邪馬台国は九州にあった28

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1日本@名無史さん
前スレ

邪馬台国は九州にあった27
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1374393088
2日本@名無史さん:2013/08/08(木) 23:56:29.12
畿内説が短里を否定したがるのは勝手だが、
公里を肯定する根拠は何一つない。

鉄も絹もない。

なので、倭人伝の何もかもがデタラメだ、というのが
畿内説の主張。

だが、なぜか邪馬台国、卑弥呼の名前だけは
デタラメではないと主張し、欲しがるのが畿内説。
3日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:00:28.48
短里否定=畿内説という短絡思考もなんとかしろよ
短里なんて九州説支持者でも否定してるよ
4日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:07:48.89
短里を否定している九州説論者っていたかな?誰だ?
5日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:11:40.64
公里か短里か、という思考がそもそもおかしい
当時の一里は約435mだったのだから、実距離と合わない記述については数字が間違っているという結論にしかならない
昔々の人間が距離についてそこまで正確に把握出来る訳がない
6日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:13:56.76
でも1/6したら、あらゆる問題が全て一発で解決しました。
7日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:23:11.51
日数まで6分の1したら問題は解決しないよ。
8日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:26:57.91
>>7

むしろ、日数も1/6しなければならない。

解決しない問題って何?
9日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:30:39.20
里数がいわゆる公定里とちがうというならば、それは別の里制があったと考えることが
できる。別の里制があることは何ら不思議ではない。
しかし、日数を6分の1するのは理由がない。単に君の頭の中で都合がよいというだけ
にすぎない。私は倭人伝のとおりで何ら問題がないと思うよ。
10日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:38:21.25
>>9

九州南海上のどまんなかでも問題ない?
11日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:41:35.48
ど真ん中にはならんよ。
12ローガン:2013/08/09(金) 00:44:02.26
>>1乙!
>>990
ほらまた(笑) では…
「倭人伝に間違いなどないという前提でいえば、どうも倭人伝は公定里と違う尺度で書かれているように見受けられる。
公定里と違う1里=75mという尺度の存在は、〇〇〇という史料に見え、魏代、東夷ではその〇〇〇に見える度が使用されていた。
魏代に東夷で使用されていたとする論拠は△△△という史料である。
よって、倭人伝にある里とは75mのことと考えることは不自然ではない。
渡海の距離感に照らし合わせ、アバウトさを容認すれば、倭人伝が当時 東夷で使われていた1里=75mという度に基づく記述である。
よって倭人伝の地誌の記述に誤りは無いと考えられる。」
という論証は有効だ。
勿論、肝心なのは上記〇〇〇と△△△なのはいうまでもない。で、〇〇〇に周髀算経を該当させたければ、明確な論拠に基づく論証が必要なのは理解出来ると思う。
しかし、例えば周髀算経の1寸千里法における1寸が4mmという 現実味のない数字の指摘に対する有効な反論がないままなんだ。
宿題片付けないと先には進めない位は理解してね。

>>992
そうかい?なら、>>702の返答よろしく。
13日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:49:18.93
ローガンも周髀算経のことが分かってないな。資料の寄せ集めにすぎんのだよ。
14日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:52:23.51
>>12

言い方変えただけで、
「史料だせえ、文献に書かkれた史料がないと俺は信じねえぞ」
と言ってるだけだな。

で、当時の倭でも文献は存在しないし、
当時の東夷でも文献は存在しないから、
言いがかりをつけているだけ。

文献が存在しない以上、位置と距離から
帰納法で推測するのは当たり前のこと。
15日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:54:31.11
九州南部説は
倭人伝も記紀もそのままでおk
16日本@名無史さん:2013/08/09(金) 00:56:58.69
>>12
馬鹿だな
周髀算経で使われてる里は一種類である、という証明がなされていない
17日本@名無史さん:2013/08/09(金) 01:02:21.18
>>16
話が逆
複数の里が使われているという根拠を示すべき
18日本@名無史さん:2013/08/09(金) 01:06:35.77
「資料の寄せ集めである」という事と「複数の里が使われている」という主張には何の関連性もない
論理が一足飛びなのである
19日本@名無史さん:2013/08/09(金) 01:10:10.41
どちらにせよ、公里が使われていないことは明確に証明できる。
20日本@名無史さん:2013/08/09(金) 01:16:09.78
中国の思想家墨子は「楚の国は五千里四方ありますのに宋の国は五百里四方しかありません」と言っている。
短里とか言う愚かな寸法だと楚の国は小さいですね。宋の国は都市国家ですか?
21日本@名無史さん:2013/08/09(金) 01:17:54.14
>>20

東夷ではどうなんだい?
22日本@名無史さん:2013/08/09(金) 01:29:36.48
周髀算経は中国の戦国時代、墨子も中国の戦国時代の人、短里とか言っている人は頭が悪いようだ。
23日本@名無史さん:2013/08/09(金) 01:30:30.50
周髀算経に書いてあるのは中国の戦国時代の話だと思っているのかな?
24ローガン:2013/08/09(金) 01:58:20.49
>>14
>帰納法で推測するのは当たり前のこと。
記述の信憑性への疑問を却下出来なければ無効。
25日本@名無史さん:2013/08/09(金) 02:47:50.67
>>24
1寸が4mmという 現実味のない数字を持ち出すこと自体が疑問の無効の証明ww
26日本@名無史さん:2013/08/09(金) 03:01:30.55
畿内信者は、勢いの良かった時代に成功してきた自己愛の屁理屈を延々繰り返しているだけのようだ
畿内説が全崩壊した今、それも通用しなくなって焦りがみえるな
27日本@名無史さん:2013/08/09(金) 03:56:50.72
一寸千里の法こそ古代短里制の存在を物語る有力な根拠ではないのかな

どうやら「一寸千里」のくの一忍法にからめ捕られて、数名の畿内信者が断末魔の悲鳴をあげとるようじゃ
28日本@名無史さん:2013/08/09(金) 04:46:26.69
これが短里脳か
29日本@名無史さん:2013/08/09(金) 05:58:40.97
弥生時代終末期の北部九州、筑紫・博多。

 漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国【∩銅鐸祭祀】も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼
(アマテラス)の邪馬台国【◎銅鏡祭祀】に国を譲る【∩銅鐸一斉処分:九州=◎銅鏡に鋳直し/九州以外=埋納】。
 これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と全面戦争になり、倭「和」国は分裂し、卑弥呼は急死(男弟/魏の張政/狗奴国による暗殺説)。

-分裂した倭「和」国
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)筑紫/宇佐┃→安芸→吉備→「大和」
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向┃↑ ≧神武東征ルート≧
...................隅国(鹿児島)┘ 

 卑弥呼の跡を継いだ♀女王「台与」は投馬国長官♂を婿として迎え、旧奴国&隅国(隼人)とも同盟を結び、肥後狗奴国(後の熊襲)を
一網打尽にし、倭「和」国を再統一した。
 倭「和」国再統一の偉業をなした男系先祖の出自を後世に伝えるため、神武は日向(投馬国)から出航し、中国内戦(五胡十六国)の
悪影響から距離を置くべく、都を筑紫・博多から先遣隊長ニギハヤヒが拓いた奈良・三輪山麓(纏向)へ東遷。
 女系先祖・卑弥呼(アマテラス)/台与由来の【◎銅鏡祭祀】「大和」朝廷を創始する。

※古事記・日本書紀が、日向長官の先祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)を
その姉としたのは、【◎銅鏡祭祀】「大和」朝廷・天皇家(♂日向長官と♀筑紫女王「台与」夫妻の子孫=神武の末裔)による系図操作。
 【∩銅鐸祭祀】をしていた漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は、倭(和)建国の功績を消され出雲に祀られる。
30日本@名無史さん:2013/08/09(金) 05:59:42.74
「大和」朝廷における、♂日向(投馬)系大王と♀筑紫(邪馬台)系大王の(双方の男系男子途絶による)政権交代

-4世紀〔前期古墳〕三輪(銅鏡)王朝(10祟神〜14仲哀)=♂日向(投馬)系大王(四道将軍派遣→国造県主任命/日本武尊全国平定)
   →列島中心地・纏向から直接東日本の弥生有力首長を取り込み(大王家との婚姻→前方後円墳/▲神獣鏡下賜)【国内統一】。

-5世紀〔中期古墳〕河内(鉄剣騎馬)王朝(15応神〜25武烈)=♀筑紫(邪馬台)系大王【神功の三韓征伐→倭の五王(讃珍済興武)】
   →【半島派兵】(高句麗の侵略に脅かされた百済支援)により、任那日本府設立。「鉄の大量供給ルート」を確保し、王権強大化。

-6世紀〔後期古墳〕近江王朝(※26継体〜38天智〜50桓武〜現在)=♂日向(投馬)系大王【仏教伝来→白村江敗戦→律令国家】
   →任那日本府滅亡(562)白村江敗戦(663)で「大和」朝廷の威信低下、律令制と仏教導入による【中央集権】を推進。

-26継体・27安閑・28宣化=日向系大王〔樟葉宮(淀川)→筒城宮(木津川)→弟国宮(淀川)→磐余玉穂宮〕
  …(×応神5世孫○日本武尊7世孫)継体の「大和」入りが筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫国造・磐井の乱」を誘発
-29欽明〜♀35皇極(37斉明)=筑紫系大王〔飛鳥・板葺宮〕
  …筑紫系大臣、蘇我氏(娘達を続々皇后に→外戚として大王操縦)による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」(大化の改新)へ
-38天智・39弘文=日向系大王〔近江大津宮〕
  …「白村江の戦い」惨敗→百済滅亡で半島権益(鉄の大量供給ルート)を喪失。国力低下→「壬申の乱」へ
-40天武〜♀46孝謙(48称徳)=筑紫系「天皇」〔飛鳥・浄御原宮→藤原京→平城京/恭仁京/難波宮〕
  …両系和解の古事記・日本書紀・風土記編纂(日向系大王の活躍=筑紫系大王の活躍)→「長屋王の変」「道鏡事件」へ
-49光仁・50桓武〜南北朝〜現在=日向系天皇〔長岡京/平安京〕
  …筑紫系天皇の奈良〔平城京〕から、本拠地・近江(琵琶湖)近くの〔長岡京/平安京〕に遷都
31日本@名無史さん:2013/08/09(金) 07:25:01.35
まず初めに、人間の歩行伝令でクニを治める政治形態あり
人間の足速ゆえ一里76mほどの短里制であった

次いで、馬の導入による伝馬伝令の治国形態に移り
馬速ゆえ、新たにこれに即した一里450m程度の長里制の出現を見た

かくしてその初めに短里制ありて不思議なく、良く古形態を表わしているのではないか
なお倭人伝に「倭地に牛馬なく」と書いてある、牛馬無き地を著すに短里制はまこと好適だったのであろう
32日本@名無史さん:2013/08/09(金) 07:33:31.02
>>24
そんな理屈はなし。

そんなことを言い出したら、
すべての文献が却下になる。
33日本@名無史さん:2013/08/09(金) 07:34:05.24
まず九州説論者は邪馬台国が九州だった説の限界を知ろうや。
あんたら九州説論者の言う古代日本国というのはスケールがちっちゃいんだよ。
古代の日本国は九州だけにおさまる話しじゃないんですよ。
わかります?理解できます?
34日本@名無史さん:2013/08/09(金) 07:40:41.20
>>33
まず勘違いをなくそう
日本国ではない、倭国である、わかります?理解できます?
35日本@名無史さん:2013/08/09(金) 07:44:34.70
倭人がいる所、つまり倭国は、東南大海の中、島だからね。
3世紀、我が国の本州は島とは認識されていなかった→旧唐書
倭国は九州だけの話だよ。
36日本@名無史さん:2013/08/09(金) 07:46:05.28
>>33

スケールいうなら、平野面積を考えてから言ってくれ。
山岳地がいくら増えても人口なんかそう増えやしない。
37日本@名無史さん:2013/08/09(金) 07:51:11.61
>>24
>記述の信憑性への疑問を却下出来なければ無効。

2チャンのカキコも学術論文として審査するつもりかい
かって栄光の大教授であっても、いまさら大きなお世話だい
そもそも2チャンネルは、権威肩書きの通用しない裏チャンネルであーるww
38邪心の持ち主満州:2013/08/09(金) 08:24:45.99
何回も言うが、6倍で書かれているのは釜山−松浦だけなのである。

玄菟郡、楽浪郡までは2.5倍で書かれている。
釜山までは3倍、邪馬台国までは4倍に書かれている。

ガタガタ言う前に帯方郡の位置を調べたらいいのである。
ところがこの連中は百回言っても調べようとしない。
おそらくどうやって調べたらいいかさえ分からないのだろう。

漢書や後漢書の地理志で、遼西郡や遼東郡がどの程度のサイズかを調べてみればいい。
その戸数や県の数、主要な県がどこに比定されているかを調べてみればいい。
たとえば遼東郡の無盧県は医巫閭山の麓という点で諸家の見解は一致している。
医巫閭山は遼河の西だから、この時点ですでに遼東とは遼河の東というのは大嘘だと分る。

調べていくと楽浪郡のサイズは遼西郡や遼東郡とさして変わらないことが分かってくる。
そうすると楽浪郡がソウルにまで広がっていた、などというのがいかにふざけた考えか分るだろう。
帯方郡はもともと楽浪郡の一部だったのだから、帯方郡がソウルだというからには、
楽浪郡は ソウルにまで広がっていたとしなければならないのである。
ところが中国のどの史書を見ても楽浪は遼東にありと書かれているのだ。

上に述べたのは考証の一例だ。他にもいろんな仕方で考証できる。
学問とは原典を読んで自分で考えることである。
通俗的な解説本やネットをコピペすることではない。
チミらがやっているのはコピペばかりだ。
39日本@名無史さん:2013/08/09(金) 08:30:41.63
バ〜カ息子
目立ちたがり
スレのぞき趣味
レス古事記
40スレのぞき趣味満州:2013/08/09(金) 08:44:53.34
話は変わるが、琵琶湖の北西から、オルドス式銅剣の鋳型が見つかったと話題になっている。
オルドス式銅剣は今の内蒙古自治区辺りと関係があるらしい。

以前ポクは遼西に倭城や倭人がいたという水経注の記事をチミらに紹介した。
内蒙古自治区といえば遼西だ。
倭人とは内蒙古自治区や遼西の民族を指している可能性もあるのだ。

どうだ、面白いだろう。
41風の中のゴキブリ:2013/08/09(金) 08:58:45.91
満州=夢幻如は以前、東北説を唱えていた真性キチガイ
42日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:13:02.02
>>17
はい?
一寸4ミリとか有り得ない数字が科学的に出てるのに

なにも見えてないのかwwww
43日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:15:16.45
文系はこれだからなあ
最初にイデオロギーが有って
詭弁の能力が才能だと勘違いしているw
ギリシアはこれで衰退し滅んだのに
44日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:15:30.21
>>25
そうだ
一里=75mだと一寸=4mmという現実味の無い数字になってしまうのだ
つまり一里=75mは現実味の無い数字だという事だ
45日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:18:29.79
このスレの文系には
詭弁の能力も無いなw
46真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 09:20:45.55
もともと帯方郡は遼東半島だということはS氏が指摘していたことである。
浜名や山形はそれを踏襲しただけ。
S氏の著書はすでに1910年に出ているのに学界からは黙殺されたのである。
だから未だに帯方郡はソウルなどというふざけた説がまかり通っている。

ネット史でも帯方郡は遼東半島に比定されている。
これを比定したのは朴昌和だろうが、朴昌和は日本の宮内庁に勤務していたから、
もしかしたらS氏の著書を読んだかもしれない。
読んでいなければ朴昌和が独自に比定したのだろうが、
期せずして両者は共に帯方郡を遼東半島に比定したのである。
分かる人には分るのである。

ここの九州人には永遠に無理である(笑)
47日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:23:54.76
現実味のないのは尺寸だけ。
里の実距離には文献的な根拠があるが、
尺寸には実距離の根拠はない。
48日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:30:25.23
尺寸はアホがかってに考えているだけ、どこにも書いてない。
49日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:35:30.94
くの一の云う如く、
いにしえの周は一里五十歩であったのだから、里にも尺寸にも問題はない
50日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:38:12.27
>>44
畿内信者は算盤だけでなく、読み書きの能力にも劣るようだな
51日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:38:22.82
短里は信じる癖に短歩短尺には否定的なんだな
なんだか笑える
52日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:42:25.80
周髀算経においても一里=三百歩、一歩=六尺なのは確定している
上記以外の換算をしている箇所があれば提示してみなさい
53日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:42:29.11
周髀算経での測定地点は、太陽高度からみて北緯35度18分の場所になる。
経度だけでいうと、西安の北150kmくらいの場所だ。
あの文はとてもリアルである。
54日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:44:53.81
>>52
それで千里移動したら、あの影の長さにならない
科学的に証明な
55日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:45:57.77
詭弁の能力すら無い文系
ただの無能w
56日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:46:56.51
>>52
>一歩=六尺

周髀算経にこれがわかるところってあったかな?
57日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:47:42.04
>>54
だから一寸千里の記述は実測値ではないという事だ
58日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:49:24.31
いちおう、短尺短寸であっても、矛盾なく成立はする。
周髀算経では、短尺短寸を否定はできない。

短尺短寸とは思いたくないが、数学的には問題ない。
59日本@名無史さん:2013/08/09(金) 09:56:44.76
一寸千里が76km程度であることは事実で変更の余地はないが、
実測値でないとすれば、逆にモデルから推測した数値である可能性もある。

しかし、夏至と冬至の影の長さと北回帰線、南回帰線の実距離とも一致した。
また、二十四節における太陽の角度も妥当な数値である。

従って、モデルから推測した数値ではなくて、実測した数値から
千里が計算されたことは確実である。

おそらくはそれ以前から、当時の人間もある程度の法則性は見出していたのであろう。
それから南北に離れた、ある程度距離があって、その距離を計りやすい町や村で、
計測して出した結果が一寸千里であろう。
60日本@名無史さん:2013/08/09(金) 10:20:49.71
>>57
>だから一寸千里の記述は(長里にもとづく)実測値ではないという事だ

括弧を除いてカキコしてるんだろ
だから短里に基づく実測で問題ないのだ
61日本@名無史さん:2013/08/09(金) 10:55:28.33
>>60
だからその場合は短歩短尺になってしまう
つまり
・「千里」が実測値ならば一里=75mとなるので歩尺についても短歩短尺である
・短歩短尺はあり得ないとするなら一里=75mもあり得ず、「千里」は実測値ではない

このどちらかになる
62日本@名無史さん:2013/08/09(金) 10:55:37.79
>>57
寸千里の意味するところは比率なのであって1里が幾らかはどうでも良い。
寸千里および夏至冬至の太陽高度は、地球が球体であるとの認識すらない時代に実測によらなければ手に入らない。
実際、西安の北150qくらいの緯度ラインで計測された値だとわかる。
こんなグローバル的に補償された文献は滅多にない。
それを一蹴できる神経がわからぬ。
63日本@名無史さん:2013/08/09(金) 11:34:26.72
>>61
一寸千里の記述は(短里にもとづく)実測値であるという事だ
なおこの場合の一里は50歩であり、非現実的な尺寸を口にしなくても問題ない
畿内信者の頭は死後的硬直してるな
古代人のほうがはるかに頭脳明晰ではないか!!
64日本@名無史さん:2013/08/09(金) 11:36:11.32
>>61
おい、くの一にねじ伏せられてくやしいのう
65日本@名無史さん:2013/08/09(金) 11:55:00.60
やっと覚えた1里=300歩=1800尺というのが頭から離れんのだろ。
66日本@名無史さん:2013/08/09(金) 12:03:53.71
>>63
一里=50歩は何処から出てきたんだよ?
67日本@名無史さん:2013/08/09(金) 12:08:44.74
ほら諺に言うではないか、五十歩百歩、とな
68日本@名無史さん:2013/08/09(金) 12:09:07.98
周髀算経は全て、里・尺・寸で終始しているのであって、現代の単位に換算できる要素は見いだせない。
見いだせるのは里・尺・寸の比率が一般的なものであると言うことだけ。
それは西安の北150qの緯度ライン(中原)が計測ポイントだと出る点で証明できる。
短里で書かれているとか、1里が幾らかなどは、一切導き出せない。
扱っているのは絶対数値ではなく、比率なのだ。
69日本@名無史さん:2013/08/09(金) 12:09:36.32
適当さ、1里60歩ではないかという説もある。
70日本@名無史さん:2013/08/09(金) 12:25:06.90
一歩五尺で、360歩一里と、
一歩六尺で、300歩一里がある。

換算式も時代でちょいちょい変わっている。
71日本@名無史さん:2013/08/09(金) 12:25:36.94
倭人伝が書く1里が何歩であろうが、何尺であろうが、そんなことはどうでもいいことだ。
問題は、ちゃんと1里が同じ距離で書かれているかどうかということさ。高句麗、扶余の方2000里、
韓国の方4000里、郡から狗邪韓国までの7000里、対馬国、一大国、末盧国までの各千里、対馬国
の方四百里、一大国の方三百里、女王国までの万二千里、倭の地周旋五千里、これらはすべて1里八十メ
ートル前後で合っている。
何も問題はないさ。それで考えるべきは、500里の伊都国がどこか、100里の国はどこか、周旋50
00里の倭の地がどの程度の大きさかだけだ。
それらを考えるときに、いきなり1里430で考えるなんて場当たり思考の奴はいないよ。現実問題として
誰もが短里で考えているんだ。
72日本@名無史さん:2013/08/09(金) 12:40:33.83
今北
>>1 おつ
73ローガン:2013/08/09(金) 14:06:46.08
>>70
>一歩五尺で、360歩一里と、一歩六尺で、300歩一里がある。換算式も時代でちょいちょい変わっている。

いずれも1里=1800尺なわけだが。(笑)
しかし、1里=50歩の論拠となった史料の提示は、まだかいな。
74ローガン:2013/08/09(金) 14:26:37.48
>>32
>そんなことを言い出したら、すべての文献が却下になる。

とんでもない。普通は早すぎる一般化を嫌い、様々なアプローチで該当文献の批判をするんだ。
鵜呑みにしてはいかん。

>>37
>2チャンのカキコも学術論文として審査するつもりかい

そんなつもりはないよ。(笑)
各人の主張自体にはあまり興味は無い。興味があるのは「論拠とその取り扱い」。
75日本@名無史さん:2013/08/09(金) 14:29:23.23
>>73
そうあわてなさんな、夏休み明けだ
76日本@名無史さん:2013/08/09(金) 14:33:23.75
論拠、論拠で、今日も暮れ
自説の論拠はテキトー、テキトーww
77日本@名無史さん:2013/08/09(金) 14:45:17.51
短一里76mで長一里450余mの1/6、短一里50歩で長一里300歩の1/6

単細胞でもわかるこれほど単純な論拠はほかにあるメエ〜
78ローガン:2013/08/09(金) 15:02:57.25
>>75
了解。
79なぐさのこ:2013/08/09(金) 15:12:26.84
>>73 :ローガン
>しかし、1里=50歩の論拠となった史料の提示は、まだかいな。

おっさんはしつこいのね〜。それに頭も予想以上に悪いわね。
史料としては一寸千里の法が呈示されたでしょ。悪あがきはみっともないわよ。
80日本@名無史さん:2013/08/09(金) 15:35:31.67
>>77とか>>79は本気で言ってんのかよ
だとしたら相当頭がイカれているな
81ローガン:2013/08/09(金) 16:35:19.22
>>79:なぐさのこ
●内一衡徑二十三萬八千里.周七十一萬四千里.分爲三百六十五度四分度之一.度得一千九百五十四里二百四十七歩
714000里÷365.25≒1954.8254
0.8254≒247歩 ∴1里≒299.25歩
●次二衡徑二十七萬七千六百六十六里二百.周八十三萬三千里.分里爲度.度得二千二百八十里百八十八歩
833000里÷365.25≒2280.6297
0.6294≒188歩 ∴1里≒298.55歩
●次三衡徑三十一萬七千三百三十三里一百.周九十五萬二千里.分爲度.度得二千六百六里百三十歩
952000里÷365.25≒2606.4339
0.4339里≒130歩 ∴1里≒299.61歩
●次四衡徑三十五萬七千里.周一百七萬一千里.分爲度.度得二千九百三十二里七十一歩
1071000里÷365.25≒2932.2381
0.2381里≒71歩 ∴1里≒298.19歩
●次五衡徑三十九萬六千六百六十六里二百.周百一十九萬里.分爲度.度得三千二百五十八里十二歩
1190000里÷365.25≒3258.0424
0.0424里≒12歩 ∴11里≒283.02歩
●次六衡徑四十三萬六千三百三十三里一百.周百三十萬九千里.分爲度.度得三千五百八十三里二百五十四歩
1309000里÷365.25≒3583.8466
0.8466里≒254歩 ∴1里≒300.02歩
●次七衡徑四十七萬六千里周百四十二萬八千里.分爲度.度得三千九百九里一百九十五
1428000里÷365.25≒3909.6509
0.6509里≒195歩 ∴1里≒299.59歩
周髀算経という史料から見える1里は300歩で確定。
82なぐさのこ:2013/08/09(金) 16:38:30.58
>>80
あなたには頭と言えるほどのものが付いてないのね。
6尺1歩、300歩1里の里でない里が一寸千里の法から得られた50歩1里なの!二つは別物なのよ。
と言われてもあなたの頭の程度では理解不能でしょうね。
83ローガン:2013/08/09(金) 16:38:38.61
ミスタッチが一カ所あった
11里ではなく1里
84日本@名無史さん:2013/08/09(金) 16:49:39.38
これらは一寸千里の場合の一里歩数の根拠にはならぬ
85真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 16:55:10.53
>周髀算経での測定地点は、太陽高度からみて北緯35度18分の場所になる。

どんな計算をしたのかな? このブログでは34.8°となっているぞw
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku14/atogaki.html

>韓国の方4000里、郡から狗邪韓国までの7000里、対馬国、一大国、末盧国までの各千里、対馬国
>の方四百里、一大国の方三百里、女王国までの万二千里、倭の地周旋五千里、これらはすべて1里八十
>メートル前後で合っている。

だからそれが合ってないんだってば(苦笑)
86真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 17:15:14.64
一寸千里を現代の天文学で計算したら76mとなったのである。
問題はそれが実測値かどうかということだが、仮に実測値だとしても、
周髀算経の記述を追ってゆけば、一尺=10寸、一歩=6尺、一里=300歩
とみなしていることが分かってくるのである。
すでにその証拠となるいくつかの例が挙げられている。
それでも納得できないなら自分で最初から周髀算経を読んでみればいい。
そうしたら否が応でも納得せざるを得ないだろう。

そうすると一寸=4mmとなってしまうのである。
で、そんなことはフツーの常識ある人は信じないのである。
嘘だと思うなら百人にアンケートを取ってみろ。
茶髪のアホなお姉ーちゃんでさえそんなことは信じない。
87日本@名無史さん:2013/08/09(金) 17:20:27.83
一寸千里76kmは、観測と地球の大きさから出たものだから
変更する余地はない。
さらに、夏至と冬至の数値からも結果が補強される。

従って、
どこかで換算を間違えているか、
一寸4mmが正しいか、のどちらかしか無い。
88日本@名無史さん:2013/08/09(金) 17:23:01.84
一寸千里の里は、寸、尺、歩を積み上げて導かれたものではない。
従って、寸や尺、歩による結果で変えることができない。
89真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 17:36:51.44
で、以上の結果から分かることは、一寸千里は、
実際に千里離れた地点で計測されたものではない、ということなのである。

200里ほど離れた地点で計測されたか、
そもそも実際に計測されたのではない机上の理論であるかのどちらかである。
90日本@名無史さん:2013/08/09(金) 17:42:20.72
>>89
>(長里で示せば)200里ほど離れた地点で計測されたか、

わざと括弧内を省略するとはけしからん、フルで書けばこうだからな
91日本@名無史さん:2013/08/09(金) 18:00:30.19
>>89

あまり近すぎれば、正確な観測ができないが、
ある程度十分に離れていれば、正確な観測は可能。
従って、必ずしも千里である必要はない。

周髀算経の天蓋説モデルが、実際の地球と違っている以上、
そのモデルを元に机上で計算されたものは、現実とは合わない結果になる。

しかし、周髀算経の観測結果は現実と一致しているので、
実際に計測された数値であることは、まず間違いないだろう。
92日本@名無史さん:2013/08/09(金) 18:03:50.54
これは測量するには非常に便利だね。
A地点とB地点の影の差が一寸になれば千里な訳だから。
細かな計測条件(夏至の日の正午とか)は置いといて、
方角と計測時間合わせりゃ、大まかに距離を割り出せる。

俺は尺度より、どうやって距離を測ったかの方が疑問なんだけどね。
93日本@名無史さん:2013/08/09(金) 18:07:39.05
もう里スレ立ててやってくれよ
94真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 18:25:10.42
>しかし、周髀算経の観測結果は現実と一致しているので、

一致しているわけではない。
測定地点が34.8°は長安なので長安では実測された可能性はある。
しかしその南北千里の地点で実測されたかどうかは不明なのである。
緯度が異なればどこかで必ず影の長さが1.5寸、1.7寸になる場所があるのだから、
1.5寸、1.7寸が実測されたとは断言できないのである。
ましてそれが千里離れた地点だったかどうかは疑問なのである。
95真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 18:38:29.32
>>91の男は完全に本末転倒しているというか、本質を理解していないのである。
この男が「周髀算経の観測結果は現実と一致している」と書くのは、
実際に76km離れた地点で影の長さが1.5寸、1.7寸になることを言っているのだと思うが、
それは本末転倒なのである。

実際はこういうことである。
1.5寸、1.7寸になる地点を現代天文学で求めれば76km離れた地点であることが分かった、
という話なのである。

おそらくこう書いてもこの男には何のことか理解できないかもしれないが。
96日本@名無史さん:2013/08/09(金) 18:44:55.73
1.5寸ならば1500里
1.7寸ならば1700里であろう。

その結果一寸千里と計算できる。

周髀算経を理解できる人間が、
その程度の計算ができないわけはあるまい。
97日本@名無史さん:2013/08/09(金) 18:59:57.50
とりあえず各地点の影の長さ計算してみれば?

狗邪韓国〜対馬
対馬〜壱岐
壱岐〜唐津

大雑把に一寸違えば周髀算経から距離を割り出してる。
つまり、周髀算経の里数を使ってるって事だ。
この場合の寸尺は関係あるまい。

俺は文系だからパスw
98日本@名無史さん:2013/08/09(金) 19:00:02.99
周髀算経に一里=三百歩と書いてあるのに一里=50歩だと強弁する短里信者
倭人伝に南と書いてあるのに東だと強弁する畿内信者

どちらも似た者同士
99真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 19:05:36.72
>>96 
チミもパカだね(泣)一寸千里の法をそもそも理解していないね。

一寸千里の法とは千里離れれば影の長さが一寸増減するという法だ。
>1.5寸ならば1500里
>1.7寸ならば1700里であろう。
こんなことを書いていると笑われるぞ。
1.5寸の地点が1.6寸の地点から1500里離れているとでも思っているのか?
100日本@名無史さん:2013/08/09(金) 19:11:05.07
>>94
>しかしその南北千里の地点で実測されたかどうかは不明なのである

などと、細かいことをいうな、肝っ玉の小さい男よ
実験値を求めるだけなら、各々80尺の高い木の上に棒を立て、100里離れた地点で観測してもよろしい
ただ、周髀算経では実用的な8尺棒で夏至の陰長差一寸という表現にしたところが、とてつもなく偉いのだ
101真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 19:14:18.57
>>97
そんなことをしても仕方がないよ。
一里76km程度で書かれているのだから周髀算経の里数で書かれているのだ。
ところが一里76km程度で書かれているのはチミの挙げた区間だけなのである。

>>98
数学の問題と文章解釈の問題は別だよ。
102日本@名無史さん:2013/08/09(金) 19:15:51.95
>>99
>1.5寸の地点が1.6寸の地点から1500里離れているとでも思っているのか?

自分では省略を多用するくせに、他人の省略は読めない/読まないのか、もう身を引くべきころ合いのようだぞ
103日本@名無史さん:2013/08/09(金) 19:20:42.28
今回ばかりはどう見ても満州の言ってる事が正論だろ
短里信者は正論が理解出来ないようだが
104日本@名無史さん:2013/08/09(金) 19:36:55.59
一歩=五十歩と主張するならそう書いてある箇所を提示すれば良いだけなんだけどね
周髀算経を全部読んだら見つかるかもよ
105日本@名無史さん:2013/08/09(金) 19:42:53.76
>>104
一寸千里の場合の一里は300歩であるという箇所も提示してくれ
106日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:00:56.62
>>105
同じ文献に一里=三百歩と書いてある以上一寸千里の箇所についても一里=三百歩だ
違うと言い張るなら一寸千里の箇所のみ一里≠三百歩という根拠を提示してくれよ
107日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:07:41.90
>>81
1里300歩という頭で計算しただけのことだろ。その計算をした人物はいつの時代の誰?
108日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:10:21.85
test
109日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:14:57.71
拘邪秦支廉
110日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:16:18.03
建日向日豊久士比泥別。
俺はこの地が邪馬台国だと思う。
111日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:16:51.69
やっとアク禁が解けた。
しかしこの流れについて行く気がしない。
数学科出てるし数字に弱いわけではないが。
112日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:19:37.66
>>106
文献ではない、長年にわたる多数の文献を寄せ集めたものだ
わが国でさえ明治以前の公的単位は尺貫法、
明治大正昭和前半は尺貫法・メートル法併用、昭和26年以後はメートル法とめまぐるしい、

まして周商時代のものとなれば類推を排し、個々別々・慎重に判断するほかない
一寸千里の場合も一里=300歩とすれば明らかに現在の学術的観測値と合致しない、
よって長い里を主張したいのならその根拠の提示が不可欠である
113日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:26:45.50
結局数式にしても水掛け論か…
114なぐさのこ:2013/08/09(金) 20:31:13.78
>>106
頭の固い人だね〜。1寸千里の法で得られる1里は約70mなのよ。これを歩数になおしたら50歩でしょ。
300歩にしたら6倍も違うじゃない。だから一里≠三百歩となるじゃない。こんな簡単なことが分からぬ
とはあなたの頭の構造はどうなっているの?
115日本@名無史さん:2013/08/09(金) 20:51:34.40
さっさと末盧國から伊都國に進もうで
116日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:01:34.70
>1歩=6尺

これが誤ってるんだろ
周髀算経のどこにこんなの書いてあるんだよ
ローガンがへんてこ根拠を理由に捏造しただけだろ
地面を平らにして、さらに平らにして円を描きましたって誰がこんな解釈信じるかよ
信じてるのはローガン教の盲信的信者か、自分の頭で物事の妥当性を判断できない知能指数30の低脳くらいだろ
直径121.75尺の円を地上に描いたって解釈が誤りであるから「歩」と「尺」の関係はどこにも書いてない
しかもローガンが1里=50歩説を否定したときに使った論理がこれにも当てはまる
仮にもし1歩=6尺であるなら、なぜ「20歩1尺7寸5分」と表記しないんだ?
要するに「歩」と「尺」は関係ないってことだろ
まとめると、
1里=75メートル、1里=300歩、1尺=10寸、「歩」と「尺」は不明
距離単位の里・歩と長さ単位の尺・寸はこの時代では互換性なし
117日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:07:19.50
>則位徑一百二十一尺七寸五分。因而三之,為三百六十五尺、四分尺之一,以應周天三百六十五度、四分度之一
>分度以定,則正督經緯

具体的なことはわからんが、直径121.75尺の円は天体観測に使った道具としてしか解釈できない
この後の文章が全部天体観測について書かれてるのに、地面に円を描くなんて全く方向違いの解釈
おそらく形はダーツの的みたいな円盤状で目盛りが入っててばかでかいものだっただろう
地上から上に数メートルのところに設置して下から見上げれば星の位置を経度、緯度で特定することができる
経度緯度を測定すると書かれてるのは星のことだろ
たしかに半球状の観測機器と違いかなり不備な点もある
設置場所が高すぎると低緯度の星は観察できないし、低すぎると高緯度の星は誤差が大きくなってしまう
しかし星を目測でしか把握することができなかった時代に比べて格段の進歩がある

しかもこの観測機器の優れている点は
1日=1度=1尺
で星の動きを観測できるところにある
地球は太陽の周りを365日1/4で回っている
古代中国では円の1周を360度ではなく、365度1/4と定義することによって
1日分の星の動きを1度として観測でき、この観測機器の目盛り1尺分になる
時代を考えれば、とてつもない大発明と言えるだろう

繰り返すが、この円が地面に描かれているという解釈は誤りである
地上より上に設置された天体観測機器と解釈すべき
よって「歩」と「尺」は関係ない
1歩=6尺も誤り
118日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:13:03.71
>>114
一里=75mだと一里=五十歩くらいでないと短歩短尺になってしまう
しかし周髀算経には一里=三百歩、一歩=六尺を示す記述はあっても一里=五十歩を示す記述は無い(あれば教えて欲しいが)
だから一里≠75m(一寸千里は実測ではない)とするか、一寸=4mmとするかのどちらかしか無いんだよ

キミは一里=75mの結論ありきで考えてるから上記のような論理的思考が出来ないわけ
119日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:19:15.76
>>117
どう考えてもおまえの言ってる事の方が荒唐無稽だよw
120日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:25:12.48
>>118
毎度同じことを繰り返してるようだが、
それにしては(一寸千里は実測ではない)の具体的な意味がよくわからん。
実測でなければ何なんなのさ。
「一寸千里はゴロの良さかなんかで適当にみつくろった架空の数字」と言う意味か??
121真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 21:34:01.02
孔子家語
周制三百歩為里

宋史
足輪各徑六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為歩三百歩為里

ちゃんと六尺為歩三百歩為里と書いてありまっせ(微笑)
122日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:43:23.45
>>120
一寸千里というキリの良い値である事からも、地上と太陽との距離などを説明する為の便宜上の値ってところだろう
というか実測だと一寸=4ミリになってしまうのだから、一寸=4ミリがあり得ない以上実測ではないとしか言いようがない
123真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 21:44:07.51
即平地徑二十一步,周六十三步。令其平矩以水正,則位徑一百二十一尺七寸五分。

この文の意味が分ったので書いておこう。たぶんこういうことである。
AB=21歩=126尺を直径とする円の中に、その円に内接する、辺の比が3:4:5の直角三角形を描く。
この直角三角形と円周との接点をCとする。
ABは、直径であると同時に、この直角三角形の斜辺であるとする。
Cから直径ABに垂線を下し、そのまま延長すると円周と交わる。
その交点をDとすると、CDの長さが121.75尺となるのである。

計算すると実際は120.96尺にしかならない。
121.75尺となるのは直径ABが126.8229166666…のときであるが、
小数点以下を省略して126尺としたものだと思われる。
最初に121.75尺という数値を決めておいて、上のような方法で直径を126尺としたのである。

自画自賛で申し訳ないが、これが六尺為歩の証拠である。探せば他にもあるだろう。
証拠を出してくるのはいつも畿内人である。九州人は周髀算経も読めないのだろう(泣)
124日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:46:54.88
要は影長が一寸変化する距離=X里を仮に千里として地上と太陽との距離などの比率を説明したというところだろう
125日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:52:28.46
周髀算経を自説の根拠にする短里信者の方が周髀算経を読んでいないというオソマツw
126日本@名無史さん:2013/08/09(金) 21:59:38.48
>>121
1歩=6尺となるのはいつごろから?
127日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:05:56.03
>>122
やはり便宜上使用した(ゴロの良い架空の)数字と言う意味か

それでいいんだよ、古代中国に一里76mの架空の数字を使用した前例があるわけだからな
倭人伝もそれを知って借用したんだろ、めでたしめでたし。
128日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:10:24.63
♂のあしあと300こで一里
129日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:20:48.42
>>117
では仮に一歩=六尺でない、つまり短尺ではないとする
となると一尺24cmとして121尺で約29m
対して一里=三百歩は変わらないので一里=75mだと一歩=25cmだから21歩で5m25cm
直径29mの円盤を設置するのに地面を直径5mほどの円形にならす意味はなに?
130なぐさのこ:2013/08/09(金) 22:23:13.39
ここにはオツムがおむつになっている人が多いわね。
1寸千里の法が述べられているところには300歩1里とは書かれていないわよ。
周髀算経を現代の数学の教科書みたいな書き方で作られているとでも思っているのかしら。
おなじ周髀算経に書かれていることでも内容に食い違いがあるところがあるのよ。
1寸千里の法では1里は約70mであって(歩数に直せば50歩である)、これは6尺1歩、300歩1里
とは体系が異なるのよ。分かった〜?
131真性キチガイ 満州:2013/08/09(金) 22:29:56.48
なぐさのこ 赤子のやうに 駄々をこね
132日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:35:09.90
周髀算経に様々な体系があり食い違いもあることはわかってるようですね。
でもこれまでのメンツ上、他で300歩1里と書いてあるのを盾に無理筋を云い張ってるんでしょう(アリアリ
133日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:37:27.75
>>131
甲子園のライトスタンドで、阪神は優勝なんかむりでっせw

なんて言うのと同じ行為をするのはおもろいか?
九州に邪馬台国が無いと思うなら書き込むなよ。
九州にあるかないかは九州スレの人間が決める。
134日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:38:24.30
古代に1里は300歩しか無かった。とか
言い張ってる奴は
キチガイ確定だから
135日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:40:01.31
ま、便宜上というか、架空と言うか、
1里76mほどの短い里を使用した前例を周髀算経に見た。
陳寿もその例に倣って倭人伝を取りまとめたとみて何の不都合もないわけだ。
136満州芭蕉:2013/08/09(金) 22:44:43.38
九州人 破れかぶれで 無理を言ひ
137日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:46:55.54
>>136
さっさと死ねや
138日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:48:44.32
何も得る知識もない、全く無駄なスレだなw
139満州芭蕉:2013/08/09(金) 22:51:06.08
九州人 逆切れするしか 打つ手なし
140日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:52:37.13
満州辞世の句なり
141日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:54:12.72
>>139
はなっから違うと思ってんなら来んなって言ってんだよ。
スレタイ一億二千万回読め。
142日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:56:26.61
卑弥呼の冢。
ピラミッドみたいな古墳は、卑弥呼のお墓じゃないよね。
143満州芭蕉:2013/08/09(金) 22:57:55.62
九州人 顔を真っ赤に 怒り出し
144日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:57:58.54
俺は九州説を支持するが九州人じゃない。
福岡県が有明海まで伸びていることは最近知ったw
昔は漠然と近畿説が正しいんじゃないかと思ってたけど倭人伝をちゃんと
読んだら九州説が正しいと思うようになった。
145日本@名無史さん:2013/08/09(金) 22:58:41.69
>>142
そんな古墳あんの?
あれば詳しく
146日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:03:14.98
>>144
普通はそうなんだよ。
畿内は倭人伝詐欺、満州に至ってはレイプw

倭人伝レイパーww
147日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:05:02.16
>>144
君が倭人伝を読んでない事はわかったw
148日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:05:09.58
満州は本心のは名古屋に近づけたいのだろ
149満州芭蕉:2013/08/09(金) 23:10:13.02
九州人 かうなれば数で 勝負する
150日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:11:54.89
>>149
119999999回しか読んでないだろ?

もう一回スレタイ読め。
151日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:12:06.86
結局、一寸千里の法から1里=76メートルという数字が出てくるってことは誰も
反論できないわけかな。
152日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:12:41.03
名古屋なら名古屋で銅鐸ボコりとかすればよいのに
153日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:13:33.41
九州説はベンカラ、鉄器詐欺だしな、丹山も無い癖に。
154日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:14:08.80
>>151
あれから30年以上にわたって有効打とかでていないし
155日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:15:14.60
景行天皇、日本武尊、神功皇后、武内宿禰、この人たちが西暦何年ごろ、九州にやってきたかって、非常に大切なことだと思いませんか?
156日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:16:23.96
>>153
佐世保にあるぜ。
157日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:18:07.55
>>156
採掘跡は無いけどな。
158日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:18:54.10
オルドス式短剣が滋賀県で発見されたんだってね。
あれ?九州以東を土人扱いしてた九州説に矛盾するね(笑)
あれ?どうするの?九州説論者たち
また九州でオナニーするの?
159日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:20:05.19
でさ「東南に陸行500里で伊都国」
これは約40kmだと思うが
1里300歩説だと240キロになるよな?
九州北部の海岸から東南に240キロも行ったら宮崎南部の海岸だぞw
160日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:20:05.50
九州以東w
161日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:21:43.14
>>158
いや全然
邪馬台国は九州の王権だからな
日本各地に邪馬台国以上の王権はあっただろう
162日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:22:25.17
滋賀県のは大陸から九州すっとばして
直接来るルートの可能性もあるしな。
今後は丹波の先進性も実証されてゆくだろう。
163日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:23:36.98
ぐぬぬ…
九州に熊と隼人いたけど倭人にしちゃえ!

ふーこれで九州起源説にできるニダ
164日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:24:15.75
>>158

モンゴル系らしいので、樺太経由かねえ?
165日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:25:57.85
邪馬台国は九州南部だ
でも大した事無いんだよ、九州は

だって吉野ヶ里より三内丸山の方が
建物も規模も大きいんだぞw
166日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:26:19.76
縄文時代からかなり広範囲な貿易をしていたらしいからどこでどんな遺物が
出てきてもそんな驚くことでもない。
167日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:26:26.98
九州の王権は奴国、伊都国王だと思うけど。
168日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:28:42.76
>>164
オルドス青銅器文化は狄と月氏だからモンゴル人じゃないよ。
月氏は釈迦族と同族なんちゃう?狄はトルコ人。
169日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:30:03.79
熊本南部や大分の丹山は、中央構造線沿いなので、
わからなくもないが、

嬉野や佐世保あたりの、丹山はその系統から離れているな。
ちょっと珍しい。

そういえば、糸島にも丹生神社の関係があるそうな。
170日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:33:20.07
あらやだ土人扱いとか失礼しちゃうわね
本島には九州よりも古い伝承が多く伝わっているのに
失礼しちゃうわねまったくもう
171日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:37:14.59
倭国には丹山がある。で、当時阿波や紀伊半島には
採掘跡が確認されている。
丹生都姫も紀伊半島で祭られている。
これだけでも倭国は紀伊半島を含んでいるといえるだろう。
172日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:37:54.34
ローガンは帰納法の意味を理解してないな
根拠がどうのとか信憑性がどうのとか関係ないんだが
長年出典探しと根拠をもとにした論理作りしかしてこなかったから年も年だろうし今さら発想の転換は無理だろうけど
173日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:39:20.07
>>171
九州にも有るから意味が無い
四国にも有る
174日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:39:41.96
>>167
> 九州の王権は奴国、伊都国王だと思うけど。

古くは奴國王、卑弥呼の時代は伊都國王だろうね。
実質的な政権は伊都國王だろうって意味。
卑弥呼は精神的に崇め奉る存在。
175日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:44:26.53
糸島の平原遺跡や曽根、三雲遺跡群からは、
たしかに有力王の存在を感じさせるが、
奴国とは、勢力の差は違いすぎるような気がする。

先に発展した糸島が、奴国に侵攻して、
そのまま奴国になったという説もあることはあるが、
自分的には判断不能だな。
176日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:47:15.45
あと、糸島福岡連合軍が、
山超えて、佐賀に入植したという可能性も、
な気にしもあらず。

糸島福岡を拠点とする神功皇后の妹が、
佐賀のヨドヒメ神社のヨドヒメだし。
177日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:51:55.72
>>172

そうだね。

1+2=3、という話をしていて、
1と2の根拠を示して、3という結論を出しているのに、

3の文献の根拠が無いと勝ち誇っている感じ。
178日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:55:33.72
演繹法的な思考方法しか教えてもらえない世代だったんだろう。
179日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:55:43.82
ヨドヒメ神社は、ナマズの信仰があって、阿蘇神社とよく似てるんだよ。
そういう意味で、クマ国=狗奴国で、福岡とは敵対的な関係にあったと考えています。
180日本@名無史さん:2013/08/09(金) 23:56:45.32
>>173
九州のどこに弥生時代の採掘跡があるの?
マジで教えて欲しいのだが。
181日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:01:46.79
>>179 ナカマア
182日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:04:46.75
>>179

肥前国一之宮のヨドヒメ神社と、
肥後国一之宮の阿蘇神社、

もともと旧肥国で近い関係だったのかな?
183日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:06:12.20
丹生都比命なんて文字通り丹、赤土を司る神だぞ?
神功皇后ですら新羅侵攻に際して赤土を分けてもらってる位だし。
九州には丹、赤土の神なんて居るのか?
阿蘇山の周りでも皆無なんだがな。
184日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:08:39.13
>>176
それ可能性あるよ。
逆も然りだけど、福岡ヤンキーにやられた気がするw

伊都國=糸島
奴國=那ノ津(福岡・博多)※金印出土
不弥國=宇美

これ等が全て佐賀平野に移った可能性がある。
現在の地名は旧國の名残りで。
玄海灘から吹き付ける寒風を遮る、脊振山系の裏にある
佐賀平野は魅力的な場所だったと思う。
185日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:08:53.22
結構丹山のあるところに丹生神社はあるはずだが。
これは丹の神じゃないのか?
186日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:13:32.12
>>185
その大元はどこだという話だが。
187日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:13:41.80
金印が出土した奴国の場所は否定しようもないだろう
188日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:15:15.40
君らのは帰納法ではなく只の循環論法なんだな
189日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:15:32.59
九州には鉱床がある、阿波や紀伊半島などの未開地でも採掘していた。文化が進んでいた
九州でも当然採掘していただろう。
190日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:17:07.87
>>187
あの出土状況じゃ信憑性はイマイチだがな。
だが奴国に関しては九州にある事に異を唱える奴は少ないだろう。
191日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:19:41.72
阿蘇神社、ヨドヒメ神社ですけど、ともに多氏の流れのようです。
あと、ナマズ信仰から、呉の姫氏の流れを考える人もいるようです。
ヨドヒメ神社の大宮司は高木氏でしたが、その後、千葉氏に変わりますが、千葉氏も多氏の流れをくむ可能性があります。
192日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:20:14.76
循環論法は根拠を求めて空転してしまう演繹法だが帰納法は根拠を求めない
根本的に違うことを理解すべき
193日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:20:39.91
阿蘇山なんて風土記に丹土に関する記述すら無い、豆な。
194日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:23:25.07
丹山は阿蘇よりちょっと南側にあるな。
195日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:23:39.39
赤土を間違って丹って記録しちゃいないよな?
196日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:29:31.28
赤土のリモナイトは阿蘇の外輪山の中。
丹山はちょっと九州山地に入った所。
197日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:35:16.28
実際は周髀算経に根拠を求めてるワケだが
周髀算経絡みの一連のやり取りは完全に循環論法に陥っていたね
198日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:44:50.10
>>197
確かに読んでてそう思った
199日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:46:37.82
九州の風土記の類に赤土、丹土に関するものが本当に無いわw
200日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:49:07.97
周髀算経で循環論法になってたのは1里=50歩のとこだけだろ
201日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:49:29.12
まあ、九州は畿内ほどには興味がなかったということだろう。
この山に丹あり、とそっけないのも、そんな程度だからかな
202日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:50:31.38
一寸千里76kmは、議論関係なく、
周髀算経だけで成立するからな。
203日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:52:36.66
>>201
九州には記録上も丹山がないからな、論外w
204日本@名無史さん:2013/08/10(土) 00:53:25.49
>>202
棒一本あれば、見知らぬ土地も測量可能やけんねぇ。
205日本@名無史さん:2013/08/10(土) 02:08:41.28
その代わり一寸が4ミリになっちゃうけどね
206風の中のゴキブリ:2013/08/10(土) 03:53:00.73
満州=夢幻如

最近さあ、飽きてきたんだよね

お得意のトンデモ説で楽しませてくれや
207日本@名無史さん:2013/08/10(土) 06:15:22.74
>>205
幼いなあ。もう少し実のある批判をして欲しい。
208日本@名無史さん:2013/08/10(土) 07:16:50.77
>>201
倭人伝には鉄器に関する記述の方がもっと少ないだろ…
隋書なんて骨鏃使用してるとまで書かれてるしw
209太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/08/10(土) 09:37:06.16
霊幻如=満蒙巣コング

盲象度はA級 なお唐松山は超S級

霊視を古代史の根拠にするのは正式には無理。
ちまたでは差し支えないが、臥海ではこれはダメだな。


http://www.senkosha.net/news/gekkou/gekko201209.html
210日本@名無史さん:2013/08/10(土) 09:46:47.74
>>207
そっちこそ往生際が悪いよ
211日本@名無史さん:2013/08/10(土) 11:09:12.05
ざっと読んでみたが
畿内vs九州 というより
短里vs畿内+まともな九州説
ていう感じかな
212日本@名無史さん:2013/08/10(土) 11:35:52.36
景行天皇、日本武、神功皇后、武内宿禰が九州にいる正確な年代をつかむと、邪馬台国のことを別の角度から把握できるんじゃないでしょうか?
213日本@名無史さん:2013/08/10(土) 11:49:33.79
正確な年代なんて掴める訳がない。
大体神武、神功皇后は複数の伝承を組み合わせてるので実体がない。
214日本@名無史さん:2013/08/10(土) 12:17:25.78
>>212
それは重要なこと。
私見だが、土蜘蛛を成敗しては新たな地名を与えて回っている。
どうやら邪馬台国時代の「過去の地名・人名・所業の数々」を消去し、
新たに崇高なる高天原神話を準備するのが(大和王権の)主目的ではなかったかと・・、
215日本@名無史さん:2013/08/10(土) 12:27:00.11
>>214
書き方一つで悪者も正義だからな。
邪馬台国問題も、最終的には菊のカーテンが邪魔するかもしれん。
216日本@名無史さん:2013/08/10(土) 12:41:59.62
>>214
深い洞察ですね。
私もその見方を今後参考にさせていただきます。
217日本@名無史さん:2013/08/10(土) 12:47:31.42
面白い。とすると、書き換えられた地名は、元々重要な拠点であった場所ということになりますな。
218日本@名無史さん:2013/08/10(土) 12:51:59.37
>>215
その件はオレも頭にあるな
しかし時代は移っている、誰であれご先祖さまが雲の上では説得力が弱い、というかおとぎの国・天空の城ラピュタ。
実は地上にあったらしいというほうが、信頼感は増すような気もする。
まあ五分五分だが。
219日本@名無史さん:2013/08/10(土) 12:59:24.99
吉野ヶ里のある神埼は、景行天皇が、荒ぶる神が成敗され 神幸 が神埼の由来となっている。
あと、近くには、ヤマタノオロチに近い蛇取伝承がある。
神埼は神崎荘として、朝廷領となっている。
クマという地名がたくさんあるし、バルという地名もたくさんある。
正確な歴史が知りたい。
220日本@名無史さん:2013/08/10(土) 13:32:11.46
九州だけの歴史調べてたら全くトンチンカンな解釈しか出来ないぞ。
矛盾突っ込まれて思考停止、逆切れする奴は
嫌というほど見てきたしな。
221日本@名無史さん:2013/08/10(土) 13:45:12.40
オルドスの短剣がアホの九州説に突き刺さった。愚かな九州説は崩壊の大ピンチです。
222日本@名無史さん:2013/08/10(土) 13:59:38.32
卑弥子は熊襲の女王で何も問題ない
223日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:02:24.64
オルドスの短剣持ち込んだの、徐福じゃないの?
224日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:05:27.83
九州説にも2種類有って

1.卑弥子は熊襲の女王説

2.邪馬台国は福岡に有って畿内の大和王権の元になった

2番はほぼ有り得ない
225日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:13:38.22
卑彌呼さんはふつうに穢人の末だろ
226日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:14:48.89
高良山の神が高木神から、正体不明な玉垂に変わってるでしょ。
非常ににおうぞ。
227日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:17:33.62
穢れに敏感でひとが死んだらお家焼いちゃうとかのが穢人の特性だったりする。
下照ひめの兄ちゃんのも暴れているから穢人系だな
228日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:19:07.97
初代の玉垂は息長の玉垂だら
229日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:24:46.14
熊襲の女王とゆうといちばんぴったんこなのが壹與タン。
230日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:31:46.42
>>225
穢人が大陸に取り残された倭人の末だろ
231日本@名無史さん:2013/08/10(土) 14:46:29.93
高連=長寿王にすりかわられる前の高句麗は穢人とほぼ同系だら
232日本@名無史さん:2013/08/10(土) 16:00:24.58
肥後熊本は、延喜式神名帳に収録された神社が極めて少ないことで知られる
全国では約3000社もあるのに、熊本はわずか4社、
しかもそのうち3社は景行天皇が奉じたと伝えられる阿蘇神社の神武一族関係らしい
ではその他はどうなったのか、不思議だ
(もしや景行天皇に消されたか)
233日本@名無史さん:2013/08/10(土) 16:23:37.97
>>232
西海道では筑前、壱岐、対馬が多いけど後はどんぐりの背比べ。
肥後が殊更に少ないというのはどういう意味かね。
つまらんミスリード。
234日本@名無史さん:2013/08/10(土) 17:16:47.02
ほほう、気になりますか。
235日本@名無史さん:2013/08/10(土) 17:25:46.67
神社は祟り封じ。
しめ縄が多く・大きくなるほどその色が濃くなる。
236日本@名無史さん:2013/08/10(土) 17:33:03.55
>>234
誤りが気にならないのは痴呆でしょうね。
237無泡沫の一升:2013/08/10(土) 18:03:27.42
>>224
あほかおまえは。知ったかぶりで恥をさらすな。
九州説は2種類どころではないぞ。福岡説(福岡市、久留米市、朝倉市他)、佐賀説、大分説(宇佐市他)
熊本説(熊本市、阿蘇市)、宮崎説、鹿児島説、沖縄説もあるぞ。
238日本@名無史さん:2013/08/10(土) 18:08:07.21
沖縄も九州なのか
239無泡沫の一升:2013/08/10(土) 18:13:19.72
>>205
おまえもバカだな。300歩=1里に拘るからそんな幼稚な書き込みしかできんのだ。
1寸千里の法から得られる1里は歩数にすれば50歩にしかならんだろが。それがなんで1寸が4mm
になるんだ?約70mの50歩なら1寸は約2,4cmだろが!
240無泡沫の一升:2013/08/10(土) 18:22:14.48
>>238
おまえは224のアホか?厳密には沖縄は九州ではない。しかし、九州地方に沖縄を含めて言う場合は
しばしばあるのだ。重箱の隅をつつくようなしみったれたレスをするな。
241日本@名無史さん:2013/08/10(土) 18:25:07.51
学問は重箱の隅をつつくようなものじゃなかったのか
こりゃまた失礼しましたっと
242日本@名無史さん:2013/08/10(土) 18:29:19.02
キチガイの相手しちゃダメ
243日本@名無史さん:2013/08/10(土) 19:12:42.27
>>236
誤り? そりゃすまんかった。
オレも年のようだ、記憶が薄らいだ、間違いを正してやってくれぬか。
244無泡沫の一升:2013/08/10(土) 19:38:26.06
>>241
>学問は重箱の隅をつつくようなものじゃなかったのか

矛盾、齟齬があっては論は破綻する。それゆえ学問では重箱の隅をつつくように周到に
検討を重ねる。だが、おまえのレスは単なるイチャモンだ。学問とは関係がない。
245日本@名無史さん:2013/08/10(土) 19:41:54.75
建日向日豊久士比泥別。
女王の居場所です。
246日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:10:42.36
1里50歩という主張は1里300歩という記述と矛盾するが、まぁ気にしない気にしない
247日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:19:06.06
矛盾すると思うのがアホなんだよ。
248日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:22:23.06
>>246
距離換算に一寸千里の法を用いてるだけで、寸尺は関係無かろう。
つーか要らんやろもん。
福岡まで36kmと257m32cm…

必要か?
249日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:25:38.90
じゃあ短里信者以外はみんなアホウになっちゃうな
250日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:30:47.00
>>248
短里の根拠とする周髀算経に従うと一寸が4mmになっちゃうよって話
一寸=4mmに違和感を覚えないのであればそれでもいいけど
251日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:35:12.55
>>243
耄碌したなら無理に掲示板に参加することもなかろう。

>>244
九州説が沖縄をも包含するとは知らなかったのでね。
252日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:40:19.39
一里は76000mmでーす、なんて誰も書いたり言ったりしないからねえ。
気にしない、気にしない。
253日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:49:10.60
1里=75メートル、1里=300歩、1尺=10寸
この時代では距離単位の里・歩と長さ単位の尺・寸に互換性はなかった
例 
「則位徑一百二十一尺七寸五分」
歩と尺に互換性がなかったので、二十歩一尺七寸五分のようには記述されていない
つまり、1歩が1尺なのか2尺なのか6尺なのかは資料からは明らかになってない
254日本@名無史さん:2013/08/10(土) 20:58:56.91
>>250
大まかな距離を測量出来れば良かったんだよ。
距離を測量出来る方法が、他に皆無だったと言っても良い。
だから一寸千里の法を採用したであろうと言う話で、
記録者は尺寸の矛盾も知ってただろうが、どうでも良い話なんだ。
尺度以上に、測量方法の方が疑問だったから同時に謎が解けた。

ちなみに短里って言葉は俺は嫌い。
測量方法を考えないまま、尺度だけに拘ったから出来た単語だ。
『周髀里』って事になるんじゃないの?
255日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:17:16.94
>>250
>短里の根拠とする周髀算経に従うと一寸が4mmになっちゃうよって話

周髀算経には古くは周時代の理論から新しくは漢時代の理論まで幅広い時代のものと思われる内容が
盛られている。その内、1寸千里の法は初期の理論と考えられる。その当時では1里は50歩だったの
だろう。だから後代に定められた300歩を1里とする体系とは食い違いが生じたのだろう。
256日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:29:49.78
しかし、まあ問題点は収束したな。
里歩系単位と尺寸系単位が不整合。

それを解決すれば九州説は確定できる。

他の説は、問題点だらけで、収束の目処は立っていない
257日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:32:59.11
里程だけが解決すれば確定とか流石ですわ
258日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:36:37.98
奴国が博多だとしたら、好古都国はどこだろう
好古都はハカタと読むのだと思ってたが
259日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:40:00.70
とりあえず一寸千里の法で測量したと仮定すると、地図上でも
地形の起伏を考えず、直線距離で大まかな場所を比定出来る。
百里の距離は歩測だろうが、この発見はデカイ!

後は測量時間は何時なのか?
太陽が真南を向く正午なのか?
とすると、方角も現在と正しいのか?
ゆっくり煮詰めて行きましょう。
260日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:41:00.38
周髀算経に収録された周初期の理論である短い里の体系(1里76m、1里50歩)
こんな感じ?
261日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:59:28.62
>>260
そうなるね。
262日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:05:12.96
>>260
半歩で100歩を押したい
263日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:12:27.03
>>259
>後は測量時間は何時なのか?
>太陽が真南を向く正午なのか?
>とすると、方角も現在と正しいのか?

棒を立てて影の先端の軌跡を画けばいいのではないですかな。影長が最短になる時が正午で、その
時の影の方向が北ということにしたのでしょう。夏至の日に測定できれば言う事なしですが、雨な
ら無理ですし、多くの地点で同時に測定するのも無理でしょう。夏至の前後十数日なら大きな誤差
は出ない(近似値でよい)として八尺の棒の影長を帯方郡での測定値と比較して緯度差を示す直線
距離を概算したという可能性はありますな。
264日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:18:10.84
>>253
仮に互換性は無くても引用の記述から一歩≧六尺と読み取れる
265日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:20:11.97
八尺棒で測量したとか更にあり得んわw
266日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:21:36.66
>>260
一里五十歩なんて何処にも書いてまへん
267日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:27:09.60
周髀算経では一寸千里は季節を問わず成立すると言ってる
しかし実際は一寸変化する距離は季節によって異なる
だから一寸千里で測量なんかしたら季節によって距離がバラバラになってしまうんだな
268日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:31:29.45
一寸千里の法を周初の理論と断定しているのはなんでなん?
269日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:31:46.03
>>262
半歩76cm、100半歩76mで1里、それも考えられるね。

というのは
初期の短い1里の約76mは、人間の歩行速度を勘案して作られた単位・・
その後に登場した長い1里の約450mは、馬(または馬車)の脚行速度を前提に改良導入された新しい単位・・

というような時代ごとの技術水準を反映したものだったのではないかなあ
だからごく初期の体系では人間の歩行を念頭に半歩単位だったということも十分ありうると思うわけ。
270日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:39:29.73
漢字の意味を調べれば、歩は所謂二歩分、一歩踏み出してももう片足を踏みださないと
前進しないからね。
尺は手指を開いた形、だから、元は体を使った計測方法だったのはご存知の通り。
人によって大またで計ったり、小またではかったりすると大きな差ができるので、
後時代に一歩=六尺分だよと規定したのだろう。それも田畑面積などを計る場合のみに
用いられて一歩=六尺平方が単位。
長さの場合は漢字の成り立ちの基本通り、二足をかかとをつけて計った分を後代まで使用していた
と思う。いつのまにか後代に面積も長さも一歩=六尺に統一されたのだろう。
おそらく唐代あたりで、突然に里数が小さくなっているから。
例をあげてもいいけど正確を記するためもしよかったら後で、また。
271日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:44:09.71
日本人は「一歩前へ」と言われたら
片足だけだよね
272日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:44:29.02
>>264
令其平矩以水正,則位徑一百二十一尺七寸五分

地面を平らにしてさらに平らにして内側に円を描くとかいうトンデモ解釈を信じてるとはどれだけ頭が弱いんだ
この文に続く残りの文章はすべて天体観測について書かれている
地面を平らにして円を描くこととこれっぽっちも関係ない
明らかに誤りの解釈である
よって歩と尺の関係は不明
273日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:57:29.82
>>267
一寸千里が実測なら夏至だけでなく冬至など他の日でも南北千里先での影長差を観測したと思うんだよね
観測すれば夏至以外は影長差は一寸にはならないから一寸千里は夏至以外では成立しないと分かるはず
やはり実測ではない可能性が高い
274満州芭蕉:2013/08/10(土) 22:59:10.93
>>272
だからこれを読めよ。

即平地徑二十一步,周六十三步。令其平矩以水正,則位徑一百二十一尺七寸五分。

AB=21歩=126尺を直径とする円の中に、その円に内接する、辺の比が3:4:5の直角三角形を描く。
この直角三角形と円周との接点をCとする。
ABは、直径であると同時に、この直角三角形の斜辺であるとする。
Cから直径ABに垂線を下し、そのまま延長すると円周と交わる。
その交点をDとすると、CDの長さが121.75尺となるのである。

計算すると実際は120.96尺にしかならない。
121.75尺となるのは直径ABが126.8229166666…のときであるが、
小数点以下を省略して126尺としたものだと思われる。
最初に121.75尺という数値を決めておいて、上のような方法で直径を126尺としたのである。

九州人が理解できるまで何回も上げてやろう。
275日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:01:28.42
>>265
>八尺棒で測量したとか更にあり得んわw

あり得ないと言う根拠は何かね?「あり得んわ」と言うだけでは子供の言い分と変わらんわwww
陸行の百里や五百里などは歩測だろう。一番簡単だからね。ただし、道なりの距離ね。
数千里の距離は、特に途中に水行が入る場合は、1寸千里の法での測定が便利だろ。
276日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:03:24.92
>>272
どうみても君がトンデモだよ
277日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:04:27.05
>>274
じゃ、その解釈と天体観測について書かれた残りの文章はどう関係してくるんだ?
そんなこといつまでも言ってるとローガンレベルの低脳と呼ばれるぞ
278日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:07:13.25
>>275
他の人も言ってるが季節によって距離が違ってしまうだろ
279満州芭蕉:2013/08/10(土) 23:08:19.79
一寸千里で千里が76mなら一寸は4mmになってしまうのである。
影の長さが4mm変化する地点を正確に突き止めるのは極めて難しい。
なぜならそもそも八尺の棒を地面に垂直に立てることすら難しいからである。
現代でも極めて難しい。ほんの少しでも垂直でないなら4mmなどすぐに変化してしまう。

しかも八尺の棒でさえ4mmしか変化しないのだから、
それより短い棒では事実上測定は無理である。
またそもそも76km離れた地点を当時の技術で突き止められるはずがない。
ゆえにどう考えても一寸千里は実測ではなく、机上の理論なのである。
その理論がどこから出てきたかは不明だが。
280日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:10:14.52
>>277
で、直径約29mの円盤とか言うわけ?
それを設置するために地面を直径約5mの円形に整地する意味は?
281日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:12:42.09
>>280
だから、具体的なことは分からんって前から何度も書いてるだろ
282日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:13:41.94
>>279
机上の理論を信奉する輩なんだから、補強に机上の理論を使いたがるのは道理ではないか。
283日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:18:54.53
>>279 :満州芭蕉
>一寸千里で千里が76mなら一寸は4mmになってしまうのである。

あんたもアホねえ。1寸千里の法の里は300歩1里の里とは異なる体系の里であると見るのが正常な
理性だよ。1里は50歩で1寸は2.4cmで何の問題もない。
284日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:19:23.61
>>281
なぜわからんのか教えてやろうか?
それはキミの仮説が支離滅裂だからさ
285日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:19:37.28
>>263
> 棒を立てて影の先端の軌跡を画けばいいのではないですかな。影長が最短になる時が正午で、その
> 時の影の方向が北ということにしたのでしょう

ビンゴ!それですわ、それなら東西南北全て解る!
昼前に休息とって、飯と一緒に測量開始ですな。
垂直出すのは両端を張った糸の真ん中から棒を吊るして、
揺れが収まったらそっと置けば良い(T型)。

移動しながらの計測だろうし、同季節だと思われるから
誤差率も少ない…と言うか、アバウトで良いと思われる。
あと、棒の長さと季節は関係あるかな?
その季節にその棒で、A・B地点での影の差を比率で計算すれば良い訳で…
286日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:20:02.49
>>279
>なぜならそもそも八尺の棒を地面に垂直に立てることすら難しいからである。

垂直に立てなくてもいいんだ、上から八尺棒をつるせばだれでも垂直にできる
一寸千里は、棒でなく、頭脳のよしあしの問題だ
程度の低いカキコは自分のスレでやってくれ
287日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:23:17.25
>>284
おれの仮説が間違ってようがどうでもいい
ただし、地面に円を描くなんて解釈は明らかに誤り
そんな馬鹿げた解釈を自分で妥当性を考えようともせずに
無条件で信じてるおまえは知能指数30の低脳だってことだ
288満州芭蕉:2013/08/10(土) 23:23:27.36
>>282
何が言いたいのか、さっぱり分らんぞ。

九州人よ、チミの立っている地点から正確に76km離れた地点を突き止めてみよ。
また八尺の棒を用いて影の長さが4mm変化する地点を突き止めてみよ。

実際にやってみたらそれが不可能であることが分かるだろう。
つまり一寸千里は机上の理論なのである。
289日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:24:00.43
>>282
東夷伝に書かれている里が悉く1寸千里の法の里と合致する事実は机上の空論か?
おまえさんは言葉の意味さえ知らないようだな。
290日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:26:43.36
周髀算経 引用

冬至?長一丈三尺五寸,小寒丈二尺五寸,大寒丈一尺五寸一分,
立春丈五寸二分,雨水九尺五寸二分,?蟄八尺五寸四分,
春分七尺五寸五分,清明六尺五寸五分,穀雨五尺五寸六分,
立夏四尺五寸七分,小滿三尺五寸八分,芒種二尺五寸九分,
夏至一尺六寸,小暑二尺五寸九分,大暑二尺五寸八分,
立秋四尺五寸七分,處暑五尺五寸六分,白露六尺五寸五分,
秋分七尺五寸五分,寒露八尺五寸四分,霜降九尺五寸三分,
立冬丈五寸二分,小雪丈一尺五寸一分,大雪丈二尺五寸。



もちろん、夏至の日だけではなく、それぞれの季節に
細かく観測していますね。
291日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:28:40.26
>>289
数値が帰納的に合致するように見えるだけで仮説でしかないでしょうに。
それとも何かで実証されたの?
292日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:29:37.20
>>290
でも南北千里移動した地点で実測した形跡は無いね
293満州芭蕉:2013/08/10(土) 23:32:19.78
>>286
では正確に76km離れた地点を突き止めてみよ。
また八尺の棒を用いて影の長さが4mm変化する地点を突き止めてみよ。

4mmだぞ4mm。お前の吊るしている棒が少しでも揺れれば4mmは変化してしまうんだぞ。
もっと現実的に考えてみろ、ド低能。
294日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:34:13.87
なんというか、短里説は論理構成が乱暴
295日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:34:27.71
>>293
それより三角形の公式と天体観測の関係はまだかいな
296日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:34:47.27
>>291

帰納的に計算された数値が、
現実の値と一致するなら、
それは実証ですよ。

夏至の日と冬至の日の影の長さから、
北回帰線と南回帰線の距離を計算し、

それが実際に南北回帰線の距離と一致するなら、
それは実証ですよ。
297満州芭蕉:2013/08/10(土) 23:36:52.78
>東夷伝に書かれている里が悉く1寸千里の法の里と合致する事実は机上の空論か?

この男もド阿呆である。
何回も言うが一里76kmで書かれているのは狗邪韓国−末盧間だけなのだ。
いいかげんに進歩しろド低能チンピラ。
298日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:38:11.48
>>288 :満州芭蕉
>また八尺の棒を用いて影の長さが4mm変化する地点を突き止めてみよ。

あんたま〜だ分からんのか?このばかたれが!
>>290を見れ!小雪丈一尺五寸一分 分の単位まで出ているぞ。1寸が4mmなら1分は0.4mmだぞ。
1寸千里の法では1寸は2.4cm程度だったのだ。したがって、1里は300歩ではない。
299日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:38:41.94
>>297
500里は何キロメートルですか?
300日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:41:40.08
>>291-292
地上であれ、机上であれ、仮説であれ、
一寸千里という理論の存在が認められたことのほうがはるかに重要だ
倭人伝はその理論を参考にして編集されたという主張の大きな根拠の一つとなる
301日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:42:49.49
>>298
言ってる事が逆
一里=75mが間違いなんだよ
302日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:43:36.83
>>293

4mmという言葉を出すということは、8尺の棒も1/6相当の短いものと
想定してよろしいですな。

そうすると、影までの距離も短くなって、その分くっきりと現れるようになりますな。

つまり、4mmはそれほど問題なく観測できますが?


棒が長ければ、その分散乱して影が見難くなり、
棒が短ければ、影もはっきりして観測しやすくなる。

長くても短くても、余り精度は変わらない。
303日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:45:11.51
297 :満州芭蕉
>何回も言うが一里76kmで書かれているのは狗邪韓国−末盧間だけなのだ。

少し頭を冷やしててから書き込みなされ。一里76kmなどと書くようでは熱中症が疑われるよ。
304満州芭蕉:2013/08/10(土) 23:45:41.12
>>295
そんなことはお前が原文を読んで自分で考えろ。
何でもかんでも人に頼るな、ド阿呆。
短里説を唱えているお前らがやるべきことだ。

>>296
お前もド阿呆だな。本末転倒している。
現実と一致しているということではないのだ。
周髀算経に書かれていることを現代天文学で計算したら一里76mとなったというだけの話だ。
馬鹿は来るな。
305日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:45:50.29
満州は破たんした、畿内信者も破たんした、畿内説の時代は終わったのだ。。。
306日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:45:59.72
>>300
一寸千里が認められたって誰に?
文意が不明
307日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:47:55.46
他の文書に使用されているのかは別としても、
一寸千里が76m程度なのは、変わらない。
ここで必要なのは棒と影の比、そして地球の大きさと
太陽の軌道のみ。

一寸が4mmであろうが、そうでなかろうが、
それを否定する材料にはならない。

尺寸は里の計算にはなんら、影響力を持たない。
308日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:48:28.63
>>301
>>298
>言ってる事が逆
>一里=75mが間違いなんだよ

なぜ間違いだと言うのか?理由を述べよ。
309日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:49:30.11
>>304
>周髀算経に書かれていることを現代天文学で計算したら一里76mとなったというだけの話だ。

それが実証でないなら、何を実証というのでしょうか?
310日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:50:31.34
>>296
どこが実証なの?仮説の整合性がとれてるというだけでしょ?
311日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:51:44.47
>>310

最後に現実の数字と照合してますからね。
312日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:52:07.14
>>306
一寸千里が認められたとは書いておらぬ
さあさあ落ち着いて噛みつくような視線で読め

>一寸千里という理論の存在が認められたことのほうが・・
313満州芭蕉:2013/08/10(土) 23:52:16.71
>>298
お前はよほどの馬鹿だろ。

>>290のどこに1寸は2.4cm程度だったと想わせるようなことが書いてあるというのだ。
お前は小学生か?
314日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:53:01.70
んじゃ、反短里者にお伺いしよう。

一里434mでもよござんしょ。
どうやって測量したんだ?
315日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:56:17.81
>>312
こりゃ失礼
でもやはり文意が不明
誰に認められたという話?
316日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:58:41.72
周髀算経では具体的にどんな計算して一里76mになったのかな。
計算方法を示していただけると助かります。
古代はもちろん地球は丸いことを知らなかったし、平面で計算したと思うから、
そんなことも計算方法に古代と現代の違いがからんでいれば、その一里76mという
計算結果も疑問視されるのかな???
317日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:59:44.81
>>316
前スレに計算式が書かれているよ
318満州芭蕉:2013/08/11(日) 00:02:22.90
>>314
お前もパカだな。
測量したのではない。一里434mと決めたのだ。
寸の長さを決めて、そこから尺、歩、里の長さを決めたということだ。

こんな常識も分らんのか、お前らは。
319日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:03:32.09
>>315
ここ数日のこのスレのカキコに通じておれば、そのようなことを言えるはずがない
それ以前に、一寸千里の法のなんたるかをも知らぬようだ
まさしく畿内信者は破綻しておるな
320日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:09:16.72
>>318
言ってる意味がわかんないのかw
とーとー頭やられちまったかww

尺度は決まってても、その値で測量出来なきゃ記録出来ないだろうが。
それが重要だってずっと言っ来たんだよ。

周髀算経から尺度を決めて測量したんじゃない。
測量方法に周髀算経を使って尺度が決まったんだよ。
321日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:09:17.36
>>311
仮説が成立するのを実証と称しているなら、それで結構です。
322日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:12:14.37
>>318
もういい、カキコのスピードについて行けてない
生来の天才とはいえ、満州芭蕉の時代は終わったのだ
323日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:13:21.48
現実的に考えて一里というのは今でいう村の中の一隣組程度の大きさでしょう。
辞書には周代の25軒分の家と畑の区画だそうな。
それが76m四方に入りきるだろうか?
たとえ25軒が誤りだとしても、一町分が一辺76mというのはちょっと狭いような気がする。
324日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:15:59.48
3×3のきゅうけんじゃなかったっけか
325日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:20:22.56
76m四方は5776平方メートル。1750坪。25軒だと1軒あたり70坪。これが広いか狭いか?
326日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:29:08.46
田畑も家のまわりに附いていて里(さと)になると思うので、
田畑分も計算に入れれば76メートルでは狭すぎないかな。たとえ、8、9軒の里だとしても。
327日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:33:50.54
すまん、ソースは無いんだが、この周髀算経の件で
色々調べてたら、ある文面を見た。
街の規格(中国特有の基盤状の)は縦横の里数が決まってて、
それに基づいて造ってたんだと。

だがある時、人口増加に伴い街をデカくしてしまった。
やっべ〜と思ったらしいが、仕方ないから元々の基準尺を
大きくして、規格通りとして収めたらしい。
その記事の信憑性は解らん。
328日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:35:54.30
田畑まで入れなければ入りそうだけど、
田畑を入れたら入りそうにない。

中国の田畑の状況がわからないけど、
日本の班田収授で、男2反(360坪×2)女1+(1/3)反

これは3,300平方メートルくらい。
329327:2013/08/11(日) 00:39:44.20
あったわ
http://www.geocities.jp/cahierdusud/history/li.html

ではなかろうか…らしい。
330日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:51:48.25
>東南に陸行すること五百里、伊都国に到る。

1里=400メートルだと、伊都国まで200kmになってしまう
しかも畿内説だと「北東」に200km・・・
331日本@名無史さん:2013/08/11(日) 01:02:18.30
>>330
畿内論者も公里は信じてないよ。
短里を否定しないと、畿内説が破綻するから必死なのさ。
それは学者も在野も変わらん。
332日本@名無史さん:2013/08/11(日) 01:09:16.21
千里移動した地点での影の長さを計測したのは夏至のみ
なぜ他の日は計測しなかったのだろうか
333日本@名無史さん:2013/08/11(日) 01:13:11.20
>>332
たぶんしてる
でも計算が複雑すぎて挫折かと
334日本@名無史さん:2013/08/11(日) 01:17:22.29
>>332
蓋天説を信じてたからだろう
太陽が平らな空の上で平行移動するだけだから同じ差になると思い込んでたんだろう
335日本@名無史さん:2013/08/11(日) 01:19:43.97
>>333
計算じゃなく実測ね
336日本@名無史さん:2013/08/11(日) 01:28:28.88
>>332
夏至以外も計測はしていただろうね
単に夏至の話だから夏至の計測結果を書いたってこと
337日本@名無史さん:2013/08/11(日) 02:29:12.94
夏至以外では寸千里ではない
例えば、冬至では影が8倍ほど長くなるから影の差も千里で8寸くらいになるはず
そこで寸千里の法が破綻する事に気付くはずだが
よく解らぬ
338日本@名無史さん:2013/08/11(日) 03:05:32.79
一寸千里の法は分かったけど、百余歩という卑弥呼の墓の大きさはどうなるのかね?
339日本@名無史さん:2013/08/11(日) 06:14:49.05
>>337
そりゃ逆だ
年間通じて計った結果、夏至の日の陰が一番短いと分かったから代表値としてそれを基準にしただけだろ
実験して法則を導くときはするときはいつもそういうやり方なのさ

最近流行のクルマのGPSだって、ルート指定してから人工衛星でルート写真を撮影するわけではない
地球全体の地図情報は最初からクルマに収納されてて、必要に応じて必要な部分の過去情報を取り出してるだけさ
わかりる?
340日本@名無史さん:2013/08/11(日) 06:29:48.12
>>338
1里は76mで300歩だったとすると、卑弥呼の墓の径百余歩は径25m、周囲は76mほどになるな
その墓の周囲に奴婢100人なら満員電車並みよ

だから当時の一里は50歩か100歩だったんだろ、
ことわざに五十歩百歩と言うのがあるくらいだから、まあどっちでもいいが
341日本@名無史さん:2013/08/11(日) 07:52:26.41
>>339
冬至の方が影が長くなる分、測定誤差が小さくなる原理はお解りか?
それ以前に、夏至と冬至で太陽の動く距離を導き出そうとしている時に、夏至しか成り立たない寸千里を係数として使おうとする所に破綻を感じる
342日本@名無史さん:2013/08/11(日) 08:28:36.59
>>341
オレは理系だから、一寸千里を導き出すには広範膨大な実験をしてると感じるね
もちろん冬至は○寸千里とか、春分秋分には△寸千里とかも実験済みで、
その結果のエッセンスだけを収録したんだと思う

夏至でこうなら他の季節ではああなるはずと、当時平均以上の学者ならすぐ気がつく内容だからね
とはいえ周商時代というのに驚異的な学問水準だわ
343満州芭蕉:2013/08/11(日) 08:41:08.28
>>320
お前はほんとにアホーだなw
>測量方法に周髀算経を使って尺度が決まったんだよ。
こんなことを本気で信じているのか?

寸とか尺というのは人体の一部を基準にして決められたというのは常識だ。
夏至の日に影が一寸変化する長さを千里と決めた、なんてのはアホーの言うことだ。
大体、最初に寸とか尺を決めておかなければ、影の比が80;16になるなんて言えないわけだろが。

ったく九州人というのはアホガキか。
よく考えてみろ、周髀算経では一寸は4mmになってしまうのだ。
そうすると一分は0.4mmだ。0.4mmだぞ、0.4mm。
こんな微小な長さを長さの単位にするアホーがどこにいる。
344日本@名無史さん:2013/08/11(日) 08:48:14.43
>>343
隠れ畿内信者だったんだな
畿内説の破たんで支離滅裂のカキコになっとるわ、もう引退の潮時だ。
345満州芭蕉:2013/08/11(日) 08:48:40.11
大体、測量というからには最初に寸とか尺を決めておかなければ測量もできないわけだ。
>>320のアホーはこんなことも理解できないのだ。

寸と尺と歩と里の関係を決めておかなければ測量そのものが成り立たず、
周髀算経そのものが意味を成さなくなるのだ。

なんでこんなことが九州人には分らないのか。
救いようのないバカどもであるとしか言いようがない。
346日本@名無史さん:2013/08/11(日) 08:53:48.94
>>345
おい、満州芭蕉。
もはや、ドクターストップだな。
347日本@名無史さん:2013/08/11(日) 09:05:52.04
>>345
わかったわかった(笑)

で、寸尺歩里決めて、どうやって測量すんだよ?
単位はどうでもよろしい。
感覚的にとか答えんなよ?
地元ならいざ知らず、見知らぬ土地なら距離感なんか掴めんぞな。
348満州芭蕉:2013/08/11(日) 09:17:58.72
>>347
言ってることの意味が分らんぞ。もっと明確な文を書け。
寸尺歩里さえ決めておけば測量はできるだろが。
一体何が言いたいんだ?

どうもここの連中は意味不明なレスを書く傾向がある。
一行横チャリならぬ一行意味不明チャリだ。
349日本@名無史さん:2013/08/11(日) 09:26:57.77
>>343
>周髀算経では一寸は4mmになってしまうのだ。
八尺の棒というのは、32センチの棒になると思っているのか?
350日本@名無史さん:2013/08/11(日) 09:26:57.82
>>348
> 寸尺歩里さえ決めておけば測量はできるだろが。

だからどうやって?
351満州与作:2013/08/11(日) 09:35:49.06
何のことか意味が分んねーど。
おらはこれから図書館に避難するでの、まあ好きなことを書いておけや。
帰ってから一人残らず叩いてやっからな、楽しみに待っとけや(ケラケラ)

すかしこうパカが多くてはひとりではさばききれねーのう(ブツブツ)
352日本@名無史さん:2013/08/11(日) 09:39:22.75
九州説の進歩の無さは逆に研究対象にしたい位だなw
353日本@名無史さん:2013/08/11(日) 09:43:28.20
>>351
> 何のことか意味が分んねーど。

これが理論破綻した答えなのですねw
354日本@名無史さん:2013/08/11(日) 09:50:21.44
夏至に実測したなら他の日でも実測したと考えるのが自然
だが夏至以外でも計測していたら一寸千里は夏至以外では成立しないと分かる
にもかかわらず冬至においても一寸千里を適用している
つまり夏至においても実測はしていなかったということだろう
355日本@名無史さん:2013/08/11(日) 10:06:57.55
>>354
その疑問をタネ明かしすれば、
当時天動説で考えた一寸千里の論理を、キミが現在の地動説で評価しようとするからだよ。
いまなお天動説で検証すればそれなりに辻褄は合ってるww
356日本@名無史さん:2013/08/11(日) 10:12:01.82
ほう、松沢病院には図書館もあるのか
357日本@名無史さん:2013/08/11(日) 10:15:19.74
>>355
いや天動説か地動説かは関係無いよ
冬至でも実測すれば夏至と冬至では影の長さの差が異なると分かるだろ
358日本@名無史さん:2013/08/11(日) 10:22:06.49
>>357
もちろんそうだ。真の問題は、その原因を何に求めたかだ。
古代人は太陽が遥かに遠ざかったためと考え、
キミは地球が傾いて太陽高度が下がったためと理解してる。その差が評価の違いになってるのだ。
359日本@名無史さん:2013/08/11(日) 10:36:57.78
>>358
そんなことじゃないって
周髀算経では千里移動した地点との影の長さの差が一寸である事から「一寸千里」を導き出しており、これを冬至でも適用している
つまり冬至でも影の長さの差は一寸だと言ってる訳ね
でも冬至に実測すれば影の長さの差は一寸では無いと分かる
これにより一寸千里は冬至には適用出来ないと分かるはず
という話だ
360日本@名無史さん:2013/08/11(日) 10:40:27.46
>>359
冬至でも千里離れたところの陰長差は一寸と言ってるか?
361日本@名無史さん:2013/08/11(日) 10:56:33.96
>>360
言ってる
冬至の影の長さが13尺5寸である事から太陽直下までの距離を135000里と算出しているでしょ
362日本@名無史さん:2013/08/11(日) 11:20:00.29
>>361
それは、冬至でも千里離れたAB実測地点で陰長差1寸ありとは違う
A(またはBの)実測地点における夏至と冬至の陰長差をいってるんじゃないの?
363ローガン:2013/08/11(日) 11:24:12.51
>>253
>1里=75メートル、1里=300歩、1尺=10寸
>この時代では距離単位の里・歩と長さ単位の尺・寸に互換性はなかった

まだ言ってる(笑)

洛書甄曜度春秋考異郵皆云「周天一百七萬一千里,一度為二千九百三十二里七十一歩二尺七寸四分」(晋書天文志)

洛書甄曜度は漢代の書
1071000里÷365.25≒2932.2381
0.2381≒71歩2尺7寸4分
0.2381里≒428.74尺 ∴1里≒1800.67尺
364日本@名無史さん:2013/08/11(日) 11:25:20.38
>>361
さらに念のためだが、
当然ながら、太陽直下までの13万5000里は実測ではないからな。
365日本@名無史さん:2013/08/11(日) 11:26:44.78
>>362
13尺5寸から135000里を算出しているという事はつまり太陽直下との影の長さの差が13尺5寸であると考えているってこと
つまり冬至でも千里辺りの影の長さの差は一寸だと考えていたということ
366日本@名無史さん:2013/08/11(日) 11:50:58.01
>>365
そうだよ、同一のA地点における夏至冬至データでそう言う推論をしたわけだ
それが夏至において実測しなかった根拠にはならぬ、
むしろ実測した根拠だし、実測しなければこれほど見事なデータは得られぬ

推測するに、キミは一寸千里はテキトーにこさえた口ざわりの良い言い回しとでもいいたのだろう?
しかし一寸千里の一千里を現代科学で検証すれば約76kmに相当するという事実は動かぬ
また実測であろうとなかろうと、
古代中国においてそのような里数概念を提唱する学者がいた事実を示す文献(周髀算経)は、
貴重な歴史的事例・前例となる。
367なぐさのこ:2013/08/11(日) 12:38:48.84
>>363 :ローガン
しつこいオヤジだわね。
洛書甄曜度に書かれた尺と里の関係が「1寸千里の法」が成立した時代に適用されていたという証拠は
無いでしょ。1寸千里の法の体系とは別物よ。
1寸千里の法で1里約70mとなることは現代の知識で計算して確かめられているけど、当時でも実測す
れば同じ結果(50歩1里)になるわよ。これじゃ1800尺1里なんて言えないでしょ。違う体系の里が
存在したと見るのが当然よ。
368日本@名無史さん:2013/08/11(日) 12:57:08.04
畿内説論者がつらいところは、一寸千里の法を直接まちがいだという理屈がないことだね。
しょせん、漢代の里制に合わないという言い方しかできないってことだ。
369日本@名無史さん:2013/08/11(日) 12:58:37.13
>>366
つまり、仮に実測だったとすればそれは夏至のみだったということになる
あとは「実測は夏至のみ」をどう感じるかの問題
370日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:00:47.38
漢代の制で周代の里を測れというか
笑わせるでない
371日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:06:02.50
ボヤッとした事ばかり言わずさっさと一里=五十歩だと書いてある箇所を提示すれば良いだけ
372日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:08:59.34
一里が何歩かなんてことはまったく関係ないんだよ。
373日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:10:12.05
>>369
3000余年前の実測は夏至のみかもといっても我が身かわいさの憶測と勘ぐられるだけだ
歴史文書にこの里数概念が明確に記載されている事実こそ重要肝心
374日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:12:45.97
>>371
ボヤッとした事ばかり言わず一寸千里の里は一里=三百歩だと書いてある箇所を提示すれば良いだけ
375日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:29:00.52
>>373
「実測は夏至のみ」は憶測でなく記述内容から論理的に導き出される結論だよ

あと周髀算経の一番のポイントは「千里」が実測だったか否かだよ
「千里」が75kmとイコールになるのは実測だった場合のみだからね
376日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:37:54.32
実測かどうかなんて無駄な話だ。
377日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:50:18.85
分×10=寸
寸×10=尺
尺×10=丈
尺×6=歩
歩×300=里

でいいのよね?
でも一歩六尺っておかしくね?
24cm×6=144cmが一歩?
一歩一尺で丁度良いが。
378日本@名無史さん:2013/08/11(日) 13:57:38.50
昔の1歩は今の2歩、それに1歩は五尺だという話もある。(そのときには、1里360歩とする
ようだ)。いずれにしろ、それは確か唐時代の文書に昔はこうだったと書いてある距離制度にすぎ
ない。もっと前にはどうだったのか、それは為政者がかってに決められるわけだから、時代や場所
によりいろいろな制度があったかも知れない。
379日本@名無史さん:2013/08/11(日) 14:02:18.65
>>376
実測かどうかが全てだよ
380日本@名無史さん:2013/08/11(日) 14:22:23.21
>>379
畿内信者には生死のかかった重大問題だろうな
ま、ゴチャゴチャいうより、周髀算経に書いてあることが全てだよ、
周髀算経で脳死ケッテーイ
381日本@名無史さん:2013/08/11(日) 14:51:23.77
>>379
実測であることは数値が証明している
地球が球体であるとの認識がない時代に、当てずっぽうであの数値は得られない
確かに中原で観測されたデータだ
382日本@名無史さん:2013/08/11(日) 15:01:04.91
>>381
あの数値ってどの数値のこと言ってるの?
383日本@名無史さん:2013/08/11(日) 15:05:13.97
>>382
かわいそうに、おまいも脳死状態
384日本@名無史さん:2013/08/11(日) 15:07:15.25
つまり一尺五寸と一尺七寸は実測かどうかという話ね
一尺五寸と一尺七寸は実測しなくても得られる数値だ
385日本@名無史さん:2013/08/11(日) 15:26:31.98
>>384
実測せず、どうやって思い付くと言うのだ
シュウヒサンケイの人は地球が丸いとも知らずに影を測定した、半球状だか平面だかの天蓋を想定していたかは知らんが、とにかく太陽高度と言う客観的なものを測定し記録してくれた
その数値を借りて、現代なら解っている地球の直径や自転の傾きを適用すると、件の数値が出たと言うことだ
シュウヒサンケイで千里と言っているものが、太陽高度の変化から逆算して如何程なりやと、現代の単位に換算できたのだ
386日本@名無史さん:2013/08/11(日) 15:48:48.58
>>385
一尺六寸の地点から南北に移動すれば地上の何処かで影の長さが一寸増減するのは実測せずとも分かるだろ
387日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:00:07.17
>>386
うん、わかる。
二寸増減、三寸増減、四寸増減することも分かる。 それで???
388日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:16:00.21
>>387
だから実測せずともその距離を当てずっぽうで実距離と関係無く「千里」と書くことが出来るだろって話
389日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:16:32.46
地球が丸いって概念無いとわからんでしょ
390日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:18:13.83
地球が丸いという概念があったんだ
391日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:23:33.14
>>390
ございません
そう言う概念での周髀算経
太陽の高度計算
392日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:26:42.77
一寸変化するX里を便宜上「千里」と書いただけだろってことだよ
393日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:35:10.94
>>388
もちろんあてずっぽうで書くことはできる
しかしそれが倭人伝から推定される短い里の千里76kmに合致する確率はほとんどゼロ
百回千回に一回の奇跡に恵まれる必要があるだろう
仮に当時長里であったなら、むしろそちらに近くなる確率のほうがはるかに大きい
394日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:40:50.98
>>392
便宜上「千里」と書いたとして
それが著名な文献に前例として残っているのだから、倭人伝編集者がそれを利用しても不思議ではない
395日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:47:38.58
>>392
> 一寸変化するX里を便宜上「千里」と書いただけだろってことだよ

つまり実測したってことですね
396日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:50:12.32
>>392
魏使が八尺棒を持ち歩いて、
不案内な倭の地を陰長一寸刻みに調べ、記録した可能性の方がはるかに大きいな
八尺棒は便利だねえ、って云いながらさ。
397満州与作:2013/08/11(日) 16:52:44.84
>>349
>八尺の棒というのは、32センチの棒になると思っているのか?

チミは自ら墓穴を掘ったなw
一里が76mなら八尺の棒は32センチの棒になってしまう。
そんな棒で実測したと思っているのか(笑)
たった32センチの棒で、影の長さが4ミリ変化する地点を探したと思っているのかw
これで一寸千里が実測ではないことは明々白々だ。
398日本@名無史さん:2013/08/11(日) 16:54:35.07
>>396
すごく便利だったんだね魏志の東夷伝にしか現れないけど
399日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:11:02.23
>>393
通説に従えば周代の千里は約430km
つまり当てずっぽうで「千里」(=約430m)と書いたのだろうって事
400満州与作:2013/08/11(日) 17:12:03.06
一寸千里は、地球が丸いと考えれば、76mという数値が出てくる。
ところが地球は平面だと考えていたとすれば、そんな値は出てこない。
それどころか一里は1900万kmという答えが出てくるのだ。

夏至の日に、太陽が真上にある地点をAとする。Aと太陽の距離を8万里とする。
Aから北に(一万六千里−16寸)離れた地点をBとする。
そこに8尺の棒を立てれば16寸の影ができる。
Aから北に(一万七千里−17寸)離れた地点をCとする。
そこに8尺の棒を立てれば17寸の影ができる。
B地点とC地点の距離は(千里−1寸)離れているから、ほぼ周髀算経と一致する。

さてAと太陽の距離を8万里と仮定したが、実際はどれくらいか。
実際は15210万kmも離れているのだ。それが8万里だから一里は約1900万kmとなるのだ。
九州人よ、周人の宇宙観に沿って計算すれば一里は約1900万kmとなるのだぞ。
よく覚えておけよ。
401日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:18:57.21
一寸千里で測量なんかしたら季節によって千里の実距離がバラバラになっちゃう
実用したとしてめ、こんな測量法使えんわとなる
まあそれ以前に実用された形跡は皆無だけど
402日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:20:04.82
>>399
おいおい、
それなら現代の知識で検証すると約430mという答えが出るさ。
文系はなにを言いだすかわからないねえ、すでに頭の半分が脳死状態。
403日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:26:22.24
>>402
分かり難かった?
つまり当てずっぽうで書いた「千里」は一寸変化する実距離(75km)を意味してはいないって話だよ
単なる便宜上の値って事
404日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:27:36.46
周髀算経が地球を球体として認識していたなら
そもそも蓋天説はどうしたのって感じだし
倭人伝の解釈なんかより天文・数学の歴史上の一大トピックなんだけど
405日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:28:39.45
>>404
そんな話は誰もしてない
406日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:30:52.26
>>405
実測すると蓋天説のおかしいことに気付くんでないの?
407満州与作:2013/08/11(日) 17:34:55.83
周髀算経の記述から言えるのは、
周人は、夏至の日に、太陽は地上の8万里上空にあると考えていたということだ。
それでないと一寸千里の法は出てこないのだ。

ところで周髀算経のどこかに、太陽が地上からどのくらいの高さにあるか、
を算出した記事があったはずだ。それが8万里に近いなら周人の計算は正しい。
全然違うなら周人は計算を間違えているのだ。

逆に、太陽の高さが8万里の5〜6倍に書かれているなら、
1里を430m前後と見なしていた証拠である。

さあ、誰か周髀算経を調べてみてくれ。
408日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:34:57.59
>>406
なら実測してないんだろ
409日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:37:32.58
>>400
根本的に間違ってる。
太陽の高さを八万里とした定義ね。
あと地球と太陽の距離は現代科学からだろ。
410日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:37:59.24
>>407
太陽の高さ八万里は棒と影の比率80:16と「一寸千里」から算出した値でないの?
411日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:44:31.73
>>408
そうだね
終始蓋天説の説明をしているのはずが
一寸千里の法を懸命に説明すればするほど蓋天説のおかしさが現れるとか
某御大みたい
412日本@名無しさん:2013/08/11(日) 17:52:03.42
「邪馬台国は半島にあった」
でスレ立ててそこでやりなよ。
面倒臭い。
413日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:52:52.75
>>407
野球の話はとばせ
http://www16.plala.or.jp/dousaku/syuuhi.html

一寸4ミリの筒で太陽が除けるかよ。
414日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:56:46.64
>>413
一寸4ミリとなるのは一里75mだからだろ
つまり一里75mの前提が間違っているんだよ
415日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:02:41.47
以下ループ
416日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:14:17.65
>>395
何でそういう解釈になるの?
一寸変化する実距離はよー分からんが太陽との距離の比率を説明する便宜上「千里」と書いたって事だよ
417日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:15:04.13
>>416
じゃ机上の空論てことか
418日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:21:21.02
>>417
多分ね
419日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:32:42.22
>>414
測定する時は普通の寸尺だろ。
確かに、丁度一寸陰差が出た地点を便宜上千里としたのかもしれん。
つまり、一寸陰差が出る地点まで行って実測したって事だ。
膨大な時間と労力だ、ご苦労さんだな。
ここで距離の里と長さの寸尺が食い違ったんだよ。

だから、まあ新しい里の定義なんだろう。
寸→尺→歩→里の乗算は必要無かったんじゃない?
420日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:42:56.61
>>419
影長なんかで里を再定義する意味も必要も無いでしょ
421日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:48:21.61
春分・秋分の日に、南中高度を測るとその地点の緯度と等しくなる、これは解るかな。
夏至の日には、それに北回帰線の緯度「23度26分22秒」を足した角度と等しくなる。
冬至の日には、今度は「23度26分22秒」を引いた角度と等しくなる。
そして夏至と冬至の間で、太陽は「23度26分22秒×2=46度52分44秒」上下する。
さて周髀算経では、8尺の棒を立てて、
夏至の日の影の長さが16寸、角度にして11.3度
冬至の日の影の長さが135寸、角度にして59.3度
と観測している。
冬至と夏至の角度差は、59.3−11.3=48度 となり、これだけの角度を太陽が動くと出しているわけだ。
現代の「46度52分44秒」と比べて十分な精度だと思わないかな。
当てずっぽうなんかじゃない、当時の精一杯の精度で測定しているのが解らないかな。
観測した場所を類推すると、
夏至の高さから出して、11.3度+23度26分22秒=34度44分22秒 の地点。
これは周の首都、洛陽の緯度だよ。
冬至の高さから出しても、59.3度−23度26分22秒=35度52分22秒 の地点。
洛陽から北へ70kmくらいの場所になる。
これが当てずっぽうだろうか。
422日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:50:59.22
>>420
元々は天文学だから。
『一寸千里』が独り歩きしたと思う。
広大な土地を測量するには便利だと。
423日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:59:38.99
>>421
君の説明は「千里=75km=一寸変化する実距離」が前提になっちゃってる訳ね
だから「当てずっぽうで千里(=75km=一寸変化する実距離)になる訳無い」という発想になってるんだよ
424日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:02:45.22
>>422
実用すれば季節によって「千里」の実距離が増減しちゃうんだよ
そんなのを里の基準にはしない、というか出来ないでしょ
425日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:03:16.03
周髀算経で「寸千里の法」と出したのは、地上の距離を測るためではないぞ。
太陽までの距離、或いは天蓋までの距離を測るために使った。
天蓋の大きさがわかると、それが大地と接する点、つまりこの地上世界の大きさを測ろうとしたのだろう。
西洋でも、海洋の果ては滝になっており、そこで世界が尽きると考えられていた時代がある。
426日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:10:01.93
>>423
>君の説明は「千里=75km=一寸変化する実距離」が前提になっちゃってる訳ね

↑これちがう「千里=75km=一寸変化する実距離」
427日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:14:20.09
>>423  426の書き直し
>君の説明は「千里=75km=一寸変化する実距離」が前提になっちゃってる訳ね

↑これちがう
「一寸変化する実距離→75km→千里」の順番なのだから、一寸変化する距離は75km以外に有り得ない
428日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:19:50.20
>>424
季節ごと(1月ごとくらい)に実験しておいて、寸を補正すればいいんだから実用化はかんたんだよ
文系脳はしようが無いなあ
429日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:20:00.49
>>427
あ、すまん読み違えた
君が「当てずっぽうではない」と言ってるのは夏至の16寸と冬至の135寸か
これは当てずっぽうじゃないね
俺が当てずっぽう(というか太陽との距離比率計算上の便宜上の値)と言ってるのは「千里」の方ね
430日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:21:23.58
>>428
実用化に時間が掛かりすぎだろ
ちっとは現実的な発想を持とうぜ
431日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:24:35.73
>>428
実用化が簡単ならなんで東夷伝でしか使われてないんだ?
432日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:32:14.25
>>423
どうして先に「千里=75km」と決めたと考えるの?
そんなもん人間の預かり知るところではないよ。
基準点の太陽高度、8尺棒で影15寸 → atan(8*10/15)=79.38度
北へ千里の地点、8尺棒で影16寸 → atan(8*10/16)=78.69度
太陽高度の差=79.38−78.69=0.69度
地球の円周は、直径12,756km×3.14=40053km
だから、角度0.69度分の距離は、40,053×(0.69/360)=76.7km
これが千里という事になるから、1里は76.7mと出るのだ。
人間の恣意のおよぶ話ではない。
周髀算経の人が、目的こそ違えども太陽高度という不動のものを正確に測って記録した。
それが寸千里であった、それを現代の理学で逆算すると、彼のいう処の千里とは76.7kmだと出るのだ。
動きようが無い。
433日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:37:13.91
>>430
数か所に八尺棒を配っておいて一年間調査すればそれで実用化のデータは取れる

>>431
なにをいってる
六倍の六寸の影差は長里の千里に相当する、長里時代にはあちこちで使ってたんじゃないの
434日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:37:45.40
>>430
数か所に八尺棒を配っておいて一年間調査すればそれで実用化のデータは取れる

>>431
なにをいってる
六倍の六寸の影差は長里の千里に相当する、長里時代にはあちこちで使ってたんじゃないの
435日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:39:29.94
>>430
実用化なんて、何でも時間と労力を掛けた蓄積データからだろ。

>>431
三國志は殆どこの里数だった筈。
436日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:39:56.33
>>433
長里が短里の六倍という換算で実際に使われたの?
なんか答えさえ合っていれば全ての論が集結するんだね
437日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:46:58.76
一里をすっ飛ばして千里の距離を先に決めたってか
頭腐ってんのかw
438日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:48:51.37
あのなあ、天体実験する前に
里は使ってなかったと言うのかい
439日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:51:19.29
これが短里脳か
440日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:52:41.46
>>436
次々適当なレスをするやつだ、畿内信者は脳死状態
441日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:55:09.57
>>440
詰まると罵倒
442日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:55:12.66
仮に一寸千里で里を再定義したとすると、影長が一寸変化した距離がまず千里と決まる
んでその距離を千等分して一里が決まる
どうやって千等分するか分からんが
443日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:09:19.72
>>442
1/10まででオッケー。
100里以下必要無し。
一里76mは後の世の産物。
444日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:11:03.65
>>443
どうやって十等分したんだ?
それ以前に、どうやってその(のちに千里になる)距離を測ったんだ?
445日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:13:59.80
>>443
でもそれだと一里の長さが決まらないよ
446日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:16:07.24
>>444
> どうやって十等分したんだ?

影長一寸÷10=一分(100里)

> それ以前に、どうやってその(のちに千里になる)距離を測ったんだ?

ループしとる。
少し戻って読み直せ。
447日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:18:40.19
机上の空論ということか
448日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:19:55.20
ループ厨出没中!
449日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:26:22.63
さあ畿内論者に答えてもらおうか。
見知らぬ土地をどうやって測量した?
歩数なんざ、地形次第で大股小股だぞ。
メジャーで測りながら旅したのか?
海上移動でどうやって距離を出した?

公里だと言い張っても、書かれた里数の測量方法が解らないと意味無いぞ。
450日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:31:12.71
まともな測量なんかしてないだろ
対馬〜壱岐を千里(およそ435km)と書いてる事から明らか
451日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:32:45.07
同一の経度で南北に正確に千里移動できたのか
緯度の差異は観測できたとして経度の差異をどうやって測定するのか
452日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:34:01.78
倭人伝に、(およそ435km)なんて書いてないけど
453日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:35:52.71
魏代の一里は約435mだろ
454日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:43:06.66
>>421 ちょっと誤記があったので下のように訂正する。
-------------------------------------------------------------
春分・秋分の日に、南中高度を測り、90度からその値を引くとその地点の緯度と等しくなる。
南中高度は、夏至の日には、春分・秋分より北回帰線の緯度「23度26分22秒 (23.44度)だけ大きい角度として観測される。
冬至の日には、北回帰線の緯度「23度26分22秒」だけ小さい角度として観測される。
そして夏至と冬至の間で、太陽は「23度26分22秒×2=46度52分44秒(46.88度)」上下する。
さて周髀算経では、8尺の棒を立てて、
夏至の日の影の長さが16寸 → 太陽高度は atan(8*10/15)=79.38度
冬至の日の影の長さが135寸 → 太陽高度は atan(8*10/135)=30.65度
と観測している。
冬至と夏至の高度差は、79.38−30.65=48.73度 となり、これだけの角度を太陽が動くと出しているわけだ。
現代の「46度52分44秒 (46.88度)」と比べて十分な精度だと思わないかな。
当てずっぽうなんかじゃない、当時の精一杯の精度で測定しているのが解らないかな。
観測した場所を類推すると、
夏至の高さから出して、 → 緯度が 90−(79.38−23.44)=34.06度 の地点。
冬至のの高さから出して、 → 緯度が 90−(30.65+23.44)=35.91度 の地点
平均して、北緯34.98度。
これは周の首都、洛陽の緯度だよ。
これが当てずっぽうだろうか。
-------------------------------------------------------------

あと言えるのは、寸と尺の関係、これは 10寸=1尺 が使われていると言うこと。
なぜなら、「8尺棒で影16寸」の記述、これを「8尺=80寸」と読み替えて正解だったからだ。
それで観測点が洛陽付近と出た。
455日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:43:57.24
>>453
晴れた日には対馬から韓国が見える距離でっせ
456日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:44:07.54
>>450
伊都国まで東南に500里は実際に歩いたと思われるが
これは何キロメートルですか?
457日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:45:35.16
>>442
里の定義に太陽高度なんて使わない。
周髀算経はそんな用途のために起こしていない。
458日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:49:31.83
>>451
そのことだが、およその緯度差が分かるとして
烽火を上げて見通しのきく範囲なら、
多少の誤差含みでいいから経度差(もしくは東西方向の概距離)はなんとかならないものかねえ
459日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:51:13.39
>>455,456
だからまともな測量などしとらんのだろ
大袈裟・大雑把に書いたんじゃないの?
460日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:55:41.01
>>458
そのくらいのことでそれなりの経度が測定できたのなら
それを実際に行った者の記録が古今東西どこかにあるとは思わないか?
461日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:55:51.04
畿内説のやつらはただのイチャモン野郎だな
文献には実測したって書いてあるのに、そんなのは嘘だ、ただの机上の空論だとか、
正確に距離を測れるはずがないだとか、
そんな都合のいい数字になるわけがないだとか
文献に書かれてることを否定して自分勝手な逆の解釈をするのはただの妄想という
462日本@名無史さん:2013/08/11(日) 20:56:18.51
>>451
> 同一の経度で南北に正確に千里移動できたのか
これは出来る。
影長最短を繋いで行けばいい。
季節も関係無い。

> 緯度の差異は観測できたとして経度の差異をどうやって測定するのか

同緯度上の経度は厳しいね、残念ながら。
斜め移動なら問題無いんじゃない?
末盧國から東南500里伊都國なら、3:4:5の定理使える。
463日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:00:00.30
>>461
だよね
周髀算経には一里=三百歩と書いてあるのにそれを無視して一里=五十歩と言うのはただの妄想だよね
464日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:01:06.75
>>461
検証が嫌いなら参加しなければいいだけ

>>462
正確な時計も無い中で
南中時の影を正しく平行に連続させ
起伏も障害も多い中を一直線に歩いたのか
古代人は凄いね

>斜め移動
正確に南北東西に移動できるかどうかも覚束ないのに
正確に角度を維持しながら移動したのか
古代人は凄いね
465日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:01:42.86
>>459
一寸千里の法の記述が発見され、その千里が76kmと判明し、測定した場所が洛陽相当の緯度とわかった今、
さような大げさ・大ざっぱな論には同意いたしかねる
466日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:05:59.62
>>463
わざと逆らわなくてもよろしい
467満州与作:2013/08/11(日) 21:06:32.79
>>454
>夏至の日の影の長さが16寸 → 太陽高度は atan(8*10/15)=79.38度
>冬至の日の影の長さが135寸 → 太陽高度は atan(8*10/135)=30.65度
>と観測している。

だからどこにも「観測した」とは書いてないんだってば(笑)

>>461
>文献には実測したって書いてあるのに

だからどこにも「実測した」とは書いてないんだってば(笑)
468日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:09:11.48
>>464
うん、凄いんだよ古代人は。
これからラーメン食う時は心して食わんとw
469日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:10:41.62
>>465
千里が76kmになるのは「千里」先での数値が実測の場合のみ
しかも「千里」先で実測したのは何故か夏至のみ
そして仮に「千里」が76kmだと一寸は4mmになる
この辺の疑問を一顧だにしないならまあそれでもいいんじゃないかと
470日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:16:19.37
>>469
何度も書くが
じゃぁ、対馬壱岐間が千里となる説明をどうやってつける?
6倍とかの説明だと大雑把の範疇を超えてるぞ。
471日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:16:38.20
>>467
くだんの「観測している」とは、理系でよく用いられる学術的表現だよ(笑々

もう文系の出番はなくなったな
472日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:17:28.66
突っ込みどころを指南してあげよう。
夏至と冬至での太陽高度の差。
周髀算経では 48.73度、現代では46.88度、つまり2度近く誤差を出している。
となれば、寸千里における0.69度という微小な値は、精度誤差に飲み込まれるんじゃないかと懸念される。
仮に0.5寸多く読めば、1里=115.1mとなってしまい、
0.5寸少なく読めば、1里=38.4mとなってしまう。
473日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:19:34.24
>>469
さような粗雑な論理構成にはこれまた同意致しかねる
474日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:22:03.55
>>464
南中時にジャストタイムで測ったんじゃないと思うよ。
8尺の棒が落とす影の先端の軌跡にそって、石ころを置いていけば良いんだよ。
あとで棒と石ころの距離を測って、最短となっている箇所の石を南中時と見なせば良い。
こういうのは小学校の理科でもやったよ。
475日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:24:24.67
>>470
まともに測量していない=実距離は把握していないってことだから6倍だろうが10倍だろうが変わらんだろ
大昔に土地勘の無い場所で正確に測量出来ると思う?
476日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:25:14.32
>>474
それで千里の地にはいつ辿り着くのでせうか

まともな経度測定ができないということは
少しでも東西に振れた時点で正確な二点間の距離など測定不能ということなんですが
477満州与作:2013/08/11(日) 21:25:37.80
ポクの計算では一里は約79mになる。
そうすると一寸は約4.4mm、一分は0.44mmとなる。
測定した棒は約35cm。
35cmの棒の影が4.4mm変化する地点など突き止められるわけがない。

一寸千里の千里とは、修辞のようなもので、「非常に遠く離れた処」のことなのである。

短里が成立する唯一の可能性は、
「一里を50歩〜60歩と為す」という文献なり証拠が発見されることであるが、
その可能性は殆んどない。周髀算経もその他の文献も、周代の一里を三百歩としている。
478日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:26:31.80
>>474
こう書けば、石が一寸より大きいと誤差が出るとか、針小棒大な事を言うやつが出てきそうだな。
だったら、細い竹のペグを打てばいい。
土地も水平に整地してな。
水平にならすには水を張ればいいよ。
それに東西南北は太陽高度の測定そのもので導き出せる。
南中時の方向が解るわけだから。
479日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:28:47.34
>>478
洛陽の出発点の南北に川や大きな建物が無いことを祈ります
480日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:28:58.16
>>472
一寸の虫にも五分の魂か、魂の抜けた仮定の0.5寸の話をしてもねえ
481日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:32:14.81
>>475
> 大昔に土地勘の無い場所で正確に測量出来ると思う?

だ・か・ら 『一寸千里の法』が用いられた筈だと言ってんだろが。
482日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:33:04.57
>>475
一番簡単な測距法で目視があるのはわかるだろう。
この目視でさえ6倍、10倍の誤差はあり得ない。
目視は土地勘とは関係ないぞ。
483満州与作:2013/08/11(日) 21:36:07.17
>>470
福州海中有彭湖島 相去三千里 自福州順風而往 不半日至也(玉堂薈記)

彭湖島は台湾の近くの島。福州−彭湖島は釜山−対馬とほぼ同距離。
それが三千里と書かれている。

この資料を上げるのはこれで三〜四回目だ。
チミらは人の投稿を真剣に読んでいるのか?

>>471
だからその学術的表現がどこにも書いてないんだよ(苦笑)
484日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:44:13.29
>>483
> 福州海中有彭湖島 相去三千里 自福州順風而往 不半日至也(玉堂薈記)
つーか帆船じゃねーか、時代が新しい資料だな。
里数の変化も考えられるし参考にならんよ。
485日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:44:55.12
周髀算経の追計算では、尺と寸の関係は10:1だと確かめられるが、里と尺の関係は解らないんだよな。
1里=76.7mは正しいのだと思うが、
測定精度を出すためには、1尺=30cm くらいであってほしい。
これだと 1里=256尺 になる。
あいだに歩をいれて、1里=16歩 1歩=16尺 か丁度いい。
16進法だな。
486日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:48:26.80
上の >>748 の方法でいったん正確な方角を見定めれば、
烽火のような目印と、目視と、直角三角形と、八尺棒(その倍数の尺棒でも良い)の連続で、
数km〜数十kmごとに測定点をのばしていけるんじゃないの
487日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:48:31.60
>>484
相去三千里

これ往復なんじゃね?
488満州与作:2013/08/11(日) 21:49:10.80
九州人のパカなところは、倭人伝の里数が測定された数値だと思っていることだ。
高句麗が方○○里だとか夫余が方○○里なども測定された数値でないことは明らかである。
大雑把な勘で書かれているのである。
こんなものが実測された数値だと思って読むような人間はいない。
そんなふうに思って読むのは○○だけである。

で、まあ要するに九州人はその○○なのである(憫笑)
489日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:50:37.47
福州−彭湖島と釜山−対馬がほぼ同距離?
ほんとに?
ただ福州というからには榕城付近の港からだよね。
googl mapで見る限りはそういう風には見えないが。
490日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:51:29.69
>>486
なんでそんな高度な技術が東夷伝でしか使われてないのかな
491日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:55:02.16
満州与作は
並みの判断力さえ失った
492日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:55:11.52
>>485
周髀算経でも1里=300歩で1歩=6尺だから一里=1800尺だよ
493満州与作:2013/08/11(日) 21:55:45.13
>>484
時代が新しい資料でも相去三千里と書かれているんだよ。
釜山対馬間も近世に至っても三〜四倍に書かれている。

>>487
相去ること三千里。往復の意味ではない。
494日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:56:49.64
>>490
シッ!
それ言っちゃダメw
495日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:57:22.47
>>490
ここで訊くより陳寿に訊いた方が早いよ
496日本@名無史さん:2013/08/11(日) 21:57:41.87
300歩厨乱入中!
497満州与作:2013/08/11(日) 21:59:20.52
>>489
間違えた。
福州−彭湖島と釜山−唐津がほぼ同距離。
それがどちらも三千里と書かれている。
498日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:00:36.94
>>490
わざと論点をずらしとるな、いつもの手かww
499日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:01:43.01
満州与作は
並みの判断力さえ失った
500日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:01:43.47
倭国で使われていた里だからでは
501日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:02:28.04
>>497
間違いは誰でもあるもんだよ( ̄∀ ̄)
502日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:03:02.01
どのみち一寸千里じゃ東西の距離は分からんだろ
503日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:06:47.10
>>490
さよう、>>500 のいうとおり、東夷の倭人専用の里だからな
504日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:09:26.87
>>502
一寸千里に直角三角形を組み合わせれば東西もわかる
505日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:10:34.76
倭人は里でなく日で距離を測ると隋書だかなんだかに書いてなかったっけ?
506日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:13:47.50
>>504
具体的にどうやるの?
507日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:13:48.53
>>505
倭人に聞いた部分は日数になってるでしょ。
508日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:15:29.29
>>505
倭人はそうであっても、倭人倭国に関する資料を集め、編集したのは魏の関係者だ
もちろん里には詳しい、そこに中国人の自負が垣間見える
509日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:17:25.27
>>363
おいおい、別の時代の文献を引用してどうするんだ?
周髀算経では距離・長さ記述に歩と尺の混在がない→互換性がなかったという意味
漢代の書では距離・長さ記述に歩と尺の混在がある→互換性があったという意味
510日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:18:29.53
>>507
 自郡至女王國、萬二千餘里。
全部測ってるんと違うの?

 周旋可五千餘里。
これは実測なのね?
511日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:18:48.93
>>507
つまり、里で書いてある所までは実際に行ったという事だな
512日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:20:21.71
>>506
そんな簡単なことがわからぬとな
古代中国人にも劣る理数貧脳ではないか
513日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:21:33.87
>>504
理屈の上ではそうだろうが実際は影長差はほとんど出ないだろ
514日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:21:46.09
>>495
訊き方を教えてくれるとありがたい。

>>498
普通は疑問に思うんでないの?
遠隔の外地で精度の高い測距ができるなら、なぜ内地では全く使われなかったのか。
時代的にも地域的にも魏志東夷伝にだけ孤立している理由に興味ないの?
515日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:22:38.96
>>512
簡単なことなら他人に教えられるし、今からでも実行できそうだね。
516日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:27:24.90
>>513
三十二〜四十尺棒を使い二百〜三百里くらいで繋いでゆく
517日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:29:06.53
>>510
倭人伝は複数の人間の報告書を陳寿が纏めたものでしょ?
伊都國から南に〜投馬國、南に〜邪馬台国の部分は、
まだ邪馬台国に行ってない人間の報告書からだと思ってる。
自郡至女王國万二千余里は、後の方に書かれてるから、
邪馬台国まで行った人間の、別の報告書からだろう。
518日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:29:44.50
>>516
棒が長すぎて実用的じゃないよ
519日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:31:13.18
>>514
何を使い/使わなかったの、そこをぼやかしてるな、いつもの手だろうがww
520日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:31:25.84
逆算すると、
周髀算経で北へ千里のときの影の長さが、22寸くらいであってくれたら丁度良い
1里=529m、1尺=294mm となる
16寸ではなく、22寸であってくれたら、短里でないことになり万事収まる
521日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:36:11.93
>>514
> 訊き方を教えてくれるとありがたい。

恐山のイタコが手っ取り早いかな?
陳寿の霊を召喚してもらえばええ。
522日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:37:52.40
>>518
十六尺なら五百里おき、二十四尺なら三百里おきに定点を取れば精度的には同等
さらに東夷レベルとして精度を落とせば全行程十六尺でいけるだろう
523日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:41:10.23
なになに地上距離を「寸千里の法」で出そうとしているのか
六分儀をつかえw
524日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:46:25.46
道具使うまでもなく目視と速度と時間で十分だろ。
525日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:46:48.29
>>519
文意も掴めないなら無理に絡んでこなくていいぞ。

>>521
そんな画期的な方法があったとはね。
でも君ですら思いつくのに今まで誰もやらなかったのは何故だろうね。
526日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:51:25.99
>>525
二通りに読めるトリッキーな文章だからな
ま、当たりだったようだ、すぐ白状するし・・
527日本@名無史さん:2013/08/11(日) 22:53:45.27
>>525
> そんな画期的な方法があったとはね。
> でも君ですら思いつくのに今まで誰もやらなかったのは何故だろうね。

ホントだね。
卑弥呼召喚して、貴女様は何処にお眠りになって居られますか?
…って訊いたら一発かもしんないね。
それで発見出来たら、学者も考古学者も立場無いよね。

満州はライフワーク無くして廃人だねw
528日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:05:52.02
>>526
じゃあ表現を変えてみようか。

一寸千里の法のような高度な天文・数学の知見に支えられた理論と、
それを実地で運用できるだけの精度の高い技術と器具があったとするならば、
なにゆえ魏代の東夷という一時期・一地域にしかその成果が残っておらず、
その前後の時代や他の土地において運用された形跡が無いのか。

倭人伝の里程が一寸千里の法であるとしても、そう疑問に感じるのがおかしいかね。
529日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:09:32.35
倭人伝での距離を棒で測ったとかあるわけないだろ
周髀算経は学者が書いたもの
倭人伝の元ネタは武人と役人が書いたもの
530日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:12:16.10
机上の空論がそのまま現実で通用すると思っちゃうのはご愛嬌
531日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:28:18.27
>>528

それらの技術によって計測された結果が、
中国国内においても利用されていた。

のちに秦の始皇帝による統一令によって、
これらの数値が換算され、各地の地理情報の元となった。

しかし、膨大な資料群は完全に換算されて記録されたわけではなく、
周髀算経や隋書倭国伝、魏志倭人伝など、
換算されていない史料も、幾らかは残っている。


って感じでどや?
532日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:29:29.62
魏の使者が報告書を書く
テキトーな内容だったら罰せられるぞ
533日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:40:24.09
あ、今気づいたが、周髀算経も、
統一令のときに、中途はんぱな修正がなされたのかもしれない。

表向きの単位は割と簡単に修正できたが、
数値計算の結果を換算するためには、
その計算を理解できていなければならない。

修正担当は「計算の結果」までは踏み込んでいなかった。
または気づかなかった、とか

本来、数学をかなり理解した人が書いたのが
周髀算経などの数学書。
従って、間違ったモデルはしかたないとしても、
少なくとも机上の範囲で矛盾がある可能性は低い。

しかし、周髀算経自体に矛盾があるところもあり、
よく理解していない人間が手を入れた可能性もある。
534日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:43:04.29
寸千里は洛陽での観測データに基づく理論だ
他の緯度帯では誤差が出て使えないぞ
というか地上の距離を測るために導かれた理論ではない
535日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:45:55.25
>>531
秦始皇帝によって短里が改められたとするなら、
周髀算経の少なくとも一寸千里の記事は、先秦に遡ることが確実でないと始まらないのだが、
その点は大丈夫なのか?

秦より後の時代なら、秦の統一政策に縛られることなく、独自の里程を使ったとしても構わないと思うのだが、
秦の後の時代でも禁令のようなものがあったのなら、その例を挙げられるか?

地域的に東夷に偏っているのは、全くの偶然なのか?

>周髀算経や隋書倭国伝、魏志倭人伝など
「など」というからには、他の史料の名前を挙げて欲しい。
短里の実在を証明したいのであれば、漢籍から丹念に探すべきだろうな。

>>533
そういう想像は自由だが、論拠が無いなら何にもならんな。
周髀算経の成書年代とか、同時代の天文・数学・暦学の水準なんかを、もっと探求した方が良さそうだな。
536日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:49:56.08
おいおい周髀算経が短里を作ったような流れになっとるぞ
短里の存在を探すために、我々がここで周髀算経を利用しただけだぞ
537日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:52:45.83
>>536
>我々がここで
偉そうにw 発見者きどりか
538日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:56:45.08
>>537
周髀算経という物に、現代なら解っている地球の直径や北回帰線の緯度などを当てはめて、短里を導くのに使ったんじゃないか
539日本@名無史さん:2013/08/11(日) 23:59:37.83
>>538
そうなんだ、すごいねw
540日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:00:49.59
里なんて、いっぱい歩いて一区切りした所だから
541日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:07:35.66
>>539
それで短里は導けたが、短里だと逆に矛盾も出た
尺や寸の値が実用に耐えないくらい小さくなってしまい、これでは周髀算経の測定方法そのものの信頼性も疑わしくなった
自己矛盾ってやつだ
542日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:18:48.54
多分一里=五十歩を主張する人が現れると予想
543日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:19:34.69
当時の世界観はもちろん天動説、もっと厳密に言えば蓋天説
太陽は夏の間は天の北極に近い円をぐるぐる回って、冬になると北極から離れた円をぐるぐる回るという概念
周髀算経の内容から夏と冬で太陽がどれだけ天を移動するかを調べるのが目的と思われる
南にある場所では日が高く、北にある場所では日が低いのは経験的に知っていただろう
そこで影が一寸違えば距離はどれだけ違うかを測量した結果が一寸千里
だから測量場所は最初から千里離れた1か所だけではなかったはず
千里がデタラメというのは無理がある
544日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:27:13.52
>>528
主語が不明確
文章構成に難あり

↓こうすればわかりやすいけどな

>高度な天文学・数学の知見と、それを実地で運用できる高い精度の技術・器具に支えられた
>一寸千里の法という理論があったとするならば、
>なにゆえその成果が魏代の東夷という一時期・一地方にしか残っておらず、
>その前後の時代や他の地域においては運用された形跡が無いのか。
545日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:28:00.51
魏志倭人伝では、どう考えてみても、
すでに知られているであろう松浦までの距離が、
公里とはかけはなれており、また、
不弥国からは日数となっている。

首が飛ぶ恐れもなく、公里とかけ離れた数値を出すということは、
地方では地方の単位系で表記することも
許されているということであろう。
546日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:31:24.09
>>544
国語の先生でしたか。
なるほど内容については何も語れないわけだ。
547日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:35:51.35
>>544
答えられないからって質問文を勝手に変える人初めて見たはw
548日本@名無史さん:2013/08/12(月) 00:56:22.25
>>543
得意の循環論法ですな
549日本@名無史さん:2013/08/12(月) 07:24:26.54
距離はテキトーだと主張する畿内論者に里数云々を突っ込まれる筋合い無いけどな
550日本@名無史さん:2013/08/12(月) 07:36:36.02
ここが九州説だからかもしれんが、
九州説とその批判だけで、

他説がないのが面白い。
551日本@名無史さん:2013/08/12(月) 07:38:29.22
他説はスレチだろ
552日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:04:51.67
そういえば、箸墓説もピタッと話がなくなったな。
553満州与作:2013/08/12(月) 08:15:08.77
九州人は、倭人伝に書かれてもいないことを、
あたかも当然であるかのように前提して議論している。たとえば−

魏使が日本に来た。
魏使の報告書によって倭人伝は書かれた。
短里で書かれている。
魏使は地理を実測する器具を携行していた。
日の出の方向などで方角を知ったから方角を間違えるはずがない。etc

こんなことは倭人伝のどこにも書かれていないのである。
それなのに、そんなことは議論する必要はない、
魏使は日本に来ているに決まっている、と思っているのである。

九州人だけでなく畿内人もそう思っているようである。
倭とは日本で、魏使は日本に来たと思い込んでいる。
魏使が末盧国に上陸して、そこから歩いて伊都国に行ったと思い込んでいる。
その暗黙の前提そのものが空想であるとは思いもしていない。
554日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:15:49.90
ちょっと疑問に思った事がある。

現在の地点(A)で影その他で方角はわかる。
進もうと思う方角も解る。
実際に進んで、ある地点(B)に到達した時、
AからBに目指していた方角通り進んだと
確認するにはどうすれば良いのだろうか?
555日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:18:13.48
>>553
伊都國に郡使が駐留しとるとですよ?
556日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:20:57.67
クネクネ道だと方角はわからなくなる
海上ならわりと簡単
557日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:24:50.43
>魏使は地理を実測する器具を携行していた。
さすがにこんなことを思ってる人は一部だろう
558日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:25:45.67
>>553
さすがに痛い

>魏使が日本に来た。
来てる。魏志倭人伝に書いてある。使者の名前も書いてある梯雋と張政

>魏使の報告書によって倭人伝は書かれた。
常識w しかも使者の名前も書いてあるからw

>短里で書かれている。
ざっと計算しても千里は50km〜100kmだと馬鹿でも分かる

>魏使は地理を実測する器具を携行していた。
それが「足と目」だw 

>日の出の方向などで方角を知ったから方角を間違えるはずがない
東を南と間違える馬鹿は使者にはなれない
559満州与作:2013/08/12(月) 08:28:40.41
短里説なんて事実上もう崩壊している。
九州人の残された希望は方角だけである。南と書いてあるから南。

ところがそんなものは解釈次第でどうにでもなるものである。
実際、行程記事を読んで、二人に一人は畿内だと判断するのである。

現実の地理を無視して倭人伝の文章だけを重視するから南に邪馬台国を探そうとする。
現実の地理と照合して倭人伝の文章を判断すべきなのである。
どちらに重点を置くべきか、ということなのである。
現実の地理か、文章か。
560日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:31:06.89
>>554
だいたい太陽の位置だね
あとは景色を見て山とかの位置

目印を見て人は歩く
山を目印にして道が出来る場合は多い
561満州与作:2013/08/12(月) 08:32:24.40
>>558
チミは痛い。
そんなことでは百年勉強しても無駄だろう。
562日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:34:07.06
>そんなものは解釈次第でどうにでもなるものである。
>そんなものは解釈次第でどうにでもなるものである。
>そんなものは解釈次第でどうにでもなるものである。

これが畿内脳かw
563満州与作:2013/08/12(月) 08:37:02.59
一つの考えしか思い付けない人間を単細胞という。

九州説しか思い付けない人間。
畿内説しか思い付けない人間。
倭とは日本だとしか思い付けない人間。
魏使は日本に来たとしか思い付けない人間。etc

こういう人間はすべて単細胞である。
564日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:37:40.62
>561
どこが?
満州与作が使者の名前すら知らなかった事を指摘した事かw
生き恥だなw
565風の中のゴキブリ:2013/08/12(月) 08:52:27.04
夢幻如=満州
雑魚すぎワロタwww
566満州与作:2013/08/12(月) 08:53:49.83
九州人は倭人伝を必要以上に重視しすぎているのである。
それはあたかも明治以後の日本が西洋をやたら崇拝したことに似ている。
あるいは子供が、親や先生の言うことは何でも正しいと思っていることに似ている。

日本の地理さえろくに把握していなかった中国人が書いた文章を尊重し、
記紀は無視し、記紀より考古学を尊重する。

日本海ルート論者という男は真面目そうな男だが、
彼も記紀を無視して考古学や民俗学で歴史を組み立てようとしている。

倭人伝、考古学、民俗学の尊重と記紀の軽視。
それがここの参加者の通弊である。
567日本@名無史さん:2013/08/12(月) 08:56:20.95
魏使が倭(というか日本列島)に来てるのは間違いないな
半島にも倭人がおり倭人の領域はあっただろうが、いくらなんでも満州の論は無理だ

三国志が書かれたのは280年代であり、魏使の派遣からはずいぶん時間が経っている
その間には伊都国に常駐するという郡使からの報告もあったろうし
晋書にある266年の倭使からの聞き取りもあったのかもしれない
また魏略などの先行する史書も参考としているのは間違いないし
そのような情報の総合が倭人伝の記述だろう
568日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:05:35.79
>地球の円周は、直径12,756km×3.14=40053km
>だから、角度0.69度分の距離は、40,053×(0.69/360)=76.7km

この計算は重大な思い違いがあると思う。
古代人はもちろん地球の円周をしらないから、実測ですよね。
だから一寸の影の違いが出る地点までを実測したとしたら、土地の起伏その他もろもろが含まれてしまうでしょ。
つまり、76、7kmの数倍はあったと思う。
それがほぼ当時の千里の距離と一致していたということじゃないの?
569満州与作:2013/08/12(月) 09:12:20.61
>>567
チミは倭とは日本、倭人とは日本人だと思ってるからダメなのさ。
倭とか倭人が日本、日本人を指すとはかぎらないのである。

耽羅とはもとは台湾のことであったが、それがいつのまにか済州島のことになってしまった。
扶桑とはもとは沿海州方面のことだったが、いつのまにか日本のことになってしまった。
倭とはもとは遼西遼東満州朝鮮の民族を指したのだが、いつのまにか日本のことになってしまったのである。
570日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:16:40.65
>>569
別に倭人が日本人を指すとは思ってないよ
韓とか倭というのは当時の中国から見た区別というのが大きいだろ
当時は半島と列島間では普通に混血していただろうし
言語の共通性などの文化圏として見るべきなんだろうな
571日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:27:23.76
記紀を重視しろとは満州ブログの人の言い分と全く同じだが、
邪馬台国が大和朝廷になったというのが前提になってるな
邪馬台国が大和朝廷とは無関係であると考えてる人も多いわけで
関係ないとすれば記紀に載ってないのは当たり前なんだが
572日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:31:02.56
ま、九州説の二大潮流である九州王朝と東遷説は相容れないからなw
573日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:36:48.81
568つづき
だから、千里は確実に76.7キロよりも多いだろうと思う。
だからといって今現在に通じる千里4百数十キロ?だとは思わないけれど。
そもそも常にほぼ変わらないのは尺(手)、歩(足のながさ)の基準であって、
その他は用いる物、或いは為政者による変更等でいろいろ変化していることは
事実、その中で「里」がまったく古代と数千年間変化してない、っていうほうが無理がある。
574日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:42:14.42
九州王朝説は亜流中の亜流だろ
575日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:53:45.96
>>568
その考え方には重大な思い違いがあると思う
文献には1000里南の場所で計測したと書かれているのに
自分の勝手な判断でもっと距離があった主張しているだけ
土地の起伏くらい古代の人だって普通に考慮している
古代の人は猿ではない
知能自体は現代人とほとんど変わらない
576日本@名無史さん:2013/08/12(月) 09:59:37.80
573つづき
だから、逆に現代の地図を利用すれば、地図は平面だから、
古代の千里はある地点から76.7キロ先位、あるいはそれより少なめの地点を
千里としていたんじゃないかなあ。そうすれば、対馬ー壱岐間の千里が地図上ではかれば、
ほぼ60キロ前後として一致するんじゃないかな?
577日本@名無史さん:2013/08/12(月) 10:09:07.50
>>563
つまりお前だろ

自分で自分の論理を否定しとるわい
578日本@名無史さん:2013/08/12(月) 10:09:49.55
>>569
あとまあ古代中国人の倭という概念が変遷しているのは確かだろうな
論衡にある鬯草を貢じた倭人が何を指すかは不明だが
自分は列島のこととは考えない
579日本@名無史さん:2013/08/12(月) 10:12:44.22
>>575
しかし
・八尺棒の影長が一寸増減する距離は76kmである
・通説では周代の一里は432m、よって千里は432kmである
・従って一寸千里は実測ではない

とも言えるわけでね

後は周髀算経の他の記述との整合性で一里=75mが妥当か判断するしかないだろう
580日本@名無史さん:2013/08/12(月) 10:34:00.02
要するに、その76キロという数字は地球の円周を線としてとらえた数字で、
地図上の数字ですよね。だから古代人の千里というのは、
1、地図上でいえば、76キロ先が一千里、或いはもっと少なめ。
2、実際の古代人の使っていた千里は76キロの二倍くらいかなw

周代の一里=(一歩=六尺として)432mというのは、土地の面積に利用されていただけで、
距離の里とは、もとは、区別していたんじゃないかな。里には二つあったと思う。そうしないと、古文献の話の中身からも
千里432キロというのはあまりにも壮大で、話の中身と合わない。
そもそも歩は基本単位であるからわざわざ六尺と規定したこと自体が為政者が定めた基準だな、と感じる。
わたしたちが普通に本能でかかとをつけながら測るやり方が古代の歩だったと
思ったほうが自然だし簡単。
581日本@名無史さん:2013/08/12(月) 10:57:32.48
>>579
>しかし
・八尺棒の影長が一寸増減する距離は76kmである
・通説では周代の一里は432m、よって千里は432kmである
・従って一寸千里の千里は通説の周里ではない
・もしくは一寸千里は実測ではない

>579 は不平等なサマリーである、↑このように修正すべきだ。
582日本@名無史さん:2013/08/12(月) 11:19:31.51
現在の日本において、
・新幹線で1時間と言えば超特急200余kmの距離感
・ローカル線の旅を1時間と言えばガッタンゴットン毎時35kmくらいの距離感ww

同様に、古代中国でもこんな感じで見られたのだろう
・公里の千里とな、さすが都に通ずる官道なのだから千里435kmは当然
・東夷の千里、まして倭国かあ、どうせ田舎道をトボトボの旧里76kmくらいなもんだろよww
583日本@名無史さん:2013/08/12(月) 11:24:41.30
単里説に絶対の自信があるやつは中国社会科学院にメールを送ってみるといいよ
584日本@名無史さん:2013/08/12(月) 11:45:08.36
>>581
要は結論としてはその2パターンになるので、どちらが妥当かは周髀算経の他の記述との整合性で判断するしかないという事さ
585日本@名無史さん:2013/08/12(月) 11:46:35.88
中国社会科学院さま
「いわゆる短里は、周商時代の旧里という理解でよろしいでしょうか?」 倭二張 拝
586日本@名無史さん:2013/08/12(月) 11:55:18.87
中国社会科学院
「短里ってなに?」
587日本@名無史さん:2013/08/12(月) 12:05:56.33
Re.中国社会科学院さま
「短里とは、倭種の畿内信者が大嫌いな里のことです」 倭二張 拝
588日本@名無史さん:2013/08/12(月) 12:23:32.36
589日本@名無史さん:2013/08/12(月) 12:38:48.13
距離テキトー
方角テキトー
だけど邪馬台国の場所は確定畿内説。

九州説以上に突っ込みどころ満載だな。
590日本@名無史さん:2013/08/12(月) 12:48:41.48
しかしこれ学会には記紀のすべてが真実と考える人も
しべてが架空と考える人もいないだろう
どこまでが史実でどこが虚飾かは古くから考えられ続けてきてるだろうに
591日本@名無史さん:2013/08/12(月) 12:50:28.76
>>554
>>560
これで説明したつもりになってるんだから凄いよね。

太陽を観測しても緯度しか分からない。
どうすると当初の方角の通りに進んだかどうか分かるのだろう?

山を眺めて大まかな目的地には辿り着けるとしても、
当初の方角を維持して移動できたかどうかをどうやって確認するんだろう?

中国で三角測量のようなことが始まったのは魏代の裴秀や劉徽から。
それ以前に再試行以外の較正法があったのなら是非教えて欲しい。
592日本@名無史さん:2013/08/12(月) 13:34:44.10
>>591
あの、朝と夕方の太陽の方向で東と西が分かるのだがw

進行方向の左から太陽が昇り、夕方右に沈めばずっと南に進んで来た事が分かる
徒歩の人間だから1日数十キロしか進めないよ

海は陸を目印にするから、最初に目的地の方向が分かっている
もしくは「乍南乍東、到其北岸狗邪韓國」となる
方角を勘違いしてないぞ
593日本@名無史さん:2013/08/12(月) 13:39:13.37
満州ブログ=北野満州=満州与作

たしかにカキコのくせは似てるなあ(「が」を多用する)
ともに中九州や南九州は念頭にない
そのわりに北部九州を重視する
畿内説信奉は瓜二つ
594日本@名無史さん:2013/08/12(月) 13:48:51.41
太陽を観測して緯度を割り出して
その結果「當在會稽、東治之東。」ならすごいが
「計其道里、當在會稽、東治之東。」だから
行程の里を数えて割り出しているようだ
595日本@名無史さん:2013/08/12(月) 13:56:37.56
>>592
>>554がどの程度の精度を求めているのかによるな。
大まかに四方が分かる程度でいいなら>>592でいいだろう。
というかそのくらいなら誰でも分かる。
でもそんなアバウトな感じで、洛陽から東西に振れず南北千里の地点に到達できるん?
596日本@名無史さん:2013/08/12(月) 14:10:58.84
>>595
広い平原なんだから、狼煙の10ほども上げて見通し付ければよかろ
597日本@名無史さん:2013/08/12(月) 14:21:24.81
>>596
そんなんで寸単位の計測に誤差が生じないなら楽だね。
598日本@名無史さん:2013/08/12(月) 14:23:29.69
>>596
その狼煙をどういった位置に設置して、何で観測して、結果どう補正するんだ?
599日本@名無史さん:2013/08/12(月) 14:38:31.81
先行組と待機組の2つに別れて進む
待機組が狼煙を上げておけば先行組は自分がどっちの方角へ進んでいるかわかる
先行組が1km南(あるいは北)に進んだらその位置で狼煙を上げて、待機組はそれを目印に追いつく
あとはこれの繰り返し
600日本@名無史さん:2013/08/12(月) 14:45:44.90
まさに机上の空論
601日本@名無史さん:2013/08/12(月) 14:52:58.41
>>599
正確に真南(真北)へ進めないと意味が無いんだが、どうするの?
>>462>>474>>478みたいな子供だましで進むの?いつ着くの?
各測点が正確に一直線に並んでいることをどうやって確認するの?
602日本@名無史さん:2013/08/12(月) 15:02:22.78
磁石は古代中国にすでにあったと言われてる
603日本@名無史さん:2013/08/12(月) 15:11:07.39
>>602
磁石を使って、ある地点から正確な角度を維持して、千里の地点に到達できるなら、その方法を教えてくれよ。
寸単位の計測を行うための移動なんだよ?誤差があったら何にもならなんだよ?
604日本@名無史さん:2013/08/12(月) 15:14:55.18
横からだが、

寸単位の計測と言ってる奴がいるが、
寸単位の距離って意味じゃないよな?

寸単位の影と千里単位の距離のことだよな?
605日本@名無史さん:2013/08/12(月) 15:25:32.27
>>604
それ以外に何があるんだ?
寸単位の距離なんて今まで話題になったか?
606日本@名無史さん:2013/08/12(月) 15:50:56.62
>>603
磁石があれば599の方法を繰り返していけば千里離れた真南(真北)に到達できる
移動中常に真南に進み続けなければならないわけではなく、
障害物があれば迂回して進み方角のズレを修正して、1kmごとの観測地点で真南にくればよい
距離は歩数がメインだが、狼煙といっしょに旗でも高く上げて、
遠くからノギスのようなものを通して旗の大きさを測ればダブルチェックになる
607日本@名無史さん:2013/08/12(月) 16:01:50.84
>>606
磁石で方位を知る方法の嚆矢は北宋の夢渓筆談なんだけど、
周代や魏代に磁石が測量に使われていたとするなら大変な発見なんだが、
それを示唆する史料はあるのかな。
磁石で方角が分かるなら、歯車式の指南車なんて要らなかったと思うね。

ノギスねw
似たようなものでも古代中国にあったなら、それも大発見だよね。
608日本@名無史さん:2013/08/12(月) 16:21:05.64
狼煙を使うときは先・中・後の三隊一組で進む
まず八尺棒などの正午の陰線に合わせて中隊・後隊の狼煙線を決め、それを見通して数km先に先発の狼煙場を定める
これを定めたら三隊共に一つ先へ進み、
前定の狼煙場を利用して中隊・後隊の狼煙を上げる、それを見通して再び数km先に先発の狼煙場を定める
これを繰り返す
609日本@名無史さん:2013/08/12(月) 16:45:38.73
>>608
千里から見れば極めて短い八尺棒の影を、上手に見通して延長して、誤差が出なければいいね。
もっとも誤差を検出する方法も校正する方法も無いなら、気にしなればいいのかもしれないが。

いろいろと考えあぐねなければならないほど、理論は簡単でも実地は困難なわけよ。
周髀算経も理論ばかりじゃくて、実測したならその測量ノウハウの一端くらい書き残してくれても良かったのにね。

歩測でおおまかな距離を進んで、うまく影が理論値通りになる地点を発見したとして、
洛陽との経度差が無いことを確認しないと、緯度差が千里あるということを確認しただけにすぎない。
洛陽との標高差も算出しないといけないし、歩測は途次の起伏を含んでいるからこれも補正しなければならない。

測量士に聞いてごらん。
アリダードとピンポールと歩測だけで、正確に南北に千里の地点を発見できますか、って。
三点が一直線上に並んで、経度の差が無いようにできますか、って。
610日本@名無史さん:2013/08/12(月) 16:56:48.08
>>609
八尺棒は一例だ
例えば最初の中隊・後隊の狼煙線を決めるとき、
それぞれ八〜十六尺棒を用意して待機し、狼煙を上げつつ正午の陰長で南北線を決めればなお良い
611日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:00:20.94
>>610
じゃあ測量士への条件を追加だね。
人夫は沢山用意するし、ピンポールもなるべく長いのを沢山用意する。
これならいかが、と。
612ローガン:2013/08/12(月) 17:02:43.34
>>509
>別の時代の文献を引用してどうするんだ?

だだこねはいかん。
呂氏曰とあるだろうに。成立は早くとも秦始皇9年を遡らない。
なら、司馬穰苴の法と同時代だ。つまり六尺為歩なわけだ。
613満州与作:2013/08/12(月) 17:02:47.75
日本の国土地理院のようなものがあったわけじゃなし、そんな測量をやる物好きはいないw
大体、近代以前の中国にそんな機関や役人がいたか?

あ、それからポクは満州ブログの満州氏とは別人だから。
614日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:07:48.07
だいたい、千里で一寸違うとするなら、百里で一分、十里で一厘、差が出ることになる。
影の測定をどの程度の精度で行なったのか知らないけど、
仮に一厘の差異を見落とせば、目的地から十里も離れてしまうことになる。
615満州与作:2013/08/12(月) 17:11:36.65
周の王の命令でそういう測量をやる役人がいたならともかく、
そうでないなら、あとは周の科学者連中がやらねばならないが、
一人ではできないから数人で測量チームを編成して行わなければならないが、
そんなことをやる暇人はいないw

あれこれ考えると、実測ではなく理論なのである。
その理論がどこから出てきたかは不明だが、都市伝説のようなもので、
千里離れると一寸伸びるらしい、という噂がいつのまにか定着していたのである。
(ほんまかいなw)
616日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:11:42.96
公里の地理記事でも一割は余裕でずれてんだから、
短里でもそんなもんだろ。
617日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:13:48.54
>>588
サンクス!
満州氏ってマンカス老人そのものジャマイカ!www 
618日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:22:34.95
>>613
国家権力とは何たるかを実感していないね
天文学も国家地理も重大事項、とりわけ地誌は軍事作戦に不可欠だ
主要都市までの里程、一寸千里等の新技術の開発等、諸知識を蓄えるため王朝は相当の資金人員を投入したはず
場合によっては軍隊を投入したかも・・。

あ、それからブログ氏とは別人?、まあ、そう謙遜なさらなくても・・・
619日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:25:01.80
はず
かも
620日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:30:58.92
北極星
621日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:32:50.66
>>619
はるかなる古代のことだ、満州のように断言する勇気はない、せいぜい類推するのみ。
622日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:35:33.18
史料の裏付けを必要としない類推は楽しいね、夢がひろがりんぐ
623日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:36:25.40
縄メインで先に千里を測って、棒を立てたら一寸違っていたという程度じゃない?
だから現代科学の計算値を当てて測った数字76kmはあくまでも目安であって
相当の誤差が出ていると思う。
624満州与作:2013/08/12(月) 17:40:40.67
地図帳で西安(周の首都長安)の76km南北を見ると、
南は秦嶺山脈の山の中だ。
北はギリギリ平野部だが、これといった都市もない。
銅川という小都市があるが正北ではない。

というわけで実測ではない。
残念だったな、九州人諸君。またお越しやすw
625日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:41:19.26
>>623
南北に千里動いたつもりでも、経度差を測定・補正できないなら、実際は緯度差九五〇里なんてことにもなりかねない。
そんな程度の尺度を、わざわざ倭地の実測に用いたのは不思議だね。
626日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:46:21.02
>>624
肝腎なのは、千里先の地点の状況より、どうやってそこに、地面を測りながら辿り着くか。
山あり、谷あり、川あり、池あり、建物あり、田地あり。
迂回したら正確に復帰しなければならないし、
起伏と標高差に因る誤差を補正しなければならい。
古代人は凄いね。
627日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:53:39.73
>>625
そんなに正確だったら御の字よww
東夷の倭地を測るには上等上等、もったいないくらいだww
628日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:55:45.43
>>627
じゃあ実測値でも正確度が怪しすぎるからあまり参考にはならないね。
629日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:57:37.49
一寸千里で測量したとか里を再定義したとか夢見すぎだよ
こんな脳味噌してるから短里なんてモンを信じてしまうのであろう
630日本@名無史さん:2013/08/12(月) 17:59:05.66
一寸千里でも、半寸五百里でも、計測には支障無いからねえ
631日本@名無史さん:2013/08/12(月) 18:04:09.94
>>630
影の長さの差異が小さくなればなるほど測定は難しくなるし、誤差も無視できなくなるけどね。
632日本@名無史さん:2013/08/12(月) 18:11:42.03
>>622
> 史料の裏付けを必要としない類推は楽しいね、夢がひろがりんぐ

距離テキトーがほざく言葉かw
633日本@名無史さん:2013/08/12(月) 18:13:26.27
>>632
距離テキトーって短里のこと?
634日本@名無史さん:2013/08/12(月) 18:17:44.28
以前調べた時には、公里と思われる地理記事でも、
三割以上実距離と違ってた例があったな。

計測した場所が都市と離れていたか、
都市の場所が当時と違っていた可能性もあるが。

一割くらいは誤差前提だろうよ。
635日本@名無史さん:2013/08/12(月) 18:19:08.45
無論、直線じゃなくて道なりで計測した結果だ。
636日本@名無史さん:2013/08/12(月) 18:22:37.12
・北極星と真北の角度差を計っておく(基点)
・基点からアバウトに北に北に向かう(a点)
・a点で角度差が基点と同じになる地を探す(A点)
・つまり基点とA点は同経度
・上記を繰り返す(BCDEF…)
・南も同じく

後は夏至の日測量
637満州与作:2013/08/12(月) 18:35:21.09
後期の周の都は洛陽。
ここは34.8°に近いから、もしかしたらここで計測したのかもしれない。
しかし洛陽の南北76kmはやはり山岳地帯だ。

というわけで実測ではない。
残念だったな、九州人諸君。泣けw
638日本@名無史さん:2013/08/12(月) 18:40:55.44
>>637
ホントに?
でも何で九州人はこういう裏付け調査を一切やらないんだろうね
639満州与作:2013/08/12(月) 18:53:32.01
googleの航空写真で見ると、北は明らかに山岳。
南はギリギリ平野部といえるが。

とにかくそこらに町はないのだから、
計測したとしたら測量隊が計器をかついで山野を歩き回ったことになるが、
そんなことをしたとはとても思えないのである、残念ながらw
640日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:03:08.81
確かに洛陽の回りは山岳地帯だね
まず実測では無いだろうね
641日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:03:22.05
>>636
その角度差を何で測ったのかな?
642日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:07:02.59
>>639
いやいや、古代人は侮れないよw
見通しだけで誤差を補正する必要もなく一直線を歩けるんだからw
千里先の地点が耕地でも市街でもない原野なら、
ひょっとして測量を記念した標石かなんか埋まってるんじゃないの?w
643日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:09:34.12
>>638
畿内は何で裏付けしないんすか?
あっ、ごめん出来ないんだよねw
644日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:11:24.88
山の中にも家は建てれますからのう
645日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:11:47.58
太陽高度は実測しないと知り得ない数値である
646日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:20:30.90
当時の知見と技術で南北に千里離れた地点を確定できるなら、
今でも暇人ができそうなのになんで誰もやらないんだろう。
短里を実証して世に名を示すチャンスですのに。
647日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:21:06.19
太陽高度は棒と影長の比率と「一寸千里」から算出した値ですが
648日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:21:22.28
>>568
私の記述ですが
私は貴方のような知恵に乏しい人に語る言葉を持ち得ません
悪しからずです
649日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:23:01.67
私はバカです、まで読んだ
650日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:24:02.70
八尺15寸の影が出来る位置が洛陽の34.8度。
これだけでなかり信憑性あるわな。
適当には出ない数字だ。
651日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:29:54.77
そうそう、適当では出ない数字。
数字が適当で良いと言う輩は、公里も主張する資格は無い。
んじゃ適当で一里76mでオッケー☆

…とも言えてしまう訳だよねw
652日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:33:14.94
>>650
実測が疑わしいのはその数字ではない
話を摩り替えるのは止めよう
653日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:33:50.87
洛陽での実測を疑ってる人居るの?
一寸の差が出る千里先を突き止めて実測したかどうか怪しんでるんじゃないの?
654日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:43:11.30
76km先は山岳地帯であり実測でない可能性が限り無く高い
頑張って実測したとして一寸4mmになる

一寸千里が「短里」なるもので書かれている可能性は極めて低い
655日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:43:38.48
>>653
たまにはこっちからも質問さしてくれよw
公里使ってどうやって倭人伝の里数を出したんだよ?
お前らの千里先の実測質問と理屈的には変わらんぞ?
656日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:53:19.64
>>655
答えられないから質問で返すということでいいのかな?
657655:2013/08/12(月) 19:53:47.51
10分けいかー
658日本@名無史さん:2013/08/12(月) 19:55:53.43
>>656
そっくりそのまま返すわ
つかここまで九州説はかなり答えて来たぞ。
まだ初歩段階の質問なんだが?
659日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:03:41.06
20分けいかー
660日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:05:36.86
>>655
批判のための批判だからそこまで考えちゃいないさw
661日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:10:31.56
古代人なら山岳地帯で行きどまりになるようなところは選ばぬ、
南と東の区別もつかぬ方向オンチの畿内信者とはちがわー

千里を語ってるのに一寸4mmか、人物のスケールが小さすぎる、ノミの親戚畿内信者ww
662日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:10:46.38
>>660
そうさw
畿内説なんざこんなもんだ。
途端に沈黙厨だろ?
質問するならされる覚悟でしなさいや。

だから里の度数と同等か、それ以上に計測方法は大事なんだ。
663日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:11:47.89
>>654

千里の場所が都合が悪ければ、半寸五百里でも構わない。
また、一寸4mmであっても、一寸千里は問題なく
成立するから、否定材料にはならない。

ここで必要なのは一尺十寸の比だけ。
後に単位系が見直されて尺寸の大きさが変わったとしても、
比が変わらなければ問題なく成立する。
664日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:21:27.89
あらら、>>656、ほんとに逃走しちまったか。
665日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:22:27.44
>>662
なんか飯食ってる間に沈黙厨と命名されましたが、私は九州説なんですけど?
九州説の者は一寸千里の法が実測に基づくものだと考えないといけないんでしょうかね。
666日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:25:47.01
>>663
理屈の上ではそうだろう
だが君の説明にどれだけ現実味があると言うのか
667日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:27:45.34
>>666

いや、それ以前に寸尺の議論になんの意味があるの?
ってことね。
668日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:31:30.35
>>665
畿内の忍者もどきが、九州信者に早変わり
669日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:35:30.98
>>666
矛盾まみれの畿内信者、自分で何しゃべってるか自覚ないんじゃないの
670日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:36:51.22
>>668
一寸千里の法に現代科学を援用して算出した短里というものが、魏志の東夷伝にだけ使われている、
そんなトリッキーな考え方をしないと九州説は成立しないの?
671日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:37:26.38
>>667
君らは通説とは異なる距離体系があったと主張している訳だろ
であればその距離体系全体を検証するのは当然でしょ
672日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:42:22.87
>>671
畿内信者が言い出した奇説が通説たりうるかどうか検証するのは当然でしょう
673日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:44:11.97
>>671

公里では、検証不可能だよね?
674日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:49:06.96
だいたい中国の古文献が直線距離で書いてあるはずはなく、道なりの数値ですよ。
道なりの数値のほうか、実際に旅したり軍事行動を起こす時に便利だから。
たとえば、うちの方は平野だけど、ある地点からある地点まで地図で8キロ、
車のメーターで測ったら16キロでしたよ。約二倍です。
昔はもっと道路事情が悪かったし、川も多く渡し場が遠かったりすれば、回り道しなければ
ならないし、もっと誤差があると思いますよ。だいたいまっすぐに進んだように見えても。
そこを無理やり千里を南北に直線で測るのは古代の技術ではちょっと無理っぽい。だから76キロという数字を
そのまま信用するのはどうかと思う。
675日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:51:52.97
>>670
オレさまの記憶によれば、トリッキーとは「稀有の」という意味だったな
676日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:53:42.80
>>675
内容に触れず、修辞に触れるのですね。
677日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:55:49.01
>>676
あなたの説を言ってみなさい。
トリッキーなところがないか、検証してあげるよ。
678日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:58:16.20
>>676
さよう、修辞には修辞で返す、これ常識
679655:2013/08/12(月) 21:04:52.69
もちろん一寸千里の法を確定させている訳じゃないし、
自分自身も半信半疑だから、他の九州論者にごり押しする気もない。
『一応これだと里と測量方法か一致しない?』
と言う流れから、とりあえず検証して行こう…の筈が、
『確定!?そうはさ千里!!』
って畿内論者が沸いて出たから長引く長引くw

トライ&エラーで、やってるウチに別の観点も
出てくるんだから、
ただの質問か妨害か荒らしか解らんのはヤメり、総合スレじゃ無いんだから。
九州から出るも出ないもこれからですよ、まだ末盧國止まりって…
680日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:06:05.40
>>677
面倒な人ですね、スレを読み返してくださいよ。

現代の測量実務に当てはめれば>>609>>611のような条件で、千里附近に到達し、
>>614のような誤差の問題を解決して、見事一寸千里の地点を発見し、
標高や途次の起伏による誤差を補正して、同一経度上の緯度差千里の二点間の距離を確定し、
その他の測量実務に使うため一里の値を、千里を分割して算出する。
可能なら試しにやってみてください。

>>678
一寸千里の法に現代科学を援用して算出した短里というものが、魏志の東夷伝にだけ使われている、
そんな考え方をしないと九州説は成立しないの?

>>679
駄洒落おもしろいね。
681日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:10:45.11
674だけど、わたしは九州にも行って大宰府から旧山門郡の山川町辺りに行ったけど、
地図では約50km程度だけど、車のメーターで途中吉野ヶ里など立ち寄ったけど、
100kmはありましたね。
だいたい道なりってそんなもんですよ。だから、古代ならば、数倍の道のりになると
思いますね。
682日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:14:25.79
>>681
あんたは至極普通の感覚を正直に吐露してる
このスレの血迷った奴らがいかに異常か分かるというもの
683日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:15:52.42
>>680

話をずらさないでね。
当時だって公里でも短里でも、それなりに測量しなければ、
距離の決定なんてできるわけがない。

むしろ、距離が短い分だけ短里の計測のほうが容易。
そして、千里である必要はなく、
500里でも計測は可能。

公里の計測も同じようにするしかないわけだが、
不可能というのであれば、
公里はどうやって計測するのだ?

様々な里が多くの漢籍に書かれているが、
それはどうやって計測したのか?
684日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:23:12.29
そもそも測量技法と距離単位は別個の話なんだけどね
685日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:27:46.70
>>680
>一寸千里の法に現代科学を援用して算出した短里というものが、魏志の東夷伝にだけ使われている、
>そんな考え方をしないと九州説は成立しないの?

上のような厳しいハードルを文献に基づいてクリヤーしないと納得しないぞー、と叫んでるのは畿内信者。
九州説ではそんな考えはしない。
現に今の地図に照らせばその程度のkmになるのだからそれで良いではないか、という考えだ。
九州説の衣を被ってる成りすまし信者にご注意!!
686日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:28:40.51
>>683
話をずらしているはそちらではないのか?

私が問題にしているのは、周髀算経の一寸千里の法が、
実測によって千里の地点を見極め、そこから短里を導き出したという主張について。
少なくとも私は、公里とか長里について殊更に何か主張はしていない。

身体尺や、音程から導き出した尺度ではなく、
後代のメートルや海里のように、測地から導き出したという主張をするなら、
その当時の技術でどのように測距していたのか、聞いてはいけないのか?
その実際について尋ねているまで。

どんな尺度を使おうと、里程を示している限りは、何らかの計測によって算出したのであろうが、
それを何で私が解説せねばならないのか。

重ねて言うけれども、私が問題にしているのは、
一寸千里の法における、千里の地点の確定法と、
千里の距離を分割して実用しうる尺度を算出した方法。

>>684
実測によった一寸千里から短里を求めたというから、その詳細を尋ねている。
687日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:29:34.08
>>685
そんな粗雑な考え方でいいなら、別に構いませんよ、お好きなように。
688日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:31:44.90
東南に五百里で伊都国
だれか何キロメートルなのか答えてくれよ

>>681
面白い事言うな
富士山に登る登山道と
車道が同じだという意見か
689日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:41:54.58
>>688
伊都国の比定地により変わるわな
690日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:43:58.59
>>687
そもそも倭人伝の千里には千余里と書いてある。
この場合の「余」は相応の誤差を含むの意味。桁違いの精度まで論議しても無駄ではないか。
691日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:44:18.34
>>689
駄目だろ、それじゃ
692日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:46:43.47
伊都国まで魏の使者は実際に歩いて距離を測った

どうにでも解釈できるというモノではない
693日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:47:15.31
>>686
>その当時の技術でどのように測距していたのか、聞いてはいけないのか?
>その実際について尋ねているまで。

>どんな尺度を使おうと、里程を示している限りは、何らかの計測によって算出したのであろうが、
>それを何で私が解説せねばならないのか。

従って当時の計測法をそのまま使えば良い。
そもそも、それ以上の精度を必要としていない。

歩測や時間の換算で十分である。
694日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:47:57.26
>>690
周髀算経の千里にも「余」が入っていたならこんな話にはならないよね。
>>686で言ってる意味が分からないなら、もういいです。
695日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:51:03.39
魏志の東夷伝にだけ使われている、
>そんな考え方をしないと九州説は成立しないの?

九州説の人からみれば、わたしは九州説の衣を被った成りすまし信者に見えるかもしれないけど、
魏志の東夷伝にだけ使われている、という変な九州説の意見には全く同意できない九州説者です。
つまり短里76kmにしがみついている限り、
中国大陸の文献とも整合しなくなってしまうのです。
中国大陸も東夷も同じ里を使っているのが常識ですよ。その里がわかれば
九州説はばんばんざいです。
696日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:52:29.03
周髀算経の一寸千里の法は実測ではなく短里なんてものはなかった
だが東夷に派遣された魏使が一寸千里の法を信じそれで測量した
そして東夷に派遣されたのは夏至前後だった
この為75km位の距離を千里と記録した(記録者は公定里のつもり)

これなら短里肯定派も比定派も喧嘩しないで済むね
697日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:54:16.46
>>692
そこなんよ。
歩いて実測した結果なのか?
はたまた着いた時に一寸千里で距離を出したのか?

末盧國から案内されて伊都國に着きました。
伊都國は末盧國から東南の位置です…
この位置習得は歩きでも厳しい。
知り得たら、一寸千里の法で距離は導きだせるのだが…
解らないと一寸千里の法は使えない。
698日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:55:16.96
>>691
だってそうじゃん
699日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:56:27.09
常識も何も、統一してなくて困ったから、
統一令を出したんだもんな。それも何度も罰則までつけて。

そしてそれはあくまでも国内限定であって、
周辺国家までは規制していないし、出来ない。

倭国は日をもって計っている。
700日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:57:05.61
夢物語を前提に論を進めちゃってるのが凄い
701日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:57:33.37
>>696
言いたいこと言ってくれてありがとう
702日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:59:03.21
>>693
>一寸千里の法における、千里の地点の確定法と、
>千里の距離を分割して実用しうる尺度を算出した方法。

敢えて無視するのはなんなんでしょうね。

唐代の南宮説でも、周髀算経の通りにはならなかった。
まして二点間の距離から古代の里を探るなんてこともしていない。
中国人なら、周公が定めたけど廃れてしまった度量衡なんて、ものすごく興味あると思うんだがね。

>>696
そういうのを御都合主義という。
703日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:00:47.79
>>696
外交官のくせにそんな手前勝手な尺度を使ってよくもまあ正史に残ったものだなw
704日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:01:58.39
>>702
>敢えて無視するのはなんなんでしょうね。

いや、普通の計測法で十分だろ。

6倍の公里で、さらに数千里を計測している例がいくらでもあるんだから、
特別な計測法が必要とは思えない。
705日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:03:45.08
>>703

倭国内を日数で表記しているが、
べつに首は飛んでないようだからな。
706日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:03:55.46
>>703
ダハハそうだね
まあ肯定派比定派双方の顔を立てた折衷案を考えただけですわ
707日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:04:42.78
魏志倭人伝なのだから、魏の技術者が測ったのであって、
魏国内向け、東夷むけもない。分けたら読み手が混乱するし、
地理誌の意味がない。
708日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:06:03.99
>>707

実際、日数で書かれてるもんで、
後世の我々は混乱してますな
709日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:06:42.54
>>706
案外マジかもしんねえぞ。
一寸千里が独り歩きしたんだよ、十分あり得る。
710日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:07:30.12
>>694
周商時代と言えばかれこれ3000年も前のこと。
測量のための理論・技術・器具には大きな制約があっただろう。
その中でどういう可能性がありえたのかといっても、現代人の想定のほうにも大きな制約がある。
このことが大前提である。

かくして文献資料の極乏しい中、
正直言って、現代人にその技術に関する詳細な解説を期待するほうがおかしいではないか。
一寸千里と書かれているのだからそれなりのこととして尊重した上で、成し得る検証をするほかない。
711日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:08:06.54
日本人が米に行って、マイル表記で記録を残すようなもんで、
現地の単位を使うのは、別に珍しいことじゃない。

逆に、いちいち換算することのほうが珍しい。
712日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:23:21.37
それならそれで公定里と異なる「里」だと分かるように書くだろ
713日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:25:46.64
それ以前に、少なくとも倭人伝なら、公定里が使われてる形跡がないから、
公定里を区別する必要がないし。
714日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:32:43.37
>>704
普通の計測法って、どうやるの?
影はどのくらいの精度で測定するの?影長一厘で緯度十里も変わるんだよ?
時計も磁石も三角法もまだ使えない時代に、どうやって洛陽・南千里・北千里の三点が経度差無く一直線に並ぶの?

問題がこれっぽっちも分かっていないみたいだし、満足な回答をするだけの知識も無いようなので、もう結構です。

>>710
現代人が様々な制約や乏しい史料から過去を検討するのが史学です。
古典の字句だけは尊重して、事実の検証は諦めるという態度に接したのは初めてです。
周代にロストテクノジーがあったなんてひねくれた想像をしないといけないなら、そんな仮説は捨てるのが通常の感覚だと思います。
そもそも周髀算経が周公と言ってるからって、商周の記事だと安直に考えるのもおめでたい気がします。
715日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:32:43.62
こりゃまた読み手を無視した頓珍漢なことを…
716日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:34:49.92
>>709
自分で書いといてなんだが、流石に無いと思うよ
717日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:37:01.64
>>716
そうだろうな、ネタとしては面白いが。
倭人伝以外の東夷にも使われてることが説明つかないもん。
おまえ旅しまくりだろ、とw
718日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:38:11.38
>>695
>魏志の東夷伝にだけ使われている、

というわけではなさそうだぞ。
某コテハンの証言だw

>497 :満州与作:2013/08/11(日) 21:59:20.52 >>489
>間違えた。
>福州−彭湖島と釜山−唐津がほぼ同距離。
>それがどちらも三千里と書かれている。

俺は短里だろうと公里だろうとどうでもいいが、
逆に公里にしがみついても倭人伝は読み解くことができんぞ。
719日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:39:36.86
釜山−末蘆国間を三千余里と書いているのだから、それだけでも公定里(長里)なるものと異なるのは明白

当時、各々の王朝に渦巻いていた事情を知る由もないが、
他国の人間である倭人のはるか末裔のわれわれがその当否を詮索してどうなるものでもない

一寸千里は一寸千里で論理的破綻は無い
千余里は千余里で定点となる半島島々から推測するほかない
万二千余里は万二千余里と記してあるのだからこれを尊重するほかなかろう
720日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:40:59.44
>>714

>普通の計測法って、どうやるの?

それそのまま帰すよ。
当時だって公里数千里を計測してたんだから、
それを使うだけ。
細かいやり方を知っているなら教えてね。

>影はどのくらいの精度で測定するの?影長一厘で緯度十里も変わるんだよ?

そもそもそんなに高精度を要求していないからね。
千里中十里で1%、そんな高精度が必要とは思ってないよ。
必要だと思うなら理由を書いてね。

>時計も磁石も三角法もまだ使えない時代に、どうやって洛陽・南千里・北千里の三点が経度差無く一直線に並ぶの?

経度は少々ずれても、南北方向千里の数値はほとんど変わりませんがなにか?
角度が一度ずれたら、距離は何%狂うかわかりますか?
721日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:42:11.90
里数が唐時代になると突然おもむきが変わるんですよ。
旧唐書では倭国は京師から一万四千里とあるんです。
唐の都から一万四千里です。魏志では帯方郡から一万二千里だったのですが。
京師だから、唐の都のことでいいですよね。
帯方郡は韓国にあったはずで、一万二千里なのにたった二千里の違いでいきなり唐の都から
倭国まで、っておかしいですよね。ためしに一里435mで換算すると一万四千里は約6000km、
地図で見ると、かぎざきに直線で進んでおおざっぱに約3000キロだから、道のりにすると二倍程度のなるのかなあという感じです。
つまり、唐時代前後に「里」に改正があったのかなと。これが現代に通ずる里だと思います、
それ以前の里とは別の基準だったのだと思いますが、いかがですか?
722日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:43:57.60
>>714
おマイが検証してみせろ、遠慮せんでよろしい。
723日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:45:03.11
東京スカイツリーの高さが3000mと書かれていたら「これは従来のメートル法は使われていない」なんて考えるか?普通
724日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:46:52.68
>>721
数字の間違いを訂正したんだろ
725日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:46:56.86
今の中国の里は1kmなんだよね。
726日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:52:25.50
このところ、つぎつぎ乱入するのは畿内説の残党か?
727日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:53:34.84
>>723
一つだけの例なら数字が間違ってると考えるだろう。
もし、同時に東京タワーが1600mと書かれていたらメートル法を疑うのが普通だ。
728日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:55:47.98
>>723
ダサイ設問だなあ
729日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:56:45.24
>>727
普通はメートル法じゃなく数字が間違ってると考えるだろ
730日本@名無史さん:2013/08/12(月) 22:59:15.57
>>728
誰でも感じる素朴な疑問ですよ
731日本@名無史さん:2013/08/12(月) 23:00:45.91
>>729
今の話ならな。当然そうだ。
しかし、あの質問は千何百年隔てた記録も曖昧になった未来での話だろ。
流れからいうと。
732日本@名無史さん:2013/08/12(月) 23:00:53.52
さらに通天閣が500mになってたら、間違いなく単位のほうが疑われるな。
733日本@名無史さん:2013/08/12(月) 23:57:57.79
俺のポコチン25cm

・・何を疑う?
734日本@名無史さん:2013/08/13(火) 00:11:36.16
従来の1/6のメートル法だな
735日本@名無史さん:2013/08/13(火) 00:32:50.60
>>734
つまり短小と言うことですね・・

正解!(;∇;)/~~
736風の中のゴキブリ:2013/08/13(火) 00:43:47.28
短里なんて存在しませんよ
737日本@名無史さん:2013/08/13(火) 00:47:15.18
20cmを超えると、市販の「大きいサイズ」でも入らない。
そんなあなたにメガビッグボーイ。
738日本@名無史さん:2013/08/13(火) 08:50:55.21
邪魔大国に見えてしょうがいない。もういい加減この当て字はやめたほうがいい。山大国でいいじゃん。
739日本@名無史さん:2013/08/13(火) 10:08:54.26
千里先の観測は置いといて。
文献として残ってるんだから、それを元に
一寸千里を利用した可能性はある。
事実、符合してしまうんだし。
色々な検証パターンの一つとして、話を
進めて行っても良いのでは無かろうか?
740日本@名無史さん:2013/08/13(火) 10:20:00.61
別にいいんじゃないの
でも検証ってのは都合の良いことだけを並べ立てる事では無いからね
741日本@名無史さん:2013/08/13(火) 10:50:30.82
周髀算経は古代中国の古典的教科書のひとつであり、魏の学者ならとうぜん承知の内容。
すなわち魏のころの里より短い「一寸千里の里」があったことは公知の事実であったわけだ。

よって知恵者の陳寿がその短い里を倭人伝に援用しても、
当時の識者たちにとっては格別不思議なことではなかったのであろう。
742日本@名無史さん:2013/08/13(火) 11:25:59.42
『邪馬台国の全解決』孫栄健で、
魏志の誇大里数の理由が説明されているよ。

原因は、司馬い仲達の露布(軍事報告文書の対公孫氏関連)。
露布はつねに成果10倍で報告する慣例があるから、
それにもとづいた数字は、
同時代史の三国志ではとくに、それは訂正がはばかられた。

ただし、成果10倍の数字は、すべて正確に10倍にされてるから、
比率自体は正しい。なので、数字を1/10に換算すればすぐに
実際の里数はわかるようになっているから、
三国志刊行当時の知識人たちからは、誰も異論がでなかったのだ、とのこと。
743日本@名無史さん:2013/08/13(火) 11:29:09.82
>>741
そんな認識があったら後に何承天や南宮説が実験したりはしないだろ
そもそも周髀算経には「千里」と書いてあるだけだ
744日本@名無史さん:2013/08/13(火) 11:32:51.86
知恵者が悪知恵を働かせたらだめだと思うけど。
倭人伝だけに短い里を使用したというのは安易な考えだと思うけど。
誰もが納得できる常識ある考え方で問題を解くべき。まだまだ発展途中ですよ。

知恵はなくとも思慮深さを大切に。
745日本@名無史さん:2013/08/13(火) 11:40:45.38
742
それは誇大里数じゃなく、その時代の里数なんでしょうね。誇大でもなんでもなく
事実なんだと。
だから倭人伝も対馬ー壱岐間が一千里などと誇大里数に見えるわけですよ。
魏志は東夷伝だけでなく全般に同じ里数を使っていると思いますけど。
746日本@名無史さん:2013/08/13(火) 11:51:53.86
対馬も壱岐も港までの距離だと考えると
誇大でもないよね
747日本@名無史さん:2013/08/13(火) 12:29:24.06
ふと思ったが…
周髀算経が出来た周の時代の度量衡は、
魏の時代と同じでは無いよね?
寸尺歩里の乗算も同じなの?
同じでも途中が違えば里も違ってくるんだけど。

既出ならスマン。
748742:2013/08/13(火) 13:12:25.98
>>745
三国志に誇大里数が出てくるのは、
司馬いと、魏の太祖曹操の軍事戦果報告の関連だけみたいなのだ、とのこと。
そのほかの記事はきちんと実里数になっている。

このふたりは西晋にとってはタブーだから、史官の陳寿には訂正できる権限はない。
邪馬台国(奴国と比定)までの距離は、万二千余里=実際は千二百余里(ただし帯方郡から)。
というのがこの本の結論だ。

漢文の本国である中国人による解釈だけに、それなりに説得力はあると思うよ。
749742:2013/08/13(火) 13:24:40.18
ちなみに、3世紀頃の中国里
1里=434mとの説を採っている。
750日本@名無史さん:2013/08/13(火) 13:28:22.75
>>748
そうなんですか、ありがとうございます。参考にします。

その他の漢籍でも長里では説明つかないところが多くありますから、
逆に実理数と思っているところでも本当は短い里だったりするんじゃないかと
思ってしまいますが。。。
751日本@名無史さん:2013/08/13(火) 13:39:40.70
日数表記に変えたり、方角もあえてずらしたんだよ。
752日本@名無史さん:2013/08/13(火) 13:42:36.77
水月湖の年縞からの年代測定っていつごろ実用化できるんだろうか
このままじゃ堂々巡りだから早く箸墓とかを測定して決着つけて欲しいわ
753日本@名無史さん:2013/08/13(火) 14:02:06.90
変わった里数といっても手当たりしだいのデタラメでなく、
長いは長いなり、短いは短いなりに辻褄が合ってるってことだ
754日本@名無史さん:2013/08/13(火) 14:18:33.67
周髀算経でみちびいた太陽の高度の違いによって、地球の円周から割り出した数字76キロは、
とてもいい目安になると思う。地図上でだいたい76キロ付近が千里と考えられるから。
ただしそれをそのまま一里=76mとすると大きな誤りで、
そんなに正確に測れた技術も無かったろうし、直線距離よりも道のりを重視することをかんがみれば、
一里=76mという数字は小さすぎる。そこで一里=76mを300歩で割ると
25センチでちょうど片足分。だから二歩で一歩だったので両足分50センチに300歩を掛けると
一里=150メートルになります。そして地図で照らし合わせる時は76キロ近辺を念頭に入れればよいわけです。
755満州与作:2013/08/13(火) 16:40:57.08
中高生のような議論はもうやめろ。
その孫栄健とやらはただのパカ。

世の中、パカが多い。
756満州与作:2013/08/13(火) 16:56:10.51
風の中のゴキブリでさえ短里は存在しないと言っている。
短里説のサガミハラ、敷布、なぐさ、稗箕狐…さえ、納得したのか、
それとも納得はしていないが有効な反論が見つからないせいか、反論して来ない。

いつまでも強情を張っているのはここの参加者のごく一部、ほんの数人だけである。
その数人は、常連で、特別の強情者でアンポンタンだから、ほっとくしかない。

それにしても、さほどパカでもなくチンピラでもない真面目そうな男が、
短里説というものに幻惑されているのを見るのは、痛ましい…。
757日本@名無史さん:2013/08/13(火) 17:07:10.23
>>756
満州ブログ氏の品格・真摯さ・洞察力の深さを見習え、

あ、いや同一人だったか。。。。。
758日本@名無史さん:2013/08/13(火) 17:25:08.38
>>756
何とか言う畿内説のアンポンタンが根拠・根拠と余りにもうるさいので、
突如、ある女紫の手許から「一寸千里の刃法」が飛び出したわけだ。

怨むなら畿内信者を怨めwww
759日本@名無史さん:2013/08/13(火) 18:41:01.68
相変わらず意味不明な事を言うねぇ
760風の中のゴキブリ:2013/08/13(火) 19:00:42.92
"長里"←アホがよく使う造語

長里なんて存在しませんよ
もちろん短里も存在しません
761日本@名無史さん:2013/08/13(火) 19:11:35.31
短里の存在を認識してるからこそ、対抗して長里というんだろなww
762日本@名無史さん:2013/08/13(火) 19:19:23.63
邪馬台国九州説は田舎暮らしの人が多いから距離がわからないのです。
763日本@名無史さん:2013/08/13(火) 19:28:36.41
>>758
>何とか言う畿内説のアンポンタンが根拠・根拠と余りにもうるさいので、

根拠を尋ねられると困るもんね 短里
764日本@名無史さん:2013/08/13(火) 19:31:42.65
>>762
問 以下は何キロメートルですか?

(イ)帯方郡より狗邪韓国まで、七千余里
(ロ)帯方郡より女王国まで、一万二千里
765日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:05:04.37
>>764
答えて根拠を聞かれたら困るから答える筈がないw
766日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:11:47.36
周髀算経は天文学の話なのに、一寸千里の法で地上の距離を測ったなんて話なってたな
周髀算経で一寸千里の法を使うのは、夏至と冬至で太陽が動く距離を出すためだよ
地上で人が千里動けば太陽の影が一寸変わるから、夏至と冬至で影が119寸変わる太陽は119000里動いていると出しただけ
地上の距離を測る話なんて出てこない
767日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:27:13.54
>>763
100歩歩けば1里
単純明快
768日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:33:54.83
>>766
出てくる訳ないじゃん、元々は天文学書なんだから。

> 地上で人が千里動けば太陽の影が一寸変わるから

つまり太陽の影が一寸違えば、千里移動した事が解る…
便利だねぇ〜(笑)
769日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:40:55.39
>>767
> 100歩歩けば1里
> 単純明快

東南500里伊都國。
数えて50000回か…途中忘れなきゃ良いけどなw
話も出来ず黙々と歩くの大変だなww
で、434m×500里=217kmか…
是非とも盆休みを利用して数えながら歩いてくれ。

結果報告待ってます!
770日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:43:57.38
北野満州いる?
771日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:46:12.93
あ、100歩一里でなく300歩一里だろ?
150000回ツイート頑張ってくれ。
772日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:52:03.76
>>769
算盤と言うもものが有ってだな
http://www4.airnet.ne.jp/sakura/hakari/old_china.jpg

>>771
100や1000で桁が上がるのが普通
300歩はそれの改良規格じゃないかな
773日本@名無史さん:2013/08/13(火) 20:57:52.88
>>772
算盤(ソロバン)の原型?
いつの時代かわからんが、転べば終わりだな。
774日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:12:08.33
>>773
日本では旅行で便利なように紙で出来た算盤も有ったぞ
ちっとは頭を働かせろよ
775日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:13:50.73
机上の理論がそのまま現実に通用すると安易に考えてしまうのは改めた方がよい
776日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:18:12.38
>>774
ほう。では海上では?

頭働かせて考えてくれ。
777日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:18:45.91
さすが陳寿先生は博識だわ、周髀算経にも通じていたんだねえ
778日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:32:26.59
そういえば、科挙には数学関係の試験はあったんだろうか?
779日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:33:54.96
>>776
目視だな
それ以外の可能性は何があると思う?
780776:2013/08/13(火) 21:36:52.56
>>777
いや、確かに>>775の言う通り、一寸千里も歩数も机上論でしかない。
もし一寸千里を使ったと『仮定』して考えると、海上移動もあるし
無理が無いように思う。距離も符合するし。

中国本土なら、それこそ何千年もの営みがある訳で、
人々の中に、ある程度の距離感が備わってると考えるのが自然。
だから広大な土地柄でも、公里記載されてておかしくは無い。
しかし、見知らぬ倭地で、はたして距離感を掴むのは可能なのだろうか?
倭人は里数でなく日数で距離を語るとの話…

倭人伝だけ里数がかけ離れてるのは、そう言った事も考えられる。
781日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:38:44.18
>>779
目視で公里の距離六倍はおかしかろう。
782日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:41:56.64
>>781
だから6倍じゃない
倭人伝は100歩で1里(76m)だ
783日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:49:07.83
誤差はあるだろうが、
短里の六倍の長さの公里が多く計測されて
実用に利用されているんだから、

公里の1/6しかない短里を計測するのは、
そう難しいことでもなかろう。
784日本@名無史さん:2013/08/13(火) 21:52:52.50
>>782
ごめん、途中で気付いたけど同業(九州説)だったのね。
短い距離は歩測だろうけど、その時は公里の可能性もあるよ。
理由は>>780
一寸千里と歩測で倭地を大まかに測量したと考えるとね。

あと、>>780に追記すると、陳寿は見知らぬ土地の報告書(資料)を纏めただけだから、
距離に疑問を持たず書いたと思う。
785日本@名無史さん:2013/08/13(火) 22:14:12.06
郡から大体南南東に萬二千余里という数字を見て会稽東治之東ぐらいだろうと言っている。
12000×434=5208000
12000×76=912000
陳寿の認識も一里76m位に近かったのではないかな。
786日本@名無史さん:2013/08/13(火) 22:25:06.70
>>785
12000×434=5208000
5208km は沖ノ鳥島くらいだから、香港東治之東 になるもんね
787日本@名無史さん:2013/08/13(火) 22:51:12.14
どうする?
とりあえず一里76mで進んでみる?
唐津ボートもし飽きたわい
788日本@名無史さん:2013/08/13(火) 22:55:14.48
1/6或いは6倍って言うけど、6倍なのは帯方郡から狗邪韓国だけで狗邪韓国から対馬、対馬と壱岐は4〜5倍、壱岐島と松浦では8〜9倍くらいじゃん
789日本@名無史さん:2013/08/13(火) 22:58:54.59
あーりんわっしょい!!
790日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:09:56.21
>>788
島々は、そうキリ良く並んでいてくれないからなあ
まあ、1倍とか2倍ではないんだから、それで良しとしようぜ
791日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:09:56.26
オカルト本じゃないんだから一里が76mだとか絵空事は止めて欲しい
九州説=短里と思われるのは我慢できん
792日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:11:42.31
>>791

問 以下は何キロメートルですか?

(イ)帯方郡より狗邪韓国まで、七千余里
(ロ)帯方郡より女王国まで、一万二千里
793日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:12:11.35
「短い里」だ
794日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:17:37.97
>>792
当時の一里は435mだよ
795日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:23:22.40
んじゃ、公里から先にシュミレートしてみますか。
倭人伝に沿って進み、陸行途中で海にドボンしたら終了ってコトで。
方角は地図通りでいいね、同じ条件でやるし。
796日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:28:22.85
>>784
答え
(イ)帯方郡より狗邪韓国まで、七千余里=7000*435=3045km

帯方郡より狗邪韓国まで
約3千キロメートルでいいですか?
797日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:32:09.48
>>795
実距離と合わないのであれば数字が間違ってるってだけだよ
798日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:36:50.22
当時の測量精度で図った距離を10倍した、で問題無かろう
寧ろ一里=76mだったとしたら精度が高過ぎて逆に不自然
799日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:37:52.91
>>797
それを証明して!って事になりますがの?
800日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:45:17.29
>>798

私は短里短日説で、里数日数共に公里の1/6説を取っている。
801日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:51:24.60
直線距離のみだと、公里は奴國で日向灘にドボン。

終了。
802日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:55:09.66
>>801
それ以前に、半島が大陸並みの広さにwww
803日本@名無史さん:2013/08/13(火) 23:58:08.50
んっもうっ!
だらしないわねぇ、公里ったらっ!
この早漏っ!
804801:2013/08/14(水) 00:03:21.20
ねみぃ…
短里シュミレート、やりたい人やって下さい。
誰もしてなかったら、明日してみます。

ZZZ…
805日本@名無史さん:2013/08/14(水) 00:04:50.30
実距離の数倍(規則性の有無は不明)で書かれている
で何の矛盾も無い

一里当たりの実長が違ったとなるとその是非で袋小路に陥るよ
806日本@名無史さん:2013/08/14(水) 00:14:17.41
>>805
> 実距離の数倍(規則性の有無は不明)で書かれている
> で何の矛盾も無い

その資料を見付けて提示せんと空論ですな、何倍かわからんし。
あと方角もね。
807日本@名無史さん:2013/08/14(水) 01:38:40.96
里数が錯覚による誤りなのか意図的な数字なのかは
狗邪韓国→対馬国と対馬国→一大国を1日で移動したかどうかがキーになるだろう
もし1日で移動したなら、倭国は遠すぎるから錯覚して大きな数字を記録してしまったという言い分は通じなくなる
1日で430kmなんてどうやっても行ける距離ではないことを彼らだって分かってたはずだから

では、狗邪韓国→対馬国と対馬国→一大国の途中で一晩停泊するかというとありえない
危険すぎる
海流の流れが急で日本海まで流されてしまったら遭難してしまう可能性がある

つまり、1000里は船に乗って1日で移動できる最大の距離であって、
狗邪韓国→対馬国と対馬国→一大国は彼ななりに根拠があって1000里としたと考えるのが妥当
808日本@名無史さん:2013/08/14(水) 03:59:33.35
>>805
当時の一里は435mだから実距離の数倍で書かれているのは言うまでもないよね
例えば対馬から壱岐の実距離は100km位なのに千里(435km)と書いているよね
この距離については4倍くらいになっているよね
809日本@名無史さん:2013/08/14(水) 07:43:07.09
>>806
>その資料を見付けて提示せんと空論ですな、何倍かわからんし。

ここの「資料」という単語が曲者
たぶん古文献のことで、しかも古ければ古いほど良い
いにしえの原著者に責任を転嫁できるから、まことに好都合なんだよな
810日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:15:55.12
>>806
魏志倭人伝では戸数や官職や産物をかなり詳しく書いている
距離だけがデタラメってのは有り得ないな
距離もできるだけ正確に書こうとしたが、古代故に誤差が出たって感じだろう

距離だけ数倍で書いた理由は説明できる?
811日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:19:50.92
資料っていっても、ここ最近の議論は、
魏志倭人伝、周髀算経という資料に基づいているんで、
資料を要求するのも筋違いだろうな。

問題はそれらの矛盾点だろうし
812日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:26:46.37
史料の矛盾はよくあることで、
尺寸の大きさが、直感と違ったというだけのことで、
里の根拠である夏至の日の角度が変わるわけではない。

直感と違った尺寸の大きさは、事実かもしれないし、
どこかに換算の間違いがあるのかもしれないが、
どちらであろうと、里の大きさに変わりはない。

尺寸から里を出しているわけではないからだ。
813日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:32:22.23
>>810
ん?一里76mで考えてる九州論者ですが?
814満州与作:2013/08/14(水) 08:33:57.11
難しいことは何もない。
九州人がアホなだけである(笑)
815日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:35:16.76
資料・資料と言い過ぎると、

「倭人伝の距離は○○倍で書かれていることを証明します」

みたいな古代の鑑定団の証明書を要求するようなことになるからな
正しきは、より多くの関連資料を集めつつ、現代の学識で倭人伝を読み返すというスタンスだろう
816満州与作:2013/08/14(水) 08:37:39.11
30代、40代、50代の、いい年した大人が、
短里だとか、東南だから佐賀だとか、南だから九州だとか…。

アホか、こいつらは。小学生のガキか。
817日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:41:03.90
さあ満州翁、今日も暑くなるよ
図書館に行けば
818日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:44:43.64
距離の証明を要求されるような説なんて、九州説くらいしかないからな。
もっとも。九州説にもいくつかあるんで一概には言えないが。

他の説で、そんな緻密な説を要求されている例はない。
他説は全部それ以前の妄想の段階だから。

対抗できるような緻密な説があるのならば、提示を願いたい。
819日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:56:40.03
>>813
「物差しが○○km刻みの短い尺である」ということと、

「その短い尺で島々のあいだを計った結果、千里が○○kmに相当する」とは、まるでちがう

とりわけ畿内信者はこれを区別できない傾向にあるが、両者は確然と区別して理解すべし
820日本@名無史さん:2013/08/14(水) 08:58:49.90
さあ、
そろそろ松沢病院の図書館の開館時刻ですよー
821日本@名無史さん:2013/08/14(水) 09:02:43.49
しかし、満州とやらはスタンスがコロコロ変わって、
その都度言っていることが変わる。

ほんとに松沢病院に行く必要があるのかもしれんな。
案外入院先から書き込んでいるのかもしれないが。
822日本@名無史さん:2013/08/14(水) 09:05:10.77
>>816
>「短里だとか、東南だから佐賀だとか、南だから九州だとか…。」

さすが某ブログの大先生だけあって、九州説のポイントをよく押さえていらっしゃるわ
823日本@名無史さん:2013/08/14(水) 09:06:11.28
部屋にエアコンがないから図書館に行かないと熱中症で死んでしまうお
それから満州翁は持論である古代の地勢的な領域の話をしたいだけで
人が多いから邪馬台国スレにいるんだと思われ
824日本@名無史さん:2013/08/14(水) 09:15:46.72
満州与作は九州人なみに九州説を良く理解しているようだから
今日から伊都国佐賀説に乗り換えればいいんじゃないの
松沢病院は花園、人生もバラ色になるだよ
825日本@名無史さん:2013/08/14(水) 09:21:44.14
>>816
満州ブログの人は60代より上ってことか
826日本@名無史さん:2013/08/14(水) 09:27:59.39
>>825
レス時間辿ればわかるやろ
定年退職者の暇潰しだ

畿内説って神話だろ?
827日本@名無史さん:2013/08/14(水) 11:15:55.05
東南 五百里 伊都国
たぶん伊都国から
東南 百里 奴国
東  百里 不彌国

一里76mで考えると、上陸地点がどこであれ
伊都国・奴国が筑紫平野で間違いないだろうな
問題は奴国の戸数が2万と多い事、意外と大きい平野が必要

となると、唐津に上陸して
伊都国=吉野ケ里遺跡
奴国=久留米
不彌国=鳥栖?
これぐらいしか当てはまらない
糸島上陸だと奴国が苦しい
828日本@名無史さん:2013/08/14(水) 11:21:22.43
それも一案。
ま、この案だと投馬国・邪馬台国へは奴国から出立かな?
829日本@名無史さん:2013/08/14(水) 11:23:46.96
俺は伊都國からだと思うけど、進めてみれば?
830日本@名無史さん:2013/08/14(水) 12:32:51.02
この案で、

・伊都国(吉野ヶ里・神埼・諸富)から各方面へ出立する場合は、筑後川の北岸(右岸)の港から・・・
・奴国(久留米・三潴)から各方面へは、筑後川の南岸(左岸)の港から・・・

ということになるか。
831日本@名無史さん:2013/08/14(水) 14:12:26.02
奴国は博多だろ
金印の出土状況が疑わしいというが、
正しい確率>>>>>>偽装された確率
なのは間違いないんだし
832日本@名無史さん:2013/08/14(水) 16:33:09.24
忘れてた。
福岡城内から鴻臚館跡が発見されたんだった。
いわゆる迎賓館だから、糸島伊都國に
あったものが移転した可能性が高い。

やはり定説に沿って考えて良い気がする。
833日本@名無史さん:2013/08/14(水) 19:48:58.14
金印に関する問題点は、たった一つしかない。それは
畿内説という詐欺を押し通す際の障害になるという点だけだ。
834日本@名無史さん:2013/08/14(水) 20:23:37.62
金印は偽物だのほんとの出土場所は不明だのただの言いがかりだわな
畿内説を押し通すために金印は邪魔ものでしかないから最近は完全無視作戦に切り替えたようだが
835日本@名無史さん:2013/08/14(水) 20:39:15.36
陰謀論が好きだな
836日本@名無史さん:2013/08/14(水) 21:15:53.50
研究家が一番恐れているのが考古学者。
どんなに資料を集め、研究を重ねて比定しても、
現物一つで説論が吹き飛んでしまう。
837日本@名無史さん:2013/08/14(水) 21:39:13.40
現物が見つかっても
コネで否定するのが考古学者なんだが
838日本@名無史さん:2013/08/14(水) 21:49:26.65
あくまでも今知られている各資料を元に推測して結論を求める、
という姿勢を貫いていれば、考古的新発見はなにも問題にはならない。

その新資料から新たに推測をやり直すだけのこと。
お陰で、当初の見込みとは違った結論になることがよくある。

「なんでこんなところが邪馬台国なんだよ!!」
「論理的にやればにそうなるんだからしょうがないやん」

で、何故か人吉になってしまって、免田式土器なんか勉強するはめになっている。
想定外だった。
839日本@名無史さん:2013/08/14(水) 21:53:46.69
奴国としてる場所に金印が出ても
畿内説には何の矛盾もないだろw
840日本@名無史さん:2013/08/14(水) 22:15:24.75
糸島=伊都國
奴國=博多
不彌國=宇美

とすると連続式か?
方角ももほぼあってるな。
不彌國から南、宇美に海は無く(笑)、水行は九州迄で終了。
後は陸行は唐津から一月、唐津〜糸島〜博多〜宇美…さて。
841日本@名無史さん:2013/08/14(水) 22:24:18.95
>>840
五百里忘れてるってw
842日本@名無史さん:2013/08/14(水) 22:46:52.41
>>841
ん?いや入れてるけど。

・郡から女王國まで万二千余里。
・南に邪馬台国、※水行10日陸行一月。

↑これが同じとなるから、引き算すれば良い。
郡から水行で一万里=水行10日。
残り二千余里=陸行一月。
唐津〜宇美で700里消化、残り1300余里=(一月−X日)

※郡からの水行含む総日数。
843日本@名無史さん:2013/08/14(水) 23:04:24.42
>>842
えー
唐津から博多なら、東または北東だなw
844日本@名無史さん:2013/08/14(水) 23:17:13.56
>>843
いや、それがそうでもないみたい。
南北の軸が西に少し傾いてる。
郡から韓国を南して東して…の南、狗邪韓国から
唐津までの南も真南ではない。
多分と言うか、やっぱり夏場の日の出位置を基準に
方角を決めてる気がする。

色々書きたいけど、とりあえずこれで。
845日本@名無史さん:2013/08/14(水) 23:20:51.19
スレを読んだ
初めは短里だといい、突っつかれたら
倭人里だといい、また突っつかれたら
東夷里だといい、また突っつかれたら
やっぱり短里だという
こんなの九州説が馬鹿にされるだけなので 迷惑 朝鮮にまで馬鹿にされるなんて
短里厨は別スレたててそこでやれ
846844:2013/08/14(水) 23:34:05.43
だから、唐津からの東南500里伊都國へのルートなんだけど、
現在のR323、玉島川沿いを進んだのでは無かろうか?
R202を通った人ならわかるだろうが、山から急に海に
落ち込んだ様な地形だから、海岸線のルートはとれない。

玉島川沿いから山越えするルートで、糸島へ行ったと思われる。
この、玉島川ルートの最初の道のりが東南となったのではと。
伊都國の滞在時間で、徐々に日の出位置は東に傾いていく。
847日本@名無史さん:2013/08/15(木) 02:59:34.61
日の出厨か
848日本@名無史さん:2013/08/15(木) 06:17:59.40
でもそうでしょ
849満州与作:2013/08/15(木) 08:48:47.62
この日の出厨が、九州スレの常連中の常連で、九州スレの大将のような男であるw
この男は、魏使が日本に来て、末盧国からトコトコ歩いて伊都国に行ったと思っているのである。
日の出を見て方角を知ったから、方角を間違えるはずはない、と思っているのである。

笑うしかないw
この男は一生、そういう小学生じみた固定観念から抜け出せないのだろう。
で、われわれはこの男を納得させるために一生この男とつきあわざるを得なくなるのである。
なぜならこの男が納得しないかぎりいつまでも九州スレは続くだろうから。

日の出厨
ポクの素直読み君
四国説の雑学王こと南解次次雄

これが2chの三パカトリオである。
850日本@名無史さん:2013/08/15(木) 08:57:33.47
女王國の北に伊都國
伊都國の南に女王國

畿内とかまあ無いよね
851満州与作:2013/08/15(木) 09:05:43.82
南と書かれているのは、単に陳寿が、日本は南に延びていると思っていたというだけの話である。
新羅は高句麗の東にあると書かれた中国正史もある。
それは単に新羅は高句麗より遠くにあり、高句麗より遠くだから東だろうと勘違いしたのである。

晉書にこういう記事がある。
分遣使者徵兵于鮮卑、烏丸、高句麗、百濟及薛羅、休忍等諸國,並不從。

これを見て、休忍國は一番最後に書かれているから、
讀史方輿紀要の著者は、休忍國は新羅の東にあると書き、
滿洲源流考の著者は、休忍國は朝鮮の南界にあると書いている。

休忍國がどこにあったかは不明である。後世の考証家が、東と書いたり南と書いたりする。
陳寿が、日本は南に延びていると思えば、大和は南にある、と書くのである。
852日本@名無史さん:2013/08/15(木) 09:09:33.51
>>851満州
固定観念に囚われてるヤツはパカーねw
もう一回頭フラットにしてやり直せば?
853日本@名無史さん:2013/08/15(木) 09:25:59.64
マン臭ブログがはじめて書かれたのは2009年11月
この年に定年退職したとするとこの爺さん64歳よりは上になるな
854日本@名無史さん:2013/08/15(木) 09:26:24.84
東を南と思って書き直したなら、南は西か?
郡から西に進めば何処に行くのやら
都合良く九州着いたら南が東か…最高だな
855満州与作:2013/08/15(木) 09:31:57.70
九州人は、いつまでもそうやって倭人伝の文章に拘泥する。
東南だから佐賀だとか、南だから九州だとか。

実際の歴史を考察しないで、文章から歴史を空想する。

実際の歴史とは何か。記紀に書かれているのが実際の歴史である。
九州も早くから大和朝廷の支配下にあり、九州王朝だとか、
九州一円を支配していた女王がいたなどということは記紀には書かれていないのである。

九州説は完全な空想である。
とはいえそういう空想に幻惑されている人々がいるということは、
ポクには都合が好いことだから、九州説がいつまでも人気を保つことを望んでいるw
856日本@名無史さん:2013/08/15(木) 09:43:38.17
>>855
副本を主本と思って、道を外れ本末転倒した良い例だな
大和朝廷に都合が悪い部分を、記紀作成者が自ら書き残す訳がない

現実の歴史は神話でなく現物だ
857日本@名無史さん:2013/08/15(木) 10:16:12.12
この秋あたり、満州先生には中九州〜南九州のご旅行をお勧めしたいものだ
景行天皇の巡幸路にちなんで、
大分〜宮崎〜高千穂の天岩戸神社〜えびの市〜〜〜熊本なんかいいんじゃないかなあ
歴史よし、紅葉よし、岩戸焼酎よし・・・
858日本@名無史さん:2013/08/15(木) 10:23:05.94
>>856
大和朝廷に都合が悪いのではなく、
大和朝廷の権利者に都合が悪い事を書かないだけの話。
どちらにせよ九州云々は関係ない。
859日本@名無史さん:2013/08/15(木) 10:53:45.79
満州ブログには記紀に書かれてない理由が何たらってあったな
よくわからんかったが
860日本@名無史さん:2013/08/15(木) 12:19:41.77
>>856
そういう意見をよく聞くが、九州王権て大和朝廷にとって都合が悪い事なのか?
861日本@名無史さん:2013/08/15(木) 12:44:24.94
九州王朝/九州王権と言うと
記紀をもとに時代を繰り上げて論ずる人も少なくないようだけど
じつは、邪馬台国時代のはるか後世の倭の五王あたりのことじゃないの?
862日本@名無史さん:2013/08/15(木) 12:55:05.86
記紀に書かれてない=大和朝廷にとって都合が悪いことがあったから意図的に省いたって解釈するのは陰謀論だろ
普通の人はどう解釈するかというと、知らないものは書きようがない
863日本@名無史さん:2013/08/15(木) 13:21:46.61
>>861
よく聞く説では、6世紀初頭から7世紀後期までを
九州王朝とする場合が多い。
これは、王朝としての整備が整った段階で、
それ以前にもそれなりの勢力はあった。
864日本@名無史さん:2013/08/15(木) 13:35:46.69
実年代化チラ裏=古事記の没年情報(※神功のみ日本書紀)+朝貢記録

台与(235年〜?)…248年13歳で邪馬台国女王に共立/266年西晋武帝・司馬炎へ最後の朝貢(魏志倭人伝)
★三輪(佐紀)朝
10祟神(〜318年)…四道将軍派遣300年頃?
11垂仁(情報なし)…330年頃没?新羅王子「天之日矛」帰化、田道間守 、野見宿禰vs当麻蹴速
12景行(情報なし)…343年頃没?日本武尊の熊襲討伐・東征340年頃? 大臣・武内宿禰
13成務(〜355年)…国造/県主設置  
14仲哀(〜362年)
神功(※〜389年)…「旨」(「泰和4年」369年銘石上神宮七支刀→百済・近肖古王より「神功52年」372年贈呈)
★河内朝
15応神(〜394年)…「禰(でい)」
16仁徳(〜427年)…「讃」(413年/421年/425年)
17履中(〜432年)…「倭国王」(430年)
18反正(〜437年)…「珍」(438年)←没後朝貢?
19允恭(〜454年)…「済」(443年/451年)
20安康(情報なし)…「興」(460年/462年)
21雄略(〜489年)…「武」@(477年/478年)←「獲加多支鹵大王」…辛亥(471)年銘埼玉県稲荷山鉄剣+熊本県江田船山鉄剣
22清寧(情報なし)/23顕宗(情報なし)/24仁賢(情報なし)
25武烈(情報なし)…「武」A(502年)
★近江朝
26継体(〜527年)…「男弟王」癸未(503)年銘人物画像鏡(和歌山県隅田八幡宮)
865日本@名無史さん:2013/08/15(木) 15:20:23.65
九州王朝というか九州豪族だろ。
大化の改新前は豪族の力が強く皇族の立場もまだ確立していなかったから
王朝のように見えるだけじゃないのかな。
九州以外にも例えば埼玉県稲荷山古墳のあたりとかも大和朝廷を通さない
外交ルートとか持ってたらしいよ。
辛亥年は531年説もあるね。
歴史やる人ってやたら時代を古くしたがるからそれを考慮して、おれは
辛亥年は531年にみてる。
866日本@名無史さん:2013/08/15(木) 15:23:36.95
邪馬台国九州説の人は九州王朝説なんですか?邪馬台国九州説の人はアホなの?馬鹿なの?田舎者なの?
867日本@名無史さん:2013/08/15(木) 15:31:09.78
東遷説でも九州王朝説でもないです
おれは邪馬台国は九州にあったけどその後消滅説です
大和朝廷とも関係なく、神武は移住説です
868日本@名無史さん:2013/08/15(木) 15:32:50.19
>>865
つ前方後円墳
869日本@名無史さん:2013/08/15(木) 15:36:50.20
王朝説だとか、東遷説だとか、気が早すぎるわ
邪馬台国・女王之都を見定めてから云うこっちゃ
870日本@名無史さん:2013/08/15(木) 16:17:53.31
邪馬台国が畿内にあったとしたら、台与266年〜讃が朝貢する413年まで150年間も中断せず、定期的に朝貢していたはず。
150年間(!!!)もの朝貢中断の原因は何かに着眼すべき。
東亜の盟主である中国王朝が五胡十六国の乱立→南北朝に分裂したことを知った倭国(邪馬台国)王権の対応、すなわち

@対岸の火事、中国内乱に巻き込まれることを避けるための大和(列島中心地点)への遷都(東遷)
A東西朝(九州vs大和)に分裂しないための全国統一の推進(祭祀形態の統一)

以外に考えられない。
考古学的にも、九州と大和における鉄の出土量、画一的な前方後円墳(▲銅鏡)の全国的普及がそれを裏付けている。
871日本@名無史さん:2013/08/15(木) 16:44:25.89
国造
国を造ると当てているから、元々そこを開いて国を建てた、少なくとも自立発生的な開発領主の意味だろう
クニノミヤツコ、御奴というからには大王の家臣だが、天つ神に対する国つ神みたいな、外様を意識したネーミングだな
伴造
伴を当てているから、天孫降臨に供奉(トモ)してきた家系という意味か
やはり造はあるから、大王から派遣されて国土開発に寄与した家系?
伴部(ともべ)、軍事なり操船なり、物作りなり、特定の稼業で仕えるという意味もある
ニギハヤヒの天下りに供奉したきた、五部の造、天物部二十五部などは職能集団を表しているのだろう
県主(あがたぬし)
大王の直轄地におかれた官、設置は西日本に集中している

九州に設置された国造、筑志・筑志米多・豊・宇佐・国前・比多・火・松津・未羅・阿蘇・葦分・天草・日向・大隅・薩摩・伊吉嶋・津島縣直・葛津・多ネ執嶋
872日本@名無史さん:2013/08/15(木) 16:45:44.21
大和(ダイワ)と書いてヤマト(邪馬台)と読ませるところに、大和(ヤマト)王権成立の秘密が隠されちゅう!

もし狗奴国が邪馬台国を滅ぼし東遷して大和朝廷になっていたら、大和と書いてクナ(狗奴)と読ませていたはず
今頃、我々は大和(クナ)王権、大和(クナ)国、戦艦大和(クナ)、大和(クナ)郡山城と読んでいただろう
当然、皇祖神天照は女性神(邪馬台国王・卑弥呼+台与)ではなく、男性神(狗奴国王・卑弥呼弓)になっていたはず
873日本@名無史さん:2013/08/15(木) 16:51:45.91
ヤマトは(山人)でハヤト(隼人)と対応する名だと思うが。
874日本@名無史さん:2013/08/15(木) 17:12:36.62
狗邪韓国、金官加羅、伽耶
金=クム   狗邪、伽耶も同じ、美称
韓=ハン   漢、汗、藩も同じ、国または領土の意味
倶利伽羅のクリは銅を指し、半島人の採鉱集団が入植していたのだろう
キプチャク汗国、チャガタイ汗国、彦根藩、会津藩などの領邦君主
狗邪韓国は、金の領邦という事になり、大王の御料地みたいな意味になる
875日本@名無史さん:2013/08/15(木) 17:21:17.21
>>872
何気にスゴイこと書いてるねw

付け加えると、もし邪馬台国が畿内にあったなら、畿内が九州と呼ばれていたはず。
なぜならば 九州=天子(皇帝/国王)の直轄統治領域/畿内=天子が都する特別行政区(首都)
-あの列島「西端」の島(九州)が、なぜ九州と呼ばれているのか?
-列島「中心」領域・畿内はなぜ畿内と呼ばれ始めたのか?
に我々はもっと着目すべき

答えは邪馬台国東遷以外にはあり得ない。

更に言えば、もし狗奴国が邪馬台国を滅ぼして大和朝廷になっていたら、
神武東征は狗奴国(官・狗古智卑狗の記述から熊本と推定)から出発していただろう。
876日本@名無史さん:2013/08/15(木) 18:46:47.61
狗奴国人はもと熊本平野の菊池市一帯にすんでいた、官は狗古智卑狗といった、
ところが新来の鉄製武器を携えた邪馬台国一族に追われ、鹿児島方面へ下がった
素より不和とはこのゆえである
しかし邪馬台国東遷の後、勢いを盛り返して再び古里熊本平野に戻り、山鹿菊池に都を築いた
これが邪馬嘉国である
それゆえ、その後の熊本平野に邪馬台国の名残はない、
877日本@名無史さん:2013/08/15(木) 19:55:33.32
>>875

「東遷」の定義を明確にしてくれ。

・国家全体移転(当然、全国民移住)
・首都機能移転(官僚機構移転)
・王宮移転

どれよ?
878日本@名無史さん:2013/08/15(木) 20:03:26.57
皇居が置かれた事のある5国、大和・山城・河内・和泉・摂津を五畿とよぶ
(奈良時代に河内から和泉を分離する前は、四畿内'(よつのうちつくに)といった)
古代中国では、天子の居城(都)から500里をさす
ある種の結界であり、聖域である
字源の「幾」は、戈に呪術の飾りとしての糸を加えた形
いっぽう九州は、中国全土のこと
九は極数を意味する
冀州(今日の山西省・河北省)、?(えん)州(河北省南部・山東省北西部)、青州(山東省中東部)、徐州(山東省南部・江蘇省北部・安徽省北部)、
揚州(江蘇省・安徽省・浙江省)、?(けい)州(湖北省・湖南省・江西省)、予州(河南省・湖北省北部)、梁州(陝西省南部・四川省)、雍(よう)州(陝西省・甘粛省)の九つが挙げられている
879日本@名無史さん:2013/08/15(木) 20:10:07.15
筑前
筑後
肥前
肥後
豊前
豊後
薩摩
日向
大隅

で九州。
880日本@名無史さん:2013/08/15(木) 20:11:44.78
倭国の全土か。
881日本@名無史さん:2013/08/15(木) 20:51:29.21
倭の中心は北部九州から瀬戸内海だからな。
882日本@名無史さん:2013/08/15(木) 21:19:25.40
なんだよ九州説って
倭国全土説
倭国唐土説
だったのかよ
883日本@名無史さん:2013/08/15(木) 22:00:42.19
周代、天子の直轄領のことを「九州」と呼んだのに倣ったわけだ。
884日本@名無史さん:2013/08/15(木) 22:04:49.45
天子の直轄領w
885日本@名無史さん:2013/08/15(木) 22:18:08.98
九は極数、筑紫は「尽くし」を表す
同じ意味にも聞こえる
でも、九州と呼ばれる様になったのは >>879 の9国になってからだろうな
大化以前は、筑紫・豊・肥・日向の4つの区分だった
886日本@名無史さん:2013/08/15(木) 22:39:27.32
州と国は違うからね。
887日本@名無史さん:2013/08/15(木) 22:47:24.69
最近「卑弥呼」は本当は「(鬼)弥呼」と書いたんじゃないかと思う今日この頃。
鬼弥(キミ)=君、すなわち皇族の尊称なんじゃないかと
卑のままでもいいけどそういう意味なんじゃないかと
あと、魏志倭人伝に出てくる國の「官」というのは本当は「諸王」の名前なんじゃないかな
王がいるのにその名前を書かずに官の名前を書くのもおかしな話だ。
卑奴母離は刺史のことだよね。
888日本@名無史さん:2013/08/15(木) 22:49:53.25
じゃないかじゃないか三じゃないか合わせてじゃないか六じゃないか
889日本@名無史さん:2013/08/15(木) 22:56:59.05
タイムマシンで見てこなけりゃ
確定的な事は言えんよね

流石に
890日本@名無史さん:2013/08/15(木) 23:02:28.72
>>886
源義経が任じられた九国地頭というものがある
行家が四国地頭だ
891日本@名無史さん:2013/08/15(木) 23:05:25.27
>>887
諸王を被官化して呼称を与えたんじゃないかな
「○○の国造」みたいな
892日本@名無史さん:2013/08/15(木) 23:07:54.42
>>887
それはないな。
後漢書。魏志倭人伝。梁書。北史。通典。
全部、一つ残らず、「卑彌呼」だから。
893日本@名無史さん:2013/08/15(木) 23:12:30.42
>>892
卑弥呼の時代の倭の記事の大元は魏志だから。
894日本@名無史さん:2013/08/15(木) 23:31:23.97
>>891
>「○○の国造」みたいな

「卑狗」がそれに相当するのかな。
895日本@名無史さん:2013/08/16(金) 00:08:02.48
愚か者ほど先を急ぐと言いますね
でも私はあなたを好きにならずにいられない
896日本@名無史さん:2013/08/16(金) 07:58:42.96
>>889
このスレの人達、特に畿内説のパーカどもは、タイムマシンで卑弥呼を見て来
たと言っても信じないよ。皆の議論から一致点を見つけようという気がさらさ
ら無いからね。卑弥呼から何か証拠品をもらって来ても信じないよ。それどこ
ろかタイムマシンで行ってきた人を詐欺師だ、トンデモだと非難するよ。
897日本@名無史さん:2013/08/16(金) 08:19:41.06
>>896
君は何トチ狂った事を言ってるんだね?
畿内説は九州説と相対的な関係で、九州説があるからこそ畿内説があり、畿内説があるから九州説が存在する。
畿内説を否定することは、九州説を否定することであり、九州説を否定することは、畿内説を否定することだよ。

自分は九州説だと胸を張るなら、胸を張った分だけ畿内説を尊重するのがスジ。畿内説を否定することは、自ら自説を否定していることだよ。
898日本@名無史さん:2013/08/16(金) 08:22:11.47
>>897

言語明瞭、意味不明瞭
899日本@名無史さん:2013/08/16(金) 09:02:58.52
>>872
新井白石(1657-1725)は大和国=邪馬台国に見事に振り回されたんだね

当時は考古学なんてなかったから仕方がないが、考古学が発展した現在ですら
畿内説vs九州説の不毛の議論が古代史の解明を妨げている
もちろん、納税者の税金で維持管理されている天皇陵を納税者に公開しない天皇陛下(宮内庁)が諸悪の根源ではあるが、
奇な異説はその成立が新井白石の勘違い ということを認めねばならない
900風の中のゴキブリ:2013/08/16(金) 09:05:53.56
言葉は通じるけれど、話が通じないってやつか
901899:2013/08/16(金) 09:07:50.57
【訂正】

×奇な異説→◎畿内説
902日本@名無史さん:2013/08/16(金) 09:09:34.98
>>897
邪馬台国は2か所、卑弥呼は2人いたとまおすか。まこと奇な畿内信者。
903ローガン:2013/08/16(金) 09:17:05.67
>>896
>このスレの人達、特に畿内説のパーカどもは、タイムマシンで卑弥呼を見て来たと言っても信じないよ。

信じる方がどうかしている。
904日本@名無史さん:2013/08/16(金) 09:20:18.24
確かにw
905日本@名無史さん:2013/08/16(金) 09:21:56.31
そもそも畿内説を信じる方がど・・・・・。
906満州与作:2013/08/16(金) 09:33:50.97
江戸期の学者は、みんな邪馬台国は大和だと思ったのである。
本居宣長なども最初はそう思った。

しかし大和朝廷が魏に朝貢するはずはないし、記紀に書かれてもいないことなので、
一つの試案として、南九州説とか熊襲女酋説を唱えたのである。

あくまでも一つの試案であったが、国学の大家の説なので影響大で、
その後主流説として定着してしまっただけのことである。
その後戦後に至るまで、むしろ九州説が主流だったのだが、
そんな時代に於いてさえS氏などは九州説など完全に無視していたのであり、
津田史観などとも無縁だったのである。そのため学界からは黙殺され、
今日に於いても、おそらく古田でさえS氏の名前は知らないであろう。
ポクも知らなかった。チミらも知らないだろう。
しかしこの人は明治以後の最も偉大な学者である。
尤も学者かどうかは知らない。検索しても著書しか出て来ない。
907日本@名無史さん:2013/08/16(金) 09:36:01.39
九州説なら、以下の読み方でで問題ない。

佐賀平野(の某国)から、
(南至)南の方角に投馬国がある
(南至)また同様に南の方角に邪馬台国女王之都がある
908日本@名無史さん:2013/08/16(金) 09:37:35.14
論争に終止符とか無理なんじゃないですか。
ここは邪馬台国で私は卑弥呼ですと喋ってもらってそこを動画撮影して
証拠の品を貰って持ち帰っても僭称してるだけとか言って信じないでしょう。
909日本@名無史さん:2013/08/16(金) 09:57:17.49
北部九州説と畿内奇説のように、誤った者同士で戦うと論争に終止符はない
しかし正しき伊都国佐賀説の登場で間もなく論争も終る
910日本@名無史さん:2013/08/16(金) 10:15:43.39
箸墓の正確な年代測定やって卑弥呼の時代より新しいと証明されたとしても
畿内説はまだしつこく食い下がるつもりかな
911日本@名無史さん:2013/08/16(金) 10:29:29.57
畿内説から、△鏡詐欺、箸墓詐欺、年輪詐欺、といくらでも
トンデモ説が繰り出されてきたから、今後も同様だろう。
しかも、官学商の共犯関係だから、たちが悪い。
912日本@名無史さん:2013/08/16(金) 10:40:34.98
箸墓を担ぐ畿内の某△新聞の肩入れは異常・異様
それを読んで踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らにゃソンソン
913日本@名無史さん:2013/08/16(金) 11:05:20.27
三角縁神獣鏡の出る古墳には埴輪がないといわれているらしい。
三角縁神獣鏡が出た黒塚古墳にも埴輪がなく、椿井大塚山古墳でも聞かない。

一方で、箸墓には埴輪がある。箸墓古墳に特殊器台形埴輪があることは
大昔から知られていた。この箸墓を最古級の古墳にすることは、
一番古い古墳には埴輪・葺石があり、その後なくなり、また復活するという
パターンを考えなくてはならないが、やはり不自然。

箸墓はやはり比較的新しい古墳と考えたほうがいい。三角縁神獣鏡も
ないと考えられる。それにしても、立ち入り調査後、全く箸墓の話が出ないな。
914日本@名無史さん:2013/08/16(金) 11:52:56.26
最古級だから巨大であるとか、
巨大だから卑弥呼の墓にふさわしいとか、先に結論あってのセリフが見え見え。

畿内に卑弥呼がいたと言うなら、墓は神宮皇后稜とするほかない。
記紀はそれを前提に編集されているからだ。
ゆえに神功皇后稜が後世のものだからと言って、その他の墓を探すならその時点で即破綻。
915日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:00:59.40
箸墓を卑弥呼の墓とせず、△も国産説をとる畿内説論者なんて
結構多いんだけどね。
九州説もいつまでも拘ってちゃ遅れるばかりだぞ。
916日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:05:26.90
立ち入り調査のあと、すっかり箸墓の話題が止まったことで畿内説は絶望的だ。

卑弥呼の墓は殉葬、箸墓は埴輪葬、これが決めてだな。
立ち入調査でも容易にわかるからな。
917日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:09:35.30
>>916
九州説の連中はそういう願望なんだなw
調査結果の発表なんて色々タイミングがあるんだよ。
918日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:12:22.14
既成事実の雪だるま=畿内説の正体

江戸幕府の御用学者・新井白石の短絡的勘違い
+尊皇攘夷派の論拠となった皇国史観生みの親(幕末の国学権威・本居宣長)への阿諛追従(身の危険回避)
+京大(関西)学閥の東大(関東)学閥に対する文化的優越感と政治的劣等感の愛憎
 →考古学の成果を、理論武装(尾鰭羽鰭、詭弁、こじ付け再反論)に悪用。現在に至る。
919日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:13:31.95
もし箸墓がつぶれたら畿内説はどうでもいい雑魚に成り下がるの確定だから早く年代測定して欲しい
920日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:15:19.92
中〜南九州説ならば、以下の読み方が最適であろう

佐賀平野の不弥国から
(南至)南に向えば投馬国に到達する(郡からは)水行20日
(南至)また同様に南に向えば邪馬台国女王之都に到達する(郡からは)水行10日陸行1月
921日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:21:56.53
皇国史観と畿内説の理論利益が一致するためには、卑弥呼は神功皇后でなくてはならぬ
近年の畿内説はその縛りを忘れて暴走したのだろう
922日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:32:02.92
其国本亦以男子為王 住七八十年 倭国乱 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑弥呼
事鬼道能惑衆 年已長大【無夫婿】 有男弟佐治国 自為王以来 少有見者
923日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:40:48.40
>>919
じゃ九州説的には箸墓は誰の墓にするの?
そういう話考えないであれこれ騒ぐだけじゃ話にならんよ。
924日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:44:33.24
>>920
初心者にありがちな間違いだな。
925日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:45:12.15
>>923
>箸墓
魏志に書かれた卑弥呼以外の人物の墓だな。

卑弥呼以外の人物墓なんだから、誰だと特定する必要性がない
926日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:52:10.10
>>923
箸墓はモモソ姫の墓にきまっとるだろ
927日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:54:18.70
>>924
それをいうなら、ビギナーズ・ラック
928日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:54:49.52
箸墓は最初の大王墓なら2人のハツクニシラススメラミコト
すなわち、始馭天下之天皇(神武)か御肇國天皇(祟神)だろう
929日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:55:56.56
モモソは神大市姫で日女命なんだから卑弥呼の資格大だけどな。
九州にはそんな人物いないだろw
天照大神?墓は阿波にあるぜw
930日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:59:31.79
九州にモモソヒメは住んでいなかった
故に、明らかに卑弥呼ではない
931日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:59:37.78
>>928
それはない、崇神なら場所的には桜井茶臼山の方が可能性あるだろう。
932日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:02:57.03
>>929
おまえは消えろ
ウザい
この丹キチガイが
933日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:04:06.82
>>930
そうだな九州に住んでない、幼児期は瀬戸内海ですごし才女と名を残す。
後に大物主と神婚するとか。
卑弥呼像そのままだねw
934日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:04:54.56
>>929
天照大神は死んでいない。だから墓はない。
伊勢に鎮座しておられる。
935日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:06:11.72
>>934 追加。

ということになっている。
936日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:07:50.22
>>931
桜井茶臼山は大王墓ではないよ
937日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:09:37.39
>>934
そうだな、阿波にあるのはオオヒルメ=卑弥呼のの墓だな。
938日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:23:38.32
>>937
阿波にあるオオヒルメを祀る神社はこれだな
神紋を見るとおよそのことはわかる
http://www.genbu.net/data/awa2/yakurahime_title.htm
939日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:29:34.91
天照大神を祀る神社はどこにでもある。
うちの近所にもある。
ただ、その実体は、城を作ったときに、守り神のような感じで作られた神社。
940日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:34:41.55
四国の話はスレ違い
四国スレでやれ
941日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:45:07.30
神社で大事なのは場所と由緒だからな。
阿波は国生みの場所近くなんだから由緒は重要だろう。
942日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:54:13.82
しかし、記紀には四国はあまり出てこないな。
九州の勢力は、吉備など瀬戸内海の本州側よりも先に、四国と交流して
いたという話もある。
943ローガン:2013/08/16(金) 14:06:31.85
>>913
>三角縁神獣鏡の出る古墳には埴輪がないといわれているらしい。

まともな人間は誰もそんなこと言っていない。
944日本@名無史さん:2013/08/16(金) 14:24:17.00
マトモな人間は、畿内説詐欺に加担しない。
945日本@名無史さん:2013/08/16(金) 14:34:41.17
>>943
まともな人間なら、三角縁神獣鏡が出て埴輪のある古墳を揚げて
反論すべきではないかな。
946日本@名無史さん:2013/08/16(金) 14:37:28.57
神紋と言えば、なんと言っても皇室のご紋章である十六八重菊
四国にはみあたらぬなあ
947日本@名無史さん:2013/08/16(金) 14:43:01.37
なるほど、三角縁神獣鏡はそういう役割を果たしていたのか
すると卑弥呼の墓には△鏡も埴輪もないことになるな!
948日本@名無史さん:2013/08/16(金) 14:58:09.01
>>946
記紀には卑弥呼の事が殆ど記述されてないよな?
じゃ四国は卑弥呼に縁があるとも言える訳か。
949ローガン:2013/08/16(金) 15:02:14.24
>>945
権現山51

常識。
950日本@名無史さん:2013/08/16(金) 15:07:08.57
九州にあったのは邪馬台国じゃなくて同和
後にそれが九州から機内に移り広まった
だから同和は西日本に多く東北には少ない
951日本@名無史さん:2013/08/16(金) 15:15:46.03
>>949
常識というわけでもないだろう。

特殊器台形埴輪と三角縁神獣鏡。この2つが共存する古墳はないか――。
近藤さんは66〜88年、たつの市内の吉島(よしま)古墳、養久山
(や・く・やま)1号墳、岡山県や京都府の古い古墳を次々と掘った。
しかし、共存する古墳は見つからず、最後の望みが、特殊器台形埴輪の破片が
見つかっていた権現山51号墳だった。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9711/2009/a090201.htm

むしろ、特異な例と言えるし、接点と言えば接点と言える。
大勢としては共存しないと見るほうが妥当。
952ローガン:2013/08/16(金) 15:47:29.12
>>951
>常識というわけでもないだろう。

常識だ。24年も前に見つかっているのだからね。
>>913:08/16(金) 11:05
三角縁神獣鏡の出る古墳には埴輪がないといわれているらしい。」

「らしい」とあるので、本人が調べたわけではなさそうだ。何を読んだか知らんが、おそらくトンデモ本の類だろう。
まともな人は決して「三角縁神獣鏡の出る古墳には埴輪がないといわれている」
などと発言しない。
勿論、都月型円筒埴輪を特殊器台とし、後に続く円筒埴輪と区別しているというなら話は別。
また、1989年以前の古い本なら仕方ないがね。
953日本@名無史さん:2013/08/16(金) 16:26:17.24
>>952
では、他にはどんな古墳がある?

黒塚古墳、桜井茶臼山古墳など三角縁神獣鏡の出る古墳には大体埴輪はない。
仮に、権現山51号墳だけとすれば、伝世鏡ではないが、ずっと前の鏡を入れた
可能性も出てくる。

全部の古墳を掘りつくしたわけではないので確かなことはいえないが、
断定的なことを言えるわけでもないだろう。
954ローガン:2013/08/16(金) 16:46:03.18
>>953
>断定的なことを言えるわけでもないだろう。

そう。
だから、>>913
「三角縁神獣鏡の出る古墳には埴輪がないといわれている」
などとは、まともな人は決して言わないんだ。
ゆえ、そんなのに基づいた

>この箸墓を最古級の古墳にすることは、一番古い古墳には埴輪・葺石があり、その後なくなり、また復活するというパターンを考えなくてはならないが、やはり不自然。

は、間違いであり、そこから導かれた結論

>箸墓はやはり比較的新しい古墳と考えたほうがいい。

は、当然却下。
955日本@名無史さん:2013/08/16(金) 16:50:41.73
箸墓〜畿内説〜ってよく目にするけど
九州説では卑弥呼の墓はどこに比定するの
956日本@名無史さん:2013/08/16(金) 16:52:21.31
>>954
わからないやつだな。三角縁神獣鏡の出る古墳にはだいたい埴輪はない。
黒塚古墳に埴輪はない。椿井大塚山古墳にもない。桜井茶臼山古墳にもない。
九州でも、一貴山銚子塚古墳にもない。

三角縁神獣鏡と埴輪が共存しないというのは多くの事例に基づいているわけで、
権現山一つだけだったら、特異な例というわけで、好意的にみれば接点、
つまり、境目の時期という考えも成り立つ。伝世鏡もありえる。

だから、ほかにはないかと聞いているのだが。
957満州与作:2013/08/16(金) 16:56:45.81
殉葬は垂仁紀には廃止されているのだから、卑弥呼は日本の王ではないのである。
一方、当時の満州朝鮮ではまだ殉葬の風があったから、この点から考えても、
やはり卑弥呼は満州朝鮮の王である。
958満州与作:2013/08/16(金) 17:05:27.85
>三角縁神獣鏡の出る古墳にはだいたい埴輪はない。

もしこれが本当なら、埴輪の出る古墳は垂仁紀以後の古墳であり、
三角縁神獣鏡の出る古墳は垂仁紀以前の古墳である。

論理的には、どうしてもそうなる。
つまり三角縁神獣鏡は卑弥呼とは何の関係も無い。
959ローガン:2013/08/16(金) 17:33:52.90
>>956
少しは自分で調べたらどうだ(笑)
紫金山古墳

倣製鏡を出す紫金山は、円筒埴輪
倣製鏡の混じらない権現山51号は都月型円筒埴輪 明らかに権現山51が古い。
未調査の箸墓、墳丘で宮山型特殊器台が採取されており新しく出来るわけが無い。
960日本@名無史さん:2013/08/16(金) 17:57:51.47
>>959
まあ、三角縁神獣鏡に舶載があると思っているのがかわいいが。

ウィキペディアをみると、最古級の円筒埴輪と書かれているな。
ということは多少は重なっている時代があるのかもしれない。

>>951にも書いたように、三角縁神獣鏡と埴輪の同時出土の古墳は、なかなか
見つからず、岡山大考古学研究室の近藤義郎氏は20年以上も探し続けたと
書いてある。数としては、重ならないほうが圧倒的に多いのだろう。

それともほかにもあったかな?

大勢としては、三角縁神獣鏡の後で埴輪がはじまったというのが妥当だろう。
961満州与作:2013/08/16(金) 18:32:42.68
Wikiによると三角縁神獣鏡は中国では2〜3世紀のものしか出土しない、とある。
これが本当ならこういうことが考えられる。つまり−

垂仁紀以後は埴輪になったが、その後2〜3世紀頃から、
埴輪の代わりに三角縁神獣鏡を埋める風潮も一部には現れた、と。
もちろん埴輪を用いる風潮はその後もずっと続いた、と。

考古学なんて考え方次第でどうにでも解釈できるのである。
962ローガン:2013/08/16(金) 18:34:57.77
>>960
>>951にも書いたように、

これか(笑)
>特殊器台形埴輪と三角縁神獣鏡。この2つが共存する古墳はないか――。

君、近藤氏の著を読んでないだろ。孫引きするから、トンチンカンになるんだ。
近藤氏云う所の特殊器台に基づく古墳編年つまり、
立坂→向木見→矢藤治山→宮山→都月坂→円筒埴輪 と
三角縁神獣鏡の有無から見る古墳編年の接点が、権現山51号なんだ。
近藤氏が求めたものは、特殊器台と三角縁神獣鏡の接点。
権現山51号が持っていたのは、都月型円筒埴輪。特殊器台型円筒埴輪のこと。
前段階である特殊器台との違いは脚部。勿論、後の円筒埴輪のように林立させるものじゃない。
墳頂で底抜け壺による祭祀をする際の器台だ。つまり特殊器台と、後の埴輪の間に位置するものだ。
名前に「埴輪」と付いているからといっても、決して後の円筒埴輪と一括りにはしないんだよ。
まして、宮内庁が箸墓墳丘で採取したのは都月型に先立つ宮山型。これまで「埴輪だ」と強弁するなら馬鹿にされるだけだよ。
963日本@名無史さん:2013/08/16(金) 19:48:59.82
>>955
> 箸墓〜畿内説〜ってよく目にするけど
> 九州説では卑弥呼の墓はどこに比定するの

伊都國糸島 平原遺跡
イヨかもしれんが
964日本@名無史さん:2013/08/16(金) 20:06:47.57
>>963
九州北岸に到達してあちこち巡って辿り着くのが怡土?
965日本@名無史さん:2013/08/16(金) 20:30:09.59
>>964
埋葬場所は違うかも…って仮説ですね
出土物を考えるとねぇ
966日本@名無史さん:2013/08/16(金) 21:01:35.74
水月湖の年縞を使った年代測定が本格的に始まれば今までの定説などは一気にひっくり返るかもしれない
考古学者や歴史学者がコツコツ何十年もかけてきた築き上げた研究結果が無駄になるかもしれない
すべての遺跡の年代が科学的な分析で1年単位で明確にされてしまったら
自分が今までやってきた努力は何だったんだとなり心中穏やかでないロートル学者もいるだろうな
967日本@名無史さん:2013/08/16(金) 21:07:34.12
>>965
被葬者の居住地や本拠地と、埋葬地ってのはそれなりに近いもんだと漠然に考えていたけど、
被葬者がほぼ確定している古代の墳墓で、けっこう離れているっていう事例はあるのかな?
968日本@名無史さん:2013/08/16(金) 21:37:19.82
>>962
京都府向日市にある元稲荷古墳に壷形埴輪を円筒埴輪にのせた埴輪が出土しています。朝顔形以前の埴輪らしい。
969日本@名無史さん:2013/08/16(金) 22:27:39.06
>>967
どうでしょうか?
平原の埋葬主の正体がわかりませんからね。
ただ、装飾品の類い(ピアス等)から女性だろうとなってますね。
でも遺骨から判断出来なかったのだろうか?
銅鏡の出土数も、一つの墳墓からの物としては国内最多の40枚。
かなりの権力の持ち主だったとは、簡単に想像出来ますね。

もし卑弥呼の冢だったとすると、彼女が伊都國出身だったとか…
970日本@名無史さん:2013/08/16(金) 22:52:26.46
>>969
葬地と住地とが離れていたという事例があるなら、そういう推論もできようが、
類例が無いなら弧例でも成立しうる相当の根拠がないとね。
仮説なんて言うから期待したけど、結局は想像や思いつきの類か。
971日本@名無史さん:2013/08/16(金) 23:29:40.41
>>970
事例がある自体おかしくねぇか?
見てきたんか?ってなるじゃん。
せめて文字あったらね、古代史の謎も少なくなるだろうが。
972日本@名無史さん:2013/08/17(土) 01:04:01.92
>>971
じゃあ畿内説の論者が、卑弥呼の墓を九州に比定してもいいんか。
当時の倭国内での、邪馬台国と三十余国との関係にもよるかもしれないが、
普通、邪馬台国の王であった卑弥呼の墓は、邪馬台国内にあるとに考えるのでは。
973日本@名無史さん:2013/08/17(土) 07:48:39.94
>>972
そう慌てんでも、今からの発掘や研究次第でしょ。
邪馬台国がまだ何処かも決まって無いのに。
974日本@名無史さん:2013/08/17(土) 09:51:50.56
そろそろどなたか次スレばよかですか
975日本@名無史さん:2013/08/17(土) 14:51:05.08
>>973
慌ててるのは、平原とか言った>>963や、九州の○○だと決め付けてる人でしょ?
976日本@名無史さん:2013/08/17(土) 19:28:20.93
邪馬台国が、仮に何処かに存在しようと
所詮、ガッカリ名所が3つから4つに増えるだけ
本当に、意味のない事をいつまでもご苦労な事だよ
977日本@名無史さん:2013/08/17(土) 20:11:10.93
卑弥呼は八代亜紀に似てそうな気がする
978日本@名無史さん:2013/08/17(土) 20:37:10.19
魏志高句麗伝
「高句麗在遼東之東千里、南與朝鮮、濊貊、東與沃沮、北與夫餘接。
 都於丸都之下、方可二千里、戸三萬。」

里=432mなら、高句麗は日本海に有った事になるw
しかも方可二千里も有り得ない
もはや完全な反証だな
戸数3万にも注目な
979日本@名無史さん:2013/08/17(土) 20:43:34.53
>>978
其國中大家不佃作 坐食者萬餘口 下戸遠擔米糧魚鹽供給之

戸三萬でめのこで15万人とかで内数の1万人超のが濊貊系ので支配階層
980満州与作:2013/08/17(土) 20:50:34.77
>>978
九州スレを代表するパカよ。
お前は中国正史を読んだことがあるのか?
方可二千里でも少ないくらいだ。
なにしろ高句麗は満州全域を支配していたのだからな。
方可五千里と書いても良いほどだ。

中国の里数なんていいかげんなものなのだ。
箕子朝鮮が燕に追われて退いた里数を、二千里とも千里とも書いている。
漢籍を読んで、どれくらいの距離がどれくらいの里数で書かれているかを勉強してみろ。
981日本@名無史さん:2013/08/17(土) 21:27:47.33
>慢臭

オカルトは、唐松山連れて、よそでやってください
982日本@名無史さん:2013/08/17(土) 21:29:06.62
二千里とも千里とも のはちょこっとひっこんだだけだし
983日本@名無史さん:2013/08/17(土) 21:43:05.23
>>980
満州与作のパカよ。冗談はいい加減にしろ。
>なにしろ高句麗は満州全域を支配していたのだからな。
高句麗が領土を最大に広げたのは5世紀の長寿王の時代だぜ。それも満州全域ではなく満州南部と遼東
と朝鮮半島の大部分だ。
2〜3世紀の頃は漢や魏に支配されていて領土は現在の北朝鮮の北西部の一角を占めるにすぎない小国
だったのだ。240年代には魏の将軍毌丘倹らに侵攻されて北へ逃げている。
984満州与作:2013/08/17(土) 21:44:09.83
お前らは自分の知らないことは何でもオカルトかw
そのうち畿内説もオカルトだと言い始めそうだw
985満州与作:2013/08/17(土) 21:50:49.18
>>983
チミの書いてることは間違いだらけ猫灰だらけ(ケラケラ)

通説俗説をコピペする暇があるならネット史でも読んでみれば?
あ、ごめん、チミは漢文は読めないのだったな(カラカラ)
986日本@名無史さん:2013/08/17(土) 21:56:42.11
これが満州ブログの中の人か
987日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:06:12.61
次スレばよかですか
988日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:07:35.82
3世紀の高句麗なんて弱小の山賊国家
近隣を盗賊してただけ
989日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:16:11.79
對海國+一大國+末盧國+伊都國+奴國+不彌國
〆て三萬餘戸だから
高句麗ってそんなものだよな
990日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:41:04.68
東沃沮なんて戸五千だから、あら奴國の1/4なのねだけど
濊のは戸二萬だから、高句麗の2/3なのねで
濊のは征服被征服のでなくて単一系ぽいから
本来ので夫餘・高句麗の征服者層生んだ母体のでいいしょね。
991日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:46:41.62
新スレ

邪馬台国は九州にあった29
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1376747157/
992日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:48:27.29
邪馬台国が畿内に有ったというなら
どうやって海に潜るのだ
993日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:55:25.14
濊貊系のが支配階層って
倭人のところも濊貊系のが支配階層なんだろうけど
倭人のところはお客さんに寛容で
お姫様のことお供えに出して入り婿させたりしがちだから
良好に女王さんに縄文形質が残存しがちだったりするのだろ
994日本@名無史さん:2013/08/17(土) 22:57:48.45
畿内説によれば、倭人が奈良県で素潜りして鮑を採っていたんだそうだ。
金印は羽が生えて遠く九州まで飛んだそうだ。
995日本@名無史さん:2013/08/17(土) 23:05:38.73
濊貊系のが支配階層っっていっちゃうとむずかしそうに思えちゃうけど
ようは前漢の大酋長利用してからに楽浪郡とかでっち上げたりして
半島の北部でいいふりこいてたのが濊君なんちゃらので
そこいらへんのが別称で楽浪人と称せられたりしていて
そのグループの分れの名残のが楽浪人阿残であってからに

楽浪人阿残のは自称で自分のこと「阿」と称するとされるんだよな
ふくすうけいでなら「あたち」とかだけどさ
996九州侍:2013/08/17(土) 23:12:43.15
>>991
ご苦労でござった
997日本@名無史さん:2013/08/17(土) 23:13:09.26
濊貊系の「貊」のは「百済」の「百」に化けたりのもあるけど
ようは4つ足の神獣のが「貊」であってからに
北の方に分布しておったののなごりが「こまゐぬ」さんだろうし
南の方に分布しておったのが「わんこ」の「委奴」で
これは「狗」の表記もなされ「くま」とも「こう」とも発声されたかと
邪推しているけふこのごろ
998日本@名無史さん:2013/08/17(土) 23:18:21.95
埋めるなり
999日本@名無史さん:2013/08/17(土) 23:19:40.77
999なら満州が脳梗塞で倒れる
1000日本@名無史さん:2013/08/17(土) 23:20:53.76
>>1
10011001
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