▼▼▼武士はどうしてちょんまげだったの?▼▼▼

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1名無しさん@1周年
武士はどうしてちょんまげだったのでしょうか?
兜かぶるとむれるから?
2名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 07:24
>1
正解
3名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 09:56
むれるというより固定しにくかったからって聞いた事あるけど、
どうなんでしょ?
4名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 11:05
髷があるとグラグラして固定しにくいような気もしますが
兜の内側ってどうなってるんでしょうか。
5名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 11:09
かぶとかぶるときはマゲはほどいてたんじゃないの?
かぶとなくした落ち武者はアルシンドみたいになってるじゃん。
6:2000/06/02(金) 11:41
かぶとなくした落ち武者はアルシンドみたい<<爆笑♪
ですよねぇ〜。いくらなんでもあのまま被りはしないですよねぇ。
失礼しました。 ^^;
7邦人X:2000/06/02(金) 15:15
俗界の人は、武士以外もちょんまげです。
8名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 19:48
オーソドックスな解説まずちょんまげは、武士が始めました。
そして、ちょんまげを使う時には、馬鹿殿のようにちょんまげ
を立てます。そして、兜の真ん中に、ちょんまげを、いれます。
顎紐もつけますが、当時の兜はとても重いからです。
そのため兜の真ん中にちょんまげを入れる穴があいているのです。
平家物語にも、兜の真上を敵に向けない様に、気を付けて河を
渡る場面があります。
それを市民がかっこいいから真似したんです。
9名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 22:22
武士以前にも、髷はあったでしょう
ちょんまげとは結い方が違ったかも知れませんが
10名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 22:54
もともとは兜をかぶれる身分がちょんまげしてたんだよね。
江戸に入ってそれを町民がまねた、と。
11名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 23:37
みんな間違っているよ
頭の真ん中を剃るのは月代っていう
髷は髷で奈良時代からずっと続いてきたもの
月代は鎌倉時代の武士が始めた風習で最初は戦時だけ剃っていたものを
戦が激しくなった戦国時代から常時剃るようになって惰性で平時も
月代を剃るようになった。
12竹田丹後守:2000/06/04(日) 04:26

「日本結髪史」という本があるそうだけど、誰か見たことない?

それにしても、誰もが月代を剃るようになったのはいつ頃でしょうな?
やっぱ月代を剃るって変ですやん 抵抗した人はおらんのかな?(^^;
13名無しさん@1周年:2000/06/04(日) 06:05
>12
戦国時代のドラマを見る限り、武田、上杉ものは剃っていなくて
信長ものは、年を取って殿様スタイルが板に付いてから剃っている様な気がする。
肖像を見る限り戦国初期の武将から剃っている様な・・・・
烏帽子被っていても剃っているのが分かるほど広くね。
14名無しさん@1周年:2000/06/04(日) 09:07
月代は「さかやき」と読む。兜をかぶると蒸れるから
剃ったといわれている。戦国時代かららしい。
かみそりではなく毛抜きで抜いた
と日本百科全書にはでている。暗殺対策かな。

15名無しさん@1周年:2000/06/04(日) 10:35
弁髪と関係はないの?
16名無しさん@1周年:2000/06/04(日) 10:59
>15
司馬遼太郎はツングース民族の証とか言ってたな。
しかし、このスレッドを見る限りはずれっぽいね。
17>14、15:2000/06/04(日) 11:07
気合を入れる為でしょうか?
18名無しさん@1周年:2000/06/04(日) 11:10
3の言っているように蒸れるってより、固定するためだと
いうのが正しいと思うぞ。
髪の毛の上に重い兜を置くと、兜がずれるから剃ったんじゃ
ないの。
月代が広まる時期と兜が派手に巨大化した時期と一致する。
19カリスマ床屋さん:2000/06/09(金) 23:55
実はちょんまげはアンテナになってて
武士同士で交信するためにちょんまげってたんだよ。
これホント。
20琴稲妻:2000/06/11(日) 11:11
髷が結えなくなったら引退です。
21名無しさん@1周年:2000/06/11(日) 12:40
よく時代劇などで髷を切られた悪役が
絶叫を上げたりするのをよく見かけますが
髷自体が人の命のよう?に扱われたのは何故なのでしょうか。
22竹田丹後守:2000/06/11(日) 23:46

まぁそういう風習があったからでしょう・・・て、答えになってないが(爆)

ちなみに室町以前は天皇から庶民まで日本人は皆なんらかの帽子をかぶって
おりますな もとどりを人目にさらすのはキチガイかある特殊な身分(賤民?)
の者くらいだったそうで


23竹田丹後守:2000/06/11(日) 23:50
>髷が結えなくなったら引退です。

昔、実際にそういう力士がいたらしいが。。。
24>8:2000/06/12(月) 01:07
より正確には、そのバカ殿みたいなちょんまげの上に揉烏帽子を被って、
その上に兜鉢を被り、登頂部の穴(天辺の穴)からまげを出して固定。
25栃木山:2000/06/12(月) 11:04
>23

それはわしじゃ
26名無しさん@1周年:2000/06/13(火) 11:39
一、武士のいた時代に既に、ハゲはかっこ悪いという意識が存在していた。
二、年長者を敬うことは当然のこととされていた。
三、当時、年配の日本人はほとんどがハゲだった。

この三つの要件がそろい、そこに日本的なアレンジが加わった結果、
ちょんまげファッションが作り上げられたものだと思っていました。

つまり、年寄りにばかり恥ずかしい格好(ハゲ)をさせてはいかん、
若い者は自ら頭を剃り込み、ちょんまげを結うことで彼らの恥ずかしさ
を軽減させてあげよう、という意思の表われであったと。

ほんとは機能的な理由からだったんですね。
27名無しさん@1周年:2000/06/13(火) 16:29
おまえらアホだなぁ。
ツングース系に共通の習慣なんだよ。髪の毛束ねて剃っちゃうのは。
弁髪も同じだ。古代の大陸人も束髪だっただろ。あいつらは剃って
ないけど。
髪を束ねるのは北アジアに広くひろまってる習慣なの。

兜を固定する?むれるから?アホか。
順番が逆だろ。兜の方がヘアスタイルに合わせて作られたんだよ。
どいつもこいつも思考力に欠けてるぞ。
28>27:2000/06/13(火) 23:50
君の意見では、なぜ途中からalways月代剃るようになったかの説明になってないよ。
29ほにょ:2000/06/14(水) 02:45
27さんの言うことは正しいです。(言い方はなってないが)
髪を束ねる習慣は武士より先にあったわけですから、
なぜかといえば、そういう習俗がすでにあったからとしか
言えないですね。

ちなみに月代が習慣化したのは安土桃山〜江戸前期だと
思いますが、露頂(なにもかぶらないこと)の風習が
一般化するとともに、月代を剃るようになったようです。
30栃木山:2000/06/14(水) 13:25
「ちょんまげ」と「さかやき」を混同して議論してはいかんな、
だが、「さかやき」は兜を固定するため、というのは正しいぞ。
31>とちぎ:2000/06/14(水) 18:21
マジ、アホだなぁ。
じゃ、兜を使うことのない町人やら農民やらは月代そらないのかね?
はぁー、何を根拠に「正しい」なんつってんの?思い込みか?
32竹田丹後守:2000/06/14(水) 23:26

31の言うとおりだ
農民や町人までが月代を剃った理由を言え
33竹田丹後守:2000/06/15(木) 00:38

ちなみにこれは27へのコメント
そこまで大口叩くんならある時代に(つーのは戦国〜江戸だが)、唐突に月代を剃った理由も
きちんと説明しろっちゅうねん

>ちなみに月代が習慣化したのは安土桃山〜江戸前期だと
>思いますが、露頂(なにもかぶらないこと)の風習が
>一般化するとともに、月代を剃るようになったようです。

なぜ、かぶりものをかぶらなくなったら月代を剃るようになったんすかね?
理由は?
(大河では例えば「信長」で信長の祖父・信定、父・信秀は剃ってませんな)
34>33:2000/06/15(木) 02:48
大河の「信長」では、若者の流行のファッションとしていた。
京へ行った信長たち若い衆が剃って帰ってきたので、
まわりが驚いていなかったっけ。
35名無しさん@1周年:2000/06/15(木) 05:58
さかやき 【〈月代〉】 (1)平安時代、男子が冠や烏帽子(えぼし)をかぶったとき、
   髪の生え際が見えないように額ぎわを半月形にそり上げたもの。
   つきしろ。つきびたい。ひたいつき。
(2)室町後期以後かぶりものを省く露頂の風が一般化する中で、
   成人男子が額から頭の中ほどにかけて髪をそったこと。また、
   その部分。庶民の間にも広く見られ、明治の断髪令当時まで続いた。

だそうです。
36>27:2000/06/15(木) 10:47
>ツングース系に共通の習慣なんだよ。髪の毛束ねて剃っちゃうのは。
>ツングース系に共通の習慣なんだよ。髪の毛束ねて剃っちゃうのは。
>弁髪も同じだ。古代の大陸人も束髪だっただろ。あいつらは剃って
>ないけど。
>髪を束ねるのは北アジアに広くひろまってる習慣なの。

同一の文の中で、話しが変わってしまっている。
髷と月代をごっちゃにしないようにしなさい。
37大関・栃木山:2000/06/15(木) 11:20
>31

わしが言っているのは「武士の月代」についてじゃ。

町人が剃るようになったのは、武士のような月代を真似たものじゃ。
38名無しさん@1周年:2000/06/15(木) 14:34
27氏が言っているように、髪の毛を束ねる習慣というベースがあって、
その後34氏が言うように、武士の間で、時代ごとに異なった型の流行があって、
それを37氏が言うように、町人が真似たということでしょうかね。
39>36:2000/06/15(木) 17:21
髪を束ねる習慣が北アジア一般のもので、中でもツングース系は
剃っちゃうのだ、と読め。
無理か?君程度じゃ。
40>39:2000/06/15(木) 19:24
ツングース系ならみんな剃るようにきこえる。
日本でさえほとんどの人が剃っていた、というわけではないのに、
暴論というか、受け売りをまんま信じるのはやめよう。

41名無しさん@1周年:2000/06/15(木) 20:07
27さん、なんでそんなに朝鮮的なの?
あ、違った、挑戦的なの?
42>32:2000/06/15(木) 20:25

サラリーマンじゃないのにスーツ着るのと同じでは?
43やっぱり:2000/06/16(金) 00:01
涼しいからでは?
44名無しさん@1周年:2000/06/16(金) 00:16
時代劇作るときにわかりやすいように
45因果応報:2000/06/17(土) 01:26
>おまえらアホだなぁ。
お前がアホ
>ツングース系に共通の習慣なんだよ。髪の毛束ねて剃っちゃうのは。
ツングースの定義をきちんと定めてから言えよ。愚民が!
>弁髪も同じだ。古代の大陸人も束髪だっただろ。あいつらは剃って
>ないけど。
弁髪と髷の違いをきちんと定義してから言いましょうね。10点です(爆)
>髪を束ねるのは北アジアに広くひろまってる習慣なの。
さっきはツングースといっておいて今度は北アジアですか?
短い文章の中にも論理崩壊を感じさせる物がありますね(爆爆)
>兜を固定する?むれるから?アホか。
>順番が逆だろ。兜の方がヘアスタイルに合わせて作られたんだよ。
意味不明だね。君の崩壊文章からは先に月代ありに聞こえるけど・・・・
月代が定着したのは戦国時代だよ(爆)
馬鹿丸出しもここまで来たら間抜けでお茶目ですね。
>どいつもこいつも思考力に欠けてるぞ。
さすがに君程ユニーク(爆)な思考力、まともな知識があったら備わらないね(笑)


46名無しさん@1周年:2000/06/18(日) 01:37
当時の人々は、「ま毛」というぶっとい毛が
後頭部に一本だけ生えていたのじゃ。
47>46:2000/06/18(日) 03:07
おもしれー!(^o^)
4846です:2000/06/18(日) 03:15
…いや、ほりのぶゆき先生のネタのパクリなんです(^^ゞ
49日本@名無史さん :2000/10/20(金) 23:24
50食いだおれさん :2000/10/21(土) 14:33
マゲとビンの違いについても、論争せよ!
51日本@名無史さん:2000/11/12(日) 02:53
どう見ても自然なヘアスタイルじゃないと思うんだけど、誰も「かっちょわるー」
って思わんかったんかいな。どーでもいーけど、歌舞伎で石川五右衛門とか日本駄ェ門がかぶってる
月代が伸び放題になってるワイルドなヅラって何ていう
名前なのかどなたか教えていただけませんか?
52日本@名無史さん:2000/11/12(日) 14:19
soudane
53じゃあ、正解をいおう:2000/11/12(日) 15:09
ちょんまげはね、その当時の流行になったからだよ
つまり、かっこよかったから。
だって、現在茶髪とか、ガン黒とかはやってるけど
300年くらい経って、なんでそんなことしたの?
ってきかれて、理由ってある?
かkっこよかったからとか、流行ってたっていうしかないじゃんか
54日本@名無史さん:2000/11/12(日) 15:29
ひとりくらいいるんじゃない?流石に。
なにも現代人だって全員がんぐろちゃぱつじゃないっしょ(藁
55日本@名無史さん:2000/11/12(日) 15:39
モヒカン刈りのインディアンもルーツは北アジアだね!(^^;
56じゃあ、正解をいおう :2000/11/12(日) 17:07
>54
ちょんまげの時代だって、ちょんまげの人ばかりじゃないし
坊主あたまだってあるし、てっぺん剃ってるひともいれば、
公家みたいにそってないひともいるし
浪人は、剃ってないし
医者は、ポニーテールだし
57日本@名無史さん:2000/11/12(日) 17:27
「月代は弁髪だ」と司馬遼太郎が言ってる、>>15-16で出てましたが
もとは友人の陳舜臣が言ったことだそうです
58名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 18:06
憶測で物事を判断するな、愚か者!
貴様らはその時代に生きていたのか!
実際に見てきたのか!
特に56貴様だよ
59日本@名無史さん:2000/11/12(日) 19:15
おはぐろのほうがきもい
60日本@名無史さん:2000/11/13(月) 03:16
トンスラだって十分きもい。
61日本@名無史さん:2000/11/13(月) 08:05
>58
そんなん言うてたら、タイムマシンの運転手か200歳以上の年より以外
だれも書き込みできまへんがな。まあまあはんなりと。
56はんが言うてたこととおなじことは「歴史考証学辞典」と言う本にも書いてありました。
特に身分制がほぼ定まった江戸時代には、身分・職業・年齢・出身地などによって
髪型や曲げの結い方などが違い、同じ武士でも藩によって結い方や月代の剃り方が
ちがうので、どこの藩士かすぐに知れるとの事。髪型に関しては浮世絵や
その当時に書かれた雑学本・流行本に載っているものが多く残っているので
見てきたわけではないけれど、間違いないと思います。
62カズ:2000/11/13(月) 08:33
 武蔵丸 曙はチョンマゲだぜ!! 相撲取り式のだぜ!  ジイサマ
禁止令にも関わらず ヤッテタて 母親からきいいた!!
63名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 22:28
相撲取り、良く考えてみれば
なんでちょんまげでやてるの?
剣道なんか、武士のものなのに、曲げしてないぞ
明日から、剣士は、ちょんまげしなさい
ふんどしもしなさい
はかまもはいてるんなら
褌をしめろ
相撲取りでもまわししてるぞ
64名無しさん@矮小なる首領様:2000/11/14(火) 22:42
>>63
西郷がちょんまげフェチで相撲スキーだったからです。
65日本@名無史さん:2000/11/14(火) 22:53
そういや褌してるひとってゲイのひと以外にも
意外とたくさんいるんだねえ。
健康にいいしなにかと都合がいいモノらしい。
66ほんとは:2000/11/15(水) 00:52
>月代は弁髪だ」と司馬遼太郎が言ってる、>>15-16で出てましたが
>もとは友人の陳舜臣が言ったことだそうです

体系的に論じてない言葉の断片を都合のいいよう他人に借用されることでは、
司馬遼太郎という人の右に出る人はいません。

「月代が弁髪」だなどというのは、結果論の屁理屈です。
むれる、のぼせるという実用的な面から月代は習慣化しました。
ここの良識的な人が言っているとおりです。
鎌倉期までは髪を束ねていましたが、戦乱が続く時代になって兜の蒸れから
のがれるため、頭頂を丸く剃ったのが始まり。鎌倉末期から南北朝あたり
ではないでしょうか。
戦争が少なくなるとまた元にもどしましたが、応仁の乱以降は月代が習慣化
しました。
それが、江戸期になって形式化し庶民に広がったということです。

清に征服された漢民族(明)が弁髪令に抵抗した話はご存知でしょう。
そうです、頭の毛を剃るという習慣は、その国が軍事国家であったことの
証明であり、実際的な世界一般の習俗でありました。

古今東西、頭の毛を剃っていた人々の肖像はジンギスカンや、シーザーなど、
おしなべて軍事国家の指導者たちです。その中にわが信長、家康なども列します。
ですから、そのスタイルは勇気を示す当時の人々の誇りでもありました。

東部アジアにおいて、この習俗をものにしていたのは日本だけでした。
17世紀の清になってようやく中国にも流布したわけです。

あと、兜の上から丁髷を出すというのは、初めて知りましたが、平家物語
にそんなことが書いてあったのは本当でしょうか。書いてある段を教えてください。
かぶとに穴があるのは通風のためではないでしょうか。
普通武士は髪はザンバラにして兜をかぶっています。お説は始めて聞きましたので
出典を教えてください。
67日本@名無史さん:2000/11/15(水) 21:59
平家物語に書いてあるのは「兜の上から丁髷を出す」ではなく
「敵の兜の頂辺の穴に指を入れてを掴んで引き上げて首を掻く」といったような
敵の斬首法のことではないかなあ。
「平家」諸本のどれだったか何段だかまでは調べてるヒマがないのでスマン。

有職故実書によると、平安朝はこの頂辺の穴は大きかったけど
時代が下るにつれて小さくなったそうだよね。
68日本@名無史さん:2000/11/15(水) 22:03
>66
モンゴル人もやっていたのではないの?映画に出ていたよ。ツングースと言うより
アルタイ語族ってこと。
69日本@名無史さん:2000/11/15(水) 22:04
兜をかぶるには、あのスタイルですよね
7067:2000/11/15(水) 22:28
「敵の兜の頂辺の穴に指を入れてを掴んで引き上げて首を掻く」
            ↓
「敵の兜の頂辺の穴に指を入れて丁髷を掴んで引き上げて首を掻く」

すんません。脱字しました。
7167:2000/11/16(木) 00:32
重ねて、すんません。平家物語の記述は「丁髷」じゃなくて「本鳥」ですな。

故に67は下記に訂正。
>平家物語に書いてあるのは「兜の上から丁髷を出す」ではなく
>「敵の兜の頂辺の穴に指を入れて本鳥を掴んで引き上げて首を掻く」といったような
>敵の斬首法のことではないかなあ。
72>71:2000/11/16(木) 00:50
8の
>オーソドックスな解説まずちょんまげは、武士が始めました。
>そして、ちょんまげを使う時には、馬鹿殿のようにちょんまげ
>を立てます。そして、兜の真ん中に、ちょんまげを、いれます。
>顎紐もつけますが、当時の兜はとても重いからです。
>そのため兜の真ん中にちょんまげを入れる穴があいているのです。
>平家物語にも、兜の真上を敵に向けない様に、気を付けて河を
>渡る場面があります。
>それを市民がかっこいいから真似したんです。

ということは、これは、とんでもないデタラメ、
というか、煽りということになりますなあ(藁

どうせチョソンあたりの方のお書きになられたものでありましょう。
日本の丁髷姿、兜のかぶり方にも嫉妬されておわしますとの事らしいですので。
73日本@名無史さん:2000/11/16(木) 01:13
>平家物語にも、兜の真上を敵に向けない様に、気を付けて河を
>渡る場面があります。
これは頂辺の穴を矢で射られると致命傷だから、そうしたのですね。
髷云々とは無関係の話です。
でも、8はただおバカさんなだけで、煽り扱いするのはカワイソウでしょう。
最初の方の発言では、「丁髷」と「髷」を皆さん混同して書いてるしね。
あなた様こそ鮮人を煽らんといて下さい(懇願)。板が荒れる素です。
74 ↑ :2000/11/16(木) 01:14
72へのレスね。
75日本@名無史さん:2000/11/16(木) 01:35
どーでもいーけど、頭のテッペンのわずかな穴狙って矢を射るって
すげー技術だ。
76日本@名無史さん:2000/11/17(金) 04:03
ちょんまげ?カッコいいからに決まってんだろ。やんないけどね。
77みんなバカか?:2000/11/17(金) 04:37
ネタだってことぐらい気づけよ〜.
8氏は平家物語のこの場面読んだことあるひとにだけわかる
高級なジョークのつもりで書いたんだろ?

ちなみに平家物語の橋合戦の場面だよ.
78日本@名無史さん:2000/11/17(金) 04:50
>77
ジョークにもなってないのじゃ?
読み違えとか。
79名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 05:43
あの・・・マジレスでいいんですか?
・・・髷頭の上に、薄手の烏帽子を被って、その上から兜を装着しますのですが。
80日本@名無史さん:2000/11/25(土) 22:35
松浪ケンシロウあげ
81日本@名無史さん
松浪議員の髪を「ちょんまげ」と言うけれど。
ちょんまげって、もとどりを上向きに結って「ゝ」に見えるところから
「ちょん」まげって言うんでしょ? 彼のはただの「まげ」でないの?