目下のところ、古田説派の言ってることはウソ情報と根拠なき言い張りだけ
>>951 未来ならともかく、将来ではないな
そんな時代はいまだ来ず。であって、将に来たる、ではないんだから。
そして通説支持は不勉強じゃなく{普もしくは富}勉強で九周支持は偏勉強だな。
954 :
日本@名無史さん:2014/07/13(日) 15:04:33.80
通説は集団妄想だ
古田氏を中傷するのではなく
謙虚に真実を探求しなければならない。
古田支持派は集団被害妄想だ
通説を無視するのではなく
謙虚に歴史学の方法論を学ぶべきだ
>>934->935
>>949-950 旧唐書百濟伝には「其地自此爲新羅及渤海靺鞨所分 百濟之種遂?」という記述がある。
(その地はこれより新羅及び渤海靺鞨の分つ所となり、百済の種は遂に絶つ。)
百済の王統が遂に絶えた、としか読めないような気がするんだが?
それとも、このあとも百済の王統が新羅にでも続いたのかな?
>>956 「遂?」は「遂絶」。
コピペだから出ない字があってごめんね。
>>947 それぞれ限定して書いてくれればいいよ。
959 :
日本@名無史さん:2014/07/14(月) 00:48:26.88
同じ旧唐書百濟伝に
「二十二年、又破其十余城。数年之中、朝貢遂絶。
高宗嗣位、永徽二年、始又遺使朝貢。」
ってのがあるんだよ
AHO
960 :
日本@名無史さん:2014/07/14(月) 00:50:11.84
ってか、それ以前に
>旧唐書倭国伝と日本伝。
>このうち倭国伝は、最後に途絶えたと書かれている。
なんて事実はないんだがね
AHO
>>959 「朝貢遂絶」の次の文に「始又遺使朝貢」があるから「遂」が継続の意味だっていいたいの?
朝貢が終わった、又始まった、というだけのことで、文として一続きでもないし、「遂絶」と「始又」がセットの構文になってるわけでもない。
なんの例として出したんだ?
そもそも、「百濟之種遂絶」を百済の滅亡以外の解釈をする人を知らないが、いるなら教えて欲しい。
>>960 それ、僕の書き込みじゃないんだ。
妄想に耽って区別がつかないなんてことはないだろうが、念のためにいっとくね。
ついでに注意しとくけど、素人が専門家の真似をして断言するのはみっともないもんだよ。
963 :
日本@名無史さん:2014/07/14(月) 09:05:26.99
「遂絶」は最終を意味しない(中断のときも使う)って事実に決まってんじゃん
>>963 でも、「百濟之種遂絶」は最終だし、「朝貢遂絶」も、再開を前提とした文というわけでもないだろ?
遂にって文字が、日本語の現代用法と全く違う意味で、長期継続とか現在まで継続とかの意味で用いられるので、
「ついに」っていう読み方が不適切なだけっぽい
「最後には」とか「とうとう」などと訳すのが誤訳
964は誤訳に基づいた勘違いの典型
>>965 そうなの?
それだと、「百濟之種遂絶」はどう訳すべきなの?
難しい文章だからゆっくり考えとくわ
そのほうが、簡単そうに考えて誤訳を量産するよりは、はるかにマトモな対応のはずだ。
「遂」という字の元の意は、道を行く、だそうだ。
のぎへんのついた字の意が借用されて、穂が秀でる意になり、転じて成し遂げるの意にも使われるようになったという。
中国語での意味は知らないが、字義からは、ただ物事が進むという意と、完了の意のどちらかでよさそうだ。
一方、「絶」という字は、そこで終わり、というのが字義となっている。
糸を刃物で切ることが字源とされている。
この字は、断ち切れる、そこで終わる、以外の意味は持っていないようだ。
「遂」が継続の意だとしても、「絶」と組み合わされたときは、その継続していた事が終了した、という意味以外になりそうもない。
「遂」が完了の意だとすれば、「絶」と組み合わせたのは同じ意の字を重ねて2文字の言葉にしたということになる。
どちらであっても、終わった、ということに変わりはなさそうだ。
その時期に百済の人種が絶滅したって事実はないんだから、
絶の意味は断交・絶交の意味しか考えられないだろ
そうなると、そこには終わったという意味は見いだせない。
>>969 言葉の意味について素人同士が議論しても結論を得ることは難しいだろう。
いくつかの意味から外れない範囲で、他の状況から判断するのがよさそうだ。
仁願 仁軌等既還 隆懼新羅 尋歸京師
儀鳳二年 拜光祿大夫 太常員外卿兼熊津都督 帶方郡王 令歸本蕃 安輯餘衆
時百濟本地荒毀 漸為新羅所據 隆竟不敢還舊國而卒
其孫敬 則天朝襲封帶方郡王 授衛尉卿 其地自此為新羅及渤海靺鞨所分 百濟之種遂絶
旧唐書の百済伝にこうある。
内容はよくわからないが、儀鳳二年に「百濟之種遂絶」とは読んでいいんじゃないだろうか?
儀鳳二年というのは677年で、百済王が降伏して国として滅亡したのが660年だ。
白村江の戦いは百済王が降伏したあとだ。
それでも、その地に残っていた百済の貴族や官僚も、その後、新羅や渤海や靺鞨に分割されて「百濟之種」が絶えた。
そんな風に読めそうだが?
詳しい人の読解に期待したい。
971 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:40:41.14
少なくとも、詳しい人から
>>979の切望してるような答えはあるまい
>>967 難しい文章だからゆっくり考えとくわ
そして、後は知らぬふりして
ほとぼりが冷めるのを待つ。
だって、偉そうに言ったが
何の意味も知らないのだからな。
>>971 アンカーが違ってるから、なんだかわからないレスになってるw
974 :
ローガン:2014/07/15(火) 17:23:21.30
議論の元はこれかな?
「
>>933 旧唐書倭国伝と日本伝。
このうち倭国伝は、最後に途絶えたと書かれている。
少なくとも唐は別の国だと認識していたようだな。」
勿論、そんなこと書いてないし、
隋書の「此後遂絶」だったら、清に従って朝貢したのが、隋との通交の最後なんだから、
「遂」を読んでも読まなくても意味は変わらない。
「唐は別の国だと認識」だなんてトンデモの極み。
隋書の記載を旧唐書と勘違いして組み立てた論を、
旧唐書じゃなく隋書だと指摘されても引っ込めないまま、誤魔化し通してるんだよな。
976 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 20:02:22.30
どちらにせよ遂に途絶えたとかかれているのは
間違いないんだね。
時期的に見て、叛乱を鎮圧したって意味かな?
(叛乱軍の活動が下火になったかなくなったってトコ)
>>974-975 それは僕じゃないけどねw
旧唐書と隋書を勘違いした人だってあとから訂正してるし。
もともとは倭国と日本国のつながりが「日本國者 倭國之別種也」という部分の解釈の問題。
そして、日本伝の、その日本人の唐に来た使者は尊大で誠実に答えず中国は疑った、という記述だ。
(其人入朝者 多自矜大 不以實對 故中國疑焉)
隋書の礼儀正しい倭の国王とは雲泥の差のようだ。
こうしたことも、旧唐書の倭国と日本国が同じであることを疑わせている。
「遂」の意味にしても、岸田知子氏の解説に引きずられ過ぎじゃないだろうか?
元の字義は道を行くといった意味のようだが、ネットで調べると、中国でも現代では完成とか成功といった意味が一番先に出てくる。
隋や唐の時代の意味は解らないが、完成とか成功、つまり、終了の意味がなかったともいえない。
どちらにしても、「絶」とある以上は、そこでなにかが終わっている。
隋書の「此後遂絶」は朝貢や音信がなくなったという意味なのかも知れないし、礼儀正しい国そのものがなくなったという意味かも知れない。
旧唐書の「百濟之種遂絶」は、やっぱり、朝貢とか音信に限定するのは無理だろう。
「絶」というのは、きわめて明確な表現だと思うな。
979 :
ローガン:2014/07/15(火) 21:09:31.43
>>976 >どちらにせよ遂に途絶えたとかかれているのは
間違いないんだね。
そうだ。隋朝との通交は、大業の使者に従って朝貢したのが、最後だ。
此後遂絶の記述から、「倭国と中国との通交が最後になった。」
なんて読むのは著しく論理性に欠ける。
980 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 21:33:59.86
その後の遣隋使、遣唐使は、
その途絶えた国とは別物と
認識しているわけだな。
981 :
ローガン:2014/07/15(火) 21:34:50.94
>>978 >どちらにしても、「絶」とある以上は、そこでなにかが終わっている。
隋書倭国伝末尾の此後遂絶をいくら考えたところで、
九州王朝の欠片も浮かび上がってこない。
理由は旧唐書に書いてある。
982 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 21:39:14.53
なんと書いてあるの?
983 :
ローガン:2014/07/15(火) 21:41:31.22
>>980 此後遂絶の前後で主体が変わるなんて考えているヤツはただの馬鹿。
勿論、私もそんな認識はしていない。
984 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 21:43:12.50
馬鹿、じゃ反論にもならんよ
985 :
ローガン:2014/07/15(火) 21:55:10.36
君らの主張は、此後遂絶で日本側における通交の主体の交替した
ということだ。
なら、
貞觀五年、遣使獻方物。太宗矜其道遠、敕所司無令歳貢、又遣新州刺史高表仁持節往撫之。表仁無綏遠之才、與王子爭禮、不宣朝命而還。至二十二年、又附新羅奉表、以通起居。
は、交替した主体による通交なわけだ。
986 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 22:16:09.82
遂絶にもいろいろ意味はあろうが、
屁理屈をこね回しても、
遂絶は遂絶と読むのが妥当。
987 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 22:38:06.99
結局古田珍説のごり押しはみんな無理筋
古田「史学」の人って、ツガルとかも信じてんの?
隋書の倭国が「此後遂絶」したというのが倭国の終焉を意味するのだとしたら、
旧唐書の倭国は隋書の倭国とは違う国ってことだよな。
隋書の倭国はそこで滅んで、新興の倭国が唐に朝貢していたが、それもすぐに滅んだとか解釈してんの?
古田説って奇妙だよな。
990 :
日本@名無史さん:2014/07/15(火) 23:29:07.73
苦しいねw
991 :
ローガン:2014/07/16(水) 00:10:10.34
>>984に
>馬鹿、じゃ反論にもならんよ
とある。また、
>>978にも
>隋書の「此後遂絶」は朝貢や音信がなくなったという意味なのかも知れないし、礼儀正しい国そのものがなくなったという意味かも知れない。
旧唐書の「百濟之種遂絶」は、やっぱり、朝貢とか音信に限定するのは無理だろう。
「絶」というのは、きわめて明確な表現だと思うな。
この二つのレスに共通するものは、
「此後遂絶で、それまでの朝貢者と中国との通交は絶え、主体が交替する。
倭国から日本国という流れが、見てとれる。
ということは、倭国と日本国は、別国であり同時存在した。という論拠になる。
現に、旧唐書には倭国伝と日本伝がある。
此後遂絶で、それまでの通交が遂に絶えたのが、倭国。
其の後の通交主体が、日本国。よって、倭国とは九州王朝。」
と、展開したいのだろうが、そうすると貞観五年もしくは十五年と、二十二年の通交を、
倭国の通交が絶えた後、つまり主体が日本国と考える以外に無い。
であれば、旧唐書倭国伝とは、日本国に関する記述であると主張している事に同じ。
自説の否定に他ならない。
よって、前レスで書いた通り、馬鹿 という以外に無い。
992 :
日本@名無史さん:2014/07/16(水) 00:17:02.66
>と、展開したいのだろうが、そうすると貞観五年もしくは十五年と、二十二年の通交を、
>倭国の通交が絶えた後、つまり主体が日本国と考える以外に無い。
このとき実質の主体は代わってるだろ。
993 :
ローガン:2014/07/16(水) 00:34:21.77
>>978 >それは僕じゃないけどねw
旧唐書と隋書を勘違いした人だってあとから訂正してるし。
読み返して見たが、訂正したレスとは、何番?
994 :
日本@名無史さん:2014/07/16(水) 00:37:53.13
981 名前: ローガン 投稿日: 2014/07/15(火) 21:34:50.94
>>978 >どちらにしても、「絶」とある以上は、そこでなにかが終わっている。
隋書倭国伝末尾の此後遂絶をいくら考えたところで、
九州王朝の欠片も浮かび上がってこない。
理由は旧唐書に書いてある。
982 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2014/07/15(火) 21:39:14.53
なんと書いてあるの?
返答なしか。
995 :
ローガン:2014/07/16(水) 01:00:00.81
>>994 既述。
九州王朝の子って こんなんばっかり。
a. そのまま国交が途絶えた
b. そうこうしているうちに隋国(隋朝)が絶えた
のように、いくらでも解釈の余地があるのに、倭国の断絶以外に解釈しようがないとか言うのって、思考力がおかしいよな。
ところで次スレは……
もうここが落ちるから建ててくるは、リンク張るまでここ書き込むなよ!
うおおおお
うっ
1000 :
日本@名無史さん:2014/07/16(水) 07:29:46.18
うんこ
九州王朝がな
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。