死に様が最も華々しいのは?

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1日本@名無史さん
やはり弾正か?
2名無しさん@1周年:2001/01/06(土) 01:25
バンザイアタックで蜂の巣にされちゃった某キチ帝国の軍人ちゃん達。
3日本@名無史さん:2001/01/06(土) 08:30
hage
4日本@名無史さん:2001/01/06(土) 09:13
村上義光
16歳のとき、父に護良親王をつれて逃れさせ
自分は護良親王の身代わりとなって鎌倉勢を引き付け壮絶な討ち死に。
山岡荘八の太平記のこのくだりは泣けた。
5後白河院:2001/01/06(土) 09:15
十返舎一九
6日本@名無史さん:2001/01/06(土) 09:32
弁慶の立ち往生。
創作なんだろうけど。
7日本@名無史さん:2001/01/06(土) 09:52
是非に及ばず......右大臣 本能寺にて
8日本@名無史さん:2001/01/06(土) 09:55
畳の上で家族に看取られながら老衰。
これが最高やね。
9日本@名無史さん:2001/01/06(土) 10:02
足利義輝公に1票!
10源 静香:2001/01/06(土) 10:58
第二次世界大戦で死んでった神風特攻隊の人たち
11日本@名無史さん:2001/01/06(土) 11:33
石川五右衛門
良い湯だなフフフ〜ン♪
12三橋敏雄:2001/01/06(土) 11:41
   戦争と畳の上の団扇かな
13日本@名無史さん:2001/01/06(土) 11:45
ヒヅィカタ歳三
14日本@名無史さん:2001/01/06(土) 12:07
南朝の切腹男、なんていったっけ?
主上を逃がす時間を稼ぐため、敵の前で腹を掻き切って
内臓をちぎっては投げちぎっては投げ…      うげっ…
15【^▽^】ジョーカー:2001/01/06(土) 13:45
神風連(敬神党)。
16バートン:2001/01/06(土) 13:54
関ケ原の時の薩摩武士たち

「正面に向かって、退却!!」

17与六:2001/01/06(土) 22:56
五万とも言われる薩摩軍を相手に、全員玉砕した高橋紹運。
18日本@名無史さん:2001/01/07(日) 00:04
丹羽長秀公に決まっておろう
悪性の腫瘍が出来て先が長くないとみるや切腹して
主家筋の織田家を蔑ろにし始めた秀吉に檄文と腸を送りつけたし
19タコ博士:2001/01/07(日) 01:06
三島由紀夫に一票。

>>2
コバァではないが、そこまで言うとなにかムカツク。
戦術的にドキュんであることには間違いないが
20日本@名無史さん:2001/01/07(日) 01:06
爆死野郎の松永久秀に一票。
「この茶釜は信長なんぞには勿体ないわ〜!(爆発)」
21日本@名無史さん:2001/01/07(日) 22:04
月並みだけど、大谷刑部。演出家の素質があるナルシスト。
22日本@名無史さん:2001/01/07(日) 23:53
柴田勝家
腹十字文字に割腹して、しかも、はらわた投げるど根性!!
さらに天守閣に爆薬を仕掛ける念の入りよう
ついでにお市の方と無理心中
サイコー
23日本@名無史さん:2001/01/08(月) 01:10
可児才蔵

自分の死期を悟ると身を清め、甲冑を身に着け床机に座ったまま
絶命。「華々しい」とはちょっと違うが厳かな感じがしてよい。
24日本@名無史さん:2001/01/08(月) 01:39
要するにコヴァは被害妄想なんだよ。
被害妄想を繰り返して戦争ばっかするのは、50年前までにしてね。
25日本@名無史さん:2001/01/08(月) 01:41
おっと、誤爆。ごめんね。
26日本@名無史さん:2001/01/08(月) 02:03
桂三木助
27名無しさん:2001/01/08(月) 02:48
細川ガラシア 
28名無し:2001/01/08(月) 06:54
木村長門守重成

大坂夏の陣において香を焚き込めて出陣。
家康にその覚悟の程を賞賛された。享年22。
29datより:2001/01/08(月) 17:30
28 名前:名無しさん投稿日:2000/02/11(金) 04:03
終戦時、海軍の大西中将は「神風特攻隊の責任をとる」
と称し、介錯なしで切腹。6時間以上生きていたらしい。
29 名前:>28投稿日:2000/02/11(金) 08:30
・・・痛かったろうな・・・
30 名前:名無しさん投稿日:2000/02/11(金) 23:18
その後死人に口なしで特攻隊の責任を
全て大西に押し付けて知らん振りしていた
特攻関係者が多数。
30日本@名無史さん:2001/01/09(火) 00:33
真田幸村

31日本@名無史さん:2001/01/09(火) 03:00
小渕恵三
32日本@名無史さん :2001/01/09(火) 03:47
二位の尼
壇ノ浦で金メダル級のダイビング
33日本@名無史さん:2001/01/10(水) 01:26
平教経
平家一門が見せた最後の意地だった。
34名無しさん@風が冷たい:2001/01/10(水) 01:30
信玄の息子の仁科某
35名無しさん:2001/01/10(水) 02:54
>>34
仁科盛信じゃなかった?
36日本@名無史さん:2001/01/11(木) 13:44
平知盛
「命を惜しむな、名をこそ惜しめ」
「見るべき程のことは見つ。今は自害せん」
平家物語中最も名言を残したお方。
息子の知章の最期も素晴らしい。
っつーか、一ノ谷・壇ノ浦で命を落としている平家のお方、
皆、最期はもの悲しいが天晴れである。
37日本@名無史さん:2001/01/11(木) 13:56
森乱丸、坊丸、力丸三兄弟。
38      :2001/01/11(木) 15:45
爆弾3勇士。

今はちと虚しいが。
39日本@名無史さん:2001/01/11(木) 16:58
風船おじさん
40日本@名無史さん:2001/01/11(木) 17:29
大谷吉継に一票
かっこ良すぎるし、ちょとこわい
三年のうちにたたりをなさん・・
41日本@名無史さん:2001/01/11(木) 17:35
平氏に対して源氏はけっこう情けないというか
はっきりしない死に方だなあ。
42日本@名無史さん:2001/01/12(金) 02:44
>>40

コラ!平塚為広を忘れるなっ!
43名無しは無慈悲な夜の女王:2001/01/12(金) 03:18
三島由紀夫。
つっても、俺は切腹にはあんまり美学を感じないが。
44名も無きサムライ:2001/01/12(金) 03:27
板垣信方
忠臣の誉れ高い死に様だった。
45名無しさん:2001/01/12(金) 12:55
>>44
板垣退助の先祖。
46日本@名無史さん:2001/01/12(金) 13:20
華々しいかどうか知らないけど、千利休のヨメ&娘@蛇責め
47日本@名無史さん:2001/01/12(金) 15:49
蛇責め?
48名無し:2001/01/13(土) 12:35
清水宗治。
49日本@名無史さん:2001/01/13(土) 12:55
>>38
あれって大部分創作じゃなかったっけ。
50名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 20:01
>>1
どうやって比べるんだ、そんなもん。
51日本@名無史さん:2001/01/14(日) 03:56
>50
多数決
52名無し:2001/01/15(月) 20:09
硫黄島での栗林将軍
53日本@名無史さん:2001/01/15(月) 22:37
>>41
>平氏に対して源氏はけっこう情けないというか
>はっきりしない死に方だなあ。

だって「平家物語」なんだからさぁ……。
54音速の名無しさん:2001/01/16(火) 01:21
>53
でも源氏物語の光GENJIもたいして格好良くないぞ
55日本@名無史さん:2001/01/17(水) 14:56
>53
吾妻鏡だって頼朝の死についてちゃんと記述ないじゃん。
56日本@名無史さん:2001/01/18(木) 02:26
>>14
村上義明だったような・・・。自分の腸を敵に投げつけて死んだなんて・・・。
たぶん太平記の脚色なんだろうけど。
57日本@名無史さん:2001/01/18(木) 02:29
尾崎豊
三田の次男はきっと彼にあこがれていたのだ。
58長岡藩士:2001/01/18(木) 09:35
河井継之助先生
怪我がもとで死ぬ前日に従者である松蔵さんに自分が死んだらすぐに火葬するための準備をさせ
その準備を見つめながら亡くなった。
59名無し:2001/01/19(金) 22:58
乃木大将の壮絶な死
60日本@名無史さん:2001/01/19(金) 23:31
乃木は日露戦争前に死ぬべきだった…
生き恥をさらしおって
61日本@名無史さん:2001/01/19(金) 23:37
まあ、頼朝の死って落馬? あまりない死に方だよな。
62名無し:2001/01/20(土) 21:37
広瀬中佐
63日本@名無史さん:2001/01/21(日) 17:21
>>60
うな事いうなら西南戦争の時に死ねば良かったじゃん。
64日本@名無史さん:2001/01/21(日) 21:32
ジャイアントロボ
65z:2001/01/22(月) 11:47
龍造寺 隆信でしょ
66日本@名無史さん:2001/01/22(月) 14:58
土方としぞっ!
67日本@名無史さん:2001/01/22(月) 15:53
沖田十三
68日本@名無史さん:2001/01/22(月) 16:44
アッツ島の山崎大佐
69日本@名無史さん:2001/01/24(水) 12:50
海軍沖縄方面根拠隊の大田実少将。
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ワラン…」
70日本@名無史さん:2001/01/24(水) 14:30
沖 雅也
71日本@名無史さん:2001/01/24(水) 14:32
岡田 有希子
72まどか:2001/01/24(水) 17:07
三島由紀夫
73日本@名無史さん:2001/01/25(木) 03:30
堀部安兵衛に一票。
やろうぜやろうぜと赤穂浪士を挑発先導しつつ
切腹が決まったときは「いやじゃいやじゃ」と
取り乱したという。ウソかも知らんが人間的で
好き。赤鞘だったというのも華々しい。涙。
74日本@名無史さん:2001/01/25(木) 08:36
右大臣源実朝
75Mrs.名無しさん:2001/01/25(木) 11:20
> 34&35
仁科五郎盛信、高遠城にて玉砕す!
甲斐・武田家の終焉を飾る華としては、この人が筆頭でしょう。
割腹後、自らの内臓をぶちまけたとまで言われる程、凄まじい死に様。
76日本@名無史さん:2001/01/25(木) 12:12
益田四郎時貞
77日本@名無史さん:2001/01/25(木) 12:14
小西行長
78日本@名無史さん:2001/01/25(木) 12:20
羽仁五郎
79日本@名無史さん:2001/01/25(木) 12:52
たこ八郎
804だけど:2001/01/25(木) 23:51
>56
だから「村上義光(よしてる)」だって
過去ログ読んでくれよ。

81日本@名無史さん:2001/01/25(木) 23:57
華々しい死に方を出来なかった奴として
小野妹子
隋の皇帝に(当時としては)無礼極まりない文書を手渡した。
「日いづる処の天子・・・・」
よく殺されんで帰ってきた。
82日本@名無史さん:2001/01/25(木) 23:58
天草四郎
83日本@名無史さん:2001/01/26(金) 12:52
信長公

・・・何故既出してない?
84日本@名無史さん:2001/01/26(金) 13:50
>>81
しかも相手があの煬帝だからねえ…
85日本@名無史さん:2001/01/26(金) 14:05
>83
華々しいか?だったら森乱の方がまだかっこいいと思う。
86日本@名無史さん:2001/01/26(金) 15:04
むろん、楠正成とその一族、楠正行ね!
87名無しさん:2001/01/26(金) 15:22
>>86
正儀(正成の三男)は生き残ったけどね。
88藤五郎:2001/01/26(金) 15:29
何故出ない、伊達輝宗。
「敵と一緒に我も撃て、政宗〜!」
まあ、捕まる輝宗が悪いんだけど、それでも父ごと撃っちゃう
政宗もやっぱりオオモノ。
89日本@名無史さん:2001/01/26(金) 15:56
それ大河ネタでしょ、史実もそうなの?
たんに、人質に取られて見捨てたとかじゃないの?
90日本@名無史さん:2001/01/26(金) 16:49
一応、政宗自身が撃ったとか、命じて片倉小十郎が撃ったとか
輝宗がいるの解らないで撃ったとか、政宗不在で成実が撃ったとか
ソースは知らんが・・・
いろいろ説話はあるよね
91日本@名無史さん:2001/01/27(土) 01:26
信長はやはり「花の慶次」の死に方がかっこいい。首を取りに来た忍びに向かって、死装束に炎をまとってひとこと、「わしの首欲しくば地獄まで友をせい」
しびれるね。
それはともかく、映像を見たことあるのでいえば浅沼委員長の刺殺シーン。年末にテレビでやってて衝撃だった。右翼にナイフで刺されるの
92日本@名無史さん:2001/01/27(土) 01:27
信長はやはり「花の慶次」の死に方がかっこいい。首を取りに来た忍びに向かって、死装束に炎をまとってひとこと、「わしの首欲しくば地獄まで伴をせい」
しびれるね。
それはともかく、映像を見たことあるのでいえば浅沼委員長の刺殺シーン。年末にテレビでやってて衝撃だった。右翼にナイフで刺されるの
93日本@名無史さん:2001/01/27(土) 01:38
>92
浅沼刺殺
その映像がプリントされてるTシャツを東京の友人に貰ったけど
気持ち悪いんで売っちゃいました300円で。
94日本@名無史さん:2001/01/27(土) 05:43
山本ごじゅうろく
95日本@名無史さん:2001/01/27(土) 07:45
クリリン
96名無しさん@1周年:2001/01/27(土) 11:41
ありきたりすぎてスマンが
真田信繁かなぁ・・
97日本@名無史さん:2001/02/09(金) 22:21
豊臣秀次の最期はなかなかのもんだと思う。
>仏は十方にあり、西を向くまでもあるまい

「処刑直前の減らず口」としては大関クラス(横綱は石田三成。)
98日本@名無史さん:2001/02/09(金) 22:46
義経の首を自ら掻き切った腹中に納めて、燃える館に飛び込んだ人。
      ↑
誰でしたっけ?
99日本@名無史さん:2001/02/09(金) 22:54
弁慶です。
100名無しさん:2001/02/09(金) 23:01
弁慶は立ち往生じゃ・・・
101日本@名無史さん:2001/02/09(金) 23:21
大内義隆の家臣、冷泉隆豊。
陶晴賢の反逆時に義隆を守るべく奮戦した後、最早これまでと
「大逆無道の陶晴賢、汝も又遠からず最後も如斯なるべきぞと罵りて
『見よやたつ 雲も煙も 中空に さそひし風の 陶ものこらず」と
一首を残し腹十文字にかき切りて臓腑を引出し天井に投付息たへける」
(月岡芳年:魁題百撰相「冷泉判官隆豊」(明治元年)解題より)
102四国征伐敗残者子孫:2001/02/11(日) 09:01
土居通増
近江塩津の戦いで熊谷@`佐々木 に包囲され
雪の中自刃
太平記17巻にあります
わたしの先祖です すんません
103日本@名無史さん:2001/02/11(日) 09:15
おまえら肝心な奴らを忘れてんなーーー
んなもん赤穂四十七士に決まってるやろうが!!
主君の仇をやっとの思いでうち
最後は武士らしく華々しく自害して美しく果てた............
日本の古きよき武士道を見せてくれた彼らに一票
世間の人もそう思っているだろう。
現に弁慶の立ち往生等等よりも忠臣蔵のほうが
圧倒的に歌舞伎や芝居にとりたてられている
104日本@名無史さん:2001/02/11(日) 10:42
話ちょっと飛ぶけど、以前零戦というあおい輝彦etcの出てた
超駄作の戦争映画があって、そんで輸送機か爆撃機だかが護衛
の甲斐もなく・・という場面があり、その時乗組員が悄然と整列し窓
からこっち(つまり零戦)の方に敬礼しながら墜落していくシーンで、
何か知らんけど感極まってオイオイと泣いてるおっさんがいた。
(風体から察するにどうも本職の右翼のおじさんのようであった)
まばらな館内でみんな白け退屈ムードのなかで異なものであった。
105多聞:2001/02/11(日) 11:19
多分それ零戦燃ゆ。輸送機じゃなく一式陸攻
106四国征伐敗残者子孫:2001/02/11(日) 17:12
再び
河野通時
元寇のとき甥通有とともに
敵船に夜襲をかけ 敵将を討つも逆襲され切り死に

北条時宗には出てこないだろうな
107日本@名無史さん:2001/02/11(日) 22:43
土方歳三。
まさに死に場所を探すために戦った男。
108名無しさん:2001/02/12(月) 05:16
>>107
実は味方に狙い撃ちされたという説も・・・
109日本@名無史さん
山本五十六総督
一式陸攻が死に場とは、かくも華々しい軍人じゃ!