1 :
野波正済:
倭の水人は、海中に潜り、
大魚の難をさけるために入墨をすると『魏志倭人伝』に書かれているが
これは紀州を本拠置とした海賊国家海人族の特徴に一致する。
海人族とは大和朝廷に協力した海賊である。
よって邪馬台国の本拠地が畿内であることは確定的である。
又、ヒミカと読まれるケルト文化のオガム文字が
下関市彦島で発見された。3,369年前のオオカミの年、
竜の川の両岸に月から降臨した光の神を岩に祭る…とも書かれている。
おそらく光の神とは天照大神のことである。
卑弥呼とは時代が違うので卑弥呼イコールアマテラスではない。
又、岐阜県笠置山中腹のピラミッド型の岩の盃状穴は太陽神を祭り、
豊穣(じょう)を祈る時に使われたものだが、
そこに彫られていた岩刻は下関彦島で発見された
ヒミカと書かれたケルト文字と同じ形であった。
ヒミカとは言うまでも無く卑弥呼のこと。
もっとも邪馬台国の女王は世襲ではなく
優秀な巫女の中から代々選んでいたそうなので
末裔と言う表現は正しくない。
そしてケルト文化と言うのは二千年前すでに世界中に広まっていたのだ。
日本からアイルランドに渡ったのかあるいはその逆なのか。
いずれにしても古代人は世界中に文化を広めて行ったことが分かる。
オカルト板が呼んでるよ
3 :
野波正済:2000/07/14(金) 05:28
4 :
野波正済:2000/07/14(金) 05:32
邪馬台国人がケルト語をしゃべりよったっちゅうんじゃなくて
ケルト文字を神の儀式につこうとったちゅうことや。
卑弥呼の神道はケルトのパクリなんじゃ。
ケルトは土着自然信仰のるつぼやからなあ。以上。
日本史板はいつからトンデモ板になったんだぁぁぁーー!!
ホントとかウソとかの問題じゃないと思うが…
>3
見てみたが、新聞も「夢」追い人と認定してるんだからいいんとちゃう?
8 :
七篠権兵衛:2000/07/14(金) 14:54
前にも書いたゾ。
司馬遷次郎博士の発見した銅鐸によると、
ヒミカ率いる悪の帝国「ジャマタイ」が間もなく復活し世界を滅ぼすと言う。
走れ、ダンダンダダン……
9 :
野波正済:2000/07/14(金) 16:59
東北地方にヘブライ語の書かれた
遺跡遺物があったことも確かであるし、
邪馬台国の巫女さんなんてたかが海賊の芸能みたいなものであるから、
シルクロードや海運を使って西欧のお遊び文化(偶像崇拝)
が東洋まで伝わる、ってことはそんなに
非現実的なことではないと思うが。
うどんとかスパゲティだって中華麺を真似て作ったという話だしな。
10 :
名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 18:10
どうせ国内には史書は残ってないし、ロマン溢れる良い話だねくらい言ってやれよ。
11 :
名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 21:52
>大魚の難をさけるために入墨をすると『魏志倭人伝』に書かれているが
この風習は中国沿岸部にもあったはず。
まとめて「夷」なわけだから、紀州ってのはちょっとなぁ、、、
12 :
名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 00:25
確か確かっていってるが、実証されて学会で認められたのはなんかあるのか?
13 :
名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 02:02
「夷」っていうと台湾も含まれますです、ハイ。
邪馬台国は卑弥呼のとき魏の国と同盟関係を結びました。
邪馬台国が同盟関係にあったのは朝鮮半島の勢力ではありません。
これは卑弥呼の時の邪馬台国は朝鮮半島とは
比較的疎遠であったことの裏づけになります(天孫降臨後は別)。
また卑弥呼という名前は台湾に近い
呉の国のネーミングセンスにそっくりです。
(弥,呼は中国東南部でよく使われていた名前用漢字)
呉の国といえば赤壁の戦いで何倍もの敵を黒焦げにした海軍国家です。
また邪馬台国の勢力範囲では呉服という文化が早くから発達しました。
呉は赤壁の戦いで魏を破った後に無節操にその魏と同盟を結びましたが、
それが邪馬台国が魏に使いを送った時期のほんの少し前です。
邪馬台国は台湾など呉の国の民族の植民地なのではないかと
推測してしまいます。これについてはどう思われますか。
>11,13
15 :
名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 08:01
卑弥呼っていうのは当て字なんだよ。
先日沖縄旅行に行ってきました。
そこで沖縄を訪れていた台湾人の集団を見ましたが
台湾人と沖縄人の顔はすぐ近くなのにぜんぜん違った。
沖縄人は顔の彫りが深く赤みを帯びた肌をしていた、
フィリピン方面とか東北人にそっくり。さらにいけばサモア島まで。
それに比べて台湾人は他の黄色人種に比べて
さらに黄色が強く、目が細いのっぺりとした骨格で
これはタイ・マレーシアとか香港の流れです。
福岡・韓国南部とかにもその傾向が強いです。弥生人っていうのかな。
日本民族の大雑把な分布がなんとなくわかったような気がしました。
17 :
名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 17:11
>16
お前、「台湾人」を十把一絡げにしてるだろ?
誰か野波正済にメールしてあげたら?
19 :
名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 16:41
台湾人というか、高砂族ではないのかな?
言語的な系統はどうなっているか御存知の方おられませんか?
20 :
名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 18:22
現在の台湾人は、中華大革命以降、大陸からの流入者が多く、
島出身者との混血も進んだため、革命以前とは文化的にも
人体的にもかなり異なっているでしょう。
21 :
名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 18:35
「高句麗国本紀」や「三国史記」に、「晋代(3世紀)に
百済・高句麗が呉越の地を侵略した」という記録がある。
この真偽はわからないが、一方で百済王家は呉の末裔という
記録もある。
百済と呉の関係が近かったとなると、魏は挟み撃ちにされる
かもしれないと考えて、当時、呉より南方にあると考えていた
邪馬台を見方に引き入れ、逆に挟み撃ちにしてやろうとしていた
のでしょう。
22 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/05(土) 23:04
高句麗本紀は三国史記の中にあるんでないかい?
23 :
21:
「高句麗国本紀」と「桓檀古記」そして
「三国史記・人物列伝」でした。