日本史上、信長以外に男色家っていたの?

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1ジーモン@ケー二ヒスベルク
勿論、無名の人ではなく、大名とか公卿とか学者とか・・・
三島由紀夫のそれは有名だから、信長と三島以外で。
2ジーモン@ケー二ヒスベルク :2000/10/04(水) 21:35
ああ、それに信長も子沢山だったし、森蘭丸を大事にしたのも、
その有為有能からだとも聞くし、信長ホモ(バイ)説の怪しい。
3日本@名無史さん :2000/10/04(水) 22:01
いっぱいいる…。平安あたりとか。
4日本@名無史さん :2000/10/04(水) 22:08
がいしゅつネタ
5日本@名無史さん :2000/10/04(水) 22:25
過去ログ開いて、検索しろや。
6:2000/10/04(水) 22:42
>3
平安時代に!?
だって日本に男色が出てきたのは室町時代からではないの?
そうだ、足利義満も世阿弥のパトロンだった!
それはともかく、平安時代の御公卿様は源氏物語のような
”女色”でしょう?
あと、室町時代から仏僧にかなりいた事は知っています。
7>6 :2000/10/04(水) 22:45
俗説だけど「空海が元祖」とか言われている…つーか、まじで過去ログ見てね。
8日本@名無史さん :2000/10/04(水) 23:24
ここはジーモンに優しいな・・・
ジーモンも感激しているだろう。
9日本@名無史さん :2000/10/05(木) 07:51
10名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 14:13
ハイ

−−−−−−−−−−−−終了−−−−−−−−−−−−−−
11吾輩は名無しである :2000/10/05(木) 14:42
>6
少なくとも僧侶の世界では平安時代にもあったはず。
今昔物語にもそういう話題が出ているから。
12日本@名無史さん :2000/10/05(木) 15:00
武田信玄
上杉謙信
ほかたくさん
13日本@名無史さん :2000/10/05(木) 15:29
だから過去ログ見ろってば。
日本史板住人的には飽き飽きした話題なんだよ。

****終了******
14ジーモン@ケー二ヒスベルク :2000/10/05(木) 19:25
空海のような大腸菌坊主は、日本のラスプーチン
たる道鏡と同じく粛清せよ!
15名無しサンシティ :2000/10/05(木) 20:15
確か最澄の可愛がってた小僧を奪ったんだったよな>空海
16日本@名無史さん :2000/10/05(木) 20:22
男色を糾弾するスレなの?
17名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 00:41
武田観柳斎。
18ジーモン :2000/10/06(金) 01:42
>9
日本史板にこんにホモ・男色ネタが多いとは知らなかった。
世界史板にはないぞ。
>17
新選組の隊士であり討幕派のスパイか。
でも、幕末の志士には、討幕・佐幕を問わず男色家って
聞いた事がない。
19日本@名無史さん :2000/10/06(金) 01:59
>ジーちゃん
武田観柳斉が、馬越三郎っていう隊士に言い寄ったという話があるのよ。
ホントかウソか知らんけどね。
20日本@名無史さん :2000/10/06(金) 02:16
信長が比叡山を焼き打ちした時、寺から遊女や美童がいっぱい出てきたんだって。
21ジーモン :2000/10/06(金) 02:27
>19
武田観柳斎が男色家であったという話は、
司馬遼太郎の小説などにも書いてあるよね(真実はともかく)。
22日本@名無史さん :2000/10/06(金) 02:29
このジ−モン本物?
あまりに厨房過ぎるのだが。
まあ本物も厨房だが。
23なぅ :2000/10/06(金) 16:42
謙信×信玄カップリング萌え
24日本@名無史さん :2000/10/06(金) 19:31
確か、甲斐には男色の手引きみたいな
本がなかったっけ?
25名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 21:50
加賀の前田利家もそうだよね
26日本@名無史さん :2000/10/06(金) 21:56
信玄、秀吉もそうだと学者が言ってました。<昨日?
27日本@名無史さん :2000/10/07(土) 03:06
秀吉は違うだろ。
2826 :2000/10/07(土) 03:24
私は詳しくないのですが、偶々見た深夜番組で言ってたような。
2926 :2000/10/07(土) 03:27
キャイーンの番組だったかな?
その学者の名前は覚えてませんが。
30竹田丹後守 :2000/10/07(土) 03:39
なんでそんなにホモ話にこだわるんすか?>1
31日本@名無史さん :2000/10/07(土) 11:12
信長以外と言うより当時の武家(下っ端以外)では
男色家じゃ無い方が珍しい、てなことを昔聞いた。
32不平屋ジーモン@アンチ・リストラクション :2000/10/07(土) 13:29
>30
男色に限らず、珍しい存在に興味が有るから。
>31
だが、この板で平安〜江戸初期には男色と無縁な武家・公卿の
方が”珍しい”かったという事を教えて頂いた。
33不平屋ジーモン@アンチ・リストラクション :2000/10/07(土) 13:37
ただ、秀吉が男色趣味があったと言うのは有り得ない。
あと、家康も井伊を抜嫡したのは、その才覚に目を付けた
からで、それをそれ以前からの家臣の一部が井伊を妬み、
”殿にもその気が有るのでは・・・”と噂(と言うか半ば中傷)
したらしい。
秀吉や家康が男色趣味が有ったのであれば、
福島正則や加藤清正まで有らぬ疑念を持たれてしまう。
つまり、彼等のような足軽百姓や田舎土豪の倅に男色趣味者は無し!
34不平屋ジーモン@アンチ・リストラクション :2000/10/07(土) 13:38
32の訂正:抜的
3526 :2000/10/07(土) 13:49
秀吉ではなく家康と言っていたかもしれません。
うろ覚えですみません。
36日本@名無史さん :2000/10/07(土) 15:29
ちなみに、源頼朝はストレート
37日本@名無史さん :2000/10/09(月) 01:59
後白河法皇は男色趣味があった。
お相手は、藤原信頼、藤原成親、平重盛、平資盛たちと言われている。
38不動明王 :2000/10/09(月) 02:06
1>
あなたは自分が男色家であると宣言しているように見えますな。
39竹田丹後守 :2000/10/09(月) 06:46
いやほんと
ジーモン@ケー二ヒスベルク氏は堂々とカミングアウトすりゃええと
思うのだが
この時世、ホモを容認していこうという人たちも多くなってきたし、
氏にもここは一発頑張っていただきたいと思う(ちなみに俺も容認派
である)
40酔生夢死ジーモン :2000/10/09(月) 11:55
私は男色家でもなければアンチ・ホモでもない。
武士に二言は無い。
41名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 21:06
戦国時代のお殿さんは男色家じゃないほうが珍しい。
秀吉にその気がないのは当時奇異と思われてたほどである。
42名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 04:25
平賀源内の稚児狂いは有名。あしげく陰間茶屋に通っていた。
西洋ではキリスト教によって同性愛が禁じられた中世より、ギリシャ時代の方が多い
少年愛をプラトニックラブとして賛美したプラトンや、テーバイを覇者に導いた最強のホモ部隊神聖隊が有名。
道徳、教育でしっかり抑えてないと
ホモに走る男は多いのかなあ。
なんかイヤだ。
44日本@名無史さん :2000/10/15(日) 10:50
室町から戦国時代には実のところ
「女色は『煩悩』によるもの」「男色は『煩悩と無縁』である」
という無茶な理屈がまかり通っていたので、むしろ男色の方が望ましいモノとされ
ていました。
45日本@名無史さん :2000/10/15(日) 12:48
>43
戦時中上官に掘られたのは多かろう。
46日本@名無史さん :2000/10/15(日) 21:43
側室を何人でも持つことの出来た大名は、
子供が出来過ぎると養子縁組が大変なのでセックスの相手を
元服前の少年にさせていた、とどこかのホームページで見ました。
元服前の少年は一人前の大人として認められていなかったので、
これは衆道ではないと言われてたそうなのですが、
どう思いますか?
47美児童@慶応義塾幼稚舎 :2000/10/15(日) 21:56
この厨房スレッドは閉鎖されましたので、
御了承下さい。
・・・・・・・・・・・・・・終了・・・・・・・・・・・・・・・・
48名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/10/16(月) 02:32
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧ ∧    <   だまれ小僧!
  (,,・Д・)     \_____________
 @__ノ
49西川@慶応義塾幼稚舎 :2000/10/16(月) 20:11
47が「小僧」―少なくとも青年―ならば、嬉いのだがね。
しかも、幼稚舎からの慶応ボーイなら尚更ね(笑
50日本@名無史さん :2000/10/17(火) 02:57
藤原頼長。そのことを自分で日記に書いてた人。
他に鳥羽法皇とか。院政期あたりから男色が妙に増えた。
51月龍庵 :2000/10/17(火) 17:25
衆道は武士の嗜みらしい。
最初の理由は戦場に女性を帯陣できないときの性処理から始まったといふ説もあり(・・)b
52日本@名無史さん :2000/10/18(水) 18:42
当時は男が男色にふけこむのは、ごくごく当たり前のことだったみたい。
53西川@慶応義塾幼稚舎 :2000/10/18(水) 20:23
1がもうカキコして来ていないのに、諸君は執拗過ぎる。
このネタ飽きたからsage.
54世界@名無史さん :2000/10/19(木) 08:00
武田信玄なんか、男色相手への弁解の手紙まで残ってるそうだからな。
処分してやれよ。
55日本@名無史さん :2000/10/19(木) 08:20
戦国大名のガキの時の師匠は禅坊主。
当然自分もホモになります。豊臣秀吉がホモに興味ないのも納得。
56日本@名無史さん :2000/10/19(木) 08:39
醍醐寺三宝院に、お稚児さんとの行為”
を赤裸々に描いた絵巻物が残っているらしいです。
門外不出なんでしょーか・・・・。
当時はあたりまえだったんでしょうね。お寺では特に。。
57名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/10/19(木) 10:13
やっぱり中年と少年との組み合わせが圧倒的だったのだろうか。
58名無しさん@1周年 :2000/10/19(木) 10:52
将軍吉宗時代に、朝鮮通信使と応対した対馬藩の雨森芳洲は、中国語・朝鮮語に堪能で、
その才には朝鮮の使節も一目を置いていたが、儒教社会では許されない男色の癖には、
反発して文句を言ったら、にやにやしながら「慣れれば、いいもんだよ」と言い返したと
通信使の書に載っています。
要するに、天下太平の江戸中期においても、タブーでも何でもなかったと言うこと。

古代ギリシアでも、ソクラテスと美少年アルキビアデスとの熱愛話は有名で、
成人したアルキビアデスが裏切って、アテネがスパルタに破れる要因を作ったことが、
ソクラテスの死刑判決の一因にもなっています。

このように、男色を変とは思わない社会もあったわけで、現在の日本の慣習から、
評価することは的を射ていない。
59日本@名無史さん :2000/10/19(木) 15:52
まさに所(時代)変われば・・・ってやつだね。
60日本@名無史さん :2000/10/19(木) 18:42
>58
タブーではなかったが、一般的だったわけでもない。変わり者の趣味程度の扱いだった。
61日本@名無史さん :2000/10/19(木) 19:24
戦前に華族さんの息子さんが同性愛が親にばれて親族会議の結果
自殺しなさいっていわれて死んじゃった、
ってことがあったんだって。
江戸時代はOKということは、明治の欧化政策のときにカトリック
とかの影響で廃仏毀釈とかのときに「文明人はそんなことしません!」
ってなかんじで土俗の遅れた風習として葬りさられたってことかな?
南方熊楠なんかは紀州の田舎の山んなかにいたからあんまり気になら
なかったんだろうけど、そのころの教育ママたちはどういう認識だっ
たんだろうね。
今じゃホモ、ハゲ、整形はただの芸能ねただからね。
同性愛板の方おめでとうございます。
62名無しさん@1周年 :2000/10/19(木) 19:35
60は思いつきで断定的に発言するな。根拠となる文献を述べよ。
63日本@名無史さん :2000/10/20(金) 15:04
ザビエルが布教するときにいちばん驚いたのが、武将の男色趣味だった。
キリスト教では禁止されているからね。大内義隆に謁見したときにも
そのことをズバリ言って、義隆の不興を買っている。
だから、キリスト教が入ってくる前の日本では、いけないことという
意識はなかったんじゃないかな?誇れることでもなかっただろうけど。

武将の間でひろまったのも、やはり戦に女は連れて行けないので、
そのときに相手を務めたのが小姓だったというのから始まっているらしい。
ただ、自分の快楽の道具にするんじゃなくて、相応の時期に元服させて
臣下としてきちんと独り立ちさせてやるのも重要な役目だった。
念者の契りをするというのはそういうことらしい。

昔の日本は、男女とも性に対してもっと開放的だったんでは?
庶民に限定すると、処女性を神聖視するとか、隠すべき、恥ずかしいと
認識されるようになったのは、明治になってからだろうね。
64ななし :2000/10/20(金) 17:04
歌舞伎も初めは若衆歌舞伎って、美青年がやってたんでしょ。
でも禁止されて今みたいな野郎歌舞伎になったてことは
やはり不謹慎だったんでしょうか。
65日本@名無史さん :2000/10/20(金) 20:10
66日本@名無史さん :2000/10/21(土) 00:12
サルベージにより下がってますが、こっちの方が同性愛ネタでは
最近のスレッドなのであげます。
私が立てたこの厨房スレッドも、皆様方の御蔭で大いに議論(?)
が尽くされましたので、これにて閉鎖・終了致します。

・・・・・・・・・・・・・・・・立ち入り禁止・・・・・・・・・・・・・・・
68七氏さん@日本史板 :2000/10/21(土) 01:37
>ジーモン

貴様、男色の「だ」の字も理解出来ない穢多長吏坊の分際で
仕切るんじゃない!
69>67 :2000/10/21(土) 01:55
そうだ!貴様なんぞ革(かわ)でシコってりゃいんだよ!
70新平民ジーモン :2000/10/21(土) 02:08
さ〜てと、68と69を解同の似非同和ヤクザにチクっとこっと!
最後通牒。
今後、この板に立ち入る者は自動発砲措置によって射殺されます。
72ばきゅーん :2000/10/21(土) 03:17
イヤーン
73掘人21万肛ジーモン :2000/10/23(月) 00:50
男色人生 楽しいで!
74日本@名無史さん :2000/10/23(月) 01:25
日本史板はさすがに濃いな
75日本@名無史さん:2000/10/25(水) 00:49
朝鮮の話がでていたが、花郎団ってそうだったの?
76日本@名無史さん:2000/11/21(火) 13:16
ホモ最高!珍子なめさせにけり。
77日本@名無史さん:2000/11/21(火) 16:33
強大なヤマト王権あげ

ってかわいくない?ペロペロしたくなっちゃう
78:2000/11/21(火) 16:35
いや、いつもそう言ってアゲる馬鹿は大嫌い。死んでほしい。
79日本@名無史さん:2000/11/21(火) 18:15
>2

子供つくっても その趣味のある人って 現代でもいくらでもいるよ。
80日本@名無史さん:2000/11/22(水) 00:07
室町の同胞衆ってそもそもホモ集団じゃんよ。
81宇喜多能家:2000/11/22(水) 00:43
上杉謙信も家臣鬼小島弥太郎と関係があったらしい。
82名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/15(金) 02:08
     
83日本@名無史さん:2000/12/17(日) 10:34
>>80
同朋衆の流れを汲む、茶道もそうか?
84雨宮洋明:2000/12/17(日) 18:50
男色マンセー
85日本@名無史さん:2000/12/20(水) 17:18
っつーか、1はもうちょっとお勉強してから
スレたてればいいのに。男色家多いよ。
男色って言うか両刀かな。たしなみ。
86日本@名無史さん:2000/12/20(水) 20:59
>85
ジーモンを知らぬとは。最近この板に来た人だね。
87【^▽^】ジョーカー:2000/12/20(水) 22:22
男色趣味が無かった戦国武将は、秀吉、家康、加藤清正、福島正則、
位かな?
88日本@名無史さん:2001/01/10(水) 14:00
イエヤスはガンガンだってよ。
89日本@名無史さん:2001/01/10(水) 14:40
>>86
このジーモンほんもの?
90【^▽^】ジョーカー:2001/01/11(木) 19:40
政治思想板で”有名”な愛国大学生君(別名:純潔大学生君)曰く
”大和民族に同性愛者などいないはず”だそうです。
91日本史@名無しさん:2001/01/12(金) 11:31
ほとんど伝説で史実とは思えないけど、天智天皇と藤原鎌足
源義家と…誰だっけ、名前に「か」の付く人(誰かフォローしてくれ)
すでに平安時代から語りつがれてる噂。
昔の人は半ばこれを本気で信じてました。
92日本@名無史さん:2001/01/12(金) 13:55
古事記は、儒教に余り囚われずに、奔放な性行為を記しているけど、
男色の話はあったかなあ?
仏教が広まって、僧籍に入れられて、女犯を禁じられた人々が、
男色に染まっていったのが、普及する始まりじゃないの?
93日本@名無史さん:2001/01/12(金) 14:43
仏・ヒンズー系、キリスト・イスラム系以外の
土着宗教とかの民族ではどうなんだろ
94日本@名無史さん:2001/01/12(金) 15:40
>>92
古事記(だっだか)の「あづないの罪」というのが我が国における男色の始まり、
みたく言われてます。
万葉集にも古今和歌集にも男同士の恋歌がのっています。
でも広まったきっかけは、やはり寺院での男色だろうと思います。
95【^▽^】ジョーカー:2001/01/12(金) 19:03
男色マンセー!
96日本@名無史さん:2001/01/12(金) 20:40
(^0^)/ 男色マンセー!

ついでに、既出だろうけど徳川綱吉。
美青年の能役者を「廊下番」と称して侍らせてました。
廊下番に指名されちゃった能役者は家の跡を継げないので、
つぶれちゃった能の流派もあります。
97日本@名無史さん:2001/01/12(金) 23:04
利家と森乱が信長の相手をしたっつーのは史料で残ってるの?
信長のイメージと合わないなぁ、美少年を小姓にするタイプって
義元、謙信、秀吉、家康っポイけどなぁ、俺のイメージだと信長は
ゴッツイの連れて周りを威嚇するタイプなんだけど
98日本@名無史さん:2001/01/13(土) 07:24
利家は日記か何かあったはず。
蘭丸は知らん。
99名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 10:40
>>97
乱丸ゴツかった説ってココで流れてなかった?
100【^▽^】ジョーカー:2001/01/13(土) 18:28
>97
何!?秀吉にも男色趣味があったの?
家康でさえオゾマしいのに秀吉となると尚更・・・
101ジーモン@ケー二ヒスベルク:2001/01/13(土) 18:51
我がドイツしかも東プロイセンにはホモなどいませんでした。
102【^▽^】ジョーカー:2001/01/13(土) 19:18
>101
東プロイセンは田舎だからね(藁
ケー二ヒスベルクは田舎ではなかったけど、
敬虔主義の権化で、あのカントのような偏屈を生んだ町だから。
お宅もベルリンやハンブルクに行ってみなさい。
10397>100:2001/01/13(土) 21:54
イメージが、成金のいやらしい親爺<秀吉・家康・義元
真性ゲイ<謙信
奇抜な格好とゴッツイ小姓(近習)で他国の使者や公家をビビらして喜ぶ<信長
104をいをい:2001/01/13(土) 22:36
>>101
世界史板で、呼んでるよ。
http://mentai.2ch.net/whis/index2.html#14
105がいしゅつごわすか?:2001/01/13(土) 23:09
薩摩では、男同士の契りをしないと
一人前の男として扱われなかった、と
鹿児島の郷土史家が言うてごわす。
特に朝鮮出兵の頃から、藩の方針として
さりげなく流行らせたげな。
106日本@名無史さん:2001/01/15(月) 16:41
平安時代に書かれた男色小説のタイトルが「舎人の閨(とねりのねや)」
タイトルだけ伝わってて中身はどんな話かは不明ですが。
タイトルからしていかにもそれっぽい。

信長と利家は、「昼も夜も仲がよかった」とどっかに書かれてましたね。
「二人に肉体関係があったかどうかは謎だが、当時の社会常識から考えて、
関係があったとしてもおかしくない」という学者さんもいるみたいだ。
107優良スレにつきあげとくか:2001/01/16(火) 11:11
とっても有名なカップルで大内義隆と陶晴賢。
後朝の歌まで残ってる。
でも、その後裏切られちゃう。
108日本@名無史さん:2001/01/16(火) 11:21
それでトオルちゃんだったの?(笑
109優良スレにつきあげとくか:2001/01/16(火) 13:17
大河ドラマでは手を握りあってましたね。(笑

もひとつおまけに、徳川家宣と真鍋明房。
能役者が大名にまで上り詰めるという前代未聞の出世。
110日本@名無史さん:2001/01/16(火) 13:55
>>109
一般的には、間鍋あるいは間部詮房
111日本@名無史さん:2001/02/06(火) 17:07
tst
112日本@名無史さん:2001/03/07(水) 19:25
寂れている
113【^▽^】ジョーカー:2001/03/13(火) 21:01
自らage.
114日本@名無史さん:2001/03/13(火) 21:54
このスレ、まだ生き残ってたの??
115名無しさん@1周年:2001/03/14(水) 01:54
堂本正樹の『男色演劇史』いい本だったな。絶版だよね。どっかで売ってないかねえ。
116日本@名無史さん:2001/03/14(水) 02:13
義経は鞍馬でヤられてたんだろうけど、そのあとはノンケになったんでしょうか?
117【^▽^】弁慶:2001/03/14(水) 19:32
>116
俺とヤってたよ、平泉でもな。
118【^▽^】後白河法皇:2001/03/14(水) 19:33
義経は朕のもんじゃい!
119日本@名無史さん:2001/03/15(木) 13:49
結局は欧米文化が入ってきてから男色文化は否定されちまったんだな。
今の時代にホモヤロー!とか責められてるやつは可哀想だな。
120日本@名無史さん:2001/03/15(木) 13:58
欧米文化が入ってきて、畜妾もダメになったんだっけ…
それまでは、妾さんも男色もオッケーだったのに、残念な事じゃ。

しかし、ルネサンスのころのカトリックのぼんさんたちも
やってたんじゃなかったっけ?男色。
121日本@名無史さん:2001/03/16(金) 00:09
カエサルもなの?
しかも受け
122日本@名無史さん:2001/03/16(金) 00:52
志賀直哉
123名無しさん@1周年:2001/03/16(金) 02:58
芭蕉に可愛がられてた弟子って杜国だけ?
曽良は違うの?あーんなに仲良く二人で旅行してたのに。
124日本@名無史さん:2001/03/16(金) 04:27
男が二人でいたらみんなホモに見える、同人女みたいな意見はやめれ〜。
義経も違うでしょ。あんな女に弱いやつ…。
江戸時代人は弁慶とできてたって思ってたようだが。
125日本@名無史さん:2001/03/16(金) 10:17
>>124
昔は両刀がふつうだよ。
現代の「男にしか勃たない」ゲイとは違う。
126日本@名無史さん:2001/03/16(金) 10:33
でもノンケとわかる人もいるね。
定家とか、日記で、どうだかな〜って思ってるような記述があるし。
127125:2001/03/16(金) 10:44
>>126
ああ、そうですね。
125で書いたのは「女好きだからって、男とやらないということはない」
ということが言いたかったんでした。ども。
128日本@名無史さん:2001/03/16(金) 12:01
>>125-127
うむ、同感
129日本@名無史さん:2001/03/16(金) 17:01
法然さんが、親鸞少年を掘っていたのは有名なはなし。丹羽文雄の小説にもあった
記憶がある。
130日本@名無史さん:2001/03/16(金) 18:40
親鸞は、女犯の念が断ち切れずに相談に言ったのに、
掘られちゃったの?
131日本@名無史さん:2001/03/16(金) 18:55
秀吉を除く戦国大名ほぼ全員と中世の僧侶はたいてい男色あり。
上杉謙信などはオンリでとうとう結婚もせず。
「毘」の旗はモーホの代名詞〜
132【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/16(金) 19:05
あの絶倫生殖爺の家康も?
133日本@名無史さん:2001/03/16(金) 20:59
新撰組はどうなのよ。ネタによくあがるでしょ?この手の。
134【^▽^】ジョーカー:2001/03/16(金) 21:04
>133
武田耕雲斎(名前が違うかな?)位じゃないの、
新撰組で男色家は。
135【^▽^】ジョーカー:2001/03/16(金) 21:06
また、江戸後期・幕末には、九州以外の地域では
男色は下火となっていたとも聞くが。
136日本@名無史さん:2001/03/16(金) 21:35
>>134
それは、
耕雲斎では、なく、
観柳、
では?
137日本@名無史さん:2001/03/16(金) 21:59
>>135
だから九州には美少年てお酒があるのか・・・
138日本@名無史さん:2001/03/16(金) 22:52
>132
井伊直家が家康のあれでしょ。
どーでもいいけど、HNは統一してくれー!
139日本@名無史さん:2001/03/16(金) 23:19
土方歳三が男色だって話を聞いたよ。
140【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/16(金) 23:34
>136
耕雲斎は水戸天狗党か。
>139
嘘こけ。
141日本@名無史さん:2001/03/17(土) 00:23
>>139
名前忘れたけど、「燃えよ剣」で土方歳三やってた男優はホモで有名。
142【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/17(土) 00:29
>141
役所はモーホーじゃねぇだろう。
143日本@名無史さん:2001/03/17(土) 00:43
>142
栗塚旭のことじゃないの?
1970年放映の「燃えよ剣」の土方役。
144食いだおれさん:2001/03/17(土) 04:40
土方歳三自身はどうであれ彼が女からも男からも惚れられてた
ってのはあるんじゃないか?なんかどっかのページで
歴史的な資料で土方歳三の男色証拠資料発見!みたいなの
見たけどさ。
145日本@名無史さん:2001/03/17(土) 07:08
>酔鯨ジョーカー武蔵之守
土方歳三が男色だったと最近発表されたぞ。お前が知らないだけ。
146与六:2001/03/17(土) 08:37
平幹とピーターが出演している今年の大河。新宿二丁目での評判が気になります。
147日本@名無史さん:2001/03/17(土) 12:22
別に土方が男色でも良いじゃない。
けっこう格好いい男だったんだよな。
文明開化スタイルしか見たこと無いけどな。
148【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/17(土) 13:11
多摩の呑百姓でオカマな訳ないだろう。
149【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/17(土) 13:28
長州で男色家って聞いた事が無いなぁ。
150日本@名無史さん:2001/03/17(土) 13:32
プロレスラーの?
151【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/17(土) 13:33
土方歳三男色家説も、
(私は慎太郎嫌いだが)石原慎太郎バイ説と同じくデマだろう。
152【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/17(土) 13:57
>150
長州力じゃないよ。
153【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/17(土) 14:51
>146
随分前に聞いた話だが、藤竜也と高橋英樹もバイらしい。
154日本@名無史さん:2001/03/17(土) 18:53
石原はデマだけど松平健と加藤剛は完璧そうだよね。
155日本@名無史さん:2001/03/17(土) 18:55
裕次郎は早漏だよね。
156【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/20(火) 12:51
土方男色家説のソース頼む。
157日本@名無史さん:2001/03/20(火) 21:29
徳川家光もそうでしょ。まだ儒教の影響少ないだろうし・・・。
相手は柳生宗矩の次男友矩
158日本@名無史さん:2001/03/20(火) 23:00
徳川綱吉と柳沢吉保も怪しい。
159同ネタじゃん。統合すれば?:2001/03/20(火) 23:32
160日本@名無史さん:2001/03/20(火) 23:44
>>156
http://www.toshizo.com/cgi/diary/diary/perldiary.cgi
の99/10/22をまあ見れや。この話が新選組ネットを駆け巡り、
大混乱をひき起こしたのだ。これは実話らしいぞ。
161【^▽^】酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/03/21(水) 19:19
>159
秀吉も家康もノンケだったそうな。
やはり尾張猿と三河狸には男色という風情が解からなかったんだろうな。
>160
うむ、その”先生”とやらの発表が待ち遠しい。
162日本@名無史さん:2001/03/22(木) 23:21
最澄の、弟子にあてた男色の手紙が史料として残っちゃてたと聞きましたが。
163日本@名無史さん:2001/03/23(金) 00:44
その弟子、空海のとこに逃げたんだっけ?
164日本@名無史さん:2001/03/23(金) 04:50
>159
向こうでは、戦国史好き=(かなりの確率で)ホモってことになってる・・・
165日本@名無史さん:2001/03/23(金) 12:36
>>164
あいつらは自分等を正当化したいだけなんだろうな。
放っておいてやれ。
166>76:2001/03/23(金) 17:28
昔の坊さんというのは聞いたことがある・・・。
女煩禁止なもんだから、男に走るわけね。
一応禁止ではなかったらしいけど<そもそもホモに対する意識が今よりも遥かに理解があった。
上杉謙信とかも女性には一切手を出さなかったが男はどうか解らない。
167日本@名無史さん:2001/03/27(火) 02:37
>>159
あっちでは、西郷どんがモテモテでおかしいねー。
彼らは、西郷を「兄貴」として見てるんだろうか?
それとも逆なんだろうか?
聞いてみたいが、部外者が割り込んじゃ悪い気がして…(笑)
168日本@名無史さん:2001/03/27(火) 07:44
武田信玄の男に宛てたラブレターは有名。
熱いぜ、信玄。
169日本@名無史さん:2001/03/27(火) 18:30
161>>
幕末史研究といった新撰組研究の最新号に紹介されている>>>土方歳三ホモ説
170日本@名無史さん:2001/03/27(火) 18:54
>武田信玄
> 上杉謙信

川中島の合戦で二人は顔を会わせたんだったな。
171日本@名無史さん:2001/03/27(火) 18:59
ホモは歴史を変えるのかもな。
172日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:30
ホモは歴史と共に有り。
173日本@名無史さん:2001/03/28(水) 15:22
ホモが歴史を作っている。
174日本@名無史さん:2001/03/28(水) 15:40
鳥羽伏見>ノンケがホモに負けた

西南戦争>近代兵器にホモが負けた
175日本@名無史さん:2001/03/28(水) 16:34
確か毛利家の小早川なんとかがホモだったような・・・
詳しくは知らん誰か教えてくれ
176日本@名無史さん:2001/03/29(木) 23:16
>>170どっちが彦星?
177日本@名無史さん:2001/03/30(金) 13:25
178日本@名無史さん:2001/03/30(金) 13:34
ジーモン爆死だね。己の無知をたまには恥じるが良い
179日本@名無史さん:2001/03/30(金) 21:31
「江戸時代の男は半分以上は両刀使いだった」と高校の国語教師(女)が申してお
りました。
井原西鶴のデビュー作である「好色一代男」の主人公の世之介も3桁くらいの男と
関係があったそうな・・
松尾芭蕉もソノケがあって、「奥の細道」の付添人の河合そら(漢字忘れた)は
芭蕉の愛人だそうな。
徳川家康は年増しか興味が湧かなかったそうな。
「昔の人が両刀使い」と聞いてクラス中引いてましたが・・・
180日本@名無史さん:2001/03/31(土) 00:28
同性愛板から飛んできたホモです。

「信長以外に男色家っていたの?」という質問の答えはもう明らかでしょう。
いっぱいいたに決まってるじゃん。このスレに書き込まれた膨大な情報見れば
否定のしようもない。

それより、「そういうものが日本の歴史の中にいてもらっては困る」なんて
思っている一部の人達の考え方の方が問題とされるべきでは?

男同士でセックスするのはなんでそんなに問題なのか?
日本人が、明治維新以降たったの150年足らずで
ここまで西洋の思想に洗脳されてしまったとは、
大和民族の心意気を受け継ぐと自負する自分にとっては情けない限りです。

男色は日本文化の一部であり、大切な伝統の一つです。
それを恥ずかしいことと思うのは、あまりに西洋の思想にかぶれすぎ。
自分達の文化を誇りに思いましょう。

181若衆:2001/03/31(土) 04:40
そんなに資本主義にとって生殖基本社会が有利かね??
デフレを発表したし、男色を復権してみんかね?
少子化??人口爆発の世界問題しにてみれば些細なこと。

男色は悪徳ではない!!!!
182日本@名無史さん:2001/04/02(月) 14:42
こっちだよ〜age
183日本@名無しさん:2001/04/02(月) 15:05
>>180
じゃぁ、また男色に対する世間の認識を君らががんばって変えてみせろよ。
「ホモにだって人権はあるんだ!」とか叫んでも逆効果なんでダメだよ?まずは歴史的事実から世間に説明しないと。
俺は男色ではないが「ホモはキショイ!」とかヒステリックに言うやつはいて欲しくないからな。

そもそも明治期に欧米から入ってきたホモとかゲイとかいう言葉がなんだかなぁ〜。
全ての元凶の様な気がする。
男色とか衆道という言葉のほうが世間に馴染みやすいと思う。
184菜々氏:2001/04/02(月) 17:36
男とセクースは気持ちいいよ。
185ジーモン@シュトラースブルク:2001/04/02(月) 19:51
秀吉が三成を、家康が直政を贔屓したのも、
三成や直政が美少年だったから。
186パラストロイ:2001/04/02(月) 19:57
最近の研究で、藤原定家が生きていた鎌倉時代、公家のほとんどは
上司とホモ関係を結んでいた事がほぼ判明している。
これは一種の猟官運動で、現代社会で言えば、駆け出しの女優が
プロデューサーと寝て、役をもらうのと似ている。
187【^▽^】ジョーカー:2001/04/02(月) 20:27
>186
公家の男色コネクションも凄かったらしいですね。
188世界@名無史さん:2001/04/02(月) 21:36
男色がタブーの世になってよかった。
189日本@名無史さん:2001/04/02(月) 21:47
>>188
安心しろ、お前の顔で襲おうと思うヤツはいない
190日本@名無史さん:2001/04/02(月) 22:56
ホモに人権無し
191日本@名無史さん:2001/04/03(火) 01:04
>190
ほもだけど君よかもてるし、仕事もできるから。
192菜々氏:2001/04/03(火) 01:14
バイは倍楽し
193ラーメン大好き@名無しさん:2001/04/03(火) 01:51
男色は任侠道と同一視されてたからね
いわゆる義兄弟の意味も兼ねてた
江戸時代も会津藩で横恋慕により青年グループ同士のトラブル
になっていたが武士道と紙一重の所があるため、
家中の大人達が困惑していると云った日記が残っている
194名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/03(火) 01:53
念友
195【^▽^】ジョーカー:2001/04/09(月) 14:33
毛利家や長門・周防・安芸の武士には男色家はいなかったろう。
私は聞いた事が無いぞ。
196日本@名無史さん:2001/04/09(月) 16:10
今のタレントとかもホモじゃなくても仕事のために男と寝たりするよ。
みんながあまり気がつかないだけで鎌倉時代と変ってないよ。
197日本@名無史さん:2001/04/09(月) 16:12
ジャニーズ。
198日本@名無史さん:2001/04/09(月) 17:24
はあ、ジョーカーさん。
大内義隆の男色好きや有名だぞ、

それと、「なぜ昔は男色が多かったか」スレを読めば
わかるとおり、昔、男色は武士のたしなみのようなもので、名誉とされることすらあったんだ。
誰でも日常的にやってたから特に記録されなかっただけだよ。
男色なんて、当時は常識だったんだよ。
199名無し象は鼻がウナギだ!:2001/04/09(月) 19:22
昔の人もおけつをズコズコしてたのかっていうのが非常に気になる。
誰か、ソースを明示して教えられた人いない?
200日本@名無史さん:2001/04/09(月) 19:36
あの私のマシンはドリキャスなので
コピペできい。
誰か「なぜ昔の人に男色が多かった」スレを
リンクしてください。
201宗尊:2001/04/10(火) 18:18
ジョーカー殿,面をお上げなされ。
このスレに貢献した功により,従四位下,侍従に任ず。
202日本@名無史さん:2001/04/10(火) 19:23
昭和初期までは一般的だったみたいね。例えば、
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/bar.htm
[ 光クラブ事件 ] 東大生の山崎晃嗣(あきつぐ/27歳)
<寒い冬の雪の夜、布団に入ってはじめてしる女の肉体はおそろしく煽情的だった。わたしは女が好きだ。十二位で手淫をはじめてから、ひたすら求めたのは女陰だった。せめて中学を卒業する前に、一回くらい性交したいものと思いつつ果たさず、××正次君との同性愛でわずかに欲情をみたし、高等学校でも同様、○○俊夫との同性愛で自らみたしてきた・・・・・・○○とはときどき訪問し合い、三合の焼酎に酔い、ともどもに戯れ、マスターベーションをし、キッスし合った>

女の代わりに男とまぐわう、今では考えられませんな。
203日本@名無史さん:2001/04/10(火) 21:55
室町幕府第6代将軍足利義教は
赤松家庶流赤松貞村と男色関係にあり、
いずれ義教は赤松家当主赤松満祐から三ヶ国守護を取り上げ
貞村に与えるという噂が立ったため、
それを真に受けた満祐に殺されました(嘉吉の乱)
204日本@名無史さん:2001/04/10(火) 22:00
>203
しかもオキニの能役者侍らせて飲んでるときに。
205アドルフ・ヒトラー&オリバー・クロムウェル:2001/04/11(水) 00:09
男色家撲滅!
206日本@名無史さん:2001/04/11(水) 00:26
↑恥ずかしいやつだなあ
207しんちゃん:2001/04/11(水) 01:52
>1
信長以外って?

何も知らない奴だな 
208日本@名無史さん:2001/04/11(水) 07:58
誤解してるよ。
少なくとも明治の前までは男色は
女色以上に好意的に見られね時には名誉なこととすらされてたんだぜ。
男色に興味なかった秀吉などはそれを恥じていたほどだ。

なんていうか武家や僧侶や公家の間で流行したということは
上流社会での高尚な風習だったみたいね。
209日本@名無史さん:2001/04/11(水) 09:43
>208
まじめに答えてやる必要ないよ。
たんなるネタだから
210セント.パウロ:2001/04/11(水) 17:42
男同士で寝る者共は地獄の業火で焼かれるであろう
211日本@名無史さん:2001/04/11(水) 20:39
地獄といえば、閻魔様とお地蔵さんのヤオイをネタにした落語があったらしいね。
212日本@名無史さん:2001/04/16(月) 03:01
落語は衆道ネタ結構多いよね。当然といえば当然だが
213日本@名無史さん:2001/04/16(月) 03:50
井原西鶴なんか19の頃から数えて千人以上の男娼を買ったって、
堂々と書いてるぞ。
214日本@名無史さん:2001/04/16(月) 15:33
江戸時代の人は、「男同士なら梅毒うつらない」って言ってたみたいだけど、
うつるよ・・・ねえ?
215日本@名無史さん:2001/04/16(月) 17:38
さあ?経験ないからわからん。
216世界@名無史さん:2001/04/16(月) 19:26
こちらにならって世界史板にも「男色家@世界史板」作りました。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=987414540
ぜひお越しください。
217日本@名無史さん:2001/04/17(火) 15:48
梅毒はホモの間でも広まってやばかったんだから!
俺も気をつけないと・・・
218ジョーカー:2001/04/21(土) 16:14
久し振りにage
219日本@名無史さん:2001/04/21(土) 19:05
明治以降(ていうか、帝国議会以降)の政治家には、いないのかなあ?
伊藤博文とか、女好き話は多いんだけど・・・
山本権兵衛とか、怪しくない?なんとなく。
220ジョーカー:2001/04/21(土) 19:09
>219
西郷従道はどーだったんだろうね。
221日本@名無史さん:2001/04/21(土) 21:57
薩摩に男色家なし!
消えろ、逝け!ジョーカー
222日本@名無史さん:2001/04/21(土) 23:14
薩摩では衆道は男らしい行為として尊敬されていました。
現在でも、年寄りがゲイの孫が恋人を連れてくるのを見て、
なんと男らしいと、ほめそやかしたという話しがあります。
223ジョーカー:2001/04/21(土) 23:21
>222
現在でも?そりゃ本当かいな?
224日本@名無史さん:2001/04/21(土) 23:35
222!
薩摩人でもないくせに知ったかぶりで書くな!
逝け!
薩摩人の私が断言する。
 そんな変態は、薩摩人の名をかたる にせ薩摩人である。

225日本@名無史さん:2001/04/22(日) 00:38
224は、薩摩人と言うからには「しずのおだまき」くらい読んでいるんだろうね?
226日本@名無史さん:2001/04/22(日) 00:40
225
なんだね。それは
227225:2001/04/22(日) 01:39
「鹿児島では・・・」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=982992697
  ↑
このスレの84あたりでも少し話題が出てるよ。
しかし、読んだことがないのは仕方ないとしても、
存在さえ知らなかったみたいだね。
一体、いつの時代の薩摩人なの?
228日本@名無史さん:2001/04/22(日) 01:40
信長が男色家だったにもかかわらず、キリスト教の布教を進めてた理由は何故なんでしょうか?

(同性愛板の戦国大名スレ消えてしまったんですね・・・)
229日本@名無史さん:2001/04/22(日) 02:39
>>221
この板で「薩摩に男色家なし!」って言うのもスゴイなあ。
「有る」ことの証明は色々出来ても、
「無い」ってのは証明しづらいからねえ。
230日本@名無史さん:2001/04/22(日) 02:48
この板はホモ募集板か?
231日本@名無史さん:2001/04/22(日) 03:02
みんな、ほもがすき。
232ジョーカー:2001/04/22(日) 13:58
私はホモが好きな訳ではない。
初々しい美青年が好きなのだよ。
233日本@名無史さん:2001/04/23(月) 00:44
>228
風呂椅子が男前だったから。
234日本@名無史さん:2001/04/23(月) 16:58
外専の信長なんて、いやあ〜。
235世界@名無史さん:2001/04/24(火) 01:06
坂田藤十郎って濡れ事でも超一流だったんだね
236日本@名無史さん:2001/04/24(火) 01:56
>235
江戸時代の歌舞伎役者の評判記には、「きくせまし」とか書かれてあるのが、
生々しすぎます。
237日本@名無史さん:2001/04/24(火) 12:11
そういや、ユルイ人のは「文殊尻」といって喜ばれたそうですな。いれやすいから。
「玉まで入る文殊尻」とか。そりゃいくらなんでも無理だろ!ってな(笑
238日本@名無史さん:2001/04/26(木) 23:41
>237
え・・・その方が、いいの?
239日本@名無史さん:2001/04/27(金) 00:07
>238
程度によると思うが・・・
尻の穴はユルくなるっていっても、女性器に比べりゃ
限界があるだろうし・・・
って、経験無いのでよく知らない。おしえてほものひと!!
240初心者:2001/04/27(金) 00:40
ジョーカーさんとジーモンさんは、おなじひとなんですか?
241酔鯨ジョーカー:2001/04/27(金) 00:43
>240
そうです。
但し、最近は偽ジョーカーが暴れているので御注意を。
242240の初心者:2001/04/27(金) 00:50
>>241
わお、ありがとーございます!
243鯨酔ジョーカー :2001/05/13(日) 03:59
織田信長は若い頃から男好き。
前田(犬千代)利家、森蘭丸三兄弟、そして松平竹千代(徳川家康)。

おまけに自分の弟、織田信行、織田信時、甥の織田信澄にも手を出して
いたらしい。
本能寺の変の原因に光秀の息子、十五郎、十次郎らが信長に手篭めに
されたのが原因というトンデモ説もあり。
244宗尊:2001/05/13(日) 15:49
主君の寵を受け,校庭の交わりをなすのはもののふの誉れではあらしゃいませんか。
それを強姦であるとして逆恨みする光秀は近代人的パーソナリティやないか。
おかしいんと違うか,ジョーカー殿。
245nanasi:2001/05/13(日) 18:46
薩摩に男色無しって・・・・・
薩摩は男色のメッカだぞ。
246日本@名無史さん:2001/05/13(日) 19:17
>245
 殺すぞ!てめえ
247日本@名無史さん:2001/05/13(日) 23:52
>>246>>224と同じ人?
なぜ君は、そんなに薩摩で男色が行われていたことを
否定しようとするんだね?
昔の衆道を現代のゲイと混同していないかい?
248日本@名無史さん:2001/05/14(月) 04:41
>>244
元愛人である光秀の嫉妬とか?
249ジョーカー:2001/05/14(月) 11:28
>244
243は偽者ですよ。
私は、昨日・一昨日と2chに来ていません。
250松本:2001/05/14(月) 18:38
おやま、ジョーカーさん、お久しぶり。
で、川島芳子の妹さんとはどうだったのさ?(ヒツコイ!)

徳川慶喜も松平容保と松平定敬兄弟にも手を出していたとか・…
251日本@名無史さん:2001/05/14(月) 19:02
浅草は江戸時代からの陰間茶屋の伝統?ある店が多いが、
やたら「西郷どん」関係の名前のついたホモの店が多い。
(「さぶ」の広告欄見れば一目瞭然!)

事実はともかく、東京の下町では「薩摩=男色」というイメージは
以前強いからね〜。うん。
252ジョーカー:2001/05/14(月) 19:56
長州には男色の風習(?)は無かったのかなぁ?
253日本@名無史さん:2001/05/14(月) 20:24
会津も男色が盛んだったんですよ。
松平容保が会津藩主の養子になったのは美少年だったからって
言われてるぐらいだしワラ)
254日本@名無史さん:2001/05/14(月) 20:49
>>246
だから、昔の日本は衆道(ホモ)は「当然」どころか「良いこと」だったんだよ。
昔といまでは価値観がちがうんだ。
あなたは薩摩に衆道が流行ってた事を誇りに思うことだ。
255日本@名無史さん:2001/05/14(月) 20:58
別のホモスレにも書いてあったのだが、
昔はホモは男は「豪快で爽やかなもの」「男の友情がこうじたもの」「男の甲斐性」
などと考えられ、女色以上に堂々とした明るい好ましいものとされてたんだよ。
男の中の男たる、九州男児・薩摩の間で流行ってたの当然の帰結ですね。
256ジョーカー:2001/05/14(月) 21:03
薩摩や会津や土佐など「男らしく豪快な」地域で男色の習慣が有り
(勿論、昔だよ)、それに対して、長州人のような狡猾な連中
には男色は理解出来なかったわけだ。

「男色」とは関係無いけれど、さっき同性愛板を開いてみたら、
スレのタイトルからして余りにキモく、
吐き気がしたよ。
257日本@名無史さん:2001/05/14(月) 21:18
>>ジョーカーさん
戦国時代になるけど大内義隆の衆道は有名だね。
スエハルカタともやってたんだよ。
彼は子供のころ美少年で
陶の謀反の原因は
大内が冷泉隆豊を重用した
嫉妬説があるんだよ。
258満州@名無史さん:2001/05/14(月) 21:22
日本人ではないが、満州国皇帝、愛新覚羅溥儀は有名だぞい。
いとこや皇后の弟に手を出したりして、それで皇后様はアヘン中毒になって
しまったんだから。弟の溥傑と、お稚児のいとこが次期皇帝の位をめぐって
一悶着おきていたし。全く困ったもんだ。
259ジョーカー:2001/05/14(月) 21:41
>257
長門・周防・安芸にも男色家はいたのですか。
>258
溥儀はインポでは?
もしかして、女性に対しては不能でも、
男性に対してはビンビンだったのですか?
260日本@名無史さん:2001/05/16(水) 11:16
261名無し:2001/05/16(水) 11:56
ウソつくなよ変態ども
信長は違うよ、結婚して子供もいるんだよ
土方もマスクのせいでそう思われがちだが違う
262日本@名無史さん:2001/05/16(水) 11:59
男色ではなく両刀使いだよ
263日本@名無史さん:2001/05/16(水) 12:20
伊達政宗はどうだろね
264日本@名無史さん:2001/05/16(水) 13:18
>>261
うぷぷぷぷぷ!
出たな、物知らず。
265ななし:2001/05/16(水) 13:44
信長は若くてかわいらしい少年が好きだったのだ。
子供がいてもホモのやつもいるのだ。
266名無史さん@お尻ぷりぷり:2001/05/16(水) 23:01
会津の男色は、「会津藩士の結束」という意味合いが強く、会津藩でお家騒動
が起きなかったのは男色のおかげだそうな。そのぶん、男色がらみの刃傷沙汰
は多かったとか。血のつながりよりもお尻のつながり・・・・
267日本@名無史さん:2001/05/16(水) 23:08
 伊達政宗も浮気を疑ったことをわびる長い手紙を男に出してる。
おそらく50代のころの手紙だそうだ。その中に自分も若い頃は
この道(男色)にはまってたことなどが書いてあったはず。
確か『伊達政宗の手紙』という簡単に手に入る本に収録されてた。
268日本@名無史さん:2001/05/17(木) 19:31
徳川家康は織田信長や今川義元のお稚児さん。
で、息子の松平信康は信長のお相手しなかったんで殺された。
269日本@名無史さん:2001/05/17(木) 20:32
巨人軍監督、長島茂雄。
若大将と出来てたのは有名だし、高橋ヨシノブがお稚児なのは定説。
270日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:52
大勲位。
271日本@名無史さん:2001/05/19(土) 22:18
おなじ「よしのぶ」でも、徳川慶喜は12代将軍家慶にそうとうかわいがられた
らしいのう。
272日本@名無史さん:2001/05/20(日) 00:05
宮本武蔵。
子供もいません。
273日本@名無史さん:2001/05/20(日) 00:26
>271
13代将軍、徳川家定も紀州慶福(後の家茂ね)をかわいがっていたわ
よね〜。まあ、家茂はキンキの堂本光一に似てるしね〜。
274日本@名無史さん:2001/05/20(日) 02:31
>272
養子が居る。
しかも、その養子は、姫路かどっかの殿様に「寵愛」されて、若くして異例の出世を遂げたとかいう。
きっと、武蔵様の「教育」の成果ねっ。
275日本@名無史さん:2001/05/20(日) 18:45
水戸光圀。少年時代は家光にかわいがられ、その道を仕込まれた。
吉原より、湯島下(陰間茶屋のメッカ)の常連だったし、
水戸藩に「洗い場」という遊郭をあちこちに置いた。
子供がたった一人というのも妙だし・・・・
276日本@名無史さん:2001/05/20(日) 19:38
側用人=上様のお気に入り=お手つき
って考えていいの?
んじゃあ、江戸幕政史は、後白河院政以上に、そーゆー目で研究しないといけない分野なんだね?
277日本@名無史さん:2001/05/20(日) 22:39
胡散臭い、と見る事。
278日本@名無史さん:2001/05/20(日) 22:42
家光のお気に入りって、黄門様のお父さんの水戸頼房じゃなかったっけ?
別に男色って意味じゃなくて。
279日本@名無史さん:2001/05/20(日) 22:49
>>277
ここにもいたんですか?
280日本@名無史さん:2001/05/20(日) 22:51
男色家なんてそうはいないよ
大半はデマだろう
281日本@名無史さん:2001/05/20(日) 22:53
>277
もう本当に勘弁してくれえ。
282日本@名無史さん:2001/05/20(日) 22:57
だいたい信長自体そうだったという確証はないし
283日本@名無史さん:2001/05/20(日) 23:56
>>280 >>282
まあ、そう信じたい人はそう信じてればいいさ。
284日本@名無史さん:2001/05/21(月) 22:18
平幹二郎。
285日本@名無史さん:2001/05/22(火) 00:53
「18歳の時のことです。将軍義持とそのカレシの赤松持貞君がお寺に来ました。持貞君が可愛かったので、掛け軸を渡すときに、手を握って、目で誘ってみました。義持、慌てて逃げ帰ってやんの」
(『一休和尚年譜』)
286日本@名無史さん:2001/05/22(火) 01:09
仙台もすごいぞ。「男色大観」(井原西鶴だったっけ?)の舞台にも
なってるし、いまでもゲイバーとか多いから。
287日本@名無史さん:2001/05/22(火) 08:44
>>280.282
変わった人たちだなあ・・・
正確には「昔は男色がほとんどいなかった」のではなく、
「男色をしない人(男)がほとんどいなかった」が正解だよ。
織田信長は平然と小姓の事を「小性」と呼び記し、
上にもあるように武田信玄や伊達政宗に至っては男へのラブレターや
浮気を謝罪する手紙まで送ってるんだけどな(現存)
とにかく、男色の証拠なんてごろごろあるよ。
しかも、昔は男色は「良い事」でした。

まあ、あなたたちの根拠は証拠も何もない
「信じられない」という事なんだし、
宗教信者と同じだね。
288日本@名無史さん:2001/05/23(水) 18:28
>>251
上野の彰義隊戦争のとき、薩摩軍は逃げ遅れた彰義隊を「にせ(お稚児)」
と偽って浅草の陰間茶屋にかくまったんだよ。だから浅草に「西郷どん」に因んだ
店が多いのよ。「24(にせ)会館」とかね・・・・。
289日本@名無史さん:2001/05/24(木) 00:34
>>288さん
>浅草の陰間茶屋にかくまった
そのエピソードは知りませんでした。何かに書いてあるのですか?
よかったら教えてください。

あと、「にせ」というのは「二才」と書くのですが、
「にせ」は、年長の若者のことで、稚児さんをかわいがる方(笑)なのです。
だから、
「二才さんが稚児さんをかくまった」か
「二才の年齢にはなってるけれど、陰間茶屋に連れ込むには不自然なほどではなかった」
の、どちらかではないでしょうか。

ちなみに薩摩でいう「稚児」は6歳〜13歳。「二才」は14、5歳〜22、3歳。
290日本@名無史さん:2001/05/24(木) 01:05
武士とか貴族とか坊主ではなく、普通の庶民の間で
それぞれの時代にどのような認識だったんでしょうか?
291日本@名無史さん:2001/05/24(木) 06:32
>>290
非常に好意的にとられていました。
例えばお坊さんは女色の代用として、男色をしますが、
昔でも坊さんが女性や子供をひそかに囲う事が多かったので、
男色で我慢している坊さんは清廉潔白な良い坊さんと
されていました。
292日本@名無史さん:2001/05/24(木) 06:48
日本の文化として、とけこんでいるんだけど、
奈良時代のころまでは否定的な部分もあったみたい。

http://www.geocities.co.jp/Playtown/7376/study.html
293日本@名無史さん:2001/05/24(木) 16:51
ふむふむ
294名無しさん脚:2001/05/24(木) 17:37
痔は寺の職業病でした
295日本@名無史さん:2001/05/24(木) 18:01
>>289さん
ご指摘ありがとうございます。
>「二才の年齢にはなってるけれど、陰間茶屋に連れ込むには不自然なほどではなかった」
というのが本当のところのようです。

ちなみにこの話は、男色サウナ「24会館」の名前の由来について、そこの社長の話が
「さぶ」に掲載されてました(^_^;)

なんで私が「さぶ」を読んだのか、その理由は聞かないで下さい(汗)
「さぶ」なんかに漫画描いている西原理恵子氏が悪いんです・・・・
296名無し:2001/05/24(木) 19:53
松尾芭蕉も男色の人です。20代前半に蝉吟(芭蕉の主君)と
関係があったようです(本当!!)。
297名無し:2001/05/24(木) 20:13
>>291
我慢してたということは
結局本当は女の方が良いのに出来ないからなんだろな
298日本@名無史さん:2001/05/24(木) 20:50
>>297
かもしれないが、
両刀使いが多かったからなあ。
信長、震源、政宗、水戸黄門と・・・
299日本@名無史さん:2001/05/24(木) 21:11
>>297
そういうわけではなかろう。単に両刀なだけでさ。
禁止されてるとやりたくなるもんだしね。
300日本@名無史さん:2001/05/25(金) 01:15
>288
>薩摩軍は逃げ遅れた彰義隊を「にせ(お稚児)」
>と偽って浅草の陰間茶屋にかくまったんだよ。
かくまった?・・・それって、連れ込んだって言わないか?
だから、自害したんだな、白虎隊。
301289:2001/05/25(金) 02:15
>>295さん、レスありがとうございます。
『さぶ』でしたか(笑)

ところで、『薔薇族』に昭和54年から連載された『江戸男色考』が
1993年に3巻にまとめて刊行されています。(柴山肇/批評社)
素人にも読みやすく、資料の出典も詳細に書かれていて重宝してます。
まだ書店に流通しているので、「男色が普通に行われていた」ことが
信じられない方々にも、是非ご一読をお勧めしたいですね。

私は『薔薇族』をいつも買ってるわけではないのですが(笑/でも昔買ったこともあり)
書店で江戸の風俗史などの棚に置いてあって、面白そうだったので購入しました。
302日本@名無史さん:2001/05/26(土) 04:07
ttp://www16.big.or.jp/~bro/factory/
を勧めてみたりする
303>>302:2001/05/27(日) 18:47

ここ、面白いね。
文章は、だいたい読んだことあるのだったけど、
図版がイイ。無修正だし(笑)
304日本@名無史さん:2001/05/27(日) 19:22
上杉謙信・足利尊氏・今川氏真・前田利家・・・・。
記録書に、たくさんの側室を侍っていた記録がない武将は、ほぼ同性愛者だったのでしょう。それが一つの美観だったのだから。
305日本@名無史さん:2001/05/30(水) 09:25
平安ねた。
藤原頼通。お気にのお稚児さんがいたらしい。
かと思えば藤原実資と清涼殿で抱き合って寝たらしい。当時実資72歳…。

がいしゅつだったらスマソ
306日本@名無史さん:2001/05/30(水) 09:29
清涼殿って天皇の常の御所だろ?
そんなことをできるような空間ってあったの?
307日本@名無史さん:2001/05/31(木) 19:37
陽成天皇と乳兄弟の源益はできていたらしい。が、痴情のもつれから源益を格殺・・・・
308αジョーカーω:2001/05/31(木) 19:51
餓える民をよそに淫事に耽る宮家・公家・武家・僧侶を
糾弾せよ!
309日本@名無史さん:2001/05/31(木) 22:39
>>308
これは、わかりやすいニセモノだな。
310あのな:2001/06/01(金) 02:15
男色はどーでもよい、かりにも天下の2ch歴史板で同性愛の話題について
男色ばかりに偏るのはどうか、いやこのスレがそういう趣向にしてもだね、
同性愛を扱うのに女色(? の話が出ないのはどーよ?
はようその話を聞かせい。
311日本@名無史さん:2001/06/01(金) 02:25
足利義教。迫りすぎてパニくった赤松満祐に殺されたらしいよ。
312日本@名無史さん:2001/06/01(金) 10:04
>>310
あのな殿が女色スレ立ててくれれば、書き込むよん。

てゆか、このスレ、今の日本史板においては、
すっげーマトモに思えるんですけど(笑)
313日本@名無史さん:2001/06/01(金) 10:30
でもさぁ。戦国の武将でホモやバイじゃない奴探す方が、難しいんじゃない?
籠童を養って、気に入れば家臣にするってパターン、ほとんどじゃん。
314日本@名無史さん:2001/06/01(金) 20:24
信長と森乱関係の史料は江戸時代以降のものだそうです
森家はマッチョの家系ってのが何となく(イメージとして)好き
利家が『夜も仕えた』といのも江戸期の史料だそうです

男色の相手は他にいたようです
315日本@名無史さん:2001/06/01(金) 20:44
>>314
違うと思いますよ。
信長ははっきりと小姓といわず小性といってたくらいですから、
森乱と関係が無かったという事はないでしょう。
まあ、絶えず帯同した事から、しょっちゅうやってたでしょうね。
前田利家ともしてたでしょうね。
納得できるし・・・
316さち子:2001/06/01(金) 20:58
大内義隆と陶晴賢は男色関係も有名ですね。
晴賢が謀反を起こしたのは義隆が冷泉隆豊ばかりを可愛がり
自分を遠ざけたので嫉妬して起こしたという説が根強いです。
三角関係だったかまではわかりませんけどね。
晴賢にとって子供の頃から自分を寵愛してくれた義隆が自分から
離れていったのはどういう気分だったでしょうか?

陶晴賢の謀反は実におかしなもので、
謀反の起こる数年前から、巷には晴賢が謀反を起こすという噂でわきかえり、
大内の元には冷泉などの家臣から再三、先手を打って晴賢を討つように進言が
あったにもかかわらず、大内は「そんなはずはない」と制止したそうです。
317日本@名無史さん:2001/06/01(金) 22:57
>>さち子さん
実は大内義隆を殺害したのは毛利元就で、陶晴賢がその濡れ衣を着せられたのでは
ないかと言う説もありましたよ。確か「歴史読本」に載ってましたけれど・・・・
あ、このスレとは話が違いましたね。失礼しました。
318日本@名無史さん:2001/06/01(金) 23:53
>>317
史書が大量に残ってるのに
あまりにも無理のある異説ですね。
319日本@名無史さん:2001/06/02(土) 00:00
>>さち子さん
そうなんです。ところが、それは実は全部「毛利家」が改竄、偽造した
史書だと・・・・。ここまでくるともうトンデモですが(笑)
320日本@名無史さん:2001/06/02(土) 00:11
>>314
森三兄弟と三輪車・・・・ハアハア・・・・
321日本@名無史さん:2001/06/02(土) 04:24
>>315
>信長ははっきりと小姓といわず小性といってた
江戸時代は音が合ってりゃオッケーって感じで人名すら当て字三昧だったと
聞いたことがあるのですが、信長の時代は違ったのですか?
あと“性”という字にはそんなに昔からセクシュアルな意味合いが
含まれていたのですか?
そういう意味で使うなら“性”よりは“色”って感じがするのですが。
色小姓っていいますしね。
どうなんでしょう。アホな質問でしたらごめんなさい。
322日本@名無史さん:2001/06/03(日) 00:25
中国の房中術には「儲子法」と言うのがあるのだが、その中に、なんと男色(ネコ)のあとに
女性と交わるという方法がある。いくら子供を作るためとはいえ、アナ恐ろしや・・・・

323日本@名無史さん:2001/06/03(日) 02:08
男色家ってチョンに似てるね
何でもかんでも同胞にするだろ デマ飛ばして
男色家もそう 実際は有名人の男色家は非常に少ない
324日本@名無史さん:2001/06/03(日) 03:26
ウヨ坊の大好きな三島は?
 世界の多くの同性愛嫌悪はユダヤ教やキリスト教・イスラム教の
影響によるものをお忘れなく。
325日本@名無史さん:2001/06/03(日) 10:10
政治は夜動くってそういう意味だったんですね。
326日本@名無史さん:2001/06/03(日) 10:15
>>323
統計的根拠なし! 想像によるもの!
実際はおそらく逆!!
327日本@名無史さん:2001/06/03(日) 14:58
ホモが忌み嫌われるようになったのは最近なんですか?
328日本@名無史さん:2001/06/03(日) 15:03
>>327
そうだよ、昔はホモは
豪快で爽やかな好ましい事とされてたんだ。
329さち子:2001/06/03(日) 15:12
男色で有名な水戸黄門がこんな言葉を残しています。
「政治(まつりごと)とは男色のようではなく、女色のようにしなくてはならない、
つまり、男色は一方が快楽を得るが一方にとっては苦痛だ、女色のように双方が快楽を得るようにしなくてはならない」

為政者と民との関係を言ったんですね^^
さすがは黄門様、イメージ通りの発言です。
330305:2001/06/03(日) 17:50
>>306
清涼殿の東庇だってよ。
出典は保立道久「平安王朝」岩波新書
これでいいか?
331日本@名無史さん:2001/06/03(日) 18:05
ζ
       / ̄ ̄ ̄ ̄ \
      /          \
     /\    ⌒  ⌒  |
     | |    (・)  (・) |
     (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     |    _||||||||| |  ホモは変態!
      \ / \_/ /    \_________
        \____/
     ______.ノ       (⌒)
    //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
   / /:::::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
   | /:::::::::::::::| 〈 ̄   `-Lλ_レ′
   レ::::::::::::::::::|/::: ̄`ー‐---‐′

332学歴板からのぺ天使 :2001/06/03(日) 21:11
男色にはまる男性がいるのは、前立腺という男性の生殖器官がダイレクトに刺激される
のが原因です。そしてその刺激が女性との交わりよりも強烈だとしたら・・・・(-_-;)
>323
>中国の房中術には「儲子法」と言うのがあるのだが、その中に、なんと男色(ネコ)の
>あとに 女性と交わるという方法がある。いくら子供を作るためとはいえ、アナ恐ろしや

これ、医学的に見ても、前立腺刺激ということでは合理的な方法なんです(ゾワッ!)
333日本@名無史さん:2001/06/03(日) 21:15
>305

実資の夢の中での話じゃなかったか?

しかし、男色って少女漫画の2次元でなら
美少年同士うわべは綺麗かもしれんが、ここの同性愛板・・・。
マジで吐きそうになった。
334世界@名無史さん:2001/06/03(日) 21:19
昔のジャップの英雄達はバイセクシャルが多かったのだよ
335日本@名無史さん:2001/06/03(日) 21:21
306>>330
ありがとう
336日本@名無史さん:2001/06/03(日) 22:15
>>332
つまらない指摘かもしれないが、だったら相手が女性でも、
肛門に入れれば良いような気もするけどね?

うーん、男の方が力があって、締まり具合がいいのかな?
337日本@名無史さん :2001/06/03(日) 22:34
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(弥次さん喜多さんのアレ)は、
原文では主人公の二人が男色関係なんだよ。たしか弥次さんがド
サ周りの役者くずれで、喜多さんが役者時代の弥次さんに入れ揚
げたのが馴れ初めらしい。だから宿場宿場で二人は…。ということらしい。
もちろん当時の人たちはそんなこと百も承知で読んでいて、その
上で(ホモとかに関係なく)ストーリーの方を楽しんでいたわけ。
「東海道中膝栗毛」といえば、当時の超ベストセラーだもんね。つまりそ
れだけ男色が当たり前だったって事。
338日本@名無史さん:2001/06/03(日) 23:08
江戸時代の銭湯は混浴が当たり前だったが、単に身体を洗うだけでなく、
別なところも他人に洗ってもらっており、それが目当ての陰間や女郎もいた。
339日本@名無史さん:2001/06/06(水) 01:05
ホンマかいな?
340日本@名無史さん:2001/06/08(金) 22:42
新しい歴史教科書に男色文化の項を大幅に追加して
正しい歴史を若人に学んでもらわねば
341日本@名無史さん:2001/06/08(金) 22:49
>>340
激しく同意!
世界に誇る性の文化大国、日本の電灯を見せびらかしましょう。
342日本@名無史さん:2001/06/08(金) 23:08
>>334
キモいから
うせろ 崇拝者
343342:2001/06/08(金) 23:09
さり気なく言いおって (ワラ
344日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:05
陰間茶屋には旗本や御家人の嫡男以外の男子が売り飛ばされるケース
が多かったが、後継ぎのいない富豪や中級以上の旗本が、後継ぎになり
そうな男子を身請けするという事も多かった。男色という事を抜きにしてもね。
幕末には、ある陰間が実は権現様や大名の末裔だったという話が
本当に残ってるから・・・

345日本@名無史さん:2001/06/09(土) 17:22
>>342-343
???
346(*'-'*):2001/06/10(日) 18:50
直江くんと高坂くんはどっちがすごいですか?
(*´θ`*) ハァハァ
347日本@名無史さん:2001/06/10(日) 19:37
男色文化なんか教科書に載せれるか!
348日本@名無史さん:2001/06/12(火) 03:40
>>347
偏向教育はいけません
349遅レスだが:2001/06/12(火) 10:59
>>336
322が書いてるのは

 男Aが、まず男Bに突っ込んでもらう
(この状態をAがネコ、Bがタチと言う)
  ↓
 男Aは前立腺刺激で勃起する
  ↓
 男Aが女とまぐわる
  ↓
 (゚д゚)ウマ-

ってことじゃない?
350実習生さん:2001/06/13(水) 02:35
>>327
同性愛って動物には普通にみられる現象だし(ボノボの「ホカホカ」など)
351日本@名無史さん:2001/06/13(水) 04:47
道鏡
352荒木:2001/06/13(水) 10:12
武田信玄のラブレターが現存。
相手は男。
というわけで三宅健、木村拓也、氷川きよしでオナニーしようぜ。
353日本@名無史さん:2001/06/13(水) 11:56
>>350
ボノボはかなり人間に近いけど、鳥のガンなどにも
ホモカップルが出来て、群の中で最強のペアになるそうだ。
(日高敏隆の著書より)
354日本@名無史さん:2001/06/13(水) 12:58
>>347
そうだね、男色文化に限らず、性風俗は、中学の歴史教科書とかじゃなくて、
高校や大学での、風俗史で勉強してもらったほうがいいと思う。
中学頃だと、先入観とかあって、冷静に学べないだろうし。
355小僧@日本史:2001/06/13(水) 19:56
禁欲生活を余儀なくされていた人たちに男色の傾向が見られるようです
其の関係で禁欲生活をしている人達がむらがったんじゃー(藁
356名無しのオプ:2001/06/13(水) 19:57
高校でどっかの偉いおっさんが少年を2、3人囲ってたハナシなら先生がしてたけどな。
中学、高校あたりじゃ真面目にやっても変な風になるだけ。
その当時は男色が普通だったんなら別に語る必要なし。今の男女の関係みたいなもんなんだから。
357日本@名無史さん:2001/06/14(木) 00:32
>>354 >>356
うむ。そゆウヒョヒョなことは、学校の授業で習うものではなく、
先輩から後輩へ、手取り足取り腰取り……ウヒョヒョヒョ、てのが
正しい文化の継承でありませう(藁
明治…いや、戦前まではそーだったらしいよ。
358名無しのオプ:2001/06/14(木) 00:45
>357
男子校行けば今でも根強く残ってるでしょう(藁
359357:2001/06/14(木) 00:54
>>358
こりゃ一本取られたわい。
360アナルむらむら:2001/06/14(木) 17:51
兵庫県西宮市にホモパーと名ー探しにごー
361日本@名無史さん:2001/06/14(木) 18:57
大阪の堂山スゴイゾー
362日本@名無史さん:2001/06/14(木) 18:58
新宿二丁目の由来が尻たいのですが。
363日本@名無史さん:2001/06/14(木) 19:39
>>1
いますよ。
僕がそうです。
364名無しのオプ:2001/06/14(木) 19:56
>363
真性ホモの方ですか?
私は仮性ですが、、
365アナルむらむら:2001/06/15(金) 09:21
私はカントンですが。
366日本@名無史さん:2001/06/15(金) 19:21
367名無し:2001/06/15(金) 20:41
古代ギリシャからホモはいる。
両刀使いも多い。
信長は側女は何人も居た。子供もたくさんいる。

別にどうと言うことも無い。
368名無しのオプ:2001/06/15(金) 23:51
いいな〜昔の偉いさん方はヤりたい放題っすね〜。
しかし何故に昔はそんな男色家が多かったのか、、
どこで変化が起きたんでしょうね、キニナル 、
369日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:04
文明開化以前は男色は普通でしょう。
370日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:01
>>368
いや、多分今でもあいかわらず男色人口は多いんだけど
なんとなく忌むべき風潮になってるだけでしょう。

戦後、「同性愛」イコール「アメリカンゲイ」みたいな認識になっちゃって
それは日本古来の男色とは似て非なるものだから。

というような指摘を柴山肇がしていた。
371日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:33
家康さまは井伊直正たん以外とはどうだったの?
372名無しのオプ:2001/06/17(日) 12:57
みんなそういう男同士の繋がりの情報はどこから仕入れてくるの?
本ひっぱって調べてるの??
373日本@名無史さん:2001/06/17(日) 23:24
>>372
年表的に事件が書き連ねてあるようなのじゃなく、人物や文化、風俗、道徳
なんかについて書かれたものだと、結構、男色関連の記述ありますよ。
374日本@名無史さん:2001/06/18(月) 00:50
江戸中期くらいまでは男色の売色もけっこうあったらしい
肛門拡張に張型使うとか、便に匂の付くたべものは食わせないとか、
あったみたいよ。
375小泉純一郎内閣総理大臣:2001/06/18(月) 09:37
ホモは気持ちいいぞお。
大阪の堂山、伊丹の昆陽池公園の多目的広場のトイレ、
尼崎の松本人志の実家、甲子園がハッテンバらしいぞ。
376名無しのオプ:2001/06/18(月) 18:29
>373
本のタイトル知ってたら教えてちょ!
377日本@名無史さん:2001/06/18(月) 18:56
(続き)
なぜなら、少年には大人には無い素晴らしい権利があるのです。
それは「女子中高生とHが出来る」
という、この上なくハッピーな権利なのです。

青少年育成条例賛成派も人権派も、未成年者同士のHについては反対していません。
実をいうと、青少年育成条例や淫行条例の真意は、
「中年男がカネにものを言わせて少女達を取り上げると、やりたい盛りの少年達が困ってしまう。
だから少年達を少女達に解放してあげなさい。」という点にあるのです。
したがって、未成年者同士のHについては、淫行条例でもOK、児童売春禁止法でもOKなのです。つまり「未成年者の未成年者による未成年者の為のSEX」は全面的に認められており、「オマンコとチンポに関する完全自治」が実現しているのです。
「若いオマンコは若いチンポの自治に委ね、年長者は『名誉ある撤退』を!」
これこそが、「オマンコとチンポに関する自治の精神」なのであります。

親の立場としても、娘のオマンコが中年男のフニャチンにやられるよりは、若々しくみずみずしいチンポに突き刺された方が納得がゆくというものです。
女子中高生のオマンコは、男子中高生のチンポに任せよう!
言い換えれば、女子中高生とHが出来るのは、生涯の内で、少年の時期だけなのです。
大人になると、児童売春禁止法や淫行条例に引っ掛かって、直ちに刑務所行きなのです。
だからこの貴重な少年期を逃すと、一生、女子中高生とのHは出来ないのです。

たとえ社会的権利が制限されているとしても、女子中高生のオマンコをゲット出来るというワンダフルな権利が少年に与えられている限り、少年は他に何もいらないのです。
つまり社会は少年に対して、女子中高生のオマンコにチンポを突き刺せるというブラボーな権利さえ保証しておきさえすれば、他の事はどうでも良いのです。

さあ少年よ、全国の女子中高生が、君のチンポを待っている!!
378日本@名無史さん:2001/06/18(月) 19:16
>>377
気持ちは分かるけど、ここのスレは「男色」ネタスレですよ。
「女子中高生」だけでなく「男色愛好者」とも、という意味かね?
それならお相手しよう。さあ来なさいワラ
379日本@名無史さん:2001/06/18(月) 19:23
同性愛板に逝ってケツさらしてこいや!
380日本@名無史さん:2001/06/19(火) 00:48
>>376 名無しのオプさんへ

男色のことに絞って、効率良くお読みになりたいならば、
>>301にも書きましたが

柴山肇 著
『江戸男色考』(批評社)全3巻

なんかが読みやすいと思います。他には、

氏家幹人 著
『武士道とエロス』(講談社現代新書)
『江戸の性風俗』(講談社現代新書)
『大江戸死体考』(平凡社新書)
『江戸藩邸物語』(中公新書)

あたりがお手頃価格。
すべて、参考文献・史料のリスト付きなので、
そこから原典に当たるのに便利。
381αジョーカーω:2001/06/19(火) 00:57
同性愛者は、脳梁の形が非同性愛者とは逆らしい。
つまり、通常、男性の脳梁は真直ぐなのだが、
ホモのそれは女性と同じように曲がっており、
レズは男性と同じように真直ぐらしい。
382日本@名無史さん:2001/06/20(水) 14:27
あのころの侍はみんなバイセクシャル
383名無しさん@1周年:2001/06/20(水) 14:43
お尻に入れられるのって気持ちいいの?
俺経験ないんでわからん
はたからみてると男同士なんてキモイだけだが
384日本@名無史さん:2001/06/21(木) 00:54
なんだかさがってる・・・
385日本@名無史さん:2001/06/21(木) 00:58
>>383さん、性感マッサージとか逝ったことない?
>>332にも書いてあるけど、お尻の穴そのものより、前立腺がイイのじゃよ…
386小泉純一郎内閣総理大臣:2001/06/21(木) 09:41
なぜなら、少年には大人には無い素晴らしい権利があるのです。
それは「女子中高生とHが出来る」
という、この上なくハッピーな権利なのです。

青少年育成条例賛成派も人権派も、未成年者同士のHについては反対していません。
実をいうと、青少年育成条例や淫行条例の真意は、
「中年男がカネにものを言わせて少女達を取り上げると、やりたい盛りの少年達が困ってしまう。
だから少年達を少女達に解放してあげなさい。」という点にあるのです。
したがって、未成年者同士のHについては、淫行条例でもOK、児童売春禁止法でもOKなのです。つまり「未成年
者の未成年者による未成年者の為のSEX」は全面的に認められており、「オマンコとチンポに関する完全自治」が
実現しているのです。
「若いオマンコは若いチンポの自治に委ね、年長者は『名誉ある撤退』を!」
これこそが、「オマンコとチンポに関する自治の精神」なのであります。

親の立場としても、娘のオマンコが中年男のフニャチンにやられるよりは、若々しくみずみずしいチンポに突き刺さ
れた方が納得がゆくというものです。
女子中高生のオマンコは、男子中高生のチンポに任せよう!
言い換えれば、女子中高生とHが出来るのは、生涯の内で、少年の時期だけなのです。
大人になると、児童売春禁止法や淫行条例に引っ掛かって、直ちに刑務所行きなのです。
だからこの貴重な少年期を逃すと、一生、女子中高生とのHは出来ないのです。

たとえ社会的権利が制限されているとしても、女子中高生のオマンコをゲット出来るというワンダフルな権利が少年
に与えられている限り、少年は他に何もいらないのです。
つまり社会は少年に対して、女子中高生のオマンコにチンポを突き刺せるというブラボーな権利さえ保証しておき
さえすれば、他の事はどうでも良いのです。

さあ少年よ、全国の女子中高生が、君のチンポを待っている!!
387さち子:2001/06/21(木) 09:55
>>383
わたしの書いた329、見てね。
388織田たん西郷たん:2001/06/21(木) 12:30
バコバコ
フタリデ
ハアハア
389名無しのオプ:2001/06/21(木) 13:44
前立腺てだいたいどこらへんにあるのかな?
うんこつきそうで嫌だけど今度試してみよう。
390日本@名無史さん:2001/06/21(木) 15:12
孝明天皇と松平容保、男色説浮上!
391名無しさんの主張:2001/06/22(金) 01:59
空海(弘法大使)ってどうなの?
392考える名無しさん:2001/06/22(金) 02:14
>390
ソースは?恋文でも出てきたか?
393αジョーカーω:2001/06/22(金) 02:44
>390
孝明天皇と岩倉具視が、男色関係だったなる珍説も有るそうな。

ところで、森蘭丸(それとも森乱丸?)が、鬼のような形相を
した20代半ばの大男だった、か否かはどうなのだろうか?
又、信長が男色家だったというのも本当なのだろうか?
森蘭丸美少年説は、後世に作り上げられたお話らしいが。
394日本@名無史さん:2001/06/22(金) 03:03
昭和天皇とマッカーサー、男色説浮上!
395αジョーカーω:2001/06/22(金) 17:40
平安時代の公卿や戦国時代の武将に男色趣味の持ち主
(つまり両刀使い)だったとすれば、
昔の日本人には脳障害の持ち主が多かった、
となってしまうのでは?
396αジョーカーω:2001/06/22(金) 17:43
訂正:平安時代の公卿や戦国時代の武将、そして僧侶に
   男色趣味の持ち主(両刀使い)が多かった、とすれば、・・・
397名無しのオプ:2001/06/22(金) 22:55
信長はブサ専?>秀吉
398考える名無しさん:2001/06/22(金) 23:41
前田利家が、「俺昔信長と付き合ってたんだよ〜」って言いふらしてたとゆう説の真偽は?
399日本@名無史さん
信長自身が家臣みんなの前で言ったんだろ。