【国宝】謎の七支刀について【石上神社】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
あんな変な形の刀は一体何のために使うの?
文字も書いてあるみたいだがなんて書いてあるの?
2日本@名無史さん:2013/11/05(火) 20:30:12.08
泰□を太和と読んで、四世紀後半の近肖古王が神功皇后に贈ったとされる、
ナナサヤノタチだとすれば、記紀解読の定点の一つになるだろう。

オキナガタラシ姫が実在した可能性が低い、神話的人物だから、
なかなか認められないんだろう。
3日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:28:39.84
>>1
あれは鉄兜に挿して祭祀に用いたらしいという事が近年いわれている
4日本@名無史さん:2014/02/03(月) 00:12:21.43
雷と関係あるんじゃない?
5日本@名無史さん:2014/05/03(土) 02:36:26.96
>>2
七支刀は普通に認められてんだろ、何いってんの
6日本@名無史さん:2014/05/09(金) 23:06:02.36
7日本@名無史さん:2014/07/22(火) 17:03:45.17
>>3
鉄兜?
なんか神事の時の行列で先頭にかざして歩いていたとかいう話だな
戦前だか明治だかのお祭りでのモノクロの古い写真が出てたと思うが
8日本@名無史さん:2014/07/24(木) 23:43:57.92
倭王旨は、倭の五王の系図の中ではどの位置?
9日本@名無史さん:2014/07/24(木) 23:45:44.54
286年だとすると倭王讃の父か祖父?486年だとすると武と同じ世代?
10日本@名無史さん:2014/07/25(金) 16:01:52.09
>>2
神功皇后が実在したか否かにかかわらず
七枝刀自体に年号と百済で作られたことが書かれてあるだろ
11日本@名無史さん:2014/08/02(土) 08:34:43.21
七支刀は、百済王世子が「侯王」である倭王旨に下賜したもの。
当時の倭王は百済の諸侯にすぎなかった。
12日本@名無史さん:2014/08/02(土) 09:50:45.24
>>11
東晋の候王である百済王と世子が
東晋皇帝の聖を倭王と分かち合いたいと思い
倭王にこれを贈るのである、だろ

倭王と百済王は同格だよ
13日本@名無史さん:2014/08/02(土) 22:50:38.33
倭王旨は旨=シで、オシロワケ(景行)だろうな。
14日本@名無史さん
この記事が神功紀に放り込まれてるのが気になるなあ。
卑弥呼、台与と同じで倭王旨って女性だったんじゃないのかな。