清洲会議の後の織田家総領は?

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1ちっぱん
秀吉が後見人になって織田の家督を継いだ(?)
三法師はその後どうなったのでしょう?
2名無しさん@矮小なる首領様:2000/11/15(水) 01:43
関が原で岐阜城に立て篭もって東軍と戦った結果、改易じゃなかったっけ
3:2000/11/15(水) 01:48
 岐阜城城主(織田宗家当主織田信忠も本能寺の変時に二条城に討ち死にするまで隠居の父親信長に岐阜城城主にされていた)の地位は清洲会議から関ヶ原の戦まで変わりなし。関ヶ原の戦に東軍に抗拒のち降伏開城してからは高野山に蟄居してそのまま1604年に死去。
4:2000/11/15(水) 01:53
 3の付け足し、三法師のちの織田秀信は、関ヶ原敗戦までは、岐阜藩13万3000石の藩主だった。
5:2000/11/15(水) 02:02
どうも。悲惨な末路やな・・・・

信長の行った中世的権力の打破が、貴種・血統信仰といった
物を一掃し、織田家自体が崩壊してしまったのは皮肉だ
6考える名無しさん:2000/11/15(水) 02:06
>関ヶ原敗戦までは、岐阜藩
その頃「藩」はないよ。ばーーーーーーーーーーか。
7日本@名無史さん:2000/11/15(水) 02:12
>M
ば____________________か
8日本@名無史さん:2000/11/15(水) 02:15
京都新聞の千葉並み
9:2000/11/15(水) 02:16
>6

秀吉政権に編成された大名の所領も、広い意味での藩と呼んで
差し支えないのでは?
「伊達政宗は関ヶ原の後、家康によって仙台藩62万石を安堵された」
って記述もある(山川)。この文脈からは、江戸幕府成立以前の所領
を藩と呼んでいるように思えるのだが?

それから、「ばか言う者がばかだ」って言葉の成立は安土時代です。
10:2000/11/15(水) 02:21
 >6
 揚げ足取りの6さん、じゃあ、秀信の支配領域をどうよぶの?また秀信の支配領域は織田秀信領とか織田宗家領とでもいうの?秀信の支配領域は美濃のどのくらいまでだったか掲示してからえらそうに揚げ足とってね。
11:2000/11/15(水) 02:29
 スレッドずれ落書き
 結果論として関ヶ原の戦は徳川家の織豊両宗家に対する反逆戦争。
 西軍ー豊臣秀頼、織田信雄、織田秀雄、織田秀信
 東軍ー織田長益(有楽斎)、徳川家康
12日本@名無史さん:2000/11/15(水) 03:07
「桃山期のの織田家領」とでも言えばいいじゃないか。
関が原以降とその前では、各大名の封地、
石高が大きく違ってしまうのだから
あまり混同しないようにそう呼ぶのがいい。
ちなみに藩という呼称が使われはじめたのは
江戸も終り頃になってから。
13名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 03:14
落城時の、秀信の感状の話もよろしく。
14名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 03:19

秀信後の「織田家総領」は、どこになるのでしょうか?天童?>誰ぞ。
>>9
>それから、「ばか言う者がばかだ」って言葉の成立は安土時代です。

これも面白そうなので由来・出典を教えてください。

15ちっぱん:2000/11/15(水) 18:18
藩の定義
もともと中国の封建制度の藩屏からきているんでしょうが、

広義:石高制に基づく大名の領地及び行政組織
狭義:江戸期の大名の領地及び行政組織

これではダメですか?

>それから、「ばか言う者がばかだ」って言葉の成立は安土時代です。

ウソ。すいません
16日本@名無史さん:2000/11/15(水) 18:36
儒学者の新井白石が「藩翰譜」を著したのが、藩の用語の最初と伝えられるが、
この表現は普及しなかった。
17日本@名無史さん:2000/11/15(水) 19:07
堅固な岐阜城に篭城してればいいものを、敢えて打って出て蹴散らされた
うっかりものの秀信くん(8月23日)。関ヶ原での東西両軍激突は9月15日。
18日本@名無史さん:2000/11/15(水) 19:14
Mアホ Mアホ Mアホ MアMアホ ホ Mアホ Mアホ Mアホ Mアホ MアMアホ ホ Mアホ
19日本@名無史さん:2000/11/15(水) 19:17
Mは相手にしないでね。
20:2000/11/15(水) 19:43
 >17
 いちいち細かくてすばらしい。いやおおざっぱなこちらが「Mアホ」でしたね。
 ところで一連の1600年の東西両軍の各地の諸戦は、一くくりにするとすれば何と呼べばよろしいでしょうか。

 ところで秀信を直接攻めたのは織田恩顧大名、池田輝政と豊臣恩顧大名、福島正則ですね。まったく恩顧などが通用せず、自らの保身のみを考える時代の到来の象徴ですね。池田と福島が秀信を攻める構図は。
21日本@名無史さん :2000/11/15(水) 20:01
恩顧武断派はよっぽど三成の味方になるのが嫌だったんでしょうな。
秀信の西軍参戦は本能寺の変の影に家康の臭いを嗅ぎ取っていたが
ゆえの決断だったとか(推測)。
22名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 23:49
>>17
うっかり出たわけではない。

>>20

>織田恩顧大名、池田輝政と豊臣恩顧大名、福島正則

池田家はともかく”輝政”は、豊臣の方が恩深い。
織田秀信も、織田家自体は秀吉の「主筋」だが、
その地位は豊臣家によって保全されていた。
豊臣家内でも地位は高く、つまり豊臣武将と言っ
ても言いずぎではない。
つまり、福島や池田の感覚で言えば、
家康も三成も大谷吉継も黒田長政と同じ「同僚」。

同僚の仲間割れ(権力争い)に過ぎない。

>まったく恩顧などが通用せず、自らの保身のみを考える時代

これこそが戦国時代。
「己を評価してくれる”人”の元で働く」
恩顧とか、義理なんかを感じるのが美徳とされたのが
江戸以降のヘナチョコ侍思考

23ちっぱん:2000/11/16(木) 00:32
>まったく恩顧などが通用せず、自らの保身のみを考える時代

そうですな。
恩顧とは違うが、戦国時代といえども、中世の濃厚な影をひきずっていた
わけで、信長以前は名家(将軍家や守護など)に対する素朴な信仰心や
神仏に対する恐れが大いにあったと思う。
しかし、信長は、尾張統一・比叡山焼き討ち・将軍追放・楽市楽座と、
そういう中世的権威を破壊し続けた。その結果、織田家そのものへの
畏怖・尊敬まで無くなってしまったのだろう。
24名無しにゃーん:2000/11/16(木) 00:55
秀信って、曽祖父の名前をひっくりかえした名前で抵抗無かったんだろうか。
25日本@名無史さん:2000/11/16(木) 01:56
>>24
そですね。秀って秀吉の秀なんでしょうけどね。

既に福島・池田といった秀吉子飼いの武将の世代にとっては、織田家
の栄光など過去の出来事であり、織田家に対して恩顧など感じる義理
ははじめからなかったと思う。
26日本@名無史さん:2000/11/16(木) 04:27
>>22のが正しい。
>>23って、大変失礼ですが、あほ?>信長以前は名家(将軍家や守護など)に対する素朴な信仰心や
>神仏に対する恐れが大いにあったと思う。

あったら足利幕府も応仁の乱もない。
権威=権威でしかない。
名家に対する信仰心?ハァ?
日本語の勉強しておいで。


権威は武器・道具となり得る。
江戸に至ってまでも禁中諸法度や寺社法度ができたわけわかる?
>その結果、織田家そのものへの畏怖・尊敬まで無くなってしまったのだろう。

特にこの辺妄想気味。

つーかMうざい。
小学校からやりなおせ。それから出なおせ。
27日本@名無史さん:2000/11/16(木) 08:57
西軍:織田秀信(信忠嫡男)、織田信包(信秀4男)、織田秀雄(信雄嫡男)、織田長次(信長11男)
東軍内応派:織田信雄(信長次男)、織田信高(信長7男)

東軍:織田有楽(信秀11男)、織田信貞(信長9男)
28日本@名無史さん:2000/11/16(木) 10:21
>27
そうなんだぁ。親子、兄弟、いとこ、おじ、甥とめちゃくちゃにわかれてるねぇ。
もともと織田家って、同族意識が希釈なんじゃない?
信長も一族殺しまくってるし。
29>M=22:2000/11/16(木) 10:41
浅学ぶりがここでも露わになったな、腐れ厨房。
30日本@名無史さん:2000/11/16(木) 13:41
厨学生だから多めに診てやれよ
31日本@名無史さん:2000/11/16(木) 14:04
Mは他のスレでも馬鹿カキコしています。
32考える名無しさん:2000/11/16(木) 16:46
慶喜スレッドでMははじけている。
33考える名無しさん:2000/11/16(木) 16:57
驚異!!!Mはアホなりけり。バスジャックしないことを祈る。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=971353092
34考える名無しさん:2000/11/16(木) 20:25
ついに立ったぞMスレッド
35ちっぱん:2000/11/17(金) 00:44
>26

んじゃ、信長以前に楽市楽座を出来なかった理由を何と考える?
それから、日本語のおかしい箇所はどこですか?
ついでに、権威が道具になり得る、この例に諸法度を出している理由が解らない。
36日本@名無史さん:2000/11/17(金) 00:55
>35 名前:ちっぱん
26じゃないがレスしよう。
@信長以前に楽市楽座を出来なかった理由→あったんだな。六角氏とかやってます。
A名家に対する信仰心→信仰という言葉が個人・家系に対し用いられることはあるが、
           主にそれは宗教の対象に向けられます。誤謬ではないが仰々しくて
           嫌らしい。
B26の文も悪いと思う。なぜ諸法度を例に出すかは不明。
37日本@名無史さん
>>35
知識少なすぎ。小学生@日本史大好きっコ以下。