任那って日本領だったんですか? part2

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1日本@名無史さん
前のスレッド↓が800を越えましたので、新しいスレッドを立てました。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=970077532&ls=50
2日本@名無史さん:2000/12/13(水) 08:05
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事
3日本@名無史さん:2000/12/13(水) 16:48
朝鮮半島では、旧石器時代の約12000年前を最後に、パッタリと遺跡が途絶えた。
そうして、約7000年前に朝鮮半島最南端から、縄文文化が朝鮮半島に拡がっていった。
要するに、縄文人が朝鮮半島に渡ってから、文化が連続している。
その後、中国本土や沿海州などからの文化が流入し、中国の植民地となり、古代に至った。
4日本@名無史さん:2000/12/13(水) 18:36
要するに、朝鮮半島の先住民は、縄文人だと言うこと。
5日本@名無史さん:2000/12/14(木) 00:09
このスレもいずれあぼーんか。
いつもの差別主義者は、削除人に目をつけられたようだしな。
6日本@名無史さん:2000/12/14(木) 00:34
古代の日本(倭国)は、東国の前方後方墳体制を圧倒し、前方後円墳体制に組み込んでから、
朝鮮半島へ大々的に勢力を伸ばしていった。
7日本@名無史さん:2000/12/14(木) 01:05
8日本@名無史さん:2000/12/14(木) 01:11
>7
そちらはニセモノ。
9日本@名無史さん:2000/12/14(木) 01:13
>7
part1では「日本領」だったのが、それは「倭国領」に改竄されている。
網野じいさんシンパのサヨクが作ったエセスレ。
10日本@名無史さん:2000/12/14(木) 07:14
日本領の任那
11日本@名無史さん:2000/12/14(木) 08:27
5は鮮人だろ
12名無しさん@1周年:2000/12/14(木) 09:04
>>11

倭を鮮とすりかえる亡国売国棄国の
ウヨ、サヨ、やよ人。
13日本@名無史さん:2000/12/14(木) 10:25
>12
意味不明。怪電波を発信するな(わら
14日本@名無史さん :2000/12/14(木) 10:35
やれやれ。ハングル厨は他所いってよ。
15日本@名無史さん:2000/12/14(木) 12:30
前のスレッドをわざわざ潰して立てたこれよりこっちへ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=974989450&ls=50
16日本@名無史さん:2000/12/14(木) 12:44
>15
捏造するな。前のスレッドが強制満了されたから、新たにスレを立てたってこと。
そのような捏造体質が、朝鮮や反日サヨクの歴史ヨタ話には広く見られる。
17日本@名無史さん:2000/12/14(木) 13:49
前のスレッドが見たい方は
http://mentai.2ch.net/history/dat/970077532.dat
datをHTMLに直すにはここ↓
http://members.tripod.co.jp/tatsu01/
18日本@名無史さん:2000/12/14(木) 13:50
網野じいさんシンパをウソを、具体的に示しておきます。
タイトルを「日本」→「倭国」と改竄して、網野じいさんシンパが立てたスレは、
「1 投稿日: 2000/11/23(木) 23:24」に立てられたものであり、
その時点でのpart1は、「661 投稿日:2000/11/23(木) 15:33」で満了に至っておらず、
故意に誘導しようとしたもので、part1を継承したものとは言えません。

そして、もうすぐ800を越えるので、移行しようとの準備中に
「768 投稿日:2000/12/13(水) 02:27〜859 投稿日: 2000/12/13(水) 02:43」まで、
コピペ荒らしが出て、見れなくなったことに気付いたので、
このスレが立てられたのが、「投稿日: 2000/12/13(水) 07:24」だったと言うこと。
19名無しさん@1周年:2000/12/14(木) 15:53
ウヨ=羽翼(国を亡ぼし)
サヨ=左翼(国を売り)
ヤヨ=やより(国を棄てた)
20日本@名無史さん:2000/12/14(木) 20:09
>>15 >>18
へえ?前のスレッドの最後にはこのスレッドへのリンクが書いてあるけど?
見れなくなったことの気付いてこのスレを立てたのならそんなことは出来ないよねぇ?
21日本@名無史さん:2000/12/14(木) 20:15
>>18
それにコピペ荒らしが来てたからこのスレッドは立てられたんだけど?
サイズが大きくなると見れなくなるからね。
22日本@名無史さん:2000/12/14(木) 20:44
>20
いや違う。
http://mentai.2ch.net/test/pageview.cgi?PAGE=4&BBS=history
として、前のスレを直接書き込める状態で発言したら、ちゃんと書けたってこと。
23日本@名無史さん:2000/12/14(木) 20:49
荒らしによって、「任那って日本領だったんですか?」スレを潰されたけど、
>>17 のやり方で復元できるから、やつは隠蔽には失敗したってこと。(藁
2420:2000/12/14(木) 21:27
>>22
確かに直接行けば書けたな。
忘れてた。
>>23
削除依頼出したからそんな事しなくてもその内見れるようになるよ。
何を隠蔽したかったか分からないけど。
2521訂正:2000/12/14(木) 21:30
コピペ荒らしが来てたから
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=974989450
のスレッドは立てられたんだけど?
サイズが大きくなると見れなくなるからね。
それに倭国領だとして何の問題が有るんだ>
26日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:06
>それに倭国領だとして何の問題が有るんだ
別スレとして立てるなら、何の問題もないけど、
part2として立てるなら、前のスレが800位になったのを見計らって、
タイトル名を改竄せずに立てるべきだろ。
そのいずれも満たしていないから、エセスレだってこと。
27日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:18
>>26
荒らす馬鹿がいるからああなったんだよ。
倭国領だったのは間違いないだろうが。
28日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:40
27は、前のスレが気に入らないから、封殺したかっただけなんだろ。
そもそも、荒らしは27の自作自演じゃないのか?(わら
29日本@名無史さん:2000/12/14(木) 23:07
前のスレでは倭国領で丸く収まってたからああしたんだが?
第一あの頃は日本だったのか?
30日本@名無史さん:2000/12/15(金) 00:09
>第一あの頃は日本だったのか?
倭国が日本に改名しただけで、連続的な存在だから、
網野氏のように、恣意的に両者を区別しようと、拘る方がおかしい。
31日本@名無史さん:2000/12/15(金) 00:32
>>30
連続的だという証拠を示せ。
日本になったのは大和であって倭ではないと思うが。
32日本@名無史さん:2000/12/15(金) 00:42
31は古田じいさんの信者か(わら
33日本@名無史さん:2000/12/15(金) 00:53
>>32
だから証拠を出せって。
34日本@名無史さん:2000/12/15(金) 00:58
魏志の邪馬台(ヤマト)国以来、日本史書・中国史書を見ても、
考古学的に見ても、畿内が中心だったことは明らか。
それを否定したがるのは、電波くらい(わら
35日本@名無史さん:2000/12/15(金) 01:09
逆に、31=33は違うと主張するから、その根拠を示せ。
電波な答えをしたら、思いっきり笑われるだろうが。(藁
36日本@名無史さん:2000/12/15(金) 01:17
>>34-35
金印に書いてあるのは何なんですか?
37日本@名無史さん:2000/12/15(金) 01:27
>36
「魏志の邪馬台(ヤマト)国以来」と時代を限定しているだろ。
金印は200年近くも前の話。
38日本@名無史さん:2000/12/15(金) 01:35
>>37
勝手に限定するな。
大体畿内が中心だったのは間違いないが
邪馬台国(畿内として)=大和とは断言できないと思うがな。
39名無しさん@1周年:2000/12/15(金) 10:06
>>38
その通りですよね。

畿内が中心といったって
内実は権力の簒奪の繰り返しで
万世一系が笑わせるよん。
任那の頃は倭だった。
あとで倭が日本になったから日本領だなんて単なる言葉遊び。
倭王の子孫が天皇だなんて笑止。
証拠なんて記紀だけしかない。
記紀がすべて正しいという証拠はないじゃろが。
むしろ大和王家の正統連続性が疑わしいから
諸説出てるんよ。
不明は不明とした上で自説を主張したら、どぉ。
じゃないからウヨとか なんたらとか噛み付かれるんよね。
40日本@名無史さん:2000/12/15(金) 10:45
纏向石塚古墳(年輪年代で200年頃)以来、聖徳太子の時代まで、
前方後円墳体制が続き、連続性が見られる。
隋書に見られるように、隋との交流で原始的に見える呪術的な要素を少なくして、
中国に対抗しようとする意識が強く目覚めたようである。
日本全国で一気に前方後円墳体制が廃止され、皇族の墓は八角墳になり、
それ以外は方墳・円墳が主流になったと考えられている。

ともあれ、権力はずっと畿内に存在したわけで、その点での連続性は明らか。
戦後にサヨクが必死でこれを矮小化しようとしたり、朝鮮の電波話に乗ったりして、
トンデモ話が多く見られるだけのこと。
41名無しさん@1周年:2000/12/15(金) 11:15
畿内の中では 激しい権力交替
勝った者が 正統な後継者と呼称。
42日本@名無史さん:2000/12/15(金) 12:26
魏志倭人伝を見ると、古墳時代最初期に、邪馬台国の卑弥呼が亡くなって、
直径150mほどの巨大な墓(箸墓古墳が有力)に埋葬された後、権力争いで
国が乱れたが、宗女の台与を擁立して国が治まったと書いている。
このように、古墳時代最初期から、神輿としては血筋が重要だったことが分かる。

そして、聖徳太子の時代に、中国に対抗して墓制を変えるまでは、
ずっと前方後円墳体制が続いたわけで、体制としての連続性は明らか。
43日本@名無史さん:2000/12/15(金) 12:40
>>42
その論理だとずっと女王じゃないとおかしくなるな。
44日本@名無史さん:2000/12/15(金) 12:56
>43
何を矮小化しているんだ。血筋が重要ってことだろうが。
45日本@名無史さん:2000/12/15(金) 14:34
墓形が同じだから大和王家が同一家系で連続してたってことかい?
卑弥呼ちゃんから聖徳太子まで重要な血筋が連綿と続いてたってことかい?
まいった、まいった。

46日本@名無史さん:2000/12/15(金) 15:51
>45の厨房
そうじゃなくて、「体制としての連続性は明らか。」と言っただろ。
少なくとも、文献記録が多くなる聖徳太子以降の血族の連続性については
一般に了解されており、これは日本の皇室のあり方だと考えられる。

卑弥呼と台与の一件を見ても、呪術的な要素が強い社会では、
尚更と血族を重視した蓋然性は高いと考えられる。
否定する根拠もないのに、ムキになって否定したがる厨房は痛い。(わら
47日本@名無史さん:2000/12/15(金) 16:20
>>46
肯定する根拠の方がないが?
>卑弥呼と台与の一件を見ても、呪術的な要素が強い社会では、
>尚更と血族を重視した蓋然性は高いと考えられる。
これはお前の想像だろうが。
想像が事実か?
48日本@名無史さん:2000/12/15(金) 16:52
>47の厨房
>想像が事実か?
全然違うだろ。「蓋然性は高い」と書いたじゃないか。
もしかして、お前は蓋然性の意味を知らないのか?(わら

聖徳太子時代からでも1400年、卑弥呼時代からならば1800年と、
いずれにしても、世界に類例のない長期間に渡って、
世襲で国家の最高権威として続いて来たのは、驚異的なことでしょう。

それだけに、日本弱体化工作を図る国にとっては、皇室の存在は目障りで、
反日勢力を手先にして、破壊したいと考えるのでしょうな。
49日本@名無史さん:2000/12/15(金) 17:21
>>40 >>42 >>44 >>46 >>48

皆さん同類ですか?
歴史を語っていたのかとおもったら
歴史を騙ってたんですね。

なんですか、タダの右翼ですね。
カタルに及ばずです。
ウヨ版にいったらどうですか。


50日本@名無史さん:2000/12/15(金) 17:48
>49
サヨクが皇室の矮小化に失敗して、逆上している(わら
51日本@名無史さん:2000/12/15(金) 19:48
>>48
何の話をしてるんだ?
任那と倭の話をしてるのだがな。
馬鹿かお前は。
52日本@名無史さん:2000/12/15(金) 21:01
>51
そう言う反日サヨクは、怪電波を飛ばすだけだろ(わら
53日本@名無史さん:2000/12/15(金) 21:05
>51
それと、お前は毎回毎回sageで書くな。見落とすじゃないか。
54日本@名無史さん:2000/12/15(金) 22:04
>>52
他人を誹謗中傷するしかできないんだな。
きちんと反論してみろよ。
>聖徳太子時代からでも1400年、卑弥呼時代からならば1800年と、
>いずれにしても、世界に類例のない長期間に渡って、
>世襲で国家の最高権威として続いて来たのは、驚異的なことでしょう。
これがお前の言いたいことなんだろ?
このスレッドとどう関係が有るんだ?
55日本@名無史さん:2000/12/16(土) 02:52
鮮人と反日サヨクは、何とかして皇室の権威を貶めたいと画策しているだけだろ。
でも、こいつらの話はウソ八百だから、相手にされなかったって事。
任那は古代日本の領土。
56日本@名無史さん:2000/12/16(土) 04:52
>55
はいはい、武力侵略で占領したことがある領土ですね。
そういう倭国は高句麗には惨敗。(400〜407年)
57名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 10:08
>55

日本を押し通せなくて古代をつけてきたか。
ふふ。
ちょっと照れ臭いかい。

それと今どき 鮮人とか反日サヨクとかなんて言葉は
腐り文句だよ、恥ずかしくないのかい。
ないんだろなぁ、狂信者は。
58baka:2000/12/16(土) 10:45
見てると とても恥ずかしい激しく同意!!
59日本@名無史さん:2000/12/16(土) 11:05
高句麗は、満州付近から南下してきた扶余族のツングース系と考えられており、
こちらも外来には変わりはない。
新羅の黄金文化も、周辺諸民族と違って、西シベリアとの共通性があり、
日本(倭)だけを外来と見るのは、恣意的な大嘘。
そもそも、朝鮮半島における人間の活動は、旧石器時代に一度途切れており、
日本列島から朝鮮半島に渡った縄文人以降、継続的に続いているもので、
朝鮮半島の先住民は縄文人。
60日本@名無史さん:2000/12/16(土) 21:18
朝鮮半島の先住民は縄文人、ってこと。
61日本@名無史さん:2000/12/17(日) 00:04
>59、60
ハア!?なに言ってんだか?日本から縄文人が渡っただと!?

あのぉ〜、最新の遺伝子調査(Y染色体、A1u塩基配列の有無)
では縄文人の祖先は中央アジアから、殆どが朝鮮半島を素通りして
日本に入ってることが判ってるんですけど。
日本人には縄文人の遺伝子的特徴であるA1u塩基配列を持つ人の
割合が25%なのに対し、朝鮮半島人にはわずか1%しか見当らない
の。 よって、朝鮮人の祖先が縄文人であるということは99%あり
得ない。1%は中央アジアから日本に移動する際、朝鮮半島に定住した
縄文人と同系統の祖先にすぎない。(日本に入った時期は1万2千年前
で氷河期末のため陸続きだった)
62日本@名無史さん :2000/12/17(日) 00:11
倭国領任那とは、・・・
346年に楽浪郡と馬韓をまたぐ位置に百済が出来ます。
続いて356年に辰韓、弁韓、馬韓をまたぐ位置に新羅
が出来ます。
そして369年に進出した倭軍が新羅と戦って勝ち、
旧弁韓、旧馬韓にかけて占領し、任那と名乗ったわけです。
ですから、あくまで武力占領したに過ぎない領土でなのです。
63世界@名無史さん:2000/12/17(日) 00:35
似非ウヨが暴れまくってるようだな。
しょうむない煽りにウツツ抜かすひまがあったら、はよ日本の過去の栄光を説明してみんかい。
64日本@名無史さん:2000/12/17(日) 00:45
倭が半島を支配していたのか、半島が倭を支配していたのか、今となってはさっぱりわかりませんが。
ところで騎馬民族征服説はどうだろうか?平地の狭い島で騎馬軍団を運用するのは無理があるし、第一、以後の日本史に騎馬民族的な性格を現す事象が見当たらない。
揚子江南部からの移民が北九州と南朝鮮の両方に住みついて、双方は互いに同じ民族どうし、交流を持っていた・・・くらいの意味合いじゃないの?
65日本@名無史さん:2000/12/17(日) 23:09
朝鮮半島では、約12000年前を最後に、旧石器の遺跡が見られなくなり、
その次は、約7000年前に、朝鮮半島南端から、縄文土器の文化が拡がったことは、
良く知られたことだぞ。
66日本@名無史さん:2000/12/17(日) 23:10
>64 倭が半島を支配していたのか、半島が倭を支配していたのか、今となってはさっぱりわかりませんが。
ぷぷぷっ、鮮人は未だ負けをしみを言っているのか(わら
67日本@名無史さん:2000/12/18(月) 12:34
縄文人は、朝鮮半島の先住民族
68日本@名無史さん :2000/12/18(月) 12:58
>67
遺伝子研究を無視したドキュソ妄想。
69日本@名無史さん:2000/12/18(月) 13:58
つーかなんで同じスレが3っつもあるんだ?
70日本@名無史さん:2000/12/18(月) 20:00
縄文人の遺伝子を数多く調べないと、分からないだろ。
遺伝子研究を正しく理解していない68は厨房。
71日本@名無史さ:2000/12/18(月) 23:24
>70
アンタが縄文人が朝鮮半島の先住民族というなら
その合理的根拠を示してくれ。
だいたいアイヌ人の90%がA1u塩基配列を持つ
というのに、朝鮮(韓国)人にはたった1%しか
見当らない。たった1%では縄文人が先住民族とは
無理が有りすぎだろ。
それに人類はアフリカで発生してヨーロッパから
アジアへと移動していったわけで、日本で縄文人
が発生して朝鮮方面に移動したなどということは
あり得ないわけよ。そんなことマジで信じてるアンタ
こそが厨房だよ(わらひ
どこの国の学会にも相手にされんよ。
72日本@名無史さん:2000/12/19(火) 01:53
>71
朝鮮半島では、約12000年前の旧石器時代を最後にして、人間の痕跡が途絶えた。
そして、約7000年前に、南端部に縄文土器の文化が伝搬し、それが北方に拡がった。
その後、北方からも文化が入ってきたと言うことだ。
統計的に有意でない、少ない遺伝子のデータから主張する方が厨房。
73日本@名無史さん:2000/12/19(火) 11:28
>72
おいおい、7000年前に日本から朝鮮南部にどうやって
縄文人が渡るんだ!(わら
7000年前にはもう日本海で隔てられてんだよ。縄文人が
航海していたなどという証拠は見つかってない!
(四大文明より昔に縄文人は航海出来たってか!?)
今や、恣意的に解釈出来る統計より、遺伝子調査のほうが
科学的であるのは明白。
おまえの説を唱えている学者ってのが何人いるんだか
教えてほしいね。

74日本@名無史さん:2000/12/19(火) 11:44
>縄文人が航海していたなどという証拠は見つかってない!
頭悪いなあ。もうちょっと知識を持ってから話をしろ。
縄文時代初期から、伊豆神津島の黒曜石が、関東一円で見つかっている。
ここは氷河期の海退期でも陸から遠く離れた場所で、黒潮を渡る必要がある。
朝鮮半島に、縄文土器文化が拡がると共に、長崎腰島の黒曜石も見つかっている。
また、福井県の鳥浜貝塚では、丸木舟が出土している。
75日本@名無史さん:2000/12/19(火) 11:48
遙か昔から、太平洋の孤島にも、簡単な船で航海して、人類が拡がっており、
古代人の航海能力に無知なのは、どうしようもないぞ。
76日本@名無史さん :2000/12/19(火) 11:53
>74
なんで伊豆神津島の黒曜石と断定出来るんだい?
科学的分析法はなんですか?
それに丸木舟で外洋を渡れるんですか?
77日本@名無史さん :2000/12/19(火) 12:13
>75
東南アジアの小舟は帆船技術とアウトリガー技術を
持っていたこと、海水温度の高さ、などがあったから
こそ、島々を移動出来たんです。
縄文遺跡から出る木をくり抜いただけの丸木舟とは
違う。
78日本@名無史さん:2000/12/19(火) 13:13
>76
黒曜石の産地は極めて限定されており、ガラス質で化学組成が均質なので、
識別しやすい。京大原子炉グループなどによる、蛍光X線分析の研究が進んでいる。
ニューサイエンス社から単行本も出ているから、興味があったら読むこと。

>77
朝鮮半島に人間の遺跡が復活した約7000年前は、縄文海進最盛期で温暖だった。
79日本@名無史さん:2000/12/19(火) 13:15
約7000年前に、縄文土器文化が朝鮮半島に渡ったことや、
朝鮮半島に、長崎腰島の黒曜石が多く見られることは常識だぞ。
80日本@名無史さん :2000/12/19(火) 13:46
>78
縄文期に関東からわざわざ刃物に使うだけの黒曜石を
獲りに行く事自体、否現実的。
神津島の強い潮流をアウトリガーも帆もないタダの丸木舟
で横切ることは無理に等しい。
藤村事件を見抜けなかったように、石器の科学的分析
は完全なものではない。

あと、100歩譲って、縄文人が朝鮮に渡ったとしても
あくまで、大陸から元々やって来た人々がUターンした
だけの事であり、日本人自体が大陸から入ってきた人種
の複合体であることに留意しなければならない。
よって、朝鮮は日本の領土などと主張することは愚の骨頂
である。

また遺伝子調査では縄文人の骨髄から抽出した塩基から分析
しているので間違いは無いと言えるだろう。
弥生系などとは明らかに違うそうである。
朝鮮人からは縄文人の遺伝的特徴が殆ど出ていない事実の
ほうが、曖昧な考古学調査結果よりもずっと説得力がある。
81日本@名無史さん:2000/12/19(火) 14:06
>>80
>藤村事件を見抜けなかったように、石器の科学的分析
>は完全なものではない。

「藤村事件=捏造」と言う知識しかないのね。
もちょっと中身を詳しく調べてみ。なぜ、怪しいと言われてたのか
なぜすぐに発覚しなかったのか。
82日本@名無史さん:2000/12/19(火) 14:21
>縄文期に関東からわざわざ刃物に使うだけの黒曜石を
>獲りに行く事自体、否現実的。
例えば、古代東アジアにおいては、ヒスイの産地は、日本の糸魚川周辺しか知られず、
この科学組成に合うヒスイが、縄文時代前期から東日本に広く見られる。
使用例から見て、当時の祭祀に重要な付加価値の高い商品と考えられている。
黒曜石も同様で、これらを遠くまで広めた商人を想定する研究者もいる。
妄想で否定するのは厨房であり、事実に基づいて解釈すべき。

>あと、100歩譲って、縄文人が朝鮮に渡ったとしても
100歩譲るまでもなく、これは事実と考えられている。

>藤村事件を見抜けなかったように、石器の科学的分析
>は完全なものではない。
文系の素人ではなく、京大原子炉のX線分析の専門家が取り組んだもので、
おバカな藤村一味と一緒にすべきではない。

>また遺伝子調査では縄文人の骨髄から抽出した塩基から分析
>しているので間違いは無いと言えるだろう。
現在はデータも非常に少なく、貝塚か鍾乳洞以外では骨は殆ど残っておらず、
生活様式の違いで、人骨が得られる地域が偏在するなど、問題が山積していることは、
遺伝人類宇者の尾本恵市氏も指摘している。
様々な方法で、矛盾のない結論を導き出すことを目指すのが、研究の王道。
83日本@名無史さん:2000/12/19(火) 17:12
ウルム氷期の末期 12000年前 旧石器人は東北アジアに文化圏をひろげていた。
与那国に壮大な石建築物を構築していた(これは怪しい!?)
氷河期が終わり海面が上昇すると文化圏は分散し孤立し活動は停滞した。
暖かくなり海に強い人々が南から進出して先住民と交流した。
本州にいた寒さに強い先住民は北へ移動しアイヌ系となる。
(これが先モンゴロイド系でありながら多少の差が見られる琉球系とアイヌ系の違いとなる)
海に強い人々を伝搬役として海流に沿って縄文文化が花開く。
琉球、九州、半島南部、出雲、富山、青森、東海、関東、・・・
縄文文化が伝わって停滞していたのを再び活発にしたということで
なにも縄文人が大挙して各地へ移住して先住民を弾圧支配したわけじゃない。
だいたい当時は 琉球、九州、半島とも先モンゴロイド系で同一人種だったでしょう。

その後 楊子江文化の影響を受け弥生文化が南から北へ展開していく。
やがて 中華の膨張によって半島北部から北方系民族の圧迫が強まる。
以後 北方系及びその背後の中華系に圧倒され 半島における縄文系の
流れは消滅していく。
半島から多くの人が日本(倭)に逃げてきた。
その後 半島では中華系の支配が強まり、人種的にも北方系の影響が増大し
半島先住民の血は薄くなった。むしろ日本人の中に濃く残っているといえる。
遺伝子の塩基配列が如実に語るところである。

簡単にいうと
東北アジアには先モンゴロイド系の同一人種による縄文文化圏があった。
(琉球、九州、対馬、半島南部、本州)
その後 半島南部は北方民族に支配され、人種的にも消滅した。
ということ。
84日本@名無史さん:2000/12/19(火) 18:18
>与那国に壮大な石建築物を構築していた(これは怪しい!?)
こんな電波な話を書くのを見ただけで、妄想に基づいているのがばればーれ。(わら

>だいたい当時は 琉球、九州、半島とも先モンゴロイド系で同一人種だったでしょう。
違う。朝鮮半島は約12000〜7000年前の間、人間の遺跡が途絶えている。
そして、南端から新たに縄文土器文化が入って、それ以降は連続している。
沖縄には約7000年前に縄文土器が広まった。一方、八重山諸島は、台湾と同じ文化圏。
単なる思いつきで書くな。(わら

>海に強い人々を伝搬役として海流に沿って縄文文化が花開く。
日本列島全域には直ぐに広まった土器文化が、朝鮮半島や中国に拡がるまで、
約5000年かかっており、その仮定は不自然。

>その後 半島南部は北方民族に支配され、人種的にも消滅した。
そうとは言えない。魏志東夷伝によると、朝鮮半島南部には倭人がかなりいることが
書かれている。入墨の習俗とか、扶余系など北方系との違いも示されている。
詳細な遺伝子の調査をすれば、人種的には残っており、民族として消滅しただけと分かると思う。
85日本@名無史さん :2000/12/19(火) 20:22
日本の純アイヌや純琉球人が縄文系民族であることは
遺伝子学上動かし難く、その遺伝子特徴が朝鮮人には
殆ど見られないことは、どうしようもないよ。
朝鮮人の祖先では無いことは確かでしょ。
ただ1万2千年前に縄文人と同系の祖先の一部が半島部
に住着いたことはあるだろう。
朝鮮人の祖先といえるのはむしろ日本人でも一番多い
弥生人系と同じ祖先であることが遺伝子的にも認められ
ている。(東南アジアから北上し半島部に住みついた)
その半島部からさらに渡海して日本に入ったのが弥生人
ということになる。
半島部の弥生と同系の人種が漢族系や北方系と交わり淘汰
されるのはその後のことでしょう。
86日本@名無史さん:2000/12/19(火) 20:40
>85
朝鮮半島の先住民は、縄文人が日本列島から海を渡ってきたものであることは、
認識したかな。

>日本の純アイヌや純琉球人が縄文系民族であることは
アイヌ人と沖縄の日本人は、遺伝子・言語・考古的など、全然違うぞ。混同させるな。
本土との交流が少なくなり、中国との交流が多くなったので、習俗が次第に離れたもの。
日本人の一種として議論するのが常識だろ。
87日本@名無史さん :2000/12/19(火) 21:10
>86
>朝鮮半島の先住民は、縄文人が日本列島から海を渡ってきたものであることは、
認識したかな。

認識出来ないねぇ。だって、あなたの言うソースを自分で確認
してないんでトリックの判断もしようがないからね。
それにあなたの言うことが事実なら、世界史と日本史の教科書が
書換えられないとならない位の重大事だが、最新の世界史副読本の
朝鮮史を見ても、日本史の副読本を見てもどこにも載ってない。
やはり、学会では相手にされていない電波系学説なんでしょ。
(つまり専門的にはトリックがあり、採用出来ない学説ということ)

>アイヌ人と沖縄の日本人は、遺伝子・言語・考古的など、全然違うぞ。

だから、最新のY染色体の分析研究の結果、アイヌと琉球人が
他のアジア人の持たない(日本の縄文人、チベット人を除く)塩
基配列を持つことが証明され、去年の国際学会で発表されたんだって。

ただアイヌと琉球は日本に入った時点で南北に分れ、その後は
独自の文化を作ったため、言語などの違いはある。


88日本@名無史さん:2000/12/19(火) 23:57
>だって、あなたの言うソースを自分で確認
>してないんでトリックの判断もしようがないからね。

朝鮮半島では、約12000〜7000年前まで、人間の遺跡が途絶えていることは、
韓炳三・前韓国国立博物館長「韓国の古代文化」(NHK市民大学講座テキスト)
でも述べられているように、非常に良く知られた話。

また、約7000年前から始まる、最古の朝鮮半島の土器文化が、朝鮮半島南端に始まり、
最初のものは縄文土器と同じ型式であることも良く知られたこと。

戦後日本の歴史・考古学は、サヨクが牛耳ってきたから、それから帰結される、
縄文人が朝鮮半島に渡ったもので、先住民族であるとの当たり前の解釈が封殺されてきただけのこと。

>去年の国際学会で発表されたんだって。

他のスレでも言ったように、そんな段階では認知されたものとは言えず、
データ不足などで解釈に誤りがある可能性も大きい。

>ただアイヌと琉球は日本に入った時点で南北に分れ、その後は
>独自の文化を作ったため、言語などの違いはある。

これは、埴原じいさんが頑固に主張している説で、その門下生はそれに都合の良い
解釈しかしないから、注意が必要。
かつて埴原じいさんと一緒に研究していた、分子遺伝学者の尾本恵市氏は、
遺伝子の比較により、アイヌ人と沖縄の日本人は大きな違いがあることを示している。
89名無しさん@1周年:2000/12/20(水) 08:27
>88

半島南部には12000〜7000年前 文化跡が無いこと(無人だった?)
半島南部に7000年前から縄文文化跡が有る(縄文人が半島に移住した?)
というのが根拠みたいですが
しかし致命的なのは過去現在、朝鮮人の血筋に縄文人の跡が無い。
そこはどうですか
90日本@名無史さん:2000/12/20(水) 10:42
>しかし致命的なのは過去現在、朝鮮人の血筋に縄文人の跡が無い。

アイヌ人は、北海道・東北北部の先住民族だったことは確認されるけど、
現在はその要素は少ないのと同じで、別に何も不思議ではない。

>半島南部には12000〜7000年前 文化跡が無いこと(無人だった?)
>半島南部に7000年前から縄文文化跡が有る(縄文人が半島に移住した?)

と言う、考古学の結果に基づき、結論づけられること。

魏志東夷伝に見られる、朝鮮半島の入墨をした倭人は、縄文人の血筋を
多く有していたと思われる。
朝鮮半島は、古来から中国の植民地だったから、中国系の住民も多いし、
北方から扶余系が南下したり、モンゴルに長く支配されたから、北方系の
影響が濃い。そのようにして、薄れてしまったのだろう。
91日本@名無史さん :2000/12/20(水) 11:01
人類遺伝学会(96年)で公表された結果を共同通信がこう伝えている。
          ------------------------
 アイヌ民族や韓国人など東アジアに住む人たちを遺伝子レベルで分析した結果、現
在の本土日本人の遺伝子群の約六五%が弥生時代以降に大陸からもたらされた遺伝子
に由来していることが国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の宝来聡助教授らの共同研
究で分かり、二十三日の札幌市での日本人類遺伝学会で発表された。
 また、骨や歯の研究から弥生時代以降の渡来集団との混血の度合いによって在来系
(縄文系)と渡来系と二つに分けられるという「二重構造モデル」が遺伝子レベルの
研究で一層強められたことも、同助教授は明らかにした。
 宝来助教授は、国際日本文化研究センター(京都市)の尾本恵一教授らとともに、
東アジアに住む人たちを本土日本人、沖縄住民、台湾系中国人などの五つの人類集団
に分け、計二百九十三人から血液などを採取、母親の系統がたどれるという細胞中の
ミトコンドリア遺伝子を比較した。
 二百七の異なる塩基配列のタイプを調べた結果、十八タイプが二つまたは三つの集
団に共通して見られた。うち、本土日本人と韓国人は八タイプが共通しており、両者
が遺伝的に近いことが分かった。
 また、ミトコンドリア遺伝子の変異のパターンから二百九十三人は十八の集まり(
群)に分けられた。うち韓国人と中国人が多数を占める七つの群に五○%もの本土日
本人が入ったのに対し、アイヌ民族と沖縄住民はそれぞれ二○%以下しか入らなかっ
た。
 同助教授は、この大陸系の特色を持つ七群に入る五集団の割合から、ミトコンドリ
ア遺伝子がどれだけ渡来によってもたらされたかを試算。その結果、本土日本人のミ
トコンドリア遺伝子の約六五%は大陸由来、残る約三五%は縄文由来となった。弥生
時代以後約九百年続いた渡来が現代の日本人の遺伝子構成に大きく影響していること
が示された。
92日本@名無史さん:2000/12/20(水) 11:04
共同通信か......
93日本@名無史さん :2000/12/20(水) 12:11
ミトコンドリアDNA調査と最新のY染色体調査とが
ほぼ一致したわけだ。
94名無しさん@1周年:2000/12/20(水) 12:35
ウルム氷期の末期の最寒期12000年前には旧石器人は朝鮮半島から姿を消した。
寒気を避け島伝いに浅瀬を渡り南へ東へ逃げた。とどまった者には飢えと寒さ。
火種も尽き飢えた虎や熊に襲われた。5000年間 半島は ほぼ無人の地であった。
氷河期にも弱いながら流れ込む暖流で大陸の寒気を しのいだ日本では
旧石器人は寒さに耐え 生きる中で新しい文化を築き始めていた。
氷河期が終わり寒気が弱まると一気に花開いた。縄文文化である。
暖かくなり海面が上昇した。国内では一斉に開花した縄文文化だが
豊かな海を渡るには なお数千年が必要だった。
大陸でも氷河期が終わると南に避寒していた者が北へ展開していった。
一度北上し そこから南下して朝鮮半島に入った。
7000年前 縄文人は海を渡り始めた。琉球へ、朝鮮半島へ。
国内で競い高められていた縄文文化は行く先々で模倣された。
半島では大陸から北回りで入った漂泊の民が定着し始めていた。
彼らも縄文文化を取り入れていった。
基本的に狩猟採集文化であった縄文人にとって社会は村レベルだった。
半島に渡った縄文人も せいぜい家族単位で植民には 程遠いものだった。
それなりの生産と消費で飽和して穏やかな数千年が過ぎていった。

やがて新しい波が押し寄せてきた。組織的農耕という革命的システムだった。
南から海流に乗ってやってきた。海流は琉球をバイパスし半島南部、北九州に至る。
半島南部、北九州で農業が始まる。弥生文化である。
強力な生産力によって膨張した。弥生人に縄文人は圧倒された。
半島南部の わずかな縄文人は消え去り北方系は同化した。
日本の縄文人は圧倒されつつ同化し、あるいは押しのけられた。
本州の押しのけられた縄文人は北へ移動しアイヌ系となる。
琉球の縄文系は海のため直接 影響は受けなかったが
後の周辺との交流で北のアイヌ系とは異なっていく。
半島南部では弥生・北方系、西日本では弥生・縄文系だが同種同根だった。
いわゆる倭族の誕生である。
強力な生産力は激しい競争をもたらす。農耕村落は部族へ、部族は合掌連衡した。
部族連合から連合国家へ、連合国家から統一国家へ移行していく。
倭は半島南部を同胞同邦同地としていた。
やがて 中華の膨張によって半島北部から北方系民族の圧力が強まる。
以後 北方系及びその背後の中華系に圧倒され 半島における弥生系の
勢力は衰退する。
95日本@名無史さん:2000/12/20(水) 13:25
http://mayuko.intercosmos.com/mayu/index139.html
犬はいつ頃から食べたんだ?
96日本@名無史さん:2000/12/20(水) 13:29
>>94
>ウルム氷期の末期の最寒期12000年前には旧石器人は朝鮮半島から姿を消した。

それは約2万年前。妄想に基づく、むちゃくちゃな年代観だな。(わら
12000年前には、既に日本列島のほぼ全域で縄文土器文化が始まっている。

>大陸でも氷河期が終わると南に避寒していた者が北へ展開していった。

これも全然違う。7000年前は縄文海進の最盛期の頃で、今よりずっと暖かかった時期。
都合の良い妄想ではなくて、ちゃんと気候変動の年代を確認して、話を作れ。

以下の発言も、妄想の嵐。(わら
97日本@名無史さん:2000/12/20(水) 17:38
96さんは読解力がまるでないようですね。

朝鮮半島のことを日本国内とおもっちゃうし
氷河期大陸の話を何千年もピンずれして今よりずっと暖かだなんておっしゃるし

どこをどうすればそんなにトンチンカンに読めるんでしょうか。

そういう方に妄想といわれてもねぇ。
98日本@名無史さん:2000/12/20(水) 18:08
97の電波は、縄文海進の事も知らないのか。無知丸出し(わら
99日本@名無史さん:2000/12/20(水) 21:26
ホント 無恥 丸出し(藁
100日本@名無史さん:2000/12/20(水) 23:40
とにかく今の韓国(朝鮮人)には縄文系遺伝子は殆ど無いことは
確か。 よって縄文人は韓国人の祖先では無い。

また、縄文人が半島に渡ったことがあったと仮定しても、
7千数百年後の倭国領任那とはなんの関係も無し。
加羅諸国は人種的に弥生人と同系の東南アジア方面からの
人種と漢族、扶余族などが入り交じった人種で構成されていた
と考えられる。
101日本@名無史さん:2000/12/21(木) 05:45
>とにかく今の韓国(朝鮮人)には縄文系遺伝子は殆ど無いことは
>確か。 よって縄文人は韓国人の祖先では無い。
さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。

>また、縄文人が半島に渡ったことがあったと仮定しても、
仮定もなにも、人間の遺跡が途絶えてきたところに、縄文土器文化と黒曜石が現れるわけで、
渡ったことは確実視されている。
102日本@名無史さん:2000/12/21(木) 09:26
縄文吉外の 無恥魔ル駄死(藁
103日本@名無史さん:2000/12/21(木) 15:58
反論できなくて、sageでコソコソとブー垂れるしかない102は、
とても恥ずかしい存在。(わら
104日本@名無史さん:2000/12/21(木) 17:12
っていうか
縄文グループの身勝手さに呆れてんじゃない。
103が恥ずかしがることじゃないじゃん。
ここは倭・任那のスレッドだし。
とにかく縄文あらしが消えて欲しいよね。
105日本@名無史さん:2000/12/21(木) 17:19
>>104
同じ地域の、より昔からの話をしているわけで、充分に関連あるだろ。
それよりも、何ら情報提供もせずに、ごちゃごちゃ言うだけの104が荒らし。
106日本@名無史さん:2000/12/21(木) 18:10
朝鮮半島には縄文人が居ました。
でも居なくなりました。
で?それがなんなんだ?
107日本@名無史さん:2000/12/21(木) 19:34
>105
何を言ってるんだ。
任那を論じるのに縄文までさかのぼる必然性がどこにある。
妄想もいいかげんにせいや。

そんなに縄文を吠えたけりゃ別スレでやれや。
108日本@名無史さん:2000/12/21(木) 19:39

ああ言えば縄文って奴かいな。

ウザイ。
109日本@名無史さん :2000/12/21(木) 20:53
バカウヨの目的は任那の倭国領を縄文時代以来の正統な
領土として無理矢理こじつけること。(呆れわら
110日本@名無史さん:2000/12/22(金) 01:03
反日サヨクは頭が悪いから、情報提供も出来ないバカ揃い(わら
111日本@名無史さん:2000/12/22(金) 12:04
朝鮮半島の先住民は、日本列島から渡った縄文人
112日本@名無史さん:2000/12/22(金) 14:41
>朝鮮半島の先住民は、日本列島から渡った縄文人
さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。
113日本@名無史さん:2000/12/22(金) 15:00
112
88をキチンと読め。おなじことを言わせるな。
114日本@名無史さん:2000/12/22(金) 15:20
<88>
朝鮮半島では、約12000〜7000年前まで、人間の遺跡が途絶えていることは、
韓炳三・前韓国国立博物館長「韓国の古代文化」(NHK市民大学講座テキスト)
でも述べられているように、非常に良く知られた話。

また、約7000年前から始まる、最古の朝鮮半島の土器文化が、朝鮮半島南端に始まり、
最初のものは縄文土器と同じ型式であることも良く知られたこと。

戦後日本の歴史・考古学は、サヨクが牛耳ってきたから、それから帰結される、
縄文人が朝鮮半島に渡ったもので、先住民族であるとの当たり前の解釈が封殺されてきただけのこと。
115日本@名無史さん:2000/12/22(金) 15:43

12000年以前にいた人々は先住民ではないんですか。
116日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:06
原住民とはいえるだろうな。
しかし5000年に渡って途絶えており後世への影響がないことで
歴史的には別ものとして見るべき。
117日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:18
縄文人は無人の朝鮮半島にわたりひろまって縄文時代を
半島を支配していたのかぁ。
なんか信じられない話だけど。
118日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:32
不思議でもなんでもない。事実から帰結されるもので、
戦後の歴史・考古学はサヨクが牛耳ってきたから
当たり前の解釈が封殺されてきただけのこと。
119日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:41
>半島を支配していたのかぁ。

都市や国家が出来る以前の話だから、支配すると言ったような体制ではなく、
そこで生活していたと言う段階でしょう。

国家と言える最初は、燕から移ってきた漢人・衛満が立てた朝鮮国からでしょう。
120日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:43
バカウヨは任那を縄文以来の日本領土として
無理矢理こじつけ。(爆藁
121日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:48
ちなみに、近代以降の朝鮮は、高麗を滅ぼした李成桂が、明に冊封された際に、
古代の国号にちなんで、朝鮮国の名称を下賜されたことに始まり、
古代の朝鮮とは関係はないので、誤解のなきよう。
122日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:48
頭の悪い反日サヨクは、反論情報も出せないバカ揃い(わら
123日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:49
「朝鮮半島の先住民は、日本列島から渡った縄文人」
124日本@名無史さん:2000/12/22(金) 16:57
>「朝鮮半島の先住民は、日本列島から渡った縄文人」
さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。
125日本@名無史さん:2000/12/22(金) 17:53
話がループしてるな(わら
126日本@名無史さん:2000/12/22(金) 20:38
たぶん おそらく 絶対 ブサヨクだな
127日本@名無史さん:2000/12/22(金) 20:49
>話がループしてるな(わら
>たぶん おそらく 絶対 ブサヨクだな
さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。
128日本@名無史さん:2000/12/23(土) 01:58
君たちはなに言ってんだ。
縄文人の祖先は中央アジアのチベット人。だから日本の先住民
はチベット人だ。日本列島のチベット人が7000年前に朝鮮
南部に一部渡って、縄文土器を伝えたんだよ。
日本(倭国)を創ったのは弥生人だ。弥生人こそが日本人の
正統であり、日本の歴史は弥生から始るのが正しいのだ。
129日本@名無史さん :2000/12/23(土) 02:11
>128
いやいや、それなら人類は全てアフリカで発生した。
だから全世界の先住民は全てアフリカ人
の末裔。
日本、中国、朝鮮の先住民も全てアフリカ人
の末裔。
130日本@名無史さん :2000/12/23(土) 02:18
>129
いやいや、アフリカで発生した人類の原形は猿。
よって全世界の先住民は全て猿の末裔。
日本、中国、朝鮮の先住民も全て猿の末裔。
131日本@名無史さん :2000/12/23(土) 02:23
>130
いやいや、それなら猿、他全ての動物は海のプランクトン
の進化形。
よって全世界の先住民は全てプランクトンの末裔。
日本、中国、朝鮮の先住民も全てプランクトンの末裔。
132名無しさん@1周年:2000/12/23(土) 03:06
とりあえず、新井は縄文人ってことに決定だな
133日本@名無史さん:2000/12/23(土) 03:31
 下層民族縄文人は進化していない
 だから ドチビ
134日本@名無史さん:2000/12/23(土) 08:42
>128〜>132

さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。
135日本@名無史さん:2000/12/23(土) 08:43
いや 新井は縄文人に決定だ
136日本@名無史さん:2000/12/23(土) 08:44
違ふ。
縄文人なのは 井上だ。
137日本@名無史さん:2000/12/23(土) 08:45
いえいえ 藤村です。
138日本@名無史さん:2000/12/23(土) 08:48

みんな縄文人さ。

まったく下層民族縄文人は進化してい

 だから ドチビ


   

139日本@名無史さん:2000/12/23(土) 09:01
日本列島から渡った縄文人は朝鮮半島の先住民
140日本@名無史さん:2000/12/23(土) 09:09
任那はヤマトの直轄領で、新羅は属国。
141日本@名無史さん:2000/12/23(土) 12:32
>約7000年前から始まる、最古の朝鮮半島の土器文化が、朝鮮半島南端に始まり、
>最初のものは縄文土器と同じ型式であることも良く知られたこと。

日本で一番古い土器の形式は降起線文土器といって、粘土の細い紐をはりつけて
幾何学的な模様をつくるものである。これは朝鮮半島でも西海岸地方の屈浦里遺跡、
江原道の贅山里遺跡、釜山東三洞貝塚などでも出土しているものだが、出自は
北東アジアで、たとえば、チチハルに近い昂々渓遺跡とか、黒竜江の沿岸地方、
あるいは沿海州方面である。三上次男の書物でもお読みなさい。
142日本@名無史さん:2000/12/23(土) 19:57
 

さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。


 

  

 


   
143日本@名無史さん :2000/12/23(土) 20:43
>爆笑問題、田中も縄文人だったんですか!?

さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。
144日本@名無史さん:2000/12/23(土) 23:10
>>141
それは、捏造者・藤村並の、北鮮の電波な考古学だろ(わら
韓国では、旧石器時代の約12000〜7000年前は人間の遺跡は見られないことは常識。
約7000年前になって、朝鮮半島最南端から、縄文土器と同じ型式の土器文化が始まる。
檀君陵や好太王碑文改竄説とか、電波を発信しまくりの北鮮や朝鮮学校は痛すぎ(わら
145ハングル板からの疑問:2000/12/23(土) 23:20
「さむらい」の語源が朝鮮語の「サウラビ」だというのは本当ですか?

http://www.asahi.com/1221/news/international21012.html
146日本@名無史さん:2000/12/23(土) 23:44

さあ、それはどうかな。
意味が同じなのは確かだが。語源となると
もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。


147日本@名無史さん :2000/12/23(土) 23:59
>144
たとえ縄文人が渡ってたとしても、7000数百年後
の倭国領任那とはなんの関係もない。
任那の住民は弥生人と同系の東南アジア方面から北上
した人種と漢族、扶余族などが合さって構成されていた
と考えられる。
148日本@名無史さん:2000/12/24(日) 00:22
日本列島から渡った縄文人は、朝鮮半島の先住民
149日本@名無史さん:2000/12/24(日) 00:22
任那はヤマトの直轄領で、新羅は属国。
150日本@名無史さん :2000/12/24(日) 00:32
任那は武力で制服した領土にすぎない。
獲ったり獲られたりの時代だった。それだけ。
縄文人は無関係。
151日本@名無史さん:2000/12/24(日) 03:38
昔から、日本は、朝鮮から文化を輸入してきてるでしょ?
または、中国→朝鮮→日本という風に・・・
秀吉などは、朝鮮から優れた技術者を大勢さらって来たり・・・
それに、古代の日本人は、朝鮮系北方民族と南方民族の混血民族だと聞いてるぞ。
さらに、南北民族を比べた場合、高い文化は、北方民族が持ち、
日本は、古代から、北方系に支配されていたという仮説もあるそうだ。
故に、古代の支配階級は、朝鮮系だったと考えられる訳だ。
最近では、DNA鑑定調査もされてる筈じゃないか?
隣国に敵対心を抱くのは、世界的にもありがちだけどさ。
君の言ってることよく分からないよ。>1
152日本@名無史さん:2000/12/24(日) 17:02

さあ、それはどうかな。もっと詳細な研究が進まないと、分からないぞ。
153日本@名無史さん:2000/12/24(日) 17:42
>>151
電波ピコピコ。
154日本@名無史さん:2000/12/25(月) 01:20
>>151
鮮人くらいしか、そんな妄想は抱いてないぞ(わら
朝鮮は中国のコピペで、オリジナリティゼロ。
日本のような独創的な文化も華咲かず、庶民は無知蒙昧で劣等な連中。
155日本@名無史さん :2000/12/25(月) 02:06
>154
日本優越主義者のバカがまた自慰してるな(プ
156日本@名無史さん:2000/12/25(月) 02:15
南北朝鮮では朝鮮&韓国優越主義者が社会や学校で公式に自慰をしています。

ヨーロッパでも同様(「独創的な文化も華開かず、庶民は無知蒙昧で劣等」
だったのは非ヨーロッパ地域全てだという違い)


157日本@名無史さん :2000/12/25(月) 02:32
他国がやってるからうちもやる、ってのはガキ同然。
158日本@名無史さん:2000/12/25(月) 02:35
ヨーロッパのオタクは、日本のマンガ/アニメ、TVゲームにはまっていて、
現代日本文化の独自性は認識しています。

フランスのシラク首相夫妻は、日本の伝統文化に造詣が深いし、
印象派に日本の浮世絵が大きな影響を与えたように、文化人には認識されている。
159日本@名無史さん:2000/12/25(月) 02:46
印象派への日本の多大な影響を認めたがらない文化人も多いと聞くが
160日本@名無史さん:2000/12/25(月) 07:41
朝鮮は独自文化なし、庶民は愚昧で、どうしようもなかった。
161日本@名無史さん:2000/12/25(月) 09:04
任那が倭領だったのは事実。

(事実=誰もが否定出来ない事柄)

162日本@名無史さん:2000/12/25(月) 10:07
論文は何を読めばいいの?
がいしゅつかもしれないが
前のスレ読めなくなっているのでお願い
163日本@名無史さん:2000/12/25(月) 11:31
>前のスレ読めなくなっているのでお願い

前のスレッドが見たい方は
http://mentai.2ch.net/history/dat/970077532.dat
datをHTMLに直すにはここ↓
http://members.tripod.co.jp/tatsu01/
164日本@名無史さん:2000/12/25(月) 14:14
↑マカーなのでつかえない…
鬱だ…
165日本@名無史さん:2000/12/25(月) 14:16
>↑マカーなのでつかえない…
窓を走らせるエミュレーションソフトがあるじゃん。
166日本@名無史さん :2000/12/25(月) 18:00
任那が一時期倭国領だったのは、現在のチベットが
中国領であるのと同じこと。
167日本@名無史さん:2000/12/25(月) 18:12
日本列島から渡った縄文人は、朝鮮半島の先住民
168日本@名無史さん :2000/12/25(月) 19:07
現在の朝鮮人の遺伝子に縄文人の痕跡は
殆ど残っていません。
任那と縄文人の関連性は無し。
169日本@名無史さん:2000/12/25(月) 19:48
>167
167は沖縄の部落野郎、

任那が倭国の本拠地、
倭国の任那が本土にいたアイヌを放逐して
できたのが日本。日本書紀読めば?
170日本@名無史さん :2000/12/25(月) 20:14
「倭那国王」って、倭国の任那の国王って意味なんだってね。
171日本@名無史さん:2000/12/25(月) 20:43
>169,170
鮮人の電波が沸いてきた(わら
172日本@名無史さん:2000/12/25(月) 21:48
倭国は百済の属国。任那が本拠地で、九州北部まで支配していた。
日本書紀の任那関係記述も「百済本記」をまん丸パクったモノ!
173日本@名無史さん:2000/12/25(月) 22:44

===== 倭人記に書かれている倭人のくらしぶりをのぞいてみよう。====

倭人は 生(なま)草を食べ、
みな裸足(はだし)です。木や草がよく繁っていて、前を歩いている人が見えないような
地域もあったようです。未開のジャングルみたい

食べ物は手づかみで食べ、酒を飲み、わめき散らし、
すわる場所は親子や男女の区別がないそうです。
礼儀を重んじる中国の人たちは、さぞかしビックリしたでしょうね。
(なんじゃこいつら、動物以下っつー感じでビックリした)

また、倭人は、盗みや争い事を好むと書いてあります。

 また、ふつうの身分の人が、身分の高い人と道で出会うと、
道の脇の草むらに入って道を譲(ゆず)ったり、話をする時にはうずくまったり、
ひざまづいたりして、大きな頭を地面にこすりつけて
両手を地面につけて敬意をあらわすとなどというルールがあったそうです。(爆ワラ!!
174日本@名無史さん:2000/12/25(月) 22:52
ちゃんと読んでから笑えよな。
でないと笑われるぞ。
175日本@名無史さん:2000/12/25(月) 22:52
>>173
>  また、ふつうの身分の人が、身分の高い人と道で出会うと、
> 道の脇の草むらに入って道を譲(ゆず)ったり、話をする時にはうずくまったり、
> ひざまづいたりして、大きな頭を地面にこすりつけて
> 両手を地面につけて敬意をあらわすとなどというルールがあったそうです
60年前まで、永遠と続いていたな。。。
え?今も?いわゆる「大名行列」はどこの組織にもあるってこと?
176日本@名無史さん :2000/12/25(月) 23:09
倭人記の内容は儒教文化の影響っぽいぞ。
177日本@名無史さん :2000/12/25(月) 23:10
やはり倭国は朝鮮で発祥した国かな。
178日本@名無史さん :2000/12/25(月) 23:24
>大きな頭を地面にこすりつけて両手を地面につけて敬意をあらわす

日本の土下座は頭を地面に付けることはめったに無いが、
朝鮮では必ず頭を地面にこすり付ける。
よって倭国は朝鮮が本拠地だったんだな。
179日本@名無史さん:2000/12/25(月) 23:45
あんた脳みそ3グラム以上あんの?
173のめちゃくちゃな話なんか倭人伝に書いてあることと全然ちゃうやろ?
なんでいやしくも人間そこまで低俗になれるの?
僕かんしんしちゃう!
180日本@名無史さん:2000/12/26(火) 00:08
>>176 倭人記って何それ?
頼むから少しは勉強してよ!
181sage:2000/12/26(火) 00:18
>>178
愚か者。「倭人記」とあろうが。西暦2000年に出版された
ヨタ本さあ。さあ信じろ。嘘だけどな。

182日本@名無史さん :2000/12/26(火) 00:34
倭国は朝鮮発祥。また任那は朝鮮では昔から慶尚南道金海地方
にあった金官加羅国のことを指し、日本のような加羅諸国
の総称として用いることはない。
そこを統治していたのが倭人で、北九州を皮切りに日本全体を
支配するに至る。400年以降倭軍が高句麗に破れると、
倭国は百済の支配下となる。
その縁で倭国は百済から仏教を取入れる。
183日本@名無史さん:2000/12/26(火) 01:27
ひがみ鮮人の妄想が爆発してる(わら
part1から議論したように、任那はヤマトの直轄領で、新羅は属国。
184日本@名無史さん :2000/12/26(火) 01:34
日本書紀の任那記述は「百済本記」そのまんま。
185日本@名無史さん :2000/12/26(火) 01:49
任那が大和の出先機関でないことは、欽明記14年8月条に
任那の長官、的臣(いくはのおみ)が死亡したため、後任者
を求める上表文が、百済からもたらされていることからも
辻褄が合わないのである。
186日本@名無史さん:2000/12/26(火) 07:21
畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれた任那
187日本@名無史さん:2000/12/26(火) 07:36
日本列島から朝鮮半島に渡った縄文人は先住民
188日本@名無史さん:2000/12/26(火) 09:39
それから朝鮮半島に渡った縄文人は消えた。

そして弥生人が支配した。

それから北からの民と交ざった。

いずれにせよ朝鮮半島には12000年前から続く血統は無い。
189日本@名無史さん:2000/12/26(火) 10:09
朝鮮半島には、約12000〜7000年前の人間の遺跡が途絶えている。
そして、縄文海進期の約7000年前に、縄文土器文化が朝鮮半島に渡った。
190名無しさん脚:2000/12/26(火) 12:52
渡来系弥生人に同化できなかった
撫落民の末裔が日本発祥に拘っている.....
人類の別種がウジのようにわいたと思っているらしい。
191日本@名無史さん:2000/12/26(火) 12:53
渡来系弥生人に同化できなかった
撫落民の末裔が日本発祥に拘っている.....
人類の別種がウジのようにわいたと思っているらしい。
192日本@名無史さん:2000/12/26(火) 13:11
191は日本語が不自由だな(わら
193151:2000/12/26(火) 13:19
>152、153、154
ははっ!事実だから反論できないでやんの(笑
哀れだねぇ・・・
194日本@名無史さん:2000/12/26(火) 13:36
倭では弥生と縄文が北ポウを削除。
韓では弥生と北方が縄文を抹殺。
主は弥生。
195日本@名無史さん:2000/12/26(火) 16:22
倭の主体は弥生人。
196日本@名無史さん :2000/12/26(火) 18:56
縄文人などという狩猟民族に稲作などという発想は
無い。新嘗祭が皇室で行われるのも、皇族が東南アジア
系の弥生人の系統である証拠。
移動型狩猟民族と一緒にされるのは皇族にも迷惑。
197日本@名無史さん:2000/12/27(水) 16:25
>>196
ぷぷぷっ、一体何十年前の縄文人像に基づいているんだ。
縄文時代は、世界最古の土器文化だし、漆工芸も進んでいた。
糸魚川特産のヒスイ大珠を、祭祀の貴重品と見なして広範囲に流通したし、
刃物や武器として重用する黒曜石も流通しており、商人の存在が推定されている。
また、様々な植物の栽培も、考えられている。
富山県の桜町遺跡のように、木製品の保存が良い遺跡の調査で、当時の建築物が
高度な技術に基づくことも分かってきた。
今時、縄文時代を未開な原始時代と考えるのは、余りにも無知。
198日本@名無史さん :2000/12/27(水) 18:37
>197
縄文人が稲作文化を持込んだとでもいうのかい?
199倭人傳 :2000/12/27(水) 18:52

  倭人傳

 倭人在帯方東南大海之中依山嶋爲國邑舊百
 餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從郡至
 倭循海岸水行歴醜國乍南乍東至其北岸狗邪
 死國七千餘里始度一海千餘里至對海國其大
 官曰卑狗副曰卑奴母離所居絶嶋方可四百餘
 里土地山儉多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無
 良田食海物自活乗船南北市糴又南渡一海千
 餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴
 母離方可三百里多竹木叢林有三千許家差有
 田地耕田猶不足食亦南北市糴又渡一海千餘
 里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行
 不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈没取臭倭
200日本@名無史さん:2000/12/27(水) 20:53
なぜ縄文人は弥生人に負けた?

米に負けたのか?

採集では稲作にかなわなかったぁか?
201日本@名無史さん :2000/12/27(水) 20:57
天皇家の新嘗祭は弥生人の風習。
202日本@名無史さん:2000/12/27(水) 21:33
せこい弥生人に縄文人はかなわなかったぁぁぁぁ。
203日本@名無史さん:2000/12/28(木) 02:53
水稲栽培の遺跡は、九州から青森まで、100年もギャップがないようで、
日本列島内の広がりについては、文化伝搬と考える見方が有力。
204日本@名無史さん:2000/12/28(木) 08:29
日本列島では縄文人と弥生人は結構うまく折り合いつけたみたいだけど
朝鮮半島ではなぜ上手くできんかったんだろ。
力のバランスが悪かったのか。
縄文人が少なすぎて弥生人につぶされたんか。
205日本@名無史さん:2000/12/28(木) 13:31
直轄領の任那
206日本@名無史さん:2000/12/28(木) 14:08
朝鮮半島の縄文人を圧殺したのは北からの遊牧民族。
207日本@名無史さん:2000/12/29(金) 01:16
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事
208日本@名無史さん:2000/12/29(金) 11:11
日本列島から渡った縄文人は、朝鮮半島の先住民
209日本@名無史さん:2000/12/29(金) 15:43
朝鮮半島へ渡った縄文人は、何処へ消えた。
210日本@名無史さん:2000/12/29(金) 17:15
205 207 208はいまだに重野安繹の古典的ナショナリズムから
抜けだせない厨房だな(w
211日本@名無史さん:2000/12/30(土) 02:36
ヤマトは、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事
212日本@名無史さん:2000/12/30(土) 07:39
日本人=0.7倭人(弥生人)+0.3縄文人

日本人を遺伝子ベースでいうと上のような感じらしいけど、朝鮮では
どんな配合なんでしょう。

朝鮮人=○倭人(百済等南部)+○高句麗(ツングース系?)+○モンゴル人+○漢人

○に数値を入れてください。
213日本@名無史さん:2000/12/30(土) 10:18
あのエラはなに系?
上記の中に無いような。
214日本@名無史さん:2000/12/30(土) 14:16
 倭王武の上表文は、漢文としては実に堂々たるものであって、五世紀においてすでにこのような上表文が日本から宋朝に送られたということは、実に驚嘆とするに足りる。だが、その内容はけっして輝かしい、喜ばしいものではなく、むしろ一種の愁訴状ともいえるようなものである。
 この上表がなされたのは、高句麗の南下によって百済が壊滅的打撃を受けてから三年目の、四七八年のことである。この点をとくに重視することを忘れてはいけない。以下にその内容を示すなら、『わが国では倭王武の祖父弥の時代から武装して、さかんに四隣を征服して国力を伸張させてきた。国内においても、西は九州より、東は関東におよぶ広大な領域を平定したうえ、新羅・百済・任那・加羅・秦韓・慕韓など、南朝の六国をも併呑する一大勢力を築きあげてきたのである。亡き父済のとき以来水軍を整備して、百済の救援には心をなやましてきた。それは高句麗が無道であって、南鮮諸国をことごとく侵略しようとして南下してくるためで、ゆえに大軍をおこして兵備を整え、その無道を征伐しようとして努力してきたの である。しかし、歴戦久しきに及ぶいまもなを、強敵を滅ぼすことができないでいる。その際、宋の援助をえて、所期の目的を達成したいが、もしそうできるのなら、すみやかに高句麗の圧迫を拝して、南鮮の治安を維持し、もって宋朝に対して忠誠をつくすであろう。』
 上表文の冒頭を飾る征服のはなばなしさにもふさわしくない、哀願にも似た愁訴状である。
215日本@名無史さん:2000/12/30(土) 14:19
仮に倭王武が本当に7カ国の征服・統一に成功していたとすれば
このような宋の援助を得ようとするための上表文など書かなかった
であろう
216日本@名無史さん:2000/12/30(土) 14:40
ああそうかい。それでは聞くが秦韓・慕韓とはどこの国で
どこを指すんだ?
217日本@名無史さん:2000/12/31(日) 00:04
前方後円墳体制に組み込まれた任那
218日本@名無史さん:2000/12/31(日) 00:39
秦韓・慕韓はどこにあった国なんだ。だれかわかるやつはいないのか?
情けないぞ。話が前に進まないじゃないか!
219ネタだとやだなぁ:2000/12/31(日) 01:53
秦韓=辰韓で新羅と一緒。
慕韓=馬韓で百済のことでは?(じつはタツノコプロかもしれないが。)
任那=加羅でもあるだろう。

水増し請求でないの?

=でなければ、前代の残存勢力かも。
220日本@名無史さん:2000/12/31(日) 21:16
>>219 そうだな。秦韓と慕韓は三世紀の辰韓と馬韓といわれている。
この場合三世紀というところがミソなんだが、ところで倭の五王が
南朝の東晋・宋・梁に対し朝貢を行い、宋と梁から冊封をうけたのは
五世紀のことだ。倭王珍は四三八年に遺使して方物を献じ、自ら
「使持節都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」
に叙正されんことを求めたが、宋朝から与えられたのは「安東将軍」
だったわけだ。珍の要求はその後の倭王にもひきつがれ、四五一年
には済王が珍の要請していた称号からすでに宋朝が冊封を与えていた
百済を除き、加羅を加えた「使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国
諸軍事安東将軍」に叙正され、四六二年の興王も同じ称号を獲得した
といわれている。が、前記したとおり秦韓と慕韓とは三世紀の辰韓
と馬韓とであるといわれている。こうしたすでに用いられていない
国名を日本が要請したのは、ただ称号に荘重さを付加しようとする
意図にすぎなかったのだろう。それに対し、かかる国名を求められ
るままにあたえた宋朝の態度もいいかげんなものであり、冊封関係
のもつ一面、外交上の便宣主義を示す好個の例ともいえるわけだ。
221日本@名無史さん:2001/01/04(木) 03:43
ヤマトの直轄領の任那
222日本@名無史さん:2001/01/04(木) 08:08
キミは超越的でかっこいいぞ! 言葉が通じないところをみるとやっぱり鮮人なんだな?
>>2=221
223日本@名無史さん:2001/01/04(木) 08:16
倭王が宋朝におねだりしたのは,王号(新羅王・百済王etc.)ではなく
軍事支配権を示す「安東大将軍」の称号だったことにも注意する必要があるね.
224日本@名無史さん:2001/01/04(木) 08:38
そもそも中国統一すらままならず朝鮮半島に軍事支配権が及んでいなかった宋の皇帝が将軍号を授与する事の意味を考えたらどうか.
天正3年に,秀吉が筑前守に光秀が日向守に叙任されたことを想起せよ.
(信長は配下に与える朝廷官位を戦略的に選択したと思われる)
225日本@名無史さん:2001/01/04(木) 11:01
任那が前方後円墳体制に組み込まれていたことを見れば分かるだろ。
226日本@名無史さん:2001/01/05(金) 00:09
任那はヤマトの直轄領ってことだな。
227日本@名無史さん:2001/01/06(土) 03:32
任那って日本領だったんですか? Yes!
228日本@名無史さん :2001/01/06(土) 04:04
で、遠い昔に任那という日本領があったとしても
現代にその意義をどういかせばいいの?

ただの歴史の1ページってだけか・・・
229日本@名無史さん:2001/01/06(土) 17:01
>>223 おっしゃるとおり。当時の百済王の称号が、「使持節・都督百済
諸軍事・鎮東(大)将軍・百済王」であったこと、また、倭国王の
称号にも「使持節・都督倭(中略)諸軍事・安東(大)将軍・倭国王」
とみえることから考えると、この場合の「△△(国)王」とは、軍事
権を一応きりはなしたものとして考えられていたといわれている。
従って、名実ともにその地域<国>の支配者となるためには「(都督)
△△諸軍事・△△(国)王」という称号をうる必要があったとおもわれる。
<倭国王>が、<使持節・都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事・
安東大将軍・倭百済新羅任那秦韓慕韓六国王>と称さぬところに、
さきの称号の実質的な意味をみていいだろう。讃・珍・済らの当面
欲したのは、倭国内の君主の地位を示す「倭国王」と、倭国内の軍事権、
それと南朝鮮における軍事権だったのだろう。冊封関係および官爵
が当時の国際情勢にどれほどの効力を有していたのかは、>>220でも
ふれたが、疑問ではある。しかし、南朝鮮での、ことに百済について
の支配権を国際舞台で認められることを強く要望していたようだ。
この問題については、すでに末松博士が『任那興亡史』で指摘されて
いるが、すでに領有しているという厳然たる現実の承認であったと
いうよりは、領有の口実ないし領有の背景を得ようとする日本の願望
を示していたといわれている。
230日本@名無史さん:2001/01/06(土) 17:10
>>224 これもごもっとも。珍が要求し、済が与えられた称号は、
当時諸国に与えられていた称号の例からみれば、いささか奇異である
ことが江畑武氏によって指摘されている。それが百済を除いたもので
あるにせよ、四五一年という年に認められたのには臣属の度合(朝貢
回数)以外に、何か理由があるのではないかといわれている。

それが、四五〇年から四五二年にかけて行なわれた宋と魏との戦争、
結果としての宋の敗戦ではないかと思われる。四五〇年の七月、宋は
輔国将軍簫斌之に六万の兵をあたえて斉州を攻めたが、十二月には
北魏の反撃をうけ、首都建康が危機に陥っている。宋はこの対戦で
敗れ、一時的にせよ首都北部の領土を失った。文帝はこの十二月に
「内外戒厳」し、非常事態に備えたという。『宋書』によれば、翌
四五一年の二月に北魏軍が肝胎より撤退したので、戒厳を解いたと
いうから小康を回復したようではあるが、五月には司馬則が梁鄒城
で斉王を称して自立するという事件がおき、その平定には九月まで
かかっている。倭王済の使者が到着したのは、平定がいまだ終わら
ない七月だった。北魏との敗戦、つづいておきた山東省の反乱とい
う事態から、倭王の要求している称号を拒否しつづけるよりは、む
しろ与えることによって冊封関係を強化しておく方が、宋朝にとっ
ても有利と考えたのではないかといわれている。まあ、当時の冊封
なんてものはこの程度だったのだろう。
231日本@名無史さん:2001/01/06(土) 18:04
ところで『日本書紀』に所載する朝鮮関係記事には、若干の引用書
(原典)名があげられている。この引用書物の多くは朝鮮より贈ら
れたもので、原典の復元もかなり可能性の高いものである。それゆえ、
すでに『百済記』『百済新撰』『百済本記』についてその編纂事情・
記事の性格・編纂目的等について、若干の推論が下されている。

三品博士は、『百済記』の性格を百済聖王代の政策とその意欲を明確
にうちだした史籍で、その編纂が『百済本記』より若干古いものであ
るが、その編纂目的は『百済本記』と同様、「百済の聖王が現実の加羅
問題に直面しつつ先祖の肖古王代にその理想像を投影的に表現した
もの」との判断を下している。また、「任那諸国が新羅に滅ぼされた
のちの日本にとっても、敏達から推古の時代の任那再興計画の期待
の姿でもあった」とも述べられている。さらに、大和朝廷では欽明朝
から推古朝にかけて対朝鮮政策の基本となった「南加羅の復興」と
いう概念が、書記編纂ないしはその原典の朝鮮関係の通念となり、
この観点で朝鮮関係記事をまとめた形跡のあることも指摘している。

井上博士は、『百済本記』は百済の威徳王が約四〇年間対立関係に
あった大和朝廷との国交を回復するため、五九七年、王子阿佐を
派遣した際にもたらされたもので、対新羅戦争に大和朝廷の援助を
うるために編纂したものであろうと述べている。また、その政策に
あわせて、各種の倭関係の伝承をすべて大和朝廷と結びつけた記事
としていた点も指摘している。このため加羅地方の倭人の集団を任
那日本府と呼び、あたかも大和朝廷と関係のある政治機関のような
名称を付したのではないかと推測している。
232日本@名無史さん:2001/01/07(日) 05:08
任那は、畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれているのだからな。
233日本@名無史さん:2001/01/07(日) 18:35
>>232 韓国において前方後円墳の集中した分布が見られる
地域は、主に韓国西南部地域(全羅南道西南端)であって
旧百済領内なんだな。旧加耶地域からは舞妓山古墳(松鶴洞
一号墳)が一基、慶尚南道固城で見つかっているにすぎない。
全長66m、後円部直径33m、後円部高さ4.5m、前方部
長さ33m、前方部幅24m、前方部高さ3mを測る。葺石、
周濠、段築などは見あたらない。前方部の幅は後円部の直径
より狭いが、長さは後円部の直径と同じで、倭の典型的な前方
後円墳の形態と比べると未発達な状態を示している。

近頃、東亜大学校博物館により石室内部の調査が行われたようだ。
(2000年8月27日:韓国・中央日報発表)
石室の壁・天井を赤彩した横穴式石室でこのような様式は韓国初
だそうだ。小加耶の王陵と推定されているな。しかし、被葬者が
半島人である場合、なにゆえ倭の墳墓の形や石室の様式をモデル
にして埋葬されようとしたのか大きな問題となってくるのは確かだ。

かといって被葬者が列島人である場合にも問題がある。それは、
墳丘の規格についてだ。列島においては、倭政権のもと、政権の
秩序内での位置を表象するように、大きさなどが決められていた
からだ。しかし、前述したように、当該墳墓は、構築技術が違って
おり、また、墳形も列島にみられる墳墓と異なっている。したがって、
倭政権が定めていたであろう規格とは違っていたと考えられよう。
ということは、この墳墓を作らせた被葬者は倭政権の秩序の中に
服していなかったと考えられるのである。

以上の諸点をふまえた上で、現時点でのこの問題に対する解答も
出されてはいるが、いずれにしても性急な断定はさけ、類例の増加
をまって検討すべきというのが学会の考え方のようだ。
234日本@名無史さん:2001/01/09(火) 00:36
>主に韓国西南部地域(全羅南道西南端)であって
歴史地図を見ると、ここは任那に入れているものが多いぞ。
235>233:2001/01/09(火) 04:41
韓国の学会とやらもこの件については
血眼にならざるを得ないようだね。
いかに彼らが頑張っても日本にある前方
後円墳や朱塗の石室が韓国にあるもの
より古いという事実はひっくりかえせない
ようだからね。(藁
彼らがどう屁理屈をコネようと古代の朝鮮が
日本の強い影響下にあったことについては
否定できないだろうね。
236日本@名無史さん:2001/01/09(火) 06:06
>いずれにしても性急な断定はさけ、類例の増加
>をまって検討すべきというのが学会の考え方のようだ。

「この問題」だけでなく、古代日朝関係全体についても、性急な断定を
するのは_お互いに_避けたいものだね。
237236:2001/01/09(火) 06:17
「お互いに」とは「日本の学界とと韓国の学界がともに」の意味ね。

とは言え、韓国側の見解を(鵜呑みにして?)大幅に取り入れ「性急な断定」を
下す日本人学者が少なからずいる現状(その逆[日本側の見解を大幅に取り入れ
る韓国人学者]は圧倒的に少ない)からすれば、「お互いに」と言うのも考え物
なのかもしれないという気はする。
238日本@名無史さん:2001/01/09(火) 10:58
>>237
朝鮮は、古代から日本に占領されたことは何度もあるが、
日本攻撃はいずれも失敗に終わり、逆がないことが悔しいし、
過去の独自文化を見ても、日本の方が遙かに輝かしいし、
現代でも経済・技術・文化など、日本の方が遙かに影響力が大きく、
それらがトラウマになっているから、史料の少ない古代だけでも、
話を捏造しようと、朝鮮人は躍起になるのだろう。

一方、日本の歴史学会には、反日的で無批判に外国勢力に迎合する連中が目立つから、
相互主義が成立しがたくなっているのだと思う。
日本の歴史学者が、もっと毅然とした態度で対応する必要があるな。
239日本@名無史さん:2001/01/10(水) 01:35
朝鮮人のトラウマが、妄想を生むんだろうな。
240日本@名無史さん:2001/01/10(水) 06:57
鏡をみろ。そっくりオマエにあてはまる。
241239:2001/01/10(水) 07:00
×妄想
○新井
242日本@名無史さん:2001/01/10(水) 10:36
鮮人のトラウマに引っかかる、おバカなサヨクは恥ずかしい(わら
243日本@名無史さん:2001/01/10(水) 21:07
どうみても「鮮人」がトラウマになっているのは「新井」のほうだが。
244日本@名無史さん:2001/01/10(水) 21:15
243は鮮総連だろ(わら
245日本@名無史さん:2001/01/11(木) 03:34
いつもの朝鮮罵倒キチガイ右翼は、最近では話の輪に入れてないみたいだな。
壊れたラジオのように一行レスばかり。
246HHH:2001/01/12(金) 02:04
縄文人が弥生人に負けたようなことが書かれているが、違うように思う。
弥生人が中国か朝鮮半島から来たものとすれば、弥生人が縄文人を凌駕したと
すれば、言語もそのようになっていたはず。
しかし、科学的に分析すれば中国や朝鮮半島の言葉といわゆる大和言葉は
ずっと前に分かれたことが分かっている。
そうすると、弥生人が縄文人を滅ぼしたわけでも支配したわけでも
なくて、移住してきた弥生人の女性を縄文人がみんなでやりまくって
弥生人が増えたのかもしれないぞう。
247HHH:2001/01/12(金) 02:10
任那は朝鮮半島の南の地域で、そこは大和朝廷の支配下に
あったというよりも、日本だったようですね。
海を挟んで国が存在する例は世界にも多いようです。
248日本@名無史さん:2001/01/12(金) 13:05
近刊の講談社日本の歴史「大王から天皇へ」の任那関係の記述ってどう?
249日本@名無史さん:2001/01/13(土) 01:57
>>248
どんなことが書いてあるの?
250248:2001/01/13(土) 12:26
おおすじ大和朝廷が半島に進出したことは認めているけど、「任那」は使っちゃ駄目って・・・
251日本@名無史さん:2001/01/15(月) 01:43
>「任那」は使っちゃ駄目って・・・
意味不明。任那は、好太王碑文・宋書倭国伝と言った、同時代史料に登場する用語。
編集委員網野の、日本海を朝鮮が主張する用語に変えろと言うのと、発想は同じでしょう。
252日本@名無史さん:2001/01/15(月) 03:00
任那を「政治臭ぷんぷんの用語」とか言ってくさしていた。
まるで朝鮮や中国の史書には「政治臭」がないとでも言わんばかりの、
日本の学者の知的ナイーブさばかりの目立つ、ものすごく薄っぺらな
文章に溢れた本だった。
253日本@名無史さん:2001/01/15(月) 14:10
>252
なるほど、日本海の呼称を止めよう運動の網野編集委員と発想は同じですか。
第一巻の藤村一味の岡村とか、胡散臭い筆者が目立つような。
254日本@名無史さん:2001/01/15(月) 15:02
>246
あんまり縄文人にこだわらない方がいいよ。
縄文人は単なる日本の先住民族だよ。青森や北海道に縄文人
の遺跡があるけど、和人が青森や北海道に入ったのってずっと後だろう。
北海道では7世紀ぐらいまで縄文土器がでるっていうし、縄文人はアイヌ
と関係が深いんじゃないの。

255248:2001/01/15(月) 17:52
安本美典の「応神天皇の秘密」はどう?
256日本@名無史さん:2001/01/16(火) 01:35
縄文人は日本の先住民ではない。現代人に繋がる大きな要素。
257日本@名無史さん:2001/01/16(火) 11:25
畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれた任那あげ
258日本@名無史さん:2001/01/17(水) 02:56
任那あげ
259日本@名無史さん:2001/01/17(水) 03:36
苦笑するしかないレスばかり。
260日本@名無史さん:2001/01/17(水) 14:53
>254
青森の三内丸山遺跡はどう考えても日本人の祖先の遺跡じゃないよね。
和人が青森に入ったのは7世紀以降でしょう?
261日本@名無史さん:2001/01/17(水) 15:56
>>254
北海道では
縄文人->続縄文人->擦文人->アイヌ
骨などの調査で擦文人=アイヌであることは確実。
オホーツクからの影響もあったらしいが、それ以前も恐らく
ほとんど変わってない。
262日本@名無史さん:2001/01/17(水) 16:25
>>260
むちゃくちゃな主張だな。
縄文人に弥生時代以降に新たに加わった人々で、現日本人が構成されていると
考えられており、他の民族との言語の著しい差異からも、日本語の基本は
縄文人の言葉にあると考えられている。弥生時代以降の影響が少ないと考えられる
南西諸島の住民の言葉は、日本語の方言であり、本州では遙か昔に廃れた、
奈良時代の用語が残っていたりする。

近世アイヌ人は、主として北海道・樺太・千島に分布しており、
それ以前は東北北部にも日本人と混在していたようであるが、
東北北部の主要民族だったとは認められていない。

弥生時代の水田遺跡は、九州と青森で精々100年ほどの差しかなく、
文化伝搬は早い。
畿内発祥の前方後円墳体制に入ったのは岩手県までで、青森はそれに
属さなかったと言うだけのこと。ヤマト王権の勢力下にあったか否かと、
民族的な問題を混同させるのはナンセンス。
263日本@名無史さん:2001/01/17(水) 16:41
>262
ヤマト王権に敵対していた蝦夷は異民族じゃないの?
縄文時代まで本州と北海道が同じ文化圏にあった理由は?


264日本@名無史さん:2001/01/17(水) 17:07
>>263
糸魚川特産のヒスイ大珠が、縄文時代前期以降広域に分布しており、
実用性の低さと、分布の広さ、埋葬に使われるなどから、祭祀に用いた
付加価値の高いものだと考えられている。
縄文海進の温暖な時期には、青森や道南には顕著な遺跡が多く、
ヒスイ大珠も数多く見つかっている。これは、文化的な共通性を示す証拠。

なお、縄文時代晩期以降は、堅いヒスイの加工技術も進んだようで、
ヒスイ勾玉が主流になっており、弥生・古墳時代の墓から多数見つかり、
三種の神器の一つとなるなど、日本古来からの祭祀で極めて重要なもの。
265日本@名無史さん:2001/01/17(水) 17:27
>>264
そのヒスイ勾玉のことは知ってるけど。確かに縄文と弥生のつながり
を証明している。
でも、蝦夷は異民族でしょう。
続日本記に蝦夷が「夷語」を使用しているっていう記述があるよ。
266日本@名無史さん:2001/01/17(水) 17:44
いや、蝦夷は陸奥方面で朝廷に臣従しない人々の総称で、民族を表すものではない。
現在でも、東北地方の老人の方言を聞くと、ほとんど分からないぞ。
267日本@名無史さん:2001/01/17(水) 18:10
ちなみに、越方面で朝廷に臣従しない人々は、蝦狄と呼んでいます。
則ち、北狄・東夷・南蛮・西戎に対応する、夷・狄は方位を表すもの。
268日本@名無史さん:2001/01/17(水) 18:19
●馬場悠男(国立科学博物館人類研究部部長)

現代のアイヌはすでに和人と半々ぐらい混血しているとされ、
本来の”縄文の血”はかなり薄まってしまっている。
269日本@名無史さん:2001/01/17(水) 18:20
人類遺伝学会(96年)で公表された結果を共同通信がこう伝えている。
          ------------------------
 アイヌ民族や韓国人など東アジアに住む人たちを遺伝子レベルで分析した結果、現
在の本土日本人の遺伝子群の約六五%が弥生時代以降に大陸からもたらされた遺伝子
に由来していることが国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の宝来聡助教授らの共同研
究で分かり、二十三日の札幌市での日本人類遺伝学会で発表された。
 また、骨や歯の研究から弥生時代以降の渡来集団との混血の度合いによって在来系
(縄文系)と渡来系と二つに分けられるという「二重構造モデル」が遺伝子レベルの
研究で一層強められたことも、同助教授は明らかにした。
 宝来助教授は、国際日本文化研究センター(京都市)の尾本恵一教授らとともに、
東アジアに住む人たちを本土日本人、沖縄住民、台湾系中国人などの五つの人類集団
に分け、計二百九十三人から血液などを採取、母親の系統がたどれるという細胞中の
ミトコンドリア遺伝子を比較した。
 二百七の異なる塩基配列のタイプを調べた結果、十八タイプが二つまたは三つの集
団に共通して見られた。うち、本土日本人と韓国人は八タイプが共通しており、両者
が遺伝的に近いことが分かった。
 また、ミトコンドリア遺伝子の変異のパターンから二百九十三人は十八の集まり(
群)に分けられた。うち韓国人と中国人が多数を占める七つの群に五○%もの本土日
本人が入ったのに対し、アイヌ民族と沖縄住民はそれぞれ二○%以下しか入らなかっ
た。
 同助教授は、この大陸系の特色を持つ七群に入る五集団の割合から、ミトコンドリ
ア遺伝子がどれだけ渡来によってもたらされたかを試算。その結果、本土日本人のミ
トコンドリア遺伝子の約六五%は大陸由来、残る約三五%は縄文由来となった。弥生
時代以後約九百年続いた渡来が現代の日本人の遺伝子構成に大きく影響していること
が示された。
270日本@名無史さん:2001/01/17(水) 18:22
九州・沖縄と山口では弥生人の顔・かたちに地域差が認められ、人骨の特徴から
1、北部九州・山口タイプ、2、西九州タイプ、3、南九州・南西諸島タイプの
三つのタイプに分けることができます。
「北部九州・山口タイプ」の弥生人は、顔が長く、鼻が低く、鼻の付け根(鼻根部)
が扁平で、身長は、男性の162cm〜164cm、女性は150cm程度で、高身長です。
「西九州タイプ」の弥生人は、顔が短く、横幅は広く、眉の部分が盛り上がり
鼻骨が付け根から高く隆起し、顔を横からみると鼻根部が深く陥凹しており、
ホリの深い容貌をしていました。
推定身長値は、男性が約158cm、女性は148cmで、男女とも低身長です。
「南九州・南西諸島タイプ」の弥生人は、頭や顔が小さく、頭を上から見た形が、
限りなく円に近い形をしています。
身長は著しく低く、男性で153cm〜155cm、女性では143cm程度しかなく、
きわめて小柄な弥生人でした。三タイプの弥生人のうち、「西九州タイプ」
の特徴は、実は縄文人の特徴なので、「西九州タイプ」の弥生人は、縄文人直系の
弥生人と考えられます。
一方、「北部九州・山口タイプ」の弥生人には縄文人的特徴がみられないことから、
彼らは、日本列島に弥生文化をもたらした渡来人ではないかと考えられてきました。
271日本@名無史さん:2001/01/17(水) 18:24
最近では、縄文人たちが自然共生型の高度な生活文化や洗練さ
れた信仰体系を持っていたこと、また縄文末期には一部の地方で初期の
稲作農耕が行われていたことなどが分かってきている。そして、一方で
は6千年前頃から始まった気候の寒冷化によって森林の食糧生産力が低
下したために縄文人の人口は減少傾向に入り、やがて突如として列島に
蔓延したウィルス性の疾患(ATLウィルス)によってその人口が一気
に激減したことも知られるようになってきた。そこから推測されること
は、自然と共生しながら豊かな文化や信仰を育んできた縄文人たちの生
活が、自然の猛威に脅かされて存亡の危機に瀕していた時に、より安定
的に食糧を供給できる稲作農耕の高度な技術を携えた渡来人たちが彼ら
を席巻していったのではないかということである。
ただし、縄文人が有していた文化水準の高さから考えると、渡来人は自
分たちが持ってきたものを一方的に縄文人に押しつけるだけでは縄文人
をうまく支配することはできなかったのではなかろうか。ことに宗教的
なことに関して言えば、渡来人は縄文人がもともと持っていたものを尊
重し、それを制度的に再組織化することによって洗練させ、自らもそれ
に帰依していった可能性が高いように思われる。そうした宗教的な帰依
の対象を天皇に集約するにあたって、渡来人たちは縄文人たちの自然信
仰と天皇信仰を巧みに同化させていった筈で、それはイスラム・マタラ
ム王国がスノパティとニャイ・ロロ・キドゥルを結びつけた時よりも、
はるかに徹底したやり方がとられたと思うのだ。
これに関してより大胆な仮説を立てているのは栗本慎一郎氏で、同氏は
田原総一郎氏との対談『闘論・二千年の埋葬』において、天皇制は古代
における縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、弥生人たちは縄文の
首長をそのまま天皇として奉り、統治システムは弥生人が持ち込んだも
のを採用した可能性があると語っている。そして、それ故に天皇は弥生
の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担う縄文とも直結し
うる両義的な存在になったというのだ。栗本氏はこの説を敷衍して、日
本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天
皇が生み出されたことに由来するとも語っているが、これもまた興味深
い仮説である。
272日本@名無史さん:2001/01/17(水) 18:35
いくらなんでも、方言ならそういう記述はしないでしょ。
それに、東北地方には、アイヌ語発祥の地名が多く残ってる。
もし東北地方の縄文人がアイヌ人でないなら、
北海道の状況(恐らく縄文人=アイヌ人)から考えて、かなり無理がある
と思う。
273日本@名無史さん:2001/01/17(水) 18:40
縄文人といっても、いろいろあるんじゃない?
アイヌとは、北海道の縄文系住人の子孫かもしんないけど、
本州の縄文人とどのくらいつながりがあったの?
274日本@名無史さん:2001/01/17(水) 21:02
恐らく東北北部の縄文人は北海道と同じでアイヌだと思う。
それより南はわからないけど、縄文文化の同質性は非常に高いって言われてる。

275日本@名無史さん:2001/01/17(水) 21:12
縄文時代以降でも、かなりの気候変化があり、農耕中心・狩猟中心の地域の境は、
大きく変化している。縄文海進時代は、今より遙かに温暖であり、
現在の環境で、当時の青森や道南の状況を想像しては行けない。
276日本@名無史さん:2001/01/17(水) 21:22
日本語は、他の言語との違いの大きさなどから、主として縄文人の言葉と考えられ、
アイヌ語とも全く違っている。
北海道の縄文遺跡は、道南と道央・道東でかなり違うとの見方がある。
縄文海進の頃は、日本人の祖先は北海道南部まで拡がったが、その後の寒冷化で
南に後退して、アイヌ人の祖先の縄文人が、その跡を埋めたとすれば解釈が可能かも。
277日本@名無史さん:2001/01/18(木) 17:05
東北地方に蝦夷がいた頃、北海道は続縄文時代だったが、
この時代、初期には北海道南西部の恵山文化と,道東で文化的な差異があったものの
4〜5世紀には江別後北文化に統一されている。この江別文化は
蝦夷のいた東北地方にまで影響を及ぼしている。
蝦夷と北海道の続縄文人(アイヌの祖先)が近い関係でなければ、このような
伝播は起きないと思う。


278日本@名無史さん:2001/01/18(木) 17:51
>>277
そうではなく、奈良時代頃の石狩低地には、北海道式古墳と呼ばれる、
本州の文化が色濃い遺跡が見られるように、
この地域は民族が混在していたとみるべきだと思う。
279日本@名無史さん:2001/01/18(木) 18:19
岩手日報の連載で、専門家が蝦夷問題についても述べています。
旧石器時代から始まる、膨大で詳細な連載で、読み応えがあるので必見です。
http://www.iwate-np.co.jp/isan/isan.html

Vol.653 奈良時代概観 (蝦夷研究の現状と課題)
「戦前からあった蝦夷アイヌ・非アイヌ論争は、工藤雅樹氏(福島大学教授)によって、蝦夷の北方系と南方系の2つの側面が強調されたものとして論争に終止符が打たれた。しかし、蝦夷とは何か、また蝦夷はアイヌなのか否か、という問題が未解決であることも事実である。止揚されたかに見える論争ではあるが、蝦夷のもつ文化のルーツ、系譜などをめぐっては新たな視点から検討されるべきである。」
(水沢市埋蔵文化財調査センター 伊藤 博幸)

Vol.654 蝦夷のムラ (分布と変遷概観)
「蝦夷(えみし)のムラは、特殊なムラを形成していたわけではない。当時、律令政府の支配下にあった東北地方南部や関東地方のムラと比べて、住居や生活用具など日常の暮らしの基本は、同じであったと考えてよい。」
(岩手県教育委員会文化課 高橋 信雄)
280277:2001/01/18(木) 19:19
>>279
とりあえず読んでみます。
あんまりアクセスできないんで、明日ぐらいにまた何か書くかも。
281日本@名無史さん:2001/01/19(金) 02:52
畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれた任那あげ
282日本@名無史さん:2001/01/19(金) 16:38
岩手日報の連載を読んでみました。膨大なものですが、蝦夷のムラは
東日本のその他の地域のムラと共通するところが多いようですね。

また、北海道からの影響は確かにあるようですがこれは山間部が中心なようです。
「ところが一方で、必ずしも稲作農耕に適しない地域、例えば青森県東南部や
岩手・秋田県北地方の山間部のような地域では、むしろ縄文の伝統が色濃く残る
北海道からの影響を受け、独特の文化を形成していたこともわかっている。この
ような北方の影響の強い文化を象徴するものの一つが、一戸町の上野遺跡から出
土した熊(くま)形の把手(とって)付き土器である。 」

このことから、東北北部の平野部と山間部でそれぞれ異なる民族が住んでいて
山間部に居たのがアイヌの祖先と考えることもできますね。
東北地方に残っているアイヌ語由来の地名も山間部が多いし。

283日本@名無史さん:2001/01/19(金) 16:51
>>282
最近まで、山の民として、マタギと言われる特殊な用語を使う人々がいたそうだし、
地域は重なっていても、居住形態を異にして併存していたと言うことでしょう。
それと似た感じで、東北北部にしろ北海道南部にしろ、日本人とアイヌ人の併存状態を
考えるのが妥当だと思います。
284>:2001/01/19(金) 21:03
あの時代に日本という国がきちんとできていたとは思えない。
朝鮮側いくつかの豪族と九州か出雲あたりの豪族が、半島で勢力争い
をしていたと考えるのが妥当だろう。
九州の豪族は半島からきた者かもしれず、任那を日本が支配していた
というのはあやふやに思われる。一時的におさえてもすぐに追っ払われただろう。
また、九州や東北の原住民には関係のないことだった。
だいたい、日本から船にのって向こうに行って、他人の土地を奪って
長期間支配するには、相当なコストとエネルギーが必要だ。
元が日本を攻めたときは、見事に失敗している。
285日本@名無史さん:2001/01/19(金) 23:23
朝鮮側の加羅以外の朝鮮人にとっても関係ないことだったはずだけど。
朝鮮という国がきちんとできていたわけではないのだから。
286日本@名無史さん:2001/01/20(土) 01:18
>>284
これまでの議論を無視して、今更何を電波な話をしているのだ(わら
任那は、畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれており、
4世紀末〜6世紀中頃まで、長期に渡って支配したぞ。
287日本@名無史さん:2001/01/20(土) 01:19
>>285
それだけでなく、長期間に渡って新羅を属国として配下にしていたぞ
288日本@名無史さん:2001/01/20(土) 03:40
政治目的のプロパばっかやってるし、差別用語ばっかだから、
おめーの発言はだれも相手にしてないよ。
論議の仕方を根本的に改めな。
289日本@名無史さん:2001/01/20(土) 07:23
288は歴史捏造のブサヨク
290日本@名無史さん:2001/01/20(土) 11:31
>>285
朝鮮でも国家がきちんと成立はしていなかったろう。そうなのである。
ようするに、いくつかのグループが、ごちゃごちゃとやっていて、
ろくな史料ものこっていず、現代の国家間の思惑で都合のいいことを言っているだけなのだ。
291日本@名無史さん:2001/01/21(日) 00:38
朝鮮は、最初は中国の植民地として歴史に登場し、その後もバラバラなのはその通り。
日本は、畿内発祥の前方後円墳体制の元に統一され、そのまま現在に至っている。
日本に関しては何ら問題ない。
292日本@名無史さん:2001/01/21(日) 03:15
支配者は変わったがな
293日本@名無史さん:2001/01/21(日) 03:53
権威はずっと変わってないぞ。
294日本@名無史さん:2001/01/22(月) 02:19
>>293
「宋史日本伝」に、日本僧チョウ然が、日本の歴史・地理書などを手に宋に渡って、
宋の太祖が、日本の天皇は古来から一系で続いている記載を見て、
これは「東夷の一国のみ」と、五代十国の乱が続いた中国の状況との違いに驚いています。
その太祖も、それから1000年以上経っても、日本では一系が続いているとは、想像できただろうか?
295日本@名無史さん:2001/01/22(月) 02:56
>>293
あっさり殺されたりしてるが?
296日本@名無史さん:2001/01/22(月) 02:59
>>295
内容が無く、何ら根拠も提示しておらず、意味不明。厨房は恥ずかしいぞ
297日本@名無史さん:2001/01/22(月) 04:27
電波と*翼に邪魔されないためのルール作りしましょ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=963314216&st=383
298日本@名無史さん:2001/01/22(月) 16:27
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事
299日本@名無史さん:2001/01/23(火) 03:07
任那は畿内発祥の前方後円墳体制に取り込まれた
300日本@名無史さん:2001/01/23(火) 03:57
>>299
それは誰でも知ってる事実だが、ずっと昔のおはなしっしょ。
重要なのは、支配の程度がどの程度だったのか、一時的占領なのか。

それよりも現在も日本はUS軍に駐留されてて占領状態と変わらないので、
はやくUS軍を追放したいと考えている。こんなことでUS領とみなされるのはいや。
301日本@名無史さん:2001/01/23(火) 04:09
>300
なんだ?こいつ。
国家の定義を一から勉強してこい。(藁
302日本@名無史さん:2001/01/23(火) 04:42
>>299 の「任那は畿内発祥の前方後円墳体制に取り込まれた」てのは、
そのまま日本領になったかどうかとは別でしょう。

しかし、朝鮮半島の一部が、日本の勢力下に置かれた時期があった、
というのは確実であるといえるでしょう。

>>301
ちなみに、任那の時代には少なくとも現在でいうところの国家の概念は
全くなかったと思います。
303日本@名無史さん:2001/01/23(火) 04:49
>302
そうそう。
何かよくわからんUS軍とかほざいたアホに、言ってやってくれ。
304300=302:2001/01/23(火) 05:08
自分で自分に言うのもちょっと恥ずかしいのですが‥。

つまり、現在US軍の基地が日本のあちこちにありますよね。
で、将来なんらかで記録が失われたとして、
US基地の遺跡だけがのちに発見されたとします。

そうすると、日本はその時点でUS領と思われてしまう可能性が大きいね、
ってことです。任那のケースはだいぶちがうけども、遺跡や古墳などからだけでは
実際の支配関係や領有関係まではわからないよ、ということを言っただけです。

で、任那の話から離れて、現在の話についていえば、
他国の軍隊や基地があるっていうのは誤解されやすいし、
他国の目から見れば色々解釈されうるので、
こんな状態は早く解消したいね、っていう純粋な単なる意見です。
305>304:2001/01/23(火) 05:17
>遺跡や古墳などからだけでは
>実際の支配関係や領有関係ま
>ではわからないよ、というこ
>とを言っただけです。

ちみー。。。うそーはいけんよ、
うーそは。新羅と百済は王子を
人質として倭に差し出した、と
複数の文書にかかれてるーのよ。。。

306304:2001/01/23(火) 05:38
日本へ人質をさし出した事実はそんなの常識でしょ。定期的に貢いだこともね。

しかし、このスレのタイトルの日本が領有したかどうかというのは判明していない。
307日本@名無史さん:2001/01/23(火) 09:41
軍事的に進駐したってことでしょ
308日本@名無史さん :2001/01/23(火) 12:49
私は304じゃないが、戦後民主主義を取り入れさせられた日本は
アメリカの属国だよ。いまだアメリカには堂々と逆らえない。
もちろん、終戦時アメリカがやろうと思えば、日本をアメリカ領に
することも出来た。(沖縄のように)だがやらなかっただけだ。
(天皇を処刑することさえアメリカは出来たがやらなかっただけだ)
戦後日本はアメリカ様のお情けで繁栄してきた。
アメリカに感謝。

309日本@名無史さん:2001/01/23(火) 14:29
308は、露助や中共に支配された国を基準に考えているのだろ。
日本は清に割譲させた台湾や、併合した朝鮮を繁栄させたぞ。
アメリカの不必要な都市無差別爆撃や原爆で日本の国土が荒廃したわけで、
大勢が決したところで、そんなバカなことをせずに講和すれば、
日本のインフラもずっと残ったし、貴重な文化遺産も失われずに済んだ。
308はアメリカの世論操作に、まんまと洗脳された厨房決定。
310日本@名無史さん:2001/01/23(火) 14:42
>>304 実際に日本はアメリカの属国です。後世に発掘されて、
US領内の自治領みたいに思われても、当たらずとも遠からず。
311manse:2001/01/23(火) 15:25
>>309

どっちにしろアメリカに占領されていたことでしょうなあ。(straw
312日本@名無史さん:2001/01/23(火) 16:18
なんのスレ?
さすが新井くんだな〜
キミがからむとおもしろいよ。
313日本@名無史さん:2001/01/23(火) 16:19
強大なアメリカあげ
314日本@名無史さん:2001/01/23(火) 16:27
>他国の軍隊や基地があるっていうのは誤解されやすいし、
>他国の目から見れば色々解釈されうるので、
>こんな状態は早く解消したいね、っていう純粋な単なる意見です。

その前に、中共や鮮人をびびらせるだけの国防力を付けないと逆効果。
中共や鮮人の工作員ブサヨクの、日本を丸腰にさせようとするだけの、
欺瞞に満ちた米軍基地反対運動に乗せられては行けない。
315日本@名無史さん:2001/01/24(水) 00:45
姦コックは任那と改名し、日本に臣下の礼を取るべし
316日本@名無史さん:2001/01/24(水) 00:46
姦コックは任那と改名し、日本に臣下の礼を取るべし
317日本@名無史さん:2001/01/24(水) 00:47
姦コックは任那と改名し、日本に臣下の礼を取るべし
318日本@名無史さん:2001/01/24(水) 01:29
巨乳な鈴木あみを再評価あげ!
319日本@名無史さん:2001/01/24(水) 03:49
上げ荒しを早く禁止できるように祈願。

敏達天皇は百済で大井宮というのを構えたよ。
320日本@名無史さん:2001/01/24(水) 19:35
約12000年前以降、朝鮮半島には人の遺跡が途絶えており、
約7000年前に、日本列島から土器文化を携えて朝鮮半島に渡った縄文人は、
朝鮮半島の先住民と言える。
321日本@名無史さん:2001/01/24(水) 19:38
朝鮮人⇒縄文人
常識です。
322日本@名無史さん:2001/01/24(水) 21:01
日本から半島へ渡った縄文人は、朝鮮半島の先住民
323日本昔話:2001/01/24(水) 22:01
弥生時代には、漢人を偽った朝鮮人たちが新しい技術を
携えて日本に降臨しました。
スッカリ騙された倭人たちは、彼らを神と崇めていつまでもいつまでも
畏れ奉ったとさ。  おしまい
324日本@名無史さん:2001/01/24(水) 22:06
頭の悪い鮮人は、漢文化を吸収していないので、役立たずで使い物になりませんでした。
325日本@名無史さん:2001/01/24(水) 23:08
現代の韓人は、国外で倭人だと偽ります
326日本@名無史さん:2001/01/24(水) 23:08
現代の韓人は、国外で倭人だと偽ります

半万年やることは同じのようです
327世界史@名無しさん:2001/01/25(木) 00:30
ニッポンはジャップと改名し、アメリカに臣下の礼を取るべし。
328日本@名無史さん:2001/01/25(木) 06:36
ヤマトの直轄領の任那
329世界@名無史さん:2001/01/25(木) 06:56
神功皇后の先祖は新羅人。
330世界@名無史さん:2001/01/25(木) 07:10
秀吉の朝鮮征伐は、分断国家の統一という偉業の達成が
目的だったんですね。
331縄文人@名無史さん:2001/01/25(木) 09:19
新羅の王族は、丹波の国出身の日本人。
新羅本記にちゃんと書いてある。
332日本@名無史さん:2001/01/25(木) 09:51
>331
それホント?
333日本@名無史さん:2001/01/25(木) 11:37
タバナ国って書いてある。
でも丹波のことだというのは結構流布している説。
韓国の学者でも、山陰北陸に半島系が立てた国の王子が
本国にかえってきて政権奪取したという説をたててる人もいる。

でも史書にはさすがに王様が「倭人」とは書けないよね。
重臣のホゴンは倭人とはっきり書いてるけど。
334日本@名無史さん:2001/01/25(木) 23:14
>333 重臣のホゴンは倭人とはっきり書いてるけど。

新羅の始祖の重臣についての話で、三国史記の記述は以下の通り。
「瓠公はその出身の氏族名を明らかにしていない。瓠公はもともと倭人で、
むかし瓠を腰にさげ、海を渡って来た。それで瓠公と称したのである。」
335日本@名無史さん:2001/01/26(金) 00:23
しかし、これはよく読むと
瓠公の「瓠」がPakakないしPakであるので
その主人にして始祖王である朴赫居世干と
じつは本来は同一人物であったのではないのかという
見方が出来るのである。
336亀井静香ちゃん:2001/01/26(金) 03:40
ウヨの皇国史観ここに極まれり、ダネ。
337日本@名無史さん:2001/01/26(金) 05:10
で、なんだっけ。
任那というものが国名なのか地名なのかそれがどのあたりなのかも
はっきりせず、まして日本がなかった時代に「任那日本府」なんて
ものはあり得ない、というところまではOKなのかな?
338日本@名無史さん:2001/01/26(金) 05:34
任那地方は皇室由来の地と言われている、実際やまと朝廷がこの地を
守ろうと幾度と無く出兵している。
つまり・・・皇室=南古朝鮮人と言うわけ。
339日本@名無史さん:2001/01/26(金) 09:09
昔脱解が丹波から来たという説も、朴赫居世干が倭人ではないかという説も
史料に基づいた学問的な研究のひとつ。
任那地方が皇室由来の地というのは単なる日本書紀の誤読。
「紆余、小夜」のたぐいの一言で片付けようとするのは鞭白雉の輩。

340日本@名無史さん:2001/01/26(金) 11:37
>>337 ほほう。それじゃ北京原人なんて実在しないとでも言うのかね?
341世界@名無史さん:2001/01/26(金) 12:21
>340
こいつアホやで。
342日本@名無史さん:2001/01/26(金) 12:37
>>340
あらあら、北京原人は、日本軍に没収されて行方不明になった(これもあやしい話だ)と
言われる化石以外にはまともな化石が発見されていないので、マジに捏造説ってあるんだけど。
343日本@名無史さん:2001/01/26(金) 14:10
>>342
つまり >>337 は北京原人捏造説と同類ととらえていいわけだね?
344日本@名無史さん:2001/01/26(金) 14:39
「■日本史の中の鮮人■」スレからコピペ
+++
>>そういえば、鮮人が「仮名文字は韓国がルーツ」というのを、最近はめっきり聞かなくなりました。

一時、前方後円墳は韓国がルーツと言う主張もありましたが、
詳細な調査の結果、半島南岸の西端から東端までに分布すること、
時代は古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)のものばかりで、古いものはなく、
結果的にヤマトの任那支配を裏付けるものとなり、墓穴を掘っています。
345新井君U世:2001/01/26(金) 14:47
339>任那地方が皇室由来の地というのは単なる日本書紀の誤読。

またウヨクが勝手な思いこみでオナニーぶっこいてるよ(ワラ
346日本@名無史さん:2001/01/26(金) 19:15
理由もなく笑っておる知性も教養もないひとよ。
きみに出典を示せなどと要求するのは
この上もなく無理で気の毒な注文かな?

だろうなあ…
347日本@名無史さん:2001/01/26(金) 19:22
>>345
おまえのが思い込み。
348日本@名無史さん:2001/01/26(金) 19:29
て言うかサヨの一言煽りにわざわざレスするのやめない?
こいつらは俺らの反応が面白くて煽ってるんだから。
はじめから議論する気の無いやつは放置と言う事で。
349日本@名無史さん:2001/01/27(土) 02:44
畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれた任那
350日本@名無史さん:2001/01/27(土) 12:10
ヤマトの直轄領の任那
351日本@名無史さん:2001/01/27(土) 19:16
結局、はっきりとはわからないのでしょうか。
ここに書いてあることは、バラバラで良くわかりません
352日本@名無史さん:2001/01/27(土) 19:36
結局 >>337 みたいな頭ごなしが間違いだということ以外は
はっきりわからないってことでしょう。
353日本@名無史さん:2001/01/28(日) 10:31
 始祖王、朴赫居世干に対する記述が神話的で曖昧であるのに対し、
倭人の瓠公の記録はひじょうに具体的で、しかも分量も多い。
「瓠公」が「ホコ」とも読めることにも注目。(天日槍)
354縄文人@名無史さん:2001/01/28(日) 10:35
 第四代、脱解尼師今の記述に、
「昔、多婆那国の王が、女国の王女をめとって妻とし、生まれた大卵を不詳な
ことと言い、捨てるように言ったが、妻は忍びず箱に入れて海に流した。
その箱は初め金官加羅国(任那)に着いたが、再び流されて辰韓(後の新羅)
に着いた。その箱を開いて出てきたので脱解と名付けられた。」(要約してます)
 女国で思いつくのは邪馬台国ぐらいだが、邪馬台イコール大和であるなら、
丹波の国はまさに目と鼻の先。
355縄文人@名無史さん:2001/01/28(日) 11:08
 新羅はスサノヲと関係の深い国であるが、「記紀」を良く読んでみると
面白いことが解る。
 スサノヲはアマテラスと高天原の覇権を争い、一旦はアマテラスの殺害に成功
するが、復活したアマテラスに結局は敗れ、高天原を追放されて新羅に降臨するが、
その国が気に入らないと言って出雲に渡ってきている。
つまりスサノヲの移動ルートは、日本→新羅→日本で、早い話が出戻り神なのだ。
(卑弥呼→台与との関連も気になりますね)
356日本@名無史さん:2001/01/28(日) 14:17
約7000年前に縄文人が半島にわたったのと
日本語と朝鮮語は同じ源から分裂したと仮定すると7000年から
1万2000年程度前に分裂した(東大教授言語学服部四郎)。
このことって関連あるのかな?
357日本@名無史さん:2001/01/28(日) 15:09
355>てことは、やっぱり新羅は倭人が作ったてことかな。
  こんなこと韓国人に認めさせるの至難の技だろうけど。
358日本@名無史さん:2001/01/28(日) 16:36
>>356
日本語と朝鮮語は同じ語族。
でももっと広い範囲でみるとモンゴル語なども入る
と聞いたことがある。これらをもし同系語族とすると
縄文人が半島ー>モンゴルは少し苦しくなる。
そもそも縄文人語は日本語に繋がる言葉なの?

359日本@名無史さん:2001/01/28(日) 16:44
日本語は大陸のどこの語族にも属してないんじゃなかったか?
強いてあげるなら南方ポリネシア語族に近いと言う事南から伝わって
日本⇒朝鮮に伝わったんじゃ?
360名無しさん@1周年:2001/01/28(日) 17:02
>>358-359
文法はモンゴルなど北方民族のウラル=アルタイ語に似ている。
音節は太平洋の島々の原住民のオーストロネシア語族に似ている。
361KO:2001/01/28(日) 17:06
359>それは逆でしょう。漢字にしても大陸から伝わってきたわけだし、
”大日本地名辞書”には”上古には、日本と韓国は、同語同言の人民たり。各自にその方俗を異にしたるにせよ、語言の根元においては、理論上まったく同一に帰せられる。この際の異同の論は、もっぱら転訛の程度いかんというにあらん。すなわち転訛の差異が、両国の差異を示すにすぎざりけん。もしそれ、両国ともに古言を保守して、転訛少なき名詞のあるあらば、古今同名というを得ん。されば、本邦古言の考証は、多く韓語によりて資益せらる。”
と日本語は韓国のほうから来ていると書かれています。実際韓国語と日本語は文法がほとんど同じで1年勉強すれば英語を10年勉強するよりうまく話せるようになりますよ。

 
362名無しさん:2001/01/28(日) 17:18
古語での倭は(漢代)、燕の一部も含む、大陸と半島、そしてそれ以東
を差していた。中原から見た場合、その辺りは、蛮族の倭というひとくくりであった。
たいして変わらんよ。
363いい議論ができそうですねー^o^:2001/01/28(日) 17:22
2CHの中の数ある掲示板群の中では比較的マトモな議論が多いな、って思います。
<モチ揚げ足取り厨房様もいらっしゃいますが・・・^^;

355さん>
新羅とスサノオの関連性について気になります。
面白い解釈だと思うのですが、新羅とスサノオがなぜ関連つけられるのでしょうか??
興味あるんで、お時間ありましたらご教示下さいm(_)m
<354さんのスレが関連性あるかな??

任那論>
近年の研究において、下記の説が有力です。
「任那日本府」というのは訓読みで「みまなのやまとのみこともち」となります。
日本=ヤマトはわかるとしても、ミコトモチ=「宰」の意味で、これは臨時執政官って程度
の意味です。だからヤマト朝廷が任那に役人を派遣したって程度のお話と考えるのが妥当か
と思われます。「府」の字を充てたのは、ヤマト朝廷の出先機関、って思わせたがったがた
め(<記紀編集者サイドが)でしょう。ま、大げさに見せたかったってお話(笑)
だから朝廷の役人やら豪族やらが任那に人を派遣しただけ、って程度の話で、領有まではこ
ぎつけなかったと思うのですが・・・?
364日本@名無史さん:2001/01/28(日) 18:42
サヨが沢山いるな、このスレ(ワラワラ
365日本@名無史さん:2001/01/28(日) 18:52
中国と関係の深そうな遺物は出るかも知れないが、朝鮮とは関係が薄いのは、
これまでの古墳の発掘から確実視される。

先ず、前方後円墳は日本独特なもので、巨大な墳墓は、日本以外に
エジプト・中国・メキシコなどにも存在するが、他の地域では墓室は
地平面以下に作られているのに対して、日本の竪穴式石室は頂上近くに作られる
ことも極めてユニークで、日本の独自性を顕著に示すもの。
三種の神宝の内、東アジアでは糸魚川特産のヒスイで作られた勾玉は
縄文時代から続く日本伝統のもの。剣は世界各地にあるもの。
銅鏡は、中国の祭祀を流用したもので、中国の影響が強く見られる。
但し、弥生時代の銅鐸同様に、銅鏡も日本で著しく巨大化している特徴がある。
銅鏡は、日本での出土が非常に多く、朝鮮半島では楽浪郡の漢人の墓では出るが、
土着の墓には殆ど見られず、日本との大きな違いを見せている。

文献では、魏略逸文に、邪馬台国の使者が、呉の太伯の末裔と自称した話がある。
日本書紀では、天孫降臨は南九州であり、黒潮ルートが考えられる。
魏志倭人伝に記された倭人は、南方系の特徴が強い。
これらは、中国南東部の民族との関連を示唆するもの。

366日本@名無史さん:2001/01/28(日) 18:54
どっかの学者は日本の方が古いことについて

「韓国で前方後円墳を考案した技術者が日本にそれを伝え、その後故郷に
帰って前方後円墳を造った。だから起源は韓国なのに日本の方が古いのだ」

と言った事を主張していた。
2世紀もたってから「故郷に帰る」とはさしずめ独立以来アメリカに住ん
でいる一族が「我々の故郷はイギリス」と言うようなものなんだけど非常
識とは思わないのだろうか?

367日本@名無史さん:2001/01/28(日) 19:50
366>どっかの学者は広開土王、三国史記、日本書記をむしして、
倭が半島の植民地だったっていうからな。
368日本@名無史さん:2001/01/29(月) 00:12
任那は畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれたのだから、ヤマトの直轄領と見るべきだな。
縄文時代からヒスイ勾玉は、日本の重要な祭祀品で、朝鮮半島における分布地域は
百済・新羅・任那の旧領に限定され、高句麗の旧領からは殆ど出土しない。
百済や新羅では、武寧王を初めとして王冠にヒスイ勾玉が多く付けられているように、
文献と調和的で、属国だったことを象徴するものでしょう。
任那はヤマトの直轄領、百済と新羅は属国だったと見るのが妥当。
369日本@名無史さん:2001/01/29(月) 08:55
363>
>新羅とスサノオがなぜ関連つけられるのでしょうか??

日本書紀にそう書いてあるからでしょ。
370日本@名無史さん:2001/01/29(月) 08:59
みこと‐もち【宰・司】
(天皇の御言を承(う)け持って政(まつりごと)を行うことの意から)
律令制以前、天皇の命を受けて任地に下り、地方の政務をつかさどった
官人の称。律令制の国司の前身。

1988.国語大辞典(新装版)小学館 1988.
371日本@名無史さん:2001/01/29(月) 09:41
366>
立証不可能な説は説ではなく、単なる妄言です。
無視しましょう。
でもそれ学者がそう言ったの? 何処の国の学者??
372日本@名無史さん:2001/01/29(月) 11:01
無学者だろ
373日本@名無史さん:2001/01/29(月) 11:05
先ず、前方後円墳は日本独特なもので、巨大な墳墓は、日本以外に
エジプト・中国・メキシコなどにも存在するが、他の地域では墓室は
地平面以下に作られているのに対して、日本の竪穴式石室は頂上近くに作られる
ことも極めてユニークで、日本の独自性を顕著に示すもの。

三種の神宝の内、東アジアでは糸魚川特産のヒスイで作られた勾玉は
縄文時代から続く日本伝統のもの。剣は世界各地にあるもの。
銅鏡は、中国の祭祀を流用したもので、中国の影響が強く見られる。
但し、弥生時代の銅鐸同様に、銅鏡も日本で著しく巨大化している特徴がある。
銅鏡は、日本での出土が非常に多く、朝鮮半島では楽浪郡の漢人の墓では出るが、
土着の墓には殆ど見られず、日本との大きな違いを見せている。
374日本@名無史さん:2001/01/29(月) 11:32
 日本人および日本語の起源を考える上に置いて、極めて重要なヒントと
なるのが沖縄地方の存在です。沖縄地方も日本本土と同じく縄文文化圏で
あり、また日本語文化圏であるからです。
 このことから「日本語=弥生語」の可能性はほぼ否定できます。なぜな
ら沖縄地方には弥生時代がないからです。沖縄地方では本土の縄文時代に
あたる貝塚時代と呼ばれる文化が12世紀まで続いています。
375日本@名無史さん:2001/01/29(月) 15:06
>>374
最近では、沖縄の言葉に関する本が、中公新書に入り、
沖縄の古い歴史に関する本が、岩波文庫に入るなど、
質の高い著書が入手しやすくなっており、関心のある人は入手をお勧め
376日本@名無史さん:2001/01/29(月) 16:20
いずれも古典的名著です
外間守善「沖縄の歴史と文化」中公文庫
伊波普猷「古琉球」岩波文庫
377日本@名無史さん:2001/01/30(火) 02:53
>任那って日本領だったんですか? part2
yes
378政治思想板有志 :2001/01/30(火) 03:01
日本史板のみなさま、大変申し訳有りません。
隔離板である政治思想板の一常連として、漏れ出た厨房共が他の板で
傍若無人に暴れ回っている現状に対し、住人を代表してお詫び申し上げます。

政治思想板は事実上のゴミ箱であり、これまではウヨサヨ仲良く不毛にトムと
ジェリーをしていたのですが、最近では上位の板から
やや堅めの内容を持ち込む者が増えており、この風潮を反映して
インテリ気取りのサヨクが支配的となっております。
これに対し旧来のウヨ坊にはアスキーアートのコピペぐらいしか有用な対抗策がな
く、
次第に居場所を追われ、次々に他の板へと流出していったと思われます。
最下層に位置する政治思想板から上位の板への進出には相当な覚悟と能力が必要であ
り、
ここのように進出先の住人とうまくなじめず迷惑をかけてしまう場合も多くあると思
います。
定着できなかった場合は、きっと元のすみかに戻ってくると思いますので、住人の
方々には
大変迷惑だとは思いますが、今しばらく暖かい目で見守っていただければと思いま
す。


379日本@名無史さん:2001/01/30(火) 15:30
半年くらいまでの日本史板はすごく学問的だったんだけど
今は変な朝鮮人と右翼の巣窟になっているみたいだな。
380日本@名無史さん:2001/01/30(火) 19:02
>>374

沖縄人が縄文人の後裔ではなく弥生時代以降の倭人、日本人の後裔とは
考えられないの?
381日本@名無史さん:2001/01/30(火) 20:17
まあええやん。プロ野球だって1億円プレーヤーが
酒飲んで焼きそば食って騒いでる真ん中で
世紀のプレーをしてその歴史を刻んでおるのじゃ
382日本@名無史さん:2001/01/30(火) 21:00
>>39
>>284
>>337
>>363
あたりを支持
383日本@名無史さん:2001/01/30(火) 22:23
380>沖縄の諸言語はおよそ1700年程度の昔、邪馬台国
のころに、南九州からわたっていった人々によってもたらされた
と考えられている。(「新・朝鮮語では万葉集は解読できない」
安本美典著)
日本語と沖縄語はしまい語らしいね。
384名無しさん:2001/01/30(火) 22:31
古代には日本は朝鮮半島を300年間支配したようだ.
古代高句麗の碑に書いてあるし,日本書記にも書いてある.
日本人は混血しないから,現地朝鮮人とは混ざらなかっただろう.
当時の朝鮮人は,今の韓国人とも違うのだろうか.

当時の韓国南部は,中世英国に支配されていた,現フランスのブルターニュのような
ものか。キャメロットのような話はないが。
385日本@名無史さん:2001/01/31(水) 07:13
>384
そうです、当時の半島は多くの民族にわかれており、
現在の韓国人とは異なる民族です。
386日本@名無史さん :2001/01/31(水) 07:31
全く異なるということはありえない。
民族同士の混血もあって今があるといえる。
なお、人種的に見たら、日本人も朝鮮人も、南方系、北方系
中央アジア系の混合種であるという点で大差はない。
387日本@名無史さん:2001/01/31(水) 12:59
>>380
>>383
沖縄は今から4000年ほど前から文化に独自性を持ち始め、それ以降一貫して
連続した独自文化を築き続けていったようです。
もしそれ以後に、言語がまるごと入れ替わるほどの大規模な移住があったと
したら、それまで築き上げてきた文化の独自性は、いったん失われてしまう
のでは?
私のもっている安っぽい本には、そんなことのってないけど・・・
388日本@名無史さん:2001/01/31(水) 17:57
>387
それは違う。沖縄島は、縄文時代前期から弥生時代頃までは、本土の土器と並行している。
沖縄の方言には、奈良時代の都の方言で、現在の本土で廃れているものが結構残っている。
言語年代学の見積もりだと、1500年程度の数字が考えられている。
389日本@名無史さん:2001/01/31(水) 18:15
奈良時代まで半島と日本(特に九州)は同一言語圏だと
言う見方は出来ないの?
390日本@名無史さん:2001/01/31(水) 19:57
できないね
391日本@名無史さん:2001/01/31(水) 20:01
根拠は?
392日本@名無史さん:2001/01/31(水) 20:30
あたりめぇだろう。
あんた万葉を朝鮮語で読むクチか?
393日本@名無史さん:2001/01/31(水) 20:36
>392
おいおい、当時の朝鮮語は、今のとは別だぜ。
そもそも当時の半島には複数民族と複数言語があった。

半島南部では日本語が通じる領域もあっただろうとは推定される。
他の物的な勢力圏の証拠より。それ以外にはわからないのが現状。
394日本@名無史さん:2001/01/31(水) 20:36
ようは方言として半島南岸の言葉と日本語は古代において
同一だったんじゃないのって聞いてるの。
395日本@名無史さん:2001/01/31(水) 20:37
はあ。でも当時の朝鮮の言語は今の朝鮮語とも違うだろ。
396日本@名無史さん:2001/01/31(水) 20:38
かぶった…
397394:2001/01/31(水) 20:38
392>根拠を示してね。
398日本@名無史さん:2001/01/31(水) 21:08

   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜       /
  川川‖    3  ヽ〜     < ボクはバカ、ブサヨク、ヒキコモリの三重苦!助けて〜
  川川   ∴)д(∴)〜       \________________
  川川      〜 /〜
  川川‖ ブタ 〜 /‖
 川川川川___/‖
   /       \__
  /|  |   サ   __
  | |  |    ヨ
  / |  |_ 童貞
 | \__⊃ 租 珍

   
399日本@名無史さん:2001/01/31(水) 21:21
おまえら本気で奈良時代の九州と半島が同じ言語とか思ってるわけ?
奈良時代って、半島は新羅だぜ。
地名の意味とか役職の名前とかみんな日本語でわかるわけ?
それとも九州の地名や人名があっちの言葉で解けるわけ?
「根拠は?」ってひとに聞くけど
そっちの根拠はなんなのさ?
400日本@名無史さん:2001/01/31(水) 21:26
>>399
奈良時代はさすがに違うだろう。
しかし白村江の頃まではどうか?
>>393のような状況であったと思われる。
401日本@名無史さん:2001/01/31(水) 21:59
伽耶に独立国が存続している頃ならいざ知らず
白村江の頃は無理だろう。
もう新羅に同化済み。
402日本@名無史さん:2001/01/31(水) 22:18
少なくとも弥生時代ぐらいまでは同一語圏だったんでしょ?
風俗なんかが似ていたようだし半島南部と九州。
403日本@名無史さん:2001/01/31(水) 22:27
隼人の名前と畿内の土蜘蛛の名前
それに半島南部の伽耶系統の人名
似ている気がしないか?
404世界@名無史さん:2001/01/31(水) 22:35
やっぱ、何らかのかたちで繋がってたんだろうな
半島と日本が分離したのはヤマト政権が樹立された頃か。
405日本@名無史さん:2001/01/31(水) 22:58
魏志倭人伝の国名と韓伝の国名の比較で
当時の言語の違いが判るらしい。
406日本@名無史さん:2001/02/01(木) 00:45
>>367
激爆^^
あの某北×鮮の学者さんだけあってステキな説をお流しになる(笑)

>>400〜404
俺もそんな気がします。詳しい確証は挙げられないですが。
奈良時代の九州・任那同一言語論は厳しいと思うけど、6世紀初頭までならそれもあり得ない話でもないと思います。
407日本@名無史さん:2001/02/01(木) 01:08
済州島でトルハルバンと呼ばれる西郷隆盛そっくりの石像がたくさん出ていて
明かに朝鮮民族でも「大和」民族でもないかんじ。
倭人とも韓人とも違う「原」九州人が玄界灘を跨いで
住んでいたんではなかろうか?
408日本@名無史さん:2001/02/01(木) 01:19
>>406 北朝鮮の学者だって「学者」はまじめだ。
積石塚を前方後円墳と言ったのは
似たような形を形容する学術用語があったから
借用しただけだとちゃんと話している。
409日本@名無史さん:2001/02/01(木) 07:38
>>407
済州島には、おもしろい伝承があったよね。
410日本@名無史さん:2001/02/01(木) 08:34
>>409

済州島人は半分倭人の子孫。
411日本@名無史さん:2001/02/01(木) 08:38
半島南部と日本の同一語説だけど厳しいんじゃないのかな?
魏志では倭人と韓の言語を別のもののように記述しているし、
記紀でも半島の人間は韓語を話すとかかれている。
バイリンガルはいただろうが。
412日本@名無史さん:2001/02/01(木) 16:39
パート1は面白かったのに2は変な朝鮮人が出てきて台無しだったみたいだね。
パート1はなぜつぶれたの?あそこでは至極まともに結論が出てたはず。
413日本@名無史さん:2001/02/01(木) 16:44
そういや戦後、韓国軍が済州島民を虐殺した
事件があったな、いつだったか忘れたけど。
414日本@名無史さん:2001/02/01(木) 21:23
済州島は魏志倭人伝では、韓とは異民族との記述があります。
百済滅亡後は一時的に独立して、日本に朝貢していました。(日本書紀)
415日本@名無史さん:2001/02/01(木) 21:31
当時済州島は何語を喋ってたんだろ、やっぱり朝鮮語か。
416日本@名無史さん:2001/02/01(木) 22:01
このスレは
「朝鮮人低質化?そんなん前からや!」
に変更されました
417日本@名無史さん:2001/02/01(木) 22:53
○台湾を初めて領有した中国王朝の名として最も適当なものを、
次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。

  (1)漢 (2)唐 (3)元 (4)清

明代に、沖縄の中山国王が入貢し「琉球」と称したので、
明は沖縄を「大琉球」、台湾を「小琉球」と区別した。
台湾はオランダの東インド会社に支配されていた。
明朝の回復をはかろうとした鄭成功が台湾に上陸しオランダ人を追放した。
しかし、鄭氏の台湾支配は22年間で終わり、1883年に清の支配下に入った。

  正解は(4)
418日本@名無史さん:2001/02/02(金) 15:57
>415
魏志東夷伝に見える、済州島の記述は以下の通りです。
「州胡が馬韓の西海中の大島上にある。やや小柄で、言語は韓と同じではなく、
皆が鮮卑のように頭を剃り、衣服は皮韋で、牛や豬を養うのを好む。
その衣は上だけで下が無く、裸のようなもの。船に乗って往来し、韓中で交易する。」
原文「又有州胡在馬韓之西海中大島上。其人差短小、言語不與韓同、皆髪頭如鮮卑、
但衣韋、好養牛及豬。其衣有上無下、略如裸勢。乗船往来、市買韓中。 」
419日本@名無史さん:2001/02/02(金) 16:26
倭人とも違うみたいですね。朝鮮半島の先住民かな。
420日本@名無史さん:2001/02/02(金) 20:12
司馬遼の街道を行く(朝鮮の奴)でカヤ地方の住民は韓民族ではないと
いう逸話が代々つたわっていたらしい、ことが書いてあった。
421名無しさん:2001/02/02(金) 20:25
朝鮮の古代史の記録がないというが,それは当時は,今の韓国人とは
別の民族が朝鮮半島にいたということにならないだろうか。
422日本@名無史さん:2001/02/03(土) 08:26
倭人が百済滅亡以前はたくさん朝鮮半島にいたのは事実だね。
423日本@名無史さん:2001/02/05(月) 00:23
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)に、前方後円墳体制に組み込まれた任那
424名無しさん脚:2001/02/05(月) 01:26
>422
チョウセン半島南部と北九州の倭人が
畿内征服したのだよ。
425日本@名無史さん:2001/02/05(月) 01:38
電波発言は、根拠の提示がないのが特徴だな(藁 >>424
426日本@名無史さん:2001/02/05(月) 01:41
>425
妄想を根拠とは言わない。
427406:2001/02/05(月) 12:35
>>408
北朝鮮の学者全部がバカみたいな言い草ですね。失礼した。
僕が指したのは1969年に金錫亨氏が記した「古代朝鮮民族の由来」のことのみを指して申し上げました。
この本は、古来、新羅・百済・高句麗・加耶の4国が倭を支配したんだ!!とほざくトンデモ本。
根拠に無理があって学会では相当叩かれたらしいです。

ただ、この説が契機となり、これまで不動の定説とされていた
「日本が任那を領有し、百済・新羅も支配下に置いていた」
との考えが見直された模様。そういう意味では任那研究の大きなターニングポイントとして意義は高い本だと思います。

・・・でもやっぱりトンデモ(笑)

>>422
もしも〜〜し、理由をおせ〜〜て(爆)
428日本@名無史さん:2001/02/05(月) 13:35
422じゃないけど、日本書紀に引用された百済三史書によると、
百済に日本人名の武将が多く記されているのを指しているのでしょう。

以前に、百済・武寧王の墓が発掘されたけど、この王は日本書紀によると、
両親が倭国に人質となって、九州の離島で生まれたから斯麻王としており、
王の薨去年月が書かれていますが、王名・薨去年月は墓碑と完全に一致しており、
信憑性を裏付けました。
出土品としては、木棺が日本特産のコウヤマキであること、王冠に糸魚川特産の
ヒスイ製勾玉が多数付いていたように、ヤマトとの関わりの強さを示しました。
429歴史は常に書き換えられる:2001/02/05(月) 16:52

蘇我氏は実は百済王族の末裔。百済とは親密な関係維持。
天子(天皇)系は加羅(新羅)王族の末裔。加羅と対立。
蘇我氏と天子系の利害が一致し百済と新羅の間の任那支持。
任那<--筑紫--&gt;大和ラインと日本海ライン(出雲)の対立。
藤原氏(藤原不比等)が歴史を書き換えた今となっては幻。

430いちご姫:2001/02/06(火) 00:26
>392
 万葉集を現代コリア語でよむのと、千数百年前に日韓が同一語だったのとは、議論が異なるでしょう。
古代のコリア語がどのようなものだったかは、今となってはほとんどわからない上に、現代コリア語の祖とされる新羅語から百済語は大幅に異なっていたらしいこと、及び、日本書紀に百済人との間には通訳を設けないが新羅使節との間には設けた、との記述からして、可能性はあると思います。(あくまで、可能性、のレヴェル。)
それに、中世済洲島語復元の権威(らしい)キム氏も、それと古代日本語との近さを主張していました。済洲島は百済の南方ですから、それも補助資料になると思います。
431いちご姫:2001/02/06(火) 00:27
>392
 万葉集を現代コリア語でよむのと、千数百年前に日韓が同一語だったのとは、議論が異なるでしょう。
古代のコリア語がどのようなものだったかは、今となってはほとんどわからない上に、現代コリア語の祖とされる新羅語から百済語は大幅に異なっていたらしいこと、及び、日本書紀に百済人との間には通訳を設けないが新羅使節との間には設けた、との記述からして、可能性はあると思います。(あくまで、可能性、のレヴェル。)
それに、中世済洲島語復元の権威(らしい)キム氏も、それと古代日本語との近さを主張していました。済洲島は百済の南方ですから、それも補助資料になると思います。
432日本@名無史さん:2001/02/06(火) 00:35
無能な倭人が朝鮮半島に沢山いるはずないじゃないか。
あんまり適当なこと言うと朝鮮人に怒られるゾ!!
433日本@名無史さん:2001/02/06(火) 02:02
根拠の提示がないブサヨク鮮人の電波は止むことなし(藁
434日本@名無史さん:2001/02/06(火) 02:05
岡田英弘「倭国」(中公新書)のまえがき
「南北共に新しい民族のアイデンティティを求めるあまり、中国に対しては半島が受けた影響を無視し、
日本に対しては半島が与えた影響を誇張する傾向が強く現れる。これは心情的なバランスを
回復しようとする無意識の努力なのだが、わが国では戦後に朝鮮史研究が急速に衰微したために、
こうした半島の人々の民族主義的な主張を無批判に受け売りする事が流行した。」
435日本@名無史さん:2001/02/06(火) 02:51
同じコピペばかり貼り付けるウヨは自分で反論できないもんだから
学者の引用ばかりするただの引用君です。実際はかなり頭が悪い。
ただ天皇陛下マンセーと叫んでいたら頭が良くなった気がしてるのです
436日本@名無史さん:2001/02/06(火) 07:41
反論できないブサヨク鮮人435は、ブー垂れているだけなのが笑える
これまでの議論で、任那はヤマトの直轄領で、百済・新羅はヤマトの属国だったのは明らかだな
437日本@名無史さん:2001/02/06(火) 10:41
朝鮮学校の人、悔しいのはわかりますが最低限論拠は示しましょう。
論拠さえあれば議論になるのですから。
438日本@名無史さん:2001/02/06(火) 16:21
>436 高句麗もまたヤマトの属国だった時期があるよ。
    まあ800年も続いた国だから一貫はしてないけど
    大雑把にいうと「朝貢→敵対→同盟→また朝貢」という流れかな。
439日本@名無史さん:2001/02/06(火) 18:03
>>438
それは、違うんじゃないの。
日本書紀にも、ヤマトの軍事力が強大だった応神紀の中に、
高句麗からの親書が傲慢だとして、皇太子が怒っている記事があるし、
宋書倭国伝でも、高句麗は敵対する相手としており、百済・新羅・任那と違って、
諸軍事は要求していない。
高句麗が隋に攻められて以降は、ヤマトに金を献上したりと、下手に出ているようだけど、
隋書倭国伝には、新羅・百済は、倭は大国であり、敬仰して通使・往来すると書かれている一方、
高句麗については何も書かれていないし、文献的には属国ではなかったと考えるのが妥当でしょう。

一方、考古資料でも、任那には古墳時代中期〜後期の前方後円墳が分布するし、
百済・新羅の王冠には、日本古来からの祭祀のシンボルであるヒスイ勾玉を多数付けている一方、
高句麗の故地では、勾玉の出土はほとんどないように、その解釈は違うと思う。
440日本@名無史さん:2001/02/06(火) 19:09
>>431
「現代コリア語の祖とされる新羅語から百済語は大幅に異なっていたら
しいこと、及び、日本書紀に百済人との間には通訳を設けないが新羅使
節との間には設けた、との記述」
これって、どの文献に記述されてるの?
441日本@名無史さん:2001/02/06(火) 19:38
440>百済語と古代日本語は通用しません。これは常識です。
442日本@名無史さん:2001/02/06(火) 20:13
いや、そういう意味じゃなくて当時の倭人がバイリンガルだった
てことでしょ、それに当時の日本には百済系渡来人が沢山いた訳だし。
わざわざ通訳を介す必要が無かった。
443日本@名無史さん:2001/02/06(火) 20:25
百済とは逆に、続日本紀には、新羅語を話せる人が少ないから、通訳を育成した記事があり、
新羅からの帰化人が少ないことは、新撰姓氏録のみならず、ここでも分かります。
444日本@名無史さん:2001/02/06(火) 20:29
日本に羽ばたく朝鮮人
445日本@名無史さん:2001/02/06(火) 20:31
鮮人は、根拠の提示なしに主張だけを垂れ流すから、恥ずかしい
446日本@名無史さん:2001/02/06(火) 20:38
お決まりの文句しか言えないの?もう飽きちゃったよ。

もう少しアタマを使おうね(はーと
447日本@名無史さん:2001/02/06(火) 21:23
あのですな、新羅と倭国との国交は古くて、
文書によらず口頭でのやりとりが伝統的儀式として確立しており、
ゆえに通訳の存在が重要になるのです。
これに対して百済との国交は大陸式で、文書交換が主。
これは漢文ができれば事足りる。
もっともこの時代には新羅人も百済人も国内にたくさんいたわけで、
続日本紀の時代はまた事情がちがいまんがな。
448日本@名無史さん:2001/02/07(水) 01:17
>日本書紀にも、ヤマトの軍事力が強大だった応神紀の中に、
>高句麗からの親書が傲慢だとして、皇太子が怒っている記事があるし、

だからその日本書紀の記事が「高麗王遣使朝貢…」ではじまってる。

>宋書倭国伝でも、高句麗は敵対する相手としており、百済・新羅・任那と違って、
>諸軍事は要求していない。

だから敵対していた時期もあるっていってんでしょうが。

>高句麗が隋に攻められて以降は、ヤマトに金を献上したりと、下手に出ているようだけど、

おおすじにおいて広開土王が死んで以降は友好関係だった。

>隋書倭国伝には、新羅・百済は、倭は大国であり、敬仰して通使・往来すると書かれている一方、

それは親疎の差があったということで、別に決定的なことじゃない。

>高句麗については何も書かれていないし、文献的には属国ではなかったと考えるのが妥当でしょう。

だから、いろいろな時期があったといっている。

>一方、考古資料でも、(以下略)

文字資料がでない限り、そんな話は別問題だろう。
文化圏の話しは長期の政治勢力の範囲をある程度は反映するかも知れないが
合従連衡集合離散する国際外交に直接になにかいえる性質のものではない。
449世界@名無史さん:2001/02/07(水) 06:42
言ってることずいぶん矛盾してるな(呆
450日本@名無史さん:2001/02/07(水) 06:52
ホウ! ウヨクな皆さんはオナニーでもしてな! ホウ!
451日本@名無史さん:2001/02/07(水) 06:54

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     λ
    /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |   愛の形よ。
    \______________


 
452日本@名無史さん:2001/02/07(水) 07:35
朝鮮総連の連中は、歴史捏造工作が不調だから逆上しているな。
論拠に基づく反論も出来ずに、ブー垂れるだけなのが、超恥ずかしい。
これまでの議論で示されているように、
任那はヤマトの直轄領、百済と新羅はヤマトの属国だったのは確実。
453日本@名無史さん:2001/02/07(水) 07:48
ダレモソンナコトキイテナイヨ、ウヨチャン
454日本@名無史さん:2001/02/07(水) 08:20
            \  )
        ___ )/       |
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    ゝ    (|   |   ̄  〉 ∩/          |
     \ヽ  .||   | "   ( ̄ ̄/           |
       w 从|l |ll ハ   /~ ̄フ⊃           |
      ヽ/  ||  / ̄ ̄  /〜|           /
    /  \ ̄||‐ l |    /\_/         /
    /     \゛= | |    /  /|         /
     λ
    /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |   クセになりそう!!
    \______________


455日本@名無史さん:2001/02/07(水) 10:34
ブサヨク鮮人は、歴史捏造工作が破綻し、反論も出来なくなって、
やることがバカ丸出しで恥ずかしいぞ。
任那はヤマトの直轄領、百済と新羅はヤマトの属国だった事実を
認めれば、済むだけのことじゃないか。
456>455:2001/02/07(水) 10:40
朝鮮総連の馬鹿工作員Mが国際情勢版の拉致事件
糾弾掲示板で暴れています。やつのへ理屈を読む
と飯がまずくなります。しかも大変しつこい。
457日本@名無史さん:2001/02/08(木) 01:32
前方後円墳体制に組み込まれた任那
458日本@名無史さん:2001/02/08(木) 14:45
あれてるなあ、もう。荒らしはやめてよね。

ところで448はどっちの立場なのかな?
459日本@名無史さん:2001/02/09(金) 00:16
これまでの議論で明らかなように、
任那はヤマトの直轄領で、百済と新羅はヤマトの属国ってこと。
460日本@名無史さん:2001/02/09(金) 06:17
じゃあ属国の新羅に負けたヤマトって、究極のヘタレなのか?
なんで直轄領を属国が攻撃できるんだ?

電波出さなくっていいから、わかるように説明してくれ。
461日本@名無史さん:2001/02/09(金) 06:31
結局、任那って最後はどうなったんだ?
462日本@名無史さん:2001/02/09(金) 08:01
>>460
余り低レベルなことを言わずに、日本書紀や中国史書とかを読んで見ろ。
先ずは、高句麗が強勢となり、百済が壊滅状態になったことは、
倭王武(=ワカタケル大王=雄略天皇)の宋への上表文などにも見える。
5世紀後半になって、日本国内では畿内と吉備の権力闘争が盛んで、
日本書紀の記述と古墳の規模の消長が調和的で、吉備の敗北に終わったことは明らか。
その後は、畿内での権力闘争が盛んで、海外への派兵も次第に困難になり、
任那の西部を百済に割譲し、東部は新羅に取られたってこと。
しかし、その後も、聖徳太子などが半島へ出兵させ、影響力は維持している。
隋書倭国伝に、新羅・百済は、倭国は大国であって、珍物が多く、敬仰して通使・往来すると書かれている。
463日本@名無史さん:2001/02/09(金) 08:21
>>462

結果的に新羅に獲られてるじゃん。(ナンノコッチャ
その後も出兵したというけど、どこへ行って、何をしたんだ?
影響力どうのこうの言う割には、防人を置いて、中国・朝鮮にビビリ
まくっていたようだけど?
464日本@名無史さん:2001/02/09(金) 08:37
いや、新羅が実力で取ったわけじゃないと言いたいんだろう
まあ白村江で大敗したのは事実ですね、
そのあとの大倭国は惨憺たるありさまですね、新羅より格下扱いですし
465日本@名無史さん:2001/02/09(金) 08:40
その新羅も倭人が作ったとか、、、、本当なのか?
466日本@名無史さん:2001/02/09(金) 08:55
支配/被支配の関係にあった国が、時代の趨勢で逆転するなんて例、いくらでもあるよ。
ありすぎて具体例にどれを書いたらいいものか迷うくらいだ(笑)。
467日本@名無史さん:2001/02/09(金) 10:47
だから何でもアリか?空想で言い放題か?気楽なもんだな。
468日本@名無史さん:2001/02/09(金) 11:16
ブサヨク鮮人は、例によって文献無視で、妄想に耽っているな。
唐は、中国お得意の近攻遠交策で、新羅を手下にしただけで、
高句麗が滅ぼされた後は、新羅は唐と国境を接するようになり、
両者間で戦争になり、びびりまくって、新羅は頻繁に日本に朝貢した。
その一方で、日本は高句麗滅亡の翌年以降は、唐との外交を完全に絶った。
これは、唐書・日本書紀で確認できることである。

ようやく、大宝律令を制定した後で、唐に日本への国号を改名を通告する使いを出したが、
日本の使いが尊大であったと唐書に記されている。その後も、日本の年号を記した布を提出したり、
聖徳太子以来の方針を貫き、唐に冊封されず、属国とならなかった。
新羅は唐の属国となって、地名・人名など全て中国風に変えるなど、
事大主義に陥ったのに対して、庶民は無知蒙昧なままに捨てられていたが、
日本では天皇から庶民まで4500首以上に及ぶ万葉集などが作られ、
国字であるかなが早期に確立し、平安女流文学など、国風文化も並行して
発展していたこととか、無知蒙昧な鮮人とは大きく違う歴史を歩んだ。
469日本@名無史さん:2001/02/09(金) 12:48
ううむ、蔑視的用語が出てきて表現はかなり悪いが、
内容的には事実だな。

できれば蔑視的表現なければなおよいのだが。
470日本@名無史さん:2001/02/09(金) 14:23
「属国」っていう言葉がな・・・
日本と新羅の場合は、「不平等な外交関係」程度でしょう。
それも一時期。
471日本@名無史さん:2001/02/09(金) 14:25
ポーランドはソ連の属国だったとか、
いまでも日本はアメリカの属国だというのなら分かる。
472日本@名無史さん:2001/02/09(金) 19:13
まあようするに、朝鮮が日本の盾となり犠牲になってくれたから
日本が生き延びれたと言うことだな。
朝鮮に感謝しなくちゃ
473日本@名無史さん:2001/02/09(金) 19:33
>>472
全くその逆だな。
田舎者で文化の遅れた新羅が大国の唐を引き込んだから、日本が朝鮮半島の権益を失った。
高麗がモンゴルの手先となって、日本に攻めてきたように、鮮人を監視していないと
日本の国防上、非常にまずいことになる。
日清戦争後に、属国根性の朝鮮の自覚を促そうと、清から独立させたが、
ロシアに近づき、日本に存亡の危機を感じさせた。
戦後も、無知蒙昧な鮮人が、日本に不法入国を繰り返し、犯罪を多数起こしており、
日本社会の癌となっている。
台湾人は、日本植民地時代を是々非々で評価しているのに、ひがみ鮮人は
歴史捏造を繰り返し、電波な連中を量産しており、レベルが低すぎて有害である。
474日本@名無史さん:2001/02/10(土) 04:40
>>468

「庶民は無知蒙昧なままに捨てられていたが、
日本では天皇から庶民まで4500首以上に及ぶ万葉集などが作られ、
国字であるかなが早期に確立し、平安女流文学など、国風文化も並行して
発展していたこととか、無知蒙昧な鮮人とは大きく違う歴史を歩んだ。」

よく言うぜ。
庶民が読み書きできるようになったのは、明治以降の事じゃねえか。
万葉集に載ってる庶民が呼んだ句(かまどの火がナントカカントカ…って奴だろ?)は、
作者不明で判るとおり、伝え聞いた句なんだよ。
君の日本バンザイ論は、ゴッドハンド藤村以下だね。(プ
475468じゃないが:2001/02/10(土) 04:47
>>474 なんか感情的に誤読してないか?
>>468には、「庶民が読み書きしていた」とは書かれていないぞ。
476日本@名無史さん:2001/02/10(土) 04:49
>>474
日本バンザイ論とゴッドハンド藤村を関係付ける理由は?
朝鮮のマスコミは関連付けてたけどね。
477日本@名無史さん:2001/02/10(土) 05:27
>>474
>庶民が読み書きできるようになったのは、明治以降の事じゃねえか。

この部分、ちょっと引っかかる。
もし474氏が日本史好きであるなら、少なくとも「明治以降」とは書かないはず。
まぁ、スレのお題から逸れてるから、深くはつっこまないけどね。。。
478日本@名無史さん:2001/02/10(土) 05:53
江戸時代には寺子屋があったとさ。。。 ちゃんちゃん
479日本@名無史さん:2001/02/10(土) 06:05
江戸時代には大衆文学もあったとさ・・・
480日本@名無史さん:2001/02/10(土) 06:47
474は頭の悪い鮮人か。日本の庶民は昔から識字率が高かったぞ。

日本の識字率について、網野善彦『日本論の視座』(小学館ライブラリー)
「第五章 日本の文字社会の特質」に、以下のような記述があります。

国内資料については、網野さんは“平仮名交りの文書は鎌倉期まででも、
われわれの想像を大きく上回る量に達することは間違いないところであり、
文字の普及もさきにふれた通り、十三世紀後半には、侍の下層はもとより、
平民百姓の上層まで、すでに及びつつあったと見てよかろう。そして、
南北朝から室町期にかけて、それが爆発的といってもよいほどの増加、
普及を見せることは、前述した太良荘、新見荘の関係文書によっても、
おおよそ推測できる。”と述べています。

幕末維新の外国人の記述については、
“1874年(明治7)から翌年まで日本に滞在したレフ・イリイッチ・メーチニコフは、
その回想記で日本語の複雑さについて興味深いさまざまな指摘をしているが、
とくに識字率の高さに注目し、それが「ロシアや西欧のラテン系諸国」に比べて
きわめて高いと見ており、人力車の車夫、馬の口取りの別当、茶屋の召使いの娘などが、
「例外なく何冊もの手垢にまみれた本を持っており、暇さえあればそれをむさぼり
読んでいた」と驚異の目をみはっている。”と紹介しています。
481日本@名無史さん:2001/02/10(土) 06:48
次に朝鮮からの公式使節の記述を紹介します。

1443年に室町幕府を訪れた、自らも訓民正音の制定に関わった
申叔舟の『海東諸国紀』(岩波文庫)には、日本の国俗として、
“男女と無く皆其の国字を習う。国字は加多干那と号す。凡そ四十七文字なり。
唯僧徒は経書を読み漢字を知る。”と報告しています。

江戸時代では、将軍吉宗の1719年に来日した、申維翰『海游録』(東洋文庫)には、
大坂の出版状況に驚きを示しています。
“そのなかに書林や書屋があり、膀をかかげて、曰く柳枝軒、玉樹堂などなど。
古今百家の文籍を蓄え、またそれを復刻して販売し、貨に転じてこれを蓄える。
中国の書、我が朝の諸賢の撰集も、あらざるはない。”と、出版が経済的に成り立って
いることも記し、“大坂の書籍の盛んなること、じつに天下の壮観である。”
と表しています。
付篇の『日本聞見雑録』には、“国内の書籍は、我が国から往ったものが
百をもって数え、南京から海商たちが持って来るものが千をもって数える。
古今の異書、百家の文集にして書肆で刊行されたものは、我が国に比べて
十倍どころではない。”と、日本の出版文化の圧倒的な拡がりを記載しています。
482日本@名無史さん:2001/02/10(土) 06:58
また、慶応年間の1865年に日本を訪れた、後にトロイの発掘で有名になるシュリーマンは、
一般女性も読み書きが出来るという教養の高さでは、世界に類例がないと記しています。
講談社学術文庫にあるから、興味のある人は読むとよい。

474のような、江戸時代の町人文化の高さを知らない日本人なんて、
ちょっと想像がつかないな。朝鮮学校で捏造された電波な歴史を習ったのか。
483日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:17
>>480-482
折角資料も提示してまともな話をされているのですから、
“鮮人”というのは止めていただきたかったですね。惜しい。
484日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:23
江戸時代から国民全員が字が読めたのか。
ふ〜ん、じゃあ探せば水呑百姓らが書いた「農業日誌」とか「手紙」
とかも出てくるのかな?
元禄文化とか、ああいうありきたりな物じゃなくって、最下層の庶民
のくらしを知ってみたいな。
485日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:23
“鮮人”が不適切な表現かどうかは別のスレッドを立てて議論すべきだ。
486日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:28
>>483

ごもっともです。
折角良い文章書いても、やれ鮮人とかナンだって
言ってたら、知性を疑ってしまいますよ。
やっぱり2ちゃんで理性を求めるのは無理なのですかね?
487日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:33
484は、江戸時代に数多くの農書が書かれたことも知らないようだな。
480で紹介した、網野善彦『日本論の視座』(小学館ライブラリー)
「第五章 日本の文字社会の特質」を読め。

ともあれ、日本の室町時代まで国字すらなかった、無知蒙昧な鮮人とは、
日本人は大違いだったから、明治維新にも成功したって事。
「シュリーマン旅行記清国・日本」講談社学術文庫 1325 とかも読め。
朝鮮学校の電波な教科書を読んでいたのじゃ、実態はわからないぞ。
488日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:53
>>486
481は、いつものコピペだよ
それにしても低レベルな応酬だな
新井くんも自分と同程度のアホをみつけると急に元気になるし(w
489日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:56
>>483の「網野さんは」にはワラタ
正しい新井用語では「網野じいさんは」だろ(w
490日本@名無史さん:2001/02/10(土) 15:23
>474から後半は話しがずれてる。

スレッドのタイトルにもどろう。
491日本@名無史さん:2001/02/10(土) 18:24
任那は、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)に、畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれた。
492日本@名無史さん:2001/02/10(土) 18:26
488=489のブサヨク鮮人は、何ら反論も出来ずにブー垂れるだけなのがバカ丸出し
493日本@名無史さん:2001/02/10(土) 18:45
任那を取り返して半島の文化と経済を復興してはどうか
494古代日本史は、実は古代朝鮮史! :2001/02/11(日) 01:28

>>429 は誤っている。

蘇我氏が百済王族の末裔というのは学会の通説になりつつあり、
神事を司る天子(天皇)系が加羅王族の末裔というのも有力説だが、
加羅は南朝鮮の国で、後に任那となるところ。ここを誤解しておる。
即ち、任那日本府とは、大和に(逃れて)定住した加羅王族と親派が
聖地奪還、じゃない、南朝鮮奪還の抵抗をした、ということなのだ。
いずれにせよ、教科書で教える氏姓制度(大和時代)は、実際には
朝鮮王族の末裔たちによる派遣争いそのものであった訳で、最終的に
やはり朝鮮王族の末裔であった物部氏に勝った蘇我氏と、もともと
争いをしない天子系(神事を司るから)が6世紀に勝ち残ったのだ。
そして、大化の改新、壬神の乱を経て、藤原不比等の登場となる。
彼の影響下のもと、紀記が編纂され、国記などが失われてしまった。
歴史を書き換えた藤原氏がその後の平安の世を治めることとなるが、
この藤原氏の起源が謎。一説には中国大陸系王族という話もある。
結論であるが、古代日本史は、実は古代朝鮮史なのである。
遣唐使廃止以降に「日本」が形作られたのだ。
因に、何故遣唐使を廃止したか、それは新生日本による朝鮮・中国との決別。
最後に何故遣唐使と朝鮮が関係するのかについて。
日本から中国に行く場合、直接中国に行かず、先ず朝鮮に寄り情報収集する。
この正史、日本と朝鮮の本当の関係も書き換えられている。
日本と朝鮮は実は兄弟で、どちらが兄かは明白。
正しい歴史を語るのは、いつの時代にも難しい...

495日本@名無史さん:2001/02/11(日) 06:33

>>494は誤っている。

古代日本史は、実は古代朝鮮史!なんて言い草は借地史観であり典型的とんでも古代史。
書いてる中身も一部除き、ほとんどとるに足らず。

一例
「蘇我氏が百済王族の末裔というのは学会の通説になりつつあり」なんていうのは
ずいぶんひどい歪曲だな。昔はそういう説もあったってぐらいだよ。
496日本@名無史さん:2001/02/11(日) 07:08
>>495ずいぶんひどい歪曲だな。昔はそういう説もあったってぐらいだよ

    え! ちがうの?
497日本@名無史さん:2001/02/11(日) 07:42
っていうか、蘇我氏が百済「王族」の末裔なんて説、あったっけ?
百済木氏説はあるけど。
498>494:2001/02/11(日) 07:54
 494はなんの根拠も無いけど、韓国では真実として
通用しているアホ史観。もし遺跡や子古文書をもとに
歴史を見ると、朝鮮が日本の子分だったことがはっきり
わかってしまうので、韓国人は徹底的に無視する。しかし
自分に都合がいい部分はちゃんと利用する。
499日本@名無史さん:2001/02/11(日) 08:16
じゃあ蘇我氏は朝鮮系渡来人じゃないと?
500日本@名無史さん:2001/02/11(日) 08:35
証拠のない主張をして「違うと言うなら証拠を見せろ」と言うのは
電波の証明。
501>494:2001/02/11(日) 08:37
あほくさ。勾玉、朱塗りの石室、前方後円墳、皆日本起源
のものが朝鮮で大量に発見されている。しかも畿内にある
仁徳天皇陵は世界最大面積の墓だ。これらの遺跡は、日本
国内に強大な国家が出来て後、朝鮮に進出したことをはっ
きりと示している。
 それに複数の古文書が新羅、百済が日本に朝貢し、それ
ぞれその王子を差し出しているところを見ると、遺跡から
見ても、文書から見ても古代における日本優位ははっきり
している。
502日本@名無史さん:2001/02/11(日) 09:09
>>501 仁徳天皇陵は世界最大面積の墓だ。

そんなことはない。世界最大面積の墓は半島にある。
近日着工だ。
503名無しさん@1周年:2001/02/11(日) 09:56
新井君て何時寝てるの?ここ専任の方なんですか?
504日本@名無史さん:2001/02/11(日) 10:15
正義は眠らない。眠る間もない。
505日本@名無史さん:2001/02/12(月) 00:36
鮮人の電波は痛い。バカ丸出し。
506日本@名無史さん:2001/02/12(月) 01:31
蘇我氏自体が朝鮮系なんじゃなくて、彼等の率いてた豪族衆に朝鮮系が多かったんだよなあ?
507日本@名無史さん :2001/02/12(月) 02:19

>>494
韓国が兄、日本は弟。中国(漢民族)が親。
やんちゃな弟に兄はてんてこまい。
親は親不孝の弟を突き放している。

508日本@名無史さん:2001/02/12(月) 02:32
朝鮮に残ったのは、頭の固い守旧派のチキン野郎たち。
日本に渡ったのは、進取の気性に富む勇気ある冒険家。
いつの世も、勇気あるフロンティア精神から進歩が生まれる。
509日本@名無史さん:2001/02/12(月) 03:27
>>507
たしかに古代を中華思想で見ればそうなるね。
510日本@名無史さん:2001/02/12(月) 03:44
日本にフロンティア精神って・・・
511日本@名無史さん:2001/02/12(月) 04:12
親孝行=朝恩に屈した鮮卑
朝鮮は中国の寄生虫みたいなもんだな(w
512日本@名無史さん:2001/02/12(月) 05:50
だから「じつは同族?」って説が出来た。
513日本@名無史さん:2001/02/12(月) 17:18
別に朝鮮、日本、中国の3国でレッテル貼りする必要ないじゃん。
そんなことしたらウヨ・サヨの厨房諸君に付け入れられるだけですよ・・・
514日本@名無史さん:2001/02/12(月) 23:52
任那は、畿内発祥の前方後円墳体制に取り込まれた。
515日本@名無史さん:2001/02/13(火) 01:25
>>514

詳細は忘れたが、前のスレッドで大分叩かれてなかったか、その話。
516日本@名無史さん:2001/02/13(火) 05:56
鮮人が、朝鮮半島にある前方後円墳を、日本より古いものと主張しようとして、
詳しく調べると、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)のものばかりで、
結果的にヤマトの任那支配を裏付けるものとなり、墓穴を掘った。ちゃんちゃん。
517日本@名無史さん:2001/02/13(火) 06:43
>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
>考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

>好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
>朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
>「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
>宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
>これらの文献資料は、全て調和的。

>考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
>になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
>と言うわけで、全く問題ないのである。
518日本@名無史さん:2001/02/13(火) 18:30
任那の故地に存在する、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)の前方後円墳
519日本@名無史さん:2001/02/14(水) 07:37
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事
520日本@名無史さん:2001/02/14(水) 21:20
韓国の人って日本の歴史をうんぬんするより、もっと蒙古、女真とのかかわりを
研究するべきだな。ハングルができたのも高麗王朝がパスパ文字を蓄積してて
それをもとにできたと考えるとつじつまが合うんだよね。

蘇我氏が半島系というなら李成桂一族が女真族だということも論じるべきだな。
都合の良いダブルスタンダードは軽蔑されるだけだよ。
521日本@名無史さん:2001/02/15(木) 07:15
朝鮮正史の三国史記に、新羅始祖の重臣・瓢公は倭人と明記されている。
522世界@名無史さん:2001/02/15(木) 11:08
世界史板で論破されたらしく、新井君は日本史板に全力を傾注している
模様です。
523日本@名無史さん:2001/02/15(木) 16:12
新井君って誰?
524日本@名無史さん:2001/02/15(木) 23:51
過去の発言を見れば分かるように、電波な鮮人とブサヨクは頭が悪すぎる。
何ら論拠も提示なしに主張するか、ブー垂れるだけ。
525日本@名無史さん:2001/02/15(木) 23:56
ご本人がいらっしゃたようです。
526酔鯨ジョーカー:2001/02/15(木) 23:57
任那も現在の釜山も日本領だった。
527日本@名無史さん:2001/02/16(金) 06:43
>>459
> 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/09(金) 00:16
>これまでの議論で明らかなように、
>任那はヤマトの直轄領で、百済と新羅はヤマトの属国ってこと。

まあだいたいそのとおりでいいが正確にいうと
任那の東半分=加羅諸国(旧弁韓諸国)は
百済や新羅と同じく属国であって直轄領じゃないだろう。
国司(=倭宰・みこともち)が派遣されていたのは
任那の西半分(旧馬韓諸国)であって、ここがいわば“ヤマトの直轄領”にあたる。
そしてここが百済に割譲されたので日本府(=倭宰)の役人があぶれることになった。
528日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:02
>任那の西半分(旧馬韓諸国)であって、ここがいわば“ヤマトの直轄領”にあたる。

韓国で、前方後円墳が多く見つかっているのは、南西部の全羅南道なので、
文献だけでなく考古学的にも調和的です。

一方、南東部の慶尚南道でも、前方後円墳の松鶴洞1号墳が発見され、
日本独特の朱塗りの石室や日本の須恵器が見つかっています。

魏志倭人伝に倭の北限と記された狗邪韓国は、金官加羅=金海に比定され、
金海大成洞遺跡では、卑弥呼時代から日本独特の遺物が多く見つかっており、
本来はこの地域が橋頭堡として確保していた拠点でしょう。
529日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:11
いや、古代「日本人」が元々任那西部に居たんだろう
それが列島に渡来してきて邪馬台国を作った、これが正しい。
530日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:21
>>529
根拠無しの電波なひがみ鮮人登場。(藁
時系列が間違っているんだがな。前方後円墳は200年頃に畿内で発祥し、
5〜6世紀に朝鮮半島南部にも拡がったと言うこと。過去ログを読め。
531日本@名無史さん:2001/02/18(日) 00:52
任那は畿内発祥の前方後円墳体制に組み込まれた
532日本@名無史さん:2001/02/18(日) 02:47
また朝鮮は負けました。
左翼を失っても妄想だけは飛ばします。

何度否定されても、同じ発言を繰り返します。
間違いを改めるということができません。
がんばれ半島人っ!!
533日本@名無史さん:2001/02/18(日) 02:54
属国日本論をよろしく。
534日本@名無史さん:2001/02/18(日) 03:12
>>533
在日ムシケラチョンコ(プ
535日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:22
ヤマトの直轄領の任那
536名無しさん@1周年:2001/02/19(月) 00:40
ちょっとずれているかもしれませんが、中国で殷のころ、日本がどのような状況であったかは知っていますか?
また、そのような国の隣にあった国と、隔離された島国はどちらが発展していたでしょう?

ところで、なんで中国は清から急に落ちぶれたんだろ?
↑単純な疑問
537日本@名無史さん:2001/02/19(月) 00:44
もっと昔になるが、日本の縄文土器は世界最古の土器文化だぞ。
538日本@名無史さん:2001/02/19(月) 12:03
それはユーラシアのイボのような西欧が
急にのし上がってきたことと逆の理由なのかな
539日本@名無史さん:2001/02/19(月) 12:12
世界史板で散々議論されているので見てみたら?>>536
540日本@名無史さん:2001/02/19(月) 15:56
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事
541日本@名無史さん:2001/02/19(月) 16:16
天皇は南部支那大陸から渡来してきた渡来人。
542日本@名無史さん:2001/02/20(火) 00:10
>>536
「中国で殷のころ」って、あんたその頃は日韓ともに石器時代でしょ。
それとも民族学校は産業革命を迎えてたと教えてるの?
543日本@名無史さん:2001/02/20(火) 00:43
すでに強大な国家を築いていて高度な青銅器文化が花開いていたと教えている。
544日本@名無史さん:2001/02/20(火) 03:39
>>541
まだいってんのか いい加減にしろ

>>543
そのとおり でも世界中誰も相手にしてないがな
トンデモ説を堂々と国家公認の定説にしちゃうカルト国家
545日本@名無史さん:2001/02/20(火) 03:49
じゃあ天皇が元は土着民族だとでも言いたいのか?
弥生時代に水田技術を携えて南部支那大陸から渡来してきた
という説は保守派の学者さえも認めてるのに。
546日本@名無史さん:2001/02/20(火) 04:12
>>545
おまえ言ってることがめちゃくちゃダナー

弥生時代の契機になった渡来人は人類学的には
おもに河北系であって「南部支那大陸」ではなかろう
江南からの渡来人は文献的には、
おもに古墳時代であって弥生時代ではなかろう

水田技術は、農耕具の考古学的考察からは河北系であって「南部支那大陸」ではなく
稲そのものの分析からは江南あたりに起源があるとみられているが
大陸における起源そのものと伝来の時期はおのずから異なる
547日本@名無史さん:2001/02/20(火) 04:19
で、結局天皇が渡来人であるのにかわりは無いわけだ。
548日本@名無史さん:2001/02/20(火) 04:26
>じゃあ天皇が元は土着民族だとでも言いたいのか?

じゃあ檀君や新羅王が元は土着民族だとでも言いたいのか?
549日本@名無史さん:2001/02/20(火) 04:43
で、結局天皇が渡来人であるのにかわりは無いわけだ。

550日本@名無史さん :2001/02/20(火) 05:12
まあそれは認めるがナー
檀君や新羅王も渡来人だ
551日本@名無史さん:2001/02/20(火) 07:29
日本で人類が誕生したのではないから、何時の日か外から来たことは確実だろ。
それと、日本民族が確立されていることとは、全く別の話だぞ。

魏略逸文には、呉の太伯の末裔と使者が語った話を伝えているし、
天孫降臨が南九州である点も、黒潮ルートを窺わせる。

三種の神宝は、剣は世界で広く宝に用いられるもので、地域性は特にない。
ヒスイ勾玉は、縄文時代から続く日本古来の祭祀に重要なもの。
銅鏡は、中国の影響。但し、弥生時代の銅鐸などと同様に、日本では著しく巨大化している。
これらから、皇室の性質を窺えるであろう。
縄文時代からの日本の伝統と中国の融合が、最も考えられるものだろう。
552日本@名無史さん:2001/02/20(火) 10:26
完璧な土着民なんて世界中の何処にもいないんだから、いいんじゃないの?
どうせアフリカ人だって、フラフラと移動しまくってんだろうし〜。
私としては、縄文文化に飲み込まれれば、DNAレベルでどうだろうと
土着民って気がするから、天皇は土着民だと思うな、縄文人だって稲作
やってんだし。
553日本@名無史さん:2001/02/20(火) 19:24
呉の太伯って中国では何してた人なの?
554日本@名無史さん:2001/02/20(火) 19:42
「史記」によると、以下のように書かれています。

http://www.lt.jpn.org/~gensan/chain/18shiryaku/27.htm
呉の国の先祖は、太伯(たいはく)という人物である。覚えておられるだろうか。
周の文王こと西伯(せいはく)の父親を季歴(きれき)という。
この季歴の兄二人が、西伯に周王になってもらうために、南の野蛮人の土地へ逃れたことがあった。
この兄二人のうちの、長兄こそが呉の国の始祖、太伯である。

http://plaza26.mbn.or.jp/~pata/kei_syu.html
周王朝系図
555名無しさん@1周年:2001/02/20(火) 20:06
556日本@名無史さん:2001/02/20(火) 20:11
じゃあ、天皇の祖先は周王朝の傍流って事になるのか
この話が本当だったらものすごい家柄じゃん。
朝鮮の王族なんかよりよっぽど良い家系って事になる。
557名無し:2001/02/20(火) 20:27
日本人が他の民族と違うのは、言語でわかる。
唯一独自である。神話も異なる。
シナ人や朝鮮人とはまったく違う。あれこれ言ってくるものは、
下心がある外道だ。ねらいを見破りいっさい相手にしない。
無条件で相手の言い分を否定する。これが大切で決め手だ。
558日本@名無史さん:2001/02/20(火) 20:31
でも呉の太伯って天皇家が勝手に自称してるだけだろう?
それを示す証拠がある訳でもないしねえ。
559名無し:2001/02/20(火) 20:48
>557
大切で決め手だ→大切な決め手だ
マンス
560日本@名無史さん:2001/02/20(火) 20:55
>>557
お前とんでもないアホだろ(藁
今時鈴木宗男だってそんな単純なこと言わない(藁
561日本@名無史さん:2001/02/21(水) 01:31
畿内発祥の前方後円墳体制に取り込まれた任那
562日本@名無史さん:2001/02/21(水) 01:59
>呉の国の先祖は、太伯(たいはく)という人物である。覚えておられるだろうか。
>この兄二人のうちの、長兄こそが呉の国の始祖、太伯である。

え? ちがうだろ?
呉の王統は次男の「仲雍」だと思うが。
長男の「太伯」には女子しかなくて
それが倭人の先祖という話だったような…

>じゃあ、天皇の祖先は周王朝の傍流って事になるのか

ちがう、周王朝の伯父だね。
春秋時代に呉と晋が席次を争った時の両者の言い分が参考になる。

>でも呉の太伯って天皇家が勝手に自称してるだけだろう?

それもちがう、天皇家がそんなこと自称するわけないじゃんか。
魏略だったか魏志だったかに「倭人みずから曰う、…」とあるだけで
その倭人が天皇家かどうかはわからない。

しかし中国の歴史書が異民族について
「彼らがみずから言うには…」という表現をする場合、
実は中国人側からの推測をいう決まり文句だそうだけど…。
563日本@名無史さん:2001/02/21(水) 04:38
じゃあ天皇家の出自は結局判らんのね、やっぱり朝鮮系か?(藁
564:2001/02/21(水) 04:39
それはおまえ(ワラ
565日本@名無史さん:2001/02/21(水) 05:50
「朝鮮系」とか「土着系」とか、内実を具体的にしないと。

ウヨとサヨが名目を取り合いするのはまあ政治だからいいとしても、
政治言語は物の言い様だから、
些末なことをとりあげて本質とは別にレッテル貼りすることはできる、
ただそれが政治とは別に学問的に意味があるかどうかは別問題。
566日本@名無史さん:2001/02/21(水) 06:51
実際の所、天皇の出自の研究はどこまで進んでるの?
天皇陵すら発掘できない状態では推測でしか語れないのか。
567日本@名無史さん:2001/02/21(水) 07:31
>>566

進んでるも何も限られた資料から出自なんて特定できるはずはない。
ただ、いわゆる渡来人(歴史時代以降の)ではないだろう。
568日本@名無史さん:2001/02/21(水) 09:01
ユダヤは?
569日本@名無史さん:2001/02/21(水) 15:18
ムー大陸は?
570日本@名無史さん:2001/02/22(木) 00:17
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事
571日本@名無史さん:2001/02/22(木) 02:13
百済も入れて七国諸軍事で要求したんだけど、
宋は先に百済の自国領内における軍令権を認可してしまった後だったんで
認められなかったんだよな。
倭国にしてみれば不愉快だったろうけど、
百済は友好国なのでまあいいかってことでモメなかったのいであろう。か?
572日本@名無史さん:2001/02/22(木) 02:27
573日本@名無史さん:2001/02/22(木) 15:38
>>571
宋書倭国伝を見ると、済が要求した諸軍事の分で、百済のみは外され、国数を合わせるように、
任那と同義の加羅を加えて、任官されています。
その後、武(ワカタケル大王=雄略天皇)も、再び百済の諸軍事を要求したけど、
やはり外されているように、「まあいいかってことでモメなかった」ではないです。
なお、慕韓=馬韓で、百済の版図の旧地名です。
574>566:2001/02/22(木) 16:18
墓については日本は半島に影響を与えたが、
半島は日本に影響を与えかったからね。
天皇陵をひっくり返したところで、半島人
が期待するものはなんにも見つからない
だろう。
575日本@名無史さん:2001/02/22(木) 16:27
半島が日本に影響を及ぼした物にどんなのがある?
576>575:2001/02/22(木) 16:30
半島独自のものという意味じゃ、なんにも
ないね。
577日本@名無史さん:2001/02/22(木) 16:30
>>575
古代の朝鮮半島は、中国の植民地だったし、その後も中国文化のコピペばかりで、
オリジナリティに乏しいから、以下の妄想に陥らなければ、極めて少ないと見るべきでしょう。

岡田英弘「倭国」(中公新書)
「南北共に新しい民族のアイデンティティを求めるあまり、中国に対しては半島が
受けた影響を無視し、日本に対しては半島が与えた影響を誇張する傾向が強く現れる。
これは心情的なバランスを回復しようとする無意識の努力なのだが、わが国では戦後に
朝鮮史研究が急速に衰微したために、こうした半島の人々の民族主義的な主張を
無批判に受け売りする事が流行した。」
578日本@名無史さん:2001/02/22(木) 16:46
韓国人は自国文化のオリジナリティーが薄いことに
悩まないのだろうか
自国のアイディンティティーを喪失したりしないのか?
579日本@名無史さん:2001/02/22(木) 16:58
日本だってシナ文明のコピペから脱けだし
ようやく「日本らしさ」が生じてきたのは
中世・近世ぐらいからだと思うよ.

能楽・茶の湯・俳諧・三味線音楽(浄瑠璃・地唄・長唄・端唄…)
あ…芸者ガールも忘れずに(笑)

ウヨくんたちは,こういう日本らしい文化はあまり好きじゃないらしい.
俳諧や長唄なんてのは,天皇のありがたさを強調するのに不向きだからだ.
580日本@名無史さん:2001/02/22(木) 17:30
古代にも、天皇から庶民まで4500首以上を収録した万葉集など、和歌があったぞ。
世界に類例のない、平安女流文学など、国風文化が華咲いている。
581日本@名無史さん:2001/02/22(木) 17:39
日本文化らしい侘び寂びが出てきたのは
鎌倉時代になって東国の武家文化が花開きだした頃から
天皇を中心とする西国の貴族文化と双璧をなす文化だからね
ウヨクは面白くないんでしょう。
582日本@名無史さん:2001/02/22(木) 17:47
>581
武家文化は天皇を無視した文化か?
東国と西国で分けるのもおかしい。
583 名無しさん:2001/02/22(木) 17:48
>>581
馬鹿丸出し!(藁
584日本@名無史さん:2001/02/22(木) 18:05
つーか日本の文化が天皇と関わっていると見るのに無理がある
天皇はあくまで政治的な道具であって文化の担い手ではない
日本文化を作り出したのは日本の四季折々の気候や地形によるもので
そこに根付く民が居てこその日本文化であって決して天皇の所有物ではない。
585日本@名無史さん:2001/02/22(木) 18:10
ブサヨクは、万葉集などの和歌、平安女流文学の発展に、目を瞑りたいようだな。
そう言えば、以前に鮮人が万葉集は鮮人語で書かれたとか、バカ丸出しな主張をしていた。
鮮人は、オリジナルな文化がないからと言って、他民族の業績を詐称するな。
586579:2001/02/22(木) 18:12
>>580
たしかに和歌と平安女流文学はね日本独自のものだし,後世の能楽や俳諧にまでその影響は及んでいることも指摘しなければいけないね.
しかし,それらはしょせんは宮廷文化の一部なのであって,その宮廷文化のバックボーンがシナ文化のコピペでしかない以上,その時代の文化を「日本らしさ」のある文化とはいえないんじゃないかな.
>>581
「日本文化らしさ」を「わびさび」と「幽玄」とかの観点でしかみようとしない態度には,わたしははっきりと異を唱えたい.それだけが日本文化の美点じゃないと思うのだ.
私自身の好みをあらわすキーワードは,「幽玄」よりも「絢爛豪華」だ.
芭蕉よりも其角が好き,蕪村よりも太祇が好き…といえばわかってもらえようか.
能楽よりも浄瑠璃や地唄のほうが好きではあるが,これはまあ…まだまだ私が能をあまり見てないからかもしれない.
587日本@名無史さん:2001/02/22(木) 18:14
>584
西国文化にも言える
大陸の華やかな文化に接する機会が多ったからね
やっぱり環境でしょ文化を創るのは。
588日本@名無史さん:2001/02/22(木) 18:16
>しかし,それらはしょせんは宮廷文化の一部なのであって,

万葉集は、天皇から庶民まで4500首以上を収めたものだぞ。
589日本@名無史さん:2001/02/22(木) 18:28
日本の文化には両面あるのかもな静的なものと動的なもの
それは属してる社会階層で違ってくるし後者はどちらかと言えば
庶民の活気の中から生まれたものと言えるかも。
590日本@名無史さん:2001/02/22(木) 18:40
「幽玄」よりも「絢爛」って話のついでだが.
ビートたけしが能を鑑賞したときの感想っての,わたしはおおいに気に入ったね.
孫引きの孫引きのその孫引きみたいな話で恐縮だが….

「ビートたけしと能」(沢井忠夫)
http://www4.justnet.ne.jp/~music.es/KEISHO5.HTM

ちなみに先年惜しくも亡くなられた故・沢井忠夫師は,たいへん独創的な箏曲家で,真に日本が世界にほこるべき人物とはこうひとのことをいうのだろうが
ここのウヨくんたちはたぶん知らないだろうな.
591訂正:2001/02/22(木) 18:42
こうひとの → こういうひとの
592日本@名無史さん:2001/02/22(木) 19:27
テーマにもどりましょう
593日本@名無史さん:2001/02/23(金) 07:58
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)には、任那にも畿内発祥の前方後円墳が拡がった。
594日本@名無史さん:2001/02/23(金) 08:38
百済への4県割譲後、しかも百済に割譲された地域にも分布しているようにみえるが?
はたして前方後円墳の出現をヤマト勢力の伸長と解釈するのは妥当か?
595日本@名無史さん:2001/02/23(金) 11:00
>百済への4県割譲後、しかも百済に割譲された地域にも分布しているようにみえるが?

その地域の前方後円墳の築造が、百済に割譲される前か後かを明らかにする必要がある。

>はたして前方後円墳の出現をヤマト勢力の伸長と解釈するのは妥当か?

日本列島内でも、畿内(+吉備)勢力の拡大を反映するように、分布が拡大し、
蝦夷や熊曾の地域を除いて分布しているように、当然ながら妥当である。
596日本@名無史さん:2001/02/23(金) 11:39
ああ,加羅や百済に渡った倭人有力者の墳墓であることは間違いない.
実際,百済王に仕えた倭国出身官僚もいたことがわかっているしね.
だが,それはヤマト勢力の伸長といえるのかい?
597日本@名無史さん:2001/02/23(金) 13:10
>だが,それはヤマト勢力の伸長といえるのかい?

以前に書いたように、「その地域の前方後円墳の築造が、百済に割譲される前か後かを
明らかにする必要がある。」ってこと。話はそれから。

ちなみに、当時の百済も、ヤマトの属国の色彩が強い。日本書紀には、
武寧王は両親が日本の人質となって、九州の離島で生まれたと記載している。
武寧王の王冠は、糸魚川特産のヒスイ勾玉をちりばめ、木棺は日本特産の
コウヤマキを使用するなど、ヤマトとの関係が強いことが分かる。
ちなみに、日本書紀の記載する薨去年月や名前は、墓碑と全く合致していました。

百済はヤマトの属国だったから、ヤマト出身の武将が多くいたのでしょう。

時代が下って、隋書倭国伝にも、「新羅・百済は、倭は大国で、珍物が多く、
敬仰し、通使・往来する」とあります。
598日本@名無史さん:2001/02/23(金) 17:30
たけしは極右
599日本@名無史さん:2001/02/24(土) 07:51
ヤマトの直轄領の任那
600日本@名無史さん:2001/02/24(土) 07:58
百済で使われていた言語は日本語の方言のようなもの(例えば琉球語)ですよね?
通訳なしだったそうですし。新羅とは通訳付きだったと書かれてますね。
601日本@名無史さん:2001/02/24(土) 15:04
百済語に日本語の影響が強く出てたのかもね
つーか本土からの移民が沢山いたと思われる。
602日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:56
「ヤマトの直轄領の任那」が存在したことを明らかにできるのなら
それはこれまでの先行研究を180度ひっくりかえす画期的な
ものすごい業績になることは間違いないので,ぜひその主張を
学会で発表するなり,権威ある雑誌に投稿するなりすることをおすすめします.
603日本@名無史さん:2001/02/24(土) 18:30
>「ヤマトの直轄領の任那」が存在したことを明らかにできるのなら

すでに、戦前に決着している。最近も、前方後円墳の広がりで更に再確認されたってこと。
604日本@名無史さん:2001/02/24(土) 22:07
「証明」とは数学用語であり、歴史学には不適切な言葉を使わなければならないほど、
追い詰められたのか。人文科学では、蓋然性が高いかどうかを議論しているのだぞ。
日本書紀などの記載と考古資料が調和するわけだから、蓋然性が高いということだな。
605日本@名無史さん:2001/02/24(土) 23:38
>百済で使われていた言語は日本語の方言のようなもの(例えば琉球語)ですよね?
>通訳なしだったそうですし。新羅とは通訳付きだったと書かれてますね。

またかよ、くそたわけが。
グルグルまわっちゃうから素人はすっこんでろ。
606日本@名無史さん:2001/02/25(日) 00:11
もう決着はついてるんだよ
それを懐疑派がごねるからずるずる続いちゃってるんだよ。
607日本@名無史さん:2001/02/25(日) 04:35
そうなんですか?
伽耶をヤマトが直轄支配してたなんて考えている研究者は
戦前はともかく今はほとんどいないわけでしょ?
「証明」はムリでも「蓋然性が高い」ことを示すだけでも
立派な業績になると思うなあ…なぜやらないの?
608日本@名無史さん:2001/02/25(日) 05:28
>607
加羅(=伽耶)諸国というのは任那の東半分。こっちは直轄じゃなくて属国。
直轄なのは任那の西半分の方。百済に割譲した4県2郡の地域だよ。
609日本@名無史さん:2001/02/25(日) 05:35
(^Д^)
610名無しさん脚:2001/02/25(日) 06:15
天皇家は百済王家の分家筋。
つまり任那が出身地。
任那が日本領だったのじゃなくて、
任那が日本だったの。
東日本人は日本列島の猿からわいてきたの
かもしれないが、支配層は大陸方面から来た。

こんな単純なこともわからんの?厨房?

611オナー時ことを何回も。。:2001/02/25(日) 06:27
>610
巨大な権力の発生を証拠付ける巨大建造物(日本の
場合は前方後円墳に代表される墓)は全て日本起源。
もし610の言うように天皇家が百済王家の分家だった
のなら、百済系の建造物が日本で見つかっていいはず
だが、実際は倭系の建造物が朝鮮で見つかることは
あっても朝鮮系の建造物が日本で見つかることはない。
大和政権は畿内地方で自然発生したのち、朝鮮に進出
して倭系の建造物を朝鮮に建てまくった。
612名無しさん脚:2001/02/25(日) 07:22
>>611
日本にきて縄文人を搾取して大きくなったんじゃないですか?
それとも、日本独自の文明が畿内に発生したと?
そりゃ、文明としては最も後発の未開文明になっちゃいますね。
613日本@名無史さん:2001/02/25(日) 07:43
自然発生!
614日本@名無史さん:2001/02/25(日) 07:48
カヤ=カラは…もともと狗邪韓国のことだったのが
次第に広い地域を指す地名になったんじゃなかったっけ?
615日本@名無史さん:2001/02/25(日) 07:50
>>612
10000年の縄文文化をしらんのか?
日本は当時最先端文化地域の一つ。
616日本@名無史さん:2001/02/25(日) 08:29
時代によってカラが指す範囲は変わるのだよ.
後には,韓(から)だったり,唐(から)…中国のこと,だったりするのだ.
この時代のカラは,朝鮮南部の新羅・百済以外の地域のことだろ.

馬韓(カラの西部)はもともと百済の勢力と倭国の勢力が拮抗していた地域であって
多数の群小国が,倭・百済双方の影響力を受けつつ群在していた.
「四県割譲」とは,もともと百済の勢力が比較的優勢だった地域での
百済の優先権を現状追認的に倭国側が承認した…という程度の事件だったと考えられる.
すなわち,書紀のいう「割譲」という語は政治的な意図のもとに粉飾された表現とみてよいであろう.
617日本@名無史さん:2001/02/25(日) 10:12
「カラ」と言うのは、「向こう」と言う意味の日本語。
サハリンのことを「カラフト」と呼ぶことに着目。
618日本@名無史さん:2001/02/25(日) 11:09
日本人の領土意識って、縄文時代にはある程度確立されていたのかも
しれないね。
私は日本文明とは、変化し続ける縄文文明だと思っているけど、
だとすると、ヤマト地方の位置は縄文時代末期の東西分岐点という、
正に絶妙な位置にあるしね。
縄文人は朝鮮半島にも進出していたようだけど、「カラ」という地名を
使っていることから、朝鮮半島を自分たちの本来のテリトリーだとは
考えていなかったと思う。(神の国と思ってないってこと)
だからと言って、後から半島に入り込んできた新参者に、むざむざ明け
渡す気もなかったと思うけどね。
619日本@名無史さん:2001/02/25(日) 12:28
だから言ったろ、朝鮮総督府は正しかった
日韓併合に文句つけてる奴がアメリカに洗脳されてるの
戦後日本が見捨てちゃったから、半島は混乱して殺し合いしたの
よし、祖国統一戦争だあ
行け、行け!皇軍
620日本@名無史さん:2001/02/25(日) 21:14
「ミマナ」はどうよ?
「ナ」ってのは国(クナ)と通じる語らしいけれど
「ミマ」ってなんだい?
621日本@名無史さん:2001/02/25(日) 23:06
で、結論は?
622日本@名無史さん:2001/02/25(日) 23:18
ミマナは一説に「主浦(主要な港)」を意味する古韓語だというが
(たしか井上秀雄の説)ちょっと俺には判定不可能。
魏志韓伝の「弥烏馬邪国」を当てる説もある。

地名なんだから必ず語源や意味までわかるとは限らないよ。
日本書紀には地名縁起譚がのってるけど、まああれはアレですから。
623日本@名無史さん:2001/02/25(日) 23:33
「主浦(主要な港)」言語学的には否定されているようだ。
624日本@名無史さん:2001/02/26(月) 03:26
井上秀雄は、鮮人電波に追従するだけのエセ学者。
楽浪郡は、戦前の発掘でも明らかになっているのに、根拠なく北にずらして小さくしたり、
稲荷山古墳のワカタケル大王鉄剣銘も、ヤマトの朝鮮半島南部支配に都合が悪いから、
土器編年・鉄器編年・火山灰編年など、471年説で確定的なのに、591年説と電波を主張して、
ひがみ鮮人に媚びるなど最低のやつ。逝ってよし。
625日本@名無史さん:2001/02/26(月) 04:14
そのとおり。
前漢の4郡は楽浪郡と玄兎郡で北鮮の全域を、
臨屯郡と真番郡で南韓の全域を覆っていた。
BC82年に2郡が廃止されるまで半島全域が漢帝国の領土だった。
(しかも楽浪郡はAD313年まで残った)

韓国の民族史学派や北鮮の電波説では
4郡とも満州内にとどまっていたかのようにいうが
これは戦前の朝鮮総督府の説(当時も学界に相手にされず)を
パクッたもの。

どこまでも救いようが無い、それがヒガミ鮮人。
626日本@名無史さん:2001/02/26(月) 18:47
627・ウ・ヤ・レ:2001/02/26(月) 19:19
ニ猥ノハソーツエ?、ヒ、゙、ヌサト、?。「シトコホシ霤豼エ、ホイワーミ、ネ、ホタ?、、、マ。「ケセクヘサ�ツ螟ホヒフウ、ニサ、ヒ、゙、ヌサ?
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、鬢?、ニ、、、?。」
628日本@名無史さん:2001/02/26(月) 21:36
>>626>>627
・・・?
629日本@名無史さん:2001/02/27(火) 00:20
南北朝鮮における歴史話は、捏造の基に成り立っている、逝ってよし。
630日本@名無史さん:2001/02/27(火) 05:29
626の紹介のヤフーのスレッドみてきたけど
日本のルーツが任那だとか糞みてえな議論してるな。
ま、相手にされてないみたいだけど。

ひとこと解説入れると、
日鮮(倭韓)同祖論みたいのは話のもっていき方次第で(本家争いね)
あっちにもこっちにもナショナリスティックな政治的優位性の話で利用できるから
日本人にも韓国人にも主張したがるやつはいつの世にも湧いて出る。
学問的には最早ありえないんだけどね。政治的ロマン主義だな、騎馬民族征服説と同じ。
631日本@名無史さん:2001/02/27(火) 18:10
>>630
発言数の少ないヤフーでは、鮮人がバカなことを言っても、論客が少ないようで、
強烈なカウンターパンチを食らわせるやつはいないようだな。
場末の掲示板で、電波を発生しまくっている鮮人は逝ってよし。
632日本@名無史さん:2001/02/27(火) 18:39
>>631
まったく・・懲りないお人だ。
633630:2001/02/27(火) 19:52
>>632
なに逝ってんだてめえ!
大人ぶったふりして、歴史捏造に血道をあげる不逞鮮人の電波説を放置できんだろうが。
(まあ情況によって放置してるけど)
>>631
あなたのいうとおり。
634日本@名無史さん:2001/02/27(火) 20:13
>>633
「歴史捏造に血道をあげる不逞鮮人の電波説」の修正もそりゃやるべきだが
もう少し、表現に気を配ってよね。結局、むこうと、同レベルになっちゃうよ。

635日本@名無史さん:2001/02/28(水) 00:13
某国教科書は笑わせてくれます。
http://village.infoweb.ne.jp/~jl6ehr/history.html
636日本@名無史さん:2001/02/28(水) 02:44
鮮人の歴史捏造を指摘するには、根拠に基づいて議論するのは当然であるが、
無知蒙昧で恥知らずの鮮人に対峙するには、こちらも蛮勇を奮う必要があるぞ。
637日本@名無史さん:2001/02/28(水) 03:34
まあ2chだから許せるってことで・・・>差別発言
638日本@名無史さん:2001/02/28(水) 15:11
>>624
そのとおりだけど井上秀雄はいいこともゆってるよ。
たしかに帯方郡を北にずらしたのはどうかと思うけどな。
あんなに狭くなった楽浪郡をさらに分割して
帯方郡を置く意味がわからなくなってしまふ。
昔『東アジアに古代文化』で帯方郡の
北方説(黄海南道)と南方説(京畿道)と北遷説(折衷案)が
論争してた時は北方説で落ち着いたようだったけど、
いまだに「帯方郡の郡治所(帯方県)はソウルだ」って
言い張ってる岡田英弘はえらいよなあ。
「黄海南道から京畿道へ回廊状に県城がならんでいた」なんて
第1玄兎郡回廊状説がヒントだったのだろうか。
639日本@名無史さん:2001/02/28(水) 23:08
玄兎郡と臨屯郡と真番郡を、楽浪郡が吸収したと考えるのが正解??
640日本@名無史さん:2001/03/01(木) 04:55
>>639
半分解放、半分吸収。
ただし玄兎郡は楽浪郡じゃなくて遼東郡の中に撤退した(いわゆる第3玄兎郡)
641日本@名無史さん:2001/03/01(木) 14:03
漢にとって、当時の朝鮮半島は植民地として、利用価値はどうだったのだろうか?
642日本@名無史さん:2001/03/01(木) 16:51
>>641
>利用価値

衛氏朝鮮を滅ぼした経緯、理由などはいろいろ書かれているが、
(たとえば衛氏朝鮮がさらに東の種族が漢帝国に朝貢にくるのを妨げている、とか)
ほとんど建て前や名目的なことであり、ほんとの理由は、当時、漢にとって最大の敵は匈奴で、
衛氏朝鮮を滅ぼすことは匈奴を側面から脅かすことにあった。
四郡設置の後は大量の漢人が入植したことが楽浪郡を中心に考古学的にも明白である。
それと「真番之利」といわれる交易による利益が莫大であったらしい。
これは今の忠清道・全羅道の沿海でとれる各種の豊富な魚(漁業だね)をさすという説と
後世に「弁韓の鉄」といわれた慶尚南道でとれる鉄のことだという説がある。
643日本@名無史さん:2001/03/02(金) 00:31
ううむ、帯方郡がますますわからなくなってしまった気分だ。
644日本@名無史さん:2001/03/02(金) 07:27
>帯方郡
公孫康がAD204〜208頃、楽浪郡を分割して設置。残った楽浪郡の方が帯方郡より小さい。
黄海南道から京畿道へ回廊状に7県がならんでいたと思われ、
南韓方面との交易ルートを確保するものであった。
645日本@名無史さん:2001/03/02(金) 22:08
呉越民流入?>辰国>真番郡(前1世紀)>
三韓諸国(〜3〜4世紀)>加羅・伽耶・任那(4〜6世紀)>新羅

てな感じなのかなあ?半島の南側って。
よく分からないけど。
646日本@名無史さん:2001/03/02(金) 22:21
辰国(辰国については否定説も強いが)

真番郡(前1世紀〜)

韓or辰韓(紀元前後〜)

馬韓・弁韓・辰韓(3世紀〜)

新羅・百済・任那(4世紀〜)

新羅の半島南部統一(7世紀〜)
647日本@名無史さん:2001/03/03(土) 11:48
>>645
>呉越民流入?>辰国

呉越? なんで呉越がでてくるの?
648日本@名無史さん:2001/03/04(日) 03:02
>任那って日本領だったんですか?

Yes
649日本@名無史さん:2001/03/04(日) 12:17
>>647
徐福伝承関係の説かな?
650日本@名無史さん:2001/03/04(日) 19:15
徐福と呉越は関係ないだろ。
651日本@名無史さん:2001/03/05(月) 00:42
http://inoues.net/yamataikoku/mystery/jyofuku.html

『史記』には「徐福または徐市(じょふつ)は斉(せい)の国琅邪(ろうや)の人なり。」と記載されている。中国正史のなかで徐福について初めて触れたのは司馬遷であり、『史記』の「秦始皇本紀」および「准南衝山(わいなんこうざん)列伝」に取りあげられている。
その後も『漢書』の「郊祀志」および「伍被(ごひ)伝」、『三国志』の「呉志」および「孫権伝」、『後漢書』の「東夷列伝」、さらには『三斉記』『括地志』『太平御覧』『太平寰宇記』『山東通志』『青州府志』など、幾多の時代を通じ、中国の歴史文献に絶える事なく記載されている。

1982年、一人の中国人学者が偶然「徐福村」(現在の中国江蘇州かん楡県徐阜村)を発見した。学者は信憑性を自問しながらもその重要性に鑑み、研究室の中にプロジェクト・チームを結成して本格的な調査に乗り出した。そして最終的に、まさしくここが「徐福」の居た村である、という結論を導き出すに至ったのである。この調査結果論文は、日本外務省・国際交流基金の資金援助によって1985年11月北京で出版された、『中日関係史論文集(第一輯)』(中日関係史研究会編)の冒頭に「説徐福到黄遵先」として報告された。
652日本@名無史さん:2001/03/05(月) 01:09
徐福と辰国は関係ないだろ。呉越と辰国も関係ないし。

それに651の前半は「史記」をのぞけば史実じゃなくてたんに徐福が伝説化した後世の記録。
それと651の後半は一時有名になったね。
便乗本もたくさん出たけど古代史に何か付け加えるようなものではないね。
「なんとかの子孫」って連中はいろいろあるし、現在の「徐福村」によって
古代の何かがわかったって話もきいたことない。今思えばあれは官民ぐるみの村おこしだろ。
653日本@名無史さん:2001/03/05(月) 07:06
真と辰は関係有るんだよね?

秦と辰ってのは関係ないのかな?
654通りすがり:2001/03/05(月) 08:14
足跡
655日本@名無史さん:2001/03/05(月) 15:26
>653
>秦と辰ってのは関係ないのかな?

辰韓の先祖は、秦の時代に中国から亡命してきた移民だという伝説があり
それで辰韓のの別名を「秦韓」というのだが、
同時に「辰韓はいにしえの『辰国』だ」ともあり、
実はこれはちょっと入り組んでいて若干ややこしい話なのだ。

魏志東夷伝韓条には馬韓54国、弁韓12国、辰韓12国とあるんだが
辰韓の説明には12国の話がなく、弁韓には弁韓そのものの説明がない。
そしてそのかわり、内容の異なる2つの「弁辰」なるものの説明があり
その一方の弁辰に24国の名が列記されているのだが
後半の内容がいつの間にか辰韓の説明になっていてよくわからない。
もう一つの弁辰の説明はやはり12国とあるが国名などは不明。
おそらくは辰韓そのものが漢人系である可能性が高いだろうが、
先住民系の辰国の遺民と漢人系の秦韓とが混住していたのかも知れず、
どうも魏志東夷伝韓条は錯簡(頁や行が誤って前後したり抜け落ちること)があり
いろいろ解釈を加えないとストレートには理解しがたい。
656655:2001/03/05(月) 22:55
というわけだが、
あいかわらず徐福とも呉越とも関係はない。
657日本@名無史さん:2001/03/06(火) 03:16
徐福は、任那とは関係がありそうにない
658日本@名無史さん:2001/03/06(火) 03:59
2ちゃんの日本史板って、
蘇我氏マニアと徐福マニアがいるみたいだな。
(どっちもトンデモ度たかし)
659日本@名無史さん:2001/03/06(火) 14:27
徐福は日本と関わりがあるのか不明
660日本@名無史さん:2001/03/06(火) 15:02
661日本@名無史さん:2001/03/06(火) 15:13
スレが違うのかもしれんが
徐福が大船団で東の海のどこかに渡ったって話はデタラメなの?
済州島とかいう説もあるけど、ここと日本の関係ってどうだったの?
なんか日本各地に伝説があるみたいだけど
あれはいつ位に作られた話なんだろうかなあ?
というか当時そんなでかい船作れるのかな?
662日本@名無史さん:2001/03/07(水) 01:53
出航したところまでは、それは実際にあった話じゃないかな。
でもどこにたどりついたかはわからないし、途中で難破したかも知れないし。
もちろん日本にたどりついた可能性もゼロではない。
済州島の伝説は「徐福がとおりすがった」という伝説です。
日本の各地の伝説はほとんど後世に作られたものです。

徐福村が残ってるんだから、出航したふりして
実はこっそり大陸に戻ってたんじゃないの?
だから徐福村っていう子孫の集団が中国にあるわけでしょ?
663日本@名無史さん:2001/03/07(水) 01:55
もともと出航してないんだよ。
史記読んでわかんないの?
664ero:2001/03/07(水) 02:16
665名無しさん:2001/03/07(水) 07:42
白村江の戦いはかなりその後の東アジアの情勢に影響を及ぼしたと本で読みました。
百済(ひゃくさい)からの難民がかなり日本に来たらしいです。数十万単位で。
だから百済と書いて「くだら」朝鮮語の「クン ナラ」日本語にすると偉大な祖国
という意味から来るらしいですね。

白村江の戦いのあとから「日本」と国号をかえたのですか?
666日本@名無史さん:2001/03/07(水) 09:23
古池や
かえる飛びこむ
水の音
667日本@名無史さん:2001/03/07(水) 09:29
http://www.try-net.or.jp/~kanemasa/data5/fu2.htm 東洋医学史的
でも、新大陸発見だって元は日本やインドを探す話だった訳だし
当時の思想からすれば実際に探しに行ったとしても
おかしい事じゃないんじゃないのかなあ?
問題はたどり着いたのかどうかだよね。

ところでこのスレって任那は日本に従属していたか
ってことでいいんだよね

要は邪馬台国って中国領だったんですか?
みたいな話なのかな?
668>665:2001/03/07(水) 11:23
>だから百済と書いて「くだら」朝鮮語の「クン ナラ」日本語にすると偉大な祖国
>という意味から来るらしいですね。

これって、メチャメチャ怪しいよね。
「くだら」って呼び方は、当時の日本人が勝手にそう呼んでいただけだから、
単純に日本語で解釈するべきでは?
たとえば「下ら」で、自ら見て下方、つまり目下と言う意味にも解釈できるし
日本語には本来、濁音がないという特徴があるそうだから、「くたら」
で「滅びる」っていみにも解釈できるよ。
669日本@名無史さん:2001/03/07(水) 11:29
ちなみに、高句麗をあらわす「こま」の意味は「矮小」。
670日本@名無史さん:2001/03/07(水) 17:31
>>668,>>669
たしかに「クン ナラ」説はちがってるだろう。
(これ韓国側での比較的最近の説だと思ったが昔の説の方がまとも)
だからって思いつきで侮辱的な解釈してもだめよ。
「くだら」や「こま」の語源は、いろんな説がいっぱいあるね。
671日本@名無史さん:2001/03/07(水) 19:02
>>668
[クダラ]というのは「大国」とか「君の国」の意味だという説もあるが
俗説っぽくて、ちょっとどうかと思う。
岩波の日本書紀の注では鮎貝房之介の、
南韓の晋州の古名「居陀耶」説をとってるが、あまり合理性が感じられない。
日本側にそんなに地理感覚なかったのかどうか。

百済は現代朝鮮語ではBaek-jeあるいはPaek-cheだが
古代の原音ではpak-tsanだった。
この頭音paが落ち、tsaツァがタに訛り、語尾のnはlに訛った。
(n→lは朝鮮語によくみられる変化)
昔の日本語では子音だけの発音がないので
語尾のlに母音aをつけて発音した。
pak-tsan → k-tana → k-dala
以上が白鳥庫吉の説。めちゃ古い説でごめん。
この説の弱いところは
日本語ならばtsaツァはタでなくサになりそうなところ。
でも百済語と日本語の落差もあるし訛りなんだから
目をつぶることができれば可。

宋書・梁書・南史などによると、百済は
初期には遼西地方に「百済郡」という郡を置き
晋代にはこれを「晋平郡」と改めたということがあったらしいので、
(百済と遼西を関係づける説はトンデモとまではいかないまでも
学界レベルではかなり奇異にみられる可能性があるがまあともかく)
あらためて遼西地方をみると「白檀」「白狼」などの古い地名があり、
これからクダラという読みが関係しているのかとも夢想する。
クダラというのはたぶん、現代の韓語の「ホドリ」の古い形で、
「虎」の意味だろう。遼西地方の「白檀」「白狼」などの
古地名も漢人が現地音に当てたものだろう。
672日本@名無史さん:2001/03/07(水) 19:04
>>669
日本では「高句麗」を別名「コマ」と呼んでいた。
これについても岩波の日本書紀の注が支持する鮎貝房之介の
全羅北道益山の古名「乾馬」説は合理的に思われない。

「三国史記」によると、高句麗の初期に隣国「蓋馬国」を
併合したとあり、これからきているものと思われる。
(併合した国の国名を征服者が引き継ぐ例はたくさんある。
地名だからその地を引き継いだということだろう。
今の北朝鮮の「蓋馬高原」などは残存地名か)
高句麗が初期の頃、蓋馬国併合後、一時期「蓋馬国」と
称していた時期があったとしてもおかしくない。

そして「コマ」は古朝鮮語で「熊」の意味。
俺はよく知らないが、熊トーテムの部族だったとからしい。
673日本@名無史さん:2001/03/07(水) 19:31
>>671
>日本側にそんなに地理感覚なかったのかどうか。

中国のことをずっと「から」と呼んでるし、地理感覚あるなしじゃなくて
慣習的な呼称ってそんなもんじゃないんの?
674日本@名無史さん:2001/03/07(水) 20:12
>>672
熊トーテムといったら檀君神話と関係ありそうだね。
http://www2.odn.ne.jp/~cac54940/korean/tghara.htm
675日本@名無史さん:2001/03/08(木) 10:18
>たとえば「下ら」で、自ら見て下方、つまり目下と言う意味にも解釈できるし
>ちなみに、高句麗をあらわす「こま」の意味は「矮小」。

当時の三韓諸国の扱いからすれば、これは大いに考えられそうだな。
676日本@名無史さん:2001/03/08(木) 10:28
>>673
ヤマトは、元は奈良県南部の小地域を指していたのに、
どんどん拡大して日本全体を表す意味を有するようになった。
カラは、元は魏志東夷伝に出てくる狗邪韓国、後の金官加羅を指していたのに、
韓全体を表すように、更には唐を表すようにと、どんどん拡大していった。
677日本@名無史さん:2001/03/08(木) 10:44

   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   ,――――-ミ
 /  /  /   \ |
 |  /   ,(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  <  んなわけねーだろ!
/|         /\ \ 675は馬鹿ウヨのふりするサヨの自演?
             \__________

678日本@名無史さん:2001/03/08(木) 14:25
>>たとえば「下ら」で、自ら見て下方、つまり目下と言う意味にも解釈できるし
>>ちなみに、高句麗をあらわす「こま」の意味は「矮小」。
>
>当時の三韓諸国の扱いからすれば、これは大いに考えられそうだな。

なるほど。
679世界@名無史さん:2001/03/08(木) 14:48
>>たとえば「下ら」で、自ら見て下方、つまり目下と言う意味にも解釈できるし
>>ちなみに、高句麗をあらわす「こま」の意味は「矮小」。

これはこじ付けなんじゃない?
680日本@名無史さん:2001/03/09(金) 01:18
狗邪韓国=金官加羅=金海
681日本@名無史さん:2001/03/09(金) 01:45
「から」>「かれ」…「彼方の(「か」)場所(「ら」)」。
cf.「うら(裏)」「くら(座)」「そら(空)」「つら(面)」「はら(原)」「ほら(洞)」
「むら(村)>むれ(群)」
682日本@名無史さん:2001/03/09(金) 04:11
「加羅=伽耶=狗邪」というのが通説。いや定説か。
681の語源解は、共感はするがかなりジャンプしすぎ。
はたして「カラ」というのは外国からの輸入語か、
もともと倭語で倭人がつけた呼び名だったのか?
683日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:30
KALは韓語で冠帽の意味で「弁」がこの漢字表現。
つまり「弁韓」は韓諸国の中のカラ地方の国々のことで
「弁辰」は「辰(SIL=暁)諸国」のなかのカラ地方の国々のこと。
684日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:38
>>683
その説は古いよ。アウト。
685日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:46
理由は?
686日本@名無史さん:2001/03/09(金) 06:57
「カラ フト」って何処にあったっけ?
「ネノ カタ スクニ」は??
「ニライ カナ イ」は???
「彼」「方」ってどういう意味だっけ????
687日本@名無史さん:2001/03/09(金) 07:16
ごろあわせばっかじゃん
688日本@名無史さん:2001/03/09(金) 14:07
>>684 アウトと言いつつ根拠を示さない電波
689日本@名無史さん:2001/03/09(金) 16:46
空の話はわかる気がするけど、任那ってそもそもどんな意味?
690日本@名無史さん:2001/03/09(金) 16:50
王の土地
691日本@名無史さん:2001/03/09(金) 17:13
日本側の史料以外で「任那」という字が出てくる史料って
好太王碑文の他にどんなのがあるの?
692日本@名無史さん:2001/03/09(金) 17:13
>>690 根拠なし
693日本@名無史さん:2001/03/09(金) 17:25
http://www.lint.ne.jp/~meirokun/waoubu1.htm この漫画わかりやすいね。
この中で何処か間違いってある?
694日本@名無史さん:2001/03/09(金) 18:30
>>691 宋書、南斉書、梁書、南史、通典、朱子語類
695日本@名無史さん:2001/03/09(金) 18:31
>>691
好太王碑文と並ぶ同時代史料である、宋書倭国伝にも見える。
696日本@名無史さん:2001/03/10(土) 05:14
>>688 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/03/09(金) 14:07
>>684 アウトと言いつつ根拠を示さない電波

ぷっ。
根拠? そりゃあ、あるよ。でも有名すぎてわざわざ教えるのもなあ(藁
697日本@名無史さん:2001/03/10(土) 08:26
根拠はあるあると言うだけで、示さないのは電波のあかし
698日本@名無史さん:2001/03/10(土) 18:50
>KALは韓語で冠帽の意味で「弁」がこの漢字表現。
>つまり「弁韓」は韓諸国の中のカラ地方の国々のことで

冠帽が特徴的なのはむしろ新羅(=辰韓)方面じゃないのか。
馬韓の馬も辰韓の辰も地名音写とみられるのに
弁韓だけ、しかも3世紀に訓読まがいの用法があったとは
考えにくい。絶対ないとも言う気はないが…

>「弁辰」は「辰(SIL=暁)諸国」のなかのカラ地方の国々のこと。

たんに弁韓と辰韓を併称しただけでは?
魏志には「弁辰韓あわせて二十四国」という表現がみえる。
699日本@名無史さん:2001/03/10(土) 21:28
>>698
魏志韓伝に
 「辰韓在馬韓之東…爲十二国。」
 「弁辰亦十二国…」
 「弁辰合二十四国。」
とあります。また列挙された国名の半数には弁辰狗邪国のように「弁辰」と明記されています。

以上から、辰韓と弁辰は別のものであること、
「辰韓と弁辰を合わせて」というつもりで「弁辰合二十四国」と書いたために紛らわしいだけであること
がわかります。
700日本@名無史さん:2001/03/11(日) 03:55
辰韓と弁辰は紛らわしい
701日本@名無史さん:2001/03/11(日) 06:54
元々南韓に住んでいたのは、殆ど倭人なのさ、その代表として
倭奴国王が金印を貰ったんだよ。
倭の五王が主張していたのはそのことだよ。
702日本@名無史さん:2001/03/11(日) 07:30
根拠なし
703日本@名無史さん:2001/03/11(日) 09:33
過去ログくらい読みましょう。
704日本@名無史さん:2001/03/11(日) 11:39
またまた根拠を示せないから言わないんだな!
トンデモ説の証拠だ。
705日本@名無史さん:2001/03/11(日) 12:49
でたらめなことを書いて、根拠はあるあると口では言うが
けっして明示しないのは電波のあかし
706日本@名無史さん:2001/03/11(日) 13:16
根拠?
金印が志賀島にあったのが一番さ。
他の所から出ていたら何をいうやら?

誰か云ってたね、「弁」が冠て、そう任那は直轄地
で韓の中の冠だよ。
707日本@名無史さん:2001/03/11(日) 13:49
ほ〜ら、いいかげんだ!
708日本@名無史さん:2001/03/11(日) 16:36
>>706
「金印が志賀島にあった」から
「元々南韓に住んでいたのは、殆ど倭人」だと証明される?
論理が粗雑すぎませんか?

709日本@名無史さん:2001/03/11(日) 17:31
楽浪海外で金印をもらった国がありますか?
倭奴国が代表ですよ。
710日本@名無史さん:2001/03/11(日) 17:32
SORRY
海中の間違い
711日本@名無史さん:2001/03/11(日) 18:30
だからって、半島まで倭奴国の領域だったって言う根拠はありませんね。
712日本@名無史さん:2001/03/12(月) 06:45
違うと云う根拠も又無し。
713日本@名無史さん:2001/03/12(月) 06:59
南韓に倭人がすんでいたってのは
東夷伝から容易に推察される(もしくは、明記されてる?)から
まあいいんじゃないの。
でも「ほとんど倭人」って理屈はないと思うが…?
714日本@名無史さん:2001/03/12(月) 07:18
樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云

百餘國は後の韓域から九州域と考える方が自然
715日本@名無史さん:2001/03/12(月) 12:45
其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年

別スレで「倭国大乱」があるが、大和や九州のスケ−ルでは無く、
韓域での話である。どちらが当時の東アジアの歴史の中で自然で
すかね。
716日本@名無史さん:2001/03/12(月) 13:33
当時の朝鮮半島は中国の植民地だ。
倭国大乱は、もちろん日本列島のこと。
717日本@名無史さん:2001/03/12(月) 15:45

名古屋大戦のこと?
718日本@名無史さん:2001/03/12(月) 16:05
そう
719日本@名無史さん:2001/03/12(月) 19:23
とりあえず、聖徳太子の時代までは天皇って対外的には王で、
当時は日本も朝鮮も、表面上は一応中国の属国扱いなんでしょ?

で征夷大将軍じゃないけど、中国の皇帝に任那の支配権を認めてもらおうとしたんだよね?
で、結局実際に支配してた時期はあった訳なの?
720日本@名無史さん:2001/03/12(月) 21:12
>>712
ちがうっていう根拠がないから正しいのだ! って論理はトンデモさん特有のもの
721日本@名無史さん:2001/03/12(月) 21:47
>で、結局実際に支配してた時期はあった訳なの?

誰に云っているのか判らないが、私なら
漢書に云う「樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云 」
は、この時期には無い韓域から日本列島掛けての地だと云
っています。

722日本@名無史さん:2001/03/12(月) 22:01
韓域を含むとする根拠は?
723日本@名無史さん:2001/03/13(火) 00:14
「樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云 」

この文面から韓域を含まないとする根拠を寧ろ
知りたい、この認識から後漢の光武帝より倭国の代表
として委奴国王の金印を貰ったのでしょう。

後漢の力が衰えた時期よりこの地に韓王を自称する人々
が入ってきて韓と呼ばれる、魏志韓伝に「其民土著」と
あるように被支配民族とは違う人々です。
三韓の成立時期が倭国が乱れた時期である。そして百餘
國は、三韓+倭国となった訳です。

更に魏が朝鮮を支配すると倭国は再び親魏倭王の金印を
貰ったこれが三韓と違う所です。後の倭の五王が云いた
いのはこの歴史であった。

724日本@名無史さん:2001/03/13(火) 01:42
そもそも倭人という集団についての定義ってなんなんだろうか。
「日本人の祖先」というだけでは、どうも雑すぎるように思えるが・・・
725日本@名無史さん:2001/03/13(火) 06:30
>>723 ぜんぶ空想だろ?
726日本@名無史さん:2001/03/13(火) 06:41
>>723
>魏志韓伝に「其民土著」とあるように被支配民族とは違う人々です。

「定住民」だとどうして被支配民族とは違う人々ってことになるの?
意味不明。
727日本@名無史さん:2001/03/13(火) 08:18
728日本@名無史さん:2001/03/13(火) 09:03
ちょっとスレの流れみてないのでアレだが
726のつっこみは明らかに誤り。
「韓王を自称する人々」とは、
箕子朝鮮が滅亡した時に韓の地に逃れてきてそこで土着した人々をさしている。
「定住民」という意味ではない。(まあ定住はしてたろうが)
729日本@名無史さん:2001/03/13(火) 12:21
>724
そもそも倭人という集団についての定義ってなんなんだろうか。
「日本人の祖先」というだけでは、どうも雑すぎるように思えるが・・・

南韓から日本列島に住んでいた人々であることは、文献その後の歴史で
明らかと思います。

>725
ぜんぶ空想だろ?

仮説です。どの仮説が、文献をすっきり理解出来るかでの問題でしょう。
倭人の侵略の歴史と見るか、韓半島からの後退の歴史と見るか?
貴方の空想は?


730日本@名無史さん:2001/03/13(火) 17:51
>>728
そうかね。筑磨書房の三国志東夷伝も東洋文庫の東夷伝も誤訳で
あなたが正しいのかね?
ずいぶんな自信だね。恥かいても知らないよ。
731日本@名無史さん:2001/03/14(水) 09:17
あげげ〜
732日本@名無史さん:2001/03/14(水) 18:46
>730
728ではなく729ですが
自信?批判に耐えうるかどうか?
しかし一旦「漢書」をその様に読んだ後は、霧に包まれたような
当時の状況や、その後の倭国の歴史が爽快に感ずるほど理解出来
た様に思った次第です。

筑磨書房や東洋文庫は読んではいないのですが、多分正しい訳で
しょうが、前提部分が違うと結論が違ってくるかと思います。又
、単に既歴史家の研究の受け売りではなく新たな提案が出来るの
がここの良いところかと・・・。
733:2001/03/14(水) 18:59


  /~~~~~~~ヽ
 / / ̄ ̄ ̄ヽ
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(6|| `― ´ | `―‐′ ええかげんチョンは日本
|||    小   |
|||   ―一` /     から消えてくれ!
| \   ⌒  /    \____________
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734日本@名無史さん:2001/03/14(水) 20:13
>733
以外ですね、732ですが、私に云っているのでしょうか?
私は COMPLETE JAPAN ですよ、日本にマイナスの要素は
全くないと思いますが・・・。


735日本@名無史さん:2001/03/14(水) 20:37
やはりそうだったのね
納得がいったよ、君の言動見てると。
736日本@名無史さん:2001/03/14(水) 23:03
どっちにせよ>>723>>728 は明かな間違いで、>>726 が正しいってことだよね。

魏志韓伝の「其民土著」は、被支配民族と王族が異民族という意味では
<<ぜんっ〜ぜんっ>>ないってこと。
737日本@名無史さん:2001/03/15(木) 04:26
私は723の様に思いますが、

倭韓が争っていた状況は、韓伝の「公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡」
の後に唐突に出ている「是後倭韓遂屬帶方」に表現されている。

738日本@名無史さん:2001/03/15(木) 21:44
736,726は誤り。737,728,723が正しい。

史実かどうかは別として漢籍史書の伝える伝説では、
「朝鮮王が自分の国を奪われて、韓の地に逃げてきてそこに君臨したが、
もとの朝鮮の地とは関係が途絶えた」って話だろう。
難しいことでもなんでもないじゃないか。
なんでそんなにカタクナなのかなあ。
それとも、まさか当時の朝鮮と韓が同一民族だっていう
電波を発したいわけじゃあるまいな?(藁藁
739日本@名無史さん:2001/03/16(金) 04:24
電波はおまえだよ。よく読め!
「朝鮮王が自分の国を奪われて、韓の地に逃げてきてそこに君臨したが、
もとの朝鮮の地とは関係が途絶えた。一族はその後絶滅した」って書いてあるだろう。
740日本@名無史さん:2001/03/16(金) 06:29
>738さん
737です、もう止めようかと思いましたが、話が進みそうなので・・

私は「韓伝」に記述されている、「韓」はどう読んでも悪役として描か
れているとしか見えません。
「侯準既僭號稱王」−> 「自號韓王」−>最終的には景初中に「二郡
遂滅韓」です。739の云う状態では有り得ない表現と見ます。

楽浪郡に属して「四時朝謁」する身分であったが「郡縣不能制」
「民多流入韓國」で膨張して倭地を侵した。この事実と見ます。
741日本@名無史さん:2001/03/16(金) 08:54
>>740
>「侯準既僭號稱王」−> 「自號韓王」−>最終的には景初中に「二郡
遂滅韓」です。739の云う状態では有り得ない表現と見ます。

「自号韓王。其後絶滅」とはっきり書いてあるだろう?
史料にはっきり書いてあることをどうして
「739の云う状態では有り得ない表現」と言えるんだ?
742日本@名無史さん:2001/03/16(金) 18:21
>741さん
侯準既僭號稱王 爲燕亡人衞滿所攻奪                  
將其左右宮人走入海 居韓地名 自號韓王
其後絶滅 今韓人猶有奉其祭祀者

この部分を「朝鮮王が自分の国を奪われて、韓の地に逃げてきて
そこに君臨したが、もとの朝鮮の地とは関係が途絶えた。一族は
その後絶滅した」を訳したのが739ですね。

まず、
1.僭越にも王と称したのは燕時代であろうから良いとして、
2.「居韓地名 自號韓王」は何時の時代でしょうか、まさか漢王が
  許す訳がない、詰まり後の時代の事です。後漢の力が弱まった
  時代これ以外有り得ない。
3.「其後絶滅」は何時のこと?何故記述していないのか?
  詰まりこれは、更に後の「二郡遂滅韓」の事を指している。

私の解釈では、この部分は後で記述することに対する前置部分で
前フリである。韓に関する予備知識を与えて、次に説明しますよ、
と云うことです。

この部分から後の「漢時屬樂浪郡 四時朝謁」に続くのであるから
739の訳では意味不明となります。私の訳では今まで説明した、
この「自號韓王」一族はとなります。

筑磨書房や東洋文庫の訳は部分を取れば正しいと思いますが、前提
が違うと解釈が違って来ると思います。


743日本@名無史さん:2001/03/16(金) 21:56
文章の前後関係を勝手に入れ換えちゃダメだよ。
しかしよくもまあ、そこまでめちゃくちゃな糊塗思い付くね。

箕準が左右の宮人をひきいて海路韓地に入って住みつき
勝手に韓王を名乗ったのは何時の時代??

箕準が衛満に追われたのが前195年ごろ、韓地に入って後漢が衰える2世紀末まで400年近く箕準は生きてたのか?

箕準の子孫が絶滅したのはせいぜい息子か孫のころだろう。
楽浪郡が出来たのが前108年だから、その前くらいだな。

このころの韓人は勝手に韓王なんて名乗ってないから
問題なく「漢時屬樂浪郡 四時朝謁」できるんだよ。
書いてある順番に素直に読めば良いんだよ。

意味不明なのはあんたの説!
744日本@名無史さん:2001/03/17(土) 04:05
ずっとこのスレを見てきたが、どうやら結論は出たようだな。
任那は日本領だった。
745日本@名無史さん:2001/03/17(土) 06:13
>743
「將其左右宮人走入海」を海路韓地に入って住みつきと
訳されていますが、「海内」に入った詰まり漢の天下
(国内)に入ったとすべきではないかと思います。

いずれにしても視点の違いでしょう。

>744
私の論はもともと南朝鮮は倭人の国だったと見ているので
当然です。
746日本@名無史さん:2001/03/17(土) 06:38

  Λ_Λ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 <丶`∀´> <  チョッパリハ皆殺シスルニダ!
 (    )  │
 | | |   \__________
 〈_フ__フ


747日本@名無史さん:2001/03/17(土) 07:12
>>745
馬鹿か? 視点の違いじゃなくてオツムの違いだよ!

それで箕準は400年いきてたのか?
どうなんだ?はっきり答えろよ?

そうしないとあんたの「論」とやらは成り立たんのだぜ!
748日本@名無史さん:2001/03/17(土) 09:10
トンデモが一人・・・
749日本@名無史さん:2001/03/17(土) 11:58
>747
742がどうして747の結論になるのか判らぬ、箕準を持ち出し
て勝手に400年と云ってるにすぎない。私の見解は韓人の成り立
ちを解説していると見ている。そして海内に入って 「自號韓王」は
無いと云っています。
尤も、この部分を半歩譲って従来の見解にしても、国王のいない小国
で楽浪郡に所属していた事は変わりない。
750日本@名無史さん:2001/03/17(土) 12:43
ばかか?やっぱり!

侯準既僭號稱王 爲燕亡人衞滿所攻奪                 
將其左右宮人走入海 居韓地 自號韓王
其後絶滅 今韓人猶有奉其祭祀者

あんたは>>742
まず、
>「居韓地名 自號韓王」は何時の時代でしょうか
>後漢の力が弱まった時代これ以外有り得ない。

と書いただろう?
箕準が衛満に国を追われたのが前195年ごろ
「自號韓王」の主語は箕準だから、箕準が400年も生きていたってバカな話になるんだよ。

脳が3グラム以上あるのか?
751日本@名無史さん:2001/03/17(土) 13:39
>750
749はろくに漢文が読めないのに、ちくま学芸文庫や東洋文庫の訳が間違っているとほざく馬鹿者ですよ。
相手にしててもしょうがないです。
752日本@名無史さん:2001/03/17(土) 16:11
>750
よく読んで貰いたいですね、再三云いますがこの項は韓人について
成り立ちを記述したもので、それぞれ別の時代を云っていると私は
解釈したがそれが何故そんな馬鹿な話になるのかね。
「(韓人と云うのは)衛満のところで僭越にも王と称して敗れて漢に
逃げて来た者が出身で、その内自ら王を名乗りだし、結局絶滅した。」
この文書では韓は悪役で「二郡遂滅韓」への道筋をかいたものである。

「朝鮮王が自分の国を奪われて、韓の地に逃げてきてそこに君臨したが、
もとの朝鮮の地とは関係が途絶えた。一族はその後絶滅した」

それでは貴方の訳ですが、その時点で絶滅した一族の話を何故記述する
必要があるのか?絶滅したのなら「漢時屬樂浪郡 四時朝謁」これは
何者なの?又、入海した者が何故王と名乗れるのでしょうか?

>751
ちくま学芸文庫や東洋文庫の訳が間違っているとは云っていません、前提
が違うと解釈が替わるとは云いましたが・・・。

前回云ったように半歩譲っても内容は変わりません。

753日本@名無史さん:2001/03/17(土) 21:16
あほうで無学か。

>(韓人と云うのは)衛満のところで僭越にも王と称して

原文>侯準既僭號稱王 爲燕亡人衞滿所攻奪
「朝鮮侯の箕準は」ってはっきり主語が書いてあるだろ
勝手に変えるな!

>衛満のところで

「燕亡人衞滿」って書いてあるだろ
衞満は燕から朝鮮侯箕準のところに亡命してきたんだよ
「所攻奪」は攻められて国を奪われたってことだ
「所」は受動態の意味だ!漢文知識ないのか!


>敗れて漢に逃げて来た者が出身で、その内自ら王を名乗りだし、結局絶滅した。」

原文>將其左右宮人走入海居韓地、自號韓王

「入海」で「漢に逃げて来た」なんてデタラメな訳があるか!
「居韓地」って書いてあるだろ

だいたい次の行に「準王海中、不與朝鮮相往來」ってあるだろ!
漢が「海中」か!
王と名乗ったのも箕準本人だってわかるだろうが

な〜にが「解釈」だ!
7541:2001/03/17(土) 21:55

  /~~~~~~~ヽ
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(6|| `― ´ | `―‐′ ええかげんチョンは日本
|||    小   |
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| \   ⌒  /    \____________
/   \__/|


755日本@名無史さん:2001/03/17(土) 22:02
===でたらめ=== ===でたらめ=== ===でたらめ===
「(韓人と云うのは)衛満のところで僭越にも王と称して敗れて漢に
逃げて来た者が出身で、その内自ら王を名乗りだし、結局絶滅した。」
===でたらめ=== ===でたらめ=== ===でたらめ===
756日本@名無史さん:2001/03/18(日) 05:59
こちらの質問には解答なしですか。

最終的には、景初中の明帝が「二郡遂滅韓」、韓は滅ぼされた。
757738:2001/03/18(日) 06:56
>>739
あ、そうか。そういえばそうだったね。スマン、スマン。
それに「臣智」とか「邑借」とかの称号も現地語だしな。
---------------------------------
まあまあ、
750 はひたすら字面のことをいってるわけで、
そりゃ正しいとは思うけど、
749 は伝承に史実がどのように反映してるかっていう推理を
取り混ぜていってるんで、
ちょっと両者の前提がくいちがっただけでしょう。
---------------------------------
>>745
>「將其左右宮人走入海」を海路韓地に入って住みつきと
>訳されていますが、「海内」に入った詰まり漢の天下
>(国内)に入ったとすべきではないかと思います。

いや、漢の国外に出た、の意でしょ。

>>741
>「自号韓王。其後絶滅」とはっきり書いてあるだろう?

そりゃそうだが、「其後」ってのがどれぐらいの期間なのか不明。

>>747
>それで箕準は400年いきてたのか?
>どうなんだ?はっきり答えろよ?

「其後絶滅」ってのは何も本人である必要はなく
その子孫という解釈はアリだが、
BC108に楽浪以下四郡の設置があるので
たしかにその頃「韓王」がいたというのは無理。
っていうか、そもそも箕準の話は史実性に乏しい伝説だけど。

>>752
>それでは貴方の訳ですが、その時点で絶滅した一族の話を何故記述する
>必要があるのか?又、入海した者が何故王と名乗れるのでしょうか?

それは現地の伝説と中国人の解釈を取り混ぜただけで深い意味はないと思うよ。
しかも本文じゃないでしょう?

>>740
>楽浪郡に属して「四時朝謁」する身分であったが「郡縣不能制」
>「民多流入韓國」で膨張して倭地を侵した。この事実と見ます。

「倭地を侵した」ってのはいまいちわからんが。

>>743
>このころの韓人は勝手に韓王なんて名乗ってないから
>問題なく「漢時屬樂浪郡 四時朝謁」できるんだよ。

じゃ魏志の「辰王」ってなんだ?

>>752
>絶滅したのなら「漢時屬樂浪郡 四時朝謁」これは
>何者なの?

現地の土豪。国々の主帥。

>>756
>最終的には、景初中の明帝が「二郡遂滅韓」、韓は滅ぼされた。

それってどういいう実態をさしてるんだろうか?
「辰王」がこの時に廃絶されたということか、
単に韓の国々のいくつか(具体的にいえば魏志のその事件に出てくる臣嘖沾韓国等)
が郡県に領地に併合されたって話なのか?
758日本@名無史さん:2001/03/18(日) 10:06
>>757
>>このころの韓人は勝手に韓王なんて名乗ってないから
>>問題なく「漢時屬樂浪郡 四時朝謁」できるんだよ。

>じゃ魏志の「辰王」ってなんだ?

「韓王」だからまずいんじゃないの?
中国の国名だ。しかも周室と同族の国だったろ?
箕準の子孫が「冒姓韓氏」って非難してるし。

韓族という民族名はデファクト・スタンダードとして認めてるわけだが
その民族統合の王を自称することは、韓族を郡県に編入したい中国としては
認めるわけにはいかんと思う。

>それってどういいう実態をさしてるんだろうか?

日本列島で卑弥呼が出たように
半島で「辰王」を統合の象徴とするような国々の集約が始まっていたのを
徹底的に解体したってあたりじゃなかろうか?

759757の続き:2001/03/18(日) 10:45
>>756
>最終的には、景初中の明帝が「二郡遂滅韓」、韓は滅ぼされた。

いやいや、「二郡遂滅韓」は
正始七年(AD246)の五月頃だよ。
760日本@名無史さん:2001/03/18(日) 14:54
そしてこの「韓」は朝鮮侯箕準とは直接関係ないだろう。
べつに衛満に追われて南下してきた人々の子孫というわけでもない。
761日本@名無史さん:2001/03/19(月) 08:09
当方いそがしいので一々のレスは省略します。話が字句の問題となり
細部に入り、進みません。
古代史を愛する皆さん、魏書の韓伝の見直しをお薦めします、倭人伝
では見つからない事実が見えそうです。概略は以下。

1.漢書より「樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云」
  元々南朝鮮から列島に掛けて百餘國の倭人国があり、後の後漢の
  光武帝よりAD57にその代表として委奴国が金印を貰う。AD
  107には倭王師升の貢献も記録されている。
2.後漢の末期、韓伝「郡縣不能制民多流入韓國」
  韓国の膨張が始まり、これが倭地への進出となった。倭乱もこの事
  を指すのであろう。
3.韓伝「建安中公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡」
  AD204には公孫が「荒地」を帶方郡としたが、倭韓が争っている
  地域のことである。これが後に続く韓伝「是後倭韓遂屬帶方」の意味
  である。つまり直轄地として修めた。
4.中国が三国時代であり再び韓の拡張があったのであろう、魏の力が強
  くなって半島に力が及ぶや韓伝、魏の明帝が楽浪・帯方により「二郡
  遂滅韓」、つまり韓を滅ぼした。そして膨張した韓地を直轄地とした。
5.倭人伝「舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國」
  漢時に「百餘國」あったが大部分韓地の中に入り「三十國」となった。
  しかし韓地はベ−スとしては、地域差はあってもほぼ倭人が住んで居
  る状態でしょう。
6.この後、魏から西晋となり歴史は移るが、高句麗が強大となり楽浪・
  帯方を落とした、つまり一時は韓地まで及んだ事となる。好太王碑が
  云っているのはこの事であろう。
7.これに刺激されて、百済・新羅が起こるが、これも好太王碑が云って
  いる様に元々高句麗が作った国と考える事も出来る。
8.この後が倭国による巻き返しと後退の歴史だが、百済も新羅もベ−ス
  は倭人であり、倭人国の争いとも云える。伴に高句麗と戦かったり、
  又互いに争ったりの歴史である。
切りが無いので一応此処で止めますが、上記の流れで見直して見ると従来
不明であった事が当然の如く理解出来るでしょう。倭の五王の気持ちも判
りますよ。興味をもたれた方や賛同の方はいませんか。
 


762日本@名無史さん:2001/03/19(月) 08:36
「当方いそがしいので一々のレスは省略します」だって!
ツジツマが合わないので誤魔化しに出たな。
いいかげん創作はやめろよ。
「倭韓が争っている」とかな。
763日本@名無史さん:2001/03/19(月) 10:24
>>761 は韓伝の記述を歪めて、妄想を交えて事実でないことを書いている。
間違いを指摘されても居直るばかりだ。困ったものだ。
764食いだおれさん:2001/03/20(火) 17:25
本筋スレage
765日本@名無史さん:2001/03/20(火) 21:36
>>761
ちょっと疑問点を挙げてみる。

1 委奴国とは?
師升=素盞鳴はトンデモか?
2 ここで言う韓國とは誰の国か?
3 帶方郡時代に倭韓が争っている記述は?
4 二郡を廃止することがなぜ直轄地になるのか?
7と8が矛盾している。

基本的に一方の記述ばかり追っていっても本質は見えてこないんじゃないかな?
日本にも古い神社とかに色々言い伝えが残ってるのだから
色々突き合わせてみたほうがいいんじゃないの?
766日本@名無史さん:2001/03/20(火) 23:15
>>761
韓伝「是後倭韓遂屬帶方」の意味は、これまで楽浪に属していた倭と韓が帯方に移管になったというだけ。直轄地などではない。誤訳。

「魏の明帝が楽浪・帯方により「二郡遂滅韓」、つまり韓を滅ぼした」
明白な間違いを指摘されているのに訂正しない。怠惰。

「韓地はベ−スとしては、地域差はあってもほぼ倭人が住んで居る状態でしょう。」
まったくの妄想であることは地名等が韓語であることで明白。

全体に基礎知識に欠け、空想を交えすぎ。
767日本@名無史さん:2001/03/21(水) 06:23
>762-->766 批判の前に
この時期現れた3韓の広大な領域を論理的に説明して貰いたい。
地中から突然現れた訳ではあるまい、又、無人地帯に展開した
訳でもないでしょう、当然元々有った国に入るしかない、これは
漢書には一言も触れられていない韓の必然である。また平和裡に
争いもなく行われる訳も無し。


768日本@名無史さん:2001/03/21(水) 06:34
>>767 馬鹿じゃないの?もともと住んでたんだろうが!
769日本@名無史さん:2001/03/21(水) 08:24
自分が回答できないうちに質問を返すのはおかしいね。
770日本@名無史さん:2001/03/22(木) 05:09
>768 769
思った通り論理的説明は出来そうに無いですね。

>765
意味のない質問ですね、答えは#761に書いた通りです。
>762 763 766
それはほとんど貴方の主観を述べただけ。「二郡遂滅韓」は韓伝
記載事項。
771日本@名無史さん:2001/03/22(木) 06:19
その後に二郡の管轄する県の数が増えた様子も無いし
馬韓、辰韓、弁韓というのは存在し続けているわけだから
「“二郡遂滅韓”ってのは三韓の地を楽浪・帯方に併合したって意味」じゃないでしょう。
じゃどういう意味なんだといわれると、すこし困るが。
1、「辰王」を滅ぼしたの意か、
2、三韓七十余国のうちの数カ国を滅ぼしたの意か、
3、その他か。
772日本@名無史さん:2001/03/22(木) 06:29
>>770
「魏の明帝が楽浪・帯方により「二郡遂滅韓」、つまり韓を滅ぼした」
なんてのは明白な間違いだって指摘されているでしょう?
なんでちゃんと韓伝を調べないの?
ほんとは読んでないの?それとも漢文が読めないの?
773日本@名無史さん:2001/03/22(木) 06:54
>>770
具体的な間違いを指摘されてもはぐらかして答えない自分を棚に上げてない?
非論理的な問いに論理的に答えろと言うの?
774日本@名無史さん:2001/03/22(木) 06:56
>なんでちゃんと韓伝を調べないの?

逆に韓伝だけ読んでるんでしょう。
韓伝には「二郡遂滅韓」の記事に年代がぬけていて、その前の記事が明帝の景初年間の事件だから
続けて読むとあたかも「二郡遂滅韓」まで明帝の景初年間のことだったように誤読してしまう。
775日本@名無史さん:2001/03/22(木) 09:22
>>774
じゃ、ワイ伝はしかたないにしても、倭人伝も読んでなくて
正始元年に弓遵が何をしたかも知らないのかな。
「時太守弓遵、樂浪太守劉茂興兵伐之、遵戰死、二郡遂滅韓」の
「遵戰死」も読めないのかな。
漢文読む能力まるでないってこと?
776774:2001/03/22(木) 09:51
>>775
倭人伝くらい読んでるだろうけど気づかなかったんだろ。
おれにきくなよ、おれに。

ついでに時系列でいうと
景初2年(238)公孫氏を滅ぼし二郡も魏に接収。
景初3年(239)明帝没。
正始元年(240)太守弓遵、倭王に位を仮授
正始6年(245)黄ドウを下賜
正始7年(246)郡と韓がトラブル。弓遵、戦死するも「二郡遂滅韓」
正始8年(247)弓遵の後任に王キが赴任
777日本@名無史さん:2001/03/22(木) 13:06
>>770
 陳寿は、秦からの逃亡民が「韓国」に行って馬韓に土地を分けてもらったという伝承を紹介していますし、朝鮮侯箕準が「韓地」に入って韓王を僭称したとも書いています。これらは、半島南部が前漢代以前から人口はまだ疎とはいえ韓人の居住地であったという認識を示しています。前漢の段階では敢えて記述するほどの勢力ではなかっただけということでしょう。

 漢書は朝鮮や南越や匈奴に筆を費やし、魏志は烏丸鮮卑のことを書き、東夷にまで筆を進めていますが、これは出来事の推移を追っただけです。史書が採り上げる対象はその時代その時代の状況、重要度の変化によって変わるもので、一定でなくてはいけないなどということはありません。
 もともと主に辺防という観点から資料が集められていますから、漢書に韓のことが書かれていなかったのは韓が存在しなかったということを意味するのではなく、重要性が無かったというだけです。魏志でみる範囲でもまだ韓の国家形成は未熟な段階ですし、前漢の時代に辺境の邑落に住む民族が漢人の関心を引かなかったとしてもなんの不思議もありません。

 そして後漢初期には、韓国人は倭奴国より前に光武帝に朝貢しています。倭人より後から半島南部にやってきた征服者であるなどというのは根拠の無い空想です。
778日本@名無史さん:2001/03/23(金) 06:14
>771
本統韓國分割辰韓八國以與樂浪
韓伝にはこの様な表現もあり、この時点では與(あずかる)状態
から続く「二郡遂滅韓」でしょう。月支国を治めていた辰王に付
いては色々な考え方もあるがこれ以上戦線を広げたく無いので・・

772−−>776
片言隻語の誤りを誇大化して、其れをもって全て間違っているとの
図式に導こうとの意図と思いますが、あくまでも本旨は#761で
あることをお忘れ無き様願います。針小棒大。
中国歴を確認しないまま、うっかり使ったミスは認めるが、貴方方
の確認された時系列で当方も考えていたので本旨には影響は無い事
をお伝えします。

777
熱意は認めますが、全体を通して貴方の口癖の根拠のない想像、推測
および空想と片づけられる内容ですね。


779日本@名無史さん:2001/03/23(金) 06:35
>>778
まるで理由を述べることが出来ないのですか?
ならば全面降伏と見なしますよ。
780日本@名無史さん:2001/03/23(金) 07:23
>779
>前漢の段階では敢えて記述するほどの勢力ではなかっただけ
ということでしょう。

貴方の考え方です。
尤も、だから私の説が成り立つというものですが・・・

>史書が採り上げる対象はその時代その時代の状況、重要度
の変化によって変わるもので、一定でなくてはいけないなど
ということはありません。

これも貴方の考え方です、但しこれも私には有利な考え方
であると云えます。

>魏志でみる範囲でもまだ韓の国家形成は未熟な段階ですし、
前漢の時代に辺境の邑落に住む民族が漢人の関心を引かなか
ったとしてもなんの不思議もありません。

これも貴方の考え方です、漢時代の倭国及び卑弥呼の時代の
倭国数と比べて下さい、70余国の広域は、この様な話で片
付けられない。

貴方が書かれている良いのですが、私に有利な考え方とも云
えます、もしその論理で私の結論に導くと何と云われますか。
781日本@名無史さん:2001/03/23(金) 08:49
>>史書が採り上げる対象はその時代その時代の状況、重要度
>>の変化によって変わるもので、一定でなくてはいけないなど
>>ということはありません。

>これも貴方の考え方です、但しこれも私には有利な考え方
>であると云えます。

いいえ。これは陳寿の考え方です。
書かれていないから存在しないというあなたの考えを有利にはしません。
あなたの言うことは論理的ではありませんね。

考え方ではなくて事実を見るべきです。
ひとつひとつ行きましょう。
光武帝の時代に半島に韓国があったということを認めますか?
782日本@名無史さん:2001/03/24(土) 07:03
>>史書が採り上げる対象はその時代その時代の状況、重要度
>>の変化によって変わるもので、一定でなくてはいけないなど
>>ということはありません。

>これも貴方の考え方です、但しこれも私には有利な考え方
>であると云えます。

言葉が少し足らなかった様です。書かれた時代「その時代の状況」
「重要度 」が無かったと云う事で韓が有ったとしても取るに足らぬ
存在であった事を証明している、と云いたかった。

>光武帝の時代に半島に韓国があったということを認めますか?

どちらでも、決めなくても良い。
783日本@名無史さん:2001/03/24(土) 13:12
>>光武帝の時代に半島に韓国があったということを認めますか?
>どちらでも、決めなくても良い。

なに言ってんだよ。
光武帝の時代AD44年が韓の所見だろ。魏略を除けば。
この韓は半島じゃないのか? ったくもう…
784日本@名無史さん:2001/03/24(土) 14:00
どうせ光武帝紀なんて読んじゃいないよ、この人。
785日本@名無史さん:2001/03/27(火) 22:53
>>698
弁韓っつーのは語源がよくわからなかったけど、
馬韓が「乾馬国」を中心とする韓国、辰韓が「斯盧国」を中心とする韓国sila→sinとすると
弁韓は「半路国」(日本書紀の「伴跛国」。半路は半跛の誤写)を中心とする韓国paen→pyenだろうか。

3世紀には狗邪国はまだ1国にすぎず加羅諸国(伽耶諸国)は成立していなかった。
後に狗邪国(金官)が台頭してその下に結集した国が「〜〜加羅」と称したのが加羅諸国(伽耶諸国)。
その後、伴跛国(弥馬邪国=任那)と合体して大加羅)を中心とする諸国が加羅諸国から分裂して、
伴跛国(大加羅)を中心とする北部連盟と金官加羅を中心とする南部連盟になった。
786日本@名無史さん:2001/03/29(木) 15:20
あ、やっとわかった。
>>780は三韓70余国と倭国の30国の合計と、例の「分かれて百余国」を関係づけていたわけか。
787日本@名無史さん:2001/03/31(土) 08:17
数百年間もずっ〜〜〜と国の数が同じと考える発想についていけん…
788日本@名無史さん:2001/03/31(土) 17:52
ほうかの〜〜〜?。有史以後の日本の国名はどうなん?
789日本@名無史さん:2001/03/31(土) 18:05
>>788 言ってる意味がわからん。
790日本@名無史さん:2001/03/31(土) 18:11
国数
791日本@名無史さん:2001/03/31(土) 18:23
>>789 言ってる意味がわからん。文章かいてくれ。
792日本@名無史さん:2001/04/01(日) 06:13
ひょっとして、統一後の日本の国数が何年たっても1から0.5にならないから
紀元前に100国あったら200年後に30国まで減ってるのはおかしいとか
言い出すんじゃないだろね。まさかね。
793日本@名無史さん:2001/04/01(日) 08:51
多分、播磨国、但馬国、伯耆国・・・等の国名に継続性があるから
787はおかしいと云ってると思う。
794日本@名無史さん:2001/04/01(日) 11:44
そりゃなかろう
吉備→備前+備中+備後 とか知らんはずもなし
795日本@名無史さん:2001/04/01(日) 12:20
それを云ったら、筑紫も豊もだが千年単位の話じゃないかな。
少なくとも備前、備後、備中の国名も何百年単位で続いたのでは
ないでしょうか。
796日本@名無史さん:2001/04/01(日) 13:16
集落+αの単位で無数のクニがあっただろう紀元前と、1国で何万戸というレベルになった3世紀を
一緒にするのは変でしょう。
ましてや律令下の時代と比較するのは意味がないです。
問題は、日本の国家形成がいつの時代にどう進んできたかという視点が欠けていることですね。
797日本@名無史さん:2001/04/07(土) 16:01
当時の状況では、200年(8〜12代くらい?)もあれば、
一気に状況は変化していたのではないかと。
798日本@名無史さん:2001/04/07(土) 21:32
おやおや想像たくましい。
799日本@名無史さん:2001/04/08(日) 02:09
↑きみは想像力しょぼい?
800日本@名無史さん:2001/04/08(日) 06:41
脱線するけど、九州って名前の由来は、昔9つの国があったから
って聞いたんだけど、これっていつの時代の話なんだろう?
豊とかの、昔の国を数えると2つ足りないんだけど
これってどういう事なんだろう?というか何で漢字一文字なの?

まあなんで上下とか前中後とか分けたのか知らないんだけどね。
801日本@名無史さん:2001/04/08(日) 06:51
壱岐と対馬かぞえた?
802日本@名無史さん:2001/04/08(日) 07:00
九州という呼び名が文献にでてくるのって
吾妻鏡など鎌倉期くらいからじゃない?
803日本@名無史さん:2001/04/08(日) 07:04
2文字に統一されたのは律令下でしょ?
804教えて君:2001/04/09(月) 03:29
六十六カ国の中に壱岐と対馬はいれない。入れたら六十八カ国になるわけなんだが、
なんで「六十六カ国」というんだろう???
誰か教えて。
805日本@名無史さん:2001/04/10(火) 16:01
壱岐対馬を入れても筑州・豊州・肥州・日州・薩州・対州・壱州で
七州なんだよね。
だから筑・豊・肥を前後に分けて大隅が出来た後の話なのかな?

古事記の国産み神話だと筑紫島で 筑紫・豊・肥・熊曽の4つ。
で、対応するのが四面宮の神らしいんだけど
白日別命、豐日別命、(速日別命)、豐久士比泥別命、建日別命、
で何故か5柱なんだよね。熊曽は熊と曽の2国と数えれば数的には合うけど。

まあ消えた速日別命って饒速日命に関係あるのかもしれないし
肥国のはずなのに建日向日豊士比泥別って
なんで頭に建日向と付くんだとかよく分からないけど
ともかく日に関係してるのかな?(あとからつけたしなのかもしれないけど)

関係ないけど、日(日本)と和(大和)の関係って日本史最大の謎だね。
まあ飛鳥の明日香みたいなものなのかも。
806日本@名無史さん:2001/04/13(金) 01:25
新羅が白木からきてるってのは本当?
807日本@名無史さん:2001/04/14(土) 03:59
日本府という名では無いにしても、大和朝廷が半島に進出して
一時的に占領地を持ったというのは充分ありうる事ではないでしょうか。
808日本@名無史さん:2001/04/14(土) 07:39
「肥国を建日向日豐久士比泥別といい…」なんて他の三面に比べれば
「肥国を建日別といい…日向国を…(日豐)久士比泥別といい…」の誤写とするのが自然だろう。
だから九州はもともと四面じゃなくて五面だったんだろう。
809日本@名無史さん:2001/04/14(土) 07:51
任那は日本領だったとはありえないね。
ただ、第2次大戦でフランスが一時、イギリス領になることで
抗戦を続けるという案があったように武力的に名目的に日本に頭を垂れたことは考えられる。
しかし対馬だって、侵略を避けたり貿易や食料の供与を朝鮮から受けるために
名目的に朝鮮に臣下の礼をとっていたのは有名だよ。
そんな感じならありえたかな?
810日本@名無史さん:2001/04/14(土) 07:55
それと倭の件だけど、
古代日本も朝鮮半島も中国に「倭」と呼ばれたからと言って同族、
ましてや「日本人」などと考えるのは無謀だよ。
日本人が欧米人をみんな、南蛮人と言ってたから、ヨーロッパは統一されていたというようなものだよ。
そんなの中国人が勝手にごっちゃにしてたのと
日本人や朝鮮人が良くわからず自分で使ってたのが原因だろう。
811百済、新羅は300年倭のぱしりだった:2001/04/14(土) 08:07
魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。
812朝日新聞ニュース:2001/04/14(土) 08:10
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レスを全部読みたまえ。
投稿者: azsxdxzsazxd (11歳/jp) 2001年3月30日 午前 1時28分
メッセージ: 1911 / 2019
朝日新聞ニュース
 前方後円墳に寄せる韓国の関心は高く、八〇年代後半からこれまでに五基が発掘
された。現在、確実な前方後円墳は九基で、いずれも韓国南西部の全羅南道にある。
このうち光州市の月桂洞1号墳と2号墳は復元整備されている。柳沢一男・宮崎大学
教授は「八、九月にも一基発掘され、韓国国立中央博物館のホームページで成果が
公開されている。調査の継続と公開に敬意を表したい」と述べた。

 西谷正・九州大学教授によると、韓国では伝統楽器の長鼓に似ているので「長鼓形
古墳」とか「前方後円形古墳」などとも呼ばれている。九基の規模は、最大で全長
七十七メートル、最小で三十五メートル。日本では中、小型だが、韓国の古墳の中では
比較的大きい。時期は五世紀後半から六世紀前半というのが大方の見方。三世紀後半に
出現する日本の前方後円墳の方が古いことは、韓国の学界でも共通した認識になって
いるという。
813読売新聞ニュース:2001/04/14(土) 08:11
読売新聞ニュース
 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、
内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認された
のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の
古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島
から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝
えていたことを示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。

 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望
を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見さ
れていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と
紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと
論争になった。

 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜
六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)
」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がか
かわったとも
814朝鮮南部から日本産の勾玉大量出土:2001/04/14(土) 08:11
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土(高句麗の旧領では稀)し、
戦前の日本の考古学者は、倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房なサヨク似非学者もいました。
朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。

こう言った科学的研究や、考古学の編年研究の進歩で、徐々に韓国学者のニュアンスは
変わってきたようです。だから、今回のような研究発表となったのでしょう。
でも、電波な韓国の歴史教科書で習っている一般民衆は厨房のままだろうけど。


815新井はガキだね:2001/04/14(土) 11:26
http://www.yomiuri.co.jp/04/20001002i306.htm
の106番の意見の意味するところをよく考えて反省しなさい
816815ナ@?*?*:2001/04/14(土) 11:29
http://mentai.2ch.net/history/kako/970/970077532.html
ヌテ106ュヌテ熹蟀ヌテ熹ヌ*ヌネヌ*ヌアヌホヌ*ヌハヌ*輙ヌカヌ??*霆ヌオヌサヌ*ヌ「
817815 訂正:2001/04/14(土) 11:30
http://mentai.2ch.net/history/kako/970/970077532.html
の106番の発言の意味するところをよく考えて反省しなさい
818強大なヤマト王権:2001/04/14(土) 11:33
復活したんだね、ありゃい君
819新井君:2001/04/14(土) 12:13
809の新人さんに真実を教えてあげました。
820新井君:2001/04/14(土) 17:36
300年も倭のパシリをしていたしょぼい百済、新羅あげ。
821 名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/14(土) 18:12
822新井君:2001/04/14(土) 21:27
やっぱりしょぼい百済、新羅はさげっ!!
823日本@名無史さん:2001/04/20(金) 22:46
おいおい、百済は滅亡後、多くの民が日本へ渡って、技術や文化を伝えるとともに、
東国の開拓民となった者たちも多く、現在の日本人形成されただろうが。

移住してきた者の数もすごく多く、ここに書いてる我々もなんらかの形で
百済系渡来人の血が流れているんだぞ。百済の国の後継は明らかに日本。
ちなみに、韓国を形成する元となった新羅に、百済の国は滅ぼされた。
824日本@名無史さん:2001/04/21(土) 20:08
韓国を形成したのは、渤海だろ。
825日本@名無史さん:2001/04/22(日) 10:40
そっかい?
826>823:2001/04/22(日) 10:49
こんなこと言われて喜ぶ日本人はいないだろうな。韓国人のイメージ
悪すぎ。
827日本@名無史さん:2001/04/22(日) 10:52
>826
韓国人は喜んで言いたがります。
828日本@名無史さん:2001/04/22(日) 14:48
ハングル板は破廉恥日本人、NETえせ「右翼」、差別排外主義者
誹謗中傷の輩の巣窟。
他民族をバカにして 自分の欲求不満の捌け口にしている性格破綻者どもの集まり。
カキコ人口は少ない。性格破綻者どもが朝鮮人になりすましたりして
自作自演。たまに、それに反応した在日などを餌食にして楽しんでいる。
学校、職場では相手にされていない可愛そうな奴ら・・・・・。

管理人もこんな板作ったのは後悔しているに違いない。   
829日本@名無史さん:2001/04/22(日) 16:17
これが噂の「優良スレ認定宣言」ですね。>828
祝!
830日本@名無史さん:2001/04/22(日) 16:58
>828
韓国人の評判が悪いのは日本だけじゃないよ。アメリカでも新聞社
のアンケートで嫌いな外国人一位に韓国人が選ばれたし、メキシコ
の新聞にも韓国人はマナーが悪いと叩かれていたよ。
831日本@名無史さん:2001/04/22(日) 20:41
日本人のフリをして悪いことをしないでね。
832>823:2001/04/22(日) 21:35
おいおい、いい加減なこと言うな。
確かに百済人が多く日本に渡ってきたことは確かだが、
日本が百済の後継というのは明らかにおかしいぞ。
日本が百済を吸収しただけであって、日本はずっと日本だ。
833日本@名無史さん:2001/04/23(月) 05:23
>日本が百済を吸収しただけであって、日本はずっと日本だ。

吸収はいいけど、日本はずっと大和ではない。
834日本@名無史さん:2001/04/23(月) 05:42
またまた珍説を!
835日本@名無史さん:2001/04/23(月) 05:44
倭のパシリを三百年もしていたしょぼい百済、新羅さげ!
836日本@名無史さん:2001/04/23(月) 07:16
>吸収はいいけど、日本はずっと大和ではない。

吸収=九州 うまい
837日本@名無史さん:2001/04/23(月) 21:32
任那は日本領だったんじゃなくて倭国の属国だろう。
また薩長オタどもが
ヤマトマンセーの歴史を語らっているな
839日本@名無史さん:2001/04/23(月) 21:38
薩長ヲタには天皇制ファシズムによる亜細亜侵略の礼賛者が多い。
840日本@名無史さん:2001/04/23(月) 21:40
>>839
オレは薩長びいきだけど、亜細亜侵略礼賛者ではないぞ
日本史自体が天皇制ファシズムの歴史。
日本史なぞ消えてなくなれ
千年以上にわたって虐げられてきた
アズマの恨みを晴らす時がきた!
日本史を語らうやつらは全て敵じゃ
843日本@名無史さん:2001/04/24(火) 10:50
>【^▽^】ジョーカー@武蔵守

そこの厨房、脳みそ腐ってない? オマエみたいな物知らずが参加できるスレじゃねんだよ。あっち逝け
844日本@名無史さん:2001/04/24(火) 18:59
任那っつっても、いろいろあるかならね。よく伽耶諸国とイコールのようにいわれるけど
「任那諸国=伽耶諸国」って情況が生まれたのは
旧馬韓(慕韓)地域にあたる四県二郡が百済に割譲された後の状況。
その伽耶諸国も伴跛を中心とする北部連合と金官を中心とする南部連合にわかれてた。
倭王武の上表文に「任那」と「加羅」が別々に出てくるのはこのため。
最狭義の任那は、伴跛=大加羅(半路国+弥馬邪国)
狭義の任那は、伽耶諸国の中の伴跛を中心とする北部連合。
広義の任那は、南北両連合あわせた伽耶諸国すべて。
(任那諸国というのは伴跛が優勢だった昔の名で、倭国ではそう呼び続けたが、
後に金官が優勢になってから加羅諸国という言い方にとってかわられた)
最広義の任那は、さらに旧馬韓諸国(全羅道)をあわせた名称。
この最後の「最広義の任那」というのは、日本書紀の修辞上あらわれた呼び方に
すぎないかもしれないが、それにしても、なぜに日本書紀は
(他にも名前があるのに)この地を任那と呼ぶのかイマイチわからない。
845日本@名無史さん:2001/04/24(火) 19:51
わたしにとって韓国のイメージは「お兄さん」。
昔のお寺や仏像フェチな私にとっては、朝鮮半島から伝えられた文物には「あ
りがとうありがとう!」と涙流したいものがたくさんあるので。

だからこそ、というか、あの「教科書をつくる会」でしたっけ?キナ臭くて、
なんじゃそりゃってカンジ。自虐史観を覆したいとか言ってるらしいけど、は
き違えもいいとこ。ジギャクじゃなくジジツなの。何なのよ、あのおっさんた
ち。

呆れてるバアイでもないので、我々若いモノががんばりましょう。
846日本@名無史さん:2001/04/24(火) 19:53
>>845
激しく同意!
847日本@名無史さん:2001/04/24(火) 19:58
845と846は自作自演です(藁
848日本@名無史さん:2001/04/24(火) 21:35
>>845-846
自作自演するならもっと分からんようにやれよな。
849日本@名無史さん:2001/04/25(水) 14:11
>845、846

ウ在んだよ、ヴォケ!!

創価板に逝け!!!
850名無しさん@1周年:2001/04/25(水) 15:41
こぴぺだよ。
851日本@名無史さん:2001/05/02(水) 12:15
>>844
新羅の成立は時代的に最後になるのですか?
852名無しさんといつまでも一緒:2001/05/03(木) 08:57
ちょっと他の国の事例を見てみよう。

例えばイギリス。今でも4カ国連合ですよね?おまけに、フランスの上の方に
ちょろっと領土を持ってた時期もありましたよね?

つまり、日本と倭国は別もので、当時の大和朝廷はイギリスで言うイングランド
だったのではないかと・・・。で、九州なり出雲なりにあった倭国が朝鮮半島の
南端をちょろっと持っていたって事でいいんではないんでしょうか?

俺は任那は倭国の領土であったと思います。ただそれを大和朝廷が引き継ぐ権利
があったか、また引継ぎをできる実力があったかどうかは疑問。

倭国の影響が濃い任那を大和朝廷の日本統一時に放棄した可能性も考えられると
思います。もし放棄していたとしたら、「任那は倭国領だったけど大和朝廷の領
土ではない」ということになります。

853日本@名無史さん:2001/05/03(木) 22:39
>>852
私が疑問に思うのは、日本の神様の名前が、大陸側の文献にあまり出て来ない事なんだよね。
基本的にそのシマの権力者が神様として奉られてるんだと思ってるんだけど。

852さんが言う倭国は、要は筑紫の白日別ってことだよね。

私の根拠もない空想だと、速日別かなんかの一族が、落ち延びたのか攻め入ったのかは知らないけど
とにかく船で進出していった先がキノクニなりキナイなんじゃないかなって思ってる。
854852:2001/05/03(木) 23:38
>853
マジレスありがとうございます。ただ俺はあまり古代史には詳しくないので
俺のはあくまで想像の域を出ませんが。

神様か・・・。もしかしたら、倭国は大陸と同じ神様を当時信仰してたっ
て事はありえませんかね?つまり倭国は大陸文化圏であったと・・・。
今の俺たちの感覚の日本列島ではなかったのではないでしょうか?今の九
州に倭国があったとして九州は当時大陸文化圏であったとすれば?大和朝
廷から見たら九州は外国であった。ちょっと無理があるかな?

また、まったく別の話ですが韓国内にある差別地域(全羅道?)は旧百済と
任那の地域に当てはまることはないでしょうか?(これまたかってな想像)
韓国の差別地域の発端が百済、倭、任那であるとするならば・・・。歴史
を感じます。
855日本@名無史さん:2001/05/04(金) 02:14
同じ神様ってなにさ?一神教じゃないんだから。

まあ実際には侵略だとかいろいろあったんだろうけど、
基本的には、あんたの神様とおれっちの神様(先祖)は同じ、だから仲良くしよう。
ってところから国の統合と八百万神の体系化が進んだんじゃないかな?
後の人には歴史の改ざん者扱いされる訳だけど。

大陸文化圏というなら西日本全域がそうだったんじゃないのかな?
じゃなかったら鏡なんかボコボコでてくるわけはないし

後の律令制なんて大陸文化そのものじゃないの?
856日本@名無史さん:2001/05/04(金) 16:15
飛鳥の昔、寺院や御所の建築なんかは多分朝鮮の人々が
日本に伝えたのだろう。
瓦の焼き方とかの先進技術を日本人に教えたのも多分彼らだろう。
でも自信を持って断言できるが、当の日本人たちは、この
先進文化を伝えてくれた朝鮮の人々(百済とか新羅とか)に
対して「俺たちより進んだことやってるのが気にいらねぇ」と
激しく憎んでいたと思うぞ。
客観的には日本の文化の発展に大いに寄与しているのに、
そのことに対して絶対感謝せず、逆に朝鮮の人々を殺してやりたいほど
激しく妬んでいた。
当時のことをこの目で見たわけじゃないけど、今の韓国人への態度を
観てると、1300年前の日本人の姿が手をとるように分かる。
857日本@名無史さん:2001/05/04(金) 16:29
貴殿の馬鹿さ加減が手に取るように判る。
858( ´D`):2001/05/04(金) 17:20
そうれすね。
859日本@名無史さん:2001/05/05(土) 19:42
ここは差別スレッドだね。
民族主義色が強いのよ。
もう日本も終わりだね。
860>856:2001/05/05(土) 19:50
朝鮮にハングルや稲作を普及させたのは日本人だが、
朝鮮人は全然感謝していない。
861日本@名無史さん:2001/05/05(土) 20:40
>>856 >>860
当事者は感謝してるでしょ?
まあ860の話は浅学のせいか聞いた事がないが。

どーでもいいけど差別論議はゴーマニズム板あたりでやってくれないかなあ?
862日本@名無史さん:2001/05/05(土) 22:35
日本人は、焼肉もキムチも大好きじゃないですか?
ついでに韓国という国も好きになって下さい。
863日本@名無史さん:2001/05/05(土) 22:54
韓国人は日本食が大好きじゃないですか?
ついでに日本という国も好きになって下さい。
864日本@名無史さん:2001/05/08(火) 18:52
>>851
どういう状態をもって「成立」というのかによる。遠い起源というなら、遡りようはあるが、
諸国が分立していた辰韓地域が新羅を中心にまとまるのは4世紀。
(377年が新羅の初見。これは百済の347年よりやや遅いがほぼ同時期)
ただ辰韓の中の1国としてなら、それ以前(三世紀)から存在してる。
「任那=加羅」地域は弁韓諸国がまとまらないでバラバラのまま続いたってこと。
つまり辰韓における新羅や、馬韓北部における百済のような存在が、
弁韓においては「成立しなかった」ということ。
865日本@名無史さん:2001/05/08(火) 19:08
こっちの類似スレどこいったのかな?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=974989450&ls=50
866日本@名無史さん:2001/05/09(水) 04:12
教科書問題で一気にホットな争点へ。
867日本@名無史さん:2001/05/18(金) 03:37
新羅と百済が王子を人質として日本へ差し出していたことを教科書に明記すべき
868日本@名無史さん:2001/05/18(金) 05:11
いまさら上げてくるとは、暇な奴もいたもんだ。
869日本@名無史さん:2001/05/23(水) 04:03
>>867
まあそれは事実だからな。
でも事実もへったくれも関係ないやつらだからなあ。
ギャーギャーほざいてくる可能性は高いだろう。
870日本@名無史さん:2001/05/27(日) 22:19
まあ、新羅はまるごと韓国としても、百済の半分は日本になったわけで。
871日本@名無史さん:2001/05/29(火) 23:01
告知

荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。

 <規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。

日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059
872日本@名無史さん:2001/06/01(金) 00:42
なんとなくいまだに新羅が憎い
873日本@名無史さん:2001/06/04(月) 20:48
みんなで新羅を撃とうぜ!
874日本@名無史さん:2001/06/04(月) 21:10
だって新羅は唐のぱしりだから。。。
875世界@名無史さん:2001/06/04(月) 22:11
新羅って倭人の国じゃないの?
876日本@名無史さん:2001/06/05(火) 17:57
>>875
新羅は倭人、高句麗人、百済人、漢人などの混成国家。

政治的には倭人の要素もあるけどそれだけではない。
文物としては高句麗の要素もあるし、
言語(文法ではなく単語)的には漢語が多い。
877日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:10
韓国人=(倭人、高句麗人、百済人、漢人の混成部隊)
878日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:23
>>877
女真族、モンゴル族を忘れてしまっては困るニダ!。
879日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:32
倭人、高句麗人、百済人、漢人の混成だというのは新羅のことだね。
新羅が高麗になってから、女真やモンゴルが入ってきたということ。
でも血統的には女真やモンゴルはそんなに多くはないんじゃないかな。
880日本@名無史さん:2001/06/13(水) 16:30
あげ
881名無しさん@1周年:2001/06/15(金) 22:03
日本領の任那
882にっぽん誕生:2001/06/16(土) 03:17
「天皇」の誕生
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-17.html
日本人および日本の誕生
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-43.html
古代朝鮮・韓民族の形成とニッポン
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-52.html
「ニッポンの始まり」について---「中国」を軸に「朝鮮」を回廊にして
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-55.html
ニッポンとは「梅干し」か、それとも「ラッキョウ」か
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-54.html
数詞からニッポン人を考える
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-60.html
和漢二重複線言語・日本語の歴史
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-62.html
883日本@名無史さん:2001/06/17(日) 12:15
なんかドキュンなページばっかりだな(藁
884日本@名無史さん:2001/06/21(木) 00:45
882は無視して進もう
885日本@名無史さん:2001/06/25(月) 19:00
うーん
886日本@名無史さん:2001/06/26(火) 02:14
スレ死んだか?
887日本@名無史さん:2001/06/26(火) 02:18
>>886
以前、一時期このスレでさかんに書いてた者ですが。
何かききたいことでもあります?
888日本@名無史さん:2001/07/02(月) 09:40
時局アゲ。
韓国人は感情的な決めつけ論が多すぎる。
889日本@名無史さん:2001/07/06(金) 19:27
朝鮮民族の形成は、統一新羅のあとではないだろうか?
890日本@名無史さん:2001/07/07(土) 22:48
「民族」の定義にもよりますが、
だいたいそんなもんでいいんじゃない?
891日本@名無史さん:2001/07/09(月) 17:11
高句麗語は数詞からして日本語そっくりなので、
高句麗と日本は同じ語族と考えてもよいですか?

新羅の言葉は全然違うらしいです。
892:2001/07/09(月) 23:24
複合王朝としてのヤマト王権---葛城氏の正体
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-53.html
893日本@名無史さん:2001/07/10(火) 12:58
>>891
こっちを見れ。

高句麗の言葉が
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=987824592&ls

>>892
つまんないないHPだなあ。面白くないよ。
葛城氏は外交関係を担当した氏族。それ以外のあれこれは直接関係ない。
894名無しさん@1周年:2001/07/10(火) 15:12
朝鮮人は昔も今も何でこんなにドキュソなんだ
895日本@名無史さん:2001/07/11(水) 04:22
朝鮮人がドキュンになったのは新羅の半島統一以後で、それが悪化したのが高麗のモンゴル服属以降。
高句麗人や百済人や、統一前の新羅人なんかは、けっこうドキュンでもなかったよ。
そういえば日本人がヒキコモリになったのも白村江敗北してからだなあ。
896日本@名無史さん:2001/07/26(木) 04:19
あげ
897日本@名無史さん:2001/07/27(金) 14:32
あげ
898日本@名無史さん:2001/08/01(水) 16:42
ひっきー白村江起源説。ってすごい‥
899日本@名無史さん:2001/08/06(月) 00:01
>>898
>ひっきー白村江起源説

岡田英弘や岸田秀なんかの日本起源論なんかソレだよね。
この手の説はかなり「白村江ショック」を過大にとりすぎてると思われメ。
900名無しさん@1周年:2001/08/22(水) 03:26
900get あと100だ
901日本@名無史さん :2001/08/22(水) 05:34
任那日本府の本名は、「任那之倭塞」だそうです
http://www2j.biglobe.ne.jp/~takuya/takuya/history/mimana.html
902日本@名無史さん:2001/08/22(水) 06:22
現在の年代区分によれば、周知のように縄文時代は約10,000年の年月を持っている。これに対して
弥生時代は、紀元前300年紀元後300年の約600年間である。10,000年間、数千人〜30万人の間を
浮動していた人口は、弥生時代に約4,50万人の増加を見るのである。これは一体何を物語っている
のか。温暖化に伴う自然増も勿論ある。しかし、最大の原因は「大陸からの集団での民族大移入」
である。中国大陸及び朝鮮半島からの移住者達は、まず北九州に上陸し北九州各地に自分たちの
集落を築いた。そして南へ東へと移動していったのだ。これは推測や憶測ではない。弥生時代の
遺跡やそれに基づく各方面での研究結果が明らかにした、厳然たる「事実」である。
場所によっては、縄文人と戦い、或いは融合し、或いは駆逐して彼らをさらに北や南に追いやり、
次第に「渡来人」達は日本人となっていった。今日の日本人は、その殆どが、これら大陸や半島
からの移民者の子孫なのだ。東アジアの人々を蔑視・差別する人達がいるが、これは自分の出自
をおとしめている事に他ならない。天に向かって唾する、とは良く言ったものである
903日本@名無史さん:2001/08/22(水) 06:33
我々は現実を直視しなければならない。我々は「渡来人」の末裔である。ごく一部には南方からの
民族もいたかも知れない。しかし大多数が大陸からの渡来人と、少数の原日本人(?)即ち縄文人
との混血の子孫なのだ。混血比率はおおまかに10:1である。しかし、だからといって日本人の
アイデンティティーが無いわけではない。2000年の間に、我々は日本人として多くの独自の文化を
創造し、確立し、定着させてきた。これは明らかに現在の韓国・北朝鮮・中国とは異なる文化である。
これはこれで誇りにして良い文化であろう。人類の歴史200万年とか、400万年とか言う単位の中では、
韓国人もまた中国人或いはモンゴル人或いはその他の民族との混血人なのだから。
904日本@名無史さん
内容豊富なこのスレもめでたく900を越えました。
このスレの常連の皆様はとっくにご存じの
↓に統合しましょう。

任那って倭国領だったんですか?パート2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=974989450&ls=50