明治以前の日本人の食文化

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1名無しさん@1周年
文明開化で牛肉とか食うようになったって言いますけど
それまでは何がタンパク源だったんでしょう?
やっぱ魚?でも肉食自体がタブーだったらしいんだけど…
2名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 11:58
江戸時代にもけっこう肉は喰ってたよ
猪を山くじら、ぼたんといったり、馬肉をさくらといった符牒で呼んでいたのはその名残り
最たるものはうさぎ肉で、鳥の鵜と鷺をあわせてとり肉として扱われていた。
もちろんとり肉は常食。かも鍋は江戸で大流行してました。
豚肉は中国地方でよく喰われてたし、牛肉も味噌煮にして喰われていたらしい。
鹿、狼、猫、羊、犬、狸、かわうそなども食べていたようですよ。
詳しくは貝原益軒の『養生訓』や『本朝食鑑』を読むべし。
3名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 12:10
>最たるものはうさぎ肉で、鳥の鵜と鷺をあわせてとり肉として扱われていた

だからうさぎは「○羽」って数えるのね。
4名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 15:20
庶民大衆は米はめったに食えませんでした
5ルイス・フロイス:2000/07/30(日) 18:42
我々は全てのものを手づかみで食べる。日本人は2本の棒を使って食べる。

日本人は料理を載せたテーブルを台所から運んでくる。

日本人は汁が無いと食事が出来ない。

日本人は犬、鶴、猿、狸、海藻などを喜ぶ。

日本人は非常にしつこく酒を勧めあうので、酔っ払いや嘔吐者が出る。
食事が終わる頃に酒が出る。

我々は魚の腐敗した臓物を嫌がるが、日本人はそれを肴として珍重する。

我々は食事の際に、客の前でゲップをすることは無作法と考える。日本人は
一向に気にかけない。

日本人は妻と食事をすることはまれである。
6名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 19:19
たしかどこかの国で「おいしかった。ごちそうさま。」
という意味でげっぷしないとだめなところがあったな。
どこだっけ?
7名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 20:48
獣肉はどっちかというと薬として喰われてたらしい。
けっこう高価で贅沢品だったようです。
タンパク源は魚肉とその加工品が多かった。
魚のとれないあたりでは虫も大事なタンパク源。
8名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 20:58
元禄時代の頃料理茶屋のメニュー
奈良茶飯
豆腐汁
煮しめ
煮豆
以上お代は銀五分なり
井原西鶴が「西鶴置土産」で絶賛したらしい。
9名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 21:16
かつおぶし、いりこ、煮干しなんかの動物性のだしはいつごろから使っていたの?
10名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 19:04
かつおの煮汁や干し肉は平安朝の頃から
鰹節は江戸前期頃に登場したらしい。

京都が内陸部だから、乾物の利用が進んだのかな?
11名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 19:06
牛乳が広まったのは明治以降なんだってね。
12名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 21:41
大名は豪華な建物に住んでるくせに
食生活は貧しかったらしい。
13>12:2000/07/31(月) 22:32
侍の多くは仏教を守るテンプルナイトだったからな。
魚しかたんぱく質補給源が無かったらしいです。
西日本は結構神道入っているところが多かったが。
織田信長は基督教と組んで仏教も天皇も殺そうとしたのさ。
仏教から見たら基督教が悪魔の教えなのかもな。
第六天魔王織田信長万歳!
14肉食:2000/08/01(火) 01:56
675年に天武天皇が肉食禁止令を出したのが最初かな。
しかし全然守られず、その後何度も何度も禁令が出たが守られなかったとのこと。
15名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 21:22
あの顔で豚を食うかぇ楊貴姫
16名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 06:10
日本人の主食は米と言われているが、庶民が米を食えるように
なったのは朝鮮、台湾の外地米が入るようになった大正期以降かららしい。
17名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 07:23
>16
そりゃねえべ!
江戸の庶民が白米喰うてるもんで、脚気に悩まされたってのもあるし。
18名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 00:14
>17
庶民も白米食べれたの?
庶民にはめったに食べられないものだと思ってたけど。
江戸だけのことなのかな?
19左翼ノ神:2000/08/06(日) 00:45
>13
馬鹿ちゃう!?駄目だこりゃ。あのなー信長は決してキリスト教至上主義じゃあ
無かったんだよ。ほんとに斬りスト凶として褒められるのは信者のみ。
んで本題に。何故かと言うとキリスト教を一見チミみたいなノータリンには
保護してるだけのように見得るけど実際はキリスト教の既知外っぷりを利用して
宗敵本願寺と争わせて自分の手を汚さないようにしたかったんだよ。
正に信長公万歳ですね。しかしこの手の人間は太平の現代には相応しくない。
平気でリストラするクソ上司だろうしあめ公に何度も戦争し掛けるだろうし。

あ、上の文書は気にしないでね。てっきり斬りスト凶の話をしたから
てっきり西欧崇拝野郎かと思ってね。御免なさい。
20名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 00:54
脚気は江戸患って言われていたから白米を食ってたのは
江戸だけじゃないのかな?
21白大佐:2000/08/06(日) 01:04
脚気がはやったってのは吉宗のころじゃ無かったっけ?米余りで江戸庶民が米を食えるようになったとか。
米は江戸・大阪に集中したけど、地方では年貢のために作るから、なかなか食えなかったんじゃないかな?
だから地方あるいは農村の庶民に関しては、大正期以降であってるんじゃない。
戦前でも米の単位面積当たりの収穫量って現在の3分の1…とか聞いた気がするし…
22白大佐:2000/08/06(日) 01:16
あと、きんさん・ぎんさんも堂々日本史で「正月は白米が食えて嬉しかった…」と言ってたなあ…
「米=主食」と言うより、江戸時代においては「米=年貢=通貨」と言う意味で、日本人にとって特殊な食糧なんだとおもう。
2316:2000/08/06(日) 03:24
基本的に米が食えたのは江戸と大阪ぐらいだと思う。
一般的には米はハレの食い物で、普段はアワ、ヒエなどを
常食していたようだ。
米の自給体制ができるのは朝鮮、台湾の米が入ってくる
1930年代以降。
しかし、外地米の流入から米の値段が下がり、よく知られてる
ような農村の娘が売られるような不幸を招く結果となり
軍国主義台頭の道を開いた遠因となった。
24名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 03:28
講談社選書メチエの、岡田哲『とんかつの誕生』、面白かった。
江戸時代の肉食のことにも結構ふれられてたぞ。
25名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 03:53
>19
信長バカには構うだけ損だって。
もっと板の雰囲気を勉強しましょう。
バカには放置プレイが一番です。
26名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 09:45
ほんの20〜30年前だって
「米は高く売れるから食べない」って農家たくさんあったんだぞ
そう言うところは高く売れる米はあくまで製品で自分たちは
安い麦とか蕎を食ってたのさ 経済的でしょ
うどんとかそばが名物の所は大抵そうだよ
27名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 00:41
江戸時代の日本人て貧弱な体だよね?
肉は食ってたみたいだけどやっぱり
タンパク質は不足していたんだろうな。
あと、乳製品も足りなかったかな?
28>27:2000/08/07(月) 01:56
そうかな?
おれは江戸から京都までとか歩ける気がしないけどな。
旅行は流行っていたようだし、現代人よりよっぽど頑健で体力もあったんじゃないかな?
29名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 02:11
そうだね。昔の人のほうが質素ではあるが合理的な食事を
取っていたから今の人間より丈夫だったとおもう。
日本人の長寿も明治世代が死んだら終わりだろうね。
30>26:2000/08/07(月) 02:22
そう、都市部はいざしらず、昭和40年以前に生まれた世代なら、
日常のご飯は、麦混じりなのが普通だったのを憶えていると思う。
31地主@300周年:2000/08/07(月) 02:46
あいやぁ〜みなさん質素だったんだべねェ。
おらんちじゃ先祖代々白米以外の飯なんか食ったことないっぺよォ。
32名無しさん@1周年
米=白米じゃなくて、米=玄米じゃないの?