謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!82

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1日本@名無史さん
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年
乃共立一女子為王 名曰卑彌呼
事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國
自為王以來 少有見者
以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入
居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛

今回のテーマは「考古学から見た邪馬台国」です!

前スレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1402668515/
2日本@名無史さん:2014/08/24(日) 20:45:23.19
高千穂町の高天原遥拝所の石積みの向きから、遥拝方角を磁石で測定しました。
測定値 327度 
高千穂町における真北との偏差値は国土地理院サイトより 6度54分
よって修整後の地図上の方角は約320度です。
カシミール3Dソフトでその方角にあるものを探すと
朝倉市の平塚川添遺跡が321度
伊都国比定地の高祖山は314度
でした。
3日本@名無史さん:2014/08/24(日) 22:09:47.99
満州は出禁な
4日本@名無史さん:2014/08/24(日) 23:51:03.78
卑弥呼の墓って古墳なのかな?
古墳はどうも大和政権って感じがするんだが。
5日本@名無史さん:2014/08/25(月) 07:33:51.22
考古学から見た邪馬台国。それは日本列島の国家ではない。

1)30か国が中国と通じていたのに、日本列島のどこからも漢字が出土しない。
2)100人余りが殉葬されたのに、日本列島のどこからも殉葬の跡が見つからない。
3)倭人は死ぬと棺に入れて埋葬したと記述されているが、日本で甕棺が見つかるのは北部九州だけ。

以上から、邪馬台国は考古学的に日本列島の国家とは考えられず、朝鮮半島国家であると判断できる。
6太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/25(月) 10:21:30.89
漢字は倭製239年銅鏡銘文として出土している。
これは日本に来た大陸人が倭人の鏡製作に加担
していたからで、舶来でない。
途中大陸人は北九州通過で畿内に来ていた可能性
は多く、おまけに神武以前に徐福が来日していて、
彼も漢字くらい伝来させて倭人の少しは読めるよう
になっておかしくない。

殉葬は2000年など経つと、災害噴火地震洪水等にて失せるわけであり、
出なくても無いとは言えない。

さらに北九州は日本である。

以上から、邪馬台国は考古学的に日本列島の国家とは考えられ、朝鮮半島国家であると判断
できない。
7日本@名無史さん:2014/08/25(月) 10:46:28.11
>>6
漢字は朝鮮半島では数多く出土する。
殉葬の跡も多数出土する。
甕棺も全土で出土する。
よって朝鮮半島国家と考えるのが自然であり、日本列島の国家と考えるのは不自然である。
8日本@名無史さん:2014/08/25(月) 10:51:17.11
邪馬台国も卑弥呼も中国に返品するから、
尖閣諸島付近でおらおら攻撃しかけるのは止めとくれよ。
9太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/25(月) 14:09:16.55
>>7
出土の大小は関係ない。

なお倭人伝の内容はもっぱら日本の離島からの北九州であり、
半島に卑弥呼の国がなかった完全なる文証といえる。

つまり半島説はデタラメの極である。
10日本@名無史さん:2014/08/25(月) 20:29:37.81
【国際】舛添都知事の中国での印鑑受領に竹田恒泰氏が動画で激怒「印鑑もらって何喜んでんだこのオヤジ」「朝貢してんのかっ」

08/25(月)
舛添要一都知事が中国で印鑑をもらってきたことが明らかになった件で、竹田恒泰氏が動画で激怒しています。
雑誌によると舛添要一氏は唐先生はわざわざ私の印鑑を作ってくださっていました。
と喜んでいたようですが、雑誌記事を読んだという竹田恒泰氏は「朝貢だ」と舛添都知事を強く非難しており、動画で解説しています。
舛添さんは中国で余計なものもらってきたらしいじゃないですか。
これ、「人民中国」っていう雑誌なんですけれど、ここにねえ、なんか変な記事が載ってるんですよね。
どうやら中国側から印鑑をもらったらしいんですよ。
印鑑をもらう?「ハァー?」って感じです私に言わせたら。
あんた卑弥呼かよって感じですよ。
要は朝貢してんのかって話です。
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1408959249/
http://www.hakubun-eikodo.jp/mobile/products/detail.php?product_id=1118
11日本@名無史さん:2014/08/25(月) 21:40:09.97
>>9
「一大国」は島国であるという記述はどこにも無い。
「対馬国」は最古の写本では「対海国」とされており、対馬であるかどうかはわからない。
即ち、日本の離島から北九州への行程を書いてあるなんてのは単なる思い込みに過ぎない。
そんなのは何の証拠にもならんな。
本当は邪馬台国は朝鮮半島にあったんだよ。
12日本@名無史さん:2014/08/25(月) 21:53:26.42
>>11
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

確かに対海国って原本の方は書いてあるな
13日本@名無史さん:2014/08/25(月) 22:05:04.34
古田はそこを、朝鮮半島から見て、
対する海だから対海国である、と説明してるな。
14日本@名無史さん:2014/08/25(月) 22:08:05.96
>>12
「対馬国」と「対海国」はどちらかが正しく、どちらかが間違いだ。
対海国を対馬国と間違える可能性はあるが、対馬国を対海国と間違える可能性は低い。
それに対海国の記述の方が古い。
即ち、後世の人間が倭を日本の事だと勘違いして対馬国と書き間違えたというのが真相だろう。
15日本@名無史さん:2014/08/25(月) 22:17:19.76
狗邪韓國は何処の国?
16日本@名無史さん:2014/08/26(火) 06:51:01.04
>>15
狗邪韓國は「倭の北岸」にあった。
半島南部は「半島の南岸」であり、「倭の北岸」と呼べる場所は無い。
狗邪韓國は遼東半島南部にあったと考えるのが自然だろう。
17日本@名無史さん:2014/08/26(火) 07:21:47.34
>>9
「倭人は死ぬと棺に入れて埋めた」とある。
九州北部でのみ出土する甕棺はほぼ2世紀まで。
3世紀になると、出土はわずかとなる。
即ち、倭人伝の時代には日本列島に肢体を棺に入れる風習は無かった。
それに比べると朝鮮半島では6世紀まで甕棺の風習が続く。
これも、邪馬台国が朝鮮半島にあった事の証拠と言える。
18太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/26(火) 09:03:00.65
>>17 コングよ
倭人伝に日本の北九州の地名が出てることから、
伝の文証が絶対優先であるのは動かない。
もうオマエの主張は成立しない。

いくら頑張っても半島には存在しない。
19日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:21:19.76
>>17
私は満州さんじゃないですよ。
それに倭人伝に日本の北九州の地名なんて出てないです。
そんな語呂合わせにすがっていてはいけません。
20太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/26(火) 09:26:36.45
根具は偽装マルチの天才!ww
21日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:43:46.50
>>17
私は満州ざんすよ。
それに倭人伝に日本の北九州の地名なんて出ておりますが、
陳寿の間違いです。w
22日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:51:47.81
邪馬台国朝鮮半島説なんて今時、珍しくもあるまい。
23日本@名無史さん:2014/08/26(火) 11:53:23.15
バカチョンがさんざん言ってるからな
24日本@名無史さん:2014/08/26(火) 12:38:58.09
かわいそうに、論理で対抗できないと個人攻撃に走るしかないね。
25日本@名無史さん:2014/08/26(火) 16:06:24.21
始めて海を渡って対海国、又南の海を渡って末盧國
対海国は何処なの?
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_(%E4%B8%89%E5%9B%BD)

あと後漢 東夷書の資料からも判断しよう
http://www.geocities.jp/intelljp/cn-history/new_kan/wa.htm
26日本@名無史さん:2014/08/26(火) 16:22:15.16
邪馬台国の時代に朝鮮半島には統一された国家などなかった。朝鮮半島がどうのこうのと言っている人は反省しなさい。
27日本@名無史さん:2014/08/26(火) 16:47:58.90
>>17
棺は甕棺限定なの?
28日本@名無史さん:2014/08/26(火) 18:46:18.75
>>27
甕棺なんて目の当たりにしたら、特筆してるだろJk
29日本@名無史さん:2014/08/26(火) 20:19:19.90
>>25
日本に渡る時に始めて海を渡って行く場所は対馬ではなく、南海島か巨済島。
対海国は対馬ではない。対海国は宣川郡の島だろうな。
後漢書の資料も同じ。韓は遼東半島にあり、倭はその東南の大海中の山島。
即ち朝鮮半島だ。
30日本@名無史さん:2014/08/26(火) 20:31:08.92
>>27
甕棺でなくても木棺でも構わない。
しかし鉄が貴重な存在でノコギリも無い時代に木棺を作るのは甕棺よりも難しいだろう。
なお、甕棺の源流は中国で東夷や南方にも広まっており、特筆すべき物ではない。
31太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/26(火) 20:41:17.83
日本に渡る時に始めて海を渡って行く場所は対馬である、南海島か巨済島いでな。
対海国は対馬である。対海国は宣川郡の島でないな。
後漢書の資料も同じ。韓は半島にあり、倭はその東南の大海中の山島。
即ち日本列島だ。

30 :日本
32太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/26(火) 20:44:15.57
不備のため書き直し

日本に渡る時に始めて海を渡って行く場所は対馬である、南海島か巨済島でない。
対海国は対馬である。対海国は宣川郡の島でない。
倭人伝の資料はそれ。韓は半島にあり、倭はその東南の大海中の山島。
即ち日本列島だ。
33日本@名無史さん:2014/08/26(火) 20:56:07.02
>>30
弥生時代の木棺はポプュラーだけどな
34日本@名無史さん:2014/08/26(火) 21:19:04.17
>>30
建築物の跡がいっぱいあるんだから、
木棺ぐらいは作れるだろう。
35日本@名無史さん:2014/08/26(火) 22:10:45.87
>>29
>>日本に渡る時に始めて海を渡って行く場所は対馬ではなく、南海島か巨済島。

始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。
又南に一海を渡ること千余里
つまり南海島や巨済島では距離が半島側に近すぎる。

>>後漢書の資料も同じ。韓は遼東半島にあり、倭はその東南の大海中の山島。
即ち朝鮮半島だ。

それでは朝鮮半島は島と言うことか?
遼東半島は魏の領土。
36日本@名無史さん:2014/08/26(火) 22:11:56.46
http://i.imgur.com/C9yqZVM.jpg

所でこの京都って何処かな?^_^;
37日本@名無史さん:2014/08/27(水) 04:53:02.97
>>35
山島とは山と島。大海とは黄海や日本海。
大海中の山島は朝鮮半島で間違いない。
遼東半島が魏の領土ではなかったんだよ。
38日本@名無史さん:2014/08/27(水) 04:58:21.17
>>34
弥生時代の木棺についてはよく知らない。
しかし、木棺を使っていたという遺跡についても知らない。
甕棺でなければ、土にそのまま埋めていたんじゃないのかな。
39日本@名無史さん:2014/08/27(水) 05:05:37.92
>>32
日本に渡る時に最初に行くのは巨済島である。
元寇でもそうだし、朝鮮出兵時の退却路もそう。
半島からいきなり対馬に渡ろうとした野生号は失敗。
内閣府職員も死亡。
40太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/27(水) 08:58:42.82
>>39
>最初に行くのは巨済島である

まあそういう経路もあろう。

倭人伝の場合は対馬でいい。
41日本@名無史さん:2014/08/27(水) 12:13:51.09
>>38
目の前の箱で「弥生 木棺」とでも検索してみろ
42日本@名無史さん:2014/08/27(水) 15:09:05.55
>>41
古代の技術でどうやって木棺を作ったのでしょうか?
まさかデカイ木をくり抜いたのかな。
43日本@名無史さん:2014/08/27(水) 16:22:23.66
弥生時代の割竹形木棺、舟形木棺など、わりと木棺も多い。
44日本@名無史さん:2014/08/27(水) 16:27:57.06
割竹型や舟型は、焼いて削る手法で、石器でも可能。
もっとも北部九州では弥生中期には確実に鉄があるので、
鉄でも可能

どちらにせよ木棺が困難ということはない。

ついでに、石の楔(くさび)と槌で、板を割り取ることも可能。
45日本@名無史さん:2014/08/27(水) 16:36:12.88
>>38
その程度の知識で首突っ込むのは止めておいた方がいいぞ。
弥生期の木棺なんて普通に沢山ある。
46日本@名無史さん:2014/08/27(水) 23:03:36.17
神武天皇と卑弥呼って時代的に同じ時代なのかな?
神武は実在の可能性は低いみたいだが。大和政権の初代天皇は
いたわけだし。

同じ時代だったらおもしろいのだが
47日本@名無史さん:2014/08/27(水) 23:08:21.54
それなら、卑弥呼の方も実在の可能性は低そうだな。
48日本@名無史さん:2014/08/27(水) 23:15:54.23
大和政権の勢力図ってどうなってたんだろう?東北は後々まで支配下にはおさめられなかった
と思うのだが。

関東より西は全部支配下にあったのかな?

となると

卑弥呼→男王→倭国大乱→とよ女王即位

けど即位してほどなく大和国に滅ぼされるって感じかな。
49日本@名無史さん:2014/08/28(木) 00:19:03.18
神武天皇を1世とした時の世代数
25世. (38代)  天智天皇.  626-672
42世. (77代)後白河天皇 1127-1192
72世(125代)  今上天皇 1933-
古代〜中世 1世代平均29.47年 25世   天智天皇(生年. 626)から42世 後白河天皇(生年1127)まで
中世〜現代 1世代平均26.87年 42世 後白河天皇(生年1127)から72世   今上天皇(生年1933)まで
古代〜現代 1世代平均27.81年 25世   天智天皇(生年. 626)から72世   今上天皇(生年1933)まで

時代が古くなるほど1世代あたりの年数は長くなる
生年が確定している天智を起点に父の父の父の・・・と1世代29.47年で遡ると・・・
626 25天智 626-672
596 24舒明 593-641
567 23押坂彦人大兄皇子
537 22敏達 538.?-585.?
508 21欽明 509.?-571.?
478 20継体               (武烈)
449 19彦主人王     (清寧)(仁賢)
419 18乎非王       (雄略)(市辺押磐皇子)
390 17意富富等王   (允恭)(履中)
360 16若野毛二俣王 (仁徳)
331 15応神
301 14仲哀
272 13日本武尊
242 12景行
213 11垂仁  田道間守(たぢまもり)=難升米(タヂマ)
183 10崇神  四道将軍=倭国大乱
154 09開化 08孝元
125 07孝霊
095 06孝安 
066 05孝昭 04懿徳
036 03安寧 02綏靖 
007 01神武
50太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/28(木) 09:13:13.02
>183 10崇神  四道将軍=倭国大乱
>154 09開化 08孝元

これだと八幡愚童訓と呉史からの

 黄龍2年=230年=開化48年

の記録とかなりズレが見られる。ここがいかんな。
51満州まいまい:2014/08/28(木) 12:49:43.75
× ここがいかんな。
○ 太国の頭がいかんな。
52太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/28(木) 14:36:12.61
>>51
オマエの論だと、逆算を企てたとき、応神仁徳の寿命が百数十歳の超長寿
のままになってしまい、これではまるでアイ・フランケンシュタイン同然
の200歳近い生存時間さながらとなるわけで、オマエの論がデタラメで
あることが歴然と露呈している。

つまりインチキの馬脚を現してるのが、この二天皇の超長生きだと
するイカ様構図なのである。w.
53日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:05:45.96
ジパング=邪馬台国説

ってのはどうだろう?中国人はジパングの位置が良くわからず。
今だとジパングとはフィリピンだったって説があるけど。

これと同じで邪馬台国=フィリピン説。

誰か唱えてる人いるかな?
54日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:35:36.80
>>51
満州、出版まだか?(゜_゜)
55日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:42:51.38
満州さんは、心があったかいね。
56日本@名無史さん:2014/08/28(木) 23:10:50.75
そうさ、そのとおりさ。
懐の寒い人のほど心は暖かいんだよ。
57日本@名無史さん:2014/08/28(木) 23:13:40.78
金がないのは首がないのと同じ
58日本@名無史さん:2014/08/29(金) 00:41:18.36
家も取らしょう 
田も取らしょう
満州さんは良いお人
末は田んぼの案山子殿〜(ポンッ)
59日本@名無史さん:2014/08/29(金) 00:47:50.46
おもろw
60日本@名無史さん:2014/08/29(金) 14:28:53.21
>>52
そもそも日本書紀の年代がずれてるのは承知だろう
神功紀を見れば年代を調整しているのは明白でしょう
61太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/08/29(金) 14:41:59.92
紀の編者連は調整をしたんだろうが、それがうまく行かな
かったということだね。
62日本@名無史さん:2014/08/29(金) 17:18:44.80
むしろ、調整しながらなぜ古伝を重視したかの方が大事なはずだが。
63日本@名無史さん:2014/08/29(金) 18:54:13.23
卑弥呼に当てはまるのは神功皇后しかいないから、
調整せざるを得なかったんだろうけど
年齢をかなり引き延ばしてるよね
64日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:24:47.95
そもそも中国に服従した卑弥呼を大和政権に当てはめる必要が
あったのだろうか?一地方の敵対勢力が中国と結んだみたいに
したほうが大和政権的にはプラスじゃないだろうか。
65日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:29:22.01
あのさ
過去がもしそうだったとしても今の中国のやつらが利権を主張したり
自分らが支配者顔したりあるいはそれと結びついて金儲けしようとし
たりしようとしても筋違いっての分からないのか?
66日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:36:31.17
お前らが下戸だの耳鳴りだの中国の文献から引用して書いていたのは分かっているんだぞ
67日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:39:31.08
現在の中華人民共和国の共産党政府は
文化大革命で過去の歴史を否定した
つまり、秦や漢、唐などの古代国家とは関係のない別の国であるわけだ
68日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:48:44.58
それを縁故に利用しようとしているやつらも左翼にいるだろ
ほんとにちょっと引きずり出せよ、そういうやつら
69日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:53:27.12
>>64
そりゃ、やっぱ、卑弥呼と神功皇后だけじゃなく、
全体的な整合性から見て、卑弥呼=神功皇后しかないってなったんでしょ
70日本@名無史さん:2014/08/29(金) 20:42:22.46
>>4

ロマンだよね。
父方の鹿児島県大隅半島にある田舎に
ここらに邪馬台国が有ったらしい
と言われる場所と、魏志倭人伝に出てくる
卑弥呼の墓の大きさが一致する古墳?が
有るよ。
あんな田舎に人が居たわけがないから、
トンデモ説だろうけれどね。
何か遺跡らしき物、古墳群と呼ばれる
一帯以外にも、塚が一杯有って
畑を作るのに邪魔だから皆ガンガン
掘って削ってるの中から石とか
何かの破片が一杯出てくる(笑)
と、文句を言いながら畑にしている。
あれ多分何かの遺跡なんだろうけどね
71日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:38:31.67
鹿児島だと黎明館と
ふるさと歴史考古館には行ったな。
72日本@名無史さん:2014/08/30(土) 19:48:01.82
対馬って邪馬台国の文章に出てくるぐらいだから
当時から大陸との交通の要所だったわけだよね。

対馬あたりになんか遺跡が残ってたら当時のことわかるのかもなあ。
73日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:58:47.64
邪馬台国が日本書記などに出てこないのは大和王権と敵対しており、なおかつ都合が悪いから無かったことにされている。つまり国譲りされた出雲の国と関連が深い
74日本@名無史さん:2014/09/01(月) 22:07:14.92
邪馬台国が日本書紀に出てこないのは邪馬台国は大和朝廷そのものだからであり、なおかつ、それを知られると都合が悪いからだとされている。
75日本@名無史さん:2014/09/01(月) 23:18:22.91
邪馬台国が日本書紀に出てこないのは大和朝廷が当時まだ存在しておらず
8世紀に日本書紀を作成する際に大和朝廷の歴史を古く見せかけたから
76太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/02(火) 09:19:07.80
>>73>>74
都合悪いなら、神功39年の卑弥呼の記事などを紀に入れるわけ
がなかろう。
77日本@名無史さん:2014/09/02(火) 21:35:40.26
ついうっかり・・すまん。>>76
78日本@名無史さん:2014/09/03(水) 00:14:36.41
邪馬台国は(日本の風土から純粋に発生した)日本文化の源泉

でおK?
79日本@名無史さん:2014/09/03(水) 00:16:15.32
>>78
抽象的杉
80日本@名無史さん:2014/09/04(木) 21:10:04.59
北山杉
81日本@名無史さん:2014/09/05(金) 09:52:00.84
>>76
実年代と全然違ってるじゃん
卑弥呼は祟神天皇あたりの人物だろう
なんで神功皇后の時代に合わせられてしまったんだよ?
82日本@名無史さん:2014/09/05(金) 09:59:16.81
>>81
だからー、記紀の年齢の記録なんていいかげんなんだよ
あてずっぽに間延びされて調整されてるんだよ
とりあえず、神功=卑弥呼になるように各天皇の年齢が計算されてしまった
83日本@名無史さん:2014/09/05(金) 10:39:41.23
キンドルで邪馬台国発見 99%とかいう本が出ていて、その内容がやばいようです。
84日本@名無史さん:2014/09/05(金) 11:43:34.32
( ゚∀゚)アハハ( ^∀^)ゲラゲラ((´^ω^))ゥ,、ゥ,、'`,、('∀`) '`,、
85太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 14:13:01.26
>>81
そのとおりだ。違っている。卑弥呼は崇神の代が活動年代だ。

だから紀の編纂者らは倍暦を知らず、しかも日本に卑弥呼がいたという
倭人伝の記事からして九州と畿内との判別が出来ず、日本に卑弥呼に相当
する女を探したが結局ピッタリのソックリの女はいないから困惑したん
だろうが、ただ神功皇后は若干共通性があることからして卑弥呼では
ないのかという暫定的判断があって、とりあえず神功を卑弥呼にあてて
おこうという考えから神功年代に伝の卑弥呼の記事を挿入しておいてという
ことだな。だが真は同一女性ではなく、卑弥呼のほうが神功より古い年代
の女性であって、卑弥呼は崇神の代の女性だったということだ。

そのころは九州と畿内は別国的状況だから、九州所在の卑弥呼は当然朝廷
の書庫の各原書にそのデータ、記載が保有出来なかったということ。
編者らは紀の編纂当時日本の統一時期だったことから、朝廷の原書群に
卑弥呼の記事がないことを崇神時別国の状況を考えなかったことから無理
をしてて神功にあてたということだ。

そして神功39年ころは崇神6年あたりに近接することとなるため、畿内
出土の多数の239年鏡とかは崇神6年ころの倭笠縫のアマテラスの日像鏡の
祭祀が239年鏡製作の因だったということになり、倍暦換算から記の
崇神没年戊寅が258年だったということが明らかになる。

そして倭笠縫の日神鏡の祭祀から、満盲栖コングの言う倭が半島の主張が
つまりコングのオオウソだということがなおも明確になる。「倭」笠縫は
畿内のほうだからな。
86太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 14:16:27.20
>>85 訂正
×そして神功39年ころは崇神6年あたりに近接することとなるため
○倍暦計算で239年ころは崇神6年あたりに近接することとなるため
87日本@名無史さん:2014/09/05(金) 16:57:42.99
>>85
だから紀の編纂者らは倍暦を知らず、

あれ?
太国先生、いつから弱気になったんですか
倍歴はあったんですよ、間違いなく
いつの間にか、以前と違う太国先生になっておられる
なにかあったんですか?
88日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:11:58.08
何かの手違いで神功紀に倭人伝の記事が挿入されてしまったわけで
倭人伝の記事が神功紀にあるからといって、神功が3世紀の人物と考えられていたという証拠にならない
太国さん、全然痛くない
胸を張って下さい
一度記録された年齢の算出手段ですよ
倍歴計算が忘れられてる筈がない
倍歴が広く知られていたのは当たり前
89日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:17:56.88
もうさ、文献の記事を「間違って○○しただけ」って言い出したら、検証も何もかも無理じゃね?
そもそもクニや人物や出来事があったかどうかすら疑わしい事になるじゃん
90日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:26:33.89
日本書記はあまり信用ならない。あくまで参考程度にしないと
91太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 17:44:29.17
>>87>>88
日本書紀の編纂当時、すでに倍暦は隠没されてしまっていたと観て
います。これは以前からそう主張してるわけで、その主張に変更はないです。

こういうことだから、舎人親王らはより古い時代の倍暦のことは未知
だったと観ていますね。


>神功が3世紀の人物と考えられていたという証拠にならない

それがしは神功皇后を3世紀の人物とは言ってませんよ。
皇后は4世紀の人物ですよ。
92日本@名無史さん:2014/09/05(金) 20:44:41.57
やりとりがますますわからね
倍歴は隠没されてたとか
舎人親王らはより古い時代の倍暦のことは未知
だったとか
だったら、誰が?どんなわけで?倍歴の存在を証明してるんだ
93太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 20:47:46.98
編纂当時の未知と証明とは別物ですよ。

それは倍暦を使ってた当時の連中が生きてれば、それは確かに即証明
でしょうが、そういう直接関わった人物は全員死んでこの世にいないので、
それを証明して論議するのが私ども現代人だということですね。
94日本@名無史さん:2014/09/05(金) 20:53:57.44
>>92
倍歴は隠没されてたとか
舎人親王らはより古い時代の倍暦のことは未知

こうなったらもはや証明は不可能じゃね
だって証拠出さなければ「倍歴が存在したと思ってる」だけ
になってしまうんじゃね
95日本@名無史さん:2014/09/05(金) 20:56:54.55
ちょっと待てよ
倍歴は隠没されてたとか
舎人親王らはより古い時代の倍暦のことは未知とか
これが間違い
確かに倍歴は存在していた
以前の太国先生が正しい
96日本@名無史さん:2014/09/05(金) 20:58:07.30
そぼくなひとだなあ
97太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 20:58:24.93
証明は困難でしょうが、ソレに向かって頑張ることが大事だと考えます。

以前眺めておられるかも知れませんが、紀の統計表なんか文証ですね。
まだまだ文証ならうんとありますがね。
98日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:01:27.67
>>93
それは倍暦を使ってた当時の連中が生きてれば、それは確かに即証明
でしょうが、そういう直接関わった人物は全員死んでこの世にいないので、
それを証明して論議するのが私ども現代人だということですね。

死人に口なしだろうが
直接証拠がないものを、議論して解決できるかよ
推理だけで判決はだせないだろうよ
99日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:04:45.07
太国先生
頑張れ!
100太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 21:04:48.45
>舎人親王らはより古い時代の倍暦のことは未知とか
>これが間違い

未知でないなら、神功年代に卑弥呼を挿入しないと思いますがね?
だって明確に年代が異なってるんですから・・・。

ただほんの少し編纂者連の中に倍暦を知っていたものがあるかも
知れませんが? そうなると編纂の反対意見者となりうるので、
こっそりどこかに倍暦があったんだという痕跡があるやも知れません?
少数意見を吐露してないで、こっそりそれがあればしめたものですがね?w

無理に主張すれば、葬られるやも分からんということですがねえ・・・?
101太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 21:07:32.74
>直接証拠がないものを、議論して解決できるかよ

解決はありえますね。

現今の法廷だって、伝聞証拠の積み重ねで被告人を有罪へ持って
行ってますよ。伝聞証拠は直接証拠じゃぁないでしょうが。
102日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:20:16.54
追い込みっていうのはそういうもんだからな
面子にかけて〜ってやつだよ
上のスレの方でも天皇云々かんぬんてレスが
ついてるだろ
それだって面子だか自分らの利権につながる
だかそれは知らんがな
な〜んにも変わらんよ、ヤクザだってなんらかの
メンツで追い込みかけるしな
103日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:20:25.75
追い込みっていうのはそういうもんだからな
面子にかけて〜ってやつだよ
上のスレの方でも天皇云々かんぬんてレスが
ついてるだろ
それだって面子だか自分らの利権につながる
だかそれは知らんがな
な〜んにも変わらんよ、ヤクザだってなんらかの
メンツで追い込みかけるしな
104日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:27:01.26
伝聞証拠じゃ有罪にできんだろ・・・

とかレスつけたら負けなんだろうな
105太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/05(金) 21:30:09.01
有罪になってますよ。

それは被告人は否認で頑張ることが多いでしょうがね?w
106日本@名無史さん:2014/09/05(金) 22:11:48.03
倍歴云々は置いといて

伝聞証拠で有罪になった?
嘘だろう、今時
あり得ないさ
107日本@名無史さん:2014/09/05(金) 22:17:56.36
そもそも書紀原文には所によっては春夏秋冬の季節が書いてあっただろう
現代の暦の月と合っていたと思ったけど
108日本@名無史さん:2014/09/05(金) 22:21:58.05
>>107
統一感がなくて季節が書いてあったり、書いてなかったりで
編纂者の気分しだいだったよね
109日本@名無史さん:2014/09/05(金) 22:25:02.49
ていうかさー、当時のインテリ編纂者が知らないものを何で俺たちが知ってるわけさ?
110日本@名無史さん:2014/09/05(金) 22:29:04.41
>>109
太国先生が見破ったからです!
111日本@名無史さん:2014/09/06(土) 00:22:42.24
>>107
そう。

(2)倍暦なら春夏秋冬を1年(365日)のうちに2回繰り返す

つまり例えば「四月春」と「四月秋」がある話になるが
記紀のどこにもそんなミスマッチはない

犬国の倍歴の根拠は記紀の欠史八代の没年干支からだが
同様に記紀でそれは否定される

極めて簡単に終了
112日本@名無史さん:2014/09/06(土) 07:01:36.78
>>111
だからそれは、実は後付されていたんですよ
つまり原文は間違いだったんですよ

太国先生がそれを見抜いたのです
文句あるか
勝手に終了させるな、カス
113日本@名無史さん:2014/09/06(土) 07:03:21.88
>>111
だからそれは、実は季節が後付されていたんですよ
つまり原文は間違いだったんですよ

太国先生がそれを見抜いたのです
文句あるか
勝手に終了させるな、カス
114日本@名無史さん:2014/09/06(土) 07:57:23.84
>>113
都合の悪い部分は「実は〜」と解釈を許すというのは
そういうのは単なる

  ご 都 合 主 義 

と言うんだよゴミカス君

記紀の記述をそのままに捉えて根拠とするなら
他の部分も同じようにしろ

単なるダブスタ
115太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 09:21:23.79
>>106 失礼
訂正します。状況証拠の積み重ねで有罪判決が出てます。

>>107
書紀の春夏秋冬の季語は後付けのものです。

官僚文で当時は天皇に見せるのに一定の規則がうるさかったのでしょう。
殆ど季語が年月日の冒頭あたりにことごとくに近くそれがついています。

例外は特段の事由がある場合のようです。だから殆ど全部神武以後の記述
には季語がそこんところにあります。

>>111
>つまり例えば「四月春」と「四月秋」がある話になるが
 記紀のどこにもそんなミスマッチはない

ある。これは日本書紀と先代旧事大成経の
雄略天皇4年の同記事を見比べると

 紀は春2月
 経は秋8月

で、同じ記事が春と秋になっておる。さらに月がぴたり半年ズレている。
おまけに雄略天皇の寿命は

古事記  124歳
日本書紀 62歳

で 62歳×2=124歳にて記は紀の丁度2倍だ。

こういうことは、オマエが怠け者の不勉強野郎だということをオマエ自ら
が証明してることになる。ww 当然上が2倍暦行使の文証だ。
116日本@名無史さん:2014/09/06(土) 09:34:42.29
>>115 犬国
>紀は春2月
>経は秋8月

2月が春で、8月が秋 ・・・でどこがミスマッチなんだよ?アホ

それは文献でひとつの記事の月が違うだけの話だ

日本語から勉強しなおしてこい馬鹿者
117太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 09:41:57.22
>それは文献でひとつの記事の月が違うだけの話だ

オマエのこの書きこみだと

 春=秋

だということになる。ppp

オマエはすぐに松沢病院に行く準備をせい。
118日本@名無史さん:2014/09/06(土) 09:55:17.91
>>117 犬国

Aという事件があって

 文献その1にはそれは春2月
 文献その2にはそれは秋8月

・・・と書いてあるだけの話

月と季節の対応は別にズレてない


1月から12月を年(365日)に2回繰り返すのなら
1月の春の他に8月の春もなければならないって話だ


ニホンゴワカリマスカ?
119日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:19:22.31
>>114
だから、季節は後付って話だろう
原文に季節が無かったわけだから
日本語わかりますか
大丈夫ですか
トンチンカンな事言わないで下さい
120太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 10:29:09.09
>>118
同記事だから半年(季節なら2季節分)ズレてるんだよ。

別記事ならオマエの言うとおりだが、同じ出来事が春で秋のわけが
なかろう。w
だからオマエは分からんらしいから、松沢病院に行く支度でもせいと
言ってるわけさ。pp
121日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:31:29.29
>>115
で、同じ記事が春と秋になっておる。さらに月がぴたり半年ズレている。
おまけに雄略天皇の寿命は

古事記  124歳
日本書紀 62歳

単に寿命を2倍に間延びさせただけじゃないの
8月が春だったというような倍歴があったという事じゃないと思うよ
122太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 10:36:19.59
間延びったって、紀の作者と大成経の作者は別人だよ。

だから各々独立して書を書いたわけで、そういう行為は成立しにくい。
双方が同一人なら間延びの考察も出来ようが、別人ではそれは不成立
と観て相当だな。
123太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 10:41:31.55
【紀の欠史八代間の天皇崩御の日数統計表】

1日 0  11日 0  21日 0
2日 1  12日 0  22日 0
3日 0  13日 0  23日 0
4日 0  14日 0  24日 0
5日 1  15日 0  25日 0
6日 1  16日 0  26日 0
7日 0  17日 0  27日 0
8日 2  18日 0  28日 0
9日 2  19日 0  29日 0
10日 1  20日 0  30日 0

上表を見ると有効数字はみな左半三分に収まっている。11日以後の崩御
なされた天皇は誰一人としていない。天皇八人とも全部月上旬に死亡
しているということだ。およそ人間の死亡というものは志望でき
ず、例外として暗殺、自殺等特殊なことのない限り選択はできない。
いつ死ぬかはだれもが分からんのであるから、かように、中旬、下旬
に死亡してなかったなどと八人も続くわけがない。ということは
当時の或る時期は前表の2週間より狭小の、1ヶ月が10日しかなかっ
たということになるのだ。これは八代の一時期、朝廷は3倍暦を行使
していたという事である。隅田八幡鏡銘文「日十大王」はこれを裏づける。
上表は1日〜10日までと整然としている。表は間延びの逆の左収縮である。
だから間延びは成立しない。
ということで、舎人親王らは原書群の選択にて、最も信頼おける記述を
選んだに違いないから、このように整然化されてるということは、紀の
八代間の原書群には2倍暦法での記載のものと3倍暦での記載のもの
があって、両者が交錯していたものもあったであろう。その中からこれ
が真であると舎人らが確信、選択をして紀の記述としたものであろう。
八代間の当時、互いに2倍暦、3倍暦を朝廷は使い分けしていたと
受け取れる。だから倍暦の変更は相当行われていたと観ていい。
124日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:41:41.58
>>115
ますます太国が分からなくなって来た

で、結局、編纂者は倍歴を知っていたのか?
知らなかったのか?

知らなかったなら、どうして
>古事記  124歳
>日本書紀 62歳
日本書紀での寿命で、実年齢が記録されたのだ???
125日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:47:25.05
>>119
>だから、季節は後付って話だろう

後付だという根拠は何だ?

てめえに都合がいいように後付って言ってるだけだろうが

後付とすれば解決するからそれを一応採るのはいいとしよう
だが根拠を出せなければ単なるご都合主義だぞ低脳君
126太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 10:52:49.15
>>124
まもなく外出するから、帰宅後にまた論をしよう。

ところでそれは暦法が単一ではなかったからだよ。

主要の暦法を行使しながら、影でわきで補助的に別の暦法を行使して
重暦をしていたということだ。これは古代マヤ人の暦法を見れば彼らの
やっていた重暦の典型を知れる。
現今でも通常暦の脇に、並行して太陰暦も行使されているのもその例。
神宮館の暦の本が毎年出るが、これにも太陰暦つまり旧暦も書いてあるから
重暦が分かるはずだ。

雄略の代は通常暦を主体的に行使していたが、脇で並行して2倍暦が存在
して行使されていたということだね。このように朝廷は重暦でクルクル
それを変えながら時代を送っていたということになるのだよ。
127日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:59:02.54
ちなみに

「月の前半に固まる」

なんて現象も古代の宮中行事の祭祀には普通にあった

例)
二月上申 春日祭
   上卯 大原野祭
四月上卯 大神祭

・・・etc etc

だから>>123で犬国のあげてる話も
その欠史八代に関わる祭祀を執り行ってた日を元に書かれたのであれば
上旬に固まるのも説明ができるw

「季節は後付」なんて解釈が許されるなら
この解釈もOKだよな?www
128太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 11:00:35.08
>>125
大成経を見ると悉く年月日のへんに春夏秋冬が神武以後の記事にはついている。

しかし秀真伝を見ると春夏秋冬がそこんところにない個所がかなりある。

だから朝廷の持っていた書庫の原書群にはついてるものとついてない書
があって、今でもオマエの書きこみには春夏秋冬の字がついてないこと
から昔もついてない原書が多数あったということよ。大成経の場合は紀の
マネ文で書いたということだな。

オマエも季語を落としていてだ、紀の神武以後のそこはその殆どに季語
があるんだから、あぁこれは後つけだったんだと自明に分かるだろう。
>>125のオマエの文にも春夏秋冬の漢字が無いじゃねえか。

外出後にまたな。よく怠けないで勉強せい。
129日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:03:34.35
>>126 犬国
>これは古代マヤ人の暦法を

はい、いつものマヤ暦

それは太陽意外に金星とかによる暦があったという話で
じゃあそれでマヤ人が自分の年齢数えてたのか?

別に惑星の運行でなくとも一年を正確に365日(+α)としない自然歴はあるが

それらがあるのと人の年齢を2倍3倍に数えるのは別の話だ

根拠にならん
130日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:05:13.66
>>126
雄略の代は通常暦を主体的に行使していたが、脇で並行して2倍暦が存在
して行使されていたということだね。このように朝廷は重暦でクルクル
それを変えながら時代を送っていたということになるのだよ。


当時、そこまで熟知されていたなら
どうして神功紀に倭人伝の記事が挿入されたんだ?
神功=卑弥呼だと思われていたんだ???

祟神紀に挿入する筈だろう
131日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:06:53.50
>>128 犬国
>原書群にはついてるものとついてない書があって

ついていないものが実は倍暦だったというのはお前の恣意的解釈こじつけ根拠にならなんぞ


日本語の基礎と他人に物事を説明する能力を付けて出直して来い馬鹿者
132日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:10:10.80
>>125

おい、ゴミカス
>>123を読め
自然と、季節は実は後付だと結論が出る
133日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:19:02.75
>>132
>自然と、季節は実は後付だと結論が出る

出ないぞ低脳君

月の前半に固まること自体理由は倍歴でなくても考えられる
(一例>>127

で倍歴があったとするなら当然出てくる現象が出てきてない

それを「後付」で済ますのは単なるご都合主義

お前も日本語の基礎と人様に物事説明する基本を勉強しなおしてこいカス
134日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:24:55.67
天皇は神に近い存在だからいつ死ぬか自分で決めることができた。
月の後半は月が落ちる、月が欠ける、そんな時期に天皇が死ぬはずがない。
日蝕月蝕を予言した古代バビロニアから来たシュメールの王はそもそも死なない。
肉体の死、イコール、王としての存在の死ではないのだ。
今日は死ぬのに良い日だ。そう思って月の前半にしたのではないでしょうか。

月の後半に死んだのは邪教の王だろう。
135日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:25:34.33
お、ここでもか
こいつ又、吠えているのか
犬国は他でも吠えまくっている
ま、今に始まった事ではない

http://6541.teacup.com/chikuzen/bbs?page=2&
136日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:30:11.08
神様は学校には通わないよ
137日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:12:26.00
そういう事になる、日本の神話を創造(わかりやすく説明)した
存在だから、人から教わる必要もない


ここには何々という神、これは某神、ここは〜etc
138日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:31:21.58
ちなみに徐福はどうなんですかね?
邪魔大国とは関係ないと思われるが紀元前の日本に多大な影響を与えている
139日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:35:01.99
【社会】池上彰氏 朝日新聞に最後通告「猶予は1か月」 報道姿勢に変化がなければ…
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1409967973/

【社会】朝日新聞社に対して法曹やマスコミ関係者から集団訴訟の動き…100万人単位で署名募る考え★2
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1409966865/

「ヘイトスピーチに歯止めを」 在特会と2ちゃんねる無断転載アフィリエイトまとめサイト「保守速報」を訴えた李信恵さんが会見
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1409920155/
140日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:54:00.79
>>138
華商の来訪は信じているが、徐福自身は日本に辿り着いた証拠ないだろ

墓があるとかいうなよ
141日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:55:51.96
>>126
雄略の代は通常暦を主体的に行使していたが、脇で並行して2倍暦が存在
して行使されていたということだね。このように朝廷は重暦でクルクル
それを変えながら時代を送っていたということになるのだよ。

なわけないだろう
そういうのをご都合主義と言うんだよ
馬鹿
142日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:58:13.98
>>138
想像から確信へ(そして伝説へ…)

気付いているはず
外から流れ着いた人物が、その土地の神になり始祖神話を形成する

神になるか追い払われるか…鎮めるために祀られた
143日本@名無史さん:2014/09/06(土) 13:18:34.42
日本昔話w本当は笑い話ではない

そのとき持って来た物などを盗まれたりしたのかも?
144日本@名無史さん:2014/09/06(土) 13:24:04.46
>>140
個人的にはいたんじゃないかと思いますが。各地に伝承があるみたいだし
145日本@名無史さん:2014/09/06(土) 14:48:30.97
>>126
雄略の代は通常暦を主体的に行使していたが、脇で並行して2倍暦が存在
して行使されていたということだね。このように朝廷は重暦でクルクル
それを変えながら時代を送っていたということになるのだよ。

朝廷が重暦でクルクル それを変えながら時代を送っていたわけないだろう
だったら、朝廷にて実年代がわかるだろうよ
神功紀の矛盾が生じて来る
太国は、インチキ、詐欺師、ゴミクズ
146太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 15:09:55.85
>>129
古代マヤの太陰暦は2倍暦だよ。学術的には C文字 で表される。
それはマヤのほうは絵文字で書きこみ、日本はそうでないと思うが、
違いはあるが、根本的には同じだね。ほかでも倍暦の見本は在る。
心配すんな。

>当時、そこまで熟知されていたなら
どうして神功紀に倭人伝の記事が挿入されたんだ?
神功=卑弥呼だと思われていたんだ???
>祟神紀に挿入する筈だろう

紀の編纂者は熟知なんぞしてないだろうが、してれば当然崇神あたりに
卑弥呼の記事を載せたがるはずだからな。

恣意的こじつけで ↓ こんなんになるわけがなかろう。しっかりしろい!
【紀の欠史八代間の天皇崩御の日数統計表】

1日 0  11日 0  21日 0
2日 1  12日 0  22日 0
3日 0  13日 0  23日 0
4日 0  14日 0  24日 0
5日 1  15日 0  25日 0
6日 1  16日 0  26日 0
7日 0  17日 0  27日 0
8日 2  18日 0  28日 0
9日 2  19日 0  29日 0
10日 1  20日 0  30日 0
147太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 15:15:09.18
>月の前半に固まること自体理由は倍歴でなくても考えられる

それはそういうこともあることは確かだ。月前半に集まる傾向があること
は本当だが、およそ人間の死亡(この場合欠史八代の8人の天皇)が
自然死病死なら月前半に集まるわけがない。人の死亡日を操作できるのは
殺人とか自殺しかない。天皇8人が悉く殺人等で死ぬわけがなかろう。
そんな8人連続殺人等での確率は0に近い。
148太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 15:19:08.56
>>134
明治天皇崩御は30日のほぼ月末だ。
ウソを言うなよ。
月後半に死ぬはずがないとぬかしたって、明治天皇がそうじゃぁ
オマエの言い分はオオウソ。それとも明治の君は邪教の王なのか?ウハハ・・・
149太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 15:23:59.79
>>141>>145
朝廷はご都合主義なのさ。分かった?

>朝廷にて実年代がわかるだろうよ
これはその通り、ある程度本当だ。
しかし倍暦終焉後となると世代交代が続き、倍暦知悉者がいなくなって
来たといえる。だから倍暦隠没となって過去のものとなったのだな。
150日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:34:48.96
暦の日数を2倍にしたり元に戻したり2倍にしたり元に戻したり
あるわけなかろう
おい、犬国、頭は大丈夫か
151日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:41:02.79
>>150
つーか、詐欺師でもそんな非現実的な事はいわないよ
社会が混乱するだろうよ
152太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 15:45:47.11
>>150
それがあるんだよ。神武即位時、天皇は倍暦行使を始めて取り入れたが、
天皇崩御の直後次代の神沼河耳尊は倍暦が不自然で突飛なものだと思って
不便感じてたんだろう。即倍暦を廃止し、通常暦に戻したのさ。

ところが3代安寧に至って倍暦を再開したのだ。さて後つけをしてやったぞ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
133 :日本@名無史さん:2014/秋/09/06(土) 11:19:02.75 >>132
>自然と、季節は実は後付だと結論が出る

出ないぞ低脳君

月の前半に固まること自体理由は倍歴でなくても考えられる
(一例>>127

で倍歴があったとするなら当然出てくる現象が出てきてない

それを「後付」で済ますのは単なるご都合主義

お前も日本語の基礎と人様に物事説明する基本を勉強しなおしてこいカス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オマエの脳内がヘッピリ古史だから、こういう前付けを忘れたのだ。
153日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:46:03.29
繋がってるのかな

日本昔話「いいな いいな 人間って いいな」

ここが問題「人間て良いな」なのか「人間て言いな」

『せめて人間らしく』
『少年よ神話になれ』『そして伝説へ』
154日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:12:41.79
>>152
それがあるんだよ。神武即位時、天皇は倍暦行使を始めて取り入れたが、
天皇崩御の直後次代の神沼河耳尊は倍暦が不自然で突飛なものだと思って
不便感じてたんだろう。即倍暦を廃止し、通常暦に戻したのさ。
ところが3代安寧に至って倍暦を再開したのだ。さて後つけをしてやったぞ。

聞いてきたのか、カス
嘘つくなよ
お前のでたらめを信用しろというのか
その時代の会話がお前にわかるわけないだろう
155日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:32:00.43
何度も見かけるけどさ、
その度ごとに罵倒されてしまう>>123の書き込み
って意味があるのか?
156太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 19:11:56.28
>その時代の会話がお前にわかるわけないだろう

会話は記紀に載ってるだろう。オマエはそういうのが読解できないわけだな〜?

ウフフフ・・・ダロウな?
だからオマエ脳内はヘッピリ古史で満たされてるってわけだな。bubu
オマエの書きこみには相変わらず春夏秋冬が書かれていないわけで、
オマエ自ら後つけがあることを認めたも同然だなw
じゃぁコチラが再度季語を入れてやろうか〜?

オマエ自らしくじってるんじゃぁお話にならんぞ!
157日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:13:47.15
>>156
会話は記紀に載ってるだろう。オマエはそういうのが読解できないわけだな〜?

どこに載ってるの?
158太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 19:17:50.27
載ってるよ。
オマエ読んでないな?

ただそれが必ずしも倍暦と関係あるとは言ってはいない。
159日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:21:34.65
>>155
意味は無いな

倍歴を記紀の長大な天皇の寿命の説明の手段にするとしても
欠史八代以後(大体河内朝まで)もその傾向は続くんだから意味が無い

そもそも二倍歴だの三倍歴だの説明するのに都合が悪くなったら
「忌日として暦上から消された」だのコロコロ変えて

もう暦としての機能も何もない
160太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 19:27:06.84
>「忌日として暦上から消された」だのコロコロ変えて

暦法をコロコロ変えていたんだよ。
死亡日は自殺他殺以外選択できないだろうが。
8人も上旬に死亡したということは、自然死病死ではありえないだろうが。
あるというなら、えらく0に近い確率だぞ。これではダメだ。
161日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:34:11.55
>>158
>>暦の日数を2倍にしたり元に戻したり2倍にしたり元に戻したり
あるわけなかろう
おい、犬国、頭は大丈夫か

>それがあるんだよ。神武即位時、天皇は倍暦行使を始めて取り入れたが、
天皇崩御の直後次代の神沼河耳尊は倍暦が不自然で突飛なものだと思って
不便感じてたんだろう。即倍暦を廃止し、通常暦に戻したのさ。
ところが3代安寧に至って倍暦を再開したのだ。さて後つけをしてやったぞ。

>> 聞いてきたのか、カス
嘘つくなよ
お前のでたらめを信用しろというのか
その時代の会話がお前にわかるわけないだろう

>載ってるよ。
オマエ読んでないな?
ただそれが必ずしも倍暦と関係あるとは言ってはいない。

結局、記紀に載ってないんだろう
倍歴の話は
162日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:37:06.23
>>160 犬国
だから記紀の欠史八代の没日を根拠とするなら
同じく記紀の季節の記述で当然起こりうる
月と季節のミスマッチが出ない事も同様にそれを否定しうる根拠になるって話だ

記紀の記述でひねり出したトンデモは

記紀の記述で否定されるwww
163日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:38:17.96
>>158
>>暦の日数を2倍にしたり元に戻したり2倍にしたり元に戻したり
あるわけなかろう
おい、犬国、頭は大丈夫か

>それがあるんだよ。神武即位時、天皇は倍暦行使を始めて取り入れたが、
天皇崩御の直後次代の神沼河耳尊は倍暦が不自然で突飛なものだと思って
不便感じてたんだろう。即倍暦を廃止し、通常暦に戻したのさ。
ところが3代安寧に至って倍暦を再開したのだ。さて後つけをしてやったぞ。

>> 聞いてきたのか、カス
嘘つくなよ
お前のでたらめを信用しろというのか
その時代の会話がお前にわかるわけないだろう

>会話は記紀に載ってるだろう。オマエはそういうのが読解できないわけだな〜?

>>どこに載ってるの?

>載ってるよ。
オマエ読んでないな?
ただそれが必ずしも倍暦と関係あるとは言ってはいない。

結局、記紀に載ってないんだろう
倍歴の話は
164日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:43:37.63
記紀に倍歴の話が載ってるなら
実年代もわかるだろうが
神功紀に倭人伝の記事が挿入されないだろう
矛盾しまくりの犬国、いいかげんにしろよ
165日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:45:55.52
ちょっと待て犬国
犬国って挑発されて、わざわざ墓穴を掘る事言ってないか
おちつけ
166日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:56:19.69
>>165
いや、天誅だ
とことん殺ってやる

倍歴云々の話を太国は、見て来たわけでも聞いてきたわけでもない

太国の反論
@記紀に倍歴の話が載っている
読みとれない奴はどうかしている

太国の言っている@に対する矛盾点
A神功紀に倭人伝の話が挿入されてるのは
記紀では倍歴の話が読み取れないから
167日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:58:27.27
>>166
ワロタwwww

でも、言い訳も思いつくな

記紀編者は、伝承をそのまま書いたがその意味が理解できなかった。
168日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:01:00.93
用命天皇→蘇我馬子
聖徳太子→蘇我蝦夷
山背大兄→蘇我入鹿
を天智天皇のがクーデターして
日本書記を編集しちゃった説
169日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:02:50.47
>>167
そう、普通は意味がわからないんだよ
倍歴云々の話なんぞ読み取れないさ

>会話は記紀に載ってるだろう。オマエはそういうのが読解できないわけだな〜?
の発言を取り消して謝罪しろ、太国のカス
170日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:06:21.62
その辺でやめとけ
とどめは刺すな
もっと時間をかけていたぶろうよ
171日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:09:05.16
あの、なんの根拠もないのに自信たっぷりな態度が気に障るよなw
172日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:11:43.18
トンデモ言うやつに限って自信満々な態度で
逆にまともなことを言う奴は常に自説の欠点なりを留意してる

まあ世の中そんなもんやねwww
173日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:39:25.65
>>166
天誅? 神になったつもり?wwwwwwwwww
174太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 20:46:29.87
>>162←季語がないねえ〜。ウフフ・・・
季節が後つけだということは、ミスマッチつまりだ、紀に編者らは
違う季節なのに通常の暦法で考えた季語をつけてった〜という誤りを犯して
たということだな。
だから紀の神武以後の季節はこの後つけのためあてにはならないつまり
別の季節だったのがけっこうあると観て可なのだ。

大成経の雄略4年の記事が秋8月なのに紀の同年の同記事は春2月
じゃぁ、後つけのことからかなり季節のミスがあったと観ていいんだぜ。
175太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 20:52:39.59
【紀の欠史八代間の立太子、即位、崩御、立后等の日数統計表】

1日 4  15日 0
2日 2  16日 0
3日 3  17日 0
4日 3  18日 0
5日 6  19日 0
6日 3  20日 0
7日 2  21日 0
8日 3  22日 0
9日 3  23日 0
10日 1  24日 0
11日 4  25日 0
12日 3  26日 0
13日 3  27日 0
14日 7  28日 0
        29日 0
        30日 0


上表を見ると日数はすべて1日〜14日の2週間に収まっている。その
末日の14日は7回も使用されている。有効数字は表の左半分のこの14日
までであり、右半分は全部0行進である。これは朝廷が14日という日を
強調したいため、14日を多用したのではあるまいか? その強調したか
った事とはいったい何か? 他でもない。当時の1ヶ月は14日間なの
だよ、14日で終りなのだよということを印象付けたいための14日多用
だったのであろうと想う。
これだけ見れば当時の1ヶ月が現今の半月の14日間しかなかったと充分
想定できるのだ。20世紀の日数を見るに2/30という日付の出来事は見られ
ない。0だ。この事は20世紀には2/30という日がなかった訳で、上表同様だな。
176日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:54:28.39
>>174 犬国
>季節が後つけだということは

その後にわけの分からん戯言をダラダラ書いてるが

「季節が後付」ということに何の根拠もない

お前がドヤ顔で出してる雄略4年の記事については
俺が起きた時期についての違いであり

月と季節のずれを示すものでも何でもない

根拠としたいのなら季節と月がずれてるものを探して来い馬鹿者
177太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 20:56:48.14
>>146>>175の表を見るに、ここから導き出される結論は、当時2倍暦
と3倍暦が並行して行使、つまり重暦をやってたということよ。
勿論通常暦法も行使してたのは、雄略4年からの通常暦行使で明快となるのだ。
ま〜だ ほかにも沢山持ち駒はあるのだ。
178太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 21:04:35.58
根拠はコチラがオマエの書きこみにホラッ後つけをすることで明白だな。ウフフ・・・

176 :日本@名無史さん:2014/【秋】/09/06(土) 20:54:28.39 >>174 犬国
>季節が後つけだということは  ↑

その後にわけの分からん戯言をダラダラ書いてるが

「季節が後付」ということに何の根拠もない

お前がドヤ顔で出してる雄略4年の記事については
俺が起きた時期についての違いであり

月と季節のずれを示すものでも何でもない

根拠としたいのなら季節と月がずれてるものを探して来い馬鹿者
        ↑
雄略4年の同記事で紀と経の春なのに秋になってることで、解説済みだな。
月のほうは2月のところ8月じゃぁ、丁度半年のズレで2倍暦の行使は
ハッキリしている。

オマエのヘッピリ古史はもの忘れが早いようだな。PuPu 泣け!!
179太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 21:06:37.07
>お前がドヤ顔で出してる雄略4年の記事については
>俺が起きた時期についての違いであり

オマエは雄略年代にこの世にいて寝起きしてたのか?wwwww

ハハハ・・・はよう松沢病院へ行く支度でもしろ!
180日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:09:44.92
>>178 犬国

そんなものは単なる文献による時期の違いであって
倍歴だの月と季節のズレだのと関係のない話だな

何の反論にもなってない

と言うか狂人の戯言レベル
181日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:13:22.53
モグラーニャ?
182太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 21:15:08.61
反論になってないのはオマエのほうだろうが。w

オマエは史料根拠等を出してねえじゃないか?ウヒヒヒ

ところで歌を忘れたカナリヤを思いだすが、ククク・・
オマエはカスタネットを忘れたジョーカーか〜? ア〜ン??ww←これよ
183日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:18:52.45
>>179
すごく長く眠ってたような書き方だよなwww
やっぱり天誅を下せるくらいだから長生きするんだなwww
184日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:24:42.60
ちなみに
「月の前半に集中する」
という事例で言えば

古代年中行事の「政務」なんかも偏る

毎月1日 規告塑

1/5 叙位議
1/7 叙位
1/8 女叙位、給女王禄

2/11 列見

・・・あとは割愛させてもらうが
(『古代史の基礎知識』吉村武彦 元は『岩波日本史辞典』の付表を改変した一覧より)

中には中旬とか特に指定のないものもあるが
日にちを指定してるものは15日まで

欠史八代の命日(とされるもの)について何らかの祭祀等を行ってたなら
月の上旬に固まるのも説明がついてしまう
185太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 21:34:30.27
繼體等の代での2倍年暦行使が、顕宗の代に14年分実年代が通説より後代に
来るのだという事だ。倍暦行使と通常の暦法行使の年代の境は佛伝の時期と
なる。佛伝で大陸の暦法に塗り替えられたことから佛伝以降の時代は、倍暦
は廃れたのである。

【繼體紀の日数統計表】
1日 3  15日 0  29日 0
2日 0  16日 0  30日 0
3日 2  17日 0
4日 2  18日 0
5日 3  19日 0
6日 1  20日 0
7日 2  21日 0
8日 1  22日 0
9日 2  23日 0
 10日 1   24日 1←繼體即位直前楠葉宮行き1/24#
 11日 1   25日 0
 12日 0   26日 1←百済淳陀太子死8/26
 13日 1   27日 0
 14日 2   28日 0

上表を見れば一目瞭然。二つの例外を除いては、全ての記載が月前半に位置
するのだ。百済関係の26日の記事は通常暦(1倍暦)をしていた百済の暦の
ためで月後半にあるのであり、純粋の繼體朝廷記事ではないし、1/24の記事
は先帝の武烈の代の通常暦行使の記事のため月後半に位置するのでありこれ
も純粋に繼體朝廷の記事ではないということになる。
〜ということは純粋に同朝廷の記事はことごとく月前半に集結しており、
このことは結局繼體世ではこの朝廷が2倍年暦を行使していたということと
なる。つまり当時の1ヶ月は1日〜14日までの2週間であったという事なの
であり、2倍年暦の行使をしていたのだ。再度、繼體の時代は1ヶ月が
15日間の現今の月での月前半分だけだったのであり、この事は2倍年暦だっ
たということになるのだ。
186太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 21:36:50.31
>何らかの祭祀等を行ってたなら
>月の上旬に固まるのも説明がついてしまう

祭祀は死亡日ではな〜い。
葬儀日は別の日だという記述が紀にことごとくついている。
187日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:40:59.91
解明されている可能性もあり

海神(海底)→地震→津波→大洪水→ノア→
188日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:41:55.56
>>186 犬国

祭祀は死亡日ではく葬儀日だという根拠は?
189日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:57:18.73
まあ犬国のような狂人は理解できないだろうがだ・・・

現実問題暦なんてのは周知させて共有してこそ意味がある

例えば軍事なら
 「○月×日に兵隊△人よこせ」とか
巨大古墳の造営なら
 「○月×日に人夫△人よこせ」とか

その他諸々為政者が勝手に机上で変更しまくって意味があるものじゃない

しかもこの馬鹿によると「忌日として暦から消した」なんてのは遡及法(過去にさかのぼり適用する法)ならぬ遡及暦

もうねアホかとバカかと
190太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/06(土) 22:04:41.76
ジョーカー

祭祀が死亡日だという根拠は?

祭祀は日ではなかろう。w

言っておくが、318年説はオマエが頑張っても成立しない。

>何らかの祭祀等を行ってたなら
>月の上旬に固まるのも説明がついてしまう

それだと、仁徳以前の天皇の超長寿の説明つかないことになる。ブハハハ・・

こちらはキチンと説明できたことになる。彼ら当時の天皇は倍暦から、現今
の人類とほぼ変わりない通常の寿命だったことになる。コチラは合理的
説明ができたことになる。しかしオマエのその説明が千歩譲って出来たこと
にしても、それだと天皇の超長寿ははははべらぼうに超長寿のままとなる。

笑われるぞ、こんなドジを踏んでオマエは放置納得してんるなら、まあ
またアーカム・アサイラムでも行け!wwwww
191日本@名無史さん:2014/09/06(土) 22:21:17.12
>>190 ゴミ犬
>それだと天皇の超長寿ははははべらぼうに超長寿のままとなる。

相変わらずニホンゴの通じない基地外だな

月前半に固まることを祭祀に由来するということが
何故長大な寿命をそのまま容認することになるんだ?

他人に分かる言葉で言え馬鹿者

更に言えば当然その没日はもし現実に欠史八代にあたる人物がいたとしても
実際に死んだ日じゃなくて後付で書かれてものとなる

お前がドヤ顔で出してるその没日の集中は
欠史八代がやはり架空の存在だという傍証にも使えることを考えておけ
192日本@名無史さん:2014/09/07(日) 07:40:00.66
>>191
こちらはキチンと説明できたことになる。彼ら当時の天皇は倍暦から、現今
の人類とほぼ変わりない通常の寿命だったことになる。コチラは合理的
説明ができたことになる。しかしオマエのその説明が千歩譲って出来たこと
にしても、それだと天皇の超長寿ははははべらぼうに超長寿のままとなる。

別に問題ないよ
現人神だから
むしろ、現実的寿命の方が不自然なくらいだ

しかも魏志倭人伝の時期に神功紀の時期、紀元前660年に神武天皇即位年を意識的に合わせていたなら
その年齢になってしまう
イワレビコ以前の王の記録が欠損しているわけだからね
193日本@名無史さん:2014/09/07(日) 07:42:42.92
太国、↓の話はどうなったんだ
お前にうやむやにされてるけど

倍歴云々の話を太国は、見て来たわけでも聞いてきたわけでもない

太国の反論
@記紀に倍歴の話が載っている
読みとれない奴はどうかしている

太国の言っている@に対する矛盾点
A神功紀に倭人伝の話が挿入されてるのは
記紀では倍歴の話が読み取れないから
194日本@名無史さん:2014/09/07(日) 07:49:06.30
実は、卑弥呼と呼ばれる女王は、両手に余るほどいたのかもしれない。
満州にも朝鮮半島にもいたし、九州や出雲にもいた。
それは、同じ人物が天の磐舟で高速移動したのかもしれないし、
テレポーションができたのかもしれないし、複数人だったのかもしれない。
その正体は誰も知らないし、知ったものは確実に死ぬ。
倭国は満州から朝鮮半島、日本の日本海側を支配する環日本海海洋都市国家連合だったのだ。

魏史倭人伝を書いた陳寿はその事を知らなかったので混乱が生じたのだ。アホだね。
195日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:06:08.46
>>193
記紀では倍歴の話は読み取れないな
犬国の妄言だな
犬国の言う根拠とやらにはならないな
ご愁傷様
196太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 09:01:32.90
>>191
>月前半に固まることを祭祀に由来するということが
>何故長大な寿命をそのまま容認することになるんだ?

容認することにならないなら、祭祀だとどのように超長寿でないこと
になるのか? 具体的に言ってみい。言えるのかよ?

オマエはそれの容認だけで超長寿の合理的説明をしないで逃げるだけ
だろう? それが出来ないんじゃぁ、祭祀と言ったところで、オマエの
即興での否定のための否定のオマエの脳内のヘッピリ古史の盲象頑張り
だけの言動だとミエミエだねえ〜。ヒヒヒ・・・ 説明できないんだろ?ppp

それにオマエには根拠史料証拠等の持ち駒での書きこみがまるで
無い。それをカバーしてるのがオマエの馬鹿者等の悪口群で誤魔化しておる。
オマエのはそういうのばかりの書きこみだから、そういう馬鹿者だとか
の悪口を除くと、オマエの反論の点数になるところは殆どねえんだよ。

これでは全然ダメだな。持ち駒が悪口じゃぁ臥海でも反論は容認されまい。

ソレにオマエの書きこみには相変わらず春夏秋冬がねえんだよ。
どういうわけだね? これじゃぁオマエ自ら後つけだとオマエ自身が容認
したことになる。つまりジョーカーよ、オマエはドジを踏んだわけだ。ww
197日本@名無史さん:2014/09/07(日) 10:15:21.43
>>148
>明治天皇崩御は30日のほぼ月末だ。
>ウソを言うなよ。
>月後半に死ぬはずがないとぬかしたって、明治天皇がそうじゃぁ
>オマエの言い分はオオウソ。それとも明治の君は邪教の王なのか?ウハハ・・・

明治天皇は、江戸時代最後の天皇である孝明天皇の子ではない。
孝明天皇は、邪魔に なったために長州藩によって毒殺され、長州の田布施(たぶせ)、現在の山口県熊毛郡 出身の大室寅之祐が明治天皇になった。
長州藩はイエズス会、つまりユダヤの傀儡、操り人形だ。明治天皇は邪教の王そのもの。
天皇は過去に何度も入れ替わった。その度に暦法も変わったのだ。
198日本@名無史さん:2014/09/07(日) 15:30:27.46
だったら岩倉具視、朝永親王らがだまってないと思うんだが?
199太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 15:47:17.09
容認なんかオマエのヘッピリ古史だけだな。フフフ・・・

祭祀は死亡じゃぁねえんだよ。こんなことは小学生でも分かる。w

死亡日を後つけにする根拠などなねえ〜。
オマエが季節の後つけをオマエの書きこみの季語がないことからこっそり
と認めざるをえな精神状態にかこつけて、死亡日に後つけを付加したまで
のこと。即興の言い訳じゃぁウラがとれておらず、クソの役にも立たない。

>欠史八代がやはり架空の存在だという傍証にも使えることを考えておけ

架空じゃぁ現に古墳があるんだから、8個も創作のためあくせく数十万
とかの人民を集めてイカサマ古墳を作るほど朝廷はヒマじゃねえんだよ。w
つまりオマエの否定を脳内で即興でめぐらして考えた裏もとれてない単
なる言い訳であって、繕いはもう結構月光!!

>こちらはキチンと説明できたことになる
説明もろくすっぽ具体的にできないしくじり脳内で、どこにも超長寿の
合理的説明がな〜い。それを説明したようなデタラメのイカサマを
書きこんでオオウソを垂れているのがオマエのお陀仏の脳内活動だ。ヒヒヒ
今後も出来ないだろう。w
200太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 16:05:09.80
>孝明天皇は、邪魔に なったために長州藩によって毒殺され、長州の田布施(たぶせ)、現在の山口県熊毛郡 出身の大室寅之祐が明治天皇になった。
長州藩はイエズス会、つまりユダヤの傀儡、操り人形だ。明治天皇は邪教の王そのもの。
天皇は過去に何度も入れ替わった。その度に暦法も変わったのだ。

そんなことはデタラメなのだ。
何となればその証拠の説明がまったくない。ユダヤとは関係ないイカサマ
だな。わが神国日本はいずれ全世界を統治する。
全世界の統帥権は上御一人にある。
201日本@名無史さん:2014/09/07(日) 16:34:54.40
太国、↓の話はどうなったんだ
お前にうやむやにされてるけど

倍歴云々の話を太国は、見て来たわけでも聞いてきたわけでもない

太国の反論
@記紀に倍歴の話が載っている
読みとれない奴はどうかしている

太国の言っている@に対する矛盾点
A神功紀に倭人伝の話が挿入されてるのは
記紀では倍歴の話が読み取れないから
202太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 18:45:25.02
ジョーカー、↓の話はどうなったんだ
お前にうやむやにされてるけど

通常歴云々の話をジョーカーは、見て来たわけでも聞いてきたわけでもない

ジョーカーの反論
@記紀に通常歴の話が載っている ←どこにだ? ウププ・・・
読みとれない奴はどうかしている

ジョーカーの言っている@に対する矛盾点
A神功紀に倭人伝の話が挿入されてるのは
記紀では通常歴の話が読み取れるから ←これじゃ年代が合うまい?ヘッヘ
203太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 18:47:19.24
【紀の欠史八代間の立太子、即位、崩御、立后等の日数統計表】

1日 4  15日 0 ←以下0ばかりで通常暦か〜? 笑わせるな。ww
2日 2  16日 0
3日 3  17日 0
4日 3  18日 0
5日 6  19日 0
6日 3  20日 0
7日 2  21日 0
8日 3  22日 0
9日 3  23日 0
10日 1  24日 0
11日 4  25日 0
12日 3  26日 0
13日 3  27日 0
14日 7  28日 0
       29日 0
       30日 0
204日本@名無史さん:2014/09/07(日) 18:53:45.03
記紀は朝廷の都合の良いことは是とし、
都合の悪いことはウヤムヤにした

ウヤムヤ=歴史上難解

勝てば官軍ですネ。北朝鮮の金一族の神格化に似てるから・・・

記紀は疑って読むべし、正解もあるがほとんどが創作
205日本@名無史さん:2014/09/07(日) 18:55:09.04
続けるならば、
記紀から邪馬台国を語るバカの気が知れん
206太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 19:22:55.09
>記紀は疑って読むべし

記紀は探偵小説ではな〜い。

創作刷れば公文書偽造同行使で舎人親王らは重罪で失脚だ。
そうなってない。創作ならばキチンとその捜査状況を具体的に
書きこんでからそういう口をたたけ。。

ジョーカー
オマエは死亡日が祭祀だとデタラメを言って誤魔化してるが、
何の根拠もない。

 死亡日≠祭祀

オマエは祭祀で説明が出来ているとぬかしているが、それで天皇の超長寿
がすでに説明したとのウソをついている。どこにも説明の書きこみなんか
ない。これの説明が具体的合理的に出来ないんでは、竜頭蛇尾のデタラメ
だということがミエミエになる。

オマエは実際に天皇の超長寿の説明ができていない。できたという言い訳
はオオウソのインチキ。
207太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 19:23:46.12
ば創作刷れば
創作すれば
208太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 19:25:40.22
>>207は書きこみミス 失礼。

>>206
訂正
×創作刷れば
○創作すれば
209日本@名無史さん:2014/09/07(日) 19:33:08.42
記紀では倍歴の話は読み取れないな
犬国の妄言だな
犬国の言う根拠とやらにはならないな
ご愁傷様
210日本@名無史さん:2014/09/07(日) 19:37:50.25
>>暦の日数を2倍にしたり元に戻したり2倍にしたり元に戻したり
あるわけなかろう
おい、犬国、頭は大丈夫か

>それがあるんだよ。神武即位時、天皇は倍暦行使を始めて取り入れたが、
天皇崩御の直後次代の神沼河耳尊は倍暦が不自然で突飛なものだと思って
不便感じてたんだろう。即倍暦を廃止し、通常暦に戻したのさ。
ところが3代安寧に至って倍暦を再開したのだ。さて後つけをしてやったぞ。

>> 聞いてきたのか、カス
嘘つくなよ
お前のでたらめを信用しろというのか
その時代の会話がお前にわかるわけないだろう

>会話は記紀に載ってるだろう。オマエはそういうのが読解できないわけだな〜?

>>どこに載ってるの?

>載ってるよ。
オマエ読んでないな?
ただそれが必ずしも倍暦と関係あるとは言ってはいない。

結局、記紀に載ってないんだろう
倍歴の話は
211日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:23:13.02
記紀は歴史書としては欠陥が多すぎる。
まあ、文字で書かれた初めての歴史書と呼べるものだから仕方があるまい。
212太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 20:40:28.92
紀なら倍歴の話は読み取れるな ホレッ!
     ↓
【紀の欠史八代間の立太子、即位、崩御、立后等の日数統計表】

1日 4  15日 0 ←以下0ばかりで通常暦か〜? 笑わせるな。ww
2日 2  16日 0
3日 3  17日 0
4日 3  18日 0
5日 6  19日 0
6日 3  20日 0
7日 2  21日 0
8日 3  22日 0
9日 3  23日 0
10日 1  24日 0
11日 4  25日 0
12日 3  26日 0
13日 3  27日 0
14日 7  28日 0
      29日 0
      30日 0
213日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:50:58.59
このくらいの、知識はあるよね。
お恐れ多くも、天皇の言葉だよ。

http://jump.2ch.net/?www.youtube.com/watch?v=sCZ8xsk8YJI
214太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 20:54:40.76
>>210 ジョーカー 
あるからしようがないだろう。
いいかオマエの頭は現代人のヘッピリ古史だがw、古代人の朝廷のものども
は現代の頭ではないんだよ。頭が大丈夫かはそういう古代人に言うんだな。w

当時の連中は今なら熱帯ジャングルの迷信深い蛮族同然の頭なのだ。
そいつらのやったことを知りたけりゃぁ、一時的にもやつらの目線、連中
の脳内思考に合わせなければ古代の真を把握なんぞできない。

オマエは古代のあのころも現代人流の暦でやってたと考えてるわけだ。w
そいつら大学なんぞ出てないぞ。オマエの古代脳は現代脳にしてるわけだ。
ワラワセルナヨ。w

古代の連中に今の科学思考なんかないぜ。突飛なことをあいつらは考え、
神を怖れて行動してたのだ。だから全然思いもよらない実体が研究の
進んでいる研究家こそ知りうるものよ。
215日本@名無史さん:2014/09/07(日) 21:10:01.35
詳しい人は気付いている

海神 リヴァイアサン、ポセイドン、ネプチューン
216日本@名無史さん:2014/09/07(日) 21:28:18.61
>>212
そんなんじゃ、誰も倍歴に確証もてないよ
カス
証明になってない
217太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/07(日) 21:34:47.58
>>214 ジョーカー
歯型のカスタネット wwwww を忘れたんじゃぁ〜
〜まるで小次郎が武蔵の前で刀の鞘を捨てたも同然!
コワッパ ウヌの負けよ〜!

心配すんな。
うんと倍暦の根拠は豊富に持ち駒がある。
あれ1個じゃぁねんだよ。いくらでも持ってるんだよ。
218日本@名無史さん:2014/09/07(日) 22:34:15.75
間接証拠があっても決め手となる証拠がない。
しかも、動機がない。
これではいくら頑張っても立件できないだろう。
倍歴説は棄却します。
219日本@名無史さん:2014/09/08(月) 05:50:20.32
数は中国から伝わったんだろう
だったら、暦の月日も1年365日で伝わってるんじゃないの

数え方がある時点で中国式なんだよ
1から10の数字を使う時点で、倍歴だって通常歴の応用だろう

だったら1年365日で伝えられているよ
220日本@名無史さん:2014/09/08(月) 05:55:41.67
だいたいにして神武紀に15日から30日の日付が使われているじゃないかよ
都合の悪い所は統計に入れてないんだよな、こいつ
これで倍歴の存在を信じろといわれてもなー……
221日本@名無史さん:2014/09/08(月) 08:23:27.19
上古の時代の数え方を
書紀編纂者は理解できなかっただけでしょう
ですので書紀に記されてる歳がかなりずれてるわけであり
この歳を元に倍歴? なる法則を持ち出したところで、基本の元の歳がずれてるわけだから
意味ないでしょう
マヤ歴だかなんだか知らないけど、上古に大和王権が使用していた暦の実態がわからないので

どうしても即位年代を推定したいのなら上古の人の平均寿命等に世代数を掛けて凡その年を出してみるべきです
東征時や即位時まで遡る王の記録が全て残されていた事が前提ですが、おそらく残されていなかったと思いますけど
222日本@名無史さん:2014/09/08(月) 08:30:40.78
>>221
そうだよね
5進法を使っていたのか
10進法を使っていたのか
20進法を使っていたのか
30新法を使っていたのかも
知らないのに、通常歴を応用させた倍歴を使って
書紀に記された数字から年代を割り出したって駄目だよね
223太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 08:58:03.84
>間接証拠があっても決め手となる証拠がない。
しかも、動機がない。

動機はあるね。説明しようか?w

いくらでも倍暦の根拠文証等は把握している。コチラの勝ちだな。

なお 218年説は成立しない。←クギさしだぜ。
224太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 08:59:23.53
>>223 訂正
×218年説
○318年説

318年説が成立しないということだ。
225太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 09:14:17.52
>だいたいにして神武紀に15日から30日の日付が使われているじゃないかよ
 都合の悪い所は統計に入れてないんだよな

オマエ、コチラの論を読んでないな? 別におかしくはない。

神武即位前は、まだ天皇は通常暦を行使していて倍暦行使なんど考えてもいない。

だが即位に当たって倍暦行使を神武は下命したのだ。
その方法は3倍年暦であり、月の後半までも使用の視野に入った倍暦を
行使してたのだ。そしてその行使は神武崩御の時までであり、崩御直後
次代の神沼河耳尊はこんな奇異突飛な3倍暦を廃止し、通常の暦法を主体
として戻したのだ。不慣れで不便だったと感じたんだろう?

だから神武の代においての3倍暦というものは神武即位〜同崩御の間に
限定されており、この間、紀の記述は1月〜4月までの四ヶ月しか無い。
5月以降の記載が 即位〜崩御までの間 存在しない。だからこのときの
1年は1月〜4月までで(月下旬までの日を使う)の3倍年暦だったのだ。
1年が4ヶ月だったのだぜ。

だから月下旬まで神武紀には記載があるんだ。あっても倍暦ができるのは、
5月以降が削られて1年四ヶ月で行使してたから、欠史八代間の倍暦とは
やり方が違うんだよ。だからクルクルクルクル暦法を変えて朝廷は時代を
編んでたということだ。
226日本@名無史さん:2014/09/08(月) 09:34:18.23
>>225
聞いてきたのかよ、カス
出来の悪い時代劇を考えるなよ
アホーじゃないのか、このキチガイ妄想野郎めが
227太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 09:39:57.22
聞いてきたのかよ、カス ←これは論説ではない
出来の悪い時代劇を考えるなよ← これも論説ではない
アホーじゃないのか、このキチガイ妄想野郎めが← これもだ、論説ではない

つまりコレはオマエの脳内のチンカス級の出来損ないの考えの
発露なのであ〜る。

ジョーカー

くやしけりゃぁ、根拠史料をキチンと出して反論するんだな。ウヒヒ・・・
228日本@名無史さん:2014/09/08(月) 09:43:40.36
>>227
勘違いするな
俺はジョーカーとやらではない
誰から見たってお前はカスでキチガイ妄想野郎だ
229日本@名無史さん:2014/09/08(月) 09:53:43.17
>>227
犬国劇場
キチガイ倍歴版
繁盛するといいね

てか、もうこのスレで繁盛してるか
そのキャラで
230日本@名無史さん:2014/09/08(月) 10:18:17.49
>>225
だが即位に当たって倍暦行使を神武は下命したのだ。
その方法は3倍年暦であり、月の後半までも使用の視野に入った倍暦を
行使してたのだ。

何で3倍年暦を下命したの?
231日本@名無史さん:2014/09/08(月) 11:57:13.18
>>225
こういうのをご都合主義って言うんじゃね
本人の頭で考えた事であって、史実にはこんなやりとりの記録ないよな
つまり妄想だよ
232日本@名無史さん:2014/09/08(月) 14:17:07.32
⇒【牛 龍宮 聖 松】
233太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 15:11:32.63
>>230
>何で3倍年暦を下命したの?

神武とその取り巻きは畿内へ来て地元の部族とうるさく戦いをせざるを
得なかった。幾多の戦いを経験したその後、即位数年前、神武の皇兄の
五瀬命が武運つたなく戦死した。
その月が五月だったから、兄命の御名の「五」と死んだ月数が「五」での
一致してたことを神武と生き残りのその取り巻きは感づいたのだ。

それで神武は5月を不吉の月とみなしたのは、当時迷信が横行してたこと
から当然の考えだったのだ。皇兄が戦死し彼らは大いに嘆き悲しんだわけだ。

そのため神武は即位に当たって1年のうち5月以降の月を削って無と為し、
5月〜12月までの月が暦から消したわけだ。しかし影で1年が365日余の
通常の暦法は存在してたがその使用は消極的扱いとなり(現今の太陰暦
の如き同様、2次的消極行使)、あるにはあったが表見的には使わなかっ
たということだ。

そこで1年が1月〜4月までの4ヶ月行使で暦を編んでたんだよ。
ということは現今の1年が経過するに、当時は3倍かかったことになる。
つまり3倍年暦を行使してたのだ。だから神武即位〜同崩御までの紀の
記述には4月までで5月〜12月の記事は存在しない。

ところが神武崩御直後、次代の神沼河耳尊はそういう奇異突飛な3倍暦を
慣れてないこともあって不便と考えてたようで、即3倍暦を廃止して
しまった。だから神武葬のときの紀の記述は5月以降の9月に実施
している。9月なのは3倍暦を即廃止して通常暦に戻したからだ。
234太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 15:21:13.12
>>233 続き
先帝即位時に3倍暦の行使を始めたのは、それ以前の天の岩戸のとき、
高天原の混乱を招いた状況が超多数の五月蝿為す猛威を日神が嫌って
で岩戸隠れとなったわけで、そこから5月が凶の月と神武以下、朝廷は
そう考えるようになったのだ。だから当時の1年は4月まで、4ヶ月
しかない。

易関係の方位でさえ、五黄殺が大凶だということからも分かるだろう。
これは参考だ。

ところで紀の成立が5月なわけで、これは神武から倍暦行使の終焉までの
朝廷の凶という5月の見方慣習が佛伝の暦到来により途絶えたということ
だ。だから紀の編者らは倍暦のことに未知となってたと観て可だろう。
235日本@名無史さん:2014/09/08(月) 16:01:49.96
グランゾートというアニメ

アレも同じような気がする
236ローガン:2014/09/08(月) 16:49:02.49
倍暦なんて全称命題なんだから、月後半の日付を1つでも出せば、論破完了。
崇神紀なんて23ある日付記載のうち、12が月後半。明らかに倍暦なんてない。
それで
崩120歳なんだから、長寿が倍暦とやらの根拠にもならない。
237太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 17:17:13.37
>>236
崇神当時の記録は通常暦と倍暦の記録が交雑してた結果そのような月後半
の記述が含まれてるわけで、それが倍暦のない事由にはならない。紀の記載
は双方の暦法の原書群からの文をとってまでで、倍暦に未知だった編者連
が一緒くたに崇神紀に載せたのはやむをえないことであったのだ。当時
倍暦法はすでに隠滅してたから経験のない舎人親王時の未知はしようが
ないことだったということだな。編年せい。

当時朝廷がこういう重暦を行使してたから交錯していろいろな年代、寿命
の別説が出て真が雲隠れとなったもので、古代Maya暦でさえ重暦の典型的
例があるところ、朝廷の場合も重暦であるから、オマエの言い分は早計
だということだ。

オマエが倍暦がないなどと言うのはまだ二十年早い。

オマエが自ら具体的根拠史料を掲げて編年したのを見せてからそんな
口をたたくんだな。w
238太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 17:21:04.71
間違えて卑弥呼のほうのスレに書きこんだから、訂正してここに
再度になるが書きこむ。

ローガンよ
20年を10年5年と縮めて必死に編年の研究をせい。

オマエが頑張っても318年説は成立しない。
239日本@名無史さん:2014/09/08(月) 17:22:58.89
太国氏が120歳なんでしょ?
240太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 17:28:49.14
ローガンよ

日本書紀と先代旧事大成経の 雄略天皇4年 の同記事を見比べると

 紀は春2月
 経は秋8月

で、同じ記事が春と秋になっておる。さらに月がぴたり半年ズレている。
おまけに雄略天皇の寿命は

古事記  124歳
日本書紀 62歳

で 62歳×2=124歳にて記は紀の丁度2倍だ。

これは通常暦に加えて2倍暦も行使されてたのさ。
つまり重暦だったのだ。

紀は2倍暦での寿命、記は通常暦法での記述だったのさ。

崇神紀での否定はオマエの考えが早計だということを雄略の代が
示している。
241日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:10:26.08
印恵だよ
258年死亡にきまるべさ
318年あたりではんこ恵んでもらったひとってしってる?
242日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:04:45.66
それで・・・・

神話記紀の天皇と卑弥呼と、どういう関係あるの???????

無理やり結びつけようとするから変な論が出る・・

まぁ考古学者で飯を食うには天皇陛下万歳が無難だが・・・・
243太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 19:15:06.72
>>242
基本的に双方は無関係だね。

天皇は畿内、女王は九州だから。
連絡性は殆ど無だな。
244日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:46:45.14
その時期、畿内にも九州にも天皇なんておらんかっただろ。
245太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 20:41:42.93
>>244
そのとおり、基本的にはそうだ。天皇は畿内のほう。

但し例外は景行仲哀が九州にいたことがあるとかだけ。

卑弥呼女王は九州所在だな。
246日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:51:00.64
その時期、天皇は畿内のほうにもおらんかっただろ。

天王とか東王とかだったらいても受け入れられるけど。
247日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:52:58.72
東王が鋳込まれた鏡とかご存知ぢゃろ。

東王は西母とセットで鋳込まれる。
248太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 20:54:19.25
>その時期、天皇は畿内のほうにもおらんかっただろ

その時期っていうのは景行仲哀の九州行きのときの話か?

ならばそうだね。だって南北朝じゃぁないんだから、天皇が同時期に
2人もいるわけがないからな。
249日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:00:06.53
天皇の呼称の存在が史料的に確認できるのは何時なのか?

天皇の呼称は過去に投影されて土人大酋長のお名前に使用されているだけ。
250日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:09:53.01
>>233
>>234
寄っといで
犬国劇場真っ盛り!
251日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:17:40.84
>>240
先代旧事大成経は偽書じゃね
ずっと後に記されたもので当時を語る参考にはならないんじゃね

古事記  124歳
日本書紀 62歳

>紀は2倍暦での寿命、記は通常暦法での記述だったのさ。
これ逆じゃね?
252太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 21:21:43.57
>>251
偽書だという話だが、役に立つ文もある。
だから一部偽書で正解だろう。

たとえば同書には超新星にて2星並座の記録がある。これから某古代の
年代がいつだったか把握できる重要部分もあるのだ。
253日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:23:39.04
>>242
書紀編纂者が神功と卑弥呼を無理に結び付けていたって事でしょう
双方無関係だとしてもね
時代を合わせていたんだよ
当時倍歴なんてものがが存在していなかった事は、太国もさすがに認めざるを得ないようだ
254太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 21:24:53.97
おっと失礼!
そのとおりだな。よく誤りを見つけてくれた。

感謝!

>>240 訂正
×紀は2倍暦での寿命、記は通常暦法での記述だったのさ。
○記は2倍暦での寿命、紀は通常暦法での記述だったのさ。
255日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:25:19.18
編纂者にはどう考えても卑弥呼=神功だった。
つじつま合わせに二人に分けるより
伝承を優先させたってことでしょう。
256太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 21:26:45.39
当時倍歴なんてものがが存在していた事は、ジョーカーもさすがに認めざるを得ないようだ
257日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:29:56.29
>>256
てか、お前が編纂当時には倍歴が存在していなかったといったんだろう
258日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:33:15.01
>>233
>>234
これ太国の創作じゃないの
それにしても不自然な物語だなー
出来が悪過ぎる
259太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/08(月) 21:34:14.41
>>257
それはそうだ。
だがもっと古代には倍暦行使がなされてたんだよ。

何言ってるんだ?

編纂当時は元明元正ころの時代だろうが。
コチラの言ってるのは佛伝前の話だ。佛伝前の古代の某時期、倍暦が
行使されてたんだよ。分かったか?

寝るぞ、また明日以後 zzzzzzzz・・・ 
260日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:37:08.90
今まで見て来たけど、
虫さんの筆法の解析劇場版に匹敵すると思うよ
261日本@名無史さん:2014/09/09(火) 08:40:49.62
当の書紀編纂者は倍歴を知らないんだろう
262太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 09:05:57.76
>>261
そうだと観てとれる。
263日本@名無史さん:2014/09/09(火) 09:45:12.83
交易〜外から取り入れた(入ってきた)
これが正解だと思う。

陰謀ではなく歴史
264日本@名無史さん:2014/09/09(火) 10:00:05.81
>>237
崇神当時の記録は通常暦と倍暦の記録が交雑してた結果そのような月後半
の記述が含まれてるわけで、それが倍暦のない事由にはならない。紀の記載
は双方の暦法の原書群からの文をとってまでで、倍暦に未知だった編者連
が一緒くたに崇神紀に載せたのはやむをえないことであったのだ。当時
倍暦法はすでに隠滅してたから経験のない舎人親王時の未知はしようが
ないことだったということだな。編年せい。


編纂者が原書を知らないままに記載してる結果なら月後半の日付が載ってる時点で論破という事だろう
祟神紀で通常歴を使っていたというなら崩120歳だから倍歴とは関係なしに長寿だったという事だろう
あんた、ローガンに論破されてしまったんだよ
あんた、物凄く痛々しい書き込みしてるぜ
265日本@名無史さん:2014/09/09(火) 10:10:52.29
太国倍歴論は論破されました
御本人が客観的判断ができるまともな御方であると願っています
終了致します
266日本@名無史さん:2014/09/09(火) 10:36:45.63
ホントに書いてあるから、検索してみるとわかる
コスプレをすれば、誰にでもオーラや雰囲気は出せる。

ココ→「草刈鎌(稲を刈る鎌)も、持つ人が持てば…聖剣…」説明不要
267日本@名無史さん:2014/09/09(火) 10:51:14.51
『三種の神器 草刈鎌』で調べると出てくる
268太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 11:00:08.49
>編纂者が原書を知らないままに

何寝言を言ってるんだ?
原書を知ってなきゃぁ、紀を作れまい?w
それとも紀は言い伝えの書でない口こみが全部だというのか?ww

知らなかったのは原書ではなく倍暦だよ。

別に論破などされてな〜い。
あいつはこの前も成務の代の件で勝てると思って毎回ぶつけてきたが、
結局コチラの倍暦計算の編年が1年も狂わず合っていたからコチラを
またも討ちくじけなかったということよ。
奴は毎回コチラに負けてばかりだ。要するに奴は負けオオカミ! ウハハハ・・・

死亡日=祭祀 だとか脳内がおかしい野郎(ジョーカー)がいたが、
こんなこと各人が確実に行く通夜などのとき、祭祀が死亡などと弔問客
にラッパを吹けば、まぁ紀違いだと客らににらまれるのがオチ。bbbbb

ついでに「月上旬死亡だ」と言ってこい。ppp
269日本@名無史さん:2014/09/09(火) 11:22:10.97
編纂者が倍歴を知らないままに記載してる結果なら月後半の日付が載ってる時点で論破という事だろう
祟神紀で通常歴を使っていたというなら崩120歳だから倍歴とは関係なしに長寿だったという事だろう
あんた、ローガンに論破されてしまったんだよ
あんた、物凄く痛々しい書き込みしてるぜ

という事じゃないの
よーく考えてみよう
270日本@名無史さん:2014/09/09(火) 13:57:50.78
おい、太国
崩120歳(倍歴使用だろ)の祟神天皇についてだ
祟神紀ではどうして月後半の日付が使われていたんだ?
271太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 14:31:58.69
>269
まだオマエは眼が覚めないらいしな。

崇神紀の記述は重暦の状況をあからさまにしてる内容であり、倍暦等に
くわえて当然通常暦法での出来事の数個の暦法が書き混ざってしまい、
神武からだいぶ後代に来ての交雑の不幸な結果であり、あたかも紐の糸が織り
混ざって綾混線してしまたような結果こんな状況の崇神紀になったということだ。

だから通常暦があるということは、月後半の記事があるのは当然であり、
重暦ということは通常暦のほかに並行して倍暦法の記事も当然存在してると
いうことだ。

しかも神武の代は月4ヶ月での30日(あるいは31日?28日?)での3倍暦
行使だから月後半があっても倍暦は可能であるわけで、そういう月削り
を上手にやれば月後半の記事があろうと倍暦法は出来る。
崇神の代もその可能性は大きく、八代で月後半を使用しなかったのは
毎回既出の表で確認できるとおりであり、これが崇神の代にくると、
御間城姫の立后が16日(月後半の始め日)とだいうことは、今後は月後半
を使うぞ、それで倍暦行使を神武式に似通ってやれるんだという宣言が
この立后なのだ。オマエは脳内が単純だな。w
272太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 14:53:28.71
>>269>>270
オマエがどうのこうのローガンの肩を持ったところで、崇神紀は倍暦と
通常暦の記載が交雑してるわけだし、神武の代は月後半を使って3倍暦
をやってたんだから、崇神紀に月後半の記述があろうと倍暦は否定にならない。

隅田八幡鏡の銘文の「日十大王」とは、当時の1ヶ月が十日間だった大王の時代があったと。
いうことだ。
だから扶桑国(日本)では十個の日があったとの伝説が残ってることが
コチラの主張を裏づけている。1ヶ月が10日間とは、たとえば欠史八代日数統計表
からも八代全員が1日〜10日以内で死んでることで、なおも3倍年暦が真であること
が裏づけられておる。
これを後代から先代へ緊密に逆算していくと、230年が開化48年になることは
以前からコチラが主張していたが、例の沖縄の神徳寺保有文書が呉兵沖縄来襲
を開化48年であったことを記しているが、その年が230年だというからこれもコチラ
の主張を1年の狂いもなく真である文証にて拍車をかけている。
オマエが倍暦を否定しようと、厳然として当時同暦の行使があったことはもう
間違いないんだぜ。w

「熊野略記」に

崇神65年に熊野連大斎原にて、大きい檪の木に三体の月が降りて来たのを見て、
不思議に思い、何故天高き月が低い処に降りて来たのか?と訊ねると、真ん中
の月が 「我は【証誠大権現】、両側の月は両所大権現、社殿を造り祀れ」
との 神勅が下された。

との伝説も、文証として3個の月は現今の1ヶ月が崇神当時は3ヶ月だっ
たことを裏付けており、崇神の代が3倍年暦を行使していた文証である。 
273ローガン:2014/09/09(火) 15:36:52.66
>隅田八幡鏡の銘文の「日十大王」とは、当時の1ヶ月が十日間だった大王の時代があったと。
いうことだ。

 癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟

三倍念力が使われていた癸未年とは、西暦何年?
274太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 15:49:15.32
>>273
オマエの付け届け(オマエの編年論)は持ってきたか?

どうやらまだ無いが? いつもねえぞ?

 付け届けが無んではコチラが金支払い(回答)は据え置きだ。><
275日本@名無史さん:2014/09/09(火) 17:13:22.58
重歴なんてあるわけないだろう
カス
276ローガン:2014/09/09(火) 18:07:02.01
>>276
編年だと?長文面倒くさいので簡単にかくぞ。(笑)
窯焼成埴輪の登場や、七観、新開の馬具から
得られる年代観により、TK 73が5世紀第1四半期は確定。
なら、応神崩 甲午(394)については妥当。
それから、4、5世代程遡れば、崇神崩の年代。
まあ、3世紀末辺りだと想像する。
277ローガン:2014/09/09(火) 18:10:57.65
↑ アンカーミス。太国あてです。
278太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 20:59:20.11
随分粗悪な付け届けだな。

もっとよく勉強せい。

そんなんでコチラの論説の中身をいただこうなんて、オマエ 虫が
よくないか? 毎回まずいまずいとコチラをつついておいて、いただくもの
はいただいて文句たらたらコチラの出す食事(論説)を苦情言って
くるんじゃぁ、出すきがしねえ!

粗品では騙されないぞ><
279太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 21:04:24.43
だが、ちいとはいい編年だ。

しかしあまりにも付け届けの量が少なく、オマエ何をしてるんだと
いいたくなる。もっとよく研究せい。

ただ言えることは、倍暦をオマエは否定してる気配があるから、
もしそうならば、オマエは当時の天皇の超長寿の理由を合理的具体的に
第三者がなるほどこれだと、倍暦より説明がよく出来ているとならねば、
オマエの倍暦否定は弱力だということよ。
280太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/09(火) 21:22:07.90
>崇神崩の年代。
>まあ、3世紀末辺りだと想像する。

ただ、狼癌はまた二マタかけておる。

オマエは逃げ道ばかりだ><
これだと258年と318年の間あたりではないか? どっちつかずにしている。
こんなんではダメだダメだ。
281日本@名無史さん:2014/09/09(火) 21:52:09.32
記紀の編者など当時の知識人から見れば、
天体の動きを基準とする暦を意図的に変える倍歴などと言うものは、天皇家の歴史の汚点、あってはならない行為だったはず。
意図的に隠したのだろう。その涙ぐましい努力を称えようではないか。
282日本@名無史さん:2014/09/09(火) 22:34:03.97
>>279
もしそうならば、オマエは当時の天皇の超長寿の理由を合理的具体的に
第三者がなるほどこれだと、倍暦より説明がよく出来ているとならねば、
オマエの倍暦否定は弱力だということよ。

こんなもの、神様だからだろうが
そして神功の年代を卑弥呼の年代に合わせた為だろうが
簡単で当たり前だろう
それ以外何がある?
そんな事どうでもいいんだよ
倍歴があったのか、ないのか、倍歴のどこが矛盾してるかを議論したらどうかね
倍歴の矛盾点ばかり突きつけられていて一向に前に進まないだろう
283日本@名無史さん:2014/09/09(火) 22:43:32.87
太国が口にするタケシウチノスクネも臣下であろうが神社に祀られている天皇よりも長寿の神様
長生きして当たり前
ノミノスクネも臣下であろうが神社に祀られている天皇よりも力持ちの神様
天皇よりも能力の優れた神様、長生きした神様は多く居る
284日本@名無史さん:2014/09/09(火) 23:38:34.48
息長氏こそウガヤフキアエズ、長寿の家系。
天皇の正室は、代々この息長氏系と決まっている。
神功皇后も卑弥呼も息長氏系の女王。
邪馬台国は近江にあったのだ。
285日本@名無史さん:2014/09/10(水) 04:02:10.65
>>272
>隅田八幡鏡の銘文の「日十大王」とは、当時の1ヶ月が十日間だった大王の時代があったと。
いうことだ。

↑それ学界で発表してみろよ。爆笑の嵐か失笑もれるだろうなw
286日本@名無史さん:2014/09/10(水) 05:43:04.83
>>285
そんな馬鹿馬鹿しいトンチが横行するのが2chなんだよね
287日本@名無史さん:2014/09/10(水) 05:48:12.43
解釈をやめて史料の記録だけで論じればいいのにね
こっけいな方なんですね
>隅田八幡鏡の銘文の「日十大王」とは、当時の1ヶ月が十日間だった大王の時代があったと。
いうことだ。
ウハハハハ、腹いてー
288日本@名無史さん:2014/09/10(水) 07:21:18.93
>>285 287
そんな感情的な批判ではなく、きっちり論理的な反論をしろ。ここは学問板だ
ぞ。ましてや相手は永年にわたって邪馬台国の研究をしている太国さんだ。批
判はしても敬意は持たんかい。
289日本@名無史さん:2014/09/10(水) 07:34:59.80
ぜんぶを確認したわけではないから、
印象になってしまうが、
北部九州では、ウガヤが祀られているところと、神功が祀られているところは、
住み分けされてる気がする。
290日本@名無史さん:2014/09/10(水) 08:13:54.91
>>288
>隅田八幡鏡の銘文の「日十大王」とは、当時の1ヶ月が十日間だった大王の時代があったと。
いうことだ。

↑これがきっちり論理的なのか
10人に聞いて、1人でも同じ事を言うのか
アホらしい
291日本@名無史さん:2014/09/10(水) 08:16:22.67
>>272
語呂合わせはやめようぜ
漫才レベルになってしまうよ
292太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/10(水) 09:06:01.62
>天皇家の歴史の汚点、あってはならない行為だったはず。
>意図的に隠したのだろう

ならば何故天皇家の汚点の大悪天皇の武烈とか雄略天皇を隠さず記紀
に載せるのか? これがあるということは意図的に隠すわけがあるまいね?
むしろ倍暦よりこっちのほうがよっぽどスキャンダル天皇の記事だろう。
だから隠匿などしてるはずがなく、オマエの主張は机上の空論だな。

>倍歴があったのか、ないのか、倍歴のどこが矛盾してるかを議論したらどうかね
>倍歴の矛盾点ばかり突きつけられていて一向に前に進まないだろう

毎回あったことを議論してるんだよ。オマエ書きこみを読んでねえのか?w

通常歴だけの矛盾点ばかり突きつけられていて今も前に進んでるだろう。

>>285>>290
そんなことより、扶桑国(日本)には十個の太陽(日)があった伝説が
あるのも、これは大陸人が日を天体の太陽と誤認か誤訳等して感違い
したからこんな伝説になったもので、実際は天体でなく暦での日が正訳
だったことよ。だから10個の日というのは10日間で一ヶ月を行使して
たものであり、充分論説は耐えることができる。
293太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/10(水) 09:15:03.42
>>285>>290>>291
1ヶ月が10日間だから ↓ の表のように上旬だけしかねえんだよ。


【紀の欠史八代間の天皇崩御の日数統計表】

1日 0  11日 0  21日 0
2日 1  12日 0  22日 0
3日 0  13日 0  23日 0
4日 0  14日 0  24日 0
5日 1  15日 0  25日 0
6日 1  16日 0  26日 0
7日 0  17日 0  27日 0
8日 2  18日 0  28日 0
9日 2  19日 0  29日 0
10日 1  20日 0  30日 0
294日本@名無史さん:2014/09/10(水) 13:13:52.69
>>293
だからー、
神武紀抜かしてるんだろう
自分に都合の良い欠史八代間の天皇の所だけを表に上げても意味ないだろう
せめて神武紀の15日から30日付の自分に都合の悪い所は
理由があって通常歴だったと一筆入れろよ
295日本@名無史さん:2014/09/10(水) 13:36:28.99
>>293
欠史八代のころは、
一年が36か月だったってことですか?
296日本@名無史さん:2014/09/10(水) 14:16:44.73
>>293
それとも、欠史八代のころは、
一年は12か月だけれども、
一日が八時間で毎月90日まであったってことですか?
297太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/10(水) 14:51:08.16
>>294
倍暦があると、オマエのほうに都合が悪いんだろ? 八代と神武世では違うぞ。
月後半があっても倍暦可能の典型的事例が神武の代だ。

神武紀(即位〜崩御迄)月数統計表

1月 2 5月 0 9月 0
2月 2 6月 0 10月 0
3月 1 7月 0 11月 0
4月 1 8月 0 12月 0


上を見ろ、八代とは違う。神武即位から崩御までの間、その記載は
1月〜4月 までしかない。5月〜12月が無いんだよ。

これは神武即位から崩御までの間、2倍年暦でなく3倍年暦を行使して
たことを意味する。つまり当時の1年とは現今の1年365日余ではなく、
4ヶ月の120日余だったということの文証だ。これで神武天皇の寿命
は不合理はなくなる。神武は127歳、137歳がとかが通常暦での真の寿命では
なく、その1/3位が真に相当して来るということになるのだ。神武は60余歳だ。

古代畿内朝廷は2年年暦の他に3倍年暦を行使していたという事だ。
これに通常の暦法も加えて各暦法の並行運用をやってたわけだな。古代
マヤの暦法など、もっと多数の暦法の並行行使が行われているのがその事例。

上表は神武即位前では通常の暦法(1年が365日余)をやってたので、
即位前には倍暦は無用であり、崩御直後次代は3倍暦を即廃止しだ。
だから神武葬の月は5月以降の9月で葬時はもう倍暦は廃され通常暦だ。
298太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/10(水) 14:58:07.39
>>295
>欠史八代のころは、一年が36か月だったってことですか?

その36ヶ月の1ヶ月分は10日間だったの意味では、八代の間天皇の死亡暦に
関してはそうだったということだ。しかし即位、立太子とかは1ヶ月が
14日間での24ヶ月の2倍暦行使だったということだ。それに通常暦法も
影で行使が消極的にやってたのは現今での太陰暦があることと同様である。
(但し綏靖の代は神武が始めた倍暦を即廃止したから、通常暦が主体。)

だから当時の朝廷は複数暦を並行して行使してたのだ。
299太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/10(水) 15:00:20.98
>>296
そうじゃない。>>298のとおり。
1日が8時間だったんではないな。
300ローガン:2014/09/10(水) 16:31:56.05
>>278
>随分粗悪な付け届けだな。 もっとよく勉強せい。

じゃあ少し書こうかな。
七観が出した木心金銅輪鐙は、遼寧省の没年のはっきりわかる墓(415没)の出土品と類似。
七観の埴輪は、黒斑の有るのと無いのが混じる。
つまり、窯焼成と野焼きの混在だ。出現期須恵器との併行に相応しい。
TK 73を5世紀第1四半期と捉えて全く問題は無い。
誉田山の外堤外側出土ということは、応神崩を、
4世紀第4四半期と捉えて無理がない。
なら、神功紀は干支2運下げて整合。
そこで、2運上げたのが編者の意図だとしても、その造作の法則性が
読み取れない以上、編年など空想に終わるだけ。
根拠のない空想をするしかないという結論が出ている以上、
細かい編年など徒労。無駄。
301太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/10(水) 17:55:24.42
誤魔化すなよ。ww

オマエは細かい編年ができねえから、徒労などと言ってくらまして
るだけのこと。w

オマエは畿内節を主張しながら九州説をこっそりちらつかせて逃げ道を
用意してるわけで、さらに編年でも258年と318年の中間あたりを主張
して、いずれに転ぼうといいようにここでも逃げ道を準備してるわけの
ことがミエミエだ。

要するにオマエは編年の実力が初心者並みだということさ。bbb

ずるがしこい優柔不断の二又をかけて逃走路を確保せねばならぬほど
オマエは自信がないわけだ。ww


フヒヒヒ・・・ オマエは無用人物だ。また改めそうもないから
とっとと消えろ!
302ローガン:2014/09/10(水) 19:25:03.54
>>301
>誤魔化すなよ。

ん?どこが誤魔化かな?
「出現期須恵器との併行に相応しい。 」
が不味いのかな?意味がわからないのかな?
303太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/10(水) 20:47:44.79
とぼけはもう結構月光!!

オマエは編年の素人。
それをテレ隠すためのニマタにしておくのがウヌのやり口だ。

役立たずだからウヌは消えろ!!
304日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:36:03.19
倍暦なるまやかしを使わなければ、編年ができないということは、
一般的な意味では、この時代、正確な暦がなかったということだ。
無駄な抵抗はよせ。まやかしの倍暦、3倍暦で無理矢理合わせた編年も
また、まやかしでしかない。
305日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:40:58.11
つーかさ、ここが太国の倍歴スレになってないか
こいつ、妄想ばかりでわけわからんよ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!だよな? ここは
306日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:44:50.95
系図と編年遊びは、相手にしない方が賢明
307日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:46:05.42
通常歴、倍暦、3倍暦、ってくるくる変えて行くなんて、普通に考えてあり得るわけねーだろうが
スレに居座って奇行妄想を言い続けるのもいい加減にしろよ
胡散臭え奴だなー
認知が始まってるんじゃないのか
308太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 09:11:09.17
>倍暦なるまやかしを使わなければ、編年ができないということは、
一般的な意味では、この時代、正確な暦がなかったということだ。

そんなことはないね。
その典型が古代マヤ暦の2倍暦たる太陰暦(C文字暦)がそれだ。
古代マヤ暦は非常に正確だから、事例がある限りそんなまやかしの
反論では崩れないねえ。
309太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 09:31:56.32
>302
考古はオマエの得意技だろう。確かにこれはオマエのいい点だ。
だが今回はそっちを責めてるんじゃぁねえよ。

まあ強いて責めるなら、ただ考古じゃぁピンぼけのアナログ測定で、
デジタルにはなり難い。オマエの論(←抽象的で結論だけ。説明が極めて
不充分)じゃぁ考古にたよってるから、精度はそんなもんだな。w

そんなんでは精度のいい編年なんか不可能だ。
不可能だから、徒労無駄の文言で逃げの一手なわけ。ヒヒヒ・・・
無駄とかいわなきゃぁオマエがコチラの精度に勝てっこないからな。
だから考古とかなんか言い出すわけだ。

それはそれもいいが〜
そんな精度不足ものだけでは、オマエなど編年がどうのこうの言う筋合いではない。
つまりオマエは外野にもならない場外さ。とっとと消えろ!
310日本@名無史さん:2014/09/11(木) 11:42:18.07
スゴイ言葉があるみたいだよw


猫の高上がり
311日本@名無史さん:2014/09/11(木) 12:59:13.83
マヤ暦つっても260日周期のツォルキン暦(祭祀歴)、365日周期のハアブ暦とか
17種くらいを使い分けてるんだろ
312日本@名無史さん:2014/09/11(木) 13:15:23.09
十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)=10個の太陽で一旬(10日間)、癸の日に卜旬で次の旬を占い
三旬で一月(月相一巡)=約29.3日
313太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 14:00:53.52
>>311
17種!?

すごいね。お詳しいんだ。何かの書とかに載ってましたか?
314ローガン:2014/09/11(木) 14:35:52.98
>>309
>そんなんでは精度のいい編年なんか不可能だ。

又、無知を晒すのかい?お前の求める精度は精密さだろう。
大事なのは正確さだ。
正確さを求めようとするなら、実年代をおえる金石文に基づいた考古資料から
考察するのが、最も有効な方法さ。
ポカーンと口開けて、思考停止して何も調べもせず、
寺社伝承鵜呑みにして、4世紀に日本で千手観音が造られた
などと言う無知が「編年の玄人」なら、
対極にいる私は、勿論「編年の素人」だな。
315太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 14:58:29.51
考古で正確に出来る自信があるのか?フッフッ

偉そうなことを言うなら〜じゃぁやってみろ。
やって出来てからそんな偉そうな口をたたけ。

オマエのは粗悪なアナログでそれ以上精度が上げられまい。ヘヘヘ・・・
オマエのは白であり黒だというのがオマエのくらましのいい加減な
書きこみであり、紀無い節兼こっそり九州説、さらに318年説兼258年説
と言うのがオマエの自信の無い優柔不断のいい加減な誤魔化しなのだ。

逃げ道用意で白黒はっきりしないことにしている。それが狼癌オマエなのだ。
つまりオマエは大したことがない野郎だと露呈したまでのことよ。ww
316日本@名無史さん:2014/09/11(木) 15:49:04.35
とトンデモがおっしゃっておられます、ローガンさん。
317日本@名無史さん:2014/09/11(木) 16:17:14.48
ローガンは、古田信者だった過去が脛に傷。
318ローガン:2014/09/11(木) 16:26:46.67
>>315
>考古で正確に出来る自信があるのか?フッフッ

そりゃ限界があるさ。上述した辺りまでは、まず確定だろうがね。

>318年説兼258年説

さあ、そもそも、その2択でいいのかどうかは思案中だ。
記の崩年干支年月の分注、紀と整合するのは、下巻の最末のみ。
古訓本や、度会延佳本は、この分注をバッサリ割愛している。
だから分注は間違いだ、とまではいわないが、
まあ、2択 しかないと決め付けて考えているわけではないんだ。
319日本@名無史さん:2014/09/11(木) 16:31:00.38
だいたい卑弥呼だの何だの変な形で興味を持つやつどういうやつか分かってきたわ
こんなものは巫女関連でしか価値はねえしな、オタはどうしようもないね
320太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 16:51:09.00
>まず確定だろうがね

確定だと言ってるにしては、えらく抽象的で論説が極めて不充分
ではないか? こんなんで第三者が説得するとでも甘い考えを持って
るのか? いいか、コチラだってあれだけ論をしたって反対意見が
うるさく来るんだぞ。

それなのにたかが数行の書きこみの説明で、なにが確定だ〜?ww
笑わせるな。bbb

確定なんぞ編年素人のオマエが言うには、あんな数行では
ま〜だ20年早い。

もっともっとよく研究するんだな。
321日本@名無史さん:2014/09/11(木) 17:42:15.51
犬国荒ぶってんなwww

まあこいつのは「倍歴」と言っても通常歴・二倍歴・三倍歴ごちゃまぜ
都合が悪くなったら
「その期間は忌み日として暦から消された」

・・・なんて本当に 『何でもあり歴』 だからなwww

マヤ暦が十八番だが
そもそもマヤの碑文(の冒頭かなりの部分を占める)暦部分は同じ月日を「A歴では」「B歴では」「C歴では」と”並列”して書かれてもので

A歴とB歴とC歴・・・をごちゃ混ぜにしたものではない

『 併用 』と『 混用 』の区別がついてないのがこの犬国www
322太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 18:37:03.92
>「その期間は忌み日として暦から消された」

コチラはこんなことを書いた覚えはな〜い。


オマエはコチラの主張とオマエの脳内の尾ひれ付き発展的デタラメ受けとめ
との差を判別できない

併用は佛伝以前の古代だが、混用はその二〜三次的連中か後代の紀の編者連
などではないか。

オマエはそういうことを細かく聞かないと分からんらしい?

ジョーカー〜
まぁオマエは早々に再びアーカム・アサイラム(精神病院)に入所するんだな。w
323日本@名無史さん:2014/09/11(木) 18:54:34.65
>>322 犬国
>コチラはこんなことを書いた覚えはな〜い。
  ↓
 >そのため神武は即位に当たって1年のうち5月以降の月を削って無と為し、
 >5月〜12月までの月が暦から消したわけだ。

暦から消したって書いてるなw


>混用はその二〜三次的連中か後代の紀の編者連
  ↓
 >次代の神沼河耳尊はこんな奇異突飛な3倍暦を廃止し、通常の暦法を主体
 >として戻したのだ。

先代の3倍歴に通常歴を「接ぎ木」してりゃ混同だな

じゃあマヤ暦や他の文明でもいい
こんな「接ぎ木」を頻繁にしてる暦なんてあるのか?www
324太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 19:07:37.08
ジョーカー
なんだい、その忌み日がどうのっていうのは?
オマエが言い出したんだろう?w

ところでウィナルっていうのは別のマヤ語で何と呼ぶんか?
答えてみい。

キンはデイスタンス・ナンバーのとき別に何と呼ぶ場合があるんか?
どうだ?

ウ・ツァカーフ っていうのはいったい何だ?

アクバルの時、オマエの飯より好きな1年365日暦では何の数字になるのか?

DNIGってのはどんなんだ?
325日本@名無史さん:2014/09/11(木) 19:13:04.47
>>324 犬国
ん?「忌み日」じゃなくともお前のテクニカルタームでいいがw
暦から月日を記してるのは間違いなかろうが阿呆

誤魔化すためにマヤの色々出してるがそんなもん知らん
で結局いろんな暦を混ぜこぜにしたものってあるのか?

そんなグチャグチャなもので仮に適合するモデルを作り得たとしても
もうそんなもの暦でも何でもない

ベッドの長さに合わせて人の足を斬りました・・・って言う本末転倒

まあ余生をそれにかけるつもりなんだろうがw
326日本@名無史さん:2014/09/11(木) 19:23:56.95
>>325 訂正

誤)暦から月日を記してるのは間違いなかろうが阿呆

正)暦から月日を消してるのは間違いなかろうがド阿呆
327太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 20:52:44.77
コチラが消すわけがあるまい。
もともと表は紀の記述なんだから、消したんじゃなくでもとからそんな
日(月後半等)がなかったからよ。寝言もいいところだぞ?
20世紀の日付で2/30の出来事を探したって、そんな出来事なんてあるわけ
がない。それはそうだ。2/30なんていう日はなかったからよ。それと
同様だ。コチラが2/30を削ったとでも言うのか? ふざけんのもいい加減
にしろい。

オマエはまだまだマヤに関しては素人だが、分かんねえ?というから
少しやさしいのでも出してやろう。オマエの仲間のリドラー(?)は
ソウいうなぞなぞはえらく得意な野郎ではないのか?w アサイラムでは
100個以上のなぞをかけ、手間がかって大変だったらしい?

聞くが、オマエが非常に嫌うだろう古代マヤの都市の名は何というのか?w
も所を見ればすぐわかるはずだ。bbb


オマエも紀から表を作ればいいだろうが。まあやらなくてもコチラの
出したのを見ればいいわけだから、しないで観てればいいわけだが・・・。
328太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 20:54:55.66
訂正
×も所を見ればすぐわかるはずだ。bbb
○紋章文字を見ればすぐわかるはずだぞ。bbb
329日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:14:43.80
>>327 犬国
>消したんじゃなくでもとからそんな日(月後半等)がなかったからよ。

「最初からなかった」っていうのは要するに
自分が正しいということを前提とすることだ
本末転倒すんなやボケ

五瀬命が五月に死んだから五を忌み嫌って
それ以後の月を暦から消したとか

ダジャレかよアホがwwwwwww

で?マヤの玄人の犬国君はそんな複数の暦法をごちゃ混ぜにした暦を知ってるのかな?
何ならアステカでもいいオルメカでもいいし旧大陸の文明でも構わん

複数の暦法が「併用」されてるのと「混用」されてるのは別の話
前者の事例を出してさも後者の事例が海外の古代文明にあるかのように言うのは

詐欺・ペテンの類
330太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 21:26:23.68
どこにコチラが財産上不法の利益を得たというのか?
ふざけんのもいい加減にしろ。

答えはコパンだ。
文字を見てみい。オマエの嫌いな相手だろう。ブハハハ・・・ww
331:2014/09/11(木) 21:30:24.71
>>330
太国さんお元気でなによりです
長生きしてくださいね
332日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:30:56.20
あ、変態仮面だwww
333太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/11(木) 21:38:26.67
ジョーカー
オマエも牢癌同様脳内が天狗熱に冒されているようだな。w

記紀の天皇で5月に即位立太子をしたオオキミはいないんだよ。
だじゃれなのはオマエの書きこみのほうだ。

5月は暦で凶月ともいうんだ。オマエ知らねえんだろ?w

歯型のカスタネットの音wwが馬鹿に少ないではないか?
何かあったのか〜?ア〜ン?

いいかオマエの脳の目線は現代水準でアリ、古代に合わせてはいな〜い。
古代人のやることは現今の熱帯ジャングルの蛮族同然だということを
オマエは考えに入れてない。奴らのやり方を真に知りたけりゃぁ〜
つまり古代の真相に迫りたけりゃぁ〜奴らの目線に蛮族の目線に合わせ
なければダメだ。つまりオマエ自ら蛮族になった精神状態の脳内に仮にでも
してねえと連中のことなど真に把握なんぞできっこない。すなわち
連中の迷信深い脳内に仮の一時的にもおかしくなって同調せねばダメ
なんだぜ。
オマエの脳内の古代人は現代人の高等教育を受けた脳の保持者だとの
考えでいる笑止千万な天狗熱にオマエの脳は冒されているということだ。
ウハハハ・・・wwwww
334日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:04:35.05
太国も底が見えたな
335日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:08:18.19
だいぶ前から見えてたろ
もうネタも切れてきたみたいだが
336日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:09:38.65
太国も底が割れたな
337日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:16:55.41
5月を凶の月とするのは中国の陰陽道の影響だろ
日本にはさつき忌みの風習があるな
338日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:46:22.93
>>336

犬国「ワシの底は108段あるぞ!」」
339日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:50:40.35
太国の祖先は漁師、板っこ1枚下は地獄。
生きるか死ぬか、ギリギリの生活をしていたはず。
最近のお前は、甘っちょろすぎる。カーーツ!
340日本@名無史さん:2014/09/12(金) 06:45:47.60
妄想や奇行を語られるよりは
知らないものは知らないの方が良いいな
確実なところしか言わない奴は信頼できる
341日本@名無史さん:2014/09/12(金) 06:47:03.93
>>340
ローガンは信頼できる
342日本@名無史さん:2014/09/12(金) 08:05:35.82
古田信者から、一転して「古田憎し」「アンチ古田」になったローガンは、信用できない。
343太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/12(金) 09:12:24.66
>>329
>五瀬命が五月に死んだから五を忌み嫌ってそれ以後の月を暦から消した

ところで、ネタはまだたっぷりある。↑それが正解、動機なんだよ。

神武一行は畿内で幾多の賊軍と戦って来たが、5/8の月日に皇兄の五瀬命が
討ち死にした。これで神武一行は大いに嘆き悲しんだのだ。

この身内を失った原因は,当時迷信深い彼らがそれを高天原のアマテラス
の岩戸隠れの混乱となった五月蝿なすの大量発生であり、これが天を暗黒
に導く状況となった。ということから、神武らは5月の数字が岩戸隠れの
因たることと五瀬命の御名と一致したことから、即位にあたって暦の5月
以降を削除したのだ。

それで1年が1月〜4月までの4ヶ月たる3倍暦を行使し始めた。
易の方位でも五黄殺が大凶なのは参考だ。朝廷は五瀬命の戦死が5月
だったことで、5月を凶月と考えたということだな。5月は暦で凶月
だといわれているのも、この辺の事情ではあるまいか?
344フィクション大魔王:2014/09/12(金) 09:18:41.07
>>341
ローガン氏は信頼出来る。
しかし主張は弱い。
345太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/12(金) 09:26:14.15
>>329
神武崩御直後、次代の綏靖は直ちにこの奇異な3倍暦を不慣れ
とか不便とか奇抜とかの事由で廃止した。だから神武葬は5月以後の
9月に実施している。つまり次代は通常暦に戻したのだ。

その綏靖は天津日嗣にあたって、手研耳命の反逆をうけたのだが、
この鎮圧にあたって綏靖に味方した神八井耳命の協力を得たことが無事
即位できたに繋がったことに因み、命の名の数字の八と五瀬命の命日が
8日(5/8死)であったことから、神沼河耳尊は8日に即位を敢行したのだ。
346太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/12(金) 09:33:25.08
>>329
>>345 続き

8日は五瀬命の名の五と数字が不一致であることから、とりわけ凶だとは
朝廷は考えていなかったということだ。

だから次代は神八井耳命の名の数字の一致を考慮し、8日に即位した。

ところがこの神沼河耳尊は通常暦を実施、行使していったのだが、
この天皇崩御が再び5月になったことから、迷信深い朝廷の連中は、これは
通常の暦法行使が神の怒りに触れたものだと恐れおののき、3代目安寧は
再び倍暦を採用することにしたのだ。これが倍暦継続の因なのである。
347日本@名無史さん:2014/09/12(金) 11:02:48.90
>>344
妄想等の思い込みで主張を強くされるよりもずっと良いよ
結局、ローガンは太国のように妄想を語っていないという事だから
妄想や思い込みは事実だと確定できないからね
本当に、
見た事
聞いた事
だけを語ってほしいよ
348日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:27:11.13
だから『聖徳太子』調べてみてw
349日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:35:16.21
ここにも書いたはず

「ヘヴィメタル(ジャパニーズ・ヘヴィメタル)」のCD〜漫画・アニメw
350日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:36:30.21
あの、ふと疑問に思ったんですけど、もしも仮に文献調査とか実地調査とかで邪馬台国見つけちゃったという場合には
どこに言えばいいのですか。
351日本@名無史さん:2014/09/12(金) 20:09:48.84
一説によると「弟。二番目に生まれた男児。」

現代:NARUTO ぽけもn 

むかーし:日の紋章(太陽の紋章) 浦島マリン(太陽の紋章)
     日の巫女
352日本@名無史さん:2014/09/12(金) 20:16:28.42
ローガンは森を見ないで木も見ないで、顕微鏡で葉脈だけ見て騒いでいる印象。
あれじゃ古田説に呑まれちゃった恥ずかしい過去から抜け出せないだろう。
353日本@名無史さん:2014/09/12(金) 20:32:17.83
天草四朗と天草銀(弟)〜聖徳太子
354日本@名無史さん:2014/09/12(金) 22:57:37.90
ローガンは信頼したところで老い先短そう。
355日本@名無史さん:2014/09/12(金) 23:35:05.69
ローガンの名前はまるで尋常小学校→旧制中学→大学卒だが、
実は昭和40年ごろの生まれではないか?
356日本@名無史さん:2014/09/12(金) 23:36:29.43
いやいや、大正生まれだろう。
357日本@名無史さん:2014/09/13(土) 00:52:40.83
今は30代後半で老眼になる奴いっぱいいるぞ。
乱視の人は遅いみたいだけど。
358日本@名無史さん:2014/09/15(月) 08:23:01.91
太国さん、ここに行ったらどうでしょう
http://awabi.2ch.net/history/#7

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!82
の中では、はっきり言ってスレチになってます
359太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/15(月) 09:04:50.36
>>358
あなたの言うのは一応分かるが、ここでの編年は若干遠回しに記の崇神没年
が318年か258年かのいずれかが真かをスレ民に分からせるためであって、
このことは卑弥呼の活動年代に関わる景初3年(=239年)がいつの時代の
天皇世だったのかの確定に至る。(それには倍暦の把握が関わる)

239年の年代のそこが目的なんだから、大きなスレ違いではないということだ。

それにコチラは卑弥呼畿内説ではないので、たまに書きこむが、あまり
そこに書かないのは自説ではないため。
360日本@名無史さん:2014/09/15(月) 11:46:28.08
>>359
てか、どちらかといったらこの話題が議論される場はむしろここでしょう

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1409875850/
361太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/15(月) 14:44:22.44
それもある。神武即位年の真の年代だな。

だが卑弥呼の活動年代が畿内天皇のどの天皇の代に相当するのか?
これがここで論じる目的なわけ。だがどうしても神武元年の実年代も
脇にて論じる場合があるのは質問者反論者の書きこみからここで説明
せねばならないことが出てくるわけで、これは本筋ではないが書きこみを
無とするにならないわけ。

あなたはもう少し事を柔軟に考えるべき。
362日本@名無史さん:2014/09/15(月) 16:17:46.88
てか、うざいんだよな
363太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/15(月) 16:39:54.47
>>362
じゃぁ見ないで次の書きこみへ飛び読みすればいいよ。
364日本@名無史さん:2014/09/15(月) 17:55:25.32
以前よく見ていたスレッド(とある歴史ゲーム)

もぐらの赤ちゃん、もぐらの赤ちゃん、ばかり言ってる人がいた
あの人は、なんだったんだろ
365日本@名無史さん:2014/09/15(月) 18:45:05.84
>>363
おまえの存在そのものがうっとうしいんだよ
消えろ
366日本@名無史さん:2014/09/15(月) 18:50:40.95
記の崇神没年のこと318年にしたいむきのが太国さんのことを忌み嫌っているんだね。
367太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/15(月) 19:23:32.67
>>366
そのとおりだろうが、だいたい318年説っていうのは畿内節の連中が
多いんではなかろうか?

だからそうコチラも考えたが、野郎は畿内節のスレを勧めたから、
どうもそうではないんではないのか?
だがコチラがいると野郎の自説が成立しないのが〜自明ではないが、なにか
それに近い状態があるため厄介で困るからなのだろう?
野郎は畿内節ではないようだな? だとなると九州説なのかと考えれば
コチラと主張が同じなんだから別に邪魔にはならんはずだが、となると
九州説でもどこかに不合の点があるためとかたとえば出雲説だとか四国とか
畿内以外の本州説とかの可能性がもあるな。もしくは編年が一致しないから
なのかもしれないな?
368日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:44:44.14
太国の説って、邪馬台国の卑弥呼ほ九州の山奥で
あまり人に知られていない存在で、天皇とは何の関係もないって説じゃなかったっけ
369日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:10:54.38
自分の行程論でもそうなるな
熊本南部だけど。
370日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:15:10.26
ついでに天皇の系統は福岡那国で、
熊本南部邪馬台国はトヨ以降に、
福岡に服従している。
371日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:17:39.59
>>370
根拠は?
372太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/15(月) 21:11:59.98
>>366
野郎は九州説だが318年説でもあるという考えの男の可能性が強まっ
たようだ? ハテ?
373日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:15:23.60
夜須の親派だと無駄にめのこ算用して318年説のを強弁するかも
374太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/15(月) 21:17:20.34
安本先生殿??w
375日本@名無史さん:2014/09/17(水) 19:06:52.58
30の国をまとめてたけど卑弥呼の邪馬台国自体は小国だった
周の太伯の子孫だったから周りの国から押されただけ
加持祈祷専門で実務は弟がやっていた
376日本@名無史さん:2014/09/18(木) 21:59:36.55
卑弥呼は当時、春日野から佐保までを畿内の広い範囲を治めていた豪族で
建国勝戸女のことです。
そしてその後継者の壹与は、勝戸女の娘である大闇見戸女です
その後、内乱によって畿内勢力は衰退し。
北九州を拠点としていた勢力から畿内に移った
三輪氏が勢力を盛り上げました。
両者の和解のために沙穂氏は女王を景行天皇の妻としました
これが沙穂姫ね。

その後、目の上のたんこぶだった沙穂氏は、景行天皇によって滅ぼされた
これが沙穂彦王の乱です

こんな感じの歴史を考えてみた。
377日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:16:57.00
そうだったのか。やっとわかりました。

できれば、ソースを教えてください。
378日本@名無史さん:2014/09/21(日) 00:45:12.95
>>377
邪馬台国論争など、その多くが
脳内ソースじゃん
なんせ、根拠となる資料が少なすぎるし
決定的な根拠はないのだから
379日本@名無史さん:2014/09/21(日) 07:07:58.35
満州という人は死んだのか?
380日本@名無史さん:2014/09/21(日) 12:26:24.90
満州は日本海溝の海底で充電中だ。
再上陸の可能性高し。
381太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/21(日) 13:34:11.58
アーカム・アサイラム(精神病院)の付近の下水の中でデンパ
充電中のほうらしいぞ?w

そこにはスケアクロウをいじめた爬虫類人間(キラー・クロック)が
すごんでいるそうだ。アーカムには本物のジョーカーもいるという。ww
382日本@名無史さん:2014/09/21(日) 14:38:36.19
卑弥呼が「私は周の太伯の子孫」と言った話はどうなんだろうな
周りは「呉の太伯」と言うと思うんだが
383日本@名無史さん:2014/09/21(日) 15:53:20.24
同じ姫姓で混乱してるだけだろ
384日本@名無史さん:2014/09/21(日) 21:12:21.92
《自称》
385日本@名無史さん:2014/09/21(日) 23:18:32.62
下戸遺伝子は呉由来なのかな?

484 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/09/20(土) 17:27:42.36 ID:Zi2Cl5Kz0
>>444
弥生人の故地は中国南部

環境に中立な下戸遺伝子見れば
弥生人が長江下流域から来たことがわかる

この地図は酒の飲めない下戸の人口分布図
http://i.imgur.com/jAMWVLN.jpg
世界的に見て長江下流域と近畿地方に集中している

下戸遺伝子(ALDH2 * 504Lyの対立遺伝子)の分布
http://blazingcatfur.blogspot.jp/2013/12/a-gene-mutation-for-excessive-alcohol.html
http://4.bp.blogspot.com/-wxCW4nPx1qk/Up-j4li9mLI/AAAAAAAAa6M/JLmGan26ogk/s1600/nihms-114463-f0001.jpg

日本、中国、韓国、タイの下戸遺伝子 (ND型+DD型)
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000176_all.html
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000176_discussion_002.gif
約45% 日本、中国
約25% 韓国
約15% タイ
386ローガン:2014/09/22(月) 21:15:25.68
さあ、満州、朝鮮スレで狂人どもを相手にしている場合ではない。
ここで書けばいい。
ここは君のものだ。
君の豊かな知識を、ここで披露してくれ。
楽しみにしている。
387日本@名無史さん:2014/09/22(月) 22:02:12.72
>>385
>弥生人が長江下流域から来たことがわかる
日本語しゃべったのかい

>弥生人の故地は中国南部
中国南部に日本語に近い言語があったのかい

言語学者の多くが、言語の断絶は無いと言ってるが・・・・・・・・・

英国人がインディアン皆殺しして、インディアンの言葉しゃべらないだろう
388日本@名無史さん:2014/09/22(月) 22:19:44.40
ローガンが見抜いたとおり、満州は低学歴。

4 名前:ハゲ満州[] 投稿日:2014/09/22(月) 18:11:35.53
 私は、大学を卒業していない。
 志望したこともあったが、思い通りには
 ならなかったからである
389日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:24:32.21
中国の学者の人が書いた記事だけど、面白い。

倭人と倭人文化の謎
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2008-10/28/content_159390.htm
>倭人―東夷―徐国―斉文化―東渡文化」という線は、「倭人文化」や徐福(注8)を考察する手がかりとなるだろう。

羌人、秦人、徐福と吉野ヶ里
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-11/09/content_228967.htm
390日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:52:20.70
389
ぜんぜん面白くないがwww
391日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:58:48.29
>>389
徐福がどーの、吉野ケ里がどーの、って散々聞き飽きたネタじゃねーか
これ面白いとかいってるアホの知能レベルはどうなんだよw
392日本@名無史さん:2014/09/23(火) 12:45:12.77
これで日本は、周、王朝の末裔、つまり中国人が作ったことがはっきりしたあるよ。早く統一すべきじゃないの?
と言った中国国内向けの論理じゃないのか。
393日本@名無史さん:2014/09/23(火) 16:28:49.05
>>392
周王朝の末裔=中国人と仮定すると

周王朝の末裔の日本人は中国人
現在中国に住む人はほとんど周王朝の末裔ではないから中国人ではない

なんかおかしい
394日本@名無史さん:2014/09/23(火) 20:50:55.85
>>392
そんな恥知らずなこと中国人が言う訳ないだろ
朝鮮人じゃないんだから

ウクライナ人はこんなこと言わない
インドヨーロッパ語族のルーツはウクライナだから
ギリシャ人もイタリア人もドイツ人もイギリス人もフランス人もインド人もウクライナ人
インド文明もギリシャ文明もローマ文明もローマの古代都市やギリシャの遺跡は我が先祖の業績

朝鮮人は言うけどな
弥生人は朝鮮半島から来たからや弥生人は朝鮮人
弥生人が日本を創ったのだから日本は朝鮮人が作った
奈良や京都の寺社仏閣は偉大な先祖の業績だ
395日本@名無史さん:2014/09/24(水) 05:14:49.13
>>394
いや、中国の場合、
『昔中国領だった』→『故国へ復帰すべき』→占領
というプログラムがある
史記に頻繁に現れる『○○国の人々は、かつての中国人である』という記述も動機は同じのような気がする
396日本@名無史さん:2014/09/25(木) 15:24:08.27
>>395
>史記に頻繁に現れる『○○国の人々は、かつての中国人である』という記述も動機は同じ

どうかな
単に文明はすべて中国発祥アル!って言いたいだけで深い意味ないように思うけど
397日本@名無史さん:2014/09/25(木) 15:29:58.65
おいよ〜
シナが中華って名乗ったのはその名の通り中華民国以降だぞ
漢人てのはよく分からないがな
何かの会議みたいので数カ国参加の会議みたいので決められた話
398日本@名無史さん:2014/09/25(木) 17:59:04.34
>>397
あほか。何が「何かの会議で」だ。しったか乙w
399日本@名無史さん:2014/09/28(日) 03:59:14.79
卑弥呼って神功皇后なのでしょう。
でも神功皇后ってなぜお産を遅らせようとがんばったのかしら。
自分が産む子が、仲哀天皇の子供でないってバレルだけなのに。
万世一系の法則を自ら進んで否定しようとした不思議な皇后様ですよね。
そのくせ仲哀天皇の喪を隠すというような、正反対の工作もしておられる。
とにかく特異な存在ですよね。
400日本@名無史さん:2014/09/28(日) 08:38:03.68
>>399
卑弥呼は神功皇后ではありません。卑弥呼は西暦200年代前半の人。それに
対して神功皇后は応神天皇の母君ですから、応神天皇が西暦400年前後の天
皇であることから推測して、西暦300年代後半の方でしょう。同一人物のは
ずはありません。もっと科学的に考えてください。
401太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/28(日) 09:19:48.28
>>399
応神天皇の父は仲哀天皇です。

神功皇后は卑弥呼ではないです。時代が違いますよ。
402日本@名無史さん:2014/09/28(日) 09:24:07.15
今の中国自体、歴史の新しい国だし
古い文化の継承を自ら文化大革命で四旧とか言って攻撃放棄してるじゃね
その結果、伝統も固有文化も何もない拝金の国ができあがった

血統的にはモンゴル続、満州族その他の融合民族
漢唐の古代国家とは単に同じ場所にあるだけという
403日本@名無史さん:2014/09/28(日) 10:12:48.41
だからこその「偉大な中華民族の復興」なんだよな

何れ修正はやり出すと思ってたが動きが早い中共。学のない庶民レベルでも
内部に血統論持ってるが中華ウン万年ほざけばほざく程ブラックホール化
は避けられん
404日本@名無史さん:2014/09/28(日) 10:42:18.97
正妻が夫の子でない子を産んで、その子が天皇になるというのは良くある話ですね。
天皇の歴史は不貞の歴史。男子直系なんて系図上のはなし。
どこの馬の骨ともわからない男系をf必死に守ろうとしているから不思議です。
まあ、守るべきは遺伝子ではなく、お家ですから。
405日本@名無史さん:2014/09/28(日) 10:53:09.98
>>404
丁寧なご回答、ありがとうございます。
406日本@名無史さん:2014/09/28(日) 11:24:54.65
幕末なんか天皇が2代続けて暗殺されちゃってるし。
明治天皇は赤の他人すり替え天皇だし。
407太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/28(日) 14:12:43.56
盲象多発すぎだ。

一系は無窮なり。

中国は遠い未来日本の天皇が統治されるのが天意である。

日本書紀 に

 豊葦原の中国(←真意は大陸の中国のこと)は皇孫命(天皇の子孫)が
 統治する国だと明言があるのはこれを示す。豊葦原はユーラシア大陸のこと。
408日本@名無史さん:2014/09/28(日) 19:27:57.60
>>407
君の作り話だw
409太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/09/28(日) 20:57:29.09
>>408
オマエはえらく中国と仲がよさそうだな。w
410日本@名無史さん:2014/09/28(日) 23:31:21.64
>>406
好きだねえ、そういうの
411日本@名無史さん:2014/10/01(水) 02:09:54.41
>>409
オマエはオマエの脳内だけの日本と仲がいいんだよね。w
412太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/01(水) 08:32:51.84
>>411
オマエはオマエの脳内だけの中国と仲がいいんだよね。w

消えろ1
413日本@名無史さん:2014/10/01(水) 17:17:12.98
オウム返ししかできなくなった挙句、罵倒一発w
消えろ2や消えろ3もあるのか?
414日本@名無史さん:2014/10/01(水) 17:42:40.08
消えろ2
415日本@名無史さん:2014/10/01(水) 17:45:39.09
消えろ3
416日本@名無史さん:2014/10/01(水) 17:49:45.61
消えろ4  も登場。
417日本@名無史さん:2014/10/01(水) 17:53:03.75
消えろ go
418日本@名無史さん:2014/10/01(水) 19:12:43.70
消えろくぅ
419日本@名無史さん:2014/10/01(水) 20:41:36.64
このスレも満州にいいように荒らされて、そして捨てられて誰もいなくなった。
満州の歩いた跡にはペンペン草も生えない。

御嶽山の山頂のように火山灰の降り積もったあとに、草が生え木が生い茂るまでには、どのくらいの年月がかかるのだろうか?
420日本@名無史さん:2014/10/01(水) 21:06:29.87
火山灰にはミネラルが豊富だそうだが、
怨恨と自惚れと自己顕示欲で生きている満州が荒らした後は、
負の生命力しか残っていない。
421太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/01(水) 21:29:12.19
六雄を降ろして奴が消えてから1年を過ぎたな。
422日本@名無史さん:2014/10/02(木) 01:05:56.54
なんだこのスレは? 哀れな既知外の巣窟じゃねぇか
423日本@名無史さん:2014/10/05(日) 16:03:17.27
age
424日本@名無史さん:2014/10/11(土) 19:19:22.28
>>呉の太伯

「呉」といえば、今日のオー・スンファンはいい玉放って試合を締めてくれました。w
425日本@名無史さん:2014/10/12(日) 20:50:10.97
御霊神社、御霊信仰とは
426:2014/10/12(日) 20:56:23.45
427日本@名無史さん:2014/10/12(日) 21:05:45.27
その曲を聴いた感じ

ブレス?=祝福 息吹 伊吹
↑以前、書いたような気がするけど
428:2014/10/12(日) 21:12:01.70
このスレッドを遡って見てみよう

ムムム…これは

声「モモタロウなんていない!」「モモタロウなんていない!」
429:2014/10/12(日) 21:16:59.88
嘘だと思っているらしいね

コレでどう?『ゲンジ通信あげだま』
430日本@名無史さん:2014/10/12(日) 21:56:16.86
古事記にしても日本書紀にしても編纂者は本当に愚かなことをしてくれたよな?
天皇制の権威づけのために系統や歴史を盛りすぎたせいで
実在したであろう君主や巫女の記述があいまいになり
あげく「架空の人物」に近い扱いで教科書にすら取り上げられない
卑弥呼や台与だって大陸の記述に依存することもなかったろうに
その時代の事情があるってのはわかるがね
431日本@名無史さん:2014/10/12(日) 22:54:31.58
スゴイところに辿り着いたよ

『真・おくのほそ道』

どこに売ってるの
432日本@名無史さん:2014/10/13(月) 00:05:47.43
本人に聞くのが手っ取り早い!


大川隆法「こんにちは、卑弥呼です」
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1413105551/l50
433日本@名無史さん:2014/10/13(月) 09:47:37.90
>>430
盛りすぎたと言っても、許容範囲だよ。
言うほど、手は込んでない。
手が込んでいたら、古事記、日本書紀という二つの記述が違うもの
残すわけがない。

記紀などに登場する皇室の祖先も、殆ど実在の人物だろう。
ただし、それらの先祖が、本当に倭国の国家元首の地位にあったかどうかは分からない。
特に欠史八代以前の人物とかがそう。

天皇の漢風諡号は記紀の原文には存在せず、あれは記紀編纂後、
数十年後に考え出された名前だ。

神武天皇と聞けば、いかにも現在の天皇と似たような感じだが
イワレヒコと聞いても、現在の天皇と同じような国家元首的な地位だったのかどうか
あんまり想像がつかない。
434日本@名無史さん:2014/10/13(月) 10:57:41.98
内藤湖南は『卑彌呼考』にて、『魏志倭人伝』に記される邪馬台国が『記紀』に記されるヤマト王権であるとした上で、卑弥呼が魏に使わした大夫難升米はタヂマモリのことであるという説を唱えている。
常世の国とは魏の都。
これだ!と思いましたね。

タヂマモリ、『古事記』では多遅麻毛理、『日本書紀』では田道間守と表記される。実は、難升米とかいてタヂマと読むのだ。
435日本@名無史さん:2014/10/13(月) 12:40:12.70
常世の国とパミール高原、ワハン回廊
カラコルム山脈、フンザ峡谷。
垂仁天皇の世界を矮小化してはならない。
436日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:55:22.53
難升米は、梨迹臣命。
孝元〜崇神時代に活躍した人物で
中臣氏・藤原氏の祖先にあたる。
437日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:57:56.31
難升米と書いて、マンシュウマイと読む
438日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:13:47.00
その通り。
難升米とは、満州まいまいのことだった。
439日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:36:17.65
「倭難升米」と書いて(ゐなしこめ)と読んでみる親父ギャグ、古事記に掲載済み
440日本@名無史さん:2014/10/15(水) 07:58:17.89
卑弥呼って「ピミフ」って呼んでいたんだって。
これって日本人の名前じゃなくて朝鮮人だよね。
441太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 08:59:10.45
呼んでれば倭人伝の日本固有の地名が半島のになってるぜ。
そうなってない。

だからそれは呼んではいない。
半島にないから日本の地名があるわけだ。

半島説はインチキの極のデタラメ。
442日本@名無史さん:2014/10/15(水) 09:57:35.30
100年経っても邪馬台国が見つからないのが、そもそも日本には無い証拠だろ。
443日本@名無史さん:2014/10/15(水) 10:04:56.05
難升米は「なしみ」と読む。
梨迹臣(なしとみ)命のこと。
444太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 10:13:03.21
>>442
見つからないが日本に無いにはならない。
445日本@名無史さん:2014/10/15(水) 10:34:17.94
とっくに見つかってるだろ
ヤマトなんだから
九州爺さんが認めようとしないだけ
446日本@名無史さん:2014/10/15(水) 10:58:53.79
侏儒国も黒歯国も邪馬台国が朝鮮半島だとすれば、全てが説明できるよ!
447日本@名無史さん:2014/10/15(水) 11:12:50.64
>>442
見つからないモノはいろいろあるだろ( ´△`)
448太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 13:07:11.02
>>445
ヤマトっていったって、畿内に女王国はないよ。

もし畿内に卑弥呼の国があったならば、当然記紀に相当年代に女天皇の記述
がなければならない。ところがそんなものは後代の推古朝以降しか女天皇
の存在は記紀に無いとなっているし、神功は女天皇でなく皇后で活躍はすごく
してるものの時代も合わないことから卑弥呼に似てる点はあろうが卑弥呼
ではない。

だいたい女王(この場合女天皇)の存在を記紀が落とすほど重要性が
ないとは全く言えない。だからいたならばその所在が記紀に必ず載るし、
また連続女天皇の壱与の即位などまったく記紀とは合っていない。

だから卑弥呼は畿内にいた女王ではないと断定して可である。
となると卑弥呼は九州所在が真であったと観るのが合理的考察の主張
なのである。
449日本@名無史さん:2014/10/15(水) 13:42:41.66
>>448
その考察でいけば、朝鮮半島説も合理的じゃないのか?
450太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 14:21:54.23
合理的ではないな。
なぜって書かれてるのは日本の地名だ。半島の地名ではない。
これはハッキリしている。

だいたい卑弥呼の女王国が半島ならば、すでに新羅とか高句麗、百済
とかとともに葛藤にて存分に半島史を飾ってるはずで、存否の論議など
出る必要もない。それらの国々とともに既存周知の国となってるはずだ。

ところが九州だと当時朝廷の勢力は畿内くらいだから、九州の出来事など
記紀に出る幕はせいぜい北九州だけで、奥九州になにが起こってたか景行
の代の例外以外分かるわけがなく、女王国がその辺にあって不合理はない。
451日本@名無史さん:2014/10/15(水) 15:41:54.18
>なぜって書かれてるのは日本の地名だ。

対馬と壱岐について、「対海」「一大」となってますよ。
一支は一大の語記として解釈出来そうだけど、
対海と対馬は無理でしょう。
海と馬では間違えようがない。
452日本@名無史さん:2014/10/15(水) 15:42:59.21
誤記 ○
語記 ×
453太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 15:49:44.51
>>451
じゃぁそこでないなら何処の島だというんかね?w

そんなものは無い同然だろ?
無きゃぁ、字が一寸違ってても日本の離島としか言えまい.
対馬だって記ならば、津島だぞ。これだって字が違うが同一の島。

おまけに北九州の地名があるんじゃ、到底半島なんかに無いことは
歴然としている。
454日本@名無史さん:2014/10/15(水) 15:53:31.34
古事記の対馬=津島は音が同じでしょ。
対海では音が合わない。
455太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 16:50:57.52
合わなくたってウマとウミの差でしょうが。w

これくらいじゃぁ、地名的には動かないね。

たとえば東京を英字で Tokyo と書くが、稀に Tokio と書く場合
だってある。難波(ナンバ)を浪速(ナニワ)とも読む場合もあろう。

だからこれは動かないねえ。

まさか Kong じゃないのか?ww
456日本@名無史さん:2014/10/15(水) 17:49:33.01
ツウミじゃなくてツシマでしょ。
それだと対馬は当時ツウミ国と呼ばれていたことになっちゃう。
日本は島国。半島は三方を海に囲まれている。
似たような地名を見つけるのは難しくないよ。
457日本@名無史さん:2014/10/15(水) 18:11:59.72
>>453
「一大国」は離島だなんてどこにも書いてないよ。
「対海国」は宣川郡あたりじゃないのか。
458日本@名無史さん:2014/10/15(水) 18:29:39.09
454
対(つい)となる馬(うま)

ついうま→つしま
459日本@名無史さん:2014/10/15(水) 18:33:35.04
あるいは

ついま→つしま

漢音でおっても表音が違うから意味がないぞ
460日本@名無史さん:2014/10/15(水) 18:34:30.02
対の読み方は、たい、つい、とい
461日本@名無史さん:2014/10/15(水) 18:40:20.94
ぢゃあ ぽん
462太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 18:56:15.63
>>456
似たではダメだというんだろ?

だったら似てる以上のソックリなそれを持って来な。

頑張っても半島には卑弥呼とその国は無いんだよ。
463日本@名無史さん:2014/10/15(水) 18:56:47.07
海の上古音はマに近いんじゃないかな
中古音になるとハイ
464日本@名無史さん:2014/10/15(水) 18:59:53.44
マ→ぅま の法則をあてはめると
ミ→ぅみ
465太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/15(水) 19:00:33.09
>「対海国」は宣川郡あたりじゃないのか。
コチラに厳しいんだから  じゃないのか  じゃぁ根拠にならんのは
分かるだろ?
466日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:00:47.71
>>465
じゃぁ「対海国」は身彌島、椵島あたりで決まりだよ。
467日本@名無史さん:2014/10/16(木) 05:13:17.83
そうだな。楽浪郡の場所が間違っているんだから、対海国が対馬になどあるわけない。
468日本@名無史さん:2014/10/16(木) 05:30:56.82
対馬は津嶋 港の嶋という意味 韓半島から渡ってくるのに当時は技術的に
夜は航海できなかったから、舟で1日に進める距離に限界があった
伽耶あたりから出発すると対馬まで日のあるうちに渡海して夜は対馬に
泊まる。だから津島、対馬
469日本@名無史さん:2014/10/16(木) 08:35:33.52
>>468
多分そうだろうね
対馬はツシマの音訳なんだろう

同じ理屈で卑弥呼は日(あるいは霊)の御子の音訳ということになる
和辻哲郎の言った『アマテラスとスサノヲの神話を魏の官人が誤解したのが卑弥呼』という空想が現実味を帯びるね
470太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/16(木) 09:29:27.62
>>466
こんなインチキ島名を出したところをみると、オマエは Kong だ。w
マルチの書きこみで味方のサクラをするんじゃねぇ
そっくりじゃなけりゃぁダメだというんだろ?

それらはソックリじゃあねえ。ピタリ一致してない主張をしてるオマエ
の出した島はオマエの自語相違となり、デタラメだ。

対馬壱岐のほうが合ってるな。おまけに北九州の具体的地名があるんじゃぁ、
到底半島なんかになるわけがない。
471日本@名無史さん:2014/10/16(木) 10:08:41.11
対になった島だろう
472日本@名無史さん:2014/10/17(金) 14:16:23.12
 
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
http://www.apamanshop.com/membersite/27009206/images/kamo.jpg
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
 
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
 
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
 
・ブラックロックシューター
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・2012
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・アバター
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大阪府八尾市上之島町南 4-11 クリスタル通り2番館203
に入居の引きこもりニートから長期にわたる執拗な嫌がらせを受けています。
この入居者かその家族、親類などについてご存知の方はお知らせ下さい。
[email protected]
473日本@名無史さん:2014/10/17(金) 18:24:29.04
>>448
記紀に女王がいないから近畿説は成り立たんってどういう説なんだw
474太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/10/17(金) 18:33:52.29
だから九州に卑弥呼とその女王国があったということが合理的考察となる。
475日本@名無史さん:2014/10/17(金) 18:43:38.13
471
うん、対となる島(馬)
476日本@名無史さん:2014/10/17(金) 19:48:33.35
吉美侯部(きみこべ)または吉弥侯部(きみこべ)、は古代日本における部民およびその氏である。

『六国史』(『類聚国史』の補分を含む)には吉弥侯部や吉弥侯を氏とする人物の記述が時折見られる。
『続日本紀』では公民や官人としての君子氏や君子部氏、吉弥侯部氏、吉弥侯氏が記載されているが、
類聚国史の「俘囚」の項には多くの吉弥侯部氏や吉弥侯氏が俘囚として記録されており、
『続日本後紀』以降では俘囚以外にも賊首や賊主としての吉弥侯部氏、吉弥侯氏の記録がある。

日本書紀の時代にもすでに存在しながら、記紀では完全無視された部族、 吉美侯部こそ卑弥呼部だ。
邪馬台国とは毛野だった。なぜ今まで無視されてきたのか?それは、満州から来た扶余族だからだ。
卑弥呼は満州にいた!これは、邪馬台国毛野説の序章だった。
477日本@名無史さん:2014/10/17(金) 20:32:31.89
吉美侯部は、卑弥弓呼のほう
毛野は狗奴国じゃないか?
478日本@名無史さん:2014/10/17(金) 22:42:38.32
卑弥呼は、太白の流れをくむものなら
大和朝廷時代の天皇の姓について質問された文官が
姫だと言っている
その文官は、卑弥呼の系譜と思っていたんじゃないかな
479日本@名無史さん:2014/10/17(金) 23:15:40.46
>>478
>質問された文官が姫だと言っている

そんなことどの書に書いてあるのだ?
いったい誰が質問したのかも書いてね
480日本@名無史さん:2014/10/18(土) 00:00:20.63
>>476
群馬(毛野)に多胡郡てあっただろ?あれは中国で言う雑胡
亡命奴隷や捕虜の遊牧民を田舎の開拓に使ったんだよ。よくあること
高句麗人を関東に配置したのも同じ理由だろうね
481日本@名無史さん:2014/10/18(土) 00:01:30.28
>>479
多分、晋書の倭国伝の一説だろうけど、卑弥呼なんか出てこないよね
482あらため〜ん(ダメダメ):2014/10/18(土) 00:02:34.60
483日本@名無史さん:2014/10/19(日) 14:00:35.61
>>482
つまり難升米とは、神功皇后が出発したという
名島のことでいいのか?
484日本@名無史さん:2014/10/20(月) 21:32:46.45
>>480福田赳夫、康夫親子、中曽根に小渕。
群馬県がこれだけ多くの首相を排出(笑う)したのは、
新羅系の羊太夫の子孫か、高麗王若光の末か、それとも物部か?
毛野は政治的なことは向いていない。
485日本@名無史さん:2014/10/20(月) 21:44:05.32
はいはい
おもしろいよー
486日本@名無史さん:2014/10/20(月) 21:47:41.43
>いつもの事だけど、なぜ3隻(三船)なんだろう
http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/102/e183615ee36512d7906c2efa0ce343c9

本当にそうだ
487日本@名無史さん:2014/10/20(月) 21:54:10.89
疑問だらけだね?
何でなのかな
とりあえずチョンコには関係ない話なんじゃないのかな?
それとも政治なんて言ってるくらいだからお前らの変な計画が狂う?
488日本@名無史さん:2014/10/20(月) 22:01:35.26
記事が消えてたw輪

某徳太子は偉大だな
489日本@名無史さん:2014/10/20(月) 22:17:12.01
重要、他スレに書かれていた

「それ、違う猿田さんでしょ」
490日本@名無史さん:2014/10/20(月) 22:39:03.42
本当にそうだな

猿田のスレを見ると「芸能 芝居」と書かれているからw
491日本@名無史さん:2014/10/21(火) 10:10:19.92
近畿説を批判してる奴っておもしれえなあ。
そっくり九州に返しても反論できないやつばかり。
距離がどうの方位がどうの、あげくには近畿はアワビが取れないだの。
もっとまともな九州説はいないのか。
安本説はどうなった
492日本@名無史さん:2014/10/21(火) 10:13:47.85
近畿説とか唱えているが律令制が始まったのはいつだ?w
畿内では何度インチキ宗教ができたの?
493日本@名無史さん:2014/10/21(火) 12:09:55.71
>>492
九州説を批判している奴っておもしれえなあ。そっくり畿内に返しても反論で
きず、誹謗、揶揄、中傷をする奴ばかり。まず畿内説の立証を見せてみろ。
494日本@名無史さん:2014/10/21(火) 12:48:08.00
畿内説は、倭人伝の同時代に畿内にも古墳があったという説。
ただし、その古墳が卑弥呼の墓であるとの立証はなされていない。

古墳や墳丘墓の被葬者や年代を決めるのは、かなり難しいが、
弥生後期から古墳時代前期とゆるく候補とするなら、
それこそ無数の墳墓が、畿内や九州に限らず、日本中に存在する。
495日本@名無史さん:2014/10/21(火) 20:23:55.13
巻向が全部発掘されれば何か分かるんじゃないの
まだ5分の1も掘ってないんでしょ
496日本@名無史さん:2014/10/21(火) 20:49:17.34
巻向は掘りたくないんじゃないの?
何もないことがばれてしまうとまずいから。
497日本@名無史さん:2014/10/21(火) 21:01:38.15
纏向掘ってるじゃん

予算が付かないだけで九州は掘れば絶対邪馬台国の遺構が埋まってる!
と妄想している九州説
498日本@名無史さん:2014/10/21(火) 21:35:23.21
巻向は170回以上掘ってるけど、
倭人伝に繋がる物は、でてないからな。
499日本@名無史さん:2014/10/21(火) 23:28:06.65
>>498
建物が魏尺で作られてるって読んだけど、どうだろうか
間接的な物証になり得ないかな
500日本@名無史さん:2014/10/21(火) 23:30:12.69
難升米が駐屯していたのだから魏尺でものおぷろぶれむ。
501日本@名無史さん:2014/10/22(水) 00:44:18.83
難升米さんはでえくじゃねえだろ
502日本@名無史さん:2014/10/22(水) 00:48:09.73
まあ「魏尺」云々の話出た頃は「纏向には大型建物が無いのではないか?」と言われてた頃で

そこに使われてる技術については再検証ありそうwww
503日本@名無史さん:2014/10/23(木) 21:02:36.75
難升米「計り難し米」とは何か?
それは、計ることが困難なほど大量の米を生産できる広大な穀倉地帯の支配者と言うことだ。
当時、わが国最大の穀倉地、濃尾平野がそれに当たる。
豊葦原、豊橋こそ邪馬台国だ。
504日本@名無史さん:2014/10/23(木) 23:45:27.31
>>503
いや、ただの音訳なので
505日本@名無史さん:2014/10/23(木) 23:48:41.45
>>503
じゃあ「投馬国」は馬を投げる国

記紀神話に描かれるスサノオのDVシーンに見るアレ…って話でwww
506日本@名無史さん:2014/10/23(木) 23:52:42.58
スサノオ=アマテラス
507日本@名無史さん:2014/10/24(金) 01:12:01.61
>>505
なるほど

どうにでもなるもんだね
508日本@名無史さん:2014/10/24(金) 21:44:35.06
お互い争いまくってた
→共有の巫女をまつりあげて団結
→魏からの使者はそれを「女王」と見なした

展開がむちゃくちゃすぎるわ
所詮は昔の人だから仕方ないのか?
509日本@名無史さん:2014/10/25(土) 01:18:34.27
アメノヒボコが新羅から九州に渡ろうとしたとき、対馬の付近で海が荒れて遭難しそうになった。
そのとき、馬面の弟橘姫が玄海灘に身を投げると荒れた海が収り、アメノヒボコは無事九州にたどり着いた。
それで、この島を投馬と呼んだ。
神宮皇后も弟橘姫も、橘三千代も持衰と呼ばれる卑弥呼の子孫。

橘諸兄、弟橘姫、アメノヒボコの子孫は、卑弥呼に連なる氏族だろう。
510日本@名無史さん:2014/10/25(土) 01:48:11.50
>>509
あのジスイって倭国特有なのかね
それとも中国文化か?
511日本@名無史さん:2014/10/25(土) 12:45:59.46
事鬼道 能惑衆・・ふむふむ、事代主は、葛城だし、夷(エベッサ)、ユダヤ人、鬼道とはゾロアスター教だ。
年巳長大 無夫婿・・ほー、年を取って夫に先立たれて未亡人。神功皇后と同じだ。神功皇后の母は天日矛裔・葛城高糠媛(かずらきのたかぬかひめ)。

邪馬台国葛城説。と合致する。
512日本@名無史さん:2014/10/25(土) 13:01:43.71
空海が持ち帰えったのは密教なんだな

ここから天台宗と真言宗に分かれる
513日本@名無史さん:2014/10/25(土) 13:03:54.45
510
倭国か?
日本には8世紀以前の文献は存在しないから知らないぞ
514日本@名無史さん:2014/10/25(土) 13:12:01.95
>>512
>ここから天台宗と真言宗に分かれる

最澄って知ってるか?
515日本@名無史さん:2014/10/25(土) 13:25:39.19
三食最中食べたい。
516日本@名無史さん:2014/10/25(土) 13:27:04.41
これがゆとりか…
517日本@名無史さん:2014/10/26(日) 21:40:53.39
だよ。
日本とアメリカが、かつて戦争をしたことを知らない世代。
それがユトリ人。
7割が知らないとか。
えー??それで、どっちが勝ったんですか〜?

70年前の歴史でさえ、そういうものなのだ。
518日本@名無史さん:2014/10/26(日) 21:48:49.04
古代の歴史なんかも、こうやって失われていったのかもね
古墳の被埋葬者の名とか
519日本@名無史さん:2014/10/26(日) 21:50:14.85
ずいぶん馬鹿げた意見だなw
520日本@名無史さん:2014/10/26(日) 21:52:37.59
518
まず宗教屋や利権屋をどうにかしようか?
アメリカと戦争した話がどう関係ある?
521日本@名無史さん:2014/10/26(日) 22:09:04.89
大織冠の墓すら、はっきり判らないのに
522日本@名無史さん:2014/10/26(日) 22:34:26.36
古墳て本当に墓なのか?
埋葬施設はおまけみたいなもので、実は司祭場、多目的集会場と言うことも考えられる。
523日本@名無史さん:2014/10/26(日) 23:00:19.46
石棺があって骨もミイラも出てるし
524日本@名無史さん:2014/10/27(月) 12:26:46.62
デカイ古墳だけでなく陪塚の被埋葬者も記録が残っていれば、相当役に立ったろうね
525日本@名無史さん:2014/10/28(火) 15:11:07.13
日本の場合、墓誌とか作る発想はあまりなかったようだからなあ。

もっとも、文字自体が広まるのは6世紀以降っぽい。
断片的にはそれ以前からも出るけど。
526日本@名無史さん:2014/10/28(火) 16:03:21.54
>>525
稲荷山鉄剣レベルのが次々見つかると素晴らしいね
日本書紀の虚実を確かめられる
527日本@名無史さん:2014/10/28(火) 21:21:58.95
日本の遺物で一番最初の漢字は、紀元前後からあるけど、
日本の公用文字として広く広まったのは、もっと後の時代。
西暦5世紀から西暦6世紀にかけて。
最初は、中国との貿易や外交の時に使うツールとして利用される
対外関係に限定して利用される特殊なものだった。
528日本@名無史さん:2014/10/28(火) 23:35:52.48
>>527
まあ、漢字を使いこなすのは中国でも極一部の人間だからね
和製銅鏡なんかは定型句で制作者が書いた訳ではないのだろうか
その辺から勉強始めたんではないかな
529日本@名無史さん:2014/10/29(水) 06:59:52.06
日本は、語学に長けたお抱え外人を通訳として雇うのが習わしだったのではないだろうか?
そして、三韓征伐の神功皇后、その子応神の時代から秦氏、東漢氏、東漢氏といった日常的に漢字を使う渡来人が次々と日本に招かれるようになった。
その渡来人集団を都に住まわせ、蔵人、官僚として用いるようになったことで、公用語としての漢字の定着が進んだのだろう。
そして、漢字と日本語の両方を操るバイリンガルの2世3世が、日本語に漢字の音を当てて表記することを始めた。
秦の始皇帝の末裔を自称する秦氏、 後漢の霊帝の末裔を自称する漢氏、いずれもユダヤ系の職能集団だろう。

なぜそんなことを言い出したかと言うと、世の中には数ヵ国語を自在に操る語学の天才のような人物がいる。
しかも、特別な教育を受けなくても耳で聞いただけで覚え、日本語のように文法が全く異なる言語さえ日本人よりうまく使いこなすことができる。変な外人と呼ばれる外タレもその一部だ。
そういう特異な能力を持った民が陸のシルクロードや海のシルクロードを伝って日本にも渡来している。しかも、その先は太平洋を渡らなければならないため、東の果ての地に集団を形成したまま生き残ったのだろう。
そういう特別な人たちの子孫が今でも日本を支えているのだ。
530日本@名無史さん:2014/10/29(水) 08:56:45.51
>>529
というか、辰韓(秦韓)弁辰時代からの移民や新漢人の楽浪郡人などは多分言葉が違う
よって漢文により意志疎通を図ったとみたいね
漢字はもともとそのためのツールで、多言語多民族社会の中国で発達した
訓読みだろうが音読みだろうが『山』を指すことを知っていればそれで事足りる
531日本@名無史さん:2014/10/29(水) 08:59:07.90
>>529

> なぜそんなことを言い出したかと言うと、世の中には数ヵ国語を自在に操る語学の天才のような人物がいる

遊牧民なんかはもともと多言語社会らしいね
複数言語を話す者も多かったとどこかで読んだ
もっとも、草原地帯の言語は基本トルコ語なのでどれも似通っているのだろうけども
532日本@名無史さん:2014/10/29(水) 22:10:06.09
>>529いいね、妄想古代史。夢がある。
533日本@名無史さん:2014/10/30(木) 17:13:55.24
>>509
ヤマトタケルノミコトも似たようなエピソードあったような気がする
534日本@名無史さん:2014/10/31(金) 17:05:54.18
>>529
そんなもん、その連中が
日本語が理解できないと話にならないじゃんか?
535日本@名無史さん:2014/10/31(金) 18:01:16.57
>>529
わざわざお抱えの外人を雇わなくてもいいと思うけどなあ。
倭人伝の頃、倭人は半島南部に住んでいたんだよ。
交易もするだろうし、漢人もやって来ただろう。
話せなきゃ交易にならんよ。
536日本@名無史さん:2014/10/31(金) 18:02:31.03
話せなくても親密になれたりするのもあるよ。
537日本@名無史さん:2014/10/31(金) 18:18:07.56
だいたいにおいて3世紀に日本語があったとかいっているのがまぬけ。

国文学あまりやりすぎるとこうゆう片輪者になりがち

3世紀に列島で使用されていた言語は倭語とでもゆうべき。

なかみ雑多な土人が流着しておってからに多様な言語使いのがごたまぜだろ。

レベルの高い流入者は歓迎優待してからに居付いてもらうようなサービスシステムもあったりする。
538日本@名無史さん:2014/10/31(金) 22:20:28.78
>>537
笑わせるw
当時の日本列島の言語情況の地域差がどの程度だったかおまえにわかんのかよw
539日本@名無史さん:2014/11/01(土) 05:01:22.03
日本語は、朝鮮人が発明したニダ。
朝鮮では、より進んだ文字ハングルを使うようになったのに、
日本は漢字文化圏から抜け出せず、漢の属国のままニダ。
540日本@名無史さん:2014/11/06(木) 21:29:58.32
>>537
おいおい、時代を間違えてるんじゃないかい?
漢とか魏に正使を出してるんだぜ。
541日本@名無史さん:2014/11/06(木) 23:48:00.29
>>537
日本語は人造語だっていう説はあるがね
中国人の習性を考えると、言葉の違う者同士は一緒に住まない
ある種のコロニーを作って隔離されてたんではないかと想像してる
高市などは渡来人コロニーだよね
もっとも、幾世代が過ぎれば倭人との関わりもあるし言葉は変化しただろう

高度成長期以前の調査では、日本の方言は単に標準語の訛りであって元は同じ言葉だと分かっている
アイヌ語のようなまったく別種の言語が複数存在したかは謎

まぁ言葉は流動的で常に変化するし、生きた言語が存在しない限り比較は難しい
542日本@名無史さん:2014/11/07(金) 00:24:41.61
標準語の訛り?
これ、笑うところか?
543日本@名無史さん:2014/11/07(金) 08:09:52.02
>>542
奈良時代とか江戸時代に中央政権ができた時に
言語の均一化が進んだ
とかいう理屈だろ
544日本@名無史さん:2014/11/07(金) 08:20:24.79
>>542
語彙についてはそうだろ
鹿児島弁もかなり崩壊型だが、丁寧に拾って調べると普通の熟語だったりする

『灰(へ)が降る』などと言うが、ハイがヘイ→へに成ってるだけ
545日本@名無史さん:2014/11/07(金) 08:22:37.35
>>543
というか、文字表記に引きずられて言葉の集約が進むんだな
日本書紀と万葉集の果たした役割は大きい

百済語や渡来人の中国語がどんなもんかはタイムスリップしないと分からんわな
546日本@名無史さん:2014/11/07(金) 17:33:22.15
>>544
英語は綴りと読み方に一貫性がないが
綴りを見たら、難しい言葉は大陸の単語とほぼ同じなんだよね
ちょっとしか綴りに違いがない
547日本@名無史さん:2014/11/08(土) 10:45:59.37
もとはラテン語だからね
548日本@名無史さん:2014/11/09(日) 02:24:14.01
難しくない単語でも、印欧語で元は共通なのがわかるらしいからな。

>>543
書き言葉は統一されたが、話し言葉はどんどん違ってくるという
549日本@名無史さん:2014/11/10(月) 00:34:28.71
agetekudasai
550日本@名無史さん:2014/11/10(月) 10:03:36.69
>>546
蝶々のことを昔は「てふてふ」と書いた。
英語はそういうのがたくさん残っているが、世界語になってしまって
もはや「口語表記」に出来ない困った言語。
551日本@名無史さん:2014/11/11(火) 05:11:49.02
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141110-00000008-kyt-l26

ふなっしー、本当は意味が違うんだよ
552日本@名無史さん:2014/11/11(火) 05:23:47.69
このスレを見ていた人は知っているよ

謎のカキコ
↓  ↓
□穂だったのかい?
553日本@名無史さん:2014/11/11(火) 21:30:43.50
>>448
○     代々男王 → 争い → 「共立」卑弥呼 →
卑弥呼の死 → 男王 → 争い → 「復立」卑彌呼宗女
「共立」 を繰り返した(復立)。
だから崇神 モモソ姫   共立   垂仁 豊鍬入姫命  復立
○ 斎王  ←「王」 伊勢神宮 斎王 「共立」卑弥呼 「復立」卑彌呼宗女
女性 宗女 巫女 独身 現今上陛下の姉
初代 夜麻登登母母曽毘売  (やまととももそひめ)ヒミコ  崇神
2代目 豊鋤入姫   (とよすきいりひめ)トヨ 崇神・垂仁
3代目 倭姫     (やまとひめ)   垂仁・景行
五百野   (いおの) 景行
伊和志真  (いわしま) 仲哀
稚足姫   (わかたらしひめ)雄略
荳角     (ささげ) 継体
磐隈     (いわくま)欽明
莵道     (うじ) 敏達
554日本@名無史さん:2014/11/14(金) 08:56:49.21
縄文時代でも土器や石からは交流が見られる。
突帯紋土器も、遠賀川式土器も定着するかどうかは別として、早くに伝わっている。
縄文後期の遺跡から、ゴマやひょうたんなどの輸入植物が各地で見つかる。
イネ科のプラントオパールも出てくる。
俺達がかつて教えられた「紀元前3世紀に渡来人が・・」ではなくて、もっと
早い時期にそれなりの文化を共有し、方言はあるにせよ、全く別の言語と
いうことではなく、意思疎通が可能な程度の違いだったんじゃないかな。
蝦夷に対しても、通訳が必要な様子は見られんし。
555日本@名無史さん:2014/11/17(月) 04:58:44.10
556日本@名無史さん:2014/11/18(火) 13:29:41.01
ありえんと思ってたけど、箸墓モモソヒメもありか?と思えてきた。
モモソヒメの晩年が崇神の青年期。
箸墓はトヨ(モモソヒメ(の墓)で、卑弥呼はオヤマトクニアレヒメでも
宇那比姫でもいいけど。

崇神没年が318年頃とすると、その100年余りまえに纏向が作られ始める。
5世代前に尾張の祖の姫が出てくる。次の代に吉備との関わりが出てくる。

崇神の話には、登場人物が親の代(おじ)の大彦命や彦国葺命や武埴安彦命など、
一世代ずれている感じがする。皇位を乗っ取られそうになるとか、かなり
若年で当主になった(当主だったとすればだが)のか。
孝昭から崇神までに兄弟相続があるのかも知れん。
557日本@名無史さん:2014/11/20(木) 20:18:53.87
>>556
アマテラスとモモソ姫と卑弥呼は同一でしょ

なんで別にするのか意味が分からん。
558日本@名無史さん:2014/11/20(木) 20:32:57.47
>>556,557
モモソヒメでも、オヤマトクニアレヒメでも、宇那比姫でもいいけど、
国のトップとして君臨していたの?

中国が女王として金印を送っているんだから、外交上の正式な国王であると
国内外で認められていないといけないわけだが。
559日本@名無史さん:2014/11/20(木) 20:40:59.60
>>558
というより今も天皇陛下の姉君が斎王として「共立」

されていて形式的には倭人伝と同じ。

めだたないだけ。
560日本@名無史さん:2014/11/20(木) 20:51:03.51
>>559
いや、その斎王を正式な国王として魏が金印を贈ったのか、と。

一探検家が未開の地に行って、原住民のトップは多分こいつ、
とか推測して報告書を書くのとは訳が違うでしょ。

贈る側と贈られる側とで交渉をした上で行っているわけだから、
国内外で正式な国王として認められていないといけないでしょ。
561日本@名無史さん:2014/11/20(木) 21:01:23.40
>>560
倭人伝の表記は女王国。
「代々男王」の国であり卑弥呼の次の王は男性。

倭人伝には記紀における同時代の皇室王室のメンバーがそろっている。

トップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」
次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后「氷羽州比賣命」
三席は弥馬獲支(みまかし) → 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃「美波迦斯毘賣命」
四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」

したがって皇室内部の話。
ここが重要。
562日本@名無史さん:2014/11/20(木) 21:12:28.90
>>561
いや、皇室内部の話はとりあえず問題にしていなくて。

魏が、天皇をさしおいて斎王を国家元首として金印を贈る、
なんてことをしたのか、と。

倭も、天皇がいるはずなのにそれを女王の弟と嘘ついて、
わざわざ普段目立たない女性を国王として、金印を受け取らせたのか、と。
563日本@名無史さん:2014/11/20(木) 21:14:23.95
>>562
倭人伝読んでないな?
564日本@名無史さん:2014/11/20(木) 21:21:47.46
>>563
どの辺が?

一応読んでいるけど、素人の趣味としてやってるんで、
熟読もしていないし、正確に頭に入っているわけでもないのは白状しておく。

ただ、常識的に考えて >>562 とかに書いたことは疑問ではない?
565日本@名無史さん:2014/11/22(土) 09:50:46.22
566日本@名無史さん:2014/11/22(土) 23:11:32.58
邪馬台国を知りたいのなら、古事記を正面から受け止めなければならない
事実を正面から受け入れなければ、真実は見えない

古事記の矛盾が無い場所が存在する。比喩はあってもそこには嘘は無い
島根の出雲発では古事記に矛盾が生じる。その矛盾が神話と言えば済む話となる

卑弥呼は誰なのか本当に知りたいのなら、徳島へ行きなさい
そこにしか答えは無いだろう
567日本@名無史さん:2014/11/22(土) 23:14:22.76
♪踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ ソンソン〜
568日本@名無史さん:2014/11/22(土) 23:26:34.20
アホの国徳島
569日本@名無史さん:2014/11/23(日) 03:49:42.81
>>566
お前バカだろ
古事記に嘘は無いって根拠示せ
570日本@名無史さん:2014/11/23(日) 08:57:45.13
>>565
林先生すごいな
571日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:04:24.45
今でしょう?
572日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:41:32.48
>>566
古事記は稗田阿礼の記憶に基づいて書かれたとその序文に書いてある。しかし古事記が完成したのは西暦708年。たとえば初代天皇の
神武天皇は紀元前660年に即位した、お生まれの年が何年何月何日で、崩御されたのは何年何月何日で、本当のお名前は、お后様のお
名前はウンヌン、大勢のお子様の名前はウンヌン。こんなふうに書かれている。だがそれって西暦708年からみれば1300年あまり
前のことだよね。2014年の今、1300年前というとちょうどこの古事記が完成した時代になるのだけれど、あなた西暦700年頃
の自分のご先祖さんの名前、覚えていますか。生年月日覚えていますか。残念ながら古事記という書物はとても信じられないものだとお
考えなさったほうがよろしいよ。日本最古の書物として歴史的な価値はとても大きいが、中味を鵜呑みするものではないでしょう。
573日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:55:10.17
しかも文字も無い時代の話
574満州ひなぴょん:2014/11/23(日) 15:46:15.18
朝鮮スレが立つまでここを借りる。
立たなければずっとここに書くからそのつもりで。

>>995
アホ(笑
新唐書の正しさが宋史による証明を必要とするものであったとしても
新唐書が正しいことは間違いないのである。
だから根拠としては新唐書だけ挙げればよい。
誰かが文句を言ってきたら宋史を持ち出せばよいのである(笑

>>996
>大言壮語だよ
それを大言壮語だと思っているお前がド阿呆(笑
しかもまた論旨を逸らしてこういう非難をしてきやがる。腐った卑劣野郎だ(呆

>>998
これまた糞生意気な非難(呆
資料を読んで重要箇所に最初から気づく奴なんてのはいないのだ。
だからこそ古田なんて記紀を何十年も読んでいるのである。
お前は最初からすべてを見通しているのか、阿呆が。糞生意気に。

>言い返したくて必死なんだろうがw

それはお前だろが(笑
575日本@名無史さん:2014/11/23(日) 16:49:28.60
謎は解けている

出雲 天財若子
576日本@名無史さん:2014/11/23(日) 18:54:10.95
「300年ほど前に移住してきた」

たぶん東北方面から出雲に移住してきたんだよ
一度東国に行き、再び出雲に戻った人達

東国に多いはず「名字 分布」
577日本@名無史さん:2014/11/23(日) 22:25:19.17
>>564
「天皇」だと思うからそういう印象になるんだろうな。
魏志倭人伝が書くには、「男王がいるけど国がまとまらなかった」。
ということは、当時はもちろん天皇(という用語は7世紀だけど)でもなく、
もしも王だったとしても、その程度の実力だったわけだ。
王は別の氏族だった可能性もあるよ。

その状態で「女王を共立」してやっと争いが治まった。
日本は、アマテラス伝承や神功皇后みたいなのもいる。女の実力者も多い
みたいだし、当時は武力だけでは人心を掌握することは出来なかったんだろうね。
どの男王にも出来なかった国をまとめたというだけで、立派な女王様だと思うけど。

卑弥呼とトヨの時代は、男王じゃだめだったんだな。
578日本@名無史さん:2014/11/23(日) 22:48:00.99
>>574
来んなよキチガイ
消えろ
579満州せいたんなう:2014/11/24(月) 08:59:53.62
>>578
キチガイはお前(笑
580日本@名無史さん:2014/11/24(月) 09:27:43.47
ジジィ妄想はやめて働けよw
現実みようぜ
581日本@名無史さん:2014/11/24(月) 10:19:49.60
いちいちやかましいぞw
そんなこと言ってるヒマがあるならお前がその分、働けって話
582日本@名無史さん:2014/11/24(月) 19:13:26.16
>>581
死ねよクソガキ
働けよ
583満州せいたんなう:2014/11/24(月) 22:34:20.07
>>583
お前もしつこい奴だな(笑
そんなにポクが憎いのか?

改めてお前のアホさと執着心に呆れた(笑
584日本@名無史さん:2014/11/24(月) 22:38:49.13
583
笑える
585日本@名無史さん:2014/11/25(火) 02:10:02.13
>>577
「天皇」とか権力の強さとかにこだわっているんではなくて、
魏に使いを送ったときに、倭の使者が国のトップの名前として卑弥呼を上げ、
それを受けて魏が卑弥呼に親魏倭王の称号と金印を与えたはず。

たとえ巫女的な性格をもっていて政治的な助言を与えていたからといって、
皇族の一女性が外交上の国のトップとして扱われるのは変ではないか、と。

記紀に出てくる女性の中では、あなたの書いた通り、
アマテラスや神功皇后くらいしかその扱いにふさわしい人物はいない。
だからこそ日本書紀でも神功皇后に比定しようとしたんでしょう。

神功皇后に比定するのは無理があると思うが、
モモソヒメなどの一皇女に否定するのも無理がある。
記紀が間違っていたり改竄されていたりする可能性もあるだろうが、
だとしたら記紀に出てくる人物に比定すること自体に無理が出てくる。
586日本@名無史さん:2014/11/25(火) 07:14:33.92
>>560
あんな豆粒みたいな金印は、きっと当時から何個も存在してたと思うけどな
金なんてエジプトのファラオの時代以前からザクザクあったわけだし

日本では国王のみ1人が持てるような価値ある金印なら
そこら辺に捨てないで、さすがに大事に保管しておくか
譲り渡すかしてるだろ

中世ですら、小西行長と密約した沈惟敬みたいのもいたわけだし
あの金印こそが日本の国王ただ1人が持てるものだと考えるより

日本のあちこちに渡していたり、担当者もいくつも製造していた
可能性は高いと思うんだが

少し偉そうな人を見つけては友好の印(しるし)として
配ってたんじゃねーの?そういや舛添も貰ってたしw
587日本@名無史さん:2014/11/25(火) 07:59:52.12
>>585 神功皇后の日本書紀に於ける在位は西暦201年から269年とされている。

当時、魏志倭人伝は既に知られており、その記述から卑弥呼の没年は247年と
判っているので、そこに神功皇后を充てたものと考えられる。

しかし、記紀の年代は神武即位がBC660年であり、考古学的には縄文晩期に
あたり、年代記述に関してとても真実を書き記しているとは考えられない。
588日本@名無史さん:2014/11/25(火) 17:55:30.35
>>586
>>そういや舛添も貰ってたしw
それは初耳だ
589日本@名無史さん:2014/11/25(火) 18:23:33.60
>>585
だから、皇族の一女性ではなかった、ということでしょうな。

皇族の一女性というのは記紀が書いていること(モモソヒメならば)
何故当時から「天皇家」があったと思い込むの?

天皇のいない戦国時代のようなものだったんでしょう。
で、「天皇のようなもの」が必要になって作ったのが女王。

どの部族出身かは分からないけど、政略結婚の網を見ると、後の天皇家と無関係では
ないのかもしれない。有力者同士で何十にも婚姻関係があるように見えるから。

幕末に欧米各国が天皇と将軍とどっちが日本の代表者かわからなくて困ったらしい。
当時の日本人的には、将軍に決まってるだろうと思うけどね。
国際的な外交の場ではそうじゃないのは、1700年前も150年前も同じなのかも。
590日本@名無史さん:2014/11/25(火) 21:41:30.98
>>588
「華委奴都知事印」
21世紀初頭、東京都知事は中国共産党によって権威を授けられた
591日本@名無史さん:2014/11/29(土) 23:14:18.23
名スレの予感
592日本@名無史さん:2014/11/29(土) 23:36:02.12
どこが?
593日本@名無史さん:2014/11/29(土) 23:53:41.18
とあるスレに書いてあったよ

・良いネタ見つけたな
・人の不幸は蜜の味

何の話なんだろうw
594日本@名無史さん:2014/11/30(日) 00:07:46.80
「だっつーの」と同じかもしれない

「生きていたのか!」
「性的搾取までして(忘れた)」
「もう、どうにもならないんだっつーの!」
「金のなる木」
595日本@名無史さん:2014/12/02(火) 00:21:39.01
>>577
おまえはぜんぜん漢文よめてない。先入観や願望はまず捨てろ。
596日本@名無史さん:2014/12/03(水) 07:18:20.03
>>585
記紀の出てくる女性には該当者が見つからない(ように見える)
考えられること

・単に古い伝承が失われただけ
・後の天皇家は、卑弥呼の一族ではなく伝承がなかった(男王の一族でもなかった?)
・誰だかわかっていたがあくまで男王を優先した。
 (神功皇后の活躍などを見るとそれほど男優先の習俗とは思えないので??)
・およそは分かっていたが、当時の大王の一族であり国家統一を成し遂げたのが
天皇家とは別の一族になるのであえて書かなかった。
597日本@名無史さん:2014/12/03(水) 11:05:17.92
>>585
記紀の出てくる女性には該当者が見つからない(ように見える)
考えられること

・単に古い伝承が失われただけ
・後の天皇家は、卑弥呼の一族ではなく伝承がなかった(男王の一族でもなかった?)
・誰だかわかっていたがあくまで男王を優先した。
 (神功皇后の活躍などを見るとそれほど男優先の習俗とは思えないので??)
・当時の大王の一族であり後の天皇家とは別の一族になるのであえて書かなかった。

どれだろう?
崇神前後の婚姻関係を見ると、全く無関係とは考えにくい。
当時の有力氏族はほとんど関わりがあるように見える。

「卑弥呼」では誰のことか分からなかった。
幕末の天皇同様、大王としての権力を持たなかったので、女王という認識がなかった。
598日本@名無史さん:2014/12/06(土) 03:52:07.32
599日本@名無史さん:2014/12/06(土) 15:04:31.06
なかなか、2ちゃんで文字で説明しても分かりにくいだろう?

卑弥呼は、崇神天皇の父方の大叔母のモモソ媛命で正解だよ。
そして、このへんが、いわゆる欠史八代と呼ばれる時代にあたり、
卑弥呼擁立の切っ掛けになった倭国大乱は、欠史八代の時期にあたる。

なぜ、皇室が欠史八代といって、このへんのことを曖昧にしたのかというと
まさに、この時代に倭国大乱によって
皇室の祖先が、ヤマト王朝の創世記をつくった正当な王家から
天下を簒奪したに他ならないからだ。
その簒奪をワンクッションおくために、一族の巫女を倭王として即位させた。
それが、モモソ媛命。
記紀では、この人物をただの天皇家の長老のように描くが、実は
歴代天皇としても良い人物だった。
600日本@名無史さん:2014/12/06(土) 15:21:31.37
系図で見たら分かるけど、皇室の事実上の最初の先祖は、天忍穂耳命であり、この人物が始祖。
この天忍穂耳命は、出雲を倒すことが出来なかった人物。

この天忍穂耳命には何人かの皇子がいたけど、その皇子たちの時代に、出雲国譲りが達成できた。
ここが、皇室の創世記の秘密の部分だ。

古事記を読むと、天忍穂耳命の第二皇子であるニニギ命が主に登場し
この人物は、出雲国譲りの直後、九州高千穂に降臨するのだ。
なんとなく、出雲国譲りの時の天津神(大和王朝)の主役がニニギ命のように錯覚しがちである。
なぜなら、このニニギ命の曽孫がワカミケヌ(イワレ彦=神武天皇)であり、
これが現在の天皇家に継承されていくからである。

しかし、九州高千穂のような辺境に飛ばされたのだから、実は
天津神のトップにこの人物はいなかったのではないのか?
601600続き:2014/12/06(土) 15:29:35.25
そこが皇室の最大の秘密なのだ。
実は、この天忍穂耳命の皇子には、第二皇子である皇祖ニニギの他にもいた。
この辺は書物によって、微妙に記述が違うが
古事記によると、天忍穂耳命には、第一皇子に天火明命がいたとある。
この人物は、別名を天照国照彦とよび、これは、天津神と国津神の支配者という意味だ。
まさに、出雲国譲りによって、天津神と国津神の両方の王になった人物であり、
本来ならば、この人物こそが初代天皇としても良い人物なのだ。

このへんの証拠は、播磨国風土記、旧事本紀にもあり、
播磨国で、国津神の出雲と、天津神の高天(やまと)が激突し
出雲の大国主が、娘婿(義理の息子)である天火明命に降参した話が出てくる。
602日本@名無史さん:2014/12/06(土) 16:00:17.06
603日本@名無史さん:2014/12/06(土) 21:00:59.40
これは私独自の考えですが、
卑弥呼は火闌降命(火照命、海幸彦)でしょう
火照命は男とされるが実は女性だった
弟の火遠理命(山幸彦)は海神(大綿津見神)の娘・豊玉姫(とよ、壹與)と結婚した
これが卑弥呼を支えた弟・佐治國
邪馬台国は海洋民族であることを示唆する魏志倭人伝の記述と海で活躍した海幸彦の話は一致する
そして弟・火遠理命(山幸彦)は後に姉である火照命を服従させ豊玉姫(とよ、壹與)に子を産ませている
この子が天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、
すなわち神武天皇の父であり、ここから山人政権(やまと)が始まった
つまり山幸彦と海幸彦の神話は邪馬台国から大和政権への移り変わりを隠喩した物語であり、
流れとしては
姉・卑弥呼(火闌降命、火照命、海幸彦)
→弟・佐治國(火遠理命、山幸彦)の妻の豊玉姫(とよ、壹與)
→天津日高日子波限建鵜草葺不合命
→神武天皇
となると思います
604日本@名無史さん:2014/12/07(日) 17:28:26.14
>>603
それであなたの研究では邪馬台国はどこで、その後どうなったの?。ここは
邪馬台国スレで神話スレじゃないよ。ぜひ邪馬台国について発表して下さい。
605日本@名無史さん:2014/12/07(日) 20:01:22.51
>>604
では続きを
魏志倭人伝によると不弥国から南へ水行20日で投馬国に着くとあり、
そこの長官は彌彌(弥弥、ミミ)、副官は彌彌那利(弥弥那利、ミミナリ)と呼ばれている
二人共ミミという名前からおそらくこれは今の宮崎県日向市美々津付近、
つまり投馬国とはいまの日向市を中心とした国だと思います
そして邪馬台国はそこから南に水行10日と陸行1月で至るところ・・・
すなわち現在の宮崎県都城市だと思います
帯方郡から邪馬台国へ至る1万2000里は帯方郡から邪馬台国までの直線距離でしょう
これがざっと1万2000里です
邪馬台国は火闌降命(卑弥呼)から火遠理命(佐治國)の妻・豊玉姫(壹與)へと受け継がれ
壹與の子・天津日高日子波限建鵜草葺不合命の代まで都城市にあり、
壹與の孫・神武天皇の代になって東征し、畿内へと遷都し大和朝廷へとなったのでしょう
606日本@名無史さん:2014/12/07(日) 20:28:37.35
>>605
でもあすこの古墳は前方後円墳だね
まあ、円墳もあるが規模は小さい
607日本@名無史さん:2014/12/07(日) 20:30:17.63
>>605
倭人伝の総距離を1万2000里だと考えると、壱岐までに9000里あり、
壱岐から残り3000里となります。対馬・壱岐間の距離の3倍の長さをコ
ンパスで採り、壱岐を中心に半円を描くと、その半円は絶対に宮崎には届き
ません。あなたの説は間違いです。再検討をされたらどうでしょう。
608日本@名無史さん:2014/12/07(日) 20:40:25.33
>>607
違います 道のりではありません
帯方郡から都城市までの直線距離です
対馬・壱岐間の直線距離1000里がものさしとして使えます
帯方郡から都城市まで直線を引いてみてください
609日本@名無史さん:2014/12/07(日) 20:43:26.55
>>606
邪馬台国時代はまだ古墳時代以前ですから古墳は小さめだと思います
610日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:00:22.62
>>605
>>607
邪馬台国まで「1万2000余里」の謎

不弥国まで10600里

魏では行軍速度を1日を30里としていた。
水行20日+水行10日+陸行一月=60日
1日30里の速度で60日間行軍すると合計1800里

10600+1800=12400(1万2000余里)

なんと単純に「60日を1800里に置換した」だけなのだよ
611日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:06:29.67
つまり、1万2000余里では九州から出ないという説はトンデモ

9世紀に書かれた日本の「延喜式」には
大阪から福岡まで舟で1ヶ月と書かれている

結論は、1万2000余里で畿内まで到達可能
612日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:08:26.06
>>611
対馬から壱岐までが1000余里ですから到達できませんよ
613日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:17:32.03
>>612
魏志倭人伝の著者が
60日を1800里に置き換えただけなので
できますよ
614日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:18:26.15
>>613
対馬から壱岐まで船で行くのに一ヶ月以上かかると思いますか?
615日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:20:53.26
>>614
対馬から壱岐までは1000里という記録が残っていたから
魏志倭人伝の著者は
1000里と書いただけでしょうね
616日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:27:37.57
>>613
>>615
それじゃ結局文献を無視して自分の都合で捻じ曲げてるだけですよ
そうなるともうその説のどこにも事実はありませんね
完全な妄想だと思いますし、残念ですけど説得力がありませんから信じることは出来ません
617日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:34:00.58
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C
>したがって1里の長さは400mほどであった。古代の軍隊の行軍速度は1日に30里とされた。

1日30里の速度で60日間(水行20日+水行10日+陸行一月)行軍すると合計1800里

不弥国まで10600里

10600+1800=12400(1万2000余里)

とにかく魏志倭人伝の著者である陳寿が
不弥国以降の距離を
行軍速度で単純計算してしまっただけですね
618日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:36:36.08
>>616
単純計算の結果なので、自分の都合で捻じ曲げている部分はまったくありません
619日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:38:09.51
・魏志倭人伝の著者が60日を1800里に置き換えただけ
・対馬から壱岐までは1000里という記録が残っていたから魏志倭人伝の著者は1000里と書いただけ

この根拠をまず示さないと
620日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:40:11.23
>>619
根拠は行軍速度

歴史的な正当性のある数値です
621日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:41:14.56
>>620
それでどうやって>>619を証明できるの?
622日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:44:44.47
>>621
こうやって証明できる

不弥国から1日30里の速度で60日間(水行20日+水行10日+陸行一月)行軍すると合計1800里

不弥国まで10600里

10600+1800=12400(1万2000余里)

歴史的な正当性のある数値による
単純計算で1万2000余里が導き出せる
623日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:46:59.75
帯方郡から狗邪韓国まで7000余里だから
60日を1800里にしたら8ヶ月もかかってることになるぞ?w
対馬から壱岐まで1か月近くかかることになるしトンデモすぎるだろww
624日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:51:04.93
>>623
魏志倭人伝の著者はそういう計算はしてないですね。
625日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:53:53.87
>>624
見てきたの?w
626日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:56:27.70
>>625
魏志倭人伝の記述

魏志倭人伝には距離(帯方郡から狗邪韓国まで7000余里)を日数に置き換えてる箇所は一箇所もありません。
627日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:57:31.59
>>626
置き換えてるのは>>625なんだけど
628日本@名無史さん:2014/12/07(日) 22:58:52.34
>>626
置き換えてるのは>>622だよ
629日本@名無史さん:2014/12/07(日) 23:03:22.36
不弥国から1日30里の速度で60日間(水行20日+水行10日+陸行一月)行軍すると合計1800里

不弥国まで10600里

10600+1800=12400(1万2000余里)

歴史的な正当性のある数値による
単純計算で1万2000余里が導き出せるので
魏志倭人伝の著者が「60日を1800里に置換した」ことはわかります。

ただし魏志倭人伝には距離(帯方郡から狗邪韓国まで7000余里)を日数に置き換えてる箇所は一箇所もありませんので
「帯方郡から狗邪韓国まで7000余里だから8ヶ月もかかる」という反論は成立しません
630日本@名無史さん:2014/12/07(日) 23:09:41.67
>>629
頭大丈夫ですか?
それじゃ10800の部分と1800の部分で全く計算が違うじゃんw
631日本@名無史さん:2014/12/07(日) 23:14:10.96
>それじゃ10800の部分と1800の部分で全く計算が違う

まったく違っていて当然ですね。
魏志倭人伝の著者である陳寿は倭国に渡ってませんから。
632日本@名無史さん:2014/12/07(日) 23:17:58.33
じゃあなんで「不弥国」から変えたの?理由は?
633日本@名無史さん:2014/12/07(日) 23:39:14.02
やっぱりサイズを加味した読みができていない。

弐萬戸サイズの奴國は計測基点には成り得ない。
634日本@名無史さん:2014/12/08(月) 07:34:47.95
>>600
天火明命の系譜を引く多くの氏族の伝承、欠史八代の姻族、考古学的成果から
見たら、天火明命が近畿〜東海に広く勢力を広げている中へ、ポットやって来た
ように見えますね。というか記紀にそう書いている。
婿入りしながら大王家を乗っ取ったように読める。

貴種がムラへやってきて地元の有力者の娘の婿になるという南方系の神話と
構成が同じだ。
635あらてめー (>_<):2014/12/10(水) 01:09:08.90
636日本@名無史さん:2014/12/11(木) 20:04:04.40
婿入りだから、女王は元からいた有力者の一族だろうね。
火明命の末裔かニギハヤヒの末裔かは分からんけど
637日本@名無史さん:2014/12/21(日) 09:14:34.63
近畿や東海など、西日本の広い範囲には、天神の子孫という伝承を持った氏族が
たくさん住んでいた。そこへ九州から割り込んできたグループが、オレだって
天神の子孫だと主張して、ヤマトに住み着いた。地元の有力者に婿入りし、
力をつけた。有力氏族の主導権争いが長く続いていた。
ある時争いを治めるために、最有力部族の娘を女王にすることになった。
イワレヒコの子孫は、その部族に婿入りをしていた。
外戚として力を増やしていたが、さらにあるとき争いを収めるほどの
スーパーヒーローが現れて、ただの王から王の中の王になった。
ただし、元の最有力氏族(正統な神の子孫の本家一族)の姫を娶るという
補完が必要だった。武力だけでは人心の支配は不可能だったから。

イワレヒコの一族は、あるときから男子が多く生まれる系統になった。
その多くの子供を各地の有力者の婿に出し、5代ほど後には、有力部族の
多くがイワレヒコの子孫になった。
638日本@名無史さん:2014/12/21(日) 19:55:31.04
>>637
お説はとてもおもしろいが、邪馬台国のことではない、スレチですね。わたし
は九州から来たイワレヒコのグループは天孫族と邪馬台国の台与との合同合併
したグループだと考えます。おそらくイワレヒコと台与が結婚してできたので
しょう。邪馬台国は近畿の大阪湾近辺にすでに出先機関をおいて強い勢力を張
っていた。だからイワレヒコの近畿進出はさほど難しくはない。邪馬台国の貿
易拠点を利用すれば良かった。歴史の事実はこんなところだったのでしょう。
639日本@名無史さん:2014/12/21(日) 20:02:29.55
その天孫族とやらは中国人、朝鮮人、韓国人?
640日本@名無史さん:2014/12/21(日) 20:13:41.54
差別しているわけではないんだけど

天孫、天神なんていうのは設定に過ぎないよ
あのスレに書いてあったよw

「箔が付くからな」「自称〜」とか
641日本@名無史さん:2014/12/22(月) 22:44:49.00
age
642日本@名無史さん:2014/12/23(火) 10:28:02.20
自称「源氏」なんてほとんど嘘っぱちという説もあったが、Y-DNAによれば、
嘘っぱちではなさそうだ。
天孫の多くも、設定というより伝承を正直に伝えているものが大半であり、
藤原一族もしかり。

天孫の伝承は、弥生以降の渡来人というよりも、縄文末期にには成立していたと
縄文人と少数の稲作民が合体した「弥生人」のものだと思われる。
稲作のみが優越した時代ではなく、3000年以上前の畑作並立時代には成立していた。
記紀の神話の部分は、米が特別扱いには見えない。五穀豊穣のどちらかといえば
縄文主体の思想が読み取れる。

たかだか2500年程度前にやって来た渡来人が弥生の主体ならば、故国について
もっと詳細に書くであろう。
主に理系の学者に多いが、弥生人がやって来た、という表現はおかしい。
643日本@名無史さん:2014/12/23(火) 13:12:56.52
大体わかってる、繋がってるから
「箔が付く」
「襤褸を着てても心は錦」

【2ch 猿田】参照
>>98
>>他の神々でも蛾の羽を纏うとか負けて命ごいとか
>>故意にイメージダウンを計られてる神こそが本当は大事な気する

「蛾の衣を纏っている」
644日本@名無史さん:2014/12/23(火) 13:18:09.03
読んだことないから、わからないけど
星の王子とか同じような話

知らない土地に流れ着いた〜そんな感じ
645日本@名無史さん:2014/12/23(火) 13:22:21.51
ドラゴンボール?
646日本@名無史さん:2014/12/23(火) 13:28:59.06
- - - - - - - - - - -                    帶
自 郡         郡 治                       方
-↓- - - - - - -   - -                     郡
-  --水行7,000里---↓----------------------水行20日---
 萬                                    投
          到 狗邪韓國                    馬
 二                               水     國
-  ----------------↓----------------------  --------
 千  度海1,000里                     行
             對馬國  方可400里(800里)
 餘  渡海1,000里  ↓                  10   邪
             一大國  方可300里(600里)          女
 里  海渡1,000里  ↓                   日
             末盧國
-↓- 陸行  500里- -↓-             陸行1日(1月) 王
 自        到 伊都國(女王の都)             馬
 女      100里  ↓
 王           奴  國←烏奴國←支惟國           國
 國      100里  ↓            ↑
             不弥國   周   巴利國
- - - - - - - - -↓-     旋     ↑         壹
             斯馬國   可   躬臣國
               ↓     五     ↑
             已百支國  千   邪馬國
               ↓     里     ↑
               ・・・・・・・・・・・・・・・・・          國
-------------------------------------------------------
              狗 奴 國
647日本@名無史さん:2014/12/23(火) 19:22:17.15
テレビ見てなかったの?
648日本@名無史さん:2014/12/24(水) 17:12:24.60
ロトの話だからなw
649日本@名無史さん:2014/12/24(水) 17:16:22.87
ググると何が出て来る、画像とかw

以前どこかに書いてあった「弟だよ」
650日本@名無史さん:2014/12/24(水) 17:59:16.17
偶然なのかな

川崎市川崎区夜光
651日本@名無史さん:2014/12/24(水) 20:39:17.38
矢向だろ
652日本@名無史さん:2014/12/28(日) 18:04:31.20
>>639
日本人w
崇神天皇がハツクニシラススメラミコトだって記紀が言ってるんだから、
崇神以前は大王じゃない。
卑弥呼は天皇家ではない一族で大王にふさわしい一族出身。
とすれば火明命の子孫である、尾張と海部の祖先一族しかない。
纏向には東海や北近畿北陸から土器が来ている。
先に近畿へ来ていたから、広い範囲に力が及んでいたんだろ。
土器からは、少し前には丹後から播磨へ向かって伝わる様子も見えるらしい。
653日本@名無史さん:2014/12/28(日) 18:10:44.95
卑弥呼は分からんとしても、トヨは記紀の中の人物じゃないかなあ
654日本@名無史さん:2014/12/29(月) 08:34:37.61
>>652
あんた、それ、どうやって立証するの?。自分の説を立証できるかい?。
655日本@名無史さん:2014/12/29(月) 08:46:27.56
>>651
それは横浜市鶴見区。
656日本@名無史さん:2014/12/29(月) 09:47:25.39
>>654
え?
自分の説を立証できる人がいるの?
どこの誰が立証したのか教えてほしいなあ。
いるならとっくに昔に決着が付いていると思うけどなあ。
657日本@名無史さん:2014/12/29(月) 10:34:46.89
>>652
天火明命の子孫を支持する。
案外、火高火上の氷上姉御が卑弥呼だったりして。
658日本@名無史さん:2014/12/29(月) 14:05:10.25
>>639
天孫族は日本列島を作った神の子孫だという伝承を持っている。
昨日や今日やって来た新来の氏族ではない。もっと古くからの伝承。
弥生の主体が渡来人なら、元の土地の伝承やそれ以前の神話も一緒に持ってくる。
ポリネシアのように。

大国主もスサノオの子孫なんだから、日本人全体が日本列島を作った神の
子孫ということになる(渡来系氏族を除く)
元の人口が少ないんだから、それでいいのかも。
移住民とその文化を受け入れながらも、文化の核と言語は保持し続けた模様。
外来文化(技術)を取り入れ、魔改造するのは縄文以来の伝統なんじゃないかな。
659日本@名無史さん:2014/12/29(月) 16:34:34.26
神話もつぎはぎだらけの借り物
660日本@名無史さん:2014/12/29(月) 19:33:26.25
>>658
信じるなよ神話を
661日本@名無史さん:2014/12/29(月) 23:52:43.28
神話を勘違いしてるんじゃないの?
神話って権力者の捏造じゃないんだよ。
史実とも違うけど、「民族の伝承」さ。
滅ぼされた民族や離散した民族以外は持っているもの。
中国にだってあるし、ギリシャ、北欧、インド、その他未開の民族にもある。
662日本@名無史さん:2014/12/30(火) 05:15:10.93
天皇家が万世一系というのは嘘で
実際は明治天皇から4代しかないらしい
663日本@名無史さん:2014/12/30(火) 05:56:29.13
これだから反日九州論者は困る
664太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/12/30(火) 06:43:10.29
>>662

天皇家が萬世一系でないというのは嘘
665日本@名無史さん:2014/12/30(火) 12:03:23.00
飽きた
666日本@名無史さん:2014/12/31(水) 09:30:59.39
>>663
これだから百済人の子孫の畿タ内説者は困る。奈良に最初に入植し開拓をした
のは百済人とされている。今でも近畿には在日が多く、百済という地名まで残
っているが、邪馬台国論争に天皇も反日も関係無い。持ち込むな。
667日本@名無史さん:2014/12/31(水) 10:15:00.14
くだらね〜
668日本@名無史さん:2014/12/31(水) 12:14:41.37
>>666
百済ねー
669日本@名無史さん:2014/12/31(水) 16:59:15.01
>奈良に最初に入植し開拓をしたのは百済人とされている

初めて聞いたな。
いや、百済ができるよりもずっと以前の縄文時代の遺跡があるんだがw
紀元前の中西遺跡ってでっかいやつもあるんだけどな。
タイムマシンに乗って来て田んぼを作ったのかい??
670日本@名無史さん:2014/12/31(水) 19:29:29.76
>>669
縄文人は縄文時代でポリネシアから来た人たちだよ。彼らは採集生活だから
入植したわけではない。住みついただけだ。稲作技術を持って奈良に入植し
たのは百済地区から人達だ。入植の意味を考えなさいよ。
671日本@名無史さん:2014/12/31(水) 20:25:29.20
熱帯の植物である稲が北の朝鮮半島から伝わったと言う奇っ怪な珍説。
672日本@名無史さん:2014/12/31(水) 20:38:08.08
>>670
いや、秋津中西遺跡は無視するのかよ。
鴨都波遺跡はどうするんだよw
それ以外にも百済が出来る以前に弥生遺跡はあるんだが。
百済人が入植したってどこの遺跡なの?
誰がそんな説を唱えてるの?
673日本@名無史さん:2014/12/31(水) 20:43:18.53
百済なんて紀元前にあるわけないだろ この在日
というか半島南部は倭国
674日本@名無史さん:2014/12/31(水) 22:34:55.58
橿原の遺跡からは遮光式土偶の破片まで出てるのにな。
元々半島南部は倭国だしな。
百済人?そりゃ滅亡した国の王族連中や工人を引き取っただだけの話。
王族連中が稲作をしたのかねww
675日本@名無史さん:2014/12/31(水) 22:41:14.74
日本が稲作を始めた頃、朝鮮半島は採取文化だった。
676日本@名無史さん:2015/01/01(木) 00:37:45.04
>>673
チョンドラマの被害者かもな
百済に卑弥呼が朝貢してるシーンがあるらしいから
677日本@名無史さん:2015/01/01(木) 18:27:41.71
稲作が中国南部から日本に伝わり、さらに朝鮮半島に伝わったことは論を待た
ない。しかし朝鮮半島の稲作志向者たちは耕地が少なく、水も少なく、気候も
厳しいので日本列島に移住して稲作をしようとした人たちが多かった。後の国
別けで言えば新羅地方の人は九州・出雲・瀬戸内海沿岸などに来たひとが多く、
百済地方の人たちは近畿に来た人が多い。さらに高句麗地方の人たちは北陸に
多い。縄文人もいればアイヌもいるのでやがて混血したと考えられる。歴史の
時系列をよーく考えてカキコなさいや。
678日本@名無史さん:2015/01/03(土) 02:22:16.67
あなたの文章の中だけでも時系列がごちゃまぜになっていますが
679日本@名無史さん:2015/01/03(土) 10:59:29.07
朝鮮ってどんな歴史を教えているんだろうな。
日本人が反論できないことを「歴史を知らない」とかいうらしいが、捏造歴史
を丸暗記させるのだろうか?
京都の文化が「私達が作った」とか、とんでもないことを言ってる。
秦氏って中国人なんだが。

魏志倭人伝の時代、朝鮮半島南部が小さい国のままで統一国家もなかったことを
知らない。言語が違ったことも知らない。ソウル以北は中国の植民地だった
事も知らない。

王の後継者を人質として出しているのに、貢物を送っているのに、日本書紀が
属国に朝貢させた記事を逆に解釈し、優れた文化を「教えてやった」と脳内変換。
王のもとに人質や珍しいものを送ってきたという、事実のうちの一部を切り取り、
教科書を作り、優れた韓国を若者に教育してる。
それを盲信する若者が、こんな所まで来て書き込んでいるとは。
680日本@名無史さん:2015/01/03(土) 12:49:56.46
アホの頭の中は朝鮮でいっぱい
681日本@名無史さん:2015/01/03(土) 13:39:21.18
新撰姓氏録には、豪族の出自を次のように大きく3つに分けている。

天神(大和朝廷が国家を統一する前から大和朝廷に帰属していた氏族)
地祇(大和朝廷が国家を統一する前は、大和朝廷からは独立していた氏族)
諸蕃(外国からの帰化氏族)

このよう3つに大きく分けられる。

そのうち、天神は、さらに細かく

天神(つまり、ただの天神。大和朝廷の譜代の臣下の氏族)
天孫(大和朝廷の王族の氏族)
皇別(大和朝廷の王族の氏族のうち、イワレ彦の男系子孫の氏族)

という風に分けられる。

こういう初歩的なことも知らずに、古代史を語るやつが多すぎて
トンデモ説が出回る原因になっている。
682日本@名無史さん:2015/01/03(土) 13:42:37.47
>>677
お前のトンデモ説には興味ない。
そもそも百済なんて歴史が新しいし、そもそも百済人など存在しない。
百済って国は、王族は満州出身の扶余であり
扶余が半島南部の馬韓人を支配することによって誕生した征服王朝。
その官には、中国楽浪郡出身の漢族や、半島へ軍事介入していた倭人が多くおり
建国当初は、倭国による傀儡政権だった。
683日本@名無史さん:2015/01/03(土) 14:29:10.56
>>682
お前のトンデモ説には興味ない。
崇神天皇以下、奈良時代までに、朝廷の中でも新羅出身者、百済出身者、高句麗
出身者、縄文系などが勢力争いをしていたことは知らないのか。万葉集の第一番
の歌は「高麗よ高麗よ」と高句麗出身者に団結を呼びかける歌だという説が有る。
朝鮮の歴史なんぞは問題外。しかし日本列島に及んでいた影響は評価すべきだ。
お前のそのカキコには日本にどんな影響が及んだか書いてない罠。
684日本@名無史さん:2015/01/03(土) 21:51:50.31
大きな袋を肩にかけた大黒天とサンタクロースは同一人物。(官職)
その出で立ちは、インドのデカン高原にあったアーンドラ朝 サータヴァーハナ朝の地方官だろう。

サータヴァーハナ朝は贈り物外交によって当時の最先端文化を世界中にもたらした。
とともに、世界中の珍しい文物を買い集めた貿易立国だった。
日本には稲作文化、古代バラモン教、初期仏教などをもたらした。
ローマ帝国とも交流があり、クリスマスには贈り物をしたのです。

紀元前から、世界は繋がっていたのだ。
685日本@名無史さん:2015/01/04(日) 10:52:30.07
武力で異民族を屈服させるのではなく、プレゼント攻撃、賄賂で国の有力者に取り入って商取引を有利に運ぼうとする。
騙して、金銀などの財宝を安く手に入れようとする。そういう外交戦略はいつの時代もあった。
たとえば、阿倍比羅夫は蝦夷を征服したと言うより、プレゼントで手なずけたと言って良い。戦ったのは北海道の蝦夷だけ。
ヤマタノオロチも接待で酔い潰して寝首を欠いているし、そういうやり方が普通だった。
出会いで愛、真っ向勝負は、源平の時代になってからだし、
その時代でも義経は卑怯な奇襲で連戦連勝。やりくちが汚かったため、兄頼朝に利用されることになる。
使えなくなった幻の年号入りの鏡100枚で手なずけられる邪馬台国は楽で良いわい。w
686日本@名無史さん:2015/01/04(日) 11:39:43.90
和田峠、神津島、高原山の黒曜石の分布を見ると、
黒曜石を使った鏃やナイフは交易品として売買されたのではなく、
地域の権力者に贈り物として贈与されたのではないかとの説がある。
姫川の勾玉の方も贈り物外交に使われたらしい。
古代日本では、武力による制圧はほとんど行われていなかったのだ。
687日本@名無史さん:2015/01/04(日) 18:03:47.86
古代史の知識ないなら来んなよブラク牛
688日本@名無史さん:2015/01/05(月) 01:06:59.31
ピンとこないかもしれないが
ごく普通の稲作農家?が天孫族なんだよ、武器を持って戦う人たちは別系統

農家=ヒミコのような感じ、用いるとしても草を刈る鎌
でも、こんな話は忘れたほうがいい
689日本@名無史さん:2015/01/05(月) 01:35:20.92
そうだそうだ

祭祀関係だから、
人を傷つけるようなものは持たない

鎌に鍬や鋤、
サイボーグじいちゃんGが正解だよ
690日本@名無史さん:2015/01/05(月) 01:51:36.02
漫画に真実が隠されていたんだよw

・素手が最強(この素手に武器を持たせたとき…)
・人を殺めるための刃物は持たない。
・武器を用いないが、目には視えない何かが使用できる、術のようなもの。
・実際は最弱だろう。最弱にして最強。
691日本@名無史さん:2015/01/05(月) 04:35:47.56
本当の話『七支刀』最強伝説
692日本@名無史さん:2015/01/05(月) 04:57:11.67
卑弥呼でググると出てくる、あの木の枝
葉の付いた謎の木の枝、あれが七支刀だよ

卑弥呼のイラストや絵、その手に持っている木ね

それと『真・おくのほそ道シール』?

東北にいたか、移住した可能性が高い
693日本@名無史さん:2015/01/05(月) 13:38:47.01
>>686
日本人は高価な武器は出し惜しみして
使わないからな
伝家の宝刀、戦艦大和とか
694日本@名無史さん:2015/01/05(月) 15:18:42.35
誰でもないから謎なんだろ。
記紀には出てこない人だ。大和朝廷とは関係ない。
695日本@名無史さん:2015/01/05(月) 22:59:15.09
卑弥呼(ヒメコ)=ヒメ大神=天照大御神(日靈=ヒメ)、だな。
696日本@名無史さん:2015/01/06(火) 08:21:40.95
卑弥呼=媛命(ひめみこ)

魏志倭人伝に書かれている卑弥呼は、ヤマトトトヒモモソ媛命。
697太国 ◆yVAs7uaYlY :2015/01/06(火) 08:57:25.14
卑弥呼は女王
百襲媛は非女王

したがって両女は別人。勿論日神も卑弥呼ではない。
698日本@名無史さん:2015/01/06(火) 09:04:12.75
>>695
子孫がいる天照大神と、独身で子孫がいなかった卑弥呼は、キャラ的に全然違うぞ。
699日本@名無史さん:2015/01/06(火) 15:01:30.08
卑弥呼=ヒメミコ(日女命)
700日本@名無史さん:2015/01/06(火) 16:35:59.95
卑弥呼=肥国の巫女
701日本@名無史さん:2015/01/06(火) 23:40:32.46
筑紫は、竺紫とも表記されます。??
天孫降臨の行き先は「竺紫日向之高千穂」とありますが、
実は、筑紫平野が天孫降臨の地なのです。
天竺(てんじく)インドから渡来した久米族。
彼らのトップがアマテラスなのです。
702日本@名無史さん:2015/01/07(水) 12:21:36.80
火の国や肥後国など、
文字が導入される以前から、
熊本はヒの国と呼ばれてきた可能性が高い。

ヒは日、火、肥が当てられている。
703日本@名無史さん:2015/01/07(水) 18:21:58.79
媛命=卑弥呼

女王卑弥呼の正体は、皇室の長老で大巫女だった百襲媛命。
704太国 ◆yVAs7uaYlY :2015/01/07(水) 18:27:48.19
百襲媛は女王(女天皇)に即位してないから卑弥呼ではない。
705日本@名無史さん:2015/01/07(水) 18:40:57.45
百襲媛のプロパティは日本書紀にて寄せ集めで大幅に拡張された

古事記ではたんなる蠅の子のいわば蛆娘

「蠅」は領域呼称で、もっと丁寧に省略なしで言うと「狹蠅」

「狹蠅」は「佐波江」を褒貶してやな表記に差し替えたものだろう。

「佐波江」が何処かは分かる人には分かりそうなものだから 以下 ry)
706日本@名無史さん:2015/01/08(木) 08:52:56.15
独身で年老いて、他人と会わないのが卑弥呼。
707日本@名無史さん:2015/01/08(木) 09:00:10.54
中国人の観点からみたら、いや、外国人全体の観点で見たら
誰が日本の国家元首かなんて、分かりにくいと思うぞw
特に中世の朝廷と幕府の関係なんかみても。

同じようなことが、魏志倭人伝の時代にもあったんだろう?
記紀に百襲媛命が天皇に即位したとはなっていなからといって
それは、記紀が書かれた西暦8世紀の価値観なわけだから。

たとえば、大友皇子こと弘文天皇も、時代によっては
タダの皇子か、天皇か、解釈が違ったんだからw
708日本@名無史さん:2015/01/08(木) 09:03:34.55
記紀の中から探そうとするから、似ても似つかないモモソが卑弥呼だと考える人が出てくる。
卑弥呼との共通点は、女というだけで他にない。
709日本@名無史さん:2015/01/08(木) 09:04:55.94
九州説のやつにとっては、百襲媛命は邪魔な存在だからなw
710日本@名無史さん:2015/01/08(木) 09:16:31.72
>>701
もともと、九州全体を筑紫島と呼んだんだよw
だから、筑紫の日向といえば、九州南部で間違いない。
ちなみに、日向が宮崎だけを限定して言うようになったのも、
後世になってからだ。
もともとは、鹿児島も含まれるようになった。
711日本@名無史さん:2015/01/08(木) 09:18:40.19
百襲媛命は卑弥呼。
狗奴国の王の卑弥弓呼は、許乃国の領主だった武埴安彦命。
712日本@名無史さん:2015/01/08(木) 09:26:12.52
>>707
>中国人の観点からみたら、誰が日本の国家元首かなんて、分かりにくいと思うぞw

  確かに。だから、九州の土豪だった邪馬台国が日本を代表する国だったと思ったとしても
 何の不思議もない。中国の関心は専ら西域にあったわけで、日本なんか防衛上の問題もないし、
 関心なんてなかっただろうからね w
713日本@名無史さん:2015/01/08(木) 09:51:44.73
>>712
邪馬台国=大和国は正解だけど
女王卑弥呼が何者なのかは、たぶんに誤解あると思うけどね。
いや、本当に百襲媛命は女王だったのかもね。
あの箸墓の大きさや伝承から見ても。

記紀に書かれている天皇制は律令体制以後の天皇制を基に書かれていて
実際に百襲媛命が生存した時代の日本では、どのような王制・政治体制だったのか
分からないわけだし。
714日本@名無史さん:2015/01/08(木) 10:38:14.54
>>711
むしろ卑弥呼は桧原神社に籠って
出てこない、垂仁天皇の異母姉妹である
豊鍬入姫
715日本@名無史さん:2015/01/08(木) 10:47:31.83
崇神の代にそれ以前の話をまとめて書いてる感じだよね。
日本書紀の四道将軍なんかは、世代がおかしすぎるし。
丹波道主命と吉備津彦が同時期に活躍するなんて考えにくい。
モモソヒメの時代は、孝霊と崇神の間のどこかで、大王が定まっていない
いない時代に見えるね。崇神と垂仁の時、王位をねらった反逆の話も
出てくる。
卑弥呼が死んで男王が立ったが争いが起きたっていうのと同じ。
716日本@名無史さん:2015/01/08(木) 13:00:49.84
>>715
そうでもないけどね。許容範囲だろう?

その当時の王族・貴族は結婚速かっただろうし。
だから、15歳で子供を作って、その子供がまた15歳で作ったら、
その家はお祖父ちゃんと孫が30歳しか離れてないだろう?
一方、そのお祖父ちゃんが40歳でも子供を作ったら
甥のほうが、叔父さんよりも10歳も年上みたいなこと普通に続出しただろうしね。
だから、異なる世代間の年齢差はさほど開いてないように思うけどね。
717日本@名無史さん:2015/01/08(木) 13:01:03.98
豊鍬入姫と倭姫が天照大神を受け継いで
諸国を巡ったのが邪馬台国の終焉、
大倭(邪馬台国)と丹波、近江、濃尾平野、
の紀伊、吉備の統合ではあるまいか
そして大連合の象徴として伊勢神宮が鎮座した
718日本@名無史さん:2015/01/08(木) 13:06:08.73
>>716
徳川家康とその祖父、松平清康の年齢差32
家康誕生時、松平清康は死亡していたが
松平清康の祖父、松平長親はまだ存命
719日本@名無史さん:2015/01/08(木) 13:13:33.64
>>715
卑弥呼ことモモソ媛命が倭王になったのは、西暦2世紀後半ぐらいで
その時は、孝霊・孝元ぐらいの時代。
そして、彼女の晩年である西暦3世紀中頃は、崇神の時代になっていた。

ちなみに、欠史八代の天皇で、真の倭王になれたのは、三巻イリ彦、
つまり、崇神天皇からだろう?

それ以前は、欠史八代の天皇とされている人物たちは、
最高権力者(のちの関白や征夷大将軍のような存在)だったかもしれないが、
形式的には別に王統があって、そちらが最高権威としての正統な倭王だったはず。

それを神武皇統とされている現在の天皇家の先祖たちが段階的に奪ったんだろう?
その途中の過程で、まず一族の女性を巫女として倭王に即位させた。
それが、卑弥呼こと、百襲媛命。
それを欠史八代の天皇が政治的にサポートすると。
そして、彼女の死後、三巻イリ彦(崇神)が一人で最高権威も最高権力の両方を掌握する。
その過程で、いろいろ一悶着があって、娘の豊鋤入姫命を正統な倭王にしようとしたり
混乱はあったと思うけどね。
720日本@名無史さん:2015/01/08(木) 13:23:00.29
>>718
そうそう。そういうことが起こっていたはずだ。
戦国時代の松平氏・徳川氏の例は分かりやすいわ。
松平氏は早婚だったので、古代の天皇家みたいな世代ズレみたいなこと
頻繁に起こっていたかもね。

ちないに、徳川家康自身も、最初の正室の築山殿との間の初孫は登久姫で、
登久姫は1576年の生まれで、
その長女の万姫は1592年の生まれ。
一方、徳川家康の末っ子の市姫で
市姫は1607年の生まれ。

なんと、家康の末っ子よりも、家康の曽孫のほうが15歳も年上だったw
721日本@名無史さん:2015/01/08(木) 21:55:28.84
そんなことは古代史では普通です。
武内宿禰15代、徳川幕府15代。
同じっす。
722日本@名無史さん:2015/01/08(木) 22:04:41.99
おっと、上原謙と仁美凌の話題はそこまでだ。
723日本@名無史さん:2015/01/08(木) 22:32:32.99
>>719
>それを神武皇統とされている現在の天皇家の先祖たちが段階的に奪ったんだろう
>その途中の過程で、まず一族の女性を巫女として倭王に即位させた。
>それが、卑弥呼こと、百襲媛命。

 邪馬台国の本来の世襲家から現在の天皇家の祖先が権力を奪取したという
ストーリーはあり得ると思うが、「まず一族の女性を倭王に即位させた。
それが卑弥呼」というのは、普通に考えてあり得ない。卑弥呼は男の後継候補者が
いなくなったため即位したと考えるのが普通だ。それほど本来の世襲家は衰えていたと。
だから、現在の天皇家の祖先に権力を奪取されたと考えるべき。
あり得る反論としては、天照大神が最も尊崇されているのだから開祖は女性であっても
おかしくない、むしろそれ以外にない、というものだろう。だが、それならなぜ天皇家は
女帝を例外とし、男系の継承にこだわり続けてきたのか。
724日本@名無史さん:2015/01/08(木) 22:56:21.03
>>723
天皇家が長年、崇拝していた天照とは、
本来は女神ではなく、男神だった。
天照御魂神がその正体。
それは、ニニギの祖母ではなく、ニニギの兄弟。
725日本@名無史さん:2015/01/08(木) 23:36:20.58
>>706
俺ニートを卒業して卑弥呼になる
726日本@名無史さん:2015/01/09(金) 06:13:26.00
昔の国のトップは政(まつりごと、祀り事)
のトップと認識されるのが一般的
日本は政祭分離だが外国は政祭一致
なので祭祀のトップが王とみなされる
崇神天皇の時代まで天皇家の祖神天照は
宮中で祀られ祭祀権は崇神天皇にあった
しかし崇神天皇は天照大御神を豊鍬入姫
に託し天皇家から分離させた
外国からみれば豊鍬入姫命、倭姫命に
連なる斎王の系譜が国王に見える
727日本@名無史さん:2015/01/09(金) 07:03:03.81
>>723 724
お二人さん、ご自分の説をどうやって証明するの?。ここはゴタク、妄想を
述べ合う「ほらふき大会会場」ではありませんよ。証明を書いて下さい。
728日本@名無史さん:2015/01/09(金) 09:06:33.77
>>727
あんたみたいのを「目糞、鼻糞を笑う」って言うんだよwww
 邪馬台国論争なんかテキスト(倭人伝、記紀)はわからないことだらけじゃないか。
 科学的な厳密さを求めるんなら、このスレ自体を廃止すべきだな。
 こういうスレでは小説家にでもなったつもりで書いていればいいんだ。
 
729太国 ◆yVAs7uaYlY :2015/01/09(金) 09:07:05.09
>>724
アマテラスは超ミス・ユニバース級の美女であり、女神で
あるからして男神ではない。
730日本@名無史さん:2015/01/09(金) 10:44:15.48
サンカというのは何なんだろう芸能?

数年前の陰謀スレ参照

例えるなら「僕は〜歳になったけど搾取されてばかりだ」
これは本人ではなく、事情を知っている人の書き込みだろう

チェーンソーゲームの「金返せ」なのかな
731日本@名無史さん:2015/01/09(金) 11:08:58.12
本当の話

家は「馬に乗り城に通っていて、庭殿さまと呼ばれていた」伊達郡
それらしい、昔の写真も持っている。

武士だったのかな?
732日本@名無史さん:2015/01/09(金) 12:11:01.31
とあるスレに、このような事が書かれていた

「福島県なんじゃないの」
「二本松辺りに住んでいて、城に通っていて」
「いまは〜に住んでいるんじゃない?」
733日本@名無史さん:2015/01/09(金) 17:11:59.44
>>726
百襲媛命が祭祀のトップだったんだろう?
で、祭祀のトップと政治のトップが同じ首都に住んでいた。
734日本@名無史さん:2015/01/09(金) 17:31:18.59
>>726
中国の、まして陳寿が、そんな情緒的な勘違いはしないだろう。
735日本@名無史さん:2015/01/10(土) 06:42:02.93
魏の司馬遼太郎も創作がうまいね。
736日本@名無史さん:2015/01/10(土) 06:44:11.02
何度も書いてるけど

言ってる意味わかった?
737日本@名無史さん:2015/01/10(土) 06:54:03.52
数年前の陰謀スレ参照

「神は倒すもの」

「神でも仏でも殺せばいい、もっとやれ」
「よく、こんなゲーム作れますね」
738日本@名無史さん:2015/01/10(土) 08:42:38.01
このような書き込みもあった

「親戚にやられたのか」
「成り済まし」
「血は繋がってない?」
739日本@名無史さん:2015/01/10(土) 08:48:40.09
モレはみているからな、こんな事も書かれていた

「メディア、芸能で繋がっていて
 好き勝手やっている」
「珍騒〜政治」
740日本@名無史さん:2015/01/10(土) 10:14:50.09
卑弥呼が世襲王家の出身だという根拠は倭人伝にはないと解釈すべき。
その反対の「世襲王家の出身でない」という根拠もないが。どちらとも言える。
これが最も厳密な考え方。「常識的に言って世襲王家出身者だろ」と考える人
の方が多いのはわかるが、確率100%ではないよ。これが出発点なんだ。

 俺は、倭国大乱の後に出てきた卑弥呼は、外戚を巻き込んだ世襲王家の
権力闘争の中で、それとは無関係の存在だったから「バランサー=中立勢力」
として擁立された可能性があると思う。つい最近の中国でも毛沢東死後、
華国鋒という人物がトップに立ったことがあるが、これは毛沢東派とケ小平派
のどちらでもないから選ばれた人間だった。

 とにかく、卑弥呼が世襲王家出身という明確な根拠はない。「いや、
卑弥呼が大和朝廷の開祖だったのだ」という強弁もなくはない。論理的にはw
 しかし、だとすれば卑弥呼とは神武天皇だったことにいなるね w

 小説家なら、これくらいのフィクションは平気で書くよ。「上杉謙信は
女だった」とか言うのよりはずっとマシだ。 wwwwww
741日本@名無史さん:2015/01/10(土) 10:32:38.71
アゴトニオ猪木の言葉を思い出してみるといいよw
わからない人は「アントニオ猪木 道」ググって

そして某ゲーム内に、アントキノイノキ(少し違う、あんときの猪木?…
これじゃ文字数が合わないな)

というキャラクター名の知人がいたのを思い出した
742日本@名無史さん:2015/01/10(土) 10:35:22.40
書きこみしてるのが少人数だってばれるぞwww
743日本@名無史さん:2015/01/11(日) 05:40:38.33
>>716
おもしろいね。
早婚が普通のことで高祖父と玄孫の世代が同時代に活躍するのが普通なのに、
親も祖父も曽祖父も死んじゃっていないんだ。
744日本@名無史さん:2015/01/11(日) 08:27:58.65
でたらめOK!
勝手に捻じ曲げて論を展開 すばらしい
745日本@名無史さん:2015/01/12(月) 08:10:26.44
自分より年上の甥を養子にすれば、時代は逆行する。
これで天皇家のなぞが解ける。
746日本@名無史さん:2015/01/12(月) 10:21:24.37
末子相続の時代は当然そうなったのだ。
747日本@名無史さん:2015/01/12(月) 10:21:51.81
「鬼道を事とし、よく衆を惑わす」という記述から真っ先に思い浮かべるのは、
新興宗教の教祖みたいな霊力に優れた人間だな。宗教学で言うシャーマン。
卑弥呼が世襲王家の出身なら、こういう能力は別に必要ないわけで。だから
卑弥呼が世襲王家の出身でないという根拠もないが、世襲王家出身でないという
根拠にもなる。卑弥呼が皇室の祖先というのは、単なる思い込みだよ www
748日本@名無史さん:2015/01/12(月) 10:50:02.35
シン情報?【伊達郡 神官】
749日本@名無史さん:2015/01/12(月) 11:40:55.36
>>747
阿蘇の火山信仰を行う部族の族長だろ
750日本@名無史さん:2015/01/13(火) 08:02:29.11
皇族には、独身で人に会わず鬼道を使う卑弥呼に比定できるような人物は一人もいない。
751日本@名無史さん:2015/01/13(火) 08:42:25.42
意味不明です
752日本@名無史さん:2015/01/14(水) 21:55:58.41
「卑弥呼は日本史に何の痕跡も残さない女酋長である」
「当時の日本列島で邪馬台国より進んだ文化を持った国が他になかったという
主張は理解不能」
「邪馬台国は九州にあった国であり、大和朝廷とは何の関係もない」

   以上   By 八幡和郎   ← 俺じゃないよw
753日本@名無史さん:2015/01/14(水) 22:12:41.16
>>752
>「卑弥呼は日本史に何の痕跡も残さない女酋長である」

何の痕跡も残してないのならそれを証明する材料もない

つまり自分が言ってるのはあくまで机上の理論の1つということ

実際この辺が九州説の限界
754日本@名無史さん:2015/01/15(木) 00:14:06.15
卑弥呼も邪馬台国も、陳寿の頭の中では明確に特定されてる。
陳寿は、倭国は周旋五千里ばかりとし、邪馬台国は不弥国から南へ水行20日、さらに
南へ水行10日、陸行1月とした。

「そのままだと九州を通り越す」と言う奴は馬鹿。保証する。

天才陳寿は、出鱈目を書いたのではない。
彼の地図に矛盾はない。

水行は、河川交通。
魏志において、河川でなく海の場合は、必ず海と書いてある。
川を遡るのは時間がかかる。江戸時代、川越から日本橋の往復で2週間。
上りが多く、整備されていない川だと、20日で数十kmがやっとだ。

道無き道を歩くのも大変で、1日5kmも進めない。
街道が整備された江戸時代の例から、1日20km進めると言うやつはキチガイ。

陳寿が明確に特定した邪馬台国は、東に海がある。

以上を総合すると、邪馬台国は、大分から宮崎の辺り。
それ以外にはあり得ない。
755日本@名無史さん:2015/01/15(木) 11:11:22.33
>>743
しかも、戦国さながらの争いが続いていた時代の大王家の当主の先代も
先々代もそのまた先代も早死しているなんてどんなファンタジー
家康が30で死んでいても徳川江戸時代が始まったはずだというようなもの。
756日本@名無史さん:2015/01/18(日) 11:57:04.29
信長が130歳まで生きていいれば、日本は天皇制から王政に変わっていただろう。
757日本@名無史さん:2015/01/18(日) 20:55:33.88
実際に、お神輿社長が居ると結構便利ってことが身に沁みてわかるよ
758日本@名無史さん:2015/01/26(月) 01:28:19.84
age
759日本@名無史さん:2015/01/26(月) 05:59:03.32
日本って建国の時から権威と権力が分離してたのか
760日本@名無史さん:2015/01/28(水) 09:59:08.07
権力争いの最中には、当主が早死してはいけない。
跡継ぎは若くで生まれなければいけない
いくらヒーローが現れても、跡継ぎがいなければ大王にはなれない。
あかんぼでも18歳の若者でも王が務まるのは、権力が安定した後。
761日本@名無史さん:2015/01/30(金) 21:15:58.41
卑弥呼は世襲王家の出身どころか、生口として中国に送られた後、その異常な
頭の良さ(弘法大師級の)を認められて、邪馬台国に送り返され、戦乱の時代に
周囲からの要請を受けて女王になったスーパー・ウーマンだったのだ!
俺が小説家ならそういうスト―リーで「卑弥呼伝」を書くな。 

 邪馬台国に関しては何を言っても自由だからな www
762日本@名無史さん:2015/01/30(金) 21:23:04.90
小説な〜w

はっきり正史に資料として証拠が残っていないからこそできることだなw
またはいくらでも政争にも使えるし捏造にも使える
763日本@名無史さん:2015/01/30(金) 21:29:41.30
別に織田信長が本能寺に遭わず生き延びた小説だって書く気なら書けるだろ
フィクションなら面白いかどうか、売れるかどうかがすべて
764日本@名無史さん:2015/01/31(土) 06:15:25.82
>>761
家柄が良くなければ権威が無い
力が無いのに大きな国をまとめられるなら
家柄と本人の能力というカリスマ性が必要
765日本@名無史さん:2015/01/31(土) 10:03:16.61
>家柄が良くなければ権威が無い

  これっていつの頃からそうなったか誰も証明できないね w
766日本@名無史さん:2015/02/01(日) 19:54:49.84
家柄も血統もなんにもないのに大王になるのは難しい。
信長は地方領主の当主だったし、秀吉は自分が一から作った訳じゃない。
家康にしてもしかり。
卑弥呼は何らかの由緒ある一族だったから女王に共立されたと考えるほうが
納得できる。武力を持った男王よりも、倭国を纏めることが可能な一族。
記紀に書いてないってことは、天皇家の先祖じゃないんだろうな。
天皇家よりも由緒ある家柄だったんだろう。
767日本@名無史さん:2015/02/03(火) 02:00:05.81
卑弥呼は、九州地方の一部族の長の娘だろ。
たまたま中国の歴史に残っただけで、邪馬台国は多くの部族と滅ぼし合って消えている。

天皇も畿内の一部族の長に過ぎない。
768日本@名無史さん:2015/02/03(火) 08:47:09.60
天皇は朝鮮半島の一部族の孫だろ。
769日本@名無史さん:2015/02/03(火) 10:55:32.90
高野山では弘法大師はいまだに生きていることになっていて、1200年もの間
毎日三度の食事を運び続けているそうだw これこそがまさに「カリスマ性」なんだよ。
不合理の極みだが、合理性を越えてしまうのが「カリスマ性」なんだ。いうまでもなく
弘法大師には子孫などいない。世襲家でなければ権威が発生しないなどというアホは
味噌汁で顔を洗って出直せよ www
770日本@名無史さん:2015/02/03(火) 12:27:24.53
誰か?という発想が間違い。
卑弥呼は日本の歴史に残らなかった敗者の一族。
771日本@名無史さん:2015/02/03(火) 12:46:04.95
>>768 天皇をトンスラーと一緒にすんな
772日本@名無史さん:2015/02/03(火) 15:18:55.81
>>769
空海の母親は玄ムの一族だぞ
773日本@名無史さん:2015/02/03(火) 18:08:55.25
>>767
卑弥呼も天皇家も地方の一部族長って、無理だなw
纏向は卑弥呼の時代の遺跡で、その後半頃には崇神陵ができている。
この点について、考古学者は概ね賛同している。

特殊器台、円筒埴輪が吉備の影響が強いこと、搬入土器に尾張東海系が
多いこと、庄内式土器に影響を与えたのは吉備で、河内で成立したらしいこと。
倭人伝が描くように、首長連合が纏向に都を作ったらしいこと。

誰がイニシアチブを取ったのか?クナコクとはどこか?
は、意見がいろいろあるようだけどな。
トヨが朝貢したのが266年。その前年に魏は滅んでいる。
崇神は卑弥呼ートヨの政権の流れを受け継いでいる。
少なくとも、共立した首長連合のうちの一つだったんだろうな。
三世紀後半には、九州は初期の前方後円墳が造られている。
九州は「倭国連合」に参加している。
774日本@名無史さん:2015/02/03(火) 18:32:33.47
黄幢に釣られた難升米が野に放たれて

魏の権威の下に黄幢おったてて募兵しつつ彌馬岐に雪崩込んだ
775日本@名無史さん:2015/02/03(火) 20:42:23.54
倭国連合があったなんて証拠はないだろ。連合する理由は何?
中国や朝鮮が攻め込んでくるから、とか言いたいのかねw
776日本@名無史さん:2015/02/03(火) 21:16:01.11
え?卑弥呼は誰かってスレだろ。
卑弥呼って魏志倭人伝にしか書いてないんだよ。
その魏志倭人伝が卑弥呼を共立したって書いてるじゃん。
それを否定するなら、なんでこんなところにいるのw
777日本@名無史さん:2015/02/03(火) 21:23:22.84
>>773
トヨが崇神の母だったらすんなりいくんだが、そうではないらしいからな。
男王が立ったら争いが起きてトヨを立てたくらいなのに、なんで崇神が
大王になれたんだろうな。
778日本@名無史さん:2015/02/03(火) 21:44:01.76
それは、祟神も女王だったからさ。
779日本@名無史さん:2015/02/04(水) 21:58:45.63
そうだったのですね。
そうだと思っていました。
780日本@名無史さん:2015/02/04(水) 22:00:12.59
お名前は「しめ」だけど男やろ
781日本@名無史さん:2015/02/05(木) 09:15:17.21
皇室とは無関係
782日本@名無史さん:2015/02/05(木) 18:56:57.78
邪馬台国論争の真相
http://www.smjsearch.com/yamatai/shinsou.html
783日本@名無史さん:2015/02/06(金) 10:31:03.07
↑ 朝鮮半島説の方が畿内説よりは説得力あるな。とはいえ、九州にあったと思いたいね。
784日本@名無史さん:2015/02/06(金) 15:25:53.08
>>771
どっちにしても当時朝鮮半島にいたのは今の朝鮮民族じゃないし
785日本@名無史さん:2015/02/06(金) 17:36:15.98
こういうこと

「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科、総合研究大学院大学

その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土
人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国
人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html

遺伝子解析による日本民族と周辺の民族との近縁性
http://www.soken.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/12/20121017172022_1.jpg
786日本@名無史さん:2015/02/06(金) 20:52:24.76
卑弥呼は世襲王家の出身ではない。ナポレオンと同様に人民の声援によって
王位に就いたカリスマだったのだ。
ただし、彼女は皇室の祖先ではないだろう。子供を産んでないのだからな。
何?姪(?)の台与がいるではないかって? 台与は多分カリスマ性がなかった
ため、政権を全うすることができなかったと思うよw
787日本@名無史さん:2015/02/06(金) 22:33:13.31
豊鍬入姫命(卑弥呼)
弟 生目(伊支馬)
生目の娘 倭姫(壹与)
788日本@名無史さん:2015/02/06(金) 22:39:17.57
倭人伝には卑弥呼が世襲王家の出身という記述は全くない。
789日本@名無史さん:2015/02/06(金) 23:10:57.90
てすと
790日本@名無史さん:2015/02/06(金) 23:32:22.56
アマテラスなんていうのはヤクザと同じだよ
「オマエは悪い事したんだから、何も言えないだろ、口答えするな」
このようにレッテルを貼り続ければ良いんだよ

半島関係のスレで見た
「日本は昔、悪い事をしたんだから」同じだと思わない?

フィクションの世界に登場する
ヤクザのような感じがするんだよな
791日本@名無史さん:2015/02/06(金) 23:34:49.58
>>790
それに当てはまるのはスサノオじゃね?
792日本@名無史さん:2015/02/06(金) 23:37:51.04
常識だろ

実在するアマテラスは朝鮮人という話
793日本@名無史さん:2015/02/07(土) 00:07:23.22
イメージ的な話ではダメなんだよ
「武神 刀剣」「スサノオは荒々しいイメージ=暴力団」

⇓ググってみて

>聖上の御威光を以て、呪われし祟り神アマテラスを雨の中に封じこめ、
>これ以上我が國土を荒らすなとの陛下の静かな、しかし威厳ある一喝に、
>さすがの悪神アマテラスも悶絶して汚物箱に封印されおわんぬ。
>つつがなし。彌榮。

倭タケルというのは何を退治したのか、という話
・荒ぶる神 どこそこに悪神がいた

有名な話:盗まれた神話 神格
794日本@名無史さん:2015/02/07(土) 03:03:25.51
普通に日本の事を考えてみればわかる
「最終的にスサノオが勝利した」

国の神、国民、民主主義
795日本@名無史さん:2015/02/07(土) 04:07:38.98
>>788
崇神を初代とすれば豊鍬入姫は二代目
世襲というほどにはならない
796日本@名無史さん:2015/02/08(日) 15:22:42.91
スサノオ
797日本@名無史さん:2015/02/08(日) 17:46:35.67
>>792 >>783 >>775 >>768 >>677 >>440
お知らせ
【韓国】 韓国国籍法改正 韓国との複数国籍を認め兵役義務を果たして無い者は国籍離脱無効
韓国の国籍法・・・ 出生者で決まる 父親・母親の一方が韓国籍である場合その子供は韓国籍
1.出生当時に父親、又は母親が韓国国民である者は韓国籍
2.出生前に父が死亡した場合でも、死亡当時の父が大韓民国国民であった者は韓国籍

韓国国籍法改正
@兵役検査を受けていない者の韓国国籍離脱は認めない
A兵役検査を受けていない者は韓国へ帰国して裁判所に出頭
B出頭時点で韓国に住民票登録がなされ韓国住在の韓国国民に登録される
C出頭しない場合、犯罪者扱いとなりICPO国際手配、日本で逮捕して強制送還
D兵役義務2年間の無い者には韓国国籍離脱は認めない
E兵役を果たして無い者は遡って韓国籍離脱を無効とする
韓国の国籍法改正では広範囲に韓国籍と複数国籍を認めた一方で
兵役記録が無い者に対して韓国国籍離脱が制限されています
798名無し:2015/02/09(月) 13:24:52.46
昨今、邪馬台国論争が盛んですが、いつから「邪馬台国」と表記するように
なったのですかね?
魏志倭人伝等中国史書では「台」の字は「臺」又は「至」部分が「豆」にて
表されていますよね
中国の方は「と」、「とぅ」と発音されます
つまり「邪馬台国」なるものは存在せず、「やまと」あるいは「やまとぅ」
国として中国のかたは認識していたのではないでしょうか
799日本@名無史さん:2015/02/09(月) 21:26:14.51
>>798
昭和になってからだよ
800日本@名無史さん:2015/02/09(月) 22:48:14.22
凄い美人というイメージ
吉永小百合の若い頃みたいな
801日本@名無史さん:2015/02/09(月) 23:23:59.87
それだと可愛らしいイメージで女王って感じじゃないな
802日本@名無史さん:2015/02/10(火) 11:51:45.44
吉永小百合だと、お転婆姫だよな
町の中を走り回っているような
803日本@名無史さん:2015/02/10(火) 11:55:29.80
はいはい飽きた飽きた
804日本@名無史さん:2015/02/10(火) 13:02:12.86
個人的には八代亜紀なイメージだな
805日本@名無史さん:2015/02/10(火) 14:22:20.22
日本書紀の登場人物で、もっとも卑弥呼に近い人物は、土蜘蛛。
大和朝廷に滅ぼされた側の人物。

土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─イ、蜘蛛塚 八束脛門へ戻る
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_trip_chikugo_0101.html

大山田女:日本書紀によると、神功皇后が、かつて「山門(やまと)」と呼ばれた
この地の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)を討ったとのことです。また、その兄
である夏羽(ナツハ)が軍勢を従えてやって来たのですが、妹が討たれたと知り、
逃げ去りました。こちらに詳しく書いてあります。
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_01.html#7
806改め ◆PWTcGEfp1s :2015/02/11(水) 00:32:19.11
>>0
>陸行一月

りっこう ひとつき
一ヶ月間歩いたということ
807改め ◆PWTcGEfp1s :2015/02/11(水) 00:38:20.26
>>5
>考古学から見た邪馬台国。それは日本列島の国家ではない。

ほう

>1)30か国が中国と通じていたのに、日本列島のどこからも漢字が出土しない。

神獣鏡には感じが書かれています。

>2)100人余りが殉葬されたのに、日本列島のどこからも殉葬の跡が見つからない。

貴方の言う「殉葬の跡」ってどんなの???
貴方が納得する「殉葬の跡」なら満足するわけ?!

>3)倭人は死ぬと棺に入れて埋葬したと記述されているが、日本で甕棺が見つかるのは北部九州だけ。

棺=甕棺なんだぁw 貴方の頭の中では、そうなんだねw

>以上から、邪馬台国は考古学的に日本列島の国家とは考えられず、朝鮮半島国家であると判断できる。

失笑狙ってんの?
808改め ◆PWTcGEfp1s :2015/02/11(水) 00:41:32.83
>>11
>「一大国」は島国であるという記述はどこにも無い。

いやぁ〜書いてると思うけど・・・

>「対馬国」は最古の写本では「対海国」とされており、対馬であるかどうかはわからない。

いや、対馬でしょ

>即ち、日本の離島から北九州への行程を書いてあるなんてのは単なる思い込みに過ぎない。
>そんなのは何の証拠にもならんな。
>本当は邪馬台国は朝鮮半島にあったんだよ。

www
809日本@名無史さん:2015/02/11(水) 01:08:48.16
ドツボ怒濤の連レス
810日本@名無史さん:2015/02/11(水) 01:12:16.31
重譯納貢
811日本@名無史さん:2015/02/11(水) 01:57:19.47
>>平原は殉葬者が16人みつかってる。
あの墓は大きさ以外だったら卑弥呼の墓そのものだろ?
女王国の内の一国なんだから、卑弥呼の墓としてもおかしくない。
812日本@名無史さん:2015/02/11(水) 06:32:54.94
倭奴という言葉は倭の奴らという意味で
日本人という意味の言葉を蔑んで言って
いるだけであり倭奴と倭人は同義語
813日本@名無史さん:2015/02/11(水) 10:41:35.81
>>777
崇神の段の四道将軍の逸話や狭穂彦の反乱伝承が何か関係があるんだろうな。
河内の一族を追い落とし、天火明命一族をたたいた。
ただ天火明命一族はその後も勢力を保っているから、かなり大きかったと思われる。
開化、崇神、垂仁の妃の多くが天火明命一族であることを見ると、そっちが
王家だったのかも。
崇神が物部と一緒に王位をぶんどったが、垂仁は天火明命から妃を取るしか
選択肢がなかったように見えるね。
アマテラスを外に放り出したのも崇神だし。
だけど、周辺部族はニニギではなく天火明命の系統で満ち満ちていて、結局
取り込むというか取り込まれる形になったのかな。
伝統と正統性はあり数は多いが、特出したリーダーは不在だったのかも。
だから巫女だったのか。
814日本@名無史さん:2015/02/11(水) 19:17:52.40
元ネタがわからないんだよな
↓2ch AA

「それで それで?」
「だが ことわる」国譲りの話なのかな?

「常勝軍団 山王」
815日本@名無史さん:2015/02/11(水) 19:24:58.70
https://www.google.co.jp/search?q=2ch+%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7&biw=781&bih=354&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=0CzbVPXLH8XVmAX5nYGIAg&ved=0CAYQ_AUoAQ

昔いたんだよ「そんなの関係ねー そんなの関係ねー」
とか言ってる人が

何の話なんだろう

それとググってみて→「だが断る」
816日本@名無史さん:2015/02/11(水) 20:34:04.11
>>814
山王といえば素戔嗚尊の孫、
大山咋神を祀った比叡山日吉大社だろ
817日本@名無史さん:2015/02/11(水) 20:38:14.51
身ぐるみを剥がされた人が
後に現れるんだよ

そんなの関係ねー 小さな島w
818日本@名無史さん:2015/02/11(水) 20:41:16.88
>>817
因幡の白兎か?
819日本@名無史さん:2015/02/11(水) 20:52:41.20
820日本@名無史さん:2015/02/11(水) 21:16:04.03
http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG
▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。

今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。

7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。


墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。

文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。

墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。

ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html
821日本@名無史さん:2015/02/11(水) 21:17:48.25
おいおい そのうそ百済王のはもとのが倭人のなりすまし
822日本@名無史さん:2015/02/11(水) 21:21:50.13
歯が語るアイヌの先住性  講師 松村博文(札幌医科大学)
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1721.pdf

人には絶壁頭という頭の短い人と、才槌頭という頭の長い人がいます。
近畿地方を中心として圧倒的に頭の短い人たちが多く、東に行くほど頭が前後に長い人が多くなってくることがわかりました。
大阪大学の小浜基次はもともと頭の長いアイヌ系の人が広く日本に分布していて、朝鮮半島から短頭の人が流入してきたというふうに考えたのです。

比上肢長という体に対する腕の長さの比と足の長さの比をみると、アイヌ、東北人、畿内人の順に長い。
つまり、アイヌの人たちが一番腕や脚が長く、畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。
朝鮮半島の人々も畿内人と同じように腕や脚が比較的短いことがわかりました。

男性の髭は北海道と琉球でよく発達しており、近畿地方の人や朝鮮半島の人ではさほどでもありません。

蒙古襞が発達しているのは近畿の人たち朝鮮半島の人々です。
琉球と北海道の人は目がぱっちりしていて、涙腺がまぶたであまり覆われていません。

いろいろ見ていくと、畿内人と朝鮮半島の人々は北方アジア的な寒冷地適応型の体の特徴を持っている。
沖縄とアイヌの人は似ている。それから東北人はアイヌに近い特徴を示す。
といった共通した地域差の傾向がみてとれます。

頭骨の形の地域性は1980年代に埴原和郎が明らかにしています。
やはり畿内の人々は平均的な日本人とは全然違う人たちだということがはっきりしました。
どういうふうに特殊かというと、顔が面長で平たんな顔といった渡来系の弥生人の特徴を濃厚に持っているのです。
823日本@名無史さん:2015/02/11(水) 21:35:03.02
有名なんだよ、盗んだ話

太陽神、月神も元々は出雲
824日本@名無史さん:2015/02/11(水) 21:39:06.83
盗んだ「そんな事はなかった」

人の家、一族の話なんだよw
825日本@名無史さん:2015/02/11(水) 23:09:26.89
キチガイはキエロ
826日本@名無史さん:2015/02/12(木) 00:55:41.77
太陽神、月神も元々は中央アジア
827日本@名無史さん:2015/02/12(木) 05:19:12.98
>>825
オマエが消えたほうがいいよ
828日本@名無史さん:2015/02/12(木) 05:21:26.52
口だけの人間、お前に何ができるんだ
829日本@名無史さん:2015/02/12(木) 05:27:12.88
他人に寄生することしか出来ないんだろ
他人の作ったもの、人から教えてもらったこと、模倣

悪く言うと盗作 パクリ
830日本@名無史さん:2015/02/12(木) 14:58:32.17
831日本@名無史さん:2015/02/12(木) 15:08:29.44
>>830
トピックス→歴史フォーラムが開催されました(H26.11.3)
 →森岡秀人氏

  この森岡さんの講演内容は
 1 ヤマト王権形成に先立ち、未成熟な「原倭国」があった
 2 卑弥呼は個人名ではなく官職名
 3 卑弥呼は倭国の女王となった後、近江を離れて邪馬台国の都で政治を
  行った        というもの

  本当かね? w
832日本@名無史さん:2015/02/12(木) 15:17:04.53
出雲朝廷だよw
833日本@名無史さん:2015/02/12(木) 23:20:48.81
特別な女王の称号が大倭(〇〇〇〇)日女命。
834日本@名無史さん:2015/02/12(木) 23:31:44.84
宇名比日女命。
宇、、、偉大、天、広大
名、、、国
比、、、魂、霊

日女命、、、日巫女。

宇名比日女命。亦名、大倭日女命。亦云、天造日女命。竹野(タカノ)日女命。日女命。
835日本@名無史さん:2015/02/13(金) 01:03:35.95
卑弥呼が日巫女(ヒノミコ)とか姫神子(ヒメミコ)みたいな尊称とか称号みたいなものだとしたら、台与って何?
836日本@名無史さん:2015/02/13(金) 02:03:48.11
台与は稚日女命と呼ばれていました。
837日本@名無史さん:2015/02/13(金) 08:35:16.61
宇名比日女命。
宇、、、偉大、天、広大
名、、、国
比、、、魂、霊

日女命、、、日巫女。

宇名比日女命。亦名、大倭日女命。亦云、天造日女命。竹野(タカノ)日女命。日女命。
838日本@名無史さん:2015/02/13(金) 08:36:45.05
>>830 の材料でこの程度の反応しかできないお前らは低能だ。
839日本@名無史さん:2015/02/13(金) 17:00:22.11
754 名前:日本@名無史さん :2015/01/15(木) 00:14:06.15
卑弥呼も邪馬台国も、陳寿の頭の中では明確に特定されてる。
陳寿は、倭国は周旋五千里ばかりとし、邪馬台国は不弥国から南へ水行20日、さらに
南へ水行10日、陸行1月とした。

「そのままだと九州を通り越す」と言う奴は馬鹿。保証する。

天才陳寿は、出鱈目を書いたのではない。
彼の地図に矛盾はない。

水行は、河川交通。
魏志において、河川でなく海の場合は、必ず海と書いてある。
川を遡るのは時間がかかる。江戸時代、川越から日本橋の往復で2週間。
上りが多く、整備されていない川だと、20日で数十kmがやっとだ。

道無き道を歩くのも大変で、1日5kmも進めない。
街道が整備された江戸時代の例から、1日20km進めると言うやつはキチガイ。

陳寿が明確に特定した邪馬台国は、東に海がある。

以上を総合すると、邪馬台国は、大分から宮崎の辺り。
それ以外にはあり得ない。
840日本@名無史さん:2015/02/13(金) 22:53:47.20
>>838

伊勢が箸墓纏向の発祥元かもしれないね。

住居がない墓地や祭祀空間というのは、
日本中見てもちょっと異質だから。

実際伊勢ならわりと近いし。
841日本@名無史さん:2015/02/13(金) 23:11:23.05
某格闘ゲームに登場する、なんとかクリムゾン

正解だよ
842日本@名無史さん:2015/02/13(金) 23:15:55.67
祭祀

・そこから?出て行った人、一族
・行方不明になった人、一族
・その後のどこへ行ったのか
843日本@名無史さん:2015/02/13(金) 23:48:56.56
「スサノオの勝利宣言」

国の神 国民 民主主義。
日本の神話も元々この一族の話なんだよ。
太陽や月を神格化したなんていうのは酷い話が「架空」という意味だから。

その格闘ゲームに登場する「クリムゾン」の設定を調べてみて。
844日本@名無史さん:2015/02/14(土) 00:00:20.77
太陽や月は、アフリカにも昇るんだよ
悪く言うと「猿田」人類、人間の話

スーパーサイヤ人化した姿、または染めただけ
という設定だよ(たぶん)
845日本@名無史さん:2015/02/14(土) 00:36:25.84
基地害4連
846日本@名無史さん:2015/02/17(火) 11:30:41.04
崇神前後の妃が丹後出身が大多数とか、伊勢に祀られている豊受大御神の存在とか、
三種の神器の剣が熱田神宮に祀られていても誰も取り戻そうとはしなくて、
あるのが当然みたいなこととか、怪しすぎるんですよw
天火明命系が元の王統だったんじゃないかと思えるんですよね。
847日本@名無史さん:2015/02/17(火) 15:12:20.48
天皇家がヤマトへ入ってから10代で大王家を乗っ取ったようにも読めるね。
天孫降臨はほんとは天火明命で、一族は近畿周辺に増えていた。
でも、2世紀には範囲が広すぎて増えすぎてた。分家が多く主導権争いで
まとまりにかけていた。
とりあえず卑弥呼を立て、纏向に都を作った
   →前期纏向
尾張の分家が力をつけてまた争いになった→クナ国
トヨを立て、なんとか治まった。
同時に本家を統一した。
   →後期纏向
火明命族に婿入りした天皇家に乗っ取られた
   →崇神天皇以降
848日本@名無史さん:2015/02/22(日) 13:49:39.57
もし>>5とかwww.smjsearch.com/yamatai/shinsou.htmlの作者(同一?)いるならとっくに既出かもしれないが考えて貰いたいのだが。長文失礼と予め言っておく。
まず大変に興味深くはあった。ただ、特に特産品に関して難がある。

まず、大海に関してだが、名称がないことを持って日本列島を認識していなかった証としているが、別の可能性を忘れてはならない。
即ち認識してはいるが単に名称を付けていなかったという可能性。より近い黄海も大海と記述されている以上その可能性を捨てることはできない。

次に倭人伝によれば虎はいなかったとある。しかし秀吉の朝鮮出兵の逸話からしてその付近までは半島内で依然として生息していたと推定される。
いたはずの生物をいなかったと書いたのは何故か。特にこの説に基づけば半島の幅広い範囲を支配している以上いなかったというのは不自然。
849日本@名無史さん:2015/02/22(日) 13:52:06.04
倭人伝によれば丹、青玉が取れたとある。丹は通説に従えば辰砂である。青玉はサファイアの有名な産地が日本にない以上糸魚産の青翡翠と推定される。現に半島からも糸魚産翡翠は出土しているし。
辰砂、翡翠共に半島内では取れない。半島内に比定するならばこの二つを別の鉱石に比定する必要がある。これに対して合理的な説明を与えることはできるか。

朝鮮-対馬間がとてつもなく難しいように書いているが、その時代の中国には既にシリアまで行ける船があった。en.m.wikipedia.org/wiki/Junk_(ship)
沿岸沿にせよシリアまで行ける船があるのにそれより格段に近い日本に行けなかったというのは有り得ない。詰まるところ根拠としては弱すぎる。
そもそも帆船がなく人力でという認識を改めねばならないのだろう。この船を使えば往来は可能であろう。
850日本@名無史さん:2015/02/22(日) 13:54:08.09
持哀に関して航海の記述としては相応しくないと述べているが、はっきり言って訳を別にしない限りそれはどこに比定しようが生じる問題である。
詰まるところ倭人伝の記述が嘘だと言っているのに等しい。むしろ生贄という感の強いこの記述は命懸けで朝鮮-対馬間を往来した証ではないか。

最後に、定説を天動説に準えているが、苦言を呈すならばそれもまた疑似科学の特徴だと言わねばならない。
門前払いされたからか定説を執拗に攻撃する姿勢は、厳しく言えば数多のトンデモ説と同じである。

ざっとまとめるならばこの説に基づけばいたはずの虎がいないという記述、丹、青玉が取れるという記述に関して難がある。
距離とか方角に関しては個人的にはなかなかいい線いっているのかもとも思うのだが。
851日本@名無史さん:2015/02/23(月) 08:59:17.20
日本書紀の登場人物で、もっとも卑弥呼に近い人物は、土蜘蛛。
大和朝廷に滅ぼされた側の人物。

土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─イ、蜘蛛塚 八束脛門へ戻る
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_trip_chikugo_0101.html

大山田女:日本書紀によると、神功皇后が、かつて「山門(やまと)」と呼ばれた
この地の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)を討ったとのことです。また、その兄
である夏羽(ナツハ)が軍勢を従えてやって来たのですが、妹が討たれたと知り、
逃げ去りました。こちらに詳しく書いてあります。
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_01.html#7
852日本@名無史さん:2015/02/28(土) 17:03:43.13
>>
豊玉姫とか豊鍬入姫命とかのトヨで尊称
853日本@名無史さん:2015/03/05(木) 23:12:27.69
卑弥呼の鏡?三角縁神獣鏡、「中国で発見」の論文

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150302-00000001-asahik-soci
854日本@名無史さん:2015/03/06(金) 00:58:16.65
古代史は怨念の巣窟
某地の土蜘蛛はかつては天皇さえ下手に出るほどの勢威を誇り
後には勢力が削られ零落して土蜘蛛とまで辱められて討たれたという
そら祟りも恐れような
855日本@名無史さん:2015/03/06(金) 21:16:36.03
土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─イ、蜘蛛塚 八束脛門へ戻る
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_trip_chikugo_0101.html

大山田女:日本書紀によると、神功皇后が、かつて「山門(やまと)」と呼ばれた
この地の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)を討ったとのことです。また、その兄
である夏羽(ナツハ)が軍勢を従えてやって来たのですが、妹が討たれたと知り、
逃げ去りました。こちらに詳しく書いてあります。
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_01.html#7
856日本@名無史さん