1 :
名無しさん:
蘇我本宗家は645年、大化の改新で滅びましたが、
天智天皇の娘の持統天皇は、蘇我石川麻呂の孫に当たるので、
蘇我家の血は、天皇家に微々たる物ながら残ってますよね。
また、天智天皇・天武天皇の母、皇極天皇の母親は、
推古天皇の同母弟の娘で、推古天皇の母親は、馬子の姉ですから
やはり、微々たるものながら、存続していると思われます。
要点を絞ると一つ目は、馬子の子孫の血が天皇家に受け継がれているかどうか。
そうでない場合、二つ目は、馬子の姉の血が天皇家に受け継がれているかどうか。
どう思われます?
2 :
日本@名無史さん:2001/02/15(木) 19:56
>1
蘇我稲目―蘇我堅塩姫―桜井皇子―吉備姫王―皇極天皇―天智天皇
この系統だけじゃないかな。
3 :
日本@名無史さん:2001/02/15(木) 22:05
>>1 推古天皇←(母)馬子の姉←(父)蘇我稲目ってこと?
それともういっこはこういうこと?
天智天皇←(母)皇極天皇←(母)推古天皇の同母弟の娘←(父)推古天皇の同母弟
つまり最初のことからこうなる?
推古天皇の同母弟←(母)馬子の姉←(父)蘇我稲目
4 :
名無しさん:2001/02/16(金) 02:14
もう結論が出たね。
5 :
日本@名無史さん:2001/02/17(土) 01:55
蘇我堅塩姫以外には通じている可能性はないですか?
6 :
日本@名無史さん:2001/02/17(土) 14:12
>5
ないでしょうね。
天武朝の血は現在の天皇家に入ってないから、
天智天皇に繋がらないとね。
7 :
名無しさん@120分待ち:2001/02/17(土) 14:42
昔の天皇家って近親相姦だからキティが生まれ易く
自分の地位を守る為に親族を殺したりして
3,4回血が途切れたと高校の先生が言っていたけど。
8 :
日本@名無史さん:2001/02/17(土) 16:37
近親相姦がキチガイを生みやすいというのは科学的根拠がないという話を
きいたが
>7
>昔の天皇家って近親相姦だから
それはどこでもそうでしょ。
10 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 04:12
>>5 馬子の娘たちの嫁ぎ先での子孫についてはどうかしら。
11 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 05:17
足利らへんで足利尊氏だか誰だか忘れたが
天皇が死んじゃって新潟から連れて来た
うそ臭い天皇がいたはずだが。
12 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 05:38
>8
レヴィ=ストロースか?
>11
意味がわからん
14 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 17:19
>13
足利尊氏が東北から自称天皇の子を
連れて来て天皇とした、ということです。
15 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 17:25
>14
何というトンデモ本に書いてあったの?
16 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 19:22
高校の日本史の先生が言っていた。
年齢とかを考慮すると4回くらい
血が途切れているとも言っていた
17 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 20:34
18 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 20:40
19 :
こんな感じ?:2001/02/19(月) 21:14
蘇我稲目┬―蘇我堅塩姫┬―推古天皇
└―蘇我馬子 └―桜井皇子――吉備姫王――皇極天皇――天智天皇
>>8 犬のブリーディングの話、知ってます?酷いですよ。産まれながら○が無いとか。
20 :
日本@名無史さん:2001/02/20(火) 03:53
21 :
1:2001/02/20(火) 20:43
>20
難しいこと言いますなぁ。ちょっとがんばって系図書いてみました。
=は婚姻関係
蘇我馬子┬―刀自古郎女=聖徳太子
| └―山背大兄皇子(他3人)
|
└―河上娘=崇峻天皇
|
└―法提郎媛=舒明天皇
└―古人大兄皇子――倭姫王=天智天皇
長くなったので、解説はその次に書きます。
22 :
1:2001/02/20(火) 20:44
刀自古郎女の子である山背大兄皇子はじめ他3人は、
大化の改新の2年前に蘇我入鹿によって滅ぼされているので断絶。
河上娘は崇峻天皇に嫁いだものの子供が居なくて、崇峻天皇を殺した東漢直駒に
さらわれ、その後の行方は?(本によって、殺されたとか自殺したとか色々)
よって、断絶
法提郎媛の子である古人大兄皇子は、異母弟で娘婿にあたる天智天皇に殺され、
古人大兄皇子の娘、倭姫王は子供が居ない。よって断絶。
つまり、馬子の娘系統は私が知っている限り断絶しているんです。
馬子の孫あたりからはどうなのでしょうかね?
23 :
だっだっ:2001/02/20(火) 21:29
ヒ○ヒトは負け犬だっだっ!!
24 :
19@こんな感じ?:2001/02/21(水) 00:42
蘇我稲目┬―蘇我堅塩姫┬―推古天皇
| └―桜井皇子――吉備姫王――皇極天皇――天智天皇
| |
| |
| |
└―蘇我馬子┬―刀自古郎女 |
| ├―――――山背大兄皇子(他3人) |
| 聖徳太子 |
| |
├―河上娘崇峻天皇 |
| | |
| 崇峻天皇 |
| |
└―法提郎媛 |
├――――――古人大兄皇子―――――倭姫王
舒明天皇
25 :
日本@名無史さん:2001/02/21(水) 03:37
>>14 越前から来た天皇っつったら
継体天皇だけど
当然足利とは時代違うが
越前は新潟じゃなく福井だし
ネタ書き込みとも思えぬし、14は勘違いかな
26 :
日本@名無史さん:2001/02/21(水) 19:51
>>24 半角のスペースを使うと、その人の環境や設定でずれるので、
スペースを含めて全角だけを用いて書くといいです。よろしくね。
27 :
19@訳が分からぶぇ:2001/02/21(水) 20:43
蘇我稲目┬蘇我馬子┬―刀自古郎女
| | ├――――山背大兄皇子(他3人)
| | 聖徳太子
| ├―――河上娘
| | |
| | 崇峻天皇
| └―――――――――――――――‐法提郎媛
| ├―古人大兄皇子―倭姫王
└蘇我堅塩姫 舒明天皇 |
├――┬―用明天皇――聖徳太子 ├――――┬――天智天皇
欽明天皇 ├―――桜井皇子――吉備姫王 | └――天武天皇
└推古天皇 ├―――皇極天皇
| 茅渟王 ├―――漢皇子
敏達天皇―押坂彦人大兄皇子 高向王
├――――舒明天皇
28 :
1:2001/02/21(水) 20:55
24さんの系図に男系の蘇我馬子の息子も加えた系図作りました。
参考までに
┌天武天皇
蘇我稲目┬―蘇我堅塩姫┬―推古天皇 舒明天皇※|
| | ├――┤
| | | └天智天皇
| └―桜井皇子―吉備姫王―皇極天皇 |||
| |||
| |||
| |||
└―蘇我馬子┬―刀自古郎女 |||
| ├―――山背大兄皇子(他3人) |||
| 聖徳太子 |||
| |||
├―河上娘 |||
| | |||
| 崇峻天皇 |||
| |||
├―法提郎媛 |||
| ├――――古人大兄皇子―――倭姫王||
| 舒明天皇※ ||
| ||
├―蝦夷─────入鹿 ||
| ||
└─倉麻呂────石川麻呂──┬───越智娘|
| |
└─────姪娘
29 :
1:2001/02/21(水) 20:58
うへえ!ずれまくったぜぇ。
26さんの言った通り全部全角で作ったのにィ!!
これじゃなんだかわからんよ!
天智と越智娘以降のもつくったけど、載せるのやめときます。
30 :
日本@名無史さん:2001/02/21(水) 21:12
―じゃなくて─をつかえばいいんじゃない?
>>29 みせていただけませんか。
31 :
1:2001/02/22(木) 00:17
>30さん
アドバイス通りにしてみましたが、またもズレてたらごめんしてくんなまし。
┌────天武天皇
堅塩姫─(二代略)─皇極天皇 | |
├───┴※天智天皇├─────草壁皇子
舒明天皇 | | |
| | ├☆文武天皇
蘇我馬子─倉麻呂─石川麻呂─┬─越智娘──┴─持統天皇 |
| ├元正天皇
└────姪娘 |
├──────元明天皇
※天智天皇
☆文武天皇
├────聖武天皇
藤原不等人─┬宮子 ├────考謙・称徳天皇
├安宿媛(光明皇后)
└藤原4兄弟
32 :
1:2001/02/22(木) 00:21
くそ!なぜズレる!
ところで、急に藤原不等人なんか出しましたが、
なんかの本で、藤原不等人の妻の一人は蘇我氏の出で
蘇我娼子(だったかな?本が見つからなかったので)と
いうらしいですが、彼女が藤原4兄弟の誰かの母だとしたら、
その後の天皇家にも蘇我氏の血が入っているのではないかと。。。
33 :
日本@名無史さん:2001/02/22(木) 01:35
蘇我娼子は武智麻呂、房前、宇合の母とされてますよね。
馬子−倉麻呂−連子−娼子と続いてるので、
こっちからも蘇我の血は入ってるのか?
うわ、今まで気づかなかったよ…。
34 :
日本@名無史さん:2001/02/22(木) 01:38
馬子の血が入ってるか入ってないかに
なぜ関心があるのですか?
35 :
1:2001/02/22(木) 08:18
そう聞かれてもな、関心があるからとしか言いようがないな
36 :
日本@名無史さん:2001/02/22(木) 21:51
稲目の子の小祚の子孫の桜井朝臣や刀名の子孫の久米朝臣からも藤原氏の有力者の妻が出ていたとおもうが…
37 :
1:2001/02/22(木) 23:32
>36
稲目の子の小祚の子孫の桜井朝臣や刀名の子孫の久米朝臣からも藤原氏の有力者の妻が出ていたとおもうが…
うわ!恥ずかしながら、この系統の人たちは知りませんでした。
わかれば、系図お願いできませんか?
経験上、面倒くさいことは承知しているのですが、ぜひお願い致します。
38 :
ふにふに:2001/02/23(金) 01:24
あっあの・・・ちょっとズレて申し訳ないんですが
堅塩姫と小姉君って異母ですか?それとも同母の姉妹ですか?
スミマセン。だって馬子は堅塩姫系の子どもをヒイキしてたと
噂があったもんですから。
39 :
日本@名無史さん:2001/02/23(金) 23:20
>>28 河上娘が崇峻天皇の妃であるとするのは少し問題あり
40 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 07:35
馬子と入鹿で「馬鹿」になってしまいますが、
真面目な話として、後世からの名前の改竄はないのでしょうか?
>>40 馬子も限りなくクロに近いが、蝦夷と入鹿は明らかに本名ではない。
つまり後世つくられた蔑称です。
42 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 10:03
入鹿は『鞍作』じゃなかったかな?
『日出る国の天子』だと、蝦夷は『蘇我毛人』だったね。
43 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 10:15
蝦夷のことを「毛人」と記している史料には,どんなものがありますか?
(もともとは毛人だったのを書紀が蝦夷という字をわざわざ当てた可能性はあるかも)
44 :
名無しさん:2001/02/24(土) 12:44
>38
日本書紀の記述を信ずれば、堅塩媛と小姉君は同母姉妹。
馬子と推古は小姉君系の皇子をかたっぱしから殺してますね。
そういうことから馬子が堅塩媛系の子供をヒイキしてるという
話がでてるんでしょう。
堅塩媛の長女で磐隈皇女が伊勢大神に仕えてたんですが、
小姉君の長男の茨城皇子に犯されて解任されたという話が
日本書紀に載ってます。
あくまで私の想像に過ぎませんが、この事件があって、
堅塩媛が小姉君系の子供をよく思わなくなり、
馬子は堅塩媛に何らかの恩義があったか、ウマがあったかで
堅塩媛系の子供をヒイキしたのかもしれませんね。
45 :
Henton:2001/02/24(土) 14:27
>>41 莫迦を馬鹿と書くようになったのは、近世だと思う。
46 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:07
>>41 俺も動物の名前が入っているのは新政権があてた蔑称だと教わった覚えがある。
47 :
日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:36
誰が教えたかしらんが、それはアホ
>>45 が正しい。
48 :
Henton:2001/02/24(土) 17:44
49 :
Henton:2001/02/24(土) 17:46
失礼。間違えた。
>>47 そうですよね。蔑称なわけない。
50 :
日本@名無史さん:2001/02/25(日) 07:54
蘇我家の先祖の名前もかなり偽装されてるっぽい気がします。
どこかに蘇我家の名前一覧ないですか?列挙お願いします。
51 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 02:09
武内宿禰−蘇我石川宿禰−満智−韓子−高麗(馬背)−稲目−馬子
52 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 02:54
>>40,
>>45,
>>46 「馬鹿」というのは
語源は「馬家」で、宋だか明だかの時代、
「馬」氏という金持ちの家のドラ息子が
財産を食い潰したことから出てきた言葉です。
(秦の二世皇帝の馬と鹿の話とは別です、また馬鹿は
サンスクリットの当て字で「莫迦」が正しいとの説も不可)
だから日本書紀とは時代が合わない。
---------------
でも蘇我3代の名が蔑称ではないかという説は大昔からありますな。
蔑称説は、最近は有力ではないが、
「蘇我」も日本書紀がそう書いているだけで
リアルタイムでは「宗賀」と書いていたらしいので
個人的にはありえなくもないと思う。
ただ、仮に蔑称説が成り立ったとしても、
物凄く侮辱した言葉じゃなくて、軽くからかった程度のあだ名です。
---------------
馬子は「島」、蝦夷は「豊浦」、入鹿は「鞍作」という別名がある。
豊浦と鞍作は、本名の可能性もないではないが、わからないとすべきだろう。
「馬子」というのは
推古20年に蘇我を名馬に例える御製を賜ったことからつけたあだ名。
「蝦夷」というのは
皇極元年に蝦夷を自宅で接待してからついたあだ名。
「入鹿」というのはよくわからぬがやはり何かのあだ名だろう。
これらのあだ名は後世につけられたのではなく
同時代の反蘇我派が使ってたものだろう、それが日本書紀に採用された。
「島」というのもやはりあだ名で本名ではないが、
これには皮肉は込められて無いので馬子の方が採用に。
53 :
日本@名無史さん:2001/02/26(月) 22:32
本来は蘇我ではなく宗賀であるというのはどの資料にみられますか
54 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 10:56
>46
誰に教わったかは知りませんが、それは大きな間違いです。
名は体をあらわすとか、現代でも子供に願いを込めて名づけるように、
動物の名をつけるのは、呪術的というかあやかる意味があります。
中国はで字で呼ぶように、日本でも実名を呼ばないように、
現在ではおかしな命名だと思っても、それだけで断言はできません。
55 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 10:59
>46
誰に教わったかは知りませんが、それは大きな間違いです。
名は体をあらわすとか、現代でも子供に願いを込めて名づけるように、
動物の名をつけるのは、呪術的というかあやかる意味があります。
中国はで字で呼ぶように、日本でも実名を呼ばないように、
現在ではおかしな命名だと思っても、それだけで断言はできません。
56 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 11:08
奈良時代では、「続日本紀」に、和気清麻呂が穢麻呂と変えられた話が載っています。
蘇我氏の場合も、同時代史料には、違う名前で載っていたりするので、
「韓子」「馬子」「蝦夷」などは、蔑称の可能性があるでしょう。
57 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 11:54
>>55 ヴァカ。そんなこと皆わかってるよ。
だからあだ名をつける意味があんじゃねえか。
(呪術的な意味ね。ツッコミのレベルが厨房なんだよ、氏ね)
58 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 12:08
>「韓子」「馬子」「蝦夷」などは、蔑称の可能性があるでしょう。
「韓子」はどうなの、蔑称かなあ?
親父の「満智」が木羅満智だとする説は年代的に苦しいけど、
仮にそうだとして(そうじゃないとしても)
半島生まれだから「韓子」と呼ばれたなら、
当時としては必ずしも蔑称ではないのでは?
結果的に蔑称云々は馬子以下3代だけが問題になるように思うけど…
59 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 12:57
日本書紀に注釈があるように、韓子とは三韓人との混血を指します。
60 :
58:2001/02/27(火) 15:00
61 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 17:08
トーシロの唐突なツッコミ:
厩戸皇子って蔑称?
62 :
日本@名無史さん:2001/02/27(火) 19:56
>>61 蔑称とはみない説が多いんじゃないかな。
(個人的には蔑称だと思うけど、この説は極めてマイナーです。
っつーか折れだけか?)
63 :
日本@名無史さん:2001/02/28(水) 12:35
トーシロのツッコミ その弐:
少なくとも「馬」と「厩」を較べると、「馬」の方は、むしろ「好字」に近いん
じゃない?「厩」の字が佳字として使われた例は、俺は寡聞にしてしらないんだが。
64 :
62:2001/02/28(水) 13:21
くりかえしますがあくまで個人的意見としては厩戸皇子の名は蔑称だと思う。
蘇我馬子べったりだったからついたあだ名だろう。
「馬子」「蝦夷」と同じく生前に反蘇我派が呼んだものと思う。
(日本書紀の段階ではすでに太子信仰に隠されて潤色されている)
これはかなり憶測説なので反論あってもとくに否定はしませんよ。
ただし本名に関しては実母か養母(乳母)の出身氏族からとる例が多いわけで
「厩」の字が佳字かどうかはこの際あまり重要ではないだろう。
ちなみに聖徳太子の本名は伝わっていない。これを
聖徳太子架空説の根拠にする向きもあるが疑問。
かれの本名は「宗賀皇子」だろう、これも憶測だが十中八九まちがいないと思う。
65 :
1:2001/02/28(水) 20:31
「蘇我」ってのは「我は蘇る」っていうのが語源だと
梅原猛の「隠された十字架」で読んだような気がするんだけど。
今、手元に本がないので確信ではありませんが。
66 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 05:10
>>65 まず「ソガ」という名があってあとは当て字の問題です。
「蘇我」ってのは石川麻呂あたりがつけたんじゃないかと思うけどね。
大化の改新をくぐって生き延びたソガ氏だから。「我を蘇らす」
「宗賀」のままだと印象悪かったろうし。
67 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 20:23
宗賀って印象悪いですか?
ところで宗賀という名前で出てくる資料を教えていただけるとうれしいです。
68 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 23:59
ほんとにまどろっこしい奴だなー
大化の改新の直後なんだから印象悪いに決まってんじゃん。
それと宗賀の表記は記紀以前なんだから『推古朝遺文』に決まってんじゃん
そんなタリメーのこと聞かなくちゃわかんないのかよ
69 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 21:27
石川麻呂は生き残っているわけで、
本家が潰れただけなのに、印象が悪いっていうのは無理な解釈だと思うが。
70 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 21:29
宗男と額賀。印象わるー。
71 :
日本@名無史さん:2001/03/02(金) 22:06
本家が潰れた「だけ」じゃないでしょう。
権勢ふりかざしてもともと印象悪かったところに
(ま、ここは見解の相違あるだろうから譲ってもいいが)
逆賊・謀叛人として成敗された後なんだから。
72 :
マサカド:2001/03/03(土) 21:03
トーシロのツッコミ:その参(面倒だから、こっちでもコテハンにすっか。)
「宗賀皇子」って、なんて訓むの? 「ソガノミコ」?
73 :
マサカド:2001/03/03(土) 22:18
もうひとつ、聖徳太子は「ソガ」氏に属さないよね?
父親は用命天皇だし。
74 :
日本@名無史さん:2001/03/03(土) 22:56
73は頭がおかしいのか?
>本名に関しては実母か養母(乳母)の出身氏族からとる
とあるとおり。
親父が皇族でなくて他氏族だったらそもそも皇子じゃないだろうが!
75 :
マサカド:2001/03/03(土) 23:49
推古以降、母親が皇族でも皇子になれるようになったっていえないの?
>>75 …あの… 意味不明なんすけど… 文が……(死去)
我ながら、お粗末の一言。
78 :
日本@名無史さん:2001/03/07(水) 21:11
>73
「ソガ」氏に属してないけど、父親方も母親方も祖母は「ソガ」氏の出。
属してないけど、「血は濃い」ってわけです。
あと、「皇子」または「皇女」とは「天皇」の「子供」であって、
皇族でも「天皇」の子供でなければ「皇子」または「皇女」とは
原則としていいません。
中には、山背大兄皇子のように、父親が「天皇」でないのに
「皇子」と書かれている人もいますが。。。
79 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 03:36
>父親方も母親方も祖母は「ソガ」氏の出。
そういう皇族は聖徳太子がはじめてじゃないのかな。
蘇我系の皇子といわれる所以だろうね。
>>78 有難うございますぅ〜。恥をかくのも無駄じゃないですね。
81 :
日本@名無史さん:2001/03/09(金) 23:58
宗賀之倉王と蘇我氏との関係ってありますか?
宗賀之倉王ってだれ?
83 :
日本@名無史さん:2001/03/11(日) 18:07
宗賀之倉王は欽明天皇の息子。母は春日中若子。
84 :
日本@名無史さん:2001/03/11(日) 19:46
まったく素人の感想だけど、
平群鮪(へぐりのしび)とか動物の名前つけたやつは
他にもいっぱいいいたように思う。
蘇我赤兄(そがのあかえ)も真偽は知らないけどアカエイのことだって聞いたことあるし。
エミシも佐伯今毛人(さえきのいまえみし)とかいるよね(字は違うけど)。
エミシとかイルカってほんとに蔑称だったのかなあ?
85 :
日本@名無史さん:2001/03/12(月) 11:05
>57
>俺も動物の名前が入っているのは新政権があてた蔑称だと教わった覚えがある。
>だからあだ名をつける意味があんじゃねえか。
46=57かどうかは知りませんが、とてもわかっているようにはおもえません。
無知を指摘されたからといって、憤るのはやめましょう。
あなたは「動物の名=蔑称」としているようですが、それは正しいですか。
そういう内容しか記述していませんが、
正しいとすれば、それが短絡的だといっているのです。
86 :
日本@名無史さん:2001/03/12(月) 16:40
動物名は蔑称じゃないよ。
87 :
日本@名無史さん:2001/03/12(月) 21:15
まあ、史実かどうかはわからんが紀記も含めて最初の動物名は仁徳天皇あたりからじゃないかな?
88 :
日本@名無史さん:2001/03/14(水) 10:29
仁徳って動物なん???
もうちょいくわしくおしえてちょ
89 :
日本@名無史さん:2001/03/14(水) 13:22
仁徳は大ササギで鳥の名前。
兄弟にもハヤブサやメトリなどいるね。
仁徳だったか応神だったか、武内宿禰の子供の木角(ヅク=ミミズクのこと)と名前取り替えたって話もある。
このころ鳥の名前が流行してたのかな?
90 :
日本@名無史さん:2001/03/15(木) 18:55
しかし、それらかっこいい鳥とちがって、蝦夷はさすがに‥
91 :
日本@名無史さん:2001/03/16(金) 01:00
鴨氏にも蝦夷っているから(字もそのまま)蔑称ってことはないとおもうが…
92 :
日本@名無史さん:2001/03/16(金) 01:01
南方民族の隼人は蔑称じゃないのか?
今もいるけど…
93 :
52:2001/03/18(日) 05:44
>>86 そういう白か黒かって話しじゃないと思うよ。
たとえば「蝦夷」だって勇猛な人ってことで、それだけなら必ずしも蔑称じゃないだろうし
「馬子」だって一般人としてはどってことない名前だろう。
でも大臣クラスの人間の名として、どうなのかな。
だから
>物凄く侮辱した言葉じゃなくて、軽くからかった程度のあだ名(中略)
>これらのあだ名は後世につけられたのではなく
>同時代の反蘇我派が使ってたものだろう(以下略)
といったのです。
94 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 05:45
>>92 隼人は蔑称じゃないでしょう。
でも「今もいる」って…。なんのこと?
95 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 10:52
>>67 岩波文庫版の『上宮聖徳法王帝説』では
蘇我・宗我・曾我 は全部つかわれていますね(註ではなく本文に).
もともとさまざまな字が混用されていたのか,写本の過程で表記がばらついたのか
いまとなっては判断のしようもなさそうですが.
イナメは, 伊奈米・稲目
ウマコは, 馬古・馬子
が混用されています.エミシは「毛人」.
96 :
日本@名無史さん:2001/03/18(日) 10:54
あ,67さんが聞いていたのは「宗賀」ですね.
それは同書には,見つかりませんでした.
97 :
日本@名無史さん:2001/03/20(火) 16:34
春日中若子(=糠子郎女)と欽明天皇の間に生まれた子供として、
春日山田郎女(=老女子郎女)、麻呂古、宗賀之倉王の3人がいます。
98 :
日本@名無史さん:2001/03/23(金) 21:14
じゃあ、そのひとの子孫なのかも‥
99 :
日本@名無史さん:2001/03/23(金) 23:01
>97
ほかのトピで否定されてるだろ…
100 :
日本@名無史さん:2001/03/24(土) 13:32
101 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 14:13
宗賀之倉王の存在が否定されているスレってどこよ?
102 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 21:33
ちがう、ちがう。
宗賀之倉王の存在が否定されているんじゃなくて、
春日中若子=糠子郎女
春日山田郎女=老女子郎女
の同一人物ってことが否定されてんでしょうが。
338 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/03/20(火) 11:35
なにに書かれているの?
わざとひっかきまわしているのか? それとも天然か?
春日中若子は男で、糠若子郎女とは別人だよ。
春日中若子(男)の娘が老女子郎女で、敏達天皇に嫁いで大俣王を生んでいる。
糠若子郎女は春日(丸邇)日爪臣の娘。仁賢天皇に嫁いで春日山田郎女を生んでいる。
だから
春日中若子 ≠ 糠子郎女
春日山田郎女 ≠ 老女子郎女
104 :
日本@名無史さん:2001/03/29(木) 19:16
老女子郎女って、欽明天皇の娘じゃない?
>>104 ワザとボケてるのか天然なのか、どっちにしろオマエの脳みそ腐ってない?
老女子郎女は春日中若子(男)の娘だって逝ってるだろが。
106 :
日本@名無史さん:2001/03/29(木) 20:47
小さいことにこだわるなよ、ヴォケ!
107 :
日本@名無史さん:2001/04/02(月) 11:04
>107
他のスレで引用されてるだろ
109 :
日本@名無史さん:2001/04/08(日) 23:14
春日之日爪臣と春日中若子の関係はどう考えてる?
110 :
日本@名無史さん:2001/04/09(月) 03:23
>109
┌佐都紀臣─深目臣┬日爪臣─糠君娘(糠若子郎女:仁賢妃)
│ └童女君(袁抒媛:雄略妃)
│
└人華臣 ─岡上臣─野依臣─淵名臣─大樹臣─中若子臣(仲君)┬妹子臣
└老女子郎女(薬君娘:敏達夫人)
という系図があるよ。
「古代氏族系譜集成 和邇臣、春日臣」
111 :
1:2001/04/12(木) 00:59
あんのぉ、1ですけど、春日の話はそろそろ切り上げて、
蘇我の話に戻りましょうよぉ。。。
112 :
日本@名無史さん:2001/04/17(火) 19:53
蘇我と春日には接点ないの?
もちろん大王家を通して以外にね。
113 :
1:2001/04/18(水) 00:33
あまり詳しくないんですが、強いて言えば蘇我も春日も「臣」である。
で、たしか遣隋使で有名な「小野妹子」は春日の分家じゃなかったかな?
うーん、どなたか詳しい人いません?
114 :
日本@名無史さん:2001/04/27(金) 21:10
>>111=1さん、
宗賀之倉王と蘇我の関係が気になります。
115 :
日本@名無史さん:2001/04/27(金) 23:59
>113
101の系図に妹子って書いてあるよ
116 :
日本@名無史さん:2001/05/18(金) 03:30
117 :
日本@名無史さん:2001/05/21(月) 21:30
妹の子だったりして
118 :
日本@名無史さん:2001/05/26(土) 22:25
藤原を通して残ってるんじゃないの?蘇我の血
119 :
日本@名無史さん:2001/05/29(火) 20:31
天皇家にもちゃんと残っています。
ついでに織田家も羽柴家も徳川家のも天皇家に残っています。
告知
荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。
<規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。
日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059
121 :
日本@名無史さん:2001/06/03(日) 12:11
第九の血も残っているらしいね。
122 :
日本@名無史さん:2001/06/03(日) 13:06
クラスに蘇我って苗字の人がいるんだけど。
関係あるのかなぁ?
123 :
日本@名無史さん:2001/06/07(木) 05:12
蘇我倉山田の子孫じゃないですか?
124 :
日本@名無史さん:2001/06/07(木) 07:23
例の教科書、「蘇我氏の横暴」なんて項目を立てて、
蘇我蝦夷・入鹿を極悪人扱いしている。
やはり戦前の皇国史観丸出しだな。
125 :
日本@名無史さん:2001/06/07(木) 07:49
>>118 藤原北家の祖である房前の母は蘇我連子の娘。
房前の子孫に4后を同時に立てた道長などがいる。
少なくとも系譜上は明らかに繋がっている。
宇合の母については諸説あるため、確実に繋がっているのは文徳天皇から。
そうね
127 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 20:38
>>122 蘇我部(蘇我氏に使えていた農民)の子孫でしょう。
本当は、蘇我部○○という名前なのに明治の時に「部」を
外して、蘇我○○にしたんだよ。
128 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 20:45
太宰府に「田中」を本姓とする一族があるようですが、蘇我氏と関係あるんでしょうか?
太宰府には初代太宰帥蘇我日向が建立したとされる武蔵寺という古寺があります。
市史や幕政時代の書上帳に、伝承などが書いてあり古い一族のようですが。
蘇我部≒曾我部?
130 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 21:37
長宗我部氏も蘇我部の子孫?
131 :
日本@名無史さん:2001/06/19(火) 04:57
蘇我部の長だったのか?
132 :
日本@名無史さん:2001/06/19(火) 05:47
>>131 という説もあるが土佐国長岡郡曽我部の地名をとった名字という説もある。
長岡の曽我部で長曽我部。
実際は渡来系の秦氏出身。
133 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:48
田沼意次って蘇我氏の子孫じゃなかったか?
134 :
日本@名無史さん:2001/06/27(水) 23:33
光格天皇の祖母方が蘇我氏
135 :
日本@名無史さん:2001/06/28(木) 05:01
136 :
1:2001/06/30(土) 01:22
137 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 07:36
現代の、曽我姓って、蘇我氏に関係ありますか?
教えてください。
家紋、庵にもっこう紋です。
138 :
134:2001/06/30(土) 07:43
大江磐代の父が聖護院宮家家臣・岩室宗賢で本姓大江氏。
母・林子が蘇我氏の後裔です。
すなわち、光格天皇の母方の祖母の実家になります。
139 :
1:2001/06/30(土) 08:37
>138
そうだったんですね。勉強不足でした。
ありがとうございました。
140 :
日本@名無史さん:2001/06/30(土) 12:42
千葉の蘇我って関係ある?
141 :
日本@名無史さん:2001/07/01(日) 09:12
かんけーねーよ
142 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 02:17
>蘇我家の血は天皇家に存続しているか
人間の遺伝子はたった46本だから
こう時代が経ってしまうと、
おそらく1本も残ってないだろうね。
だからNOなんじゃないかな。
あとはミトコンドリアから受け継がれる
遺伝情報もあるから、そちらも含めると
やや可能性は高くなるけどね。
143 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 03:31
>>142 ミトコンドリアの遺伝情報は母親からのみ受け継がれるので
可能性としては殆ど無視してよし。
144 :
日本@名無史さん:2001/07/02(月) 03:36
血を受け継いでるか、っていうのは別に遺伝情報がどうこうって
話じゃあないだろう。少なくとも1の意図としては。
ただ血統が残ってるかどうか、って話じゃないの?
145 :
日本@名無史さん :2001/07/04(水) 16:12
>>141 関係あるから、大友が千葉まで逃げたんじゃないの?
146 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 18:55
age
147 :
日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:20
血統っても馬じゃあるまいし、改ざんでいいなら結論は存続しているで終わり
以下終了…
続けたいなら新テーマを提示してくれ
148 :
1:2001/07/04(水) 23:46
>144
そうなんですよぉ。。。
そもそも、他のスレでこの話しがちょっと出てきて、
そこで語るには論点ズレたんで、このスレを立てたんでございます。
>147
そう言われると困りますなぁ。。。
149 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 09:45
馬子−天智は外出のとおりだけど
傍系の血には興味がありますね。
石川宿禰や倉山田石川麻呂の子からの分家筋から
他家に入ってからその後どう混じっていったか
など
考証不能かもしれませんが
150 :
日本@名無史さん:2001/07/08(日) 01:17
藤原四家にはすべて蘇我の血が伝わったと見てよいのでしょうか?
151 :
日本@名無史さん:2001/07/10(火) 09:35
薬子っていう女の子
152 :
おサル:2001/07/10(火) 11:11
>>124 うわ、すごく怒窮鼠な内容だね。>新しい教科書
結局戦前にもどりたいのか。
153 :
1:2001/07/14(土) 01:54
>150
いえ、藤原四家のうち、麻呂が元祖のとこがあるでしょ。
麻呂のママは、藤原家の人だから、そこには血混じってないでしょう。たぶん。
あとの武智麻呂、房前、宇合のママは、蘇我娼子と言われているので、
混じってると思うんですがねぇ。。。
154 :
日本@名無史さん:2001/07/14(土) 03:30
宇合は母親が別って説もあるべ
155 :
日本@名無史さん :2001/07/17(火) 22:54
確かに色々な説があるようですよねぇ。
で、藤原四家でずっと続いているのって「房前」のとこですよね?
何家でしたっけ?
156 :
日本@名無史さん:2001/07/17(火) 23:37
房前 北家
武智麿 南家も堂上として続いている
麻呂 京家 ママは元天武夫人 五百重娘
遺伝子と染色体は違うよ。
遺伝子は人間がアフリカで生まれてからの情報が全てつまってるはず。
・
・
・
ってどっかで読んだ。
>>142 あのー減数分裂するときに母方由来の染色体と父方由来の染色体が組換えを起こすんですが...
最近歴史関係のほうでも生物学が重要になってるようなので勉強した方がよいかと思います。
160 :
日本@名無史さん:2001/08/01(水) 17:21
蘇因高はどうみても蘇我馬子だよなあ
161 :
日本@名無史さん:2001/08/03(金) 01:16
>>133 田沼の本家は佐野です。 田沼意次の息子の意知を江戸城内で刺殺した
佐野某の表向きの動機の1つが「田沼は本家をないがしろにして佐野家
を優遇しなかった」というものでした。
# ちなみに栃木には佐野という地名も田沼という地名もありますね。
佐野は俵藤太藤原秀郷の流れということになっているので田沼は
藤原氏ということになります。
162 :
日本@名無史さん:
>>1 飛鳥時代の日本の人口なんて4〜500万人くらいでしょ?
今は1億2千万人。20〜30倍に人口が膨れ上がっている。
多分きみの中にも「蘇我氏族」の人たちの血が流れているかも・・・。