乱、変、役、事変、戦争の呼び名

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1森乱○
「ナンとかの乱」「ナンとかの変」の「乱」とか「変」とかの呼び名は
誰が、いつ、どうやってつけるのですか?(たとえば、信長謀殺事件を、
いつごろから「本能寺の変」と呼ぶようになったのでしょう?)
また、その区分とかも、明確な基準はあるのでしようか?
2日本@名無史さん:2000/12/06(水) 04:29
●乱・・・反乱 臣下による反乱等。
  例:平将門の乱

●役・・・外国との戦争
  例:文永・弘安の役。
   前九年・後三年の役というのは、
   昔の東北地区は、中央(大和)と別の国みたいな
   イメージが持たれていたため?

●変・・・上記のいずれでもないもの。
   承久の乱(後鳥羽上皇は臣下ではないから)
   #「本能寺の変」については、私もよく知らない・・

●戦争・・・国家と国家との戦

●事変・・・国家同士の戦ではない
  例:満州事変

#私は、日本史を学校でちゃんと学んだわけではないので
 間違っていたらツッコミプリーズ。
3日本@名無史さん:2000/12/06(水) 04:34
ちょっと訂正
 誤) 中央(大和)と別の国みたいな
 正) 中央(大和)とは別の国みたいな

ちなみに、こういった呼び名って、
命名者の歴史観が反映しているものもあるよね。

これに似たものに、「建武の新政」&「建武の中興」とかあるね。
42=3=4:2000/12/06(水) 04:38
たびたび訂正スマン!

 誤)承久の乱(後鳥羽上皇は臣下ではないから)
 正)承久の変(後鳥羽上皇は臣下ではないから)

ちなみに2=3=4ね。

つかれてる、もう寝よう(ワラ
5日本@名無史さん:2000/12/06(水) 05:24
秀吉の朝鮮戦役を「和乱」とのたまう朝鮮人に抗議しましょう。
6日本@名無史さん:2000/12/06(水) 06:08
「変」て、事態が極局地的に起こった戦いだと思ってた
根拠ナシ、単なるイメージなの
7日本@名無史さん:2000/12/06(水) 07:16
>>5 12/5の朝日新聞には「壬辰倭乱」と書いてあった。
8日本@名無史さん:2000/12/06(水) 07:33
昔は承久の変だったのに
今の教科書とかでは承久の乱なんだよね。

何で?
9日本@名無史さん:2000/12/06(水) 11:09
 変はその事件にいままでの政治が変わった事件。
 本能寺の変ー権力者の死。
10日本@名無史さん:2000/12/06(水) 11:35
いえ、朝鮮は日本の宗主国なので「乱」が正しいのです(ワラ
11日本@名無史さん:2000/12/06(水) 11:52
>10
鮮人は虚勢を張って、歴史捏造をしているだけ。(藁
徳川将軍の代替わりごとに、朝鮮と琉球に江戸まで来させていたのだから、
日本は朝鮮や琉球の宗主国と思っていたことは間違いないな。
12日本@名無史さん:2000/12/06(水) 11:57
そもそも、朝鮮出兵というのは秀吉の目的に合わない表現で、
実際は唐入り計画だったのが、明軍がその属国である朝鮮に来て参戦し、
日本軍と膠着状態に陥り、それ以上は進めなかったのが現実。
実際に停戦交渉を行ったのは、日本と明で、属国の朝鮮は蚊帳の外。

日清戦争でも、宗主権を巡って朝鮮で戦闘になったが、
停戦交渉は日本と清で、属国の朝鮮は蚊帳の外。これが現実。
13日本@名無史さん:2000/12/06(水) 12:55
禁門の変はどうなのさ
それと西南戦争は「戦争」だったり
西南の役って呼ばれて「役」だったりするけど外国扱い?
14名無しさん:2000/12/06(水) 17:06
あげーん
15考える名無しさん:2000/12/06(水) 19:00
>●役・・・外国との戦争

「役」は国家が軍事力を行使した場合にのみ使われるそうです。
もちろん外国との戦争の場合は国家が関わるので「役」になります。 
西南戦争も政府軍(国家の軍隊)が地方士族の内乱を平定した故に
「役」になります。
1615:2000/12/06(水) 19:03
「変」については突発的な戦争の場合に用いられる呼称です。
嘉吉の変、本能寺の変などの暗殺事件が「変」と呼ばれるのは
そういう理由があるからです。
17非公開@個人情報保護のため:2000/12/07(木) 03:53
佐賀の乱は佐賀の役に変えるべし。規模は1万人規模で西南戦争なみだ!
18:2000/12/07(木) 12:16
 >>13
 禁門の変は長州が朝敵に「変」じた事件。
 「変」が、当該事件を境に政情が変わった
 ことを指すのは間違いない。
 文久三年八月十八日の政変で長州は、
 朝廷内部の発言力を失いはしたが、朝敵
 にまではなっていなかった。
  そこで失地回復を強行しようとしたら、
 御所に長州の発砲弾が入ってしまい、
 かえって長州は朝敵化してしまった。これ
 を境に長州は京都に入れなくなった事件
 だから、「変」である。
19:2000/12/07(木) 13:43
 >>13
 国内戦争でも戊辰戦争、戊辰の役ということもある。
 西南戦争は新政府が鹿児島と熊本の不平派士族を相手にした戦争。反乱勢力の出身が一つではないということだ。
 一方佐賀の乱は反乱勢力の出身のほとんどが佐賀。反乱勢力のほとんどが山口出身の萩の乱と性格を一にする。
20日本@名無史さん:2000/12/07(木) 14:14
左翼的な人が言っていることだが、「事変」という呼称は、
日本が侵略しているイメージを誤魔化すため、
日本がよく使用したと言っている。
21日本@名無史さん:2000/12/07(木) 15:00
秩父事件はなぜ「事件」なの?
22:2000/12/08(金) 01:13
645年の蘇我本宗家を滅ぼしたクーデターは
大化の改新 と呼ばれることが多いですが
勝った側からみた言い方ですね。

改新の詔その他がうたがわれている今日では、
”乙巳の変” と呼ぶ学者もいますね。

23森乱○:2000/12/08(金) 02:39
スレ立てたものです。
呼び名そのものは、まあ当時の為政者が都合よく定めたものだろうことは
予想できるのですが、もう一つ知りたいのは、「いつから呼ばれたのか」
ということです。例えば「第一次世界大戦」は、いつからそう呼ばれたのでしょう。
だって、「第2次」がなければ「第一次」と規定することは出来ないはず
じゃないですか。同様に「本能寺の変」というのも、誰がいつ、言い出した
ものなのでしょうかと言うことです。日本史には、いわゆる通史がない(と言うより
その時その人の天皇観で、史観がころころ変わる)ので、誰が、どう呼んだのが
最初なのか、不思議に思うのです。(大日本史あたりが核となっているのかな?)
どなたかご存知のかた、よろしくお願いします。
24名無しさん@10周年:2000/12/10(日) 01:03
あげよう
25日本@名無史さん:2000/12/10(日) 02:17
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/kosyo.html
ここに書いてあるでよ
読んでみそ
26光源氏@京都
いやいやマニヤックなれすっどだな。