邪馬台国は九州にあった25

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1日本@名無史さん
 
定説にとらわれず道理にのみ従い真実を論究し続けるスレ第25弾
 
 
前スレ 邪馬台国は九州にあった24
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1364528953/
2日本@名無史さん:2013/05/17(金) 20:31:06.13
湖南ズ ネクスト ひーんと : 箸墓古墳
3日本@名無史さん:2013/05/17(金) 20:34:12.11
満州爺も消えたし、
そろそろ議論再開するか
4日本@名無史さん:2013/05/17(金) 22:20:17.12
>>3
議論って、あの「思う」という佐賀巡りのやつか?
5サガミハラハラ:2013/05/18(土) 07:02:59.77
まず邪馬台国の都がどこにあったかをしっかりと確認したうえで話をすすめましょう。
邪馬台国卑弥呼都城址は佐賀県小城市甘木です。卑弥呼の墓は、小城公園内桜ヶ岡です。
しかし、この都は卑弥呼の時代に遷都してきたものであり、遷都以前は吉野ケ里にありました。
吉野ケ里北内郭に卑弥呼は住んでいたのです。
6日本@名無史さん:2013/05/20(月) 19:39:13.40
とりあえず>>1おつ
7日本@名無史さん:2013/05/20(月) 19:45:07.57
<前スレより>
邪馬台国・女王の都ではないかと睨んでるところ(ワンクリック拡大+して見てください)。

城柵厳設を想わせる競馬場のような楕円の里道と、それに沿う街並みが見える。
前方は深く長い渓谷、後方には高い山々、そのあいだに広がる丘陵地帯。
御台と呼ぶにふさわしく「神殿」なる小字もある。
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E131.18.28.280N32.42.8.610
8日本@名無史さん:2013/05/20(月) 19:59:15.47
サガミハラハラ著「邪馬台国の終焉」
 これでしたっけねえ↑
9邪馬台國は都城:2013/05/20(月) 20:03:12.22
佐賀は狗奴國です。
女王國から北に辿っていくと最後に女王の境界の尽くる所、奴國(福岡)になります。
そしてその南が狗奴國です。

女王國は伊都國に大拠点を持っています。
女王國の北の主要国は女王國から遠いからです。
10日本@名無史さん:2013/05/20(月) 20:10:57.30
有明海沿岸に沿うように、輪を描いて倭國は広がってます。
多少内陸に入ってる國もありますが。
その輪を境界線にして、南側が狗奴國です。
11日本@名無史さん:2013/05/20(月) 20:17:30.77
佐賀は熊襲の国
根本的なところから間違えてるから、邪馬台国は九州だなんてお馬鹿な結論になるんだろうな
12邪馬台國は都城:2013/05/20(月) 20:21:23.20
根本的なところとは?
13邪馬台國は都城:2013/05/20(月) 20:23:39.16
ちなみに俺の考えでは狗奴國が熊襲の国でも矛盾しない。
14日本@名無史さん:2013/05/20(月) 20:30:47.33
>>11 の言いたい根本的→ 2ちゃんはお花畑なんよ
15日本@名無史さん:2013/05/20(月) 20:40:32.48
御勢大霊石神社の由緒によると、
仲哀天皇はこの地に陣地を築いて熊襲征伐してた時に毒矢に射られて崩御している

これは仲哀天皇の時代までは佐賀平野は熊襲の勢力圏だったということを意味している
16日本@名無史さん:2013/05/20(月) 20:46:53.43
前スレに鳥栖の辺りに戦の痕跡があると書いてた人がいたが、
俺にはやっぱりなぁって感じだった
17日本@名無史さん:2013/05/20(月) 20:47:12.47
肥前は郡の細かさからみて長崎側の三郡と
佐賀側の八郡じゃ明らかに郡としての成立過程が違う
18日本@名無史さん:2013/05/20(月) 20:57:14.85
御勢大霊石神社:
仲哀天皇の御紋は三つ巴になってるから、邪馬台国よりかなり後のことだな
19日本@名無史さん:2013/05/20(月) 21:09:59.81
肥前・肥後の肥の字に巴という字が入ってるのは何か意味が秘められてるのかなぁなんて思ってしまった
20日本@名無史さん:2013/05/20(月) 21:19:53.46
とりあえずこのNo.25スレに登場した説

<狗奴国=熊襲国>
・佐賀平野説、・鹿児島方面説
<邪馬台国>
・小城市甘木説、高千穂説、都城説
21日本@名無史さん:2013/05/20(月) 21:26:02.50
明らかに狗奴国≠熊襲国なわけだが
22日本@名無史さん:2013/05/20(月) 21:29:36.27
前スレ>>997
吉野ヶ里遺跡が発表されたのは1991年。
そのときは、みんな吉野ヶ里遺跡は卑弥呼時代に存在したと言っていた。
石野博信氏も「少なくとも卑弥呼時代を含むのは間違いない」と言い切っている。

それが変わったのは、1998年あたり。畿内説は、年輪年代法を根拠に、
全体的に100年古くした。マスコミや出版業界を巻き込んで大々的に宣伝した。
あっという間だったな。

しかし、肝心要の年輪年代法には疑問な点が多い。
誰一人その信頼性を確かめられないという弱点がある。

これについてはもっと議論すべきだったが、畿内説は既成事実として宣伝しまくった。
吉野ヶ里と纏向のどちらが卑弥呼時代の遺跡としてふさわしいかを含め、論争すべきだな。
23日本@名無史さん:2013/05/20(月) 21:37:16.21
畿内論者は学者含めて基地外だからな。
24日本@名無史さん:2013/05/20(月) 21:42:18.60
巻向で用いられた年輪年代法(年輪の幅mmで年代を知る方法)は、
木の育つ場所の日あたりのよしあしで年輪幅が左右されるので、まるで役に立たないと言われてたな。

年輪酸素同位体法(年輪試料の酸素同位体の含量を計り、同位体比率で比較する方法)なら信頼できるらしい。
25日本@名無史さん:2013/05/20(月) 22:08:07.25
吉野ケ里は、消滅したわけではなく、
弥生終末期に縮小しているのは確かだが、
地方の役所が置かれていた形跡があり、
木簡が出土している。

おそらくは神崎郡クラスの王が吉野ヶ里の王で、
更に大きい周辺の強大国にまとめられたものと考えられる。

候補は肥前国府の先祖を中核とする国家群か、
久留米国府の国家群が近い。

神崎吉野ヶ里は、肥前国に存在することから、
肥前国の可能性が高いと考える。
26日本@名無史さん:2013/05/20(月) 22:15:25.95
>>22
訂正。吉野ヶ里遺跡が発表されたのは1989年だった。

年輪年代法で、池上・曽根遺跡の木材が紀元前52年とされ、畿内第四様式が
100年古くなったのは1996年。
27邪馬台國は都城:2013/05/20(月) 22:53:21.12
中国語の本で「漢字古音手冊」というのが手に入った。
全部中国語でまだ使い方よくわからないのだが試しに“臺”の古い音を見て
みたらどうも日本語の音で“だ”に近い音になるようだ。
発音記号がわからないからほんとにそうかは自信が無いが。
まさかの「山田国」w
都城市で山田にちなむ地名があるか調べたら、あったよ山田町。
盆地の中でも高千穂峰に一番近い山際の柿木原というところはgooglmapで
見るとどうも台地っぽくて山方面以外川に囲まれてて要塞にぴったり。
しかも結構大きい。台地の部分だけで一キロ四方ぐらいある。
この本使いこなせそうもないから古音が載ってるという学研の漢字辞書も
買ってみるかな。
28日本@名無史さん:2013/05/20(月) 23:01:25.60
都城って満州っぽいな
29日本@名無史さん:2013/05/20(月) 23:16:59.74
>>22

岡山県で中国新の時代から後漢に流通した貨泉(AD14〜40年)が出土してるよね。中国の文明は
紀元0〜100年には瀬戸内海には流入してたんだよ。京都の日本海側からも出土してる。

http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/child-ibutusyokai.html
貨泉とは中国の新(しん)<紀元後8から23年>から後漢<25年から220年>の初めに造られたお金です。
当時、弥生時代だった日本列島でも見つかっています。岡山県内では岡山市高塚(たかつか)遺跡や倉敷市
上東(じょうとう)遺跡で出土しており、高塚遺跡のものは国の重要文化財に指定されています。ただ、弥生時代の
人々がこれをお金として使っていたわけではないようなので、なぜ国内に入ってきたのかはナゾです。
30日本@名無史さん:2013/05/20(月) 23:48:40.29
>>29
貨泉のようなものは、年代の上限が決まるだけ。
代々受け継がれることもあるから、ずっと後の時代から出ることもある。
31日本@名無史さん:2013/05/21(火) 08:39:00.23
>>27 
前スレ781 :日本@名無史さん:2013/05/10(金) 22:40:25.03、
ご参考までにコピペ。ヤマティ、ヤマディ、ヤマダィ、ヤマダ みたいな感じかな。

>邪…ヤとエの中間音(yae)
>馬…マ
>台…ティ、またはタィ

>倭人伝に記された地名は、音写を目的とする漢字による音表であるから、一音一音に意味がある。
>ゆえに漢字一文字を日本語の二字音として発音してはならない。たとえば台を、タ、イと二字音で発音してはならない。
>説明を中略するが、「邪馬台國」なる漢字の意味は…

>入り江に望んだ、畑の続いた、岡の國…となるらしい。
32日本@名無史さん:2013/05/21(火) 08:48:21.11
>>31
>説明を中略するが、「邪馬台國」なる漢字の意味は…
>入り江に望んだ、畑の続いた、岡の國…となるらしい。

音を写す漢字に意味はないよ。
「可口可楽」(コカコーラ)などは別だが。
33日本@名無史さん:2013/05/21(火) 09:03:31.47
続き:
例えば「麦当労」(マイダンラオ=マクドナルド)はいかにも意味がありそうだ。
この店の「麦」(=パン)は食べに行く「労」に「当」たる(=値する)とかね。

しかしそんな当て推量は人名表記を調べれば吹っ飛ぶ。
1860年代の香港総督にマクドネル(McDonnel)と言う人がいるが、この名前の漢字表記
が「麦当奴」(広東語でマクタンノウ)なのだ。

これを見れば「麦当労」も人名表記のルール、またはせいぜい前例にしたがっている
だけだということがわかる。
34満州まぼろし探偵:2013/05/21(火) 09:11:24.25
>仲哀天皇はこの地に陣地を築いて熊襲征伐してた時に毒矢に射られて崩御している

毒矢を使うのは粛慎か挹婁である。
35日本@名無史さん:2013/05/21(火) 09:19:23.99
九州で唯一、継続的に古墳が築かれた宮崎県西都原をなぜ取り上げない?
36日本@名無史さん:2013/05/21(火) 10:48:30.11
西都原は、
水にこと欠く高台に古墳を築いたことに異文化を感じるな、草原の民、渡来の遊牧民族の血筋かも・・。
けっきょく、多くの者は投馬国決定と思ってるのではないか
37日本@名無史さん:2013/05/21(火) 11:19:13.64
西都原の有利な点は:
北九州一帯の「南」にあるのは間違いない。
「水行十日」に合う。
「陸行一月」に合わないが、「一月」は「一日」の誤記と考えることができる。
「日」の両縦棒が伸びれば「月」になるのだから「南」を「東」の誤記とするよりはまし。
実際、最後は陸行となるやや内陸にある。

その他に:
東征伝説に合う。
最も古い前方後円墳は巻向に匹敵する古さである。
最も大きな前方後円墳は畿内型であり、中央とのつながりがある。
38日本@名無史さん:2013/05/21(火) 11:32:33.14
>>32
>音を写す漢字に意味はないよ。

これはコピペなので、原文を書いた人の言わんとするところを私が推測すれば下記の通り。
(要するに、当時の倭語≒大和語の九州方言がどのような発音と意味をもっていたかを知ることが肝心であろう)

>>「邪馬台國」なる漢字の(中国式発音から推測復元される倭語の)意味は…
>> 入り江に望んだ、畑の続いた、岡の國…となるらしい。
39日本@名無史さん:2013/05/21(火) 12:00:21.49
でつ
40日本@名無史さん:2013/05/21(火) 12:09:04.32
邪馬壹の発声は
司馬懿の発声と似ているのでわ
41日本@名無史さん:2013/05/21(火) 12:29:04.17
馬・摩(マ)が、丘陵地帯(畑作地帯)を意味する可能性は大きいとみた。

@ 投馬国(つまこく) :これを都万(西都市妻)とすれば、丘陵の畑作地帯に大古墳群がある。

A 仁摩町(にまちょう):島根県邇摩郡にあった町。
2005年10月1日、大田市、温泉津町と合併し、新市制による大田市となり廃止した。
島根県の中央部に位置し、東は大田市、南は温泉津町に接し、西は日本海に面する。
町の総面積の76%が丘陵地帯で、畑作と漁業が主な産業であった。
42日本@名無史さん:2013/05/21(火) 13:15:00.61
>>38
>> 入り江に望んだ、畑の続いた、岡の國…となるらしい。

倭語の「や」「ま」「と」にそんな意味があるという根拠はなにか?
43日本@名無史さん:2013/05/21(火) 13:30:53.65
>>42
>38 に書いたとおり、前スレ >781 の記事になにがしかのワケありとみてコピペしたわけ。
倭語、あるいは九州の椎葉・高千穂とかの山間語、もしくは韓国語、朝鮮語、満州語あたりで解読できるのかなと。
元記事をカキコした人、根拠のほうお願いします。
44日本@名無史さん:2013/05/21(火) 13:37:54.64
>>43 つづき
縄文語、アイヌ語、山の民サンカ語、ということもあるなあ
当地でも、数は少ないが、未だ日常的に縄文単語を使っている。例:ナバ、ヒラ
45日本@名無史さん:2013/05/21(火) 15:18:59.20
>>43
結局のところ、>>41もやっているように、異なる地名に含まれる共通の音節を取り出して、
これを一音節語と見なしたうえで、地名に共通する地理的特徴からその音節(=一音節語)
の意味を推定しているわけだ。

これは例えば「ヤマ=山」と「ミヤ=宮」に共通に含まれる「ヤ」を取り出して、
山も宮も樹木が多い、だから「ヤ」は「森に覆われた場所」の意味だ、と結論する
のと、同じ論法だ。

>781は私も読んだが、これと同じ論法だったと思う。これがいかに乱暴かは
説明するまでもなかろう。
46日本@名無史さん:2013/05/21(火) 15:32:37.28
uu
47日本@名無史さん:2013/05/21(火) 16:30:41.52
>>45
漢字を念頭に置いて考えてる部分がちょっと違う。
古語は単音で意味を成してたと思われるので、漢字を元に
それをバラした単音での解釈はしない方が良い。

例えば海(ウミ)は、一字で二音だが、古語では海=ミになる。
熱海、内海の読みに名残がある。
ただ、当時の『ミ』は物凄く広範囲の意味を表した。
次第にウ=大きい・ミ=(水の総対象)で『ウ・ミ』と呼ばれる様になった。
対象物の細分化が計られた訳です。

それから漢字が輸入され、ウミの音に海の字が宛てられた。
もしも現在でも古語のままなら、大海でウミと読む事になる。
それをオオウミと読んで、単音にバラして考えるのは違うと言う事です。
48満州まぼろし探偵:2013/05/21(火) 17:22:07.03
熱海 ataumi→atami
内海 uchiumi→uchumi

母音が続くと短縮される。
そんなことも知らんのか、チミらは(泣)
49日本@名無史さん:2013/05/21(火) 17:54:23.30
烏都→内→鬱
宇受
宇津
禍          こんなかんじか
50日本@名無史さん:2013/05/21(火) 17:58:58.57
>>47
漢字を念頭に置いていない。倭語の意味を漢字で説明しているだけだ。
いずれにしても、倭語を一音節語と決めつけることはできない。
例えばヤマとあったら、「ヤ+マ」と同時に「ヤマ=山」も考えなければならない。
51日本@名無史さん:2013/05/21(火) 18:11:29.82
狗 孔子曰「狗 叩也 叩氣吠以守」从犬句聲 古厚切 (gau,gaw→kou,ku)
狗 《集韻》音詬 本作[豸后] 熊虎子名 或作豿
狗 與馬二歳曰駒 熊虎之子曰豿同義
豿 《釋文》狗 本或作豿

狗 本或作 豿
狗邪 或作 豿邪
狗邪 或作 豿耶
狗   即  委奴 也 (winu,wina)
豿耶 即  父狗 也
豿耶 即  伽耶 也 (gaya,gawya)
伽耶 或作 可也
狗邪 或作 ~屋
狗邪 或作 兒屋 →【中臣連等之祖】
狗邪 或作 ~産巢
52日本@名無史さん:2013/05/21(火) 20:02:53.08
邪馬台国は今の韓国あたりだよ
百済と言った方がいいか?
53日本@名無史さん:2013/05/21(火) 20:13:37.18
けっきょく、倭語辞典みたいのはないわけか。。。
54邪馬台國は都城:2013/05/21(火) 20:44:32.92
参考になるページを見つけたぞ
ttp://www3.ocn.ne.jp/~ocra/index.html
この人は邪馬台[jya-mea-də]をヤマトと読んでいるが「ə」はsuccess(səksés)
のように「あ」に近いだろ。とかあるが面白い。
俺の「漢字古音手冊」を読む助けにもなるな。
55日本@名無史さん:2013/05/21(火) 20:45:24.66
自分の都合のいい音で読んでるだけでしょ
本末転倒甚だしい
56日本@名無史さん:2013/05/21(火) 20:46:47.97
>>51は面白い。これは和製の辞書だね。

狗邪 は 神屋とも書く。狗邪 は 兒屋とも書く。と言っている。
これは神屋の訓読み(和語読み)「かむや(こうや?)」、児屋の訓読み「こや」が
狗邪の和語漢字音、「くや」に近いと言うことだ。
また、これらの姓が 伽耶由来であることを示している。

狗邪 は 神産巢とも書く。これが分からない。
神産巢の訓読み「かみむすび」「かんむすび」は「くや」に近くないからだ。

それとも意味の上で同じ、つまり 神産巢とは 伽耶の意味であると言うのか?
俄然、皇室と金官加羅が結びついて来るな。
57邪馬台國は都城:2013/05/21(火) 20:47:27.14
やっぱり発音文字だめだったかorz
「ə」というのは「e」の上下逆さまになったやつのこと。
58日本の名無史さん:2013/05/21(火) 20:52:36.59
満州、生きてたのか
59日本@名無史さん:2013/05/21(火) 21:03:16.32
其大官曰卑狗 (ひこぅ)
卑狗 即 卑~
卑狗 即 鄙~ なるべし

~産巢 即 こぅうます なるべし
~産巢 或 くまうます だべさ
60日本@名無史さん:2013/05/21(火) 21:06:32.69
この人は邪馬台[jya-mea-də]をヤマトと読んでいるが「ə」はsuccess(səksés)
61日本@名無史さん:2013/05/21(火) 21:09:30.01
邪馬台はjya-ma-doじゃないの?
62満州まぼろし探偵:2013/05/21(火) 21:58:19.44
邪馬台国論争。こういう用語がそもそもいけない。
こういう用語は廃止すべきである。こういう用語があるから、
邪馬台国を九州その他に求めようとするアンポンタンが後を絶たない。

卑弥呼論争とすべきである。
卑弥呼とは誰か、どこにいたのか、そういうことを議論すべきである。
63日本@名無史さん:2013/05/21(火) 22:14:09.74
>>59
>神産巢 即 こぅうます なるべし
>神産巢 或 くまうます だべさ

いずれにしても「狗邪」「くや」の音に近くないではないか。

ちなみに「神産巣日神」(かみむすびのかみ)は皇室の祖神だ。
これが狗邪と同義だということは、皇室が金官加羅から来たということになる。
64邪馬台國は都城:2013/05/21(火) 22:18:35.77
>>60
おお、可能なのか。

>>62
卑弥呼が誰か? A.邪馬台国の女王。
どこにいたのか? A.邪馬台国。
65日本@名無史さん:2013/05/21(火) 22:22:17.61
卑弥呼は伊都国の女王
66日本@名無史さん:2013/05/21(火) 22:40:35.66
>>64
神話の中に卑弥呼を探して倭人伝を副本化しとる人だからほっとけ。
人の墓を卑弥呼の墓だと決めて調査しとるアホ学者と変わらん。
67日本@名無史さん:2013/05/21(火) 23:07:36.70
通常は「戸〇〇」
しかし、何故かそれまでの戸〇〇が、
韓伝からは「〇〇戸」

さあ、何故か?
68日本@名無史さん:2013/05/21(火) 23:15:15.53
歴史音韻やるならこれくらいは厳密じゃないと駄目だよ
http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/pimiho_2.htm
69日本@名無史さん:2013/05/22(水) 00:02:03.85
陳寿は匈奴と狗奴を混同してたのかな?
70日本@名無史さん:2013/05/22(水) 02:12:02.07
>狗邪 或作 ~産巢
>神産巢 即 こぅうます  
>神産巢 或 くまうます → くまそ
71日本@名無史さん:2013/05/22(水) 02:27:26.38
外国文献も貴重だ
しかし、対馬・壱岐・松浦・五島方面の古語に、倭語の名残を見いだせるのではないか
その方面の出身者や、或は古老の言葉使いとかを調査した人はいないものか?
72日本@名無史さん:2013/05/22(水) 06:08:38.66
>>62
スレタイをよーっく見よ。終止符スレへ行け。
73日本@名無史さん:2013/05/22(水) 06:19:14.01
古代の漢籍って、読むものではなく見るもの
見てその内容や意味を知るもの

漢字には音があるからと、その音を拾い探ってもしかたない。
74日本@名無史さん:2013/05/22(水) 06:26:35.09
>>1

邪馬台国は九州にあったわけじゃなく、九州は邪馬台国の一部。
75日本@名無史さん:2013/05/22(水) 06:56:56.90
>>73
一般名詞(普通名詞)などと、倭国関係の固有名詞では、いくらかちがうでしょう
76日本@名無史さん:2013/05/22(水) 07:30:54.65
>>75
一般名詞や固有名詞じゃなく、形容詞と考えれば
また流れは変わる。
77日本@名無史さん:2013/05/22(水) 07:38:31.70
>>74
うむ。
78日本@名無史さん:2013/05/22(水) 07:48:19.57
週刊ポストの記事以来、あたらしい流れになったな
邪馬台国は佐賀、女王は佐賀、狗奴国は佐賀、熊襲は佐賀、良くも悪くも佐賀無くば始まらぬ
79日本@名無史さん:2013/05/22(水) 07:52:26.59
熊襲も佐賀なのかよ。秦の始皇帝も佐賀人だな
80日本@名無史さん:2013/05/22(水) 07:59:10.94
週刊ポスト記事のスポンサーや、それを掲示板等で煽ってる奴って
佐賀県の観光課や、商工会関係者だろ
81日本@名無史さん:2013/05/22(水) 08:01:11.14
佐賀にあったのは伊都国だよ。邪馬台国はそこから水行10日陸行1月の所だ。
熊襲国なんてものは倭人伝にはない。かってに変な国を作ってはいけないな。
82日本@名無史さん:2013/05/22(水) 08:12:29.32
倭舟には乗り換えないっすよ
83日本@名無史さん:2013/05/22(水) 08:26:08.69
邪馬台国は連合国家で佐賀も邪馬台国の一部やで
84日本@名無史さん:2013/05/22(水) 08:53:37.80
>>83

>連合国家

当日そんな概念なんて存在しない。
85日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:10:14.98
>>70
>狗邪 或作 神産巢  
>神産巢 或 くまうます → くまそ

>>51は、ある程度日本神話がかった辞書だ。古い豪族の姓に言及しているのでわかる。
そのなかで神産巣と書けばこれは神産巣日神(かみむすびのかみ)であることはお約束。

だから「狗邪 或作 神産巢」は音訳ではなくて意訳。
つまり狗邪と神産巢は同義。
これは神話の第一神であり、皇室の祖神である神産巣日神が伽耶由来であることを物語る。
86日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:13:15.55
>>85

「くまうます」がどうすっ転んでも
「くまそ」にはならない。
87日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:18:25.53
すっ転んで「くまそ」に成り得る言葉は

「かうあそ」
「くあそ」
「くまさお」
「くまさほ」
「くあさお」
「くあさほ」

ま、こんなところだ
88満州まぼろし探偵:2013/05/22(水) 09:33:44.04
>>72
お前のようなパカは死ね
89日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:34:20.20
>>84
ほな豪族、部族と言いかてえもええけど
各王の上に設置されたのが卑弥呼というシャーマン
天皇と同じく象徴やな、これは
内乱ずっとやってたしねー
90日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:38:04.57
九州方言だとこんな感じ
>神産巢 即 こぅうます → くぅまっす → くまそ 
>神産巢 或 くまうます → くぅまうまっす  → くぅまっす → くまそ
91日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:41:25.87
>>88
お隠れになったとおもってたのに、また岩戸からお出ましになられたか。。。
92日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:43:25.52
>>89
内乱なんて何処の国や地域でも起きる
さして珍しい事じゃないよ
乱があるから支配があるわけで

ここは大陸目線で全て見ないと。
93日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:45:26.99
>>89
さよう、昔も今も象徴なんだろな
94日本@名無史さん:2013/05/22(水) 09:50:20.40
>>92
乱が珍しいんじゃなく、象徴をおくことで乱を抑制したってのがユニークでない?
95日本@名無史さん:2013/05/22(水) 10:08:05.61
生き神様が必要だったんだろ
96日本@名無史さん:2013/05/22(水) 10:14:43.95
>>94
当然、バックアップがあるからこその抑制。
たとえシャーマン的な存在であろうと、何か巨大な力(スポンサー)がない限り、広域的な影響を維持できない。

象徴なんてものは、後世の産物だろ
97日本@名無史さん:2013/05/22(水) 10:22:11.55
それまで力で抑えてきたそのリーダー的存在の者が
ある日を境に力以外のものに頭を下げれば、そこに神秘さが生まれ
その神秘さに意図的な作為を加える事で象徴性が出来上がるという構図だろ

その意図的な作為の絵を描いたのが、大陸の王朝または公孫ではないだろうか
98日本@名無史さん:2013/05/22(水) 10:33:21.05
>>97
古代信仰や祭祀遺跡なんて縄文時代からあるじゃんw
99日本@名無史さん:2013/05/22(水) 10:41:00.89
>>98
古代の遺跡や信仰の形跡はあっても、そこにどんな色付けするんです?
100日本@名無史さん:2013/05/22(水) 10:47:09.87
人が人以外に頭を下げたところで
それはずっと昔から続いてきた日常の出来事。

それまで力で捩伏せてきたリーダー的な人物が、力とはまったく無縁な人に頭を下げる現象。
101日本@名無史さん:2013/05/22(水) 11:29:12.22
共立国家
102日本@名無史さん:2013/05/22(水) 11:40:54.51
狗邪 或作 拘邪 @『三國志』韓傳
103日本@名無史さん:2013/05/22(水) 11:50:03.61
>>101

>共立

中華概念。
104日本@名無史さん:2013/05/22(水) 18:01:09.28
いわゆる倭国の大乱は、帥升以来の倭国王の跡継ぎ争い。
跡継ぎに皆が不服で争いが起きた。そこで、卑弥呼を王にすると収まった。

これは、卑弥呼の死後、男王が立ったが国中が不服で争いが起こり、
台与を王にすると国中がついに定まったというのと同じ。

中国的にも、共立は変則的な後継者の場合に使われる。

まあ、卑弥呼以前に王がいたということになると、現在主流の畿内説は
崩壊することになる。
105日本@名無史さん:2013/05/22(水) 18:38:43.20
帥升と卑弥呼に関連があるか、同じ国かは難しいとこだよな
向こうから見りゃ全部が倭だろうけど、統一してたわけでも無いだろうし、原住民系の勢力もあれば、渡来系の勢力もあるだろうし
106日本@名無史さん:2013/05/22(水) 19:46:35.66
【率】=【帥】 そつ そち

【䢦】 先道也 从辵率聲 疏密切 故書【帥】爲【率】
【帥】〔古文〕【䢦】
  《廣韻》將帥也  《正韻》主也 率也 統也 領也
又《説文》【佩巾】也 《廣雅》巾也
  【佩劍】【帶劍】也 【佩】【帶】也

はく はき おぶ おび たる たり


息長帶比賣命(そくながたりひめ)
鵲 脱解    (そく   たれ)
107満州まぼろし探偵:2013/05/22(水) 21:11:04.12
飽きもせず 妄想三昧 パカ稗箕狐
108日本@名無史さん:2013/05/22(水) 22:22:04.53
週刊誌の影響力は偉大だ
満州がお隠れになっているうちに時代は大きく動いた
岩戸からお出ましになってももはや昔日の面影はない、天照大神のようには参らぬわな
109満州まぼろし探偵:2013/05/22(水) 22:35:21.06
邪馬台国の位置探しをしているような連中は、何年やっても、永遠に初心者である。
邪馬台国を九州その他に求めているような連中はいわずもがな、
邪馬台国は大和だと位置ばかり議論している畿内論者も同レベルである。

邪馬台国は大和なのだから、位置探しは無益である。
進んだ人間はもっと別のことを研究しているはずだ。
110日本@名無史さん:2013/05/22(水) 22:59:28.93
>>109
文章に乱れがある、心にも乱れがあるな
マスコミがじわり舵を切り始めた、永遠なぞない、過ぎゆく時の流れに抗うすべなぞないのだ
111日本@名無史さん:2013/05/22(水) 23:01:22.05
満州浦島太郎
112日本@名無史さん:2013/05/22(水) 23:03:03.45
↑意味解る人いますか?
113日本@名無史さん:2013/05/22(水) 23:04:36.91
>>112>>109へのレス
114日本@名無史さん:2013/05/22(水) 23:09:05.87
可七萬餘戸の邪馬壹國のは戸三萬にすぎない高句麗の倍よか大きなサイズだからして
その中心域の位置探しよかその外延部の広がりがどうなっているのかのほうが気になる季節を迎えていたりする
115日本@名無史さん:2013/05/23(木) 07:41:51.52
>>114
戸三万と三万戸の違いでも勉強したほうがいいぞ
116日本@名無史さん:2013/05/23(木) 07:45:40.16
九州北部と朝鮮半島の南、及び近畿のどっかの沿岸部

内陸部は別の勢力がいて抗争したり吸収したり
少ない平地を奪い合ったんやろなあ
117日本@名無史さん:2013/05/23(木) 09:43:05.65
>戸三万と三万戸の違いでも勉強したほうがいいぞ
違いがあると思ってるんだ。
118日本@名無史さん:2013/05/23(木) 10:20:55.67
古代鉄工房・西弥護免遺跡(熊本県大津市)

鉄器生産から見た弥生終末の日本列島:討論室 - 東アジアの古代文化を考え ...
>2002−3年ごろに方保田東原の発掘現場を見に行った際、
>担当の方から、“多量の鉄滓が出ており精錬滓の可能性がある”こと、
>また“西弥護免遺跡では多量の鉄器が出ており、同時期の九州では一番の濃密度である”ことなどを聞き...
119日本@名無史さん:2013/05/23(木) 11:35:56.09
>>118 つづき
今まで「西弥護免遺跡」を、ニシヤ・ゴメン・イセキと読んでしまっていた(ごめんごめん)。

しかし地元人間には当然のことと思うが、
西は方角を表わし、大津市の近くには弥護山や矢護川もあり、
免は肥前松浦方面に多い集落・小字のことなので、正しくは・・・、
「ニシ・ヤゴ・メン」(西の弥護の集落)と区切って読むらしい。

肥前国と同様、昔は肥後でも集落・小字のことを免と読んでいたことがうかがえる。
末蘆国を起点とする唐津街道は、熊本平野まで延びていたのであろう。
120日本@名無史さん:2013/05/23(木) 12:14:23.54
同じ肥国でしたから、ある程度文化的にも近いのでしょうね。
121満州まぼろし探偵:2013/05/23(木) 12:30:39.95
>昔は肥後でも集落・小字のことを免と読んでいた

朝鮮でも〜郡〜面という。
122日本@名無史さん:2013/05/23(木) 12:39:11.90
まぼろし探偵の面情報も貴重だ!
123日本@名無史さん:2013/05/23(木) 15:27:20.79
>>119
西弥護免遺跡は、現在はどこにあるのかさえわからないらしい。
埋め戻されて住宅の下に埋もれてしまった。立て札さえないとか。

あんまり関係ないが、長崎県では今でも地名に「郷」が使われているな。
長崎県東彼杵郡川棚町小串郷とか。

ちょっと調べてみたら、「免」もそうかな。
長崎県北松浦郡佐々町小浦免というのもあった。
124日本@名無史さん:2013/05/23(木) 15:51:28.59
長崎県北松浦郡佐々町は小浦免をはじめ、免だらけに驚いた。
むかしの肥国はどこへ行っても免・郷だらけだったんだろな。
朝鮮の面〜肥前の免〜肥後の免、メンつながりのWA。
http://map.goo.ne.jp/address/42/391/?kana=1
125日本@名無史さん:2013/05/23(木) 15:58:39.91
>>123
西の弥護免があるのなら、東南北にも弥護免があって、それぞれに鉄工房遺跡とかはないものかねえ。
126日本@名無史さん:2013/05/23(木) 16:12:13.14
>>124
「郷」にしろ「免」にしろ、長崎だけに残っているというのが面白いな。
127日本@名無史さん:2013/05/23(木) 16:26:34.23
弥護は矢護ともいい、熊本には矢護神社もいくつかあるらしい。
さらに矢護神社は、もとは矢具神社といい、由緒に神武天皇、猿田彦、鎮西八郎為朝なども登場している。

熊本であるだけに、鉄の矢道具(矢じり=鉄鏃)などの製造にかかわった言葉だと素晴らしいんだが・・・、
128日本@名無史さん:2013/05/23(木) 16:44:43.74
3世紀後半から4世紀初頭のいわゆる弥生時代後期において、
熊本県北部は全国的にも鉄製品が数多く発見される地域として知られている。
特に西弥護免遺跡、方保田東原遺跡は多量の鉄製品出土で知られるが、
残念な事に西弥護免遺跡は現在埋め戻され、上には建物が密集しており、
現在ではどこが遺跡かも判らない状態だという。

http://www.isekiwalker.com/iseki/177403/ の位置情報によると
西弥護免遺跡はここらしい http://goo.gl/maps/59TDd

西弥護免遺跡から出ているブツは
弥生小型倭製内行花文鏡(銘文なし 完形8.6cm)

方保田東原遺跡から出ているブツは
弥生小型倭製鏡(内行花文鏡)(銘文なし 完形7.5cm)
+巴形銅器+銅鏃+石庖丁形鉄器
http://inoues.net/club6/katouda5.jpg

西弥護免遺跡には甕棺墓も含まれているが
甕棺墓の分布からすると拡張域のものといわざるをえない。
3世紀後半から4世紀初頭に鉄製品が数多く発見されても当然。
129日本@名無史さん:2013/05/23(木) 17:47:19.90
熊本は狗奴国有力だろうねえ
130日本@名無史さん:2013/05/23(木) 18:15:13.86
西弥護免遺跡は、白川流域になるのかな。
方保田東原遺跡や江田船山古墳は菊池川流域。
向野田古墳や塚原古墳群は緑川流域。
他に球磨川もあって、熊本は広い。
131日本@名無史さん:2013/05/23(木) 19:02:20.52
熊本を狗奴国にすると、南九州は空白地帯、もしくは親卑弥呼国家にならざるをえない
後世の景行伝説の行程から見ても狗奴国は薩摩・大隅あたりが妥当
132日本@名無史さん:2013/05/23(木) 19:22:49.63
>>129
狗奴国を熊本平野に否定した場合のもう一つの大問題は、
八女・筑後・山門辺りが狗奴国と筑後川に挟まれる形になるので、軍事戦略的に極めて不利な立場に置かれる。

よって、そのような危険な土地に首都を構えようなどと思う天然の国王や将軍は現れないであろう。
もちろん邪馬台国や投馬国のような重要国家はとうてい存在しえないことになるであろう。
133日本@名無史さん:2013/05/23(木) 19:24:26.68
>132
否定 → 比定
134日本@名無史さん:2013/05/24(金) 07:40:39.11
>>117
同じだと考えてるんだw?

今のスレの流れやレベルを見たら、ま、それも仕方ない事かなと
135日本@名無史さん:2013/05/24(金) 15:55:20.41
九州島は広い。有明海も重要な交易路と見て準陸地扱いすれば、
その最も重要な中央・中心部は、熊本県で占められている。

しかもそこは土地がなだらかで、県土の70%くらいが農業・畜産に利用されていると記憶する。
古代においても、九州島を制するには、何が何でも熊本を制する必要があったであろう。

もちろん倭奴国王・伊都国王、及び血族たちもぜひ熊本進出を果たしたかったはず。
ことによっては、先住の狗奴国を南へ追い払うなどの強引さがあったのかもしれない。

ともあれ長年にわたる大陸半島から鉄技術を導入するなどの努力(戦略・諜略)の結果が、
熊本邪馬台国に都をおく倭王卑弥呼の共立劇というかたちで実ったのではないか。
136日本の名無史さん:2013/05/24(金) 18:14:21.08
狗奴国を南へ追い払うどころか、そうとう苦労してるぜ。
卑弥呼の時代は南からの突き上げのほうが強かったんじゃないの?
137日本@名無史さん:2013/05/24(金) 19:21:34.50
>>136
伊都国は、まず筑後川より北の佐賀平野あたりに都をおく。
そして南進を企てるのであるが、熊本平野が狗奴国の手にあるかぎり、
筑後川と南関のあいだ(八女・筑後・山門)に都をおくことはできなかったであろう。

仮に、伊都国勢力が首尾よく熊本平野を手に入れ、狗奴国を人吉以南へ追い払えば、
その時は、山鹿・菊池辺りに共立の都をおくこともできたであろう。
単純化していえば卑弥呼の都は、佐賀か熊本かの2択ということになる。

卑弥呼は魏に援軍を求めたのであるから、仰せの通り狗奴国に手を焼いていたのは間違いない。
はたして三世紀当時、どのような勢力地図であったのか・・・、関心はそれに尽きる。
138日本@名無史さん:2013/05/24(金) 19:30:42.73
敵国と隣接してる所に女王が居るわけがない
139日本@名無史さん:2013/05/24(金) 19:31:32.81
最近出た本によると、卑弥呼が魏に詔書と黄トウを求めたのは、倭国統一の戦いを起こすためだということだ。
狗奴国を一時南においはらったが、結局はゲリラ戦となり、手をやいたということらしい。
140日本@名無史さん:2013/05/24(金) 20:06:56.59
卑彌呼さんのところの王家の筋のは

新来の鉄器を持ち込んだ木棺墓人の流れだからして

もとから居付いていた甕棺系の鉄器希薄な王家を追っ払って居座ったという構図

もとから居付いていた王家の筋のは南の方に逃げてからに狗とか熊とか隈だな

狗のは委奴と等価
141日本@名無史さん:2013/05/24(金) 20:15:14.88
>>138
それで大和に遷都したのかな
142日本の名無史さん:2013/05/24(金) 20:27:50.83
>>139
黄幢をもらったのは卑弥呼の死の直前だ。
理由は狗奴国との戦況が芳しくないからであって
その説は順番が違うと思う。
143日本@名無史さん:2013/05/25(土) 00:27:07.66
神功皇后伝説は「戦う女王」が北九州にいたことを暗示してるよ
吉凶を占う軍師のような役割で前線にいたのかもしれない
なら国境近くに宮を構えることもありうるぞ
三国志の時代だろ
諸葛孔明の女版みたいなのがいたんだよ
144日本@名無史さん:2013/05/25(土) 02:40:41.68
>>141
敵国と接してる自国領内は危険でも、
他の勢力が支配してて四方八方が敵の大和は安全なのかい?
145日本@名無史さん:2013/05/25(土) 07:59:50.32
>>143
神功皇后伝説の「戦う女王」が北九州にいたのは、陵墓の築年から見て5世紀頃の在。
当時は、縁ある百済支援のため、仇敵新羅との戦いに明け暮れていた。

三世紀(三国志時代)の女王は倭30国による共立的女神であり、女戦士ではなかった。
146満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 10:01:58.17
>>143>>145
記紀を読んでから物を言え、馬鹿者ども。
適当な空想を書くな。
147日本@名無史さん:2013/05/25(土) 13:16:49.08
満州記紀男には受け入れがたいだろうな。
148満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 17:32:45.86
神功皇后は実在したのだし、九州にいたのはほんの一時期だけ。
もともとは大和にいて、敦賀から九州に行き、新羅征伐を終えてからは、
また大和に帰還している。

神功皇后以外に北九州に「戦う女王」がいたというような資料は無い。
149日本@名無史さん:2013/05/25(土) 17:35:12.57
その名のとおり巫女であった卑弥呼は戦わない
祈るのが卑弥呼であり戦うのは男どもだ
150満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 17:42:21.17
卑弥呼を日巫女と解するのは俗説。
151太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/05/25(土) 18:10:59.87
満蒙巣コングは近隣スレでそれがしに1敗したから、いま機嫌が悪い。w
152日本@名無史さん:2013/05/25(土) 18:49:53.78
卑弥呼がシャーマンだったのは間違いないだろ
153満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 19:02:07.32
シャーマニズムも本場は満州なのである。
女真は明代でも薩満教を信仰していた。
薩満教とはシャーマニズムである。

卑弥呼を日巫女と解するのがなぜ俗説かというと、
それでは卑弥弓呼の説明ができないからである。
卑弥呼=卑弥+呼
卑弥弓呼=卑弥+弓呼
とし、卑弥は姓か国号、呼は王、弓呼は副王あるいは太子と解するのが最も妥当である。
154日本@名無史さん:2013/05/25(土) 19:13:49.64
いや国号ははっきり邪馬台国なんだが
155日本@名無史さん:2013/05/25(土) 19:14:59.23
慎み深いお人がいてな
ほんとは九州と言ってもいいのだか、親の遺言で○州と言い換えてるわけよ
156日本@名無史さん:2013/05/25(土) 19:15:16.05
>>153
卑弥呼は、卑弥呼三文字で一つの形容された言葉だから
それをバラバラするのは、親不孝もいいところ。
157日本@名無史さん:2013/05/25(土) 19:22:37.67
ただの音訳だろ
魏の連中にしてみれば未開人だったろうから
「邪(よこしま)」だの「卑(いやしい)」だのの漢字を適当にあてている

卑弥呼→ひめみこ→姫御子→女王シャーマン
卑弥弓呼→ひみここ→彦御子→男王シャーマン

というただの一般名詞だな
158日本@名無史さん:2013/05/25(土) 19:23:19.24
卑弥呼は肥国の肥の巫女さんでしょ。
159満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 19:23:36.38
>>154
いや、だから卑弥呼は邪馬台国の女王ではないのである。
たとえば馬韓の卑彌国の女王なのである。

邪馬台国の女王は大和の神功皇后だが、
魏に使いを出した卑弥呼は馬韓卑彌国の女王なのである。

>>156
いや、だからそれでは卑弥弓呼の説明ができないんだってば。
160太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/05/25(土) 19:27:33.47
満蒙巣コングの書きこみは史離滅裂。w
161満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 19:52:02.32
卑彌というのは恐らく姓なのである。契丹古伝によれば、
満州朝鮮族の王統というか氏族に賁彌氏というのがあったのである。
これがヒミ氏と読める。

他にアメ氏と読める王統というか氏族もあった。
アメノヒボコなどはその系統の出なのである。
162日本@名無史さん:2013/05/25(土) 19:58:56.89
当時「姓」だの「名」だの区別があるわけないだろ
何よりの証拠に皇室にもない
163満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 20:52:30.49
>>162
何を言ってるんだチミは。
中国には昔から姓があるだろが。
高句麗も百済も新羅も姓があっただろうが。

南解次次雄も暑さで気がおかしくなったか、可哀そうにw
164日本@名無史さん:2013/05/25(土) 21:00:30.94
日本、特に支配階級にはなかった
証拠は皇族

以上
165満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 21:11:50.17
武内宿祢の武内は姓ではないのか?
千熊長彦の千熊は姓ではないのか?
大伴や物部は姓ではないのか?

知らなかった(笑)

そういえばアメタラシヒコというのもいたな。
アメは姓じゃないのか、知らなかった(笑)
166日本@名無史さん:2013/05/25(土) 21:17:17.37
ふむふむ
ならば大和朝廷に君臨した一族の姓を特定してみなよ
167満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 21:55:02.32
だから卑弥が姓だとしたら卑弥呼は日本の王ではないということだ。
卑弥という姓は日本にはないのだから、九州の王でもない。

つまり卑弥呼は満州か朝鮮の王なのだ。
満州か朝鮮の卑弥氏の王なのだよ。
分かるな、チミw
168太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/05/25(土) 22:13:38.66
満蒙巣コングの書きこみは氏離滅裂。w
169満州まぼろし探偵:2013/05/25(土) 22:21:01.96
太国は 声は太いが 知恵細い
170太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/05/25(土) 22:28:10.90
満蒙巣コングよ

オマエはオケ王の古里がロシアだとか言っていたな。w

ロシアっていう所はマンモスの古里か〜?
あそこはマンモスの残骸がうんと大地から出る場所なんだろう?w
171太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/05/25(土) 22:56:28.17
満蒙巣コングよ

そろそろオマエのひどい 盲象 に目を覚ますんだな。><
宿主七雄級にならぬようにな。w
172日本@名無史さん:2013/05/25(土) 23:15:02.84
>>167
倭人伝完璧無視論

本末転倒
173日本@名無史さん:2013/05/26(日) 07:42:02.81
ここんとこカキコの意味言葉使いが良くわからぬな
九州島の倭人でなく、東渡海千里の倭種が書いてるのかな
174日本@名無史さん:2013/05/26(日) 07:45:24.34
壊れてきている
175日本@名無史さん:2013/05/26(日) 09:52:32.14
先日、西弥護免遺跡の「免」は長崎でも字・集落の意味で使っているということをカキコしたら、
満州まぼろし探偵は、朝鮮でも郡の下の行政区画を「面」という、とレスしてきた。
なかなか鋭い男だ。

肥国の行政区画の免が朝鮮の面にも通ずるとなれば、過去の頻繁な友好交流を意味する
ただ、満州まぼろし探偵の本音を探偵すれば、
当時肥国は朝鮮支配の国で、卑弥呼も朝鮮所縁の倭王だったといいたいのではないか・・
176満州まぼろし探偵:2013/05/26(日) 10:22:08.48
プッ、そんな変な魂胆は持ってないよ。
ただ単に朝鮮でも面という行政区画があるという知識を披露したまでのことw
177日本@名無史さん:2013/05/26(日) 10:30:35.65
太古の昔にさかのぼるまでもなく
朝鮮はごく最近まで日本の領土の一部だったから
ちっとも不思議なことじゃないんだけどな
178日本@名無史さん:2013/05/26(日) 13:30:13.13
3世紀の朝鮮半島は倭の支配下、せやろ?
179日本@名無史さん:2013/05/26(日) 16:44:19.01
>>178
ぜんぜん違う。
180満州バナナ諸兄:2013/05/26(日) 17:25:35.77
>>178
せやせや
181日本@名無史さん:2013/05/26(日) 17:50:25.17
到其北岸狗邪韓國

倭の北岸の狗邪韓国という風に考えると、狗邪韓国は倭の一部と考えられる。
182日本@名無史さん:2013/05/26(日) 18:27:54.22
>>181
そんな漢文読みはない。
倭の北岸じゃなく、其北で、岸は狗邪韓國
其は大海でヨロシク。
バカ読みは御法度でごわす。
183日本@名無史さん:2013/05/26(日) 18:31:22.48
バカもほどほどに。北岸の狗邪韓國じゃ、日本語読みじゃ
184日本@名無史さん:2013/05/26(日) 19:03:16.89
そこの文章を書くと、
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國

訳すと、
郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て、南に行ったり、
東に行ったりしながら、その北岸である狗邪韓国にいたる。

其は、倭でも不思議ではないし、倭の方が自然。北岸は不自然だが、
倭から見て、北の方の岸との解釈も出来る。
185日本@名無史さん:2013/05/26(日) 19:07:40.20
だいたい、韓国の北岸ではおかしい。韓国だったら間違いなく南岸。
186日本@名無史さん:2013/05/26(日) 19:36:01.42
>>184
>その北岸である狗邪韓国にいたる。
其は、倭でも不思議ではないし、倭の方が自然。北岸は不自然だが、
倭から見て、北の方の岸との解釈も出来る。


不思議とか不思議ではないという問題じゃなく
漢文を日本語読みして満足しても意味ない。
だいたい「北岸」だなんて典型的な日本語読みじゃん。
187日本@名無史さん:2013/05/26(日) 20:16:50.09
女三國は女王國の誤記なんじゃないかとか、壹は臺の誤記なんじゃないかとか言う人がいるが、
それらは掛詞的なものなんじゃないかと思う。
譯についても同様なんじゃないかな?
使者の言った事だっていう事と、
言葉が通じなくて訳者が必要だったって事を並立させて一文字で表現してるんじゃないかな
188日本@名無史さん:2013/05/26(日) 20:18:31.08
支那人は、言葉が通じるかどうかを結構気にしてるんだよな
189日本@名無史さん:2013/05/26(日) 20:20:30.35
譯と謂を掛け合わせたんじゃないかな
190日本@名無史さん:2013/05/26(日) 20:51:34.37
書き写すとき「壹」と「臺」を間違える確率は0.1%もないだろうな
何千文字、何万文字を書き写してるときピンポイントでこの文字を間違える確率の低さを数学的な観点できちんと認識すべき
数学に疎い考古学者が自説に都合のいいように解釈してるだけ
だから魏志倭人伝にあった国は「邪馬壱国」であってその後の書物に出てくる「邪馬台国」とは別と考えるのが妥当
191日本@名無史さん:2013/05/26(日) 21:15:15.35
>>190
別ではない。たとえば北史は

又南水行十日、陸行一月、至邪馬臺國

となっていて、倭人伝を引用しているように見えるが、「壹」ではなく
「臺」となっている。
まあ、倭人伝には一大国と書かれているものも、ほかの歴史書では
一支国なっていているが。
192日本@名無史さん:2013/05/26(日) 21:38:15.73
そもそも形容した言葉なので、その編纂者の意図で
多少の違いは出来るし、それが各編纂者の特色でもある。
193日本@名無史さん:2013/05/26(日) 23:13:27.04
狗邪韓國と狗奴國を足して三十ヶ国だな。

『今使訳所通三十ヶ国』の部分に符合する。
つまり、現韓国にあったであろう狗邪韓國は倭地だった。
狗奴國は倭人扱いであり、倭國にはカウントされない。
あくまでも通訳の通ずる所が三十ヶ国。

これによりダブる奴國は一國となり、邪馬台国以降の記述で
他の国々が円を描いて点在してるのがわかる。
その境界線の南側に狗奴國がある。
194日本@名無史さん:2013/05/26(日) 23:24:13.41
魏志倭人伝って今の中国語の文法と同じなの?
195日本@名無史さん:2013/05/27(月) 00:09:49.64
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑、・・・、
従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東到其北岸狗邪韓国、

そもそも倭人は大海之中にあり、と言っているのだから、其北岸とは、
大海中の倭国に至るべき北の岸にある狗邪韓国という意味であろう。
196日本@名無史さん:2013/05/27(月) 00:19:19.13
流通仕切っているのが海の酋長の一大率で一大國のがもともとの拠点で

邪馬のほうの」女大酋長ファミリーのところに居付いてええことしてるんだろ
197日本@名無史さん:2013/05/27(月) 00:32:30.73
奴国が中心でしょうおそらくクニ国という意味だから、すでに二京制だったんじゃない?
198日本@名無史さん:2013/05/27(月) 00:37:59.15
海の酋長の一大率のファミリーは渡海の専門業者でたぶん越系の漢字使いだな

山東半島あたりまで血縁関係保ちつつネットワーク形成して海運仕切っていたんだろ
199日本@名無史さん:2013/05/27(月) 00:57:53.54
一大國 = 天國 = 海國 = あま

對海國は海國とひとくくりになっておるからして對海國

これのは「つみ」とでも発声していたのかもしれんよね
200日本@名無史さん:2013/05/27(月) 04:41:49.25
また妄想創作劇場が始まった。
201日本@名無史さん:2013/05/27(月) 04:56:13.95
【率】=【帥】 そつ そち

【䢦】 先道也 从辵率聲 疏密切 故書【帥】爲【率】
【帥】〔古文〕【䢦】
  《廣韻》將帥也  《正韻》主也 率也 統也 領也
202日本@名無史さん:2013/05/27(月) 06:23:05.10
米国は米が名産の国で
仏国は仏教の国といってるようなもの
ただの音訳に
漢字本来の意味を求めるのはナンセンス
203日本@名無史さん:2013/05/27(月) 06:25:12.35
>>194
それをいうなら中国語じゃなく
日本語の文法だろ

倭人伝には文法なんて存在しないし、倭人伝をどう中国語で読むか?日本語で読むかの違い。
204日本@名無史さん:2013/05/27(月) 06:31:15.59
其北岸狗邪韓国を日本語で読めば


「其北に岸が狗邪韓国」のとなり、これを正しく並べ替えると
「其北に狗邪韓国の岸」となるわけよ。

「其北に岸が」から、其は岸とは対的な海とわかる。
205日本@名無史さん:2013/05/27(月) 06:37:30.67
魏の国書(公文書)が文法無視して書かれたり
日本語の文法で書かれるわけないだろ
206日本@名無史さん:2013/05/27(月) 06:52:34.16
>>204
日本語で読むと称して、実は日本生まれの日本人が日本側から読むとその解釈に陥る、
倭人伝は、先祖代々、洛陽に住む魏人の身になって読むべし
207日本@名無史さん:2013/05/27(月) 07:03:53.75
>>205
現代の文法を無視して書かれている
だから現代の言葉にするにはちょっと手法が必要なわけ
208日本@名無史さん:2013/05/27(月) 07:22:28.37
>>206

>日本語で読むと称して、実は日本生まれの日本人が日本側から読むとその解釈に陥る、
倭人伝は、先祖代々、洛陽に住む魏人の身になって読むべし


と、日本人が言うと
まるでどこかの悪徳セールスそのものじゃん。
209日本@名無史さん:2013/05/27(月) 07:26:55.71
現代の文法と多少ちがっても基本構造は変わらんだろ
ましてや
それがなぜ「日本語風に読む」ことにつながるのか分からん

中国語の文法は主語と目的語の関係は英語に近いといわれる

普通に読んで
reached the northern end 狗邪韓国

だし
倭人伝は一般的にそのように翻訳されている
210満州バナナ諸兄:2013/05/27(月) 08:53:14.64
reached

これでは過去形だ。
倭人伝の行程記事は過去形で書かれているのではない。
211日本@名無史さん:2013/05/27(月) 09:49:19.76
倭人伝は魏王朝の大貴族に出世したつもりで読め、
記紀は、大和朝廷を支える大豪族になった気分で読め、これ鉄則。
212日本@名無史さん:2013/05/27(月) 11:50:22.82
79回考古学協会総会で、鷲崎弘明さんが「年輪年代法の問題点」を
一般参加者も多数参加する中(約300人)発表し拍手がありました。
その内容と質疑です。
@ ヒノキの旧標準パターン及び連動するスギは、640年以前の測定値を
示す21事例が全て100年狂っている。
A 弥生中後期と古墳開始期が通説から100年遡上したのは旧標準パターンに
よるもので、この遡上論は成立しない。
質:「狂っている」とよぶのでなく「疑問の多いパターンと呼ぶべきでは」
答:そのような呼び方は聞いたことがない。これでよいと思う。
質:100年とどうしていえるのか?
答:法隆寺心柱試料では文献と100年狂っている。
質:北九州では三世紀半ばに古墳が造られたと研究があるが。
答:年輪年代法の発表後、巻向の箸墓古墳など100年遡ったことに問題がある。
意見:基資料を公開しないことに問題がある。(拍手多数)
213日本@名無史さん:2013/05/27(月) 12:17:07.67
到ったのは、北に狗邪韓国の岸がある大海。
循海岸水行歴韓國し、いよいよ大海に
その分岐点が、北に狗邪韓国の岸がある地点。


それが「其」
214日本@名無史さん:2013/05/27(月) 12:39:08.69
九州説復活
215日本@名無史さん:2013/05/27(月) 12:41:44.65
韓国の地形に沿うように水行し、乍南乍東し半島から少しずつ遠ざかり、対馬海流の流れる大海に。
さあこれから流れの速い大海を三度渡海し末廬國へ
だから「始度一海」=(一海を繰り返えす最初)
216日本@名無史さん:2013/05/27(月) 13:35:29.02
ここまでくれば、九州島しかないな。
217日本@名無史さん:2013/05/27(月) 15:05:30.19
何を今更
218日本@名無史さん:2013/05/27(月) 16:37:46.55
九州島だけじゃなく四国も忘れずに。
219日本@名無史さん:2013/05/27(月) 16:47:15.18
まぁ・・
南九州鹿児島あたりだろね。

鹿児島の遺跡発掘は、始まったばかりだよね。

というか、南九州は、放置プレイすぎるよね。
220日本@名無史さん:2013/05/27(月) 16:52:24.64
>>219
上に島津が乗っかったからな。
221日本@名無史さん:2013/05/27(月) 17:02:05.61
姫城・・(比売之城、比売奴城、比売妓城、熊襲城)

鹿児島県の隼人姫城と国分姫城に挟まれた、標高169メートルの山城は古代史から、黙殺された遺跡である。

この山城の中の発掘、学術的調査を行えば、面白い物がみつかるかもしれない。

今まで、研究家が、体系立てて調査を行わないのは、なんとも、もったいない話である。

通りすがりの戯言です。
222ローガン:2013/05/27(月) 17:23:22.11
>>212
>質:100年とどうしていえるのか?
>答:法隆寺心柱試料では文献と100年狂っている。

その「文献」が正しい、つまり「法隆寺が再建された事」の根拠は年輪年代なんだが。
223日本@名無史さん:2013/05/27(月) 18:18:50.75
年輪年代が正しければ、法隆寺などの古い建築物の多くが、
創建年代を100年繰り上げなければならないってことだね。

一本や二本なら、古い建築物の再利用の可能性もあるけど、
たくさんの事例で、年輪年代において、
文献の創建年代より100年古い木材ならば、
それは、年輪年代が100年間違っているんじゃないか、
ってこと。
224日本@名無史さん:2013/05/27(月) 18:22:59.48
鷲崎さんの理論では 
640年以前は全部文献と100年違っており、
以後は全部文献とぴったりなので、
その辺に年輪年代の年輪数値の表に間違いがある。
ということ
225日本@名無史さん:2013/05/27(月) 18:28:01.67
ちなみにc14炭素年代法では、
概ね文献と一致している。

つまり、ずれているのは年輪年代法だけ。
226ローガン:2013/05/27(月) 19:53:50.24
>>223
>年輪年代が正しければ、法隆寺などの古い建築物の多くが、創建年代を100年繰り上げなければならないってことだね。

いや、残念ながらそうじゃないんだ。
金堂天井板が668〜669年。中門685年。
よって再建は、確定。天智九年の記事が確からしい事、つまり文献の正しい事が年輪年代により認められるようになり、再建・非再建論争はなくなった。
年輪年代法により、真とされた、日本書紀の該当記事。これは是とするが、年輪年代法は否とする…
こんな身勝手な言い分、君は支持出来るかい?
227婆 ◆HKZsYRUkck :2013/05/27(月) 20:26:46.74
質問スレで聞けばいい話なんだろうけど、詳しそうな人らがいるので…。

>>226の天井板みたいなのって、樹皮がが付いてるのん?
228日本@名無史さん:2013/05/27(月) 20:59:15.06
>>226
>224 では640年を境に、それ以前は100年の差があるものの、以後は一致すると言ってるが・・・?
229満州バナナ諸兄:2013/05/27(月) 20:59:40.53
標準パターンというものがあって、
640年以前は全部文献と100年違っており、
640年以後は全部文献とぴったり。

そんな馬鹿なことがあるわけがない。
何かがおかしいのである。
230日本@名無史さん:2013/05/27(月) 21:08:06.81
>>226
法隆寺についていえば、心柱が年輪年代で594年あたりの伐採とされているのが
問題なんだな。創建は、607年とか言われて、これだったらまあ年代的に
合うのだろうが、実は法隆寺は、670年に消失している。

その後、再建されたわけで、なんと100年も前の木材を心柱にしたことになる。
これは普通考えられない。
231日本@名無史さん:2013/05/27(月) 21:50:31.29
実際のところ年輪年代の基準パターンがおかしいんだよ。
結局いくつかの木材からパターンをだして、
継ぎ接ぎしなきゃならんわけだが、
多分、640年より少し手前で、
継ぎ接ぎを間違った可能性が高いといってるわけだ。

>>226 のように640年以降は合っているわけだし。
232日本@名無史さん:2013/05/27(月) 21:56:32.56
結局、この法隆寺の年代の不一致で、
若草伽藍説や、観世音寺説などが出ているが、
100年ずらすのが一番シンプルで妥当。

九州説論者としては、太宰府観世音寺説も魅力があるが、
あんなデカくて重いものをわざわざ運ぶ理由があるとは思えない。
233日本@名無史さん:2013/05/27(月) 22:10:36.02
年輪年代については、信頼できるという前提で考えるのと、信頼できないと
いう前提で考えるのでは全く違うものになる。

だから、年輪年代で年代を公表する以上、その信頼性も公表しなくてはならない。
しかし、公表されていないんだな。
234日本@名無史さん:2013/05/27(月) 22:50:08.64
妙な流れになってるなw
235ローガン:2013/05/27(月) 23:09:11.58
>>234
ゴメン。
別スレで釣られるべきでしたね。
236日本@名無史さん:2013/05/28(火) 05:27:39.09
ヤブヘビ、 語るに落ちる
237日本@名無史さん:2013/05/28(火) 12:57:32.73
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238日本@名無史さん:2013/05/28(火) 14:27:31.84
法隆寺についていえば、
・心柱が年輪年代で594年あたりの伐採
・670年に焼失
・再建後の金堂天井板が668〜669年伐採、中門材は685年の伐採

こういう流れなのかな、それにつけてもいろいろ不思議千万だな。
239ローガン:2013/05/28(火) 15:39:10.47
え、続けるの?この話(笑)
其北岸=大海の北岸で良いんやね。では
>>228
>640年を境に、それ以前は100年の差があるものの、以後は一致すると言ってるが・・・?

鷲崎某とかいう人が、作成したパターンが奈文研と異なるワケ?
そうでなきゃ、根拠はそう主張する人の自説としか考える以外にないが。もしそうなら、誰にも相手にされない訳で。

>>230
>法隆寺についていえば、心柱が年輪年代で594年あたりの伐採とされているのが問題なんだな。

そう。調査した107点の中で塔心柱は、最も新しい塔の部材より、79年古い。
調査した木の伐採年はまちまちだ。転用材、ストック使用は当然。たしか塔心柱材からは、根腐れの後が確認されていた。
つまり、それまで使用を敬遠されていた材。再建に際し適当な材料調達がかなわなかったゆえ、やむなく使用されたと考えるのが妥当。

>創建は、607年とか言われて、これだったらまあ年代的に合うのだろうが、実は法隆寺は、670年に消失している。

極端に言えば、「釈迦三尊に被災した痕跡が無い。建築様式が六朝風である。」なんて非再建論を一蹴したのが年輪年代法。
これを正しいとするにもかかわらず、自説と合わない部分については間違いだと主張する。
こんなのは、相手にされない訳。
240日本@名無史さん:2013/05/28(火) 15:44:20.30
鷲崎弘明氏: 年輪年代法による弥生古墳時代の100年遡上論は誤り
http://homepage3.nifty.com/washizaki/present1108.pdf

年輪の幅で年代を推定する方法は無理を含んでいるらしい(若木のときの隣りの大木の影響大)
このPDFの中にも紹介されている通り、
年輪の酸素同位体を計って比較する方法なら、もっと正確に推定できるという
241日本@名無史さん:2013/05/28(火) 16:09:19.45
>>239

>調査した木の伐採年はまちまちだ。転用材、ストック使用は当然。
>たしか塔心柱材からは、根腐れの後が確認されていた。
>つまり、それまで使用を敬遠されていた材。再建に際し適当な
>材料調達がかなわなかったゆえ、やむなく使用されたと考えるのが妥当。

必要だったから根腐れした木材でも仕方なく使われたってことだね。
そんな不良品は用途がなかったらすぐに燃料にでもされて、燃やされていただろう。
または割られて、他の小さい部材になっただろう。

不良品を百年も大事においておくはずはない。

少々根腐れがあることはわかっていても、仕方なく必要に応じて切り倒されて、
心柱に使われたってわけだから、これは創建に近い年代と考えて良い。

つまり、法隆寺は594年に近い創建であるか、
年輪年代が間違っているかということである。
242日本@名無史さん:2013/05/28(火) 16:21:17.67
そもそも、光谷さんが 
この辺は不可解と、ペンディングにしてるからな。
243日本@名無史さん:2013/05/28(火) 16:23:04.33
あと、これほど大きい木材は再利用されれば、変なところに穴があったり、
削られたりしたところがあるものだが、そのへんの事がわかるところはあるかな?
244日本@名無史さん:2013/05/28(火) 16:26:49.17
>>239
おい、>226では 年輪年代法で再建確定↓ と書いておるけど、どうなっとるんじゃ

226 :ローガン:2013/05/27(月) 19:53:50.24
>いや、残念ながらそうじゃないんだ。
>金堂天井板が668〜669年。中門685年。
>よって再建は、確定。天智九年の記事が確からしい事、
>つまり文献の正しい事が年輪年代により認められるようになり、再建・非再建論争はなくなった。
245日本@名無史さん:2013/05/28(火) 16:54:49.14
ざっとググって関係する文献を読んでみたが、
法隆寺の塔の心材の再利用はなされていないようだ。
246日本@名無史さん:2013/05/28(火) 17:30:10.18
材木の年輪語りたかったら隔離スレ立てて、そこで思う存分語りやがれ。
247ローガン:2013/05/28(火) 17:30:18.03
>>244
>おい、>226では 年輪年代法で再建確定↓ と書いておるけど、どうなっとるんじゃ

??どうもなってないよ。再建は確定。
塔心柱材について、私見は貯木説支持。檜はいつまでも保つ。
さて、天智八年是冬条 時災斑鳩寺 これが天智九年夏四月の「災法隆寺」の重出でないとすれば、
「一屋無余」の大火以前に本尊が運び出されたと考えられる。なら、被災しなくて当然。
248日本@名無史さん:2013/05/28(火) 17:48:55.10
根腐れした木材を百年貯木した説ですか?
249日本@名無史さん:2013/05/28(火) 18:00:22.99
古代建築では数十年〜百年くらい貯木しておくのは当たり前だったとなると、
遺跡出土木材の年輪年代法の結果をもとに、
弥生古墳時代が100年なにがし遡るなんてことは言えないことになるなww
250日本@名無史さん:2013/05/28(火) 18:13:11.90
いま、ふと気づいたが貯木しているなら、
わざわざ根腐れした木を使う必要ないよね。

在庫の最後の一本だったのかもしれないけど。
251日本@名無史さん:2013/05/28(火) 18:23:27.33
百年のあいだには何があるかわからぬから、1本2本の貯木ということはあるまい、
法隆寺ともなれば毎年1本づつ伐採しても、心柱だけで百本単位の貯木はあっただろうな。
252日本@名無史さん:2013/05/28(火) 18:36:39.14
今でも、高級家具の材料は30年くらい寝かせ乾かしておくと聞いた。
五重塔の巨大心柱材なら、捻じれを防ぐため50年100年寝かせておいても不思議ではない。

伝世鏡と同じ理屈で、年輪年代法も建築年の決め手にはならぬかもな。
253日本@名無史さん:2013/05/28(火) 18:37:58.35
つまり、根腐れした木材を使っている段階で、
貯木説はありえない。
254日本@名無史さん:2013/05/28(火) 18:41:12.28
まあ、年輪年代法の表の結合ミスであろう。
255ローガン:2013/05/28(火) 18:56:34.09
>>249
>遺跡出土木材の年輪年代法の結果をもとに、弥生古墳時代が100年なにがし遡るなんてことは言えないことになるなww

そりゃそうだ。 池上曽根の柱材も再利用だし。だいいち百年遡上なんて言い方が変。
ほんのつかの間、下げられた編年案が支持された時期があっただけ。現状はほぼ旧来の年代観に戻っている。

>>251
>法隆寺ともなれば毎年1本づつ伐採しても、心柱だけで百本単位の貯木はあっただろうな。

いいや。例えば平安時代に焼けた回廊の修復材(虹梁)も転用材。
それを遡る7世紀末頃…元管長の高田氏は法隆寺自身、困窮していたと推測している。
だいいち、直径2.5mの檜が百本も転がっているなんてねえ(笑)
256日本@名無史さん:2013/05/28(火) 18:59:15.46
>>252
木材を百年近くも何のために保存するわけ?
どこに保管するわけ?
まさか、消失することがわかっていて保管していたのかな。
ほかの建物でもそんなことするのか。

天井板は切り出してすぐ使っているみたいだし。
辻褄は合わないな。
257日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:01:36.16
>>255
そうだろ、だから百年貯木説なんて考えにくいわけさ、おわかり(笑)
258日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:02:42.72
>>255
おいおい、池上・曽根の木材の年代で畿内の年代は100年遡ったわけだろう。
それも100年経ったのを使ったということも出来るわけで、こうなったら
年輪年代は、仮に正確だとしても年代決定に全然役に立たない。
259日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:13:32.97
再利用はあり得るが、法隆寺の塔の芯材には、そういう跡はないみたいだね。
他で使っていれば、穴が開いたり削られた跡が残ってたりするが、
それがないから、初使用の木材と思って良い。

そして、貯木がされているなら、根腐れした木を使わなくて、
もっと状態が良い木を使えばいいから、貯木説もなし。

普通は数年は寝かせるだろうけど、根腐れした木を使わなければ
ならないほどの状況であれば、かなり新材の可能性もある。

つまり、法隆寺の塔は594年に立てられたか、
年輪年代法が間違えているかのどちらか。

640年以降は文献と一致しているわけだから、
まず間違いなく年輪年代法の、640年以前の表の間違いだな。
260ローガン:2013/05/28(火) 19:14:51.51
>>258
池上曽根の話以前に、佐原編年案は本人が撤回しているだが。
その一時期存在した佐原編年案より前、山内清男も小林行雄も「古墳時代は3世紀から」 と述べている。
つまり元に戻っただけ。
「邪馬台国畿内説者は畿内の年代観を上げたかった。そこで都合の良い年輪年代法に飛びついた」
なんてのは、嘘。
261日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:24:49.19
むしろ、年輪年代の表を都合の良い年代に変えた可能性が高いな。
光谷さん自身が、畿内よりの年代観を持っていて、
ついそちらに合うように、表を組んでしまったのかもしれないが。

常識として持っていた年代観と大幅にずれた結果が出ちゃって、
これはあり得んとばかりに、若干似ている百年ずれた年代で、
照合させてしまったのかもしれない。
262日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:28:11.34
ノイズが多い原試料を、人間の直感で合わせれば、
ちょくちょくそういうことはある。

ほんとうは、人間の直感が入らないように、センシングして、
コンピュータで数学的に一致指数を計算して照合させるような作業が必要。

そして、直感と違っていても、捨てないでよく精査するのが、分析の基本。

むしろ、直感と違うところに発見はある。
263日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:32:01.23
>>260
ローガンて以前のこと何も知らないんだな。

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai03.html

紀元後1世紀後半と予想されていた建物の年代が、年輪年代法では紀元前52年と
出ました。定説よりもやはり100年も古いのです。前年の二の畦・横枕遺跡の
ケースとまったく同じです。

考古学関係者はここで、年代論にまで踏み込んだ徹底的な検証を開始しました。
じつは、年輪年代法の結果は、かねて少数の若手研究者が主張していた年代観に
かなり近いものでした。「近畿の年代はもっと古いはずだ」という主張です。
権威ある「定説」の前では「異分子」の扱いでしたが、もはや、彼らの主張を
無視することも、年輪年代法の結果を無視することもできませんでした。
定説を根本から再検討する必要があったのです。そして、出された結論は、
まさに衝撃的でした。
これまでの定説を覆し、近畿の年代観を従来よりも100年も古くとり、
先進の北部九州と並行する時間軸で捉えたのです。弥生時代の近畿と九州が、
同じ年表に並んだ瞬間でした。

http://www.lbm.go.jp/mappie/00seminor.html

1996年4月27日付け朝刊各紙は、大阪府和泉市池上・曽根遺跡で検出された
弥生時代中期後半の巨大な東西棟持ち柱建物の柱の一つが、年輪年代測定によって
紀元前52年に伐採されたものであることを一斉に報じた。以来、考古学によって
築き上げてきた弥生時代中期の年代観が100年遡ったと、マスコミや一般向け
書籍などでキャンペーンがはられ…
264日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:53:26.63
>>263 つづき
…「考古学者達の研究史軽視と変わり身の早さ」も目立つようになった。
先達考古学研究者が検討してきた年代観を捨て、多くの考古学研究者が
たった一人の自然科学研究者の成果に無批判に乗り換えてきた。

つまり、考古学者は、年輪年代の紀元前52年という数字を無批判に受け入れた。
池上・曽根の木材が古いかもしれないという可能性も考えなかった。
年輪年代法の正確性についても考慮しなかった。

都合の良い年代に飛びついたと言われても仕方ないな。
265日本@名無史さん:2013/05/28(火) 19:58:49.87
このへん、理系と文系のはざまなんで、
理系の素養がないとそんなもんなのかねえ?

理系だと無批判に飛びついて自爆するのは、
直感的に避けるもんだが。

あと、理系の場合は文献や試料より重要な、
基本法則があるからね。

それで、直感的にくだらない話は切り捨てる。
266日本@名無史さん:2013/05/28(火) 20:15:58.07
つーか、理系だとどんな反論が有り得るかを予想して、
あらゆる反論に反証できるだけの根拠を用意出来た段階で発表する。

文系とかチョンは単なる思い付きの段階で発表するからgdgdになる。
反論には、論点のすり替えか罵倒で対応するだけ
267ローガン:2013/05/28(火) 20:49:09.78
>>263
>ローガンて以前のこと何も知らないんだな。

悪いね。浅学なものでね。 だが、君みたいにそんなのを鵜呑みには、しないよ。君が貼ったサイトのプロフィール見てみ。(笑)
小林行雄は、弥生の終わりを3世紀中頃と述べているんだ。
山内清男が古墳時代は3世紀から7世紀と述べたのは、1947年。
君達の大好きな佐原編年は1966年発表。これを9年後の1975年、佐原氏自らが否定。撤回。
アトランティスな人の言い方、鵜呑みにせず、色々調べなさい。
268ローガン:2013/05/28(火) 21:01:54.02
>>256
>木材を百年近くも何のために保存するわけ?

よく読んでくれ。(笑)
107点の伐採年はまちまちだ。つまり、材料のストック又は再利用は明らか。
推測だが、直径2.5mの檜、B級品ゆえ使用を見送られていたストック。これを使わざるをえなかったと考える訳だ。
勿論、諸説あるのは承知。
又後程…
269日本@名無史さん:2013/05/28(火) 21:14:13.99
従来の年輪幅をものさしで計る年輪幅年代法は手法・精度など検討の要ありだな。
一方、名古屋大の新しい年輪酸素同位体法は分析手法も数学処理も良くできてる。

そう言う新技術もあるのだから、両方で同一サンプルを測定して結論を出すべきだろう。
270日本@名無史さん:2013/05/28(火) 21:16:36.19
>>267
ローガンて高校生か。本当に1995年以前の常識を知らないのか?
271日本@名無史さん:2013/05/28(火) 21:22:22.82
>>267
小林行雄なんて、当時、4世紀半ば頃の古墳からしか出てこない三角縁神獣鏡を
卑弥呼の鏡といった人物。卑弥呼時代と古墳時代が合わないから伝世鏡理論
なんてのを考え付いた。都合の良いように年代を考える達人だ。
272日本@名無史さん:2013/05/28(火) 21:22:43.59
ローガンによれば、建築材料のストックは明らかだそうだ。
ということは伐採年が分かっても、建物の創建年推定には役立たぬわけだ、年輪年代法も終焉を迎えたな。
273日本@名無史さん:2013/05/28(火) 21:33:53.51
吉野ケ里も卑弥呼の時代まで続きそうだな。
274日本@名無史さん:2013/05/28(火) 21:38:30.24
腐ってたのに使ったんじゃなくて、腐ってたから使ったんじゃないの?
腐らせて駄目にしたら引責ものだろ
それが偶々後世まで残ってしまっただけ
275ローガン:2013/05/28(火) 22:29:54.27
>>270
>ローガンて高校生か。

『小林行雄は、弥生の終わりを3世紀中頃と述べているんだ。
山内清男が古墳時代は3世紀から7世紀と述べたのは、1947年。
君達の大好きな佐原編年は1966年発表。これを9年後の1975年、佐原氏自らが否定。撤回。』
というレスを読んだ上で書いた人間を高校生だと思うキミって…
どうやら小林とか山内とか森本とか知らないようだ。そんなんだから自称考古学ジャーナリストとやらの勝手な言い分を鵜呑みにしちゃうんだ。
まあ色々調べてみる事だ。
276日本@名無史さん:2013/05/28(火) 22:38:39.80
歴史説の歴史、みたいなのは、随分詳しいんだな。
歴史よりは人に詳しそう。
277ローガン:2013/05/28(火) 22:48:19.34
>>272
>ということは伐採年が分かっても、建物の創建年推定には役立たぬわけだ、

あくまでもクロスチェックだ。
もし、ここに現在の年輪年代法を、金科玉条だと吹聴してやまないヤツが居るとしたら、
そいつに教えてやってくれ。
278日本@名無史さん:2013/05/28(火) 22:56:30.54
>>275
あのね。異端はいつでもいるんだよ。
年代繰上げ論者は30年位前からいる。
ローガンは、異端を探して満足している。

畿内説は、三角縁神獣鏡魏鏡説はいずれ破綻すると考えていた。
そこで考えたのが、年代の繰上げ。

古墳時代が大和を中心に展開しているのは良く知られている。
その古墳時代に卑弥呼時代を含めようと考えた。
だから、箸墓を卑弥呼の墓とし、箸墓の年代を繰り上げた。
箸墓が卑弥呼時代に届き、ほら、大和の古墳時代は卑弥呼の墓から始まったんだ、
ということにしようとした。まさに畿内説ということになる。

高校生のローガンには、30年位前には箸墓は中期の古墳といわれていたことも
知らないだろうな。
279サガミハラハラ:2013/05/28(火) 23:05:26.06
>>273 卑弥呼は即位(AD183)してから、240年ごろまで吉野ケ里の北内郭におりました。
240年頃にし

西の小城甘木に遷都しました。AD243年の貢献はその報告もあったのです。
遷都後吉野ケ里は放棄されたのです。もっともごく少数の百姓がすんではいたようですが。
280ローガン:2013/05/28(火) 23:28:56.20
>>278
>あのね。異端はいつでもいるんだよ。

ああ、おかしい。コーヒーふいた。
皆さん聞きましたか。
彼曰く小林行雄 山内清男 森本六爾 が考古学の異端なんだって。
では、考古学の王道は誰? ひょっとして君の大好きなアトランティスな自称ジャーナリストの人?
それとも、鷲崎某とかいう人?

ああおかしい。まだ高校生とか言ってるし。まあ、あの頃に戻りたいけどねえ(笑)
今は、高校生で山内清男 習うのん? まさか。(笑)
281日本@名無史さん:2013/05/28(火) 23:41:03.23
>>280
さっきも書いたが、小林行雄の伝世鏡の理論って知ってる?
282ローガン:2013/05/29(水) 00:17:53.57
>>281
>さっきも書いたが、小林行雄の伝世鏡の理論って知ってる?
あはは、それもいうなら同笵鏡論。
なら知っているよ。
話題変える前に、考古学として 小林、山内、森本 といった人々がその学問での異端だと言った「名無し」がいたんでね。
これに決着つけてからにしよう。(笑)
283日本@名無史さん:2013/05/29(水) 00:30:22.76
>>282
つまり、伝世鏡の理論は知らないわけか。

卑弥呼時代にもらった鏡を大切に保管して伝世し、その必要がなくなったときに
棺に副葬したというやつ。だから、卑弥呼時代から100年近くたってからの
古墳から出土するという理論。

古墳時代が古くなって必要のない理論となった。年代合わせの理論といわれるな。
284日本@名無史さん:2013/05/29(水) 00:52:45.19
小林行雄は古墳時代の開始を4世紀初頭にあわせるために
伝世鏡理論で無理矢理にこじつけたということなんだよな

古墳時代開始の年代観が遡ったと言われるが
実態は、この小林理論の呪縛からの解放にほかならない


九州説論者は小林を畿内説の権化として強く批判するが
彼らの拠り所となる古い年代観が小林理論に基づいているという笑い話
285ローガン:2013/05/29(水) 00:55:54.22
>>283
>卑弥呼時代にもらった鏡を大切に保管して伝世し、その必要がなくなったときに棺に副葬したというやつ。だから、卑弥呼時代から100年近くたってからの古墳から出土するという理論。

それ、そんな単純な話じゃないんだ。でも
話題変える前に、考古学として 小林、山内、森本 といった人々がその学問での異端だと言った「名無し」がいたんでね。
これに決着つけてからにしよう。(笑)
286日本@名無史さん:2013/05/29(水) 01:01:48.71
>>285
通説と違う考え方を持てば異端といわれてもしょうがない。
287日本@名無史さん:2013/05/29(水) 02:30:06.07
それでも地球は回っている
288日本@名無史さん:2013/05/29(水) 04:37:31.05
異端審問
289日本@名無史さん:2013/05/29(水) 04:59:19.82
三角縁神獣鏡の小林行雄先生だな。
290日本@名無史さん:2013/05/29(水) 12:25:54.16
遠回りしたが、話題が邪馬台国に近づいて来たな
291ローガン:2013/05/29(水) 14:56:21.27
>>263はどっかいっちゃったか(笑)
彼が、百年遡上は池上曽根の年輪年代法から と云いたい為に貼り付けたサイト、逆に引用してやろう。
http://www.lbm.go.jp/mappie/00seminor.html
『(3) 小林行雄
 戦後まもなくの1947年、小林行雄は考古学者による「架空の対話」形式をとる概説書を刊行した(15)。ここでは、「弥生時代のはじまりは、いつごろと思うか、と聞かれれば、二千三百年ぐらい前だというかも知れない。
また、古墳時代のはじめは、と聞かれれば、千七百年ぐらい前だとなら、こたえもしよう」と言っている。1947年から逆算すると、およそ紀元前350年から紀元250年ごろまでが弥生時代と考えていたことになる。
(4) 山内清男
 1925年に「石器時代に稲あり」と主張し(17)、森本六爾に先だって1932年には弥生式文化における農業の重要性を強調していた山内清男(18)は、奇しくも小林行雄の前著が出た同じ1947年、弥生時代の年代について言及している。
「弥生式文化」には、「西紀前二三世紀から後二世紀頃に亘る朝鮮又は支那の文物が盛んに伝来」し、古墳時代の「年代は西紀三世紀から七世紀位」という(19)。ただ、その根拠については述べられていない。』

彼が貼ったサイトには、このようにハッキリ
小林「弥生時代は250年頃まで」
山内「古墳時代は3世紀から」 と書かれている。
彼は異端視したが、勿論、彼以外の誰もが知る通り、この両者は考古学の異端児ではない。
異端児どころか、当時の中心人物。そのような御仁が、池上曽根より30年も前に現在と同様の年代観を述べているんだ。
「考古学者は畿内説。畿内の年代の上げたいが、論拠にすべきものが無い。すると年輪年代法が、都合の良さそうな数字を出したので飛びついた。」
なんてのは嘘。
292ローガン:2013/05/29(水) 15:34:52.62
>>283
こっちも片付けとくか。

>年代合わせの理論といわれるな。

そう。その通り。>>284氏の意見と被るが、小林行雄の考えは上述の通り。
さて、現在では 歴史学=文献史学+考古学+民俗学だが、戦後間もない当時では、まだまだ考古学は文献史学の補助学だったんだ。
その立ち位置に嫌気し、歴史学の柱になるべく、 それまでの純粋な考古学的手法ではなく、文献史学や民俗学を取り入れた方法論の確立を志向したわけだ。
上述したように小林の考えは古墳時代の始まりが250年。だが、当時文献史学における王権の出現は3世紀末の崇神から。
ここで自身の考古学的知見を強弁するより、文献史学の見解に合わせるほうが、「文献史学を考古学研究に採り入れる」という新しい手法が受け入れられやすいと考えた訳だ。
そこで、やむなく古墳出現を300年だとするわけだが、勿論250年の自説も撤回しちゃいない。
これが、常識的な一世代伝世を ここで出来た50年が間延びさせた訳さ。
293日本@名無史さん:2013/05/29(水) 17:32:26.91
>>291
小林行雄は、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡といった人物。
三角縁神獣鏡の出る古墳を卑弥呼時代に近いとしたいのは当然だろう。
でも、当時の通説ではそれが許されなかった。
だから、伝世鏡の理論を考え付いたというわけだろう。

山内清男は知らないが、縄文時代と農業の研究者となっているな。
>「西紀前二三世紀から後二世紀頃に亘る朝鮮又は支那の文物が盛んに伝来」
こんなのはどんなものかな。稲作は南西諸島経由からやってきたというのが
近年有力になっているし。
294日本@名無史さん:2013/05/29(水) 19:17:45.13
↑いろいろとつっこみどころ満載だぞw
295日本@名無史さん:2013/05/29(水) 19:50:49.03
小林行雄先生は、いま500枚以上の三角縁神獣鏡が出たことを知ったら
なんて言うでしょうかね?

もともと、三角縁の同型鏡の関係を分析してた人なんで、
国産であることは、比較素直に納得されそうな気もするのだが。

伝世鏡はかなり苦しい言い訳だと思うよ。
296日本@名無史さん:2013/05/29(水) 21:05:26.37
小林存命時にすでに400面を越えていたんだけどな

戦前から三角縁=魏鏡説が鏡研究者の定説で、小林はその路線で研究を推し進めたという立場

小林没後に三角縁の研究はさらに精細化し、その結果、全中国鏡説が有力になっているというのが現状だのだがな

脳内の妄想と現実とを区別できなっているのがこのスレの九州論者
297ローガン:2013/05/29(水) 21:09:56.25
>>295
小林行雄先生は、いま500枚以上の三角縁神獣鏡が出たことを知ったらなんて言うでしょうかね?

資料数が増えたんだから、色々研究も進んだでしょうね。
まあ△鏡の経年変化と、古墳編年は必ずしもピッタリというわけでなし。
入手後すぐに副葬されるのもあるだろうし、長生き(笑)な人もいるだろうからね。
摺り合わせするなら、筒形や巴形銅器の副葬開始とイ方製△鏡の共伴…
それ以前の古墳(勿論、マストは権現山51)から出土する△鏡は、240年入手鏡の踏み返し。 これで、技術移転の問題もクリア出来る。
「銅鏡百枚」とは三角縁神獣鏡だ。

又後程。
298日本@名無史さん:2013/05/29(水) 21:45:54.31
>>296
黒塚古墳が発掘されたとき、棺の中の頭の近くにあったのは画文帯神獣鏡一枚。
三角縁神獣鏡は、三十数枚が棺の外にあった。しかも、バリがついたままの
粗悪な未完成品。恐らく、鏡としての役割も果たせない状態だろう。

これを見て、発掘担当者を含め多くの人が三角縁神獣鏡は葬具と言い切った。
つまり、墓に入れるために作られたものというわけだ。もちろん、国産。

王仲殊氏はずっと前から日本製といっている。
299日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:10:52.66
卑弥呼の鏡は、自らを支えてくれる倭30国の有力者に与えられたことであろう、
九州島中心に出土する後漢鏡〜魏鏡こそ最有力、
特に佐賀県出土の鏡に注目。
300日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:19:20.39
王仲殊氏は、三国時代に日本に渡った可能性のある鏡は、内行花文鏡か
方格規矩四神鏡といっている。

しかし、これらの鏡は、近畿地方からほとんど出ず、九州から多く出土する。
301日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:21:54.06
>>298
バリがどこについていたか確認したことあるのかい?

葬具として利用されていたとしてそれがどうした?
使用法によって製作地がに明らかになるのか?
是非とも説明してもらいたいな
302日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:22:19.45
その前に倭人伝をどう読んだら邪馬台国は畿内に行くんですか?
303日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:29:11.59
>>298
ついでに言えば、三角縁神獣鏡が最初に話題になったのは、椿井大塚山古墳
だが、ここも画文帯神獣鏡が一枚と、三角縁神獣鏡が三十数枚出ている。
黒塚古墳とほとんど同じような状態だったと考えられる。
しかし、椿井大塚山古墳は、三角縁神獣鏡だけが話題にされ、棺の中の
様子は公表されなかった。
304日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:29:26.43
倭人伝を読むのではない、
鬼道の神のお告げで畿内へ飛ぶのじゃ
305日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:33:11.19
ま、畿内ムラの内部はよくわからぬな
306日本@名無史さん:2013/05/29(水) 23:04:28.23
椿井大塚山の不幸な歴史も畿内説学者の陰謀に脳内変換してしまう九州脳って…
307日本@名無史さん:2013/05/29(水) 23:37:27.17
>>306
確かに気の毒な人もいたけどね。
308ローガン:2013/05/30(木) 00:28:11.83
>>298
>粗悪な未完成品。恐らく、鏡としての役割も果たせない状態だろう。

だからなんだ?
もっと粗悪品が、編年でいう所の前期V以降、出てくるだろうに。ハチャメチャなヤツが。もっと勉強しろよ。
それに…さほど大きくもない古墳に、ザラザラと33枚もの鏡を副葬するマインドを考えてごらん。
ここで見えてくるのは、潤沢な供給だ。
鏡は、望めば容易に入手出来る体制があったわけだ。銘の押韻も中国同様のものがね。
ところが、その後、押韻どころか字すらハチャメチャ、図像の理解も出来ていない 所謂、イ方製△鏡の登場だ。
このレベルの低下は、製作技術の移転を否定する。つまり黒塚鏡は、イ方製鏡との比較で、マスター鏡のコピーと捉えるのが妥当。
コピー…つまり、踏み返しが仮に国内であったとしても、マスターは、舶載鏡だ。
309日本@名無史さん:2013/05/30(木) 00:29:59.70
畿内厨がまた淋しくなって、スレ違いない書き込みしているのか?
310ローガン:2013/05/30(木) 00:43:55.90
>>306
そう。彼等の手にかかれば、当時の国鉄も、下請けの木村組も、木津警察署も 悪の畿内説に加担した訳だ。
311ローガン:2013/05/30(木) 00:50:27.84
>>309
悪かった。行きがかり上だ。
倭人伝の解読ごっこに戻ってくれ。
312日本@名無史さん:2013/05/30(木) 04:26:09.92
>>306
不幸な歴史?
そういう言い方で同情を引くような話かなあ?
結果的に、ただをこねて公表させなかった人物がいるということだろう。
313日本@名無史さん:2013/05/30(木) 04:37:09.88
>>293=19歳名古屋

文体で分かる
お前は邪馬台国論議など馬鹿馬鹿しいと斜め上から見下していたが、結局お前自身も邪馬台国の魅力から抜け出ることは出来なかったようだな
314日本@名無史さん:2013/05/30(木) 05:52:47.52
>>312
今風にいえば、
研究室の主任教授が教え子の研究成果を自分の業績にしようとしたアカハラと
外部機関から委託されていた研究費と自治体の予算の不正流用を
研究室の助手が実名で内部告発して阻止したことになるのだが…

それを助手が駄々をこねたなどと変換してしまうのが九州説論者のおつむの悲しいところだな
315日本@名無史さん:2013/05/30(木) 07:07:57.55
古墳副葬品が破壊・略奪されるなんて
日本じゃない
まるでどこか別の国のような前代未聞のできごとだよな

さすが畿内人
316日本@名無史さん:2013/05/30(木) 07:35:20.58
九州スレで畿内説の話をするのもどうかと思うが、
まあ、中身のある話しならいいか。
317日本@名無史さん:2013/05/30(木) 10:36:13.81
>>316
で、その中身なんだが
その中身の有無を判断するのは誰?
318日本@名無史さん:2013/05/30(木) 11:02:41.78
>>317
中身の濃さは読み手次第、なかなかおもしろかったぞ
青龍鏡や景初鏡を発見した時、畿内人は天にも上る心地だったんだろうな、
その後、△が500枚にも達するとは知らずにな。

ま、それはそれとして、おまいも今少し中身のあるカキコをしてくれぬか。
319日本@名無史さん:2013/05/30(木) 12:14:23.10
>>318
舞い上がったのは、当時はまだ単に幼かっただけの話しで
320日本@名無史さん:2013/05/30(木) 12:21:32.01
邪馬台国があったのは、畿内でも九州でもなく
古代中国漢籍の中だという、一番大事なことが疎かになっている。
一番大事な事を疎かにしてきた結果が、畿内での△鏡騒動だろ。
321日本@名無史さん:2013/05/30(木) 12:24:27.14
>>314
研究室の助手(小林行雄)が実名で内部告発して阻止。
内部のごたごたじゃないか。
醜い争いに嫌気がさして外国に行った人もいた。

畿内説は何でも正当化してしまうんだな。
おつむか悲しいのは畿内説。
322日本@名無史さん:2013/05/30(木) 12:28:34.65
ここにも、畿内ムラか。。。
323日本@名無史さん:2013/05/30(木) 12:54:10.81
論の批判はともかく、
人格の非難はあまり行儀がいいものではない。
324日本@名無史さん:2013/05/30(木) 13:41:50.42
人格の批判て…。

椿井大塚山古墳が発掘調査されたのは昭和28年。
詳しい資料が公表されることなく、三角縁神獣鏡が大きく取り上げられ、
卑弥呼の鏡と公表され、頒布元とされ、邪馬台国畿内説の柱となった。

平成9年に黒塚古墳が発掘調査され、その状態から三角縁神獣鏡は卑弥呼の
鏡ではないとの結論を出す人が多かった。

椿井大塚山古墳の詳しい資料が公表されたのは、その翌年の平成10年。

まあ、いろいろ事情はあるのだろうが、結果として疑問に思うのも当然だろう。
325日本@名無史さん:2013/05/30(木) 15:19:12.80
蝙蝠鈕座内向花紋鏡の存在は
邪馬台国九州説の証拠である。
反論があればぜひ聞かせて欲
しいのだが!
326ローガン:2013/05/30(木) 16:46:36.18
>>325
蝙蝠鈕座内向花紋鏡の存在は邪馬台国九州説の証拠である。

2世紀初め、後漢代からある鏡の存在が「証拠」となる理由を書いてくれないと意味わからん。
327日本@名無史さん:2013/05/30(木) 17:40:07.50
三角縁は600枚以上出土しておるのでしょ?
中国では相変わらず1枚も出ないし扱いの粗雑さで三角縁が卑弥呼の鏡と言う人はもういないと思うけど
つい10年くらい前まで卑弥呼の鏡と叫んでたのにいい加減なものだよね
328日本@名無史さん:2013/05/30(木) 17:52:07.22
卑弥呼の語源は日向(ヒムカ)の酋長ですか?
329日本@名無史さん:2013/05/30(木) 17:56:09.10
三角縁 畿内で出るから 卑弥呼鏡
三角縁 多過ぎたから 次は画文
まず畿内 考古は手段の 畿内説
330日本@名無史さん:2013/05/30(木) 17:56:51.89
肥国の巫女さんでしょう。
331日本@名無史さん:2013/05/30(木) 18:06:02.68
肥の巫女ヒミコ
332日本@名無史さん:2013/05/30(木) 19:48:48.43
古墳や鏡を研究したら邪馬台国を特定できるってーのは妄想でしょうが。
333日本@名無史さん:2013/05/30(木) 21:24:14.90
伊作先生、戻ってきてください
334日本@名無史さん:2013/05/30(木) 21:40:00.31
固定ハンドルを叩き過ぎる
伊作先生は別スレでこれで最後宣言してそれ以来見てない
335日本@名無史さん:2013/05/30(木) 21:46:23.74
三角縁のうちいくらかが‘卑弥呼の鏡’である可能性は変わらない
百枚が同范であるとは書いていない
336日本@名無史さん:2013/05/30(木) 22:08:28.04
>>335
可能性というならそれはそうだ、
しかし可能性ありというのは、「ほとんど見込みはないが・・、」というのと同じ取り扱い

卑弥呼の墓(塚)は古墳時代のはしりのようだから
玄武・青龍・朱雀・白虎を刻む「方格規矩鏡」の方がはるかに確率が高いであろう
337日本@名無史さん:2013/05/30(木) 22:16:16.57
大国であれば、それは住み安く多く養えるということ。
そんな国でなければ、他国を侵略できないが、
そんな良い国を捨てて、一斉に東遷するなんてことはありえない。

権力闘争に負けた弱小勢力の離脱か、
命を受けた開墾部隊であろう。
338日本@名無史さん:2013/05/30(木) 22:28:08.04
開墾部隊で思い出した。
箸墓古墳の隣の池の水利権は宮内庁にあり、
下流の農家はその水を分けてもらって田んぼでイネを作っているという。

つまり箸墓や崇神天皇稜は農業用水と深い関係にあり、
一帯の大工事は、そもそもは開墾開田のためであったと考えると納得いく。
339日本@名無史さん:2013/05/30(木) 22:41:02.10
残土は盛って古墳にする
古墳の大きさ=開拓した農地の広さ=王の偉大さ
340日本@名無史さん:2013/05/31(金) 00:23:56.70
昨日までと違って一気に低下したな
341日本@名無史さん:2013/05/31(金) 02:28:36.16
>>340
今日5/31になってカキコしたのはおまいだけ(なるほど一気に低下したな)
ま、畿内考古ムラでは、何が何でも畿内様のおかげと言わなくては 村八分にされるからな
342日本@名無史さん:2013/05/31(金) 08:45:16.99
卑弥呼の百枚の鏡は、前原の方格規矩鏡。

前原で卑弥呼、豊の後継者の前原女王が代わりに配っていた。
はじめは、亡くなったときに近隣の豪族に
一、二枚ずつ配っていたが、国産化にも成功し、
祭祀の変遷で廃れた。

で、余ったのをその時の前原女王の墳墓にまとめて突っ込んだ。

方格規矩鏡は、前原の2つの遺跡から、数十枚出てきた。

国産化したのは内向花紋鏡で、一旦成功したら、
日本人は魔改造したくなる。
それが46センチの大型内向花紋鏡で、
ヤタの鏡の神話の原点。
343満州バナナ逸勢:2013/05/31(金) 08:51:11.97
時間の前後関係を無視するな、白痴。
神武東征は大型内向花紋鏡よりずっと前の話だ。

記紀を無視して勝手なことを書くんじゃない、痴呆ども。
344日本@名無史さん:2013/05/31(金) 09:14:23.15
>>342
前原周辺には、あれこれ技術的遺跡がみられるようなので
付近に国産銅鏡の工房もあったのではないかと推測しているのだが、そうすれば謎も解ける。
345日本@名無史さん:2013/05/31(金) 20:14:44.24
初期の銅鐸の生産工場も、福岡か佐賀か、その辺りで見つかってなかったっけ?
346日本@名無史さん:2013/05/31(金) 21:13:04.61
そういえばどこかで三角縁の鋳型が見つかってなかったかな?
347日本@名無史さん:2013/05/31(金) 21:14:32.06
吉野ケ里で銅鐸の鋳型が見つかったはずだが、
初期かどうかまではわからんな。
348日本@名無史さん:2013/05/31(金) 21:35:05.19
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kankou/bunkazai/zai_top/kensaku_top/data_ken_kouko07.html#pbBlock69837

宇木汲田から鋳放しで仕上げ調整されていない銅鐸舌が出ている

全長10.5cm、重さ62.2gだから、中に吊り下げるものだとすると

いわゆる小銅鐸というたぐいののサイズではないよ

「中央部両側面には無数の敲打痕がみられ、実際に使用されたことを示している」

って書いてあるけど 仕上げ調整しなくても 鳴るのは鳴るだろうけどね
349日本@名無史さん:2013/05/31(金) 21:52:58.69
九州の銅鐸は福田型銅鐸といわれる。
鋳型は佐賀県鳥栖市の安永田遺跡と福岡県の遺跡からも出ていたはず。
銅鐸そのものが出土したのは吉野ヶ里遺跡。

福田型銅鐸は、同じ鋳型で作られたものが中国地方からも出ていて、
九州から運ばれたといわれている。
年代については、もっとも古いタイプという説もあるが、佐原氏は、
鈕の変遷から、最も古い菱環鈕式の次だといっていたらしい。
350婆 ◆HKZsYRUkck :2013/05/31(金) 21:57:56.43
>>348
そんだけでかいと、ハンドベルみたいに手で持って振るのは大変そうだよな。
写真を見ると下側に穴がないから、風鈴みたいに紐がついてたわけでもなさそうだ。

とすると、やっぱり神社の鈴みたいな鳴らし方になるのんか?
351日本@名無史さん:2013/05/31(金) 22:04:50.76
>>350
吉野ヶ里遺跡には銅鐸の複製品がぶら下げてあった。
舌の下に紐が付いていて、それを左右に振って鳴らすようになっていた。
352日本@名無史さん:2013/05/31(金) 22:06:02.25
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kankou/bunkazai/zai_top/kensaku_top/data_ken_kouko11.html#ukikun

宇木汲田のは紀元前の遺跡だけどもね

銅鐸と多紐細文鏡のセットは奈良県御所市名柄のもあるしね

http://www.emuseum.jp/detail/100571/001
353日本@名無史さん:2013/06/01(土) 15:50:51.12
「『邪馬台国」』畿内説も一つの仮説であるし、『邪馬台国九州説』も、また一つの仮説である。
 どちらの仮説が正しいかを決定するためには、私たちは、まず、チコ・プラーエにならって、
できるだけ『精密な観測」データを集めるところから出発しなければならない。」(一四頁)
と言われる。その通りだ。
「確実に邪馬台国時代のものといえる奈良県の遺跡は、あまりにも乏しい。
 奈良県は、大和朝廷の成立ののち、数百年にわたって王城の地であった。のちの時代の遺跡・遺物は、豊富である。
 大学の師や先輩のことばを、そのままうけつぎ、『はじめに大和説ありき』で物を見ることによって大和説は成立している。
 のちの時代の遺跡・遺物を古い時代に位置づけ、年代をくりあげ、マスコミでの大宣伝をくりかえすことによって邪馬台国論争に
 決着がつくと思いこんでいる。
 しかし、事実は、頑固である。まちがいだらけのマスコミ報道。畿内説は、旧石器捏造と同じ種類の共同幻想である。事実を見ていない。
354日本@名無史さん:2013/06/01(土) 20:46:25.44
なんで九州と畿内の2択しかないと考えるのかなぁ
ニュートラルに先入観なしで見ると、近江→濃尾平野→大和という流れが見えてて、
考古学的にも裏付けられてるわけだが
355日本@名無史さん:2013/06/01(土) 20:58:20.09
>>354
壱岐からどう読んだら近江に行くの?
356日本@名無史さん:2013/06/01(土) 21:58:50.30
斯馬國………下関、斯馬の関
己百支國……厚狭 
伊邪國………ぃやマグチ 
郡支國……… 櫛ヶ浜
彌奴國……… 
好古都國……岩国、厳島
不呼國……… 
姐奴國……… 
対蘇國……… 
蘇奴國……… 
呼邑國………呉、コオ→訓読み化してクレ 
華奴蘇奴國… 
鬼國…………岡山、鬼ヶ島 
為吾國………相生 
鬼奴國……… 
邪馬國……… 
躬臣國………姫路 
巴利國………播磨 
支惟國………紀伊 
烏奴國………津、穴津=安濃津
奴國…………東海・美濃

どう見ても近江か濃尾平野のどちらかに向かってる
357日本@名無史さん:2013/06/02(日) 08:36:41.88
まず、方角と距離の問題をどうするかだよ。
358日本@名無史さん:2013/06/02(日) 08:38:18.10
アマテラスとスサノオの誓約(うけい):

誓約・交換の経過をみると、
要するに、これまでの不和を収めて平和条約を結び、
そのあかしとして、現代風にいうところの人質交換(女神3人 vs 男神5人)を行ったと読める。
女神3人はのちの宗像三女神で、宇佐神宮に祀られている。
男神5人は、出雲の臣・土師の連・山代の直などとして各地の祖神となった。

九州説の立場からは、
この誓約によって卑弥呼と卑彌狗呼の不和は集結し、全九州島の統一実現へ向ったと理解できる。
近江→濃尾平野→大和という流れは、このあとに続いて起こったのではではないか。
359満州バナナ三千代:2013/06/02(日) 09:30:30.92
近江は神功皇后のお膝元だし、九州や関東一円の豪族も新羅征伐に参加しているのだから、
近江や東海や九州に、大和王朝とは独立的な政権があろうはずがない。

チミらはろくに文献も読まずにテキトーなことを書くから困る(泣)
360日本@名無史さん:2013/06/02(日) 09:45:49.19
そう、まず、第一級史料である倭人伝をきちんと読むことだな。
邪馬台国が九州にあったことは明白だ。
361満州バナナ三千代:2013/06/02(日) 10:41:43.16
プッ、「ボクの素直読み」君登場w
362日本@名無史さん:2013/06/02(日) 13:33:59.41
>>361
記紀見ながらオナニーしてろ
363満州バナナ三千代:2013/06/02(日) 15:16:33.04
記紀では○○○○はできないw

昨夜は美原咲子と篠崎愛を見たぞw
364日本@名無史さん:2013/06/02(日) 16:11:50.30
バナナとはそのことだったのかwww
365日本@名無史さん:2013/06/02(日) 16:38:43.07
三世紀の卑弥呼・倭人伝と、八世紀の記紀との時間差は四百数十年に及ぶ。
それは今の宮内庁書記官あたりが、口承を頼りに家康や春日野局について書物を編纂するようなもの。

その中で朝廷から賜った春日野局の御名のみを用い、旧姓を書いてなければ、
局の出自旧姓はもはやだれにもわからぬ。
仮に、生まれ故郷あたりの伝承から斎藤福(さいとう ふく、〜1643年)らしいと推測できても、
決して文献的証拠とはならぬ。 倭人伝における卑弥呼しかり。
366日本@名無史さん:2013/06/02(日) 17:24:00.41
末盧=松浦?

末盧の発音は、上古音:muat-l(a)、中古音:mu(a)t-lu
*(a)は非円唇後舌広母音。発音記号の表示の仕方がわからないので仮の記号でこう表すことにする。
アメリカ英語だとsaw(鋸)の音。ただし(a)はaじゃないかという学者もいるらしい。
中古音とは隋唐のころ、上古音とは周漢のころ。魏志の頃は上古音に近いだろう。

末盧をカタカナで表すと上古音で「ムァッロ」中古音で「ムオッル」となるだろうか。
日本人だとこの小さい「ッ」が大きい「ツ」になってマツロ、マツラだと考えそうだが
実は「ツ」は「ツァ」行で「t」行とは全く違う音なので古代中国人が「マツ」を「末」
と聞き取ることはない。
367日本@名無史さん:2013/06/02(日) 17:25:25.61
末盧=松浦?その2

魏志倭人伝と記紀の接点に末盧國と末羅縣がある。(絶対同一とは限らないが)
因みに、「盧」の音は上記の通り、「羅」の上古音は「la」中古音は「l(a)」。
偶然か「盧」の上古音と「羅」の中古音が一致する。
古い方の古事記だと末羅縣は筑紫と書いてある。
この筑紫は国が付いてないから筑紫島のことだと言う人もいるかもしれないが、そうだろうか?
国生みの時以外筑紫を島として書いてあるところは無いように見える。
やはり、末羅は筑紫国なんじゃないだろうか。
368日本@名無史さん:2013/06/02(日) 17:30:44.03
肥前国風土記と延喜式では、松浦は肥前国だが。
古事記の成立も、これと近い時期だよね。
369日本@名無史さん:2013/06/02(日) 18:11:34.43
九州人は九州男児と東京でほざく割に
地元で日本代表できる様な大都市を造る意気込みは
歴史上無いのはなぜ 意識が東京ばかり向いてるよな
九州人は長いものには巻かれろ体質なんじゃね
370日本@名無史さん:2013/06/02(日) 18:19:44.32
風土記の編纂は、古事記完成(712年)と日本書記完成(720年)の中間あたりだったかな。
ただし出雲風土記の完成はかなり遅れたらしい。
風土記は地方官の編纂だから有力な手掛かりになるのでは、、
371日本@名無史さん:2013/06/02(日) 18:21:25.48
むしろ、大都市なんて作りたくないなあ。
住宅地、商業地、ビジネス地域が、ほどほどに空間を持っている方が望ましい。

今の福岡市も人口増えすぎだろ。いまの半分以下でいい。

俺だけかもしれんが、東京も大阪もあまり好きじゃない。
372日本@名無史さん:2013/06/02(日) 18:31:23.95
西海道にはけっこう残っているんだね
(※は逸文として他の書物に一部残るもの、無印は痕跡なし又はあっても疑わしいもの)
筑前国風土記※
筑後国風土記※
豊前国風土記※
豊後国風土記(写本あり)
肥前国風土記(写本あり)
肥後国風土記※
日向国風土記※
大隅国風土記※
薩摩国風土記
壱岐国風土記※
対馬国風土記
373邪馬台国は都城:2013/06/02(日) 21:02:24.30
wikipediaによると肥前国風土記は日本書紀より後
日本書紀等に影響を強く受けている記述があると書いてある。
374邪馬台国は都城:2013/06/02(日) 21:33:11.97
今日発音を見ててもう一つ、あれっ? と思うもの。

好古都 上古音:x(e)u-k(a)-t(a)、中古音:x(a)u-ku-tu
*(e)はeの逆さまになった記号。英語だとEnglandのラのところの音。

カタカナで書くと上古音「ハウコト」となるか。
(a)で表してる音がa寄りだった場合「ハウカタ」

う〜ん、奴国の位置をどう考えたらいいんだろう。
375紫敷布:2013/06/02(日) 21:47:46.46
test
規制が続いていたけどここには書き込めるかしら?
376紫敷布:2013/06/02(日) 21:55:31.66
あら、書き込めるわ!
ちょっと古い話題だけど三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だと自信満々に宣告されたローガン様にお尋ねします。

>>308 :ローガン
>つまり黒塚鏡は、イ方製鏡との比較で、マスター鏡のコピーと捉えるのが妥当。

わたくしは単なる歴史好きで勉強が足りないものですから、博識なローガン様にお伺いしたいのですが、
△鏡のマスター鏡とは何でしょうか?出土資料がありますでしょうか?
若し未だ発見されていないのであれば、それはどうしてでしょうか。
ぶしつけなお願いですがお教え下さいませませ。かしこ
377満州バナナ三千代:2013/06/02(日) 23:06:18.21
(聞くところによると、ローガンは、詐欺師ローガンと呼ばれているらしい………)
378サガミハラハラ:2013/06/02(日) 23:36:26.17
>>374 好古都は博多のことです。
福岡市が奴国だというのは幻想です。
真の奴国は、肥前山口です。
そもそも奴はトまたはドと発音します。ナと発音するというのは夢想です。
379日本@名無史さん:2013/06/03(月) 00:20:51.58
奴 乃都切 (ぬ)

◎ 粤语:nou4

◎ 客家话:[沙头角腔] lu2 [海陆丰腔] nu2 nung2 [梅县腔] nu2 [宝安腔] lu2
      [客语拼音字汇] nu2 [陆丰腔] nu3 [客英字典] nu2
      [台湾四县腔] nu2 nung2 [东莞腔] lu2

うそ漢音の「ど」のは列島産のローカル読みだわ
380サガミハラハラ:2013/06/03(月) 08:08:43.00
魏志倭人伝に記されている国名の漢字は倭が楽浪郡に貢献したときに登録された漢字が後世も(読みは変化しても)使われていました。
登録されたのは、前漢の時代か後漢の初めごろでしょう(箕子朝鮮時代の可能性もある)
ところが、時代が進んでいくと、何故奴という字を使ったかが不明となってきます。
ですから、王帥升が貢献した時には、その国名を記す時に、国という意味に奴をあてるということが分からず、代わりに同音の土という字をあてたのです。
このことから、倭面土国は新興国であることがわかります。
もし、他の諸国と同じような時に貢献していたならば、倭面奴国と登録されていたことでしょう。
このことからも、奴はトまたはドと発音するということがわかります。
381満州バナナ三千代:2013/06/03(月) 09:30:22.58
韓史には〜那国というのがよく出てくる。藻那国とか。
〜奴国もそれと同じで、〜那国と同じだと思われる。

そうすると奴はナと読むのが自然である。
382日本@名無史さん:2013/06/03(月) 09:42:05.78
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/xyz1106b.htm
の考察が正しいと思う。

漢字による外国語の表記は「麦当労(マクドナルド)」式と「可口可楽(コカコーラ)」式がある。
前者は音のみに忠実な方式、後者は音の正確さを多少犠牲にして意味を持たせた方式。

倭面土国は倭国と墨委面(いれずみをした顔)とをかけた「可口可楽(コカコーラ)」式である。
383サガミハラハラ:2013/06/03(月) 10:49:25.55
韓伝には、奴がついた国名がよくでてきます。私はそちらの方を重視します。
倭面土はイ(ヰメンド)と発音します。
今宿今山の今はイメンの残存地名です。
また近くの姪浜は以前は前浜と言われていたそうです。
このメイは、前の訛なのです。御前手前のことをオメーテメ―というでしょ。
よって本来の名前は倭前の国(イマエの国なのです。奴kは国という意味です。倭国の前にある国、当時は中国中心でしたので中国に近い方が前です。)
なのです。
王の名は帥升です。当時の中国音ではシュセンなのだそうです。
ただしこれは博多弁なのです。博多弁ではサシスセソをシャシィシュシェショと訛ます。
先生(センセイ)をシェンシェィといいます。
野球の宣誓では代表は「シェンシェィ 我々シェンシュ一同はシェイシェイ堂堂と・・・」
と宣言するということです。
よってシュセンの元はスセンなのです。今宿の近くにスセンジ(スセンジ)という駅があります。
そのあたりに居住していたもので、地名として残っていることから、かなり有力有名な人物であったのでしょう。(まさに中国にいくほどの)
今、姪、周船の地名から、倭面土国は博多湾岸にあったとみていいでしょう。
詳しくは「卑弥呼の登場 明窓出版刊」をご覧ください。
384日本@名無史さん:2013/06/03(月) 12:24:19.81
サガミ先生にザブトン一枚!
385満州バナナ三千代:2013/06/03(月) 12:35:01.54
山田君、サガミ先生のザブトンを取りなさい。
386日本@名無史さん:2013/06/03(月) 13:10:33.80
>>383
>博多弁ではサシスセソをシャシィシュシェショと訛ます。

それはウソ。拗音になるのはセだけ。
「すいとう」(好いとる=好きだ=アイラブユー)を「しゅいとー」と
言ったら振られるだろう。
387サガミハラハラ:2013/06/03(月) 13:16:29.47
有難うございました。
388サガミハラハラ:2013/06/03(月) 13:33:02.02
現在はセオンだけ訛るようですが、周船寺とかいてスセンジとよむことから、大昔は
ス音もシュと訛っていたようですね。
389日本@名無史さん:2013/06/03(月) 14:56:58.17
>>374
喉音は落ちやすいからな上代では存在しないし、残ってるならオカタとか濁ってオガタになっているだろう
390ローガン:2013/06/03(月) 15:08:47.23
>>376:紫敷布
>博識なローガン様にお伺いしたいのですが、

なんでも訊いてくれ。

>△鏡のマスター鏡とは何でしょうか?

前期古墳で多数見つかる三角縁神獣鏡の金属原型となった鏡のことだ。
例えば、湯口が違う二枚の同型鏡なら、どちらか、又は両方が、金属原型をもとにした踏み返しと考えるのが妥当だ。
この金属原型がマスター。 それを使って作られたのがコピーだ。
391日本@名無史さん:2013/06/03(月) 19:51:02.18
筑紫と聞けば、とかく博多や大宰府を連想しがちだ。
しかし肥前風土記みてたら筑紫海という名を見た、有明海のことらしい。
392日本@名無史さん:2013/06/03(月) 20:51:59.99
>>388
>周船寺とかいてスセンジとよむことから、大昔はス音もシュと訛っていたようですね。

それは漢字の音の問題だからまた別。
周は漢音がシュウで呉音がス。
393婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/03(月) 21:21:30.06
どうでもいい話だが、博多弁ではサもシャになりがちだよね。

「キサマ(貴様)」→「キシャン」
「キナサイ(来なさい)」→「キンシャイ」
394紫敷布:2013/06/03(月) 21:22:15.11
>>390 :ローガン
博識を誇るローガン先生様
マスターの意味は分かりますのよ.でも、わたくしがお尋ねしたいことは卑弥呼の鏡とされる△鏡の
マスター鏡は出土しているのでありますか?ですのよ。>>376の言わんとするところはその点なの
ですよ。察しの悪いお方ではないはずの先生が何故お答え下さらないのですか?
タイガースはボロ負けしていてせっかく奪ったセリーグ首位の座から落ちそうなのよ。腹立つう。
先生も早く答えて下さいね。でないと詐欺師(cf.>>377)と呼ばれますわよ。
395邪馬台国は都城:2013/06/03(月) 21:42:43.78
奴 上古音:n(a)、中古音:nu、現代中国語:nu
カタカナだと上古音で「ノ」または「ナ」

奴がやたら出てくるのは「野田」のような普通の名詞の「の」の場合と
「紀ノ國」のような格助詞の「の」が混ざってるからのような気がする。
しかも「紀ノ國」「豊國」のように短縮されている可能性もある。

「委奴国」は単に「委の国」と読むような気がする。

因みに「那大津」の「那」の中古音は「奴」の上古音と同じ「n(a)」。
396満州バナナ三千代:2013/06/03(月) 21:51:01.75
ローガンは 頬を赤らめ 返答す
397日本@名無史さん:2013/06/03(月) 21:51:25.27
よくもあ機内ねぇ
堂々巡り何周目?
九州目
398太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/06/03(月) 22:15:58.30
満蒙巣コングよ
オマエもよ〜く高句麗だとかぬかし、スレ民を欺く。〜
399満州バナナ三千代:2013/06/03(月) 22:46:36.19
太国は 頬っぺの赤い お爺ちゃん
400ローガン:2013/06/03(月) 23:01:42.81
>>394:紫敷布

>でも、わたくしがお尋ねしたいことは卑弥呼の鏡とされる△鏡のマスター鏡は出土しているのでありますか?ですのよ。

書いてあるだろ?
「例えば、湯口が違う二枚の同型鏡なら、どちらか、又は両方が、金属原型をもとにした踏み返しと考えるのが妥当だ。」って。
ここに書かれた「どちらか、又は両方」
これは2鏡間だけにおける、原型と踏み返しの関係を決定出来ないという意味以外に無いだろうに。
つまりだ、仮に出土していたとしても、どれが該当するかなんてわからない だ。 

>察しの悪いお方ではないはずの先生が何故お答え下さらないのですか?

既答に気が付かない自身の勉強不足を恥なさい。君との会話は、なぐさ女史を思い出す。
他に質問は、あるのか?
401満州バナナ三千代:2013/06/03(月) 23:09:58.35
無愛想な 返事して敷布に 嫌われる
402日本@名無史さん:2013/06/04(火) 01:07:55.01
単にオリジナルと踏み返しの鏡を比較すれば踏み返しは文様が鈍くなるのでまずわかる
ただし踏み返しでできた鋳型はさらに彫り直される場合があるな
403日本@名無史さん:2013/06/04(火) 05:49:28.91
でも鏡はなにも語らない。
語るのは、よこしまな考えを持つ輩たち。
純粋な研究者の仮面を被った悪魔たち。
404日本@名無史さん:2013/06/04(火) 08:32:54.72
ロ−ガーお得意は、偽物の真贋論争を仕掛けることのようだ
405日本@名無史さん:2013/06/04(火) 08:43:54.06
古代の有明海の名は筑紫海、
さすれば肥前国・肥後国・有明の海は筑紫の中心、
加えて女王之都と思しき地の源流には、かの大銅山あり。
406満州バナナ三千代:2013/06/04(火) 09:07:42.81
ローガンが、△鏡のマスター鏡は中国製だと断言した。
それで紫敷布が、マスター鏡は出土しているのか、と尋ねた。

ところがローガンの説明によると、日本で出土した△鏡の中にマスター鏡があるかどうかは不明だという。
場合によってはすべてがコピー鏡の可能性もあるということだ。

呆れた話ではないか。マスター鏡は中国製だと断言しておきながら、
どれがマスター鏡であるかは分らないというのだから。

これが詐欺でなくして何であろうか。
しかも非は自分にあるのに相手の女をなじっているのである。
407満州バナナ三千代:2013/06/04(火) 09:14:00.54
ローガンの説明が分りにくいのは専門用語を持ち出すからである。
今回も湯口とか踏み返しという用語を持ち出した。
こんなのはその意味が分っている者には理解できるが、そうでない者には理解できない。
で説明してくれと要求すると、そんなのは自分で調べろ、と突っぱねる男なのである。

専門用語で人を煙に巻く。それがこの男のいつもの手口である。
それで詐欺師ローガンと呼ばれるのである。
408日本@名無史さん:2013/06/04(火) 09:16:56.93
卑弥呼の鏡は九州説としては何だと考えればよいのかな
同一形式の鏡か、それとも雑多な種類が混じったものか
官制工房製なのか、それとも市場などで購入したものか
409日本@名無史さん:2013/06/04(火) 09:47:23.29
「・・又特賜汝紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、
 真珠、鉛丹各五十斤、 皆装封付難升米、牛利還到錄受、
 悉可以示汝国中人、使知国家哀汝、故鄭重賜汝好物也」

賜汝好物也 といってるところから、ある程度の希望をほのめかしたのではとの印象を受ける。
特に銅鏡100枚は、倭国で人気の特定銘柄で、
古墳時代の幕開けにつながったものだったのでは?
410日本@名無史さん:2013/06/04(火) 10:02:53.16
青春以来、畿内説が人生そのものだったといってよいローガンは、
因って立つ畿内説の足元がガラガラ崩れゆく事態を憂慮し、
言を弄して必死に擁護しようとしているかにみえる。

しかしよーく読んでみれば、ローガンが納得させようとしているのは他人ではない。
敬虔な畿内説信者たる自らを納得させるべく、自分自身をだまし続けているように思える。
ローガン詐欺の最大の被害者は、ローガン自らの良心なのであろう。
411日本@名無史さん:2013/06/04(火) 11:20:32.40
畿内説論者にとっては、伊都国佐賀説は反論しようがない大きな壁という
べきものであろう。
412ローガン:2013/06/04(火) 11:52:13.36
>>406:ゴミ満州
>ところがローガンの説明によると、日本で出土した△鏡の中にマスター鏡があるかどうかは不明だという。場合によってはすべてがコピー鏡の可能性もあるということだ。

なんと幼稚な…
オリジナルがあってはじめてコピーが存在するんだ。

>>407
>ローガンの説明が分りにくいのは専門用語を持ち出すからである。今回も湯口とか踏み返しという用語を持ち出した。

参加したけりゃ、そういう基本的な事をまずは勉強してからにしなさい。

>こんなのはその意味が分っている者には理解できるが、そうでない者には理解できない。

それで結構。オリジナルが無ければコピーは存在しない という当たり前の事すら理解出来ない者とは、
正直、会話をするのが億劫だ。まあ、請えば教えてやらんこともないがね。
まずは「オリジナル無くしてコピーは存在しない」だ。
わかったな。
413日本@名無史さん:2013/06/04(火) 12:24:38.98
踏み返しって言葉も、独特の言葉で、
鏡の鋳造にしか使われていないローカルな用語。

そういう言葉を説明なしに、人をけむにまくために使うから、
詐欺師ローガンと呼ばれる。

むしろ、専門用語、専門知識を人を騙すためにしか使っていない。
414ローガン:2013/06/04(火) 12:25:34.89
>>410
>しかしよーく読んでみれば、

君はよく読んでくれているのか。ありがとう。
415日本@名無史さん:2013/06/04(火) 12:26:41.56
>>393
>どうでもいい話だが、博多弁ではサもシャになりがちだよね。
>「キサマ(貴様)」→「キシャン」
>「キナサイ(来なさい)」→「キンシャイ」

それは前後の関係で、音の短縮や融合で起こっている。
それに対してセ→シェは常に起こる。語頭でも語中でも起こる。地名で言えば:

セキジョウマチ→シェキジョウマチ
レイセンマチ→レイシェンマチ

これに対してサでは:

サワラク→シャワラク
アカサカ→アカシャカ

は絶対に起こらない。
416満州バナナ三千代:2013/06/04(火) 12:27:42.80
ローガン爺さまよ、おめーはパカでねーのか?

二つの鋳型があって、そのどちらがオリジナルか分らねーとおめーは言ってるだ。
どちらもコピーかも知んねーと言ってるだ。
それなのにどちらかはオリジナルだとどうして言えるもんなのかね。

鋳型を作る度に湯口は変わるだ。
ならどれが一番最初の鋳型なのか分かるはずはねーべよ。

仮にオリジナルが存在するとしてもだ、どれがオリジナルか分んねーとおめーは言ってるだ。
それなのにオリジナルは中国製だとおめーは断言してるだ。
その根拠を説明してみろや、このクソ爺い。
417ローガン:2013/06/04(火) 14:21:55.81
>>416:ゴミ満州
>二つの鋳型があって、そのどちらがオリジナルか分らねーとおめーは言ってるだ。
>どちらもコピーかも知んねーと言ってるだ。それなのにどちらかはオリジナルだとどうして言えるもんなのかね。

「どちらかはオリジナルだ」と誰が言ったかね?ゴミ満州くん。
どれがオリジナルかの判定が出来ないだけで、コピーがある以上、オリジナルが存在したのは当たり前なんだ。

>鋳型を作る度に湯口は変わるだ。ならどれが一番最初の鋳型なのか分かるはずはねーべよ。

まるでわかってない。湯口の違いは工人の違いと考えるのが常識だ。

>仮にオリジナルが存在するとしてもだ、

仮にじゃない。何に限らず、オリジナル無くしてコピーは存在しないんだ。

>どれがオリジナルか分んねーとおめーは言ってるだ。それなのにオリジナルは中国製だとおめーは断言してるだ。

当たり前だ。中国製のオリジナルがあるからこそ、図像や銘文がまとも。
すべて国産とするならイ方製△鏡への技術移転が無い事を説明出来ないんだ。
418太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/06/04(火) 14:27:03.85
八幡愚童訓(甲本 上):沖縄神徳寺保有文書  から

 開化48年=黄龍2年

であることとなる。
ここから2倍暦で年代降下計算をすれば

 紀の崇神即位元年=237年=景初元年

だということが分かる。

ここから

 紀の崇神6年=皇紀569年=238年(末期)

となる。そこで

鏡作坐天照御魂神社社伝

 崇神6年9月3日、この地で日御象の鏡の改鋳し、天照大神の御魂となす・・・

この年が238年末期だから、翌年の年号を刻む景初3年鏡は畿内でこさえたりした鏡だな。
つまり日本製と判明。
ここからさらに年代下降すると、古事記の崇神没年(戊寅)は

 258年

だったことがさらに判明する。
419日本@名無史さん:2013/06/04(火) 14:30:20.36
>>417

その屁理屈はわからんでもないが、
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡という根拠には、
まるでならんよね。
420日本@名無史さん:2013/06/04(火) 15:45:05.87
いくつか合わせて作ったということもあるさ。その場合、オリジナルはない。
421ローガン:2013/06/04(火) 16:26:02.94
>>419
おう。それでいい。何を書こうが全く理解出来ないゴミ満州よりは、少しはましだ。
誰も同意しろなんて言っちゃいない。それにこんなのはあくまでも蓋然性多寡の話だ。
前期古墳に見られる△鏡、大量副葬のマインドとは上で書いた通り、潤沢な供給を物語るものだ。
そしてその供給地を国内に求める事は妥当。
しかし、銘文や図像の意味を理解出来る工人の手による鏡と、後に登場するハチャメチャなイ方製△鏡の非連続性。
全ての△鏡を国産とすれば、その技術移転が説明出来ない。
よって、所謂「舶載鏡」とは原型鏡のコピー(踏み返し)。
踏み返して転写するだけなら、図像等の理解も不要。又、湯口の違う(中子の向きが違う)同型鏡の存在も複製を裏付ける。
言うまでもないが、この原型鏡の入手は、潤沢な供給体制の確立以前。 240年到着の鏡群と考えて無理が無い。
422満州バナナ三千代:2013/06/04(火) 17:15:47.22
>当たり前だ。中国製のオリジナルがあるからこそ、図像や銘文がまとも。
>すべて国産とするならイ方製△鏡への技術移転が無い事を説明出来ないんだ。

何だ、おめーの言いたいのはこれだけでねーか。なら最初からそう書けば済むこった。

>まるでわかってない。湯口の違いは工人の違いと考えるのが常識だ。

工人が同じであろうが別であろうが、
湯口の違いでどちらが先か後かを判別できないことに変わりはあんめーが。

もともと紫敷布ちゅー美しか(?)女子が、マスター鏡は出土してるんでつか、と聞いてきてのだから、
おめーは率直に「どれがマスター鏡かは分んねー。もすかすたら全部コピー鏡かも知んねーべ」
とでも答えればええのに、余計なこと書くから分んなくなっただ。意地悪な爺いだべ。
423ローガン:2013/06/04(火) 17:30:48.11
>>422:ゴミ満州
>おめーは率直に「どれがマスター鏡かは分んねー。もすかすたら全部コピー鏡かも知んねーべ」
とでも答えればええのに、

>>390
「例えば、湯口が違う二枚の同型鏡なら、どちらか、又は両方が、金属原型をもとにした踏み返しと考えるのが妥当だ。」

>>400
「つまりだ、仮に出土していたとしても、どれが該当するかなんてわからない だ。」 

このように2度既述。
424太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/06/04(火) 17:57:32.49
>>418 続き

開化48年=黄龍2年=230年 だから、ここから2倍暦で年代降下計算を
すると

 景初元年=崇神元年=237年

を得る。

このことから卑弥呼と百襲媛とが同一年代あたりに生存していたことがハッキリする。

そこで倍暦で細かく年代が一致するか調べると、興味は両女の没年が一致するのか否かに帰着する。
没年代が一致すれば両女が同一人の可能性が強まってくる。

百襲媛の没年は紀から 崇神10年 とあり、倍暦に注意してその実年代は

 百襲媛没年=紀の崇神10年=皇紀573年=景初4年=240年

となることとなる。

ところが卑弥呼の没年は247年あるいは248年だから、両女は同一人ではなく
各々が別人だということが判明したのだ。

だからほぼ同年代当時、畿内が百襲媛、九州に卑弥呼がいたことととなる。
425太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/06/04(火) 18:00:04.42
>>424 訂正
× そこで倍暦で細かく年代が一致するか調べると、
○ そこで倍暦で細かく年代を調べるが、
426満州バナナ三千代:2013/06/04(火) 18:32:13.69
ローガンよ、紫敷布がなぜ再質問してきたか分るか。
お前の説明が理解できなかったからだ。

もともと紫敷布はわたしは浅学であると断っている。
それなのにお前は専門用語を持ち出して説明する。
おまけに、浅学であると断っている相手に、勉強不足を恥なさいなどと説教する。

お前が学校の先生か会社の重役かは知らないが、
ここは学校でも会社でもないのである。
われわれはお前の生徒でもないし部下でもない。
そのことをよく覚えておけよ。
427日本@名無史さん:2013/06/04(火) 18:59:06.75
紫ちんぽ
428日本@名無史さん:2013/06/04(火) 20:21:37.95
倭国が元々交易があったのは公孫氏と呉で、魏とは交易はなかった。
公孫氏は、倭国、魏、呉の全てと交易してた。
呉の意匠である神獣図と魏の年号が出会った地は公孫氏だと考えるのが自然だと思うんだけど、どう?
429婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/04(火) 20:38:13.59
>>415
なるほど。
たしかに「シャワラ」とは言わんよなあ。

だけど、広島弁だと「キンサイ」になるところを、「キンシャイ」に
なっちゃう博多弁は、やっぱり拗音へのハードルが低いんじゃないかと。
あと、語頭でも「サカン(左官)」を「シャカン」って言うよね。
430サガミハラハラ:2013/06/04(火) 22:27:03.08
>>386の博多弁の話はでたらめであることが明白になってきました。
たんに、私に負けたくないがゆえにでたらめを書いたようです。 
431日本@名無史さん:2013/06/04(火) 22:52:24.19
>>421
基本的に三角縁神獣鏡は呉の系統の鏡。画文帯神獣鏡もそうだが。
432婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/04(火) 22:52:36.54
>>430
いや、俺は「サも怪しい場合がある」と言ってるだけで、
基本的には>>386の指摘は当を得ていると思うぞ。
俺は少なくともシ、ス、ソの拗音化は見たことがない。
433日本@名無史さん:2013/06/04(火) 23:15:00.47


何て読む?
434紫敷布:2013/06/04(火) 23:36:05.82
>>400 :ローガン
423までの満州バナナ三千代様や名無し様とのご議論でようやく分かってきました。
要するに「△鏡の中には中国製鏡をマスター鏡としたものがある」というのがローガン先生様のお考え
なのですね。
でも、それだけでは卑弥呼が魏から貰った鏡を△鏡だと断言する根拠としては心許ないのではないかしら。
参考:
297 :ローガン:2013/05/29(水) 21:09:56.25
それ以前の古墳(勿論、マストは権現山51)から出土する△鏡は、240年入手鏡の踏み返し。 これで、技術移転の問題もクリア出来る。
「銅鏡百枚」とは三角縁神獣鏡だ。
435日本@名無史さん:2013/06/05(水) 00:08:06.90
・眩しい 一例以下同
福岡あまばいか(筑)、あまばいい(豊) 佐賀あまばいか 長崎あまばいか
熊本あまばいか 大分あまばいい 宮崎まはいい 鹿児島めはい(隅)、めはいか(薩)
・恐ろしい
福岡えずか(西)、えずい(中)、おとろしい(東) 佐賀えすか 長崎おとろしか
熊本おとろしか 大分おじい 宮崎おじい 鹿児島おとろしい(隅)、(薩)おとろしか
・匂いを嗅ぐ
福岡におう、においをきく 佐賀かずむ、かぞむ 長崎かずむ 熊本かざむ(北)、
かずむ(天草葦北) 大分によいをかざむ(北)、によいをによう(南) 
宮崎かざむ、かざをかざむ 鹿児島かざをかずん(隅)、にえをかずん(薩) 
・いますか丁寧
福岡おんなるか?等 佐賀おんな?等 長崎おらすか?等 熊本おんなはるますか?等
大分おりますか?等 宮崎おりゃるか?等 鹿児島おいやすか?等
日本言語地図1966〜1974等参考
436日本@名無史さん:2013/06/05(水) 00:12:56.56
コラン、セカライカトコジャ、ナンサカ、カンガヤーナラナー。
437日本@名無史さん:2013/06/05(水) 00:15:09.26
方言スレになっとる
438日本@名無史さん:2013/06/05(水) 00:18:21.44
一方、中国には方言はなかったそうじゃ
439日本@名無史さん:2013/06/05(水) 00:35:32.14
標準語を作ったのは長州の人間で、長州の言葉と江戸の言葉を混ぜて
作ったらしい。薩摩藩の人が薩摩弁を標準語にしろと言ったらしいが、
薩摩弁では誰もわからない、と拒否されたとか。
440ローガン:2013/06/05(水) 01:19:00.26
>>434:紫敷布

>>421に、概略を書いてある。
概略であるゆえ当然、端折っているがね。
441日本@名無史さん:2013/06/05(水) 06:25:40.93
神獣鏡は呉発祥の鏡で、中国では2世紀〜3世紀の紹興近辺でしか出土しない。
三角縁神獣鏡及びその図柄の手本とされた画文帯神獣鏡も呉系の鏡。
呉鏡が魏王朝の下賜品にされるとはおもえない。
442満州バナナ三千代:2013/06/05(水) 09:33:31.68
実は僕も>>421を読んで初めてローガンが何を考えているのかが分った。ただ、

>よって、所謂「舶載鏡」とは原型鏡のコピー(踏み返し)。

これはどういう意味なのか分らない。
分らないが、質問するのは癪だからしないw
443日本@名無史さん:2013/06/05(水) 11:39:04.93
遺跡・遺物の木材:1年単位の新測定法 確率ほぼ100%
(毎日新聞 2013年06月03日 08時25分)

 ◇名大大学院の中塚教授考案
遺跡や遺物の年代を、樹種を問わず、少量の試料で測定できる画期的な木材の年代測定法を、
名古屋大大学院環境学研究科の中塚武教授(気候学)が考案した。
1年単位の高精度で安く短時間に、年代測定ができるという。

論争が続く弥生や古墳時代の開始時期など、考古学や歴史学に多大な影響を与えそうだ。
7月に開かれる日本文化財科学会の年次大会で発表される。【伊藤和史】
http://mainichi.jp/select/news/20130603k0000e040107000c.html
444日本@名無史さん:2013/06/05(水) 19:49:45.17
ローガン氏も、九州スレでは、分が悪いですな。
445ローガン:2013/06/05(水) 20:27:03.49
>>444
仰る通り。悪い悪い。(笑)
>>407
>ローガンの説明が分りにくいのは専門用語を持ち出すからである。
>今回も湯口とか踏み返しという用語を持ち出した。
>こんなのはその意味が分っている者には理解できるが、そうでない者には理解できない。

こんなヤツばかり。自分では、平易を心掛けているつもりなんですけどね。
専門用語なんて云われると萎える。
446満州バナナ三千代:2013/06/05(水) 21:52:05.97
湯口、踏み返し、そんなのを知ってるのはお前ら邪馬台国オタだけである。
一般人は誰も知らない。おそらく紫敷布も知らなかったと思われる。
僕も知らなかったから検索したが、未だによくは分かっていない。

邪馬台国スレに投稿するならそれくらいは知っておけ、というのがローガンという男である。
そのゴーマンさというか人を見下した態度が読んでいて腹が立つ。

ローガンというよりゴーマンと名前を変えた方がいい。
447日本@名無史さん:2013/06/05(水) 21:56:32.55
湯の廻りの悪しくなりがちな鏡の周辺部は
ボリュームのある三角みたいのであるようだと
湯の廻り確保し易いし
鋳型からの離型も容易にいくらしくて
離型時にもげちゃうとか起こりにくいらしいよね
448日本@名無史さん:2013/06/05(水) 21:59:30.99
>>447
要するに、三角縁神獣鏡は初心者用の稚拙な鏡というわけかな。
449日本@名無史さん:2013/06/05(水) 22:02:41.22
そこまでいわなくても技術的にこぴぺし易いのはがち
450日本@名無史さん:2013/06/05(水) 22:09:23.37
そんなことよりNHKを見ようぜ!
451日本@名無史さん:2013/06/05(水) 22:09:33.38
三角縁神獣鏡は数百枚のオリジナル鏡と数千枚の複製鏡があります。
452日本@名無史さん:2013/06/05(水) 22:11:33.71
鏡というのは、文字通り顔なんかを映す鏡なのだから、裏だけではなく
表のほうも吟味すべきじゃなかろうか。
恐らく、こちらの方もかなり技術力の差が出ると思う。
表が話題になったのを聞いたことはあんまりないな。寡聞にして。
453日本@名無史さん:2013/06/05(水) 22:12:02.76
「踏み返し」とかなまぬるく察したってだれにでもわかりそうなものなのに
なかにはにぶいおひとがまざりこんだりしているのかな?
454満州バナナ三千代:2013/06/05(水) 22:58:27.99
>>453
それはお前が三角縁神獣鏡についてよく勉強しているからである。
湯口、踏み返し。漠然とは分かるがはっきりとは分らない。

ローガンのレスに金属原型とあったが、これも何のことか分らなかった。
おそらく鋳型のことだろうと思うが、もしかしたら違うのかもしれない。

ここの連中は考古学には詳しいから僕のようなのは例外なのだろう。
しかし古代史の裾野は広いのであって、考古学には何の関心も無い人間もいるのである。
早い話、ここの連中は桓檀古記や契丹古伝やネット史には丸っきり無知なのである。
お前もえらそうな書き込みをしているが、お前もそんなに利口な男でないことは
その文章を読んだだけで分かるのだ。あまりえらそうなことは書くな。
455日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:00:35.46
鏡面側の研磨が省略されているのは明器、葬具だろ
456日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:07:34.63
>>455
そう、三角縁神獣鏡は、恐らく鏡の役割を果たしていないと思う。
だから、話題にならなかったのではなかろうか。
457日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:10:01.46
老眼は、端折ると称して主語を省略すること多し、
また何を指してるか不明確な代名詞を多用し、
あるいは業界用語〜隠語を使いたがる。
そのわりには二重否定・三重否定を多用し、
不要な言いかえが多く、
持って回ったといえば聞こえはいいが、
結果として文章構成が雑然・冗長となり、文意をつかみにくい。
458婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/05(水) 23:16:43.81
つか、博物館とか資料館に展示してある鏡って、必ず裏面を見せてるよな。
まあ当然っちゃ当然なんだろうが、鏡としての性能を見てみたい。
459日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:18:40.93
で、湯口、踏み返しって何なの?
460日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:21:54.13
そーいや、鏡面側の写真は見た記憶ないな、裏の文様写真ばかり。
話題にされるのも裏ばかりだし・・。
つまり、仏教伝来前には阿弥陀様みたいな存在であり、
生きてる間は朝夕拝み、共に暮らして、死後はあの世へ持っていく鏡か。
461日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:24:35.06
あとは三角鏡は基本ゆるい凸面だな
凸面は実用的でないという議論もある
462日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:24:49.51
http://www.emuseum.jp/detail/100571/002/002
こんなのみてもつまらないけどね
463日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:25:00.32
>>459
湯口というのは、溶けた青銅を流しいれるところ。

踏み返し、というのは、鏡を粘土などに押し付けて型を取り、
その型に青銅を流し入れて、また鏡を作ること。安易な作り方だな。
464日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:26:40.20
465婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/05(水) 23:31:12.95
>>461
たしかに、凸面なら顔を映したらちっちゃくなっちゃうよな。
やっぱ群集の前で太陽を映してピカピカさせるのが主目的か。
466日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:32:36.55
卑弥呼は群衆の前には出てこないのだ。
467日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:35:37.69
踏み返し自体は中国出土の漢鏡でもあるけどな
468日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:38:23.46
中国でも混乱期は鋳型を彫る職人が少なくなって踏み返しが出てくる
あとは昔の文様に復古するとかの意味合いで踏み返す場合もある
469日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:40:35.38
鋳型のクオリティが悪しいと使い捨てになるけど▲のは使い捨てのが多いらしいね
470日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:43:50.50
現代と同様に経済原則、要するに金儲けの原則だよ
売れる物を作って売る、それだけ。
この時代にはソグトも入り込んでるしな
471日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:44:22.05
だいちゃん作成ベースの大型鏡のリスト
http://yamatai.cside.com/katudou/image/317-11.gif
472日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:45:59.40
三角鏡は神獣表現ではないはっきりした国産鏡と比較すると
相対的なレベルはずっと上だけどな
473日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:49:22.42
最大のの465mmの5枚は同笵鏡みたいだからレベルの高い鋳型の作成技術が無かったわけでもないのだ
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/017/182/90/N000/000/000/131478747786113107605.jpg
474日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:53:10.70
はっきりした倭製の内向花文とかひどい出来だからな
475日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:55:39.09
だからバリがある、研磨してない、鈕孔がふさがるとかのことは
必ずしも作鏡レベルが低いわけではなく用途上の問題だろ
476日本@名無史さん:2013/06/05(水) 23:56:27.47
怪獣鏡とかわろす
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/lrg/10/30/80/lrg_10308044.jpg
これって 山口県柳井市茶臼山古墳出土の径44.5cm のだ龍鏡

こっちのは径38.3cm だ龍鏡だけど出処不明って
共通デザイン部多々ののサイズ違いの兄弟鏡だな
http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_59.jpg
477日本@名無史さん:2013/06/06(木) 00:01:35.02
踏み返しで問題になるのは鏡の大きさよりも
複雑な文様が鈍くなってはっきりしないとか
高さのある文様に銅がまわらないとかのほうが大きい
478ローガン:2013/06/06(木) 00:08:27.24
>>454
>湯口、踏み返し。漠然とは分かるがはっきりとは分らない。ローガンのレスに金属原型とあったが、これも何のことか分らなかった。おそらく鋳型のことだろうと思うが、もしかしたら違うのかもしれない。

わかった……ハァ
「湯口」  熱して溶かした銅錫鉛の合金を鋳型に流す入り口の事。 鈕(真ん中の丸い出っ張り)に紐を通す穴を作る為、鋳型に中子を置くが、溶けた合金(湯)に流されにくくするため、湯の流れに沿う方向で中子を置く。
中子の置き方…つまり鈕孔の向きで 湯口がわかる。 (ややこしい話は割愛して)湯口の向きの違いは、職人の違いと捉えるのに無理はない。
鏡背の文様が同じものを同型鏡という。この同型鏡で鈕孔の向きの違うものがある。
違う工人の作だが、文様が全く同じ。よってどちらかはコピー。もしくは両方ともコピーであることがわかる。
479日本@名無史さん:2013/06/06(木) 00:10:40.97
>>475
三角縁神獣鏡がそういう用途に使われること自体が問題。
卑弥呼の鏡ならば、もっと大切に扱われるだろう。少なくとも画文帯並みに。
コピー禁止くらいしてもいいと思われる。
480日本@名無史さん:2013/06/06(木) 00:15:27.75
双鳳紋鏡とかの方が卑弥呼の鏡っぽい
481日本@名無史さん:2013/06/06(木) 00:15:48.46
限られた王家直属の工房でやらかしていたものが
各地に工房が拡散してからに各地でやらかせるスタイルに切り替わっている
こういう時期に突入すると鏡自体の価値も低下してしまうものなのだ
482日本@名無史さん:2013/06/06(木) 00:24:34.39
>>479
最初から葬具として使うつもりだったという可能性だってあるじゃん
483日本@名無史さん:2013/06/06(木) 00:26:28.51
倭国大乱の中で一つの勢力が異国の大勢力と結び付いたことで、
明治維新並みの大変化が起きてそう
484ローガン:2013/06/06(木) 00:31:48.46
「踏み返し」 鏡にそのまま粘土を押し当て鋳型を採ること。
金属原型、つまりオリジナル鏡があれば、いくらでもコピー可能。勿論、コピーのコピーも可能。
型取りした粘土の鋳型使用では収縮するため、少し大きさの違う同型鏡間において「踏み返し」の関係が考えられる。
又、同じ箇所にある同じ程度の傷も踏み返しによる製作を考えるのが妥当。
485日本@名無史さん:2013/06/06(木) 06:51:33.46
>「踏み返し」とは、オリジナルの金属鏡に直接粘土を押し当て鋳型を採ること。
486満州バナナ三千代:2013/06/06(木) 09:50:28.46
少しずつ分かってきた。
真ん中の丸い出っ張りを紐というのだな。そこに紐を通す穴が開いているのだな。
で、その穴の向きが違うものがある、と。

最初の鋳型で作られた鏡をマスター鏡というのだな。
で、その最初の鋳型で何枚くらいの鏡が作れるのか。百枚くらいか?

次にマスター鏡に粘土を押し当てて作った鋳型で作った鏡がコピー鏡か。

ところでローガンは
>よって、所謂「舶載鏡」とは原型鏡のコピー(踏み返し)。
と書いているのだが、これは輸入鏡はコピー鏡だということじゃないのか?
つまり卑弥呼のもらった百枚の鏡はオリジナル鏡ではなく、
コピー鋳型で作られたコピー鏡だと言っているのじゃないのか?
オリジナル鏡(それが何枚あるかは知らないが)は中国にあるのだ、と。
それならそのオリジナル鏡が中国から一枚くらいは出土していなければならないのだが。

もしかしたら僕の理解が違っているのかもしれない。
しかし素人は所詮その程度の理解しかできないのである。
紫敷布が再質問してきたということは、彼女もよく理解できなかったのである。
理解できない者をアホー呼ばわりするのではなく、
素人にも理解できるようにやさしく解説するのが配慮というものである。
487満州バナナ三千代:2013/06/06(木) 09:57:08.36
僕がなぜ、

>よって、所謂「舶載鏡」とは原型鏡のコピー(踏み返し)。

の意味が分らない、と書いたかといえば、僕はこの文を上のような意味と理解したので、
卑弥呼がもらった鏡がなぜコピー鏡と断言できるのか、という疑問なのだ。
卑弥呼がもらった鏡はオリジナル鏡かもしれないではないか。

ローガンが、舶載鏡はコピー鏡だというその理屈が分らないのである。
488満州バナナ三千代:2013/06/06(木) 10:06:34.73
と、ここまで書いて気付いたが、もしかして、
オリジナル鏡は鋳型で作るんじゃなくて、直接金属を彫って作るのか?
489日本@名無史さん:2013/06/06(木) 10:35:19.03
>>487 (想像すれば・・)
中国に手彫りの原型鏡1枚があった、
卑弥呼の使いが来たので、その原型鏡をもとに粘土鋳型で急いで100枚コピーを作って渡した。
それを帰りの船で運んで来た(舶載鏡)、これが240年到着の100枚。
このうちのどれかを元に、さらに倭国でコピーを作って配った(潤沢な供給)、
それで後の時代のものはレベルがやや落ち、そんなのが何百枚も出土してくることになった。

要するに、100枚だけは中国製△であったに違いないと思いたい老眼の願望。
畿内説が成り立つためにはぜひそうであってほしいという一縷の望みから来るカキコ劇場だな。
490日本@名無史さん:2013/06/06(木) 10:47:47.70
金属製品はロウソクのロウで原型を作ってから鋳型を作るんですよ。
491日本@名無史さん:2013/06/06(木) 11:30:25.62
同じ鋳型を使って作る鏡を同笵鏡というのだよ。しかし、同じ鋳型を何回も
使うと傷んでくる。数が多くなるほど質の悪いものになっていく。
まあ、まともな作り方ではない。三角縁神獣鏡に圧倒的に多い。

踏み返しなんてのも安易過ぎる作り方。質のよいものが出来るわけがない。
模様や文字もぼやけてくる。これも三角縁神獣鏡に多い。

基本的に、三角縁神獣鏡は大量生産を目的にした粗悪品ということになる。
492日本@名無史さん:2013/06/06(木) 12:11:20.24
粘土型、砂型は、再利用ができない。
さらにその砂型や粘土型を作る元型があるだろうが、
極端な話、それは一枚でいい。

石型なら何度か再利用が可能だが、
それは石を削って作るしかなく、
今度は元型というものが存在しない。
493満州バナナ三千代:2013/06/06(木) 12:29:20.04
要するにこういうことか。

ロウで鏡を作る。→そのロウ鏡で鋳型を作る。→その鋳型に金属を流し込んで金属鏡を作る。
こうしてできたのがオリジナル鏡ということか。

ところで卑弥呼が貰った鏡が全部同一種類の鏡であるとは限らないだろう。
図案もサイズも多種多様、中には当然△鏡ではない鏡もあっただろう。

そうすると卑弥呼が貰った鏡を特定するのはますます困難になる。
チミらの健闘を祈るw
494日本@名無史さん:2013/06/06(木) 12:39:41.67
>>493
それは、現代の金型の話だろう。
古代の鏡の場合は基本的に手彫り。
石を直接、削って彫って鋳型を作る。
495日本@名無史さん:2013/06/06(木) 12:42:53.83
そうそう、鋳型は再利用出来ませんよ。
鋳物工場で働いてますから解ります。
エンジンブロック等を大量に造る際には金型も
存在しますが、当時は技術が無いでしょう。

木型を作って、それをスタンプみたいにポンポンと
平にした砂や粘土の上に押して複数の型を作り、
溶かした銅を流し込んだのではないでしょうか?
たこ焼きの生地を流し込む作業と同じ要領で。
そう考えるとマスター鏡は存在しませんね。

あと、現在鋳肌を綺麗にするには、鋳型に黒鉛(炭)を
塗るのですが、その知識はあったのかとも思います。
目玉焼きを作る時に、フライパンに油を塗るのと同じです。
それをしないと焼き付きが起こり、表面が凸凹になります。
496日本@名無史さん:2013/06/06(木) 12:55:22.00
石型は九州に多いが、鏡の石型は数が少ない。
出るのは、ほとんどは剣などの武器の鋳型

他の地方では粘土型が多いらしい。
497日本@名無史さん:2013/06/06(木) 14:26:50.01
詳細のは良くは知らんが
華方面とかには粘土ベースの鋳型を再使用可能にするような技術があったとのことだ
いまどきのはふつうは
練り物でこさえたブツがぽろぽろ崩れてこないように砂混ぜ込むのが常識らしいけど
なんでもその常識の砂の代わりに有機物を混ぜ込んだりするハイテクらしいよ

均質な上質な製品を製造できる技術の蓄積が
青銅器文明の世の中にはあるところにはそれなりにあったとゆうことですよ
ロストワックスのたぐいの鋳造技術もあったし、接合の裏技とかもね
498ローガン:2013/06/06(木) 15:45:34.96
>>486
>真ん中の丸い出っ張りを紐というのだな。

悪い。誤変換だ。正しくは「鈕」

>最初の鋳型で作られた鏡をマスター鏡というのだな。

いや、国内生産における、元になった鏡の意味で使っている。ついでに説明しておく。
イ方製鏡とは、真似て作った鏡。神獣の表現が異形化、銘文が字になっていない などなど。
舶載鏡とは、イ方製鏡では無いもの。製品として、舶載された事が確実という訳では無い。京大目録200番の前後で舶載とイ方製に区別。

>次にマスター鏡に粘土を押し当てて作った鋳型で作った鏡がコピー鏡か。

そうだ。勿論、コピーからコピーも可能。

>つまり卑弥呼のもらった百枚の鏡はオリジナル鏡ではなく、コピー鋳型で作られたコピー鏡だと言っているのじゃないのか?

上で、舶載鏡の潤沢な供給は国内生産開始によるものと述べた。舶載鏡は文様や銘文がまとも。精神性を理解した工人の手によるものと捉えて差し支えない。
その技術がイ方製鏡に継承されないということは、
「文様や銘文を彫る」という、技術移転には欠かせない作業が、国内生産において不足していたと考える訳だ。
つまり、舶載鏡製作は、文様や銘文を彫らずに生産する方法をとっていた訳だ。
それが、踏み返しだ。この踏み返して作られた舶載鏡の、元になった鏡がマスター鏡だ。
499日本@名無史さん:2013/06/06(木) 16:13:36.13
>>498
>いや、国内生産における、元になった鏡の意味で使っている。
それは通用しない。そう言う意味なら、「国内生産のマスター鏡」と書くべき。

>舶載鏡とは、イ方製鏡では無いもの。製品として、舶載された事が確実という訳では無い。
自己中心な呼び方だ、そういう手前勝手な区別をしても他人は同意しない。
京大目録200番の前と後で区別したとそのまんま書けばよい。

>上で、舶載鏡の潤沢な供給は国内生産開始によるものと述べた。
頭の中の電線がショートしとるな。
こんな大省略したつまみ食い的な書き方はよろしくない、以下の意味だ絽。
京大目録200番以前の良質な鏡の潤沢な供給は、舶載鏡をマスターにした国内鏡の生産開始によるものと述べた。
500日本@名無史さん:2013/06/06(木) 16:17:39.01
踏み返しと思われる鏡は
中国本土でも弥生時代の北部九州遺跡からも普通に出土してるけどな
むしろ同笵説のほうが怪しい
501日本@名無史さん:2013/06/06(木) 16:24:34.18
>>499
>この踏み返して作られた舶載鏡の、元になった鏡がマスター鏡だ。

逆時間で組み立てる悪いクセが顕著だ。それで苦しんでるな。
文章は時間の流れに沿って書くべし、例えば以下の順序。
まず、「元になった鏡がマスター鏡・・」、
次に、「この踏み返して作られたのが舶載鏡・・、」
502日本@名無史さん:2013/06/06(木) 16:49:52.40
常識的に考えれば、最初のデザイナーが作ったのが基準鏡。
基準鏡をふみ返してコピーしたのがマスター鏡。
さらにマスターを型にして、ふみ返して作ったのが量産鏡。

ここまでが舶載鏡?

量産鏡をふみ返してコピーしたのが、ぼうせい鏡、
これが日本の鏡かな。

基準鏡一枚で、500枚コピーするのは、ちょっと無理があるからね。
もう一段増やした。
503ローガン:2013/06/06(木) 16:51:33.83
>>499
>それは通用しない。

何故だ?元はこれだ
>>390:ローガン 06/03(月) 15:08
>>376:紫敷布
>博識なローガン様にお伺いしたいのですが、
なんでも訊いてくれ。
>△鏡のマスター鏡とは何でしょうか?
前期古墳で多数見つかる三角縁神獣鏡の金属原型となった鏡のことだ。
例えば、湯口が違う二枚の同型鏡なら、どちらか、又は両方が、金属原型をもとにした踏み返しと考えるのが妥当だ。
この金属原型がマスター それを使って作られたのがコピーだ。 』
私が言う所のマスター鏡の意味は3日も前に既述。

>自己中心な呼び方だ、そういう手前勝手な区別をしても他人は同意しない。

いいや、ちゃんと言葉を添えてあるだろうに。イ方製鏡も含めて中国製とする研究者もいれば、大陸の工人による日本国内での製作を主張する人もいる。
しかし、「舶載鏡」と初めて聞けば、それらが全て舶来品だと勘違いする者もいるだろうが。

>京大目録200番の前と後で区別したとそのまんま書けばよい。

そんなのがここで通用するか?踏み返しすら「わからん」って、文句を言う連中相手だぞ。

>京大目録200番以前の良質な鏡の潤沢な供給は、舶載鏡をマスターにした国内鏡の生産開始によるものと述べた。

材質的には一概に「良質」だとは言えないけどな。
504婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/06(木) 16:54:58.49
>>494
いや、大陸では古くから蜜蝋型を使ったロストワックス法があったらしいよ。
日本に伝わったのは遣隋使の時代で、奈良の大仏とかこの方法だよね。

岸本直文, 1996: 「雪野山古墳副葬鏡群の諸問題−舶載三角縁神獣鏡の鋳造技術−」 , 雪野山古墳の研究, 八日市市教育委員会.
505日本@名無史さん:2013/06/06(木) 16:56:54.97
ああ、またローガンの悪いくせだ。
紋切り型に言葉をぶつけるだけじゃなくて、

京大目録200番というやつと、とその前後のやつの
のURLを示してから語ってくださいね。
506日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:09:49.65
>>502
文様は単純化に向かって変化してるから違う
昔の鏡の踏み返しは除いて
507日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:11:29.66
>>503
さっき自分で言ったことを、そのすぐあとに否定しとるぞ。
早々に前言を忘れるとは、なんぞ良くない症状に見舞われてないか??
508日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:13:31.27
観察したらわかっちゃうはずだけど、多紐細文鏡のは石から雌の鋳型を直接刻むの行
509日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:14:34.36
朝鮮鏡を持ち出すな
510日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:21:33.99
>>508 のシリーズので最大のが大県遺跡ので

大阪府 柏原市 大字大県 小字切山 (217mmφ)

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/fe/anamorura55/folder/1488357/img_1488357_54425162_0
511日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:23:38.30
おつぎにでかいのが

全羅南道 霊岩里 出土 ので 212φ

http://www.heritage.go.kr/attach_file/sch_includefile/8269danew.jpg
512婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/06(木) 17:24:55.10
>>508
最後まで書けよw
513満州バナナ三千代:2013/06/06(木) 17:31:32.90
要するに銅鏡の制作方法は完全には解明されてはいないということか?
とくに一番最初の原型をどんな材料に彫ったのか、が。

あんな精巧な図案を石に彫るのは大変だろうから、木か何かではないのか。

しかし素人が思うに、図案が中国的ならオリジナル鏡は中国製だと思うが。
純日本的な図案の銅鏡はないのか?
いや、べつに答えてくれなくていいぞ。たいして興味はないからw
514日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:31:37.23
>>511 眺めたらわかるだろ
515日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:33:16.35
516日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:41:49.70
日本的な図案は銅鐸絵画や絵画土器見ればわかるだろ
あとは有名な家屋文鏡とか
517日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:48:43.98
銅鐸と銅鏡は様式・形式の違いだけではないのか
つまり銅鐸は日本的図案の日本文化だが、銅鏡のほうは中国文化ということなんだな
518日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:50:41.01
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/fe/anamorura55/folder/1485293/img_1485293_46376435_3

これののぐるぐるの漢字読んだら

「尚方佳竟真大好上有仙人不知老渇飲玉泉飢食棗浮游天下敖四海徘徊名山採芝草寿如金石之国保兮」

方格内のが 「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」 23.2cmので産地署ありのやつのなかではわりとでかめのブツ
519婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/06(木) 17:53:05.69
>>517
印象としては、銅鐸の絵って素朴というか説明的だよね。
銅鏡のは装飾的。
520満州バナナ三千代:2013/06/06(木) 18:31:03.68
>>511のような鏡は、単純な幾何文様だから、中国製ではないような気がする。
伊作の書いていた九州特有の装飾古墳の図案と似ているような気が…。
521日本@名無史さん:2013/06/06(木) 19:09:45.01
しかし銅を溶かす技術が三世紀の我が国にあったとは凄い。
ちなみに1500℃以上でないと溶けない。
522日本@名無史さん:2013/06/06(木) 19:12:43.79
銅鐸は前2世紀からあるんだが
523日本@名無史さん:2013/06/06(木) 19:15:53.96
それに錫混ぜてるし
524日本@名無史さん:2013/06/06(木) 19:47:29.13
>>473 の馬鹿でかいのも国産だってさ

こんなまぬけなでかいのつくりがちなのが倭人だってゆうとこのは納得

しかもやっぱり5枚同サイズ同デザインのは

同じ鋳型から仕出かした同笵鏡なのですとの現地発表

5枚同笵のはコンパウンド固めたのでは無理かも???
525日本@名無史さん:2013/06/06(木) 19:50:50.71
同じ原型を、粘土や砂で型どったのか、
再利用できる石型なのか、
でかい石型だと、大変そうだな。
526満州バナナ三千代:2013/06/06(木) 21:21:50.51
こういう超大型鏡を作れるほど倭の国力は充実していたということだよ。
倭はチミらが思っているような劣等国じゃないんだよ。
超巨大古墳を紀元前から造っていたんだよ。

三韓や中国より上だったんだよ。
527日本@名無史さん:2013/06/06(木) 21:24:48.63
漢時には既に100國を支配してたからね
528日本@名無史さん:2013/06/06(木) 23:29:26.32
え?
529日本@名無史さん:2013/06/07(金) 00:26:09.50
大型鏡を作った前原伊都国(佐賀伊都国と区別する)最強伝説か。
530日本@名無史さん:2013/06/07(金) 01:04:30.23
>>529
前原で大型鏡を作ってたのか? 工房とか見つかってるのか?
見つかってれば、倭人伝を読む上で重要なカギになる。
531日本@名無史さん:2013/06/07(金) 02:04:11.89
倭人伝に、伊都国で鏡を作っていたと書かれているわけじゃないから
なんとも言えないな。
そういえば、倭人伝には「銅鏡百枚」以外、鏡については書かれていないな。
532サガミハラハラ:2013/06/07(金) 08:47:41.22
>>527 漢の時の百カ国は、それぞれが楽浪郡に貢献していたのですから、独立状態であったかそれほど拘束されていない状態であったと考えられます。
533満州バナナ三千代:2013/06/07(金) 09:39:47.56
魏の皇帝が、卑弥呼の好物が鏡だと知っていたということは、
難升米がそう言ったのならともかく、そうでないなら、
ずっと以前から倭の商人が中国に出かけて、鏡の買い付けなどをしていたのである。
倭人が好む商品は鏡だと中国人は知っていたのである。(ほんまかいなw)
534サガミハラハラ:2013/06/07(金) 09:49:08.65
よく銅鏡のみが好物のように論ぜられる、卑弥呼は鏡が好きだったかのようにいわれるが、倭人伝を読んでみると、「故に鄭重に汝に好物を賜うなり」
とあり、好物とはよい物であり、好きな物ではないのであるから、この好物とは、返礼の品物全てをいっているものではないだろか。
535日本@名無史さん:2013/06/07(金) 10:55:19.47
そのとおり、銅鏡ばかりが注目を集めているようだが、
国内で出土した鏡をすべて合わせれば1万枚とかに達するのではないか。
うち卑弥呼の鏡はわずか100枚。しかも葬具のたぐい。
現代で言えば蓮の花輪みたいなものじゃないのか?
536満州バナナ三千代:2013/06/07(金) 12:35:17.71
>好物とはよい物であり、好きな物ではないのであるから
>しかも葬具のたぐい

どちらもやや疑問あり。
ともあれ唯一種類の鏡を百枚も賜るのは芸がないような気もするから、
50枚ずつ2種類とか20枚ずつ5種類とか与えたのではないだろうか。
10枚ずつ10種類とか。
537日本@名無史さん:2013/06/07(金) 13:00:39.80
○年○月為卑弥呼・・、みたいな銘文でもあるならともかく、
選りどり見どりのひと山100枚ではいまさら見当もつかぬ、
けっきょく大した手掛かりになりそうにないな。
538日本@名無史さん:2013/06/07(金) 13:10:05.97
>>535
なんか誤解しているみたいだが、魏の下賜品には魏の威信がかかっている。
さすがに魏のくれるものは違う、と思われないことには面目が立たない。

棺に入れるための鏡なんかを与えるとは考えられないから、三角縁神獣鏡は、
魏の下賜品ではないという意味なのだが。
539日本@名無史さん:2013/06/07(金) 14:29:34.49
そそ。
倭で出回ってる鏡より上の水準の鏡を下賜しないと魏の威信にかかわる。
魏の威を借りて卑弥呼が下賜するだろうと考え、協力的豪族への下賜用に50枚、
邪馬台国の身内への下賜用に30枚、親類一族用に20枚弱、
卑弥呼用に特注最高水準を1〜3枚とか。
540日本@名無史さん:2013/06/07(金) 14:39:38.43
で、卑弥呼用の特注最高水準が八侘の大鏡という寸法か?
541日本@名無史さん:2013/06/07(金) 14:50:54.51
その可能性もあるかも。
もっと後の時代で舶載ではない気もするけど。
特注最高水準は運搬中に破損の可能性も考えて複数枚かな。
542日本@名無史さん:2013/06/07(金) 17:18:10.16
聞くところによれば八侘の大鏡は未だ伝世されてるとのこと
もしかして卑弥呼の銅鏡100枚も後世まで伝えられ、何枚かは現存神社に・・、
何枚かは宮内庁管理の御陵墓に・・、のように特別別格の扱いなのかもしれないね。
543日本@名無史さん:2013/06/07(金) 17:57:45.72
それならば、説の論拠にできる可能性は永久にないな。
544日本@名無史さん:2013/06/07(金) 18:33:45.40
もしそうなら、卑弥呼の鏡の数十枚くらいは良好な状態で保存されていることになる
今後100年、200年、300年のスケールで考えれば、1枚くらいは世に出てくるのではないか
時代は大きく変わりつつあるからね。
545日本@名無史さん:2013/06/07(金) 18:54:58.14
展示される青銅器はつるぴかだが錆落としはたいへんだよ
546サガミハラハラ:2013/06/07(金) 18:55:20.45
鏡の扱いは、他の織物とかと同じ扱いではないでしょか。
特別扱いだとは何処にも書いていないようだが。
547日本@名無史さん:2013/06/07(金) 19:10:33.57
あれこれ探してそれらしいのが見つからないとなれば、特別扱いも考慮に入れてということですわ。

ともあれ、どこにも書いてないからそうではない、というのも味気ないですぞ。
邪馬台国は小城市甘木とは書いてないからそれはない・・、みたいな感じでね。
548日本@名無史さん:2013/06/07(金) 19:42:07.24
それらしいのといえば、平原の方格規矩四神鏡。
同時に出てきた国産大型内行花文鏡は、
鏡について、相当の思い入れがあることを伺わせる。
549日本@名無史さん:2013/06/07(金) 20:04:22.19
<方格規矩四神鏡の出土した遺跡>
福岡・佐賀に多いようだ。佐賀大和やサガミ氏ご推薦の小城でも出てる。

市町村     遺跡名     個数
福岡県前原市 平原遺跡1号墳 31
福岡県前原市 井原鑓溝(いはらやりみぞ)遺跡 21
佐賀県唐津市 桜馬場遺跡 1
佐賀県東脊振村 松葉遺跡 1
佐賀県東脊振村 横田遺跡 1
佐賀県大和町 池ノ上遺跡 1
佐賀県小城町 寄居1号墳 1
大阪府高槻市 闘鶏(つげ)山古墳 1
大阪府高槻市 安満宮山古墳 1
京都府 太田南5号墳 1
京都府 椿井大塚山古墳 1
550日本@名無史さん:2013/06/07(金) 20:35:40.65
ギーコギーコと首を挽く
551日本@名無史さん:2013/06/07(金) 21:13:53.73
>>549
<方格規矩四神鏡の出土した遺跡> 追記分

市町村       遺跡名     個数
福岡県福津市  桂百塚      1
愛媛県松山市  御幸寺山古墳  1
石川県羽咋郡  宿東山1号墳   1
石川県加賀市  分校カン山古墳 1
奈良県天理市  大和天神山古墳 4

  「尚方作竟」の「方格規矩」のが   ここまで合わせて 69枚
552日本@名無史さん:2013/06/07(金) 21:17:11.15
>>549
内 ひらばるのは 「陶氏作竟」9枚のを含む
553日本@名無史さん:2013/06/07(金) 21:55:56.01
前原伊都国が配布用の鏡を保管して、
少なくなってきたから、国産に挑戦したってところかな。
554日本@名無史さん:2013/06/07(金) 21:58:59.27
あと、内向花紋鏡は幾何的模様がシンプルなので、
初心者が挑戦するには良かったのだろう。

この模様なら、石を削るのも、比較的楽そうだ。
555日本@名無史さん:2013/06/07(金) 22:39:46.77
>>549
大阪府高槻市 闘鶏(つげ)山古墳 1
大阪府高槻市 安満宮山古墳 1
京都府 太田南5号墳 1
京都府 椿井大塚山古墳 1

このグループは偽物
TVLのLのが真逆のブツ
556日本@名無史さん:2013/06/07(金) 22:57:16.98
>>554
石を削って鋳型を造る…疑問点が二つ。

削るには鉄製のノミなどが必要になるが、それを用意出来たのか?
鋳型やノミが出土してもよさそうなモノだが、出て来た話は聞かない。
出土した鏡の枚数を考えると、発見されても良さそうなものだが…?
557サガミハラハラ:2013/06/07(金) 23:08:52.62
>>550 あれ、この台詞、どこで知ったの?
558日本@名無史さん:2013/06/08(土) 07:13:12.95
鏡の鋳型は少ないね。
ほとんどが粘土や砂の踏み返しで作られるからだろう。

福岡で数枚、石鋳型が出てきた程度。
559日本@名無史さん:2013/06/08(土) 07:16:11.32
>>555

ほほう、この辺は、模倣鏡なのかな?
560日本@名無史さん:2013/06/08(土) 07:52:45.23
鋳型用に使われた石は地域性もあるけれど

特定の種類の石のでたいへんな貴重品だったらしい

4面に各種の♀型彫り込んでまるちで使用とかのもある

あがって使わなくなったら、砥石で再利用のが良くあるパターンだから

鋳型の出土地が鋳物をしでかしていた所とは限らないともいわれる

鋳型彫る用に使われた石は

反復加熱冷却でぽろぽろとかになるとまずいし

硬すぎだと彫るの大変だから

それなりの良さげな石の種類のがチョイスされちゃうとゆうことなのだ
561日本@名無史さん:2013/06/08(土) 08:06:23.92
4面使用は吉野ケ里で出た銅矛のやつがそうだな
しかしTLVは石型でいいとしても大型内行花紋はたぶん違う
562日本@名無史さん:2013/06/08(土) 14:30:52.14
>>555
安満宮山古墳の青龍三年銘鏡は出来が悪い。太田南5号墳のものと同型らしい。
しかも、一応、方格規矩四神鏡。多くは、「青龍三年銘鏡」としか言われないが。

これは明らかに、国産の模倣鏡に年号を入れたことを示している。
ということは、三角縁神獣鏡が国産で、年号の入っているものも特に意味がないと
いうことになる。

畿内説の考古学者も対応に苦慮しただろうな。
563日本@名無史さん:2013/06/08(土) 16:46:17.15
つまり、魏王朝時代の鏡は(卑弥呼も愛用した)ブランド品だったということかな
564満州バナナ三千代:2013/06/08(土) 17:21:27.98
チミらの前提

中国鏡 出来が良い
日本鏡 出来が悪い

この前提ははたして真なりや否や。
565日本@名無史さん:2013/06/08(土) 17:38:01.12
Made in Japanは高品質の証
566日本@名無史さん:2013/06/08(土) 18:09:59.30
古墳に壊れた国内鏡が埋葬されてる
持ち上げたらぱらぱらに壊れたので、破片のまま死ぬまでだいじにしまっておいたんだろうな

宮中の八侘鏡も、古代に数回火災にあったが、燃え残りを大事にしてると書いてあったな
567日本@名無史さん:2013/06/08(土) 18:23:22.60
>>564
卑弥呼の銅鏡百枚は魏の皇帝がくれるものだから高品質。
しかも、朝貢の品よりも量もはるかに多い。
それが中華の皇帝の自尊心。だから、古代・中世には朝貢外交と呼ばれる
ようなものもあった。

たとえて言えば、天皇がよその国に送る品物のようなもので、粗末だったら
天皇だけでなく、日本の威信に係わる。
568日本@名無史さん:2013/06/08(土) 20:01:54.30
既存の銅鏡に該当品はなさそうだ
この状況では、卑弥呼の銘でも刻まれた高級銅鏡の発掘・出現を待つほかなさそ
他には五尺刀二口か、どっかの神社の御神体にでもなってないのかなあ
569サガミハラハラ:2013/06/08(土) 20:08:40.49
五尺等であるが、一口は、卑弥呼の墓(小城市甘木桜ヶ岡)から大正時代に出土しているが、当時は考古物
への関心もなく、記録にのこるだけで紛失してしまっている。
570日本@名無史さん:2013/06/08(土) 21:12:11.50
魏の時代の一尺は24cm程度だから、五尺というと120cmくらいかな。

女王の向野田古墳にも大きな刀があったなあ。
http://inoues.net/ruins2/mukounoda3.jpg
571日本@名無史さん:2013/06/08(土) 22:01:37.91
佐賀諸富町に大津と言う集落が有り、弥生時代の遺物が出土している。近辺から大陸の青磁やシラギ馬具ギョウヨウ。筑後川流域で淡海(近江)、海路(宇治)あり。吉野ヶ里から筑後川を下って行った所。弘文天皇がいた大津ではないでしょうか?肥前国庁から出帆の伝説もあります。
572日本@名無史さん:2013/06/09(日) 00:06:45.09
向野田古墳の出土品はすごい
大刀、刀、槍、それにあれはたくさんの矢じりか、死後も日々敵と戦えるように備えたのか、
感嘆というか、その悲壮感に涙すら覚える、たいへんな戦国時代だったんだな
573日本@名無史さん:2013/06/09(日) 00:56:48.27
>>572
あれは刀子。それにしても武器ばっかりだ。
そして鉄器が非常に多い。
鉄斧があんなに大きいとは思わなかった。特別製かな?
574日本@名無史さん:2013/06/09(日) 01:53:30.59
>>573
刀子は武器じゃないし
鉄斧もいたって普通のサイズだよ
575日本@名無史さん:2013/06/09(日) 06:49:53.66
戦う(戦わざるをえない)古代ジャンヌダルク、女の身で大変なことだ。
卑弥呼の時代とは違っても、そう離れていないだろう。
中世同様、当時も戦国の世だったんだろな。
576日本@名無史さん:2013/06/09(日) 08:13:40.87
副葬品に武器が多いってのはそれだけ戦いが身近だったからだ
死地への旅で武器が必要だろうと
環濠が三重四重とかそれだけ攻撃される危険性が高かったたからだろう
で、どこと戦っていたの?
577日本@名無史さん:2013/06/09(日) 08:25:06.13
敵は渡来人の侵入にあり、隣国にあり、部下の裏切りあり、中世同様だったのでは?
けっきょく信頼できるのは血脈の一統かな
578日本@名無史さん:2013/06/09(日) 08:25:54.75
卑弥呼の時代には、邪馬台国南に相応の力を持つ
男王がいなければいけないからな。
北部九州なんて伊都王(男)が存在するので根本的に無理だよ。
579日本@名無史さん:2013/06/09(日) 08:39:16.58
伊都国の王族と邪馬台国の卑弥呼は血族だったという説もあるが・・、
580満州バナナ三千代:2013/06/09(日) 09:03:50.70
仲哀天皇紀にちゃんと伊都県主の話が出てくるだろうが。
伊都県主の話は風土記にも出てくるだろうが。

ちっとは文献を読んで物を言えよ、パカども。
空想ばかりしていても仕方がないんだよ。
581日本@名無史さん:2013/06/09(日) 09:17:49.34
ほう、
伊都県主について、満州新珠三千代氏のご高説を賜りたく存じますちゃ。
いま伊都というはイソの訛れるなりくらいしか知らぬので。
582日本@名無史さん:2013/06/09(日) 12:16:40.66
>>570
ついでに、向野田古墳の舟形石棺もすごい。
阿蘇凝灰岩くりぬきで4mほどもある。
ちなみに、この石は阿蘇ピンクとも言われる馬門石で、後に近畿地方付近
まで運ばれて大王の棺になっていたりする。

鏡は、質の良い内行花文鏡と方格規矩鏡それに日本製の鏡となっている。
583満州中嶋美智代:2013/06/09(日) 12:27:13.87
おめーらは考古学しか知らねーのけ。

神功皇后の母はアメノヒボコの子孫だべ。
伊都県主の祖も高麗国意呂山に降ったアメノヒボコだべ。

神功皇后と伊都県主は親戚みたいなもんだべ。
おめーらが空想しちょるように畿内と九州は仲が悪いっちゅーことはねーのさ。
仲が悪りぃなら新羅出兵はできねーさ。九州も大和の味方ずら。
584日本@名無史さん:2013/06/09(日) 12:50:10.55
伊都の県主は日本書紀の仲哀天皇のところに出てくるな 
県主の五十迹手が仲哀天皇が来たのを聞きつけて
勾玉、剣、鏡を献上したという話で、後世には勤王譚として理解されることが多かった
ただしこの年代がちょっと問題になる

日本書紀のこのあたりの記述は年代が干支二回り分ずれているので
仲哀天皇8年は320年頃と解されることが多いが
機械的に年代を考えると199年のことになる

日本書紀には卑弥呼=神功皇后説があるので
この199年という年代が与えられているという説があるが
この説によるならば卑弥呼即位前後の2世紀末に
伊都国がヤマト王権に帰属したと見ることもできる
585日本@名無史さん:2013/06/09(日) 13:04:15.27
ンまあ199年はそうだけど、
なぜ長年にわたり新羅出兵にこだわったか、その動機原因がカギではないのかえ
一説には親せき筋の百済王朝が新羅にいじめられたので仇を取るためともいうが。
そうすると、卑弥呼=神功皇后≒百済王の縁戚??
586日本@名無史さん:2013/06/09(日) 13:05:15.79
衷哀は山幸彦
587日本@名無史さん:2013/06/09(日) 13:37:56.14
卑弥呼が一地方の女酋程度であったなら無視すればすむこと。
現に、熊本・向野田の女王らしき人物は記紀にはみあたらぬ。

にもかかわらず大和朝廷は卑弥呼を神功皇后になぞらえ、在位期間にも密かに配慮したこと自体、
皇統にとり、卑弥呼は崇高にして畏敬すべき高貴なお方であったことを物語るのではないか。
588日本@名無史さん:2013/06/09(日) 14:55:01.93
新羅か
そういえば古いニュースだが2011年に梁職貢図の題記が青黛文集中から見つかって

>斯羅國 本東夷辰韓之小國也 魏時曰新羅 宋時曰斯羅 其實一也 或屬韓或屬倭 國王不能自通使聘

の部分についての論議があるな
589日本@名無史さん:2013/06/09(日) 14:55:15.16
天照大神=卑弥呼説
590日本@名無史さん:2013/06/09(日) 15:12:00.03
>>587
逆でしょ
もし仮に卑弥呼が天皇家の祖先の中で特筆すべき人物として伝えられていたのなら、
天皇家における本当の名前を記紀に記載してたはず
中国の文献によれば云々としか書いてないのは、卑弥呼のことを彼らの伝承の中で聞いたことがなかったからではないのか
それで中国の文献に載るくらい力のある女王に該当するのは神功皇后しかいないんじゃないかと
記紀の作者が勝手に推測したんだろう
591日本@名無史さん:2013/06/09(日) 15:22:55.89
古事記はともかく日本書紀は中国つまり当時の唐に見せるために書かれたもの
という側面がある
だから三国志などの漢籍の記述は無視できずなんとか整合性をつける必要がある
ただし国内に広く知らしめるという側面もむろんあるので
ああいう苦慮したような記述になっているんだろう
実際のところは卑弥呼の記憶なんてまったくなかったとしても驚かん
592日本@名無史さん:2013/06/09(日) 15:31:13.51
本居宣長がそのような漢意(からごころ)の混じった日本書紀よりも古事記を重んじたのも
そういう側面をくみ取ったからだな
593日本@名無史さん:2013/06/09(日) 15:47:30.49
日本は維新も含めて全部佐賀からだね
594日本@名無史さん:2013/06/09(日) 17:21:10.02
>>590
横レスだが。
卑弥呼は中国からみた呼び名で、卑弥呼という名前が日本に残っていたとは
考えにくい。日本では日本の呼び名があったはずだから。

しかし、三世紀前半あたりの日本に巫女的な女王がいたことは確かで、
仮にそれが皇室と関係あるとすれば、魏志倭人伝の卑弥呼と良く似た
状況にある人物を記紀の中から探さなくてはならない。
595日本@名無史さん:2013/06/09(日) 17:57:02.42
>>590
記紀にその名を明記できない重大な理由があった。
想像するに卑弥呼≒天照のセンは強いのだが、
仮にそうであった場合、あるいはそれに準ずる高位の人物であったと仮定した場合、

天上の高天原に住まいするはずの女王が魏に使いを送り、幾多のお土産を頂戴し、
おまけに張政なるイケメン?の魏王朝派遣軍事顧問とともに狗奴国と対峙したとなれば大変。
なあんだ、高天原は地上にあったんじゃないかww、
んじゃ高天原神話や天孫降臨はどうなるのww、と突っ込まれるのは明らか。

これは絶対に避けなくてはならなかったであろう。
ゆえに、神功皇后なる女傑の活躍として記述するにとどめざるをえなかったのではないか。
また魏に従属外交をしたから記紀に載せられなかったという論もあるにはあるが、
主たる理由はやはり天上にあるべき高天原との関係と言えるのではないか。
596日本@名無史さん:2013/06/09(日) 18:04:30.61
新羅国は倭人が作った倭人の国だしな。
アメノヒボコも倭人の女を追っかけて日本にやってきたのだが、
案外本人も半分は倭人かもしれないね。
597日本@名無史さん:2013/06/09(日) 18:15:36.89
卑弥呼=天照大神説は初心者が必ず通る道
598満州中嶋美智代:2013/06/09(日) 19:03:34.94
>なぜ長年にわたり新羅出兵にこだわったか、その動機原因がカギではないのかえ
おめーはなかなかええスジしとるだ。けっぱって研究してけれ。

>案外本人も半分は倭人かもしれないね。
おめーもなかなかええスジしてっど。
アメノヒボコはよ、天道根命の子孫だからよ、日本人と同じなんだべさ。
599日本@名無史さん:2013/06/09(日) 19:24:44.01
あれっ、あの満州さんが観音様になりかかちょる。
600日本@名無史さん:2013/06/09(日) 19:35:56.00
ほら鐘を鳴らしお迎えが来るよ
601日本@名無史さん:2013/06/09(日) 19:44:50.06
ほら花を振って呼んでるぜじいさん

ほああ ちょっと待って何か忘れ物が 忘れ物があああ・・・
602日本@名無史さん:2013/06/09(日) 19:46:59.56
>>594
卑弥呼=日女命=天照大神で間違いない。
記紀より海部氏勘注系図を見なさい。愚かにも九州説の人は怖くて見れないらしい。
603日本@名無史さん:2013/06/09(日) 20:04:07.77
ことはそう単純じゃない
天孫降臨の高千穂ゆかりの天照が卑弥呼でも九州説には何ら影響ないけど
卑弥呼→男王→台与の系譜が一致しない
604邪馬台国は都城:2013/06/09(日) 20:32:18.39
神功皇后の時の新羅の人質逃亡の話が朝鮮の三国史記新羅本紀では
418年の話として出ているよ。
神功皇后はこの頃の可能性がある。
605日本@名無史さん:2013/06/09(日) 20:34:36.01
奈良県で「高天原はどこですか?」と尋ねたら葛城山を指して「葛城山が高天原です」と返答があります。
卑弥呼の後に王を自称したのは武埴安彦命です。武埴安彦命の古墳は京都府南部にある椿井大塚山古墳です。
606日本@名無史さん:2013/06/09(日) 20:39:47.51
勘注系図には卑弥呼の名はもちろんないし
天照大神が日女命のところに出てくるわけではない
彦火明命9世孫のところに日女命が出てきて別名が
倭迹迹日百襲姫、神大市姫命、日神などと並んでいる
しかし記紀の倭迹迹日百襲姫ならばこれとは両親が違っている
勘注系図自体の史料批判も不十分であり畿内説でもすぐには飛びつけるようなものでもない
607日本@名無史さん:2013/06/09(日) 20:39:48.07
>>602
>卑弥呼=日女命=天照大神

海部氏系図では、日女命は神武より3世の孫にあたるけどねえ
それが何で 日女命=天照大神 なのかなあ
608日本@名無史さん:2013/06/09(日) 20:45:30.37
>>602
訂正:海部氏系図では、日女命は神武のひ孫の世代に相当するけどねえ
609日本@名無史さん:2013/06/09(日) 20:48:24.77
現に畿内説でも曲学氏のような人もいるわけだし
610日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:04:50.92
卑弥呼=天照大神説の根底にあるのは単に有名さとイメージだけだからw
日の巫女が太陽神をイメージさせるとかほとんどこじつけ
611日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:10:07.91
>>606
倭迹迹日百襲姫命の古墳は箸墓古墳と言われています。別名は大市墓で完全に一致しています。
9世孫・日女命=倭迹迹日百襲姫命・神大市姫命と言うわけです。日神=大日孁貴=天照大神ですね。
612邪馬台国は都城:2013/06/09(日) 21:13:31.87
神話の中の神と実際居たであろう人物と同列に扱うのはいかがなものか?
613日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:20:50.08
>>608
神武の家系は磯城県主の家系と同じですよ。まさか皇紀など言う辛酉革命説を信じていないでしょうね。
614満州中嶋美智代:2013/06/09(日) 21:22:54.56
>>604
おめーは三国史記列伝を読んだことはねーのか?
朴堤上は婆娑尼師今五世孫って書いてあんど。

婆娑尼師今五世孫がどの世代に相当するか考えてみれっぺよ。
615日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:25:15.15
>>611
倭迹迹日百襲姫命=神大市姫命はそうだけどそれだけではだめだろうな
大市は大きな市でありそれが地名となったものだろうし
大齋(オオイツキ)の意味がかけられているのかもしれない
しかしあの系図では孝霊天皇の皇女にはなっていないから
系図は記紀の記述を覆す力のない後世の混乱と言われればそれまで

それから箸墓=倭迹迹日百襲姫命の墓はいいと思うが
それを卑弥呼の墓とするには飛躍がある
616日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:28:05.11
ぶっちゃけた話
考古学者で箸墓を卑弥呼の墓とする人はそう多くない
歴博の事例が目立ってしまっているが
土器編年的には箸墓280〜340くらいだろう
617日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:29:36.60
>>614
ババアの尼さんの師匠ってだれや。三国史記など劣悪な史料は読む価値なし。
618日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:42:07.99
箸墓卑弥呼説は自己破産状態、畿内説はお父さん状態。
619日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:49:17.38
>>615
9世孫・日女命は日本得魂命と谷上刀婢の娘です。孝霊天皇の娘ではありません。
孝霊天皇は存在しなかったと考えます。神武・欠史八代の天皇の古墳は全て偽物でした。
620邪馬台国は都城:2013/06/09(日) 21:49:36.09
>>614
このことは岩波の「三国史記倭人伝」という本に書いてあったんだよ。
他に探したらとりあえずここにもそのことが書いてあった。
ttp://www.ne.jp/asahi/isshun/original/note3.html
621日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:54:17.08
>>619
いやどっちかといえば俺も孝霊天皇なんていなかったと考えるほうだが
しかし記紀から持ちだした概念(百襲姫)を記紀を否定した形で立証するというのは
方法論として難しいだろう
「記紀のこの人物は実在だが、この人物は実在ではない
根拠は後世の系図でそうなってないからです」
はたしてこれが学問として通用するだろうか
622日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:54:46.46
>>616
あの古墳の柵は簡単に突破できます。あなたは土器・埴輪を拾って来て土器編年を鑑定しなさい。
623日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:55:06.51
7代天皇の皇女モモソヒメの墓とされる箸墓に埴輪のかけらが多数散在していたそうな
そもそも埴輪は11代垂仁天皇の妃の葬送から始まったとされるもの
普通に考えて箸墓は垂仁以降、まして卑弥呼の墓なぞ最初から見込み薄。
624日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:59:45.77
>>622
これが布留何、纏向何というのは土器を見ればおそらくわかるよ
ただし編年から実年代を出すのはきわめて難しい
この意味がわかるかな
625日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:06:19.36
>>621
「海部氏勘注系図」の原本は620年に編纂された「丹波国造本記」です。
後から編纂された「記紀」が倭迹迹日百襲姫命を盗作するのは簡単ですよ。
626日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:06:50.49
魏志倭人伝には、葬儀や墓についての記述がけっこうあるのだが、
埴輪というよりも、古墳自体の存在さえ怪しい。
誰かが言っているように、棺があって槨がない、というのもあるし。

畿内説としては、どうしても卑弥呼時代を古墳時代に含めないといけない
わけだが、やはり無理がある。
627日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:06:51.16
まあちゃんと言えば破片ではわからないだろうし共伴物がないと厳しいけど
628日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:08:22.48
>>625
その部分は史料批判が必要と書いたように後世の写本にそこまでの力はないだろう
629日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:12:17.10
>>626
>棺があって槨がない

これはあまり意味が無いだろうね
槨というのはあくまで中国人から見た槨のことであって
これは棺の外箱を意味する
つまり古墳の外で作って、中国本土なら馬車で運んで墓穴に入れるたぐいの可動式のもの
日本の考古学で言う石槨や粘土槨は動かせないものだから中国で言えば
蔵、つまり墓穴として見られるのではないか
630日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:12:21.32
卑弥呼の墓に殉葬者百余人だから、当然ながら埴輪はない
631日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:16:33.43
>>628
記紀も写本ですが・・・記紀の写本がOKで他の写本がダメでは道理に合わないです。
632日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:26:48.17
>>630
殉葬者ではありません。男王と自称した武埴安彦命軍の捕虜を虐殺して埋めただけです。
633サガミハラハラ:2013/06/09(日) 22:28:10.50
>>616さん、私もそうおもっております。
崇神天皇没年が288年ですから、その前後ということになります。
ヤマトトトヒモモソ媛の没が崇神の時代なのか垂仁の時代なのかは、わからないのです。
634日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:29:51.66
>>632
それも殉葬の一種、だから埴輪はない
635日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:31:54.51
>>631
それはそうだが記紀の内容が以前と改変されているとする強い証拠はないな
それに対して系図のほうはまだまだ史料批判が必要で
これを根拠として文献史学者が発言するのは危険という今の大勢だな

棺槨の概念は中国でも時代によって変わってくるが棺槨は一体のものとして考えられることが多い
たしか後漢紀の献帝紀だったと思うが
献帝の棺と槨を皇帝の格式に則って造り行列で運んで墓穴に収めるという記述があったと思う
636日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:33:59.10
>>634
土偶も埴輪の一種です。埴輪は昔からあります。
637日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:34:37.17
>>633
その288というのはどこから?
普通は258か318とする人が多いと思うが
638邪馬台国は都城:2013/06/09(日) 22:36:38.72
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人

あんまり拡大解釈しちゃだめだよ。
639日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:36:39.40
箸墓は宮山型特殊器台
640日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:36:52.28
>>636
埴輪の由来をしらぬようだな、埴輪は垂仁天皇の妃の埋葬から殉死を禁止し、その代わりとして始まったもの。
641日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:43:34.61
特殊器台はまあ土器
これが特殊器台型埴輪、円筒埴輪と変わっていくが箸墓は特殊器台と埴輪の過渡期だな
642日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:47:25.13
>>640
野見何とか言う相撲取りの逸話ならファンタジーですよ。考古学的に埴輪は昔からあります。
643日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:52:19.23
>>642
カキコがファンタジーだな
縄文土偶も埴輪だというんじゃないだろな、そんな風にも読めるが・・
644日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:57:17.46
>>639
都月型だろ
645日本@名無史さん:2013/06/09(日) 23:05:00.42
>>643
縄文時代の土偶も土に埋めたら立派な埴輪です。埴輪は昔からありました。
646日本@名無史さん:2013/06/09(日) 23:12:40.66
まあ土偶と埴輪の違いは焼成温度や土質の違いは問わないとしても
何のために用いられたかという宗教のほうがだいぶ変質しているだろう
647日本@名無史さん:2013/06/10(月) 00:38:05.77
実際、卑弥呼の没年前後に北部九州で日食あったみたいね。

岩戸隠れか、なるほどなるほど…
648日本@名無史さん:2013/06/10(月) 00:46:44.71
今時卑弥呼の死=日食云々いう奴も珍しいなw
649日本@名無史さん:2013/06/10(月) 00:52:29.26
>>648
http://inoues.net/nyumon/wa11.html

こう言うのもある
650日本@名無史さん:2013/06/10(月) 00:53:23.93
日食は安本教授の大恥で終わりますた
651日本@名無史さん:2013/06/10(月) 00:56:13.26
>橘高章と安本美典は、247年3月24日夕方にも北部九州で皆既日食が起こったことを指摘し、
  247年の日食が原因で卑弥呼が殺され、248年の日食が原因で男王に代わり壹与が即位したと唱えた。
  これらの説は、邪馬台国北九州説や卑弥呼・天照大神説と密接に結びついている(ただし不可分ではない)。
  しかし、現在の正確な計算では、いずれの日食も、邪馬台国の主要な比定地である九州本島や畿内の全域で
  (欠ける率は大きいが)部分日食であり[4]、部分日食は必ずしも希な現象ではないことから、
  日食と卑弥呼の死の関連性は疑問視されている。
 
wikiより
652日本@名無史さん:2013/06/10(月) 00:58:16.65
畿内論者の反論すげーw
653日本@名無史さん:2013/06/10(月) 06:40:37.31
フルベッキ写真の大室寅之助と同じ問題を抱えています。真実は1つです。売国奴教授共の情報操作を信じてはいけません。洗脳を解きましょう、皆さん。 
654日本@名無史さん:2013/06/10(月) 07:18:14.83
支離滅裂、反論するほどに自らを貶める畿内論者たちか、
もはや畿内説は学級崩壊状態だな。。。。
655日本@名無史さん:2013/06/10(月) 08:11:02.03
推古天皇が亡くなるちょっと前に日食が起きている。
NASAの計算によると、その日(628年4月10日、旧暦では3月)は、皆既日食のラインは
日本のはるか東海上を通り、奈良辺りではごくわずかな部分食となっているらしい。

しかし、日本書紀には皆既日食と書かれている。
どちらが正しいかというと、日本書紀だろう。起きてない日食は書けないわけだから。
つまり、現代の計算による過去の日食は計算間違いすることがあるというわけである。

ただ、日食の時間はわずか数分に過ぎない。これによって何か異変が起きたと
考えるのはどうかと思う。

天照大神が岩戸にお隠れになったとき、高天原も葦原中国も真っ暗になったというのは
比喩的な表現じゃなかろうか。
656日本@名無史さん:2013/06/10(月) 09:14:25.80
比喩以外の何物でも無いでしょ
657日本@名無史さん:2013/06/10(月) 09:43:08.92
皆既日食の数分でどうとかこうとか、考えすぎだ
雨の日や、曇りの日はどうするんじゃ、
まして1日の半分は夜の真暗闇じゃろ。

頼りにしていた大黒柱がお隠れになれば、国中真っ暗闇は当然の表現。
658日本@名無史さん:2013/06/10(月) 10:26:04.15
「国立国会図書館デジタル化資料」だって、国会図書館って面白い文献をネットに公開してますね。
659日本@名無史さん:2013/06/10(月) 11:49:22.76
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

宗教・歴史・考古学・心理学・超常現象から政治経済・皇室問題まで

幅広く学べる知識の宝庫「中杉弘のブログ」です。

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
660日本@名無史さん:2013/06/10(月) 16:46:21.12
畿内説の教授は今までの人生を否定され、アホ扱いされるから、そりゃー必至になるわな。だけど時間の問題。現在吉野ヶ里はソーラーパネル敷設で遺跡破壊真っ最中!皆さん証拠隠滅です。見に来て下さい。 
661日本@名無史さん:2013/06/10(月) 16:55:40.52
懲りもせずゴッドハンドしてる プッ  
662日本@名無史さん:2013/06/10(月) 17:02:49.40
畿内説の人間は、埴輪は縄文時代から在った、と思ってるんだ。
箸墓は縄文時代の墓かwww
663日本@名無史さん:2013/06/10(月) 18:38:16.34
埴輪は相撲取りが発明したと本当に信じている大馬鹿者がいる。
664日本@名無史さん:2013/06/10(月) 19:00:48.21
日本書紀の垂仁天皇のところに書かれている殉葬の描写はかなり真実味がある。
665日本@名無史さん:2013/06/10(月) 19:25:40.43
埴輪の起源wik
>埴輪の起源は、弥生時代後期後葉の吉備地方の首長の墓であると考えられている弥生墳丘墓(例えば、
>楯築墳丘墓)から出土する特殊器台・特殊壺(特殊器台型土器・特殊壺型土器とも呼称される)
>であるといわれている。

>3世紀中葉〜後葉になると、前方後円墳(岡山市都月坂1号墳、桜井市箸墓古墳、兵庫県たつの市
>御津町権現山51号憤)から最古の円筒埴輪である都月型円筒埴輪が出土している。
>この埴輪の分布は備中から近江までに及んでいる。

この埴輪の起源と、
記紀が伝えるところの垂仁天皇の時代にこれが初めて天皇・皇族陵に採用された所以とは意味が違う。
卑弥呼とモモソヒメの墓を対比するのであれば、
もちろん後者の事例を引くべきであろう。
666日本@名無史さん:2013/06/10(月) 19:38:34.42
つうかだな
当時の人が円筒埴輪を現代のように埴輪と認識していたというのもおかしな話で
記紀で言ってるのは形象埴輪のうちの人物埴輪のことじゃないのかねえ
667日本@名無史さん:2013/06/10(月) 19:41:14.23
そうかもしれないし違うかもしれない。
としかいえない。
668日本@名無史さん:2013/06/10(月) 19:57:33.76
現代の考古学用語と記紀に書かれている当時
あるいは記紀が成立した当時の用語の概念は違うわけで
それにあまりとらわれることもない
ただ土偶と埴輪では宗教の形が違っていてそのほうが重要だろうな
669日本@名無史さん:2013/06/10(月) 19:59:56.96
卑弥呼の墓には殉葬者百余人と明記してある
しかし記紀に従えば、少なくとも人物埴輪を採用した場合には皇族稜に殉葬は無かったと言えよう
では遡って吉備地方の首長はなぜの円筒埴輪を採用したのか、その墓に殉葬は在ったのか無かったのか、
論点はこのあたりではないのか
670日本@名無史さん:2013/06/10(月) 20:07:30.53
円筒埴輪の元になった特殊器台でいえば初めは特殊壷を載せるためのもので
特殊器台の装飾性は特殊壷を上回ることはない
それがだんだんに特殊器台だけになっていく
円筒埴輪は器台のものを載せる機能を失ったものだろ
671日本@名無史さん:2013/06/10(月) 20:15:25.62
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s



みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html


生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm
672日本@名無史さん:2013/06/10(月) 20:40:26.23
徇葬は謎だな
九州説は倭人伝の記述を信じる人が多いから
卑弥呼の墓には100人の徇葬跡がなくてはならんと思う人が多いのか
必ずしも墓の近くではないのかもしれんが

さあ議論を活発にしないと満州が戻ってくるぞw
673満州「赤い風船」:2013/06/10(月) 20:55:29.39
三韓ではかなり後まで殉死があるぞ。
強制的なものではなく、自発的なものだったようだ。

ネット史を見れば分るが、引用するのは面倒だからやめる。
674日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:01:40.89
139 :名無しさん@13周年:2013/06/10(月) 20:51:52.89 ID:WlKV/gHm0
関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、
    韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、
   「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥


韓国に対する愛情はないの
かーーっ!!


ねえよ劣等民族
675日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:05:52.05
ああほら来てしまったwwww

まああっても不思議ないような気はするけどな
帥升の献じた生口が160人で台与が30人だったか
乱暴な意見だがこの生口を奴隷とみるなら
見知らぬ外国に送り込むのと比べて殺してもかまわんという考えもなくはないかもしれん
考古学的にははっきりした徇葬の跡は見つかってないことになっているが
考古学は慎重だからな
676日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:09:41.96
しょせん蛮族の女酋やな
殉死禁じて埴輪にした天皇はんとはえらい違いや
677日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:11:06.99
東夷伝だと夫餘とか殺人殉葬という語を用いているな
倭人伝では殺人の語はつかないが殉死や追葬のことかねえ・・・
678満州「赤い風船」:2013/06/10(月) 21:18:58.08
<東襄大帝>紀 AD248

<淵>后赴燒而殉. <鳣>皇后・<蚕>皇后・<麥>氏・<葉>氏等, 皆欲赴火, 號泣.
<擗踊>太子, 與<桶>公主・<要>公主, 扶諸后救之.
然, 朝士・後宮・民女之殉于陵前者不絶, 掩柴相連. 人以為<柴原>.

AD248といえばちょうど卑弥呼が死んだ頃。
卑弥呼は高句麗の女王かもしれないぞw
679日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:21:43.65
赤い風船というのは何だ?
フランス映画のことなら少しは見直すが
680日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:24:31.28
生口については前からいろいろ考えていた
戦勝奴隷という考えが多いが
交易品ということはなかったのだろうか
不作の集落が食料の見返りに人を出すとか
いやいや考え過ぎか
681婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/10(月) 21:25:17.38
>>672
ふつう近くに(というか塚に)埋めるじゃろ。
大作冢 徑百餘歩 ?葬者奴碑百餘人

召使いなんだから、遠くにいたら不便じゃん。
682日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:28:28.70
683日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:30:38.85
>>681
スマン失敗した
遠くというわけではなく
まあご神体と拝殿くらいの近さもあるかなぐらいだ
墳丘墓は掘っても周りまでは掘らない(掘れない)からな
可能性の一つというくらいの話
684邪馬台国は都城:2013/06/10(月) 21:33:15.14
凡人死亡之時、若經自殉、或絞人殉、及&amp;#24378;殉亡人之馬、或爲亡人、藏寶於墓、
或爲亡人、斷髮刺股而誄。如此舊俗、一皆悉斷。

殉死なら大化の改新の頃まで行われていたようだよ。
685日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:33:41.31
赤い旅団なら知ってる
686婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/10(月) 21:34:10.77
>>683
あ、なるほど。
たしかに秦の始皇帝陵でも、兵馬俑坑はけっこう離れてるもんな。
687日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:45:52.31
赤い風船といえば、浅田美代子
http://www.youtube.com/watch?v=PWG-_bPoo0w
688日本@名無史さん:2013/06/10(月) 21:48:33.96
>>687
クリックしないで、直接、Youtubeに行くこと。
うちのパソコンおかしいのかな?
689満州「赤い花束」:2013/06/10(月) 21:51:58.93
逸聖紀
四月 葬帝 于蛇陵門 愛后皇后之右 只珍內禮皇后 亦投殉火而崩 (A.D.212)

「赤い風船」は「赤い花束」の間違いだった。
中嶋美智代のデビュー曲。
690満州「赤い花束」:2013/06/10(月) 21:58:14.92
生口といえば、食料として人間を贈ったという説がある。
昔の中国人は人肉を食べたのである。

明か清代でも、飢饉のときに、自分の子供をバラバラにばらして、
路頭で売っていたという話がある。
691邪馬台国は都城:2013/06/10(月) 22:01:05.69
古代朝鮮は火葬なのか?
皆そこに飛び込む(込もうとしてる)のかな?

朝鮮のことはどうでもいいか。
692日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:04:46.06
そういえばこんなニュースがあった

秦始皇帝陵から墳墓99基見つかる、殉葬の貴妃たちか―陝西省
ttp://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=62191
693日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:32:46.00
生口160人が奴隷だと大変な事になります。奴隷の反乱に備えて生口1人に護衛4人を付けなければなりません。
生口160人+護衛640人=800人です。1隻に20人乗せて40隻です。これに漕ぎ手の水夫が1隻に20人として
800人でさらに使節・家来が100人ほど乗ります。40隻以上1700人の大部隊です。こんなの歴史上ありですか?
694日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:38:29.09
>>693
一人に4人の護衛はないよ
695日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:43:32.38
そんな弱虫の護衛じゃ、卑弥呼も苦労したろうな
そうだ護衛を生口にしてしまえ、手間が省ける
696日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:53:13.04
まあこれも本来比べてはいかんのだろうが
古代アテネだと自由市民10に奴隷5〜8くらいの割合と言われてるな
スパルタは奴隷比率がもっと多かったとも
デロス島では少ない常駐兵で1日1万人の奴隷を扱ったという文献もある

帥升当時の倭船はおそらく大人数は乗れない
多数の船が船団を構成して、沈した船の乗員を助けるような形で進んでいったのではないか
それに倭人伝を信じれば大人に対し一般民は草むらにうずくまって恭順するというような
厳しい身分制があったようだし
そう簡単に反乱のある社会だったかは疑問だな
697日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:55:03.06
もっと言えば
生口がすべて海を渡ったかどうかもわからん
半島にも倭人がいたようだし
698日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:03:11.84
あとはこんなとこか

>帶方太守劉夏 遣使送汝大夫難升米次使都市牛利 奉汝所獻男生口四人 女生口六人 斑布二匹二丈以到
699日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:07:12.94
>>690
そういう可能性もあるかもしれないが、なんたって献上品だから、
意外に大切にされたかもしれない。

たとえは悪いかもしれないが、馬を献上されたら、馬小屋を新築し、
馬番を雇い、大切に育て、もしものことが合ったら馬番は懲罰もの。
ということもありえるわけで。
700日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:14:27.61
それにしても生口一人に4人の護衛というのは6時間シフトの24時間監視という意味なのか
いやユニークな人が多い
701日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:14:35.39
奴隷に命令するときの通訳はどうしてたの?
702日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:17:51.51
帥升当時の北部九州と半島南部の言語はよくわかっていない
倭人というのは言語が共通する集団だったかもしれない
703日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:20:01.91
Wikipediaで刀伊の入寇の項にこんな記述がある。
>当時の女真は農耕の習慣を持っておらず、代わりに農耕民族を拉致して自己の勢力圏内で農耕に従事させて食糧を確保していたとも言われている

こう言う行為が農業分野に限らず大陸では一般的で、強制労働させられたのが生口じゃないだろうか?
704日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:29:21.42
呉書孫権伝だと万の兵士で夷洲と亶洲を探させたが亶洲には行きつけず
夷洲から数千人をさらって帰ってきたという記述があるな
705日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:30:01.98
意外と留学生だったりして
706日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:37:32.19
日本が技術指南役として送り出した人たちが、
大陸では生口扱いされてしまったのかも
707日本@名無史さん:2013/06/11(火) 00:00:54.15
まあ、生口というのはなんとも不思議な献上品。
卑弥呼は魏の皇帝に生口を男女合わせて10人献上した。
人間の献上なんてあるかと怒る可能性もあるわけだが、魏の皇帝は
嫌がってはいない。代わりにたくさんの豪華な下賜品を与える。

だから、生口の献上という慣習があったのだろう。
高句麗が百済を征服したとき、生口の献上を要求している。
こういう点などを考えると、生口の献上は服従を意味するものでは
ないかとも思われる。
708日本@名無史さん:2013/06/11(火) 00:06:35.92
満州が消えたらレベルが上がった
709日本@名無史さん:2013/06/11(火) 00:10:47.80
戦国時代とかでも戦で勝てば戦利品として奴隷連れてきたしな
武田信玄が奴隷を金山で働かせてたり、上杉謙信が関東出兵して奴隷狩りしてたりとか
710日本@名無史さん:2013/06/11(火) 06:15:58.52
吉野ヶ里が耶麻大国でしょ?
711満州「ひなげし」:2013/06/11(火) 09:09:09.10
生口というのは基本的には捕虜とか奴隷である。捕虜という例が圧倒的に多い。
そこで問題になるのは帥升の時代の日本に奴隷制度があったかどうかである。

雑学王よ、答えてたもれ。ただしお前の言うことは当てにはならないがw
712日本@名無史さん:2013/06/11(火) 11:31:35.80
吉野ヶ里なんて年代が合わないので、候補地としては終了したよ。
713日本@名無史さん:2013/06/11(火) 12:52:01.12
ごめん、吉野ヶ里発掘のおかげで佐賀平野に伊都国が来ることになったわ。
714日本@名無史さん:2013/06/11(火) 13:11:34.75
九州島の中、
佐賀平野の南約1500里≒100km、
たぶん円形丘陵を手直しした山稜ないし塚、径100余歩、殉葬者100余人、埴輪なし。
現在その山稜上に守護神社の鎮座もありうる、求む候補地。
715日本@名無史さん:2013/06/11(火) 13:20:51.20
>>712
畿内説は、昔から何か都合の悪いことがあるとすぐに年代をいじくる。
年代はこんなにも都合よく解釈できるものかとあきれる。
畿内説の考古学的な年代を根拠にしたものは眉唾ものと思うようになった。

普通に考えて、倭人伝の記述を裏付けるものが出土している吉野ヶ里が
卑弥呼の時代であって、それが出ていない纏向のほうが時代が異なる。
716日本@名無史さん:2013/06/11(火) 13:28:57.93
畿内で吉野ヶ里が出ていたら、
間違いなく年代をいじっただろうな。
717日本@名無史さん:2013/06/11(火) 14:28:33.44
魏志倭人伝のどこをどう読めば邪馬台国は畿内にあったという結論になるんだ?
畿内説を主張してるやつらは倭人伝の内容を否定してる
じゃ、倭人伝を否定したら邪馬台国という国名はどっから来たんだよw
自己矛盾もいいとこだろ
718日本@名無史さん:2013/06/11(火) 15:03:21.81
2ちゃんに出没して畿内説を唱える輩には下心があるようにおもえてきた。つまり、

・卑弥呼は畿内にいた、
・卑弥呼を魏へつかわしたのは原始大和王権であった、
・原始大和王権の祖は三輪山あたりへご降臨あった天孫であり、もちろん高天原も奈良盆地周辺の山々のどこかにあった。

この最後の「高天原は奈良にあった」を言いたいがために、卑弥呼を畿内へ引っ張りたいのだろう。
それらしい理屈を述べてはいるが、本心はそこにあるとみた。
719日本@名無史さん:2013/06/11(火) 16:03:48.17
>>717
倭人伝を読むと九州、特に北部九州に
存在出来ないのはもはや確定してるけどな、伊都があるんだしw
距離は勿論、七万という戸数に海人の習慣、
冬温暖な気候に丹山の存在…
まぁ倭人伝の内容上では瀬戸内辺りが一番妥当だよ。
720日本@名無史さん:2013/06/11(火) 16:59:33.85
生口について倭人伝の他の箇所に出てくるのは有名な持衰の部分だが

>若行者吉善 共顧其生口財物 若有疾病 遭暴害 便欲殺之 謂其持衰不謹

航海が成功した場合は生口や財物を持衰に与え
航海が不首尾だったら殺すとなっていて
奴隷的な所有物のような感じだが
奴婢とは使い分けられているようでもある
721日本@名無史さん:2013/06/11(火) 19:37:22.74
>>718
高天原は奈良県の葛城山です。邪馬台国の首都は奈良県桜井市です。卑弥呼の男弟は天皇家の先祖です。
天照大神は卑弥呼です。豊受大神は台与です。卑弥呼の古墳は箸墓古墳です。台与の古墳は西殿塚古墳です。
九州から東に行くと邪馬台国です。伊勢湾を渡るとやはり倭人の国です。記紀は捏造されています。
722日本@名無史さん:2013/06/11(火) 19:56:22.23
権力者によって作成された公記が捏造されたとしたら
それはそれで理由があったはずだ
723日本@名無史さん:2013/06/11(火) 20:02:56.29
>>721
すべて証明がものを言う。証明ができなければ妄説にすぎない。
724日本@名無史さん:2013/06/11(火) 20:46:18.43
邪馬台国だ?どうせチョンの国だろ。
725日本@名無史さん:2013/06/11(火) 20:47:22.81
>>721
記紀が捏造としたら、あなたのその説は何に基づいてるの?
妄想?
726婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/11(火) 21:02:38.38
>>720
おお、その部分の生口のことは考えたことがなかった。
後世の感覚では、財物と対になるのは土地(領民付き)だな。
もちろん当時の制度で「領地」みたいなものはなかっただろうけど…。

ともかく、奴隷だけもらっても、食わせる飯がなきゃ持ち腐れだもんね。
727日本@名無史さん:2013/06/11(火) 21:09:50.34
ただこういう大人ー下戸ー奴婢という厳しい身分制があるのは環濠集落という気もするな
728日本@名無史さん:2013/06/11(火) 21:20:22.38
>>725
「日本書紀」は辛酉の年に革命が起こると言う辛酉革命説によって紀年されています。
推古九年(601年)の辛酉の年から一蔀(1260年)を引いたのが辛酉の年である紀元前660年で
この年を神武元年としています。つまり日本書紀の紀年は故意に引き延ばされていて信用できません。
729日本@名無史さん:2013/06/11(火) 21:35:52.54
>>728
記紀が信用できないのに、なぜあなたのトンデモ説は信用できるの?っていう質問なんだけど

高天原は奈良県の葛城山です。 → 根拠は?
邪馬台国の首都は奈良県桜井市です。 → 根拠は?
卑弥呼の男弟は天皇家の先祖です。  → 根拠は?
天照大神は卑弥呼です。 → 根拠は?
豊受大神は台与です。 → 根拠は?
卑弥呼の古墳は箸墓古墳です。 → 根拠は?
台与の古墳は西殿塚古墳です。 → 根拠は?
九州から東に行くと邪馬台国です。 → 根拠は?
730婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/11(火) 21:43:12.38
>>727
そこは同意。
環濠集落って、なんか古代ギリシャの「ポリス」と似た雰囲気がある気がする。
731日本@名無史さん:2013/06/11(火) 21:47:23.11
辛酉革命説は客観的にみて説得力はかなりあると思うがな
九州説でも東遷をいう人は神武が3世紀代とか記紀の年代を信じてない場合も多いだろ
732邪馬台国は都城:2013/06/11(火) 21:53:03.72
っていうか、神武の寿命がが127歳とか137歳とかいう時点で・・・
733日本@名無史さん:2013/06/11(火) 21:57:50.17
>>732
その話はやめろ
倍暦太国が来る
734日本@名無史さん:2013/06/11(火) 22:20:38.05
古代の日本に年号があったとは考えにくい。
中国の年号を参考にしたいところだが、4世紀あたりは中国もごちゃごちゃな
上に交流もない。

こういう状況だから、旧事的な伝承はあったとしても、年号が付いていない。
だから、適当な年代をつけたというのが実情だろう。

倭の五王の時代になると宋との交流もあったから、年号が入っていた可能性も
あるんじゃなかろうか。16代・仁徳天皇は142才。在位期間は86年ほどになる。
ところが、次の履中天皇は、在位期間5年と極端に短くなっている。
次の反正天皇も4年。

調べてみなくてははっきりしたことはいえないが、このあたりが倭の五王で、
年代もわりと正しいのではなかろうか。
735日本@名無史さん:2013/06/11(火) 22:22:01.42
>>729
高天原は奈良県の葛城山です。 → 地元の昔からの有力な伝承です。
邪馬台国の首都は奈良県桜井市です。 → 纏向遺跡に決まっているでしょう。
卑弥呼の男弟は天皇家の先祖です。  → 日本書紀は欠史八代で磯城県主を持ち上げています。
天照大神は卑弥呼です。 → 海部氏勘注系図に9世孫・日女命は日神と書いてあります。
豊受大神は台与です。 → 海部氏勘注系図に11世孫・日女命は豊受姫命と書いてあります。
卑弥呼の古墳は箸墓古墳です。 → 看板に「みだりに」入ってはいけないと書いてあります。
台与の古墳は西殿塚古墳です。 → 看板に「みだりに」入ってはいけないと書いてあります。
九州から東に行くと邪馬台国です。 → 九州から奈良県に行くのは当然、東に向かいます。
736日本@名無史さん:2013/06/11(火) 22:32:20.69
.>看板に「みだりに」入ってはいけないと書いてあります。

いや面白い
737満州「ひなげし」:2013/06/11(火) 22:42:39.95
おめーらはちっとも進歩せんのう。

>調べてみなくてははっきりしたことはいえないが
だからそれを調べるのが邪馬台国研究ではねーのけ?

>>735
おめーもそれをきっちり論証するのが学問だべさ。
おめーのはただの知識の受け売りだべ。

雑学王はここで雑談するのが目的じゃけん、ほっとけばえーのさ。
おめーらは雑談はやめて研究に打ち込まねばいけんぞ。
738日本@名無史さん:2013/06/11(火) 22:44:45.70
>>735
これ畿内説がトンデモ説だと広めるためのネット工作?
在日朝鮮人が一般人に右翼に対する嫌悪感を持たせるために、街宣右翼になりきり騒音撒き散らしてるのと同じか
739満州「ひなげし」:2013/06/11(火) 22:55:55.28
ネトウヨは 朝鮮文献 読みませぬ
雑学王 ネトウヨゆえに 進歩せず
740日本@名無史さん:2013/06/11(火) 23:01:21.98
>>735
畿内説の代表的な言い訳事例集だな。良くわかった、御苦労さん。

ところでご承知の通り、記紀では在位200〜270年に神功皇后をあて、
これが卑弥呼(と台与)の治世であってもおかしくないかのように装っている。

このことは、記紀編纂当時においてすら、
「神の一文字と皇后の地位」を用意しなければならないほどの高い地位に卑弥呼は在った、
と認識されていたことを意味する。
すなわち卑弥呼は少なくとも皇后以上の人物であったといえる。
それにもかかわらず、モモソヒメやその他の姫たちを卑弥呼にあてようとする畿内説は、
遠からずといえど、大外れの妄論と言わざるを得ない。
741日本@名無史さん:2013/06/11(火) 23:29:52.40
>>740
そんな偉大な人なら、なんで本人を記紀に登場させないの?
なんで中国の文献によるとみたいな曖昧な書き方してるの?
完全に論理が破綻してるんだけど
742婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/11(火) 23:44:43.54
>>741
天皇家(というか畿内の豪族たちの家)に伝わっていなかった、のではないかと。だけど漢籍に出てくる邪馬台国を知らんと言うと、列島の支配者の
正当性が揺らぐもんで「お、おう、知ってるよ」と言わなければならなかった。

書紀の神宮皇后のエピソードの大半が九州での話というのも、
書紀編纂者が邪馬台国を九州にあったと認識していたからだよね。
743日本@名無史さん:2013/06/11(火) 23:51:59.82
>>741
周囲がせっかく天上人に祀り上げてうやむやにしたのに、
記紀に登場させ、出自正体が明らかになればいろいろ不都合なことも出てくる。
もしかして大陸からの政治亡命者だったとか、
魏の支援をうけて国勢を拡大したとか、直系子孫がいなかったとか、
死後のこととはいえ、埋葬に当たって奴婢百余人を生き埋め殉葬にしたとか、

女王になるまでには、すべからく聖人君主であったわけではないだろな。
その登場させられない理由を理解できるかできないか、分かれ目はそこのところだな。
744日本@名無史さん:2013/06/12(水) 00:04:50.06
つうか卑弥呼を万世一系の中に収めることはどうやってもできそうもない
神功皇后は実在で三国志はその事績の一部だけ取り上げて記録してるというふうにしたかったんだろう
それだけ記紀編纂の段階で万世一系を国中に押し広めたかったと
745日本@名無史さん:2013/06/12(水) 00:14:21.35
>>742
そういうことだろうね
知らなかったんだろうな

>>743
なんじゃそりゃ
記紀なんて経歴も事績も誇張してるじゃん
偉大な人だったけど胡散臭い面もあったらからあえて別人として記述しまたって
滅茶苦茶な論理だな
746日本@名無史さん:2013/06/12(水) 00:30:05.20
まあ卑弥呼=公孫氏説というのもあるからな
晋書はそう読むと意味が通らないと思うが
747日本@名無史さん:2013/06/12(水) 00:37:31.89
>>745
無茶苦茶か??
アイドルが整形美人になったり、年齢をいくらか少なく申告したり、可愛いげな名前に改めたり、
今でも良くある、あれと同じノリさ、人の上に立つには印象は良いに越したことはないからな。
結果良ければ手段は無茶苦茶でも構わぬのさ。
748日本@名無史さん:2013/06/12(水) 00:51:55.62
>>745
卑弥呼も、その後の王たちも、記紀の編纂者たちも学者や研究者じゃねえ。
記紀だって大学の研究論文や学術書のたぐいじゃねえ。
自己に都合のよいことの誇張は当たり前、政敵のことは悪く書く。
記紀は古代の政治家・高級官僚・フィクサーたちの利害と本音を著したものに過ぎぬ。
749日本@名無史さん:2013/06/12(水) 02:01:49.14
その人の事績を誇張するのと名前を消され別人として記録に残すのじゃ正反対じゃんw
750日本@名無史さん:2013/06/12(水) 04:35:23.17
>>749
そのとおり、卑弥呼本人及びその取り巻きにとっては、さぞかしくやしい取り扱いだったろう。
それはこの問題の核心を突いている。なかなか頭脳明晰だな。

ところで記紀を書いた(書かせた)のは、四百数十年後の日本の首都大和の有力者たちだ。
さしたる努力もせず、日本政権の中枢にあって贅沢できるのは、ひとえに万世一系の皇統のおかげ。
とうぜんながら、ご先祖様を正しく評価し、敬い、正確に後世に伝えなくてはならない。

しかしその本心たるや、八世紀当時の自分たちとその家族親戚一統さえ安泰ならよいのだ。
卑弥呼の名前を消そうが、別人に仕立てようが、遠いご先祖様が苦情をいってくることないからな。
後世キミも、平成の大天才として墓を暴かれ、名前を削られ、書き換えられるかもわからぬぞ。
時代の流れとは、そのようにむごいものなのだ。
751日本@名無史さん:2013/06/12(水) 05:23:04.29
奈良=土蜘蛛の巣窟だろw
752日本@名無史さん:2013/06/12(水) 06:47:54.75
殉葬されるのは先代王の妻・妾・その子・非新王派の臣一族等と相場が決まっている。
しかし卑弥呼は女で子はいない。卑弥呼の居所へ出入りするのは弟一人だけ。
卑弥呼は247年の日食によって不徳を疑われ、248年の日食で確定的とされ処刑された。
殉葬されたのは卑弥呼に仕える巫女ら100余人でしょう。
753日本@名無史さん:2013/06/12(水) 07:34:57.75
地元に生活するものからすれば
規模・時間・影響の大きさからいって、
日食より、阿蘇・霧島の火山大爆発のほうに千倍も万倍も関心あるけどな、まさに死活問題だよ。
754日本@名無史さん:2013/06/12(水) 09:12:01.55
カスった位の日食程度で殺されるかよw
倭人伝には戦争中に死んだと書かれてるのに。
単に体調の問題か鬼道の失敗、戦況が悪くて等、
何らかの責任をとらされたかだろう。
755満州「きんぽうげ」:2013/06/12(水) 09:19:18.30
飽きもせず 空想妄想 花盛り
756サガミハラハラ:2013/06/12(水) 09:42:33.27
卑弥呼は病死のようですよ。
245年に詔書と黄幢の下賜を願いでて、247年に再度の使者をたてています。
これは、病がおもくなり、まちきれずに、使者をたてたのでしょう。しかし、黄幢が到着したときには卑弥呼は既になくなっていたのです。
757日本@名無史さん:2013/06/12(水) 12:00:16.35
きんぽうげ 満州路にも 花盛り
758日本@名無史さん:2013/06/12(水) 15:52:07.86
満州翁 鐘を鳴らして お迎えが来たよ
759日本@名無史さん:2013/06/12(水) 21:03:50.11
>乃顯之曰 於~日本磐余彦天皇之陵 奉馬及種々兵器

天武が壬申の乱の最中に神武天皇の陵に兵馬を捧げたという日本書紀の記述
これはこの書の大きなテーマの一つが万世一系であることを推察させる
760日本@名無史さん:2013/06/13(木) 06:25:26.98
天岩戸が宮崎の高千穂にあるのも、
日蝕よりは火山鎮護の伝承がもともとあったのが神話に組み込まれたと考えられるし、
活火山の霧島や阿蘇の近くに高千穂伝承があるのも
火山との関わりを感じさせる

火山灰なら長期に影響があるから倭国大乱の原因となる
平将門の乱も富士山の噴火による不作に原因がある


明治維新を考えれば外国の刺激を受けやすい西側の薩長土肥が新政府を作ったが、首都は東京
防衛、あるいは東日本開拓のバランスを考える

古代においても外国の刺激を受けやすい九州勢力が主体となり国家連合ができるが、
首都は大和ということは有り得る
外国との戦争においては、東日本を征服し戦士を供給する必要がある
761日本@名無史さん:2013/06/13(木) 06:57:17.70
>>754
グーグルアースでこの時の日蝕を再現できるよ。確かめたの?。
762日本@名無史さん:2013/06/13(木) 09:28:38.55
>>761
日食の時のお天気もわかるのか、晴れ?、曇り?、雨?
763761ではないが:2013/06/13(木) 09:53:06.52
天気はわからんが、日食の通過時刻と蝕率は正確に分かる。
764日本@名無史さん:2013/06/13(木) 12:05:25.82
グーグルを覗いてみたけど、便利なもんだねえ
古代も未来もグッと身近に感じるね
765日本@名無史さん:2013/06/13(木) 12:36:12.73
766日本@名無史さん:2013/06/13(木) 21:00:13.72
767日本@名無史さん:2013/06/13(木) 23:27:45.93
グーグル・アースを使って開発で消えた古墳を調べるのは楽しい
穴場は関東
開発で消されてなくても、中世〜戦国時代に山城になっていたり
太平洋戦争の高射砲台地になって平削されてたりする
768日本@名無史さん:2013/06/14(金) 00:14:32.89
京都郡みやこ町周辺も面白いよ
769日本@名無史さん:2013/06/14(金) 01:07:42.87
前方後円墳ならグーグル・アースでだいたいわかるが
自然地形でもあのような形は珍しくないので
等高線の入った地図が併用できればいい
円墳、方墳などは厳しいだろう
770満州「きんぽうげ」:2013/06/14(金) 09:03:28.28
そんなものを見て楽しんでいるようでは、
邪馬台国問題を解くのは厳しいだろう。
771日本@名無史さん:2013/06/14(金) 12:34:33.22
邪馬台国は倭人伝が書かれた紙の上に存在したのではない
いくら紙や墨のあとを眺めても決して見えてくるわけはない

邪馬台国も女王も九州島の上に存在し、生活し、地面を歩きまわっていた
グーグルアースで見えるあの景色こそ、唯一の生き証人なのだ
772日本@名無史さん:2013/06/14(金) 12:51:01.07
満州の 荒れ野寂しき 金鳳花(きんぽうげ)  

きんぽうげ たれが手向けた 満州墓
773日本@名無史さん:2013/06/14(金) 17:46:04.89
神功皇后とは、神の如き功績を残した皇后さまの意味かと思う。

AD200-270年のほぼ卑弥呼(及び台与)の治世に、その神の如き皇后さまを充てた、
という事実には極めて強い関心を抱かざるを得ない。
つまり、神の如き皇后さまでなくしては、
女王卑弥呼の偉大な功績に対抗できなかったことを、暗に物語っているのではないか。
今どきの下世話な庶民感覚でいえば、
四方八方に気配りした挙句、記紀は語るに落ちる記述を残したといえよう。
774日本@名無史さん:2013/06/14(金) 18:21:43.76
グーグルアースで遺跡を調べるの?地方自治体がネットに掲示している遺跡地図・遺跡マップのことですか?
775日本@名無史さん:2013/06/14(金) 18:26:58.91
>>773
神功皇后は丹生都姫に神託を受けてるけどな。
それ位力のある神なのに、記紀には登場出来ないのを
疑問には思わないのか?
しかも丹(赤土)を司る神でもあり、神功皇后には
新羅出兵の為の船に赤土を塗る逸話まであるぞ。
776日本@名無史さん:2013/06/14(金) 18:36:59.81
神功皇后(息長帶比賣命)は宮簀姫命だった。
777満州きんぽうげ:2013/06/14(金) 18:55:54.94
日本の色は何色か。
多くの人は白だと思っているだろうが、白を尊ぶのは朝鮮民族である。

日本の色は赤である。
神社の赤い鳥居や参道を、朝鮮の影響と思っている人もいるだろうが、さにあらず。
日本はもともと赤を尊んできたのである。
778日本@名無史さん:2013/06/14(金) 19:07:13.86
丹生都姫が卑弥呼かイヨだとしたら、記紀に
記述されない理由もわかるな。
779満州きんぽうげ:2013/06/14(金) 19:14:41.36
時代を考えて物を言え
780日本@名無史さん:2013/06/14(金) 19:22:37.79
時代を考えると神功皇后に神託を与える力を持つ女神が
紀伊半島には存在したという事は見逃せないな。
しかも丹山を仕切ってた訳だし。
少なくとも倭人伝の丹山があるという点で、
重要な証拠の一つにはなるだろう。
実際紀伊半島は水銀朱鉱脈の宝庫だし。
781日本@名無史さん:2013/06/14(金) 19:48:39.93
>>774
こちらの地図の検索map.gooなんかいいんじゃないかな。
航空画面がでたら少し拡大してみてくらはい。

http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.14.41.340N33.18.35.410
782日本@名無史さん:2013/06/14(金) 20:49:30.46
>>775
>神功皇后には、新羅出兵の為の船に赤土を塗る逸話まであるぞ。

やはり神功皇后の新羅出兵は、4世紀の史実に合わせてるのではないか。
ゆえに丹生都姫の神託の件はその頃であったような印象をもつ。
なお卑弥呼とかかわりを持つ丹生都姫であれば、九州ゆかりの伝承も残るのではないか。
783日本@名無史さん:2013/06/14(金) 21:02:36.40
>>781
これではなく、こんな感じの地図です。
http://g-kyoto.gis.pref.kyoto.lg.jp/g-kyoto/top/select.asp?dtp=671
784日本@名無史さん:2013/06/14(金) 21:07:56.94
畿内葛城地方出身の神功皇后は九州の女酋長は討つが、
丹山のある紀伊半島の丹生都姫には神託を受けるのである。
神功皇后卑弥呼説を採る者にとってこの差は限りなく大きいだろう。
785日本@名無史さん:2013/06/14(金) 21:16:25.89
けっきょくのところ、
3世紀の神功皇后と4世紀の神功皇后の二人を繋げて登場させてると考えればわかりやすい
皇后に関するそれぞれの記事は、3世紀分なのか、4世紀分なのか、
解読のカギはその振り分けにあるとおもうな。
786日本@名無史さん:2013/06/14(金) 22:04:11.12
神託つったら宇佐神宮だろ。
あのへんからも水銀朱が出るし、
丹生神社もある。
787日本@名無史さん:2013/06/14(金) 22:35:00.54
>>786
誰が誰に対しての神託かが重要だろ。
788婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/14(金) 23:31:03.75
>>765
振り分けているのか、あるいは水増ししているのか、という点は微妙だと思う。
たとえばヤマトタケルの神話は「武部(たけるべ)」の人らの事跡を
引っくるめたものらしいけど(その証拠に、ヤマトタケルの進軍経路に沿って
武部・建部姓が分布する)、神功にはそういうのはないよね。
789日本@名無史さん:2013/06/16(日) 17:42:00.06
卑弥呼は神功皇后であると頑張っている万年青年もいらっさるようです。
建前として、記紀はその通り装っているようです。

しかし卑弥呼の墓は3世紀中頃で殉葬者百余名であるのに対し、
神功皇后稜は円形埴輪列であり、推定築造は4世紀後半〜5世紀にかけてとのこと。
という次第で、卑弥呼は記紀の上では神功皇后の百数十年前の時代に活躍したと言えるでしょう。

そのころ名をなしたのはモモソヒメですが、地位のほうは姫にとどまります。
では当時、女性天皇≒女王であったお人やいかに?と問うても答えはありますまい。

ご承知の通り、記紀は在位繰り上げで歴史を半ば抽象化しているわけですから、
卑弥呼に相当すべき女性についても、
この抽象化された記紀の中の女性から探してみるのも一つの方法ではないでしょうか。
790日本@名無史さん:2013/06/16(日) 19:23:45.74
カンボジアの失われた都市、新技術で発見 豪紙報道【AFP=時事】

>画期的な航空機搭載レーザー技術を使用した考古学調査によって、
>1200年前にカンボジアの霧に覆われた山中で栄え、その後失われた中世の都市が発見された。
>記者とカメラマンが調査への同行を認められた豪紙(Sydney Morning Herald)が15日、
>世界的なスクープとして伝えた。

>発見者のシュバンス氏は同紙に対し、
>古代の聖典から偉大な戦士ジャヤバルマン2世(アンコール朝の創建者といわれている)は
>山の中に首都を持っていたことが知られていたが、すべての点がどのようにつながり、
>それらが何を示すのかが分からなかった。
>しかし新しいデータでこの都市に計画された道路や運河がつながっていたことが分かった、と語った。

女王卑弥呼の都も、霧の中のまぼろしではない。
791日本@名無史さん:2013/06/17(月) 08:26:59.71
景行天皇の中九州・南九州に対する熊襲征伐は、
それまでの同地方の諸伝承を一掃し、新たな地名を付与する紀行。

神功皇后の三韓征伐は、北部九州における女神の軍事・政治的活躍を印象付け、
後世関連の神社・史跡等を整えるための紀行。
すなわち両紀行文は、記紀の構成上、重要なセットになってる気がする。

あえていえば、景行天皇記による伊都国〜邪馬台国〜女王の都の伝承痕跡の消去と、
神功皇后記による糸島〜筑豊〜宇佐の新街道の創設である。
満州により、邪馬台国宇佐説は邪馬台国畿内説と同根であると論評される由縁でもあろう。
792日本@名無史さん:2013/06/17(月) 10:41:08.54
景行天皇が討った熊襲は厚鹿文(あつかや)・サ鹿文兄弟と、厚鹿文の娘の市乾鹿文・市鹿文姉妹でしょ?
四人は一族
熊本県北部のほとんどと宮崎県では土蜘蛛や熊襲の討伐行為を一切していない
この景行天皇の九州遠征は4世紀前半の内だろうと推定されていて
この前にも後にも古墳を作り続けて日向などは築造がますます盛んになっているよ
793日本@名無史さん:2013/06/17(月) 11:10:18.27
景行天皇の話は、本気で全面戦争したわけでなく、
要するに大和勢力への忠誠を再確認し、
加えて、古墳を含め大和風の文化・習俗を振りまくことにあったと見るべきでしょう。
いわゆる大和色に染めるためだったといえましょう・・。
794日本@名無史さん:2013/06/17(月) 14:01:24.54
wikiの日向の項目見たらびっくりした
なんであんな見て来たような嘘書いてあるんだ?
795夏バテ満州:2013/06/17(月) 17:33:05.36
wikiに限らず、ネットに出ている情報は通説俗説ばかりである。
満州の歴史地理を調べていて痛感した。嘘ばかりでまったく当てにならない。
796日本@名無史さん:2013/06/17(月) 18:28:00.85
自称従軍慰安婦のババアの経歴を調べて痛感した。薄汚い朝鮮人は嘘ばかりでまったくの愚か者である。
797日本@名無史さん:2013/06/17(月) 20:39:27.33
>>791  にカキコしたとおり
>景行天皇の中九州・南九州に対する熊襲征伐は、
>それまでの同地方の諸伝承を一掃し、新たな地名を付与する紀行。

景行巡行における最大の地名付与イベントは、、
現在の宮崎において、この地を今後は「日向」と呼ぼう、と発せられたことでしょう。
天孫降臨神話において、筑紫日向のクシフルタケなる地名が登場しますが、
この「日向」は、実ははるか後世の景行天皇の命名を記紀編者が借用しているわけです。

では、景行巡行以前のこの地の地名はなんだったのでしょうか。
もしかして、倭人伝に出てくる地名のどれかだったのかもしれませんね。
それが景行巡行で消去されてしまったのではないでしょうか。
798日本@名無史さん:2013/06/17(月) 21:21:33.85
さて景行天皇の熊襲討伐であるが、その中〜南九州における順路は下リンク先に見える。
九州入りした天皇は宇佐神宮〜大分市を経由したあと、海岸沿いでなく、
ほぼまっすぐに山中陸路を南下し、険しい祖母山系の尾平越えから宮崎入りしている。

この九州山中古道は、以前このスレでカキコしたことがある。
応神天皇らを祀る宇佐神宮上宮は南面して建てられており、その目線の先は尾平越えであると指摘した。
まさにその尾平越えを景行天皇一行もたどり、現在の上岩戸集落から天岩戸を経て高千穂町へ達していたのである。
なぜにかく険しい陸路から高千穂に達したのか、そしてそこで何を成したのであろうか・・??
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-hyuga.htm#景子天皇
799日本@名無史さん:2013/06/18(火) 12:42:51.75
景行の遠征巡行物語は、北野平野浮羽出身倭王の遠征巡行を引用したものである。
800日本@名無史さん:2013/06/18(火) 13:09:24.45
朝倉邪馬台国を継承する倭王の遠征ですね
これにより九州をほぼ統一して東征に向かう
801日本@名無史さん:2013/06/18(火) 17:19:03.12
未だに東征だってw
802日本@名無史さん:2013/06/18(火) 19:28:01.90
まず、古大和朝廷の筋書き通りを、北野平野浮羽出身倭王が演じきるとは思えぬな

次に、このことにより浮羽倭王が九州を統一して東征したのなら、記紀の天孫降臨は浮羽になるはず。
実際はそうでないのだから、浮羽倭王は遠征でなにを成したのか?
803日本@名無史さん:2013/06/18(火) 21:16:47.38
歴史古い順
上町台地(大阪市)
住吉大社(大阪市)(卑弥呼より古い)
日本仏教初の官寺は聖徳太子の四天王寺(大阪市)
難波高津宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成25年の今も続いている 難波津 住吉津 渡辺津(国際港湾都市)(物流の一大拠点)商業都市として栄える(大阪市)
石山本願寺(浄土真宗本山)(大阪市)商工業が更に発展
奈良
京都
江戸
804日本@名無史さん:2013/06/18(火) 21:17:54.35
江戸城をつくったのは大阪の摂津源氏
徳川征夷大将軍は大阪の河内源氏 征夷大将軍は源氏にしかなれない
江戸時代 梅田 中之島 難波周辺が出来る
805日本@名無史さん:2013/06/18(火) 21:44:24.42
江戸城を造ったのは扇谷上杉氏の家臣太田道灌
806日本@名無史さん:2013/06/18(火) 23:13:52.69
>>802
>浮羽倭王が九州を統一して東征したのなら、

浮羽倭王は九州統一をしただけ。東部九州を遠征
東征はしていない。

神武東征と呼ばれるものは、2世紀初頭から2世紀前半に、
博多湾岸から難民集団が東進したもの。
807日本@名無史さん:2013/06/18(火) 23:18:41.00
景行天皇の親征が実は東征前の話だって前提なんだろうが
それなら東部の大分各地でまつろわぬ者らを討伐して回ってますがな
808日本@名無史さん:2013/06/18(火) 23:39:36.82
神武東征と呼ばれる事案は、
2世紀前半の漁労難民の玄界灘沿岸から大和への東避行。
809日本@名無史さん:2013/06/19(水) 02:07:02.95
古代大和王権は漁労難民の国家か、、、
そして九州浮羽王朝はその難民国家にほろぼされたというのか、そりゃ有りえぬ。

天皇が大和を何年も空けるのは理解しがたいので、実際は親族のうちから代理人を立てたのだろう。
よって記紀の景行天皇≒いわゆる浮羽倭王 でさしたる問題はない。
倭人伝の九州島を大和色(大和言葉)に染め変えてくれればそれで十分だったのであろう。
810日本@名無史さん:2013/06/19(水) 02:33:23.63
難民は言い過ぎのような気もするが、
九州の豪族の傍流で厄介払いされて仕方なく移住先を探したんだと思う
811日本@名無史さん:2013/06/19(水) 07:42:13.40
移住先を探したんなら難民でも移民でも実態はそう変わらぬ、重要なのは言葉選びではない。

古代大和政権を構築した優秀な難民(移民)たち、即ち厄介払いされたという傍流集団は、
はたして九州(或は近隣)のどこから発って大和へ向ったのか??
その記憶・痕跡を記紀にとどめないなずはないであろう。
812日本@名無史さん:2013/06/19(水) 08:27:52.78
難民などではない。九州勢力による東征だろう。でなければ、九州勢力が
他勢力の権力構築を看過するはずはない。
813夏バテ満州:2013/06/19(水) 09:11:40.32
記紀を無視した議論はすべて空論。

アホーな学者がそういう空論を書き、
それを読んだアホーな連中(ここの連中)がそれを増殖させる。
814日本@名無史さん:2013/06/19(水) 09:19:13.72
筑紫=福岡県、日向=福岡市西部(日向峠など)を本拠地として東征は始まった
初期の東征は、本拠地から出撃しては帰還するを繰り返していただろうが
次第に東征の距離が延び、帰還が困難になってそのまま植民地に定住し
九州本国との関係が薄れて行ったのだろう。
815日本@名無史さん:2013/06/19(水) 09:28:45.48
>>809
>古代大和王権は漁労難民の国家か、、、

神武9代は玄界灘沿岸からの漁労難民が大和の一部地域に定着した小豪族
崇神からは、九州東岸から讃岐阿波和泉を経て大和に入って成立した王権
816日本@名無史さん:2013/06/19(水) 11:13:59.93
>>815
記紀に言う神武東征はわずか一代でなされたことではないであろう
その前段階として、漁労難民というか、航海に長けた一族の移民というか、
前触れ・露払い的な移転があったと考えるのが順当。いわゆる東遷(東征)は、
彼らと気脈を通じた一族のその後における本格移転だったのではないか。

よって景行天皇の伝承は、九州における過去の(悪行の)清算と見れば納得がいく。
817日本@名無史さん:2013/06/19(水) 12:17:02.57
神武は小豪族として大和に移住
数十人程度の小さな地域コミュニティの中ではあくまで支配者階級であり、難民のように被支配者階級ではない
欠史八代は実在して周辺の豪族と政略結婚を通じて土着化、少しずつ勢力拡大を図った
崇神の代で一気に畿内周辺を支配した
多くの地方豪族がその地に根付いて力をつけたときのパターンと全くいっしょ
これでなんの問題もない
818日本@名無史さん:2013/06/19(水) 12:32:37.45
各地に残るヤマトって地名を線で繋げば良い
それが移動経路の可能性が高い
819日本@名無史さん:2013/06/19(水) 19:01:36.37
>>818
大分県 ヤマト で検索したらヤマト運輸の営業所だらけ、
大分県 大和 で検索したら大和ハウスの営業所だらけだったわ。
820日本@名無史さん:2013/06/19(水) 21:44:37.97
九州の場合は山門で検索したほうがいいかもしれないな。

大和は当て字だから。
たぶん、最も古くは、倭と書いてヤマトと呼んでいた。それが大倭になり、
倭が和に変わって、大和となったと思われ。
821日本@名無史さん:2013/06/19(水) 22:33:50.32
京都市下京区堺町通高辻下る夕顔町
に「夕顔の墓」があるのだが
町名もそのものだし
夕顔はあの辺に住んでいたんだろうな〜
822日本@名無史さん:2013/06/19(水) 22:57:44.21
奈良県の大和地方はいつからヤマトと呼ばれる地域だったんだろう?
神武以前からなのか神武が名付けたのか
823日本@名無史さん:2013/06/19(水) 23:02:52.05
古名や地元の名前としてのヤマト音の地名は、
畿内周辺には存在しない。

郡名なら福岡県の山門郡、
字、小字なら、いくつかヤマト音は存在する
824日本@名無史さん:2013/06/20(木) 03:49:58.29
山門郡なんて古くないよ。
825日本@名無史さん:2013/06/20(木) 07:20:29.58
まあ、筑紫島の筑紫国の旧筑紫郡字筑紫、の筑紫神社
まで気合の入った地名は、そうはないだろう。
826日本@名無史さん:2013/06/20(木) 15:03:28.45
大和の元の字は大倭だ。邪馬台国から派遣された一大率がいた所ってことさ。
827日本@名無史さん:2013/06/20(木) 15:32:22.40
それでも、オオワ、ダイワでしかない。
それがヤマトになるには、理由が必要だ。
828日本@名無史さん:2013/06/20(木) 16:35:15.35
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)

>生没年不詳(生年:紀元前92年以前、没年:紀元前88年以降)、孝霊天皇(紀元前342年 - 紀元前215年)の皇女。
>日本書紀では、母は、倭国香媛(やまとのくにかひめ)。
>同母兄弟に、倭迹迹稚屋姫命、彦五十狭芹彦命らがいる。

倭の一字でヤマトと読ませておりますぞえ
大倭なら、さしずめオオヤマト
829日本@名無史さん:2013/06/20(木) 16:39:22.92
そりゃヤマト王権が倭を統合したからヤマトが大倭になったんでしょ
830日本@名無史さん:2013/06/20(木) 16:55:41.08
熊襲征伐のため、景行天皇が宇佐あたりから南下して峠越えしたという尾平越には、
銀・銅・錫などを産出した古くからの尾平鉱山あり。
だてに九州山路を巡幸したわけではなさそう。

http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/obirakoozan.html
831日本@名無史さん:2013/06/20(木) 17:02:24.95
ヤマトという音は昔からあったが、それを漢字に置き換えるとき、
倭が使われた。帥升以来、卑弥呼や倭の五王を含め、皆「倭王」となって
いることが理由だったと思われる。

だから、倭→大倭→大和となっていった。

ヤマトに邪馬台を当てなかったのも面白いな。

日本書紀ではけっこういろんな字を当てはめている。
たとえば、景行天皇のところでは「夜摩苔」なんて文字が使われている。
832日本@名無史さん:2013/06/20(木) 17:16:19.61
倭国を乗っ取ったヤマト氏が、
これからはヤマトと呼べ、
ってやったんじゃないの?

倭国も大倭も、ヤマトとは読めないし。
833日本@名無史さん:2013/06/20(木) 18:36:51.41
なるほど
倭国を乗っ取ったヤマト氏の昔の名前は邪馬台氏だったが、
まさか、九州時代の名前をそのまんま東で名乗るわけにはいかなかった・・、という次第か。
834日本@名無史さん:2013/06/20(木) 19:44:09.40
神邪馬台伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)
835日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:07:41.04
対中国に対して、ヤマト国と名乗ったことはないからな。
倭か日本。

じゃ、ヤマトってなによ?ってことになる。
836日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:22:14.69
そうすると、国内の抗争相手を意識した名乗りということになるな。

「我こそは、皇祖邪馬台国王の嫡流、神邪馬斗伊波礼琵古命なるぞ・・」
837日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:35:19.33
邪馬台国を意識したから倭や日本をヤマトと読むことに固執した
838日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:38:45.89
おまえら本当は邪馬台国が台湾にあったってことに気付いているんだろ
839日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:46:47.05
かつてインドネシアは耶婆提と言った
840日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:49:29.22
大和朝廷ができた当初は全国統一もされてなくて外国も意識してなかったから
国という概念がなかったんじゃないの
地名のヤマトが政権を意味するヤマトになり、全国統一後に中国と交流するようになると
国名がないので代わりにヤマトと自称した
このときは日本は文字を持ってなかったから発音だけだったけど
一方、中国が日本をひっくるめて表すとき倭という漢字を使っていたから
ヤマトという発音に対して倭という漢字を当てはめた
841日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:51:56.95
>>838
違うよ
東南アジアだよ
ミャンマーからタイにかけてのあたり
邪(ミャ)馬(ンマー)台(タイ)国
842日本@名無史さん:2013/06/20(木) 21:30:03.32
魏志が伝えるところの気候風習は東南アジアそのもの
陳寿さんの文章呼んで記紀の編纂者も???だったろう
列島北部から東南アジアまで倭だったと思われるし
稲作に関する記述がいっさいないのがまた・・・
年中裸に近い衣生活で
野菜を手づかみで喰ってたってw
ありえんわ
843日本@名無史さん:2013/06/20(木) 21:47:53.50
兵用矛楯木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃

鉄鏃と書いてあるからな
当時の東南アジアで鉄器を使っていたのか
844日本の名無史さん:2013/06/20(木) 22:13:13.88
東南アジアの国がなんで中国本土より遥かに遠い帯方郡に
わざわざ使いを出すかね?
845日本@名無史さん:2013/06/20(木) 22:14:50.21
でーお で〜〜〜〜お いぜでいぜでいぜで〜〜ええお
846日本@名無史さん:2013/06/20(木) 23:53:28.31
バナナボートっすか?
847日本@名無史さん:2013/06/21(金) 01:03:09.03
隼人族とまったく同じデザインの盾がインドネシアにある
日本神話に東南アジアと共通性があるのも知られる
聖なるものの前に鳥がいる(鳥居)
日本の神社建築や高床式倉庫は中国大陸より東南アジアとの共通性がある

熊野神社は紀元前の創建
インドより聖者が来たという伝説あり
あるいは秦の始皇帝の使者徐福が熊野に来たという伝説あり
すなわち、九州〜熊野の黒潮ルートに乗り異邦人が流れ着きやすい環境にあったと思われ

台湾の原住民はマレー系である
インドネシア〜台湾〜九州南部にマレー系の交易ルートがあったと思われ
隼人族もマレー系とのつながりを感じさせる

かつてインドネシア人はシュリービジャヤ帝国を作り、スリランカまで征服した
マレー系はアフリカに近いマダガスカルにも多数すんでいる
マレー系の航海能力は優れている
848日本@名無史さん:2013/06/21(金) 01:06:41.24
銅鐸の文様が銅鼓の文様に似てるって話もあるな
849日本@名無史さん:2013/06/21(金) 01:08:51.96
>>840
>地名のヤマトが政権を意味するヤマトになり、

これは理解しやすい
で、その地名はどのあたりのものだったのか、範囲を狭めて指摘してもらえると有り難いのだが・・
850日本@名無史さん:2013/06/21(金) 06:23:21.08
またも負けたか八聯隊(大阪兵)、それでは勲章九連隊(京都兵)、
敵の陣屋も十聯隊、大阪鎮台ヘボ鎮台

この出所が分からないのだが、くれんたい という言葉から九州と思われる。
851日本@名無史さん:2013/06/21(金) 06:44:42.24
ついでに邪馬台はやまんたい、この言葉から九州説は間違いないと思われる。
852日本@名無史さん:2013/06/21(金) 08:39:46.46
そうタイ
853日本@名無史さん:2013/06/21(金) 08:42:30.25
あれ(あの国)はなんだ?→あれは(あそこにあるのは)山タイ→邪馬台か、なるほど

うむ。自然だな
854日本@名無史さん:2013/06/21(金) 08:47:41.50
とにかく山タイと答えて邪馬タイ国と記したんだろう。
855日本@名無史さん:2013/06/21(金) 08:54:28.28
魏人は馬鹿タイ
856日本@名無史さん:2013/06/21(金) 09:35:16.56
なら、他にもタイの付く国があってもいいのでは?ということになります。
「あそこの国は?」「伊都タイ」という具合にね。
857日本@名無史さん:2013/06/21(金) 09:57:10.39
つまり九州でタイは日常語、
ついてもつかなくてもさほど不思議ではない
壱であれ、台であれ、臺であれ、格別こだわりはなかつタイ
858日本@名無史さん:2013/06/21(金) 11:46:23.81
で、邪馬台国だけそのタイがついたわけは?
859日本@名無史さん:2013/06/21(金) 11:55:01.72
そりゃ、特に敬意を表したというこつタイ
860日本@名無史さん:2013/06/21(金) 12:03:39.29
そう言えば御台というところもあるな
現代風の地名は三田井だけどな
861日本@名無史さん:2013/06/21(金) 12:12:00.67
ここはアホの巣窟だなw
862日本@名無史さん:2013/06/21(金) 12:21:39.41
>>850
またも負けたか八聯隊(大阪兵)、それでは勲章九連隊(京都兵)、
敵の陣屋も十聯隊(播磨兵)、大阪鎮台ヘボ鎮台

関西人(大阪鎮台)の地域別気質を自虐的に言ったもの。
明治時代八聯隊の兵舎に入っている浪速商家の息子には、
毎日自宅から昼食が届けられた。軍の食事がクソ不味いので。

日露戦争に出征したがその途中で終戦になり参戦せずに帰ってきた祖父の話。
863日本@名無史さん:2013/06/21(金) 14:02:08.15
言い出したのは、九州人だろうな。

またも負けたかヤ(遣)れんたい(八聯隊)
勲章クレんたい(九連隊)
敵の陣屋も取れんたい(十聯隊)
864日本@名無史さん:2013/06/21(金) 16:04:55.55
タイ国は九州の属国タイ
865日本の@名無史さん:2013/06/21(金) 23:12:35.28
大和と書いてタイワと読ませる地方もあるよ
866日本@名無史さん:2013/06/21(金) 23:40:49.05
邪馬台と大和とヤマタ(ノオロチ)って関係はあるの?
867日本@名無史さん:2013/06/22(土) 00:37:42.46
邪馬台と大和は関係ある説と関係ない説の両方ある
ヤマタノオロチは関係ないでしょう

邪馬台→ヤマト?ヤマイ?その他いろいろ説がある(少なくともヤマタイではないことは明らか)
大和→ヤマトで決まり、というか漢字より先にヤマトの発音があったから
868日本@名無史さん:2013/06/22(土) 12:02:34.51
そうかあ、ヤマトと言っても当て字にはいろいろあるからねえ
869サガミハラハラ:2013/06/22(土) 13:36:11.56
ヤマトの語源は神武天皇の故郷の福岡市西区の山門(現在下山門の駅がある)
の地名を移植したのです。
以後奈良盆地のことをヤマトというようになったのです。
870日本@名無史さん:2013/06/22(土) 15:22:34.84
ヤマトとは山戸、平たく言えば、山に囲まれた盆地のこと
ヤマトタケルも盆地が大好きで、縄文時代の大集落は全て盆地にあったといって良い。
卑弥呼の居た盆地はどこか?と考えれば候補地は自ずと限られてくる。
871日本@名無史さん:2013/06/22(土) 18:32:06.26
東遷説ってどのくらい有力なん?
眉唾扱い?
872日本@名無史さん:2013/06/22(土) 20:13:25.97
日向のミミ津を立ち、宇佐に立ち寄ってご挨拶、北九州にも立ち寄ってご機嫌伺い、
さらに吉備にも長年とどまって、たぶん出雲や四国の勢力と懇意になって・・、
となかなかしたたかな準備ぶり、

東遷というとわっと攻め込む印象だが、そう言う気短かなのとはいささかちがうな。
873日本@名無史さん:2013/06/22(土) 20:39:32.95
熊本邪馬台国(熊本高天原)→ 天の八衢(五ヶ瀬)→ 高千穂へ降臨 → 日向から東を目指して船出・・、
と考えると、いちばん無理のない流れになるんだけどなあ
874日本@名無史さん:2013/06/22(土) 21:04:12.30
BSフジ
875日本の@名無史さん:2013/06/22(土) 22:29:20.31
まあ、九州からの流れ者が最終的にたどり着いて落ち着いたのが近畿で
輝かしい東遷神話は遥か後世に作られたものやね
876夏バテ満州:2013/06/22(土) 22:58:29.61
まあ、チミらはみんな非国民やね
877日本@名無史さん:2013/06/23(日) 11:54:53.53
卑弥呼大神
878日本@名無史さん:2013/06/23(日) 18:13:10.13
緋巫女だろ。
つまり赤い丹の女王。
だから丹の産地が有力。
879日本@名無史さん:2013/06/23(日) 18:18:35.09
そのレベルなら、肥の国の巫女で、肥巫女
880日本@名無史さん:2013/06/23(日) 18:37:08.76
デブ巫女かよ。
881日本@名無史さん:2013/06/23(日) 18:58:21.79
卑大神、肥大神、日大神
882日本@名無史さん:2013/06/23(日) 19:38:11.04
台与なら豊の姫
壱与なら伊予の姫
883日本@名無史さん:2013/06/23(日) 19:44:45.99
台与(タイヨ)ならタイの姫
つうか邪馬台がヤマタイで台与が(トヨ)つーのははっきりした
ダブルスタンダードだよな
884日本@名無史さん:2013/06/24(月) 07:18:06.53
ついに邪馬台国が奈良で最終決着したけど、九州説を強弁してた九州人今どんな気持ち?
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1371902267/
885日本@名無史さん:2013/06/24(月) 08:00:42.03
>>884
ニュー速・邪馬台国の畿内説カキコは1割にも満たぬ、2月のときと違ってぜんぜん勢いがないな
伊都国佐賀説という巨大礎石発見で手も足も出ないようだ
886日本@名無史さん:2013/06/25(火) 21:30:27.79
>>884 
>ニュー速
>ついに邪馬台国が奈良で最終決着したけど、九州説を強弁してた九州人今どんな気持ち?
 邪馬台国の有力候補地 史跡指定答申の纒向遺跡 奈良
 産経新聞 6月22日(土)7時55分配信

スレタイの勇ましさにも関わらず、早々におっこちちゃったよ
産経新聞の応援もむなしく、ついに奈良説の終焉のときが来たな
887日本@名無史さん:2013/06/26(水) 06:31:26.46
卑弥呼と天照大神(大日*靈女貴) 注:*靈女は靈+女の合体字

> 日本書紀によれば、天照大神の別名は大日*靈女貴(おおひるめのむち)である。
> ここで大日*靈女貴の「*靈女」は、「靈」と「女」の和製(倭製)合体字である。

> この場合において、「靈」は「巫」を意味するので、
> 靈+女を合体させた字は「巫+女」、 すなわち巫女(みこ)を指すものと考えられる。
> ゆえに「*靈女」は「*みこ」であり、
>「大日*靈女貴(おおひるめむち)」は、大(おお)日*靈女(ひ*みこ)貴(むち)と読めるところから、
> 大日靈女貴は、大卑弥呼(ひみこ)貴、を意味する美弥と考えることができる。
  ttp://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono701.htm
888日本@名無史さん:2013/06/26(水) 06:47:30.30
漢は中国語だとhanなのに、日本人はkanと聞き取ってしまったように、古代日本人は語頭のhの発音が苦手だった。
カ行の漢音が多いのは、そのためである。
現在hと発音してる単語は当時はpで発音してた。

呼という漢字の漢代の古音を調べてみると、hoとなっている。
ゆえに弥呼をミコと読み、巫女と考えるのは、日本語のゴロ遊びに閉じこもった説明に過ぎない。
889日本@名無史さん:2013/06/26(水) 06:59:35.59
ピミヲ
890日本@名無史さん:2013/06/26(水) 07:34:30.19
>>888
事情に疎い者には、時代の前後関係及び漢語/倭語の相互関係が良くわからぬカキコだ。

たとえば現代でも日常的にh〜fをみごとに聞きとり発音する地方もある。
また貴説のとおり、漢代に漢人は呼をhoと発音したかもしれないが、
ならばそれを倭人がkoと聞きとってkoと発音するのはいわば当然と読めるのだが・・。
今少し詳しく説明してもらえぬか。
891日本@名無史さん:2013/06/26(水) 09:14:32.56
倭人言う「女王はピミホ(ピミヲ?)」
漢人書く「女王卑弥呼(pimiho)」
現代日本人読む「女王ヒミコ」
892日本@名無史さん:2013/06/26(水) 09:23:28.95
倭人がヒミコ(ピミコ)って言ってたら、
漢人は卑弥狗と記しただろうな。
893寝不足満州:2013/06/26(水) 09:40:46.31
卑弥呼はピミフである。

あ、ごめん。ピミらには分らないな。
894日本@名無史さん:2013/06/26(水) 09:54:59.54
ミホツヒメやニホツヒメなら丹後、畿内にいるけどな
895日本@名無史さん:2013/06/26(水) 09:59:20.24
>>891
上の888では、漢人発音→倭人発音の場合について書いている
しかしだからといってその法則が、倭人発音→漢人表記になるとは限らぬ

たとえば倭人はhが苦手だったというなら、そもそもヒミホというhだらけの発音はなかったのだから
卑弥呼はヒミコでなくイミオであり、卑も呼も書かれることはなかったという理屈になるが・・、
896日本@名無史さん:2013/06/26(水) 10:04:48.85
ヒミホって、きゃりーぱみゅぱみゅ並みに発音しづらいな
897日本@名無史さん:2013/06/26(水) 10:06:31.55
上田萬年のP音考
898日本@名無史さん:2013/06/26(水) 10:43:51.04
>>895
倭人が文字を持っていなかった以上、倭人発音→漢人表記を示すのは難しいが、
倭の由来を日本語の一人称「わ」に由来するとすると、「倭」の古音huaとなることから、倭人のwを漢人がhととらえたと考えられる。
実際、漢には両唇音のwがなかった。
ゆえにヲ(倭)→呼(漢)となったと推測できる。
実際、万葉仮名には、ヲを呼で書く用例がある。

現在のhの発音はp>Φ>hという変遷してきたもので、
卑の古音はpiであることからも
ピミヲ(倭)→卑弥呼(漢)と推測できる。
899日本@名無史さん:2013/06/26(水) 11:05:40.52
基本的な質問だけど「ヲ」ってどういう発音?
「ウォ」って発音するやつ?
それとも「オ」と同じ?
900日本@名無史さん:2013/06/26(水) 11:22:37.88
>>898
そこで問題は、天照大神の別名の 大日「*靈女」貴 の一部分である「*靈女」の部分を、
倭人の支配階級はどのように発音していたかということになる。
(注:「*靈女」は靈+女の合体字で、記紀読みでは「るめ」)

>>887 のリンク先では、これは「巫女」の意味らしいが、
どのように読むべきか、8世紀当時すでに不明であったようだ・・、と書いている。
これをミヲ、ミホ、ミウォ、ミフォもしくはこれに近い音に充てていたことは有り得なかったのか・・?
そこのところが判然としていないわけだ。

合わせて「巫女」についても、倭人がk化が得意だったなら、
その元は「みを、みほ、みうぉ、みふぉ?」などであったことも在りうる。
其々、当時の漢音、倭音でどう発音し、記載したかは大いに関係するであろう。
901日本@名無史さん:2013/06/26(水) 12:23:21.90
>>899
ヲはwo
902寝不足満州:2013/06/26(水) 12:29:38.00
だから呼はフだっちゅーの。

雑学王は昔読んだ本の知識をひけらかしているだけだからの。
おめーら、騙されてはいけねーぞ。
903日本@名無史さん:2013/06/26(水) 12:45:55.07
「巫女」は予備知識をもってるから「みこ」と読めるけど、それが無かったら読めないねえ。

なお、巫女を「ミクォさん」と発音する地方もある。kをとれば「ミウォさん」となる。
女一字をなぜ「こ、くぉ、うぉ」と読むのか? 
ま、満州好みであろう「く」のイチという前例もないわけではないが。
904日本@名無史さん:2013/06/26(水) 12:58:34.98
>>903
なんで勝手にkをとるのか?
音韻の変遷を考えるなら、まずは用例を集めることからはじめよう。
905日本@名無史さん:2013/06/26(水) 13:19:19.93
日女緒
906日本@名無史さん:2013/06/26(水) 13:22:51.89
>>904
下のようにカキコしてるお人がいたので、それに倣ってみた次第。

888 :日本@名無史さん:2013/06/26(水) 06:47:30.30
漢は中国語だとhanなのに、古代日本人は語頭のhの発音が苦手だったので、kanと聞き取ってしまった。
カ行の漢(由来)の単語が多いのは、そのため。(一部改変)
907日本@名無史さん:2013/06/26(水) 13:34:02.78
>>891
万葉仮名 呼(ヲ)

卑弥呼   ヒメヲ=姫王
卑弥弓呼 ヒミコヲ=日御子王

出雲国風土記 須佐能乎 スサノヲ=スサの王
908日本@名無史さん:2013/06/26(水) 14:00:16.63
>>906
それ書いたの私だけどさ、あなたの場合の用例になってないじゃん。
あなたの主張のためには少なくとも、日本国内でwo>kwo>koという例が他にも見つかるかどうか示さないといけない。
909日本@名無史さん:2013/06/26(水) 14:23:33.37
三世紀の倭のことについては、
書きものも残っておらず、分からんでしょう。分かるのは中国の事情くらい。
できることといえば、せいぜい記紀の用例から四百数十年前のことを推定する程度。
910日本@名無史さん:2013/06/26(水) 14:45:15.58
そもそも >>887 のリンク先は、

> この場合において、「靈」は「巫」を意味するので、
> 靈+女を合体させた字は「巫+女」、 すなわち巫女(みこ)を指すものと考えられる。

という具合に、漢字の意味に重点を置いて論を展開している。
要するに 「*靈+女」≒「靈女」≒「巫女」 という趣旨であろう。
なお >>907 の示す通り、「呼」が女を指すとは限らないと思われる。
911日本@名無史さん:2013/06/26(水) 14:50:54.25
彦(日子)が卑狗なら、巫女(御子)は弥狗だろう
912日本@名無史さん:2013/06/26(水) 15:58:04.06
卑弥呼=ピミヲから言えるのは、
「卑弥呼=日巫女」説は、言語面からはまったく根拠がないということ。

「巫女のことをミヲと呼んでいたかもしれないじゃないか」というのはそれ自体が仮定であって、根拠にはなりえない。

つまり、天照大神の別名の大日「*靈女」貴の「日「*靈女」」という表記からヒミコをひねりだしたとしても、卑弥呼という表記にミコが見当たらない以上、
「天照大神=卑弥呼」説の言語面からの根拠にはならない。
913寝不足満州:2013/06/26(水) 17:16:42.88
雑学王が珍しく筋の通ったことを書いてるでねーか。
なんとなくホンに思えるのおw

出鱈目に 真も少しは 混ぜてあり
914日本@名無史さん:2013/06/26(水) 17:45:39.57
なるほど、
今まで卑弥呼のことを「日巫女」のような(女性を表わす)名詞としてこだわりすぎていたのかもしれない。
>907のおっしゃる通り、卑弥弓呼にも呼はついているのだから、

卑弥呼   ピミヲ=ヒメヲ=姫王
卑弥弓呼  ピミコヲ=ヒミコヲ=日御子王

の論に納得させられるところ少なくない。
というわけで、とりあえず記紀に書かれた「大日*靈女貴」の読みはオオヒ(ル)メのムチで、
漢字に直せば「大日*靈女の王」の意味であったと解釈し直し、再考してみようと思ふ・・・。
915日本@名無史さん:2013/06/26(水) 17:58:24.43
オオナムチも女なのかい?
916日本@名無史さん:2013/06/27(木) 01:56:47.11
現代の方言でさえ発音や意味でかなりバラつきがあるのに、

1800年前の言語に(しかも中国人のバイアスかまされて)
無意味な妄想しても仕方ねーよw
917日本@名無史さん:2013/06/27(木) 05:28:09.87
ま、それはそれとして、とりあえず発音→文字の流れを仮整理してみた。

<区 分> (倭国)・・(伝聞)・・(中国)
(三世紀)  ピミヲ →→ ピミフ →→ 卑弥呼 
 ・・・     ↓
(経 過)  ヒメヲ
 ・・・     ↓
(経 過)  日女王
 ・・・     ↓
(八世紀) 大日霊女貴
918日本@名無史さん:2013/06/27(木) 10:19:03.93
日をあらわすピとピルは、ピのアクセントが同じだから同源と思われる。
問題はどっちが古いかだけれど、
木陰(コカゲ)や眦(マナジリ=目の後)は木や目を単独でコやマと読まないことから、単語の中で木や目の古形が保存されていると考えられるので、
同様に日女(ピルメ)も日を単独でピルと読む慣習が見当たらない以上、日の古形は日女の中に保存されたピルだと考えられる。

ただ、卑弥(pimi)が日女をあらわしてるとすると、倭人伝より古い時代にピルメとピメが分岐していることになる。
私は、太陽信仰(ピルメ信仰)は卑弥呼よりも古い時代からあると考える。

倭人伝以降の時代にヒメからヒルメが生まれたとすると、用例が必要だろう。
(ヒコからヒルコが生まれたことを示すなど考えられるが、自己撞着しそう)
919日本@名無史さん:2013/06/27(木) 10:32:28.02
まあ、ピルメがピメの古代出雲とかの方言である可能性もあるか。
920婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/27(木) 21:53:26.88
>>918
なるほど、説得力あるな。

ところで、「ひ(日)」と「ひる(昼)」との関係はどうなんじゃろ。
「よる(夜)」の語源は知らんけど、こっちも「よい(宵)」のように、
1音目が語幹っぽいよね。
921日本@名無史さん:2013/06/28(金) 01:39:05.40
ピルメ、ヒルメは倭人伝以前のはるかなる太古からあった特別な語という主旨か、、、
922日本@名無史さん:2013/06/28(金) 07:18:18.52
精神病は伝染するらしいな。
923日本@名無史さん:2013/06/28(金) 10:51:12.81
日が、ピル→ヒル→イル なら、
日女は、ピルメ→ヒルメ→イルメ で、
日霊女も、ピルメ→ヒルメ→イルメ でいいのかな?
924日本@名無史さん:2013/06/28(金) 11:19:23.04
>>920-921

ヒルメ(女)とヒルコ(男)はセットである。
ヒルコ神は大阪湾沿岸と徳島に分布している。
ヒルメは徳島のみ。

徳島(阿波)のヒルコヒルメ勢力は神武東進頃(2世紀中葉)までに大阪湾沿岸に進出していた。
大阪湾東岸のヒルコと大阪湾北岸のヒルコが勢力争いをして、
大阪湾東岸のヒルコが勝ったとの伝説もある。

大阪湾沿岸に初期の前方後円墳(前方後方墳)を持ち込んだのが、徳島のヒルコ勢力。
このヒルコ勢力が大阪湾沿岸の銅鐸勢力を滅ぼしたと推察される。
淀川流域地域の銅鐸勢力を最終的に滅ぼしたのは垂仁。
近畿で最後まで残存した銅鐸勢力は琵琶湖周辺。
925満州カルロス・ゴーン:2013/06/28(金) 12:16:43.38
>神武東進頃(2世紀中葉)

プッ ケラケラ ゲラゲラ
926日本@名無史さん:2013/06/28(金) 13:24:31.65
記紀は年代順に編纂されたので、
神功皇后より前の記事は倭人伝より早く書かれた、と思い込んでる人も少なくないんだねえ
927日本@名無史さん:2013/06/28(金) 14:10:04.14
>>925-926
倭奴國は、永初元年(207年)の前年206年に帥升に滅ぼされた。

倭奴國の王統の一部(海洋漁労民)は、206年頃武装難民となって福岡平野の倭奴國から脱出。

その難民は、日向を経て瀬戸内海北岸を東進し、鳴門を通り大阪湾と河内湾日下へと侵入。

倭奴國を脱出して河内湾日下に到着するまでには、16年以上の年月を要している。

神武難民軍団が日下に到着したのは、早くて222年以降である。

その後奈良盆地に侵入できたのは、3世紀中葉と見做せる。
928日本@名無史さん:2013/06/28(金) 14:20:14.44
補足
神武が日向で誕生したのは206年か207年である。
929日本@名無史さん:2013/06/28(金) 14:27:43.31
>>927
神功皇后の凱旋と似たり寄ったりのころではないか
ということは、神功皇后を神武天皇と読み替えてもなんとかいけそうだな
満州瞬間湯沸かし器が沸騰するだろうなあww
930日本@名無史さん:2013/06/28(金) 17:39:38.41
>>920
実は夜(ヨ)と宵(ヨピ)は語頭のアクセントが違うので、別のルーツかもしれない。

ヨとヨルのどっちが古いかは、前に言った理屈からヨだと思われる。(夜中など)
対になってる単語は、語形をそろえようとする働きがあるので(クロ-シロ、ヲグナ-ヲミナ)、
昼(ピル)の影響を受けて、ヨからヨルが生まれたんじゃないだろうか。

単語の語尾の方が変化しやすいので、単語の中に古形が保存されているという理屈は知っているのだけど、
日女(ピルメ)というのがかなり特殊な例の気がして、ピとピルのどっちが古いかは自信がなくなった。
931日本@名無史さん:2013/06/28(金) 18:02:03.61
>>923
日本語だと、河原のようにh>wという変化がおこりうるから、ひるがゐるになる可能性もあったかもね。

あと朝鮮語の日の漢字音ilを意識してるのかもしれないけど、あれはもともとzilだ。
朝鮮人がジャを発音できないと思って、ザパニーズと揶揄する人もいるがあれは大嘘で、
本当に朝鮮人が発音できなくなったのはz。
932婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/28(金) 21:52:40.94
>>930
ふむふむ、勉強になる。

>(クロ-シロ、ヲグナ-ヲミナ)、
は、言われてみればいかにも対だよね。

>>924
ヒメとヒコは対っぽいけど、「ヒルコ」ってのがぴんとこない。
国産み神話の最初の子の不具のヒルコは、手足がない様から
動物の「蛭」由来だという説もあるよね。
933日本@名無史さん:2013/06/28(金) 22:06:34.10
<天照大神>wiki
>古事記では天照大御神(あまてらすおおみかみ)、日本書紀では天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。
>別名、大日(霊女)貴神(おおひるめのむちのかみ)[3]。
>神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)[4]、大日霊(おおひるめ)[5]、大日女(おおひめ)[6]とされている。

日霊*(霊女合成字)、または日霊、は、八世紀の記紀ではヒル・メ(日・霊)と読む習慣らしいが、
古代(記紀以前)からこれをヒル・メと読んでいたという根拠はどこらへんにあるのかな、わからぬ??
934日本@名無史さん:2013/06/28(金) 23:19:19.83
>>932
「ヒルコ」「ヒルメ」の『ヒル』は、「昼夜」の『昼』です。
「ヒルコ」「ヒルメ」は「昼子」「昼女」、すなわち「日留子」「日留女」。
日(太陽)の子の意味でしょう。
後世の祭神名神社名では『ヒル』は『蛭』と書き換えられています。

『ヒル』が『蒜』になったケースは知らない。
935婆 ◆HKZsYRUkck :2013/06/28(金) 23:52:14.12
>>934
なるほど、日→昼→(本来の意味が薄れて)→蛭の流れか…。
そうすると、国産みに出てくるヒルコの「不具」というキャラ設定は、
けっこう新しいものかも知れんよね。
936日本@名無史さん:2013/06/29(土) 06:53:22.75
<天照大神>wiki
>別名、大日(*霊)貴神(おおひるめのむちのかみ)[3]。
>神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)[4]、
>大日霊(おおひるめ)[5]、

この場合の「日」をヒルと読ませるようになった経緯と時代がよくわからぬな
古代から?、八世紀から?、八世紀後から?、近世になってから?、明治になってから?
937日本@名無史さん:2013/06/30(日) 09:16:40.64
>大日孁貴:おおひるめのむち
>大日孁尊/大日靈尊:おおひるめのみこと

これらを ヒルメ と読ませるようになった時代はわからないのかなあ?? 
938日本@名無史さん:2013/06/30(日) 20:56:46.78
全国の神社を訪ね歩いた識者の記録によると、各社御祭神の御名の「日」はすべからく「ヒ」と読む習わしらしい。

一つの例外らしきは、

 稚日女尊:わかひるめのみこと

であったが、別名に「稚日孁尊:わかひるめのみこと」と添えられており、
大日孁貴と同じ読み方であるところから、「日」は「ヒ」と読み、「孁」は「ルメ」とするのが相当と考えられる。

ならば書紀編纂時点でも「大日霊女貴」と記載し、オオ・ヒ・ル・メのムチと一音ずつ読ませて差し支えなかったのではないか。
にもかかわらず、あえて霊・女を合体させた難字の「孁」を用いたのはなぜだったのであろうか・・。

もちろん私的推測だが、八世紀あるいはそれ以前の古代において、
鬼道に長けた人物は倭語一音で表現・伝達・理解されていたからではないか。
そのため日本書紀でも、「孁」という合成一字の表記にこだわったのではないか。

ならば、その一音はどのように発声されていたのであろうか。
それは当時の中国鬼道の代表格であった太平道、巫鬼道、天師道などの巫女たちの中国読みに
重要なヒントがあるのではないか。
またこれは、卑弥呼(pimiho、ヒ○ヲ、ひみゐを等)の読みを解くカギになるのではないであろうか。
939日本@名無史さん:2013/06/30(日) 21:53:30.11
すべからく(笑)
940日本@名無史さん:2013/06/30(日) 22:06:54.30
すべからくは、当然として・・、いう意味な。
そこで笑わずに他で笑ってくれ。
941日本@名無史さん:2013/07/01(月) 00:32:08.41
ルメ???
日本語は、ラリルレロが頭にこないぞ。
942日本@名無史さん:2013/07/01(月) 03:29:08.81
>>941
同感なのだ!
「日孁」をヒルメと読ませるのはいかにも不自然、
では、いつだれが何の目的でこの二神に「ヒルメ」とふりがなを付けたのか(もしかして明治以降)??
943日本@名無史さん:2013/07/01(月) 08:49:15.02
なんか陰謀論にはしってるけど、漢字をどう読むかではなく、言葉に漢字をどう当てるかだろう。
日本書紀には、
大日孁貴。此云於保比屡灯\武智。霎音力丁反。 一書云。天照大神。一書云。天照大日孁尊。
とあるから、少なくとも8世紀にはオポピルメノムチに大日孁貴という漢字が当てられていたようだ。

君の言うとおり、日をヒルと読む例がヒルメ以外にないから、
ヒルメの意味から日女という漢字を当てたいが、それだとヒメと区別がつかなくなるので、孁という和製漢字をつくって日孁と当てたのではないだろうか?
944日本@名無史さん:2013/07/01(月) 10:25:08.41
>>943
なるほど、事情をつかめてきました。
「比屡刀vの3音に漢字2文字を充てたかったので、
苦心の末、「孁」という倭製漢字をつくり、特例としてピル・メと読ませることにしたということで理解しました。

ところでその次の 霎音力丁反 につき検索したところ、日本語による解説は見当たらず、
The sound for me (霎) is read with the characters 力丁反. とあるのみで内容がよくわかりません。
この 力丁反 につき、ご解説をいただけると助かるのですが・・・。
945日本@名無史さん:2013/07/01(月) 15:31:14.21
>>944
『反切』でググりなさい
946日本@名無史さん:2013/07/01(月) 16:49:43.23
ごく簡単に言えば
力(リキ)のリと丁(チョウ)のョウを合わせて(リョウ)と読むという
947日本@名無史さん:2013/07/01(月) 17:37:14.59
>>945
ありがとうございます。助かりました。
「反切」と関連のものをたくさん検索できてます。今勉強中です。
948日本@名無史さん:2013/07/01(月) 19:47:39.67
邪馬台国が大和朝廷や天皇に通じるという歴史観は戦中辺りに作られたものだと思われます。
満州や中国の一部を植民地にするにあたり、正当性を作るための動機付けの歴史観だと。
だから戦中世代や戦後すぐの世代はそう洗脳されているのです。
今の学会がそういった世代で支配されているため、洗脳が解けないのです。
金印を授けられた邪馬台国は古くから中国と国交があり、つまり中国人との人の行き交いもあったと、
邪馬台国が大和朝廷に通じることで、中国人との血脈関係も動機付けできると、これをもって
満州の統治の正当性にしたかったんだと思われます。
949日本@名無史さん:2013/07/01(月) 20:24:58.26
>>946
力riki+丁tei=reiじゃないの?
950日本@名無史さん:2013/07/01(月) 21:02:35.49
どこかの検索先に書いてあった、
記紀の執筆者はこの反切で中国音を示そうとしたのか倭音を示そうとしたのか判断に迷うと。
951日本@名無史さん:2013/07/01(月) 21:11:05.50
またある人曰く、漢音ではレイ、呉音ではリョウ、となる・・と。
952日本@名無史さん:2013/07/01(月) 21:39:27.75
ところで、こんなページも見つかりました。

<國學院大學デジタルミュージアム>
「オホヒルメノムチ」とは、オホ(大)ヒ(太陽)ル(助詞のノ)メ(女)ムチ(尊貴)であり、「偉大なる太陽の女神」の意味である。
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68210

すなわち「日孁貴(ヒルメ)」は、助詞のノがルに変化しているだけであり、「日の孁の貴」に同じというのである。
であれば、すべて神名の日はヒと読み、また孁が一音であることを示すために苦心して合成漢字を作ったことの両者が成立する。

しかしそうならば、最初から「ヒノメ」と読ませて何の不都合もなかったのではないか・・???
(つづく)
953日本@名無史さん:2013/07/01(月) 21:55:35.56
そいそい
954日本@名無史さん:2013/07/01(月) 22:01:13.81
>>953
もしかして、九州のお方?
955日本@名無史さん:2013/07/01(月) 22:53:08.41
>大日孁貴。此云於保比屡灯\武智。

この表記に國學院大學説を援用すれば、大日孁貴は、於保比(能)刀i能)武智 となるであろう。
ただし日本書記の記述はおそらく大和言葉(標準倭語)なので、このようになるのだと思う。

しかしこの ピノメ (ヒノメ) を古代九州人がおしゃべりしたときは、いったいどのように聞こえたのであろうか?
といってみたところで、いまさら古代に戻るのは難しいので、
とりあえず現代の九州人に九州弁で読んでいただくとすれば、どのように聞こえるであろうか・・・。
九州のどなたか、音読表記をお願いできませんでせうか。
956日本@名無史さん:2013/07/01(月) 23:05:06.09
ヒノメだったらヒンメみたいにはなるのかな
あの人の家→アンナンゲとか
957日本@名無史さん:2013/07/01(月) 23:27:31.54
>>956
早速にありがとうございます。
この場合の発音の上下を確かめると、ヒノメは下下上になると思います。
しかし仰せの九州弁ヒンメは、上上下になるのではないでしょうか。

ではヒルメはどうでしょうか、上上下ですね。
どちらに近いかと言えば、ヒルメは明らかにヒンメのほうに近いのではないでしょうか(というよりそっくりです)。
しかも九州内の地域によっては、舌を上付きにする関係で hinlme のようにnとmのあいだに、かすかにl(エル音)が聞こえます。
これをヒルメと聞きとるひとがいても(いたとしても)不思議ではないようにおもいます。
958婆 ◆HKZsYRUkck :2013/07/01(月) 23:36:43.61
>>957
おお、すごい!
国学院説、説得力あるなあ。
俺も福岡出身だけど、言われてみればnにlが混じる感じも
ありそうな気がする。

ただそうだとすると、「日(ヒ)」→「昼(ヒル)」とは別のメカニズムだと
いうことだね。
959日本@名無史さん:2013/07/01(月) 23:38:19.75
今の出雲の方言はズーズー弁なんだが、記紀に残る出雲の神名や地名がズーズー弁にはみえない
現代の方言から過去の方言って推定できるのか?
960日本@名無史さん:2013/07/01(月) 23:48:28.87
あの人の家の九州弁(たぶん)
アンヒトンチ、アンヒトンゲ、アンヒトノイエにlが混じるようには聞こえない
日の女ならヒンメと言ってヒルメと聞こえるかもしれないね
961日本@名無史さん:2013/07/02(火) 00:10:53.43
>>957
九州弁と標準語は基本的に同じアクセントで、反転することはない
962日本@名無史さん:2013/07/02(火) 01:58:50.52
九州でも大分だと全体的には筑肥方言より標準語に近いが、3文字単語は語頭が高くなるケースが多い
963日本@名無史さん:2013/07/02(火) 07:17:11.00
「しろ」出雲市セエ 大宰府市セレ 佐賀平野セロ 長崎市セロ
    熊本市セエ 宇佐市シヨ 宮崎平野シヨ 霧島市セエ
「書かせろ」出雲市カカセエ 大宰府市カカセレ 佐賀平野カカセロ 長崎市カカセロ
       熊本市カカセ 宇佐市カカシイ 宮崎平野カカシイ 霧島市カカセ
「来い」出雲市コエ 大宰府市コイ 佐賀平野コイ 長崎市コイ
    熊本市ケエ 宇佐市クイ 宮崎平野キイ 霧島市ケ
「見ろ」出雲市ミイ 大宰府市ミレ 佐賀平野ミレ 長崎市ミロ  
    熊本市ミレ 宇佐市ミヨ 宮崎平野ミヨ 霧島市ミエ
「静かだ」出雲市シジカダ 大宰府市シズカジャ 熊本市シズカナ 佐賀平野シズカカ
      長崎市シズカカ 宇佐市オトナシイ 宮崎平野オトナシネ 霧島市シズカジャ
964日本@名無史さん:2013/07/02(火) 08:26:09.13
>>963
肥前・肥後が似てるのは予想通りだけど、宇佐と宮崎も近いんだねえ
ちなみに、「ヒノメ」はどうなるんだろ
965日本@名無史さん:2013/07/02(火) 08:32:43.76
t
966日本@名無史さん:2013/07/02(火) 09:03:05.89
hinlme のようにnとmのあいだに、かすかにl(エル音)が聞こえる
か否か実際のところは九州各地の人に聞いてみるしかないけど、
試しにヒンメを発音したらl(エル音)が聞こえそうな感じがするね。
よく見つけたというかすごいですね。
967日本@名無史さん:2013/07/02(火) 10:10:01.02
>>966
それは恐れ入ります。 >957
第二の故郷の方言でもありますので、むしろ生粋の九州人より感じやすい面もあるかと。
なお、ヒノメ→ヒンメもそうですが、
ピノメ→ピンメ pinlme の方がいっそうわかりやすいかもしれません。お試しください。
968日本@名無史さん:2013/07/02(火) 10:13:07.40
国学院説は面白いけど、用例がほしいね。
ノの意味でルが使われてるほかの例ってないんだろうか?
969日本@名無史さん:2013/07/02(火) 10:39:48.78
<用例>
猿田彦神:さるたびこのかみ
(別名)
猿田毘古神/猨田毘古神:さるたびこのかみ
佐田彦大神:さたひこのおおかみ

サルタヒコ の ル を助詞の ノ と仮定すれば、
別名の佐田彦大神:さたひこのおおかみ も納得いくのでは。
970日本@名無史さん:2013/07/02(火) 12:47:41.31
サのタって何だ?
971日本@名無史さん:2013/07/02(火) 13:08:18.92
>猿田彦神の名義には大きく三つの説がある。
>一つは、琉球語の先導を表す「さだる」が変化したもの。
>一つは、太陽の使いである猿が守る神田の男神という説。
>一つは、「さ」は早乙女などの「さ」で神稲、「る」はヒルメなどの助詞「の」、「た」は田を示し、
神稲の田の神という説。

なおいささか我田引水の私説ではあるが、猿田毘古の子孫に大田命あり、
よって、サは狭い タは田 とすれば、サタは狭い田のことで、高天原の雲下に連なる棚田の神となる(いかが?)。
972日本@名無史さん:2013/07/02(火) 14:11:10.89
>>971
サタが狭い田なら、サルタは狭いの田?
973日本@名無史さん:2013/07/02(火) 15:53:29.64
邪馬台国九州説は歴史を捏造した地域振興・過疎対策。邪馬台国畿内説は歴史の真実を追求しています。
974日本@名無史さん:2013/07/02(火) 19:32:25.86
とりあえずノの意でルを読んでみると拓けてくるかもしれないな
これはいいことを聞かせてもらった
975婆 ◆HKZsYRUkck :2013/07/02(火) 20:25:15.46
>>969
なるほどなるほど。
かなり繋がった気がする(あくまで自分の中でだがw)。

>>971,>>972
柳田や谷川によると、「サタ」は岬の一般名詞らしい。
つまり佐田彦大神とは岬の神で、海から寄り来る者を最初に導く神。
ちなみに、岬のことは鼻とも言うので、記紀では鼻の長い風貌に描かれていると。

で、岬を表すサタのサは「狭」で、タは「カナタ(彼方)」「コナタ(此方)」に見られる
ような方向を表す「タ」。つまり「サナタ」らしい。「不思議の国のアリス」の用例のように、
助詞の「ノ」と「ナ」とは可換だから、「サナタ」=「サノタ」→「サルタ」になる。

それでもって本題の「日」だけど、こちらにも「ヒナタ(日向)」という語がある。
こちらの語源もサタと同様に「日のカタ(方)」だから、
 「日」+助詞の「ナ」(=ノ)+方向を表す「タ」
という構造なのだ。だからノがルに置換されうると。
976日本@名無史さん:2013/07/02(火) 22:08:07.25
サナタはサルタになって、ヒナタはヒルタにならないの?
977婆 ◆HKZsYRUkck :2013/07/02(火) 22:18:50.71
>>976
おお、興奮してて舌足らずでござった。
「ヒノタ(=ヒノタ)」の「ノ」が「ル」になるならば、「ヒノメ」の「ノ」が「ル」になることを
否定する理由がないなと。実際に「ヒルタ」という語があったのかどうかは、
実はあんまり気にしてなかったりするw
978日本@名無史さん:2013/07/02(火) 23:31:54.65
実際にヒルタという変化が見つからないと空論の気が…
979婆 ◆HKZsYRUkck :2013/07/02(火) 23:41:07.06
>>978
みゅ、やっぱりそう思う?
告白すると、実は俺も薄々そんな気がしていたw

そういうわけで、詳しい人プリーズなのだ。
980日本@名無史さん:2013/07/02(火) 23:50:19.33
ルをノと言う意味で使ったとしても現代の方言に残ってるとこがあるかな?
地名や人名のルをノに置き換えてみれば意味が繋がったりする例がありそうな感じ
981日本@名無史さん:2013/07/02(火) 23:57:23.85
普通は発音しやすい方に変化しそうだから、ラ行に変わることは少ないだろうね
982日本@名無史さん:2013/07/03(水) 00:29:08.51
ロはある

カムロギ
カムロミ
オロチ
983ローガン:2013/07/03(水) 00:39:47.63
登陀流 なんてのはどう?古事記の国譲りの所。
唯僕住館隅如天津御子之天津日繼館知之登陀流【此三字以音。下效此】天之御厥而於底津石根宮柱布斗斯理【此四字以音】於高天原氷木多聟斯理【多聟斯理四字以音】而治賜隅僕隅於百不レ足找十脾手隱而侍

とだる…琉球語のテダ(=太陽)+「の」
984日本@名無史さん:2013/07/03(水) 04:28:05.26
古事記「竺紫日向之高千穂之久士布流多気」

ここを「久士布の岳」とみて宮崎方言風に発音すると クシフッタキ kusifluttaki のように聞こえ、
フ から ッ にうつる瞬間に舌を巻くことで、かすかなl(エル音)を帯びる。
また 岳 は明瞭に タキ と聞こえる。

千数百年の時間差はあるが、これがそのまんま東へ移り、
古事記に「久士布流多気」と記録されたとしてもさふぉど違和感をいだくことはない。
985日本@名無史さん:2013/07/03(水) 07:03:54.86
クシフルなんてアイヌ語みたいですね。
986日本@名無史さん:2013/07/03(水) 09:58:46.47
アイヌ語電子辞書という便利なページをみつけた
しいていえば、kusiは助詞かなあ、kusif、kusifuruに該当する語はないようだ
987日本@名無史さん:2013/07/03(水) 10:04:21.76
さすが國學院大學説と敬服

>「ル」は ヒルメ などの助詞の「ノ」
988日本@名無史さん:2013/07/03(水) 12:51:01.60
久住の滝
989日本@名無史さん:2013/07/03(水) 12:55:34.59
久住由布の滝
990日本@名無史さん:2013/07/03(水) 13:52:22.58
大日孁ノ貴(於保比屡灯\武智 → 於保比能灯\武智)

日ノ孁ノ貴(比能灯\武智)

日孁王(比東ト pimewo)
991日本@名無史さん:2013/07/03(水) 14:18:52.25
大日孁貴のほうが卑弥呼より古いってことか
992日本@名無史さん:2013/07/03(水) 20:53:11.20
ヒノメ→ヒヌメ→ヒルメとか?
敦賀の語源は角鹿(ツヌガ)だし
993日本@名無史さん:2013/07/04(木) 03:57:08.30
ヒノメ→ヒンメ→ヒルメ(日孁、九州・大和系)

→ヒヌメ→フォヌメfonume→ホヌメ→ホノメ(穂能命・穂○命、出雲経由の大和系?)
994日本@名無史さん:2013/07/04(木) 06:48:51.10
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲2五歩 △8八角成 ▲同 銀 △2二銀
▲7七銀 △3三銀 ▲7八金 △6二銀 ▲4八銀 △6四歩 ▲4六歩 △6五歩
▲4七銀 △6三銀 ▲5八金 △5四銀 ▲6八玉 △5二金 ▲7九玉 △4二玉
▲1六歩 △1四歩 ▲3六歩 △4四歩 ▲9六歩 △9四歩 ▲3七桂 △3一玉
▲8八玉 △8四歩 ▲6八金右 △2二玉 ▲7五歩 △6三金 ▲5六銀 △8五歩
▲4八飛 △6四金 ▲4五歩 △2七角 ▲5八角 △3五歩 ▲同 歩 △7五金
▲2八飛 △3六歩 ▲2七飛 △3七歩成 ▲同 飛 △7六桂 ▲同 銀 △同 金
▲7七歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 金 ▲8七歩 △同 金 ▲同 金 △8六歩
▲同 金 △同 飛 ▲8七歩 △8二飛 ▲3四歩 △4二銀 ▲7八金 △9五歩
▲同 歩 △9七歩 ▲同 香 △4六金 ▲2七飛 △4五銀 ▲同 銀 △同 金
995日本@名無史さん:2013/07/04(木) 06:50:33.44
▲2四歩 △同 歩 ▲6六歩 △8六歩 ▲同 歩 △8七歩 ▲同 金 △7五銀
▲7八桂 △6六歩 ▲6八歩 △5九銀 ▲4七角 △6八銀成 ▲6九歩 △6七歩成
▲6八歩 △7八と ▲同 玉 △3五桂 ▲1七飛 △4七桂成 ▲同 飛 △8六銀
▲同 金 △同 飛 ▲8七歩 △6五角 ▲8六歩 △4七角成 ▲8二飛 △9六歩
▲同 香 △9九飛 ▲8七角 △8九飛成 ▲同 玉 △7五桂 ▲3二角成 △同 玉
▲4一銀 △4三玉 ▲2三銀 △8七桂成 ▲3二銀引不成 △5四玉 ▲8四飛成 △7四歩
▲6三銀 △5五玉 ▲8五龍 △4六玉 ▲7六龍 △5六角
まで134手で後手の勝ち
996日本@名無史さん:2013/07/04(木) 11:55:40.27
ゴロ合わせ楽しいです
997日本@名無史さん:2013/07/04(木) 20:53:12.68
雑誌コーナーに邪馬台国本が並んでるね。
安本御大はまだまだ元気そうです。
998日本@名無史さん:2013/07/04(木) 22:58:44.38
天照(男)
大日霊貴
ウヒルギ、オホヒルギ、ウホヒルギ

ウ は 大いなり
ヒ は 日の輪
ル は ヒノチタマ 日の霊
ギ は キネ 杵 キネはメヲトのヲノキミ 男の君
(ホツマツタエ)


ヒルコ
昼に生まれたので昼子
(ミカサフミ)
999日本@名無史さん:2013/07/05(金) 00:11:54.39
北九州は、宗像三神や神宮皇后といった女神信仰が盛ん
天照大神を無理に男神にする必要を感じない
1000日本@名無史さん:2013/07/05(金) 11:32:25.83
まさに邪馬台国は九州にあった!
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