手に持つタイプの盾が日本で発達しなかったのはなぜ?
そういえば石弓も。
機動隊がちゃんと持っているじゃないか、はなんとなく却下。
2 :
鉄砲よけの:1999/12/25(土) 06:20
竹筒
3 :
名無しさん:1999/12/25(土) 08:20
両手刀が主流だったから。
4 :
名無しさん:1999/12/25(土) 12:53
中国の模倣から離れて日本独自の武装が発達し始めたとき、正
規兵の位置づけにあったのは騎馬武者であった。
片手で手綱、片手で刀。または一瞬だけ両手放して矢を発射!
かようなわけで、盾は鎧の一部として肩への取りつけ式になっ
ている。
歩兵である足軽が、正規兵としての位置づけをうけて雇い主から至急された武装を着用するようになった戦国時代後期には、鉄砲も出回りはじめていたから、2のいうような盾になった。
5 :
名無しさん:1999/12/25(土) 20:38
>4
鐙(アブミ)が発達しなかったから、盾が発達しなかったということ?
盾が発達しなかったから、鐙も発達しなかったのかな?
6 :
大賢良師:1999/12/26(日) 01:57
割り込んですまぬが、地形的要因はなかろうかの?
ローマ帝国のファランクスが主役みたいな戦いは起き難いしの、
正規兵が盾を持って戦う事が無かったのかもしれん・・・。
中国は盾を使うのかの。
7 :
名無しさん:1999/12/26(日) 03:00
>3
5さんと同じ類の疑問ですが、
「両手刀」と「片手刀+盾」の選択で
日本で前者が選ばれた理由がわからないのです。
鎧が優れていて、片手刀では効果が薄かったからでしょうか?
>4
同じく、歩兵が正規兵として発達しなかった理由も……
武士の発祥は、宮廷警護兵だと記憶していますが、ならば
歩兵の方が先だったはず。
騎兵が盾を持たないのはなんとなくわからないでもないですが
欧州では騎兵が盾を持ってトーナメントなどというものを
していましたよね。
史上有名なモンゴルの騎兵は、狩りをする文化上短弓に長けて
いましたから、これは盾を持たないでしょう。
そういう必然性が、日本での盾の後進性にはないものか?
別に歴史文化の全てが必然性で選択された訳ではない、が
答えでも構いませんが。
>4
あと、取り付け式の盾で充分だった、というのは
面白い指摘ですな。
>6
山城を攻める時は盾があったほうがなにかと便利と思われます。
矢も投石も熱湯も、盾があればなんとかなりますがなければ
根性で避けるしかありません。
「矛盾」の語にあるように中国でも盾は使います。が、
三国志では盾を使いますが水滸伝まで歴史が来ると使わないらしい。
……間違っている可能性大です。
>2
っ、絵を見たことがないのでどんなものか想像できない……
勉強が足りないぜ! 出直すぜ!
10 :
大賢良師:1999/12/26(日) 04:12
ふむぅ・・・。
確かに城攻めには盾があったほうが良いな。
しかし、日本の城攻めの形態はどうなのかの。
力攻めが少なければ、盾はいらなくなる気もしてくるがのう・・・。
11 :
名無しさん:1999/12/26(日) 13:02
世界的(例:モンゴル弓、イギリスの長弓兵やクレタ?の石弓兵)
に比べると日本の弓は弱く、射程がかなり短かったそうで、それが理由ではないでしょうか。
傍証として、日本の鉄砲の導入が進んだのに比べて西欧で遅れたのは、
1つに長弓とさほど射程が変わらないことが理由との話しです。
弓がでかすぎたから。持ち運ぶのにふべんだったのも関係しているのでは?
13 :
剣道:1999/12/26(日) 21:12
個人戦
剣対剣なら、盾はいらんね。
城攻め
囲んで、兵糧攻めなら、いらないな。
力攻めなんかあまりやらないんじゃないかな。
14 :
槍師:1999/12/27(月) 13:35
古代日本(大和朝廷くらい?)の武装は、矛+盾でした。
それが両手持ちの長刀→槍に変わったため、盾が使われなくなったのだと思います。
槍が使われるようになったのは、威力重視のため(両手持ちのため刺突が速い、間合いが長い等)。
盾が使われなくなったのは、武器に両手がふさがれたから。
※矛:片手持ち
槍:両手持ち
おおざっぱですが、この分け方で間違いはないはずです。念のため。
※※刀剣がメイン武装になったのは、せいぜい江戸中期くらいでしょう。
武士の通称の変遷でも分かります。「弓取り」→「鑓師」→「二本差し」
戦場では甲冑を付けるので、刀剣ではメインにはなれません。
※※※一応、新紀元社の武器読本(みたいなの)を参考にしてます。
15 :
えせ歴史家:1999/12/27(月) 18:53
ちょっと話がずれますが、、
日本人はヨーロッパのように槍を投げる事はなかったのでしょうか?
16 :
名無しさん:1999/12/28(火) 02:50
刀で刀を受け流せば、盾の必要はなし。
17 :
おもいつきですが:1999/12/28(火) 03:35
おもいつきですが、盾が有効なのは、集団戦闘時なのではないでしょうか?
古代ローマ兵の集団戦闘みたいに。
日本の戦闘は(名誉を重んじる武士による)一対一戦闘が原則なので、
(集団戦闘の兵士にとって有効だった)盾が退化したのじゃないでしょうか?
18 :
1:1999/12/28(火) 21:59
>10
常に兵糧攻めで来るということは考えられません。
城攻め=兵糧攻めなら、対策をしない城はないでしょう。
>11
それは、「日本の弓は射程が短い。よって盾が必要となる敵の懐に
入るまでの時間が短いため、盾の有効性が低かった」という意味
でしょうか。
記憶では日本の長弓の有効射程は110メートル前後だったと思います。
騎兵がスピードに乗れば、確かに10秒足らずで駆け抜けられる距離ですが、
急峻で近距離戦闘を強いる日本の地形の関連上、疑義が残ります。
>14
主武装が威力重視の槍に変化したから。納得のいく意見です。
あとは、守りを二の次にしてでも威力を重視しなければいけなかった
理由がわかればより確実かと思います。
>13.16
刀相手なら、そうでしょうね。
12さんに射られたら少々困りそうです。
>15
記憶にはありません。
投げるための槍と、日本で歩兵が持っていた槍襖の為の槍は
形状も性能も違います。
なぜ投槍が開発されなかったのかについては、また別の調べが
必要となるでしょう。
>17
日本の戦闘が一対一だったのは、せいぜい元寇までかと思います。
19 :
大賢良師:1999/12/29(水) 02:21
14の槍説は余も納得してしまいそうじゃの。
思いつきじゃが、優れた盾を創る能力がないとかはどうかの、
防御術の発展に対して、武器・攻撃法が過度に発達した結果とかの。
・・・だめかの・・・
20 :
いちおう歴史科卒:1999/12/29(水) 03:04
でも、ファランクスでは、槍と盾と短剣を装備してたよね。
これは完全に憶測だけど、日本の地形とか、体格の問題では?
盾、重たそうなんだもん。
・遠征する距離が長くなる=持ち運ぶのがウザイ
・戦の規模が大きくなる=長く駆けずり回るのは、メチャ体力を消耗する
盾を持たないほうが有効だったのでは。
ただの鉄じゃなくて鋼をつくる技術は、日本は世界でも最高水準だった
から「作れなかった」ということは無いと思う。
ヨーロッパで鋼が浸透していくのは、16ー17世紀。日本は鎌倉時代
から鋼をふつうに使っていた。このへんも何か関係あるかな。
21 :
まてよ:1999/12/29(水) 03:08
20っす。
鋼でつくるとなると、逆に盾みたいな形状は難しそうだね。
鋼だけだと折れたりするから、日本刀は軟鉄と合わせた高度な
複合鋼になっているわけで。
22 :
1:1999/12/29(水) 12:37
盾は普通木製です。
金属でできているのは大抵表面だけです。
中まで金属の盾が、皆無だった訳でもないようですが、
青銅あたりまでが妥当なところだったようで。
盾が重たそうというのは、山地戦の多い日本では重要な
要素になるかもしれません。
多少とも急峻な地形を歩く時に、片手を空けるのはとても
大切なことですから。新しい視点が増えました。
盾を持つか持たないかの理由としては、
・技術的な理由
・戦術的な理由
の他に、
・経済的な理由
も考慮する必要があるでしょう。
剣は高価で槍は安価ですから槍を取る場合もあったでしょうし、
集団戦闘に無用な盾は費用対効果によっては採用されなかったでしょう。
> 18(1) さん
確かに多少疑義のあるところではありますが、
イギリスの長弓兵のように重装騎兵を圧倒するほどではなかったことは、史実にないことから間違いないでしょう。
鉄砲を採用した長篠以前には。
24 :
ちょっと興味ある:2000/01/05(水) 03:26
ので、あげ
25 :
プラウラー:2000/01/08(土) 05:03
日本にも盾はあります。陣地の回りに木の板を立てている絵などを
見たことはありませんか?あれがそうです。
あと、TVドラマでの城攻めなどの映像で、上から雨あられと降り注ぐ
矢を木の戸を2〜3人の兵士が頭の上にかざしているのを見たことは
ありませんか?
剣道の経験があればわかりますが、歩兵戦になると、盾があるのも
良かれ悪しかれです。ていうか、両手で刀を持っていたほうが断然、
良さそうだ、と経験上、想像します。
基本的に歩兵が持つ盾の用法の第一は飛来物からの防御です。
映画「ブレイブ・ハート」を見ると、それは西洋においても同様の
ようです。
古代の方形陣営も同様です。
そういった用法においての日本の盾は前記した通り、必要な分の発達
はあったのでしょう。
つまり、日本にも盾はある。ただし、西洋と発達の仕方が違うだけなのです。
26 :
石田三成:2000/03/19(日) 23:04
今後の参考にするためあげ
27 :
>15:2000/03/20(月) 20:46
司馬遼太郎の小説で読んだんだけど、
槍を投げて敵を倒しても「犬槍」と蔑まされ、
手柄にならなかったらしいよ。
28 :
名無しさん:2000/03/21(火) 01:06
自然な流れなんじゃないの?
鎧が進化していくと片手剣ではどうしても殺傷力が不足がちになるし。
特に日本人は西洋人に比べると体もちっこくてパワー劣るし。
逆に集団戦なんかになったほうが盾なんて使用価値ほとんどないだろうし。
武士の気質ってのもあるかもしれない。盾なんぞ持つとは卑怯なり、みたいな。
基本的には一騎討ちだし、戦の際にも敵と対等に渡り合うように努めちゃうような、
はっきり決まってるわけではないんだけど、そういういかにも日本人らしい
ルールみたいのがそこはかとなくあったみたいな。
相手の攻撃の受けは何も盾がなくとも武器でできるわけだし、
盾携帯のメリットはあまりなかったんでしょうな。
29 :
あ:2000/03/21(火) 11:56
以下、主に『平家物語』『太平記』の時代の話です。戦国時代については存じません。
ご指導願います。
>陣地の回りに木の板を立てている絵などを見たことはありませんか?
軍記物語では、両軍が「楯を並べて対峙する」場面が多くあります。
手楯を持って戦う場面もあります。新田義貞が灯明寺で戦死した原因は「楯を持っている者がいない」からでしたね。
ただ、楯が無くとも、「鎧突」で矢を防ぐ場面もありましたね。「空き間を射させず、裏も掻かせず」ですね。
当時の合戦における初期段階は「楯突戦」であり、百メートル足らずの距離を介しての「矢継ぎ早」な矢戦です。
弩を使っていたら「クレシーの戦い」になるでしょう。
30 :
名無しさん:2000/03/22(水) 06:29
日本刀は「引いて」切るから片手では扱いづらい
31 :
あ:2000/03/23(木) 08:48
接近戦を想定し、膝鎧・籠手が発達するのは、南北朝時代以降です。
32 :
闘将大権現:2000/03/23(木) 20:49
琉球には盾武術が残っておるぞよ。
日本の盾は古代より四角が主流じゃ。
33 :
素人:2000/03/24(金) 01:02
倭寇の被害に悩んでいた頃の朝鮮の武術書には、片手刀&盾(朝鮮兵士)と
両手刀(倭寇)が戦った場合には両手刀が有利だと書いてあったそうです。
ちなみに元ネタはこの武術書が発見された時の新聞のコラムです。
本当にそうなのか、一般的な意見なのかは知りません。
34 :
関係ないけど:2000/03/24(金) 03:07
アーチェリーみたいな「ど」っていうのも古代だけで廃れたね。
35 :
名無しさん:2000/03/24(金) 13:05
>34
でも弓より強いよ>弩
36 :
名無しさん:2000/04/24(月) 17:36
ゼロ戦等の旧軍の兵器も、防御力よりも攻撃力重視ですし、
日本人の気質なのかも知れませんね。
37 :
名無しさん:2000/04/24(月) 18:34
戦国時代の軍忠状?にでてくる死傷者の原因を分析した本を
最近読んだのですが、
矢、石、鉄砲など飛び道具によるものが6,7割ぐらいであり、
槍がその次、刀傷は殆ど無しだった。
その本によれば、白兵戦は滅多に起きるものではなかったとのこと。
基本的には飛び道具が主戦力であったとか。これは鉄砲が入る前も後も同じ。
また、接近戦の基本は槍であって、それでぶったたくのが多かった。
刀は首刈りの道具でしかったとのこと。また、首刈りも傷ついて弱った奴や、
死んでしまった冷え首(本当は卑怯)を取るのが多かった。
首刈りが一番簡単な恩賞の取り方だったとのこと。
日本刀って曲がりやすいし、枝の部分やツバが簡単に壊れてしまい、
取り扱いが難しい武器だったので、これで命のやり取りはしなかった。
それに戦闘時に騎馬武者は馬から下りて戦うのが普通であり、フロイスなんかも
日本人の下馬して戦うやりかたを不思議がって記録にのこしているとのこと。
TVなんかで見る戦闘場面は江戸時代の講談の影響をモロに受けて
実際とは随分違うみたいです。騎馬軍団による突撃なんて無かったとのこと。
盾の問題で日本刀とのからみで考えるのは誤りの元かも。
38 :
名無しさん:2000/04/25(火) 00:25
>日本人の下馬して戦うやりかたを不思議がって記録にのこしているとのこと
でも、それって実は普通なんじゃないかな?
騎兵の最大の長所って機動力なんだよね。
いざ乱戦のさなかに突っ込んで行ってそこで戦うとなると、
馬に乗ったままでは向きを変えるだけでも一苦労(ここらへんの描写が歴史ドラマって曖昧)だし
槍や弓の格好の餌食になっちゃうし、あんまりメリットないんじゃないかなあ。
第一に白兵戦場(や敵陣)まで少しでもはやく到達するための手段と言うかな。
馬上で手綱を引っぱって、操馬しながら乱戦の中で器用に戦うなんて考えただけでほとんど無理やね。
戦場の馬なんて興奮しまくりやろうし(w。
PS2の”決戦”の「豪腕」つかった時の3Dアニメみたいな感じなんじゃないかな〜。
まあ騎兵の運用法はいろいろあると思うんで、騎乗したまま(突破とか奇襲とか)っていう
場合ももちろんあるだろうけど。西洋の騎士に比べると日本のそれは、(騎兵としての)機能的に
そんなに特化してないみたいだしね。
39 :
あいや無視してくだされ:2000/04/25(火) 06:10
>38
そうするとやはり鍵をにぎるのは女騎馬鉄砲隊でござるか?
40 :
>39:2000/04/25(火) 06:32
レイプしてくれと逝っているようなもんだな!
41 :
14:2000/04/25(火) 11:43
>33さん
その書物って剣道の元祖は韓国だっていう根拠にしているものではないでしょうか。
信用できません。(違う本ならごめんなさい)
クムドーという名で韓国では剣道がブームらしいですが、
どうしたら韓国が元祖で日本が真似したなんて嘘を、
偉い人が率先して言いふらせるんでしょうか。
歴史の捏造はいい加減にして欲しいです。
韓国の子ども達は本気で信じていますよ。
42 :
名無しさん:2000/04/25(火) 11:57
平安、鎌倉、室町くらいまでの時期だと騎兵は騎乗したままで戦うことも多かっただろうな〜。
そう考えられるキーワードは、「大鎧」、「一騎討ち」なんかね。
戦国乱世にくらべて、源平合戦時代の戦ってかなり優雅だったらしいから。
やはり元寇や、足軽の登場なんかが戦術の変化に大きく影響していることは確かですな。
ただフロイスの目にした戦も極限られたものだと思うんで、武田滅亡のころ
くらいまではTVなんかで見る騎馬軍団も結構いたのかもよ。
43 :
名無しさん:2000/04/27(木) 10:00
>日本の戦闘が一対一だったのは、せいぜい元寇までかと思います。
竹崎季長・白石六郎は一騎打ちを挑んでいたかな?
白石勢百余騎は、集団で弓を射掛けているようにしか見えないが。
44 :
名無しさん:2000/04/27(木) 12:14
武田だって馬に乗っていたのは将校級だけでそんなに騎馬武者が
多かったわけではないのでは?騎馬武者一人に従者が数人従って
いるのが点在しているって感じのイメージではないかなあ。
騎馬武者だけの部隊なんてありえないでしょう?
馬は上級武士の戦地までの乗り物であって戦闘具ではなかったはず。
45 :
名無しさん:2000/04/27(木) 18:05
栄光の天皇盾
46 :
>44:2000/04/27(木) 22:18
そうだよね、
騎乗するのってステイタスだったはず。それに大切な馬を戦場に乗り
入れて、失ってしまうなんてもったいなくて出来なかったと思う。
戦場では鎧武者の周りに一族郎党が集結した戦闘ユニットが戦い
合うなんてのが思い浮かぶなあ。
47 :
えせ歴史家:2000/04/28(金) 07:23
>雑兵
両手で扱う槍だから盾は不要
>武将(乗馬)
乗馬して戦うのであれば、右手刀で左手手綱となり盾使えない。
白兵戦でも日本の剣術はフェンシングと違い、剣道のように両手で刀を握るのが基本なのでこれまた盾不要。
という考えはどうでしょう(^^;)
48 :
名無しさん:2000/04/28(金) 12:32
>馬は上級武士の戦地までの乗り物であって戦闘具ではなかったはず。
賛成。
鎌倉にて発見された骨から推測するに、新田義貞の鎌倉攻め当時の馬の体格は、
身長百数十センチ、体重三百キロ程度。
武士の体重・物の具・馬具をあわせると、馬にかかる負荷は百キロ程度。
馬自身の体重における三分の一に達する。
鐙の形状といい、これじゃ疾走は無理ですの。
49 :
>47:2000/04/28(金) 16:16
あのねえー、槍と刀がやりあったら、槍が強いに決まってるだろ。
鎧武者だろうがなんだろが、刀しかもってないなら槍でいちころよ。
槍vs刀の対決場面がTVなんかで出て、刀が勝っちゃうのは、本当
はそれがほとんどありえないすごいことだからだと思う。
刀なんてほとんど役に立たないよ。刀と盾とを関連して考える事
なんて意味ないと思う。
50 :
名無しさん:2000/04/28(金) 16:17
>48でした。
51 :
名無しさん:2000/04/28(金) 16:20
げげ、やはり>47でした。す、すすんましぇん。
52 :
人斬り斬平:2000/04/28(金) 18:16
>49
あのな〜、おまえ推測でもの言うなよ。
いっぺんやってみろや。
そんなもん一長一短だぜ。
あんた煽りだろ?
53 :
>52:2000/04/28(金) 21:13
>いっぺんやってみろや。
って、刀vs槍で、お前決闘でもしたのか?
おまえ推測でもの言うなよ。
お前のその確固たる自信の根拠を教えてね。
54 :
名無しさん:2000/04/29(土) 16:05
>52@`53様
落ち着いてください。
ええと、攻撃範囲からいいますと、
弓>槍>刀
ですの。槍で攻撃するにせよ、その距離まで近づくには、矢からの防御を考える必要がありますの。
55 :
名無しさん:2000/04/29(土) 18:35
兵器としての製造コストを考えても、
槍>刀
でしょう。
槍は長いほうが間合いを伸ばせて有利。
長い槍は片手では持てない。
両手持ちになるので、盾不要。
飛来してくる敵の飛び道具は、ベトナム兵の兜のような幅広の笠兜で
はじき返す(鉄砲玉は難しいが)。
これが足軽・雑兵たちの基本戦術だったのでは?
56 :
↑:2000/04/29(土) 18:37
補足です。
製造コスト、槍が安い。
という意味で
槍>刀 と表現しています。
ちょっとわかりにくい書き方ですみません。
57 :
>53:2000/04/29(土) 19:47
やんのか?くそガキ。
58 :
53:2000/04/29(土) 20:23
>57
わはは、言葉で反論しな、ボーヤ。
>54
だから、接近戦になったときにはすべに盾は不要なのよ。
弓で狙いなんかつけてる間に槍でぐさりだわな。
その距離まで近づくには。。。刀を持っていようが、槍を関係って
いようが、関係ない。よって、刀と盾は関係ない。
59 :
名無しさん:2000/04/29(土) 22:31
盾の効果は、当然敵の攻撃を受けるためなのですが、
日本において、左手装備(利き腕でないほう)を前提にした盾が無かったのは、
「鈍器タイプ」の片手武器が発達していないことも原因では?
西洋においての「メイス」「モーニングスター」「片手斧」らしい武具は、
弁慶の七つ道具にそれっぽいのが出てくるほかは、あまり見られません。
刀vs刀、刀vs槍、では刀による受け流しが可能ですが、
刀vsメイスでは、刀でメイスを受け流すのは辛く、身をひいて避けるか、
盾による防御をしなければ反撃ができません。
しかし、日本ではそんなシチュエーションの戦いは起こらなかった。
また、刀での戦いは先手必勝なので、そのスピードを追及すべく、
相手の武器との間合いを取ってからの、踏み込んでの攻撃!
に重点をおいたので、盾の装備は考えていなかった。
と思います。
時代劇などでは、腕に篭手を付け、一応の防具としていることがありますが、
時代考証としては、正しいのかな。
60 :
人斬り斬平:2000/04/30(日) 09:26
面倒くせえが、素人のガキにはいちいち説明せんとわからんようなので
ちょっと説明してやります。>58
上古の世に本朝において盾が使われたことは間違いない。
その盾が廃れていったのは
ひとへに「日本刀」という世界に類をみない高度な刀剣が製造されたことによるものである。
これでも、刀と盾が関係ないなどとほざくなら
自分で琉球の盾武術調べてから言え。
61 :
58:2000/04/30(日) 12:03
>人斬り斬平
ふむふむ。
かつてあった盾が廃れた。
両手持ちの日本刀が普及した。
よって、盾がないのは日本刀のため。
あのなあ、お前の言ってることは上で何回でも出てるよ。
それに対する疑問、反論もだ。ちゃんとレスよめ。
これだけでは納得できる論拠じゃないんだよ。
62 :
>60:2000/04/30(日) 12:19
そうそう。
盾を実際に持って戦うところを想像すればわかる話。
攻撃するときは、盾側の手は後ろへやって、剣を持つ手を敵に向け、斬りこむ。
これでは攻撃の最中の防御力は盾非装備と変わらんし、片手での斬りこみなので、
相手へのダメージも軽くなる。
戦術としても、相手の攻撃を受けてからの攻撃になりがち。
日本刀は剣と違って「反り」があるので、手前に引かないと斬れない。
片手より両手で持つほうが、確実。
盾ってのは、そもそも「生きて還る」ためのもの。
盾を使いこなす、ってのはなんか浅ましい戦法に思える。
そんな武士道との相反も関係あるだろう。
どっちにしろ、日本刀と盾は相容れない戦術思想の武具だと思う。
関係は大ありだな。
63 :
名奉行:2000/04/30(日) 20:10
刀と盾関係は大有りといたす
関係なし派は市中引き回しののち打ち首獄門!
その他終生遠島と致す。
ひったてえい!
この問題これにて一件落着
64 :
54:2000/05/01(月) 11:21
>上古の世に本朝において盾が使われたことは間違いない。
戦国時代以降のことは存じ上げませんが、鎌倉時代においては、
鎧の構造は、機動性を犠牲にしてまでも弓矢からの防御を重視したものにて、接近戦を想定したものになっていません。
『平家物語』(延慶本)では、楯がしばしば登場します(据え置き型の大きい物から、手楯まで)。
『蒙古襲来絵詞』においても、使用されているのは主に弓矢です。
膝鎧・籠手が発達したのは南北朝時代以降ですが、
日本刀の発達と歩を合わせたと考えてよろしいのでしょうか。
65 :
名無しさん@1周年:2000/05/27(土) 06:32
刀と槍についてなんだけど、津本陽の柳生兵庫介なんかを読むと圧倒的に
槍が強いみたいな描写があったけど。津本陽は自らも剣術をおこない、現
在の柳生宗家の人とも交流があるみたいだから、それなりに根拠があって
書いているんじゃないかな?
でも、不思議なのはなんで槍術より剣術のほうがメジャーなんかな?
66 :
>65:2000/05/28(日) 03:37
槍は実戦での主戦兵器。
刀は所詮サイドアーム。
剣術がメジャーになってくるのは江戸時代からだよね。
室町期や戦国期の剣術は、結局卑しい歩卒の技でしか
なかった。戦国武将達は趣味で剣術を学ぶものはあっても
本気で極めた奴は少ない。足利義輝なんか異常だよ。
本来「武将」は自ら刀を取って戦う身分ではないのだから。
それが江戸時代になり、一種の精神的修行と結びつけられて
「剣道」となり、戦わない武士の「ファッション」というか、
武士のスタイルの一部として「たしなみ」になったんだと思う。
柳生の存在も大きいだろうね。
#「戦わない」というのがポイントだね。
純粋な戦闘技術としての槍術は近代になって銃剣道として
ちょっと復活したけど、剣術は省みる者もなく廃れた。
剣術が格好だけのもの(といっては言い過ぎだけど)だった
証拠じゃないかな。
あ、これはもちろん集団戦闘での話だよ。本来軍勢の中の
一員として戦う義務のあった武士にとって・・・です。
67 :
>66:2000/05/28(日) 08:56
なるほどなるほど。
剣術が栄えるのは江戸期以降なんですね。
たしかに、剣術が一番活躍するのは幕末期の人斬りテロぐらいだもんな。
まぁ携帯用武器としてはすぐれてたのかも。
68 :
名無しさん@1周年:2000/05/29(月) 02:56
平安・源平争覇時の騎兵戦では刀は片手(右手)持ちだったらしい。
でも反対の手(左手)では盾を持たずに、弓を構えており、弓のほうが攻撃のメイン。
だから「騎射戦」と呼ばれる。
徒歩戦においても弓の打ち合いがメイン。接近戦になればまずは薙刀、次に太刀を使用。
つまり、まず弓を使用している時点で両手を使用せざるを得ない。
だから木盾もあるにはあったが地面に据える方式にならざるをえない。
おまけに第二順位の薙刀というのも両手用なので、盾を持つ余地がない。
自然第三順位の刀を片手持ちにする意味が無いというわけ。
この頃の武士はあまり専門化されてなくて、トータル的な能力が優れていないといけなかったから
一人で弓から薙刀からすべて扱えなければいけなかったのだろう。
時代を下って、兵の役割が専門化してきてからも、メインの接近戦武器は結局のところ槍。
普通に考えたってリーチといい扱いやすさといい、接近戦武器では槍が最高だろうからね。
槍や薙刀がずっと接近戦の主力武器で来た以上、盾を持つ余地など無かったんだろう。
69 :
名無しさん@1周年:2000/05/29(月) 03:20
日本刀っていうのは、”武士の魂”なんて言われるくらいに
平時から武士が護身用として腰に常に携えているものだった。
そして戦時においても、武士は平時同様に(あまり刀は使わなかったにせよ)刀を腰に携えて戦った。
そこに盾を持つ余地は考えにくい。
だから武士が平時から護身用に片手刀&盾を携帯していたのなら
戦場で盾も使われたのだろうが、護身程度のことに盾は荷物になるだけっぽい。
70 :
>69:2000/05/29(月) 15:35
「微志の魂」みたいなことを言い出したのは江戸時代以降のこと、
戦国時代はそんなことは言っていません。
戦国期などでは折れた時のために数本予備を持っていた人も居たらしい。
71 :
訂正:2000/05/29(月) 15:55
「微志の魂」を「武士の魂」へ訂正いたします。
72 :
名無しさん@1周年:2000/05/30(火) 11:10
>69
>折れた時のために数本予備を持っていた
それって、戦場で刀使ってたってことじゃん
73 :
でもさあ:2000/05/30(火) 17:10
ソウルキャリバーとかやってると、剣と槍が互角に戦ってるよ!
74 :
>72:2000/05/30(火) 20:09
そりゃ刀だって使っているでしょう。
ただメインの武器が弓とか槍とかだったでけじゃない。
だいたい66の人の意見に賛成。
75 :
名無しさん@1周年:2000/07/01(土) 23:37
槍と刀どっちが強いか、
スポーツチャンバラで実戦により決めるべし!
(日本史板@南朝でボコボコに叩かれたのであまりここらへん触れたくないのだが)
刀どころか槍による近接戦闘すら稀だったと思う・・ていうか、一方が槍で突進
してきたらもう一方は戦闘せず逃げたんじゃないですかね?
そんなもんじゃないですか? 日本国内の戦闘は
武士って戦国期までは兵・下士官は普段モロ農民だし、士官クラスも今、我々が
想像するような武人タイプではなく正に「農場経営者」「普請指導者」・・・・
だったんでしょ?(普請というのは水利関係とか・・・)
そういう素人集団は近接戦闘みたいな危ないことはせんので、盾も必要なかったん
だと思います(陣地で矢を防ぐものを除く)
77 :
邪の帝王:2000/07/02(日) 01:01
古代にはありましたよ。九州の隼人という人々は大きな楯をしようしていました。神社にも残っています。
78 :
名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 01:38
刀は主に護身用の武器で、近代軍隊でいえば拳銃に相当すると
思います。もしかしたらこんな感じでしょうか。
刀 :拳銃
槍 :小銃
弓 :カノン砲、榴弾砲
鉄砲:航空爆撃
大筒:核ミサイル
うーん、かなり無理がある感じも…
79 :
わかたける大王:2000/07/05(水) 21:32
騎馬の戦闘は新しく、それ以前は歩兵です。4世紀末、倭の軍が高句麗
に大敗した事件がありましたが、これは倭の歩兵が高句麗の騎馬兵に蹴
散らされたからだ、と考えられます。
日本刀のそりは新しく、以前は直刀です。突くほうかな。
たしか「将門記」にも、多くの楯を固めて防備の陣をしいた記事を
読んだ記憶があります。
邪の帝王さんの言うように、隼人の楯は有名です。
弥生時代は、木製の楯がいくつか発見されているはずです。長い楯です
が、手持ちのタイプです。当時は、矢とともに石や土の弾が雨あられと
飛んできましたので、それを避けることが大きかったのでは。
弥生時代の戦闘形態は、数年前にちょっと考えたことがあるのですが、
左手に楯と右手に剣を持つ戦士がいたのかどうか、結論を出しかねまし
た。
80 :
日本@名無史さん :