1 :
日本@名無史さん:
鹿児島では島津家と西郷隆盛の悪口はNGって知ってますか?
征韓論が「遣韓論」になっていたりして笑えるのですが
2 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 18:53
そんなの常識。
3 :
酔鯨ジョーカー@武蔵国:2001/02/24(土) 19:14
『抜刀隊』
吾は官軍 我が敵は天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は古今無双の英雄で
これに従う兵(つわもの)は共に剽悍決死の士
鬼神に恥じぬ勇有るも 天の許さぬ叛逆を
起せし者は昔より 栄しためし有らざるぞ
敵の滅ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし
4 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 21:32
あたりまえじゃん。
会津じゃ西郷隆盛をほめるほうがNG。
山梨じゃ信玄、新潟じゃ謙信、宮城じゃ政宗の悪口はNG。
常識でしょう。
5 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 22:09
しかし鹿児島って会津やら沖縄に恨まれてるよねぇ
6 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 22:32
鹿児島人はブサイクで頭悪い。氏んでくれ。
7 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 23:03
鹿児島人は人食い人種の野蛮人その上ホモ。
長州人はロリコンの変態。
8 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 12:15
勇猛なる薩摩隼人を侮辱する者はたれか
9 :
酔鯨ジョーカー@武蔵国:2001/02/25(日) 13:08
>7
私は、江戸後期・幕末でも薩摩には
男色の風習が根強く残っていた事と、
その影響で維新後 東京(旧「江戸」)・大坂でも書生・学生
や士官・士官候補生などの間で”男色ルネッサンス”が
起きた事は知っていたが、昨年まで西郷南洲が両刀使いだった
とは知らなかった。
10 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 13:52
借金踏み倒しに贋金が軍資金。
どこかの国とそっくりだ。
11 :
名無しさん:2001/02/25(日) 15:05
薩摩の農民って酷い生活だったんでしょ?
12 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 16:28
鹿児島のいなかもんはは芋食って死ね!!
13 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 16:30
長岡市もそれくらい河井継之助を評価してやれ!!
西郷も最後はアホな戦争を起して鹿児島を焼いたのだから。
14 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 16:42
戦争を起こした奴の中で一番惨めなのは前原一誠だよな
前原を担いだ側近が、戦闘前に木戸孝允の手紙一本で全員寝返り
政府の高官に。まさに加藤紘一状態。
15 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 23:10
鹿児島万歳!!
16 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 01:05
今時のカゴシマの若人は
「そんなんもん興味ない」
そうです。
17 :
酔鯨ジョーカー@武蔵国:2001/02/26(月) 01:11
>14
前原一誠を侮辱(?)するのは控えて下さい。
18 :
酔鯨ジョーカー@武蔵国:2001/02/26(月) 01:16
私は”佐幕派”だが、前原、広沢、品川、三浦梧郎の
事は評価している。
19 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 01:35
>>9 酔鯨ジョーカー@武蔵国どの
>西郷南洲が両刀使い
ソースは何?
わしも聞いたことはあるが、なんか資料でもあるのかネ?
歴史ヲタが想像するほど普通の生活をしてる人は歴史を知っていない。
歴史漫画を読んでるほうがまだ歴史を知ってるくらい。
一般人は歴史小説どころか歴史漫画すら読んでいない。
桐野利秋の名前も知らない鹿児島県人がほとんどだよ。>早乙女読者さん
21 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 12:23
ただ、鹿児島では、小(or 中)学校でテキスト使って郷土の偉人について
教えるからね。
私の住んでる県ではそんなの全く無かったから、
他の県の人に比べれば、少しは郷土史を知っていると思われ。
(桐野は別に偉人じゃないしな。只の人斬り)
逆に、そういうふうに「西郷さんは偉かったんだぞ」と教え込まれることに
反発する若者もいると聞く。
ちなみに私は早乙女は読んでおらぬ。
22 :
酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/02/26(月) 21:20
>19
私も”聞いた事”があるだけなんですよ。書き方が断定的でいけなかった。
23 :
19:2001/02/27(火) 09:57
>22
ジョーカーどの、レスさんきゅーです。
わしも人から、何かに書いてあったよ、と聞いたことがあって、
何なのか知りたいと思ってたもので…
そのとき聞いたのは
「西南戦争の最中も西郷どんは稚児さんとHしてた」
とかゆう話だったですよ。だから西南戦争がらみの本かなあ、と。
誰か知らない?
昨日さあ、ニュース見てたら、国会議員の吉田松陰劇やってて、
海江田万里が西郷演じてたんだけど、もしかしてあの海江田の子孫なのか?
25 :
酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/02/27(火) 20:12
>24
そうです。海江田万里自身は東京生まれですが、父親や祖父から
”お前は薩摩人なんだぞ”と教育を受けて、本人もそう自覚なさっている
そうです。
だったら鹿児島県議でもやれよ!>海江田万里
26 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 12:23
大久保利通は鹿児島では人気ないんですか?
27 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 12:28
クマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよしクマソ逝ってよし
28 :
ラジオネーム名無しさん:2001/02/28(水) 12:57
熊襲逝って良し
29 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 13:08
なんでチェストーなの?
30 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 13:11
31 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 13:15
鹿児島って、クマソでなく、ハヤトじゃないの?同じ??
32 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 13:21
熊襲死ね!!
33 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 13:42
>>31 熊襲(クマソ)と隼人(ハヤト)が同じものが別ものかは説がわかれる。
個人的には別だと思うが、同じものとする方が有力。
ただし古代における本来の意味とは無関係に、
現代では熊襲は蔑称、隼人は尊称って感じくさい。
34 :
31:2001/02/28(水) 15:29
>>33 はは〜、なるほど。わかりやすい解説、感謝です。
クマソは逝ってよしでハヤトは逝ケテルぅ〜!んですね(笑)
35 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 15:43
隼人はディティールのはっきりした実在の種族(=鹿児島県人の先祖)であるが、
これに対し熊襲ってのは資料不足もあり若干伝説がかっておりよくわからない。
古事記では(熊曾とかく)純粋に地名として使っており
特定の異種族ではないのかも知れない。
個人的には
日向北部(ソ)から肥後南部(クマ)にかけての
九州中央の山岳部が熊襲であり
その南(=大隈・薩摩)が隼人の地であり
結局、熊襲と隼人は別だと思う。
しかし通説では
「クマ」は同じだが大隈の贈唹郡を「ソ」に当て、
熊襲が大和朝廷の支配下に入って隼人になった、
つまり「熊襲=隼人」と説く。
36 :
33=35:2001/02/28(水) 15:47
>>29 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/02/28(水) 13:08
>なんでチェストーなの?
それは折れも昔からへんに思っていた、是非教えてほしい。
教えて西郷どん。
37 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 23:30
薩摩示現流剣道を学校で習うってほんと?
38 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 03:53
薩摩示現流って…ホモの育成に一役買ったってさぁ…マヂ?
講談社現代新書「武士道とエロス」より。
読んでびっくり。
39 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 08:56
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人は逝ってよし
南方の蛮人ごときに負けたアズマ君は、よっぽど悔しかったらしいね。
またクマソ征伐においでよ!適当に相手してあげるから♪
41 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 20:57
>>38 その本はわしも読んだが。
男色を育成させてたのは「摩示現流」じゃなくて「郷中教育」の方だよ。
その一環として、剣術の稽古もあった、ってこと。
そう書いてあったと思うが。
そんなにびっくりすることじゃないぞ。
その本にも、日本には伝統的に男色は普通のことで、
世が平穏になった18世紀以降、衰えたと書いてあったろ?
(↑ただし、薩摩はずっと臨戦態勢だったので衆道も続いた…
というのは同著者の別の本だったかもしれない)
42 :
轢死の語りべ:2001/03/01(木) 22:11
薩摩はどうしてずっと臨戦体制だったんですか?
排他的だったからですか?
43 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 22:42
だからなんで「ちぇすとー」なんだよっ!
それを教えろっつーの。
44 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 23:19
それは解かんないんじゃないの。
関東ではなんで「エイ、ヤッ、トウ」なのって
聞かれても解かんないよ。
45 :
ちぇすと:2001/03/02(金) 01:00
つまり鹿児島が最強ということだ
46 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:10
>>42 臨戦態勢ってのは、徳川に対して200数十年ずっと
「チェスト関ケ原!!」と、屈辱を忘れていなかったから。
毎年『妙円寺参り』などをやって語り継いだ。
半ば形骸化していたとは言え、いつか雪辱を…という意識は
あったようだ。
他国からの人の入国を厳しく制限し、公儀隠密さえなかなか
帰ってこれなかった、というのは有名な話。(「薩摩飛脚」ね)
とりあえずの仮想敵(というか最初に必ず当たる敵)は熊本城
と考えられていた。
47 :
46 続き:2001/03/02(金) 01:12
郷中教育も、要するに「簡単に命を捨てる」ための教育であって、
実戦に役立つ戦闘員・及び司令官を育てる教育。
薩摩に限らず本来『武士』というのは職業軍人のはずなのだが、
太平の世になって、江戸の旗本・御家人をはじめ諸藩でも
そういう殺気立った雰囲気はなくなり、なにごとも穏便に収める
のが美徳になっていたのに、情報や人の出入りを制限していたため
薩摩武士のみは戦国の気風のままで幕末を迎えた。
「他国の風に似てくると薩摩は弱くなる」と言われ、華美・脆弱に
流れるのを嫌った。
「戦いでカッコよく死ぬ」のが薩摩武士の至上命題であって、
衆道は、戦場での強い結束を意味した。
(その気風を守るためには仮想敵がいた方がいいしね)
…とかいう感じ。『武士道とエロス』の氏家幹人だけでなく、
鹿児島の郷土史家の書いたものなども参考にしてまとめると以上のように
理解していいかと思いますが、もっと詳しい人、フォローぷりーず。
48 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:18
49 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:19
チェストって英語だっけ?
50 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:21
フランス語
51 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:22
戦争を起こした奴の中で一番惨めなのは前原一誠だよな
前原を担いだ側近が、戦闘前に木戸孝允の手紙一本で全員寝返り
政府の高官に。まさに加藤紘一状態。
52 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:24
>>50 フランス語だったら「シェスト」でしょう。
ドイツ語だったら「ケスト」
53 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:24
>50
違うドイツ語
54 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:27
どっちが本当?
55 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:29
前にテレビでやってた示現流の気合いは
「ちえぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーー!!!!」
って、血管切れそうな雄叫びだったよ。
目の前であんなんやられたら、百姓上がりの鎮台兵はそりゃ卒倒するよな。
56 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:30
タガログ語。
57 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 01:47
58 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 02:28
>>9 >>19 薩摩では「男色をやらないと一人前の男と認めてもらえなかった」
というから、西郷だけがやってないわけはないよな。
一人前と認められなければ、人の上に立つことも出来ないだろうし。
明治までは薩摩には遊廓も無かったという。
江戸や京都に出てきた薩摩人は、妾を持ったり、
女遊びしまくったりしてたのはその反動か?
薩摩(及び戦国期までの日本)では、女とは、子供を残すためだけに結婚し、
恋愛は男と、てのが常識だったんだと。
しかし、それじゃ西郷どんも、子供の頃は誰かの稚児さんだったのだろうか・・・
案外かわいいかもな。黒目がちで固太りしてて。
59 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 02:43
>黒目がちで固太りしてて。
黒目がちってのはキヨソーネの創作だろう
60 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 02:57
そう? 証言もあったんじゃない?>黒目がち
61 :
名無しさん@1周年:2001/03/03(土) 03:26
62 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 03:56
江戸期の薩摩藩では武士階層が全人口の約40%もいたという。
これは兵農分離が進んでいなかった戦国以前の状態が、
江戸時代を通じて続いていたということだ。
武士とはいっても農耕を営む郷士身分も多かったそうだから、
鹿児島士族なんて所詮ドキュソだな。
63 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 06:10
九州の奴も東北の奴も北陸の奴も関西の奴も
日本語喋れ
66 :
善吉和尚:2001/03/03(土) 10:24
示現流の気合は「イェ−イ」(東郷本家・優雅・鹿児島上士・ヘタレ・形稽古
系)と「チェ−イ」(薬丸野太刀自顕流・郷士・野蛮プロレス・「死ね死ね」
体育会系)と両方有ります。どっちもどっちです(藁
67 :
58:2001/03/03(土) 20:05
>黒目がち
三宅雪嶺の『同時代史』に
「西郷が堂々たる五尺九寸の偉躯にて、巨眼人を射り…」
とある。目が大きかったのは本当だろう。
キヨソネの肖像画は、目は西郷従道に、口元は大山巌によく似ていたから、
それぞれをモデルにして描いたといわれている。
(これは、色んなもんに書いてあるので、元もとのソースが何、
というのはよく知らない。スマヌ)
だから「目が大きくて黒目がち」と思われ。
「黒ダイヤのようだった」というのも読んだことがあるが、
原典を覚えてないので、とりあえずこんなとこ。
薩摩の男色云々については、鹿児島の郷土史をいくつか読めば
必ず出てくる話。全国区で書いてる著者の本だと、
五代夏夫の『薩摩問わず語り』とか
白洲正子の『両性具有の美』などに詳しい。
(白洲正子は、父方の祖父が樺山資紀・母方の祖父が川村純義)
『両性具有の美』に郷中について
>武士を育てるのを目的としたから、武芸を鍛えるのと、
>「恥を知る」ということが一番重要な教育方針であった。
>もちろん彼らの間に肉体的な交渉があったのは当然で、
>「菊花の契り」を結ばぬような男性は一人前には扱われなかった。
とある。
あと、上に出てる氏家幹人の本にも薩摩の衆道話は多いね。
68 :
酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/03(土) 20:14
長州で男色があったとは聞かないね。
69 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 21:06
>>68 私は長州には興味が無いのであまり文献など読んだことが無いが、
イメージとして、薩摩のような「厳しい上下関係」とは反対に
「平等」な傾向があるように思う。
騎兵隊のような色んな身分がまじってる組織なんて、
薩摩じゃ考えられない。
そういうところでは男色は必要無いんじゃないかな。
衆道は、念者→稚児の上下関係が(年齢的にも)ハッキリしてる。
特に薩摩の「オセンシ(年長の者)の言うことには逆らうな」
という掟とか、長州じゃ「何ソレ??」ってカンジだったんじゃない?
(このへんは、あくまで私のイメージなので、違ったら、
「それちゃうで!」って指摘してね)
古今東西、軍隊のように、男ばかりでかつ上下関係が厳しいところは
男色を伴う。
70 :
69:2001/03/03(土) 21:07
もうひとつ、
「男はだんだん地味になり、女性がどんどん綺麗になっていった」
ことも、全国的に男色が衰えた原因のひとつであろうと
『武士道とエロス』にも書かれている。
しかし薩摩は男尊女卑がひどく、女性が目立ってはいけなかった。
そういう華美な文化を担うべき富商階級というものが薩摩には
少なかった。
しかも結婚前の男が、女と口をきくのも恥とされていた。
58で書いたように薩摩には遊廓も無し。
長州には遊廓くらいあったろうし、女好きの志士の話も多いよね。
ところで会津や佐賀も衆道が盛んだったって本当?
そっちの方くわしい人、教えて。
71 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 02:02
鹿児島では今でも犬を食べるの?
薩摩の犬食いっていうけど。
72 :
日本@名無史さん:2001/03/04(日) 02:03
たしかに薩摩と長州では、全然気風が違う気がするな。
むしろ薩摩は会津などの方が武士の気骨とか共通するものが
あったのでは。
73 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 02:08
>71
勿論、今でも犬を食べます。
犬料理は鹿児島県の名物です。
74 :
名無的発言者:2001/03/05(月) 02:17
>>67 >黒ダイヤ
アーネスト・サトウの表現です。
75 :
67:2001/03/05(月) 02:36
>>74 オゥーッ! サンキュー・サー!!
(えげれす人風)
76 :
日本@名無史さん:2001/03/05(月) 15:43
鹿児島じゃ、鶏はヤセ(野菜)ごわす。
犬は食うもんではなか。
猟に連れていっとでごわす。
ウナギやったら喜びもす。
77 :
日本@名無史さん:2001/03/06(火) 14:15
age
78 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 01:39
age
79 :
酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/07(水) 12:44
鹿児島県(薩摩・大隈)ではないが、麻原彰晃こと松本智津夫は、
熊本県(肥後)南部の出身。そして、あの「縄文顔」でも判るように、
彼は熊襲の末裔なんだよ。それに加えて極貧層の出だった為、
皇室こと大和朝廷を憎み続け、天皇暗殺を目論んだんだよ。
これマジレス。
80 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 12:48
81 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 13:11
>>79 ジョーカーどん、スレ違いでごわす。
そげんこつよっか、また男色話でもしもんそ。ワッハッハッハ。
82 :
酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/07(水) 13:13
>81
私も、昔の薩摩に生まれたかったよ。うひょ♪
83 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 13:53
ジョーカーどんは、タチでごわすか?
おいどんはネコでごわす。
84 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 15:31
武士のたしなみ、衆道を復活させよう。
現代のゲイと一緒にしちゃいかんぞ。
ところで、薩摩男色の聖典「しずのおだまき」って、現在刊行されてるの?
85 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 15:46
ゴジラの着ぐるみ俳優の薩摩剣八郎は鹿児島出身。
86 :
【^▽^】クマソ:2001/03/07(水) 20:31
>83
おいどんはタチでごわす。
>84
明治時代には東京の学生・書生の間でも”聖典”とされていたらしいね。
87 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 23:29
俺はアズマの一人だけど、本当は薩摩は嫌いじゃない。
嫌いなのはあくまで長州。
ここだけは絶対に嫌だ。
88 :
【^▽^】クマソ&エミシ:2001/03/08(木) 00:09
長州を地図から抹殺せよ!
89 :
日本@名無史さん:2001/03/08(木) 00:53
「しずのおだまき」読んでみたいぞ。
90 :
【^▽^】クマソ&エミシ:2001/03/08(木) 00:58
>89
国会図書館にでも有るかなぁ?
91 :
日本@名無史さん:2001/03/08(木) 09:32
>72
今の県民性見ても、会津、薩摩は武士道が色濃く残っていますね。
92 :
【^▽^】エミシ:2001/03/08(木) 16:30
誰か鹿児島の良い男(無論、”その気”が有る)を紹介しておくれ!
93 :
日本@名無史さん:2001/03/08(木) 18:22
それだけ田舎ってことだよ>91
94 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 14:11
さつまage
95 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 19:09
鹿児島の博物館行くと、遣韓論にしろ
何かその気にさせられてしまう。
今でもカリスマなんだろうね。
96 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 19:38
なんで薩摩はゆるせて長州はゆるせないの?
97 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 11:20
同性愛板から飛んできました。
西郷さん萌えの、ガッチリ体型が好きなホモです。
俺自身もデブかな。100kg越えてるから。
中学のころ、気が付いたらガッチリ体型の好きなホモになってたんだけど、
俺の親父は鹿児島出身、しかも祖先は武士階級。俺自身は関西で育ったんだけどね。
大学に入る頃になって、薩摩隼人の間では男色が普通だった、
そしてあの憧れの西郷さんもやっぱり男色をやってた、って聞いて、
侮れない血筋の濃さを感じました。
俺がガッチリ・デブの男臭い男が好きなゲイになったのって、やっぱり薩摩隼人の血筋の
なせるワザかも、なんて考えちゃったりしたな。
98 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 11:37
97さん、いらっしゃ〜い♪
あちらの板の方にも書き込んでもらえて嬉しゅうごわす。
オイも、そちらの板の戦国大名スレはときどき覗いちょりもす。
やっぱ、薩摩隼人たるもの、男色こそが男道!
おじいさんから、鹿児島のこと、何か聞いたことありもすか?
(エセ鹿児島弁でゴメン。実は非鹿児島人なんじゃ)
99 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 11:43
100 :
97:2001/03/30(金) 12:15
>98
俺、戦国大名スレから飛んできたんだよ。あっちじゃ209です。
いいのかな、こんな話題このスレで書いちゃって・・・。
俺の爺さんはね、フィリピンで死んじゃったんだよ。戦死ってやつ。
そのせいか、親父は薩摩隼人の子孫のくせにちょっとマザコン気味だった。
女手一つで育てられたからね。でも、顔も体つきも立派な薩摩隼人だったよ。
親父は、眉が太くて目がギラッとしてて(西郷さんみたいな感じ)、
体格もよかった(173cm85kg位だった)。
俺がデブになっちゃったのは親父に似たからだな。お袋は細いタイプだからね。
鹿児島言葉は本当に分からない。親父に連れられて何度も帰省したけど、
親戚の皆さん達、最初は俺達家族が関西で育ってるの知ってるから
遠慮して標準語に近い言葉でしゃべるんだけど、
酒が回ってくると、鹿児島弁丸出しになって、本当に何言ってるのか全然わからなくなる。
英語よりわかんないくらい。俺と弟と、お袋の3人だけが取り残されちゃって、
とっても寂しい気持ちになったものです。
それにしても、鹿児島の酒は強烈だよね。
帰省するといつも芋焼酎の一気飲み責め。
俺も酒は大好きだし、芋焼酎も基本的には好きだけど、
鹿児島へ行くといつも毎日二日酔い状態になるのにはちょっと参るな。
男もすっかり小綺麗になっちまって、中性的な、なよなよした雰囲気ばかり漂う今の日本で、
ああいう「男気」が今でも脈々と息づいている鹿児島という土地を
自分のルーツに持っている、というのは、
男色一筋の自分にとって、ちょっとした誇りですね。
101 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 12:24
>>62 帯刀したまま畑を耕してたそうですな
>>97 ホモの人のDNAを調べたら先祖に薩摩系が多かったりして。
102 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 12:53
>>100 >いいのかな、こんな話題このスレで書いちゃって・・・。
だいじょぶ、だいじょぶ!
日本史・世界史問わず、歴史好きと言うからには、
男色に偏見があるやつはモグリだよ〜ん!
たとえ自分がノンケでもね。俺もノンケなんだがナ。
薩摩の焼酎は、お湯割りが好き。よく寝酒に飲むよ。
そういえば、西郷どんって、お酒に弱かったんだってね。
で、甘いもの好き。大久保利通もそう。
103 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 16:10
かるかんとお茶で一服する西郷どん…萌え。
104 :
日本@名無史さん:
鹿児島に車で行くと
そこかしこに西郷さんの絵やら像やらあってびっくり。
「ここは何か違う!」と思わせる何かがある。
鹿児島県人から「鹿児島に生まれた男は一度は西郷さんに憧れる」
と言っていた。未だに信じられん。