1 :
名無しさん@1周年:
大河の「武田信玄」で里美が戦場を駆け回ったり、
ゲーム「決戦」で女騎馬鉄砲隊(これはゲームだからアレだけど)
が出てたりするんだけど、本当に実在していたのか疑問です。
本当に戦国時代の世の中に女武者は存在したのですか?
2 :
名無しさん@1周年:2000/08/11(金) 05:39
藤原仲麻呂の乱では女性が戦闘員として参加していたと、坂本太郎が書いていた。
3 :
名無しさん@1周年:2000/08/11(金) 11:52
武者かどうかは別にして、
福島県須賀川城が伊達政宗に攻められたときの
城主は女だったらしいよ
4 :
名無しさん@1周年:2000/08/11(金) 14:50
巴御前
5 :
名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 00:39
>4
時代が違うぞ。
6 :
名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 04:28
村上水軍に女の大将がいたような・・・?
7 :
名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 05:17
>6
後藤久美子?
8 :
名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 09:49
女城主もいましたね。
9 :
名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 10:39
メイクサ?
10 :
>3:2000/08/12(土) 10:54
二階堂盛義の未亡人。たしか伊達政宗の叔母じゃなかったかな。
この時代だと、あとは関ヶ原合戦の時の富田信高夫人とかあるね。
武者でなくても必要になったら戦う人もいたってことかな。
11 :
10:2000/08/12(土) 11:07
>8
女城主だと、立花道雪の一人娘とか。漢字出せねぇ……。
まだいたかなぁ……。
とりあえず1の質問に対する答えは、10に書いた
>武者でなくても必要になったら戦う人もいたってことかな。
ってことだと思うけども。
外交とか、家中の仕切りとか、この時代の女性の活躍は、むしろそっち。
12 :
名無しさん:2000/08/12(土) 11:11
城資国(平資国)の娘、板額というのもいるが・・・。
13 :
10:2000/08/12(土) 11:14
訂正。二階堂盛義夫人は伊達政宗の叔母じゃなく伯母。
系図載ってる本いくつか見たら、親隆と輝宗の間に記述されとった。
14 :
名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 19:32
大谷吉継の家臣の平塚為広の娘は、関ケ原の合戦後、
京都所司代の板倉勝重の家臣達を棍棒でなぎ倒して、京都から逃げ延びたという豪傑。
15 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/12(土) 22:32
>10
関東にいたと思うのですが・・・
引越したばかりで資料がないです。
女城主?
岩村城の、信長の叔母かなんかでしょ。
17 :
名無しさん@1周年:2000/08/13(日) 18:45
有名所では上杉謙信がいるよ
18 :
>17:2000/08/14(月) 00:58
その話ってたまに目にするけど、
そもそも誰が何を根拠に言い出したことなの?
19 :
10>16:2000/08/14(月) 08:06
遠山……だれだっけ? の未亡人な。秋山信友にとらわれてた。
うーん失念失念。
未亡人と幼女以外に女城主っていなかったっけ?
ネタあったらきぼーん。
20 :
名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 23:59
勉強になります。
21 :
>18:2000/08/17(木) 09:24
たしか、ポルトガル・シントラの古城に保存されているイエズス会の
資料に上杉謙信は女性と明記されているとか
>21
もちろん、イエズス会のやつらの耳に入った噂が全部ホントとは言えないんだろうけどね。
でも、話としてはおもしろいね。
>21
「もしも戦国時代に2ちゃんがあったら…」を地で行ったような話だ。
面白い。
24 :
名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 15:13
>21
それを 日本で紹介したのが かの八切止夫
25 :
戦国通:2000/08/17(木) 16:05
籠城すると女性も岩とか投げ落としたりして戦っていました。
ただ女とわかるとレイプされ、殺されてしまうので髪を切り、顔に泥を塗って
戦っていました。だから女武士はそれほど珍しくありません。
捕まりそうになると縦に切腹して、あそこを使い物にならないようにしました。
26 :
名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 17:42
>19
遠山景任の未亡人です。
何かの小説では「おまん」となっていました。
27 :
名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 01:48
では足軽みたいな女武者は存在しなかったのかな?
いたらまわされる?
28 :
名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 07:00
廻されるなら廻されるでメリットがあるんだろうが・・
29 :
名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 08:07
佐野なんちゃらの嫁さんとかも、北条攻めのとき奮戦したそうな。
30 :
名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 12:33
ウチの嫁さん
31 :
>29:2000/08/23(水) 14:06
蒲生氏郷の嫁さんにも、そんなエピソードなかったけ?
32 :
ごめんね :2000/08/25(金) 07:59
静御前萌えぇぇぇっっっく
33 :
白拍子乙菊 :2000/08/25(金) 08:10
実在の人物かについて一部否定論もあるようですが、やはり木曾義仲の
側室巴御前でしょう。甲冑をつけ馬を駆り数々の武勲を上げたようです。
34 :
名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 11:24
巴御前について知りたいんですが何か本とかありませんか?
小説とかでもいいです。
35 :
名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 23:41
巴御前強かったのかな?
36 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 00:48
実在したとして、どんな姿形が浮かぶ?
どうしても大河の信玄の里美みたいな、
気丈で可憐な美剣士みたいなのを想像しがちだが、
実際には神取忍みたいな人だったんだろうな。。。
特に14に書かれているのなんか、、
37 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 20:05
鬼御前と称された、帆足鑑直(大友家の家臣)の妻なんてのもいる。
何でも巴御前ばりに、甲冑身につけて夫と共に出陣して島津軍に立ち向かったとか。
38 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 21:34
巴は美人だったって平家物語に載ってるよ。
義仲の愛人だしね。
39 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 12:22
40 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/04(月) 15:34
>>14 家臣じゃないっしょ?
与力かもしんないけど。
どっちかってーと、いきがかり上(義憤)陣借りしていただけで。
41 :
>38 :2000/09/06(水) 17:26
俺も女武者はほとんどが神取忍説に賛成だな。
「その昔巴御前という女武者がいた。滅茶苦茶強かった。でもブサイクだった。
木曽の山の中ではまあ中くらいだったけど、義仲は京に入ってからは
美しくて雅な京女とばっかりセクースして、巴御前には見向きもしなかった」
「その昔巴御前という女武者がいた。滅茶苦茶強く、そして美しかった。
彼女が戦場を颯爽と駆け抜けるさまに敵も味方もうっとりと見惚れるばかりだった」
上と下とどっちがいい? 物語にするんなら絶対下の方でしょ。
だいたいほんとに考えたら「あずみ」みたいなちっこくて線の細い女がバッタバッタと男を斬り殺していけるわけないんだから。
そういう点ではスト2の春麗の手足の筋肉はリアルで良い。
42 :
1> :2000/09/11(月) 20:29
よみたいのであげ
>38
平家物語は義経でさえ優男と書いちゃうようなもんだから信用できない(笑)
44 :
名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 14:45
うちのおかん。おとんの肋骨へし折った。
45 :
名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 03:38
44のおとんに同情する...
46 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 11:39
関が原の折、伊勢路戦線の冨田某の妻がいたはず。
47 :
名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 14:15
すっぽんぽんでいきなり飛び出して相手が驚いてる隙に
斬り伏せるという荒業もあったらしい。
スコットランドの兵隊に通ずるものがあるな。(笑)
48 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 04:45
>>32 似たような話で、鶴崎城が島津に攻められたときの話というのもあるらしいぞ。
夫も嫡男も義統に従って他に出陣してしまっているので、既に尼になっている
夫人がわずかな手勢で島図に立ち向かわなければならなくなった。そこで
降伏したふりをして島津をだまし討ちにしたというのが。
いまちょっと人名を思い出せないのだが、確か城跡(つーか現地の小学校)に
解説がある。
49 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 05:01
>>11 ァ千代(ぎんちよ<環境によっては読めないかもしれないので
書き添えるが「もんがまえに言」です)ですね<立花道雪の娘
たしか道雪がまだ元気な頃にとっとと立花城主を譲って道雪は
その後見ということにしたらしい。だから実質的に城主としての
つとめをしていたのかとなると疑問。
余談だが、立花宗茂が立花の養子に迎えられるのはこれより
後のこと。従ってァ千代にしてみれば心安からぬところがあったとか
なかったとかで、夫婦仲もあんまりうまくいったとは言い難いらしい。
50 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 08:01
関が原の時の真田信幸の妻(本田の娘)はアリか?
51 :
名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 12:45
52 :
軍記作家 :2000/09/23(土) 19:45
>43
>平家物語は義経でさえ優男と書いちゃうようなもんだから信用できない(笑
義経が「実は醜男であった」説は、誤り。かなりの美男だったはず。
だって
母の常磐御前が絶世の美女だったから、平清盛は子供達を殺せなかったんだろ、
男の子は母親に似ると言うし、父親の義朝も美丈夫だったと言うし、
兄貴の頼朝も、流人の身で北条の姫を口説いたわけで、画像よりも美男だったろう。
なのに
義経だけが「醜い男」のわけはない、だからこそ静御前もぞっこん惚れてしまった・・
53 :
名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 21:25
美男子で、武略があって、美人に惚れられて、名族の御曹司。
で、
後白河法王に引き立てられて、藤原氏の後ろ盾もある。
そのうえ周辺の家臣団がめっぽう強い。
そりゃあ
兄貴から危険人物あつかいされるわな。
54 :
名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 23:51
戦国時代の瀬戸内海に女大将いたよね。紺色縅の胴丸きてた女性。
名前忘れたけど。
55 :
名無しささん@1周年 :2000/09/24(日) 01:02
56 :
名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 03:20
鶴姫のじゃないか?っていう胴丸の写真みたことあるけど、
胸まわりがゆったりして、ウエストがくびれてるんだよね。
57 :
世界@名無史さん :2000/09/28(木) 02:17
age
58 :
>52 :
>義経が「実は醜男であった」説は、誤り。かなりの美男だったはず。
>だって
>母の常磐御前が絶世の美女だったから、平清盛は子供達を殺せなかったんだろ、
>男の子は母親に似ると言うし、父親の義朝も美丈夫だったと言うし、
>兄貴の頼朝も、流人の身で北条の姫を口説いたわけで、画像よりも美男だったろう。
>なのに
>義経だけが「醜い男」のわけはない、だからこそ静御前もぞっこん惚れてしまった・・
美人の母と美男子の父から生まれる男の子が美男子であるとは限らない。
兄が美男子でも弟も美男子だとは限らない。
美女が美男子に惚れるとは限らない。
以上三点により、君のお説は証明不可能。
歴史上の人物が美化されたり誇張されて描かれるのはよくあること。
逆に、醜化されて描かれるためにはそれなりの理由が必要。
頼朝に対する反逆者だから醜く描かれるというのも理解できる。
平家物語の英雄、源氏の御曹司として美しく描かれるというのも理解できる。
結局、決定的な史料が出てこない限り水掛け論がずっと続くだろうね。
俺? 俺は醜かった派。平家びいきだからな。