1 :
相良武雄 :
劇画、綱淵謙錠氏の小説でも有名な首切り浅衛門
の伝説、実話等なんでも興味のある方、ご存知の
方、ご教示くださいませ。
2 :
相良武雄 :2000/08/25(金) 21:23
山田浅衛門とは試刀家(刀の切れ味を試す)にて江戸時代から
明治時代初期まで実際に牢獄における斬首刑に携わった家系の
人々が代々名乗った名前です。
「必殺」とか風太郎「明治小説」にも出てたね…
…って、こういう話じゃないか…
4 :
相良武雄 :2000/08/25(金) 22:10
この時代の試刀家とは、実際に死刑囚(金さんでもおなじみの打ち首)
の首を切ったり、処刑後の死体の胴を固定して切断したりして、刀の
切れ味をランク付けを職業とした人たちのことです。
5 :
名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 22:23
江戸時代における死罪の執行はほとんどが斬首刑でその役目は
町奉行所役人あるいは牢役人の仕事とされております。
が、実際には江戸も中期以降になると一刀の下に首を落とせるような
腕の立つ役人は少ない上に穢れた仕事だといって嫌がり結局
山田麻恵門に依頼していたようです。また山田浅衛門の名は
世襲されたものは少なくほとんどが弟子の中より腕の立つものを
後継者に宛てたようです。
お試し御用という名のもとに将軍家よりの依頼の刀や各大名家より
依頼された刀の試し切りを罪人の死体を切り刻むことにより行うのも
山田家の仕事の一部です。その際山田家は死体の肝を取ることを
黙認されておりその肝を利用して薬品を製造してます。
それが又えらく高いものでなおかつ評判が大変よろしかったらしく
結構山田家の財政は裕福であったといわれております。
又やはり罪人を切るのが仕事であるとはいえ
その仕事の後にくる嫌悪感は相当のものであったらしく
首切りのあとは飲めや歌えの大宴会を繰り広げたようで
町人達は山田家の宴会の模様を聞きつけると今日首切りが行われたと
いうことが分かったとのことです。
6 :
5 :2000/08/25(金) 22:29
追加
山田家はあくまでも一介の浪人です。公儀の人間ではありません。
7 :
5 :2000/08/25(金) 22:35
つまり4さんおっしゃるようにあくまでも試刀家であって
公儀介錯人などというものではありえません。
8 :
相良武雄 :2000/08/25(金) 22:35
>5さん
(おそらく今日まで伝承されていないとは思いますが)
死体の肝の効用(薬効)は何だったのでしょうか?
肝とは今で言う肝臓のことでしょうか?
9 :
名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 23:08
何気なく岩波文庫の「明治百話(上)」みたら最後の首切り朝右衛門の話載ってた。
面白かった。
10 :
5 :2000/08/25(金) 23:23
古来より肝(きも)とは肝の臓(肝臓)を指していたようですが
なにしろ漢方医学にはあまり縁がないもので詳しくは分かりません。
又効能についても不勉強で申し訳在りませんが知りません。
11 :
名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 23:40
肝ではないが、人間の木乃伊(エジプトから南蛮経由で入ってきた)なんかも
江戸期には大変高価な薬として出まわっていたことがあるらしいしね。
海音寺潮五郎が子供の頃、(ここで話題の)肝をなさせられたことがある、
…ってなんかに書いてたな…
薩摩では「ひえもん取り」ろかいって、罪人が処刑された後に、
若衆が競って肝を奪い合って、勇気を競ったとか(金にもなるし…)
明治時代には、まだ、そういう薬が残ってたんだな…
公儀介錯人といえば拝一刀。
一行目の「なさせ」を「なめさせ」に…駄レスの上に失礼…
15 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 00:03
江戸時代の幕府職制の中に公儀介錯人というのは
なかったような気がするんだが。
16 :
>>15 :2000/08/26(土) 00:18
つーかね、江戸幕府には
普通は死罪(切腹/打首等)の時の介錯役は
それで結局
17 :
>8 :2000/08/26(土) 00:19
「人胆丸」は労咳の薬です。
18 :
16 :2000/08/26(土) 00:20
御免まちがった。
切腹してお詫びを・・・・。
19 :
>12 :2000/08/26(土) 00:55
刃物を使うことは禁止されていて、手掴みで引き千切ったとあった気がする。
なんだっけ。「江戸の死体考」?
20 :
16 :2000/08/26(土) 01:02
実は徳川幕府では罪人(被疑者/被告人含む)を取り扱う(処刑等)統一的な機構というものは存在していません。事案を管轄する部門毎で対応していました。
従って公儀介錯人という役職は存在しません。
さて武士が罪人の場合には通常は幕府の牢に収監するのではなく諸家(大名/旗本)へお預けとなります。(忠臣蔵の切腹状況参照)
この場合は預けられた家の責任で罪人が逃亡したりしないように監視する責任があります。
またその費用(警備代、罪人の食費等)もその家が負担します(これらは幕府に対するご奉公の一環つまり義務と考えられていました)
このような場合に実際の刑の執行はその家の責任で実施します。公儀役人が行うのは処刑の検分役のみです。(幕府役人が介錯するわけではありません)
つまり処刑の準備から斬首、遺体の処理までその家(藩/旗本)が担当します。
また首斬り役はその家の家人が勤める必要がありました。
しかし、現実問題として突然介錯役に指名されてもその役をひきうける人間が家中にはなかなかおらず
また不慣れな介錯役が失敗した場合などの事(幕府からの譴責等)もあり
介錯のプロである山田家に依頼するようになりました。
こういった場合は便宜的に介錯役(山田家関係者)がその家に召抱えられたという形式をとります。もちろん処刑終了後は直ちに主従関係は破棄されます。
21 :
>19 :2000/08/26(土) 01:05
いや、首切り後の遺体は刀の試し切りにつかうのでかなり色々切りまくるらしいぞ
ちぎる云々はガセでないの?
22 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 08:14
>17さん
「労咳」とは結核のことでしょうか?
又、浅右衛門家では「人胆丸」の他にも製薬していたのでしょうか?
非常に興味があります。自分でも作ってみたいと思っているので。
↑
これはもちろん冗句というものです。失礼しました。
23 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 08:25
「人胆丸」に限らず、日本のみならず古代中国以来
人間の体の一部をもって薬となす考え方は広く浸透
していたと聞いた事があります。
24 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 08:45
つまり、人間からつくった薬(?)は良く効くという考え方が
江戸庶民の間にベースとしてあって、その点、山田家の人胆丸は
明らかに人間製(笑)なので大変な人気があったのではないか
と思われます。
25 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 09:43
そういえば漢方に子供の糞を使う薬もあるよ。
ところで土壇場って刑場にあったものなんだろ。
どんなものなんだろ。
あと二つ胴という言葉も聞いたことが有るけど。
26 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 10:28
二つ胴とは刑死者の胴体2体を日本刀にて裁断した、という意味です。
浅右衛門は試刀家なので、日本刀の切れ味を実際に人体を切断する
事によりランク付けしていたそうです。
中には、三つ胴、四つ胴というのもあって、日本刀に「四つ胴裁断」
などと銘の入った刀も現存するそうです。
当時は、良く切れる刀が喜ばれており朝右衛門の二つ胴切断の銘が
入った刀は一種のブランド物と考えられてたようです。
27 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 10:33
>26
それってすごすぎますね。
日本刀ってそんなにも切れるものなんですか。
まさか江戸中期以降の細身の刀じゃないでしょうね。
四つ胴の刀なんてのはもう幅広の蛤刃の刀じゃないんですか。
戦国時代の刀みたいな。
28 :
>27 :2000/08/26(土) 10:52
様すのは新刀が多かったようですよ。
出来あがった刀がどれだけきれるかためしたそうです。
29 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 10:54
浅右衛門の愛用の刀は、確か現存するはずですよ。
一回、TVのオカルト番組で紹介されていました。
幅広で厚みがあって、いかにも首切りに向いていそうな刀でした。
南千住の回向院(昔の小塚原刑場)に行けばお目にかかれるんじゃ
なかったかしらん。
余談ですが、そのオカルト番組に、泉アキ(落語家の夢丸のカミさんでしたっけ)
がでていて、その刀の紹介の時にトランス状態になっちゃって朝右衛門の霊
が降りて、山田家一族の呪われた運命(首切り家業)について理解してもらいたい
と、涙ぼろぼろで訴えたシーンがありました。
あれは、やらせじゃないと思うんだけど・・・・。
30 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 11:13
しっかし、すごい事おもいつくよね〜 昔の人は。
刀の切れ味を確認するのに、実際に人の体切り刻んじゃうんだから。
こんな事してたの日本人だけじゃないかい?
31 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 11:27
武士の魂である刀が切れなきゃ困るというわけです。
そして精進してあの美しい日本刀が生まれたのです。
ところで試したのは刀だけ?
槍とか なぎなた、長巻などは試さなかったのかな。
32 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/26(土) 12:28
胃腸薬で「熊の胆」ってあるでしょ?
それと同じ成分らしいぜ。
33 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 12:43
>31
たしか、槍身はやっていたと思います。
刑死者の頭を突き通す、二つ胴のように胴体を並べて突いてみる、
のようなものだったとおぼえていますが。
なぎなた、長巻は不勉強ゆえ分かりません。
34 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 13:17
この間テレビで居合の様子をやってたんだけど、
畳を15枚から20枚くらい重ねて切ってた。すごい迫力。
でもあれ日本刀というよりは青竜刀見たいなすごい刀だった。
ちょっとでも力の方向誤ると斜めに抜けていくんだから。
へたすりゃ自分をきっちゃう。あれだったら首でも胴体でも
一発だ。
35 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 15:45
ところで、吉田松陰は幕末期の浅右衛門(江戸時代を通じて浅右衛門は
何人もいる)の手により首を切られているそうですが、他にも
浅右衛門の手にかかって死んだ著名人にどのような人がいるのでしょうか?
36 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 15:49
>35
最後の浅右衛門なら、三樹頼三郎、島田一郎、長連豪、高橋お伝などなど…
37 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 16:20
高橋お伝さんは明治時代の有名な毒婦ですね。
自分の亭主と愛人を殺したんですっけ。
処刑場で首を切られる寸前に、おお暴れしたんでさすがの
浅右衛門も首を切り損ねて、最後は圧し伏せて(地面に押し付けて)
あたかも大根を切るがごとくに首を切ったそうですね。
あまりの凄惨さに、立会いの役人ほか一同、声もでなかったとか。
38 :
相良武雄 :2000/08/26(土) 17:56
なぜ、浅右衛門ほどの遣い手がお伝さんを切り損ねたのか?
お伝姐さんの色香に惑わされた、という異説があります。
男たちを手玉に取ってきた女性ですから、さもありなんという
感じです。
なんでも、処刑直前にお伝さんに裾がはだけて、太腿の付け根が
あらわになったとか。
なんだか、久米仙人の話みたいですね。
39 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 21:50
高橋お伝と言えば、例の有名な話どうなっているんでしょう?
あ〜、あっ、その〜、お伝さんの陰部が標本のためホォルマリン漬けになって
東大だかどっかの医学部に保存されている、という話です。
40 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 23:05
>39
もうないよ、他の人より大きかったらしいね
41 :
名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 00:58
>40
そーかー 捨てられちまったんだ、高橋お伝のマンコ。
惜しいな〜 文化人類学上の貴重な資料だと思うんだけれど。
団鬼六先生あたり隠し持ってるって事ありませんか?
(そんな事ある訳ねえか)
42 :
相良武雄 :2000/08/27(日) 08:03
お伝さんの局部は、昭和37年ごろには東大法医学教室に有ったみたいですね。
綱淵謙錠氏が見たそうですから。
「小陰唇の異常肥厚、及び肥大、陰てい部の発達、膣口・膣内膣の拡大」
という所見がみられたそうです。
たしかに、人類学上、貴重な資料だと思います(笑)
43 :
さはのあこ丸 :2000/08/29(火) 21:26
江戸期を通じては何人ぐらいの人が刑罰によって殺されているのでしょう?
又、浅右衛門さんはどれくらい切り殺したんでしょうか?
44 :
レイチェル・リー・クック :2000/09/03(日) 02:14
切り刻み方のバリエーションとして、
地際、桃燈、片車、面放、仕懸拂胴撃方など。
45 :
名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 17:20
>43
幕末の浅右衛門さん(山田吉利)は約300人を斬首したと言われております。
46 :
名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 20:16
>45
吉田松陰先生も彼の手によって斬首されたって事ですか。
47 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/07(木) 06:01
長州人は浅右衛門を恨んでいた
48 :
浅右衛門 :2000/09/07(木) 11:40
仕事だから仕方ない・・・・。
49 :
>47 :2000/09/07(木) 11:51
とはいえ明治期では浅右衛門は今度は正規の役人として斬首に当たってるのよね。
やはり特殊技能で他になり手がいなかったって事かね。
もっともすぐに斬首刑は廃止されてしまったが。
50 :
名無しさん@1周年 :2000/09/08(金) 21:55
吉田松陰さんの首はどうなったの?
また、遺体は捨てられちゃったの?
お墓はどこにあるの?
松陰さんに詳しい方教えてくだちゃいマセ
51 :
1> :2000/09/11(月) 20:42
西郷輝彦
52 :
名無しさん :2000/09/12(火) 19:04
>>50 桂小五郎らが非合法に引き取って(首+胴)、今の松蔭神社に埋葬したが、
長州藩が朝敵になったあと掘り起こされて無縁仏に。
その後行方知れず・・・。
53 :
相良武雄 :2000/09/17(日) 07:57
>52
知らなかったなー
松陰先生の遺体が行方不明なんて。明治政府は探さなかったのかな?
でもこの話、本当に世に知られて無いね。何か小説や「世界不思議発見!」
のネタになりそうなお話だね。
54 :
名無しのオプ :2000/09/17(日) 18:49
↑ 三谷こうき「竜馬におまかせ!」参照。
55 :
名無しさん@1周年 :
フランケン松陰(わら