1 :
日本@名無史さん:
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 家の格式を必要以上に誇ったり、蔑んだりしない事 武士だから素晴らしい農民だから駄目という
ことはありません、今の自分があるのは先祖という感謝の念で!!
5 あくまでも、先祖調査の経験やノウハウの語るスレです
6 荒らしは無視でスルーしましょう。
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/ ttp://www.uploda.org/ CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 17
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1357712201/
2 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 04:07:48.94
┬1 父──┬3 祖父─┬7 曾祖父┬15高祖父
│ │ │ └16高祖母
│ │ └8 曾祖母┬17高祖父
│ │ └18高祖母
│ └4 祖母─┬9 曾祖父┬19高祖父
│ │ └20高祖母
│ └10曾祖母┬21高祖父
│ └22高祖母
└2 母──┬5 祖父─┬11曾祖父┬23高祖父
│ │ └24高祖母
│ └12曾祖母┬25高祖父
│ └26高祖母
└6 祖母─┬13曾祖父┬27高祖父
│ └28高祖母
└14曾祖母┬29高祖父
└30高祖母
3 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 13:54:19.10
このスレは、戸籍謄本、過去帳、墓碑銘、人別帳、系図などから先祖を探すスレです。
しかし、最近遺伝子のハプロタイプを趣味で調べる人も増えています
希望すれば、誰でもDNA検査が受けられる現在、生物学的先祖は、安い物で5世代、やや値の
張るもので、15世代くらいは明確に遡れます。
Y染色体ハプロタイプは、
古いテンプレの 1高祖父→ 17曽祖父→25祖父→ 29父→ 31貴男
新しいテンプレの 15高祖父→7曾祖父→3祖父→1父→0貴男
mtDNAは、
古いテンプレの 16高祖母→ 24曾祖母→ 28祖母→30母→31貴男女
新しいテンプレの 30高祖母→ 14曾祖母→6 祖母→2 母→ 0貴男女
と継承されています。
持ち越すなと言われたが、手口が余りに陰湿で汚らしいから、指摘だけはしておく
>>994>>995>>996は全て同一人物のレスで、典型的な多数派工作(これであいつらが差別やめる気がないのがよくわかるだろう)
994 :日本@名無史さん:2013/08/01(木) 02:23:21.59
>>977 お前にはロジックがねえんだよ
組に入って人を脅しておいて、周りがそうさせたのが悪いとか誰が聞く耳持つんだアホか
越せばそれだけで解決への一歩なのに、それもせずに一方で差別はなくならないと騒いでは被害者ぶって既成事実化し、
それを盾に一方では社会の問題意識を利用して利権に与ってる
今や出自とは関係のない批判なんだよ
995 :日本@名無史さん:2013/08/01(木) 02:26:55.04
同和関係者
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%92%8C%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%80%85 >しかし、明治時代初期以前の身分は戸籍からは既に分からなくなっており、現在の戸籍の出生地には出生した病院の住所が書かれる事が多いため、
>同和地区の出身であることも単純には判別できず、同和関係者を明確に定義することが出来ない。
>そのため、就職支援や、個人給付等の事業において同和関係者と認定する「権限」を事実上同和団体が持つような状態となり、
>同和行政が不透明化し、不正が起こる原因ともなった。
996 :日本@名無史さん:2013/08/01(木) 04:05:08.53
>>961です。
本当に反省しています。配慮が足りませんでした。今後このようなことは絶対にいたしません。
なにもこのスレで同和団体の遣り口を分かり易く踏襲する必要もなかろうに。
差別は時代と共に薄れつ消えつするのに、
同和利権を貪るクズどもと、差別解消を訴える愛の天使気取りのような、
本当になくなると困る輩が駆除されないおかげで、関西の賤民差別はいつまでも残る。
差別と黒人が大嫌いというネタがあるけど、
この御仁は差別と関西人が大嫌いなんだねw
関西地方の人間がいかにして差別を続けるメンタリティーを獲得したのか
この件に関しては、史学的な考察対象になるとは思う
まあ完全にスレ違いだけどw
暴力団員になって暴力を背景にでもしなければ差別をやめなかった癖に
それすら差別をやめなかった非人間的な住民達の精神構造の非を認めるのでなく
あくまでも差別されている側が悪い事にして自己正当化する精神構造には吐き気がする
その発想自体が差別心が呼び起こしてるものだという自覚さえないとか救いようがない
>>1 スレ立て乙
まだ同和団体の在日白丁が騒いでるのか
部落と無関係な密入国者はとっとと祖国へ帰りやがれ
要するに
>>7を書いた奴と、前スレの
>>994>>995>>996は全て同一人物のレスって事だよな
とうとう差別心剥き出しのレスをして、化けの皮が剥がれたので、これで完全に終わりだな
これが利権があるから差別がなくならないと自己正当化してる人の正体
この件はこれで終わり
スレ違いのバカどもが苦しんで死にますように
IDの無い板で糾弾ごっこですか
同和はもういいから
先祖探しのエピソードを語ってほしい
>>8はどの時代まで辿れた?
なんで元暴力団の同和キチがこのスレにいるのか
同和の話になると出てきて
先祖の話になると出てこないのはなぜ?
先祖の出身村名が、部○名鑑に載ってたのが正直ショックで、いまだに引きずってます。こんな自分は先祖探しする資格なかったのかも。
庄屋からの分家で屋号もわかってて、明治初期の平民なのに戒名が院号〜大姉な人なんですが。住職のめかけだったから戒名盛ってもらったのか。
>>14 名鑑の記載も適当だからあまり真に受けなくてよろしい。
当該部落であったとしても全戸が賤民だったわけでもなかったりする。
仮に平民でなかったとして差別と苦境を乗り越えてあなたまで命を紡いでくれたことに感謝の念が起こらないような者では、
どのような階層であろうと先祖探しなどしても意味がない。
16 :
日本@名無史さん:2013/08/02(金) 02:36:57.07
別にショックなんて受けることないよ
被差別部落なんてデマだってことは
歴史通のこのスレの人たちとかは知っているから
差別っていうけど引っ越してもだめなの?
顔立ちや体つきの問題ではないんだから一度の引越しで解決しそうだけど。
>>14 うちもそういう村の出身で、今現在も同じ苗字の人らがいっぱい住んでる。
山あいで現在の行政的には未指定地区ぽい。
位牌の戒名は立派。位牌の裏には姓名も江戸時代から書き込んである。
だけれど幕末のある年のその村の資料をみたかぎりでは、その村の郷士に名前つらねてない。
>>14 部落は枝郷であることが多いから
そのへんちょっと調べてみ
てか部落の歴史をちゃんと調べれば
いわゆる賤民的なイメージはすぐ覆るよ
20 :
3:2013/08/02(金) 15:12:39.99
>>14 良かった・・中世から江戸時代までの家の氏姓村は、江戸時代に藩替えかで移動して、元々の氏姓村が廃村してるから、部落化してなかったようだ。
元々ご先祖の城の名前が分流氏姓で二文字帯刀した氏祖の名前の村だったようだからね。
渡辺氏の村とか気の毒・・
渡辺綱の母親が渡しの渡辺の一族だったのが部落発祥なのか
中世の渡辺党の手下が水軍渡辺党解党で食い扶持無くし、渡辺村定住で部落化なのか
近代、浪速と名を改め低賃金労働者の部落化なのか知らないけど、近代まで渡辺村が続いてしまったのが徒に成ってるな・・。
まぁ、家の一族は、江戸時代からも近代まで御上に貢献してきた家柄だから、住地の落ちぶれ免れたのだろう。
良かったとか気の毒って感想なのか
ちょっと残念だ
14とか22みたいのこそ攻撃すべきだろうに
団体へ噛みついた奴にしか反応しなかったのは
推して知るべしといったところ
>>12>>13>>24 いい加減にしとけよ、みっともない
自分が差別心アリアリの人間のクズだとばらされたくらいでガタガタ騒ぐなよ
そんなに差別クズと非難されるのが嫌なら、お前が差別やめりゃ済む話だろうが
ねちねちねちねち陰湿なんだよ、ボケが
>>21 豊臣方の落ち武者の集落の場合、代を重ねる度に経済的に貧窮し、没落して、最後は非人だらけになった、なんていう話もあるね
それで明治期まで非人等に没落せずに残った家が、村を捨てて余所に移住したなんて話も
非人=先祖代々差別されてきた家系ってわけでもない
>>25 お前の方こそ差別的だな
いちいちバカみたいに人格攻撃してないでコテつけてエピソードでも語れよ
いい加減その話題から離れようぜ。
うちの江戸時代のご先祖は物乞いをしながら食いつないでいたそうです
物乞いが上手くいかないときは道端に落ちている米を拾って雑炊にしていた
そうです
最後は庄屋さんの娘をレイプして強盗をして捕まり死罪でなくなりました
ですのでいまだに私の家は村では疎まれています
「あの家は犯罪者の家」と言われています
悲しいです、私たちは何もしていないのになんで犯罪者呼ばわりされなければならないのでしょうか?
どこまで本当?
まずは事実を明らかにすることから
道端に落ちている米?
飽食で米余りの現代ですらそんな光景は見たことないが
赤裸々というか創作だろう
それも貧困史観の典型で語るに値しない
いかにも解同が考えそうな作り話だなw
貧乏は強姦や強盗の情状酌量になるとでも思ってるのかねw
38 :
14:2013/08/03(土) 22:57:30.84
被差別地域出身だけど墓石は江戸初期からあるし名字もあったみたいだし所詮後世の創作が多いと思うけどな
そもそも差別されてたなんていうのが解同の作り話だから
江戸初期の墓石ってことは
それだけでも結構な家ってことだよね?
作り話というか
とにかく恣意的な誇張が多いって感じ
当事者とは無関係な世代が巻き込まれるのは気の毒ではあるけど
>30の家族が近所にいること自体が村の人の脅威になってると思う
当時は追放すると野垂れ死ぬからそこまでしなかっただけで
本音としてはさっさと引っ越して欲しいといったところなんだろう
創作にマジレスすな
45 :
日本@名無史さん:2013/08/04(日) 14:52:49.17
なるほど
引っ越して欲しいなら、引っ越せと直接言えばいいのにめんどくせ
>>43 雑炊つくって凌げる程の米が道端に落ちてるなんて
江戸時代はなんて貧民に優しい時代だったんだろう
>>39 庶民で江戸初期から墓石があるなんて相当なもんだぞ
てか被差別民でそんな例あるのか
被差別部落の民が全て被差別民だというのは短絡で
居住区が分けられたりしていたにしても平民と賤民が同一の村に混在していることはあっただろうに
本当なのか?
普通にあるんじゃないの?
差別戒名の例もある
>>50 マジな話、江戸時代どころか戦前まで、平民の家の墓石が、川に落ちてるような大きめの石ころって地域も普通にあった
そもそも寺の境内に墓がある家ばかりでなく、村の高台に墓地があったり、山なら家の上の方にその家の墓場が設けられてるとこもあった
きちんとした墓石を持ってる事自体、意外と特殊だったりするんだよ
>>49 風化が酷いけど元和って書いてあるのは読めた
差別戒名の墓石も古いのあるよ
晩夏か収穫後にご先祖様所縁の寺に初めて伺うつもり。
そこで先達の皆に質問だけど、住職に包む金額ってどのくらいにしてるの?
既出かもしれないが、改めて質問させてくだされ。
>>55 誰かの追善供養でもするの?
話を聞きに行ったりうまくすれば過去帳を見せてもらうというくらいなら
菓子折を持っていくくらいでは?
57 :
日本@名無史さん:2013/08/06(火) 13:43:18.02
そりゃあなたの経済力によって、こころざしは、壱万でも、三万でも、五万でも。
やたら豪華な、新築の本堂や山門があるところなら、少し多めになるでしょう。
私は金もないのに、三万円つつんだよ。付き合いがなくなっているお寺だけど、叔父が
何度か訪ねて寸志を渡しているという状況だったけど。
それと、過去スレを良く読んだほうがいい。いきなりお寺に行くと失敗するようだよ。
おらは饅頭よりカステラの方が好き
59 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 06:04:18.66
>>26 度重なる元寇との戦いで衰退していったのは、松浦党の松浦波多氏本体
家も、元寇の時代に河内源氏の水軍として布陣していた様で、氏祖神社が山口県の河内神社境内にある。
江戸初期には、幕府の命で松浦党出身の水軍家系でもあり、父親が大陸への航海経験者でもあるとして松浦平戸氏の佐世保の出島管理を任され
後に、巡検士隊の測量一族として、関東で名を馳せている。
60 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 06:05:14.89
>>26 近代では、明治期に汽船業として全国。北は北方領土・・南は釜山までの航路を保有し、三菱や郵船と肩を並べた汽船業会の理事も勤めていた氏祖筋。
大戦中は、水上戦闘機も陸軍に献納している記録が在る。
61 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 12:17:06.74
つまり、水軍なんだから被差別民と言うことだよね。
自分の先祖の村に5%ぐらいエタ身分の人がいるの確定してるけど
これ以上先祖のこと調べるか調べないか迷う。
先祖がそういう身分だったからって悲観はしないけど歴史は歴史とほっておいていい問題でもなくなる気がする。
自分なりに勉強しないといけないみたいな。
子供もいないしあてもないからそのまま墓場まで灰色のままがよさそうな気がする。
灰色はよくない
てかそんな世の中だからこそ
部落問題はこじれにこじれたんだと思う
いい加減オープンにしていかないと
寝た子を起こすな
その結果が今
慰安婦問題なんかもそう
66 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 17:04:58.84
家の氏祖宗家は、惟宗島津就きの徳川方の松浦党水軍だよ。
だから、出島管理人として、抜擢された。
松浦氏の松浦党なので、嵯峨天皇皇子の嵯峨源氏氏祖、源融流筋の源久の家に婿入りした安倍氏末代
清盛側近の松浦党旗頭の松浦(安倍)太郎高俊の家柄。
なので、播磨拠点の松浦党なわけ。
そもそもの松浦一族は、外様大名家の家柄。
近代の華族五爵制度では、伯爵ですがね。
敗戦までの皇統一族にして代々の氏族=貴族の出自。
67 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 17:06:10.66
氏祖宗家筋は、現在では、青森野辺地での廻船問屋・呉服屋を経て北海道の汽船業で繁栄。
中央に留まった家も、江戸時代前後に広島に移り繁栄。
始祖筋の汽船業と造船業で大組織化し、教育・医療・産業界で地位を維持してきた家柄。
もうこの板で松浦の文字を見たくない
69 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 17:32:40.08
松浦党本体の波多氏が、秀吉によって御家断絶させられたので、松浦平戸氏が嵯峨源氏所領主と成った。
家が、松浦党旗頭の松浦(安倍)太郎高俊の所領に留まった松浦党。
氏祖筋は、安倍宗家の清明筋の大坂で廻船業を始めた家柄。
灘の酒の酒造にも関わり、灘の酒を平戸貿易で播磨から船で佐世保まで運ぶ江戸時代の廻船商い。
その、中継地が広島の音戸・・。
70 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 18:47:28.01
・出島管理していた宗家の人は、幕府の命で、小笠原探検を命じられ、外洋航海船を建造。
我が子と共々、小笠原探検、巡検し、幕府に献上。
後に、小笠原氏と家が幕府を交えて、大騒動となり、これが、日本で最初の領土問題となった事件の裏騒動で
小笠原氏が江戸重追放処分となった事件だった。
・江戸中期の北海道を巡検の為、アイヌと交渉にあたった最上徳内も宗家の分家氏族の出身。
・幕末の戌辰戦争当時、柴五郎のちの会津藩士初の陸軍大将栄達に貢献したのが家の青森県野辺地時代の呉服屋の宗家筋で、
柴五郎が命からがら逃げ込んだのが、その呉服屋で、柴の名を隠し家の氏姓名乗り、薩長軍をやり過ごし、
再び柴五郎と名乗り直し、五稜郭へ向かった・・。
71 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 19:19:57.16
松浦一族変遷
祖、孝元天皇
皇子、桃太郎伝説の四道将軍で大彦命とその子、武淳川別命を祖とする阿部・阿倍・安倍氏
宗家筋は、阿部火麿筋の竹取物語で有名な阿倍御主人・・陰陽師・安倍清明の土御門氏と倉橋氏
氏祖筋、神職社家。神道の根幹とも言える陰陽師家系。
火麿の弟、歌麿筋が武家の奥州安倍氏で前九年の役で滅亡・・
唯一生き残った安倍宗任の末代が籍入れしたのが源久の家で
松浦の姓と嵯峨源氏所領を受け継ぐ。
嵯峨源氏、源久の祖が嵯峨天皇。
その皇子、源融が光源氏モデルで曾孫が、御伽草子の源綱。
綱の孫が松浦党創設の久である。
72 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 19:20:15.17
73 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 19:20:31.82
東宝の島谷社長の過去プロデュース映画作品
安倍清明を題材にした陰陽師シリーズが意味深・・。
松浦厨は隔離スレ立ててそっちでやれ他のスレを荒らすな
>>63 そうは言っても、知り合いがエタの子孫だと分かれば
周りもぎこちない対応をしだす
婚約者だったらまず結婚は破談だな
上原 西岡さんは僕の生まれた松原・更池の隣、大和川を挟んだ向こう側にある矢田の部落出身ですよね。
西岡 そう、矢田部落(現在の大阪市東住吉区あたり)や。戦時中は愛国少年団の団長。
もう1年戦争が続いていたら、神風特攻隊に志願していた。そんな愛国少年だった。労働は中学から。
行商やくず買い。朝、学校に行く前に市場に仕入れに行くんやけど、その道中に自転車に乗りながら勉強した。
リズムに乗ってよく覚えられる。今でも書く字が小さいのは、自転車の上で勉強してた時の癖や。
その後、定時制の高校に通っている時に「戦争とは、いったいなんだったんだ」という思いや疲労から虚無主義に陥った。
藤村操というエリート学生が(将来を悲観して)華厳の滝に飛び込んで自殺したやろ? 彼に憧れたりして自殺志願者が増えた時代で、僕もその傾向が出てきた。
ただ、長男である自分がもし死んだら、父は体が弱かったし、母や弟や姉妹たちが困る。
それで4〜5回は自殺しかけたが、なんとか思いとどまった。
上原 まだまだ差別が厳しい時代ですよね。どんな差別体験がありましたか?
西岡 同じ地元に女優の山本陽子さんに似た初恋の人がおったんやけど、その人が東北の大地主のせがれと結婚する前に、相手の親が身元調査を行い、部落出身ということで別れさせられて、首を吊って自殺をした。
その子のお父さんも、娘の自殺を悲観して野井戸に飛び込んでな。すごいショックやったよ。
そういうことがあって、慶應義塾大学法学部の通信制に在籍していた頃、治一郎さんのところに駆け込んだわけや。
住み込みの書生みたいな感じで。自殺願望もあったせいか、治一郎さんには「君はそのままだと死ぬぞ」と言われて鍛えられた。
治一郎さんに教えられた「山より大きな猪は出ない」という言葉が、どんな時もずっと頭の中にあった。
言うなれば、革命的楽観主義。治一郎さんは、僕の師匠であると同時に恩人や。
上原 西岡さんの地元・矢田支部ができたのは、大阪の中でもとても早かった。
当時は、やはり仕事がなくて、グレてヤクザになるような人も多かったんですか?
西岡 多かった。あとはとにかく、ヒロポンやってるやつばかりやった。売人で「ヒロポンの王様」って呼ばれているやつがおって。
そいつがヒロポンのやりすぎで体から膿がいっぱい出て、死にかけたのを助けてやった。病院に連れていって、ちゃんとした家に住まわしてね。
それで、命が助かったそいつが「ご恩返しをしたい」と、これまで自分がヒロポンを売り歩いた家を一軒一軒「俺みたいになったらいかん」って言って回って、結果、ヒロポンは絶滅した。
上原 更池でも元極道の人が「わしのようになったらアカン」と言って回ってたと聞きます。
西岡 そうそう。それでヒロポンを止めさせた次にやったのが、自動車学校を作ること。
上原 車友会ですね。
西岡 その頃、西成が空襲で焼けてたやろ。だから西成でやっていた皮革製品の下請けを矢田でやるようになっていた。
職人たちはその仕事で一本道を西成まで単車に乗って往復するわけやけど、みんな無免許やから、そこで張ってる警察にいつも捕まる。
罰金は親方と若い職人が半分ずつ払うことになっていたから揉めごとばかり起こっていて、日当も罰金でほとんどなくなってしまう。
それで、若い者たちに免許を取らす運動を始めたんや。それは若い職人と親方の双方の要求、つまり民衆の要求を組織したんや。
すべて民衆のための奉仕。それが運動で一番大事な根本やろ。
免許があればできる仕事も増えるし、警察としても、若い者が免許を取ってカタギの仕事をするようになればヤクザにならんでいいと、僕の運動を認めてくれて、時間制限で地元の公園を開放して運転の練習をさせてくれたよ。
字が読めんやつには明星や平凡といった雑誌やマンガで勉強させたな。
78 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 20:41:32.74
時代錯誤
西岡 矢田(註 現在の大阪市東住吉区矢田)の部落で生まれました。
お爺さんは西岡五郎左衛門と言うて、和泉信太(しのだ)の出身です。
信太の話は『ある被差別部落の歴史――和泉国南王子村』(盛田嘉徳他著、岩波新書)に出てますが、
庄屋をやってた。
81 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) 21:07:57.54
太田亮博士の姓氏大辞典で探すのが鉄則でしょう。
私は鎌倉初期に別れた本家の存在が分かったよ。
その本家を遡ると、皇族で神話の世界や邪馬台国や狗奴国まで遡れる可能性が出てきたよ。
まず、太田博士の大辞典をみろ。祖先が豪族に繋がれば、神話の世界までいけるかも。
もうここも必要なくなってきたな。
関係ないことばかり書くやつ増えてるし。
部落の庄屋?
84 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) 14:21:53.48
>>81 ↑太田亮博士の姓氏大辞典って、ほんとうにここまで調べられるの?本家とか。
なんかちょっと胡散臭く感じちゃった。
ほんとだったら御免。
85 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) 14:54:13.31
太田博士の辞典は、一族の大まかな流れしかわかるわけないでしょ。
辞典をきっかけに、神社、荘園に纏わる歴史書、神社、荘園の古文書を調べたよ。
それから、家宝としている皿の検証をしてます。
これからも、色んな裏付けの事実を探したいと考えているよ。
なんで自分のレスにアンカとばすんですかねぇ・・・
87 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) 03:00:42.75
>>85 ありがと、教えてくれて。
一族の調査、これからなんだか面白そうだね。
ちょっと聞きたいんですが江戸の頃の墓石に家紋入れるのって一般的だったのですか?
>>88 うちの家は元禄年間の当主(5代目)の墓からは家紋ついてるよ。
その一代前の墓(寛文年間)は家紋なく、戒名と死亡年月日のみ。
1〜3代目(天正〜寛永年間)にいたっては形が崩れた五輪塔で、
特別何も書かれていない。
こんなところです。
自称松浦一族ってのも捏造だろう。
先祖がでっちあげて代を経て思い込みになり、子孫は本当に松浦一族と信じだす。
良くあるパターンだよ。
在日の家系が良く旧大名家の子孫と名乗る(もちろん捏造)のと同じ心理だな。
>>81 捏造くさい
脳内で勝手に先祖として思い込んだんだろ
94 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) 21:05:48.07
まあ、それは言わないのが華だろ。先祖調べなんて他人から見たら所詮そんなもの。
いろいろと調べていって、古い資料や傍証を集めて自己満足するもんなんだから。
中国で曹操の男系子孫を名のる家系の遺伝子検査したら、曹操のYハプロタイプが絞れたそうだし、
>>20にあるような検査で、アメリカの23andME、で調べると、該当者がそこで
遺伝子を検査していて、なおかつ、承諾があった場合は、五代前から十五代前の
先祖を共有する子孫を紹介してくれるサービスが、アメリカでは実現している。
なんだこいつ
97 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) 23:01:20.58
純粋に血筋だけをたどるのはこのスレの趣旨と違うんじゃね?
荒らしは静かにしてればそのうちどっかいくだろ
100 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 00:16:46.38
馬鹿だなぁ。
松浦を信じる奴と、それを根拠無しに否定する奴の双方に対する皮肉だろうが。
101 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 07:10:27.98
親は2人。爺さんの代は4人。その前は8人。これをやると、ご先祖は無限大に増えてくんだよね。
ご先祖探しなんていうやつは、その一人とか、特定の流れを見つけようとするだけのこと。
でも、それ以外の流れや人も、ご先祖であることには違いない。
ご先祖の中で有名な人を探しているだけのことじゃないか。
実は、俺も相当ご先祖さがしに入れ込んでるけど、最近そう思えてきた。
応仁の乱の頃で日本の人口は約900万人
現代から応仁の乱まで先祖を辿ると何人のご先祖様がいることになるの?
江戸時代だけで、だいたい何人ぐらい先祖がいるんだろう
105 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 12:54:28.44
だいたい鎌倉時代まで遡ると、当時の全員が先祖になる。
一方、積分してみればわかるが、500万年前からのヒト族として生きた個体の総数も
意外と少ないんだよね。1970年頃の地球の人口が35億人として、それ以前の総数も
それぐらいの計算になる。
現在の人口が70億人とすれば、全部積算して、135億人というところ。
106 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 12:55:31.03
あっ。鎌倉時代というより、平安後期だな。
107 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 12:56:45.44
あっ。計算おかしいな、105億人だ。
重複
109 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 15:36:28.49
>>92 何で?
松浦の末裔は自称じゃなくて地元の他人がよく言ってるよ。
今でも船主や海運業やってる旧家が多いし、少し昔なら外国航路の船長も多くいた。
他には海上自衛隊の偉いさんになってたり末裔は海に関するエリートが多いから普通に分かる。
110 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 15:39:08.59
あんたは松浦党の子孫ね?
>>105 89ですが、当家は少なくとも男女ともそういった有名な人まで遡れませんし、
伝承等でもそのような話は残っていません。
仮にその理論が正しかったとしても、それを指し示す証拠がない以上、子孫を
名乗るべきではないと思います。
といいつつ、臺與の子孫を自称してますが。
>>109 伝聞ほど当てにならないものはないよ。
過去の記録もちゃんと自分で調べて結論を出した方がいい。
記録が無いなら、断言しない方がいいよ。
>>111 誰も子孫を名乗って良いなんて言ってないのに
自分は根拠なく著名人の子孫を自称
頭いかれてるな
なにいってんだこいつ
115 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 17:06:57.96
>>110 >>112 うちは関係ない。
けど松浦党かどこかの水軍の末裔は自称じゃなくて地域の人らが知っていて言ってる。
あそこの家は○の末裔だと。
そこの家から出た古文書が資料館にあるし、郷土史に先祖が載ってるし
普通末裔ってのは自称じゃなく「他称」で分かるでしょ。
>>113 >>150の
だいたい鎌倉時代まで遡ると、当時の全員が先祖になる。
って、自分は有名人物の末裔ですって言ってるようなものじゃないの?
じゃあ、どういうつもりで言ったの?
臺與の子孫なんてネタ以外の何物でもないだろ。
117 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:07:09.85
松浦かぁ、呼子のイカを食べたくなったよ。
>>116 もう少し遡ると地球の人口カバーできるな
黒人や白人の血も引いてるんだなあ
120 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) 18:28:35.59
>>119 だれもが、ミトコンドリアイブとY染色体アダムの血を継いでいる。
ただ、日本人は、白人に分化するまえの古モンゴロイドの血は多く流れているが、
白人の血を引いてはいない。
>>116 全員が有名人の子孫になるのに自分だけ特筆してどうするの?
全員有名人の子孫。
つまり、もうここには用が無いという事ですね、分かります。
ということで、ここからはそれでも調べたいんだ、という人たちの集まり
になります。
今後ともよろしくお願いします。
系図もない、古文書もない、墓もない。
でも有名人の血を引いてるんです。
真面目な話、先祖がある程度分かる家ほど、高貴な家には到底行かない事を
知ることになる。
苗字だけで先祖見てた時が懐かしいなぁ。
125 :
日本@名無史さん:2013/08/12(月) 03:13:10.55
いやあ今や純血の人は珍しいですよ?
戦前は明治の民法で家制度がありましたから
そのため家督相続には制限があって原則的には
世帯主の許可が必要なんだそうです。
部落差別の話を持ち出されても全体で見れば一部の
方ですし、今は戦前の親族がわかればいい方でしょう。
純血って何?
127 :
日本@名無史さん:2013/08/12(月) 03:47:24.82
純血とは一般に国家の枠組みの中で
例えば純粋な人種だという立証が取れる
場合はそうなるという。
>>124 源平期の武将、鎌倉期の武将、南北朝時代の武将、戦国武将、あるいは土地の名族
高貴というのが公家レベルの話なら流石に別だが、正直なところ、この程度までなら先祖に一人や二人はいてもおかしくない
>>128 >>105がさも平安・鎌倉の全員が先祖になるようなことを言うもんだから、
念のために書いただけ。
そういうのがあるなら、戦国武将の家系捏造とか起こらないって。
みんな高貴な血筋を期待してるんだなw
百姓でも1000年続けてれば帝に匹敵するって誰かが言ってたなぁ
>>127 国家の枠組みの中ということは、倭人と蝦夷の混血は純血と呼ぶのか。
DNA云々より、歴史を知ることに意義があるしロマンがある
>>133 アーリア人もこの定義に気付いていれば良かったのにねw
136 :
前スレ83:2013/08/12(月) 20:12:16.09
>>98 >>134 私も、先祖調べを通じて歴史の色々な側面を垣間見たり、歴史のまさに
その時代ごとに自分の先祖たちが何をしていたのかと考えることは、
最高の娯楽でもあり至上の勉学だと思います。
しかしその一方で、学術的な歴史研究という側面からでも、壬申戸籍の
開示請求は一切認められないという現状があります。
http://www8.cao.go.jp/jyouhou/tousin/h18-03/108.pdf これに対して、
>>94さんや
>>97さんが紹介してくれたアメリカのジェファーソン
の子孫を調べた方法が日本でも可能になってきているのですから、
近藤勇、沖田総司、斎藤一などの家族の謎について、子孫のDNAを調べて
維新史の謎を解き明かすことができる蓋然性も高いことは事実ですから、
DNAも先祖と歴史を解き明かすツールだと思います。
どうやってその子孫のDNAを採取するの?
実際に本当に血の繋がった子孫かどうかも分からないだろうに。
138 :
日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:02:49.77
>>138 千年以上前の子供も孫も沢山いた帝王の子孫と
百五十年程度だけど子孫が残ってるかどうかも血脈かどうかも覚束ない人たちと
単純比較するのか?
>>115 >地域の人らが知っていて言ってる。
いわゆる思い込みね。
地域の人全体が嘘を信じているケースは多い。
平家の落人なんて怪しいのが多い。
史実かどうか確認できないなら僭称と言われても仕方ない。
本当の子孫であれば、
・本物の家系図がある
・菩提寺がある
・菩提寺に先祖代々の過去帳がある
・先祖ゆかりの本物の品(書物でも武具でも)がある
くらいは無いと。
自分で思い込む分には良いけど、人様に対して「自分はXXの子孫」なんて言うからには
証明出来るものを示すべきだと思うよ。
証明できないなら人には言わず、ひっそりと自分の胸の中にしまっておくべきと思う。
自称XX系の子孫と語り、子に教える。
教えられた子は、薄々気付きながらも
虚勢を張ってXX系の子孫だと言い張る。
その子が親になり、自分の子にXX系の子孫の称号を伝授…。
死んだ祖父の嘘を孫は鵜呑みにして胸を張る。
が、いずれ歴史に詳しい知り合いに出会い
矛盾ばかりの話を笑われて恥をかいて終了。
↑基本はこんな感じです。
143 :
日本@名無史さん:2013/08/13(火) 17:06:14.50
それまるっきり、勝手に新田義貞の子孫を名乗った徳川家康だよね。
現代の徳川宗家の人も、家康の子孫だなんて恥ずかしくて言えなくなるのかな。
話は変わるけど、このまえ、間宮林蔵の生家と博物館を見学してきた。
間宮は子供を残さなかったが、養子の子孫の方が記念館の館長さんだった。
あんなふうに、傍系の子孫であっても、あるいは全然、GENE(遺伝子)や血筋を引ていなくても、
立派な御子孫と認められている家もあるだろう。
ほかには、例えば塚原卜伝の弟子が、彼の流派の剣術を伝える道場をやってきていれば
血のつながりはなくとも、MEME(模伝子・意伝子)を引いている子孫といえる。
いろいろ考えると、先祖調べも、先祖崇拝も、一種の宗教なんだな。
144 :
日本@名無史さん:2013/08/13(火) 19:22:10.88
俺の知合いは、漢氏の末裔だが、朝鮮人と言われるから、絶対に黙っていてくれと釘を刺された。
漢氏といえば、大蔵氏として朝廷に仕え、一族からは、坂上田村麻呂を出した家柄だよ、戦国時代は、原田氏といって筑紫の雄だよ。
漢氏もあと数百年早くやってくれば、渡来人と呼ばれなかったのに。
松浦厨です。
何番煎じだか知らないが宣伝乙
1/2
#797
なな 2000/04/28 22:20
嶋谷市左衛門について調べました!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/bbs/kakolog/log8.html 私は江戸時代後期のことなら少しは分かるので。
幕命で探検などした人は、よく帰還後に幕臣に取り立てられたりするでしょう?
よって「寛政重修諸家譜」なら手がかりがあるかと思ったの。ところがどっこい、無かった。
で、このままでは図書館に来た意味がなぁ〜い!と、棚にあった資料に当たってみたのです。
「長崎県大百科事典」
●島谷市左衛門 しまや いちざえもん ?〜一六九〇(元禄三)
泉州堺の人。江戸時代前期の探検家。オランダ人カスパル・スハルベルヘンによって遠近法
測量術を伝えられた長崎奉行所与力・樋口清右衛門から「規矩元法」の伝授を受け、島谷流
航海術に優れる。一六六九年(寛文九)末次平蔵の命で唐船を模した船を造り江戸に回航した。
一六七五年(延宝三)幕命を受けて代官・伊奈忠易らを乗せて伊豆下田を出港し、小笠原諸島
を調査・探検し珍獣、奇木を持ち帰り将軍に献上した。
●末次平蔵政直 すえつぐへいぞうまさなお 長崎代官を務めた朱印船貿易家。
●末次船絵馬 現在は長崎市歴史民族資料館に寄託。
●スハンベルヘン 出島商館外科医。
●航海術
・・・また島谷市左衛門定重は一六七〇年(寛文十)『オランダ系航海術』を著した。
その子孫の島谷市左衛門尉父子は一六七五(延宝三)小笠原諸島探検を行った。彼らが長崎と
かかわりがあったと考えられるのは、一六八八年(元禄元)徳川光圀が蝦夷探検を試みた際、
長崎からアストロラーベ(天文観測儀)をはじめとする天測具や磁石、海図の類を取り寄せ、
航海家・崎山市内を船頭にしていることから判断でき、当時わが国でも西洋式航海術が細々
ながら存続していたことが知られる。
2/2
……以上から判るのは、まず長崎の人ではないということ。一介の漁師でもない。
島谷という名字を持ち、いみなを持つ、それなりの家柄。そして興味深いのは親子代々
通称を市左衛門と名乗ってきたらしいこと。「島谷市左衛門」は一人ではなかった!(笑)
江戸時代以降の島谷家については、崎山市内〜徳川光圀〜水戸藩のラインで調べられそうです。
ただ一人、幕臣・伊奈忠易は「寛政諸家譜」にありまして、これも縁というものでしょうが、
この人の後妻が水戸家臣の娘だったりするのです。あとは「島谷流航海術」について洗うこと
ですね。倭寇とのつながりなら、なにか思いがけないこぼれ話にぶるかるかもしれませんよ。
で、「泉州」と出たところでちょっとゾッとする偶然を……。
「姓氏家系大辞典 第二巻」
●島谷 シマヤ シマタニ
泉州の名族にこの氏あり。河盛仁平の女婿を島谷安三郎という。
また銀座由緒書に「平銀見役、島谷八之助、島谷八次郎」等見え、また伊勢、志摩にも存す。
……この島谷氏について調べられれば、時代的に松浦党との接点も見つかるかもしれませんね。
今回はこれ以上調べていませんが、上記の島谷姓三人の素性も手がかりになるかもしれません。
なんだかだいっても江戸時代の史料じゃないのよね。現代の、よくある一般的な本じゃぁ〜ん!
↑
この掲示板の書き込みが、ルーツ探しの切っ掛け。
153 :
日本@名無史さん:2013/08/14(水) 00:09:46.75
そして、俺の母親は、淡路島出身の大西氏で、阿波小笠原氏居城名大西城の姓を受け継ぐ小笠原氏宗家筋で
親父との婚姻大揉めだったそうだ。
はいはい松浦松浦
幼少期、今から40年近く昔、良く神戸の親戚の家へ遊びに来たとき、良く、電車や通りの50代から初老のおばさんに
大人しくて良い子だねと言われ、こずかいを貰って、名前聞かれて、母が島谷と申しますと言うと、良く、あの名家のと言われた。
神戸に越してきた学校の同級生にも、名家の氏姓といわれてた・・。
おそらく、戦時中の島谷汽船の知名度の名残だろう。
もしくは、シマヤだしの素W
初老のくせにこずかいとか恥づかしい
159 :
14:2013/08/14(水) 00:47:52.99
私は自己紹介すると、広島県の人ですか?と言われたことが何度かありました。
おしい島根ですと思ってたら、先祖調べたら200年前に広島から来てた家だた。
なんで14?なってるのだろ
ここのスレの人には苗字あてられてしまうかも試練w
>>143 徳川家の創作話って、なんか熊谷貞直の話とダブるんだよね
南北朝時代、伊那郡には城主格クラスの南朝方の落武者が大量に流入したと言われていて
当時無人だった天竜川の東岸地区を無許可で切り拓き、勝手に定住して領主化したと言われてる
まあこうなったのは伊那郡大河原(現大鹿村)に宗良親王が入り
伊那郡が南北朝の主戦場(激戦地)の一つとなったからなんだけど
何だか知らんが、徳川家の新田義貞の子孫流入話って
この辺の南朝方の落武者の流入に纏わる伝承を参考に作った作り話臭いんだよな
そのせいか知らないが、伊那郡の歴史って、余りきちんと調査された事がない感じんだよな
まあ徳川家にとって奥三河や信濃伊那郡の歴史を調査し、掘り下げる事は出自の捏造の暴露に繋がるので
不都合だという事であまりやらせたくなかったって事なんだろうけど
松浦厨は捏造。
単なる思い込み。
何でも自分の祖先に結びつける病気。
子孫だという思い込みが強固になるとこんなになっちゃうのか 怖いね。
166 :
日本@名無史さん:2013/08/14(水) 09:54:20.20
在日と某学会・暴力団はアクセス禁止スレ・図書館資料を日本人が自由に設定できるようにしないと、
見て自分の通名から誇大脳内妄想や系図捏造始めて骨董屋でつじつま合わせの証拠品収集始めるからね。
日本人の祖先探し妨害の為にあちこちで坊さんや神主さん頃して資料隠滅捏造したり、
あちこちで情報開示に規制かけたりし始めるだろうに。
誇大脳内妄想乙
ルーツ辿れないネガティブなネラー多過ぎ
僻みも程過ぎると宗教っぽいネ
極端で過激な思考こそ、似非ウヨ左翼に読める。
人のルーツ探しネガティブ批判の何処が先祖探し、テクニック・エピソード語るに相応しいのか聞いて見た方が良いぞ。
僕の先祖探し記録。
何も分からないゼロの状態なので戸籍謄本を集める事にした。
やはり己が名乗っている苗字が気になるので、
父方の戸籍謄本を洗いざらい請求。
……昭和20年以前のものは東京大空襲で灰になっている事が発覚。
高祖父の名前までは遡れたのが収穫かなぁと思うようにした。
当時の本籍を参考に、何とか出来ないかなぁと呆然と考えてる現状。
父のルーツが思ったより遡れなかったので、今度は母のルーツをと、
母方の戸籍謄本を洗いざらい請求……しようとして気付いた。
母の出身地は沖縄本島。第二次世界大戦で当時の戸籍は全て灰になっている。
……こうして僕の始めての先祖探し体験はくそみそな結果に終わったのでした。
この行き詰まり感……どうしてくれよう……orz
>>172 なんとも同情を禁じ得ない。
戸籍の次は、各家に残る位牌や記録類を参照できればいいんだがね。
墓地は突き止めましたか?
確率はもの凄く低いんだけど、
他家に、過去の相続や裁判で使うために取得した謄本が眠っていることがある。
自分も役所で廃棄済で出して貰えなかったものを、親族の家で見せて貰ったことがある。
同族の先達に、家系に興味のある人が居たなら、
以前に調査した成果を手に入れることが出来たりする。
自分ではないが、過去に取得した壬申戸籍を見せてもらうことの出来た人を知っている。
なんとか辿れないかねえ。
174 :
日本@名無史さん:2013/08/14(水) 23:41:36.62
俺も、空襲で古い戸籍が無くなっている先祖の家が何軒かある。
しかし、昔は現在の住民票がなかったので、何回か引っ越しをしていて
別の自治体に戸籍が残っていたことがあります。
それから、戦争で生き残った家族の人が、戸籍を再製しているはずだよ。
それらは、もう全て取得済みということだよね。それなら、そこに書かれた
一番古い記録から少しずつ調べて辿っていくだけだね。
>>174 本籍地を転籍していなければ居住地で戸籍は編成されないぞ。
居住地に残っていたのは寄留簿でしょう。
戸籍は滅失すれば再製されたけど、
その時点で生存している人しか記載が無いだろうからなあ。
176 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) 00:07:33.41
ああ、スマン。もちろん転籍していたんだ。というか都内の五区くらいに転籍している
ので、一家で引っ越すのは、転籍が普通だったのかと思った。
再製戸籍には、生き残っている人の父母(死亡していても)の名前は出ている。
>>172さんの場合は、都内の古い本籍地の旧土地台帳に出ていると良いけどね。
俺の探した家の場合は、土地なんかもってなかったから駄目だった。
>>176 まめに転籍してたんだねw
戦前は引っ越しても転籍しない人って結構多かったよ。
成人して召集されたはいいけど、それまで行ったこともない僻遠の親父の故郷で入営した人とか珍しくもなかったようだ。
土地の登記簿が残ってればいいけど、役場が丸焼けだろうから望みは薄いだろうな。
本家筋か分家筋か分からないし、現在の親戚付き合いの親密さも関わってくるから、
一概には言えないけど、細い糸を何とか辿って頑張って欲しい。
178 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) 01:11:56.35
>>177 戸籍の用語には厳密な割に、登記簿と旧土地台帳を一緒にしちゃうと初心者が
混乱するよ。役場が燃えちゃっても、税務署に残っていれば、法務局に旧土地台帳
は残っているから。まあ、戸籍も役場が燃えちゃっても、戸籍の写しがあった法務局が
燃え残った場合は、戸籍は再製されてるから。
179 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) 01:26:26.74
>>175 寄留簿が出来たのは、大正三年だから、それ以前は、
>>174の言うように戸籍が
転籍されているはずだぞ。
>>178 そうだね、すまんかった。
いきなり土地台帳に進めるならいいけど、まずは登記簿かなと。
滅失したものを再製するのは知ってる。
現に外祖父の家系は、大正期に役場が火災に遭ったもので、明治のが万年筆で再製されてる。
東京や沖縄の戦災だと、役場の正本も法務局の副本もダメなことも多いね…
>>179 寄留法は確かに大正3年以降だけど、それ以前でも転籍の届出をしていない限りは、
戸籍以外で把握されていたと思ったけど、そこまで詳しくないから間違ってたらすまん。
181 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) 04:36:29.78
親切心からの「知ったかぶり」が多いのは、にちゃんの法則
たいていは許されるww
士農工商はまぁまぁ平等になったのに新平民だけは今でもタブーなのは何でなんだろう
昔から士農工商は通婚可能で新平民だけを差別していたからだろうか
183 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) 13:33:52.80
さも壬申戸籍に「新平民」という区分があったように妄想している人がまた来たのかな?
現代教育もしくは現代の「常識」で誤解している人が多いが、壬申戸籍に被差別身分が書かれている
ことは99.99%ぐらい無いのが実際の所らしい。
ただ、地名を知っている人にとって分かってしまうと言うことで、封印されたというだけ。
いまだに根強い、血族結婚が多いという誤解
同和地区実態調査によれば、近年に結婚した夫婦で、夫婦とも部落出身であるのは10%程度でしかない。
部落出身者同士の夫婦といっても、同じ部落に生まれた者同士の結婚は非常に少ない
(これは血族結婚というわけではなく、同一集落出身者同士の結婚は、部落と同様、数が少ないが、一般的に農村に見られる)。
部落出身者同士の結婚のほとんどは、他の市町村や他府県の部落の出身者との結婚である。
それは部落出身者同士の夫婦が大半を占めていた時代でも同様である。
大阪府和泉市の部落の史料によれば、1871年当時、結婚のために部落に入ってきた人の出身地は、
近隣の郡だけではなく、河内や摂津、大和、山城、紀伊などにもおよび、その通婚圏は非常に広かった。
すなわち、部落に血族結婚が多いという事実は、現在はもとより、過去にもなかったのである。
差別は過去のことだというのが日本人の建前だが実態はどうだろうか
完全に忘れられるまではタブーであり続けると思う
188 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 01:12:40.22
俺の地元じゃ新百姓とは新しく家をおこした人が農業を初めましたってだけの意味しかないな。
俺の地元の藩の新百姓取立名簿には「新家・山田小源太・拾石」みたいに半農半士の郷士が記されている。
新平民もそう、卒族や無禄士族が明治のリストラで平民にされた場合がほとんどだろう。
被差別なんて存在がある方が珍しいんだから、全部を被差別認定するのは誤りだと思うわ。
先祖探しと関係ない同和関連の話をスレ違いと考えずに平気でするバカどもが死にますように
190 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 01:35:26.96
このスレもとうとうアカに狙われたか
昔は数人しか住人いなくて良スレだったんだがな
191 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 02:03:38.28
小藩の郷士や足軽は無禄士族や卒族にされ
更に明治初期には卒族は無禄士族か新平民にされ
また更には無禄士族は有禄士族じゃないので新平民にされた
新平民とはぁゃιぃBが言うような存在ではなく元は士分なんですよ
192 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 02:43:56.80
193 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 02:51:06.41
194 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:00:33.49
最近の学説ってアカ度合い凄いな
もうウリナラファンタジーでエタヒニンを作り上げたわ
次は二次元でエタヒニン学説を表現してほしいわ
宇宙人みたいな容姿のエタヒニンがでてきて
日本を支配してたとかやってほしいわ
195 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:02:21.31
いや全宇宙の起源はエタヒニンとか最新学説でいってほしい
滋養強壮、栄養補給、肉体疲労、産前産後に、優れた効果を発揮する
エ タ ヒ ニ ン B
@同和興業
197 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:09:52.30
エタヒニンなんて全国津々浦々なんていねかったのに
全国津々浦々にエタヒニンがいたんだと言って
どうしても仲間を増やしたいBどものウリナラファンタジー学説
アカに狙われたらこうやってデマが広まるのか
徹底的にアカを潰すのみだな後世の人たちのために
198 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:15:46.51
1.『穢多』とは今でいうノンキャリアの警察とか刑務官などの役目を担っていた人たちのこと(嵯峨天皇の時代から)。従って、『穢れ多き民』というのは根拠が無いこと。
2.『穢れ多き民』という『賎民史観』から脱却することこそが真の差別解消につながること。
199 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:17:10.47
俺の藩では穢多非人なんていう身分はない。
勝手な妄想で全国津々浦々に穢多非人がいたなんて工作しないでくれ。
罪人をとりおさえてた城下士や郷士にたいする名誉毀損だろうが。
200 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:21:33.57
201 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:22:21.99
>>191 というより、戦国時代というドサクサに紛れていくらでも足軽などから下士くらいになったものなど腐るほどいるだろ
秀吉一党なんてその際たるものだろ
なんで同和ネタ大好きなのおまえら
>>173 墓地……むかーし一度だけ墓地に親父に連れられて行った事がありまして。
都内にあるという事は分かるのですが、肝心の親父が場所をすっかり忘れてて……orz
めぼしい場所をひとつひとつ調べてゆく他無さそうです。
あとは親族巡りですね。昭和20年以前の謄本が眠っていれば良いのですが。
>>174 再製謄本は取得済みです。
僕の場合は再製戸籍の戸主が祖父の兄で。
その前の戸主の事についても書いてあったのですが、それが高祖父で。
曽祖父が高祖父より早く死亡してるらしく、
それでかろうじて高祖父の名前まで判明しました。
その高祖父が戸主の謄本を請求したんですけど、
>昭和20年5月26日以前の除籍簿・原戸籍簿は、昭和20年5月26日の繊細により焼失した。
>(東京法務局で保管の同副本も、同日の戦災により焼失したため再製できない。)
……だそうです。
少しでも手がかりが欲しいので登記簿土地台帳を地道にあたってみようかと思います。
204 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:32:57.83
結局歴史に無知な連中が作り上げた存在が穢多非人
自分とこが特別そういう身分制度があったから
どうしても全国津々浦々にも穢多非人がいたと思い込んじゃうんだろうな
通常は“藩主>家中>城下士>郷士>百姓”だが
特異な藩では“藩主>家中>城下士>郷士>百姓”に穢多非人という存在が含まれていたってだけ
穢多非人という存在の者にも士分持ちはいたかもしれない(詳しくないから知らん)
それだけのことなのにどうしても全国津々浦々にそういう穢多非人という存在がいたことにしたい
というのは歴史の歪曲でありやってはならないことだ
江戸時代のヤクザがおかっぴきみたいなことでもしてたんだろう
そのヤクザが穢多非人なんだろう
しかしたいていの藩では下請けせずにちゃんと正規の城下士や郷士が罪人を引っ捕らえていた
こういうのを歪曲して罪人を引っ捕らえていた者が穢多非人とするのは
やってはいけない歴史の歪曲だよ
205 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 03:45:55.62
>>201 うん、あったよ。
てか、言われなくても知ってるよ、このスレの住人だもん、基本的な歴史くらい知ってるよ。
で、だからどうしたの?
>>203 東京へ移ってきた人だとしたら、転籍前の除籍が田舎に田舎に残ってるかもしれんけど、どうよ。
消除後80年で交付してもらえないかもしれないけど。
分家のようだけど、本家はちゃんと墓守しとるのかね。
管理費不払いだと、無縁の石の山の中に埋もれていたり、最悪廃棄されている。
寺に附属の墓地なら突き止めやすいけど、菩提寺や宗旨は分かるんでしょ。
何れにしてもコンタクトの取りやすい親族から辿っていかないと難しそうだね。
うまいこと親族内で人望のある人や連絡係みたいになってる人と仲良くなれるといんだけどね。
207 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 04:08:33.52
穢多っていうのは、たぶんヤクザのことだろう。
戦後、公安の下請けで、在日コリアンの暴動を引っ捕らえていた、安藤組の愚連隊みたいな存在だろう。
日本のヤクザの歴史は、江戸時代まで遡れるし。
穢多がいたとされる場所って、現代でもヤクザが多いし。
江戸時代のヤクザ(穢多)は、全国津々浦々ではなく。ある特定の一部にしか存在せず。
そこでは穢多と呼ばれて、江戸時代の公務員(士分)の下請けとして働き、
江戸時代のヤクザ(非士分・穢多)が罪人を引っ捕らえていた、そういう地域もあった。
ということだろう。
208 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 04:11:45.31
ということにしたいんですね。
209 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 04:16:16.23
>>208 穢多のことなんて知らんよ。
でも確かなことは、罪人を引っ捕らえていた者は正規の士分が通常であり。
そういう人たちを、実は穢多だったと認定するのは、浅はかな学説だと否定してるんだよ。
210 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 05:55:58.16
秦氏を家祖に持つ、本姓藤原氏(途中で藤原頼兼が家督相続した)の弾左衛門は、
どこの藩にも属さず家臣にもならない存在だったから、幕府が勝手に穢多を
身分制度の中に含めたんだと思う(士農工商は藩や幕府に属する)。
現代人の感覚では属するということを理解できない人が多いので、ここで説明すると、
戦前までは日本国臣民という言葉があった、つまり日本国民は日本国の家臣だった。
穢多はそういうのに属さない存在だったのだろう。
今でいう非合法的なヤクザではなく、合法的なヤクザみたいな存在と仮想すれば分かりやすい。
どこの家臣にも属さないから、弾左衛門は関東一円を支配できた。
しかし、どこの家臣にも属さない存在というのは当時は目をつけられただろう。
それが江戸幕府の保護から外れた明治初期の時期ならば、穢多を嫌がらせしたり、
非国民という蔑称のレッテルを貼ったりした連中もいただろう。
それが恨みとなり、後に一部の穢多は非合法的なヤクザに変貌を遂げた者もいただろう。そして現在に至る。
つまり朝廷の家臣に属さない存在が、昔はある特定の一部の地域にいた。それが穢多と呼ばれた。
ということはだ。
歴代の政権に属せない戦犯の落武者の末裔(平家など)が、その穢多と呼ばれた可能性が高い。
つまり由緒は良いが、日本国臣民じゃないから、後に江戸幕府によって
意図的に身分制度の中に含まれた存在なんだと思う。
ある特定の一部の地域にしか存在しない理由は、戦犯の落武者だから。
それが明治以降に差別され始めた理解は、
江戸時代までどこの家臣にも属さない存在で、忌み嫌われていたから。
ということは、
穢多は、どこかの家臣に属していた江戸時代の警察や刑務官などのような存在ではなく、
むしろ江戸時代の警察や刑務官と対等関係をもっていた、どこの家臣にも属さない存在だった可能性が高い。
>>202 なんかおかしい奴らが紛れ込んじゃったみたいだね
>ウリナラファンタジー学説
とかあるんで、暴れてるのは典型的な「ネットで真実を知りました!」系のネット無知ウヨクの類だろう
ネット無知ウヨクは馬鹿だから、右翼も保守派もウリナラ○○とか馬鹿丸出しの事を書かないって事がわからないし
またそういう韓国を想起させる言葉をちりばめる事で、逆に自己紹介になってるって事を理解できない
色々と変な事が書いてあるが、放置プレーで行った方が良いだろうね
212 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 12:34:09.19
と部落が言いました。
213 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 13:34:01.20
>>193 こうやって同和は全国津々浦々の竹細工職人や警察機関のような武士の副業や役目を穢多認定していくのか
妄想は同和地区だけでやってろよウザいから
そのせいで全国津々浦々の士分持ちの伝統的家業の職人たちも穢多認定されるだろうが
ていうか先祖スレに関係ない同和話しはやめろや
214 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 14:07:11.00
215 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) 15:14:54.77
↑
三国人か?
荒らしは余所でやってください。
そして他のやつも相手にするなよ。
先祖が穢多でもいいじゃん
なんで嫌なの?
うちの場合
俺、小学時代から日本史好きで今ではそこそこマニアな本も読む
「姓氏家系大辞典」「新編姓氏家系辞書」
「系図纂要」「尊卑分脈」etc...が書棚にあるなぜか家系研究好き
全国各地の氏族に興味あるが地元だからかゾンビ少弐氏に特に惹かれる
今から5年ぐらい前によくある「馬場」という苗字、家紋はとってつけたような桐
家族、親族は自分達の家系にまったく興味なしで情報もまったくなし
どうせたいした家でないだろうと調べた。
案の定、戸籍謄本調べで元治生まれの高祖父でストップ
菩提寺は福岡大空襲で焼けたらしいのでこちらもダメ
まあ、これ以上は無理だろうがいづれ続きをと思いつつ・・・・
それが今年の頭、突然、同じ苗字の知らない人からの手紙
同じ県の別の市に在住の方で
分家の後追い調査をやってるのでこの方達を知りませんかと。
その1人に本籍地も同じの高祖父の名前が!
連絡して聞けば高祖父は次男だとか(うちに本家があるとか始めて知ったわ)
「であの・・・もっと前の先祖とかはわかっているのでしょうか?」
「ええ。でも武藤少弐氏とか知ってます?マイナーですけどw」
「え!?・・・・ええ一応」
「その分家に馬場氏というのがあってですね・・・」
「え!?・・・・(受話器持つ手がプルプル)」
ということで他力本願ながら判明。
龍造寺一族騙まし討ちの馬場頼周の孫・鎮周からの流れ
比較的新しいうちの墓にあった桐紋は
元の家紋がわからない曽祖父あたりが適当につけた可能性大
そのうち隅立四つ目結に彫りなおしてもらう予定
ちなみに系図や覚書など拝見させてもらったが
仮冒した疑いはないと思う。
江戸初期ぐらいからの史料群にも
平井氏や朝日氏などほかの少弐分家からの書状などもあったので
>>219 捏造だよ。
馬場という姓から過去の武将とかに結びつけた良くあるパターン。
後付で捏造するのが一番多いから。
家系図とか覚書とか400年前とかでもいくらでも捏造されてるし。
古いものなら、素人が見ても偽書がどうか解からんよ。
その親戚とやらも、先祖代々の嘘を引き継いでいるだけかもしれんね。
>>142に書いてるパターンね。
捏造認定きました
今日も元気に捏造認定ごくろうさまです
>>222 あのさ・・・・w
隅立四つ目結紋入りの甲冑や旗が残ってて
少弐冬尚・政興書状をはじめ
江戸初期までと限定しても
平井・朝日・横岳などのほかの少弐分家との書状のやり取りをしているんだがw
しかも某大学の九州中世史の権威の教授も調査に来てるし。(そのときの記念写真も見せてもらった)
俺は日本史&骨董好きで当時の本物の史料もたくさん見てきているし
伯耆山名氏歴代当主や大内義興、武田元明の書状も持ってる(それぞれの研究機関にて真筆認定済み)
これで捏造呼ばわりされてもw
なんか僻みにしか見えんが
捏造認定氏自体はアレな人だと思うけど
だからといって先祖の名の下に叩くのは良くないよ
先祖の悪名を振りまくようなものだし
は?
捏造騒ぐ人は大概先祖遡れない人の僻みだから気にしなくていいよ。
それに少弐氏の家臣の馬場氏はマイナーな上、良いイメージのある武将でない
ことを考えると仮冒の可能性は低いだろ。
書物が残ってるというのもポイントが高い。
あとは墓があるかどうかってところかなぁ。
なんか嬉々としてとしてペラペラと・・・
うちは龍造寺の方だから、なんか・・・・
先祖の話だったら
いくらでもペラペラしゃべってもよし
>>229 戦国の習いとはいえ、うちの先祖が申し訳ない。 m(_ _)m
でも少弐家のためという一念(やり方は別として)
余の顔を見忘れたか
徳田新之助だ
234 :
日本@名無史さん:2013/08/22(木) 03:09:21.87
>>172 今は戦前の家系でわかる方ですよ?
私の店に来る若いお客さんなんか従兄弟がいないとか
戦後の家系で違い、親戚もわからないという方は多いんじゃないでしょうか?
先祖探しよりも分かり易い文章を書く練習をしてくれ
237 :
日本@名無史さん:2013/08/22(木) 07:53:03.06
バッハと武藤の小弍氏
>>236 おお、忘れるところであった
ありがとう、じい
>>225 ますます捏造だな。
先祖の捏造を信じて後から鎧やら何やらも作られたのだろう。
ちゃんと年代鑑定とかしたものしか信用されんよ。
大学教授とやらも、偽書の調査で来たんだろ(笑)
そもそもだ、お前はその馬場とやらの田舎武将の子孫(自称)の端くれと
言ってる訳だが、当主(自称)でもないのに偉そうだな。
遠い親戚にしか過ぎないのに当主ずらして、当主(自称)から見れば不愉快だろうな。
男系子孫なのか?女系でつながってるだけじゃねーのか?当主(自称)とよ。
菩提寺の過去帳とか肝心なものは無いようだし、あったとしても当主じゃない端くれの
お前じゃ調べようも無いのが実態だろ。
自分で思い込む分には良いけど、人様に対して「自分はXXの子孫」なんて言うからには
証明出来るものを示すべきだと思うよ。
証明できないなら人には言わず、ひっそりと自分の胸の中にしまっておくべきと思う。
電話かかってきたから俺様は子孫なんて書いてるおめでたい馬鹿だから、皆にからかわれるんだよ。
>>239 何か嫌な事でもあったのか?
とりあえず肩のpawar抜けよ(笑)
そういや捏造と言えば、森亂丸の鎧も捏造なのに、未だに本人のものとして
展示されてますね。
つまり、鑑定もいい加減なのが結構あるわけで。
自分も分限帳まで辿ったけど(無名の藩士)、対外的には自分の先祖です〜って口外できないわ。
本家伯父の口伝の先祖話から、戸籍に記載無い高祖父とその兄上の実家をさがしたらドンピシャであったというだけの話であって、事実証明はできない。
大体うちの先祖は武士だったとかいう奴に限ってろくな奴がいなかった経験上、伯父の話も眉唾で聞いてた。
でも古いご先祖さんが見つかったらなぜかうれしかったので、それをきっかけに全ての系統を調べだした。
侍は刀が二本だけど百姓は刃が三本の鍬を持ってるから百姓は偉いんだぞ
って爺ちゃんが言ってなかった
>>239 お前、喋れば喋れるほど馬鹿がバレるから
大人しくロムってたほうがいいんじゃないか?
知らないなら知らない、馬鹿なら馬鹿らしくしてればいいんだよ
246 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) 00:19:56.88
何か最近変な奴がいるなー
また同和の
>>193←がスレを荒らしてるのか?
247 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) 00:27:37.00
佐幕派の藩の無禄郷士って
明治維新の動乱期
どういう身分の変動をしてきたのかな?
江戸時代 無禄郷士
明治初期 無禄士族
明治中期 平民
それとも
江戸時代 無禄郷士
明治初期 無禄卒族
明治中期 平民
かな?
ええい!庄屋はどこじゃ!
庄屋をこれぇ連れて参れ!
あはは
またプロ固定のゴミカスが他人を中傷して嫌がらせを働いてるのか
マジで死ねや害虫
>>239 あのさ・・・w
これだけ状況証拠出して「ますます捏造」って・・・
菩提寺の過去帳はうちはないけど
本家の菩提寺には永正年間からのものがある(実際伺って書写させてもらった)
大学教授の調査でもどれも真筆認定されているのだがw
その書状群を実際みたこともないお前のエスパー鑑定が
九州中世史の第一人者の鑑定を覆せるんだ?w
それにお前は当時の原資料など手に取ったことあんの?
紙の質や書体の違いとかで時代がわかる?
俺はお前よりはるかに多くの原資料を実際に見てきてるんだが。
ちなみに男系でつながってるよ。佐賀藩士や帰農した他の少弐分家とも
書状を交わしていたり、縁組もしてる。
うちは本家の次男からの分家だから近いだろ?
>自分で思い込む分には良いけど、人様に対して「自分はXXの子孫」なんて言うからには
>証明出来るものを示すべきだと思うよ。
>電話かかってきたから
これだけ客観的証拠があるのに何をどう証明すんの?w
思い込みっていうけどきっとお前よりはるかに日本史に詳しいし
史料も読めるし、その真贋もわかる俺が客観的にみて判断してんの。
きっかけは電話だがその後、本家や菩提寺にいってちゃんと確認調査済み
お前の説が正しいなら、史料群はすべて真筆認定されているので
遅くとも江戸創成期には俺の先祖がこれら書状・甲冑などを譲り受けるか盗んで
菩提寺の墓もすべていただいて勝手に馬場に改姓したってことなのか?w
みんなすまんね、スルーするべきなんだろうが・・・実生活でもいるよなお前みたいの。
明らかなものを意地でも認めない、屁理屈並べて否定とかでまわりに苦笑されて呆れられる奴
日本史板に一定数棲息する生き物です
なかば諦めかけていた先祖探しがひょんな事から一気に進んで
知らなかった本家の存在もわかり
しかも先祖がまさか好きな少弐かよ!!!という偶然
本読んでても
「俺と同じ苗字やん。しかし主家の為とはいえ、えぐいな馬場頼周w」
ぐらいに思っていたのがまさかの・・・・
>>228さんもおっしゃる通りいいイメージがある武将ではないので
自慢とかそういうつもりではなく
あくまで俺の先祖が判明した過程を書いただけのつもりだったが
まさかこんな絡まれ方をするとはw
>>239とこいつを育てた家族を祇園原に呼び出したいわw
嫌にならずまた書き込んでください
>>255 おまえ孤児にそんなこと言うなや可哀想だろ
>>253 出た!! 自称田舎武将の子孫!!
また当主のように偉そうに語ってるよ。
お前は端くれで子孫と名乗るのもおこがましい存在だろ?
自覚しろよ。
それに馬場なんたらの子孫と言うのもお前が書き込んでいる内容からは
信じられん。本物と鑑定されたと自称しているだけだからな。
何回でも書いてやるよ。
すべて捏造の可能性あり。
捏造厨うぜえw
他人の言うことを全く信用しないなら何で匿名掲示板なんて見てるんだろうね
>>258 捏造にしたいのはわかったから
君の先祖の話してよ
どうでもいいけど「本家の次男からの分家だから近い」が意味分からん
>>262 分家からさらに分家したのよりは本家から直に分家したから近いってことじゃね
宗家が代を重ねれば多くある同様の家の一つだよね
それって枝の枝より名誉なの?
近いとしか言ってないのに何で名誉とか
いやなんか得意気に書いてるように見えたし、そういうもんなのかなと聞いてみただけ
よく流れを見たら、「遠縁の〜」とか「女系で〜」とか煽られたことへの反論みたいだな
捏造厨なんか無視しとけよ、喜ばすだけだから。
捏造厨にも先祖がいるんだから
その話を聞いてみたい
母:孤児(父母不明)
父:米兵(不詳)
本当?
母:ロシア人ショーパブダンサー(不詳)
父:ヤクザ(父母不明)
嘘だな
なるほどな
俺んちが代々貧乏百姓って言い伝えも先祖が脚色したのか
275 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) 21:19:38.51
そういえばアジャ・コングの写真を米国の米軍兵士達に見せて父親を捜してあげる番組をむかし観たな。
一人も名乗り出る男はいなかった。
ガッキーやらAKB誰か辺りなら何人もの男が名乗り出たんだろうな。
>>274 貧乏百姓なのに代重ねるとか厳しいからな
解読してほしいものがある
先祖が書いたのか、送られてきたのか知らんが
幕末の先祖の手紙っぽいものだ
孝明天皇お隠れうんぬんという単語だけは見つけられた
田舎の次男坊で明治初期に分家したじーちゃんなんだけど、
本籍地をお城のあったとこにしていたんだよね。
番地もきり良い1-1とか。
現代の皇居やディズニーを本籍地にするみたいなこと、
明治でも可能だったのかな?
279 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) 23:33:39.88
たしか明治初期の本籍は住所じゃなかったか?
>>274 言い伝えはあてにならないよ。
うちの母方の家も江戸時代からずっと田舎の村で百姓だったと言ってたが、
少なくとも住みだしたのは明治に入ってからで、実際は別の県からやって
来たことが分かってるし、そうなると百姓っていうのも分からない。
まあ、高祖父〜祖父まで〇吉って名前だからそうなんだろうけど。
>>278 旧戸籍法読めばいいと思うよ。
住所地でしか指定できなければ、どこかに書いてるはず。
暇な時に図書館にでも行けば。すべての図書館にあるとは限らないが。
>>282 この手の主張する奴は結構いる。
仕事上ですでに二人会ったことあるし。
実際は先祖が宮内に仕えてない限り、あり得ないことだわな。
そういう事実があれば信憑性がある。
普通に側室扱いで使えることはあるからな。
天皇が娯楽で外に出て外の女と関係を持つことは無いし。
>>283 天皇の訃報が書いてあるだけで宮中関係者とか勘繰りすぎだろ
単に時事として書いてあるだけかもしれんのに
>>284 ああ、すまぬ。ちゃんと読んでなかった。
287 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 12:02:46.90
明治初期の戒名
有禄士族 □□院□□□□居士
無禄士族 □□□□居士
であってる?
一枚目の小さい文字
孝明天皇御爰(援?)日二友ヲ招ク文 かなぁ。
よく分からないが。
290 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 12:09:47.50
>>290 武家でも信士は普通にいる(特に下級藩士とか)
>>290 いや、そういう風に見えるなって思っただけ。
しかも、意味が通らない気がするし。
普通「爰」っていう字は「ココ」に何かある・何かするような場合の意味で
使う文字だし、画像の該当文字の下が「ふ」みたいな字になってるのも本来
の爰の草書体とは違うしねぇ。
最初は爲(為の旧字体)かな、とも思ったけど。
爲なら孝明天皇御爲日に友を招くってなんとなく意味も通るしねぇ。
所詮草書勉強し始めた素人だから、気にしないでくれ。
御祭日だろ
294 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 13:50:41.54
書簡の例文集を写したもんだな
近代デジタルライブラリー漁れば出てくるかと
295 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 13:52:58.99
「孝明天皇御祭日」だと思うよ
崩御日だから記念日と言ったら語弊があるが
明治6年に太政官布告で先帝祭の一環として
祭日として「孝明天皇祭」が加えられた。つまり1月30日ね
だから孝明天皇はまったく関係なく、今風に言えば
「○○の祝日に友人招いて〜」という感じ
何このつまんないオチ
おそろしくどうでもいい内容でワロタ
ワロタ
300 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 14:21:48.38
次行ってみよー
>>287 > 明治初期の戒名
>
> 有禄士族 □□院□□□□居士
> 無禄士族 □□□□居士
>
> であってる?
藩によりけりなところはあるが、
有禄・無禄の違いというよりは上士・下士の違いじゃないか?
因みに下士も禄を貰っていた士族に違いはない。
士分を有している者が上級及び中級家臣で下級家臣はそれに及ばないというのが一般的ではある。
無禄士族という言い方が少しおかしいような…
>>301 武士が無禄なら浪人
秩禄処分の対象にならなかった無禄士族なんて者が居たのかね
下士が中級家臣なら、下級家臣てなんですか?足軽?郷士?中間?医師?学者?
わけわからん分類に疑義を呈している当人が更にわけわからん分類をしなくて宜しい
戒名の文字を見ただけでは士分の階層まではわからない、おわり。
303 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 18:34:45.22
江戸時代 : 郷士(5石);
明治初期 : 無禄士族;
<秩禄処分> ;
明治中期 : 新平民;
なんてのも佐幕派にはいたようだが
>>303 それは戊辰戦争の論功行賞の後のごく短期間の処遇だろうけど
>>287はそういうのを想定しているようには思えないが
下士は武士なのか?
卒、下級家臣、下士の違いは?
誰か答えられる人いないの?
>>305 下士は武士。上士が武士なのに下士が武士でないなら、何だその分類は。
卒は大雑把に言えば足軽。下士とは違う。
下級家臣なんていう種別は知らん。
>>301に聞け。
足軽、同心、下士の生活状況その他色分けはどうなんでしょうかね?
先祖探しに関係ない質問は質問スレへ
歴史モノで“下級家臣団”という言い方は結構聞きますよね。
下級武士(下士)だけを指しているのか?
郷士・足軽・同心・中間・小者は入るのか?
非常に暖味で困る。
歴史モノでの“下級家臣団”が先祖探しとどう関わるのかな
先祖探しは比較的簡単に終わった。
やっぱり墓があると全然違うな。
ただ、墓の風化で殆ど読めないものもあるし、血縁関係が分からないから
完全ってわけにはいかないが。
ちなみに先祖は某大名の馬廻だったようだ。
先祖が庄屋だった
本家に頼んで系図見せてもらったら初代が永正時代の○○刑部さんだった
住んでる地域の郡史を見てもやはり初代が〇○刑部さんになってた
所詮、庄屋だし聞いたこともない奴が先祖だったな
316 :
源姓:2013/08/24(土) 23:38:23.20
そっか。で、本姓は何だった?
317 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 23:49:56.28
>>213 >>竹細工職人や警察機関のような武士の副業や役目を穢多認定していくのか
竹細工って紀伊ではササラ者といわれ、いい意味では使われていない。
武士が竹細工を内職してるほどの腕があったのは、戦国時代にそういう階層も武士になってたからだろJK
318 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 23:54:19.83
それから、竹細工は武士といっても下士が内職してるイメージだが、
決して下士全体が竹細工を内職にしていたわけじゃない。
紀伊半島出身の下士が非常に多いということ。
紀伊半島では竹細工をササラ者と中世呼んでる。もちろんいい意味ではない。
どう考えてもそのササラ者が武士になっていると考えるのが必然だろJK
>>316 よく分かりませんけど、佐々木一族の子孫とか書いてありましたね
321 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 00:01:23.63
>>302 郷士っつったって、それこそ上は高家クラスの落ちぶれ武家も大量に要るんだから、
足軽のような生粋の下層とはわけが違うし意味合いが違うだろ。
郷士暮らすなら、墓の戒名も院号居士も当たり前のようにいるが、
城下士レベルじゃ信士程度が関の山でしょ。
待遇や配慮では、明らかに郷士庄屋のほうが城下士より上でしょうが。
322 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 00:10:57.86
>>321 横からだが全国一様に
郷士>>城下士
だったとは限らないと思うよ
というか普通は
藩主>>家中>>城下士>>郷士>>足軽>>百姓
だろう
323 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 00:16:17.40
>>322 だから、そりゃそうでしょ。身分の上下関係では。
だって、それまでいた在地の地元企業が叩き潰され、その上層部が郷士や庄屋になった。
そして、そこに新興企業が入ってきた。
そこの末端ではあるが社員の城下士とじゃ、郷士やしょうやはどれほど家柄名門でもよそ者。
だが、戒名ひとつとっても、城下士よりはるかに郷士庄屋のほうが上という。当たり前でしょ?
落ちぶれても元は支配階級なんだから。
324 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 00:20:09.27
庄屋さん登場
325 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 00:20:44.82
少し間違えたが、城下士という表現はかなりあいまいだから、下士ね。
家中の下士と比べればということ。
>>321 そんなの知らねえよ
下級家臣って何を指してるか分からなかったから適当にそれっぽいのを挙げただけだ
郷士と足軽をひとまとめにした覚えは無い
変な噛みつきをするな
>戒名の文字を見ただけでは士分の階層まではわからない、おわり。
って俺は言ってるだろうが
327 :
322:2013/08/25(日) 00:31:34.86
>>323 高家と同じ名字の郷士いるんだけど
確かにそういう足利一族の郷士は特別扱いされているね
でもそういうのはごく一部だよ
ほとんどの郷士は戦国時代に城主格だった武将の子孫だけど
たいして特別扱いされていないよ
高家と同じ名字の郷士くらいじゃないと特別扱いは難しいんじゃない?
>>327 郷士に夢を見て決め付けてる感じだからあまり触るなw
329 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 00:35:55.35
>>326 お前などどうでもいい。以上
>>327 特別待遇という意味履き違えてませんか?
たとえば、名字帯刀や戒名の院号居士使用などや屋敷や在地特権レベルの程度ですよ。
330 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 00:44:10.01
身分の上下は幕藩体制な以上、藩内の序列が最優先に決まってる。
だが、その身分体制化の中で、個別の{家}単位での対偶面を見れば、
その藩や藩主からのどの程度の扱い、またはどの程度の家柄と見られていたのかがわかる。
もちろん、江戸時代はそれ以前の中世と違い、家柄=身分ではない。
だから、家柄を見るなら、個別の家単位の待遇、配慮を見ればわかる。
そのひとつの重要なツールが戒名。
院号居士は間違っても下士には存在しない。上士レベルと郷士庄屋のみ。
無禄士族とか下級家臣とかの定義の話だったはずがなぜか郷士スゲーの話に
うちの家は
初代だけが大居士(一応武士だったらしい)
以下、居士が5人、信士が6人、上座が1人だな。
※明治に入るまでに死んだ人ね。
333 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 01:21:02.59
無禄士族などは本来の江戸時代の士族と言うものじゃないだろ
江戸武士は俸禄もらって何ぼの給料武士だろ。
無禄なら、庄屋でも名主でも、蔵の中に入ってる甲冑で武装開始してまえば、
無禄武家だろ。
>>330 普順院釈開悟大居士
これ医師の家系だった俺の先祖な天保頃の
信照院釈行真居士
これはその弟で分家した30俵取り医師じゃないから下士な
どう思う?w
335 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 01:55:29.80
>>334
だから?で?医師だからだろ。
戦国を経て、江戸初期から生粋の下士ならまず院号居士などありえない。
ちなみに俺の家は、室町時代は守護大名家に仕える末端の地侍程度だが、
守護大名が滅ぼされてからは、江戸初期から庄屋だが、
院号居士どころか、名前も諱まで許されてる代が多い。
だからなんだ?お前の家は武士扱いじゃなく、医師扱いだからだろ。
分家も純然たる武士扱いではなかったんだろ。
336 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 02:01:23.00
>>334 ちなみに俺の先祖の守護大名家に仕えていた時代、先祖に医師がいたようだ。
だから一介の末端地侍程度でも、家臣帳に名を刻めてもらえたんだろうと俺は思う。
代々医師家系ではないが、一人、守護家の医師を務めたという先祖がいたようだ。
場所によって医師の地位は全然違うからじゃねえの?
四字+禅定門の存在も忘れないで
武士や農民に多かったとかはわからないけど
>>335 じゃあ最初から生粋wの下士と書いておいてくれ
ちなみに一代限りの医師で代々ではなかったようだけどな
その分家だけど純然たる武士ってのはどういうものなんだろうね
340 :
源姓:2013/08/25(日) 02:12:42.70
あ、庄屋さま。
庄屋さまの本姓は何ですか?
341 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 02:15:12.10
源氏でも平氏でもない。藤原法華でもない。姓などない。
342 :
源姓:2013/08/25(日) 02:23:13.10
>>341 まじかよ
俺の藩だと信じられないわ
諱を許されていたってことは
殿様に家系図を提出しているはずだから
その時の家系図に本姓も記しているはずだが
ちゃんと調べた?
343 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 02:35:21.68
そんなもん嘘に決まってるだろ。
源姓名乗って宝って言って、信じてないよ。
俺の一族が、源氏の庶流レベルなわけないし、
仮に源氏なら、地域全員源氏だろ。
こんなものにはこだわらない。姓などない。
俺の一族は俺の一族だ。源氏の由緒にこだわらなくても存在できていた。
仮冒姓など名乗るに値しない。
このスレ勉強になります。
本姓とは源氏とか平氏を意味するのですか?
345 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 02:53:35.65
>>339 純然たる下士とは、江戸初期、元和演舞治世により、当初から下士身分と定められた雑多出自のことでしょ。
俺の家は元和元年、藩より庄屋とされたと書いてある。
一大限りかなんだか、医師の家系に興味はないから知らないが、木戸孝允みても、
医師の家系は同じ石高でも、一介の下肢レベルとはやはり違うだろ。
ちなみに俺の一門も、守護大名家の文献に出てくるものは、苗字以外ではその医師をしていたという先祖の名前がほとんど。
その医師がよほど活躍してくれたんだろう。
まあ、医師は、大名家の医師ならダイレクトに殿様に奉公できるからそりゃ敵の足軽大将の首レベルの戦功の数十倍の方向に感じるだろうからな殿様も。
ゆうりっちゃ有利だよな
346 :
源姓:2013/08/25(日) 02:57:05.42
>>343 源姓浜名氏の末裔です
伊豆韮山の源頼政の子孫の支流です
源頼政公の「政」を「正」に変えて
先祖代々一族「正」を通字にした諱です
嘘っぱちかどうかはわかりませんよ
でも源頼政の子孫をずーっと名乗っているんです
庄屋さまも俺と同じ様に諱を許されていた身分なら
本姓を持っているはずですよ
俺の故郷だと、郷士制度だったので
すこぶる源姓や平姓や藤原姓や穂積姓や菅原姓がいますよ
あまり決めつけは良くないと思います
もう少し調べてみてはどうでしょうか?
347 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 03:12:52.01
>>346 ですから、勝手に姓は書いてありますが、とても信用できないということです。
考えられないからです。
時の先祖は仮冒下のでしょうが。
先祖をさかのぼると摂関家とかありえないんですよwくだらなさ過ぎる。
私の先祖は、室町期の在地の百姓上がりの武装豪農ですよ間違いなく。
仮冒してる姓など興味がない。ちなみに近所は武蔵七党や坂東八平氏だらけ。
なわけないだろとw。近所も全員姓を名乗ってるが、ほぼ源平だらけ。
だから、はっきり言います。私の一族は姓は完全に仮冒です。
室町応仁期あたりの在地の武装豪農が武士化していったものですよ。
ですが、江戸期の武士層よりはるかにましだと思いますよ。
少なくとも良民階層です。江戸の武士なんて、良民階層かどうかわからないでしょあれ
>>343 それがそうでもないんだな
http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/mikawa/shiseki/higashi/uri.j/uri.j.html >落城後の熊谷氏は実長の長男直安が兎鹿嶋(とがしま、北設楽郡豊根村)に土着して帰農した。
>次男正直は高力(額田郡幸田町)に落ちた。正直の子重長は高力を名乗り、松平家に仕えた。
>重長の孫清長は三河三奉行に数えられるほどで、「仏の高力」と呼ばれたことで知られている。
>また、備中守の長男直安の子の直次は今川氏を頼って遠江(浜松市入野)に移ったと伝えられている。
>備中守自身は落城後とうしたのであろうか。討たれたとも伝えられているが、定かではない。
三河熊谷氏は熊谷直実の数少ない直系として知られる武家としては名門中の名門だが
戦国時代に松平家に攻め滅ぼされ、子孫は土着して帰農してる
また近隣の信濃坂部にも同じく三河熊谷氏の血を引く郷士の熊谷家があったし
奥三河に行くと、今も熊谷姓を名乗る旧家がゴロゴロある
縁戚とかで熊谷氏の血を引く人達が奥三河や信濃伊那郡にはかなりいる
物凄く失礼な言い方をするけど、源平の庶流レベルの家柄なんて、普通に掃いて捨てるほどあるよ
仮冒・冒称で先祖を捏造する事が横行した反面、本当に源平藤橘の子孫であるケースも山のようにある
また戦国期に行われた仮冒・冒称には、地方の有力豪族の末裔が秀郷の武運にあやかって藤原氏を称するとか
出自が卑しいのを隠蔽する為に捏造するのでなく、家の未来の為に行う捏造もあったと言われているよ
戦国期に地方で豪族並みの財力・田畑を持ちながら、出自がはっきりしない一族の場合
国造等を務めた(源平藤橘以外の)古代豪族の末裔と考えられるケースも多いなんて話があるよ
>>347 ああ、もしかすると、豊臣秀吉が名もない百姓からの成り上がりって俗説を信じちゃってる人かな?
http://ameblo.jp/hidekifukunaga/entry-11539095175.html 豊臣秀吉の出自については、従来の小説・伝記の中でも説明がある通り、尾張国中村の貧農(小作人)の息子とされてきました。
そのため、秀吉には元々姓がなく、「木下姓は、妻のお寧の実家の姓を譲り受けたものである」とまでと言われてきました。
しかし、様々な史料や記録を見ていくと、秀吉の父親である木下弥右衛門昌吉は、尾張国愛知郡中々村を束ねていた村長(村役人)であったことが明らかになってきました。
貧農の出という設定は、おそらく太閤記などにおける秀吉の出世物語を強調するための脚色であったものと思われます。
当時の16世紀前半の戦国大名の家臣とは、信長以降の「城下町に住み、常に戦闘に備える専門職」ではなく、
領内の農村を経営する土豪であり、従って村役人をも兼務していました。秀吉の父親も、尾張国における土豪の一人だったという訳です。
以下に、これを証明するための根拠を述べていきます。
【史料によるもの】
宮内庁書陵部所蔵の『中興武家系図』や、『塩尻』『尾陽雑記』によると、木下家が尾張中村に定着したのは、
秀吉の曽祖父である昌盛法師が、近江国浅井郡丁野村から出て木下弥助国吉と改名し、還俗して移住してきたきた頃だそうです。
それ以降、その子弥助昌高、その弟右衛門尉吉高、その子弥右衛門昌吉(秀吉の父)と続いたわけですが、国吉は近江浅井家の庶流の出であるという説もあります。
いずれにしても、姓名が定かな身分であった事がわかります。
【地元中村の伝承】
地元中村に古くから伝わる伝承を研究された郷土史家である寺尾大蔵氏の著書によると、
「秀吉の父親は、戦傷による体の不自由に加えて、村長として年貢の取り立てに追われ、老人痴呆症になって家を顧みず、
妻女は二人の子供を抱えて百姓も成り立たず、家計に苦しみ、夫(秀吉の父)の生前に竹阿弥(秀長の実父)と再婚した」と説明しています。
さらに前野長康らも『武功夜話』において、秀吉の父は村長であったことを、はっきりと言っています。
350 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 03:36:04.40
>>347 >>349からの続き
【秀吉の母親仲の血脈】
秀吉・秀長兄弟の実母である大政所(仲)の父は、鍛冶屋を営み有力な土豪でもあった関弥五郎兼員です。
関氏は尾張下郡の土豪たちと強力なネットワークを結んでいました。仲の姉は杉原家利(お寧の養母の父)に嫁いでおり、
妹の一人は加藤清正の父である加藤清忠に、もう一人の妹は青木氏に嫁いでおり、血脈が広きに渡っていたことがわかります。
このことから、秀吉の父である木下弥右衛門昌吉が、この有力土豪である関氏から嫁を迎えるだけの家格や経済力をもっていたことが、充分想像できるのです。
【再婚相手である竹阿弥の家格】
秀長実父である竹阿弥の出自については、5/20投稿分においてて説明した通り、尾張国刈屋城主である水野氏の庶流の出です。
織田信秀の茶坊主をしていましたから、さすがに貧農の娘との再婚はありえないでしょう。
仲の実家及び木下家の家格が一定以上のものであったことによる婚姻のはずです。
■「志 豊臣秀長伝」は、以上の説に基づいて、豊臣兄弟の出自や幼少時代を説明したものとなります。
まあ、これが現実だよ
本当に何もないところから財を成して、それで成り上がった家系なんて、実際には殆どない
秀吉は卑しい身分の人間(そりゃ上流から見れば卑しいかも知れないが)じゃないし、出自も近江浅井氏庶流と意外とはっきりしている
352 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 03:42:34.85
>>349 ぷっwww蜂須賀は現代では国人扱いってのを主張する大学教授の珍説と同じレベルですねww
そもそも武功夜話なんてもろ信用性に値しないものでしょう。
信長記れべるのものですから。
もっとわかりやすく言えば、三河物語書いた大ほら吹き大久保がライバル榊原にまけ、散々愚痴った挙句の法螺書じゃないですか。
そもそも本当に村長レベルの名主層が竹阿見のような芸者上がりと再婚するんでしょうか?
私の家に芸者上がりなど一切いません。再婚してる代ももちろんありますが、芸者などいませんが。
>>350 例えば、苗字(本姓)を持つ家柄と、そうじゃない家柄とが結婚した場合
そうじゃない家柄は、普通に考えて苗字を名乗るよね
もちろん勝手に名乗ったら冒称だが、分家した形を取れば問題にはならない
またその子孫が苗字を名乗っても、子孫には違いないので、嘘にはならない
そもそも鎌倉時代なんて分割相続で家がどんどん増えて行き、没落した家も多いので
苗字を持ってるが貧乏で、庶民の家と結婚するケースなんて腐るほどあったと想定されるし
そうなると源平藤橘を持っている家というのが爆発的に広がったと考えられる
戦国時代なんてその数百年後だからね
355 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 03:56:48.88
>>351 いい?信長公記ですら大田牛一の勝手な妄想書。
大体、信長の資料なんて本来は存在してない。焼き尽くされてる。
楽市楽座の物的証拠となるような文献もたった一軒、油関係の業者に対する信長の安堵書が残されてるに過ぎない事実。
例えば足利義明を征夷大将軍にして天下不部を専制した時期のことを、
信長公記書いた大田は信長にとって最高の名誉で待つ代までの誇りといったと褒めちぎっており、
信長は公方を追放して幕府を滅ぼしますが、その側面には一切触れてない信長の考えとの温度差。
なにしろ私観とプロバカンダがほとんど。秀吉関連はもっとですよ。
356 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 04:04:47.84
>>353 その後の三河与太物語見ればわからないですか?
大久保の本多一族との抗争に敗れた愚痴だらけと、恨みつらみだらけ。
まさに読む価値なしレベル。
はっきり言いますが、秀吉が本当に在地の名主層暮らすなら、こんなに賛否両論出るほどなわけない。
後北条家でも早くより寄親寄子制により、名主層ならきちんと文献で残ってます。
秀吉の横のつながり見れば、蜂須賀のような職人手配師や桶屋の清正や、足軽親戚だらけ。
名主層のキチンとした在地の有力者層の文献で残された親戚が一人すらいない。
それからわかるように、秀吉は、貧農すら怪しく、土地を持たない水飲みレベルだというのがつぶさに分かりますよ。
357 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 04:08:42.95
>>347 摂関家でよくある苗字なんてまず無理でしょうな。
うちは公家(門跡)だが珍しい苗字だし
今働いている現役で戦前の家系の方で平凡な方はいないと思いますよ。
358 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 04:21:27.87
>>354 ですから、日本人なら、必ずどこかの代でどこかの家系がなんらかシカで源平藤橘でしょ?
そんなもの誰でも直系でなく母方も自由自在に阿弥陀くじのようにさかのぼっていけば、
百パーセント源平藤橘にたどり着きますよw
逆に言えば、直系だけじゃないなら、もう源平藤全部どこかの代にいるでしょう?
そんな程度の門でしょ姓なんて
>>357
別にありふれた苗字でもないですが。
だけど藤原家となってるのは嘘八百だというのは百も承知ですよ。
何度も言いますが、少なくとも平安期の良民階層の出自だというのは間違いない。
江戸の武士より、平安時代から良民層だというのは間違いないというのだけは断言できます。
それで十分ですよ。
近くの同じ苗字の神主も1000年続く家系とされてるが、古くは蝦夷征伐の際に従軍したのが初代と図書館の本には書かれてるが、
もう信用はしていない。蝦夷征伐のころの坂上田村麻呂に一宿一飯の恩義をした地元の豪農だと思ってる。
何このスレの進み方www
庄屋さま大暴れの巻
捏造厨よりめんどくさいのが居るw
というか 旧大名家だの公家だのにしても
本当の子孫は少ない。
殆どが明治の新姓。
播磨に住んでるから「赤松」にしようとか、
昔 黒田の殿様の領地だったから「黒田」にしようとか
土佐の国に住んでるから「長曽我部」とか
阿波の国に住んでるから「蜂須賀」とか
そんなノリ。
だから、殆どの人は子孫でも何でもないよ。
なにせ江戸時代の武士の人口比率は1割以下なんだから。
9割の人は姓なしだ。
9割の姓なしの人の子孫がほとんど。
更に言うと武士でも株を買ったなんちゃって武士も多い。
先祖代々由緒ある姓を受け継いできた人なんてごくごく少数なんだよ。
なのに現代で由緒ある姓を持つ人がそこらじゅうにいる訳ないじゃん。
捏造した人がいかに多いかだよ。
ただ、そんな明治新姓の連中でも3代くらい経つと
いつの間にやら立派に「直系の子孫」とか言い出すんだよな。
特に金さえだせば、系図をでっち上げてくれる業者がはびこりだしてからは
系図の捏造がごく簡単に出来るようになったから・・・・
本当の子孫であれば、
・本物の家系図がある
・菩提寺がある
・菩提寺に先祖代々の過去帳がある
・先祖ゆかりの本物の品(書物でも武具でも)がある
くらいは無いと。
>>362 お墓しかありませんが。
ちなみに
>>332ね。
菩提寺あるけど、過去帳見せてくれない。
家ごとの管理じゃないから個人情報がどうとかで。
郷士の庄屋様気が済みましたか?
お済みでしたら、これ以上荒らさないで下さい。
厨が厨を呼ぶ展開
>>362 明治初期壬申戸籍のデータによると士族の割合は全人口の4%に満たない数字があるね。
その後、卒族やなんちゃって士族が加算されて7%〜8%になってるけど。
元々の真の士族(武士)は皆が思ってるより少ないように思う。
参考に俺の先祖に当たる人の戒名
『光照院殿成功義勇居士』
明治に入ってからの戒名です。
幕末時某東北諸藩士で馬廻り格、役職は時期によってだけど江戸下屋敷将や御小納戸頭など。
戊辰戦争時は主君親衛隊の隊頭(小隊長だと思う)を務めていた。
書くことはあっても、有力者の子孫だという証拠をアップできない人が多いね?
家系図や由緒書きや墓や様々な資料を画像にしてアップしてから主張しなよ
誰々の子孫だとか流れだとかなんて書くだけは自由だからな
身バレ上等ってこと?
>>368 お断りします。
そもそも、ここはそういうことを証明する場じゃないし。
まあ、出したい人は出せばいいんじゃない。
読めないから解読してほしいとか。
むしろ、ここと関係ない話してるやつが出て行ってほしいもんだな。
自称子孫ばかりだから、UP出来ないでしょ。
>>358 男系以外は正統でない&直系以外は正統でないとでも言いたいようだけど
子孫である事に違いはないわけで、それを全否定するのは滅茶苦茶
>>368 証明する資料を開示しろって?
自分の免許証から除籍謄本、苗字フルネームでUPしなきゃそもそも証明なんて出来ないよ。
そんなことネットで出来る訳ない。
先祖が士族だとよほど気に食わないようですね。
>>355 秀吉の父が村長とする説は、もともと地元に口伝として伝わってるもの
武功夜話がソースってわけでもないらしい
徳川による権力簒奪を正当化する為に、秀吉が卑しい出自だったとした方が得だったって事も無関係じゃないんだろうね
松平家こそ地元の言い伝えで元は林業に従事する普通の家系だった事が伝わってるから
>>362 また始めたのか
だから武士なんてのは戦国期に帰農した家系やら、江戸時代に身分を売り払って農民や商人になった家系が腐るほどあるだろ
そういう家系は普通に苗字も持ってるし、武家時代の本姓も伝わってるなら当然知ってるわけでさ
>>373 要するに情報を出させて、自分がその系統の子孫だと捏造する気なんだよ。
情報を出したら乗っ取られるぞw
だいたい徳川も本姓を藤原から源氏にしてたりしたんじゃなかったっけ?
なんなんだよコイツはw
379 :
源姓:2013/08/25(日) 15:51:09.24
俺別に証拠出そうと思えば出せるよ
手持ちの証拠を出すとすれば
例えば旧村名にある本家のお墓に刻まれた
■■家代々之墓■■院■■■■居士■■右衛門正光
という写真と
藩士名簿の旧村名の郷士
■■■■右衛門 5石
という写真くらい
でもこれ晒したら旧村名つまり今でいう大字名まで知らされるんでしょ?
そんなに俺の本家の住所知りたいの?
どこにでもいる単なる旧郷士の家の住所だよ
>>375 >戦国期に帰農した家系やら、江戸時代に身分を売り払って農民や商人になった家系
そういうのは武士とは言わない。
元武士であったが現在は、農民・商人に過ぎない。
身分制度を全く理解していないとしか思えん。
>>380 >>375はそういうことを言ってるんじゃないと思うが。
戦国時代の武士から、帰農等で農民・商人になった者が居る。
そういう家は苗字・本姓も伝わってる。
って言ってるだけだと思われ。
まあ、そういう意味で言ってるなら、うちの家がまさにそうだけどな。
高祖父母16人がほとんどわかって来た。
3家系はほぼ一カ所にまとまっているけど
1家系だけあっちこっちバラバラで面倒だった。
旧住所から現在の役場を調べて、自治体のHPに目を通して、
本人確認書類を揃えて、、
慣れてきた頃には請求全部終わっているという。
今はアラフォーだけど、自分頭悪いから
60過ぎてからだったらこの作業は無理だったと思う。
今やっといてよかったわ。
>>381 いや
>>375のカキコからは明らかに勘違いしているとしか思えん。
そういう家で伝わってるところは少ない。
没落して落ちぶれて先祖の事なんて解からなくなっている家が多い。
384 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) 06:48:34.17
>>362 江戸時代の大名家の子孫だって言ってる奴はいないと思うが。
その子孫ならば現代に先祖が不明なんて有りえないからね。
明治新姓がでっち上げってのも、多くないと思うよ。
親の代の爺さんか曾祖父さんだろ?
自分で考えてみろよ。おまえは爺さんの名前も何も知らないのかい?
>>382 慣れれば面倒なだけで難しいことではないのがわかるけどね
あとはただのコピーで金とりすぎ
内容を市長が証明しなくて良いからその分安くしろと思う
司書が本のコピーとるのと何も変わらないだろうに
明治新姓
これNGワードにした方が良さそうだな
また例のお方(庄屋様じゃない方)が現れたみたいだから
>>349 時代劇で水戸の御老公様や武士が野良仕事の畑耕すシーンは史実が基だろうね。
平将門も領地の民人の為に、一心不乱に野良仕事の畑耕すと言う話も聞くしね。
少弐水軍って事は、南北朝から戦国時代に掛けて松浦党も徒党した安倍氏と近い大彦命筋の那須国造家が後の武藤筋の藤原氏に籍入れし、那須与一で有名な家柄じゃん
>>388 庶民には苗字がなかった、家系図は捏造だ、が自論の人がいる
ここの皆には並々ならぬ世話になった
その褒美として俺の苗字をあげようか?
俺よりかっこいい苗字なら貰ってやってもいいぞ
>>391 えっ?庶民に苗字あったの?
あったのは一部だけで大半は無いでしょ。
おかしいと思わない?自分の言ってる事。
俺のばあちゃんの話(ひいばあちゃんから聞いたそうだ)だと
「明治維新の時には苗字ない人が殆どだったから
お寺の和尚さんに付けてもらったりした」
そうだよ。
当時の人の話だから信用出来ると思う。
>>394 そもそも統計すら取ってないから、一部だったかどうかなんぞ分からん。
少なくとも俺の地元じゃ豪農・庄屋クラスは姓を持ってる。
小作人は無いっぽいけど。
とりあえず、墓を調べたらわかるだろ、姓があれば名前彫られてるんだから。
地元の墓を見ると
2割ぐらいは姓を持ってた感じ
やっぱりこの人だったか
庄屋様同様、相手するとスレが荒れるんでスルーで
てか江戸の墓は2割ぐらいしかないんだわ
で、その墓にはすべて姓が彫ってある
うちは落ち武者の家系で江戸時代の苗字も伝わってるが、墓石には苗字は刻まれてない
そもそも落ち武者の家系って話自体、どうも創作臭く、実際にはどこぞの藩で武士やってた臭いが
墓石に苗字=苗字持ってた・伝わってた、じゃないんで注意な
>>399 何を言ってるのかさっぱり分かりません。
401 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 19:13:44.65
行政書士に依頼して家系図を作成してもらうのがブームらしいけど・・・
早く壬申戸籍の封印解けないかなと
いつも思う
>>404 それはマジで思う。
丁度幕末に養子が入ってるんだが、実父が名前以外情報が無いもんだから
困ってる。
まあ、近所に同じ姓の人が居るけど、知らないだろうなぁ。
今度田舎帰ったときに聞きに回ろうかと思ってるけど。
封印解いても
意外とどうってことないと思うんだがな
>>406 戸籍すら誰でも見れなくなってるからね
直系の子孫しか見れないという除籍と同じ取り扱いで何も問題はない
法曹やら○×書士やら警察官やら戸籍吏やらが職権濫用したならそれはそれで処罰すればいいだけのこと
>>398 江戸期には庶民は墓なしが多い。
お寺で無縁仏扱いで合祀とか。
墓を持てたのは上流階級。
当時の人口比率1割の武士階級と1割の上流庶民。
だから残ってる江戸期の墓には姓が記載されている。
つーか姓を持てるくらいの身分の人じゃないと墓を持てなかった。
こういう理解でOK?
おk
>>401 行政書士って言ったって特別な情報を得られるわけじゃないだろ
結局自分でやるのと変わらんと思うが
>>410 他人にやらせるより、自分でやった方がいいだろ。
その方が先祖が身近に感じられるようになるしな。
それに知りもしない赤の他人に墓を触らせるとか、絶対いやだわ。
>>410 職権で直系の子孫でなくとも謄本を交付してもらえることしらんのかえ
>>398>>408-409 適当な事ばかり書いてるな
こんなググったらすぐに嘘とわかるレスに同調するとか、自演でもしてるのか?
http://1st.geocities.jp/edenno2/haka.html >墓石について
> 古代の墓は遺体を埋めた場所に手ごろな石をおいて、埋葬の目印にしただけでした。
>鎌倉、室町時代になってようやく墓石の習慣が貴族や豪族の間に広まりました。墓石建立が一般化したのは江戸時代に入ってから、
>しかも、武士や裕福な町人、郷士や庄屋等で、庶民は長い間、河原石を積んだ程度でした。
>庶民も墓を作るようになったのは江戸時代後期(1800年代)からです。宗派の違いや地域的に材質にも特徴があるようです。
414 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 22:52:41.21
じゃあ延宝からの墓がある俺んちは異端?
母方の父親の家が商人だったが明治以前に作られた家系図に苗字のってたけどなぁ
416 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 23:53:52.45
江戸の前を遡れば苗字を名乗った人はもっと多くいたはず
それが戦国を経て没落、または帰農し
さらには江戸時代には公の場で用いる事を禁止された階級の中で
代を経るごとにさらに没落などして
本来の苗字を忘れちゃった家もたくさんあるだろうな
それで明治新姓で全然違う苗字になって・・・
だから家伝とか覚書・系図などまったく残っていない家でも
直系ではなくとも、実は先祖が有名な武将、公家、社家
またはマニアック郷土史では名前が出てくるぐらいの人だった可能性は十分あると思う。
ただそれを確かめる術は皆無だろうね。苗字も変わってるかもしれんし
源平ぐらいから元和偃武くらいまでの歴史の中で
研究では「その後は不明」となってるマイナーorメジャー武将やその子息や一族など
実はまったく絶えたと思われていた○○氏が本当は現代まで続いているけど
当の本人たちはまったく知らない場合とか。
その辺が諸家の家系研究が好きな俺にとって歯がゆい。
>>413 江戸後期には庶民も墓を持ってたって言いたいの?
>>417 うちの田舎では殆どっていうくらい江戸後期以降墓持ってるよ。
流石に戦国時代から江戸初期ってのは数える程度しかないけど。
>>416 そういう事をいいだしたらきりが無い。
父方・母方の先祖のたどり続ければ、有名人の誰かには当たりそう。
でも、たどる事が出来ない人がほとんどだから。
この手の話は意味が無い。
認識できなかったら意味ないからね
古文書とか伝わっている意味を考えるとまた別の側面が見えてくる
423 :
日本@名無史さん:2013/08/28(水) 11:46:28.32
江戸期に庶民でも墓はもちろんあるよ。みんなある。
「石の墓石」は一部の上層だけ。
おれんとこじゃ、幕末以前に墓石があるのは、うちの一族だけだな。
石はなくても、50年くらい前なら誰の墓かオレでも分かるよ。
親世代なら100年前でも分かりそうだ。
>>424 屋根付き小窓付きの石は燈籠ではないのか
一枚目下から三つ目の丸の「皈」は「帰」の異体字で字を直すと「帰元」
意味はごく大雑把に言えば「故」
鵮の異体字のような気もするけどよくわからん
三枚目の歿年月日の上の漢字一字は合祀の墓石にはたまにある記号
戒名や俗名の頭文字を書いておいて命日と故人の対応関係をわかりやすくしてるだけだと思うよ
>>412 行政書士が職権で、家系図調の理由でそれをやったら罰せられる法律になってる。
自分も祖父の兄の戸籍がどうしてもほしくて、そこは傍系になるから直系子孫の自分でもだめだったから、行政書士に頼んだら上記理由で駄目だと。
財産分与とか相続人を探すための理由では、専門家が他人の戸籍浚うのはよいらしい。
直系子孫の自分
↓
(訂正)直系子孫ではない自
壬申戸籍もそうだけど
廃棄扱いの戸籍もどうにかならないものか
>>424 直江兼続とか越後の戦国武将の墓って家みたいな墓あるよなぁ。
二つ目のやつのの文字の一つが「潟」のようにも見えたけど。
左側がよく分からんけど。
>>425 おお、早い回答ありがとうございます!
家っぽい墓?は線香を供えたりするので子供の頃は神様の家だと思っていました
一番上の○のついた家ではこれと普通の灯篭があるので灯篭とは別の何かだと
思います。でも墓にしては戒名とか書いて無いんですよ
「帰元」…ググったら出てきました。謎が解けてスッキリ!ついでに「一 實 善」もスッキリ!
「鵮」…[動](鳥が)嘴でついばむ。ち、鳥葬?諏訪でそんな文化が!?
探してもこんな字無いですよね。何なんだろう
>>429 情報ありがとうございます!
直江兼続の墓、似てますね。寺に米沢藩の人の墓があるので、もしかしてその影響かも?
うーん、戒名の上の字「潟」にも似てますね。謎だ…
>>430 スッキリ!されると気分がいいなw
燈籠には線香手向けないよなあ
あと燈籠なら横か後ろから燈火を入れるだけの窓が無いとおかしんだよね
左右や後ろは穴あるの?
氏神の祠とかかな
中に何やら御神体みたいのが入ってたりはしないの?
鵮かどうかは分からないけどね
多分「帰元」とか「空」とか梵字の類で
深い意味は無い飾りの字だとは思うんだけど…
「烏八臼」ですよ。
特に曹洞宗や浄土宗に多い。
意味は諸説あるが「帰空」的な使い方じゃないかな。
あと地域的なものか信州では書き順で「八臼烏」になってる場合もあるとか。
諏訪なのでまさにそれじゃないかとw
435 :
424:2013/08/28(水) 19:02:33.78
>>432 ありがとうございますw左右に穴は無かったです。後ろは多分、無かったと思います
小さくて足元にあるので中に何か入っているかは見たことがありません
ちなみに氏神の祠は別の場所に小さい木造のがあって何故か御柱が建っていますw
>>433 おお、ありがとうございます!「烏八臼」でググると出てきました
家のは「烏八臼」と「烏八旧」ですね。皆さん博識で恐れ入ります
>>435 さすが諏訪w氏神も御柱かよww
てことは氏神でもないのか
最近でも造ってる風だから素直に年寄や石屋にでも聞けば分かるだろうね
平民の苗字のことだけどさ (あった派なかった派が定期的にここに出るけど)
最近よんだ柳田国男の本に書いてたんだけどさ
明治時代に平民も苗字OKにしたとき
政府は、「平民も皆、苗字をもってるだろう」って思っていたんだって
ところがふたをあけてみたら、ない人もいて、そういう人は慌てて付けたらしい
つまりもともとはあったのを禁じて、禁じているうち忘れちゃった人も結構あったんだなって。
なんか、なるほどーっておもったわ
ところでうちは先祖で内縁夫らしき人がファーストネームしか分からなくて
その人の身元が分かんないんだけど
戸籍(には名前が出てこない)や過去帳(敷居が高すぎる)に頼ることなく
これを知る方法ってないでしょうか
>>437 だいたいあってる
>>438 もうちょい情報を出してもらえないかね
いつぐらいに死んだ人とか
その内縁夫の子供もあなたの先祖なんだろうが認知はされなかったということか
440 :
424:2013/08/28(水) 21:13:38.50
>>436 ですねw素直に事情を知っていそうな人に聞いてみますw
直江兼続とかの墓との類似性も気になるんで調べてみます
いろいろありがとうございました。聞いて良かったです
>>439 内縁夫が亡くなったのは江戸時代 1850年代
未亡人が子ども(先祖、ひいひい・・・じいさん)を産んだけどその子は
亡くなった前夫の子として戸籍に入れられて
実の親(内縁夫と思われる)は戸籍に出てこない
でもその人のお位牌が残ってて、そこに子供の親と書かれてあるわけ
不思議だわ〜
ちなみに身分はごく普通の農家
子どもができたのは前夫が亡くなって数年後だから時期的にも別に問題なさそうなのに
>>442 前夫
┣───■
未亡人 ↑
┣━━━■
内縁夫
ってこと?
家の相続の関係じゃないの?
前夫との間に子が居なくて、養子も取れなかった場合、相続できないわけだし。
かといって血縁関係がなければ、死後養子として家を継ぐことも出来ない。
つまり、実の子にしちゃえ、ってことじゃないかね。
まあ、想像だけど。
>>442 その未亡人は嫁いできた人でしょ?
ちょっと逸れるけど前夫と未亡人との間には子供いたのかしら
息子が死んで嫁が男を作っても素直には迎え入れられないよね
家付きなら舅姑に嫌われていたんのかなあ
農村でも案外いろんな階層があったりするからね
墓石は無いのかな
戒名から見て未亡人や前夫と同じ宗派かな
敷居が高くても過去帳を見せてもらえるかどうか確認した方がいいだろうけど
後は子孫の中に話を伝えている人が居るかもしれないという希望くらいしかないかな
>>443 444 ありがとう
未亡人は嫁いできた人です
前夫との間にできた息子も早く亡くなったので
未亡人が次の彼氏と作った男の子が家を継いだようです
お舅さんはもっと前に亡くなってるのでお姑さんに気兼ねしたのでしょうかね
墓石はなくなってしまいました
戒名はわかりません
昔のことですし私個人は内縁夫どこの人かしらと気軽に思うのですけど
こんなこと親戚が嫌がるので聞いて回ったりはできないんですよね
>>445 位牌には戒名無いか…
神道祭ではなくて只俗名が書いてあるだけみたいな感じかな
親類には聞けない雰囲気なら尚更過去帳にチャレンジした方がいいよ
うかうかしてると俺みたいに寺が火事になって一生後悔することになるかもよw
江戸末期〜明治初めの頃の当主の墓二基が何故かない。
ちなみに位牌はある。
墓があるけど、位牌が無いって話は聞くことあるけど、その逆って
ありえるのかなぁ。
>>447 単に金が無かったんでは?
むしろ墓石が無くても位牌が有る方が普通だと思うわ
>>437 >ところがふたをあけてみたら、ない人もいて
そういう人は殆どいなくて、いても大都市に住んでいた町人類が多いみたいだね
田舎の場合、戦国期に名乗っていた苗字(実は村の名前をそのまま苗字にとかってのも多いらしいが)が伝わってて
それをそのまま公称すれば良いだけなので、忘れるとか忘れないとかという次元ではなかったらしい
そもそも田舎は血縁が濃く、親戚が近場に固まって住んでるし、様々なイベントで苗字を名乗る事もあったから忘れるわけがない
私称は全然OKだったからね
名乗らない事で忘れるというケースは稀だったようだよ
>>449 我が家もなんでもない農民だったけど
墓石には平気で苗字が刻んであったしな
>>448 一応補足しておきますが、村でも有数の豪農ですよ。
江戸中期には4代にもわたって庄屋してますし。
不思議だな
>>451 そうかい不思議だね
別の場所にあるとかでもないだろうし
領内に薄葬のお触れでも出て石を立てられなかったとか?
454 :
日本@名無史さん:2013/08/29(木) 02:49:10.07
アベノミクスによる株高で大儲けして成金になったんで
家柄に箔を付けるために、お金で系図を買い取りたいから
オススメの系図屋ってどこよ?
>>455 茶を噴いたw
失礼ながら「田中」なんてありふれた姓では有難味がない
457 :
日本@名無史さん:2013/08/29(木) 05:15:10.36
>>454 家系図作ったよ
カエサル ━ (不明) ━ 高祖父 ━ 曾祖父 ━ 祖父 ━ 父 ━
>>454
>>449 >田舎の場合、戦国期に名乗っていた苗字(実は村の名前をそのまま苗字にとかってのも多いらしいが)が伝わってて
>それをそのまま公称すれば良いだけなので、忘れるとか忘れないとかという次元ではなかったらしい
その話は信じられない。
都会だろうが田舎だろうが苗字の無い人は一定数いたと思われる。
田舎で代々小作人の家系とか苗字が無い人もいたのでは?
俺の先祖は田舎の外様大名の直臣で士族だったけど、曽祖父の代に明治維新になった。
すべての人が姓を持てるようになった訳だが、俺の家に仕えていた人たちの中には
姓が無い人もいた。曽祖父は今まで仕えてくれた感謝もこめて自分の姓を名乗る事を許したよ。
その人たちの子孫は、今でも親族ではないけど当家の苗字を名乗ってるよ。
俺の祖父の葬儀のときも参列してくれたよ。
先祖代々仕えた殿様の子孫が亡くなったと聞いて駆けつけたとの事。
>>458 >その話は信じられない。
>田舎で代々小作人の家系とか苗字が無い人もいたのでは?
お前はもうウザいだけだから黙ってろって
兵農未分離の場合、農民もいくさに駆り立てられたわけで、その際には苗字を名乗る必要があるだろ?
それで苗字がない場合には村の名前を苗字代わりにして名乗った
その代々小作人の家系とやらだって、戦国時代には農兵としていくさに参加してれば、普通に苗字持ってるだろ
いい加減、ウソかホントか知らないが、特殊な例外的ケースを持ち出してそれが一般的だったかのような出鱈目を書くのはやめろ
460 :
日本@名無史さん:2013/08/29(木) 07:37:57.91
同意。
下役が上役から下贈されて、名字を変更したってだけの、単なる一部例でしょ。
>>456 田中ほどじゃないが、うちも上の方にある苗字だぜ。
少なくとも440年は使っている。
つまり、特別有名な戦国武将ではありません。
藤原さんって本来の苗字としてはとっくの昔に無くなってるよね。
463 :
日本@名無史さん:2013/08/29(木) 08:19:40.00
藤原とか源とか平とか橘とか菅原とか大江とか紀とか蘇我とか
小野とか物部とか穂積とか中臣とか伴とかは名字ではなくて本姓
足利とか斯波とか吉良とか畠山とか渋川とか今川とか新田とか
岩松とか細川とか一色とか徳川とか松平とか織田とか近衛とかが名字
>>463 それは知ってる。
うちの家も藤原を本姓としてるから。
まあ、藤原氏の子孫では無いだろうが。
つか、書いておいてなんだが、姓の話はやめようぜ。
どうせ決着つかないんだし。
465 :
日本@名無史さん:2013/08/29(木) 21:22:14.27
オレの実家はかなりの田舎なんだが、近くに城山って小さい山があって、戦国期
には小さい城があったらしい。その城主の子孫が今も住んでるが普通の百姓だ。
もっと大きい殿様が戦に敗れて、勝った殿様の軍門に降ったと書いてあるらしい。
城主がいるんだから部下もいただろ。じゃあ誰なんだって思うと、今住んで
いる人たちのご先祖としか思えない。うちも含めて。よそから人を雇うって
ありえんし。
戦国時代って野武士やら山賊やらいるし、村が領主を先頭に武装して自衛してたんだろうな。
強い殿様の支配に入るってことは、ある程度安全が保証されたんだろ。
その代わり、大きな戦になれば戦士や人を出すって。
江戸期にはその家は落ちぶれたのか、別の家が庄屋とか土地持ちになってる。
それも固定した家がじゃなくて、いろいろ変わってるっぽい。
誰だったかの本に、近畿や先進地域は栄枯盛衰が激しいと書いてた。
東北は割りと固定していたらしいけどな。
戦国の終わり頃、火事になった神社を再興するのに小さな城主が筆頭人になり、
寄付した奉賛者の名前が残ってるが、みんな苗字があるし、今も子孫が
住んでいる。もちろん江戸期は「百姓」だ。
うちのご先祖さんたちは、苗字を名乗って戦に行ったんだろう。江戸になり、
武器をとる必要がなくなり、武器を捨てた。
それ以前に、どこから来たかは分からないが、古くから住んでるかもしれない。
近畿なら、こんな村も結構多いんじゃないかな。
柳田国男「家名小論」興味あるひとは読んでみて
どこの村に住んでたとか誰に仕えてたとか、苗字禁止以前には皆が意識していたけど
苗字を禁止されて、その後別の家に仕えたりする過程で忘れられることがあったとか
明治時代以前は、今ほど苗字が固定されてなくて何かの拍子に簡単に変えていたとか
結構おもしろかったよ
>>458のような考え方は社会の教科書に出てきそうだね
お上の建前というやつ
明治維新当時、小作人で苗字がなかったとしてもそのまえはどうだったのか
とかは考えないの?
>>467 分からない時点であったかどうかも分からない。
つまり、その存在(苗字)を確認できない以上、それは無いという事じゃね?
分かることは誰だかわからないが先祖は確実に居るってことだ。
子供だけはいきなり現れるもんじゃないからな。
>>467 >俺の先祖は田舎の外様大名の「直臣で士族」だったけど
>曽祖父は今まで仕えてくれた感謝もこめて自分の姓を名乗る事を「許したよ」
なんかこのへんとか香ばしいよなw
時代劇に出てくるような百姓を無意識に下に見てる士分w
もちろん江戸以前にすべての人が苗字を持っていたとは思わんが
江戸の身分制度の中で苗字が忘れ去られた家が多いのも事実だよ
江戸時代に藩士だからって別に偉いとも思わん。
極端な例を言えば、
小早川秀秋のような生き残り方をして生き残った大名の藩士の子孫なんかより
それが帰農してさらに没落した家だとしても大谷吉継の家臣の子孫であるほうが
何百倍もうらやましいわ
>>465 田舎だと敗れて城の近くに居住したまま現代までという元城主の家系とかあるよね
ちなみに「小さな城主」ってググれば出てくるぐらいの御方?
>>466 民俗学のアプローチからか、おもしろそうだね。
でも「家名小考」じゃなくて?
>>468 465さんが書いてる
>>戦国の終わり頃、火事になった神社を再興するのに小さな城主が筆頭人になり、
>>寄付した奉賛者の名前が残ってるが、みんな苗字があるし、今も子孫が
>>住んでいる。もちろん江戸期は「百姓」だ。
というのが参考になるかと
苗字の公称が禁じられていただけで、私称は禁じられてなかったわけだから、苗字は事あるごとに名乗られていた
名乗らずに忘れてしまったという話自体が、どちらかというとフィクション臭い
>>469 >江戸の身分制度の中で苗字が忘れ去られた家が多いのも事実だよ
この件なら前にさんざんやったじゃん
また掘り返すの?
>11 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:56:50.16
>長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を
>持っている。
もう流石に諄いです
とっくの昔に決着のついた話なんだから
>>471 どうした?w
実生活がうまくいってないのか?w
どうでもいいが、姓の話はやめろ。
先祖に姓が分からないやつが暴れるから。
余所でやれ。
苗字でポン!って知ってる?
>>473 草生やして煽るなカス運営
お前はさっさと事態に収拾に当たってろ
うちはひい祖母さんの私生児から続く新しい家系なんだけど、男系の先祖の方の家がわかったので
そちらを先祖として祀りたい。苗字もそっちを名乗りたい。畏れ多いだろうか。
>>459 君の主張のほうが不自然だね。
姓を持たない層は一定層いただろう。
田舎は武士と農民だけで、しかも戦国時代から姓を
受け継いできた農民で構成されてるなんて不自然極まりない。
子供でも「そんなこと無いでしょ」と思うだろ。
>>471 特殊な一例だけ出されてもな。
その地域はたまたまそうだっただけとしか思えないわ。
>>469 君が、捻くれた僻み根性の持ち主という事だけは解かるわ(笑)
ある層だけ姓を持たないという方が不自然じゃないか?
仮に農民に苗字があったとしたら自尊心かなんか傷つくの?
484 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 06:27:01.81
農民のふりをしていたが実は高貴な存在。それが小石一族の秘密だ。
証拠は無いが姓があったはずだ。
明治の時には忘れ去られたが、きっと姓はあったはずだ。
昔はきっと偉い人が先祖だったんだ。だから、姓を持ってたはずだ。
世の中には記録ってもんがあってだな、だから歴史が分かるようになってんだ。
記録無いなら、黙ってろ。
いい加減うざい。
その言葉そっくりそのまま返す
>>485 それはそうだが没落したり
あまり自家の歴史に関心がない世代で廃棄したりして
古文書が残っていない場合も多くあるのは事実
もちろん残っていないから証明することが出来ないが
古文書が残っていないような家は江戸期に苗字を持たなかったと言うのは暴論
古文書がなくても地理的、家伝、周辺の旧家の言い伝えなど
状況証拠的なものでほぼ確定できる元城主や土豪の子孫の例などいくらでもあるわ
>>478>>479 お前本当に人間の屑だな
>14 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 21:22:01.44 11 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:56:50.16
>長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を
>持っている。
>
>15 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 21:41:13.17
>>14 >洞富雄(庶民もほとんど苗字を持っていたと最初に主張)の「江戸時代の一般庶民は果たして苗字を持たなかったか」を読んだけれど、
>これってひどく強引で雑な論法だ。
>
>洞が示す根拠:
>・長野県坂北村の碩水寺の奉加帳にはみな苗字が書いてある。(幕府直轄領)
>・自分(洞)が住んでいる江古田も幕府の直轄地もしくは幕臣の給地で、ここの
> 氷川神社の1846年の造営奉納取立帳にはみな苗字がある。
>
>天領の百姓に苗字があるのは太田亮が指摘している通りだと洞も認めている。
>しかし、洞は次のように展開する。
>
>「しかし松本市のヤマト屋書店で所蔵している富士山御師が南安曇郡の三十三ヶ村
>の講中を列記した名簿にはほとんど苗字がある。これは、苗字の禁制が寛やか
>であったためかどうか知らないが、とにかく大名領(松本藩)でも苗字の私称が全般的 に行われていたことを示す、一つの好資料である。
>↓
>これは中信地方だけの風習ではなく、信州全般に行われていたものであり、さらに
>信州だけでなく、全国的に見られた一般的事象であったと考えてよいかと思う。」
>
>おいおい。
>>473で草生やして煽ろうとし、運営とばれて失敗したら、同じ手法で蒸し返しの再会とかいい加減にしとけよ
プロ固定=運営は二度と書き込むな
489 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 15:31:30.49
都市が広く全国に広がったのは戦国の終わりから江戸初期。
それ以前は京都の都以外では、大きなお寺の門前町と港町くらいか。
ほとんどが村に住んでいたわけだ。江戸時代になり、城下町が出来、出稼ぎや
奉公に行き、そのままそこに居着いたひとも増えたんだろ。
城下町や港町はよそ者がほとんどだろうけど、「村」で自分の家の出地が
分からないって、考えにくいな。
ま、「苗字帯刀を許された由緒ある武士の子孫」ってことに誇りを持ちたいのは
分かるけど、「百姓」を見下すってのもどうかと思うな。
下級武士よりも帰農した豪農とかのほうが由緒の点でも経済的な点でも上だった
ことは間違いないんだから。
お国替えで突然違う領地に飛ばされ、それでも納税他が滞りなく進んでいる
ということを見ても、村がかなり自立し、村独自の自治があり、村を運営して
いく能力がある層がたくさんいたわけだ。
そんな村に、昔から住んでいるのに、先祖の出路も分からない、文字も読めない、
苗字もろくに無い水呑百姓がほとんどだったと考えるのは、お話の世界だ。
名族だろうがなんだろうが苗字はかっこいい方が良いよな
もし俺の苗字が野田なら泣くわ…
全国の野田さんごめんなさい
先祖がどうあれ記録を辿れて認識できることに価値がある
歴史は一代ではつくれないからね
>>489 >下級武士よりも帰農した豪農とかのほうが由緒の点でも経済的な点でも上だった
まさにこれだな
苗字でポン!つながらない
>>493 NTTに登録していればな。
それにあの情報は古い(なんせ20年以上前に死んだはずの爺さんが載ってる)
から、今はどうなのかはさっぱり分からない。
まあ、楽しむ分には良いサイト。
時間つぶしにもなる。
>>490 何をもってかっこいいのかは個人の主観だろ。
野田がかっこいいと思うやつもいるだろう。
知らんけど。
Mr. NODA
昔の金が出てきた
ググったら寛永通宝と渡来銭らしいんだが、時代背景的に何かのヒントになる?
ちなみに家は江戸時代から続く生粋の百姓
>>499 渡来銭つったって色々あるし
どっからどのように出てきたのかも分からないのに
何がどうヒントになるのかなんて答えようがないだろ
一体何を聞きたいんだよ皆エスパーじゃないんだぞ
一般的に言えば古銭が数枚出てきたところで先祖探しの役に立つとは思わん
永楽銭なんぞケニアからも出てくるしな
503 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 22:37:31.94
ここで明治の先祖探しをしてる人たちは、曾祖父さんの代かそれ以前に都会へ出てる
んだろうなあ。都会というか稼げる所というか。
おれの先祖の1人は、明治のはじめ頃下関へ行ったらしい。
石炭で一旗揚げようとしたんだな。
うちは出てないな
てかずっと都会のそばに住んでる
505 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 23:08:07.13
俺は
>>473だがなんで俺は運営になってるんだ?w
>>488は一体誰と・・・何と闘ってるんだ?w
>>480 なんで僻みと感じるの?
もしかしてレスされた本人の香ばしい「士分」さん?
自己都合の脳内思考しかできないようだから教えるけど僻みじゃないよw
あくまで例で
落ち度も無い主家を裏切って生き残った家の藩士よりも
大勢に逆らった主家に殉じて滅びた家(江戸期には百姓でも)の子孫のほうが
個人的にはカッケー、うらやましいと思っているだけ。
「俺が士分だから妬んでいるだろう?(ドヤッ」って言うなら
俺の家は江戸期を通じて某藩の家老を勤めさせてもらっていた(約1万3000石)
戦国期の当主はある有名武将を討ち取っているし。
だから
>>458の某藩の直臣(家格は?石高は?)の子孫を「僻み、妬む」必要なんてないわw
俺の知り合いに島津の退き口の生還者の子孫(江戸期は百姓)がいるが
個人的にはそっちのほうがカッケーと思うよ
つくづく思うに日本人の歴史の見方は支配者階級に都合よく偏り過ぎてる
江戸時代以前の百姓は苗字もなく無知で貧乏で田舎者で訛ってる
戦前はみんな戦争賛成で軍国主義
歴史学者の間でも農民の人口に占める割合って意見がわかれているじゃない
建前が幅をきかせすぎたせいなのか事実が凄く分かりにくくなっているよね
でもさ先祖探しで家族の歴史を学ぶと全然違うように見えてきて本当に面白いね
自分は最近やっと歴史が面白いと思うようになった
不思議なんだけど、先祖探しと苗字ってすごく関連性のある話題なのにさ
妙に荒れたり隔離されるのは何でなの?
どこらへんが誰にとって都合が悪いのか教えてくれるとありがたいよ
>>508 >江戸時代以前の百姓は苗字もなく無知で貧乏で田舎者で訛ってる
>戦前はみんな戦争賛成で軍国主義
いまどきっていうか過去にもそんなこと言われてたのか?
>>509 都合が良い悪いとかじゃなくて偏執狂が粘着して荒らすのなら隔離されてしかるべき
>>508 逆というか何というか
日本人の歴史の見方は左に傾きすぎてる
>>509 先祖を調べるのに、明治期に姓が無かったけどその前はあっただの。
ここのスレとは関係ない話に粘着するから。
ここは「先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ」ですから。
明治期に姓がなかった?
>>514 そうやって人の言葉の揚げ足とって粘着して楽しいかい?
いやマジレス
明治期には旧来の姓も氏も名字も廃止されて
戸籍上の氏になったわけだから間違いではないな
何れにしてもうざいだけだから去ってくれよ
そうだ去ってくれ
>>510 学校教育、特に小中の社会科では武士以外に苗字がなかったと教えてるね
戦前もそういう教育をやってたという話を聞いた事がある
理由は簡単で、江戸時代をより酷く描く事で、明治体制の正当性を強める政治的意図があったとかなんとか
まあその流れが戦後も続いてるって事のようだ
スレ違いのネタなんでこの話はこれで終わりにするけど
平凡な苗字ばかにする人もわかんないなー
俺んちの今の苗字はシャチハタ特注するような希少&字面読みは歴史小説家みたいなんだけど、
先祖探しでわかった本来の苗字は「青木」。これに改名したい思ってるんだが。
藤原さんがディスられた気がする
それより左翼の階級闘争史観の影響だろう
>>520 どんな姓かは知らないが、本気で変えたいと思うなら家庭裁判所に相談したら
いいんじゃない?
単に変えたいだけじゃ駄目だろうけど、ちゃんとした理由があってその「青木」
という姓を元々使っていたという証拠を出せるなら、行けるかもしれない。
無理でしょ
ただ、姓を変えれたとしても、国、地方公共団体関係に変更届けが必要に
なるから面倒。
更に口座とか民間関係の変更もしようと思うなら、更に面倒(任意)
527 :
日本@名無史さん:2013/08/31(土) 07:09:59.84
平安の国司、鎌倉の守護・地頭クラスで江戸期に大名として残っている家って
ほとんどないからな。子孫がみんな死に絶えたはずはないから、どっかで
生き残ってるだろ。
源氏って繁殖力がすごく強い気がする。
海部氏系図
うちの家の墓には、直立して両手を胸の位置で合わせているお坊さんのような
像が彫られている墓が結構あるのだが、これってなんなんだろう。
女性の墓とも思ったが、一個だけ信士になってるものもあるから、そういう
わけでもないんだろうし。
531 :
日本@名無史さん:2013/08/31(土) 23:53:58.50
フツーに未成年の墓だろ
532 :
日本@名無史さん:2013/09/01(日) 00:05:43.06
千葉介平常胤朝臣
533 :
日本@名無史さん:2013/09/01(日) 00:20:02.79
新皇を称した房総平氏の平将門が平氏仮冒とかありえんな
534 :
日本@名無史さん:2013/09/01(日) 00:25:57.22
上総氏って関東の平氏の実質嫡流だろ仮冒とかありえねーな
嫡流は国香流
平氏は血族だけでなく一門までが平氏と名乗ったとどっかで見た記憶がある。
ホントかどうかは知らんが。
>>531 信士という位号もあるし、出家した者にしか与えられない位号がある墓もある。
そういうのが無ければ、俺も未成年者の墓だと断定するがね。
>>536 まずはおまえさんがどっかで見たかどうかをホントかどうか確認しないとな
どうも。
>>172です。
高祖父が東京へ移ってきた可能性に光を見出して、
高祖母の実家の除籍を取り寄せてみたのですが、
あまりに古すぎて残っていなかったようです。
何とか本家の方に連絡を取って、少しでも情報を聞きたいものです。
歴史的悪人だったり、悪政をした奴の子孫も恐らくキチガイだと思う
>>541 じゃあ、あんたの先祖はそういうことがあっても何もせずに、
裏でこそこそと悪口を言ってたんだろうな。
>>542 というか歴史的悪人や悪政をした暴君の血を引かない人を探す事の方が難しいかと
下剋上というと戦国時代の特徴のように言われるけど、社会の変化に伴う没落と新興勢力の台頭は
平安期や鎌倉期、南北朝期にも見られるわけで、為政者の家系が没落し、平民になってるケースは多々ある
現代を生きる日本人の多くは、そういう人達の血をひいてるわけだからね
俺は家系研究が好きなもんで
骨董屋や古書店などで「これは」と思う系図や先祖覚書の類を買ってる。
ほどんどが「これはひどいw」って感じの仮冒なんだが、なかにはおもしろいものもある。
買ったものでおもしろかったものは
鍋島報效会所蔵「龍造寺系図」の江戸期の写しがあって
これは佐賀藩にいた龍造寺分家のことが詳細に書かれている。
鍋島報效会本との詳細な違いは比較できないが
すべての女性の嫁ぎ先まで書かれているので婚姻関係がわかっておもしろい
あと鍋島報效会本よりも詳細な龍造寺分家の某家の書き込みがあるので
もしかしたら手持ちのものはこの某家に伝わったものか、その某家本が原本かも。
他にも帰農した美濃土岐氏系某家の系図について。
一族の内訌で土岐政房に討たれた弟・土岐元頼ってのがいるんだが
同じ兄弟に六角高頼の猶子になった兄がいる
この人は諱不明でその最後も不明らしいのだが
詳細に書かれた手持ちの系図には「尚頼 佐良木三郎」という諱と
「與同元頼於城田寺生害」というのがあるので元頼と共に兄・政房に討たれたのだろう。
もちろんこれを全面的に信じるわけじゃないけど現存史料からでは確かめる術がない。
あと小早川秀秋に仕えた中級武士の先祖覚書もおもしろかった。
朝鮮出兵や関ヶ原、改易の顛末などかなり詳細に書かれていた。
結局帰農したみたいだが。
545 :
日本@名無史さん:2013/09/02(月) 14:03:17.77
土岐と六角か面白いね。
美濃河野氏と六角は、織田信長との関連でつながってる家があるでしょ。
546 :
日本@名無史さん:2013/09/02(月) 14:07:43.36
思い出した。たしか鯰江氏だ。
長文連投スマンが
うちは某守護大名の分家筋で主家は滅んだが
その血筋のせいか江戸期は大庄屋として続いていた。うちに自家の分は別として
慶長年間からの人別帳はじめ各種覚書など(原本無しの写しもあるが)
古地図、近隣の寺が廃寺の際に譲られた古文書や宗門改め帳などが多くある。
俺は日本史好きの家系研究マニアなんで
それらの文献を照らし合わたり、複数の寺の古文書も昔からの付き合いで書写させてもらったし
古い墓石なども含めて村々の家系を勝手にいろいろ調べているけど
近所で噂を聞いたのか今まで4人ほど他所から先祖調査にやってきた方がいたね。
その全員が俺の調査済みだった家の子孫の方で、みんな詳細がわかって感動してた。
先祖がうちの家臣だったり、同僚だったりだけど
その方たちが喜んでいる顔を見ると我が事のように俺も嬉しい。
で先祖たちのことや村々の歴史などいろいろ話したり
相手の時間が許せば車で各所を案内したり。渡した先祖に関わる書類のコピーを見せながら
「あちらの家は○○さんのご先祖のこの人と、この人の娘が嫁いだ先だから遠縁になりますよ」
などと言うとみんな目を少年のようにキラキラさせてw
あと、せっかくわざわざ来てもらったのだから土地のうまいものをおごってたりして。
全国こんな感じならいいと思うが実際は
自家を誇るばかりでまわりの地域の家の歴史には興味のない旧家も多いし
庄屋の子孫には嫌な性格の人間がけっこういるとも聞くし(小金持ちが多いせい?)。
俺は自家の歴史はもちろんだがその地域の歴史的な「流れ」のほうが
広がりがあっておもしろい。
そんなこんなで40代だがすっかり「古老」扱いされてます。
地域の大家系図とか作れたら面白いなと思うけど
やっぱ難しいのかな?
>>547 公家・武家→庄屋・廻船問屋・呉服問屋→漁業・農業って家系は、元皇統氏族が多いのも史実だよね。
社家は、寺の坊主と同じで社家のまま続いてる家多い様だけど
分家は、公家や武家と同じく、庄屋・呉服問屋とか多いような気がする。
江戸時代の戦の無い時代に分派していった家は、浪人化し、平民・帰農したのだろう。
その時に、家系図を手放して家が多いと良く時代劇で使われるエピソードたね。
>>551もとい
その時に、家系図を手放してた家が多いと聞く・・良く時代劇で使われるエピソードだね。
坂本龍馬の親父さんが、家系図転売業者から買ってたのは、アニメの「おーいっ!竜馬」にも、そんなシーンがある。
>>555レスありがと。曾祖母の婿養子に来た人が龍造寺ゆかりの人だったので。
>>556 役に立たずスマンね。
一応保管に気をつけてるんですぐには取り出せないんだが
「中村氏」という分家は記憶にない。
あと明和年間までで記録は止まってるし。
曾祖母の婿養子さんの実家が龍造寺ゆかりの中村姓だったの?
分家で中村氏って聞いたことないな。
橘姓渋江氏の分家で、千葉家の家宰だった中村氏なら有名だけど。
子孫は武雄鍋島家(後藤家)に仕えている。
龍造寺隆信の三男・家信が後藤家に養子に来ているし
その家臣である中村氏なら「ゆかり」があるといえばあるが
それは「なんらかの関わりがあった」というぐらいの広い意味であって
「龍造寺ゆかり」となると一族の子孫、または姻族じゃないと説明つかない。
仮冒か、もしくは武雄鍋島家に仕えた中村氏であるなら間違って伝わったのかと。
地侍の子孫参上!!
なんかようがある?
559 :
日本@名無史さん:2013/09/03(火) 06:04:34.46
やっぱ二度寝するおやすみなさい
明治31年式戸籍だと思うのですが、父母欄の下に長女とか二男とか書く欄がありますよね。
そこに塗抹の後があって、「□男」とか「□女」となっているのはどういう意味でしょうか?
□は抹消部分です。
>>560 たぶん庶子とか私生子とか書いてあったのを消したのだと思われ
562 :
560:2013/09/05(木) 14:09:11.94
なるほど合点しました。ありがとうございます。
塗りつぶしのある戸籍って自分は見たことないんだけど、あるんだね。
普通は線で何が消されたのかわかるし、わざわざ欄外で○字挿入とか抹消とか書いてあるもんだと。
564 :
日本@名無史さん:2013/09/05(木) 14:52:37.25
それはうそ。君の見ている戸籍も、平民や士族の欄のところとか
きれいに白く消されているから気が付かないだけ。
565 :
日本@名無史さん:2013/09/05(木) 14:55:35.26
あ、「それはうそ」というのは、「自分は見たことがないんだけど」に
対してだよ。念のため。
?
戦後の戸籍しか見たこと内なら、市区町村合併の訂正跡くらいしかついてないからねえ
568 :
日本@名無史さん:2013/09/05(木) 15:15:21.23
なにこのドヤ顔口調托イ
570 :
日本@名無史さん:2013/09/05(木) 15:45:35.09
ドヤ街のひと
571 :
日本@名無史さん:2013/09/05(木) 15:49:33.61
コピーできれいに白抜けになるように、修正液で消すのが戸籍課職員の暇なときの仕事
572 :
日本@名無史さん:2013/09/05(木) 22:27:29.47
>>547 それはすごい。古文書や宗門改帳が残ってるっていいね。
うちは本家に当たる家は江戸時代に没落し、後に家をたたんで満州へ行った。
我が家は何度か火事にあい、古い文書は残っていない。
近所に547のようなおじいさんがいて、町史を作るときにいろいろ調べたらしい。
でもあまり出てきてないから、火事とかで全部焼けちゃったんだろうな。
一族のうち文政期に庄屋だった家は焼き討ちにあったとかだしw
573 :
日本@名無史さん:2013/09/06(金) 18:57:36.71
547と殆ど似た家系の本家だけど女の私が嫁に出たので全て終わりになった。
父は末っ子で二人の兄は戦争に志願して独身のまま死んだので生きていれば家も残る可能性が広がってただろうけど。
元庄屋自らが志願せずしてどうすると2人逝った、その記録だけは靖国の祭神の記として私が持ってる。
膨大な家系図と古文書はすでに地元図書館に引き取られた。
婿は取らなかったのか
なんか嘘くさい話
全て終わりとか破産みたいに言うな
戦争に志願てなんだよ海軍に行ったのか
>>573の戦死された方が何歳かわからないけど
陸軍でも17歳以上だと志願で兵役につけたらしい
577 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 19:37:04.94
547と殆ど似た家系の本家
なんて言ってる割に具体的なことは何一つ書いてない
ガセだろ
戸籍を遡れるだけ取ったのだが
特定の家系に離婚復籍した者や父欄の記載がない者が集結している。
古今を問わずDQN家系は存在するのだな。
感慨深い。
年代物の五輪塔か宝篋印塔がある家って室町時代の武士ってこと?
580 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 08:44:06.94
元は庄屋で豪農だけど、没落して一家離散とか、大きな家があるけど維持する
経済力もないとか、栄枯盛衰があるからね。
いろいろ読んでたら、西日本と東日本は随分違いがあるってことが分かった。
教科書で書かれているようなのは、どっちかっていうと東だね。
武士こそが特権階級とか、本家が特出してえらいとか・・
教科書の書き手とか昔の文部官僚の実務派とか関東人ばっかりだったのかも
しれんなあ。
末子相続も多いし、長男家こそが本家ってのも当てはまらない西では
本家を大きな声で名乗るのって、武家くらいじゃないかな。
>>578 なんとなくイヤな感じになるよね。現代人の感覚で言うなとか、その時代ではありがちとか言われても。
うちはある系統の曾婆さんが十代で未婚のまま父親欄不明で祖母を産んですぐ死んでて。
どこかの若旦那に手籠めにされたか?まさか道端で朝鮮人に犯されたとかだったらどうしようと。自分の血に繋がってる人だから。
>>581 父親欄不明なんて、近親か認知しなかった、本当に分からないか、のいずれか。
田舎なら江戸時代でもない限り、最後はあり得ない。
都会なら知らんけど。
いつのことか知らないが、明治期くらいなら近親の可能性の方が高くないか?
うちはある系統を辿ると
母親欄と父親欄に同じ名前が載ってたりする
記載ミスか?
近親て親兄弟に?
うちの家の直系じゃないが、戸籍がこんな状態になってる。
■・・・男 ●・・・女 ね
■
┣━■
●━┻━■(戸籍上、親子間の子)
その後も子供は何人も生まれているから、記載誤りなら訂正されてるだろう。
この段階で●は50半ばの人で、子供を生める年齢ではない。
ちなみに、この段階では未婚の妹がいて、1年後に嫁に出ている。
可能性
1:兄妹間の子
2:妹の私生児を兄が実子として届け出た。
の何れかと思われ。
事実関係はともかく、この系統は現在でも続いて付き合いもあるし、
俺は何とも思ってないよ。
史実は知りたいと思う時はあるけどね。
587 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 22:27:01.44
そもそも昔の戸籍なんて間違いがいっぱいあるものらしいよ。
俺の曾祖母の一人は、太陽暦に替わったあとなのに2月31日の誕生記載だし。
役所で戸籍を直したりするときにも、写し間違いによる記載ミスなんてよくあるそうだ。
実際最高長寿者たちのことをネットで検索すれば、兄弟間で混同されてたり、出生年が途中で変わって
いたりするけど、これはこんな長寿にならなかったら顕在化しなかったわけだから。
近親姦を疑う前に記載の過誤を検討するべき
現代人が思う以上に戸籍の記載は正確ではないし
続柄の誤りは多い
西郷隆盛の名前とか有名だよね
父親の名前で届出されちゃったので以降は隆盛を名乗る羽目になったというw
祖父は出生届の提出が遅れたために本当は明治生まれなのに戸籍上は大正生まれになっていると言っていた
本当の誕生日はよくわからないと
私の家では苗字を書き間違えて数年後に訂正されていた。
生年月日を間違うと間違えに気づきにくいでしょうね。
592 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 18:31:49.93
うちは、菅(すげ)が管(くだ)になってるのがあってそのまま。
元首相や、現官房長官の名前を誤記している、今のにちゃん並み。
593 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 19:58:27.39
週末、わざわざ北海道から同じ字を書く苗字(読み違うが、字面は当地に特徴的な苗字)の方が家まで訪ねてきた。明治初期ごろ当地から渡ったとのこと。
ただ、家紋を伺うとどうやら家の親戚筋ではないようなので、その方と家紋が似ている(◎の有無みたいな感じで)同苗の一族の住んでいる地区を教えたのだが、
うまく何らかの手掛でも掴めたならよいのだが…
594 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 23:26:24.18
にちゃんて不便だよな
肝心の地名はむろんのこと、名字も家紋も書けないし。
親子で宗派の違う位牌があるのだが、これってありえるのかなぁ。
ちなみに、親は江戸末期の死亡、子は明治中期の死亡なんだけど。
現実から目を逸らしてはいけない
地名も名字も家紋も書いていいよ
598 :
日本@名無史さん:2013/09/11(水) 13:41:49.07
>>595 一家の中で、別のお寺が宗門という例は意外とある。
男女で分けたり、生まれた子を交互に宗門をわける場合がある。
その理由は、昔から付き合いのあるお寺と、完全に縁をきることを遠慮したなど。
599 :
593:2013/09/11(水) 23:31:40.93
菓子折キター!!
礼状に依れば、同じ読みをする家を見つけたとのこと。
なんかもうね、うちは全然見つからないのよ。これって先祖に拒否られてるとか、ご縁がないってことなのかな。
先祖探しのエピソードでは、結構オカルトティックな話も聞くのに。偶然重なりましたとか、まるでご先祖に導かれたように…とか。
>>598 サンクス。
今じゃ全然菩提寺とすら付き合いのないんだが、そんな時代もあったのか。
>>600 偶然が重なるなんて、そんなこと自体殆どないと思うけど。
うちも探してるものあるけど、既に2年経って、まだ見つかってない。
何探してるか知らないけど、数年やそこらで全部分かると思わない方がいい。
>>600 基本的に江戸末期・幕末の時点で本家だった家柄じゃないと、それ以上さかのぼるのは難しいと思う
うちは明治時代に引っ越してるが、一応、江戸時代の菩提寺はわかってる
分家の場合、まずは本家を探さないといけないし、江戸末期・幕末の時点で本家だった家柄に辿り着かない限り
そこより先を調べるのは難しい上、本家に江戸時代の菩提寺の事を知ってる人がいない場合、そこで断絶
603 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 10:45:06.62
>>600 すまん。先祖が見つからないってのはどういう状態なんだ?
除籍簿たどれば明治のはじめまではたどり着けると思うんだが。
空襲で焼けてるとしても、じいさんがどこ出身って聞いてないのか?
爺さんたち(もしくは曾祖父さん)が早くに死んで、聞いてないんならすまん。
それとも、明治までは分かったが、それ以前がわからんってことかな?
江戸より前がわからんってこと?
皇統系譜の話なのですが
奥州藤原氏とかが、藤原北家筋が血縁認めないとかって
時代時代で、朝敵悪党や結果、反政府的クーデター派に成った流派を尻尾切りで、系譜から断ってるケースだよね。
罪が流派全体に及ばないように、縁を断つ、一族で口裏合わせて、系図弄って、しらを切り通すって奴。
へたすると、一族が全員御家断絶で切腹や路頭に迷いかねない時代だったからね。
何が言いたいのか分からない上に先祖探しと関係無い
家の一族だと、秀吉の朝鮮出兵で独断先行の鎌島氏の一件で松浦波多氏が御家断絶・切腹の話だよね。
後の生き残ってる松浦波多氏の末代の系譜が今日まで、系譜分からないままだったのも、そう言う理由だろうしね。
松浦厨は絶滅してください
悪党とされたクーデター派の武家の末代も自称の系譜で××源氏とかで、その××源氏筋の人間からは、関係無いとされたままの家多いみたいで、
職場にも、そう言う家柄名家の人間居て、調べて納得した。
>>602>>603 明治初期の戸籍まで取りました。見つけ出した総本家が古文書ごと消えてた。
郷土史なんか見ると○○家文書とかが存在するらしいのに。過疎が進んだ村で墓も合同碑になってた。
>>610 どこか別の地に移ったか、それとも家が絶えたか
でもそこまでわかっているなら手がかりはあるはず
612 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 10:42:38.47
>>610 どこの地域か分からんけども、過疎化、廃村が早くに進んだ当地域でも、
廃村になった村は、江戸時代に分村した山村から進んでいる。
明治から昭和までの本家と親戚関係にある家が近くにないかなあ。もしくはお寺。
お寺もなくなっていても、近くの同宗派の別の寺が引き受けていたり
するかもしれない。
うちの本家も昭和に断絶して消えてるけど、すぐそばに分家一同が
住んでいて、歴史はそれなりに引き継いでるよ。
お寺が燃えて古い過去帳が無いって言われたんだけど、これって終了ですか?
614 :
日本@名無史さん:2013/09/19(木) 15:33:41.93
それ聞いちゃったら、終わりです。
それを聞かないようにしてから調べる方法は先行スレを調べること。
まず本当に燃えたか調べる所から始めよう
616 :
日本@名無史さん:2013/09/20(金) 14:30:43.67
厚生労働省だかどこだったか、国が、全国のお寺に対して、先祖調べという
理由で過去帳を見せてくれと行ってきた場合に、「見せないように」に指導しています。
だから、お寺に過去帳を見せてくれと聞きに行ってしまうのは絶対にだめです。
しかしお寺側で、その家の先祖のことを書き写して教えてくれることは可能ですので
それをいかに成功させるかが、先祖調べのテクニックの一つです。
617 :
日本@名無史さん:2013/09/20(金) 15:10:12.56
自由に見てくれと云う寺ってあるのか
普通に過去帳は見せないだろ
618 :
日本@名無史さん:2013/09/20(金) 15:10:47.85
>>575 分かる範囲書こうと思ったら書けるけど特定されてしまう。
それに来島村上関係だけど水軍はここでは嫌われてるようだし。
一歩違ったら海賊だし漂流民とかも言われそうだし。
海軍も陸軍も15歳から志願できたんですよ。
予科練とか特別幹部候補生とか。
619 :
日本@名無史さん:2013/09/21(土) 09:15:10.25
>>618 未だ何とか調べられて、末裔達が何の手掛かりもなくならない内に、
発起人になって同党の一族の会を立ち上げて、
その皆で調査に乗り出して成果を本にして出した方がいいね。
>>618 未成年で志願できたことくらい知ってるよ祖父がそうだったし
表現が変だろ普通は軍に志願したとか兵隊に志願したとかだろ
>>619 てか家伝の文書を図書館に寄贈したり少しでも書くと特定されるくらいの家系なら
今さら特に調査しなきゃいけないようなことって何さ
この女にそんな気があるなら寄贈される前に何かしてるはずだと思うがね
えっ?庶民は苗字がなかった(人もいた)のは事実でしょ。
全員 戦国時代から苗字を持ってたうんぬんと基地外が喚いていただけで。
すべての身分の人が苗字を持っていたという主張のほうが不自然。
明治の戸籍の本籍の、○○町○○番地(邸)などの記載から
今の住所を推測するにはどういった方法がありますか?
近隣のハローページで同じ名字を探すぐらいしか思いつきません。
お役所に訪ねるのは筋違いでしょうか?
坊主なんかは明治になっても姓を名乗らず、
「坊主は姓を名乗るように」というお達しまで出ていたと思う。
627 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 12:26:42.39
628 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 21:32:51.09
>>587 おい、新暦でも旧暦でも二月三十一日なんてないぞ
630 :
623:2013/09/27(金) 21:42:37.41
>>624 情報ありがとうございます。対象外の地域だったようで残念です。
>>629 やっぱりこういう質問は多いのですね。
尼崎市さんは親切だなあ。
全国の図書館でも同じようなサービスが受けられるなら利用したいです。
もう一つ質問です。
ご先祖が明治期に遠方へ転籍しているのですが、
転籍元の戸籍情報って役所的にはウラが取れているものなんでしょうか?
本人が適当にぶっちゃけても当時は確認が難しいのでは・・・・と疑問に思いました。
今で言う「転出届」「転入届」のような制度はあったのかしら。
>>630 誤植等はあるかもしれないが、内容は基本的に信頼できるかと。
転出・転入に関してなら、江戸時代ですらあったので(そういうことせずに
他の土地に行ったら宗門人帳に記載してもらえない)明治でも当然のように
あったと思うのだが。
あぶれ者ならやってないだろうけどね(それは今でもそう)
>>630 自己申告で済むなら戸籍制度なんて意味がない
633 :
630:2013/09/28(土) 20:24:20.90
そうなんですね!
ある程度信用できるということで、安心しました。
昔から結構しっかりしてたんですね〜
ありがとうございました。
ある程度というか基本的に信用できる
>>622 いい加減にしとけよゴミクズプロ固定
他人をキチガイ呼ばわりしてんじゃねえよ
真正のクズの分際で
「庶民は苗字を持っていなかった」と言ってるやつは奈良時代のことを言ってて、
「庶民も苗字を持っていた」と言ってるやつは江戸時代のことを言ってるんだろう。
637 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 20:22:14.23
>>635 基地外 乙!!
誹謗中傷はいけませんね(笑)
>>638 本気でプロ固定にはムカついてるんで消えてね
>誹謗中傷は
お前、自分から先に「気違い」と罵っておいて何言ってんだ?
全く面白くないんで二度と出てくんな
640って本当につける薬がねえなw
こんなもん反論できず中傷してるのまるわかりじゃねえか
ええい!庄屋!そのような話はどないでもよいでおじゃる
ささ、麿に酌をいたせ
>>641 なんだ 病院に行ってないのか。
早く行きなさい。
644 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:05:40.53
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__ 〆 ⌒ ヽ
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ヽ__| ヽ ヽ ノ 坐禅と見性第93章鮟鱇吊るし切り公案無分別っきり
ゝ _\ 二ノ
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) )
/ /
( く
\ ο
 ̄
>>622 苗字ってのはウヂやカバネと違って自分で名乗るか他人から呼ばれるかだろ。
持ってるのか持ってないのかすらあやふやじゃないか。
>>645 そう、あやふやなのに何故か
「田舎は武士と戦国時代に帰農した農家ばかりだから100%苗字を持ってた」
と主張している人がいてね。
それ以外の層の人たちもいたはずなんだけどね。
彼に君から言ってくれる?
647 :
日本@名無史さん:2013/10/04(金) 19:38:26.92
わかったから失せろ
648 :
日本@名無史さん:2013/10/04(金) 21:43:00.53
>>602 本家は武家レベルじゃないだろう。
うちは分家で江戸の墓はあるよ。
むしろ庄屋はばかにできないよ。公家もね。
争いは同レベルの者同士で行われるもの。
つまり、相手したら負け。
というか、関係ないこと書くなよ。
>>650 おれは頭悪い、道端で出合ったフィールズ賞学者に因縁つけて殴りあいになっても同レベルなのか?
>>651 相手も人間が出来ていないという意味では同レベル
江戸自体の庶民の大多数に苗字があったのは事実なんで、なかったと言ってる人は放っておけば良いか
そもそもここは先祖調べのスレであって、苗字の保有に関する議論はスレ違いだし
本当の名家、豪農なら
苗字は当然として本姓か諱が彫られてるはず
「苗字があった」の定義について質問なんだが、例えば○○村の出身であることを代々伝えていて明治になって正式に○○という苗字を名乗った場合は、苗字を持っていたことになるの?
村の名前と苗字が同じってこと?
>>654 その事とと、例の人物の言う
「田舎は武士と戦国時代に帰農した農家ばかりだから100%苗字を持ってた」
は別問題だよ。
んな事はないと言わないとね。
じゃあ戦国時代は庶民の大多数は名字を名乗ってたのか?
その証拠を出したまへ
>>656 ○○村の出身というのはいつの時代の話?
俺が調べたところによると、平安時代から鎌倉時代にかけての根拠地を
苗字としている家が多いようだ。
661 :
656:2013/10/06(日) 20:50:53.97
>>657 そうです
>>660 うちの場合は戦国時代から江戸初期と思われるんですがどうなんでしょ?
先祖の江戸時代の墓を見つけました。
没年は1800年代中旬で、正面に家紋と戒名、向かって右側面に没年、左側面に俗名(名字と名前)が彫られていました。
その後除籍を取り寄せたところ、どうも高祖父の父らしい事は分かったのですが、更に詳しく知りたいです。
除籍は曽祖父が戸主のものまでしか手に入りませんでした。高祖父が亡くなったのは明治の終わりなので、明治19年式戸籍に戸主として存在しそうなのですが、明治19年以前に家督を曽祖父に譲って分家しているせいか、手に入りませんでした。
更に調べるテクニックがあったら伝授をお願いします。
仏壇の過去帳には1700年代末に亡くなった方の「○○院○○○○大姉」という戒名もあるので、最終的にはそこまで辿りたいと思っています。
>>662 隠居して分家してるのは珍しいけど、それなら高祖父が戸主の除籍があるはずだね、滅失していなければ。
高祖父が生まれてから死ぬまでを追ってくれと、戸籍係へ指示したらいいんでないの。
自家の探索で詰まったら、母方や傍系を調べてみたり、
武士なら主家の史料を、農民なら地域の史料をあたるとか。
とりあえず話しやすい親戚からコンタクトをとって、自分より詳しい人や、色々聞き伝えている人が居るかどうか確かめる。
>>662 まあ、過去帳に続柄が書いてないんだろうけど、戸籍以外で確認しようと
思ったら系図か私記、もしくは寺の過去帳に載ってるか、かなぁ。
ただ、最古の人が1700年代末ってことだから、分家筋なのは間違いなさそう。
なもんで、その頃に分枝した一族を探すの一番だと思われ。
田舎なら今でも住んでるかもだけど、都会だったら厳しいかもしれない。
その辺は運しだいだろうねぇ。
662です。トンです。
戸主が曽祖父の除籍謄本に「明治十四年○月○日相続ス 父分家」とあり、曽祖父の母親欄にも「夫○○分家に際し携帯ス」とあります。
役所には他に除籍はないか確認しましたが、無いという返事でした。
再度、高祖父名が戸主の除籍を請求してみます。
明治19年以前の分家だから、無いのかなぁ
>>664 分家筋ですか・・・
嘉永年間の墓の家紋は折敷に三文字で、姓と一致します。
ただ、豊後臼杵、淀、館山からは離れており、どこからの分家と目星を付けて良いのやら・・・
名前でポンで調べてもその地域の同姓は5人しかおらず、聞き込む事も難しそうです。
お寺さんに聞いても「分かんねぇな」と煙たがられるし・・・。先に進めないです。
系図も私記も無いのですが、「昔、家族に綺麗な人がいて、籠に乗ってお嫁にいったそうだ」と高祖母から伯母が聞いているようです。
>>658 お前しつこいしうぜえ
他人が言ってない事を言った事にして煽る馬鹿プロ固定が他の板にいたが
あの馬鹿とお前、どうやら同一人物らしいな
言っとくが絶対に面が割れないと思い込んでるのはお前だけだからな
>>665 それは曽祖父が高祖父から分家したという意味ではないんだね?
なんで高祖父は曾祖父への継承後に分家したのか分かります?
明治19年以前の分家でも明治末年まで存命なら普通に存在するし
直系の先祖だから交付には何の問題もないはず
早い時期に分家先から更にどこかの戸籍へ移った可能性とか
異なる市町村に分家したのならそこの役場にはないかも
669 :
日本@名無史さん:2013/10/08(火) 06:55:53.22
牧野伸顕「はいはいどうせマイナーですよと」
80年廃棄じゃないの?
うちもそれで明治19年式は取れない
>>671 ああそうか忘れてたorz
廃棄前に相続とかで取得したものを誰かが残してないか確認だね。
>>668 高祖父の分家の理由は分りません。高祖父の妻は分家に携帯したのち、高祖父死亡に伴いふたたび曽祖父の戸籍に「復籍ス」となっています。
お聞きしたいのですが、戸主ではないこの「高祖父の妻」の名前で戸籍をたどるという事は出来るのでしょうか?
それが出来れば高祖父やその一代前もなにか分るのですが・・・
余談ですが、高祖父の娘の嫁ぎ先の親夫婦と、この高祖父夫婦は同居したという事も書いてあって、なんだか訳分かんないですw
>>673 わざわざ高祖父の妻と書くところを見ると曾祖父の母ではないのだね
そうすると直系の先祖ではないから取れないかも養子縁組してるならおk
祭祀の継承者ということで位牌を作るとか言って取ることはできるかも
理由はわからないけど跡を継いだ息子じゃなくて嫁いだ娘の所で暮らしてたわけね
さすがに娘の婚家の戸籍には入れず分家したということか
だとするとその娘の婚家の本籍地が曾祖父の本籍地と同じなのか違うのか
>>675 なんだ高祖母なのかい
戸主以外でも戸籍を追っかけることはできるからやってみれ
>>671だとしょうがないけど
>>674 >>674 曾祖父の母です。すいません。
同居の件ですが、これも書き方悪くてすいません。逆です。娘の婚家の両親が「高祖父夫婦と同居」と娘の婚家の除籍に書かれています。日付は高祖父が分家して20年後くらいです。
どうして娘の婚家の除籍まで入手しているのか説明します。この娘の子供が私の祖父にあたり、子供が無かった曽祖父の養子になったのです。娘の実家を継いだ形になります。
役所とやりとりをしている中で、入手できる事になりました。ちなみにこの役所は遠い地にあるのですが、全て郵送&電話でのやり取りです。
テクニックスレですので、後の人のご参考に。
>>676 やってみます!ありがとう。
曾祖母は大正の終わりまで存命だったので可能性ありそうです。
役所と電話で相談してみます
>>677 がんがれ
80年で取れなかった時は自宅や実家の大切な書類を保管してるところを漁ってみれ
相続とか裁判とかで使った戸籍謄本が残ってたりするから
>>671 近年150年にのび太。
うちの家は最近取り始めたけど、明治19年式戸籍取れたよ。
恐らく人口の少ないど田舎だったから残していたと思われる。
80年廃棄だと思って捨てた市区町村は150年に延びても、残ってるわけない
わけだが。
うちの自治体は
物はおそらく残ってるんだろうけど
80年で一度廃棄扱いにしてしまった手前
150年になっても廃棄扱いという
お役所仕事
いろいろ都合の悪い自治体だと
これ幸いって感じだろうね
>80年(建前上)破棄
そもそもこれだけデータ化が進んだ時代に
廃棄なんていうのがおかしい
662さんが進行中ですが質問させてください。
父方の曾祖父の菩提寺・もしくは墓を探し中です。
曾祖父の戸籍謄本は取り寄せてあります。
これだけの情報で、自分で曾祖父の菩提寺や墓を探すことは可能でしょうか?
祖父は昭和初期に四国から関西に出て来て祖母と結婚。
戦後一旦四国に戻ったけど地元が空襲にあっていて、親兄弟行方しれず。
(父が祖父からそう聞いた、という曖昧な情報です)
その後祖母の地元に転居してます。
地元を離れたこと、親戚の行方が掴めなかったこと、祖父が早くに亡くなったこともあって、
祖父母家族は全く四国の親戚と付き合いがありません。
祖父が亡くなったとき、父はまだ小学生で、余りそういう話も聞いてないようです。
親戚筋を探して話を聞くこともできるかもしれないのですが、母と父方の親戚がかなり揉めていたので、母は余りいい顔をしていません。
俺も曾祖父の墓さえわかって、墓参り出来たらそれでいいと思ってます。
皆さんのような本格的な先祖探しではないですが、同じような境遇で墓探しした人がいたら方法や、更に必要な情報など、知恵を借りたいです。
よろしくお願いします。
>>684 その四国の祖父の出身地=曾祖父の居たところというのは
空襲に遭ったくらいだからそれなりの都市だね
田舎なら本籍地=住所地附近の同姓や近隣を探れば菩提寺や共同墓地くらい簡単に分かりそうなもんだけど
市街地の住民だと菩提寺が市内か近郊に絞ったとしても寺って結構な数あるから虱潰しはちと面倒
田舎じゃないなら同姓の親族が固まって今でも住んでいるというわけでもなさそうだね
確認したいのは
祖父やあなたの宗旨は曾祖父と同じなのかどうか(同じならその宗派からあたりをつけられる)
本籍地は住所地と同じだったのかどうか
市街に住み始めたのは曾祖父や高祖父あたりからなのかそれともそれ以前から長いこと町に住んでいたのか
あなた自身はどこに住んでるのか四国の現地に気軽に何度も出かけて足で調べることができるのか
郷土史料で検索すると手掛かりが得られるような階層なのか
>>685 レスありがとう。
四国 空襲でググってみたら、今治、松山、高松あたりが出てきたよ。
祖父の出生地は香川なので、確率からすると祖父の話してた空襲は高松だろうと予想はつけてる。
確認事項
・宗派について
祖父=父=俺。でも曾祖父はわからない。
ただ、祖母の地元の寺で、祖母の親戚とは菩提寺が違うから、
祖父方の宗派なんじゃないかと勝手に思ってる。
・本籍地=住所かどうか→不明。
父は、祖父は香川の丸亀から来たと言ってたが、戸籍を見たら違った…
そこまでメジャーじゃない丸亀の地名を父が覚えてるってことは、何らかの形で耳にしたんじゃないかと思ってるのだけど、いかんせん子供の頃の記憶だからなぁ。
・市街=空襲のあった街?祖父や曾祖父の出生地?
いずれにせよ祖父や曾祖父の生活については全く情報はないからわからない。
ただ、曾祖父の戸籍を見たら、兄弟姉妹が曾祖父の出生地周辺の人と結婚してることが多いので、
そこら辺に根付いてる家庭だったんじゃないかと考えてる。
あと、親戚から情報を得るにしても、父の兄弟姉妹はみんな亡くなってる上に、父以外は子供(俺のいとこ)がいないので、父の兄弟からも情報は得られない。
・俺自身は関西に住んでるので、香川へ行くのは電車か高速バスで行ける。
・曾祖父、祖父の階層はわからない。
祖父は板前をしていたと聞いてるけど、板前というのもどこまでのものか…
色々質問してもらえて、自分でも情報のなさにびっくりしてる…orz
引き続きよろしくお願いします。
>>686 菩提寺探し様
祖父で昭和初期ということから生まれたのは明治末期頃と推測します。
ということは曽祖父が生まれたのは明治初期で仮に亡くなったのが70歳だとしても
戦後間もなくだと思います(60歳でも戦中あたり)
ということは戸籍を遡れば、曽祖父や高祖父の記載があるものを発見できるのではないかと思います。
その一番古い戸籍の本籍あたりにご先祖様が居住していたと思われますので、その地区を中心に菩提寺探しをしてみるのはどうでしょうか?
>>686 都会に出た子弟というのは実家と同じ宗派にすることが多いから多分曾祖父と同じ宗派だろうとは思うね
寺を探す時は地域の目星をつけて先ずはその○○宗○○派の寺を次いで○○宗の違う派の寺をあたってみよう
丸亀が祖父の旧居住地だったというのは正しいと思う
板前として丸亀や後に関西で生活していたけど曾祖父や兄弟は本籍地のあたりに暮らしていたんだろう
丸亀は空襲に遭わなかったけど曾祖父の居た本籍地は空襲を受けたとするなら高松の蓋然性は高いね
本籍地と住所地が異なっている場合は戸籍の附票というので確認できるかもしれないから取れるなら取ってみよう
曾祖父の係累が地域的に一定の範囲に収まるなら菩提寺もそのあたりにあると見るべきだろうね
香川県の図書館とかで古い電話帳を見れる所を探して同姓の家を確認してみるのも何かヒントになるかもしれない
名字がメジャーかマイナーかで労力に差が出てくるけどね
こころで祖父というのは曾祖父の跡を継ぐ立場の人だったのかしら
祖父の親兄弟が戦災で行方知れずで跡を継ぐ人も居ないとなると曾祖父の墓というのがそもそもあるのかどうか
曾祖父や祖父の兄弟姉妹はみんな戦災で亡くなられたのかしら
>>687 レスありがとうございます。
実はあの後ちゃんと戸籍を見ていたら、曾祖父のものと思っていたのは、祖父の兄のものでした…orz
実はこの戸籍、先日父の兄が亡くなり、奥さんが相続のために取り寄せたものをコピーさせてもらったもので。
何だか情報が少ないなあと思っていたのです。
取り急ぎ、曾祖父の戸籍を取り寄せたいと思います。
ところで、郵送での戸籍取り寄せって局留めに出来るでしょうか?
684でも書きましたが、父方の先祖探しをすることに母が余りいい顔をしてませんので、
余り見つからないようにと考えてますので…
>>689 切手を貼った返信用封筒を送るのだから、出来るのでは。
>>688 レスありがとう。
最後の1行でふと思って時系列にしてみた。
ちなみに祖父は4男1女の次男ね。
昭和○年 曾祖父死亡(本籍地で死亡届)
昭和○+4年 三男四男死亡(曾祖父の本籍地で死亡届が出てる)
この年に祖父と祖母が結婚して、子供も出来てるから、少なくともそれ以前に香川を離れてる
昭和20年7月 高松空襲
昭和29年 長男死亡(他県)
これなら、曾祖父の墓は本籍地の寺にある確率が高いかな?
>>688 戸籍の附表というのも請求してみます。
それとさっきの時系列にまとめたものを見てたら、
曾祖父の情報をもし誰かから得るとしたら、
曾祖父の兄弟の子孫、祖父の兄と妹の子孫になるということはわかった。
一人で悶々と考えるより、色々質問してもらうことで得るべき情報がわかってきた感じがします。
ある程度情報がまとまったら、年明けに長期休暇を取って、香川に行ってこようと思う。
本当にありがとう!
連投すみません、691、692は自分です。
>>取り急ぎ、曾祖父の戸籍を取り寄せたいと思います。
ところで、郵送での戸籍取り寄せって局留めに出来るでしょうか?
684でも書きましたが、父方の先祖探しをすることに母が余りいい顔をしてませんので、
余り見つからないようにと考えてますので…
職場に送ってもらうのはどうでしょうか?
>>694 基本的に自宅送付になると思うよ。
局留めや会社送付なら、役所から理由を聞くために自宅に電話が掛かってくる
と思われる(成りすまし防止のため)
書かれている理由で役所が納得するかどうかにかかってるでしょうね。
役所に理由言って無地封筒で送ってもらえばいいじゃない
>>691>>692 なるほど大体わかった
祖父が次男だし父にも兄が居るということであなたの系統は支流のさらに支流ということね
曾祖父や祖父の兄弟が亡くなったのもみな戦災というわけでないなら墓自体はどこかにあるでしょう
長男系統の墓守が途絶して無縁扱いで処分されてないことを祈ります
祖父の兄の謄本はあなたでは請求できないからコピーさせてもらったのは却って良かったね
曾祖父の家督を継いだのはその祖父の兄っぽいから他県に移った際にもしかすると墓も持っていったかもしれない
曾祖父まで辿り着くのにはその祖父の兄の系統についてももっとよく調べた方がいいだろうし
平日に一日でも休みが取れるなら或は当該役所が休日や夜間でも窓口業務をしている日があるなら
戸籍の謄本や附票を請求するのに一度直接現地の役所へ出向いた方がいいだろう
はっきり分かっているものをこれこれと請求する時には郵送も便利だが
よく分かってないものを探り探り集めるときは現地で担当職員と相談しながら対応してもらった方が確実だし取りこぼしも少ない
レスありがとうございました。
返信先については一度役所に連絡してみます。
埒があかなさそうなら、平日と土日含めて連休取って、うどん食べがてら香川まで行くつもり。
親戚付き合いが全くない中で祖父の兄の戸籍が取れたのは、本当にラッキーだったんだな。叔父には感謝せねば。
しばらくは情報収集になるので、また何かあれば書き込みます。
皆さん本当にありがとう。
699 :
日本@名無史さん:2013/10/12(土) 20:16:23.44
前にね親族が退役軍人だという方が書き込まれましたが
うちもそうなんですけどそれは奇跡ですよ?
まあでもうちの場合とある名家で江戸の家系でして
大正時代には親戚が1町で800円の担保を
手に入れたという記録もありますから
大卒の初任給が月50円程度なのでかなり驚きました。
ちなみに江戸時代は米一俵10銭で一家4人で年米三俵
の貧農が過半数なので庄屋さんが威張る気持ちもわかります。
>>661 戦国時代まで苗字を持っていない可能性はとても低いから、
初代が分家したのがその時代であって、苗字はそれ以前から受け継いでいたと思われる。
>>667 口汚く相手を罵るあなたの姿を見たら、ご先祖さんは泣くでしょうね。
もう少し礼儀をわきまえるべきです。
>>700 >戦国時代まで苗字を持っていない可能性はとても低いから、
えっ!!持ってない可能性はとても低いって事は無いでしょ。
>>678 >>662です。あのあと高祖父高祖母の除籍を再請求しましたが、やはり80年の壁なのでしょうか「該当者見当たりません」で返事が返ってきました。
今は昭和40年代に発刊された「○○町史」を入手中です。
残る手としての宗門人別帳については、ある大学の図書館一か所だけに存在することが分かりましたが、部外者ですので閲覧出来るか
どうかは分かりません。
宗門人別帳はあまり出回っていないものなのでしょうか?県立図書館をDB検索しても出てきませんし
>>683 そうだよね、絶対おかしいよ。
原本保存するのが大変ならデジタル化すれば良いだけのことなのに、貴重な史料をミスミス廃棄とかふざけてるにも程がある。
>>703 やはり廃棄になっちゃったかな残念
郷土資料を見るのもいいね
意外なところにヒントがあったりする
人別帳なんてのは名主とか寺とかが作成・管理してたものだから
寄贈でもされてなければ図書館や公文書館に置いてあるものじゃないし
収蔵されていても古文書の類だから研究者でもなければ気軽に見せて貰えるわけじゃない
戦災があったとすれば焼失している可能性も高い
祖父の兄が曾祖父の家督を継いだんだろうからその系統がその後どうなったのか
曾祖父の故郷近辺に同姓の親族がまだ残っているのか
このあたりを探ってみたら
>>704 廃棄ということになってるが
本当に焼却とか処分したのかどうか
単に役所の倉庫に眠ってるだけなら今後どうにかできるんだけど
あと紙のまま残ってるならいいんだけど
中途半端にマイクロフィルム化されてると劣化してボロボロになってしまうのが恐ろしい
707 :
日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:04:22.53
うちも名家だが都市部で3世代なんて今時珍しいけどね。
姓の継承は古いところは平安期とかも普通にあるし
養蚕農家で代々継承されてるところもあるよ。
都市部でも
旧村地域に行けば古い家とか結構ある
俺美作守さまのおな〜りぃ〜 ドンドン(太鼓の音)
>>705 「○○町史」を入手しましたが、手掛りナシ。逆に昭和20年代に役所の火災により戸籍も消失した事が分りました。万事休す、これ以上の除籍は取れそうにありません。
説明が下手なのですが、「祖父の兄が曾祖父の家督を継いだ」のではなく、祖父の生母の実家を祖父が継いだ(生母の兄が戸主だったが、子がない為、祖父が養子となった)という事です。従って、私以外の直系は居ないという事になります。
近いうちに墓参りに行く事を企画しました。寺でいろいろ教えてくれれば良いのですが、あまり期待できません。以前にもそれとなく聞いたことがあるのですが、ツレナイ返事ばかりでした。
寺に行く時に心がけたほうが良いことがありましたらアドバイスください。
>>710 じゃ 710さんの家系は祖父の母方の実家で
祖父の生家は祖父の兄がそのまま継いだということですか
高祖父が分家したとか、復籍したとかの話は
あと、江戸中後期の院号大姉の墓があるそうですが、周りに一族の墓とかはなかったですか
>>711 >>710 ややこしい話にお付き合い下さり、ありがとうございます。
>>710さんの家系は祖父の母方の実家で・・・Yesです
>>祖父の生家は祖父の兄がそのまま継いだということですか ・・・Yesです
>>高祖父が分家したとか、復籍したとかの話は
これは祖父の母方の実家の話しになります。
高祖父が曽祖父に家督を譲ってのち分家、高祖父没後に高祖母が曽祖父の籍に復籍、という流れです。
続きは別レスにします。
>>711 >>あと、江戸中後期の院号大姉の墓があるそうですが、周りに一族の墓とかはなかったですか
周りに同姓は見当たりませんでした。現在も同市で同じ姓を名乗るのは6世帯くらいしかありません。
寛政末期の院号大姉は、墓ではなく、仏壇の過去帳に戒名が記されているものです。実際に墓が確認できたのは嘉永年間のものです。
この墓のある寺ですが、明治中期までは「平僧地」という寺格だったとか。寛政末期に亡くなった人が、どういういきさつで院号大姉になったのか、見当のつかない状況です。
仏壇の過去帳を見るとこの院号大姉のあと、鐸尼○○という浄土真宗の法名が二人、○○○○上人という上人号が続いています。勝手な想像ですが、もしかすると寛政〜嘉永の間にどこからか転居してきたのかも知れません。
嘉永年間の墓には「折敷に三文字」紋と名字が刻まれていますが、ゆかりのない人間が勝手に家紋を使用出来たのでしょうか?(平僧地なので・・・)
>>710 あなたが探しているのは、養子に出た祖父の、実の父である、曾祖父の墓でしょ?
祖父の、母(曾祖母)の、兄(養曾祖父)の墓じゃないでしょ?
だったら実曾祖父の家督は、祖父の兄が継いだんでないの?
てか墓参りってどこに行くのよ?祖父の寺?
祖父は、生家(曾祖父の家)から曾祖母の実家へ養子に出たんだから、
その寺で聞いてもしかたないんじゃ…
>>714 前半は分かったので取り消します。
>>713 その過去帳の法名というのはあなたの家系(祖父の母の先祖)のものですよね?
ということは同姓というのも、探している曾祖父ではなくて、あなたの家系のこと?
あと一般的には「鐸尼」じゃなくて「釋尼」=「釈尼」だと思いますが。
>>715 誤字失礼しました。
>その過去帳の法名というのはあなたの家系(祖父の母の先祖)のものですよね?
Yesです。
>ということは同姓というのも、探している曾祖父ではなくて、あなたの家系のこと?
Yesです。
今度墓参りに行くのも祖父の母の先祖=私の家系のものです。
祖父が養子に出たのは30歳の頃で、まもなくして養父養母が亡くなっています。祖父はその後100kmほど離れた土地に本籍を移し、そこに新たに墓を建て、私もその土地に住んでいます。
かつて祖父達が住んでいた土地を先日訪問し、江戸時代の先祖の墓を見つけたことが今回いろいろ調べようとしたきっかけです。
祖父は子がない家に養子に入ったので親戚も残っておらず、養父養母と暮らした期間も長くない為か、祖父の母の先祖にまつわる話しが殆ど残っていない状況です。
>>716 曾祖父の墓を探すこと限定だったわけでもないのね
じゃあまずは調べられるだけ自家のことを調べておくのが順序だわ
曾祖母〜祖父〜あなたの同姓は少ないということだから調べやすい
いきなり手紙を書いたり訪問したりは無理だろうから
祖父の墓があるのは寺の敷地か共同墓地か何れにしても
同じ墓地に同姓他家の墓もあるだろうから墓参りのついでに探してごらん
かなり大規模な公園墓地とかでもないかぎり
名字と家紋を眺めながら虱潰しに散歩してもそれほどの労力にはならないだろう
もし同姓の墓を発見したら線香を手向けたりちょっとしたゴミや草を片付けたりのついでに
ちょいと見学して参考になりそうな字句を発見したらメモと
ええい!遅い!
庄屋!今年の年貢はまだか!
721 :
日本@名無史さん:2013/10/31(木) 01:58:08.21
最後の一字がよく見えないな
角度を変えた写真とかない?
編じゃない?
723 :
日本@名無史さん:2013/11/01(金) 01:15:03.91
頼朝公之御編?
ない・・・と思う
724 :
日本@名無史さん:2013/11/01(金) 08:49:06.79
稿じゃない?
http://imepic.jp/20131101/619450 前にコゴメ石製の五輪塔をうpしたものです。
これも五輪塔ですか?
庭先にあるから、ただの石を重ねたものかも。
全体にツタが吸着して絡まってたから全部取り除いてみました。
気づきは
・高さ80cmの花崗岩製
・空輪?は本体とは違う石
・草刈中、鎌で手を切りかけた。
726 :
日本@名無史さん:2013/11/01(金) 17:56:56.01
風輪はお前が悪戯したのか。
727 :
日本@名無史さん:2013/11/01(金) 18:01:30.96
風化しすぎの割に崩れてないあたり、よほど変な思惑が宿ってるんじゃね。
お前の親父とか、チンコ丸出しで村中を走り回ったりしてなかったか。
>>726-727 40年くらい前に崩れたらしいから、
風輪はそのときに下の家の敷地にでも落ちたのかな?
崩れてから火輪、水輪、地輪(もしこれらが五輪塔の部分ならば)を
爺さんがセメントで固定したらしいです。
>>725 一番上が怪しすぎるw
間違いなく後から付けた物なのは確かだろう。
水輪も色が違ってるし、元々別物なのかねぇ。
730 :
725:2013/11/03(日) 00:29:32.22
>>729 空輪?だけはセメントでひっつけてないから取り外し可能なのがちょっと笑えるww
硯が近くの石と混じって出てきたから
何となくだけど文鎮と思ったりしますww
五輪塔だとすれば、本物は火輪と地輪だけなのかな。
それに、古代韓の意味は漢だから・・
733 :
日本@名無史さん:2013/11/03(日) 17:52:58.39
やはり中国道教から五輪塔の元素はきているのでしょうか?
734 :
日本@名無史さん:2013/11/03(日) 21:45:42.88
うちは昔からサンマの季節は七輪を使ってるな
735 :
日本@名無史さん:2013/11/03(日) 22:22:51.34
七年後には東京五輪もあるしな
>>720 データが存在しません。
有効期限が過ぎたか、画像が削除された可能性があります。
737 :
656:2013/11/04(月) 19:57:43.31
名前消し忘れ恥ずかしす
ファミヒスの新シリーズ始まってるけど
みんな見てる?
740 :
日本@名無史さん:2013/11/10(日) 15:05:31.35
>>739 何曜日何チャンネル?
うちは近年親父が死んでから本州にいるからって親戚から親父が言われてた家系調査依頼を受け継ぐ事なって、
父方は曾祖父前後辺りまでは名前・年号判ってて武士関係の遺物残ってたけど、
遠いから仕事だ何だかんだ忙しくていつか週末毎に行って調査しようと思いつつも合間に暇潰しに検索調査。
その際に何回も見た事あるけど全然関係ないと頭にある都道府県だったから見過ごしていたけど、
ある時ふと曾祖父の唯一無二的な珍しい名前の兄弟と名前や年号が一致するのがちょこっと載ってるのに気付いた。
一族の知行取り多くてメジャーな藩なようだからか各種記録物が確りしてるみたいで、
もしかしてかなりラッキーなケースだったんじゃないのかなぁと思ってる。
742 :
日本@名無史さん:2013/11/10(日) 16:26:51.94
>>662 =
>>713です。御無沙汰しています。
先週先祖の江戸時代の墓参りをしましたが、残念ながら同姓他家の墓を見つける事はできませんでした。住職とも話しをしましたが、私の姓の檀家は他には居ないとのこと。すなわち江戸時代の墓も間違いなく私の先祖のもの、という事でした。
>>713にも書いたのですが、過去帳に「○○○○上人」という天保年間に亡くなった人の戒名が記されています。
聞いた話では、昔は旅の僧侶を自宅に住まわせて世話をしたり、専属の僧として働いてもらうという事があり、その僧が亡くなった場合は家族同様にお祀りすることもあったと聞きましたが、このような事はあったのでしょうか。
また旅の僧侶を自宅に住まわせれるほど、金銭的に余裕があつたという事でしょうか?
>>744 しばらくでした。
その住職というのは祖母方の寺のでしょ?
祖父方の方はまだ菩提寺つきとめてないんでしょ?
>上人関連
そういうこともあっただろうけど相応の豪農なり富商なりでないと有り得ないと思うな。
浄土真宗なら明治以前から妻帯して子女があってもおかしくないから、
その上人が先祖という可能性も検討してみては?
12日 100秒博士アカデミー
747 :
662:2013/11/11(月) 20:34:26.12
>>745さん、お世話になっています。
私の説明が悪かったのだと思いますが、多分
>>684さんの話しと途中でゴチャ混ぜになっているかと思います。
>>662で一番最初に書きましたように、墓自体は既に特定できています。
その墓は嘉永年間の物で、「折敷に三文字」の家紋と、俗名が彫られています。家紋と姓は老中を五名輩出した大名家と同じです。
家にある過去帳の先頭にある『○○院○○○○大姉(1801年没)』までなんとか辿り着きたかったのですが、除籍を取り寄せてもこの嘉永年間の墓に眠る先祖(1848年没)までしか辿れていません。
せめて「○○大姉」さんがどのような身分の人だったのか、同じ姓・家紋の大名家とは何らか繋がりがあったのか、その辺りまで分かればと思っています。
ちなみに過去帳にはこの「○○大姉」のあとは、俗名「○之助(1822年没)」、その後が
>>713に書いた釋尼の戒名が二人、次が俗名「○右衛門(1838年没)」、童子が一人入って前述の「○○上人(1842年没)」と続き、その次が1848年没の嘉永年間の墓の先祖が記載されています。
>>747 おお、ごめんなさい、御指摘の通り混同してしまいましたorz
戒名から察するに相応の武家だった可能性は高いし、
○○上人は自家の次三男から輩出した僧なのかも。
同姓の大名の分家だからといって、主家もその本家だったかは分からないね。
まずは当該地域の領主の分限帳なんかに自家と同姓の人名が載っていないか見てみましょう。
江戸中期以降になると大藩とかだと家中の系図調べを行ったりしているので、そういうものがあるかどうかも確認しましょう。
749 :
日本@名無史さん:2013/11/12(火) 23:01:10.39
今TBSダウンタウンの番組で先祖探しやってたけど
ああやって探すんだな
どうやって探してたんだよ
RGの出渕家の初代は、1181年没の伊福城城主、出渕盛家と判明。
400年程前に枝分かれした遠縁に、三遊亭圓朝こと出渕次郎吉がいた。
RGの祖母の従兄弟の家から古い巻物などが出てきたり
RGの実家の墓がかなり古かったりして、とても興味深かったです。
1181に○○城城主なんていないだろそれ仮冒だよ
753 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 01:40:43.02
751が間違い。城は戦国時代の山城の話だったと思う。
755 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 07:17:31.38
正しくは出渕盛家の末裔の戦国時代の出淵盛政が伊福城城主その時代に城が落城して没落
江戸時代は丸亀藩の下級武士として存続
明治時代に愛媛に戻ってきたらしい
曽祖父の手記から
高祖父の父母名と職業(非武士)、江戸初期から中期に分家した事や、高祖父が婿養子に入って来たという事が分かりました。
この情報だけで、先祖や菩提寺を探すというのは不可能でしょうか…
武士なら探す道はあるかもしれませんが、
農民でもないのでどの資料を漁ればよいか…曽祖父は当時は新聞に載ったりしていましたが、ネットに生い立ちなどは書いてなく…
757 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 12:38:28.09
RGのは家系図が途切れてるから盛家と繋がっている確証は全く無い。
系図屋さんがよくやる、身分の高い人へ無理矢理繋げる手法だろ。
>>756 どこに住んでたのか分からないと調べようがないかと。
住んでた場所が分かれば、当時の藩内にある寺のどれかが菩提寺になるんじゃ
ないかね。
>>757 番組見てないけど、信成と同じ感じ?
>>758 手記には二つの箇所をいったりきたりしてた、て言ってて距離は市内で近いんだけど、曽祖父自身は東京都(詳細は分からない)で死んでるから、
最終的に代々の墓に移ったのか、東京で新しく墓を建てたのか…
>>754 ファミヒスよりこっちの方が好きかも
これで4系統ぐらい辿る番組作ってほしいわ
>>760 5番までいったよ
6番からは敷居が高いです
>>760 恥ずかしながらまだ2の途中です…
ただ、取れるだけ戸籍とったあとに
何を頼りにしようかなと…
親戚同士は仲が悪く、話は聞けないです
まだこの段階なのに申し訳ありません
>>754の動画みたけど、系図が無理やり杉。
仲島さんの長男が分家→長女の婿が本家の家督を相続(平民では珍しいことではない)
姓は明治時に上級武士にあやかって変えた
と考えるのが自然。
というか、てっきり古い巻物の系図とか私書が出てくると期待してたのに・・・。
淵→渕になった意味も知りたかったな
下級武士だったってのも
住宅地図に仲島家が書かれてたのか、その肝心な映像もない
>>765 それ同じ字だよ。
現代では不思議に感じるかもしれないが、昔は淵=渕だよ。
戦国時代くらいまでに遡ると、読みが同じなら、違う字でも使ってたし。
例えば、盛正、盛雅、盛昌、盛政みたいな感じ。
当て字で思い出した。
うちにある明治〜大正の祭りの名簿にも当て字で記されてるものがある。
本名→当て字
例
八平→八兵衛or八兵
喜一→喜市or木市
770 :
日本@名無史さん:2013/11/14(木) 12:02:31.27
俺の名前には崎がつくけど、明治から大正にかけての戸籍には三種類の崎が混在するよ。
ミワさんには三ワなんて表記もあるし、過去帳の年齢と戸籍にもズレがあるし、何かよくワカラン。
>>754の実況スレ見たら絶賛されてたわ
このコーナーだけで番組作れって言われてる
それがまあファミヒスなんだけどw
772 :
日本@名無史さん:2013/11/14(木) 17:55:22.04
系図屋は誰に依頼されてもああやって無理矢理身分の高い人に繋げるんだろ。
あのオンエアで手口がよく解ったわ。自分でも多くは皇族に行き着くなんて言ってたが、そんな訳無いよな。お前が繋げてるんだろって話だわw
>>770 旧暦と新暦の差によるものとかじゃなく?
>>772 あいつらの調査があてにならないから、自分で調査せざるおえない。
774 :
日本@名無史さん:2013/11/14(木) 20:23:34.90
明治生まれの大正〜昭和没たまから、旧暦はまず無いと思う。
あと、母方の曾祖父は明治29年生まれを自称してて、墓碑の享年もそれに基づいた数字なのに、最近戸籍見たら明治30年生まれだった。
>>774 明治末年生まれのうちの祖母も実際の生年より戸籍の生年は一年遅いよ
乳幼児の死亡率が高かった頃は生まれてすぐに出生届出さなかったこともあったみたいね
>>774 そういうことか。
それならうちの家も1年遅れの生年が居るよ。
>>775でも言ってるとおり、長男が夭折したために届け出を遅らせた模様。
>>772 だなあ
良くも悪くも系図屋の仕事がよくわかったわ
皇族の前に下級武士だった根拠すら示せてないんだが
780 :
日本@名無史さん:2013/11/14(木) 23:56:14.16
まず戸籍謄本を取り寄せればいいの?
>>777 行き着くって事に誰かが捏造してるだけ。
戸籍の一部に北平山町とあっただけで
丸亀藩の名簿や住宅地図に載ってたわけでもなさそうだしな
>>780 本籍地のHPで戸籍の取り方、金額を確認
希望する枚数分の定額小為替を郵便局で購入
(ずっと同じ本籍地なら最低3-4通分出る)
戸籍の取り寄せ用紙に記入
その際備考に自分の直系尊属全員分取得したい旨
と、金額が足りない時は連絡欲しい旨記入。
返信用封筒と必要となりそうな重量分の切手、
請求用紙と一緒に送付
結果待ち
>>784 同意かと思ったら、間違い指摘かよ
orz
めっちゃええ話やったけど
構成と再現ドラマがなんだかなあ
父方も旧家っぽくてもっと辿れそうやったし
母方も少しは辿ってほしかった
見忘れた
なるほどなぁ
遡るとここにいる皆と俺とは案外親戚かもな。
お年玉お待ちしております(耳打ち
790 :
日本@名無史さん:2013/11/16(土) 22:03:17.35
791 :
日本@名無史さん:2013/11/18(月) 17:07:26.95
行政書士に頼めば一発でわかるよ
>>791 近場ならある程度は自力でも行けるな。
神戸→姫路に来て、今、ひぃじいちゃんの戸籍謄本待ち中。
次と四のくずし字似てるよね?
安政に生まれたひぃじいちゃんの父ちゃんの名前まで分かった。
それにしても戸籍が複雑だ。
ひいじいちゃんが安政生まれって
>>794の年いくつ?
>>795 36。
親父が戦前、じいちゃんが明治生まれた。
俺も30代だけど
安政生まれはひいひいひいじいちゃんだわ
曾祖父母8人の生没年までは分かるんだよな。
その上の代になると難しい。
明らかに壬申戸籍には載ってるであろう謎の高祖母が一人……。
今となっては調べようがないのが残念。
801 :
日本@名無史さん:2013/11/20(水) 00:21:23.29
壬申戸籍の封印はいつ解かれるの?
近くの大学の図書館で郷土史を閲覧したかったのに今週の土曜は祝日で無理って言われた。
ちょっと遠出して郷土資料館にでも行ってみようかな。
戸籍は全て集まった。
そして電話帳で本家の子孫らしき人を発見。
手紙を出したいがこういう場合どう書いたらいいものか。
普段、手紙を出す事が無いので悩む
?
!
806 :
日本@名無史さん:2013/11/22(金) 17:08:29.30
>>803 拝啓 突然のお便り失礼致します 云々
実はこの度お手紙差し上げましたのは云々
って感じにならざるを得ないんじゃない?
あとはどこでも本屋に行けば手紙の書き方の本売ってるからケース別の文例見てアレンジ。
ネットでも手紙の書き方のサイト検索できるし、
図書館に行って聞けばあるかも知れない。
ありがとう。本屋で探してみるわ
普通は知らない人から手紙きてもポイ捨てするよね
明確な身内なら考えるけどどこの馬の骨かも分からん人に教える義理ないしな
まあ運次第
809 :
日本@名無史さん:2013/11/23(土) 05:32:58.83
手紙何回か出して駄目なら直接お伺いするしか無いね。
ちょっとした手土産みたいの持って。
胡散臭くない便利屋さん辺りに頼んで同行して貰って上手く話し通して貰っても良い。
810 :
日本@名無史さん:2013/11/23(土) 05:43:46.04
>>809 ついでに言っとくと、直接お伺いする際は、スーツ姿でちゃんとネクタイ締めて礼儀正し過ぎる位で行った方が良い。
90度角お辞儀でね。
もちろん便利屋さんに同行して貰うのなら便利屋さんもね。
感じの良いきちんとした人に見える便利屋さんじゃないと駄目。
いきなり知らない人達が行く訳だからさ。始終感じ良い笑顔が出来ればなお良い。
知らない人から何通か手紙が来て無視してたら家に直に来た。。。
相手側は相当警戒するだろうな。
大変だとは思いますが頑張ってください。
訪問の前に電話では?
紋付きの羽織ハカマならあるがスーツ持ってないわ
これまで集めた資料をまとめて見せるのも大切
815 :
日本@名無史さん:2013/11/23(土) 12:45:43.25
>>811 あんた、何でそんなに意地悪するの?WWW
ついでに言っとくと同行便利屋とかには話ついたらうまい頃合いでお引取願った方が良いね、
相手先も便利屋とかにまで込み入った個人情報聞かれるの嫌だろうからね。
便利屋はいらないな
不審すぎる
>>815 意地悪ってか冷静に考えたらそうならないかな。
俺が変なのかな。
>>817 いや、普通は不審に思うわ。
知りもしない所から手紙なんて来たら、正直見ずに捨てると思う。
また、複数で行けば、相手も心を開かない可能性も高い。
考えてみればいい。
例えば、自分が家に一人しかいなくて、ある日突然見知らぬ二人がやってきた。
先祖を同じくしてたってだけで、その会ったのが初めての人間を信用出来るかい?
田舎なら特に菩提寺の寺(かどうかはともかく)にも顔を出しておかないとなぁ。
該当する家だけじゃなく、周辺の家の信頼も得ないと。
田舎は横の繋がりがあるから、余所からやってきたら直ぐに周辺に知れ渡る。
姓が違っていても血の繋がりがあったりするからね。
都会なら知らないけど。
まずは資料と一緒に手紙
次に電話
その次が訪問
いきなり戸籍は引かれるだろう
関東在住だけどこっちでは知らない手紙でも捨てたりせず一応さっと目を通すし、スーツならともかく紋付き袴はなぁ...
電話はやですぐ切っちゃうし電話まで来たらもうしつこく感じちゃって、
電話で拒否したのに次に来られたらもう警察呼んじゃう感じだよ。
わざわざ直接来て誠意感じたならともかく。
電話営業売り込み掛かって来るの多いからかな。電話は駄目。
新宿駅の回りで「すみません」とか声掛けてご覧よ、変な勧誘多いから誰も無視して通り過ぎて行くから。
相手地域によってケースバイケースなんだろうなぁ。
824 :
日本@名無史さん:2013/11/24(日) 08:56:42.14
知らない相手に電話で話しを聞いて貰って約束を取り付けるというのはベテラン営業でも一番難しい。
傾向としてはネクタイ姿が女性相手にも好結果で、
男性相手には五分刈り風が受けが良いの。
自分は電話の方がいいな。
準備も何もしてないのに直接訪ねてこられても困る。
最初は見知らぬ人を受け付ける郷土資料館みたいな場所とか、祭りのようなイベントで様子見した方が良いんじゃないかな?
とりあえず俺は今から郷土資料館に行くよ。
事前アポとれなかったら家凸は止めておけよ
先方に不快感与えたら二度と協力得られない
普通は手紙きてもポイ捨てなんだからそれ前提で返事なかったら諦めろ
828 :
日本@名無史さん:2013/11/27(水) 10:25:33.08
おれんとこなんか、江戸時代の終わり頃にいた先祖のことがたまに話題に
なったりする。酒飲みで身上を潰したやつってことでw
明治の初め頃に嫁に来た婆さんの話とか。
ものすごいべっぴんさんで、ものすごい嫁入り道具を持って何日も掛けて
やって来て、村中の話題だったとか、今でも聞かされるw
大抵墓参りの時だがな。
>>803 そんな家もあるから、丁寧にルーツ探しをしてるから先祖の事をもし知ってたら
教えてほしい、出来れば墓参りもしたいって書けば、OKして貰えそうな気がする。
成功を祈る。
829 :
日本@名無史さん:2013/11/27(水) 15:09:36.47
ファミヒスで一般人のもやってくれると良いのにな。
やりそうな雰囲気はあるけどね
募集かけてるし
【社会】遺伝子検査でわかる自分のルーツ 見ず知らずの米国人が「親戚」だった!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1385544532/ ★遺伝子検査でわかる自分のルーツ 見ず知らずの米国人が「親戚」だった!
2013/11/27 16:41
遺伝子検査というと、TVドラマなどで犯人を特定したり、親子鑑定に使われたりするシーンを思い起こすが、
最近は食生活による病気やアルコール代謝、肌の老化やダイエット対策、子どもの性格検査や潜在能力を引き出すためにも利用されている。
病院で1万円前後から受けられ、安い遺伝子検査キットは6000円弱からある。かなり身近になっており、誰でも簡単に受けられる。
博報堂生活総合研究所の主任研究員、酒井崇匡さんは、研究員としての興味から遺伝子検査を受けた。
検査方法は簡単。届いた遺伝子検査キットの容器に唾液のサンプルを採って、返送するだけ。
唾液に含まれる染色体から遺伝的な情報を分析。分析結果は後日、ウェブで確認できる。
分析できる項目は、ガンなど病気の遺伝的リスクから、髪質や耳垢のタイプなど身体的な特徴まで多岐にわたる。
遺伝子検査の結果で、自分のルーツを知ることもできる。酒井さんによると、たとえば現代人はネアンデルタール人
由来の遺伝子をほんの少しだけ受け継いでいるらしいが、「私はその比率が東アジアの平均値よりも高いようです」という。
人類はDNA配列の特徴によって、いくつかのグループに分けることができ、遺伝子検査で自分がどのグループに属して
いるかもわかるが、「私は父方から縄文系グループの遺伝子を、母方からは弥生系グループの遺伝子を受け継いでいる」との結果が出てきた。
酒井崇匡さんが利用した遺伝子検査サービスには、遺伝情報の開示を許諾すると、利用者内で血縁関係が近い人を教えてくれる
仕組みがあった。「DNAによる親戚」を検索できるシステムで、許諾すると5代くらい前で分かれたと思われる日本人が数人、見つかった。
いずれも見知らぬ日本人だったが、さらには米国人からも「親戚」申請があった。
>>2へ続く
http://www.j-cast.com/2013/11/27190169.html?p=all
面白そう
どこで検査受けたんだろう?
>もちろん、一方で知りたくなかった血縁関係まで発覚してしまうなどのリスクがある。(抜粋)
・・・
31 :名無しさん@13周年:2013/11/27(水) 18:44:23.40 ID:kdgpo02k0
戸籍で5世代くらい前まで知る事出来るだろ
309 :名無しさん@13周年:2013/11/27(水) 23:51:49.77 ID:1FBIeVKX0
>>31 1世代前が2人
2世代前が4人
3世代前が8人
4世代前が16人
5世代前が32人か・・・
5世代前の32人全員の戸籍が明確な人って案外少ないんじゃないかなぁ
4世代前の名前までは全員分かったが、5世代前の名前は9人しか分からなかった
うちは父方は5世代前まで全員わかった
母方は調べ中
4〜5世代前のご先祖が分かってお参りした話じゃないのか
ご先祖いわく「あんたなんか知らんよ」
838 :
日本@名無史さん:2013/11/29(金) 01:10:20.61
そりゃ20〜30歳代のやつと
50代ぐらいの人だと
一世代違うから、高祖父母世代が分かる度合いは違うだろ
沖縄の場合、戦争で戸籍焼けてるんだよなぁ
当然ながら戦争以前に亡くなった世代の戸籍は再製されなかったし
つまり、本土より1、2代遡れる世代が狭まっているという事に
840 :
日本@名無史さん:2013/11/29(金) 12:24:08.78
でも沖縄はお墓が残った人は、詳しい墓誌がある人が居て
その点で一部の人はめっちゃ詳しくわかるでしょ。
家譜だっけ?
先祖が士族だったら家譜が残っていれば1600年代から明治初期まで分かるね
平民は明治初期から中期までが関の山だが
843 :
日本@名無史さん:2013/11/30(土) 07:56:39.20
>>842 せいぜいそんなもんなんだ。
でも江戸時代の譜代以上の藩の侍で提出された家系図残ってる場合は?
ばっちり古代の皇族や歴史的人物に繋がるのは名族ぐらいなのかな。
沖縄の場合じゃないの?
845 :
日本@名無史さん:2013/11/30(土) 13:58:21.49
先祖は農民だが過去帳で調べて天保2年に亡くなった人から苗字があった。
>>843 >でも江戸時代の譜代以上の藩の侍で提出された家系図残ってる場合は?
その当時の家系図でさえ捏造されてるのが大半。
なにせ将軍家自体がアレだからな。
中には脇坂家(播州龍野藩主)のように幕府に命じられて提出した家系図に、
3代前以前はどこの馬の骨か解かりませんと書いちゃう正直な家もあるけど。
やっかみ根性w
捏造ってなんでわかるの?
調査したら判る。
主要な大名家とか旗本とかは史学研究者が既に研究してるので
だいたいは判明している。
例えば、徳川氏だが新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称しているが
実際は三河に流れ着いた流れ坊主が松平郷に住みついたのが発祥といわれている。
源氏は後付け。
まあ、実際藩主の先祖見たら誰だよってレベルのやつが居るしな。
疑われても仕方なす。
>>849 源氏は後付けだろうけど松平氏自体は土着の国人だろ
親氏の詳細は他史料から窺えないのに流れ坊主説を採用するのはどうなの
親氏自体が捏造なら松平氏は加茂氏だったのが源氏を仮冒しただけということになる
>>848 >>849は捏造だと決め付けたいみたいだけど、
近世の個々の家の先祖について、中世以前に他の史料で確認が取れないものは、
捏造と決め付けるのではなくて、真贋不明としておくのが正しい態度だろうよ。
確かに近世には、源平藤橘の仮冒が流行り、系図屋なんかが横行した時代ではあるけど、
記録というのは世上の関心事や重大事に限られる傾向があるから、
瑣末な各家の人物の動向を詳細に記すような物好きな記事はあまり無いわけで、
しかし当家にとっては自家の先祖は後世に伝えたい重要な記事となるわけで、
仮冒や造作も相応に発生しているだろうが、現時点の史料で証明出来ないもの全部を単純に捏造として葬り去るのはいただけないと思う。
勿論、家譜や家記の記事は慎重に取り扱うべきことは言うまでもないが。
>>846,849 は「江戸時代の農民は苗字を持っていなかった」と言ってるやつと同じ臭いがする。
とりあえず、先祖は 伊邪那岐命ってことで。
決め付けているのではなく、調査したら真偽不明の家が多いって事。
お前ら自身も先祖不明が大半だろ?数代前までとかだろ?
当時もそういう事なんだよ。
>>851 >親氏自体が捏造なら松平氏は加茂氏だったのが源氏を仮冒しただけということになる
それはそれで立派な捏造だろ。
「仮冒しただけ」で通じるなら世話は無い。
>>855 うちの家は戦国時代まで遡れるよ。
一番古い墓が1590年代に作られたものだし。
但し、家譜は無いから血縁関係は不明だけどなー。
>>855 うちも戦国時代まで遡れる。
それ以前も状況証拠である程度はわかる。
80代母の友人(母のイトコの嫁さん)が亡くなり、自分にとってのある系統の血筋との繋がりが途絶えます。
母の父も祖父もそこから養子に出てきた人ですが、今現在母実家の叔父はその家とは付き合いが皆無。
もちろんそこの息子と私ではまったく繋がりがなくて。唯一これまで母同士が年賀状で繋がってた。
郷土史に総本家が載ってて農民ですが代々当主が名前を継いでて面白そうな家系だと思ってた。
いつか墓参りをさせてもらおうとか、いつか家に伺って先祖の話を聞かせてもらおうとも思ってたのですが…。
いきなり、親戚ですからこれからは私をお見知りおき下さいとか無理ですよね。
>>859 葬式の時に行って関係築いていれば良かったんだろうけどね。
あとは1回忌とかの法事に参加するとか。
相手が言っくればの話だが。
>>854 『日本書紀』
国常立尊 (天御中主尊)
天鏡尊 国常立尊の子
天万尊 天鏡尊の子
沫蕩尊 天万尊の子
伊弉諾尊 沫蕩尊の子
>>857 >>858 それもちゃんと調査したら、真偽不明じゃないの?
ウチも戦国時代まで家系を辿れるし、系図もあるけど信じてないよ。
途中で改竄というか何と言うかしてる気がする。
源氏で某将軍の子孫って事になってるけどね。
>>862 墓がそこから代々あるのに真偽不明って言われてもなぁ。
まあ、他人に信じてもらおうと思ってるわけじゃないからどうでもいいけど。
あと、うちの家は源氏とかそういう高貴な家は名乗ってないからね。
ただの地方土豪の出自です。
なんか刻んであるのか?よく読めたな
おそらく享保のがあるが、普通に見てもなんて書いてるか分からんレベルに風化しとるわ
>>864 文字が書いてる墓で一番古いのは明暦のもの。
それより古いものは五輪塔(元の大きさは100cm程度と思われる)
で何も書かれて無く、寺の記録から一番古いものが天正の頃。
五輪塔って言っても完全なものは1基もなく、
火輪・水輪・地輪のみが残ってるもの1基
火輪・水輪のみが残ってるものが2基
火輪・地輪のみが残ってるものが1基
という感じ。
あと、風化に関しては墓が倒れたことがあったりすると、雨とかで風化が
激しくなることがある模様。
うちの家の墓も寛文年間に作られた墓より、元禄年間に作られた墓の方が
風化が酷い(ちなみに現在進行形で倒れたままで、起こしても倒れるので放置)
長文すまん。
どうでもいいけど、自分が偽源氏だからって、他人まで偽物認定しないでほしいね。へたしたら名誉棄損にもなるよ。
横からだが、なるわけねーだろガキか
>>866 偽源氏呼ばわりは、それこそ名誉毀損。
本人がそうじゃないかと疑ってるだけで確定してないのに、偽と決め付けるとは・・・
疑い始めたらきりがないからある程度のところで信じるしかないわけで
捏造捏造言ってる人は何を見たら納得するんだろう?
>>862 墓も過去帳もあるし市史にも載ってるのに、
それが真偽不明だとしたらこの世の中何が真実なのかと。
>>870 何処の馬の骨ともつかん、面識すらない在日かもしれない族に何言われても
相手にするだけ損だ。
俺の調べでは、家康は、源頼光嫡流筋の多々源氏の大河内氏だと調べが着いてる。
血筋を偽ったのは、嵯峨源氏筋の渡辺氏族と同じく、南朝方の家臣だったからだよ。
自分が調査したかのように言うなやwガキか
江戸初期、渡辺氏がクーデター起こして松平氏一戦交えたのが、恐らく、同じ南朝方の筈の家康が、系譜を偽って、新田世良多氏とした事で、騙されてたと思ったのかもね。
渡辺氏の一族に沢山の死傷者だして、クーデター失敗したにも関わらず、事がお家断絶の大沙汰と成らず、後も松平方の家臣として渡辺氏が仕えてる事から、抜き差しならない同族関係だからだろう。
徳川の大河内氏の祖が清和源氏嫡流の源頼光と渡辺氏族の嵯峨源氏と言えば、源氏初代長者の源融で、その曾孫が・・御伽草子の源頼光四天王筆頭の渡辺綱だからね。
家康の父方の大河内氏の家紋が葵の御紋ですね。
源頼光の母君が、嵯峨源氏の姫君
安倍総理の安倍氏の由来が、この嵯峨源氏の六代目で源・渡辺久=松浦氏の氏祖。
この久の家に婿入りしたのが奥州安倍氏生き残りの安倍宗任の末代の安倍実任で
その子が、松浦氏を継ぎ、同時に嵯峨源氏領の現在の佐賀県の領主と成り
更に、松浦党と言う水軍の棟梁と成り、時は、平安末期の平家の時代・・
清盛側近と成っていた安倍実任の子、松浦太郎高俊が娘が平家に嫁ぎ
源平合戦で娘夫婦が、落ち逃れるために、源氏平氏に敵対感与えない安倍の姓を名乗って、落ち逃れた事に由来する。
だから、安倍総理は、渡辺氏でもあるから、渡辺恒夫を好なな関係なのです。
>>871 せっかく調べたなら是非その成果を発表してくださいな♪
多々源氏というのも初耳で大変興味がありますわ
松浦厨は消えてください
家も、又、元寇時以来の大河内氏と付き合いが深く、
江戸時代も松浦党として徳川・水戸家と家の宗家が付き合いが深い氏族・・。
>>879 俺を、召喚する様なネタを振るからだよW
因みに、家の氏族の宗家ってのが、そもそも、天照皇大神崇拝神社の宮司家系で京都に2社・兵庫に1社・大阪の1社と宗家筋の神社がある。
厳密には、京都のは天照崇拝系統神社だけどね。
とっとと消えろ
885 :
日本@名無史さん:2013/12/03(火) 22:23:19.49
うちも戦国まで遡れるぞ。墓は字が読めないけどな。
菩提寺や神社の記録に出てくるし。
もうちょっと前まで知りたいんだけどな。
886 :
日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:11:59.15
うちも慶長年間まで殆ど完璧に分かっているけどそれ以前が分からない。
播州から移って来たとだけ。
移住先に突如現れて突如大地主になってるのが自分とこだけでなく隣村あちこちの古文書にも書かれてある。
それ以前の事が古文書にも一切書かれていないという事は何か隠したかったんだろうか。
自分が歴史に詳しくないものだからそこから勉強する必要がありそう。
1600年前後っていうのは日本が激動したから途切れてる家系が割とある?
くずし字読めるのに歴史詳しくないってのも不思議なやっちゃな
888 :
日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:46:14.66
古文書を自分で読める訳ないでしょ。
地元大学の先生や郷土史家が全部調べた結果をもらってる。
隣村のも全部合わせて訳文貰ってるから。
読めるわけないって言われてもな・・・
なんかまた胡散臭いやつだな
>>886 それ典型的な帰農武士だと思うよ。
うちの家もそうだし、うちの家の南にある村にも大阪の陣後に
村の広大な土地を買い取って大庄屋になった家があるしね。
891 :
日本@名無史さん:2013/12/04(水) 00:36:44.14
>>890 どうもありがとう。
帰農ですか、その言葉で掴めてきそうな気が!
少しぐぐってきたけど動き方がかなり合致してる。
帰農=移住した初めから文書を残して文字が書けているし治水もやったらしく学問があった。
土地持ちなだけでなく学を生かしていたようです。
>>886 慶長までということは、関ヶ原の戦いで敗戦し改易された西軍方の上級武士じゃないか?
敗戦を恥として、それ以前の事を隠していたと考えれば筋が通る。
893 :
日本@名無史さん:2013/12/04(水) 20:54:05.31
>>892 ヒントをありがとう。
でも多分上級ではないです。
実は隣村の庄屋と移住前から繋がりが深いらしく、そっちの方が古文書は多数残って
うちは隣村ではあるけどずっと補佐的にやってた感じがあります。
そっちが上級武士でウチは一緒に付いてきた気がしないでもない。
その庄屋が村上源氏系というのだけは聞いています。
894 :
日本@名無史さん:2013/12/05(木) 19:07:04.25
江戸時代の初期は、人口は今の十分の一程度だったと言われている。
今のように平地が田んぼばかりという訳ではなく、手付かずの土地も
たくさんあったんだろ。
戦国武将は戦ばっかりやってたイメージがあるが、そんな訳はない。
信玄のように治水で有名な大名もいるし、お城作りは土木工事だ。
帰農してそういう知識や技術を、戦じゃなく生産に使ったのも
いるんだろうね。
100年ちょっとで3000万近くまで増えてるらしい。
戦が無いって事は偉大な事なんだと解かるね。
明日は大手柄だねパパ!
うちの地域の人口は
江戸の初期と比べたらたぶん100倍ぐらいになってる
898 :
日本@名無史さん:2013/12/06(金) 08:26:26.70
これから(中国と)戦争始まりそうみたいだからまた人口が一気に減るね。
みんなも沢山子供生んでね!
三国人を一杯やっつけたら英雄だね。
900 :
日本@名無史さん:2013/12/06(金) 19:39:40.77
次、逝ってみようか
901 :
日本@名無史さん:2013/12/07(土) 06:12:40.00
うちの名字検索すると中国の地名だったんだけど、シナから流れて来る事もあるかね
ないとは言わんが、かぶってる地名なんていくらでもある
904 :
日本@名無史さん:2013/12/07(土) 11:31:34.33
その地名が中国にしかないならそうかも
今はなくても以前はあったかもしれないよ
自分の下の名前が○河で、チョソで同じ名前の男性名があるみたいで大大ショック。
正直、先祖に関係ない話は余所でして欲しいところだ。
909 :
日本@名無史さん:2013/12/09(月) 19:36:46.37
分限帳で在籍確認したら、そこから家系図はどうやって調べれば良いの?
>>909 主家が家臣の系図集を編纂していないなら、子孫中の本家の系統に残っていることを期待するしかない。
系図を伝存していそうな家を未知なら、武家の墓所は特定の場所に集められていることが多いから、
その武士の家の墓を突き止めて、現在の墓守の家を特定する。既に無縁になっていないことを祈るのみ。
911 :
「どのように精神医療従事者の人に対応すべきか」:2013/12/10(火) 02:52:10.97
このスレの乾燥を唄に込めてどうぞ
大便を こきたるアメリカ 人の後に 便所に入りて 臭いぞかぎける
つれづれに 猿にオナニー 教へけり 塵のちまたに 秋の風ふく
信号を 渡る老婆を 蹴倒しぬ 日本男児の 心意気なり
山道の 苔のむしたる 大岩を ひっくり返し ダンゴ虫食ふ
肛門に ロケット花火 さしし日の 思ひ出遠く 秋立ちにけり
自分も分限帳掘り当てたところで止まってしまってる。
出家してきた高祖父の実家の長兄の記録だけど、そこからなにもわからない。そこから上の先祖も。
ちなみにその人の戒名は伝わっています。何か出来ることないでしょうか。
918 :
日本@名無史さん:2013/12/11(水) 01:23:37.61
>>911-916 誰かこの由緒ある皆さん方に敵意持つ生意気な荒らし野郎、
ソッカー(創価)・在日暗札秘密組織員の本名晒してくれ。
そうすれば俺が会社のレントゲ○・ガン(銃)で...
↑勿論ジョーク(そんなの無いWWW)
919 :
日本@名無史さん:2013/12/11(水) 03:41:45.91
>>917 状況から考えると、その家の分家と思われる(本家なら墓を管理してる)
つまり、本家筋が今どこにいるか分からないと、その前に遡ることは
出来ないんじゃないかね。
日本史板も、運営が規制に着手してもらいたいものだ。
924 :
日本@名無史さん:2013/12/22(日) 12:50:09.40
先祖が山城の武士だったらしいけど
子孫の俺が今から住み着いたらだめかな?
926 :
日本@名無史さん:2013/12/22(日) 15:41:07.13
昨日国会図書館に行って来た...余り成果も無くがっかりした。もう行かん。
あと頼りになるのは寺と親戚だ。
本籍地に関わる古文書調べてたら、明治19年式戸籍の前戸主の父の名前が判明した
複写許可されなかったのは残念だったけどついに辿り着いた
よかったな
戸籍の範囲外の事が分かったら大したもんだよな
明治19年式戸籍を取得したいのに
廃棄扱いだからできない
931 :
日本@名無史さん:2013/12/29(日) 08:51:43.11
浦島太郎の一族の子孫といういわれのある家がある。
これだけ聞いたら、嘘だろと思うんだけど、そうでもないらしい。
今でも浦島神社で祭祀をやってるのを、TVのドキュメンタリーでやってた。
家の場所は、日本書紀の雄略期に書いてある場所と同じ。
そこは漁村で、今も漁師だったかな。
浦島太郎は子孫がいないはずだけど、親戚くらいはあっただろうからなあ。
ここまで辿れたら、ある意味すごい。
↑
たまたまそこに土着した家が、神社の祭祀をやるようになったので子孫と詐称しただけ。
良くある例だよ。
戦国時代の信濃の木曽家なんかがそう。
木曽義仲の子孫であり名家というふれこみだったが近年の研究で木曽谷を支配してゆく
過程で、途中から木曽義仲の子孫と名乗りだした事が判明している。
それまでは藤原氏の一族と名乗っていた。
木曽谷を支配するのに都合が良いから木曽義仲の子孫を名乗ったんだ。
うちの先祖の出身村は現在ひどい過疎。たぶん遠い親戚であろう家とその裏山にある墓を発見したんだけど…
そこの碑文には、嫡子がなくこれにて絶えるということが掘ってあった。十年早く訪ねていればよかった。
空き屋は別に年代物の茅葺きでもなく、ごく普通のサッシ戸なんかの一軒家。
そこの管理者を調べて、その無人家を借りたいとかの客のふりして中に入ったりはできないかなと。
934 :
日本@名無史さん:2013/12/29(日) 22:33:00.34
>>933 田舎だと自治体が斡旋したりしてる。聞いてみたら?
菩提寺に行って過去帳を見せてもらう為のテクニックを教えてください。
一応、寺への寄付などはしているのですが、父親は先祖探しに興味がなく協力が得られず困ってます…
936 :
日本@名無史さん:2013/12/30(月) 16:42:20.58
分限帳で同じ苗字家系が複数あり未だ定かではありませんが、
宮大工棟梁が吟味格(藩の採用試験官)になってその息子が御祐筆とかって、やっぱり元々は大工でなく半士半農のような郷士でしょうか。
また「母...御奥ニ御奉公仕依命娶之」だとか、本人が「御局之養子」だとか「御局名跡継」とか藩士がその家系には何人か散見されるのですが、
どういう意味ですか。
また単に「御祐筆」とある場合はどういった人の秘書的立場と考えれば良いでしょうか。
宮本町(宮津市)
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/miyamoto.html 分宮神社
分宮神社は宮本町(文久二年正月旧職人町改称)に鎮座し指定村社にして宮津町東半の産土神なり、(写真参照)その勧請に就いては宮津事跡記に
分宮大明神御勧請之儀京極丹後守高広公府中一之宮に御信仰被爲在毎月御参詣被遊候處雪中
又は、荒等之節御参詣難被遊に付寛永五年丑九月職人町に御勧請同十一月御遷宮其後は一之宮之神主年々祭禮之節神事相勤候處職人町住人に
大兵衝と申者而至而実禮之者に而信仰致侯に付社内之掃除又は宮守に被仰付其後官職可致旨被仰出当社神主と相成御領内神主筆頭に被仰付候
また宮津旧記に
分宮大明神は京極高広公御在城の砌府中一の宮へ御信仰雲中御参詣を御厭ひ今宮津職人町の地へ御引移寛永五辰九月十一日遷宮即ち宮守には
同町太兵衛と云ふ者至って信仰故に宮守となり其後官職の儀は阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。
とあれば寛永五年九月十一日藩主京極高広侯籠神社のみ霊を祀られしに濫觴すること明かなり。
→阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。
阿部対馬守とは、江戸時代の徳川家譜代家臣の阿部正勝の子孫で、大阪城二代城主の阿部重次の事。
従六位島谷出雲守とは、阿部家従六位なのだろうか・・
奥州安倍氏従六位島谷出雲守とか・・カッコ良すぎる・・
町人の太兵衛が阿部対馬守の斡旋で、神職として従六位島谷出雲守という名乗り与えられたという話だがな
その情報ソース希望
分宮大明神御勧請之儀京極丹後守高広公府中一之宮に御信仰被爲在毎月御参詣被遊候處雪中
又は荒等之節御参詣難被遊に付寛永五年丑九月職人町に御勧請同十一月御遷宮其後は
一之宮之神主年々祭禮之節神事相勤候處職人町住人に大兵衝と申者而至而実禮之者に而信仰致侯に付社内之掃除
又は宮守に被仰付其後官職可致旨被仰出当社神主と相成御領内神主筆頭に被仰付候
また宮津旧記に
分宮大明神は京極高広公御在城の砌府中一の宮へ御信仰雲中御参詣を御厭ひ今宮津職人町の地へ
御引移寛永五辰九月十一日遷宮即ち宮守には同町太兵衛と云ふ者至って信仰故に宮守となり其後官職の儀は
阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。
↑
これ、そう読むのか・・分からん・・
日本語勉強しろ
要するに、阿部家に命じられた信仰深い町の職人が京丹後周辺の神社の神主として
選ばれて、島谷姓を阿部家から賜ったと・・
明治の初めの広島の福山の寄進功労の豪農、島谷さんの福山阿部家からの島谷帯刀もそう言う話なのか・・
松浦党島谷氏は・・一体何時の時代の阿部家の人が贈ったなのだろう。
間違ってるぞw
書かれていないことが盛られすぎ
>>936 祐筆って秘書というより事務員という感じだと思うよ
御局云々は夫も子も無い奥女中とかが自分の遺産を継がせて老後の面倒をみてもらうために養子を取って
そのまま養子の家系が存続したんでそ
これは実際の経験に基づくが同地方の同じ苗字でも様々な家系がある
分限帳に同じ苗字がある=それだけで先祖と関係あると考えるのは間違い
節子それ先祖やない、赤の他人や
>>945 自分の先祖と即断するのも間違いだが、赤の他人と断定するのも間違い。
>>936を見る限り慎重に判断しようとしているように見受けられるが。
947 :
日本@名無史さん:2013/12/31(火) 16:56:31.96
>>946 そうです、慎重に判断しまつ。
両親に親戚付き合いは煩わしくて可哀相云々と遠ざけられていたもので。
未だ宗家の家系図を見せて貰ってないし、
分限帳記載の名前と、これから当たる親戚筋の証言する名前や、
そこから辿るお寺さんの過去帳から出て来る名前を照らし合わせて判断したいと思てまつ。
まつとか今だに使ってる奴いるのかw
950 :
日本@名無史さん:2013/12/31(火) 22:18:37.50
遠縁からもう来ないと思ってた返信が一年半ぶりに来た
戸籍では限界までいったからあとはこういうので頑張るしかない・・
>>937 ここでは丹後宮津の話しだから、
阿部対馬守は重次ではなく、正邦のことだろう
>>942 >阿部家に命じられて
太兵衛を宮守(神社の管理人)にしたのは京極だな
阿部対馬守は「取御斗に依って」だから、
神主就任は命じられたというよりも、
太兵衛側からの働きかけによるものと思われる
>京丹後周辺の神社の神主
宮津城下の分宮神社な
>島谷姓を阿部家から賜った
普通に考えれば、賜ったのではなく、
太兵衛自身が縁のある名字を名乗ったものだろう
阿部正勝筋の先祖が阿部比羅夫の二男筋で、嫡流が奥州安倍氏の安倍頼好と唯一の生き残りの子・・安倍宗任・・平清盛の側近だった、松浦安倍太郎高俊。
播磨の松浦党島谷氏。
岩手の滅亡奥州安倍氏の居城だった花巻城が、島谷ヶ崎城とも言う。
書き文字や活字拾いならば鳥と島は取り違えやすい
あとは根拠のない結び付けと
意味不明な文章と直リン貼り付けばかりで
正直何がいいたいのかさっぱり伝わってこない
主語と述語の関係、てにをはの使い方を勉強し直した上で
論理的な文章の書き方と
的確な資料の提示の仕方を研究してから
出直しておいで
961 :
日本@名無史さん:2014/01/01(水) 21:18:35.15
こんなんだから松浦厨とか呼ばれて蔑まれているのに本人には理解できないのな
こうやって、有名な宗家筋やそうで無い宮司とかの先祖調べて置いたら、後々、役所や菩提寺で、その人たちの名前見つかったら、直ぐね何処の筋の人間か分かるだろう。
無駄に、役所で時間とお金掛けずに済む。
正月早々意味不明レスで埋めるなよ
俺的な良い初夢祈願祭・・一人祭り
966 :
日本@名無史さん:2014/01/01(水) 22:23:22.53
それが松浦厨だもの
967 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 09:05:57.59
>>964 >>963は、要するに在日君がコネや旨味に与る為にこのスレ覗いて研究して、
そして役所行くにしても、役所で働いてる人の名札見て姓から有力者(名家筋)家系の人を見分けて、
そういう人に出来るだけお近付きになるようにする事が出来そうだな、という意味じゃない?w
>>967 はいはい・・つつつ
ネトウヨ特有の妄想だから
あぼーんだよ
10年前のサンカスレ以来のネトウヨストーカーくん
案外、島谷ひとみにふられた、小泉の子供か弟の議員だったら笑う・・つつつ
鮫島→小泉元総理の子供
サンカスレが掲げるサンカ系第一人者の小泉元総理の血族・・つ
論理的な思考ができず短絡的
日本語で満足な意志疎通ができない
自分さえ満足できれば周囲のことなどおかまいなし
こんな状態だから四方八方から非難されているのに
自分を非難しているのは一人だけだと思い込む無意味に高いプライドと被害妄想
実生活が思いやられるな
974 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 16:39:21.24
>>968-
>>973 私は有名古族系らしく明らかにサンカさんではありませんが、
鬼畜民族に対するならともかく日本人に対する差別は善くありませんね。
つーか独りで意味もない荒らし書き込み連投に極左とかの異常性感じるわ。
975 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 17:54:39.38
実際に在日の被害受けて警察沙汰裁判沙汰になってて、在日の正体知ってるからネトウヨとか言われても全然騙されない。
2ちゃんは、個人が複数人に化ける族の巣窟だから・・
一々、差別用語を使い=差別を好む差別民。
差別民が利権・特権維持の為の差別が差別用語。
サンカは、差別用語では無い。
古代渡来民族で、阿倍氏とも繋がる民族。
近代移民の半島民への差別用語や古代先住の東北民差別用語を使う族がその本人達。
中央氏族と観たら、差別用語連発し、差別させようとする利権・特権の立場維持の連中。
中学生の方がまともな文章書けるぞ
なんでこんなに荒れてるんだ?
ひさびさに来てビックリした
松浦厨がファビョって荒らすのはかなり前からじゃね
前スレも終盤荒れたよねw
またそうやって草生やす
ここは学問板なのに
w
そんなこと言う奴もこれまでいなかったのにw