邪馬台国は九州にあった44

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1日本@名無史さん
魏志倭人伝の文献史学により九州説は当然
2日本@名無史さん:2014/07/03(木) 20:02:12.95
スレ番修正
http://www.logs★oku.com/search?q=%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5★%9B%BD%E3%81%AF%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E3%81%AB%E3%8★1%82%E3%81%A3%E3%81%9F&bbs=history
3日本@名無史さん:2014/07/03(木) 20:05:54.84
4日本@名無史さん:2014/07/03(木) 20:13:29.18
「邪馬台国畿内説」徹底批判
http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo97.htm

「邪馬台国畿内説」は、科学的方法によっているだろうか。
あまりにも事実を無視し、推論が恣意的である。
関係のない考古学的事実を、「畿内説」に結びつけ、マスコミ報道にもちこめば成功、という方法をくりかえしている。「検証」がぬけている。
この方法は「旧石器捏造事件」で懲りたはずではなかったか。
事実を、冷厳に直視すれば、邪馬台国時代の畿内は、なお「扁平鈕式銅鐸」の時代である。
「邪馬台国畿内説」は「はじめに畿内説ありき」の思いこみにもとづく共同幻想である。
5日本@名無史さん:2014/07/03(木) 20:14:35.35
崩れつつある「邪馬台国畿内説」
http://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6616.html

畿内大和では最も古いと言われ、卑弥呼の死亡年代の3世紀半ばに築造されたと認定されている奈良県桜井市の「ホケノ山古墳」。
そのすぐ東隣りにある「堂ノ後(どうのうしろ)古墳」は4年前のレーダー探査により前方後円墳であることが分かり、
しかも、ホケノ山古墳の周濠の造成で一部が削り取られているため、ホケノ山古墳よりさらに古い――と、当時、一大発見視された。(ニュース1)
しかし、今年になって桜井市教育委員会の発掘調査で、前方部から「葺き石」と「埴輪」などが見つかり、その製作年代からは5世紀後半であることが確実になった。(ニュース2)
「ニュース2」の産経新聞の記事では、堂ノ後古墳を一部削り取って造成したホケノ山古墳と近くの纏向(まきむく)石塚古墳とを挙げて
<これによって、最古の前方後円墳は、ホケノ山古墳をはじめ、約1キロ北西にある纏向石塚古墳などに絞られることになった。>
と書くが、ホケノ山古墳は記事にもあるように、堂ノ後古墳を削っているのだから、堂ノ後古墳より新しくなければなるまい。
つまり5世紀後半をさかのぼることはない古墳だということがはっきりしたわけで、なぜ「堂ノ後古墳はホケノ山古墳より200年以上新しいことが分かった」とするのだろう。
まだ、「ホケノ山は最古級」という先入観が記者の頭にこびりついて離れないようだ。学問的(客観的)ではない。
6日本@名無史さん:2014/07/03(木) 20:20:49.70
まあ、畿内説は徹頭徹尾、組織的詐欺です。
7日本@名無史さん:2014/07/04(金) 00:39:44.89
どんなに足掻いても九州説はもはや無理。
妬みは見苦しいよw
8日本@名無史さん:2014/07/04(金) 00:56:09.72
足掻かなくても、一方的な畿内説の単独沈没だから、九州説はどこ吹く風。
9日本@名無史さん:2014/07/04(金) 03:17:32.64
>>1
10日本@名無史さん:2014/07/04(金) 07:54:19.59
大国主(オオクニヌシ)、素盞嗚(スサノオ)、天照(アマテラス)について。
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/test230.htm

1.目的と考え方
 日本の古代史を書くにあたっては、権力を勝ち取った体制側の主張である「記紀」への依
 存を従来より少なくし、権力を失った反体制側の主張をより多く採り入れる必要があると
 思う。具体的には、大国主、次いで、スサノオ・物部氏などの主張の採用である。



江南人と日本人:::倭人とは何者か?1
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=184200

江南人と日本人:::倭人とは何者か?2
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=184201



日本古代の体制変化(江南人⇒新羅⇒百済)
http://blog.livedoor.jp/gensenkeijiban-joumon/archives/37329844.html
11日本@名無史さん:2014/07/04(金) 11:33:45.99
纒向遺跡については、「卑弥呼が女王の座についた時期には、盛期を迎えていない『ムラ』の時代だった」と疑問を呈している。
12日本@名無史さん:2014/07/04(金) 15:22:00.01
>>1
13日本@名無史さん:2014/07/04(金) 17:13:49.48
:>>1
14日本@名無史さん:2014/07/04(金) 20:24:43.07
>>7
畿内説の立証をしろ。してから生意気を言え。
15日本@名無史さん:2014/07/04(金) 22:46:43.48
【邪馬台国】纏向・箸墓古墳vs西都原古墳群 どう考えても畿内なのになぜ九州はここまで強情なのか
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1404450598/
16日本@名無史さん:2014/07/04(金) 22:50:33.16
さらに邪馬台国時代である三世紀に作られたとされる畿内の古墳について、さまざまな傍証から成立年代をさかのぼり過ぎと指摘。
17日本@名無史さん:2014/07/04(金) 22:53:33.91
神話にでてくる地名の統計をとったものです。そうすると九州の地名が一番たくさん出てきます。
「古事記」神話には畿内の地名もいくつか出てきます。しかし、その地名をていねいに調べてみますと、本来の畿内の地名はひとつも出てきません。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm
18日本@名無史さん:2014/07/04(金) 23:34:04.06
安本教授の指摘は、まだ終わったわけではないのだ。
なんと、夜須町と大和郷の間で見られるような地名の一致が、北九州と南九州の間に、そして、南九州と近畿の間にも見られるという。
わかりやすく相対表を作成すると、次のようになる。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1541/yamato3.html
19日本@名無史さん:2014/07/05(土) 06:22:16.41
ちょっと待て
畿内説は別に神武東征を必ずしも否定してないんじゃないか
記紀に忠実であり、父子継承の記録を安本氏のように否定してないだけで

つまり安本説は記紀の記録を改ざんして成立しているんだよ
20日本@名無史さん:2014/07/05(土) 06:34:10.95
畿内説はどう時間をいじってさかのぼっても、
同時代に畿内にも人の集落があった、というレベルの話にとどまる。

倭人伝の関係は殆ど無い。
21日本@名無史さん:2014/07/05(土) 13:40:34.85
九州邪馬台国
22日本@名無史さん:2014/07/05(土) 17:54:00.41
「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!
http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo99.htm
23日本@名無史さん:2014/07/05(土) 18:10:14.86
これも売れないだろうな
24日本@名無史さん:2014/07/05(土) 18:25:11.14
安い本は商品戦略的に言って、題名で既にコケていると思う
25日本@名無史さん:2014/07/05(土) 18:38:02.55
安い本は見苦しいんだよな。
26日本@名無史さん:2014/07/05(土) 18:57:55.04
安本の本って再版されるようまロングセラーがないね
27日本@名無史さん:2014/07/05(土) 18:58:51.73
しか
28日本@名無史さん:2014/07/05(土) 19:03:06.52
>>20
無知まるだし
29日本@名無史さん:2014/07/05(土) 22:29:18.03
邪馬台国畿内説は妄想の塊
非論理的で説得力0
マスコミを使って幾ら宣伝しても3割の支持も得られない。
30日本@名無史さん:2014/07/05(土) 22:51:16.08
空襲で行方不明になった地主たちが、いつのまにか朝鮮語訛りになって現れた。
顔が前の地主たちと全く違うし、目が釣りあがって頬骨が突き出しているし、
唐辛子を山のように買い込んで、キムチを大量に作っているのはなぜ?
どうして駅前でパチンコ屋と焼肉屋を経営しているの?なにかおかしいと思って
出自を訊いても、先祖代々畿内に住んでいる戸籍どおりの日本人なのだという。

なのにこの地主たち、どういうわけか済州島に親戚がたくさんいるという。
そんな地主が、我が先祖こそ邪馬台国の子孫だ、と言いながら、
畿内説を熱烈に支持しているはどういうこと?
31日本@名無史さん:2014/07/05(土) 22:59:44.64
>>30
残念ながら日本終了っつう事だ。
除鮮は中共がやるだろ。
32日本@名無史さん:2014/07/06(日) 06:58:13.57
>>3
次スレは45でよろしく
33日本@名無史さん:2014/07/06(日) 09:52:16.44
女性リーダー入門: 卑弥呼・光明皇后が贈る、現代女性たちへのアドバイス
大川隆法
幸福の科学出版, 2011 - 155 ページ
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キャリアも、女性の幸福も...。自己実現の先にある理想の生き方について、
日本の歴史のなかでもっとも有名な女性リーダーからのアドバイス。
「邪馬台国九州説」を裏づける卑弥呼の霊言。
34日本@名無史さん:2014/07/07(月) 14:26:07.04
山東(やまとう)
35日本@名無史さん:2014/07/07(月) 14:30:27.82
36日本@名無史さん:2014/07/07(月) 16:09:07.25
ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう
37日本@名無史さん:2014/07/07(月) 18:29:11.09
つか古代の海のシルクロードの広さってすげえな〜
地中海の辺は知らないがサータバーハナ朝とかとも
つながりあるしほとんどユーラシア南部つながって
るぜ
38日本@名無史さん:2014/07/08(火) 16:32:11.28
>>4
これ
39日本@名無史さん:2014/07/08(火) 16:47:28.22
>>30
同じような話だな

家の近所も「半島に親戚がいる(祖父母世代が半島の人)」ばかり
40日本@名無史さん:2014/07/08(火) 16:51:43.57
黒曜石がでてる事実は変わらん
つか畿内なんか素直に読み解けば物部ルートが紀伊あたりに
存在したことが分かるわ
そこから阿波、石見方面に鏡が広がってるしな
41日本@名無史さん:2014/07/08(火) 16:52:35.59
半島とやらに縁があるやつらが暴れているだけさね
42日本@名無史さん:2014/07/08(火) 16:52:39.53
39は川崎の話、神奈川県川崎
43日本@名無史さん:2014/07/08(火) 16:55:02.86
ほんとにどうしようもないだろこいつら
44日本@名無史さん:2014/07/08(火) 17:21:10.19
火事場泥棒か「私たちの先祖が日本を作った」と
無理に道祖論に持っていくか。

聞くと、3〜4世代前なのに言葉が通じなかったり、おかしな話ばかり。
45日本@名無史さん:2014/07/08(火) 21:23:35.27
北朝鮮を退化させ
更に劣化させて悪化させると朝鮮になる
46日本@名無史さん:2014/07/08(火) 21:25:36.08
朝鮮は地上の楽園
異論は認めない
これがコリアン遺伝子
47日本@名無史さん:2014/07/08(火) 21:38:08.44
うーん
48日本@名無史さん:2014/07/08(火) 21:38:45.93
どこ?
49日本@名無史さん:2014/07/09(水) 13:28:03.87
結論出た?
50日本@名無史さん:2014/07/09(水) 17:21:11.09
>>35
畿内説を主張してる人は一部の変人だけなのが分かるな。
51日本@名無史さん:2014/07/10(木) 09:10:02.91
https://www.youtube.com/watch?v=ZrfaHCQAJos
徳之島説もあるのかぁ
可能性0の畿内トンデモ説よりは有り得る
52日本@名無史さん:2014/07/11(金) 02:48:41.63
語れ
53日本@名無史さん:2014/07/11(金) 13:48:15.16
九州邪馬台国
54日本@名無史さん:2014/07/11(金) 21:46:50.59
△九州説
○九州確定
55日本@名無史さん:2014/07/12(土) 19:54:59.94
誰だよ、よーく考えもせずにこのスレを建てた人は。九州説39のほうがずー
っとカキコが多いじゃないか。
56日本@名無史さん:2014/07/12(土) 23:08:57.28
魏志倭人伝は
『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑 東夷伝倭人条の略称である
三国志さえ、不可解な点が多く指摘されているし創作性も多分にある。
その、末端の第30巻烏丸鮮卑 東夷伝倭人条になぜ固執するのかわからない。
現実ある天皇陵の発掘したほうが歴史は見えてくる。
57日本@名無史さん:2014/07/12(土) 23:24:07.79
邪馬台国スレで魏志倭人伝を否定するバカ
他のスレいけばいいじゃん
58日本@名無史さん:2014/07/13(日) 08:54:26.07
>>56
邪馬台国、卑弥呼、台与、一大率、径100歩の墓、親魏倭王の金印、使節派遣、
魏使の来朝、南国風の風習、文身、対馬や壱岐の地理、これらはすべて魏志
倭人伝からもたらされた情報だ。何?、考古学がどんな情報をもたらしたっ
て?。邪馬台国を論じる者はまず倭人伝を信じ、倭人伝を研究なさい。考古学
で発掘した3世紀の遺跡、遺物に字が書いてありまっか。出てきた物を単に
推量・推測しているだけじゃないか。考古学の成果なんぞ学問と違うぞ。
59日本@名無史さん:2014/07/13(日) 09:24:03.04
素人くせー
60日本@名無史さん:2014/07/13(日) 09:27:45.92
>邪馬台国を論じる者はまず倭人伝を信じ、

宗教ですね
61日本@名無史さん:2014/07/13(日) 11:53:18.61
文字の無い所に歴史はない
62日本@名無史さん:2014/07/13(日) 12:55:45.17
>>61

インカ文明抹殺されました・・・
63日本@名無史さん:2014/07/14(月) 00:51:32.82
>>56
東夷伝倭人条以外のどこに邪馬台国の情報があるんだ?
馬鹿じゃないのか?
64日本@名無史さん:2014/07/14(月) 10:36:42.87
>>58
倭人伝のなかでも径100歩の墓の記述だけは使える
九州か畿内か、どちらかに跡が残されていたのならだけど
あとは日本では確かめようがないから使えない
65日本@名無史さん:2014/07/14(月) 10:39:06.58
同じスレがあるけど
こちらをあげ
66日本@名無史さん:2014/07/14(月) 11:06:13.77
九州説の混迷ぶりを物語るようです
67日本@名無史さん:2014/07/14(月) 13:05:32.28
だからこちらの九州説スレをあげ
向こうはあげなくとも良い
68日本@名無史さん:2014/07/15(火) 05:54:31.07
>>64
>倭人伝のなかでも径100歩の墓の記述だけは使える

どちら?

100歩≒23m
or
100歩≒145m
69日本@名無史さん:2014/07/15(火) 06:22:18.67
径23mの円墳だと、
吉野ケ里の北墳丘墓と、糸島平原の方形周溝墓の
中間くらいの大きさだね。
70日本@名無史さん:2014/07/15(火) 06:43:52.62
>>68
当時の公の記録に残された基準に合わせるしかないだろう
100歩≒145m
71日本@名無史さん:2014/07/15(火) 06:50:20.52
公には記録が残されていないけど、実は正規から外れた短い単位があったかもしれないよ
100歩≒23m
72日本@名無史さん:2014/07/15(火) 07:00:19.50
ウキベディアより抜粋
歩 (尺貫法) - Wikipedia

中国[編集]
長さとしての歩は、古代中国の周代に制定された。右足を踏み出し、
次に左足を踏み出した時の、起点から踏み出した左足までの長さ
(現代日本語でいう「2歩」)を「1歩」とする身体尺で、
約 1.35 m(面積は 1.822 m2)だった。
実際の1歩の長さは時代によって異なる[1]。秦・漢では6尺と定義
された。当時の尺は約23cmであり、1歩は約1.38m(面積は 1.9 m2)
となった[2]。その後、尺の長さが伸びるのに比例し従い歩の長さも
伸び、隋代には約 1.77 m(面積は 3.14 m2)となった[2]。
唐代には5尺、つまり約 1.56 m(面積は 2.42 m2)となった[3][2]。
ただしこれは、歩の長さ・面積が変わったというよりは、尺が伸びた
ことに対し歩を変えないようにした結果だとする説もある[4]。
唐の大尺は小尺の1.2倍なので、大尺5尺は小尺6尺に等しくなる。
清までこの5尺の歩が使われた。1915年の権度法では、
1歩 = 5尺 = 1.6m としている。面積の単位としては定義されていない。
1929年に定義された市制には「歩」は存在しない。長さについては尺の
上は丈(10尺)であり、面積についても「畝 - 分 - 厘 - 毫」という
十進法的な単位系を使用する。
73日本@名無史さん:2014/07/15(火) 07:01:04.64
>>72続き
日本[編集]
日本では伝統的に長さとしては6尺、面積としては6尺平方である。
つまり、長さとしては1間、
面積としては1坪に等しい。1891年の度量衡法によるメートル法換算
では面積の単位としてのみ定義されており、
400⁄121 m2 = 約 3.305 785 124 m2 になる。

朝鮮[編集]
朝鮮の距離測定では通常より短い「周尺」という約20cmの尺を基準にし
ていた[5]。1歩は周尺で6尺にあたり、従って1.2mになる。
1909年に日本の尺貫法に基づいた度量衡法が行われるようになった。
1964年に度量衡はメートル法に統一され、歩は使われなくなった。
現在「歩」と言った場合、日本式の1.8mの歩を意味することが多いが、
分野によって1.2mを意味することもある。
74日本@名無史さん:2014/07/15(火) 07:29:19.99
どうして同じスレが並行してあるの?
75日本@名無史さん:2014/07/15(火) 16:39:20.66
>>69
>径23mの円墳だと、
>吉野ケ里の北墳丘墓と、糸島平原の方形周溝墓の中間くらいの大きさだね。

久留米高良山の祇園山古墳が径23mの方形墳墓です。
76日本@名無史さん:2014/07/15(火) 17:19:17.58
商殷周時代の「尺」と「歩」

「尺」は物の大きさを測る時の単位。
握りこぶしをして、親指とひとさし指だけを広げたときの両指先間の長さ。
その時の手指の形が「尺」の字を表している。
1尺≒16cm
周公の時に、1尺≒23cmに変更。

「歩」は土地の大きさを測る時の単位。
踵から指先までの足の長さ。10歩を歩けば2.3mになる。
日本では1950年代でも農家では簡易的に日常使われることがあった。
1歩≒23cm
300歩=1里(周髀算經・・BC12世紀の数学天文学の知見が書かれている)
77日本@名無史さん:2014/07/15(火) 17:46:43.79
>>76
出典を示すべきじゃね
78日本@名無史さん:2014/07/15(火) 22:03:15.95
>>74
九州説が畿内説の2倍すぐれているからだよ。
79日本@名無史さん:2014/07/15(火) 22:32:41.07
トンデモ説に出典なし
80日本@名無史さん:2014/07/15(火) 23:16:31.05
禾稲(いね)、紵麻(からむし。イラクサ科の多年草。くきの皮から 繊維をとり、糸をつくる)をうえている。蚕桑し(桑を蚕に与え)、糸 をつむいでいる。
細紵(こまかく織られたからむしの布)・絹織物、綿織物を(作り)だしている。
81日本@名無史さん:2014/07/15(火) 23:17:57.53
倭の地は温暖で、冬も夏も・生(野)菜を食する。みな徒跣(はだし)である。 屋室があり、父母兄弟で、寝所を別にしている。
82日本@名無史さん:2014/07/15(火) 23:18:29.72
(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。
83日本@名無史さん:2014/07/16(水) 01:47:21.92
窮すると読経
84日本@名無史さん:2014/07/16(水) 08:43:34.87
>>77
>出典を示すべきじゃね

周髀算經
 *BC12世紀の数学と天文学の知見が書かれている。
 *周公(旦と推定される)の時に周髀算經原著が書かれている
 *周髀算經には「尺」と「歩」関係が示されていない。

周公旦は1尺≒23cmと定めている。
 商殷制の「度」から周制の「度」への変更。
 「歩」は商殷制を継承。
 周公旦は、1歩=1尺と定めたようである。
85日本@名無史さん:2014/07/16(水) 08:45:55.42
それ出典じゃないし
86日本@名無史さん:2014/07/16(水) 08:53:49.27
>>84
だからあんたの考えはいいから
出典を示して
87日本@名無史さん:2014/07/16(水) 09:30:43.92
>>85-86

周髀算經
論語
周の一尺笛発見
88日本@名無史さん:2014/07/16(水) 10:48:34.78
だから出典は?
89日本@名無史さん:2014/07/16(水) 10:53:53.18
それ、出典だろ
90日本@名無史さん:2014/07/16(水) 10:57:57.78
だから

> 商殷制の「度」から周制の「度」への変更。
> 「歩」は商殷制を継承。
> 周公旦は、1歩=1尺と定めたようである。

の出典は?
91日本@名無史さん:2014/07/16(水) 11:00:50.35
三国魏時代に「一寸千里」の実測はなかった。
古代中国に「短里」の制度はなかった。
「一寸千里」は単に「七衡図」作成に必要な縮尺を示しているに過ぎなかった。
であった。

よって『周髀算経』のキーワード「一寸千里」に基づく「短里」説は成立せず、否定されたのである。
中国四千年の歴史時代を通して、中国には「短里」という制度はおろか、その概念さえも無かったのである。
92日本@名無史さん:2014/07/16(水) 11:04:48.43
周髀算經のどこに
1歩=1尺
の記録があるの?
93日本@名無史さん:2014/07/16(水) 11:35:56.21
>>90
> 周公旦は、1歩=1尺と定めたようである。

だから、どこに書いてある?
94日本@名無史さん:2014/07/16(水) 11:49:57.80
今のところ二次情報でしか短里の痕跡はないが、
数値が絡む部分は1/6すると、
恐ろしいほどに全てが一致する。

逆に公里を使用すると、全てが一致しない。

ただし、なぜそんな数値を用いたのかは、
筆者にでも聞かない限り分からない。
95日本@名無史さん:2014/07/16(水) 12:02:31.31
>>94
筆者が間違ったんだろう
96日本@名無史さん:2014/07/16(水) 12:41:18.09
むしろ、魏志倭人伝こそ短里の証拠。
97日本@名無史さん:2014/07/16(水) 12:44:20.15
>>90>>92-93
部分をピックアップしてここですという証拠でなく、全体としてそう読めだろ。
98日本@名無史さん:2014/07/16(水) 14:39:55.98
>>97
証拠がなければ没
全体としてそう読めないから
99日本@名無史さん:2014/07/16(水) 15:38:14.32
>>97

>>90-93は、直接的単純証拠以外は認めない見方しかできない単純脳なのだ。

AはBに含まれ、BはCに含まれる場合。
>>90-93は、AはCに含まれることが理解できないのだ。

周髀算經には、BC1130年からBC1100年頃の数学と天文学に関する知見が書かれている。
直接思考の単純脳には上記が理解できない。

BC1130年からBC1100年頃の数学と天文学に関する知見を基に、
1里の長さを求めると、1里≒76mとなる。
周髀算經では、1里=300歩とあるから、1里≒76mは1歩≒25cmとなる。
100日本@名無史さん:2014/07/16(水) 15:45:42.87
>>99
>>90-93は、直接的単純証拠以外は認めない見方しかできない単純脳なのだ。

当たり前だ
解釈妄想厳禁!
論争はあなたの考えてるように甘くない
厳しく行きましょう
101日本@名無史さん:2014/07/16(水) 15:52:37.24
結果が一致するというのも単純な証拠だよ。
万有引力の法則なんて、結果は正しくても
重力が発生する根拠は当時は無いからね。
102日本@名無史さん:2014/07/16(水) 16:31:59.67
卑弥呼の墓がどれだか決定してないのに
結果も糞もあるかよ
103日本@名無史さん:2014/07/16(水) 16:34:34.92
てか一致してないじゃないかよ
カス
104日本@名無史さん:2014/07/16(水) 16:39:51.94
先ずは妄想解釈なしの正確な説明

歩 (尺貫法)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A9_(%E5%B0%BA%E8%B2%AB%E6%B3%95)
実際の1歩の長さは時代によって異なる[1]。秦・漢では6尺と定義された。
当時の尺は約23cmであり、1歩は約1.38m(面積は 1.9 m2)となった[2]。
その後、尺の長さが伸びるのに比例し従い歩の長さも伸び、
隋代には約 1.77 m(面積は 3.14 m2)となった[2]。
唐代には5尺、つまり約 1.56 m(面積は 2.42 m2)となった
清までこの5尺の歩が使われた。1915年の権度法では、1歩 = 5尺 = 1.6m としている
105日本@名無史さん:2014/07/16(水) 17:10:02.57
>>104

1里≒76mを妄想解釈とするなら、上記の「歩 (尺貫法)」も妄想解釈となる。
106日本@名無史さん:2014/07/16(水) 17:15:03.33
>>105
解釈じゃない
事実をそのまま列挙してるだけ
誰が調べても結果は同じ
107日本@名無史さん:2014/07/16(水) 17:23:50.89
丈尺寸は度量衡で定義され、10倍ごとになっている。
歩里は度量衡では定義されておらず、時代で換算値が変化する。
108日本@名無史さん:2014/07/16(水) 17:44:25.94
出典は?
109日本@名無史さん:2014/07/16(水) 18:57:26.86
110日本@名無史さん:2014/07/16(水) 21:44:15.75
>>106

上記「歩 (尺貫法)」が事実そのままの列挙なら、
1里≒76mも事実そのままの列挙である。
111日本@名無史さん:2014/07/16(水) 22:49:30.06
ヒント  裸足 海産物 生野菜 絹 柵 鉄の鏃
112日本@名無史さん:2014/07/16(水) 22:56:41.53
1/6なのは九州脳だろうw
113日本@名無史さん:2014/07/16(水) 23:12:59.53
短里=約76mは、否定のしようがない事実だ。
まあ、畿内説は詐欺だから、自説以外はとことん否定するわけで。
114日本@名無史さん:2014/07/17(木) 02:33:38.45
邪馬台国 九州周旋説
http://ameblo.jp/y52yd/
115日本@名無史さん:2014/07/17(木) 07:18:21.29
>>110
どこに書いてあるんだよ
苦しいからって嘘いうなよ
116日本@名無史さん:2014/07/17(木) 10:50:18.10
>>115
おまえは「周髀算經」を読めないようだな。

「周髀算經」を読みきるには、古漢文の読解能力以外に、
21世紀現在の数学と天文学(&地球物理)の知識がないと無理だ。
117日本@名無史さん:2014/07/17(木) 11:21:02.82
周髀算經には、1里≒76mなんて算出できるデータは書いてないね
118日本@名無史さん:2014/07/17(木) 11:34:28.98
しかし結論はそうなる。
119日本@名無史さん:2014/07/17(木) 11:40:29.84
一寸千里の法、は計算するためのデータだと思うが。
120日本@名無史さん:2014/07/17(木) 11:47:03.26
>>118
1人で頑張っていても
変人扱いされておしまいではなかろうか
121日本@名無史さん:2014/07/17(木) 12:08:57.73
「一寸千里の法」だけでは、「周髀算經」を読めたことにはならない。

「周髀算經」に列挙されている数値は、単なる計算するためのデータにしか見えない。
122日本@名無史さん:2014/07/17(木) 12:20:16.64
「周髀算經」に列挙されている数値というデータで当時の千里が定義され、
現代の地球の大きさから、現代の距離単位に換算することが可能である。
123日本@名無史さん:2014/07/17(木) 12:27:22.61
>>120
その言葉、そっくりそのまま返してあげるよ。
124日本@名無史さん:2014/07/17(木) 12:48:12.89
世界の大きさ関する古代思想なんて現代に適用してもデタラメな数値が出てくるだけだわ
125日本@名無史さん:2014/07/17(木) 12:52:40.91
計量史的にも中国史的にも、もちろん国際的にも相手にされてない
古田派という圧倒的少数派でだけ信奉されている短里説が
変人扱いされておしまい
だったのではなかろうか
126日本@名無史さん:2014/07/17(木) 12:58:34.36
>>124
デタラメな数値と思う時点で、浅薄である証拠。
127日本@名無史さん:2014/07/17(木) 13:17:49.14
一寸千里の法は、当時の首都の一つである洛陽付近においては、
今でも通用する観測法である。
128日本@名無史さん:2014/07/17(木) 15:13:51.16
周髀算經のどこに
1歩=1尺
の記録があるの?
129日本@名無史さん:2014/07/17(木) 15:13:54.75
そんな観測した人は史上一人もいないけどな
130日本@名無史さん:2014/07/17(木) 15:30:15.72
>>128
そう主張している人がいると断定した根拠は?
131日本@名無史さん:2014/07/17(木) 15:37:09.68
そうだよね
周髀算經に
1歩=1尺
の記録なんてないよね
司法上は証拠にはならない
132日本@名無史さん:2014/07/17(木) 15:42:55.39
結局、古田信者は
世間、一般社会で通用しない理屈を喚いているだけなんだよね
133日本@名無史さん:2014/07/17(木) 17:34:08.48
>>130
根拠は>>84
134日本@名無史さん:2014/07/17(木) 17:47:55.88
>>133
83は決め付けていないだろ。推定しただけ。
で、確実な証拠は?
135日本@名無史さん:2014/07/17(木) 18:21:57.52
>>134
だから、そう主張している人がいると断定できる確実な根拠は>>83
136日本@名無史さん:2014/07/17(木) 18:26:32.08
・・じゃなかった>>84
137日本@名無史さん:2014/07/17(木) 23:27:04.52
>>134
推定なんて意味がない
生産性のない事を言ってもしょうがない
138日本@名無史さん:2014/07/17(木) 23:45:13.98
周髀算經では、1歩≒25.3cm 商殷周の歩。

周公旦のときに、1尺≒16cm(商殷尺)を1尺≒23cm(周尺)に改定した。

以上により、周公旦の時に1歩=1尺と「度」の改定をしたと推定される。
周髀算經では1尺の長さはわからない。
139日本@名無史さん:2014/07/18(金) 10:05:06.87
根拠なしの妄想
140日本@名無史さん:2014/07/18(金) 11:01:42.16
>>138
周髀算經では、1歩≒25.3cm 商殷周の歩。

これ何?
141日本@名無史さん:2014/07/18(金) 13:32:28.56
「周髀算經では、1歩≒25.5cm 商殷周の歩」ですね。
142日本@名無史さん:2014/07/18(金) 15:55:07.33
>>141
どこに書いている?
143日本@名無史さん:2014/07/18(金) 16:26:23.71
一寸千里の法で実測したらそうなったって話だろう
144日本@名無史さん:2014/07/18(金) 16:28:30.45
ならないよ
大嘘
145日本@名無史さん:2014/07/18(金) 19:59:24.20
九州説は今一天皇との関係が不鮮明だと思う。
146日本@名無史さん:2014/07/18(金) 20:03:10.75
九州説は
天皇、朝廷は認てるものの、邪馬台国と朝廷との空白が解き明かされてない。
朝廷東遷説だと無理があるし・・・・天皇渡来人を肯定するならわかるけどーーー
147日本@名無史さん:2014/07/18(金) 20:04:02.47
九州も畿内も天皇へのタブーが多すぎ。
148日本@名無史さん:2014/07/18(金) 20:34:19.15
本当の天皇なんて、実際には天武か持統天皇あたりからだろ。
卑弥呼と天武・持統とをどう繋げろと?
149日本@名無史さん:2014/07/18(金) 22:56:01.59
ここか
150日本@名無史さん:2014/07/18(金) 23:32:42.19
>>142
>>「周髀算經では、1歩≒25.5cm 商殷周の歩」ですね。
>どこに書いている?

@「周公問於商高曰」巻上のところ・・周髀算經の要旨
A「陳子說之曰」巻上のところ・・・・一寸千里の法
B「欲知北極樞」巻下のところ・・・・時期はBC1130年からBC1100年頃

BC1115年の地球物理に基いて一寸千里の法を計算すると、
1里≒76.4m(北緯35.14度)になり、1歩≒25.5cmとなる。

一寸千里の法の観測地点は現在の商丘付近と推定される。
現在の洛陽付近での観測は不可能である。
151日本@名無史さん:2014/07/19(土) 00:51:00.40
また周髀算經とかやってんのか
馬鹿だろ
152日本@名無史さん:2014/07/19(土) 03:24:28.90
原文出回ってるからね、みんな、そんなこと書いてないの知ってるよ
153日本@名無史さん:2014/07/19(土) 07:18:24.91
邪馬台国=魏志倭人伝10割
よって
邪馬台国=九州
               証明終)
154日本@名無史さん:2014/07/19(土) 07:31:25.37
>>151-152
原文出回っていてもね、みんな、そんなこと理解する知能がないの知ってるよ

馬鹿は君たちだろ
155日本@名無史さん:2014/07/19(土) 07:54:48.90
倭人伝で一番無理があるのが九州説だからな。
156日本@名無史さん:2014/07/19(土) 08:01:54.89
九州説なんてやってる輩は誰ひとりまともに漢文なんて読めやしないのに
どうしてそんな自信があるんだろう
157日本@名無史さん:2014/07/19(土) 08:21:12.58
南を「東」に変換する漢文読みが何か言ってるwwww
158日本@名無史さん:2014/07/19(土) 08:53:20.47
まぁ現に方角間違いな地図が存在してるけどな。
159日本@名無史さん:2014/07/19(土) 08:59:29.77
ますますの阿呆だ
実際に訪問した土地で東を間違えると思ってるの
どんだけ低能なのw
160日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:14:09.58
陳寿が訪問した訳でもなかろうに
161日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:14:17.70
隋書倭国伝だと
「竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。」
完全に東という認識
もちろんこの時期は機内の事

南を東に誤認していたと言うが隋の時代には完全に東と認識していた
隋の時代のヤマトは九州北部の東に有った。これは間違いない
つまり地図は根拠にならない

魏の時代は邪馬台国は九州北部も南に有あった
162日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:15:27.73
現実を認められないのが九州脳だな。
実際に訪問した場所が何故か日数表記とかw
163日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:19:05.00
>>162
隋書では使者は機内に訪問したけど
日数表記だよ
何を言いたいのw
164日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:22:17.68
隋書によるなら邪馬台国は大和だと明記済み。
また倭人は里数を日数で測るともあるので、
倭人伝の行程は倭人からの伝聞距離だとなる。
165日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:28:38.88
隋書ではヤマトなんて音の地名はなく、
秦王国に行ったんだよ。
166日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:32:53.84
秦王国なら四国や瀬戸内。畿内山城付近もそうで、
どちらにせよ東に向かっているからな。
167日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:38:55.75
秦氏

秦氏(はたうじ/し)は、「秦」を氏とする氏族。東漢氏などと並び有力な渡来系氏族である。

『隋書』には、風俗が華夏(中国)と同じである秦王国なる土地が日本にあったことが紹介
されており[14]、これを秦氏と結び付ける説もある[15]。

歴史

日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。
大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)
や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、摂津国豊嶋郡など各地に土着し、土木や養蚕、
機織などの技術を発揮して栄えた。アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)説話のある地域は秦氏の居住
地域と一致するという平野邦雄の指摘もある[17]。難波津の西成・東成郡には秦氏、三宅氏、
吉氏など新羅系の渡来人が多く住み、百済郡には百済系の渡来人が住んだ[18]。
168日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:52:26.01
>>159
お前らは伊都国への方角を読み替えてるだろう
169日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:55:01.50
>>168
ますますの阿呆だ
古代だぜ 誤差は出てくるだろう
どんだけ低能なのw
170日本@名無史さん:2014/07/19(土) 09:56:44.38
隋書は6世紀だし、筑紫から東とかかれていて、
東の国に行くのは問題ない。

南と書かれていて、東に行くのはアホだが。
171日本@名無史さん:2014/07/19(土) 11:51:49.69
南と書かれていて、東に行くのはアホだが。

東南と書かれていて、東北に行くのもバカだが。
172日本@名無史さん:2014/07/19(土) 12:11:31.87
うむ
173日本@名無史さん:2014/07/19(土) 12:37:05.35
方角拘るなら、そもそも倭人伝には
壱岐から「南」に行くなんて書かれてもいないのだが。

この時点で「東」に行ってる可能性もあるんだよw
174日本@名無史さん:2014/07/19(土) 13:08:49.25
>>173
半島から対馬 千余里
対馬から壱岐 千余里
壱岐から対岸 千余里

東にに行ったとしても九州より外は有り得ない
175日本@名無史さん:2014/07/19(土) 13:32:05.16
箱庭さんだ、箱庭さんがいる
176日本@名無史さん:2014/07/19(土) 13:38:17.47
距離、方角とも大ざっぱなのには変わりない。
177日本@名無史さん:2014/07/19(土) 16:51:42.23
從郡(徳積島)から珍島を経て北岸狗邪韓國(巨済島南岸)  循海岸水行七千餘里

半島(巨済島南岸)から対馬北岸  始東渡海千余里

対馬北岸東岸  循海岸水行八百餘里

対馬磐原から壱岐若宮島  南渡海千余里

壱岐北岸東岸  循海岸水行六百里

壱岐原の辻から唐津中原  南渡海千余里
178日本@名無史さん:2014/07/19(土) 20:39:19.62
国土地理院の測量地図で、壱岐の上にコンパスの芯を立て、対馬までの距離を
採って、九州沿岸に半円を描くと、宗像市のあたりで海岸線とクロスする。つ
まりこのあたりが壱岐から千里の地点だ。しかも邪馬台国の頃、壱岐から神湊
には「海北の道中」という航路が確立していたことが知られている。邪馬台国
の研究はここから考え直すべきだね。
179日本@名無史さん:2014/07/19(土) 23:55:36.97
魏志倭人伝の文献史学により九州説は当然
180日本@名無史さん:2014/07/20(日) 04:05:17.05
やまとは九州邪馬台国のパクりです
中国と公益の継続性を狙って
181日本@名無史さん:2014/07/20(日) 07:57:17.38
隋の時代に行ったのは秦王国
やまとはまだ無い。
182日本@名無史さん:2014/07/20(日) 09:42:19.29
なぜ畿内にあったと妄想出来るのか
183日本@名無史さん:2014/07/20(日) 13:24:50.32
負け組の泣き言恨み節スレかww
184日本@名無史さん:2014/07/20(日) 13:30:45.25
ちょっと神社関係の元になってるのがその戦国時代の負け組の話が多いの話し合おうか?
185日本@名無史さん:2014/07/20(日) 13:33:58.97
中国と公益とか語ってるの中国人や企業の奴ら以外で誰がいるんだよ
186日本@名無史さん:2014/07/20(日) 20:59:07.08
やじりに限らず、鉄の刀、剣、矛、刀子(ナイフ)も同じように分布している。
絹製品を取り上げても全く同じ。魏志倭人伝には邪馬台国で絹製品を作っていたと書いてあるが、絹が出土した遺跡の分布状況を見ると、鉄製品と同じだ。
http://www3.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/004.htm
187日本@名無史さん:2014/07/21(月) 00:51:50.43
マルチ死ね
188日本@名無史さん:2014/07/22(火) 09:16:28.44
日本書紀以前の書物は焚書に次ぐ焚書されてる
189日本@名無史さん
おいw 先にこっち↓を消化しろよな
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1395126637/l50