1 :
名無しさん@1周年 :
沖縄に源氏にまつわる伝説が伝わっているということを
聞いたことがありますが、ご存じの方いらっしゃいませんか?
確か八幡太郎がらみの話だったような・・・。
「本部朝基と琉球カラテ」という本に少し載っていた.
尚氏の先祖であるとかいう伝説だよね?
3 :
うろぼろす :2000/09/04(月) 14:07
たしかに、そういった話はありますねえ。沖縄本島北部の今帰仁村にも
あったと思う。沖縄の地域史にもいろいろ記事があったと思うよ。
でも、確か小熊英二の本や戦前の沖縄における教育についての論文にも
ある話だけど、戦前の政策で、そういった源氏の伝説を利用して、日本
と琉球は同じなんだという言説がつくられていったんだけどね。
4 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 14:25
源義朝の弟の鎮西八郎為朝が
大島に流罪されたけど、琉球に逃れ、
本人かその息子が第一尚氏の最初の王になったとかいう話。
舜天とかいう人。
たしか三代目で第二尚氏に取って代わられた。
5 :
『沖縄大百科事典 中巻』(その1) :2000/09/04(月) 15:24
「為朝伝説」ためともでんせつ
源為朝にまつわる伝説。伊豆諸島、奄美・沖縄全域に伝承されているが、
地名起源説話や記念物にまつわる話が多い。伊豆諸島を脱出した為朝は
奄美の島々を渡り歩いたのちに船出するが暴風にあってしまう。嵐のな
か、運を天にまかせていると、着いたところが今帰仁(なきじん)の港
だったので、その地を運天港と命名。上陸した為朝は南部の大里按司(
あじ)の妹をめとり、一子尊敦を産む。尊敦はのちに沖縄最初の王舜天
(しゅんてん)だという。また、妻子とともに大和に帰ろうとするが海
が荒れて帰れない。船頭に女子どもを乗せているから竜神が怒っている
といわれ、やむなく妻子を残して去る。
6 :
『沖縄大百科事典 中巻』(その2) :2000/09/04(月) 15:34
妻子は為朝が去った浦添の港でその帰りを待ちわびたので、待港(現牧
港)の名がついたという。為朝渡来説は、『琉球神道記』『中山世鑑』
などに早くからみえるが、世鑑の記事については、『保元物語』の抜粋
であることと、薩摩の南浦文之の「討琉球詩序」に依っていることが指
摘されている。為朝の一代記である滝沢馬琴の『椿説弓張月』はつとに
有名。
参考:東恩納寛惇『琉球の歴史』(1966) (辺土名朝三)
7 :
1 :2000/09/04(月) 18:17
あ、鎮西八郎か。すいません。
「八」しか合ってないじゃん(^^;
すいません、ドキュソなもんで・・・。
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第一尚氏は室町中期、為朝から三四代ってことは無い
間にいくつか王統があるよ。
第一尚氏は室町中期、為朝から三四代ってことは無い
間にいくつか王統があるよ。