952 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) 21:35:32.11
反論はしっかり聞いておるぞ
そして、それに対する反論を練りに練っておる、聞きたくないだろうが、、、
聞いた内容も自分が書いた内容ももう忘れてるよw
>>707 > 記紀が編纂された時点での皇統が九州に由来していたのは間違いない
> でなければ、必用に九州を起点にするエピソードを記す理由がなくなるから
> だが、これが邪馬台国であったかは別の話
同意する。
955 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) 22:07:50.54
>>947 門脇氏は元気な頃から九州説。また、著書を見ればわかるが立派な歴史学者。
思想家に祭り上げるなんて、さすがに畿内説。反対派には容赦ないな。
それに、畿内説が有利になるなんてことはない。
畿内説の考古学的柱と言われた三角縁神獣鏡魏鏡説が破綻し、
吉野ヶ里遺跡が発表され、畿内説は青息吐息の状態だった。
だから、年輪年代に乗っかって、年代を繰り上げ、唐古・鍵から纏向に
鞍替えしたわけだ。もう何でもありで、これもさすがに畿内説と
言わざるを得ない。
年輪年代の光谷氏も、一歩間違えば、旧石器の藤村氏のように切り捨てられて
いたかもしれないな。
邪馬台国は70000戸なのに鍵・唐古や巻向だけな訳無いからw
△国産説もいるし箸墓を卑弥呼の墓としない人もいるよ。
九州説は結局い恨み言ばかりで、目の前の現実を認識できないようだ。
「其大倭王居邪馬臺國。樂浪郡徼去其國萬二千里、去其西北界拘邪韓國七千餘里」『後漢書』
『後漢書』では拘邪韓國からの距離が記されている
樂浪郡〜拘邪韓國=5,000里 拘邪韓國〜邪馬臺國=7,000里
拘邪韓國から邪馬臺國までは、樂浪郡から拘邪韓國までの距離の1.4倍
正確な距離ではないから、拘邪韓國までより先のほうがもう少し時間がかかるということだろう
『倭人伝』では帶方郡〜狗邪韓國=7,000里
狗邪韓國〜不彌國までは里数表記、投馬國と邪馬壹國は日数表記になっている
宗像三女神を祀る名神大社は北部九州に宗像と呼子の2社ある
宗像大社沖津宮がある沖ノ島からは縄文前期の北九州、瀬戸内海、山口の縄文土器や黒曜石が出ている
縄文前期の漁民のちゃちな舟ですら、この航路を利用している
漢、魏代に航路は2本あったと考えられる
「南至投馬國」の始点は「狗邪韓國」であろう
「南至邪馬壹國」の始点は「投馬國」か「狗邪韓國」かはっきりしないが
「狗邪韓國」からなら宗像三女神を祀る名神大社がある安芸で上陸するのかもしれない
広島県三次市からはローマ帝国製の可能性が高いガラス玉が3世紀前半の遺跡から出ている
中国地方の内陸ルートの存在は十分考えられる
958 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) 22:46:40.54
>>956 畿内というのは大和・山城・摂津・河内・和泉。
このうち、大和朝廷の国はもちろん大和。
3世紀あたりの邪馬台国が畿内にあったとしたら、のちの大和より広いとは
考えにくい。
邪馬台国が畿内にあった場合でも、支配範囲はそれほどは広くなかったのではないかということなら同意する。
ただ「事実上は半独立勢力だが、名目上は支配下にある」勢力
(戦国時代だと佐竹氏と常陸江戸氏の関係のような感じ)
もけっこうあったはずなので、それらをどう考えるか。
960 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 08:02:21.34
天皇家自身が九州から来たといってるし、遺跡の状況から中心が九州から
ヤマトに移ったことも間違いない。
記紀からすれば、天皇家は卑弥呼の直系ではないかもしれない。
神武はヤマトに来て、一豪族にすぎない。子孫もしばらくは同じ。
もしヤマトなら、神武の子孫は卑弥呼を共立した豪族の1人だったのかもしれない。
961 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 08:41:46.97
>>960 > 記紀からすれば、天皇家は卑弥呼の直系ではないかもしれない。
継体天皇パターンの
「薄いながらも、いちおう血はつながっている」
というのもありえる。
962 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 08:56:46.59
二〜三世紀の奈良盆地に7万戸もあったとは思えぬ
963 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 11:46:45.07
神武(イワレ彦)は卑弥呼(モモソ媛)の7代前の先祖。
6世紀に播磨国すら領有していないヤマトが、
3世紀に広域領有などありえない。
この板って言葉の使い方からして明らかに70過ぎの爺さんがいるな
966 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:30:55.42
>>963 倭迹迹日百襲姫が卑弥呼で、魏から倭王と呼ばれていたとしたら崇神天皇の
立場がない。
それに、崇神天皇と言えば、四道将軍を東海・丹波・越前・西海の周辺地域に
派遣し、従わないものは討てと命じた。
壱岐や対馬を含む九州各国を支配していた卑弥呼とは矛盾がある。
967 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:41:35.21
>>960 畿内の遺跡に九州からの痕跡なんて薄いのだが。
>>967 水田が九州からの伝播だし
記紀で天皇が九州から来って言ってる
969 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 14:06:05.64
>>967 畿内説の考古学者が、明らかに九州の痕跡が見つかりました、
と言うわけがないな。
たとえば、纏向では、高度な鉄器鍛冶の痕跡が見られるが、
鞴(ふいご)は九州のもの。
970 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 14:13:59.99
神話の元は明治維新だろ?
期待しすぎだ。
971 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 15:07:11.59
>>966 >
>>963 > それに、崇神天皇と言えば、四道将軍を東海・丹波・越前・西海の周辺地域に
> 派遣し、従わないものは討てと命じた。
> 壱岐や対馬を含む九州各国を支配していた卑弥呼とは矛盾がある。
卑弥呼はゆるい支配だろ。
足利義教は自分の言うことを聞かない大名を見せしめ討伐したが
崇神天皇も似たようなことをやったのかもしれない。
>>970 記紀神話自体は奈良時代の作品
古墳時代初期から語り継がれた部分は稀少だろう
口伝で何百年も確実な内容を語り継ぐのは困難なことが判明してるからな
ただ、明治以後に(主に大正から昭和初期ごろ)記紀神話を焼き直して現代人に分かりやすく(&皇国史観を補完するように)リメイク・アレンジされた「記紀神話モドキ」が広く普及したのは事実
絵本とか入門書、解説書では、リメイクものしか読めないのが多いだろうな
もっとも、神話のリメイク行為は平安時代にも室町時代にも江戸時代にも行われてて、明治以後に限らないんだが。
973 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 15:31:28.16
>>971 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國
女王国より北を以って特に一大率を置き諸国を検察する。諸国、これを畏れ
憚る。常に伊都国に治む。
これはゆるい支配とはいえない。
974 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 15:44:37.09
魏志倭人伝が真実ならな
今の論文ですら、間違いや、嘘、捏造があるのに
なんで3世紀頃の資料に間違いがないと思えるのかが不思議
実際、検証も出来てないのに
っていうか、魏志倭人伝の頃に間違いなく資料が作れたとしたら
それこそオカルトだろ
975 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 16:02:13.40
畿内大和説はゆるキャラ
中国の正史はデタラメだらけ、なんて放言する人間のほうが
よっぽど嘘と捏造をしたがっていると思うな。たとえば畿内説。
977 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 16:16:38.54
どうせ中国の書はでたらめなんだから自分たちも少しくらい、という言い訳心が透けて見えるな
978 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 16:17:25.38
>>973 江戸幕府だっていちおう大目付を置いて諸大名を監視していたが
基本的には自治だった。
979 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 16:41:08.09
>>978 徳川幕府が全国を支配していないと考えるのはどうかしている。
熊本の加藤家は取り潰されたし、薩摩藩も宝暦治水事件などをみれば
わかるようにこき使われている。
980 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 16:49:51.07
歴史ってそもそも、嘘と捏造したがってるとか、そういうもんじゃないから
隣の国は知らんけど
検証出来ない資料
間違いがあるなら、その資料全体の信憑性は落ちる
別に何も不思議ない当然の事
中国の正史はデタラメだらけではないな
後漢代の倭国の最南端は、後漢から印綬を賜った倭奴國
大倭王がいる邪馬臺國は、樂浪郡から拘邪韓國までよりも拘邪韓國から遠いところにある
魏代は、女王国以北に女王に従っている国々が九州にあるから、旧倭奴國の南の領域に
邪馬臺國の直轄地ができている
伊都國の東南の奴國と旁國の奴國の国名がだぶっているから
旧倭奴國が伊都國と奴國に分割されて、奴國の南の領域の熊本を南九州の狗奴國対策のために
直轄として人員を配置しているのだろうな
982 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 17:02:06.05
正直、現代に勢作されてる戦国IF小説よりは信憑性あるんだとは思うよ
魏志倭人伝も
戦国IF小説って酷いのになると、正しいのは武将の名前と城の所在地くらいのもあるから
中国で後世に書かれた、日本の戦国時代の流れとか酷いもんだったし
まぁ興味も薄いし仕方ない面もあるのだろうけど
あのレベルで書かれてては、邪馬台国への行程になってるかは怪しいし
風俗すらどうよってレベルではあるな
>>968 >水田が九州からの伝播だし
違うわ、いつの話だよw
984 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 17:10:58.82
そもそも、魏志倭人伝が完璧な資料で間違いがないなら
邪馬台国論争なぞ発生してない
間違ってるから、邪馬台国なるものは何処にあんのってなってる
橿原市中西遺跡の水田跡は弥生前期で(紀元前4世紀)国内最大級だしな。
986 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 17:14:13.40
>>985 水田の跡は見つかっても人の住んでいる痕跡はないらしいな。
>>986 水田の跡があるなら、そう遠くないとこに人が住んでたんじゃね?
必ず集落を見つけないといかんの?
988 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 17:21:43.09
>>974 畿内説の妄想に照らして間違っているというからおかしいのだ。
そもそも「ゆるやかな連合」なんてのがおかしい。
寺澤薫の「王権の誕生」には、纏向は三世紀の初めに突然現れた、
と書かれている。
突然現れた集落がすぐに九州まで支配して、当然のように九州の各国を通過し、
大陸まで普通に往来しているというのがおかしい。
畿内説を前提にするから、倭人伝も間違っているということになる。
九州説なら全然おかしくない。
>>987 じゃ、誰が田植えしてたんだよw
場所的に神武天皇かもなww
990 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 17:28:23.74
>>989 だから、水田があるのが確定なら、そう遠くないところに集落があんだろ
キミは、現代でも、田んぼが何故か知らんけど存在するとかありえると思うの?
少し落ち着きなよ
全て掘り返せる訳じゃないんだから
畿内の水田て、九州から伝わったのでないの?
>>983を見て目が点だが
>>985-990 のなかに九州説の人って居るのか?
あっと、988は九州説か
986とか989って「九州説の猿どもが言うように畿内が無人郷だったとするとおかしな事になっちゃうぜ」って言ってるように見えるんだが。
>>991 >畿内の水田て、九州から伝わったのでないの?
少しは最新の考古学を勉強してください。
畿内の水田開発は、九州勢力の指図だろ。
縄文末期の話なら、どちらにせよ邪馬台国東遷とは無関係だな。
996 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 18:23:34.21
弥生前期の遠賀川式土器が稲作普及の指標とされる。
遠賀川式土器は、九州から青森まで広がっていると言われる。
稲作は、九州から広がったと考えるのが普通。
畿内説は最近、何でも九州から伝わったというのを否定するのに躍起に
なっている。滋賀県高島市・上御殿遺跡のオルドス式銅剣の鋳型というのも
その一環で、大陸から直接、近畿地方に伝わったというのだが、疑問を
呈する人が多々いる。素人でもおかしいと思う。
997 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 18:52:06.05
アマテラスもスサノオも福岡生まれである。
ヤマト朝廷のルーツが九州で
神武が東征したのは間違いない。
998 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 18:54:31.64
米の伝播が実際はどうなのかは置いておくとして
今までは無条件に、九州に近い朝鮮半島から水稲が伝わったと考えた
今、朝鮮半島から伝わってないのは間違いないのは確定した
また、中国から直接伝わったのも確定
渡来人が伝えたよう(未確定だけど有力)
で、渡来人が必ず九州に住む理由は実は無い
♪通りの角から三軒目 メリヤス工場の塀の陰〜
おわれ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。