初心者なんでマジで教えてもらいたいんっスけど、やっぱ近親相姦絡みで生まれると、そりゃあヤバイっすよね?
噂では、毎日「ギャハハハハー!」って踊りながら大騒ぎしてたっって聞いたんですけど、実際の所はどの位の基地外だったん?
この手の参考文献なんかも教えてください。
2 :
宮内庁 :2000/10/20(金) 01:44
そんなこと,とても言えません。
紙を筒にして望遠鏡にしてたなんて。
不敬罪でつかまりますよ。
スンマセン。
直接メールもらってもいいっス。
とにかく、教えてください。
4 :
サトミ隊員 :2000/10/20(金) 01:55
山縣有朋を嫌ってた
という点では、正常な感覚の人だ。
5 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 02:18
「朕はチンポをチンする」って言って電子レンジにチンポ入れたらしい
6 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 02:25
俺一緒に予備校行ってたけど、やっぱり代ゼミの全国模試で偏差値40位の馬鹿だったよ。
誰かひろゆきにチクって1のIP抜いたれ〜
その暁には街宣車が君の家に来るから気をつけな>1
8 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 03:45
>>2 全くそんな畏れ多いこと言えませんよねぇ〜。
詔勅を読み上げてて飽きたので、詔勅を丸めて望遠鏡にしつつ
じぃのアタマをぽんぽんとお戯れになっていたなんて・・・。
9 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 03:53
大正天皇は今でいうアルツハイマー性の痴呆症だったそうですけど。
だから生まれながらに馬鹿だった訳ではないようです。
10 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 04:50
大正天皇が産まれながらの白痴だったというのは共産主義者が
戦前、戦後にかけて流したプロバガンダによるデマ。
実際には後天性の日本脳炎による障害だったらしい。
一度この当たりの彼らの罪とか、実際に調べて再検証するべきだと思うのだけど。
彼ら、本当に売国奴としか言えないような行為もやってるよ。
共産主義者が当時弾圧されたのも仕方なかった気がする。
はい、はい、せっかくまともな日本史の話が増えてきてたのに、煽りはなしね。
他の人もいちいちあげないように。
弾圧されても仕方ないってな極論もやめましょう。
12 :
>10 :2000/10/20(金) 05:45
右翼的な人たちは、自分の思いどうりにならない人たちを
よく「売国奴」と呼びますが、いつも素朴な疑問を感じます。
「売国奴」で何が悪いのですか。
わたしは大いに結構だと思うのですが、ましてその程度の国なら
なおさら・・・
13 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 05:54
http://www.zakzak.co.jp/top/top1019_3_02.html 織原容疑者“金髪狩り”のルーツは?
すべては「金」のつきあいで…
「金」と「留学」、「イジメ」と「偽名」…。元スチュワーデス、ルーシー・ブラックマンさん(22)=写真左=失跡への関与が指摘される資産運営会社社長、織原城二容疑者(48)=同右=の素性を探ると、数々のキーワードが浮かび上がる。バブル景気が弾け、経営する会社が崩壊の危機に直面しながら、自ら破滅を選択するかのように東京・六本木を徘徊し、“金髪狩り”にふけっていた。織原容疑者の“心の闇”はどこで醸成されたのか。
慶応ボーイで、フェラーリやポルシェを乗り回し、金髪女性を次々に毒牙にかけていた織原容疑者。
捜査本部の調べに対し、震えながら、「今は何もいえない」と繰り返している同容疑者は、大阪市内でタクシー会社や不動産・ビル管理業などを営む資産家(在日コリアン)の二男、「金聖鐘」として誕生した。大阪市内でも指折りの高級住宅街にある豪邸は、高さ3メートルあまりの屏に囲まれ、周囲でもひと際目立つ。
この家で育った織原容疑者は、大阪でもトップクラスの国立大学付属小−中学で学んだ。中学時代の教諭によると、「成績も中ぐらいで、目立たない普通の子供だった」という。
だが、中学3年になると、これまでの生活をすべて捨てるかのような行動に出るのだ。目を二重まぶたに整形したほか、高校までエスカレーターで進学できたが、「彼は予備校などに通い、猛烈な受験勉強をしていました」(知人)と故郷を捨て上京、昭和42年、慶応高校を受験し、合格。近所の住民によると、「中学でイジメられたので、東京の学校に入ったといううわさでした。ただ、お母さんは『うちの子が、慶応に通ったんです』とうれしそうに話していました」。
捜索を受けた世田谷区玉川田園調布の豪邸で、一人暮らしを始め、進学後は、名前を「星山聖二」に代え、同期には慶大ラグビー部総監督の上田昭夫氏や作曲家の吉松隆氏、有名代議士の息子、一流企業人がズラリ。ただ、「クラスも一緒になったことはないし、覚えがない」(上田氏)。
それでも、織原容疑者と同じクラスにいた同級生の1人は、「うちの学校ではリーゼントがそんなにいなかったから目立っていた。どちらかといえば、ワルの部類で、成績はあまりよくなかった」。
今回の事件では、アングロサクソン系の金髪女性に対する異常な執着ぶりと変態的な性向が浮き彫りになっている織原容疑者。「多くの級友が卒業後はすぐ慶応大学に進むなか、早くから『僕は留学する』と言っていた」(友人)と、外国に関心が強かった。一部で、慶応ボーイの遊び場として知られる東京・自由が丘で白人女性に声をかけていたとも伝えらている。
事実、織原容疑者は卒業後に3年間、米国留学。この時期、帰化し、名を「織原城二」とし、慶応大法学部法律学科に入学。卒業後は、同学部政治学科に再入学した。
実業家として打って出るのは昭和63年。高校時代に亡くなった父親が残した莫大な遺産を元手に、資産運営会社「プラント」(東京・銀座)を資本金1000万円で設立し、取締役社長として門出を切った。
折しもバブル景気のただ中で、次々と物件を獲得し、事業を拡大。だが。平成3年ごろを境にバブルが崩壊し、物件は不良債権化。気が付けば、所有する約20件の物件など総資産約42億6000万円に対して、負債総額は約2倍の80億3500万円に達していた。
培った人間関係がすべて「金」のつながりだったためか、手を差し伸べる実業家仲間は少なく、ほとんどの物件が金融機関や整理回収機構、東京都税事務所に差し押さえられていた。
14 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 06:01
>元スチュワーデス、ルーシー・ブラックマンさん(22)=写真左=
>失跡への関与が指摘される資産運営会社社長、織原城二容疑者(48)
>(在日コリアン)の二男、「金聖鐘」として誕生した。
こいつもまた朝鮮か、本当にロクでもない奴が多いな。
15 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 06:16
Kネタはいいよ。版に合わん。
それとも右翼を騙ってるつもり?
16 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 06:28
朝鮮人の悪質な犯罪が多すぎる。
17 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 06:30
右翼を詐称する暴力団の朝鮮人あげ
板ともスレとも関係ないじゃん。
それなのに脈絡のあるレスが続くのは、自作自演の証拠。
出ていけよな、バカは。
19 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 06:52
18は朝鮮の手先の低脳サヨク つーか、このスレ自体がそう。
はいはい、また始まったぞ、この病人が。
で、19は大仙古墳スレで負けたままだぞ。
反論しろよ、強靭が。
で、そろそろ19がまた基地外レスをつけるころ。
「19の基地外っぷりを教えて」スレだったわけだな、ここ(わら
おっとしまった、わらなんて厨房19のクセがうつった。
結局、大方の予想通り、19による自作自演が続いたわけね(わら
25 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 07:10
>>13 >元スチュワーデス、ルーシー・ブラックマンさん(22)=写真左=
>失跡への関与が指摘される資産運営会社社長、織原城二容疑者(48)
>(在日コリアン)の二男、「金聖鐘」として誕生した。
こいつもまた朝鮮か、本当にロクでもない奴が多いな。
じゃ、そろそろオレも消えるわ。
キティガイ19を追っての旅が続く・・
27 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 07:16
基地外って遺伝するの?
だとしたら・・・
28 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 07:33
そもそもわけわからんのは、政治板へ逝けと言ったらサヨ扱いする右Qの論理。
あほやん。
中道のものまでを、全てサヨだ朝鮮だと罵る糞は逝け。
つうか、このスレ、日本史と全然関係ないやん。
おそらく日本史板住人のほとんどは、1みたいなアホから右(1人)まで
ウザイとしか思ってないぞ。
俺はそんなに天皇そのものについて語りたいなら
政治思想板でやればぐらいにしかおもわんぞ。
31 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 13:57
晩年に痴呆状態だったのは脳膜炎の後遺症で,遺伝が原因なのではない.
だが,皇太子(ヒロヒト)の結婚問題も取りざたされていた時期でもあり,
同時代のひとびとの意識に皇室の血統問題は微妙に影を落としていた.
宮中某重大事件は,このような情勢を背景におこったことを軽視するべきではない.
今日の常識から考えると明らかに非常識な,久邇宮良子との婚約反対論を山県有朋が
主張し,しかもそれがそれなりに支持される動きがあったのは,
大正天皇の病気とは無関係ではないだろう.
32 :
天之御名無主 :2000/10/20(金) 15:14
>1
おまえが初心者ではないのはわかってる。
いつも同じネタだからな。
だいたい、近親相姦というのも何も根拠のない話。
今上天皇からさかのぼって(江戸時代まで)
母方の出自を調べると、(現天皇家の先祖にあたらない人物は除く)
その父、昭和天皇の母は、 九条節子
その父、大正天皇の母は、 柳原愛子
その父、明治天皇の母は、 中山慶子
その父、孝明天皇の母は、 正親町雅子
その父、仁孝天皇の母は、 勧修寺★子
その父、光格天皇の母は、 大江磐代
その父、閑院宮典仁親王の母は、伊藤氏
その父、閑院宮直仁親王の母は、櫛笥賀子
その父、東山天皇の母は、 松木宗子
その父、霊元天皇の母は、 園国子
その父、後水尾天皇の母は、 近衛前子
その父、後陽成天皇の母は、 勧修寺晴子
その父、誠仁親王の母は、 万里小路房子
33 :
大正天皇[たいしょうてんのう] 《1879〜1926》 :2000/10/20(金) 15:16
【履歴・事績】
本名は嘉仁親王。明治12年8月31日、東京青山御産所にて生誕。父同様に中山忠能邸に預けられる。生まれた時から非常に病弱な体質であり、これを案じた美子皇后(昭憲皇太后)の意向で出雲大社より分霊とお守りを取り寄せ、中山邸内の神殿に安置させたという。18年に赤坂御所内の御殿に移るが先の事情から正規の教育は行わず、翌19年に湯本武比古の個人授業を受ける。しかしこの児童の時分より制約や規則というものに縛られることを極端に嫌うと共に、思ったことを何でも率直に発言する性格であったと云われている。20年学習院初等学科に入学したが、病気のため休学。以後、一時的に箱根や熱海に療養しながら健康回復につとめた。
明治22(1889)年、11月3日、立太子礼により皇太子となり、陸軍歩兵少尉に任命。同日、東宮職管制が定められている。26年、学習院初等学科卒業。続いて中等学科に入学したが、体調が芳しくない事もあって翌年中退。東京帝国大学より本居豊頴や三島中洲を招聘、彼らを東宮侍講としたが、特に三島の教える漢学に強い関心を示し、のちに優れた漢詩をいくつかのこしている。一方、皇太子の事情を憂慮した政府は沼津や葉山に御用邸を建てて皇太子を滞在させ、健康維持をはかるようすすめている。しかし28年には腸チフスや肺炎、感冒など数々の病魔におかされる事が多く、一時重体に陥る事態となったが医師ベルツらの助力もあって奇跡的に回復、無事全快に至った。この年、陸軍歩兵大尉に任命。
明治31(1898)年、明治天皇の意向により有栖川宮威仁親王が東宮賓友となると厚い信頼を寄せた。次いで、規律や格式を重んじる東宮職の反発を後目に、皇太子の健康状態維持優先を主張する有栖川宮が地方巡啓策を実現させるにともない、進んでこれに応じたという。33年、公爵九条道孝の娘・節子と結婚、神前結婚式を宮城内賢所で行い、三重,奈良、京都を訪問。これ以降は明治天皇の了承を得て地方巡啓は本格化し、北九州(33年月),信越,北関東(35年),和歌山,香川,愛媛,岡山(36年)を訪問。更に日露戦争後は天皇の名代としての公式なスケジュールとなり、山陰,韓国,南九州,高知(40年),山口,徳島,東北(41年),岐阜,北陸(42年),三重,愛知(43年),北海道(44年),山梨(45年)などを歴訪。これらの巡啓を通して、事前に計画していた日程の変更を求めてみたり、率先して旅先の人々と気さくに交わったりする等、周囲に印象深い様々な逸話を残していったものの、皇太子の体調は病弱だった頃とは別人の如く丈夫になったという。
明治45(1912)年7月30日、父・明治天皇崩御にともない践祚。「大正」と改元(『易経』の「大享以正、天之道」が出典)されると、それまでの自由な行動から一転して規制の多い生活を送ることとなり、このために病気におかされ、体調を崩すことが多くなった。また昭憲皇太后薨去のため延期となっていた即位式も大正4(1915)年11月10日に京都御所で正式に行われ、新天皇となったが、これについても即位式をなるべく簡素にするよう要望していたものの結局認められなかった。大正7(1918)年7月、米騒動が全国に波及した事を憂慮して東京府知事に情報収集を命じたりするなど、日々の公務の消化につとめる。しかしこの頃から次第に体調は悪化の一途を辿り、10年10月には宮内省も容体回復が難しい事を示唆した。そして11月25日、皇太子裕仁親王が摂政として公務を代行することにより、実権を完全に喪うに至った。
大正15年12月に重体となり同25日午前1時25分、家族に看取られながら葉山御用邸にて崩御。享年47歳。生涯において病魔に冒されることが多かった中で、旅先の庶民や官吏たちに優しく真摯に向き合い、また、誰よりも家庭を思いやる人徳のひとでもあったという。大喪は昭和2(1927)年2月7日新宿御苑で行われ8日、東京府下南多摩郡横山村(現・東京都八王子市長房町)の多摩御陵に葬られた。
34 :
大正天皇[たいしょうてんのう] 《1879〜1926》 :2000/10/20(金) 15:40
35 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 15:44
>32
俺は1じゃないし近世の天皇家が所謂近親結婚だとまで言う気はないが、
そういう表を出してきて歴代の生母の姓が異なっている(同じのもあるみたいだが)
がゆえに血が近くない、みたいなことを言うのも一種のサギだと思うぞ。
例えばな。大正天皇の父と母である明治天皇と柳原愛子について言うと、
天皇の父の父の母である勧修寺★子(★は女ヘンに青)は愛子の父の父の父の母である
勧修寺道子の姪にあたるし、天皇の母の父の母である正親町三条綱子は
愛子の父の母である正親町三条則子の叔母にあたる。
これだけ捉えれば遠いように思えるかもしれないが、三代四代前の遺伝子に
近親者がうじゃうじゃいる男と女同士の交配を1000年以上も繰り返している
んだから、近親婚でなくても、むしろある意味それ以上に血は濃いはず。
もちろん天皇家が日本で一番血が濃い家系なんて言うつもりはないが、
大方の現代人の観念に照らせば、とても血が濃い人々、ということもまた
事実だと思うぞ。
36 :
天之御名無主 :2000/10/20(金) 15:55
>35
その程度のことは、村社会の庶民じゃ日常茶飯事だろうよ。
37 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 16:00
35>36
村社会の中でも近親婚はあるだろう。でも何代も遡って近親交配・
準近親交配を繰り返してきた実例なんてあるのか?ソースを教えてくれ。
38 :
天之御名無主 :2000/10/20(金) 16:01
>35
しかし、皇族や公家は側室がたくさんいるからね。
天皇家同様、側室の子が当主になる例はかなり多い。
身分の低い町の美女を公家の養女にして、嫁にもらうこともあるでしょう。
庶民より、はるかにいろんなとこの血が入るよ。
光格天皇の母は、大江磐代は町医者の娘だからね。
3代4代前に血縁関係があるなんて例を1例2例だしても
あまり意味無いよ。逆にそれしかないの?って感じだね。
39 :
天之御名無主 :2000/10/20(金) 16:07
36>37
あんたの数少ない実例でも、近親婚とはとてもいえないね。
それと、実例って庶民の実例を一つ二つ出して意味あるの?
一般論として、親類縁者と結婚することはよく聞く話。
農村なんて、みんなそうなんじゃない?
身分社会、村社会がずっと続いてきたんだからね。
40 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 16:09
>光格天皇の母は、大江磐代は町医者の娘だからね。
それこそ例外だろう?その一代前の伊藤氏の娘とか六条天皇の母(記憶あやふや)
だとか、それぐらいじゃないか?
>身分の低い町の美女を公家の養女にして、嫁にもらうこともあるでしょう。
あった可能性は否定しないが、あんまり聞かないけどな。実例を出せるか?
>3代4代前に血縁関係があるなんて例を1例2例だしても
あまり意味無いよ。逆にそれしかないの?って感じだね。
本当にそれしかないと思ってるのか?無知だね。
41 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 16:09
>>33 大正天皇の結婚
神前で結婚式をあげた歴史上最初の人物が,じつは嘉仁親王(後の大正天皇)だということは,あまり知られていない.
日本古来の伝統だと一般に思われているものが,実は案外歴史の新しいものである例のひとつ.
42 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 16:13
>一般論として、親類縁者と結婚することはよく聞く話。
農村なんて、みんなそうなんじゃない?
身分社会、村社会がずっと続いてきたんだからね。
村といっても自分の村の連中とばかり結婚してきたとは限らないだろう?
村社会のほうが一般論としては貴族社会よりも婚姻可能な母集団が
大きいと思うぞ。もちろん例外はあるよ。ないなんていってない。
>あんたの数少ない実例でも、近親婚とはとてもいえないね。
35のレスの一行目を読んだか?
43 :
のりと〜 :2000/10/20(金) 16:28
古式ゆかしく…っていうのが全然古式でもなくゆかしくでもないってのが
こういうことだね.
神前結婚式は,キリスト教の神父や牧師たちが結婚式をあげているのをみた
神主が真似をして始めた新商売が,ヒットしてひろまったもの…かというと
そうでもないんですけれどね.
大正天皇の結婚式は,キリスト教の結婚式を参考にして,新らしい形式を
工夫したもの.当時の感覚では「伝統」というよりも,むしろ
「超モダン」なものとして受け止められた.
これが評判になり,庶民の間でもこれを真似た結婚式をあげることが流行した.
そもそも,結婚式というもの自体が日本にはありませんでしたね.
武家の場合は,小笠原流かなんかの婚礼の作法があっただろうけれど
あれも今でいう結婚式とは違うし.
44 :
天之御名無主 :2000/10/20(金) 16:29
>40
実例実例って、あんたの実例がたいしたものじゃないじゃん。
だいたい、近親婚こそあったとしても、きわめて例外だろうよ。
もちろん、古代は別だがな。
45 :
天之御名無主 :2000/10/20(金) 16:32
>42
公家といっても公家社会の連中とばかり結婚してきたとは限らないだろう?
貴族社会のほうが一般論としては村社会よりも婚姻可能な母集団が
大きいと思うぞ。もちろん例外はあるよ。ないなんていってない。
46 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 16:34
一代上の明治天皇の父母の例でいうと中山慶子の父の父の父の父
(中山愛親)は孝明天皇の母の父の父(正親町公明)と兄弟だ。
例外でもなんでもない。
47 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 16:39
>公家といっても公家社会の連中とばかり結婚してきたとは限らないだろう?
それはそうだが町娘を養女にした例なんてあるのか?せいぜい地下人
の娘みたいな貴族のワンランク下の階級ぐらいまでじゃないか?
>貴族社会のほうが一般論としては村社会よりも婚姻可能な母集団が
大きいと思うぞ。
貴族社会と準貴族社会の戸数などせいぜい数百どまりじゃないのか?
村落の住民の婚姻可能な戸数は数千から数万だと思うがね。
48 :
天之御名無主 :2000/10/20(金) 16:55
>46
何代も前のものじゃ、近親交配の例にならんだろ。
>47
結婚可能でも、どこの誰かもわからんものと結婚するか?
村落そのものだって、数百の単位だろう。
数万は都市だろ。
49 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 16:57
>38
>しかし、皇族や公家は側室がたくさんいるからね。
>天皇家同様、側室の子が当主になる例はかなり多い。
皇族や公家の場合、側室っていったって貴族の娘であることのほうが
圧倒的に多いぞ。
50 :
横レス :2000/10/20(金) 17:00
庶民が遠縁と結婚するのは、普通というか一般的だと思うよ。
昔は恋愛結婚なんてほとんどないからね。
相手は親が決めるわけでしょう。
51 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:05
>49
身分の低い貴族なんて、いろんなとこの側室を持つだろう。
玉の輿という言葉もあるが、
身分が高いものが身分の低い美女を嫁に迎えることは、
世界中、どこでもあることでしょ。
逆に庶民のほうが、結婚相手の範囲はせまいようにも思える。
52 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:06
>何代も前のものじゃ、近親交配の例にならんだろ。
遺伝にどれだけ影響関係があるかはわからないが、競走馬の例なんかだと
4代5代前の先祖に同じ馬がいただけでも影響力があると言われてるな。
いわゆるインブリード。それにたまたま一代の交配にそういう例があるんじゃなくて
千年以上そうだったんだぞ。累積されてるじゃないか。
>結婚可能でも、どこの誰かもわからんものと結婚するか?
知り合いのそのまた知り合いの紹介とかありえるだろう。
見知った同士でばかり結婚していたわけじゃない。他藩の住人との
婚姻だってあった。だいたい村一つだって大きい村なら数百世帯だぞ。
それより実例を出せよ。そうした問いかけには全然答えないじゃないか。
やはり詐欺師だな。
53 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:09
公家は「側室には公家の娘しか迎えない」とか言ってる奴は、
かなりイタイね。
54 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:10
>身分の低い貴族なんて、いろんなとこの側室を持つだろう。
玉の輿という言葉もあるが、
身分の低い貴族の経済状態を知ってるのか?とても玉の輿なんかじゃないぞ。
側室なんてとても持てない「貴族」がいくらでもいたはず。俸禄から計算して
そう考えるのが条理だろう?俺も3つ実例を出したんだからあんたも3つ
実例を出してくれ。
55 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:13
>53
そんなことは誰も言ってないだろう?49の人にしたって「圧倒的」
といってるだけで「しか迎えない」なんて言ってないし。
俺も「圧倒的」というのには同意だな。
56 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:14
>52
おまえが近親交配の実例を出してねーじゃねーか。
>見知った同士でばかり結婚していたわけじゃない。
それこそ例外だろう。
>藩の住人との婚姻だってあった。
実例を出せよ。
>だいたい村一つだって大きい村なら数百世帯だぞ。
名のある公家だって、百数十家あるぞ。
分家や側室を外から向かえることも考えれば、村社会より狭いとはいえないな。
57 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:15
>49=55
はやく実例を出せよ。
58 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:16
>54
経済的理由で側室を待てなかった(持たなかったではない)貴族の
実例を出せよ。
59 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:17
52>56
へんだな。俺は天之御名無主とやらに聞いたんだけどな。
名前変えて別人で援護してるのがバレバレ。ハハハ。
上のにもそういうのが混じってるんだろ。気づいていたけどな。ハハハ。
60 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:19
天之御名無主さんよお。あんたが実例を出せよ。あんた一つも出して
ないじゃん。
61 :
51 :2000/10/20(金) 17:22
>54
身分の低い男が、身分の高い娘と結婚するのは難しいが、
身分の高い男が、身分の低い娘と結婚するのは一般的でしょ。
もちろん、下級公家の中には、何人も側室を持てないものもいると思うが、
血統維持が第一の人たちだからね。
62 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:24
>59
自分の行為がばれたから、相手そう言ってるのか?
名前かえてるのはおまえだな。
63 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:25
>血統維持が第一の人たちだからね。
下級貴族の場合、それほど実子相続にこだわってないよ。というか
上級でさえそうなのだが。身分の低い娘との子供がいたという例が俺も
ゼロだとは思ってないが、相当数いたというのならやはり実例を
出してほしい。
64 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:26
>60=1
おまえが実例を出してないだろーが。
言い出したほうに立証責任があるんだよ。
65 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:28
>62
一番目と二番目のレスはなぜか自然に名前が変わってしまったんだが
それ以外は変わってないぞ。というか49以外味方もいないしね。
どこかのだれかみたいなことはしないよ。
66 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:30
>64
ああ、とうとう1とまで同じ人物だ、ってことにして逃げようと、
そういう魂胆ですか。アハハ。
67 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:31
重ねて言うが俺は1と違って近親結婚派ではないぞ。
まあ古代は別だがな。
68 :
51 :2000/10/20(金) 17:31
>63
でも養子を迎えるくらいなら、近親婚する意味もないんじゃない?
日本だけが特別とは思えないけどね。使用人の娘でも綺麗な子がいれば、
側室に迎えることなんてよくあることだと思うよ。
上級や皇族の場合は、公家の養女にしてからかもしれないけど。
69 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:33
>下級貴族の場合、それほど実子相続にこだわってないよ。
その根拠は?
70 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:35
しかし66は言葉使いもだんだん1に近づいてきたね。
まあ、そういうことでしょうな。
71 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:36
63>68
使用人の娘って言ったって上にも書いたような地下家クラスまで
じゃないかね。何度も言うがゼロだったなんて言ってないよ。
相当数いたって思ってるのはあんたなんだからそれは実例を
数点は挙げてもらわないと。
72 :
51 :2000/10/20(金) 17:40
地下家クラスって何?
73 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:40
>69
公家の系図を見れば養子を取った例はいくらでもあるから。
例えば天皇家が純然たる養子を取った例が皆無なのとは明らかに違う。
>70
それは本当に違うんだけどね。俺はスレッドって立てないもの。
まあそういうことにして逃げたいなら勘弁してやらないでもないよ。
もう天のなんとか君では時間置かないと出てこれないだろうしな。
74 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:42
>72
そんなことも知らないで議論ふっかけてるの?呆れたね。
75 :
人民武力相 :2000/10/20(金) 17:42
結局、近親交配の実例はないということでいいんじゃないか?
庶民より血が濃いかどうかは証明できないでしょ。
76 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:44
>75
なに抜かしてるんだよ。近親結婚はないが、血が濃い実例はあげた
じゃないか。
77 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:45
はっきりいって、公家社会なんていい加減なんだよ。
風俗嬢だって平気で呼ぶし、子供が生まれれば、
側室でも養子でもしちゃうんだよ。
78 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:47
>76
村社会の庶民より、血が濃い、血が薄いという証明もできない。
79 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:48
>77
平安朝末あたりには白拍子との間に子供をもうけたこともあっただろうが
江戸時代とかでそういう子供があとを継いだ例ってどれだけある?
80 :
ななしさん :2000/10/20(金) 17:49
現代の価値観で見れば、血が濃いかも知れないが、
当時の価値観で、その程度のことが血が濃いといえるのだろうか?
81 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:50
>78
人口数からの推論は書いたつもりだが。それに対して有効な批判が
得られたとは思ってないけど。
82 :
結論 :2000/10/20(金) 17:50
近親交配の実例はない。
庶民より血が濃いという証明もできない。
83 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:52
天のなんとか君はどこに言ったんだ?いるんだろう、ハハ。
せめて俺程度の実例はあげてみなよ。それぐらいできるだろう?
84 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:53
>81
その推論が有効なのか?
85 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:53
はあはあ匿名の掲示板っていうのは便利だねえ。1人何役やったの
坊や。
86 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:53
>83=1(その他多数)
実例あげてないじゃん。
87 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 17:55
天之御名無主 って名前を打たないと出てくるもんだよ。
88 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 17:57
>83=1(その他多数)
はあはあ匿名の掲示板っていうのは便利だねえ。1人何役やったの
坊や。
89 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 20:12
右Qが恐れる事実。
天コロは実は半島系だということを。純血主義の右翼君、現実を直視しようねん(爆笑
90 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 20:38
はあ、また出たか。こんな低レベルな煽りで右翼に勝利したつもりになってるんだからオメデタイね。
天皇に半島系の血が混じってることでぎゃあぎゃあ騒ぐ右翼はいまどき珍しいんじゃないかな。
民族主義というのは必ずしも血統主義とは相容れないんじゃないの。
中国は漢族だけで10億人以上居るが、そのうちどれだけが春秋戦国や秦漢時代からの子孫かね?
華南はそれこそ黄河流域とは全く別の文明が発祥した。
華北は古来より北方や西方から異民族の侵入が相次いだが、やがて漢族に同化していった。
隋の楊氏、唐の李氏が鮮卑族の子孫であることは有名な話。
(一応本人は漢の名家の出身ってことにしてるけど)
日本だって、あの東郷将軍は薩摩の朝鮮系の血を引く士族の出身じゃなかった?
関係ないかもしれんが、現代のフランスだって、なかなか本国に同化しない
マグレブ系のホワイトアフリカよりも、比較的同化しやすいアフリカ南西部出身の黒人の方が
社会に進出しているらしい。
91 :
>90 :2000/10/20(金) 20:49
お前本当に醜悪な野郎だな。鮮卑って蔑称は初めて聞いたぞ。
しかつめらしく講釈する暇があったら
そのサイテーな差別主義根性を叩き直せ。
92 :
90 :2000/10/20(金) 21:17
??????鮮卑族って分かってる?
まさかのまさかだと思うが「鮮卑=朝鮮人の蔑称」って勘違いしてない?
鮮卑ゆうのはね、4、5世紀頃に台頭した中国の北方民族の一種。
朝鮮人とは全く無縁だよ。別に専門的ではなく、高校の世界史レベルの知識なんだけどなあ。
まあ日本史版でこんなこと言ってもしょうがないか。
確かにあまりいい名称じゃないけど、文句あるんだったらそう名づけた当時の漢族に言ってほしいな。
あと他人のことを右翼だの差別野郎だの罵るんだったらもっと勉強してから言ってね>左の方々
93 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 21:21
大正天皇萌え〜
94 :
ぎゃはははははははは :2000/10/20(金) 21:28
>>91 はづかし〜 ヤツ
さらさずにおけない
>お前本当に醜悪な野郎だな。鮮卑って蔑称は初めて聞いたぞ。
95 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 21:29
>89
騎馬民族征服説は、もはやトンデモ説になってるよ。
何をもって半島系と言ってるのかしらないけど、
基本的に今の日本人のルーツとかわらない。
96 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 21:31
ようするに1=83=89は、
そのトンデモ説のために、天皇家が近親婚してなきゃ困るというとこでしょ。
まったく痛すぎる馬鹿だね。
97 :
いち :2000/10/20(金) 21:33
ウィーッス。 1っす。
レス、サンキューっす。
ちょっと酔っ払ってまーす。
「牛角」と「白気屋」でウーロンハイ7・8杯飲みました。
連れと大正天皇について色々語って爆笑してたら、床屋のポスターなん
かに写ってる髪型してハデハデシャツ着た素敵なオジサマ達に、すんげ
ー睨まれました。
しょうがねーんで、一通り食ってから白木家に河岸変えました。
マジレスっす。
98 :
NANASI :2000/10/20(金) 21:33
99 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 21:35
>97
ひきこもりの妄想
100 :
いち :2000/10/20(金) 21:41
>99
おおー、こういうの来たね! いいよー。
まだ全部見てないけど、90番台辺り見るとスレからは程遠くなってるね。
とりあえず、雨濡れたから風呂だ。
後で、君に牛角の500円割引券あげるよ。
101 :
↑ :2000/10/20(金) 21:44
こいつ、図星で顔真っ赤!(プ
102 :
日本@名無史さん :2000/10/21(土) 00:32
大笑天皇
103 :
35 :2000/10/21(土) 00:43
>96
俺は1でも89でもないぞ。それより早く実例出せよ。
あんたが自作自演しちゃったり逃げ回ったりしたことは水に流してやるからさ。
104 :
↑ :2000/10/21(土) 01:13
実例を出してないのはおまえだえろ。
言い出した奴に立証責任があるんだよ。
105 :
日本@名無史さん :2000/10/21(土) 01:36
103>104
例は出しただろ。立証責任ってどの部分についての立証責任?
少なくとも貴族の側室に庶民の娘もいたってのはあんたオリジナルの意見で
あってそれについて実例を教えてくれ、と聞いてもなんにも問題ないんじゃないか?
立証責任があるとかないとかのレベルの話じゃないだろう。俺は寡聞にして大江磐代
以外にそんな例を知らないから聞きたいだけだよ。まさか口から出まかせいったん
じゃないんだろ?
106 :
日本@名無史さん :2000/10/21(土) 02:33
103・104>
近世のお公家さんはなしでマイフェアレディみたいなはなしは
聞いたことがありません。戦国このかたアルバイト生活で
娘は大名とか豪商とかに嫁がせて実家に仕送りさせるという
スタイルだったんではなかったですか?
甲府宰相に嫁いで徳川宗家の御台所にまでなった天英院も実家の
娘たちの婚姻には尽力してますし、大阪船場の「ごりょんさん」が
公家娘の「御寮人」からきたのは有名ですよね。
光格天皇は閑院宮家の典仁親王のお子さんで大江磐代さんは典仁
親王の家女房ですよね。摂家より下でわずか五百石の宮家の家女房
を御所の中の方と並べると誤解も起こりますよね。尊号一件は有名
ですしね。
107 :
日本@名無史さん :2000/10/21(土) 02:34
平凡社 東洋文庫 「幕末の宮廷」 下橋敬長 より抜粋
典侍、内侍所出の皇子女
それからまた、典侍(すけ)さん、内侍(ないし)さんの御誕生遊ばされました(お生みになった)
皇子、皇女、これは有栖川宮さん、伏見宮さん、閑院宮さん等へ御養子に行かれますれば親王宣下
がありますが、そうでございませぬと、徳川さんでお手かけの御子というので、三百石はつけませぬ、
五十石をつけます。五十石で別の御殿で御養育になります。そのお子様が、摂家もしくは宮様と
御縁組になり、あるいはまた尼さんになりますと、徳川さんで二百五十石を殖やして、准后様の
御子さんと同じように三百石をつけられます。また五摂家、宮様に行かれてからおかくれになりますと、
(摂家、宮家の)御殿から御葬式が出ますが、朝廷にござる間に御逝去になりますと、それは
恐れ入ったもので、お局さんの家(典侍、内侍の実家)へ御尊骸を引いてしまいます。そうして、
御葬送も御里の御寺、たとえば堀河さんなら堀河さん、勧修寺さんなら勧修寺さんのお寺へ
ご埋葬になります。堀河さんのお姫様が右衛門内侍、その方が皇女(寿万宮)御誕生でのちに(三歳で)
おかくれになった。そのときには御尊骸を、その晩のうちに堀河さんのお宅へお引きになって、
翌日が御葬式、それも泉涌寺へは行けませぬ。堀河さんのお寺です。(中略)そのお墓も京都へ
行って御参詣になればわかりますが、われわれの墓と隣り合いです。つまらぬ商法人の墓と列んで
おります。(中略)誰が御供をして行くかと申しますと、右衛門内侍の親御さん堀河前中納言さんが
一人御供をして行く、御法事のございます時にも、唯今のように勅使が立ったりなどいたしませぬ。
典侍さん、内侍さんが、お寺へ参詣して焼香するのみのことでございます。ざっとしたものでございます。
(中略)どういうものでございますか、准后さんの御子様のほかは、朝廷のお寺へは葬らぬ。それ故に
皇子のお墓は、京都には彼方此方にございます。浄福寺に御一方、遣迎院に御一方、誓願寺には
御二方あらせられる。橋本、園さんのお姫様の時には誓願寺へ埋めました。唐橋さん、高辻さんの
お姫様のお生み申した御子様の時には浄福寺、中山さんのお姫様の時には盧山寺へ埋めました。
誰かがもうレスしてあるだろうが、大正天皇は
”奇知害(基地外)”ではなく、また近親結婚による
低脳でもなく、脳膜炎で(程度は知らんが)低能に
なったんだよ。
109 :
日本@名無史さん :2000/10/21(土) 03:57
110 :
10 :2000/10/21(土) 04:01
俺が言ったのは、日本の社会主義というのを一度再評価した方がいいんじゃないかってこと。
大逆事件とか、あそこら辺から狂っていったよな・・・
本来まともに育つべき芽がソビエトらの干渉のせいで育たなかったのではないか?
111 :
10 :2000/10/21(土) 04:16
上の方で天皇が近親婚を繰り返してきたと言っている人は
中世から近世に至る天皇家の実状についての知識がないんじゃないかな?
少なくとも京都辺りの庶民とも血の交流は相当あったようだよ。
貴族の娘が天皇と結ばれると言っても、実際には出入りの呉服屋とか八百屋とかの容姿のいい娘を
貴族が養子にして天皇に差し出す事例も多かったようだ。
やはり容姿がいい方が天皇の心証がいいからね。
それに、当時の宮中の貞操観念はかなり低かったようで、
誰が誰の子やら、本当の所は確実ではない。
112 :
10 :2000/10/21(土) 04:24
天皇の血統というものに対する幻想が強すぎんじゃないの?
血統にこだわるのは武士の文化で、
天皇の血統の意味というのも本来は武家と同じだったのだろうけど、
武力をもって支配する王、という存在から、千数百年経つうちに別の存在へと
変質していったように思える。
113 :
日本@名無史さん :2000/10/21(土) 05:11
>112
>天皇の血統というものに対する幻想が強すぎんじゃないの?
明治時代のときにそういう風に仕込んだからじゃないの?
>国文学増刊「後宮のすべて」 より抜粋
> 現在、八十代の人ならば、明治天皇の侍従長・徳大寺実則と昭憲皇太后の女官長・高倉寿子とを
>忘れることはないであろう。明治時代にはそれほど典侍・高倉寿子の名は、世間に鳴り響いていた。
>(中略)寿子は、しっかりした性格の持ち主であって、絶えず皇后の側近に侍し、天皇が皇后の諒承を
>得ず他の女官に手をつけられぬよう見守っていた。(中略)山川千代子著の「女官」に見えるとおり、
>明治の内廷(御内儀・おなぎ)は、皇后を頂点に、そして寿子を補佐として整然としており、風波のない
>穏やかな情況にあった。
明治・大正・昭和ときてある今だからねえ
114 :
名無しさん@1周年 :2000/10/21(土) 10:40
明治天皇が海水浴場を造るよう進言したと聞いてますが
今の皇室は海水浴をしたなんて話を聞きませんね。
大正天皇は泳ぎがうまかったと聞いてますが。
115 :
名無しさん@1周年 :2000/10/21(土) 10:47
日本は天皇が遺伝の話をした事に始まってます。
日本人の骨は硬く、朝鮮人の骨はもろい。
日本人が他の血を受け入れない為の民族意識があったと思います。
116 :
日本@名無史さん :2000/10/21(土) 11:22
89=90 のマッチポンプくさい
90あたりからレスの流れがへんじゃん
117 :
35 :2000/10/22(日) 00:05
>111
>上の方で天皇が近親婚を繰り返してきたと言っている人は
中世から近世に至る天皇家の実状についての知識がないんじゃないかな?
少なくとも京都辺りの庶民とも血の交流は相当あったようだよ。
貴族の娘が天皇と結ばれると言っても、実際には出入りの呉服屋とか八百屋とかの容姿のいい娘を
貴族が養子にして天皇に差し出す事例も多かったようだ。
上の106の人のレスや俺なんかのレスを読んで、その上で言ってるのか?
呉服屋や八百屋の娘を養女として差し出した?徳川将軍家では綱吉の母を見ても
わかるとおり下賎の美女が奥にあがることはあっただろうが、貴族、ましてや
皇室にそのクラスの女が嫁いだ(お手つきになった?)例なんて本当に聞かない
けどなあ。皇室や貴族の系図には母親の出自を記しているケースも少なくないが
そんな例にはお目にかかったことがない。誰々の養女で実は何某の娘などと書いて
あるものもあるが、その何某はほとんど貴族階級だぞ。もし天皇や貴族の母親で
実は八百屋や呉服屋の娘、というようなのがいるのなら、なぜそれが記録に残って
いないんだ?将軍の母親が下賎であっても、徳川将軍家はそのことを隠したりは
していないよね。そういう風土が一方であるのに、片や同時代の貴族階級では
そのことを隠した、というのであればどういう事情によるんだ?
「相当あったようだよ」「多かったようだ」って言ってるが、そういう話はどこに
書いてあるんだ?出典を教えてくれよ。他人のことを知識がないって言うんだから
そのぐらいのことをしてもいいんじゃないか?
118 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 00:59
光格天皇の母の大江磐代は、
伯耆国倉吉の町医者、岩室法橋の娘。
119 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:03
>118
だからその例は既出、というか皆知ってる。
過去ログ読んでから書いて。
120 :
結論は出ている :2000/10/22(日) 01:05
近親交配の実例はない。
庶民より血が濃いという証明もできない。
121 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:08
>120
早く実例だせ。だせないならクソして寝ろ。
122 :
120じゃないけど :2000/10/22(日) 01:13
>121
それは逆でしょ。
自作自演開始の時間ですか。
124 :
結論は出ている :2000/10/22(日) 01:15
近親交配の実例はない。
庶民より血が濃いという証明もできない。
125 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:16
サヨは自作自演が得意だからね。
126 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:18
近親交配の実例があるのかないのか、というのなら答えは「ある」
だぞ。聖徳太子の父母は兄弟だしね。
127 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:21
ここでは、古代は除くんだろ。
古代は古今東西、どこでもそうだしね。
128 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:22
>126
過去ログ見ろよ。
129 :
結論は出ている :2000/10/22(日) 01:23
近親交配の実例はない。
庶民より血が濃いという証明もできない。
130 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:23
>127
あるか、ないか、なら「ある」だろ。勝手に古代を除くな。
131 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:26
やっぱり主張するほうが証明して説得するもんだろ。
132 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:30
>130
古代の近親交配なんて、世界中どの階層でもあることだろ。
意味ないね。実例ばかり求めてないでもっと勉強しな。
133 :
結論は出ている。 :2000/10/22(日) 01:32
近親交配の実例はない。
庶民より血が濃いという証明もできない。
134 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:33
>132
意味があるかどうか知らないが、間違った「結論」とやらを
繰り返しているやつがいるから書いたまで。勉強しろ、っていうのは
そいつに言ってな。
135 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:36
>134
なんか苦しそうだね。
末期症状?
136 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:39
>135
同じレスを何度もコピペして都合の悪そうなレスを流しているやつに
こそ、そう言ってやれ。
137 :
日本@名無史さん :2000/10/22(日) 01:47
1を見ればわかるように、このスレは大正天皇の近親相関云々の話で、
議論が展開され、その流れで「近親交配の実例はない」との発言が
あるんなら、間違ってるとはいえない。「古代はあったじゃないか」は、
議論のすり替えだと思うね。
つーかさ。皆、1のメアド見た?
この時点で「煽り」と認識して、放置だろう。
煽りを煽って楽しむような悪趣味はやめようよ。
139 :
10 :2000/10/22(日) 19:36
>35
うん、読んだ上で言ってる。
前にその関連の書物を読んだ時にかなり詳しく書かれていた。
数人の貴族の間で養女としてたらい回しにして出自を誤魔化したんだってさ。
140 :
10 :2000/10/22(日) 19:42
なぜそんな事をしたのかは俺にも分からない。
だが、上の方でも誰かが言ってたけど、江戸期とかの公卿は自分の娘を大名にやったりして、
家名のブランドで食ってた所があるから、あまり公にするわけにはいかなかったのかもな。
確か、それらの事実が日記に書かれて伝わってんだよ。
後、他でも何かで読んだな、この事実。
司馬遼太郎だろうか?
141 :
日本@名無史さん :2000/10/23(月) 04:38
血じゃなくと実力もしくはバックに実力者がいることが天皇になる条件なのでは?
名前だけ襲名みたいな。山○組みとかに近そう・・・。
142 :
日本@名無史さん :2000/10/23(月) 06:20
>10=111=139
「生きた京人形」のことだろ。時代劇のネタにされるくらいのはなしだから
たいしたはなしじゃないって。
「八百屋」とくれば「お玉さん」「け〜しょ〜いんさま」って常識じゃん。
あんまりいい本読んでる感じしないよ。
だいたい中世から近世まで5〜6百年もまとめて総括するからいけないんだよ。
ほんとに消滅しかかった時期もあれば仲人業で手練手管のころもあったんだし。
13代家定将軍の御台所替え玉のはなしとかじゃないの。
まあ系図に替え玉ですって書き込むやつはおらんわな。
ま、なんだかんだいって
一番の低能は
>>91ってことですな。