【初心者】スレッド立てる前に質問をPart34【歓迎】 [転載禁止]©2ch.net

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1日本@名無史さん
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前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart33【歓迎】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1403135755/

【関連板/関連スレ】おおむね幕末〜明治維新以降については → 【日本近代史板】

【疑問】スレ立てるまでもない質問【日本近代史板】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1313828216/
2日本@名無史さん:2014/11/21(金) 01:52:55.86
age
3日本@名無史さん:2014/11/21(金) 21:36:21.62
>>1
もつ
4日本@名無史さん:2014/11/22(土) 22:09:06.24
なんで前スレ落ちたの?
5日本@名無史さん:2014/11/22(土) 23:23:55.98
何で江戸時代以前の日本で馬車が発達しなかったの?
6日本@名無史さん:2014/11/22(土) 23:55:07.11
>>5
日本は、山岳や森林が多い
また、平地には水田が多い
未開の野原も、降水量が多いため、すぐに植物がおいしげってしまう
前近代には、街道の道幅も狭かった
ようするに、馬車の運用に不向きな国土だった
7日本@名無史さん:2014/11/23(日) 00:38:06.17
>>4
満杯になっただけだけど? 半端になってるなら、終わりのほうをダウンしなかっただけでしょ?
8日本@名無史さん:2014/11/23(日) 04:37:06.20
>>5
松平定信の時代に、日本に馬車を導入する議論が在ったが、そのため石畳にしたり轍をつけたりする
道路整備などに伴う膨大なコストに見合う費用対効果は無いと判断され立ち消えになった。
9日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:43:55.28
大津〜京都間に、馬車ならぬ牛車用の石の線路みたいなのがあったんだよな
轍ができるのは大問題だと思われる
10日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:53:28.90
>>9
轍ができることが大問題というよりも、石で舗装するのは、雨で道がぬかるんだときに
車輪が泥にめりこんでしまい、出られなくなることがあるから
11日本@名無史さん:2014/11/23(日) 14:18:55.41
轍がある事でレールのような役目を果たして速く安定して走れるんだよ。
12日本@名無史さん:2014/11/23(日) 16:53:25.91
わだちがあまり深くなると、道から外れて曲がりたいときに難儀するけどね
それでなくても、昔の馬車や牛車はハンドルがあるわけじゃないから、曲がるのは大変だった
13日本@名無史さん:2014/11/23(日) 18:33:19.71
轍を頼って安定して走るためには車幅の企画統一が必要だな
馬(牛)が歩くだけならいいが走っていて轍をはずしたら車は即転倒するだろう
14日本@名無史さん:2014/11/23(日) 18:34:01.88
>>13
企画→規格ね
15日本@名無史さん:2014/11/23(日) 21:42:56.35
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人
16日本@名無史さん:2014/11/23(日) 21:50:18.54
>>15
このマルチ、バカ丸出しなんですが
17日本@名無史さん:2014/11/23(日) 22:03:08.44
>>15

主張するニューギニア低地人
18日本@名無史さん:2014/11/26(水) 04:02:06.68
扇谷上杉
山内上杉

↑なにこれ苗字?
 こいつだけなんでこんなかっこいい名前もってんの?
19日本@名無史さん:2014/11/26(水) 04:12:32.75
>>18
扇谷上杉→鎌倉の扇谷に屋敷持っていたから
山内上杉→鎌倉の山内に屋敷持っていたから
犬懸上杉→鎌倉の犬懸に屋敷持っていたから

同じ名字で系統が違うのを表しているだけで、例えば徳川御三家を尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家なんて呼ぶのと一緒。
なお一般的には「扇谷殿」「山内殿」と呼ばれていた。
20日本@名無史さん:2014/11/27(木) 15:44:50.83
室町時代の上杉の本家ってどの家?
21日本@名無史さん:2014/11/27(木) 22:10:30.14
関東管領の山内上杉氏。
22日本@名無史さん:2014/11/28(金) 00:32:58.56
>>21
本来上杉氏の宗家は京の八条上杉家だった。山内が宗家扱いされるようになったのは室町後期だな
23日本@名無史さん:2014/11/28(金) 01:04:52.01
そうなの?八条上杉家でググると扇谷の分家みたいな感じだけど。
上杉氏初代の上杉重房は宗尊親王が鎌倉に下って将軍になるのに付いてきて、
そのまま鎌倉に残って足利氏と婚姻関係を結んで、その被官となったらしいけど。
何時京に帰ったの?
24日本@名無史さん:2014/11/28(金) 14:15:05.76
上杉厨と黒田厨のうざさは異常
25日本@名無史さん:2014/11/28(金) 21:45:47.40
分家が大名で本家が非大名の場合
分家の大名は本家に挨拶に行くらしいのですが

江戸詰めの場合挨拶はどこで?
他にも江戸に本家当主がこれない場合
大名が地方に出向くのを許可されていたのですか?
26日本@名無史さん:2014/11/29(土) 02:18:27.07
江戸時代以前は石油を使ってたの?
27日本@名無史さん:2014/11/29(土) 03:30:46.93
>>26
石油の存在自体はわかっていたけど、産地が限られてるのと
精製技術・化学知識もないから利用方法がなくて広まってなかった。
地上に染み出しているとこの地元の人が薪の点火や明かりに少量使ってたくらいじゃないかな
28日本@名無史さん:2014/11/29(土) 12:56:50.19
江戸時代の石油の話は、
8月ころ、タイムスクープハンターでやってたね
臭水(くそうず)だったかな
極狭い範囲で使われていたみたい
29日本@名無史さん:2014/12/02(火) 00:31:31.03
>>25
知らんけど、遠隔地の親戚同士で、書簡とか進物のやりとりを盛んにやってたとかいうじゃない。
必ずしも行き来するとは限らないということになるはず。
30日本@名無史さん:2014/12/02(火) 09:24:44.29
>>26
続日本紀で奈良時代に燃える水が朝廷に献上されたことがあって
これが石油だったと思われる
だけど日本の石油産出量など微々たるものだし
朝廷の照明も専ら菜種油だったのだからたいして普及はしてないと思う
31日本@名無史さん:2014/12/02(火) 14:12:30.62
大名は妻子を江戸に住まわせていましたが、領地に妾とかはいなかったのですか?
32日本@名無史さん:2014/12/02(火) 14:27:39.46
いましたが、なにか?
33日本@名無史さん:2014/12/02(火) 14:48:16.54
戦前の日本の思想統制や検閲や治安維持法は
外国から来ている特派員や記者も対象だったの?
まあゾルゲは特殊例だけど
34日本@名無史さん:2014/12/02(火) 15:09:15.49
>>33
ここにいけ

日本近代史
http://yomogi.2ch.net/history2/
35日本@名無史さん:2014/12/03(水) 10:53:49.52
>>31
江戸に常駐させられたのは大名の正室と正室の子のみ
側室は江戸にも国許にもいた
正室はずっと江戸にいるので国許の側室筆頭は「お国御前」と呼ばれて
第二の正室並みに力を持っていた

正室の子とお国御前の子がそれぞれに付く側近と共に継承争いやったのが
島津のお由良騒動
36日本@名無史さん:2014/12/03(水) 16:48:47.83
赤穂藩って、廃藩置県のときは森氏(森可成・長可の子孫)が藩主だったのに、
いつも浅野家のことしか話題にのぼらない。
観光も赤穂浪士関係ばかりだが、現在の赤穂市民に森氏への愛着はないのだろうか?
37日本@名無史さん:2014/12/03(水) 17:50:05.76
森氏の時代は特に話題になることも無かったからでは
38日本@名無史さん:2014/12/03(水) 18:11:06.85
>>36
大河を誘致すると観光客がどっと押し寄せる
赤穂浪士関連は4回も大河ドラマ化されていて赤穂の観光はそれが主体
あれのお蔭で赤穂市は知名度上がってるのだし仕方ない

江戸時代の大名は転封も多いし現地の土豪上がりというわけでもないからね
それほど愛着があるというのも少ないような
39日本@名無史さん:2014/12/03(水) 18:57:52.91
森可成・長可父子が黒田官兵衛や前田利家みたいに大河の主役になれば、
少しは森氏への愛着も生まれるのだろうか?

時代的に信長・秀吉の時代だし、吉田松陰の妹でも主人公になれるのなら、
森父子視点の戦国ドラマでもいけるんじゃないか?
蘭丸が主役でもいい。
40日本@名無史さん:2014/12/03(水) 19:03:00.33
>>39
森蘭丸と赤穂の繋がりがない

無名の子孫がここの大名やってましたじゃあ意味がないし
41日本@名無史さん:2014/12/03(水) 20:36:24.45
ドラマ脳w
42日本@名無史さん:2014/12/04(木) 03:38:46.00
>>31,35
そういえば、島津斉彬の娘の写真で、参勤交代廃止後に、鹿児島の妹と江戸の姉が一緒に写ってるのがあったな。
それまでは会うことはなかったわけね。
43日本@名無史さん:2014/12/04(木) 18:30:37.72
>>42
島津斉彬が撮影した娘の三姉妹の写真なら参勤交代廃止前
文久2年(1862年)江戸幕府は大名統制を緩めて大名妻子の江戸留めを廃止しているが
斉彬はこの4年前に死亡しているので写真を撮影したのはそれより前になる
あの写真に写っているのは暐姫、典姫、寧姫の三姉妹でいずれも母親は同じ斉彬側室の須磨
三姉妹はいずれも鹿児島生まれ鹿児島育ちだよ
44日本@名無史さん:2014/12/06(土) 18:02:20.14
歴史博士の質問スレはどこ行ったのですか?
45日本@名無史さん:2014/12/06(土) 20:41:25.14
落ちたままだね
46日本@名無史さん:2014/12/06(土) 20:48:16.87
47日本@名無史さん:2014/12/07(日) 03:24:50.55
>>45
何で落ちたの?
1000近かったっけ?
それなりに書き込みはあったはず
48日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:51:14.50
北条時政は早漏だったの?
49日本@名無史さん:2014/12/08(月) 01:41:50.02
>>47
980越えると24時間レスがなければ落ちる。
……つうかそもそも、ここがあるのにもう一つ質問スレなんて要るか?
50日本@名無史さん:2014/12/08(月) 04:19:14.88
江戸文化とか安土桃山文化とかその頃のお遊びって、どういうジャンルの本を読めばわかりますか?
へうげもので秀吉がやってた瓜畑遊びのことを調べたいのですが、ピンポイントで探せません。
よろしくお願い致します。
51日本@名無史さん:2014/12/08(月) 12:04:05.22
子供の頃、歴史の授業なんかで「戦国大名は京へのぼって天下に号令をかけたがった」
とか言われても、具体的にどういうことか解らなかった
皆さん、小学生の頃から解ってましたか?
52日本@名無史さん:2014/12/08(月) 21:12:42.77
授業では「京には日本を操れる何かがある」とは習わなかったな
子供向けの歴史読み物とかで天下に号令とか書いてあって
「京都近郊の大名とか、絶好の場所に住んでんのに馬鹿じゃん」とか思ってた
53日本@名無史さん:2014/12/09(火) 06:47:05.09
当時は、そういうものなんだろうと思ってわかった気になって、疑問に思わなかったな
54日本@名無史さん:2014/12/09(火) 15:30:06.30
授業では嘘ばかり教えられていたと後に知ることになるよな
上洛を目指したのは今川義元,織田信長,武田信玄のお三方だけという。後はそっぽだろ
55日本@名無史さん:2014/12/09(火) 16:17:46.62
平清盛はあれだが木曽義仲から始まる上洛ブームは?
56日本@名無史さん:2014/12/09(火) 16:20:48.13
52
首都とされているものを目指すのは世界史みても当たり前のこと
それが崩れるのは戦国時代の小京都の乱立以降な
57日本@名無史さん:2014/12/09(火) 16:42:10.03
足利家編纂の太平記がどうやって成立したか知ってるか?
京都に上洛して当時の知識人(主に僧など)から情報やら
分筆やら資料やらいろんなの動員して一つの文献を残して
いるんだぞ
58日本@名無史さん:2014/12/09(火) 18:23:08.73
51です
やっぱり「京都にのぼって天下に号令」って表現は子供には難しかったですよね

それともうひとつ、これは授業で習ったというより、子供向けの歴史本などに
よく書かれていたことで、「豊臣秀吉は朝廷の権威を利用した」
権力はわかりやすいけど、権威っていうのは子供にはやや難しかったし、
幕府に比べて朝廷っていうのもやや難しかったんだよね
59日本@名無史さん:2014/12/09(火) 21:28:44.00
京に上って天下に号令をかけてる信長がいるのに信玄が京に上って天下に号令かけようとするなんざ、「信長上洛しても効果薄っ!」って思った
60日本@名無史さん:2014/12/09(火) 23:15:33.40
秀吉は石山本願寺の場所に大阪城を築城したけど、
本願寺はすぐに代替地として現在の西本願寺の
場所をもらったんでしょうか?
何年かタイムラグがあったんでしょうか?
あれだけの大きな組織だから、もしタイムラグが
あった場合はその間どう対処してたんでしょうかね
61日本@名無史さん:2014/12/09(火) 23:34:06.48
>>56
現在、その国の中心地で指令を発している地を支配したら、その国を支配しやすくなるからな
中国だと長安、フランスだとパリ、トルコだとイスタンブール、中東だとバクダット
62日本@名無史さん:2014/12/10(水) 01:04:28.98
>>60
石山本願寺は信長の石山合戦でも落ちなかったけど正親町天皇の調停で明け渡されて、
その際に出火して灰燼に帰した。一説に和議に不満だった顕如の長男教如の放火とも。
これが天正8年。

天正13年、秀吉の寄進により大阪天満に移転。
天正19年、秀吉の寄進により京に移転。
63日本@名無史さん:2014/12/10(水) 09:34:07.46
>>60
天正8年、石山本願寺明け渡し
同年、紀伊国鷺森本願寺に移る
天正11年、豊臣秀吉、石山本願寺跡地に大坂城築城開始
天正13年、豊臣秀吉が本願寺と和睦し秀吉から大坂城下天満に寺地を貰って紀伊から移り天満本願寺と称する
天正19年、秀吉から京堀川六条に寺地を貰い移転する(現在の西本願寺の場所)
慶長7年、徳川家康が隠居していた教如(本願寺門主准如の兄)に京烏丸七条に寺地を与え、本願寺を分離する(現在の東本願寺)
64日本@名無史さん:2014/12/10(水) 10:30:20.97
>>62-63
詳しい解説、ありがとうございます
当時の石山本願寺は本山だから在籍僧も多かっただろうし、建物も大きかったはず
それを既設の鷺森本願寺で収容できたんでしょうかね
また、天正13年に天満に移ったとのことですが、天満に本山にふさわしい寺院を
築こうとしたら数年がかりだと思うし、6年後にはまた京都へ移っているので、
実際はその間バタバタの状況だったと思われますが、合ってますか?
さらに、せっかく築いた天満本願寺もまたすぐに廃棄され、次はどうなったんでしょうか?
質問ばかりですいません
65日本@名無史さん:2014/12/10(水) 12:27:57.28
別院だの御坊といった拠点は結構あって、一般向けの宿坊も充実してたから、一部は貝塚辺りに収用可だったはず
傭兵や武装門徒を減らすだけでかなりスリム化みたいだね
石山並の規模の拠点を築く事が許されたかという問題もありそう

加賀に近い吉崎に機能移転して南加賀を領有する事も選択肢としてあり得たくらいだから、ある程度の拠点なら、意外に収用できたんじゃない?
66日本@名無史さん:2014/12/10(水) 12:31:34.51
あ、連投でゴメン
書き忘れたけど、天満は東の御坊だか別院だかになって、破却されてないと思う
67日本@名無史さん:2014/12/10(水) 13:57:17.72
>>64
石山本願寺を退去した本願寺門主・顕如は鷺森本願寺に移り貝塚本願寺にいたこともあるが
鷺森・貝塚本願寺は仮宿舎に近く石山本願寺にいた全員を収容したものではないと思う
秀吉と和解後の天満本願寺が本来石山本願寺後の本願寺拠点となるはずであったが
(当時の天満本願寺敷地は東西七町、南北五町という大きな規模のものだった)
この天満本願寺も聚楽第落書事件の犯人を匿ったとして天満本願寺門徒約60名が秀吉に処刑されたために頓挫し
今度は秀吉の命令で本願寺は京都に移されることになった

尚、江戸時代に東本願寺別院として天満本願寺が復興されているが
秀吉時代の天満本願寺とは場所が違う
68日本@名無史さん:2014/12/10(水) 17:51:41.43
野間大坊の大坊ってどういう意味?
69日本@名無史さん:2014/12/10(水) 20:32:36.41
皇室スレで無視されたのでこちらで質問させてもらいます。

もし継体天皇に天皇家の血が流れてなくても、奥さん(と子供)には天皇家の血が流れているから、
神武(神話ですが)から継体、継体以降でも血統的には途切れる事なく続いてる、
という認識は合っていますか?
70日本@名無史さん:2014/12/10(水) 22:02:02.85
継体が応神5世孫だという系譜を無視するなら
「神武から継体」は自分で否定してることになる
また、継体の系譜を否定しながら
神武から手白香の系譜は肯定する思考が不可思議

結論、スルーされて当然
71日本@名無史さん:2014/12/10(水) 22:45:16.15
世界史板の質問スレが政治厨に荒さら荒廃してるのでこちらで質問します。

ロシア二月革命の主役は労働者や兵士なのになんでそれによってできた政府はブルジョアジー中心だったのですか?
72日本@名無史さん:2014/12/10(水) 23:17:50.75
文字の読み書きや計算もできないプロレタリアートに国家の運営を委ねよと?
73日本@名無史さん:2014/12/11(木) 00:16:49.25
>>65->>67
詳しい解説ありがとうございました
74日本@名無史さん:2014/12/11(木) 09:36:32.74
>>71
ここではあんたも荒らしだよ
75日本@名無史さん:2014/12/11(木) 11:15:06.38
>>71
革命というのは要するに権力争いだから、勝ったほうが丸儲けするのは必然だよ。
76日本@名無史さん:2014/12/11(木) 14:07:22.40
>>70-71
神武から武烈まで男系。安閑・宣化天皇は手白香皇女の子ではない

日本の主役は労働者なのにそれによってできた政府は自民党中心だったのと同じ
77日本@名無史さん:2014/12/11(木) 15:33:09.91
>>76
応神からは神功皇后に始まる河内王朝だが?
78日本@名無史さん:2014/12/11(木) 16:51:28.86
神功皇后は開化天皇の来孫
三輪王朝を飛ばしているよね
79日本@名無史さん:2014/12/11(木) 17:23:36.32
>>78
神功皇后は息長氏だろ

三輪王朝…崇神に始まる初期王朝
河内王朝…応神に始まる倭の五王時代の王朝
継体王朝…現天皇家

三輪王朝の前に葛城王朝があった説もある
80日本@名無史さん:2014/12/11(木) 17:36:52.06
息長氏は開化天皇(葛城王朝)の玄孫で,神功皇后の父
81日本@名無史さん:2014/12/11(木) 17:52:30.24
日本書紀の観念では神功皇后は皇族
そもそも息長氏は応神天皇の後裔氏族
82日本@名無史さん:2014/12/11(木) 19:30:04.94
日本書紀の概念では蘇我氏も葛城氏も紀氏も安倍氏も春日氏も小野氏も吉備氏も膳氏も
皆天皇の子孫
83日本@名無史さん:2014/12/11(木) 20:24:28.84
皇族と臣下の区別もわからないバカ発見
84日本@名無史さん:2014/12/11(木) 22:39:34.59
三輪王朝だの河内王朝だのなんてもはや死語だろ
85日本@名無史さん:2014/12/12(金) 07:50:53.04
>>71
都市部で労働者や下級兵士のソヴィエト(評議会)が組織されて革命騒ぎがおこって、
多くの兵士が離反したことで政府内部でも帝政の維持は困難という空気になる。
万事休す状態のニコライ2世は退位、皇太子は病気で、ニコライの弟も皇位を引き受けず、
自由主義貴族のリヴォフ公を中心に穏健派中心のブルジョワ共和制の臨時政府が成立。
その後、社会革命党のケレンスキーが入閣し、リヴォフ公に代わって首班となる。

一方、亡命先のスイスから帰国したレーニンがソヴィエト勢力を糾合しているので、
ブルジョワ民主主義の臨時政府とソヴィエト政権の二重権力体制に。
これが10月(11月)革命までの状況。
86日本@名無史さん:2014/12/12(金) 11:22:24.22
日本史板
87記憶喪失した男:2014/12/12(金) 15:54:11.91
エタ、ヒニンが武士の子孫であると2007年の教科書改訂で、
日本史Bの教科書に書かれたと主張する2ちゃんコテがいます。

それは事実でしょうか?
反論として、山川出版社の「詳説 日本史」には書いてないらしいです。
88記憶喪失した男:2014/12/12(金) 16:09:08.07
山川の2008年3月発行の「詳説日本史改訂版」の
エタ、ヒニンに関する記述はわかりますか。
なんでも、武士の役についていたと書かれているそうですが。
89日本@名無史さん:2014/12/12(金) 16:28:46.13
>>84
1000年後に、1990年代の日本に、羽田政権があったという大発見をした、
みたいなこと?
90日本@名無史さん:2014/12/12(金) 19:40:23.98
>>87
1997年 山川出版社の日本史広辞典にはそういう記載はありませんでした
91名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 13:49:39.36
江戸時代の浪人って、何代目くらいまで武士の格好してたの?
江戸中期くらいに浪人して、明治維新まで代々浪人やってた家とかあったの?
92名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 19:07:28.76
忍者(工作員)は役割の大きさや重要さに比べてなぜ身分が低かったのでしょうか?
あるいは身分は低くても実際の待遇はそれなりに良かったのでしょうか?
93名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 19:11:40.99
>>92
忍者なんてのは明治後の創作だから
94名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 20:52:47.35
>>92
武士の家計簿の磯田が書いた新書に、
忍者について書いてあったよ
95名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 23:10:39.29
>>93
松平定信が伊賀者に役人たちの身辺調査をさせたけど何も出てこないんで、
報告書にはセックスの回数とかしょうもない事ばかりだったと、このスレか何処かで教えてもらったけど。

>>91
当事者がイヤになって転職するまで。
96日本@名無史さん:2014/12/14(日) 00:42:19.91
鎌倉幕府が全国に配置した地頭は
建武の新政や足利幕府によって総入れ替えされたの?
97日本@名無史さん:2014/12/14(日) 01:38:43.71
>>95
お前は現在でも身辺調査をする人間を忍者と呼ぶのか?
98名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 02:25:02.39
現代では探偵だな。
99名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 09:24:51.12
質問。日本に初めてイスラム教がやってきたのはいつなのでしょうか?

戦国時代にキリスト教が伝来しましたが。なぜイスラム教は来なかったんですかね?
当時は中東とかがヨーロッパより強くて建築技術とか武器とかも優れてたような気がするんですが

中東と中国でがらっと文化が変わるのも謎です。なんでですか?
100名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 12:31:56.89
戦国時代の比叡山や石山本願寺って1995年のオウム真理教よりも
勢力(信者数、経済力、武力、政治力の総力)があったんでしょうかね?
101名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 12:56:32.81
そりゃ、あった
本願寺なんて、信長と10年も戦い続けたんだぞ
そこらの下手な大名よりも経済力・武力・政治力は上だった
102日本@名無史さん:2014/12/15(月) 00:50:17.43
>>43
あ! そうなの?
103日本@名無史さん:2014/12/15(月) 09:28:25.52
畿内の寺社は自分ちの荘園持ってたからね
今もある寺社が自分とこの歴史などを紹介した年表からは武装して他寺社と戦してた歴史は意図的に省かれてんだもんなぁ
流石に本願寺は隠してないが
104日本@名無史さん:2014/12/15(月) 12:47:21.93
比叡山と石山本願寺だったらどっちが強かったんでしょうかね
当時の寺社勢力としては、この2つが2強ですよね
105日本@名無史さん:2014/12/15(月) 12:53:52.36
いんにゃ。 比叡山も本山、末寺でそれぞれ兵隊持ってた
106日本@名無史さん:2014/12/15(月) 15:13:30.69
なんで東西本願寺は徳川幕府崩壊後も再統一しなかったの?
107日本@名無史さん:2014/12/15(月) 15:30:49.63
どちらも規模が拮抗してたからじゃねー
108日本@名無史さん:2014/12/15(月) 18:56:31.76
まあ、いったん分裂した組織が再統合するのはたいてい、一方がもう一方に対して
圧倒的に優位で、事実上強者が弱者を併合する場合がほとんどだわな
両者が拮抗していれば、統合しようにも双方の条件がなかなかおり合わない
(そもそも、それぞれの主張が食い違っているからこその分裂なのだから)
義満の時代の南北朝合一も、南朝がもう他にどうしようもないところまで追いつめ
られていたからこそ実現できた
109日本@名無史さん:2014/12/16(火) 18:59:50.85
>>106
もともと本願寺の継承争い(兄が廃嫡されて弟が継いだ)に乗じて
家康が東西2つに分けただけだから
もともと東本願寺と西本願寺はライバル関係にあって
統一しようという気はなかったと思うよ
110日本@名無史さん:2014/12/16(火) 21:50:41.67
明治の元勲、山県有朋はなぜか「国民からの人気がなかった」というのを
いろんな書物で見ます
一体どれくらい人気がなかったのでしょうか?
たとえば元首相経験者である菅さんも国民からの人気がなさそうですが、
菅さんよりももっと人気がなかったのでしょうか?
111日本@名無史さん:2014/12/16(火) 22:44:54.00
元祖汚職だからねえ
井上君と同郷でひでえものだ
椿山荘まで手に入れやがって
112日本@名無史さん:2014/12/17(水) 10:05:30.74
かつて織田信長は将軍足利義昭を京都から追放して室町幕府が滅びましたが、
実力はともかく序列としては足利義昭>織田信長だったわけで、この行為は
クーデターのように扱われたのでしょうか?
また、将軍不在とはいえ、秀吉の天下統一や江戸幕府成立までの間、
形式だけでも室町幕府が続いたという扱いにはならなかったのでしょうか?
さらに、当時は朝廷も幕府も権威だけの存在で実力はありませんでした
将軍義昭を追放したように、信長が正親町天皇を追放するようなことは
可能だったのでしょうか?
113日本@名無史さん:2014/12/17(水) 10:18:20.69
室町幕府が実質滅びたのは、堺公方じゃないか。
足利義昭は信長が伴って上洛したので過去の権力者が返り咲いたくらいにしか思えん
114日本@名無史さん:2014/12/17(水) 10:37:46.19
>>112
朝廷は実力がなくても立法・行政・司法を持つ
独立政権でしたからねえ…
公家という直属の部下を持っていたわけですし
形の上では将軍も大名も天皇の下ですし

足利義昭は京都を追放された時点で
独立した立法・行政・司法を持つ室町幕府を維持できていません
だから幾ら征夷大将軍のままでも室町幕府は終焉しています

諸説ありますが信長は親朝廷派ですよ
正親町天皇を追放する気でいたというのは根拠がないです
115日本@名無史さん:2014/12/17(水) 11:33:44.20
>>112が尋ねているのは、信長に正親町天皇を追放する気があったかどうかではなく、
追放するならばそれは可能だったか、なんじゃね?
で、可能か不可能かで言えば、やろうと思えば可能ではあったと思う
そうするメリットが何もない(デメリットはある)だけで
116日本@名無史さん:2014/12/17(水) 12:06:41.98
そりゃ武力で追い立てる事は出来るだろうが、それをやってデメリットが無いまたはデメリット以上のメリットがある
のが追放可能という事で、デメリットしか無いのに追放可能ではないだろう。
117日本@名無史さん:2014/12/17(水) 12:30:58.42
足利将軍は何度も都落ちしてるから、
信長がどうにかなっちゃえば、義昭がまた戻って来た可能性もある。
義昭が追放されたまさにそのとき、足利政権が終了したとは認識されてなかったんじゃないか。
義昭は、鞆の浦で将軍職を続けていたわけだしね。
118日本@名無史さん:2014/12/17(水) 16:00:34.12
信長は足利義昭を追放した時点で足利将軍家の御料所を取り上げている
足利義昭がまた誰かに担がれ復権して御料所を取り戻したらという仮定はあるにせよ
足利将軍が自分で自分の生活を賄えなくなっているのだから
この時点でいったん終わりだろ
119日本@名無史さん:2014/12/17(水) 17:29:23.17
源平合戦の両陣営の兵についてなのですが
平氏=朝廷の権力で徴兵された農民が中心
源氏=東国の武士が中心

だから、兵士は負けたと聞いたのですが、本当ですか?
120日本@名無史さん:2014/12/17(水) 17:55:53.06
お前らパチパチソロバン弾いてそうなイメージなw
121日本@名無史さん:2014/12/17(水) 18:36:10.51
>>119
違います。そもそも、いわゆる東国の武士というのは関東八平氏などの平氏だったりするし、
そんな単純な話ではありません。
122日本@名無史さん:2014/12/17(水) 21:34:48.91
>>112へのレス、ありがとうございました
朝廷、幕府ともに弱体化していたとはいえ、
それでもやはり、伝統的権威などが朝廷>>>幕府くらい差があり、
信長も幕府は滅ぼせても朝廷は滅ぼせなかった(デメリットが大きい)
という感じですかね
123日本@名無史さん:2014/12/17(水) 21:40:38.80
鎌倉幕府の場合は鎌倉(幕府)、京都(朝廷)と場所が離れている為
理解しやすいけど、室町幕府はどちらも京都であり、政庁も近距離でした
朝廷、幕府ともに統治機構(行政機構?)がある為、それぞれの役割分担
などがよく解りません
今風に言えば二重行政のように感じます
その辺はどういう風になっていたのでしょうか?
124日本@名無史さん:2014/12/17(水) 22:46:58.51
>>121
それはわかります。
平氏が徴兵された農民、いわば即席の兵士だったのに対して
源氏が東国の職業兵士だったのではないかということなのですが
どうなのでしょうか?
125日本@名無史さん:2014/12/17(水) 23:25:16.48
>>124
まず平氏対源氏という構図ではありません。平氏の中の清盛に連なる家系が栄達して
貴族化したのを平家と呼び、これに味方する者と敵対する諸勢力です。頼朝配下の東国武士が
関東八平氏であるように、どちらの配下も入り交じっています。
例えば斎藤実盛は藤原氏ですが、元々源義朝に従っていたのが保元の乱に敗れて
平家に付き、源義仲軍と戦って死にました。

どの勢力にしても武士ですから兵士はいわゆる家の子郎党です。平家が貴族化しても配下の
兵士は養ってます。
126日本@名無史さん:2014/12/17(水) 23:25:52.64
保元の乱じゃなくて平治の乱だった。
127日本@名無史さん:2014/12/17(水) 23:31:40.16
横合いからですがいわゆる源平合戦について私も質問があります
あの戦い、両者の勢力が拮抗していた割に決着が5年程度でしたが
理由はなにかあったのでしょうか?
128日本@名無史さん:2014/12/18(木) 00:04:38.50
決戦に持ち込んで源氏方が勝利したからでしょう
拮抗が崩れれば速いものです
129日本@名無史さん:2014/12/18(木) 12:53:55.32
>>123
室町時代には朝廷も幕府もそれぞれ別々の禁領(直轄地)を持っていたので
二重行政ではありません
公家の行政機関は朝廷ですし、武家の行政機関は幕府です
130日本@名無史さん:2014/12/18(木) 12:57:45.55
>>127
源氏棟梁や平家棟梁に絶対的な忠誠を尽くす何代にもわたる累代の郎党というのは
平安時代末期には徴兵してもせいぜい200人ほどで
それ以外の武の者があの時代の戦いを征していたということです
例えばこれらの者たちがどちらにつくかの判断材料として
朝廷の綸旨や院宣というのは非常に有効でしたから朝敵になれば弱いのです
131日本@名無史さん:2014/12/18(木) 21:07:03.26
>>129
ありがとうございます
朝廷の禁領と幕府の禁領で日本のほとんどの領地を占めてたのですか
それぞれの禁領の割り振りはどうなってたのでしょうか?
132日本@名無史さん:2014/12/18(木) 22:13:52.12
天領より年貢の取り立てが緩い大名藩ってあった?
133日本@名無史さん:2014/12/18(木) 23:39:10.80
尾張藩は天領が五公五民の時代も四公六民
134日本@名無史さん:2014/12/19(金) 02:07:48.58
>>133
> 五公五民
そんなに
今の北欧なみだけど、社会保障で返って来るわけでないから大変だ
135日本@名無史さん:2014/12/19(金) 05:18:23.90
>>134
ただし実質税率は、4公6民も5公5民も、だいたい収穫量の1〜2割程度
136日本@名無史さん:2014/12/19(金) 08:32:44.49
質問。なんで四国って栄えなかったんでしょうか?
ああいう島国なんだから。貿易とかいろいろ有利だったと思うし。
道路とか整えれば四国内の物流とか考えても
もっと栄えてていいと思うんですが。

ミニ日本みたいにできたんじゃないかな?九州は福岡がミニ東京みたいに
栄えてるのに四国はなんでなんでしょう?
137日本@名無史さん:2014/12/19(金) 08:47:42.56
普通に栄えてたよ。 
瀬戸内なんて昔は高速道路だしねぇ
138日本@名無史さん:2014/12/19(金) 09:00:01.82
135
収穫量の半分だよ
いわゆる金銭的な収入ってのはないからな
商売でもやってなければ
139日本@名無史さん:2014/12/19(金) 09:01:47.70
税率税率ってお前らが税に関する商売でもやってるわけないだろうに何いってんだ?
140日本@名無史さん:2014/12/19(金) 09:29:14.11
>>136
島国だから貿易に有利って、取引相手は何処なのよ?
中国や韓国は本州や九州の向こうだぞ。
国内で言うなら北前船とか大阪から瀬戸内を通って日本海を上って津軽まで行くけど、
四国は通り道でしかない。
141日本@名無史さん:2014/12/19(金) 09:31:26.62
言葉が足りなかった。通り道で終わるのは京・大阪と言った大消費地から遠いから。
142日本@名無史さん:2014/12/19(金) 12:07:36.93
近いし、瀬戸内の島々多くの文化財があるのが色々証拠だろうに
143日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:09:16.09
源頼家を殺害した北条時政は何故処罰を免れたのでしょうか?
144日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:13:17.82
談合というか共謀というか示し合わせたから
145日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:23:37.44
そんなのは明らかだろうがよw
源氏政権は坂東平氏の連合政権だぞ
頼朝といえど逆らえば殺されるわ
146日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:26:56.23
源氏一門が力を付けるのは鎌倉時代を通じて一門を増やしてからだから
もうちょっと待たなきゃね
室町時代はまだまだ雌伏の時代
147日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:39:44.14
間違えた
鎌倉時代はまだまだ雌伏の時代
148日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:41:08.62
間違えた
鎌倉時代はまだまだ雌伏の時代
149日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:51:28.22
>>146
源氏将軍は3代で絶えてるし

だいたい鎌倉幕府を滅ぼしたのは同族の足利・新田
150日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:56:29.49
だから鎌倉幕府は源氏政権じゃないと言ってるの
鎌倉初期は評定衆による連衝政権
151日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:58:58.46
それを言ったら朝廷も貴族による連衛政権
室町・徳川幕府も大名による連衛政権
152日本@名無史さん:2014/12/19(金) 16:59:14.92
牧氏の変で源実朝を殺害しようと失敗して追放されているだろ
頼家を殺害してお咎め無しは変でしょう
153日本@名無史さん:2014/12/19(金) 17:01:52.15
ふふんwww
154日本@名無史さん:2014/12/19(金) 19:21:00.73
あの曽我兄弟は何がしたかったの?
クーデター?
155日本@名無史さん:2014/12/19(金) 19:44:17.65
本人たちは就職したかったらしい。
156日本@名無史さん:2014/12/19(金) 22:24:09.44
富士からしてそれだから、鷹はもちろん、茄子までも広く考えれば就職活動みたいなもんだしな
面子もあるだろうけど、仇討ちについてまわる属性なんだろうね
157日本@名無史さん:2014/12/20(土) 11:00:09.87
源範頼とか鎌倉幕府初期は謎が多すぎるなあ。
頼家 実朝とかもなあ。

実朝なんて中国に逃げたがってたみたいだし。

後鳥羽上皇は実朝の敵討ちのために立ち上がったんじゃないかな?
158日本@名無史さん:2014/12/20(土) 11:06:03.79
>>110
わからんけど、菅は政治的に影響力があった期間が3年くらいしかなく、
いてもいなくてもあまり政治がかわらん

山県は明治大正の巨魁

嫌われるのもスケールが違う
159日本@名無史さん:2014/12/21(日) 17:49:07.75
確かにスケールが違う
山県有朋が政治家になって手にした資産は
兆単位だと思う
血なまぐさい噂も多いし
160日本@名無史さん:2014/12/21(日) 18:07:43.18
国民(臣民)と総理大臣、元勲の距離感が全然違うからな
嫌われると言っても比較のしようがないんじゃない?
161日本@名無史さん:2014/12/21(日) 19:02:36.10
>山県有朋が政治家になって手にした資産は兆単位だと思う
いやまぁ思うのは勝手だが、当時の日本の国家予算がいくらかぐらいかは考えようよ…
明治と今では貨幣価値も違うのに、多分顔を真っ赤にしながら、現在の紙幣価値でだとか言ってくるんだろうけどさ
162日本@名無史さん:2014/12/21(日) 19:56:04.52
いやまぁさすがに>>159は「現在の貨幣価値で」でしょ
163日本@名無史さん:2014/12/21(日) 21:39:08.25
なんの番組だったかは、失念してしまったんですが、
以前、何かのクイズ番組で
「伊達政宗は、関ヶ原で戦っている。イエスかノーか」という出題がありました。
私は、ノーだと思ったんですが、その番組では、イエスが正解だったのです。
テレビ番組の作り手ってバカなんでしょうか?
164日本@名無史さん:2014/12/21(日) 21:47:24.63
心は居たのさぁ
165日本@名無史さん:2014/12/21(日) 21:50:39.67
山県有朋は大物政治家ではあるけども、それは当時の状況があったからこそであり、
その当時に選挙制度があれば山県は当選することはなかったってことかな

何かの本で平安貴族の年収は現在の貨幣価値で数十億円って書いてあるのを
読んだことある
166日本@名無史さん:2014/12/21(日) 22:25:40.90
>>163
あなたが見た番組と同じ番組かどうかはわかりませんが、私が見た番組では、何人もの武将がパネルに
並べられ、その中に1人だけ関ヶ原の戦いに参加していない武将がいる、参加した武将を指名すれば
セーフ、参加していない1名を指名してしまうとドボン、という形式のクイズでした
で、その番組の場合、真田幸村、伊達政宗など、関ヶ原の戦場には来ていない武将も何人かいましたが
それらは参加した扱い
ドボンになる参加してない武将は前田利家でした(関ヶ原の時点では死んでいるので)
まあ、その番組では、関ヶ原の戦場に出ていなくても、同時期に日本各地で徳川派・反徳川派に分かれて
戦っていた武将は関ヶ原に参加していたという扱いだったようです
ただ、それを「関ヶ原の戦いに参加していた」というのは、設問としては悪問だと思います
167日本@名無史さん:2014/12/21(日) 22:45:53.70
平城京の建物など、復元された奈良時代の建物がありますが、
これらの外見は、何を根拠に復元されたのでしょうか?

絵が残っているのか、文章からの想像なのか気になります。
168日本@名無史さん:2014/12/21(日) 23:12:18.45
>>166
それだ。
だよね。おかしいよね。
恐らくQさまだと思うけど、ほんと、子どもの教育に悪いわ。
テレビ局というでっかい組織なのに誰も指摘しなかったのかなぁ‥
やっぱテレビ局って縁故採用だったり、やる気重視でバカばかり採用するから、誰も気付かなかったのかなぁ
169日本@名無史さん:2014/12/21(日) 23:23:46.89
悪問だけど、
選択問題で選択肢に前田利家があるならまあ・・・
170日本@名無史さん:2014/12/21(日) 23:34:26.09
いわゆる引掛け問題じゃないのか
>>166見ただけで、伊達も参加してた扱いなら九州や上田組みたいな参加してた扱いかと思ったぞ
171日本@名無史さん:2014/12/21(日) 23:45:38.91
まあ一般的には関ヶ原と言えばそれこそ関ヶ原なのかもしれないけど、
歴史的に「関が原の戦い」と言えば一応は関ヶ原をメインとした東西の戦いの総称という意味合いあるからさ
172日本@名無史さん:2014/12/22(月) 00:55:05.36
関が原や大阪の陣はいじわるな引掛け問題もTVで出せるくらいには一般教養なんだろ
大河やゲームのお陰で裾野が広いんだろ
いいなぁ
173日本@名無史さん:2014/12/22(月) 03:34:26.53
>>165
現代に居たとしても
絶対に国民には好かれんだろうな
174日本@名無史さん:2014/12/22(月) 10:22:54.47
147x年当時、斯波xxが西軍東軍どちらに組してたでしょうか?は一般教養になるのか
175日本@名無史さん:2014/12/22(月) 12:03:45.99
問題,黒田官兵衛は関ヶ原の戦いで東軍西軍のどちらでしょうか?

A.東軍
B.関ヶ原の戦いに参加していないので東軍西軍どちらでもない
C.問題が悪い
176日本@名無史さん:2014/12/22(月) 12:05:15.99
D.関ヶ原の西にいたから西軍
177日本@名無史さん:2014/12/22(月) 12:43:09.37
>>175
如水は終始家康の指示を受けて動いているんだが?小説を真に受けちゃったかな?
178日本@名無史さん:2014/12/22(月) 13:43:03.91
歴史オタが出題レベルを間違って一般に出してしまった問題に、自称歴史好きが「子供の教育にー」と怒ってるようにみえる
179日本@名無史さん:2014/12/22(月) 14:21:47.22
山県有朋ってあれだけの大物政治家なのに何故あんなに人気がなかったのですか?
普通、あそこまで大物であれば功罪ともにあったはずであり、罪だけでは
なかったはず
日本史上の人物でここまで人気ない大人物って珍しくないですか?
英雄性がないのはわかるけど、堅実な政治家とかもっと評価の仕方はあるはず
だっていろんな本や媒体で「国民の人気がなかった」って書いてあるし
180日本@名無史さん:2014/12/22(月) 14:45:41.90
大久保利通にはまける
181日本@名無史さん:2014/12/22(月) 14:52:01.01
>>179
政党とそれを支援するマスコミを敵にしたから。マスコミ以外からはちゃんと評価されてた。
というか評価されてないとあんな権力は持てない。

マスコミの言うことをまともに信じちゃいけないのは今も昔も変わらん。
182日本@名無史さん:2014/12/22(月) 14:55:44.03
汚職政治屋だからね
岩倉外遊団の留守中に西郷に拾われたのに、
西南戦争では西郷を攻撃した
183日本@名無史さん:2014/12/22(月) 14:57:14.36
>>182
政党のほうがよほど腐敗してるんだよなあ…

つか山県に汚職政治家のイメージ作ったのも明治大正のマスコミな。
184日本@名無史さん:2014/12/22(月) 14:59:41.75
いまだ理解できない応仁文明の乱が一般化するような漫画ゲーム小説を待望しているのですがまだですか
大河はちとまだ無理そう
185日本@名無史さん:2014/12/22(月) 15:14:22.15
真面目に政治をやっていたら、
椿山荘が手に入った山縣さん
186日本@名無史さん:2014/12/22(月) 15:37:16.15
椿山荘なんてほんの一部だぞ
187日本@名無史さん:2014/12/22(月) 15:42:06.33
>>180
大久保さんも実績の割りに人気はなさそうだけど、少なくとも大久保さんを
紹介する記事なんかで「人気がなかった」って書いてあるのを読んだ記憶がない
>>181
でももう長い時間が経ったんだし、本当は評価されてたんなら再評価の機運が
あってもおかしくないような・・徳川綱吉でも再評価の流れがきてるんだし
>>182>>183
確かに汚職政治家ってイメージはある
正しいのかどうかは分からないけど

信長でも大久保でも田沼でも角栄でも、暴君や冷徹、賄賂、金権政治っていう批判は
書かれるけど、「国民(領民)の人気がなかった」なんて書かれないやん
だけど、山県有朋はそれを書かれている
188日本@名無史さん:2014/12/22(月) 16:50:08.69
>>184
>大河はちとまだ無理そう

つ 花の乱(1994年NHK大河ドラマ)
189日本@名無史さん:2014/12/22(月) 17:24:47.27
>>187
> 信長でも大久保でも田沼でも角栄でも、暴君や冷徹、賄賂、金権政治っていう批判は
> 書かれるけど、「国民(領民)の人気がなかった」なんて書かれないやん
> だけど、山県有朋はそれを書かれている

少なくとも大久保や田沼は「人気がなかった」って普通に書かれてるだろ
190日本@名無史さん:2014/12/22(月) 18:19:23.27
>>187
キャラクターというものがある

人気は
 秀吉>家康(長い間)
 角栄>福田赳
 長嶋≧王

そして
 大隈>>>山県

陽気で豪快なキャラクターはいつだって人気ある
陰気だったり、ケチだったり、慎重だと人気出ないことがおおい



それから大久保は人気なかったよ
191日本@名無史さん:2014/12/22(月) 18:21:44.64
議会政治以前の政治家にとって人気のありなしは意味ないだろう
192日本@名無史さん:2014/12/22(月) 18:27:03.51
いや、
平家が追討がはじまる時、
義仲が都を追われる時、
鎌倉幕府が滅びる時、
尊氏が本州に戻ってくる時、
秀吉が天下を取る時、・・・

なんだかんだで人気は大事だったんじゃね?

もちろん人気ないやつが天下をとることもあるが。
193日本@名無史さん:2014/12/22(月) 18:35:50.70
たまーに前近代についての出来事でも
「○○は人気があったので・・・」
「××は人気がなかったので・・・」
みたいな記述が見られるな

どの層への人気なんだかもよくわからんが、実際はどうなんだろう
194日本@名無史さん:2014/12/22(月) 18:55:47.45
島津久光や明治天皇を担ぎ出したから,本人の人気は意味ないだろう
195日本@名無史さん:2014/12/22(月) 19:02:50.91
ま、西郷隆盛が死んで自身が前面に出た途端殺されちゃうんだよね、この人
196日本@名無史さん:2014/12/22(月) 20:09:24.29
西郷隆盛はなにを考えて西南戦争起こしたの?
西郷にとってどうなってたら成功だったんだろう?
197日本@名無史さん:2014/12/22(月) 20:19:43.60
>>196
そもそも西南戦争を主導したのは西郷ではなく桐野利秋ら過激派。西郷はそれに無責任に乗っかったにすぎん。
198日本@名無史さん:2014/12/22(月) 20:20:06.91
伊藤博文暗殺の真犯人なんじゃないのー
199日本@名無史さん:2014/12/22(月) 20:55:54.57
けど西郷が征韓論で下野してから隠遁生活してたのは政略だったんじゃないのかな?
本当に政界引退したつもりだったんだろうか?なにがしたかったんだろ。
200日本@名無史さん:2014/12/22(月) 21:03:19.97
>>188
いや、花の乱や平清盛などの身内争いのややこしい大河が受けないからまだムリだろうと思ったんだ
201日本@名無史さん:2014/12/22(月) 21:07:05.60
清盛は単純にドラマが下手糞だった
あれがもっとしっかりしてたらプチブームもきたかもな
202日本@名無史さん:2014/12/22(月) 21:53:40.17
>>199
私学校を作って不平士族の暴発を押さえようとしていたが、暴発してしまったので
滅ぶに任せて最後に全責任を負って死んだ。
203日本@名無史さん:2014/12/22(月) 22:08:48.89
>>202
責任全然負ってねえ。薩摩軍が殆ど殲滅されて戦えなくなって勝手に切腹しただけじゃないか。
しかも自分は政府軍に投降する交渉までしてたんだぞ。政府軍から拒絶されてやむなく切腹。
無責任にもほどがあるわ
204もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/22(月) 22:50:47.62
>>184
NHKの歴史番組で何度もやってるが、何度見ても理解できん。
複雑過ぎるし、個人の性格に負う面もありそうだ。
ゲームにしたら、データが膨大なものになるね。
ネットゲームでもいいが。
205日本@名無史さん:2014/12/23(火) 00:42:05.57
山県有朋の業績って何?
何もないよね
206日本@名無史さん:2014/12/23(火) 02:03:40.88
>>190
秀吉>家康 だけどうにも納得できん
事跡だけみれば秀吉の晩年は明らかに暴君、家康は一応最期までハメ外さなかったろ
207日本@名無史さん:2014/12/23(火) 09:07:30.19
秀吉晩年の暴虐も信長時代の大虐殺に比べれば全然おとなしいし。
208日本@名無史さん:2014/12/23(火) 09:35:12.80
信長は具体的にどんな虐殺を?
僧兵を焼き殺したとかはやめてよね
209日本@名無史さん:2014/12/23(火) 09:46:11.92
長島の一揆勢皆殺しとかだろ
スレ的に、どうでもいい話題だな
210日本@名無史さん:2014/12/23(火) 09:53:41.60
>>208
伝承でも数多く伝わっているが確実な物証があるものとしては
雑賀城跡や三木城周辺で夥しい数の虐殺された人骨が発掘されている。
211日本@名無史さん:2014/12/23(火) 10:01:10.38
>>210
ナイスジョーク!
雑賀城も三木城も秀吉が攻めた城だね
212日本@名無史さん:2014/12/23(火) 10:08:59.82
>>211
どちらも信長の時代だし。
スレチだし続ける気ないけど
脊髄反射する前にきちんと調べてみたら?
213日本@名無史さん:2014/12/23(火) 10:11:11.98
三木の干殺しも知らないのか……
214日本@名無史さん:2014/12/23(火) 15:13:46.95
信長が革命的な存在だとか反対に悪逆非道だとか言ってる人は、歴史を知らない人よね
単に仕事熱心で有能だっただけなのに
215日本@名無史さん:2014/12/23(火) 17:11:40.57
立身出世といえば、貧農(足軽?)から天下人にまで登り詰めた秀吉が一番だろうけど、
2位は誰が妥当?
貧民小卒から金持ち土建屋&内閣総理大臣まで登り詰めた田中角栄かな?
田中角栄の場合、単に総理大臣になっただけじゃなく、存在感やネームバリューの
高い総理大臣だからね
216日本@名無史さん:2014/12/23(火) 17:32:25.34
2位は秀吉の弟の秀長。
217日本@名無史さん:2014/12/23(火) 18:01:28.59
八百屋の娘から将軍の母になって、天下に犬を殺すな、生き物殺すなと間接的に
命じることができた桂昌院じゃね
218日本@名無史さん:2014/12/23(火) 19:06:00.26
江戸時代以前の蝦夷地や北東北の国司や御家人や大名は
どんな防寒防雪策を行っていたの?
219日本@名無史さん:2014/12/23(火) 19:11:10.34
>>218
厚着をする、いろりや火鉢の火にあたる、屋根の雪下ろしをする
220日本@名無史さん:2014/12/23(火) 23:44:32.36
逆転劇という意味では頼朝もすごいな。
殺されなかっただけの流浪の立場からだし。
221日本@名無史さん:2014/12/23(火) 23:50:29.80
後醍醐天皇,徳川家康,西郷隆盛もそうだ
222日本@名無史さん:2014/12/23(火) 23:54:18.50
家康は本当にヤバイ時期なんて殆どなかったんじゃね?
せいぜいが三河一向一揆くらい
彼は運に恵まれて順調に勢力を伸ばしていって、その結果天下を手中にできた印象
223日本@名無史さん:2014/12/23(火) 23:59:31.85
>>220
あれは、北条氏の太公望ぶりを加味して評価しないと。
224日本@名無史さん:2014/12/24(水) 00:10:16.02
北条氏がやったのは太公望なんて綺麗なモンじゃねえ
呂不韋に喩えるのが妥当
225日本@名無史さん:2014/12/24(水) 00:22:41.11
>>222
織田に人質に取られ、母親が助命願ったのはフィクション?
226日本@名無史さん:2014/12/24(水) 00:27:51.97
大事な人質を簡単に殺しては人質の意味が無いだろう。
227日本@名無史さん:2014/12/24(水) 00:50:34.69
>>222
家康が一番危なかったのは、三方ヶ原の戦いの直後だろう
もしも空城の計が効かずに信玄が浜松城を攻めてたらかなりヤバかった
228日本@名無史さん:2014/12/24(水) 00:50:49.10
>>222
うんこなんかもらさなかったと。
229日本@名無史さん:2014/12/24(水) 00:58:48.07
本能寺の変の後もちょっとやばい
うんこ漏らして逃げ回ったからこそ
その後がんばった
230日本@名無史さん:2014/12/24(水) 01:04:25.16
>>227-229
浜松城の空城計や神君伊賀越えは一級資料の裏付けがなく、信じている歴史学者は殆どいないよ
後世の創作で脚色されてるものをそのまま信じるのは阿呆

その時期が家康の危機であったことは否定しないけど、仮にそうだったとしても、三河一向一揆と違って一過性の危機にすぎない
231日本@名無史さん:2014/12/24(水) 01:38:59.86
>>230
ごめん。ウィキぺで調べたらうんこも一次資料無いっぽい。
232日本@名無史さん:2014/12/24(水) 02:09:48.19
伊賀越えの時に堺で一緒だった穴山梅雪は土民に討たれてるのに
家康は安全だったというのか?
233日本@名無史さん:2014/12/24(水) 02:25:05.84
日本語が読めない人間が歴史を語るのは如何なものか
234日本@名無史さん:2014/12/24(水) 02:31:02.83
ヘロドトスdisるのか?
235日本@名無史さん:2014/12/24(水) 08:52:55.58
>>232
梅雪は直前まで共に行動していた家康が殺した説が濃厚
梅雪が死に、梅雪の一人息子も夭折したおかげで家康は
自分の息子を武田の養子に押し付け武田家乗っ取りができた
236日本@名無史さん:2014/12/24(水) 09:20:36.81
結果を知ってるから、なんとでも書ける、
最強ですね
237日本@名無史さん:2014/12/24(水) 09:47:15.41
穴山は、家康の身代わり、説のほうが説得力はありそだけどね。
238日本@名無史さん:2014/12/24(水) 11:31:40.46
>>231
うんこ漏らしたのは一言坂の戦いだそうだ

6 :風吹けば名無し@転載禁止:2014/04/11(金) 16:51:44.91 ID:dW6EyI2l
これに従って『改正三河後風土記』の13巻、「遠州一言坂軍の事」を読んでみると、
次のように記述されている。

原書に大久保忠佐神君浜松へ御帰城の時、其御馬の鞍壺に糞があるべきぞ、
糞をたれ逃給ひたりと罵りたるよしをしるす。此日御出馬なければ逃給ふ事あるべきにあらず。
是等皆妄説なる故に削り去りぬ。

(原書(三河後風土記)には、家康公が浜松に帰って来た時に大久保忠佐が
「馬の鞍壺に糞があるぞ。殿は糞を漏らして逃げてきなさったのか」と罵った話を記している。
しかし、この日には家康公の御出馬はなかったので、お逃げなさるようなことはなかったはずだ。
これらは全て馬鹿げた話なので、削っておく。)
239日本@名無史さん:2014/12/24(水) 12:43:04.70
>>216
秀長って秀吉の出世に連動して出世したわけじゃなく、秀吉と関係なく個人の裁量で
出世したの?それなら凄いね
>>217
そういうのは一考の価値ありかも
>>220->>221
そのメンバーは確かに凄いメンバーだけど、生まれた時の身分が
皇族や武士なんで、当時の特権階級だからね
秀吉や角栄よりも圧倒的に有利じゃない?
240日本@名無史さん:2014/12/24(水) 13:15:46.24
そういうアンケート的なもんは質問カテじゃないだろ
241日本@名無史さん:2014/12/24(水) 17:10:43.97
大藩の家老ともなると、1万石、2万石と小さな藩並みになるようですね。
ところで、家老の家臣はその家の家人ですから、
士分とはいえ一般の藩士より低い身分に甘んじていたのでしょうが、
足軽身分と比べても低いのですか?
242日本@名無史さん:2014/12/24(水) 17:16:33.56
ほ〜
243日本@名無史さん:2014/12/24(水) 21:18:15.52
>>241
陪臣でも武士身分は武士
足軽は正式には武士ではない
244もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/24(水) 21:32:33.38
>>243
秩禄処分の時それで揉めたんだが、二藩については常勤の実態があるとして足軽も武士とされてる。
普通の藩は、参勤交代時だけ臨時で雇ってたの。
細川、伊達は自前で雇ってた。
245日本@名無史さん:2014/12/24(水) 22:15:44.56
家老は馬上の資格があるわけですが、
大藩の1万石、2万石以上の家老の家臣は馬上の資格はあるのでしょうか?
もし、戦ともなれば、万石以上の家臣団ともなればそれなりの数の兵団になるわけですから、
その中で家老だけが馬に乗り、それ以外は徒歩で戦うということもないでしょうし。
もし家老の家臣に馬上の資格があるとするならば、
徒士ではあっても藩士(直臣)である者との身分関係はどのようになるのでしょうか?
246日本@名無史さん:2014/12/24(水) 22:24:39.71
>>245
基本的には、家老などの大身に付いている者の大半は与力として藩主から付けられている藩士。
会社でどの部署についていても基本的に同じ会社の社員なのと一緒。
大身の藩士直属の家来は私的な使用人にすぎない。
247日本@名無史さん:2014/12/24(水) 22:35:26.06
質問。昔の探偵小説を読んでたら(どうも昭和32年頃らしい)

主人公が義経の遺跡を探してシベリアに行きたいけど行けない

みたいなくだりがあったんですけど。当時シベリアって行けない場所だったんですか?
248もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/24(水) 22:51:09.18
ソ連がまだあった時代で、軍事基地もいっぱいありましたから。
249日本@名無史さん:2014/12/24(水) 23:00:14.13
>>246
大身の藩士直属の家来は私的な使用人にすぎない

ということですが、
その使用人も藩主からみれば陪臣ながら士分なのではないのですか?
250日本@名無史さん:2014/12/25(木) 18:53:44.39
私的な使用人なんだから
料理番とか掃除婦とか、馬の世話係とかそういうのじゃないの。
わざわざ士分じゃなくてもできる用向きに雇う人員。
251もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/25(木) 19:01:46.89
御庭番?
料理に毒入れてもいいの?
馬廻り役って分かる?
252日本@名無史さん:2014/12/25(木) 19:54:35.16
室町時代中後期の一番皇室が衰退した時期に力のある勢力が皇室を廃そうとしても、
それでもやはり上手くいかなかった可能性が高いですかね?
253日本@名無史さん:2014/12/25(木) 20:04:59.96
そもそも皇室を滅ぼすメリットが全くない
254日本@名無史さん:2014/12/25(木) 22:02:50.12
メリットがないというのは、皇室=権威の正当性だから?
255日本@名無史さん:2014/12/25(木) 22:24:37.40
朝廷に手を出したらそれこそ敵対してる連中にいい大義名分を与えるだけじゃん。
256日本@名無史さん:2014/12/25(木) 22:33:05.89
逆に室町中期の時点で皇室を廃絶することにどんなメリットがあるのか知りたい。
257日本@名無史さん:2014/12/25(木) 22:34:26.18
>>250
1万石、2万石、3万石という大身の家老の家来に、
料理人やら掃除婦やら馬の世話係のような小者だけということはなかろう。
1万石の大名なら藩士だけでも基準値ながら200人はいたんだから、
家老といえどもそれなりの家臣にを抱えてたんじゃないか?
258日本@名無史さん:2014/12/25(木) 22:41:24.00
>>257
時期にもよるけど江戸中期くらいまでには殆どの藩で、領地の管理は藩から出す代官が行い俸禄だけ受けとる
俸禄制に移行してるぞ
259日本@名無史さん:2014/12/25(木) 23:05:46.67
>>255
その文章の朝廷を幕府に変えても文意は通りますよね
しかし、現実には過去に何度か倒幕は起こった
朝廷打倒は過去にたった一度も起こらなかった
この違いは何か?この違いをどう解釈したらいいか?
260日本@名無史さん:2014/12/25(木) 23:12:01.77
朝廷打倒は蘇我と平家で起きてるな
あと昭和も危機だった
261日本@名無史さん:2014/12/25(木) 23:14:41.83
>>259
将軍は天皇が任命するから天皇を取り込めば幕府は倒せるけど天皇は誰にも任命されないから倒しようがない。以上
262日本@名無史さん:2014/12/25(木) 23:42:55.46
そういや女の天皇はいるけど女の将軍は出なかったな。
比較的男女平等に近い鎌倉時代でも女御家人は殆どいなかった
263日本@名無史さん:2014/12/25(木) 23:56:08.62
男は原始時代から外で狩りをしていたからな
女は住居近くで採取と子育てだし
遠征が多い戦争に女は不向き
264日本@名無史さん:2014/12/25(木) 23:59:43.17
>>261
理屈上は解るけど、下克上だとか戦国乱世だとかで、そういう理屈が
通じなくなった時代も長かったわけやん
しかも、皇室も衰退して経済力もない、発言力もないって時代が長かった
逆に日の出の勢いの新興勢力はあったわけで、皇室や朝廷を利用するって
方法もあるし、皇室や朝廷を倒して自分が新しい権威&権力の存在に
なるって方法もあったはず
しかし、諸外国では見られる後者の例が日本では見られなかった
この理由は皇室の特異性にあるのか、日本人の国民性にあるのか
265日本@名無史さん:2014/12/26(金) 00:02:51.15
>>264
横だが
ヨーロッパでも教皇は消滅してないよ
つまり天皇は
軍事力以外に生き残り策を見つけたってことでね
266日本@名無史さん:2014/12/26(金) 00:19:43.95
>>264
天皇に発言力もない,と書いてるじゃん。つまり人畜無害
しかし,将軍には生殺与奪の権があった。

足利将軍も織田に叛旗を翻さなければ,徳川幕府も長州に攻め入らなければ,
滅びなかったでしょう

天皇が誰かと敵対しましたか?
267日本@名無史さん:2014/12/26(金) 00:35:23.18
>>265
宗教上の存在という側面があるのは理解しているつもり
理由のひとつだとは思う
>>266
途中から人畜無害になっていったことで生き残ったというのも理由のひとつ
だとは思う
>>足利将軍も織田に叛旗を翻さなければ,
本当にそうなんだろうか?
>>徳川幕府も長州に攻め入らなければ
大政奉還したけど、幕府も将軍職も無くされた
>>天皇が誰かと敵対しましたか?
朝廷として鎌倉幕府とは敵対したね

一応言っとくけど、歴史上の関心テーマなので聞いてるんであって、
反皇室ってわけじゃなくむしろ尊皇派

よく言われるけど、日本でここまで長く皇室が続いてきたのは
大テーマだと思う
268日本@名無史さん:2014/12/26(金) 01:02:25.16
人種が違いますんでね。人種が。


日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人
269日本@名無史さん:2014/12/26(金) 02:44:14.69
>>267
日本の場合、権力に正当性を与える存在が朝廷だった、ってのが大きいと思う
蘇我氏も、藤原氏の摂政関白も、平家も、幕府も、朝廷に認められることによって権力に正当性を得た
逆に言えば、朝廷に認められない存在は、いかに武力があってもそれは正当な権力ではなかった
朝廷から正当とみなされない権力者は、すなわち、日本中ほとんどすべての人びとから正当な権力者と
見てもらえなかった
万人から正当性を認められない政権は、長続きするものではない
これが中国だったら、朝廷に徳がなくなればより徳のあるものが禅譲や放伐で新王朝を建てる、という
思想があるが、日本は万世一系がタテマエで、そういう理屈が通用しない
その万世一系の朝廷自体を潰してしまったら、自分の正当性を認めてくれるものがどこにもいなくなって
しまう
だから、どれほど権勢を誇る権力者でも、自分に都合のいい傀儡的な天皇を建てることはあっても、
王朝そのものを倒すわけにはいかなかった
270日本@名無史さん:2014/12/26(金) 03:03:00.90
>>266
結構してる
後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒そうとし負けた
天皇じゃなかったら確実に処刑されてた
271日本@名無史さん:2014/12/26(金) 09:49:26.49
>>270
室町以降の話じゃなかった?

それはそれとして,その時期は朝廷が大覚寺統と持明院統で分裂していた
実力者の北条得宗氏は執権?であり,その上にまだ将軍がいた
将軍にもなれなかったのに天皇になれるわけない
272日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:01:02.75
>>269
言いたいことはわかるし、実際にそれらは皇室が長く続いた大きな理由だとは思う
しかし、そこまで「権力の正当性を与える権威的存在」であるならば、
ある程度の経済力、発言力、権力を一定水準で維持されるべきだと思うんだけど、
天皇が亡くなっても葬式を挙げられないとか、皇居の建物や塀がボロボロになっても
改修できないとか・・何故なんだろうか?
そして天皇を頂点とする価値体系を伝統的権威とするならば、そういう伝統を根本から
覆そうと考える新興勢力が出てきても不思議ではなかったと思うんだよね
信長が室町幕府副将軍の座を断ったのは、幕府という権力に取り込まれたらそれ以上の
存在になれないからと言われている
天皇に認められての権力者であれば、序列として天皇を超えられない
だから天皇を廃して自分が新秩序のトップに立つと考える奴が少しは
出てきそうなもんだけど出なかった
273日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:03:55.48
>>266
>>しかし,将軍には生殺与奪の権があった。

実権のある将軍にはあるだろうけど、弱体化、形骸化した将軍に
そんな権力が残ってたのか疑問
274日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:29:43.66
>>272
経済力、発言力、権力を一定水準で維持できるのは
世が平穏で豊かである場合のみだろう

日本国中が戦乱で苦しんでいるのに天皇だけは
ずっと一定水準の生活を維持できると言うのはおかしい
今だって日本は先進国で豊かだから天皇制維持のために
国庫から億の支出も打倒と認められているが貧困国ならばこれは無理
275日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:35:12.97
>>272
その伝統的権威も無かったから
時の実力者から放置プレイされるほど無価値だった。

徳川幕府は4代以降京にすら上らず,勅使を江戸に呼び寄せ下座に着かせるほど敬意も持っていなかった
支那では形の上で皇帝を敬わなければならず朝議等欠かせぬ行事があったから
276日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:36:30.74
同一人物かどうかわからんが質問スレには皇室に対して異常に執着する奴が粘着してる

博士スレでは自演、成り済ましとキチガイとしか思えない行為を連発してた
277日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:40:27.33
>>274
天皇だって何度も夜逃げしてるし
江戸時代は内職してたぞ
278日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:46:35.68
天皇が残った一番の理由は
武士はもともと朝廷の兵隊であり天皇が任命していたからだろう
武力で台頭するには武士になるしかなく
武士で出世するには天皇の任命が必要だった

中国の場合は力があれば誰でも皇帝になれた
ヨーロッパの場合は血統が重要視されたが王が沢山いた
279日本@名無史さん:2014/12/26(金) 12:57:27.89
>>277
それは天皇を軟禁して自分の思い通りにしようとする勢力がいたためで
天皇に何の権限もなければそんなことをする必要がない

あと天皇が内職って何?
280日本@名無史さん:2014/12/26(金) 13:00:20.33
>>275
幕府が都にあった足利将軍はともかく鎌倉幕府将軍もいちいち将軍任命の際に上洛しなかったし
江戸幕府初代〜3代が将軍任命のために上洛したのはことさらに朝廷に忠義を尽くした表れだろう

それに勅使は江戸幕府将軍よりも官位が下
勘違いしているようだが将軍が天皇を自分の下座に座らせたことは一度もない
281日本@名無史さん:2014/12/26(金) 13:34:50.90
>>280
天皇の代理である勅使は家来扱いしたがね。そもそも禁中並公家諸法度のようなものを出している時点で
どちらが立場が上なのかという教科書レベルの事実を無視しているようでは皇国史観は馬鹿だ
と宣伝しているようなものだ。
282日本@名無史さん:2014/12/26(金) 13:40:02.99
しかしまあ、紆余曲折を経たとはいえ、国家の始まりから平成の現代まで
途切れることなく続いてきた歴史的事実には畏敬の念を覚えるわ

島国で他民族の侵入がほとんどなかったことと、途中から政治の矢面に
立たなくなったことがずっと続いてこれた大きな理由だと思う
283日本@名無史さん:2014/12/26(金) 13:48:09.05
>>281
禁中並公家諸法度は幕府の押し付けではなく、むしろ朝廷側が積極的に作成に関わっていたことが今は解ってる
284日本@名無史さん:2014/12/26(金) 14:03:27.26
禁裏とか禁中って言葉が朝廷関係で使われるけど、その時の「禁」は
どういう意味合いですか?
285日本@名無史さん:2014/12/26(金) 15:15:50.53
>>272
>そういう伝統を根本から
>覆そうと考える新興勢力が出てきても不思議ではなかったと思うんだよね

高師直は、天皇なんてものが必要なら木か金で作ればいいと放言していたから
ありえないことではなかった
ただ、当時の北朝側の武家のトップである足利尊氏はそうは考えなかったし、
しなかった(南朝側の北畠はなおさらだ)
286日本@名無史さん:2014/12/26(金) 15:23:13.14
行政機構と統治機構はイコールではないですよね
行政機構はイメージしやすいけど、統治機構は難しいです
各時代における統治機構とは具体的には何を指すのですか?
287日本@名無史さん:2014/12/26(金) 15:31:16.84
>>284
きんたま
288日本@名無史さん:2014/12/26(金) 16:38:41.47
>>284
何人もみだりに中へ入ることを禁じられた建物を指す
転じて高貴な人が住む場所(皇居)や高貴な人そのもの(天皇)
289日本@名無史さん:2014/12/26(金) 18:25:41.66
今でこそ世界最古の王朝とか世界に例のない万世一系とか、
皇室の希少価値が知られているけど、これらのことが広く
国民に知られたのは明治以降ですよね
平安時代や鎌倉時代、室町時代の庶民なんかは皇室のことを
どれくらい知っていて、どういう風に思っていたのだろう?
290日本@名無史さん:2014/12/26(金) 19:13:10.94
>>289
江戸時代には既に「万世一系」の認識は広がっていた。国学の影響。
291日本@名無史さん:2014/12/26(金) 21:23:08.39
天子様というから、見たら目が潰れるくらい何だか尊い方と思ってたんじゃないの
292日本@名無史さん:2014/12/26(金) 21:57:38.51
>>249
土御門天皇 金が無くて葬儀もできず遺骸が40日も放置された
後奈良天皇 もはや底辺で内職してた、しかし清廉潔白だった
293日本@名無史さん:2014/12/26(金) 22:17:50.12
江戸期には既に「将軍より天皇のほうが偉い」は常識だった。
294日本@名無史さん:2014/12/27(土) 00:02:55.12
江戸時代の東日本は
天皇?誰それ状態
295日本@名無史さん:2014/12/27(土) 00:04:22.80
>>294
んなわけねーだろ。当時の百姓の日記とかで天皇や朝廷に関する知識が深化していたことはもうとっくに調査済みだっての。
適当な事言ってんじゃねえ
296日本@名無史さん:2014/12/27(土) 00:12:10.47
>>295
当時の百姓は天皇が崩御しても知らないぞ
297日本@名無史さん:2014/12/27(土) 00:14:03.52
江戸時代の天皇なんて金がなくて寺に埋葬されてる
298日本@名無史さん:2014/12/27(土) 01:09:26.06
>>296
はい、それを証明する史料を出してください薄ら馬鹿
299日本@名無史さん:2014/12/27(土) 01:11:18.08
まあ江戸期でも天皇が崩御したら全国で喪に服すよう求められたから、よほど世間と交流のない人間以外は
普通に知るわな。
300日本@名無史さん:2014/12/27(土) 01:41:01.41
江戸時代以前はちんこやまんこむき出しで町内を歩いてもOKだったの?
301日本@名無史さん:2014/12/27(土) 06:22:52.09
>>297
仏式になったからだ
302日本@名無史さん:2014/12/27(土) 06:24:46.58
小学生がこんな遲くまで起きて書き込んでちゃ駄目だぞ
303質問者:2014/12/27(土) 13:02:52.06
宮城県の山中に大坂の陣で敗れて落ちてきた人たちの集落があります。
仙台真田氏とかありますし、伊達家が一定数の敗残者達を手引きして自領内に隠した事等はありますか?
江戸時代の事ですから、大坂の陣で敗けた人達は故郷には帰ると捕縛されると思うので、あちらこちらに逃れたとは思うのですが、宮城の山中は遠すぎなので
伊達家が手引きしたのかと思いました。
304日本@名無史さん:2014/12/27(土) 14:58:21.13
遠すぎって言うけど関ヶ原から落ち延びた宇喜多秀家は島津領まで逃げてるよ。
島津は存亡の危機にあったから宇喜田の逃亡を助けてる場合ではなかったけど、
来ちゃったから匿ってやった。手引きはしなかったろう。

仙台真田氏は真田信繁(幸村)の次男守信を伊達家の重臣片倉重長が匿った。
重長は信繁の娘の阿梅も助けて、後に継室(後妻)として迎えているから他にも
手引きしてるかもね。
305日本@名無史さん:2014/12/27(土) 22:23:44.41
逃げるのも関所とかあるでしょうし戦後ですから警戒も強いでしょうし、そんな中で薩摩まで逃げるとは凄いですね。
宮城の山中は集落として定住しているので、伊達が組織としてバックアップしたのかなって。
その集落から山を上がると地尻という人が住んでる地の最終地域みたいな小字があって平家の落人集落があります。
306305:2014/12/27(土) 22:25:55.86
江戸初期には戸籍も作られていると思うので、逃げてきた人が集落単位でこそっと住み着くのは難しいと思うのですがどうでしょう?
307日本@名無史さん:2014/12/28(日) 01:28:25.95
戸籍って幕府が一元管理してるんじゃなくて
各寺が作ってたんじゃなかったっけ?
308日本@名無史さん:2014/12/28(日) 01:48:28.62
過去帳と勘違いしてる?
309日本@名無史さん:2014/12/28(日) 01:54:49.44
戸籍にしろ人別帳にしろ、それを管理する勢力の保護下に居ると意味合いぐらいにしか無いよ
江戸時代にしろ幕府保護下(支配下)以外の人々は居た
310日本@名無史さん:2014/12/28(日) 02:07:56.09
フビライのちんぽはでかかったの?
311日本@名無史さん:2014/12/28(日) 02:30:54.04
寺請制度の事だろう。
312日本@名無史さん:2014/12/28(日) 04:22:41.64
古代の戸籍は早くに廃れてしまっていた。
寺請けにしても人別帳にしても江戸初期と言えば制度がまだ整備されてない時期ではないか。
領主としては住みついているのを発見すれば検地をして年貢を取るくらいだろう。
時代が降ると人別帳もなかなか精緻なものもできてきて、長州のそれは近代戸籍の雛形ともなったが。
313日本@名無史さん:2014/12/28(日) 12:50:22.12
どなたか詳しい方、>>286もお願いします
314日本@名無史さん:2014/12/28(日) 13:47:18.83
>>292
当時は葬儀と言っても火葬するだけ
金がなかったからとは一次史料に書かれてない
(40日後に金の工面が急にできたはずもない)

あと後奈良天皇がやってた内職って何?
315日本@名無史さん:2014/12/28(日) 13:50:22.95
日本国王に冊封された足利義満や、外交担当の宗氏は、
明の使節に合ったり、明に行くとき、明のドレスコードに合わせたの?
それとも、肖像画で見るような束帯スタイルだったの?
316日本@名無史さん:2014/12/28(日) 14:48:51.13
天皇家の歴史を見ると、生活が逼迫してる時代の方が長いくらいなのに
権威が失墜しなかったってのは凄いよな
317日本@名無史さん:2014/12/28(日) 16:49:03.47
>>314
『後法興院記』に
「今夜旧主御葬送と云々。亥の刻許り禁裏より泉湧寺に遷幸す。(中略)今日に至り崩御以降四十三日なり。かくの如き遅々、さらに先規あるべからず歟。」


宸筆の書を売っていた
318日本@名無史さん:2014/12/28(日) 18:16:33.73
戦国時代の宣教師の記録にもあるが、天皇はすごく尊敬されていたから直筆の物なら高額で売れたろうな。
319日本@名無史さん:2014/12/28(日) 19:21:17.35
空海の墓はなぜないのですか?
320日本@名無史さん:2014/12/28(日) 19:26:10.97
まだ生きてるから墓無いよ
321日本@名無史さん:2014/12/28(日) 20:23:58.37
毎日飯食っているし。
322日本@名無史さん:2014/12/28(日) 20:34:16.77
今も飯をくうかい?
323日本@名無史さん:2014/12/28(日) 20:42:46.45
山田くん、座布団全部持ってって
324日本@名無史さん:2014/12/28(日) 20:43:35.05
空海てホントに遺体確認されてないんですか?
325日本@名無史さん:2014/12/28(日) 21:02:52.76
高野山の伝承では奥の院に入定して祈祷し続けていることになってる

ところが続日本後紀には火葬したという記事があるんだよね
326日本@名無史さん:2014/12/29(月) 01:11:27.54
小学四年生の甥っ子に漫画の日本の歴史を買ってあげたいんだけど
小学館、集英社、学研のどれがいいか分かる人いる?

実績なら小学館だし俺が昔読んだのも小学館だし
集英社は教育関係に強いイメージがないし
学研は読んだことなくて分かんないしで迷ってる

スレ違いだったら誘導してくれると助かる
327日本@名無史さん:2014/12/29(月) 06:24:16.88
空海やっぱり火葬されたんですね

ありがとうございます
328日本@名無史さん:2014/12/29(月) 09:03:37.20
だからといって奥の院の前で「ほんとは火葬されたんだょー」と空気の読めない発言しちゃいやんよ
329もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/29(月) 09:38:41.73
キリストだって、いきかえったんだから。
330日本@名無史さん:2014/12/29(月) 12:48:14.61
ちょっと抽象的かつ小難しい質問ですが>>286も何卒よろしくお願いします
331日本@名無史さん:2014/12/29(月) 13:04:42.08
抽象的で小難しくて大雑把で包括的な質問って答えるのが大変だろうな
332日本@名無史さん:2014/12/29(月) 13:22:15.95
武蔵国についてですが横浜市の一部もそうだったようですが
具体的に何区が武蔵国だったのか教えてください
全域が武蔵国だった区のみが知りたいです
333日本@名無史さん:2014/12/29(月) 13:43:36.44
保土ヶ谷と東戸塚の間に国境があるよ
334日本@名無史さん:2014/12/29(月) 14:04:37.82
そもそも統治機構とは何ですか?
335日本@名無史さん:2014/12/29(月) 14:15:01.58
統治機構とは

一次的には、暴力などの強制力によって被治者を威嚇し
二次的には、対話や説得などの交渉によって被治者をなだめ
三次的には、悩みを解決したり金銭・物資を援助することによって被治者を寄らしむ

これらの手段を用いて人を支配・管理する総体をいいます
一般的に、支配・管理の方法として、より高次の手段を用いる割合が高い統治組織の方が「よい統治組織」とされます
336日本@名無史さん:2014/12/29(月) 14:15:27.94
統治機構が国会、警察、裁判所などの国を統治する仕組みの総称で
行政機構が役所だろ
337もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/29(月) 15:09:56.69
日本占領軍のことですね。
普通は、基地にいるんですがなにかあったら動く実力部隊です。
ベ平連は徹底して潰されました。
マスコミは箝口令で報道しませんでした。
八鹿高校事件とおなじですね。
あれは、日本政府がやりましたが。
338日本@名無史さん:2014/12/30(火) 15:54:05.45
かつての朝廷や幕府は行政機構になるのですか?それとも統治機構になるのですか?
幕府ができてからの朝廷は少なくとも行政機構の役割は失っているのですよね
その辺がいまいちよくわかりません
339日本@名無史さん:2014/12/30(火) 16:15:35.52
統治機構は、国家を統治する仕組、組織、機関の事で、近代国家においては憲法に規定された
国家を統治する三権(司法・立法・行政)という事になる。行政機構はその一部に過ぎない。

幕府は三権全て握ってるから統治機構だろう。その当時は三権という考え方は無かったけど。
340日本@名無史さん:2014/12/30(火) 16:34:11.04
室町幕府って織田信長が15代将軍足利義昭を京都から追放したことで
滅んだことになっているけど、足利義昭の身分(官職)はどういう扱いになったのですか?
京都から追放された後も征夷大将軍のまま?
信長によって将軍職を剥奪されたの?
(そもそも序列的には格下の信長にそんなことができるの?)
知られてないだけで朝廷(天皇)から正式に将軍職を解任されたの?
341日本@名無史さん:2014/12/30(火) 16:40:27.83
統治機構とか三権とか、近代国家に関する学説の通りに昔の日本は運営してたわけではないでしょう。
歴史を今の学説に当て嵌めようとしてもムズカシイんでねぇのかな。
天下とか静謐、安堵、惣無事、禁制、法度、御用‥とかの頭でやってたもんね。
武家の世になっても朝廷を無視してたわけでもないし。
342日本@名無史さん:2014/12/30(火) 17:06:44.41
統治機構は近代を対象とした用語ではなくて、古代の律令制国家とかも統治機構らしいですよ。
要するに統治機構とは国家を統治する仕組みです。三権を持ち出したのはその方が判りやすいかと
思ったんだけど。

鎌倉時代の初期は幕府の影響力は東日本くらいだった。その頃は幕府も朝廷もそれぞれの影響力の
及ぶ範囲を統治していた。両方に従うグレーゾーンもあったでしょう。
343日本@名無史さん:2014/12/30(火) 17:42:03.18
>>340
追放されても征夷大将軍のままです。
最終的に秀吉と和解して辞任するまで形式上はそのまま。
ただし朝廷が織田政権に握られてる以上、武家執奏はできない。
幕府の役職については勝手にやってましたけど、京都にいない幕府ではほとんど意味をなさず。
室町幕府は滅んだということになってます。

ちなみに信長個人には将軍職を取り上げる権限は当然ありません。
朝廷の令外官なんで天皇に任免権があります。
ただし京都を制圧してる政権に朝廷が反抗することは基本的にないんで
信長が執奏すれば将軍職を剥奪することは可能です。
信長も傍若無人に見えて過去の権威を軽視することはないんで、将軍職については慎重に考えて
あえてそのまま放置してたんでしょう。
344日本@名無史さん:2014/12/30(火) 18:05:52.65
>>343
詳しい解説、ありがとうございます
自分も先ほどネットで調べて、追放後も将軍だったと知りました
しかし、この時代は特に乱世だったとは言え、朝廷、幕府、織田政権、
その他大名勢力が入り乱れて、ややこしい時代ですね
将軍が格下に追放されて幕府が滅亡した扱いになってるのに、
幕府の最高権力者の身分はそのままっていうのがすごい不思議です
345日本@名無史さん:2014/12/30(火) 19:13:46.02
それが戦国時代ってことでしょ。
既存の権力の地位が意味を成さないわけで、意味を成さない以上はそれをどうのこうのする必要もないという。
346日本@名無史さん:2014/12/30(火) 20:48:57.99
ケジメとして朝廷が罷免したらいいと思う
将軍在職のまま放置のほうが不自然
朝廷から罷免の通達が来ても逆らえないし、逆らわんだろうに
347日本@名無史さん:2014/12/30(火) 21:35:33.55
わざわざそんな敵に回すような事をして復活して帰ってきたらどうするのよ?
信長が担いだように毛利とかが担いで上洛する可能性もあるのよ。
348日本@名無史さん:2014/12/30(火) 21:38:38.01
わざわざ?何もしてないって話なのにわざわざってのは意味不明。
349日本@名無史さん:2014/12/30(火) 21:48:27.62
>>348
>>347には
義昭から わざわざ 将軍職を取り上げたりしたら敵対することになる
と書かれているようにしか読めないが?
350日本@名無史さん:2014/12/30(火) 22:07:37.82
実際毛利の庇護下にいたわけだし、将軍職を取り上げることが敵対に繋がらないだろうということは
応仁の乱後の将軍の実態見てたら分かるだろうに
351日本@名無史さん:2014/12/30(火) 22:38:29.22
朝廷が自主的に免官することはないでしょ。
信長については将軍を廃する度胸がなかったというか
将来何かあったとき利用できるかもしれないとか
義昭を廃した場合の諸大名の反発が怖いとか
毛利ならともかく古河公方を東の大名が将軍として擁立したらどうするかとか。
352日本@名無史さん:2014/12/30(火) 23:05:08.22
『倭名類聚抄』に
「歴天記云、日中有三足烏、赤色、今案文選謂之陽烏、日本紀謂之頭八咫烏、田氏私記云、夜太加良須」
ってあるんですが、この『田氏私記』って現存するんですか?
353日本@名無史さん:2014/12/30(火) 23:58:01.01
>>351
>>義昭を廃した場合の諸大名の反発が怖いとか

反発が怖ければ将軍義昭を都から追放できないと思うんだけどな
354日本@名無史さん:2014/12/31(水) 00:16:16.43
>>353
アホか。あては信長的には「義昭が勝手に出て行った」だけ。
帰ってくるならいつでもウエルカムの姿勢は崩していない
355日本@名無史さん:2014/12/31(水) 04:54:18.76
ちんことまんこはどっちが上?
356日本@名無史さん:2014/12/31(水) 08:03:08.89
おまいが下なのは確か
357日本@名無史さん:2014/12/31(水) 09:27:34.09
昨日から

 講談社学術文庫
 日本の歴史 00
 「日本」とは何か
 網野善彦 著
 ISBN978-4-06-291900-5 第12刷

を読み始めました
文学部卒なので硫化水素が臭い(P.11〜P.12)等は御愛嬌ですし
戦後東京大学論調についても故先生の御活躍の年代を鑑みればこれだけ喚きちらさないと中立まで戻らなかったのかなと微笑ましく拝読致しております

しかしどうしても悪意を感じずにはいられない文章表現を見つけました

続く
358日本@名無史さん:2014/12/31(水) 09:59:45.99
>>357 問題の下りは日本列島を取り巻く諸海洋を紹介するP.29の9〜11行目にあります

 原文 (略)〜。それに続いて、サハリン西岸、日本列島の西岸、朝鮮半島東部、いわゆる「沿海州」にとりまかれた「日本海」が、まさしく湖のような姿を見せている。(改行)

???!
「沿海州」は中国的呼称であり住んでいた代表的民族は渤海であり後年に金(女真)を生んだ地域であると通学期には学びました

処が原文を音読すると黙読では目に触れる句読点や括弧は取り除かれ沿海州が朝鮮半島の東半部であるかの如き印象しか得られません
これを改め正しい日本語の文で表すならば例えば
 案文 (略)〜。それに続いて、サハリン西岸、日本列島の西岸、沿海州、朝鮮半島東部にとりまかれた日本海が、まさしく湖のような姿を見せている。(改行)

でなければ正確な地理関係を伝達する事は不可能です

因みに「日本海」以外の
ベーリング海
オホーツク海
東シナ海
南シナ海
アンダマン海
ベンガル湾
南太平洋
フィリッピン海
の8つの海洋の名称は「」で括られていません


長くなりましたが質問です
この様な大朝鮮思想的表現は網野先生御自身の手に依るものだったのでしょうか?
それとも先生の亡後に講談社に勤務する南北朝鮮何れかの工作員に依り勝手に改訂されたものなのでしょうか?
どなたか御教示願います
359日本@名無史さん:2014/12/31(水) 11:46:14.92
そもそも大和朝鮮同祖で日本の学術会は朝鮮マンセーだったろうがよw
騎馬民族だっつうのも居たし日本人は自分等のやった事忘れてる部分もある。

中国やアメリカが東シナ海でネタで遊んでるとでも思ってんの?
360日本@名無史さん:2014/12/31(水) 13:06:52.64
>>358
あんたの方がひねくれた解釈だな。
サハリン西岸→日本西岸→朝鮮東部→いわゆる「沿海州」は、
時計回りに羅列してるだけだろう。
沿海州はロシア語の訳だから、日本語で訳すところのってニュアンスだろうし、
日本海は強調する意味合いだろう。
(まあ、わざわざ括弧をつける必要もないけど)

しかも、朝鮮云々って、あんたは四六時中、朝鮮を意識しないといけないのか?
素直に読んだら、あんたみたいな解釈にはならんわ。

あれ?もしかして俺、釣られてる?
361日本@名無史さん:2014/12/31(水) 13:10:54.59
ま、網野先生だし・・・・

凄い先生なんだけど、「日本とは何か」はちょっとね
(日本を否定的に)解釈する事を前提に書かれていて、読むと頭痛してくる(なるほど、というとこもあるんだけど)
オマケに、最終的に日本を乗り越えようと思っても、乗り越えられなかった気がするし
362日本@名無史さん:2014/12/31(水) 13:16:05.75
>>354
本当にそんなスタンスだったのか?
そしてそんなのが通用するのか?
363日本@名無史さん:2014/12/31(水) 13:56:04.82
信長は、自身が右大臣をすぐに辞めてるしな
364日本@名無史さん:2014/12/31(水) 13:57:55.11
>>357
>硫化水素が臭い(P.11〜P.12)等は御愛嬌ですし

御愛嬌もなにも、硫化水素は実際に臭いぞ
温泉地でよくある、ゆで卵の腐ったような悪臭、あれが硫化水素の臭いだ
365日本@名無史さん:2014/12/31(水) 14:31:35.22
>>360 ぐるっと時計回りに囲って「沿海州」なら「サハリン西岸、日本列島西岸、朝鮮半島東「岸」、渤海のいわゆる『沿海州』で囲まれた湖の如き日本海」で無いとおかしいですし
他の海洋については東西側ともに北から南に向かって順に紹介されていますw
366日本@名無史さん:2014/12/31(水) 14:35:45.18
>>364 硫安(硫化アンモニア)や酸化硫黄は臭いですが硫化水素は無臭です
367日本@名無史さん:2014/12/31(水) 14:53:42.48
>>366
環境省は硫化水素を「腐った卵のような臭い」としているね
http://www.env.go.jp/recycle/misc/facility_assess/mat05.pdf
368日本@名無史さん:2014/12/31(水) 14:59:34.38
学問学術には自治とその内での自由が無ければ成りませんから記述内容そのものの是非は質問内容では在りませんし
件の書籍は既に2008年より故書ですから筆者自身の明確な遺意の存在の証明の有る場合を除いては改訂の可能性が存在しては成りません
>>358の質問の趣意は当該記述が(初版以来)筆者自身に依るもので在ったのかそれとも故書改竄で在るのかの如何にあります
369日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:22:01.38
>>366
なんか勘違いしてない?
よくあの臭いを「硫黄の臭い」と思っている人がいるが実際には硫黄は無臭で、あれは硫化水素の臭い
というのを、硫黄と硫化水素を取り違えて覚えてしまったのではないか?
370日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:26:12.97
>>361 ぶっちゃけ文脈全体から察するに著者自身が刺激的に記述していても情況的にはおかしくは無いのですが
凡そ文理論理を重んじる職業科学者に依る記述とは到底考えられない程に破綻した列挙方法なので故書改竄疑惑が脳裡を横切ってしまったのです
371日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:29:08.27
>>367>>369そうですかではその辺はやはりご愛嬌と言う事でw
372日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:35:58.32
新書初版刊行以来に著者が自身で著述し監修しまた生前に自由で支障の無い本人の意思に依り改訂及び同じく監修が為されていれば何の問題も無いのですが
前記様の本人の意思に拠らない改訂や故書改竄となるとプロスポーツ興行での八百長張りの大問題ですからどうしても気になります
373日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:36:30.37
「故書」ってなんだよw
374日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:38:21.94
硫化水素じゃないけど自演臭がプンプンするぞ
375日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:39:13.81
>>373 単に旧い書籍をも指しますがここでは著者がお亡くなりになっている書籍の事です
376日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:46:06.41
そんな言葉を勝手に造って当然のように使うなよw
377日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:47:15.15
>>376 故書は私の造語では在りません
378日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:48:20.36
ところで初心者歓迎スレなのにどうしてsage進行なんですか?w
379日本@名無史さん:2014/12/31(水) 15:49:27.49
>>377
気になったのでググってみたけど上位にはヒットしなかったよ
380日本@名無史さん:2014/12/31(水) 16:00:39.01
>>379
Yahooの辞書検索でもヒットしないな
381日本@名無史さん:2014/12/31(水) 16:20:40.79
質問です!
「故書」という言葉の出典というか、どの辞書に載っているのかを教えてください
382日本@名無史さん:2014/12/31(水) 16:52:47.35
故書故籍(正確には書は習字の清書(←解り易く述べようとしたんですがw)で籍の方が現代で言われる処の本です)を最近は言わないんですかみんな?
何処の国のソフトハウスが請けて作った辞書を御使用ですか?
万が一に熟語成句から外されてても普通にバラで意味解りませんか?
日本語義務教育受けましたか?
383もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/31(水) 17:11:07.93
無茶言うなよ。
歴史学会の動向さえ無視している連中に。
大卒かどうかもあやしいのに。
384日本@名無史さん:2014/12/31(水) 17:15:15.38
故網野先生にも若かりし頃には自由の学問の府と思われた東京大学や出版・メディア業界が
内に長く身を置いてみると実際には諸勢力の権謀術数渦巻くコネ地獄に過ぎず
故先生も何時の間にか諸勢力の内の一に絡め取られて自由に口を利けない様になり
しかもそれら諸勢力の上層ではなあなあで社会を牛耳る幾つかの政治グループが存在して都合の良い様に諸勢力を争和させている処を遂に目撃され
絶望した故先生は市井の民草が自ら正しい判断を下せる様に御自分の知性に疑念を持たせる手段までもを用いて手の込んだ懸身懸命のダイイング・メッセージを遺し講じて下さったと解釈するべきなのでしょうか?
385日本@名無史さん:2014/12/31(水) 17:16:34.24
>>383 そうなんですか
386日本@名無史さん:2014/12/31(水) 17:46:00.56
いいじゃないのーぅ(大晦日進行
387日本@名無史さん:2014/12/31(水) 17:47:09.83
それでは皆さん良いお年を
388日本@名無史さん:2014/12/31(水) 18:49:54.46
>>381
結局、古い本のことを故書というのはあんたオリジナルじゃんか
あと自分を正当化する前にグーグルやヤフーの検索欄に故書って入れてみろ
ま、ほかの書き込み内容みたら触れてはいけないタイプみたいなんで、レスはしないでくれ
389日本@名無史さん:2014/12/31(水) 19:07:27.23
こしょこしょする
390もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2014/12/31(水) 19:17:24.49
>>385
本気で歴史研究してる連中は、どっかの研究会に参加してるし、機関誌で最前線を点検してるよ。
たまにまぐれで、あたしのように新発見する人もいる。
391日本@名無史さん:2014/12/31(水) 19:19:40.68
こしょうがこしょこしょ
392日本@名無史さん:2014/12/31(水) 19:22:52.71
>硫化水素が臭い(P.11〜P.12)等は御愛嬌ですし

御愛嬌もなにも、硫化水素は実際に臭いぞ

>硫安(硫化アンモニア)や酸化硫黄は臭いですが硫化水素は無臭です

なんか勘違いしてない?
よくあの臭いを「硫黄の臭い」と思っている人がいるが実際には硫黄は無臭で、あれは硫化水素の臭い
というのを、硫黄と硫化水素を取り違えて覚えてしまったのではないか?

>そうですかではその辺はやはりご愛嬌と言う事でw
-------------------------------------------------
愛嬌
1 にこやかで、かわいらしいこと。「―のある娘」「口もとに―がある」
2 ひょうきんで、憎めない表情・しぐさ。「―たっぷりに話す」
3 相手を喜ばせるような言葉・振る舞い。「―を振りまく」
4 (多く「御愛嬌」の形で)座に興を添えるもの。ちょっとしたサービス。座興。
---------------------------------------------------
393日本@名無史さん:2014/12/31(水) 20:07:52.93
>317
>宸筆の書を売っていた
『戦国時代の宮廷生活』で、巷間ではそう言われているが史料としての裏づけがないと否定している
394381:2014/12/31(水) 20:22:01.07
>>382
ご解答ありがとうございますといいたいところですが
>最近は言わないですかみんな?
言いませんね
知っていたら質問しませんし他にも分からない人がいたみたいですよ
>何処の国のソフトハウスが請けて作った辞書を御使用ですか?
ご自身で一般的な語句をYahooの辞書検索をしてみてください
どの辞書を使用しているのか表示されます
>万が一に熟語成句から外されてても普通にバラで意味解りませんか?
わかりませんね
しかも勝手に本来の意味と違う使い方をしておいて何を言っているのでしょうか
>日本語義務教育受けましたか?
もちろん
あなたは故書故籍という語句を義務教育期間の何年生で教わったのですか?
少なくとも当方は義務教育期間で教わっていません

>>382からあなたが自分中心でしかものごとを考えられない傲慢な人であると推察できます
そもそも筆者が亡くなっているからといって書籍の内容が勝手に変更されるなんて想定は普通の人はしません
よほどひねくれてもいるようです
上で質問めいたことも書いていますが>>388氏と同様に返答は不要です

>>388
アンカー間違いですよ
395日本@名無史さん:2015/01/01(木) 02:31:30.62
>>384
ひねくれて穿った見方過ぎる。
396日本@名無史さん:2015/01/01(木) 14:30:40.18
南蛮貿易の時代ってヨーロッパやイスラムの歴史も日本に伝わってたの?
397日本@名無史さん:2015/01/01(木) 18:01:58.17
>>396
そりゃある程度は伝わっただろうけどきちんと体系的に研究されたのは江戸時代に入ってから
398日本@名無史さん:2015/01/01(木) 20:04:54.50
日本人は頻繁に中国に渡ってたし、中国からも色々な人材が渡来してきた。
にも関わらず、マニ教が日本に伝来しなかったのはなぜなの?
399日本@名無史さん:2015/01/01(木) 21:25:50.77
八百万の一柱になりました
400日本@名無史さん:2015/01/02(金) 00:45:47.40
>>398
すでにお腹いっぱいになっていた

キリシタンでさえ、たくさんの有力者が貢ぎ物、うまい話をもって何回も波状に来たがダメだった
数人が来ただけだけでは無力、大量のお金と人が来ないと。
401日本@名無史さん:2015/01/02(金) 00:50:23.12
日本だけがそうではないと思うけど、宗教の受容って教義に惹かれるというより即物的な部分が大きいよね
402日本@名無史さん:2015/01/03(土) 00:37:09.07
未年にふと思った疑問
昔の日本人って、ヒツジって言われて、どんな動物かイメージできたのですか?
トラや竜は絵画で見ることもあったろうけど、ヒツジの絵って昔の日本にいっぱい
あった印象がないです
403日本@名無史さん:2015/01/03(土) 01:12:23.43
 「土用の丑の日」にウナギを食べる習慣をつくったといわれる平賀源内は、江戸時代のマルチタレント(多才人間)だった。「エレキテル」を復元し、鉱山を開発し、浄瑠璃作品を残した。
 失敗に終わったものの、今年の干支(えと)である羊を放牧して、日本初の毛織物作りにも挑戦している。

 ▼羊は紀元前8千年頃には、既に家畜化が始まっていた。キリスト教では、人間は「迷える子羊」と捉えられている。イスラム教、ユダヤ教にとっても大切な動物である。その羊が、日本国内で本格的に飼育されるようになったのは、明治時代になってからだ。

 ▼それまでの日本人にとって、干支のなかの未(羊)は、辰(竜)と同様に想像上の動物でしかなかった。今や日本は、世界有数の羊毛の消費国である。最近では低カロリー、高タンパクの食材として人気を呼んでいる。

 ▼羊は今年、別の意味でも注目されそうだ。中国文学研究者の加藤徹さんによると、中国はもともと、東西の異質な種族の衝突から生まれた。豊かな東方の種族は財貨を重んじたため、加藤さんはその気質を、
当時貨幣として使われていた「貝の文化」と呼ぶ。一方、遊牧民族と縁の深い西方の種族は、イデオロギー的な神を重んじる「羊の文化」である。

 ▼現代の中国も2つの文化を受け継いでいる。すなわち「政府の愛国教育は『羊』」「日本との経済関係は維持したいというホンネは『貝』」である(『貝と羊の中国人』新潮新書)。

 ▼抗日戦争70年の今年、中国政府は日本に対して「歴史戦」を猛烈に仕掛けてくるだろう。その一方で、中国人観光客は相変わらず日本で土産物を買いあさっていくのかもしれない。いかに「貝と羊」に向き合うか、今年も最大の課題である。
404日本@名無史さん:2015/01/03(土) 01:21:21.15
>>403
> 「土用の丑の日」にウナギを食べる習慣をつくったといわれる平賀源内

先ずここが嘘
405日本@名無史さん:2015/01/03(土) 01:43:01.53
夏痩せにウナギが効くのは万葉集の歌にも有るけど、土用の丑の日に食べるという習慣の起源には
諸説有って源内説がウソとも言い切れない。
406日本@名無史さん:2015/01/03(土) 02:45:15.86
クリスマスにはプレゼント

バレンタインにはチョコレート

母の日にはカーネーション!
407日本@名無史さん:2015/01/03(土) 04:24:57.35
年越しそばが忙しい年末の手抜き料理として生き残ったとか、理由があるように

バレンタインが日本に根づいたのは、恥ずかしいことも、4月が来ればチャラに出来る
4月の新しい生活を前にして心のこりを残さないようにという勇気が湧くから

かもしれない
408日本@名無史さん:2015/01/03(土) 13:39:10.86
犬の散歩の途中に、なじみのそば屋さんの店先で、生そばとつゆのセットを買い求める。大晦日(みそか)の朝の習わしである。年越しそばの習慣は、江戸時代の半ばごろから始まったらしい。

▼万事掛け売りだった当時、人々は1年分の決済を済ませるために金策に走り回った。ゆっくり食事を取る時間がないので、そばでさっと済ませる。これが定説だが、江戸研究家でそば通でもあった故杉浦日向子さんの見解は違っていた。
▼大掃除も門松などの飾り付けも前日までに終わってしまい、江戸の大晦日は実はのんびりしたものだった。そこで一家の主が、「暇だからそばでも打とうか」と腰を上げる。
家族そろって食べて新年を迎える、行事の一つだったという。今流行の「そば打ち男」は、江戸時代からいたらしい。
409日本@名無史さん:2015/01/03(土) 15:16:01.23
>>407
バレンタインチョコは1958年に売り出しされたのが最初。
60年代半ばには知名度も上がってきて(初期のフジ三太郎にも出てくる)
70年代初頭には国民的行事に化けた。
定着から半世紀前後で意外と歴史はある
410日本@名無史さん:2015/01/03(土) 18:49:16.95
バレンタインチョコなんて実在するの?
411日本@名無史さん:2015/01/04(日) 18:32:20.09
質問です
明治維新の後日本は部分的に西洋化を受け入れて、皇室にも洋装が取り入れられましたが
それに対する反発などは当時無かったのでしょうか?皇室と言うのは非常に保守的なイメージが
あったので疑問に思いました。
よろしくお願い致します
412日本@名無史さん:2015/01/04(日) 19:17:05.13
現在では否定されているが、極端な外国人嫌いだった先帝が“毒殺”された
かも知れないという憶測は当時からあった
そんななかで明治帝が西洋化を完全否定する度胸があったのか

それは本人に聞いてみなければ分からない
413日本@名無史さん:2015/01/04(日) 19:17:57.10
>>409
昭和11年のモロゾフのほうが早い
414日本@名無史さん:2015/01/04(日) 19:37:01.83
明治帝は維新のとき16歳と若かったのだから新しいことへの適応力はあったでしょ
功臣が順を説いて説得すれば聞く耳は持ってたと言うことね
415日本@名無史さん:2015/01/04(日) 19:46:27.35
>>411
江戸時代の皇室は貧乏だったので
変化を喜んでいたと思う

皇室行事をする金も少なく停滞していた
明治以降に皇室行事が復活し予算もバンバン使えた
416日本@名無史さん:2015/01/04(日) 20:03:20.24
>>411
明治4年に断髪廃刀令が出され欧米列強に習い男子の断髪が促進されることになった
明治6年3月20日、髷を綺麗に結い上げて奥を出られた明治天皇はその日
学問所から戻ってくると突然断髪されていたので女官たちが大変驚いたらしい
そのくらい明治天皇の断髪は突発的に行われた
しかしこの天皇の断髪でいっきに男子の断髪が普及した
髷がないのに衣冠束帯は似合わずこの日から明治天皇自身洋装となった
417日本@名無史さん:2015/01/04(日) 20:43:02.62
>皇室は貧乏だった

室町幕府が機能しないとか
江戸幕府が代行しているとか
宮中行事ではない、行事が滞る、から
「皇室は貧乏だった」って昭和の教育を受けたオジイチャンですか?

と煽ると、唐突に「戦国時代の皇居は衰微甚だしく〜」と
治安が悪くとも、皇居は金襴豪華に飾り立て、財政豊富を誇示しなかったのだから、皇室は貧乏だったに違いないと
顔を真っ赤にしながら言い返してくるんだろうな…
その治安の悪い戦国時代ですら、皇室が一声掛ければ、支出の数十年分の費用が全国から集まったという事実すらガン無視でw
江戸時代に、皇室が金が余ってしょうがないないと吹聴すれば、幕府から収入源を探られ取り上げられるというのに、
金持ち自慢をしなかったとか意味不明な論旨もありか?
418日本@名無史さん:2015/01/04(日) 22:32:11.86
現在では政治家や官僚以外の人でも、社会に大きな影響を与えたりできます
かつての時代では、影響を及ぼせるような人は大概何かしらの官職に就いてる
ような気がしますが、何の官職にも就いてないような人で社会に大きな影響を
及ぼせた人となるとどんな人がいるでしょうか?
419日本@名無史さん:2015/01/04(日) 22:51:24.83
サブカル系ならいろいろいるだろ。
寺山修司とか黒沢明とか手塚治虫とか松本清張とか
420日本@名無史さん:2015/01/04(日) 22:58:55.74
なんとか宗を起こした仏教関係者たちとか
421日本@名無史さん:2015/01/04(日) 22:59:54.88
>>418
近代史では福沢諭吉が一番かな。
近世以前だと宗教関係は官職なしと言えるか微妙だけど力を持っていたのは確実。
422日本@名無史さん:2015/01/04(日) 23:10:19.16
千利休とか?
423日本@名無史さん:2015/01/04(日) 23:26:30.95
>>418
池田大作
確か公の場の勲章では、日本国政府が関わったものは
富士宮市名誉市民が最高位だったと思う。
424日本@名無史さん:2015/01/04(日) 23:45:18.47
名誉市民なら日本国政府関わってないじゃないか
425日本@名無史さん:2015/01/05(月) 00:11:27.24
>>419
>>寺山修司とか黒沢明とか手塚治虫とか松本清張とか
すいません、質問は明治以前を想定してました
>>420
仏教の開祖なんかはまさにそうですね
奈良時代くらいは仏教僧は国家公務員的な要素もあったようですが
>>421
質問は明治以前を想定してましたが、福沢さんは確かにそうですね
>>422
千利休は影響力大ですね
何の官職もなかったんでしょうかね
>>423
池田大作・・
現代社会では確かに影響力持ってそうですね

現代に近い時代だといろいろ思い付きますが、明治以前だとあんまり
思い浮かばないですよね
それだけ昔は官職というのが大きかったんだと思いますけどね
426日本@名無史さん:2015/01/05(月) 00:17:35.81
>>411
当然あった。
とりわけ保守的な公家や女官の間では洋式への変化への抵抗はかなり強かった。
最終的には明治天皇の御聖断が彼らを沈黙させることになるのだが、それでも燻るものはあった。

>>415
個人の想像で適当な回答するのはあまりにも無責任だし、知識としてもあまりにも稚拙で論外ですが
427日本@名無史さん:2015/01/05(月) 00:23:38.33
>>417
江戸時代の皇室は3万石相当だぞ
はでなイベントとかほぼ無理だから
428日本@名無史さん:2015/01/05(月) 00:40:13.36
>>425
松本清張がアリなら日本初の専業作家の馬琴。武士をやめて作家収入だけで生計を立てた。
馬琴以前は著作だけでは食っていけないと考えられていた。馬琴の少し先輩の山東京伝は
煙草入れなどの販売で生計を立てていた。
429日本@名無史さん:2015/01/05(月) 00:59:35.47
>427
何を言っているのかさっぱり分からんが
戦国時代中期の所領収入では近衛家の方が皇室の数倍あった
その近衛家ですら小遣い稼ぎに精を出したという逸話が残っているし
近衛家より皇室の方が総収入が少なかったわけでもない

つまり皇室の収入源は全てが明らかになっているわけではない
何より、江戸時代の表高の多寡を口にすることが何につながるかの説明が皆無では返事のしようがない罠

大規模なイベントやらが必要なら幕府が代弁するだけのことで、皇室が負担すべきものではない
権力の所在ということについて君は無知すぎる
430日本@名無史さん:2015/01/05(月) 01:36:29.39
>>429
3万石ってのは
天皇家だけでなく配下の皇室も含めての収入な

もちろん皇室の収入には内職もあったし
いろんな寄付もあった

江戸時代の天皇は3万石の大名なみ
431日本@名無史さん:2015/01/05(月) 01:54:23.06
君はもう少し「用語」の使い方を学んだ方がいいね

仮にきちんと使えても、その説明能力では言わんとしていることが
相手に伝わらないのは同じだが

だから何が言いたいんだ?
「日本の国土は狭い」と言っている連中と同じで
トップクラスでなければ全て少ないと一纏めにする考え方かな?
少数の大のみに意味があり、多数の小は駄目
三万石クラスでは貧乏なのだと

まぁ、こちらが言っていない言葉で相手に変なレッテルは貼るが
比喩も理解できずに、俺は国土の大小なんかは一言も言っていないと食いついてきて
本論からはドンドン離れていくというパターンで終わりそうだが…
432日本@名無史さん:2015/01/05(月) 01:58:00.36
>皇室の収入には内職もあったし
あぁそれともういいから君
そんなみみっちぃ話なんかしてないから、こっちは
だれも君の小遣い収入の方策なんか気にしていない
ここで語るべきは、国家と皇室の収入ね
433日本@名無史さん:2015/01/05(月) 02:04:13.88
>>432
江戸時代の皇室の収入はいくらでしたか?
434日本@名無史さん:2015/01/05(月) 02:33:33.39
>>427
石高だけで皇室の貧富を語るとか笑止w
435日本@名無史さん:2015/01/05(月) 02:38:01.49
>>432
もうお前痛々しいから「皇室は三万石の大名並み」っていうコテハンつけてくれw
皇室の石高を知って喜んでそれだけで大名と比較して喜んでる高校生みたいだw
436もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/01/05(月) 14:49:06.21
天皇は、京都の町衆の支持支援も受けていたんだよ。
御所の修理とか食料なんかね。
だから、実高はもっとあるの。
437日本@名無史さん:2015/01/05(月) 17:59:22.91
バカの三万石覚えはほっとけよ。
438日本@名無史さん:2015/01/05(月) 19:30:47.31
でも戦国時代に葬式ができなくて死体を腐るにまかせたとか
即位式も出来なくて何年も待ったとか
そういうエピソードもあるんだから儀式や御所修繕にかかる支出に窮してたのは事実だと思うが。
銭3000貫なんて聞くと大金に聞こえるけど、前田利家が前田家を相続したときの貫高が2000貫だったはずで
地方大名のそこそこ有力な家臣の年間収入と同じ程度と考えると微妙な額。
439日本@名無史さん:2015/01/05(月) 19:50:10.15
なんで江戸時代の話してるのに戦後時代のエピソードが出てくんの?
こういうヤツが出てくるとは思ったけど。
440日本@名無史さん:2015/01/05(月) 20:05:10.21
>>430
色々無知だな
江戸時代の天皇家が江戸幕府から認められた禁裏御領から得ていた収入が3万石
それ以外の皇室(=宮家)はこれとは別に禁領が認められていた
伏見宮家1022石、有栖川宮家1000石、桂宮家3000石、閑院宮家1016石
これは3万石の禁裏御領とは別だった
勿論公家の御領も別
公家たちの合計で4万石程度あったとみられる

公家たちは家元としての芸事収入があったが天皇は内職などしていない
尚、御所の建て替えは別途幕府負担だった
441日本@名無史さん:2015/01/05(月) 20:12:00.99
賀茂祭(葵祭)や大嘗祭の復興ももちろん幕府が負担してる
それをバカの一つ覚えみたいに「三万石、三万石」と…
そもそも三万石の大名の支出と禁裏の支出は規模が違うだろうに。
442日本@名無史さん:2015/01/05(月) 20:54:50.35
尊皇と勤皇
倒幕と討幕
はどう使い分けるのですか?
443日本@名無史さん:2015/01/05(月) 23:20:42.59
江戸時代の富農の暮らしぶりは大名とどう違ったのでしょうか?
本間家のように大大名級の石高を持った富農もいましたが、こうした富農の暮らしぶりは殿様よりも優雅だったのではないでしょうか?
パッと思いつくこととして、参勤交代や治世などの義務を負わないため、同じ石高の富農と大名とでは、富農の方がずっと有利に思えます
逆に、富農の方が大名に比べて不利な点はあったのでしょうか?
444日本@名無史さん:2015/01/05(月) 23:35:18.35
>>442
知らんけど、同じことじゃない。
445もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/01/06(火) 00:12:02.27
江戸城開城までは倒幕、函館戦争までが討幕でしょ?
446日本@名無史さん:2015/01/06(火) 00:22:54.24
>>443
どう違ったか、と言っても身分、立場が違うし、何をもって優雅とするかという価値観がそもそも違う。
そもそも同じ石高、という観点で比較してる時点で上の方の「禁裏石高3万石=大名石高3万石」の人と同じ。

富農と大名では社会的役割もそれに伴う経済的支出や負担など全く比較対象にならない。

単純に現代的感覚で自由に使える金が有る無しで裕福度を計るなら、そりゃ富農、豪商の方が優雅だ。

改めて言うけど、社会的な立場が違う者を有利、不利なんていう尺度で比較すること自体がナンセンス。
447日本@名無史さん:2015/01/06(火) 00:41:52.72
江戸時代の天皇は
約3万石+?で配下の貴族170家を養う必要があった

きのどくやなー
448日本@名無史さん:2015/01/06(火) 00:42:44.24
内職しないと食っていけないw
449日本@名無史さん:2015/01/06(火) 01:12:33.56
延喜式で神宮は伊勢、鹿島、香取だけと聞きました。
伊勢は別格で分かるのですが、なぜ東国のしかも近接する鹿島・香取が神宮なのですか?
教授ください。
450日本@名無史さん:2015/01/06(火) 03:37:44.46
伊勢神宮は天皇とつながりが深いが
別格というか後に作られたもの

鹿嶋神宮の最新は建御雷神
鹿嶋の勢力は神武天皇を援助したようだ
香取神宮は謎だが鹿嶋神宮と関係がありそう

どちらも神武東征で天皇を助けた勢力につながる
伊勢と鹿嶋無くして奈良の朝廷はなかったのかもしれん
よって神宮扱いになったのかも
451日本@名無史さん:2015/01/06(火) 11:51:10.18
鹿島や香取は東国支配の最前線の祭神だったのよ
つまり異世界との境界に位置する大和朝廷支配拡大の武神であり守護神という位置づけなので格が高い
452日本@名無史さん:2015/01/06(火) 12:10:45.09
というよりも、式内が記された頃の朝廷は天皇という神輿を担ぐ藤原氏。
実質藤原氏が記したんだから鹿島香取が高く祀ろうとするのは当たり前じゃないか
453日本@名無史さん:2015/01/06(火) 12:46:25.08
日本最古の神社っていくつかの神社の説がありますが、
現在のところ一番有力な説は何なんでしょうか?
454日本@名無史さん:2015/01/06(火) 14:04:01.46
わからん、というのが一番科学的な態度。
どこだと断定する奴は全員オカルトか詐欺師だと考えていい
455日本@名無史さん:2015/01/06(火) 14:16:04.79
何で法隆寺などは中世の僧兵全盛期もおとなしかったの?
456日本@名無史さん:2015/01/06(火) 14:46:04.26
荘園の規模が小さかったからだよ。
金なくて人をどうやって雇うんだよ?
457日本@名無史さん:2015/01/06(火) 16:04:58.70
>>453
天津神系の別格が神宮
国津神系の別格が大社
よって出雲大社、諏訪大社が古そう

最も古さを感じさせるのが諏訪大社
ここの祭神は狩猟民族の神

小さい神社を含めるなら最古がどこかはまったく分からない
山がご神体だったからね
458日本@名無史さん:2015/01/06(火) 17:17:15.45
そーゆーこと聞いてんじゃないんじゃねの
459日本@名無史さん:2015/01/06(火) 18:37:49.95
>>454>>457
ありがとうございます
有力な説のひとつに奈良の大神神社がありますね
もうひとつ奈良の神社で有力なのがあった気がする
でも、結局は特定できないのですね

文献等で証明できる範囲の中での最古っていうのも
特定できないのでしょうかね
460日本@名無史さん:2015/01/06(火) 18:57:20.05
何処から神社としてんだい?
磐座だけならそれこそ文献なんかが残せる前、口述記録に残せる前から有るんじゃないかね
461日本@名無史さん:2015/01/06(火) 19:02:20.92
記録に残るというのは、その神を祀る一族が記録に残せたから
大神神社はヤマト王権となる豪族が祀っていたから

近所の昔からある神社が案外古いお社かもしれないよ
462日本@名無史さん:2015/01/06(火) 19:56:42.95
>>459
それは古事記の伝承だが
諏訪大社の祭神は古事記に出てこないんだよ
沖縄の御嶽もはっきり分かってない

年代が書いてある由緒も神武元年が最古
それ以前は年代が無いから無理w

古事記を基にしても須賀神社の由来がスサノオの宮殿!
なんとスサノオ自身で建てたという由緒
古事記に出てくる順序でいうなら大宮神社より古く最古かもしれん
あまり厳密に考えないほうが無難w
463日本@名無史さん:2015/01/06(火) 19:58:05.85
ごめん須我神社だ
464日本@名無史さん:2015/01/06(火) 21:07:55.32
文献に無いレベルだと宗像大社の奥宮である沖ノ島は
縄文時代から祭祀が行われていた事が判っている。
神道発祥以前という事だ。
465日本@名無史さん:2015/01/06(火) 21:38:00.85
神道発祥は縄文時代だと思ふ
巨石信仰とか水田と関係ねえし
渡来人関係ないし
466日本@名無史さん:2015/01/06(火) 23:26:58.09
なんでキツネは祀られてるのにタヌキは祀られないの?
467日本@名無史さん:2015/01/06(火) 23:32:08.34
468日本@名無史さん:2015/01/06(火) 23:41:17.48
タヌキ、ムジナ裁判
469日本@名無史さん:2015/01/06(火) 23:53:09.98
>>452
説明になってないw
470日本@名無史さん:2015/01/07(水) 00:03:56.23
伊勢は天皇家の
鹿島・香取は藤原氏の氏神だから良いんじゃないのか
471日本@名無史さん:2015/01/07(水) 00:06:51.34
狐って祟ったっけ?
狸憑きや狐憑きならよく聞くが
472日本@名無史さん:2015/01/07(水) 00:28:41.43
常陸太田の水府にそういう伝承はある。

そもそもキツネは神の使いとされた、あるいはそう信じられた経緯があるので
それを穢した者にはなんらかの報いがあるという考えはあったと考えられる。
それが「祟り」かどうかは、「祟り」という言葉の定義も含めて何とも言いようがないが。

ただ最初に上げた事例は民俗学の論文として著されているよ。
473日本@名無史さん:2015/01/07(水) 00:36:18.74
平安時代の仏師定朝は非常に多くの仏像は彫ったことが文献から
わかっているが、現存作は平等院の仏像1つだけと習いました。
他の仏像はどうなってしまったのでしょう?
あと、平等院の仏像だけが1つ残ったのは、特別な理由があるのでしょうか。
474日本@名無史さん:2015/01/07(水) 01:34:56.32
>>471
祟るどころでは無い
妖狐はピンからキリまであって上位は完全に神
国を滅ぼす九尾の狐も中間ぐらいで
最高位は尻尾が無くて人の姿の神と見分けがつかない
475日本@名無史さん:2015/01/07(水) 01:51:19.96
よく天皇陛下のお言葉で「〜国民の幸福を祈ります」「〜国民の幸福を願います」と
仰ってるシーンがありますが、祈ると願うはどういう使い分けがあるのでしょうか?
また、ニュアンスの違いはどういうものでしょうか?
476日本@名無史さん:2015/01/07(水) 02:03:44.58
皇室のことが気になって仕方ないやつがいるな

その質問は日本史的な内容ではないので板違い
477日本@名無史さん:2015/01/07(水) 02:11:16.86
>>475
祈るってのは普通は儀式を伴う
願うは頭の中だけで可
ただ天皇の真意は分からん
478日本@名無史さん:2015/01/07(水) 11:24:12.22
「祈る」だと、超自然的な何かの力に頼むというイメージ
神、仏、天、キリスト、天使、守護聖人、精霊、物体に宿る霊、祖先の霊、漠然としたそんなような存在、
あるいは山や海など自然そのもの、また時には生きている人間の教祖など、そういったなんらかの力を
持つ(または持っていそうな)「何か」に対してこうなりますように、と求める感じ
「願う」は、そういった存在とは関係なく、こうなったらよいと思うこと
479日本@名無史さん:2015/01/07(水) 20:18:38.04
京都御所って幕末に再建されたって聞くけど、再建されたのはどの部分でしょうか?
また、幕末からでもすでに150年ほど経っていますが、承明門や回廊はまっさらな
感じでとても最低150年以上経つ建物に見えません
この辺どうなってるんでしょうか?
480日本@名無史さん:2015/01/07(水) 23:47:21.80
見えません。って言われてもそれはあなたの主観でしかないから。
その辺どうなってるの?

少なくともあなたの基準は不明だが、民家の150年と一緒だと思ってる?
じゃあ800年くらい経ってる法界寺なんかもあなたの主観で「あんなの綺麗なのが800年なんてありえない!」とかなんの?
481日本@名無史さん:2015/01/08(木) 03:05:08.50
白木の建物だと古びるようですね。
小御所も江戸時代の建築かと思いきや1958年再建だそうで。
承明門のように塗装しているものは塗り直しすれば綺麗なものなんでしょう。
482日本@名無史さん:2015/01/08(木) 03:08:59.12
小御所だけ鴨川の花火大会の花火が風に流されて火事で燃えたからな。
それ以来、京都市内で花火大会は消滅した。
483日本@名無史さん:2015/01/09(金) 13:15:15.93
五箇条のご誓文の時の国家NO2は三条実美で役職は副総裁だった
ということは総裁=明治天皇でOKですか?
それとも総裁は空位だったってことですか?
484日本@名無史さん:2015/01/09(金) 13:59:28.66
テスト
485日本@名無史さん:2015/01/09(金) 14:01:04.92
>>483
五箇条の御誓文のときの総裁は有栖川宮熾仁親王
天皇が総裁になることはない
ちなみに当時の副総裁は三条実美と岩倉具視の2人
五箇条の御誓文を明治天皇の前で読み上げる役を三条実美が務めた
486日本@名無史さん:2015/01/09(金) 18:10:48.48
>>485
サンクスです
有栖川宮熾仁親王って大正天皇の教育係をされた方ですよね
ということは、当時の国家序列の1〜3位は
明治天皇>有栖川宮熾仁親王>三条実美=岩倉具視ということですか?
487日本@名無史さん:2015/01/10(土) 19:15:06.53
同性愛者の天皇っていた?
488日本@名無史さん:2015/01/10(土) 20:07:27.60
まとめて皇室板で聞いたほうが早いんじゃね
489日本@名無史さん:2015/01/11(日) 14:11:51.29
>>466

狸は四国では神社がいろいろあるよ

有名どころでは小松島市の金長神社
まあ大きさは金長神社すら町の小さな社で
後は祠みたいな感じだけど
490日本@名無史さん:2015/01/11(日) 14:48:09.55
うちは大阪だけど祠に夫婦のお狸さまをお祀りしてある。
東大阪に教団があるらしい?
491日本@名無史さん:2015/01/11(日) 16:46:32.19
古事記や日本書紀は時の権力者に歪められて記述されていると主張する人たちがおりますが
持統天皇について天武天皇の妃だから天武寄りだとか天智天皇の娘だから天智寄りだとか
相反する主張が書かれます。結局持統天皇はどっち側なんですか?

ま、古文書を研究する人の勝手なんだろうとは思いますが…
492日本@名無史さん:2015/01/11(日) 18:55:43.63
持統天皇は持統派。天武の路線を継承しつつ天智系も見捨てない。
でも自分に縁遠い者は放置。(調べてないけど)
493日本@名無史さん:2015/01/11(日) 21:16:49.41
四国行った時、普通の公園にタヌキの石像が置いてあったんだけど祠が有るわけでもないのにお神酒とかがお供えされてたな。
仰向けに寝っ転がってる石像だったけど、タマタマの前にお供えしてあった。
タヌキはやはりソコなのか
494日本@名無史さん:2015/01/13(火) 19:13:02.69
>古事記や日本書紀は時の権力者に歪められて記述されていると主張する人たちがおりますが
あらゆる文書はなんらかのベクトルがかかっているということは歴史学の初歩
公平・中立はありえない

殊更に記紀の記述の至当性を言いたてる者の著述を読むと、何故か半島の優位性を指し示す箇所だけは
無条件に採用してて唖然とする
495日本@名無史さん:2015/01/18(日) 17:51:30.25 ID:/qnhffh8
オーストラリアが「エリザベス二世女王が死んだら英王国連邦から脱退する」という世論が強くて
英連邦では制度じゃなくて、個人の資質に焦点を向けてるのがうかがえます。
日本の場合は、天皇個人の資質は問題なくて、天皇がいるということが重要だということですが
それは、次や次の次の天皇がどんなに資質が悪くても、制度を続けるしかないという事ですか?
「今の天皇最悪だ」という理由だけで天皇という存在を消すことはできないということですか?
496日本@名無史さん:2015/01/18(日) 17:53:54.50
>>495
追記です。
外国はその地位よりも個人に焦点を当ててますが、日本の天皇はどうなんでしょうか?
資質は問題ないのですか?
497日本@名無史さん:2015/01/18(日) 19:37:36.25
1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる。
1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
同年 西田敏行、上記にも関らす石田三成を関ヶ原に破る
1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る。
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける。
1716 西田敏行、八代将軍になる
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る。
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃。
1860 西田敏行、会津藩の家老となる
1869 西田敏行、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる
1883 西田敏行、共立学校の初代校長となる
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
これは西田敏行が演じた人を西田敏行に書き換えた年表だそうですが、元の人物が誰なのかわかりません。
西田敏行でなく実際は何方達なのか教えてください。お願い申しあげます。
498日本@名無史さん:2015/01/18(日) 19:44:59.75
>>496
雅子妃みたいなのでも離縁されてないから資質は二の次では?
499日本@名無史さん:2015/01/18(日) 20:51:52.27
>>497
川中島で死んだ武田信玄の軍師が抜けてる
500日本@名無史さん:2015/01/18(日) 21:02:13.59 ID:h7FG+fSH
>>495
天皇は象徴ですから象徴としてそこに居るだけで良い訳ですが、国民の期待を裏切るような
存在であってはなりません。チャールズ皇太子のようでは困ります。

よく判らんので訊くけど、あなたは何がしたいんですか?

>>497
大河ドラマの配役の話だけど、判る範囲で書く。
1584 豊臣秀吉、徳川家康に小牧長久手の戦いで敗れる。
1598 豊臣秀吉死去。遺児は後に徳川家康に滅ぼされる
1600 徳川秀忠、真田昌幸に進軍を阻まれ徳川家康の叱責を受ける
同年 徳川家康、上記にも関らす石田三成を関ヶ原に破る
1603 徳川家康、幕府を開き初代将軍になる
1605 徳川家康、徳川秀忠に将軍職を譲り、後に駿府城に移る。
1614 徳川家康が徳川秀忠を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける。
1716 徳川吉宗、八代将軍になる
1745 徳川吉宗、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る。
1868 薩摩藩の西郷隆盛らと長州藩の山県狂介(山県有朋)らが協力して幕府を倒す
1877 西南の役で、長州閥山県有朋総指揮の官軍に西郷隆盛軍は鎮圧され、城山で自刃。
1860 西郷頼母、会津藩の家老となる
1869 西郷頼母、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる
1883 高橋是清、共立学校の初代校長となる
1904 高橋是清、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する

豊臣秀吉「おんな太閤記」、徳川家康「功名が辻」、徳川秀忠「葵 徳川三代」
徳川吉宗「八代将軍吉宗」、西郷隆盛「跳ぶが如く」、山県狂介「花神」、西郷頼母「八重の桜」
高橋是清は大河じゃないけど「坂の上の雲」
501日本@名無史さん:2015/01/18(日) 21:37:31.94
>>497
時代劇スレだと
晴耕雨読中の黄門(里見)に暴漢に襲われた隠密同心の伝法寺(里見)が現れ、密書を託し息絶える
遠山(里見)と歓談中の将軍(里見)を訪れる黄門(里見)
駿河の国で長七郎(里見)を擁する一派に不穏な動きがあるため、年寄りに任せろと言い出す
お供の助(里見)格(里見)を連れ旅立つ黄門(里見)
宿場で町娘に「お父っつあん」と声をかけられ家に連れてかれる黄門(里見)一行
そこへ帰ってくる腕利き職人の親父(里見)
一方、お銀と飛猿は格(里見)に瓜二つの武芸者(里見)と知り合う
その頃、暴漢に襲われた侍(?)を助けた弥七は、笠を取った侍(?)を見て
「助さんじゃありやせんか」

こんな感じで括弧つきにする?
502日本@名無史さん:2015/01/18(日) 22:04:10.82
>>495->>496は自演なりすまし大好きな皇室執着キチ臭い
503日本@名無史さん:2015/01/18(日) 22:11:13.33
>>499
そうなんですか?

>>500
成る程!よくわかりました。
西田敏行さん凄いですね。
ありがとうございました。

>>501
里見さんも凄いですね。
それも面白いです。
504日本@名無史さん:2015/01/19(月) 08:26:24.81 ID:pMtfl7EC
山本勘助「武田信玄」
だな
505日本@名無史さん:2015/01/19(月) 12:03:37.72
年間通して主役として取り上げるには難しい人物たち50人を集め、
それらの人物の中で最もドラマチックな時期を取り上げ、
それぞれ短編オムニバスで1年間やってみる。
例えば、北斎、運慶、尾形光琳などの芸術家や、
蜂須賀小六、松永久秀、筒井順慶など脇役っぽい戦国武将など。
506日本@名無史さん:2015/01/19(月) 12:38:03.58
これ以上は大河板でやれ
大河板のコピペを無意味にはるのはスレチ
507日本@名無史さん:2015/01/20(火) 01:19:14.50
「治天」という立場は最終的にどうなったんですか?天皇に統合されたの?
508日本@名無史さん:2015/01/20(火) 01:23:51.67
>>507
明治維新で天皇に一元化。リセット。
509507:2015/01/20(火) 01:29:22.73
ありがとうございます
wikipediaだと後小松が最後の治天みたいですが、
後小松以降の上皇や天皇家当主は治天ではなかったのですか?
510日本@名無史さん:2015/01/20(火) 08:56:56.23
>>509
最後に院政を行ったのは江戸末期の光格天皇だぞ。
511日本@名無史さん:2015/01/20(火) 19:08:27.29
江戸期には院政が質的に変化したから治天に含めないのかね。
もともと院政ってのは摂関家の朝政代行を超えるために作られたシステム。
江戸時代の院政は摂関の政務代行が前提となった上で天皇の意思を代行する。
512日本@名無史さん:2015/01/21(水) 00:59:00.72
初の唐風都城の藤原京ですが、藤原京という呼び方は後世のものですが、なぜ藤原宮という名前が付けられたのでしょう?
普通に考えれば臣下の名前なぞ付けないし、遠慮するものと思うのですが
513日本@名無史さん:2015/01/21(水) 01:22:49.80
紫香楽宮とか難波宮とかと同じで地名だそうですよ。
514日本@名無史さん:2015/01/23(金) 21:36:28.11
手取川の戦いの規模ってどのくらいだったのでしょうか?
515日本@名無史さん:2015/01/26(月) 10:07:01.56
全盛期の比叡山延暦寺勢力と全盛期の本願寺勢力が戦ったら、
どっちが強かったと思われますか?
516日本@名無史さん:2015/01/26(月) 12:24:09.85
歴史難民板へ逝ってください
517日本@名無史さん:2015/01/26(月) 18:16:31.72
>>512
大和国高市郡藤原という地名から
中臣鎌足はこの地を天智天皇から与えられここに邸を構えたために
天智天皇から姓を与えられる際に藤原姓となった
時代は変わり持統天皇がこの地に都を開き地名を取って藤原京とした

現在の橿原市高殿町がかつての高市郡藤原の推定地
高殿という地名は藤原京の中心となる宮殿がこの地に築かれ
その建物が「高殿」と呼ばれたのが由来とされる
518日本@名無史さん:2015/01/28(水) 09:25:11.29
いわゆる安政の大獄は治安維持法の先取りだったと解釈してOKですか?
それとも全く本質的にちがうものですか?
519日本@名無史さん:2015/01/28(水) 10:51:04.54
>>518
前近代には、権力者への批判、政治犯を弾圧するのは、日本に限らずどこにでもよくあったこと
封建時代にあった安政の大獄はその一例にすぎない
520日本@名無史さん:2015/01/28(水) 20:33:19.10
>>518
正直言って全く違うもの。
治安維持法が想定する対象はあくまで政権の外にいる過激派や社会運動家。
安政の大獄は一橋派やそれに近い大名への処分が目的で
尊皇攘夷の活動家への処罰はおまけ。
反主流派を政権主流派が処罰した政争に近い。
521日本@名無史さん:2015/01/29(木) 00:56:41.54
↑レス、ありがとうございました
522日本@名無史さん:2015/01/29(木) 11:43:14.38
大獄ってのは事件で、維持法ってのは法の制定で
次元が違うから答えにくいのだけど、批判派の取り締まり、
という大きな枠では同次元。
本質的には同じなんだけど、状況と形式によって
違う事象にもなるってとこだわね。
523日本@名無史さん:2015/01/29(木) 19:52:53.28
関ヶ原は決着まで3ヶ月はかかると予想されてたみたいですが
野戦で3ヶ月なんてありえるのでしょうか
長期戦になった野戦ってありますか?
524日本@名無史さん:2015/01/29(木) 20:21:29.45
川中島の戦い
525日本@名無史さん:2015/01/29(木) 20:31:21.95
小早川秀秋は10代の若者が1万超えの兵を
筑前から松尾山まで連れてきただけで優秀って読んだのですけど
最近では叩かれすぎて評価されるようになったのでしょうか?
526日本@名無史さん:2015/01/29(木) 20:49:13.84
秀秋は長引いた戦乱で疲弊した農村に胸を痛めてるみたいだから
関ヶ原を短期で終わらせるって強い意志があったのかもしれない
更に誰のお陰で勝てたか家康に分からせるため十分焦らしたとすれば大したもんだ
527日本@名無史さん:2015/01/29(木) 21:02:03.66
>大獄ってのは事件で、維持法ってのは法の制定で次元が違うから答えにくいのだけど

法による支配をより明確化しただけ
次元が違うのは君のオ・ツ・ム
528日本@名無史さん:2015/01/29(木) 21:06:23.86
>>525
創作がかなり入ってる作品なので引き合いに出すのはアレだが、
自分は最近これを読んで「こういうとらえかたもありかも」とおもった。
http://yaruo.wikia.com/wiki/新・やる夫の関が原戦線異常アリ
529日本@名無史さん:2015/01/29(木) 21:07:24.56
>>527
おまえ、恥ずかしすぎる
530日本@名無史さん:2015/01/29(木) 21:46:09.83
>>523
大坂城を落とすのは大変だぞ
毛利輝元の無能ぶりは予想できなかった。てかなんでこいつこんな馬鹿なの、まともな家臣皆無なの
531日本@名無史さん:2015/01/29(木) 22:25:33.73
>>526
あー無理矢理褒める所探す感じの人になったって事ですか?
それともネタ的な感じに?
>>528
ありがとう読んでみます
532日本@名無史さん:2015/01/30(金) 00:28:50.35
>>523
その予想というのは、「どこでどう決着がつくかが将来の問題だから誰も確定的には分からない時点での予想」であって、
「どこかでの野戦」だけで、ないし「野戦だけ」で一気に片がつくとは予測できないほうが普通だった、とかいう話でしょ?
533日本@名無史さん:2015/01/30(金) 01:00:00.09
>>530
アホかお前。輝元は大阪城本丸を全く掌握してないんだぞ。つかアイツが把握してたのは西の丸だけだ。
そんなんで戦になるかよ。大阪城自体が分裂してたんだよ。
534日本@名無史さん:2015/01/30(金) 08:39:02.65
なぜかケンカ腰
535日本@名無史さん:2015/01/30(金) 11:25:24.43
つまり輝元は自分が詰めてる大阪城も掌握出来ないし、両川以下の家臣団も掌握出来ないボンクラと。
536日本@名無史さん:2015/01/30(金) 12:12:20.42
>>533
毛利輝元は大坂城西ノ丸に詰めてたってだけだろ
本丸には秀頼や淀殿がいるのだから
とにかく輝元が西軍大将であったにもかかわらず不戦を貫いたのは輝元の意思
別に本丸の秀頼や淀殿に輝元がはめられたわけでも何でもない
輝元はいざとなったら秀頼も淀殿も見捨てて東軍家康の懐に飛び込む用意をしていた
その間、毛利輝元に色目を使って家康に靡くよう画策してたのが黒田長政
537日本@名無史さん:2015/01/30(金) 12:31:24.69
関ヶ原段階では輝元は毛利家中において絶対的権威を確立できていなかった
毛利家中の体制が近世的に変換されるのは、防長へ押し込まれた結果、家臣団が在地との地縁を失ってから
538日本@名無史さん:2015/01/30(金) 13:54:07.03
毛利元就が三本の矢とか言って息子3人に3家を継がせ共同統治を命じたからだろ

それとは別に毛利輝元は養子の毛利秀元の主戦論を退け勝手に撤退するなど
毛利家内でも奇異な行動をとり続けた
539日本@名無史さん:2015/01/30(金) 14:49:24.75
毛利オタのオナニー、うぜえ
540日本@名無史さん:2015/01/30(金) 17:32:28.78
>>536
淀は毛利輝元も西軍の兵も一歩も本丸に入れていない。
そもそも淀殿は親家康派であり、見捨てられたのは輝元の方。
541日本@名無史さん:2015/01/30(金) 18:12:08.28
>>540
淀が親家康ならそもそも西軍大将の毛利輝元を大坂城に入れないだろ
同じく西軍の石田三成は大名たちからとった人質を大坂城下に入れているのに
どんな責任追及されるかわからん
542日本@名無史さん:2015/01/30(金) 19:04:14.85
>>541
淀の妹達の家の動向見てみろ。徳川はもちろん、京極なんて畿内にいて西軍から東軍に鞍替えしてるんだぞ。
淀の意向が無かったと考えるほうが無理がある。
543日本@名無史さん:2015/01/30(金) 19:13:47.44
>>542
京極高次が淀の命令で家康についたわけないじゃん
高次は跡取りの忠高を西軍の人質に出しており西軍に就く予定だった
544日本@名無史さん:2015/01/30(金) 21:43:08.37
>>543
お前は日本語がおかしいな
545日本@名無史さん:2015/01/30(金) 22:34:56.19
質問です
江戸時代に描かれた織豊時代の武将の絵や版画って、太平記みたいな甲冑っぽいのが多い気がするんですが、何か理由があるんでしょうか?
織豊時代でも室町初期の甲冑を着けてた武将もいたでしょうし、江戸時代に懐古趣味的なデザインが流行ったのと関係ありますか?
現代のアーサー王の絵本で騎士がフルプレート着けてるようなステレオタイプイメージができてたのかもしれませんが、変わり兜や南蛮鎧で有名そうな武将もいるのになぜそうなったのか不思議です
546日本@名無史さん:2015/01/30(金) 22:52:12.45
具体的な例を挙げてもらわんと判らん。
547日本@名無史さん:2015/01/30(金) 23:08:18.09
>>545
江戸期、錦絵などの商業出版では基本的に、戦国時代の武将を描くことは禁止されていた(その子孫が大名になっていたため)
なので戦国期の武将を描く場合、鎌倉期や南北朝期の武将に仮託して描かれた。
548日本@名無史さん:2015/01/30(金) 23:29:43.40
>>547
納得です
ありがとうございます
仮名手本忠臣蔵じゃないけど憚りみたいなのがあったんですね
549日本@名無史さん:2015/01/31(土) 00:07:11.54
550日本@名無史さん:2015/01/31(土) 01:00:01.70
どこかで家康が討ち死にしてたら、その瞬間に情勢はガラッと変わってるわけでしょ。
そうならなかったのが、事前に確定的に判明していた当たり前のことなのか?
551日本@名無史さん:2015/01/31(土) 09:35:16.43
世良田二郎三郎元信がいる
552日本@名無史さん:2015/01/31(土) 09:45:21.46
影武者徳川家康w
553日本@名無史さん:2015/01/31(土) 21:53:10.82
日本の国土は版籍奉還の時点で一度天皇のものという形に
なりました
その後、いつの時期に民間人や民間企業が土地を私的所有できる
ようになったのでしょうか?
また、民間人や民間企業が国(天皇)から土地を買い取ったので
しょうか?
農地改革の前の段階の疑問です
554日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:01:07.65
>>553
版籍奉還は天皇に政治が返還されたというだけで
私有財産制度が禁止されたのではありませんよ
555日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:08:17.06
>>553
徴税の対象としての土地を奉還したのであって土地の所有権ではない。
556日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:17:25.47
日本だとソ連崩壊の1200年以上前に私有地が公式に認められてるしな
557日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:58:24.00
553へのレス、ありがとうございました
版籍奉還で徴税権が藩主から天皇に移っただけであり、
農民、武士その他の私有地はそのまま認められたのですね
558もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/01(日) 06:19:44.36
版籍奉還の土地所有環形はかなりいい加減なものだったよ。
藩の武士は諸役に応じて家屋敷を貸与されていたが、武士個人の所有物のような扱いがされた。
穢多頭、非人頭も武士であるが、広大な土地をそのまま所有している。
これが整備されていくのは、松方デフレ以後になる。
559日本@名無史さん:2015/02/04(水) 12:01:33.57
平安時代などの中世、武家ではなく朝廷の権力が強かった時代
式年遷宮にかかる費用は、国税で賄われていたのですか?
なぜこのような質問をするかといいますと、式年遷宮のせいで庶民が苦しめられたと言う記述がありまして
560日本@名無史さん:2015/02/04(水) 12:07:14.93
治安維持法制定の際に「日本は古来から土地は国有地だった」と主張する奴が現れて
俺達の先祖はみんな治安維持法違反者だという詭弁が生まれた
561日本@名無史さん:2015/02/04(水) 12:11:33.41
中世の朝廷なんて庶民からの寄付で成り立ってたんだけどね!
変わったのは徳川以降か?
562日本@名無史さん:2015/02/04(水) 13:45:47.09
>>559
国税というより土地は全て天皇のもので
庶民はそこで農業してるから
利用料を納めるという感じかと
563日本@名無史さん:2015/02/04(水) 13:49:07.20
>>561
重税にあえいでいる庶民が朝廷のために寄付するわけないじゃん
皇室や公家は直轄領を持ってたんだよ
564日本@名無史さん:2015/02/04(水) 13:53:10.76
わざわざ相手する暇人
565日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:03:24.87
そんな説あったっけ?
566日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:04:45.75
治安維持法の私有財産の否認は朝廷支配の否認ということでおK?
567日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:07:10.53
意味わかんねえけど?
568日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:11:36.29
566
お前ちょっと肯定論を入れながら説明してみな
569日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:18:34.84
要するにお前は自分が分かってるって前提で相手もその前提が通じると思ってるってことだ

要するに舌たらず
570日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:45:47.18
私有財産制度の否認を述べることが犯罪なら、日本史語るのって犯罪じゃね?
571日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:47:26.47
天皇関係は隔離スレでやれよ
うざい
572日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:51:55.24
>>566
治安維持法がなにかをわかっていない
いつ私有財産を否認したんだ
教科書レベルからやり直せ
573日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:59:04.42
節分行事は大昔からあったと思いますが、鬼は何を表現したものなんですか?
574日本@名無史さん:2015/02/04(水) 19:51:20.65
>>573
言い過ぎを恐れずにズバリ言ってしまえばインフルエンザ。
575日本@名無史さん:2015/02/04(水) 19:51:53.86
江戸時代に制定された法令で今も有効なものってある?
576日本@名無史さん:2015/02/04(水) 21:31:14.41
存在しえない、という解答で良いはずだな。

法学板にQAスレや法制史のスレってないのね。
577日本@名無史さん:2015/02/04(水) 22:56:41.20
>>575
法令ではないが川の利水権や山の利用権といったものは、江戸時代に認定された権利がそのまま有効とされている。
578日本@名無史さん:2015/02/05(木) 00:05:58.39
法令だの条例だの意味が分かってて使い分けているわけじゃあるまいし
ぶっちゃけ民法は慣習法に拠るところが大きいから鎌倉以前というのもある

>節分
本来は季が新たになる節目
良いものも悪いものも入れ替わるので悪いものを追い払うための理由付けとして様様なものが付け足された
鬼とは悪いものの具象化

>式年遷宮
木材は専用地、人件費は神人の職分
妙な思想に染まった人物の発言ではないのなら、何に対して税を誰から徴収したのか聞いてみて
579日本@名無史さん:2015/02/05(木) 10:55:47.03
平安中期ごろから、
関東や西国などで農地を開拓した傍系の皇族や中級以下の貴族が武士の発祥とされている。
その武士がその土地に繋がりのある者や、
荘園などから逃散した人々を雇って家の子郎党ととした使用人を指して、
その当時、彼らを武士とは認識されていなかったのか?
580日本@名無史さん:2015/02/05(木) 12:46:53.88
近現代板の質問スレにも書いたのですが、全くレスが付かないため、
こちらにも書かせてください
大政翼賛会の概念って挙国一致体制=一党独裁体制って感じで概ね合ってますか?
誰かわかりやすく教えてください
581日本@名無史さん:2015/02/05(木) 14:14:50.58
>>573
もともとは中国から奈良時代に日本に伝わってきたもの
古くは大晦日に一年の厄払いをするために四つの目がついた仮面をかぶった呪術師役が
弓を引いて厄払いをする宮中行事だった
平安時代中期頃からは仮面をかぶった呪術師が逆に「鬼」と呼ばれて追われる厄病役となり
公卿たちが弓矢を引いて鬼を追い払うという行事にかわり「鬼やらい」「追儺」と呼ばれるようになった
これが民間にも広まり弓矢を引く代わりに豆を撒きだしたのが鎌倉時代
当時は旧暦であったためにこれを明治以降の太陽暦に移すと
旧暦の大晦日は太陽暦の2月3日頃となりこの日に鬼を追う行事をするようになった
582日本@名無史さん:2015/02/05(木) 15:59:40.49
>>579
河内源氏も伊勢平氏ももともとは没落した都の貴族が
受領(地方官)として地方へ赴任したもの
この段階では中流貴族
次第に都での官職を諦めて地方に土着し累代の家子を雇って武士化した
これが平安末期
583日本@名無史さん:2015/02/05(木) 16:49:57.44
武士は地方へ下向した貴族と、地方の国衙軍の軍人が主従契約を結んで合体したものだよ。
ぶっちゃけ荘民とか殆ど関係ない
584日本@名無史さん:2015/02/05(木) 17:24:14.73
まだ機械化されていな平安期の荘園経営では、
農作業に従事する人員はかなりの人数が必要であったと思われ、
国衙の兵の他に、重労働や重税で区分田から逃散してきた者も含まれるであろう。
武士という概念も定かでなく、また兵と農が分離していなかった当時は、
家の子郎党どものうち、優れた者が主人に近侍したり、
主人の身内と姻戚関係を結んだりして、
主人と、郎党の中でも上層の者が武士化していったのではないか?
585日本@名無史さん:2015/02/05(木) 17:37:42.97
>>583
国衙軍とは微妙に違う
国衙軍は朝廷並びにその地方官である受領に付属するが
土着した武士層は受領を退任しても尚都に戻らず地方に住み続けた
そこで収入源となっていたのは都の貴人たちが所有する荘園
地方に土着した貴族層は都の上流階級である皇族や摂関家に仕え
彼らの荘園を守る武装集団となってそこから収入を得ていた

河内源氏ももともとは摂関家の雇われ兵
摂関家の荘園を守って収入を得る武装集団だった
安和の変で藤原氏の他氏排斥の密告係やったり
花山天皇を退位させるときに藤原兼家の命令で後つけたり
摂関家直属の雇われ兵として働いている
586日本@名無史さん:2015/02/05(木) 17:41:53.81
清和源氏も満仲の素性が怪しい
587日本@名無史さん:2015/02/05(木) 17:59:45.07
清和源氏か陽成源氏かって程度で
満仲が受領で鎮守府将軍になったのは間違いないだろ
588日本@名無史さん:2015/02/05(木) 18:14:12.74
>>587
九州では源氏になりすまそうとした奴もいた
589日本@名無史さん:2015/02/05(木) 18:28:47.56
なれなかったのかよw
590日本@名無史さん:2015/02/05(木) 18:59:31.61
>>580
挙国一致体制=一党独裁体制を目指したものではあるけど実態は全く違う。
特に一党独裁体制とは全く違うね。
戦前の日本では政党が行政権を完全掌握することができない。
行政府の任命は重臣が行っていたんで党人とは関係ないところで決まる。
大政翼賛会は政党が政府に従属する形で運用された。
それと一党独裁ってのは他の政党を排除するんだけど
大政翼賛会は全ての政党が合流して発足したんで思想信条に大きな違いがあって
政党として必須の共通の政治的目的が無かった。
591日本@名無史さん:2015/02/05(木) 22:56:37.49
>>589
「源光」という名前にしたら、
同じ名前の奴が実在していて
それで怪しまれてばれた
592日本@名無史さん:2015/02/05(木) 23:15:42.20
>580
そもそも日本の政党は欧州の議会を参考にしている
英国議会も挙国一致内閣が大好きだがだからと言って独裁を目指しているわけじゃない

ヘイト大好きな今の日本メディアが好んで用いるレトリックで、そういうレッテル付けが多用されているけど
戦時における左右合同は、冷戦期左翼の強い仏・伊ですら当然のこととして是認されている

世界中からテロリスト認定されているISISを山賊呼ばわりしただけで規制する日本のメディアの主張は異端なんだよ
593日本@名無史さん:2015/02/06(金) 00:49:26.33
>>592の書き方は悪意があるので補足
右翼とか左翼とか関係なく、いざ戦争となるとどうしても国民の足並みを揃える必要が出てくる
いいとか悪いとかじゃなくて、そうしないと戦争に勝てないんだな
その結果、思想は統一されるし(多くの場合ナショナリズムが用いられる)生活や発言にも厳しい制限が課せられる
だから、多様性や議論の余地を残しておきたいなら、戦争にならないように努力しましょうってこと
594日本@名無史さん:2015/02/06(金) 09:42:16.62
>>580へのレス、ありがとうございました
完全に理解できたわけじゃないけど、参考にします
595日本@名無史さん:2015/02/06(金) 09:46:35.08
関連質問させてください。
大体、平将門の乱以降の東国を想定して質問したいのですが
都落ちした中流貴族が自分で田畑を開拓して、集落を作って
それが武士の領地になったという認識なんですが
もし違ってましたら、ご指摘願います。
596日本@名無史さん:2015/02/06(金) 10:45:39.53
>>595
中流貴族が自分で地方に行き勝手に田畑を開拓したわけではない
田畑を開拓するのは古くからその土地に住む土豪たち
自分の私有地を守ってもらうために土豪たちは都の貴人に荘園として寄進し
その荘園の用心棒として土着した武装貴族が配せられた

自分で開墾した土地ならばその土地に一族は縛り付けられるが
実際の武家の棟梁はそうではない
平将門の乱の頃、東国といえば平氏一族が多数住んでいたが
いつしか平氏宗家は西国に移り今度は東国は源氏の勢力地になっている
武家の棟梁は主従関係を結ぶ都の貴人(皇族や摂関家など)の意向によって
あちこち居住地や勢力地を変えており土地に縛り付けられていない
597日本@名無史さん:2015/02/06(金) 11:45:54.20
>>595
田畑は元からあった
ほとんどが朝廷に支配され税を納めていたが
地方に行った国司や郡司が税を納めるのがもったいなく感じた

当時の奥州は独立国のようだったから
その影響があったのだと思う
そして国司や地元の豪族が土地を寄贈されたり
武力で奪って領土を所有し武士化して行った
598日本@名無史さん:2015/02/06(金) 12:08:42.65
ま、傍流皇族や中流貴族のヤクザ化ですな。
で、いつしかそのヤクザどもを武士という呼ぶようになり、
ついには集団化して幕府をつくってしまったんですな。
599日本@名無史さん:2015/02/06(金) 12:41:52.79
>>595
ちがう。農民が武装したってそれが『軍事力』にはならない。
専門的技術と統率力を身につけた中央の軍事貴族が下向し地方の国衙軍と主従関係を結んだのが原初的な「武士」。
彼らは荘園などに軍事・警察力を提供し、その対価を得ていた。

二度言うが、農民が武器を手にしただけでは絶対に「軍事力」にならない。
600日本@名無史さん:2015/02/06(金) 16:52:07.79
すみません。
では、北条氏のように豪族あがりで平氏を仮冒してる領主というのは、どういう存在なのか教えていただけないでしょうか。
それ以外はよくわかりました!
601日本@名無史さん:2015/02/06(金) 21:41:20.97
何で日本では割礼が普及しなかったの?
602日本@名無史さん:2015/02/06(金) 22:25:27.74
宦官がいないのはなんで?
603日本@名無史さん:2015/02/06(金) 23:00:19.39
>>602
遊牧民じゃないから
遊牧民は家畜を有効的に使うため去勢する
つまり中国人は家畜の一種だった

>>601
その発想は無い
それだけだ
604日本@名無史さん:2015/02/06(金) 23:08:55.11
>>600
北条氏とはいわゆる鎌倉北条氏のこと?
そもそも関東は平氏の勢力が主流であり、古くからの豪族が平氏を名乗るのはむしろふつうのコト。
どういう存在かと言われても、ごく一般的な存在としか答えようがない
605日本@名無史さん:2015/02/06(金) 23:22:19.79
>>604
わかりづらい質問ですみません。

北条氏のような小さい豪族は、>>596の「荘園の用心棒として土着した武装貴族」なんでしょうか?
それとも、小さい領地を持っていた豪族なんでしょうか?
平家物語を読むと、小さい軍事力は持っていたわけで、どういう存在なのか気になりまして。
すみません。
606日本@名無史さん:2015/02/07(土) 01:03:50.87
>>602
宦官の手術の技術は、もともと遊牧民族が家畜を去勢する手術の技術を人間に応用したもの
だから、自分たち自身が遊牧ないし牧畜を産業とする民族か、または身近にそういう民族がいないと、
その技術自体がない
幕末に日本に来た欧米人は、日本の馬が去勢されていないことに驚いている
つまり日本には明治になるまで去勢技術がなかった、だから宦官手術もできなかった
607日本@名無史さん:2015/02/07(土) 01:20:44.58
五摂家の当主の格って
単純に家柄だけですか?
608日本@名無史さん:2015/02/07(土) 02:53:34.29
>>605
というか武士の「所領」というのはあくまで土地の管理権であって、自分で耕してたわけでも農村経営してたわけでもなんでもないからなあ。
そういう「兵農一致」の存在が出てくるのはようやく戦国期に入ってから。
609日本@名無史さん:2015/02/07(土) 06:59:28.68
土地の管理権だけだとまるでヤクザのシマみたいだなw
610日本@名無史さん:2015/02/07(土) 09:46:46.72
>>608
奥州では一体化してたぞ
だから頼朝は稲刈り時期を狙って攻め込んだ
611日本@名無史さん:2015/02/07(土) 09:50:11.12
>>606
大陸から馬や知識が入ってきてるから
去勢を全く知らなかったということは無い
日本人の価値観に合わなかっただけだ
日本人にとって馬や家畜は家族だった
612日本@名無史さん:2015/02/07(土) 09:54:28.98
農地の管理権とは、
武力によって所謂ハジカミ料を取るヤクザな権利ですか?
613日本@名無史さん:2015/02/07(土) 10:04:58.46
じっさい日本で馬の去勢が一般化しなかった理由は何でしょうか?
614日本@名無史さん:2015/02/07(土) 10:30:57.39
>>610
してないしてない。収穫期の田畑を荒らすのは住民に対する領主の安全保障力を否定し、住民を離脱させる作戦で
昔からよく行われていた。「苅田」って知ってるか?
615日本@名無史さん:2015/02/07(土) 12:03:53.45
>>607
質問の意味がよくわからないが
五摂家が偉いのは家柄がいいからかと聞いてるのかい?
616日本@名無史さん:2015/02/07(土) 14:00:30.26
>>612
近代国家だって税金取ってる
ヤクザがダメなのはそれを無視してるから
武士は政府と同じなのでヤクザではない
617日本@名無史さん:2015/02/07(土) 14:06:51.24
>>613
日本では牛や馬といった大型家畜の肉を(飢饉や籠城戦で食糧がなくてしかたなく、というのは別として)
食べなくなってしまったので、農家にはそれらの屠殺の経験がなかった
そのため、牛や馬は殺したり傷つけたりする対象ではなく、農耕や戦や物資輸送のために飼育し、
いつくしんで育て、愛情をもって世話してやる生き物、という感覚になった
たとえば、現代人でも、愛するペットの犬や猫に麻酔なしの手術をするのは、かわいそうだとためらうだろう
それに似た感覚で、牛や馬を刃物で傷つけることを感情的な理由で嫌った
618日本@名無史さん:2015/02/07(土) 14:14:40.30
>>614
奥州合戦時、奥州17万騎と言われてたけど
思うように人が集まっていない
それは農民と武士が一体だったから
619日本@名無史さん:2015/02/07(土) 18:41:39.40
兵農分離前の戦国時代は
農民が農閑期のバイトとして合戦の雑兵をやってた
620日本@名無史さん:2015/02/07(土) 20:32:02.07
>>615
例えば5家の当主が
全員同い年経歴も同じ程度だった場合
並び順は家の各の順になるんですか?という質問です
621日本@名無史さん:2015/02/07(土) 20:44:25.27
五家の当主全員が大納言とか、ありえないだろ
622日本@名無史さん:2015/02/07(土) 21:20:46.57
「ククク…奴は五摂家中で最弱」
ってのがあったとして、
最弱かどうか決めるのは家格以外の要素もあるのか?って事?
623日本@名無史さん:2015/02/07(土) 22:26:46.94
>>622
同条件だとしたら出世や席順?全てに近衛=九条>他3家は
徹底されると思って良いんでしょうか?と言う質問です
624日本@名無史さん:2015/02/07(土) 22:39:45.12
>>619
それ大嘘だからな。
というか戦国期の兵農分離自体今は否定されてる。
625日本@名無史さん:2015/02/07(土) 22:41:06.52
>>618
アホか。明らかに劣勢な勢力に味方につくバカどれほど居るとお思ってるんだ?
奥州藤原氏はそれを覆せるほどの武士に対する統制力は持ってない。
626日本@名無史さん:2015/02/07(土) 23:25:40.90
うん?
>>619は戦国時代は兵農分離していないって言って
>>624も戦国期は兵農分離していないって言ってるように見える
627日本@名無史さん:2015/02/08(日) 00:31:43.02
>>625
明らかな劣勢とか
そんな情報を奥州が持ってたと思うか?
今と違うぞ

頼朝は30万の兵力で奥州を攻めた
それは奥州を支配するため最低限必要な兵力だった
628日本@名無史さん:2015/02/08(日) 00:33:32.20
専業武士が勝利したのが鎌倉時代
629日本@名無史さん:2015/02/08(日) 01:52:13.85
>>627
ハァ?頼朝の圧力に屈して義経殺したのはどこの誰だよ?
そういう情報を奥州藤原氏の配下が知らなかったとでも?
どれだけおめでたい頭してるんだお前
630日本@名無史さん:2015/02/08(日) 10:20:57.02
その前に頼衡,忠衡ら一族で内輪もめしていたでしょう
631日本@名無史さん:2015/02/08(日) 11:11:27.72
>>629
圧力に屈した?

跡継ぎが馬鹿すぎ
義経と仲が良かった弟も殺している
632日本@名無史さん:2015/02/08(日) 12:12:28.61
>>631
はいはい馬鹿馬鹿
典型的な昔の人間を安易に馬鹿だと思い込む無知無能だな
633日本@名無史さん:2015/02/08(日) 12:20:24.43
兵農分離は基本的には江戸期に起こった現象だな。
軍役・賦役の代銭納制が広まったためで、このあたりは幕府による寛永通宝の発行などでの
銭の価値の安定ともセット。
634日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:05:20.72
あのさあ、たいした知識もないのに、嘘と妄想で答えんなよ


兵農一致は主に戦国時代だ?
いったやつ出てこいよ

鎌倉辺りから関東武士団の定着により兵農一致化が中流武士層の主流になり、
室町ではこれらが地侍や土豪などをなす主力になる。

逆に戦国時代になり、豊織の出現により、兵農一致の材地武士層がことごとく消え去っていき、
雑多を主力とした傭兵武士が主力になる。

低学歴はすっこめよ
635日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:11:19.76
ただ、付け加えるが、兵農分離が制度化されたのは元和演武による宣言により、兵農分離が徹底化された。

刀狩りと混同されやすいが、刀狩りは一部上方のみで、ほとんどされてないし、
兵農分離とは一切関係ない。
兵農分離は、それまでの武士層の主流たる材地武士層がみな兵農一致型の地侍層であり、
徳川が関東入府後も、関東はこの地侍がうじゃうじゃいたため、
身分解離のため兵農分離たる意味を込めた元和演武を宣言した。
636日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:16:29.36
さらに付け加えるが
元和演武により、それまでの在地領主たる兵農一致型の地侍層はことごとく農民たる庄屋にされたが、
刀狩りのように、武器武具を強制接収した事例もお触れもでておらず、武装解除も表だってしていない。

ただ、身分解離は強制され、常時武装化している大儀を奪うかわりに、それなりの利権を保証したのが庄屋層の兵農分離
だから、関東東日本の庄屋は武器武具を普通にごろごろ所持してるわけ
637日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:21:34.51
それから、そもそも関東武士団とは、中央貴族の土着でもなんでもなく、
在地の有力百姓が武装化して一大勢力と化したもの。
638日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:22:54.28
それから、そもそも関東武士団とは、中央貴族の土着でもなんでもなく、
在地の有力百姓が武装化して一大勢力と化したもの。
639日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:31:49.54
>>619
ほらばっかふいてんなよ
農民がバイトでやってる部類は江戸時代に武士層になっていった秀吉や浅野見たいな足軽階層の貧農日雇いだろ。

大名の主力をなす騎馬格の軍役を科された武士層は地侍といわれる有力百姓だぞ馬鹿が。
640日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:31:57.60
煽るだけで持論は展開しないageageくん
641日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:36:31.93
>>599
天草の乱
一向一揆
本願寺放棄
雑賀党
騎兵隊
西南戦争
すべて近大軍制化された軍団がことごとく敗走してるの説明しろよ
642日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:39:26.69
ようは>>596が大前提の背景として存在してるんですよ。

そこをわかってない低学歴が多すぎ
643日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:52:02.42
馬鹿だから中央下校貴族が地域の隅々まで移り住んで武士化していったとホザク低学歴がいるが、

まったく違う。

そもそも百姓とは名ばかりの日雇い層の秀吉なんて、平安鎌倉より続く室町の日本全国の名門をことごとく滅ぼしてんだろうが。
馬鹿なんじゃね、?
644日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:55:32.41
在地では、有力百姓が武士化して軍事力を形成できる素養や下地、また財力や地盤等が存在し得なかったという固定観念が間違えてるんですから。
645日本@名無史さん:2015/02/08(日) 14:59:18.73
確かに武士といってもなんパターンかに分けられるが、
すくなくとも596でいう武士以外の武士層は大半が在地の有力百姓が武装化していったのが武士

以上
646日本@名無史さん:2015/02/08(日) 15:25:39.96
>>616
>>近代国家だって税金取ってる
ヤクザがダメなのはそれを無視してるから
武士は政府と同じなのでヤクザではない

ま、支配者は被支配者から税金と称しカネを巻き上げるものなのだが、
「武士」どもも幕府を開くまでは非合法な立場であって、それまではヤクザそのものであるな。
当時と今とでは常識が違うので一概に言えないが、
近代国家以前の庶民にとっては、政府であろうが、ヤクザであろうが税や巻き上げられたカネや物が、
何に使われているのかなどは意識の外のものであるな。
ただただ強い者が弱い者から「税」として搾取する・・・弱肉強食の世界ですな。
民主的な社会では税金が公共の福祉のために使われている、
というのが建て前ではあるが、さて、現代の税金は・・・?
647日本@名無史さん:2015/02/08(日) 17:31:01.12
室町幕府の鎌倉府について興味がわいたから調べたいんだけど、
手ごろな書籍はありませんか?

wikiとかみたかぎりでも伊達政宗討伐とか長尾景春の乱だとか、
足利成氏が古河に移って以降は古河に仕えることを「鎌倉に出仕する」と言ったとか面白そうな話が沢山あったので。
関東における権限の大きさとか、経済力とかについて大まかなところを知りたいです。
648日本@名無史さん:2015/02/08(日) 17:31:30.15
大体、蜂須賀や九鬼なんてリアルにそれだろ
649日本@名無史さん:2015/02/08(日) 19:23:07.33
>>647
動乱の東国史5 鎌倉府と室町幕府
動乱の東国史6 古河公方と伊勢宗瑞
http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/nc1331.html

とりあえずこの2冊
650日本@名無史さん:2015/02/08(日) 22:37:22.12
>>649
ありがとうございます。
近くの図書館にあるみたいなので明日早速借りに行きますね。
651日本@名無史さん:2015/02/08(日) 22:58:59.98
>>632
昔の書にも最低の人物と書かれているぞw
おまえ無知すぎ
652日本@名無史さん:2015/02/09(月) 12:28:03.64
泰衡の話をしているのか?
653日本@名無史さん:2015/02/09(月) 20:55:41.33
江戸時代、
雪国の城は、雪おろしをしたのかな?
654日本@名無史さん:2015/02/09(月) 21:33:16.27
>>652
そうだよ
家督を継いでわずか2年後には滅亡
京都に並ぶと言われた奥州の都が灰燼
日本史No1の愚かさ
655日本@名無史さん:2015/02/09(月) 22:10:47.54
欧州の都とかいうけど
そんなに人いたのかなと思う
656日本@名無史さん:2015/02/09(月) 22:50:45.65
人がそんなにいたかは知らないけど
頼朝はその繁栄ぶりに驚いて
いっぱい寺とか作ったんだっけ
657日本@名無史さん:2015/02/09(月) 23:20:24.96
当時の奥州は名馬と鉄と金の産地
頼朝は喉から手が出るほど欲しかった
何が何でも欲しかった

当時の日本は西日本、関東、奥州で権力を3分してた
奥州を得た頼朝は京都を圧倒できるようになった
もり奥州と京都が結託して関東を攻めれば歴史はまるで変わっていた
義経はそこまで考えていただろう

泰衡のような超愚将が歴史を決めた
658日本@名無史さん:2015/02/09(月) 23:24:03.76
誤 もり奥州と京都が

正 もし奥州と京都があああああ
659まさ:2015/02/10(火) 00:09:55.67
旧事諮問録の大奥の話の149頁(青蛙房新装版)で元奥女中が田安、清水、一橋などの御三卿と同格の扱いで阿波様と三河様について言及しているのですが
この阿波様、三河様とはどなたを指しているのでしょうか?
ご存じの方は教えてください、よろしくお願いします
660日本@名無史さん:2015/02/10(火) 00:25:54.58
>>657
あー、そういう超歴史を信仰してるのか
661日本@名無史さん:2015/02/10(火) 02:20:43.85
>>660
天皇は東日本に負け
武士の時代になった
どこが超歴史なのかなっw
662日本@名無史さん:2015/02/10(火) 03:54:48.88
武力組織なんて現場だからねえ
朝廷という経営陣から見れば下層

でも下っ端武力組織が武士になって政権を取った
これは日本史で非常に重要な事
663日本@名無史さん:2015/02/10(火) 05:05:07.05
>>661
うわあ…

うん、そういう短絡的な理解の歴史を信じているのならまあ、
悪いコト言わないけど人前では喋らないほうがいいよ。歴史勉強してる人に聞かれたら、笑われるから。
664日本@名無史さん:2015/02/10(火) 05:33:06.77
昔はたいした暖房設備もないし
東北に住んでる人はほとんどいないと思う
665日本@名無史さん:2015/02/10(火) 07:06:54.44
江戸っ子大虐殺について調べたいのですが、詳しくご存じの方いらっしゃいますか?
あるいは、適切なスレはありますか?
666日本@名無史さん:2015/02/10(火) 07:54:24.07
そんな事件は歴史に存在しません
667日本@名無史さん:2015/02/10(火) 12:06:32.06
>>663
武士の時代に
首都が移転してしまったしね
668日本@名無史さん:2015/02/10(火) 12:28:06.15
なんだ鎌倉市の妄想か…
世界遺産残念だったね
669日本@名無史さん:2015/02/10(火) 14:39:19.16
>>667
明治2年まで首都は京都だが?
670日本@名無史さん:2015/02/10(火) 18:36:41.08
世界遺産のために妄想を本当だったと錯誤させにゃーならん
671日本@名無史さん:2015/02/10(火) 18:51:42.41
首都については、法的には曖昧だったりする
だからこそ「今でも東京ではなく京都が首都、天皇は長期にわたって東京に行幸しているだけ」と
主張する京都人がいたりする
さすがに本気ではなく一種のジョークだとは思うけどね
672日本@名無史さん:2015/02/10(火) 19:36:12.42
>>667
バカなことを言うな
現在も首都は京都だぞ
673日本@名無史さん:2015/02/10(火) 20:03:41.00
>>659
どういう文脈か分からんので保証はしないけど三河様は松平斉民で
阿波守は蜂須賀斉裕だと思うけど。
どちらも家斉の子だから御三卿とも近親で同列に書かれてても不思議ない。
674日本@名無史さん:2015/02/11(水) 00:19:58.21
源頼朝(源氏ではあるが罪人の子供という立場から征夷大将軍)
豊臣秀吉(貧農もしくは足軽の立場から関白太政大臣)
伊藤博文(下級武士の立場から初代内閣総理大臣)
田中角栄(小卒貧民の立場から内閣総理大臣)

上記の4人は日本史上最大級の立身出世を成し遂げた人物だと思うけど、
全員が「単なる一時代の天下人もしくは政治指導者の一人」という
評価を超えて、日本史上の偉人として評価されていること

いくら立身出世を果たしても、出世してからの業績や言動が評価されなければ
ここまでの評価につながらない
ただ単にすごい出世をした人って評価に留まる
その意味においても上記4人は本当にすごい人物なんだと思う

↑これは他スレのコピペなんですが、この文意についてどう思われますか?
675もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/11(水) 01:13:13.12
秀吉自身は、針売をしていたとあるから、当時では最下層なんだよ。
676日本@名無史さん:2015/02/11(水) 01:59:23.48
最近では、秀吉はそれほどの貧農でもなかったって言われてるな
田中角栄は他の3人と並べるほどの「日本史上の偉人」かねぇ?
戦後の歴代総理大臣の中では比較的重要人物だとは思うけど
677もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/11(水) 05:33:21.65
田中角栄はなかなか文才のあった人で、若い時は脚本書いたりしてる。
交流のあった先生から聞いた話。
678日本@名無史さん:2015/02/11(水) 09:13:21.93
秀吉と角栄は成上がりものらしい薄汚さがなんともな
唐入りとかロッキード事件とか、まともなじゃない
地位が上がっただけで、偉人と呼ぶには程遠い
679日本@名無史さん:2015/02/11(水) 11:53:03.14
秀吉は貧農ではないよ。
現実はもっとしたの日雇い層だと分かりつつある。
小作かが近いだろうが、農業単体の日雇いではないことから日雇い層か現実といわれてる

あの秀吉のひらめきや天才的な神がかったぶぶんは、その日雇い現場の経験と横の繋がり。

一介の貧農からじゃあいえ人材は絶対でない。

伊藤博文みたいな担ぎ上げられた貧農はいるが、決して彼自信に能力あった訳じゃない
680日本@名無史さん:2015/02/11(水) 12:33:54.81
秀吉の出自は本や研究者によってマチマチすぎる。
世間一般には貧農説が流布してるが、受験教科書の定番、山川の詳説日本史だと、
ここ最近はずっと「尾張に地侍」と書いてある。

この記述に違和感を抱いている歴史教師や高校生はかなりいそうだ。
681日本@名無史さん:2015/02/11(水) 12:39:17.09
>>659
>>673の言うとおりで、三河様=松平三河守斉民、阿波様=松平(蜂須賀)阿波守斉裕。
幕末時点では、家斉の男子の生存者はこの二人だけ。家茂将軍の実の伯父。
旧事諮問録では、将軍の親族として大奥にも自由に出入りできたとかいう文脈だったはず。
682日本@名無史さん:2015/02/11(水) 13:10:49.29
だからさ、地侍なら必ず文献に残ってるはず

秀吉の父すら曖昧でんからぬいなんて地侍なんているわけないんだよ
中村で秀吉家系か代々縄張りを有していた記録もなにもないし、

とうの秀吉自信もジイサンの名前も知らないし、ありえないわ
歴史特有の美化史観が事実を全部打ち消してしまう
683もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/11(水) 13:14:13.68
>>679
伊藤は元々、吉田松陰を監視するために送り込まれた藩のスパイだよ。
目付けだね。
身分は足軽。
684日本@名無史さん:2015/02/11(水) 13:47:51.25
藩のスパイ、すなわち足軽ではなく中間たが、まー足軽になったド貧農だろが。

戦国時代もこういう最貧農民が足軽や下級武士の源流なんだろ。
685日本@名無史さん:2015/02/11(水) 13:58:15.94
三河様こと松平斉民や阿波様こと蜂須賀斉裕のような貴公子が権力を失い、
伊藤俊輔のような最貧農民あがりの足軽が明治政府高官から首相、元老になったのは、
日本の歴史上、秀吉の天下取りに匹敵する一代痛快事なんだろうな。

出自を問わない現代における田中角栄なんて、学歴厨以外には何のインパクトもない。
伊藤と山県は足軽・中間。田中義一は六尺(殿様の駕籠かき)の子。
大正、昭和初期の首相も足軽クラスの下級士族の子が多い。
686日本@名無史さん:2015/02/11(水) 14:07:13.86
そもそも鉄の針は当時はハイテク製品で安くなかったから、
それを売るにはそれなりの自己資本が必要。まるっきりの
貧乏人では仕入れができない。
687日本@名無史さん:2015/02/11(水) 14:17:21.89
そもそも
松平→古事記坊主
蜂須賀→りある山賊人足手配師
だけどな
688日本@名無史さん:2015/02/11(水) 14:20:06.21
>>686
身分低い銭民はみな貧乏という価値観自体が歴史をまったく知らないよな
689日本@名無史さん:2015/02/11(水) 14:30:51.14
戦国時代のパラタイムシフトは壮絶なものなんだよなあ。

室町までの名門はことごとく、底辺層の秀吉により滅ぼされ、
底辺層がごろごろ大名になり、
そのカリスマ底辺に付き従えた最底辺層が武士団を構成し、江戸時代の武士になった。

しかし、それら底辺成り上がり層の実家はそのまま底辺層として残る。

実は江戸時代の武士層と底辺層が一番親和性があったという。
690日本@名無史さん:2015/02/11(水) 14:39:25.45
証拠に江戸幕府上級御家人層を占めるのか、伊賀甲賀根来雑賀などの忍者傭兵だが、
江戸も中期となり、これら上級御家人の実家や親類はそのまま貧農民として地元にのこっており、
貧しいことから実家の跡取りがその上級御家人の家の元は本家であることを理由に幕府に御家人取り立てを懇願してるが、
あっさり却下され、そのまま貧農民をやってる。

こんなんごろごろ
691日本@名無史さん:2015/02/11(水) 14:59:46.39
>>685
だから、出自をとわないのは現代より、圧倒的に戦国時代。
そして幕末

以外に現代は資産が固定化されてしまい、金の格差による身分制が出来上がってる
692もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/11(水) 15:33:17.53
>>684
足軽つながりで書かせてもらうと、あたしの家も江戸時代は細川家の足軽やってた。
20石5人扶持と侍帳に書いてあった。
要するに、貧乏人の子沢山だったらしい。
お陰で、養子名門だったらしい。
秩禄処分当時、足軽は侍ではないという意見もあったが、伊達と細川は常勤の実態があったので退職金というか金は出た。
石高の3倍でも微々たるもんだ。
土地、家でおしまいね。
当時は、松方デフレの最中で土地を売る農民も多かった。
693日本@名無史さん:2015/02/11(水) 15:56:19.86
どう考えても、戦国時代より現代のほうが出自を問わない。
694日本@名無史さん:2015/02/11(水) 17:23:29.91
戦国時代の足軽を引き合いに、下級武士叩きしてるヤツからは、
そこはかとなく庄屋厨(庄屋キチガイ)の匂いがするな。
695日本@名無史さん:2015/02/11(水) 17:56:09.05
現代も世襲議員ばかりだけどな
696日本@名無史さん:2015/02/11(水) 18:02:36.77
支配者層は戦国時代もほぼ固定な印象あったなあ
秀吉なんかが例外なだけで
何だかんだ元からそれなりの人達が上下してるイメージある
697日本@名無史さん:2015/02/11(水) 18:15:06.00
現代の世襲はほとんどが戦後からだろう。
まだ世代としては2世かせいぜい3世。または女系。

明治からの世襲の鳩山ファミリーみたいなのは例外的だし、
麻生の祖父や曾祖父は吉田だの牧野だの女系ばかり。
小泉家の初代なんてお世辞にも名門名家とはいいがたい。

現代の世襲政治家は家系としては、まだ未成熟で生成過程のまっただ中。
698日本@名無史さん:2015/02/11(水) 18:41:47.59
そもそもそんな二世すら少数で、芸能関係だらけだけどな
699日本@名無史さん:2015/02/11(水) 23:22:24.45
一夫一妻制になって男子直系とか養子による世襲は難しい時代なのかもね
700日本@名無史さん:2015/02/11(水) 23:31:00.37
質問です
平安武士や鎌倉武士の騎射って、弾幕と狙撃のどちらが主体なんですか?
もちろん用途によって矢を使い分けてたとは思いますが、短弓ではなく、つがえる位置を下げてまで長弓を使うからには遠距離狙撃が好まれてたのかと気になります
701日本@名無史さん:2015/02/11(水) 23:37:38.16
戦前の軍人政治家に意外とリベラルな人間が多かったのはなんで?
702日本@名無史さん:2015/02/11(水) 23:42:04.13
703日本@名無史さん:2015/02/12(木) 00:17:58.39
>>700
戦場では騎射で弾幕をはりめぐらす。
狙撃なんて余程のことがない限りやらない。
とにかく集団で敵を囲んで矢を射まくって相手をハリネズミにするのがいわゆる鎌倉武者の戦法。
704日本@名無史さん:2015/02/12(木) 00:30:23.23
平安武者の鎮西八郎為朝は狙撃しまくってるけどな。保元物語では、だけど。
705日本@名無史さん:2015/02/12(木) 00:41:16.71
>>702
そっちの板はいろいろ使いにくい
706日本@名無史さん:2015/02/12(木) 00:55:50.10
>>705
使いにくいと思うなら自分で使いやすいと思うような方向にもっていけ。
自分では何一つやりもしないで口先でグダグダ言うだけの能なしは失せろ。
2ちゃんに限らずネットの掲示板はそういうものだ。

ま、首尾一貫していて、かつごり押しが強い者が勝つという、いってしまえば
世間一般の当たり前の法則が当たり前にそのまま通用してるだけだがね。
707日本@名無史さん:2015/02/12(木) 01:00:52.99
自己紹介乙
708こういうタイプが強いという見本:2015/02/12(木) 01:04:13.75
>>707
いうことが常に必ず理にかなっていて、しかも首尾一貫していることが分かったのか?
709日本@名無史さん:2015/02/12(木) 01:07:58.59
自分では何一つやりもしないで口先でグダグダ言うだけの能なしは失せろ
710日本@名無史さん:2015/02/12(木) 01:57:02.49
>>701
軍人…現実が分かっている
文官…理想論だけの原理主義者

保元の乱やガンダムをみれば
711もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/12(木) 02:13:40.18
あたしは、教科書を書き換えてもらいました。w
ドミノ理論というやつです。
712日本@名無史さん:2015/02/12(木) 02:42:55.05
>>704
大将が狙撃せにゃならん時点で負けよ
713日本@名無史さん:2015/02/12(木) 02:54:03.58
>>710
太平洋戦争に至る経緯をご存じないようで
714日本@名無史さん:2015/02/12(木) 06:34:51.37
>>703
ありがとうございます
715日本@名無史さん:2015/02/12(木) 07:30:09.20
>>713
戦前、戦中期の軍人は軍人と言っても、
陸大出の参謀たちは実戦を知っているわけでもなく、机上の空論だらけ。
文官といっしょですわ。
716日本@名無史さん:2015/02/12(木) 10:32:07.20
石原莞爾は満洲を攻め取ったが,政治家がそれをおじゃんにしたんだが
717日本@名無史さん:2015/02/12(木) 10:40:46.93
家電量販店のビッ苦カメラ札幌店

副店長 佐藤伸弦が暴行事件を起こしていた

犯罪者副店長
718日本@名無史さん:2015/02/12(木) 15:02:28.47
顕彰会という日蓮系カルト教団の「時ぞ来たりぬ」という歌の歌詞に

背き続けし 日本国
門下の違背 重なりて
大罰ついに 現われぬ
大地おどりて 他国逼む

とありますが、これは元寇のことをいっているのでしょうか?
719日本@名無史さん:2015/02/12(木) 16:06:35.71
>>718
顕彰会じゃなくて顕正会だな
720日本@名無史さん:2015/02/12(木) 18:13:55.14
前北条氏と後北条氏はどっちがまし?
721日本@名無史さん:2015/02/12(木) 18:23:30.27
>>719
よみで打ったら誤変換しました。
722日本@名無史さん:2015/02/12(木) 18:35:46.07
>>720
後北条なんてただの地方大名だろ
723日本@名無史さん:2015/02/13(金) 00:19:29.88
>700
騎射限定なら狙撃に近い
弾幕射撃なんか不可能

用途によって矢を使い分けることを知っているなら話が早いが、携行できる矢の数は少ないうえに
更に複数の種類の矢を使用するので弾幕射撃なんか不可能

現代のコンピュータ制御のFCSならともかく前近代では一斉射撃でもバラツキがでる
弾幕なんかはりようがない

ただまぁ掻盾の陰からの射撃なら携行矢数の制限はないから弾幕射撃は可能
問題は弾幕射撃の有用性を意識していた者が当時どれだけいたのかという話になる
724日本@名無史さん:2015/02/13(金) 00:56:39.33
>>723
集団で目標に向かって射まくるのがいわゆる鎌倉武士の戦術

つかおまえここで言っている「弾幕」の意味をわかってないだろ
725日本@名無史さん:2015/02/13(金) 01:23:24.58
流矢(川の流れのように間断なく大量に飛んでくる矢)じゃない。
責任を取っての自殺的な意味でホウ統が当たって死んだというやつ。
726日本@名無史さん:2015/02/13(金) 06:16:28.09
モンゴルは騎乗から飽和射撃だよね?
727日本@名無史さん:2015/02/13(金) 07:34:00.54
>>700です
皆さんありがとうございます
「あの辺に斉射しようぜ」って場合にも
「じゃ、俺はアイツ狙うわ」とか「距離近いし、ヘッドショットするわ」
くらいの判断は個々の武士がしてたと思えばいいでしょうか?
728日本@名無史さん:2015/02/13(金) 08:05:18.49
古代地中海あたりの戦闘シーンを描いた映画を観たことがあるが、
集団で矢を斉射してるシーンがあった。
我が国においては統制をとってはできなかった?
729日本@名無史さん:2015/02/13(金) 08:18:57.05
外国映画の話をするヤツw
信長発案の、鉄砲三段撃ちもあったんだね
730日本@名無史さん:2015/02/13(金) 10:19:12.70
野戦なら前衛が敵にぶつかる前に斉射するとかじゃないか
籠城戦ならお互い狙っただろうし
乱戦中はもう刀だろうけどさっと持ち替えられる物なのかは分からん
731日本@名無史さん:2015/02/13(金) 11:36:48.91
>>725
士元の戦死 ← 狙撃
孔明の矢狩り ← 弾幕?
732日本@名無史さん:2015/02/13(金) 13:52:07.49
>>697
麻生太郎は男系曾祖父麻生太吉が明治時代に国会議員になっている
男系祖父、実父も国会議員で太郎で四世議員
女系祖父が総理大臣吉田茂というのが有名すぎるだけで男系でも明治時代から続く国会議員家系

小泉も祖父小泉又次郎が明治時代に国会議員となり純一郎で三世、進次郎で四世
安倍晋三は祖父安倍寛の代、大正時代から国会議員(母方祖父が総理大臣岸信介でここも女系と思われがちだが男系でも国会議員)
鳩山由紀夫も祖父安倍一郎の代、大正時代から国会議員(総理大臣)

戦前からの世襲議員は結構いる
733日本@名無史さん:2015/02/13(金) 14:14:30.73
小泉みたいなのも戦後は余裕で国会議員なねなれるクオリティー
734日本@名無史さん:2015/02/13(金) 14:18:20.81
初代の小泉みたいなチンピラでも四代続けば政治家一家の名門扱いで各界で活躍

戦国時代も山賊、海賊、猟師、山伏、貧農、日雇、漁師、流れ者、、
これらが戦国時代を通して大量に江戸時代の藩士になっていったが、
時代の流れと共に定着化しちまったんだろうな
735日本@名無史さん:2015/02/13(金) 14:23:59.05
>>732
友だちいないだろ
736日本@名無史さん:2015/02/13(金) 14:42:38.53
>>735
自己紹介、乙
737日本@名無史さん:2015/02/13(金) 15:19:28.60
>>705
【疑問】スレ立てるまでもない質問【日本近代史板】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1313828216/
上のようなスレもあるけどね。
738日本@名無史さん:2015/02/13(金) 15:49:59.21
739日本@名無史さん:2015/02/13(金) 19:57:20.03
>727
用語を辞書にない意味で使っている子の「僕が考えたサイキョウのセンジュツー」は無視した方がいいよ

騎射ではなく地面に立っての斉射なら可能
逆に言えば騎射での矢を放つタイミングは馬次第だから、馬上での斉射は無理

別な話をすると、流鏑馬で平坦な道を走っているのに数メートル先の的を外すのは外的要因、観客が変な事をやったので馬が反応したとか
そういう馬の微妙な動きで手元が狂い矢は的を外す

目標が突っ立ってて微動だにしないのなら兎も角、双方が動いているのに数十メートル先の目標に矢を当てるなんて不可能
騎射で命中させるなら射手は静止している必要がある
誰かが斉射を命じても自分の馬が動いていては矢はどこにとんでいくのか知れたものではない

牽制目的なら騎乗での斉射命令も在り得るが、それは狙撃でも弾幕(斉射?)でもない、命中させることを意図しない
740もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/13(金) 20:33:37.76
矢による弾幕射出で気になっている事例がある。
弥生遺跡から矢だらけになった骨が発掘されたことがあった。
はたして、この人物はいかなる恨みを受けたのか、と。
741日本@名無史さん:2015/02/13(金) 21:53:28.21
日本に限らず、先史時代は死者の足の骨を潰して立ち上がらないようにする的な呪術行為は珍しいことじゃない
殷代、若い女性の陰部に遣らかしたのは、呪術なのか古代中国人の私怨なのかは知らんけど
742日本@名無史さん:2015/02/13(金) 23:48:13.42
中国になすりつけるなよ。野蛮性文化はみんな他国由来って?
なんて稚拙で未熟ではしたないんだ。
これが我々島国の薄汚い民族性を垣間見たよ
743日本@名無史さん:2015/02/13(金) 23:55:58.27
縄文時代は戦いは無かった
弥生系が渡来人なら戦争も野蛮な習慣も渡来人が持ち込んだ
これは証明されてる
744日本@名無史さん:2015/02/14(土) 00:00:47.98
こういう例もあればこういう例もある
世の中は一葉ではないという
当たり前の話に

中国様は常に褒め称えなければ成らないと日本へのヘイトスピーチを公然と言える742は
さぞかし清らかな心の持ち主だろうさw
745日本@名無史さん:2015/02/14(土) 00:14:27.08
ほら、そうやって弥生人は先進性の朝鮮とわかってるくせに、
認めたくないから野蛮性は渡来由来とする。
我々倭族は本当稚拙で未熟だ。根性まで腐ってるときた。
自覚すべき
746日本@名無史さん:2015/02/14(土) 00:35:22.95
>>745
そういう韓国併合を正当化するために捏造された歴史を本気で信じてるのか?
レイシストで低脳とは最悪だな

ほれ
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/08041152.ja.html
>劉王城遺跡出土の春秋時代末期の人骨2体から抽出された
>ミトコンドリアDNAの塩基配列が、北部九州弥生人のそれと一致することも判明した。
747日本@名無史さん:2015/02/14(土) 00:46:12.37
弥生時代の日本人は江南地方にも進出していた証拠な
ま,証拠といっても信用ならんデータだが
748日本@名無史さん:2015/02/14(土) 01:01:11.49
正当化て、日本が提示したことと認めてるんじゃないてすか。
749日本@名無史さん:2015/02/14(土) 01:24:57.16
>>731
こっちに聞かれても知らんがな。
まあ、言葉として「弾」がおかしいのは当然だが。
750日本@名無史さん:2015/02/14(土) 01:41:29.81
>先進性の朝鮮
水車どころか水路すら自力ではつくれない民族
日本人が指導しないと米は永遠につくれなかったんだろうな〜
751日本@名無史さん:2015/02/14(土) 08:48:15.04
>>743
縄文人は狩猟民族で獲物を求めて縦横無尽に移動していて
土地に定住していなかったからだろ
弥生時代になり土地に定住して稲作を始めると
肥沃な土地を求めて土地の奪い合いが始まり戦となる

今でも移動民族のエスキモーなんて歴史上ほとんど戦はやっていない
752日本@名無史さん:2015/02/14(土) 08:58:27.49
モンゴルを筆頭に遊牧民族の歴史は戦争しまくりだけどな。

縄文時代だって三内丸山みたいに定住して栗を始めエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、豆などを
栽培してる遺跡もある。
753日本@名無史さん:2015/02/14(土) 09:02:46.51
>縄文人は狩猟民族で獲物を求めて縦横無尽に移動していて土地に定住していなかったからだろ
>弥生時代になり土地に定住して稲作を始める

思うんだが、昭和の教科書で歴史を語りたがっている奴、
同一人物じゃねぃ?
急にバカが増えたとは思えん…
754日本@名無史さん:2015/02/14(土) 09:19:37.82
明治維新の際ですが、江戸時代の刑法や慣習で刑に服していた人たちは、それらが無くなったときに解放されたのでしょうか?

たとえば田舎大名の家で、何年も前に家督簒奪を試みて座敷牢に送られた当主の親族が、
維新後もずっと閉じ込められたままだった、というたぐいの奇談はあるのでしょうか?
755日本@名無史さん:2015/02/14(土) 09:59:04.07
鳥居耀蔵は釈放された
756日本@名無史さん:2015/02/14(土) 12:12:41.68
>>623
遅レスで悪いが、同じ役職や家格の時は
先になった順、年の順、とかでケースバイケースで
判断してたらしい。
しょちゅうモメごとはあった。
信西が殺されたのも、そういうもめ事を古い前例持ち出して
ケースバイケースで解決してたのが原因の
一つだろうし、記録には残ってるんだが
二つの乱でかなり失われてしまったのが残念。
757日本@名無史さん:2015/02/14(土) 12:20:49.95
ついでに秀吉の出自だけど、一次史料は残ってないけど
地元史料なんかでは推測できるようなのもあって
そっから、一族には武士の下っ端もいたのでは、みたいに
言う人もいる。
原史料が精査されてないから、不明、としか言いようがない
のだけどね。

それと秀吉文書全集が9年かけて今年から発行される。
とりあえず1のサル時代の文書は面白そうなんだよね。
758日本@名無史さん:2015/02/14(土) 12:31:09.63
>>745
江戸時代の法、と言っても該当する押し込めみたいなのは
各家門で独自判断してたろうから、いろんな話はあるだろうね。
具体例を出せなくて悪いが、廃藩置県はされても
各大名はそのままその地域の権力者ではあり続けたから
ずっと犯罪者のままではあったろうなぁ。
759日本@名無史さん:2015/02/14(土) 12:54:29.70
>>757
大河ドラマで描かれたようなド貧農出身というのはまず間違ってるということでしょうか?
760日本@名無史さん:2015/02/14(土) 13:00:45.12
>>752
モンゴルは安定収入を求めて稲作、麦作している
隣国の漢民族を支配下に治めようとしたからだろ

>>753
お前の自説を書けよ?
縄文人が平和的民族だった?
だったら縄文人のDNAを色濃く残す蝦夷や琉球は
なぜ日本人に逆らったのかな?
761日本@名無史さん:2015/02/14(土) 13:14:53.59
>>760
稲作は気候的に無理
762もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/14(土) 16:19:29.06
>>758
熊本なんか、未だに細川家がトップだよ。
知事さんは「城代家老」という異名がある。
警察組織も熊本独自になってる。
763日本@名無史さん:2015/02/14(土) 16:39:27.69
>>761
だから稲作に適した南の土地を求めて戦になったんだ
モンゴル民族が遊牧民に徹していれば戦はなかったんだよ
764日本@名無史さん:2015/02/14(土) 17:09:48.34
モンゴル人が稲作する訳ではないけどな。
765日本@名無史さん:2015/02/14(土) 17:24:04.96
>だったら縄文人のDNAを色濃く残す蝦夷や琉球は

ここは嗤うところ?
766日本@名無史さん:2015/02/14(土) 19:42:49.97
江戸時代、官職は名前だけで仕事は全くやらなかったのですか?
例えば井伊掃部頭が宮中の畳の交換を面倒みてたなんて事はありませんか?
767日本@名無史さん:2015/02/14(土) 20:33:38.43
>具体例を出せなくて悪いが、廃藩置県はされても各大名はそのままその地域の権力者ではあり続けたから
三百諸藩の内、明治十年代になっても権力者であり続けた藩って何パーセントだよw

一割以上あるというのなら30家以上名前を挙げてみろよ
一部の例外で全体を決めつけるな
768日本@名無史さん:2015/02/14(土) 20:36:21.84
>>757
当時の武士の下っぱ、すなわち足軽って、それこそいまでいう派遣きりにあったような日雇い層や穀潰し、流れ者、犯罪者とかが主力なんだけどな
769日本@名無史さん:2015/02/14(土) 20:42:08.89
>>767
アンカーを使ってみよう!
770日本@名無史さん:2015/02/14(土) 20:50:44.50
幕末、旗本が恭順してしまい、将軍慶喜ご兵隊にしたもの
。火消しのメ組頭、辰五郎→のちに娘が慶喜と結婚
。清水じろちょう→駿府はんで警備差配役という警備総監役に任命
。弾さえもん

長州
。誰それ構わず奇兵隊

薩摩
。漁師、任侠も討幕軍に加える
これらは明治に士族卒にもなってる始末

幕末でこれなのに、戦国時代なんかもっとひでーだろ武士の下っぱなんて
771日本@名無史さん:2015/02/14(土) 21:47:55.50
>>766
武家の官位は武家官位といって公家の官位官職とは別になっている。
武家官位は武家の格付けを示す為に旧来の官位官職名を使ってるだけだから
それに伴う仕事は無い。
772日本@名無史さん:2015/02/14(土) 21:56:41.65
>>770
そういや、弾家は幕府陸軍奉行から直々に出陣依頼の要請されてたなw
773日本@名無史さん:2015/02/14(土) 22:32:54.66
第13代浅草弾左衛門は、長州征伐や鳥羽伏見の戦いで幕府に協力した功労によって、1868年1月に配下65名とともに士分に取立てられてるよ。
一部が旗本身分が与えられてる。

武士なんてこんな感じよ
774日本@名無史さん:2015/02/14(土) 22:39:43.47
>>770
薩摩藩郷士は元々そんなもん。
半兵半商とか半兵半農とか。
775日本@名無史さん:2015/02/14(土) 22:44:29.87
薩摩は郷士以外に漁師や渡世人やら大工なども参加させてる
776もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/14(土) 22:46:45.16
>>768
確かに、足軽が武士に最下層だけど、今の教科書では「カワタ身分」がいたんだよ。
島原の乱ではかなり戦死してる。
武具の制作修理、平時には百姓の監視なんかしてた。
藩によっては、侍帳に乗せている家もある。
777日本@名無史さん:2015/02/14(土) 22:48:28.82
幕末でこれだからな。

戦国時代以降の武士なんぞ、いわずもがなだわな
778日本@名無史さん:2015/02/14(土) 22:51:09.25
だから、カワタてなんか知らんが、カワタ身分とやらと足軽は表裏一体だったんだろ、それなら。
779もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/14(土) 23:20:05.26
カワタって、少し前は「部落民」と言っていたよ。
侍との関係が常識になったのは、ここ10年だね。
780日本@名無史さん:2015/02/14(土) 23:35:07.87
少なくとも完全なる出自不詳の秀吉は、足軽から大名にまでなってる。
勿論天下統一してるが、それはおいておいても、
足軽からドンドン出世できていた社会が豊織軍団にはかくじつにあった。
逆にそんなハングリーな輩を大量に雇用した馬の骨軍団だから、一年中戦争可能だったが、戦は貧弱軍団だったんだろ。
781もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/14(土) 23:45:35.60
カワタ身分は、信長が作ったそうだ。
家臣に、革の胴丸とか武具の作り方を学ばせたのが始まりとか。
宿からの分化した職人集団も各地にいたし。
兵農分離を全国の大名も真似をするのは間がなかった。
782日本@名無史さん:2015/02/14(土) 23:49:03.90
室町時代までの名門は大名から在地の地侍までことごとく滅ぼされていき、そして、これらの雑多の馬の骨軍団が江戸時代の武士になっていったということ。
783日本@名無史さん:2015/02/14(土) 23:58:19.82
だろうな。信長より始まる出自を問わない軍団は、
構成要員に、必然的に職能身分として武具甲冑のカワを扱う職人を同化していった軍団であったのは容易に想像がつく。
784もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/15(日) 00:04:53.81
カワタ身分が常識になった時点で部落問題は解決したね。
逃げ遅れた同和団体はピエロだよ。
785日本@名無史さん:2015/02/15(日) 00:35:49.92
>>771
そうなんですか
確かにこの官職名はなんだろうと調べてみると
大名のやる仕事じゃないなあってのばっかりですね
786日本@名無史さん:2015/02/15(日) 13:28:05.08
なんか近世武士に対するルサンチマン丸出しの庄屋厨が暴れてるなw
787日本@名無史さん:2015/02/15(日) 13:30:02.61
>>785
調べなくてもわかりそうなものだが。
天皇に会ったことのない内大臣が何人続いたと思ってんんだ?
788日本@名無史さん:2015/02/15(日) 14:04:22.80
秀忠は天皇の義父や外祖父という立場で、後水尾や明正に江戸への参勤を命ずればよかったのに。
あの時期なら幕府の武威と親子関係で朝廷をねじふせて、どっちが上か思い知らせることができたのに。
天子を江戸に参勤させ、公方の臣下として臣従させるべきだった。
789日本@名無史さん:2015/02/15(日) 14:10:17.85
↑これは、質問なのか?
790718:2015/02/15(日) 14:12:05.26
宗教スレで質問します。では。
791日本@名無史さん:2015/02/15(日) 14:24:03.89
>>788
そんなに頻繁に天皇が内裏から出て東海道をふらふら毎年往復していたら
別の大名が天皇を奪って徳川に反逆しそうだな
道中や宿で反徳川のいろんな輩が天皇に接近してきそうだし

徳川は在位中の天皇を京都御所に押し込め監視することで
なんとか権威を保っていたのに
792日本@名無史さん:2015/02/15(日) 14:42:39.63
最初の参勤の時点で江戸に抑留して、高家扱いで軟禁しておけばよかった。
793日本@名無史さん:2015/02/15(日) 15:46:19.84
徳川にそんな力はないよ

外様が皆結束して徳川に刃向ったら
ひとたまりもないのだからね
794日本@名無史さん:2015/02/15(日) 15:53:10.61
もう、幕府も征夷大将軍もなくなっちゃうな、どうすんだ?
795日本@名無史さん:2015/02/15(日) 15:56:38.95
天皇の身内である御三家にすら尊皇思想があったのに
諸大名の広い同意も得ず秀忠一人の独断で
天皇を高家扱いに落とし江戸軟禁なんてできないって話だ
796日本@名無史さん:2015/02/15(日) 16:09:50.43
>>795
同意
速攻親藩が動いて頭すげ替えるだろう
797日本@名無史さん:2015/02/15(日) 16:15:10.40
どんな形にせよ、天子を公方に臣従させるべきだった。
少なくとも伊勢に移して軟禁するくらいはやっておくべきだった。
798日本@名無史さん:2015/02/15(日) 16:36:59.56
何故?
799日本@名無史さん:2015/02/15(日) 18:36:07.88
>>797
お前の願望とか妄想はもういいから。
ここは質問スレだっての。失せろ。
800日本@名無史さん:2015/02/15(日) 19:53:23.71
>バカセ(歴史学博士の俺様)

いるんだろ?
もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q←このコテ叩き出せよ、お前の唯一得意にしている分野で妄想を垂れ流しているぞw
成功したら、又相手をしてやるから(苦笑
801もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/15(日) 21:05:10.46
ん?
無理じゃない。
同系統みたいよ。
802日本@名無史さん:2015/02/15(日) 22:42:18.76
>>795-796
絶大な力があったときの徳川幕府でも出来なかったことを
後年大久保利通が成し得た理由は何故ですか?
803日本@名無史さん:2015/02/15(日) 23:35:48.05
軟禁されに行くのと帝都に君臨しに行くのでは、まるで違うだろ。
804日本@名無史さん:2015/02/15(日) 23:59:25.45
明治天皇がおわすところが御所に決まっているだろう
内裏の中に軟禁されるのは京でも江戸城でも変わらん。やることも変わらん
805日本@名無史さん:2015/02/16(月) 01:23:21.08
後醍醐天皇にも隠岐で良いじゃんと言ってやれ。
806もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/16(月) 07:39:24.96
>>800
なお、あたしの守備範囲は、織田信長の時代から松方デフレくらいまでね。
今、日本人の起源論やってる。
807日本@名無史さん:2015/02/16(月) 08:52:42.57
>>802
軟禁が何かが分かっていないな
明治天皇も公家たちも同意しての「遷都」
明治天皇は皇居に軟禁されていたのではない
江戸時代の歴代天皇は在位中京都御所からでることを幕府から禁じられていたが
(幕末の孝明天皇ぐらいになると将軍を従えて石清水や賀茂詣でしてるが)
明治天皇は全国を回って自由に行幸していた
808日本@名無史さん:2015/02/16(月) 10:11:21.07
>>807
知識をひけらかすだけで質問には答えてないね
809日本@名無史さん:2015/02/16(月) 10:20:12.91
>>808
徳川幕府の力が絶大、
お前の大久保利通が成し遂げたと言う知識が間違っているのでね
質問のやり直しだな
810日本@名無史さん:2015/02/16(月) 10:39:37.83
>>809
お前って何よ?
質問に答える気あるいは知識が無いなら出てくるなよ スルーすることも知らないおバカさん
811日本@名無史さん:2015/02/16(月) 10:52:26.03
>>810
へえ〜「大久保利通が成し遂げた」これが正しいと思ってる?
自分の質問にケチつけられたくないなら書き込まないほうがいいよ。
自分の間違いを指摘せず、持ち上げて持ち上げて理想の回答を待っているんだ?
馬鹿な奴。
812日本@名無史さん:2015/02/16(月) 12:04:02.03
>>811
お前はスレタイ読めよ
誰の質問であろうとケチつけるだけなら出てくるな
「大久保利通が成し遂げた」を書いたのは>>809だけなのでその間違い訂正はしない
理想の回答ってお前真性だろ。ほんとスレタイ読め
813日本@名無史さん:2015/02/16(月) 12:15:54.14
質問がおかしいなら、正させるべきだろ
まともな質問ができないなら、質問すらするな
814日本@名無史さん:2015/02/16(月) 12:22:57.16
正すこともせずふぁびょっている奴がいるから

あ、質問に間違いがあるとは言ってないから(念のため
815日本@名無史さん:2015/02/16(月) 15:32:15.66
大塩平八郎ってとても立派な人に思えるんだけど、なんであんまりドラマや映画にならないのですか
816日本@名無史さん:2015/02/16(月) 17:27:05.89
>>814
異常者のデタラメな思い込みなど正す価値はない。
817日本@名無史さん:2015/02/16(月) 17:29:18.73
正してないよ
単にこの回答者が異常者であると指摘しているだけだから

あ、回答者というのも違うね。ただの絡み屋だった
818日本@名無史さん:2015/02/16(月) 18:40:14.90
>>815
乱の結果があまりにもよろしくないからだろう。
志は高くても結果的に大坂を焼いただけで終わってしまったし。
819日本@名無史さん:2015/02/16(月) 18:50:35.80
>>818
ありがとうございます
バッドエンドだしちょっとショボくて物語にしにくいんですかね
820日本@名無史さん:2015/02/16(月) 19:49:20.59
苗字が前田で家紋も前田家と一緒の梅鉢だから俺は前田利家の子孫かもしれないって主張してる友人がいるんだけど、実際どうなんですかね?
前田なんてありふれた苗字だし、家紋ぐらい被ることもあるだろうと思うんですけど
それに農民が前田家にあこがれて苗字と家紋パクっただけかもしれないし
821日本@名無史さん:2015/02/16(月) 20:06:20.14
高徳院の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘の縁者くらい混ざってるんじゃない?
822日本@名無史さん:2015/02/16(月) 20:44:25.46
>>820
はぁ?
無知にもほどがある
前田利家の前田家って尾張の貧乏被差別部落の出だろ

519 : アンクルホールド(愛知県)@転載は禁止:2015/02/16(月) 18:55:10.06 ID:bDK2yeZf0
名古屋だと
被差別部落は
中村区や中川区かなぁ

528 : ランサルセ(やわらか銀行)@転載は禁止:2015/02/16(月) 19:44:59.63 ID:fXlqc0//0
>>519
豊臣秀吉とか加藤清正など戦国時代の尾張一派が生まれた所やな
あと守山区
823日本@名無史さん:2015/02/16(月) 21:07:38.33
【バンキシャ放送事故】石川への移住希望者が地元住民に囲まれ面接「我々の部落には何十の掟がある」2
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1424007356/
824日本@名無史さん:2015/02/16(月) 21:07:51.53
>>819
知名度は抜群だし、仰るとおり大変立派な人物だということには間違いないけど
ドラマにしようと思うと乱に至るまでがあまり知られてないというかエピソードが地味なんじゃないかな。
最後もあっけなかったしね。

跡部良弼を分かりやすいくらいに悪役にして、それに立ち向かう大塩ってな構図にすればドラマ性も出るだろうけど
さすがに露骨な勧善懲悪ものはどうかなという気もする。
825日本@名無史さん:2015/02/16(月) 21:09:33.58
補足だけど二時間とか三時間の単発ドラマなら面白そうだけど
天保年間って下手に幕末の手前ということもあって完全に幕末に食われてるイメージだわ。
826日本@名無史さん:2015/02/16(月) 21:42:23.00
そういや、小田切土佐守って実際の大岡越前より大岡裁きなんだけど、媒体ではあまり見ないよね
鬼平に食われてんのか、配下の失態のせいでやっとう苦手な印象なのかな?
827日本@名無史さん:2015/02/16(月) 23:25:43.28
>>759
いや、ド貧農に近いぐらいで正解とは思うが
今と比べれば普通の生活だって、貧しい、という
時代だから、名もないビンボな出自、ってとこさ。
768さんも言ってるけど、武士=武装農民とすると
「親戚に刀持ってるのがいる」という一家だって、ド貧農であり
定義によれば、遠い武士、みたいにはなる。
大事なのは単語じゃなくて、そういう馬の骨が天下をとった
という事実をよく考えることなんだよね。
828日本@名無史さん:2015/02/17(火) 00:35:53.30
>>818
臨済宗中興の祖の白隠慧鶴が当時から江戸仏教を糾弾してるのに
あまり知られてないのと同じような感じじゃないかな
幕府に言いように懐柔された仏教宗派の本末制度 寺請制度で
仏教そのもが幕府にないがしろにされてしまってるみたいな
829日本@名無史さん:2015/02/17(火) 00:53:21.15
>815
光秀と同じで、乱を起こすことが手段ではなく目的だったから
死に方も日本的美意識とはかけはなれている

>807
横だが、ベルツも「江戸時代の天皇は京都という名の密室に囚われている」と書いている
別にベルツは歴史の専門家ではないから、これはおそらく伊藤辺りが嘯くのをきいたのだろう
それを軟禁と評す者がいても目くじらたてるようなことじゃないと俺は思う
830日本@名無史さん:2015/02/17(火) 00:55:29.95
あっ悪い、>795を読んだらそういう意味じゃないな(汗)↑下段は撤回する
831日本@名無史さん:2015/02/17(火) 12:21:38.73
寄合で各々から金を集め、くじで当たった一人にそれを還元する制度があったと思うのですが、名前を教えていただけませんか?
832日本@名無史さん:2015/02/17(火) 13:00:24.02
>>831
江戸時代には「富くじ」があったけどそれとは違う?
寄合というよりも寺社が修繕費を集めるために
寄付をした人の名前を書いた木札を箱に入れ社僧が錐で突いて
当たった人に寄付金の一部を還元するというものだったけど
833もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/17(火) 13:25:13.41
>>831
「講」ですね。
色々あったようです。
834日本@名無史さん:2015/02/17(火) 13:53:26.81
伊勢や富士は単独では無理なのを、積立金の形でまとめて順にお参りとか。
835日本@名無史さん:2015/02/17(火) 14:03:39.08
悪い例だけど、今でも、会員から金を集める犯罪のことを「ねずみ講」とか「無限連鎖講」って言うでしょ
その「講」
もともとは同じ信仰の仲間同士が金を出し合って助け合ったり、誰かをお参りに行かせたりといった
保険や積立のようなシステム
836日本@名無史さん:2015/02/17(火) 18:52:03.28
>>819
バッドエンドでもいいけど後味が非常に悪いのがいけない。
乱で焼け出されて難渋したのは大坂の貧乏人だからな。
金持ちは屋敷が焼けても郊外に逃げればいいし。
庶民のための反乱が庶民を苦しめる結果に終わったんでは救われない。
837日本@名無史さん:2015/02/17(火) 18:54:38.74
要するに頭でっかちになった異常者の異常行動でしかなかったと。
838日本@名無史さん:2015/02/17(火) 19:02:17.43
つまりテロリストだった
839日本@名無史さん:2015/02/17(火) 19:21:03.87
>>825
ドラマの「遠山の金さん」(天保の改革頃)の劇中で出てくる子どもは、
よく考えたら新選組とか勤王の志士とかと同世代なんだよな。
遊び人の金さんから頭をなでられてる子どもが幕末維新の頃には三十路で、
長生きすれば大正末くらいまで生きてる可能性があると思うと、
江戸時代まっただ中のような天保がずいぶん近い時代のように思えてくる。
840日本@名無史さん:2015/02/17(火) 19:30:18.13
子どもに限らず、「金さん」に出てくる善人もワルも劇中20代の連中なら、
維新当時で50代くらい。
ザンギリで余生を過ごしてる可能性もある。
そう思うと、奇妙な気分になる。
841日本@名無史さん:2015/02/17(火) 19:58:15.69
将軍在位調べてみた(6捨7入)
家康 02年 秀忠 18年 家光 28年 家綱 29年 綱吉 28年 
家宣 03年 家継 03年 吉宗 29年 家重 14年 家治 26年 
家斉 50年 家慶 16年 家定 04年 家茂 07年 慶喜 01年

家慶将軍就任から30年足らずで明治維新だったのね
842日本@名無史さん:2015/02/17(火) 20:21:52.36
「天保老人」という言葉もあるからね。

年号がゴチャゴチャ変わったのに欺されてるけど、天保末は明治まで僅か20年ちょっと。
生まれた子供はやっと二十歳過ぎ。
現代とは年齢の感覚がかなり違って、40、50は老人の部類だったとはいえ、近いんだよね。
843日本@名無史さん:2015/02/17(火) 20:23:38.79
>>841
家茂は虫歯だらけで治療も受けられない時代だから、まともに食えなかったのが致命的だったな。
って、何の話だ?!
844日本@名無史さん:2015/02/17(火) 21:23:39.86
>>836
>乱で焼け出されて難渋したのは大坂の貧乏人だからな。
そこは濁しとけば良いじゃん。最期の爆死は必殺からくり人の夢屋時次郎みたいな感じで
かっこ良くしとけば何とかならんかなぁ。
845日本@名無史さん:2015/02/17(火) 21:33:53.57
無尽講・頼母子講でした
ありがとうございました
846日本@名無史さん:2015/02/17(火) 21:49:13.95
>>841
えっ、家康ってたった2年なの!?
847日本@名無史さん:2015/02/17(火) 22:47:45.61
将軍職を秀忠に譲って、今後天下は徳川家の世襲であると示したと言われる。
そしてたった2年と言っても大御所として駿府で実権を握り続けていた。
848日本@名無史さん:2015/02/18(水) 00:09:12.48
幕府の官僚組織は江戸にあったのに、どうやって大御所政治をしたの?
役割分担とかがあったの?
849日本@名無史さん:2015/02/18(水) 00:29:55.83
>>847
そうなんだ〜、ありがとう
在位が長いイメージだったよ
850日本@名無史さん:2015/02/18(水) 02:58:23.48
>>848
駿府と江戸の役割分担は時期によってだいぶ違う。
初期は秀忠は江戸城で、主に関東、東国を取りまとめていたのに対し、畿内西国を含めた天下政治は、
家康が担当していた。
そこから徐々に権限を移譲していったのだが、家康も最初から最終的に秀忠にすべての権限を集中させる意図が
あったらしく、例えば駿府には大名屋敷の建設を、藤堂高虎を唯一の例外として一切禁止し、江戸につくるよう
命じている。

大阪の陣が終わる頃には、ほぼ秀忠に権限は一元化されていた。
851日本@名無史さん:2015/02/18(水) 08:46:02.90
藤堂高虎屋敷だけ、駿府城の大手門前にあったもんね
秀忠にも重用されたし、高虎の世渡り術、恐るべし
852日本@名無史さん:2015/02/18(水) 10:42:30.32
うちの実家の村の墓地には
天保とか普通に刻んであるからね。
なんと、本能寺の変で死んだ人、まであったのには驚いたが。

クイズ?で間違えたことがあるんだ。
一番在位の短い将軍は家康と思ったら
直近の慶喜コロッと忘れてた。
しかしバランスにかけるんだよね。
家斉のバケモノさには笑うが。
853日本@名無史さん:2015/02/18(水) 11:43:56.52
>>848
金地院崇伝、天海、林羅山、初期江戸幕府の機構を作った参謀たちは
すべて家康が死ぬまでそのお膝元である駿府にいた
実質江戸幕府の決め事が駿府城で決められていたことは否めない
江戸城に政権が移ったのは家康死後
854日本@名無史さん:2015/02/18(水) 12:11:07.68
>>853
> 金地院崇伝、天海、林羅山、初期江戸幕府の機構を作った参謀たちは
宗教者と林羅山を過剰評価し過ぎだな。伝奇物の見解だよそりゃ。
特に林羅山なんて、現代じゃただの古今の記録の解説者程度の役割しか果たしてなかったことがわかってる。
彼が高名になったのは後に儒教が交流したからに過ぎない。

家康の末期にはすでに、天下政治も江戸の官僚層が取り仕切っていた。そもそも崇伝も天海も、最初から宗教政策の
相談役か顧問官程度の役目にすぎん。天下の参謀って(笑)
855日本@名無史さん:2015/02/18(水) 12:22:09.42
>>854
武家諸法度や禁中並びに公家諸法度って誰が起草したの?
856日本@名無史さん:2015/02/18(水) 13:53:40.99
ですな
坊さんだちも知恵を絞った
国家安康、君臣豊楽は、崇伝のいちゃもん発案

本多父子もお忘れなく
857日本@名無史さん:2015/02/18(水) 14:54:31.15
>>854
>彼が高名になったのは後に儒教が交流したからに過ぎない。
儒教が交流したのも林羅山が朱子学を推したからだろう。
858日本@名無史さん:2015/02/18(水) 14:55:22.69
しまった!興隆と書く筈だったのに。
859日本@名無史さん:2015/02/18(水) 18:19:59.38
この前ゴールデンタイムでやっていたバラエティ番組で
細川幽斎が徳川幕府で重用されたのは
室町幕府のノウハウを江戸幕府に取り入れるためという解説があったのですが
本当ですか?
860日本@名無史さん:2015/02/18(水) 19:53:53.98
本当だよ。
大元は、古今伝授、の唯一の継承者ってことなんだが
他にも当時の文化教養全般の第一人者。
この人ひとり重用すれば伝統的な部分を
徳川がすべてカバーし、ひいてはその継承一族みたいな
ことにもなる。
どちらもたいした人物ではあった。
861日本@名無史さん:2015/02/18(水) 20:08:17.23
高家の方々ですね
862日本@名無史さん:2015/02/18(水) 20:11:47.22
>>859
テレビでは実務的な組織構築も含めてかなり重要なポジションだったような説明だったな
権威を利用するノウハウに実務的な部分があったのは間違いないんだけど
863日本@名無史さん:2015/02/18(水) 21:07:57.68
儀礼の類いのノウハウが政治的な意味でも重要だったとかいうことじゃないのかね。
言ってしまえば、勿体のつけ方が堂に入ってる。
864日本@名無史さん:2015/02/19(木) 01:36:00.51
>>856
> 国家安康、君臣豊楽は、崇伝のいちゃもん発案

これを未だにいちゃもんとか言ってる奴はさすがに知性を疑うわ。
10年前の知識のまま化石に成ってるぞお前
865日本@名無史さん:2015/02/19(木) 01:49:09.64
え、イチャモンじゃないの?
866日本@名無史さん:2015/02/19(木) 02:46:19.29
いや、イチャモンのたぐい
コ川側ですら、無理があることとは承知のうえであえて主張したようなもの
867日本@名無史さん:2015/02/19(木) 05:40:31.35
>>866
それ何十年前の認識だよw司馬遼太郎の小説の知識か?
現在は家康が抗議して当然の内容であったと考えられている。少しは勉強しろよ。
868日本@名無史さん:2015/02/19(木) 11:33:49.00
抗議されて当然の内容であると誰かが思うことと、
それが一般的な認識であるということとは、
天と地とほどのひらきがあるけどね。

米の一部で進化論を否定した授業がなされているからと言って、
進化論否定が世界的潮流ではないということ。
869日本@名無史さん:2015/02/19(木) 12:19:32.48
>>867
事前に徳川方に案文を見せてOKをもらって、
豊臣が実際に鐘をつくったら、急にいちゃもんをつけたんだろ
他人の批判ばかりしてないで、自分の知性にあふれた知識を詳しく披露しろよ
870日本@名無史さん:2015/02/19(木) 12:56:47.18
それ福島正則だろ
871日本@名無史さん:2015/02/19(木) 15:58:16.19
四文字熟語のクレームからちょ〜大一族を
滅ぼしたり、その不吉な鐘自体が今でも
現存することからよく考えたほうがいいわな。
872日本@名無史さん:2015/02/19(木) 16:07:40.84
豊臣家に命令されたにせよ、文章を考えた人間が処罰されたのならまだ分かるが、
一切お咎めなしでお天道様の下を歩いているのだから、徳川幕閣が本気で怒ったとは考え難い。
873日本@名無史さん:2015/02/19(木) 16:57:32.75
方広寺は家康の家来ではないから治外法権
874日本@名無史さん:2015/02/19(木) 17:26:36.92
>>872
馬鹿かお前。あの文案書いた文英清韓が処分されたことも知らんのか。救いようもないな
875日本@名無史さん:2015/02/19(木) 17:36:54.13
そらまるの取ってw
876日本@名無史さん:2015/02/19(木) 18:25:21.72
>>874
文英清韓は金地院崇伝のライバルだからな
南禅寺長老の座を争ってたことがある
鐘銘事件ももともとは崇伝がライバルの文英清韓を葬るために
思いついたとも
877日本@名無史さん:2015/02/19(木) 19:39:58.48
よく考えると「清韓」って、すごい名前だな。
中華系か半島系の人だったの?
878日本@名無史さん:2015/02/19(木) 19:43:48.04
>>877
文英清韓は出家する前は中尾重忠と名乗っていた普通の日本人
崇伝だって以心伝心ならぬ以心崇伝だからな
879日本@名無史さん:2015/02/19(木) 20:13:11.60
>>874
南禅寺から追放されたのが徳川による処分だというソース教えて。
君がそう思うとか、そういうのいらないから、第三者が納得できる根拠をね。
絶対権力者に媚びて南禅寺が意を含めるのと、徳川による処分との違いも理解できないオツムなのかな…

あと明治になってから名誉回復したのではなく、江戸時代、当人が存命中に許されたことも知らないの、君?
上から目線でさっそう登場したのに、即効でフルボッコされて冷静な判断ができないという君の事情は分かるが、クールダウンしたほうがいいよ。
回線切って、数ヵ月後に出直した方がいいんじゃねぃw
880日本@名無史さん:2015/02/19(木) 20:18:28.35
どう考えても長尾は通り名だろ
881日本@名無史さん:2015/02/19(木) 21:04:56.90
>回答者にソース、文献を訪ねることを禁止します。
882日本@名無史さん:2015/02/19(木) 21:12:10.93
すみません。教えて下さい。
戦国時代には乱妨取りみたいな事が多々あったようですが、
WIKIにも書いてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A
これらの事って高校教科書にのってる事でしょうか?

 そして歴女ってこれらの事をしってるのでしょうか?
883日本@名無史さん:2015/02/19(木) 21:26:16.05
>戦国時代には乱妨取りみたいな事が多々あったようですが、
あったかなかったかの二択ならあった

>WIKIにも書いてあります
wikiは素人が好き勝手に書けるし、当該ページで名誉教授様が桶狭間の例を挙げているけど
当時の農家に動産なんかホボない
国境紛争地帯では農家側も自衛し土の中に埋めておくなど対策している
農民は愚かで純朴であるべきという、事実とは真逆の先入観の持ち主がこういう発想をする

当時の非戦闘員が乱暴狼藉に遭わないために、どのような対策をとっていたかは
藤木久志『雑兵たちの戦場』で詳しく述べられている
何故かこの本で紹介されている、奴隷狩り云云の箇所だけで有名な本だが
この本の主旨は奴隷狩りや乱暴・狼藉に遭わないための当時の対策であって
恒常的に乱暴狼藉が行われていたことを紹介している本ではない
884日本@名無史さん:2015/02/19(木) 22:08:32.83
奴隷狩りや乱暴狼藉に遭わないための対策があったってこと自体が、当時奴隷狩や乱暴狼藉が
当たり前に行われていたことを示しているのだから、そういう本という印象をもたれてもしょうがないわな
885日本@名無史さん:2015/02/19(木) 22:13:33.15
徳川家斉の子は、

男子26人・女子27人を儲けたが、成年まで生きたのは半分(28名) 生存率 約50%


徳川家斉の次の代の徳川家慶の子は、

14男13女がいるが、20歳を超えて生きたのは家定だけであった。  生存率 約4%

なんで名家なのに生存率が50%を切っているんですか?
そして、たった一代で生存率が50%弱から4%弱にまで急落しているんですか?
恐ろしい流行病でもあったの?
886日本@名無史さん:2015/02/19(木) 22:42:58.59
>>885
個々の子の死亡時期や死亡原因を知っているわけではないので無責任な回答だが、開国以後に
コレラが大流行したことの影響があるかもしれない

けど、基本的に、近代医学の導入前には、乳幼児の死亡率は高いよ
家慶の子が4%しか成人まで生き残れなかったことよりも、むしろ、家斉の子が50%も成人まで
生き残れたことの方をすごいと驚くべきだ
887日本@名無史さん:2015/02/19(木) 22:55:32.53
>>886
返答ありがとうございます。
888日本@名無史さん:2015/02/19(木) 23:01:14.32
>>885

この話、以前自分の家族にも質問したんだが
「後継争いで毒殺しあったんじゃないか?」なんて憶測話が挙がっていたが
後継争いなら男子の死亡率だけが極端に高くなりそうだけど、
調べてみたら女子の死亡率も男子と変わらないぐらい高いんだよな。
889日本@名無史さん:2015/02/19(木) 23:04:42.88
家康の子の生存率に比べたら、家慶の子の生存率は低すぎる。
890日本@名無史さん:2015/02/19(木) 23:06:37.09
>>884
自衛隊やテロ・原発事故の対策があるってこと自体が、現代日本で戦争やテロ・原発の事故が
当たり前に起こっていたことを示しているのだから、君の莫迦発言はそういう妄想という印象をもたれてもしょうがないわな
891日本@名無史さん:2015/02/19(木) 23:10:22.61
前に質問したことがあるんですが
家康の子は末3人が御三家を興し,秀忠を除いた他の兄たちが若死にしている
秀康も子をつくったがその代で滅んだし,なんか陰謀染みたものを感じませんか?
892日本@名無史さん:2015/02/19(木) 23:16:50.68
一説にはおしろいに含まれてる鉛の中毒で後世の将軍家は早世が多かったとか言われてるな。
893日本@名無史さん:2015/02/19(木) 23:36:15.98
>>890
この辺って歴史研究の一番難しいところなんじゃないの?
「〇〇という事件があったとこの本に書いてある。つまり○○はよく行われていたんだ。」
「いや、逆に〇〇ということが事件になるぐらいめったにおこらないことなんだ。」

いずれにしろ乱暴狼藉があったということと、対策をとる必要性を感じた人がいたということは事実。
その辺は地域差とか時間差が大きく響いてくると思う。
894日本@名無史さん:2015/02/20(金) 00:08:15.08
>893
大きく外れたことを言っているわけじゃないが
読むべき本、先行研究が示されているのに、「だろう、はずだ」で俺はこう考える的な主張に何の意味があると思うの?

何れにしろ、2chでは日本にも奴隷制があったのだと異常に喜ぶ連中は常に常駐しているし
犯罪を処罰する法、防犯の薦めがあるからと言って、それが犯罪は当然のように行われている証左だとする>884は
まともな文明人とは異なる環境・価値観の住人であることは明白
895まさ:2015/02/20(金) 00:16:22.25
>>673,681
ご回答ありがとうございます
896日本@名無史さん:2015/02/20(金) 00:30:15.36
古墳ってあんなにたくさんあるのに
未盗掘のものがほとんどないって
言われてるけど
無数にあるはずの
盗み出された埋葬品ってどうなったの?
897日本@名無史さん:2015/02/20(金) 02:11:15.14
>>852
え? 「本能寺の変で死んだ人」?
それってどういうの? 巻き添え?
898日本@名無史さん:2015/02/20(金) 02:45:47.92
うちのほうのお寺にもなぜか本能寺の変で死んだ人の首塚があるな
信長公記にも記述されているんだけどそのお寺でも半信半疑らしく
信長の首塚と伝えられるとか曖昧な書き方だった
899日本@名無史さん:2015/02/20(金) 07:21:57.29
本能寺の変の犠牲者は、
京都の人ではなく、
中国攻めのために集められて、一帯に投宿していた、
偉い人およびその従卒、
どちらも岐阜やら名古屋やらの人が中心でしょう
となると、
無言の帰宅をした元々の所属地のほうにもお墓ができるかと
900日本@名無史さん:2015/02/20(金) 12:31:15.98
>>891
>秀康も子をつくったがその代で滅んだし

結城秀康のところは嫡男の松平忠直が改易されたというだけで滅んではいない
秀康の次男で忠直の弟にあたる松平忠昌が福井藩主を継いでいる
福井藩主松平家は途中から養子の系統になってるけど
どっかに秀康の子孫が残ってたはず
901日本@名無史さん:2015/02/20(金) 15:43:41.22
>>897
二条の方なんだが、公記には載ってないしまぁ
伝承でしょうね、確かに岐阜の山奥ではあるんだが
お墓を作るのにありがたみがあったんでしょな。
ただ、信長人気、なんてのは戦後に映画とかで作られた
ものだから、首塚とか古いものはそれなりに
面白い言い伝えはあるかもしれないね。
902日本@名無史さん:2015/02/20(金) 15:45:34.04
>>896
そりゃ金目のモノは売れるし
古いお屋敷に残る謎の太刀?みたいなのは
調べると意外や意外、とかね。
903日本@名無史さん:2015/02/20(金) 15:54:25.55
>>887
892さんも言ってるけど、女性トイレからだけ見つかる
鉛の毒の影響は徳川全般にあったといえる。
もし家慶だけを問題にするなら、家慶が遺伝的に
何か問題があったとか、血の関係はあるかもしれない。
公家さんから来た側室とかでは「タンスに背が届かなかった」
なんて記録もあるし、優生的に何か問題があったことは十分に
考えられる。
残った家定が脳性麻痺に近いとも言われるし
増上寺に骨はあるだろうから調べればわかるかもだけど
まぁそこまではしないでしょな。
904日本@名無史さん:2015/02/20(金) 17:54:23.75
>>903
>女性トイレからだけ見つかる鉛の毒

これの根拠は?
徳川将軍に鉛毒の影響があるなら男性トイレからも見つかるでしょ

また江戸時代は天皇や公家のほうが長生き
おっぱいにまで白粉を塗る独特の化粧法は江戸城大奥で開発されたもので
公家の女性はそういう化粧法をしていない
905もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/20(金) 18:01:29.36
お女郎さんは、体にも白粉を塗ると読んだ記憶があります。
906日本@名無史さん:2015/02/20(金) 19:01:47.96
なんで見えもせん胸にまで白粉塗るようになったん?
仕事で着崩れ激しくてちらりと見えても白いように…みたいな?
907もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/20(金) 19:16:28.28
肌化粧と言うそうだが、接客業だからでしょ。
908もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/20(金) 19:19:07.45
客も、裸に剥いたら素肌より、楽しみあるしぃ。
909日本@名無史さん:2015/02/20(金) 19:21:26.44
あ、女郎の方でなく大奥の方な
910もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/20(金) 19:31:57.02
大奥の女でも町方の情報は知ってたとおもわれます。
911もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/20(金) 19:35:14.33
江戸時代の張り型が残っていますが、何の時慌てないように、何に入れ出ししてお手入れしてたとか。
香木製の張り型なんだ。
912882:2015/02/20(金) 22:30:26.62
>>883 >>884

ご回答ありがとう。( ^ω^)
913日本@名無史さん:2015/02/20(金) 23:00:34.86
すみません。
幕末を舞台にしたSLGシナリオをやってるのですが
徳川宗家でプレイしたら、天領が飛び飛びのせいで、すぐに薩長に負けてしまいます。
こんな飛び飛びの天領支配が、戦時の際にはすぐに崩壊してしまうのはわかりましたが
平時でも、ちゃんと機能してたんでしょうか?
税の徴収、それを国庫(?)に収める方法とか
914もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/02/20(金) 23:05:30.53
それを可能にしたのが「カワタ」の存在です。
915日本@名無史さん:2015/02/20(金) 23:18:08.28
江戸幕府下で服役した罪人の扱いは明治維新後そのまま引き継がれたのでしょうか
916日本@名無史さん:2015/02/21(土) 01:52:35.45
>>901
ふーん。
917日本@名無史さん:2015/02/21(土) 08:33:06.88
>>913
天領に限らず支配なんてしてないから。
基本的に村役人と寄合による自治におまかせ。
年貢は交渉で決めた、あるいは決まっている割合で村ごとに
代官所に自発的に納める。
代官は年貢を検収して大坂や江戸に送るだけの簡単なお仕事w
他には村をまたぐ紛争が解決できないときの仲裁くらいだな。
918日本@名無史さん:2015/02/21(土) 08:34:08.39
>>915
引き継がれていない

今の大河でやってる野山獄も明治維新で廃されて囚人たちは外に出ている
江戸時代は人殺しや窃盗をすれば死罪だったため
獄に繋がれてるだけで処刑されなかった囚人たちというのは
たいてい政治犯か親族から厄介払いされた人たちだった
919915:2015/02/21(土) 09:22:19.23
>>918
ありがとうございました
920日本@名無史さん:2015/02/21(土) 10:11:38.22
>>917
横レスですが、年貢を交渉で決めたってことは
天領であっても地域ごと年貢が違ったということですか?
921日本@名無史さん:2015/02/21(土) 10:37:56.01
>>904
江戸城の調査でだよ。
大奥で白粉たくさん塗ってそれを吸って
赤ん坊の将軍の子が育つでしょう。
だから鉛の毒が、という話なのだけどね。
後は同じこと言ってると思うけど。
922日本@名無史さん:2015/02/21(土) 10:54:01.78
そう言えば大奥って将軍以外の男子禁制って言うけど
将軍の子は大奥で育つの?
923日本@名無史さん:2015/02/21(土) 12:19:50.00
>>922
そだよ。
将軍以外、というけどお医者さんは例外だったし
許可もらえばやっぱり例外的に入ることはあった。
924日本@名無史さん:2015/02/21(土) 12:29:43.64
>>920
検見法と言って原則の徴収割合は決まっていて、その年の収量によって年貢高を決める。
当然地域どころか村によって割合は変わるよ。
だから検見に来た代官や手代を必死でもてなして年貢を安くしようとするわけ。
決まっている場合(定免法)でも期限付きで定期改定がある。
925日本@名無史さん:2015/02/21(土) 13:05:06.74
>>921
大奥で使われていた化粧に水銀が混じっていたことは
誰でも知っていること

それが江戸城のトイレで発見されていると言う903ことに対して
意見を言ったもの
江戸城のトイレが発掘調査されたなんて聞いたことがないけど
それが書いてある本や史料を出してほしい
926日本@名無史さん:2015/02/21(土) 14:26:17.22
>>923
サンクス そういや時代劇でも医者は大奥に入っていたな
927日本@名無史さん:2015/02/21(土) 14:28:28.45
>>924
割合を変えるってより収穫量をどのぐらいにするかを決めるってことなのね サンクス
928日本@名無史さん:2015/02/21(土) 20:24:42.38
>>925
いつの間にか鉛が水銀になっている!!
929日本@名無史さん:2015/02/21(土) 20:49:56.58
尾張徳川家綱誠の子女の死亡率が既に異常です
将軍家にも紀伊家にも水戸家にも見られない現象です
家斉よりもずっと前の時代です
930日本@名無史さん:2015/02/21(土) 23:39:49.21
サンプルがたった1つでは、統計学上、何の意味もありません
特異な例はありえることであって、数学的には「誤差の範囲内」です
931日本@名無史さん:2015/02/21(土) 23:52:51.07
>>929
ようするに、その人はたまたま運が悪かった
乳幼児の死亡率の高い時代なのだから、たまたま子女が全員死ぬ人がいたって、
なんら不思議はない
むしろ、そういう人が1人もいなかったら、その方がおかしい
932日本@名無史さん:2015/02/22(日) 12:16:09.30
変な日本語を見ました
933日本@名無史さん:2015/02/23(月) 00:05:55.19
>>884
チェルノブイリ、スリーマイル、福島と原発事故は当たり前のように起きてるよ。
934日本@名無史さん:2015/02/23(月) 13:49:16.61
江戸時代以前の中国の正史編纂において、日本の商人から史料を買いあさったと聞いたことがあるんですが
本当ですか?
中国では内乱ばかりで史料が紛失してるから、戦乱が少なく、中国の史料が現存してる歴史編纂員日本を訪れたと。
935日本@名無史さん:2015/02/23(月) 13:50:28.77
>>934
読みにくい質問ですみません。
江戸時代以前の日本に、中国の歴史編纂員が日本に渡った中国の史料を入手するために日本を訪れたと言うのは本当でしょうか?
936日本@名無史さん:2015/02/23(月) 14:58:07.26
>>935
向こうには「キキョライ」という正史保存
システムがあるから、必要はないんだけど
確認のために、ぐらいはあったかもしれない。
ただあまり聞いたことないから、中韓叩きの
捏造じゃないのかな。
937日本@名無史さん:2015/02/23(月) 16:15:12.05
中韓叩きの捏造かもしれませんね。ありがとうございました。
その方が言うには、康熙帝が編纂したものは、日本に行って入手した史料が多いそうです。
938日本@名無史さん:2015/02/23(月) 18:59:04.05
>>937
ってか、帝が記録するわけじゃないんだよね。
康熙帝はたくさん文化事業をしてるから
その中の話が混じったんじゃないかな。
939日本@名無史さん:2015/02/23(月) 20:46:29.93
>ただあまり聞いたことないから、中韓叩きの捏造
なんか自演臭いが、その質問から「ネトウヨガー」に至ることができるのは、かなりのネット中毒患者だけが辿り着ける頂なんだろうなと
変に納得したw

質問者が「ネトウヨガー」で納得しているのだからどうでもいことだが
近代の話とごっちゃになっているだけじゃねぃ、と>934を読んで思った俺が、多分この板では異端なんだろうが…
940日本@名無史さん:2015/02/24(火) 01:58:36.21
人が死んだ後のやり方が地方によって異なるらしいですが、
これは大和朝廷以前の風習を反映しているのでしょうか

関西だと死亡→お通夜→葬式→火葬→お墓
ですが
東北や信州だと 死亡→火葬→お通夜→葬式→お墓
だそうです。

出典
最近知ってびっくりしたこと 203 [転載禁止](c)2ch.net
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1424057778/
941日本@名無史さん:2015/02/24(火) 02:11:58.72
>>940
大和朝廷以前に火葬の習慣はなかろう
荼毘にふす(火葬にする)のは、仏教とともに伝来した
942日本@名無史さん:2015/02/24(火) 04:22:18.12
古代には、わざわざ薪を消費して火葬にするってのはかなりの贅沢
なので、日本の古代の葬式は、穴に埋める土葬が基本
文献で確認できる日本最初の火葬は、『続日本紀』に書かれた、文武天皇4年(西暦700年)、
道昭という僧の葬式
943日本@名無史さん:2015/02/24(火) 10:19:42.28
世界の鉄道の歴史を調べてて思ったんですが
日本って馬車をレールの上で走らせる路線って鉄道が出来る前にあったんでしょうか?
944日本@名無史さん:2015/02/24(火) 10:25:36.16
牛車なら、京都〜大津間にあった
945日本@名無史さん:2015/02/24(火) 11:04:29.02
江戸幕府が馬車を禁止していたので
日本では馬車が発展しなかった
946日本@名無史さん:2015/02/24(火) 11:51:56.46
>>943
ちょっと補足ね。
レール、というか「石」を敷いてその上を
牛車を通す、というのは江戸期中期以降
大津ー京都間であった。
今でも京都には「車石」と言って轍の跡の
あるおっきな石がそこそこ残ってるよ。

馬車とレール、に関しては「なかった」と
言っていいでしょう。
日本では馬車自体が古くから発達しなくて
その理由はいろいろ推測されてるけど
とりあえず、レール、路線、というものは
記録上は確認はされてないということで。
947日本@名無史さん:2015/02/24(火) 18:56:42.57
馬車鉄道は機関車以前に無かったのは確実だけど機関車が走った後なら結構あるよね。
948日本@名無史さん:2015/02/25(水) 00:01:18.70
蒸気機関車より費用が安いから明治以降日本各地にあったのは確実だけど、
問題は糞便の処理ね
逆に言うと日本で馬車が発達しなかったのは、欧米の都市のように糞便だらけになってしまうから
まぁこれを言うと「江戸はネトウヨが想像しているような清潔な都市ではないニダ」とニダさんが話しかけてくるのだろうが
あくまで程度の問題ね、あったかなかったかの二択ではなく
949日本@名無史さん:2015/02/25(水) 00:58:29.23
石田三成を武将7人が襲撃した事件について教えてください
石田三成を襲撃した武将達は、どんな考えで石田三成を襲ったのですか?
「三成を威圧できたらいいな」ぐらいの考えだったのでしょうか・・・?
950日本@名無史さん:2015/02/25(水) 01:22:39.83
>>187
暗殺された後に「遺産が意外に少なかった」とか言われてたと思うが?
密かに私腹を肥やしてると思われていたということで、当然、人気はなかったということでしょ。
951日本@名無史さん:2015/02/25(水) 01:23:34.11
>>191
じゃなくて、当時の受け取られ方の話じゃない。
952日本@名無史さん:2015/02/25(水) 01:24:50.70
>>197
乗っかったというより担がれたというのが実態に近いんじゃない。
953日本@名無史さん:2015/02/25(水) 01:42:32.70
>>259
取って代わりようがないのに、倒しても何の得にもならないじゃない?

>>264
皇室や朝廷を倒して自分が新しい権威&権力の存在になるって方法?
具体的には? 
954日本@名無史さん:2015/02/25(水) 01:44:40.41
>>267
理由の一つじゃなくて、正にそれが肝心の本質だから。
「理解しているつもり」で、全然理解してないだけ。
955日本@名無史さん:2015/02/25(水) 05:02:09.56
>>949
「威圧できたらいいな」、ではなく、「恨み重なるあの三成のクソ野郎を絶対にブチ殺してやる!!」だよ
三成が、まさかの家康に助けを求めるという手に出たために失敗したけど
956日本@名無史さん:2015/02/25(水) 05:54:46.59
余談だが、あそこで三成殺してたほうが
豊臣家は安泰だったかもしれないんだよね。
家康いる限り一緒、ってのもあるが、
豊臣が公家化すれば徳川も手が出せない。
出す必要のない世の中を作ったってことで
秀吉の評価がさらに上がったろうな。
957日本@名無史さん:2015/02/25(水) 09:03:20.27
>>955
>>949です、ありがとうございます
襲撃メンバーは本気で、三成をぶっ殺す気だったのですね。
襲撃メンバーは一流な人ばかりなので、個人的には
本気で殺す気があるのか、不思議に思っておりました。
958日本@名無史さん:2015/02/25(水) 13:38:32.27
しゃれで7人も集まらないだろ
その7人は
加藤×2、福島、池田、浅野、細川、黒田 でいいのかな
藤堂が入ったりすることがあるけど、正しくはどのひとたち?
959日本@名無史さん:2015/02/26(木) 01:03:42.86
>>956
秀頼じゃ無理筋じゃないかね。
960日本@名無史さん:2015/02/26(木) 12:07:02.17
昨日歴史秘話ヒストリアで鈴木貫太郎が特集されていました
鈴木の経歴は海軍軍令部長→侍従長→内閣総理大臣という
かなりすごいものでした
一般的に海軍軍令部長と侍従長はどちらが格上なのでしょうか?
海軍のトップと天皇の最側近ということで、ジャンルは全然違いますが、
非常に興味があります
当時の天皇の存在は現在とは違いますから、当時の現人神天皇の最側近
とはどれくらいの要職だったのでしょうかね
961日本@名無史さん:2015/02/26(木) 13:17:31.14
>>960
そりゃ海軍軍令部長のほうがはるかに格上です。
軍令部長は海軍統帥の長で海軍大臣と同格ですから。
宮中席次でも鈴木が就任したとき30位くらい下がったとか。
ただ鈴木以降、侍従長は予備役海軍大将のポストになるから
今で言う天下りポストとして使われるようになったんでしょう。
ちなみに鈴木の後任は百武→藤田となるけど、どちらも真面目が取りえという堅物で
鈴木のように宮中の側に立って海軍に影響力を行使するタイプじゃないですね。
962日本@名無史さん:2015/02/26(木) 13:58:58.75
>>949
これって七将は部下に命令しただけですよね?
殺してきてって
実働部隊はどれくらいの規模だったのですか?
963日本@名無史さん:2015/02/26(木) 14:29:24.60
>>962
諸説ある(つか”七将”すら固定されていない)。
はっきり言えばよくわからない
964日本@名無史さん:2015/02/26(木) 14:56:13.65
>>963
そうなんですか
妄想するしかないんですね…
965日本@名無史さん:2015/02/26(木) 16:30:22.25
>>961
ありがとうございました
3行目がよくわかりませんが、どういうことでしょうか?
966日本@名無史さん:2015/02/26(木) 16:44:37.13
冬の女の黒パンスト禁止しろw
欲情が止まらね〜
967日本@名無史さん:2015/02/26(木) 16:56:00.18
>>965
宮中行事に出るときの席次が下がったってこと。
本来は単なる儀礼なんだけど、当時の要職、華族を全て網羅して
順番を付けた表ってのはあんまりないから、異なる組織の官職格付けを見るときに使われる。
当時からその風潮はあったようで鈴木自身が宮中席次に言及してる。
宮中席次が下がるのが嫌で侍従長を引き受けないと思われるのは癪だから侍従長を引き受けたそうだ。
968日本@名無史さん:2015/02/26(木) 17:44:15.20
か…貫だな
969日本@名無史さん:2015/02/26(木) 19:12:31.64
‥未だ主人は息をしております
最期のお別れをしたいと存じまして
どうかとどめはやめてくださいと申しました‥
970日本@名無史さん:2015/02/26(木) 19:31:01.68
滋賀県を近江県に変えようとする動きがあるらしいのですが、
「おうみ」は意味的には「近江」、「淡海」のどっちから来ているのでしょうか?
971日本@名無史さん:2015/02/26(木) 20:12:12.03
あはうみ=淡水湖
ちかつあはうみ(琵琶湖)←→とおつあはうみ(浜名湖)
近江←→遠江
972日本@名無史さん:2015/02/26(木) 22:48:36.50
>>971
ありがとうございます。
すっきりくっきりよくわかりました。
973日本@名無史さん:2015/02/27(金) 01:14:08.86
>>966
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   !  / /    _  C' l /'"ノ ノノ    ` ‐ 、
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974もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q
明治初期の虚無僧明暗宗弾圧の歴史的背景を教えて下さい。