明治維新ってよくわからない。

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1日本@名無史さん
明治維新って 最初は殿様を担いでいた人たちが 天皇を神輿に替えて
新政府を作ったという解釈でいいのかな?

それぞれの藩主にしても昔からの血筋でなく、かなり養子がはいっていたから
先祖伝来の主君という考えが薄くなってきた。

だから 意外とはやく近代国家になれたということなんだろうか?


2名無しさん@1周年:2000/11/16(木) 23:43
尊王思想を勉強しなさい。
3名無しさん:2000/11/16(木) 23:47
的が外れてるぞ!
4日本@名無史さん:2000/11/17(金) 00:28
  明治維新は,倒幕に始まり廃藩置県で終わる。
 討幕派の下級武士が攘夷思想を信じて,人的資源となった。
 その一方で幕末の財政赤字で過大な負担を強いられる大商人
 たちがスポンサーとなって政治資金を提供する。
  下級武士と大商人が倒幕の時点では利害が一致していた。
 廃藩置県で領主がその実体を失ったあと,下級武士も切り捨てられ
 大商人の中でも近代化に適応できるものが生き残り,また,新たに
 別の市民階級(ブルジョアジー)が台頭してくる。
  彼らと政治家が手を組んで国家権力を構成する。
 そして領主階級は消滅し,日本は近代化,工業化を進めていく。
 国家の支配階級が領主などの大土地所有階級から,
 ブルジョアジーへ移行したので,明治維新が日本における
 市民(ブルジョア)革命である。
  
5名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/17(金) 00:45
廃藩置県が明治維新の本体です。

もちろん文明開化、秩禄処分、地租改正もそれなりに重要だが。
6日本@名無史さん:2000/11/17(金) 00:52
>1
明治維新は、江戸時代の特権階級だった下級武士が主体となったものであり、
近代天皇制を確立したという点で絶対主義的な変革に過ぎなかった。
元々勤皇派志士達には明確な近代国家建設の理念やプランなどはなく、
佐幕派との旧態依然の派閥的対立のせめぎ合いを通じて、
西洋文明の流入による急速な時代環境の変化により、
結果として近代国家へと移行したものに過ぎない。
だいたい勤皇派志士達の当初の主張が、「尊皇攘夷」であったことからも、
その時代錯誤性は分かるだろう。
後世時代錯誤の馬鹿者扱いされている幕府が「開国和親」で、
先覚者に祭り上げられた勤皇の志士が「攘夷」では、まるで筋が通らないではないか。
逆なら理解出来るんだけどね。
まあ、明治維新は所詮その程度のものに過ぎないから、過大評価は禁物だ。
7名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 01:06
>6
あなた絶対主義好きですね。
この場合なに(誰)が絶対なんですか?
8日本@名無史さん:2000/11/17(金) 01:07
>7
天皇じゃないの?
9名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 01:13
>6
共産党員の方?
尊王派と一般日本人の意識をわけられるのか?
10ななし:2000/11/17(金) 01:26
 近代の日本は黒船の圧倒的なパワーの前にゆりかごのような鎖国という世界を破壊されました。
鎖国は自閉です。自閉状態では唯我独尊的になりがちです。西洋近代の前に無力さをさらけ
出さされた日本人は適応しようとすれば、自らの伝統を捨ててなりふり構わず西洋の文化を
取り入れざるを得ない。これは屈辱です。何故なら鎖国という外界から遮断された環境の中で
小中華意識に日本人は漬かっていたからです。しかしプライドを守ろうとすれば絶望的な
攘夷戦争を行わざるを得ない。日本人の自我は引き裂かれました。
 ここで持ち出されたのが水戸学の天皇像でした。水戸学の国体論においては天皇は無謬の存在です。
自らのプライド(内的自己)を天皇に全て押し付けて残りの日本人は適応するための外的自己に
徹することになりました。この同意は昭和初期までは保たれていたと言えます。
 幕末の尊王攘夷はこの同意が出来る前の内的自己と外的自己がせめぎあった期間です。
11:2000/11/17(金) 01:29
>9
俺は佐幕びいき派だよ。
勤皇派の悪口ならいくらでも書いてやるよ。
12日本@名無史さん:2000/11/17(金) 01:34
>11
あほか。佐幕派も勤皇派だよ。
むしろ、倒幕派以上のね。

13名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 01:36
佐幕派の頭領は孝明天皇だろ。
14名無しさん:2000/11/17(金) 01:37
6は階級闘争史観の歴史オンチでしょ。
ほっとけ。
15とはずがたり:2000/11/17(金) 01:47
6氏の明治維新を過大評価すべきでないという意見には賛成だ。ただし,江戸時代既に萌芽的な産業革命にさえ到達していた先進国日本は後に明治政府の教化策か遅れた江戸時代のイメージを定着させてしまったようだ。
16日本@名無史さん:2000/11/17(金) 02:18
無から有は産まれない。江戸時代までの蓄積が大きいから、
明治維新という大偉業をなしえたわけで、日本人の文化レベルの高さ、
利己に走らないモラルの高さが、成功の鍵というのは常識だろ。

江戸時代には、国学・儒学の研究レベルは高かったし、
吉宗の洋学解禁以降は、洋学も着実に進歩していた。伊能忠敬の精緻な地図作りは、
西洋の天文学の理解無しには行えなかったし、日本の複雑な天保暦もそう。
江戸時代の文化史を勉強してみるんだな。
17日本@名無史さん:2000/11/17(金) 04:01
不思議な事に、教育の奨励が自らを滅ぼしたのかね?
18日本@名無史さん:2000/11/17(金) 12:27
>7
天皇が絶対者でしょうね。
(1)現人神 (2)神聖不可侵の存在 (3)統治権の総覧者 (4)大元帥と
して統帥権の保持者
以上のように、天皇こそ正に絶対者と呼ばれるのに相応しい存在と言えます。
19雪男:2000/11/17(金) 12:56
>18
それは形式上の話であって、現実は違うんじゃないですか?
それが正しければ明治初期の天皇は専制君主だったことになる。
明治天皇が台湾出兵に反対だったのを知らないわけじゃないでしょう?
20斬首:2000/11/17(金) 17:06
「錦旗」、「明治維新」は、自称「官軍」がでっち上げたもの。
毛利、島津による徳川討伐、および幕府の瓦解というのがプレーンな感じだと思う。
西軍には様々な人材登用があったとはいえ、基本的には武家と武家による政権の
奪い合い。
日本の近代化というのは、世界的な潮流に乗らざるを得ない状況だったので、それが
西軍に有利に働いただけ。市民革命というレベルではない。冬の陣、夏の陣以来の
合戦と見ても良いくらいだが、それほど単純でもないしな。
21日本@名無史さん:2000/11/17(金) 17:39
あまり江戸を過大評価するのもなあ・・
戦争じゃあ一流国にかなわないレベルだったんだし。
22世界@名無史さん:2000/11/17(金) 17:45
要は、西洋列強に対抗しうる中央集権国家をつくろうとする運動における、
主導権争いが幕末の戦乱なんじゃないの?
で、天皇制は中央集権実現のための「権威」としてのツールにすぎなかった、と。
23日本@名無史さん:2000/11/17(金) 17:49
>21
ですが、外敵に対する戦争では、かなり強かったはずです。
24日本@名無史さん:2000/11/17(金) 17:59
天皇制なくして明治維新も近代化もなかったのも事実じゃない?
25日本@名無史さん:2000/11/17(金) 18:50
天皇制ってさ、実際の為政者にとっては便利だよね。
問題が起これば天皇のせいにしてしまえるし。
26日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:05
これといっった宗教のない日本では、
天皇制が唯一の秩序維持装置。

27:2000/11/17(金) 19:20
 幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。
 諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
28:2000/11/17(金) 19:24
また共産オヤジが出てきたね。(W
29日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:25

こいつは「荒らし」だ。
徹底的に無視するべし。
3029:2000/11/17(金) 19:26
>28
すまん。27の事です。
31日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:30
てゆーか、諸藩は初めから朝廷には従ってるじゃん。
薩長の武力が朝廷を担いで官軍になったから、
従わざるを得なくなったんだろう。
官軍でなければ簡単には従わないんじゃないか?
32日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:37
>M
死んでくれ
33げった@末広         :2000/11/17(金) 19:40
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
34げった@末広         :2000/11/17(金) 19:40
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。  
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。     
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、  
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
35げった@末広         :2000/11/17(金) 19:40
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。       
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。               
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、  
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
36げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。                
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。           
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。               
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、         
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。          
37げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。                
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。           
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。                       
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、         
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。                 
38げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。                
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。           
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。                       
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、         
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。                           
39日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:41
>M
オメエを糾弾するスレが出来てんだよ!
40げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。                
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。                                
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。                                                    
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行によ         り、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、                         
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、         
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。                           
41げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
42げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回          収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
43げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
44げった@末広         :2000/11/17(金) 19:41
幕府も二次征長に諸藩を動員して諸藩財政を崩壊の危機にまで追い込んでいるし、
新政府も戊辰戦争に諸藩を動員し、諸藩を財政解体の危機まで追い込んでいる。
二次征長と戊辰戦争による幕藩体制の瓦解により中央集権国家化の芽はすでに生じている。
諸藩は天皇制に従ったというより、鳥羽伏見に旧幕府軍を撃退した威力に抗する気力も
財力もなく、屈服を余儀なくされたというべきであろう。
諸藩は薩長の主導権のもと、自藩解体作業を戊辰戦争に促進し、また、悪貨発行により、
それを急進化し、新政府による悪貨回収に事実上の諸藩財政の解体にトドメを刺し、
最終的に廃藩置県の儀式に臨んだといえよう。明治維新は諸藩解体の作業ではあるが、
また秩禄処分という、解体された諸藩にはじきだされた士族への懐柔作業でもあろう。
45日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:43
Mさんは、論破されると荒らすの?
カッコわるっ!!
46:2000/11/17(金) 19:43
 幕藩体制国家崩壊の危機を乗り越える手段が日本国の絶対主義化だった。
 幕藩体制国家の受け皿としての絶対主義国家は、士族懐柔と弾圧に起こしたインフレの収拾に紙幣整理に、デフレを起こして農民を苦しめて工業生産労働力を増やし、輸出競争力を高めるために、低賃労働力に朝鮮低価穀物に依存させたため、朝鮮への固執に対外戦争とその準備に追われた。

 ( 関東東北の穀物は自給自足、西日本の米価は外需の高まりに輸出のため高騰し、阪神地区の低賃労働力は低価朝鮮産穀物に依存した。)
47日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:44
Mはチョン?
48日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:49
>M
はたらけ。
49日本@名無史さん:2000/11/17(金) 19:51
>M
オメエを糾弾するスレが出来てんだよ!
50日本@名無史さん:2000/11/17(金) 21:11
بلادٍ...
لها برلمانٌ من الياسَمينْ.
وشعبٌ رقيق من الياسَمينْ.
تنامُ حمائمُها فوق رأسي.
وتبكي مآذنُها في عيوني.
أحاول رسم بلادٍ تكون صديقةَ شِعْري.
ولا تتدخلُ بينيبين ظُنوني.
ولا يتجولُ فيها العساكرُ فوق جبيني.
أحاولُ رسْمَ بلادٍ...
تُكافئني إن كتبتُ قصيدةَ شِعْرٍ
وتصفَحُ عني ، إذا فاض نهرُ جنو
51:2000/11/17(金) 21:16
はい、Mちゃん、すごいねー、エライねー、
次は、もっともっと漢字をいっぱい使って、作文しましょうね。
521です。:2000/11/17(金) 23:28
>オール

531です。:2000/11/17(金) 23:33
追加

こんな短期間で こんなにレスがつくとはおもわなかったぜ


ただ、私のわかんない点として、先祖からの主君の時代から天皇専制君主
に 人の考えが 短期間でついていけたのが よくわからないんですよ。
そこんところが知りたいんです。
54日本@名無史さん:2000/11/17(金) 23:40
当初「攘夷」を唱えて幕府の開国政策に反対し、
開明的な開国論者に対して天誅と称してテロを浴びせていた勤皇の志士を、
とても「先覚者」「進歩派」とは言えないだろう。
だから明治維新は何か胡散臭いんだよなあ〜(w。
55日本@名無史さん:2000/11/17(金) 23:46
>53
幕府が朱子学を官学化したのが原因でしょ。
短期的でもないと思うけど。
ところで天皇専制君主って何?

56日本@名無史さん:2000/11/17(金) 23:50
>54
具体的にいえよ。
誰が開明的な開国論者で、
誰がテロった勤皇の志士なんだよ。
57名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 23:51
>10
岸田秀ですな。
58日本@名無史さん:2000/11/17(金) 23:54
そもそも攘夷派と開国派という分け方はなりたつが、
勤皇派はどっちもそうだから分けられないだろ。
59名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 23:55
>54
Mですな。
602000:2000/11/17(金) 23:55
天皇専制君主の時代なんてはるか昔の古墳時代のことですよ。
61:2000/11/17(金) 23:59
 >53
 解体寸前か財政危機にある藩を見限った者はすぐに藩主から天子に担ぐ対象を変えました。しかし木戸孝允は藩主と天子双方について山口藩解体に尽くしました。
 藩に根付き慣れきった者たちやとくに年貢を低くおさえてもらった藩主に対しては農民にとって、廃藩置県に藩主階級の東京集合命令にも納得しがたいことではありましたが、中央権力には抗うことはそのものの滅亡を意味しますから、それは困難でした。しかし西南端の薩摩藩だけは西南戦争が片づくまで中央より島津家大事が多かったものです。
62:2000/11/18(土) 00:01
共産オヤジのお出まし(W
63日本@名無史さん:2000/11/18(土) 00:14
M君、頑張れ。
俺は応援しているぞ。
64日本@名無史さん:2000/11/18(土) 00:26
>56
佐久間象山は開明的開国派で、勝海舟や吉田松陰に西洋兵学を教授
した人ですが、京都で尊攘派に暗殺されました。
幕末・明治維新について語るのならば、これ位は知っていて欲しい
ものです。

65日本@名無史さん:2000/11/18(土) 00:59
61は発狂して氏にました
66日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:08
>>54=>>64
勤皇の志士にやられたというが、
佐久間象山だって勤皇だろうよ。
そういう分け方が意図的なんだよ。
それと、佐久間象山は朱子学者であり、
封建制を守ろうとした人間だぜ。
↓を見てみろ。

http://www.sv.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~jphil/lecture/sisou_data/syozan/syozan.html
67日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:12
>>54=>>64
テロをやってたのは幕府側、佐幕派だって同じだろうよ。
おまえの主張は勤皇派=悪にしたいだけだろう。
68日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:27
>67
勤皇派っていうけれど、孝明天皇が本当に信頼していたのは、
京都守護職である松平容保の方なんだよ。
孝明天皇は、薩摩や長州よりも会津藩の方を頼りにしていたの
です。
69日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:39
>54=64
>開明的な開国論者に対して天誅と称してテロを浴びせていた勤皇の志士を、
>とても「先覚者」「進歩派」とは言えないだろう。
>だから明治維新は何か胡散臭いんだよなあ〜(w。
>佐久間象山は開明的開国派で、勝海舟や吉田松陰に西洋兵学を教授
>した人ですが、京都で尊攘派に暗殺されました。

こいつはかなりの歴史オンチだね。
佐久間象山を暗殺した河上彦斎は、
明治政府の開国政策にさいしても批判したバリバリの攘夷派で、
政府転覆の嫌疑で逮捕され斬罪となった人物。
だれも河上彦斎を「先覚者」「進歩派」などとは言ってないぜ。
極めて例外的な人物を、あたかも勤皇派の志士の代表のように
言うことの方がおかしい。殺された佐久間の方が天皇に近いしな。


70日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:40
>67
佐久間象山はやはり佐幕派だろが。
父の敵を討つために息子の三浦啓之助は新選組に入隊したくらいだからな。

>68
同感。
孝明天皇の意思と正反対のことをしていて「勤皇派」はないだろ。
せめて「自称勤皇派」とすべきだね。
とにかく「勤皇派」の志士が胡散臭いことは間違いない。
7167:2000/11/18(土) 01:44
>>68
その通り。
ようするにどっちも勤皇。
過激派はどっちにもいるってこと。
72日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:46
>69
そんなことはない。
佐久間象山はあくまでも佐幕派だ。
幕府の開国和親の政策も支持していた。
彼を暗殺した河上彦斎こそ「勤皇派」だ。

何にしても「勤皇派=進歩派=善玉」「佐幕派=反動派=悪玉」と
決めつけるのは、後世の明治政府の宣伝によるものでデタラメだ。
7367:2000/11/18(土) 01:50
>70
おまえ、言ってることに矛盾してるな。

>佐久間象山はやはり佐幕派だろが
佐久間は公武合体派。そんなことも知らんのか?
おまえは「勤皇派の志士」にやられたと言うが、
やったのは攘夷派の志士であって、
見方によれば佐久間のほうが勤皇だろうが。

>孝明天皇の意思と正反対のことをしていて「勤皇派」はないだろ。
>とにかく「勤皇派」の志士が胡散臭いことは間違いない。

おまえ、自分の発言がおかしいことに気づかないのか?

74日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:54
>72
ハァ?
河上彦斎はその明治政府に殺されたんだぞ。
河上彦斎が佐久間象山より勤皇である根拠は何だ?
75日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:56
佐久間象山

1811年、信濃国松代城下に生まれる。
剣術の達人、朱子学者、西洋砲術家、西洋通、・・・等々
数多くの顔を併せ持つ幕末の思想家。
 アヘン戦争による中国の敗北、ペリー来航等の事件によ
る幕末の混乱期、象山は、これら西洋の「外圧」に対処す
べく、積極的に洋学を評価し、吸収につとめる。
 しかしその一方で、朱子学者としての理想の政治形態で
ある封建制を(ときには幕府よりも熱心に)守ろうとする。
 象山の言葉でよくクローズアップされる、「東洋道徳、
西洋芸術(技術)」という言葉にもあるように、儒学・洋学
の兼学を主張した。
 また、「自分が殺されたら日本は終わりだ」と言った
り、「自分の血を絶やさぬように」と、沢山のお妾さん
を囲ったりとエネルギッシュな一面も持つ。

http://www.sv.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~jphil/lecture/sisou_data/syozan/syozan.html

76横レス:2000/11/18(土) 01:58
>>72
どう考えても河上彦斎は勤皇派の代表にはならんだろ。


77日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:00
54=64=70=72はMなんじゃない?
78日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:07
結局、勤皇=悪にしたいだけだろ。
普通なら、攘夷派なり倒幕派というところを、
わざわざ勤皇派と言うんだからね。
佐幕派の反対は倒幕派。勤皇派はどっちも同じだし、
テロをやる奴もどっちにもいる。

79日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:08
>73
はあ?
幕末期には、一応「公武合体派=佐幕派」だろが。
勿論、厳密には「公武合体」と「佐幕」は違うのかもしれないが、
後世「佐幕派」の代表のように言われている会津藩や新選組だって、
公式の主張は「公武合体」だった。
だから、佐久間の主張は、おおむね「公武合体=佐幕」と考えていい。

それから佐久間が「勤皇派」だったのなら、
息子の三浦啓之助が父の仇を討つために新選組に入隊したことの説明がつかないだろが。
お前はこれについてどう説明するつもりだ。

天皇の意思と反対のことをやって「勤皇」はないだろ。
アホ!!

>74
はあ?
河上彦斎げ明治政府に殺されたのは何年も後のことだろ。
佐久間象山を殺した1864年の時点では、
奴は典型的な「勤皇の志士」だったろが。
80日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:14
>ALL
河上彦斎を「勤皇の志士」ではないと主張することで、
あくまで「勤皇派」を唯一の正義も味方としてことさら持ち上げたがっているな。
そう、奴は他しか肥後の出身だったよな。
やはりこの時期の「西国志士=勤皇の志士」の典型と見る方のが自然だろ。
81日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:21
>幕末期には、一応「公武合体派=佐幕派」だろが。

「公武合体派」と「佐幕派」イコールにはならない。
自分違うと認めながら、イコールはおかしいだろ。

>息子の三浦啓之助が父の仇を討つために新選組に入隊したことの説明がつかないだろが。

新撰組は天皇から感謝状まで貰ってるぜ。
何を言ってやがる。

>河上彦斎げ明治政府に殺されたのは何年も後のことだろ。
>奴は典型的な「勤皇の志士」だったろが。
たった3年後じゃねーか。しかも攘夷派をつらぬいてな。
おまえのいう勤皇派なら、天皇に従うんじゃねーのか?(笑)何を根拠に言ってる?
82日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:24
そもそも、孝明天皇に倒幕の意思なんてあったのか?
孝明天皇が、徳川家茂や徳川慶喜、そして松平容保を倒したいなんて考る訳
ないからね。
薩・長の連中が、孝明天皇の意思とは無関係に、勝手に動いていただけだろ
うね。
83日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:30
>79=80

>河上彦斎を「勤皇の志士」ではないと主張することで、
>あくまで「勤皇派」を唯一の正義も味方としてことさら持ち上げたがっているな。

そうではない。殺した方が殺された方は攘夷と開国の違いであり、
「勤皇」の違いではないと言ってる。

>やはりこの時期の「西国志士=勤皇の志士」の典型と見る方のが自然だろ。

おまえ、マジで言ってるの?(爆笑)

84日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:31
>81
>新撰組は天皇から感謝状まで貰ってるぜ。
>何を言ってやがる。

だから何?
今度は新選組まで「勤皇派」と主張するのかい?

>たった3年後じゃねーか。しかも攘夷派をつらぬいてな。

お前こそ、何をほざく。
そのわずか3年というのが大きいだろが。
この時代、西洋文明の流入によって、急速に時代環境が変わっていた。
だからわずか3年でも、世界観や価値観を一変させることだって十分にあった。

所詮お前は、胡散臭い「勤皇の志士」を唯一の絶対の善玉にしたいんだろ。
だから「勤皇派」の進歩性を否定しかねない河上彦斎のような奴は、
「勤皇の志士」とは認めたくないのだろう。
85日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:34
>82
倒幕の意思はないだろ。
孝明天皇は幕藩体制維持派。
徳川家茂、徳川慶喜、松平容保も勤皇派。
8684:2000/11/18(土) 02:35
何しても明治維新は胡散臭いものだと思うね。
この程度の問題でも、歴史の見解が大きく食い違ってしまうからね。
だから俺はあまりこの時代は好きじゃない。
87日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:39
孝明天皇が公武合体派で、幕府体制維持派だったのは明白。
だから長州系志士のように「尊皇攘夷」のお題目を掲げ、
討幕運動に走った連中は、孝明天皇の「逆賊」だったことは間違いない。
88日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:45
>今度は新選組まで「勤皇派」と主張するのかい?

新撰組は長州の攘夷派の御所焼き討ちを阻止し、
天皇から感謝状まで貰ってるんだぜ。
近藤勇の書いた手紙にも、「皇国」という言葉が見られる。

>この時代、西洋文明の流入によって、急速に時代環境が変わっていた。

彼の思想が徹底的な攘夷であったからこそ、天皇が開国派になろうが
変わらなかったわけだろ。

>所詮お前は、胡散臭い「勤皇の志士」を唯一の絶対の善玉にしたいんだろ。

おまえが「勤皇の志士」の枠を勝手に決めてるだけだろーが。
俺は維新の勝ち組=勤皇なんて言ってないぜ。
どちらの勢力にも、勤皇の強いもの、比較的弱いものはいたし、
テロをやった奴もどちらにもいたと言ってるだけだ。
89横レスですが:2000/11/18(土) 02:51
政敵を倒すためには「攘夷」を言い張り、自分たちが権力の奪取すると、開国、
西洋化する。でも、「維新の志士」たちは謀略は得意だったかもしれないが、
あたまからっぽ、将来へのビジョンゼロ。その挙げ句が、あの岩倉使節だ。やった
ことは、欧米のさるまね、コピーである。からっぽの魂には、よくしみ込んだみたい
だね。
90日本@名無史さん:2000/11/18(土) 02:57
>89
近代化そのものを否定したいのか?
ビジョンがあっても、
近代化しようとすれば、欧米のさるまね的なものにならざるをえんだろうよ。
91日本@名無史さん:2000/11/18(土) 03:11
>90
西郷には、大久保たちとは違ったビジョンがあったんじゃないかな?
西郷が下野したのは征韓論に負けたと言うよりも、大久保たちの近代
化に散臭さを感じた挙句、結局は愛想を尽かしたからだと思うよ。
92日本@名無史さん:2000/11/18(土) 06:54
明治維新は日本史上最大の茶番劇。
維新の志士なんてお笑い種。
ただのペテン野郎に過ぎない。
93日本@名無史さん:2000/11/18(土) 07:14
明治維新はしばしば「青写真なき革命」「ビジョンなき革命」などと言われる。
それは元々討幕派志士達に明確な近代国家建設のプランがなかったからだ。
どんな国家を創るのかも考えずに、やみくもに「尊皇攘夷」というどこか時代が
かったスローガンを掲げて、連中は反幕運動をやっていたに過ぎない。
明治維新が胡散臭いのは、その辺りに理由があるのだろう。
94西国撲滅:2000/11/18(土) 07:36
東国は、西国にくらべ、独立自営の武装農民が作り上げた天地だ。
天皇中心、中央集権的な西国思想を撲滅し、分権的な東国思想を興隆しよう。
鎌倉時代、江戸時代の輝かしい栄光を取り戻すため、
西国人と天皇中心の西国文化を撲滅しよう!!!

・打倒目標、薩摩、長州、土佐、肥前、これらの住民は粛正対象だ。
・上記地域の植民地化と徹底的な弾圧。
・上記の野蛮人に担がれた天皇制打倒!!!天皇制の廃止と徳川将軍の元首化。
・江戸文化の復権。江戸弁の日本共通語実現。
・西国文化によって、抑圧された新撰組などの歴史的人物の復権。
・皇国史観の弾圧と佐幕思想の普及。
951です。:2000/11/18(土) 12:22
1です。まーあいいかみたいだけど。

天皇なんとかは 言葉たらずね。どうして あっさり藩から国に切り替われたのか
不思議なんです。

西郷って 明治帝のことを玉(利用すべきもの)って 呼んでいたんでしょ
たぶん 大久保もそうだし、木戸だって そうだったんでしょ?

また司馬さんの小説の中で、島津公が、余はいつ将軍になるのか?というエピソードをあげているけど
倒幕にせよ。佐幕にせよ 私はだれを担ぐかのスローガンだったにすぎないと思っています。

なぜ攘夷かというと、外人きてから なんだか物の値段があがって大変だ。ということがあったじゃない。
あの時代には。唯物史観だけじゃないけど、観念論だけでは歴史は語れないとおもうけど?
96日本@名無史さん:2000/11/18(土) 17:19
92=93=94
結局おまえは政治版でも荒らしてるチョンの工作員だったわけだ。
まあ、はじめからわかってたけどな。
97日本@名無史さん:2000/11/18(土) 18:04
1>  1です。まーあいいかみたいだけど。
天皇なんとかは 言葉たらずね。どうして あっさり藩から国に切り替われたのか
不思議なんです。

  藩はバラバラで,一致協力して新政府を倒すことができませんでした。
  また,新政府が天皇を握ったのも大きかったと思います。
  辞官納地命令で追いつめられた幕府は新政府と戊辰戦争を起こしますが,
  菊の紋章の旗を見た慶喜が戦意喪失してしまいます。
   これで最大の封建領主の抵抗が終わります。次に大きな抵抗は
  奥羽越列藩同盟ですが,これもやられてしまいます。
   要するに廃藩置県以前に反新政府側はもうぼろぼろにやられ
  ちゃって,抵抗することができなかったのです。

98日本@名無史さん:2000/11/18(土) 21:12
>96
お前、例の「西国人=亜朝鮮人」だろ?
そう、コリアンの亜種のな。
99名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 21:24
>95
幕末に本気で「天皇=日本で一番偉い人」と考えていたのは
真性の尊皇攘夷屋と一部の会津人くらい。
倒幕派にしろ幕府にしろ結局は「利用の対象」と考えていました。
この傾向は特に長州出身の文官グループに強く
伊藤博文や井上馨は基本的には議会を頂点とする政治を理想としていたし
晩年の木戸孝允に至っては暗に天皇制を否定するようなことすら言っている。
100日本@名無史さん:2000/11/18(土) 21:27
>99
じゃあ、天皇制廃止が長州人達の究極の理想だったんだね?
にもかかわらず今日山口県(旧長州藩)は、保守の牙城になっている。
これはどうした訳なんだ。
101名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 22:36
>にもかかわらず今日山口県(旧長州藩)は、保守の牙城になっている。
>これはどうした訳なんだ。

この点は、保守の総本山がかつての天領だった群馬県だったということを考えると
あんまり関係ないんじゃないか。
つーか99は、単に
「長州人は天皇なんてこの程度にしか考えてなかったんだよ」
ということが言いたかっただけなんじゃないの?
1021です。:2000/11/18(土) 22:52
今は だいぶ構成を代えているけど、今の森派って、岸派が出発でしょ?
橋本派は佐藤派から。両方とも長州閥?

それから 日本のえらいさんって 天皇家を媒介にして、血が繋がっているから
天皇家をあがめると言うことは、そのえらいさんたちをあがめよということに
なるとおもうけど?
103名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/19(日) 00:49
>>95
>なぜ攘夷かというと、外人きてから なんだか物の値段があがって大変だ。ということがあったじゃない。
>あの時代には。唯物史観だけじゃないけど、観念論だけでは歴史は語れないとおもうけど?

ペリーのやり方でしょ問題は

104日本@名無史さん:2000/11/19(日) 04:25
>1
ごらんの通り、十人に十通りの解釈を許すのが幕末維新史です。
だから明治維新はやはりよく分からないと言えますね。
1051です。:2000/11/19(日) 07:23
>104

なんか納得いかないような いったような
106日本@名無史さん:2000/11/19(日) 09:01
>1
明治維新を王政復古史観で持ち上げる民族派がいれば、
近代市民社会を生み出したブルジョア市民革命の一形態だと持ち上げる
リベラル(主に坂本竜馬信者)もいます。
あるいは近代天皇制を生み出した絶対主義的な変革に過ぎなかったと
馬鹿にする左翼もいれば、佐幕派擁護の立場から幕末における討幕派
の行動を厳しく批判し、維新そのものの先覚性や大義を否定する人もいます。
とにかく明治維新というのは、解釈する人の数だけその捉え方があるようで、
よく分からないとしか言いようがありません。

ただひとつ私が言っておきたいのは、尊皇攘夷派が唯一絶対に善玉で悪玉の佐幕派をやっつけたから
日本は近代国家になれた、という明治以来言われて来た歴史認識は間違っていることです。
幕末期においては、佐幕派側の小栗上野助らからも徳川氏中心の近代国家を確立しようとする動きが
あった以上、薩長両藩主体による天皇中心の近代国家だけが日本の取り得る道では
なかったのです。
107日本@名無史さん:2000/11/19(日) 13:37
本当に英・仏は日本を植民地化
しようと考えていたか疑問。
よく維新がなければそうなったと言われるけど。
108日本@名無史さん:2000/11/19(日) 13:51
幕府と反幕府勢力があり、それぞれにも攘夷派と開国派があった
でも、相手の勢力の内事情とかお互いはっきりつかめなかったから
攘夷派同士、開国派同士仲良くなることはできなかった
ということではあかんのかなぁ。
ズレてたらかんにんな。
109日本@名無史さん:2000/11/19(日) 14:23
>106
坂本竜馬ですら、皇国史観だよ。
竜馬がつくった「新政府綱領八策」には、
「皇国」や「朝廷ヲ奉リ…」などの言葉が出てくるしね。
あの当時は佐幕派も同じ。


110日本@名無史さん:2000/11/19(日) 14:49
>107
ビルマがイギリスの植民地になったのは、明治維新の後だけど
やっぱり経済的な締め付けを講じながら、軍事力を背景に
国内の分裂状態を利用して少しづつ国の切り取りを進めていった。
日本も、明治維新がなければどうなっていたかわからないと思う。
111天之御名無主:2000/11/19(日) 14:55
>佐幕派側の小栗上野助らからも徳川氏中心の近代国家を確立しようとする動きが
あった以上、

具体的に教えてください。
112日本@名無史さん:2000/11/19(日) 14:56
>106 幕末期においては、佐幕派側の小栗上野助らからも
徳川氏中心の近代国家を確立しようとする動きが
あった以上、薩長両藩主体による天皇中心の近代国家だけが
日本の取り得る道ではなかったのです。

 その時代に近代化しようと思えば,近代的武器,大工業を導入しなくて
 はならない。大変な費用がかかるが,幕府の財政は貧乏である。
 近代化の費用を調達するには,
  1,国土の一部を外国に売りつけたり権利を売る,
  2,大商人から御用金を取り立てる,
  3,幕府は全国の4分の1を領有しているのだから,
    その経営を改革する。

  1は亡国の道であり,これを採れば日本版香港ができる。
   小栗は各種兵器購入に当たって,造船所や鉄道敷設権
   を外国に与えた。
  3は自らの痛みを伴うものである。当時幕府を支持していた
   譜代大名や親藩などが途方もない贅沢をしていた。
   これを完全に削らなくては,日本の近代化の費用は出てこないが
   それは自分たちの経済基盤が極端に減ることであり,許容する
   はずもない。
   とすれば,残るのは2だけである。大商人から徹底して搾り取らなくて
   はならない。これで大商人たちは倒幕の側につくことになる。
   もしその時代がまだ,マニュファクチャーや軽工業の時代なら,
   幕府の特権を少し削減して,大商人を敵に回さない程度に負担を
   押しつけることで,幕府が中心となって中央集権的な体勢に移行
   できたかもしれない。
    しかしもはやそんな生ぬるい改革では近代化の費用は捻出
   できないほど,世界の産業は進んでいた。
    やはり幕府,そして封建体勢はそのような点からも崩壊せざる
   を得なかったのである。 
113名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 16:11
「攘夷」と称して品川に建設中だった英国公使館の焼き討ちをやった
高杉晋作、伊藤博文、井上薫らは、所詮ただの放火犯。
その放火犯も権力を握れば、今度は「開国和親」に豹変する。
尊皇攘夷派の主張にはまるで一貫性なし。
それでも後世の評価は「大先覚者」で、
日本を植民地化の危機から救った「偉大な救国者」。
ホントかよ(ワラ?
114名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 16:17
管直人の尊敬する人物は高杉晋作。
なるほどね。
115名無しさん:2000/11/19(日) 19:56
俺も高杉好きだけど?
楽しそうだろ?龍馬もそうだけど楽しげでよい。
こいつらが偉大だとは思わんがそれでも生き方には憧れる。
116日本@名無史さん:2000/11/20(月) 02:01
明治維新によって、全ての日本人が
国民になり、軍人になるようになっ
た。日本の政治と日本の防衛を皆が
意識するようになった。これは活気
的なことだ。素直に功績を認めるべ
きだ。

明治時代の改革は明治時代に行われ
た。1867年まで続いた江戸時代
には行われなかった。やらなかった
のが徳川幕府であり、やったのが明
治政府である。やらなかったのが慶
喜であり、やったのが大久保であり
木戸であり伊藤である。誰が偉いか
は一目瞭然というべきである。

政治というのは選択の問題だ。政治
の功績というのは、選択をした人に
あるのだ。選択をした人が偉いので
ある。
117日本@名無史さん:2000/11/20(月) 02:04
海外の文化に学ぶ「開国」の気持ち
と、外国人の侵略に立ち向かう「攘
夷」の気持ちというのは、太古の昔
から現在に至るまで、全ての日本人
の心にずっとあった考え方だ。二つ
の気持ちは全く矛盾するものではな
い。

薩長の考えは、開国和親で西洋の技
術を取り入れて、尊皇攘夷を実現し
ようというものだった。幕末・明治
・大正と終始一貫している。矛盾は
どこにもない。

薩長が、攘夷から開国に転じたなど
というような、日本人の自然な感情
に反する、不自然な評価をしたのは、
明治時代、大学でくすぶっていた戊
辰負組の学者達である。単なる作り
話に過ぎない。外国人を攻撃しっぱ
なしとか、外国に対し開きっぱなし
というような、バランスの悪い人間
が登場しはじめたのは、つい最近の
ことなのである。
118日本@名無史さん:2000/11/20(月) 02:19
尊皇というのは、尊孝明天「皇」の
ことだけをいうのではない。尊天「
皇」制だって一つの立派な尊皇の在
り方だ。即ち、現職天皇に媚びるこ
とばかりが尊皇なのではなく、新し
い天皇を立てることだって場合によ
っては、立派な尊皇に成り得るのだ。
それによって天皇制のある国を維持
できるのであれば、歴代の天皇は、
そちらの方を望むはずだからである。

徳川は開国和親の相手に、王様が殺
された国フランスを選んだ。薩長は
王様を大事にした国イギリスを選ん
だ。何をかいわんやというべきだろ
う。

徳川幕府は250年間以上、終始、
天皇家に対し強圧的な態度を採って
いた。そもそも尊皇だなんて言える
立場にはなかった。徳川の尊皇とい
うのは、彼等自身の延命工作のため
の単なる気まぐれに過ぎなかったの
である。
119エンジン:2000/11/20(月) 04:27
>116
明治維新に選択なんてないでしょ。力づくで政権とっただけ。
後の者はついていくしかない。武家同士の争いなんだから、どっちが悪いだの、
正義だのは関係ない。

最後の4行はまったく意味なし。
120名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 06:47
>116

>徳川幕府は250年間以上、終始、天皇家に対し強圧的な態度を採って
>いた。そもそも尊皇だなんて言える立場にはなかった。徳川の尊皇とい
>うのは、彼等自身の延命工作のための単なる気まぐれに過ぎなかったのである。

これは笑止千万。
完全に本末転倒している。
そもそも尊皇思想を普及させたのは徳川御三家の一つ水戸家ではないか。
故に徳川幕府なしに天皇があれほど敬われるようになることなどなかった。

それから、近代化は決して維新の勝者の薩長の専権事項ではない。
徳川幕府は決して近代化の努力を怠っていたわけではないからだ。
また、最後の将軍徳川慶喜は、幕府体制を改革し徳川氏中心の近代国家を創ろうとしていた。
それはそれで評価する必要がある。

幕末という複雑怪奇な時代を、後世の人間がどちらかを一方的に「正義」だの「悪」だのと
断じるのは馬鹿げている。
所詮幕末の対立抗争は武士同士の争いに過ぎぬ。
よって、幕末維新に正義なし。
121日本@名無史さん:2000/11/20(月) 07:04
>118
それで、自分たちとって都合の悪い孝明天皇は排除したって事ですね。
しかし薩・長派の論理は凄いね、結局は自分たちにとって利用価値のあ
る天皇が必要だって事だからね。
まぁ、そんな連中を敵だった訳だから、誠実を信条とする松平容保が、
賊軍にされる筈だよ。
ただね、薩・長派がどんな理屈を述べようが、孝明天皇が本当に信頼し
ていたのは、会津藩主松平容保である事は歴史的事実です。
それと、幕府が友好関係を持っていた時のフランスは、ナポレオン3世
統治下の帝国であって共和国では無かったし、過去の事を言えば、イギ
リスも清教徒革命の時には、国王を処刑していますよ。
122名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 12:24
>121
激しく共感。

そして冷静に見て討幕派には50%の正義しかありません。
残りの50%の正義は佐幕派にあったと言わねばならない。
故に幕末維新史をどちらかを一方的に正義だの悪だのと裁断出来ない筈です。
123エンジン:2000/11/20(月) 12:46
>117のコメントも意味なし。
「開国」とか「攘夷」はそういう意味じゃない。妙なこじつけですね。
三つめのパラグラフも意味なし。「日本人」の一言ですむなら、
佐幕も勤王もないでしょ。だいたい、その当時の負け組の見解なんて、
全くとりあげられなかったんだから。
開国、和親は幕府の政策、実績でもある。
124名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 12:54
「攘夷」なんていう排外主義のスローガンを掲げていた尊皇攘夷派を、
手放しで「先覚者」「開明家」「進歩派」だのと持ち上げるのは馬鹿げている。
こんな排外主義者をただ持ち上げているばかりでは、
国際社会で日本人の見識が疑われるぞ。
125名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 12:59
>薩長の考えは、開国和親で西洋の技術を取り入れて、尊皇攘夷を実現し
>ようというものだった。幕末・明治・大正と終始一貫している。矛盾は
>どこにもない。

嘘こくなよ。
高杉らが品川の英国公使館を焼き討ちしたり、長州藩が関門海峡で外国船に
砲撃を加えたり、あるいは薩摩藩が生麦で英国人を殺傷したりした事実は
どうなるんだよ。

幕末においては、西洋文明の導入に積極的だったのは、むしろ後世時代錯誤
の大馬鹿者扱いされている幕府の方だ。
この事実は明治政府によって抹殺されてしまったが、
これからは冷静に評価する必要がある。
126エンジン:2000/11/20(月) 13:04
>118
悪魔のようなコメントだね。
だが、これが薩摩、長州の理論か。なるほど。
つまり、現天皇を「ポア」するのが、尊天「皇」というわけね。
三つ目のパラグラフは、例によって意味なし。
徳川幕府は天皇制を維持していたし、命を脅かすようなマネはしなかった。
127日本@名無史さん:2000/11/20(月) 13:14
単なる憶測を、事実のように扱って議論を勧める辺りが、
このスレの議論は、藤村の捏造話に乗った考古学者と同じ発想(藁
128エンジン:2000/11/20(月) 13:32
おくそく 【憶測・臆測】
名)スル確かな根拠もなくいいかげんに推測すること。

つまり、127の書き込みのこと。

君、ここ来るの初めて?
俺の憶測によれば116、117、118。
あくまでも憶測。
129日本@名無史さん:2000/11/20(月) 13:34
どう考えても、松平容保が賊軍にされた事は不当だ。
京都守護職として、天皇・朝廷に忠誠を尽した結果が朝敵の汚名とは、
余りにも理不尽過ぎるぞ。


130日本@名無史さん:2000/11/20(月) 14:23
>128
「確かな根拠」は無いのだから、憶測じゃん
131大河好き:2000/11/20(月) 17:14
会津藩といえば「白虎隊」ですか う~ん何かと不運な藩ですな
132名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 22:47
>130
憶測は薩摩長州礼賛者の言い分の方だ。
133日本@名無史さん:2000/11/20(月) 22:48
会津藩のほうが尊皇派だったんだよね。
134日本@名無史さん:2000/11/20(月) 23:52
>1 明治維新って 最初は殿様を担いでいた人たちが
   天皇を神輿に替えて新政府を作ったという解釈でいいのかな?

  要するに下級武士が主体となって明治維新をすすめたのかどうか,
 ということが聞きたいのですか。もしそうだとしたら違うと思います。
  尊皇攘夷の建前の下で,下級武士,大商人,貿易商人,
  庄屋,商人,上士勤王派,そして討幕派志士の同盟ができた。
  討幕派志士と大商人の目的は,尊皇攘夷の大義名分の下で,
 実際は開国倒幕を目指していた。
  倒幕のためにもっとも大きな人的資源となったのは下級武士だったが
 彼らは,尊皇攘夷を純粋に信じていたが,討幕派志士はそうではなかった。
  明治維新によって討幕派志士と大商人が権力の座につくと
 下級武士は見捨てられ,後の不平士族の反乱へと続くのである。
 
135日本@名無史さん:2000/11/21(火) 02:08
明治維新は薩長のペテン師達の権力奪取に過ぎません。
だからそれにいかなる幻影も持つべきではありません。
136日本@名無史さん:2000/11/21(火) 05:14
薩・長、そして岩倉・三条は、まだ少年の明治天皇を政治的に利用したからね。
純情な松平容保には、絶対に出来ない事です。
137日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:17
明治の元勲が採用した政策は山ほ
どある。慶喜は選択しなかったが
元勲達は選択した。そういう政策
が山ほどある。やらなかった慶喜
政権は駄目な政権であり、やった
元勲政権は優秀な政権である。や
らなかった幕末の徳川幕府の政治
家に実績はなく、実績を残したの
は明治の元勲達である。

森政権その他、今後の政権が行う
であろう改革は、加藤鉱一氏が総
理になっていた場合でも、できた
かもしれない。しかし、今後の改
革の功績が、加藤鉱一氏のものに
なることは有り得ない(彼が総理
になってやらない限り)。功績は、
加藤鉱一氏のものではなく、それ
をやった人達のものになる。徳川
がやってもできたなどというのは、
単なる負け惜しみに過ぎないので
ある。
138日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:18
関ヶ原の戦いと違い、勝利した毛
利・島津は征夷大将軍に就任しな
かった。明治維新により、日本の
政治は、将軍が行うのではなく、
万機公論に決することになったの
だ。徳川に勝ったのは日本人なの
である。明治維新期の戦いが、武
家同士の単なる権力闘争だったな
どと評価するのは間違いである。
139日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:20
開国とは欧米人の奴隷になること
ではない。欧米人の知識や技術に
学ぶということだ。欧米製の鉄砲
で欧米人を撃つことは、攘夷であ
ると同時に開国でもある。イギリ
ス人と戦った薩長の人間を、開国
派と評価することに問題は何もな
い。

長州がイギリスに留学生を送った
のは1863年。四国連合艦隊と
問題を起こしたのは1864年。
開国し攘夷している。嘘はない。

また、確かに、1862年のイギ
リス公使館の焼き討ちには、長州
人も参加していた。しかし、それ
は個人の行動に過ぎない。長州藩
が行ったものでも、長州人全体が
考えて行ったものでもない。個人
が行ったことを取り上げて、長州
や長州人が○○だったと評価する
のは不適切だろう。

また、個人の行動で評価するとい
うのであれば、吉田松陰や大村益
次郎など、焼き討ちの遥かに以前
から開明的な行動をしていた長州
人のことを忘れるべきではないだ
ろう。どう評価しようとも、長州
は、開国して攘夷している。嘘は
ない。

なお、外国人を襲う事件は、当時
続発していた。日本を思う日本人
の普通の行動だったのだ。
140日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:21
和親というのは、対等な人間同士
であって始めて成立する。当時の
外国人は日本人を対等な人間だな
どとは考えていなかった。外国人
との間に和親が成立する余地はな
かったのだ。

日本人には、内心の和親の気持ち
はひとまずおいて、外国人に、日
本人が攘夷する勇気のある同じ人
間であることを示してみせること
が必要だったのだ。薩長が攘夷を
したからといって、和親でなかっ
たわけではないのである。
(いじめられっ子の内心には、攘
夷を行う時でも、いじめっ子との
和親の気持ちはある。そして、い
じめっ子と和親するには攘夷が必
要であることが多いのである。)

141日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:27
天皇は日本の農民(多数派日本人)
の殿様のような人である。尊皇思
想というのは大昔からあった。武
士以外の普通の日本人の間では、
広く支持されてきた考え方である。

水戸藩というのは、徳川家の中で、
尊皇思想を大事にした人達という
に過ぎない。尊皇思想に欠けるこ
とが多かった、武士の中では、尊
皇思想を大事にした人達だったと
いうに過ぎない。普通の日本人が、
幕府や水戸藩から尊皇思想を教わ
ったなどということはない。

長州の場合、兵士の中心は武装農
民だった。武士にしても半分農民
のような人達だった。尊皇思想を
水戸藩や徳川幕府から教わったな
どということはない。
142日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:29
容保も慶喜も、孝明天皇に対して
誠実な人間だったならば、孝明天
皇に殉じていたはずである。多く
の家臣に対して誠実な人間だった
ならば、死んだ家臣と運命を共に
していたはずである。多くの人を
見殺しにし、生き恥を晒して生き
続けた彼等に、誠実という言葉は
不似合いだろう。

孝明天皇は妹を徳川に人質に取ら
れていた。徳川の言うことに反対
できなかったのは当然だろう。そ
して、最終局面において、孝明天
皇が心配していたのが、慶喜や容
保や幕府のことだったと、孝明天
皇から直接聞いた人はいない。

徳川が本当に、尊孝明天皇だった
のであれば、滅ぶのは自分達だけ
にすることができた。天皇を道連
れにした徳川は、やはり不忠者だ
ったのである。

143日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:32
加藤鉱一氏は賊か?賊とも言える
し、賊でないとも言える。おそら
く加藤派や山崎派は賊でないとい
うのだろう。しかし、加藤氏は負
けてしまった。他人からは、賊と
いう評価をされても文句は言えな
いだろう。容保の場合も同じであ
る。彼が賊でなかったということ
はあなた方が、わかっていれば十
分なはずなのだ。世間が賊と言う
ことに、一々目くじらを立てる必
要はないのである。

144スミ:2000/11/21(火) 12:41
137さんは不思議な論理を展開するね。
薩長が権力を握る以前、開明派の足を引っ張っていたことをどう説明するんだよ。
薩長が早くから開国に方針を転換していたことは事実。それを隠して
攘夷をとなえていたのは倒幕のためでしょう。つまり、開国派の主張を
そのまま追認したら、薩長は自分たちが権力を握ることができない。
それで権謀術数のかぎりを尽くして政局を混乱させ、最後には暴力で政権を
簒奪してしまった。明治維新を例えていうと、ユンカーとナチスの内戦みたい
なもの。ナチス(薩長)は権力を得るためには何だってする。その結果国が破壊されても平気。
それでしかたなくユンカー(幕府)側が政権から手を引いた。こんなところだろう。
145エンジン:2000/11/21(火) 13:00
日本史板から出て行け。
146大河好き:2000/11/21(火) 13:18
明治維新は高く評価されるべきだ

幕府のままではやはり諸外国の領土になりかねなかったと思う
147日本@名無史さん:2000/11/21(火) 13:27
>146

幕府にしろ、新政府にしろ、ひとつの政体としてまとまっていれば
簡単には手出しできなかったと思うよ。
明治維新の動乱が長く続くと見ていた列強はあてがはずれたんだから。
148日本@名無史さん:2000/11/21(火) 19:01
>147

  幕府のままでは近代化はできなかったと思う。
  幕府は貧乏だった。その理由は,封建社会特有の
  権力者の経済特権,好き勝手に財政を私物化し,
  個人の贅沢のために浪費を繰り返していた。
   近代化には膨大な費用がかかる。
  小栗上野介は,全国を郡県制に統一し,譜代大名,旗本が
  権力を握ったままで中央集権を強化し,近代化を推進しよう
  という構想があった。
   一番の問題は,産業の近代化の費用をどうやって調達するかだ。
  彼は各地の造船所を担保に入れて外国から借金したり,
  鉱山採掘権,鉄道敷設権まで外国に与えた上で近代兵器を買った。
   これは亡国の道である。
  この時代がまだ,マニュファクチャーや軽工業の時代だったら,
  大商人が我慢できる程度に負担を増加させ,権力者たちが幕府の財政を
  自分たちの贅沢三昧のために私物化するのを少し控えれば,
  小栗はこのような亡国的資金調達をしなくても済んだであろう。
   しかしこの時代の世界の産業は,すでに機械制重工業の段階
  だったのである。
   したがって幕府はそのような外部環境の観点からも,
  滅ぶべくして滅んだのである。
   
149日本@名無史さん:2000/11/21(火) 22:19
どういう理由にせよ討幕派が当初「攘夷」という時代錯誤の排外主義を掲げて、
徳川幕府の「開国和親」の方針を妨害していたことは事実だ。
勿論、討幕派の中には、「攘夷」を単なる権力奪取の方便としか考えていなかった
者もいたが、一方西洋に対する知識の欠如から、異人が神国日本に足を踏み入れる
ことすら汚らわしいと考える狂信的な攘夷主義者も少なくなかった。
にも関わらず、最終的に討幕派が勝利し、それと同系統の人々を中心に近代国家が
成立した為に、彼らは何の批判も受けていない。
討幕派の政治スローガンが反動的な「攘夷」だったことは、厳しく批判されねばならない。
150日本@名無史さん:2000/11/21(火) 23:20
>142
孝明天皇がどれだけ松平容保の事を信頼していたかは、天皇の容保へ
の直筆の手紙に書かれています。
その手紙で孝明天皇は、三条実美ら七卿は、自分の意思に反する事を
さも天皇が命令したかの様に振る舞う態度を厳しく非難しており、容
保こそ真の忠臣であると述べています。
そして容保はその手紙を、終生を肌身離さず持ち続けたと言う事実が
あります。
結局、本当に尊皇の念を持っていたのは薩摩や長州、そして岩倉や三
条の様に、天皇を政治的に利用した者たちでは無くて、松平容保であ
ったという事は、正に歴史的事実と言えます。
あなたも司馬遼太郎著『王城の護衛者』を読めば、その辺の事情が良
く理解出来る事でしょう。

151日本@名無史さん:2000/11/21(火) 23:42
長州は孝明天皇の逆賊だったと言わねばならない。
152日本@名無史さん:2000/11/21(火) 23:51
>149
討幕派の政治スローガンが反動的な「攘夷」だったことは、
厳しく批判されねばならない

攘夷を掲げることによって開国討幕派は,下級武士という
階層を味方にできた。政治の世界で本音と建て前を巧妙に
使い分けることは当然。
153日本@名無史さん:2000/11/21(火) 23:55
>幕府は貧乏だった。その理由は,封建社会特有の
>権力者の経済特権,好き勝手に財政を私物化し,
>個人の贅沢のために浪費を繰り返していた。

財政の私物化は長州のお得意な仕事だ
   
154日本@名無史さん:2000/11/22(水) 07:14
>攘夷を掲げることによって開国討幕派は,下級武士という
>階層を味方にできた。政治の世界で本音と建て前を巧妙に
>使い分けることは当然。

本気で攘夷が可能だと考えている者も討幕派には少なくなかった。
それに建前にせよ時代錯誤の排外主義を掲げたことは、
討幕派に近代国家建設の青写真や理念がなかったことの証左である。
よって明治維新に正義なし。
155日本@名無史さん:2000/11/22(水) 07:47
明治維新で近代国家が成立したっていうけど、
なんか急速な時代環境の変化で、結果としてそうなったっていう印象が強いんだよね。
討幕派は幕府を倒した後にどんな国家を創るのかのビジョンなんてなく、
ただ反動的な攘夷主義を掲げて猪突猛進したっていう感じ。
だから明治維新を過大に持ち上げるのは胡散臭いんだよね。
156名無しさん@そうだ名無しになろう:2000/11/22(水) 07:55
>150
小説を読んで、それでその時の状況がよく分かると思われても困るんですけど。
157日本@名無史さん:2000/11/22(水) 08:01
でも司馬は、嘘は書いてないと思うよ。
そしてあの小説は、会津松平家の人たちに感謝されたんだよ。
158日本@名無史さん:2000/11/22(水) 13:55
維新が日本人の勝利と書いた人がいたけれどそれはどうなの?
万機公論と言っても密室政治が続いたわけだし。
薩長土肥出身者による政治権力の独占が勝利?
159宇宙"猿"人ゴリ:2000/11/22(水) 16:54
137〜143は意味のないプロパガンダ。
反論しても意味がありません。

>1
このスレは終了して下さい。
160日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:05
手紙からわかるのは、手紙を書い
た時点のことだけだ。生まれてか
ら死ぬまで終始一貫して手紙の内
容のような考えを持っていたなど
といえるわけではない。前の日は
違う意見だったかもしれないし、
次の日には心変わりしていたかも
しれない。また、手紙を書いた日
は体調が悪かったことだって考え
られる。手紙の存在は、せいぜい
が書かれた時点で、徳川がうまく
天皇を丸め込むことに成功してい
たことを示す証拠になるに過ぎな
い。

「手紙を終生大事にした私は、尊
皇です。」だと?

そんなお手軽な尊皇があってたま
るか!である。女子高生でもあるま
いし、笑止千万な話というべきで
ある。そんなことを平気で言う人
間を恥知らずと言うのである。

日本には、天皇のために文字どお
り命を賭して戦った人間が何百万
という単位で存在している。手紙
を大事にするなど何もしていない
のと同じなのである。

161日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:07
天皇家のより濃い血を一日でも長
く。これこそが尊皇の精神という
べきだ。明治維新に参加した日本
人の行動は、この尊皇の精神に合
致している。非難すべき点は、見
当たらない。

現職天皇に執着するのは、尊皇の
精神の教える所と必ず一致すると
は限らない。現職天皇自身が、尊
皇の精神を否定する行動をとる場
合だってあるからだ。

武士以外の普通の日本人は、多か
れ少なかれ尊皇の精神を持ってい
た。人(水戸藩)からわざわざ教
わらないと理解できなかったのは、
徳川将軍家ぐらいのものだ。

将軍家が尊皇に転じたのは、幕末
に入ってからのことだ。自分達の
立場が危うくなってからのことだ。
世間に人気のあった天皇の威光を
利用して、自分達の延命を図ろう
としたに過ぎないのだ。

幕末・明治・大正・昭和・平成と
心ある日本人は皆で天皇家を支え
てきた。しかし、幕末期の徳川の
天皇家を巻き込んでの幕府延命工
作は、それに何も貢献していない。

162日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:08
明治・大正に入ってからも、外国
人の内地雑居を推進しようとする
政府に対し、日本人は頑なに拒も
うとした。獣のような外国人なん
かと一緒に住まわされてたまるか
!それが当時の正常な日本人の自
然な感情だったのだ。日本人は生
来的・本能的に排外的だったので
あり、誰かの命令で排外的になっ
たのではない。

時代錯誤の拝外主義の例を挙げる
のであれば、より文明開化が進ん
だ明治時代において、伊藤博文ら
の政府に対し、対外的に強硬な政
策を採るよう文句をつけていた、
戊辰負組と目される大学の先生や
ら新聞記者やらの態度の方を挙げ
るべきだろう。

なお、独立国である限り、健全な
拝外主義は必要不可欠だ。拝外主
義が時代錯誤になるなどというこ
とは基本的にはないはずだ。

163日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:08
何度もいってるように、攘夷の人
間、開国の人間、和親の人間とい
うような、単細胞かつ不自然な人
間は存在しない。そういう頭の悪
い人間観に基づく馬鹿丸出しの歴
史評価は、全く無意味だ。

倒幕派は、攘夷と開国と和親の気
持ちを併有しつつ、幕府には日本
を任せられないという共通認識と
スローガンの下、倒幕運動をして
いたのだ。
164日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:09
幕府の政策遂行が妨害されたのは
開国派だからとか攘夷派だからと
いった特定の政策的理由からでは
ない。むしろ総合的な理由からだ。
即ち、世間から、信頼ないし信用
するに値しないと烙印を押されて
しまったからだ。駄目な政治家集
団とみなされてしまったので、政
策遂行を邪魔された。それだけの
話に過ぎないのだ。森政権に対す
る不信任案と同じである。

信用を失った原因を自分ではなく、
他人の誤解に求める。責任を転嫁
して他人を斬りまくる。そして、
ますます信用を失う。幕末期の幕
府の政治家達は、人を纏める力が
ない駄目な政治家の典型だった。
政治の表舞台から追い出されたの
は当たり前のことである。

165日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:25
>万機公論と言っても密室政治が続いたわけだし。

万機公論に決する社会になっても、
蚊帳の外に置かれる無能な人間が
でてしまうのは避けられない。無
能な人間に、密室政治に見えるこ
とがあるとしても、それは仕方が
ないことなのだ。

大日本帝国憲法の制定、日本国憲
法の制定。政治の仕組みは当の昔
に開かれたものになっている。密
室政治だなどと文句を言っている
人間は、単に無能であるというだ
けのことに過ぎないのだ。

あなたが密室政治でないと思うよ
うな世の中には、おそらく永遠に
なることはないに違いない。

166日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:39
>薩長土肥出身者による政治権力の独占が勝利?

明治維新により将軍家という一つ
の家の人が取り仕切り続ける社会
から最も政治力のある日本人の政
治家が日本の政治を取り仕切る社
会に変わった。そして、当初力が
あったのが薩長土肥の政治家達だ。
薩長土肥の政治家が政治を取り仕
切ったことに問題などない。

そして、薩長土肥が力をなくした
あとは、戦争もなく全国の他の政
治家に権力はきちんと移転してい
る。
167日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:44
>166

どうでもいいが、変な改行読み辛いよ
168日本@名無史さん:2000/11/22(水) 17:49
>万機公論に決する社会になっても、
>蚊帳の外に置かれる無能な人間が
>でてしまうのは避けられない。無
>能な人間に、密室政治に見えるこ
>とがあるとしても、それは仕方が
>ないことなのだ

そう考えることで自分は無能でないと思うことは簡単だ。
この人は非常に有能な方なのだろう。
こういう人達に日本を任せれば安心だ
169日本@名無史さん:2000/11/22(水) 20:13
>161
おいおい、現職の天皇が尊皇では無いって、一体誰が判断するんだよ。
その論理が通用するならば、自分に都合の悪い天皇は尊皇では無いと、誰にだって
言える事だぞ。
それと本当の尊皇ならば、天皇を政治的に利用するなんて事は出来ない筈だ。
薩・長のやった事は、自分たちが権力を奪取する為に、天皇を利用しただけだよ。
それは、尊皇とは呼べないものだ。松平容保の孝明天皇への思いこそ、正しく尊皇
と呼ぶに相応しいものなんだよ。
170天之御名無主:2000/11/22(水) 22:48
明治維新は薩長のペテン師による猿芝居。
だから過大に評価するのは禁物。
171日本@名無史さん:2000/11/22(水) 22:54
>170
そんな電波なことを言っていたら、当時の日本の動きを虎視眈々と見ていた
欧米列強に笑われるぞ。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/22(水) 23:03
孝明天皇を毒殺した「勤皇派」はとんでもない奴らだな。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/22(水) 23:06
>171
欧米が日本を植民地化しようとしていたというのは、
薩長礼賛者が自分達の持ち上げるために、大げさに主張していること。
幕末期に日本を完全に植民地化しようとしていた列強なんてなかった。
174日本@名無史さん:2000/11/22(水) 23:11
172@`173は、例によって、朝鮮の手先の反日サヨクによる国論分裂工作だな。
見え透いた手を使っても、よほどのバカしか引っかからないぞ。
175日本@名無史さん:2000/11/22(水) 23:33
天皇が大事なのか天皇制が大事なのかは、
今でも尊皇派に議論があるようだね。
2・26事件の青年将校も、天皇のためといいながら、
思いっきり天皇に迷惑な反乱を起こしたし。
176日本@名無史さん:2000/11/22(水) 23:37
>174
ハハハ。
孝明天皇が勤皇派の陰謀で毒殺された説はかなり有力だぞ。
よく覚えておけよ。
177日本@名無史さん:2000/11/23(木) 06:44
幕末における孝明天皇の毒殺は、「勤皇派」の最大の汚点。
自分達に都合の悪い天皇ならば殺してしまえ、が奴らの論理。
「勤皇派」の正体、ここに見たり。
178日本@名無史さん:2000/11/23(木) 06:48
孝明天皇を毒殺した「勤皇派」は国賊。
179日本@名無史さん:2000/11/23(木) 07:25
>174
そう言うレッテルを貼って、自分の立場を正当化するとは、余りにも
情け無いね、薩・長派の皆さま。
180日本@名無史さん:2000/11/23(木) 08:16
179=はやいち
さすが電波的狂産主義者
181日本@名無史さん:2000/11/23(木) 08:17
電波的歴史ヲタクは炒ってよし。
ついでに仙台城から投身自殺してくれ。
182日本@名無史さん:2000/11/23(木) 08:28
>>180
>>181
おまえがうざい。
電波電波ってうるさいんだよバカ!
いちいち糞みたいな返事かくなボケ!
おまえ、いつもいぢめられて泣いているんだろ!
このポル公!
ギャハハハハハハッハ!

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!

183日本@名無史さん:2000/11/23(木) 08:35
つうか、180=181だろ、どう見ても。
184日本@名無史さん:2000/11/23(木) 08:46
松蔭が死んでから西郷が死ぬぐらいまでの話
185日本@名無史さん:2000/11/23(木) 08:53
長州ドキュソが虐殺しまくるホロコースト話
186日本@名無史さん:2000/11/23(木) 09:45
薩長礼賛者は全員焼却炉へ逝け!!
187日本@名無史さん:2000/11/23(木) 10:11
薩長礼賛者は桜島の噴火口で投身して。
もうこの国にあんた達はいらないから。
188日本@名無史さん:2000/11/23(木) 11:18
ここは、反日サヨクと朝鮮が、国論分裂工作をしているだけの自作自演スレ
189日本@名無史さん:2000/11/23(木) 12:56
明治維新は日本が前近代から近代社会へ移行する革命です。
190日本@名無史さん:2000/11/23(木) 13:05
>>188
まじでそんなことばっか言うから、おまえはキティガイなんだ。
191日本@名無史さん:2000/11/23(木) 13:08
つうか、188はいつものように「強大なヤマト王権あげ」って吼えてろや。
狂人は狂人らしくしろ。
192日本@名無史さん:2000/11/23(木) 13:50
ワンパな荒らしするんだったら
そろそろコテハン名乗れや>>188
193宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:05
幕府瓦解によって、善良なる一般市民までが戦に
駆り出され、軍隊に徴発された。
日本の政治に口を挿めない者が日本の防衛を強要
され、血を流し、命を落とすようになった。
これは悲劇だ。素直に罪業を認めるべきだ。

明治時代の圧政は明治時代に行われた。1867年
まで続いた江戸時代には別の圧政があったが。
下々の民を戦争に駆り出したのは明治政府であり、
やらなかったのが徳川幕府である。やったのが
大久保であり木戸であり伊藤である。やらなかった
のが慶喜である。誰が偉いかは一目瞭然というべき
である

政治というのは選択の問題だ。政治の功罪というのは
選択をした人にあるのだ。選択した偉い人は、責任
逃れをしてはならない。
194宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:06
海外の文化に学ぶ気持ちや外国人の侵略に立ち向かう
気持ちというものを特に「開国」とか「攘夷」などと
表すことはない。このような事象は日本人に限らない。
「開国」というのは幕末になって意識されたことで
あり、「攘夷」などは随分長い間忘れさられていた
ことだ。

幕府の考えは、公武合体で政権を維持することであった
が、攘夷どころか、外国との条約廃棄さえその見込みは
無かった。

薩長が、攘夷から開国に転じたのは戦争の結果を省みた
当然の結論であり、日本人の感情論とは関係ない。
戊辰戦争に負けた学者たちに言われるまでもなく薩長が
血を流して学んだ結果である。これは作り話ではない。
自分の意見を一方的にタレ流したりとか、評判の悪い
改行を改めないというような、バランスの悪い人間
が登場しはじめたのは、つい最近のことなのである

195宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:07
尊皇というのは(〜以下118参照のこと)

徳川は孝明天皇を退位させるため、国学者塙次郎に廃帝
の先例などを慎重に調査させていたが、薩長はここぞ
とばかりに謀殺してしまった。
何をかいわんやというべきだろう。

徳川幕府は250年間以上、終始、天皇家に対し強圧的な
態度を採っていた。そもそも尊皇だなんて言える立場には
なかった。徳川の尊皇というのは、彼等自身の延命工作の
ためであり、薩長の尊皇というのも、同じレベルの野望で
しかない。
196宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:07
明治の元勲が採用した政策は山ほどある。慶喜は選択しな
かったが元勲達は選択した。そういう政策が山ほどある。
やらなかった慶喜政権はもともと駄目な政権であるが、
やれば良いというものではない。やった元勲政権には責任が
ある。出来なかった幕末の徳川幕府の政治など論じる価値は
ないが、現在に至る歴史上の禍根を残したのは明治の元勲達
である。
197宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:08
関ヶ原の戦いと違い、勝利した毛利・島津は征夷大将軍に
就任しなかった。幕府瓦解により、日本の政治は、将軍が
行うのではなく、薩長藩閥が決することになったのだ。
徳川に勝ったのは薩長なのである。幕末の戦いが、単なる
武家同士の権力闘争であるにも関わらず、世界的な潮流に
飲み込まれたために、日本の社会構造、日本人の意識が
大きく変化した。
198宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:08
開国とは欧米人の奴隷になることではない。
欧米人の知識や技術に学ぶなどという狭い了見でもない。
イギリス人と戦った薩長の人間を、開国派と評価すること
には問題がある。当時の政権は未だ幕府であり、
その開国政策を著しく損なったばかりか、
尻ぬぐいまでさせている。

長州がイギリスに留学生を送ったのは1863年。
すでに幕府がイギリスと和親条約を結んだ後、
四国連合艦隊と問題を起こしたのは1864年。つまり、
幕府が開国し、長州が攘夷している。嘘はない。
199宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:09
とのさま 【殿様】


(1)主君または貴人を敬っていう語。「―のお出ましじゃ」
(2)江戸時代、大名または旗本を敬っていう語。「紀州の―」
(3)生活にゆとりがあり、鷹揚(おうよう)で世事に疎い人。「―暮らし」

天皇は日本の農民(多数派日本人)の殿様のような人である。
尊皇思想というのは大昔からあるにはあったが、幕末までは
特に意識されることのなかった考え方である。

水戸藩というのは、徳川家の中で、尊皇思想を大事にした
人達というに過ぎない。尊皇思想に欠けることが多かった、
武士の中では、尊皇思想を大事にした人達だったというに
過ぎない。普通の日本人が、幕府や水戸藩から尊皇思想を
教わったなどということはない

長州の場合、兵士の中心は武装農民だった。武士にしても
半分農民のような人達だった。
尊皇思想を水戸藩や徳川幕府から教わったなどということはない。
200宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:11
容保も慶喜も、孝明天皇に対して誠実な人間だったならば、
孝明天皇に殉じていたはずである。多くの家臣に対して
誠実な人間だったならば、死んだ家臣と運命を共にしていた
はずである。
もちろん、尊王を掲げた薩長が、孝明天皇に殉じることも
無かった。

多くの人を見殺しにし、生き恥を晒して生き
続けた慶喜には、誠実という言葉は不似合いだろう。

孝明天皇は妹を徳川に人質に取られていたようなものだが、
徳川の約束した攘夷を期待していたのも、事実である。
そして、最終局面において、孝明天皇が心配していたのが、
慶喜や容保や幕府のことだったと、孝明天皇から直接
聞いた人はいない。それどころか、自分の身に危険が
迫っていたのである。

薩長が本当に、尊孝明天皇だったのであれば、天皇に倣って
幕府を助け、攘夷、条約破棄を進めるのが誠というものである。
しかし強固に佐幕を明言する天皇を廃した薩長は、
やはり不忠者だったのである。
201宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:14
加藤鉱一氏は賊か?賊とも言えるし、賊でないとも言える。
おそらく加藤派や山崎派は賊でないというのだろう。
しかし、加藤氏は負けてしまった。他人からは、賊と
いう評価をされても文句は言えないだろう。
容保の場合も同じである。彼が賊でなかったということ
はあなた方が、わかっていれば十分なはずなのだ。
世間が賊と言うことに、一々目くじらを立てている訳では
ないが、歴史を正しく認識しようとすれば、勝者の
自画自賛だけを検証するわけにはいかないのである。
国民に支持されない政権が罷り通るのは、薩長の決する
「万機公論」が密室に隠れた一部権力者、元勲たちだけの
ものだからである。
202宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:16
手紙からわかるのは、手紙を書いた時点のことだけだ。
などというようでは、貴重な歴史的資料も台無しである。
生まれてから死ぬまで終始一貫して手紙の内容のような
考えを持っていたなどと、誰も思ってはいないが、手紙
に表れている心情は理解しなければいけない。
手紙の存在は、せいぜいが書かれた時点で、徳川がうまく
天皇を丸め込むことに成功していたことを示す証拠になる
に過ぎないと考える人があるとすれば、少し考慮が
足りないのである。

「手紙を終生大事にした私は、尊皇です。」だと?

そんなお手軽な尊皇があってたまるか!である。
女子高生でもあるまいし、笑止千万な話というべきである。
野望に燃える薩長、公家がそんなに甘い訳がない。
佐幕を唱える者は、たとえ天子といえど謀殺するのである。


日本には、天皇のために文字どおり命を賭して戦った人間が
何百万という単位で存在している。にも関わらず、

そのような人々が手紙を大事にするなど何もしていなのと同じなのである。

などと書き込む人がいる。

そんなことを平気で言う人間を恥知らずと言うのである。
203宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:17
天皇家のより濃い血を一日でも長く。よくわからないが、
これこそが薩長による尊皇の精神というらしい。
明治維新に参加した薩長の行動は、この尊皇の精神に合
致しているのか?

現職天皇に執着するのは、薩長的尊皇の精神の教える所と
必ず一致するとは限らない。現職天皇自身が、佐幕を明言する
場合だってあるからだ。 。非難すべき点は、問答無用の
廃帝である。

武士以外の普通の日本人は、尊皇の精神などを意識しては
いなかった。人(水戸藩)から影響を受け、都合よく
利用したのが、徳川将軍家であり、薩長藩閥だ。

薩長が尊皇に転じたのは、幕末に入ってからのことだ。
政権奪取に欠かせない戦略なのは、徳川と同じ。
世間に人気のあった天皇の威光を利用して、自分達の正当性を
取り繕ろうとしたに過ぎないのだ。

幕末・明治・大正・昭和・平成と心ある日本人は皆で天皇家を支え
てきた。しかし、幕末期の薩長、徳川の天皇家を巻き込んでの
権力闘争は、それに何も貢献していない。
204宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:17
何度もいってるように、攘夷の人間、開国の人間、和親の人間とい
うような、単細胞かつ不自然な人間は存在しない。そういう頭の悪
い人間観に基づく馬鹿丸出しの歴史評価は、全く無意味だ。

つまり、薩長の理屈を日本人の総意であるかのように言いくるめようと
必死になっている人のことだ。
205宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 16:19
幕末の幕府はもはや政策遂行どころではなく、瓦解するのが
当然だった。幕閣上層部に優秀な人材が乏しく、幕府という
形態である限り、改善の見込みも無かった。それだけの
話に過ぎないのだが、森政権に対する不信任案を引き合いに
出しても、意味不明である。
206名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 17:44
>197
>幕末の戦いが、単なる
>武家同士の権力闘争であるにも関わらず、世界的な潮流に
>飲み込まれたために、日本の社会構造、日本人の意識が
>大きく変化した。

 幕末の戦いは単なる武家同士の権力闘争ではない。
 佐幕派はもちろん封建体制維持だが,尊王攘夷派は一枚岩
 ではなかった。
 開国討幕派(西郷,大久保ら,それに三井を筆頭とする大商人)
 それと尊皇攘夷を心から信じていた下級武士たちである。
 開国討幕派は,あくまで大義名分として尊皇攘夷を唱え,
 下級武士を人的資源として利用していたのである。
 開国討幕派の政治資金は大商人たちが担っていた。
 そして,新政府はこの大商人たち,及び振興の市民
 (ブルジョアジー)と組んで,近代化を進めていくのである。
 この過程で近代化についていけない旧大商人たちは没落していく。
 いずれにしても国家権力の中心部にブルジョアジーが,
 強い影響力を持つようになったのである。


207宇宙園児ゴリ:2000/11/23(木) 20:06
それは新政府を樹立した後のことでしょ?
開国討幕派というのは、討幕があっての開国。
開国のための討幕じゃない。
討幕のための討幕。
開国はその結果。
孝明天皇を廃帝するまで、朝廷は攘夷。
薩長は尊王。
幕府はすでに開国。
開国討幕派など無意味。ただの討幕で良い。
その当時は単なる武家同士の争いだが、後で歴史的にみれば、
確かに様々で重要な要素にはなっている。

ところで、大義名分としての尊王攘夷とか逝ってるけど、
例の改行のヘンなカキコする奴、こいつに何か一言
逝ってやんな。
208日本@名無史さん:2000/11/23(木) 20:34
>宇宙園児ゴリ

すまん、まじめな内容の投稿とふざけたハンドルネームとの落差に
爆笑

ところでラーはいないんですか?
209名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 21:27

>208
>幕府はすでに開国。
>開国討幕派など無意味。ただの討幕で良い

確かに幕府がすでに開国していたが,下級武士の多くが
 開国による経済混乱で困窮していた。一方商人たちは
 ビジネスチャンスと考えていた。
 尊皇攘夷のかけ声の下に倒幕に参加していた者の中には,
 本気で攘夷を考えていた者と,開国を継続するのは当然
 と考えていた者がいた。この両者を区別して考えることは
 とても大事だと思う。
 開国継続討幕派は,その政治資金を大商人に負っていた。
 大商人は幕末,幕府から様々な金銭的負担を強いられた。
 これによって大商人は倒幕側についたのである。
 そして開国継続討幕派が権力を握ったとき,彼らは
 改めて開国和親を宣言し,尊王攘夷派(その多くは下級武士)
 を見放したのである。
210日本@名無史さん:2000/11/23(木) 21:30
>1
このように明治維新は人によってその見解が大きく分かれます。
だからよく分からないとしか言いようがないと思います。
211日本@名無史さん:2000/11/23(木) 21:46
荒れたり煽ったり、マジで議論したりチャカしたり。
十人十色ね。
それだけ感情的になりやすいテーマなのはわかったわ。
212>1:2000/11/23(木) 23:24
で,結局1さんはどの意見がもっとも説得力があると思いました?
213日本@名無史さん:2000/11/23(木) 23:28
殆どの日本人は明治維新を評価してるだろ。
214スミ:2000/11/23(木) 23:59
>213
多数の人間が評価しているからといって、それが正しいとは言えない。
結果を残してしまえば普通の人は高く評価してしまう。
ムッソリーニもヒトラーも、一時は世界中が賞賛した。
しかしそれは既にある優れた伝統を食いつぶすものにすぎず、もし
長く続いてもいずれ衰退する運命にあったと言える。
明治維新もこれに似ている。「明治初期の日本人は立派だった」
こう言う人は多い。明治初期の人は明治の人ではなく江戸時代の
人である。明治の元勲に感化されて優れた人物になったわけではない。
江戸時代の優れた伝統から生まれたものである。
明治維新はこの優れた伝統を破壊してしまった為に、後の軍国主義を
防止することが出来なかったといって言い。
三島由紀夫も、武士道は軍国主義を抑止すると言っている。
215日本@名無史さん:2000/11/24(金) 03:37
軍国主義は昭和維新の結果生まれ
たもの。明治維新とは無関係。
216日本@名無史さん:2000/11/24(金) 03:40
独創性と正確性にかける下手糞な
物真似投稿にまた出会ってしまっ
た。徳川の武士と朝鮮人は本当に
よく似ている。
217日本@名無史さん:2000/11/24(金) 03:41
明治初期の人が偉いのは、江戸時
代を否定したからだ。江戸時代の
人間をやっていたからではない。
218日本@名無史さん:2000/11/24(金) 03:44
容保の手紙を大事にする精神は
容保の余生を正当化するのにし
か役立ってない。そんなものに
普通の日本人が価値を見出すこ
となど不可能だ。

219世界@名無史さん:2000/11/24(金) 05:07
>216・217
権力亡者の薩・長藩閥派が何を言いやがる。
自分たちが権力を独占したいが為に、板垣退助の自由党や大隈重信の
改進党を弾圧したくせに良く言うぜ。
結局、国家権力を私的に独占したいと言うのが、薩・長藩閥派の本音
だろう。
そして、自由党や改進党を弾圧した薩・長藩閥政府が、ブルジョア政
府だとも思わないね。

220日本@名無史さん:2000/11/24(金) 07:15
また荒れ始めたなあ。
徳川=チョン
と結びつけるアホウヨと
薩長=コノウラミハラサデオクベキカ
と書きこむ妄想はやいち病患者の内ゲバ。

面白いので続けてくれ(ワラ
>1
お前って、本当馬鹿だねぇ。
222日本@名無史さん:2000/11/24(金) 07:26
明治維新は所詮薩長の下級武士達の猿芝居。
決して農工商の庶民層が蜂起した訳ではない。
維新が本当にブルジョア市民革命だったのなら、
日本は天皇制ではなく共和制になっていただろう。
223スミ:2000/11/24(金) 07:42
昭和の軍国主義と明治維新は共通点が多い。

天皇の命令と称して無用な戦争を引き起こしたこと。
内戦で日本を支配したか、外征で中国を支配しようとしたかの違いであり、
たまたま前者は戦争が短期で済み大事にいたらずにすみ、改革が成功した
かのようにみえる。後者はアメリカの妨害にあい、日本を破滅に追いやった。

共に戦争のエネルギーの源泉は、排外的民族主義運動であり、質のよくない
人間層をその支持基盤にしていた。この無意味な内戦外征を避けるため
努力したのが長井雅楽と、徳川慶喜、徳川義勝などの徳川の殿様。
戦前では斎藤隆夫が反軍演説で戦争を抑止しようとしたが、残念ながら
無駄なことに終わってしまった。薩長と軍部の恐怖政治が原因である。

もし、司馬遼太郎のように明治維新を評価し、軍部を悪く言っているの
なら結果論者にすぎない。植民地化しなかったのは列強に領土的野心が
なかっただけであり、日本が焦土と化したのはアメリカの意志によるも
の。薩長のお陰で日本が救われたと思うのな妄想。
224migrator:2000/11/24(金) 10:59
私はヤフーで上の名前を名乗っています。ハヤイチ氏やポル氏と議論した事もあります。
というか、ポル氏は認識が似てるから議論はしてません。
ハヤイチさんは誰がハヤイチか分からないから名乗って頂戴。
ご意見待ってます。
225勝義邦:2000/11/24(金) 11:35
 >217
 明治人は江戸時代の意義あるものまで弊履の如く捨てさりやがった。
226日本@名無史さん:2000/11/24(金) 11:47
相変わらず、国論分裂工作をする奴の、自作自演が続いている。(藁
227日本@名無史さん:2000/11/24(金) 11:50
俺は江戸・明治どっちの時代に生きたいか
といわれれば、迷わず江戸時代を選ぶね。
平和だもん。
たかだか80年弱で国を滅ぼした政府と
260年以上対外戦争をしなかった政府、
どっちが優秀なんだよ。
228日本@名無史さん:2000/11/24(金) 12:00
生きた一人の人間に過ぎない天皇を現人神にまで祭り上げ、
その名の下に帝国主義アジア侵略に走った明治政府に、
私は好意は持っておりません。
そう、明治国家とは一種のカルト教団国家だったのでしょう。
アジア近隣の諸民族が何故あれほど塗炭の苦しみを味わわされねばならなかったのか、
我々日本人はよく認識しておくべきです。
229日本@名無史さん:2000/11/24(金) 12:09
四民平等といっておきながら華族制度を作り自分達維新の功臣を特権階級に列したり、
広く会議を興し万機公論に決すべしといっておきながら自由民権運動は弾圧したり、
明治国家には矛盾点が多過ぎる。
230日本@名無史さん:2000/11/24(金) 12:17
>我々日本人はよく認識しておくべきです。

我々って、お前は鮮人だろ。(藁
そんな歪曲した史観で、世界的に評価が高い明治維新を貶めるのはムリ。
231日本@名無史さん:2000/11/24(金) 12:25
ウヨの中にも明治維新を認めない勢力が
あることを知れ。
232Σ:2000/11/24(金) 18:15
M age
233日本@名無史さん:2000/11/24(金) 19:19
>222
>維新が本当にブルジョア市民革命だったのなら、
>日本は天皇制ではなく共和制になっていただろう

 ブルジョア市民革命後も君主制をとり続ける国は多いよ。
 イギリス,スウェーデンなどの北欧諸国,,,。

234>233:2000/11/24(金) 21:08
 議会の予算議決権を否定するような明治維新がブルジョア市民革命であるものか。
 北欧諸国は最悪でも君主と議会の予算決定権共同行使になっている。
 予算決定権として、政府に対して前年度予算行使の手段しかとらせない予算協賛権しか与えない明治国家がブルジョア市民国家であるものか。
235>234:2000/11/24(金) 22:02
それはただ北欧諸国的でないというだけで
ブルジョア市民革命で無いというのとは関係ないのではないのか?
少なくとも明治維新になって身分の壁は江戸時代より無くなったのは事実
236日本@名無史さん:2000/11/24(金) 22:10
>235
江戸時代ほどの身分差別がなくなったからといって、
明治維新をブルジョア市民革命とはいえないだろが。
討幕運動の主体となった連中は、江戸期の特権階級だった下級武士であり、
決して庶民層ではなかった。
だから明治維新はあくまで上からの変革に過ぎない。
237日本@名無史さん:2000/11/24(金) 22:16
下級武士を特権階級というのはどうかと思うが
238日本@名無史さん:2000/11/24(金) 22:51
身分差別撤廃や議会制民主主義を確立している国が
今、どれだけあると思う?
韓国ですら30年前は憲法と議会が無いも同然の国だったんだぜ。
あの時期に資本主義の地盤を作り、議会と憲法を持てただけでも
明治維新の意義は十分にあったと思うぞ。
239スミ:2000/11/24(金) 22:54
上からの変革で良いじゃん。
ブルジョア市民革命のみが正しい近代化ではない。
240スミ:2000/11/24(金) 23:06
>238
議会制民主主義への転換は徳川家主導でも可能だった。
薩長がいなければもっとスムーズに議会制民主主義の
国になっていただろう。
241日本@名無史さん:2000/11/24(金) 23:07
イギリスの一連の革命は貴族中心だし、
フランス革命やロシア革命も
首脳陣は都市の半貴族的な知識人だからねえ。
むしろ、下からの革命って方が少ないじゃない?。
242日本@名無史さん:2000/11/24(金) 23:12
>237
下級武士はやはり特権階級だろ。
江戸期には武士階級は全人口の8%ぐらいしかいなかったんだから。

>238
憲法制定や帝国議会が開設されたのは、
むしろ反薩長藩閥政府の運動である自由民権運動の成果と見るべきだろう。
また、幕府の崩壊から20年以上もたって実現したことを、
明治維新の意義とするのはナンセンスだ。
それに、明治憲法は民権運動家が理想とした内容とは程遠いもものだった。
なお、その自由民権運動には、維新の敗者や豪農が多数参加していた。
だから決して維新の勝者である薩長だけの業績とはいえない。
243スミ:2000/11/24(金) 23:20
イギリスの政体は単純な民主制ではなく、
王制、貴族制、民主制の三つ要素を持つ複合政体と見るべきです。

民主化すれば良いというものではありません。
244日本@名無史さん:2000/11/24(金) 23:24
しかしこのスレッド、少しでも薩長を少し擁護する文を書くと
1時間以内に確実にいくつも反論が返ってくるな
1日中スレッド見張っているのか?なんだかちょっと怖いぞ。
245migrator:2000/11/24(金) 23:37
ハヤイチかかってコイ。オレは薩摩だ。
薩摩隼人にかかって追いで。でも眠くなった。なんだハヤイチじゃないんだ。
246日本@名無史さん:2000/11/24(金) 23:45
>244
ハングル版の朝鮮人叩きに匹敵するな・・・
247日本@名無史さん:2000/11/24(金) 23:45
>>244
ハングル板の朝鮮人叩きに匹敵するな・・・
248日本@名無史さん:2000/11/24(金) 23:58
>242
>下級武士はやはり特権階級だろ。

上級武士は自分の領地を持ち,下級武士は自分の領地を持たず,
 藩主から俸禄を米,金の形でもらう蔵米取りの武士か,上級武士に仕える,
 家臣であった。
  下級武士の生活は非常に貧しく,内職によって生計を立てていた。
 後の開国の時期の尊皇攘夷運動に多くの下級武士が参加したのは,
 開国の経済混乱によってますます下級武士が困窮化していったからである。

  ところで,明治維新に批判的な人たちは,その非民主的な性質を
  挙げることが多いが,近代市民革命が達成されてから
  政治的民主主義が定着するまでには,大きな時間差が生じることが
  普通である。
249日本@名無史さん:2000/11/25(土) 00:16
>248
政治的な民主主義が完全に定着したのは、太平洋戦争に敗れてからだろ。
勿論、大正期には大正デモクラシーで、かなり議会制民主主義が定着し
かかったが、結局それも昭和に入って軍部が台頭し破綻した。
そうなったのも、やはり根本的に明治国家の体質に問題があったからじゃないの。
明治維新から太平洋戦争敗戦までは一つの時代であり、
その功罪については評価が分かれるが。
250日本@名無史さん:2000/11/25(土) 00:17
 労働力確保のための身分制再編は絶対主義中央集権国家なら、どこでもやりそうな気がする。
 しかし社会経済的に賤民が解放されていたわけではないから、四民平等もタテマエだけ。
251日本@名無史さん:2000/11/25(土) 00:24
>248
少なくとも幕末の尊皇攘夷派の理念に、
議会制民主主義なんてものは全くなかった。
幕末の段階では、彼らはそんなことを構想してはいなかった。
明治維新が、理念なき革命、ビジョンなき革命などといわれる所以は、
そんなところにも原因がある。
幕府崩壊後20年以上も経ってから実現したことを、
あたかも幕末の段階で構想していたかのように主張するのは歴史のでっち上げだ。
252スミ:2000/11/25(土) 00:31
>248
西欧では市民革命後、貴族と裕福な市民からなる市民社会が形成され、
これを核にして斬新的に民主化が進んだ。

しかし日本では明治維新のせいで、市民社会を背景とする政治制度を確立
できず、ガス抜きのような議会を設立した。そのため健全な民主国家に脱皮できな
かったといえる。
253スミ:2000/11/25(土) 00:46
選挙に勝てないから暴力に走ったのが薩長とオウム。
254日本@名無史さん:2000/11/25(土) 01:15
>253
戦後初期の日本共産党もそうだったな
255日本@名無史さん:2000/11/25(土) 02:00
武士は確かに8%かもしれんが
町人の裕福な層や農民の裕福な層のほうがはるかに下級武士よりいい生活をしていると思うぞ
256日本@名無史さん:2000/11/25(土) 05:48
皇位継承に伴う時代区分である明
治・大正・昭和・平成というのは、
便宜的な時代区分に過ぎない。明
治維新によって作られた国民国家
は現在までに既に130年以上続
いており、今後、記録はさらに伸
びることになるだろう。約260
年間続いた徳川家の独裁体制と比
べても見劣りするとは全く思わな
い。

257日本@名無史さん:2000/11/25(土) 05:58
すみません、質問なのですが・・・
桜田門外の変・井伊直弼の死亡は、三月三日、太陽暦に直すと三月二十四日・・・。
井伊家存続のために正式な死亡発表は三月下旬になったそうなのですが、
それは、いつだったのでしょうか?
なんか、三月二十四日と書いてある本もあって、それは太陽暦のミスでは?と。
(東京にある墓には、三月二十四日と記されているそうなのですが)

あと、年号なのですが、
井伊直弼暗殺の年・安政七年、
三月十八日より「万延」に改元したそうなのですが、
これは、どうして? この時代の改元は、何によって行われるのでしょうか?

この本を読め!というアドバイスでもけっこうですので、
お教え頂けたら、とても嬉しいです。
よろしくお願い致します。
(厨房ですみません)
258日本@名無史さん:2000/11/25(土) 05:59
農民や商人もちゃんと参加してい
る。下級武士だけで行ったという
のは戊辰負組の単なる願望に過ぎ
ない。
259日本@名無史さん:2000/11/25(土) 06:25
>少なくとも幕末の尊皇攘夷派の理念に、
>議会制民主主義なんてものは全くなかった。
>幕末の段階では、彼らはそんなことを構想
>してはいなかった。

1867年12月まで幕末はあっ
たところ、1868年3月の時点
で、万機公論に決すると表明され
たのである。ヨーロッパへの留学
経験者が何人もいたことを併せ考
えるならば、幕末の時点で、議会
制民主主義について構想していた
人もいたと考える方が自然だろう。
そういう理念が「全くなかった」
などというのは、戊辰負組の願望
に過ぎないだろう。
260日本@名無史さん:2000/11/25(土) 06:41
江戸時代には選挙はなかった。
一番武力が強い人が政権を担う
時代だった。薩長の政権奪取方
法に問題は全くない。

選挙に勝てないからといって暴
力に訴えたという形容が似合う
のは、226事件や515事件
で政治家を暗殺して回った人達
だろう。
261日本@名無史さん:2000/11/25(土) 06:56
完敗した人達にビジョンがなかったといわれてもねえ・・・。
262日本@名無史さん:2000/11/25(土) 07:02
>259
それならば、なぜ板垣退助の自由党や大隈重信の立憲改進党を、薩・長藩閥政府は
弾圧したんだい。つまり、万機公論に決するなんて事は、全くの建て前という事の
証明ですね。
自由党の支持層は地方豪農階級、改進党の支持層は都市ブルジョアジー階級、この
二つの階級を支持基盤に持つ、自由党や改進党を弾圧した薩・長藩閥政府は、所詮
万機公論とは無縁の国家権力の私的独占政府であり、ブルジョア権力では無いと言
う事です。
263日本@名無史さん:2000/11/25(土) 07:33
がんばれはやいち!
どんどん敵をつくれー!
264日本@名無史さん:2000/11/25(土) 07:42
>1867年12月まで幕末はあったところ、1868年3月の時点
>万機公論に決すると表明されたのである。ヨーロッパへの留学
>験者が何人もいたことを併せ考えるならば、幕末の時点で、議会
>民主主義について構想していた人もいたと考える方が自然だろう。
>ういう理念が「全くなかった」などというのは、戊辰負組の願望
>過ぎないだろう。

「全くなかった」とは言い過ぎだったかもしれないが、
尊皇攘夷派志士の多くには議会制民主主義への構想などがあったとは言いがたい。
確かに幕末の最終段階では、坂本竜馬などが議会政治への展望を持っていたが、
同じ時期には幕府側からも、西周などの開明派によって、議会政治は構想されていた。
だから決して議会政治は、一部の討幕派だけの独創ではない。

また、1889年になって帝国議会が開設されたのも、
反薩長藩閥政府の自由民権運動の成果と見る方が的を得ている。
この自由民権運動には、戊辰戦争の敗者や豪農が多数参加しており、
民主的な憲法制定などの理想の多くが藩閥政府によって潰されたという点で、
まさに挫折したブルジョア市民革命でった。

明治期の日本の諸変革をなんでも維新の勝者の業績に帰すのは、
薩長あるいは坂本竜馬礼賛者の願望に過ぎない。
決して歴史はそんなに単純なものではないのである。
265日本@名無史さん:2000/11/25(土) 07:48
>明治維新によって作られた国民国家は現在までに既に130年以上続
>いており、今後、記録はさらに伸びることになるだろう。

1945年8月の太平洋戦争敗戦という大きな時代区分を無視して、
明治維新から現代までを一つの時代として括るのは、
薩長礼賛者や竜馬ファンの思い上がりだ。
維新から敗戦までの70数年間における帝国主義アジア侵略の責任は、
あまりにも重いからである。
266日本@名無史さん:2000/11/25(土) 08:11
ヨーロッパへの留学生なら、幕府側も派遣していた。
幕末期に幕府側が費やした近代国家への努力は、
明治政府によって抹殺されてしまったが、
それはそれで評価する必要がある。
日本の近代化は、何から何まで薩長や竜馬のおかげではないのである。
267日本@名無史さん:2000/11/25(土) 08:16
>農民や商人もちゃんと参加している。下級武士だけで行ったという
>のは戊辰負組の単なる願望に過ぎない。

尊皇攘夷運動の主体はあくまで下級武士であり、農民や商人ではなかった。
それに参加した農民や商人にしても、一部の地方のごく少数の人々であり、
国全体で庶民層が討幕に立ち上がったとは言いがたい。
やはり討幕が薩長などの藩権力を背景に持った下級武士であった以上、
明治維新はブルジョア市民革命などといえる代物ではない。
268日本@名無史さん:2000/11/25(土) 08:55
結局、「徳川主導の場合どういうことができたか」
について全く言えず、薩長叩きしかできないのが
維新反対派の弱味だな

明治政権が良い政権だったわけではないが
あの時期としては良くできた方じゃないか?
少なくとも俺としては「庶民でも勉強して試験に受かれば偉くなれる」
ってシステムを確立してくれたことは非常に感謝している。
269日本@名無史さん:2000/11/25(土) 09:58
爵位を持たず、しかも制限選挙とは言え、民意が反映される衆議院に
議席を持つ人物で、最初に内閣総理大臣になったのは、戊辰戦争で朝
敵にされた、南部藩出身の原敬であった事は歴史的事実です。
そして原の政治目的は、薩・長藩閥政府から政権を奪取する事にあっ
たと思われます。
原内閣の成立は、戊辰戦争負け組み奥州人の、実に見事なリベンジで
あったと認識しています。
270日本@名無史さん:2000/11/25(土) 10:02
>268
そんなことはない。
小栗や西が構想していた徳川氏中心の近大国家でも、
明治政府と同程度の変革は可能だった。
勿論、それが日本にとってよかったかどうかは別問題だが。
それが実現しないまま、徳川は権力の座から転がり落ちただけだ。
271日本@名無史さん:2000/11/25(土) 10:17
俺は身分差別社会だった江戸時代には好意を持ってないけど、
かといって明治時代も好きじゃないね。
だって侵略戦争に駆り出されて無駄死にさせられたくないからさ。
まあ、どっちの時代にも生きたくないとというのが健全な感覚でしょう。
272日本@名無史さん:2000/11/25(土) 17:57
>262
>薩・長藩閥政府は、所詮 万機公論とは無縁の国家権力の
>私的独占政府であり、ブルジョア権力では無いと言う事です。

表向きはそうでも,薩長政府もまた裏で当時のブルジョアジーと手を組んで
いたのである。三井を筆頭に鴻池,五代友厚,岩崎弥太郎,,,などである。


273日本@名無史さん:2000/11/25(土) 18:10
>270
>そんなことはない。
>小栗や西が構想していた徳川氏中心の近大国家でも、
>明治政府と同程度の変革は可能だった。

  その時代に近代化しようと思えば,近代的武器,大工業を導入しなくて
 はならない。大変な費用がかかるが,幕府の財政は貧乏である。
 近代化の費用を調達するには,
  1,国土の一部を外国に売りつけたり権利を売る,
  2,大商人から御用金を取り立てる,
  3,幕府は全国の4分の1を領有しているのだから,
    その経営を改革する。
   この3つの方法が考えられる。
   しかし1は亡国の道であり,これを採れば日本版香港ができる。
   小栗は各種兵器購入に当たって,造船所や鉄道敷設権
   を外国に与えた。
  3は自らの痛みを伴うものである。当時幕府を支持していた
   譜代大名や親藩などが途方もない贅沢をしていた。
   これを完全に削らなくては,日本の近代化の費用は出てこないが
   それは自分たちの経済基盤が極端に減ることであり,許容する
   はずもない。
   とすれば,残るのは2だけである。大商人から徹底して搾り取らなくて
   はならない。これで大商人たちは倒幕の側につくことになる。
   もしその時代がまだ,マニュファクチャーや軽工業の時代なら,
   幕府の特権を少し削減して,大商人を敵に回さない程度に負担を
   押しつけることで,幕府が中心となって中央集権的な体勢に移行
   できたかもしれない。
    しかしもはやそんな生ぬるい改革では近代化の費用は捻出
   できないほど,世界の産業は進んでいた。
    やはり幕府,そして封建体勢は当時の国際的な経済水準
   という点からも崩壊せざるを得なかったのである。


274日本@名無史さん:2000/11/25(土) 18:14
>>271
 なんか、こういう馬鹿もいるんだなぁという感じですか。
江戸時代が身分差別の時代だったら、平等なんて概念なんぞ
どこにもないね。
275>273:2000/11/25(土) 18:31
 「譜代大名や親藩などが途方もない贅沢をしていた」
 という根拠をあげてください。
276日本@名無史さん:2000/11/25(土) 18:44
>>271
れる、られる、受け身だね
277スミ:2000/11/25(土) 18:46
三井のような高利貸資本が、変革の自主的参与者として行動したと
考えるのはのは無理がある。彼らの本質は政権への寄生的性格を特徴
としており、機を見て新政府に鞍替えしたにすぎない。三井や三菱
は国家権力と密着した政商であり、それも対立均衡したブルジョアジー
ではなく隷属的存在。
278宇宙園児ラァ:2000/11/25(土) 19:02
>独創性と正確性にかける下手糞な
>物真似投稿にまた出会ってしまっ
>た。徳川の武士と朝鮮人は本当に
>よく似ている。

まったくそのとおりだ。
お手本どおりなんだよ。
キミがバカならオレもアホ。

>明治初期の人が偉いのは、江戸時
>代を否定したからだ。江戸時代の
>人間をやっていたからではない。

江戸時代の人間をやっていた・・・て、何?

>容保の手紙を大事にする精神は
>容保の余生を正当化するのにし
>か役立ってない。そんなものに
>普通の日本人が価値を見出すこ
>となど不可能だ。

じゃー、勲章とか貰っても価値が無いってことッスね。ましてや、天皇の御心など、
BOOK OFFでも、引き取りゃしねーつーことスね。

尊王道とは、死ぬことと見つけたり。いいスか、これで?
んで、明治以来の殉死者は乃木夫妻のほかにいるかな?
戊辰負け組としては、ちょっとさみしいな。もっと思い切り見せ付けてくんねーかなー。
容保にガミガミ言う前に、死にぞこないの元勲たちはどうだったのかな?
勲章ジャラジャラいわせて、ピカピカに磨いてたのかなー?

元勲どもの勲章を大事にする精神は
元勲どもの余生を正当化するのにし
か役立ってない。そんなものに
普通の日本人が価値を見出すこ
となど不可能だ。


279日本@名無史さん:2000/11/25(土) 19:21
いまは勲章もらうってことは、おつかれさま、ごくろうさまでした、
っていうことだからね
280スミ:2000/11/25(土) 21:00
>徳川主導の場合どういうことができたか

もし、徳川中心の近代化が実現したと仮定したなら、その政権の性格
は、議会主導を特徴としたものになるはずです。有司専制の維新政府
とはかなり違ったものになるはずです。薩長の公儀政体が空手形だった
のに対し、実効ある議会になったはずです。何故なら、幕末の政局を
リードしたのは政策論争に強い慶喜であり、当然その延長上で政治が
動くと考えるのが妥当だからです。武士階級は教養階級であり、それ
を納得させて動かすには、政策の妥当性を説明できる必要があります。
慶喜にはそれができましたし、殿様自身でそれができないなら、有能な
人物を見つけて代弁してもらうこともやっております。後者の代表
が遠洋航海説の長井雅楽です。この長井をとるに足りない言いがかり
をつけて切腹に追い込んだのが松下村塾の連中であり、この連中に
「おはんらが長井を斬れんのならおいが始末する」といって脅しを
かけたのが西郷です。薩長は坂本竜馬が同盟を斡旋する以前から
テロリスト仲間だったんですね。見識で武家社会をリードできない
無能な連中が徒党を組んで政権を簒奪したのが明治維新だったのです。

議会制民主主義の政治家としてどちらが相応しいかは明らかです。
サッチャー元首相も「実質ある討論が議会の命」(うろおぼえ)
と言っています。それを破壊したのが薩長です。今になって「欧米
見たいに政策論争を」等と言わなければならないのは明治維新に
原因があるのです。政策論争で動いていた日本の政局が、薩長
のせいで矮小な田舎政治の場になってしまいました。

近代政府の模範はイギリスです。モンテスキューはイギリスを観察
して権力分立のモデルを読み取り、司法、律法、行政の並立を述べ
ましたが、当のイギリスは三権を並立させておらず、議会を司法権
を含む執行権に決定的に優位させて、議会主権を確立させています。

つまり、徳川主体の議会主導型の政体の方が、薩長の有司専制政府
よりイギリスの政体に近いと言えます。もっともフランスに近代化
の指導を受けているのですから、その影響も受けるでしょうが、当時
の状況からみると大筋でこうなるでしょう。議会主権が確立して
いたならば、陸軍の暴走も止められた可能性が高いですし、あの
帝国陸軍の愚劣な体質は長州が原因ですから、陸軍の暴走そのもの
がありえなかったかもしれません。
281のうみそバーン:2000/11/25(土) 21:55
>>280
えすえふの読みすぎ。
はやいちちっくすぎてワケワカメ。

大体、幕府官僚が腐っていた時期に改革なんてウマク行くの?
武士階級の存続のみに固執した徳川体制に議会制民主主義なんて
無理だっつーの。
282日本@名無史さん:2000/11/25(土) 22:23
>>280
そんなふうに万事上手くできる幕府だったら
ペリー来航の段階で幕末のトラブルを処理してます。

やることなす事万事上手くいった革命なんて
アメリカ独立戦争くらいっすよ。
「徳川主導だったら維新は上手くいった」ってのは
「太平洋戦争が海軍主導だったら勝てた」と言うのと同じ愚問です。
283スミ:2000/11/25(土) 23:49
280は議会制民主主義にとって、どちらが好ましいかと言う意味
で書いたものです。成功するかどうかはもちろんわからないことです。

>281
腐敗していたことでは薩長も同じです。それでもそれなりの成果を
得ているのですから清廉である必要はありません。

武士階級が議会制民主主義の障害になると考えているのなら、それは
西欧の民主化に対する無理解によるものです。
西欧の議会制民主主義の始まりは、市民革命ではなく、中世にあります。
中世の身分制議会が議会政治の始まりです。その中心は封建貴族であり
議会政治とは貴族政治のことを意味しました。それは政治の主体である
君主に判断や同意を与えるものでした。それが近代に立法的機関に成長
し、特にイギリスにおいて名誉革命以降、実質的な最高の立法機関に
なったのです。その後産業構造の変化、教育の普及、議会改革運動により
斬新的に選挙権が拡大され、20世紀に普通選挙が実現し、議会制民主主義
が完成されたのです。議会政治の主体は貴族と貴族的価値観を会得した
市民というのが西欧民主主義の実態です。西欧の民主主義に倫理を提供
したのは封建貴族です。封建貴族は市民の敵ではなく模範階級の役割
を果たした。階級的共棲の理論と呼ぶそうです。ブルジョアジーは封建
貴族を経済で支え、封建貴族がブルジョアジーを支え、この分業によって
二つの階級が共棲するとシューペンターは言ってます。
日本の武士はヨーロッパで言えば封建貴族に該当します。大名を集めて
上院とし、各藩の代表を選挙で選べばそのまま西欧型の議会政治の国に
日本はなったのです。あとはそれを斬新的に民主化すれば良かったの
です。問題なのは維新で武士階級を解体した為に市民階級の模範になる
階級が形成されず、確固たる政治倫理が確立しなかったことです。
民主化しさえすれば世の中良くなると思うのは根拠のない思い込み
にすぎません。

>282
歴史にIFを考えるべきではないと言う人もいますが、いろんな可能性を
考えることは有益ではないかとおもいます。もしそれをしなければ、おうおうに
して結果論に陥ってしまうと思います。
284日本@名無史さん:2000/11/25(土) 23:54
このスレ、大激論だね。
やはり明治維新は、論者によって大きく見解が分かれるのかな。
285migrator:2000/11/26(日) 02:33
今まで議論して一番困ったのが会津の人に私の目の黒いうちは・・と言われた時。
歴史観はいろいろだね。
286日本@名無史さん:2000/11/26(日) 02:58
いいじゃん、現在の旧長州、薩摩の零落ぶり
その反対にこれから益々発展するであろう東北地方の要である
会津。
維新にあぐらをかいた連中の末路としては
それ相応の結果だよ。
俺は生まれも育ちも静岡だから直接的にはどっちも肩入れというわけではないけど
でも、幕府側かなあ、どちらかといえば・・
静岡県全体が徳川家にゆかりが深いからね。
287日本@名無史さん:2000/11/26(日) 03:17
民選議院の設立を、すぐに行わなかったのは、
第一に、国民の判断力が不十分であり時機尚
早との判断があったからだろう。即ち、国民
の解明化を図るための教育の普及や、地方議
会の開設による政治的訓練が先決だという判
断があったからだろう。例えば、幕末、日本
に議会政治を紹介した一人である幕府の蕃書
調所出身の加藤弘之などは時機尚早論を主張
していた。

第二に、当時の国民には征韓論が人気があり、
国民の意見に国を委ねることは危険だとの判
断があったからだろう。板垣退助らが自由民
権運動によって実現したかったのは、征韓の
早期実現であり、日本の国情を知っていた元
勲達が、それを不味いと考えたのは正しい判
断だったというべきだろう。

第三に、板垣退助らの自由民権がフランス流
であり、日本で採用するには余りに非現実的
との判断があったからだろう。(そういう人
達に考え直してもらう時間が必要だったから
ともいえるだろう。)その後、板垣は、井上
薫らの斡旋により西欧を視察させられ、フラ
ンスに政治の実状に幻滅して、フランスでは
なくイギリスを見習うべきであると改説して
いる。


288日本@名無史さん:2000/11/26(日) 03:19
>江戸時代の人間

あなたのような人のこと。

>勲章とか貰っても価値が無いってことッスね。

他人が貰った勲章に価値を見出す人間は殆ど
いないだろう。しかし、どんな勲章でも、貰
った本人にとっては、「価値が無い」とまで
はいえないだろう。容保が貰った手紙も、容
保にとっては高い価値があったにちがいない。
しかし、他人である私達が、彼の手紙に価値
を見出すことは困難といわざるをえないだろ
う。それだけの話である。

289日本@名無史さん:2000/11/26(日) 03:20
改革があったら時代が不連続になるというこ
とになるのであれば、江戸時代だって最低4
つに分けるべきことになるだろう。

戦後の改革は、組織の名称の変更が中心であ
り、天皇・総理・内閣・議会・官僚の役割・
関係は、戦前のそれと実質的にはあまり変わ
っていない。また、戦後各ポストに具体的に
就任した人物も、戦前からの政治家・官僚で
あって、あまり変わっていない。さらに、憲
法改正も、大日本帝国憲法の憲法改正規定に
よって行われたのであり、明治憲法が予定し
ていたものだったということが可能である。
素直に見れば、戦前の日本と戦後の日本との
間には連続性があると評価するのが自然だろ
う。
290日本@名無史さん:2000/11/26(日) 03:21
>明治維新は、論者によって大きく見解が分かれるのかな

戦前冷や飯を食わされた(赤と朝鮮人)の捏
造史観の悪影響があるだけだろう。人の仕事
のあらを探して130年。そういう恥の上塗
りな人達が居るというだけのことだろう。

291日本@名無史さん:2000/11/26(日) 06:12
>289
戦後、昭和天皇はマッカーサーにうまく取り入って、
生命、地位、財産などを保全したからな。
その結果、天皇制も存続した。
だから言われるように、社会のシステムという点では、
戦前と戦後は、不連続性よりも連続性の方が大きいのかもしれない。

しかし、個人的には、自国民だけで300万人も死んだあの戦争を無視して、
戦前と戦後の連続性を強調する気にはなれない。
それほどあの戦争とその敗戦による価値転換は、大きかったのである。
292日本@名無史さん:2000/11/26(日) 06:16
>290
サヨクと朝鮮は、明治維新を矮小化したがる傾向が強いな。
293日本@名無史さん:2000/11/26(日) 06:20
>287
大隈重信の立憲改進党は、イギリス流の立憲君主制を目指した政党
であり、その支持基盤は都市ブルジョア階級です。
その改進党まで弾圧した薩・長藩閥政府は、ブルジョア政府では無
くて、単なる国家権力の私的独占政府です。
そして、自ら政党を組織した伊藤博文と違って、山県有朋と山県系
官僚は政党を毛嫌いしており、国家権力に対する私的独占性が顕著
であったと言えます。
あったと
294日本@名無史さん:2000/11/26(日) 06:45
ひとつだけ重要なことを言っておきますが、
明治維新や討幕派を手放しで礼賛する人は西日本に多く、
それを胡散臭く思っている人は東日本に多いということです。
右翼にしても左翼にしても、どちらにもそういう傾向があります。
西日本の右翼は手放しで王政復古史観で、維新や討幕派を礼賛するのに対して、
東日本の右翼は佐幕派に同情的な人が決して少なくありません。
また、西日本の左翼は維新を「革命」と礼賛し、
吉田松蔭などを「革命家」として尊敬している人が結構いるようですが、
東日本の左翼は維新そのものを馬鹿にしている人が多いようです。
だから、右翼=維新礼賛派、左翼=維新否定派、
とは限らないのです。
おそらくここに書き込みしている維新礼賛派も否定派も、
ある程度東西に別れる筈です。
295日本@名無史さん:2000/11/26(日) 07:06
相変わらず、国論分裂工作をする奴の自作自演発言が多い。(藁
296日本@名無史さん:2000/11/26(日) 07:36
292=295は、自作自演でしょうね。(笑)
297スミ:2000/11/26(日) 08:24
>287
征韓論に問題があるのなら、攘夷運動をやっていた自分たちの
過去をどう弁明するんだよ。
征韓、攘夷どちらも国を危うくすることでは同じ。
298日本@名無史さん:2000/11/26(日) 09:31
>>294
自由民権運動の頃、最も明治政府叩きが盛んだった地域が
九州・四国だったって知っている?
その反発があまりに激しいんで、いわゆる「維新の功臣」の家族は、
故郷を追われるようにして東京に出ていったんだよ。
299日本@名無史さん:2000/11/26(日) 10:28
>298
必ずしもそうとも言えないんじゃない。
土佐は自由民権運動の発祥地で非常に盛んだった訳だけど、
薩摩や長州の場合は、新政府への反発が自由民権運動には発展しなかった。
自由民権運動の三大中心地は、土佐、武州多摩、福島だと言われている。
土佐は戊辰戦争の官軍の地域だが、武州多摩や福島は賊軍と関係が深い地域でしょう。
武州多摩は新選組、福島は会津藩や二本松藩縁の地域で、
どちらも薩長藩閥の明治政府への敵愾心がことのほか激しかった。
この敵愾心が多くの豪農らを民権運動に駆り立てた。
300日本@名無史さん:2000/11/26(日) 10:35
>287
>第二に、当時の国民には征韓論が人気があり、
>国民の意見に国を委ねることは危険だとの判
>断があったからだろう。

征韓論が国民に人気があったというのはナンセンス。
あくまで不平士族の間で人気があったんだろが。
征韓論は幕末の攘夷思想から発展したものであり、
この時点ではまだ不平士族のものだった。

なお、大久保らの非征韓派の政府も、
1875年に江華島事件を引き起こしたことでも分かるように、
早くから朝鮮半島進出の野望を抱いていたことを知っておくべきだ。
301日本@名無史さん:2000/11/26(日) 13:46
当時の薩摩隼人は気合と根性は世界一。東北人はそれほど根性なかったしバカでもなかった。
チェストー!!
302日本@名無史さん:2000/11/26(日) 13:48
うよさよの方々桐野利秋の前でそんなこと言ってたら瞬殺されてるぞ。
303スミ:2000/11/26(日) 14:10
薩摩は野蛮過ぎる。異常に多い武士数を維持する為、農民は農奴と
化していた。作家の津本坊と司馬亡は薩摩を賞賛しているのが不気味。
司馬は文化大革命も認めとったな。
304日本@名無史さん:2000/11/26(日) 15:16
 明治維新が近代市民革命ではないという人たちは,
いつが日本における近代市民革命だと考えているのですか?
第2次大戦後の占領革命では,支配階級は依然としてブルジョアジーでした。
その当時では財閥にまで成長していましたが,国家権力を構成している階級に
変化はありませんでした。
 もちろん占領改革で日本社会が大きくかわったことは認めます。
この改革によって,日本は社会,経済,政治のあらゆる面で非常に
進んだ体制に転換しました。
 しかし国家権力を構成している階級は,顔ぶれこそ替わったものの,
依然としてブルジョアジーです。
 
305【^▽^】:2000/11/26(日) 15:26
>229
ただし、福島でも旧会津藩士をはじめとする士族の大半は、
農民運動の台頭への反発と政府からの士族支援金(正確な名称は
忘れた)もあって、帝政党員やそのシンパとして県令に三島を
助け、自由民権運動の弾圧に加担した。
306【^▽^】:2000/11/26(日) 15:27
訂正:県令の三島(薩摩出身)
307日本@名無史さん:2000/11/26(日) 16:19
>305
でも、例えば武州多摩における自由民権運動の主体は豪農でした。
その多くが天然理心流を習っていた人達です。
新選組の近藤勇、土方歳三、沖田総司らの剣法ですね。
多摩の民権家は自由党員になり、その中から、
元仙台藩士の千葉卓三郎や五日市の豪農深沢権八らによって、
民主的な「五日市憲法草案」が起草されました。
豪農が主体となった点で、多摩地域の自由民権運動は、
挫折したブルジョア市民革命だと言えると思います。
308スミ:2000/11/26(日) 17:04
>いつが日本における近代市民革命だと考えているのですか?

いつと明確に時期を示すことには無理があります。近代市民革命の
定義の元である、イギリス革命とフランス革命そのものが一連の変革
の一要素と見られています。イギリスを代表する歴史家の一人、ローパー
はイギリス革命を、封建勢力と進歩的勢力の争いではなく、宮廷のゼントリー
と地方のゼントリーの争いと見ています。フランス革命もそれ以前から
始まっていた貴族の没落と行政権力集中が完成したものと解釈されています。

政治的な革命で市民社会が成立したのではなく、産業改革により時間を
かけて変革が進んだと見るべきです。ヨーロッパでは改革によりブルジョワ
が政治的にも大きな影響力を持つようになりましたが、日本では官僚の力
が強く資産家が権力を持っているとは言えず、市民社会は不成立に終わって
いると言えます。
309スミ:2000/11/26(日) 17:20
>第2次大戦後の占領革命では,支配階級は依然としてブルジョアジーでした。

当時の日本を支配していたのは軍部と革新官僚であり、資本家を支配階級と
見るのは疑問です。
310宇宙園児ラァ:2000/11/26(日) 17:20
>288
ふふふ。江戸時代の人間みたいな俺様。
んで、キサマの逝ってた尊王道については、答えてくれないの?
殉死者は?殉死者は?殉死者は?
薩長の尊王とは?
142の発言は?
160のお手軽な尊王というのは?
乃木夫妻の殉死を、明治の元勲どもは黙って見てたの?
明治天皇に殉じない自分たちって、なんだか、会津のカタモリみてーだなー、
とか、思わなかったのかねー?

あー、それから、キミって人から借りたものとか、ちゃんと大事にしてるのかなー?
俺のじゃねーから、壊してもいいや、とか逝ってちゃダメだよ。
トモダチなくすよー。
311日本@名無史さん:2000/11/26(日) 17:41
>304
この国は近代史においてブルジョア市民革命は経験しなかったなじゃないかな。
理念なき下級武士が主体となった明治維新はとてもそうとは言えず、
また、豪農層が主体となった明治10年代の自由民権運動は、
成功すればブルジョア市民革命足り得たが、結局弾圧され敗北した。
その結果、明治天皇によって憲法や議会政治が「与え」られた。
民衆が勝ち取ってこそ、ブルジョア市民革命ですからね。
天皇から与えられたのでは、決してそうは言えないでしょう。
なお、日本の民主主義が未成熟だと言われるのは、
民衆が権力を打ち倒した歴史がないからでしょう。
312スミ:2000/11/26(日) 17:52
古典的自由主義は少数派なんだな。
313スミ:2000/11/26(日) 18:01
>なお、日本の民主主義が未成熟だと言われるのは、
民衆が権力を打ち倒した歴史がないからでしょう。

それでは成熟した民主主義国はどこになるの?
314日本@名無史さん:2000/11/26(日) 18:05
なんでも日本の近代化の業績を、
維新の勝者の薩長や坂本竜馬に帰すのは間違っている。
歴史は決してそんなに単純なものではない。
315日本@名無史さん:2000/11/26(日) 18:07
>それでは成熟した民主主義国はどこになるの?

俺個人の考えでは、アメリカやフランスなど。
少なくともこれらの国は、日本より民主主義が成熟していると思う。
316日本@名無史さん:2000/11/26(日) 18:13
フロリダで大騒ぎしてる国が?
エリートが国を支配してる国が?

日本とどこが違う?
317大河好き:2000/11/26(日) 18:26
マッカーサー将軍にもう一回日本を占領してもらいたい
318スミ:2000/11/26(日) 18:28
民主化の歴史を、民衆による権力の打倒のみに求めるのはどうかと
思う。貴族による王の恣意的な権力行使への抵抗、ブルジョアの
権力獲得、最後に普通選挙による民主化。これら全ての政治経験が
成熟した政治文化につながったのだと思う。アメリカもフランスも
共に民主化しながらも過去の歴史を継承しているようにみえる。
民衆の権力奪取だけではジャコバン支配になる可能性もある。
319大河好き:2000/11/26(日) 18:57
>>318そうそう わが国には「山岳派」も「赤軍派」もいらない 「森派」と「橋本派」で十分だ!
320日本@名無史さん:2000/11/26(日) 19:55
そろそろこのスレもおわりにしとこう。キティ軍団だ。お友達はメールしといて。
321終了:2000/11/26(日) 20:48
です。
322大河好き:2000/11/26(日) 20:53
>>320
終わりたいなら 勝手に終われば?
323【^▽^】:2000/11/26(日) 21:03
西洋の近代革命にも言える事だが、特に日本の明治維新には
マルクス主義的な(=史的唯物論による)解釈は当てはまらない。
サヨは明治維新を「革命」として、ウヨは王政復古の御一新として
高評価し過ぎる。
明治維新は薩摩・長州などと徳川との朝廷を巻き込んだ権力闘争に過ぎない。
そのどちらが正しくどちらが悪いとも言えん。
324日本@名無史さん:2000/11/26(日) 21:10
ここで薩長を叩いている人は要するに幕府主導で近代化したら
日本は清廉な政治家と官僚ばかりの強国で
第二次世界大戦も勝ち組にいて、
今、世界のリーダーたる国になっているとでも言いたいのか?
325【^▽^】:2000/11/26(日) 21:19
>324
私は違う。ただ、薩長主導でなくとも、
「明治維新」=近代化へ向かったであろう、という事。
別に唯物論の「必然論」で言っている訳でもないよ。
また、徳川主導だったならば・・・など実際に無かったの
だから、判らんよ。
326日本@名無史さん:2000/11/26(日) 21:25
>324
日本の近代化や文明開化は、
決して薩長や坂本竜馬だけのおかげではないということだ。
文明開化なんてものは、どっちにしろそうなるものであって、
薩長が勝ったから日本はそうなったなんていう討幕派ファンの主張は、
あまりにも馬鹿げている。
俺が言いたいのは、おおむねこういうことだ。
327【^▽^】:2000/11/26(日) 21:27
ただ、徳川主導だとしても、世界全体が帝国主義だった時代に、
近代化・工業化を目指す日本も帝国主義化したのではないのかなぁ?
328日本@名無史さん:2000/11/26(日) 21:39
あんたら甘いよ。
当時の感覚になって西郷、大久保に立ち向かってみなさい。
329【^▽^】:2000/11/26(日) 21:41
小栗忠正マンセー!
江藤新平マンセー!
330大河好き:2000/11/26(日) 21:44
「刀狩り」って結構大事件じゃない?
331大河好き:2000/11/26(日) 21:46
>330 スマン スレ違い
332日本@名無史さん:2000/11/26(日) 21:47
薩長礼賛者や竜馬ファンは、明治維新を少し持ち上げ過ぎる。
俺は、それがどうしても理解出来ないのさ。
333スミ:2000/11/26(日) 22:09
>324
薩長以外の諸藩は節度ある行動をとっている。幕末に馬上天下を取ろう
としたのは薩長の下級武士くらいなもの。薩長と幕府諸藩ではモラルに
差がある。味噌も糞も一緒にして欲しくないだけ。

>日本は清廉な政治家と官僚ばかりの強国で

アメリカもイギリスも腐敗している。しかし彼らには国を支える
優れた理念を持っている。日本でそれに該当するのが武家社会の
倫理ではないかと言うこと。それを薩長が破壊したことを怒って
る。

>第二次世界大戦も勝ち組にいて

馬関戦争では長州藩が勝手に攘夷戦争を始めた。その対岸では小倉藩は
攘夷熱盛んなころにもかかわらず、自重して静観している。大戦に勝つと
か言う以前に薩長以外の旧幕諸藩なら不必要な戦争をしなかったろう。
334スミ:2000/11/26(日) 22:20
>当時の感覚になって西郷、大久保に立ち向かってみなさい。

テロリストにまともな近代国家がつくれるわけがない。国家百年の大計
の為に戦うね。
335日本@名無史さん:2000/11/26(日) 22:29
アンタりゃは西郷、大久保、木戸がドンだけ悩んだか理解していない。
336日本@名無史さん:2000/11/26(日) 22:57
>334
かっこいい事言うな、アンタは桐野利秋に瞬殺されてるよ!。
337スミ:2000/11/26(日) 22:57
>アンタりゃは西郷、大久保、木戸がドンだけ悩んだか理解していない。

百歩譲って彼らが誠心誠意国の為を思って行動したとしよう。近代化政策
を推進しようとしたのは他にも大勢いる。別に彼らでなければならないと
いう必然性はない。彼らが本気で自分たちでなければ国が滅ぶと考えてい
たとしたならば、それは幼児性以外のなにものでもない。幼児の特徴は自
分を中心に世界が回っていると思っていることだ。幼児と精神病患者は絵
に太陽を描くそうだ。天皇を持ち出した連中となにか共通点があるのかも
しれない。大人になったり、精神病が治癒すると自然に太陽は描かなくな
るという。似たような自己中に昭和の青年将校、日本赤軍などがいる。
私には薩長と彼らは同類に見える。
338スミ:2000/11/26(日) 23:05
まともな大人なら社会の中で相応の居場所を見つけ、社会常識に従って
行動する。どこをどう思ったらテロに走れるのか理解不能だ。
339日本@名無史さん:2000/11/26(日) 23:37
じゃあ幕府はアメリカが来ると通達してたのに
それをずっと黙って
アメリカ卑怯ということにしたのはどうなの?
為政者失格では?
自分で自分の首をしめただけだと思うが
340日本@名無史さん:2000/11/26(日) 23:45
じゃあ幕府はアメリカが来ると通達してたのに
それをずっと黙って
アメリカ卑怯ということにしたのはどうなの?
為政者失格では?
自分で自分の首をしめただけだと思うが
341日本@名無史さん:2000/11/26(日) 23:48
何か薩長っていいとこ取りって感じがするんだよね。
日本が近代国家になって文明開化出来たのは薩長のおかげ、
欧米列強の植民地にならずに済んだのは薩長のおかげ、
なにからないまで薩長のおかげって感じで持ち上げられてさ。
それにしては幕末に彼らの言っていたことは何か胡散臭いんだよね。
「尊皇攘夷」なんてどこか時代がかったイデオロギーを掲げて、
幕府の「開国和親」の方針を盛んに妨害してさ。
結局、「勝てば官軍」で、歴史の勝者になった彼らは、
随分得をしてるような気がするけどね。
342日本@名無史さん:2000/11/27(月) 00:11
アンタはちょっとダメだよ>338
ギリギリなのさ
オレだったら既に斬ってるね。もうちょっと真面目に維新を考えたら?無駄かな?
343スミ:2000/11/27(月) 00:19
アメリカのことは先に公開しても混乱が生じるだけ。対策を立てても
泥縄にしかならない。ぶらかし戦術もしかたあるまい。

確かに幕府は色々な失政を行い、墓穴を掘ったところがある。しかし、
幕府は一つの人格ではなくて政治組織。有能な人物もいればそうで
ない人もいる。為政者に問題があれば交代すればいい。それに自浄
能力も持っていた。200年以上も継続した組織なのだからそう簡単に
いくものではないが改革もしていたではないか。幕府は700年の伝統
を持つ公式の政権。幕府が失政をしたのならそれをつぶしてと言うの
は、自民党が失政をしたから政治制度をつぶしてと言うのと同じ意味
を持つのではないか。幕府の変わりに薩長で、これは自民がだめなら
右翼で政治改革をと言っているようなもの。
344日本@名無史さん:2000/11/27(月) 00:41
自民党と江戸幕府を同じ扱いする時点で相当間違ってるぞ
345スミ:2000/11/27(月) 00:47
ユンカーとナチスの方が近いかな。
346日本@名無史さん:2000/11/27(月) 05:53
>征韓、攘夷どちらも国を危うくすることでは同じ。

関門海峡や鹿児島沖などにやってきた外国の
巨大軍艦を追い払うことと、何百キロも離れ
た未開人の住む朝鮮半島に出張して征服する
こととが、同じ性質の行動とは言えないでし
ょう。
347日本@名無史さん:2000/11/27(月) 05:53
>価値転換

戦前は鉄砲を手段とする富国強兵・開国和親。
戦後はお金を手段とする富国強兵・開国和親。
手段が変わっただけで、基本的な価値観は全
く変わっていないはずです。

むしろ、価値転換が行われようとしているの
は、今でしょう。国名義の債務が何百兆もあ
るというのに、明治以来続いてきた国=国民
国家を忘れろというような、これまでになか
った主張が唱えられているからです。二大政
党制とか、大統領制とか、日本人とこれまで
無縁だった政治制度が主張されているからで
す。ほんの十数年前までは、駄目人間との烙
印を押されていた赤と朝鮮人の知恵遅れな考
え方が、もてはやされるようになっているか
らです。

348日本@名無史さん:2000/11/27(月) 06:00
自由民権運動はそんなに立派な活動だったと
はいえないでしょう。

自由民権運動にいう「民」とは、武士のこと
であり、日本国民のことではなかったからで
す。即ち、自由民権運動は、一般国民に政治
参加させるための運動ではなく、明治維新に
よって奪われた政治権力を、武士の手に再び
取戻すための運動に過ぎなかったからです。

板垣は、広く国民が選挙権を持つ社会を実現
したいと思っていたのではなく、持論である
朝鮮半島の征服がしたかったのです。朝鮮半
島へ遠征するには政権を奪うことが必要であ
り、そのためには、制限選挙制の導入が有効
であると考えたに過ぎないのです。また、自
由民権運動をリードした人は、元武士が多く、
彼等が考えていたのは、徳川慶喜を擁立して
江戸幕府を復活させることだったのです(静
岡事件等参照)。

なお、明治時代に入ってからも、徳川の武士
達は、政府高官の暗殺と慶喜による独裁政権
の復活をずっと狙っていました。明治政府が
行ったような改革を、彼等がやれた可能性な
どあるはずがないのです。

349日本@名無史さん:2000/11/27(月) 06:04
>明治維新や討幕派を手放しで礼賛する人は西日本に多く、
>それを胡散臭く思っている人は東日本に多いということです

単に、東日本に住んでいるからといって、戊
辰負組の武士達に同情するというような人が
出てきてしまっているのは、第一に、今の日
本人が平等な社会に慣れきってしまっている
からでしょう。即ち、明治以後、平等の考え
方が定着したために、日本人の多くが人権蹂
躙されまくりだった自分の先祖の境遇を想像
することができなくなってしまっているから
でしょう。第二に、戦後の歴史教育では、赤
や朝鮮人など、悪魔的日本人や自称日本人の
立場を正当化・美化するための歪曲歴史観が
幅を利かせてきたために、多くの日本人が、
戦前の良心的日本人の行動を不当に貶める赤
い物の見方に染まってしまっているからでし
ょう。

幕末においては、関ヶ原の戦いのような東西
に別れての天下分け目の戦いがあったわけで
はありません。負けたのは、東日本の人どこ
ろか、東北の住民ですらないのです。当時の
日本社会で浮きまくっていた、会津を中心と
する一握りの『武士達』だけが負けて滅んだ
に過ぎないのです。

何度もいっているように、明治維新で勝利し、
新しい日本を作ったのは日本人であり、西日
本が勝ち・東日本が負けというような、戦国
時代的な整理が成立する余地は全くないはず
です。

350日本@名無史さん:2000/11/27(月) 06:22
>349
奥羽越列藩同盟や自由民権運動を評価する事が、歪曲史観だなんて言
ってるのは、薩・長藩閥擁護派の手前勝手の論理に過ぎないね。
薩摩や長州が政権を独占する事が、薩・長藩閥政府の本質であり、そ
れを批判する事は、決して歪曲史観ではありません。


351日本@名無史さん:2000/11/27(月) 06:48
専業武士というのは、日本人の中で、最も倫
理観に欠ける人が選んだ職業です。武士達か
ら倫理を学ぼうなどという考え方には首を傾
げざるを得ません。

実際、武家社会に特有の倫理といえば、「馬
鹿殿にも盲目的に従わないといけない」とか
「馬鹿殿の命令には絶対服従」というような
ものしかなく、学ぶべき価値があるとはいえ
いでしょう。
352日本@名無史さん:2000/11/27(月) 07:04
薩長礼賛者の歴史歪曲には呆れる。
針小棒大というか、全体から見れば小さな事実を大きく取り上げて、
自由民権運動を不当に貶めようとしている。
征韓論について言えば、元々西郷の持論であって、板垣は同調したに過ぎず、
彼は元々それほど熱心な征韓論者っだった訳ではない。
明治維新の勝者が「日本人」とは笑わせる。
あれはくまで関が原敗者の薩長が、勝者の幕府を破って権力を手中にしたのであって、
決して「日本人」が勝利した訳ではない。
353日本@名無史さん:2000/11/27(月) 07:05
薩長礼賛者の歴史歪曲には呆れる。
針小棒大というか、全体から見れば小さな事実を大きく取り上げて、
自由民権運動を不当に貶めようとしている。
征韓論について言えば、元々西郷の持論であって、板垣は同調したに過ぎず、
彼は元々それほど熱心な征韓論者っだった訳ではない。
明治維新の勝者が「日本人」とは笑わせる。
あれはあくまで関が原敗者の薩長が、勝者の幕府を破って権力を手中にしたのであって、
決して「日本人」が勝利した訳ではない。


354日本@名無史さん:2000/11/27(月) 07:13

佐幕派=勤皇派
倒幕派=逆賊


355日本@名無史さん:2000/11/27(月) 07:52
>奥羽越列藩同盟

奥羽越列藩同盟に参加していた日本人は何人
いたのでしょうか?東日本全体の人が参加し
ていたのでしょうか?東北全体の人が参加し
ていたのでしょうか?

戊辰戦争で死んだ人は旧幕軍全体でも数千人。
会津の武士では2500人ぐらいでした。数
万規模で死傷者を出した西南戦争と比べても、
こじんまりとした戦いだったといえるのでは
ないでしょうか。当時の日本で浮きまくって
いた少数の武士の集団という形容に、歪曲と
いうほどの歪曲があるとは私は思いません。

>自由民権運動

自由民権運動をリードした人には士族が多く
士族の特権回復のための運動の性格があった
ことは否定できないのではないはずです。

また、厳しい制限選挙を念頭においていた人
が大半であり、自分達だけに特権として選挙
権を付与することを要求していたことも否定
できないはずです。

さらに、高田事件・群馬事件・加波山事件・
秩父事件・名古屋事件・飯田事件・大阪事件
・静岡事件など、慶喜擁立や政府転覆を狙っ
た事件を、頻繁に引き起こしていたことも全
て事実であるはずです。

勿論、広く国民のための真に自由民権運動と
呼ぶに相応しい運動をしていた人も、全くい
なかったわけではないでしょう。しかし、そ
ういう人は少数派だったと思います。歪曲と
いうほどの歪曲はないという気がします。

356日本@名無史さん:2000/11/27(月) 08:02
>否定できないのではないはずです

訂正:否定できないはずです。
357日本@名無史さん:2000/11/27(月) 08:58
>また、厳しい制限選挙を念頭においていた人
>が大半であり、自分達だけに特権として選挙
>権を付与することを要求していたことも否定
>できないはずです。

例え当初は制限選挙ではあったとしても、それなりに民意が反映される
国会の開設を要求した自由民権運動は、国家権力の独占を薩摩・長州及
びその同調者で図った、薩・長藩閥政権より遥かにマシなものだと言え
ます。
そしてその自由民権運動に対して、集会条例等で弾圧した薩・長藩閥政
権は、正に国家権力の薩・長によっての独占以外の何物でもあり得ませ
ん。
358日本@名無史さん:2000/11/27(月) 09:18
歴史屋はバカが多いな。
359日本@名無史さん:2000/11/27(月) 11:40
理念なき反政府運動だった幕末の尊皇攘夷運動に比べ、
薩長藩閥政府打倒を目指した自由民権運動は、
ずっと民意を基盤に置く進歩的な運動であった。
360終了:2000/11/27(月) 12:37
>358
オマエモナー
361名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 14:52
>>1
星新一の「はんぱもの維新」を読みなされ。
362名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 16:27
>311
>なお、日本の民主主義が未成熟だと言われるのは、
>民衆が権力を打ち倒した歴史がないからでしょう

 民衆の定義があいまい。というよりそこまで近代市民革命において
 政治的民主主義,それに民衆の役割を過度に強調すると,
 フランスでもイギリスでも近代市民革命は起こっていないことになる。
 フランス革命で表向き民衆が立ち上がって革命を起こしたように見えても,
 裏では結局上層ブルジョアジーが指導していた。
  
363日本@名無史さん:2000/11/27(月) 19:13
明治が薩長の藩閥政治ならさしずめ徳川幕府は三河人の藩閥政治。
それならば、オープンな試験任用制を作った分だけ
明治政権のほうがずっとマシだというもの。
実際、原敬や柴吾郎のように、元賊藩出身でも出世した人間はいた。

勉強嫌い・無能・ヒッキー的な人間はともかくとして、
努力家や才能のある人間にとっては、
ある程度公平な競争が期待できる明治は、暮らしやすい時代だったといえる。
364スミ:2000/11/27(月) 20:29
>奥羽越列藩同盟に参加していた日本人は何人
いたのでしょうか?東日本全体の人が参加し
ていたのでしょうか?東北全体の人が参加し
ていたのでしょうか?

東北全体の人が参加していたわけではありませんし、日本全体で見ても小数派に
なるでしょう。しかし少数だからといってそれが価値の無い物と決め付けるのは
暴論です。奥羽諸藩は新政府を認めており、奥羽鎮撫総督府の九条道孝一行を仙台
に迎え入れています。そこで仙台米沢両藩主が九条道孝を訪ね、奥羽諸藩の決議と
して会津への寛大な措置を求め嘆願をしております。領地の削減と首謀者の斬首
で手を打てないかというものです。九条道孝は留保しましたが、参謀の世良修蔵
が会津への討ち入りを奥羽諸藩に厳命します。調停は失敗に終わり、奥羽諸藩は
会津を攻撃するか、薩長に宣戦を布告するかの二者択一の状況に追い込まれます。
会津は京の政治テロを取り締まっていたにすぎません。非などないのです。
奥羽から見れば会津への攻撃指示は、薩長の私怨からくることは明白です。その
ようなものに唯々諾々と従うより、薩長に抵抗することこそ王道と言うべきでし
よう。さらに奥羽諸藩を反薩長に駆り立てた要因に、薩長兵の暴虐非道な言動が
あります。仙台戊辰史に「薩長の入国以来、公然として仙台藩士を侮辱する意味の
俗謡を謳い〜(中略)甚だしきに至りては良家の婦女子を捉えて終身拭うべからず
辱めを与え、之を誇りとすることさえありしおや」とあります。
妻娘を強姦され、さらに私戦の手先になれと言うのですから反乱は必然でしょう。

>355
もしあなたが仙台藩士ならどのような行動をとるのでしょうか。是非とも聞いて
見たいものです。
365日本@名無史さん:2000/11/27(月) 20:48
豊臣家は大阪を治めていたにすぎません。非などないのです。
関西から見れば豊臣への攻撃指示は、徳川の私欲からくることは明白です。その
ようなものに唯々諾々と従うより、徳川に抵抗することこそ王道と言うべきでし
よう。さらに天下の浪人をを反徳川に駆り立てた要因に、徳川の暴虐非道な
関ヶ原後の戦後処理や、鐘へのいちゃもんなど、卑怯な謀略戦もあります。
職を取り上げられ、さらに私戦の手先になれと言うのですから反乱は必然でしょう。
366日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:08
オランダやロシアは、ペリー来航以前から
幕府に対して平等な立場での穏健な開国交渉を行っていた。
しかし、幕府がこれに対して頑固に拒否していたがために
ペリー来航による不平等条約・国内の混乱という事態を招いたのである。
もし、この時点で会津を含めた譜代藩が
開国策に転じていれば、幕末の混乱などはもちろん無く、
戊辰戦争や西南戦争は起こらず、
会津・薩摩・長州は平和のままでいられたはずである。

幕末の動乱の原因はそもそも幕府にあり、
しかも尊皇攘夷論を煽ったのは、親藩である水戸藩である。
自業自得の旧幕府勢力が薩長を恨むのは筋違いといえるだろう。
367日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:12
日本における近代市民革命の運動は、
明治10年代の自由民権運動であって、
幕末の尊皇攘夷運動ではないことだけは確かだな。
368日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:20
ヨーロッパの出来事を、単純に日本に当てはめようとする厨房を発見。>367
369日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:24
>368
幕末の尊皇攘夷運動は、「尊皇攘夷」という時代錯誤の政治スローガンを掲げたものだった。
だから、とても進歩的な運動とは言えないからそう言ったまでだ。
370日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:26
>369
「進歩的な運動」って何だ、サヨク用語か?(藁 
371日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:30
日本では、江戸中期には、既に町人文化が当時の世界の最高水準に達しており、
農村も自治を行い、藩の直接統治ではなかったし、軍事などの賦役もなく、
ヨーロッパの庶民のように虐げられていたのとは全く違う。
372日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:33
19世紀になって、太陽活動が低下した時期があり、世界的に凶作となった。
このような自然現象に基づく不運が、世界各地を襲ったのが、社会不安を
増大したことが、分かってきつつある。
373日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:35
>370
後世時代錯誤の馬鹿者扱いされている幕府が「開国和親」で、
偉大な先覚者に祭り上げられた尊皇攘夷派が「攘夷」なんて言っていたから、
その矛盾を強調するために、尊皇攘夷運動はとても「進歩的」運動とは言えない、
って言っただけだよ。
374日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:37
>372
太陽活動が低下したのは、17〜18世紀だよ。
特に18世紀にはそれが激しく、
江戸時代後半に飢饉が多かった最大の要因だと言われている。
375日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:40
>尊皇攘夷運動はとても「進歩的」運動とは言えない、

薩長は、列強に破れて、一気にヨーロッパに学ぶ必要を痛切に感じて、
開国への方針転換しているぞ。このようなフレキシビリティさを
理解しないとお話にならないぞ。基本的なこと位、ちーとは勉強しろ。
376スミ:2000/11/27(月) 22:07
>365
あの時代はまだ戦国乱世です。敵の一族を滅ぼさなければこちらが一族皆殺し
にされる。そのような時代ですからね。お互い様の世界です。豊臣秀吉もかなり
あくどい奴でしたね。しかし江戸時代に武家社会の常識が大きく変化してます。
戦国時代には武士は我が領地を守ることが行動原理でしたが、儒教道徳の普及
などにより、私事より公益を優先することが当たり前になっていました。
もちろん人によって様々ですが、殿様の為、藩の為、日本の為、民の為、とに
かく自分以外の何物かの為でなければなりませんでした。勝海舟は政権放棄を
他の幕臣に納得させる為「天下万民の為」と説明しています。この勝の主張が
受け入れられたのは公益を優先することが当然になっていたからです。慶喜が
大政奉還をしたのも、松平春嶽と徳川義勝が新政府成立に協力したのも徳川家
より日本というさらに大きな公的存在を優先したからにほかなりません。
西欧の公益優先の考えも古典からきています。キケロの義務論「国民の利益を
最優先して考え、己の利益を省みず、その活動のすべてを国民の利益に一致さ
せる」この書は必読書となり、16世紀のイングランドで一大ベストセラーに
なっています。西洋の孟子みたいなもんです。
近代市民社会を支える倫理は近代以前に普及しているのです。日本では江戸時代が
倫理形成の時期になります。幕末に私欲で権力を簒奪してしまった薩長は時代
錯誤な存在。イギリスでは郷紳が、日本では武士が民度向上の牽引車なんです。
377日本@名無史さん:2000/11/27(月) 22:25
明治時代はまだ帝国主義です。軍事力を向上させねばこちらが植民地に
にされる。そのような時代ですからね。お互い様の世界です。清もロシアも
侵略戦争で大きくなった国家ですからね。しかし現代は世界の常識が大
きく変化してます。ですから日清戦争や日露戦争、韓国併合は
やむを得ないものとして許されるべきですが、中国のチベット領有や
イギリスの北アイルランド領有は決して許されないのです。
378名無しさん脚:2000/11/27(月) 22:49
反維新派は、この国を理想とする。A RealAudio 3 or above file 1 megabytes. Stereo ISDN-speed version
ま、「会津真理教の尊師」早乙女貢は、「進歩的文化人」だし・・・。

379名無しさん脚:2000/11/27(月) 22:51
380日本@名無史さん:2000/11/27(月) 23:50
すばらしいね、江戸時代は。まさにユートピアだ。
381日本@名無史さん:2000/11/28(火) 00:04
>375
>薩長は、列強に破れて、一気にヨーロッパに学ぶ必要を痛切に感じて、
>開国への方針転換しているぞ。このようなフレキシビリティさを
>理解しないとお話にならないぞ。基本的なこと位、ちーとは勉強しろ。

そんなことは知っているよ。
薩長は方針転換する前は、もともと「攘夷」だったんじゃないの。
そして長州の尊皇攘夷派なんか幕府の「開国和親」の方針を盛んに妨害していた。
例えば、高杉晋作らが品川に建設中の英国公使館を焼き討ちしたりしてね。
また、外国勢力と接触した後も、彼らは表面上は「攘夷」の看板を掲げ続けた。
これは孝明天皇が攘夷主義者だったこともあるんだろうけどね。
後世先覚者で文明開化の大功労者に祭り上げられた連中が「攘夷」じゃ筋が通らないんだよ。
だから薩長(特に長州)は胡散臭いんだ。
382名無しさん脚:2000/11/28(火) 00:07
>378@`379
ポルが来たゾ。
はやいちの変名か・・・逝ってよし!
383日本@名無史さん:2000/11/28(火) 00:20
>>382
それはお前だろ。名前ぐらい変えろ、大馬鹿者!
384日本@名無史さん:2000/11/28(火) 00:26
ネタだろ
385日本@名無史さん:2000/11/28(火) 01:45
結局自分に都合の悪い意見には何にも答えないね>会津・幕府原理主義者
都合のいいものだけ適当な美辞麗句で反論するだけ
そして主語を変えると自分の支持してるほうにも当てはまることを示されて
逃げてしまった様子
386日本@名無史さん:2000/11/28(火) 02:43
>国家権力の独占を薩摩・長州及びその同調者で図った

日本政府は、民権派が騒ぎだす前から、立憲
政治の実現・議会制度の設立に向けた準備を
着着と進めていました。徳川将軍のような権
力の独占を考えていたなどというのは、何の
根拠もないあなたの単なる願望に過ぎません。

明治維新によって、日本は一番政治力がある
日本人の集団が権力を握る社会になりました。
明治初期は、倒幕運動をした日本人に一番政
治力があったので、彼等が権力を独占しまし
た。戦前の一時期は、日本軍所属の日本人に
一番政治力があったので、彼等が権力を独占
しました。戦後は自民党所属の日本人に一番
政治力があったので、彼等が権力を独占しま
した。確かに、明治維新後、政治権力を一定
期間独占した日本人が存在したことは事実で
す。しかし、そのこと自体に問題があったと
はいえないはずです。

387日本@名無史さん:2000/11/28(火) 02:45
>理念なき反政府運動だった幕末の尊皇攘夷運動に比べ、
>薩長藩閥政府打倒を目指した自由民権運動は、
>ずっと民意を基盤に置く進歩的な運動であった。

進歩的で一流の人は、明治政府に皆何らかの
形で参加もしくは協力していました。当時、
最も進歩的な運動をしていたのは明治政府だ
ったのです。

自由民権運動をやっていたのは、進歩的でな
かった人と進歩的ではあるものの能力が今一
歩で明治政府からあぶれてしまった人です。
明治政府の運動を改悪したものが、自由民権
運動だったのです。


388日本@名無史さん:2000/11/28(火) 06:10
薩長礼賛者は、幕末当初の尊皇攘夷派の主張が、
幕府の「開国和親」に対して「攘夷」だったことの矛盾に答えていない。
特に軍事的に不可能な攘夷主義の看板を掲げて、
列強に戦争を売った長州尊攘派ははっきりいってただの馬鹿。
後世彼らが手放しで持ち上げられているのは、
たまたま歴史の勝ち組になって、結果として同系統の人達を中心に、
近代国家が成立したからさ。
389日本@名無史さん:2000/11/28(火) 06:18
明治維新がとかく胡散臭いものだと感じられるのは、
幕末の反体制派であった尊攘派に明確な理念やビジョンがなかったからだ。
それを評して「青写真なき革命」と言われるのはそのためだ。
薩長礼賛者は、西洋文明や知識の流入による急速な時代環境の変化によって
結果として成立した明治の近代国家を、あたかも尊攘派が最初から構想していたように描き出す。
ここで彼らは薩長礼賛の目的で歴史を歪曲している訳だ(ワラ。
390日本@名無史さん:2000/11/28(火) 06:21
>自由民権運動をやっていたのは、進歩的でな
>かった人と進歩的ではあるものの能力が今一
>歩で明治政府からあぶれてしまった人です。
>明治政府の運動を改悪したものが、自由民権
>運動だったのです。

冗談を、言って貰っては困りますね。
自由民権運動とは、専制主義への反対であり、自由・平等や基本的人権
の確立を目指す政治運動だったのです。
そして自由民権運動の思想家である、馬場辰猪・中江兆民・植木枝盛・
小野梓らは、薩・長藩閥政府の官僚たちと比較しても優秀だったと言え
ます。
391日本@名無史さん:2000/11/28(火) 06:26
>390
激しく共感。
薩長礼賛者は、とかく明治政府の高官を持ち上げますよね。
天皇制ファシズムを理想としていた反動の権化のような山県有朋なんかまで
平気で「進歩的」なんてぬかす。
全くお笑いだよね。
392日本@名無史さん:2000/11/28(火) 06:39
山県有朋は、近代日本史上の最大のガン。
陸軍と内務省を私物化して、政党を忌み嫌っていた反動的人物。
自ら政党を組織した伊藤博文や桂太郎と比べても、山県有朋の反動
ぶりは際立っていますね。
393日本@名無史さん:2000/11/28(火) 06:42
薩長は逆賊である。己の私利私欲のタメに皇位を利用し、おこさなくてもよかった戊辰戦争をはじめて、
無意味な殺人を行った。行く先々では強盗、略奪、虐殺の限りをつくし、それは悪魔の所業であった。
京に上った木曽義仲よろしく、芯から田舎者であり野蛮のきわみであった薩長は日本史最大の汚点である。
 DIRENDA EST SACCHYO!
(薩長は滅ぼされるべきである。)                            
394日本@名無史さん:2000/11/28(火) 06:50
山県有朋の存在は、明治政府の最大の恥部。
生涯議会政治を憎み続けた時代錯誤の大馬鹿者。
こんな奴まで「先覚者」に祭り上げられてはたまったものではありません。
395日本@名無史さん:2000/11/28(火) 07:01
なんだか江戸・明治初期に20世紀現在の規範を惜しつける人達って
なんだろうねえ。
はやいち君も名無しさんで書いているようだけど、説得力にかけるなあ。

あ、俺も山県のジジイは大嫌い。
あいつは帝國陸軍の規範を自分のご都合よく変えて、グチャグチャにしたから。
396日本@名無史さん:2000/11/28(火) 07:15
>395
でも、山県が明治国家の進路を大きく誤らせた要素はあるんじゃないの。
あの男の存在が、昭和期の軍国主義の台頭の伏線になった。
だから20世紀の規範とも大きな関係があるよ。
397スミ:2000/11/28(火) 07:37
>377
今の日本は経済大国になっているが、明治から戦前の日本は小経済規模に不釣合い
な軍事大国だった。列強と同列な軍国主義を目指した薩長政権によって最後には
日本全土が焦土に化した。国力の不足は外国と同盟関係を結んで補完するのが常識。
幕府はフランスと提携をしてそれをやった。しかし維新政府はまともな外交関係を
一度も結んだことのない無能政権。幕末と日露戦争当時、イギリスと同盟を結んだが
利用されて終わっただけ。
398日本@名無史さん:2000/11/28(火) 08:03
太平洋戦争は明治国家が自ら掘った墓穴だ。
明治国家が帝国主義アジア侵略に暴走しなければ、自国民だけで3百万人、
アジア太平洋地域全体で2千数百万人も犠牲になるような馬鹿な戦争はやらなかっただろう。
故にその元凶である薩長の罪は重い。
399日本@名無史さん:2000/11/28(火) 08:22
アンチ薩長は、国論分裂工作を図る、反日サヨクか?
400:2000/11/28(火) 08:30
 「まともな外交関係を一度も結んでいない」
 なんていったら、いのちがけの陸奥宗光や
小村寿太郎がかわいそうよ。同情もしてあげ
なくちゃ。
 小村寿太郎なんて非薩長閥にもかかわらず、
満州利権に野望を以て日露開戦を狙ったん
だから。
401:2000/11/28(火) 08:33
 400訂正
 以て→持って
402日本@名無史さん:2000/11/28(火) 09:39
>小村寿太郎なんて非薩長閥

小村は宮崎県南部出身だから、準薩摩閥みたいなものでしょ。
403日本@名無史さん:2000/11/28(火) 09:48
>アンチ薩長は、国論分裂工作を図る、反日サヨクか?

サヨクには明治維新を「革命」として礼賛する者もいれば、
天皇制国家をつくった絶対主義的な変革に過ぎなかったといって馬鹿にする者もいます。
前者は西日本に多く、後者は東日本に多いようです。
同じサヨクでも、東西で見解が対立するようです。
404日本@名無史さん:2000/11/28(火) 10:02
>>397
明治政権はイギリスとの同盟の他に、アメリカとも友好関係を築き
それがポーツマス条約へと繋がったのは有名な話。
むしろ外国にいいように利用されていたのは、
オランダとの穏健な交渉を断り、欧米と不平等条約を結んだ挙げ句、
フランスから大借金をして危うく北海道を取られそうになった幕府でる。

徳川旗本や会津など譜代藩の人間は、不平等条約の解消のために動き、
自分たちの尻拭いをした明治政権に感謝するべきであり、
まして恨むことなどは決して許されないはずである。
405日本@名無史さん:2000/11/28(火) 10:12
 「自分たちの尻拭い」?
 長州攘夷派として攘夷に債務を重ね
 あげた者たちが不平等条約条約改正
 をやりにくくしたのも事実。
 条約改正は産業革命以降のはなし。
 産業革命くらいなら、近代徳川政権もやっている
 かもしれない。むろん、資本蓄積は前提にされる
 けどね。だから上が何であれ、日本の産業革命
 と条約改正は必然的。
406スミ:2000/11/28(火) 12:45
>明治政権はイギリスとの同盟の他に、アメリカとも友好関係を築き
それがポーツマス条約へと繋がったのは有名な話。

その後の話。
中国進出を狙うアメリカにとって日本の存在は邪魔者でしかない。
ここで障害になるのが日英同盟、そこでアメリカはこれをワシントン
会議で英米仏日の四カ国条約にすりかえる。このアメリカの策略に
対処できなった政府は大いに問題があるといわねばならない。

幕仏の提携は製鉄所建設等の将来に繋がる建設的なもの、しかし薩長に
英国が接近したのは、フランスと組んで制限貿易を図る幕府を倒して、
自由貿易にもっていくための軍事的色彩の強いもの。公益拡大の為に
英国が薩長を利用したといえる。他の外様諸藩はこのような破廉恥な
ことはしていない。もし薩長みたいな藩が多数でたなら植民地化は必然。
407スミ:2000/11/28(火) 12:49
公益は間違い。交易
408日本@名無史さん:2000/11/28(火) 14:24
>>406
この時代に植民地化とか言ってる時点でおかしいのでは?
このころにはもう植民地経営は儲からないという結論が出ていたはず。
409日本@名無史さん:2000/11/28(火) 14:47
幕末の1860年代のころだったら、まだあちこちでイギリスや
フランスの植民地獲得は続いていたよ。ボーア戦争なんて
1900年ごろ(日露戦争の直前)の話だし。
少なくとも第1次世界大戦(1918まで)の洗礼を経ないと、
この流れは変わらなかったと見るべきでしょ。
410日本@名無史さん:2000/11/28(火) 15:57
>>405
大卒以上で語学を本格的にやったことがある者でも
外国人と専門知識を交えた交渉するのは非常に難しい。
外交ではないけど自分もそういう経験があるから、条約改正ということが、
どれだけ凄まじい労力を要するものなのか理解しているつもりだし、
それをやってきた明治の外交官達を尊敬もしている。

あなたは、そのことを知っていて、
明治の外交官がやってきた努力を無視しようというのですか。
それはあまりに酷い話だと思うのですが
411ラーメン大好き@名無しさん:2000/11/28(火) 16:03
>>410
ありがとう、おかげで405を見落とすことなく読みました。
ところで>>405
近代徳川政権ってなんだ、そりゃ?
412日本@名無史さん:2000/11/28(火) 17:22
なんだかんだ言って、徳川幕府は300年の平和を築いた点は評価されてよし。

もし、幕府が鎖国をしていなかったらどうなってたんかねえ。
世界的にも有数の造船技術と、有り余る鉄砲と浪人・・・
413ラーメン大好き@名無しさん:2000/11/28(火) 17:40
いや、1630年ぐらいまでは、まだまだ物騒だったし
1850年頃から、またまた物騒になったので、200年です。
414スミ:2000/11/28(火) 18:13
>408
あなたの言うとおり列強諸国は日本を植民地化する意思はなかった。
望んでいたのは交易です。しかし戦乱が続き、通常の交易が不可能
と列強が判断したら当然方針を変えるでしょう。列強は大別して二
種類の方針をとっていたようです。普通の通商が可能な国には不平等
条約を、それが不可能な場合は植民地化に。戦乱が続けば直接統治
に傾くでしょう。
415スミ:2000/11/28(火) 19:00
>385
オルテガは文明と非文明(中世)の違いをこう説明しています。
文明とは力を最後の手段にしようとすろ試みにほかならない。
暴力を最初の手段とする非文明(中世)世界が文明世界へと転換していく。
そしてその文明世界こそ政治が息づくことのできる場所だそうです。

徳川将軍家と諸大名の多くは江戸期に文明化していたのです。数百年にわたり
内戦も外征もせず、幕末においても積極的に戦争などしてないのです。そう、
暴力を最後の手段にしていたのです。

しかし薩長の下級武士は、残念ながら文明化していなかったのです。中世暴力
社会そのままの行動をとったのです。戊辰戦争は文明化した武士と文明化しな
かった武士の争いになるかと思います。

主語を置き換えた結果、戦国から江戸時代初期の徳川家と、江戸時代末の薩長が
同質であることが証明され、薩長が非文明な存在であることが明確になってしま
いました。

主語の置き換えで墓穴を掘ったのはあなた。


416名無しさん@1周年:2000/11/28(火) 20:21
>415
>徳川将軍家と諸大名の多くは江戸期に文明化していたのです。数百年にわたり
>内戦も外征もせず、幕末においても積極的に戦争などしてないのです。そう、
>暴力を最後の手段にしていたのです。

しかし強固な身分社会であり,日本人全体の10%足らずの武士の中の,
 さらにその一部しか国家権力を構成することができなかった。
  優秀な人材は,非武士階層の中に埋もれたままである。
  身分に関係なく強い意志と能力のあるものによって編成された
  奇兵隊500人によって,高杉晋作は萩城の4000人の武士を
  倒すことができたんです。
   能力のあるものが指導的地位につく社会と,
  特定の家柄の中でしか高い地位につけない社会と,
  どっちが文明的でしょうか。  


417日本@名無史さん:2000/11/28(火) 20:56
明治初期から続く維新批判派の議論パターンというのは、
「会津や幕臣は被害者である」ということを議題の中心に据えてから
「だから、明治政府で栄達した奴は卑怯だ」と理論を展開することにある。
そこに、幕府の反省という要素は全く含まれていない。

これは、現代の大衆の羨望の的である、
エリート官僚や二枚目スター、一流スポーツ選手などが
些細なスキャンダルを起こしたとき、
自己が努力をしなかったせいで落ちこぼれただけの「大衆」が
自分たちを「社会的弱者」と定義した上で、
自己の嫉妬を美辞麗句で正当化し、
成功者を引きずりおろすやり方と同じである。

そして、この理論の元祖と言えるものこそが、
先に述べた、維新批判派(=落ちこぼれ)による
明治政権の高官(=成功者)への批判なのだ。
明治の負の遺産と言われるものは多いが、
「成功者への嫉妬を正当化する落ちこぼれの理屈」
を維新批判派が作ったことこそが
その最大のものではないだろうか。
418日本@名無史さん:2000/11/28(火) 21:01
>「成功者への嫉妬を正当化する落ちこぼれの理屈」

ひがみ朝鮮人と発想が似ているな。こんなダメ人間は日本には不要。
北朝鮮へ逝け。
419日本@名無史さん:2000/11/28(火) 21:03
>>415
「戊申の復讐!」とか言って
西南戦争で薩摩人に斬りかかったような連中を
文明化した武士と言われても説得力ないです。
420日本@名無史さん:2000/11/28(火) 21:28
>>411
きっと405的には「20世紀まで続いていた場合の徳川幕府」
のことを言いたかったのでしょう。
まあ、紺碧の艦隊に出てくる「後世日本」
と似たようなものだと解釈しておけばいいのではないでしょうか。
421日本@名無史さん:2000/11/28(火) 21:33
>徳川将軍家と諸大名の多くは江戸期に文明化していたのです。数百年にわたり
>内戦も外征もせず、幕末においても積極的に戦争などしてないのです。そう、
>暴力を最後の手段にしていたのです。

アイヌ侵略とかキリシタン弾圧はやってたけどな、
ああ、これはジェノサイドであって「戦争」ではないから
彼的にはセーフなのか
422ポルポト野郎ファン:2000/11/28(火) 21:39
いい加減に僕もまぜろ〜
423日本@名無史さん:2000/11/28(火) 21:41
>421
アイヌ侵略は、古代から歴代の日本の政権が一貫してやって来たこと。
徳川幕府だけをことさら叩くのはナンセンス。
まあ、キリシタン弾圧は叩かれても仕方ないが。
424日本@名無史さん:2000/11/28(火) 21:48
>まあ、キリシタン弾圧は叩かれても仕方ないが。

アホか、こいつらは日本征服の先兵で、叩きつぶしたのは正解。
425423:2000/11/28(火) 21:57
>424
そうだよな。
俺も本当はそう思っていたんだ。
キリシタンを叩き潰さねば、
日本はスペインやポルトガルの植民地になっていた。
426スミ:2000/11/28(火) 22:13
>416
>しかし強固な身分社会であり,日本人全体の10%足らずの武士の中の,
 さらにその一部しか国家権力を構成することができなかった。
 
これは事実誤認です。備中高松藩では農民出身の山田方谷が家老になっていますし、
同じ農民出の渋沢栄一は武士になりたくて一ツ橋家に押しかけ士分に取り立てても
らっています。才覚さえあれば順と秩序を経て出世する機会は十分にあったんです。
勝海舟も由緒正しい武士の家柄ではなく、御家人株を買って幕臣になった家の出です。
勝は最後には幕府の最終責任者にまでのぼりつめています。

長州藩を私が非文明的と言うのは、政争が暴力に成り下がっているからです。
奇兵隊が権力を掌握したのもクーデターによるものですし、その以前から正論
党と俗論党に分かれて血で血を洗う抗争を続けていたのです。奇兵隊をヨーロッパ
の市民軍のようなものともし見ているとしたら、これも間違いです。新しく下級
の武士に取り立てられた者と見なすべきです。隊規も武家の規範に順ずるもの
でした。この奇兵隊は維新後反乱をおこし、木戸孝允率いる藩正規軍によって
壊滅させられています。

>能力のあるものが指導的地位につく社会と,
  特定の家柄の中でしか高い地位につけない社会と,
  どっちが文明的でしょうか。 

旧幕諸藩薩長共に、能力あるものが身分下層から高い地位に付いております。
問いかけの内容そのものが事実と違っています。一方は平和裏に能力を認め
られて高い地位につき、一方は暴力により、高い地位にのし上がった。
やはり幕府や高松藩の方が文明的で、長州の方が非文明的でしょう。
427日本@名無史さん:2000/11/28(火) 22:21
>>426
ならば、ペーパーテストで
賊藩出身の者でも首相や軍の最高幹部になれる明治政権は
素晴らしい政府であり、その根幹である試験任用制を採用した
薩長の下級武士は人格者ぞろいってことでいいんですか?
428日本@名無史さん:2000/11/28(火) 22:22
426は、戦後日本の常識は世界の非常識の、典型的なタイプだな。
ローマ帝国・諸中華帝国・大英帝国・アメリカなど、文明の中心にいた国で、
軍事的にも超大国だった国は多いぞ。
平和裏が文明的なんて笑わせるなよ。
429日本@名無史さん:2000/11/28(火) 22:25
>426

は電波。

とにかく長州が嫌いらしい(藁
430日本@名無史さん:2000/11/28(火) 22:25
動乱時と天下泰平時で、求められる資質が異っていたのは明らかで、
そう言うことも理解できない、硬直した思考の426は書生論に過ぎない。
431日本@名無史さん:2000/11/28(火) 22:36
426の議論は江戸時代の例外を「良い例」としてあげた上で、
薩長の特別な例を叩いているだけなんだよな。
このやり方ならナチスを正義の味方にして
マザーテレサを極悪人にすることだってできるぞ。
432スミ:2000/11/28(火) 22:45
>427
ペーパーテストによる公正な競争社会は、藩閥政治に対抗するために
出てきたもののはずです。

>428
非常識なのはそちら。
パックスロマーナ、パックスブリタニカ、パックスアメリカーナ。
これらは強大な軍事力を背景に世界の秩序を維持し、国内においては
法により社会秩序と政治制度を維持し、暴力で内政が左右されないように
されています。内政と外政を区別しないあなたが変。
433日本@名無史さん:2000/11/28(火) 22:53
>>432
ペーパーテストによる試験任用制は
西南戦争以前からすでに存在していました。
優秀なら賊でもかまわないというのが初期明治政権の特徴です。
初期の頃に東北の人間の合格者数が少なかったのは事実ですが、
合格者数がゼロだったわけではなく、
西南戦争終結後はむしろ多数派になったくらいです。
旧佐幕藩の人間が「戊申があったから役人になれないんだ」
と言うのは、ペーパーの段階で公務員試験に落ちた人間が
「コネが無いから俺は落ちたんだ」と
言っているくらい見苦しいことだと気がついてください。
434スミ:2000/11/28(火) 22:55
>430
非常時だから非合法なこともやって当然。この小利口なリアリズムと
権力亡者の政治指導者。この組み合わせが議会民主主義を破綻させる
一番の元凶。その行き着く先は、北朝鮮のような民主集中制。
435スミ:2000/11/28(火) 23:04
>433
暴力によって権力を簒奪した薩長だけでは近代国家を維持するのは
不可能、それで旧幕側の有能な人間を登用した。ナチスが突撃隊を
切り捨ててユンカーの国防軍を選んだのと同じ。協力はするが内心は
軽蔑しとるのだよ。
436スミ:2000/11/28(火) 23:09
>切り捨てたのは奇兵隊
437日本@名無史さん:2000/11/28(火) 23:25
>>435
それなら、何故あなたの言う「文明的な徳川幕府」の血を入れた
明治政権が、なぜ野蛮な行為をしたのでしょう。
結局、旧幕府も明治政権の
犯罪の片棒を担いでいたってことでいいんですか?
それとも、旧幕府の人材は事務だけ長けた人間ばかりだったから
結局は薩長から政権の舵取りを奪うことができなかったということに
なるんですか?
438日本@名無史さん:2000/11/28(火) 23:27
>>435
あえて政権維持のために
身内を切り捨てて、かつての敵を登用する
寛大かつ勇敢ではありませんか、何が悪いの?
439ジーモン@ケー二ヒスベルク:2000/11/28(火) 23:48
佐幕VS討幕、東国VS西国(主に薩長)には飽きた!
440スミ:2000/11/28(火) 23:49
>437
ドイツ国防軍のユンカーには人格者も多く、敵からも尊敬されていた。
しかし国家の実権を握っているのはナチス、そのため良識派は多勢に
無勢でナチスの残虐行為をとめることが出来なかった。日本の帝国陸軍
もこれと同じ。今井均のような優れた人物もいたが軍の中枢には最低
の人間が徒党を組んで居座っていた。維新の元勲が幕末にやったこと
と同じ事をする奴が増えすぎてまともな組織が維持できなかったのが
原因。
441ジーモン@ケー二ヒスベルク:2000/11/28(火) 23:51
佐幕VS討幕、東国VS西国、薩長VS徳川の論争(?)には飽きた!
442ジーモン@ケー二ヒスベルク:2000/11/28(火) 23:53
佐幕VS討幕、東国VS西国、徳川VS薩長の論争(?)には飽きた!
443ジーモン@ケー二ヒスベルク:2000/11/28(火) 23:55
三重カキコ(!)済みません!
444日本@名無史さん:2000/11/29(水) 00:23
>>440
昭和の軍部は悪い連中だから
その政権を作った連中も悪い奴ってことかい。
無茶苦茶ですがな。
445スミ:2000/11/29(水) 00:27
>438
権力を握るために無実の人間を陥れ、下の人間を利用し雑巾のように捨て去る。
その後にお為ごかしに仇敵を登用したからといって、立派な行為とおもうのは
どうかしている。
446スミ:2000/11/29(水) 00:32
>444
優れた人物は優れた伝統ある社会と教育から生まれる。
当然のことだ。
4471です。:2000/11/29(水) 00:35
もうすぐ500か はやいな
448日本@名無史さん:2000/11/29(水) 01:20
明治維新では「日本人」が勝って幕府や会津などの一部の武士が負けた、
なんてほざく薩長あるいは坂本竜馬の礼賛者がいる。
全く馬鹿げた話だ。
討幕派なんて所詮下級武士であって決して庶民層ではない。
そんな奴らに「日本人の味方」などと称する資格はないのだ。
関が原の戦いの復仇戦、それが明治維新の本質だ。
449名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 01:33
「薩長は○○だった」という人にお願いです。
理由がない場合は「ったらいいのにな。」を
つけるようにしてください。

攘夷だった。
下級武士だった。
専制だった。
東西の争いだった。
関ヶ原の復讐だった。
・・・だった。

全て願望に過ぎないことが明白です。
「ったらいいのにな」を付け加えてください。
450最新東西勢力分布図:2000/11/29(水) 01:40


                                             ┌─────┐
                                             │        │
                                             │◎◎◎◎◎│
                                              |______|
                                             ┌─――─┐
                                             │■■■■└┐
                                             ├──┬──┤
                                             │■■│■■│
                                ┌──┐        ├──┼──┼┐
                                  │○○│        │■■│■■│└┐
          ┌──┬──┬──┬┐      ├──┼──┬──┼──┼──┤■ └┐
          │○○│○○│○○│└┐     │○○│■■│■■│■■│■■│■■│
  「 ̄ ̄ 「 ̄ ̄\\  ├──┼──┤○└┬──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
  │○○│○○ |\ ̄ ̄|○○│ ○○│○○│○○│○○│■■│■■│■■│■■│■■│
  ├──┼──┤ \ └─―┴―─┴―┬┴─┬┴─┬┴─┬┴─┬┴──┼──┼──┤
  │○○│○○ |○○\ ┌──┬──┐| ○○│○○│■■│■■│■■■│■■│■■│
    └─┬┴──┼──―| │○○│○○ |└┬─┴─┬┴─┬┴──┴───┴──┴──┘
     │○○○│○○  | ├──┼──┤ |○○○│○○│
┌──┼───┴──―┘| ○○│○○│ └───┴──┘
│★★│           └──┴──┘
└──┘      ■東国アズマ ○西国ヤマト ★沖縄 ◎蝦夷地(中立)


451最新東西勢力分布図:2000/11/29(水) 02:54
>「ったらいいのにな」を付け加えてください。

「ったらいいのにな」が付いたらいいのにな、
っていうのがお前の願望じゃないの(ワラ?

452日本@名無史さん:2000/11/29(水) 02:56
「薩長はサッチーだった」らいいのにな…くない…

453名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 02:57
またものまねか?芸がない奴だな。
454名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 02:59
>自由民権運動とは専制主義への反対であり、

中心的人物である板垣や大隈といった人達は
基本的に藩閥政府のメンバーだと思います。
自由民権運動が「専制主義への反対」だった
とすれば、専制主義のメンバーが一事下野し
て専制主義への反対運動をやり、再び政府に
戻って専制主義のメンバーをやっていたこと
になってしまうと思います。

>自由・平等や基本的人権の確立を目指す政
>治運動だったのです。

明治政府と懇意にしていた九州や四国出身の
幹部達はそうだったでしょう。でも、その他
の運動員、特に、暴動ばかり引き起こしてい
た人達がそうだったというのは疑問です。

>自由民権運動の思想家である、馬場辰猪・・・

自由・平等・基本的人権といった概念は全て
西欧のものなので、彼等は、思想家というよ
りも、翻訳家という方が適切ではないかとい
う気がします。

>馬場辰猪・中江兆民・植木枝盛・小野梓ら
>は、薩・長藩閥政府の官僚たちと比較して
>も優秀だったと言えます。

民尊官卑ですか?頂けません。官僚より久米
宏や筑紫哲也の方が優秀だとか、官僚よりテ
レビや新聞で無責任な論評をしている評論家
の方が日本に貢献しているといった類の意見
と同様、馬鹿馬鹿しいという気がします。

私の場合、残念ながら、彼等の名前を聞いて
も、日本政府から貰った留学の機会を今一つ
活かせなかった変わった人とか、無責任に大
衆を煽っていた新聞記者・評論家とか、日本
の政策にあまり関与できなかった今一歩の政
治家といった印象しかありません。

なお、板垣も中江も植木も土佐の人なので、
彼等を持ち上げても、明治維新を否定する理
由になるのか疑問です。

455日本@名無史さん:2000/11/29(水) 02:59
太平洋戦争で日本が墓穴を掘ったのは、
そもそも明治維新をやった連中に問題があったからだ。
維新の勝者がもう少しまともな連中だったら、
日本はあんな馬鹿な戦争をするような国にはならなかっただろう。
そう考えると、維新の勝者達の罪はあまりに重い。
456名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 03:00
>帝國陸軍の規範を自分のご都合よく変えて、
>グチャグチャにしたから

理解不能です。軍人勅諭を作って規範を最初
に設定したのは山形のはずです。山形は軍規
の塊のような人間だったのですから、彼が軍
規をグチャグチャにするなどということは有
り得ないという気がします。

なお、軍規を無視して日本軍ひいて日本の
政治機構をグチャグチャにしたのは、山形
出身の大川周明や石原莞爾といった昭和の
変人達だと私は思います。

457名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 03:01
>政党を忌み嫌っていた

今と同じく、昔もろくな政党がありませんで
した。山形が政党を忌み嫌っていたというの
は、彼が良識人だったことの証明といえるの
ではないかと思います。

山県有朋は、日本軍の創設・発展、官僚機構
の整備、地方自治制度の整備、などに、多大
な貢献をした人です。彼を非難するのは罰当
たりというべきです。

458名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 03:04
個人がしでかした不始末を、社会や国の責任
に転嫁しうるというのは、赤い思想の誤った
考え方です。世間一般に通用する話ではない
と思います。

大東亜戦争の敗戦の責任は、大東亜戦争をす
ることに決め、そして、大東亜戦争を実行し
た具体的日本人にあります。大日本帝国や大
日本帝国を作った人にあるなどとは到底いえ
ません。(大日本帝国憲法は、日本国憲法よ
り改憲が容易であり、改革をする人次第では、
戦後の日本のような国にすることすら不可能
ではありませんでした。道具に問題があった
のではなく、使った人に問題があったことが
明白です。)

459日本@名無史さん:2000/11/29(水) 03:06
>攘夷だった。
>下級武士だった。
>専制だった。
>東西の争いだった。
>関ヶ原の復讐だった。
>・・・だった。

>全て願望に過ぎないことが明白です。
>「ったらいいのにな」を付け加えてください。

嘘こくなよ。
全部事実じゃね〜かよ。
薩長礼賛者は嘘が多くて本当に困る。
攘夷しかり、下級武士しかり、専制しかり、東西の争いしかり、関が原の復讐しかり。
すべて真実なり。
明治維新なんて所詮幕府と薩長権力の奪い合い。
そこには正義も糞もなし。
460日本@名無史さん:2000/11/29(水) 03:13
明治の天皇制国家が帝国主義アジア侵略に走ったことに関しては、
維新の勝者である薩長の連中に重大な責任がある。
なかでも幕末の吉田松蔭以来、侵亜論・征韓論の中心地で、
明治国家の中枢を占めた長州系権力者の責任は、極めて重いと言わねばならない。
まさに長州は日本帝国主義の総本山であり、その実害は計り知れない。
461日本@名無史さん:2000/11/29(水) 03:25
山県有朋は近代日本最大の恥部。
あの男の存在は近代日本の進路を誤らせる大きな要因になった。
昭和になってから軍部が台頭し、日本が中国侵略の泥沼にはまり込んだのも、
その伏線は明治から大正にかけての陸軍の山県閥の存在にあった。
そうした意味において、山県は厳しく糾弾されねばならない。
462日本@名無史さん:2000/11/29(水) 03:27
孝明天皇を毒殺した尊皇攘夷派は、
決して「尊皇」ではなかったことだけは確かだな。
463日本@名無史さん:2000/11/29(水) 06:28
>今と同じく、昔もろくな政党がありませんで
>した。山形が政党を忌み嫌っていたというの
>は、彼が良識人だったことの証明といえるの
>ではないかと思います。

政党政治を否定すると言う事は、民主主義への否定につながりま
す。そして政党内閣こそ、憲政の常道と言うべきものです。
ですから、山県と同じ長州人である伊藤博文は、立憲政友会を旧
自由系の議員たちと結成し、桂太郎も立憲同志会を、旧改進党系
の議員たちと結成したのです。
ところが、山県は伊藤や桂の政党結成を批判しました。
結局山県有朋は、民意を反映する国会を基盤とする、政党政治や
政党内閣を理解出来ない反動政治家だと言えます。


464日本@名無史さん:2000/11/29(水) 06:45
>461
同意です。
第2次西園寺内閣が総辞職に追い込まれたのは、陸軍大臣上原勇作が
単独辞職し、陸軍がその後任を出さなかったからです。
この背景には、政友会を与党とする西園寺内閣に敵対する、山県系官
僚や陸軍の意向があった事は明白です。
昭和になってから、陸軍が倒閣の常道手段した方法を、既に明治にお
ても山県閥の意向で行われたと言う事です。
なお、この時の苦い経験から原敬は、第1次山本内閣の内相の時に、
軍部大臣の現役武官制を改めて、予備役も大臣に就任できる様にして
陸軍の内閣に対する不当な干渉を防ぐ努力をしたのです。
465日本@名無史さん:2000/11/29(水) 07:14
>今と同じく、昔もろくな政党がありませんで
>した。山形が政党を忌み嫌っていたというの
>は、彼が良識人だったことの証明といえるの
>ではないかと思います。

薩長礼賛者の論理には呆れる。
たまたま歴史の勝ち組にいて権力の中枢に居座ることが出来た山県のような
反動政治家まで、「良識人」にされてしまうんだからな。
明治維新がいかに過大な持ち上げられて来たかの証左にはなろう。
466日本@名無史さん:2000/11/29(水) 07:30
昭和期の15年戦争とその敗戦は、
明治の天皇制国家の害毒が日本中に蔓延した結果だった。
よってその社会的システムを構築した明治の元勲達は、
厳しく批判されねばならない。
467日本@名無史さん:2000/11/29(水) 07:32
>>449
紺碧の艦隊を見て興奮するウヨがいるでしょう?
それと薩長を批判している連中は同じ。
468日本@名無史さん:2000/11/29(水) 07:44
維新を批判している連中ってのは
今の自分の不幸な境遇を、
自分たちの努力不足とは考えたくないんだよ
全てを薩長のせいにして、
自分は「落ちこぼれ」じゃなくて「被害者だ」と言いたいんだよ。

都市住民の血税にたかって生きているくせに
都市に向かって妙に偉そうにしている田舎者がいるでしょう?
維新を批判する連中の言う会津魂とか徳川の先進性というのは
結局、これを正当化するために使われる
美辞麗句の一つにすぎません。
469スミ:2000/11/29(水) 07:45
>個人がしでかした不始末を、社会や国の責任
に転嫁しうるというのは、赤い思想の誤った
考え方です。世間一般に通用する話ではない
と思います。

個人の行動は社会によって大幅に制約される。紳士社会では紳士らしくしなければ
ならないし、不良仲間に入れば良識ある行動は嘲笑され不可能になる。

>大東亜戦争の敗戦の責任は、大東亜戦争をす
ることに決め、そして、大東亜戦争を実行し
た具体的日本人にあります。大日本帝国や大
日本帝国を作った人にあるなどとは到底いえ
ません。

敗戦の最大の要因は陸軍の暴走にあります。その根源は長州の暴走体質にあり、
それが石原莞爾やその後の中国進出につながります。彼らはもし伊藤博文等が
いきていたなら、「閣下と同じ事をしているまで」と言うでしょう。
470日本@名無史さん:2000/11/29(水) 08:02
>468
江戸っ子は、鹿児島山口の田舎者ほど権力に執着いたしません。
薩・長が権力に執着した事は、正に彼等が田舎者の証拠なのです。
471日本@名無史さん:2000/11/29(水) 09:02
>紺碧の艦隊を見て興奮するウヨがいるでしょう?
>それと薩長を批判している連中は同じ。

それは薩長礼賛者じゃないの?
472日本@名無史さん:2000/11/29(水) 09:12
>ALL
ちょっと聞きたいんだけど、
維新を持ち上げているのは西国人が多いの?
反対に叩いているのは東国人?
差し支えなかったら教えて。
473日本@名無史さん:2000/11/29(水) 09:28
>>471
いや、この場合右翼、左翼の思想は関係なく
知能レベルの問題として言っているのだと思います。
474日本@名無史さん:2000/11/29(水) 09:40
昭和に入ってから天皇制国家が中国侵略の泥沼にはまり込んだのは、
言ってみれば、原子力発電所で大事故が起こり、炉心溶融が発生し手が付けられない
状態になったようなものだよな。
政党内閣が軍部の暴走を止めたくても、明治憲法によって阻止されてしまったんだからね。
そしてあの太平洋戦争へと突入し、当然のごとく敗戦。
その結果、後世にアジア侵略の歴史という巨大な負の遺産だけが残り、
後代の我々は厳しく批判されることになった。
そんなことを考えていると、明治維新って一体何だったのって気がしてくるよ。
475日本@名無史さん:2000/11/29(水) 09:50
負け組の人間が、エリートを批判する理屈に
「学歴社会では独創性が育たない」というものがあるでしょう、
まあこれは間違っているわけではない。問題はこいつらが次に、
「だから、学歴社会の勝者は独創性がない、学歴社会というものは、
独創性がある『はず』の者を排除するシステムであり、
独創性のある学歴社会の敗者が使われていれば、
もっといい社会ができる『はず』なんだ」と続けることにある。

この理屈は会津やら幕府を擁護している連中が使っている手段と同じで、
彼らは、まず薩長のアラを探して「薩長の連中は品がない」と批判した上で、
次に「維新の敗者である者は、薩長とは違って品がある『はず』だから
維新がなければ今頃はもっといい社会ができた『はず』なんだ」
という方法で、幕府側が負けた理由を合理化しようとする。

彼らの共通点は、
勝ち組を根拠のない理屈・仮定・特別な一例を用いて叩くことで
負け組を慰めたいと思っていることにある。
要するに努力と能力の不足を他人の責任にしたいだけなのだ。
476日本@名無史さん:2000/11/29(水) 10:09
>>475
ここで言う負け組とは、
なんでも政府の責任にする落ちこぼれ左翼や
なんでも朝鮮人の責任にするハングル板のウヨ厨房を含んだ話ね。
477日本@名無史さん:2000/11/29(水) 10:50
>475
それって、お前みたいな薩長礼賛=明治の天皇制国家礼賛の馬鹿右翼に
最も当てはまるんじゃないの?
ならずも者の行きつく先が右翼イデオロギーというのが、
欧米では常識です。
478日本@名無史さん:2000/11/29(水) 11:02
>>477
見よ、これが幕府礼賛主義者の正体である。
所詮エネルギーの原点は個人的な恨みにすぎないため
痛いところつかれると、個人攻撃に走らざるを得ないのだ。
大体、475はどこで薩長を礼賛しているというのだ?
479日本@名無史さん:2000/11/29(水) 11:08
どうやら476の頭の中では
明治維新を否定しない人間は全員右翼になるという
方程式があるらしいね。
480日本@名無史さん:2000/11/29(水) 11:12
薩長の問題点は、政権奪取の途上にいくつかの疑惑、不正があり
しかもそれが露呈している所ではないでしょうか?

> 孝明天皇暗殺
> 錦旗の使用
> 藩主への背信行為
> テロ
> 他にもいくつか・・・

慶応とか明治のあたりでなんらかの改革は必要だったというのは認めますが。
481日本@名無史さん:2000/11/29(水) 11:24
 明治維新上の変革自体、あやまりも
 あったということが「反日」「サヨク」に
 なるという方程式があるらしいね。

 明治維新の名分、民衆を塗炭の苦しみ
 から救うなどということは一度として、実
 現されていなくても、それを指摘すれば
 「反日」とか「サヨク」とかになるらしいね。

 それからこのスレッド、1の趣旨からずれ
 てきていますね。まあ1が容認しているよう
 だからどうでもいいか。

 藩自体、財政危機に浪人も輩出していた時代
 そして藩臣が藩主に捨藩勤皇を進言していた
 時代は藩の存在は軽くなっていた日本の政治
 構造条件を軽視して日本は維新を成し遂げた
 と威張っていると日本は変革をやりにくい国だ
 ということになる。日本は藩みたいに崩れなけ
 れば変革をやれない国だということになる。
482日本@名無史さん:2000/11/29(水) 12:30
>478
見よ、これが薩長礼賛主義者の正体である。
所詮エネルギーの原点は個人的な恨みにすぎないため
痛いところつかれると、個人攻撃に走らざるを得ないのだ。
大体、477はどこで幕府を礼賛しているというのだ?
483スミ:2000/11/29(水) 12:32
>475
>要するに努力と能力の不足を他人の責任にしたいだけなのだ。

幕末の政局をリードしたのは長井雅楽や徳川慶喜などの見識に優れた
人間。知性に劣る薩長は彼らに正面からでは太刀打ちできないため、
暴力に走ったのです。

484日本@名無史さん:2000/11/29(水) 12:49
明治維新は語る出すときりがないね。
この論争はまだまだ続くのかな。
485日本@名無史さん:2000/11/29(水) 13:41
みんな感情的だな〜。
何でそこまで熱くなるんだろう。
486【^▽^】:2000/11/29(水) 13:56
馬鹿レスの応酬合戦。
487日本@名無史さん:2000/11/29(水) 14:48
どうもどうあってもウヨサヨ罵倒合戦へ
持って行きたがる奴がいるみたいだなあ。

ようやくすれば、
佐幕は「アイツがいなけりゃボクは幸せだったんだ」
といういじめられっ子の言い分とそっくりだし、
倒幕は「アイツは虐められても仕方ない奴なんだ」
といういじめっ子の理屈そのもの。

こんなもんを政治論議にされたら
右翼公務員や共産党員はさぞ迷惑なことだろうね。
488日本@名無史さん:2000/11/29(水) 14:51
>485
まぁ、それだけ明治維新及び自由民権運動とは、色々な角度から論じる
事が出来ると言う事でしょう。
489日本@名無史さん:2000/11/29(水) 14:52
 ★結論★
幕府擁護論者=元虐められっ子、今ヒッキー
薩長擁護論者=元虐めっ子、今ドキュン
490日本@名無史さん:2000/11/29(水) 15:36
>456
あ〜れぇ? 軍人勅諭を起草したのは山岡鉄舟じゃないの〜?
まあ、正式に起草したのはだれであれ、大部分山岡の思想だよ。
ついでに、山岡鉄舟は旗本の子。
491日本@名無史さん:2000/11/29(水) 16:13
>417
一流エリート? はあー?
きみさー、あんなぺらぺらの三流学者が作ったペーパーテストのあらしをくぐりぬけてきた
どこぞの馬の骨がエリートだと思ってんの?おめでたすぎ。
イギリスのエリートをみてみろよ。
ヨーロッパの「エリート」は日本に存在しない。というか、日本人はエリートの言葉を理解してないね。
いうなれば、エリートの概念には江戸時代の旗本・御家人が近い。(飛躍といわれても結構)
エリートが作られるには、家庭の教育が重要な要素。学校の教育で全て決められるなんてのは妄想。
家柄が尊ばれたのは、血筋よりも、家庭での教育。
きみにはわからないだろうけど、大名・旗本の教育は鬼だよー。
とくに旗本も家禄が上になると、実際重い責任を負わせてみて、経験をつませたりするのだ。
家禄が上か下かで差別があったのは、その職に当るに必要な経済力が考慮されたこともある。
武士のモラルとしては、職、地位の上下に関わらず、身を挺して働くのが忠義とされたのだ。
492日本@名無史さん:2000/11/29(水) 16:22
>>491
そんなエリートが居るわりには、
江戸幕府は随分あっさり倒されているような…
良い人材を生かせなかったってことですか?
493日本@名無史さん:2000/11/29(水) 16:28
>きみさー、あんなぺらぺらの三流学者が作ったペーパーテストの
>あらしをくぐりぬけてきた
>どこぞの馬の骨がエリートだと思ってんの?おめでたすぎ。

ということはその三流学者の問題ごときを解けない連中は
一体何と呼べばいいのでしょうか?
494日本@名無史さん:2000/11/29(水) 17:30
合格する為だけに勉強している人が即エリートというわけではないということ。
495スミ:2000/11/29(水) 17:51
>492
教養が邪魔をしたというやつです。
武士は良家の子ですから、責任ある行動が当たり前。厳しく品良く躾られて
いたのです。
496日本@名無史さん:2000/11/29(水) 17:53
>>491
君、いっぺんコネだけで入社した人の下で働いてみなさい
絶対に考えを改めることになるよ。
497日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:00
>>491
それなら、究極的には
天皇家に政治を任せろってことになると思うのですが・・・
あんた、本物の右翼ですか?

ヒトラーが出てくる可能性があり、
品性下劣な連中が政治家をやっていたとしても、
俺は民主主義・自由競争の社会を支持するつもりだ。
498スミ:2000/11/29(水) 18:02
>496
武家社会でも家柄だけでは要職には就けません。ちゃんと選抜されて
おります。イギリス紳士を賞賛する人は多いです。やはりこれも封建
貴族の伝統の賜物。日本も武家社会の伝統を継承しつつ近代化するべき
だったんです。
499スミ:2000/11/29(水) 18:06
>497
あなたイギリスの議会制民主主義の歴史を知ってる?
イギリスの議会政治の歴史は貴族政治の歴史なんだが。
500スミ:2000/11/29(水) 18:09
>497
読み間違えた。大衆民主主義者か
501日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:10
491は一流のコンパニオン。お小姓にするにはかわいげがないけど
よく働いてくれるんじゃない?御題目が変われば変わったで
また一生懸命言いたてるんでしょ
502日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:19
>493
馬鹿だなあ。
三流の問題を解くのは三流という意味でしょうに。三流には三流。
あなたの捕らえ方はいかにも現代らしい賤しい捕らえ方だね。
それに今の受験・教育制度も他人を押しのけ自分が得するという考え方は、
武士道の説くところの「遜譲の心」に反する。
503日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:22
>500
いわゆる「mobcracy(衆愚政治)」ってやつですか?(藁)
504スミ:2000/11/29(水) 18:24
>497
その民主主義と自由競争を維持するためには公正な社会が不可欠。
その公正な社会を造ったのが封建貴族。
505日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:27
>>491
お前、今の中央省庁の人間が
どれだけ辛い思いで働いているか知っているか?
大して高くない給料で、
江戸時代の旗本の10倍は重い責任を背負って働いているんだぞ。
この人達は、外国の官僚とのつき合いもあるから、
日本式だけでなく、外国式のマナーも心得ているし、
知識に関しては、もはや旗本など比べものにならないものを持っている。

マスコミの垂れ流す、官僚=悪、という
方程式は鵜呑みにしないように。
他人の努力をバカにする怠け者は、いつの時代でも嫌われる。
506日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:29
>>491
社民党や共産党の人間が見たら
目から血を吹き出して怒りそうな文章だな。
507日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:30
>504
>その公正な社会を造ったのが封建貴族。
簡潔すぎて良く分かりません。できれば、もうちょっと詳しい説明を。
508スミ:2000/11/29(水) 18:31
>500
それにプラスして、ノブリス・オブリージュの精神があれば完璧。
509日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:35
でゴシップだらけになちゃうのね
510日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:45

>対して高くない給料で
武士は金のことをいわない。
>10倍は責任
責任の多さを数字であらわせるのか?
責任感はあるのか?天下りはさておき切腹はきかないが。
>外国のマナーも心得ていし、
ただ顔がまずいね。
>知識に関しては、もはや旗本などくらべものにならないものをもっている。
おまえ馬鹿か?あたりめーだろ?
エリートに最も必要なのは知識じゃないね。そのへんわからないとね。
511日本@名無史さん:2000/11/29(水) 18:48
でも数字の前ではそういうの弱いのよね。来期の見通しが立たない
とかいうときにいいかっこしてたひとは悲惨だわ。
512スミ:2000/11/29(水) 18:58
>507
マーク・ジルアードというイギリス人の書いた「騎士道とジェントルマン
ヴィクトリア朝精神史」という本には、日本で幕末から明治期にあたる
ヴィクトリア時代に、意図的に騎士道を復活させたとあります。近代市民
社会を支える精神的支柱がないので騎士道を引っ張りだしてきたそうです。
中世の本当の世界は実際には裏切りの世界ですが、それを美化することに
より統治者は公正であれとおしえたんです。江戸期の武士もこれと同じ
かと思います。古武士の風格と言われますが、古武士ほどえげつない者
はありません。しかし昔の武士は立派だったんだと教えることにより、
幕末の武士は私利私欲より、公益を優先するのが当たり前になっていました。

513日本@名無史さん:2000/11/29(水) 19:06
飼いならしやすい
514日本@名無史さん:2000/11/29(水) 19:10
タレント議員みたいなもんでしょう
515スミ:2000/11/29(水) 19:20
幼少期から道徳教育を、武士、特に上級武士は厳しい躾教育により
自らの行動に制限をかしていたと言えます。備前藩ではイギリスと
トラブルを起こし、戦争に発展するのを避けるため、一人を切腹させ
なければならない状況に追い込まれました。そうしたら、その切腹を申しでるもの
が多数に上ったとあります。私利私欲に走る薩長の行動は当時の武士の常識とかけ
はなれていたんです。
516日本@名無史さん:2000/11/29(水) 19:29
死んだらえらいかっていうと借金作っても自己破産すればいい
みたいで結構無責任
517スミ:2000/11/29(水) 19:40
武家社会では実権を握っているトップが責任を取って切腹したんです。
この伝統をおかしくしたのが薩長です。彼らは都合が悪くなるとにげま
わり決して責任を取らなかった。今の無責任社会の始まりです。
518スミ:2000/11/29(水) 19:46
欧米では戦争が始まると支配階級の子弟が率先して戦場に赴く。
日本では戦争を避けるか、中途で終わらせる為に上が切腹する。
これが欧米と日本の政治文化の違い。欧米はこの伝統を維持してい
るが日本は失ってしまった。やはり原因は薩長。
519日本@名無史さん:2000/11/29(水) 19:50
切腹して責任を取る伝統を良いと思う人も居れば、
野蛮で前近代的だと思う人もいるわけで、
両者が議論しても、永久に決着が付かないような気がする。
価値観が全然違うんだよなぁ。
520名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 19:54
上流階級を美化しすぎです。古今東西,いかなる社会でも権力の頂点にあるものは腐敗,
堕落しうるものです。それは幕藩体制でも明治維新後の政府でも同じ。
 問題は堕落の仕方。明治維新後,政治家たちは当時のブルジョアジーと組んで,
国家の近代化を推進しながら,その美味しい部分をブルジョアジーに与え,
見返りに今でいう政治献金をもらっていた。大隈重信は菱印だと陰口されることもあった。
そしてブルジョアジーに次の国策を教えたり,逆に彼らがブレーンとして政治家に
入れ知恵することもあった。
 しかしながら,明治維新以降は実力さえあれば商売でもうけ,政治家に近づき,
よほど国益に反しない限り,経済政策を自分に有利な方向に持っていくことが
できた。
 つまりブルジョアジーが権力を陰で支え,動かしていたことになる。
 
521日本@名無史さん:2000/11/29(水) 20:03
熊本の公務員ってこんなかんじなの?
522名無しさん@1周年:2000/11/29(水) 20:10
>521
>熊本の公務員ってこんなかんじなの?

 熊本に限らず,今の日本がそうでしょ? アメリカでも,どこでも,
近代市民社会においては,まあ,こんなかんじです。
523521:2000/11/29(水) 20:15
>522
いや熊本はさむらいぼけがすごいと聞いたもんで
524日本@名無史さん:2000/11/29(水) 20:16
昼間からネットをやっているような奴に
明治を担った人々の苦労はわからない。
525スミ:2000/11/29(水) 20:17
高いモラルを設定しておけば少数でもそれに忠実に行動するものが
出てくるし、その人物を支える支持基盤になる。これがあるから
幕藩体制下では多くの藩が藩政改革に成功した。イギリスが議会政治
の模範と言われるのも紳士文化があるからでしょう。腐敗しても自浄
能力がある。今の日本が自浄能力がなく、本物の先進国でないといわ
れるのもこのモラルがないから。

近代市民社会を支えているのは貴族とブルジョアの両方。どちらかが
欠けてもだめなもの。日本の政治がだめなのは商人だけの国だから。

526日本@名無史さん:2000/11/29(水) 20:20
参議院に期待しましょう?
527日本@名無史さん:2000/11/29(水) 20:20
歴史観はともかく一方的に今、
努力をしている人々をバカにする
維新批判派の言い方には腹が立つ。

ひきこもって昼間から他人にケチつけているくらいなら
ボランティアでもやってろ。
528日本@名無史さん:2000/11/29(水) 20:35
>>527
ヒッキーは努力って言葉が一番嫌いなんだよ
だから、何でも社会のせいにしたがるの。
「徳川幕府が続いていたら〜」とか、「太平洋戦争で日本軍が勝ったら〜」
と妄想の世界に浸ることで、現実から逃げたいんだろうよ。
529日本@名無史さん:2000/11/29(水) 20:51
>>525
では、参考までにお聞きたしいのですが、
日本の政治を良くするにはどうすれば良いとお考えなのでしょうか?
530日本@名無史さん:2000/11/29(水) 21:03
明治維新はペテン師で詐欺師の薩長の産物。
とても礼賛には値しない。
531日本@名無史さん:2000/11/29(水) 21:21
>>529
彼が建設的な議論をしたことなど一度もないです
要するに、こいつは他人のやったことにケチをつけて
自分では何もしない、単なる不平屋。

自分で努力して何かするということが大嫌いで
そのくせ、努力して成功した人間を激しく妬むって人種です。
532スミ:2000/11/29(水) 21:22
今の日本の政治は、村社会の常識で動いているように見えます。
その為西欧の価値観が日本の常識とは一見大きくかけ離れている
ように見えますが、日本の本当の正当な政治文化が武家文化であり、
さらに、西欧の議会制民主主義の伝統が本当は封建貴族の伝統を
継承した物であることが理解されれば、欧米と日本が実は文化的
にも共通点の多いことが認識されるはずです。そうなれば、村社会
の常識を持ち出して、欧米の優れた政治文化を拒否する人間が間違い
であることが一般に理解され、日本の欠陥を欧米の価値観で正すこと
が容易になるかとおもいます。
533日本@名無史さん:2000/11/29(水) 21:26
>>531
こういう人が、
生活保護で生計をたてているくせに博打で全部その金をすって、
しかも市役所で「税金泥棒!」とか言う奴になるんだろうね。
534スミ:2000/11/29(水) 21:26
>531
私は罪のない人間を陥れた連中に対して怒っているんだよ。
あんたは歴史と講談の区別がつかんのか。
535日本@名無史さん:2000/11/29(水) 21:36
さあゲームの始まりです
愚鈍な薩長礼賛者の諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは薩長叩きが愉快でたまらない
薩長礼賛者のくやしがる顔が
見たくて見たくてしょうがない
汚い薩長共には流血の裁きを
SACCHOKILLER

薩長叩きのアズマビト
536日本@名無史さん:2000/11/29(水) 21:45
>>534
つうかあんたがトンデモ論をブチあげたせいで
ごく常識的な会津・幕府擁護論者が
みんなこのスレに書き込みずらくなったということに気がつけよ。
537:2000/11/29(水) 21:46
 日本史板はウヨの「息抜き」場らしいね。
 明治維新とは何かからヒッキーはああだ
 こうだという話題にスリ変えて「息抜き」
 しているのね。あらしとはこういうのを
 指すんでしょう。

  地方分権国家から中央集権国家への
 再編成への政府の苦悩はわかるが、所
 詮、シワヨセをどこかに押し付けてその
 シワヨセの副作用にさらに苦しんでいた
 のが明治政府よ。当時の明治政府の当
 事者たちだって自らを美化できないので
 はないかしら。
538スミ:2000/11/29(水) 21:48
>536
どの部分がトンデモでしたか?
539スミ:2000/11/29(水) 21:51
西郷幼児論は性質の悪いアオリだったが。
540日本@名無史さん:2000/11/29(水) 21:57
>>532
>日本の本当の正当な政治文化が武家文化であり、
>さらに、西欧の議会制民主主義の伝統が本当は封建貴族の伝統を
>継承した物であることが理解されれば、
でも、異論のある人も少なくなさそうですけど…
具体的には、どのようにして理解させるんですか?
541スミ:2000/11/29(水) 22:10
バーク、J.s.ミル、トクヴィルのような古典的自由主義者の思想を知って
もらうのが手っ取りばやいかと思います。

民主善玉、封建悪玉と頭から決め付けている人がほとんどのようですし。
542日本@名無史さん:2000/11/29(水) 22:14
>>541
薩長と明治を絶対悪にしているお前だけには言われたくないと
バーク、J.s.ミル、トクヴィルは言っているぞ。
543日本@名無史さん:2000/11/30(木) 10:52
徳川慶喜も、幕藩体制が既に限界に来ている事を十分に認識していた。
そして、慶喜の政権構想は、日本の近代化を目指す為の構想であったと言えます。
544日本@名無史さん:2000/11/30(木) 12:23
>>541
>バーク、J.s.ミル、トクヴィルのような古典的自由主義者の思想を知って
>もらうのが手っ取りばやいかと思います。

スミさんが>>312で仰るとおり、古典的自由主義が少数派なら、
その他大勢を啓蒙するのは、さぞかし骨の折れることと思います。
しかし、具体的にはどのようにして古典的自由主義者の思想広め、
さらに日本の正当な政治文化が武家文化でることを認めさせるつもりなのか…
もしかして2ちゃんねるに書き込むのも啓蒙活動の一環ですか?


545スミ:2000/11/30(木) 18:41
>412
啓蒙しようなどと思い上がった気持ちなどは持っていないです。
明治初期の人間を立派だと言う人なら大勢いますから、それを足がかりにして
江戸時代を再評価する人が増えれば、古典的自由主義にも目を向ける人が出て
くると思います。後はそこから西欧と日本の近似性を体系的にまとめあげるこ
との出来る優秀な人物が現れることを、他力本願ですが期待しています。
546スミ:2000/11/30(木) 18:50
訂正 >544
547日本@名無史さん:2000/11/30(木) 21:02
結局、明治維新って何だったの?
薩長の下級武士による単なる権力奪取だった訳?
548:2000/11/30(木) 21:06
 >547
 薩長出身者主導による討幕・諸藩解体・士族解体に重商主義絶対主義中央集権体制構築を狙う一連の諸活動。
549日本@名無史さん:2000/11/30(木) 21:28
反ヤマト名誉毀損同盟の趣旨はリーガル(法律)面でのアズマの国家と民族と歴史
の尊厳防衛にあります。「アズマ自由主義史観研究会」や「アズマの教科書を作る会」
が、歴史観確立により、アズマの国家と民族と歴史の尊厳防衛にあたるのに対して、
上記はこれを「法的概念」として確立しようとするものです。

具体的には、
@1ヤマト偏向教育から解放される権利の確立
A正当なアズマの歴史を学ぶ権利の確立
Bヤマト族からの干渉を排除する権利の確立
C誤った歴史観に基づく賠償請求訴訟から個人、企業、国家機関を防衛する権利の確立
Dヤマト偏向教科書やヤマト偏向報道を社会から除去する権利の確立
 などが、その主たる「法的権利」の内容でしょう。

 具体的活動では、反ヤマト訴訟の支援や、ヤマトによる干渉に対する抗議活動、
マスコミにおけるヤマト偏向報道への抗議活動。海外での反アズマ人種差別行為の
排除と名誉毀損訴訟の実行、ヤマト地域でのアズマ人権利擁護団体との提携などが
あるでしょう。
 私は法曹関係者ではないので、参加できませんが、この掲示板をご覧の法曹関係者、
あるいはそれらの方々をお知り合いにもたれる方々は、是非、アズマを「法的に」
防衛するために立ち上がっていただければ幸いです。

 われわれ素人にも明かに法律違反と思われる内政干渉、裁判干渉をヤマトは
恥知らずにもやっています。これは野蛮国のすることです、彼らは日本から排除すべき
ですね。ヤマトは野蛮人です、こう言う野蛮人に立ち向かうためにも愛アズマ的法曹
関係者(Patoriotic Legal Azuma Authority)は立ち上がってください!!!!


550日本@名無史さん:2000/12/01(金) 05:15
薩長は佐幕主義の孝明天皇を殺したんでしょ?
だったら奴らは国賊だな。
551日本@名無史さん:2000/12/01(金) 07:26
「薩長=国賊」は今や日本社会の常識です。
552日本@名無史さん:2000/12/01(金) 09:38
形式上、天皇の幕府なのである。
553スミ:2000/12/01(金) 12:38
>形式上、天皇の幕府
ならばイギリス国王の議会と同じ。イギリス議会が王の恣意的権力の
行使を制限する為に発足したものなら、日本の鎌倉幕府も天皇の出鱈目
な政治を抑止する為に関東の武士団によって設立されたもの。御成敗式目
は日本のマグナカルタと言えるし、日本では幕府がイギリス議会に相応
すると言える。鎌倉幕府の統治原理は公正な裁判。連署や評定衆によって
運営されており、封建制度だからといって決して盲従を強いるものではない。
江戸幕府も譜代大名の合議制、幕末には外様にも参政のルートが敷かれ
独裁政権ではない。イギリスではこの議会が発展して議会制民主主義に
成長したが、日本ではこの鎌倉以来の合議制の伝統を維新で破壊して
近代化した為に、今の歪な政治状態に転落したと考えることができる。
554日本@名無史さん:2000/12/01(金) 12:48
萎え〜
555日本@名無史さん:2000/12/01(金) 14:37
>>553

なんか、それは違うんじゃないかと思うぞ。
幕府は官僚機構であって議会ではないし、天皇のデタラメな政治を抑止と
いうのもちょっと違うでしょう。実質的な権力が公家から武家に移った結果
日本の場合はパラレルに統治機構が存在したんじゃない。
それに維新後も、維新を成し遂げた者達による合議制だったっしょ?
556日本@名無史さん:2000/12/01(金) 15:54
553
は幕府がつけば何でも正しいと思ってるんだから
もう相手にすんなよ
557名無しさん@1周年:2000/12/01(金) 18:53
>547
>結局、明治維新って何だったの?
>薩長の下級武士による単なる権力奪取だった訳?

  もしそうだとしたら,どうして明治維新後に
  不平士族の反乱が起こるのかなー?
  薩長は陰でブルジョアジーと手を組んでいた。
  三井や三菱を特権的で隷属的とか,政商だとかいうけど,
  そこまで細かく言い出したら諸外国の近代市民革命,
  フランスにしてもイギリスにしてもドイツにしても,
  みんな近代市民革命ではなくなってしまうよ。

558日本@名無史さん:2000/12/01(金) 19:31
547って自由主義と民主主義の区別ができてないのでは・・・
まあ、バカではないと思うので、とりあえず彼には
トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシー』
でも読んでおくことをおすすめします、
目からうろこが落ちるよん。
559日本@名無史さん:2000/12/01(金) 20:03
元彦=M=スミ
だったら笑える
560スミ:2000/12/01(金) 20:23
>幕府は官僚機構であって議会ではない

鎌倉幕府の官僚組織は、評定衆の下で北条家の得宗被官が担当している。
執権が首相で連署は副首相、評定衆を議会と見て良いと思う。

江戸幕府も、親藩譜代大名が政治職で旗本が官僚になるのではないか。

>天皇のデタラメな政治を抑止

後鳥羽上皇の悪政が、幕府が承久の乱に勝利した要因。その後幕府が制定した
貞永式目は広く日本に浸透していき日本人の秩序意識の基になります。足利時代には
武家の現行法となり公家もこれを法と見なすようになります。さらに江戸時代にはこれを
教科書教養書として使われた。つまり寺小屋で使っていたのです。この状態は明治
5年の学制改革まで続きます。これだけ長く続いたということは万人に納得のいく
日本の自生的自然法を歴代の幕府は土台にして成立していたということです。
言葉を変えれば幕府の政治は常識に基づくものです。これはイギリスの慣習法に
近いのではないでしょうか。日本の近代化はこの延長でやっていけたはずです。
改革が不要と言っているのではありません。過去の蓄積の上で時代の変化に合わせて
改良すべきと言っているのです。バークはこれを「変えることで保つ」と表現
しています。

>維新後も、維新を成し遂げた者達による合議制だったっしょ?

民主化の歴史は政治に参加する層の拡大化の歴史です。つまり、
当時は公儀政体に移行する過程にあったのですから藩閥政治は歴史を逆行させた
のです。
561日本@名無史さん:2000/12/01(金) 20:46
自分の興味のあることしか話せない、
他人にいつも自分の意見を押しつける、
他人の会話に合わせることができない、
それらが為にいつもクラスで孤立してしまう。

学生時代、こういう奴がよくいたよな、
ネットではこれが長文厨房になるんだろうね。
562日本@名無史さん:2000/12/01(金) 20:50
>>559
時々こいつは日本@名無史さんも使っているぞ
563日本@名無史さん:2000/12/01(金) 20:56
>>560
江戸時代も所詮は三河人の藩閥政治だべよ
それに評定衆が議会になるなら
太政官も参議が会議していたから議会になるのか?
俺はそう思わないが
564日本@名無史さん:2000/12/01(金) 20:57
どうやら彼は密室政治が民主主義だと思っているらしい
565日本@名無史さん:2000/12/01(金) 21:14
>547
明治維新は薩長藩閥の専制権力を確立した政変です。
それに対して明治10年代の自由民権運動こそが、
近代市民革命への胎動とみるべきです。
ですからあなたのように維新を薩長による単なる権力奪取とみなしても、
あながち間違いとは言えません。
566スミ:2000/12/01(金) 21:48
>563
>江戸時代も所詮は三河人の藩閥政治だべよ

何度も言うが、幕末はその三河人の藩閥政治からすべての大名とその
家臣に政治参与への道が与えられていた。それを利用したから薩長は
幕府を振り回すことができた。
所詮と言うならイギリス議会も同じ。王と貴族の議会に過ぎなかった。

>評定衆が議会になるなら

鎌倉政権は弱体で御家人の自発的支持を得なければ存続出来なかった。
公正な裁定こそ死活問題であり、それをやった評定衆は高く評価される
べき。今の議会よりある意味で優れているのではないか。

>太政官も参議が会議していたから議会になるのか?

太政官の参議は藩閥ボスの集合体であり権力闘争の場にすぎなかった。
士族庶民の動向に彼らは意を用いる必要はなく議会とは言えない。
前に、イギリスの制限選挙の議会でも、民意を反映させる必要がある
のでそれは正統性を持つと定義している本を読んだことがある。
567スミ:2000/12/01(金) 21:59
>564
>どうやら彼は密室政治が民主主義だと思っているらしい

私が話しているのは議会政治のこと。議会政治と民主主義はまったく
違う物。も一つ言えば自由主義も別物。
568日本@名無史さん:2000/12/01(金) 22:24
デヴィ夫人
「この方少し頭おかしいんじゃないですか?」

○ザ・ワイドでキティガイデビ夫人が暴れてるぞ!!!
http://cocoa.2ch.net/test/read.cgi?bbs=tv&key=975304390
569日本@名無史さん:2000/12/01(金) 22:27
>何度も言うが、幕末はその三河人の藩閥政治からすべての大名とその
>家臣に政治参与への道が与えられていた。

政治参与だったら明治でもできたでしょう、
それどころか首相になった人もいるしね。
原敬って知っている?
570日本@名無史さん:2000/12/01(金) 22:29
森政権は弱体で創価学会の自発的支持を得なければ存続出来なかった。
公正な裁定こそ死活問題であり、それをやった野中幹事長は高く評価される
べき。
571日本@名無史さん:2000/12/01(金) 22:37
>すべての大名とその
>家臣に政治参与への道が与えられていた。

大名の陪臣には将軍に謁見する権利すら与えらてませんでした
572日本@名無史さん:2000/12/01(金) 22:41
>私が話しているのは議会政治のこと。議会政治と民主主義はまったく
>違う物。も一つ言えば自由主義も別物。

単に議会政治を話しているだけなら
選挙・議員代表制を憲法で規定した明治政府こそ
日本型議会政治を進歩させた政権として評価するべきでは?
573日本@名無史さん:2000/12/01(金) 22:54
しかしここで明治を叩いている奴ってすげぇ粘着質だな
何か山口県人か鹿児島県人に個人的な恨みでもあったのか?
574スミ:2000/12/01(金) 23:01
>596

新政府でも政治参与も可能だし、旧賊軍でも首相になれた。
しかし、その首相の地位に問題があった。明治憲法下では
内閣総理大臣は天皇を輔弼する国務大臣の一人に過ぎず、
内閣の首班ではなかった。これは伊藤博文が天皇の権威が
小さくなるのを恐れて強力な内閣ができるのを防いだのが
原因だった。首相の権限がひ弱なため後に統帥権干犯問題
を適切に処理できず日本の破滅に繋がった。

原敬は軍部の圧力から自由な議会制民主主義の確立を目指した
が残念ながら失敗に終わる。伊藤博文と山縣有朋のせいではないか。
575スミ:2000/12/01(金) 23:03
訂正 >569
576日本@名無史さん:2000/12/01(金) 23:03
>太政官の参議は藩閥ボスの集合体であり権力闘争の場にすぎなかった。
>士族庶民の動向に彼らは意を用いる必要はなく議会とは言えない。

評定衆では権力闘争が無かったんですか?
第一、鎌倉幕府なんかは、その設立目的からして
武士の権益を保護するための制度だろう。
577スミ:2000/12/01(金) 23:12
>572
>日本型議会政治を進歩させた政権として評価するべきでは?

真の議会制民主主義を確立しようとしたのは原敬や世論の圧力
であり薩長出身者はそれを妨害することが多かった。特に問題
にすべきなのは山縣有朋だろう。
578スミ:2000/12/01(金) 23:23
>576
>評定衆では権力闘争が無かったんですか?
第一、鎌倉幕府なんかは、その設立目的からして
武士の権益を保護するための制度だろう。

まったく持ってその党利。しかしそこから法治政治が始まったのです
から十分意義のあることだと思います。前にも言いましたが中世の武士
の質は良くなかった。しかしそこから斬新的に良くなっていったのでは
ないですか?市民革命によって突然モラルが上がると思う方が不自然
に思えます。
579日本@名無史さん:2000/12/01(金) 23:39
>しかしそこから斬新的に良くなっていったのでは
>ないですか?市民革命によって突然モラルが上がると思う方が不自然
>に思えます。

斬新的に良くなるのが良いのなら
やはり明治政権は評価するべきでしょう。

政党政治や天賦人権論は明治政権が倒幕のスローガンに
「人民の権利」「四民平等」というものをかかげていたため、
民衆の間に普遍的な知識として伝わったというのが学会でも通説ですし、
少なくともタエマエの上だけでもそういうものが
明文化されたことは評価されるべきです。
580日本@名無史さん:2000/12/01(金) 23:50
>真の議会制民主主義を確立しようとしたのは原敬や世論の圧力
>であり薩長出身者はそれを妨害することが多かった。

そもそも、原敬のように派閥外内部の人間が
世論を背景にして改革できる立場につける状態にあるならば、
もうこのころの明治政権は、あなたの言う薩長の私物から
日本人の公共物へ進化していたとは言えませんか。

政権とはシステムであり、権力者が誰かということではなく、
その政権が何を出来たのかということを基準にして評価するべきと思います。
581【^▽^】:2000/12/01(金) 23:57
      『トコトンヤレ節』 作詞:品川弥二郎

♪宮さん宮さん お馬の前に ひらひらするのは なんじゃいな
 あれは朝敵 征伐せよとの
 錦の御旗を 知らないか
  トコトンヤレ トンヤレナ♪

例の”ピーヒャラ、ドンドンドン♪” 
582スミ:2000/12/02(土) 00:40
政権とはシステムであり、権力者が誰かということではなく、
その政権が何を出来たのかということを基準にして評価するべきと思います。

>580
>政権とはシステムであり、権力者が誰かということではなく、
その政権が何を出来たのかということを基準にして評価するべきと思います。

結局は軍部の力を削ることができず、ダブルガバメントの国に転落したのですから
公共物に進化することに失敗したと判断すべきだし、システムとしても欠陥のある
ものとしか言えないでしょう。
583日本@名無史さん:2000/12/02(土) 00:52
>政党政治や天賦人権論は明治政権が倒幕のスローガンに
>「人民の権利」「四民平等」というものをかかげていたため、

幕末期に討幕派が「人民の権利」や「四民平等」を明確に掲げていた
という史料を提示して下さい。
史料がないと納得出来ません。


584スミ:2000/12/02(土) 00:53
>579

私の維新礼賛者に対する疑問は、彼らの犯罪行為を棚上げにすること
です。改革に反対する人間を殺したのならまだ話しはわかりますが、
彼らが殺したのは改革を推進しようとした人物なんですから。

「人民の権利」「四民平等」が明文化されたのは評価しますが、
薩長の功績だとは評価しません。
585日本@名無史さん:2000/12/02(土) 07:12
「人民の権利」「四民平等」が明文化されたのは維新後じゃないの?
幕末の討幕派の政治スローガンはあくまで時代錯誤の「尊皇攘夷」だ。
そして幕府の「開国和親」の方針を妨害し、開明的な開国論者にテロを浴びせていた。
彼らは歴史の勝ち組になったから「先覚者」に祭り上げられているが、
負け組になっていたら、「幕府の開国和親の方針に反対した反動派」
のレッテルを貼られていただろう。
歴史なんて所詮そんなものだよ。
586日本@名無史さん:2000/12/02(土) 07:32
>日本型議会政治を進歩させた政権として評価するべきでは?

議会政治は自由民権運動の一定の成果と見るべきだ。
薩長藩閥の専制権力の打倒を目指した民権運動は、
結果として挫折したが、広範なブルジョア大衆運動として高く評価出来る。
587日本@名無史さん:2000/12/02(土) 08:31
どうやら、この国には、成功者がが成功者として
大活躍することを快く思わず、
例えばマスコミのようにスターに泥を塗って喜ぶという
性質の嫉妬深い人間が大勢いるようです。

無論そういう心理はどこの国の人間にもあるわけで、
別に日本人特有の心理という訳ではありませんが、
この国の何割かの人達には、
そのようなスターを引きずり降ろして喜ぶ類の下司の根性を、
下品で卑しむべきものとは考えず、
むしろそのような自分を「古き良き日本人」で「真面目」な
人間であると考えたがる傾向があるのではないでしょうか。

成功者に対する嫉妬・ルサンチマンの類の最低な感情が、
「歴史」や「道徳」というフィルターを通して
(しかも、自分の都合の良いように)
社会的に正当化されるようになっていることこそが、
日本が世界的な成功者を生みにくい土壌になっているものと思います。
588日本@名無史さん:2000/12/02(土) 08:54
日本の社会が厳密な意味での自由競争になれず、
官僚支配や一党独裁に落ち着いていることを、
かつて筑紫哲也は、「日本は世界で最も成功した共産主義国」だ
と述べました。これほど今の日本を象徴している言葉はありません。

マルクスの唱えたプロレタリア革命は、
要するに金持ちへのルサンチマンを正当化しただけのものであり、
決して建設的な論でなかったことは歴史が示すとおりです。
にもかかわらず未だに日本人がこの共産主義的な経済を
「日本人独特のものだから」として支持するのは、
結局は「出る杭は打つ」式の江戸時代の精神が支持され
自由競争という舞台に立つことができる
明治時代に採用された個人の力量により差がつく
立身出世方式を恐れているからにほかなりません。

社会主義があらゆる国家をくたばらせたのと同様、
日本における嫉妬を合理化させる精神もまた
日本を衰退させることは日の目を見るより明らかです。
未だに江戸時代から抜け切れていない日本が、
立身出世的なものを良いことと教育し、
企業家を育てつつある中国や韓国に抜かれるのは
時間の問題かと思います。
589日本@名無史さん:2000/12/02(土) 10:20
昨今の、とりあえず歴史の敗者を持ち上げるおくという
仮想歴史ブームの背景には日本人の抑圧された反米感情がある。
もちろん、これは明治維新の敗者を持ち上げている者も例外ではない。
判りやすく一つの仮定を単純化して言えば、
「幕府・会津」は戦前の「日本」であり、
彼らのイメージしているところの悪の帝国つまり「薩長」とは、
戦前の日本がイメージしていたところの悪の帝国つまり「アメリカ」と同じなのである。

要するに、日本(=幕府・会津)はかつてアメリカ(=薩長)に対して
ハルノート(=江戸での薩摩の工作)という卑怯な挑発を受けた(ことにして)、
戦争を挑んだのであるが結局負けた。しかもこれ以上になく無様に。
おまけに無条件降伏してからそれ以来勝ち組の下僕である。

しかし、太平洋戦争の場合、
下僕でいたほうが存外に金も儲かるし戦争前よりマシになってしまったため、
日本の独立など幻想だということ及びアメリカが憎き敵国であったことを
無意識へと隠ぺいしてしまった。

この抑圧された反米感情というものを少しでも晴らすために
紺碧の艦隊のような架空太平洋戦記を生み、
そしてその延長線上として判官贔屓的なわけのわからん
「歴史の勝者=アメリカ=汚い」「歴史の敗者=日本=実は凄い」
という歴史の評価が行われるようになったのだ。

太平洋戦争を主導した東条英機らのグループが
若い頃にかかげていたスローガンが「薩長閥打倒」であり、
真珠湾攻撃を指令したのが長岡出身の山本五十六であることは
このことと無関係ではあるまい。
590日本@名無史さん:2000/12/02(土) 12:11
>太平洋戦争を主導した東条英機らのグループが

陸軍の皇道派に西国出身者が圧倒的に多く、
彼等が2.26事件で没落した為に、
太平洋戦争は東国出身者の多かった統制派が指導した。
591日本@名無史さん:2000/12/02(土) 12:20
>589
とうとう我々の執拗な薩長攻撃に根をあげて、
論理破綻し支離滅裂なことを言い出したな。
反論するならもっと筋の通ったことを言え。
592日本@名無史さん:2000/12/02(土) 12:23
 明治維新の敗者を持ち上げる?
 敗者には民心の人望がなかったから敗れ去った。
 敗者に同情の余地などあるか!
593日本@名無史さん:2000/12/02(土) 13:49
日テレ「知ってるつもり」
594日本@名無史さん:2000/12/02(土) 13:51
だいたい、幕府にはもはや反対勢力を抑えて国内をまとめる力が
なかったんでしょ?

だったら、国内をまとめる力を持った勢力が政権をにぎるのは
国益にもかなってるし、実際に結局国内をまとめることに成功した
のだから、それだけで評価には十分。
595日本@名無史さん:2000/12/02(土) 14:53
つーか「はやいち電波軍団」の狂った「西国憎い論」がうざいだけ。
Mも真っ青の感情論争なんてバカバカしいもん。

596日本@名無史さん:2000/12/02(土) 15:11
 鳥羽伏見の戦いの旧幕府軍の敗北は
旧体制の敗北だから、西国譜代諸藩は
雪崩を打って薩長に降った。薩長は戦争
で強引に譜代諸藩の薩長への服従を強
いた。
 薩長に「国内をまとめる力」があるのなら、
11年も士族反乱に苦労しないしその副産物
インフレを生じせしめない。薩長の綱渡り11
年はすなわち対抗勢力の弱体化過程であっ
てそれ以外ではない。その後も民権運動や
議会設立後の野党に常に押されていたのが
薩長明治政府である。
597日本@名無史さん:2000/12/02(土) 15:38
はやいち電波軍団が出てきてから
もう初期に書き込んでいた人達は逃げ出しちゃったのね
しかも機知害が機知害を集めているんだから始末が悪い。
598日本@名無史さん:2000/12/02(土) 15:43
電波が入ってきたスレッドは荒れるという良い例だな
ここで議論している人は、
もう派閥にかかわらずほかのスレッドに来ないでね。
つーか氏んでください。
599日本@名無史さん:2000/12/02(土) 17:23
          |     |/(-_-)\|
          |     |  ∩∩   |
          |      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        (-_-) ソンナコトイワナイデヨ
        (∩∩)────────────────
      /
    /
600日本@名無史さん:2000/12/02(土) 17:24
          |     |/(-_-)\|
          |     |  ∩∩   |
          |      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        (-_-) ボクノトモダチハ2チャンネラーダケダヨ アイテハソウオモッテナイケド ウツダ シノウ.
        (∩∩)────────────────
      /
    /
601日本@名無史さん:2000/12/02(土) 17:27

          |     |/(-_-)\|
          |     |  ∩∩   |
          |      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        (-_-) ジブンデコウゲキトカイッテイルジテンデオワッテナイカ>>591
        (∩∩)────────────────
      /
    /
602日本@名無史さん:2000/12/02(土) 17:38
コピペ厨房が来た
ここの連中、すぐ煽りにひっかかる阿呆だから
また過剰反応するんだろうな
603小林吉彰:2000/12/02(土) 20:02
>565
>>547
>明治維新は薩長藩閥の専制権力を確立した政変です。
>それに対して明治10年代の自由民権運動こそが、
>近代市民革命への胎動とみるべきです

この論争を通じて痛感するのですが,近代市民革命を皆さんあまりにも厳密に
ブルジョアジーを定義し,そして美化し過ぎではないでしょうか。
そして民主的側面を強調しすぎじゃないでしょうか。
 前近代社会では,国家権力は領主や地主などの大土地所有階級が構成していた。
この状態が破壊されて,ブルジョアジーが国家権力の中心部に入り込むように
なるのが近代市民革命である。フランス革命でも,ドイツ2月革命,ドイツ統一,
イギリス革命,アメリカ独立など,世界の近代市民革命に共通するのは
この点だけである。
 しかしブルジョアジーはその性格からして本業は金儲けである。
自分自身が政治家となって直接国家権力の表舞台に出ることはほとんどない。
あくまで陰で癒着し,自分の事業の利益になるように政治家を動かし,
政治家は賄賂をもらう。
 三井などはしばしば高利貸し資本で政府に隷属的だといわれるが
決してそんなことはない。薩長連合が成立した年の秋,西郷隆盛と小松帯刀
は平伏するような態度で三井八郎右衛門と会談したという。
 鳥羽.伏見の戦では三井が資金を出していた。
 廃藩置県の直前,戦争になったときの資金を心配した
西郷が渋沢栄一に相談し,「それは何なりとなるものだ」
と言われて,西郷は「ありがとうごわした」と礼を述べている。
 岩崎弥太郎は,佐賀の乱の鎮圧,台湾出兵,そして西南戦争で
海上輸送を引き受け,大儲けした。
 維新三傑と後に呼ばれ,強い指導力を持っていると思われる西郷でさえ,
ブルジョアジーを味方にしているときは成功し,敵に回すと滅ぶのである。
この時代は,政治家とブルジョアジーの二人三脚の時代と言っていいだろう。
 ドイツやロシアの革命直前の地主は元領主でなおかつ貴族であった。
日本の地主はそうではない。しょせん地方レベルでの権力者に過ぎない。  
    
    参考文献
土屋喬雄「日本資本主義の経営史的研究」,西野喜与作「半世紀財界側面史」
中島久万吉「政界財界50年」,,,その他


604日本@名無史さん:2000/12/02(土) 21:24
>603
それにしては大日本帝国憲法は、絶対王政の要素が強い憲法だと思い
ますね。
605日本@名無史さん:2000/12/02(土) 21:41
>604
同感。
大日本帝国憲法は、明治天皇と薩長専制権力が民衆に推し付けた欽定憲法です。
これこそが明治国家の本質を雄弁に物語っています。
606小林吉彰:2000/12/02(土) 22:05
>>603
>それにしては大日本帝国憲法は、絶対王政の要素が強い憲法だと思い
>ますね

  新政権の政治家は,地方から出てきた武士であり,社会的権威がない。
 そこで徳川将軍を上回る権威として,古代天皇制を借用したのである。
  イギリス革命の時にクロムウェルの護民官の制度が採用された。
  フランス革命後には,ナポレオンの統領政治と帝政が採用された。
  前者はローマの三頭政治の伝統を採用し,後者は帝政ローマの形式的復古である。
  つまり,いずれもローマ時代の形式的復古である。
  アメリカ合衆国憲法もまたそうである。上院(シネイト,senate)は,
 ローマの元老院セナトゥスsenatusと同じ言葉であり,下院はローマの民会に相当する。
 大統領は,ローマの五賢帝の頃は世襲制ではなかったからこれもよく似ている。
 合衆国憲法制定当初は奴隷制だったから,まさに古代ローマの再来である。
  新時代の支配者,特に近代市民革命のように前の社会との断層が大きい
 社会の支配者は,その時点で社会的権威を持たないので,よりいっそう古い時代の
  権威を引き出そうとする。
  大日本帝国憲法もその例に過ぎない。
607日本@名無史さん:2000/12/02(土) 23:53
統治権も統帥権も天皇が保持していて、議会に基盤を持たない超然内閣
が成立する余地がある国家体制が、ブルジョア国家体制とは言えません
ね。
ブルジョア国家への移行は、大正デモクラシーの時代に可能性があった
が、昭和になって軍部の台頭を招き、完全な意味でのブルジョア国家体
制の成立とはならなかった。
また、美濃部達吉の天皇機関説が排撃されたり、滝川幸辰の京大休職、
そして河合栄治郎、津田左右吉らが起訴され有罪となる国家が、ブルジ
ョア国家とは言えません。
608【^▽^】ジョーカー:2000/12/03(日) 00:54
明治維新を賛美する右翼も、明治維新を(不十分ながら)
近代革命と定義する左翼も、明治維新を薩長のクーデターと
してのみ捉える”ネオ佐幕派”も逝って良し。
609スミ:2000/12/03(日) 01:24
 明治政府の前近代的性格の第一の特徴は、村落共同体を保持し、その家族的性格、つまり
家族とは本来的に対立や紛争と無縁なものであり、公共的性格を持たず、人間間のトラブルを
中立的に調整する方法を持たない、家族国家と呼べるものである。ヨーロッパが近代市民革命
成立当時、古い共同体が解体されており、その対策として近代国家を形成する必要があったこ
とと著しくことなる。ヨーロッパでは革命後、市民社会がその中心になり、後の普通選挙に結び
つき議会制民主主義へと向かった。しかし日本では天皇を中心とする村落共同体の家父長的
社会を基盤にした為公共性を欠くものとなっており、市民社会が成立しなかったとみなされる。
 明治憲法では「天皇は神聖にして侵すへからず」ものとされ、司法、立法、行政はすべて天
皇に集約されていた。天皇は政治的絶対権力者であるだけでなく、精神的権威の絶対的所有
者でもあった。国民の道徳も天皇の命令と言う形で示され教育勅語となって示された。このこと
が議会制民主主義が無効化し、後に容易に全体主義国家に転落した要因と言えるだろう。

 この家族的国家の性格からくる第二の特徴は、個の自立の否定である。自由な言論は和の
精神を乱す者と見なされ、優れた人材の出現を阻んだ。多様な価値観が共存する社会ではな
く、全員一致を強要する社会であり不都合な情報を遮断することになる。みんなで仲良くが「民
主主義」と見なされることが少なくなく、欧米の「民主主義」とは言葉の定義自体が変質してし
まっている。

 日本では近代市民革命は無かったし、市民社会も成立しなかった。あるのは小宇宙的村社会
の集合体であり、個々の集団は日本の為ではなくその集団の為に運動することになる。戦時に
おいては陸軍と海軍の対立がその明確な現れであり、今でもその性格は変わっていない。
明治政府は真の意味での近代国家を造ったとはとても言えないだろう。
610:2000/12/03(日) 01:38
じゃあ君は何なの
611スミ:2000/12/03(日) 01:46
>610
日本人自身そのアイデンティティーを明確に自覚することができず、
そのことが大量の日本人論を生み出す要因になっている。これはアメリカ
人によるアメリカ人論の100倍にもなると言う人もいるし、「あい
まいな日本」と表現する人もいる。
612日本@名無史さん:2000/12/03(日) 02:11
>スミ
あまりに図式的で、うさんくさいのですが。
613日本@名無史さん:2000/12/03(日) 05:23
古代の土俗的王権である天皇制を擁立しようとした時点で、
尊皇攘夷派の時代錯誤性は明白だ。
故に明治維新は何ら礼賛には値しない。
614日本@名無史さん:2000/12/03(日) 06:31
(゚Д゚)ハァ???????
615日本@名無史さん:2000/12/03(日) 06:39
yahooすら排除されたはやいち電波軍団炒ってよし
616日本@名無史さん:2000/12/03(日) 06:53
ウォルフレン著「人間を幸福にしない日本というシステム」という本があるが、
本当は「人間を幸福にしない薩長というシステム」である。
617日本@名無史さん:2000/12/03(日) 07:15
明治維新の高官は、クリントンみたいな奴が多い。
618日本@名無史さん:2000/12/03(日) 07:43
歴史ヲタは本当アホ議論ばっか。
古代遺跡デッチ上げたドキュソみたいだ、みな氏ね
619日本@名無史さん:2000/12/03(日) 10:30
幕府真理教の方々によると
この世の罪悪は全て薩長の責任になるらしいです。
何でもかんでもユダヤ財閥やフリーメーソン謀略説で
解決している痛いウヨそっくり。

ちなみに世間ではこういうのをひっくるめて
カルトと呼びます。
620【^▽^】ジョーカー:2000/12/03(日) 10:49
ネオ佐幕派には逝って欲しい。
621日本@名無史さん:2000/12/03(日) 11:14
鹿児島県と山口県に恨みがある人は、
このスレで徹底的にバッシングしよう。
622小林吉彰:2000/12/03(日) 13:54
>607
>ブルジョア国家への移行は、大正デモクラシーの時代に可能性があった
>が、昭和になって軍部の台頭を招き、完全な意味でのブルジョア国家体
>制の成立とはならなかった

  607さんを初めとして,多くの人が近代市民革命を民主主義と
 関連づけて考えている。近代市民革命が達成された後,いろいろな
 政争があってすったもんだの末,数十年の時間差を経て民主主義が
 定着していくのが,フランスやイギリス,アメリカ,ドイツに
 見られるパターンである。
  明治維新後に民主主義が定着せず,大日本帝国憲法のようなものが
 できたとしても,それは日本の近代市民革命に限ったことではない。
 近代市民革命の後すぐに民主主義が定着しないといけないとするなら,
 フランス革命を初めとして世界中の近代市民革命と思われているものが,
 そうではなくなってしまう。

>609 
>明治政府は真の意味での近代国家を造ったとはとても言えないだろう

 では609さんの定義する近代国家とは何ですか?
623日本@名無史さん:2000/12/03(日) 16:14
薩長の糞侍撲滅!!
624大友宗麟:2000/12/03(日) 16:21
>>621 >>623
そうだそうだ!!
薩長断固許すまじ!!
625日本@名無史さん:2000/12/03(日) 18:59
よくやるよはやいち電波軍団。

他所の地域の悪口いっているから自分の掲示板荒らされているジャン。
まあ、自業自得だけどね(ワラ
626日本@名無史さん:2000/12/03(日) 19:20
         ____
       Λ__|Λ .| |
  ((( ( ゚∀゚  )| | ))) アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
  )))  |=====|=|=.|(((
 (((  | | | .| | )))
   从从从从从从从从

会津は火あぶり
627日本@名無史さん:2000/12/03(日) 19:24

    Λ◎Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ( ´Д`)>>623は、こんな歪んだ形でしか自己の存在を主張できないかわいそうな人なのです。
   (\  /)  \____________
    |____Ω__|
   (__)_)

    Λ◎Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   (  ゚∀゚)< だから、おめーなんか必要とされてねえんだよ。さっさと回線切って焼け氏ね179。
   (\  /)  \あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
   |____Ω__|    あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
   (__)_)   あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
          あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ

628日本@名無史さん:2000/12/03(日) 19:39
       Λ__|Λ .| |
  ((( ( ゚∀゚  )| | ))) アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
  )))  |=====|=|=.|(((
 (((  | | | .| | )))
   从从从从从从从从

長州は火あぶり
629日本@名無史さん:2000/12/03(日) 19:54
明治維新は「王政復古」という形を取った。
これは千年前の古代王権に逆戻りすることを意味していた。
何故近代国家に移行するのに、土俗的な古代王権に復古しなければならなかったのか、
冷静に評価してみる必要がある。
630日本@名無史さん:2000/12/03(日) 21:11
>622さんへ。
内閣に統帥権に対する輔弼責任が無かったり、退役前の軍人が、総理
大臣及び各省大臣に就任できる政治体制であった大日本帝国を、ブル
ジョア国家と規定する事には無理があります。
藩閥或いは軍部が、国家権力の中枢を握っている国家を、ブルジョア
国家と呼ぶ事は出来ません。
631日本@名無史さん:2000/12/03(日) 21:15
糞官軍の戦死者と孝明天皇を殺したへっぽこ
西国志士を祭った靖国神社国家護持断固粉砕!!
我々ネオ佐幕派は、我が東国からの薩長人どもの追放を要求する!!
632スミ:2000/12/03(日) 21:28
>では609さんの定義する近代国家とは何ですか?

議会主権の確立による、政治家による官僚コントロールを実現させた
政府を持つ国家です。維新政府は有司専制国家であり、それは近代国
家としては致命的な欠陥を持つものです。明治憲法の下では官僚は天
皇に任命され、議会ではなく天皇に責任を負っていました。官尊民碑
という言葉は官僚重視と一般大衆の意見の軽視を象徴していますし、
その一般大衆によって選ばれた政治家は政治体制の最高責任者である
べきはずなのに、その権限では官僚を有効に支配できず、集団無責任
体制を生み出しました。

ウエーバーは「近代の民主政治には専門家からなる強力な官僚機構が
出現し、大衆政党には職業政治家という階級が誕生する」何でもこな
さなければならない政治家は、専門家の官僚には絶対に太刀打ちでき
ないし、政治家には任期があるのに対し官僚の人事には継続性がある。
「通常は成熟した官僚機構が常に圧倒的な力を持っている」と悲観的
な調子で書います。行政のコントロールこそ近代国家の最重要な課題
なのです。イギリスは近代以前に議会主権を確立していましたし、ア
メリカは議員の下で立法を司るスタッフが働いています。この欠陥を
カバーする制度を両国は持っているのです。
633スミ:2000/12/03(日) 21:29
しかし維新政府は天皇の官僚による専制国家としてスタートし、議会
の開設には弾圧することで答えました。当初の公儀政体は議政官の設
置、公議所の開設と受け継がれますが、諸侯公卿会議と諸藩士代表者
会議が世論重視の議事制度として重視されたのは版籍奉還までで、中
央政府が安定するにともない無視されその権限を失い、廃藩置県後は
政府内部の左院という一部の機関にしてしまいます。その後の自由民
権運動も政府の激しい弾圧の為に自由党は解体し、立憲改進党も解党
同様となり本来の働きを失います。このため民衆が求めたものを継承
発展させようとした自由民権運動の成果は、次の時期には政府がこれ
を捻じ曲げ、帝国主義権力樹立に役立てようとするのを防ぐことがで
きませんでした。
634スミ:2000/12/03(日) 21:32
>近代市民革命の後すぐに民主主義が定着しないといけないとするな
ら、フランス革命を初めとして世界中の近代市民革命と思われている
ものが、そうではなくなってしまう。

ヨーロッパでは近代市民革命後に市民社会、今日の大衆市民社会では
なく、教養と財産を兼ね備えた市民階級が成立します。ここでブルジ
ョア階級は政治参加の資格を得、一定の成果をあげたのち民主主義に
移行します。しかし維新政府は自由民権運動の弾圧に成功し、ここで
言うブルジョア市民階級の支持を背景としない政府を確立してしまい
ます。後に議会は開設されますが、政府と議会は対立した存在となり、
議会では野党が多数であるのに実権を持った藩閥官僚が居座ったまま
であり、何の為の議会かわからないものとなります。その後ヨーロッ
パと日本は共に普通選挙の実施、大衆社会へと進みますが、日本の方
は先に述べたヨーロッパのような市民社会を基盤とした議会と政府で
はなく、民意を無視し得る政府が国民の上に君臨したままだったのです。
635日本@名無史さん:2000/12/03(日) 22:53
ネオ佐幕の末路
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  ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ
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636日本@名無史さん:2000/12/03(日) 22:56
_______________________________
┌────────────────────────────┐
|゚∀゚ アーヒャヒャヒャヒャヒャ長州力                         x |
├────────────────────────────┤
| ∧_∧  この会津はアヒャーなアヒャをアヒャッたので  _____   |
|(  ゚∀゚ ) アヒャヒャーヒャッヒャッヒャッヒャヒャヒャヒャヒャー      |アヒャヒャ(A)>>|  |
| ~~~∴~~                            ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   |
| ∵;"*:;: アヒャいアヒャッヒャは、アヒャヒャのアーヒャヒャヒャヒャヒャ              |
|    ;".アーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ   ______  |
|                                  | 詳細(D)>>| |
|                                 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |
└────────────────────────────┘
_会津の豚の末路_______________________
637小林吉彰:2000/12/04(月) 00:19
>632
>イギリスは近代以前に議会主権を確立していましたし

近代以前にすでに達成されているなら,それは近代と前近代を分ける指標には
なりませんね。つまり議会主権の確立は前近代社会においてもイギリスに存在
しているのですから。
 フランス革命の時も,イギリス革命の時も悲惨な政争,粛正,弾圧が行われました。
特にフランスでは革命直後から国民議会,国民公会が開かれていました。
1793年の恐怖政治の時代においてさえも,,,。

638日本@名無史さん:2000/12/04(月) 12:26
薩長礼賛者の末路
______________________
   ∩||∩  ∩||∩  ∩||∩  ∩||∩  ∩||∩
  ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ ( / ⌒ヽ
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アーヒャヒャヒャ!! アーヒャヒャヒャ!! アーヒャヒャヒャ!! アーヒャヒャヒャ!! アーヒャヒャヒャ!! アーヒャヒャヒャ!! アーヒャヒャヒャ!! アーヒャヒャヒャ!!
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639関東管領@優子:2000/12/04(月) 12:35
 一つの怪物が日本を歩き回っている −奥羽越列藩同盟の怪物が
奥羽越列藩同盟の当面の目的は徳川の徳川家による政権の樹立
西国諸国政権の打倒
東北諸藩による政治権力の奪取である
西軍よ奥羽越列藩同盟の前におののくがいい。我らは失うべき物をもたない。
獲得する物は「世界」である

万国の奥羽越列藩同盟支持者よ団結せよ


640スミ:2000/12/04(月) 12:43
>637
議会主権+市民階級の成立+産業革命+中世封建社会の崩壊

近代国家の条件を挙げるとこうなりますか。これらは一時期に達成
されたわけではないので、前近代と近代を厳密に区分するのは無理
だしその必要もなし。
641日本@名無史さん:2000/12/04(月) 13:26
結局のところ、スミ氏は佐幕的立場なのか、倒幕的立場なのかよくわからん。
矛盾することを発言していることがおおし
642日本@名無史さん:2000/12/04(月) 15:51
まあ、とりあえず薩長が逆賊だということは一致してますな。
643日本@名無史さん:2000/12/04(月) 17:32
網野じいさんの国論分裂工作に乗せられた薄らバカは、
単一民族化している日本は、いくら煽っても東西分裂する筈もないのに、
虚しい煽動活動を展開し続けている。寒〜
644アズマ佐幕派の我らの主張1:2000/12/04(月) 21:21
東国は、西国にくらべ、独立自営の武装農民が作り上げた天地だ。
天皇中心、中央集権的な西国思想を撲滅し、分権的な東国思想を興隆しよう。
鎌倉時代、江戸時代の輝かしい栄光を取り戻すため、
西国人と天皇中心の西国文化を撲滅しよう!!!

・打倒目標、薩摩、長州、土佐、肥前、これらの住民は粛正対象だ。
・上記地域の植民地化と徹底的な弾圧。
・上記の野蛮人に担がれた天皇制打倒!!!天皇制の廃止と徳川将軍の元首化。
・江戸文化の復権。江戸弁の日本共通語実現。
・西国文化によって、抑圧された新撰組などの歴史的人物の復権。
・皇国史観の弾圧と佐幕思想の普及。
645アズマ佐幕派の我らの主張2:2000/12/04(月) 21:21
南蛮文化に魂を売り渡した西国人および天皇家弾劾!!!
南蛮文化と融合した寄生虫的西国人文化を打倒し、
我ら、東国人民族派は、南蛮・西国人・天皇家を徹底的に糾弾する。

我らの主張
・現代の明治以降の歴史は、西国人による自虐史観である。
・蛮族薩摩・長州の占領下に制定された大日本帝国憲法は無効である。
・大日本帝国憲法は無効であり、公事方御定書こそ我ら東国人の真の法典である。
・現天皇家は、南蛮文化に日本=東国の伝統・文化を売り渡した売国奴である。
・新歴史教科書の制定、「東国民の歴史」「教科書が教えない東国の歴史」。
・東国人の、東国人による、東国人のための政府の実現。
・えせ南蛮人であり、裏切り者である天皇家の廃止と、徳川将軍への大政奉還。
646日本@名無史さん:2000/12/04(月) 23:39
│あ〜ひゃひゃひゃひゃ会津市ね♪│
 \___ ________
        ∨                         ヒャヒャヒャヒャヒャ
    Λ_Λ ドルルルルルルルルル!!!!!            ∧_∧∩
    ( ゜∀゜)___。  \从/      _ _  _  ⊂(゚д゚*) |     _
   ミ(  つ【〔ロ=:(∈(二(@ > ‐― ‐  ― _ - ̄ )_ ̄/ ‐―
    人 ヽノ B ̄゛  /W'ヽ        ̄       /  /     ̄
   (__(__) B   、、、  @`@`@`               ∪∪~

あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
647小林吉彰:2000/12/05(火) 01:32
>640

>637
>議会主権+市民階級の成立+産業革命+中世封建社会の崩壊
>近代国家の条件を挙げるとこうなりますか。これらは一時期に達成
>されたわけではないので、前近代と近代を厳密に区分するのは無理
>だしその必要もなし。

このように定義づけると,旧ソ連,中国,それに一昔前までは
 軍事独裁政権が世界各国にあったが,それらは近代国家になるのですか?
 それとも前近代国家になるのですか?

>ここでブルジョア階級は政治参加の資格を得、一定の成果をあげたのち民主主義に
>移行します。

この部分でひっかかるので旧ソ連,一昔前は世界中にあった軍事独裁政権,中国,
そしてイラクなども前近代国家ということになりますね。
 さらに,イギリス革命の時はまだ産業革命が起こっていなかったので,
産業革命が起こるまでイギリスは近代国家ではなかったというのですか?
 やはり近代国家の定義からやり直さなくてはなりませんね。
 前近代社会では,国家権力は領主や地主などの大土地所有階級が構成していた。
この状態が破壊されて,ブルジョアジーが国家権力の中心部に入り込むように
なるのが近代市民革命である。フランス革命でも,ドイツ2月革命,ドイツ統一,
イギリス革命,アメリカ独立など,世界の近代市民革命に共通するのは
この点だけである。
 しかしブルジョアジーはその性格からして本業は金儲けである。
自分自身が政治家となって直接国家権力の表舞台に出ることはほとんどない。
あくまで陰で癒着し,自分の事業の利益になるように政治家を動かし,
政治家は賄賂をもらう。
 だから旧ソ連その他は,近代市民革命を経た後すぐに労働者階級が
国家権力を握ったので,近代市民社会とはいえないが近代国家であることに
変わりはない。今では少なくなったが軍事独裁政権も近代国家である。
 ピューリタン革命のクロムウェル支配下のイギリス,ナポレオン帝政の時の
フランスがそうであるように。
648薩長撲滅!!:2000/12/05(火) 06:09
日本の歴史は、東国文化こそが真に優越した文化であることを証明している。
平安以降、堕落した西国人は、堕落した政治体制しか作りえず、
東国人こそが、堕落した西国文化を打倒して、美しき歴史作り出してきたのである。

承久の乱しかり、建武の新政しかり、室町幕府の堕落しかり、織豊政権の堕落しかりである。
東国人は、これら堕落した下等な西国人による腐敗した文化を打倒し、
健全な政権を東国に作り出してきたのであり、
西国は東国に支配されることによってのみ、まともな文化発達が遂げられたのである。
明治以降の歴史は、西国人による日本総堕落化の自虐的歴史であり、
我ら独立自営の東国人によって、打倒されねばばらない!!!


649薩長撲滅!!:2000/12/05(火) 06:10
そもそも、蛮族薩摩・長州ら西国人が、夷狄の南蛮人の思想によって、
美しき日本を汚した元凶である。

明治以降の歴史は、蛮族薩摩・長州のおしすすめる南蛮化によって、
美しき日本が、汚される歴史であり、薩摩・長州は天誅を受けなければならない。
南蛮かぶれの薩長西国人が、日本の堕落をおしすすめたのであり、
我ら東国人は、東国ナショナリズムの興隆によって、堕落した日本文化を
復興しなければならない。

天皇を隠れ蓑にした、南蛮かぶれの売国的西国ナショナリズム反対!!!


650薩長撲滅!!:2000/12/05(火) 06:10
天皇・西国人連合は、美しき日本文化を、
南蛮文化に売り渡した戦争犯罪人である。

日本文化=東国文化は、明治以降、天皇家・西国人によって、
徹底的に南蛮化され、堕落させられてきた。
南蛮文化のお先棒を担ぐ、西国人は日本の伝統・文化の破壊者であり、
日本を南蛮化する裏切りものである。

いまこそ、えせ南蛮人である天皇家・西国人を東国より追放し、
日本の伝統・文化を復興するのである。


651日本@名無史さん:2000/12/05(火) 06:19
アームストロング砲が使われたのって会津だけ?
652日本@名無史さん:2000/12/05(火) 06:54
あいかわらずウザイ歴史ヲタ。
一人でシコシコティムポをいぢってあそんでね。
653日本@名無史さん:2000/12/05(火) 06:58
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ

 アーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
会津人処刑の図
        ∧_∧
    Λ_Λ゚∀゚  ) アーヒャヒャヒャヒャヒャ
    ( ゚∀゚ ⊂    ) ヒャヒャヒャヒャヒャ!!!
    \  / Y   人
     (/)  (__)_)
   ι .(/) | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     (/)っ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ι (/)  ∧_∧
  ι  / \(゚∀゚  ) アーッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ
    人 ヽノ⊂    ) ヒャッヒャッヒャッヒャヒャヒャヒャ
     し(__) Y   人
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| (__)_)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ会津市ね
654薩長撲滅!!:2000/12/05(火) 11:47
西国土人の酋長天皇は、アズマの日本にとって、大陸からの不法入国者でしかない。
しかも、大陸を懐かしむあまり、大陸の伝統・文化を日本=アズマに輸入しつづけ
日本=アズマの美しき伝統・文化の流れを傷つけた。
この罪万死に値する。しかも、近代にはいり大陸の力が低下すると
さっさと南蛮にのりかえる。これを恥知らずといわずしてなんと言おうか!

日本=アズマの美しき流れを、シナ・朝鮮、南蛮・米国の文化で破壊する
ヤマト族と天皇とは売国集団である!我らアズマ人に売国奴はいらん。
さっさと、大陸なり、米国・南蛮に帰れ!

655薩長撲滅!!:2000/12/05(火) 11:47
ヤマトがいかに、我らアズマ人との共存をうったえようが、
しょせんは、我らアズマの父祖の御霊を愚弄する靖国神社を押しつけるし、
インチキ皇国史観で、我らアズマの父祖の辱め続けるのである

騙されてはいけない 踊らされてはいけない アズマの諸君よ
ヤマトのいう共存とは、大セルビア主義のようなもの我ら民族の誇りを捨てさせ
恥知らずなえせ南蛮文化混血ヤマト文化に同化するという以外の意味はない

もし、彼らヤマト族が、ほんとうに我らとの共存を望むのであれば
靖国なんて我らにおしつけんし、皇国史観のどという人を小馬鹿にしたような
インチキ歴史観、アズマ自虐史観は主張せんだろう

我らは、傲慢で、人を食った大ヤマト主義による同化政策、民族浄化施策に断固抗議する!!!

656薩長撲滅!!:2000/12/05(火) 11:48
ヤマト族は、いかに堕落した民族であるか。
来年のNHK大河ドラマ北条時宗は明らかにするであろう
神国日本=アズマの大地は、アズマ人の活躍によりモンゴルより救われた
これは、堕落したヤマト族には不可能な芸当であろう

ヤマト族は、モンゴル襲来という国難においても恩賞などという利己主義を振りかざす
もはや、救いようがないナショナリズムの「ナ」の字も知らない亡国の愚民である
悔い改めよ ヤマト族のエゴイストども 「公」こそ肝心なのであり
国難に対しては恩賞などという「個」は捨て去るべきなのである

日本は、明治以降の西国ヤマト支配により、アズマの「公」の精神を失い
ヤマトの恩賞「個」を優先させた文化を創り出した。
ブサイコク人福沢諭吉などに代表されるドキュンえせ南蛮人が、アズマ徳川の「公」を
西国ヤマト人の「個」に置き換えたのである!
我らは、ヤマト人のエゴイズムえせ南蛮文化の「個」人主義と断固決別しなければならない!!!

657薩長撲滅!!:2000/12/05(火) 11:48
西国ヤマトが日本=アズマを占領した近現代史は、「公」の衰退の時代であった
ヤマト族は南蛮文化を導入し、我らがアズマに築き上げた「公」文化を崩壊させた
えせ南蛮文化についで、太平洋戦争後は米国文化の導入により
徳川アズマの「公」は、ヤマトえせ南蛮の「個」により虐殺されたのである

ヤマト族は、傲慢なエゴイストの集まりであり、烏合の衆にすぎん
我らアズマ人が、ヤマト族のエゴイズム「個」の堕落の誘惑にのらず
高潔な徳川アズマの「公」に帰還すれば、我らはヤマト人のくびきから脱することができよう
アズマの諸君よ ヤマトのエゴイズム、えせ南蛮文化の「個」人主義の堕落を捨てよ!!!
ヤマトのえせ南蛮文化の「個」は、われらアズマの「公」を破壊するための堕落化政策である!

658日本@名無史さん:2000/12/05(火) 11:51
精神病者が暴れてるな。
659スミ:2000/12/05(火) 12:41
>軍事独裁政権が世界各国にあったが,それらは近代国家になるのですか?
 それとも前近代国家になるのですか?

よく考えたら前近代には今のような国家はなかった。前近代社会から近代国家に移行
するときに近代市民型国家と近代専制型国家に大別すれば分かれたと見なすべき。だから
軍事独裁政権も中国もソ連も近代国家。私が先に定義ずけたのは近代市民型国家の方。
薩長も日本を近代国家に転換したことは確かだ。しかし彼らの存在が近代市民型の国家
に日本がなることの障害になったのだ。
660日本@名無史さん:2000/12/05(火) 13:12
網野じいさんの日本分裂工作の信奉者が、相変わらず自作自演をやっているようだな。
バカ丸出し(藁
661日本@名無史さん:2000/12/05(火) 15:02
薩摩は維新を起こしたけど
結局西南戦争で官軍に鎮圧されたじゃない。

その意味では会津も薩摩もいっしょ。
662日本@名無史さん:2000/12/05(火) 17:06
網野って誰?
とりあえず、薩長は関東からでてってくれ
663日本@名無史さん:2000/12/05(火) 17:35
>662
お前みたいな妄想バカは、北鮮へ逝って強制労働してこい。それで丸く治まる。(藁
664日本@名無史さん:2000/12/05(火) 18:14
>663
山口や鹿児島の田舎者には、花のお江戸は似合わないの。
田舎者は、早く田舎に帰ってね。
665日本@名無史さん:2000/12/05(火) 21:17
>>651
アームストロング砲は薩英戦争で英軍が使っている。
上野の彰義隊のときも使ったよ。


結局こうなるのかなぁ。
666日本@名無史さん:2000/12/05(火) 23:14
なんだか巨人vsアンチ巨人のケンカみたい。
ようするにカッペ同士がそれぞれの郷土の歴史を中傷することに
よってストレスを発散しているのね。

まともな論議じゃないのは確かだね。
yahooの戊辰論争もハチャメチャだったけど。
m、あれは「はやいち」って荒氏が煽ったのが原因らしいけど。
667日本@名無史さん:2000/12/06(水) 14:34
>663
おまえがいけ!
668長州撲滅!!:2000/12/06(水) 21:06
大江戸八百八町に徳川様の風が吹く。
669非公開@個人情報保護のため:2000/12/06(水) 22:03
   彡川川司馬死ねミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン
  ‖|‖ ◎---◎|〜        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  川川‖    3  ヽ〜      < 薩長を評価する奴は許さないぞ〜!!
  川川   ∴)д(∴)〜       \________
  川川      〜 /〜 カタカタカタ
  川川‖    〜 /‖ _____
 川川川川___/‖  |  | ̄ ̄\ \
   /       \__|  |    | ̄ ̄|
  /  \___      |  |    |__|
  | \      |つ   |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
 |       | ̄
670日本@名無史さん:2000/12/06(水) 22:16
高杉晋作萌え〜
671日本@名無史さん:2000/12/06(水) 22:20
レスのレベルが随分下がったな(ワラ。
672日本@名無史さん:2000/12/06(水) 23:32
長州から今度は流通維新の「ユニクロ」が生まれた
673日本@名無史さん:2000/12/07(木) 07:23
ユニクロなんてすぐに下火になるさ。
674日本@名無史さん:2000/12/07(木) 08:33
↑買ったことないの?
675日本@名無史さん:2000/12/07(木) 15:15
反維新者が左翼だというのは解せないね。反維新というのはずばり、反革命ということではないか。
ヨーロッパ的に考えれば反維新こそ右ではないか。
日本のウヨはほんとうに低レヴェルだよな。
あきれたよ。
676日本@名無史さん:2000/12/07(木) 15:41
>675
おいおい、「右」「左」なんてのはしょせん相対的なものなんだよ。
旧ソ連における「右」「左」がそれぞれなにを指していたかを見れば
分かりやすいと思うけど。

つーかもっと問題なのは、「ヨーロッパ的でない」=「低レヴェル」
ってゆー思考法かも。
日本のサヨはほんとうに低レヴェルだよな。
あきれたよ。(なんてな)
677日本@名無史さん:2000/12/07(木) 23:23
>676
意味不明。
678日本@名無史さん:2000/12/07(木) 23:31
アホか。
左、右という言葉自体ヨーロッパ生まれなんだよ。
歴史を少し勉強したらどうだ?
ほんとうにウヨは低レヴェルだな
あきれたよ。
679日本@名無史さん:2000/12/08(金) 18:23
まあ、とりあえず逆賊薩長は日本から出ていってください。
680日本@名無史さん:2000/12/09(土) 04:39
人が作った国から出て行けとは
まるでチョンのような言い方(藁
681日本@名無史さん:2000/12/09(土) 12:52
東国の武士が800年にわたってつくりあげてきたものを猫糞してあたかも自分が全部やったみたいに思いこんでる
ところがチャンコロと一緒。
チョン以下。
やっぱ、薩長は日本人じゃないな。
顔からして違うしな。
682日本@名無史さん:2000/12/09(土) 13:12
両方とも尊皇で同じ。

>678
676は、右翼・左翼は歴史的な区分では有りませんと
言いたいのでは?
それが理解出来ない分、貴方の方が悲しい。
歴史を学ぶ前に、心と読解力を鍛錬しましょう。


683死面楚歌:2000/12/09(土) 19:02
>東国の武士が800年にわたってつくりあげてきたもの

 この体制が続けば日本は半植民地になる可能盛大だった。
 高杉も坂本も中国の惨状を見て,改革の必要性を痛感した。
 
684日本@名無史さん:2000/12/09(土) 20:41
関東人から差別されている補助金乞食の東北人は
西国人を攻撃することで自分を慰めているのです。

ヒッキーがネットで朝鮮人差別をしているのと同じレヴェルだね。
685日本@名無史さん:2000/12/09(土) 21:18
>高杉も坂本も中国の惨状を見て,改革の必要性を痛感した。

その高杉が、品川に建設中の英国公使館焼き討ち事件を起こした。
もしそれを口実に英国が軍事介入して来た場合、
当時の日本の軍事力では敗北は必至。
よって安易に放火事件を引き起こした高杉は、厳しく批判されるべきだ。
686日本@名無史さん:2000/12/10(日) 00:29
 いま,天皇の戦争責任についてのスレッドがあるのですが,
明治維新が絶対主義の確立で,大帝国憲法が絶対王政の要素を
多分に含んでいると考えている人たちは,当然昭和天皇に
戦争責任ありと考えているのですね?
687日本@名無史さん:2000/12/10(日) 01:03
>686
当然だ。
明治憲法は、一条で天皇主権を、十一条で天皇の陸海軍の統帥権を定めていた。
故に明治憲法下の大日本帝国は、形ばかりの立憲君主制に過ぎなかった。
だから、日本のやった侵略戦争は、最高権力者であった昭和天皇の責任である。
688日本@名無史さん:2000/12/12(火) 08:16
スミちゃん!いいね!読んでたら朝になっちまったぜ。
なかなか熱くてイイスレだな。
また来るぜ。勉強になったな。
やっぱ、自分の国のことだからどいつもこいつも気になるんだな。イイね!
どいつもこいつも頑張って書けよ!じゃあな!
   おっと、寒いから風邪ひくなよ!
689日本@名無史さん:2000/12/12(火) 17:19
さようなら薩長。半島に渡って同類のチョウセン人と仲良くやってください。
690日本@名無史さん:2000/12/12(火) 18:19
>686
昭和天皇個人や元老西園寺公望などは、立憲君主国家を指向してた
と思うけど、結局は、美濃部達吉の天皇機関説が正式に否定された
のだから、大日本帝国は絶対君主国家だったと言う事ですね。
691日本@名無史さん:2000/12/13(水) 12:42
うん?絶対君主国家つーのは、通常、憲法や議会が無いのでは?
憲法が制定されるまでの、明治維新〜大日本帝国憲法まで、
議会や憲法が形骸化した、大政翼賛会成立〜日本国憲法制定までが
絶対君主制だと思うが。
692日本@名無史さん:2000/12/13(水) 18:38
>683
おまえ馬鹿すぎ。
おまえみたいなやつが、マスコミなんかにおどらされるんだろうな。
小栗上野介なんかしらないだろ?
693日本@名無史さん:2000/12/13(水) 18:41
小栗上野介は日本をフランスに売ろうとした人物
694日本@名無史さん:2000/12/13(水) 19:59
>691
立憲君主国と言うならば、議会や憲法があるだけでは不充分だと
思います。
少なくとも、議会に基盤を持たない藩閥&官僚内閣や軍部内閣が
成立している国家は、絶対君主国家だと認識しています。
したがって日本の場合、政党内閣が常時成立するようになった(憲政
の常道)、第1次加藤内閣から犬養内閣までが、立憲君主国家へと、
最も接近していた時期だと言えます。
ところが犬養内閣が、5・15事件によって総辞職してからは、日本
が立憲君主国となる道は完全に閉ざされたのです。
695日本@名無史さん:2000/12/13(水) 20:34
>693
やっぱりしらないのか。(藁)
696日本@名無史さん:2000/12/13(水) 20:45
毎日この時間になると
維新関係のスレッドが上がるのは何故?

しかもレスはほとんどつかねえ(藁)
697日本@名無史さん:2000/12/13(水) 21:22
695に小栗上野介を語ってもらおう。
698日本@名無史さん:2000/12/14(木) 02:07
>683
>このままいけば日本は半植民地になる可能性大だった。
だから幕府は開国、軍事の近代化、公議制度の導入などはじめてたじゃん。
それをぶちこわしたのが「攘夷〜」とかさけんでた田舎者。
結局攘夷はどうなっちゃったの??(藁)
699日本@名無史さん:2000/12/14(木) 02:50
>698
1941年に国を挙げてやったら、アメリカの半植民地になった。
700日本@名無史さん:2000/12/14(木) 06:13
↑わらえる。
701>698:2000/12/14(木) 22:07
>それをぶちこわしたのが「攘夷〜」とかさけんでた田舎者。
>結局攘夷はどうなっちゃったの??(藁

攘夷を叫んでいた人には2種類いた。心からそれを信じていた下級武士と、
本音では開国継続、倒幕を考えていた人たち。
 その時代に近代化しようと思えば,近代的武器,大工業を導入しなくて
 はならない。大変な費用がかかるが,幕府の財政は貧乏である。
 近代化の費用を調達するには,
  1,国土の一部を外国に売りつけたり権利を売る,
  2,大商人から御用金を取り立てる,
  3,幕府は全国の4分の1を領有しているのだから,
    その経営を改革する。

  1は亡国の道であり,これを採れば日本版香港ができる。
   小栗は各種兵器購入に当たって,造船所や鉄道敷設権
   を外国に与えた。
  3は自らの痛みを伴うものである。当時幕府を支持していた
   譜代大名や上級旗本の禄を大幅に削らなくては,日本の近代化の費用は出てこないが
   それは自分たちの経済基盤が極端に減ることであり,許容する
   はずもない。
   とすれば,残るのは2だけである。大商人から徹底して搾り取らなくて
   はならない。これで大商人たちは倒幕の側につくことになる。
    こうして一部の開国継続討幕派、大商人が、尊王攘夷の建前の下で
   下級武士を人的資源として利用したのである。
   だからできあがった新政府では旧下級武士は切り捨てられたのである。
   
702名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/12/14(木) 23:29
教えてください。
大政奉還以降を描いた歴史小説で、オススメは何ですか?
703日本@名無史さん:2000/12/15(金) 19:42

704日本@名無史さん:2000/12/15(金) 19:45
703>何か言え
705名無しさん@1周年:2000/12/15(金) 19:47


           (⌒Y⌒Y⌒)
         /\__/
        /  /    \
        / /  ー  ー \
     (⌒ /   (・)  (・) |
    (  (6      つ   |
     ( |    _‖_ |
        \   \_/ /  
         \____/   
        /⌒ - - ⌒\
      /⌒\ ・  ・ /⌒\
     /  _____\  /____   \
   /\/、____⊇((゚))⊆_____@`\/\
  /  /   \_)*(_/   \ \
 |_/                \_|

706日本@名無史さん:2000/12/15(金) 20:38
    彡川川川三三三ミ〜
    川|川/  \|〜 プゥ〜ン
   ‖|‖ ◎---◎|〜        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  川川‖    3  ヽ〜       ボクがいじめられたのも就職できないのも
  川川   ∴)д(∴)〜        ヒッキーになったのも全部薩長が悪いんだ
  川川      〜 /〜 カタカタカタ  \___________
  川川‖    〜 /‖ _____
  川川川川___/‖  |  | ̄ ̄\ \
   /     童 \__|  |    | ̄ ̄|
   /  \___ 貞     |  |    |__|
  | \      |つ   |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
 |    ヒキコモリ    
707名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/12/15(金) 21:57
>702

入門編として、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」だな。
708日本@名無史さん:2000/12/15(金) 22:02
>>680
人の作った国
日本を作ったのは天照大神です。薩長ではありません。
709日本@名無史さん:2000/12/15(金) 22:08
>本音では開国継続、倒幕をかんがえていた人たち
具体的に誰?
>下級武士
はー 倒幕に関わったおもな人物ってみんな下級武士出身じゃん。
あなたのクリテリオンでは西郷なんかも上級武士なの?

710日本@名無史さん:2000/12/15(金) 23:40
なにはともあれ、土方歳三といい、小栗上野介といい、会津の殿様といい、幕府側に人物は美男が多い。
土方なんかキャ〜だし。
それに引き換え、薩摩とかはまさしく「イモ」。
711こいつらがか?:2000/12/15(金) 23:47
712日本@名無史さん:2000/12/16(土) 00:55
土方ってかっこいいか?
713日本@名無史さん:2000/12/16(土) 01:29
土方歳三=三田の馬鹿息子
714日本@名無史さん:2000/12/16(土) 01:32
土方歳三=三田の馬鹿息子
715日本@名無史さん:2000/12/16(土) 08:38
なんだ君たち〜
自分が不細工だからって、やいてんのかな〜
恥ずかしいよ〜〜(笑)
716【^▽^】ジョーカー:2000/12/16(土) 12:27
確かに土方歳三は現代でも通じる二枚目。
松平容保は御公家様タイプの二枚目。
小栗や勝は知的な(そこそこの)二枚目。
まぁ、ハンサムガイは佐幕派でも討幕派でも良いもんだ。
717【^▽^】ジョーカー:2000/12/16(土) 12:34
討幕派では桂小五郎(木戸孝允)や久坂が二枚目。
718日本@名無史さん:2000/12/16(土) 13:16
大久保利通 渋いよね
719日本@名無史さん:2000/12/16(土) 13:50
慶喜なんかタヌキの子孫のはずなのに細身のいい男なんだよねえ
秀忠の代で織田や浅井の血筋を入れたのが良かったのか
720日本@名無史さん:2000/12/16(土) 13:51
あっ、水戸出身の慶喜は秀忠と関係ねえや、スマソ
721【^▽^】ジョーカー:2000/12/16(土) 13:52
慶喜様素敵〜☆
722日本@名無史さん:2000/12/16(土) 20:59
>719
徳川慶喜の母は有栖川宮織仁親王の娘、吉子女王(登美宮)だよ。
ちなみに有栖川宮織仁親王は、霊元天皇(112代)の孫。
つまり徳川慶喜は天皇の孫の孫にあたるわけだね。


723日本@名無史さん:2000/12/17(日) 03:43
シマヅナリアキはどうよ?
724日本@名無史さん:2000/12/17(日) 04:00
斉彬?
725709:2000/12/18(月) 17:24
拝啓701様、
わたくしの質問にお答えしてくださいませ。
わたくしも納得しとうございます。
726709:2000/12/19(火) 23:18
やっぱ創作かしらん。Wishful thinkingってやつ?
727日本@名無史さん:2000/12/20(水) 15:26
>>711
松平容保ってえなりかずきに似てない?
728日本@名無史さん:2000/12/20(水) 18:26
まあ、とりあえず薩長支持の人たちは、荒らしてごまかす
やつらと、一読者たちは判断しておりますよ・・・
まあ、がんばれや。荒氏諸氏。
729日本@名無史さん:2000/12/20(水) 18:41
ここネタスレじゃなかったんだ・・・
大真面目だったのね、薩長叩きしていた人。
730日本@名無史さん :2000/12/20(水) 18:55
>>728
薩長支持者かどうかは知らないが荒らしが多いのは確かだと思う。
だってここに書き込みしている人ってアニメ板やゲーム板なみに
「負け犬」とか「ヒッキー」って言葉に過剰反応するんだもの、
荒らし連中に、これほど煽りがいのあるスレッドがほっとかれるわけないです。
731日本@名無史さん:2000/12/21(木) 17:00
>なにはともあれ、土方歳三といい、小栗上野介といい、会津の殿様といい、幕府側に人物は美男が多い。
土方以外は特権階級の子弟じゃんいいもん食って良い生活してりゃ人相も良くなるって。薩長は貧乏人ばっかだからな。
薩長でも医者のボンボンの桂小五郎は人相良いぞ。
732日本@名無史さん:2000/12/21(木) 21:55
>731
うそつけ、朝鮮人みたいな顔してるわい
733日本@名無史さん:2000/12/21(木) 22:05
>732
人相の良い朝鮮人は存在しないのかね?
734日本@名無史さん:2000/12/21(木) 22:09
>>731
徳川一族のあれは、タヌキの血を少しでも薄めるためにやった
250年間の涙ぐましい努力のたまものなのです。
735日本@名無史さん:2000/12/22(金) 03:29
>733
おまえ朝鮮人だろ(藁)
736日本@名無史さん:2000/12/22(金) 06:56
だってここネタでしょ。いまさら戊辰ネタなんてキモイ同人女しか
やらないよ(ワララララ
まあ白河以北一山百文だし
737日本@名無史さん:2000/12/22(金) 10:14
>735
よくわかったね。
735はえらいな。
738日本@名無史さん:2000/12/22(金) 18:16
はやいち健在みたいねぇ。
739日本@名無史さん:2000/12/22(金) 21:00
白河以北一山百文
→河北新報(仙台の新聞)
740>709:2000/12/23(土) 23:39
>本音では開国継続、倒幕をかんがえていた人たち
具体的に誰?

高杉晋作、坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎、大久保利通、板垣退助、、、
 そして彼らに政治資金を提供していた、三井を筆頭とする、小野、島田、
 鴻池などの大商人である。

>下級武士
はー 倒幕に関わったおもな人物ってみんな下級武士出身じゃん。
あなたのクリテリオンでは西郷なんかも上級武士なの?

 逆にいえば、倒幕戦の時の佐幕諸藩の下級武士は、それぞれの藩の動向に従って幕府とともに戦った。
開国継続、討幕派の下級武士たちと、その他の尊王攘夷を真剣に信じていた下級武士と区別しないといけない。
後者は、攘夷が目的であってそのための尊王であり倒幕である。
前者は開国継続、倒幕が目的であるが、当時の国民感情として攘夷が空気としてあって、
特にそれを本気で信じている下級武士を、倒幕のための人的資源として利用するために
大義名分として、尊王攘夷というスローガンを使わざるを得なかったのである。

 亀レス失礼
741>709:2000/12/23(土) 23:40
>本音では開国継続、倒幕をかんがえていた人たち
具体的に誰?

高杉晋作、坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎、大久保利通、板垣退助、、、
 そして彼らに政治資金を提供していた、三井を筆頭とする、小野、島田、
 鴻池などの大商人である。

>下級武士
はー 倒幕に関わったおもな人物ってみんな下級武士出身じゃん。
あなたのクリテリオンでは西郷なんかも上級武士なの?

 逆にいえば、倒幕戦の時の佐幕諸藩の下級武士は、それぞれの藩の動向に従って幕府とともに戦った。
開国継続、討幕派の下級武士たちと、その他の尊王攘夷を真剣に信じていた下級武士と区別しないといけない。
後者は、攘夷が目的であってそのための尊王であり倒幕である。
前者は開国継続、倒幕が目的であるが、当時の国民感情として攘夷が空気としてあって、
特にそれを本気で信じている下級武士を、倒幕のための人的資源として利用するために
大義名分として、尊王攘夷というスローガンを使わざるを得なかったのである。

 亀レス失礼
742日本@名無史さん:2000/12/24(日) 03:37
じゃー開国するのになんで倒幕しなきゃなんなかったのかな?
743日本@名無史さん:2000/12/24(日) 04:14
>>742
所詮幕府の改革なんぞ
「インパク」とか「アイテーカクメイ」程度に過ぎなかったってこと
744日本@名無史さん:2000/12/25(月) 04:03
三井やなんかの商人が幕府を倒そうと思って資金援助したとは考えにくい。
商人ってのは利益目当てだろう。

>>743
大隈重信曰く、「小栗上野介は殺されなければならなかった。明治政府がやったことはすべて彼が計画したことであったからである。」
明治政府がやったことは幕府がのこしたものをうけついだにすぎない。
具体的にどういうことを明治政府は独創したのかな?


745みの聞多:2000/12/25(月) 20:17
あの時はあーでなきゃならんかったんじゃ!
746日本@名無史さん:2000/12/25(月) 20:31
>>744
井上馨の存在。
ああいう上級ドキュソは独創的だ。
747明治維新:2000/12/26(火) 20:17
幕府中心では新しいことが定着しづらい。
大事なのは改革の内容ではない。
新しい時代になるためにはその時代の権力者が倒れるのが最も効果的だから
だから幕府がいくら有能であり、新政府がいくら幕府より劣っていてもたいした問題
ではない。
革命には理論よりエネルギーが必要なのでどんな優れた政策であっても
今まで同様に上から与えるだけではうまくいかない。

748日本@名無史さん:2000/12/26(火) 21:20
幕府のやる事は結局幕府延命のためでしかない
749【^▽^】ジョーカー:2000/12/26(火) 21:28
討幕派・新政府の意図はともかく、
結果としては日本が誇る偉大な近代革命である。
750日本@名無史さん:2000/12/26(火) 22:19
>>747
急がば回れ。
フランス革命って知ってるかい?
751日本@名無史さん:2000/12/26(火) 22:22
まあ、今の仕事の方、がんばれよ!
暇な人たち
752>742@`>744:2000/12/27(水) 18:22
  その時代に近代化しようと思えば,近代的武器,大工業を導入しなくて
 はならない。大変な費用がかかるが,幕府の財政は貧乏である。
 近代化の費用を調達するには,
  1,国土の一部を外国に売りつけたり権利を売る,
  2,大商人から御用金を取り立てる,
  3,幕府は全国の4分の1を領有しているのだから,
    その経営を改革する。
   この3つの方法が考えられる。
   しかし1は亡国の道であり,これを採れば日本版香港ができる。
   小栗は各種兵器購入に当たって,造船所や鉄道敷設権
   を外国に与えた。
  3は自らの痛みを伴うものである。当時幕府を支持していた
   譜代大名や親藩、上級旗本の禄が幕政の負担になっていた。
   これを完全に削らなくては,日本の近代化の費用は出てこないが
   それは自分たちの経済基盤が極端に減ることであり,許容する
   はずもない。
   とすれば,残るのは2だけである。大商人から徹底して搾り取らなくて
   はならない。これで大商人たちは倒幕の側につくことになる。
   もしその時代がまだ,マニュファクチャーや軽工業の時代なら,
   幕府の特権を少し削減して,大商人を敵に回さない程度に負担を
   押しつけることで,幕府が中心となって中央集権的な体勢に移行
   できたかもしれない。
    しかしもはやそんな生ぬるい改革では近代化の費用は捻出
   できないほど,世界の産業は進んでいた。
    やはり幕府,そして封建体勢は当時の国際的な経済水準
   という点からも崩壊せざるを得なかったのである。

753日本@名無史さん:2000/12/27(水) 19:11
幕府の財政が貧乏??
じゃー薩長の財政は良かったのか?
754日本@名無史さん:2000/12/27(水) 19:38
みなさん革命肯定ね。
反革命分子粉砕!(藁)

755【^▽^】ジョーカー:2000/12/27(水) 20:12
>753
それは事実。薩長ことに薩摩は貿易と贋金により
財政は潤っていた、幕府と比べればね。
756日本@名無史さん:2000/12/27(水) 23:57
>>752
要は暴力による政府の転覆も良しとするわけだね?
757日本@名無史さん:2000/12/28(木) 20:32
うむ、日本てのは不思議な国だよな。
革命を絶対視する人間が右翼なのだから。
758街宣者:2000/12/28(木) 22:01
>>757
いや、それは誤解やと思うで。
いっぺん、右翼の掲示板で革命について聞いて見。
勉強になるから。
759日本@名無史さん:2000/12/28(木) 22:15
757
ほう、どう誤解なのかな?
760日本@名無史さん:2000/12/29(金) 22:39
>>758
上のレスをみてみよう。右翼(自称)はみんな革命肯定してるよ。
761>756:2000/12/29(金) 22:48
>要は暴力による政府の転覆も良しとするわけだね?

前近代社会から近代に転換するときだけ、暴力革命はやむをえないと思います。
762日本@名無史さん:2000/12/29(金) 22:58
そのやり方が悪かったのだね。
763日本@名無史さん:2000/12/30(土) 05:54
>761
君、左翼?右翼?中立?
本当の右は革命など条件つきでも容認はしない。
764街宣者:2000/12/30(土) 06:45
>>760
「ネットの保守論客」と「右翼」とを一緒にしたらいかんて。
765761:2000/12/30(土) 20:31
>763
>君、左翼?右翼?中立?
>本当の右は革命など条件つきでも容認はしない。

私は歴史好きな一市民です。一応現実的なリベラルでありたいと思ってます。
766761:2000/12/30(土) 21:16
追記
>763
>本当の右は革命など条件つきでも容認はしない。

 昭和維新を志した人たち、2.26事件の首謀者たちは右じゃないの?
767日本@名無史さん:2000/12/30(土) 21:22
>>766
あんな志の低い奴等、ウヨクの風上にもおけません。
768日本@名無史さん:2000/12/30(土) 22:07
とにかく!!!明治維新は胡散臭すぎ!!!
薩長が作った明治政府なんて大嫌い!!!!!!!
でも良い部分も少しはある。

769日本@名無史さん:2000/12/30(土) 22:12
まあ、少なくとも幕府が続くよりマシな結果だったろう。
770日本@名無史さん:2000/12/31(日) 02:53
>>761
2.26の馬鹿どもは国家社会主義者です。いまの、自称「右翼」はあいつらといっしょ。
国を憂う、天皇を尊ぶとなどうそぶいてる売国奴です。
普段でかいこといってるくせに、昭和天皇が崩御されたとき大幹部は誰も殉死しなかった。
わたしはあのとき本当に失望した。集団自決があると信じていた。
虎の威をかりて、小市民の生活に寄生している。
あいつらいざ戦争になったらまっさきに逃げるでしょうね。
あいつらはアホです。右ではありません。
771日本@名無史さん:2000/12/31(日) 12:20
>2.26の馬鹿どもは国家社会主義者です。いまの、自称「右翼」はあいつらといっしょ。

あいつらが国家社会主義者=ナチスなら、何故天皇制を否定しないの。
連中は天皇制を盲信していた。
本来ナチズムと天皇制は決して相容れるものではない。
やはり彼らは天皇制崇拝者であってナチスではないと思う。
772【^▽^】ジョーカー:2000/12/31(日) 14:31
日本共産党(及び戦前の労農党)は明治維新を
不十分ながらも近代ブルジョワ革命と評価しています。
773761:2001/01/01(月) 21:20
>770
>2.26の馬鹿どもは国家社会主義者です。

まさにそのとうりだと思います。2.26事件を起こした
青年将校たちは当時の日本の悲惨な庶民の経済状況を憂いて、
北一輝の日本改造法案大綱を理論的基盤としていた。
その内容は、手段はさておき経済改革に関して言えば社会民主主義とも言うべきもので、
一言で言えば、金持ちの財産を制限して(天皇家も含む)、貧困を解消しようとしたもので、
占領改革の累進課税、財閥解体に通じるものがある。

 2.26事件のとき、昭和天皇は「日本もだんだんロシアのようになってきましたね」
と側近に語り、青年将校たちに反感を持っていたが、青年将校たちは天皇の支持を
甘くも期待していた。
 彼らは処刑される時天皇陛下万歳と叫んだが、北一輝とその弟子はそうしなかった。
自分たちの改革を天皇がいかなる方法であれ望んでいないと悟っていたからである。
774日本@名無史さん:2001/01/04(木) 08:29
アメリカが日本を叩きのめすこともなく、占領することもなく、あのままの国体がつづいていたら、日本もロシア並の共産革命がおきたかもしれないね。
775日本@名無史さん:2001/01/06(土) 07:07
status quo
776日本@名無史さん:2001/01/06(土) 08:08
>>773
天皇制を礼賛していた青年将校を、国家「社会」主義者とは言えないだろが。
もっとも北一輝の究極の目標は天皇制廃止だったそうだから、彼は国家社会主義者だったかもね。
777日本@名無史さん:2001/01/06(土) 08:12
明治維新が昭和維新ネタになっている。

おもろいからどうでもいいけど。
778日本@名無史さん:2001/01/06(土) 14:08
社会主義者が天皇を礼賛したり、神を信じてはいけないという法はない。
馬鹿すぎ。
779解決黒頭巾:2001/01/06(土) 14:11
明治維新は孝明天皇に代表される北朝を倒して、南朝系の新しい政府をつくろうとした動機がその根底にある。
このことを押さえておかないと、明治維新を理解した事にならない。

ここを読んでみよう。

     ↓
http://nq4.gaiax.com/~member/monthlydiary.cgi?solomon@highway:200002
780正しい歴史:2001/01/06(土) 14:43
>779
全くそのとおりだと思います。
781日本@名無史さん:2001/01/06(土) 21:42
>社会主義者が天皇を礼賛したり、神を信じてはいけないという法はない。

後半は正しいけど、前半はおかしいね。
天皇(君主制)を礼賛した時点で、社会主義者とは言えないから。
782日本@名無史さん:2001/01/06(土) 21:45
>779
それ、ホントなの?
なんかトンデモっぽいですけど。
783日本@名無史さん:2001/01/06(土) 21:53
トンデモに決まってんじゃん。

自分のホームページ自分で宣伝して
自分で >>780 賛同して全く大笑い
784解決黒頭巾:2001/01/07(日) 02:17
>782
>783

自分の頭で論理的に考える事ができない人々が、受け入れたくない事象に直面したとき
発する言葉は皆同じである。
それは”トンデモ”。

こうして、自己の無能力さを表明しているのである。
785日本@名無史さん:2001/01/07(日) 02:25
>784

そんな無能な奴をマジで相手するお前もトンデモだな(藁。

786日本@名無史さん:2001/01/07(日) 04:24
鮮人=解決黒頭巾は、今日も電波を発生しまくりだな(わら
787日本@名無史さん:2001/01/07(日) 06:30
>781
西欧や北欧の社会主義者(社会主義インター加盟)は、君主制を
肯定しているぞ。
したがって社会主義者(社会民主主義者)が、天皇を礼賛する事
に問題はないね。
788日本@名無史さん:2001/01/07(日) 11:31
>>787
そのとおり。明治維新肯定の自称ウヨはすくいようのない馬鹿。
政治学的教養ゼロ。

789761:2001/01/07(日) 20:36
>787
>西欧や北欧の社会主義者(社会主義インター加盟)は、君主制を
肯定しているぞ。
したがって社会主義者(社会民主主義者)が、天皇を礼賛する事
に問題はないね

 社会民主主義ってもともと折衷主義てきだから、君主制も現実的観点から
 容認しているのでしょう。礼賛はしていないと思います。
 しかし社会主義を突き詰めるとやはり君主制とは相容れない。だから天皇は青年将校を嫌悪したんです。

  ところで30年代以降は軍部の時代といわれている。ブルジョアジーは支配階級に達していなかったかのように
思われているがそんなことはない。
 林内閣(1937)では、大蔵大臣に興業銀行総裁の結城豊太郎が就任した。
 そして軍部が指導権を握るようになれば当然軍需産業が潤う。
東条政権の成立は、軍需産業グループが権力の指導権に達したことを意味する。
東条は、日産財閥と、岸信介は満州重工業と深い関係を持っていた。
五島慶太は運輸大臣として入閣した。
 住友財閥はこの頃から軍需工業に力をいれ、住友本社総理事.小倉正恒は、
第2時近衛内閣の国務大臣、第3時近衛内閣の大蔵大臣となった。

 話を明治維新に戻すと、戦前の日本があたかも軍部の支配する社会で、
ブルジョアジーは権力の座に達していなかったとする論調があるが、
それは政治権力を振るっていた者の話で、その裏には隠然とブルジョアジーが食い込んでいたのである。
だから、明治維新以降の社会は、ブルジョアジーが支配階級に就いていて、
国家財政から利益を得ていたという点からも、紛れもなく近代市民国家なのである。
790日本@名無史さん:2001/01/08(月) 10:39
個人的には、天皇制は大嫌いだが、国家社会主義(ナチス)には結構魅力を感じている。
791日本@名無史さん:2001/01/08(月) 15:49
薩長逝ってよし!
792日本@名無史さん:2001/01/08(月) 16:11
>789
近代市民社会を、どう定義するかで変わってくると思うよ。
少なくとも、シビリアンコントロールが確立していない事や、軍人
が総理になる国家や社会を、近代市民者社会と定義する事には抵抗
があるね。
793宇宙園児ゴリ:2001/01/08(月) 16:47
789はアホ。
794日本@名無史さん:2001/01/08(月) 17:21
粘着質のひきこもり民族主義者は頼むから出ていってくれ
795名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 17:28
>>789
江戸時代から豪商は力強かったジャン。
796日本@名無史さん:2001/01/08(月) 17:33
>>784
狭い世界で生きてる人が言う典型的なセリフだよなこれ。
なんだか本当にオカルト新興宗教団体じみてきたなあ
797日本@名無史さん:2001/01/09(火) 01:34
あげます
798日本@名無史さん:2001/01/09(火) 03:08
なんか山県有朋に美味しいとこをさらわれたって感じがするんだけどな
こいつが出世頭だろ?
799日本@名無史さん:2001/01/09(火) 10:43
>1
わからないことがあるならここできくと親切におしえてくれる。
わたしも教えてもらった。
レポート提出前に便利。
http://www.jbbs.net/study/19/waizan.html

800>792.>795:2001/01/09(火) 21:51
>近代市民社会を、どう定義するかで変わってくると思うよ。

私の定義では、国家権力を領主、地主などの土地を経済的基盤とする階級が握っている社会は前近代。
 それ以外の階級、(普通はブルジョアジー)が国家権力を握っていれば近代社会。 シビリアンコントロールが確立しているかどうかは、
各国のそれぞれの民主主義の発展段階の問題で、近代社会かどうかとは直接関係ない。
帝政ナポレオンのフランス、独立以後、奴隷制度を残した状態でのアメリカは、ブルジョアジーが権力を握っているから近代社会である。

>江戸時代から豪商は力強かったジャン。

 有力な豪商は大名と肩を並べるくらいの権勢を持っていたこともあった。
しかしそれでも幕府の権力には達していない。天保の改革の時、三井は幕府の倹約令に違反して
奢侈品を売ったことで、同業者19軒と共に処罰されている。
 幕府と大商人の主従関係を示すものとして、御用金がある。今でいう政治献金の強要だが、
特に見返りがあるわけではない。ただ一方的に取られるだけ。
長州征伐で、幕府が軍を動かすとき、幕府官僚は商人の家に泊まった。
幕府は一汁一采でよいといって、それだけの費用しか出さなかったが、
実際はそうするわけにもいかず、大きな負担となった。
 ブルジョアジー(日本史においては豪商、大商人などの町民の上層部)
は江戸時代にはまだ国家権力には食い込んでいなかったのである。
 
801名無しさん:2001/01/09(火) 23:16
>>800

あなたのような純正の講座派は今や天然記念物です。
環境庁に申請すれば保護してくれますよ。(藁
802日本@名無史さん:2001/01/10(水) 06:45
>801
全然違うよ、800は労農派だよ。
講座派は、戦前の天皇制を絶対王政だと認識しているが、労農派はブルジョア
王政だと認識しているのです。


803日本@名無史さん:2001/01/10(水) 11:12
典型的なブルジョア王政は、名誉革命以降のイギリスの国家体制
だけど、戦前の国家体制をそれと比較すると、専制的な要素が強
過ぎると思います。
とは言っても、単純に絶対王政と定義することも出来ないから、
明治維新によって成立した絶対王政が、自由民権運動や大正デモ
クラシーによってブルジョア王政へと移行する過程にあり、それ
が経済恐慌等により挫折、そして軍部や革新官僚の台頭を招いて
ファシズム王政へと移行したのだと認識しています。
804名無しさん@1周年:2001/01/10(水) 13:08
そもそもなんで西洋の史観に日本を当てはめなきゃならないのよ?
805日本@名無史さん:2001/01/10(水) 13:47
804が正解
806日本@名無史さん:2001/01/10(水) 16:21
そりゃ、ウヨ、サヨいいだした馬鹿がいたからさ。
明治維新反対者にサヨのレッテル貼った馬鹿が。
807名無しさん@1周年:2001/01/10(水) 16:27
それは日本が歴史学や政治学の方法論を、西洋から学んだからです。
808日本@名無史さん:2001/01/10(水) 20:18
status quo
809800:2001/01/10(水) 22:41
 労農派は、明治維新をブルジョア革命だとしながらも、
下級武士の役割を過度に強調し(これは講座派も同じだけど)いろいろと
難癖つけて諸外国のブルジョア革命と比べて不十分だったとする。
 私は、明治維新はイギリス革命やフランス革命と本質的に同じブルジョア革命
であるとする立場で、労農派でも、講座派でもない。


810名無しさん@1周年:2001/01/11(木) 01:31
>800

ていうか商人は実質的に無税だったからなぁ
811名無し@日本人:2001/01/11(木) 03:10
って言うか明治維新ってセンスが田舎臭い。
もう何でもかんでも西洋有り難がりすぎ。
ここでの議論も何かにつけて"西洋では〜"調。
日本人が未だにソコから出られない。
受手の情操が貧困過ぎてきっと西洋のインパクトにラリっちゃ
ったんだろうね、当時。
維新者たちのお里が出たって感じ?
しょせん貧乏な田舎モン上がりの限界。
江戸庶民が一部の進歩的?武士とつるんで革命やってたら
もうちょっとマシなもんになったのかもね。
その後"幻想の西洋"と"現実の日本"の混乱に夏目漱石らの
マトモな神経の学者が苦しんだのは衆知のとうり。
取り敢えず何でもいいから取り入れろ、まねしろ!
ってのは植民地になるのが恐くて近代化を急いだのが
すべての理由じゃないはず。
うまいもん食ったことないヤツらには全部ご馳走に見えちゃった
だけに見える。
812名無し@日本人:2001/01/11(木) 03:18
でもこれって維新に始まった事じゃないのかも。
対象が中国からヨーロッパに変わっただけで。
813:2001/01/11(木) 03:21
その通り〜。
だけどコヴァの前で言っちゃだめよ。
814日本@名無史さん:2001/01/11(木) 04:05
佐幕派が、右ではないにしろ(右も左も新しい概念)貴族主義者(Aristcrat)ということができるかもしれない。
貴族が国王の権限を制限したり、国王を凌駕する力、経済力をもつことは、イギリスやフランス、ドイツ、
またイタリア(イタリアには王が長い期間いなかったが)でもその例をたくさんみることができる。
このことは、(マグナ・カルタや、ブルゴーニュ公などの事例)は貴族としての資格や立場を危うくすることではない。
佐幕派は日本という貴族主義(西洋的な意味ね)がなかなか芽生えることのなかった風土にあらわれた貴族主義の一風であった
のではなかろうか。
繰り返すが、日本の「右翼」は中途半端な「左翼」である。国家社会主義なのだ。
まあ、彼らのおつむの中にはマグナ・カルタという単語さえも存在していないだろうからわからないだろうが。
815公威:2001/01/11(木) 04:37
明治維新は、薩長土肥の連中が幕府に変わって国体を欲したのが発端
ところが下級武士と称される武士階級にない輩に地位を奪われただけのこと。
元老とかになった連中も当初は官位を名乗ってた、源や平など!
長崎奉行所のお触れでも『御一新というと闇の夜が俄かに白日になると思うのは下々のものの浅はかさである。夜はじりじり明けるものぞ」と書いている。
左翼革命と考えるのは付会でしょう。
816日本@名無史さん:2001/01/11(木) 06:23
御一新というと闇の夜が俄かに白日になると思うのは下々のものの浅はかさである。
夜はじりじり明けるものぞ

なんかトロツキーみたいだな。トロツキーの親戚がかいたのか?
817日本@名無史さん:2001/01/12(金) 06:47
age
818日本@名無史さん:2001/01/13(土) 14:34
status quo
819日本@名無史さん:2001/01/16(火) 22:39
ふふふ、やったね。
820日本@名無史さん:2001/01/18(木) 03:42
このスレは明治維新が間違いであり、薩長は逆賊であって、なんらの正統性ももちあわせていないことを結論付けた。
この結論をばどんな異論も覆すことはできなかった。
もはやこのスレの役割は終わった。
埋もれていくが良い。
821日本@名無史さん:2001/01/20(土) 10:14
あげ
822820:2001/01/20(土) 11:19
   彡川川司馬死ねミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン     _______________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜        /げ、現実では負け犬のボクでも
  川川‖    3  ヽ〜      < ネ、ネットなら勝てるんだな、ハァ、ハァ
  川川   ∴)д(∴)〜       \________
  川川      〜 /〜 カタカタカタ
  川川‖    〜 /‖ _____
 川川川川___/‖  |  | ̄ ̄\ \
   /       \__|  |    | ̄ ̄|
  /  \___      |  |    |__|
  | \      |つ   |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
 |       | ̄
823日本@名無史さん:2001/01/20(土) 11:41
   彡川川司馬死ねミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン     _______________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜        /ボクは優秀な純日本人なんだ〜
  川川‖    3  ヽ〜      <だからチョンの西国人なんかにまけるわけがないんだ〜
  川川   ∴)д(∴)〜       \________
  川川      〜 /〜 カタカタカタ
  川川‖    〜 /‖ _____
 川川川川___/‖  |  | ̄ ̄\ \
   /       \__|  |    | ̄ ̄|
  /  \___      |  |    |__|
  | \      |つ   |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
 |       | ̄
824【^▽^】ジョーカー:2001/01/20(土) 12:24
薩長土肥晒し上げ!
825 :2001/01/29(月) 11:28
あげ

826日本@名無史さん:2001/01/29(月) 11:31
   彡川川司馬死ねミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン     _______________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜        /ボクは皇室信者の優秀な純日本人なんだ〜
  川川‖    3  ヽ〜      <だからチョンとアイヌの混血の東国人なんかにまけるわけがないんだ〜
  川川   ∴)д(∴)〜       \________
  川川      〜 /〜 カタカタカタ
  川川‖    〜 /‖ _____
 川川川川___/‖  |  | ̄ ̄\ \
   /       \__|  |    | ̄ ̄|
  /  \___      |  |    |__|
  | \      |つ   |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
 |       | ̄
827日本@名無史さん:2001/01/29(月) 11:42
遠山茂樹「明治維新」が復刊されたが、この本の評価は?
828日本@名無史さん:2001/01/29(月) 18:31
講座派あげ
829日本@名無史さん:2001/01/30(火) 02:16
>>811
だったら西洋否定してちょん髷に和服で歩けよ。
上の階級にはへいこら平身低頭でな。
恩恵受けたくせにムキになって噛みつきたがるのはチョンなみだな。
結局否定論者は負け犬の遠吠えしかできない(藁
830日本@名無史さん:2001/02/02(金) 02:43
↑おならこいちゃった。
831日本@名無史さん:2001/02/02(金) 04:52
このスレちょっとまえまではおもしろかったのになあ
832日本@名無史さん
あげちゃダメ。