1 :
名無しさん@1周年 :
2000/09/15(金) 05:49 他の板(スポーツ板)でナンバ歩きのことがちょこっとでてたのを読んで おもしろかったので日本史板でも皆さんの意見を聞かしてください。 「日本人は昔、日常的にナンバ歩きをしていたのか?」 注)ナンバ歩きとは、右手を出したら右足を前に、左足を出したら 左足を前に出すという歩き方のことです。
2 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 06:31
明治初期までそうでした。 長袴での歩き方がそうです。 絵画などから簡単に確認できます。
3 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 08:48
長袴って、普段着なの?
4 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 09:13
水戸黄門や銭形平次の中ではみんなちゃんと歩いてるね
5 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 09:29
儀礼の場での歩き方と 普段の歩き方とは違うんじゃないのかな? 昔の日本人って一日40キロとか歩いて街道を 旅してたわけですから、その間ずっと「ナンバ歩き」なんですか?
明治になって軍隊や学校で西洋の「行進」を学ぶうち、今の歩き方がノーマルになった、とか聞いたことあるけど。 はるか昔から体が憶えてることがわずか100年ほどで変わるものなのかな?
7 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 09:43
ナンバ歩きで合戦ができるわけない
8 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 10:47
着物を着たときに、現代歩きだと腰紐がずれたりゆるんだりするが ナンバ歩きだと、胴がねじれないので腰紐がずれることはない。 よって着物が一般的な衣類だった昔はナンバ歩きをしていた可能性 があるという説も中々興味深いですね。
9 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 10:49
>8 武士は訓練していたという話もある。 だれか武術家が言ってたと思う。養老さんと親しい人で・・・ 名前何だっけ。あの人の話は結構面白かったんだが。
10 :
たてい :2000/09/15(金) 13:07
昔の人はまともに走れなかったらしい。
11 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 13:13
一瞬、日本人は昔、ナンパ好きだった?と見間違えた。 ある意味正しいような気もして疑わず気づくのに時間がかかった。
12 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 14:25
1です。
>>11 そういわれてみると、ホントにこのスレのサブジェクトが
「日本人は昔、ナンパ好きだった?」に見えてきました。
ひょっとして、そう錯覚している人けっこういるかもしれませんね(笑
13 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 15:19
ナンバ歩きか、言葉は初めて聞いたような。 道具を使って何かする場合はナンバ歩きになってないかい。 剣道の構え、お百姓さんの鍬で作業する構え、相撲もそうだ、柔道も そう言われるとフェンシングの構えもナンバだね。 昔の日本ではナンバ歩きが普通で明治以前の古い絵にもナンバ歩きで 描かれているおもうよ。 ではナゼ今のような歩き方になったか >6さんのご説明は簡単だけど本当です。(おれも詳しくは説明できないが) 左利きも家庭で矯正したりして、両手使いになるように意外と変わるものではないでしょうか。 確証に自信がないけど、モンゴルの馬も本来は「そくたいほ(漢字わすれた)」といって ナンバ走りらしいよ、そうすると>8さんのご説のように馬も上下に揺れが 少なくなって、馬上からの弓が正確に撃てるようです。
14 :
名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 00:04
nanbaage
15 :
名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 00:07
age
16 :
名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 08:08
漫画ネタで申し訳ないけれど・・・。 山本貴嗣「セイバー・キャッツ」というSF格闘技マンガにチラッと載っていた。 古武術では「ナンバ歩き」の方が理にかなっているとのこと。 正拳突きで、右手右足を同時に出した方が威力が増すとか、 右袈裟切りで左足を出していれば、自分の足を切ってしまいかねないとか。 この本にも、明治政府の西欧化教育により、軍隊の行進が導入されて 日本人はナンバ歩きをしなくなったと書いてある。
17 :
名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 08:56
>漫画ネタで申し訳ないけれど・・・。 そんなことないよ>16さん、おれは小説や文献も多少は読むけど漫画も大いに読む 漫画と言えども史実を良く調べているのでグーだと思うよ、小説は高尚で漫画は下劣、 は芸術に対する冒涜だと思うよ。 文章主体か絵が主体化だけの程度だよ。
18 :
名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 10:32
阿波踊りや盆踊りなどの古くからある踊りは、なんば歩きですな。 右足が出たとき右腕が、左足が出たとき左腕がでるのが基本。 最近流行のぱらぱらもそんなところがあるので、 なんば歩きの方が綺麗にみえるのかも。
19 :
16 :2000/09/19(火) 11:30
>17さん その意見は私も賛成。漫画家はオタク的と言っては失礼かもしれないが、 かなり細部にわたって考証・研究している人が多い。この山本貴嗣という漫画家も 研究熱心で、「セイバーキャッツ」の中では、サーベルタイガーの進化論や 四不象(中国の幻の鹿)についての歴史などが描かれており、、かなりの博識 であることがわかる。 ただ一般論として、参考文献としては漫画が認められないと思われたので、断りを入れました。 スレの主題に戻ると、 「歴史公証学辞典」という本の中でも、「歩き方」についてふれている部分があり、 商人は前掛けの中に手を入れてうつむき加減に歩くなど、職業によって歩き方が 決まっているとか。また、前のほうのレスにもあったけれど「走る」のは特殊技能であり、 一般の人は早くあるいは長く走ることが出来なかったという。走ることの出来た武士が 尊敬され、飛脚が法外な値段を取り、忍者が一日何里走ったなどが伝説として残ったのも そのためだとか。 この本では「ナンバ歩き」は渡世人ややくざの歩き方であるとしている。
20 :
????? :2000/09/19(火) 11:39
あなたたちは、聞きかじりのようなことを言っているが、 それでは、なぜ、歩き方にわざわざ「ナンバ」というような、 名称をつけたの? それが普通だったら、そのような名前なんか付けなかったでしょうが。 そういう考え方が何故出来ないのかな(ワラ
21 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 11:41
人間の歩行、走法というものは、自然に手と足が逆に出るものだよ。 自分でやってみ。
22 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 11:42
行進の教育を受けてなくても、子供はそのように歩くぜ。 ナンバ歩きでなく、普通にな。
23 :
>1 :2000/09/19(火) 11:46
いや、正確にはちょっと違うと聞いた。 ナンバと言っても、完全に右手右足→左手左足というんじゃなくて、 ようするに手を横にふって振り出すような歩き方。 よく考えてごらん、現代人でもきっちり手を前後に振って歩いてる人間って 意外と少ないよ。 (近代的な身体技法の理想が軍人・兵士のそれだと言われるは、もちろん この点に関連がある) おばさんや年寄りに、どっちの手が前に出てるのかわかんないような 歩き方多いだろ。 見方によっちゃ、「ナンバ」に見えるが、猫背であれをもっとひどく したようなのが昔の百姓だったらしい。 ちなみに私が読んだのは、三浦雅士の『身体の零度』。 三浦は歴史家ではないが、色々な歴史書を参照していた。
24 :
参考 :2000/09/19(火) 11:46
25 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 11:56
昔はみんなナンバ歩きだった! こういうデマをNHKなんかが大げさに取り上げて、 映像化すると、それが本物のようにみんな思えて、 定説になっちゃう。 おそろしいことだ。
26 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 12:10
甲野義則って人が、なんかそんなこと言ってたな。
27 :
>26 :2000/09/19(火) 12:15
「甲野善紀」じゃないの? いや、どうでもいいけど。
28 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 16:36
昔の絵はナンバ歩きをしているというのは、 都合のいい絵しか見てないからじゃないのかな。 今、手元に戦国時代の合戦屏風(江戸時代にかかれたものだろう) があるが、これを見ると、手と足がナンバの形になっているのも あれば、そうでないのもある。まちまちだ。 要するに、絵師にとって都合のいいようなスタイルになっている。 絵師はそんな写実にはこだわらなかったはずだからね。 槍を突き出した姿勢は、腕を差し出した側の足が前に出るのが 自然だから、その姿勢で突撃する兵士は「ナンバ」の姿勢になって いる。しかし、槍刀を片手に走っている姿は、正常な走り方 になっている。それが全体の傾向だ。 すなわち、全体的に見て、躍動する武士たちの姿は、きわめて 自然なふるまいをしている。
29 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 18:19
26>27 ああ、そうでしたね。そっちの字が正しいです。 多分ね、あの体を同時に動かすような身の動きは、 居合とかの中から出てきたものだと思うんだよね。 そういう特殊な動きじゃないと、居合みたいな芸当はできないと思う。
30 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 22:52
おいらは幼稚園の頃ナンバ歩きだったが先生に矯正された。 ちなみに日本舞踊やってました…
31 :
名無し三等兵 :2000/09/19(火) 23:44
歌舞伎の「六方」はナンバそのものだ。 歌舞伎役者の歩いたり走ったりの所作を見ると、決して手を大きく前後に振り出してはいない。 駆け出すときでも懐手のままだったりする。 これを見る限り、手を大きく前後に振る歩き方が、西洋に由来するという説はかなりの説得力を持つ。
32 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 00:35
>31 「手を大きく前後に振る歩き方」早足になれば自然にやると 思うが。 人間の自然な動作がどうして外から「由来」するのか、理解しがたい。 様式化されあ歌舞伎の動作がそのまま現実の人々の動作であると いうのも、同意しがたい。 「手を大きく前後に振る歩き方」 というのは、速歩か意識的でない限り今でも、ほとんどの 人々はやらない。
33 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 16:41
1です。 結局、ナンバ歩きという歩き方はごく日常的な歩行方法ではなくて、 武術や舞踊、あるいは一部の職業に見られる歩行方法だったのでしょうか?
34 :
名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 17:38
さほど、日常的ではなかったと私は思う。 たしかに、今と比べると昔はのんびりしていたから、今の大阪人 のように、せかせかとは歩いてなかったと思う。 農民も走ってする仕事は余りないから、持続性を重んじたゆったりし た動作だったろう。 だから、今の都会人のような歩き方とは違うかもしれません。 旅人が持っていた杖を考えてもいい。 杖をつきながら歩く動作はナンバ歩きでは不合理でしょう。 動作に関する考察は学問的には興味あるところでしょうが、 人の自然な動作という基本は普遍でしょう。 学問的成果が通俗化して、ナンバ歩きが普遍的だったという ような論は、眉唾としか思えません。 江戸期と明治以降の間に敷居を見て、何でもかんでも西洋 を介在させて、進化を想像するという思考法にはうんざりしますね。
35 :
名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 21:01
olynpicage
36 :
名無しさん@1周年 :2000/09/25(月) 20:44
都会を流れる雑踏。 あの人々の歩き方を見ても、なお、昔はナンバ歩きしか出来なかった と言う、ドキュソの顔を見たい。
37 :
名無しさん@1周年 :2000/09/30(土) 11:41
作法として、「歩く」ときは、そのようになりますよ。 何も、合戦で走るときまで、そんなことはしないでしょう。 私、坊主(本当)ですが、法要の最中美しく歩くようになんば歩きというものをします。 でもこのネーミングはどこからきてるのでしょう?
38 :
日本@名無史さん :2000/09/30(土) 12:12
ナンバ歩き、初めて知りました でも、そんな歩き方日常的にしてたら、 宣教師などの来日した外国人が書き残したレポートに記述があるはずでは? あと、走るのもバンザイダッシュだったて云うのもよく聞きますね。
39 :
日本@名無史さん :2000/10/02(月) 13:20
>38 あるじゃないですか。 ラスコーの壁画にも速度によって歩行法が変化するのは確認されてます。
40 :
日本@名無史さん :2000/10/02(月) 17:36
枕草子に「難波辺り」=“ヘタ”を遠回しに言う事 って解釈が出てくるけど、語源はそのへんにありそーでない?
41 :
名無しさん@1周年 :2000/10/03(火) 03:09
悪しき「近代批判」の一例。 >「そのような身体動作は、南蛮渡来の滑車の綱を引くときの >体の動きと同じだったことから、「ナンバン」または「ナンバ」と呼ばれた。」 だって。(ホントカナー) 某SPORTS評論家氏の説あえて、そういう呼び方がなされたこと自体、 それがフツーじゃなかったってこと。
42 :
日本@名無史さん :2000/10/03(火) 03:20
今日(月曜)、テレ朝のニュースステーションでも田楽の紹介で 言っていた。
43 :
転載 :2000/10/03(火) 03:20
>38 以前のスレからの転載。 >ルイスフロイスは16世紀末の日本に来て、微細な日本人の >風俗を述べているが、 >ナンバについては、まったく触れていない。
44 :
日本@名無史さん :2000/10/04(水) 02:03
ゴラー! 日本人は昔ナンバ歩きしか出来なかったのだー! ゴラー! 歩き方や走り方さえ、西洋人に教えてもらったのだー! ゴラー! 昔の日本人なんて、島国の中で退化のし放題だったのだー! ゴラー! 黒船で、ようやく一人前になったのだ! ゴラー!
45 :
>44 :2000/10/04(水) 03:00
厨房エセ愛国者が、「反日サヨ」を模して書いたのか? くだらない。
46 :
日本@名無史さん :2000/10/05(木) 21:05
↑ いや、家永氏だったら言いそうだぜ。
47 :
大阪には :2000/10/06(金) 09:25
ナンバウォークと言うところがある。 みんな「なんば歩き」してます。
48 :
ななしさん :2000/10/06(金) 10:07
パラパラって手と足おなじだよね。これも盆踊りとか関係あるのかな? あと刀ふりおろしたときに逆の足が前にでてると足切っちゃいそうな 気がするんですが。
49 :
日本@名無史さん :2000/10/06(金) 10:09
>45 2ちゃんにはよくいるタイプの物好きです。 思想性があるわけではないでしょな。 本人はちょっとした冗談のつもりでしょう。(笑) それはそれとして、甲野さんのいっている刀身を敵に見せない ようにするために刀を水平に持つというか、肩で負うような形での 剣の型を鎌倉武士団は得意とした、という記述が高麗・元の記録に 残っているそうです。これは確かに面白い記述だと思います。 道場内での戦いならば、剣を繰り出す動作がどうしても一つ多くなって しまうわけで不利になってしまう。でも、実戦ではこのような型の剣技が 主流だったみたいだ。 これを甲野さん流に解釈すると、何か今の日本人が普段しないような 動きをしていたのではないか、ということになるわけだが、しかし 相手に駆け寄って切り込む場合に、刀を素直に相手に向けたままでは 走りにくいという、ただそれだけの気もする。(笑) 確かに刀身を見せないという理由もあったと思うけど、駆け込んでいって ばっさりやるには、肩におぶるようなやり方のほうが、最初の一撃の 威力は格段に増しそうだ。
50 :
日本@名無史さん :2000/10/06(金) 19:05
大阪の方言辞典に「ナンバ」は舞踊用語だって書いてあったよ。
51 :
1 :2000/10/07(土) 05:54
>「日本人は昔、日常的にナンバ歩きをしていたのか?」 ドキュンでないかぎり、そんな想像はいたしません。
52 :
日本@名無史さん :2000/10/07(土) 05:55
↑ 失礼。 51<>1
53 :
日本@名無史さん :2000/10/07(土) 08:39
>49 原著を読んでないのでピントはずれだったら失礼、 合戦で抜き身のまま移動するときは、刃を斜め上に向けて肩に担ぐのが 正しい方法だそうです。これは混乱した状態で自身や仲間を傷つけない ためで、実際にやってみると納得がいきます。
54 :
日本@名無史さん :2000/10/12(木) 02:47
というわけで、 >「日本人は昔、日常的にナンバ歩きをしていたのか?」 は、功名心からこれをオーバーに伝える一部の文化人のガセってことで。 ========== 修了 ===========
55 :
1 :2000/10/12(木) 04:17
########################## 再開 ##########################
56 :
名無しピーポ君 :2000/10/12(木) 19:04
どうやって何十里も走るんだ? ちなみにその「1里」は4キロのこと? そしたら日本人はマラソンが速いはず
57 :
日本@名無史さん :2000/10/18(水) 15:58
忍者は普通に手足左右逆に走ったりしてたみたい。
58 :
日本@名無史さん :2000/10/19(木) 13:03
>>37 私、神主ですけど、笏(しゃく:聖徳太子が手に持ってるアレです)を持って
歩く時、手は腰骨の上あたりに持ってきます。 つまり、ナンバ歩きのような
動作で歩きます。。
思い返してみれば、祭式作法もすべて、ナンバ歩き(この名称は知りませんでしたが)
になってますね。ちなみに「走る」という作法はありません。何故なら神主は
走る事は無いからです。最大速度で「早歩き」で、歩くときの作法に準じます。
こう考えると、運動学的には、現在の歩行法が合理的なのかと思いますが、
かつては「走る」事を必要とするのは、武士や忍者などの特殊な職業の者だけ
だったのではないかと思います。他の方のおっしゃってたように、農民などには
「走る」という動作は必要がなかったのでしょう。
たとえば、現代に於いて「歌手」が腹式呼吸を行うのは、この方が声量が増し、
また喉に負担をかけないからなのですが、一般人は腹式呼吸を用いなくても
日常生活に支障はありません(まぁ、カラオケとかはありますが・・・)
身体動作は、必ずしも運動学的な合理性だけから定義されるものでは
無いのかもしれません。
59 :
日本@名無史さん :2000/10/19(木) 20:30
雑学の勉強になりました。成る程。
こんなマトモなレス、2ちゃんにはもったいない。
>60 日本史板はヲタクだけど結構マトモだと思うよ。 最近の荒れようが悲しいよ。
62 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 20:29
age
63 :
日本@名無史さん :2000/10/20(金) 23:11
64 :
bu :2000/10/29(日) 04:25
明治時代の陸軍の行進は ナンバ歩きです。
65 :
日本@名無史さん :2000/10/29(日) 05:00
>64 では、訊く。 ある評論家は、 「明治になって教練によって日本人はナンバを矯正された。 でないと、行進も匍匐全身も出来ないからだった」 と、言っている。 この評論家は、ナンバ説をあたり前のように唱えているドキュソ だが、 かれの説明からすると、 >明治時代の陸軍の行進は >ナンバ歩きです。 というのは矛盾もはなはだしいだろう。 矯正されたはずなのだからね。 一部に「日露戦争当時の映像をテレビで見たらそうだった」 という人がいるが、 錯覚か思い込みの激しさからそう見えたとしか、言いようがない。
よく知らんけど、 昔は「正しい(機能的な)歩き方」=「ナンバ歩き」だったんじゃないの? それが、庶民まで普及していたかどうかはともかくとして。 というか、以前、ある武道の師範が、 「昔の人間(一般庶民)は、走り方を知らなかった」と言ってるのを聞いて、 「おいおい、いくらなんでもそれはないだろう」と思った記憶がある。 どうでもいい話だが。
67 :
日本@名無史さん :2000/10/29(日) 05:46
ちょっと比べる対象がおかしいかもしんない話。 今現在日本全国にコレだけ方言が残ってる、っつー事は、話言葉の 「訓練」による矯正は成されてないって事だよな。 歩き方なんてのは言葉と同じくらい生活に根ざしているんだから、 「訓練」で矯正しようとしたら同じくらい難しい筈でしょ。 今現在ナンバで歩く地方なんて全然無いわけだし、やっぱナンバ歩 きは生活に根ざしていなかった=訓練による特殊な歩き方だった。 ってのが正解なんじゃないのかな。
68 :
日本@名無史さん :2000/10/29(日) 19:53
「ナンバで歩く」を「手足が左右交互に動かし歩行する」と理解しても 方言として全国で残っていると断定するのは、あなた個人の思い込みでは?
69 :
カズ :2000/10/29(日) 21:30
敬礼でも陸軍と海軍では ちがってた 海軍では直立不動手を直ぐに 陸サンはヤヤ横方向だった 行進も歩調トレ と 歩調ヤメがあった ヒトラー軍は映画でみる 如く膝のばして曲げて行進しなかった おそらく 江戸期では剣術の動きが相当に影響してるのではあるまいか?? 私見にて失礼!!
70 :
日本@名無史さん :2000/10/29(日) 23:06
>68 ムチャクチャ分かりにくかったみたいだから説明しなおすね。 昔の人が皆ナンバで歩いていたと仮定すると「全国民の歩き方 を変える」っていう、どう考えてもモノスゴク大変な事が成し 遂げられちゃった事になるよね。 「歩き方」なんていう生活に密着した事をお上の命令ひとつで 完全に変える事が出来るとは到底思えないから、ナンバ歩きは 昔から一部の人が行う特殊な歩き方だったんじゃないかなーと 思ったわけ。 方言云々を持ち出したのは「生活に密着した習慣を変えるのは スゴク大変な事なんだよ」という事の具体例としてなんだよ。
71 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 00:51
もう、スレにも登場していると思うが、 「なんば」という言葉が残っている(使われている)こと自体。 それが、特殊っていうこと。 このくらい、少し頭を働かせば誰でも感づくことだと思うが。 嘆かわしい噂だ。
72 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 01:06
なぜ、こんなスレが成立するか…。 一部の野心的な学者らの、意見をそのまま信じ込んでしまい、 自身の思考、自身の知識、周囲の人の認識を確かめもせず、 知りもせず、簡単に信じ込んでしまう、 オウムやカルトに走る、昨今の若者の、頭でっかちな スタイルを極めて象徴している話だと、そちらのほうに むしろ、関心が向かいます。
73 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 04:22
>一部の野心的な学者 実名をあげて下さい。 また、その論文が掲載された学会誌名もお教え下さい。
74 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 04:26
>「なんば」という言葉が残っている(使われている)こと自体。 この言葉は単に1さんが使っただけでしょ? それを根拠に明治期以前の歩行法に言及するのは筋違いなのでは?
75 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 04:50
>73 検索エンジンで出るよ。 >74 1が勝手に使ったのではない。 1は、使われているから書いているだけ。
76 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 09:31
77 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 11:54
>70 >「生活に密着した習慣を変えるのはスゴク大変な事なんだよ」 民族博物館の熊倉功夫氏が江戸末期から昭和期までの座の形態について論文を書いておられるが 人間の生活習慣が短期に変わるのは立証済みです。 あなたの浅薄な歴史観には閉口します。
78 :
カズ :2000/10/30(月) 12:25
ンー 軽く考えてたけど 重要みたい 日本剣道の基本の前進方法 交代方法 すなわち 青眼構えに 非常に 関係あるみたい!!またナンバン 渡来の銃剣術の座法 乃至前進法 と比較すると 合戦 戦闘に いちがいに すてさるには もったいない 戦国時代 以前の農民が武士から自衛するには 歩き方まで 研究しとかなくては!!
↑ おめーの日本語読みにくい。
80 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 12:39
age
81 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 13:31
>の2件が見つかりましたが、いずれも「野心的な学者」の文章にはほど遠いです。 >ネガティブなニュアンスで「野心的」と断定した根拠をお知らせ下さい。 よく読めよ。これらは、ナンバ歩きについて、ここでの議論のような 進め方はしていない。つまり、「昔の日本人はみんなナンバ歩きだった」 (手と足を同時に前に出す)という本能、身体機能に矛盾した 歩き方を皆がしていたという論を立てているわけではない。
82 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 13:48
83 :
バビロン :2000/10/30(月) 13:57
/ \ /\ .\ ./ \ \ │ \ | │ ⌒ ⌒ \ 丿 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .\・ ・ ∨∨∨∨∨ < うんうん。 С ∵∵∵/ \_________ / っ)∵ / .(__ノ ∵/ \__ __ノ 丿 (
84 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 14:06
>このナンバで勢いよく歩くと、一歩ごとに肩が左右に大きく揺れて、 いわゆる「肩で風を切る」という格好になる。日本人が、ひざを曲げ、 腰をちょっと落として歩くのも、ナンバ式だと歩くにつれてからだが どうしても左右に揺れるから、そうせざるをえないということがある のだろう。 腰を落としての歩き方をしているKら、昔、日本人がナンバだった と、どうして類推できるのか、そこが理解できん。 まして、皆そうだったというなら、この人の言うようにやはり 眉唾としか思えないね。 腰を落としての走り方でも、腕は自然に交互に出るさ。 この人の文を読むと、今でも日本人はナンバ歩きをしている、 というふうにも思える。 だとしたら、昔も今も、たいして違った歩き方を日本人はしていない というふうにも解釈できる。 ナンバ歩きというものを極端にとらえるのではなく(上のほうの リンク)、控えめに考察するということか。 それに、下の方のリンクに戻るが、文中、ブルーノタウトを 引用しているのも理解に苦しむ、というか、注目に値する。 かれの来日は昭和初期であり、今の日本人でも生きている人は 大勢いる。そんな時代の歩き方と比較してナンバを 証明すること自体、昔と今が変わらないことを言っていることになる。
85 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 14:13
馬鹿サヨは氏ね。↑
サヨか?
ウヨサヨ話への抗議
88 :
ポイントゲッター@末広 :2000/10/30(月) 16:42
ココにいるのは僕の偽者っス アスキーアートを多用するところから見ておそらく以前シャア板を サルベージ荒らししたのを恨んでるシャア板住人でしょう しかし何故日本史板に?
89 :
日本@名無史さん :2000/10/30(月) 17:08
折角、話が面白くなってきたんだから 荒らさないでよね。。
90 :
日本@名無史さん :2000/10/31(火) 05:21
悪いけど、逆にナンバ歩きは幕末〜明治になるまで日本に存在しなかった、 というほうがより現実的でないかい? ナンバ歩きという呼び方自体、九州の方言っぽい。 これは、日本で初めてナンバ歩きを目にしたのが薩摩の倒幕軍の連中だった ということでは?
91 :
日本@名無史さん :2000/10/31(火) 06:11
ナンバ歩きっていうと、なんとなく茶坊主の歩き方を連想するんだよな。
92 :
ポイントゲッター@末広 :2000/10/31(火) 10:54
>88 誰だ、おまえは?
93 :
ポイントゲッター@末広 :2000/10/31(火) 11:44
94 :
日本@名無史さん :2000/10/31(火) 14:53
>悪いけど、逆にナンバ歩きは幕末〜明治になるまで日本に存在しなかった、 >というほうがより現実的でないかい? ? 逆なのでは?
なんで急に荒れたんだろうね。。
96 :
名無しさん@1周年 :2000/10/31(火) 15:11
荒らしているのは一人だけみたい、荒らしは逝ってよし
97 :
日本@名無史さん :2000/10/31(火) 20:01
98 :
日本@名無史さん :2000/10/31(火) 23:42
>たとえば、現代に於いて「歌手」が腹式呼吸を行うのは、この方が声量が増し、 >また喉に負担をかけないからなのですが、一般人は腹式呼吸を用いなくても > 日常生活に支障はありません(まぁ、カラオケとかはありますが・・・) > 身体動作は、必ずしも運動学的な合理性だけから定義されるものでは >無いのかもしれません。 身体動作が運動学的合理性によって解説されるということは、 「ナンバ」歩き、を説明する人も言っていることですよ。 つまり、どちらが「合理的に解釈できるか」というところが争点なので あって、あなたのように、身体動作の合理性と非合理性の選択の問題で 論議されているわけではないのです。 あなたの、考察を援用すれば、神主がそういう動作をするから、 昔も皆そういう動作をしていた、という 主張が成り立つか否かが争点なのです。
99 :
日本@名無史さん :2000/11/02(木) 08:13
甲子園の高校野球の開会式入場行進をみていると あがっているのか,右手と右足が同時に前に出る歩行をする選手が いることがあります. 緊張すると先祖帰りしてしまうものなのでしょうか?
100 :
日本@名無史さん :2000/11/02(木) 11:00
わかりやすいのが子供です。 子供を育てればハッキリするが、「歩き方」など教えなくとも、 我々の普段と同じような動作をしますよ。 早い子だと4歳くらいからなんとか走れると思うのだけど、 観察してみればいい。 小学校の行進では先生が手を振って歩けといった指導をしますが、 大概の子は正しく歩く。 なかにはそんな子もいますけれど、少数派でしょう。 人の本能、身体機能というのは、100年やそこらで変わるものではない というのは、常識人ならわかる。
101 :
日本@名無史さん :2000/11/02(木) 11:57
一部で…儀式の時などに行われてた、ってのが正解なのでしょうね。 長袴の時なんかは、確かにナンバ歩きのほうが歩きやすかったり。
102 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/11/07(火) 22:29
ナンバって、とても興味深い項目だと思う。 でもそれが農耕に由来するってのはどうよ?じゃあ、漁師さんはしないの? 農耕に関連するものが、日本人に普遍的に適用されるというのはよくある幻想。 阿波踊りがよく引き合いに出されるが、男踊りは農耕系だが、女踊りは海洋系とも言われる。 ナンバ歩きは、リズム感など音楽性への影響も指摘されている。 創作されたとも思えないが、やはり何らかの必要に応じて発生したものではないのか?
103 :
日本@名無史さん :2000/11/08(水) 00:11
普通の歩き方が自然ってみんな言うけど、 あれって体育の時間にならったもんだとばっかり思っていた
104 :
ヤ゙ヌキハ? :2000/11/08(水) 00:40
ハ筅ュハ�、テ、ニ。、サ�ツ螟萠アツイ、ヒ、隍テ、ニーロ、ハ、?、筅ホ、ヌ、キ、遑ゥ テ貉ホタ?ケ�ツ螟ホクホサヒ。ヨヤ゙、ホハ筍ラ、テ、ニ、ホ、ャ、「、?、タ、ア、?、ノ ホヒネトクォ、ヒヘ隍?、隍ヲ、ハ、メ、ネ、ハ、鯏ホ、テ、ニ、?、隍ヘ。ゥ
105 :
日本@名無史さん :2000/11/08(水) 01:25
学者が言っているから正しい、と信じる危険は、 今回の藤村事件で身に染みて分かった。
106 :
日本@名無史さん :2000/11/08(水) 13:03
競走馬が行う、最も速い走法「ギャロップ」で走るには、訓練を積まないと 無理だと競馬関係者から聞きました。 運動学的に最も合理的にスピードを出せる走法を、動物は生まれながらにして 持っている訳ではないのではないでしょうか?
107 :
日本@名無史さん :2000/11/08(水) 13:41
自然では、速く走ることより、長く走ることのほうが重要。 ギャロップは長距離移動には向いていない。
108 :
名無しさん :2000/11/08(水) 13:58
>>31 >歌舞伎の「六方」
この前、NHKの歌舞伎入門番組で、重い大刀を腰に下げている時には
手と足を同時に出した方がバランスを取りやすく歩きやすいからだ、
って説明してたよ。たしか。
だから、武士だけは日常的にやってたかもね。
109 :
名無しさん@1周年 :2000/11/08(水) 14:20
カタナを持った荒くれ者に追いかけられたら、無意識に現代人と同じように 走るだろうて。 子供は時代に関係無く走り回るしと思うし。
110 :
日本@名無史さん :2000/11/10(金) 03:19
>運動学的に最も合理的にスピードを出せる走法を、動物は生まれながらにして >持っている訳ではないのではないでしょうか? そのことと、ナンバ歩きが普通だったということとは、繋がらないでしょう。 最も合理的にスピードを出す走法は、今で言えば陸上競技の走法だが、 これには陸上競技を専門的に訓練した人でないと出来ない。 その意味では、あなたの言っていることは正しい。
111 :
106 :2000/11/10(金) 07:53
>>110 ナンバ肯定論者が、携刀時の走法や歌舞伎・舞踊などの作法、和服での合理性
などを論拠のにしているのに対し、
反対論者の論拠は「運動学的に合理的な走法では無い」の一点だけ。
つまり本論単独では肯定論の論拠にはならないが、否定論の唯一の論拠に
対して疑問を投げかける事が出来ます。
論議には攻撃と防御、どちらも必要なのですよ。
そして必ずしも一人でその両方を受け持つ必要は無い。
べつにナンバ歩きが標準走法だったという説に固執する訳ではなく
ただ、現在出揃っている情報からは、肯定論が有力だと判断しています。
反対論者は、運動合理性以外にもなにか決定的な資料の提示などが
あればいいんですけどね。
112 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/11/10(金) 13:24
明治政府の教育指導要領の体育に、「猫背とナンバ歩きの矯正」がおり込まれていたと聞いたことがあるんだが。
113 :
日本@名無史さん :2000/11/10(金) 13:29
>111 おいおい、とんでもないことを言うなよ。 あなたのいう、「肯定論」とは何だよ。 むしろナンバ歩きが普通行われていた、という理由こそ、あなたが言っている ようなあやふやな理由しかないのだよ。 それが理由にならないということをさんざん言っているスレを読めば?。 むしろ、「肯定論」の決定的なものは一つもないのだよ。 ただ、古典舞踊や武術の動作がそうであるというあなたのような 観察から「推測」されているにすぎない。 運動合理性や「コモンセンス」に反するという、それだけで、 立派な理由だよ。それを補完するために、ナンバ歩きが標準だったなる 電波な言説に対してその矛盾をいくつも指摘する。これは、 オカルト信仰に対しての反論同様、充分に根拠があるよ。
114 :
日本@名無史さん :2000/11/10(金) 13:36
こういうトンデモな話がまかり通ってしまうのも、 昔を知る人の数がどんどん減っているためだと思う。 今の20歳台の親は戦後生まれだし、おじいさんもせいぜいが戦中派。 ひいおじいさんの代くらいでないと、リアルな当時の現実を語れない。 今からでも遅くないから、なるべく、年を取った人に聞いてみるがいい。 「おじいちゃん(おばあちゃん)のおとうさんや、おじいさんが、 昔はみんなナンバ歩きだった、って言っていたのを聞いたことある?」 って。 すると、みんなまずは不可思議な顔をするだろうね。 ナンバ歩きって何? と。 その次には笑いが来るよ。 「そんな馬鹿な」 って。
115 :
日本@名無史さん :2000/11/10(金) 14:39
銀さんに聞いてみては?
>111 日本史以外の板の同様スレも見てきたけど、ナンバ肯定派の証拠は大体同じ。 すなわち、「私は見た!」。
117 :
日本@名無史さん :2000/11/10(金) 16:25
>116 踊りとか、武道とか、子供の行進でね(藁
>>117 そう、言ってることが寺尾五郎みたいなんだよ。
119 :
日本@名無史さん :2000/11/11(土) 06:02
私は見た!佐川急便の飛脚は ナンバで走ってます。
120 :
日本@名無史さん :2000/11/11(土) 06:14
そもそも西洋の写実主義とは正反対のところこそが評価されてる 浮世絵や歌舞伎を証拠にもってくるのはイタイと思うが・・・
121 :
あれ! :2000/11/13(月) 17:16
122 :
日本@名無史さん :2000/11/13(月) 23:36
海外でナンバ歩きしてる国や地域なんて見たことも聞いたことも無いよね。 もちろん俺は世界中の国々を見て回ったわけではないが、絶対数という点で ナンバ歩きをしてない国の方がだいぶ多いのは間違いなさそう。 そうすると、もし日常的にナンバ歩きする国や地域があったらそれはかなり 珍しいニュースだよね。「世界は広い!こんな人達もいるのです!」ってね。 そういう情報を全然聞いたことが無いという事は… (1)ナンバ歩きなんて珍しくも何とも無いのでニューズにならない。 (2)今のところ日常的にナンバ歩きする人々は見つかっていない。 どっちの方がありそうかって言えば俺は断然(2)だと思うね。 まぁ、「日本がナンバ歩きをしてた最後の国だった」って可能性もゼロ では無いんだけどね、ゼロでは。
123 :
武道版 :2000/11/14(火) 01:37
>121 さっきまで見てたけど、薄ら寒いという印象です。 どうして、そう簡単に信じてしまうのか。 カルトの発生を見る思い。
124 :
名無しさん@1周年 :2000/11/14(火) 11:56
>1 んなわけねーだろ!
125 :
名無しさん@1周年 :2000/11/14(火) 11:57
>1 おまえはラクダか!
126 :
名無しさん@1周年 :2000/11/14(火) 11:58
>1 四股でも踏んでろ!
127 :
名無しさん@1周年 :2000/11/14(火) 13:16
ラクダもナンバなんだね
128 :
日本@名無史さん :2000/11/14(火) 14:32
猫は右前・右後・左前・左後だにゃー。
129 :
日本@名無史さん :2000/11/14(火) 21:24
「絵に描いてある歩き方(走り方)がナンバだ」という事を肯定論の論拠にしてる 人がいますが、何でそんなもんを論拠に出来るのか理解不能。 早く動くものに対する人間の認識なんてかなりいいかげんなものです。例えば昔の 「走ってる馬」を描いた絵というのは、四足が全て地面から離れてたり蛙みたいに 後足を同時に蹴り出していたりデタラメばかりだったらしいです。 正確な「走ってる馬」の絵が描かれるようになったのは映画(の原型)の発明以降 の事だそうですよ。
130 :
日本@名無史さん :2000/11/14(火) 23:55
既出と思うが、とにかく、子供を育ててみれば分かる。 子供は何も教えられなくても、いつのまにか、 「自然に歩き出す」 こういう一種の本能は、100年やそこらでは変わらない。 さあ、行進しなさい、 と学校で言われて、緊張の余り、なんばになる子がいるが、 身体発達の未熟がなせるもので、大人でも運動神経の鈍い人にはまま見られる。 しかし、それと普段の動作とは関係ない。 山岳地帯での歩行はなんばになりやすいから、一部学者の言う世界にそういう 地方が存在するというのは、狭い生活範囲を抜け出ず、起伏のある空間で 縛られつづけてきた人々の間では習慣になっているかもしれない。 ただ、それも極端な例だろう。
131 :
名無しさん@1周年 :2000/11/15(水) 02:38
武士は手を動かさずに歩くというのはあったかも。
132 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 04:14
>131 根拠は? 根拠を示してくれ。
133 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 04:16
田んぼのぬかるみのなかでは、「なんば」でないと歩きにくいらしいっすね。 農作業時の農民は、「なんば」で歩いていた(いる?)のは、本当でしょう。 農作業を終えて、畦道を歩いている時に、歩き方をかえたかどうか。 私は、変えていないような気がするのです。 江戸時代の日本人は、全て「なんば」で歩いていたという説は、何の裏付けも ない説だというのは、理解しつつも、その可能性は、否定できないように思います。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい :2000/11/15(水) 04:48
イエズス会宣教師ルイス・フロイス(1532-92)は当時の日本の社会を 細かく監察し、ヨーロッパ文化と比較・対照して記録した。 彼は日本とヨーロッパの違うところを多く書き記したが、 ナンバ歩きのことなど一言も言及していない。 ナンバ歩きが有ったならば、 それを奇異に思った外国人が記録に残すはず。 有ったという人は何を根拠にそのようなことを言うのか。
135 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 06:59
>>133 はあ〜・・・
日本人以外の稲作をしてる民族は全てナンバ?
もしかして詐欺師の皆さんが言ってる
「日本人は農耕民族。西洋人は狩猟民族」
ってガセを本気で信じてるの?
136 :
>135 :2000/11/15(水) 07:38
「田植え」をしていた民族って、日本以外にもいるの?
137 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 08:08
>>136 わざわざ鍵カッコで「田植え」と書いているところが引っ掛け臭い。
言いたいことがあったら素直に言ったらどうだ?
138 :
136>137 :2000/11/15(水) 08:26
気になるなら、「」を取って読んで下さい。 言いたいことは、136に書いたことで、全てです。
139 :
たこ :2000/11/15(水) 09:33
ナンバかどうか判りませんが、武術家の方は手を振らない筈です。 当たり前の話ですが、手を振って走りながらでは逃げる人は殴れません。 更に刀を腰に差して手は振れません。お疑いならご自分でやってみて下さい。 もし、手を普通?の通り振りながら普通に歩いている武術家は 武術家、武道家と云われたら否定しましょう。(恥ずかしいでしょ) 臨戦、常在の感覚が無ければ武道家ではありませんよね。当然 ナンバで歩いている人の前でいきなり手を上げてみて下さい。 面白い反応が見られます。手は出さない様に目玉を突き込まれます。
140 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 18:30
139の主張に基づくと「ナンバ歩き」は武道家の特殊な習慣ということになるね。
141 :
雪男 :2000/11/15(水) 19:01
昔の人は基本的にナンバで活動したはずです。 殆んどの人は農民ですから。 うそだと思ったら鎌で草刈をするか、鍬で耕してください。 現代人は気をつけないと左足を怪我する事になります。
142 :
あれ! :2000/11/15(水) 19:31
武道板で色々煽られました(ゲラ。 >123 さっきまで見てたけど、薄ら寒いという印象です。 どうして、そう簡単に信じてしまうのか。 カルトの発生を見る思い。 これには理由があるんですよ。 日本古流の武術、中国拳法の体さばき(身体の運用法)には、 やたらとナンバ的な動きが出てくるんですよ。 なかには、ナンバ歩き自体を教える流派もあるぐらいで...。 だから、武術の修行者には「ナンバ」の動き自体を否定する空気は薄いわけです。 確かに日本人全てがナンバだったかは疑問ですが、山間で暮らしている人間や、 武術や芸能の習得者には、ナンバは当たり前の動きではないかって考えているんですが。
143 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 19:32
『昔の人は、士農工商みな手を振って歩くことはしなかった。(略) 旗本奴などの六方者は手を振るが、これとて現代とはあべこべ。 左足前のとき左手を前に、つまり「南蛮」という歩き方。(略) 走るときも、右足前右手前、左足前左手前である。 由来、日本人の体の構えは入身、半身の場合、手と足が一緒である。』 『侍が道路を走るということは、よくよくのことがない限りあり得ない。(略) 殿中では殊に走ることは厳禁されていた。(略) 長袴なども、殿中での動作を制限するため、つまり走れないようにするためのものである。』 ...と、名和弓雄先生はおっしゃってます。
144 :
名無しさん@1周年 :2000/11/15(水) 20:08
>141 >殆んどの人は農民ですから。 この認識がおかしい。国民皆農ではないのだから。 だったら町人はナンバじゃないよな。
145 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 21:56
>>136 水稲栽培なら、中国江南、朝鮮半島、インドシナ半島など
146 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 23:39
結局ナンバ歩き云々を信じてる人って「日本人は特別」って思いたいんだよね。 日本人以外にナンバ歩きしている国なんて聞いたこと無いのにそれを当然として 受け止めてるんだもん。
147 :
日本@名無史さん :2000/11/15(水) 23:47
>143 それは日常の歩き方じゃなくて、動作、所作なのよ。 農民の労働も同じ。山登りも同じ。 しかし、人が通常歩くとき、そうしたことには、 「絶対」 ならない。 当時の農民の労働時間は12時間くらいだった。が、その間、ずっと 田植えをしていたわけじゃないし、田んぼにいたわけでもない。 労働は激しかったが、休憩時間もあるし、農作業にも季節によって違うし、 田以外の用事も多かった。 そういうリアルな農民像を何故想像しない。 侍にしても、いつも、そんな風体をしているわけないでしょう。 たしかに、常に危険を伴った敵対意識で緊張していた、と美的に語られる ことはあっても、やはり、武士も 「人間」 なのです。武道家も 「人間」 です。 武道家のあなたは、 ナンバ なのでしょうか? 子供の動作をも加味して、 もうすこし、 「常識人」 としての目をお互いもちましょう。 町を歩くとき、また参勤交替のとき日程を調整するために速歩を要求される ときだってある。 武士も、普通の人でした。普通の歩き方をしていました。
148 :
143 :2000/11/16(木) 01:47
>>147 『日本人は昔、日常的にナンバ歩きをしていたのか?』
を見逃してました(^_^;
おっしゃるとおり143は「所作」です。
ただ、『常識(人)』や『普通』というのは何を基準にしたものでしょう?
当時? 現代? それとも普遍ですか?
149 :
147 :2000/11/16(木) 06:22
常識とか普通とかいうのは、私にとっては、自分がふだん特別な意識なしに 受け入れている価値意識、認識、知識ということでしょうか。 今の世界は精神異常者的な突拍子もない言動をすると、少ない確立で脚光を 浴びる恩恵にあずかれるという甘い幻想が流布し、 社会もそのような振る舞いを許容できるだけの経済的豊かさを備えている。 その豊かさに甘えた電波な言動が目に余る。 この話も何%かはそうした要素があるので、断固粉砕したい。
150 :
この話って :2000/11/16(木) 06:29
151 :
日本@名無史さん :2000/11/16(木) 13:26
>イエズス会宣教師ルイス・フロイス(1532-92)は当時の日本の社会を >細かく監察し、ヨーロッパ文化と比較・対照して記録した。 >彼は日本とヨーロッパの違うところを多く書き記したが、 >ナンバ歩きのことなど一言も言及していない。 フロイスが歩くことに関してまったく書いていないわけではない。 逆にいうと、歩くことについて書いていながら なんば について全く触れていないということは、日本人が別に奇異な歩き方を していなかった証拠である。 ちなみに、フロイスが日本人の歩き方について触れているのは、 1)西洋人は手を服の前に入れて歩くが、日本人は服を後ろにたくし上げて 歩く=つまり、尻からげだね。 2)西洋人は足の裏全面をつけて歩くが、日本人はつま先で歩く これは、前半分しかない草履を履いて泥の跳ね上げを防いでいた日本人の習俗を 指す。 いずれも、こんな些細な違いを語りながら、なんばについては、一言も触れていない。 これでおわかりかと思う。 明治初期についてはナンバ説を完璧に否定する、 決定的な証拠をお知らせしたいが、今は時間がないので、 のちほど、書きます。
152 :
日本@名無史さん :2000/11/16(木) 22:56
良い引きだね!>151
153 :
証拠 :2000/11/17(金) 01:40
フロイスは親日的というイメージがあるが、所詮は異邦人だ。 軍事関係についても客観的に細かく記しているように、 その国の長所短所を性格に見極めて国力を測ろうとしている意図も見受けられる。 日常日本人がナンバ歩きのような一種非合理な歩き方をしておれば、そのことは 必ず書き記したはずだ。
154 :
証拠2 :2000/11/17(金) 01:41
幕末から明治にかけては多くの写真が残っている。 上のほうで、「当時のモデルが歩く姿のポーズをとって写っているが、 露光時間の関係でそれが実際の姿とは限らない」 とのレスがあったが、モデルが意識的に「歩くポーズ」を見せたとは思えない。 だから、なんら根拠なし。 そんなことよりも、沢山の路上の風景の写真を見たほうがいい。 写っている人たちはカメラの性能が悪い時代は静止させられて写っているので、 歩く姿はない。しかし、そこに写った人々の身体、表情を見て、 「今の俺たちと変わらない」 生き生きした姿をなぜ想像できないのだろう。 戦後は経済発展したといっても、戦前戦後、さらに、戦前の日本の変貌と比べれば、 その変化(習俗、風景、人間性)は乏しいものだ。 昭和末期と、平成の今の世はほとんどかわりない。 若い人の親もそんな時代に生まれている。今の若い人には、昔の人を 「別世界」の人間 と見る傾向が生じてしまうのではないか。それが、簡単にナンバのような眉唾な話を鵜呑みに してしまう原因と思う。
155 :
証拠3 :2000/11/17(金) 01:43
さて、そんな、私の主観よりも、 「ナンバ歩きは昔日常行われていた」「日本人は腕を前後に振っては走れなかった」 「明治になって軍事教練で矯正した」「それでも、うまくはいかなかった」 みたいな、言説が完全に否定される資料を紹介したい。 これは、新潮社から出版されている 『幕末・維新の写真集』(題名は不正確かもしれない=後日確認してもいい) のなかの、明治10年に銀座四丁目の雑踏を写した写真である。 カメラの性能も向上し、人々のふだんの動作も見て取れ、 しかも、写真としての出来栄えもよく、 古い写真としては傑作の部類に入るだろう。 ここには、人力車、子供、夫人、紳士など当時の銀座を徘徊していた普通の日本人の 多くの姿が映っている。 この中に左のほうの街路をこちらに向かって描けてくる人がはっきり写っている。 その姿は、そう、 マラソン選手の走り方と全く同じである!
156 :
証拠4 :2000/11/17(金) 01:46
これは、私が虫眼鏡で発見したわけではない。 当時の写真に写っている私たちの祖先から、 活き活きとした姿を愛情を込めて観察しようとする本の著者自身によって発見された。 すなわち、文中において、この人物に関する感想が述べられているのだ。 著者は無論ナンバ歩き、ナンバ走法については無関心だからそんなことには触れていない。 忙しそうに走っている、その姿に人々の活気を見たのだ。 壮年の男らしいその人物は、腕を直角に折り曲げ、まるで陸上競技の訓練を受けたかのごとき 見事な走法を見せている。出した腕と同じ側の足は力強く後ろに蹴っている。 つまり、今の我々と全く同じである。 明治10年というと、まだ、日本が近代化を完成してない時代だ。日本の近代の完成は 大日本土木帝国憲法などが施行された明治20年ごろといわれる。そのころになって ようやく近代的軍隊も完成し、日清戦争に臨めるほど力をつけるわけだ。 しかし明治10年というと西南戦争のころだ。まだ江戸の気風が色濃く残っていた時代である。 「明治以前はナンバが普通だった。走ることさえなかった。手を前にだらりと下げて ちょんちょんと走っていた…」 そうしたデマを飛ばす文化人こそ、テレビドラマか何かの俳優の姿から想像した 「時代に拘泥」 させられた観念人間というべきであろう。
157 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 02:40
人間工学という学問の分野の人に聞いてみりゃ〜わかるかな。
158 :
あれ! :2000/11/17(金) 04:01
あのー、証拠レスの方。 じゃあ、ぼくが上げたNHKの映像は「貴方の勘違い」 って指摘でOKなんですか? せっかく「動く映像」があるのに、それを見ずして否定されるのは なんだか納得いきませんが。
>158 だから、お前の勘違いってことだろ。
160 :
日本@名無史さん :2000/11/17(金) 09:18
ようやく、この問題も結論が出たな。
161 :
日本@名無史さん :2000/11/18(土) 23:38
162 :
名無しさん@1周年 :2000/11/19(日) 02:42
空手の構えは、右利きの人は、左足左手が前、右足右手が後ろ。
163 :
日本@名無史さん :2000/11/19(日) 07:16
>161 こんな話が、本命題には、ほとんど意味もないことがスレを読めば分かるでしょう。 同じ事ばかり繰り返さないで下さい。
164 :
日本@名無史さん :2000/11/19(日) 07:33
人がナンバ歩きが「出来ない」と言うつもりはない。 しかし、「日本人は昔、日常的にナンバ歩きをしていたのか?」 という問いには「否」と答えるしかない。
165 :
163 :2000/11/19(日) 07:41
>161 誤解してました。 もとい。 その本については読んでみます。
166 :
日本@名無史さん :2000/11/20(月) 01:21
167 :
一応了解ですが :2000/11/20(月) 02:11
>166 ざっと読ませていただきましたが、 スポーツトレーニングの方法としての有効性については分かりました。 たしかに、人間の肉体の機能は日常もっともあり得べき形態で 表れているのですから、限定された感覚、筋肉の動きの範囲内でしか 発揮されていないことは分かります。 逆立ちによって体液の循環をリフレッシュするとか、ヨガの 方法とか、いろいろな試みがなされているのは知っています。 同様に、ナンバ歩きを日常取り入れることによって心身のリフレッシュ あるいは、そうした、運動トレーニングに役立てる効能は認めます。 しかし、文意にある、「江戸時代までの日本人固有の動作」 ということについては、どうしても、承服しがたいのですよね。 人類史(元は四足歩行)と比べたときの、「江戸時代」の 「近代性」。これは、いかんともしがたい「近さ」ではないか。 いうなれば、日本の江戸をいうよりも、「人類」の問題になるでしょう。 にもかかわらず「日本の江戸」とか「飛脚の絵」とかにこだわることに、 不自然を感じます。 つまり、 「江戸」=前近代 「明治」=近代 という截然たる図式にとらわれすぎている、というか幻想である、 という問題のほうが、当スレの根本にあると思う。 このことと、一連のスポーツトレーニングの効能とは、 別問題と思いますね。
168 :
一応了解ですが :2000/11/20(月) 02:13
スポーツトレーニングについての効能を示すのはいいのですが、 それを強調したいがために、 前提として「日本固有のなんば」 を持ち出したとき、それは、トレーニングの問題から逸脱した(行き過ぎた) 言葉をつむぎだしてしまう。 たとえば、 >日本人のマラソン選手が世界で通用するのは、我が国に東海道を相当な速さで走った飛>脚などの文化があるからだと以前、学内の冊子で書いたことがありますが、これは、腕を>小脇にかかえるようにして小さくリズムをとる「なんば」走りからきているのではない>>か、と思えてきました。女子マラソンの高橋選手などのどくとくな腕振りはなんばが原>>形かもしれません。 こうした見解が大手を振ってまかりとおることになると、むしろスポーツ界にとって かえって弊害になるかとも懸念します。 なんばをトレーニング方法として採用することの意義は、 こうした形骸化した見方とは違うと思う。
169 :
日本@名無史さん :2000/11/20(月) 03:08
あまりに突拍子もない妄想を否定するのって、 意外と難しかったりする・・
170 :
日本@名無史さん :2000/11/20(月) 08:56
>169 まさに。
171 :
野村説への疑問 :2000/11/20(月) 09:43
野村雅一(国立民族学博物館教授)の講演が権威付けられ、 いつのまにかこうした話が「定説」になろうとしてる。 野村教授の日本人と西欧人の歩き方の違いは理解できても、 ナンバ歩き(手と足が同時に前後に出る)を、昔の日本人が通常 していたというのには説得性がない。 この人が理由として持ち出しているものは、 1)昔の絵がそうなっている。 2)舞踊などの動作がそうである。 3)他の教授が言っているチベットの田舎でナンバ歩きが残っている ということだが、現代人と江戸以前の人の歩き方が全く同じ とはいえないにしても、これらが「ナンバ歩き」が日常的だった 理由になるとは到底思えない。 また、ナンバ歩きが崩壊したのは天保以降であるとの一説がある ようだが。根拠は不明。 「ナンバ歩きは都会においては、江戸時代の天保くらいから崩壊した、 ということである。宝暦七年(1757)出版の「増補 浄瑠璃秘曲抄」とい う本の中に、「右の足の進む時は左の手の進み、左の足の進む時は右の 手の進む、これ陰陽の道理なり」という記述があるという。」 ナンバ歩きが行われていたという前提で考えると、天保崩壊説は成り立つが、 前提としないなら、むしろ、この史料はナンバなど昔からなかった という逆の結論になる。 天保以前については、それ以前の史料に証拠となるものは絵しかないが、 絵はまちまちであり、証拠にはなりえない。
172 :
野村説への疑問2 :2000/11/20(月) 09:58
また、野村教授の論の中に、 「現代の西欧式の歩き方は産業社会の成立とともに標準化したらしい」 というのがあるが、 仮にルイスフロイスがナンバを指摘してない理由が そのようなものであるなら、日本の「ナンバ」歩きは、 固有に指摘されるものではなくなる。 また、 「文献から推測すると、ヨーロッパ人の間でも19世紀までは、 ナンバ歩きが気取った歩き方として見られたらしい。」 という見方に至っては、江戸時代のカブキもの(乱暴もの) たちがナンバ歩きで風を切って町を歩いていた(示威行為) のと変わらないじゃないか と考えてしまう。 いずれにせよ、「昔日本人はナンバ歩きが普通だった」というのは、 現代人の西欧人との歩き方の相違を過大解釈した幻想としか 思えない。天保以前に、ナンバスタイルがこの日本において日常的だったか を現代的な動きをしてなかった 西欧社会、
173 :
日本@名無史さん :2000/11/20(月) 09:59
↑ 文末未整理、失礼。
174 :
日本@名無史さん :2000/11/20(月) 20:03
175 :
日本@名無史さん :2000/11/21(火) 04:20
>174 はいはい、わかりました。 でも、当スレの命題とは問題意識が異なります。 また、回答にもなりえません。
176 :
日本@名無史さん :2000/11/21(火) 04:34
前に、NHKかなにかの昔の映像で日露戦争の頃の日本軍兵士の行進がナンバだった のを見たというのがあったけど、残念ながらやはり、錯覚だね。 昔の映写機は速度が遅かったから、今移すと早送りのようになって、見づらい。 前後左右のほかの兵士の腕のふりが交錯して勘違いしたのだろう。 コマ送りを見て確認すれば、何のことはないよ。 平凡な歩きだ(藁
177 :
169 :2000/11/21(火) 21:39
田んぼでナンバ歩きじゃないと歩きにくいとかいってる奴がいるけど大嘘。 ナンバでも普通の歩きでも変わらない。お百姓は田んぼの中でも普通に歩いてるよ。 もちろん泥の上では舗装された道よりは歩きにくいけど、それはまた別の問題。 草刈をする時は片側の足と手を同時に出す事があるが、 鎌の刃を避けるための特殊な所作であり、ナンバ歩きをしている訳ではない。 彼らは「草を刈っている」のであり、歩いているのではない。田植えも同様。 そんな事も分からんのか? 武術ではナンバに近い動作をする時があるが、これは防御の姿勢を維持するため。 普通に手と足を交互に出す動作では、敵に体の正面が向いてしまい、 急所の集まる体の中心が見えてしまう。 だから「半身」になって急所を隠すわけだ。これも特殊な動作。
178 :
169 :2000/11/21(火) 21:59
歌舞伎の動作は表情から指の先まで、ことごとく様式化 されているので、ナンバ歩きが日常的だったことの証拠 にはならない。これも「演技する」という特殊な動作。 神主の動作がナンバに近いのはおそらく、自らが労働階級 にいない事を示すための特殊な動作であろう。 昔の貴族や神官階級は特殊な動作や服装をすることで、 労働階級との違いを示す文化を持っていた。 十二単を着て労働はできない。 昔の朝鮮の貴族のあいだでは、労働ができない程、 醜く太った男が美男子とされた。 中国での纏足も「労働をしない」ことが美女の基準となった例だ。
179 :
169 :2000/11/21(火) 22:14
こうして見てくると、 「昔の日本ではナンバ歩きが日常的だった」と主張する輩は、 本来問題にもならない、特殊なシチュエーションでの所作を 引き合いに出し、無理やり一般化させて、論拠ができたと 錯覚しているようだ。ドキュンだね。
180 :
>169 :2000/11/21(火) 23:54
問題は、「ナンバ歩き」の定義なんだよね。 野村教授のようなアタマのイイ人は、うまい逃げ口を作っている ように思える。 つまり、今のような西洋人の歩くスタイル以外の、手をシッカリ 前後に振らない歩き方を総称する用意があるように思える。 つまり、私たちの今のスタイルにも伏在している歩き方。 その線で来るのだろうな。 NHKあたりがCGを使って 「昔の日本人の歩き方」 って、みょうちくりんな歩き方を演じさせたりすると とたんに、これは「定説」になりそうな気がする。 しかし、手を(意識的に)振らない歩き方、が今の我々に 伏在していることをナンバというなら、今の我々もナンバなわけだ。 だから、そもそもナンバなんて日常行われていたというのは、 やはり観念論であり、秀吉以前の時代から日本人は今の我々と 大差ない歩く動作、走る動作をしていたというしかないと考える。 いずれにせよ、スレの表題のような説明の仕方が通俗化する 雰囲気があるとすれば、やはり嫌悪を催すなあ。 いろんな意味で。
181 :
日本@名無史さん :2000/12/01(金) 15:21
ナンバ歩きを単に「手と足が同時に出る歩き方」とすると 不自然で異様な印象があるけど、ほんとは首を突きだして 背中を丸めて歩くというイメージの方が正確だと思う。 足の前後に従って下半身が捻られ、腰でそのモメントを吸収する 動きがないので肩胛骨のねじれに従って手も動くといった程度。 オランウータンみたいな感じで、決して身体機能に矛盾した 動きじゃないよ。斜面や雪上ではこちらの方が有利だし。 やっぱり軍隊教育が一度入った国でないと「まっすぐ立って 下半身の回転に対する反モーメントを腕の振りで作っておいて 腰のヒネリで両方を調停しながら歩行/走行する」という極めて 高度な身体技法が主流化することはないと思う。日本人の場合は 体育とマーチングで「近代人歩き」や「近代人走り」を完璧に 標準化できたけど、東南アジアの田舎の子ども(ガッコ行って ない)とかで、今でもナンバ風の走り方を見ることあるもん。 ハシの持ち方と一緒で、ほっとけばみんなバラバラにやってる ってことじゃないの? あれも自然な修得だけでは最も効率的な 動きに収斂することはないっていう実例。ナンバを現代風の歩法 と対立するものと捉えて「昔はみんなこうだった」というとうさん くさくなるけど、純化・理念化されてない雑多な歩行モードが あった時代があるってのは確かじゃない?
182 :
日本@名無史さん :2000/12/01(金) 22:14
>181 >軍隊教育が一度入った国でないと「まっすぐ立って >下半身の回転に対する反モーメントを腕の振りで作っておいて >腰のヒネリで両方を調停しながら歩行/走行する」という極めて >高度な身体技法が主流化することはないと思う。 そんなことを考えて、日本人が明治以降、歩いていたとは思えないよ。 自然歩行さ。 江戸時代までと同じ。 軍隊教育→ナンバの克服 という図式は、言葉としては美しく成立しても実態としては違うだろう。 卑俗な例を言うと、今の若者は軍隊教育を受けていないし、学校の行進 の練習も過酷なものとは言えない。 人間の自然な歩行が基本にあるから、行進はさほど過酷な訓練を受けなくとも 「足を合わせる、手をシッカリ振る」 程度の指導で、小学校低学年でも困難なくできる。 その行進が日常の歩行に影響したという体験を私は知らないし、 あなたも知らないと思う。 それ(つまり今の歩き)は教練で得るものではない。 >純化・理念化されてない雑多な歩行モードが >あった時代があるってのは確かじゃない? は一応認めよう。 しかし、「純化・理念化された歩行モード」で、今の我々が 日々の歩行をしているとは思えない。 私の歩きと、そのへんの、いかにも鈍重なおばさんの歩きと、 さほど違ったものではないと、私は思う(こう見えても、私は 一応、現役のスポーツクラブの人間なのだが)。 たしかに西洋人と日本人の歩行の違いということは、野村教授の 指摘のとおりだと思う。 しかし、それをして、かつて、日本人が今とは全く異なった歩きを 日常していたとは私には断じて思えない。 「昔がナンバだった」というなら、「今もナンバだ」ということは、 いえると思う。 それが、あなたの冒頭の一文に対する私の最大の認知である。 しかしですね。
183 :
日本@名無史さん :2000/12/01(金) 22:20
はしを持つのは、歩くのと違うからねえ。 はしを持つのは、卓球のラケットを持つのと同じレベルの話だ。
184 :
日本@名無史さん :2000/12/01(金) 22:30
東南アジアの子供のナンバ風の走り方というのは 多分、日本の子供でもやる子はいると思うよ。 ナンバ的な走り方は珍しくない。 また、西洋人の子供でも、手を上から犬掻きのようにして 振りながら走る子も、映画などでよく見かける。 つまり、その現象と、「かつて日本人はナンバだった」 ということとは、関係ないと思う。 江戸と明治の間に大きな垣根を作って思考したがる、 「今的」に拘束された知性から生まれた観念としか思えない。
185 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 03:47
187 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 05:17
あらかじめ断っておくけど、ぼくは「昔はみんなナンバ歩き
してた」とも「日本独特の歩法としてナンバ歩きがあった」とも
言うつもりはない。ただ、明治期以前の日本にそういう
歩き方が見られたことは多分確か。それも、少なからず。
そもそも身体技法論は「人間の自然な動き」という考え方に
も疑義を提起する。我々が「自然な」投擲動作とか洗面動作
とか排尿姿勢と見なすものは民族誌的に見れば必ずしも普遍的
な所作じゃないし。なのになぜ歩行や走行だけには唯一必然の
「自然なモーション」があると考えるのか、と思ってしまう。
身体技法の修正や構築は、別に過酷なものとは限らない。
系統だってないムーブマンに補助線を引いて構造化するのが
行進やマーチングといった教練。だから
>「足を合わせる、手をシッカリ振る」 程度の指導
は、やっぱり指導(身体の規律化)であることに変わりない。
実際にも「今の学校教育ではナンバ的なムーブマンは修正される」
という事例が、このスレでも実体験として挙げられてた。昔は
ほっとかれたかもしれない事が、今はほっとかれないで単一の
フォームに矯正されるってことは確か。これが結論でしょ。
ついでに言うと「まっすぐ立つ」も学校教育と深い関係がある。
もともと人間の身体はlordosis(前湾姿勢)が自然なようにできていて
ぴしっと直立するのは、生物力学的にはかなり特殊な状態。
あと、この話題を日本人の独自性にひきつける議論があるよう
だけど、これは日本に限らず近代国家がみんな辿ってきた道。
フーコーが「農民的所作を消し去り、兵士の気風を身につける」
って表現したプロセス。
"...By the late eighteenth century the soldier has become something
that can be made; out of formless clay@` an inapt body@` the machine
required can be constructed; posture is gradually corrected; a
calculated constraint runs slowly through each part of the body@`
mastering it@` making it pliable@` ready at all times@` turning silently
into the automatism of habit; in short on has 'got rid of the peasant'
and given him 'the air of a soldier.'"
なお以下の生物力学MLのログには太極拳のトレーニングを重ねた結果
違和感なくナンバ歩きができるようになったという中国人の告白がある。
http://isb.ri.ccf.org/biomch-l/archives/biomch-l-1999-02/00060.html
188 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 09:37
>ただ、明治期以前の日本にそういう >歩き方が見られたことは多分確か。それも、少なからず。 そこのところが、問題なのだよ。 少なからずあったというが、程度の問題だ。 明治期以前と以後との間に線をひく。 その根拠を教練に求めているわけだけど、 教練での歩行動作が、日常の動作に反映されとは思えない。 教練という一種強制された歩行動作の中で、心身発達の未熟な子供は とまどうし、運動神経の鈍いようなある種の人は間違う。 しかし、そういうのは少数派だろう。 人間に本来備わった歩行スタイルというのは、投擲や洗面動作の スタイルとは異にするものだよ。 洗面動作の民族的な違いというのは全く知らないが、手のひらで洗うというのが ほとんどだろう。まさか、足の裏では洗うまい。 手の甲で洗うというのもないかもしれない。あるかもしれないが、ほとんど ないだろう。 ナンバというのは、その程度のものと認識する。
189 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 09:42
町を流れる雑踏。 人々の動作の中に、矯正されて出来上がったものを見る 能力は、私にはないな。 一部の人たちにはあるのかもしれないが、やはり、それは、 観念だと思うよ。
190 :
>187 :2000/12/02(土) 10:24
ざっと読んでみたけど、その中国人もふだんはナンバでは歩いていない と言っている。 ナンバの動作がある効能から研究されているのは認めるが、それと、 このスレのテーマには馴染まないよ。 それと、聞き捨てならないことだが、その英語版の掲示板に 韓国人が、唐突に、 「それは昔の日本人がやっていた歩き方だよ」 と、無造作に書いていることだ。おまけに、 「それは、ナンバ歩き、と命名されている」 と念の入りようだ。 一体、あのレスの意図は何なのかな。 ああいうのを見るから、馬鹿なこうした論議が嫌なのだよ。
191 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 13:59
>>190 つまり、ナンバ派のキョージュさん達は、
サヨや在日には「日本人はこんなに遅れてる劣等民族だ」と売り込み、
ウヨには「日本古来の伝統的な歩き方を忘れるとは嘆かわしい」とかいって売り込む、
BOOKOFF一山百円詐欺本商法をやってるってことね。
胸糞悪い。
192 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 14:05
>>186 多分ナンバ派は死ぬまでやめないと思うよ。
これだけ所作は関係ないって言われてもやめないし、
立証責任もまったく果たせていない。
邪馬台国スレの九州派と一緒。同一人物かも。
193 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 15:24
>188
あなたはこっちが出してる色々な事例に「私にはそう思えない」とか
「人間には本来備わった歩行スタイルがある」とか繰り返してるだけ。
反論になってない。歩行姿勢の「本来性」を主張するなら、数多くの
身体技法論者(たとえば下記URL『文化の衝突』の項)が同意している
「ムーブマンの構築性」を否定するだけの論拠を挙げ、ナンバ歩きが
なぜ生物力学的に不自然なのかを論じてほしい。
http://www.twcu.ac.jp/~iwaoka/class-97.html 洗面には手のひらを固定して顔を動かす方法があるのは知ってるでしょ。
あれで中国の日本人スパイが発見されたという逸話は話半分だと思って
いるけど、明示的な訓練がなされたとは思えないような所作でも文化的
コンテクストによって差異が生まれるということをよく示す例だと思う。
それから野生児研究って知ってるかな。2桁におよぶ発見例があって、
かなり詳細な研究が残されているケースも多い。本能に関して有名なのは
いずれの野生児も「性欲」に類する衝動を持たなかった事実だけど、
歩行姿勢に関してもかなりの前傾で、手を前方に垂らして歩行して
いた野生児が複数いる。インドのアマラとカマラの事例ではそもそも
二足歩行すらしてなかった。そういうのはどう説明するのか。それでも
不足なら、今度はネイティブ・アメリカンのfoxwalkの話でもするが。
例の中国人の話を出したのは、あくまで「歩行の構築性」についての
事例だから。しかも生物力学の研究者が、バランシング・セオリーと
してのナンバ歩行に関心と有用性を見出しているという事実。これは
あなたの「唯一自然な歩行としての直立交互歩行」という主張への
反証になってると思う。それから韓国人氏の投稿に関してだけど
And@` in the 'Arm and leg swing at same side'@` that is possibly a kind
of walking. I've heard that in ancient Japan@` japanese walked with
swing their limb at same side@` called 'Nanba' steps.
彼はここで書いてるナンバ普遍派(勘違いなきよう、僕はナンバ存在
派であって普遍派ではない)とほぼ同じニュートラルな表現を
してる。arms and legs swing at the same sideの話題のMLを読んで、
ナンバについて書いた本を知ってたら、普通はこう書くだろうという
程度の内容でしかない。研究者同士のファーストインフォメーション
としてはごく普通のやりとり。それから、なんでI've heardの部分を
意図的に無視して彼が「それは昔の日本人がやっていた歩き方だよ」
と断言しているかのように表現するのか。悪意を感じる。英語版の
掲示板に唐突に韓国人が…って、理系研究者が英語でコミュニケーション
するのは当然だろう。事実、このスレッドに書いてる人もアジア系の
研究者が多数派だ。この議論をナショナリスティックなコンテクストで
読む必要はあるだろうけど、あなた自身がそのようなバイアスを持った
まま議論を読むなら、その帰結は悲惨な排外主義につながりかねない。
ウヨサヨとかくだらない話はしないで、歩行には唯一自然の形態が
あるのかどうかを実証的に論じてほしい。
>192
僕は民族神話板からこのスレッドに飛んできただけ。日本史板の他の
スレッドは読んでもいない。
>インドのアマラとカマラの事例ではそもそも >二足歩行すらしてなかった。そういうのはどう説明するのか ぷぷ。過去ログよもーね。 それといつになったら日本人がナンバ歩きしてた証拠出してくれるの?
195 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 16:26
>ぷぷ。過去ログよもーね。 全部読んだけど、何も説明されてない。もっとがんばれや。 >それといつになったら日本人がナンバ歩きしてた証拠出してくれるの? どういう「証拠」を出せば、かつての日本人がナンバ歩きもしてたと 認めるの? 形質人類学が古人類についてやったみたいに関節摩耗から 歩法を再現すればいいのか?
196 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 17:00
197 :
日本@名無史さん :2000/12/02(土) 17:24
草履や草鞋についても同じことがいわれてるね 西洋人の歩法だとすぐ脱げてしまうとか 和服と履き物の形から類推するだけじゃ不十分かもしれないが
198 :
日本@名無史さん :2000/12/03(日) 03:40
>193 まあ、そう興奮しないで。 あなたが、そのコレアンではないことを信じて言う。 I've heard の語句がそれほど重要とも思えんが。 190は、それを無視したのじゃなくて、そんなことよりも、あなた自身が評している、 >彼はここで書いてるナンバ普遍派(勘違いなきよう、僕はナンバ存在 >派であって普遍派ではない)とほぼ同じニュートラルな表現を >してる。 という部分に着目したのだろう? 木を見て森を見ない読み方はやめよう。 ついでに言うと、これを「ニュートラル」と言いきるあなたにも、 そうとう意図的(悪意とは言わないが)なものがあるぞ。 「悲惨な排外主義を生む」というのも、あなたのexcentricな 感性じゃないのかな。
199 :
日本@名無史さん :2000/12/03(日) 04:34
興奮はしてるかもしれないが、木を見て森を見ていないとは思わない。 韓国人氏の投稿に関しての部分は余録だから、その前を読んで欲しい。 生物力学的な不自然さを理由になんば歩きを否定することに対して いくつか反論を出した。 ついでに書けば、あの部分は「…手と足の揃った歩き方というのは、 ありえるかもね。昔の日本では同じ側の手足を振り出す「ナンバ」 ステップと言われる歩き方をしていた、と聞いたことがあるよ」と 訳すしかないだろう。それを指して「それと、聞き捨てならないこと だが、その英語版の掲示板に、韓国人が、唐突に、「それは昔の 日本人がやっていた歩き方だよ」 と、無造作に書いていることだ。 おまけに、 「それは、ナンバ歩き、と命名されている」 と念の 入りようだ」じゃ、意味が全然変わってる。 ニュートラルという表現は悪かったから取り消すよ。ただ投稿者 自身は、これを事実かどうかは留保していて、決して「無造作に」 書いているわけではないだろう? その事が言いたかった。 それから「排外主義を生む」については、正確には「排外主義に つながりかねない」と書いた。それをexcentricな感性と評して くれても構わないが、今の日本史板で、あたかも韓国人が日本の 土俗的歩法をでっちあげ、それをあげつらっているかのような 誘導的な表現をすれば、どんなことになるかという想像はめぐら せてほしいと思う。実際に、こういうレスもついてるんだし。 >つまり、ナンバ派のキョージュさん達は、 >サヨや在日には「日本人はこんなに遅れてる劣等民族だ」と売り込み、 >ウヨには「日本古来の伝統的な歩き方を忘れるとは嘆かわしい」とかいって売り込む、 >BOOKOFF一山百円詐欺本商法をやってるってことね。 >胸糞悪い。 このスレをくだらないウヨサヨ話やナショナリズム的対立に 持ち込まれて荒らされるのは本意じゃないし、190氏も御同様 だと思ってる。なんば歩きに類する歩容がかつての日本には 本当に存在したのか、あったのならどの程度の様式・頻度でか、 そういう話をしたい。興味があるなら、あなたもどうぞ。
200 :
世界@名無史さん :2000/12/03(日) 04:47
時代で言えば明治以前と以後で歩き方が違うよ〜って話でしょ。 そんな昔の話じゃないんだから当時の証言とかが残ってる筈じゃん。ホントにそんな歩き方してたなら。 証言も無し、証人も無し、写真や映像の証拠も無し、じゃあ信じる方が難しいよ。 大体なんだよ「ナンバ存在派」って。 そりゃ変な歩き方をする人なんざ古今東西いくらでも居ただろうけどさ、 だからって「そっち(ナンバ)の方が多かった」なんてどうして思い込めるんだ?
201 :
日本@名無史さん :2000/12/03(日) 04:48
このナンバ歩きのプロパガンダは逆効果だと思うね。 宗教的に見ればナンバ歩きってははらに意識が集まる 興味深い歩き方だってことに欧米の知識人達は気がつくだろう。 俺は仮に本当に日本人がナンバ歩きだったとしてもそれに 誇りを持てる。ナンバ歩きは武道でも訳に立つしな。
202 :
名無しさん@1周年 :2000/12/03(日) 04:54
.
203 :
日本@名無史さん :2000/12/03(日) 05:11
手を振らないで歩くのって難しい。 下腹に意識を集中しないととても出来るものじゃない。
204 :
日本@名無史さん :2000/12/03(日) 06:02
オレ、幼稚園の頃は手と足が一緒に出てました。 当然かけっこはビリでした。 小学校にあがるぐらいでなおりました。 現在はナンバなんて出来ません。
205 :
日本@名無史さん :2000/12/03(日) 19:20
議論の前にナンバの定義を整理しないとダメかもしれない。 狭義のナンバと広義のナンバが入り乱れてるから、「あった」「ない」 の話をする場合、お互いが何を指してるのかわかりにくい。 1・歩くときに同じ側の手と足が前に出る(狭義のナンバ) 2・歩くときに下半身の旋回を腰で吸収しないので肩も廻る(広義のナンバ) これとは別に和歩の歩容として以下の要素が挙がっている。 これが田を歩くときや雪道での歩容として効率的だという主張は なんば擁護とは全く関係のない文脈で存在している。 3 ・歩くときに膝の屈曲を積極的に利用する ・かかとから地面にアプローチし 足の外周に沿ってZMPを移動し 親指で地面を蹴る アプローチの際にはかかとをひきずる 野村の場合は2と3を日本型歩容の特徴としてて、2の事例として1のよう な状態がありえたことを示すという感じだと思う。左右同側の動きは 左右異側の動きとは違ってモーメントを打ち消す補償動作ではなく、 肩の旋回動作によって生まれることもある副次的効果という扱い。 つまり左右同側はナンバの結果であって本質ではないということ。 この立場の場合、昔の絵画の中では左右同側もそうでない状態も見られる という事実とは特に矛盾していない。 近世〜近代の変化については、野村の色々なインタビューを総合すると、 「下半身のねじれを腰で吸収し、上半身は回転させないという技法は 近代以後多くの日本人が修得したが、膝の屈曲とかかとの引きずりに 関しては今もそれほど変化がなく、西洋人から見て今でも違和感がある」 という感じの表現をしてる。つまり2は消失しつつあるが3の要素は 今もある、という立場。個人的にもだいたいこんなところだろうと思う。
206 :
日本@名無史さん :2000/12/03(日) 19:23
>200
証言に関しては、軍事教練の中で姿勢と歩法を改めたという話が文化史的
研究では何度も出てきてるけど、それじゃ不満かい。吉見俊哉の『運動会と
近代日本』とF@`フジタニ『天皇のページェント』あたりを参照。
http://www.edogawa-u.ac.jp/hirayama/1997_zemi/97119.html http://members.tripod.co.jp/nijuraku/densho/undokai.html >203
「自分にはこう歩くのが自然だ。だから、昔もそうだったに違いない」
という気持ちはわかるが、そういう「自然さ」を構築するのが身体
技法というもの。今の女の子に「立ちションベンしてみてよ」って
言っても同じように反論されるだろうけど、昔は女性だって特に
支障なく立ちションベンしてたわけだから。ナンバの普遍性を確定的に
示す証拠がないのと同様、ナンバの不在を示す確定的な証拠も今の
ところはない。
一応今まで挙がった話だと、こんなのがあるけど。
・明治初期における徹底した身体教練の存在(特に歩法に関して)
・着物と履き物の構造(左右異側歩行よりも同側歩行に馴染む)
・明治期以前の農民に特徴的な足骨の甲高さと土踏まずの発達度
(現在とは違うZMP移動の様式を伺わせる)
・子供時代にナンバ歩きをしていて矯正されたという複数の経験談
(「自然」で「効率的」な動きとしての左右異側歩行への疑念)
最近二足歩行系ロボット研究者のページを色々見て回ってるんだけど、
二足歩行の歩容において下半身の旋回で発生するモーメントをどう
処理するかという問題には、人間のように多くの関節群を持ち、
しかもそれぞれの関節に若干のバネ性能も備わっている生物の場合
には複数の最適解があり得るという印象を持った。研究者の中にも
「人間はポケットに手を突っ込んでても歩けるんだから、補償動作
としての腕の振りなんかいらない」って断言して、上半身を作って
ない人がいた。
207 :
>205@`206 :2000/12/04(月) 10:34
ナンバ歩きの定義を確認してくれて有難う。 たしかに、定義が重要だと思う。 まあ、私も紹介されたページの文章が読めないほど愚鈍ではないから、語られている内容についてはよく分かるし、あなたの意図も理解できる。 しかし、たとえば、 「農業中心であった、日本において、人々はナンバの歩き方をしていたが、いまや誰一人としてそんな歩き方をする人はいないのであり、日本全体が、身体を規格化され、もはや回復不能なほどにまで、なってしまっているといえるのではないかと思う。」(紹介文中より) こういう語り方をされると困るというか、おかしいと思うわけよ。 どうして、こう単純にまとめたがるのだろう。 近代以降の生活様式、社会通念がそれまでと異なり、現在の我々の常識というものが歴史的に見ると限定されたものであるという、随分前から聞かされている近代批判なのだけれど、その思考形式の通俗化に対しては異議を言いたいね。 「江戸時代まではみんな日本人はナンバだった」 という形式的な表現はその典型だし、それを補完するような文章が、しばしば「大手を振って」のさばっているわけだ。 あなたのような人には、むしろ、そうした言説に対して警鐘を鳴らしてほしいと願う。ナンバに関する研究は価値があるのだろうが、単純化した議論には釘をさしておくことも、あなたのような研究者の使命ではなかろうか。
208 :
>206@`206 :2000/12/04(月) 10:39
ただ、聞いておきたいことがあるのだけれど、 町を歩く人々の自然な歩行が、 ここ100年ばかりの間に矯正された結果のものであると思うのだろうか。 軍事教練で、徴兵された兵士の動作が矯正されたのは事実で、それが日常の所作に影響を与えたことは想像に難くない。 しかし、兵士の動作の矯正は日常の歩行そのものに対するよりも、 姿勢、挙動(動作をピリッとする)といった気持ちに関わる面への 影響が大だったと思われる。 運動会の行進など集団技も軍事教練のように 集団との一体性を要求する目的が大きかった。 だからそもそも「ナンバ」の矯正が主眼とされたものではない。 教練によって「ナンバ」が矯正されたというのは、教練の副次的な産物として、 また結果論として生じたという推論の域を脱していないと思う。
209 :
>205@`206 :2000/12/04(月) 10:42
私は、現在の人々の歩き方と、軍事教練を経なかった明治以前の 人々の歩き方に大きな違いはないと思う気持ちには変わりない。 軍事教練を経ていない女性は、運動会や学校教育の中で矯正された ことになるのだろうが、だいたい人々の中には、 そういうものをいやいやながらやる人が多いのだから、 それで日常の歩行に大きな影響が出たとはとても思えない。 卑近な例でいうと、50年程前の女性は「教練」という意味では 史上最も過酷に施された年代だが、 ことさらにナンバを矯正されたという話は聞かないし、 運動会が嫌でたまらなかったという相当に運動神経の鈍い私の肉親なども、 歩き方に関してはきわめて普通である。 時代とともに生活環境が変わる。 そうした変化に人間の歩行が影響を受けていることは認めたい。 しかし、今見る私たちの歩行(足が右に出たとき、その反動で左手が出る) というあたり前な姿は、昔と同じであるとしか考えられない。 昔の歩き方を総称して「ナンバ」というなら、 言葉の定義をシッカリさせないと駄目だろう。 しかし、そうであるなら、今の日本人はみんな「ナンバ」歩きである、 ということになる。研究者が「消えた」と言っている歩行が 今目の前にある、という逆の結論になって申し訳ないが。 女の立ちしょんべんは今はないが昔はあった。大陸の人間は陰茎を振って尿を切るが日本人は体をゆすって切る…。 こんなことと歩行の基本に関することを比べても意味はない。 最後に繰り返せば、 「昔日本人は走れなかった」「みんな手と足が一緒に出るナンバだった」 みたいな俗論は撲滅してほしいな。 別に被害を蒙るわけではないが、不愉快極まりない。 不愉快も被害という意味なら被害なのだがね。
210 :
あれ! :2000/12/04(月) 20:20
こっちもまだ続いてたんですね。 えーと、いつぞや俺が挙げた日露戦争の映像ですが、最近気づいた事があります。 やっぱりあれ、「ナンバ」的な歩き方でした。 でも日本人が昔、ナンバで歩いていた証拠にはならないんです。 203高地の気温を考慮するのを忘れていたのです。 あんな寒いところで良質な防寒着もなく、悪路を行軍させられれば、 手も振れず、足場を確かめながら歩かなければいけないので、ああなる訳です。 ちなみに、撮影の速度は関係ないと思いますけど。
211 :
世界@名無史さん :2000/12/04(月) 23:00
武道板で読んでNHKの『映像の世紀』観たんですけど、確かにナンバで歩いてる 兵隊さんは居ました。ただね、普通に歩いてる兵隊さんも居るんだよね。 ビデオ持ってる人は確認して欲しいんだけど第一話の203高地の行軍シーン では画面中央に居る向かって左端の人はナンバで歩いてますが、移動砲台の近くを 歩いてる人は逆足で歩いてるね。 また、その直後の砲撃シーンでは弾の入れ替えのために発射直後の砲台に走り寄る 兵隊さんは逆足で走ってます。 あと、ほぼ同時期の東京の町並みの映像では小僧さんを連れた商店の番頭さん風の 男は和服に前掛けといういでたちですが、ごく普通に逆足で歩いています。 ナンバで歩く人が居なかった。とは言い切れないけど、当時の人はナンバで歩いていた とも言えないんじゃないかな。 ナンバで歩いていた兵隊さんに関しては、むしろ俺は「カメラに撮られるなんて初めて なので、緊張しちゃって手足がいっしょにでちゃった」という方がありそうだと思う。
212 :
日本@名無史さん :2000/12/05(火) 00:31
>画面中央に居る向かって左端の人はナンバで歩いてますが、移動砲台の近くを >歩いてる人は逆足で歩いてるね。 これが、唯一の「証拠」なのね。 でも、 あれは、歩いているのじゃないの。 「動いているの」 あんな動作は今の人でもやります。 レスは、この問題はすでに超えています。 180〜190以降あたりから、高い次元に話は移行している。 210、211のような話題は、それ以前で解決済み。
213 :
日本@名無史さん :2000/12/05(火) 08:23
>>213 べつに解決済みじゃないとおもうけど… 今のところは
「ナンバなんかなかったんだよ、ボゲ」というのも
「全員ナンバで歩いてたんだよ、カス」というのも
どっちもむちゃのありすぎる極論ってことである程度合意ができた、
ってことでオーケーかしらん?
あと、他の板のナンバスレで面白い話になってるとこがあったら
URL貼ってくでい。
214 :
日本@名無史さん :2000/12/05(火) 21:54
age
215 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/12/13(水) 15:37
「存在派」に一票。 ナンバ歩きと西洋式歩行の間が連続的に繋がっているとすれば、 現代日本人の平均は西洋式寄り、明治日本はナンバ寄り、 だんだん西洋式になってきた。こんな感じじゃない? 変化した要因はここまでさんざん言われた通り衣服の変化や矯正ってことで。 ナンバ皆無・不自然・非合理説は現代においてさえ論外として、 日本人総ナンバ説は明治の激変が誇張されたのではないかと。
216 :
日本@名無史さん :2000/12/14(木) 01:55
西洋人が、片手はポケットに突っ込み、 もう一方の手でアイスクリームを持って、 それを舐めながら歩いていたら、 ナンバ歩きをしていると言えるの?
217 :
日本@名無史さん :
2000/12/14(木) 03:11 ナンバはともかく、このスレッドのように、「消えた」と思ったら また浮き上がってくる、その仕組みについて教えて呉。 初心者版逝けといわずに、な、頼む。