大半の日本人の名字

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1高校三年生
は、明治になってから適当につけたものと
考えてもよろしいでしょうか?
そう言い切っている資料が見当たらないので、
教えてください。
また、著書等も紹介して頂ければ幸いです。
2名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 04:12
明治の頃の文明開化ブーム(?)に乗っかって、
変に西洋チックな名字を名乗った人とかいないのかなあ?
そーゆー名字の人、いません?
(それとも、そーゆー名字は不受理?)
3名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 04:31
適当に、ってあたりが何ともいえんのだが。
地名とか屋号とかをそのまま付けたのも適当と言えば適当だし。
熟慮の上つけたんなら適当と切って捨てるのは失礼だし。
少なくとも思いつきで付けたわけではない。
4高校三年生 :2000/09/12(火) 04:38
いずれにしても、大抵の日本人はその時に、
自己判断で名字を決めたのですね。

それ以前は、名字を持つことが許されていた層は、
人口比でどれくらいだったんでしょうか?
5>高校三年生 :2000/09/12(火) 06:16
手元に資料がないので詳しくはわからんけど、
1622年の小倉藩では
百姓87.3パーセント
武士5.3パーセント
町人2.7パーセント。
(山川の日本史の教科書より)

あくまでも小倉藩だけのデータだよ。当然江戸や大坂などの都市部と農村とでは違うだろうし、
これが全国平均と一緒になるのかもわからんです。
圧倒的に農民が多いけど、この中には後に苗字帯刀する奴も出てくるしな。

とりあえず江戸末期のデータがないとなんとも言えんね。
6名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 07:29
江戸でいうなら武士の割合は8%と何かで読んだ。
鈴木、佐藤、高橋、田中、渡辺、伊藤と上位のこれらの姓だけで
人口の10%は超えると思うが、偉人の数は大した事ないんだな。
7偉人の多い姓 :2000/09/12(火) 07:41
阿部、島津、徳川、中村、林、藤原、松平など
大々名や名家は数が多い。
8名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 10:26
>1
必ずしもそうとばかりは言えないようですよ。
江戸時代にも隠し姓として先祖代々の姓を伝えている農民も多かったようです。
新選組の近藤勇の実家は宮川姓、土方歳三の実家は土方姓を名乗っていたようにね。
勿論、幕府の人別帖には、彼らは名だけしか記載がなかっただろうけど。
9名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 11:43
ウチの先祖は農家だけど江戸時代の墓にも姓の記載があるよ。
まあ農家とはいえ名主身分だからなのかもしれないけど。
10>9 :2000/09/12(火) 12:03
実は農工商でも功績があったり領主に献金すると苗字帯刀をゆるされたりします。
あとお金を貸して返せなかったりした場合や担保/利息として
苗字帯刀や扶持、武士身分の付与が行われた事例が間々あります。
またこれらも色々とレベルがあり当人のみの一代限りから末代までなど
別れていました。

あと被差別身分(エタ/非人等)でも上層部(非人頭等)は姓を名乗っていますね。
11>2 :2000/09/12(火) 12:07
名字じゃないけど与謝野鉄幹は息子に「アウギュスト」って名前付けたよ
12名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 12:19
なんで鈴木が多いの?
13高校三年生 :2000/09/12(火) 21:33
それでもやはり、大半の日本人は明治以前は名字なんて
持っていなかったんですよね?
どうして、ウチはこういう理由でこんな名字を付けた
とかいう話題が少ないのだろう…?
14名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 21:34
>8
近藤も土方も豪農だよ。
15>12 :2000/09/12(火) 21:55
なんか、一向宗と関係してるって聞いた事あるけど…>鈴木
16名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 22:16
鈴木は熊野神社関連じゃないのか?
1715>16 :2000/09/12(火) 22:37
多分そのとおりです…雑賀の鈴木でごっちゃになってました…陳謝。
18名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 00:02
>14
土方家は村では一番の豪農だったけど、決して名主ではなかった。
近藤の実家の宮川家は、豪農というほどではなく中農ぐらいだよ。
土方が寄宿していた日野宿の佐藤彦五郎道場の門人は皆農民だけど、
宿場の鎮守に奉納した額には、すべて姓が記載されているよ。
だから、少なくとも天領に関しては、農民でも姓を称している人が
多かったんじゃないかな。
19名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 00:21
うちは、数パーセントの武士のうちでも、馬にものってた武士だから
社会的地位は、相当高かったと言っていいのでしょうか。
20名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 01:14
村一番の豪農でも名主ではないってこともあるの?
21名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 01:30
>13
おいおい、名乗れなかっただけで名字持ってた農民や商人はいっぱい実例が有るぞ。
関連図書を探して読んで見な。
22名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 02:05
>姓って書いた人
姓と名字(苗字)、ちゃんと使い分けようぜ。日本史板なんだから。

ここで語られるのは苗字だね。
23名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 06:44
>20
土方家は石田村のお大尽と言われていたそうですけど、
名主だったという話は聞いたことがありません。
24名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 09:06
>1
何だか自虐野郎の臭いがするな……
25名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 10:39
明治になって苗字を創った家なんて割合からいえば少数らしいよ。
26名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 15:02
うちは商人だったので屋号をそのまま名乗ったが。

農民の場合も、江戸時代にすでに慣例的に使われてたものを
そのまま法的な名字にしただけなので、適当ってことではない。
27名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 17:40
だいたい江戸時代の農民や商人や職人だって、戦国時代には武士と兼任で帰農したり職を変えたのが多いから姓あるいは名字はあったんじゃないか?
使わないから忘れただけでしょ。
正倉院の戸籍等見ると賎民だって姓はあったわけだし…
28確かある村で :2000/09/13(水) 17:52
めんどいから赤穂浪士の苗字から選んでみんな付けたとか言う話を聞いたことがあったが・・・。
それともただのネタか・・・。
29名無しさん :2000/09/13(水) 18:11
藤がついた名字は全て藤原家関係ではないの??

憧れ含めて・・・。
30名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 19:46
これで読みましたが、
江戸時代は 公式に名乗れなかっただけで皆持っていた のが正解なようです。

http://www2.justnet.ne.jp/~pb/bookshelves/bs015_myouzi_to_nihonzin.htm
31名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 21:41
私の先祖は大工ですが、江戸時代から名字はあったようです。
ただ、公式には名乗れなかったのかもしれませんが。
32名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 22:12
大工でも棟梁なんかだと、大工であって何々藩の武士でもある、という
ようなケースもあったようですね。そういう大工は当然苗字があります。
31さんの先祖がそういう家かどうかは知りませんが。
3331 :2000/09/13(水) 22:32
>32
私の先祖は江戸近郊のある町の住民でした。
この地は天領でした。
天領は幕府の役人がお役所仕事で統治していた為に、
庶民に対する統制は非常に緩やかだったと聞いております。
だから、庶民が非公式に名字を名乗ることは、黙認されていたのかもしれません。
34名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 22:37
先祖伝来の苗字を覚えていたってことではないの?>31
非公式であれ「名乗って」いたんですか?
35竹田丹後守 :2000/09/13(水) 23:36
皆、わずか数代前の先祖のしたことが分からんのか(と言いつつ、うちも分からんが)
誰か日記をつけてた先祖とかおらん?
36>35 :2000/09/13(水) 23:41
数代前で江戸時代ですか…
竹田さんって、思っていたより、年いった人なんですね…
37名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 00:23
数代ってことは2〜9代だよね。じゅうぶん江戸時代に到達するんじゃないかな。

でも、最近の「数○」は「2、3○」をいうのが普通らしいので、その疑問も
わからないでもない。
3831 :2000/09/14(木) 07:30
>34
その辺のところはどうなんでしょうかね。
何とも言えません。
まぁ、名字が先祖代々伝えて来たものであり、維新時に適当につけたもの
ではないことだけは確かですけど。
39名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 10:49
私の先祖は後北条氏の配下の武士だったそうで、下野の城の家老をしていた
そうですが、秀吉勢にせめられて城は落城、その後は土地の名主として
存続したようです。もっとも、一族がばらばらになってしまい、どの家が
本家かもわからんありさまだったようだけど。
でも、苗字は江戸時代も非公式ながら名乗っていたようですし、家には
江戸時代前期のものと思われる刀もちゃんとあります。
こういう、武士と農民階級の中間的存在(郷士とでもいうのかな)は、
各地方に一定数存在していたんじゃないかな?
40>30 :2000/09/14(木) 12:16
その本読んでないんですが,
武士くずれの人々以外も含め,国民全員が苗字を持っていたのですか?

維新の時に,多くの人の苗字は地域の実力者(神官とか)によってつけ
られたと聞いてましたが,そうではないのですか?
41名無しさん :2000/09/14(木) 16:02
>36
竹田は大阪松原在住の40過ぎのちび禿げネカマ教師です。(藁
42名無しさん@イカ焼きふるふる :2000/09/14(木) 16:16
せんせえ、タイ人買春して腰カクカクさせとったらあかんでー
43名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 19:18
>41

何でそこまで知ってんねん。
44高校一年生 :2000/09/15(金) 03:48
上げるでござる。
以下、品のない投稿は差し控えて下され。
45名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 04:19
精子辞典買えや
46名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 10:50
まあ、武士といっても江戸時代以前のそれと以後のそれとは
ある程度区別されるべきかも。
47名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 17:55
日本人の姓である法則に気が付かない、みんな。
山・川・原・野・田など土地を表す物に+上・中・下・右・左を組み合わせる
例えば、上田・中田・下田・右田・佐田みたいになる。
だからどうのは無いんだけど面白いとおもう。

それと、侍とかの伝統のある家柄は田のつく姓はあまり多くないような気がする
>7さんの例の 阿部、島津、徳川、中村、林、藤原、松平などに田が無いのは
        偶然だろうか。
48名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 17:59
>47の補足 侍の名家にも、小田・武田とか格式の高い家があるので
      あくまでも比較的”田”が少ないって言うことです。
49名無しさん :2000/09/15(金) 17:59
>47

君が気づいてる事は皆気付いてるよ??
50名無しさん@そうだ涅槃に行こう :2000/09/18(月) 03:29
>47
目を覚ませ
新田(清和源氏嫡流)・多田(清和源氏の祖)・武田(甲斐・安芸守護)・織田
(尾張守護代)・前田(加賀百万石)・池田(鳥取30万石・岡山30万石)
・柴田(織田信長家臣)・真田(信州上田10万石)・・・・・などなど腐る
ほどおる
51:2000/09/18(月) 04:03
田の付く姓の割合は、人口の25%だって。
4人集まれば1人は、田の付く姓という事らしい。

岡が付く姓に武士はいないと聞いたことあるが???
52名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 05:24
>51
大名の岡部家や赤穂義士の岡野、岡島とかはどうなの?
53名無しさん@そうだ涅槃に行こう :2000/09/18(月) 05:35
>51
でたらめ言うな
大岡越前守忠相などおるだろうが
54名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 09:00
>47だけど目が覚めた

田が少ないと思ったのは、個人的な観念だったか、おれは田中角栄先生
は尊敬している。
55 :2000/09/18(月) 12:22
とうやまのきんさん
56名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:25
天候や自然現象についてはどうでしょう?

天・雨・雲etc
57名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 18:34
鈴木、佐藤姓に武士はいない!
58名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 18:48
>57
北面の武士の佐藤氏はどう扱う気でしょう・・・。
西行はもとは佐藤だし、源平で義経配下の佐藤兄弟と鈴木氏は武士ではないと?
59高校三年生 :2000/09/19(火) 19:45
武士だとしても、いろんな名字がありうるのですね。
逆に、典型的な武家の名字ってありますか?
公家だったら、なんとなく雰囲気で分かると思うのですが…
60名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 19:59
>59
典型的武士の苗字なんてないな
武家の苗字はほとんどどっかの地名だ

公家の称号は「綾小路」「花山院」とかいうと分かりやすいが、
こういうのは少数で、ほとんどは庶民の苗字と区別がつかん
61名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 20:03
佐藤って藤原氏の傍系だよね?
62名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 20:22
>59
それは、ずばり武士さん。
63>1 :2000/09/20(水) 00:05
もしかして、江戸時代より前の全ての時代では日本人の殆どが苗字を持っていなかった
とか思ってないかい?
私の住む地域の、戦国時代の記録を見ると、それこそ全ての人が苗字があったのではな
いかと思うほど沢山苗字が出てくるよ。
しかも、それらの苗字は大半が今もあるものだよ。
64名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 00:30
1は何でそう名字に拘るのかね?
そんな事よりマッチョになって女抱いた方が
楽しいぜ〜〜
65名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 00:45
>1
大半とは人口の大半ですか?
それとも苗字の種類の大半ですか?
どちらにしても、江戸時代には既に地名・職種の数だけ苗字の種類が存在していたので、明治時代に爆発的に苗字の種類が増えたわけでもないです。
人口の多くを占めた苗字の無かった農民の殆どは地主や領主、檀那寺、神主からつけて貰っている場合が多いから、自分で自分の好きな苗字をつけたのは少ないと思う。
領主から苗字をつけてもらったとき、領主の苗字そのままや、字を変えただけだったり、その住んでいる地名だったり、職名や屋号そのままで、既存の苗字にある種類と重複する場合が多いです。
地方の集落では1集落同じ苗字ということはざらにあります。
鈴木が多いのは神社の神主に鈴木が多かったので、その氏子が殆ど鈴木になってしまったらしいです。

戸籍登録のときに「(苗字は無く)ただの○○だぁ」といったら苗字が只野になってしまったという話は有名な話ではあるが。

明治以降の戸籍登録の際、本当に自分で決めた苗字の人口は実は極少ないかもしれません。

とはいえ、世界的にも人口のわりに苗字の種類が多い国ではあります。
66>65 :2000/09/20(水) 01:17
結局,明治以前も農民階級が隠れ苗字を持っていたというのは,本当のことなのですか?
それとも一学説ですか?

苗字持ってたのは名主レベル以上ですよねえ?
67>66 :2000/09/20(水) 01:30
65じゃないが、江戸時代に名字を許されなかったとしても、戦国時代の名字は代々
覚えていたんじゃないかな?
「今は名字を名乗ることが許されない時代だけども、元々は○○だよ」と子供に語
り継いだに違いない。あととり以外の人では、夫婦互いに名字があったので、代を
重ねるごとに、ややこしくなって「どうでもいいや」となったこともあるだろう。
68名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 02:07
>66
江戸時代に農民が苗字をもっていた文書類は存在してるよ。
詳しくは武光誠著『名字と日本人』文春文庫で、信濃国の富士講の名簿、江古田氷川神社の氏子の奉納帖など具体的資料を挙げてるよ。
6968 :2000/09/20(水) 02:09
ごめん文春新書でした。
70名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 03:28
>57
家は先祖の顕彰碑が残っているので、江戸時代から確実に佐藤だったことが分かっています。
思い付きでものを言わないほうが良いですよ。
佐藤忠信が先祖なので、その家系図が本当なら1000年苗字が変わってないことになります。
71名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 03:52
佐藤忠信の子孫なんて腐るほどいるだろう。
平安時代だもんな(ワラ
72名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 04:32
>1
私の実家の古い位牌の中には薄い木の板が入っていて、その中に「弘化3年」という
故人の没年、姓、名が書かれているものを見たことがあります。
それと墓も古くて明治以前に作られたものですが、○○庄佐エ門という風に苗字
も刻まれていました。
ただ先祖がどっかのお寺かなんかに寄付をしたらしく、そのときにもらったと思われる
お礼状には、「××村 庄佐エ門」と名前しか書かれてませんでしたけど。これも
江戸末期と思われます。多分先祖は農民です。
73>68 :2000/09/20(水) 15:52
66ですが,

そういう文献が正しいのか,および正しいとしたら当時の全農民にあてはまるのか
ということを聞きたかったのですが...

また,明治政府によって苗字を許されたとき,全員が先祖代々の苗字を使ったのか
どうかということも聞きたかったわけです.
74名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 01:54
>73
もちろん姓と苗字は違うものなので、公的な(朝廷から賜ったという意味の)の姓ほどには苗字は制度化されてはいなかったでしょうね。
苗字は明治以前はあくまで私称です。
75名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 17:53
>73

答えは簡単。
戸籍制度を採りいれた明治以降の名字は、以前から持っていた名字と
新たに名づけたものの二通りである。

ということです。
76>75 :2000/09/21(木) 18:14
となるとその割合を知りたいね〜。
俺も父方は佐藤で家系図も有るんだが、
母方はヒイヒイ祖父さんが適当につけたらしい。
77名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 19:26
江戸時代に名字持っていた農民は、戦国時代まで武士で浪人したときに農民になった人、武士を助けた功績で名字もらった人だよ。
農民全部が名字持っていたわけでは無いからね。

78名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 20:48
>71
佐藤忠信くらいの中途半端な有名人が
一番子孫が多かったりするんだろうな(笑
79斉藤の友人の佐藤ですが :2000/09/21(木) 21:02

ところで、私の育った地方では「佐藤・斉藤 イヌのクソ」なるハヤシ言葉がありました。
ひどい差別を含んでいるわけではなく単なるカラカイ言葉と思います。
上京してから斉藤さんという人と知り合いになり、
「子供の頃、佐藤・斉藤…と言ってからかわれた事がありましたが、
 貴方の地方ではどうでした」
と聞くと「うん、そう言ってからかわれた事がある」と言っていました。
この
   「佐藤・斉藤 イヌのクソ」は
 1・全県的なからかい言葉なのでしょうか
 2・また由来を知ってる人がいたら、教えてください。


80名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 21:40
>76
全部調べるってのは無理だろうから自分の周りで取材するしかないのでは?
だれもやったことないと思うから、やれば博士号ものの論文書けるとおもうが…
3000例ぐらい集められれば統計学的にはオッケーとおもう…できる?

>79
おいらが知ってるのは「佐藤・鈴木はイヌのクソ」です。
由来は江戸時代のことわざ「伊勢屋稲荷はいぬの糞」だと思う。
江戸の町にやたら多いもののたとえ。
81斉藤の友人の佐藤ですが :2000/09/21(木) 22:24

>80さん、参考になりました。
 なにか、スッキリした気分です(笑)
82読んだよ「名字と日本人」 :2000/09/21(木) 23:03
富士講の信者の信濃国南安曇群の南33か村にわたる
名簿にでてくる2354人中で名字の無いのは16人だけ。

江古田の氷川神社の奉納者名簿に出てくる85名の農民も
全て名字を持っている。

下野新井村の安永2年の5人組帳の全ての農民に名字が無い
が安永十年の新井村洗光寺の寄進帳に名字と名前を記している。

やっぱりここまで多くの人が持ってるって事は、
私称を厳しく禁ずるような地域でも、ほとんどの人が
隠れ姓をもってたと考えるのが自然でない。

まあ農民の次男三男とかが分岐していくうちに、
姓がわからなくなった家も多いだろうけど
83>82 :2000/09/21(木) 23:26
そうゆう名簿っていうのは,その地域の世帯のほぼ全てを
カバーしてたと考えていいの?
84名無しさん@1周年 :2000/09/22(金) 03:58
>83
詳しくはないが氏子や宗門制度が戸籍がわりだったから戸単位だったらほぼカバーしてるとみていいのでは?
このへん専門家の意見求む!
85名無し :2000/09/28(木) 02:39
例えば、藤原なんていうのは、日本人のありふれた名字の一つだが、
普通に考えて、そんなに多くの藤原氏の子孫がいるとも思えない。

それに、江戸時代は職業や服装、家の門構え、果ては戒名でさえ、
身分により厳しく制限が加えられていたので、公家や武家を彷彿と
させる名字を普通の百姓が名乗ったら、「身分不相応」という問題
が出てきたと思う。

名字を持つ層の制限、さらに付けられる名字の制限があったと思うのだが…
86世界@名無史さん :2000/09/28(木) 03:26
>85

佐藤は家臣や領内の有力農民に、
鈴木は熊野神社の信者たちに気前よく
ガンガン姓を与えてたらしいですね。

藤原さんも一部がそういうタイプだったのでは?

江戸時代は公には絶対名乗らなかったかったから
問題無いという事でしょう。
法律も建前は厳しいけど、実際の運用は今我々が思うほど
厳しくなかったのでは?
現在ソープで売春が行われていても捕まらないように。

形式的な面での遵守には厳しかったでしょうけど。
87竹田丹後守 :2000/09/28(木) 03:38
惣領が名乗る苗字を他の者に名乗らせない家と逆に誰でも彼でも名乗って
よい家があるな

前者は毛利・今川・大友・・・等
後者は織田・松平・・等
88結論 :2000/09/28(木) 04:07
『名字と日本人』を読みましょう。結構面白かったよ。
89名無しさん@1周年 :2000/09/28(木) 15:38
>87
それは間違いでしょう。
毛利元総は?
今川氏豊は?
大友親家は?
90名無し :2000/09/28(木) 22:07
絶対に名字を名乗らなかったなんてことがありうるかな?
(冠婚葬祭の時は、どうだったんだろ)

昔の貧しい人のお墓には名字がない場合も多いというから、
土地を持たない「水呑み百姓」レベルの人は、名前しかなかったんじゃないの?

だから、明治になって、有力者や神主が、名字を付けてやる余地があったの
ではないでしょうか??
91>90 :2000/09/28(木) 22:37
土地とか何か本人のKey情報と名前の組み合わせで呼んでたんでしょ.

清水の次郎長とか森の石松とか焼津の半次とか.
92名無しさん@1周年 :2000/09/29(金) 01:40
>91
次郎長は通称。清水の海運業者の三男で、米屋(山本姓)に養子に
出され、本名は山本長五郎。森の石松などの呼び名は講談の影響
ではないの?
93竹田丹後守 :2000/09/29(金) 01:56
>89
まぁいくらか本家と同じ苗字を名乗った者がいるかも知れないけど、
織田・松平ほど乱立してはおらんだろう
94名無しさん :2000/09/29(金) 03:24
松平氏は家康の出た安祥松平家(=徳川家)を含めて諸家が18家あって、
江戸時代には将軍家庶流の松平があって、
家康と血縁関係があって松平姓を与えられた家があって、
功績が高い家臣が松平姓を貰った家があって、
しかも外様の有力大名にまで松平を名乗らせてるから
江戸時代の歴史読んでるとややこしくて。
9589 :2000/09/29(金) 15:57
>87@`89
>惣領が名乗る苗字を他の者に名乗らせない家
の例としての反論です。
96日本@名無史さん :2000/10/21(土) 00:54
名字と苗字は違います。
97名無し浩@レバノン :2000/10/21(土) 01:02
山崎姓、高橋姓とか渡辺姓で
「崎」「橋」や「辺」を異字体にしてる人みるけど
あれには何か意味が有るのでしょうか??
98日本@名無史さん :2000/10/21(土) 01:19
>97
「ア」とかだね。俺も知りたい。うちもそうなので。
99日本@名無史さん :2000/10/21(土) 01:23
異字体にしてる方は被差別の身分の人のご子孫です。
正字体を憚って異字体にしたそうです。
10098 :2000/10/21(土) 16:46
>99
お話にもなりませんね。
うちは間違いなく武士の家系です。寺に記録が残ってますし家系図もしっかりあります。
でも分家だから本家にはばかったのかな?だれか、まじめな解答をお願いします。
101南無阿弥陀仏 :2000/10/21(土) 16:49
>1
お、山田じゃん!
姓は源、氏は西川、名はジーモン。
103日本@名無史さん :2000/10/21(土) 18:38
>100
字の書き方を知らない人に教えてあげましょう。

「令」の字を想像すればわかるように、活字と筆記の間に開きがあります。
昔はこういうのがたくさんあって、たとえば奇という字ですが
お習字の手本が竒で、字引は奇です。
で、どっちを書くかには個人差や地域差があったわけです。

戦後の漢字改革で2つの規範を1つにまとめたので
2つの字を別物のように考える文盲の方がふえたわけです。
104日本@名無史さん :2000/10/21(土) 18:57
時川という姓は何か特徴的な話とかありますか?
うちは時川じゃないんですが、位牌のようなものがあって
時川某という名が記されてあります。
江戸末期の能登の人のようです。
何故うちにこんなものがあるのか不思議です。
うちは少なくとも明治初期から職人の家で、
かつては寺社領だったようです。
105日本@名無史さん :2000/10/21(土) 19:00
SMAPの草なぎ君の「なぎ」って秋田地方のみ
で使われる漢字って本当ですか?
106高知県民 :2000/10/21(土) 20:31
山内(やまうち)=山内(やまのうち)。
上岡(かみおか)=上岡(うえおか)。

これらは、同祖。
107しゃもじ :2000/10/21(土) 20:47
 >>79
 父に聞いたら、「知ってる」って言ってたよ。
108日本@名無史さん :2000/10/21(土) 21:02
日本でありふれた名字
「佐藤」「鈴木」「斎藤」って
なぜか東日本に集中して西日本には意外と少ないんだよね。
例えばセンター試験会場で、「鈴木」だらけの教室ができてしまうことは
(休憩時間に「おーい鈴木!」って呼んでごらん。ほぼ全員が振り向くよ)
東ではよくあるが、西はそこまではない。
109日本@名無史さん :2000/10/21(土) 21:15
東日本には「沢」のつく苗字があるが西日本にはあまりいない
西日本には「谷」のつく苗字があるが東日本にはあまりいない
って話は聞いたことあります。
110日本@名無史さん :2000/10/21(土) 21:35
>109
長野には「沢」のつく苗字ばかり。
北沢とか三沢、西沢など。
地形が影響してるんでしょうね。
111日本@名無史さん:2000/11/12(日) 03:46
日本人の8割以上は、古代の部民の子孫。
しかし、律令体制において、日本人全員が公民となつたので、
日本人全員が姓を与えられている。
江戸時代に、武士や名字を許された者以外は、名字はなかったと
いわれている。私称というような問題を別にすると、
名字はなかったが、姓はあった。「百姓」とはそういうことで、
百姓とは民衆のことで、農民には限定されない。
では、どういう姓を持っていたのか。
部民としての姓。つまり藤原氏の部民は、藤原部という姓であり、
大伴氏の部民は大伴部。藤原氏の部民で、下の名前が五郎ならば、
藤原部五郎となる。
明治になって名字を名乗る時に、姓の藤原部から「部」を除き、
藤原五郎となったりする。古代の有力氏族の姓と同じ名前を名字
としている場合、憧れて名乗った場合と、「部」を外した場合がある。
いずれも、古代の有力氏族とは系譜的には何の関係もない。
112日本@名無史さん:2000/11/12(日) 03:51
伊達藤五郎成実
113名無しさん:2000/11/12(日) 05:07
>>108
俺、今まで名字が明示的に「鈴木」な人と会った事がない。@岡山
……世間狭いな。
114日本@名無史さん:2000/11/12(日) 05:32
>東日本には「沢」のつく苗字があるが西日本にはあまりいない
>西日本には「谷」のつく苗字があるが東日本にはあまりいない
>って話は聞いたことあります。
ってことは、谷沢さんは中京人?(笑)
115日本@名無史さん:2000/11/12(日) 07:40
>>113
同感。九州にいた頃は、鈴木さんに会った記憶がない。
子供の頃、多い名字を商標にした「鈴木さん」「〜〜さん」なる
お菓子?が出た時も妙な感じだった。
斉藤さん、佐藤さんには結構会ったけどなぁ。
116日本@名無史さん:2000/11/14(火) 01:15
>>105
秋田だけかは兎も角、確かに秋田県の岩手県境付近に多い苗字だ。
田沢湖近辺とか。
あの「ナギ」の字は、田沢湖町役場と秋田県庁のパソには全部外字登録してある(笑
117日本@名無史さん:2000/11/15(水) 17:31
部民かぁ
118名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 17:57
ここで苗字が調べられます。
http://takao.saitoh.ne.jp/index.htm

119名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 19:13
「沢」と「諏訪」は関係あるのかなあ。
120日本@名無史さん:2000/11/16(木) 15:16
系図に源平藤原の子孫となつていても実際は、ほとんどは部民の子孫。
新田源氏の子孫と称した徳川氏も賀茂氏の部民の子孫だものね。
織田氏も平氏じゃなくて部民の子孫。
121日本@名無史さん:2000/11/16(木) 15:43
>120
証拠は?
122日本@名無史さん:2000/11/16(木) 15:44
「氏より育ち」とは、よく言ったもんだ。
123日本@名無史さん:2000/11/17(金) 05:56
>121
それ、系図史学の常識じゃないの。
124日本@名無史さん:2000/11/17(金) 16:04
>123
推論であって証明はされてないのでわ。
多分に思想的なものも入ってると思うが…
125日本@名無史さん:2000/11/17(金) 18:12
>123
へ?
織田氏の始祖については、
平氏、忌部氏、藤原氏の三説だよ。
織田氏と津田氏(佐々木源氏)の関係も無視できないけどね。
126日本@名無史さん:2000/11/18(土) 04:29
織田氏は忌部氏の一族だろう。
徳川氏は、賀茂氏の部民の子孫でしょう。
127日本@名無史さん:2000/11/18(土) 05:52
>126
いや、賀茂氏から続く系図もaったらしいが改ざんしたとする説もある。
128日本@名無史さん:2000/11/18(土) 19:33
>106
思い込みを吹聴するのはやめましょう。
129日本@名無史さん:2000/11/18(土) 19:53
>2
小笠原のドイツ人だかアメリカ人の子孫ってそんな名前じゃない?
130日本@名無史さん:2000/11/18(土) 19:57
>111
嘘はやめよう。
なぜ律令云々をもちだすのか知らないけど、
租庸調も納めていないのに、部民だなんだってある訳ないだろ。
本気で言っているとしたら、よく吟味して発言しようよ。
131日本@名無史さん:2000/11/19(日) 03:50
>130
日本史を基礎から勉強して発言してよ。
132日本@名無史さん:2000/11/19(日) 16:41
>131

日本史を基礎から勉強して発言してよ。
133日本@名無史さん:2000/11/19(日) 18:58
>1
俺も高校まではなんとなくそんな風に思ってたよ。
小学校時代に日教組教師に受けた江戸貧農史観の影響かね。

134日本@名無史さん:2000/11/20(月) 04:07
>111は系図学的には正しい。
135日本@名無史さん:2000/11/20(月) 04:13
>133
つうか、皇国史観でも江戸は著しいマイナスイメージ。
それが天皇の世になって平等になったって描き方だよ。
士農工商って言葉が現れてくるのも明治の教育システムの中でのこと。
Mなみの論理構成だな、こいつ。
136:2000/11/20(月) 04:18
Mを責めるな!
Mの方が良心的だ、ブオクエエエ。
137日本@名無史さん:2000/11/21(火) 00:48
サヨクは逝ってよし
138日本@名無史さん:2000/11/21(火) 00:56
いつもの精神病は死んだ
139日本@名無史さん:2000/11/21(火) 01:48
このスレにまでウヨサヨを持ち込んだ基地外は氏ね。
140日本@名無史さん:2000/11/21(火) 05:42
日本人の先祖は、90%が、農業従事労働者の子孫。
141話を戻して:2000/11/21(火) 13:51
で、結局 >111 はどうなの?
ホント? 
142日本@名無史さん:2000/11/22(水) 00:10
みんな部民の子孫だよ。
何が源平だ、笑わせるぜ。
143日本@名無史さん:2000/11/22(水) 03:23
なんか最近部民マニアがいるみたいだねえ
144日本@名無史さん:2000/11/23(木) 17:19
>111
聞くんじゃなくて自分で判断しなよ。
文章を読んで矛盾の無い方が正しいよ。
145日本@名無史さん:2000/12/02(土) 12:43
>144
文章に論理性がないよ。
>111の方が説得力がある。
146日本@名無史さん:2000/12/02(土) 12:46
>143
系図学の故太田亮も、日本人の先祖の大半は部民だったと
書いてたよ。
147日本@名無史さん:2000/12/02(土) 13:12
111がおかしいのは
部姓の記憶がとうの昔になくなっていたことを無視しているとこ。
111によると、苗字のない百姓の家でも、明治の初めまで
我が家は藤原部だ、とかいう伝承があったことになる。
何の必要があって?到底考えられん!
148日本@名無史さん:2000/12/05(火) 01:55
部民や奴婢の子孫だろう、みんな。
149日本@名無史さん
あげ