下級公家

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1日本@名無史さん
明治時代に下級公家は華族になれなかったと聞いたのですが、彼らは士
族になったのでしょうか?それとも平民ですか?
2名無しさん@1周年:2001/02/12(月) 16:32
雅楽の東儀家とかだったら宮内省雅楽寮に所属してましたね。
3日本@名無史さん:2001/02/12(月) 17:27
下級ってどのくらい?大臣になれない羽林、名家、新家も華族になったよ。
諸大夫以下は士族だけどね。
4日本@名無史さん:2001/02/12(月) 17:30
地下人も「公家」なの?
5日本@名無史さん:2001/02/12(月) 18:40
下級公家の方が田舎の大名よりはよっぽど文化的なのに、
維新政府も思い切ったことをしたもんだ。
政治的理由はわかるけど、田舎の大大名が摂家や清華と並ぶ
公侯クラスなんてふざけてるなー。
あと、江戸幕府の高家も官位が高かったのに華族には
なれなかったんだよね、確か。
6日本@名無史さん:2001/02/12(月) 19:01
むしろ公家の叙爵のほうが優遇しすぎだろ?
中級公家でも2・3百石の家禄だもの。
それでも何万石の大名より上の爵位が当たり前なんだもの。
7名無しさん:2001/02/12(月) 19:11
>>5
近代の華族は江戸時代の官位で決められたわけではない。
田舎大名よりは遙かに官位が高かったはずの高家も華族ではない。
8日本@名無史さん:2001/02/12(月) 21:31
交代寄合は男爵になっている。
9日本@名無史さん:2001/02/12(月) 21:58
神官の家系の叙爵が低すぎる。
10日本@名無史さん:2001/02/12(月) 23:00
>>6
まあ、天皇家自体がながいこと菊の間詰めの陣屋持ちと
同レヴェルの領地しか持っていなかったんだから。
11pika:2001/02/12(月) 23:51
天皇領は3万石だけど院領、天皇の家来たる公家領合わせたら10万
以上でしょ?
菊大名の所領も家来の所領を入れてだから大広間大名位の領地を
持っていたと考えて良いんじゃないの?
12吾輩は名無しである:2001/02/13(火) 01:01
>>5
伊藤博文なんかの素性もわからぬ成り上がり者が五摂家と肩を並べているほうがふざけてません?
13歴史趣味:2001/02/13(火) 01:10
伊藤博文も毛利家の会合に招かれたりした時は
まるっきり昔のように扱われたらしいよ。
14吾輩は名無しである:2001/02/13(火) 01:28
じゃ、床にあげてもらえず、庭で土下座?
15名無しさん:2001/02/13(火) 05:10
乃木家には、主君筋の毛利家から養子が入ったよね?
16ああああああ:2001/02/13(火) 06:36
司馬遼太郎の「酔って候」に、貧乏公家の娘を娶るも無学でヴァカなものだから
容堂がキレる、というくだりがあったね。
17名無しさん@1周年:2001/02/13(火) 12:05
高家、武田は家族だろ。たしかに六角は華族ではないな。
ん、それとも武田って伯爵が無理で子爵だったかな。
1889:2001/02/13(火) 12:30
>17
武田は華族ではないよ。
武田家には、明治政府から「子爵」がきたのだが、(武田は高家ではあっても大名ではないからね。)
ライバルの上杉家が「伯爵」であったため、
それより低い爵位ならば受けられないと辞退した。
そのため、ものすごい貧乏な生活をしてたらしい。
でも誇りを失わなかった武田はやっぱりすごいね。
19日本@名無史さん:2001/02/13(火) 14:49
>>11
そうだったね。摂家領計一万石余、清華家領計五千数百石、
大臣家領計千数百石。羽林家、名家はそれぞれ58家、25家有って家禄は
だいたい2−300石だからざっと二万石。
天皇領にこれらや院領、門跡領を加えると大広間クラスまで行くかどうかは
分からないけど大きめの雁間大名くらいにはなるね。
武家華族で言えば子爵か伯爵か微妙なところ。
20日本@名無史さん:2001/02/13(火) 19:12
つうか、石高の大きさ云々じゃなくて、
善し悪しを別にして「家柄」を基準にするなら、
大大名よりも下級公家の方が文化水準は高いでしょ。
維新の元勲は論外だけど、しゃーない・・・・。
21吾輩は名無しである:2001/02/13(火) 20:02
>>20
つーか、公家なんて、政治的インポテンツであることが千年の間に何度も証明されてんじゃん。
「高貴なる義務」を体現している貴族といえるのは武士。
なにかあれば逃げ回って、平和になればだれかれかまわずセックス。
日本よりずーっと文化水準の高い中国の基準でいったら公家のほうが断然文化水準低いが。
おまえただの憶測で物申してない?
22Miss名無しさん:2001/02/13(火) 20:13
大大名よりも下級公家の方が文化水準は高いでしょ

そんなこと一概に言えるのか?文人大名みたいな人だっているじゃん。
23日本@名無史さん:2001/02/14(水) 01:26
華族制度発足まで岩倉具視が生きてたら華族制度
もかなりその様相を変えたんだろうね。
24日本@名無史さん:2001/02/14(水) 15:54
スレッドの主旨と違ってきてるけど、
華族制度は山縣、伊藤ら長州閥を中心としたお手盛り政策だから
基準なんてかわるんだよ。
25名無しさん:2001/02/14(水) 17:07
海外での日本の公家・大名の身分についての説明のされ方
公家→宮廷貴族、非軍事貴族、前封建的貴族
大名→軍事貴族、封建貴族
26日本@名無史さん:2001/02/15(木) 18:19
>>21

自己顕示欲が強い人みたいだね。
きっと「俺の家は××藩の家老の末裔」とか自慢してるタイプじゃないの(藁
何も具体的な理由が述べられてないじゃん。
自分の頭のなかの観念を
「文字」という道具に表すことを勉強しようね。

>>22
文人大名もいるけど、野武士は野武士。
何百年も都で育った公家とは氏素性が違うよ。
27名無しさんの主張:2001/02/15(木) 18:29
そりゃ、近親相姦しまくって、頭あぼーんなブサイク公家とはちがうだろうな。
28日本@名無史さん:2001/02/15(木) 18:33
>27
君の家のことか?
29日本@名無史さん:2001/02/15(木) 18:35
>大大名より下級公家の方が文化水準高いでしょ。
何も具体的な理由が述べられてないじゃん。
自分の頭のなかの観念を「文字」という道具に表すことを勉強しようね。

あんたキミちゃんか?
30日本@名無史さん:2001/02/15(木) 18:38
>文人大名もいるけど、野武士は野武士。

おいおい、幕末維新において、野武士の末裔が野武士らしさを
保持しえていたとしたら、そのことのほうが脅威だと思うが?
大名の暮らし振りとか全然知らない人の発言だね。

31日本@名無史さん:2001/02/15(木) 18:41
30
脅威じゃなくて驚異ね。
32日本@名無史さん:2001/02/15(木) 18:56
26は五摂家にもその「野武士」の血が色濃くはいっていることをどう説明すんのかな。(藁)
33日本@名無史さん:2001/02/15(木) 18:58
今の天皇には斎藤道三の血も蜂須賀小六の血も混じっていたはず。
34日本@名無史さん:2001/02/15(木) 19:02
げ!斉藤道三ってこじき出身でしょ…
35名無しさん:2001/02/16(金) 02:23
公家と武家の間の婚姻は鎌倉の昔から頻繁にある。
さらにいえば、平安期にも天皇の母方の祖母は地方豪族の娘なんてことがある。
36名無しさん:2001/02/16(金) 02:29
上級公家の氏素性

摂家
近衛・鷹司・九条・二条・一条→いずれも藤原氏

清華家
三条・西園寺・徳大寺・大炊御門・花山院・今出川(菊亭)・醍醐→藤原氏
久我→村上源氏
広幡→正親町源氏

大臣家
正親町三条(嵯峨)・三条西→藤原氏
中院→村上源氏
37日本@名無史さん:2001/02/16(金) 07:32
確か島津家に関しては、島津旧藩主と島津久光の両方の家系を公爵にしてたよね?
叙爵は本当にお手盛りだなと思います。


>乃木家には、主君筋の毛利家から養子が入ったよね?

乃木家は乃木希典自身の遺言で断絶したのでは?
山県が自分の息子に後を継がせようと画策して失敗したらしいですけど。
主筋から、伯爵家とはいえ家臣の乃木家に養子が入るというのは少なくとも封建的な感覚では変な話だと思うんですが、本当ですか?
38日本@名無史さん:2001/02/16(金) 12:33
>37
乃木希典の遺言を無視して毛利家より
元智が養子に入れられました。
しかし遺言を無視したという事で世の
非難を浴び、個人的なスキャンダルも
重なって爵位が重荷になったのか、
昭和9年になって爵位を返上、
毛利元智にもどりました。
39日本@名無史さん:2001/02/16(金) 13:26
>38
元智は養子じゃなくて、「名跡」を継いだんだよ。
戦前はとくに、家の祭祀というのは重要だったので、
それをさせたんだよ。
江戸時代の公家にもよくあるでしょ?
本人の死後に養子をとるなんて、できないよ。
明治の民法にだってそんな記述ないでしょ?

40名無しさん:2001/02/16(金) 17:35
名跡を継いだといえば、高松宮家は有栖川宮家の名跡をついでいます。
喜久子妃の母が有栖川宮家出身なので。
41日本@名無史さん:2001/02/16(金) 19:09
秩父宮家の祭祀は秋篠宮家がやってるんだよねえ。
42日本@名無史さん:2001/02/16(金) 20:21
>>39
そうですね。大正4年に改めて乃木伯爵家
が創設されている。
43日本@名無史さん:2001/02/16(金) 21:32
そんなに伯爵が重荷かねえ。
44日本@名無史さん:2001/02/17(土) 01:42

結構、京都の老舗が下級公家の子孫だったりするな

ところで、堂上は東京遷都の時、天皇のお供をしたけど、諸大夫地下はほっぽり
だされたのかね? あと、冷泉家は京都に残ったけど、これは不忠なんじゃないの?
特命でも出ていたのかね?
 
45この人誰でしょう?:2001/02/17(土) 02:07
明治期の公家なんですが、この人たちの名字とかわかるひといます?
日栄、長邦、通治、昌信、祐以、有仲
46日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:11
>>36
でも養子が入ってない。
摂家には皇族が入ってるし。
47名無しさん:2001/02/17(土) 02:58
>>46
養子でも女系でつながっているのが普通なので問題なし。
48日本@名無史さん:2001/02/17(土) 15:08
>女系でつながっているのが普通

そうとも言い切れないだろう?
49日本@名無史さん:2001/02/17(土) 15:38
>50
あほ
50日本@名無史さん:2001/02/18(日) 07:50
>>44
 冷泉家は京都お留守居を命じられたの。
51名無しさん@諸大夫:2001/02/18(日) 12:25
あほやなあ。
なんでもまろにきいておじゃれ。
52名無し:2001/02/18(日) 12:37
北大路魯山人は、下鴨神社の神官の子供だったね
53日本@名無史さん:2001/02/18(日) 22:15
浅見雅男『華族誕生』(中公文庫)が手軽な参考書かな?
これによると大名は当時の実際の収入の多寡によって爵位を決めたらしい。
(維新の功労者は別として)
交代寄合は実際には石高が1万石を越えていたから爵位が貰えた。
武田が爵位を貰えなかったのは上杉云々じゃなくて単に石高が足りなかっただけのようだ。
54日本@名無史さん:2001/02/19(月) 11:00
>43
伯爵が重荷なんじゃなくて、直接関係ないのに
乃木家を継いだことが重荷なんじゃない。
55日本@名無史さん:2001/02/19(月) 12:27
毛利家の部屋住みでいるより、
昔の家来の家名を出汁にして
独立の爵位という風に算盤
弾いたんだろうね。
56日本@名無史さん:2001/02/19(月) 17:21
>55
違う違う。
もともと乃木伯爵家をつくろうとしたのは、
山県なんかの長州閥。
血筋がいないので、旧主ならば文句ないだろうと
無理矢理行ったもの。
はじめから毛利家としては乗り気ではなかった。
57名無し:2001/02/19(月) 17:39
細川公爵
58日本@名無史さん:2001/03/13(火) 21:56
京都にいる公家っぽい苗字の人たちはどういう由緒の人たち?
59日本@名無史さん:2001/03/29(木) 21:01
詐称
60名無しさん@諸大夫:2001/03/29(木) 21:14
公家いうても,堂上と地下があるんやで。
61日本@名無史さん:2001/03/29(木) 23:51
>>58
下級公家ですね。冷泉家は京都に残りましたが。
同志社のある屋敷は唯一残る公家建築屋敷です。
改築しましたが。
6261:2001/03/29(木) 23:54
訂正 「同志社のある」が「同志社の裏にある」。
63名無しさん:2001/03/30(金) 00:43
>>57
細川は侯爵
64日本@名無史さん:2001/04/17(火) 01:11
男爵だよ
65日本@名無史さん:2001/04/17(火) 11:26
貧乏公家の女房って江戸時代には金持ち商人相手に春を鬻いでいたらしい。
66日本@名無史さん:2001/04/17(火) 12:17
明治時代の爵位がそれ以前と同じようなものだったら、
近代ではなくなるだろ(藁
しかも、御一新なんだからよ。
ここの話おかしくないか?
67日本@名無史さん:2001/04/17(火) 15:45
>>65
出典は?
68日本@名無史さん:2001/04/28(土) 16:19
age
69日本@名無史さん:2001/05/09(水) 17:05
地下人の子孫ってなにやってんの?
70日本@名無史さん:2001/05/09(水) 22:01
>>69
地下で地下鉄の保線
71日本@名無史さん:2001/05/09(水) 22:33
現在
橘桜会作ってます
いや桜橘会だったかな・・・・・・・・
まあ どっちでもいいけど・・・・・
72ちびた:2001/05/11(金) 22:11
>>69地下官人・廷臣・高位の公家の諸大夫だったうちの行方は確かに気になるね。伏見宮殿上人の若江家は華族になり損ねたし。
73ちびた:2001/05/11(金) 22:16
実際、官位もってたし(世々正四位に達する家すらある。旗本の布衣は6位相当とはいうが正式には叙位されてない)
74ちびた:2001/05/12(土) 01:21
>>45
ム塚四位、通治は久我かとも思ったが違うみたい、有仲はやはり村上源氏の久我流の六条か?やはり通字だけで判断するのは難問
75名無し:2001/05/12(土) 01:24
北大路魯山人の家は
下鴨神社の神官だったね。

下級公家は神主になっていった?
76日本@名無史さん:2001/05/12(土) 14:52
>75

魯山人の北大路家は、藤原氏公季流三条氏の北大路氏ではなく、
賀茂氏の北大路氏なんでしょう。
鴨県主豊国の系統は下社禰宜、鴨県主津守の系統は上社禰宜として栄えますが、
北大路氏は前者に属します。

77のーやん:2001/05/13(日) 01:13
高校の同級生に迎町って言う奴がいて先祖が公家だったらしいけど。
迎町って公家いたの?
78日本@名無史さん:2001/05/14(月) 09:33
大体、上級・下級のチガイってなんだい!
出自の貴賤は関係なく権力闘争の勝ち組・負け組だろ。
降下系・天孫系・渡来系くらいに区分するのが適当じゃないの?
(天孫系は渡来人だとする説は一時、凍結して)
ここの話ってスネイクヘッドだった華僑とヤクザだった在日経済人のウワベ
の会話みたいでカユクなってくる。
藤原氏の出自を検証するとかの方が内容濃いんじゃない?
79日本@名無史さん:2001/05/14(月) 14:58
>>78
よく語られることの多い上級貴族(君の言う勝ち組)に対して、あんまり語られることの少ない下級貴族についてあえて語ろう、というのがこのスレの趣旨じゃないの?
80ちびた:2001/05/15(火) 23:41
>>77広義の公家(下級官人や公家の諸大夫はたまた小舎人=雑用人夫などなど朝廷関係者)だったのかもしれませんか、堂上(公卿)家にはそんな家はありません。
81のーやん:2001/05/16(水) 02:41
>78
お答えくださってありがとうございます。
蝦夷地にすんでいるので、そういうのは全くわからないんです。

日野西家についてはなにか知っていますか?日野家の分家らしいのですが?
82初回叙爵時の公卿華族:2001/05/16(水) 06:05
旧摂家・・・公爵
三条家(侯爵相当)・岩倉家(子爵相当)・・・特旨をもって公爵
旧清華・・・侯爵
大納言まで宣任の例多き旧堂上・・・伯爵
東久世家(子爵相当)・・・特旨をもって伯爵
一新前家を起こしたる旧堂上・・・子爵
男爵は公卿華族の範囲外
一新後家を起こしたる華族(公卿では5家)・・・男爵
83Doctor Boogiee:2001/05/16(水) 20:53
>82に追加
西園寺・徳大寺は当主の功績により公爵
>47、48
女系で繋がっている(というより娘の夫として婿養子を迎えた)というのは
公家の世界では珍しくありません。
話題になった冷泉家の昭和期の当主も婿養子ですし、
皇室から養子に入った近衛信尋も母方の叔父の養子になっていますし、
西園寺公望の養子の八郎(旧姓:毛利)も婿養子です。
その他にも具体例はあります。
ただ天皇家だけは「万世一系」の建前、ありません。
確実なところでの例外といえば、49代の光仁天皇(皇后が聖武天皇皇女)、
53代の淳和天皇(皇后は嵯峨天皇皇女)が形だけは養子といえるかもしれません。
84日本@名無史さん:2001/05/16(水) 21:26
近衛家のは女系で繋がってるのは結果論じゃないかな?
明治以降はともかく、それ以前に公家の世界でいわゆる婿養子を
とったって例はほとんどないんじゃない?
むしろ女系で繋ぐよりは、男系の同族から養子を迎えた例のほうが
はるかに多いと思う。
85日本@名無史さん:2001/05/17(木) 12:11
本日亡くなった團伊久磨氏の先祖も公家であった筈だが…?
86名無しさん@1周年:2001/05/17(木) 12:32
團伊久磨のヲヤジは血盟団事件の被害者團琢磨。
87日本@名無史さん:2001/05/26(土) 07:28
地下人というのは一応貴族に含まれるの?
88日本@名無史さん:2001/05/28(月) 17:06
>87
貴族?
89日本@名無史さん:2001/05/28(月) 18:38
朝廷に仕える者のうち、五位以上の者は清涼殿に上ることができ、
殿上人、堂上あるいは公卿と呼ばれた。これが貴族だろう。
それ以外を地下と言う。
地下でも六位の蔵人は昇殿を許されたが、貴族には含まれないだろう。
明治の華族制度でも廷臣で華族に列せられたのは堂上だけだ。
90日本@名無史さん:2001/05/28(月) 18:40
>>81
日野西家は日野時光の三男・資国が祖の日野西家と広橋総光の四男・総盛が祖の日野西家があります
資国が祖の日野西家で有名なのが後小松後宮称光母・後花園准母・准后の日野西資子
しかし資国の曾孫朝光が早世した為に絶家。
総盛が祖の日野西家は明治17年に子爵の称号を与えられ、現在も家督を継いでいる方がいらっしゃいます。
91日本@名無史さん:2001/05/28(月) 19:49
>>77 >>80
地下家公家の中にも見当たりません<迎町家
現存している地下家公家でも、絶家している地下家公家にも見当たりません
92名無しさんの花園:2001/05/28(月) 21:13
    
93日本@名無史さん:2001/05/28(月) 22:10
              
94日本@名無史さん:2001/05/28(月) 22:31
>>77
迎町って「おおぎまち」って読むのかな?
だったら正親町三条とかあるよね。
それの分家かなにかかな。
95日本@名無史さん:2001/05/28(月) 23:10
>>94
現在、正親町三条家は愛新覚羅溥傑夫人・浩様の御実家嵯峨家です
96日本@名無史さん:2001/05/29(火) 02:24
age
97ちびた:2001/05/29(火) 12:08
>>91調査の労お詫びいたします。やはり、同級生氏の口からでまかせの類い(★町、☆☆寺だから元は公家だっていう、、、)でしたか。だからこそ自分はあえて小舎人まで持ち出したのですが、、、
98非公開@個人情報保護のため:2001/05/29(火) 13:13
>91
地下公家名鑑ってあるんですか?
9991:2001/05/29(火) 14:03
>>97
いえいえ(ワラ
結構「自称公家」を名乗る方が多い事に笑いが出ます
>>98
一般の方々が入手出来る本はありますよ
「宮廷公家系図集覧」東京堂出版 金額は判りません(ごめんなさい)
堂上家・浄土真宗准門跡・地下家の家系図が詳しく載っていると思います
100日本@名無史さん:2001/05/29(火) 14:13
虚偽申告というより、本気で信じてる人もいるんじゃないの?
先祖が公家だって。
101ちびた:2001/05/29(火) 14:29
>>99すくなくとも堂上家の全てを把握している我々は騙せませんよね?でも、下級公家とか言われたらねぇ。。そこのところをはっきりして欲しいですね。公卿(堂上)なのか概括的な意味での公家(廷臣、公家の家士=でもこれは武家が用人とかやってるパターンのほうが多いと思うけど、、、)なのか。
102ちびた:2001/05/29(火) 14:35
>>101後段括弧書き内の「公家」は「公卿家乃至堂上家補足として親王家」と置き換えないと循環論法になってしまいますので、これに差し替えます。
103日本@名無史さん:2001/05/29(火) 14:47
>>98
「地下家伝」というものがあります
一代限りの地下家も収録
「宮廷公家系図集覧」は一代地下家は収録されてないです
104日本@名無史さん:2001/05/29(火) 14:49
>>99
消費税込み9500円なり
105日本@名無史さん:2001/05/29(火) 16:20
age
106日本@名無史さん:2001/05/29(火) 19:33
「公卿補任」って、われわれパンピーでも入手できるのでしょうか?
107風紀委員会:2001/05/29(火) 22:37
告知

荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。

 <規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。

日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059
10891:2001/05/29(火) 22:59
>>101
確かに地下家までは把握が難しいですね
でもご先祖さんが公家出身(地下家)だったら、自分の家の御所さんの繋がりが
今でも続いているはずなので「○○家(宮家)の諸大夫」と言える筈ですよね
>>103 >>104
教えて下さってありがとうございます
>>106
吉川弘文館から出版されている「公卿補任」一篇から四篇があります
10991:2001/05/30(水) 01:16
>>45
今まで悩みぬいた結果
   日栄
   長邦  勧修寺家      葉室長邦伯爵
   通治  村上源家 久我支流 梅渓通治子爵
   昌信
   祐以
   有仲  宇多源家 五辻支流 慈光寺有仲子爵
これ以上出てこない・・・
110日本@名無史さん:2001/05/30(水) 10:29
age
111日本@名無史さん:2001/05/30(水) 18:19
五摂家、九清華、三大臣まではここの常連ならばすらすら言えると思う。
では25あると言われる羽林家や、名家はどことどこか言えますか?
そしてその下の家格はどう呼ばれていたか分かりますか?
11291:2001/06/01(金) 04:06
羽林家
四辻家 冷泉家 庭田家 小倉家 中御門家 清水谷家 藪家 滋野井家
綾小路家 西大路家 園家 難波家 山科家 正親町家 姉小路家 中山家
飛鳥井家 阿野家 橋本家 持明院家 水無瀬家 白川家 鷲尾家 四条家
油小路家

名家
日野家 広橋家 烏丸家 竹屋家 葉室家 勧修寺家

これ以下の家格の名称は堂上貴族では無かったと思いますよ
113ほにゃ?:2001/06/01(金) 06:45
高辻家って羽林家じゃないの?
114あ?:2001/06/01(金) 10:57
どこに高辻家って書いてあるんだ?
115ほにゃ?:2001/06/01(金) 17:41
ちゃんと調べたら「半家」って書いてあった。
これはどんなものですか?
11691:2001/06/01(金) 18:08
勘違いしてました
>そしてその下の家格はどう呼ばれていたか分かりますか?
新家だと思います
摂家・清華家・大臣家・羽林家・名家の庶家の名称です
117日本@名無史さん:2001/06/05(火) 11:17
羽林家をすらすらっと言える人もいるんだね。何の役にたつか知らないが。
118日本@名無史さん:2001/06/06(水) 01:06
最下級の公家ってどんな家柄?
119宗尊:2001/06/06(水) 08:39
最下級の公家はどんな暮らししてたのか?
使用人はいたのか?
どんなかっこして御所に出勤したのか?
知行なのか蔵米なのか?
知行地があったとしてそれはどの辺が多いのか,知行地の支配権はどうなっていたのか?
極貧でも公家だったら狩衣をオーダーできるのか?
乗り物は何を使っていたのか?
120世界@名無史さん:2001/06/06(水) 10:52
武者小路実篤って何者?
お公家さんなの?
121日本@名無史さん:2001/06/07(木) 16:21
たしか閑院流藤原氏。兄貴は子爵だっけ?
122日本@名無史さん:2001/06/07(木) 19:58
三条西家の分家筋。
123日本@名無史さん:2001/06/07(木) 23:06

          ζ
       / ̄ ̄ ̄ ̄ \
      /        \
     /\    ⌒  ⌒  |
     | |    (・)  (・) |
     (6-------◯⌒つ  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     |    _|||||||||  |  < 裏2チャンネル最高!
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124名無しさん@1周年:2001/06/08(金) 00:55
万里小路は名家。
押小路は大外記。

なぜか西園寺というのが電話帳に多く載っているが、その多くは
西園寺家の通字である、実と公のどちらも含んでいない。

これらの西園寺家は伊予の流れをくむのであろうか?

ちなみに武者小路は羽林家だよ。

北畠とかが名家よりも下になるのではないか?
125日本@名無史さん:2001/06/11(月) 12:54
大外記を世襲する家は大外記家って言うのか?
126日本@名無史さん:2001/06/11(月) 15:52
>125
>西園寺家の通字である、実と公のどちらも含んでいない。

「季」もそうだよ。
127日本@名無史さん:2001/06/24(日) 16:33
上級ではなく下級公家について語るスレッドです。
128日本@名無史さん:2001/06/24(日) 17:02
大外記ってえらいの?何するの?下級書記みたいなもの?
129日本@名無史さん:2001/06/24(日) 17:50
大外記世襲家は局務です.外記方を率います.
官方を率いるのは左大史世襲家の官務です.
あと蔵人方があります.
但しこれは10・11世紀頃から次第に展開して近世に整えられたもので
律令の規定からはおよそ変質しています.
130日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:07
地下役人は、官方・外記方・蔵人方の三つに大別。
それぞれ、壬生家・押小路家・出納(平田)家が総轄。
壬生家・押小路家は男爵、出納家や他の地下役人は士族。
131名無しさん@1周年:2001/06/24(日) 22:10
押小路家は男爵
押小路って羽林家だろ。なんで男爵なの。子爵に
なるべきところだが。
132日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:18
うちは南北朝以前、朝廷につかえていました。
しかし清和源氏だったのと、南北朝期に突入して
南朝に付いたので、下級公家になる夢ははかなく消えました。
ちなみに源氏で公家になれたのは村上源氏と宇多源氏だけ
というジンクスがあるようです。
133日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:18
羽林家の押小路家とは別の家。
羽林家の押小路家は子爵。
134日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:23
>>132
花山源氏  白川家
清和源氏  竹内家
正親町源氏 広幡家
135日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:31
>>134
竹内家って清和源氏なの!
そういえば花山、正親町もいるね。
136日本@名無史さん:2001/06/25(月) 07:37
>>112 >>115
「摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家」と
「旧家、新家」は別概念では?新家とは、江戸時代以降分家した家で、それ以外を旧家というのではないか?
たとえば、(上)冷泉家から分家した、入江家、藤谷家も羽林家の扱いなはず。
137日本@名無史さん:2001/06/25(月) 11:21
>>136
入江家、藤谷家ともに羽林家・新家・子爵
半家というのもある。
138日本@名無史さん:2001/06/25(月) 21:03
あげちゃえ〜。
あ〜ら、よっと。
139日本@名無史さん:2001/06/26(火) 00:11
太政官弁官局は本来弁官がトップであるが、次第に名目的なも
のとなり、下僚の史のトップ大夫史が実質的な責任者となった。
10・11世紀から小槻宿祢(もと小槻山公・阿保朝臣)の独占す
るところとなり、のち壬生・大宮の2流に別れたが大宮は断絶し
た。官務。禰家ともいう。算博士を世襲。
少納言局も本来は少納言であるべきだが下僚の外記のトップ大
夫外記の率いるところとなり、中原朝臣(もと宿祢、本姓十市部)
が独占した。南北朝以降押小路を称す。明教博士を世襲。
蔵人も同様に下僚の出納が率いた。平田家も中原姓。
ちなみに中原姓は明法博士世襲家にも見える。
140日本@名無史さん:2001/06/26(火) 00:14
明教→明経
蔵人→蔵人所
141日本@名無史さん:2001/06/27(水) 00:01
羽林家の橋本家って本物の公家なのに誰からも
お公家さんと思われなさそうで可哀想。
まだ東野小路や今田小路の方が公家ぽいぞ。
142日本@名無史さん:2001/06/27(水) 21:39
>>141
同じく羽林家の山本家も・・・。
143二木:2001/06/27(水) 23:09
橋本家は皇女和宮の生母観行院経子の実家。観行院の兄は宰相中将橋本実麗。
144名無しさん@1周年:2001/06/27(水) 23:14
足利義輝が竹内家が新羅三郎義三の子孫である故をもって
天皇に奏請した結果、竹内家が公家になれたらしい。

それ以前竹内家はなにをしていたのだ?
145日本@名無史さん:2001/06/27(水) 23:25
>144
大阪・ミナミで金融業。
146日本@名無史さん:2001/06/28(木) 00:04
>>144
足利義輝→徳川綱吉
義三→義光

久我家諸大夫か?
147日本@名無史さん:2001/06/28(木) 00:09
清和源氏唯一の公家、竹内
結構渋いとこ付いてくるのね
148二木:2001/06/28(木) 00:57
村上源氏、六條 久世 岩倉 千種 梅渓 愛宕 東久世 植松          
149二木:2001/06/28(木) 01:01
宇多源氏、 庭田 綾小路 五辻 大原 慈光寺
150通行人_S:2001/06/28(木) 02:41
>121
武者小路家=公家.西三条支流.歌道.130石.明治17年7月8日、子爵
公隆−実建−公香┬実世−公共−実光
        └実篤(白樺派の作家)
151通行人_S:2001/06/28(木) 02:55
>124
押小路家=公家.大外記.54石.明治17年7月8日、男爵
師武−師贇−師徳−師身−師親−師成−師行−師保−昌信−忠雄
152名無しさん@1周年:2001/06/28(木) 16:31
なんで実篤の兄が公で実篤が実なのだ。
公で統一しろ。
153日本@名無史さん:2001/06/28(木) 23:04
>>151
−忠雄−忠昭
154日本@名無史さん:2001/06/28(木) 23:27
地下官人てどこに住んでたの?公家町?
155日本@名無史さん:2001/06/29(金) 06:20
/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
           /  / ̄\  ヽ
          /   /  \  ヽ、、、ヽ
          |  /u 个    个 | |
          |  |   ⌒  つ⌒ | |
          |  | ***___**|│ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          |  | u  \__/  | .| < アッ アッ ウッ アン ♪
          ゝ‐イ\.   ・u  /ノ  \________
             / ∧  ̄ ハ \
            /´ 丿 ヽ_ ノ | .ノ\
           /:ヽ、 /( ___.___)`>__:)
          (:::::::/ ̄ /::::( uuu)(uuu)
           ヽ┴-i┴─彡川川ミ  クチュピチュ・・
         /⌒\__|   彡川川川ミ/⌒ \
   i.⌒i  /\ 丿 / ´ ̄ノノ川川川 ̄ヽ、 /ヽ   /┐
   .|  レ ´  ノ \_ /     ___ i  |.:く  \// /
    | |  /    (  λ /::: :::: ::::`ヽ丿 \   / /
    .し /       ヽ__ノ V : : ヽ:/: ::::\_   \ι/
                i⌒i ::::__人__::: /. `i⌒i
                 |  ||/    \|:  |  |
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                |   |        |_丿
156日本@名無史さん:2001/06/29(金) 17:45
よそのスレで巨勢氏や和気氏のような飛鳥時代以前に権勢をほこって、その後没落した
氏族が地下家にたくさんあるようだ、との記述があったけどどんな氏族が残ってるのかな。
平群氏や蘇我氏(石川氏)、物部氏(石上氏)なんかも地下家で存続してるのかどうかご存知の
方いませんか?
157日本@名無史さん:2001/06/29(金) 19:01
>>156
たとえば
慶応3年 正五位下主殿寮小野筑前守伴重安(大伴氏)
158156:2001/06/29(金) 19:14
おお!大伴氏ですか!五位ならそこそこ上級公家ですね。
159日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:02
>>158
五位では昇殿も許されない下級公家です。
もしかしたら公家とも呼べないかも。
160日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:08
>>159
何言ってるんだ(藁。よ〜くお勉強しな。

殿上人
よみ:てんじょうびと
時代:平安時代以降
内容:清涼殿に上り天皇側近に仕える資格のある貴族。四位・五位の一部と六位の蔵人、公卿と地下人との間の一階層で、名誉ある資格とされた。雲客・堂上・「うえびと」ともいう。
161日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:18
>>160
現役バリバリの当主の位階が正五位下の家で
昇殿を許されていた家があるならあげてみな(藁。
162日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:30
>>161
現役バリバリの当主の位階が正五位下の家で
昇殿を許されていなかった家があるならあげてみな(藁。
163日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:43
>>162
質問に対して質問で返すということは答えられないということですね。
地下は三位になろうが四位になろうが原則的に昇殿は許されません。
常識ですよね。
辞書ばっかり読んでないでちゃんとした本も読もうね。
それとね、上の殿上人の内容、正しくないよ。
164日本@名無史さん:2001/06/29(金) 20:52
>>163
>地下は三位になろうが四位になろうが原則的に昇殿は許されません。

源三位入道は地下人から公卿にまでなったんだがね。
165156:2001/06/29(金) 20:58
あのう・・。伴重安さんは地下人なんですか、ちがうのですか。
166傍観者:2001/06/29(金) 20:58
160の内容は大体合ってるんじゃないの?俺は「大辞林 第二版」で調べたけど・・。まあ159=161=163の方が分が悪いね。


てんじょう-びと ―じやう― 【殿上人】


(1)清涼殿の殿上の間に昇ることを許された者。四位・五位の中で特に許された人および六位の蔵人。雲の上人(うえびと)。雲上人(うんじようびと)。うえびと。堂上(どうじよう)。⇔地下(じげ)
(2)上皇・女院・東宮などの殿上の間に昇ることを許された者。「内・春宮・院の―、方々にわかれて/源氏(若菜下)」

どうじょう だうじやう 【堂上】

〔古くは「とうしょう」「どうしょう」とも〕
(1)昇殿を許された公卿・殿上人の総称。公家。堂上方。⇔地下(じげ)
(2)(1)の官人を出す家柄の総称。室町以降は摂家・清華・大臣家以外の公家の家格として狭義に用いることがあり、これを特に平堂上と呼ぶ。
(3)堂の上。「数万の軍旅は―堂下になみ居たれども/平家 6」
(4)清涼殿南廂の殿上の間に上ること。昇殿。「将軍―の後、帯刀の役人は皆中門の外に敷皮を布(しい)て列居す/太平記 40」

じげ ぢ― 【地下】


(1)昇殿を許されない官人の総称。また、その家格。一般には蔵人を除く六位以下。公卿(くぎよう)・殿上人に対する語で、のちには家格の固定に伴い、堂上家(とうじようけ)の出身者以外は公卿でも地下である者が生じた。地下人。⇔堂上⇔殿上人
(2)宮廷に仕える者以外の人々の総称。一般農民や庶民をさす。地下人。
(3)在郷、また在郷の人。地下人。
(4)自分の住んでいる集落。「それ先度―に寄合があつたは/狂言・右近左近(虎寛本)」
167日本@名無史さん:2001/06/29(金) 21:00
>>164
源三位入道って誰?
原則的にということは当然例外もある。
168傍観者:2001/06/29(金) 21:07
>>167=163?
>源三位入道って誰?

源三位入道も知らないんではこの板に来るのは間違ってるんでは?
169日本@名無史さん:2001/06/29(金) 21:08
>>166
殿上人=堂上
堂上=公卿・殿上人
殿上人=公卿・殿上人??
170156:2001/06/29(金) 21:09
http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=warhis&key=993042326&ls=50
の4も俺なんだが俺の書き込みの後は何故かもめるな。
171日本@名無史さん:2001/06/29(金) 21:16
>>170
もしかしてトラブルメーカー??
172156:2001/06/29(金) 21:18
かもな。そんなつもりは無いのだが。
173日本@名無史さん:2001/06/29(金) 21:20
>>168
武士はきら〜い。
ここは下級公家のスレ。
で、あなたは源三位入道の何を知ってるの?
174日本@名無史さん:2001/06/29(金) 21:24
170のスレの8は楽しいヤツだな。(藁
175日本@名無史さん:2001/06/29(金) 23:50
>>156
巨勢氏は、巨瀬金岡の子孫が絵所を世襲する地下官人として存続しているよね。

それと、殿上人の話だけど、整理すると以下のようになる。
公卿(狭義、つまり「くげ」ではなく「くぎょう」ね)=三位以上または参議以上
殿上人=四位、五位で勅許を得て昇殿を許された人(院御所だったら院宣だろうけど)及び蔵人
つまり、四位、五位は堂上家でも原則として昇殿は許されない。地下家にいたってはたとえ三位になっても(まず無いけど)昇殿は無理。いわゆる「地下の上達部」になる。だから「地下家」なの。昇殿を許されたら、それは堂上への家格の引き上げ。
176日本@名無史さん:2001/06/30(土) 04:28
主殿寮伴氏が地下家なんて当たり前の話。
彼に限らず『地下家伝』所載の氏はみんなそう。
『公卿補任』に時々「昇殿を聴さる」とある人物がいるように
地下の公卿というのも存在する。いわゆる文人参議に多い。
175の記述が正しい。
物部・蘇我も地下官人として見えるが家名のみが続いているだけで
古代からの血縁はつながってない。
177156:2001/06/30(土) 06:58
なるほど。みなさん勉強になります。葛城氏や平群氏なんかはどうなのでしょうか?
地下家に限らずどこかの神主か何かで存続しているかどうかご存知の方いらっしゃいませんか?
178日本@名無史さん:2001/06/30(土) 07:27
 警告>>>>>>>>>>>>>アクセス制限>>>>>>>>>>>>
179大炊御門くんはバレー部:2001/06/30(土) 07:59
ここらあたりで堂上公家を全部教えてください。
160家くらいあるそうですが・・?
180日本@名無史さん:2001/06/30(土) 09:49
 名家まではいわゆる公卿でしょう。それより下の階級の公家にはどんな家柄があるのでしょう?
181日本@名無史さん:2001/06/30(土) 11:18
>>180
半家までが堂上。
地下のランク付けは?
182日本@名無史さん:2001/06/30(土) 14:03
菅原家の家来だった中小路家はどうでしょう?
183二木:2001/06/30(土) 21:44
諸太夫でしょう
184日本@名無史さん:2001/07/01(日) 00:19
細かいこと言ってすみません。諸「大」夫です。
185日本@名無史さん:2001/07/01(日) 00:22
菅原家に諸大夫はいない。
186日本@名無史さん:2001/07/01(日) 10:52
青蓮院宮家士 男爵伊丹家はどうよ。
187二木:2001/07/01(日) 14:16
菅家の諸家
  高辻 五條 唐橋 桑原 東坊城 清岡
188日本@名無史さん:2001/07/01(日) 14:32
平氏
  西洞院 長谷 石井 平松 交野

安倍家
  土御門 倉橋

大中臣家
  藤波

清原家
  舟橋 澤 伏原

卜部家
  吉田 錦織 萩原 藤井

丹波家        
  錦小路

大江家
  北小路
           
  錦小路
189156:2001/07/01(日) 19:41
安倍氏に中臣氏、清原氏ですか〜。渋いなぁ。
190日本@名無史さん:2001/07/01(日) 20:37
検非違使 勢多家
191日本@名無史さん:2001/07/02(月) 02:12
同 町野家
192日本@名無史さん:2001/07/02(月) 02:44
何故か、現代日本人の日本史観は、大河ドラマや司馬史観に影響されやすい。
たとえば、北条氏を検索しただけで、出てくるのは、現行の大河ドラマにかんする
ものが半分以上。
これ、変じゃない??
193日本@名無史さん:2001/07/02(月) 20:38
下級公家とは違いますが、上流公家の子弟で南都興福寺の諸院に入寺し、維新後勅命に依り還俗。華族に列し男爵となった諸家。奈良華族についておしえて下さい。
194日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:05
上流公家の子弟は
大乗院門跡 松園尚嘉(九条尚忠二男)
一乗院門跡 水谷川忠起(近衛忠熙八男)
の二人。
195日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:49
華園
196二木:2001/07/03(火) 00:14
明治天皇ご生母中山一位局は、中山忠能卿の正室のお子でしょうか。忠能卿の奥方は肥前平戸藩主松浦清候の息女です。故に本来松浦家の石高からいえば子爵ですが伯爵になってまっす。
197日本@名無史さん:2001/07/03(火) 10:41
>>196
正室の子です。
198日本@名無史さん:2001/07/03(火) 13:03
北面の武士はどうなった?
199日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:01
>>176
地下の公卿の例をおしえていただけますか?

>>181
「半家」=「新家」でいいの?でも、新家の愛宕家(岩倉家の分家)なんかは羽林家なわけで…。やっぱり別の概念ですか?
200日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:06
公卿なら地下じゃないでしょう。
201日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:21
名家の万里小路家が伯爵なのはなぜだ。
202日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:22
>>190
本来の使い方とは違うけれど
地下の壬生家・押小路家は三位まで進めるから
そのときは地下の公卿と呼べないこともない。

新家・旧家は家の新旧による家格で
摂家・清華家・大臣家・羽林家・名家・半家とは別の概念。
203日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:37
>>201
伯爵に叙せられべき者
大納言迄宣任の例多き旧堂上
羽林家とか名家とかは関係ないのよ。
204二木:2001/07/04(水) 00:26
万里小路道房  勧修寺家 甘露寺支流
戊辰の役で三條実美に従い大総督参謀として東北鎮定に功あり、徳旨により伯爵。
205日本@名無史さん:2001/07/04(水) 09:44
爵位はすべて特旨をもって与えられました。
206日本@名無史さん:2001/07/04(水) 17:30
宮家の諸大夫って公家??
207日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:31
>204
道房→通房
208日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:37
大納言迄宣任の例多き旧堂上
これは私も聞いたことある。
仮にこれが正しいとして、
名家である万里小路家が伯爵ということは
羽林家である公家より大納言になっている頻度が高いと
いうことですか。だとすればなんのための家格なのか。
209日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:38
中御門家も特旨で侯爵ですよね。
飛鳥井家は伯爵ですね。
210日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:39
勘解由小路家が山口県小野田市に
いるのはなぜでしょうか?
211日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:50
>208
叙爵内規は摂家・清華家以外の旧家格は一切無視。
羽林家、名家ともに大納言まで昇進できる家。
212日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:21
>>210
勘解由小路資淳は山口県人松村義一の二男
武者小路実篤の養子となり
外祖父資承の後を相続
213日本@名無史さん:2001/07/05(木) 00:34
大臣家は基本的に伯爵です。嵯峨家(正親町三條)は後に侯爵になりました。(中山家との関係により)
侯爵  嵯峨
伯爵  中院 三條西
214日本@名無史さん:2001/07/05(木) 01:13
>羽林家、名家ともに大納言まで昇進できる家。
では家格の違いはどこに現れる。
215日本@名無史さん:2001/07/05(木) 01:31
羽林とは近衛府の唐名。近衛少将・中将を経て大納言に至る。
名家は弁官・蔵人を経て大納言に至る。
216日本@名無史さん:2001/07/05(木) 01:32
>214
羽林家 少将、中将を経て大納言まで昇進可能
名家  弁官を経て大納言まで昇進可能
217日本@名無史さん:2001/07/05(木) 01:37
昇進のコースの違いだけだとしたら
羽林家と名家の家格差って何だろう?
218日本@名無史さん:2001/07/05(木) 02:03
羽林家  武官
名家   文官
219日本@名無史さん:2001/07/05(木) 02:46
>>202
 半家という家格の定義は?また、その例は?

>>208
 清華家と大臣家はどちらも極官は太政大臣(大臣家で太政大臣になった人はいなかったような気がするけど)。ただし、前者は近衛大将になりうるが、後者はなれない。
 羽林家と名家はどちらも極官は大納言。ただし、前者は近衛中将・少将になりうるが、後者はなれない。
つまり、メルクマールは近衛府の将官になりうるかどうか(そもそも「羽林」は近衛府の唐名なはず)。

 名家より羽林家の方が、一応は家格が上とされているが、名家の日野、葉室、広橋などの方が、羽林家の岩倉なんかよりよっぽど出世している。維新後に、岩倉具視は右大臣までなったけど、それ以前に岩倉家で大納言になった人っているの?
220日本@名無史さん:2001/07/05(木) 04:02
下級公家だけでなく公家全体を扱いたいのだけどね。そういうスレあったら
いいんだけどな。

大臣家で太政大臣になったてのは書物を見るといなさそう。
右大臣内大臣なら結構いる。左大臣もぱっと見いないような。

清華家でも左右大臣にはかなりなっているけど、太政大臣は
それほど多くないという印象を受ける。

岩倉が維新後とはいえ右大臣か。隔世の感があるな。公爵はやりすぎだよ。
三条が公爵というのはまだしも下級公家岩倉が公爵ねぇ。出世だねだねた
221日本@名無史さん:2001/07/05(木) 04:14
大臣家の極官は内大臣だろ。
太政大臣や左右大臣にはなれないはず。
それと、大納言まで昇進できる家じゃなくて
「大納言まで宣任の例多き」だよ。
大納言を出しても子爵止まりの家はいくらでもある。
222日本@名無史さん:2001/07/05(木) 05:06
 二人の蔵人頭のうち、頭中将が羽林家の出身者で、頭弁が名家の出身者ということ?羽林家出身者が弁官になることはないの?
223日本@名無史さん:2001/07/05(木) 05:24
書物を見る限り大臣家でも右大臣になっている。

>「大納言まで宣任の例多き」だよ。
家格 羽林家>名家
爵位では 一部 名家>羽林家(←この逆転現象は名家にもかかわらず
大納言まで宣任が多いから?それとも単に維新の勲功で逆転
が起きているわけ?
224日本@名無史さん:2001/07/05(木) 05:27
中院 三條西とも右大臣までは宣任されている。
三條西実隆は内大臣を53歳で宣任されたが
三ヶ月後に辞している。
225日本@名無史さん:2001/07/05(木) 05:30
そもそも清華家の極官が太政大臣としても五摂家が
太政大臣を占めることが多いのではないですか?
清華家といえどもそう簡単になれないとおもうのですけど。
226日本@名無史さん:2001/07/05(木) 05:57
そもそも太政大臣は則缺の官だから摂家でも滅多になれない。
清華家のうち、旧家の七家は家格形成の過程で太政大臣を排出したから清華家という格付けになった。
広幡と醍醐は家格が固定化したあと最初から清華家という家格で家を興した。広幡と醍醐は清華家であるにもかかわらず内大臣までしかなっていない。
大臣家の定義についてちょっともめているようだけど、誰か詳しい人いない?スレのタイトルからはズレてるけど。
227日本@名無史さん:2001/07/05(木) 08:54
>>221
大納言まで宣任の例多き=大納言まで昇進できる家なんて
誰も言ってないと思うぞ。
>>226
大臣家の極官は内大臣、羽林家・名家の極官は大納言
ただし、人によっては例外的に極官を超えた場合もあった。
228日本@名無史さん:2001/07/05(木) 12:09
諸大夫家って何?
229日本@名無史さん:2001/07/05(木) 12:27
>>228
日本史板に来る前に勉強してから来ようね
230日本@名無史さん:2001/07/05(木) 12:33
>>229
勉強してきたけど、諸大夫家の正確な意味がわからない。
地下?家司?五位の家?
おせ〜て!
231日本@名無史さん:2001/07/05(木) 13:04
>230
もともと五位以上のもののこと。
転じて公卿の家司のこと。
232日本@名無史さん:2001/07/05(木) 13:27
>>231
サンキュ〜。
ただ、転じる過程がもうちょいとわからない。
233日本@名無史さん:2001/07/05(木) 16:41
>>219
四代乗具の権大納言があるくらいかな。
>>226
国史大辞典によると
「累代大臣に昇る家柄を清華とも大臣家とも称したことになるが、後にはそのうち
近衛大将の官歴をもつものを清華家、その他を大臣家と称して区別した」とある。
典拠は『康富記』嘉吉2年9月13日条の中原康富の見解。
234日本@名無史さん:2001/07/05(木) 16:58
>>219
三大臣家の当主で太政大臣・左大臣になった例はなし。
右大臣になった例が数例あるのみ。
せいぜいなって内大臣。
もしかすると大納言以下で終わった当主の方が多いかも。
誰もなったことがないのにそれを極官というのは
少々無理があると思うけど。
確かに清華家との違いは大将を兼ねられるかどうかだけだ
と書いてある文献もあるけれど・・・。
235日本@名無史さん:2001/07/05(木) 21:32
飛鳥井家の子孫も
社会家の教員とは。
236日本@名無史さん:2001/07/05(木) 22:17
>235
現当主は会社員だけど、
社会科の教員って息子のこと?
237日本@名無史さん:2001/07/05(木) 22:22
大外記の押小路家、官務の壬生家、
以外で地下官人には、どんな家があったのですか?
238日本@名無史さん:2001/07/05(木) 22:49
>>235
飛鳥井雅道氏はサヨの幸徳秋水や大杉栄の本を書いている。
華族出身の人としては異色だね。
239日本@名無史さん:2001/07/05(木) 22:53
地下は華族にもなってないし、研究自体ほとんどないのでは?
240日本@名無史さん:2001/07/05(木) 23:02
>>239
大外記押小路、官務壬生ともに男爵
241日本@名無史さん:2001/07/06(金) 00:05
飛鳥井家の人で、たしか京都の放送局でアナウンサ−やってる人がいたな。
242日本@名無史さん:2001/07/06(金) 00:43
地下で卒族になった家はないの??
243日本@名無史さん:2001/07/06(金) 01:04
地下でも天皇直属の臣だから卒にはならんでしょ。
244日本@名無史さん:2001/07/06(金) 01:10
将軍の直臣・・・万石以上は大名=華族、万石未満は旗本・御家人=士族
天皇の直臣・・・五位以上は堂上=家族、六位以下は地下=士族
陪臣は卒=平民が基本だが、士族になった家もある。
あくまで基本ね。付家老が華族になったのは知ってるよ。
245日本@名無史さん:2001/07/06(金) 02:34
>>239
むしろ地下家のほうが研究されてた。いろいろ活動してたし。
あ、別に堂上家の活動に意味がないってわけじゃないけど。
最近は朝幕関係にからんで上級公家の研究も増えた。
246日本@名無史さん:2001/07/06(金) 05:38
北畠で男爵になったけど、
代々中宮寺仕人だったと思う。

この北畠は北畠あき家の子孫なの?
247日本@名無史さん:2001/07/06(金) 05:55
http://www.mars.dti.ne.jp/~pee03677/index.html
この人は飛鳥井家のひとだと思うけど。
248日本@名無史さん:2001/07/06(金) 05:56
現当主は会社員だけど、
社会科の教員って息子のこと?

会社員なのかぁ?
249日本@名無史さん:2001/07/06(金) 06:55
日経連載小説
平家いいね。

おれは日経夕刊で連載していた安部龍太郎
の「信長燃ゆ」
250日本@名無史さん:2001/07/06(金) 09:54
>244
大名の直臣も足軽クラス以外は士族になりました。
位階と堂上か地下かは関係ありません。
上級公家の家臣はどうなったの?
251日本@名無史さん:2001/07/06(金) 14:36
252日本@名無史さん:2001/07/06(金) 16:37
>232
>転じる過程がもうちょいとわからない。

どういうことが知りたいの?
253日本@名無史さん:2001/07/06(金) 16:51
>252
 もともと五位以上のもの
  ↓
  ?
  ↓   ?の部分
  ?
  ↓
 公卿の家司 
254日本@名無史さん:2001/07/06(金) 16:59
>253
だから何が知りたいのかわからん。
255日本@名無史さん:2001/07/06(金) 17:05
>254
あんたにゃ聞いてないよ。
256日本@名無史さん:2001/07/06(金) 17:13
>255
だれにきいてるんだ。
257日本@名無史さん:2001/07/06(金) 17:20
>254
諸大夫はもともと五位以上の公家をさす言葉だったのに
ある日突然公卿の家司をさすようになったの?
258日本@名無史さん:2001/07/06(金) 17:29
〉257
もともと公家の家格をさすことばだったのです。
諸大夫家という家の格がありました。
259日本@名無史さん:2001/07/06(金) 19:20
>257、258
家の格じゃない。
それに五位以上すべてを言うわけでもない。

もともと公卿の家司の位階が五位の大夫クラスだったため。
260日本@名無史さん:2001/07/06(金) 21:15
言葉の転化でしょ。
例えば別当は長官の意味だけど、
長官は馬に乗る→馬の世話係を別当と呼ぶようになった。
諸太夫もそれと同じで、
武家では最後まで五位任官を諸太夫に任じると言ったが、
公家では五位以上の家司を諸太夫と呼ぶようになった。
諸太夫を置けたのは摂家、清華家、大臣家に中山家を加えた17家のみ。
261日本@名無史さん:2001/07/06(金) 21:31
>260
諸太夫?
5+9+3+1=17?
262日本@名無史さん:2001/07/06(金) 22:58
〉260
江戸中期から幕末には、殆どの公家で家士を「諸大夫」とよんでました。
263日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:02
東久世家は大臣も大納言もだしていないのに伯爵になったのはなぜ?
264日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:13
>263
伯爵に叙せられるべき者
 国家に勲功ある者
265日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:20
>>253
すでに書かれているように大夫とは本来は五位以上を指します。
後には公卿・殿上人に次ぐ四・五位、特に五位を指すようになりました。
そして本来律令官僚制では誰にでも昇進の可能性があったのに対し
平安中期頃から次第に公卿や殿上人になれる家が固定してゆき
その中で五位止まりの家となったのが諸大夫家です。
また諸大夫の多くは身分的に公卿に仕える立場の人間で
公卿の家司層と身分的に重複していたので
家司層も諸大夫と呼ばれるようになりました。
これは家格の固定、官司請負制、家業の世襲化、諸司田の成立
律令俸禄制の崩壊、中下級官人の諸司諸家への分属
更に言えば荘園公領制の成立までをも含む全社会的変化・あるいは国制の変化の
中の一齣であって、少し前の時代の殿上制や公営田・官田制に
端を発する大きな歴史的変動に淵源するものなので
全てを説明するにはかなりの紙幅を要します。
詳しくは国史大辞典の各項目及びそこに見える参考文献をご参照下さい。とりあえず
義江彰夫「天皇と公家身分集団」(『講座前近代の天皇』第三巻所収)
玉井力「「院政」支配と貴族官人層」(『日本の社会史』第三巻所収。『平安時代の貴族と天皇』再収)
など。
266日本@名無史さん:2001/07/07(土) 10:43
>265
人物重視から家格の固定へ・・・ですか。
267日本@名無史さん:2001/07/07(土) 10:49
菅公だって大臣になったんだからね
268日本@名無史さん:2001/07/07(土) 23:28
>>267
贈正一位太政大臣
269日本@名無史さん:2001/07/08(日) 04:21
吉備真備とかね。
270日本@名無史さん:2001/07/08(日) 12:56
非藤原氏出身(源氏・平氏除く)の最後の大臣って誰??
271日本@名無史さん:2001/07/08(日) 16:50
>270
豊臣秀頼
272日本@名無史さん:2001/07/08(日) 18:15
>271
お〜、豊臣氏を忘れておった。
273日本@名無史さん:2001/07/08(日) 18:59
豊臣氏って、一応平氏では。
274日本@名無史さん:2001/07/08(日) 19:43
違う。源平藤橘に次ぐ第5の氏。
275日本@名無史さん:2001/07/08(日) 20:30
>274
違う。豊臣姓を賜る前。
276日本@名無史さん:2001/07/08(日) 22:19
諸大夫というのは、大膳大夫、右京大夫、左京大夫などの官名を、ひっくるめたものじゃないんですか?
277日本@名無史さん:2001/07/08(日) 22:38
>>275
平氏も名乗ったが実際は自称藤原朝臣姓だったらしいぞ
278日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:32
足利義昭の養子にしてもらって源氏になろうとしたこともあった。
279日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:45
公家っておのおの伝承する御家芸みたいのがあるって小耳にはさみましたが
それについて教えていただけませんか?
280日本@名無史さん:2001/07/09(月) 02:14
冷泉家(2つあるうちの伯爵家の方)の和歌は有名だよね。
飛鳥井家は蹴鞠、五條家は相撲、西園寺家は琵琶。
281日本@名無史さん:2001/07/09(月) 06:28
お公家さんが相撲をとるの?
282日本@名無史さん:2001/07/09(月) 06:44
>>276
職の長官「大夫」と五位を意味する「大夫」は別です。
読み方も後者は濁らず「たいふ」音便で「たゆう」となります。
283日本@名無史さん:2001/07/09(月) 11:14
>281
ま・さ・か。
横綱免許の発行よ〜。
五条家VS吉田司家。
284日本@名無史さん:2001/07/09(月) 14:03
>277
信長のもとで平朝臣。
関白になるんで藤原朝臣。
285日本@名無史さん:2001/07/09(月) 23:01
>>270
有栖川宮。明治政府で左大臣。
>>277
自称じゃなくて、秀吉は近衛前久の養子になって関白になったの!その後豊臣賜姓。
286日本@名無史さん:2001/07/10(火) 02:21
有栖川宮ってのもスゴイ皇族だね。
王政復古直後に総裁。
戊辰戦争では東征軍大総督。
戦後は兵部卿。
贋札製造で黒田氏を罷免し福岡藩知事、続いて福岡県知事。
帰京して元老院議官。
西南戦争で征討総督。
戦後欧米を視察。
帰国後左大臣。
内閣制度発足に伴い政府を去って参謀本部長。
近衛都督兼任。参謀総長。
日清戦争勃発で広島に大本営を設置。
戦争中病没。
287日本@名無史さん:2001/07/10(火) 02:24
書き忘れ。
青年時代は皇女和宮の婚約者。
288日本@名無史さん:2001/07/10(火) 02:52
>>285
自称なのは笠原寺に残る秀吉の先祖の由緒書に近江浅井の分家で藤原朝臣姓とあるからだよ。
信長につかえる前は藤原ようだよ。
289日本@名無史さん:2001/07/10(火) 02:53
浅井自体が自称藤原姓だからな
290日本@名無史さん:2001/07/10(火) 10:37
下級公家について語りませふ。
地下のふくめて。
291日本@名無史さん:2001/07/10(火) 10:58
下級公家の次男以下や娘たちはどうなった?
292日本@名無史さん:2001/07/10(火) 15:40
>288
それは本物じゃないからだよ。
293日本@名無史さん:2001/07/10(火) 20:16
>290
上級、中級、下級の違いは??
294日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:07
当時は家を単位に受給できる石高が定められていたから
分家なんかできない。お寺に入るしかないでしょう。
でも長男が死んだら還俗して家を継げる。
息子のいない家に養子に入れたらラッキーだけどね。
295日本@名無史さん:2001/07/11(水) 09:39
>>294
長男が死んだら次男以下を還俗させずに
他家から養子を迎えると思うけど。
養子にもいけない、寺にも入れない、独立する甲斐性もなかったら、
なんかとっても悲惨。
296日本@名無史さん:2001/07/11(水) 14:02
>291
町人になった。
297日本@名無史さん:2001/07/12(木) 12:43
>296
町人になって生活していけたの?
298日本@名無史さん:2001/07/12(木) 13:10
今で言う天下りみたいなのがあったんじゃないの?
憶測だけど、伝統的に特定の業者と縁が深い下級公家ってあるじゃない?
(中世に座を支配していた関係で)
299日本@名無史さん:2001/07/12(木) 15:03
>297
ねえねえ、聞きたいんだけど。
町人は生活できないの?
300日本@名無史さん:2001/07/12(木) 15:52
>299
町人が生活できないってわけじゃなくって
公家が突然町人になって
どうやって収入を得て生活していくのってこと。
301日本@名無史さん:2001/07/12(木) 19:45
>300
現在の一般庶民と同じ。
302日本@名無史さん:2001/07/12(木) 20:07
>301
同じって?
具体的には?
303日本@名無史さん:2001/07/12(木) 23:02
 例えば、太政大臣、左大臣、右大臣がいる状態で、内大臣が関白になったとすると席次はどうなるのでしょうか?太政大臣が一番上座なのか、関白内大臣なのか。
 また、室町時代、江戸時代の将軍と摂関、大臣の席次は?例えば、将軍が大納言だったりした場合の。室町時代は京都に幕府があっただけに、摂関家以下の公家が正月には室町殿に拝賀に出かけていたようで、こんな場合どうなるのでしょうか?
304日本@名無史さん:2001/07/13(金) 00:23
内大臣が関白兼任とは考えられないけど。
摂政・関白は律令の定める官員ではないよ。
天皇の代理人。だから位階の定めもない。
305日本@名無史さん:2001/07/13(金) 01:16
関白内大臣は右大臣の下です。
例えば兼通が内大臣で関白になったとき彼の上には
左大臣兼明・右大臣頼忠の二人が上座にいました。
これを嫌って兼通の弟兼家は摂関は官職に関わらず
一座を許される宣旨を取り付け
右大臣を辞し初めて無官のまま摂政となりました。
(この時太政大臣頼忠・左大臣雅信)
後を継いだ道隆も父に倣って内大臣を辞して摂関となりました。
このあと例えば頼通も内大臣で関白になってますが
(右大臣公季・左大臣顕光。のち頼通左大臣・太政大臣公季)
彼が一座です。これは公卿補任の記載の順序にも現れており、
前述の兼通は関白になってからも内大臣の間は右大臣頼忠の下に記されていますが
兼家以降は官次に関わらず摂関はトップに記されています。
(兼家の時は
306日本@名無史さん:2001/07/13(金) 01:19
全然下級公家の話題じゃないね
307日本@名無史さん:2001/07/15(日) 19:55
>302
じゃあ現在の一般庶民はどのようにして暮らしているのか言ってみて。
308日本@名無史さん:2001/07/15(日) 22:10
>307
馬鹿??
309ふむ:2001/07/16(月) 04:54
http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/sakaimiiko-haisenizenno-kazoku.htm
旧前田侯爵家のご出身なのはいいだけど、
前田で自称先祖が道真(ワラなんだろ。

加賀前田を誇りに思うのは結構。だが、軽蔑している岩倉と似たり寄ったりだろ。
新華族が成り上がりで馬鹿にしている。前田も成り上がりのくせに。
310日本@名無史さん:2001/07/16(月) 12:22
>309
みんな最初は成り上がり。
311日本@名無史さん:2001/07/16(月) 12:54
>308
ききたがりのバカだろ。
312日本@名無史さん:2001/07/24(火) 13:06
>309
入り婿の父と後妻の間に生まれた人だからね。
別の意味でのコンプレックスがあるんじゃないかな。
大目に見てあげてね。
313日本@名無史さん:2001/07/27(金) 00:46
314日本@名無史さん:2001/07/29(日) 13:10
コンプレックスを持つ人間は醜い。
315日本@名無史さん:2001/07/29(日) 16:22
コンプレックスを持たな人間はいない。
316日本@名無史さん:2001/07/29(日) 16:28
なんで?
317日本@名無史さん:2001/07/29(日) 16:28
なんで?
318日本@名無史さん:2001/07/30(月) 13:19
なんでだろう?
319日本@名無史さん:2001/07/30(月) 13:47
>>1
士族になりました。
320日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:32
清華家の中で非藤原氏は、久我家だけなんですか?
321日本@名無史さん:2001/08/07(火) 12:41
>320
広幡家もそう。
322日本@名無史さん:2001/08/09(木) 03:55
あげ
323日本@名無史さん:2001/08/10(金) 19:15
ンで、下級公家の話は?
324日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:13
冷泉家って下級?
325名無しさん :2001/08/24(金) 03:30
325 !
326日本@名無史さん:2001/08/24(金) 09:10
>>324
中級だと思う。
327日本@名無史さん:2001/08/25(土) 12:36
地下衆の禄高を教えて下さい。
328日本@名無史さん:01/08/28 13:03 ID:J38SgnVk
あげ
329日本@名無史さん:01/08/28 22:51 ID:NCDlVWXo
>>327
上は100石〜下は1石未満
330世界@名無史さん:01/08/30 23:41 ID:smFw8KTk
華族叙爵内規による基準

公 爵 親王諸王より臣位に列せられた者・旧摂家・徳川宗家・国家に偉功ある者
侯 爵 旧清華・徳川旧三家・旧大藩知事すなわち現米15万石以上・旧琉球藩主・国家に勲功ある者
伯 爵 大納言まで宣任の例が多い旧堂上・徳川旧三卿・旧中藩知事すなわち現米5万石以上・国家に勲功ある者
子 爵 維新前家を起こした旧堂上・旧小藩知事すなわち現米5万石未満及び維新前諸侯であった家・国家に勲功ある者
男 爵 維新後華族に列せられた者・国家に勲功ある者
331世界@名無史さん:01/08/30 23:48 ID:kE3uo5iI
●公家

 公家の場合、摂家は公爵、清華家は侯爵、大臣家以下の
 公家のうち従一位大納言は伯爵、その他を子爵、庶流(分家)は
 男爵とした。三条実美は清華家、岩倉具定(岩倉具視の子)は羽林家
 であったが、ともに国家に偉功があると認められ公爵となった。
 西園寺公望は当初侯爵であったが、ベルサイユ条約締結の功績により
 公爵となった。
332世界@名無史さん:01/08/30 23:49 ID:kE3uo5iI

 ○公爵

摂  家……近衛・九条・二条・一条・鷹司の5家(摂政・関白に
      なりうる家柄)


 ○侯爵

清華家……転法輪三条・今出川・大炊御門・
     花山院・徳大寺・西園寺・久我・
     醍醐・広幡の9家(太政大臣・左大臣・
     右大臣・大将になりうるが摂関を兼ねることができない)

 ○伯爵・子爵

大臣家……中院・正親町三条(のちに嵯峨)・
     三条西の3家(太政大臣になりうる
     が大将を兼ねることができない)

羽林家……岩倉・四辻・清水谷・正親町・
     姉小路・滋野井・小倉・中御門・
     西大路・山科・園・難波・冷泉・
     藪・庭田・綾小路・中山・飛鳥井・
     阿野・橋本・持明院・水無瀬・白川・
     鷲尾・四条・油小路など58家(近衛中将・
     少将を兼ね、大中納言・参議になりうる)

名  家……甘露寺・日野・広橋・烏丸・竹屋・葉室・
      勧修寺など25家(羽林家の下、諸大夫の上
      に位置し、弁官蔵人衆を兼ね、例外的に大納言になりうる)

 ○男爵

新  家……上述各家の庶家(大納言・参議になりうる)
333世界@名無史さん:01/08/30 23:49 ID:kE3uo5iI
公爵

一条実輝(海軍大佐、東宮侍従長、摂家)
伊藤博文(内閣総理大臣、侯爵から陞爵)
岩倉具定(宮内大臣、羽林家、父岩倉具視の功による)
大山巌(元帥陸軍大将、陸軍大臣、侯爵から陞爵)
桂太郎(陸軍大将、内閣総理大臣、侯爵から陞爵)
九条道孝(左大臣、摂家)
近衛篤麿(貴族院議長、摂家)
西園寺公望(内閣総理大臣、清華家、侯爵から陞爵)
三条実美(太政大臣、清華家)
島津忠義(参議、旧鹿児島藩主)
島津久光(左大臣、鹿児島別家)
鷹司煕通(明治神宮宮司、摂家)
徳川篤敬(式部次長、水戸徳川家、侯爵から陞爵)
徳川家達(貴族院議長、将軍家)
徳川慶喜(旧征夷大将軍、将軍別家)
徳大寺実則(内大臣、清華家、侯爵から陞爵)
二条基弘(宮中顧問官、摂家)
松方正義(内閣総理大臣、侯爵から陞爵)
毛利元徳(参議、旧山口藩主)
山県有朋(元帥陸軍大将、内閣総理大臣、侯爵から陞爵)
334世界@名無史さん:01/08/30 23:50 ID:kE3uo5iI
侯爵
浅野長勲(議定、旧広島藩主)
粟田彰常(もと東久邇宮彰常王、陸軍少尉、東久邇宮稔彦王第三男子)
池田章政(麝香間祗候、旧岡山藩主)
池田輝知(旧鳥取藩)
井上馨(外務大臣、伯爵から陞爵)
大炊御門幾麿(清華家)
大久保利和(主計官、父大久保利通の功による)
大隈重信(内閣総理大臣、伯爵から陞爵)
音羽正彦(もと朝香宮正彦王、海軍少佐、朝香宮鳩彦王第二男子)
花山院忠遠(清華家)
華頂博信(もと伏見宮博信王、海軍大佐、伏見宮博恭王第三男子)
菊亭修季(清華家)
木戸正二郎(父木戸孝允の功による)
久邇邦久(もと久邇宮邦久王、陸軍歩兵大尉、久邇宮邦彦王第二男子)
黒田長成(枢密顧問官、旧福岡藩)
久我通久(宗秩寮総裁、清華家)
小松輝久(もと北白川宮輝久王、海軍中将、北白川宮能久親王第四男子)
小村寿太郎(外務大臣、伯爵から陞爵)
西郷従道(元帥海軍大将、海軍大臣、伯爵から陞爵)
西郷寅太郎(父西郷隆盛の功による)
嵯峨公勝(大臣家、父嵯峨実愛もと正親町三条実愛の功による)
佐々木高行(参議、伯爵から陞爵)
佐竹義尭(右京大夫、旧秋田藩主)
四条隆謌(陸軍中尉、四条家)
尚泰(旧琉球藩王)
醍醐忠順(大阪府知事、一条庶流、清華家)
伊達宗徳(旧宇和島藩知事、伯爵から陞爵)
筑波藤麿(もと山階宮藤麿王、靖国神社宮司、山階宮菊麿王第三男子)
東郷平八郎(元帥海軍大将、聯合艦隊司令長官、伯爵から陞爵)
徳川茂承(旧和歌山藩主、紀伊徳川家)
中御門経之(大納言、勧修寺家、伯爵から陞爵)
中山忠能(権大納言、花山院家)
鍋島直大(旧佐賀藩主)
野津道貫(元帥陸軍大将、第一軍司令官、伯爵から陞爵)
蜂須賀茂韶(貴族院議長、旧徳島藩主)
広幡忠礼(内大臣、清華家)
細川護久(陸海軍少将、議定、旧熊本藩知事)
前田利嗣(主猟官、旧金沢藩)
松平茂昭(旧福井藩主)
山階芳麿(もと山階宮芳麿王、陸軍砲兵中尉、山階宮菊麿王第二男子)
山内豊範(旧高知藩主)
335世界@名無史さん:01/08/30 23:52 ID:kE3uo5iI
伯爵パート1
飛鳥井雅望(殿掌、花山院家)
姉小路公義(閑院家、三条支流)
油小路隆晃(蔵人頭、四条家末流、西大路分家)
阿部正桓(主計頭、旧福山藩主)
有馬頼万(旧久留米藩)
井伊直憲(旧彦根藩主)
板垣退助(内務大臣)
伊地知正治(参議)
伊東巳代治(農商務大臣、子爵から陞爵)
伊東祐亨(元帥海軍大将、聯合艦隊司令長官、子爵から陞爵)
上杉茂憲(旧米沢藩主)
上野正雄(北白川宮能久親王第六男子)
宇治家彦(もと久邇宮家彦王、久邇宮多嘉王第二男子)
内田康哉(外務大臣、子爵から陞爵)
大木喬任(枢密院議長)
正親町実正(侍従長、閑院家)
大谷光えい(浄土真宗大谷派管長)
大谷光尊(浄土真宗本願寺門跡)
大原重朝(貴族院議員、宇田源氏、子爵から陞爵)
大村純雄(式部官、旧大村藩、子爵から陞爵)
小笠原忠忱(旧小倉藩主)
大給恒(賞勲局総裁、子爵から陞爵)
奥保鞏(元帥陸軍大将、参謀総長、男爵から陞爵)
奥平昌邁(旧中津藩主)
香川敬三(皇太后宮大夫、子爵から陞爵)
勧修寺顕允(陸軍歩兵大尉、勧修寺家)
鹿島萩麿(もと山階宮萩麿王、海軍少尉、山階宮菊麿王第四男子)
勝安芳(海軍卿)
葛城茂麿(もと山階宮茂麿王、陸軍歩兵少尉、山階宮菊麿王第五男子)
加藤高明(内閣総理大臣、子爵から陞爵)
金子堅太郎(司法大臣、子爵から陞爵)
樺山資紀(海軍大将、海軍大臣、子爵から陞爵)
亀井茲明(侍従、旧津和野藩)
烏丸光亨(日野別家)
川村純義(海軍大将、海軍卿)
甘露寺義長(勧修寺家)
清浦奎吾(内閣総理大臣)
清棲家教(宮中顧問官、伏見宮邦家親王第一五男子)
黒木為禎(陸軍大将、第一軍司令官、男爵から陞爵)
黒田清隆(陸軍中将、内閣総理大臣)
336世界@名無史さん:01/08/30 23:53 ID:kE3uo5iI
伯爵パート2
児玉源太郎(陸軍大将、陸軍大臣、嗣子児玉秀雄子爵から陞爵)
後藤新平(内務大臣、子爵から陞爵)
後藤象二郎(農商務大臣)
小松帯刀(祖父小松清廉の功による)
酒井忠篤(旧庄内藩)
酒井忠道(旧小浜藩)
酒井忠興(旧姫路藩)
佐久間左馬太(陸軍大将、台湾総督、子爵から陞爵)
真田幸民(旧松代藩主、子爵から陞爵)
佐野常民(農商務大臣、子爵から陞爵)
沢宣量(清原家、父沢為量子爵から陞爵)
三条西公允(大臣家)
滋野井公寿(閑院家)
島津忠亮(貴族院議員、旧佐土原藩、子爵から陞爵)
清水谷実英(陸軍中佐、侍従、閑院家)
清閑寺盛房(侍従、勧修寺家)
宗重正(侍従、旧対馬府中藩)
副島種臣(内務大臣)
園基祥(宮内省御用掛、中御門家)
立花寛治(貴族院議員、旧柳河藩)
龍田徳彦(海軍少尉、もと久邇宮徳彦王、久邇宮多嘉王第三男子)
伊達宗基(旧仙台藩主)
田中光顕(陸軍少将、宮内大臣、子爵から陞爵)
珍田捨巳(侍従長、子爵から陞爵)
津軽承昭(旧弘前藩主)
寺内正毅(元帥陸軍大将、内閣総理大臣、子爵から陞爵)
寺島宗則(参議)
藤堂高潔(旧津藩)
徳川篤守(旧御三卿・清水家)
337世界@名無史さん:01/08/30 23:54 ID:kE3uo5iI
伯爵パート3
徳川達孝(侍従職幹事、旧御三卿・田安家)
徳川達道(旧御三卿・一橋家)
戸田氏共(式部長官、旧大垣藩主)
中川久成(旧岡藩主)
中院通富(大臣家、久我分家)
南部利恭(旧盛岡藩主)
庭田重直(宇多源氏)
乃木希典(陸軍大将、第三軍司令官、男爵から陞爵)
乃木元智(毛利元雄次男)
橋本実梁(元老院議官、閑院家)
長谷川好道(元帥陸軍大将、参謀総長、子爵から陞爵)
葉室長邦(勧修寺家)
林友幸(枢密顧問官、子爵から陞爵)
林薫(外務大臣、子爵から陞爵)
東久世通禧(枢密院副議長、村上源氏)
東伏見邦英(東伏見慈洽、もと久邇宮邦英王、久邇宮邦彦王第三男子)
久松定謨(陸軍大佐、旧松山藩)
土方久元(宮内大臣、子爵から陞爵)
日野資秀(東宮侍従、日野家)
平田東助(内務大臣、子爵から陞爵)
広沢金次郎(駐西公使、父広沢真臣の功による)
広橋賢光(内閣記録局長、日野家)
伏見博英(もと伏見宮博英王、海軍少佐、伏見宮博恭王第四男子)
二荒芳之(貴族院議員、北白川宮能久親王第五男子)
坊城俊章(陸軍歩兵大佐、山形県知事、勧修寺家)
堀田正倫(旧佐倉藩主)
前田利同(式部官、旧富山藩主)
牧野伸顕(宮内大臣、子爵から陞爵)
松浦詮(貴族院議員、旧平戸藩主)
松平直亮(貴族院議員、旧松江藩)
松平基則(旧前橋藩)
松平頼聡(旧高松藩)
松木宗隆(貴族院議員、中御門家)
万里小路通房(侍従、勧修寺家、甘露寺支流)
溝口直正(旧新発田藩主)
壬生基修(東京府知事、中御門家、持明院末流、子爵から陞爵)
陸奥宗光(外務大臣、子爵から陞爵)
室町公康(閑院家、旧姓四辻)
柳沢保由(旧郡山藩)
柳原前光(元老院議長、日野家)
山科言縄(殿掌、四条家)
山田顕義(陸軍中将、司法大臣)
山本権兵衛(海軍大将、内閣総理大臣、男爵から陞爵)
吉井友実(宮内次官)
芳川顕正(内務大臣、子爵から陞爵)
冷泉為紀(殿掌、御子左家)
鷲尾隆聚(参与、四条家)
渡辺千秋(宮内大臣、子爵から陞爵)

子爵、男爵
その他の一般大名、維新功労者

以上こぴぺ終わりました。
338日本@名無史さん:01/08/31 11:04 ID:kjsRmob.
どうせコピペするなら子爵、男爵もしたら?
339日本@名無史さん:01/08/31 11:26 ID:N7eJW8x6
多すぎて大変だろ?
340日本@名無史さん:01/08/31 12:45 ID:xFOR3gjg
>>332
男爵の定義が間違っている。
341世界@名無史さん:01/08/31 23:58 ID:ff6rR65A
>>340
ヴァカ発見!
342日本@名無史さん:01/09/01 00:02 ID:7lFJQaUA
>>341
間違いを指摘されて恥ずかしかったのね。
おかわいそうに!
343日本@名無史さん:01/09/01 00:04 ID:0OdBG4Ik
>>341
こぴぺしか能のないただのヴァカ発見!
344日本@名無史さん:01/09/01 00:07 ID:S9ChtHM6
>>341
頭隠して尻隠さず(藁
345日本@名無史さん:01/09/01 00:27 ID:3aNJppV2
さらしage
346日本@名無史さん:01/09/01 11:20 ID:t/tdHmmY
いつから爵位スレになったのだぁ!?
347日本@名無史さん:01/09/01 12:22 ID:eUuodldM
sex
348日本@名無史さん :01/09/01 23:57 ID:NGExq7SY
>>330以下
皆ばか。大ヴぁかちゃん。340も救いようがないけど
349日本@名無史さん:01/09/02 00:00 ID:ExVzgjMo
>>348
世界@名無史さん、今夜も登場。
350日本@名無史さん:01/09/02 00:01 ID:/Ac33UdQ
>>348
男爵の定義が間違っている。
351日本@名無史さん:01/09/02 00:03 ID:SQ9MykNM
>>348
大ヴぁかちゃんはおまえだけ。
352日本@名無史さん:01/09/02 00:04 ID:wxBnPzCE
>>348
救いようがないのはオマエ。
353日本@名無史さん:01/09/02 03:18 ID:UjD8mkRg
>>349,350,351,352←コイツらも348と同レベルヴァカ
何が違うの?
言ってみー。突っ込まれるのが怖くなかったらだけどね。
いえないもんねー。ブハッハハハハハハハハハハ
354日本@名無史さん:01/09/02 03:45 ID:4lYkMr.I
>>353
どいつもコイツもチキンやろうってことだ。
で、どうなんだい。何がどうちがうんだい。
355日本@名無史さん:01/09/02 10:46 ID:lw5F2mpY
>>353
>>354
間違っているって言われたことが
くやしくてくやしくて
仕方がないのね(W
356日本@名無史さん:01/09/02 11:10 ID:omlmiTmY
>>353=>>348
バレバレよ〜ん!!
357日本@名無史さん:01/09/02 17:34 ID:ToV6L.kw

コイツほんとに氏んでる。
知ったかっくん!ぷっ
俺は354だよ〜ん!ばーか。
358日本@名無史さん:01/09/02 17:55 ID:SQ9MykNM
>>357
男爵の定義が間違っている。
359日本@名無史さん:01/09/02 17:56 ID:ExVzgjMo
>>357
自作自演を白状しているヴァカ発見!!
360日本@名無史さん:01/09/02 17:58 ID:1Ym4eI4c
>>357
コイツほんとに氏んでる。
知ったかっくん!ぷっ
なにがだよ〜んだよ!ばーか。
361     :01/09/02 20:20 ID:w3BfYdsY
362日本@名無史さん:01/09/02 20:46 ID:o9i86Myo
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
363日本@名無史さん:01/09/02 20:52 ID:Gd/wjVMA
何このスレは?
364日本@名無史さん:01/09/02 20:59 ID:ABt8wkjk
>>363
>>332の男爵の定義が違うと指摘されて
悔しがるヴァカをからかうスレ。
365日本@名無史さん:01/09/02 21:01 ID:Gd/wjVMA
>>364
納得。
そもそも男爵なんての出てきたのが明治時代なのに、
公家を論じる場でなんで男爵が出てきたのだろう?
366日本@名無史さん:01/09/02 21:09 ID:xUhaS9Fw
>>365
僧侶だった公家の子弟が明治になり還俗して
一家をおこし男爵位を与えられた。
367日本@名無史さん:01/09/12 12:00
下級公家の定義は如何に。。。
368日本@名無史さん:01/09/15 22:29
下級公家は徒歩で参内したのか?
それとも何か乗り物に乗って参内したのか?

数十石では使用人雇えないと思うけど,どうしてたのか?
次男三男はどうしてたのか?全員出家か養子なのか?
369日本@名無史さん:01/09/19 15:58
いま流行っている陰陽師の、家元の一軒である幸徳井(カデイ)家は現存している
のでしょうかね。しているとしたら、いまでも陰陽師なのですかね。
370日本@名無史さん:01/10/01 01:54
371日本@名無史さん:01/10/02 03:13
勘解由小路と幸徳井(カデイ)ってかんけいあるよね?
平安時代に家が絶えた勘解由小路の方だけど。
372日本@名無史さん:01/10/02 22:59
>371
どっちも賀茂氏。
373日本@名無史さん:01/10/09 23:07
地下官人はどこに住んでいたの?
374日本@名無史さん:01/10/20 09:31
同志社大学は御所の近所にあります。
あそこは誰の屋敷跡なんですか?
また、新島襄はどーゆーコネで、
あの場所を入手できたのですか?
375日本@名無史さん:01/10/23 21:36
ge
376日本@名無史さん:01/10/25 18:39
題名忘れましたが
公家に仕える公家侍の漫画がありましたよね
公家侍とは、人数・石高はどのくらいだったのですか?
他にも公家侍(や大きな寺や神社に仕えていた身分の者)
について詳しい方が居られましたら
何でも教えて下さい
377日本@名無史さん:01/10/25 20:29
ちらっと聞いたのは新島は親会津の公家のコネであの敷地を手にしたと・・ 夫人は山本八重子だしね。山本覚馬もいたし。
378日本@名無史さん:01/10/25 21:52
age
379日本@名無史さん:01/10/26 13:16
>376
寺社の場合は公家侍じゃないだろ。

青侍なんて、誰でもなれるよ。
380日本@名無史さん:01/10/26 21:55
青侍ってなーーに?
381日本@名無史さん:01/10/27 02:09
下級公家なんて実際は金ないけど見栄もはらなくてはならないから
大変だったろうね
382日本@名無史さん:01/10/27 02:13
維新後に華族になった公卿の極官が中納言辺りだとしたら地下人も
4位程度にはなるのかなあ?
4位といえば上級大名を凌ぐ官位だけど知っている人いる?
383>>374:01/10/28 05:19
同志社のある場所はたしか御局、山科家、冷泉家、藤谷家
徳大寺家の屋敷跡、同志社女子の方は伏見宮家、三條家の
屋敷跡だった思います。
384383:01/10/28 05:24
因みに冷泉家だけ残っています。寄付で建て直し
しました。最後の公家建築です。
385383:01/10/28 07:26
付け加え:
同志社の方は竹内家屋敷もそうです。ちょうど今出川通と
烏丸通がクロスするところが竹内家のはずです。徳大寺家
の正面向かいは久我家(コガ)の屋敷があり、女優の久我
美子はこの家の出身(源家公卿・侯爵家)です。
386日本@名無史さん:01/10/30 00:04
 名家よりさらに下の階層の公家の階級はどうなってるのでしょう。
 たいていの歴史解説書には名家までの家柄しか載ってないです。参考文献が
あったらぜひ紹介してください。
387日本@名無史さん:01/11/09 19:24
幸徳秋水は地下人だよ。
388 :01/11/10 01:47
わたくしたち蚊族はこれからの地球温暖化の影響で、日本までブンブン飛んで
参りまして皆様のケツえきをチュウチュウ吸わせていただき、おマラリアを
はやらせて頂きます。お覚悟の程を。
389日本@名無史さん:01/11/10 04:17
>386
名家の下は半家。雨林や名家に準じて昇進していくよ。
維新後は子爵。
390 :01/11/22 00:37
羽林でしょ?
391日本@名無史さん:01/11/22 10:00
>390
まあまあ、かたいことは言わずに。
392日本@名無史さん:01/11/22 23:09
>>384
三条家じゃなくて二条家でしょ。
393日本@名無史さん:01/11/23 01:53
>>392
>>383ね。
それと、同志社は薩摩屋敷がメインだよ。
394日本@名無史さん
公家は寄生虫です。駆除しましょう。シュー