倭人伝の解釈の話ばかりなんですよね 魏志倭人伝の解釈がなんでおもしろいのか、その理由を教えて下さい 私も仲間に入りとうございます。
789 :
通りすがり :2001/05/05(土) 21:50
>>788 さん
もしかして煽りかな?
>ところが邪馬台国の話になると魏志倭人伝の解釈の話ばかりなんですよね
>魏志倭人伝の解釈がなんでおもしろいのか、その理由を教えて下さい
「邪馬台国」が「魏志倭人伝」に記載された固有名詞であるからです。
「魏志倭人伝」に対する解釈が面白いか否かは関係ありません。
もっとも、
>>788 さんが「邪馬台国論争」を不毛とお考えであるうえでの
上記のご発言であるなら、話は違ってきますが。
790 :
日本@名無史さん :2001/05/05(土) 23:23
791 :
日本@名無史さん :2001/05/06(日) 10:39
>>788 >ところが邪馬台国の話になると魏志倭人伝の解釈の話ばかりなんですよね
>魏志倭人伝の解釈がなんでおもしろいのか、その理由を教えて下さい
考古資料をいくら積みあげても九州説は出てこないからでしょ。
792 :
日本@名無史さん :2001/05/06(日) 11:00
んで、文献資料を積み上げても九州説は出てこない。 魏志倭人伝の曲解によってのみ九州説は成立可能。
793 :
早蝿 :2001/05/06(日) 11:51
>>789 >> 788が
「おまえら魏志倭人伝だけ読んで不毛な珍解釈を繰り返してるが、考古学を顧みないのか」
という意味で非難しているなら、多少極論でも不当じゃなさそうですがね。
794 :
名無しさん@10・8 :2001/05/06(日) 13:34
まず東夷伝序文を読んで筆者の意図を知ってから、 韓伝を読んでどういう把握の仕方をしていたか理解し、 倭人伝を逐次的にしっかり読むことだね。 あらかじめ立てておいた自説に都合のいいところだけを 切り取ってああだこうだと言っても真実には近づけないよ。
795 :
日本@名無史さん :2001/05/06(日) 13:55
自説に都合のいいところだけを切り取ってああだこうだと言うのが九州説の特徴
796 :
法師 :2001/05/06(日) 19:51
>>786 >通りすがりさん
※もっと早くアップしようと思ったんですが、夜につながらなくて
遅くなりました。
はい、ご指摘の通り、
>>785 に挙げた1の点についても、2の点に
ついても、検討すべき問題がありますね。
そのことに関連して、先述したように、「固めることができる部分
から順に固めていく」という考え方に則って、取りあえず、半島か
ら海を渡るとされている各々の土地について、半島→対馬→壱岐を
想定してみます。
その上で、各々の行程について、仮に、「間隔がほぼ等しい」とし
て、倭人伝の記述も、「ほぼ等しい数値」が示されているとしたば
あい…
「間隔がほぼ等しいという申告があった」
「間隔がほぼ等しいという申告があったわけではない」
↓
「申告が正しく伝わった」
「申告が正しく伝わったわけではない」
↓
「申告通りに記述された」
「申告通りに記述されたわけではない」
↓
「記述がその後間違いなく伝達された」
「記述がその後間違って伝達された」
…おおざっぱにいって、上述の可能性の組み合わせがありえます。
※特定の文字列があると、それだけを取り出して反応する方がいら
っしゃるので念のために書き添えますが、当方が、上述のいずれ
かの可能性しか想定していないと「誤読」しないようにご注意く
ださい。
上の段の側で進めた状態を想定してみる価値がある
…ということです。そこまでは如何でしょうか?
※くりかえしますが、「正しく伝わったものである」なんて、一言
も主張していません。
797 :
早蝿 :2001/05/06(日) 23:05
価値があるというのは何故ですか?
798 :
通りすがり :2001/05/07(月) 18:41
法師さん(
>>796 )
レスありがとうございます。
>「固めることができる部分 から順に固めていく」という考え方に則って、
>取りあえず、半島か ら海を渡るとされている各々の土地について、
>半島→対馬→壱岐を 想定してみます。
論理展開の方針については了解しました。
以下に私の感想を述べます。
1.法師さんにより展開された議論の前提条件について
>各々の行程について、仮に、「間隔がほぼ等しい」として、
>倭人伝の記述も、「ほぼ等しい数値」が示されているとしたばあい…
>
>「間隔がほぼ等しいという申告があった」
>「間隔がほぼ等しいという申告があったわけではない」
> ↓
(中略)
>…おおざっぱにいって、上述の可能性の組み合わせがありえます。
(中略)
>上の段の側で進めた状態を想定してみる価値がある
上記に法師さんにより提示された「可能性の組み合わせ」
の論理的な必然性が今ひとつ私には理解できません。
上記の「可能性の組み合わせ」が、法師さんの主張をいかに
補強するかについて、補足説明があるとありがたいです。
(続く)
799 :
日本@名無史さん :2001/05/07(月) 18:47
あんまり長いから、省略されたゾー!
800 :
通りすがり :2001/05/07(月) 19:00
(続き) 2.「倭人伝」における該当個所以外の距離記載について 朝鮮半島〜九州島までの記載以外にも、「倭人伝」には 具体的な数値を示して距離を記載している箇所があります。 朝鮮半島〜九州島までの距離記載以外の箇所について、 仮に「意外に正確に把握されていた可能性」を認めるとして、 該当個所以外の距離記載についても同様に「意外に正確に把握され ていた可能性」を考慮に入れる必要があるのでしょうか。 それとも、該当個所以外の距離記載については、 「意外に正確に把握されていた可能性」を認めることができないの でしょうか。そうであるなら、「倭人伝」には距離記載について 性格の異なる記載が混在する可能性を指摘できるのでしょうか。 とりとめのない疑問ですが、ご返答をいただけると幸いです。 それでは。
801 :
日本@名無史さん :2001/05/07(月) 19:03
802 :
通りすがり(訂正) :2001/05/07(月) 19:05
(訂正) 4行目 (誤) 朝鮮半島〜九州島までの距離記載以外の箇所について、 ~~~~~~~~~~~~~ (正) 朝鮮半島〜九州島までの距離記載について、 失礼しました。
803 :
法師 :2001/05/07(月) 20:09
>>797 >早蝿さん
ちょっと意味が分かりにくかったようです。元々の認識がそのまま
伝わっている可能性もある、というだけのことです。
「part3 」の634 で「証明の可否と妥当性の是非は別次元です」と
書いておられるので、元々の認識がそのまま伝わっている可能性に
ついても、当然、妥当性の有無とか程度とかを、既に検討されたは
ずですよね?
804 :
法師 :2001/05/07(月) 20:09
>>798 >通りすがりさん
意味が分かりにくかったようです。
元々の申告→著述→現在(途中経過の段階はもっと多いはずです
がここでは省略します)に至るまでに、過失にせよ故意にせよ、
情報が変形しうる余地はいくらでもあって、申告の段階だけでも、
虚字の申告とか、通訳の誤訳とかの可能性もあるが、元々の認識
がそのまま伝わっている可能性もある、というだけのことです。
※元々の認識がそのまま伝わっていると主張しているのではありま
せん。基本的に証明不能の問題ですから。念のため。
805 :
法師 :2001/05/07(月) 20:12
>>804 ミスタイプの自己訂正です。
×虚字の申告
○虚偽の申告
806 :
法師 :2001/05/07(月) 20:17
>>786 >通りすがりさん
手元では夜間になぜかつながりが非常に悪くなっているので間が空
きましたが、拙文
>>796 の続きです。
「具体的な比定地がどこであるかという問題」
倭人伝をそのまま読むならば、「邪馬台国(本国)」は、ある特定
の位置範囲にあったことになるはずです。かつ、土台からして架空
の話であるとするのでないなら、地球上のどこかで、かつ、記述を
たどることによって得られる位置範囲…ということになります。
一方、虚偽申告とか誤伝などの可能性の問題をそのまま進めるなら、
当然の帰結として、存在しなかった/複数が存在したなども、可能
性としては、ありうることになります。
※くりかえしますが、「存在しなかった/複数が存在した」なんて、
一言も主張していませんよ、念のため。
逆にいうならば、「どこかに特定の具体的な比定地を挙げる」ので
あれば、倭人伝の記述について、その関連の事項に関しては、事実
が正しく伝わっている(厳密な意味ではないですよ念のため)と仮
定していることになります。
ここまでについて如何でしょうか。
807 :
通りすがり :2001/05/07(月) 21:56
>法師さん
>>798 >申告の段階だけでも、虚字の申告とか、通訳の誤訳とかの可能性も
>あるが、元々の認識 がそのまま伝わっている可能性もある、
>というだけのことです。
了解しました。
>逆にいうならば、「どこかに特定の具体的な比定地を挙げる」ので
>あれば、倭人伝の記述について、その関連の事項に関しては、事実
>が正しく伝わっている(厳密な意味ではないですよ念のため)と仮
>定していることになります。
上記のご発言のうち、「倭人伝の記述について、その関連の事項に関しては、
事実 が正しく伝わっている(中略)と仮定していることになります」がご主張の
眼目と捉えてよろしいですね?
ただ、「事実が正しく伝わっている可能性」という仮定が、「朝鮮半島〜九州島
までの各地点間の距離がほぼ等しい」というご発言に結びつくのでしょうか。
1.「朝鮮半島〜九州島までの各地点間の距離がほぼ等しい」
;あくまでも「記載上」の問題(=記載者のレベル)
2.「事実が正しく伝わっている」
~~~~~
;現代の「地図」を踏まえた「事実」(=「我々」のレベル)
法師さんによる論理展開には、
上記の2つのレベルが混在している感があります。
「倭人伝」には朝鮮半島から九州島までの各地点間の距離について
「ほぼ等しく」記述されている、というあくまでも「記載上」のレベルの問題
として議論を出発された方がよろしいのではと思います。
もちろん、法師さんは上記に私が述べたように、あくまで「記載上」の
レベルとして考えておられるのでしょうが、どうも異なるレベルの議論が
混在しているような・・・・・
論理展開のなかに、「我々のレベル」のお話が混じる以上、
「ほぼ等しい / 等しくない」という批判がたとえ的外れなもので
あったとしても提出されるのは避けられないのではないでしょうか。
ご発言を誤読していたらスイマセン。
808 :
早蝿 :2001/05/07(月) 22:09
>「どこかに特定の具体的な比定地を挙げる」ので >あれば、倭人伝の記述について、その関連の事項に関しては、事実 >が正しく伝わっている(厳密な意味ではないですよ念のため)と仮 >定していることになります。 の意味がよくわかりません。 「その関連の事項」の範囲は何ですか?
809 :
通りすがり :2001/05/08(火) 13:38
|\ ┌──────────┘- \ │ \ │ 議論が先に / └──────────┐- / ヽ(´ー`).ノ |/ ( へ) く - = ≡三 |\ - = ≡三 ┌──────────┘- \ _ = ≡三 │ \  ̄ = ≡三 │ 進まない / - = ≡三 └──────────┐- / (´ー`) - = ≡三 |/ ( ヽ ヽ) / >
810 :
法師 :2001/05/08(火) 22:29
>>800 >通りすがりさん
ちょっと話が後先します。
>朝鮮半島〜九州島までの距離記載以外の箇所について、
>仮に「意外に正確に把握されていた可能性」を認めるとして、
>該当個所以外の距離記載についても同様に「意外に正確に把握され
>ていた可能性」を考慮に入れる必要があるのでしょうか。
はい。まさにそういった意図で、「全般に意外に正確に把握され
ていた可能性」を考慮に入れることは、必要だと思います。
※ここで、「法師は倭人伝の距離に関する記載が、全般に意外に正
確に把握されていた(→からどこである)」と主張している」と
短絡して理解される方がいらっしゃるといけないので断っておき
ますが、そういった意図は「ない」です。
※繰り返しになりますが、最初から「当時に海路を正確に計測する
方法はあり得なかったはずだし、使節団はすべて、測量をしに行
ったはずがない」ですから、たとえば、現在の地図帳で、日本全
体が載っている程度の縮尺であっても、物差しでコンマミリ単位
で測った程度の正確さを備えていたら、逆に、「それは何か怪し
い」ということにもなりえますね。ここでも追加しておきますが、
上述の程度の正確さがあったら、それは怪しいと「断定」なんか
しているわけでもないです。念のため。
>・・・・・・・・・・・・・・「倭人伝」には距離記載について
>性格の異なる記載が混在する可能性を指摘できるのでしょうか。
そうですね。その「記載の性格」というのも、非常に重要な問題
ですね。極端な話、半島→対馬と、対馬→壱岐(だと断定なんか
してないです念のため)の各々の間隔でさえも、「記載の性格」
が同じであると断定できるわけではないですね。
その意味で、このばあいには故意による書き換えとか誤伝等の可
能性はさておいて、「誰がどうやって計測した数値なのか?」が
問題が問題になりますね(問題になるのはそれだけだなんていっ
てないです念のため)。
仮に、元データが、当時において相互に航行していた「航海者」
によるものだったなら、どうなっていたか、ということも、考え
る価値はあると思います。いうまでもなく、きちんとした聞き書
きを作ろうとする聴取者であれば、の話ですし、その航海者に、
直接的に尋問して正確に聴取できたかどうかは、別問題です。さ
らに、「航海者の聞き書きがそのまま伝えられたものである」な
んて、一言もいっておりません。念のため。
811 :
通りすがり :2001/05/08(火) 23:05
>法師さん(
>>810 )
丁寧なレス痛み入ります。
繰り返しになりますが、私の疑問を。
>はい。まさにそういった意図で、「全般に意外に正確に把握され
>ていた可能性」を考慮に入れることは、必要だと思います。
「狗邪韓国」、「対馬国」、「一支国」など、比定に関して
蓋然性が高い地域に関しては、「全般に意外に正確に把握され
ていた可能性」を考慮に入れることは可能かもしれませんが、
その他の地域に関する距離記載についてはいかがなものでしょうか。
「全般に意外に正確に把握されていた可能性」を考慮に入れる作業の
前段階に、具体的な「比定地」が法師さんの念頭にアプリオリに想定されている
と感じるのですが・・・・
「全般に意外に正確に把握されていた可能性を考慮に入れる」とはあくまで、
具体的な比定地を論証した後の、作業ではないでしょうか。
「全般に意外に正確に把握されていた可能性」とおっしゃる前に、
具体的な比定地に関する論証が提示されているなら、お話が
スムーズにつながると私は考えます。
さらに、「全般に意外に正確に把握されていた可能性」の文中で、
「全般に」とは具体的にいずれの記載を念頭に置かれてるのでしょうか。
「全般に」という語を、「倭人伝」の距離記載「全般」と解釈した場合、
>極端な話、半島→対馬と、対馬→壱岐(だと断定なんか
>してないです念のため)の各々の間隔でさえも、「記載の性格」
>が同じであると断定できるわけではないですね。
上記のご発言が矛盾を含むと考えます。
結局、法師さんの念頭にある「距離」とは、あくまで「計測された」数値
という意味合いが強いように私には思えます。
むろん、「計測された」という語の内容如何にも寄るわけですが・・・
疑問が複数になりましたが、ご検討下さるようお願いいたします。
812 :
通りすがり(補足) :2001/05/08(火) 23:21
下記の私の発言(
>>811 )についての補足です。
>「全般に意外に正確に把握されていた可能性を考慮に入れる」とはあくまで、
>具体的な比定地を論証した後の、作業ではないでしょうか。
「倭人伝」の距離記載について、各地点間の距離が「全般に意外に正確に
把握されていた」と考える場合、最低限の前提作業として、「各地点」の比定地
を確定する必要があるのではないでしょうか。
法師さんのご主張は循環論法になっているきらいが・・・
#しかしつながりにくいですね〜
#なんとかならないかな > ひろゆき
813 :
日本@名無史さん :2001/05/09(水) 01:04
予防線はりすぎだと思う。
(゚∀゚)
815 :
法師 :2001/05/09(水) 22:28
>>811 >通りすがりさん
>「狗邪韓国」、「対馬国」、「一支国」など、比定に関して
>蓋然性が高い地域に関しては、「全般に意外に正確に把握され
>ていた可能性」を考慮に入れることは可能かもしれませんが、
>その他の地域に関する距離記載についてはいかがなものでしょうか。
う〜〜〜ん、ここでおっしゃる「距離記載」とは、文字通りの数
字のことでしょうか? その辺で、まず、すれ違っているような。
ここでは「距離」の記載に限ってみますが、こちらとしても、一
部でどうであるかを全体に対して一律にあてはめるつもりは、土
台からしてないのですが、ちょっと意図がうまく通じていないと
いうか。
その他の地域の各々の間隔について、記載されている数値自体で
はない "比率" の上で、記載と極端に違わない地点を考慮してみ
る価値はあるのではないか、という意図なのですが。
※そうしたからといって、距離関係が必ずしも分明になるわけでは
ありませんし、具体的な距離数値については、計測方法に疑問を
持たざるを得ないほかに、行程の順序(各国の配置)という重大
問題が出てくるわけですから。
>「全般に意外に正確に把握されていた可能性」を考慮に入れる作業の
>前段階に、具体的な「比定地」が法師さんの念頭にアプリオリに想定されている
>と感じるのですが・・・・
ご主旨は分かりますが、「そうではない」のです。「(起点とか
はとりあえず別問題として)具体的な比定地を念頭に置かないで
白紙の状態で考えてみるとどうなるか?」ということなのです。
※ここで、また誤解する方が登場する可能性もありますが、面倒だ
から補足注意は略します。
>さらに、「全般に意外に正確に把握されていた可能性」の文中で、
>「全般に」とは具体的にいずれの記載を念頭に置かれてるのでしょうか。
おっと、端折りすぎました。「全般に」とは、文字通りの意味で
す。ただし、あくまで「比率」ですし、水路の「1000倭人伝
単位」が、陸路の「500倭人伝単位」の半分であるとかいった
ことは、元々、念頭にありません。
>「全般に」という語を、「倭人伝」の距離記載「全般」と解釈した場合、
>
>極端な話、半島→対馬と、対馬→壱岐(だと断定なんか
>してないです念のため)の各々の間隔でさえも、「記載の性格」
>が同じであると断定できるわけではないですね。
>
>上記のご発言が矛盾を含むと考えます。
はい。おっしゃるとおりです。こちらが「記載の性格は同じでな
い」と主張しているなら、当然、矛盾することになります。しか
しですね、こちらは、最初から、「断定なんかしていない」ので
す。
>結局、法師さんの念頭にある「距離」とは、あくまで「計測された」数値
>という意味合いが強いように私には思えます。
>むろん、「計測された」という語の内容如何にも寄るわけですが・・・
はい、ご賢察の通りです。その「計測された」という語の内容が、
根本的にすれ違っている、ということでしょう。
拙文
>>796 の段階分けでいうなら…
「間隔がほぼ等しいという申告があった」
「間隔がほぼ等しいという申告があったわけではない」
…ここの段階とそれ以前(以前にはその段階も含みますが注意的
に重ねただけです念のため)のところで、「間隔がほぼ等しいと
いう申告があった可能性も最初から排除しないで検討しておく価
値があるのではないか」というだけのことです。
※注意的に書き添えますが、ここのところで、「法師は "間隔がほ
ぼ等しいという申告があった" と断定している」と、闇雲に思い
こまれると、話が続かなくなるだけです。念のため。
816 :
法師 :2001/05/09(水) 22:38
>>808 >早蝿さん
>「その関連の事項」の範囲は何ですか?
特定の人が、どこかに特定の具体的な比定地を挙げるための根拠と
して、倭人伝の記述中から抜き出して「利用」しているところの事
柄…の意味です。「その範囲が人によってバラバラ」であると。そ
れじゃあ水掛け論にしかならない…というか、実際、そうなってる
わけですよね。
817 :
通りすがり :2001/05/09(水) 23:17
>法師さん(
>>815 )
どーも。
>その他の地域の各々の間隔について、記載されている数値自体で
>はない "比率" の上で、記載と極端に違わない地点を考慮してみ
>る価値はあるのではないか、という意図なのですが。
了解しました。
>その他の地域の各々の間隔について、記載されている数値自体で
>はない "比率" の上で、記載と極端に違わない地点を考慮してみ
>る価値はあるのではないか、という意図なのですが。
今、ようやく理解に至りました。遅くなりましたが・・・
というわけで、下記の私の疑問(
>>811 )は撤回します。
>「全般に意外に正確に把握されていた可能性」を考慮に入れる作業の
>前段階に、具体的な「比定地」が法師さんの念頭にアプリオリに想定されている
>と感じるのですが・・・・
(続く)
818 :
通りすがり :2001/05/09(水) 23:19
>法師さん(
>>815 )
どーも。
>その他の地域の各々の間隔について、記載されている数値自体で
>はない "比率" の上で、記載と極端に違わない地点を考慮してみ
>る価値はあるのではないか、という意図なのですが。
了解しました。
>その他の地域の各々の間隔について、記載されている数値自体で
>はない "比率" の上で、記載と極端に違わない地点を考慮してみ
>る価値はあるのではないか、という意図なのですが。
今、ようやく理解に至りました。遅くなりましたが・・・
というわけで、下記の私の疑問(
>>811 )は撤回します。
>「全般に意外に正確に把握されていた可能性」を考慮に入れる作業の
>前段階に、具体的な「比定地」が法師さんの念頭にアプリオリに想定されている
>と感じるのですが・・・・
(続く)
819 :
通りすがり :2001/05/09(水) 23:39
重複投稿失礼しました。 (続き) しかしながら、未だ疑問が残る点があります。 下記に列挙しますので、ご参照下さい。 <疑問1> 地点間隔「比率」が正確である可能性を検証する場合、 検討対象地域は、朝鮮半島〜九州島(上陸地点?)に限定 されるのでしょうか。 <疑問2> 「倭人伝」の距離記載には、地点間隔「比率」以外にも様々な情報が 記述されている一方、なぜ地点間隔「比率」の「正確である可能性」が 検討に値するのでしょうか。 地点間隔「比率」が特権的な検討対象になる積極的な理由をご説明下さい。
820 :
通りすがり(訂正) :2001/05/09(水) 23:51
全面的に訂正します。
>>818 の私の発言は読み飛ばしてくださいませ。
<疑問1>
地点間「比率」を正確であると仮定して、具体的な比定地を
検討する場合、検討対象地域は朝鮮半島〜九州島(上陸地点?)
に限定されるのでしょうか。
<疑問2>
実数(千餘里など)が示された「距離」などの情報を正確とする仮定が
措定されず、地点間隔「比率」を正確とする仮定が措定される積極的な
理由が見あたりません。
「倭人伝」の距離記載に、地点間隔「比率」以外にも様々な情報が
記述が存在する一方で、なぜ地点間隔「比率」が検討の際の仮定として
措定されるのでしょうか。
821 :
通りすがり(訂正) :2001/05/10(木) 00:01
すいません。
また訂正です。
2行目
(誤)
>>818 → (正)
>>819 失礼しました。
疲れてるのかな・・・・
822 :
法師 :2001/05/10(木) 22:43
>>817 >通りすがりさん
いや どうも。お手数を。
>というわけで、下記の私の疑問(
>>811 )は撤回します。
あの… 「撤回」というと、なかったことにするという意味にな
りそうで、当方のRESも、それと合わせるのなら、なかったこ
とにしないといけなくなりそうですが…。こちらとしては、別に
それでもかまいませんが、単に、811で提示された点に関して
は、当方が、さらに、意図の説明を追加するまでもない、という
くらいの意味でよろしいでしょうか?
※通りすがりさんが、その内容を妥当であると判断されたかどうか
は、また別問題であることは、ここで重ねておかないと、誤解さ
れる方が出るかもしれないですね。
PS:メッセージの重複は、書き込みのときに遅延が大きかったた
めに、結果として重ねて送信してしまったとかでしょうか。このデ
ータが収まっているサーバ、何か調子が良くないというか、混み合
っているというか、何かあるみたいですね。
823 :
法師 :2001/05/10(木) 22:44
>>820 >通りすがりさん
??? 「
>>819 の・・・」ですよね??
あ
>>821 での訂正通りということですね。了解いたしました。
このボードの、RES(返事)の番号の指定が手動となるシステム
って、ちょっとやりにくいですね。
><疑問1>
>
> 地点間「比率」を正確であると仮定して、具体的な比定地を
>検討する場合、検討対象地域は朝鮮半島〜九州島(上陸地点?)
>に限定されるのでしょうか。
そうです、そういうことです。その点が第一に問題になるので、
その点から、まず先に限定して行かないと、先に進めない…とい
うことです。
※ここで誤読される方が出ると話が続かなくなるので念を押します
が、当方は、「倭人伝のいう最初の上陸地点は、現代の地理でい
う日本の九州地方の特定のどこかである」とは、ここまででは、
一言もいってないです。
「まだ海峡を渡りきってない」のです。
最初から「邪馬台国は現代の地理でいう日本の具体的などこかであ
る」という固定観念=悪くいうなら「決めつけ」=に則るのでない
なら、ホントに海峡を渡ったのか? また、海峡を渡った勢いで、
遙か彼方まで行っちゃったりしていないのか? という点からして
検討してかかるのでないと、論旨が一貫しているとはいえなくなる
可能性が出てしまいます。
※ここで、「法師は、邪馬台国が、現代の地理でいう日本の範囲内
には存在しないと主張している」とか、「海峡横断の途中から、
遙か彼方に逸れたものであると主張している」という風に理解さ
れる方が登場するかもしれません。どのように理解されたかは、
このメッセージの続きを見れば分かることになります。重ねます
が、こちらは、「そうである」とも「そうではない」とも、ここ
までのところでは、一言もいっていません。
↑
これは、「ここから先でいうつもりだろう」とかいった具合に、
何らかの「予断」を持つ方が出るかどうかを確認するためになら
べた「文字列」です。この「文字列」に対するRESなどには、
あいにくですが、当方は、特段の事情がないならば、積極的には
関知いたしません。悪しからず。
(続きます・書き込めるかな?)
824 :
法師 :2001/05/10(木) 22:45
>>820 >通りすがりさん
長くなるのでメッセージを分けます。
><疑問2>
>
> 「倭人伝」の距離記載には、地点間隔「比率」以外にも様々な情報が
>記述されている一方、なぜ地点間隔「比率」の「正確である可能性」が
>検討に値するのでしょうか。
> 地点間隔「比率」が特権的な検討対象になる積極的な理由をご説明下さい。
先述の「 <疑問1> に関するRES」にあるように、それが、無事
に「日本入り」するための、一つの(あくまで一つの)重要な検討
事項だと考えるからです。というか、「日本を通り越してどっか行
っちゃわないための必要条件の一つ(あくまで一つ)」になりうる
と考えるからです。
※「重要」というのは、とりあえず、主観的な意味ですし、「そう
でないと必ずどっか行っちゃう」なんて、一言もいってないです
よ念のため。
(まだ続きます)
825 :
法師 :2001/05/10(木) 22:52
>>820 >通りすがりさん
長くなるので、さらにメッセージを分けます。
ここで逆に伺いたいのですが…
1:邪馬台国が日本国内に存在したのであれば、微細な地形などは
別として、大まかな地勢において現代と決定的な違いはなかったは
ずの当時において、半島からは海を渡るしかないという地理関係が
存在したと考えて、まず誤りではない
2:一方、倭人伝には、半島から南に海を渡ったシーンと推定され
る記述が存在する
3:倭人伝のいう「邪馬台国」は日本のどこかのことである。
…仮にこういう論法があったとしたら、これは、「邪馬台国は日
本国内に存在した」という仮定を元にした循環論法ですよね。
海を渡る距離のスケールが、わたる場所ごとに大きく変動してい
て、実際には日本を通り越してどっか行っちゃったり、逆に、方
位を取り違えて半島方向に戻ったりしていないといえるのはなぜ
なのか?
倭人伝の記述は、取りあえず度外視して、半島の南部のどこかか
ら、ほぼ南に進んだら、地理的に、どこに出るか?
地理的な意味で、いくつかの候補があって、対馬でも九州でも、
また、それ以外の何かでもかまわないですが、それらのうちで、
「渡一海と記してあって、さらに渡一海とあるのと良く一致すると
ころの場所」はどれか?
また、そこから、地理的な意味で、ほぼ同じ距離だけほぼ南に進
んだら、どこに出るか?
倭人伝の距離に関連する記述はデタラメであるとしたら、「邪馬
台国は日本国内に存在した」という仮定を元にした循環論法以外
で、どうやって日本に上陸することができるか?
こういった点は如何でしょうか?
※ここまでのところで、必ず出るんですよね。話の途中で登場して
いる「文字列」だけに注目してしまい、話の筋道を読み違えて論
旨を取り違えてしまう方。故意に論旨をすり替えるのでないなら、
単なる読み間違いということですね。念のために書き添えますが、
こちらは、「倭人伝の記述している数値がバッチリホントである
んだあああ!」などとは、最初から、一言も申しておりません。
※まあ、当方の話の進め方も、誤解を生ずる余地がないなどとはい
えないですから、何ともいえないのですが、「Aである」と確信
している事柄について、「仮にAでないとしたらどうなるか」と
いう「仮定」でさえも「拒絶反応」を示したりすることがあった
ら、それは、もう、何ともいいがたいのです。はい。
826 :
早蝿 :2001/05/11(金) 06:49
>「仮にAでないとしたらどうなるか」という「仮定」でさえも「拒絶反応」を示したりすることが >あったら、それは、もう、何ともいいがたいのです。はい。 「仮に」という「仮定」のままで議論を進め 検証することや根拠を示すことを拒絶したりすることがあったら それは、もう、何ともいいがたいのです。はい。
827 :
通りすがり :2001/05/11(金) 16:17
>法師さん
話が前後しますが、ご了承下さい。
>>825 >倭人伝の距離に関連する記述はデタラメであるとしたら、「邪馬
> 台国は日本国内に存在した」という仮定を元にした循環論法以外
> で、どうやって日本に上陸することができるか?
ようやく、法師さんによる問題提起の全貌を伺うことができました。
>>825 のご発言を、様々な予断を含む循環論法を回避するための
方法論提示として理解してよろしいですね?
つまり議論の現段階では、
魏使は「日本列島」に「渡航できた / できていない」両方の仮定が
「現代の地図上においては」留保(エポケー)されているのですね。
いっぽうで、魏使は記載上の「事実」として「倭国」には渡航している、と。
検討の順序からすれば、
>>825 のご発言を議論の最初に提示した方が
良かったかもしれませんね。
(続く)
828 :
通りすがり :2001/05/11(金) 16:55
(続き)
>法師さん
>>823 -824
私の<疑問>に対する法師さんのご返答です。
>先述の「 <疑問1> に関するRES」にあるように、それが、無事
> に「日本入り」するための、一つの(あくまで一つの)重要な検討
> 事項だと考えるからです。というか、「日本を通り越してどっか行
> っちゃわないための必要条件の一つ(あくまで一つ)」になりうる
> と考えるからです。
私の<疑問1>に対するご返答としては理解できます。
検討に際し、朝鮮半島〜九州島(正確には「狗邪韓国」〜「対馬国」〜「一支国」〜)に
対象を限定する理由としては、「「狗邪韓国」〜「対馬国」〜「一支国」〜」の記載が
「狗邪韓国」から「倭国」に至る渡航の最低条件であること、ということですよね。
いっぽう、<疑問2>に対するご返答ですが、
地点間隔比率が渡航の「必要条件」であることを上記のご発言から説明するには、
当該期の航法について検証が必要ではないでしょうか。
当該期の航法において、島嶼間を航海する際に地点間隔比率が重要なメルクマール
となっていたことをご説明していただけるとご主旨がより明瞭になると考えます。
(まだ続きます)
829 :
通りすがり :2001/05/11(金) 16:56
(続き)
>法師さん
>>822 >単に、811で提示された点に関しては、当方が、さらに、意図の説明を追加するまで
>もない、というくらいの意味でよろしいでしょうか?
おっしゃるとおりです。
すいません。うまく意味が通ってなかったですね。
法師さんが循環論法に陥っているという私の発言は誤読であると
いう趣旨でした。
泣き言ですが、
>>825 のご発言が最初に提示されていれば、
私も誤読せずにすんだのに(涙)
#余談ですが、「※」印以下のご発言はなくてもよいような・・・
#揚げ足を取られない表現を本文中で厳選して使用すれば、なにも
#問題は生じないと思います。
#あえて敵を作っている感が強いです。
#老婆心ながら、付け加えました。ご一考下さい。
それではー。
(終わり)
830 :
日本@名無史さん :2001/05/11(金) 23:43
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ビビデバビデブー♪ \___ _________ ∨ ♪ ∧ ∧ ♪ (,,゚Д゚). ♪ |つ[|lllll]). 〜| | U U
831 :
日本@名無史さん :2001/05/12(土) 01:00
時代がこうなってきたからね、邪馬台国は畿内大和になります。 もうすぐ教科書にもそう書かれるでしょう。
832 :
日本@名無史さん :2001/05/12(土) 07:13
>>831 つーか、20年前の山川の教科書がすでにはっきりと畿内説で確定みたいなニュアンスで書いてたじゃん。
当時は「え? いいのかなあ?」って気分でみてたけど・・・・
833 :
Henton :2001/05/12(土) 10:13
>>831 現在に至るまで何の証拠もないのに、畿内説確定みたいに書くのは
おかしいですね。文部省の検定はどうなっているんでしょう?
834 :
Henton :2001/05/12(土) 10:15
状況証拠がでてきただけのムードだけで確定というのは、 野蛮な国のリンチと同じ。民度が低いって言うことかな?
835 :
Henton :2001/05/12(土) 10:40
831>>時代がこうなってきたからね、 戦前と似てきましたな。結局、マスコミを使ってプロパガンダ を垂れ流す一部畿内論者に乗せられた愚衆という構図ですな。
836 :
日本@名無史さん :2001/05/12(土) 10:41
確たる証拠が出てもトンデモさんは気楽なもの 次のネタ本はムーあたりか?
指紋が同一の人間は何人もいるから指紋は証拠にならないとか、血液型は毎日変わるから証拠にならないとか言うやつがいたら基地外。 誰かさんと似ている。
838 :
>Henton :2001/05/12(土) 16:58
お前は隔離スレに帰れ。 ここはお前のような電波が来るところじゃない。 せっかくの良質スレになってきたのに・・・・
839 :
日本@名無史さん :2001/05/12(土) 17:00
いや違うッ 邪馬台国は魏に頭を下げた国だから日本じゃないとして抹消されます。
なんか荒れだしたな・・・・ 煽り、電波は放置でよろしく。 アホな議論は別スレで頼むよ。 このスレはマターリと議論を楽しむ場なんだからな。
>>840 了解。ただ、歴史は政治であるということも事実かと思いますよ。
いろんな人が目隠しして象を触って姿が把握出来ないって話があった
じゃないすか。って理屈になってないすね。去ります。
842 :
日本@名無史さん :2001/05/12(土) 18:10
じゃHenton、黒頭巾とかの電波は放置ということで
843 :
通りすがり :2001/05/12(土) 18:14
荒れたのかな?
>>840 さん
なにが「アホな議論」であるかはともかくとして、とりあえず議論は
このスレでいいんじゃないでしょうか。
もちろん、煽りや荒らしは勘弁ですが・・・
>>841 さん
>ただ、歴史は政治であるということも事実かと思いますよ。
>いろんな人が目隠しして象を触って姿が把握出来ないって話があった
>じゃないすか。
おっしゃるとおりですね。
歴史学、考古学がいかに時の政治体制に利用され、あるいは翼賛してきたことか・・・
>>159 のレスでも少し述べましたが、我々が深く考えて行かなくてはならない
重要な問題です。
とりわけ「邪馬台国論争」などの先史あるいは原史時代の事象については、
政治的プロパガンダとしてフルに活用される傾向が強いと思います。
やはり「民族」、「国家」をアイデンティファイすると社会的に認知されるから
でしょうか。
近年の欧米考古学では、この「政治性」の問題が議論の俎上に上っている
傾向が強いですね。
藤村さんの「捏造」問題もこの文脈で考える必要があるでしょう。
というわけで
>>841 さん
>って理屈になってないすね。去ります。
去っちゃいやーん。
もっともっと、このスレでのご発言を期待しています。
それではー。
電波男変豚は去ってよし
845 :
通りすがり :2001/05/13(日) 00:41
あげます。
846 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 02:45
このまえの総理選挙で落ちたH氏がテレビでの政策論争に負けて最後に
なんて言ったか。だよな、
邪馬台国がどこであっても後の日本にはさして影響はないのだが、そうい
うことを利用する人間が出てきてしまうということだよ。
だから心してやれよ。やるんなら。
>>159 は読んで通りすがりはしっかりしてるかなと思った。がんばれ時々覗く。
ちょっと息抜きで放言します。
>>846 さん
どーも。
応援?ありがとうございます。
「政治性」を問題にすると、同業者からは白い目で見られたり、「愛国者」の
方々からは怖いこと言われたりでなかなか大変です。
2ch(とくに日本史板)は「愛国者」が多数いらっしゃるようなので、
>>159 以降の数レスをご覧のように色々と嫌な思いをしますね。
そもそも、「学問」なり「科学」といったものに対して、我々は少々
ナイーブすぎる思いを抱いているんじゃないかな。
「ガラス張り」の研究とかね。
そんなもの、ありゃあしませんて!
親方日の丸の助成金がないと四苦八苦する研究のどこが
「ガラス張り」なんですか。本当に。
科研費の申請には苦労しっぱなしですよ。ねえ皆さん。
学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、とうの昔に
崩れ去ってますよ。違いますか?
#もっとも、一番頭が痛いのは、プロパーの研究者ほどこうした
#問題に対して無頓着というかなんというか・・・・
たとえば「日本の原郷」とか「日本人の心のふるさと」といわれても、
千年以上も前の人間にシンパシーを抱きようがないっていうのが
正直な心境ですね。
「日本人」なんてご大層なものが生まれたのは、せいぜいここ100年じゃ
ないですか。正確にいえば、ここ50年かな?
遙か昔の事象によって自己を確立する社会なんてものは、
自己分裂気味のドッペルゲンガーですよね。全く。
で、「過去」が「捏造」といった問題で否定されたりなんかしたら、
強烈なアイデンティティ・クライシスを起こして、大騒ぎになってるんだから
世話はないですよ。ええ。
といいつつも、これからはますます民族主義的あるいはロマン主義的な
考古学、歴史学がもてはやされるのでしょう・・・
べつにルサンチマンを気取るつもりはありませんが、これからどうやって
荒波に向かっていきましょうかね。楽しみです、ある意味。
あぁ、回線切って逝ってきます。
それではー。
848 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 07:52
>学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、とうの昔に 崩れ去ってますよ。違いますか? そういう言い方が不謹慎なんだよ! トンデモ系が「それみろ」と言うんだ。
849 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 08:48
大学の研究は閉鎖的なんでしょう、出世の為には先人と同じ 事を云わなきゃならない。自分と合わない意見はすべてトン デモ系でかたずける。自分の生きている間は、例え自説が間 違っているのが判っても、究極的な証拠がない限り絶対に認 めてはならない。素人相手にもネットで頑張って叩きつぶす。 ご苦労さん。
850 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 09:03
ウソ書きまくりで、まともに批判されると学閥批判でお茶濁し トンデモさんのセオリーだな つけ込まれるようなこと書く通りすがりも修行不足
851 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 10:29
本音を喋るのは修行不足?
852 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 17:26
修行不足っていうか、まじめな研究者に失礼。
>>849 みたいなトンデモ屋がいい気になるだけ。
内部告発でもやりたいなら、ほかのやり方があるだろう。
自覚が足りないとしか言いようが無い。
853 :
Henton :2001/05/13(日) 17:46
>>848 >>そういう言い方が不謹慎なんだよ!
>>トンデモ系が「それみろ」と言うんだ。
そうやって、大声で恫喝してどうするんですか?
自分のいっていることを絶対化したい?
彼の言っている通りでしょ。
854 :
Henton :2001/05/13(日) 17:50
とにかく、現在「畿内説で確定している」という状況 ではないのに、他所の言論を恫喝して黙らせるのがは たして学問なのか?
855 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 17:53
↑いい気になったトンデモ屋
856 :
ラーメン大好き@名無しさん :2001/05/13(日) 18:04
「九州説」=トンデモって決め付けるだけで何も反論できんくせに。 うざいから、逝ってね。
857 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 18:08
あんた過去レス読んでる? 反論くらった九州説のトンデモさんは毎度グウの音も出なくなって逃走しちょるよ。
858 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 18:11
トンデモといわれてるのはHentonだけだろ?
859 :
通りすがり :2001/05/13(日) 18:24
やっぱり荒れましたね。
>All
私の発言をよく読んでください。
・学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、崩れ去ってますよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
傍線部の箇所を読み飛ばされても困りますね。
学問の「客観性」の崩壊がすなわち、トンデモな解釈を容認するとは
どこにも書いてないですよ。→とくにHentonさん。
>>852 さん
>修行不足っていうか、まじめな研究者に失礼。
どこが失礼なんですか?
どういった研究態度をとれば「まじめな研究者」になれるんですか?
自身の社会に及ぼす影響に対して、全く無自覚な研究態度が
「まじめな研究」なんですか?
私は第2次大戦のような惨劇を日本が再現することを見たくないだけです。
ましてや、自身がその惨劇のお先棒を担ぐなんてまっぴらゴメンです。
>内部告発でもやりたいなら、ほかのやり方があるだろう。
具体的な研究機関や個人名を例に挙げたならば、「内部告発」の範疇に
入るかもしれませんが、違いますよね。
私は考古学、歴史学を例に挙げて、現代における「学問」・「科学」の大いなる
陥穽に言及しただけですよ。
それとも、大日本帝国マンセー! 天皇陛下マンセー!!!といってれば
良いのですか? 残念ながらそれは無理です。
>自覚が足りないとしか言いようが無い。
どんな「自覚」がプロパーの研究者として望ましいのですか?
ぜひご教示下さい。
(続く)
860 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 18:32
>どんな「自覚」がプロパーの研究者として望ましいのですか? 率先して客観性を示す態度と決意
861 :
ラーメン大好き@名無しさん :2001/05/13(日) 18:35
>>学問の「客観性」の崩壊がすなわち、トンデモな解釈を容認するとは どこにも書いてないですよ。→とくにHentonさん。 別に私がトンデモな解釈が容認されるなどといった覚えはないが。 邪馬台国九州説がトンデモとおっしゃるならその理由について 述べていただきたい。 それと、私の言っていることだけがトンデモと決め付けるなら その理由について述べていただきたい。 他のスレを含めて、まともに反論した方は誰もいませんよ。
862 :
通りすがり :2001/05/13(日) 18:36
(続き)
さて、
>Hentonさん
べつに個人を集中攻撃するつもりはありませんが、私自身の発言が
誤読されるのはイヤなので・・
>>853 >彼の言っている通りでしょ。
擁護していただけるのは誠にありがたいですが、
ちょっと違いますよね。
いいですか、繰り返しますよ。
私は現代における学問の「客観性は」、「近代の幻想とともに」崩れ去った
と発言したのです。
つまり絶対客観の存在を前提とした解釈を肯定するほど、我々は
ナイーブな時代に生きていないのです。
我々は極めてアナーキーな時代に生きているのです。
それが「現代」です。
ただし、最低限の「客観性」は残っています。
それは「他者と共有されうる解釈・理解」です。
絶対客観を前提としない科学の唯一の拠り所は、他者と理解を共有しつつ
命題を定立し、かつ共同して絶えずそれを組み替える作業です。
上記の作業を怠った場合、残念ながらその主張は他者とは共有できない
解釈、つまりトンデモ系ですよね。
トンデモ系の存在は、「近代」、「現代」といった時代の相違を越えて
批判されるべきものです。
学問の「客観性」の崩壊 イコール トンデモ系の容認ではないのです。
それを分かってくださいね。
それではー。
(終わり)
863 :
ラーメン大好き@名無しさん :2001/05/13(日) 18:38
結局、最後には論破されるとトンデモと決め付けて 逃げていく人はいましたがね。 正々堂々と反論して欲しいですな。
864 :
通りすがり :2001/05/13(日) 18:39
>>860 さん
>率先して客観性を示す態度と決意
ですから、その「客観性」自体が批判の対象になっていると
再三にわたって申し上げているわけです。
もし
>>860 さんのご意見が妥当性を持つとするなら、
>>860 さん自身の考える「客観性」の内容規定を提示していただけないことには
話が成立しないのです。
いいですか、それほど科学、学問は現代において危機的な状況に
あるのです。
865 :
ラーメン大好き@名無しさん :2001/05/13(日) 18:40
>>862 おっしゃるとおりだと思って恫喝するなといったんですが。
それが何か?
866 :
henton :2001/05/13(日) 18:41
ラーメン大好き@名無しは私です。 ハハ。
867 :
852 :2001/05/13(日) 18:42
>学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、崩れ去ってます ということは、ほとんどすべての研究者が「自身の社会に及ぼす影響に対して、全く無自覚」と断じてるんでしょう? ならば、自身の社会に及ぼす影響を自覚している研究者や、自覚を呼びかけている人々に失礼じゃないんですか?
868 :
Henton :2001/05/13(日) 18:44
それより、通りすがりさんが、九州説または私の言っている ことがトンデモと思うならはっきり書いていただきたい。
869 :
通りすがり :2001/05/13(日) 18:51
>Hentonさん
>それと、私の言っていることだけがトンデモと決め付けるなら
>その理由について述べていただきたい。
>他のスレを含めて、まともに反論した方は誰もいませんよ。 (
>>861 )
>結局、最後には論破されるとトンデモと決め付けて
>逃げていく人はいましたがね。
>正々堂々と反論して欲しいですな。 (
>>863 )
もうお忘れですか?
私は
>>170 前後のレスで、あなたに「正々堂々と」反論しましたよね?
私の反論に対してあなたは途中で、どこかにいなくなってしまいましたが、
あれは何だったのですか?
まずご自身の過去のご発言を思い出してみましょう。
そうすれば、上記のレスは恥ずかしくて言えないはずです。
それとも、続きをこのスレでやりますか?
私は怠惰ですから、別スレを読んでませんので、このスレで
議論はお願いしますね。
やるからには、徹底的にあなたを粉砕する覚悟でやりますよ。
大人げないかもしれませんが、それがあなたのご希望なら仕方ありません。
870 :
通りすがり :2001/05/13(日) 18:54
>>867 さん
>ならば、自身の社会に及ぼす影響を自覚している研究者や、
>自覚を呼びかけている人々に失礼じゃないんですか?
それは曲解ですね。
批判のための批判という感が強いです。
私にも数は少ないですが、同じ問題意識を持った研究仲間がいますから。
そもそも、「失礼」とか「失礼でない」という問題は、この場合的外れです。
たとえば、オウム事件を追及したら、それは麻原被告に対して失礼なのですか?
871 :
860 :2001/05/13(日) 18:54
客観性とは、認識を共有する方法論の確立それ自体であると思っています。 アカウンタビリティにも近い概念だと思うのですが? 通りすがりさんは、客観性への脅威を2次的イデオロギーの領域にまで拡大解釈しているのですか?
872 :
867 :2001/05/13(日) 19:02
どうやら私の過剰反応のようです。客観性という概念の違いによるすれ違いのようですね。 私は871に近い考えです。 それではもう退場します。
873 :
:2001/05/13(日) 19:07
邪馬台国=ハワイ ーーーーー終わりーーーーーーーーー
874 :
Henton :2001/05/13(日) 19:12
>>869 はあ?
そのレスはあなたが、倭宰が日本大使館のようなものと
言ったので、私がそのようなものが古代に存在したもの
と思えないといったら、あなたが肯定したレスじゃない
ですか?
それ以外になにか?
875 :
日本@名無史さん :2001/05/13(日) 19:14
>>868 だから、誰が九州説はトンデモなんて言ってるんだ?
あんたがトンデモって言われてるだけじゃん!
876 :
通りすがり :2001/05/13(日) 19:17
>>871 さん
>客観性とは、認識を共有する方法論の確立それ自体であると思っています。
>アカウンタビリティにも近い概念だと思うのですが?
一義的にはそのように認識しています。
私の下記の発言(
>>862 )は、
>それは「他者と共有されうる解釈・理解」です。
>絶対客観を前提としない科学の唯一の拠り所は、他者と理解を共有しつつ
>命題を定立し、かつ共同して絶えずそれを組み替える作業です。
まさしく説明責任の問題と直結するテーゼです。
>通りすがりさんは、客観性への脅威を2次的イデオロギーの領域にまで
>拡大解釈しているのですか?
はい。おっしゃるとおりです。
ただ、拡大解釈というよりも、認識の拡大に関するレベル差とお考え下さい。
物象化された認識の解釈者(×主体)に対する反作用に加え、「実験室モデル」への
批判とも受け取っていただいて結構です。
877 :
通りすがり :2001/05/13(日) 19:21
>Hentonさん(
>>874 )
重要な箇所を読み飛ばしてもらっても困ります。
私の発言(
>>170 )
>すいません。おっしゃる意味がよくわかりません。
>現代国家の領域支配概念を、過去(先史、原史時代)に対しても
>同様に適用されるのはどうかと思いますよ。
上記の発言が、あなたへの批判だったのですが・・・
反論は「全く」なかったですよね。
他者からの批判内容に対して、自身に都合の良い解釈は
ご勘弁下さい。
878 :
Henton :2001/05/13(日) 19:21
879 :
Henton :2001/05/13(日) 19:26
>>877 現代国家の領域支配概念云々とは?
「倭人が支配していた」というのと「日本が支配していた」というのと
違うということでしょうか?
それとも、古代国家に支配という概念が存在していなかったということ?
もうちっと具体的に言ってくれないと分かりませんな。
880 :
通りすがり :2001/05/13(日) 19:33
>Hentonさん(
>>879 )
具体的な説明をしてもよいですが、
あなたはもう少し、自分の頭で考えた方がいいんじゃないかな?
というよりも国語力の問題かな。
私の
>>170 前後のレスを精読して、それでも理解できなかったら
再度、ご質問下さい。
あなたにも理解できるような説明を用意しますから。
881 :
Henton :2001/05/13(日) 20:04
>>880 結局、国語力のせいにするのですか?困った人だ。
例えば、近代国家の概念を適用するならば、明治時代
まで日本は国家ではないといえると思いますよ。
つまり、幕藩体制は諸大名と幕府の連合だと思います。
杓子定規に近代国家の概念を当てはめればそうなりますね。
古代においても同じじゃないですか?
朝鮮半島内の倭人勢力が、たとえ独立した勢力だったとしても、
古代の国家概念からすれば、倭(日本)に属していたのではないか
という解釈がそれほどトンデモな解釈に思われないのですが。
882 :
871 :2001/05/13(日) 20:43
>>876 >通りすがりさん
それでは、学の独立が冒されているということであって
学問の客観性が崩壊しているというのとは違うのではないでしょうか?
883 :
通りすがり :2001/05/13(日) 21:11
>Hentonさん
お相手は後回しです。あしからず。
>>882 さん
助成金云々の話に関しては、「学の独立が冒されている」ことに
なりますが、それでも「学の独立」がアプリオリに措定されていますよね。
近代以降に話を限定しますが、K・ポパーの仮説演繹法に代表される
いわゆる「実験室モデル」のようなメタレベルのコンテクストとして発言しました。
メタセオリー、パラダイムあるいはより身体的なエピステーメーによる
科学への影響、さらには科学自身によるコンテクストへの反作用の問題を
考えた場合、「学の独立」といった本質的な言説がはたして妥当性を
持つのでしょうか。
そもそも、冒されるべき「学の独立」の存在自体に疑義を挟みたいのです。
とりわけ私の場合は、対象として考古学(人類学)を検討しているわけですね。
ちょっと抽象的すぎましたね、ゴメンナサイ。
884 :
882 :2001/05/13(日) 21:31
エディプスのパラドックスという問題も出てきますすね。 しかし一義的には、学問の客観性とはオントロギッシュな問題でしょう。 学問の客観性が崩壊しているという表現は針小棒大と感じます。
885 :
通りすがり :2001/05/13(日) 21:34
さて、Hentonさん
順々に進めましょう。
私の
>>165 の発言に対する、Hentonさんのレス(
>>167 )です。
以下、引用。
------------------------------------------------------------
167 名前:Henton 投稿日:2001/03/04(日) 23:01
>そりゃ、AD4-6世紀の期間中に倭国が伽耶地域と交換活動を営んい
>たことからすると、 倭国の人間が当該地域に在留していた蓋然性
>は極めて高いと私も考えます。
>ただ、その在留行為と「任那日本府」は全く意味する内容が異な
>ることはご理解できますか?
在留していたらその地を支配していたと考えてもおかしくない。
------------------------------------------------------------
引用終わり。
<疑問1>
>在留していたらその地を支配していたと考えてもおかしくない。
「考えてもおかしくない」とする理由をご説明下さい。
「在留」=「支配」とする因果関係が私には理解できません。
<疑問2>
「支配」とはどのような活動ですか?
「倭国」が伽耶地域をいかなる理由で、またいかなる体制で
「支配」していたいのですか?
とりあえず、以上の2点について伺いましょうか。
886 :
通りすがり :2001/05/13(日) 21:38
>>884 さん
おつき合いいただき幸いです。
>しかし一義的には、学問の客観性とはオントロギッシュな問題でしょう。
上記のご発言に補足説明があるとありがたいです。
場合によっては、私の認識を改める必要がありますからね。
それでは。
#極端にスレ違いのようでしたら、新スレを用意します。
887 :
通りすがり(補足) :2001/05/13(日) 21:42
補足です。
>>884 さん
ちなみに私は、「学問の客観性」に関して存在論的というより
認識論的な観点から発言しています。
888 :
882 :2001/05/13(日) 22:47
私は自称ゴルギアス主義者で合意された知を実在と捉えているので 認識論ではなく存在論になるのです。 学問もまた、蜘蛛がはった巣のような構造物だと思います。 …スレ違いのようですね…
889 :
通りすがり(補足) :2001/05/13(日) 22:57
>>888 さん
スイマセン。さっぱり分かりません(恥)。
もう少し分かりやすくお願いできますか?
>合意された知を実在と捉えているので
>認識論ではなく存在論になるのです。
うーん、よくわからない。
>学問もまた、蜘蛛がはった巣のような構造物だと思います。
メタフォジカルな表現だとちょっと・・・・
#たしかにスレ違いなんですが、どうしましょう。
#とりあえずキリの良いところまで続けますか?
890 :
法師 :2001/05/13(日) 23:12
>>827 >通りすがりさん
いやはや、どうも、重ね重ねお手数を。
>
>>825 のご発言を、様々な予断を含む循環論法を回避するための
> 方法論提示として理解してよろしいですね?
はい、そのように理解していただけると幸いです。
※いうまでもなく、具体的な誰かの具体的な論法がどうであるとい
う問題ではありません。歴史の問題は、「時代を千何百年戻すと
邪馬台国ができる」という関係が成り立たないので、本質的に、
「水を熱すると蒸気になる」とかいった意味での証明は不能の問題
ですから、多かれ少なかれ、何らかの仮定を前提として、推論を
進めざるをえないわけで、結果として、多少なりとも循環せざる
を得ないですね。時代を遡れば遡るほど、資料等の傍証が少なく
なりますから、全く循環せずに論議を進めることは、まあ、不可
能に近いといってもかまわないでしょう。
>つまり議論の現段階では、
>魏使は「日本列島」に「渡航できた / できていない」両方の仮定が
>「現代の地図上においては」留保(エポケー)されているのですね。
その点に関しては、記述の本元となった事実関係を確認した者が、
全体について共通とは限らない(ここではあえて共通ではないと
は明言しません)ので、ちょっと回答しにくいのですが、「魏の
使い」に限定するなら、やはり、両様の可能性を考慮しておくこ
とは、必須ということになりそうですね。
※「魏使は本当は日本列島に上陸なんかしていない」とは、一言も
いっておりません。当然上陸したものと断定的に仮定して、その
仮定の上に推論を重ねるのでは、元のほうが一つ崩れたら、後が
丸崩れになる可能性もあるという「だけのこと」です。
※「現代の地図上においては」という留保については、当時の地勢
が、現在と極端に違うことはないはずなので、結果として「魏の
使いなら魏の使い(報告者が異なるならその報告者)が実際に航
行したときにありうる地勢は、現在と決定的には変わっていない
はず」で、特に留保する必要はないのではないかと思いますが。
いうまでもなく、元々の報告者の体験した事実が、そのまま伝え
られたのなら…ということです。
>いっぽうで、魏使は記載上の「事実」として「倭国」には渡航している、と。
誰かにどこか別の場所へ連れて行かれて「ここが倭国だ」と騙さ
れたとか、実際に行くのは危ないとかで、途中でUターンしてご
まかしたのでないなら、おそらく航行したということになりそう
ですね。
>検討の順序からすれば、
>>825 のご発言を議論の最初に提示した方が
>良かったかもしれませんね。
ご指摘有り難うございます。既にアップした順を入れ替えるとい
うわけにはいかないですから、その点は、まあ、置かせていただ
きます。
891 :
法師 :2001/05/13(日) 23:13
>>828 >通りすがりさん
>私の<疑問1>に対するご返答としては理解できます。
>検討に際し、朝鮮半島〜九州島(正確には「狗邪韓国」〜「対馬国」〜「一支国」〜)に
>対象を限定する理由としては、「「狗邪韓国」〜「対馬国」〜「一支国」〜」の記載が
>「狗邪韓国」から「倭国」に至る渡航の最低条件であること、ということですよね。
はい、そういった意図です。とにもかくにも、海を渡っておかな
いとらない話が始まらないと。
※ただし、「狗邪韓国」を必ず経由したか否かは、個人的には、若
干の疑念を持ちます。理由:海流の関係で、北航するときと、南
航するときで、同一の航路は取れないと考えた方が、動力船のな
い当時の航海としては、自然だと考えるからです。もちろん、そ
れがすなわち「狗邪韓国」の範囲に収まっているとするなら、話
は別です。
※細かいようですが、「一大(一支)」ですよね。国名の「壱台」
については「台」で異論はなく、再検討の意志もないです。
>いっぽう、<疑問2>に対するご返答ですが、
>地点間隔比率が渡航の「必要条件」であることを上記のご発言から説明するには、
>当該期の航法について検証が必要ではないでしょうか。
>当該期の航法において、島嶼間を航海する際に地点間隔比率が重要なメルクマール
>となっていたことをご説明していただけるとご主旨がより明瞭になると考えます。
はい。おっしゃるとおりです。
その点に関しては、当時の航法について明確になるような資料は、
特に持ち合わせていないので、特に付け加えることはありません。
距離音痴で方向音痴では、現代においても、ある程度以上に浜か
ら離れた航海をすることなど不可能に近いという、まあ「状況証
拠」のみ提示しておくにとどめます。
ただし、航海といえる航海をしたことがないどころか、陸上での
方位を意識することさえもない、現代の都会人がどう考えるかは、
当時において実際に航海した者とは、有意性のある関連がない、
全く別の事柄であると考えます。
また、実際の地勢とかけ離れた、昔の、得体の知れない地図が、
昔の人の地理に関する誤謬の存在の傍証として持ち出されること
がありますが、そういった地図は、「現場の人間」には全く無縁
のもののはずです。
少なくとも、ある程度の交流がある海域なら、航行は、海を自宅
の庭のようにしていて、周囲に見える島の具合などから、現在地
を相当程度に正確に把握できる者が選ばれて担当したはずですか
ら、そういった得体の知れない誤った地理概念は、ミクロ的には、
何をどう間違っても混入してくる余地はないはずです。
ここで念を押しますが、元となった報告がそのまま正しく伝達さ
れて、結果として倭人伝に記述されたかどうかは、全く別問題で
す。ただし、皆目見当もつかない地域に関して、何らかの報告の
聞き書きを作るときに、何らかの予断に則って、予断のほうに整
合するような操作を、積極的に加えるということは、これは現代
人の当方の感覚の上でのことですが、あんまりあるとは思われな
いです。
さらに、この部分が、何らかの意味での正確さを備えているので
なければ、以後が全て空論となるなどとは、最初から一言も申し
ておりません。
892 :
法師 :2001/05/13(日) 23:15
>>829 >通りすがりさん
>>単に、811で提示された点に関しては、当方が、さらに、意図の説明を追加するまで
>>もない、というくらいの意味でよろしいでしょうか?
>
>おっしゃるとおりです。
>すいません。うまく意味が通ってなかったですね。
いやはや、こちらこそお手数を。
>法師さんが循環論法に陥っているという私の発言は誤読であると
>いう趣旨でした。
>泣き言ですが、
>>825 のご発言が最初に提示されていれば、
>私も誤読せずにすんだのに(涙)
いやはやどうも。
>#余談ですが、「※」印以下のご発言はなくてもよいような・・・
>#揚げ足を取られない表現を本文中で厳選して使用すれば、なにも
>#問題は生じないと思います。
あ どうもご配慮有り難うございます。揚げ足とおっしゃるのが
何のことかよく分かりませんが、矛盾点等のご指摘は、非常にあ
りがたいものです。
>#あえて敵を作っている感が強いです。
>#老婆心ながら、付け加えました。ご一考下さい。
なぜここで、敵味方という概念が登場するのか、ちょっとよく分
からないです。何らかの利害を伴った論争ということなら、敵味
方という概念はあり得ると思いますが、個人的には、別に、利害
関係はありませんから、どうもピンと来ません。何らかの意味で
の個人的な敵という意味であれば、別に、ご自由にとしか申し上
げられません。いうまでもなく、関連した発言が個人の自由の範
囲に収まっているかどうかは、また、別問題ですが。
893 :
法師 :2001/05/13(日) 23:16
「陸行1月」 1:ホントに遠いから当時の交通事情ではそれだけかかった 2:距離は遠くはないけど当時の交通事情ではそれだけかかった 3:変な病気を持っていないか確認するための検疫で足止めするの が常だった 4:使節団は、途中で目一杯おもてなしして、ヘロヘロにしてから 都に入るようにして、外交を有利に運ぶのが常套手段だった 5:単なる憶測による数値か、誤伝か、もしくは書き間違いか、も しくは後世の誤刻や誤植。陸行1日とか1年とか。水行20日 で陸行1里 9里4里おいしい13里。 7:意図的な情報操作 8:その他
894 :
888 :2001/05/13(日) 23:20
「学問の客観性」とは、知を共有する手続きの構造それ自体であり これによって学問は文化的構造物として実体を有すると言いたいわけです。 つまり構造物である「学問の独立性」は容易にイデオロギーの侵犯を受けるが 構造である「学問の客観性」はそう簡単に崩壊はしないと言いたいのです。 …よそでやるべきですね…
895 :
通りすがり(補足) :2001/05/13(日) 23:21
>法師さん(
>>890 )
どーも。
>※「現代の地図上においては」という留保については、当時の地勢
> が、現在と極端に違うことはないはずなので、結果として「魏の
> 使いなら魏の使い(報告者が異なるならその報告者)が実際に航
> 行したときにありうる地勢は、現在と決定的には変わっていない
> はず」で、特に留保する必要はないのではないかと思いますが。
>
> いうまでもなく、元々の報告者の体験した事実が、そのまま伝え
> られたのなら…ということです。
魏使が「記載上」は渡航した「事実」から検討を出発させる意味で、
私は発言しました。
いずれにせよ、議論の交通整理ができて良かったと思います。
さて、どう議論を進めましょうか?
896 :
通りすがり(補足) :2001/05/13(日) 23:34
>>894 さん
>つまり構造物である「学問の独立性」は容易にイデオロギーの侵犯を受けるが
>構造である「学問の客観性」はそう簡単に崩壊はしないと言いたいのです。
なるほど、分かりやすいご説明ありがとうございました。
私も理解できました(多分)。
つまり、「学問の独立性」と「学問の客観性」は別次元の問題として処理すべきであり、
私の発言は両者が混同されている、と理解してよろしいですか?
つかぬことを伺いますが、上記に示された概念規定は、「ゴルギアス主義」に
特有なのでしょうか。見当違いな質問かもしれませんが・・・
「ゴルギアス主義」とは初めて耳にする言葉です。
そんなものがあったのですか・・・
ガイダンスまたは参考文献を紹介していただけると幸いです。
また、「ゴルギアス主義」を離れて、私が使用した術語で誤用あるいは誤認識など
あればご指摘下さい。
それでは。
897 :
888 :2001/05/13(日) 23:48
「自称」と申しましたとおりゴルギアス主義というのは私が自称しているだけです。 知を個の認識ではなく社会的な実在として捉える視点からは 「学問の客観性」は認識論ではなく存在論だと言いたかっただけです。
898 :
通りすがり :2001/05/13(日) 23:48
>法師さん(
>>891 )
具沢山のレスありがとうございます。
>※細かいようですが、「一大(一支)」ですよね。
おっしゃるとおりです。
その辺は厳密でないといけませんね。
>その点に関しては、当時の航法について明確になるような資料は
> 特に持ち合わせていないので、特に付け加えることは
> ありません。
> 距離音痴で方向音痴では、現代においても、ある程度以上に浜
> から離れた航海をすることなど不可能に近いという、まあ「状
> 況証拠」のみ提示しておくにとどめます。
うーん。私としては地点間距離比率が検討対象になる積極的な理由
がやはり欲しいですね。ある程度の実証性に目をつぶっても良いで
すから、さらなるご説明があるとありがたいです。
>また、実際の地勢とかけ離れた、昔の、得体の知れない地図が、
> 昔の人の地理に関する誤謬の存在の傍証として持ち出されるこ
> とがありますが、そういった地図は、「現場の人間」には全く
> 無縁のもののはずです。
なるほど、「現場」レベルの視点は私にはありませんでした。
「事実情報」の報告段階と記載段階では、地理認識に関してレベル
差を認める必要がありますね。
ここで、法師さんの
>>631 のご発言、
>う〜〜〜ん、当時の国交関係から考えて、もっと散文的に
>把握してもかまわないんじゃないかと思いますが。
上記のご発言に関する補足説明があるとありがたいです。
(続く)
899 :
通りすがり :2001/05/13(日) 23:52
>>897 さん
>知を個の認識ではなく社会的な実在として捉える視点
デュルケムの「構造」理解と同様に考えてよろしいでしょうか?
「知を個の認識ではなく社会的な実在として捉える視点」については、
もう少し私自身が理解を深める必要がありますね。
知識社会学関連の文献をあたれば良いのでしょうか?
F1が始まりました。 私へのレスは先延ばしにします。 誠にスイマセンが、ご了承下さい。
新スレッドのPartが3のはずが4となってますが、 大目に見てくださいね。
881 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 20:04
>>880 結局、国語力のせいにするのですか?困った人だ。
例えば、近代国家の概念を適用するならば、明治時代
まで日本は国家ではないといえると思いますよ。
つまり、幕藩体制は諸大名と幕府の連合だと思います。
杓子定規に近代国家の概念を当てはめればそうなりますね。
古代においても同じじゃないですか?
朝鮮半島内の倭人勢力が、たとえ独立した勢力だったとしても、
古代の国家概念からすれば、倭(日本)に属していたのではないか
という解釈がそれほどトンデモな解釈に思われないのですが。882 名前:871 投稿日:2001/05/13(日) 20:43
>>876 >通りすがりさん
それでは、学の独立が冒されているということであって
学問の客観性が崩壊しているというのとは違うのではないでしょうか?
883 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 21:11
>Hentonさん
お相手は後回しです。あしからず。
>>882 さん
助成金云々の話に関しては、「学の独立が冒されている」ことに
なりますが、それでも「学の独立」がアプリオリに措定されていますよね。
近代以降に話を限定しますが、K・ポパーの仮説演繹法に代表される
いわゆる「実験室モデル」のようなメタレベルのコンテクストとして発言しました。
メタセオリー、パラダイムあるいはより身体的なエピステーメーによる
科学への影響、さらには科学自身によるコンテクストへの反作用の問題を
考えた場合、「学の独立」といった本質的な言説がはたして妥当性を
持つのでしょうか。
そもそも、冒されるべき「学の独立」の存在自体に疑義を挟みたいのです。
とりわけ私の場合は、対象として考古学(人類学)を検討しているわけですね。
ちょっと抽象的すぎましたね、ゴメンナサイ。
884 名前:882 投稿日:2001/05/13(日) 21:31
エディプスのパラドックスという問題も出てきますすね。
しかし一義的には、学問の客観性とはオントロギッシュな問題でしょう。
学問の客観性が崩壊しているという表現は針小棒大と感じます。
905 :
通りすがり :2001/05/17(木) 01:51
>>70 さん(
>>70 −72で良いのかな?)
レスありがとうございます。
具体的なご批判は大歓迎です。
>中間まとめ要求とでも理解して!
了解しました。
たしかに議論が煩雑になる傾向にあるので、ここら辺で中間整理が必要でしょ
う。
>というわけで論証過程どころか論証が存在してないって言ってんだけど
おっしゃるとおり確かに「論証過程」と呼べる内容は未だ展開されておりま
せん。現段階では、論証の前提内容について議論が交わされています。
その点をご理解のうえ、以下の文をご覧下さい。
まず、法師さんによる最初の問題提起は下記の内容です。
>半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいとい
>うのは、単なる偶然以上と考えてもよろしいんじゃない
>でしょうか。(前スレ
>>638 )
またさらに下記の問題提起。
>まず、元々の記述のどれ(どういった部分)がどの程度に信頼しうるのかを
>検討してみようということです。
>如何でしょうか? (前スレ
>>655 )
上記の問題を提起されたうえで、法師さんは議論上の前提仮定として下記の
点を提示しました。
・「倭人伝」の地理記載は実際の見聞に基づき記述された箇所が存在する。
・「狗邪韓国〜一大国〜」に関する距離記載、とりわけ地点間距離比率を「事
実情報」に基づいた記述として仮定する。
上記の仮定に基づき、「狗邪韓国〜一大国〜」の地点間距離比率から具体的
な比定地を想定しようとするご発言でした。
なお、上記の法師さんによる問題提起の背景として、下記の法師さんの発言
を引用します。(前スレ
>>827 )
>倭人伝の距離に関連する記述はデタラメであるとしたら、「邪馬
> 台国は日本国内に存在した」という仮定を元にした循環論法以外
> で、どうやって日本に上陸することができるか?
上記のご発言を、私は様々な予断を含む循環論法を回避するための方法論提
示として理解しております。
なお、私が法師さんの発言内容のうちで興味を持った点は、アプリオリに
「現代の地図上の比定地」を想定せずに、あくまでも記載内容から検討すると
した方法論提示であることを申し添えます。
(続く)
場所が違うぞ
908 :
日本@名無史さん :2001/05/21(月) 04:02
909 :
日本@名無史さん :2001/05/27(日) 08:27
910 :
日本@名無史さん :2001/05/30(水) 10:16
当時の琉球はどうだったの?
911 :
日本@名無史さん :2001/06/04(月) 10:00
琉球語と日本語の分岐が2000年前らしいから、既に分岐していたかも。
912 :
日本@名無史さん :2001/06/04(月) 19:36
sage
913 :
日本@名無史さん :2001/06/07(木) 20:46
しかし琉球もヤマトと同じ民族だったわけですよね
914 :
日本@名無史さん :2001/06/28(木) 19:29
畿内説有力age 宮内庁は仁徳天皇稜他、の古墳の開放をしてくれ。 俺が調べに逝くから。 by 堺市民
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