源頼朝と平清盛

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1日本@名無史さん
源頼朝が正義の見方、平清盛が悪者
という解釈でよろしいでしょうか?
2大河好き:2000/12/10(日) 11:04
二人とも悪役 正義の味方は牛若丸
3日本@名無史さん:2000/12/10(日) 11:34
安徳帝とか建礼門院はかわいそう。
4大河好き:2000/12/10(日) 11:45
テレビで篠原ともえが出てくる度に「そうそう昔 巴御前(ともえごぜん)なんてのがいたんだな」と思ってしまう
5日本@名無史さん:2000/12/10(日) 12:58
源義経が牛若丸だったのか。知らなかった
6日本@名無史さん:2000/12/10(日) 13:11
頼朝は猜疑心が強くて好きになれない。スターリンみたいな人間。
これにくらべると清盛はフルシチョフみたい。
7日本@名無史さん:2000/12/10(日) 13:12
頼朝は猜疑心が強くて好きになれない。スターリンみたいな人間。
これにくらべると清盛はフルシチョフみたい。
8日本@名無史さん:2000/12/10(日) 14:29
源義朝は平治の乱で
藤原信西の邸を焼き討ちした時
女童まで虐殺してる。

紛れもない悪役。
9日本@名無史さん:2000/12/10(日) 14:34
権力争いに正義の味方はいない
10日本@名無史さん:2000/12/10(日) 14:54
なぜ女童を殺したら悪者なのかを説明してほしい
11大河好き:2000/12/10(日) 16:44
「福原京」というのは今でいう「お台場」みたいなものかもしれない
12日本@名無史さん:2000/12/10(日) 17:35
保元物語(ex.半井本)・平治物語(ex.陽明本)
平家物語(覚一本だけでなく延慶本も読むとなおよろし)
兵範記・台記・玉葉・吉記・百錬抄・愚管抄・吾妻鏡あたりを読むと
1の解釈は崩れるであろう。

世の中、何が悪で何が善だとは簡単に決められないのだ。
おいら史学科でも国文科でもない、ただの趣味だから
他に良い書物があったら誰か補足してちょ。
13大河好き:2000/12/10(日) 18:08
「火の鳥/乱世編」
14世界@名無史さん:2000/12/11(月) 00:50
壇ノ浦の後、義経が建礼門院をやっちゃったって本当ですか?
15日本@名無史さん:2000/12/11(月) 01:24
>14
「世界@名無史」は、こんな低俗な奴が多いな。閑古鳥の世界史板で遊んでろ。
16日本@名無史さん:2000/12/11(月) 02:03
頼朝は早死にしすぎたね。あと十年長生きしていれば、北条氏に幕府を
乗っ取られずにすんだだろう。
清盛は中央での権力を掌握するために、朝廷とまともにぶつかったから、
悪者よばわりされることになった。
頼朝は、都から距離をおいて鎌倉で実権を掌握した分だけ朝廷と対立する度合いが
少なかったんじゃないかな。武家は武家で好きにやりますからって、ほとんど
朝廷をシカトしてたろ。
どっちかっていうと清盛の方が外国貿易とか、神戸を作ったりとか、面白いこと
やってくれてたんだけど。
頼朝は冷徹すぎてこわい。
17日本@名無史さん:2000/12/11(月) 08:08
要するに「平家物語史観」(by川合康)ってやつだな。>1
頼朝だって、平氏や義仲、武田氏、義経などから見れば悪以外の何者でもないだろう。
自分で思う分にはどう思おうが自由だが、他人に是非を問うものではないと思うな。
18日本@名無史さん:2000/12/11(月) 10:10
>>14
チンギス・ハーンは、その手のことをよくやってたらしいね。
19日本@名無史さん:2000/12/11(月) 12:28
義経の話題はこっちでどーぞ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=972894244
20日本@名無史さん:2000/12/11(月) 13:15
12の正当史料の後に漫画を付け加えるところが
さすが大河好きだな(藁
21日本@名無史さん:2000/12/11(月) 17:59
実は義経は常磐御前と清盛の子ってホント?
そういえばこの二人は結構似てるような・・・・。
22日本@名無史さん:2000/12/12(火) 16:49
>1
>21
ちゃんと日本史を勉強してから語ろうね。
とりあえず21には大笑いさせていただきました。
23日本@名無史さん:2000/12/12(火) 17:50
まじれすしてあげよう。
きよもりとときわのこどもはよりともだ。
24日本@名無史さん:2000/12/13(水) 09:57
>23
わはははは。
2523:2000/12/13(水) 15:15
          笑ッテクレテアリガトウ。オ茶デモイカガ〜?
      ∧_∧ 
      (*゜ー゜)  旦~~
      / つつ======
    〜  (
  ,,, (/  し
26日本@名無史さん:2000/12/13(水) 23:22
宗盛が清盛のこどもでないってのもよく聞くのだけど。
そんで、宗盛と建礼門院がそういう関係だったとか。
27桃の天然水:2000/12/13(水) 23:34
だいたい清盛がお人好しで、こともあろうに敵の大将の息子たちを殺さなかったから
あんな事になってしまったのよ。
頼朝なんか弟も殺したし、その嫁なんか我が子まで殺した。
28日本@名無史さん:2000/12/14(木) 00:10
自信があったのかねえ<清盛
頼朝も、後継体制が全然なってなかったから、その点では清盛と同じだけど。
29日本@名無史さん:2000/12/14(木) 15:43
>>12
兵範記・台記・玉葉・吉記・百錬抄・愚管抄・吾妻鏡
って本屋さんに売ってないけど、どうやって読んだんですか?
しかも古文でしょ?図書館?私も読みたい。
30日本@名無史さん:2000/12/14(木) 17:21
平家物語の冒頭ってほんと名文ですよね。

ただ春の夜の夢のごとしか・・・
31日本@名無史さん:2000/12/14(木) 17:22
そういえば平家スレってないね。やっぱマイナーだから?
32日本@名無史さん:2000/12/14(木) 17:25
>>29

最低でも愚管抄と吾妻鏡ぐらいは売ってるんじゃないか? 岩波か角川から
出てるだろう。

あとは知らんが、この手のやつなら公立図書館にあるよな。
題名は忘れたけど、日本の歴史的な書物を集めた全集みたいな
やつで読んだことあるぞ。
33日本@名無史さん:2000/12/14(木) 19:29
>32 題名は忘れたけど、日本の歴史的な書物を集めた全集みたいな

江戸後期に、盲目の国学者・塙保己一が幕府の事業として編纂した「群書類従」は、
たいていの公立図書館にあります。
3412:2000/12/14(木) 20:49
>>29
古文というより殆どは漢文(TT)
基本的に家の近所の市立図書館で読んだ。
書庫の本ばかりなので、すっかり司書のおねーさんと顔見知りになった。
市立に置いてないものは県立図書館まで行って読んだ。
館外貸出不可の本も多いもんでさ。

でも読むだけじゃなく手元に置いておきたいものも多いんだよね。
吾妻鏡は新人物往来社の読み下しのを本屋に取り寄せてもらったら
神田の古書街で1割引になってるのを見た。くそー。

わーい。皆で吾妻鏡を読んでもっとツッこんだ話をしようー。
ただ全巻揃えると¥31,000(w

>>31
平氏スレはあったが倉庫(dat)に格納された。
源氏スレも現存するほかに幾つかあったが殆どは格納された。
datってすげー無意味だよな。
35日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:11
吾妻鏡はおもしろい。が、高い。
文庫版は、一瞬復刻したと思ったら、しりきれとんぼもいいとこ。
承久記だって翻訳ぐらいあってもいいと思うのに。
何にせよ、源平以降の著作については環境不整備すぎるぞ>出版社
36日本@名無史さん:2000/12/15(金) 10:14
吾妻鏡、岩波の文庫のヤツ?完全じゃないんだあ。
十訓抄は小学館から現代語訳付きであったと思う。
そうそう、図書館もいいけどやっぱり手元に置きたいねえ。
37黒田如水:2000/12/15(金) 10:22
平家がだめになったのは清盛の責任だけじゃなくまわりがばかだったから(重盛は除く)
38日本@名無史さん:2000/12/15(金) 14:31
>37
反論。
バカなわけではない。決定的な平家の弱点は、貴族になり
武士団を弱体化させてしまったことだけだ。
あれだけ国司となっているのだから、豪族とのつながりを固めていれば
良かったのに。
でも貴族社会では藤原氏の主だったところと血縁を結び
押さえるところを押さえている。
やはり後白河の機嫌を取っていなければいけなかったのかなあ。
ちなみに重盛だって決して仏様のように素晴らしいわけではない。
37さん、戦前教育受けた方?
39日本@名無史さん:2000/12/15(金) 17:06
源家だって奥州藤原氏だってだめになったのだから、特に平家がどうということでもないだろう。
鎌倉軍団が勝ったというだけで。
40日本@名無史さん:2000/12/15(金) 17:23
清盛の血は女子を通じて天皇家に受け継がれている。
鎌倉初期は平氏一門の栄華である。
早稲田の日下教授も言っておられるぞ。
41日本@名無史さん:2000/12/15(金) 18:48
>38
如水はほっとけ。

>あれだけ国司となっているのだから、豪族とのつながりを固めていれば
>良かったのに。

「目代(国司の代行)を叩け」が頼朝の挙兵スローガン。
国司だからこそ在地領主に憎まれたんでしょ。
42日本@名無史さん:2000/12/15(金) 20:21
吾妻鏡の話しようよ〜。あれを読んでると
頼朝って別に大層な偉人じゃなくて、ほんとフツーの人なんだよなあ
こういう人達が800年前に生きてたんだよなあ、、って気がして楽しい。
43日本@名無史さん:2000/12/15(金) 20:43
木曽義仲にボコボコにされて京都を追われた後も
結構、対源氏戦で善戦していることを考えれば
平家の底力はあなどれないかもしれない。
44日本@名無史さん:2000/12/15(金) 23:16
義経の奇襲さえなければ結構いい線いってたんじゃないでしょうか。
あらゆる本でも言っているけど、義経は戦のルールを知らない。
壇ノ浦でも船頭を先ず殺したり、けっこう卑怯だったりする。
まあ、戦にルールなんてないと言ってはそれまでだけど。
平氏は兵隊だけでなく、多くの女子子供などの非戦闘員を連れているし
自然、合戦の仕方も変わったと思う。
・・・でもどうして潮の流れなど、マジ平家にどんどんと不利になっていったんだろう。
45日本@名無史さん:2000/12/15(金) 23:23
吾妻鏡ねえ。ごめん、読んでない。漢文でしょ、読めん。
鎌倉側の記録書だよね。
源平合戦後の2,30年後に作られた物だよね。
誰が記録したんだろ。その頃ってもう頼朝は死んでるよね。
ホントに馬からおっこって死んだのかな。
46名無しさん@1周年:2000/12/15(金) 23:34
吾妻鏡は翻訳もでてるよ。書き下しだけど。
へたな推理小説よりおもしろいな。事件の背後に何があるのか!ってな感じで。
つくられたのは、源平合戦よりもっとずっとあと、っていう噂が。
60年後とか80年後とかもっとあとだとかいろいろ。

47日本@名無史さん:2000/12/15(金) 23:51
平氏が貴族になったために武士として弱体化したとか、武士の利害を代表できなくなったとかいう理解は、結局マルキシズムによる領主制理論の影響だな。
清盛も東国武士を家人化しているし、晩年は畿内に軍制をしくなど軍事化を強めている。頼朝だって結局は貴族で後には大姫の入内工作もやってる。
現在では頼朝の挙兵の背景について、平氏が東国の家人化を進める中で他の武士との対立が激化し、それを頼朝が上手く糾合したっていう感じで理解されているようだ。

あと『吾妻鏡』だけど、上総広常が暗殺される寿永2年や頼朝が死ぬ正治元年など、幕府成立過程で重要な年がないんだよね。
単に紛失したわけではなく、色々ヤバイので最初から書かれなかったという説がある。
48名無しさん@1周年:2000/12/15(金) 23:55
最初から書かれなかったんだとは思う>紛失年の吾妻鏡
でも、ヤバイので、ってのはどうかな。
だって、ヤバイ年って他にもいろいろあるだろに、違いがわからないからね。
燃えて資料がなくなったとか他に理由がいろいろありそう。
頼朝の貴族化という説もあやしいもんだな。よくそういわれるけど。<大姫入内政策

4947>48:2000/12/16(土) 00:02
>だって、ヤバイ年って他にもいろいろあるだろに、違いがわからないからね。
だけど広常の暗殺とか頼朝の死去って、かなり重要な事件だと思うんだけどな。
具体的にどう違いがわからないのかな?

>頼朝の貴族化という説もあやしいもんだな。よくそういわれるけど。
貴族化っていうか、最初から貴族だぞ。そもそも流人だしな。
50日本@名無史さん:2000/12/16(土) 00:15
やっぱ知盛が最高
51名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 03:08
>49
武田や安田などを討ったときとかしっかり残っている。かなり無茶苦茶。
頼朝の死ったって、3年も前だし。それに、吾妻鏡ができたのは北条時代だから
別に、広常討ったことがどうヤバイのかわからない。
52名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 03:11
おまけ。
北条からすれば、比企と頼家を討った方がよっぽどやばいと思うのだが、
それはしっかりと残っている。
よく、北条に都合の悪いことがはぶかれてるというけど、納得できない。
53>51:2000/12/16(土) 04:45
上洛か東国に残るかの瀬戸際に関するもめ事(合戦?)と、あと十月宣旨絡みとか。
少なくとも武田・安田よりは重要だろうし、かなり無茶苦茶とまでは言えないと思うけどなあ。
幕府成立期部分に相当手が加わってる事は事実なんだから、その兼ね合いでつじつまを合わせられない部分が出てきてもおかしくないのでは。
まあ無いものを論証はできないし、単なるこじつけかもしれない。
石井説を読んで面白いなと思っただけだから、別にこだわる気はないんだけど。
ただヤバくないとすると、何で書かれなかったと考えられるのかが気になるな。
54名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 04:51
吾妻鑑って、別に日記としてつけていたわけではなく、後から当時の資料とか
公家の日記とか物語とか何でもくっつけて編纂しているようだから、
もとネタがなければ編集しようがないような気もする。日にちがわからないやつとかは
どうしようもないだろうし。
頼朝の死の前の3年間って、よく知らないのだが、吾妻鏡に限らず、あの当時の
資料そのものが少ないような気がする・・・がそうでもないのかなあ。
55日本@名無史さん:2000/12/16(土) 10:07
平家はいつも源氏にコテンパンにされてるわけじゃなくて、けっこう勝ってるよね。
当時の正攻法での戦いなら平氏にも勝ち目はあったんだと思う。
平家を中心になって支えてきた重盛が死に、衰えきった清盛が死んで時代の流れは一気に平家から失われ
そこに源義仲や義経という卓越した戦術家が登場したことにより敗れたんだと思う。
平家にも人がないわけじゃない。知盛・重衡・忠度・教経といった知将勇将がいる。
でも、義経の時代を超えた才能には勝てなかったんだろうねえ。

実際、一ノ谷や屋島では義経の奇襲がなければどっちが勝ったかわからないっしょ。
当時の武士って流れ次第でどっちにでも味方するから、一旦流れが平家に戻るとどうなるかわからないよ。
京に戻った平家、鎌倉の源氏に後白河がからんで・・・・・・。
ifになってしまった。スマソ。
56木曽義仲:2000/12/16(土) 10:29
わはは、猫殿はやはり小食か?
・・・おぉ、ごはんに味噌汁をぶっかけてなかったの。
これは失礼をいたした。田舎者ゆえ機転が利かぬでのう。
ささ、かきこみなされ。
57日本@名無史さん:2000/12/16(土) 14:06
軍事的にみると平家にも勝ち目があったかな、という気はする。(義経のことは考慮からはずす。)
ただ、鎌倉武士ってやはり強いよね。最終的にはやはり負けたかな、という気はする。
何しろ、頼朝自身は鎌倉にいるのに、諸豪族だけの寄せ集めで1年間の長期遠征に
たえられるのだから、やはり相当な団結力を感じる。
範頼軍だって、食糧がなーい!と大騒ぎしているわりには、がたがたになってないし、
略奪に走って、在地武士と紛争になったとかもそれほどいわれてないし、やはりしぶとい。
平家軍をささえた軍勢がどのようなものか、よく知らないが、戦う原理が違うようだ。
58日本@名無史さん:2000/12/16(土) 18:52
吾妻鏡の欠落の件だけど。玉葉だって欠巻あるし。
最初から編纂されなかった説も否定しないが
伝わる間に欠落したというのも別に不自然ではないと思う。
59日本@名無史さん:2000/12/16(土) 21:25
わーい、マジレスがたくさんついてて楽しい♪
>57
戦う原理が違うようだ
私もそう思います。
それにしても頼朝に何故そんな人望があったんだろう。
もともとは打倒平家のために祭り上げられただけなのに。

>吾妻鏡
もちろん欠落部はたくさんあると思う。800年もたっているしね。
でも頼朝の死について貴族の誰も記録してないのってやっぱヘン。

60日本@名無史さん:2000/12/16(土) 21:39
やっぱ重衡が最高。
61【^▽^】ジョーカー:2000/12/16(土) 21:51
波の下にも都は有りますよ>仁徳天皇
62名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 22:58
>61
安徳だろ?ギャグで書いたのか?
63大河好き:2000/12/16(土) 23:34
平家物語のマネして牛のツノに松明を点けてイタズラしたことのあるひとっている?
64日本@名無史さん:2000/12/16(土) 23:54
>61
しかもそのセリフは二位尼だろ。

>63
いないと思うよ。
っつーか、牛が近所にいないし。
これも虚説と言われている。
65日本@名無史さん:2000/12/17(日) 01:27
バイクの先端に松明つけて走る暴走族萌え〜・・・ない。

いわゆる火牛の刑は『平家』の作者が
中国の古典の知識が豊富であることの証明に
用いられたりしますな。
66日本@名無史さん:2000/12/17(日) 01:33
清盛は父親が「伊勢へいじはすが目なり」って貴族にあざけられたこと知ってたと思う?

いつか見てろよって感じで、清盛の後の出世の精神的な原動力になったと考えるのは行き過ぎっすか?
67日本@名無史さん:2000/12/17(日) 03:44
>66
というか、その話自体が『平家物語』の虚構だと思うぞ。
68日本@名無史さん:2000/12/17(日) 04:02
やっぱり清盛は娯楽員もといご落胤だった?
69大河好き:2000/12/17(日) 09:02
>>67ウソといったらきりがない

だって「祇園精舎の鐘の声」だって嘘なんだから

インドにある鐘の音が日本まで聞こえるはずもなし
70日本@名無史さん:2000/12/18(月) 14:26
>69
いや、そういう問題ではないと思う・・・
71日本@名無史さん:2000/12/20(水) 05:02
>70
マジレスしていいものかどうかわからんが、
単なる文の修飾表現とストーリーの虚構を混同しないように。
72日本@名無史さん:2000/12/20(水) 21:01
火牛の計の創作は平家物語じゃなくて盛衰記だよ。
73日本@名無史さん:2000/12/21(木) 16:41
娯楽院
ホントだ。うちのパソコンもバカだなあ。
ん〜、娯楽院、後白河そのままだな。
74日本@名無史さん:2000/12/22(金) 10:57
盛衰記だって鎌倉時代の作だよね。
読んでないから分かんないんだけど、平家物語や吾妻鑑etcを
参考として作られたのなら、かなり物語要素が強くなって
史実と大分違ってるんじゃないのかな。
75日本@名無史さん:2000/12/22(金) 20:23
盛衰記は平家物語の異本のひとつであり
吾妻鏡よりも前に成立したと考えられているようです。
(↑五味氏の著作でだったかな。出典はうろ覚えですが)

どちらにしても火牛の計は物語上の創作でしょう。
「牛の角に松明をつけたら牛はパニクって逆に後ずさりするだろう」って
獣医学者か生物学者あたりが述べていたのを読んだ事があります。
76日本@名無史さん:2000/12/25(月) 15:18
落ちちゃいやage
77日本@名無史さん:2000/12/28(木) 14:28
今日が仕事納め
冬休みの間に読み直してくる。
それまで落ちないでくれあげ。
78日本@名無史さん:2000/12/28(木) 22:42
>77
何を読むの?
79通りすがり:2000/12/28(木) 23:03
頼家って風呂場でキン○マつかまれて
身動きできないで斬られたってほんと?
80日本@名無史さん:2000/12/29(金) 00:34
吾妻鏡の文庫版が絶版になってるよ〜〜しくしく。
81日本@名無史さん:2000/12/29(金) 18:55
>79
「愚管抄」読みなはれ
82日本@名無史さん:2000/12/31(日) 12:59
age
83光源氏@京都:2000/12/31(日) 13:20
源頼朝と平清盛の一騎打ちは良かったね。
84日本@名無史さん:2000/12/31(日) 16:32
>83
それ、何が出典?(w
85日本@名無史さん:2000/12/31(日) 16:39
「偽紫田舎源氏」だろ。
86光源氏@京都:2000/12/31(日) 16:48
あれれれ
一騎打ちを知らないの?
やっぱ僕はインテリジェント。
ラコステが似合うスーパーエリート。
87光源氏@京都:2001/01/02(火) 00:09
あげ。
88義経の異父妹:2001/01/03(水) 14:22
常盤との間に出来た清盛の8女の花山院左大臣兼雅の廊御方。
「廊御方」てのは妾かなんかですか?子供とかいたのかな。
89日本@名無史さん:2001/01/03(水) 22:04
角田氏の著作によると清盛の二女が正室で
廊の御方は妾みたいっすね。娘が1人いるとか。

角田氏は廊の御方が平家の西国落ちに同行したように解釈してるけど
藤原兼雅に仕えていたなら彼女は都にいたんでないの?
90日本@名無史さん:2001/01/09(火) 15:22
角田氏の平家後抄は面白いね。
けっこう平家の女性の記述があって。
どこに嫁いだかがちゃんと書いてあるから背後関係が
分かりやすい。
91日本@名無史さん:2001/01/11(木) 13:50
昨日の「その時歴史は動いた」見た人いる?
政子だったけど。
あれってつまんないよね。いつも表面的なことしか言わない。
もうちょっと掘り下げてくれてもいいのになあ。
92Armando:2001/01/11(木) 15:00
知ってるつもりとか、「歴史は動いた」などのおっさん向け番組に深い
洞察を求めるのは無理です。せいぜいサラリーマン向け人生訓(例;童門冬二)
か、知ってるつもりでよくやってるお涙頂戴的世間話があるだけです。
93日本@名無史さん:2001/01/12(金) 16:01
知ってるつもり=関口の偉大さを世間に知らせる番組

何を言おうが、関口の意見に集約される(それも作家が書いた台本の)
94日本@名無史さん:2001/01/12(金) 16:19
関口、TVに出すぎでウザい。
95日本@名無史さん:2001/01/30(火) 12:01
火牛の計は,史記列伝じゃなかったけ。ネタもと。
そして本来は角に刃を括り付け,尾っぽに松明だったような。
96日本@名無史さん:2001/01/30(火) 12:48
関口、息子は笑って写真とるだけ
97日本@名無史さん:2001/01/30(火) 13:07
そういや、1さんは解釈改めたかな?
98桂ぶんちん:2001/01/30(火) 13:56
こらっ! 何を言うかっ! タレントをバカにすんなっ!
オレなんか落語家になってのうてもちゃんとサラリーマンやっとったぞ。
地元の農協でな
99日本@名無史さん:2001/02/01(木) 14:22
図書館で「平清盛」のVTRを借りてみた。(著作:TBS)
松平健が若き日の清盛を凛々しく演じていたのは良いのだが。

このドラマによると近衛天皇を即位させるために保元の乱が起こるらしい。
源義朝は頼長を裏切って美福門院に味方するらしい。
建春門院は後白河と一緒になって清盛失脚を願うらしい。
平治の乱で義朝・義平は清盛と直接対決して矢ぶすまになって死ぬらしい。
安徳帝は治承5年、清盛瀕死の際に生まれるらしい。
つっこみどころ満載のドラマだ(w
100るるぅ☆:2001/02/01(木) 15:56
すごいドラマだね(笑)
いつ頃作られたんだろ。年末時代劇?
他のキャストは?
TBSといったら「関ヶ原」が良かっただけに残念なことだわ。
101日本@名無史さん:2001/02/01(木) 17:47
>100
何年ものなのかは書いてないからわからないんだー。おれも気になってる。
主な配役は

高倉天皇:坂上忍   厳島内侍:名取裕子
鳥羽法皇:松方弘樹  平時子:かたせ梨乃
平忠盛:丹波哲郎   待賢門院:二宮さよ子
源為義:高松英郎   美福門院:十朱幸代
源義朝:夏八木勲   常磐御前:岩下志麻
藤原頼長:神山繁
後白河法皇:高橋英樹

スタッフロールを見ると
端役で西村雅彦や渡辺篤郎なんかも出てるみたい。

みんな鎧は着てても兜なしでいくさしてる豪傑ばっかり。
102日本@名無史さん:2001/02/01(木) 19:37
ついでに、保元の乱直前だったか最中だったかの清盛のセリフ
「自分は無位無冠ですから」おいおい。
103るるぅ☆:2001/02/02(金) 10:14
清盛の「無位無冠」大爆笑!
キャスト見てると東映の時代劇スペシャルみたいな
かんじだね。高橋秀樹が後白河・・・う〜ん。
まあ合戦については何も言うまい・・・きりがないから。
104名無しさん:2001/02/02(金) 12:40
夏八木勲の義朝は見てみたい気がする。
NHK「葵」の島左近がメチャよかったと思うんで。
105日本@名無史さん:2001/02/02(金) 16:07
101の「端役で西村雅彦…」は西村和彦の誤りでした。すんまそん。
その義平役のセリフ「八幡太郎義家が孫(中略)義朝が嫡男!」おいおい。

>キャスト見てると東映の時代劇スペシャルみたいなかんじだね。
書き損ねました。東映は製作に名を連ねてます。
時代劇スペシャルって何? テレビとか映画とかあまり見ないもんで…。

夏八木勲の義朝は、清盛の凛々しさとの対比で
何かいかにも小ずるいオヤジって感じでいまいち。
106日本@名無史さん:2001/02/07(水) 07:59
<特報・寄贈>源頼朝の墓がある山林を神奈川県鎌倉市に (毎日新聞)


2001年2月7日(水)3時0分


 鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓がある山林を神奈川県鎌倉市内に所有する島津家32代当主、島津修久さん(62)が、約1万平方mに上るこの墓一帯を鎌倉市に寄贈することが6日、分かった。「島津家の先祖は頼朝」とされており、修久さんは「頼朝を大切にしてくれる鎌倉市にすべてをお任せすることにした」と話している。


http://news.lycos.co.jp/society/story.html?q=07mainichi0715m153&ct=4&sct=0

107日本@名無史さん:2001/02/07(水) 11:48
>105
>その義平役のセリフ「八幡太郎義家が孫(中略)義朝が嫡男!」おいおい。

義家=為義−義朝−義平
だから義朝は義家の孫で合ってるんじゃない?
108るるぅ☆:2001/02/08(木) 17:10
素朴な疑問
平家の氏神は厳島神社ってのを知らない人はいないだろうけど、
氏寺はないよねえ?
祇園女御のお墓は円山公園の近く。
正盛、忠盛はどこに?重盛もどこだったかに埋められたのを
家臣が高野山と宇都宮のどこかに遺骨を持っていった、ってのを
聞いたことがあるけど。清盛は福原だし。
氏寺とかじゃなく、自分の信仰するお寺さんになるの?
109日本@名無史さん:2001/02/08(木) 22:27
>107
「義家云々(中略)」は、名乗りの前フリだと思ってくだせえ。
問題なのはそこじゃなくて。
要は、義平は義朝の「嫡男」という表現は変でない?
義平は庶子扱いでしょ。
110鎮西八郎:2001/02/10(土) 05:28
個人的に、源為朝が好きです。
創作なのかもしれんが、彼の弓は那須与一を超えると
思っとります。
話題それてスマソ。
111日本@名無史さん:2001/02/10(土) 15:01
長男だろ。義平。
112四国征伐敗残者子孫:2001/02/10(土) 15:12
>>27
妹の義理の息子は殺してないんだよね
妹ヤツの夫の長男 河野通久
承久の乱 上皇方
113名無しさん@:2001/02/10(土) 16:13
>109
最初は、義平が「嫡男」だったんじゃないの?
だって、御家人衆は義平の事は『御曹司』と呼んで、
頼朝の事は官位の「右兵衛佐」を約して『佐殿』って、呼んでる。

「源太ガ産着」を拝領しているから「嫡男」って、説もあるけど、
これは鎌倉幕府成立後に、出来た作り話の可能性「大」です。
「源太ガ産着」は子供用の小さな鎧の為、嫡流の子供は一度は着てると思う、
多分、義平・朝長も元服の際に着てるはず。
114日本@名無史さん:2001/02/12(月) 18:51
>113
破綻してまっせ。「御曹司」って「居候」の敬称でっせ。
平治の乱当時、義平は無位無冠。頼朝は兵衛佐(5位)。差は明らかだと思うが。

>「源太ガ産着」は子供用の小さな鎧の為
これ、海音寺氏が指摘してるよね。だから「たまたま頼朝が着てた」に賛成。
でも元服の時に鎧を着る習慣なんてあったっけか?
115日本@名無史さん:2001/02/12(月) 19:09
>108
この時代は神仏混淆だからなあ。
「氏神」「氏寺」なんて区別がそもそもないんじゃないか?
116るるぅ☆:2001/02/13(火) 11:31
そうか、氏寺=墓という今の概念に捕らわれてしまった。

全然関係ないけど、この前初めて倶利伽羅って不動明王という
意味を知ったよ。
117ぷるぷる:2001/02/14(水) 16:58
>101 私はこれで平家vs源氏に興味を持ちました。
(もう誰か出してたらごめんね)

平清盛/仲代達矢   平時子/中村玉緒
平時忠/山崎努    平忠盛/中村勘三郎(現・勘九郎の父)
後白河上皇/滝沢修  崇徳上皇/田村正和
源義朝/木村功    常磐御前/若尾文子
祇園女御/新玉三千代 源為朝/伊吹吾郎
源頼朝/高橋幸治   建礼門院/佐久間良子
源義経/志垣太郎   高倉上皇/片岡孝夫(現・仁左衛門)
源義仲/林与一    巴御前/藤純子(現・寺島純子)

うろおぼえなので間違いがあるかもしれません。
71年頃の大河ドラマ「新平家物語」のキャストです。
亡くなっちゃってる人も多いけど。
オープニングの厳島神社でのロケが絢爛豪華だったのと、
志垣太郎の牛若丸がめちゃくちゃキレイだったのを、
憶えてます。NHKからビデオが出てるそうです。
今でもいちばん好きな大河ドラマです。
政子が誰だったか、知ってる人は教えて!
118日本@名無史さん:2001/02/16(金) 21:41
河内源氏の嫡男は実は頼朝じゃなく朝長だったりして、、、?
119日本@名無史さん:2001/02/17(土) 18:31
>個人的に、源為朝が好きです。
>創作なのかもしれんが、彼の弓は那須与一を超えると
>思っとります。

「創作かもしれない」という前提で

為朝は強弓、那須与一は命中率
同じ「弓の名手」でも比較対象にならないんじゃないか?
120るるぅ☆:2001/02/20(火) 11:23
>>117
おお、偶然!
先日新・平家物語借りてきて、昨日上巻を見ました。
下巻キャストによると政子は栗原小巻さんでしたよ。
当時の志垣太郎さんはホントステキですよね。
幼稚園のころ江戸を斬るUの伝七が大好きでした。
 山口崇さんが教経を演ったのを何かで見たのですが、
あまりの美しさにびっくり!あれは何に出ていたのかなあ。
121日本@名無史さん:2001/03/03(土) 14:08
吾妻鏡を読んでいたら義経の死亡記事のところに「6男」と書いてあった。

1)僧籍を省いて、義平・朝長・頼朝・希義・範頼・義経・・・で6男ってことか?
2)だとしたら、尊卑に載ってる義門なんてのはやっぱりいなかったってことか?
122日本@名無史さん:2001/03/05(月) 10:15
九郎って言ってるからずっと9男だとばかり思っていたが・・・
123日本@名無史さん:2001/03/05(月) 16:11
>>122
尊卑では義平・朝長・頼朝・希義・義門・範頼・全成・義円・義経となってるから
九郎は九郎で正解なんだけどね。
124日本@名無史さん:2001/03/06(火) 01:27
十郎はいないの?
125日本@名無史さん:2001/03/08(木) 09:54
いないんじゃない?
義朝が死んだとき義経は赤子だし、どっかの女の腹に
出来ていたとしても、記録には残らないだろうなあ。
十郎といえば行家がそうだよね。
126名無しさんの主張:2001/03/08(木) 11:03
頼朝は祭り上げられ、御輿に乗っていただけの人物。
清盛は自分の力で権力の座に就いた。
127るるぅ☆:2001/03/09(金) 15:59
>>126
その通り!!
128日本@名無史さん:2001/03/10(土) 19:47
>126,127
そんな手垢のついた解釈、今頃言われても、、、
声高に言うなら、もっと新しい解釈でもしてよ。
129るるぅ☆:2001/03/12(月) 11:38
新しい解釈だと?
あったら学会か何かで発表してるわ。
私は単に趣味と興味で色々と調べてるだけだもんね。
別に歴史を専門に学んでいるわけでもなく自分の中で
そう思っているんだからいいじゃないか。
おまえこそ何か言って見ろよ。sageるな。
130日本@名無史さん:2001/03/12(月) 12:27
>>128
もっともなことを発言されて、自分のアフォさに腹が立っての八つ当たり。
131るるぅ☆:2001/03/12(月) 14:15
私も大人気なかった。反省。
128さんもそういうなら何か書いてね。
私にとっても勉強になるから。
132日本@名無史さん:2001/03/12(月) 16:14
>>124
いるよ。
133日本@名無史さん:2001/03/29(木) 00:38
ここでいいかな。。。
源氏について疑問があるんすけど、
長兄の義平は、どうして”悪源太”と呼ばれるの?
若い頃やんちゃしたからかな?

もう一つ。これは関係ないんだけど、
平治物語で、さかんに義家を出しては誉めるけど
どうして?親父の方が戦功があるように思うのだが。
134日本@名無史さん:2001/03/29(木) 15:42
悪源太は義仲の父ちゃんを殺したから。
やんちゃしたからなのは当たっていると思う。
でも当時の「悪」というのは悪い意味じゃないんだってさ。
勇敢な人等のあだ名につけていたらしいよ。
悪七兵衛景清とか。
源太は分かっていると思うけど、源氏の長男・太郎だから。
135日本@名無史さん:2001/03/29(木) 15:50
>>133 この頃の「悪」の定義は「強い」です。「畏怖」の意もあります。
叔父の義賢を討ったことで義平は「悪」になったのでしょう。

後三年の役の時に、私財を投げだして部下の労をねぎらったことで
坂東武者から人気沸騰となりました。親分肌の人でした。

初歩の初歩の解答なのでsageときます。
136135:2001/03/29(木) 15:52
後三年の役〜は義家のことね。
137日本@名無史さん:2001/04/03(火) 21:27
>>133
悪源太は平治の乱では重盛と一騎討ちして
勝ち仰せてるね。
将来のリーダーだから、清盛も警戒していたんじゃ
ないかな。

スレ本題に戻ると、平氏はそういう意味では
「悪」になってもいいと思うね。
138アラカン:2001/04/03(火) 22:38
>>137
うまい。見事にまとめました。

ところで、もし清盛がもっと長生きしていたら? それこそ後白河法皇くらいに。
清盛と頼朝が政治力を駆使してやりあう図は、相当に見ごたえがあったと思うのですが。
139日本@名無史さん:2001/04/04(水) 15:19
>>137
>(義平は)将来のリーダーだから、清盛も警戒していたんじゃないかな。

無位無冠ではリーダーになれない。
義平に対する義朝の期待は所詮その程度。
140井上:2001/04/04(水) 21:33
話が逸れるんですが、先祖を調べたら、
源頼季だったんですけど、どう読むんでしょうか?
141日本@名無史さん:2001/04/06(金) 00:09
>井上さん
みなもとのよりすえ、ではないかいな。
梶原景季(佐々木高綱と富士川の先陣争いした景時の子)は
かじわらかげすえと読むから。
源氏の中にも沢山の人物がいるのでどういう人物かは、、、
誰か調べがついたら書いとくれ。
142日本@名無史さん:2001/04/06(金) 03:27
皆さん、義経がおきて破りの軍事の天才とおっしゃっておりますが、当時でも奇襲や伏兵は常だったんじゃあないんですか?
143日本@名無史さん:2001/04/06(金) 04:06
確かに、正規軍はおきてに縛られていた。まず言葉いくさがあって、矢合わせがあって〜というように。
ちゃんとしないと正当な戦としてみとめられない、みたいな。
それとは別に、義経以前は、馬を機動力として使うという発想がなかった。
徒歩の郎党とともに、徒歩のスピードで進軍していた。
義経はとにかくめちゃくちゃなスピードがウリ。
144日本@名無史さん:2001/04/06(金) 04:24
あと、戦を、個人戦(一騎討ち)の集合ではなく、
集団と集団の戦いとして組み立てた。
のちの時代では当然の考え方だが。
145日本@名無史さん:2001/04/06(金) 22:53
141です。
富士川じゃない。宇治川の合戦の先陣争いでした。
ここ的には、欝だ死のうってやつですか。あああ。
146日本@名無史さん:2001/04/07(土) 22:09
義経萌え〜
147日本@名無史さん:2001/04/08(日) 00:05
あげ
148日本@名無史さん:2001/04/13(金) 09:56
重衡萌えあげ〜
149日本@名無史さん:2001/04/15(日) 22:30
鶴岡八幡宮の流鏑馬神事を見に行ってきましたー。

救急車のサイレンに苛立ったのか
いけずきという名の馬が出走を嫌がり。
ややあってスタートしたものの、射手が落馬してしまうというアクシデントが。

何というか・・・。
「名前に恥じない馬だなあ」と妙に感心してしまいました。
とりあえず射手にケガがなくて、ホッ。
150日本@名無史さん:2001/04/15(日) 22:36
現在の流鏑馬は、純日本馬ではなくサラブレッドを使っているみたいですね。
テレビで見た馬は馬体重が500kgぐらいありそうでしたから。
151日本@名無史さん:2001/04/15(日) 23:17
>>150
ところが、にーさん。
この武田流の方達の馬は
サラブレッドほどお上品な細い脚じゃないんですよ。
かなりドッシリとしたおみ足でいらっしゃいました。
どこ産なのかなあ??

割と小さめの馬からかなりの重量の馬まで、いろいろと。
馬によって速度もいろいろ。カッコ良かった♪
152日本@名無史さん:2001/04/16(月) 21:19
>>106
>「島津家の先祖は頼朝」とされており

こういう騙りは放置しといていいのかね
島津は卑しいな、比べて小田(八田)は誠実だぞ
政知の子を継嗣にしても足利とは言わないし
幸手一色の子孫も足利義満の子孫と名乗ってるのを
見たことがない

島津は島津でいいじゃない、落人村みたいなこと言うな
153日本@名無史さん:2001/04/17(火) 12:49
>>152
島津の詐称は、他のスレでも何度も否定されてるしさあ。
もういちいち指摘するのも面倒なのよ。
154日本@名無史さん:2001/04/25(水) 17:17
もう過去ログ倉庫に行っちゃったみたいだが
マンガ平家物語読んでスレ立てた人がいたよね。

本屋で見かけたんで文庫版を立ち読みしてみた。なんじゃありゃ。
「平安時代がよく分からないので難しかった」って横山氏の後書きに納得。

三草山合戦のシーンなんて、資盛たちは家の中で寝てる。
んなもん野戦だっつーの。
155日本@名無史さん:2001/05/02(水) 10:34
義経は平家追討に出る頃には年頃になる姫がいて、源有綱がその婿になってるけど
この姫って一体誰との子?…読んだ本では家来の佐藤継信・忠信兄弟のとこの人じゃないかと
推測してたけど、これに関しての記述ってどこかにあるのかな〜?
今までの歴史モノのドラマやなんかでも見たことないけどそれに触れてたモノってあったんだろーか?
156日本@名無史さん:2001/05/03(木) 01:19
まんこ
157日本@名無史さん:2001/05/03(木) 01:31
>>152
島津が詐称しているわけではないよ

1285年、霜月騒動で安達氏は滅びることになるが、その原因となったのは「安達景盛は頼朝のご落胤である」と言い出した一族の者が源姓を名乗ったのが謀反と思われた、という。
これは、盛長の妻・丹後内侍が頼朝と通じていた、という話から来ている。
その為、もう一人の内侍の子である惟宗忠久も「頼朝の子孫」と言われるようになってしまう。ちなみに、この忠久が後に島津忠久と名を改め、島津氏の祖となった。

つまり島津の頼朝のご落胤は当時の噂話元になっていると思われ
島津にとって頼朝のご落胤を名乗るは決して得策ではなかったことから
(安達景盛と同じように滅ぼされかねない)もそれは島津氏が自ら吹聴したことではないと思われる
158日本@名無史さん:2001/05/03(木) 01:49
島津は頼朝ご落胤を名乗っても、誰も気にしなかったんじゃない?
だって、安達とは勢力が雲泥の差。相手にされてない。

159日本@名無史さん:2001/05/03(木) 11:35
>>157
頼朝のご落胤説、惟宗基言説、藤原氏説とあるらしいけど
なぜ安達盛長説が無いのだろうか?
ちょっと不思議に思った
160日本@名無史さん:2001/05/03(木) 14:32
>>157-158
島津が詐称しだしたのは、鎌倉時代じゃなくてもっと後世では。
頼朝の墓所を島津氏が1779年に整備したのも、その詐称の一環でしょ。

でも頼朝墓所のあの土地を寄付してくれるって言うんだから
鎌倉市としては詐称だ何だと騒ぎ立てられたくないよねえ。
私有地としてマンションなんか建てられたら困るもん。

頼朝殿御落胤の島津様さまさま、、、ありがたやありがたや(w
161日本@名無史さん:2001/05/03(木) 15:01
清盛>頼朝
清盛は貿易で国を富まそうとした、頼朝は何をしたか。
162日本@名無史さん:2001/05/03(木) 15:08
>>161
初めて武家政権を作ったよ。
平氏政権は、半分貴族みたいなもんだからな。

だからって清盛<頼朝じゃないけど。
仮に平治の乱で源氏が勝ったとして、義朝は清盛と同じような政権を建てて
頼朝もそれをそのまま継承しただろうからな。
163日本@名無史さん:2001/05/03(木) 15:24
>>162
後半の文はイフの世界だからなあ。

でも平治の乱で清盛が誅されていたとしても
義朝はあのまま藤原信頼の番犬だろうね。
信頼の無能ぶりといい、想像したくない世界だ(w
164日本@名無史さん :2001/05/03(木) 15:31
>>160
島津の頼朝のご落胤は詐称だと聞くが、その根拠になった説を読んだこと
ありますか?
私は無いのですが、、
どうも江戸時代に出された説らしいのですが、時代が時代だけに多分に
政治的な意味合いがあって詐称とされたのではないだろうかと思えるのですが
いかがでしょうか?
ともかく詐称とされた元になった説を読んだことが無いので何ともいえないのですけれど、、
仮に詐称としても現島津家当主が詐称しだしたわけでもなく、当然島津家では頼朝ご落胤をずっと
信じてきたことからもそのような揶揄はいかがなものかと思います
165日本@名無史さん:2001/05/03(木) 15:48
廃藩置県のときに、薩摩は天皇に代わって日本国の土地の支配権をもつ四姓の源氏
直系になにをいうか。といって最後までゴネたと伝えられています。
166日本@名無史さん:2001/05/03(木) 16:52
とにかく、徳川家よりも家格が上であることは確か。
167日本@名無史さん:2001/05/03(木) 19:30
>164
つか、頼朝と丹後内侍と惟宗忠久の年齢関係って合うの?

島津はこのスレのメインテーマじゃないのでsage
168日本@名無史さん:2001/05/05(土) 15:46
鎌倉幕府関係なので、このスレでいいかな。
5/26に千葉市の生涯学習センターで
千葉氏をテーマにしたフォーラムが開かれるんだって。

一部(10:00〜12:00)「東国の自立と千葉介常胤」
  歴史・美術史・国文学専門家が常胤の業績について語る
二部(13:00〜15:20)「千葉介常胤とその時代を語る」
  5人の専門家が常胤の時代背景を語る。司会:鶴見大の関教授
三部(15:40〜17:00)「千葉氏と郷土文化の創造」をテーマにトーク

一〜二部だけ見に行こうかと思ってます。
誰か向こうで落ち合わない? ちなみに申込は往復葉書で10日必着。
「行く」って人がいたら宛先も書くね。
169日本@名無史さん:2001/05/06(日) 15:58
>>155の話が気になる・・・
170日本@名無史さん:2001/05/06(日) 17:08
155は新人物往来社の初心者本を読んだだけで
それ以上の書物を読んでいない人だから、気にしないで。
171日本@名無史さん:2001/05/06(日) 17:46
っていうか、単純に義経の年齢計算してほしい。
172日本@名無史さん:2001/05/07(月) 20:17
だよね。有綱の年齢も考慮しないとねえ。
173168:2001/05/09(水) 16:52
くすん。誰も千葉常胤には興味ないのね。
フォーラムひとりで逝ってきますぅ。
174日本@名無史さん:2001/05/25(金) 20:30
175日本@名無史さん:2001/05/30(水) 13:59
dat行きしそうだから上げとこう
176平景清:2001/05/30(水) 14:07
きえーー!!
177日本@名無史さん:2001/05/31(木) 07:22
age
178155:2001/06/01(金) 02:52
その本では年齢の計算もされてましたよ。
179源頼朝:2001/06/01(金) 08:49
ふはははは、戯れは、終りじゃ
180日本@名無史さん:2001/06/01(金) 11:32
私は吉川英治の本しか読んだことないんだけど、
あの人の本って、みんな主人公が人間的で、いいものじゃないですか。
だから私の頭の中の清盛は、とてもいい人なのです。
我が家臣ならば、たとえ雑色にでも、気軽に声をかけたという人ですものね。
この発想って、危険でしょうか?
その他に平家の面白い小説があったら、ぜひ教えてください。
181名無しさん@1周年:2001/06/01(金) 12:40
千葉氏って姓なの?
「千葉の住人」が姓に転じたの?

千葉とか三浦とか横須賀って(ワラ
182日本@名無史さん:2001/06/01(金) 13:35
平家の小説、宮部みゆきが書いてるけど面白いのかな。
183喜連川左京:2001/06/01(金) 14:11
184日本@名無史さん:2001/06/02(土) 20:08
頼朝は清盛に比べると性格が暗くて神経質で人間が小さいイメージがある。
けど清盛の失敗、父の失敗の上に武士として朝廷から権力を得た。スゴイ。
185日本@名無史さん:2001/06/09(土) 17:09
>>178
すごく不自然な年齢でしょ?
186178:2001/06/09(土) 22:20
不自然と言うか…1185年あたりに12,3じゃないかと書かれてた。
前に年頃と書いたのは、武士の娘として嫁に出るような年齢ということだったんですけど…。
吾妻鏡に有綱が義経の婿と記されてるのは何度も出てくるし、確実とは言えないけど他の本でも有綱の
説明にそうかかれちゃってるし、ほぼ本当だったんじゃないかと自分的には受けとめてたんで…。
この本でも吾妻鏡の記述からの推測で、佐藤氏の女性か?みたいなことまで書いてたので
もしかしてそんな話しがどこかに出てたのかな…と気になったんです。
娘の年齢も吾妻鏡からの計算でしかなくて…奥州下向当時に生まれたならそれくらいになるだろうと。
奥州時代に子供が生まれてなかったのが不思議なくらいだと思ってたし、もし奥州下向当時
じゃなくて、もう少し後だったとしてもいいなずけ、みたいな形もとれただろうし…とか思ったんで。
187日本@名無史さん:2001/06/10(日) 19:42
>>186
そう思うなら本を鵜呑みにしないで自分で計算してみたら?
文治元年に12・3にはならないでしょ。いいとこ11才じゃない?
まだ裳着の年齢じゃぁないよね。
で、その本では有綱は幾つと推定されてるわけ?
佐藤氏の女性か?だったら、継信忠信は家子と呼ばれるんじゃないの?
そんながどこかに記述ある?
188日本@名無史さん:2001/06/10(日) 23:20
>>187
計算はしてました。11でもそれよりもっと若くても婚姻関係…
みたいなものを結ぶことはできたんじゃないかと思いますが…。
推定でしかないと、何度か書きました。鵜呑みにしてるわけじゃないです。
読んだこの話が雑誌かなんかに載ったのはもうかなり昔のことのようだったので
それに関して反論めいたものがどっかに出たとか、吾妻鏡の婿って
記述に対して他の話しが出てた可能性もあると思ってたんですが…
世間的には無視されてる状態なんでしょうか。

有綱の年齢にこだわってますね…出てませんでしたよ。ご存知なら教えてほしいくらいです。
調べてみても見当たらなかったので。この頃、普通に仕事してるみたいなので結婚も
できる年齢だと思ってましたけど…何か問題があるんですか?
189日本@名無史さん:2001/06/20(水) 21:55
age
190日本@名無史さん :2001/06/22(金) 02:49
今ちょうど「新平家物語」(講談社 吉川英治著 全16巻)を読んでいます。
故人ですが、前に出たような文献を総合してもっとも現実的な説を物語として
構成しており、とても読み応えのある内容で、愛読しています。
何が正しい、間違いはさておき、平家物語の「諸行無常」という
根幹のテーマも貫かれており、感じ入るものがあります。
歴史の好きな皆さんにもお勧めしたいところです。
191日本@名無史さん:2001/06/22(金) 04:22
age
192日本@名無史さん
自称・頼朝の御落胤って他に誰がいるの?